今通常国会での憲法審査会は裏金議員の汚い手で憲法を触るなという立憲野党側の攻勢で始まった。維新の会は「裏金は派閥の問題であって憲法審査会を開かない理由にはならない」として自民党の裏金疑惑を擁護した。
4月から始まった憲法審査会では、衆議院では何度もしつこく維新と国民民主が一緒になって「改憲条文案の起草委員会の設置」を自民に求める場面があった。維新の会の議員は「民主主義は多数決だ」と言って起草委員会の設置の採決を促した。更には国民民主の玉木代表は、憲法審査会の答弁中に何度も傍聴席からの護憲派による拍手や賛同の意思表示について言及し指摘する場面が目立った。今までそのような傍聴席の多少の拍手やヤジなどで、とやかく言われたことはなかった。今や咳払いさえも守衛に注意されるような異様な雰囲気が漂っている。
最近の時事通信の調査で岸田政権の支持率は16%にも落ち込んだ。たった16%しかない政権がなぜ、こんなにも短期間に悪法を通しまくり、挙句の果てには憲法まで変えようとしているのだろうか。そこには自民党以外の維新の会や国民民主党などの自民党補完勢力の存在があるからではないだろうか。このような補完勢力と提携したこの間の自民党の動きを暴挙と言わずして何と言うだろうか。
更には、先日、国会会期末を前に衆議院憲法審査会の幹事会で自民党が改憲条文案の作成に入ることを念頭に閉会中審査を行いたいとの提案を行ったそうだ。誰も憲法を今すぐに変えてほしいと思ってもいないのにも関わらず、閉会中審査まで開いて改憲を進めようとするこの事態を許すことはできない。立憲野党を、全国から激励のファックスなどで閉会中審査の拒否の声を上げて断固阻止していこう。そして市民運動のギアを上げて岸田政権の退陣を迫る運動へと飛躍させよう。
6月20日から東京都知事選挙が始まった。投票日が7月7日。長い闘いとなる。
2月8日に立ち上げられた都知事選候補者選定委員会。立憲民主党、日本共産党、社会民主党、生活者ネットワーク、新社会党、都議会会派であるミライ会議、そして市民連合、その他の市民団体が一同に向かい合った。対等平等な関係性の中で、一からみんなで候補者を選ぶという、かつてない大きな繋がりの中で今回の都知事選はスタートした。しかし、集まれど、集まれどもなかなかみんなが納得できる候補者が決まらず、時が過ぎて行った。「この人!」と決めて要請に行っても断られ、苦難の時間が多くあった。
しかし、転機は訪れた。4月28日投開票の衆議院3補選のすべてで統一候補を打ち立てて挑んだ立憲野党が勝利をしたということで、流れが大きく変わった。とりわけ、東京15区では小池百合子が強く推し出していた乙武候補が5位という惨敗に終わった。ここで、いままでの小池百合子氏一強の状況が一変したのだ。他の2選挙区も相次いで勝利、小田原市長選も勝利したことで、ますます反自民の風を感じ、また自民党補完勢力への失望も感じるようになった。
都知事選選定委員会は会議が開かれるたびに候補者決まらず、持ち帰りばかりだったが、5月1日、雨のメーデー終了後にメンバーが集まり、流れが明らかに変わっていることを共有し合い、蓮舫さんに何とか決断してもらえないだろうかという話しが多く出てきた。とりわけ、蓮舫さんを推すのは女性の声が多く、期待は高まった。
そして、5月26日の夜。静岡県知事選と目黒都議補選の勝利が伝えられた翌日、蓮舫さんは「人生最大の決断」をして都知事選に立候補することを発表した。この人生最大の決断にこたえられるように全力を尽くしたい。しかし、候補者が決まったからと言って全く安心できない。つい蓮舫さんが決まったことで、当選したかの如く喜んでしまいがちだが、そんなに簡単な話ではない。
蓮舫さんが出馬表明をしてから一気にメディアやネットでは、話し方がキツイ、いつも批判ばかりなどと「女性は優しくあるべき」と言わんばかりの性差別と、彼女のルーツを差別し「二重国籍」だなんだと言って酷いヘイトスピーチが垂れ流されている。街頭でも「シナ人!」などと毎回罵声を浴びせさせられる。その浴びせさせ方が、尋常ではないほど憎しみがこもっており、身の危険を感じるほどである。この女性差別と民族差別。どちらも日本が戦後全くと言っていいほど成長していないということを実感し、危機感を感じる。
それは戦後、戦争という暴力に対して、日本はあくまでも「被害者」なんだという側面でしか総括せず、加害の歴史、市民の戦争加担について一人一人が向き合ってこなかったからだ。戦争の反省がきちんとできていないから差別や暴力に対して甘い国となり、人権意識が世界と比べても著しく低いのではないだろうか。今回の都知事選はまさに長年私たちが闘ってきたものとの闘いである。
そしてもう一つは自民党都連との闘いでもあるということだ。自民党都連の会長は萩生田光一氏だ。小池百合子氏は前々回、反自民を掲げて選挙に勝ったわけだが、この間の動きを見ていると、自民党と二人三脚となって選挙を行っている。偽物の反自民に騙されてはならない。
また、東京ではいわゆる迷惑系ユーチューバーと言われる人々が出馬をし、ポスター掲示板に女性の裸のポスターを掲示して「売春合法化」「一夫多妻制導入」といった「公約」を掲げ、初日に大問題となった。他にもNHK党が掲示板ジャックだといって多くの候補者を擁立し、掲示板ごとに様々な遊び半分の選挙をおもちゃにしたようなポスターが張られ始めた。例えば、女性が「可愛い私を見に来て」などと言ったキャッチフレーズの横に貼り付けてあるリンク先を調べると、出会い系サイトに繋がるようになっていたり、朝鮮学校の近くのポスター掲示板には「すべての拉致被害者をすぐに返せ!」と書かれ、日の丸とブルーバッジがプリントされたものが大量に掲示された。
あまりにもひどい選挙妨害と民主主義破壊に、小池百合子氏の行ってきた酷い都政への批判の矛先がうっかりそのような迷惑系候補者に向きがちだ。小池氏にとっては怒りの矛先が変わってくれることに喜んでいるだろう。
しかし、よく考えてみると、小池百合子氏は、チルドレンファーストと言いながらも朝鮮学校の補助金はカットし、関東大震災における朝鮮人大虐殺に関する追悼文はずっと出していない。他にも、Colaboへの直接的な攻撃をして新宿の歌舞伎町から追い出そうとした今回の都知事候補者でもある人たちを野放しにし、むしろColabo方に圧力をかけた。
このように、8年間の小池ヘイト都政が今回の都知事選挙の異常事態を招いたものだと言わざるを得ない。小池氏が女性差別者や排外主義者と一貫して同じ方向を向いているのは明らかだ。魑魅魍魎のような小池補完勢とも対峙していかなければならない。そもそも、このような選挙ポスター掲示板を使って、卑猥なポスターを掲示したり、金にものを言わせて、ジャックをしたりする。これを民主主義破壊と言わずして何と言おうか。
全世界の首都でこのようなことが繰り広げられているのは、おそらく日本だけであろう。日本社会の人権意識の低さがここでも露呈されている。
今回の都知事選で勝利することが出来たら、一気に情勢は変わるだろう。全国の市民運動を励ます大きな力になるだろう。そして、権力にも金にも(裏金も)頼らず、勝利するということは今までの自民党の金権政治を終わらせる一歩となる。全国からこの重要な都知事選を応援していただきたい。
(事務局長 菱山南帆子)
「パレスチナに平和を!緊急行動」実行委員会は5月23日、アメリカ大使館近くで集会を行い、以下に紹介する申し入れを行った。
アメリカ合州国大統領
ジョー・バイデンさま
2024年5月23日
イスラエルによるガザ市民のジェノサイドの即時停止とイスラエル軍の撤退、陸路による緊急援助回復、占領地への入植と併合の撤回により、公正で永続的な平和の本格的実現を求めます
私たちは昨年12月16日、イスラエルによるガザでのジェノサイドの即時停止、緊急支援の実施、占領地への入植と併合の撤回、中東における公正で永続的な平和の実現をあなたに要請しました。
それから158日が過ぎた現在、イスラエル軍の攻撃は拡大の一方で、ガザ市民の死者は判明しただけで3万5000人を超え、子どもと女性が約70%を占めています。また、220万人が生きるガザ地区は全域が廃墟になり、いまも空爆や砲撃が続けられています。この大量虐殺と破壊にはアメリカが供与した兵器も使われており、あなたには大量殺戮と破壊を直ちにやめさせる責任があります。しかし、あなたは「一部兵器の供与の一時停止」と言う一方で、「武器の供与は継続」とするなど、姑息な姿勢で責任を回避しようとしています。あなたが設けた海岸部の物資陸揚げ施設では飢餓を防ぐには全く不十分で、陸路による物資搬入という生命線の開放・回復こそ緊急に必要です。
しかしネタニヤフ政権は、「ハマス殲滅」を掲げ、ガザ全域の壊滅と市民の無差別殺害でガザ地域を占領と完全管理下に置くことをめざしており、「孤立しても侵攻を続ける」と居直っています。ガザ市民の犠牲は増え続け、安全な空間などないまま逃げ惑っています。これは「自衛権の行使」などと無縁の、国際人道法や戦時国際法の原則をも踏みにじる「ジェノサイド」にほかなりません。あなたはロシアのウクライナ侵攻は国際法違反として非難し、ロシアには制裁を科していますが、なぜイスラエルには蛮行をやめさせる具体的行動をとらないのですか?
合州国政府は、イスラエル政府の行為を実質的に止めず、軍事的にも資金的にも最大の支援を継続しています。あなたが「2国家共存」を主張するなら、まずはイスラエルに占領地への入植や併合をやめさせ、占領地をパレスチナに返還させるべきです。無内容な「言葉」だけですまそうとする政策を続けるなら、イスラエルと同様の領土的野望を抱く他国に対し、「正義や国際法は自分の都合に合わせて解釈し、必要なら無視してもいい」というシグナルになるでしょう。
私たちは再び、あなたとあなたの政府に次のことを求めます。
1. イスラエルに国際人道法と国連決議を守らせ、ガザ侵攻作戦を直ちにやめさせること。
2.ガザ地区の全住民の窮状に対し、直ちに緊急人道支援を行うこと。その実現のため、イスラエル軍に陸路の物資搬入を妨害させず、またできるだけ広範な国際的協力体制を直ちに立ち上げること。
3.イスラエル政府によるガザ封鎖を解除させ、ヨルダン川西岸などの占領地への入植とそのイスラエル領土への併合を容認・承認する政策を撤回すること。
4.以上のような措置と政策変更の上に、中東における本格的な公正かつ永続的な平和の実現のために
積極的に行動し、国際社会の協力体制を構築すること。
「パレスチナに平和を!緊急行動」参加者一同
高田 健(共同代表)
岸田文雄首相が就任以来、唱えて公約してきた「任期中の改憲」は絶望的になった。213国会終盤の党首討論での岸田首相の悪あがきは見苦しかった。このままでは秋の総裁選での再選も絶望的で、なんとか改憲派の支持を得ようと苦し紛れに自ら党首討論の話題に「改憲論」を持ち出し、立憲民主代表の泉健太氏に「憲法改正で責任ある対応をお願いしたい」と挑発した。これは憲法尊重擁護義務を負っている首相が言っていいことではない。泉代表は「憲法審査会の運営は幹事や会長が決めることで、あなたになにか約束されてやるものではない」と切り返した。
岸田首相は安倍晋三前首相の唱えた自民党4項目改憲案(①自衛隊の明記、②緊急事態対応、③合区解消、④教育充実の4項目)を受け継いで総理・総裁になった。だが、4項目のうちの肝心の「自衛隊の明記」では自民党の右翼岩盤支持勢力や、野党国民民主党の玉木雄一郎代表などが9条2項の改憲を主張し、公明党も9条への自衛隊明記に消極論を唱えるなど、改憲派の間のまとまりがつかない。
やむをえず改憲派は改憲実現の突破口として、4項目のうちの「緊急事態条項」、その一部分にすぎない「総選挙困難事態に国会議員の任期を延長する」ことに絞った改憲を狙った。しかし、この苦し紛れの策には衆院の改憲4党1会派(自民、公明、維新、国民民主、有志の会)は足並みをそろえたものの、立憲民主、共産などが賛成しなかった。
これは憲法54条が規定する参院の「緊急集会」と直接関連するものであり、参院では立憲、共産などの野党にとどまらず、与党の自民や公明からも異論が出た。5月29日の参院憲法審では自民の佐藤正久・与党筆頭幹事が「(参院)憲法審査会では、衆議院の任期満了時でも内閣は参議院緊急集会を求め得るとの見解について、異なる会派はなかった旨、確認したい」と衆院自民党とは異なる立場を表明した。5月8日の参院憲法審査会では公明党の西田実仁参院会長は「参院は定数の半数であっても継続性、安定性が現行憲法で確保されており、緊急集会は成立する」といい、緊急事態が発生した場合でも参院議員の任期延長は不要と明言した。選挙の実施が困難な緊急事態時の任期延長に関する議論の充実を求めた上で、「(天災などで期日を延期する)繰り延べ投票ではなぜだめなのか判然としない」「民主的な正当性を確保するのには選挙が肝要だ」と任期延長説に疑問を発した。
「総選挙困難事態に国会議員の任期を延長する」ことが不可避であり、そのために改憲をして、任期延長を可能にしておくべきだという衆院の自、公、維新、国民などの議論の一例をあげる。
「憲法54条も緊急集会は解散時のみに適用と書いている以上、解散時にのみ厳格適用すべきと考えるのが適切ではないか。また、解散から40日以内に総選挙、そして選挙から30日以内に特別会の開会が憲法に規定されている以上、緊急集会は、70日を超えて国の重要事項を決定することはできないと解すべきだし、さらに、事後的に衆議院の同意が得られなければ措置の効力が失われる『暫定性』も憲法上明記されている以上、緊急集会はあくまで一時的、暫定的な仕組みであると厳格に解釈すべきである。立法や解釈で『一時的・臨時的・限界的』とされている緊急集会の射程を延ばしたり、拡大することは立憲主義に反することなり、よって、憲法に明記されている議員任期を延長するには、やはり憲法改正が必要と考える」。(2023年5月11日の衆院憲法審での国民民主の玉木委員)
「長期にわたる緊急事態が発生した場合、参院の緊急集会だけでは対処が困難になる。憲法54条から導かれる緊急集会を開くことができる期間は最長でも、一般的には70日までだ。しかし、緊急事態が70日を超えるような長期にわたる場合、この規定だけでは十分な対処ができない。国会議員の任期を延長する緊急事態条項を設けることが必要だ。」(2023年4月5日の参院憲法審での維新の音喜多委員)
まず(1)解散に起因する衆議院の不在期間が最長70日であることは文言上一義的に明白である。次に、(2)参議院の緊急集会は、憲法が定める「両院同時活動の原則」に対する例外であり、厳格に解釈すべきである。さらに、(3)70日を超えた場合にどこまでが限度かが分からず、その濫用を止める手立てが憲法上用意されていない。以上を踏まえると、参議院の緊急集会は、あくまで最大70日程度の期間に次の国会が召集されることを前提とした一時的、暫定的、限定的な制度であり、これを超えて対応することは憲法違反であり、権力濫用の危険がある。以上のことから、選挙困難事態に繰延投票で対応することはできず、憲法違反の恐れすらある。やはり、70日を超える長期にわたり選挙の一体性を害するほど広範に選挙実施が困難な場合に備え、選挙期日の延期とその間の議員任期の延長を可能とする憲法改正が不可欠である。(2024年5月30日の衆院憲法審査会の玉木委員)
これらの議論は改憲派が自らの改憲論のためにする恣意的な解釈をしたものだ。改憲派が改憲必須の根拠にする「憲法第54条」は以下の通りだ。
衆議院が解散されたときは、解散の日から40日以内に、衆議院議員の総選挙を行ひ、その選挙の日から30日以内に、国会を召集しなければならない。
衆議院が解散されたときは、参議院は、同時に閉会となる。但し、内閣は、国に緊急の必要があるときは、参議院の緊急集会を求めることができる。
前項但書の緊急集会において採られた措置は、臨時のものであつて、次の国会開会の後10日以内に、衆議院の同意がない場合には、その効力を失ふ。
2023年5月18日衆議院憲法審査会、同5月31日参議院憲法審査会で、長谷部参考人は、つぎのように述べた。「そもそも、憲法54条が日数を40日、30日と限ったのはなぜかと申しますと、解散後なにかと理由を構えていつまでも総選挙を実施しない、あるいは、総選挙後いつまでも国会を召集しないなど、現在の民意を反映していない従前の政府がそのまま政権の座に居座り続けることのないようにとの考慮からであります。緊急集会の継続期間が限られているように見えるのは、その間接的、派生的効果にすぎません。にもかかわらず、そのことを根拠に、従前の衆議院議員の任期を延長する、そしてさらに、従前の政権の居座りを認めるというのは、まさに本末転倒の議論です」。長谷部氏は2023年5月31日の衆院憲法審査会で「『40日以内』『30日以内』、合計して『70日以内』という機関が定められたのは、『立憲体制以前のいわゆる絶対主義的な体制の下で、議会を解散したままなかなか選挙を行わないと、占拠は行ったけれども新たな議会を招集しないということがままございましたので、そういうことが起こらないように日数を限っている』ためです」と述べた。
長谷部氏は「条文のそもそもの趣旨、目的は何なのか、何が本来の目的で、何がその手段にすぎないのか、その論点を踏まえた解釈が求められている」と指摘する。まともな憲法解釈とはこういうものだ。
権力の暴走・濫用を防ぐという立憲主義の立場から「70日」という「手段」を定めたのに、この手段を金科玉条のごとくつかって、玉木議員らの主張のように、「選挙を経ないで国会議員の座に座り続ける」というのは本末転倒だ。
選挙困難事態が発生したら、54条の規定で「参院の緊急集会」を適用して対応すべきだ。54条はそのためにある。54条の目的を考えれば、これは緊急事態が70日を超えて続いた場合にも適用されて良い。
しかし、この事態が安易に恣意的に継続されていいとも思わない。たとえ、全国一斉選挙が困難でも、部分的に可能なところでは選挙を実施し、繰り延べしたところも、できるだけ速やかに選挙を実施するのは、主権在民原則から見て当然だ。そうした努力なしに、いたずらに危機の到来を煽って、ためにする改憲を主張する政党は、有権者のかけがえない権利である選挙を経ないで、国会議員や閣僚の地位にしがみつくという権力の私物化諭に過ぎないのではないか。
憲法前文の「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し……そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」は「議員任期の延長」などという一部政治家による権力の私物化を許さない決意を示している。
土井登美江(事務局)
「女性による女性のための相談会実行委員会」はコロナ下で女性のへの支援を続けてきた。今回、能登チームをつくり5月12日から14日まで能登への支援を行い、6月14日に報告会を開いき、今も震災からの復旧が目に見えるとはいえない地域の生々しい状況を伝えた。震災の惨状はテレビをはじめとした映像でも目にし、誰もが何とか一刻も早く被災から回復できないかと思うところだ。3月に能登支援に行ったときに、菱山南帆子さんが中高年女性への支援物資や交流が足りないのではないかと感じたことから立ち上がった今回の取り組みだ。輪島と珠洲を訪問した報告の一部を紹介する。
支援チームの7人は、まず自分たちが必要とするものは食料からトイレに至るまで、すべて自分で用意した。羽咋市のコテージを借りて自炊し、支援物資の衣料品や尿漏れパッドやデリケートゾーンを拭くシート、日焼け止めなども買い整え、車で現地に向った。輪島と珠洲へ向う移動からはじまり、2つの街の様子が映像で紹介された。やはり道路状況の困難さは酷い。路面の細かい亀裂 山が崩れて土砂が各所で道路に押し出されている。バラバラに倒れ重なる森の倒木の一部は道路をふさぐ。土砂崩れで壊れてしまった民家。
ようやく輪島市内に入った。日曜日なのにボランティアには2人しか会わなかったという。住宅には調査済みの紙が貼ってあり、赤紙は建物が崩壊の危険があるしるしだ。2階にあった店の看板が1階に落ちている。赤紙の貼った家に戻ってきて暮らしている人もいるが、ほとんど街に人がいない。火災で一面が焼けつくした輪島の朝市通り跡の映像は、ニュースで何回も映し出されてきたが、半年近くが経っているのにもかかわらず一面がいまだ焼きつくされているままだ。
輪島市の被災者とは「健康友の会」の施設で懇談会が2時間ほど行われた。新婦人の方々や民医連の女性たちと市議の鐙さんとの交流で、震災当時から半年の様々なことが次々つぎつぎと話がつづいたという。
報告のなかで酷いと思ったのは、県の出先機関が能登空港の中に設置されたことだ。これは酷い。輪島から能登空港までは余りにも遠い。自宅の罹災証明をはじめ行政の支援を受けるためには欠かせない役所の窓口がこれほど遠くては、高齢者などにはほとんど頼りにできないだろう。平成の大合併などと行政削減してきたことが、住民への支援が行き届かなくなった。
心配され続けてきた水道が、長期間機能しなかったことでも課題山積だ。避難所のトイレ清掃ができず不衛生な状態が続いている。“恐怖のヤマボッコリ”状態がつづき、ノロウイルスやインフルエンザ、コロナウイルスなどの感染症が心配されて拡がったこともあった。避難所の格差も様々だった。避難所に備蓄物資がない。食料も毛布も、最初の1週間は全く足りないところもあり、1家族で1日に水1本、カブキ揚げ1枚というところもあった。これは信じられない。水が出ないから、子どもなどが金沢に住んでいればそちらに移る人々も多く、これがさらなる復興の遅れにつながる。住人が不在だと、被災した家を災害ゴミとして処理することも進まない。女性やマイノリティーに配慮した支援はどうか。ようやく更衣室はできたが、下着が全く少ない。生理用品や尿もれパッドは支給されたが量が少なすぎ、替えることができずに感染症になってしまったという実例が多発している。
避難所だと思っていたら¥場所が避難所ではなかった、どこに避難所があるか知らなかったということもあったという。いっぽうで自衛隊の近くや、ある私立学校の避難所は備蓄や水があり落ち着いていたという。この私立学校は寄宿があったのか普段まかないをしていたようだ。 ある避難所ではボランティアの炊き出しが来たことがあった。しかし避難者全員にわたらないと不公平になるとか、個人のボランティアは受け入れていない、という理由で断ったという。なんでこういう判断なのか。避難所の運営は実に難しい。
少しずつすすんでいる仮設住宅の入居でも情報提供が少なく、住民間の対立につながってしまう。集落がまとまって仮説住宅に入るという情報などもあり情報も錯綜しているようだ。
2日目は能登半島の先端に位置する珠洲市で被災者と交流した。珠洲市は人口が1万1千人ほどで、本州にある市の中では最も人口が少ない市で、65歳以上が人口の50%以上を占めている。能登半島では、2007年3月25日に震度6強の地震があり、2022年6月は震度6弱の地震が連日続いた。そして昨年の5月5日には震度6の地震があり住民の心配はつのっていた。そうだ、能登で地震が繰り返し起きていることは私も気にかかっていた。
珠洲市の正院町でガイドをしてくれたのは大句わか子さんで、この地に古くからある日蓮宗・本住寺住職の連れ合いだ。1月1日の地震が起きたとき、大句さんは倒壊した本堂にいたが自力で脱出したという。大句さんは元小学校の校長をしていて、正院町自治会女性部長もしている。校長になる前は日教組の組合員で「歩く混合名簿」と言われたほど男女混合名簿の導入に力を入れて全国的にも知られていた人だという。
大句さんと避難所長(公民館館長)の避難所生活についての話は活動的で示唆に富み、避難所の日々が紹介できるほどの運営状況だった。報告された一部をつぎに紹介する。
地震の起きた1月1日、正院小学校に避難所を開設し、500人ほどの人数だった。避難所に集まったときに手分けをして、家にある米・野菜・毛布・ストーブ・灯油などを取りに行き、それらの品物を一つに集めてみんなに分配した。当日の夜にはミーティングが始まり、トイレの問題はミーティングで話し合って、1日2回の掃除と自覚的に使うことを確認した。事務所に大きな模造紙を貼って毎日情報を記録し、共有化することを始めた。受身ではなく民主的な運営をしていくことを決めている。
1月2日は、2022年の地震のときに富山から支援に来た人が、大きな鍋釜を持参して来てくれて、これ以後みんなで持ち寄った米や野菜で暖かい食事ができ、精神的に落ち着くことができた。ポリタンクで灯油を各家庭から集め、急場をしのいだ。自衛隊は1月2日と3日に来て水とガソリンを運んだ。1月3日は、皆で校庭の一角に穴を掘ってトイレ用に3基つくり、ブロックを並べてろうそくをたてる。
1月4日は、本部を開始する。女性の大句さんと元校長の男性(公民館長)が中心となる。各教室から2名ずつ代表を出してもらい、1名が全体会議に出席する。当初は1日2回のミーティングを毎日行った。班分けをして役割分担を班ごとに交代で行う。各班は、医療介護、炊き出し、掲示、物資、ゴミ、見回り、とした。各班の説明文を作り、順番に参加し、月ごとに回していくなど、避難所の活動が見えるようにした。女子の更衣室を設置し、防犯ベルも付けた。これはプライベートゾーンが出来て使用が減った。
1月5日は5基の仮設トイレを作り、部屋ごとにトイレ掃除を担当してもらう。17日に簡易トイレが並んでトイレ問題は解決した。1月8日は、自衛隊による給水始る。1月10日、看護師、防災師、保健師などに協力してもらい、感染症のレクチャーを始める。1月12日は電源車が避難所に来る。1月13日、1日15分のシャワー開始。千葉県からの寄贈による。お風呂当番も置く。
1月16日、ミーティングは1日1回になる。1月17日、各教室にダンボールベッド、テント形式のプライベートゾーンが設置される。1月から、子どもたちが壁新聞を作り、それを町の財産として残すこととした。1週間分のメニューをつくり炊き出しの情報を共有した。
2月6日、避難所の人数が102人となる。子どもたちのミニコンサートが始る。「県内外との支援チームとの連絡班」という班を追加した。これで日本看護協会、保健師会などとつながる。3月15日、支援物資を仮設住宅に運び、減らすことで無事、卒業式ができた。3月末、全員あつまり全体ミーティングを行う。この時点で避難者は37人となった。
細部の記録まで示すことができる正院町の避難所。輪島とは大きな違いだ。なぜこうした運営ができたのか。報告会では次の点をあげている。
昨年12月、大分県・敷戸弾薬庫に防衛省が9棟のミサイル弾薬庫を建設する計画に対して、住民は反対の声を上げてきた。今回は大分から以下の全国集会呼びかけられている。
平和が脅かされている今、私たちは黙したままでいられるでしょうか。
ガザ地区をはじめ世界中で多くの命が武力によって奪われています。私たちは、日本による戦争の加害行為の既視感を持ってこの惨状に直面しています。
米兵による犯罪や米軍機の事故・爆音は後を絶たちません。それでも日本はアメリカの手先となり「中国脅威論」や「台湾有事」を口実に、近隣諸国を仮想「敵国」として軍拡を進め、「新基地のため」に海を埋め立て、ミサイル・弾薬基地を次々に整備しています。大分でも、敷戸弾薬庫での9棟もの長距離ミサイル用大型弾薬庫の建設に加え、湯布院のミサイル連隊や特科団の配備が進められようとしています。日出生台での日米共同軍事訓練、大在埠頭や大分空港の軍事使用がなされ、攻撃目標化は避けられません。軍民が一体となった結果、多くの命を奪った沖縄戦を思い起こさなければなりません。軍備による「抑止力」など、まやかしにすぎません。軍民分離原則を今一度確認しなければなりません。
私たちの国には、戦争は絶対にしないと宣言した平和憲法があります。教育で愛国心を植え付けられ、戦場で心を病み、家族を戦争で失い、生活を奪われた市民は、この憲法を心から歓迎しました。平和を築いていくのに何を躊躇する必要があるというのでしょうか。世界各地で起きている武力行使と戦争準備のすべてに、胸を張って反対の意思表示をしていきましょう。虚勢を張り他国を威嚇する政治を戒め、教育・福祉・医療・介護・災害対策など、世界中の人々の暮らしが豊かになるようたゆまぬ努力をしていけば、日本は世界からの信頼を受けこそすれ、よもや攻撃対象になることはないでしょう。政治家たちにその能力がないのであれば、私たち市民が行動していくしかありません。
殺し合いではなく、生き合うことになぜ力を注ぐべきではないでしょうか。生きることを否定し、自然を壊し、民意を潰し、住民の関係性を分断するもの、それが戦争です。平和はその対極にあります。差別ではなく尊敬を、決めつけではなく問いかけを、分断ではなくつながりを、憎しみではなく友好を、対立ではなく対話と交流を求めます。年よりの幼子へのまなざしのやさしさ、そのまなざしによって輝きを増す幼子の笑顔、かけ値なしに身を寄せることのできる存在のありがたさ、誰も飢えることなく守られる人権、それらを実感できることこそが平和なのではないでしょうか。戦争は、自分が生きるために相手を殺します。平和は、自分が生きるために相手を生かします。私たちの運動は、戦争と戦争につながるすべてのことに対して抗うことに止まりません。国境を越え、豊かな土と空と水を守り、それぞれの場に根を下ろす人間同士が信頼し合い、この地上から専制と隷従、圧迫と偏狭を永遠に取り除き、互いが持てる力を出し合いながら生きていく社会の実現を目指します。一人の行動が世界を変えることはないかもしれませんが、絶え間なく繋がる思いは、必ずや戦争を止め、平和で穏やかな暮らしをもたらすことでしょう。
こと、ここに至るにあたり、県内はもとより全国の仲間のみなさんが集い、戦争の対案を内外に知らしめるべく「12・1ミサイル・弾薬庫はいらない! 友好・対話 全国平和への集いin大分2024(仮称)」の開催を提案します。来る6月29日(土)14時~大分市コンパルホール303号室にて、第一回実行委員会を行います。趣旨にご賛同いただき、出席いただきますようお願いします。
【実行委員会準備会】大分県平和運動センター 大分県労働組合総連合 大分敷戸ミサイル弾薬庫問題を考える市民の会 平和をめざすオールおおいた(順不同)
山岸 素子さん(移住者と連帯する全国ネットワーク事務局長)
(編集部註)5月25日の講座で山岸素子さんが講演した内容を編集部の責任で要約したものです。要約の責任はすべて本誌編集部にあります。
私は30年近く難民の支援運動に関わっています。30年前に私がこの支援を始めた頃の日本社会は、アジアからの、韓国、フィリピン、パキスタンとかイラン人もすごかったですね。イランの人たちが代々木公園で毎週日曜日になると1000人くらいが集まって、いろいろなお店を出したりとか、パフォーマンスをしたりとかしていました。それが警察に介入されて一掃される。みんな在留資格がないからですね。取り締まられていくようなプロセスとか、いろいろなことがあったけれど、90年代の初めの日本社会は、まだ今のようなヘイトスピーチとかヘイトクライムとか外国人排斥がすごく強まっている風潮とは全然違った社会の雰囲気がありました。
当時は外国籍の人は100万人くらいだった。今は300万人を超えています。数としては違うけれど、社会の雰囲気の寛容さ、特に都会の中で感じる雰囲気が違いました。ここ数年は、例えば入管法の改悪が毎年のように起こっています。それに対して声を上げていると、私が体感しているのは、排外主義が本当に日本社会の中で強まっているという実感です。よく戦争と排外主義は手を携えてやってくると言われますけれど、そういったことを本当にひしひしと感じているのが今ですね。
移住連で5年くらいやってきた運動は、非常に新しいことを目指して獲得してきたものもあるし、すごく排外主義的な社会の中で困難にぶつかっているところもあり、そういった運動を紹介しながら、現状の課題とを皆さんと一緒に考えていきます。
私たちが「移民」という言葉を使っているのは、安倍首相が「移民政策を取らない」と散々言ったからです。移民政策を取らないとは、日本に定住したり永住したりする、長期に暮らしていく人を受け入れないと言ったわけです。それに私たちは対抗して結構「移民」という言葉を使うようになりました。移民や外国ルーツを持つ人たちの数は今や400万人を超えていて、日本はすでに多様な人々が暮らす社会になっているにもかかわらず、日本では長年外国人は日本人と同等な人権を保障されてきていません。今日は1990年以降私が関わってきた時代から移民をめぐる現状と政策、それから移住連の取り組みなども紹介しながら2000年以降、新しく獲得したこともあるし困難もあるお話をします。とりわけ2021年から2023年の入管法改悪反対の運動、一回は廃案になって一回は可決してしまった運動、それからまさに今、法案が衆議院を通過して参議院でこれから審議が始まるところの内容についてもお伝えしたいと思います。そして国籍や在留資格を問わず、誰もが人間らしく安心して暮らせる共生社会をどう実現できるかということを一緒に考えたいと思っています。
今もやっていますが、2021年とか2023年の法案の時、法務委員会で法案が審議されている昼間の時間帯に議員会館前で入管法改悪反対・シットインという行動をしてきました。2021年に政府が出した閣法を廃案にできた経験は、私の中では初めてでした。入管法は何回も何回も改定されていて、いつもいつも反対してきましたが、いつもいつも法案は通ってしまっていました。私の経験では初めて廃案を勝ち取りましたから、その時の運動の力はいろいろな要素が重なりましたけれどもすごかった。若者もここに参加してきましたし、もともと移住連の主催でこれを呼びかけていろんな方に協力していただいてやりました。共同代表の鳥井が、自分一人でも座り込みをすると言ったことがきっかけになって、移住連ではシットインとか座り込みという行動を街頭ではやったことはなかったんです。でもあまりにもひどい。本当に人の命に関わる法案だったので、じゃあやっていきましょうということで、始めはそんなに人数が多くなかった。次第に200人とか300人とか法務委員会ごとにやっていくのですごく人数が膨らみました。
この映像は政府が法案を取り下げというのが出た時の瞬間です。その時に議員さんが何人か来て報告をしている時でした。この時の感じというのは、終わった後に声明を出した時に書いていますが、本当に今まで経験したことがない経験でした。国会前でもすごい大きな声を上げる運動が起こり、世の中でも毎日のように記者会見があり、いろいろな形でメディアも報道した2021年です。すごい大きな波ができました。この廃案は、自分たちが生きる社会に痛めつけられ、尊厳を傷つけられ、さらには命さえ奪われる人がいることは許されない。難民の人や在留資格がない人たちが強制送還をさせられ、刑事罰則を課せられるとかそういった法案だった。要するに、在留とか強制送還を強化するような内容でした。そういったことに、まっとうな人権感覚を持つ市民一人一人が抗議の声を上げた成果です。その声に入管行政の闇を明るみに出そうとするメディア報道や、国会審議における野党の粘り強い姿勢が呼応しました。そしてこの廃案に至るプロセスは、一人一人が声を上げれば社会を変えることができるという希望を感じさせるものでもありました。
主旨に賛同する人は誰でも参加できるという、開かれたシットインには本当にいろいろな人が来ました。議員会館の前の空間には多様な人々が集まり、またSNS上にあふれる抗議のメッセージは、声を上げられない、難民移民に思いを馳せ、声なき声、失われた声を聞こうとした一人一人の市民のつぶやきの連なりでした。SNSのキャンペーンも、この時にものすごく爆発的に広がった。私たちもたぶん初めてここまでの大きな運動を経験したと思います。民主主義が今この場で作り出されているというような可視的な表現だったといえます。こうした市民社会の身体と声の集合が廃案という成果をもたらしたのです。こういう声明を私たち出しました。
その後、入管も政府も絶対にこの法案は通そうと思って、いろいろとタイミングを図って出そうとしてきました。私たちもいろいろな形で反対の声を上げていたので、次の年は出なかった。でもやっぱり2023年にほとんど同じ内容のものを提出してきました。3月7日に閣議決定して提案されて4月から審議が始まりました。この間に国会内で野党の勢力も変わっていました。2021には、法務委員会の理事は立憲と共産がいて、全面反対をした。でも2023年は、法務委員会の理事は立憲と維新になっていて、反対するのは立憲だけになっていました。そして立憲の中でもいろいろな意見が多様化し、反対というのは最後の方で決まりました。最終的に衆議院を通過した時も、野党の中で維新、国民民主党が賛成し、立憲と共産が反対して参議院に送られるという状況でした。私たちはこの時も同じようにものすごい声を上げていましたけれども、可決成立してしまった。
移住連・「移住者と連帯する全国ネットワーク」は、移民、外国ルーツを持つ人々の権利と尊厳が保障され、誰もが安心して自分らしく生きられる社会の実現というのを掲げています。1997年に任意団体になり、今は全国のネットワークで外国人支援や難民支援をしています。団体約110、個人が600名くらいのネットワーク組織です。そして、政策提言、情報発信、ネットワークを3つ柱として活動しています。移住連の始まりというのは、1980年代後半から多くの移住労働者が人手不足の日本に出稼ぎに来て、でも在留資格がないオーバーステイの労働者でした。当時、労災とか賃金不払いなどの労働問題に直面するし、医療もいろいろな病院をたらいまわしにして、保険がないから医療を拒否されるとか、そんな問題が起こっていました。各地で支援運動が始まって、それをネットワークするという全国組織としてできたのが移住連です。
この時代は「移住労働者と連帯する全国ネットワーク」という名前でした。2015年にNPO法人化するときに、この20年間の間に外国人の定住化に伴う問題のすそ野の広がりがあって、労働者もすごく多様化してきます。技能実習生などもこの時代はすごく大きな数を占めるようになってきましたし、国際結婚で定住する女性たちも増えます。外国にルーツある子ども、若者の数も増えていく。そうすると、定住化する外国人という課題、それと80年代に入ってきた人たちはもう高齢化の課題も出てきます。また昨今の移民排斥の動きによって、ヘイトスピーチとかヘイトクライムとか新しい課題が出てきました。そこで私たちは「移住者と連帯する全国ネットワーク」と名称変更をしました。欧米では長年移民を受け入れてきた国には移民の人権保障だとかいろいろあるんですけど、そういった移民政策を求めて活動を強化していくことになりました。
今のところ、移住連とかいろんな団体が働きかけていますけれども、残念ながら日本政府の政策は、移住連が発足した90年代からから30年間全く根底は変わっていません。外国人に対する政策というのは、入管法による入国や在留の管理というところに大きく偏っていて、日本では結局、移民外国人の権利保障とか支援のための基本法というのはありません。そして移民を受け入れるという政策はない。定住、永住するような、長期で受け入れるという政策はないんです。結局、日本人と平等な人権を外国人の人たちは保障されてこなかった、というのが日本での外国人受け入れの歴史です。
今の法案では外国人労働者の受け入れがメインの柱として議論されているけれども、外国人労働者はこの30年間ずっと使い捨て労働者としての政策の中で受け入れられてきたと言えます。安倍政権になってから外国人材の受け入れ拡大といって、技能実習だけではなく特定技能だとか、部分的な建設労働とか家事労働者とか、政策を継ぎ接ぎしながら人材不足という分野に外国人の労働者を受け入れてきてきました。けれども結局短期、1年から3年とかで帰ってもらうというようなローテーション政策です。
他方で昨年成立してしまった法案などでは、昔からいる外国人労働者として入ってきた人たちが、在留資格がなくなって、それでもいろんな理由で日本にいたいということで長くいる人たちを捨てて排除するような政策です。一旦非正規滞在になった人、技能実習とかであまりにも過酷なのでそこを「逃げた」人なども在留資格がなくなって、そうした人たちを1回で送還する、排除するという政策になっています。入管法は長年にわたって何回も改定を繰り返していますけれど、結局、選別による外国人の受け入れと在留管理強化というところに集約されると思います。もともと、出入国管理というのは、管理ということを目的とした法律です。そこに難民の認定がくっついているところがすごくおかしい法律になっています。一つの柱は外国人労働者をどうやって受け入れるかというのを考えた結果、1989年には日系人の定住者として受け入れようと入管法を改定して30万人くらいの日系人を受け入れた。それから、研修とか技能実習という形で外国人労働者、労働力を使えないかというので始まった研修制度だとか、技能実習法にいろんな批判があったので、ちゃんと作らざるを得なくなった。今年の法案の見直しも外国人労働者受け入れに関してということです。
日本に外国人の数が増えるほど管理を徹底するという、そういった政策がどんどん厳しくなっていきます。一番象徴的なのは2009年にあった、外国人登録法が廃止されて入管法に一元管理されたときです。あの前までは結構、在留資格の更新のときにいろいろなチェックがありました。厳しいチェックがありますが、日常的に報告義務とか提出義務があるという形ではなかった。2009年の法律からは、日常生活上で就労場所が変わったら報告するとか、離婚したらすぐに届けなきゃいけないとか、住所の移行もすぐに届けなきゃいけない。そういうのをやらないと罰則規定があり、更に年数が長くなると在留資格取り消しの対象になるとか、厳しい管理が入ってきたのが2009年の法案からです。さらに今年の法案では一旦永住者を取った、すごくいろんな苦労をして日本で長年暮らして在留資格を取った人でさえ、今回は軽微な義務違反で簡単に在留資格を取り消すという内容を盛り込んでいる。そんなふうに、在留管理を徹底強化するという流れが一つあります。
改めて、今日本にいる外国籍の人がどういう人たちか。2023年末で340万人だったと思います。外国籍の人の数、国籍が外国籍で、3ヶ月以上の人の数ですね。国籍別でいうと、中国の次にベトナムが来ています。そして韓国、フィリピン、ブラジル、ネパール、インドネシアで、圧倒的にアジアからが多いです。ブラジル人、日系で来た人たちが20万人くらいいます。次に在留資格というのは、外国籍の人は必ず何らかの在留資格を付与されて日本に滞在を許可されています。日本国籍者みたいに何の許可もされなくても日本に暮らせるということではなくて、入管によって在留資格を付与されています。永住者でさえ取り消されてその資格がなくなったら、日本には住めません。いわゆる在留資格なし、非正規滞在の形です。今、永住者の人たちが、340万人のうち90万人近くいます。
次に多いのが技能実習が40万人ぐらいです。それから技人国という、留学生とかから就職した人がなる在留資格、就労の在留資格が36万人ぐらい、留学が34万、家族滞在は就労資格の人の家族です。というような感じです。永住者というのは、国際結婚した人がしばらくいて永住者になる人も多いし、就労資格の人が10年以上日本で働き続けて一定の許可水準を達していると、永住許可を申請できます。
ざっと歴史を振り返ってみると、日本では、戦前、戦後からの外国人移民の人たちが、外国人としてまずいました。これは日本の植民地であった朝鮮から経済的な理由で強制連行にされた人たちが、終戦時に約200万人いらっしゃった。そのうちの60万人は、朝鮮半島には帰国できない状況で日本に残られました。この人たちが今、在日朝鮮人と言われている人たちです。戦争の時は、植民地化させられて日本国籍にさせられていました。終戦によって、戦後の外国人登録令によって日本国籍を剥奪され、外国籍になるということです。この方々に外国人登録法とか入管法ができてきて、いわゆる管理の対象としての法律がいろいろ出来上がってきます。この時の政策の基本というのが、法務省の官僚が「外国人は煮て食おうが焼いて食おうが自由」と発言したことに象徴されるように、本当に外国人を管理するという思想でしかなかった。この在日コリアンの人たちは日常生活上あらゆる差別や権利侵害、そして日本の同化や圧力などにさらされてきましたし、現在でもヘイトスピーチなどの差別の対象とされています。
この在日の方々がほとんど9割ぐらいが日本の外国籍者でしたけれども、80年代半ば以降に変化があったのは、バブルの日本で労働力需要が起こり、多くの出稼ぎ労働者がアジアからの人たちが来たことです。安価な労働力として使われて人権侵害が多発していて、それで今の移住連につながるような支援の動きが出てきます。いろんな草の根の支援団体とか宗教団体とか労働組合などが、こういった外国人支援を始めていきます。一方、女性でいうと圧倒的に国際結婚、女性として日本に来て、その中で他にも性産業や人身売買で働く女性たちの問題が、このころ社会問題としても見られます。
90年代になると、さらに労働力を必要とした日本政府が考えたのが、ラテンアメリカから日系人を定住者として受け入れるという政策です。1990年代には30万人の日系人労働者が、家族ぐるみで日本に移住してきます。この時代は国際結婚がすごく増え、他方で離婚も増加するし、一方で外国人が定住化する。労働者として短期で来て帰っていくのではなく、家族として定住化する傾向も顕著に現れます。技能実習生が制度としては1993年にできていたけれども、急増するのが2000年以降です。さらに日本社会が少子高齢化になって人手不足だということで、2019年からは特定技能による外国人労働者の受け入れ拡大が始まります。2022年からその制度の見直しが再度始まり、昨年有識者会議が政府の中にできて、最終報告書を11月に取りまとめました。そして現在法案になって審議されています。
ニューカマーと言われた外国人が抱える問題として、非常に象徴的だった一つは労働問題です。弱い立場にあるので賃金未払いも起こるし、労災になってすぐ解雇されるとか、技能実習生が、人身売買とか強制労働の温床と言われる制度の中で、搾取されている。国際結婚は女性が多いけれども、違法解雇や言葉の壁や、地域での孤立、それからドメスティックバイオレンスの被害、そして離婚して母子家庭で生きていく困難があります。外国ルーツを持つ子どもたちも、若者もすごく増えているけれど、やっぱり圧倒的に学校の中でもいじめの経験が多い。そしてアイデンティティが非常に不安定な中で、教育、社会からのドロップアウトがあって、貧困も再生産されていくような光景も起きています。こういった外国人の労働や、生活や教育などの権利保障や政策が全く不無十分の中で起きていることです。
医療や福祉の問題もすごく深刻ですね。在留資格によって医療や福祉制度の適用が制限されていて、まさに命の格差という状況が日本社会の中で生まれています。日本人であればみんな社会保険の国民健康保険には入るのは、日本社会では常識になっています。けれども外国籍の人は在留資格によって保険に入れない人がいるという状況ですし、福祉制度もそうです。在留資格によって適用制限がいろいろあります。だいたい、永住者とか定住者とか日本人配偶者みたいな在留資格の人は、ほとんどが大丈夫です。けれども福祉制度は、就労資格の人は政府をはじめとして一切入れないという制限が強いです。在留資格を何らかの理由でなくしてしまった時の日本社会での圧倒的な弱い立場はひどいものです。昨年の法案は、まさにこういう人たちがターゲットとなっていました。長期収容の問題があるし、それから日本社会の中で仮放免として出てきたとしても、一切就労ができずに生存権が奪われている状況です。さらに送還を強めるような法案が成立しています。
難民申請者の問題は、これも本当にひどいものです。昨年の法案は国会でも散々議論されていましたけど、日本は国際水準からまったくかけ離れた難民認定制度をとっていて、難民認定率は長年ずっと1%未満の0.3%とか0.4%。欧米諸国だと30%から50%くらいという国が多いですね。例えば難民申請中でも、在留資格がなくなって収容されているような人も多い。それは制度の矛盾です。日本の難民認定制度はひどいです。申請中は、医療や生活保障等基本的な人権保障は難民申請者に関しては全く不十分です。
移住連の活動は、国会とかメディアとか市民社会、国際社会に向かってロビーイングとか政策提言し、情報を発信しています。また、全国各地で難民移民外国人支援をしている団体と個人によるネットワークとして活動しています。課題別のプロジェクト活動も非常に盛んです。例えば女性プロジェクトとか、外国人の支出費権利ネットワークだとか、医療福祉、社会保障ネットワークなどです。移住連のネットワークの中にサブネットワーク、プロジェクトがあって、課題別にそれぞれ全国の団体が加盟して、大体月に1回ぐらい例会をし、政策提言をしたり、それぞれ相談活動をしているので情報共有をしています。それから、大きな人身売買禁止ネットワークとか人種差別撤廃のネットワークとか、こういったネットワークに加盟しながら一緒に活動しています。
移住連は任意団体の1997年ぐらいから、ずっと外国人の人権課題、それぞれの加盟団体は各地で相談支援とか人権侵害にあった人たちからSOSを受けて、その問題を解決するために労働組合だったら企業と団体交渉したり、医療問題だったら保険がない人でも医療にかかれるようにとか。女性の問題だったらDV被害からの救済とか保護とかそういった活動をしています。だけど法制度が非常に不十分なので、その中でも十分な支援と権利が獲得できていないわけです。移住連はかなり政策提言、ネットワークとしては政策提言とかロビーイングとか法制度の改善も力を入れてきましたが、どんなに現場から訴えても本当に変わらず、入管法はどんどんどんどん管理強化の方向です。私たちとしては、もっと昔の緩やかな寛容な社会、管理強化じゃない方向を提言しているけれど、なかなか実現されません。抜本的なところで私たちが提言する方向には全然なりません。
今までは政策提言集という冊子みたいなものを作って、何年かに1回は各テーマごとの提言を作ってきたけれど、全然実現しません。それでちょっと考えてみました。もっと当事者の姿がみんなに伝わるように、当事者の声を反映した政策提言をというキャンペーンを始めました。「ここにいるキャンペーン」です。2017年から3年間のキャンペーンで最終的には新しい20の提案を作る。それを大きなところで発表して、もっと幅広い層の人たちに共感してもらおうと考えました。全国各地で私たちが作る移民政策を、ディスカッションしながら作っていくような作業をしました。移住連として当事者の声をもっとSNSで発信していきました。今まではそういうキャンペーンをしていなかったと思います。
最後に、このキャンペーンの成果を移民社会20の提案にまとめる大きなフォーラムをやろうと、2019年に全国フォーラム東京で1000人規模を目指して開催しました。移住連はもともと1年に1回は、全国の人が集まる全国フォーラムとかワークショップという集会もやっています。でも規模を大きくして、支援者だけではなくもっと共感を広げて多くの人に集まってもらおうと、この時は多言語の通訳を配置してやりました。サヘル・ローズさんとかに来てもらい、改めて作った移民社会20の提案を発表しました。移民社会20の提案は、今はPDFでも見ていただけます。いろんな事例を含めながら、難しい提言ではなく、中学生ぐらいでも読めるようにと冊子として作ったものです。
新しいキャンペーンを始めた頃にコロナが始まりました。コロナになったときに、また新しい活動が移住連の中で生まれました。それが全国ネットワークによる直接支援を始めたことです。今まで移住連の加盟団体はそれぞれ直接支援していました。労働者の支援、子どもの支援、女性の支援とか、全国ネットワークとしてはネットワーキングして情報発信したり、政策提言、ロビーイングをしていました。コロナのときにはそれまでとは全然違ったことが起きて、政策提言、ロビーイングもすごく必要でした。例えば直後には、外に出た外国人の人たちが日本に入国できなくなった。出入国の制限がすごくかかって、日本国籍者ではない外国籍者特有のすごい出入国制限がありました。それ故に、本国に帰れないで生活困窮になる人もいましたし、逆に外に出ている人は入国できない大変な問題もありました。直接生活支援をする基金を始めましたけれども、外国籍の人たちは日本の中で真っ先に解雇されたり収入が減少したりとか、生活不安になっていった層の人たちでした。
もともと非常に脆弱な立場にあった難民とか在留資格がない人たちが、本当に生きていけないくらいの状況に詰められていくってことがあった中で、移住連は随分政策提言、ロビーイングがこの時はいろいろできました。というのは、日本人対象にしてもいろんな福祉制度とか貸付金とか住居の確保とか、コロナでいろいろな福祉制度がすごく緩和されました。あれを外国人にも適用するための運動をやって、一部は獲得しました。例えば特別定額給付金も、日本にいる全ての人に10万円ということでしたが、途中から移住連が要請することで少し枠を広げることができました。最初は3ヶ月未満の在留資格の人は一切対象外でした。でも、例えば技能実習で帰国直前の人とか、留学生で短期になっている人を対象にすることがロビーイングでできました。非正規滞在や難民申請中の人は、ついに対象にはなりませんでした。そういった制度上で獲得できたり、できなかったこともありました。いろいろな情報が流動的だったので、そういったことを発信しました。
この時、圧倒的に生活困窮に陥った外国籍の人たちからのSOSの声がすごく届いたので、各地の団体ももちろん支援していましたけど、全国のネットワーク組織でもそれをバックアップするような基金をしようと「移民難民支援基金」というのを新型コロナのときに始めました。定額給付金をほとんどの人が10万円もらっているけれど、10万円もらえなかった人です。最も生活に困っている脆弱な立場にいる、3カ月以内の在留資格の人たちがもらえなかった。その人たち向けに民間の基金で少しでも現金給付をしようということで、この時に1人3万円の現金給付をするという、移民難民緊急支援基金を始めました。すごく反響があって、5ヶ月間に寄付と助成金で約五千万円を集めて、1645人に3万円ずつの現金給付をしました。これは移住連として本当に新しい取り組みでした。
日本で最も生活困窮している層の人たちというのはどういう人たちだったかというと、国籍別とか、在留資格別のデータとか地域別のデータが詳しくあるので、よく見ていただきたいと思います。在留資格でいうと仮放免状態の人が832人です。収容所の外で暮らしているけれど、在留資格がない人たちです。もちろん、特別定額給付金などももらえず、何の福祉の対象にもなっていない。だいたいが支援者とか、在留資格がある家族だとか、宗教団体とか、そういうところからの支援で生き延びていた人たちです。そういった支援も全体が困窮してなくなって、とにかく大変な状況になっていました。
全体で見ると、トリコ国籍のクルドの人から597人の申請があってトップでした。この方々の多くは仮放免の人、あるいは在留資格3ヶ月未満の難民申請中の人が多いですね。ベトナム人の185人という人たちは今回の基金の申請があった人たちでは特徴的で、技能実習生がそこからは「逃げて」在留資格がなくなっている人たちが圧倒的多数でした。在留資格がなくなって別のところで働いていたけれど、コロナとかになると一切そういうところでは仕事がなくなって生活ができなくなった。いろんなところに支援を求めて、お寺とか、そういった施設が大きなシェルターになっていました。そういったところから集団で申請があったのがこのベトナムの人たちでした。ミャンマーの144人もほとんどが難民申請中の人たちでした。3ヶ月未満なので福祉の対象になっておらず、共同体コミュニティ全体で生活困窮していた。そんな形で難民申請中の人は741人です。すごく割合が高いです。支援者が当事者に代わって申請するシステムがあります。支援者の人たちが当事者の状況確認ができます。私たちは1600人分のいろんな状況を把握することができました。
今回の基金の最大のターゲット層は、仮放免や難民申請中の非正規待遇の人たちでした。この人たちの基本的な状況は、10万円の特別給付金などの公的支援策は全く対象となっていないし、健康保険も福祉制度も対象ではないです。また、コロナの影響で入管収容施設の中からもどんどん仮放免が流れて、新しく外に出る人たちも増えていました。その人たちは長期収容の影響でいろんな病気、身体や精神的な不調を抱えています。一方で健康保険にも入れないので医療機関にかかれないまま、どんどん悪循環で悪化していく状況でした。元々がコロナになる前も就労禁止されていて、家族やコミュニティ宗教施設、支援団体のサポートによって暮らしていた。そこでコロナになったので、こういった支援者も困窮して、宗教施設からも寄付がなかなかもらえない状況の中でとても追い詰められていた。衣食住の、生きるために不可欠なものを脅かされる状況が見えてきました。
申請から上がっているいろいろなケースの一つを紹介すると、仮放免難民申請中の人たち、例えばある申請者、30代の夫婦と幼児3人の家族です。一時期家族で公園に野宿していたこともあったけれども、支援者が支援して今はアパートに入ることができた。しかし仕事ができず、家族を食べさせることができない。子どもたちの食材も知人から分けてもらっているが、十分な栄養が取れず、このままでは生きていくことが難しい。こういう基本的な状況で、就労できないし家族全員が在留資格がないと、こういう状況に陥ってしまいます。
次に多かった元技能実習生を含む技能実習生からの申請では、ベトナム人の多くは元技能実習生の人たちからの申請でした。送り出し国で借金を抱えて技能実習生として来た人たちが、非常に劣悪な現場と分かってもなかなかやめるわけにはいかないので、そこを「逃げ」た。政府の用語で言うと「失踪技能実習生」です。そういった「失踪」した人たちが帰国できなくて、他のところで働いていた。そこもコロナになったら仕事がなくなり、帰国もできずにシェルターに入った。そういった人たちが帰国待ちの状態で、当時ベトナムの帰国便をベトナム大使館に登録しますが、何百人ものウェイティング状態になっていた。シェルターに入りながらウェイティングで1か月後とか2か月後になんとか帰れるというような状況でした。食べ物もない中でシェルターに入るような人たちから申請がありました。
申請の中で見えてくるのは、やっぱり本当に日本ってひどい。例えば技能実習生として来日した。しかし、職場ではヘルメットを金槌で叩かれたり、くぎを投げつけられたりした。そのことを管理団体という受入れ機関を監督している団体に相談すると、帰国を迫られたために「逃亡」したとか、元々ひどい状況があった。そこから逃げて在留資格がなくなっている。この聞き取りの中からそういう状況が見えてきます。
この基金は定額給付金をもらえない人を優先にしていましたが、それ以外の人も事情があれば対象にしていたので、定住者、永住者から申請がありました。例えば、定住者であっても非正規雇用の人がすごく多いです。女性の場合シングルマザーの場合が多いけれど、飲食店とかホテルのベッドメイキングとか、そういったところで働いていると、コロナの影響を受けてすごく仕事が減っている現場です。そういったところでは仕事だけが減らされて収入減になっている。在留資格によっては定住者だったらできる手続きもあり、あるいは貸付金とかいろいろコロナのときやっていたものもあるけれど、そういった手続きが受けられずにものすごい借金にはまったとか、いろいろな状況が見えてきました。外国籍の人にとって、たとえ福祉制度の対象になっていても、それを申請してその権利を獲得できるところまでのハードルが、現実的には高いということもあります。
移住連でこの基金をやって、私たちが改めて気づいたことがあります。全国のネットワークによる直接現金給付で3万円というのは、1ヶ月の生活が持つか持たないかぐらいのわずかなお金かもしれないけれど、やらないよりはやるほうがましかと思って始めて、非常に感謝されました。例えば難民申請者の支援対象者の声です。「コロナで難民の人々は本当に大変です!(中略)私は国に帰ったらすぐ死んでしまうかもしれませんが、日本での生活で少しずつ殺されているという気がします。もう国に帰ったほうがよいと思っているところSMJ(移住連の英語名称)からのサポートがあり少し希望を持つようになりました。本当にありがとうございます。(イラン、男性)」。今まで本当に支援がなかったんですよ。
エチオピアの人も書いています。「自分の国に問題があるけど、みんな仕事ができる状況で日本に来ている。税金を払って生活をしたい。ビザのことを改善するためにサポートしてほしい。国やみんなにもっと伝えてほしい」とか。次の人も結構強烈です。「1年近く難民として日本に来ているけれども、公的でサポートが一切もらったことがない。日本は難民条約の意味がちゃんとわかっていないのでしょう。日本での生活はずっと大変だったのですが、コロナの拡大でもっと大変になりました。私は日本にいて東京の住民なのに、日本は私の存在を無視しています。NPOや民間のところしか動いていないのです。SMJのサポートは本当にありがたいのですが、これをもっと責任を取ってほしいです(ブルキナファソ、男性)」。いかに公的支援から排除されて希望を失ってきたかということも感じられました。
他にも絶望的な、誰からも見捨てられている状況にあったときに、民間であれ誰か自分のことを気にかけてくれたことが、お金と同様に精神的に本当に嬉しかったというメッセージもありました。こういった誰からも大切にされていない自分は見捨てられている存在だという状況自体が、どれだけ人にダメージを与えるか、尊厳を奪っていくかということを非常に感じました。民間の支援が少しでもそれに対するメッセージ、一人じゃないし一緒に私たちがいますよというメッセージは、お金も大切だけど、そういったことも大切だとこの経験から思いました。でも民間ではそういった生活を長期にサポートすることはできないですから、この基金での実態を日本政府にずっと要請し続けました。でも、こちらがどんなにいろいろな実態を訴えても、ビクとも動かなかったのがコロナの時の政府の対応でした。「自分たちとしては、在留資格がないので、基本的には国に帰ってもらえば」という考え方です。
2021年と2023年の入管法改定法案はほとんど同じ内容でしたけど、難民申請者と在留資格がない外国人をターゲットとした法改定です。「本当に難民を虐げ在留資格がない人の命を危うくするものです」と、私たちは反対していました。そのポイントはいくつかあって、国際基準に反する難民制度と低い難民認定率を改善しないままなので、どんなに難民申請したって1%未満、当時0.3%しか認定されないわけです。ほとんどの人が認定されないから、もう1回、いろいろな新しい理由とか条件を書いて申請していました。こういった申請者を強制送還してしまう。3回目以上の申請書は強制送還できる仕組みを作るものでした。難民だけではなく、家族が日本にいるとか、そういう事情を抱えて帰国できない人に帰国を命ずる制度、従わないと処罰するという制度を新設する。それから収容に関しての法改正の検討。もともと長期収容が問題になって始まったことですけれど、他国にある国際基準の収容制度は、やっぱり最終的に全く法案には入っていませんでした。入管だけが決定できる、司法審査を経ないで無期限に長期収容できるという制度を維持していました。
入管と政府で新設した監理措置制度というのは、これはもう支援者、弁護士が大反対している制度で、入管は今までは原則収容だったけれど、収容ではなく監理措置というのを作りました。監理措置というのは入管収容施設の外に出すけれども、監理人という民間人が入管に代わって全て監視する。就労していないか、生活状況をチェックして報告する。そういった就労に違反していたら当事者は刑事罰則になるし、監理人も嘘を申告したら当然いろいろな罰則がある、民間での監視を強めるような制度です。今の支援者や弁護士たち、私たちはこの監理人になれないという人がほとんどなので、今後この監理制度ができてしまうとどうなってしまうのか、みんなが心配していることです。
あとは、在留資格がない人が唯一合法化される在留特別許可という制度が現行法ではあります。これが新しく法案の中では申請制になるとアピールしていましたけれど、実際その基準を見ると今よりも基準の幅が狭まってしまう内容になりました。2021年には提出から取り下げまでちょうどぴったり、制度を3ヶ月で取り下げました。その時に何があったかというと、一番大きかったのは3月6日にちょうど法案審議中、閣議決定の後に名古屋入管でスリランカのウィシュマ・サンダマリさんが亡くなったという本当に大変で痛ましい事件があった。それが大きく報道されて、5月ぐらいにはご遺族が来日し訴訟を起こすというようなことも大きかったと思います。私たち移住連がどういう運動をしていたかと言いますと、ずっと昔から入管法が出るたびに改悪反対のロビーイングとかをずっとしてきました。だけど、全然声が届けられなかった。
でも今回の法案は、出てくる前からすごいネットワークを作って対策を取りました。例えばアムネスティとか難民支援の団体、弁護士団体、移住連もネットワーク組織として9団体ぐらいが一緒になった。なぜかというと2019年の頃から法案が出る前に就労と送還に関する専門部会が設置され、どうも今回難民申請者をターゲットとして強制送還できるような内容が検討されているらしいということになった。難民支援団体とか弁護士団体とかはこれは大変だということで、なんとかバラバラじゃなくてネットワークを組んでやろうということです。当時長期収容の問題から始まったので、「STOP!長期収容市民ネットワーク」を結成して取り組み始めていました。2018年頃からは、日本はオリンピックに向けて非正規滞在の外国人を一人残らず送還しようというような政策を立てた。だから2018年頃から仮放免をすごく少なくして、本当に長期化していった。2018年、2019年頃に収容施設の中で非収容者の人たちが本当に音を上げて、1年、2年、3年という長期収容の中でも本当にギブアップする中でハンガーストライキを集団でやるようになって社会問題化し、餓死してしまった事件もありました。九州の方の収容所でもそういったことがおこり、国内でも問題になります。
すごく批判を浴びて、政府としてもその問題に対処せざるを得なくなりました。長期収容の問題に対処せざるを得なくなって、専門部会を作りました。その時、解決策の方向が今は強制送還ができない仕組みがあります。特に難民申請をしていると、現行法では申請中は強制送還できなかった。だからこれを強制送還して長期収容を防がなければならない。こういう発想になった。強制送還を追加できるようにする法改正をしようと考えた。
私たち支援者の方は、そうではなく難民認定をもっとすればいいわけだし、在留資格がない人だって、在留特別許可で在留資格を与えればいい。現行法の中でそれができるので、それをもっと増やせばいいんだという解決策でした。真っ向から反対の解決策を私たちは提示して、当時政府といろいろやっていました。移住連はさっきの「STOP!長期収容市民ネットワーク」の中でも一緒にロビーイングやキャンペーンをしましたが、独自にもいろいろやりました。
そして、今までは主には国会に向けたロビーイングが法案の時は中心でしたけれど、世の中に向けて署名とかSNSのキャンペーンをこのときはいっぱいやりました。当事者も、声を出し顔を出しても歌いたいという人たちもいましたので、そういった人たちの発信しました。在留資格を認めるための署名活動とか、本会議前でもシットインっていうのも2021年に初めて始めました。そうするといろんな若者も集まってきたし、高校生の緊急アクションが起きたり、スタンディングのアクションっていうのが各地で広がってきました。国会前だけじゃなくて、全国各地にいろんな人たちがスタンディングするようになり、弁護士会とかも立ち上がって、全国各地の弁護士会がデモをしたんですよ。あまりにも人道と人権に反する法案だったと思います。この写真のシットインは移住連が呼びかけてやっていたものです。ウィシュマ・サンダマリさんのご遺族が5月の連休中ぐらいに来日されていらっしゃったこともありましたし、若者が結構いましたね。当事者もアピールするようになり、また亡くなった人たちを追悼しました。この時は入管法に関する署名は10万筆ぐらいだったので、4月に衆議院に提出しています。
そして2021年にウィシュマ・サンダマリさんの事件が起こって、初めて在留資格がない状況が日本にあるとか、入管収容施設というのがあるとか、そういうことが世の中に知られました。こんなに人間としての扱いをされていないことが日本社会の中であったことを、みんなが初めて知ったみたいな時だったと思います。この法案のこともすごくわかりづらいので、わかりやすいキーワードを作りました。それをSNSに発信していったり、顔を出して自分たちの状況を発したいという人たちがポスターを作ったりして、少しでもこういった実態があるのを伝えていきました。面白かったのは議員へのFAXアクションで、この入管法改悪に初めて参加したみたいなSNS層の若者はFAXを持ってないし、送ったことがないみたいな人たちです。その人たちが、どうやってFAXを送るかというのを、SNS上でやり方とかが出回って「私はこうやって送りました」みたいな、そういうことがやり取りされていたりして、若者の新しいSNSのFAXアクションみたいな感じでしたね。
難民申請者に関連して、日本生まれ日本育ちの子どもとその家族の人たちもいます。そういった人たちは、両親が外国人労働者として日本に入ってきて、在留資格がなくなった状態で子どもが生まれ、既に10年20年になっている人たちです。これは私が具体的に支援していた20人の兄弟で、2023年の法案の時に大学4年生と大学1年生の兄弟、そしてお父さんとお母さんはペルーから来日しました。2人とも労働者として入ったけれども、当時は日系人でしか入らないので、業者がいろいろとあっせんする中で偽装があった。その中で両親が働いていて、子どもたちが生まれました。このMさん、Sさんは、生まれた時からずっと日本ですし、周囲の人たちに温かく見守られて、高校、大学などの進学費用とかもいろいろな人が支援してくれて大学まで行きました。しかし子どもたちが5年生の時に父親が摘発され、不法入国が発覚して父親は強制送還された。母子は残って日本で暮らしていきたいと、ずっと裁判を続けました。父親とは連絡も取れなくなっているので、この母子は日本に居続けたいと、裁判が最高裁まで行った後でも再審情願という形でいました。だけど、お母さんだけ強制送還すれば子どもたちだけ在留資格を出してもいいとか、いろいろな取引もされて追い詰められていきました。2021年に下の子が高校3年生で証言してくれた映像を紹介します。これは集会で発言してもらったものです。
当時法案の審議中にかなりの野党議員が、この家族をなんとかできないのかということを審議でやりました。法務大臣が子どもたちと家族に関してはなんとか検討するみたいなことを法案審議の中で言った。昨年法案が通った後、8月に当時の斎藤法務大臣が、日本生まれ日本育ちの18歳未満の子どもがいる子どもと家族に対して特別に在留特別許可を認める。ただし、親に扶養能力がないとか、いろいろな事情をつけて発表しました。それで一応救済された子どもと家族もいます。ただし非常に限定された枠があった。例えば、一番多いクルドの子どもと家族というコミュニティは、子どもが2歳とか3歳とか日本生まれ日本育ちじゃなくて、入ってきている子どもたちもいて、それは厳密に言うと対象外にされてしまった。この18歳で大学生になっている子どもたちは、実は法務大臣が言ったように対象外ですが、個別に審査をするということも言っています。この2人のペルーの兄弟は、2024年になってから在留特別許可を認められました。ただし高校生の時の彼が言っていた、お母さんと引き離さないでください、お母さんにも認めてくださいという思いはまだ叶えられずに、お母さんには在留資格が出ていません。お母さんは強制送還されず仮放免の状態で、兄弟だけに出ています。そういったのはクルドの子どもたちでも結構あって、そのうちの1人が昨年の法案審議の時に、自分と弟には在留資格は出たけど、両親とか小さい兄弟には出てないことを証言し、すごい衝撃を与えました。
子どもがいる家族だけではなく、単身で日本に30年暮らしている労働者とかいろんな人の事情を聞くと、やっぱり国には帰れない。国に帰っても生活していけないんですね。そういった人たちで病気になっている人でも在留資格を与えない。日本の制度はどういうことなんだろう、なんという非人道的なことだと思います。私たちはこの収容、送還の問題、長期収容だとか帰らない人がいる問題をどうやって解決できるか。収容制度に関しては長期収容ではなく、他の国みたいに3ヶ月未満で最大3ヶ月にするとか、収容制度の制限を設けるとか。あるいは入管だけが判断しない司法審査を入れるとか、そういうことをして人権基準にかなった収容制度にするべきです。この収容制度は、国際基準に合っていないってことで国連機関から是正勧告を受けています。難民保護法も各国に比べて内容が本当に劣っていますね。これを改善してもっと多くの人たちが、せめて他の国みたいに30%くらいの難民認定率なれば、こんなに繰り返し国に対し難民申請を長期にわたってすることもなくなるわけです。
最後に、日本に20年とか30年いる人たちは、この在留特別許可で正規化すればこんなにみんなが苦しむという問題は解決します。なんでそれをやらないのか。私たちから見るとすごく簡単にやれることでなはいかと思いまいまして、そういったことを提言してきています。2021年に、これが政府の取り上げで廃案にできたのは本当によかった。これはこの時にいろいろな人がこの問題を知って、あまりにもひどいんじゃないかといろいろな立場から声を上げてくれました。今までは支援者だけが入管収容施設に通って収容者の人に面会活動するような人たちが状況を知っていた。そうではない、こんなひどいことは絶対に反対ですという声を上げる人が多かった。それから、当時は内閣支持率が低下して選挙も目の前にあったし、世の中で大きな問題となることを与党は非常に恐れたんですね。それでパッと取り下げたという状況もあったと思います。ただし、私がこの時感じたのは、なんでこの時期、ウィシュマさんの事件とか外国人収容問題の関心がここまで高まったのかって思うときに、やっぱりコロナの中で両極端になったとは思います。目に見える自分たちの周囲だけは何とかして守らなきゃ、となっていく傾向も一方であったと思いますが、他方でみんなが苦しんでいる中で、共苦とか共感とか、こういった政策への怒りみたいなものも、もうちょっと広い市民が共有したところもあるのかなと思います。そういう中でウィシュマさんのような事件が起こったときの共感が広がったのかもしれないと、この時思いました。
2023年に内容的には同じ法案が出てきて、成立してしまいました。3月7日に出て6月9日に成立しました。私たち支援団体は2021年と同じことを、もっと準備して、もっとたくさんキャンペーンとしてやりました。いろいろな街頭行動もしたし、SNSのキャンペーンもしましたし、院内集会もロビーイングンもしました。署名も同じように集めて2021年は10万筆提出し、2023年は19万筆に、さらに最後の5月には22万筆ぐらいまで集まっていました。ただしいろいろと変化も感じました。例えばメディア報道がパタッと変わりました。2021は大手が全部、連日のように報道していたけれど、2023年になると、どんなに私たちが署名提出しても、東京新聞、信濃毎日、神奈川新聞ぐらいしか報道しなくなった。なんかメディア統制ではないけれど、そういうものが入っているのかなというような感じがしました。もう一つが、国会内での勢力の変化です。やっぱりこの法案に真っ向から反対する政党が少数派になってしまった。逆に、与党よりこの法案の成立を声高に叫ぶ野党も出てきました。国会前のシットインは相変わらずやって、デモもすごく人数が増えて、大きなうねりにはなっていたんです。国会前集会も2日に1回ぐらいしていました。毎回毎回、「今回可決か」みたいな感じで反対して、夜になるとみんなが集まってやっていましたけれど、本当に報道されなかった。ちょっと世の中の流れの変化を感じました。
でもいろいろとプラスの面もありましたね。例えば今回、野党法案が初めて国会の中で並行審議されたんですよ。政府が出している閣法と野党が出している対案が一緒に法案審議されて、質問者は両方に対して質問した。明らかに真っ向からから全然違う法案を出していたので、この閣法がいかに悪いのかが審議の中では明らかになっていました。参議院ではすごくいい討論をしていたと思います。その中で、現行難民制度がもうズタズタな感じだっていうことが明らかになっていました。それから、改悪反対運動も、例えば新たに労働組合層とか反貧困の運動などでは確実に進歩が広がったというふうに感じました。市民と野党の共闘ということで対案を出した野党の4会派とはすごくタッグが組めたなと思います。私たちが国会前でシットインして、法務委員会のときに野党が反対して対案を出しているところを応援する。審議が終わったら野党がすぐ駆けつけていつも報告するみたいな感じで、非常に一緒に戦っていることができていたと思います。
今後法案が成立して、この6月10日から施行されます。施行に向けて支援者としてやるべきことがあるということで今取り組んでいます。仮放免者・難民支援者の生活等の支援も続けるますし、ネットワーク強化もあります。子どもと家族の特別在留許可などが、一応法務本大臣も認めて方針を出していますので、そこをできるだけ若者に広げることも今やっています。
最後のトピックになりますけど、2024年の入管法と技能実習法というのが一緒になって審議されています。昨年の法案は難民と在留資格がない非正規滞在の外国人をターゲットとしている内容の法案でした。今回は、元々外国人労働者の受け入れ制度の見直しが大きな内容だと言われて、昨年1年間、政府の有識者会議で検討してきたものを法案化したものです。発端は2022年に当時の古川法務大臣が、技能実習法というのは2017年にできて、2019年に在留資格の「特定技能」ができました。技能実習法は5年後に見直すとになっていて、2022年が見直しの年でした。その年に当たって年頭の挨拶で「もう抜本的に私は見直したいと思います」ということを宣言しました。こういうのは初めてだと思います。法務大臣の私的勉強会みたいなのを立ち上げて、そこに有識者を呼んで移住連代表の鳥井なども初めのころは呼ばれて意見陳述しています。その時に私たちとしても指摘したことが、この技能実習制度です。制度の目的としては、開発途上国の人に来てもらって日本の技術や技能を研修して実習をして、そこで覚えた技術などを本国に帰って普及してもらうみたいな、国際貢献の制度と言われています。技能と技術の移転のための制度という制度目的だったのが技能実習制度です。だけど今や40万人の人が日本に来て、農業とか建設とか水産加工とか介護とか、日本人がいなくなって立ち行かなくなっている産業分野でみんな働いてくれています。はっきり言って労働力として必要な分野に、労働者として働いてもらっているというのが実態です。でも建前が国際貢献の技能の移転となっているので、すごくおかしいことが起こっています。
それに日本に来る時に民間のブローカーが介在して、多額の債務を負って来ています。ベトナムの人が一番多いけれど、だいたい平均100万円ぐらいの借金を負って日本に来ています。だいたい3年間働くメドでみんな来ているけど、その間に借金を返していかなければいけないと思っています。日本に来てみると、例えば最低賃金が一応保証されていることになって契約を作らなければいけないので18万円という契約だったとして、手取りが6万とか7万しかもらえない。それから契約の中には職種が書いてあります。技能実習だから、建設業の職種を細かく書いていますが、実際働いてみると、建設業では現場を作る穴掘りみたいなことばっかりさせられるとか、全然専門職の技術ではない。これはおかしいと思って変えてもらいたいと思っても、今の制度だと原則は転籍が禁止です。よほどの人権侵害とかがあって、申し立てがうまくいかない場合以外は、転籍禁止に一応はなっています。だいたい、借金を返さなきゃいけないから、はじめからはそういったことを言えないし、泣き寝入りして我慢して働く。よほど酷くて耐えられないと「失踪」といって、そこを去って在留資格がないままそれでも働く。借金を返さなきゃいけないから。そういうのが技能実習制度の姿勢でしたね。だから、いろいろな意味で借金構造があるし、低賃金構造もある。今の構造の中では搾取している団体がはっきりしているので、どうしても契約よりどんどん引かれてしまいます。
もう一つの問題は、一定期間で帰る管理型受け入れローテーション政策です。長くいられなくなる。例えば妊娠・出産などの問題が起こる。妊娠・出産したら中絶するか帰国させられるというのが、昔から技能実習生たちが言われて信じ込まされていることです。日本では労働法の適用になっているから、絶対あってはいけないことです。多くの現場で今でも女性たちが妊娠したりすると、自分は強制帰国させられるか中絶しなきゃいけないと思いこまされている。昨年起こった、ベトナム人がみかん農家でずっと妊娠を隠して、死産して死体遺棄罪に問われた人が、最高裁で無罪判決を勝ち取った事件が象徴的です。誰にも言えなくなって自分一人で抱え込む。中絶の薬を飲む人もたくさんいます。そういったような問題が、ローテーション政策で労働力としてだけ活用しようとしているところから起こっています。
ではどういう政策が必要か。私たちが提言しているのは、やっぱり人としての受け入れをすることです。労働力ではなくていろいろな権利保障が必要です。例えば家族を帯同する。今の技能実習制度は誰も連れてこられません。あるいは望む場合には定住していけるようなステップがあることです。2番目は、搾取行動を排除するためには、民間ではなく公的なところが介在した受入制度にするとか、あるいは今、入管庁が管轄していますけど、もっと包括的な移民庁を作るべきだとか、という提言をしています。でも、まず初めに技能実習制度はもう廃止しなきゃいけない。これだけ建前と実態が乖離している、本当に嘘の制度なので、まずは廃止することを掲げて2022年は全国キャラバンなどの運動をしていました。その後有識者会議が立ち上がって、2023年には最終報告書が出て、今回の法案が出されています。
今回出てきた法案の中身を簡単に説明すると、実は政府も技能実習制度という名前を変えて新しい制度を作ることにしました。その名前が「育成就労」という制度です。何が違うかというと、前の技能実習は国に帰って技術技能を移転するということだった。その目的はやめました。育成就労というのは何か。国は特定技能制度を2019年に作りました。外国人労働者の単純労働を受ける一つのステップとして、新しい在留資格を作ったんです。この特定技能という、外国人労働者を育てるための育成就労の前のステップの在留資格です。それが今回、技能実習に変わって作った育成就労という制度です。私たちがすごくこれを批判しているのは、名前は違うけれども全部仕組みが同じだった。例えばベトナムから来るときに送り出し機関という向こうの民間機関がリクルートメントするけど、それは同じなんですね。日本に連れてきたときには、監理団体というところがいろいろ受け入れ企業等をアレンジします。監理支援機関という、ちょっと違う名前になるけれど、同じです。そこが斡旋したりサポートしながら育成就労で働きます。それは全部民間なので、同じように手数料とか監理料が引かれるでしょう。技能実習機構というのが、この制度の適正化をしたり保護をする機構でした。それも育成就労機構という名前になって、全く同じものが残ります。この機構は全く何も適正、保護をしていないというのを、私たちはすごく批判しています。その機構が名前を変えてそのまま残っても、全然実態は変わらないということがすごく懸念されています。
政府は1つだけ、今回育成就労になると、労働者だから、技能実習・研修じゃないということで、転職の自由を与えたと説明しています。それはすごく重要なところです。でもそれは与党側のものすごく反対にあって、すごい制限がかけられました。最初の1年はできないとされていたけれど、だんだんいろいろな条件が付されて、1年から2年の間はできなくなりました。日本語とか技能の条件、こういうのを満たしてないと転職ができない、のようにどんどん変わっていきました。結局3年目ぐらいで、すごくいろいろなものをクリアしている人じゃないと、転職はできないという制度になっています。
もう一つ、法律の4に育成就労制度を創設するにあたって、「永住許可制度の適正化」というのが入りました。これを私たちはすごく反対している点です。今、日本には数10万人の永住者がいます。その人たちを次の3つの場合は取り消し対象にできるという条文が入りました。その1つ「入管法上の義務を遵守しないこと」というのは、外国籍の人たちは在留カードを常時携帯すると
いう要件です。在留カードを持ってなかったら入管法違反になります。不携帯だったら永住許可取り消しです。条文に書いてあります。次に「故意に公租公課の支払をしないこと」。これ、公開で議論されていますけれど、税金とか社会保険料とかを故意に納めないということです。「故意に」というのは、例えば税金は払わなければいけないことは知っているけれど、いろいろな理由・・・一時的に収入が減少してどうしても払えなかったのも、払うことを知っていれば「故意に」に含まれるというのが法律家の解釈です。国会審議ではこういう場合は対象にしないとか、口頭ではいろいろ言われています。でも条文だけ見るとそういう運用ができるのがこの内容になっています。
3番目に「一定の罪により拘禁刑に処せられたこと」という、比較的よくありがちな住居侵入とか暴行、傷害、窃盗みたいな軽いものでも、拘禁刑になったときは執行猶予の場合も含んで取り消し対象にされます。これは本当に軽微な違反で、永住者は、10年以上ずっと日本で働き続けている人とか、いろいろな収入要件とか、ものすごく厳しい要件をすべてクリアしてやっと得られ、少し安心して暮らしていけるかなというものを取り消される危機にさらされていることで、大反対をしています。最大の問題は育成就労とセットでできたことです。政府の説明だと、育成就労の制度を作ったことによって永住者が増えるから、適正な永住者じゃない人は取り消せるようにしたという説明です。でも育成就労制度ができても、育成就労と特定技能の1号までの合計8年間は、永住許可の要件年数にカウントされない労働者です。だから特定技能になって、そこから10年ぐらい行って初めて永住者になれるのです。とてもじゃないけれど、ここからのステップで永住者にいくのが容易にはならない。だから、この育成就労とセットで永住者を適正化するというのは非常におかしいんです。
事前の検討、議論が不十分なのは、実はちらっと2019年に入管庁が永住者についての世論調査を行っています。そこには、永住者が今多いと思いますかとか、こういう永住者は取り消すべきだと思いますか、みたいな誘導的な世論調査をしています。私たちはそれに対しても抗議をしました。その後「検討する」という政府資料がありますが、有識者会議で1年間行われた受け入れに関してのことが一言も触れられていません。永住者許可を適正化するなんて。確か自民党の委員会の中で永住者が増えないですか、みたいな指摘があって、そこの対策としてでてきたんですね。立法事実がないというのは、育成就労が増えても永住者が増えないということと、外国籍者が税金とか社会保険を納めてないという客観的なデータもありません。国会答弁の中でも、サンプルデータみたいなものを示してきましたけれど、全体でそういった数値を把握してないと言っています。本当にこの軽微な義務違反で、外国籍者が日本にいられる基盤を揺るがすような取り消しをするならば、外国人差別です。税金、保険料の滞納なんて日本人にだってあるじゃないですか。それに対しては、滞納処分とか刑罰があるわけです。外国籍者の人も同じようにすればいいわけであって、在留資格を取り消すというのは、あまりにも日本国籍者と扱いが違う、差別だということです。なので、今取り消しに反対するキャンペーンをして、署名も集めています。すでに1回提出しました。今回は4万筆以上ぐらいの署名が集まりました。それから、今日配布したQ&Aなども配っていますし、シットインもやっています。
このように毎年、改悪入管法のようなものが出てきていて、外国人を管理する、労働者として使い捨てるというような政策が進められています。そうではなくて、私たちは定住、永住する移民として社会で受けるための包括的移民政策を求めています。そのためにはやっぱり入管法を抜本的に見直した改正が必要です。あるいは外国人の人権保障と人種差別撤廃の基本法の制定が必要だということで、求めて活動しています。それから、難民保護法も入管法ではなく、切り離した独立の法律が必要です。国の法律だけではなく、自治体において様々な多文化共生施策が推進されること、そして今本当に数が増えていますから、地域社会や職場とかで共生の取り組みが民間の中でも行われていくということが必要だと思っています。