私と憲法3号掲載(2001年8月14日発行)

憲法改悪推進テキスト~「つくる会」公民教科書の走狗ぶり(2)

越田稜(アジア民衆法廷準備会)

前回は「新しい歴史教科書をつくる会」主導作成による「公民教科書」(扶桑社版)における、憲法改悪推進の走狗ぶりに触れた。続いて今回も、その改悪補完装置構築の一端を指摘しておきたい。「つくる会・歴史教科書」が、ファナティックなニッポン国家主義者である西尾幹二の産物であるならば、「同会・公民教科書」は、エモーショナルなニッポン伝統文化愛着者である西部邁になる創造物であろう。いってみればダブル・ウェストによる一対の教材悪書といえようか。

90年代より保守タカ派と、つかず離れ改憲・廃憲を高唱してやまなかった西部は、彼がチョー過剰反応する、今日における政治混迷、経済沈滞、社会堕落のそれぞれの病巣を欧米の近代主義(民主主義、自由主義、個人主義)、ないしは産業主義と位置づけ、とりわけアメリカから日本が「押しいただいた日本国憲法」を忌み嫌い、憲法下にバラまかれた数かずの悪弊を、祖父たちが残したニッポンの歴史、伝統、文化、そして公秩序への回帰によって改めることを説き続けてきた。

「公民教科書」パイロツト版「国民の道徳」(産経新聞社)、同教科書宣伝書「新しい教科書誕生!!』(PHP研究所)には、西部の日本国憲法への批判的言辞がアチコチに載っている。こんな調子である。「この“民主”憲法には歴史を背負うもの、つまり国民がいない。そして単なる人民の欲望が人権の名目で擁護される仕組になっている」「同憲法には、とんでもないヒューマニズムを基底とした平和主義があり、敗戦のトラウマによってか、国防意識が見えない」「歴史感覚、伝統精神で保証される健全な民衆の存在が問題なのであって、民主主義それ自体よいも悪いもない」etc.

西部と彼を信奉するその亜流たちによって、「公民教科書」の白表紙本が作成され、他社版を圧倒する99カ所の検定意見を文部科学省よりさずかり、この4月合格とあいなった。亜流のひとり、八木秀次(憲法学が専攻らしい)は「(検定意見による)修正後も私たちがこの教科書に記述したかった精神はそのまま残っている。むしろ検定意見を受けて抑制の効いたよい表現になった箇所もあるくらいである」(『新しい歴史教科書「つくる会」の主張』〈徳間書店〉)と、厚顔無恥にもつぶやいている。

合格本「同公民教科書」からひとくだり。第2章・第4節 主権国家と国際関係・(20)主権国家、国旗・国歌より、「経済と情報のグローバリズムが進み、モノ、カネ、人、情報が自由に行き交うようになるにしたがって、各国ではこれまでにも増して明確な国家意識を必要とするようになってきた。国旗・国歌は国家を象徴するものであリ、その国の歴史や理想をあらわしたものである。国を愛することは国旗・国歌を尊重する態度につながる。また自分の国を愛することで初めて他の国を理解することもできる。私たちにはまず何より、自国の国旗・国歌を尊重する態度が必要である。そして基本的な国際儀礼として、他の国の国旗・国歌をも尊重することが必要である」

数かずの国家的抑圧に抗し、日本国憲法の理念実現に尽カし、国家を超えて「ひと」をこよなく愛した先達たちの営為を思い起こす契機となれば、実はこの合格本も反面教師の役割を大いに果たしているのかもしれない。

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