私と憲法269号(2023年9月25日号)


人々に届く言葉をみがき 街にくりだそう

大失敗の岸田内閣再改造

9月13日に岸田内閣改造が行われた。日本が世界から置いてきぼりになっている原因が全て詰まっているような顔ぶれであった。またもや麻生太郎氏が自民党副総裁となり、政治資金規正法違反の疑いを巡って事もあろうか事務所のパソコンをドリルで穴を空けて露骨な証拠隠滅の破壊工作を行った小渕優子氏が選挙対策委員長に起用されたところだけ見ても自民党に未来がないことは一目瞭然だ。その証拠に内閣改造後も岸田政権の支持率は上がるどころか微減している。岸田政権の支持率と比例して自民党の支持率も落ちているので、自然と私たちが応援する立憲野党が支持率を上げているのかと言ったらそうではない。自民党が落とした分、日本維新の会が支持率を伸ばしているのだ。

もし、次の総選挙で維新の会が野党第一党になったらどうなるだろうか。維新の会は、憲法審査会でも頻繁に改憲を訴え、時には自民党の尻を叩くほどだ。このような改憲に前のめりな政党が野党第一党になったら、大政翼賛化は進み、改憲への道へと確実に突き進むであろう。

来る総選挙は平和憲法がかかった重要な選挙となる。小選挙区制度の下、勝利するためにはどうしても一本化が必要だ。それぞれの立憲野党の組織事情は理解できるが、今一番重視しなくてはならないのは私たちの未来である。憲法が生かされる社会の上にこそ立憲野党があるわけであり、その立憲主義が崩されるような事態になっている今、力を合わせていかなければならない。各地の市民は、この危機感を共有し、立憲野党に「市民と野党の共闘」を呼びかけ積極的につなぎ役になっていこう。

女の架け橋、フェミブリッジ

市民連合で新たな取り組みがスタートした。
今まで、市民連合からの発言者はどうしても男性が多かった。さらに市民連合の会議への参加者も男性が多く、余計に女性たちはその場から遠のいていってしまう実情があった。ジェンダー平等と女性差別撤廃の旗を掲げている市民連合の内部がこれでは、「口だけのジェンダー平等」になってしまう。そこで、市民連合の女性たちが一堂にオンラインで集まり、女性会議を開いた。北は北海道から南は九州まで40名を超える女性たちが集まった。なんと2時間半近くの時間を要し、それぞれの地域での活動報告や悩みなどを共有したが、女の話はそれでも尽きることはなかった。驚くのはその2時間半近く、ほとんど笑いっぱなしの会議だったということだ。このような笑顔あふれる会議はなかなかないのではないだろうか。最後には「おしゃべり連帯」と言ったフレーズも飛び出し、強く共感が示された。

今まで口をふさがれていたものを女たちの連帯で剥ぎ取り、自由に話し、笑いあえる、ここから政治は始まるのだという希望を感じた会議だった。市民連合に集う女性たちはただおしゃべりをしてその会を終えたのでではない。この笑いとパワーは外に出していかなければならないという事になり、実際にアクションを起こすことになった。それが「フェミブリッジ・アクション」だ。

仕事が忙しくてニュースも追えていない、子育てが大変で政治なんて遠い話、奨学金返済でバイトを掛け持ちしていて政治のことを考える暇もない、そのような政治から遠ざけられている市民や女性を女の連帯と架け橋で繋いでいこうという意味を込めて、「フェミニストのブリッジ」で「フェミブリッジ」という造語が誕生し全国各地で行動を起こすことになった。「フェミブリッジ」という造語に関して、各地では「聞いた瞬間心が震えた」「これを待ち望んでいた」などの嬉しい連帯の声が集まったということが9月12日に行われた記者会見で報告された。

近年では、フラワーデモ、女性による女性のための相談会、軍拡に反対する女の会など、女性たちが立場や職業、支持政党を超えて集まり、行動を起こしてきた。従来の男性中心の運動スタイルとは違い、多様さと寛容さと強さで溢れた雰囲気に包まれており、そのような雰囲気をフラワーデモで北原みのりさんは「優しいこぶしの上げ方」と表現した。女たちの「優しいこぶし」と連帯が今の政治には必要だ。それは、国会外の市民の、私たちの中で作りださなければならない。フェミブリッジは男性政治のしがらみや、男性社会が好む肩書き文化を悠々と超え、年齢・肩書き関係なく、しなやかで楽しく明るく市民への架け橋となるだろう。

9月23日から9月30日までの1週間をフェミブリッジウィークと位置付けて(10月開催の地域もある)次の総選挙での勝利に向けて、全国各地で女性たちが立ち上がる。フェミブリッジは一回限りの行動ではない。これから何度も行う予定なので、全国の市民の仲間たちはぜひ参加してほしい。フェミブリッジは女性中心だが、行動自体は女性に限らずどなたでも参加してほしい。長年なかったものにされてきた女の声を今こそ政治に反映させよう。

今回、岸田首相は内閣改造で閣僚に女性を5人入れていたが、自民党の女性起用は単なる「女性利用」に他ならない。その証拠に何度も岸田首相は「女性ならでは」と言っている。「ならでは」とは一体何のことだろうか。彼らにとっての「ならでは」はどうせ「出産・子育て」「包容力」といったものだ。性別分業の固定がつくづく染みついている政党だ。先日の日曜討論で厚労大臣に就任した武見敬三氏は「人手不足の今、女性たちにも働きに出てもらわなければならない」と発言をした。まるで戦時中のようだ。彼らにとって女性は補欠要員でありケア要員でしかない。維新の会も自民党と考えはほぼ同じだ。このような自民党や維新の会の「偽物のジェンダー平等」でごまかされてはならない。私たちは自民にも維新にもできないことを始めようとしているのだ。自民でも維新でもない私たちの選択肢を、フェミブリッジ・アクションを通して広げていこう。

汚染水問題を中国批判にすり替えるな

地元住民の声も、県漁連の声も全漁連の声も無視して岸田政権は原発汚染水の海洋放出に踏み切った。岸田首相が選挙中に叫んでいた「聞く力」とやらは一体どこに行ってしまったのだろうか。全世界から海洋汚染に関して非難の声が上がっているが、日本政府はそれをことごとく無視した上、中国批判にすり替えようとしている。9月6日に日本会議の櫻井よしこ氏は「日本の魚を食べて中国に勝とう」と書かれた意見広告を打ち出してきた。差別スローガンの下には「おいしい日本の水産物を食べて、中国の横暴に打ち勝ちましょう」と書かれていた。

何故、世界から日本が批判されているのか一切触れられていない。このような民族差別むき出しのすり替えを絶対に許してはならない。いつも政権がピンチの時、朝鮮や中国を持ち出しては市民の批判を交わそうとする姑息な手口を見抜き怒りのかすめ取りを許さず、徹底して批判していこう。そして「食べて応援」と言った甘い皮に包んで毒を飲ますようなキャンペーンに流されず、直ちに汚染水の海洋放出を止めるため、被災地の仲間と連帯して共に声を上げ続けていこう。

地に足を付けた闘いを

麻生太郎氏による台湾での「闘う覚悟」発言は、本来ならば政権転覆レベルの大問題発言だ。それが麻生氏の勝手な発言ではなく、政府内での調整された上での発言だった。より大問題である。アベ政治によりトンデモ発言、トンデモ政治に長年慣らされて来てしまった私たちは、つい忙しさを理由に大きな運動を即座に作ることができなかった。

これは麻生氏の「闘う覚悟発言」だけではなく、殺傷能力を持つ武器の輸出に関してもだ。日々の忙しさにより声を上げられない状況が、私たち運動圏内にも広がってしまっていることに危機感を感じる。取り組まなくてはならないことが多すぎて、集中して運動を作り上げることができず、スケジュール闘争になってしまいがちだ。次々と予定が来ては終わりの繰り返しの中でしっかりと足腰を落ち着けた運動が作りにくくなっている状況は、今の岸田政権の思うつぼである。

市民運動をファッション的にしてはならない

そんな中でも最近いいニュースが飛び込んできた。そごう西武デパートのストライキだ。今までストライキはたくさんあったが、大手デパートのストライキはなんと60年ぶり。

私自身もこのような大きなストライキに出くわしたことがなかったため、ちょうど来日中だった韓国の青年たちと見に行った。(ちなみに韓国では日常茶飯事にストライキが行われている。)池袋駅の地下から東口に歩いていくと、地下の西武デパートのシャッターはすべて降りており、そこにストライキ決行のお知らせのビラが貼られていた。地上に上がると、シャッターが下ろされた西武デパートの正面玄関前に、ゼッケンを着用し幟や横断幕を持った組合員たちがずらりと並び街頭宣伝を行っていた。その向かいには報道陣もいたが、私が感動したのは他組織の労働組合員たちが組合旗をもって大勢駆けつけていたことだ。

よく「幟はダサい」「スタイリッシュじゃないと若者が来ない」「デモという言い方が悪い」といった意見はここ何十年も議論されてきた。しかし、本質はスタイルではないのだということを西武デパートのストライキは教えてくれた。運動スタイルをとやかく言うのは闘わない言い訳でしかない。本当に闘わなければならない時、そんなことは言っていられない。幟があるからダメなのではない。「デモ」という言葉を使うからダメなのではない。高齢者ばかりいるから若い人が集まらないのではない。(そもそも少子高齢化なので市民運動の内訳もそうならざるを得ないし、若者の未来のためにプライベートの時間を削って活動している大人の何が悪い。)お洒落に、怖がられないように・・・と運動を委縮させることは、権力者を喜ばすことに繋がるのではないだろうか。

闘わなくても痛みや苦しみを感じにくくさせられている社会的構造=資本主義、新自由主義、消費社会にこそ問題があるのだということを見失ってはならない。本当の敵は何なのか。内向きに考えるより、外に向けていかなければならない。見てくれよりも中身の充実と確実な運動の実践を大切にしていこう。かといって私たちの感性や思想が従来通りで良いというわけではない。闘い方の姿勢や目線は日頃アップデートしていくことを大前提として、常に新たなアンテナを張り巡らして運動を活発化していこう。

大事なのは運動をファッションにすることなく地道な対話や素早い行動、そして新しい情報や手段をどんどん取り入れて楽しくしなやかに優しい連帯を広げながら闘いを継続していくことだ。何よりも続けることほど大変なものはない。それらを考えると、沖縄の闘いから学ぶものは多い。

秋の闘いは始まったばかりだ。これから涼しく過ごしやすくなってくるだろう。運動のフォルムではなく、人々に届く言葉磨きをして仲間と一緒に街にどんどん繰り出ていこう。
(事務局長 菱山南帆子)

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◇フェミブリッジ 9月12日・参議院会館で記者会見

「市民連合」の内部で女性の声と活動をもりあげネットワークを強めよう、そして政策にも反映していこうと「女性市民連合」呼びかけられた。初めての行動として9月23日から1週間を”フェミブリッジ・ウイーク”が呼びかけられている。9月12日には参議院会館で記者会見が行われた。

はじめに市民連合の菱山南帆子さんからフェミブリッジの趣旨説明があった。菱山さんは市民連合の内部でも女性が声を上げにくい状況があり、いまの政治や社会をかえたいと願う女性たちと幅広くつながっていこうという認識が共有された。この呼びかけをすると、市民連合に参加していない人たちともすでにつながってきていて、こうすることで「市民連合を超えた市民連合」の広がりができてきている。また、野党共闘はこの間攻撃を受けてきた。女性にはしがらみを乗り越える力があるし、これまで政治に関心を持たない人たちを引き寄せる力があると話し、東京をはじめ全国のフェミブリッジの日程などを紹介した。

次に片山純子さん(市民連合ふくおか事務局長)が発言した。片山さんは福岡県で衆参議員24名のうち女性はたった2人。知事に女性がなったことはない。県内には60市町村があるが、宗像市で保守系の女性市長がたった1人。4月の地方選挙で女性の地方議員は少し増えている状況だ。衆議院選挙では2年前に自民党が3人落選し、立憲民主党の堤かなめさんを当選させた。野党共闘で、野党だからこそ女性の候補者を擁立する。

フェミブリッジの提案は何とか実現したいと思い、福岡市や近郊でジェンダー平等を目指して行動している方たちにも声をかけた。個人の有志による実行委員会形式でジェンダー平等の一点での政治のかたまりをつくりたいとして準備した。共通スローガンは①女性議員を増やそう、②軍拡NO!③ジェンダー平等・多様性社会を実現しよう!の3つ。福岡からのろしをあげ、各県に広がっていくことをねがう。

続いて二瓶由美子さん(元桜の聖母短大教授・市民連合福島)が発言した。二瓶さんは福島に移り住んで40年になる。短大の教員をしていたころ地元のテレビ局による県政番組のコメンテーターをしていた。その間どれほどの回数、東京電力のトラブル隠しが県議会で取り上げられていたか。数年たち3・11の日を迎え、本当に大変だった。福島のようなところは、女の子は地元の短大で、という親御さんがたくさんいる。その子たちは変える家を失った。

2012年には特定秘密保護法の制定に向け福島で公聴会があり、意見陳述人を引きうけた。7人の陳述人全員が反対したのに法案は通ってしまった。対話が無しに合意が捏造される。合意を捏造する政治はストップをかけなければいけない。いま敢えて汚染水と言います。テレビCMや行政のプロパガンダが行われ、こうしたやり口が合意の捏造だと思う。これにストップをかけたい。女性たちに自分たちのいのちや平和を考えてもらいたい。自分で考えて人に伝えてもらいたい。そこにフェミブリッジの話が来た。福島でも訴えていきたい。

西山千恵子さん(市民連合あだち/足立・性的少数者と友・家族の会共同代表)は次のように発言した。5月に足立区長選に挑戦した。下町の4つの区長選候補が、無所属・新人・市民派で、市民と野党の共闘で挑戦した。下町は貧困や災害への脆弱性という特徴があり、女性にしわ寄せがある。この時期に下町で4人がそろったのは偶然ではなく必然性があるからだ。

私は大学で非常勤講師をしていてジェンダー論をやっている。日本の女性のランクは146か国中125位。日本のジェンダーの状況は世界の非常識だ。国連女性差別撤廃委員会から何度も見直しを求められているのに少しも変わらない。若者たちはジェンダー平等に賛成で、別姓にも同性婚にも性教育の充実にも賛成だ。これが多くの若い世代の答えなのだ。

なぜ国民や若い世代の意識とねじれた政治がいつまでも続いているのか。統一協会や一部の家父長制に支えられた自民党支配が長く続いてきたからだ。ジェンダー平等の実現は男性の長時間労働を改善し、家族との時間、ひとりの時間をもたらし、社会全体に大きな福祉をもたらす。それには今の政治を変えていくことが絶対に必要だ。そのためには市民と野党の共闘が必要。ジェンダー平等を実現するためにフェミブリッジをやろう。

山下千尋さん(市民連合あきる野代表・市民と野党をつなぐ会@東京事務局)は次のように発言した。あきる野市は横田基地から2㎞くらい。2012年には米軍再編で基地が強化され、2018年にはオスプレイが配備された。私たちの東京25区は9市町村からなっていて、そのほとんどが騒音や頭上訓練の被害を受けている。2021年の衆議院選挙で、はじめて市民と野党の共闘ができた。しかし基地問題では各政党の違いがある。私たちは日米安保や基地撤去などにはふれず、国民・市民の安全に暮らす権利の保障、不安の解消につとめ、オスプレイの横田配備を撤回する、という一致点をみつけた。今回の新しい政策では政府に対して実態把握と責任をもって対処することを書き込んだ。PFASの課題も出ている。

黙っていたら100年経っても基地の街で、市民の多くは私たちの街を戦争の拠点にしたくないという気持ちがある。ウクライナの状況をみれば、戦争はありのままの毎日と平和を一瞬にして奪ってしまう。これは戦争を知らない世代にも分かるのではないか。2015年の安保法が成立して以来、次々と私たちの命や暮らしを脅かすような法律が誕生している。フェミブリッジは女性のおしゃべりと行動力で新しい平和への道を切り開かれていくのではないか。

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第2自民党勢力と、産経新聞の改憲促進策動

高田 健 (共同代表)

内閣支持率の低下に、一発逆転の思いを込めて岸田文雄首相が放った内閣の再々改造は、その思いに反してほとんど効果を上げなかった(読売の9月13~14日にかけての世論調査は内閣支持率35%、不支持50%で前回に同じ)。党と内閣の骨格は現状維持の派閥均衡体制のままで、何をやりたいための改造なのかわからない。「改憲」を目指すにしても、これまで衆院憲法審査会の与党筆頭幹事を務めていた新藤義孝氏を閣僚に引き抜き、審査会の重鎮の上川陽子氏まで閣僚に引き抜いて、どう議論を進める気なのか。あとは柴山昌彦氏か、ウルトラで、自民党憲法改正実現本部本部長の古屋圭司氏もありか。

人気取りのために、唯一「売り」にした5人(+1)の女性閣僚と自民党3役もその大半が世襲議員で、逆に副大臣、政務官には女性ゼロという布陣で、岸田首相のジェンダー政策の底の浅さが見え見えだ。

非与党改憲3派のシンポジウム

「自らの総裁任期中の改憲」を公言している岸田文雄首相の約束のタイムリミットがあと1年に迫っている。首相は9月13日の記者会見でも「議論を進めるための布陣を強化し、覚悟を示したい」と述べた。

この間、国会の両院の3分の2議席を確保した与党改憲派は改憲を急ぎ、衆議院憲法審査会の開催を毎開催日に開くという乱暴な運営を行い、22年には衆議院憲法審査会が 24 回、参議院憲法審査会が 12 回開催された。23年の211国会では衆院で15回、参院で6回開催された。従来の憲法審から見て異常なテンポの開催だ。非与党改憲派もこれに呼応し、改憲論議に促進に協力している。

8月19日、日本維新の会(馬場伸幸代表)、国民民主党(玉木雄一郎代表)と衆院会派「有志の会」(衆院の無所属議員で構成)の北神圭朗衆院議員の2党1会派が都内で「憲法改正シンポジウム」を開いた。衆参憲法審査会の議論では容易に改憲のための国会審議の先行きが見えない状況にいら立ったこれらの「非与党改憲勢力」が、共同歩調をとって改憲の動きを促進することが狙いだ。

維新の馬場伸幸代表は開会のあいさつで、「緊急事態条項を具体的に取りまとめたのはわれわれだけだ。今後の臨時国会で開かれる予定の憲法審査会などで、さらに他党への働きかけを強めていく。不断の努力でやるしかない」と訴えた。

国民民主党の玉木雄一郎代表は「なぜいま、超党派による憲法改正協議なのか。3党派の憲法改正案とは」と題して基調講演を行い、「野党で憲法改正に関するシンポジウムを開けたことは憲政史上画期的である。憲法議論の中で、特に緊急事態条項については、国民に対して公権力の行使を容易にするものと誤解を招いている。むしろ我々が考える緊急事態条項は、緊急時だからこそきっちりと公権力の行使を統制するものである」と述べ、6月に発表した3党派でとりまとめた憲法改正条文案について説明した。
シンポジウムでは3氏が議論した。

維新の会の馬場氏が従来から「突撃隊となって改憲論議を引っ張っていく覚悟だ」と豪語していたことに加えて、7月末日には「第1、第2自民党の改革合戦が政治を良くすることにつながる」と自ら第2自民党の立場で野党第1党の地位を目指すと述べるなど、改憲右派ぶりを鮮明にしている。もしも馬場氏らの維新の会がその野望通り野党第1党になったら、国会の運営は改憲右派が全面的に牛耳ることになる。

国民民主党の玉木氏は積極的に改憲論議に加わりながら、自民党との連立政権入りを模索するなど、改憲問題では与党の先を行くような動きをしている。 前参院議員で国民民主党の副代表を務めた矢田稚子氏が首相補佐官に起用されたことを将来の連立への布石と見ることもあながち間違いとは言えまい。

この3党派は、6月には緊急事態条項(大規模な自然災害や外部からの武力攻撃などの緊急事態に於いて広範な地域での選挙の実施が困難になったばあいには、国会議員の任期延長その他の国会機能維持を可能にするもの)に関する「憲法改正原案(イメージ)」を共同でまとめている。全面的に選挙が困難になる自然災害など想定できないし、外国からの武力攻撃を想定しての改憲論議をするなどの危機を煽って改憲原案をつくるなど、党略にすぎるというものだ。

シンポジウムでは維新の会の馬場氏が「国民が政治に興味を持つために、憲法改正国民投票は大きなきっかけとなる。憲法改正の国民投票を1日も早くやるべきだ。具体的に改正項目の条文づくりにも着手すべきだ」と述べた。

3党派の役割に関して、有志の会の北神圭朗衆院議員はシンポジウム終了後、「どんどんお尻をたたいて、(改憲論議を)前に進めることが重要だ」と語った。

3派間の亀裂

しかし、シンポジウムを通じて、憲法9条の改憲については維新と国民、有志の会の間での相違点の存在も明らかになった。

維新の会は「戦力の不保持」や「交戦権の否認」を定めた憲法9条2項は残した上で、自衛隊の保持を明記する条項を書き加えるという主張で、自民党の4項目改憲案と同様の見解だ。馬場氏はその理由として、大阪都構想の住民投票敗北の経験を紹介しながら、「9条改憲は国民になかなか受け入れてもらえない。9条を改正の国民投票にかけるとすれば、絶対に通る案を出さなければならない」と世論の多くが9条改憲に反対している現状を考慮し、9条2項の改正は難しいとのべた。

一方、国民民主党の玉木氏は9条2項で否定された「戦力」に自衛隊があたるかどうか「本質的な議論に正面から挑まない限り、違憲論は消えない。戦力として認めて正面から制約をかける改正が必要だ」と述べた。

有志の会の北神氏も、9条2項の「戦力の不保持」の規定を変えて、「国土、国民を守るためには、世界標準の軍隊として位置付けるよう見直しの必要がある」と指摘した。
自公および非与党改憲3派など改憲勢力は自民党の4項目改憲案では足並みが揃っていない。特に「9条改憲」では自公与党の間でも意見が一致していないし、上記3派の間でも不一致点が多い。

緊急事態条項改憲というが、憲法審査会で議論されている緊急事態条項も実際には議員任期の延長問題だけだ。憲法54条では参議院の緊急集会規定があり、議員任期延長の改憲の必要性はない。議員任期延長問題以外も含めた緊急事態条項全般(緊急政令、緊急財政処分など)の改憲原案作りは手つかず状態で、この後、短期間に一致させるのは困難だ。とくに公明党が緊急政令や緊急財政処分は任期延長問題とは別次元の問題で、国民投票の際は切り離すべきだと言っているのは、今後の議論で注目に値する。

しかし、議員任期延長問題のみで改憲を発議し、850億円もかけて国民投票を実施するのはあまりにも「改憲のための改憲」すぎる。

産経のファシスト的改憲の主張

岸田再改造内閣が発足した翌日の産経新聞の「主張」(他社は「社説」)はこの国の右翼・ファシストたちが何を考えているか、岸田文雄政権に何を要求しているかがよくわかる。
タイトルは「首相は国際社会牽引せよ 憲法改正の約束を果たす時だ」というもの。

産経は「総合防衛体制の実現」を主張し、「(ロシアのウクライナ侵略で)世界は『ポスト冷戦期』が終焉(しゅうえん)し、新しい時代に突入している」として、「中国、ロシア、北朝鮮などの専制国家から、『法の支配』に基づく国際秩序が重大な挑戦を受けている」「覇権主義的な動きを止めない中国への対応は、政権が直面する難題だ。中国の習近平国家主席は台湾併呑(へいどん)を狙い、軍事的圧力を強めている。『台湾有事は日本有事』という危機認識を常に持っておくべきなのは当然だ。日中の経済関係は緊密だが、尖閣諸島(沖縄県)や経済安全保障、日本産水産物の不当な禁輸などの問題で毅然(きぜん)とした対処が必要だ。これは日本繁栄の大前提である」という。

そして「憲法改正も急がれる。首相は来年9月までの党総裁任期中の実現を目指す考えを示してきた。与野党が今秋に予定される臨時国会で憲法改正原案をまとめ、来年の通常国会で国会発議を行う必要がある。本丸は第9条だ。『戦力の不保持』を定めた2項を削除し、軍の保持を認めるべきだが、前段階として、憲法への自衛隊明記も意義はある。国の大切な役割に防衛があることを明確にできるからだ。緊急事態条項創設も欠かせない。首相は自民党総裁として、憲法改正に積極的とはいえない与党公明党を翻意させなければならない」と改憲対策を急がせている。

要するに秋の臨時国会で改憲原案をまとめ来年の通常国会で改憲発議をすべきだ。改憲の中身は、とりあえず憲法に自衛隊を明記すること、緊急事態条項を創設することだ、といっている。

10月16日からといわれる臨時国会は2か月程度、来年の通常国会は5か月程度(うち2か月は予算審議中心)という日程でこの産経の主張を実行するには、異常なスピードで改憲審議をするしかない。常識で考えてこの産経の「主張」は尋常ではない。そのために「中国、ロシア、北朝鮮などの専制国家」の敵視をあおっている。

まさに改憲は戦争と一体で、平和を壊す道だ。この道を拒否する運動を大きく盛り上げなくてはならない。

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市民連絡会声明: いまこそ戦争ではなく平和の声を~麻生太郎副総裁は危険な火遊びをやめよ

8月8日、自民党の麻生太郎副総裁が訪問先の台湾で講演し、「(台湾有事の際には)いざとなったら台湾防衛のために防衛力を使う。その明確な意思を相手に伝えることが抑止力になる」と語り、「強い抑止力を機能させる覚悟が求められている。戦う覚悟だ」(8月9日、産経新聞)と発言した。 同日夜、麻生訪台に同行した自民党の鈴木馨祐政調副会長は、BSTVで麻生発言に関し「個人の発言ではなく、政府内部を含め、調整をした結果だ」と述べた。ともすると「暴言居士の麻生氏がまた言っている」という受け止め方もまま見受けられるが、そんな生易しいものではない。鈴木氏は麻生発言が岸田政権内での「調整」の上のものだと証言した。これはとんでもないことだ。

1972年の日中国交回復以来、副総理級の訪台による挑発は初めてだ。当時者である日本、台湾、米国、中国の民衆の大多数は「戦争」など望んでいない。麻生氏は台湾の総統選挙をまじかに控えたこの時期、岸田政権のお墨付きをもらったうえで、わざわざ台湾に乗り込み、日本と台湾民衆に対して「戦争する覚悟」を主張し、緊張をあおりたてた。これは言うまでもなく、日本国憲法違反であり、そのもとで日本の歴代政権が掲げてきた「専守防衛」政策にも反することだ。

岸田内閣は昨年末、「安保3文書」を閣議決定し、軍備拡張政策と改憲を推し進めている。「新しい戦前」といわれるように、米国をはじめ、各国との中国包囲の軍事同盟を強化し、自衛隊は「敵基地攻撃能力」を保有し、軍事費を倍増させ、沖縄など南西諸島をはじめとした基地の強靭化をすすめ、軍需産業の育成と各国への武器の輸出など、憲法とは相いれない政策を推進している。麻生氏の「戦う覚悟」の要求はこれを裏打ちするものだ。

私たちは「戦争する覚悟」ではなく、いまこそ「軍拡と改憲に反対し、平和を守り抜く覚悟」をしなくてはならない。平和を願う全国の市民、およびアジアの民衆とともに、麻生氏をはじめ岸田政権の戦争挑発に反対の声を上げるときだ。この秋、「総がかり行動実行委員会」は11・3の憲法記念日の大行動を軸に、さまざまな運動を呼びかけている。「九条の会」は10・5大集会をはじめ、改憲反対の闘いの秋にすることをよびかけている。全国で市民が街頭に立ち、あるいは地域で、職場でさまざまな行動をしている。

いまこそ反戦と平和の闘いの秋へ。この運動こそ力だ。
この力で麻生氏の暴言を徹底的にうち破り、岸田政権の改憲と軍拡の企てをうち破ろう。

2023.8.12(日中平和友好条約締結45周年の日に)   
許すな!憲法改悪・市民連絡会事務局(事務局長・菱山南帆子)   
(この声明は8月12日に発表しましたが紙面の都合で今月号に掲載いたしました。)

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○19日行動 韓国からの連帯メッセージ○

韓国の「アジア平和と歴史教育連帯」から東アジアの平和実現のために闘っている日本の皆さんに連帯の挨拶を申し上げます!
現在、東アジアは小さな衝突が全面戦争に拡大してもおかしくないほど危険な状況になっています。日本政府は「敵基地攻撃能力」の保有を宣言し、平和憲法の足かせを取り外して軍事大国化に向かっています。韓国の尹政権もまた、米国の核戦力資産を朝鮮半島の周辺に配置し、日米韓軍事協力を強化しています。日韓両国政府が語る「未来」のどこにも、東アジアの平和と私たちの安全は存在しません。軍備拡張に死活をかけた日韓政府に私たちの未来を任せることはできません。

今年は関東大震災や大虐殺100年、停戦70年を迎える年です。日韓市民社会は人間の尊厳を回復するため、関東大震災時の大虐殺の真相究明、市民の連帯強化、平和への道を切り開いてきました。私たちの協力こそ敵対と対立に亀裂を加えることができ、私たちの連帯こそ歴史の定義を明らかにしてきました。暴力の歴史を反省し、和解と平和を実現してきた日韓市民社会の連帯をより一層信じて強化する時です。

あらゆる敵対や差別、戦争に反対し、平和を実現するために韓国でも力強く闘います。

2023年9月19日
日韓和解と平和プラットフォーム アジア平和と歴史教育連帯

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2023年 第2回日韓ユース平和フォーラム宣言文

2023 日韓ユース平和フォーラムに参加した私たちは、2023年8月29日から9月2日まで、日韓の過去と現在について、多くの学びを得ました。とりわけ、100年前の関東大震災における「朝鮮人・中国人大虐殺」の現場などを共に歩き、多くの証言に耳を傾け、今に続く苦悩や葛藤を想起しました。

今日に至るまで、日本政府は関東大震災時の「朝鮮人・中国人大虐殺」という事実を認めていません。また、韓国政府もその事実を教えていません。
大虐殺が起きたのは、予期せぬ大地震の恐怖の中から日本人の中に内面化されていた差別・排外主義が噴き出したのではないでしょうか。
日本政府が大虐殺の背景となった差別・排外主義を扇動していたことを学びました。つまり国家仕掛けで行なっていたということです。
そのような姿勢は、侵略戦争や、「韓国人被爆者」や朝鮮学校に対する差別的取り扱いへと繋がっています。
私たちはこのような事実を決して無かったことにはさせないように、証言と事実を世代を超えて継承していく責任を感じました。

それゆえ私たちは、以下のとおり宣言します。

  1. これまで自分たちがいかに無知であり、無関心であったかを深く反省し、真実を学ぶ権利を行使し、歴史的証言を継承していきます。
  2. 想像力を働かせ、現在も日本社会の中で命の危険と恐怖を抱きながら生きざるを得ない状況に置かれている在日コリアンはじめ、過去から続く政府の過ちにより、痛みを負い続けている人々の深い苦しみを共にします。
  3. 現実社会及び、インターネット上でのあらゆる差別と暴力を絶対に許さず、そのような言動があった場合には勇気をもって声を上げます。
  4. 様々な違いを抱えつつも、互いを尊重したコミュニケーションを続け、対話に開かれた社会を築いていきます。
  5. 内面化されている自身の加害性に向き合い、国籍や性別、バックグラウンドにかかわらず、すべての人の命と尊厳が守られ、誰もが個人として尊重される社会を日常生活の中で実践していきます。
  6. 力による支配を拒否し、軍事ではなく市民による平和外交を進めていくために、互いに協力して実際に行動をします。

2023年9月2日
〈2023 日韓ユース平和フォーラム参加者一同〉

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第175回市民憲法講座 「新しい戦前」と15年戦争-「戦前」は軍事同盟と軍備拡張から始まる-

山田 朗さん(明治大学教授、日本近現代史)  

(編集部註)8月26日の講座で山田朗さんが講演した内容を編集部の責任で要約したものです。要約の責任はすべて本誌編集部にあります。

はじめに

今日は「新たな戦前と15年戦争」、「戦前は軍事同盟と軍備拡張から始まる」というタイトルでお話をしたいと思います。戦前と戦後といったときに仮に明治維新から15年戦争敗戦-1945年までを戦前ということにしますと77年ありました。敗戦から現在まで78年で、去年がちょうど「折り返し点」というとおかしいですね。折り返してまた戦前になるのでは困るけれども、それくらい時間がたったということです。この戦前をさらに区分しますと3つくらいの時期に分かれます。基本的に戦前の日本は膨張と戦争という言葉でくくれますが、最初のうちは対欧米協調路線が第1期です。日清に日露戦争ですね。この時期に植民地を保有する。植民地の保有というのは、そういう暴力的支配を国内にも持ち込んでしまいます。

例えば「韓国併合」を行った1910年に日本国内では何があったかというと、大逆事件です。これは事件としては偶然同じ年に起こっているけれども、やはり植民地支配を始めると力で押さえつけるという考え方が国内に持ち込まれてくる。今年は関東大震災100年で、虐殺が行われた。明治政府はかなり暴力的ではありましたけれども、日本人相手にそんなに大規模に虐殺することはなかったんです。植民地支配をきっかけに非常にやり方が強圧的になってくる。米騒動のときなんかは軍隊が出て一般民衆を弾圧するということが行われますし、3.1独立運動のときも非常に激しく弾圧をする。関東大震災は3.1独立運動からわずか4年後ですね。そのあたりはつながっています。植民地の領有という問題と植民地における抑圧、国内における抑圧はある意味セットになっている。力で解決しようという考え方は、さらに対外的にそれが発動されると新たな戦争になるわけです。

第2期は協調と膨張がせめぎあっている時期で、第1次世界大戦期は基本的に欧米と協調しながら一方では中国に対しては21か条要求という姿勢をする時期です。抑圧と抵抗、デモクラシーの時期でもあるけれども、実は国内における普通選挙法と治安維持法は同じ年に公布されているというのが特徴です。戦前第3期は膨張と衝突、張作霖の爆殺、1928年以降は第2次世界大戦期になります。

近代日本(戦前)と現代日本(戦後)の比較

戦前はどのように始まるのか。近代日本、つまりここでいう3期にわかれた戦前と、現代日本-戦後を比較していきたいと思います。共通点もありますし明らかに違う点もあるわけです。戦前になる要素として今日のお話は軍事同盟と軍拡、この軍事同盟と軍拡のきっかけとして東アジア情勢の変動があります。日本が対外的に膨張するというのは必ず東アジア情勢が動いた時です。最初は日清戦争のころです。朝鮮半島に出ていく。これは清朝の衰退期です。清朝の衰退期で欧米列強がどんどん清朝を侵略するという東アジア情勢が大きく変動する時期ですし、第1次世界大戦から後に日本が大陸に出ていく時期というのは、清朝が倒れた後の中華民国がかなり混乱していたけれども国家統一の動きを示し始めた。国家統一が進むと日本が大陸に持っている権益が危ういのではないかという懸念から、積極的に大陸に出ていく政策をとるようになる。どうも日本は東アジア情勢にある意味過敏に反応する傾向があります。決して東アジア情勢が変動して日本が攻め込まれたということはない。けれどもそれを予防的に食い止めようという考え方が、日本では定期的に盛り上がるということがあります。

脅威創出 自衛から派兵へ・戦前と戦後

戦前と戦後を比較しますとまず脅威の創出ということが行われます。自衛を名目にしてだんだん外側に張り出していく。戦前、近代日本の場合は基本的にはロシア脅威論です。明治の初めからロシア脅威論というのがあり、ロシア脅威論が日本に強くなる要因は2つあります。幕末以来ロシアがどんどん接近してきたということがあるけれども、ただ、ロシアに限らず欧米列強はみんな日本に接近してきたわけです。その中でロシアが脅威だとみなされたのはイギリスの影響なんですね。19世紀には、世界的にイギリスとロシアが一番激しく対立していた。日本はイギリスに接近していました。イギリスに接近すればするほど反ロシアというスタンスをとるようになります。このロシア脅威論に基づく膨張軍拡論も明治維新直後から議論があります。ロシアに対応するために、ロシアの膨張を何とか早く日本から離れたところで食い止めるために自らが膨張していく必要がある。早く朝鮮半島に進出していかなければならないという考え方と、近代的軍事力を整備しようというこの2つです。

これが少し変化するのが主権線と利益線という考え方、戦略発想です。主権線というのは国境線のことで、国境線を守るためには利益線を確保する。国境線の外側に線を引いて、外側を守らなければ国境線も危ういという考え方です。この利益線とは何なのかというと朝鮮半島そのものです。朝鮮半島を守らなければ―守らなければといっても日本国ではないんです。日本国ではないけれども、こちらが出ていってロシアが入ってくるのを食い止めなければ日本の独立も危ういという、こういう考え方です。現在では利益線という言葉はほとんど使われませんけれども、似たような使われ方をするのはEEZです。EEZ-排他経済領域は領海でも何でもない。領海の外側に引いた線です。でもここが危うくなると、まさに領海が危うくなるという発想がいまでもあるわけです。

朝鮮半島を早く確保するということで、日本が行った最初の戦争が日清戦争です。これはロシア脅威論に基づいて、日本は朝鮮半島に力を伸ばしていく。ところが最初に衝突するのはロシアではなくて、朝鮮半島に影響力を持っていた清国になります。ですから日清戦争と、そのあとの日露戦争というのはある意味つながっているんです。日清戦争によって朝鮮半島から清国、中国の影響力を排除してしまったために、ロシアが直接朝鮮半島に影響力を行使するようになる。実に皮肉な、ロシアの影響力を排除するために朝鮮半島に出て行ったのに、逆にロシアの影響力が強まってしまった。それは、ある意味緩衝地帯だった清朝、中国を日本が排除してしまったからなんですね。このロシアに備えるための軍事同盟が日英同盟です。イギリスとアメリカが日本を全面的に支援して、日本はこの後は日露戦争に突き進んでいく。日英同盟がなければ日本は、日露戦争は絶対にできなかった。

日露戦争の結果、韓国を併合します。そしてもともと利益線だと言っていた韓国を主権線化してしまったので、さらにその外側に新しい利益線、これは南部満州になりますが、そこにまた拡張していく。もともとは主権線を守るためにその外側の利益線を守らなければいけないという、名目的には防衛論だったけれども、これが膨張論になっていってしまいます。主権線を守るためにはその外側に利益線を求めていくということです。

日露戦争がすみますと、アメリカが日本を支援したのはアメリカが満州に進出したかったからですね。ところがアメリカが満州に進出してくることを日本は拒否して、ある意味満州をロシアと分割してしまうんです。満州をめぐっての日米対立が、日露戦争後すぐに始まります。もうこのあたりになると、朝鮮半島から南部満州、北部満州、さらには華北という日本の膨張が始まる。膨張が始まると、当然アメリカとの対立が激しくなる。これが戦前の大雑把な流れです。

では戦後はどうなのかという比較をしますと、ソ連脅威論です。アメリカ陣営に日本がつきましたのでソ連脅威論に基づいて、対米従属そして軍拡が1950年代から始まります。朝鮮戦争を契機に一応専守防衛という考え方、日本有事への対処という考え方ですね。ソ連に備えるために軍事同盟、日米同盟が1951年に安保条約が結ばれ1960年に改定される。そしてその大きな新しい段階になったのが1978年に結ばれた日米ガイドラインです。つまり日米が共同してソ連に対抗するという具体的なプランが初めて出てきたのがこのガイドラインです。基本的に日本の軍拡というのはすべてこのガイドラインの改定に対応して起きています。脅威が創出されると危機感が扇動される。戦前の場合は昭和初期、中国における民族主義、国家統一の動き、国民政府、蒋介石政権です、蒋介石政権による北伐、蒋介石政権はもともと南の南京、上海方面からだんだん北に上がっていきます。そして北にいる軍閥を打倒するという、こういう国家統一の行動をとります。そうすると日露戦争で獲得した権益を奪われるんじゃないかということで、日本国内で危機感が出てきます。

危機感扇動・膨張から戦争へ――戦前と戦後

「満蒙は日本の生命線だ」というような考え方が喧伝されます。生命線なんだから力で確保しようという満蒙武力占領計画、北伐を阻止という、軍の中でこういう考え方が出てきます。その最初の事件が張作霖爆殺です。張作霖は満州の支配者だった軍閥です。日本と張作霖は実は持ちつ持たれつで、張作霖の軍事顧問団は日本軍だった。ところがその張作霖を日本が暗殺して、混乱に乗じて満州を占領しようとしたのが張作霖爆殺事件ですね。これは、未完に終わった満州事変です。というか満州事変はこの張作霖爆殺の「やり直し」ということです。実際にやり直しが行われました。そして満州国が建国されるということです。

この翌年1933年、日本は国際連盟からの脱退を通告する。これは当時の国際秩序を大きく揺るがす事件でした。日本は国際連盟の常任理事国で国際連盟を支える側だった。そこが脱退を表明してしまうことになって、そうするとドイツ、イタリアが続いて脱退してしまいます。ヨーロッパにおける重要な国であるドイツ、イタリアが脱退することで、国際連盟の国際秩序を維持する力が急激に失われていってしまった。満州国というのは、今の日本の国土の3倍の広さがあり、埋蔵資源が豊かなんですね。日本国内ではこの満州国建国、まさにここを確保すれば日本は生きていけるという幻想を持ってしまった。これは実は幻想だったということが後にわかります。確かに満州は宝の山だった。資源は豊かだったけれども、みんな埋蔵されているんです。それを開発するためには大変な資金が必要で、当時の日本にはそれを開発するだけの資金がなかった。ですから満州は確保したけれども開発費用がない。となると、すでに開発されているところにさらに勢力圏を伸ばしていこう。それが華北です。

華北はすでに欧米列強がある程度開発していて、すぐ資源が取り出せる状態だった。ですから第2の満州国建国を狙う華北分離工作。これはあまり教科書などに出てこないけれども実は非常に重要な工作で、これがなければ日中戦争はたぶん起こらないです。満州国を成功事例にして同じように華北-北京周辺です-北京周辺の5つの省を独立させちゃおう、日本側に引き入れちゃおう。こういう工作をやっていた時に盧溝橋事件がおきまして、日中全面戦争になるんですね。

この過程、華北分離工作をやっている最中にちょうど世界的には軍縮条約が失効して、日本も日中戦争よりも前の段階から軍拡モードになります。この軍拡は結構強烈な軍拡です。国家予算の半分くらいを軍事費に投入するという軍拡を、日中戦争がはじまってからではなくて始まる前から行っています。

現代日本、戦後はどうなのか。だんだん中国とか韓国の経済成長で日本が追い抜かれていくという時期になり、それと並行して歴史認識問題が提起される。近隣諸国台頭への危機感から歴史修正主義が拡大するという流れになります。

1990年代初頭に米ソ冷戦が終結しますが、ここで極東有事プラス海外展開への対処ということで米軍を部分的に補完する役割を自衛隊が担うようになる。これは1991年の湾岸戦争以降その傾向が強まって、日米ガイドラインが1997年に改定され、日米安保がさらに強化されたということです。新たな脅威になったのが北朝鮮であったりあるいは中東地域の不安定状態、ですから湾岸戦争、イラク戦争と続きます。新たに中国も脅威としてだんだん浮上してくる。この新たな脅威を対象に集団的自衛権を行使する準備、2015年に有事法制ができます。実はその有事法制というのは、日米ガイドラインの2回目の改定と重なっています。これが行われたがために、ガイドラインの改定に対応して集団的自衛権の行使を容認するという、いわば世界有事への対処ということですね。米軍を全面的に補完していく。こういう流れです。ですから日本の大きな転換の背景には、日米ガイドラインの改定が常にあるということです。そして現在、ウクライナ戦争と台湾有事が喧伝されています。戦争勃発、拡大の悪循環、これは戦前の場合ですけれども軍備拡張が日中戦争よりも前から始まっています。

戦争勃発・拡大の悪循環と軍事同盟の危険性

日中戦争が始まると、臨時軍事費特別会計といって国債を原資とする軍事費が新たに設定されます。膨大な軍事費が投入されるようになって、軍備拡張と次の戦争準備が急速に進んでいくんですね。実は日中戦争はウクライナ戦争と非常によく似ていて、中国に対して当時は欧米列強がみんな支援します。イギリス、アメリカ、フランス、ソ連、こういうところが蒋介石政権を支援する。これは別に正義のためにやっているのではなくて、自分たちの権益を守るために中国に頑張ってもらわないと日本が中国を独占してしまうかもしれないので、それで支援するわけです。今もウクライナにどんどん欧米が、日本も含めて支援をする。そうすると長期戦化するという悪循環になるけれども、日中戦争は?介石政権を支援する英米仏ソとの対立がどんどん激化していきます。日中戦争は日本と中国との間の戦争ですけれども、間接的に日本対中国、その後ろにいる英米仏ソの世界戦争という構図にだんだんなっていきます。つまり日本側は、中国を参らせるためには英米を抑えなければだめだという考え方が強まっていきます。しかし日本単独では英米を抑えることはできませんので、ドイツと結ぶという戦略的選択をしていきます。軍事同盟ですね。日独伊三国同盟です。前の段階で防共協定が結ばれていて、それを発展させる形で三国同盟を結んで、その目的は英米に圧力をかけるという考え方です。

実際に1940年に三国同盟が締結されて、それを背景に日本の戦争基盤を強化するために武力南進、当時の仏印、現在のベトナム、ラオス、カンボジア、こういうところに進出していくことになりました。対英米戦争を遂行するための資源地帯の確保ということで、これが英米との戦争の引き金になってしまった。一応戦略的に英米を抑えるための軍事同盟という考え方だったけれども、それを結んで南進したことで逆に英米との戦争が不可避になってしまうという、こういう形です。ですからやっぱり軍事同盟の危険性というのはこういうところにあるんですね。建前では何々を抑えるための軍事同盟ということが言われる、三国同盟を結んだときに松岡洋祐が大演説をして、これはまさに世界平和実現のための同盟なんだということを強調するけれども、そこから対英米戦争になってしまうわけです。現代日本の場合はアメリカによる戦争に参加するという形です。日本が主体的に戦争をするわけではないけれども非常に熱心にお手伝いをしているという状態ですよ。こういう状態を、憲法を改正して軍を設置してという方向で打開しようという考え方が出てきているわけです。それが現段階です。

軍部と言論弾圧はじめ戦争を支える国家体制

戦前と戦後をまた比較すると、戦争反対と戦争阻止というせめぎあいが当然あります。戦前の場合、戦争を誘発する軍事同盟とその推進者は軍部ということになります。軍部というものは、軍隊とはちょっと違います。政治勢力化した軍隊を軍部といいます。ですから軍部というのは、ある意味政治勢力です。ただ軍人が集まっているだけではなくて、一定の政策をもって国家を変えていこうという、こういう考え方を持った軍人集団を軍部というんです。それを支援する政治勢力あるいはマスコミが存在する。軍部がだんだん強くなると、政党政治はだんだんそちら側によって行ってしまう。あるいはマスコミもとくに満州事変以降ですけれども、軍部の応援団のようになっていってしまいます。膨張、権益拡大に無条件に賛成する世論、これはやっぱり戦前の世論の大きな弱点です。

というのは、日清戦争という最初の対外戦争で日本が大もうけした。多額の賠償金を得た。それから、台湾という領土を得たことで戦争に勝つと儲かるんだという、こういう先入観を植え付けてしまった。日露戦争を経て朝鮮半島も確保したということで、やっぱり領土拡大ということに非常に肯定的な世論が形成される。個人から大資本家まで「自分に危険が及ばない限り戦争賛成」なんですね。当然戦争を進めようというのは、逆に戦争に反対する言論を抑圧する、あるいは秘密を保護するという体制が進みます。その3本柱、戦前における言論抑圧と秘密保護の3本柱が治安維持法、軍機保護法、国防保安法という3つ。これはセットです。秘密を保護する、この軍機保護法と国防保安法はある意味スパイ防止法といっていいものですけれども、それだけではだめで戦争反対勢力を抑え込む最大の武器になったのがこの治安維持法です。こういうものが言論を抑え込む。戦争反対勢力を抑え込む。これは「縦方向の弾圧」という言い方をします。

まさに法的に上から無理やり押さえつけるやり方ですけれども、実はこれだけじゃないんです。要するに法律で押さえつけるだけじゃなくて、国民相互間の異端分子の排除、「内敵」を排除するという考え方。当時の言い方だと非国民とか国賊とか、そういう言い方で戦争反対勢力を孤立化させて相互に監視する。こういうやり方がとられていきます。これは「横方向の弾圧」といいます。国民が相互に監視しあって異端分子が出ないようにする。これは治安維持法でもそうですし、スパイ防止法も結局スパイを出さないようにお互いに注意しましょうといって、実はスパイを監視しているのではなく軍需産業などでさぼったりする、そういうのを監視するという、こういう役割を果たします。戦前は徴兵制という強力なものがありましたし、また強制的に職業を転換させる徴用というのもありました。こういうものが法的にとえられていたので、かなり国家がいろいろなことができたということです。徴用などの国民一人一人を軍需産業に動員させるための法律が国家総動員法という法律です。国家総動員法に基づいて国民徴用令という勅令が作られます。これは最後には朝鮮にも適用されていきます。いま徴用問題といっているのはまさにそういうことです。

「戦争になったら反対すれば」…なったときには反対できない

戦後の話ですと、戦争を誘発する軍事同盟は存在します。日米同盟ですね。今はロシアが圧倒的な悪者になっていますけれども、戦後戦争をやってきた国というとやっぱりアメリカが一番です。それと同盟を結んでいるわけですから、当然それに引き込まれていく危険性というのはあるわけです。しかし戦前のような軍部は「未形成」と書きましたけれども、明確な形では見えないだけなのかもしれません。むしろ軍人でない人たちのほうが危ないかもしれないですね。しかし戦争を支持する政治勢力であったりマスコミは明らかに存在します。政府はいつの時代も脅威をあえて創出していくということですね。特に東アジア情勢が揺れ動きますと、日本の世論は過敏に反応するところがあります。ですから「台湾有事」論などが出てくると、軍事費増やしてもいいんじゃないかという議論が意外に出てきてしまうんですね。9条を支持する世論は多数派のように見えながら、本当にそうなのかということを、中身を考えなければいけない時期に来ています。戦争をビジネスチャンスととらえる人たちもいますし、あるいは脅威に直面した時に偏狭なナショナリズムが台頭することも当然あります。実は一番の多数派は「そうはいっても戦争にはならないだろう」という楽観論です。これが一番怖い。すぐには戦争にはならないから当面の軍拡は仕方ないだろう、という軍拡容認の考え方につながってしまいます。

日本はGDPの1%くらいしか軍事費を投入していない。でもこれは大した額じゃないわけではないんですよね。日本のGDPって現在でも相当大きいんです。1%という言い方をすると小さい感じがするけれども、絶対額でいうと結構な額です。1980年代以降に、日本の軍事費が世界で10位以下に下がったことはないんです。現在でも、統計によって少し違いますけれども8位とか9位とか、そういうところに日本の軍事費はいるんです。GDP1%くらいでそれです。これを2%、倍にするとどれくらいまで上がるかというと、確実に世界第3位まで上がります。3位というとアメリカ、中国、日本という順番になってしまいますね。それくらいの軍事費増額はいいですかって聞いたら、多くの人はそんなにはいらないでしょうと答えると思うけれども、今のままだとそういうことになってしまいます。

言論抑圧、秘密保護の体制というのは、特定秘密保護法は既にありますし憲兵に類するものは今の自衛隊の中にもあります。ありますけれども、戦前の憲兵というのは非常に強力で、憲兵はミリタリーポリスですから軍隊の中の警察なんですけれども、民間人を取り締まることができるんです。ですから戦前的な憲兵が生まれますと当然軍人を取り締まる、だけじゃなくて民間人も取り締まる。軍隊って武器を持っているから強いんですけれども、民間人を逮捕することはできない。でも憲兵はそれができます。ですから憲兵が生まれるか否かというのは非常に重要なところです。おそらくこういうものが設置されてしまうと、戦争になったら反対すればよいという考え方はダメなんですね。戦争になった時には反対できないという話になってしまいます。現在の戦争形態に対応した国民動員が行われます。徴兵というのは非常にたくさんの兵力を要する場合に要求されます。現在は、必ずしも膨大な人数を必要とする軍隊は必要とされていない。それに徴兵してみても、一人前になるまでに相当時間がかかります。ですから徴兵よりも民間人の徴用のほうが確実に有効です。つまりコンピュータなどを扱える人をそのまま引き抜いてくる、こういうやり方ですね。戦争への技術者の動員。社命で自衛隊に出向みたいな形をとらせる。これは大いにありうる話です。

戦前における軍事同盟と軍備拡張

いま戦前と戦後を比較してきましたけれど、もう少し戦前のことについて軍事同盟と軍備拡張という点でご説明します。実は戦前期において顕著な軍備拡張期、この顕著な軍備拡張期の定義はありませんけれども、ここでは戦時以外で国家予算一般会計の40%以上が軍事費に投入されている時期、と定義しておきます。国家予算の40%ってすごいです。現在国家予算に占める防衛予算の割合は大体6%くらいです。戦後においても上下はありますけれども5%~6%です。しかし戦前には40%なんていう時期が結構あります。3回あります。最初は日清・日露戦争の間です。具体的には、日清戦争が終わった後1896年から日露戦争の前1900年くらいまでが40%以上です。この時期はイギリスの支援のもと、1902年に日英同盟が結ばれて陸海軍が拡張されます。

もっと具体的にみると日露戦争開戦時に日本海軍、連合艦隊の戦艦は6隻だったけれども、すべて最新のイギリス製でした。10年前の日清戦争のときは、日本は世界標準の戦艦と呼ばれるものは1隻も持っていなかった。ところが10年後の日露戦争では、イギリスが持っていてもおかしくないような最新式の世界標準の戦艦を6隻も持っていた。それに準ずる装甲巡洋艦を8隻、そのうち4隻はやっぱりイギリス製でした。これらの時期の仮想敵国はロシアです。この時期一般会計に占める軍事費の割合は40%~50%です。建艦費って大きいですね。軍艦建造というのは軍事補の中で一番お金がかかる。これは現在も同じです。自衛隊の持っている兵器で一番高いのはイージス艦です。1500億円くらいでしょうか。船はすごくお金がかかる。その時代、その時代の最先端の技術が投入されているということですね。

2つ目の時期は、意外かもしれませんけれども第1次世界大戦が終わったあとです。1919年、大正8年から1922年、大正11年くらいです。これは第1次世界大戦も終わって、日本はシベリア出兵もやっている。この時期がすごい軍事費がかかっていて、アメリカとの建艦競争で88艦隊といって戦艦8隻、準用戦艦8隻をつくっていこうとした。これはすごい軍拡でして50%近い軍事費を投入しています。やっぱり軍艦にかかるお金ってすごいんですね。仮想敵国はアメリカです。ただこの時はちょうどワシントン海軍軍縮条約が結ばれて、この軍拡は収束します。軍縮条約というのは、ある意味でこの時期の国家財政を救ったという動きですね。

3回目の時期があります。それは第二次世界大戦前で日中戦争からかなと思うけれども実は違っていて、1934年、昭和9年くらいから日中戦争がはじまるころまでが極端に多い。実は1936年に先ほどの海軍軍縮条約が失効します。期限切れです。なぜ期限切れになったかというと日本が脱退したからです。日本が脱退したのでアメリカもイギリスも継続しないということになった。このとき、軍縮条約が失効したので作られ始めたのが戦艦大和です。それから航空戦力がこの時期に拡張していきます。この後ドイツと防共協定を結んだり軍事同盟を結んだりして英米と対立していくという流れです。仮想敵はアメリカでありソ連であり、あるいは中国を支援するイギリス、フランス、中国そのものも入ります。こういう多くの国を仮想敵国にして軍事費が増大するということです。

1930年代半ばも一般会計で40%以上の軍事費になっています。1937年、日中戦争がはじまると臨時軍事費というのが設置されます。臨時軍事費というのは国債を原資にして、それで普通の一般会計とは別建てに軍事費が設定されます。ですからその総合計を見ますと、例えば1937年、昭和12年の一般会計の軍事費は12億円です。けれどもそれとは別建てに、臨時軍事費は20億円出てくる。合わせると32億円ということになります。その前の年がおよそ10億円ですから、一気に軍事費が3倍増してしまうということですね。この臨時軍事費というのはある意味打ち出の小槌で、どんどん軍拡のために使える。ただ陸軍は日中戦争で部隊を増やさなければいけない、兵器の生産も増やさなければいけないので、臨時軍事費が主にそちらに使われます。海軍は日中戦争になったから急に船が増えるわけではないので、兵器開発にお金がどんどん振り向けられるんですね。日中戦争と同時に開発が始まったのがいわゆるゼロ戦です。その頃に始まった兵器開発が大体太平洋戦争開戦時に飛行機が出そろうということになります。

軍拡の背景にある軍事大国への接近や軍事同盟

3つの時期の共通点を見ますと、軍事大国への接近とか軍事同盟が背景にあります。第1の時期、日清日露戦争期は当然イギリスへの接近、そして日英同盟です。第2の時期は日英同盟末期です。第3の時期はドイツへの接近ですね。日独防共協定が1936年、そして1940年に三国同盟ということでやっぱり軍拡と軍事同盟は非常に密接に結びついているということがわかります。そして仮想敵を設定した急激な軍備拡張ということで第1の時期はロシアです。第2の時期はロシア、アメリカです。この時期に今回の安保3文書のような帝国国防方針という軍拡の指針ができます。1907年に最初のものができて、1918年、1923年、1936年と改定されていくけれども、こういうのができると何が何でもそれを実現するというので、必要とか必要ではないとかは関係なしに建艦競争のように、国家予算が破綻するかもしれないという状態になっても軍拡は行われることになります。ですから安保3文書は現代版帝国国防方針だといってもいいのかなと思います。こういうものができると、日本の官僚システムの特徴として絶対に変更しない。これ自体が目的になってしまいます。

この軍拡の発端は東アジア情勢の変動です。日清日露戦争期はロシアの極東進出、清国の衰退という極東情勢の変化ですね。第2の時期はこれも清国が崩壊して中華民国が混乱しているという時期です。そして第3の時期は中華民国が、今度は国家統一の動きを示すようになり、中国において共産党勢力が拡大しるという時期ですね。東アジア情勢がごたついてくると日本は外向きになっていくという特徴があります。

3度の急激な軍備拡張の結末は何かというと、第1の時期は日露戦争です。実は日本はアジアで軍事力を展開できないイギリスに代わってロシアの南下を阻止したという形になります。当時イギリスがアジアに派兵しようとするとインド兵です。インド兵を送るという形です。これは第2次世界大戦もそうですけれども、この時期はこれができませんでした。これはアフリカでボーア戦争という戦争をイギリスはやっていて、そちらに戦力をつぎ込まなければならずアジアに使える戦力がなかったんですね。それでインド兵に代わるものがないかと考えたときに、立候補してくれたのが日本だった。

日本はイギリスにしてみると非常に便利な存在だった。イギリスの当時の戦略は、フランス、ロシアの同盟関係を何とか切り崩したい。切り崩すためにはどちらかを弱らせる必要があります。ロシアを疲弊させて露仏同盟を弱体化させ、そこが目的ではなく最終的な目的はドイツを包囲する。これがイギリスの最終戦略です。これは実現します。日露戦争の10年後の第1次世界大戦は、英仏ロが三国協商という結びつきをつくってドイツを包囲するという戦争になります。日露戦争って第1次世界大戦の構造をつくった戦争です。それはイギリスの世界戦略で、そのために日本は大いにイギリスにご奉仕したということですね。

軍拡と戦争で破綻した戦前と戦争放棄の戦後

その代わり膨大な人的犠牲、戦死者8万人それから復帰できない重傷者を含めますと20万人の死傷者です。死傷者というのは、ちょっと怪我をしたくらいは含みません。本当に手足を失ったとかそういう重傷者と死者です。これは残酷なことに軍の統計では損耗率といって、死ぬのも大けがを負うのも戦線から離脱するという点で同じです。損耗率という言い方をしますが、まさに20万人損耗したということで厖大な人的な犠牲になっています。それから財政負担、これは国家予算の6倍の軍事費を投入します。日本で賄いきれませんから多くを外国からの借金で賄っています。日本国債をイギリスとアメリカに買ってもらってこれで何とか賄いました。日露戦争は賠償金が取れなかったので、それらの負担はそのまま残りました。そのまま残るどころか、借金を返すためにまた借金する。ということで、必ずこうなるけれども借金はどんどん膨らんでいきました。日露戦争のときにできた国際的な借金は、そのあともどんどん膨れ続けます。ですから人的犠牲を被り財政負担を被った。

だけど朝鮮半島とか満州、遼東半島での権益は確保した。日本はこういう植民地を獲得したので、当時の言葉では一等国になったという言い方をします。それで気持ちよくなっていたんですよね。でも実は結構大きな犠牲を払った。でも大きな犠牲を払ったがゆえに、大陸から撤退することはできなくなってしまいます。こんなに血を流したんだからここから引いてなるものかという、こういう世論が形成されてしまいます。日露戦争の勝利は、そのあとのいろいろな負の要因をつくってしまったということです。

第2の時期は建艦競争だったんですね。財政破綻の危機でしたが、ワシントン会議によって建艦競争が停止したことで破綻を免れました。しかしアメリカが日本を圧迫している。これは戦艦の保有比率でアメリカ、イギリス、日本が5:5:3という取り決めをしので日本国内ではちょっと不満がありました。特に軍は不満を持つようになります。つまりアメリカが日本を圧迫しているという世論が形成されていきます。

第3の時期、日中戦争前は、これは明らかに日中戦争や太平洋戦争につながっていく。日中戦争勃発によって臨時軍事特別会計が設定されて、軍事費は飛躍的に増加します。これは国債を原資にしています。でも国際って最終的には国民が買うわけですけれども、当時の日本人が国債を買うだけの余裕はありません。そこで大キャンペーンをやります。「国債を買おう」といって、子どもの小遣いまで吸い上げる。豆債権といって、額面1円の債権をたばこ屋さんで売ります。当時のキャンペーン映画がありまして、お父さんに抱っこされた子どもがたばこ屋さんいいって「国債ちょうだい」と言って国債を買うんです。でも子どもの小遣いを吸い上げたってそんな額にはなりませんから、結局それは日銀が引き受ける。たくさん国債を発行して日銀が引き受けて、お金を発行する。そうするとインフレになってしまいますから、統制経済といって何から何まで公定価格を決めて、お金が流通しないように閉じ込めてしまい、軍需産業にどんどんお金が蓄積されていきます。でもそれが無制限に流通しないように人為的に押さえつける政策をとりました。

国債をどんどん発行して日銀が引き受けるというのは、現在やっていることと全く一緒です。この日中戦争からそれがはじまります。軍事費の極端な膨張は兵器の質的転換をもたらして、今度は新しい兵器に応じた新しい戦略戦術を生み出します。軍事同盟、ドイツとの接近で、ドイツにたぶんに振り回されながら、だけど目指すところはドイツの戦略に翻弄されるわけですから、英米との対決路線へとどんどん進んでいってしまうんですね。結局軍事同盟というものは、やっぱりより強いものに引きずられる、利用されるという面が常にあります。その危険性は非常に強いわけです。戦前の教訓は何かというと軍事同盟化で急激な軍拡があるということと、結末は戦争か財政破綻です。財政破綻はぎりぎり免れました。同盟相手である軍事大国の戦略に利用される。利用されたのは日英同盟ですね。まさにイギリスの世界戦略に日本は完全に利用されたけれども、イギリスが狡猾なのはちょっとおこぼれを与えてやったわけです。植民地支配とか、そういうものを少しくれてやって、日本人は何か偉くなったみたいな錯覚をしていた。ドイツはもっと利己的で、完全に日本は振り回されてしまいます。

戦前はまさに脱亜入欧という考え方、アジアを対象とした膨張戦略をとりました。軍事同盟路線をとった。でもこれは戦後も結構似ています。脱亜入欧、基本的に日本の戦後の政策も日本がアジアの一員であるというスタンスを取らない。あくまで欧米側についていくという路線。そしてアメリカとの軍事同盟ですね。戦前と戦後は基本的によく似ているけれども、しかし結果は違います。戦前は戦争に次ぐ戦争、出兵に次ぐ出兵。戦後は一応日本が主体的に戦争をしたことはない。これはやっぱり戦後の日本は戦争放棄というのを国是としてきたので、この違いというのはここなんですね。結構外交スタンスあるいは戦略的スタンスは似ているのに結果が違うのは、戦争放棄をしてきたというところがやっぱり大きいだろうと思います。

ロシアと中国を同一視(力による現状変更)する潮流の強まり

軍拡から始まる「戦前」ということで、いまウクライナに進行しているロシアと中国を同一して力による現状変更があるのではないかという論調が強まっています。ロシアのウクライナ侵略に連動すると喧伝される台湾有事、これは安倍さんが最初に台湾有事=日本有事論を唱えたところから強調されるようになりました。東アジア情勢がざわざわすると、日本で軍拡論が必ず台頭してきます。台湾有事論の問題点はなにか。基本的に台湾有事論は、アメリカの政府機関やシンクタンクが想定しているものが流布しています。多くの場合外交的要素を捨象して、もし軍事的なシナリオだけで考えるとこうなりますという、大体こういうシナリオが多い。なぜならば外交的要素というのは実に複雑でなかなか想定しがたいことがあって、一応それらを捨象して軍事的に解決する。例えば中国がいきなり台湾に侵攻するとか、そういう軍事面に限ったシナリオ、そういう条件でシナリオが作られている場合が多いけれども、そこが独り歩きするんですね。それがひとつです。日本にしてみれば貿易額の4分の1を中国が占めているという、こういう時代に中国と事を構えるというのは戦略上いいのかかどうかという大きな問題があります。もっとも、かつての日本は最大の貿易相手であるアメリカと戦争をしてしまったわけですから、そういう無謀な選択が行われる可能性は、かつてやったことがあるということです。だからせめてその反省がないといけないと思います。

そもそも「ひとつの中国」論というのは、国交回復以来日本も認めてきたことです。アメリカと中国の間で日本がアメリカの盾になるとか先鋒になって戦うということではなくて、むしろ米中の間に入って調整する役割を果たさないといけないはずなんです。未来のことを考えても、中国が隣にあるというのはどれだけたっても変わりません。そう考えると、いかに中国ときちんとした話し合いの体制をつくっていくのかということが非常に重要だと思うんですよね。

しかし防衛費の増額は、財源論を除けば割と賛成論がいま強いですね。これは聞き方の問題もあるんですよ。日本の軍事費とか戦力の実態は知られているのかというと、例えば2022年度の軍事費世界ランキングで日本は8位か9位くらいです。ミリタリーバランスという年鑑によれば8位です。このリストは世界の軍事費を多い順にランキングしたものです。1位はアメリカです。2位は中国です。台湾が下についているのは比較のためです。3位はロシア。ウクライナもロシアとの比較で下に置いてあります。4位がイギリス。5位がインド、ドイツが6位、フランスが7位。日本が8位です。サウジアラビアが9位。韓国が10位なんです。オーストラリアが11位、12位イタリア、13位カナダ、14位ブラジル、15位イスラエル。

大体世界的にみると、軍事費を200億ドル以上出している国が軍事大国といわれています。イスラエルもほぼ200億ドルですから、軍事大国の中に入れてもおかしくないわけです。イスラエルが約200億ドルで日本は500億ドルくらいですから、結構多いんですよ。決して日本の軍事は恥ずかしいほど少ないというわけではないんです。もっと増やさなければ、という世論形成が行われていますけれど、それなりに日本の軍事費は多いんです。

それから軍事費の実態というのも意外に知られていなくて、これは軍事費のランキング順に並べたものです。例えば陸軍力を見るとアメリカが約50万人、中国が約100万人とすごく多いけれども、日本は陸上自衛隊が15万人です。これは定数です。でもちょっと見てください。ドイツは6万3千人。ドイツ陸軍ってすごくたくさんいるように思います。米ソ冷戦期に西ドイツ陸軍は30万人いました。それを冷戦後減らして今や6万人です。フランスも11万人です。これも米ソ冷戦期には30万人いました。ですから米ソ冷戦後、特に一番お金がかかる、人員が多い陸軍力を欧米の国々は減らしました。イギリスも10万人を切って8万人くらいで、こういうところで軍事力の削減を欧米列強はやりました。

日本は米ソ冷戦期に陸上自衛隊の定員は18万人でした。それで15万人だから減らしたと思いきや、冷戦期も実動員、実際の数は15万人だった。定員が埋まっていなかった。定員が埋まっていない状態を新たな定員にしたんです。だから冷戦によって何の軍縮もしなかったんですね。まさに世界情勢に応じてどの国も変化させていくものなんですけれども、一度決まったものは動かさないという日本官僚制の強固なあり方ですね。一度決めたら動かない。これも現在むしろ増やしていこうという動きがあります。こういう実態を示さないで、今の軍事力はどうですかと聞かれたら、台湾有事もあるんだったら増やした方がいいという、そういう話になってしまうんですね。

日本はすでにこれまでにない軍拡期に突入

日本はすでにこれまでにない軍拡期に突入しています。まさに「戦前」の序章になってしまっている。一番の問題なのは予算の拡大が兵器体系の質的転換を促している。特にスタンド・オフ防衛能力という名のもとに、長射程のミサイルがまさに敵基地攻撃能力、この敵基地攻撃能力はもともとは政府が使っていた言葉です。それをいま反撃能力と言い換えてしまっていますけれど、ももともと政府も敵基地攻撃能力といっていた。攻撃的というニュアンスが強いので反撃能力と言い換えていますけれども、そういう言葉の言いかえがあまりにも多すぎます。本質が隠されてしまっています。これも言葉の問題で、島嶼防衛用とうたったスタンド・オフミサイルです。スタンド・オフというのは相手の威力圏外からという意味です。相手が届かないところからこちらは撃てる、こういうものをスタンド・オフと呼んでいます。つまり射程距離が長いということです。単純にいえば長射程のミサイルということで、それを導入しようということです。

現在ある巡航ミサイルをいろいろなところから発射できるようにする。それから射程距離を延ばす。現在自衛隊が保有している12式地対艦誘導弾、地上から発射する艦船を攻撃するためのミサイルです。これは射程距離が現在200キロです。これを延ばしていきましょうと。例えば200キロを300キロにするというならちょっと改良したという感じですけれども、当面900キロ、将来的には1500キロにするというんです。これって名前は一緒で12式地対艦誘導弾能力向上型といっているけれども、これは別物ですよ。射程距離がこんなに違ったら、明らかに別物なんですよ。本来、どんな足の長さの兵器を持つかというのは、まさに国家戦略の根幹にかかわることです。それで今までいろいろな議論があったわけです。でも今回は国会の議論も全然なく予算が通ってしまった。

25大綱という、防衛計画の大綱という防衛力整備簿計画が前にありまして、制定された時の元号で、平成25年に制定されたということです。25大綱、30大綱そして現在の防衛力整備計画に代わっていきます。これは明らかに25大綱のころ、第2次安倍内閣のころから自衛隊の装備が変わってきました。水陸機動団とか地対艦ミサイル、こういうものが25大綱の段階で導入され、次の30大綱になると島嶼防衛用、高速滑空団、新型ミサイルが導入されます。実はこのとき弾道ミサイル防衛隊が陸上自衛隊に置かれる予定で、イージス・アショアが導入される予定でしたが結局やめになりました。やめになって削られたのかというと、海上自衛隊のイージス艦、この時点では8隻だったけれどもこの次には10隻になりました。そこが増えました。それから航空自衛隊にSTOVL機、これは短距離あるいは厳密に垂直離着陸というのではないけれども短距離で離発着できる戦闘機です。

これはアメリカの海兵隊のF35Bで、これと同じタイプを自衛隊も導入します。もともとヘリコプター空母であった「いずも」を改装して、こういうものを離発着できるようにしています。2隻目の「かが」も改装しました。ですから事実上の空母ですけれども、でも空母じゃないといっています。なぜ空母じゃないかというと、「いずも」は海上自衛隊ですね。でも飛行機は航空自衛隊なんです。だから担当が違う。これが両方とも海上自衛隊だったら空母といえるけれども、たまたま航空自衛隊の飛行機が海上自衛隊の空母みたいに見える船に離発着しているという、こういう話なんです。空母じゃありませんといっているけれども空母です、どう見ても。

現在の防衛力整備計画、これは昨年末に決められたものです。ここでも地対艦ミサイル連隊とか高速滑空弾とか長射程誘導弾、長距離ミサイルが強化されるということがここで述べられています。先ほどのイージス艦が増えるということが海上自衛隊のところに出てきます。高速滑空弾というのは島嶼防衛用なので島から発射して別の島に着弾する、こういうイメージですけれども、これは射程距離2000キロです。そうすると例えばこれを南西諸島に配置したら、島どころかずいぶん遠くまで飛んで行ってしまいます。もうすぐ量産に移る対応と、将来的にはもっと高速化するというタイプで、量産型は今年予算がついています。高速滑空弾という新型ミサイルがそろそろ配備されようとしている。あくまで島嶼防衛用とうたっていますが、もし本当に南西諸島にこれを配置すると射程距離2000キロというとこれはかなり遠くまで、朝鮮半島は完全にカバーしちゃいます。中国の主要な都市はほぼ入ってしまい、南はフィリピンまで入ってしまう。こういう範囲を射程距離に収めているけれども島嶼防衛用ですとうたっている。この言葉の使い方は、はっきり言ってごまかしですね。

兵器の性能が既成の戦略を追い越すと台頭する危険な新戦略

航空自衛隊はもうすぐ宇宙領域専門部隊というのをつくるということです。それからあらゆるところに無人機部隊が陸上自衛隊にも海上自衛隊にも航空自衛隊にも入ってきます。兵器の性能が既成の戦略――現在日本では専守防衛ということですけれども、これを追い越してしまうときに非常に危険な新戦略が誕生する。これはかつてもありました。日中戦争のときに軍事費がドカンと増えてゼロ戦が開発される。その完成は日本海軍の既成戦略、漸減邀撃戦略、漸減は相手を少しずつ減らす、邀撃は迎え撃つということで、要するに日本海軍の戦略というのは出ていって相手をたたくのではなく、相手が出てくるのを待って近くに引き寄せてたたくという戦略でした。非常に足の長い航続距離をもつゼロ戦が完成したことで、本当は南方資源地帯を占領するためには航空母艦を何隻か派遣しないと南方占領作戦はできないといわれていました。ところがこのゼロ戦が完成したために、台湾から飛び立って爆撃機を護衛してフィリピンを空襲してまた台湾に帰れる。ということは南方作戦には空母はいらないという話です。

空母がいらなくなったのでどうしたかというと、全力を真珠湾にぶつけるということです。これが可能になった。ですから新しい兵器ができて戦略自体が変わってしまうんですね。真珠湾攻撃という、それまでできないと思われていたものができるようになった。兵器の性能の進歩はこういうことをもたらします。これと似たようなことが、いま専守防衛だといって、島嶼を守るためだといって作ったミサイルが島嶼どころかはるかに奥まで飛んでいける。そうなるとそれに合わせた戦略が採用されて行くことになるんですね。非常に危険なところですから、私たちは注目していかなければいけないということです。島嶼防衛用とか、そういう言葉にごまかされてはいけないということなんですね。射程距離を2000キロ持っているミサイルで、実は飛ばすのは200キロですということは絶対にあり得ない。

「GDP2%論」は本当か

一番問題なのはGDP2%論です。NATOでは国防費が大体2%ですと。これは実際に2015年くらいにNATOで目標値として設定されました。でも本当にNATOの国はそんなに国防費を出しているのか。NATO全体のGDPとNATO全体の軍事費を比べると2.5%です。だから結構出していると思いますが、これはアメリカの軍事費がとてつもなく大きいからです。でもアメリカを除くと1.6%くらいです。このあいだフィンランドが加わりましたので31か国ですけれども、2%以上の国はフィンランドを入れても10か国です。つまり3部の1です。資料を見ると、これも軍事費を多い順に並べています。アメリカが3.29%で、NATOの軍事費の7割近くをアメリカ1国で占めています。桁が違います。8220億ドル。2位のイギリスが670億ドルですから、全然違う。イギリスも2%を超えています。(資料2,3)

ところが額面で多い3位のドイツは1.46%、4位のフランスは1.88%、次のイタリアが1.52%、カナダが1.25%です。200億ドルを超えるくらいが軍事大国だというと、軍事大国といわれている国の中でもアメリカとイギリスしか2%を超えていません。2%を超えている国はあります。ポーランド、2.39%、ポーランドは割と軍事費が多いです。でも軍事費が多いからGDP比が高いというよりも、どちらかというとGDPが低いからこの率が高くなる。GDP2%を超えている国でギリシャがあります。ギリシャは明らかにGDPが多くないので3.54%になってしまう。そのほかを見ますと、スロバキア、リトアニア、ラトビア、エストニア、ルクセンブルク、このあたりは2%を超えているけれども、明らかにGDPが多くないからです。多くないから数字上はGDP比が高くなるんです。こういう国も合わせて、この間加わったフィンランドは2%を超えているので、31か国中11か国が2%を超えています。軍事費が多くて2%を超えているのはアメリカ、イギリスだけです。これを標準にして、やっぱり2%くらい必要だという議論はちょっとおかしいという感じがします。

日本はそれなりにGDPがまだ大きいんです。だから日本は1.12%ですけれども、481億ドルの軍事費です。もし2%にすると、およそ900億ドルくらいになります。900億ドルというとイギリスよりももっと多くなりますから、もしNATOに入ったとすると2位になります。世界的にみてもアメリカ、中国、日本、こういう並びになります。ですからGDP2%論というのは、これが最初にありきで安保3文書、それから防衛予算が組まれているけれども、内実をちゃんと見ないとこういう数値目標だけで議論をしていくのは非常に危険であるということがわかります。でもこういう議論の立て方をされてしまうと、日本は1%で何か少ないと思わされてしまうわけですよね。ですから議論の前提が不明確なまま結果だけどんどん推し進められていくという、こういう状態ですね。

いかに軍拡・改憲の潮流を押し返すか

いかに押し返すかという話です。やっぱり9条を支えてきた平和主義の土台というのは戦争の記憶の継承にあるんですが、これは被害と加害のバランスが大切なんですね。もちろん被害の記憶を伝えていくことは大事ですけれども、それだけではだめで、被害者になる危険性というのは常に強調してもおかしくないけれども、加害者になってしまう可能性を意識しないといけない。つまり長射程のミサイルを撃ち込むということは、自分は被害を受けないかもしれないけれども、どこかで被害を受ける人が出てくるということですから、この感覚は意外と薄れているのではないかと思います。戦争の歴史とか戦争の実態、日本の軍拡の実態というのを多くの市民が知っていくことが必要です。市民が軍事を監視してコントロールする力を強めていかないと、軍事専門家だけ酔って集まって議論すると偏っちゃうのは明らかです。それは、兵器は優秀で新しくていいほうがいいという話になるに決まっています。「少なくてもいいですよ」とか「古いのを大切に使いましょう」という話には専門家が集まると絶対にならない。市民感覚というのはどうしても必要で、「これぐらいの兵器を持つと場合によっては脅威を与えてしまうんじゃないの」という議論がされなければいけないと思います。

それから何といっても日中関係、隣国との付き合い方を日本自体が考えていかないと、アメリカ任せみたいになっていると一番怖いですね。つまり日本に判断能力があるのかということなんです。日本は、判断能力はないけれども武器はたくさん持っていますという話になってしまうと、アメリカが判断して「さあ、やりましょう」という方向に行ってしまう恐れがあります。かつての日英同盟と似たようなこともありうるかもしれません。まさにそういう中国との付き合い方に歴史的な知恵、日本と中国との間には長い歴史がある。これは平たんじゃないんです。古代から日本と中国は絶縁状態になり、平和な状態になりまた絶縁状態になる。時々日本が攻め込んだりすることが何回かあるけれども、そういう紆余曲折があるんです。その都度修復はしてきているわけです。そういうことを含めて中国との付き合い方を考えていかないと、実は近代150年の経験では推し量れないところに来ています。

近代150年というのは、日本人が経験した150年は、どちらかというと中国が混乱している、衰退している、そういう150年です。ところが歴史上は中国が東アジア最大の大国であった時代は、時間的には結構長い。そういう時代がまた訪れつつある。だから近代150年、欧米との軍事同盟という形でずっとやってきた近代の知恵だけでは解決できないところに来ているということなんです。これは何といっても中国と直接話し合わないことにはどうにもならない。軍拡競争は波及していきます。つまり日本と中国だけで軍拡競争が行わるわけではなくて、中国が軍拡すると必ずインドが軍拡しますね。インドが軍拡すると、かならずパキスタンが軍拡するという連鎖反応が起きてくる。パキスタンまで軍拡すると必ず中東に影響が出てきます。どこかで発火する恐れがあります。だから日本は「中国に備えていたんだよ」といえるかもしれないけれども、思わぬところで戦争が始まってしまうリスクをばらまいているということになる。まさに軍拡競争になると、そういうリスクがどんどん拡大して不確定要因が強まっていくということになります。

それから、力対力というような考え方は必ず国内にも反映してきます。構造的暴力、格差とか差別、こういうものを容認してしまうような考え方が同時に強まってしまう恐れが常にあります。これはかつての歴史で戦争、植民地支配があると、国内の暴力的支配が強まるという悪循環です。これは両方を見ていかないといけない。国際的に力対力だという考え方を容認しないのと同時に、国内における構造的暴力というものを解消するという考え方で取り組まないと、まさに力による均衡は決して平和ではないです。いつ何かの拍
子にこれが崩れるかもしれないということですから、そのためにはあらゆるところ、対外的にも国内的にも暴力で解決するという要因を減殺していくということが必要だろうと思います。

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