私と憲法288号(2025年5月25日号)


民主主義と多様性の砦のような地域を作ろう

6月13日、イスラエルは突如としてイランの核施設をめがけて先制攻撃を開始した。そしてアメリカもそれに続いてイランを攻撃した。約13日間にわたるイラン攻撃ののち「停戦」となった。「停戦」に持ち込めたのは、中東はじめ全世界を巻き込む最悪な事態が始まるのではないかと世界中でイスラエル・アメリカの批難の声が上がったからではないだろうか。日本でも各地で抗議行動が行われた。

9条が無いということは、その時々の権力者によって突如戦争や一方的な攻撃が始まってしまうことでもあるということを痛感した。日本はまだその事態にまで行きついていないのは何と言っても平和憲法を変えさせてこなかったからだ。

日本時間の6月25日の夜、アメリカ大使館前でイラン核施設への攻撃反対行動を終えた私たちが耳にしたのは、トランプ氏が今回のイラン攻撃はヒロシマ・ナガサキへの原爆投下と本質的に同じだという暴言のニュースだった。トランプ氏はイラン攻撃とヒロシマ・ナガサキへの原爆の投下を同時に正当化したのだ。許しがたい発言だ。なぜ日本政府はこのトランプ氏の暴言に対して沈黙しているのだろうか。抗議声明の1つも出せないのか。さらに言えば、今年の8・6、8・9の広島、長崎で行われる平和式典にアメリカの出席を拒否するくらいの態度を見せるべきではないだろうか。それどころか、トランプ言いなりで防衛費は爆上げ、ポンコツ兵器は爆買い、日米軍事一体化へとひた走っている。

台湾有事対応に反対する行動を全国へ

沖縄、九州、西日本では連日台湾有事を想定した軍事化が進み住民は怯えながら、着々と心の戦争準備が始まっている。先島諸島にする住民約12万人に対して6日程度の避難計画を政府が打ち出した。持てる荷物は1つだけ。その1つで山口県や九州に避難しろという内容だ。避難方法はフェリーや飛行機だと発表されているが、あまりにも非現実的かつ危険極まり無いということは素人判断でもわかる。万が一有事になった際、真っ先にどこが狙われるだろうか。港湾、空港だ。そんなところに荷物1つ背負わせた住民を集めて、呑気に九州や山口県に避難できるはずがない。対馬丸の悲劇の歴史を知らないのであろうか。また、寝たきりのお年寄りや障がい者はフェリーで来いというが、そう簡単にはいかない。現実を知らなさすぎる。また動物を飼っている家はどうするのであろうか。つまり、年寄りや障がい者は置いてきぼりにされ犠牲になるということ、家族同然のペットさえも別れ離れにならなくてはならなくなる、これが戦争というものだという現実を突きつけられる。そのような計画に危機感を持って市民運動に合流する方もいれば、むしろ心が戦争モードになってしまう市民もいるだろう。「耐えがたきを耐え」の世界に入り込んでしまったら悲壮感に打ちひしがれ、「対話で平和」というような真っ当なことを言っても「お花畑理論」にしか聞こえなくなってしまう。現在進行形でこのような「有事に備える」動きが現実化していることに対し、沖縄・西日本以外に住む私たちはその危機感に疎くなってはならない。ともに立ち向かい常に情報を共有していかなければあっという間に戦争が迫ってくる。

参議院選挙でも拡がったトランプ現象

いま、世界的に「トランプ現象」と呼ばれるものが広まってきた。コロナ禍ではトランプ氏が反ワクチン・反マスクを訴え始め、「新型コロナウィルス」という未知の目に見えないウィルスの拡大にパニックになった人々がトランプ氏の陰謀論にはまり、その後、数珠つなぎのように排外主義になだれ込んでいった。コロナパニックに不況が相まって自分たちの生活が苦しいのはなぜなのかと考えた時に、すかさずトランプ氏の主張である「不法移民に寛容だからだ」「違法滞在者は出ていくべき」と言った自国ファーストの排外主義が心にすっと入り込んできて信じてしまう。

日本もまさにそのような状況が顕著に表れたのが今回の参議院選挙だったのではないだろうか。「日本人ファースト」という言葉が物価高や米不足、不景気、将来への不安を抱えた人々にダイレクトに響き、「違法外国人は強制送還」「生活保護の3分の1は外国人」「選択的夫婦別姓が導入されたら戸籍が壊れる」「財務省解体」「コロナワクチンや毎年の健康診断は一部の人間が儲かるためのもの」「赤字国債出してもNISAやビットコインで何とかできる」などと言った陰謀論が一気に広まった。

選挙が始まるとこのような排外的主張はより強まり、投票日に近づくにつれて参政党の街頭宣伝では、差別発言に抗議する市民に参政党スタッフや支持者が暴力を振るう事件が全国各地で勃発した。参政党東京選挙区の候補者の参謀である某経済アナリストは、取材に来た女性への自身の暴行をブログで正当化するだけではなく、「自殺まで追い込んでやる」といった殺害をほのめかすような発信まで行われた。他にも候補者自ら抗議に声をあげた市民に対して「非国民」とマイクを通じて発言することもあった。

暴力沙汰になる事件が勃発するだけではなく、聴衆に「日本国籍か」と質問してまわる街頭演説会だけではなく、「十五円五十銭と言ってみろ」と抗議に来た市民に対して詰め寄る支持者まで現れ始めた。

広げよう排外主義を拒否する市民運動

参議院選挙の結果は、投票率は60%近くと近年では高くなったが、立憲野党が票を減らし、その分参政党が票を増やすことになった。複数人区で参政党が当選する地域が多く、今後6年間参政党の議員が国会に存在するという事実を私たちは重く受け止めなければならない。

参議院選挙初日に、参政党代表の神谷氏が「高齢の女性は子どもを産めない」発言によって、各地で女性たち中心に神谷氏の発言への抗議行動が行われた。他にも「日本人ファースト」を批判する「ファーストもセカンドもない」行動も広がりを見せた。

このような迅速な市民運動の対応によって、参政党に騙されかけていたけれども、考えを改め直した市民は多くいたことを確信している。その証拠に日を追うごとにマスコミやメディア、SNSでは芸能人やアーティストが参政党批判を始めた。移住連の始めた「排外主義の煽動に反対するNGO緊急共同声明」では緊急の呼びかけにもかかわらず、1143団体が声明に名前を連ねた。その後日本ペンクラブも声明を出した。このような流れを作ったのは紛れもなく各地で展開した排外主義を拒否する市民運動があったからだ。

闘いはこれからだ。参政党の勢いになびくような国会議員は必ず出てくるに違いない。そうならないよう国会外での私たちの運動と声が歴史を左右する大きな影響力を持つことになるということを自覚して早急に心も身体も立て直し、新たな闘いのステージに向かって立ちあがろうではないか。対話に勝るものはない。デマや差別扇動には、徹底した対話運動と地域の活動で対抗しよう。民主主義と多様性の砦のような地域をいくつも作ろう。そのためにも、党派や違いを超えた共同の運動が今ほど求められている時はない。反知性主義、排外主義の参政党の広がりを即時に終わらせるだけではなく、第2第3の参政党が出現し自民党をアシストするようなことが無いように、国会内外で反戦反差別で一致団結した闘いをより一層進めていこう。

参政党は決して安倍派の議員は批判しない、批判しないどころか絶賛していた。参政党は安倍派の別働部隊に他ならない。安倍晋三氏が蒔いた種によるオレンジの花は、民衆運動の手によって根こそぎ摘み取って行こう。
(事務局長 菱山南帆子)

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参議院議員選挙の結果から考えること

高田 健(共同代表)

27回参院選の結果

石破自民党は総選挙と東京都議会議員選挙で敗北を喫し、直近の時事通信の世論調査でも内閣支持率が20.8ポイントと超低率で政治的危機に直面していた。事実上の「政権選択選挙」と言われた今回の参院選(改選数125議席)は、7月20日に投開票が行われ、投票率は58.51%(前回52.05%)、自民、公明の与党は計47議席で、目標とした過半数(非改選は75)に3議席足りず、昨年の衆議院総選挙に続いて、参議院でも少数与党となって敗北した。

自民党は比較第1党の39議席(非改選との計101議席)で、公明党は8議席(同22)にとどまり、与党は参議院でも過半数を失った。

にもかかわらず、野党第1党の立憲民主党は22議席(同38)で現状維持。国民民主党は17議席(同22)、参政党は14議席(同15)と大幅増。日本維新の会7議席(同19)、れいわ新選組3議席(同6)はほぼ現状を維持した。共産党は3議席(同7)と大幅減、政党要件確保の瀬戸際にあった社民党は1議席(同2)、得票率2.06%で、かろうじて踏みとどまった。新しく日本保守党が2議席、チームみらいが1議席を獲得。無所属は8議席だった。

政治の激動の時代到来

石破首相は21日、結果を受けて、比較第1党を理由に「内閣続投」を表明したが、昨年の総選挙で少数与党になって以来、安倍政権流の国会軽視、官邸独裁は簡単にはやれなくなっていた。今回の選挙の結果、参議院でも衆議院と同じように一部野党との政策合意がより必要になり、法案を通すための部分連合も容易ではなくなった。一部の永田町雀がさえずる「大連立」の可能性はもとより、新たな枠組みでの連立政権の形成も容易ではない。

一方、自民党内にも旧安倍派や麻生派などのなかに、石破内閣退陣の声があり、年内の解散総選挙の可能性も出ている。この先はまだ不透明だ。

与野党逆転とはいうものの、非与党側の政治的立場は極めて危険なファシズム的な差別・排外主義の立場をとる参政党や、それに類する維新の会、さらに国民民主党などと、立憲野党の立場は水と油状況であり、野党がひとかたまりになって政権共闘ができるわけではない。今後の国会は与野党の対立ではなく、改憲与党対右翼ファシズム勢力対立憲野党の3つの流れの鼎立状況だ。加えて、「立憲野党」とひとくくりに言っても、立憲民主と共産、れいわの間の溝も深く、容易に共闘が成立する状況ではない。

今次参院選では賃金と農業問題、物価対策が大きな争点となり、それがポピュリズムや差別・排外主義の横行の背景になった。それだけではなく、トランプ米国政権の要求する関税問題を含めた軍拡と増税への対応、そこから必然的に出てくる明文改憲と戦争の問題では野党間に大きな対立がある。また、今回の参院選で、改憲反対勢力は立憲、共産、れいわ、社民に無所属の数人を加えても、3分の1に達しなかった。参院憲法審査会の動向が案じられる。今後の日米関税交渉の行方とも関連するが、軍拡と明文改憲問題が喫緊の課題となることもありうる情勢だ。

参政党との闘いは歴史的課題

全国45の選挙区と比例区10人の候補を立て、「日本人ファースト」(日本人第一主義)のキャッチコピーでポピュリズムのオブラートで包んだファシズムを参院選でまき散らし、11名を当選させ、主要な野党の一角を占めることに成功した神谷宗幣党首の参政党の問題は、当面する政治闘争の第一級の課題だ。

参政党はインターネットなどで「国守り」を主張、レイシズム、スピリチュアル、「陰謀論」、COVID-19ワクチン=製薬会社の陰謀説などニセ科学、オーガニック信仰、女性差別や、外国人労働者規制など排外主義の主張に特徴がある。自民党の西田昌司議員の「ひめゆりの暴言」も「本質的にまちがっていない」といい、核武装については党首自ら「佐渡を独立させて国を作り、そこで核ミサイルを置く。日本じゃないから問題ない」と語る。

神谷は自民党時代から「ヤマト・ユダヤ友好協会」(熱狂的シオニスト集団「キリストの幕屋」関連団体)(その協会の趣意書には「神は全人類の救済と、民族的救済を融合するという歴史的使命を達成するためヤマトとユダヤの民を選んだ」とある)の理事を2022年7月まで務めている。「キリストの幕屋」は、迫害を逃れたユダヤ人が日本に流れ着き天皇家を作ったと主張するトンデモなカルト集団だ。

参政党の綱領と「創憲案」は驚くほど露骨な天皇主権だ。
「先人の叡智を活かし、天皇を中心に一つにまとまる平和な国をつくる」「日本の精神と伝統を活かし、調和社会のモデルをつくる」という。「重点政策」では「子供の教育(学力より学習力の高い日本人を育成し、郷土を愛する精神を作る)」「食と健康、環境保全(化学的な物質に依存しない食と医療の実現と、それを支える循環型の環境の追求)」とか「自虐史観を捨て、日本に誇りが持てる教育を」「移民受け入れより、国民の就労と所得上昇を促進」などの主張も掲げている。かつてのドイツのナチズムが優性思想を接着剤にオーガニックとむすびついたことは知られているが、参政党の主張も天皇主義ファシズムとオーガニックが結合している。これが社会の中間層が抱く既成の政治に対する不安に突き刺さり、浸透した。

2025年5月に作られた参政党の新日本国憲法(構想案)の前文には「天皇は、いにしえより国をしらす(治めるの古語)こと悠久であり……これが今も続く日本の国體である」とあり、「日本は天皇のしらす君民一体の国家である」(第一章第一条)、「国民は、子孫のために日本を守る義務を負う(第2章第5条)、教育では「教育勅語や神話を教えることが義務」(第9条)とされている。「家族は社会の基礎」とされ、婚姻は「男女の結合を基礎」とし、夫婦同姓が規定されている(第7条)。国民の平等や信教の自由など人権に関する条文は設けられておらず、「平和主義」「主権在民」や「基本的人権」の文言は全く含まれていない。

この現代版ファシズムというべき参政党の動向は、米国のトランプ政権のMAGA(Make America Great Again)をはじめ、このところドイツ、フランス、ポーランド、オランダ、ベルギー、フィンランド、ハンガリー、イタリア、スロバキア、スウェーデンなどヨーロッパでも台頭している新右翼(ファシズム+既成保守政党への不満の受け皿)潮流との共通性に注目する必要がある。まさに新しい装いを凝らした古典的右翼ファシスト集団だ。

市民と野党の共同の経過と展望

自公与党による永年の政治腐敗と、この新しいファシズムに対抗し、うち破っていくには市民運動の活発化と、市民と立憲野党の共同以外にないのは「15年安保」以来の10年の市民運動の経験で明らかだ。

2015年9月19日、「戦争法」が強行成立した。同年12月20日、戦争法に反対する5つの団体の有志は、参議院1人区での野党統一候補擁立を目指し、「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」を結成した。

2016年参院選では32の1人区で立憲、国民民主、共産、社民の4党が候補を一本化し11勝。1019年参院選では10勝という成果を挙げた。野党共闘の足並みが乱れ、1本化が11選挙区にとどまった22年参院選では4勝だった。

今回は32の1人区中、17の選挙区で1本化に成功し、自公与党と参政党などとたたかい、12選挙区で勝利(立憲会派は8名)した(ほかに共産党を除いて5選挙区で当選した)。

市民連合は、2025年6月9日から社民党と沖縄の風、日本共産党、立憲民主党に「第27回参院選に向けた立憲野党共通政策」の要請を行った。これを契機に両党で話し合いが行われ、共産党は福島と鹿児島で公認内定者を取り下げたほか、15選挙区で擁立を見送ることを確認した。これにより17選挙区で立憲の公認や推薦候補との一本化が実現した。

トランプ米政権と日米同盟

岸田文雄政権が2022年12月16日に安保3文書を閣議決定した。同文書は、他国の領域内にあるミサイル発射拠点などを直接たたく敵基地攻撃能力の保有と、軍事費をGDP(国内総生産)の2%へと倍増する大軍拡を打ち出した。3文書に基づき敵基地攻撃兵器として調達しようとしているのは、最大で中国の内陸部にまで到達する射程2千~3千キロの長距離ミサイル。しかも、敵基地攻撃能力保有の狙いの一つは、先制攻撃も選択肢とする米軍主導の「統合防空ミサイル防衛」(IAMD)への自衛隊の参加だ。

3文書は、23年度から5年間の防衛省予算を43兆円とし、27年度には他省庁の関係予算も含め軍事費をGDPの2%(11兆円規模)にするとした。主な財源は増税や国の借金である国債の増発、「歳出改革」により、国民生活の破壊につながるのは必至だ。

米国防総省は6月20日、日本を含むアジアの同盟国は国防費を国内総生産(GDP)比で5%まで引き上げる必要があると表明した。北大西洋条約機構(NATO)が調整している5%の新目標にアジアの同盟国も足並みをそろえるよう求める見通しだ。

日本の防衛費は関連経費と合わせても25年度時点で9兆9000億円と、GDP比約1.8%になる。3倍近くへの米国の増額要求は「到底受け入れ困難」(防衛省幹部)なのが実情だ。米国防総省のパーネル報道官はアジアの同盟国の国防費に関し、「欧州の水準に追いつくよう迅速に対応することは常識的だ」と発言。北大西洋条約機構(NATO)加盟国に求めるGDP比5%と同じ水準にすべきだとの認識を示した。

石破茂首相は7月10日のBSフジ番組で、トランプ米政権との関税交渉を巡り「なめられてたまるか」と述べた自身の発言に関し「米国依存からもっと自立するよう努力しなければならない、ということだ」と強調した。「『いっぱい頼っているのだから言うことを聞けよ』ということならば、侮ってもらっては困る」とも語った。ならば「トランプに直接言ってくれ」!!!。

西太平洋地域での戦争準備の具体化

 このような中で中谷防衛相がのべた「オーシャン構想」は3月末に初来日したヘグセス米国防長官に提起した「ワンシアター(一つの戦域)」構想を基にしている。東・南シナ海などの海域を一体の「シアター」と捉え、軍事的圧力を強める中国に日米や周辺国が共同対処する考え方で、従来の日本の安保・防衛構想の枠を大きく踏み越え、15年の戦争法すら突破する超憲法違反の軍事戦略に他ならない。

 日米、オーストラリア、フィリピンの4カ国は防衛相会談で、東・南シナ海での中国による一方的な現状変更の試みに深刻な懸念を表明。共同で情報収集や警戒監視、偵察活動の計画を検討することで一致した。自衛隊がオーシャン構想に基づき周辺海域で軍事的な関与を強めれば、紛争に巻き込まれるリスクは高まる。

日本のはるか遠方の南シナ海での自衛隊の活動拡大には、2015年に成立した安全保障関連法が深く関わる。安保法によって、自衛隊は警戒監視中や共同訓練中の他国軍を第三国の妨害から守る「武器等防護」が可能になり、その相手国を増やしてきた。

ヘグセス米国防長官は、3月の訪日時に「日本は西太平洋で我々が直面する可能性のあるあらゆる事態の最前線に立つことになる」と述べた。それを前提に、日米の軍事一体化は急速に進んでいる。「台湾有事」の際には、日本の米軍基地を飛び立った米戦闘機から中国領空外でミサイルを発射し、北京を攻撃するかもしれない。その場合、中国は米国本土ではなく、日本の米軍基地や、米軍と共用される自衛隊の基地に反撃することになる。

しかし、日本が参戦しない限り、米国はこの地域で中国には勝てないというのが米側の分析で明白だ。したがって、日本が協力しなければ、米国は中国と戦争はできない。

台湾は中国の領土の一部であるという中国の主張を、日中共同声明(1972年)や日中平和友好条約(1978年)などで日本政府も理解し、尊重しているはずだ。日本と台湾の間には「国交」はなく、いかなる意味でも、日本が台湾の安全保障に直接関わる理由はない。したがって、麻生らがいう台湾有事=日本有事という命題は成り立たない。「日中不再戦」こそ、東アジアの情勢の中でいま必要なスローガンだ。

私たちの希望

今度の参院選で、あまりにも反知性的で、暴力的な参政党の言動に見かねた市民たちがネットや街頭でカウンターとして行動した。一部にこうした市民のカウンター行動が参政党の支持者のエネルギーに火をつけたのだ、放っておけばよかったなどという意見がある。しかし、石丸伸二の再生の道と神谷宗幣の参政党は決定的に違うところがある。参政党は新しいファシズムだ。イデオロギーのない石丸新党は消滅した。参政党も社会的反撃の強さに恐怖して、一時期、己の本性を隠そうとするかもしれない。しかし、今回当選した参政党は新しいファシズムだ。参政党の議員は以後6年間、国会でファシズムを振りまくことができる。

 この極右ファシストの台頭の背景には、民衆運動圏でも外国人や女性、社会的弱者に対する差別意識が清算されてこなかったことや、天皇制への批判が不徹底で、これらが運動の奥底に潜んでいたことがある。

また25年通常国会に見られたように、戦争の危機に警鐘を鳴らし、防衛力増強など戦争する国づくりに反対する野党の声は、一部の共産、社民などを除いてはほとんどなかった状況だ。これも参政党が跋扈する基礎になったことは否めない。

先ごろ韓国の民衆は尹前大統領の軍事クーデターの企てを大衆的なデモで阻止し、政権交代を成し遂げ、政治の変革への道を切り開いた。

ファシズムは市民が広範な人々と共に徹底して闘って打ち破るしかない。国会内のたたかいが不確かなときは、院外の民衆運動の強化で押し出すしかない。

激動期には、どんな困難でも、あきらめずに前を向いて闘うことこそ必要だ。市民の運動を強化し、市民と野党の共闘を再構築することにこそ、希望がある。

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参議院選挙にあたり排外主義の煽動に反対するNGO緊急共同声明

?私たちは、外国人、難民、民族的マイノリティ等の人権問題に取り組むNGOです。
? ?日本社会に外国人、外国ルーツの人々を敵視する排外主義が急速に拡大しています。NHK等が先月に実施した調査では、「日本社会では外国人が必要以上に優遇されている」という質問に「強くそう思う」か「どちらかといえばそう思う」と答えた人は64.0%にものぼります[1]。

?外国人、外国ルーツの人々へのヘイトスピーチ、ヘイトクライムが止まりません。例えば2023年夏以降、埼玉県南部に居住するクルド人へのヘイトデモ、街宣が毎月のように行われ、インターネット上は連日大量のヘイトスピーチであふれる深刻な状況となっています。

6月の都議会選挙では、選挙運動として「日本人ファースト」等のヘイトスピーチが行われました。また、外国ルーツの候補者たちが「売国奴」などのヘイトスピーチによって攻撃されました。

来る参議院選挙でも「違法外国人ゼロ」「外国人優遇策の見直し」が掲げられるなど、各党が排外主義煽動を競い合っている状況です。政府も「ルールを守らない外国人により国民の安全安心が脅かされている社会情勢」として「不法滞在者ゼロ」政策を打ち出しています。

しかし、「外国人が優遇されている」というのは全く根拠のないデマです。日本には外国人に人権を保障する基本法すらなく、選挙権もなく、公務員になること、生活保護を受けること等も法的権利としては認められていません。医療、年金、国民健康保険、奨学金制度などで外国人が優遇されているという主張も事実ではありません。

「違法外国人」との用語は、「違法」と「外国人」を直結させ、外国人が「違法」との偏見を煽るものです。「不法滞在者」との用語も、1975年の国連総会決議は、全公文書において「非正規」等と表現するよう要請しています[2]。難民など様々事情があって書類がない人たちをひとくくりで「違法」「不法」として「ゼロ」すなわち問答無用で排斥する政策は排外主義そのものです。

本来政府、国会などの公的機関は、人種差別撤廃条約にもとづき、ヘイトスピーチをはじめとする人種差別を禁止し終了させ、様々なルーツの人々が共生する政策を行う義務があります。社会に外国人、外国ルーツの人々への偏見が拡大している場合には、先頭に立って差別デマを打ち消し、闘うべきなのに、偏見を煽る側に立つことは到底許されません。法務省もヘイトスピーチ解消法に則り、選挙運動にかこつけて行われるヘイトスピーチは許されないとの通知を出しています[3]。

ヘイトスピーチ、とりわけ排外主義の煽動は、外国人・外国ルーツの人々を苦しめ、異なる国籍・民族間の対立を煽り、共生社会を破壊し、さらには戦争への地ならしとなる極めて危険なものです。

私たちは、選挙にあたり、各政党・候補者に対し排外主義キャンペーンを止め、排外主義を批判すること、政府・自治体に対し選挙運動におけるヘイトスピーチが許されないことを徹底して広報することを強く求めます。また、有権者の方々には、外国人への偏見の煽動に乗せられることなく、国籍、民族に関わらず、誰もが人間としての尊厳が尊重され、差別されず、平和に生きる共生社会をつくるよう共に声をあげ、また、一票を投じられるよう訴えます。

[1]?NHKウェブニュース「『外国人優遇』『こども家庭庁解体』広がる情報を検証すると…」(2025年6月28日)

[2]?「移住者と連帯する全国ネットワーク」HP「在留資格のない移民・難民を不法と呼ばず非正規や無登録と呼ぼう!」の頁参照。 [3]?法務省「事務連絡」(2019年3月12日)選挙運動,政治活動等として行われる不当な差別的言動への対応について

【呼びかけ団体】特定非営利活動法人 移住者と連帯する全国ネットワーク(移住連)/「外国人・民族的マイノリティ人権基本法」と「人種差別撤廃法」の制定を求める連絡会(外国人人権法連絡会)/外国人住民基本法の制定を求める全国キリスト教連絡協議会(外キ協)/人種差別撤廃NGOネットワーク(ERDネット)/全国難民弁護団連絡会議(全難連)/一般社団法人 つくろい東京ファンド/一般社団法人 反貧困ネットワーク/フォーラム平和・人権・環境(平和フォーラム)
【賛同団体一覧(五十音順)】 1143団体(2025年7月18日時点)(市民連絡会も賛同)

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第27回参議院選挙を終えて(2025年7月21日)

自公政権に再び国民の審判が下った。日本政治の流動化は今後さらに加速するだろう。

私たちはこの度の選挙を、「自公政治からの決別」、そして「来るべき政権交代」への足掛かりとして位置づけ、立憲各野党に共通政策、そして共闘の維持拡大を要請した。結果的に、32の1人区のうち17選挙区で「野党共闘」が実現し、自民を14勝18敗にまで追い詰めた(前回は自民28勝)。今回の選挙で、獲得議席数は自公の与党は47議席、野党は78議席、結果として昨年の衆議院に続き、参議院においても、自公(与党)は少数となった。立憲主義を踏みにじり、長年国民生活に背を向けたまま裏金政治を温存する政権に、明確にNOを突きつけることができたのは、もっとも大きな成果であった。市民連合はこの成果を実現するために、全国で一定の役割を果たすことが出来た。

しかし自公の凋落は、必ずしも立憲主義や「リベラル」の復調を意味しなかった。今回、私たちが共闘を呼び掛けた立憲野党は軒並み伸び悩み、戦後民主主義や「リベラル」な市民的諸価値を公然と否定する政党が台頭し、論戦を席巻した。昨年のアメリカ大統領選がそうであったように、社会の矛盾や不安の矛先が、与野党含め「既存の政治」全体へと向けられ、“サムシング・ニュー(新しい何か)”を求めた世論の一部は、従来の平和主義や立憲主義というより、むしろナショナリズムや排外主義へとなだれ込んだ。

かつて政治学者のB・バーバー氏が『ジハードvs.マックワールド』で分析したように、経済のグローバル化(マックワールド)が進行することで世界は一つになるのではなく、むしろ社会内部に差別や偏見、憎悪や怨嗟が醸成され、相互扶助と対話を旨とする民主主義や市民社会の基盤が壊されていく。今回の選挙ではむしろ、このようにファシズム化する世界社会の「危機」に目を向けるべきだろう。日本政治も今後さらに本格的にこの問題と対峙することになる。

これからさらに流動化する政治状況の中で、「市民」的な諸価値に基づく政治勢力は何を実践していくべきなのか。今後のファシズム、そして戦争という歴史の慣性に抗うためにはいったい何が必要なのか。時代の分岐点に立つ私たちは、選挙の度に奔走するのみならず、まさにあらゆる垣根を超えた日常的な対話や実践によって、この根本的な課題克服のための活路を見いだす必要があるだろう。そしてこの危機感を共有する市民と共に、混迷する時代の羅針盤、すなわち「信じられる未来」の具体像を、草の根から構想し、実現していかなければならない。

2025年7月21日
安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合

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国会前で平和を訴え続けてこられた皆さまへ

この10年間、一度も欠かさず「19日行動」を続けてこられた皆さまに、心からの敬意と連帯の挨拶を申し上げます。

2025年は、朝鮮半島の解放と日本の被爆・敗戦から80年、そして日韓国交正常化から60年という、歴史的に重要な節目の年です。

朝鮮半島は今年、解放80年を迎えましたが、依然として軍事的な緊張と南北間の対立・対峙が続いています。
また、東北アジアを取り巻く覇権的な軍事同盟と陣営間の対立構図は、私たちの平和な日常を脅かしています。

韓国では「真の解放」を実現したいという思いを込めて、光復80年を記念し、〈平和・主権・歴史的正義の実現〉をテーマに、8月15日に〈815市民大会〉を開催する準備を進めています。

そこでは、植民地支配と分断、冷戦体制の克服、敵対政策の中止と戦争の終結、平和協定の締結、覇権的同盟を超える東北アジアの平和秩序の構築を、市民の声として力強く訴える予定です。

韓国と日本の市民社会はこれまで、真実と責任、和解と共生という価値のために、共に歩んできました。

朝鮮半島の平和協定の締結と、日本の平和憲法の実現に向けても、私たちは長い間ともに闘ってきました。

本日この場に集まっておられる皆さまにお願いがあります。

もし皆さまが、東アジアの平和を願うこのスローガンをともに叫んでくだされば、私たちはその映像を815市民大会で紹介し、日本で平和のために闘っておられる皆さまの存在を、多くの市民にぜひ伝えたいと考えています。

皆さまの平和への思いは、私たちにとって大きな励ましと希望です。どうか力をお貸しください!

※「敵対と戦争を終わらせよう!

朝鮮半島の平和協定締結と日本の平和憲法の実現で、東アジアの平和を築こう!」
(※このスローガンを参加者の皆さまとご一緒に声を合わせていただけましたら幸いです)

ありがとうございます。
この〈80年〉という節目を機に、日韓の民衆と平和勢力が再び力強く連帯・行動し、東アジアにおける戦争のない平和な未来をともに築いていけると確信しています。

共に闘い、共に歩みましょう。

2025年7月19日
日韓和解と平和プラットフォーム 韓国事務局

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<第194回市民憲法講座 「韓国大統領選挙の結果と、これからの日韓民衆連帯」/a>

金 性済(キム・ソンジェ)さん(日韓和解と平和プラットフォーム日本運営委員会書記)

(編集部註)6月21日の講座で金性済さんが講演した内容を編集部の責任で要約したものです。要約の責任はすべて本誌編集部にあります。

日韓の近代前夜についての忘れがたい考察

私が大学生だった70年代の、韓国から来た一人の学者というか、知識人の講演を聞く中で心に残った話をいたします。大きな講演でしたが、彼はチー・ミョンガンという先生で、長く韓国民主化闘争が繰り広げられている間、東京女子大学で客員教授にもなられました。そこに落ち着かれる前は東京大学の丸山眞男さんのもとで研究生活をしておられました。韓国では、思想会ササンゲという雑誌の主幹までしておられた知識人です。彼は日本に来て学んでみると、朝鮮と日本はよーいドンで近代という歴史、19世紀の終わりから20世紀に入っていくときに、なぜこんなに大きく道が分かれていったかという話をしました。私たちはすぐに、侵略だとか、日本の帝国主義的な植民地支配とかいうことをすぐに言ってしまいます。しかし彼がいろんな角度から話しをするなかのひとつで彼の指摘したことは、日本という国は、明治維新、明治体制が出来上がる前に、徳川幕藩体制というもの、私たちにとって当たり前の徳川時代をテレビで見ている、時代劇を見ている姿ですが、これが朝鮮にはなかったと言います。

何のことかなと思ったら、幕藩体制というのは、軍事勢力が地方に分散しているということですね。地方分権体制、各大名が地方軍事力の指導者であるということです。これが朝鮮の歴史にはなかった。朝鮮はあまりにも中国に近すぎて、科挙体制の下で、王の元に全て軍事力が集中させられて、地方における軍事力がなかった。地方の地主や君主が軍事力まで持っていることはなかったということです。そのために全て、優秀なもの、有能なもの、良きものが中央に集められていく。しかし、いざ日本がイギリスならば、我々はフランスだということで、我々も李朝を倒して近代化に進もうとしても、薩長藩のごとく軍事力を持って徳川に迫っていくもの、地盤がない。力がないので、結局、福沢諭吉に頼ろうとしたり、日本軍に頼ろうとする。こういう不幸な大きな政治文化の歴史の違いがあるということを、私は印象深く聞きました。こういうことも今日まで全く無関係ではないかどうか、皆さんにもちょっと考えていただければと思います。

さて、今日は皆さんのお手元のレジュメで、7章の韓国大統領選挙の結果というところが一番大事なところで、大急ぎでそこまでいきたいと思っています。

韓国の現在の民主化闘争の歴史的流れ

まず、最初のところの写真は李承晩大統領、イ・スンマン初代大統領です。この人は、植民地統治時代にはアメリカにも亡命したり、そしていろんな関係を作って、将来、自分たちが日本帝国主義の植民地支配から解放されて独立する暁には支援してくれというような、徹底した反共主義、民族主義の考え方を持った指導者です。韓国の樹立は1948年8月15日ですけれども、この李承晩大統領が最初の大統領であり、また独裁者、独裁的大統領でもありました。この最初の独裁的大統領・李承晩を倒していく革命が、1960年の4.19革命が起こって倒されました。しかし一つ注目しておきたいことがあります。

李承晩は徹底した反日主義者であり、また独裁者でもありました。韓国というのは、日本の植民地支配から解放された後、大変な混乱期、アメリカとソ連の冷戦体制に巻き込まれて混乱していた朝鮮半島の中で、北側からの、パルチザンをずっと戦ってきた共産主義思想の動きと、徹底的な反共主義で、民族主義的に韓国を統一して独立させたいと思うこの李承晩のグループがあります。しかしはっきりと解放された韓国は共和制という体制であったということです。

日本のことにはあまり踏み込みませんけれど、要するに李朝、最後の王、皇宗あるいは順宗、そういう王様の血筋を引くものを、まるでイギリスみたいに王に立てながら、この戦後の解放された大韓民国を作ろうという選択はしなかった。もう王はいらないという共和制、大統領制を取っていく選択をした。これが戦後の日本とのまた大きな違いでもあるということですね。日本はそういう共和制の選択ができなかった。ここもしっかり踏まえておかなければいけないと思います。

ですから韓国人は民族感情が激しいからというだけではなく、この冷戦体制下の中で、自分たちが他国を侵略したわけでもないのに分断された。北側の共産主義体制をとる朝鮮民主主義人民共和国と対峙する中で、政治は独裁化するのと同時に、この政治はダメだと思ったら、激しく国民・民衆は立ち上がる。そういう政治体質、これは共和制独特の体質、韓国人の民族性というよりも、本来この政治はおかしい、この指導者はおかしいと思ったら、みんなが立ち上がるという。これが共和制的な政治ではないか。戦後韓国は、こういう激動の中を進んでいったのではないかというふうに思います。

それで、ここにカタカナで書いておいた言葉を、私たちも市民運動、日本政府政権と対峙するときに流行語みたいに使ってみられても面白いかもしれませんね。『モッサルゲッタ・カラボジャ』。これを直訳すると“もう生きられません。”もう生きられない。変えてみようということです。

ですから李承晩大統領の時代は、貧困があり混迷、混乱がある。そういう中で独裁がひどくなっていくときにもう生きていけないんだと。でもこれは食べていけないというこの意味合い、経済的な貧困の色合いが強く出ているのと同時に、やってられない、我慢できない、です。こういう時に韓国人は口癖のように日常生活に『モッサルゲッソ、モッサルゲッソ、モッサルゲッタ』。これが李承晩大統領を倒していく学生運動、あるいは民主運動の中で合言葉のように広がっていった。『モッサルゲッタ・カラボジャ』、変えてみようというですね。これが日本の民主運動の中にも本当にスピリットとして広がったらどんなにいいかな、と私は思って、ちょっと書いてみました。

初期の民主化闘争と軍事独裁の台頭

この李承晩が倒れた後、尹譜善(ユン・ポソン)という穏やかな大統領に変わったから民主化が進むかと思ったら、大変なことが、61年5月に朴正熙(パク・チョンヒ)少将が踊り出てきて、軍人が戒厳令をしいて、民主化の道を止めてしまうということが起こったわけです。この朴正熙と李承晩との間の大きな格差はなにか。共通点は2人とも独裁者だったと言えるかも知れませんが、大きな違いの1つは、李承晩は軍人ではなかったということです。そして朴正熙は軍人だった。もう1つの大きな違いは、李承晩は徹底した反日思想であったということです。ところがこの朴正熙という人物は、植民地統治時代の日本名――創氏改名による日本名が岡本実とか高木なんとかです。当時は、みんながそれを強いられたことですから名前はいいとしても、日本軍将校志願をしています。血書を書いて、「自分たちは大日本帝国の皇軍として命を捧げたい。自主的に大日本帝国の大東亜共栄圏作りに命を捧げたい」として志願した人物であるということです。親日の思想的地盤を青年時代の頃からずっと持っていたこと、この点において李承晩と全く違うということです。

ですから韓国の民主化闘争の歴史と、過去の植民地支配の歴史を正しく清算する取り組みとは切り離せないんです。尹錫悦(ユン・ソンニョル)が、2018年のいわゆる徴用工判決をひるがえして、23年3月に第3者弁済ということで、もう国家は責任はいいし、謝罪もしなくてもいいから、第3者弁済でいったらどうかということで、この歴史修正主義の立場にたちました。

そういう道を取った尹錫悦大統領に至るまでずっと、腐敗政治・軍事独裁でもあったと同時に、そこには日本の植民地支配という歴史がどこまで深く韓国社会・政治の中に深く入り込んでいるか。これは日本の政府の問題、自民党だけの問題ではなくて、植民地主義的な被害者であるにもかかわらず、韓国社会自身が乗り越えられない。その思考が抜けられずに、利権を持って日本と結託していこうとする。そういうものが生き残っていた。この戦いが朴正熙から尹錫悦まで、おしなべて言えば、続いていったんだなと、そういう捉え方もできるかと思います。

これはもっと大きく写したかったんです。この真ん中に写っている小さな写真は22歳の青年です。韓国の民主化闘争に火をつけていく悲劇の人物であったと言えます。

これは1970年。朴正煕の本格的な維新体制で大統領の任期を4年から6年に延期するとか、再選を許すとかいうとんでもない維新憲法を作っていく1年前のことです。70年の11月13日に、まだまだ貧困がひどいソウルの東大門市場(トンデムン市場)の中の平和市場という工場です。

ミシンで縫い物をしていく工場が、まともな天井ではなくて、いくつにもタコ部屋みたいに仕切られて、立ち上がったらすぐに頭がつかえるような、まともに立てないようなところで、労働者が働かされ、長時間労働を強いられていた。その労働者の一人が、貧しい家庭だった全泰壱(チョン・テイル)青年だった。その彼がパーボーフェという――バカ者の集まりということで集まりを作り、おしゃべりして励まし合いながら、自分たちはこの国に勤労法というのがあるから、人権を主張して職場の改善を訴えようとしたら、警察が入り込んで全部弾圧しようとした。その時に彼は、11月13日にガソリンをかぶって焼身自殺した青年です。

私も青年時代に、韓国からの民主化闘争の最中にあった講師の先生から聞きました。この時に有名な出来事があったのです。それは、全泰壱(チョン・テイル)青年が亡くなった後に、まるで遺書のように日記が出てきた中で、なんで自分には大学生の友達がいなかったんだろうか、と。それを読んだソウル大学の学生たちが、自分たちのエリート主義をものすごく悔いた。そして、なぜ自分たちには労働者の友達がいなかったのかということでソウル大学の学生たちが目覚めて、反朴正煕・反独裁運動を学生たちがしていった。こういうエピソードがあることを、皆さんにお伝えしたかったわけです。

この朴正煕大統領時代、金大中の問題も絡んでくるわけですけども、熾烈な命がけの民主化闘争の時代でもありました。しかし朴正煕大統領が取った政策は、親日派として日本政府、自民党政府とそして財界と結託して日韓条約会談をまとめ上げ、1965年の日韓条約締結に持ち込んで、有償2億ドル無償3億ドルの経済援助を取り付けて、植民地支配に対する謝罪は一切書かない。日本からすれば、よく言われたことはお祝い金だということです。韓国は立派に人並みに国家として独立したからお祝い金だ、というような形の条約を成立させたわけですね。

東京大学の隅谷三喜男という労働経済学の先生ところにソウル大学から亡命するみたいにして学生が日本に来ていました。私も大学生の時によく隅谷先生のところに行きました。結局当時の日本の良心的な知識人たちが韓国経済とは何かということを書く時に、従属経済である。どんどん日本から援助を受けて日本からお金が流れるけれども、それは韓国自身の産業が底上げされるのではなくて、結局入り込むのは日本の大企業だ。ソウルに地下鉄を作るのも日立。日本の企業にお金が還流する。日本企業が結局は儲かる仕組みだというような、そういう経済政策であった。そういう意味で、一言で開発独裁、経済開発独裁。このような環境がおかしいのではないかと言ったら、徹底的に弾圧していく。そういう独裁体制だったという言われ方をします。当時の人たちもみんな知識を持って分析して、批判的にそう指摘した。しかし韓国の経済は変わるところは変わりました。大きく韓国社会の経済は変貌を遂げていったところもあると思います。

光州事件(1980年5月)

朴正煕は暗殺される形で79年に命を落として、これでまた民主化が戻るかと思ったところに、やはり軍人・全斗煥が出てきて、全斗煥体制が出てきたわけです。皆さんご存知の光州事件が起こった。5月17日だったでしょうか。戒厳令が敷かれた。ですから、尹錫悦の12月3日の戒厳令に対してみんな鳥肌が立つというか、背筋が凍る歴史体験はどこに遡るかといったら、光州事件でありました。これも映画にもなったわけですから、そのように言えるわけですね。その時の光景でもあります。

この時にもう一つの特徴として指摘したいことは、李承晩(イ・スンマン)時代はアメリカから経済援助を徹底的に受けていた。日本の力なんかいらないという風に整理できます。かと思えば、朴正煕の時代は、今度は徹底的に日本の経済援助に依存していくという時代が来た。ところがこの80年代に入ったときに微妙な変化があり、ここを突っ込まれますと私も今どう説明していればいいか分かりませんが、反米意識が韓国の民主化闘争の中にアメリカに対する反発、このような独裁体制が容認されていく。後ろ盾にされているのはアメリカのせいだという反米意識が、この80年代から出てきたと言われています。

1987年の6月民主抗争「6.29宣言」

この全斗煥体制も結局のところ、1987年の6月大抗争が起こって譲歩していかざるを得ない。それまでは韓国の大統領の選び方は、国会の中で選ばれていく間接選挙であったのが、直接選挙の制度に変わっていきます。6.29宣言を勝ち取って引き出していくことができたという民主化を遂げました。これによって、この頃は盧泰愚という、全斗煥の下での大将をしていた軍人ですけれども、結局彼も民主派運動側の要求を受け入れることによって、一旦これまでの軍事独裁体制が終止符を打たれていくことになったわけです。そういう意味で韓国の民主化闘争史の中で、この1987年の6月民衆抗争は大きなものがあったと思います。こういう中で、やがて金大中の時代へと向かっていこうとしていました。

金大中政権(1998年~2003年)が日韓関係に及ぼした影響

時代が飛びますけれども、金大中時代が非常に賢明だったところは、歴史責任をしっかり自覚しながらも、未来志向でパートナーシップをもってやっていこうという、このバランスを上手に図っていく。それに対応する日本政府も自民党政権とはいえ、まだ懐が大きかった小渕政権ですね。そういう時代であったと言えると思います。

今はもう亡き宇都宮徳馬であれ、野中広務という方々であれ、いわば自民党の中のハト派。今申し上げた宇都宮さんであれ、野中さんであれ、金大中氏を助けていく上において、いろんなところで貢献された自民党の政治家でもあったわけです。そういう自民党のハト派がまだまだ日本の側に健在であったとも、この金大中政権時代は言えるのではないかと思います。

しかし忘れてはいけないことが一つあります。ちょっと今ここであまり深入りできませんけど、従軍慰安婦にさせられたことを名乗り出た金学順(キム・ハクスン)氏の問題、そして中央大学の吉見義明教授がそのことを朝日新聞に暴露した。この従軍慰安婦問題があった。植民地支配時代には、こんなひどいことがあったとして、どんどん日本が歴史問題に関心を持っていかざるを得なくなった。それが90年代前半だった。このままほっといたらえらいことになるぞと言って動き出したのが、安倍晋三をはじめとする自民党のタカ派でした。ですから1997年には、まさに金大中政権の始まる1年前ですが、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」というものが発足して、右翼の巻き返し・歴史修正主義が動き始めてきた時期でもありました。しかし、表ではこの小渕政権と金大中政権との間にパートナーシップ宣言が確立されていく。そういう時代であったということができると思います。

金大中氏の貢献は、この写真にある通り、この金正恩のお父さんともこうして握手をしたり、南北の対話・太陽政策を押し進めて、緊張緩和の方向に、外交政策を進めていった人でもあったということが言えると思います。

韓国民主化闘争の背景としての現代韓国における政治的な苦悩

日本には日本の苦悩がありますが、韓国独特の、一貫した構造的な歴史的な苦悩というのがあることを整理してみました。
1番目に、南北分断を抱えた国であるということ。絶えずこの38度線の下で対峙せざるを得ない。朝鮮戦争まで起こしてしまい、その後の影響をずっと、恨みであり、悲しみであり、痛みとして引きずり続けざるを得ない。そういう国であるということ。

それと関連することですが、強烈な反共主義、自分たちが気を抜いたら共産主義の北側に攻め込まれるという。そういう危機感を持っているのと同時に、政権はいつもその心理をプロパガンダとして利用していく強烈な反共体制、また法制度を持っているということです。ですから、軍人がこれ以上置いておいたら韓国社会は危ないということで、自分たちが守るということで、軍人が出てきて軍事独裁体制になっていくということがあります。

そして経済状況です。日本は大空襲による被害を受けたかもしれませんが、韓国では、いわば朝鮮戦争という1953年まで続いた戦争で、焼け野原になった。そこから這い上がっていかなければならないという課題があった。経済開発の課題があったということです。

そして、最初のチー・ミョンガン先生の考察とも無関係ではないのが、みんなソウルに集まろうとする。ソウル一極集中。都市化と社会変革。こういう中でだんだん不条理な独裁政治が続きつつも、知識人、学生たちを中心に、この民主化、批判的な精神、民主主義の思想を深めようとする人たちが、矛盾の中で成長していったとも言えると思います。

そして、北とはいつも緊張関係にある。南北分断が固定化する。いつも安全保障が最優先であるということで1948年以来、国家保安法が現在にまで続いているわけです。

余談ですけれど、私も、2019年7月に平壌に行ってきて、日本のキリスト教会の謝罪文を北のキリスト教会に届けてきました。私と同伴した、教団の中の非常に保守的な考え方を持っていた人ですけれども、先日韓国に行ったら、警察で7時間調査を受けた。あんたの処遇はもっと私よりも高く積もっているから行かない方がいいということですね。やはり、この法がある限り行けない、行くにも行けない在日の活動家たちもたくさんいるということも知っておいていただきたいと思います。

また、いろんな文章を共同で作ろうというときに、ちょっと待ってと。私たちの国には、この法律がまだ生きているから、その言葉遣いはやめてくれるかな、と、こういうことでですね。何でもかんでも民主的な方向で言葉を書けばいいと思っていたら、ちょっと私たちの立場も配慮してくれ、という。こういうストップがかかるのもこの問題でもあるわけです。

また、地域主義があります。これは注意してみないといけませんが、李在明大統領の投票がなんでこんな見事に韓国の左側と東側の右側で分かれるかというぐらいの地域主義があります。慶尚道の人たち、保守派の地盤と、金大中大統領の地盤であった全羅道の地盤との間に、大きな意識の違いがあるという地域主義です。そして米中対立や分断化の中で南北対立の韓国政治への影響がいつもあるということ。そして大統領のもとに、ものすごく権力が集中してしまうということですね。共産主義から韓国を守るということ、そして激しく2大政党制が対立し合う、進歩派か保守派かが鮮明に分かれてしまう韓国社会の特徴が一つあるということです。また世代間の対立もものすごく目まぐるしく新陳代謝していく。さらにジェンダーの分裂、そして経済の不平等などがあるということです。

ローソク革命の背景と結果

こういう中で、ご存知のキャンドル(ローソク)市民革命が2016年の秋から韓国に起こりました。スライドで見ても感動的ですね。キャンドルが今の応援棒という綺麗な電気のランプに変わった。キャンドル革命のことは懐かしいなと思うけれども、本格的にこれ一度講演で聞いてみたいなと思います。2016年段階のキャンドル革命と、この度の応援棒の光の革命。この李在明を誕生させた今回の革命と、文在寅政権を誕生させたキャンドル革命とは、どういう違いがあったかということも考えておく必要があると思いますね。

私は忘れてはいけないことがあると思うんですね。キャンドル革命は2016年の11月から本格化したと言います。クァンファムン(光化門)広場のところに、こうしてろうそくを持った人々が集まります。しかし、この運動・このデモには、かつての朴正煕時代、あるいは遡って、サイルグ(4.19学生革命)の時の李承晩を倒した時のような悲壮感というか、暴力性というか、機動隊がこん棒を持って殴りまくるとか、催涙弾がどんどん飛び交うとか、そういう悲壮感がなくなってきているなということも特徴としてあると思います。いわば腐敗した政治に対する戦いではあるけれども、命がけの軍事独裁体制との戦いではなくなったということ。これが一つの特徴かもしれません。

もう一つの特徴として忘れてはいけないのは、2014年の4月16日に何が起こったかご存知でしょうか。セウォル号事件です。高校生の乗ったフェリーが、とんでもない船長、その会社のとんでもないシステム、救える学生を救いきれない韓国社会のシステムのまずさが全部露呈してしまい、約300人近い人々が命を落とし、大半が高校生だった。みんな溺れ死んでいくという悲劇が起こった。

私は実は2013年からこの活動を始めていました。名古屋にいた時に、キリスト教で日本の教会の子どもたちと在日韓国教会――わたしの名古屋の子どもたちを韓国に連れて行き、翌年は韓国から日本に招く。2015年は韓国に行く年だったんですが、当然のことながら、セウォル号事件で、お子さんを失われた話をしてくださるお母さんやお父さんの涙ながらの証言を、日本から連れて行った子たちと、韓国の子たちと一緒に聞くということをやったわけです。

ものすごい挫折感、悲しみ、喪失感、そして上に訴えても誰も取り組んでくれないという怒り、教会の中でもそうだったということです。そういう人たちの悲しみや怒りがずっと、セウォル号事件以降、このキャンドル革命にまでこうして、子どもを失った親たちがテントを光化門に張り続けて、このことを国家がしっかりと対応してくれるように皆さん考えてくださいということを訴え続けていく。キャンドル革命の背後には、そういう不条理の中で、子どもたちを失った親たちの悲しみに共感しようとする市民運動があったということを、私たちはキャンドル革命について忘れてはいけないのではないかと思います。

文在寅(ムン・ジェイン)政権の挫折

そして誕生した文在寅(ムン・ジェイン)政権がやったことも大きかった。まさかという時代の巡り合わせ、トランプの第1次政権が誕生した。そうかと思えば、あっという間に、この2018年の2月の平昌オリンピックで、北側から代表団が来る。そしたら、今度はこの米朝交渉が始まるということで、まさかという形でこの38度線を越えていける。そういう交流、いわば金大中大統領の太陽政策の延長のようなことでは、外交的に大きな貢献をしたともいえる文在寅政権でした。けれども、国内政治の中で多くの汚職、また住宅高騰の問題を解決できない。様々な国内政治の失敗の中で結局は挫折していく。

ここに私は絶対に文在寅大統領政権と李在明政権を重ねたくはないのですが、市民が革命を通して、この大統領政権ではダメだということで退陣、民主化闘争を成し遂げた後に、全てがバラ色かといったら決してそうではないこと。野党から這い上がって大統領になってきた人が大変な、この東北アジアの国際政治、日韓関係そして韓米関係の中で、どういう政治をやりきれるかどうか。市民運動は、もう一度襟を正して見つめ直していかないといけない。そういう意味で、文在寅支持派の民主化闘争も、今後どういう微妙な多様性が起こってくるかということも見守っていかないといけないというふうに思います。

尹錫悦(ユン・ソンニョル)政権の失政と挫折の原因

この文在寅政権が挫折した後、尹錫悦(ユン・ソンニョル)政権が誕生したわけですが、尹錫悦は本当に政治の素人で、慰安婦問題であれ、徴用工問題であれ、大法院判決を覆していくような、人々の自尊心や犠牲にされてきた人たちの名誉を裏切って、日本政府の体制に合わせていくという、そういう政策を進めた人であります。

この政権が倒れたから皆さんはいいと思っておられるかは知りませんが、先日の16日に石破茂首相の特別補佐官、長島昭久さんが韓国で演説をしています。長島氏が演説をした中で言った言葉は、石破さんも発言している通り、日韓関係は非常に重要であると言いつつも、これまで確認してきたことから一切後退しないということを言い切っています。長島昭久さんは歴史を管理していく、歴史問題の3原則というものを打ち出して、その中の2番目が、今まで確認してきたことから一切後退しないということを言ってのけた。

ということは何かといったら、先ほどのもう日本国家の謝罪とか企業の謝罪はいいから、第3者弁債で結局は韓国企業とかが負いますとか。あるいは2015年12月の慰安婦問題もあの線で、あれから後退することをしなくていいということを、長島さんはわざわざソウルに来て、李在明政権にぶつけた。私は絶対譲らないよ。あなたがどういう歴史解釈しようが、譲らないよと言った。これに対して、李在明政権はどう応答するつもりなのか。日韓条約がもたらしてきた60年間の不条理をどう乗り越えようとするのか、それは絶対に後退させないという、この長島さんの考えでこれからいくのかどうか、そういうようなことがこれから問われていきます。

李在明(イ・ジェミン)氏の人となりを育んだ歴史的背景

戒厳令12月3日以降の激動の闘争の中で、最終的に罷免が4月4日に決定されました。そして、ここからが大事ですが、もう有名な話で話題になっています。今回のカナダのG7でも、ブラジルの大統領と生い立ちが似ているということで意気投合している。韓国のニュースを見ていたら、ちょうどフランスのマクロンのところに、ブラジルの大統領が李在明のことを紹介するときに、“私の弟分だよ”という紹介をするぐらいに2人は意気投合したと言っています。李在明氏はそういう貧困の生い立ちをくぐってきた人、苦労人であったということです。慶尚道出身で、彼の右側の写真は弁護士時代で、若き日の弁護士やあるいは知事時代の写真と言われています。これは朴正煕政権時代の、まだ韓国社会に色濃く貧困が支配していたころの時代です。これと李在明が無関係ではないということをちょっと知っていただきたい。真ん中右側に映っているのは金大中です。

この写真は何かといったら、ソウルの清渓川(チョンゲチョン)というストリートです。今は、デートコースのきれいに舗装された小川が流れているところですね。あれができる前は高速道路で、高速道路ができる前は何だったかといったらスラム街だった。そのスラム街を、見苦しいということで撤去する。この独裁政権が、ソウルの清渓川あたりの人々は、ソウル市の南東部分にある城南市、廣州とも言われていましたが、そこに強制移住をさせられる。しかも行政のサービスから放り出されて差別を受ける。そういうことで、71年の8月10日に、この大デモが起こりました。金大中氏が、まだ日本で拉致される以前の話だと思いますが、前年の70年12月に、このひどい地域に人々が追いやられているという現場を視察に来ている写真なんです。

この場所に1976年に13歳の李在明が家庭の事情で引っ越してきて、この貧困地区の中で、学校も行けずに職工として働いていきます。そして自力で学んで、最後に弁護士になって、この地域の人々、労働者のための弁護活動をしていきながら叩き上げられた。そして最後には市長、知事になっていくという、そういう背景を持った人です。このような貧困の中で人々の叫びというか、喘ぎが何であるかということを自分の体で知っている彼の体験が、どういうふうに国内政治の中で生かされていくか。これから期待したいな、という気持ちはあります。

大統領選挙結果

得票率は50%にはいたらなかったけれども、ほぼ50%近い形で6月3日の大統領選挙に最終的に勝利したわけです。得票について色分けした全国の地図も気をつけてみないといけない。細かく分析していったらいろんなグラデーションがあります。東側の慶尚北道、慶尚南道が保守地盤の赤色が多く、国民の力の党、金文洙(キム・ムンス)を支援しています。そして全羅道をはじめ青の部分の西側に李在明は偏っている。ソウルなどはもちろん進歩派であったわけですけれど、投票結果がこういうふうに出たということは言うまでもなく、皆さんもご存知だと思います。

ソウルでは、左側の図はソウルの1位が李在明47%、2位が金文洙ということですね。右側はソウルを包んだ京畿道という大きな道ですね。この地域でも1位が李在明52%だという、そういう結果を拾ってみました。インチョンというのはソウルの左側西側にある港町の市ですけれども、やはり李在明であると。そして江原道、この右上の方ピンクのところですね。金文洙氏が上回っているという統計数字が出ています。

金文洙氏の地盤である慶尚北道ですね。大邱(テグ)市のある慶尚北道、そして慶尚南道というのが釜山とかのある南側の地域ですね。どちらも金文洙氏が上回っているということでしょう。鮮明な赤で出ている釜山市では、やはり金文洙氏の方が上回って51%、李在明が40%という結果になったということですね。慶尚北道の大邱市も、やっぱり金文洙氏が1位であったとところです。

インターネットでは、李在明政権の今後の課題として、立法府の299議席のうち170議席の単独過半数であるという状況です。司法府の課題としては、任期中に大法院院長をふくむ9人が交代しますので、これも大きな課題です。

必要条件としての反動政権退陣民主化闘争と十分条件としての目標

尹錫悦政権の退陣民主化闘争をしている市民運動が、一人の堕落した大統領を退陣させて政権交代させることだけで済む問題ではない。韓国の社会は大改革を遂げないといけない。では、どう変えろというのかということを、アンケート調査をしていく作業をやっていました。その結果は皆さんの資料の中にあります。これをみると、どこか日本と同じ課題ではないかと言えるかと思います。

まず1番パーセンテージが高かったのが差別禁止、男女平等の問題、そして人権少数者の権利、包括差別禁止法の問題で25.9%です。この中では包括的差別禁止法の制定。多様な家族いろんな家族の在り方、同性愛で作る家族も含めてのことでしょうか。これを法的に認めること。男女平等、女性障害者の権利の福祉を強調すること。そして尊重、共存文化、動物の権利まで、この意識を権利の意識を高めていこうということです。

2番目のパーセンテージとしては、政治改革、民主主義、政治参加の問題が挙げられていて25.8%です。権力機関の改革と責任ある政治の実現、市民主権の実現と直接民主主義の拡大、反民主主義的な制度の生産と人権中心の社会への転換を課題としています。

3番目が労働権と労働環境の改善が挙げられて10%です。労働権保障と安全な労働環境、賃金の公平性と雇用の安定、差別撤廃と弱者保護、労働組合の権利と制度の改善などを上げています。

その他、4マスコミ改革と表現の自由(8%)、5平和・南北関係・統一(7.2%)、6社会的ケアと福祉(6.4%)、7教育改革と平等教育(5.6%)、8生命・安全・公共保健(3%)、9気候危機対応ト環境政策(0.9%)と続きます。こういうふうに彼らがパーセンテージの高いものから整理してインターネットの上にまとめています。これは李在明政権も参考にせずにはおれないはずですね。

こうやって、下からの政治改革を突きつけていく。これが韓国の民主化闘争、民主主義の思想というか、意識の今の内実、水準でしょうか。こうやって自分たちで言葉化して、ただ政治家に任せるのではなくて、突きつけていく。そういう取り組みをやっていっています。ですから、これは李在明政権が誕生したからインターネットの中に消えていくという問題ではなくて、これがどう実行されていくかということを、これから確認していく、点検して要求し続けていくことが民主化闘争の今後の韓国の課題ではないかと思います。市民が言われるままに、行政が言うままに、お上の言葉を聞くではなくて、力量をつけていく市民社会が、そういう意味合いだと思います。そういう形でやっています。

韓日プラットフォーム、韓国側のプラットフォームのメンバーたちが、これを整理していくのにも大きく関わっているという意味で、貴重な情報を得ることができました。

このホームページに書かれているということ。これは私たちも言ってきたことでもあるけれど、すり合わせていく。単なる民主化、韓国の民主化闘争、何々政権退陣の民主化闘争に連帯という民衆連帯だけではなくて、政権に対して、どういう中身を持って、どういうやり方で突きつけていくかということを、学び合う間柄、ここに今後の日韓民衆連帯のあり方、突きつけられているかなというふうにも思います。

日韓市民の連帯とこれからの課題

尹錫悦政権退陣民主化闘争への市民連帯(2024年12月3日~本年2月8日)
私たち「日韓プラットフォーム」が、昨年の12月3日以降、どういう取り組みをしてきたかを紹介させていただきます。「日韓プラットフォーム」というのは、2020年7月2日に発足しました。前年の19年から着々と準備を進めていましたが、いよいよスタートさせようとした時にコロナが起きましたので、オンラインで、日韓の間で、お互いの顔とメッセージを見ながら発足して歩んできました。青年の交流を続けてきました。8月15日の、韓国にとっては解放、日本にとっては敗戦、こういうことの意味を時代に合わせて声明文を出そうとか、いろんな取り組みをやってきました。

昨年12月3日の戒厳令が出る前の11月には、韓国のプラットフォームの代表団が東京代々木にやってきました。来年は戦争終結80年、朝鮮の解放80年、同時に日韓条約締結60年の年になるから、もう一度この日韓条約とは何だったかをしっかり勉強し直そうという会議を11月にやりました。その後に、戒厳令問題が起こりました。

戒厳令が起こった直後に韓国から電話がかかってきまして、大変なことが起こっている。私たちは戦うから、この戒厳令を止めてみせるから、日本から連帯の声明文を出してくれ、という悲痛な叫びを電話で受けたのです。もう夜も寝られない状態で連帯声明を書き上げて、2日後の5日に「尹錫悦政権の『戒厳令』措置の暴挙に抗議する韓国市民への緊急連帯声明」を持ってとりあえず記者会見を行いました。広く呼びかける時間がなかったので、日韓プラットフォームの高田健さん、菱山さんはじめ共同代表の方々に会見に座っていただきました。

その後、韓国で状況がさらに進んでいきます。この戦いは大変な時間がかかるかもしれないから、今度はもう少し腰をすえて、もう一度より広く日本社会の市民運動に呼びかけて、団体で応援と連帯の賛同署名を受けられるような声明文を書き直そうということで、始めたのが12月16日でした。「私たちは尹錫悦政権退陣民主化闘争に連帯します」という共同声明を年末まで集めるように全国に呼びかけ、全国の138団体からの署名が集まりました。

さらに3日後の19日には、国会前に韓国民主化闘争の最中にある一人、キム・ギョンミンさんが来て、感動の連帯を日本の市民に呼びかけるメッセージをしてくれることができ、参加者から大きな感動と喜びが寄せられました。

「19日行動」の後、これからどうするか。来年の話を我々はごく少人数で話しました。来年は新たに日本市民の声明文をもって記者会見をしようというものです。大きな場所で院内集会を開き、そして記者会見をする。また、日本で記者会見をして終わるだけではなくて韓国に代表を送れないか。韓国では、毎週土曜日に10万人以上、数十万単位で、このユン・ソンニョル(尹錫悦)退陣集会をやっているから、そこに日本側の記者会見や院内集会を連結できないか、ということが浮かびました。

これ、私の手前味噌になりますが、2月8日に絞りませんかという提案をしました。なぜなら、ほとんどの人は気づいてないかも知れませんが、2月8日はたまたま今年は土曜日だから退陣集会をやると。韓国の1919年、3・1独立運動に火をつけていったのは、東京水道橋の在日朝鮮キリスト教会館で、当時の留学生たちが命を懸けて、救国集会を開いて、2・8独立宣言文を発表して逮捕を免れて逃げ延びた学生が、それを朝鮮の自分たちの先生のところに運んでいく。それが全てだったとは言わないけれども、日本でもこのように学生たちが命を懸けて戦っているじゃないかということで、3月1日の独立宣言文ができていく。3・1独立運動に火をつけたのは、日本からのメッセージだった。これをもう一回再現するんだと。日本から連帯するというメッセージを2月8日の10万人集会、ソウルに届けられたらどんなにいいだろうか。菱山さんにその場で交渉して決まりました。

2月8日のソウル行きを成し遂げるために、数日前の2月5日に院内集会を開いて、おまけに韓国からも民主化闘争の最中にある人が来てくれて、連帯の挨拶をしてくれたり、韓国の国会議員のメッセージが届けられました。こうして2月5日から2月8日につないでいくということが成し遂げられ、大変良かったと思っています。

この写真は2月5日の院内集会の模様で、真ん中のお2人が韓国の民主化闘争の指導者たちです。そして2月8日の写真で、10万人集会に液晶スクリーンに映っているのが菱山南帆子さんです。みんなの前でプラカードを持っている。段ボールの切れ端に手書きに なるんですけど、こうやってみんなが自分のメッセージを書く。そこで日本からの連帯メッセージをしてくださいました。こうやって。かつてのようなキャンドル革命の時のようなローソクではなくて、K-POPを応援する光棒が握られています。

「19日行動」で信頼を強めるメッセージ交換

なぜ、こうした連帯ができたのか。急に思いついてできたことではないということを皆さんに知っていただきたいわけです。プラットフォームは、2020年7月に発足したと申し上げましたが、このプラットフォームには菱山さんや高田さんなど9条壊すな、の運動をになってこられた方々、そして歴史問題をずっとやってきた方々などや、宗教者、市民運動のいろんな人たちが集まっています。そして2022年の6月19日が最初だったと思うんですが、韓国でも、慰安婦肖像のある日本大使館前で、自分たちはこれから集まり続けますと19日行動が始まりました。その時に、これが日本からの連帯メッセージですよ。これが韓国から日本への連帯メッセージですよ。短くてもいいから交換し続けよう、ということがこの日から始められました。

私は、このメッセージを全部記録しています。私がパイプ役になって翻訳して日本語から韓国語、韓国から日本語。時には、たまたま忙しく抜けてしまったりしたことがありましたが、だいたい続けられてきました。一昨日の19日には韓国からメールが来て、メッセージが来るのではなくて、今日も先ほど明治大学でアピールされたキム・ヨンファンさん、民族問題研究所の責任者の一人が来て、直接マイクを握って皆さんありがとうございますと挨拶してくださった。

日本からもまた平和フォーラムのメッセージ、当番制でですね。菱山さんがみんなコーディネーションしてそれを送る。こういうことをずっと積み重ねてきた中で作られてきた信頼関係だと思います。単にこれは習慣的にやってきたというだけではなくて、私はものすごくこれは誇りに思い、意味があると思います。19日行動で取り上げられるメッセージは、政治家であれ、市民運動であれ、みんな日本の問題です。日本が今直面する深刻な問題を訴えておられるわけですね。このような1時間の中に1分でもいいから、韓国の人々が日本の皆さんにお礼を言っているとか、応援をしているとか、一緒に取り組んでいきましょうというメッセージが送られてきているということ。そして日本の私たちも韓国の皆さんの闘いを応援している。こういうことがずっと途切れることなく、19日行動で意見交換されていく。

こういうことが19日行動の歴史の中に刻まれていき始めた。そして、この度の韓国民主化闘争、連帯の行動にもつながっていき、一つの政権交代があった後も、このメッセージの交換が続いていくということが、私はとても大事なことではないかと思います。日本の市民運動の中にも韓国の戦いに連帯!とか、日朝国交交流推進せよ!とか、そして歴史の問題に取り組めとか、いろんな貴重な課題があります。そういう取り組みばかりではなくて、今、日本は、このような課題に苦しみ、一生懸命乗り込えようとして取り組んでいます。韓国の皆さんも覚えてくださいと。韓国も同じようにメッセージを送る。こうやって、みんな頑張っているんだなということを伝え合う信頼形成が、本当の意味での日韓民衆連帯になっていくのではないかなと私は思っています。

先月の菱山さん自身が書かれたメッセージも皆さんの資料の中に挙げています。その時に韓国から送ってくださったカトリックのシスターたちが、この像の前でプラカードを持って、慰安婦の問題などを訴えている。そういう中の一人のシスターが送ってくれた連帯メッセージも資料の中にあげてあります。こういうことをずっと交換し合っていくということの大切さを考えてみたいわけです。

立憲民主主義と東アジアの平和を分かち合う日韓市民連帯の課題

立憲民主主義と東アジアの平和を分かち合う日韓市民連帯の課題というものを私なりに整理をしてみました。この接点と絆を求めるということ、韓国の事情と日本の事情は大きく異なります。いろんな違いが、歴史にも文化にも今の政治事情にもたくさん違いがあるけれども、共通点は何か、接点があるだろうと、それは戦争をさせないというスピリットではないか。それは日本の側から言わせていただくならば、憲法9条の闘いである。これは韓国では特に2016年以降、ローソク革命、キャンドル革命と、この度、この光の市民革命という風に連動しているわけです。

同時に、もう一つは歴史の問題を忘れてはいけない。繰り返しになりますけれど、韓国の私たちの民主化闘争の闘いは、植民地主義的な考え方、植民地主義の思考が今も根強く残って日本と利権を作り合っていく、そういう勢力との植民地主義との戦いでもある。そういう意味で、日韓条約の60年が問いかけていることに共に向き合っていく。何がこの60年間、条約のいい加減さ、そこに植民地責任が明記されなかったがために、60年間矛盾が起こしてきたかを、これからも向き合っていかなければいけないと思うわけであります。

金大中大統領の大統領になる前の言葉のインパクト

皆さんの資料の中に、金大中大統領の、大統領になる前の言葉を用意しました。何が言われているか。73年の雑誌『世界』の9月号です。雑誌『世界』の9月号に金大中のインタビューが出たということは、インタビュー自体がいつ行われたかといったら、少なくとも7月には行われている。彼が8月8日にホテル・グランドパレスで拉致される前にボディガードに守られながら、自分はこのように朴正煕独裁体制と闘っていきますという運動を、雑誌『世界』の編集長、安江良介はインタビューした。金大中さん、おっしゃりたいことを言ってくれという中で、金大中が言った言葉です。この時の悲痛な金大中氏の言葉。この私の発言に皆さんは反論されるかは分かりませんけど、こんな風にまとめられます。

日本に来てみて、朝鮮半島の問題に関心を持っている皆さんに会ってみたら、当時はまだソ連も強かった、社会主義・共産主義思想も左翼も強かったか知りませんけれど、北朝鮮のことについては非常に関心を持って好意を持っておられると。しかし韓国のことになったら穢らわしいものにでも触れるかのように、なんだ、あんな独裁国家韓国というこの眼差し、その独裁国家の下で生きている哀れな韓国民とこんな眼差しを日本の進歩的な人々は韓国に向けておられるんだろうかと、私たちのことを忘れないでくださいよと。私たちは闘ってるんですよ。

こういう叫びをこの金大中氏は、この時インタビューの中でされたんではないかということです。金大中氏の、その時のインタビューだけではないでしょうか。これがインタビューされて拉致が起こった。あわやヘリコプターから日本海に落とされるところを、アメリカの力が働いたのか、彼は救われて何とか向こうに上陸して、命だけは助かったという中で、日本の市民運動に火がついたわけですね、金大中救おうと。殺しはいけないということで、この1973年の夏頃までには日韓連帯ってあったんでしょうかということなんですよ。

どういう日韓連帯があったかということを、皆さん振り返ってみていただきたいと思います。私は在日コリアンとして1971年から日立の就職差別・民族差別裁判闘争がありました。足元の民族差別の問題との闘いが優先だというふうにして、日本の左翼の人たちもたくさん市民の人ともこの日立の闘いに来ました。しかし韓国の問題となったら、あの独裁体制は困ったもんだと。米韓軍事同盟、本当にこれはもうひどいという形で、韓国の独裁体制と日韓癒着と米韓同盟を見ていく。本当に民衆連帯していかないといけないんだ、というこの衝撃的な出発点は、この金大中拉致事件、あるいは彼のメッセージからではなかっただろうか、ということでですね。ここから日本の市民運動が起こっていったんじゃないかなと思います。

その市民運動も二手に分かれました。まずは民主化連帯だという動きがあるかと思ったら、そんなことを言う前に、自分の足元の日本がどんな韓国に対して関わりをしてきたかを、日本の問題を姿勢を、対韓政策を批判して取り組んでいかないといけない。そんなバリエーションが起こってきたり、対立が起こったりしましたけど、とにかく目覚めたんです。

そして韓国は独裁の下で苦しんでいるだけじゃなくて闘っているということで、民主化運動への連帯がこの73年以降、広がっていった。それが今日の日韓条約に取り組む人々、みんな年きていますけれども、みんな若かりし青年の頃にその頃に刺激を受けて問いかけられてきた。それは気づきだったと思います。今まで気づけなかったと。日韓条約の時も反対したけども、あんなものは日本への従属だとか、軍事同盟の延長だとかいう形でしか見なかったけれども、本当に韓国の民衆と連帯しようという空気は60年代にはなかった。70年代の初めにもなかった。それが変わっていく。何に気づくかというと、やっぱりどこか自分は進歩的左翼的だと思っていたけども、そんな自分の中にもどこか民族差別的な韓国への見下しがあったのではないか。どこか自分もそうやってこの軍事同盟、冷戦的な思考でしか朝鮮半島の問題を見ていなかったんじゃないか。

植民地支配というものが、どれほど過酷な問題であったか。慰安婦問題であれ、徴用工問題であれ、誰も73年まで気づいていなかった。当時は慰安婦問題ではなくキーセン観光でした。植民地支配がどれほどの被害を与えたかということに対する無知、忘れたい、忘れていた。こういうことに、金大中の拉致事件以降、韓国の民主化闘争は私たちに気づかせてくれた。こういうことの始まり。これが金大中ショックだったかなと私は思います。こうやって韓国問題に深く関わる日本の知識人や市民の運動が広がっていき、詩人の金 芝河(キム・ジハ)救援、死刑から守ろうという運動も広がっていったりしたわけですね。

金大中大統領が突きつけた文化解放のショック

あの金大中事件以降、50年経った今はどうなんでしょうか。今の日本において日韓問題・日朝問題に一生懸命取り組み続けておられる日本の人々は、実はあの73年の金大中事件以降、救援運動やそういう民主化連帯を通して目覚めさせられてきた。そして90年代からは慰安婦の問題があるんだと、これは日本の責任の問題だということも、みんなが目覚めさせられていく。これが一つのこの日韓関係における民主連帯の道筋だったかなと思います。そして50年前の日本と韓国を単純に比較してみたら、70年代の日本はどうだったでしょうか。高度経済成長で韓国を圧倒的な上に経済が進んでいました。けれど、日本の左翼運動は、これからどうなっていくのかという低迷期を迎えようとしているのは50年前でしょうか。

韓国の50年前は、まだまだ貧困が支配的で、人々の生活を貧困が苦しめていた。そして日本への怒りがあったんですよ。70年代に私が大学生だった時に、いろんな先輩とか先生方が韓国に行ってきて、ついうっかり百貨店で日本語をペラッと友人と喋ったら、グッと店員たちに睨みつけられたと。ここでは日本語を話してはいけないんだと。まして李承晩時代なんかでは、ありえない話ですけれども、70年代でも日本への怒り、許せないという空気が凛凛としているのが50年前だったということです。そして、民主化闘争の性格も命がけです。KCIAに捕まって拷問されて死ぬかもしれないとか、死ぬくらいならということで飛び降りたり、ビルから飛び降りたり、ガソリンをかぶったり。そんなことも何件かありました。本当に命がけの催涙弾の中で闘う民主化闘争が50年前だった。

今はどうか。もちろん韓国の激しい格差、広がっていく貧困、生きづらさ、腐敗政治という体制に対する怒りは、50年前も今も共通しているかもしれません。しかし、かつてはなかった息吹があります。今の韓国の民主化闘争には50年前にはなかった息吹。皆さん、さっきの写真を見て何か感じられたでしょうか。何か新しいスピリットも起こっているということに私たちは気づく必要があるんじゃないでしょうか。

最後にもう1回、金大中ショックを語りたいと思うのは、第1番目のショックは、『世界』に書いたあの一言が、日本の知識人や市民運動を揺さぶった言葉だった。第2のショックが何だったでしょう。98年から政権をとった金大中は、文化解放政策をとりました。その時には保守派だけではなく進歩派からも批判が出ました。なぜか。植民地時代は完全に搾取され、国も占領されて搾取され、そして日韓条約以降は日本に従属する経済構造で搾取された。今度文化が開放されたとしてしまったら、日本の文化がどっとなだれ込んでしまって韓国を餌にしていくのではないか。そういうことを分かっているのかという批判を左右両方から、金大中政権は批判を受けたのに、やった政策の結果がどうだったでしょうか。 K-POPどっちからどっちに入っていくかということですね。韓流、冬のソナタであれ、誰がこのK-POPの人気や韓流をあの時に予想したかということです。

私はここから一つの気づきを与えられます。今我々は批判的な精神理性を持って、こんな関係を続けていったら、このような矛盾が深まるとか、当たっていることがたくさんあります。歴史を正しく清算できていないとか、いろんなことを指摘できます。しかし、私たちの社会運動、市民運動の鋭い批判、指摘は当たっているところは当たっているけど、その批判が全てのこれからを予言しているとは言えないということですね。

私たちの意識。これまでの運動が担ってきた経験を積み重ねてきた私たちの意識を超えて、次の世代が新しいスピリットで、私たちが思いつかなかったような連帯とか新しい絆とか信頼環境を作っていくということにも、私たちは謙遜でなければいけないのではないか。ということを私は最後に申し上げたいですね。

民衆の命と心に寄り添う正義と平和を目指す運動を

最後の結びとして、日韓の歴史、文脈はそれぞれ違います。みんなくぐってきた歴史は深い関係にありながら、全く対照的で違っています。それでも憲法9条の現代的な意義を分かち合う、憲法9条は日本だけの問題ですよと。私はそうは思わないんですね。今日、パレスチナ、ウクライナを全て含めて、憲法9条の精神は今世界的な意義を持っているものと思っています。この日本は、憲法の9条がなぜ大切にされるかといったら、戦争を止められなかった歴史への深い反省と、2度と日本は戦争を起こしてはいけない。この平和観から憲法9条の精神があると思います。
韓国はどうか。

植民地支配に抵抗し、独立のために戦ってきたという歴史への教示があります。憲法にもそれが前文に刻まれています。そして同時に、朝鮮半島の北側とはまだ撃ち方やめの休戦状態にあるということ。日本列島の中ではこんな現実はないわけですね。この休戦状態という絶えざる緊張感を、これからも李在明政権も韓国市民社会も抱え続けていかなければいけない。

この違いを互いに理解し受け止め合い、その上で互いに共有すべき価値観と課題を模索すること、そしていかなる政権に対しても、市民運動は最後まで民衆の命と心に寄り添う正義と平和を目指す。このことに関しては李在明政権に対しても決して手を抜かない、そういう市民運動であり続ける。そのような市民運動として連帯していくということ。

最後に東アジアの中で、どこにも敵を作らない。中国に対しても、北に対しても、どこにも敵意を向けず、ひたすら対話で危機を乗り越え、軍事拡大をもって対峙する抑止力とするという誤った方向ではない、この哲学をで、お互いに日韓の市民運動は分かち合っていくべきではないか。このように私なりに、これから残された時間を皆さんと後につきながら考えていきたいと思っています。

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