間もなく、米国では大統領選挙だ。ロシアのウクライナ侵略戦争は容易に終わりが見えない。パレスチナでのイスラエルのジェノサイドは止まらない。日本を含む東アジアでの米国・中国対立を軸とした緊張は拡大している。国際情勢は大きく揺れ動いている。
こうした中で自民党と野党第1党の立憲民主党の党首選挙(23日が開票のため、本稿の締め切りには間に合わず、評価は後日に期したい)が行われている。
自民党の総裁選挙はかつてない9人もの候補が出て争われている。世論が裏金問題や統一協会問題など腐敗した自民党の派閥政治への怒りをつよめ、派閥のタガが外れた結果の候補者乱立だ。
自民党の総裁選のひとつの特徴は自民党の改憲実現本部のワーキングチーム(WT)の合意の枠に沿って、強弱はあれ、皆が皆、明文改憲をいうことだ。従来ほとんど改憲問題についての発言がなかった小泉進次郎まで改憲促進派だ。これは偶然ではない。
情勢がそこまで来ている。安倍から岸田へと、日本は「戦争できる国」から「戦争する国」への軍備を整えてきた。岸田政権の下で、国会での議論がまともにないまま、日米軍事同盟体制の一体化や、敵基地攻撃能力保有、軍拡のための軍事予算の倍増、殺傷兵器の輸出解禁、全土の自衛隊基地の強化など、歴代政権が否定してきた「専守防衛」の範囲を大きく超え、2015年の戦争法が許容する範囲すら大きく乗り越えられた。中国・朝鮮敵視の風潮が煽られ、「台湾有事」に参戦するのも当然視する雰囲気がつくられつつある。明文改憲に先立って実質的な改憲、戦争国家化が進んでいる。
日本が米中の台湾有事に参戦することは戦争を南西諸島にとどまらせることはできない。米中の戦争は米軍基地を全国に配置している日本全土の戦場化だ。しかし、日本が本格的に、フルスペックで米中戦争に加担するには平和憲法が障害となる。戦争する国の総仕上げは改憲による障害の除去だ。もはや自民党にとって明文改憲は焦眉の課題だ。いま行われている自民党の明文改憲議論は単なる党是による明文改憲ではない。これは戦争準備の改憲だ。
自民党の財界・団体と派閥政治の癒着による裏金問題は自民党の腐敗した土台を揺るがせ、国会で抜け穴だらけの政治資金規正法を強行して見せたものの世論の怒りは収まらなかった。この間、明らかになってきた選挙などでの統一協会(カルト集団)との根深い癒着問題の露呈に加え、岸田首相就任以来公言してきた任期中の改憲実現の公約も破綻した。追い詰められた岸田首相はかつての安倍首相の辞任表明(2020年8月)にうりふたつの次期総裁出馬断念の記者会見を8月14日に行って次のように述べた。
「今回の総裁選挙では、自民党が変わる姿、新生自民党を国民の前にしっかりと示すことが必要です。……その際、自民党が変わることを示す最も分かりやすい最初の一歩は、私が身を引くことだ。私は、来る総裁選には出馬しない。新たなリーダーを、一兵卒として支えていく」と。しかし驚くことに岸田首相は「一兵卒になる」などと言いながら「憲法改正については、自衛隊の明記と緊急事態条項について、条文の形で詰め、初の発議までつなげていかなければなりません。既に緊急事態条項については、条文化の作業、また、自衛隊の明記については、今月末までに論点整理を衆参で取りまとめるよう指示を出しており、着実に実行してまいりたい」などと申し送りし、「ポスト岸田」の総裁に早期の国会発議に努めるよう求める考えを示した。岸田首相は「自衛隊の明記を含めた複数のテーマについて、一括して国民投票にかけるべく議論を加速化させる。その準備が整ってきた」と表明し、自民党の改憲実現本部は、現行の憲法9条の条文を維持した上で「自衛隊の保持」を新たに明記することなどを盛り込んだ自民党改憲実現本部WTの論点整理を了承した。
9月2日のWTの論点整理では、9条に2項を新設して自衛隊を明記し、自衛隊の国軍化をはかり、そのうえでシビリアンコントロール=文民統制についても規定するなどとし、これに関する条文は、公明党の主張に配慮し9条ではなく、内閣の職務などを規定する72条や73条に盛り込むことも選択肢だなどとした。また衆院憲法審では自民党は緊急時に国会議員の任期延長を可能にする改憲案の早期取りまとめを主張していたが、参院憲法審では現行憲法が定める「参院の緊急集会」の権能の尊重などの議論が強く、容易にまとまらなかったが、今回のWTでは衆院側が苦し紛れに大きく譲歩した形となった。
自民党WTは、憲法54条が定める参院の「緊急集会」について「活動期間を厳格に70日間と限定しない」とすることで一致し、緊急事態条項の創設を巡り緊急集会活用を訴える参院側に配慮した。
しかし、妥協案とはいえ、「論点整理」には従来積み上げてきた議論を後戻りさせないように「ピン留め」する狙いがあり、これらに沿っていけば自衛隊の合憲化、国軍化を謀り、「戦争する国」化の企ては達成されるというのだ。
また、「緊急事態条項」の新設では、大災害や武力攻撃、感染症のまん延などを「緊急事態」とし、政府が法律と同等の効力を持つ「緊急政令」を国会の議決なしに定めることができるようにするとした。そして、ともかくもこうした妥協の上に、条文化の作業を加速させ、速やかに改正原案の国会提出につなげるとした。
岸田総理大臣は「流れを加速させ一気呵成に進めなければならない。継続性が大事であり、新しい総裁にもしっかり引き継いでもらえるよう申し送りをする。自民党の力を結集し、憲法改正を実現したい」と述べたが、しかし、改憲が公明党や国民民主党など与野党の改憲派の合意形成、世論の支持の動向など、問題山積でとても一気呵成にすすむ状況とは言い難い。
自民党の各候補の改憲論をみておきたい。
改憲論者で知られる石破茂元幹事長は従来から戦力不保持を定めた9条2項の削除を主張してきた。ただ、2日の実現本部後は「今回決まった以上、議論を振り出しからしてもしょうがない」と態度を軟化させ自己の改憲論をWTの枠内に収めた。しかし、一方で持論の「安全保障基本法」について「きちんとつくることを軸に据えていきたい」と指摘した。
彼がいう安保基本法の必要性は「国連が機能しない時代に、どうやってアジアの安全を守るか。アジアに集団安全保障の仕組み(アジア版NATO)を作っていく。これは喫緊の課題と考えている。防衛力の整備は必要。防衛費の増額も必要。しかしどんなに立派な船、飛行機、車両を買っても乗る人はいなければどうする。今、自衛官は定数に対して92%の充足率。新規の自衛官は5割も来ない。自衛官は55歳で退官する。この状態をどのように考えるか。総理を長とする自衛官の処遇に関する関係閣僚会議の構築は早急に必要。憲法改正で自衛隊を明記することは必要なこと。だけどこの国には50の基本法があるが、安全保障基本法がない。そんなことでいいのだろうか。防衛力整備のあり方、自衛官の処遇、国の責務を書くことで日本国の独立性を守っていかないといけない」というものだ。
この石破氏が提唱する安保基本法こそ、戦争体制推進法であり、明文改憲と合わせ成立を阻止しなくてはならない。
マスメディアにもてはやされる小泉進次郎元環境相は立候補にあたって「憲法改正は自民党が69年前に立党されてからの国民の皆さんとの約束と考えていますので、この国民投票を一日も早く実施したい」「自衛官が憲法に位置付けられる環境をつくる」と表明した。
自民党の最右派の安倍派の路線を受け継ぐことが売り物の高市早苗経済安保担当相は「憲法改正を実現するために政治家になった」と公言し、改憲実現に強い意欲を示している。「日本国憲法の改正、もう必ずやり遂げましょうよ!」「総合的な国力の強化が必要。日本をもう一度世界のてっぺんに押し上たい」とよびかけながら、自衛隊に実力組織としての揺るぎない位置付けを与えるため、「日本国憲法を改正します」と主張する。戦争準備と不可分の靖国神社への参拝については、「靖国神社は私が大切に考えてきた場所。どこの国でもそうだと思うが、公務死された方に尊崇の念をもって感謝の誠を捧げるのは普通のことだ」と主張した。また、中国による台湾の海上封鎖が発生した場合の事態認定について問われ、「存立危機事態になるかもしれない」と言及。「とにかく日本の生存に関わる。シーレーン(海上交通路)も使えなくなり、場合によっては東京と熱海の間くらいに中国の戦艦だとか、軍用機が展開するような事態になる。そのくらいの危機感を持ってとらえている」と述べた。
小林鷹之前経済安保担当相は「(改憲は)もはや先送りできない課題だ」と強調。安倍元首相が目指した「自衛隊の明記と緊急事態条項の創設は優先順位を高くし、発議に向けて各党と交渉を進めていく」と強調した。
「(衆議院憲法審査会の)幹事を近年、務めてまいりました(審査会での彼の主張を聴いたことはほとんどない)。これまでの経緯を全て知っているからこそ、人一倍(憲法改正への)思いが強い」。「先送りできない憲法改正に可能な限り早期の実現に最大限の熱量をもって取り組む」と述べ、「政治の要諦は危機管理だと思っている。緊急事態条項新設と自衛隊明記の優先順位は一番高い。自分が言ったことに責任を持ちたいので、あえて期限は明示しないが、可能な限り早期に実現する。最大減の熱量を持って取り組む」と主張している。
河野太郎デジタル相は「なるべく早く発議へ持っていきたい」。「もはや一国平和主義ではなく、共通の価値観を持つ国々と新たな世界の平和と安定を守る枠組みを作ると同時に、この価値観を守るために日本はどういう責任や応分の役割を果たすのかを主張し実行しなければならない。わが国が応分の責任を果たすため、憲法9条に自衛隊を明記することは第一歩で、その先の議論もかなり早くしなければならない」という。
改憲実現本部の事務総長を務める加藤勝信元官房長官は「自衛隊、緊急事態条項を明記する憲法改正を必ず実現する」「(WTの論点整理を基に)国会提出、国民投票という道筋を進めていきたい」「衆参両院で3分の2以上の賛成を得るため、方向性を同じくする政党とも協議する。できるだけ早期の発議に向けて進めたい」と発言している。
茂木敏充幹事長は「9条への自衛隊の明記、緊急事態条項で3年以内に必ず憲法改正を実現したい」と述べた。
林芳正官房長官は「(改憲4項目への)国民の理解を広げ、総裁任期中の国民投票の呼びかけにつなげたい」と述べた。
上川陽子外務相は「国民がしっかり判断し、投票できる環境を整備し、丁寧に進めていく。国会での議論を加速したい」と発言した。
これらのうちの誰が次期自民党総裁になるのか、いずれにしても改憲問題を軸にして、以後の情勢には重大な変化が生じる。
立憲民主党の党首選の結果は、今後の市民と野党の共同に大きな変化をもたらすことになる。2016年の参院選以来の市民と野党の共闘は一区切りになりそうだ。しかし、近く予想される総選挙で私たちは市民と野党の共闘を諦めるわけにはいかない。可能な限りの力で共同を再編し、改憲勢力の3分の2を打ち破る課題は、引き続き緊急の課題だ。
確かに、明文改憲がされないまま実態としては日本でも南西諸島をはじめ、全土基地化、戦争国家化は急速に進んでいる。2015年の「戦争法制」、22年の「安保関連3文書」、24年の岸田訪米と「日米共同声明」などなど、たてつづけに進められている「戦争のできる国」から「戦争する国」への変質は、もはや法制的には憲法第9条の破壊による、フルスペックの「戦争する国」化を残すだけだといってよい。これを阻止し、各国の平和を願う民衆とともに、東アジアでの戦争をとめることができるかどうか。しかし、戦争を準備しているのは米国にしろ、日本にしろ、台湾にしろ、中国にしろ、各国支配層の一部だ。大多数の民衆は戦争を望んでいない。
反戦・反軍拡・反明文改憲こそが平和を求める日本の市民運動の課題だ。
このところ、沖縄、大分、熊本、広島などの各地の市民運動の仲間たちから発せられるメッセージを聴くにつれ、切にそう思う。
(共同代表 高田健)
9月19日日比谷野外音楽堂で「再審法改正を求める」市民集会が日弁連と市民実行委員会の共催で開催された。
2015年の安保法制(戦争法)の強行採決から9年目の9月19日、総がかり行動実行委員会、9条改憲NO!全国市民アクションの共催で東京・日比谷野外音楽堂で集会&デモが開かれた。
集会は司会を総がかり行動実行委の菱山南帆子共同代表が行い、音楽ユニット「公園でchillが新曲「さようなら自民党政治」を歌ってスタートした。総がかり行動実行委の染裕之共同代表が主催者挨拶し、「戦争法から9年、私たちは自民党の改憲策動を許さない。解散・総選挙で信を問うべきだ。私たちの手で明日の政治は変えられる」と語った。
集会では近藤昭一衆議院議員(立憲民主党)、小池晃参議院議員(日本共産党)、福島瑞穂参議院議員(社会民主党)、高良鉄美参議院議員(沖縄の風)の立憲野党代表があいさつし、ジャーナリストの有田芳生さん(元参議院議員)がゲストスピーチした。
集会終了後、銀座に向けてデモ行進し「戦争する国、絶対反対」「みんなの力で政治を変えよう」と声をあげた。
池田年宏 大分敷戸ミサイル弾薬庫問題を考える市民の会
安倍政権による2015年の安保法制の成立、岸田政権による安保3文書と日米軍事体制の一体化により日本各地で日本の軍事力の強化が進められている。すでに危険性が指摘されてきた南西諸島への自衛隊基地、ミサイル配備をはじめ、日本全土に弾薬庫建設をすすめるだけでなく、G7各国や、インド、オーストラリアなどの国々や日・韓・米との共同演習、フィリピンとの共同行動なども拡大している。ウクライナやガザでの戦争は、武器の保有や共同演習が戦争をするために不可欠であることを明確にした。政府が主権者である市民に明らかにせず日本全土で戦争の準備を進めている。実態を報告していただいた。
昨年(2023年)2月。陸上自衛隊大分分屯地(通称敷戸弾薬庫・155㌶)に、長射程ミサイル用の大型弾薬庫2棟を建設するという報道がありました。ここは国道10号やJR豊肥線大分大学前駅のすぐ東側にあり、周辺にある5つの小学校校区内に4万人が暮らす住宅密集地です。鴛野(おしの)小※1や敷戸小をはじめ、中学校、幼稚園、保育園、大分大学、病院、介護施設、商業施設もあります。大分駅、県庁、市役所までわずか6㌔、半径10㌔には大分市の大部分が入ります。
※1 鴛野小においては、敷地と分屯地が隣接しています。
大型弾薬庫の建設は、昨年末始められました。昨年11月、住民の会(大分敷戸ミサイル弾薬庫問題を考える市民の会・8月発足)が要求していた住民説明会が敷戸小学校体育館で行われました※2。開催予定時間はわずか50分。住民からの不安の声や疑問が噴出し、1時間延長されることになりましたが、防衛省側の説明に住民が納得することはありませんでした。
※2 学校の敷地に迷彩服の隊員を入れたのは痛恨の極みです。
説明会と住民の会による抗議の記者会見を無視し、2棟に加え7棟(計9棟)の建設計画が発表されました。「丁寧な説明」など皆無です。
戦争における民間人被害を避けるため、「国際人道法※3」は弾薬庫などの軍事目標を人口密集地やその周辺に設けないことを締約国に求めています。
※3 ジュネーブ諸条約の第一追加議定書第58条(b)
弾薬庫(火薬庫)に保管できる弾薬(火薬)※4の量はどれほどなのか。それは、周辺の住宅・人口の密度や施設の公共性の有無によります。
※4 9条の制約からか、依拠する法律が「火薬取締法」だからでしょうか、防衛省は「弾薬」とは言わず「火薬」という表現を用いています。
敷戸のように人口が密集していたり、学校・保育所・病院があったりすれば弾薬量を制限したり、それなりの保安距離をとったりしなければなりません。敷戸地域は「第一保安物件」に類し、例えば保管量40㌧の場合、保安距離は550㍍以上になります。敷戸弾薬庫には、すでに1000㌧もの「火薬」が33棟に保管されています。防衛省は弾薬(火薬)の「総量」ではなく、「一棟ごとの保管量」で(保安距離を)算出するとしていますが、それは恣意的な解釈にすぎません。法律の趣旨からみれば、保安距離が守られるとは到底考えられません。
鴛野小学校は大分分屯地と臨接し、敷戸南保育所や近隣住宅地は3㍍の生活道路を挟んだ目と鼻の先に、そして分屯地の正門前には民間の病院もあります。防衛省の「教範」によると、施設火災の際には、2分以内に1㌔以上の距離または遮蔽物のかげ等に避難することになっています。2分間で1㌔ということは、100㍍を12秒で移動しなければなりません。加えて、防衛省が依拠するのは産業用火薬を対象とした「火薬類取締法」であり、「ミサイル弾薬」ではありません。増設される大型弾薬庫に保管されるミサイルは、隣国(中国)を直接攻撃する能力を持つものであり、その爆発力や破壊力、発火温度の危険性は産業用の火薬や通常弾薬とは比べものにならないはずです。また、防衛装備庁の通達でも、弾薬庫が火災を起こした場合、消火活動は原則禁止されており、爆薬等が爆発している場合は自衛隊員でも600㍍以内に近づいてはならない、とされているのです。弾薬に対する消火は不可能だということです。しかし、敷戸弾薬庫の周囲600㍍にはすでに多くの住民が生活しています。一体、住民の命とミサイルと、どちらを大切にしているのでしょうか。事故の際、逃げ惑う子どもたちや市民の姿を想像してみてください。
EABO※5などの戦術を知るにつけ、弾薬庫が攻撃対象になることへの不安が増していますが、攻撃を待たずとも、弾薬庫の爆発事故は多くの場所で起きています。
※5 移動式車両からミサイル攻撃を行い、反撃をかわそうとするもの。
2006年には米軍佐世保基地弾薬庫で火災発生事故が、1939年3月には大阪枚方市の禁野弾薬庫で大爆発事故が発生しています。京都府精華町の祝園への移転はこれを受けてのものです※6。
※6 大分と同じく、祝園弾薬庫にもミサイル用の大型弾薬庫建設(8棟)計画が持ち上がっています。移転時の取り決め(弾薬量は増やさない)を反故にした暴挙です。
1945年11月には、福岡県にあった彦山駅南の二又トンネル(陸軍の火薬爆弾庫に代用)で山全体が吹き飛ぶ大爆発事故が起きています。死傷者数・家屋損壊もすさまじく、事故当時は阿鼻叫喚の様相だったそうです。事故は起きてからでは遅いのです。
「重要土地規制法」により、大分県では大分分屯地、別府駐屯地など7カ所が指定され、それぞれの周囲1㌔の住民が監視の対象となるおそれがあります。すでにドローン規制は敷戸弾薬庫の周囲1㌔で適用されています。思想統制、戦時体制づくりが着々と進められており、表現の自由・知る権利が著しく制限されてようとしています。
敷戸がこのような弾薬庫施設建設場所に選ばれたのは、大在埠頭や日出生台演習場が近く、戦略上「便利が良いから」、と言われています。昨年の米日共同訓練では、大分と沖縄を結ぶ輸送訓練が行われました。今年は、湯布院に発足した第二特科団の指令により、沖縄琉球弧の島々に配備されているミサイル連隊の発射訓練が行われました。琉球弧の島々と九州全域を「戦場」とする訓練です。また、自衛隊の統合演習では、民間の大分空港で初めて自衛隊の軍用機の離発着訓練が行われました※7。
※7 これは軍民分離原則に明確に反します。平時に軍用機がその施設を使用すれば、それは軍事施設とみなされるのです。民間の施設には「特殊標章」を掲示する運動が必要です。(図参照)
大分はまさしく軍事優先国家日本の中心となりつつあります。また、広島県呉市の旧日鉄跡地(130㌶)を防衛省が買い取りました。ここは、全国の武器・弾薬の一大流通拠点になるのではないかと危惧しています。俯瞰すると、私が住む大分県中津市は地理的に「軍事施設群」の真ん中になります。私は被害者にも加害者にもなりたくありません。
全国にある1400カ所もの弾薬庫に加え、130カ所の新増設計画があります。そのような中、琉球弧の島々に住む市民の避難先として、九州・山口各県への協力が要請されています。軍拡が「抑止力」になるというのであれば、避難など必要のないことです。大分県は石垣島からの避難者を受け入れることになっていますが、攻撃される石垣島から、攻撃される大分県への避難など、茶番でしかありません。防衛省による「ミサイル配備は抑止力を高めるため」という論理は破綻しています。
防衛省は新年度予算の概算要求で過去最大の8兆5千億円の防衛費を計上しており、大分分屯地においては9棟の新設が計画されている大型弾薬庫について、3棟分の工事費など、計86億円を盛り込んでいます。23年度予算の際、私たちは45億円の計上で衝撃を受けたのですが、今回はその2倍にあたります。
防衛は国の専管事項ではありません。勝手に弾薬庫建設を決めておきながら、その弾薬の種類も量も明かさず、避難計画や実施は地方自治体まかせでは筋が通りません。国は「国家」は守りますが、住民を守ることはありません。戦時となればなおさらです。住民の生命・財産を守るのは地方自治体なのです。住民が危険にさらされるようであれば、地方は毅然と国に物申すべきです。
戦争になれば自衛隊員も命を落とすことになるでしょう。彼ら彼女らの命を守るのは、「戦争をしないこと」です。
15年戦争で、日本は3000万人ものアジアの人々の命を奪い、残忍な加害行為も行いましました。巷では、来年は戦後80年だの新しい戦前だのと言いますが、果たして今は「戦後」なのでしょうか。「新しい戦前」というのは、戦争責任を「清算」し終えた者が言えることなのではないでしょうか。未だに私たちは戦時性暴力被害者に納得してもらえるような謝罪も賠償も済ませていません。元徴用工の方々についても同じです。15年戦争中、中国大陸で、例えば強姦した少女を殺害した後、自らの性病治療薬にするのだと、死体から脳みそを取り出して煮るなどという蛮行や、それに類する罪業を日本や日本人は一体いつ償ったというのでしょう。三光作戦、731部隊、刺突「訓練」、台湾や南方の島々の方々に対してはどうでしょうか。沖縄戦で住民を殺した軍人たちは、反省をしたのでしょうか。遺骨の多くはいまだに埋まったままです。血肉が混ざった土を米軍の新基地建設のために海に捨てようとはしていませんか。
今はまだ「戦後」でもなければ「新しい戦前」でもない。「まだ戦争は終わっていない」と、私は思います。
長年に渡り、沖縄では基地があるが故の事件・事故が後を絶たない中、反戦・平和運動が続けられています。今さらながらですが、沖縄・琉球弧での運動に学びながら、各地で進められる戦争体制づくりの情報と運動のつながりをつくっていきたい※7と思います。
※7 西日本各地を結ぶ集会が8月に沖縄で行われ、9月には広島呉で、そして大分では次の集会を開催していきます。
憲法はもとより、今ある平和の資源を生かしていくべきです。日中平和友好条約もあります。大分市は1979年に武漢市と平和友好都市となり、平和のための活動を積み重ねてきています。また、湯布院は全国各地・各国から観光客を迎える温泉地でもあります。戦争に加担する野蛮な保養地がどこにあるというのでしょう。対話と友好を積み重ねていく努力と、戦争をしない叡智を結集させ、戦争を止めていかなければなりません。
※パンフレットを無料でお分けしています。
当会では、自衛隊の「弾薬庫安全神話」を突き崩すべく、『「おんせん県」にミサイル弾薬庫!?』(A5版カラー8ページ)を作成しました。ご希望の方は、必要部数、送り先を明記の上、お申込みください。peacewith9@gmail.com (メール) 090-4583-8797
(ショートメール)
※なお、送料はご負担ください。カンパ、助かります。
新田秀樹 ピースリンク広島・呉・岩国 世話人
今年3月4日、防衛省は広島県呉市で昨年操業を停止した日本製鉄瀬戸内製鉄所呉地区の跡地約130haの土地(東京ドーム約27個分)を「多機能な複合的防衛拠点」整備のため防衛省が一括購入する意向を県と市に提示した。防衛省担当者は「呉は米軍岩国基地や陸上自衛隊13旅団や佐世保などにも近く、非常に重要な場所にある」と説明している。つまり、西日本(あるいは全国)から武器や弾薬などの兵站拠点にするということであろう。
呉市はかつて旧海軍呉鎮守府の置かれた侵略拠点であった。1889年の開庁前はのどかな農漁村であったが、街の中心部を埋め立てを行い、のちに作られた海軍工廠(兵器工場)とともに、軍事都市として発展を遂げた。呉海軍工廠では戦艦「大和」を含め多くの軍艦、潜水艦や弾薬などが製造され、少し離れた東部に位置する零戦などを製造していた広海軍工廠と共に東洋最大ともいわれた。1945年4月からは度重なる空爆を受け、街は焼き尽くされ、沖合には撃沈され身動きが取れなくなった軍艦が横たわっていた。海軍工廠で働く労働者などで一時は40万人を超えた人口は、敗戦後の海軍解体と共に職を失い、半数以下に落ち込んで街は一変した。
この呉市で戦後復興を支えたのは1950年6月28日施行の旧軍港市転換法(軍転法)でもあった。軍転法は旧海軍鎮守府の置かれた4市のみに適用される法律で軍港の街から平和産業港湾都市へと変わろうという趣旨の法律です。当時、進駐軍として呉に入っていた英連邦軍は旧軍施設が再び軍事施設として復活するのを恐れ占領し、呉の戦後復興を妨げていた。
軍転法は特定の自治体のみに適用される法律で、憲法95条の規定に基づき住民投票が行われ、約82%の有権者が投票し約96%が賛成という、圧倒的な市民が賛同した。当時の呉市の決意が1945年の「旧軍港市転換法案要綱 理由書」に込められている。
「百年の永きに亘り、営々と構築された旧軍港は専ら戦争目的のみに供用されてきたのである。(略)今次大戦は日本をほとんど破滅の状態において終結を告げ、三代にわたってここに定着した市民は住むに家なく、帰るべき故郷はすでになく、荒廃した軍施設を前に失業の群集と化し去ったのである。破壊されたスクラップの山と転覆した艦船の残骸はこれを眺める市民に戦争の惨禍と無意味さをしみじみと訴えるのである。市はここに180度の転回をもって、せめて残された軍財産を平和と人類の幸福のために活用し、速やかに平和産業都市、国際貿易港として更生せんことを誓うのみである」(旧軍港市転換法案要綱 理由書より抜粋)
しかし、戦後、海軍解体後に発足した海上保安庁掃海部、軍転法施行の3日前6月25日の朝鮮戦争勃発後には保安隊を経て、1954年の海上自衛隊呉地方隊発足と共にその理念は活かされず、現在国内最大級の海上自衛隊基地を抱える街になっている。
さらに軍事拠点化は進んでいる。1991年、湾岸戦争後の機雷除去の名目で掃海艇が呉基地から自衛隊の初の海外派兵が始まった。翌年はPKOカンボジア派兵のための輸送艦派遣、2001年、当時の小泉政権によって、戦地のペルシャ湾へ米軍などへの燃料などの補給のため補給艦が派遣され、2009年から現在までソマリア沖海賊対処という名目で護衛艦が海外で活動を行っている。
現在の海上自衛隊呉地方総監部の実情を見ると、海外派兵が増す中で艦船数は大きく変わらないが、艦船の大型化が進んでいる。海上自衛隊呉基地は現在、国内最大の潜水艦基地でもあり第一潜水隊12隻が配備されている。2001年ごろから配備が始まった「おやしお」型潜水艦3隻(3500t、82m)、2009年ごろから「そうりゅう」型潜水艦8隻(4200t、84m)、さらに昨年からは最新鋭の「たいげい型」潜水艦(4300t、84m)の配備が始まっている。「そうりゅう」型潜水艦は安倍政権下、豪への武器輸出を目指していた。また、練習潜水隊は呉だけにあり、練習潜水艦「おやしお」型2隻が配備されている。また、「おやしお」型は海上自衛隊呉史料館で陸上展示され、自衛隊の宣伝活動もしている。自衛隊の艦船には艦番号が付けられているが、潜水艦には表示がなく活動実態も分からない。
昨年4月、陸上自衛隊西部方面隊の幹部を乗せた宮古島海域でのヘリ墜落事故で潜水艦救難艦「ちはや」(6900t、129m)と掃海艇「えだじま」が捜索活動を行っている。いずれも呉基地の所属で自衛隊の南西シフトに呉基地が利用される証でもある。「ちはや」は故障等の潜水艦の救難のため特殊潜水訓練も行っており、手当不正取得で多くの乗組員が先日、処分を受けている。
護衛艦とは名乗るが事実上の戦闘艦(英語ではデストロイヤー)は7隻。イージス艦は配備されていないが第4護衛隊群司令部は呉にあり、傘下には佐世保基地配備のイージス艦2隻が存在し、うち1隻は最新鋭の「はぐろ」でもある。来年度から配備予定の敵基地先制攻撃兵器「トマホーク」はイージス艦に配備予定でもある。呉基地の桟橋の中でもとりわけ目立つ存在が護衛艦(DDH,ヘリ空母)「かが」(26000t、248m)で、戦艦「大和」(263m)にも匹敵する大きさである。他には護衛艦(DD)「いなづま」「さみだれ」「さざなみ」(6200t前後、151m)「うみぎり」(4950t)、護衛艦(DE)「あぶくま」「とね」(2900t)が配備され、比較的小型のDEタイプは多機能護衛艦(FFM)「もがみ型」(5500t)ステルス機能を持つ最新型に変更予定がある。
呉基地の特徴は多用途な艦船が配備されている。掃海母艦「ぶんご」(6900t、141m)は機雷掃海だけではなく、機雷敷設の能力を持つ。掃海艇は「みやじま」「えだじま」(590~780トン)。輸送艦(大型揚陸艦)「おおすみ」「くにさき」「しもきた」(13000t、178m)は呉基地だけに配備されている。1997年、揚陸艦の配備は専守防衛を逸脱していると抗議したが、当時、防衛庁は揚陸艦ではないとしてきたが、改修を経て上陸舟艇エアクッション艇(LCAC)をそれぞれ2隻、計6隻(180t)で米海兵隊や陸自水陸機動団の揚陸演習に使われている。
補給艦「とわだ」(12100t、167m)は対テロ特措法で米艦などへの燃料補給のため2001年から7回の派兵実績がある。後半は新造船されたさらに巨大な「ましゅう」型補給艦(25000t、佐世保、舞鶴)が参加し、海外派兵前提の装備に変わっている。現在、2009年から始まったソマリア沖の海賊対処のために派兵された護衛艦「さざなみ」が出港しており、その回数も数えきれないほどになっている。
呉だけに配備されている艦船に音響測定艦「はりま」「ひびき」「あき」(3800t)がある。1991年に配備が始まったが、中国やロシアなどの潜水艦探査が任務。しばらくはほとんど停泊したままであったが実態は不明で最近は不在が多い。米国から提供された装置で情報も米軍と共有している可能性が高い。
練習艦(護衛艦)「はたかぜ」「しまかぜ」(5900t)は能力的には事実上の護衛艦同様の装備であり、2022年に呉警備隊所属の初の大型油槽船(YOT)2隻(3500t)は南西諸島有事を想定して配備された可能性が高い。
宮古島、石垣島にミサイル連隊と弾薬庫がつくられ、民間海運業者に情報の提供などを理由に断られ弾薬輸送を担った「おおすみ」型大型輸送艦(揚陸艦)だった。空母に改修された護衛艦「かが」は岩国基地の米海兵隊やこれから新田原基地(宮崎県)に配備予定の短距離離陸と垂直着陸可能なF35Bを搭載可能の空母として運用されていく。9月17日、米軍との共同運用のため呉基地を出港している。当面、米海兵隊F35Bステルス戦闘機との共同運用が柱になっていく。
もともと呉市では旧軍港市転換法に基づいて旧海軍施設は自治体に無償譲渡あるいは貸与で公園、学校などの公共施設、または民間企業への有償譲渡で生まれ変わっていった。旧海軍工廠の大部分は民間施設へと生まれ変わった。その一つが現在の日鉄跡地でもあり、海軍の弾薬を作っていった工場跡地は製鉄所へと変わり、軍艦を作っていたドッグは民間の造船所へと戦後の呉の発展に貢献した。
しかし、自衛隊発足と共に鎮守府のあった旧海軍の中心部分は自衛隊基地へと変わっていった。呉市行政はいまだに軍施設として残っている米陸軍弾薬庫の返還を求めながら、自衛隊施設は日本の平和に貢献しているとして容認している。それどころか、自衛隊との共存共栄を進め積極的に歓迎しているのが実情である。
2015年、戦争法(安保関連法)が強行採決され、戦争ができる国づくりが進んでいる。集団的自衛権行使、秘密保護法や土地規制法、そして安保三文書改訂の過程で自衛隊が大きく変わっている。本当に呉市の言う平和に貢献している組織なのか。膨大な防衛費を使い、琉球弧の島々を中心に米軍を中心にした共同演習を繰り返し、沖縄を戦場にした戦闘訓練までしている現状でどうなのか。
今年度自衛隊統合指令部が市ヶ谷に創設され、呉には自衛隊海上輸送群が新設される。このことと日鉄跡地問題は無縁ではないと思われる。具体的なことはいまだによくわからないが10隻の輸送艇を配備するというが、横浜にある米軍ノースドックのような役割を担うことになるのだろうか。順次拡大されるのであろうが、土地や桟橋といった問題も起きてくる。
また、広島県内に3か所の弾薬庫をもつ米陸軍第83兵器大隊の司令部は呉市の海上自衛隊桟橋に隣接した場所にあり、陸軍ではアジア最大の75000tの弾薬が保管され、通常呉市の広港から横浜ノースドックへと運ばれている。報道によると、この司令部の移設にすでに合意しているという。呉市市営中央桟橋向かいの自衛隊の土地と交換するというものだ。自衛隊にとっては現在の桟橋も拡大され、願ってもないことだろう。
25年度概算要求では日鉄跡地調査費として5億円を要求している。巨大な日鉄の設備解体、土壌調査などで数年はかかると思われる。防衛装備の生産拠点、弾薬庫を整備するとしているが、南西諸島有事を想定した兵器、弾薬や食料などの集積拠点として整備する計画だろう。
これに連動して、陸自第13旅団の強化など、西日本全体の基地強化にもつながっていく。かつてのアジア侵略拠点の呉を後方支援基地として、再び軍事拠点にさせてはならない。9月21日~22日、西日本を中心に軍拡が進む各地からつどい、「西日本連帯交流会」を開催する。各地で闘う仲間と連帯してまずは交流を深めたい。
松岡幹雄(とめよう改憲!おおさかネットワーク)
安保3文書に基づく、敵基地攻撃能力の保有と「継戦能力」の確保のために弾薬庫の増設が進められている。防衛省は、全国で2027年度までに約70棟、さらにその先10年で約60棟、合計約130棟を新設するという。すでに24年度予算では、京都府相楽郡精華町にある自衛隊祝園分屯地に火薬庫8棟、整備場、倉庫等の新設にかかわる経費約102億円が計上されている。25年度の概算要求では、はじめて本体工事の経費が盛り込まれている。祝園分屯地は、現在、巨大な弾薬庫が10棟ある。本州の陸自弾薬庫施設では最大級の規模であり、本州の弾薬補給拠点として強化が狙われている。京都府舞鶴市にある海上自衛隊舞鶴基地については、「舞鶴弾薬整備補給所」に約3棟を整備するための調査費用が約2億円計上されている。舞鶴基地所属のイージス艦に米国製ミサイル・トマホークの配備も予定されている。近畿においても着々と戦争準備が進められている。
1939年3月1日深夜、大阪府枚方市禁野(きんや)火薬庫が大爆発を起こした。中国戦線から送り返された砲弾の解体中の事故だった。弾薬の倉庫は次々と爆発炎上し翌日まで29回も爆発を繰り返した。死者は94人、負傷者602人、家屋の全半壊は821戸、4400世帯以上が被災した。避難民は8300人を超える大事故となった。被害は、半径2㎞に及んだがこれは現在の精華町の全域に相当する。その後、火薬庫は、使用不可能となり移転することになる。移転先が、枚方に近い京都府川西村(現・精華町)祝園であった。こうして祝園は、大阪砲兵工廠や宇治の火薬製造所と国鉄でつながる砲弾貯蔵数では全国一位の大弾薬庫に生まれ変わった。
戦後、分屯地は、米軍の管理下におかれることになる。1958年に米軍から日本に返還されることが決まり、町民・町・議会が一体で返還闘争が展開された。この町民あげての闘いの中で、23項目に及ぶ「確認書」が結ばれた。
1960年、米軍から自衛隊に移管された際、当時の防衛庁・自衛隊と精華町との間で「貯蔵施設の拡張はしない」など23項目の「確認書」が交わされていた。また、この「確認書」の中で弾薬の貯蔵量の基準を定め、能力以上は貯蔵せず、増加する場合は事前に町と協議することも合意された。この点について、5月17日、衆院外務委員会で日本共産党の穀田議員が追及した。鬼木誠防衛副大臣は「確認書には契約的意味合いはない。この認識は精華町とも一致している」などと不誠実極まりない答弁に終始した。しかし、「確認書」は当時の精華町長、防衛庁大阪施設部長、陸上自衛隊中部方面幕僚長の3名の記名・押印があり、割り印もついており公式文書であることは明らかで、これを反故にすることは許されない。
2023年6月、精華町議会は、祝園分屯地の火薬庫建設計画のための調査結果と今後の計画説明を求める国への意見書を全会一致で採択した。これに対して、12月18日、防衛省は、精華町長、京田辺市長に説明を行った。だが、その内容は、提出された資料はA4判1枚。なんと調査の中間報告については、必要な保安距離や地盤強度などが確認でき、陸上輸送にも適していることなどから、「火薬庫を増設するうえ
で適地」とする結論だけが明記されたものであった。事前協議は反故にする、町の要望にまともにこたえようとせず、住民への地元説明会も開こうとしない問答無用の姿勢が防衛省の姿勢である。こうした姿勢は、地方自治法の改悪による地方自治、住民自治の否定にも通底している。
2004年、日本政府も加盟した国際人道法のジュネーブ条約第1追加議定書には、軍隊と住民を引き離すことで住民の犠牲を減らすための「軍民分離の原則」を規定している。この中で軍事行動は軍事目標のみを対象とする(第48条)からはじまり、住民への攻撃禁止(第51条)、民間施設の攻撃禁止(第52条)、攻撃の際の予防措置(第57条)には、住民と戦闘員、民間施設と軍事施設を明確に区別し、軍事施設だけを攻撃の対象とすることを求めている。しかし、祝園弾薬庫は民間住宅や学校・病院などの公共施設と隣接している。近頃、関西電力は、AI処理に不可欠なデータセンターの建設を精華町で1兆円かけて進める工事を開始した。現在、祝園分屯地周辺は、関西学術文化研究都市法で促進地域と指定され住宅地や文化・芸術・研究・商業施設が立地している。祝園弾薬庫の増設は、国際法違反であり許されるものではない。
今年、3月20日、静かな住宅地域に危険な増強計画は許されない、思想・信条の違いを超えて「確認書」に基づいて「住民説明会」の開催を一致点で「京都・祝園ミサイル弾薬庫問題を考える住民ネットワーク」(ほうそのネット)が結成された。結成総会は、地元以外からも多くの市民がかけつけ200人を超える結成集会となった。
5月11日、ほうそのネットが主催し300名が参加する学習会が開催された。講師の沖縄国際大学の元非常勤講師(平和学)・西岡信之さんからは、「沖縄戦の教訓からも人口密集地への弾薬庫建設は国際人道法の『軍民分離』原則に反する」ことが強調された。この学習会には、「大分敷戸ミサイル弾薬庫問題を考える市民の会」から、連帯メッセージが寄せられた。
8月25日、ほうそのネット主催の「夏の大学習会」が開催され、参加者は関西一円から550人を超えた。学習会では、元自衛官で軍事評論家の小西誠さんが「元自衛官がみる日本の安全保障」と題して講演を行った。小西さんは、「人口密集地に軍事施設を増強することはジュネーブ条約に違反している」と指摘。また「これまで中国封じ込め策として自衛隊基地増強が進められ、短距離ミサイルなどの配備が進められてきたが、『安保3文書』により、台湾有事を含む対中ミサイル戦争に勝利するための軍事態勢を構築する段階に入った」と指摘した。そして、「台湾有事にノーと言える日本へ」と1978年の日中平和友好条約を活かした中国との平和外交を進めようと述べた。この学習会には、「ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会」「大分敷戸ミサイル弾薬庫問題を考える市民の会」から連帯のメッセージが寄せられ紹介された。今後の活動としては、住民説明会の開催を求める署名を1万人分集める(現在、約5000人分)ことや、各地で学習会を開催することなどが提案され拍手で確認された。集会後、参加者は精華町役場を出発してピースパレードを行った。
ロシアのウクライナ侵略を見ても当然、攻撃にさらされるのが軍事施設であり兵器・弾薬庫である。少しのミサイルでは足りず、継戦能力と言っていつまでも攻撃し続け、相手の国をつぶすまで闘い続ける戦闘力が求められる。そのために、ミサイル弾薬基地の大増設が進められようとしている。
7月8日から9日にかけて、弾道ミサイルを追尾する京丹後のXバンドレーダー基地で日米共同の基地警備訓練が行われた。全く突然の訓練であった。さらに7月18日から26日まで滋賀県あいば野演習場での日米合同軍事演習が行われた。近畿でも進む急激な戦争準備にノーの行動を強めていきたい。
星野 潔(リムピース編集部)
神奈川県内には、国道16号線の周辺に並ぶようにして横須賀基地、横浜ノースドック、鶴見貯油施設、厚木基地、キャンプ座間、相模総合補給廠など多くの米軍基地が立地している。これらの基地のうち、横須賀基地、厚木基地、キャンプ座間は自衛隊の基地でもあり、横浜ノースドックにも陸上自衛隊が共同使用している建物がある。
相模総合補給廠から国道16号線を北上した東京都内には、横田基地がある。この基地も、米軍も航空自衛隊も使う基地である。
さらに周辺に目を向けると、隣の静岡県御殿場市には海兵隊基地のキャンプ富士があり、同じ富士山麓には自衛隊の演習場ではあるが米軍も使用する東富士演習場(かつてはキャンプ富士と合わせて海兵隊基地だった)や北富士演習場もある。沼津市の海岸には上陸作戦訓練場の米軍沼津海浜訓練場もある。
横須賀基地の東京湾を挟んだ対岸には、海に面した飛行場の木更津基地もある。木更津基地は、現在は実質的には自衛隊の基地として使用されているが、日米地位協定上は今も米軍基地であり、それを自衛隊が共同使用しているという形をとっている。
さらに、相模湾はその全体が、「相模湾潜水艦行動区域」という名の米軍に提供された訓練区域(海域)だ。また、神奈川県の上空の大半は「横田空域」と呼ばれる米軍が管理する空域の一部であり、日本の飛行機が飛ぶには、米軍にフライトプランを提出して許可を得なければならない。
神奈川及び周辺の米軍基地の特徴として第一に、司令部機能の集積を挙げることができる。横須賀基地には在日米海軍の司令部がある。第7艦隊の司令部も、横須賀を母港とする揚陸指揮艦「ブルーリッジ」にある。キャンプ座間には在日米陸軍の司令部があり、初期投入部隊、いわば「殴り込み部隊」を傘下に置く第1軍団の前方司令部もある。2007年に横田基地に移転するまでは、キャンプ座間には朝鮮戦争「国連軍」後方司令部もあった。
横田基地は米空軍の司令部であり、在日米軍の司令部でもある。また、相模総合補給廠には2018年から第38防空砲兵旅団司令部が置かれている。この旅団司令部は、青森県の車力通信所と京都府の経ケ岬通信所のXバンドレーダー、沖縄県の嘉手納基地のPAC3ミサイル、グアム島の高高度防衛ミサイル(THAAD)の各部隊を指揮下に置く。
米軍の各軍種の司令部のある基地には、自衛隊の司令部や調整機関も置かれている。横須賀基地には海上自衛隊の護衛艦隊司令部や自衛艦隊司令部などが置かれ、キャンプ座間には陸上自衛隊陸上総隊司令部の日米共同部、横田基地には航空自衛隊の航空総隊司令部が置かれている。
第二の特徴としては、相模総合補給廠や横浜ノースドック、横田基地などへのジェット燃料供給基地の鶴見貯油施設、横須賀基地の浦郷弾薬庫や吾妻島貯油施設など、米軍の補給・備蓄の拠点となっていることを指摘できる。
また、横須賀基地の艦船修理工場や横浜港周辺の民間造船所は、米軍艦船の整備工事拠点となっており、厚木基地にはオスプレイの定期整備を受注している民間工場もある。つまり、第三の特徴として、神奈川は米軍艦船や航空機の整備拠点としての機能を持つ。
加えて、神奈川周辺の第四の特徴として、富士山麓の演習場など米軍の訓練の拠点でもあることが挙げられる。さらに第五には、イラク戦争が横須賀を母港とするイージス艦のトマホークミサイル発射で始まったことに示されているように、先制攻撃の出撃拠点であるという特徴も持つ。
横須賀基地は1973年から米軍唯一の海外における空母の「母港」であり、2008年からは原子力空母が配備されている。
1973年の空母横須賀配備は、1969年にニクソン大統領が「ニクソン・ドクトリン」で、アラビア海に空母を長期展開させる構想を示したことを契機とする(梅林宏道,2017,『在日米軍 変貌する日米安保体制』岩波書店,pp.145-146)。アラビア海に空母を長期展開させるには、米軍にとって補給や兵員の維持などの都合上、日本に母港を置いた方が良い。インド洋にあるイギリスの植民地、ディエゴガルシア島を米軍が基地として使用できるようになったことも大きい。
つまり、安保条約第6条の「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため」という「法的根拠」とは無関係に、横須賀は空母の母港となったのだ。
実際、湾岸戦争やイラク戦争などの戦争や軍事行動で、横須賀を母港とする空母やイージス艦は重要な役割を果たしてきた。ただし近年は、米軍の戦略自体が対中国にシフトしているので、横須賀を母港とする空母も対中国活動に力点を置いている。
その、横須賀の原子力空母が今秋、「ロナルド・レーガン」から「ジョージ・ワシントン」に交代する。2015年から配備されていたロナルド・レーガンは原子炉燃料棒の交換など大規模整備工事を行うため、既に米本国に戻っている。代わりにジョージ・ワシントンが来るということは、横須賀を今後も原子力空母の母港にし続けるということだ。
横須賀には原子力空母に加え第7艦隊旗艦の揚陸指揮艦「ブルーリッジ」、さらに11隻のイージス艦と、計13隻もの米艦が配備されている。
米イージス艦には1隻あたり、巡洋艦で122、駆逐艦で96ものミサイル垂直発射管(VLS)が装備されている。VLSからは対空ミサイルだけでなく、弾道ミサイル迎撃ミサイル(イージス艦のうち弾道ミサイル防衛システム(BMD)を持った艦の場合)や、長距離攻撃ミサイルも発射できる。つまりイージス艦そのものが「動くミサイル発射基地」なのだ。
米軍の対中国戦争構想の柱の一つに、「分散型海洋作戦」(DMO)がある。これは、イージス艦を分散運用し、空母護衛艦としてではなく海から陸をミサイル攻撃する「基地」として使う構想だ。近年、横須賀母港艦を始めとするイージス艦が、中国近海を頻繁に航行しているが、DMOの一環なのだろう。横須賀は「動くミサイル発射基地」の拠点なのである。
近年、横須賀基地には米軍以外の、米国の「同盟国」とされる国々の軍艦が頻繁に入港するようになった。
米軍横須賀基地は朝鮮国連軍の地位協定により、国連軍も使用可能とされている。朝鮮戦争は法的には終わっていないので、朝鮮国連軍も存続していることになっている。そこで、朝鮮国連軍構成国の軍艦は、国連軍の名目で寄港する。また、独、伊など朝鮮国連軍に属していない米軍の「同盟国」の軍艦は、海上自衛隊横須賀基地に入港する。
これら外国軍の軍艦は、米軍の対中国作戦に加担するためにやって来る。そのため、横須賀への寄港の前後には東アジア周辺で米軍や海上自衛隊、さらには他の国々も加わって多国間合同軍事演習を実施する。
2024年の8月にもイタリアの空母艦隊のほか、フランスやカナダ、シンガポール、ニュージーランド、ドイツ、そしてオーストラリアと、多くの国々の軍艦が横須賀にやって来た。
海上自衛隊も米軍のイージス艦をモデルにしたイージス艦を導入しているが、2020年に就役した「まや」は共同交戦能力(CEC)システムを搭載し、米軍のレーダー情報をもとにミサイル攻撃をする、あるいは「まや」型護衛艦の情報をもとに米軍がミサイル攻撃をすることが可能になった。
「動くミサイル発射基地」であるのは海自イージス艦も同じだ。「安保3文書」で長距離ミサイルによる敵基地攻撃能力」の保有が明記され、政府は当初の計画を前倒しして2025年度からの米国のトマホークミサイル購入を決めた。2024年3月には「自衛衛隊がトマホークミサイルを完全に運用することができるようにする」ための米軍による自衛隊訓練が横須賀で開始された。海自護衛艦がBMDシステムを導入するため、そして長距離ミサイルも運用するためのミサイル弾薬庫の増設も進んでいる。海自イージス艦による先制攻撃能力の育成強化が着実に進んでいるのだ。
横須賀は「ヘリコプター空母」の「いずも」の母港でもあるが、この「いずも」型ヘリコプター空母の戦闘機搭載空母への改装が進められている。空母化した「いずも」型を米軍戦闘機が共同で使用することを防衛大臣も米海兵隊トップも示唆している。
2024年9月には、「いずも」型の「かが」が、米海兵隊F35戦闘機の運用試験を行うため、米西海岸の軍港サンディエゴへと母港の呉を出港した。
日米合同演習あるいは多国間合同演習も激増している。さらに、安保関連法によって「可能」にされた「武器等防護」と称する、米軍あるいはそれ以外の国の艦船を海自艦船が防護する軍事行動は、情報公開されないまま件数は増加し既成事実が積み重ねられている。
横浜港の真ん中にある米軍基地の横浜ノースドックには、21世紀に入ってから揚陸艇など米陸軍の揚陸作戦用資材が多数搬入され、備蓄されるようになった。世界各地に戦争資材を事前配備する「陸軍事前配備貯蔵」(APS)の拠点の一つにされたのだ。だが米軍や日本政府は、これらの揚陸艇などは「運用しない」と地元に約束していた。
2023年1月に日米2プラス2(外務・防衛担当閣僚会合)の合意として、この基地への米陸軍揚陸艇部隊配備が突然発表され、今年2月には揚陸艇部隊「第5輸送中隊」の運用が開始された。約束は破られ、揚陸艇を運用する陸軍部隊が横浜に新編されたのだ。
2023年の2プラス2では在沖海兵隊第12海兵連隊の海兵沿岸連隊(MLR)への改編も合意された。MLRは、米軍の対中国戦争構想の柱の一つ、「機動展開前進基地作戦」(EABO)の実行部隊だ。EABOは、琉球弧など列島線の島々に遠征前方基地(EAB)を構築し、対艦、対空ミサイル等多様な能力を持つ比較的小規模のMLR部隊を分散配置し移動しながら中国と戦争する構想だ。横浜の陸軍揚陸艇部隊は、EABにMLRを運ぶ役割を担う。
近年、自衛隊も揚陸艇の導入を進めており、2025年には呉に陸自揚陸艇部隊が設置される。横浜ノースドックでは、陸自に揚陸艇運用能力を持たせるための訓練も行われている。EABOを自衛隊に担わせようというのだろう。
紙幅の都合で一部の状況の紹介にとどまったが、戦争準備や軍事一体化は県内の他の基地でも進んでいる。
こうした動きに対し、横須賀では2024年、市民が「原子力空母交代を問う市民アンケート」に取り組み、4000人以上から回答を得た。横浜では2023年、横浜市内の弁護士や大学教員らが実行委員会をつくり、「横浜ノースドッグへの揚陸艇部隊の配備反対県民署名」運動が行われた。
また、横須賀基地や厚木基地などから有害なフッ素化合物PFASが漏洩していたことが明らかになり、情報公開や対策の実施を求める声も上がっている。
軍事の暴走は、人々の生活や環境にも深刻なダメージを与える。被害者にも加害者にもならないための更なるさまざまな行動が、必要だ。
久保下正哲 北海道
北海道は冷戦時代米ソ対立の最前線として常に緊張した地域だった。北部方面隊は、陸上自衛隊唯一の機甲師団である第7師団を傘下に持ち、特に冷戦期は対ソ戦略の最前線部隊として重視され、戦車の北転事業に伴う本州・九州の戦車部隊からの一部転属、新装備の優先配備などが行われ4個師団、人員5万人、戦車600両、火砲400門/両の規模を有していた。
日本列島は、南北に細長い構造をしており、陸上自衛隊の隊員数も、組織を維持する最低限の隊員数しか保持していないため、ひとたび有事が発生した場合、日本全国に展開している陸上自衛隊の部隊を、いかに速やかに機動展開させるかが重要になる。そのため、冷戦体制下で、ソ連と対峙する北海道に速やかに本州や九州の部隊を送り込む「北方機動特別演習」が1977年から毎年のように開催され、輪番で師団ごと北海道に移動させ、北海道ならではの大規模演習場である矢臼別演習場、北海道大演習場、全国で唯一の揚陸訓練場の浜大樹訓練場等での訓練を行ってきた。これらの動きに対し労働組合や市民団体が、北海道を米ソ戦争の戦場にするなと長期にわたり反対闘争を行ってきた。
冷戦終結に伴うソ連との直接的脅威の減少、及び中国軍の近代化に伴う西方重視の傾向が強まっていることから、北部方面隊は逐次人員及び装備(特に火砲・戦車)の縮小が進められた。平成26年時点で2個師団・2個旅団、人員3万人、戦車300両、火砲200門・両の規模まで縮小した。南西有事には本州の部隊が南西支援に投入される際に首都圏等に空白が生じる。その為北海道から部隊を投入することとなり、自衛隊で唯一の機甲師団である第7師団以外は全て機動師団・旅団に再編され、平時からその体制がとられている。部隊の移動は空自の輸送機や海自の輸送艦のみならず、民間フェリー「なっちゃんWarld」などを利用して部隊の関東や九州への移送する南方転地演習が行われている。
北海道には国内最大の矢臼別演習場や北海道大演習場、上富良野演習場、然別演習場と広大な面積の演習場を有していることから、引き続き北海道以外の部隊や米軍の演習を行う「道場」としての利用が拡大している。沖縄県道104号線越え155ミリ榴弾砲実弾射撃訓練の分散・実施は沖縄の負担軽減の名の下に1997年から全国5か所で実施されているが、矢臼別演習場では単に演習の移転ではなくキャンプハンセンや他で行うことのできない長距離砲やハイマースの実射訓練が行われるようになり、演習が拡大強化してきた。今年も22回目として9月10日から23日まで約450人の海兵隊員が参加して訓練が行われた。
そして今、在日米軍と自衛隊の軍事一体化が進む中で実践的演習が急速に進められている。ここ数年の主な動きを見ると、2016年9月1日付の日米合同委員会合意に基づく沖縄の負担軽減を目的とした移転訓練で、沖縄県外での訓練の拡大と、普天間飛行場に所在するオスプレイ等の訓練の全国展開が行われてきた。17年から21年まで、沖縄の米海兵隊と陸自北部方面隊の共同訓練としてノーザンヴァイパーが行われた。訓練は、陸自と米海兵隊の部隊がそれぞれの指揮系統に従い、共同して作戦を実施する場合の連携要領を実動を通じて演練し、連携強化や戦術技量の向上、即応機動する部隊構築を目指すとした。
17年には、8月10日~8月28日まで、北海道大演習場、矢臼別演習場、上富良野演習場等で陸上自衛隊は第11旅団第28普通科連隊、第11特科隊等(約1300名)、米海兵隊は第3海兵師団第4海兵連隊の1コ大隊、第12海兵連隊(砲兵)の1コ大隊等 (約2000名)が参加。
18年には、9月10日~29日まで、北海道大演習場、矢臼別演習場、上富良野演習場等、陸上自衛隊第2師団(約1250名)、米海兵隊 (約1500名)が参加。
20年には、1月22日から2月8日まで、北海道大演習場、矢臼別演習場、帯広駐屯地などで、陸自が第5旅団、アメリカ海兵隊は第4海兵連隊、第12海兵連隊第3大隊、第36海兵航空群(MAG-36)第265海兵隊中型ティルト・ローター飛行隊(VMM-265)などが参加、オスプレイなどの航空機を使用。沖縄から飛来した2機のオスプレイは極寒のため殆ど訓練飛行が出来ずに沖縄に戻ったが、1機が途中で仙台空港に緊急着陸するという事態になった。寒冷地では飛行不能という欠陥を露呈した。
22年から、陸上自衛隊と米海兵隊の共同訓練「レゾリュート・ドラゴン(不屈の龍)22」が10月1日から14日まで、北海道内の各演習場で始まった。今年から新たに開始した「レゾリュート・ドラゴン」は、北部方面隊に限らず各方面隊が担任することから、「ノーザン」を冠する名称を改め、その内容も陸上自衛隊の領域横断作戦(CDD)と米海兵隊の起動展開前進作戦(EABO)を踏まえた連携向上を焦点とし、日米同盟による抑止力及び対処力を一層強化するための訓練としている。陸自の第2師団司令部や第3即応機動連隊など約2100人、米軍の第12海兵連隊など約1400人が参加。矢臼別、上富良野の両演習場を島に見立てた防御作戦や然別演習場でのけが人の救出訓練が実施された。オスプレイは米海兵隊のMV22、米空軍のCV22が参加し、人員や物資を輸送する。MV22は札幌飛行場、CV22は横田飛行場を拠点に各演習場と行き来した。
23年には、9月14日から陸上自衛隊と米陸軍による共同訓練(オリエント・シールド)が始まった。9月26日からは在日米軍再編に伴う千歳基地への移転訓練として航空自衛隊と米空軍による共同訓練が行われ、10月14日からは陸上自衛隊と米海兵隊による共同訓練(レゾリュート・ドラゴン)が行われた。この共同訓練は、陸上自衛隊とアメリカ海兵隊が離島の防衛を想定して今月末にかけて九州・沖縄と北海道で行い、合わせて約6400人が参加。今回の訓練では、アメリカ軍が沖縄県の石垣島に初めて展開し、艦艇や航空機が南西諸島に接近してきた場合に、日米が共同で対処する手順を確認した。また、陸上自衛隊のオスプレイが初めて沖縄県内を飛行し、けが人を輸送する訓練のほか、大分県や北海道の演習場では実弾射撃訓練を行った。
24年には、オリエント・シールドが米陸軍と陸自が共同作戦を実施する際の連携を確認し、共同対処能力の向上を図ることを目的とした。矢臼別演習場で行われたのは、対艦戦闘訓練だ。陸上自衛隊の中部方面総監部、第14旅団(香川県善通寺市)、中部方面特科連隊および米陸軍の在日米陸軍司令部、第1マルチドメイン・タスクフォースなどが参加。今回もハイマースの射撃を行った。ここに初めて米海兵隊・第3海兵師団が参加。ハイマースは、C-130輸送機で運搬ができるほどコンパクトで、時速約85㌔で自走も可能。射程距離も数十㌔から300㌔で命中精度が高い。陸自の155㍉榴弾砲FH-70の射撃訓練も行われた。
北方領土に隣接する北海道で拡大する日米共同訓練は、隣国ロシアを刺激し、「領土問題の解決」を大きく後退させている。1997年、在沖縄米海兵隊の移転実弾演習に対し、サハリン州知事から北海道知事に「北方領土に隣接する米軍演習は軍事的脅威」との親書が送られた。その後、当時沿岸警備隊しか駐留していなかった北方領土には「軍事的脅威」を理由に、択捉島の空港が軍民共用となり、択捉島・国後島にはミサイル基地 を配備した。現在も日米共同訓練に対抗した大規模な軍事演習「ボストーク」を北方領土でおこなうなど、軍事拠点化・防衛拠点化をすすめている。
北海道の防衛警備を担当する北部方面隊が、22年に「令和4年度北部方面隊総合戦闘力演習」を実施した。同演習は毎年恒例の訓練で、「北演」と呼ばれている。実施期間は8月22日から9月4日まで。訓練場所として北海道内の主要な演習場や駐屯地、分屯地が使われた。参加規模は人員約12,000名、車輌約3,400輌、航空機20機となる。
これまで北演では、2年続けて「島嶼防衛」訓練を実施してきた。演習場を島々に見立て、北部方面隊の各師団・旅団が敵の着上陸侵攻に備え、もし敵の手に落ちた島があれば奪還するというシナリオだった。22年は北海道に侵攻する敵部隊と戦うシナリオで、東西冷戦時代を彷彿するものだった。ウクライナ戦争を意識したのか。昨年の演習は島嶼防衛だった。
今年の6月にロシア外務省は、7月に航空自衛隊が北海道で予定していたドイツとスペインの空軍との共同訓練について、ロシアの安全保障への潜在的な脅威で、容認できないとして、日本に抗議した。防衛省は、7月19日から25日の間にドイツとフランス、スペインの3か国の戦闘機と輸送機、それに空中給油機合わせて30機あまりが、日本に展開し、北海道や関東周辺の空域で航空自衛隊の戦闘機と共同訓練を行う予定とした。このうち北海道でのドイツとスペインとの訓練についてロシア外務省は28日、「極東のロシア国境付近での挑発的な活動が、域外のNATO=北大西洋条約機構の加盟国との協力も含めて実施されることは、ロシアの安全保障にとって潜在的な脅威だ」として、「モスクワの日本大使館に強く抗議した」と発表。そのうえで「岸田政権の無責任な政策が北東アジアやアジア太平洋地域全体の緊張を拡大させる」として、しかるべき対抗措置を警告した。演習は実施された。
作られた「台湾有事」や米軍と一体化した対中国包囲網が急速に進められる中、対ロシアとの緊張関係も拡大している。北海道では欧米対ロシアの対立が持ち込まれて、米欧と中ロとの新たな冷戦体制に私たちは沖縄・九州の闘いと連帯して反対していくことが求められている。
陸上自衛隊の輸送機「MV22オスプレイ」1機を使った人員輸送と離発着訓練が始めて突然8月22日に札幌と帯広、旭川の陸自駐屯地で行われた。米軍との共同訓練の為の訓練か。オスプレイが飛来した各地の駐屯地前では抗議行動を行なった。
山口たか 戦争させない市民の風・北海道 共同代表
現在私は、「市民自治を創る会」と、「戦争させない市民の風」の代表をしています。自治の会は地方自治などの課題を中心に取り組んでいます。昨年は札幌市が冬季五輪の誘致をするということに対し、自治の観点から住民投票で誘致の可否を決めるべきという立場で訴えてきました。東京五輪やIOC、JOCの金権体質への嫌悪感を持つ市民、スポーツウォッシングを危惧する市民も多く、結果として札幌市は誘致断念しました。この場面でも民主主義、声を挙げることの大切さを痛感しました。
一方、市民の風は、15年「安保反対闘争」の運動から「野党は共闘」の声が沸き上がったことを受けて安保法制の廃止、憲法改悪反対、立憲主義の回復を掲げ野党共闘を求める北海道の団体として上田文雄前札幌市長、5区在住・川原茂雄「SYUT 泊」代表、山口と3人共同代表体制でスタート。折しも北海道5区・町村信孝衆議院議員の逝去をうけて、16年に衆議院補欠選挙が行われることとなりました。まさに「野党共闘」を実現させるべく、すでに民主党候補と共産党候補が決まっているなか、市民の風の働きかけも奏功があり、民主党の候補に一本化が実現した経緯があります。選挙で議席は獲得できませんでしたが、野党共闘は大きなうねりとなりました。
以後、連合の動きや、共闘をつぶしたい勢力による「立憲共産党」などと中傷もあり、「共闘」は次第に困難になってきていることは多くの方が危惧されされているところです。
選挙の時だけ「共闘」を呼びかけても、なかなかスムースには進まない。立憲野党との懇談、政策シンポジウムなど、働きかけは取り組みながら、一方で「戦争させない市民の風」として平和運動・改憲阻止など社会運動の裾野を拡げることがバックにあってはじめて強力な「共闘」が展開できるのではないかと、今年は新たにスタートしました。金平茂紀さん、望月衣塑子さん、中野晃一さん、清水雅彦さんの講演会・集会を平和運動フォーラム、戦争させない北海道委員会、憲法共同センター、軍拡ノー女たちの会などと共催や賛同など様々な形態をとりつつ、各運動体とのつながりの強化を目的にしてきました。
昨年2月24日、ロシアのウクライナ侵攻に反対し街頭アクションを行って以来、5月からは毎月第2土曜日に札幌駅南口での街宣を定例化してスタンディングを行ってきました。ロシア領事館前でのスタンディングや、領事と上田文雄元札幌市長との会談などを実現し、一日も早い停戦を訴えてきました。また、昨年10月のイスラエルによるパレスチナで展開されている戦闘、まさにジェノサイドです。パレスチナ問題の長く複雑な経過も含め解決への道は容易でないことは理解しつつも黙っていられない思いは共通です。以後、長年パレスチナ支援をおこなってきたパレスチナ医療奉仕団に賛同・協賛し月2回の街頭宣伝・デモ行進に参加することに加え、市民の風として毎週2回三越前でのスタンディングも継続しています。
また、フェミブリッジは、札幌駅、三越前、すすきの交差点など、繁華な場所で3回行いました。札幌駅では多くの男性も参加いただき「ジェンダー平等今すぐに」「軍拡より生活」を訴えました。右翼の大音量の街宣車に邪魔された時「さようならマッチョ政治」のボードをわざわざ車のそばまで行って掲げたところ「ばかやろう!」「過激派!」「共産党!」と大大音響で反撃してきました。大笑いでした。これから選挙が近づくなか、再再度フェミブリッジもがんばろうと話しています。
札幌駅南口は札幌市役所の管轄で届けは必要ですが使用は無料です。今年からは、この場を「平和の広場」と位置づけ、平和や反戦をベースとし、市民が声を挙げる場として、道行く市民にも参加いただくこととしました。加えて立憲野党の議員や関係者にも出席いただいています。札幌駅は平和の広場、と広く浸透させたいです。
一方、札幌市はじめ、道内21市が、18歳と22歳の自衛隊入隊適齢者の個人情報を自衛隊に提供していることがわかりました。子ども食堂にも入隊勧誘のチラシが配布されたり、制服の自衛隊員が個別訪問したり、がむしゃらな勧誘は法的にも問題です。「名簿提供をやめろ!連絡会」も立ち上げました。
「わたしたちは黙らない―平和の広場」「冗談じゃねぇ軍拡!」という横断幕を掲げながら「若者よ戦場へ行くな!―平和の申し子たちへ 泣きながら抵抗を始めよう」という、なかにし礼さんの詩を朗読した時は、3組15人の青年のグループが足を止め、一緒にスタンディングしてくれました。最近は若い男性がエールを送って通り過ぎることも多く、軍拡は「自分事」と認識が広がっているように感じます。
7月は集団的自衛権行使容認から10年。また、安倍元首相に「アベやめろ」とヤジをとばした男性、「増税反対」と叫んだ女性が、警察に排除されてから5年でした。たまたま社民党の福島みずほ党首が来札されていたため、ゲストスピーカーとして表現の自由や憲法を重点テーマとしてスピーチをいただきました。なんと!平和運動フォーラム代表・池田賢太弁護士、清末愛砂室蘭工大教授もマイクを握ってくださいました。
8月は、原爆、敗戦などをテーマにしてライヴ、各政党のスピーチ、マイクリレー、コールなどを行いました。また、8月21日自衛隊のオスプレイが札幌自衛隊丘珠駐屯地や帯広、旭川への飛来との報道がありました。これまでは米軍のオスプレイ飛来のさいは、すすきの繁華街でスタンディングや集会を行ってきましたが、今回は初めて自衛隊オスプレイです。札幌市や北海道防衛局への飛行中止要請行動を行い、何時に飛来するか、どのような航路か、と聞いても市も防衛局も答えません。三越前や、駐屯地前、最寄りの地下鉄駅前などで、いくつもの団体が「オスプレイ来るな」の声を挙げました。観光で札幌に来ていた、元豊島区議山口菊子・戦争させない1000人委員会委員にも飛入り参加いただき、「軍拡ノー女たちの会・北海道」と共に三越デパート前でスタンディングをしました。帯広や旭川でも飛行反対のアクションがありその効果かどうか不明ですが、オスプレイは予定より1日早く北海道を離れました。
9月は、LGBTなどへの理解を訴える「札幌レインボープライド」の月であることから人権・多様性をテーマに設定しました。全国から参加者が多数来札します。オープンゲイの立憲民主党石川大我参議院議員や「さっぽろレインボーマーチ産みの親」鈴木賢明治大学教授も来札。広場でスピーチしてくださいました。
市民の風のプロジェクトに「平和プロジェクト」と「ライヴ隊」があります。平和PJは、広場の運営や、集会の企画に取り組みます。ライヴ隊は音楽で人々に軍拡ノー、ウクライナに平和を、パレスチナに平和を、政権交代を、など訴え毎回広場では何曲か歌っています。替え歌、オリジナル曲に加え懐かしの歌も。今はNHK朝ドラ「虎に翼」の評判にあやかり、ライヴ隊は「翼をください」を歌っています。市民や観光客が何人もが足を停めたり、唱和しながら歩いていきます。主人公「虎子」が声をあげることの大切さを話す場面が何回かありました。誰かの心に届いているから、、、と。
安倍元首相の襲撃事件は大きな衝撃でした、岸田首相は22年安保3三文書の改正の閣議決定を行い、安倍路線を引き継いだ軍拡への流れは一層加速されてきました。タモリさんが23年を「新しい戦前になるかも」と発言しました。すでに戦前だ、軍靴の音が聞こえる、という声もあります。
岸田首相の退任表明により自民党総裁選の真っ最中です(9月20日現在)。9人の候補は誰も裏金のことや統一教会のことに触れようとしません。改憲のオンパレード! 誰がなっても変わらない自民党、否、更に悪化することすらありうる総裁候補ばかりです。この政治にNO!を突きつけねば未来は真っ暗です。戦争できる国から戦争準備をしている国になっています。
市民の風のスタッフも高齢化が進み、次世代にバトンを渡す時が近づいています。9月の広場では、以下の詩を朗読しました。
あとから来る者のために 坂村真民
あとから来る者のために
田畑を耕し 種を用意しておくのだ
山を 川を 海を きれいにしておくのだ
ああ あとから来る者のために
苦労をし 我慢をし みなそれぞれの力を傾けるのだ
あとからあとから続いてくる
あのかわいい者たちのために
みな それぞれ 自分にできる なにかをしてゆくのだ
立憲野党の選挙協力も遅々として進みません。政権交代など夢でしかないのでしょうか。でもあきらめない、あらゆる戦争に反対、憲法改悪反対の声は少しづつ人々に届いていると感じます。あとからあとから続いてくるかわいい者たちのために自分にできることをこれからもしていきましょう。