韓国大統領の尹氏が「非常戒厳」宣布を巡る内乱容疑で拘束された。現役の大統領が民衆の力によって追い詰めに追い詰められている。民主主義の逆襲だ。
昨年の12月19日、東京の国会議員会館前で行われた19日行動に韓国の運動団体代表者がわざわざ韓国から参加した。国会前ではリアルな韓国の状況の報告と日本との連帯を求める感動的なスピーチがあった。集会後、韓国代表者との懇親会で興味深い話を聞くことが出来た。
今回の尹大統領を巡る運動の盛り上がりのキーポイントとなっているのがミレニアム世代の若者の立ち上がりだ。ミレニアム世代の親たちは80年の光州事件、87年の民主化運動を知っている年代だ。水を欲するように民主主義を手に入れたかったという経験とは裏腹に、ミレニアム世代の若者たちにとって民主主義は「あって当たり前」のものであり、むしろ民衆運動を行う親は貧乏な「負け組」だとすら思われてきたそうだ。しかし去年、若者の間で「ソウルの春」という映画が流行った。今までは親から聞かされてきた光州事件は、映画によって身近なものとなった。そのようなベースがある中での戒厳令騒動で、「あの映画のようなことになる」と危機感を感じ立ちあがった若者が多くいた。「負け組」と思っていた親たちの行ってきた民衆運動への理解とリスペクトにもつながり、皮肉にもジェネレーションギャップが縮まったそうだ。
今までは自分たちの子どもたちがKPOPなどに「うつつを抜かしている」と思っていた大人たちも、デモでKPOPを聞くと歌詞の内容が将来への不安や現状への不満などを歌っているもので、「なかなか良い歌」だと思ったそうだ。何も考えていないと思っていた若者たちも実は将来への不安や社会への不満を持っていて、その思いを「音楽を聞くことによって共有していた」ということを理解することができて、いまやKPOP研究会なるものもでき始めているそうだ。また、韓国の著名人に関わらず一般の市民も、デモには参加できなくとも連帯の意味を込めてクレジットカードで喫茶店のコーヒーを何百杯も購入しSNSで「○○のコーヒー屋さんに行って私の名前を言えばタダでコーヒーがもらえるよ。デモ頑張って」という激励の差し入れを行っていたという話を聞いた。韓国は差し入れまでもスマートでかっこいい。
光州事件と民主化運動共々多くの市民の犠牲者が出ている。民衆運動に参加するということは命がけの行為だった。そのような命がけの民衆運動の積み重ねの上に2016年のキャンドル革命は「ガラス一枚も割れなかったキャンドル革命」と言われた。そして今回の尹大統領弾劾運動では、ミレニアム世代の若者たちを取り込み、全世代参加型の民衆運動を構築している。12月19日の国会前での集会に参加してくださった韓国の運動家、キム・ギョンミンさんは「キャンドル革命の時はライブに行く感覚だったが、今回はクラブに行く感覚だと言われている」と教えてくれた。私達の運動ももっと柔軟で楽しめるような大胆な工夫と発想を持ってアップデートしていかなければならない。お隣韓国の運動から学ぶことは多くある。2月5日には韓国の国会議員と市民運動家が来日し、参議院会館で報告会を行うことになった。私たちが思っている以上に、韓国の運動家の仲間たちは私たちとの連帯を大事にしてくれている。きちんと韓国の仲間たちの思いに応えられるような市民運動を作り上げていこうではないか。
アメリカ大統領にトランプ氏が就任した。就任前から「メキシコ湾はアメリカ湾に変更しよう。とても美しい名前だ」「カナダは51番目の州に」「アメリカにはグリーンランドが必要だ」というような横暴極まりない発信を立て続けにした。まるでプーチンのようだ。トランプ氏が支持される背景には格差貧困、差別社会がある。生活が苦しいからこそトランプを支持してしまうのだ。トランプが掲げる社会像はさらなる格差を生み出し貧困を深刻なものにするはずなのにも関わらず、なぜ支持されてしまうのか。
このようなトランプ氏による影響は日本の選挙や運動界隈にも悪影響を及ぼしている。全世界が混乱状態となったコロナ禍ではトランプ氏は「コロナなんてない」「マスクは不要だ」といった陰謀論をふりまいた。日本でも首相官邸前などで、トランプカラーの帽子をかぶり星条旗を振り回しながら「コロナワクチンはチップを埋め込むため」「コロナなんてない」などのアピールをしている。そこに右派団体がくっついたことにより、より影響力を増しており一部の立憲野党の議員までもが取り込まれている。
他にも兵庫県知事選挙でもあったように自分の意にそぐわない結果をもたらすことがあると「不正」だ「真実は別のところにある」と、まるで「デマ」に現実が合わせるかのような流れもトランプ氏が行ってきたことになぞって起きている。N国の立花氏は、兵庫県知事の斉藤氏は「嵌められたんだ」「自死した人は10年間に10人と不倫していた。バレたくなくて自死した」という何の根拠もないことをネットで言い続け、メディアは真実を報道しない、我こそが真実を知っているんだといった狂気じみた渦を巻き起こした。公選法の抜け道を駆使し、二馬力選挙を行い、反発してくる人間はネットで徹底的にさらし者にし、叩きまくった。その結果、1月18日にまた新たな犠牲者が出てしまった。
本来SNSは幅広く様々な人々と繋がるためのツールでなくてはならないのにも関わらず、人を貶め、命さえも奪ってしまうような使い方をしている人が年々幅を利かせ、それを信じてしまう人が拍車をかけている。声が大きくて強い人を信じることによって、自分が置かれている苦しい状況を直視せずに済むのであろう。真っ当で本当のことは分かりにくくて複雑で、自分で見つけ、自分で考えていくことの中にしか存在しえない。
韓国でもネット右翼がYouTubeを配信しながら、地裁の窓ガラスやシャッターを破壊し侵入したり、「共産主義国になるぞ」などと言ったデマを広げて支持拡大をしている。ネトウヨの行うことは万国共通かと思うほどである。日本社会もそのような流れに傾きつつあるということを冷静に受け止め、焦らずに今までの運動の積み重ねを信じ、巻き返しをはかろう。
今、元SMAPの中居氏の性加害事件発覚を機に、フジテレビが女性アナウンサーを男性への接待役として長年使ってきたことが明るみになった。そのことに関してフジテレビ側の記者会見では記者を規制したり「カメラを回すな」と注文を付け、テレビ局にも関わらず静止画での報道となるなど、異常事態に陥っている。同時期に、去年都知事選に立候補した石丸氏も自身の新たな地域政党立ち上げ会見の記者を限定するなど、自分にとって都合の良い報道をしてくれるメディアしか入れないという独裁的な手法を取っていたことが問題になっていた。
一体、何のためのメディアなのか。こんなことは許されてはならない。メディア側も黙ってはいない。怒った記者の仲間がフジテレビの会見やり直しを求めるオンライン署名を始めた。その動きとまるで連動するかのようにフジテレビにおけるスポンサーが続々とCM放映を取りやめた。メディアをないがしろにする人間はメディアによって懲らしめないといけない。そして知る側の私たちも、闘うメディア関係者と共に「真実を知る権利」を掲げ反撃していこうではないか。フェイクニュースには今こそペンの力を信じて立ち向かおう。
ガザ「停戦」が始まった。ガザへの攻撃を止めろ、虐殺を止めろの声を上げ続けてこなかったらいまだ「停戦」にはならずにいたであろう。しかし、「停戦」したからと言ってこれまで殺されてきた人々の命は戻ってこない。イスラエルのやったことは無かった事にはならない。そして、またいつ虐殺が一方的に始まるかわからない状況で全く喜べるような状況ではない。
そのような中で日本政府は一体何をしていたのだろうか。ガザ虐殺が続く中で日本の年金積立金管理運用独立行政法人は厚労省から預かった年金を投資ファンドへ丸投げして運用させ、虐殺と民族浄化を行うイスラエル政府とそれに加担する企業に対して投資させるがままにしている。他にも防衛省は2025年度概算要求で、攻撃型ドローンの取得費30億円を初計上した。約310機の取得を計画し、イスラエル製を有力な選択肢にあげている。憲法9条を持つ国、日本がこのようなジェノサイドに加担し、死の商人になることを私たちは絶対に許してはならない。ガザのことは日本の私たちのことでもある。西日本で本格化している軍拡は深刻である。日本が「戦争する国」に突き進むことを断固拒否し西日本の仲間たちと連帯して軍拡反対運動を全国に広げていくことが喫緊の課題である。
「停戦」を一時的なものにせず恒久的なものとし、パレスチナの解放を全世界の仲間たちと声を上げ勝ち取ろう。
選択的夫婦別姓制度を巡って議論が本格化しようとしている。今現在は選択的夫婦別姓に賛成の意見が圧倒的多数だ。そのため、ネット上では保守層が必死になって「選択的夫婦別姓制度が導入されたら家族がバラバラになる」と言った論調を張っている。産経新聞も小学生を対象に誘導尋問さながらのアンケートを取って、「子どもたちは苗字はバラバラなのは反対だ」というような世論操作を行っている。ここ数年、テレビで主に吉本興業の男性芸人らが自分のパートナーを「嫁」と表現することにより、同様の呼び方が若者中心に広まっている。「妻」「パートナー」「連れ合い」「同居人」などの呼び名の選択肢がやっと少しずつ広まり始めてきていたが、「嫁」に押されつつある。
このように、今は好意的に受け入れられている選択的夫婦別姓制度の法制化に、これから保守の日本会議やカルト団体統一教会などが黙っていないだろう。ありとあらゆる手段を使って「家族崩壊」「日本の文化が消える」といった大キャンペーンを行うことが予想される。そのような逆風に耐えられるだけの運動を準備しよう。
現在、結婚後苗字を変えるのは、2023年時点で95%が女性である。今まで慣れ親しんできた名前を変えるということがどれだけ屈辱的なことか、選択的夫婦別姓反対派の男性たちには自分と置き換えて考えてもらいたい。例えば資格取得時の名前が結婚後変わってしまうとややこしかったり、運転免許証や保険証、クレジットカード、ポイントカードに至るまですべて変更しなければならない。周囲からの呼ばれ方も変わってくる。このようなことが常態化していること自体が異常である。苗字を男の苗字にすることによって必然的に大きな力関係が出来てしまう。女性は家庭のサブ的存在であり、主役は男性という構図はこのようにして成り立ってきてしまっているのだ。
選択的夫婦別姓制度の導入は経団連までもが言っている。しかし、経団連の言う選択的夫婦別姓はビジネスの足かせになるからという理由であり、真の女性解放などと言うものではない。私たちが長年訴えて来た選択的夫婦別姓の実現は「結婚したら女性が名前を変えるもの」という刷り込みを覆すことにより、これからの未来が少しずつ変わっていくジェンダー平等への大きな一歩であるということだ。
なぜ長年選択的夫婦別姓制度の法制化が実現できていないのか。そこには自民党はじめとした日本の政治にカルト団体が蝕んできた歴史がある。個が大事にされる社会はカルトべったりの自民党政治の一掃無くして実現できないということも併せて広めていこう。
2025年は参議院選挙もある。情勢は動いている。その動きを決して陰謀論者などの手に渡らせてはならない。市民運動を今一度見直し、韓国の運動など取り入れられるものはどんどん取り入れて楽しく誰もが入りやすいものへとアップデートさせていこう。夜明けは近いと確信を持って諦めず闘おう。
(事務局長 菱山南帆子)
わたしたちは日本と韓国、そして朝鮮をはじめ、東アジアの真の平和を求め、これまで日韓の市民連帯を続けてきました。
昨日12月3日、午後10時半頃、韓国の尹錫悦大統領は緊急談話を発表しながら、政権に対する弾劾訴追をはじめとする政治家、官僚をはじめ韓国市民の抗議の声を封殺するために非常戒厳発を宣布する措置を断行しました。それに対し、韓国国会では直ちに190名全員が昨日午前1時頃、「非常戒厳令」解除要求を決議し、その結果、午前5時頃、尹錫悦政権は「非常戒厳令」の解除を発表しました。
この非常戒厳令措置に対し、大韓弁護士協会、韓国金属労働組合、韓国女性団体連合、やカトリック・カリタス韓国、そして「ユン・ソクヨル違法戒厳令糾弾、内乱罪のユン・ソクヨル退陣 、国民主権実現のための全面的抵抗運動を宣言する全国民緊急行動」などの諸団体から抗議声明が発出され、市民運動の闘いは広がっています。
非常戒厳令宣布はおよそ6時間半後に解除されたとはいえ、尹錫悦政権はこの度の理不尽な非常戒厳令宣布措置によって憲法の保障する市民的権利を蹂躙した責任を追及する声は一層高まりつつあります。さらに国会における尹錫悦大統領に対する弾劾訴追に至るまでの事態をこれまで招いた政治責任追及の動きはこれまで以上に高揚することが予想されます。
わたしたちは今、日韓基本条約締結60年、そして日本の敗戦80年と韓国・朝鮮の解放80年となる来年2025年に向けて日本と韓国・朝鮮とが真の和解と平和の構築のために日韓市民のさらなる相互理解と連帯を深めようとしています。わたしたちは、この東アジアにおいて疑心暗鬼と敵意をあおり、いたずらに軍事拡大に暴走し、南北朝鮮と東アジアの緊張をかえって激化させる日韓両政府の軍事同盟化の道に断固反対します。
わたしたちは、憲法9条の精神を尊重し、対話による平和外交と市民の連帯こそが東アジアの平和構築の唯一最善の道と確信します。
その理念を共有する韓国市民が尹錫悦政権の失政と暴挙に対し抗議しながら退陣を要求する自由と民主主義の闘いに、私たちは熱い連帯の意志をここに表明します。
2024年12月5日
日韓和解と平和プラットフォーム日本運営委員会
金敬敏共同代表 (日韓プラットフォーム韓国運営委員会/韓国市民社会連帯委員会/韓国YMCA全国連盟事務総長)19日行動メッセージ 2024年12月19日18:30 於 国会議員会館前
こんばんは。
平和と民主主義を愛する日本の同志、市民の皆さん!韓国と日本の市民社会とは長い間、平和と連帯の絆で深くつながっています。
特に、12月3日の夜、非常戒厳令が宣言された後、12月5日にすぐに記者会見を行い、非常戒厳令を非難し、韓国の民主主義と市民社会に連帯と支持を表明してくださったことに深く感謝いたします。
12月3日の夜、非常戒厳令が宣言されると、数人の市民社会指導者が対策討議のために集まりました。 非常戒厳令を3回経験したあるご高齢の先輩は、この度の戒厳令宣布に対する抗議行動に出かける時に、自分がこの度はどうなってしまうか心に不安がよぎりながらも妻に「また会おう」と挨拶をして出て行ったそうです。
光州民衆抗争は、軍部が緊急戒厳令を宣言した1980年5月17日の翌日、1980年5月18日に起こりました。 緊急戒厳令は韓国人にとって拷問と血の虐殺を意味します。
今回の非常戒厳事態は、1980年よりも多くの軍が関与しており、国情院などの権力機関が広範囲に関与した緻密に計画された内乱であったことが具体的に明らかになっています。
非常戒厳令布告の発表にもかかわらず、国会前に集まり、武装した戒厳軍と装甲車を素手で阻止した市民の行動と、国会の迅速な非常戒厳令撤廃要求決議案の通過により、非常戒厳令を一旦阻止することができました。
特別戦闘隊や707部隊など最精鋭の兵士たちの消極的な対応も、国会の戒厳令廃止に大きな力になりました。
大韓民国の憲法第1条では大韓民国は民主共和国である、憲法第2条ではすべての権力は国民に依拠すると明記しています。憲法1条と2条は、民主主義のための闘争を通じて市民の心に深く内面化されています。
市民社会はすぐにユン・ソクヨルの即時退陣、社会大改革緊急行動を結成し、12月14日、200万人を超える市民が国会前に集まった中、ユン・ソクヨル弾劾を国会で可決しました。
しかし、今回の非常戒厳令の過程で注意深く見なければならない部分があります。国会は非常戒厳宣布後の一連の過程を内乱と規定し、ユン・ソクヨルを内乱の首謀者として弾劾しましたが、ユン・ソクヨルが北朝鮮を刺激して戦争を誘発し、戦争状況を根拠に戒厳統治を試みようとしたことが至るところから明らかになって来ています。
無人機の平壌上空への侵入、汚物風船の出発点打撃命令など、少なくとも3回以上の試みがありました。分断状況を利用して戦争を誘発し、強権集中化を夢見た狂人(ママ)がユン・ソクヨルです。
そして、朝鮮半島の分断は人間の安全保障と平和韓国の民主主義と繁栄を脅かす最も根本的な問題といえます。また韓国は持続的な敵対行為と年500回を超える米韓連合訓練などの武力挑発、そして無人機の平壌侵入などを行ってきましたが、そのような南側からの挑発に対して軍事的に対応しない北朝鮮を高く評価します。
韓国は産業発展と民主主義を実現した国ですが、なぜユン・ソクヨルのような人が大統領になり、また非常戒厳令が宣言されるのか、多くの人が疑問を抱いています。
韓国の現代史は、日本植民地時代の残滓を清算できず、分断状況を利用した軍事独裁時代を経験し、民主化後も親日軍事独裁に回帰しようとする極右勢力との命をかけた闘争の歴史であり、市民抗争の歴史です。
それゆえ私たちは自信を持って申し上げます。大韓民国は市民が興し、市民が守り、築いてきた市民の国だと自覚しています。そして私たち市民は大日本帝国の植民地支配に協力した裏切り者、そして南北分断の傷と今も苦しみながら闘争しています。
今回の弾劾後の日程は大きく2段階に予測されます。 約2ヶ月間の憲法裁判所によるユン・ソクヨル大統領の罷免手続きと罷免後2ヶ月以内の大統領選挙の過程で展開されるでしょう。
朝鮮半島の平和と民主主義は、東アジア地域の秩序にも深く影響します。
米国は中国を圧迫する日米韓軍事同盟と、安倍首相が推進したインド太平洋戦略を積極的に推進してきました。
韓米日軍事同盟の締結は、東アジアを軍事的葛藤と危機の場として来ましたが、韓日市民社会は、そのような戦争への道ではなく、東アジア平和体制のための構想と協議を進めることを提案します。
憲法9条を守るための日本市民社会の闘いは、東アジアの平和体制確立のための貴重な資産となり、その献身に深い敬意と連帯の気持ちを皆さまにお伝えします。
石破首相が主張するアジア版NATOではなく、米国と中国、日本、韓国、北朝鮮などが相互の安全を保証する東アジア多国間平和体制の確立の可能性などを協議して行きたいのです。
韓国と日本社会が友人として友情を分かち合い、民主主義と平和の定着に向けた大行進を共にする同志として、そして長い道のりを共にする友人として、いつも一緒にいてほしいと思います。
ありがとうございました。
現在、隣国韓国においてし烈に闘われている尹錫悦政権の「戒厳令」措置の暴挙に抗議する韓国市民の運動に心を寄せているすべての市民団体・グループのみなさん!
私たち「日韓和解と平和プラットフォーム日本運営委員会」は去る12月5日、尹錫悦政権の「戒厳令」措置の暴挙に抗議する韓国市民への緊急連帯声明を発表しました。それ以後も韓国民衆のたたかいはつづいています。私たちは緊急連帯声明を発出したものとしての責任において、再度、緊急に共同の声明を提案し、連署して新年年初に韓国の市民に届けたいと思います。主旨に賛同されるみなさんの連署をお願いします。声明案の趣旨にご賛同いただける団体(今回は団体に限ります)は至急、連署応諾の旨を下記連絡先に御連絡ください。短期間ですので、この賛同要請の拡散も至急ご協力御願いします。
賛同いただける団体は以下のリンクに入力をお願いします。
https://forms.gle/krLYbxiicRLb8UpP8
2024年12月16日
「日韓和解と平和プラットフォーム日本運営委員会」
【共同代表】小野文珖(宗教者九条の和)/髙田 健(許すな! 憲法改悪・市民連絡会)野平 晋作(ピースボート)/光延 一郎(日本カトリック正義と平和協議会)
<連帯声明文>
「私たちは尹錫悦政権退陣民主化闘争に連帯します」去る 12 月3 日、韓国の尹錫悦政権は非常戒厳令宣布を行い、韓国市民をはじめ、日本と世界を驚愕させる事態を引き起こしました。
内乱もない韓国社会において突然、非常戒厳令を宣布するという暴挙は、戒厳令宣布の条件を規定した韓国憲法77 条に対する明らかな重大違反であり、むしろ尹政権による戒厳令宣布自体が韓国の憲政秩序に対する内乱として現在、尹錫悦大統領とその共謀者に対する、弾劾をはじめ厳しい追及が国会と市民社会において繰り広げられてきました。
12 月4日未明には戒厳令は解除されたものの、日を追うごとに戒厳令宣布の真相が明らかとなってきました。すなわち、尹政権の失政に対する野党議員と市民による怒りと批判をかわすために敢えて理不尽にも批判勢力を北側の朝鮮と結びつけることにより、戒厳令という非常手段をもって一挙に弾圧を図ろうとした意図が明るみになってきました。
去る12月14日の韓国国会においてついに弾劾訴追案が可決されることになりました。一度目の弾劾訴追案の国会未成立をこの度の可決に導いたのはまさに韓国民衆の民主化のたたかいの力であり、これは民衆の大きな勝利の一歩です。これから韓国憲法裁判所が尹錫悦大統領の罷免判決を下すことを訴えながら、韓国民衆はさらに正義の審判を叫びながら民主化のたたかいを深め広げていくことでしょう。私たちはこの日本から引き続き、その動向を見守るばかりでなく、支援連帯の絆を強めていかなければなりません。
韓国市民運動は断固として、自ら内乱的暴挙を犯した尹大統領の弾劾罷免による退陣を要求して立ち上がりました。そして韓国内で市民の諸団体が連合・連帯するそのたたかいは単に一人の大統領の退陣問題にとどまらず、今「韓国政治の大改革」を掲げ、全国に広がっていきつつあります。
1980年5月、軍部独裁による戒厳令のもとで光州の多くの市民が虐殺された痛みの歴史経験を刻む韓国市民は権力による戒厳令宣布の暴挙に対して特別の記憶を心に刻んでいると私たちは聞いています。しかし,その苦難の歴史の中から韓国市民はついに2016年、ローソク市民革命を成し遂げていきました。そのような韓国民主化闘争の歴史から、日本における民主主義と平和のたたかいを続けてきた私たち日本市民は多くのことを学び、これまで連帯してきました。この度の尹政権による戒厳令宣布の暴挙は今再びあのローソク革命の灯火を燎原の火のごとく韓国社会に広げることになりつつあります。
私たち日本市民は、敵意をこえて友好と対話による平和実現の根幹である憲法9条に基づき、軍拡ではない立憲民主主義を堅く守り、日本と韓国・朝鮮、そして東アジアの平和構築の道をめざしています。
そのような理念と展望を堅持する私たちは、今韓国において高揚する市民による尹政権退陣民主化のたたかいに心から連帯の意思をここに表明します。
2025年1月
「『私たちは韓国市民の尹錫悦政権退陣民主化闘争に連帯します』連帯声明」
愛知宗教者平和の会/旭区「九条の会」/アジェンダ・プロジェクト/ATTAC Japan(首都圏)/医療と福祉の戦争協力に反対する連絡会議/エルクラノの会/大阪 YWCA/沖縄と連帯する会・ぎふ/お題目九条の会/外国人住民基本法の制定を求める神奈川キリスト者連絡会/外国人住民基本法の制定を求める全国キリスト教連絡協議会/過去と現在を考えるネットワーク北海道/カトリック東京正義と平和の会/鎌倉・九条の会/「韓国併合」100 年東海行動実行委員会/「記憶と平和のための 1923 歴史館」の「関東虐殺 1100 種証言韓国語共同翻訳会」/基地のない沖縄をめざす宗教者の集い/九条の会事務局/キリスト者政治連盟/呉 YWCA/群馬諸宗教者の集い/研究所テオリア/憲法・教育基本法改悪に反対する市民連絡会おおいた/憲法生かして平和をつくろう 高田馬場駅前街宣チーム/憲法9条-世界へ未来へ連絡会(9 条連)/憲法9条を壊すな!実行委員会/「憲法」を愛する女性ネット/憲法を生かす会/神戸学生青年センター/高麗博物館/護憲ネットワーク北海道/個人を尊重し平和をつくる長沼の会/子どもと教育九条の会・品川/在日大韓基督教会/在日朝鮮人作家を読む会/在日本聖公会韓国人聖職者会/札幌キリスト教連合会在日韓国・朝鮮人との共生をめざす委員会/さよなら原発品川アクション/三一書房/三多摩合同労働組合ゆにおん同愛会/JCA-NET/市民アクションいみず/市民研/市民自治を創る会/人民の力長野協議会/市民連合しながわ/市民連合はままつ・有志/社会批評社/宗教者九条の和/合同会社 宗教対話研究所/湘南護憲市民の会・鎌倉/自立・共生めざす市民連帯/人権平和・浜松/人民の力長野協議会/STOP 改憲・北区の会/瀬戸市平和委員会/全国キリスト教学校人権教育研究協議会 運営委員会/全国労働組合連絡協議会/千住九条の会/戦争協力に NO! 葛飾ネットワーク/戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会/戦争させない、9条壊すな!釧路行動実行委員会/戦争に協力しない!させない!練馬アクション/戦争はいやだ調布市民の会/全労協退職者ユニオン/第九条の会ヒロシマ/立川自衛隊監視テント村/朝鮮女性と連帯する日本婦人連絡会/調布九条の会「憲法ひろば」/NPO 法人 TM 良薬センター/東京 YWCA/時を見つめる会/鳥取市 9 条の会/富坂キリスト教センター/とめよう改憲!おおさかネットワーク/長野ピースサイクル実行委員会/名古屋YWCA/日蓮宗妙行結社/日韓市民交流を進める希望連帯/日韓反核平和連帯・福岡/日韓民衆連帯全国ネットワーク/日韓民衆連帯委員会/日韓民主労働者連帯/日韓和解と平和プラットフォーム/日本カトリック正義と平和協議会/日本キリスト教協議会/日本キリスト教協議会教育部/日本キリスト教協議会女性委員会/日本キリスト教協議会URM委員会/日本基督教団今津教会/日本基督教団北千住教会平和の会有志/日本基督教団北海教区平和部門委員会/日本基督教団北海教区「慰安婦」問題の解決を目指すプロジェクトチーム/(公財)日本キリスト教婦人矯風会/日本山妙法寺/日本宗教者平和協議会/日本聖公会大阪教区 社会宣教/在日韓国・朝鮮人宣教協働委員会/日本聖公会日韓協働委員会/日本製鉄元徴用工裁判を支援する会/日本とコリアを結ぶ会・下関 鍬野保雄/日本友和会( Fellowship of Reconciliation -Japan )/日本 YWCA/念仏者九条の会/ノーニュークス・アジアフォーラム・ジャパン/ノーモア沖縄戦 えひめの会/ノレの会/ピースボート/ピースアクションうえだ/ピースサイクル浜松/ピースサイクル静岡ネットワーク/ピースリンク広島・呉・岩国/東アジアの和解と平和ネットワーク/東大和9条の会/ビデオプレス/「秘密保護法」廃止へ!実行委員会/ふぇみ・ゼミ&カフェ/ふぇみん婦人民主クラブ/不戦へのネットワーク/平和 環境 人権・しながわ/平和憲法を守る荒川の会/平和・人権・環境を守る岐阜県市民の声/平和といのち・イグナチオ9条の会/平和の灯を!ヤスクニの闇へ キャンドル行動実行委員会/平和・労働・人権 北九州共闘センター/平和を実現するキリスト者ネット/平和をつくり出す宗教者ネット/平和をつくる大和市民の会/別所憲法 9 条の会(八王子市)/ヘルパー関連ユニオン・ライフエイド/マイノリティ宣教センター運営委員会/「ユーゴネット」/郵政シルバーユニオン静岡/許すな!憲法改悪・市民連絡会/レイバーネットねりまの会/労学舎/労働組合LCCながの/若葉・九条の会/わたぼうし教室 賛同団体(138団体)
渡辺 治さん(一橋大学名誉教授、九条の会事務局)
(編集部註)12月21日の講座で渡辺治さんが講演した内容を編集部の責任で要約したものです。要約の責任はすべて本誌編集部にあります。
もうご承知のように裏金問題で批判を浴びて、岸田政権が退陣を余儀なくされ、自民党の総裁選挙を踏まえて石破新政権が誕生しました。石破首相は総裁選中の約束であった裏金問題について、十分野党と議論して解散総選挙に臨むということを踏みにじって、内閣発足直後の解散総選挙を強行しました。自民党は大敗し、自公の過半数割れがもたらされました。このことは日本の今後の政治、とくに今日主題となっている改憲、軍拡政策にも大きな影響を与えると考えますので、今日は大きく3つの話をしたいと思います。
1つは岸田から石破政権に変わって、改憲軍拡政策はどのようなものになっていくのかを検討する。
2番目に、石破が行った解散総選挙によって起こした総選挙の結果、あれは何を意味しているのか。いかなる課題を提示して、いかなる条件を私達に切り開いたのかということを検討したい。
最後に、総選挙後の石破政権の改憲軍拡政策がどんなもので、それにいかに立ち向かうかということについても少し触れたいと思います。
石破政権の改憲軍拡政策は、石破本人の持論を改変する中で岸田政権のそれを踏襲し、その加速化を目指すことになったと考えられます。そこでまず、岸田政権の軍拡改憲政策自身を検討することが必要になり、石破はこれの大半を継承することになります。岸田の軍拡改憲政策、岸田が目指した戦争体制作りは、安倍政権が行った軍拡の段階を越えて、日本の軍事大国化を新たな段階に引き上げたと私は考えています。
岸田軍拡について考えてみたいと思います。岸田さんは、安倍さんと違って軍事大国化の野望というものは持たないで政権に登場したわけです。その岸田が安倍を超えるような軍拡の新段階を作ったことについては、2つの理由があります。
第1の要因は、岸田政権を取り巻くアメリカの世界戦略が転換をしたということがあります。35年前の冷戦の終焉後、アメリカの一極覇権が確立した。アメリカの覇権下にある、自由な市場が大きく拡大しました。この市場に対する撹乱者であるイラクとか、アフガニスタンとか、テロリスト、こういうものをやっつけることによって、自由な市場秩序を守る。グローバル企業の活躍できるような市場を守る戦略を遂行して、イラクとの戦争、アフガニスタンとの戦争、シリアとの戦争、アルカイダとの戦争を繰り返してきましたが、その中で、アメリカの予想外の事態が起こりました。それはこの自由の市場の中で巨大な経済発展をして、その経済発展のかなりの部分を軍拡にも振り向けてきた中国が台頭した。新たな覇権国として台頭したということです。
この中国の覇権国としての台頭に呼応して、それまでアメリカの一極覇権に向かう時代、ロシアとか、イランとか北朝鮮といった国々が、この中国ブロックというか反アメリカ覇権ブロックに参画するということで、放っておくとアメリカの経済的、政治的、軍事的な覇権が、脅かされる危機感を持った。アメリカは2017年、その前のオバマ政権ぐらいから過渡期に入るわけですが、世界戦略を大きく転換します。トランプ政権の2017年の国家安全保障戦略が転換点だったと思います。この転換した新戦略というのは、簡単に言えば米中軍事対決――米中の覇権主義対決戦略とでもいうようなものでした。
バイデン政権になって、第1次トランプ政権のほとんどの政策は否定しますが、この米中軍事対決戦略についてはそれを維持して継承したばかりか、それを拡大して遂行するという立場をとりました。ということは、トランプ政権におけるアメリカの世界戦略の転換はトランプ個人の思いということではなくて、おそらくアメリカの支配階級全体がこの戦略転換というものを求めたことの結果であろうと思います。しかもバイデン政権は、トランプ政権の一国主義を打破して、むしろアメリカ一国では、中国の覇権に対抗できないということで、統合抑止戦略というのをとり、アメリカを中心とした軍事同盟網によって中国を包囲するという戦略に転換をします。
NATO、そして米中軍事対決の焦点であるインド太平洋地域、とくに台湾を焦点としたこの対決の中では、日本が米中軍事対決の拠点と位置づけられ、その日本に対する軍拡の圧力が加わりました。21年の4月16日に、菅とバイデンの日米共同声明が結ばれますが、その中でアメリカのかなり露骨な要求が入ってきます。ひとつは台湾有事に際して米軍が介入した場合には、在日米軍基地が直接の出撃拠点になる。次に、すでに安倍政権の時代に容認していた集団的自衛権行使、これを台湾有事に際して適用発動する。そして3番目に、その対中軍事対決の中で集団的自衛権行使を可能にするような防衛力の抜本的強化を図る。こういう約束をするわけです。菅政権はこの約束を実現できないままに退陣することになり、それを受け継いだのが岸田政権です。
しかしこのアメリカの世界戦略の転換・圧力だけで日本の戦略転換が行われた、軍拡が行われたというわけではなく、日本側にも、主体的な意欲があった。とくに22年2月のウクライナ侵略は、自衛隊に対する憲法上の制約を打破します。岸田さんは盛んに「今日のウクライナは明日の東アジア」ということを繰り返して、軍拡に積極的に取り組むことになるわけです。日本が自衛隊に対する憲法上の制約を受けてなかなか軍事大国化が進まないという日本側の政策にとって、ウクライナは格好の契機となりました。このウクライナを存分に利用しながら、日本側がアメリカの期待を上回るような軍拡、括弧付きの「自主的」な軍拡を進めていくことになります。
今年の日米首脳共同声明の中で、アメリカが書いているんですが、数年前までは実現不可能と思われていたような軍拡が行われた、ということで岸田を礼賛しています。日米共通する努力と言っていますが、日本の岸田は一方的にこの軍拡を、予想を上回る形で行ったというふうにアメリカが評価をしています。その結果出来たのが、2022年の12月に発表された安保3文書による岸田軍拡です。
4つの指標(1)自衛隊を「戦争する軍隊」へ改造
この岸田軍拡は、安倍軍拡を越えて日本の軍事大国化を新段階に引き上げたと言いましたが、4つの指標があると思います。
1つは、自衛隊を戦争する軍隊に変えるというとです。そもそも自衛隊は戦争する軍隊ではないのか。確かに自衛隊は今や世界有数の、常にベストテンに入るような、防衛費を持った軍事大国ですし、当初からアメリカの世界戦略の補完部隊として活動してきたという点では、紛れもない戦争する軍隊です。しかし実は、日本国憲法の制約のもとで、自衛隊は様々な活動の制約をかけられてきました。私たち市民が頑張ったことを背景にして、改憲を阻止してきたことを背景にしながら、自衛隊の活動を制約し、様々な歯止めがかけられていた。そういう意味で言うと、例えば中国と戦争するようなことが直ちにできるような軍隊ではないんです。
安倍軍拡は、確かにアメリカの戦争に加担する最大のネックであった集団的自衛権行使、これを限定容認しました。しかし市民と野党の共闘の反撃ということもありましたが、この集団的自衛権を実際に行使する、特に中国相手に戦争する体制作り、あるいは軍隊作りというまでには至らなかった。それをやったのが、安保3文書であると考えられます。安保3文書の冒頭のところです。この安保3文書における安保政策――新しい安保政策は、戦後の日本の安保政策の実践的な大転換だ、というふうに自画自賛しているわけです。これは決して言葉の誇張ではなくて、文字通りその実践的な大転換が行われた。この実践的という意味は、中国と戦争することが可能になることです。集団的自衛権行使を容認したけれども、それを実行するには憲法上の制約を持った自衛隊の、憲法上の制約をあらゆるところで解体して、文字通り戦争する軍隊に改造する必要がある。それを行ったのがこの安保3文書だといえます。
装備、部隊編成、基地強化、それから指揮統制、共同作戦体制、あらゆる面でアメリカの戦争に加担して、文字通り中国と戦争する軍隊づくりというものが進められている。私たちが考える想定以上の憲法破壊の動きが起こっていると私は思っています。
まず装備は、中国と戦うには、憲法で禁じた、保持が禁じられている攻撃的な兵器。これは日本の自衛隊が、軍隊ではないので、ただ日本が侵略をされる、武力攻撃を受けた場合にのみ、その反撃として武力行使ができる。アメリカの戦争に加担して、集団的自衛権行使をして武力行使をすることは禁じられる。これは安倍政権が壊しましたが、それだけではなく、その自衛隊は、単に武力攻撃を受けた者に対する反撃としても、反撃行動はあくまでも日本の領域内にとどめて反撃をしなければならない。従って保持する兵器も、敵地を攻撃するような攻撃的な兵器は持てないで、ただ日本への武力攻撃を反撃する。それにとどまる兵器しか持つことができないという憲法上の制約を持っていました。
そんな憲法上の制約があったのでは、とてもじゃないけど中国と戦争することはできませんから、憲法で保持を禁じていた攻撃用兵器を大量に保持する。中心は1600発の長射程ミサイルです。それだけではなく、敵の中国を常時監視するための軍事衛星のコンステレーションと、安保3文書で書いてあります。要するに軍事衛星を複数打ち上げる。この軍事衛星の打ち上げ予算は、来年度の25年度の予算案に計上されます。概算要求でそういうふうになっています。そのような攻撃用兵器の大量保持を中心にして、中国と戦う軍隊の装備に変えていく。
部隊編成は、中国と戦うために南西シフトという形でと、自衛隊は言っています。南西諸島、九州、ここに中国と戦う部隊編成をシフトすることで、陸上自衛隊の第15旅団を師団化する。人員を増やし、既に安倍政権のときからやってはいたけれども、与那国や、石垣、宮古に、自衛隊の駐屯地を置き、本島、これは沖縄本島のミサイル連隊を中心にして、石垣、宮古にミサイル中隊を置く。そしてサイバー防衛隊、水陸機動団、これも安倍政権の時出てきましたが、水陸機動団や宇宙作戦隊を強化して中国との全面的な戦争に編成していくということがあります。
自衛隊の基地、在日米軍基地も、中国との戦闘に向けて対中戦線の前線拠点化するということで、自衛隊と米軍との共同使用が進められています。自衛隊基地の要塞化もすすめています。そもそも自衛隊基地というのは、ご存知のように第2次世界大戦中のアジア太平洋戦争中の基地をそのまま使用しているようなところもあります。ですから、防衛白書は繰り返し、ソ連脅威論、中国脅威論となっていましたが、実際には、日本国憲法のもとで、日本が戦争するということを想定した装備体系、その基地編成にはなっていなかったわけです。しかし実際に中国に対して集団的自衛権を発動するということになれば、直ちに在日米軍基地、あるいは自衛隊基地への中国の反撃が行われるわけですから、自衛隊基地の要塞化で前線拠点化が行われています。
それから何と言っても、中国と戦争するための指揮統制の一体化、米軍指揮への従属がすすめられています。これは従来、首相の口約束とか密約という形で、有事に際しては米軍の指揮に従うということが何度か確認をされました。中国と本格的に戦闘態勢に入るということであれば、そのような曖昧な公約では駄目だということで、安保3文書に基づいて、自衛隊3軍の統合作戦司令部が作られた。それに応じて在日米軍の方でも、今回統合司令部が作られました。それを統括して、インド太平洋軍司令部と、それから日本に対応する統合作戦司令部が、インド太平洋軍司令部の指揮のもとに、一体化する形が進んでいます。共同作戦体制も、実践的なんですね。共同作戦が今年の8月、レゾリュートドラゴンという形で行われた。これだけではなく、いろいろな形で今までの海兵隊の動きとはかなり質を異にするような共同演習が行われている。これが第1の指標、戦争する軍隊づくりです。
2番目です。対中戦争には、戦争する軍隊作りだけでは駄目なんですね。日本国憲法に基づいて79年の間、様々な形で作られてきた戦争しない国、この体制全体の改変が必要となってきます。日本国憲法というのは、憲法9条のもとで、戦争しない、軍隊を作らないということを決めており、それに基づいて日本国憲法全体が戦争しない国を想定した諸規定と制度を持っています。一番典型的なのは、日本国憲法には緊急事態規定がない。明治憲法は、明治憲法の8条で緊急勅令、議会が閉会中に天皇の勅令によって、市民の自由を奪うことができるという緊急勅令14条、今韓国で問題になっていますが、天皇の戒厳体系があります。それから31条は、非常時における天皇の独裁的な大権、非常大権です。
そして70条では、非常時における緊急時における財政の政府処分、これができるようになっています。明治憲法というのは、私の理解では緊急事態規定の宝庫ですね。ドイツの様々な憲法を参照して、そのあらゆる緊急事態を明治憲法は取り入れてしまった。だから例えば31条のオールマイティの非常大権というのは一度も使ったことがありません。あれだけの侵略戦争を繰り返したけれど、日本の非常大権、天皇の非常大権というのは一度も使わないで、日本は人民を統治してきました。その反省を踏まえて、日本国憲法は緊急事態規定がありません。
それから市民的自由の保障は無制約の保障です。表現の自由にしても、あらゆる制約がない形で絶対的な保障という形をとっています。それから地方自治というのが独立した一章として設けられている。これも、日本の様々な進歩的な草案を含めた民間の憲法草案の中には、地方自治の章を独立させた、あるいは地方自治の規定を持った憲法草案はなかったんですね。それをGHQが、日本はあれだけの侵略戦争に国民が引きずられながら戦争を繰り返し続けてきた。その大きな原因の一つに、統治上は地方自治がない。これが中央政府の独裁の下で戦争が遂行されていく。ああいうことに着目をして、改めて地方自治の1章を設けました。このように日本国憲法全体の体系が、戦争しない国というものとして作られています。その下で、自民党政権のもとでも野党の追及、市民の運動の中で様々な憲法上の諸制度が作られてきました。
それをそのまま維持していたのでは、戦争する国作り、戦争体制が作れないということで様々な形で改変を行ってきました。安倍から始まって、岸田において相当程度の憲法制度の改変が行われています。一番中心的なのは、防衛費の量的制限です。これは1976年、三木内閣のときに作られました。このまま経済成長とともに防衛費が上がっていったら、日本は軍事大国になるという野党・社会党の批判のもとで、防衛力整備計画に上限を設けるという形で、当時はGNP比1%枠という防衛費の量的制限が作られました。こんなものがあると、軍事大国化ができないということで、それから10年後、中曽根内閣が、防衛費の対GNP比1%枠を廃棄してしまいます。これ閣議決定でした。それにもかかわらず、その後30数年にわたって、大蔵省財務省は防衛費の査定のときに、このGNP比1%枠を常に参照基準にしてきました。
第2次安倍政権が8年連続で軍拡を行い、防衛予算を上げました。でもよく見ると、このGDP比1%枠を前後している。つまり安倍政権のときの軍拡もGDP比1%枠という、ある種の、暗黙の軍事大国にならないという基準を意識して防衛費を決めてきた。それが岸田になって、突然GDP比2%です。巨額の軍拡を行うことが大きな問題になっていますが、さらに重要なのは、その岸田の大軍拡によって防衛費の量的制限が、ものの見事に撤廃されてしまった。これが大きな憲法制度の破壊ということになります。
武器輸出の禁止は防衛産業を発展させないということで、これも1976年の閣議決定で決められていました。武器輸出ができないことによって、三菱重工やNECを始めとした日本の軍需産業は、本格的に軍事産業に手を出せなかった。そこで経団連は、ほとんど70年代から毎年繰り返して、武器輸出3原則の撤廃を要求してきました。安倍政権の2013年、ついにこれを撤廃して防衛装備移転3原則にして、安倍さんは武器輸出の解禁に踏み切った。
しかし、安倍が作った防衛装備移転3原則は、様々な形で武器輸出について制約が設けられている。ウクライナ戦争に対する日本の武器供与なんかもなかなかできないわけです。中国と戦争をするのに1600発の長射程ミサイルを作るにしても、軍事産業を発展させないといけないということで、岸田は武器輸出3原則の改訂版である防衛装備移転3原則の更なる改悪を行った。さらに今までの歴代内閣がやったことがなかった防衛産業そのものに、国家的な支援を行うことも進めた。防衛装備、防衛産業を発展させると言っても、長らく日本の防衛産業は様々な形で制約を受けていましたから、あまり儲からないわけです。武器弾薬を作らなければいけないと言っても、それを作る産業がなかなか育たない。そこで、それに対する国家的な支援を行うだけではなく、弾薬を作る会社が倒産の危機にあった場合には、それを国有化して対処するという軍需産業支援法が作られました。
さらには、憲法が認めていなかった軍事秘密の保護があります。これも安倍さんが秘密保護法で突破した。今回は、膨大な経済情報を秘密保護法の枠組みの中に入れるという経済秘密保護法が、この間の通常国会で通りました。
また、憲法が認めなかったということで、日本学術会議が作られ、研究の軍事利用、軍事的な研究の禁止が各大学研究所において行われてきました。日本学術会議は、数度にわたって軍事研究を否定する声明を出してきました。しかし、中国は軍産融合を言っていますし、アメリカは軍学協働を言っています。日本の大学でも、軍学協働が90年代に入ってからかなり進んでいます。これを大幅に改変しないと、中国との戦争、軍事的対決ができるような、日本の軍事産業・軍事研究の発展はとてもじゃないけどおぼつかない。ということで学術会議の任命拒否に始まって、学術会議の再編、それから大学をより財界と軍事研究に機動的に反応できるような、国立大学法人法の改悪、これが今通常国会で行われることになりました。
地方自治制度については、この通常国会で地方自治法の改悪が行われました。有事の際には、中央政府の地方自治体の長に対する指示権が与えられた。これは、沖縄の玉木知事のようなものを存在させていたのでは、中国との軍事対決に地方自治体を動員する特定利用空港港湾など、地方自治体を動員することができないということで、有事に際する指示権を地方自治法に入れました。
さらにです。今回の安保3文書では、安保条約に一指も触れないで、安保条約の内容を二重に改変しました。安保条約が持っていた、米軍基地の自由な設置をさらに強化拡充していく。同時に、安保条約において日本が全土に自由な米軍基地を設定した理由は、日本が攻撃をされたときに、アメリカは日本に軍事的な加担をするけれども、日本の領域外においてアメリカが攻撃されても、日本の自衛隊は手出しをしない。こういう片務的な状態を解消するために、5条で日本は全土に自由な米軍基地を設けてあげますよ、とした。そして、米軍は日本の防衛だけでなく、むしろ極東における平和と安全の維持のために、それを自由に使えるということが口実だったわけです。全土基地、自由な基地を設置する。
ところが日本は集団的自衛権行使を容認し、さらに岸田軍拡において対中国との戦争においても、日本は武力行使で加担するということを決めた。いわば安保条約が他の軍事同盟条約と同じような攻守同盟条約になった。では、攻守同盟条約ができないから日本の米軍基地を認めましょうと言っていた米軍基地は、撤去されるんですか!こっちはむしろ中国との戦闘用に強化される。つまり、従属と戦争が二重に現れた条約になる。これが一指も触れない安保条約の改悪だと私は思います。これで、自民党外交も大きな転換をするということになりました。
岸田さんは、改憲問題においても大きな一歩を踏み出すことになりました。改憲問題で大きな一歩踏み出したのは安倍政権でした。安倍政権は、集団的自衛権行使の限定容認を認めた安保法制を通した後に、安倍自身が、もうこれ以上、憲法9条のもとで解釈改憲、実質改憲できない、ということで改憲に踏み切っていくわけです。その安倍の改憲は、2017年の憲法記念日に発生した改憲提言です。その翌年の自民党大会によって決められた、いわゆる改憲4項目案の原型を、安倍さんが前年に打ち出したわけです。ここで注目したいのは、この安倍改憲がそれまでの伝統的な改憲派の改憲案ではなかった。今までの伝統的な自民党も含めた改憲派の改憲案は、9条の1項は残すけれど、2項の戦力を持たないという規定を廃止する。そこの代わりに、自衛権を行使できるという規定を入れるなり、あるいは9条の2項で、陸海空軍その他の戦力は保持しないという規定を廃止した上で、国防軍を持つとか、自衛軍を持つとか、こういう規定だった。9条2項を廃止して、自衛軍を保持する国防軍を保持する。後でお話をする石破も、この改憲論を展開していたわけです。
ところが、安倍さんはこれでは駄目だと。市民と野党の共闘の大きな反対の声、国民の9条改憲に対する消極的な動き、何よりも9条の会や、市民の改憲反対運動、こういうものを前にして、今どき9条の2項を廃止して国防軍を持つなんていう改憲案は、自民党なら言えるけれど、改憲発議で通る、あるいは国民投票で通るとはなかなか思えない。むしろここは9条1項2項を残して、自衛隊を憲法に明記するというように大幅に譲歩した。この原型は公明党の案であったわけですが、大幅に譲歩した。こういう案によって改憲を実現しようと安倍さんは考えた。にも関わらず、その改憲案であっても任期中の安倍改憲はできませんでした。公約が挫折し、安倍政権は退陣を余儀なくされた。
続いて出てきたのは岸田さんです。岸田さんになって大きな変化が2つ生まれました。その理由は2つあります。岸田改憲が安倍改憲と違って一気に進んだ第1の理由は、岸田軍拡が自衛隊に対する憲法上の制約をあらゆるところでとっぱらう。そして自衛隊を戦争する軍隊化することによって、憲法の理念と規範と現実とが恐ろしく乖離してきた。この乖離を改憲によって埋めなければいけない。にも関わらず、憲法9条は死んでいない。例えば防衛装備移転3原則の改悪をやるにも、大騒ぎになるわけです。立憲野党が頑張ればということですけれども、9条の解釈に従ってなかなか軍拡が思い通りに進まない。ここは自衛隊を憲法に明記することによって、一気に軍拡を加速化したいという思いがあった、これは第1の岸田側の改憲の必然性といいますか、要求になります。
もう一つは、それを安倍さんも思っていたが安倍はできなかった。それができるようになったもう一つの理由は、2021年10月31日の総選挙によって、改憲を巡る政党配置、国会憲法審査会における配置がガラリと変わった。維新の会が41議席をとった。国民民主党が改憲政党に転換したということで、それまで自民党が嫌がる公明党を引っ張りながら行おうとしてきた改憲の審議が、むしろ維新の会や国民民主党が、先頭を切っていくという構図が作られた。そこに恰好だけは嫌々の形で、受動的な形で自民党や公明党がついていく。
安倍時代には、衆参両院で改憲派が3分の2を占めていたわけですが、18年には半年の通常国会に3回しか憲法審査会開かれなかった。19年には4回、20年には5月から2回しか開かれなかった。その憲法審査会が21年の選挙の後に、通常国会では、衆院の憲法審査会が16回で、23年の憲法審査会も16回。今年は、裏金問題にあれだけ国会が大騒ぎをしていたにも関わらず、11回開いている。この条件を生かして岸田は、改憲戦略を4項目から緊急事態における議員任期延長改憲にかなり特化して、先行する戦略に変えた。
改憲の本命は9条への自衛隊明記です。あるいは緊急事態規定の中でも、国会を通さないで政府の命令で市民の自由を規制する、市民を戦争に動員できる緊急政令にあるわけです。これはいずれも公明党は非常に消極的です。9条への自衛隊明記を公然と賛成しているのは、自民党と維新の会しかない。せっかくこの好転した憲法審査会の状況の中で、自民党、公明党、維新の会、国民民主党、それに有志の会、この5会派が賛成できるものは何か。これは「緊急事態において選挙ができないときには、議員の任期を延長しましょう」。この改憲ならば、5会派が一致できる。これでまず突破して、本命の自衛隊明記論に入っていく。岸田はこういう戦略をとったわけです。
確かに憲法審査会では審査を繰り返しました。しかし市民の運動、それから何といっても市民と野党の共闘を背景にした立憲野党、特に立憲民主党の踏ん張りによって、立憲民主党や共産党が反対していることで、条文案作りにはなかなか入れない。そこで業を煮やした維新の会や国民民主党、公明党の北側さんなんかも含めて、立憲と共産をおいてけぼりにして、改憲5会派だけで、この条文案作りに入るべきだという意見を言いました。しかし結局それはできないで、岸田が繰り返してきた任期中の改憲という公約ができなくなったわけです。それが6月です。
しかし岸田は安倍と違って諦めなかった。
日本国憲法の54条2項には、参議院の緊急集会というのがあります。これは緊急事態において、参議院が緊急集会を開くという規定ですから、参議院の側は、野党だけでなく与党も含めて、議員任期延長改憲に消極的なわけです。そこで岸田は通常国会が終わった後に、まず自民党の中で衆参両院の意見調整と論点整理を行いました。同時に、8月7日に岸田は改憲実現本部の中で、憲法改正の改憲の発議、そして国民投票は、議員任期延長改憲だけじゃ駄目だ。自衛隊明記論と緊急政令を入れて、改憲の実行に踏み切るべきだというふうに戦略を転換します。要するに任期中の改憲はできなかったわけです。当時岸田は再選することを心づもりにしていましたから、あと3年で、また議員任期延長をやっても間に合わない。議員任期延長に加えて、一気に緊急時政令と、自衛隊明記論を入れて改憲戦略を行う。それを実現するためにあと3年必要だというように戦略を転換しました。
しかし実際には、8月14日に岸田は裏金問題で支持率が下がって再選を断念します。それでも岸田で粘って自分が辞めても次の総裁に、この新しい戦略――緊急時における議員任期延長改憲だけではなく、自衛隊明記、緊急政令も一緒にやろうという改憲戦略を、次の総裁にも継承させる。そのために9月2日の自民党憲法改正実現本部の中の決定によって、次の総裁に枠付けました。石破は、9条2項の戦力を持たないという規定はまず廃止して、正々堂々と国防軍を持つ規定にすべきだという意見を持っていました。こんな意見を持っていたら改憲はできないわけですから、岸田はその石破を念頭に置いて、新しい戦略を9人の総裁候補に押し付けました。石破もそれを呑んだ、という形になります。
石破政権が誕生した理由は、自民党が疑似政権交代を狙ったことです。総裁選の中では刷新感が一番あったのは石破で、反主流であったために正論をずっと言い続けていた。世論調査や党員支持率も高い状態にありました。決選投票では自民党の主流派の思惑に反して、何と高市と石破が残ってしまった。どちらもどうしようもない中で自民党主流派が判断したのは、より悪いのは高市だ。高市はとにかく安倍派の支援をもとに出てきていますから、裏側問題に蓋をする。これではとても自民党存続はない、自公政権の存続がない。さらに悪いことに靖国神社参拝ということもある。せっかく岸田が作ってきた日韓、日中の関係と、日米同盟については、靖国神社の参拝で大きく危険な状態になる。こういう形で、より悪いのを避けるために石破が消極的に選ばれた。ですから石破を積極的に自民党内で支える勢力はなかった。
その石破がどういう憲法論と安保論を持っていたのかを検討する必要があります。石破の憲法論、安保論は支配層の中の反主流的な立場にありました。50年代に日本の保守支配層が日本の安全保障防衛を考えるときに、2つの潮流がありました。1つの支配的な潮流は、冷戦下で対米従属を徹底し、アメリカに軍事的にも依存する中で、日本は憲法を維持しながら経済成長に専念していく。対米従属既存路線です。もう一つ、岸信介や鳩山一郎などが掲げていた路線は、日米同盟の大枠は認める。これはもう戦前とは違い、日米同盟の大枠は認めるけれど、その中で日本が改憲を行い、正々堂々と軍隊を持ち、軍拡を行うことによって、日米同盟の中で日米の対等化を図る。そのことによって、屈辱的な米軍基地を撤去していく。堂々と日本とアメリカの攻守同盟に変えていく、こういう構想がありました。
その構想の主役の1人であった岸信介が政権を担うと、対米従属路線に転換して転向したことによって、安保条約の改定に踏み切る。安保条約改定後は、支配層の中でこの反主流的な立場は消えて、全体として日米同盟の中で、対米従属のもとで、日本は経済成長に専念をする。アメリカの支配下の中で、日本の経済成長を図っていくという路線に一括されるわけです。石破さんの意見は、この日米同盟、対等化論の系譜に立っているわけです。ただし、石破さんとその50年代の支配層反主流派の日米同盟対討論との決定的な違いは、反主流派の50年代の岸信介や鳩山一郎が唱えたのは、改憲によって国防軍を持ち、軍事大国となることによって、在日米軍基地を撤去する。米軍の駐留を廃止する。こういう屈辱的な米軍の駐留は、大国になった日本としてはとても耐えられない。
石破さんの日米対等論は、そういう基地撤去論というのではありません。確かに石破さんも、本の中では日米の対等化を図る、集団的自衛権を行使し、改憲を実現することによって、日米対等化を図れば、なぜ日本の在日米軍基地が必要なのか、という問いかけができるということを書いてあります。それを読むと、石破さんは、集団的自衛権を認めて改憲をやるけれども、そのことによって米軍基地の撤去を求めるのではないのかと思われますが、彼の解決策、日米対等論はそれではありません。
むしろ、米軍基地を日米共同管理にする。これが1つです。もう1つは、在日米軍の駐留を認める代わりに、自衛隊のグアム駐留を認める。そして自衛隊のアメリカ本土への派遣を認める。在日米軍基地を撤去することによって日米対等を図るのではなく、日本の自衛隊もアメリカに基地を設ける。これはアメリカがこういうことを聞くはずが全くないんですね。そんなばかげた話があるかとなるに決まっているような、そういう日米対等論です。その議論は、米軍基地の駐留のもとで、日本が集団的自衛権を行使し、アメリカの戦争に加担するという形での対等性を図るという点では、各局、石破さんが嫌っていた岸田軍拡と、大枠は一致しています。
そういう対等論ではあるけれども、地位協定の改定論とか、安保条約の改定論とか、それからアジア版NATOとか、そういう形でです。岸田は日米同盟の大枠の中で、日本が軍事大国化することによって、対等性を何とか図っていこうという構想であった。
従って、アメリカとしては日米同盟の中で、日本が従順に、とにかくアメリカと一体化して軍拡をやってくれる。そういう岸田に比べて、石破は非常に警戒すべき相手だと考えていたように思います。
憲法論の方では、石破の改憲論は伝統的な改憲派の改憲論でした。石破が作った2012年の日本国憲法改正草案の9条の改正部分は石破が責任者でしたが、まさに石破の考え方が現れています。9条2項を廃止して、9条の2という形で、我が国の平和と独立並びに国および安全を確保するため、国防軍を保持するとし、これによって集団的自衛権を公式に認めています。
軍隊を持つことを書くという点で、これはむしろ伝統的な改憲派の議論であって、安倍の9条への自衛隊明記論の方が変わった議論になるわけです。この改憲論、9条2項廃止、国防軍保持論は、50年代から一貫した改憲派の議論でした。90年代をとってみても、90年の西部遇の改憲案では、国防軍の保持という言葉を使っています。92年の小林節の改正案では自衛軍としての保持です。93年の自主憲法期成議員同盟では軍事力の保持、日本を守る国民会議の案では国軍の保持、と言っています。石破の日本国憲法改正草案は国防軍の保持、と言っているわけです。
石破の特徴はそこにあるのではなく、2017年に安倍首相のもとで自民党改憲派が、もう9条2項を廃止して国防軍を持つなんていう日本国憲法改正草案のような規定では、とてもじゃないけど国民にのませることはできない。そこで大きく譲歩して9条への自衛隊明記論に転換した後も、石破さんは9条2項を廃止して国防軍を持つべきだという主張をして、積極的に安倍に反対した。ここにあるわけですね。
石破はなぜ反対したのかというと、国民の中に、国軍によって日本の安全を守るという意識を入れなければいけない。“自衛隊は憲法の禁止する軍隊ではありません”なんていう訳のわからない解釈のもとで、それを固定するような自衛隊明記論ではなく、戦力を持たないという規定を廃止して、正々堂々と国防軍を持つ。そのことによって、全体として国を守るために軍が必要だという意識を国民の中に植え付け、コンセンサスをもたらすことが一つの大きな理由です。国防軍を持つことによって、フルスペックの全面的な集団的自衛権、これを認めることができる。ところが9条への自衛隊明記論だと、その点が非常に曖昧だということです。石破はこういった9条2項廃止論、国防軍設置論でしたが、いずれも政権の保持とともにこれを撤回します。
総裁選の最中に、岸田が9条への自衛隊明記論に賛成しろという決定を行う中で、石破も前言を翻します。総裁選中は、日米同盟対等論、地位協定改定論、アジア版NATO論などと主張していました。石破茂の「日本外交政策の将来」という論文が、ハドソン研究所のホームページに載ったのは、実に総裁選挙の2日前でした。2日前までこのことを信じていたのか、あまり政権を取れると思っていなかったのかよくわかりません。だけど政権を取ったら、日米同盟の中での従属論にくみせざるを得ないということで、石破の安保防衛論が後景に退き、10月4日の所信表明演説でも一言も出てこないことになりました。その結果、ここが重要なんですが、石破政権の改憲軍拡政策は結局、岸田軍拡と岸田改憲を継承するものになった。そしてもっと重要なことは、岸田以上に軍拡に熱意を持っているために、おそらく軍拡については、岸田以上に加速化することが想定される。そういう形で石破政権の改憲軍拡政策が出発したということになります。
その結果、石破は直ちに総選挙に踏み切るわけです。総選挙の結果は自民党の大敗、自公過半数割れということになりました。ここでは三つの点を指摘しておきます。
(1)自民党の歴史的大敗 自公過半数割れ
1つは当然のことですが、自民党政治への不満と怒りが自民党の歴史的大敗と自公過半数割れを引き起こしたという点です。ここで重要なのは、裏金問題への怒りだけでなくて、むしろ自民党政治が、小泉政権以来、若干の中断を挟んで行ってきた長年の新自由主義政治に対する不満が、裏金問題へのいい加減さで怒りに火をつけた。これが今回の自民党大敗の大きな原因だという点を第1に指摘したいと思います。
3つのことを指摘したいんですが、1つは、自民党の大敗は歴史的だということです。自民党の比例得票率は、資料をご覧いただきますと、自民党の比例得票率が26.73%というのは、この4半世紀、21世紀に入ってからも16回の国政選挙が行われました。この16回の国政選挙の中で、得票率は下から2番目。衆議院選挙だけでは、8回の中で最下位です。つまり最低の得票率しか取れなかったということが大きな理由です。得票数においても1500万票を割り込みました。21年の岸田選挙のときには1991万票取っていたのが、今回は1458万票しか取れなかった。3年前の岸田総選挙から、なんと533万票減らしている。これは歴史的とも言っていいような大敗だった。その結果、261議席が総計191議席に大減退した。なぜこのような歴史的な大変が生まれたのか。
2番目に指摘しておきたいことは、その直接的要因は裏金だけど、それだけではなかった。むしろ、新自由主義政治の不満、これは非正規労働者の拡大、それから賃金の低落、貧困、社会保障制度の改悪、社会保障費負担の増大、そして物価高。こういった自公政権により続けられた新自由主義政治の不満があって、それに火をつけたのが裏金だった。その証拠に、もし裏金問題に対する怒りだけであったら、裏金問題に今回の選挙の圧倒的な論点を集中した立憲民主党は、選挙区において前進するだけではなく比例区においても大勝しただろう。ところが蓋を開けてみると、選挙区では確かに裏金問題議員を落として、立憲の議員たちが当選していきました。しかし比例選の投票を見ると、ほとんど21年から変わってない。7万票しか増えてない。岸田政権のとき立憲の得票率は20%でしたが、今回は21.2%にすぎない。
裏金問題に対する怒りだったら、おそらく比例投票でも裏金問題を徹底してやってくれる立憲に行くことになります。しかし実は伸びたのは、裏金問題をほとんど選挙戦では語らなかった国民民主党とれいわ新選組でした。これは自民党の裏金に対する怒りが、選挙区においては自民党や裏金候補を落として、一番当選の確率が高い立憲候補に集中した。しかし、自公政治をどう変えてくれるか、どの政党の政治が自公政治に代わる政党なのかとい言ったときに、有権者が選んだのは国民であり、れいわであった。それは明らかに自民党政治を変えると言ったときに、裏金問題だけでなくて、うち続く新自由主義の政治をどう変えてくれるのか。その問題の期待に応える、そういう政党に多くの有権者が投票した結果だと思います。自民党の大敗の直接要因は裏金だけど、それだけではなかったよということです。
3番目に、自民党離れをした層には実は2つあった。533万票減った中には、自民党政治から決別をするというふうになった層と、自民党は支持するけれど、今回、自民党にだけは入れたくないという層。この後ろの方の層は、これからの半年間の戦いで、どっちが取るのかという問題になってきますけども、その2つの層があった。では、どのくらいの比率であったのかというと、今回、自民党を支持すると答えた人で、比例で自民党に入れなかった層が、朝日新聞の出口調査では約3割います。朝日新聞の出口調査では、自民党支持者層で比例区で自民党に投票した人は69%。日本テレビの場合には、出口調査では自民党支持者層で自民党に入れた人が58%。つまり4割強の人は、自民党支持者層でありながら、自民党の比例に投票してない。
もっと重要なのは選挙区で、自民党支持者層でありながら、選挙区では自民の候補に入れない、入れたくない人です。入れると言った人は56%と5割強です。入れないという人が4割強いた。これは朝日新聞の出口調査では、自民党支持層で立憲の候補に入れた人が10%いる。こういう形で自民党離れ層には2つあった。この後者の層の人たち、これが今後の運動、戦いのいかんで、もう1回自民党に戻ってしまうのか、やっぱり自公政治を変えて新しい政治に行くのかという分岐点に、この人たちがいることを見ておく必要があると思います。
2番目。自民党がこれだけ歴史的に大敗したのにも関わらず、政権交代が起こらなかった。これは何故かという問題が2番目です。これを知るために、2009年の総選挙と比較してみます。今回の総選挙は2009年の選挙と非常によく似ているところと、違いがあります。2009年の総選挙は、鳩山民主党が自民党を追い落としてた。自民党は実に119議席に落ち込み、民主党は何と308議席を取って、圧倒的な大勝でもって政権交代をしたあの選挙です。
2009年に民主党が大勝し、自民党がボロ負けした選挙と、24年の自民党が大敗した選挙、これを比べてみると、まず一致している点があります。それは何かというと、これも偶然ですけれども2009年の総選挙のときも、自民党の比例の得票率は26.73%、今回の比例の得票率も26.73%。全く同じ数字です。つまりあのときと同じような大敗をした自民党は、国民から見放された。
にも関わらず、違いが2つあります。2009年の総選挙と2024年度の総選挙で決定的に違うのは、投票率です。2009年の総選挙のときは、過去25年、16回の選挙の中で最も高い投票率を示した69.27%です。つまり、10人のうち7人が投票所に行った。ところが今回は、そうではなくて、53.84%。これは、16回の選挙でうちで下から6番目、衆議院選挙でいうと下から3番目、非常に低い数字ですね。3年前の岸田の総選挙よりも、今回の投票率が低い。
ということは、何を見るのか。普段投票に行かない人が投票に行くのはどういう時かというと、自分の1票を投ずることによって政治が変わる。正しい政治に変わる。そういう期待を持ったときに多くの有権者は投票所に向かうということになる。だから、2009年の総選挙のときは、自分の1票で自民党政権が倒れて、民主党の、月々26000円の子供手当、農家戸別所得補償、あるいは新自由主義の負担増である後期高齢者医療制度の廃止、あるいは障害者自立支援法の廃止、こういう新しい政治をやってくれるかもしれないという期待のもとに、多くの国民が投票所に駆けつけた。それに対して今回はそういう期待はなかった。自民党に対する怒り、これはあったけれども、新しい政治への期待というものが、必ずしも2009年ほどに明確に国民の前に示されていなかったことが、こういう投票率の差で現れました。
もう1つの違いは、2009年のときは野党第一党が歴史的な大敗をした自民党票を獲得して、民主党が大勝し、308議席を取った。今回の24年選挙は、自民党が533万票も落としたのに、そのうちの7万票しか立憲民主党は取らなかった。立憲民主党はほとんど比例投票において伸びなかったという違いがあります。これが、野党の比例投票がわかれて、自民党では嫌だという人たちが野党の様々なところにわかれてしまって、政権交代にたどり着かなかった問題になっていると思います。
なぜ立憲が、比例投票で伸びなかったのかというと、まず立憲の得票構造を見ておく必要があります。立憲の得票構造で、第1には、選挙区票では結構伸びている。これはやっぱり立憲が裏金問題に集中した。そして、最大の政治改革は政権交代だと言って、野田立憲民主党がその問題に集中して訴えていたことも大きく反映しています。その証拠に、北海道の出口調査で見ると、比例投票で立憲がなんと51%取っている。自民党の31%を大きく引き離して、選挙区では立憲が過半数を占めた。立憲の候補にみんな入れた。ところが、比例区を見ると、確かにこっちも立憲が諸政党の中で1位なんですけれど、34%しか取れていない。自民党は25%取っています。残りが国民とか、れいわとか、そういうところに17ポイントも行っている。選挙区で投票した人が、比例区では立憲民主党に入れていない。これは、どうしてだろうかということが注目されます。
さらに重要なのは、10月28日の朝日新聞の出口調査です。これで見ると、石破内閣を不支持にしている層が48%いますが、その人の比例投票先を見ると、立憲は確かに1位です。自民は嫌だっていう人が、比例区でどこに入れたかというと立憲が1位ですけれども、自民は嫌だって言って投票した人の29%です。前回の岸田選挙のときには、岸田が嫌だって言って立憲に投票した人は37%いた。減っている。その分だけ他の党が増えてるんですね。どこが増えているかというと、国民民主党は15%、岸田選挙のときは5%しか岸田内閣嫌だという人が回っていなかったのが、国民民主党に今回15%です。れいわに11%、維新に10%、共産に8%です。ですから、減ったのが、立憲と維新と共産、増えたのが国民とれいわという形になります。
どうして、こういうことになったのかということです。比例はなぜ伸びなかったのか。私は一言で言うと、立憲は裏金批判に集中したということもあり、政権公約でも政治改革というところに集中した。立憲は自公政治に代わる選択肢を2つの内容を示しました。1つは、自公政治に代わってどんな政治をやるのかという政権構想です。この場合、自民党補完政治ではないわけですから、自公政治の軍拡の政治に対してどんな政治があるのか。それから自公と新自由主義の政治に対して、どんな対抗の政治を行うのか。こういう政権構想です。もう一つは、それをどういう政権によって実現するのか。野党であれば、野党共闘の構想という2つを持っていることが必要でした。
ありていに言えば、この間の選挙で、21年の選挙では、市民と野党の共闘に基づき市民連合の政策で、自公の政策政治に代わる政権構想が共通政策として打ち出されました。そして、自公に代わる政治の担い手として、野党連合が打ち出されました。自公の政治に代わる政権構想と――新自由主義の政治と軍拡の政治に対抗する政権構想と、それを担う共闘の構想です。これがあって初めて多くの国民は、自公政治に代わる選択肢として、その党を比例代表選挙で選ぶことになると思います。
立憲は、残念ながらその点で十分でなかった。政権構想においては、確かに7つの政策というのを出しました。第1番目は政治改革です。その後に、社会保障の問題とか経済政策とか安保防衛構想とか出しましたけれども、全体としてどんな政権によって、どんな共闘によってそれを実現するのか。こういう担い手論は、前面には出なかったと思います。共産党も、それぞれの問題で政策を出し、政権構想を出しました。けれども、それがどういう担い手によって実現するのかというのは、市民と野党の共闘が壊れたこともあって出されていない。立憲野党のそういう選択肢が明確に示されない中で、実際に新自由主義の政治へ強い不満を持った多くの有権者が、新自由主義の政治のごく一部ではあるけれども、手取りを増やす103万円の壁を越える、あるいは若者たちの社会保険の負担を減らす。そういう明確な新自由主義に対するシングルイシューの対案を出した政党に、地獄の中での蜘蛛の糸のように、期待を寄せたということが、今回の結果なのではないかと思います。
自民から離れた533万票、あるいは公明党から離れた115万票、合計で648万票が一体どこへいったのかということです。立憲は7万票しか取っていませんし、共産党は減らしているわけですから、どこにこの648万票は行ったのか。国民民主党は6.81ポイント、票数から言うと358万票です。648万票増えた中の358万票を、国民民主党は獲得した。つまり、立憲民主党の50倍の票を獲得した。それかられいわ新選組も同じように、立憲の20倍以上の票を獲得した。国民民主党は、若年層にターゲットを絞って、自公の新自由政治による貧困や低賃金への対策に焦点を合わせた。
国民民主党が伸びたのは、単にSNSの成功とか保守化とかいう問題では不十分です。SNSで、なぜシングルイシューが受けたのかといえば、新自由主義の政治に対する一点突破の改善要求です。立憲野党が、野党共闘によって自公政治に代わる選択肢を示さなかった結果、地獄で蜘蛛の糸にすがるように、国民やれいわに多くの国民が期待をしたということだったと思います。これが第2の特徴です。政権交代は起こらなかった。立憲野党は伸びずに国民やれいわが伸びた。
3番目の特徴は、それでも、立憲野党の裏金問題追及、立憲民主党や共産党の裏金問題追及と市民の頑張りによって、自公過半数割れが生み出された。歴史的な大敗が生み出された。その結果、政治の前進のための条件が生まれたということが3番目の特徴です。この点では2つ指摘しておく必要があると思います。
1つは、自民党、公明党、維新が後退した。国民民主党は前進したけれども、結局、自民の大敗、維新の敗北によって、改憲勢力3分の2である210議席をはるかに下回る議席しか獲ることができなかった。
逆に言うと、政権公約の中で明確に9条改憲や緊急事態、緊急政令に反対する政党。立憲民主党の148、共産党の8、社民の1、れいわ新選組の9、これを合わせると166議席です。つまり、3分の1の155議席を超える議席を獲得した。3分の2割れを示したのも、改憲反対政党が3分の1を超えたのも1993年以来、30数年ぶりになります。そういう大きな歴史的な前進を勝ち取ったというのが1つです。
それからもう1つ、同じように自公過半数割れの結果、国会が変貌した。
27の委員長ポストのうち12が野党です。特に重要なのは、予算委員長、法務委員長、それから政治改革特別委員会の委員長、そして憲法審査会の会長、この4四つのポストは、いずれも立憲民主党の委員長によって占められたということが非常に大きな特徴です。特に重要なのは、予算に関わる問題を自由に討議する。しかも予算委員会には首相の出席が義務付けられている。その予算委員会は、例えば軍拡問題で言えば、まさに軍拡予算に絡んでこの軍拡問題を質疑できる。それから新自由主義の政治であれば、まさに予算に絡んで減税の問題、あるいは増税の問題、あるいは社会保障の改悪の問題が議論できる。その予算委員会の委員長に、立憲の安住さんがなった。
それから、これは選挙戦でも争点になっていた選択的夫婦別姓法案を初めとした法律を審議するのは、法務委員会で、この委員長も立憲がとった。それから、今問題になっている政治資金規正法の再改正、これをやる委員会である政治改革特別委員会の委員長も立憲がとった。そして憲法審査会の会長も、枝野さんがとったということで、今まで自民党が運営していた強権的な運営ができなくなる。しかも条件次第によっては、この予算委員会を活用して、大きく新しい政治への一歩というものを獲得できる。例えば軍拡問題を追及するような可能性が生まれます。ただし、軍拡問題で言えば、予算委員会50人のうちで立憲はかなり人数を占めましたが、共産党は1人です。それかられいわ新選組も1人です。ですからそういう意味で言うと、予算委員会の質疑の中で、市民と野党の共闘というものが2015年の安保国会のときと同じように大事なことになってくるだろうと思います。とにかく、石破政権が進める軍拡、新自由主義の政治の是非を争う条件ができました。
総選挙後の石破政権の軍拡・改憲政策は、新たな国会配置によって軍拡政策を追求し、改憲を阻む条件が生まれました。特に予算委員会を通じてやる気になれば、軍拡問題、新自由主義政治の追及の可能性が生まれます。しかもトランプの圧力によって、先延ばしにしてきた軍拡財源問題は、当然テーマにならざるを得ません。トランプは、対GDP3%いうことをNATO諸国に義務付けると言っています。当然、日本に対してもそれが要求されるということになってくると、この軍拡問題は議論の対象にならざるを得ない。そこで軍拡財源だけではなくて、軍拡そのものを追求することができるかどうか。このことが大きなポイントになります。
改憲発議についても、明らかに憲法審査会の変化と改憲勢力3分の2割れという条件のもとで、憲法審査会の改憲の戦略を自民党は見直さざるを得なくなった。10月4日の所信表明演説のときには、首相在任中の改憲発議を言っています。ところが10月29日の臨時国会での石破首相の所信表明演説では、在任中という言葉がなくなりました。改憲発議に向けて国民的論議を起こす。こういう形で大きくトーンダウンせざるを得なかったのは、3分の2割れといった状況があります。その結果、おそらく石破政権は軍拡問題を加速化する。こっちに焦点を当ててくるでしょう。軍拡により憲法の実質的な破壊という方に焦点を合わせ、改憲戦略については、一旦、再検討するという形で臨んでくるだろうと思います。
2番目の条件はトランプの大統領の再選です。これは時間があれば詳しくお話をしたかったんですが省略をします。第2次トランプ政権になって、まだ共和党綱領と人事ぐらいしか予測する手立てがないのでわかりませんけれども、アメリカの世界戦略は再転換する可能性がでてきたと思います。
米中の軍事政治的覇権主義対立というものから、政治的軍事的覇権主義的勢力圏の住み分け戦略みたいものに変わってくる可能性はあります。そして日本に対してより直接的に重要になるのは、トランプの8月26日のデトロイト演説で、全てのNATO加盟国に対しGDP3%を要求するというふうに、はっきり言ったようですね。おそらく日本に対しても、それが要求されるだろうということを、石破政権の補佐官の長島昭久が訪米して聞いてきたといいます。長島はその後、2%にとどまらないだろうと言っているのは、おそらくそのことが背景にあるだろうと思います。
トランプは、そのデトロイト演説の中で、NATOが言っているGDP2%は、世紀の窃盗だ。お前ら2%しか金を払わないで、NATOをアメリカに防衛してもらおうなんていうのは世紀の窃盗だと、トランプはGDP2%を叩いているわけですから、これは当然大きな圧力が来るだろうと思います。
改憲勢力3分の2割れによって、明文改憲の遅れを踏まえて軍拡による憲法破壊が先行されるだろうと思います。実際、石破内閣の顔ぶれは相当異様なんですね。これは、石破さんのお友達がそういう人だったということで、お友達の少なさが反映しているところもあります。防衛大臣は中谷さん、それから、外務大臣も防衛大臣経験者である岩屋さん。政調会長も、これも防衛大臣経験者の小野寺さん。そして、軍事オタクの長島さんが補佐官という形で、まさに石破内閣は軍拡シフトした内閣ですね。これは石破が本当に考えてこうなったのか、友達が少なくてこうなったのか良く分かりません。とにかく、今の段階で改憲問題が少し見直しをせざるを得ないというとになると、この軍拡の加速化です。これはトランプの圧力も踏まえて、おそらく日本がやっていく方向になるだろうということがあります。
そういう中で、こないだ国会を通った臨時国会での補正予算は13兆9433億のうちに、実に軍事費が8268億あります。これは今までの補正予算の概念、財政法上の補正予算の概念とは全く違って、むしろ当初予算と補正予算を組みで、軍事費の予算が決まり、一般会計の予算を決める。当初予算にポンと出すのではなく、1兆円近く残しておいて、それを当然のこと
によるように補正予算に入れる。こういうかなり汚い手を使って、軍拡予算を拡大していることが注目されます。
それから、いま予算編成が行われている軍拡予算の中で、日本の戦争する軍隊化に不可欠の人工衛星とか、様々な攻撃用兵器、長射程ミサイルの生産のための補助金とか、そういうものが次々に入ってきています。そういう意味でいうと来年の通常国会の中では、この問題が大きな争点になるだろうというふうに思います。
改憲問題では、11月19日に憲法審査会の審議は始まりました。その中での自民党の船田さんの議論を聞いていました。岸田改憲の中で、一度新戦略として、自衛隊明記論と緊急政令論を入れたわけです。そして岸田はそれを次期総裁の石破にも押し付けたわけです。だけど自公政権の過半数割れと自民党の大敗の中で改憲戦略を変えるとしたら、おそらくもう1回、議員任期延長改憲で、まずは橋頭堡をとる。こういう方向に行くのではないかというようなニュアンスの発言が、船田さんからあったように私は理解しています。それは十分あり得ることです。しかし私たちとしては、今度の参議院選挙においても、改憲勢力3分の2をどうしても割り込ませる。そういう形で改憲発議に向けての自民党の戦略を、改憲派の戦略を打ち砕くことが必要なのではないかと思います。
総選挙の結果によって、新たな条件を切り開いた。この条件は、立憲民主党とか、共産党の裏金問題批判が大きな強みを発揮して、新たな政治条件を切り開いたと思います。これを使って政治を前進させるのか、元に戻すかは、これからの戦い次第です。条件はとったけども、それをどう生かしていくのかはこれからの半年の戦いになってくるだろう。少なくとも財源問題については、維新の会や国民民主党も増税に反対しています。しかし維新の会も、国民民主党もいずれも軍拡には賛成しています。軍拡を精査すると言っている立憲、それから軍拡に反対する共産、こういうところがどれだけ頑張れるかということがあります。それを支えるのは、やっぱり市民の圧力だと思います。
1つは、新たな国会と政治状況のもとで、軍拡の進行と危険性の宣伝を訴えて進行を許さない。予算審議を通じて、国会の中で軍拡新自由主義の害悪を討議しようという圧力、働きかけを市民が行っていく必要があるというのが大事です。
2番目に、改めて改憲の狙いと危険性を訴えて、改憲の息の根を止めるための活動です。特に憲法審査会においては、今、枝野さんが盛んに言っていますけれども、破壊された慣行、覆された慣行、例えば全会一致の慣行とか、そういうものを復権させていく。憲法審査会の中の慣行として、もう1回、改めて定着をさせていくことも必要です。何よりも参議院選挙は非常に大事になってきます。
3番目に、そういう中で今回の選挙結果が改めて示したように、自公政治に代わる新しい選択肢を示す。これを国民に示すためにも、何よりも軍拡や改憲を阻むためにも、市民と野党の共闘の再構築と強化の声を上げていく。これを求める運動を続け、強化していく。こういうことが大事です。今回残念ながら、全国的には市民と野党の共闘は実現しませんでした。しかし明らかに沖縄や、いくつかの県、新潟とか宮城とか、そういうところでは、この9年間の市民と野党共闘の持続は無駄ではなかった。東京においても、いろんなところで、この市民と野党の共闘が続けられ、その力によって大きな成果を獲得してきました。
今回の選挙が示した最も大きなことは、市民と野党の共闘に基づく自公政治の軍拡、新自由主義の政治に代わる構造と担い手を示していく。これが切実に、自公政権からの脱却を目指す多くの国民の期待に応えていくということになるのではないか。何よりもやっぱり改憲と軍拡に、とにかく歯止めをかける、そういう取り組みが、来年正月からの通常国会の中での運動として、やっていかなければならないということを強調したいと思います。