高市内閣成立後、1か月も過ぎないうちに「台湾有事・存立危機事態発言」や、「非核3原則見直し発言」、異常な軍拡に向かう「安保3文書改定」への動きなど、重大問題が相次いでいる中、本誌は当然これらの諸問題を取り上げなくてはならないのだが、紙面の都合で今回は憲法問題に絞って考えたい。
「岩盤保守」と呼ばれる伝統的な右翼支持層を惹き付けなおし、右翼政党「維新の会」と連立を組んだ高市早苗政権の明文改憲に対する向き合いかたが、安倍晋三政権崩壊後の自民党のそれと異なっていることは見逃せない。
安倍晋三らは自公連立政権のもとで、公明党を抱き込みながら、明文改憲をすすめようと、憲法9条の文言に「自衛隊」という文言を書き加えるというあらたな9条改憲をはじめ、緊急事態条項挿入など4項目改憲論をとなえた。しかし、それでも改憲発議要件の国会議員の3分の2による支持の見通しがつかず、憲法審査会での安倍総裁から石破総裁にいたる改憲派の議論は「4党1会派」が一致できる「緊急事態条項のうちの衆議院任期の延長」で明文改憲を進めるという、当初の明文改憲の狙いと比較して極めて無様な改憲案づくりを進める方向に舵をきるしかなくなった。それでも容易に進まない明文改憲の状況から、このところの改憲派のうごきは、「明文改憲はさておき、実質的改憲、壊憲による戦争国家化をすすめる」路線に転嫁しつつあった。
24年衆院選、25年参院選と2度の国政選挙を経て、自公連立政権は国会の多数派を失い、国会は政治の軸心が大きく右ぶれし、参政党など右派による多党化状況になった。公明党は連立から離脱し、自民党極右派の高市総裁とより右派の維新の会が連立を組んだ。政権は右翼・維新の会との少数与党政権だが、野党の中に、今まで与党だった公明党がおり、急速に改憲右派化する国民民主がおり、極右・参政党が一定の力をもち、その他日本保守党などがいる。国会全体をみれば右派改憲派に勢いがある状況が生まれた。
日米同盟の名のもとにトランプ米大統領の世界戦略に付き従う高市首相らにとっては、この状況が再び明文改憲のチャンス到来に見えるのだろう。強引に戦争国家化をすすめてきたとはいえ、9条を変えずに戦争をすすめるのは、総力戦の戦争遂行にとっては何とも都合が悪い。
いま高市首相らの下で再点火されている明文改憲の動きは、このような背景を持っている。
改めてこの間の高市早苗首相(総裁)のもとでの改憲問題に関わる動きの特徴を明らかにしたい。
10月20日、自由民主党と維新の会は12項目にわたる「政策合意」を取り決めた。その中の改憲問題にかかわる項目は、25年中に9条と緊急事態条項に関する条文起草委員会をつくり、26年中に条文案を国会に提出する。できるだけ早く、両院の憲法審に条文起草委員会をつくる。CM規制、ネット規制など制度設計を進める、というものだ。
10月24日の第219回国会における高市首相の所信表明演説で直接改憲に言及した部分は、「憲法改正について、私が総理として在任している間に国会による発議を実現していただくため、憲法審査会における党派を超えた建設的な議論が加速するとともに、国民の皆様の間での積極的な議論が深まっていくことを期待します」というもので、過去の改憲派首相にならった範囲の発言にとどまった。
しかし、臨時国会の代表質問などの論戦では従来の改憲派首相答弁以上に高市首相の極右の地金が出た。11月はじめの衆院本会議で、首相は憲法改正についての質問にこたえて「改正案を発議し、少しでも早く憲法改正の賛否を問う国民投票が行われる環境を作っていけるよう、粘り強く全力で取り組んでいく覚悟だ」と述べ、続けて、首相としてではないから憲法99条違反ではないという逃げ道を用意し、「総裁として申し上げれば」と前置きし、わざわざ「憲法はあるべき国の形を示す国家の基本法であり、国際情勢や社会の変化に応じた改正、アップデートが必要だ。時代の要請に応えられる憲法を制定することは喫緊の課題と考えている」と自説を強調した。そして、自民と日本維新の会による連立政権合意にも憲法9条や緊急事態条項に関する改正に向けた取り組みが盛り込まれたことを紹介。「憲法改正には国民の理解と支持を得ることが重要だ」としたうえで、これまでの論点整理や議論の蓄積を踏まえ、各会派の協力を得ながら国民投票の早期実現に向けた環境作りに尽力する考えを示した。この発言に対して、共産党の小池晃書記局長は「(首相が)改憲について本会議でここまで踏み込んで答弁したのは初めてではないか」と指摘した。
憲法審査会での改憲原案作成が思うように進まない現状への改憲派のいらだちも反映して、11月4日の衆院本会議での代表質問で、日本維新の会の藤田文武共同代表は「内閣は憲法改正原案を国会に提出できるということについて、政府の立場は変わらないか」と質問した。首相は「内閣は憲法第72条により議案を国会に提出することが認められている。憲法改正の原案を国会に提出することも可能だ」と答弁した。12日の予算委員会でも同様のやりとりがあった。この問題は過去にも内閣法制局長官らが同様の見解を示したことがあるなど、議論になってきたが、首相が答弁するのは異例だ。立憲民主党の杉尾秀哉議員は「内閣で提出できるかどうか、法律論として論争はあるが、一種の禁制だ」と指摘した。首相は「高市内閣から改正案を提出しない。(国会の)憲法審査会における党派を超えた建設的な議論が加速するとともに、国民の間で積極的な議論が深まっていくことを期待している」と述べた。
これについて、飯島滋明名古屋学院大教授は「国民が制定した憲法に権力者は拘束される立憲主義を踏まえれば、提案権は、主権者である国民から直接選ばれた国会議員にしか認められるべきではない。この見解は樋口陽一東京大学名誉教授など学会でも有力な説の一つで、自民党内でも提案権は国会に限られると考える議員はおり、一枚岩ではない」「内閣は実際には議員たる資格を持つ国務大臣その他の大臣を通じて原案を提出することができるので、内閣の発案権を議論する実益は乏しいというのが通説だ」と述べている。そして、「内閣に改正原案の提出権があるとされれば、綿密な議論もされず、主権者である国民に議論が分からない状況で改憲原案が作成、国会に提出される可能性がある」と指摘している。(11月14日、東京新聞)。同日の紙面で立憲民主党の吉田はるみ議員も「国民に開かれた、丁寧な憲法論議が必要とされているのにもかかわらず、いきなり内閣が改憲原案を国会に提出するというのはあまりにも乱暴ではないか」と述べている。
自民党と日本維新の会は11月13日、高市内閣発足にあたって両党が結んだ「連立合意」に基づく「改憲条文起草協議会」の初会合を国会内で開いた。合意した9条改憲と緊急事態条項導入の条文起草を急ぎ、26年度中の条文案の国会提出を目指す企てだ。
会合で自民側責任者の新藤義孝氏は「改憲の土壌を整えて前進するための作業を精いっぱいやっていきたい」と語ったという。
両党は改憲準備促進で一致しているが、しかし、問題も残っている。維新は 連立合意前の9月に発表した提言にみられるように「戦力不保持」をうたう9条2項を削除して「国防軍」を明記する立場であり、9条2項を維持して自衛隊を書き込むという安倍晋三元首相以来の自民の立場とどのように調整するかは容易ではない。加えて、多数になるからと言って、憲法審査会での条文案作成を多数決で強行するのは相当な荒業であり、国会で発議に必要な「衆参両院の3分の2」を得るために野党の幅広い賛同を得る見通しも困難だ。
しかし、従来の自公連立政権の中で、9条改憲に消極的な公明党が何かと自民党の改憲派に「ブレーキ」をかけてきた時代と比べて、改憲促進のアクセルの役割りを果たすであろう維新の会との自・維連立政権のもとでの原案合意はあまり困難ではない可能性が高く、油断できない。
(4)あらためて「明文改憲」にも「実質壊憲」にも反対する運動を
11月20日から衆院憲法審査会がはじまった。偽情報やフェイクニュース対策などに関する与野党メンバーの欧州調査報告や関連する質疑が行われた。船田元・与党筆頭幹事(自民)は27日に予定する幹事懇で条文起草委員会の設置を提起するとして、「メンバーをどうするか、どういう形にするかは維新との話し合いが十分にできていない。その時までにある程度、原案を作っておきたい」などと述べた。前国会の憲法審査会幹事懇談会でも自民党は改憲原案を起草する委員会の設置を提案したが、与野党筆頭幹事の協議で「当面見送る方針」となった。船田氏はそれをまた持ちだすという。こんな拙速な条文起草委員会の設置など許されない。
2015年の安倍政権の下での集団的自衛権行使の合憲化に道を開いた戦争法=安保法制(2014年閣議決定)、につづいて、2022年岸田政権の下で敵基地攻撃能力保有や軍事費倍増の安保3文書が閣議決定された。2025年秋に成立した高市政権は日米協議で安保3文書の達成を前倒しして、26年以降、さらなる高みへと日本の軍事大国化を進めることを約束した。急速な軍備増強(米国をはじめ「同志国」との軍事演習の日常化、敵機地攻撃能力保有のための全国的な長射程ミサイルの配備の展開、原子力潜水艦の保有など)が進められている。社会の軍事化(排外主義、差別主義の横行と、スパイ防止法、国旗損壊罪の制定などなど)。そのうえ高市内閣の下で新たに改定されようとしている「安保3文書」では軍事費の対GDP比3.5%を約束することが濃厚で、関連経費を含めればトランプがNATOに要求している5%に届きかねない状況だ。
大規模な軍事演習が中国の脅威を口実にひんぱんに行われている。反撃能力の主力「12式地対艦誘導弾」の能力向上型(25年6月)演習も静岡県の陸自東富士演習場で実施された。
陸上自衛隊と米海兵隊による国内最大規模の実動訓練「レゾリュート・ドラゴン25(RD)」が9月11日、石垣島や与那国島を含む沖縄県内と九州、北海道などで9月25日まで実施され、石垣島に米海兵隊の無人地対艦ミサイルシステム「NMESIS(ネメシス)」と最新鋭の短距離防空システム「MADIS(マディス)」が初めて展開された。RDでは戦闘で負傷した患者輸送訓練のための訓練が行われ、与那国島では、日米共同の衛生(救護)訓練が行われた。今回のRDは、全体で過去最大の1万9千人(自衛隊約1万4千人、米軍約5千人)規模になった。日本は陸海空の各自衛隊、米国は海兵隊(第12海兵沿岸連隊等)、陸軍、海軍、空軍が参加した。
つづいて自衛隊統合演習が10月20日~31日、全国で行われた。自衛隊5万2300人で、リゾリュート・ドラゴン25をも大きく上回る規模で行われ、海上自衛隊と米海軍、米海兵隊、オーストラリア海空軍、カナダ海空軍、ニュージーランド空軍及びフランス海軍との連携の強化が図られた。
先の高市発言はこういうなかでとびだしたものだ。高市首相は、「戦艦を使って、武力の行使も伴うものであれば、これはどう考えても存立危機事態(同盟国に対する武力攻撃が日本の存立を脅かす事態)になりうるケースだ」とし、そうした状況では、脅威に対応するため、自衛隊が出動できるというものだ。これは従来の日本政府がとってきた立場を突破するものであり、とりわけ日中外交4文書の立場に反するもので、中国が緊張するのは当然の発言だ。この間、本誌でくりかえし主張してきたように、日中問題はこの間の日本政府の基本的立場である、(1)日中共同声明(1972年)(2)日中平和友好条約(1978年)(3)平和と発展のための友好協力パートナーシップの構築に関する日中共同宣言(1998年)(4)「戦略的互恵関係」の包括的推進に関する日中共同声明(2008年)などに基づいた平和共存的路線をすすめ、「台湾有事」の勃発を阻止するよう努力しなくてはならない。
改憲派は極右・高市首相の下で勢いづいて明文改憲の動きを急ぎながら、従来からの実質壊憲のうごきを異常なスピードで進めている。私たちは国会内の立憲野党勢力に働きかけ、連携しながら、国会外でもあらためて「明文改憲」にも「実質壊憲」にも反対する広範な運動をつよめなくてはならない。+
(共同代表 高田 健)
2025.10.28
2025年10月21日に高市早苗政権が誕生した。右傾化と裏金問題にカルト統一協会との癒着など自民党が抱える問題すべてを体現したような人物を党の要職に起用したことにより、公明党に三下り半を突き付けられ、四半世紀にわたる連立は解消された。
公明党なき自民党の次なるパートナーは下品で粗暴な維新の会だった。さすが維新の会、「第二自民」と名乗るだけのことがある。維新の会との「連立合意書」は右に振り切った内容だ。選択的夫婦別姓の実現どころかジェンダー平等の文字もない。福祉・社会保障を切り捨てる代わりに排外主義を煽り立て大軍拡と戦争への道に突き進もうといった合意に他ならない代物だった。
この合意書の内容は参政党をはじめとする極右政党の顔色を伺うようなものでもあった。これは自民党と維新の会の結託を皮切りに極右ファシスト政党を次々と飲みこんで日本の政治を大きく歪め、米国に追従して、戦争国家へと進んでいく企て他ならない。
「初の女性首相誕生」ともて囃されているがとんでもない。私たちはこのような形での「初の女性首相」の誕生は望んでいない。本来、女性首相の誕生の暁にはジェンダー平等の旗印の下、選択的夫婦別姓や過重労働の見直し、性差別のない社会、性別に関わらずどんな未来をも選択できる自由が実現されることを望んでいた。
ジェンダー平等の実現される社会には戦争はない。なぜならば、戦争は暴力と差別の最たるものだからだ。日常の中の暴力や差別をなくそうと尽力することと、戦争のない社会を目指すこととは表裏一体のものだ。しかし高市政権は差別と戦争を容認するどころか、それを扇動する権力以外の何ものでもない。このような政権が続く限りジェンダー平等の実現は遠のく一方だ。
国会内では、自民、維新、国民、参政、日本保守、N国などそろい踏みで改憲へと襲い掛かろうとしている。円安に物価高、市民生活は悲鳴を上げている。格差社会はより溝が広がり、金持ちが大金持ちになるシステムは高市政権により、強化されようとしている。このような中で人間らしい生活が送れない人々が続出し、街のあちらこちらから呻吟が聞こえてくる。本来ならば、税金を軍事費ではなく今こそ暮らしに回すべきだ。それなのに、社会の呻吟に目を背け、市民生活を切り捨て軍拡にひた走ろうとする高市政権は明らかな憲法ないがしろ政権だ。
この度、来日した米国トランプ大統領に対する高市首相の卑屈なまでの追従の表明は目を覆うばかりだ。今こそ憲法改悪と戦争国家化に反対し、憲法を生かした共に生きる社会の構築は急務だ。自民党が維新や参政党と一緒になり、失政を外国人排斥や陰謀論などで覆い隠そうとする極めて陰湿で卑怯な手口に決して騙されてはならない。
高市首相は積極財政だなどと市民の味方面したうわごとを言っているが、そもそもこのような事態になったのは長きにわたる悪夢の自民党政治が引き起こしたことではないか。円安も物価高も原因はアベノミクスにある。裏金問題も統一教会との癒着もそのままに、まるで安倍政権の復活を見るかのような高市政権を一刻も早く退陣させるため、反戦・平和、人権、民主主義、反差別・平等、環境などの切実な課題を掲げて、全国の市民、真っ当な野党の議員とともに力を合わせて立ち向かおう。
映画「女性の休日」を観て
私は2024年の年末、アイスランドのレイキャビクに降り立ちました。ずっkoideと訪れたかった、アイスランド。憧れの国、アイスランド。ジェンダーギャップ指数16年連続1位のアイスランド。
「ジェンダーギャップ指数」という言葉は、今や多くの人が知っているかもしれませんが、今から50年前にアイスランドで女性たちが一斉に仕事を休んだ「女性の休日」なる素敵な行動があったことはあまり知られていないかもしれません。アイスランドでは、1975年10月24日、女性の約90%が参加した「女性の休日」という名のストライキが実施されました。その日、女性たちは、仕事も家事も育児も全てを休みました。
今では世界で最もジェンダー平等が進んだと言われるアイスランドも1970年代は決してそんなことはなく、性別役割分業が「しっかり」固定化されていました。当時、専業主婦は幸せな人たちとされ、政治の世界も農業組合も女性たちは入れませんでした。農業組合に女性が入ることができるのは、夫が死んだ時だけです。また、仕事を教えていた年下の男性たちは、気付けば上司になっていく。そして、賃金も追い越される。一方で 主婦の生活を肯定している女性たちも存在していました。
この映画は、「女性の休日」に参加した女性たちへのインタビューや当時の映像、そして、この日の様子を再現するアニメーションで構成されています。印象的なことは、もう何と言ってもみんなの笑顔と勇気!政治に関心が特に強くもない、左派でもない女性たちが心から楽しんでいる様子が、映像からは伝わってきます。
それでは、なぜアイスランドでは、約90%の女性が参加するストライキが実施できたのでしょうか。「女性の休日」が、階級や思想、地域などの枠を超えて、ほぼすべての女性たちの参加を可能にした背景には、女性政治団体や女性のグループによって粘り強く展開された話し合いがあったからです。
「ストライキ」という表現に対して、保守派の女性たちは過激すぎると難色を示しました。私の日頃の感覚からすると、多数決が絶対であるとは思っていませんが、組織内では、大きい声や多数の声が選ばれがちではあると感じます。しかし、アイスランドの女性たちは、互いの主張はありながらも、あきらめることなく、議論することをやめず、粘り強く話し合った結果、「ストライキが嫌いならば、休日と呼べばよい」という案が出てきたのです。「女性の休日」としたことが、アイスランドの女性の約90%が集まる結果になったのだと感じました。
異なる考えを持つ人々の議論をまとめることは簡単なことではありませんが、何をめざすのか、そのためにできる最善の方法を考える重要さを知りました。
最後に、映画とは少しずれますが、私がアイスランドを訪れたかった理由について。もちろん、ジェンダーギャップ指数第1位の国であることは理由のひとつですが、アイスランドは、常備軍を持たない国と聞いたからです。
ジェンダーギャップ指数が1位であることも、「アイスランドという小さな国だから達成したことですよね」と思う人もいるかもしれません。軍隊を持たないということも、歴史的な経過はありつつも、地理的なことや小さな国だからできたことでは、と思う人もいるかもしれません。けれども、アイスランドにできたことは日本もできると信じたいのです。
日本でも、「女性の休日」を実施しようという動きもあるようです。草の根の運動が広がれば、日本でもできるはずです!みなさん、ともに連帯しましょう。
以上
小出真理子
11月3日、天候に恵まれた東京の国会議事堂正門前で「今こそ平和といのちと人権を!11.3憲法アクション」が開かれ、2300人が「憲法守れ」の声を上げた。スローガンは“改憲NO! 軍拡NO! 差別NO1 誰もが安心して暮らせる社会を!”。
午後2時の開会を前にオープニングライブでは、チャレンジャー周平さんが演奏した。演奏は、身体の前にはアコーディオン、ハーモニカ、トランペットなどをつけ、背中にはシンバルつきのドラムを背負うなど、全身に楽器を装着した一人の演奏で喝采をあびた。
開会は参加者全員の元気なコールの後、染裕之さん(1000人委員会)が開会挨拶を行い、続いて国会議員から挨拶があった。社民党のラサール石井参議院議員、共産党衆議院議員の田村智子委員長、立憲民主党の安倍知子衆議院議員がそれぞれ発言した。また、沖縄の風の伊波洋一参議院議員からのメッセージを司会が披露した。続いて参加の国会議員と参加者全員が一体となってプラカードアピールがあり、コールが国会議事堂周辺大きく大きく響き渡った。その後スピーチに入った。
伊藤千尋さんスピーチ(国際ジャーナリスト)
教えている学生から、「よその国は軍隊を持っているが日本はもっていない。大丈夫ですか」と聞かれる。確かにアメリカの学校では銃撃事件がよく起きているが、日本は国家として軍隊を持たないとしており、この憲法をどうしたら生かせるのか。憲法9条を知らない人が多いので、それなら知らせていこうということで、9条の碑をつくることが各地で起きている。憲法9条の碑は那覇市長によって1985年に那覇の公園に建てられたのが初めてだ。この碑は、沖縄に日本国憲法を実施して欲しいと願い本土を向いている。
2015年の戦争法のころから急に各地での設置が増えている。去年は10カ所で今年の5月3日は7カ所、今日の11月3日は下関、狭山、滋賀県三井寺で除幕式が行われている。海外のカナリア諸島、ジンバブエ、トルコの3カ所を合わせると73カ所に建立されている。軍事費を増やし暮らしが成り立たなくなっている現在、この流れを市民自身の手で変えよう、9条の大切さを広めていこうというのが9条の碑の運動だ。東京だけでも3カ所にあるが、まだない県も17カ所ある。今日、除幕する下関の碑はふぐの形で、香川県の碑はどんぶりの中にうどんが入っている。今や9条の碑は地域の特色を生かして、オラが9条の碑、私たちの物だというようになっている。ユーモア感覚を持つようになれば本物といえる。
私は世界の84ヶ国を取材してきた。世界の常識は、未だに、やられたらやり返せになっている。しかし私たちは戦争そのものを無くそう、原爆そのものを無くそうという発想が国民レベルの常識になっている。それは平和憲法79年の歴史があるからだ。
前田よし子さん(平和を求め軍拡を許さない女たちの会・日本女医会共同代表)はスピーチを予定していた和田靜香さん(ライター)が急きょ体調を崩したためピンチヒッターとして和田さんのメッセージを代読した。
前田さんは平和は、平和をあきらめない人たちで造られると考えているので皆さんとともに努力したい、と前置きして和田靜香さんのメッセージを代読した。以下に要旨を紹介する。
週刊「金曜日」に「フェミニストで中高年シングル女性の私が 初の女性首相を喜べないわけ」という文章を寄せた。内容は、非正規や貧困に苦しむなかで女性議員が増えて欲しいと考えてきた。男性稼ぎ主モデルの日本で、女性は結婚がセイフティーモデルとなっている。単身女性はそこから漏れ落ち社会保障から脱落という現実を、女性の政治家に救って欲しいと願ってきた。しかし高市政権は労働時間の規制緩和、格差拡大の方向で生活や福祉が期待できない、と書いた。
これがフェミニストによる高市批判ということで大炎上している。「今は強者の視線で押す時代で、弱者は消えろ、がスジだ」と、自己責任がセットになっている。高市も片山さつきも安倍政権のとき生活保護バッシングの急先鋒だった。「くずフェミ」という言葉がSNSで蔓延している。その言葉はブーメランのように、いつかその人に返ってくるはずだ。憲法24条は婚姻の平等の前に、個人の尊厳を守る条文だと思っている。自分の尊厳を大切にすることは、他の人の尊厳を守ることだ。弱者は消えない。自分の尊厳を守ろう、という和田さんのメッセージを紹介した。
最後に前田さんは、やっと女性の総裁・総理が誕生したがなぜか喜べない。それは高市さんに多様性の視点がないからだ。いつか多様性の視点をもつトップが表れることを心から願っている、と結んだ。
リレートークでは、古川敦子さんが(ピースボート)、世界航海の旅で感じた軍拡・平和外交について話した。平山貴盛さんは(ジェノサイドに抗議する防衛大学校卒業生の会)パレスチナ問題についての呼びかけを行った。大江京子さんは(改憲問題対策法律家6団体)はスパイ防止法の危険性について訴えた。
最後に石川敏明さん(憲法共同センター)が行動提起を行い、再度コールを重ねて終了した。
伊藤 昌亮さん(成蹊大学教授)
(編集部註)10月25日の講座で伊藤 昌亮さんが講演した内容を編集部の責任で要約したものです。要約の責任はすべて本誌編集部にあります。
私の研究のテーマはメディア研究で、とくにソーシャルメディアなどの新しいメディアと社会運動ですとか、社会対立の関係をずっと調査してきました。左派の運動なんかはターゲットにしていたけれども、最近は右派の運動の方が非常に盛んになって、そこから生まれてくる社会分断などを追いかけています。今日は参政党の話を中心に、財務省解体デモも織り交ぜながらお話ししていきます。
これは参政党の参院選のマニフェストです。日本人を豊かにする、日本人を守りぬく、日本人ファーストと言って、ドーンと出てきたものです。これらは意外とちゃんと議論されず、なんとなく日本人ファーストだと参政党を巡る話がされてきました。私はこのマニフェストを結構ちゃんと読みました。
そしたら、これは意外とよくできていることが分かりました。「日本人を豊かにする」には、経済・産業・移民と書いてあり、経済問題です。「日本人を守りぬく」は、食と健康、農業と書いてあって、一種の環境問題です。「日本人を育む」は、教育・人づくりとあるように、教育の話です。経済と環境と教育が配されていて、それぞれに、日本人、日本人、日本人みたいな形で、乗っかってきています。
まず、1番目と2番目の柱です。「日本人を豊かにする」、「日本人守り抜く」は、経済政策と環境政策で、経済政策の中に排外主義的なメッセージを持った経済政策です。環境政策は、私の定義で言って、いわゆる農本主義という考え方があり、これは日本とかドイツとかで盛んになった考え方です。農業を大事にする、農業と土地・土を大事にするみたいな考え方です。そういった伝統に基づいた発想による環境政策です。
そして教育政策は、ズバリ復古主義的で、明治民法とか、教育勅語とか、日本会議的なものです。そこら辺をベースにし
た教育政策と文化政策になっています。この文化政策の先に新憲法の話があります。彼らは新日本憲法と呼んでいますが、創憲、憲法を新たに作るみたいな形の憲法草案があります。これも極めて復古主義的なものです。だいたい参政党を捉えるときは、まず排外主義的なイメージがすごく強い。それから、もともと反ワクチンとかをやっていた政党なので、独特の環境政策を持っているというイメージが強いと思います。
それとともに、基本的には日本会議の伝統をくむ流れです。明治民法。教育勅語、大日本帝国憲法、復古的な感覚の展開とし
ての憲法改正で、超ウルトラ右翼的なイメージで捉えられています。排外主義も、農本主義も、復古主義もそうです。極めて右翼的であり、我々はこれをウルトラ右翼政党だと見ているし、見てきたと思います。
ところが、実際に支持者に話を聞いてみると、そんなことは全然思っていないんですね。毎日新聞の調査で、タウンミーティングに集まった人に参政党の政策のことを聞いたら、この憲法については誰も知らなかった。要するに、子ども一人に10万円くれるとか、あるいは社会保障費を下げてくれるとか、外国人から自分たちの安全を守ってくれると、そういうところで見ている。普通に我々が考えている右翼的なイメージが、支持者に支持されているわけではありません。ここが実は非常にうまくできているところで、入口と出口が違うような政策体系になっている。
ひとつひとつ見ていきますと、まず排外主義的経済政策ですね。日本人を豊かにする経済・産業・移民と言っているけれども、3本の柱の中に3本の政策がついていて、結構よくできています。この経済政策では、集めて配るよりは、まず減税をやる。いわゆる国民負担率、これは税金と社会保険料の国民所得に占める割合で、日本の場合46.5%くらいです。これを35%にします。それで減税と社会保険料削減を両方やるということをまず第一歩として極めて強く言います。
それを踏まえて日本の産業を再興します。その中で非常に特徴的なのは、自動車産業とサブカルチャー、AIはどこでも言っていますが、自動車産業を強くする。それと漫画とかアニメとかゲームとかサブカルチャーを強くすると。これも面白い発想ですよね。
3番目に、政策として行き過ぎた外国人受入れに反対です。外国人労働者とか、土地購入の問題、それから外国人が社会保障にただ乗りしている。あるいは奨学金を有利にもらっている、みたいなことで排外主義的な主張が出てくる。
これが非常に特徴的で、まず入り口はとりあえずいい政策です。誰にとっても嬉しいです。減税ができて、社会保険料の削減ができて、次のところでふっとかわすような感じで自動車産業とアニメ。3本目でドーンと来る外国人排斥。みんなこのパターンです。
2番目の、「日本人を守り抜く」、「食と健康」ですね。これも同じで、最初に米の確保と食の安全です。これは米の問題が言われていましたので、食料自給率を100%にするよ、農業を保護するよ、みたいな形で食料の安全保障みたいなことを言っています。次に出てくるのが、ちょっと抜いた面白い発想で、GoToトラベルで医療施策です。これは後期高齢者の予防医療をすごく充実させて、医療費を使わない人にはGoToトラベルの券をあげる。それで旅行に行ってもらう。これをやると日本の観光客も増えるし、インバウンドに頼らない外国人政策にもなるみたいなものです。思いつきレベルですけども、面白い発想です。
こうやって2番目の政策でふっと抜くんですよ。漫画、アニメだとか自動車だとか言ったり、GoToトラベルだとか言ったりして。3番目にボーンと来て、彼らがもともと言っているパンデミック条約とか、WHOが主導するワクチン政策とか、グローバルな医療制度に対する反発ことを言っている。これはコロナの時代を踏まえて、ずっと言ってきたことです。
この経済政策と環境政策だけではなく、文化政策も同じ構想になっている。最初の入り口はいきなり右翼的なところに行かないで、偏差値重視の管理教育を廃止して、人格形成のための教育をしっかりやるということです。その内容は、日本の文化と歴史を勉強して、愛国心や家族愛を育てようと。ちょっと右に行って次でまたパッと抜くんですね。子供一人につき10万円あげる。これは実現したら嬉しいですね。教育給付金をやって、教育国債を発行し、給付型の奨学金もやります。日本人優先で、というところがつきます。
それで3本目にドーンと憲法づくりです。政治に哲学をということで、いわゆる創憲です。憲法づくりのための国民運動をやって、日本の歴史と文化をしっかりやっていく。押し付け憲法批判になります。
こう考えていくと、3本の柱の中に、ことごとくこういう構造があります。3本の排外主義的経済政策と農本主義的環境政策と復古主義的文化政策がありますけれども、第一は導入部で共感を獲得する。減税します、米の自給をやります、偏差値教育やめますと、導入部の共感獲得のパートで入りやすいテーマを言います。ここで抽象的なことを言うけれど、2番目のところで具体的なことを言います。例えば自動車産業とかサブカルチャーを強くします。あるいはGoToトラベルも教育給付金付き10万円も、とりあえず嬉しい具体策を言ってくれます。3本目でコアの主張が入ってきて、外国人排斥とか、WHO反対とか、憲法改正とか、右翼的なところがボーンと入ってくる。
だから最初から右翼じゃない。入り口は非常に広く、結構、左派的なところがある。入り口は、3本の構造の中で受け入れられやすいものから、コアなものを入れるという流れで、最後に新日本憲法構想案が出てくる。ここではバリバリのウルトラ右翼になって、復古主義的で神話的な天皇観、いわゆる国体思想です。教育勅語、それと国家主権、人権規定なし、戦争放棄なしという、かなり右翼的な憲法観が出てきます。それとともに彼らがこれから展開していくいろんな農本主義とか、排外主義とか積極財政も含めて、そういった基礎のことも一応出ています。全体としての政策体系はこうなっている。
これはどこを見るかなんです。それぞれの柱の1番目、2番目、3番目を見るのか。支持者の中で3番目だけ見ている人はほとんどいない。だいたい見ているのは1番目ですね。それで2番目もそこそこ見ている。3つの政策がありますけれど、支持者の中で3本目の政策まで行く人はほとんどいないですね。3番目は、おまけについてきて、そうだね、みたいな感じになる。そういうところで、すごくよくできてるんですよ。
我々は反知性主義とかと彼らを言いますけれども、こういう組み立て方からすると、実はよく構想され練られていて、非常に人心に訴えるような、うまい形になっているんですね。
これをまとめてみると、3つの柱の中に三段論法があります。「導入・共感獲得」のパート、それから「とりあえず嬉しい具体策」のパート、そして「コアな主張」のパート。その中で導入部は受け入れられやすくして、結論部はコアにする。こういう構造がそれぞれ3つの柱の中にある。それと共に、3つの柱の間の文化政策、環境政策、経済政策、これもこういう構造に類したものです。
一番底にある文化政策は最もコアな主張です。これは2020年の参政党の結党時から言われていたことで、ゼロ年代の日本会議的な伝統の中から引きずられてきて、別に新しいことはありません。しかしその上にある環境政策は、2022年の参院選から彼らがマニフェストに入れてきたところです。コロナの時代で、反ワクチン運動、とくに陰謀論的に発展した反ワクチン運動なんかを糧にして大きく展開してきて、ここで参政党はかなりの支持者を捕まえた。
しかし今回彼らが躍進したのは、経済政策です。これは2024年の衆院選から本格的に入れてきました。それまでは経済政策がない政党でした。例えば日本保守党とか、日本第一党とか、ああいうところを見ると体系化された経済政策がなく、基本的に歴史修正主義的な文化政策中心です。参政党は、体系化された経済政策を入れてきている。
これが共感獲得で考えると、反ワクチンの第一段階から第二段階、もっと広がりを得て、2020年の衆院選から入った。これは今日のもう一つのテーマである財務省解体デモです。あの辺と全く同じタイミングです。財務省解体デモは2024年の12月から大きく広がっていったもので、昨年の衆院選は10月ですから、そういうタイミングで出てきた。この財務省解体デモが、3月ぐらいから広がっていく中で、参政党がそこに乗り込んできて、7月の参院選には、財務省デモで言われているようなことを含めて取り入れていって膨らませてきている。
こういうような構造になっているときに、支持層と批判層では見ているところが違います。これが非常に面白い参政党現象だと思いますね。支持層は基本的に導入部を見ている。そして経済政策を中心に見ている。一方で批判層は大体結論部を見ている。そして文化政策を見ている。だから批判層は右翼だ、右翼だと言っているけれども、支持層は減税してくれるし、お金くれるから、ええやんか、みたいな感じになってきて、全然噛み合わないんですね。そういう意味で、この参政党現象は、非常に特徴的だと思います。
この3つの中で一番目が一番重要です。彼らの経済政策とは一体何なのか。どこに人々が惹かれたのか。そして2番目もそれなりに重要です。ですから一番目を財務省デモなんかと関連して詳しく説明し、2番目を簡単に説明したいと思います。
参政党のことを議論するときに、みんな経済政策のことをあまり批判しないですね。文化政策、天皇制とか外国人問題とか、女性問題とか、そういうことを議論します。でも多くの人が惹かれているのは経済政策です。だから彼らが経済政策として何を言っているのか、そこにはどんな道筋があって、それが果たして合理的なものなのかどうか、ということを批判する必要があります。高市さんの考え方とも似ているところはあります。もしかしたら今の人々は、こういうところに反応することが非常に強いのかもしれず、ここは注意深く見ていく必要があります。
まず彼らは、減税するよ、社会保険料を下げるよ、さらには教育給付を月10万円出すよ。ものすごくお金をばらまきます。なんでそうやってばらまけるの?その財源はどこにあるの?という話が当然出てきますね。彼らの根本的な姿勢は、赤字国債の発行による積極財政です。高市さんも、積極財政、積極財政と言っていて、積極財政という言葉が、今の右派の一つのキーワードになっている。いわゆる緊縮、つまり財政規律を守って、収入と支出を合わせる、プライマリーバランスを合わせるような、そういう考え方はダメだと。反緊縮であって、それも徹底した反緊縮をやってくださいと言うことです。ここで引用されているのが、MMTという考え方で、これは「Modern Monetary Theory」というやつで、財務省解体デモでも一つの理論的な根拠になっていたものです。
これが何かというと、通貨の発行権を持っている国は、国債をどんどん発行しても大丈夫だ。自国建ての通貨で、どんどんお金を作ってしまえばいいわけであって、大丈夫だ。しかしそれをやりすぎると、当然ながら通貨量が増えます。貨幣量が増えすぎてインフレになりますね。インフレになった時だけ税金を大きく課して吸い上げていけばいい。でも普通は金利を細かくコントロールしながら経済を動かしていって、インフレとデフレのコントロールをやっていきます。
このMMTでは、金利ではなくて、租税をコントロールすることによって経済をコントロールする。普通は、収入が入ってから支出することを道筋として考えます。ところが国家の場合は、そもそも信用創造を、貨幣を作ることによってやってしまうので、まず支出が先だと。支出することが先で、それで経済が動いたところから税金として吸い上げていく。そういう形で財政に対する考え方を転換したような議論です。
これは意外とよくできた理論で、なかなかこれ自体を否定するのは難しい。発想の転換をすると、確かにそうだなとうことで、やるんです。というのは、不景気の時は、いわゆる積極財政というのはありますね。積極財政は、減税と政府支出の増大であって、それでお金をたくさん回す。とくに政府支出の増大でもっていろいろなところにお金を回す。それが消費に結びついて、それが投資に結びついて、それで経済が活性化していく。これが不景気の時のいわゆる財政政策であって、ケインズが言ったことです。
しかし、これは不景気の時だけで、通常時は、基本的には無駄な財政支出をやってはいけない。それをやると、どんどん財政赤字が高まり、国債を発行してもその国債を買ってくれなくなる。金利も高くなって、利払いが大変になってしまうということが普通の考え方です。不況時には積極財政をやるけれど、平常時には緊縮でやるみたいなことが普通の考え方です。ただこのMMTは、常に積極財政をやり続け、インフレにだけ気をつければいいという理論です。
これは、もともとアメリカのケインズ系の左派的なところから出てきました。アメリカの社会主義者で、サンダースさんと一緒にやっていたオカシオ・コルテスさんという女性の議員がいました。彼女がこのMMTを大々的に紹介し、サンダースさんの経済参謀をやっていたケルトンさんが、MMTを非常に今風の形で大体的にアピールしていきました。
この積極財政は、要するに福祉国家のベースになっているもので、国は大きな政府を作って、それで人々を救っていこうという考え方で、極めて左派的な考え方です。一時的にやるのがケインズ主義だけど、それを恒常的にやるとマルクス主義ですね。
その意味でいうと、これは完全な極左の理論です。それを常にやって、大きな政府を作ってみんなを助けていこう。アメリカのMMTの一つのポイントは雇用です。政府が最終的な雇用者になって、積極財政をやることによって失業者をゼロにする。それで教育もしっかりやって、経済をまず回す。ただしインフレになってしまうので、その時は税でコントロールして、たくさん吸い上げるとともに財政規模を縮小する。普通は金利を1ヶ月とか、1ヶ月半で、いろんなコントロールを検討しているようなこと。財政、税金との収入と支出で機動的にやっていくことによって、積極財政をベースにしながらやっていくみたいな理論です。
これは昔からの議論になっていて、2019年にすごく盛り上がった。経済誌などでもよく取り上げられて、これはとんでもだろう、みたいな話が出ました。ただ日本は、ずーっと赤字国債を発行し続けているけれど、大丈夫じゃないかみたいにも言われた。ダメだという人は、ギリシャはダメだっただろうみたいな話になっています。ただ、ギリシャというのはユーロですから、自国で通貨の発行権を持っていません。それに対して、日本は通貨の発行権を持っているので大丈夫だと。国債発行しても国債を持つ国民であって、国民の中の収支の問題だけだからということです。
アベノミクスはいわゆる財政政策で、金融政策です。金融政策で金利を下げるとともに、貨幣の供給量を大きく緩和して増やした。財政政策は、ほぼほぼやってない。1年目だけは積極的にやった。ただ、いわゆるマネタリズムという金融政策だけじゃなくて、財政政策をどんどんやったという風に言っています。その中でやっぱり消費税も絶対ダメだと。消費税はやっぱり経済活動を阻害するので、消費税を悪者にして、このMMTは絶対できるはずだと。
今、国債の発行というのはむやみやたらとできません。これは財政法の第4条に国債発行はダメだと決められている。ただ建設国債は発行してもいいと。建設国債の場合は何十年間も次の世代の資産になるので、次の世代が借金を抱えるというのはありだろうとしています。今が苦しいからと国が借金を作ったら、将来に借金だけが残るのでダメだということです。
もう一つは、戦時の反省ですね。戦争をやるために国債の発行をした。それで戦費を賄ったから、国債を発行してはダメだという風になっています。例えば、ドイツの第一次世界大戦後の戦間期です。たくさん国債発行してものすごいインフレが来て、さらに国債でも戦費を賄っていくことになっていく。これはとんでもなくやばい話なので、だから禁じられています。
参政党は財政法第4条を改正しようと言っています。これは安倍さんが晩年に言っていたことであって、安倍さんご自身もこれを改正すべきなではないかと考えていた。赤字国債を刷ることができるようにと。今はこの法律があって刷れないので、赤字国債は発行できない。そこで特例国債みたいな形で、すり抜けて発行している状況です。それを堂々とやるように言っています。このMMTは、かなり強い議論で、財務省デモの根拠になっています。
MMT理論は2019年にアメリカから出てきて、日本でもかなり取り上げられた。これを左派の理論として大々的に採用したのが、れいわ新選組です。れいわ新選組は2021年から明確に積極財政をやる政党としてMMTの議論を出して、国債の発行も含めてやっていく。積極財政をやって大きな政府を作り、貧困層を救おう、雇用を確保しよう、そういう考え方でした。最初日本で言っていた人も、みんな左派の人たちです。
財務省デモというのは2023年の10月から始まっていて、これはれいわ新選組シンパの人たちが、左派のデモとして財務省の前で反緊縮というふうに言っていた。これは南ヨーロッパ、イタリアとかスペインとかギリシャとか、そういうところで反緊縮ということを、ユーロの緊縮財政に反対して言っていた左派の流れを組む社会運動につながってくるものです。左派の運動だったんですよ。
参政党関係では、松田さんという人が独特の存在としています。松田学さんという元財務官僚の方で、この方はとても優秀な方で、MMTが流行る前ぐらいから着目して、自分なりのMMTを作っていました。MMTは昔からあった理論です。松田さんはMMTをさらに発展させて、国債の償還時にデジタル通貨で償還すればいいとか、暗号通貨、デジタル通貨の話を絡ませてきて非常に複雑な理論体系を2019年ぐらいにすでに持っていました。松田学さんは、今回も参政党から出られて当選されていますし、もともと保守系の政治家です。
関連して、参政党についている経済評論家の方が何人かいます。三橋貴明とかそういう人たちも含めて、MMTの経済理論が参政党の中ではしっかりとあって、ここは一応理論体系ができている。もともと左派の理論だったものが、なんで右派に行ったのかが不思議なところですね。
財務省解体デモというのは、2023年からずっと左派の運動として続いていました。去年の衆院選で、「103万円の壁」の国民民主党が一躍脚光を浴びて、103万円の壁をめぐる攻防がありました。あの時に財源問題が出て、財務省が難色を示したという報道が出ました。そしたら国民民主党の支持者、あるいは103万円の壁を撤廃してもらいたい人、あるいは減税を求めている人、そういう人たちがわーっと財務省攻撃に走って、一時ネットの中で、まず財務省に対する誹謗中傷がわーっと広がった。
この背景には森永卓郎さんという方がいらっしゃいます。経済評論家の森永卓郎さんが、「ザイム真理教」という本を2023年に出されています。そこでは、緊縮財政が人々を苦しめている。財務省がいろんなマスコミと結託して日本を操っているんだと。消費税はとんでもない、消費税があるから日本は発展していないなどと書いている。森永さんは2000年代の初期からずっとデフレ経済の人で、デフレ環境の中で給料が上がらなくて、なんとなく苦しい年収300万円で暮らしていく人たち、そういう人たちに寄り添った議論をずっとしてきています。
それでMMTの理論を言っていた左派と、財務省が悪いという人たちがくっついて、2024年の12月ぐらいから、財務省解体デモがわーっと広がった。これは、最初に言っていたグループと別のグループが2つぐらいあって、その別のグループは経済理論みたいなことは全然ありません。とにかく財務省悪い、だから解体せよみたいなことを言っている。我々が苦しいのは財務省のせいだ。財務省の前でみんな怒鳴ろうよ、みたいなことになった。これらに最初のれいわ新選組系のグループが合流しつつ、吸い込まれていきました。
MMT理論と財務省は悪い、緊縮財政をやっている奴らが悪い、というのが感情的に結びついた。そうなるとMMTも何もなくなって、とにかく減税しようという訴えばっかりが強くなってしまうんですね。
集まってくる人の中に、自営とかフリーランスの人が多い。これは参政党の支持者にも言えることです。というのは、手取りを上げるということを、国民民主党とか維新の会が明確に2024年から言っています。そして2023年から世の中は賃上げになっている。今年も5%上げると言っています。ただこれは労組の統計です。労働組合がある大企業とか中小企業は、労働組合が賃上げ要求をする。それでベースアップをやっていくという流れは明らかに2023年から変わっていて、賃上げは進んでいます。けれども、やっぱりそれと関係のない人たちがいるということですね。労働組合の組織率は今16%くらいです。
労働組合に入っていない人は当然いますし、大企業で働いている人は全体の3割ぐらい、7割以上は給与取得者でさえ中小企業です。さらにそこに自営とフリーランスが加わります。そういう人たちは、世の中の賃上げというムードにはついていけない。だから、財務省デモに集まる人は賃上げみたいなことは一言も出てこない。出てくるのはインボイス廃止とか、農業者を守れとか。俺は自営です、みたいな感じで、演説に来たりもします。
世の中の賃上げについていけない人は、どうやって手取りを上げるのかと言ったら、減税しかないんですね。もらえるお金を増やすことを、労組を通じて経団連に訴えるのができない人たちは、取られるお金を減らすしかないから財務省に行くわけです。経団連に行くか財務省に行くかみたいなところがあって、実は財務省に行くのは別に間違っているわけではなく、それでしか自分たちの手取りを増やすことができないとしたら、当然行きますよね。我々は、これまで労働者は労働組合を通じて、労働者として団結してデモをやると思っていました。ところが財務省デモは納税者の団結です。賃上げではなく税金を下げてくれということで、納税者としての一体感があって訴えるんですね。
そういう流れがあって、彼らに言わせるとMMTは絶対できるはずだろう。緊縮財政をやって、それで増税して、政府支出を少なくしている。これはもう絶対に自分たちを苦しめている。しかも消費税が乗っかってきている。消費税は、最終的な大企業の輸出企業が得をしている。誤魔化せないようにインボイスも入ってきた。となると、自営業いじめだろみたいな議論が非常に多く、そういう人たちが、わーっと集まってきて、財務省デモを作る流れが、去年の12月から始まった。とくに3月に大きな盛り上がりを見せました。
その時点では右派も左派も両方いて、右派的なものはあまりなかった。ところがこの3月くらいの時点から、川口のクルド人排斥グループが入り込んできて、俺たちの税金使っているのは外国人だとか、外国人が社会保険にただ乗りしている、みたいなことを言うようなグループが明確に入ってきた。そこにチャンネル桜が乗り込んできてデモを仕切るようになり、今度は参政党支持者がわーっと流れ込んできた。5月に行われた大きなデモでは、反WHOみたいなものを掲げながら財務省の前にいる。
面白いけれど、5月に行われた大きな何千人規模のデモは、最初に厚労省の前に行って、反WHOとか反ワクチンとか言って、それから財務省の前に移動して反緊縮という。完全に参政党系の流れが合流してきて、しかもクルド人排斥グループなんかも含めて、排外主義という論点も出てくる。つまり税金と社会保険料をめぐる戦いです。自分たちは税金をたくさん取られている。社会保険料もめちゃくちゃ取られていて、しかも自分たちのところにあんまり返ってこない。そういう人たちにとっては、やっぱり税金を少なくしてもらって、社会保障を手厚くしてもらいたいんですね。
維新の会は緊縮ですし、国民民主党も緊縮ではない積極財政ですが、社会保障に対しては結構厳しい目を見せている。国民民主とか維新、ここら辺は比較的若い人にはいいけれど、高齢者への支出を削るニュアンスもあります。財務省デモでは50代くらいの人が多い。そういう意味では現役世代と言うより、もう少し経つと自分は高齢者だから高齢者の方をケアしてもらわないといけないということで、維新系とか国民民主系の現役世代という雰囲気ではないんです。
現役世代という言葉は、サラリーマン用語みたいなところがあって、自営とかフリーの人はずーっと働き続けます。そういう人たちは現役世代というのはピンとこないところがあり、そういうような層があるんですよ。大企業にいたり、サラリーマンあるいは公務員、は労組を通じて賃上げとか、いろんなことをやっていける。そうじゃない非正規、中小企業、それから自営業、フリーランス、そして主婦ですね。
主婦というのは専業主婦みたいな形で、ぼんやりとした主婦アイデンティティの人が多いですね。夫婦でいらしていた方も結構多いし、そういうようなところが実は膨大にいます。そこを救うと言っている政党があまりなくて、ここら辺が一つのボリュームゾーンだけれど、声が届かない。彼らもどう声を上げていいかわからない。まとまれないんですよ。納税者ということ以外に共通点がない。だから納税者としてまとまってやるしかないので、財務省デモをやっていく。
その中で税金を減らしてくれ、社会保険料を減らしてくれと。しかも社会保障を俺たちに手厚くしろ、外国人には手厚くするな。奴らに俺たちの税金と社会保険料が乗っ取られている。俺たちの金を使わせるのは止めさせろということを言っている。
ネットのクルド人排斥デモの分析をやったことがあります。お金の問題がすごく多い。例えば、赤い羽募金がクルド人に使われているとか、クルド人には生活補助で月30万円いっているとか、医療費を彼らはずっと踏み倒しているとか、社会保険と税に関する話がめちゃくちゃ多い。自分たちが、いかに取られていて、外国人が優遇されているのかみたいなことが多い。そういうのが合流してきた。もともと排外主義的な動きが強くなって、そういうようなところを含めて財務省デモがすごい盛り上がりを見せた。その流れから7月の参院選になだれ込んで、その排外主義的な動きも含めて参政党がザーッと持っていったといえます。
参政党のマニフェストと、政策カタログは膨大な量がありますけれど、賃上げという言葉が一回も出てきません。国民民主党は賃上げはいっぱい出てきます。積極財政は、本来は賃上げが目標です。つまり、減税をして政府支出を多くする。政府支出を多くするということは、それで公共事業をやったり、いろんなところに投資をしたりする。投資をやって、それで企業の業績が上がって賃上げになる。その回転を目指しているところがあって、基本的には積極財政をやっても、直接上げるとは言わなくて、それが消費と投資を活性化して経済の回転が早くなるから、その結果として賃上げがある。
国民民主党のマニフェストで出ています。積極財政をやったらそれが消費と投資を通じて企業業績になり、企業業績から賃上げが起きると考えるのは当たり前です。参政党的にはそうではない。積極財政だったら、“このお金直接あなたたちにあげる”ということになる。その財源はMMTだというわけです。
直接的に財源はいくらでも出せるから、それであなたたちに月10万円ずつ子ども一人にあげますよ。いきなり国民負担率を10ポイント下げると言う。それが嬉しい人がいる。賃上げに縁がない人たち、労働組合にも縁がない人たち、さらに回転する経済みたいなところについていけない人たちにとっては、それは嬉しいわけです。中小企業、非正規雇用、自営業、フリーランス、主婦、そういう人たちにとって参政党の施策って、やっぱり訴求するんですよ。
私がいろいろ聞いた中でも、子ども一人月10万円くらいだったらいいじゃないか、みたいなことを言う人はたくさんいます。その財源は、赤字国債でやれる。そういう財源があるということを言っているYouTube番組とかが膨大にあるので、あんたこれ見てないのかと言われちゃう。そう考えると、そういう層に訴えるのは仕方がないところがあります。
起きているのは中間層の二分化だと思います。2022年、23年ぐらいから賃上げが起き、インフレが起き、極端な円安になります。円安の恩恵を受ける輸出企業、輸出企業に関連するいろんな企業、そういう人たちには、円安は追い風になり、株高になります。それを受けて企業業績も良くなって賃上げがあり、さらに投資家はすごく儲かる。だから大企業の社員とか、関連する企業の社員、あるいは投資の経験がある人、NISAやっているとか。そういう人たちには、2022年以降はいい環境です。その恩恵が全然受けられない人たちは賃上げもないし、円安になって物価高になるだけです。しかも税金は上がって社会保険料も上がっていくし、これは「やっぱしんどいわ」というところが明確に出てきました。
つまり、アッパーミドルとロウアーミドルみたいに中間層が分かれてしまって、ロウアーミドルの人たちは結構つらいわけです。今、世帯の年収の平均値で536万円(2024年度)です。中央値は410万円です。中央値というのは、下からずっと並べていった順番の真ん中にいる人で410万円。平均値というのは全部足して割った値で、これは530万円です。なぜ違うかというと、富裕層が引き上げているからです。富裕層が平均を引き上げるので、この中央値と平均値の差が出てきてしまう。
一方で高齢化が進んでいるので、低所得世帯の高齢者世帯が増えています。低所得世帯が増えると中央値が下がりますから、それで下がっている。この120万円ぐらいの差が平均と中央値であって、この平均と中央値の差というのはずっと上がり続けてきている。それだけは格差がゆるやかに広がっているということになります。
その中で、とくに今の50歳ぐらいと昔の50歳くらいを中央値で見ると、どれだけ年収の違いがあるかというと、衝撃的です。1997年と2023年を比べた調査で200万円違う。昔の50歳の人は結構お金をもらっていたんですね。中央値が800万円。今は600万円で、そこそこいいけれども、でも200万円下がっている。だから、97年くらいは年功序列で終身雇用の時代で50歳くらいになると、そんなにみんなもらっていた。
そこは今まさに就職氷河期の世代で、ガーンと減っている。ただ、いい人はいっぱいいますよ、大企業の正社員みたいな人たちは。平均すると中央値といっても600万はいっている。でも200万円は下がっている。そう考えると、この20年間で、このロウアーミドルとアッパーミドルの分化は緩やかに進んできて、その中でもとくに円安株高インフレの状況がそこら辺を明確に分けてしまった。その中で取り残された人は、どうしようもないわけです。
そういう人たちは、とにかく財務省の前に行って叫ぶしかないんです。
ここ30年間で起きてきたことを見ていくと、格差の大きさを示すジニ係数があります。所得の低い人から高い人に順番に類型して並べていく。みんな同じ所得だったら直線になりますね。ところが100人いて、99人が所得ゼロで、1人だけ100万円だったらこういうグラフになります。ここ30年間で、ジニ係数が日本ではまず大きく上がっている。
しかしジニ係数というのは2種類あります。一つはいわゆる再分配前、つまり額面のジニ係数です。これは税金と社会保険料を抜かれる前のジニ係数ですけれど、これは大きく上がっている。所得の格差は、まず大きく開いている。ところが再分配後、つまり税金と社会保険料を差し引かれた後のジニ係数は、ほとんど変わっていない。何が起きているかというと、それだけ再分配が強くなっている。つまり、税金と社会保険料をたくさん取るようになって、それを貧しい人たちに配る。これはある意味正常な機能です。お金のあるところから取って、お金のないところに回すという機能が増えている。
しかし、一方で進んでいるのは、お金のあるところから取るという機能が減っている。例えば、所得税の上限、相続税、法人税、それがどんどん下がっていますから、お金のある富裕層から取るスキームが減っている。そして、いわゆる金融所得課税ですね。株のキャピタルゲインとかインカムゲインによって儲けたお金、そこから取る割合は、ずっと20%で変わらない。これも何回も議論している。金融所得が増えた人は、結局、所得税は20%でいいわけです。所得税の上限で45%ですから、累進課税だったらそこまで取らなきゃいけない。しかし、20%でいい。
これで何が起きるかというと、高所得者は金融所得の方が企業所得より多いから、税金が結局減るんですね。1億円の壁というのがあって、所得が1億円を越すと、所得税の率がガーンと減る。これは累進課税とは逆の方向です。なんでそうなるかというと、金融所得の割合が高くなって、金融所得はいわゆる分離課税で20%一律だから、そういう動きが1980年代終わりぐらいからずっと進んでいる。
つまり、所得の格差がまず開いて、その中で再分配が強化される。しかも富裕層から取るスキームがなくなったら、真ん中から取るしかないわけですね。真ん中から取って下に回す。この下というのは高齢者であったり、子育て世代であったり、そういうところへの手当てというのはできてきていますから、そういうのが増えてくる。
しかも、この真ん中というのがとくに2020年代後に二分化してきて、大企業の社員とそうではないロウアーミドルに二分化してくる。そうなってくると、どう考えてもロウアーミドルは厳しいです。この人たちは、なんで俺たちから取るのかというのがあって、その取られたお金はどこに行くのか。俺たちはもっともらうべきだろうと訴えます。そういう声を代表する政党とか議論は、あんまりないですよね。
実はそういう層はなんとなく、自民党とか公明党が守ってきた層で、自営とか農業者ですとか、中小です。これは、かつてはまさに積極財政です。公共事業支出とかいろんな税制や規制の優遇策をやることでそういう人たちを守ってきて、そこを票にしてきた。ところがいわゆる構造改革以降そういうことやめようと言って、そこからの票をあまり当てにしなくなった。そうしたら、その辺を誰も守ってくれない。そういう人たちが、いろんな陰謀論的なところに走っていくことになっている。
参政党のタウンミーティングに来る人はいろいろいます。知り合いの記者でたくさん見に行った人がいて、サラリーマンは一人もいないと言うんです。みんな自営業だった。トラックの運転手とか飲食業、配送業、あとはアダルト男優とか、そういう人たちがたくさんいます。そういう人たちがネットワークを求めて集まってくるらしいんですね。そういう人たちの声を代弁する場所はなくて、それを参政党は“日本人”と言ってあげた。
国民民主党と維新の党は、現役世代と言った。現役世代もいい言い方だけど、やっぱり日本人と言った方が、とくに自営業の人がピンと来るわけです。現役バリバリ感がないような、ちょっと枯れたような人たちもいる。そういう人たちにとって日本人というのは効くわけです。
これは、まさに真ん中の層です。真ん中のちょっと下ですが端っこじゃない。中間層から取って貧困層に回すというのは再分配であって、貧困層というのは、高齢者ですとか子育て世代ですとか、もちろん障害者とかいろいろ含めています。そういうところではなく、真ん中から取って下に回す、端っこに回すということに対して意義を申し立てている。しかも真ん中の下半分ですね。ロウアーミドル、そういうところが傷んでいて、そういう人たちがたくさんいます。
それに対して参政党は、グローバル金融資本主義批判です。これも高市さんの演説に対して、神谷さんがグローバリズムと戦ってないじゃないかとか、いろいろ言っていました。ここは、まさにグローバルな金融資本主義、つまり株主資本主義です。そういうものが世の中を動かしていて、世の中を痛めているみたいなことを参政党は言っている。
例えば国民民主党は、暗号資産をやろう言ったり、資産から投資へみたいな流れにうまく乗って、投資ができる人の支持を得ようとしています。けれど、世の中には投資なんかできない人がいます。投資する余裕なんかない。そんな才覚もないという人たちがいっぱいいる。そういう人たちにとって自民党が言う消費から投資へ、貯蓄から投資へと言われても困る。むしろ投資家が世の中を回しているようなグローバルな金融資本主義とか、ネオリベラリズム、そういうものに反対すると言ってくれるのが嬉しいわけですね。
その中で参政党は、どういう世界観を求めているか。戦前の軍国主義みたいなのを思うのか。でも選挙戦を通じては、そんなことは全く言っていない。彼らが言っているのは“3丁目の夕日”、昭和です。基本的には戦前回帰ではなく昭和懐古ですね。その中で製造業を強くしましょう。自動車産業を強くしましょう。アニメ・漫画もやっぱり昭和的であって、広い意味でのものづくり産業を強くして、その中で中間層を豊かにしていく。さらにお父さんとお母さんがちゃんといて、お母さんが家でご飯作ってくれる。まさに3丁目の夕日的な事をノスタルジックに言う。これがウケます。
今の世の中で一部の株主とか金儲けだけが優遇されていて、自分たちはひどい目にあっている。やっぱり昭和の、のほほんとした中で、しかも主婦でもいいじゃないか。お母さんでもいいんだよっていう。フェミニズムの言うように女性として社会参加しなくても、無理しなくていいんだから。お母さんでもいいんだよ、みたいなことを言われると、安心する人たちがいっぱいいるんですね。
そうやって、ロウアーミドル層が、自分がやっている仕事が、もっと強くなって豊かになって、家庭が強くなって、そこにいろんな援助をくれる。そういう人たちに対して、あなたたちのところを応援し、あなたたちでいいんだよと言ってくれる声があったら、やっぱり支持しますよね。そういうようなことを参政党は明確に言っている。
ただ、真ん中を守るのは、結構やっぱり難しい。真ん中という言い方が難しいので、だから日本人と言ったりする。真ん中を守るために一番効果的なのは、端っこを切り捨てることです。つまり外国人もそうだし、性的マイノリティ、高齢者、障害者含めて、貧困層とかマイノリティとか、そういうところは切り捨てよう。その代わりあんたたちを守るよ、という風に言うんですね。これがメッセージとして届くわけです。
これを明確に言っているのは高市さんです。高市さんは生活保護受給者に対して非常に厳しいですよ。生活保護は、弱者のふりをしてもらっている人がいると何回も言っている。しかし、給付付き税額控除とか中小企業支援とか、これを明確に言っている。自分ではっきり言っているのは、生活保護よりもちょっと上の低中所得者層を助ける。そのために積極財政をやる。つまり彼女も端っこに冷たい代わりに、真ん中取り分け、ロウアーミドルに優しい。
これが参政党も高市さんも、そういうところに通じる政策であって、実はそういう声で守ってもらいたいという人たちがたくさんいます。自分たちを守ってくれるということの裏返しの表現が、外国人をいじめる、という表現であって、真ん中を守るために端っこを切り捨てる。逆に言えば、端っこを切り捨てることによって、真ん中を守るというメッセージを強く打ち出すわけです。その結果、レイシズム、セクシズム、エイジズム、エイブリズム。(エイジズム:年齢差別、エイブリズム:障害者差別)。神谷さんは、これを全部言っています。LGBTQはないとか、終末期医療保険を外すとか、発達障害は存在しないとか、端っこを切り捨てる発言をする。これは、端っこは嫌いだというよりも、真ん中を守るというメッセージです。それを届けたいからであって、高市さんもやっぱりそうだと思います。
ここが今の社会の非常に特徴的なところで、この真ん中のところ、昔は革新政党が端っこを助けると言っていた。端っこというのは貧困層であったり、マイノリティであったり。今風の政党でこれを言っているのはれいわ新選組ですね。れいわは、明確に富裕層から貧困層に取って貧困層に回すと言っている。しかし、ここは、いまいち人気が今回なかった。なんでかというと、貧困層に回してくれるなと言うわけです。貧困層に俺たちの金が回されるのが困るから。俺たちに回せと。むしろ貧困層には冷たくしてロウアーミドルに優しくしてくれるところがいいわけです。
現在は、新興政党が真ん中を守ると言っている。これは現役世代と言ったり、日本人と言ったり、維新や国民や参政はみんなそうです。つまり真ん中を守るということを、言葉を変えて言っている政党が、非常に脚光を浴びている。実は高市さんもまさにそういう考え方です。ここで言っている真ん中は、ロウアーミドル的なイメージで、そこのところを言っているのが今の形です。昔は革新政党が端っこを守ると言ったけれど、今は新興政党が真ん中を守るみたいなところになった。そういう流れの中で、参政党のメッセージは届いているのだろう。そういう流れの中にこの排外主義も位置付けられています。
排外主義というものをもう少し詳しく見ていきます。排外主義というのは、我々は外国人労働者問題と考え、対象は弱い外国人です。一方で、参政党なんかがとくに強く問題視しているのは、むしろ強い外国人問題で、これは外国人投資家です。例えば中国人富裕層が、不動産とか天然資源をたくさん買ってしまうと。
明日、宮城県知事選挙があり、大きなトピックになって水源地を知事が外国勢力に売ったみたいなデマが出ています。あとはメガソーラーですね。メガソーラーも非常に論点が多くなる。メガソーラーは太陽光パネルが中国製なので、中国勢力が日本のエネルギーを乗っ取って、土地を買い占めて国土を破壊しているみたいなことです。つまり、外国人が日本を占領して、不動産や天然資源を買い漁って日本を荒らしている。こういう議論がすごく強い。これは円安とかインバウンド、あるいは日本の土地購入規制の不在、中国経済のバブルみたいなものもあります。かつては強かった日本人が今や強い外国人の食い物にされている、という気持ちがみんな気にくわないわけです。そういう中で高市さんとかが出てきて、守るぞ、みたいなことで、わーっと言う。これが排外主義になってきている。
外国人労働者の問題というのは、弱い外国人の問題です。けれど外国人投資家問題は、強い外国人の問題です。しかも強い外国人には観光客とか留学生とか、も入ってきて、円安
を通じて強くなってしまった存在です。それが日本人よりも豊かな行動をしている。あいつらが5000円のランチ食っているのに、俺たちが500円の昼飯を食っていて気に食わないみたいな、そういう話になっています。やっかみ根性みたいなのを含めて、わーっと言っちゃっている。
いま強い外国人への反発というものが、弱い外国人に転嫁されてしまって、それでクルド人とかそういう人をいじめるみたいな。外国人だったら、みんな悪いみたいな感じになって、結局、弱い者いじめみたいな話になっています。
ただこの根っこにあるのは、強い外国人が日本をどんどん占領してきてしまう。そうすると、まさに真ん中が侵食される。自分たちの日本がどんどん侵食されてしまって、そこが自分たちとしてはやばい、そこを守ってくれる人が欲しいとなっています。
日本では経済安全保障という考え方が2021年ぐらいから出てきて、担当大臣が出ました。最初が小林さんで次が高市さんでした。これはやはり、真ん中を守る、みたいな所と通じていて、真ん中をひどい目に合わせている端っこの奴らを追い出す。その代わり、真ん中を守りますよ、と言うわけですね。
もともと外国人労働者問題というのは、外国人が日本人の税金や社会保険料を横取りしている。真ん中が搾取されている。これヨーロッパによくある考え方で、それで外国人排斥に結びつくけれど、この強い外国人問題というのはヨーロッパにあまりなく、日本固有です。これは極端な円安、そして中国経済の極端な成長、それとインバウンド需要、それに日本の経済の停滞。こういうことが相まって、日本人が一種の円安感情みたいなものを抱えて、その中でなんかすごくやっかみ根性みたいなものが出てきた。自分たちがどんどん攻められているように感じて、パニックになっている。そういうものを含めて俺たちを守ってくれ、みたいな声が強くなった。それであなたたちを守るよ、という参政党とか、高市さんのところに、わーっとなだれ込んでしまうわけですね。
高市さんの所信表明演説で、保障という言葉は22回使われていて、そのうちの18回は安全保障です。私は最初、保障という言葉は、社会保障だと思いました。この安全保障は、経済安全保障とか危機管理安全保障とか、エネルギー安全保障、食料安全保障で、いかに日本人の安全を守るかということを強調しているか。つまり、ここら辺の外国人に日本人が攻め込まれている、という危機感が相当強いのでしょうね。そういうような人たちが不安を抱えていて、それが経済的なロウアーミドルの不遇な状況と相まって、自分たちを守ってくれというふうに訴えている。
こう考えると、そういう人たちが参政党から高市さんを支持する流れというのは、ある意味切実な感情としてわからないではないですね。そういうことで、この経済政策が成り立っている。ですから、MMTに基づく積極財政、そしてグローバル金融批判を通じて昭和を復権させますよ。それを通じて真ん中とか日本を守ります。守るためには、あいつらを追い出しますよ。そういうところに一貫した流れがあって、その中の流れでみんな支持してしまっている、と思います。
今見てきたのは一番上の柱で、排外主義的経済政策です。次に農本主義的環境政策を、ごくごく簡単に見ます。もともと参政党は、コロナの時代の反ワクチンの動きから出てきた環境政党で、オーガニックとか食の安全とかを言っている。しかし、環境政党というと、イメージ違いますね。普通の環境政党では、ドイツの緑の党ですね。最近だと、地球温暖化と気候変動で、脱炭素ということを言ってきますね。
参政党はちょっと変わった環境政党です。温暖化論に反対しています。脱炭素政策に反対している。いわゆる気候正義は、ヨーロッパだと気候の問題が本当にみんなセンシティブです。CO2の削減だけではなく、洋服の話とか資源の問題とか、地球温暖化はものすごくセンシティブになっている。
参政党は環境政党のくせにそういうことを言わないんですね。地球温暖化なんか嘘だと言う。脱炭素なんかする必要ないと。なんでこれで環境政党なのかな。じゃあ、彼らにとって環境って何なのかと考えてみると、結構面白い。彼らは土を見るんですね。土を守らなきゃいけない。土からできる農産物に毒が入ってはいけないし、おかしなものが入ってはいけない。
ひいては土地とか国土を守る、自然の風景を守る。環境政党が見る見方として空を見るか、土を見るかがあって、空は繋がっていますね。だからグローバルな感覚になるけれど、土はとくに日本の場合、完全に国土ということなので、むしろナショナリズムに結びつく。同じ環境的な関心でも、空を見るか、土を見るかは全然違っていて、彼らは明らかに土を見る政党です。ですから、メガソーラーには大反対ですね。メガソーラーは、基本的には再生可能エネルギーを通じて地球温暖化を防いで、環境のためにする方策だけれど、でも土を破壊しているじゃないか。林とか森を破壊して、パネルを敷き詰める。それに中国勢力が、あれを使って日本の国土を侵略している。空よりも土を見ていくとメガソーラーに反対することになってしまう。
同じ環境でも全然違っていて、極端な環境主義です。これはまさに農本主義で、昔から伝統があるものです。農本主義というのは、農業が人間社会にとっての中心であるという考え方です。資本主義というのは、資が中心、お金が中心、商業が中心ですけれども、農本主義は農業が中心であるという考え方で、これを非常に明確に言ったのはナチスですね。
リハルト・バルター・ダレーさんという当時の食料農業大臣が、有機農業をやるんだと。これはナチスの時代に、巨大な国土のないドイツは、土地の性能を上げなくてはいけない。土地の力を引き出すために夾雑物を取り除き、いろんな飼料で変にコントロールするのではなくて、土そのものの力を強くしていく。そのためには土の純粋な状態を作る必要がある、みたいなことを言っていた。これをよく言ったのがシュタイナー教育で有名なシュタイナーさんです。あの方の議論を取り上げながらダレー食糧農業大臣が、土の性能を上げ、土から取れる農作物を非常に良くしていく方針をとった。
さらに農作物を食べる動物の品質を上げ、その動物と農作物を食べる人間の品質を上げる。土から非常に純粋な人間ができることを大事にしていって、血と土はつながっている。それで雑草を取り除くという考え方が、ユダヤ人という雑草を取り除くという人種主義になり、優生思想につながった。土から生まれてくる純粋で優良なものだけを良くしていく。これがヒトラーの農業政策と結びついて、農村部からの支持を得る考え方として取り上げられて、反ユダヤに結びついた一つの流れでした。
日本にもちょうど同じような時期に、同じような流れがありました。これは農本ファシズムです。日本では政治と商業が結びつきました。農民が非常に苦しかった時期があり、農民を救うために農本主義という考え方が現れた。権藤成卿とか橘孝三郎とか、あるいは井上日召、これは五一五事件の中で言っています。彼らが愛郷塾というのを茨城県に作り、これは血盟団事件のベースになり、5・15にかつながるテロリズムになっていきます。
ただ、この発想はとても純粋で、やっぱり農民を助けるためです。もともと、商人とか武士とか政治家が農民を排斥していた。農民というのは天皇とつながっている。天皇が農民に米をくれて種をくれて稲をくれて、それで農民のコミュニティができていた。国学の中のそういう思想をベースにして農本主義の考え方が出てきました。それで政治家や商人と対立し、一方で農民と軍部が結びついた。軍人は農民出身の人が多かったこともあり、結局ファシズムに走った。農業者を大事にする考え方というのは、マルクス主義にはあまりなく、工業社会の中では工員とか、労働者を大事にする。農業者を大事にするという考え方はあまりない。これはドイツでも日本でも農本主義の一部で出来て、これが両方ともナチズムやファシズムに結びついていったという経緯はあります。
日本では1980年代に、今の排外主義的な主張の原点でこういう動きがありました。これは在特会なんかの根っこにある動きです。彼らも福島県の出身の人たちがやった動きで、当時のドイツのネオナチなんかと結びついて、行動する保守というグループの根っこになっていきます。これも最初、農本主義で、エコロジストの集まりで、国土を守るみたいなことを右翼の活動の中でやっていました。普通、環境思想は左寄りのものだと思いますが、実はドイツでも、エコロジーの最初は右寄りで、それを80年くらいの緑の党の成立の時に、学生運動から来た人たちが左側に持っていたわけです。基本的には、ドイツのエコロジーも、農業者中心の右寄りの農本主義とつながっていました。日本でもエコロジーが始まる直前くらいの1980年代の初めくらいは、新右翼の運動の中に、こういう農本主義的なエコロジー運動がありました。
そう考えていくと、結構農本主義って根深いんですね。根深くて根強い動きで、我々は空を見て環境を考えるけれど、土を見て環境を考えるというのはある意味身近な感覚であって、土から取れたものが食料になって、我々の体の中にどう入っていくかみたいなことを考えていくと結構切実なんですね。
そういうのを踏まえて参政党の環境政策は、結構リアリティがあって、受け入れられやすさもある。土を守るということが、結局、食料安全保障ということで、米の問題になってきます。異物を体に入れないというのは、ワクチンなんかまさにそうです。オーガニックなんかを含めて、すごく重要なリアルな話です。これらは結局、土地を守るとか経済安全保障とか、純粋な土地を守るために外国人を追い出すという排外主義に結びつきます。
一方、反ワクチンとかオーガニックの動きの中で、母体と子どもを守るということがあります。反ワクチン陰謀論はすごく女性の支持者が多く、自分の体に入れるものをどうすればいいのか。家族の食をどう守るのか。ですから、コロナを機に陰謀論運動がワーッと盛り上がりました。本当に女性の参加者が多い。そういう意味で女性への訴求があり、参政党の候補者には、すごく女性が多い。これは、そういう陰謀論的な反ワクチンの環境政策から来たというのもあります。
あとはさっき言った主婦でもいいんだよ、みたいなのもあります。かなり女性が多く、そういうのも含めてノーマライゼーションと書いてあります。要するに参政党の考え方というのは別に異端ではない。非常に普通の人たちに対して、いろんな意味での安全を保障するものだ。これは、食の安全であったり、外国人からの安全であったり、経済的な安全であったり、そういうメッセージに総合的になっています。そう考えると、高市さんが安全保障みたいなことを何回も使っているのは、よくわかります。
全体的な考察でいうと、批判層と支持層では見ているところが違っています。支持層は経済政策を見て、批判層は文化政策を見ています。経済政策を含め、入り口のところが結構左派的です。つまり大きな政府をやります。際限なく大きな政府をやるというのは左派の政策です。
反緊縮もそう、金融資本主義、グローバリズム、ネオリべラリズム批判というのはまさに左派がやってきたことであって、株主資本主義、カジノ主義を批判することは、共産党も、れいわも言っています。環境政策は緑の党なんかにつながります。反管理教育、これも、もともとは左派の市民運動から出てきたものです。そう考えると、人々の関心を得ているのは、どっちかというと右派的な主張ではない。左派的な問題提起であって、だから普通の人にとっては憲法草案なんかどうでもいいわけです。
ところが、支持層と批判層では見ているところが違うわけです。
ただ、意外と、これらの考え方は右派的なものに結びつきやすい。大きな政府というものをガツンとやろうとすると、通貨のナショナリズムというのが必要で、そういう通貨をベースにしたナショナリズムと結びつきやすい。環境政策も、空よりも土ですというと、ナショナルイズムに結びつきやすい。実はこういう問題提起を、人々の感情に即して普通にやっていくと、左派的なものよりも、右派的なものの相性がいいところがあって、そこで、みんな最終的には右派的なところに行ってしまいます。
では、なぜ左派的な主張が受け入れられないのか。左派は、端っこを守ろうとするわけです。貧困層やマイノリティを守ろうとする。それに対して彼らは、端っこを迫害することで真ん中を守ろうとする。まさに今真ん中が凹んでいる時代を考えると、そこが効率的だし、届きやすい。だから、同じような入り口でも、れいわが言っていることがあまり届かなかったり、共産党が言っていることが届かない。でも参政党が言っていることが届いちゃったりする。実はそういうところにあるんじゃないか。
最後に言いたいことは、不安という問題です。これまで社会運動は不満がベースでした。経済的な不満、自分たちがうまく扱われてないという不満、これは参政党の現象の中でも間違いなくあります。なんでロウアーミドルの俺たちから取るのか。ただ、今起きているのはもはやパニック的な状況で、不満よりも不安なんですね。俺たちの生活、人生はどうなるんだ。日本の国土がどうなるんだ。外国人が来て本当に攻めてくる。どうなっちゃうんだ。JICAのホームタウン騒動とかパニックですね。みんな完全なデマですよ。デマだけど、それにみんな飛びついていく。
不安というものが非常に私は気になるんですね。不満より不安、そしてこの不安が、安全保障という概念に結びついていく。安全保障は英語で言うと、セキュリティです。人々のセキュリティということ、自分のセキュリティということに、ものすごくみんな関心が強くなっている。この不安の感情、自分の安全が脅かされているという感情、それがとても強くなってきている。これは経済的には、社会保障という考え方に結びついて、あとは外国人から攻めてくるみたいな問題に結びついてきます。このセキュリティの概念が、どこにでも今展開されてしまう。
それでエネルギー安全保障、経済安全保障、生活安全保障、食料安全保障、なんとかなんとか安全保障が、高市さんの演説にもたくさん出てくる。つまり、それだけ我々は安全を脅かされているのかという風に思ってしまうんですね。
実はこの不安というものは、一般的な左派の市民運動にとっても出発点だろうと思います。2010年代の左派の市民運動。もっと前からも、原発があったでしょう。それと安保があったでしょう。気候変動があったでしょう。これ、みんな不安ですよね。不安から出発しています。原発事故が起きて我々の生活、どうなっちゃうの。戦争が起きるようになったらどうするの。気候変動やばいんじゃないのみたいな。実は左派も市民運動も不安がベースだった。
ところが、そういうパターンの表現ではないようなものが右派から出てきた。
ワクチンが不安だよ、外国人が不安だよ、国土破壊が不安だよ、と。つまり、どっちもやっぱり不安で、今その不安の時代の2010年代以降です。東北の大震災が起きて原発事故が起きた。それから経済的に先の見えない状況、極端な円高から円安になって、さらにはコロナがありました。さらにウクライナ戦争があって、不安にならないほうがおかしいわけです。気候変動があって、とくに日本の場合はどんどん温暖化を含めた気候の問題、雨とか自然災害の問題が大きい。そういう中で不安の表現がどうなるかということなのかという気もするんですね。
不安には、やっぱり党派的な表現があって、左派の表現は原発、安保、気候変動だった。けれども右派の表現がそれに入りきらないものとして、ワクチン、外国人、国土破壊と出てきている。これを上手く取り上げているのが参政党です。ですから、出発点は実は意外と同じなのかなという気がします。
ただ、どこが違うのか。左派の運動は、自分たちが暴走してしまうことへの不安です。つまり原発を日本の国で作ってきて、それが抑えきれなくなって、暴発してしまう。あるいは安保の問題もそうです。自分たちの国が戦争を起こしてしまう。戦争に加担してしまう。気候変動もそうで、産業の発展が止められなくなって、それがどんどん地球を壊してしまう。つまり自分たちが暴走してしまって、自分が加害者になることが不安だったという気がします。
べ平連みたいな市民運動は、やっぱり加害責任ですね。日本人が加害者になってしまったことを明確に認識するようになった。そこからやはりベトナム戦争をきっかけに、第2次大戦を振り返ったときに日本人が加害者になった。自分がいつ加害者になるかがわからない。そういうところで不安なので、原発や安保や気候変動も自分たちの中にある。
一方で、今起きているのは、完全な被害者モードの不安です。自分たちが外国から攻められる、自分たちが国土を破壊されてワクチンというものを誰かが作って、勝手に自分たちの体に注入されている。完全に自分たちが被害者になることの不安です。
そう考えると、左派的な不安の表現は、もしかしたら強者の不安だったかもしれない。強いから、強い自分が抑えられなくなって、戦争をしてしまうとか、地球環境を破壊する。原発みたいな科学技術にどんどん頼っていって、おかしくしてしまう。でも、今は完全な弱者の不安で、被害者妄想です。もちろん左派も弱者と連帯しながらやってきたわけで、公害問題とかも含めてね。
いま左派的な表現に入りきれない人たちがたくさん出てきてしまっている。その人たちは、左派がずっと表明してきた、あるいは左派の市民運動が表明してきた不安の表現とは違ったものを感覚として持っていて、そういったものが参政党的なものにも吸い取られてしまっている。そんな動きではないのかと思うんです。とくに2010年以来ですね。極端な不安の時代に私たちが入ってきてしまって、いろんなリスクがある中で、これを右派と左派がどういうふうに取り扱っていくのか、その中での社会運動、市民運動の在り方として考えていく。
実は参政党の問題というのは、単なる右翼がどうのこうのとか、そういうことではなく、左派の市民運動とか市民の意識そのものにも、すごく関係してきている。そういうロウアーミドルの人たちにどうやって目を向けていくか。そういう人たちが持っている不安というものを、どういう風に自分たちが受け取っていくかみたいなことを含めて、いま広く我々全体に問われてきているのではないかという風に思います。