私と憲法285号(2025年2月25日号)


戦争の危機を拡大する、トランプの「米国第一主義」追従

(1)「日米関係の新たな黄金時代」?

2月8日、石破茂首相とトランプ米国大統領の初めての会談が行われ、「日米共同声明」が発表された。この会談と声明で、国際情勢の危機が進み、緊張が増す中で、日本は第2次トランプ政権(トランプ2.0)とともに「日米同盟をさらなる高みに引き上げ」「日米(軍事)同盟の抑止力・対処力をさらに強化」していくことを確約した。

とりわけ中国を名指しして、核兵器による拡大抑止を振りかざした日米同盟を中核に、「日米豪印(クアッド)、日米韓、日米豪、日米比といった多層的」な中国、朝鮮包囲網を形成していくことを鮮明にした。共同声明は自衛隊と米軍の指揮統制の枠組みの強化、辺野古新基地建設を含む在日米軍再編の着実な実施、南西諸島での日米の軍事的プレゼンスの強化、実践的な訓練、演習を通じた即応性の向上などを具体的に確認した。「共同声明」は岸田文雄内閣時代に確定した「安保3文書」を引き継ぎ、2027年までの5年間で、かつてトランプ第1次政権時代に要求した日本の国防費の対GNP比2%、43兆円の軍事費支出を確認したうえ、国会で議論もしていないのにさらに「27年以降もひきつづき軍事費の抜本的強化を進める」ことを約束した。

石破首相はこの日米共同声明を「新たな『船出』となった会談の成果であり」「日米協力の羅針盤」ともちあげた。共同声明は「自由で開かれたインド太平洋を堅持し、暴力の続く混乱した世界に平和と繁栄をもたらす、日米関係の新たな黄金時代を追求する」とのべた。

いったい「暴力の続く混乱した世界」は誰がつくりだし、拡大しようとしているのか。まるで米国とその追従者の日本には責任がないような物言いだ。

(2)法の支配と国際協調の破壊

共同声明を読んで気が付くことは、安倍晋三首相時代以降、繰り返し強調されて来た「自由で開かれたインド太平洋は、法の支配に基づく自由で開かれた海洋秩序が国際社会の安定と繁栄の礎」とのフレーズとの大きな差異だ。石破首相は首脳会談でトランプ大統領の銃撃事件を引きいあいに出し、「大統領が、自分はこうして神様から選ばれたと確信したに違いないと思った」とまで持ち上げたにもかかわらず、首脳会談ではトランプ大統領が「法の支配」や「国際協調」を無視して、無法者丸出しの米国第一主義を振り回すことにはまったく触れなかった。

トランプ大統領の米国第一主義は目に余る。隣国のカナダに米国の51番目の州になることを要求したり、国際社会がデンマークの自治領とみとめるグリーンランドを売り渡すことを求めたり、パナマ運河の支配権を要求したり、メキシコ湾の呼称を勝手にアメリカ湾に変えたり、パレスチナのガザ州を「所有」すると宣言したり、温暖化対策のパリ協定からの離脱など、国際法と国際社会の安定と秩序を次々と破壊している。「関税」と「軍事力」による脅迫と、国境の封鎖による人権侵害、ジェンダー問題のトンデモ発言などなど、その乱暴狼藉は数え切れない。こうまでつつしみのかけらさえない大統領が米国の歴史上、ほかにあっただろうか。

そのあまりのひどさに、11日の右派系紙の読売新聞社説ですら、「国際司法への圧迫は容認できない」と共同声明を批判したほどだ。同紙は「日本など125の国と地域が加盟する国際刑事裁判所(ICC)への制裁は、法の支配に基づく国際秩序への攻撃にほかならない。米国に制裁の撤回を求める」と述べた。

「ICCの赤根智子所長は、米国の制裁について「断固拒否する」と非難する声明を発表した。フランスやドイツなど加盟する約80か国も連名でICCへの支持を再確認する声明を出した。この声明に日本が加わらなかったのは極めて残念だ」。「法に基づく国際秩序の重要性を主張してきた日本の対応としては、あまりにもふがいない」と石破首相の屈従ぶりをも批判した。
石破首相は日米首脳会談で実に読売社説程度の注文もつけられなかった。両者の初会談を円満に行うことに配慮したというなら、あまりにも卑屈な態度が過ぎている。

(3)石破首相の「手のひら返し」と日本国憲法の理想

トランプ大統領の「米国第一主義」(MAGA=米国を再び偉大に)などという政治哲学のない低俗な「ディール」の乱発をみていると、日本国憲法の前文を振り返っておきたくなる
前文には「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる」とある。この一文をトランプ大統領に進呈したい。

 石破首相は首相になる直前、例の「ハドソン研究所」への寄稿論文でこういっていた。

「日米安全保障条約を『普通の国』同士の条約に改定する条件は整った」と述べ、自衛隊のグアム配備など、相互に防衛義務を負う安保条約への改定(日米地位協定の改定など)に意欲。また安保改定に必要だとみられる憲法改正の実現を改めて掲げ、「日米同盟を米英同盟並みに引き上げることが私の使命だ」と強調した。

石破氏は持論の「アジア版NATO」創設に合わせて、日米安保条約の改定や米国の核兵器の共有やアジア地域への持ち込みを検討する必要があると啖呵を切っていたが、今回の日米首脳会談ではこの石破首相の持論の片りんも見えなかった。トランプが石破論文を知らないわけがない。借りてきた猫のように、ただただ縮こまる石破首相を見下していたに違いない。

(4)「今日より明日はよくなる」と実感できる「楽しい日本」?

いま日本は「戦争できる国」から「戦争する国」(戦争国家)へと急速に転換しつつある。

日本の安保防衛政策は、2015年の安倍晋三政権の「戦争法」による憲法違反の集団的自衛権の行使容認から、2022年末の岸田文雄政権による明文改憲なしの憲法破壊の「安保3文書」の閣議決定へ飛躍した。

 従来の日本政府は「憲法の解釈を変え、憲法の明文改憲を実現する」ことで、軍事大国への道を合憲化しようとしてきた。少なくとも安倍政権まではそうしたやり方だった。しかし、岸田政権以降は困難な「明文改憲」にこだわらず、憲法を変えないままで、戦争国家への道を進むという「壊憲」の路線で居直っている。根強い改憲反対の世論と運動の前に、立憲主義も、平和主義もかなぐり捨てて、「戦争国家」の道を突きすすもうというわけだ。

共同声明がいう「日米黄金時代」とは日米が「自由で開かれたインド太平洋」を旗印にして東アジアや世界で、軍事力を背景に好き勝手にふるまうことだ。

石破茂首相は今国会の施政方針演説で、岸田前首相の所信表明演説を借りて、すべての人が安心と安全を感じ、自分の夢に挑戦し、「今日より明日はよくなる」と実感できる「楽しい日本」をつくるとのべた。しかし現実に進んでいるのはこれとは真逆の道で、南西諸島を始め人々が「迫りくる戦争の足音におびえ」、「今日より明日」が一層不安になる日々だ。

(5)市民運動と参院選

24年秋の総選挙で与党が衆議院で少数派になり、第二次安倍晋三政権以来続いてきた自公両党による「内閣独裁」体制、政権の私物化が困難になった。

安倍政権以来、内閣が露骨に3権分立原則に背いて国会を軽視し、独善的な政治運営をしてきた、その内閣独裁ともいうべき政治手法の一角がくずれた。安保3文書に見られるごとく、日米安保条約の改定に匹敵するような、憲法の平和主義に反し、かろうじて9条を維持してきた「専守防衛」原則すら破壊する、重大な政策変更が一片の閣議決定だけで強行されてきた与党による政治の私物化が難しくなった。多くの有権者、とりわけ安倍政治のもとで選挙権を得て成長してきた若者たちに、市民と野党が共同して政治をかえることは不可能ではないことが明らかになった。「政治は変えられる」ことを多くの人びとが学んだ。

政治の変革に向かう好機がきた。しかし、今の国会では自民党以上に自民党的な野党が少なからず存在する下で多数になった野党側から、今回の日米共同声明路線の戦争の危険性に関する糾明がほとんどなく、人びとが格差社会の中で生活困難におちいっている一方で強行されようとしている8兆7千億にも上る軍事費の不当性にすらメスが入っていかない。敵基地攻撃能力と対の、この国会に初めて出される能動的サイバー防御法にしてもしかりだ。

これは日米安保体制容認を前提とした立憲民主党など野党多数派の姿勢に起因するもので、従来、立憲野党が主張してきた「専守防衛」から離反するものだ。国会で戦争の危険、安保問題の論戦があまりにも弱すぎ、この国の進路、真の「民衆の安全保障」の議論が少なすぎる。

今回の日米首脳会談の評価も、共産や社民など、一部の立憲野党を除いて、他の野党もメディアも「大方、合格」的な評価が多い。とんでもないことだ。すでに述べたように、アジアの平和や、いま必要としている課題からみると、落第点そのものだ。

この夏には参院選がある。市民運動はさきの衆議院選が切り開いた政治の変革の可能性に確信をもって、参院選でも与野党逆転と、改憲勢力3分の2以下の情勢をつくり出そう。政治の変革をめざす勢力を強化するため、ひとつでも多くの選挙区で市民と野党の共同をつくり出すことをはじめ、あきらめずにあらゆる可能性を駆使して奮闘しなければならない。
(共同代表 高田 健)

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「戦争 止めよう! 沖縄・西日本ネットワーク」への参加をよびかけます

2024年12月23日    

安保三文書改定から2年、急速に自衛隊基地新設や拡張や装備強化が行われ、有事を想定した一般港湾空港・民間施設利用など、戦争への準備が進んでいます。中国の脅威を煽り立て、全国を戦場に見立てた中で、今、米国を中心とする多国間合同演習が沖縄の島々を最前線にして、奄美群島、馬毛島、九州などを巻き込みながら相次いで行われています。このような現状に対して「沖縄を戦場にするな!」との声は増々強まり、その連帯の輪も大きく広がってきています。

軍事化の波は沖縄だけを襲っているのではありません。全国各地、とりわけ西日本一帯の軍事強化も現実のものとなってきており、「私の街も標的になる」と各地の住民が不安を募らせるまでになっています。

5年間で43兆円とされた防衛予算は、25年度概算要求で8兆5389億円が計上され、今後さらに増えることになります。一方で、私たちの生活にかかわる予算は削減され、防衛増税により、ますます私たちの暮らしは破壊されていくでしょう。

今、全国各地でこのような戦争前夜とも言える状況に抗う動きが起きています。私たちは、それぞれの情報を共有し、つながり、運動を全国に広げなければなりません。この間、4月・愛媛、8月・沖縄、9月・広島、11月・大分でネットワークの必要性を確認しながら集会を重ねてきました。

いよいよ来年2月、「『戦争を止めよう! 沖縄・西日本ネットワーク』発足集会」を、鹿児島の地で下記の通り行います。各地の基地強化の現場で奮闘する人々が、そして、軍事基地の有無にかかわらず、主権者である一人ひとりが平和への思いを寄せ、スクラムを組む時がきました。「知り・つながり・止める」を合言葉に、互いの状況を報告・共有し、どのように連携し、どのような連帯、共同の闘いができるのか、知恵を出し合っていきましょう。

日本国憲法で「戦争放棄」を誓ったこの国は、再び被害者にも加害者にもなってはなりません。多くの皆様のご協力を呼びかけます。なんとしても戦争を止めましょう。


「戦争止めよう! 沖縄・西日本ネットワーク」結成集会
とき :2025年2月22日(土)13:00~17:00
ところ:よかセンター(鹿児島市勤労者交流センター)多目的ホール
主催 :戦争止めよう!沖縄・西日本ネットワーク準備会

【呼びかけ団体】ノーモア沖縄戦命どぅ宝の会(沖縄県)、ミサイル配備から命を守るうるま市民の会(沖縄県うるま市)、石垣島の平和と自然を守る市民連絡会(沖縄県石垣市)、ミサイル基地いらない宮古島住民連絡会(沖縄県宮古島市)、平和を求め軍拡を許さない女たちの会・熊本(熊本市)、大分敷戸ミサイル弾薬庫問題を考える市民の会(大分市)、ローカルネット大分・日出生台(大分県)、辺野古土砂ストップ北九州(福岡県北九州市)、平和といのちをみつめる会(福岡県築上町)、ノーモア沖縄戦えひめの会(愛媛県)、ピースリンク広島・呉・岩国(広島県、山口県)、京都・祝園ミサイル弾薬庫問題を考える住民ネットワーク(京都府、大阪府、奈良県)、12月23日現在12団体。

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2.5韓国民主化闘争連帯院内集会&記者会見

2月5日、参議院会館講堂で、「2.5韓国民主化闘争連帯院内集会&記者会見」が行われた。集会の呼びかけは、「私たちは尹錫悦政権退陣民主化闘争に連帯します」声明を発した140の市民運動グループ・団体によるもので、会場にあふれる200名ほどが参加した。韓国からは5名の市民運動代表が参加した。今回参加を予定していた「共に民主党」の韓国国会議員2名は、韓国国会が重要局面となり、党として外遊を控えるという支持が出たため出席できないことなり、届けられた2名の国会議員からの熱いメッセージが参加者に配布された。

集会の主催者挨拶は金性済さん(日韓和解と平和プラットホーム日本運営委員会書記)が行った。金さんは挨拶の中で集会開催の経過を報告した。昨年12月3日の尹錫悦大統領による戒厳の暴挙に対し韓国国会と市民社会が一斉に立ち上がり、政権退陣と民主化闘争への支持、連帯を表明した。また、韓国の民主化闘争の先頭に立つ指導者から日本の市民運動への連帯の呼びかけがあり、この呼びかけに応えた日本の市民運動が昨年12月5日に「韓国民主化闘争緊急連帯声明」を発して緊急記者会見を行った。12月19日には総がかり行動による「19日行動」に韓国民主化闘争の代表の一人であるキム・ギョンミンさんが来日し、連帯の報告を行った。その後、本集会開催に至る「連帯声明」の発表に取り組んだ。また韓国側からソウルで開かれている尹錫悦退陣要求の集会に日本からの代表が招待された。こうした市民連帯の背景には総がかり行動の「19日行動」へ、韓国の市民運動によるソウルの日本大使館前での抗議行動が連帯のメッセージを交換してきたこともある。今年は日韓基本条約60年であり、日本の敗戦80年、朝鮮半島の植民地支配からの開放80年にあたる。韓国の民主化闘争と連帯し、憲法9条擁護、大軍拡阻止の闘いを進め、この集会を成功させよう。

韓国側の連帯の挨拶は、初めにパク・ソグンさんが行った。パクさんは「ユン・ソクヨル即刻退陣社会大改革緊急行動」共同議長で進歩連帯常任代表を務めている。

パクさん次のように報告した。ユン政権が汚職はじめさまざまな課題ですでに民心が離反していた。しかし、バラバラに反対行動が行われていた。昨年11月9日には1日に4つの反対行動があって、これを一つの流れにしようという提案があった。11月16日には伊に反対する団体が共同で主催し、これに野党が参加する10万人の共同行動の広場が開かれている。この集会は第3次まで行われた。12月3日、伊大統領が戒厳を宣言したが、民主化を求める市民の素早い動きと国会の迅速な戒厳解除の決定で、クーデターの第1段階は阻止され、翌日から本格的な対抗闘争が組織された。12月7日には100万人の退陣要求広場が開かれ、12月11日には1500の諸団体による即刻退陣社会大会で行動が始った。12月14日には200万人の集中した集会など、国会の動きにあわせて行動した。12月21~22日にはトラクターを繰り出した農民と、1月には民主的労働組合とも連帯する集会も行い、毎週毎に大規模市民集会が続いている。

主権者国民の怒りの広場は老若男女の集う広場になり、また光の広場になっている。家族、親族が弾劾棒を持ち、10代、20代、30代の女性たちが広場の主体になっている。歌い、踊るという参加スタイルが新しい韓国文化として定着し、民主的な教育の広場となっている。

今後は憲法裁判所の大統領罷免宣言をうけ、大統領選挙になる。今の最大課題は内乱を早期に終結させることと、社会大改革の課題を広場で客観化することだ。緊急行動は課題を11項目にまとめ、広場で実践しようとしている。こうした課題を日本の市民とも共有していければと思っている。

続いてキム・ギョンミンさん(日韓プラットホーム共同代表、韓国YMCA全国連盟事務総長)が挨拶した。キムさんは、韓国の民主主義と朝鮮半島分断の体制は深くかかわっている。韓国の軍事独裁勢力は、北朝鮮からの脅しから自由大韓民国を守るという理由で独裁と人権弾圧を行ってきた長い歴史がある。伊政権も24年4月の総選挙の大敗以降、失政を繰り返し支持率は20%以下になり、戦争挑発や非常戒厳のカードを使うのではないかという警告や恐れがあった。ピョンヤンでの無人機飛行やチラシの散布、西海での武力行使などがあった。朝鮮半島の平和定着は民主主義が条件だ。2018年、ムン政権の平和プロセスの失敗は韓国民主主義の萎縮につながった。安部政権の否定的な役割も影響した。

現在の平和の停滞は、アメリカの対中国覇権戦略によるものだ。しかし韓中日と北朝鮮は友として生きて行く努力が必要だ。北朝鮮が2023年12月、大韓民国を敵対国として規定し、すべての対話を分断したが、形式的な側面からすれば“分断”から“両国体制”に転換したと言える。両国体制に基盤を置いた半島の平和政策が必要だ。トランプ政権による米朝対話の可能性や、日朝国交の動きは半島の新しいきっかけになるかもしれない。東アジアの平和安保体制の樹立が必要で、日韓の市民社会がその可能性追求のための行動をはじめていきたい。

 つぎにチェ・ヒョンファンさん(全国金属労働組合クミョム支部・韓国オプティカルハイテック支会支部長)が挨拶した。チェさんは伊大統領の非常戒厳を市民の力で解除したが、一方で伊政権の下では多くの労働者が生存の危機に追いやられていた。韓国オプティカルハイテックの労働者も同じだ。日本の日東電工の子会社の韓国工場では2020年10月に工場火災が起きると、会社はメール1本で工場閉鎖をして労働者を解雇した。これまで日東電工は韓国政府から土地の無償貸与や法人税の減免措置などの優遇を受けてきた。過去にリストラした社員も再雇用していたのに、今回は雇用継承していない。

労働者は国際規範である「OECD多国籍企業ガイドライン」と「国連ビジネスと人権」の遵守を要求しており、女性労働者2人は雇用の継承を要求して屋上に座りこみ続けている。組合員は広場で叫ぶ伊退陣だけでなく新しい民主主義のためにたたかっている。多国籍企業が労働者をないがしろにしない、人権が守られる真の民主主義のために、日韓の新しい民主主義のために連帯しよう。

今回の代表には、ユン・ジソンさん(手をつなぐ活動家)とハン・ヒスさん(韓国YMCA全国連合会大学国際チーム長)の2人も来日した。

次ぎに韓国民主化闘争の動画が上映された。5分間という短い動画であったが日本語字幕もつけ、市民がいち早く戒厳に対抗して軍隊と渡り合う姿が大写しされ、市民の民主的行動の力強さが感動を与えた。

 つづいて集会に参加した国会議員がつぎつぎと発言した。出席議員は小池晃議員、藤原のりまさ議員、尾辻かな子議員、山下芳生議員、福島みずほ議員、大椿ゆうこ議員、津村啓介議員。各議員は、それぞれの韓国への思いと韓国や韓国文化とのつながり、民衆闘争への熱い連帯のことばを語った。その他、山添拓議員と吉良とし子議員は、時間の都合で発言はなかったが韓国代表の発言に耳を傾けた。

日本側の市民代表としては5名が発言した。発言の要旨は以下のとおり。

小田川義和さん(戦争させない 9条壊すな!総がかり行動共同代表) 伊政権が政治的に行き詰まり陰謀論にとらわれていたことも戒厳発動につながったといわれ、ネットへの対策は課題だ。歴史的に軍隊が非常事態に介在する例は数知れない。日本も例外でない。韓国と日本の市民レベルの交流を深め、東アジアの民主と交流を強めていこう。

布施祐仁さん(フリージャーナリスト) 12月3日はソウルにいた。すぐに国会前に行くとすでに多くの人が集まっていた。ヘリが到着して軍の車両が来ると、回りの市民が軍の車両を包囲する市民の勇敢さに圧倒された。大統領が壊そうとした民主主義を国民が守った。南北分断は植民地主義など日本との関係でも見ておく必要がある。戦後80年、朝鮮半島の平和に全力を尽くすのは日本の責任だ。

渡辺健樹さん(日韓民衆連帯全国ネットワーク共同代表) 日本国内の、伊政権の親日的性格を評価するのではなく、このことが日米韓の軍事態勢強化に向う危険な策動であることを改めて確認する必要がある。日本の敗戦80年、日韓条約締結60年だが徴用工問題も慰安婦問題も解決していない。今日、日本にこられた皆さんの頑張っている顔を思い出しつつ、韓国の皆さんと連帯していこう。

菱山南帆子さん(戦争させない 9条壊すな!総がかり行動共同代表) 今日の連帯集会に韓国から来てくれたことを心から感謝し、それに見合う日本の運動を作っていかなければならない。12月3日はずっとニュースを追っていたが、韓国の民衆が大きな危機を跳ね返したことに勇気をもらった。光州事件からキャンドル革命と、韓国の運動は私たちの先を走っている。日本でも学んでいかねばならない。戦争の加害の反省をしない日本ではなく、平和のアジアを築いていこう。

武田隆雄さん(平和をつくり出す宗教者ネット共同代表) 伊大統領の戒厳を阻止した韓国の非暴力抵抗運動に支援の祈りをささげる。韓国の運動は、日本国憲法に緊急事態条項を創設しようとする危険性を鮮明に示すものとなった。非常戒厳令は国会を停止し基本的人権を奪うものだ。韓国の民主化闘争に学び、大軍拡と憲法破壊に反対していく。韓国の闘いの前進は、日本の9条を守りアジアの平和に貢献する。連帯と敬意を表明する。

集会では「わたしたちは韓国市民の伊錫悦政権退陣民主化闘争に連帯します」という声明文を半田歓喜さんが朗読し、満場の拍手で確認された。最後に野平晋作さん(ピースボート共同代表)の閉会挨拶で終了した。集会に続いて、45分ほど記者会見が行われた。

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韓国に来ています!

菱山南帆子

日本出発の便が大きく遅れてヒヤヒヤしましたが、何とか間に合うことが出来て一安心!
地下鉄を大急ぎで乗り継いで集会会場に。集会場になるべく近いところにホテルを取ったのですが、その付近では尹支持の右派の集会が開かれており、通れないため遠回りしながら地下鉄で景福宮近くで行われる私たちの集会会場にたどり着くことができました。(ユン支持者は男性が多く、比較的若い層も支持しているそうです。一方で革新派のデモは女性がとても多くみられました。)
車を車道に停めて作っている本部で挨拶を済ませ、大きなステージ裏から歩いてメイン会場に向かうと最後尾が見られないほどの人人人人!!!!!そしてひしめき合いながら旗がはためく光景は一生忘れられないと思いました。これ、映画「1987ある闘いの真実」で民主化革命が起きた日にバスの上に乗って主人公が見る光景だ!!!と思って涙が出そうなほど感動しました。大人になってこんなにも心が動くような日があるなんて!

 集会会場の横の通りも車道はふさがれホコ天状態になっており、そこには所狭しと屋台(キッチンカー)が並んでいました。デモ参加者が列をなしている先にはおでん、トッポギ、フライドポテト、コーヒーなど美味しそうな食べ物や飲み物があります。一緒に同行してくれている韓国の仲間が「トッポギ食べよ!」というので列に並んでいたら、早いスピードで進むので「さすが韓国のパリパリ文化(パリパリ=早く早く、早ければ早いほど良いという韓国文化)」と思って眺めていたら何か違和感が。

 お金払ってなくない? 韓国は現金で支払うことはあまりなく、ほとんどカードかバーコード決済。それにしてもその決済の様子も見られない。トッポギは目の前で品切れになってしまい、コーヒー屋に並ぶことに。そこで恐る恐る友人に聞いてみた。

「お金いらないの?」すると友人は、当然のような顔して、
「そう!ここは皆がお金を出し合ってチャリティーでやっているの!例えば、海外の同胞がお金を出し合って出すキッチンカーもあれば、ほらここは印刷会社のキッチンカーだよ」

もうこの時点で日本の右翼が「朝鮮人云々」差別している人たちは世間知らず決定。この助け合い間とスピード感、凄すぎるでしょ。

そして集会も度肝を抜くことばかり。
音響も凄まじいボリューム、何台ものスクリーンが設置され、後ろにいてもステージが見れるようになっています。市民の発言はグーグルフォームで募集し、1~2分の短い時間で多くの一般市民から発言の機会を設けていました。応募したスピーチから主催者側が、年代、性別、課題などをバランスよく分類して毎週作っているそうです。発言者に向けたガイドライン(差別発言はダメとかルッキズムに関する発言はダメなど細かく書いてある)。市民の発言の合間にプロの歌手を呼んでライブ。これが凄く楽しいんです!

座り込む両脇には幟を持った市民が多く並んでいます。
(集会場の幟の数々)なぜこんなにも幟が多いのか。それは右翼たちが「集会に参加しているのは共産主義者たちばかりだ」などと言った日本でもよく言われるような反共バッシングとレッテル貼りに怒った一般市民たちが「 Xをツイッターと呼ぶ会」「猫の肉球を研究する会」 などと言った幟を個人が作りそれを持ってデモに参加し始めたのです。猫の手がいくつもデザインされた幟があり「これか!」と思いました。

他にもこんな旗が・・・「Twitterは人生のロマン」「親知らずが奥にある人」(親知らずを抜くのに苦労した人の会という意味)「2番目の娘」「女に振り回されている人」(彼女にぞっこんな人って意味)
自分の家の猫を旗に大写しにして「私の猫可愛いです」

このユーモア、柔軟さ日本の運動にかけている部分!

そして本集会最後の発言はなんと私でしたー!
めっちゃ緊張した!でもその緊張を吹き飛ばすくらい寒かった!!
日本で多くの皆さんに「頑張って」と言われた思いを背負って、そして家族に「思いっきり楽しんできな」と言われたのを思い出し、いつも通り元気よく連帯アピールをしてきました!!
私のスピーチ動画は集会主催者がすぐさま動画にしてくれました!

その後はデモに出発。仲間が主催者の仲間たちにお願いして私をデモの先頭に行かせてくれました。ただ、先頭に行くためにステージから真後ろのデモ出発地点まで急いでいかなければなりません。何と言っても大規模なデモ。日本のデモ規制(東京では1グループ250人まで)と違い、1グループが巨大。そうでないとデモが終わるのが夜が明けてしまうからです。
走っても走っても続く集会参加者たちの幟旗。ようやく先頭に行ってデモ出発。

次のグループのことを考えてなのかそれともまたもや韓国の「パリパリ文化」なのか超絶デモのスピードが速い。早いって言うか、走ってるんです。完全に駆け足行進(日本では禁止させており、やると逮捕される危険性あり)なんです!!!!え、ジグザクデモしちゃう感じなの?

 長い横断幕を持ちながら駆け足でデモしながら、私は呑気に「韓国凄いなー。デモで走ってるよ」としみじみ感動していたのですが、実際は通常は走ることはなく、デモ指揮の方のパリパリ精神によるものでした。言葉が分からなかったので後から知ったのですが、後方から「ゆっくり!ゆっくり!」というコールがあがったとデモの後に聞きました(笑)。
デモはとにかくKPOPかかりまくり。もうみんなノリノリ!歌に合わせながらコールをするんです。

基本は「罷免罷免!尹 錫悦、罷免!」と「解体解体!国民の力(右派政党名)解体!」がベースとなっているのですが、所々で「女性差別の尹 錫悦、罷免!」とか「障がい者差別の尹 錫悦、罷免!」とか「マイノリティ差別者の尹 錫悦、罷免!」などと言ったアレンジコールもありました。

KPOPミュージックに合わせた斬新なコール。「集会クラブ」と言われるのも納得のデモ! みんなノリノリ。遊び慣れていない私のノリはなんだかぎこちない(笑)。でもそんなことは関係ない!

デモ最終地点では最後のフィナーレ! すぐ近くに右翼が来て妨害をしていたので余計に盛り上がりました。(日本も韓国も右翼のやることはどこも共通していますね)
デモの途中から反対側車線までデモ隊が後ろから押し寄せてきてびっくりしました。あとから聞いたら、集会では恒例となっているようで、参加者が溢れてデモに出発できない際、労働組合に市民から「車道を開放させてくれ」と要請があるそうです。そうすると労働組合の皆さんが警察に詰め寄り車道開放をさせるんだそうです!ですので、今運動内では「道を開く労働組合」と言われていると聞きました。すごい!

さて、今回韓国のデモに行ってみて思ったこと。
日本の私たちはその「ノリ」が抜けているのではないだろうか。抜けているというより、むしろ遠ざけているというか「気恥ずかしい」という自意識過剰な面があるのではないかと考えてしまいました。韓国の仲間たちは年齢に関係なく、音楽に合わせてノリノリでリズムを取ったり楽しそう。

私は日本の運動家、労働運動家の仲間たちに置き換えて想像してみました。私の身近な仲間たちは楽しそうにするだろうなと。しかし、その他の多くの活動家に関しては困惑する顔が真っ先に思い浮かんだのです。運動をアップデートさせようよ!っていうことは、もっと社会運動を盛り上げようという貪欲な気持ちを持ってほしいということなのです。年間スケジュール的な運動は楽かもしれませんが、それだけではダメです。もっと柔軟に、もっとユニークに!

デモの後、仲間たちと食事に行き、その後、喫茶店でコーヒーを飲みながら話をしていたのですが、(集会やデモの後に仲間とご飯を食べながら話をする時間のことを韓国では名前がついていて「ディップリ」と言う)日本のデモに参加した仲間の経験から言うと、ちょっと硬い、あまり楽しくない。との辛辣な意見をもらったが、今回、韓国のデモに参加してみると本当にその通りだなって思うのです。って言うか、今までそんな日本のデモや集会に参加してくれて、申し訳ないやらありがたいやら複雑な気持ちになりました。

韓国は何事も変わるのが早いからデモがどんどん楽しくなっていくとのこと。今のデモが一番楽しい!と!私もそのセリフ言ってみたい~!!

日本の運動もアップデートしなくては!陰謀論者やデマゴギーに足元をすくわれている場合じゃない!まずは韓国の今の運動を真似てみる。真似るは学ぶという語源から派生してきたと聞きました。
みなさん、楽しいデモしてみない?

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第190回市民憲法講座 日本の『ジエンダ-平等』の実現を阻むもの

浅倉むつ子さん(早稲田大学名誉教授・女性差別撤廃条約実現アクション共同代表)

(編集部註)1月25日の講座で浅倉むつ子さんが講演した内容を編集部の責任で要約したものです。要約の責任はすべて本誌編集部にあります。

はじめに

今日は憲法だけではなく、条約の話もさせていただこうと思っております。条約というのは、女性差別撤廃条約という、1979年に国連が採択した条約です。憲法をより実現させるために、この条約を活用して、私たちは、ジェンダー平等を実現しようという活動も現在しておりますので、それも含めて話を聞いていただこうと思っております。

 今日の話の流れです。まず、ジェンダー平等の法律制度の歴史を振り返ってみたいと思います。それから、これをめぐって今どんな問題が生じているのかを取り扱い、さらに女性差別撤廃条約を国内で活かしていくことがジェンダー平等につながるという話をしたいと思います。

最初に法律制度の歴史を振り返ってみたいと思います。この法律制度を振り返るのにとても良い素材がありまして、昨年のNHK朝のドラマ『虎に翼』です。弁護士さんたちもすごく夢中になって、会う人、会う人、これを話題にしておりました。今までジェンダー平等とか女性の問題とかに全く関心がなかった男性の弁護士さんも、にわかに、一生懸命ドラマを解説したがっていました。そんな、すごく人気のあるドラマでした。このドラマには、参考文献があり、NHKの解説委員をしていた清水聡さんの『三淵嘉子さんと家庭裁判所』という本も出ておりました。いろんな本もありまして、例えば「法と民主主義」という日本民主法律家協会が出している雑誌は、2024年の7月号・11月号と2回も特集を組んで、とても皆さん関心を持っていらしたようです。

このドラマの主人公のモデルは、三淵嘉子さんという方です。1914年生まれで84年に亡くなっています。今日お話しする女性差別撤廃条約は国連で79年にでき、日本が批准したのが85年。だから、批准の前年に三淵さんはお亡くなりになった。私は条約の批准が平等元年だったと思っているものですから、残念ながら、三淵さんは、平等元年の前年にお亡くなりになった方ということになります。

初めての日本の女性弁護士だったということで、このドラマの主人公のモデルになられた方ですが、戦前の東京女子師範学校、今のお茶の水女子大学を出てから明治大学専門部女子部に行かれました。当時、女性は大学に入れなかったわけで、ごく限られた大学しか女子学生を受け入れていなかった。三淵さんは、この限られた女性を受け入れていた明治大学法学部に進んで、1938年に、今でいう司法試験に合格した方です

このドラマは、いろんなエピソードが盛られていて、戦前の女性の法的地位の問題から、もちろん戦後にはとても女性たちに勇気を与えた日本国憲法、とりわけ9条もそうですが、14条、24条、個人の尊厳の13条がドラマの中で一言一句読み上げられて、日本国憲法をこんなに大切に扱ったドラマはなかったと言われるぐらい、感動を与えるシーンが出てまいりました。

司法における男女差別問題も当然出てきましたし、それから婚姻と氏の問題、今の夫婦別姓問題、そして性的マイノリティの問題も扱われておりました。これは実話ではなく、当時、こういう問題が現に語られたわけではなく、脚本を書かれた吉田さんが今の問題に照らしてドラマの中で作られた。それから、国籍の問題、原爆裁判、尊属殺の裁判も出てきました。てんこ盛りのいろんな問題が、正しい語り口で語られたドラマだったと思います。それで、こういうエピソードが参考になって、日本の社会で一時とても話題になりました。

明治時代にできた法律=「近代法」

このドラマに沿って、歴史を思い出してみたいというのが最初です。まず、明治時代に近代社会になって、近代法というのができました。当然その前は封建制の時代でしたので、ようやく身分差がなくなったのが明治の時代でした。身分差がなくなった代わりに、浮上したのが性差であったと考えられます。つまり、みんなが身分から解放されたが、身分があった間は見えなくなっていた性差が、格差として俄然、浮上したのが明治という時代だったと思います。

例えば、1880年には旧刑法ができましたが、そこでは姦通罪の規定が登場しました。夫と妻の差別的な取り扱いが行われ、姦通をした場合、夫はべつに処罰されるわけではないが、他人の妻と姦通した場合は、男性は処罰されます。当然、妻は処罰されます。そういう男女の取り扱いに格差のあった姦通罪の規定が存在しました。「夫のある女性が姦通した場合、またはその女性と相姦した者に対して、6ヶ月以上2年以下の重禁固が科せられる。この罪は夫の告訴がなければ公訴を提起することができない。夫自ら姦通を認めていた場合は告訴は効力を有しない」。というような内容の条文があります。

大日本帝国憲法では当然、女性は参政権なし、公民権もなし。結社の権利は否定されておりました。

明治民法では「妻の無能力規定」がありました。この「妻の無能力規定」が、『虎に翼』の主人公のトモコさん、寅子と書くのですが、彼女の最初の憤りを呼んで、弁護士になろうと思ったきっかけでした。

この「妻の無能力規定」は、ひどいものです。子供は無能力ですが、20歳になると成人になり、男女共通して能力者になります。ところが、女性は結婚すると、また無能力になるわけです。本当におかしいです。結婚しなければ、そのまま能力者なのです。なぜ、このように妻に対する差別的な規定ができたのか。民法の教科書に照らして読むと、「家庭の平穏のためであった」というのです。妻が能力者になると、夫に対抗してその能力を活用する。法的能力、契約能力のことです。だから、そういうことのないように家庭内で格差をつけておいた方が、家庭は平和であるという考え方に基づいて、こういう規定が登場しました。これは、妻は婚姻によって夫の家に入るという家制度の中で当然のように認められていた条文です。

当然、女性はある時期まで、法律家にはなれませんでした。参政権もなかったのですが、法律家になる職業上の権利は奪われておりました。弁護士法が1893年に施行されておりましたが、ここにははっきり、「弁護士たらんとするものは青年以上の男子たること」と明確に書いてあったのです。ドラマにも出てきましたが、いろんな人が、女性も弁護士にしようと何度も試みましたが、結局、実現したのは1933年でした。弁護士法が33年に改正され、36年に施行されました。

施行されて、女性も司法試験を受けることができるようになったのですが、大学自体は窓口を開いていなかったわけです。ですから、門戸が開かれていなかったために、いくら司法試験に受験可能になっても、すぐに合格できるわけではありません。帝国大学では東北大学と九州大学が女性にも門戸を開いておりましたが、他は一部の私立大学のみで、東京では唯一、明治大学が女性を受け入れたということで、1938年になって、ようやく3人の女性が合格しました。主人公のモデルになった三淵嘉子さんは、結婚する前は武藤で、武藤嘉子さんでした。それに久米愛さん、田中正子さんです。この3人が最初に日本で弁護士になった方です。久米愛さんはそのまま姓は変えておりませんが、田中正子さんは中田正子さんに姓が変わりました。いずれも大変有名な弁護士です。

戦後「平等」は日本国憲法で保障されたが、なお不平等な条文は残った

戦後になり、こういういろんな問題が解決して、ドラマの中でも日本国憲法を読み上げる場面が登場しました。平等が、しっかり日本国憲法で保障され、ドラマのシーンにも出てきますが、1946年4月に初めて女性が参政権を行使しました。皆さんが正装をして投票に行った写真などもよく見ることがあります。この時に39名の女性議員が誕生したと簡単に説明されています。どうしてこんなに大量の女性議員が誕生できたかというと、当時の選挙制度は小選挙区ではなく、2名連記で投票することができました。2名連記にすれば、1人は男性を書き、もう1人女性を書くことができるわけで、そこで大量の女性議員が当選したという大変画期的なことが生じました。

日本国憲法は11月3日に公布され、14条1項の法の下の平等で、性に基づく差別も禁止されました。それから13条、人は個人として尊重される。重要なのは、ここに個というものが入っていること、人は個人として尊重されるということが書き込まれました。24条は、婚姻は両性の合意のみに基づいて成立すると書き込まれました。後で憲法改正の問題に少し触れますが、このあたりはとても重要な条文です。夫婦は同等の権利を持つということも書いてあります。

このような良い規定を設けましたが、すぐに憲法の下で個々の条文が平等になったわけではありません。その後、いろんな法律を改定していかなければなりませんでしたが、実は、家族法改革は極めて不十分なまま、ずっと残っております。例えば、男女別の婚姻適齢は、ずっと残っておりました。婚姻するとき、男性は18歳、女性は16歳と2歳差の婚姻適齢が書き込まれておりました。どうして2歳の差があるのか。教科書を読むと、女性は早く成熟すると説明されていたりするのです。男性はちょっと発達が遅いということなのかと疑問になるのですが、でも、体のいい差別でありました。なぜかというと、女性が早めに結婚すれば、結婚した後は教育を受けなくて済むわけです。ですから、女性は教育の権利を早めに放棄するということと、実は相通じている条文でした。

それから、女性だけに再婚禁止期間が設けられておりました。これはつい先頃までずっと残っていました。離婚した人が再婚するときに、男性は翌日でも再婚できるわけですが、女性だけ6ヶ月の待婚期間がありました。子どもの父親が誰だかがわからなくならないように、前夫の子なのか後夫の子なのかがわかるように、妊娠してから子どもが生まれるまでの期間を設けておいて、そこまで再婚を禁止するということが女性に課せられたわけです。それが義務付けられておりました。

 それから夫婦同氏原則です。これはまだ解決しておりません。夫婦は、夫もしくは妻の氏を名乗ることになっており、最高裁などは、夫か妻がどちらかを選べるのだから平等だろうと言うわけですが、決してそんなことはなく、事実上は90何%の夫婦が夫の氏を選択しているわけです。ですから、夫婦同氏原則によって不利益を被るのは、圧倒的多数が女性であるという実態が、ずっと続いております。

ドラマのエピソードと事実(1)氏の問題

ドラマの中のエピソードと事実についての説明で、氏の問題です。ドラマの中で、主人公は、猪爪寅子さんです。この人は三淵さんがモデルですが、彼女は、最初の結婚で佐田さんと結婚して佐田寅子さんになりました。ところがその夫はとてもいい人だったが亡くなった。夫を亡くした後に彼女が再婚しようとした相手は裁判官だった。同業です。ドラマの中の名前で星航一さんと再婚しようとした。お互い裁判官で仕事上やはり困る。当時、裁判官は通称を使えませんでした。裁判官が旧姓を使えるようになったのは2017年からなので、法律婚をしたら、どちらかが氏を変えなければいけないわけです。それで、彼女が悩んでいるのを知った星航一さんが、自分が姓を変えようと言ったのですが、義理のお母さんに大反対されて、結局、ドラマの中では2人は事実婚を選択しました。「夫婦のようなものになろう」と言って、遺言書を取り交わして事実婚をする選択をしたとドラマの中で描いていました。

実際には、そのようなことは、到底、戦後直後にあり得るはずもなく、事実婚は許されるべくもなかったのです。実際には、武藤嘉子さんというのが出生時の名前ですが、最初の結婚で和田嘉子さんになりました。夫が死んでから裁判官の三淵勘太郎さんと再婚したので、結局、三淵嘉子さんになったのです。つまり2回姓を変えています。今でも、そういう方がたくさんいます。私の友達も、結婚して離婚して再婚すると姓が変わって、「あれ今、彼女は、どういう姓だったの?」と本当に思い出せなくなって、よく分からなくなってしまうのです。社会的な行方不明状態です。何度も身分が変わるごとに名前を変えるというのは、そういう状態に陥るということです。ましてや仕事の関係では、本当に不利益を被るというのは確かなことなのです。ドラマでは、これを丹念に丹念に描いておりました。

それからドラマの中で出てきた同性婚をめぐる問題。大学時代の同級生で同じように弁護士になった轟さんという男性が同性愛者だったというストーリーです。年齢を重ねていく中で良い同性のパートナーに出会ったわけですが、法律上の婚姻ができない自分たちについて考えているというストーリーでした。これは、現在への問いかけとして、とても良いストーリーですが、原作者の方が盛り込んで作ったと書かれておりました。

ドラマのエピソードと事実(2)司法の女性差別

次は、真実をほぼ反映したエピソードです。司法の中での女性差別の問題が登場しておりました。ある場面で、最高裁人事局で差別的な発言があったと語られた。「女性は資質的に裁判官として適格性に欠ける」と。理由その1は、生理休暇とか出産休暇があるから、そういうものを取ると男性の裁判官に負担のしわ寄せになる。理由その2は、性犯罪とか暴力事件が体力的には厳しい。現場検証などには女性は不向きだ。理由その3は、一人で支部長として男性の部下を掌握することはとても女性には無理だ。そう語られていました。

これは事実で、本当にあったストーリーです。女性が弁護士、裁判官、検察官になろうとするときに、いろんな障害があって、司法界の中でそれを阻止する力関係がとても働いていたというのは、今現在弁護士になっている女性たちが実際に経験してきたことです。

 例えば、(1)1970年、司法修習生の任官説明会がありました。弁護士司法試験に合格して修習生になった人たちを前にして、最高裁の人事局長が、「最高裁は女性を歓迎しない」と言った。もう本当にショックです。これから何とか実務に携われるとの期待をはじきれんばかりに持っていた人たちに対してこういうことが言われた。

(2)1976年、司法研修所で、こういうことも言われました。これ本当に笑ってしまうのですが、「司法研修所を出ても君たちには家庭に入って良い妻になるという道があるんだよ」と言われたというのです。「夫のために、君たちは能力があるのだから、能力を腐らせて夫のための肥やしになれ」と本当に言われた。昨年、残念なことにお亡くなりになった大谷恭子さんという弁護士さんがいるのですが、彼女はこれを聞いた側だったので、「どういう気持ちだった」と聞いたら、「もう笑っちゃったわよ」と言っておられました。本当に頭に来たが、笑うしかなかったということです。苦労して苦労して司法試験に受かっても、「夫のための肥やしになれ」と言われたという、本当のストーリーがありました。③2000年に、司法修習のクラスで「検察官任官は『クラスから女性枠1人』しかない」という事実が初めてわかった。

 これらは、放置されていたわけではなく、その都度、みんなが頑張って批判をしました。(1)1970年については、婦人法律家協会、今の女性法律家協会という、法律家になった実務家の方たちが多く入っている協会で、三淵さんも多分その中に入っていたと思いますが、最高裁に要望書を提出して抗議をしました。(2)1976年についても、日弁連と衆議院の法務委員会に真相究明を皆さんが申し入れて、発言した当事者の方は厳重注意処分になりました。(3)については、抗議した結果、「1人枠」は、なくなりました。こうやって、一つ一つクリアしていかなければ、せっかく司法試験に受かっても、女性は活躍できなかったというストーリーがありました。

1985年は「平等元年」だったが、「はて」

いろんなことを克服して1985年を迎えます。この年は、私は平等元年だったと思うのですが、平等元年としてドラマの中で書かれていたわけではありません。今から思えば、この年が平等元年だったということです。

今年、2025年は戦後80年です。1985年は、戦後のちょうど折り返し点で、戦後40年経った時です。それから40年経って今年になります。戦後80年の折り返し点になる1985年が、日本が女性差別撤廃条約を批准した年だったのです。ようやく国際社会の条約を批准できた年でした。残念ながら、さっきもお話ししたように三淵嘉子さんは、その前年にお亡くなりになっている。

この条約の話をまずさせていただきます。この条約そのものは1979年にできた条約です。日本が85年にこの条約を批准したのは、とても画期的なことでした。なぜかというと、この条約は、性別役割分業を見直すということをはっきり謳っているからです。性別役割分業というのは、本当に根強く根強く社会に定着していて、男はこれ、女はこれ、役割が違う、そういうものです。それを克服しない限り、本当の男女平等にはなれないことをしっかり謳ったのがこの条約です。1979年に国連が採択し、日本が1985年に批准したことは、本当に認識していたかどうかは別として、日本も性別役割分業を克服しなければいけないという考え方を受け入れたことになります。

ところが、1985年という年を今から振り返ってみると、この年に、今でも問題になっている年金の第3号被保険者制度ができた年だったのです。年金の第3号被保険者制度は、実は性別役割の典型例です。なぜかというと、「女性も個人の名前で年金が受け取れることになった」と当時は万歳万歳だったのですが、今から考えてみれば、この第3号被保険者制度というのは、本人が保険料を払わなくても、夫に扶養されている限り妻が年金を将来受け取れる。妻は保険料を払わずに妻である限りは自分の個人としての年金が受け取れるという制度なわけです。言ってみれば、性別役割分業の典型例のようなものをここで作った。

どうしてこのように、妻の意味ではないのですが被扶養者の地位をこんなに保護したのかというと、当時、日本型福祉社会を何とか実現しようと自民党政府は図っていたわけです。日本型福祉社会というのは、日本の福祉は公的な福祉ではなく家庭も関与して支えるのだ。そのために家庭内での役割は非常に重要だ。性別役割分業を家族間の中に受け入れて、夫が外で働き、家庭基盤を充実させていく。そういう考え方です。当時の自民党政府は、女性を家庭長と位置づけました。家庭の中の長であるというと、すごく妻の地位が優遇されているように聞こえますが、実際の権限は全く何もない。にもかかわらず、家庭を運営する責任は妻の役割だと押し付けられました。

 よく外国の夫婦と比較して、日本の夫婦は特徴的だと言われます。アメリカの人などと話すと、「妻が財布を握っているから日本の女性は強い」と言うのですが、決してそんなことはありません。妻は家庭内の家計の責任を任されるだけで、決して財産を自由に処分できるわけではありません。長とは、名ばかり。夫に従属する立場だが、家庭を安定させるためには妻の役割が非常に重要だ、それは日本型福祉社会の根底だからということです。これを崩したくないというのは、まさに政治の意思だと思います。

 ですから、考えてみると1985年という年は、性別役割分業を見直そうという女性差別撤廃条約を批准した年でもありますが、同時に第3号被保険者制度も受け入れて性別役割分業を固定化しようとする、相反する制度をこの年に日本は受け入れたことになります。この相克する2つの法制度は、その後、ことあるごとに対立が先鋭化していると思われます。

女性差別撤廃条約とは

さて、女性差別撤廃条約についてお話しします。1979年に国連で採択されました。現在は189カ国が締約国になっています。締約国というのは、その条約を受け入れて自分の国の法制度としてそれを実現しようとしている国のことです。特色は、あらゆる分野の女性差別を撤廃しようという条約なので、政治的分野や社会的分野だけでなく、家族の分野でも性差別をなくそうという考え方を実現しようと、固定化された役割を見直すことを謳いました。

日本は1985年に批准したときに男女雇用機会均等法を作り、それから国籍法も改正しました。当時の国籍法は、父系血統主義でした。つまり日本人の父親の子供は日本国籍を取得するが、母親が日本人でも子供は日本国籍を取得できなかった。これは明確な差別だということで、国籍法を改正して、父母両系主義という、父親か母親がいずれか日本人であれば子どもは日本国籍を取得する制度に変えました。それから、家庭科男女共修に学習指導要領を改訂しました。

その後も、法改正は進みました。均等法は、できた時には刃のない法律と言われ、「何も手応えがないじゃないか」「妥協の産物だ」「その代わりに女性に対する保護は撤廃された」と、働く女性にとって大変評判の悪い法律でした。男女雇用機会均等法は、その後、改正を繰り返し、1997年と2006年にも改正されて、ようやくそれらしい法律になっております。事業主には、セクシャルハラスメントを予防する、あるいは発生した時にそれを禁止する措置を取ることが義務付けられていますし、間接差別も禁止する法律になっています。最近、東京地裁から初めて間接差別を認めた裁判例が出て、昨年、大変有名になりました。「AGCグリーンテック事件」の判決です。

間接差別とは何か。女性だということを理由として差別をすれば、それは直接的な性差別です。女だから昇進させないとか、それは直接差別だから当然禁止されなければいけません。間接的な性差別というのは、一見すると性平等、両性にとって平等なのですが、基準を男性にも女性にも当てはめて適用すると、結果的に一方の性別に非常に不利になることを言います。間接的な性差別の場合には、その差別を設けた側が、これは是非必要であること、正当であることを立証しない限り、これは性差別で違法になるというのが間接性差別の概念です。いろんな国はいち早く取り入れて、間接性差別を禁止する法律を作ってきました。最初に取り入れたのは、1975年にイギリスで、性差別禁止法で取り入れました。

 日本も何年か経って、ようやく間接性差別を禁止する条文を作りました。男女雇用機会均等法の7条です。しかし、日本の場合はこの7条をほとんど活用できていないのです。なぜかというと、7条はあるのですが、それを裁判の中で闘っていく形ではなく、雇用機会均等法の施行規則の中で、間接差別は3類型しかないと限定的に記載してしまったからです。

例えば、採用するときの体重要件、身長要件です。身長要件は、いろんな国でも設けてるいのですが、例えば170センチ以上の人しか採用しない、それを男性にも女性にも性中立的に適用すると、結果として採用されるのは、多くは男性になる。そういうのが間接的な差別です。

 そうすると、使用者側は、どうして170センチ以上でなければいけないのかを職業上の理由として説明できなければいけない。そういう職業も、ままあります。航空機のジャンボ機のコックピットに座る機長さんは、一定の身長がなければダメだと説明されたりすることもあります。でも、ごくごく限られた職業でしか、そんな制限は必要がなく、普通の事務職を採用するときにそんなことをやったら、これは間接差別と当然言われます。そういうことは、均等法にも書いてありますが、ほとんど日本では間接差別として活用されていません。

日本でよく言われるのは、家族手当は世帯主にしか支給しないという世帯主条項です。だいたい夫婦で世帯主になっているのは男性が多いので、家族手当は男性にしか適用されないと、これは間接差別と思うのですが、そういうものは規定していないのです。それでも、一応、日本でも間接差別禁止が、2006年の均等法改正で導入されました。

育児休業法 男女共同参画基本法

1991年には、育児休業法が男性にも門戸を開きました。育児休業は、それまでは女性しか取れないという休業だったのが、男性も育児休業を取れるよう、ようやく認めたのが1991年でした。1996年には、法制審議会が、夫婦別姓をもうそろそろ認めようと民法改正案要項を出しました。ここまでは、すごく順調に、いろんな法律がどんどんジェンダー平等の方向に向かって改正されてきた動きを見ることができます。残念ながら、この96年の法制審議会の改正案要項は国会に出ずに終わったのは、極めて珍しい現象だと言われています。だいたいは法制審議会が要項を出せば、国会に出されて通過していくのですが、ここでストップがかかったというわけです。

99年には、男女共同参画社会基本法もできました。これもジェンダー平等に向かっていく流れの中でできた法律です。何がこの法律で良かったのかといえば、2001年にDV防止法ができたことです。ようやく、家庭内暴力、夫婦間暴力の防止法ができたのですが、このDV防止法ができるためには、男女共同参画社会基本法が制定される必要がありました。この流れの中でDV防止法ができました。

このDV防止法ができる前は、夫婦間暴力はどのように扱われていたのでしょうか。「青い鳥判決」という、1991年9月20日に名古屋地裁岡崎支部で出た判決です。DV法ができる前の判決です。それは、妻が結婚以来ひどい暴力をずっと受けていて、人格を無視されて気を失って倒れるぐらい暴力を受けてきました。それで、もう我慢できなくなって夫に離婚を求めたが、夫は承知しないので裁判になりました。

この判決で裁判官が判決文をどう書いたか、読んでみます。

「ひとかどの身代を真面目に作り上げた被告(被告は夫ということです)が法廷の片隅で一人孤独に寂しそうに、ことの成り行きを見守って傍聴している姿、哀れでならない。現在、原告と被告、妻と夫の婚姻関係についてはこれを継続することが困難な事情にあるが、なお被告は本件離婚に反対しており、原告と被告、とくに被告に対して最後の機会を与えて2人してどこを探しても見つからなかった青い鳥を身近に探すべくじっくり腰を据えて真剣に気長に話し合うよう、一切の事情を考慮して婚姻の継続を相当と認め、本件離婚の請求を棄却する」

こういう判決が出たのが91年です。裁判官はこういう発想だったということが、よくわかります。夫がいくら暴力を振るっても、離婚するまでもなく、今までは青い鳥を見つけられなかったが、これからは頑張って2人で青い鳥見つけなさいねという判決なので、私たちは、これを「青い鳥判決」と言っているのです。そんなに昔ではない時代の話です。女性に対する暴力や妻に対する暴力の認識がほとんどないという時代を経て、ようやく2001年にできたのがDV防止法でした。

ところが、この段階になって、多分ですが、1996年の法制審議会の法案要項を見て、ものすごく保守政権に警戒感が広がったということがあったと思います。なぜかというと、家族イデオロギーに頼ってきた保守政権は、家庭長の妻にしっかりしてもらわないといけないわけで、離婚なんかされるといけないというわけです。家庭長は妻である、世帯主は夫である、福祉の最小単位は家族である。このことを安藤優子さんがとても良い本(『自民党の女性認識』2022年)の中で分析しておられます。だから、何としても、この96年の法制審議会はストップをしないといけないと多分思ったのだと思います。

保守政権による大きな揺り戻しのバックラッシュ

日本の性別役割分業を前提とした家族イデオロギーを、これはぶち壊すものであると考えて、大きな大きな揺り戻しのバックラッシュが起きました。これは大変な動きだったと思います。97年には日本会議ができました。皆さんも、このバックラッシュは覚えておられると思いますし、私たちも経験しました。当時、世紀末から世紀初めの頃にいろいろなことが起きました。例えば、当時、男女共同参画条例がどんどんできていきました。1999年に男女共同参画社会基本法ができたので、それに基づいて各地でいろんな条例が具体的にできてきたわけです。

 ところがこの条例を使って、また性別役割を強化しようとする動きも発生しました。宇部市では、男女共同参画を阻止するかのような条例ができて、男女の特性論が書き込まれたりもしました。当時、千葉県では堂本暁子さんが県知事でした。堂本さんは、平等論者ですから、共同参画条例を作ろうと千葉県議会に提起しました。そうしたら、それが否決されました。いまだに全国の都道府県で千葉県だけが男女共同参画条例を持たない県になっています。最近、ダイバーシティの条例ができたと伺ってはいますけれども。各地で、ものすごく大変なことが、いろいろ起きました。

2005年には、自民党の中に「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクトチーム」ができて、安倍さんが座長で、山谷さんが事務局長という、すごいプロジェクトチームでした。ここが、男女共同参画基本計画に意見を提出した。どういう意見だったかというと、何年か前、私がリサーチしたときにそのまま内閣府のホームページに載っていたので、とても面白いと思ったのですが、少しだけ抜き書きしてみました。

 「個人単位の考え方などはもってのほか」、「ジェンダーという言葉を使うこと自体、地方の条例づくりに左翼が入り込む隙を与える、使うべきではない」と明確に書いてあるのです。

「行き過ぎた性教育」という大きなバッシングもありました。都議会で発生した問題で、ご存知だと思います。「行き過ぎた性教育批判」で、東京都議会から教育委員会が「教員を処分せよ」と言われたわけです。これが七尾養護学校事件です。とても良い性教育をやっていた養護学校に都議会議員が視察をしに行ったところ、人形を使っていた。その人形が障がいを持つ子どもがこれを他人に触られちゃいけない部分だと、その子たちに教えるために、具体的に人形を使って性教育をしていたのです。それを見た議員が、これは行き過ぎている、ヌードの人形を使わせているのはおかしいと教育委員会に訴え、教育委員会が教員を処分した事件でした。

これは、裁判所でしっかりと救済されて処分無効の判決が出たのですが、でも、その文句をつけた都議会議員はそのまま議員として残ったという事件でした。東京都では男女混合名簿を使うな、などということもありました。教育基本法の改正もこれを契機に行われました。

2012年の自民党の改憲草案

そして、同時に当時に出てきたのが、2012年の自民党の改憲草案でした。憲法13条で、「人は個人として尊重される」と書いてあるのですが、これを改正し、「人として尊重される」と書くわけです。つまり個人の個を消してしまおうという改憲の草案でした。たった一字なのですが、個人を人にすることによって、いろんなことが盛り込まれ、解釈されます。個人を消し去るということによって、集団とか国家を尊重することにつなげようとする考え方が裏にあると思います。

また、憲法24条1項。「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立する」と書いてありますが、これを「両性の合意に基づいて成立する」にして、「のみ」の2文字を取り払おうというわけです。考えてみれば、両性の合意以外に何かあるのかということになります。それは、何だろうか?家長へのノスタルジーなのだろうか。両性の合意のみに基づいて成立した家族は破局しやすいと当時も言われました。離婚率が高まるとか、家族は崩壊するとか、母親がわがままだから崩壊するんだとか、母親の愛情を受けない子が増えるとか、青少年の非行を高めるとか、限りない連想ゲームによって、憲法改正をどんどん推進しようという狙いがあったと思います。

ジェンダー平等への地道な取り組み

こうした動きの中で、私たちは研究者としてすごく苦労しました。法学も苦労したのですが、社会学や心理学、いろんな専門のジェンダー論を研究している方たち、それから教育学者もそうです。バックラッシュを受けて本当に疲弊していったのです。

しかし、一方でこの疲弊した経験は、ある意味で良い経験でもありました。いろんな出版物がこの時にたくさん出て、ジェンダー研究はすごく進みました。バックラッシュを受け、みんなが連帯して研究が進んだという経験がありました。

法学の分野で、私たちがジェンダー法学会を立ち上げたのも、この時でした。確かに一方で司法改革が進んできていて、ちょうど2004年4月から全国の法学部を持っていた大学にロースクールが開設されるということになりました。法科大学院です。それまでは司法試験を受けた個人が勝手に司法試験を受けて、塾などに通って合格していけば法曹になっていた。そうではなくて、大学で法曹教育をして、実務家を送り出そうと、そのためのロースクールを作ろうという動きがありました。

そこで、私たちは、せっかく大学で法曹を送り出す教育をするのだったら、絶対にジェンダーを学んだ法曹を送り出さなければいけない、そう思いました。そのためには、私たち自身がジェンダー法という、法におけるジェンダーを理解しなければいけないので、まずは学会を作りましょうということになり、2003年の12月にジェンダー法学会を立ち上げました。12月に早稲田大学で第1回目のジェンダー法学会をやったのですが、ものすごい熱気で300人ぐらいの教室が満杯で、全国から皆さんが駆けつけていろんな議論したことを覚えております。ひどいバックラッシュもあったが、でも、それに対する抵抗する学問も生まれるんだなと、すごく感じました。

私たちはジェンダー法学会と名前をつけました。それまでは、女性の権利とか、フェミニズム法学とかという言い方をしていたのですが、やはりジェンダー法学と言わなくてはと思ったのです。なぜかというと、フェミニズムというのは女性の権利のための学問ですが、ジェンダーというのは、社会的文化的な制度として理解される性別を男性も女性も両方含む、男らしさというのも、女らしさというのも両方を含み込むようなジェンダー法学にしたいと思ったからです。ジェンダーの固定観念を排除して、人間の存在は多様なものだと認めていく発想をみんなで学びましょう、ということにしました。

当然、人々の性的な指向とか、性の自己認識、性認識と言いますが、そういうものを固定化してはいけない、そういう学問にもつながっていきます。この間トランプさんが、「もう人間は性別、男と女しかない」と言ったのは、まさにジェンダーの発想と真逆の発想なので、アメリカはこれからどんどん後退していくと思うのですが、それに抵抗する学問もアメリカでもまた生み出されていくと思います。そのような力関係の中で学問の発展があると思います。

ジェンダー平等をめぐって今生じている問題

ジェンダー平等をめぐって、今生じている問題は、何でしょうか。当然、一つは、夫婦の氏をめぐる訴えがあります。民法750条の条文には、「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い夫又は妻の氏を称する」とあります。

 今、第3次夫婦別姓訴訟が進行中ですが、まだ最高裁で解決されておりません。最高裁はどう考えているのか。2021年6月23日の最高裁大法廷決定(第2次訴訟)で、夫婦別姓について、多数意見は、合憲と言っています。ただ、あまり説明はしていないのです。なぜ合憲かという説明はなく、結局、「夫か妻いずれかの性を選べるのだから平等でしょ」という考え方なのです。つまり形式的平等論です。制度のあり方は、司法が介入するのではなくて、国会で議論してほしいというのが最高裁の考え方だと思います。ただ、少数意見は、違憲と判断するとしています。こちらの方は、43ページもある力作です。多数意見は、たった1ページです。どっちが説得力があるか、当然わかります。近いうちに最高裁判決が出るのではないかと期待はしています。
次に、遺族年金の男女別取扱いも、現在、ジェンダー問題として大きな問題になっています。

これは、女性差別と逆の男性差別と言われる現象です。被保険者が死亡した場合、残された遺族には遺族厚生年金や労災保険であれば遺族補償年金が支払われます。もらう側の遺族が妻であると特に要件はなく、扶養されていれば当然支払われます。

ところが、残された人が夫であると、60歳以上という年齢要件があります。それで、もらえなかった男性が、これは性差別だといって提訴する事件が、かなり多くあります。最高裁は、「これは仕方ないでしょ」という考え方です。どうしてかというと、「残されたのが男性だったら、自分で働けるでしょう」「女性は働けないから遺族年金を払うけれど、男性は自分で仕事を見つけてきて働けばいいでしょう」というのが最高裁の考え方なのです。

 でも、よく考えてみたら、確かに男性に対する差別だと私も思いますし、これはいけないと思うのですが、同時に女性差別でもあると思います。なぜかというと、女性がいくら保険料を積んでも、扶養していた夫に遺族年金を残せないということで、これは、女性差別でもあります。もらう側からすれば男性差別と言えるが、残す側からすれば女性差別だから、どちらにしても、やはり性差別だと思います。性別役割分業が固定化している日本では、まだ、このようなおかしい制度が残っています。法改正の検討が始まっているとは言われていますが、まだ実現しておりません。

性的マイノリティの権利をめぐって

性的マイノリティの権利をめぐってもたくさんの問題があることはご存知の通りです。2023年6月にようやくLGBT理解増進法ができましたが、差別禁止法ではありません。理解増進にしか過ぎないので、おかしい法律だと言われています。また、性別を変更しようという時の性同一性障害特例法がありますが、これは大変高いハードルを課しているのです。手術要件があり、生殖不能要件、それから外観要件があって、これは手術をしないと変えられない。だから手術を受けられない人は性別を変更できない。そういうことはおかしいです。生殖不能要件のところまでは、最高裁の大法廷決定がおかしいと言いましたが、他のものがまだ残っているということです。

それから同性婚も認められておりません。高裁判決はいくつか出ておりまして、同性婚を認めない民法などの規定は憲法違反だという判断も下級審では出ていますが、でも、まだ解決されておりません。

賃金格差、昇格など労働領域での性差別

 男女差別の問題にもう一度戻ってみると、いろんなハードルもあります。賃金の問題を紹介したいと思います。性差別だと訴えたケースは、たくさんあり、もちろん救済されたケースもありますが、否定されたケース、認められなかったケースも結構多いのです。どうしてこんなに明確な性差別賃金が違法だと認められないのだろうか、と探っていくと、結構、立証責任の問題に行き着くことが多いのです。とりわけ、昇格差別をめぐっては、立証責任がものすごく大きなハードルを課しています。

典型的な例を一つだけご紹介します。中国電力事件です。中国電力という大企業で、一挙に120人ぐらい採用するわけです。この中の原告の女性が、120人の一人として採用されました。長年働き続けてきたけれど、どうも自分は昇進できない、男性よりも遅れてしまう。「女性だから、どうも昇進昇格が遅れているな」と思ったのですが、その証拠を出すことがなかなかできないので、諦めていました。

ところが、ついに、裁判しかないと裁判を起こしました。でも、結局、最高裁まで行って負けてしまう。どうしてでしょうか?

広島高裁の判決を引用します。広島高裁はこう言っているのです。確かに男女の間で昇級や昇格に差があることは認めるが、この格差は人事評価の結果であって差別ではないと、裁判所は言うわけです。同じ男性間にも昇格の違いがあり、明確に男女は分離していないと言うわけです。どうして男女差が生じているかというと、女性に管理職に就任することを敬遠する傾向もあるし、自己都合退職も少なくなく、前に女性保護規定もあったでしょうというわけです。それから最後に、原告の女性は協調性において人事考課が低かったと言います。

働きながら裁判を起こす人ですから、協調性という面では欠けるかもしれないけれど、それが本当の理由で昇格できなかったのか。いろいろとこの判決には文句をつけたいところなのですが、「層として明確に男女が分離しているわけではない」と裁判官が何を証拠として言ったのか。これを見ていただきたいと思います。この棒グラフは、同期同年齢で就職した人が120人と言いましたが、119人の賃金の高い人から左端からどんどん低い人まで並べたものです。青が男性、赤が女性です。55番目くらいに女性が1人、67番目くらいに女性が入っていますが、下の方はすごく赤が多い。女性ばかりでも中にちらほら男性も混じっている。だから、これは層として明確に分離してないと、裁判官は認定しております。これでも、層として明確に分離があると言えず、賃金差別と認定されないのであれば、どこまで立証責任を尽くせばいいのかということで、裁判で勝つのは本当に難しいとつくづく感じます。

その結果、日本のジェンダーギャップ指数は2024年に146カ国中、日本は118位。統計が取られ始めた頃は、まだ40何番目だったのです。どんどん低下するのはなぜかというと、他の国が、どんどん制度的な努力をしてジェンダーギャップを縮めているのです。しかし、日本は制度改革をしないで遅れているから、順番はが下がっているということです。

賃金格差も、下から3番目です。韓国の方がもっと低いのですが、OECD諸国の中で非常に低い。それらをもたらしている一番の根幹をこのグラフが表しています。これは、有償労働時間と無償労働時間の男女比です。一番左が日本です。赤い斜めの線は無償労働時間。無償労働時間とは、家の中で家事、育児介護をしている時間です。薄緑が有償労働時間、つまり、勤務したり外で働いたりして給与などの賃金を得ている時間です。日本は一番左にありますが、男性と女性のギャップがはなはだしい。赤い部分が女性ですごく多く、薄緑の部分が男性ですごく多い。青い折れ線グラフの日本の上に5.5とありますが、これは、無償労働時間を男性1とした場合、女性が5.5倍だという数値です。つまり、日本は性別役割分業が甚だしく、男性より女性が5.5倍、家の中で働いているという数値です。

他の国も確かに格差は大きいが、韓国は4.4です。イギリス、フランス、スウェーデンになると、せいぜい1.8から1.3です。このあたりが本当に格差を縮められない要因になっているというのが実態なのです。

女性差別撤廃条約の履行確保

女性差別撤廃条約を批准すると何が起きるかというと、定期的に国連の委員会に国が報告をする義務が発生します。これは4年に1回報告しなければならないことになっています。日本は真面目に国連に9回まで報告をしてきました。報告書を出すと審査を受ける。あなたの国ではしっかり条約が履行されているでしょうかと、審査を受けることになります。その審査を何度か日本は受けてきました。

 つい昨年の10月30日に第6回目の審査を受けて、総括所見というものが出ました。これが結構ニュースで騒がれたのでご存知だと思います。総括所見が全60項目出ました。本当にたくさんなところで、日本のジェンダー平等は、この条約に反する実態があることが勧告として出されました。以前から繰り返し勧告されていたのは、選択議定書を早く批准しなさい、夫婦別姓も早く別姓選択制を導入しなさいということです。雇用分野では11項目も勧告が出て、慰安婦問題もまだ全然解決していないと言われております。新しく、沖縄の米軍による性暴力の問題も勧告の中に入りました。条約を履行確保する制度としては、報告制度があって、いろんな勧告を受けると、国が次の報告までにはそれを是正しなさい、と言われます。でも、残念ながら、それは強制力がないのです。

もう一つの履行確保制度として個人通報制度があります。これを何とか私たちは実現したいと思っています。どういうことかと言いますと、日本の裁判所は、条約をせっかく批准しても条約に基づいて裁判をしない。それが日本の司法なのです。「条約は直接適用可能性がない」という言い方をして、条約に照らして司法判断をしないのが日本の裁判所です。ですから、先ほどの夫婦別姓も、最高裁は夫婦同姓を違憲とは言わないわけですが、条約違反とも言わないのです。

地方議会でひろがる選択議定書批准の意見書採択

日本が条約の選択議定書を批准すると、国連に個人通報できる仕組みがあります。だから、選択議定書を早く批准してほしいと言っているのが私たちの活動です。

選択議定書は、1999年に条約とは別に国連で採択されたものです。選択議定書は、自転車に例えていうと、後輪のことです。つまり推進力のことです。女性差別撤廃条約そのものは日本は批准しているが、選択議定書を批准していないということは、この条約の推進力がないということなのです。

もし、個人通報することができれば、個人が最高裁で負けても、国連の委員会に直接個人通報することができる。選択議定書を批准すれば、そうしたことが日本の国民みんなができるようになる制度なのです。例えば、先ほどの中国電力事件もそうです。中国電力で原告は最高裁で負けましたが、もし日本が選択議定書を批准していれば、彼女はさらに国連の委員会に個人として通報することができます。そうすれば、国連の委員会が日本の政府に対して、あなたの国ではこの人を救済していないというのはおかしい、これは条約違反だと勧告として出すことができる。そういう仕組みが個人通報なのです。

 女の子が自転車を漕いでいる図が一番よく示しているのですが、前輪は女性差別撤廃条約です。ジェンダー平等に向かって進みますという方向性を定める条約を、日本は批准している。方向性はちゃんと決まっているのですが、推進力の後輪がない。後輪が選択議定書です。残念ながら、後輪がないのが、現在の日本の状態です。

どうして日本政府は選択議定書を批准しないのかと、私たちは繰り返し繰り返し政府にも尋ねていますし、国会でも何度も質問がされています。でも、20年以上、日本の政府は繰り返して、こう説明するだけです。「個人通報制度は、確かに条約の効果的な実施のために注目する制度である。しかし、その受け入れについては我が国の司法制度、立法政策との関連、また実施体制との検討課題があるから、各方面の意見も踏まえつつ真剣に検討を進める。」

真剣に検討を進めると言いながら、20年も経っているわけです。の間の総括所見でも、日本政府は批准の検討に時間をかけすぎている、批准に対するいかなる障害にも速やかに対処しなさいという勧告が出ました。個人通報を待っている人たちはたくさんいます。私たちは、実現アクションを作って、国会に署名提出活動もしてきましたが、今一番力を入れているのは、地方議会の意見書採択を進める活動です。地方議会から国会に対して早く選択議定書を批准してくださいという意見書を上げてもらう活動です。全国で359の地方議会がこの意見書を採択してくれています。結構広がっています。2019年に女性差別撤廃条約実現アクションの活動を始めたのですが、その活動を始めてから、どんどん増えてうなぎ登りです。

代表的な地域を紹介します。大阪府では、全議会、100%で達成しています。富山県では1つだけ、船橋村という全国で一番小さい村が残っているだけになりました。長野県では、いろんな団体が共同して頑張って、89.8%達成しました。山梨も、63%になっています。こういう動きを見ますと、私たちは日本をジェンダー平等社会にするために、一つだけ言うとすれば、この選択議定書を批准して個人通報できるようにする。それは一つの大きな達成目標です。

 実は、個人通報の入り口は、とても狭いのです。誰もが個人通報できるわけではなくて、その国の中で権利が実現されなかった人が条件で、最高裁まで行ったけれど勝てなかった人、そういう人しか個人通報はできないのです。ものすごくハードルが高いが、それでもなおかつ個人通報ができる制度の仕組みができたら、日本はきっと変わると思うのです。

どうしてかというと、今の国内の判決は、裁判官は最高裁しか見ていないからです。最高裁を見て、それに反しないように下級審の裁判官は、判決を書いています。ところが、もし、個人通報ができる仕組みになれば、最高裁の次に国連の委員会に通報できるわけです。国連の委員会が、そこに勧告、見解を出すことができるようになると、日本の下級審の裁判官も、国連まで見通して、いま世界で人権条約はどんな状況になっているのかを学んで、判決を書くということに絶対になると思うのです。そうなれば、日本の司法は、きっと変わるだろうと思います。

最後に言いたいのは、地方議会は国会と違って、地域、住民のことをよく見ている。地方議会で、意見書を上げるのは、すごく大きな影響力があると思います。地方議会は、全会派一致でないと意見書が出せないところが、結構多いのです。自民党も含めて意見書に賛成しないと意見書が出ない。それが359あるということは、地方議会も動かしているということなのです。全く違う会派の女性議員が協力して、意見書が可能になったということも、たくさん見えてきました。

民主主義は、こうやって生まれていく、という思いがけない効果もある。そんな気がしております。

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