私と憲法291号(2025年8月25日号)


参議院選挙結果と市民運動のこれから

参議院選挙の結果がもたらしたもの

衆議院選挙につづいて、参議院でも与野党議席の逆転がおき、自公与党が少数派になった。

政界は多党化状況になった。自公は過半数の124を割り、122議席になった。

一方、2議席だった参政党が15議席、国民民主党も9議席から22議席となり、このところ急伸していた維新の会は2議席増の19議席。あたらしく保守党が2議席、みらいが1議席だった。これらはいずれも改憲を主張しており、与党も併せて改憲派は3分の2を超えた。

これにたいしてリベラル・左派の野党は停滞か、後退だ。立憲民主は38議席を維持し、比例得票数で前回より62万票増したが、得票率は0.3%減。共産党は4議席減の7で、社民党はかろうじて現有2議席を得たが、得票数は微減。れいわは1議席増の6議席にとどまった。

自民党内の石破執行部の責任追及は、麻生らが動いたが、石破辞任は不発に終わり、いまなお党内はもめ続けている。以後、連立政権になるか、政策ごとの部分連合になるか、不透明だ。

自民党が石破総裁を交代させるか、どうかは政局に大きく影響するが、石破辞任と新総裁選出でも極右の高市早苗になるとは限らない。高市の極右路線を嫌って他の総裁が選ばれることもありうる。また連立政権を想定すれば、自公+維新、自公+国民民主の連携による新首相選出もありうる。永田町は不安定期、大激動期に入った。

「自公政権との対決」と「市民と立憲野党の共闘」

自公与党による永年の政治腐敗と、「戦争する国」への道をうち破っていくには市民運動の活発化と、市民と立憲野党の共同以外にないのは「15年安保」以来の10年の市民運動の経験で明らかだ。

2016年参院選では32の1人区で立憲、国民民主、共産、社民の4党が候補を一本化し11勝。2019年参院選では10勝を挙げた。野党共闘の足並みが乱れ、1本化が11選挙区にとどまった22年参院選では4勝だった。今回は32の1人区中、17の選挙区で1本化に成功し、自公与党と参政党などとたたかい、12選挙区で勝利(立憲会派は8名)した(ほかに共産党を除いて5選挙区で当選した)。

市民連合は、2025年6月9日から社民党と沖縄の風、共産党、立憲民主党に「第27回参院選に向けた立憲野党共通政策」の要請。これを契機に両党で話し合いが行われ、共産党は福島と鹿児島で公認内定者を取り下げたほか、15選挙区で擁立を見送ることを確認した。これにより全国32の1人区のうち17選挙区で立憲の公認や推薦候補との一本化が実現した。これなしに、立憲は議席で現状維持はできなかった。

情勢を切り開く運動の在り方。

「石破、がんばれ!」運動、「財務省抗議」運動は危うさをはらんでいる。

私たちは何と闘ったのか。戦争と腐敗、生活破壊の自公与党の打倒と政治の変革を要求して闘った。石破はデモをテロというような、根っからの改憲派だ。気分はわからないではないが、高市の亡霊におびえて、慌てふためくな。「石破はよりまし」なのか。この運動を通じて市民運動が変質する。奇策に頼る運動は市民運動を前進させることはできない。「財務省」主敵論も同様、本丸は財務省ではない、日の丸とリベラルが同居するMMT理論(現代貨幣理論)の問題。万が一、高市政権ができたら、それと闘うだけだ。

韓国の民衆は尹前大統領の軍事クーデターの企てを大衆的なデモで阻止し、政権交代を成し遂げ、政治の変革への道を切り開いた。

SNS全盛の時代にあって、SNSにできるだけ対応しつつ、街頭での対話運動、自公政権と参政党などを曝露するたたかいがより重要になっている。

参政党の排外主義・ポピュリズム(前川喜平氏 カルト+ヘイト+陰謀論)

極右政権の場合、参政党、日本保守党などの策動が強まる。欧米ほどに難民・移民問題は深刻化しているわけではないが、反グロの米国のトランプ政権のMAGA(Make America Great Again)をはじめ、このところドイツ(ドイツのための選択肢 AfD)、フランス(国民連合 RN)、イギリス(リフォームUK)、イタリア(イタリアの同胞 FDI)、ポーランド、オランダ、ベルギー、フィンランド、ハンガリー、スロバキア、スウェーデンなどヨーロッパでも台頭している排外主義、自国第一主義の新右翼(ファシズム+ポピュリスト、既成保守政党への不満の受け皿)潮流との共通性に注目する必要がある。8月5日、神谷氏はAfDのクルパラ共同党首と会談した。

全国45の選挙区と比例区10人の候補を立て、「日本人ファースト」(日本人第一主義)のキャッチコピーでポピュリズムのオブラートで包んだファシズムを参院選でまき散らし、14名を当選させ、主要な野党の一角を占めることに成功した神谷宗幣党首の参政党の問題は、当面する政治闘争の第一級の課題だ。

インターネットなどで「国守り」を主張、レイシズム、スピリチュアル、「陰謀論」、COVID-19ワクチン=製薬会社の陰謀説などニセ科学、オーガニック信仰、食と健康、女性差別や、外国人労働者規制など排外主義の主張に特徴がある。自民党の西田昌司議員の「ひめゆりの暴言」も「本質的にまちがっていない」といい、核武装については党首自ら「佐渡を独立させて国を作り、そこで核ミサイルを置く。日本じゃないから問題ない」と語る。劇画「沈黙の艦隊」か。

神谷は自民党時代から「ヤマト・ユダヤ友好協会」(熱狂的シオニスト集団「キリストの幕屋」関連団体)(その協会の趣意書には「神は全人類の救済と、民族的救済を融合するという歴史的使命を達成するためヤマトとユダヤの民を選んだ」とある)の理事を2022年7月まで務めている。「キリストの幕屋」は、迫害を逃れたユダヤ人が日本に流れ着き天皇家を作ったと主張するトンデモなカルト集団だ。

参政党の綱領と創憲案は驚くほど露骨な天皇主権だ。

「先人の叡智を活かし、天皇を中心に一つにまとまる平和な国をつくる」「日本の精神と伝統を活かし、調和社会のモデルをつくる」という。「重点政策」では「子供の教育(学力より学習力の高い日本人を育成し、郷土を愛する精神を作る)」「食と健康、環境保全(化学的な物質に依存しない食と医療の実現と、それを支える循環型の環境の追求)」とか「自虐史観を捨て、日本に誇りが持てる教育を」「移民受け入れより、国民の就労と所得上昇を促進」などの主張も掲げている。かつてのドイツのナチズムが優性思想を接着剤にオーガニックとむすびついたことは知られているが、参政党の主張も天皇主義ファシズムとオーガニックが結合している。

2025年5月に作られた改憲ならぬ創憲論の新日本国憲法(構想案)の前文には「天皇は、いにしえより国をしらす(治めるの古語)こと悠久であり……これが今も続く日本の国體である」とあり、「日本は天皇のしらす君民一体の国家である」(第一章第一条)、「国民は、子孫のために日本を守る義務を負う」(第2章第5条)、「国は自衛のための軍隊を保持する」(第20条)、「天皇は元首として国を代表する」(第3条2項)、教育では「教育勅語や神話を教えることが義務」(第9条)とされている。「家族は社会の基礎」とされ、婚姻は「男女の結合を基礎」とし、夫婦同姓が規定されている(第7条)。国民の平等や信教の自由など人権に関する条文は設けられておらず、「平和主義」「主権在民」や「基本的人権」の文言は全く含まれていない。
「カルト+ヘイト+陰謀論」(前川喜平)の参政党は倒すことができる。

憲法審査会と改憲動向

衆議院の後追いした参院憲法審査会の変容と、明文改憲の今後。
自民、公明、維新、国民民主、参政、保守、みらい、改憲派無所属で184名(74・2%)、選挙前は76名。総議員の3分の2(166名)。

しかし、明文改憲派は改憲論でまとまっていない。自民党は安倍時代の4項目改憲が原則だが、岸田時代に9条改憲+緊急事態条項挿入改憲にまとめた。しかし、緊急集会(54条)解釈などで、佐藤正久らの参院側と衆院側が対立していた。今回、与党筆頭幹事だった佐藤が落選し、参院自民がどういう態度をとるか、不明だ。公明は自衛隊明記論だが、必ずしも9条改憲論ではない。いまのところ、自公、維新、国民民主、有志の会の5党会派でまとまっているのは緊急時の議員任期延長改憲だけだ。これだけで改憲に進むのは自民内の右派が不満だ。参政党・保守党などは復古的全面改憲論で、安倍4項目改憲どころではない。改憲項目の1本化は容易ではない。

立憲・長浜が会長職を掌握した結果、参院審査会も衆院審査会同様に、改憲審議は慎重審議、「停滞」状況が生まれるのは必然だ。明文改憲のテンポは遅れざるを得ない。

再編された参議院憲法審査会は、会長 長浜博行(立憲) 幹事 臼井正一(自民) 幹事 藤川政人(自民) 幹事 山本啓介(自民) 幹事 若林洋平(自民) 幹事 熊谷裕人(立憲)幹事 辻元清美(立憲) 幹事 川合孝典(民主) 幹事 伊藤孝江(公明) 幹事 片山大介(維新) 幹事 安達悠司(参政)などで、参政党の安達が幹事に入った。自民の委員には青山繁晴、片山さつきらがおり、立憲民主には打越さく良、小西洋之、福島みずほ、国民民主は 足立康史 、上田清司 、公明は谷合正明、平木大作ら、維新は柴田巧、松沢成文ら、参政は塩入清香ら、共産は山添拓、れいわは山本太郎という構成だ。

この結果、前述したように改憲審議は衆院同様、慎重審議傾向にならざるをえず、「戦争する国」の推進を狙う人々は明文改憲の進展をまたず、違憲解釈を強行し、実質改憲を進めようとするに違いない。

米国による反中国包囲網の形成と日本の役割り

22年10月12日、米国のバイデン政権は、「国家安全保障戦略」を策定し、同盟国も動員して中国を軍事的に包囲する「統合抑止」をうちだした。岸田文雄政権はこの米国の戦略に呼応して、12月16日に「安保3文書」を閣議決定。3文書は、他国の領域内にあるミサイル発射拠点などを直接たたく敵基地攻撃能力の保有と、軍事費をGDP(国内総生産)の2%へと倍増する大軍拡に踏み出した。これは米国の中国包囲軍事戦略に日本を組み入れるものに他ならない。岸田首相は12月16日の記者会見で「3文書は、戦後の安全保障政策を大きく転換する」ものと自賛する一方、憲法違反の批判を避けるため、「専守防衛の堅持」など「平和国家としての日本の歩みは今後とも不変」と主張した。政府からは軍事費増額など、安保3文書、前倒し改定へのうごきも出てきた。

しかし、3文書に基づき敵基地攻撃兵器として導入しようとしているのは、中国の内陸部にまで到達する射程2千~3千キロの長距離ミサイルだ。しかも、敵基地攻撃能力保有の狙いの一つは、先制攻撃も選択肢とする米軍主導の「統合防空ミサイル防衛」(IAMD)への自衛隊の参加だ。米国が先制攻撃を含む戦争を始めれば、日本は攻撃されていないのに、安保法制に基づき集団的自衛権を発動し、自衛隊が敵基地攻撃を行うことになる。これが「専守防衛」や「他国に脅威を与える軍事大国にならない」という立場と両立しないことは明白だ。

米トランプ政権は反中国包囲網の戦略の形成のため、日本に一層の役割りを押し付けようとしている。2025年6月20日、米国防総省は「日本を含むアジアの同盟国は国防費を国内総生産(GDP)比で5%まで引き上げる必要がある」と表明した。トランプ政権は北大西洋条約機構(NATO)に要求している5%の新目標に日本などアジアの同盟国も足並みをそろえるよう求めようとしている。日本の軍事費は関連経費と合わせても25年度時点で9兆9000億円、対GDP比約1.8%だ。3倍近くへの増額要求だ。

加えて、トランプ関税交渉と日米安保(西太平洋の最前衛化、軍拡・軍備品輸入。軍事費対GDP比3.5%=21兆円)などがある。3月に来日したヘグセス米国防長官は、中谷防衛相に「平和を求めるのであれば、戦争の準備が必要」とし、米中戦争を想定し、(日米共同指揮系統の確立による)「日本は、西太平洋のあらゆる緊急事態で最前線に立つ」ことを要求した。トランプ政権は欧州ではロシアとの最前線にNATOをたたせ、アジアでは中国との最前線に日本をたたせようとしている。

中谷防衛相は今年5月31日、シンガポールで開かれたアジア安全保障会議(シャングリア・ダイアローグ)で講演し、インド太平洋地域での多国間の協力を目指す海洋戦略「OCEAN(オーシャン)(One Cooperative Effort Among Nations)」構想を提唱。「オーシャンの下で各国が手を携え、ルールに基づく国際秩序の回復を図っていくべきだ。日本はその中心であり続けることを約束する」と宣言した。「オーシャン構想」はヘグセス米国防長官に提起した軍事同盟色が強い「ワンシアター(一つの戦域)」構想をオブラートで包みながら、東・南シナ海などの海域を一体の「シアター」と捉え、中国に日米や周辺国が共同対処する考え方で、従来の日本の安保・防衛構想の枠を大きく踏み越え、15年の戦争法すら突破する超憲法違反の軍事戦略に他ならない。

2025版(令和7年版)防衛白書(7月15日公表)。小中学生対象の「まるわかり!日本の防衛」も発行

25版「防衛白書」は過去2回と同様、ロシアのウクライナ侵略や米中の戦略的競争の激化で、国際社会は「戦後最大の試練の時を迎え、新たな危機の時代に突入」したとの認識を示した。中国の対外姿勢や軍事動向には「深刻な懸念事項」「最大の戦略的挑戦」との評価を踏襲したうえで、昨年8月の長崎県沖での中国軍機による初の領空侵犯などをあげ、活発な軍事活動が日本の安全に「深刻な影響を及ぼしうる」と、強い懸念を示した。 北朝鮮に対しても、核・ミサイル能力の質的な向上に注力しているとして、「従前よりも一層重大かつ差し迫った脅威」との見方を維持した。

冒頭で「自衛隊統合作戦指令部」(本年3月発足)を特集。統合作戦司令部は米軍のカウンターパートの「在日米軍統合司令部」との共同対処能力をつよめ、「陸・海・空および宇宙・サイバー領域の部隊を平素から一元的に指揮」。主な統合作戦は、①島嶼奪回のための水陸両用作戦、②長射程ミサイルなど反撃能力の活用作戦、③ミサイル防衛、④サイバー攻撃対処(サイバー防御法にもとづき海外サーバー侵入とその無害化・破壊)、国際法違反の先制攻撃の危険。宇宙戦争、サイバー戦争対処などだ。「白書」は一応、安全保障は積極的外交優先と書いているが、「外交には裏付けとなる防衛力が必要」「反撃能力(敵基地攻撃能力)の保有など防衛力の抜本的強化」

あきらめずに闘いつづける

ファシズムは戦争と独裁、生活破壊に反対する市民が広範な人々と共に徹底して闘って打ち破るしかない。既にみたように「戦争する国」の準備が進んでいる。

この事態に対して右派主導の立憲民主党には正面から闘いきれない傾向が強い。野党による国会内のたたかいが不確かなときは、院外の民衆運動の強化で押し出すしかない。激動期には、どんな困難でも、あきらめずに前を向いて闘うことこそ必要だ。市民の運動を強化し、市民と野党の共闘を再構築することにこそ、希望がある。(高田健 共同代表)

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海保の暴力には屈しない ―― 辺野古新基地 海上抗議行動 国賠訴訟支援のお願い

抗議船船長 大畑 豊

1995年の米兵3人による少女暴行強姦事件をきっかけに、県民の怒りが結集し、米軍普天間飛行場返還への動きとなった。しかしそれは「移設」が条件で、その移設先が名護市辺野古となり、米軍「新基地」建設が強引に進められている。5年から7年以内に返還と言いながら、事件からすでに30年が経ち、その返還・閉鎖の目途はたっていない。
2019年の県民投票ではその7割が反対し、建設現場である辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前での座り込み、埋め立て用土砂の搬出される塩川港や琉球セメント安和桟橋、宮城島採石場での「牛歩」、そしてまさに埋め立てが進む大浦湾での海上での抗議行動が根強く続けられている。

そうした抗議行動もあって、工事は遅々として進まず、5年で終わるとされていた埋め立て作業も8年たった今でもその18パーセント程度しか進んでいない。予算的にも当初3500億円とされていたものが、2019年に大浦湾側の軟弱地盤が明らかになり、9300億円と3倍近くに膨れ上がった。埋め立ての17パーセントしか済んでいないのに、今年度末までにはその予算の8割ほどを使ってしまう。そもそもこの軟弱地盤の改良工事、現在の技術では完成の見込みのない工事である。永遠に工事をするつもりなのか。

冒頭で「自衛隊統合作戦指令部」(本年3月発足)を特集。統合作戦司令部は米軍のカウンターパートの「在日米軍統合司令部」との共同対処能力をつよめ、「陸・海・空および宇宙・サイバー領域の部隊を平素から一元的に指揮」。主な統合作戦は、①島嶼奪回のための水陸両用作戦、②長射程ミサイルなど反撃能力の活用作戦、③ミサイル防衛、④サイバー攻撃対処(サイバー防御法にもとづき海外サーバー侵入とその無害化・破壊)、国際法違反の先制攻撃の危険。宇宙戦争、サイバー戦争対処などだ。「白書」は一応、安全保障は積極的外交優先と書いているが、「外交には裏付けとなる防衛力が必要」「反撃能力(敵基地攻撃能力)の保有など防衛力の抜本的強化」

あきらめずに闘いつづける

ファシズムは戦争と独裁、生活破壊に反対する市民が広範な人々と共に徹底して闘って打ち破るしかない。既にみたように「戦争する国」の準備が進んでいる。

しかもこの大浦湾は、世界的にも貴重な生物多様性の海域であり、国際的な環境NGOミッションブルーが保護すべき海域として指定している日本で唯一の場所でもある。環境庁自身も生物多様性条約で決められた保護すべきエリアに沖縄のほぼ全域の海域を指定している。さらには在沖米軍幹部も、もし新基地が出来ても普天間を使い続けると発言している。税金を無駄使いし、貴重な自然をただ破壊して終わるのは目に見えている。

海保ボートがカヌーに激突

先に書いたとおり大浦湾でもカヌーや抗議船での抗議行動が果敢に取り組まれている。2021年4月15日もいつものように辺野古の浜からカヌーと抗議船が出発し、大浦湾の工事現場近くでカヌーを漕いで工事中止を訴える抗議行動を展開していると、警備にあたる海上保安庁(海保)の特殊ボートがいつもと違う、危険な拘束の仕方を行ない、そのカヌーを漕いでいた千葉和夫さんに重症を負わせた。通常はカヌーを拘束するときにはカヌー後方から海保ボートが近寄り、保安官がボートからカヌー後方に飛びついて押さえる、というやり方をしている。しかしこの時は横の方角から、しかも高速で減速しないままカヌーに近づき、衝突し千葉さんの上に乗りあげた。このとき千葉さんは「死ぬかもしれない」と恐怖に襲われたという。

千葉さんはその後、猛烈な吐き気を繰り返しながらも、海保に抗議したが、うつ伏せになり、一時意識を失った。海保も異常を察知して、抗議船に対応を要請してきた。すぐに海上から救急車に連絡し、千葉さんをカヌーから抗議船になんとか乗り移させ、辺野古漁港に着くと救急車が待機していた。その間、千葉さんと付き添ったメンバーとは多少会話したりもしたが、あとで聞くと衝突後の様子は覚えてなく、救急車に乗り、病院で診察治療を受け家に連れてこられた記憶もなく、家で寝ているのに気が付くとなぜ自分がオムツをしているのか、びっくりしたという。

診断では前胸部打撲、頸部打撲、頭部挫傷等の診断がなされ、事件事故から5年ほど経った今でも指先や足のしびれ、頚椎の痛みなどの後遺症が残っており、朝起きたときの痛みで今日の天気がわかると言う。

千葉さんはこれまでも何回か海保の行為によって負傷をしているが、証拠がなく泣き寝入りするしかなかった。今回はたまたまその衝突の場面が抗議船船長の撮っていた映像に写っており、2021年7月に裁判に訴えることができた。その映像ももちろん証拠として裁判所にも提出したが、これに対し、海保は軽微な接触にすぎない、症状も大げさに言っているだけと診断書も否定し、加害を認めようとしなかった。

証人尋問を含む17回に及ぶ口頭弁論で海保の責任を追及し、今年2025年3月11日那覇地裁での判決が出たが、それは海保の言っていることを全面的に受け入れた内容で完全な敗訴だった。裁判では、そもそも米軍への提供水域で海保が警察権を行使することができるのか、と日米地位協定にもくいこんだ根本的な問題も追及したが、海保は最後まで合意の証拠は出すことはなく、裁判所も海保がそういっているから合意はあるんだという海保の主張を鵜呑みにする判決でした。

このような不当な判決を到底受け入れることはできず控訴を決めました。その第一回控訴審が10月2日に福岡高裁那覇支部で行われます。傍聴等ご支援のほどよろしくお願いいたします。

DVDの作成

この事件、裁判のことを広めるため、その内容をわかりやすくまとめたDVD(38分)を作成しました。映像のなかには辺野古新基地建設の問題点や普段の海上行動の様子も入っています。多くの方に見ていただきたいと価格は1,000円としました。ぜひ広めてください。購入は郵便振込で、口座番号:01700-7-66142、口座名:ヘリ基地反対協議会、1本は送料込みで1,180円、2本は2,215円、3本以上は送料無料です。
電話090-9974-7342(西浦)、BXL06045@nifty.com

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第195回市民憲法講座 東京新聞はなぜ、空気を読まないのか-戦後80年「新しい戦前」を「新しい戦中」にしないためにー」

菅沼堅吾さん(東京新聞顧問・全代表、元編集長)

(編集部註)7月26日の講座で菅沼堅吾さんが講演した内容を編集部の責任で要約したものです。要約の責任はすべて本誌編集部にあります。

自己紹介から

まず自己紹介です。1955年生まれで、伊豆の国市、伊豆半島の真ん中ぐらいに修善寺と三島の間にあり、反射炉があって、ちょっと前のNHK大河ドラマの北条義時が生まれた場所です。そういう歴史の街で生まれて、大学は早稲田へ。当時から早稲田というのは、なんとなくジャーナリズム、新聞に行く学生が多かった。そんな気分で大学時代を過ごして東京新聞に入りました。主に育ったのは政治部と社会部で、現場時代は大半が政治部です。「筆洗」というコラムを3年間書いていました。

社会部をやってから政治部に行きました。社会部のころにリクルート事件を取材していて、自民党の巨悪とか、中曽根元首相がターゲットかとか、金丸・竹下派はなんだ、みたいなことをずっと書いていました。リクルート事件が終わった瞬間に政治部になり、今まで巨悪と書いてきた政治家が、目の前に突然全員現れた。政治部というのは、政治家に非常に密着して取材ができる場所ですけれども、文化のショックというのもありました。

私は政治部に行ってすぐ竹下登担当でした。竹下派の担当記者が彼の周りを囲んで懇談をする場面がありました。当時は、金竹小(こんちくしょう)という言葉があったように、金村、竹下、小沢が自民党を支配していた時代です。

私は、当時空気を読まないというか、よく分からなくて「竹下さん」というふうに質問をしたら、その後秘書官に、それから当時の先輩記者から呼ばれて、「お前な、分かってないんだろう」、「社会部はダメだな」、「元首相じゃなくて、総理と呼べ」と。「えっ。元総理ですよね。総理って呼ぶんですか」と言うと、「それが常識だ」と言われてしまった。

私は最初は空気を読まなかったけれども、まだ30代だったので、「総理」と呼ぶのは絶対嫌だったんで、「あのー」とか、「ところで」とかわけのわからない話から入って、2度と彼のことを正式に呼ばなかった。

そういうふうに、政治部と社会部ではちょっと流儀が違ったところがあって、権力監視という話につながっていくところがあります。

「米国の戦争」に参加する道を開いた小泉政権

私が政治部長をやっていた時が、小泉政権です。劇場型政治があったり、今の対米追従とか、いろんな今につながることが小泉政権から始まったような気がしていています。それを引き継ぎながら、負の連鎖の中で、また違うアクションが起きているのではないか。

2003年3月にイラク戦争――大量破壊兵器があるからイランを攻撃すると、アメリカとイギリスが戦端を開きました。あの時は国連安保理の承認がなかった。国連の承認なくして戦争をするという最初です。当時、日本のテーマは、その戦争を支持するのかしないのかで、参加することではなかった。支持、不支持が散々論争になって、小泉さんは「支持する」とはっきり言った。それが、アメリカの戦争に参加するスタートだったと思っています。

小泉政権の官房副長官をやっていたのが安倍晋三さんです。小泉純一郎さんは安倍さんを可愛がって、それがあるから安倍さんも小泉さんの息子さんを可愛がって、まあ世襲政治の中で貸し借りが起きながら、お互いを偉くしていく、そういうシステムが自民党的にはできているのかなと思います。今の時代、まやかしの言葉というか、本質がよくわからない言葉がたくさん出ています。「日本人ファースト」とかもそうだと思いますが、小泉さんも、そういうのが得意でした。

米国のイラク戦争を支持した後、イラクに自衛隊を送ります。この時、国会でさんざん揉めたのが、「危ないのではないか」、「本当に非戦闘地域に自衛隊を行かすんですね」、「まさか戦闘地域に出しませんよね」ということが議論になった。小泉さんの迷言ですけれども、「自衛隊のいるところが非戦闘地域だ」と答えた。これをメディアも許してしまった。そこを当時から自分の反省としています。政治家が変な言葉を言ったり、おかしなことを言ったら、メディアもきちんと、それをおかしいぞと言わないといけない、というのがあります。でも、当時、国会もそれを通してしまった。

 昔の国会というのは、国会が空転した。3日、4日は動かないみたいな国会空転という記事が最近ないですね。それがだんだん緩くなって、なんとなく全てがこの小泉時代から緩くなっているな、ということを思っています。

「未来は後方にあり」過去の教訓を生かし未来を作る

私は、その後2011年の6月から編集局長になりました。3月12日のときは編集局次長でした。編集局長になって6年間、ほとんど安倍政権とかぶった時代でした。

安倍政権は何をしたのか、東京新聞はそれに対してどう立ち向かったか。基本的にほとんど意見が合わなかったので、安倍さんが言うことには常に反対という形になって対峙するような関係になりました。別に対峙したくてはなったわけではないけれども、基本的には一貫して安倍政権と対決する日々でした。

ということで、この本を今年1月に出しました。その時の詳しいことをいろいろ書いてあります。『東京新聞はなぜ空気を読まないのか』というタイトルです。

私が去年の6月に代表を辞めた後に出したものですから、なんとなく回顧録と思われる方もいますが。アンデス山中のケチュア族という民族がいて、その人たちの言葉の中に「未来は後方にあり」という言葉があります。未来なんか、なかなか分からない。でも、過去は必ずあった。過去にこそ未来があるという。過去の教訓を生かして未来を作っていく、そういう現地の民族の方の言葉だと思います。私もそういう言葉を昔知って、常に歴史とか過去に何があったかということをしっかり検証して、それで未来を作っていくという、そういうことが大事かと思っています。

<日本の新聞の「体力」測定>について。

新聞読者の投票率って、調べてみると8割を超します。ちゃんと皆さん社会に関心があって、自分の意見があって、ゆっくり新聞で考え熟慮されて貴重な一票を出す方が8割です。ですから日本中の方が新聞をちゃんと読めば、高い投票率でちゃんとした結果が出ると思うけれども、残念ながら、そういう結果になっていません。

新聞はオワコン(終わったコンテンツ)またはオールドメディアと揶揄されている。

でも、実際どうなんだろう。この数字を見てもらえば、確かに2013年から23年で大きく部数は落としています。けれども、1年間で出した部数ではなく、毎日発行している部数です。少し減っていますけれども、今日も2000万部以上の新聞がいろんな家庭に配られている。それが実態です。

私も、この本を出しまして、2刷りから3刷りまで行っているけれども、それは何部だと言われるととても恥ずかしくて言えない部数です。今の出版社だったら1万とか2万いけば、やったな!みたいな感じで、10万いったら大ベストセラーです。そういう意味で新聞は、部数が減ったとはいえ、毎日これだけのものを皆さんにお届けしているというのは、ベストセラーをずっと出しているようなものなのです。まだまだ体力は十分あると思っています。

読売、朝日、中日。東京新聞は、中日新聞社の東京本社が発行している新聞です。中日新聞社というのは、中日新聞という銘柄と、北陸中日新聞という銘柄と東京新聞という銘柄を3つ出しています。中日新聞という媒体だけでいうと、読売さんが一番新聞の部数が多くて、次が朝日で、次が中日です。部数的には、読売さんが550万ぐらい、朝日さんが330万くらい、うちが170万で、毎日さんが130万ぐらい、日経さんが120万。日経さんはデジタルが非常に多くて50~60万あるはずです。紙だけで比較すると、きっと日経さんは怒ってくるだろうと思うので、デジタルを合わせるともっと大きくなるはずです。産経さんが80万ぐらい。東京新聞はだいたい35万前後で、東京都内プラス関東一円に出している新聞です。

全国紙だけでなく、県紙の方が地域に密着しているので地方紙があります。その地方紙の部数の落ちは非常に緩やかですね。人口が減ってきていますから、どうしても地方は自らパイが減るので、落ちてくるのはやむを得ないと思うんです。そういう意味ではある程度下がるのはしょうがない。中日新聞は比較的ブロック紙ですので、いろんな県にまたがっていて、落ちがやや厳しい。

全国紙は、全国に蒔くという形では非常に効率が悪くて個性を発揮しにくいので、部数が厳しくなっているという感じがします。

東京新聞は、東京というこの街で東京の読者の方に対応した紙面作りです。いろんな権力が東京に集中していますので、東京の地元紙ということは権力が集まっている、そして、市民の皆さんがいろんな活動をする中心地にいるという意味で、自ずから東京新聞の性格というのが規定されます。読者の皆さんと地域によって、新聞社のカラーというのは自ずから変わってくるだろうと思っています。

結論的には、まだまだオワコンではなくて、フカコン。不可欠なコンテンツだと。これを使ったのは初めてで、今まではヒツコンと言っていた。必要なコンテンツです。だけど、反応が悪かったので、いっそのことフカコンにしちゃおうか。不可欠で深いコンテンツ、そこも兼ねて自己満足でフカコンと言っています。

編集局の「上」は「悪者扱い」ですが・・・

どのテレビでも、ドラマではだいたい編集局長が悪者になっています。現場の記者がいいスクープを書こうと思ったら、上に潰されたという会話が出てきます。うちの望月衣塑子が書いた『新聞記者』という本のドラマもそのパターンです。

僕、望月さんの元上司なので長い付き合いです。望月さんは、僕には何にも言わずに本を書いて、私のことも載っている。結構よく書いてある。よく書いてあったら言えばいいですよね。眼光鋭くて立派な記者みたいに書いてある。それはそれでいいけれども、やっぱり上が悪者になる。編集局長室に幹部が呼ばれて密談して、何かを潰すというパターンです。

これはテレビに本当は抗議したいですね。東京新聞をドラマにするときはやめてください、と。うちは大部屋なんです。大きなフロアがあって、その一角に編集局長と編集局次長という局長を支える5人の机があって、個室はないんです。衆人環視状態です。私が誰と会ったかをチェックするような部下がいて、「菅沼さん、今日は政治部長ばっかり6回会っていますよ、これ何考えてるんですか」みたいなことを言う人もいるくらい、うるさい。眠ったりでもしたなら、絶対に後で悪口が出るのは分かっていますから、寝ようもありません。世間に流布している、上が何かを潰すというのは、一般論では決してないということだけは理解いただきたい。私も現場から書きたいと言ってきたことを、一度も自分で記事を潰したことはないです。

誤解されるのは、「これはまだ早い。事実の詰め方がまだ詰まってない」「ちょっと生煮えだから、もう一本ファクトを持ってきて、政治家から突っ込まれてもちゃんと反論できる、心配ない形にしたいのでちょっと待ってくれ」と、もう一度補強取材をさせるということは何回かありました。

それは、新聞社が誤報は出せない。信頼で持っている新聞社がやっぱり誤報は出してはいけない。そうすると情報源一本では怖い時があるので、そこをもう一回補強させるという意味での上のストップです。下からすると、ストップしたみたいになるのかもしれません。それがまた、どっかの人に喋って、誰かが悪いっていう話になっていくのだろうと思います。

新聞の使命は「権力監視」の4文字

編集局長の席を振り向くと、こういう景色になっています。日比谷公園のすぐ横に本社があって、経産省の前です。ですから、編集局長席は大部屋ですけれども、ちょっと後ろを振り向くと、国会が見える。経産省、厚労省が見える。おそらくこの場所が、東京新聞の性格を規定していると。何を言いたいかというと、権力監視の最高のポジションに新聞社があるということです。反対側には日比谷公園が見えて、皆さんが日比谷公園で何か活動して出てくると、上から「こんなにいっぱい集まっているな」とすぐ分かるんです。

基本的に新聞社は、目の前にあることを取材するのが第一原則なのんで、目の前にいたらすぐ出ていけ、ということを徹底させています。脱原発運動とか、首相官邸とか国会の周りのいろんなことがたくさんありました。3.11以降、うちは本当にたくさん報道しました。目の前に起きていることですから。20年前に内幸町に引っ越しました。その前は品川だった。品川にあったら、もしかしたらやらなかったかもしれません。車で40分もかかりましたから。官邸前は歩いて10分で、その意味ではいいポジションにいます。

そういう中で、この本を書いた理由は、ニュースが無料じゃないですか。私も、新聞社というのは、もはやニュース産業ではなくて幸福産業であり、物作り産業だというふうに規定してやってきたつもりです。けれども私自身もスマホでニュースを見ていて、ニュースを見るだけだったらスマホでいいでしょと。それは、そもそも新聞社が無料でコンテンツをネット社会に提供してしまったわけです。我々からすると、その時の幹部は誰だった、となるわけです。

でも、それはもう今更言ってもしょうがないので、ネット上にニュースはもう溢れている。その中で新聞社は一体なんなんだということを、しっかりこれから考えなければいけないと思っています。SNSが台頭してきて、新聞はもう終わりじゃないかと言われている。いやいや、新聞は終わっていませんよ、ということを言いたくて、この本を出しました。新聞の使命、存在感を知ってほしかった。新聞は、情報産業じゃない、ただニュースが流れるだけじゃないんだと。

では、新聞の使命とか存在価値は一体何なんですか。それはジャーナリズムの教科書に書いてある一番の原点ですけれども、権力を監視して本当のことを伝えて警鐘を鳴らす。端的に言うと、「権力監視」の4文字が新聞の使命です。だから、監視する権力側の空気を読んでいたら仕事にならないので、東京新聞の報道姿勢も空気は読まない。自らの使命から逆算すると、権力の空気は読まないで、または読んではいけないという思いを込めて、本のタイトルにしています。

私は東京の大学で、もう20年近く年に1回だけ講義をしています。そこでは「新しいメディアとしての新聞」というテーマで講義をしている。学生は、誰も新聞を読んでいません。「新聞を読んでいる?」と言っただけで、シーンとみんな下を向いています。

私は授業で、学生に全部で300部数くらい自分で購入して配って一緒に読むんです。それで権力の監視が大事だということを話すわけです。授業が終わると必ず感想文を学校の先生が寄こします。メモ書きを学校がさせます。ほぼ9割ぐらいは、権力の監視に引っかかってくる。「知らなかった」「すごい」「頑張って」と。だからといって、新聞をとるとは限らない。私、20年やっていますが、その大学で部数が増えたとは、これっぽっちも聞きませんから。

でも、権力の監視という言葉は、聞いた瞬間は引っかかってくれる。それもあって、若い人も含めて、権力監視という言葉を少しでも知ってもらう機会を自分なりに作りたいと思って本も書いたし、こういう場所にも呼んでいただければ来ています。さらにその使命、権力の監視ということを深掘りすると、権力を監視して何をするかということです。それはかけがえのない命を守ること。究極的には国に2度と戦争をさせないことだということになります。

国に2度と戦争を起こさせないこと

東京新聞が原発事故取材で菊池寛賞をいただきました。菊池寛賞は文藝春秋です。東京新聞は、左右とか言われる中では、なんとなく一番左っぽく言われている。文春さんはなんとなく右っぽく言われている。その文春さんがうちにくれたのがありがたく、ちょっとびっくりもしたんです。その中で画家の安野さんが文春に寄稿してくれて、福島原発だけじゃなく、あの戦争の時に新聞社は何をしたんだと。今の東京新聞の姿勢にこそ最後の希望があると書いていただき、非常に恐縮しました。こういう賞をもらうのは、実はJCJさんからも賞を2回くらいもらったんですが、非常に感謝しています。

賞をもらうということは、その賞をもらった思いを新聞社が引き受けて、次に発展させるというのが僕らの仕事で、あくまでも受賞するというのは、その始まりだというふうに思っています。そういう意味では、安野さんから、「東京新聞がいることが希望だ」と言っていただいたので、それに相応しいことをやろうと思っています。

では、なぜ権力を監視しているのか。ネット世界では必ずこういうことを書くと、「お前なんかに託してない」ってきます。「新聞社になんか託してないで、何勝手に言ってんの、君たち」みたいなご批判をたくさん受けます。「確かに託されてないかもしれません、あなたには」って話ですけれども。

何で新聞社がこんなに権力監視と言っているのかというのには、2つ大きな理由があって、1つは先の大戦の反省と教訓です。これは、東京新聞を含め、どの新聞社もこれが第1の起点です。要するに大本営発表を当時たくさん垂れ流してしまった。真珠湾攻撃までは比較的正しく報道しているというか、正しく大本営も発表していた。ミッドウェイで負け出してから、嘘八百の話にどんどん向かっていく。それで撤退してもそれは転進だとか、言い方も変えるし、真っ赤なウソの戦果も言う。それを大本営が発表すると、それを新聞社はそのまま記事に書いていた。そういう歴史があるわけです。

東京新聞は創刊が昭和17年10月です。当時は、戦争になって紙がなかなか手に入らなくなって、各県に1個の新聞にしなさいという戦時統合がありました。日本中では、複数の県の新聞があったところが、みんな1個になっていく、そういう経過をたどっていますが、東京は最後までなかなか統合しなかった。

それは「國民新聞」という徳富蘇峰がやっていた新聞と、「都新聞」という新聞の2つが合併しました。「國民新聞」は徳富蘇峰がやっていましたので、非常に政治的新聞です。もう片方の「都新聞」というのは花鳥風月とか、芸能ですよ。芸者がどうしたとかってそういう話が得意だった。その2つがおよそくっつくなんてありえないじゃないですか。当時大げんかしていて、最後の最後に、統合しろと言われて、紙も無いからしょうがないから統合したのが東京新聞です。

東京新聞の創刊の辞に、「国家総力戦の重要なる一兵器たらん」という言葉が新聞のあちこちに出てきます。東条英機首相の写真入りのコメントも出ている。おそらく東京新聞の創刊の日というのは、今でいうと最悪のスタートです。戦争に加担した日から東京新聞の歴史は始まっている。

それは僕らじゃない、というわけにはいかないと思うんです。当時の新聞記者、または新聞社は、どの新聞社も一様にあの戦争に加担した。この贖罪意識から2度とこれを起こさせないと、そこによって新聞社は戦後出直した。それは、僕らの世代も当然、それを引き継ぐ責任があると思っています。ですから、オールドメディアだからこそ、戦争に加担した責任を背負っているメディアだから、2度と過ちは繰り返さない。ですから皆さん信用してくださいと思うわけです。

憲法が予定していた報道機関の存在

もう1つは、憲法上です。過去の戦争の反省で生まれたのが憲法です。まさにその憲法の中に、憲法が予定していたのが報道機関の存在であると理解しています。

最高裁が1969年に、「国民の知る権利に奉仕するものであり、事実の報道の自由は表現の自由を規定した憲法21条の保障のもとにある」という判決を出しています。これをもって、報道機関は、憲法21条の保障のもとにある。要するに、憲法は報道機関を憲法の理念実現のために特別扱いしたというのが、学者の先生方の定説になっていくわけです。

表現の自由を規定した21条の保障のもとに、ある特別扱いもします。特別扱いをしている最大の理由は国家権力の監視をする、これをもってして憲法的価値が一番高いと言われています。我々としては、そういう過去の反省と憲法に記載されている重み、これをちゃんと胸に秘めてやっていきたいと思っています。

憲法の中には民間の仕事が2つだけ書かれていて、1つが弁護士で、もう1つが報道機関・プレスです。もちろん弁護士の方は、人権を尊重するために憲法は弁護士の規定を憲法に書いている。報道機関については、これも定説でありますけれども、3権分立がしっかり機能するように。ジャーナリズムといいますか、報道機関の表現の自由をおそらく予定して入れたんだろうと言われています。

ご存じの通り、三権は分立していますけれども、どう考えても日本の国家というのは行政権が圧倒的に強い。安倍一強とか平気で言っちゃうわけだし、金竹小(こんちくしょう)が日本を支配した時代もあった。どうしても三権がうまく牽制し合わない。

そういう意味では、もう一つのそれを監視する勢力があって、ちゃんとできていませんよと叫び続ける責任があるんだと。それが新聞社というか報道機関だと思っています。

東京新聞第2の起点 3.11

東京新聞について言えば、第2の起点が3.11です。私は編集局次長で当時を迎えて、その後3ヶ月後に編集局長になりますが、ちょうど災害担当でした。 ですから、震災が起きて、そして原発事故が起きた後ずっと取材をしていました。これは、当時の東京新聞、原発の事故が起きた翌日の紙面です。こんな新聞はあまり見ないでしょう。見開きで、ありえない新聞を作っています。

もちろん震災当日も、こういうふうに胸が痛くなる紙面ですけれども、これだけの出来事が起きた。起きてはいけない、または自分たちが経験していない出来事が起きた。それで、新聞も今までにやったことのない表現で皆さんにお伝えしようと、こんな新聞を作りました。私も、2泊、会社の床で寝ていました。

原発事故の時は、床で寝ていたら突然社会部のデスクが「大変だ」とわめいて、「爆発しますよ」と言われた。「何が爆発したんだ」。「原発です」。そんなバカなというやり取りからいくわけです。その中で一番読者から怒られたのが、大本営発表を再び垂れ流すのかという批判でした。戦争の時に反省した大本営発表を再び垂れ流すのかと。つまり、当時官房長官の枝野さんが、「直ちに影響はない」と言った。しかし「直ちにないということは、いつかあるのか」、ということなります。「それを新聞社が垂れ流しているのか」とか、東電が想定外だからというのを、「想定外で許すのか」と、たくさん読者から怒られました。

当然です。自分が放射能汚染で命と暮らしの危険を感じるわけですから、「ちゃんと本当のことを伝えろ」と新聞社に怒ってくるのは当然の権利だし、よくわかります。ですから、ここでこのまま、ただ垂れ流していたら、正直、新聞は終わっちゃうなというふうに思いました。

一番怖かった日が、1面に「福島第1制御困難」という見出しの日です。

私は3月16日の朝刊の当番で、これをやるとパニックを引き起こすとか、新聞社発の混乱を引き起こす危険があるなと思って、ちょっと迷いました。しかし、いろんなファクトを全部積み重ねると、これしか言えなかったんですね。いろんなファクトを積み重ねて、結果、それは制御できていませんよ、という、そういう見出しです。

本にも書きましたが、自分でメモに残して、日付が書いてないメモだったので、ちょっと記憶が曖昧です。けれども、首相官邸の中にうちの政治部が仲良くしている官僚がいて、その官僚からうちの政治部の記者に電話があった。「お前のところは中日新聞だから、実家が名古屋にあるならば、お前は記者だから東京にいなきゃいかんかもしれないけれど、家族は名古屋に帰した方がいいぞ」という示唆がわざわざ来た。当然、記者が「そんなにやばいんですか」と言ったら、「やばいよ。もう制御不能だよ」と言ったんです。

その記者が政治部長に情報を上げてきて、その部長が僕のところに来て、大変だ、「制御不能です。どうしますか」と言う。一方では、「不能」か「困難」か、ちょっと迷ったけれども、とりあえず「今困難ですよ」と読者に危機を訴えようとしました。当時は、アメリカ大使館とか外国の大使館は東京から避難させています。その頃の話です。

正直言って東京新聞はそんなに原発安全神話をガンガンPRしていないつもりです。そんなに広告ももらってない。でも、原発は安全だということは確かにやっているのはやっている。そうすると、戦争を起こしちゃいけないと、権力を監視しようと思ってやってきたのに、一方で同じように人の命に関わる、国家の存亡に関わる原発については、なんとなくノーチェックで神話に加担したことには間違いないよね、というのが幹部の間でも共有されました。

現場の記者たちは、ともかく、こんなひどいことが起きているんだから、反対だと記事を書いて、現場は脱原発にダーッと向かっていくわけです。我々も、それはそうだよね、一体俺たち何をしてきたんだと。戦争反対だけで油断していたよね、みたいな話になった。じゃあ、どうしようかと。

「3.11の世代」の編集意思 その1  国民から送り込まれた内部告発者に

そこで、3.11を経験した世代としてちゃんとポジションを作って、言うべきことを言わなければいけないと思って、脱原発をはっきり打ち出そうという決断になりました。どの新聞社もそんなにはっきり旗幟鮮明にはしていません。当然原発が必要だという人もおられるし、エネルギーの安定のためには必要だ。今も同じ状況ですけれども、立ち位置を決めるのは、なかなか新聞は確保していない。

うちも正直、あまりそういうことはしていませんでした。でも、これはやっぱり特別で、脱原発の旗を掲げようということで、8月6日の広島の原爆の日に、「原発に頼らない国へ」という論説を1面に掲げて、脱原発の旗を正式に掲げました。どうやって脱原発の理論武装をしようかと、論説の責任者とか、我々編集側の責任者で結構いろんな議論をしました。最後に行き着いた結論は超単純というか、常識論でいこうというです。「人の命と安全は経済性に優先する」と、あまり難しく考えないで。

これは、戦争についても安保保全についても同じです。市民なり我々が、官僚や政治家と立ち向かうときに一番大事なことは、やっぱり常識論であり、皆さんが思うことを口にしてそれを権力側に訴える、どうだろうというふうに言うこと。理論武装は、役人がついていると、優秀な官僚機関は理屈があれば何でも理屈は作れるような仕組みになっています。その土俵に乗ると劣勢感が出ちゃうんです。新聞社はそれほど優秀な人間を使っていませんので、常識論でいこうという話をやりました。

3.11を自分が迎えて、局長になって、その時に現場のみんなに言ったのは、自分たちの力で本当のことを伝える努力をしようと。原発事故が安全か、安全じゃないか、というのが分からなかったら、分からないと書こうと。「もうちょっと待ってね」と書くしかないでしょ、「分かったらちゃんと書きますから」と。

「新聞は書くことを書いていないから隠している」という批判が必ずネット上で出ます。僕が言っているのは、隠しているのではじゃなくて、まだ分からないから書いてないだけです。1年間うちの新聞をとってくれれば、どこかで必ず書きます。誰も聞いてくれないです。本当のことなんて、毎日毎日分からないんですよ。人をかけて、時間をかけて、資料を請求して、あちこちに取材してやっと見えてくる。政府側の発表を書いたら、すぐです。政府がこう言ったと書いて、ポーンと追っかければ1日ですぐできてしまいます。それをやめた以上は、すぐ書けないんですよ。時間をいただくしかない。逆に言うと、新聞社側もそういう余裕が生まれる。毎日毎日ではなく、ともかく定期購読の中で皆さんに対する責任をちゃんと果たす、というのが新聞社の一つのモデルです。

発表先取りはスクープとして認めない

「発表先取りはスクープとして認めない」ということも決めました。よく「○○首相退陣へ」とか、「きょう逮捕か」のように、「・・・へ」と「・・・か」と「・・・も」をやめよう。そういうことをやっていると信頼を失う、はっきりしたことだけ書こうよとしました。この「へ」とか「か」を書き出すと役人の言う通りになってしまいます。

例えば、官僚がある政策を決めます。3日後には、それをどうせ発表する。でも、どっかの社に「いや、こんなことを決めたんだよ。政策で」と、こっそり渡す。そうするとそれが、「○○『へ』」と出る、1面トップに「○○『へ』」と。「経産省は○○『へ』」って。それで、記者はすごいなと上司に思われたりしたいんです。でも、それは逆に権力側からすると、楽なんですね。「こういうネタをあげるから僕の言うことを聞くよね」とか、「まさかうちを批判しませんよね」という変な癒着関係が生まれる。明確な悪い意思じゃないにしても、自然と官僚組織なり権力に取り込まれていく。とくに若い記者はどうしてもそういうことがあります。

それをなくすには、記者個人個人の努力では無理です。まさに、悪い編集局長じゃなくて、いい編集局長です。それは評価しないから、君たちは自分の力の取材だけやってください、「へ」とか「も」は要りませんと言ってあげる。記者の評価が変わったと分かれば、記者たちは力を発揮します。実際取材するのは現場の記者たちなので、編集長が何を言ってもダメなんです。唯一、編集局長が力を発揮できるのは、記者の評価基準を言ってあげることによって、新聞社が本当のことを伝えるとか、官僚や政治家の手のひらで踊らない環境を作ってあげるのが仕事だと思っています。

もう一つ言ったのは、政治部の記者ですね。

私も政治部にいましたので、総理とかなんとか言って近づいて、何か向こうにとっては不都合ではない情報、むしろ向こうにとっては世の中に宣伝するような情報をいただいて、特ダネにするような循環に入ってしまうリスクを自分でもよく感じました。政治部記者は内部告発者。政治家と本当に目の前で喋れるという環境はなかなかないんですね。これはやっぱり新聞社の名刺の凄さで、新聞社の政治部というと政治家は一応会うんですね。話は聞くんです。

評判の悪い「番記者」が周りにくっついていますよね。あれも本当は彼らにくっついていれば、この政治家は誰と人脈がある、誰に影響を受けやすくなっている、と一番わかる。また、質問も、すごくしやすいわけです。それをちゃんと行使すれば、「番記者」システムって非常にいいんです。それは逆に、政治家側からすると、「番記者」を洗脳するのにとっても相応しいシステムです。洗脳されるか、利用するかだけの話なんです。

ここを社会部的な手法で、政治家から距離を置いて違う情報で勝負するようにだけやると、これもまたやっぱり本当のことはつかみにくいんです。

政治家は全員が悪者ではないので、この世の中おかしいねとか、与党の中にも権力中枢の中にも当然いるんです。私自身も結構そういうことがありました。よく望月さんが書いているスクープがあって、「これ、すごいね」と言ったら、まさに中枢から取ったネタだったこともあるんです。

全員が権力なり官邸の空気感にいるのではなくて、官僚は官僚の中で自分の国家観をもつ人もいて、それが今の政権の中ではどうもうまくいかない。じゃあ、どこの新聞が書いてくれるのか。これは東京新聞だけなら東京新聞の記者にそれを教えて書かせて、逆に世の中を動かそうと。それはリークといえばリークであるし、情報操作ですけれども。記者と政治家の間でのその辺の会話ができて、お互い信用できる関係になれば、そういうことが可能になってくる。

そういう意味では、国民から送り込まれた内部告発者が政治部の記者であってほしいと思っています。

原発取材班の特命チームの活躍

当時、原発取材班の特命チームを作りました。どの記者クラブにも所属せずに原発だけ取材するチームを置いて、自分たちの問題意識から何かを書くというチームを作りました。非常に大きな働きをしてくれました。

これはうちのスクープです。原発事故の18年前に「全電源喪失を検討した方がいいですよ」ということを原子力委員会のプロジェクトチームが提言していたという記事です。おそらくこれをちゃんと東電が受け止めて、やっていれば、もしかしたらあの事故はなかったかもしれない。

ところが考慮不要というのが、もともとの指針なので、まあいいかっていうことをやった。それをうちが、突きとめて情報開示請求して、やっとこの電源喪失を検討したということはわかりました。その全電源喪失を検討する際に、なぜ全電源喪失を検討しなくていいのかということを書いた。それは、電力側に作文を指示したというで、当時は発表しなかった。もともと役所のロッカーの奥の段ボールの中に入っていた資料です。全部はすぐに出してこなかった。仕事が忙しいとか言い訳をして隠しちゃった。

でも、彼らは捨てなかった。さすがに捨てると後で何があるか分からないから、ただロッカーに隠したんです。そのとき誰かが、ちゃんとやろうよと言っていれば、日本の歴史は変わったかもしれない。

これも原発取材班が、いろんな原発資料をめくっていた時、ほんの一行だけ、原子力安全委員会の報告書があったという記載があった。その中身の報告は一切書いてない。資料の説明の中に一文だけこういう報告書が入っていて、「これってなんだ、この報告書は」ということから始まったんです。そういう意味では手間暇かかった作業でしたけれども、幻の報告書も発見をしました。

3.11世代の編集意思 その2 「国民主権」の新聞をつくる 人びとの代弁者になる

「3.11世代の編集意思 その2」と書いたのは、国民主権の新聞を作りたいと思ったからです。主権在官と言いますか、官僚組織は情報をずっと秘匿しているのが一番彼らの力の源なので、とにかく「国民が主権」のような新聞を作りたいと思って、ニュース価値の序列を逆転させました。

新聞の扱いは、政府が一面トップに多くて、次が県とか都とか市町村で、民の方は一番順番が低くなる。それは、社会面に民が主役の記事があるからいいじゃないか、というのが新聞社側の勝手な理屈でした。私は、やっぱりこれはおかしいだろう。新聞の1面が新聞の顔なので、そこに人々が出ない新聞なんか作ってもダメじゃないのか。しかも、みんなが官に対する信用をなくしてきている。そういう意味では、やっぱり変えようということで、序列を変えました

もう一つは、「人々の代弁者になろう」ということです。

今ネット社会で、みんな自分で発信できます。けれども、デジタルスキルの問題とか、全員が同じように発信できるわけではないので、弱い人の声を聞く、小さな声に耳を傾けて、大きな声に新聞社がしていくという作業は絶対にやるべきだと。これが権力監視とともに新聞という車の両輪であると思っています。
紙面的にはこういう紙面になります。

左は、2015年8月30日の安保法案反対の時、国会の前に集まった日。右は、安倍さんが改憲2030年施行を目指すと言った日に、憲法を守ろうと言った人の集まった会合の記事です。

普通は、だいたい安倍さんが上にいて、国民が下じゃないですかね。うちはそれではダメだ、国民の方が上だと言って、国民を上にしたんです。これ何度も読んでもらうと、首相が改憲2030年施行を目指すけれども、決めるのは国民という、そういう見せ方です。

こちらの一面は「届かぬ民意 危機感結集」と。

私も、この日はこの辺にまで行きました。会社で窓から見たら、道路は人ばっかりです。ざーっと。会社は8階なので降りて行ったら、目の前も人がいっぱいで、日比谷公園もいっぱい。こんなことがこの世の中で、日本であるんだ、と正直言ってびっくりして。こういう時、編集局長は何もないので仕事は一番暇です。

「暇だからちょっと席を立つ」と言って、ここまで行こうと思ったんです。記事を書くわけではないけれど、歴史の証人になりたくて。ただ、行けなくて1時間くらいかかって遠回りしながら、すみません、すみませんと、やっとここに来た頃に坂本龍一さんが来た。ギリギリ間に合ったみたいな感じで、帰ってきて疲れたと言ったら、「局長、今日の新聞はこの写真でいきたい」と現場が持ってきて、もう一枚あったけれども、

「これだな。一番いい写真」と思って、こういう新聞を作りました。

だから本の写真も、縦で作って載せています。この本を書く時から、この本の表紙はこの日の写真にしようと決めていました。私にとっても、この国の民意というか、人々はやっぱりすごいよな、と体感したところです。

この1面も偶然で、作為的に持ってきたわけではないけれど、安倍さんの70年談話は、上にしていないんです。

うちは平和の俳句というのをやっていて、今も募集しています。8月は平和の俳句を必ず一面に載せています。平和の俳句を載せようと、この日の前からやっています。この日は「千枚の青田に千の平和あり」という俳句を1面に写真付きで載せて、人々の平和の思いの俳句を大きく扱って、安倍さんの70年談話よりも人々の思いこそ価値がある。そういう紙面を作りました。この平和の俳句というのは、もともとは、金子兜太さんと伊藤正幸(いとうせいこう)さんが選者となってやったものです。

当時、九条俳句というのがあって、それを公民館の公報に載せる話が突然がダメになった、という事件がありました。だいたい「表現の自由は」、小さなところから国というのは侵していきます。いきなりは新聞社に向かってこないで、市民に向かってくる。

それを金子さんが怒っていて、金子さんと伊藤さんの対談の中で「九条俳句、おかしいよね」という話になった。金子さんも、戦前・戦中も俳句の自由が阻害されたという話になった。終わり際に突然、伊藤正幸さんが何の打ち合わせもなく、「東京新聞で俳句を募集して何かやりませんか」と言ったんです。私は同席しましたけれど、そこではそれで終わったんです。すぐ後に、社会部長呼んで、「これもうダメだよ。2人が言ったんだから、もう頑張ってやろうね」と言って、ずっと今にわたって続いています。これをうちの軽やかな平和運動というふうに伊藤正幸さんはおっしゃっています。

言論機関として肝に銘じていること

「言いたいことというのは権利であり、言わねばならないことが義務である。義務の履行には、多くの場合犠牲を伴う」という言葉を桐生悠々が残しています。

うちの新聞だと桐生悠々の命日には、必ず論説主幹が長文の記事を1本書くのでご記憶がある方もいるかもしれません。桐生悠々さんは明治から戦前にかけて、信濃毎日新聞と中日新聞の前身で論説主幹もやったりしています。彼が、信濃毎日の時に「関東防空大空襲を笑う」という社説を書きます。陸軍が防空演習をやった。でも、桐生悠々は、「馬鹿じゃないの、木造家屋ばっかりの東京で空から爆弾が落ちたら、演習をやったって無理でしょ」と書いた。これを軍部が怒って、そこで信濃毎日を追われて、やがて中日新聞の前身の会社に来るという、そういう歴史をたどります。

悠々自体が言ったのは、自分は、関東防空大空襲は馬鹿げているねということ言わなければならなかったことですが、でも、それは犠牲を伴うわけです。そういう意味では、言いたいことを言うのは権利だから、ネット社会で誰でも好き放題言うのは、それは権利ですからどうぞ、と。ただ、新聞社が同じように言いたいことばっかり言っていたら、それはやはり違うんだと思っています。我々は、言いたいことかもしれませんけれども、プラス、それを言わなければこの世の中に対して新聞の責任を果たしてないという思いの社説を書こうというふうに思っているところです。

新聞は「物作り産業」であり「幸福産業」

新聞の世界の話をします。
これが、3.11から1年目の新聞です。記事と見出しと写真で読者の頭と心に届けるソーシャルメディアというのが、新聞だと思っています。そういう意味では新聞は、物作り産業みたいなところがあります。これも、3月入った直後に、うちのカメラマンが東北3県に入って、とにかく写真いっぱい撮ってこいということで、1000カット以上の写真を撮って、その中からこの1枚だけを選んだ。それに伊集院さんの詩をつけて皆さんにお届けした紙面です。

3枚ぐらい上がってきたけれども、僕はこれに1番に飛びついた。この海のこの白い波の間が、なんか亡くなった方の魂のように感じたので、これでいこうと話をしたら、じゃあ見出しは、もう「祈りの日」しかないですねという話になって、これを皆さんにお伝えした。そういう意味では、テキストがばーっと流れてくるネット社会とは違って、いろんなメッセージを皆さんにお伝えすることを考える。じゃあ写真をこうしよう。記事はこういう記事がいいのではないか。これなら詩もあった方がいい。そうやって1個の作品を作り上げていく過程が、新聞だということを理解していただければありがたいと思います。

「幸福産業」というのは何か。先ほどの憲法の話も通じますが、権力監視をして、国に2度と戦争させない。戦争こそが人の幸せを破壊する全ての最悪の事態ですので、それを防ぐための仕事をしてるというのは、幸福産業であるというふうに思っています。

「『論点明示報道』という東京新聞流ジャーナリズム」についても紹介します。これは、日本ジャーナリスト会議で大賞をもらった時に、「論点明示報道」に対して表彰していただきました。その時は、あまり新聞社の中ではこういう言い方をしてなかったけれども、確かにそうだなと思って、今も使っています。

例えば、「最高責任者は私」と安倍さんが言った。これは確かに事実ですけれど、ではこれが何を意味するかというのは、なかなかわからない。これに、「立憲主義を否定している」と我々が説明をして見出しを取っている。もうひとつは、「集団的自衛権の行使」。これまたよくわからない。後の紙面にも通じますけれど、これが、 戦後70年の時に「戦える国」に日本がなったんだと。そういう意味では、 言い換えるというか論点を見出しに取っていく。そういうジャーナリズムをやっています。

最近はまだ徹底しないけれども、僕は「防衛費」の書き方もなるべくやめた方がいいと代表のときは言っていました。防衛費というと、なんとなく守る側ですね。でも、実際やっているのはトマホークとか、攻める武器です。厳密に言うと、これは「防衛費」、これは「軍事費」とか、本当は使い分けた方がいいって言っていました。けれど現場は、「・・・」で終わっている。もう、私はなるべく「軍事費」に統一した方がいいのではないかと個人的には思ってます。

いずれにしても、新聞社は言葉を扱う仕事で、政治家も、官僚もそうですけれど、言葉の戦いなんです。言葉を巡るバトルをずっとやっている。今回の参議院選挙もそうですし、ある意味、参政党の神谷さんもそうかもしれません。言葉の価値をわかっているからこそ、言葉で攻めてくる。ですから、言葉を大事にして、新聞社はまやかしの言葉には乗らないというのをやっていく必要があると思っています。

安倍政権下で日本は原発に回帰し「戦える国」に

安倍政権下で、結局、日本が原発に回帰し、戦える国になってしまった。これが私の局長時代と完全に被っています。原発は「活用」に変わり、特定秘密保護法ができて、そして安保法制が成立したのが、2015年9月19日。

私はこの日をもって、新しい戦前が始まったと思っています。いつ「新しい戦前」が始まったのかという議論は、いろんなあるわけで、タレントのタモリさんは、「安保3文書」ができた日をきっと「新しい戦前」の始まりと思っているだろうという気がしています。私はやっぱりこの安保法制の成立が大きな時代の分岐点だと思っています。

それに対する異議申し立てのつもりで、憲法9条を一面に載せました。9条の条文をそのまま1面に載せるのは、日本中の新聞で、まずないのではないかと思っています。この9条が危機だということを記事に書いていますので、誰が危機になっているのかを見せた方がいいということで、9条を一面に載せました。

これは、安倍さんがやったわけですけれども、元々はアーミテージさんというアメリカの国務副長官、この前お亡くなりになりましたが、彼が2000年にブッシュ政権の時にアーミテージ報告を出しました。この時に、集団的自衛権の行使ができないことが日米関係にとっては良くない。そして、秘密保持の立法をしてくださいということを当時も発表している。そういう意味でアメリカの要求は、この2000年から始まっているとご理解いただければと思います。

10年後、戦後80年の「戦える国」の現在地

特定秘密法は、新聞記者の仕事、つまり国民の知る権利に奉仕する仕事を妨害している装置で、安保法制の前に必ずこの法律を成立させてから安保法制に行くというのが、当時の政権の意思決定でした。

「戦争の最初の犠牲者は真実」と書きましたけれども、冒頭申し上げたイラク戦争も大量破壊兵器があるからと言って戦争が始まった。でも、実際はなかったわけです。要するに、戦争を始める時は、いろんなものの嘘をつくか、隠したいわけです。「戦争の最初の犠牲者は真実」っていうのが、我々の世界ではよく言われている言葉です。そういう意味では、もはや犠牲者がすでにたくさん出ているかもしれないというのが、今の世の中だと思います。

10年後の今、一体どうなっているかというと、結構進んでいる。「戦える国」の現在地ですけれども、敵基地攻撃ができるようになりました。これも一定の誤爆を想定している。能動的サイバー防御法ができ、今、スパイ防止法がまた焦点になりかかっている。
統合司令本部ができて、これが日米軍事の一体化の象徴です。自衛隊の南西シフトも進んでいる。そして、軍事費はどんどん膨らむ一方で、関税合意ができましたけれども、次のターゲットとしては「防衛費」、「軍事費」が当然焦点化されています、これもいつどうなっていくか。大増税の道が待っています。

それから学術会議の改変が起きて、軍事研究の推進がしやすい。「戦える国」になったということは、軍事費で武器を買ったり自衛隊を強化するだけではなくて、政治、経済、社会、文化、あらゆるものが軍事化していくことです。それは、先の大戦でもそうでした。おそらく、これからも黙っていると、どんどん日本が軍事化していく。軍事化するということは、力の強いものが勝つ社会、または、より効率的に上から下に命令が行くようにする社会。そういう文化をできるようにしていく、そういう方向に向かっていくんだろうと思います。

ですから、やっぱり軍事化は、社会全体を変えていく可能性がある。おそらく軍人が威張るとか、昔の陸軍じゃありませんけれども、軍人が威張る社会になってくる。それで本当にいいんだろうかという問題意識を持ちながら、今現場も取材しているわけです。戦後80年、「戦える国」の現在地はこんな感じです。

この紙面では、統合作戦司令部が発足したという記事。そして、温泉地の湯布院にミサイルが配備されている。ここまで日本は行っていても、なかなか東京にいると南西シフトされていることがわからない。

正直、東京の新聞がやったとしても、扱いやチェックが弱くなってくる。沖縄の新聞社とか西日本の新聞社の方がきちっとチェックしています。東京のメディアは、この南西シフトを丁寧に扱わないと東京の方に情報が伝えられなというジレンマも抱えています。

暴君たちの先・先制攻撃の世界

そして、今、一番の問題は、「トランプの世界」というリスクの中で「戦える国」がここまで進行したという問題です。「暴君たちの先・先制攻撃の世界」と書きましたが、暴君たちというのはプーチンとイスラエルの首相のネタニヤフとトランプを言っています。

敵基地攻撃能力・先制攻撃の話で、当時の国会の議論で、先制攻撃は相手がミサイルを発射する兆候をいつ掴むのか、その時にどこにいるか、ミサイルがどこから発進するか分かるのかとか、発射30分前に撃つのか、みたいな議論を散々していた。

何のことはない。今の先制攻撃は、プーチンにしても、イスラエルにしても、早々とミサイルを、または早々と領土を侵攻していく。先制攻撃という議論を超えて、やられると思ったらもう即座にやるような、非常に危うい世界になっている。オバマ政権時代に、アメリカは2正面作戦を放棄した。2正面というのは、世界でトラブルがあった場合に、2つまではアメリカが制圧するか抑止する。当時は、中国とヨーロッパの両方を見ていた。ところが、アメリカも力がなくなってきて、もう1方面にしようと決めたわけです。

その1方面というのが、自分たちの最大の経済的ライバルである中国です。ですから、今、ヨーロッパでも、ロシアとの戦いはEU頑張ってね、という感じです。防衛費も上げろよと。元々アメリカは、自分でロシアと対峙する気はないんです。

この紙面、有名な学者さんの記事が載っています。要するにアメリカは、自分たちがその敵対する勢力の最前線に行かないで、沖合いから見ている。代わりに違う人に対峙してもらって、米軍の力が楽になるように、そういう世界の統治をしているとこの学者が言っています。これは昔から、100年前からアメリカが取っている戦略だといいます。彼は、トランプはそれを分かっているわけではないけれど、直感的にやっているという解説をしています。

今一番怖いのは、ヨーロッパです。EUでやってね、というふうにトランプはやり始めている。ところが、イスラエルがあんなことやったので、中東が危うくなってどうなるか分からないです。そうすると、中国を一体誰が抑止するのか。という時に、日本頑張ってねみたいな話におそらくなってくる。また北朝鮮についてもそうであろうと。そういう意味で、中東、ウクライナ、そして中国の台湾有事という議論が、3つ展開している中で、おそらくこれから日本に対してすごい要求が出てくる可能性がある。軍事費だけじゃなくて、人の貢献も言ってくる可能性がある。

そういう時に、日本が戦争をできるのかという議論があって、皆さんご存知の通り、日本はコメさえもない。食料自給率も30何%で低い。どんどんどんどん原発を作っている。戦争できる国なら、日本海側に原発を作ってはいけないでしょ。むしろ自然再生エネルギーの方が安全です。それで戦争ができるんですか。

自衛隊の記事を見るとセクハラがある、パワハラがある。欠員が多い。それぞれの隊員の能力も、まだ研修が十分じゃない。そう考えると、戦える国の形を一生懸命取っているけれど、本当に戦っていいのかと。これは、もう、戦ってはいけないと思うんです。

そういう意味で、今やっている軍事一辺倒のこれこそが、最大のリスクです。やっぱり外交的な努力とか、文化の交流とか、人の交流とか、そういうソフトパワーも使って、とくにアメリカから代わりに頑張ってねと言われるのは、中国が相手になるわけです。もっと中国といろんな関係の交流をして、お互いに戦争してはいけないという、そういうものをしっかり考えていくべき時なのに、今のままだと軍事一辺倒になっていく。しかも日米の軍事が一体化していくリスクの中に我々は今生きてると思います。

重みを増す憲法前文と9条の価値

だからこそ、今、憲法の前文と9条の価値が、改めて大きいと思ってここに、載せました。

9条はもう皆さん、十分わかっていると思うので、とくに憲法の前文です。前文の中で、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることがないように」というのが1番大きいと思います。やるのは政府です。国民ではないんです。ですから国民が、政府が戦争をやらないように主権者として行動しなければいけないし、新聞社は、皆さんと共に権力監視していくという仕事があると思っています。

これは2010年の東京新聞の社説です。「目指そう不戦100年」。幣原喜重郎とマッカーサーが会って、憲法9条、不戦の、戦力放棄の条項を作ろうということで合意した日に、この2人が会談したことを社説で書いています。「世界は夢想家と笑うでしょうが、100年後には予言者と言われるでしょう」と幣原がマッカーサーに言ったという話です。今のところは、なんとか、来ていると思いますが、これからますます厳しい状況にはなってくるんでしょう。

戦後80年になりましたので、改めてこの過去を現在の教訓として、未来の指針にするという、そういうことをすることが大事だなと思います。

ヴァイツゼッカー、ドイツの大統領ですけれども、「過去に目を閉ざすものは現在にも盲目になる」という言葉を残しています。

でも残念ながら、旧日本軍、戦前への回帰とか、 歴史修正主義の動きがもう本当に多いです。これは、例の自民党の西田議員の発言とか、沖縄戦の司令官の辞世の句を自衛隊が使っているとか、こういうことが頻繁に起きている。今の参政党の憲法草案というやつも、国家主義というか、戦前回帰の憲法案で、どんどん時代がそっちへ向かっている。だからこそ、戦争を知らない世代に9条と平和の思いをどうやってバトンリレーしていくのかが問われていると思います。

誰もが今や大本営 偽情報、誤情報から始る分断

そんな中で一番怖いと思っているのが、大本営発表が嘘八百をどんどん世の中に発信したことです。それは国家がやったわけですけれども、今はSNSになって、とくに今回の参議院選挙で一番はっきりしたのが、誰もが今や大本営になっている。情報の大洪水の中でみんな生きていて、それに流されてしまう人が当然出てくる。まさに、偽情報、誤情報、まやかし、煽り、よくぞ選挙の様相は一変したなと思います。ですから、新聞社は、実はファクトチェックをしようと一生懸命やりました。けれども、後手後手です。あまりにも量が多い。しかも選挙では、今回は4人に1人が期日前投票をしている。新聞社が、とくに終盤になってからは、ここが嘘だ、嘘だ、嘘だといっぱい書いたけれども、かなりの部分がもう投票を終わっている。

新聞も、選挙中に報道するのではなくて、今も、今日も、明日も明後日も、毎日、嘘を言った政治家がいたら、これは嘘とチェックする。ごまかしたらごまかすなと、これからはチェックするように新聞社も態勢を改めないと、選挙中だけではもう絶対にもたないと思います。

加えて、質問がやっぱり甘いんです。ある公共放送が日曜討論会とかってやっています。そうすると、例えば参政党さんが出てきても、憲法の話は絶対聞かない。経済の話が中心になりますが、経済はそんなに変わらない。では皆さんの憲法観を聞かせてくれと放送局が聞いて、「それって国権主義じゃないですか」と一言聞いてくれればいいんだけれど、聞かないです。

参政党が賢かったのは、最後に国会議員の維新の人を入れて、5人にしたことです。5人にした結果、政党要件が生まれて、民放よりもNHKの日曜討論会に出られる。日本記者クラブの講演にも出られる。つまり普通になったんですね。それが、多くの人の心に、この人たちは変じゃない、聞いてもいいんだという条件を作っちゃったというのが、今回の選挙の背景にあると思います。

とにかくネット動画のアルゴリズムがあって、自分のネットに入ってくる情報は、自分が普段好きな、チェックしているテーマに合わせて入ってきますので、私のスマホも中日ドラゴンズがいつも出てきます。日本のプロ野球の中心はドラゴンズと勘違いするぐらいです。それは、ドラゴンズを引いている自分だけなんですが。そうやって、フィルターバブルの中で、自分の好きな世界だけ、自分の関心のある部分だけの情報が入ってくる。そんな中で、どんどん自分の考え方が偏っていく危険の中に皆さんがいる、自分がいるということを理解した方がいい。

今回は選挙を巡って、「自民・立民の既成政党と新聞VS参政・国民、れいわとネットを使う媒体」と、違う世界観が生まれてしまった。これも今回の選挙の大きな後遺症かなと思っていて、この辺をこれからどう整理していくかということは、新聞社側もしっかりやらなければいけないと思っています。

「戦争は嫌だ」という常識が不戦の支えに

「偽情報、誤情報が始まる派生・連鎖は…」について、アメリカのリスク管理会社が作っている内部資料の順番があります。

誤情報、偽情報から次々に転じていって、最後は戦争になるということを、リスクマネージメントを専門にしている会社が、こういうシナリオを描いています。①社会の二極化 ②人権または市民の自由の侵食 ③域内暴力(暴動 ストライキ) ④検閲と監視 ⑤国家間の武力紛争(戦争)をあげています。いかに、偽情報が怖いかということが、この派生からわかってもらえるかなと思って用意しました。

結果として政治が右傾化して、国民民主とか、躍進した参政党は改憲勢力です。ただ、現実には即座に改憲が政治スケジュールに登るということはないと思います。しばらくの間は、政局というか、どういうふうに権力の構造が作られていくかに時間を費やします。即座に憲法というわけにはいかないと思います。基本的には、改憲勢力が増えたというのは今回の参議院選挙で大きな出来事です。参議院というのは時間があり、この6年間の力を持たしてしまったということは、怖いなと思います。

作家の保阪正康さんとこの前話したときに、彼はやはり常識、「常識が不戦の支えになる」という話をしています。つまり、「戦争は嫌だ」という常識です。「あなた戦争に行きますか」とか、「あなた死んでいいんですか」、「戦争はいいですか」と聞けば、みんな「嫌だ」というと思います。

聞き方の問題ですかね。国家とかという大きな世界で聞くのではなくて、「あなたがどうなるんですか」という、そういう想像力が働くような質問の仕方とか、聞き方によって、それが国家意思になるような仕掛けというのをこれから考えていけば、僕は、まだまだこの日本の流れを良い方向に変えられると思っています。安保法制のときに共同通信が世論調査をして、20代から30代の反対が69.7%だった。これは滅多にないです。こんな数字、70%が反対。つまり、あの時若者たちは、安保法制=戦争、自分たちは若いから戦場に行くかもしれない、犠牲になるかもしれないと、きっと思ったんですよ。70%まで反対している。今、どうなったかわかりません。やっぱりちゃんと若者に届く言葉を使えば、戦争をやりたいという人は、少なくとも7割もいないと思います。そういう意味では、右傾化したけれども、まだまだ、いろんな動きがあるでしょう。

ある世論調査の会社が調べたら、自民・立民に入れた人の50%以上は60歳以上です。ですから60歳以上の人が、自民と立民にとってはメインマーケットです。この60歳以上の人が離れたら、自民と立民は終わります。ここまで偏ったのは最近なかったらしいです。とくに立民が非常に高い比率を持っています。そういう意味では、シニアに支えられている政党が自民・立民ですので、シニアの方は、そこに対しては自分たちがすごい力を持っていると思っていいと思います。

今耳を傾けたい作家、五木寛之さんの言葉

これは月刊「文藝春秋」に載っていた五木寛之さんの原稿の抜粋です。これが、参政党なりの躍進につながったかどうかは分かりませんけれども、今、人々が孤立している。その孤立している人たちが、それを救ってくれるのが戦争だ。それは一体感であり、母親の懐に抱かれたような暖かさ、安心感、陶酔感。たとえファシズムや全体主義があったとしても、その包容力を目前にすれば、孤独な人々は水を得た魚のごとく飛び込んでいくに違いないというのを五木さんが書いている。

それは、参政党とか今の選挙と関係なく、戦後80年という文脈で五木さんは書いています。今の社会が、小泉政権から始まった新自由主義、自己責任論、そこから営々とした流れの中で、競争社会とか、格差社会、そういう全てのものが混在する社会の中で、今回の選挙が行われた。その社会で、今一体何が欠けているのか。欠けているものをちゃんと補えば、もっと違う動きが起きてくるだろうという意味では、この人々を孤独にしているという、五木さんの指摘は、耳を傾けたいなと思っています。

対話は力、強きをくじく

2017年。私は編集局長最後の年で、今年で終わると思っていました。正月の新聞は新聞社が皆さんに一番伝えたいメッセージを乗せる日です。これは、編集局長が関与します。 どういう世の中にしたいかということを議論して決めます。この年は、トランプ政権ができる前だった。1月1日なので、その月に新しいトランプ1期目です。その時に「対話は力、強きをくじく」という見出しで、こういう社会がこのトランプの時代に一番対抗できることかなと思って、こういう新聞を作りました。

うちの読者の方はご存知と思いますけれども、「読者への約束」を東京新聞はしました。「提供できる一番の価値」は、「一人一人が大切にされる社会を一緒に作る喜び」というのを、私が代表時代最後の紙面を作りました。皆さんお分かりの通り、全部、憲法のパクリです。憲法の3原則です。主人公というは国民主権であり、お互いを大切にするというのは基本的人権の尊重で、笑顔でいられるというのが平和という意味です。だからこれはもう子供にも分かる意味で、憲法の3原則をこういう形にして読者への約束にしました。

一人一人が大切にされるというのは、13条の個人の尊重の条項を載せました。新聞社として、憲法を大事にというのを大上段に言わずに、この大事な価値観を東京新聞として読者に約束するという形を取ったわけです。また権力監視が我々の使命なので、皆さんの代わりに権力の監視を代行しています。

桐生悠々が最後に「蟋蟀(こおろぎ)は鳴き続けたり嵐の夜」という一句残しています。

戦争に突入していく中で、彼は新聞社を離れて、一人のジャーナリストとして愛知県で余生を過ごすし、それでもいろんなものを書いていた。私も、顧問として現場から一歩引いていますけれども、いろんな形で鳴き続けていきたいと思っています。「東京新聞の菅沼さん」でXを始めています。高田健さんともフォローし合っている関係にあります。これは、共鳴をして、いろんなことを発展していく意味では、いいツールかなというふうにも思っています。

いろんな形でこれからも憲法が守られる、憲法をもっと活かし発展させた、いい社会になればいいなと思っています。

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