6月21日に閉会した第211通常国会では、「安保3文書」の実行を狙って大軍拡予算とともに軍需産業育成法・軍拡財源法など多くの悪法が成立させただけでなく、憲法審査会を中心に与党と、維新の会、国民民主党などによる改憲の企てが急速に進行した。岸田文雄首相は、政権延命のため今秋にも解散を狙っているが、解散・総選挙の結果次第で、もしも維新の会が野党第1党になるようなことがあれば、軍拡や改憲の企てが国会において一気に進行する危険がある。
いま、私たちは、文字通り軍拡と改憲の戦争する国か、憲法の人権と民主主義が活かされる平和な国かの岐路に立っている。
戦後の日米安保体制と日本国憲法の2つの法体系の矛盾が安倍政権以降、極度に激化し、違憲状態の安保法制(戦争法)にそった戦争準備が強行されている。安倍・岸田改憲は「改憲」によって、この違憲状態という矛盾を解決しようとしている。岸田首相は今年1月の施政方針演説で「近代日本にとって、大きな時代の転換点は2回ありました。明治維新と、その77年後の大戦の終戦です。そして、奇しくもそれから77年が経った今、我々は再び歴史の分岐点に立っています」とのべ、安保3文書の作成に当たっては「戦後安保を大きく転換する」と表明し、次々と「防衛(軍備)力」を強化している。
政府は22年12月16日、安全保障関連3文書の改定を閣議決定した。「国家安全保障戦略」は外交・安保政策の基本方針で、13年12月に安倍政権によって策定され、今回が初の改定だ。従来の「防衛計画の大綱」は「国家防衛戦略」に、「中期防衛力整備計画」は「防衛力整備計画」に改められた。
これらのなかで、政府は「ウクライナは明日の東アジアかもしれない」と、防衛(軍備)力強化の必要性を強調し、敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有と防衛費を対GDP比2%以上と従来の倍増を謀っている。
防衛力の強化により、相手が日本への攻撃を思いとどまり抑止力が高まるという抑止力論は、逆に緊張を高める「安全保障のジレンマ」に陥らざるを得ないものだ。
また日米安保以外に軍事連携国を拡大する概念として作り出した「同志国」なる新語とこの具体化の対策の一つとして、防衛装備品の輸出ルールを定めた「防衛装備移転3原則」の要件緩和を検討中で、従来禁じていた殺傷能力のある武器の輸出、解禁も視野にいれている。
外交では、中国封じ込めのために、安倍元首相の積極的平和主義を持ち出して、日米軍事同盟の深化や、北大西洋条約機構(NATO)などとの協力強化などをすすめている。安保3文書には軍事的緊張緩和のため「対話による外交」に努力を尽くす姿勢はほとんどない。
それどころか、8月9日、台湾を訪れた麻生太郎自民党副総裁が、講演で、中国の台頭を念頭に台湾海峡の平和と安定には強い抑止力が必要だとし、日本と台湾、米国に「戦う覚悟」が求められていると主張した。その上で「お金をかけて防衛力を持っているだけでは駄目。いざとなったら使う、台湾防衛のために。明確な意思を相手に伝え、それが抑止力になる」などと述べた。
こうして岸田政権の下で「新たな戦前」状況が進められている。
権力の私物化のために総裁の座を狙った岸田文雄政調会長は、21年9月の自民党総裁選に際して、自らが率いる自民党の派閥「宏池会」が少数派のために、従来の宏池会の「リベラル」的な装いを変え、安倍派(清話会)など党内右派にすりより、「(改憲)4項目の実現を総裁任期中(3年間)にめどはつけたい」と踏み込んだ。23年5月3日、産経新聞のインタビューに対しては、24年9月までの総裁任期中の改憲実現について、「強い思いはいささかも変わりない」と強調した。23年6月の通常国会会期末の記者会見では「自民党総裁選挙において、私は総裁任期に憲法改正を実現したいと申し上げた。自民党総裁選挙において、任期中に憲法を改正する、その目の前の任期(24年9月)において憲法を改正するべく努力する」と強調した。
第1に、世論が9条改憲を支持していない。各種の世論調査をみても、「憲法改正」一般に対する支持は上向いているものの、第9条の改定に対する支持は改憲反対を下回っている。これは岸田首相の言う「戦後の77年」に形成された9条をはじめとする憲法3原則に育てられた民意の反映だ。この民意こそかつての「戦前」と現代の決定的な違いだ。
第2に、来年9月の総裁任期終了までの国民投票実現は極めて困難だ。
マスコミの報道や国会の憲法審査会の議論では「国民投票期間」は2か月と決まっているかのようにミスリードする傾向がある。
岸田文雄首相が自らの任期中に改憲を実現するなどというものだから、しばしば24年9月の国民投票を想定した日程表が検討される。その場合、憲法改正手続法(国民投票法)が国民投票期間(国会が改憲を発議してから国民投票が実施されるまでの国民投票運動期間)を「60日以後180日以内」(第2条1項)と定めていることから、大方の報道が60日で計算する(例えば7月26日の毎日新聞は総裁任期満了日から逆算しているが、そこでは改憲発議から起算して60日後の投票日とした記事を掲載している。
憲法審査会では維新の会の三木圭恵委員も、自民党に改憲のスケジュールを明らかにせよと迫り、「国民投票の日を9月と設定すれば、少なくとも2か月の広報期間が必要で、7月には憲法改正の発議をしなければならない。各院での審議には、仮に衆議院で2か月、参議院で2か月かかるとすれば、3月には憲法改正原案ができていないといけない。原案を作成するのにも、かなりの日数がかかる。通常国会が始まる1月には憲法改正の原案の作成にとりかからなければならない。ということは秋の臨時国会で、まず、憲法改正原案をどの条項で作成するのかを決めなければならないはずだ。どう考えても、このようにスケジュールを組まなければ不可能だ」などと迫る。
これはおおきな間違いだ。改憲手続法が国民運動期間を60日から180日としているが、下限が60日と設定された理由は、国民投票実施に向けた事務的な準備作業に最低限2か月程度は要するということにもとづくもの。上限の180日は憲法改正の内容によっては半年程度をかけて十分に、慎重に国民に判断する機会を確保したほうがよいという政策判断に基づいているもの。
もともとこの国民投票期間に関する2条1項の規定は短すぎて、有権者に投票に必要な憲法改正の意味を周知徹底できない。投票には「改憲が発議されてから2年ほどは必要だ」(長谷部恭男教授「憲法とは何か」岩波新書)。
長谷部氏は第1の「(改憲)提案から最終的な改正に至るまで長い時間を要する例は珍しくない」として、フランス革命後の1791年憲法やスペイン憲法などの例をあげ、スウェーデン憲法では、「改正の発議は総選挙をはさんで、2度国会によってなされねばならず、しかも最初の発議がなされて、総選挙が行われるまで少なくとも9か月が経過することが要求されている」と指摘している。それを必要とする意味について長谷部氏は第1に「落ち着いてじっくり改正提案の当否について考える冷却期間を置く」「薄っぺらな情報に乗せられて、安易な投票をする危険を避ける」という意味、第2に発議する側に熟慮を求めること」、一時的な多数派による固有の利害による改憲を避ける、と説明している。
この現行改憲手続き法が決まる前には、右派の憲法改正議員連盟は60日から90日を主張し、自公両党案は30日から90日だった。しかし、2006年の第164国会では同法の成立を急ぐ自公両党が、民主党案の「60日から180日」案を丸呑みして、現行法制が決まった。熟議を訴えた長谷部氏の警告は生かされていない。
今問題になっている改憲は緊急事態条項導入とか、自衛隊規定を導入するという日本国憲法の根幹にかかわる問題での改憲だ。まして、日本の有権者は従来、1度も改憲国民投票を経験したことがない。熟議を経て、「十分に、慎重に」判断できるような期間が必要なことはいうまでもない。
であるならば、現行法を前提にしても法が許すぎりぎりの期間、180日が当てられるべきことは当然だ。ということは、2024年3月には両院で改憲が発議されていなければならないということだ。これは前記した維新の会の三木委員の計算から見ても全く間に合わない。「任期中の改憲」の時間不足は明白だ。
要するに、世論と法の両面から見て、岸田首相の「総裁任期中の改憲」の破綻は明らかだ。
2021年6月に立憲民主党が「附則4条」を付ける条件で賛成し、「日本国憲法の改正手続に関する法律の一部を改正する法律案に対する修正案」が成立したという経過が明らかにしているように、同法は投票の公平・公正を確保するうえで、いくつかの重大な欠陥を持っている。附則4条は「この法律の施行後3年を目途に、検討を加え、必要な法制上の措置その他の措置を講ずる」とした。
イ 国民投票運動等のための広告放送及びインターネット等を利用する方法による有料広告の制限。ロ 国民投票運動等の資金に係る規制。ハ 国民投票に関するインターネット等の適正な利用の確保を図るための方策、などだ。
しかし21年秋の臨時国会以来、改憲派はこの審議をさぼり、討議の必要がない公選法並びの改正項目の審議でお茶を濁そうとし、審議を拒否してきた。結局、自公などが主張してきた公選法並びの3項目改正もいまだできていない。最近になって自民党もようやくこの議論に触れてきたが、すでに「施行後3年」のうち2年が過ぎた。これではまともな議論ができようはずもない。もしも票を金で買う(例えば無制限な有料広告)ようなことを排し、公正公平な国民投票を実施しようとするなら、この付則4条の解決にまず着手すべきことは明らかだ。
岸田総裁の任期中に改憲を実現するにはあまりにも時間がたりない。残された条件の下で、岸田首相らは改憲を実現するため、どこから着手するのだろうか。
合区問題と教育問題は改憲マターではありえない。この項目は自衛隊挿入と緊急事態条項挿入のためのオブラートにすぎない。安倍政権までの「9条攻撃」は自民党改憲・右派のお家芸(党是)だった。しかし、公明党の立場との矛盾もあり、210国会、211国会では9条問題より緊急事態条項挿入改憲の議論を先行させてきた。
議論は当初、緊急事態におけるオンライン出席問題からはじまって、結局、立憲民主も同調し衆院憲法審査会は3月3日、憲法56条1項が国会審議を行う条件と定める議員の「出席」に関し、「緊急事態が発生した場合等においてどうしても本会議の開催が必要と認められるとき」に限り「例外的にオンライン出席も含まれると解釈できる」としてオンライン国会審議を認める見解を取りまとめ、採決し、可決した。与野党7会派のうち共産党をのぞく6会派が賛成した。にもかかわらず、これは議院運営委員会の取り扱うマターとされ、議運に報告はしたが、議運預かりとなり、緊急事態条項改憲の促進にドライブをかけることはできなかった。
つぎに始まったのが緊急時における議員任期の延長問題で、いかなる緊急事態においても国会機能を維持し、権力を統制・分立することが重要であることに鑑み、繰延投票や参議院の緊急集会では対応できないような広範かつ長期にわたる緊急事態に備えて、国政選挙が適正に実施されるまでの間、衆議院議員又は参議院議員の任期を延長(上限6ヵ月・再延長可)するという議員任期の延長等に関する規定を創設する議論だ。これは憲法の「参議院の緊急集会」の位置づけで、参院側の論点がわかれた。衆議院では自・公・維新・国民・有志の5会派が一致して、幹事会などで一定の取りまとめをする時期が来たと自民党などが主張している。この議論に211国会の憲法審査会のほとんどを費やしたが、しかし、「緊急事態条項」導入に不可欠の「緊急政令」や「緊急財政処分」、「人権制限の限界」などについてはほとんど議論されていない。これらの項目の強行については公明党が抵抗している。立民は建前上「論憲」で、法整備や憲法解釈で対応できなければ改憲も排除しないという立場だが、憲法54条の緊急集会の活用を強く主張している。
一方、211国会の後半から、自民党の新藤筆頭幹事をはじめ、自衛隊規定導入改憲論への言及が目だってきた。安倍・岸田改憲の核心は自衛隊条項の導入だ。緊急事態条項だけの「改憲」という選択肢はありうるだろうか。幾度も国民投票を実施するのは容易ではない。また2項目ないし、4項目で投票するなら、現行改憲手続法下では「別個に投票する」ことになり、結果が分裂する可能性もあり、改憲派にとっては落ち着きが悪い。
こうしてみると、改憲原案の作成は容易ではなく、場合によっては岸田のいう来秋を超えざるを得なくなる。これは岸田総裁の公約に対する政治責任が問われることであり、安倍晋三元首相の辞任の「二の舞」になる可能性が生じる。
目前の改憲で自衛隊条項導入が難しく、緊急事態条項全体の導入すら難しいとなった場合、「議員任期延長」+「緊急政令」の緊急事態条項があれば、戦争法(現行安保法制)下での「戦争(台湾有事など)」に一定の対応は可能だという解釈も改憲派内にはある。しかし、公明の北側幹事はこれら(任期延長と緊急政令)は改憲手続法の「関連する事項」には入らないと抵抗している。次期総選挙で公明党は北側が引退するので、この議論の行方は不透明だ。
「改憲突撃隊」、第2自民党を自称する日本維新の会と、「与党」になりたい国民民主はとにかくどういうかたちであれ改憲を実現したいと考えている。自民党改憲勢力はどういう改憲原案のとりまとめで、これら与党の補完勢力と妥協ができるか、極めて不透明だ。
次期総選挙で「維新」の野党第1党化を必ず阻止しなくてはならない。これは国会の翼賛国会化、ファシズム化を阻止するうえで極めて重要な課題になった。国会の運営の多くは与党第一党と野党第一党の国対責任者がけん引するからだ。
報道機関各社の直近の世論調査で岸田文雄内閣の支持率が続落し、危険水域に突入している。かつて青木幹雄元官房長官が「政権が危うくなる」と指摘した内閣支持率と政党支持率の合計が「50%」を切る(=青木の法則)結果も出始めた。時事通信が8月10日、ニュースサイトに公表した8月の世論調査(4~7日実施)では、岸田内閣の支持率は26.6%で、前回調査(7月7~10日実施)から4.2ポイント下落。自民党の支持率は21.1%で2.5ポイント減となり、青木の法則では「47.7%」になった。
今、私たちの周りには困難がある。この間の国政選挙で、改憲勢力は衆参両院とも3分の2を超えている。野党共闘も困難を抱えている。市民連合は8月上旬、立憲野党各党と懇談した。市民と野党の共闘は勝利の保障ではないが、共闘は勝利の前提だ。野党共闘を再建強化できるかどうかの正念場だ。
しかし、小泉政権が改憲を提起したとき、衆参両院では改憲に好意的な勢力は3分の2を超えていた。しかし、全国の市民の運動の高揚は世論を大きく変化させ、改憲の企図は挫折に追い込んだ。2017年に安倍首相が改憲を提起した時も衆参両院では改憲勢力が3分の2を超えていたが、「市民と野党の共闘」の前進に励まされ、憲法審査会でも立憲野党が闘って安倍改憲を挫折に追い込んだ。
改憲勢力もたくさんの矛盾を抱えている。私たちが立ち上がれば、改憲は阻止することができる可能性がある。岸田改憲の企てを阻止するには、解散・総選挙も見据えて、少なくとも来年秋の岸田改憲実現を挫折に追い込み、岸田政権を打倒することが必要であり、この秋から市民が総決起することが必要だ。全国の市民が大軍拡と改憲に反対する多様な行動に立ち上がれば、立憲野党を励まし、市民と野党の共闘を再構築し、たたかうことは可能だ。
(共同代表 高田 健)
ゲスト:社団法人Colabo代表 仁藤夢乃さん
菱山:Colaboの活動について教えてください。
仁藤:虐待や性搾取の被害に遭うなどした10代の少女や女性たちを支える活動をしています。具体的には夜の街で家に帰れずに彷徨っていたりとか、自分が何に困っているのかもわからない状況にあって、いろんな暴力の被害に遭っているけれどもどこに助けを求めていいのか分からない、大人を信用できないそういう状況にある子たちに声をかけて繋がったり、必要に応じて一緒に病院に行ったりとか、役所に同行したりとか、緊急で泊まれる場所やその先に暮らせる場所を提供するような活動をしています。
菱山:主にバスカフェなどが知られていると思うのですが、バスに食料や衣料を積んで提供したり、話をしたりする居場所的な活動もしているのですよね。
仁藤:夜の街には家が安心して過ごせない状況にあるときに、夜の街やネットをさまようような少女たちが沢山います。そのような子たちにネットやSNSで声をかけるのが性搾取を目的とした買春者、または仕事があるよ、寮や住むところがあるよと声をかけてくる業者ばかりという現状を変えたくて、私たちもその子たちがいる場所に出て行くことにしました。少女たちは自分から相談窓口に来たりしないんですよね。大人に不信感もあるし諦めもあるから。だからその子たちがいるところに私たちが出て行って声をかけて繋がって休めるところや、生活に必要なものがもらえるような無料カフェを2018年から開催しています。
菱山:そういう大事な活動を良く思っていない人たちって結構いるじゃないですか。そういった人たちってどんな人たちですか?
仁藤:そうですね。性搾取を生業にしている業者とかがColaboに対する攻撃や直接的な妨害に現場にも来ています。しかし、業者だけではなくColaboの活動を良く思っていない人たちはいろんな形でセクハラしたり性加害をしたり、買春経験があったりとか。そのような男性は特別な存在ではないのですよね。いっぱいいるんですよ、この世の中に。特別変な人が攻撃しているのではなくて、多くの男らしさによる加害性のようなものを内に秘めている男性らによって「今だ!」とColaboを攻撃しているのだと思います。
ただ、Colaboへの攻撃が今回これだけひどくなっているのは、去年の5月に、「女性支援法」という日本で初めての女性支援の法律が成立したのですが、私もその検討会の構成員として数年前から活動してきました。そこで性搾取が女性に対する暴力だとか、性搾取の構造から抜け出すための支援が必要だということが法律の基本計画に盛り込まれました。そういうことに危機感を持った方たちが、一斉にColaboに「何か不正があるのではないか」というようなことをでっち上げて攻撃をしてきているように思っています。
菱山:性搾取業者という名前が出ていますがそういうのは風俗業者だったりAV業者だったり?
仁藤:そうですね。2014年に私たちが告発した女子高生を性的に消費するJKビジネスというのがありまして、女子高生を商品化してマッサージ店やお散歩、観光案内などと言った名目で少女たちを集めて性行為をさせるそういう店が今もあるのですが、最近では「コンカフェ=コンセプトカフェ」メイドだったりスッピンとか妖精とかポリスとかナースとか「いろんなコンセプトをテーマにしたカフェです!」と謳い、少女たちと触れ合うことを目的に集まる客向けに営業している店がすごく広がっています。
さらに最近は少女向けのホストのような形で「メンズコンカフェ」や「メンズ地下アイドル」といった男たちが中高生向けの少女たちに1本7万円もする水を売りつけたり、一晩で50万円も使わせたりして少女たちに借金を背負わせ、それが払えないのであれば身体を売ってこいと自主的に少女たちが行くように巧に工作し、見せかけて、性売買に斡旋しているということがかなり多くなってきています。
菱山:入り口が多様化している上に低年齢化していますね。
仁藤:本当に低年齢化していてそのコロナ前とも歌舞伎町の状況も違っていて、トー横と言われる家出の子たちが集まる場所には、小学生とか13歳や14歳の子どもたちもたくさんいます。そこには男女で家出もしているのですが、その男女の中は対等な関係性ではなくて、男の子たちが少女たちにお前女なんだから身体売ってこれるだろ?という形で身体を売らせたりとか、「俺たちが泊まるためのホテルを取ってこい」と言って少女に身体を売らせたりとかそういうこともすごく広がっています。
菱山:やっていることが江戸時代のよう!
仁藤:私たちが夜の街で声をかけた時にも本当はColaboのカフェに来たいけれども、自分が居なくなるとホテルに男の子たち入れなくなってしまうからという理由で来れなかったりすることがありました。
菱山:そのような活動をしているColaboは都の委託を受けて活動していたのですが、委託事業を東京都が切りました。その発端となった攻撃や顛末について教えて下さい。
仁藤:AV新法(*1)という法律が去年の5月に成立したのですが、私たちはそれに反対をしたのですね。
菱山:はい。
仁藤:それは性行為(本番行為)が契約の名のもとに合法化されるという法案だったので、私たちは反対運動を行いました。私たちはその法律に反対したにも関わらずAV業者と繋がりのあるような参議院選挙に立憲民主党から出た「栗下」という方が「ColaboがAV新法に賛成して被害者を増やすようなことに加担して、被害者支援ビジネスで儲けている。補助金目当てだ」というようなデマを言い始めました。それをネット上で「暇空茜(ネット上での仮名で男性)」という人が拾う形でColaboに対して「公金の不正利用」「支援ビジネスだ」というようなことを言い始めました。
その暇空茜は「温泉むすめ」(*2)を攻撃したということでそういう私怨があるなどと言って攻撃を始めました。
菱山:そのようなデマってすぐに広がりますよね。そういった中で、実際にColaboのバスカフェに妨害に男たちが来るようになったのですよね。
仁藤:被害はネットに留まらず、バスカフェで使っていたバスを切りつけられる事件がありその後、直接活動しているところに襲撃に来たり、「公金の不正利用やめろ」「仁藤夢乃出てこい」などと叫ばれたり、夜の街で少女に声をかけるために街に出た時に30人ほどの男に取り囲まれたりするようなことがありました。そこでデマに基づいて「金を返せ」とか「謝罪しろ」など言われ、性売買業者から「歌舞伎町から出ていけ」言われることがありました。
菱山:1回その妨害に、顔を白塗りにしたピエロメイクの草加市議会議員が加担してきたじゃないですか。その日は3月1日で「3・1朝鮮独立運動」関連の集会が同じく新宿であって、私はバスカフェに行く前にその集会で司会を行っていたのですが、そこにもColaboを攻撃してくる人たちが草加市議を含めて襲撃に来たんですね。その時に「朝鮮人はとんでもない奴だ」ということを草加市議がいっていて、Colaboを攻撃してくる人たちはこのような差別者なんだなと思いました。
その襲撃時に、市民連絡会の高田健さんが真っ先に妨害者に駆けつけて、仲間たちと一緒になって妨害者と対峙してくれたんですよね。そういう「守ってくれる大人」「一緒に闘ってくれる大人」というのをColaboに来る女の子たちは見てきてなかったり、「大人たちは信頼できない」と思っていると思うんですよね。
仁藤:そうなんです。菱山さんが、妨害者が来た時に私を守るような形で一歩前に出て妨害者と対峙してくれたのを女の子たちが見て「カッコいい!」と思ったみたいだし、「自分を守ってくれている」そういう人がいることを、心強く思ったと話していました。
菱山:それを聞いて、私も今まで活動していると「仲間を守るのは当たりまえ」と思っていたけれども、女の子たちの話を聞いてなるほど!と思いました。本気で味方になってくれるとか、絶対に裏切らず守ってくれる大人に出会ってこれなかったのは私たち大人の責任なので、「私と憲法」の読者の皆さんにはぜひ味方になってほしいですよね!「若い者は頑張れ!」ではなくて、本気で一緒に闘って味方になる大人がもっと増えなくてはならないなと思いました。
そういった妨害が続いた中で東京都が屈服する形でColaboへの委託事業を打ち切りました。補助金制度を使うという選択もあったのですが、Colaboはもう東京都からの支援は一切受けないという決断をしたのですよね。
仁藤:東京都が攻撃に屈するかのようにバスカフェの中止を要請してきました。それに対して菱山さんや市民の皆さんが声を上げて抗議行動を行ってくれました。バスカフェのバスに乗って皆さんの抗議行動に顔を出して現状を説明に行ったら、それについても東京都が「東京都の委託を受けている立場で東京都に抗議に来るなんて契約違反だ」と言って脅してきて。
菱山:酷い!
仁藤:その後、安全が確保できないからとバスカフェに中止要請が出ました。中止要請が出たとメディアに報道されたら、今度は「中止要請ではなく代替案を考えてくるように言っただけ」と話を変えたりしてきました。加害者には接見禁止命令も裁判所が出していましたし、警察に対応もお願いしてその準備もできていたのですよね。なのに東京都が「それだけだと安全に開催できない」というので、「じゃあ、どんなことが懸念なんですか?」と聞くと「それも含めて考えるのがあなたたちです」と。東京都がどんな懸念を持っているのかということも含めて考えてください、と言われて結局開催させてもらえませんでした。
その後に委託事業という形だと東京都が実施主体なので、たぶん東京都はそれが嫌らしく、来年度は補助金にすると言って補助金になりました。補助金になったら、一団体としてColaboが実施主体になるので、場所の提供について渋谷区や新宿区と連携はできないから自分たちでお願いしてくださいと言われてしまいました。ただ東京都が中止を決定したような事業を渋谷区や新宿区が独自でするってことは望めなくて、交渉したのですがダメでした。補助金化された要綱を見たら、少女たちの名前や情報を東京都の判断で見られるようにする。それに従いますということを誓約書にサインさせるようになっていたんですね。
この事業に関連して東京都に対する監査が起きた時に、勿論私たちは東京都に協力して領収書もすべて見せました。しかしその中で、女の子の名前の部分だけ付箋を貼って隠したのですね。領収書の原本は見せるけれども名前は見せなかった。それについて東京都が認めないというようなことを言ったりしたので、ではそれについては自分たちの持ち出しで、自費でやりますということで対応しました。そういうことが出来ないように今後は東京都に従うように、という要望に変えられてしまったのです。そもそも私たちは、出会っている少女たちは大人を信用できない、公的機関で不適切な対応をされた経験から、もし私たちに相談したらその情報が東京都に知られるってなったら繋がれないのですよね。
そういう人たちに繋がるために民間団体が活躍する、そういう事業だったと思うのですが、その事業の意味が変えられてしまったので、私たちは補助金は受け取らないことにしました。ですので、市民の皆さんのご寄付のみで継続するということにしました。
菱山:Colaboの活動に私も参加することもあるのですが、あの活動をカンパでやっていくのはとっても大変だと思うのですよね。でもそうするしか女の子の安全を守れないし、活動も辞めるわけにもいかないですものね。このような決断をして続けていくという選択を私も支持します。皆さんもぜひColaboの活動に連帯し応援してください!
*1 AV新法(AV出演被害防止・救済法) 2022年6月に議員立法として公布・施行された。アダルトビデオ(AV)への出演に係る被害の防止と被害者の救済を目的に、事業者側には出演契約締結時の説明義務や契約書等の交付、契約後1か月以内の撮影禁止や撮影後4か月間の公表禁止などを義務付け、出演者側には意思に反する性交等の拒否権、撮影された映像の確認や契約の解除、販売配信停止等の権利を付与している。しかし、これらの法制化は性交を契約上の業務として容認するものである。
また、AV撮影契約を行う上で出演者が「自己決定した」といった自己責任に転嫁される恐れもあり、性売買の合法化的なAV新法を巡って反対運動が起きた。
*2温泉むすめ ご当地の温泉をモチーフにした少女風のアニメのキャラクター。そのキャラクターの設定が「夜這いが好き」などと言った女性を性的に消費するようなものが多く、それを指摘すると「表現の自由だ」などと言われネット上で大論争が起きた。
*カンパの送り先*
ゆうちょ銀行(ゆうちょ銀行〈振替先選択で「記号番号」から振込の場合〉)
記号)10150 番号)91829801
名義)イッパンシャダンホウジンコラボ
ゆうちょ銀行(他金融機関・ゆうちょ銀行〈振替先選択で「店名」から振込の場合〉)
店名)〇一八(ゼロイチハチ)
店番)018 口座)普通 9182980
名義)イッパンシャダンホウジンコラボ
中尾こずえ(事務局)
関東大震災100年の今年、各方面で様々な催しが取り組まれている。
私の住まいの近くに高麗博物館(市民がつくる日本・コリア交流の歴史博物館)はある。今年、当博物館は通年の企画展示「関東大震災100年―隠ぺいされた朝鮮人虐殺」(ソウルの植民地歴史博物館との連携)が取り組んでいる(7月5日~12月24日)。開催するに当たって博物館に掲示されている挨拶文の「はじめに」から一部を紹介する。
「はじめに」1923年9月1日午前11時58分、相模湾を震源とする最大震度7、マグニチュード7.9の大地震が関東地方を襲いました。関東大震災です。10万以上に及ぶ死者、行方不明者を出す大災害でした。しかし、この自然災害の渦中で朝鮮人・中国人をはじめとするマイノリティが軍隊や警察、民衆の手でころされたことはあまりしられていません。虐殺の要因は「朝鮮人が井戸に毒を入れた」、「朝鮮人が爆弾を投げ入れた」などの流言蜚語でした。植民地民衆の独立を目指す動きに警戒と恐れの意識を抱き続けていた植民地帝国日本が初めて経験した未曽有の震災の渦中にこの流言蜚語が飛び交い、いわゆる「不逞鮮人」への憎悪となって、軍隊・警官・民衆を虐殺に駆り立てていったのです。
新聞や政府当局もまた流言蜚語の流布とその事実化に大きな役割をはたしました。(中略)犠牲者達は虐殺によってその生きた証と、正当に弔われるべき死者の尊厳を根こそぎ奪われてしまったのです。
(中略)現在、力を増しつつある歴史修正主義=歴史否定の動向が、排外主義とレイシズムの蔓延と相俟って、ヘイトスピーチ・ヘイトクライムを誘発する事態にまで、私たちの社会は立ち至っています。関東大震災時のジェノサイドに対する日本社会の責任を不問に付してきたことがこのような状況を生んで最大の要因だと私たちは考えます。(中略)
日本でも市民による「新聞報道と政府当局の責任」の追及や、虐殺事件があった多くの地域で地元住民などによる犠牲者を追悼し歴史を検証する取り組みがずっと続けられています。2023年、100年ぶりにこれまでの政府の責任や対応をただす国会質問がされましたが日本政府はさらなる調査は考えていないと回答、謝罪、賠償の国際基準を無視しています。今回の企画展示が(中略)今の社会に住む全ての民族の人たちが、未来に希望を持てる共生社会を作っていくために何が必要なのかを改めて考える一助になることを切に望みます。2023年7月 高麗博物館
7月31日、関連イベント「関東大震災から100年の今を問う~過去に学び、未来の共生社会を作るレッスン~」は新宿区立四谷区民ホールが400人の参加者で満席になった。
はじめに新井勝紘さん(前館長)が開会挨拶を兼ねて第1部の講演をした。新井さんは「朝鮮人虐殺から100年、虐殺の背景には何があるのか、そして事実の隠蔽行為はなぜ今も続いているのか。過去に3回、同テーマの企画展を行って、更に今回新たに発見された絵巻を公開します。いわれなく殺された人びとを追悼すると同時に、絵巻に描かれた虐殺場面を紹介しながら作者は何を伝えようとしたのかを考えてみたい」と述べた。新井勝紘さんは2021年、オークションで「関東大震災絵巻」を97000円で個人的に落札したとのこと。震災から2年半後の大正15年の作だが一度も公開されたことがない画だ。スクリーンに絵巻が映し出された。2巻合わせて30メートルを超える長い巻物。歴史の底に埋もれていた絵巻。
新井さんは言う。「手許に届いて広げて見ると衝撃的な朝鮮人虐殺場面が描かれていた」と。「震災から一世紀という時間を経て、やっと世に出た衝撃は一層大きかった」と。
絵巻物は静かな街の景色から始まる。揺れと火が恐怖をあおる。火と煙が人びとを囲む。虐殺現場①、②は手に手にこん棒や刀を持った人たちが襲いかかる。虐殺現場③の凄惨な現場には、犠牲者の鮮血が。民家が立ち並ぶ住宅街で虐殺は行われた。あまりにもリアルな場面だ。犠牲者が、まるでモノを扱うようにゴザの上に次から次へと積み重ねられていた。「巻二」で描かれた日本人犠牲者の扱いとは全く違う。周辺は家々が燃え火の粉が上がり黒煙が立ち上っているなかで、虐殺は行われた。20数人の警察官、軍人、自警団が、竹槍、こん棒、刀を手に手にして襲いかかって大量の鮮血が流れている図。3者が渾然一体でやっているところに恐ろしいリアルを感じる。
本所小学4年生が描いた絵も紹介された。143枚の絵が保存されていたそうだ。震度7を描いた子どもたちの絵は、どれも赤と黒が使われていて柔らかな色彩は見当たらない。震度7の強烈な残像は子どもたちから色彩を奪ったのだなということか。
いま、虐殺の史実が否定され、教科書からも消されたり、講演や関連する上映会なども制限されたりするなかで、「過去に学び未来の共生社会を作るレッスン」と銘打った当日のイベントにたくさんの若い参加者が見られたのは嬉しかった。
2部は「韓国現代アーティストの映像作品に見る『ルワンダ虐殺の記憶』」の上映。解説は徐京植さん(高麗博物館理事)。徐さんは「韓国を代表するアーティストであるジョン・ヨンドゥ氏が、アフリカのルワンダで取材。制作した作品。1994年の大量虐殺が過ぎた今も、目に見えない緊張と危機感の中に置かれているルワンダの空気」を深く捉えた作品です。」と紹介した。
新宿区はこれまでは高麗博物館主催のイベントに対し後援してきたが、今回は「区の施策の方向性と異なることから後援はできない」と回答。小池都知事は関東大震災100年の追悼文を拒否。2月定例議会で「何が明白な事実かについては歴史家がひも解くもの」「亡くなられた全ての方々に対し、哀悼の意を表している」と虐殺の事実を認めない。
これらの態度は歴史の否定に他ならない。小池都知事は長年にわたって朝鮮人虐殺を認めようとしてこなかった。このようなレイシズムは、あったことを無かった事にして歴史の事実を歪めていく。故安倍首相は「侵略」という言葉を嫌った。歴史の史実を読み解く作業は大切にしなければならないと思う。
童画家・河目提二が残した虐殺画(水彩)からは、悲鳴やうめき声、怒濤のような群衆の叫び声が聞こえてきそうである。この狂気の犠牲になった朝鮮人の無念さは計り知れない。歴史修正主義者たちが何とかして史実を修正しようともがこうとも、生きた証拠は残されている。(国立歴史民族博物館蔵)
世界は今、ポスト冷戦期の30 数年の歴史の末に、平和に向けた真摯な対話と外交の努力を喪失したまま、核戦争の不安さえ打ち消せない人類史の危機を迎えています。ウクライナ戦争を契機に、多くの国が軍拡と軍事同盟の強化に突き進んでいます。世界は「戦争の惨害から将来の世代を救い」「国際の平和及び安全を維持するためにわれらの力を合わせ」「努力を結集する」と謳う国連憲章前文の精神を一日も早く実践しなければなりません。東アジアでもアメリカ合衆国(米国)は中華人民共和国(中国)と朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)の脅威を掲げて、日本と韓国との軍事同盟を強化しています。5 月の広島 G7サミット、さらに 7 月のNATO ビリニュス首脳会議においても、この世界的な危機を克服するよりも、むしろ「核の抑止力」が強調されました。朝鮮戦争の休戦から今年で70年になりましたが、朝鮮半島と東アジアでは軍事的緊張と核軍拡競争が加速化しているのです。私たちは、前例のない核戦争の危機と日韓関係における積年の課題を克服するために、次のように訴えます。
関係改善を通じて朝鮮半島の平和体制と非核化に進もうという2018年の南北、米朝首脳間の合意は結局、実行されませんでした。不信の中で交渉が決裂した後、朝鮮は急速に「核武力を高度化」しています。米国は「拡大抑止を実質化」するという名分で、核兵器に依存する日米韓軍事協力を通じて「インド太平洋」地域で軍事的覇権を強化し、韓国は朝鮮に対して「戦争やむなし」の武力示威を強化しています。しかし、武力示威がもたらすのは平和ではなく、武力衝突であり、核戦争の危機です。日本と韓国は軍事同盟と核兵器に依存する軍事的対決の道ではなく、平和をめざす和解と協力の先頭に立って、核兵器も核の脅威もない世界をつくるために努力しなければなりません。韓国政府及び関係国政府は朝鮮戦争の終結と平和の定着を求める市民の声に応じなければなりません。私たちは、70年間続いてきた戦争状態を終わらせるため、平和協定を締結し、朝鮮半島の非核兵器地帯化の実現に努めるべきです。
今年前半に開かれた通常国会を通じて岸田文雄政権はかつてない大軍拡と改憲の道へと暴走しました。今回、成立した軍需産業支援法や軍拡財源確保法は、平和憲法の「専守防衛」と「防衛費はGDPの1%以内」を放棄し、「敵基地攻撃能力保有」と軍事費をGDP比2%以上に拡大する内容まで含まれています。また、広島で開催されたG7サミットを通じて日米韓政府はNATO諸国まで引き込んで、東アジア地域での軍事的緊張を極度に増大させています。さらに、核の抑止力を強調しながら、核廃絶への被爆者と市民の強い願いを無視して、新冷戦体制を破局の方向に加速化させています。私たちは、このような日本政府の軍事大国化に反対し、東アジアで核の脅威をなくすための核兵器禁止条約への加盟を求めます。そして、日本政府がアジアの多くの人々の犠牲の上に得た平和憲法を守り、その精神を実現することを求めます。
私たちは強制動員問題、日本軍性奴隷問題などをはじめ、植民地主義からの克服に向けた過去清算の課題を覆い隠しながら、日米韓軍事同盟を強化する日韓政府の動きに対して強い懸念を表明します。3月、韓国政府は強制動員問題解決のための「第3者弁済案」を発表しました。これに対して、生存される被害者や被害者の遺族は明確に反対の意を表明しました。韓国政府は「第3者弁済案」を撤回し、戦犯企業である日本製鉄と三菱重工業は今からでも韓国大法院(最高裁)の判決に従い被害者に心より謝罪し、賠償しなければなりません。一方、日本軍性奴隷問題の解決のための水曜デモが6月14日、1600回目を迎えました。水曜デモで要求する7つの事項、すなわち戦争犯罪の認定、真相究明、公式謝罪、法的賠償、責任者処罰、歴史教科書への記述、追悼碑と史料館建設は戦争犯罪の加害国である日本が必ず履行しなければならない課題であることを再度確認します。植民地支配と侵略戦争が刻まれた過去を克服するために共に努力してきた日本と韓国の市民は、今後も歴史の真実を明らかにし、被害者の人権回復のために力強く連帯していきます。
日本では入管難民法の改悪案が6月9日、国会で成立しました。弁護士会や市民団体、宗教団体が改悪反対の声を挙げたのにもかかわらず、与党と一部野党が野合して強行採決したのです。今回の改悪法は、3回目以降の難民申請を認めず強制送還でき、国外退去を拒否する外国人に対して無期限の入管収容や刑事罰などが盛り込まれ、G7諸国の中でも最悪の難民認定制度であり、国際的な人権法、難民法に違反するものです。韓国も歴代難民認定率が平均約1.5%にとどまっているにも関わらず、「難民審査再審請求制度が滞在を延長する手段として悪用されることを防ぐ」という理由で再審査請求自体を難しくする難民法改定案が推し進められています。日本と韓国の両政府が取っている難民申請者に対する対応は難民の権利保護ではなく、事実上難民追放政策と言えます。両国政府は、外国人移住者に対するヘイトや差別を助長し、強化する難民改悪法を直ちに中断しなければなりません。
私たちは、関東大震災朝鮮人虐殺100年を迎え、虐殺犠牲者の追悼と共に、日本政府の国家責任を強く追及します。日本政府は、流言蜚語に基づいた戒厳令の発布、また、その流言蜚語を海軍船橋送信所から全国に流布させて朝鮮人虐殺を、先導的に殺傷を行った軍隊と官憲のみならず、在郷軍人を中心とする自警団を巻き込み誘導拡大させたことに責任をとらなければなりません。そして、100年前に引き起こされたジェノサイドの中で広がった「不逞鮮人」というヘイトスピーチは、今日はっきりと表出しなくとも、その中に含まれた敵意・蔑視・恐怖心は、「新たな戦前」と呼ばれる大軍拡路線へと暴走する今日の日本において、朝鮮学校に対する官製ヘイト的な無償化除外の差別政策、SNSメディアや社会意識の中に決して止むことなく生き続けていることを忘れてはなりません。さらにそのヘイトは物理的暴力として在日コリアンに襲いかかっています(2021 年 7 月末、奈良県での民族団体事務所の不審火事件/同年 8 月末の京都のウトロ地区での放火事件/同年 12 月の大阪での民族団体事務所へのハンマー投げ込み事件)。今後、私たちは両国市民社会にこの問題の深刻さを訴えながら、歴史におけるジェノサイドの国家責任追及と共に和解と平和のために、世界市民と連帯していかなければなりません。
日本政府は今夏から今後30~40年かけて、放射能汚染水を海洋投棄すると予告しました。それと共に、今年の通常国会では老朽原発の運転推進などを容認するGX法が成立しました。12年前の福島原発事故で溶けた核燃料の除去方法がまだ見つかっていない中、高濃度の放射性汚染水は今後も発生し続け、多核種低減設備(ALPS)を通じて核物質が適切に除去されるかどうかも検証されていません。陸地での保管や固体化のように環境汚染を最小化できる他の代案を探すのが当然あるにもかかわらず、岸田政権は最も安価であるという理由で、国際原子力機関(IAEA)の「国際安全基準に合致する」という報告書を盾に、放射能汚染水を「処理水」として海洋投棄する計画を推し進めています。これは、国連海洋法の第12部、海洋環境保護規定を犯し、 生態系と人類の安全を脅かす重大な違反行為なのです。日本政府は、海によって生計を営む漁民、太平洋島嶼国と周辺国、日本国民の激しい反対世論に耳を傾け、放射能汚染水の海洋投機計画を全面撤回すべきです。
日韓両国の若者が共に歴史に向き合い、和解を目指して平和を築く出会いと交わりを行うための「日韓ユース平和フォーラム」が2年目を迎え、今年8月末に日本で開催されます。真の日韓関係の未来と東アジアの平和は、連帯、協力する若者の交流から生まれ、そこに私たちの希望があります。私たちは、対立と分断による戦争の脅威が世界に広がる中で、市民の声を結集し連帯して、和解と平和に向けた努力の道を歩み続けます。
2023年8 月10日 日韓和解と平和プラットフォーム
お話:永田 浩三さん(武蔵大学教授、元NHKプロデューサー)
編集部註)7月14日の講座で永田浩三さんが講演した内容を編集部の責任で要約したものです。要約の責任はすべて本誌編集部にあります。
コロナ3年目ということで、学生たちと付き合っているとやっぱりこの3年間に負った傷というのは大きいなという感じがします。いろいろな学生たちと出会っていろいろな作品をつくっています。ということで写真を持ってきました。これは橋向真さんという方で、富士山をずっと撮っていらっしゃる方です。富士山のおもしろさはひとえに山そのものではなくて、そこにかかっている雲とセットだということです。コロナ禍で家に閉じこもっている中で学生たちが気付いたことは、空の雲は毎日変わっているし面白いということですね。この橋向さんに出会って作品をつくるという学生もおりました。これは笠雲ですね。これも橋向さんの写真です。夕映えの中の富士ですけれども、本当にすごいなという感じです。
学生が出会った雲の写真家で、もうひとりは田中貞之さんという大阪の方です。この方はお母様を介護しながら雲の写真を撮っていて、この方の面白いところは雲をずっと見ていると、見立てていろいろな動物に見えてくるということですね。例えばこの写真ですけれども、よく見てみると亀だったりパンダだったりに見えてきませんか。パンダが丸木船に乗っているような感じでしょうか。これなんかは、巨大な人間のような怪獣みたいなのが羽を広げて空を飛ぼうとしているような感じに見えたりします。学生たちは「雲と人生」、みたいな感じで面白いことを考えて作品をつくってくれたりしました。
私はNHKにおりまして、そのあと大学の教員になりました。映画をつくることもありまして、沖縄の問題をずっと本土に伝えることをやり続けてこられた森口豁さんの映画。それから原発の炉心部で働く人たちの姿を、初めて記録した樋口健二さんの世界というものを映画にしたりしました。これは辺野古の森口さん。これは国分寺に住んでいる樋口健二さんのお宅に行って作った映画の1コマですね。
いろいろなニュースが日々あるわけですけれども、みなさんが一番心を痛めていらっしゃるのは、やっぱりウクライナのことだと思います。私はレイバーネットでお手伝いさせていただいたり、「デモクラシータイムス」にときどき出させて頂いたりします。先々週、ちょうどワグネルという「私兵」ですね。民間軍事会社といわれている、そのブリゴジンという人が反乱を起こしたというニュースが放送のときに飛び込んできました。およそ5万人の会社の長ですけれども、人相が悪いので、すごく悪いやつみたいな印象を持っていらっしゃるかもしれません。
こういう民間会社って実はいっぱいあるんですね。歴史をひもといてみると、例えばローマ帝国、世界史で「傭兵」という単語で勉強したりしたけれども、これも民間軍事会社といってもいいかなという感じです。ローマ帝国でいえばこういう傭兵たちの反乱によって帝国が弱っていく、亡びていくということがあったと思います。だからだいたい都合よく私兵を持っている王様たちは、私兵によって寝首をかかれて倒れていくというのが世の常だったということですね。今回のロシアでいえば、どのように展開するのかというのはなかなかよくわかりませんけれども、ある違う局面が始まったのかなと思ったりもします。
これはキーウのブチャで虐殺が起きたときの、ある1コマの写真です。いろいろな写真が出回っていて何が真実なのかということを正確に見極めなければいけないということがありつつ、見ている風景が過去のいろいろな場面と重なって見えてくることがあります。例えばキーウ郊外のこの写真です。この写真は主を失って、犬だけが帰りを待って家のところに座っている。私は最近学生たちと秋田の大館に通うことが多いんですけれども、ちょうど終戦の前々月、1945年6月30日に起きた花岡事件というのがありまして、中国人が蜂起して惨殺された事件を学生と追っているんです。この花岡事件があった場所が大館というところで、ここに忠犬ハチ公、秋田犬が「名物」というか育っていて、いまは全国区だけじゃなくてロシアにも秋田犬が行っているということです。
ロシア兵たちもいろいろ情報を得ないで現地に行って戦ってみたら、こんなはずじゃなかったということがわかってきている。例えばロシア兵の多くは辺境から戦争に狩り出されていて、ブチャの家に行ってみると、ブチャのガレージの方が自分たちの家よりも立派だった。ウクライナの人たちを解放するために行っているといわれて、行ってみたら全然そんなことはなかったということを、ロシア兵たちはそこで気付くことがあったりもします。これはハルキウの橋で空爆を避けている人たちの写真です。よく見ていると子どもたちもそこにいます。これは例えば、沖縄戦のときにガマに身を隠して自決を迫られた沖縄の人たちを連想します。これはマリウポリの教会の破壊の場面ですけれども、これを連想します。浦上天主堂です。
ザポーリジャの原発、今回われわれが「ああそうなのか」と気付かされたのは、原発があるということでより戦争が複雑化し、原発が狙われるということで、世界が震撼させられることでもありました。稼働中に砲撃を受けるということは歴史の中で初めてといわれていますよね。ザポリージャについては水を供給するところが断たれたりとか上流域のダムが破壊されたりしました。ダムが破壊されて水浸しになったエリアは東京23区のエリアと同じくらいだというから、いかに破壊が激しくてダムのエリアが大きかったかを物語っています。これは「『人類史上初』 原発への暴挙」、「福島から憤りの声」という記事です。もうひとつ「原発攻撃 被団協ら憤り」となっています。当然ですね。原発が核兵器と同じ意味を持ってくるということです。私などはチェルノブイリと慣れていたものですからなかなかチョルノービリという言葉が覚えられないけれども、このチョルノービリの管理もとても危うくなっていて心配でなりません。
ちょうどチェルノブイリの原発事故が起きたあと、私はウクライナに行ったんですね。大地が汚染されるってこんなにひどいことなのかとそのとき思いました。農家の人たちがいろいろわれわれロケ隊をもてなしてくださって、野菜や特にジャガイモをゆでたものとかゆで卵、リンゴジュースを冷やして出してくださったことがありました。それらがどれくらい汚染されているのかなと、ちょっとひやひやしながらもてなしを受けたことがありました。
ウクライナの人たちはものすごく文化的に豊かです。家に行ってみると、青森の日本海側に例えば十三湖とか竜飛岬とかがあって、あのあたりは冬は風が強くて雪もそれなり吹きすさぶ場所ですけれども、その風を防ぐために木の囲いがあります。「かっちょ」と現地ではいうんですけれども、その板囲いの中に家があって日本海から吹き寄せる風を防ぐ。そんな感じの村々がウクライナにもありました。スターリン時代には虐殺というか「飢餓輸出」ですね、それが起きた話を聞かせてもらいました。
びっくりしたのは、自分でつくった詩を朗読してくださるんです。それは本当に素敵な詩でした。お風呂が家の中になくてドラム缶みたいなものの中にお湯をためて、露天風呂ですか、「頭の上には夜空があって星が瞬いていてお風呂は楽しい」という詩を朗読してくださった。「私がつくったんですよ」という詩ですね。それこそプーシキンとかゴーゴリとか、いろいろなロシアの文化の豊かさがこのウクライナの片田舎にもあるということを実感いたしました。そういうロシアの民衆文化とかサロンの文化とか、そういうものがウクライナの中にも脈々と流れていていろいろな言葉が豊かで、それがいま戦争の中で破壊されているんだなと思いました。
ベラルーシに戦術核を配備するということが始まっています。これはNATOへの対抗措置といっていますけれども、1989年に東欧・ロシアの変動、1991年にウクライナやベラルーシ、バルト3国が独立する中でブダペスト覚書というものができました。1991年にウクライナが独立するときに、世界で核兵器を一番持っていたのがロシアです。2番目がアメリカ。3番目に持っていたのがウクライナです。ウクライナに配備されていた核兵器をロシアに返します。その替わり米ロの関係で緊張をなくしていくということで、中距離核ミサイルをなくすことがブダペスト覚書の一番根幹にありました。ベラルーシ、ウクライナ、カザフスタン、この3つの国にある核兵器をなくしていくことでした。これは現実にそうなりました。ところが、今回のベラルーシへの核兵器の配備が現実の問題になるということは、ブダペスト覚書が反古にされるということになったわけです。
いま起きていることはもうひとつありまして、この写真はよく見ると網かごの中に鉄の弾がいっぱい入っている。クラスター爆弾です。爆弾を投下して子爆弾が放出されて、その子爆弾が爆発して、たくさんの人たちが傷を負って、身体の中に鉄の破片が入って一生悪さをするということだと思います。投下された爆弾が全部破裂するわけではありませんから、不発弾となって地上に埋め込まれます。その地上に埋め込まれたクラスター爆弾は、地雷のようにずっと残り続けます。これはウクライナにおいて、ずっと長い時間地雷を埋め込まれていることと同じになることですね。もちろん占領しているロシア兵に危害を加えて解放することが目的ですけれども、そうはならないということです。どう転んでもクラスター爆弾を一旦使ってしまうと、そこに不発弾ができて地雷があちこちに埋め込まれるということが起きます。
兵器に人道的な兵器があって非人道的な兵器があるという識別はできません。ゼレンスキーの申し出に応えるかたちでバイデンはウクライナにクラスター爆弾を供与することを約束しましたけれども、本当にそれでいいんだろうか。もちろんロシアはすでにクラスター爆弾を使っています。だからといってウクライナに肩入れして、クラスター爆弾を使っていいとしていいのかどうか。本当に難しい。私は「いいよ」って言えないと思っています。この会場にいらっしゃる方は違う考え方をお持ちの方ももちろんいらっしゃると思います。ただ私はそんなに簡単じゃないなということを今日は申し上げておきたいと思います。
さきほど津軽のような板囲いの貧しく見える村々を1989年に歩いた話をしましたけれども、1930年代にウクライナは「飢餓輸出」ということを経験しました。「ひまわり」という映画に出てくるような広大なひまわり畑、そこにたくさんの小麦の畑が続いていて、ウクライナは世界有数の小麦の生産地帯です。1930年代、スターリンの時代です。世界がうらやむような豊かさを享受していたといわれているけれども、内実はそうではない。小麦を収穫して、その小麦は外貨を稼ぐ道具として使われて、機械をソ連が買って輸入するということだった。
これには下を向いている農家の女性が写っています。自分たちの口に入らないで小麦が輸出されていく現場ですね。こんな感じで、農家の人たちは飢えながら小麦が略奪されていったわけです。この内実を暴いたのがイギリスのジャーナリストです。これは「スターリンの冷たい大地で 赤い闇」という映画になりました。アメリカの新聞王のハーストがこれに着目して世界中に発信されていきました。当時イギリスの賢者といわれているバーナード・ショーとかそういう人たちがソ連の「奇跡」みたいに持ち上げるけれども、内実はそうではなかったことが暴かれていきました。
さて最近のウクライナ報道ですけれども、この方はわかりますかね。ミラシナさんという、「ノーバヤ・ガゼータ」という新聞があってノーベル平和賞を取りました。ムラトフという人が編集長で、いまロシアの中ではなかなか活動ができなくなっています。この「ノーバヤ・ガゼータ」の記者のミラシナさんが襲われました。緑色の液体をかけられて、長い髪が丸刈りにされるということが起きたわけです。
これはご存じのようにこの写真を連想させます。これはロバート・キャパが撮った有名な写真です。ナチスドイツの兵士と恋仲になって赤ちゃんを産んだパリの女性たちを馬鹿にして、丸刈りにして笑いものにしている写真です。これは額にカギ十字を書かれて歩かされている。これを連想しますよね。たぶんやった人は、女性記者が「ネオナチ」なんだと烙印を押したかったんですね。そんな事実はまったくありません。チェチェンのウソを暴くために「ノーバヤ・ガゼータ」の女性記者2人が入っていて、空港で襲われた。ひどい話だと思います。
チェチェン紛争は第1次、第2次とありましたけれども、この中でプーチンがいろいろひどいことをやって、それを暴こうとしたのがこのムラトフ記者のもとでがんばっていたアンナ・ポリトコフスカヤという女性です。このアンナ・ポリトコフスカヤさんについて、私は仕事はよく存じ上げていたんですけれども「チェチェン やめられない戦争」というNHK出版が出している本で、いまでも出ています。プーチンがいかにひどいことをやったのかということがここにも書かれています。戦争反対の声がなかなかあげにくいけれども、ロシアであがるときに必ずこのアンナ・ポリトコフスカヤさんの写真が掲げられたりしています。NHKもそうですしドイツのZDFもそうですけれども、ロシアにおいてなかなか取材が普通にできないということが続いています。
これはキーウです。ウクライナの首都。キーウは2017年から公共放送が始まったんですよ。これはEUの加盟を望んでいて、EU加盟の条件としてEUが出してきたのが、きちんとした公共放送を持っていなければいけません、ロシア由来の国営放送ではダメですよということを条件付けてきました。2017年以降今日に至るまで、公共放送をウクライナで立ち上げるに当たって尽力し続けているのはどこだと思いますか。これはNHKなんです。皮肉なことにというか、NHKです。キーウの公共放送局が健全に育っていくために、JICAのオプションですけれども、応援しているのはNHKです。公共放送と国営放送は何が違うか。それは、国家のためではなくて人々の側に立って放送をつくっていくことです。それができていないNHKが先生としてがんばっていますね。
公共放送局をキーウで立ち上げるに当たって、NHKで現地の指導したのが、私と同期入社のディレクターです。彼が「公共放送ってこういうものですよ」ということで、日本にウクライナの公共放送の人たちをお招きして勉強してもらったのが、大阪放送局の「バリバラ」という番組です。これは障がいを持っている人たちがその人らしく日本社会の中で生きていくということで、いろいろな障がい、それからLGBTQ問題を「バリバラ」は積極的にやっています。大阪放送局にウクライナのテレビ人がきて勉強して、ウクライナに帰っていきました。「バリバラ」で扱った有名な番組が「桜を見る会」ですね。「あぶないぞう」という人がでてきて、この「あぶないぞう」はアブを頭にくっつけているんですけれども、それが「桜を見る会」をコケにした番組ですよ。これが再放送中止に追い込まれる。この再放送、いいじゃないかということでがんばったのが大阪放送局長ですね。中止にしたのがNHKの副会長です。正籬さんという人でしたね。正籬さんが副会長に就任して最初の仕事が「バリバラ再放送中止命令」だといわれています。
キーウ放送局が健全に育っていくお手伝いをしたNHKのディレクターが持って帰ってきたのが、これですね。トイレットペーパーの外側にプーチンが描かれている。「くそったれ」という感じですかね。いかにウクライナの人たちがいまの事態を嘆いているかということでもあるわけです。世界にウクライナの公共放送の映像が発信されています。それが戦争当事国のウクライナがバイアスをかけてフェイクニュースを流しているわけではなくて、ちゃんと取材をして世界に通用するようなかたちでいろいろな素材を出しているということが曲がりなりにもできているのは、NHKがお手伝いをしたりしていることと関係があるということだと思います。すごく皮肉なことですけれども、NHKは日本でできていないことをウクライナでちゃんと健全にやってほしいという夢を託しているとも言えるかもしれません。
先日のG7広島サミットです。これについては広島の、特に原爆を体験した被爆者たちは複雑な思いで見ておりました。この写真、バイデンがいて岸田さんがいて、岸田さんの選挙区は広島1区ですよ。それは爆心地そのものですね。これは東京新聞の佐藤正明さんの漫画です。あのG7サミットで何も片付いていないどころか核兵器で脅しているプーチンに対抗するために、核兵器を持っているG7のいくつかの国は「核抑止」を明言したわけです。「核抑止」とは何か。核兵器に対しては核兵器で向き合うということです。核廃絶を悲願としている広島の人たちにとって核兵器なら核兵器で対抗するということは断じて言ってはいけないことだった。被爆者を愚弄することです。
もちろんあの原爆資料館にわずか40分でも身を置いて、核の被害について心を寄せてくれたことはよかったかもしれない。だけど、だけど言ってはいけない。サーロー節子さん、91歳ですね。彼女は広島女学院の友達を351人亡くしたわけです。ちょうど広島駅の北側の、二葉の里というところに軍の諜報機関があって、そこで働いていたサーロー節子さんは命を拾うわけです。有名な話がありますよね。自分が瓦礫の中で、何とか闇の中で地面を目指していたときに、兵士のひとりが「どうか光に向かって歩んで行け」と、光に向かって進んで行けと言ってくれた。現実の兵隊がそんなふうにアドバイスしてくれたんだと思いますけれども、それはまるで神の声のように聞こえたとサーローさんは語っています。
サーローさんが講演のときに引用する詩があるんです。それはこれです。栗原貞子さんの詩です。「<ヒロシマ>というとき」。「<ヒロシマ>というとき <ああヒロシマ>とやさしく答えてくれるだろうか <ヒロシマ>といえば<パール・ハーバー> <ヒロシマ>といえば<南京虐殺> <ヒロシマ>といえば女や子供を壕の中にとじこめガソリンをかけて焼いたマニラの火刑 <ヒロシマ>といえば血の炎のこだまが 返ってくるのだ (略) <ヒロシマ>といえば<ああヒロシマ>とやさしい答が返ってくるためにはわたしたちはわたしたちの汚れた手をきよめねばならない」。つまり広島は被害の街ではないということです。広島は軍都として朝鮮半島、大陸に進撃した出撃拠点だったことを忘れてはならないし、広島、同じ瀬戸内に大久野島という毒ガス開発の島があり、台湾や中国大陸でその開発された毒ガスによってたくさんの人たちが命を落とし、不発弾がいまも見つかって、子どもたちが毒ガスによってけがをしたり命を落としたりしているという現実を忘れてはいけないということをサーローさんは言っています。
これはI CANの川崎哲さん、真ん中がサーロー節子さん、端っこが岸田文雄さんです。「岸田君」という、講演の中で出てくる原爆投下のその日に命を落とした、とても悲しい話をサーローさんはします。この「岸田君」は、岸田文雄さんのおじさんかあるいはおじさんに近い人だと思います。係累の「岸田君」ですね。サーローさんにとって一番悲しい原爆投下の日の物語は、岸田文雄さんにも届いているはずなんです。ゼレンスキー、あの原爆資料館を見て慰霊碑の前で花束も捧げた。彼自身の胸には原爆のことはやっぱり届いたと思いますけれども、先ほどのクラスター爆弾はひょっとしたら核兵器をプーチンが使う引き金になりやしないか、私はひやひやしてみています。
さて岸田さんですけれども、いろいろな不埒なことが続いていて、これは5月に発覚した去年の忘年会ですね。よくいわれているのは、係累の親戚の人たちを首相公邸に招いて忘年会をやったといわれていますけれども、よく見てほしい。これは親戚の人じゃありませんよ。どう考えても女性たちはみんな同年代。これは合コンだと思います。文春は知っているけれども合コンだというと内閣が潰れてしまうから、そこまでは言わないでおいてあげているんじゃないかなといわれています。正確に調べなければいけないし、ちゃんと追及してほしいですね。
首相公邸はこの動物が見守っているんです。「ミネルバの梟」と言います。ミネルバの梟は闇の中で飛びたつ。知恵の神ですよ。この知恵の神が預かっているのは、歴史の検証を受けるよという知恵の神です。ヘーゲルの中にも出てきますけれども、首相公邸、昔の首相官邸ですね。ここに住まう人は歴史の検証を必ず受けますよ、ということをミネルバの梟は言っている。アメリカのホワイトハウスの会話はきちんと記録されていて、それはトランプでもバイデンでもケネディでも同じです。いつの日か歴史の検証を受ける。だからウソを言っちゃいけないということです。
でもこの人、去年死んだ人。歴史の検証を受けるという覚悟はなかったと思います。岸田さんでいえば「事件の涙」、ウィシュマ・サンダマリさん。最近NHKのテレビドラマはとっても好調なんですよ。私は「あまちゃん」の再放送を見て、それから「らんまん」の放送を見て、見られないときは収録して夜楽しんでいますけれども、ドラマでいえばこの「やさしい猫」ですね。これは入管というものが、いかに外国人の人権を侵害しているかということを描いた作品です。原作は中島京子さん。指宿さんという心ある弁護士が先頭に立って戦っておられますけれども、指宿さんが見せているのは入管の関係の資料を情報開示請求したら、全部黒塗りで出てきましたという話です。
黒塗りの話で脱線しますけれども、いまデジタル化の象徴的な話としてマイナンバーカードがいろいろと問題を起こしている。情報公開を請求したときに紙でとにかく出してきて、全部紙代を請求してくる。そうするとこの黒塗りの、何の意味もない紙が1枚何十円というかたちで、あっという間に何万円、何十万円となります。今日お集まりのみなさんそうだと思いますけれども、市民運動で情報公開を求めて黒塗りの意味のない紙をもらうために5万円、10万円かかるるわけです。これがデジタル化されていればその紙代はかからない。そんなことで、情報公開を求めるという。ただその作業自身にも歯止めがかかっているということだと思います。だからデジタル化はされるべきです。だけども、根本的に日本は人々に情報を知らしむべからずということでやっている。隠す、ということを続けているということだと思います。
これはネットで拾ったものです。岸田さんの答弁の主だった発言ですね。ちょっと紹介しますけれども「岸田流『何もしない』の様々な表現方法」、「・遺憾に思う・注視していく・最善を尽くす・慎重に検討する・慎重に見極める・適切に対応する・毅然と対応する・遺漏なく取り組む・検討に検討を重ねる・最善の方法を模索する・緊張感を持って対応する・警戒感を持って取り組む・あらゆる選択肢を排除しない・専門家の意見を伺いながら議論を続ける」。これは全部何もやらないということの同義語ですね。彼はとにかく、安倍さんや菅さんよりはわかりやすい言葉を使うけれども、何もしないということにおいては上をいっているかもしれません。
いまから4年前の有明の憲法集会。私も参加させていただきました。このとき一緒に発言したのが元山仁士郎さんです。彼は去年ハンガーストライキをいくつかの東京の場所でやりました。これは防衛省の前でのハンガーストライキですね。元山さんはシールズの時代から国会で声を上げていて、私は杉並なんですけれども、彼ら若者たちがいろいろな学業に励みながらそんなにおいしいものも食べていないだろう。われわれおじさん、おばさんは若者をどう支援すればいいんだろうか。せめて杉並で「まわっていないお寿司」をごちそうしたいということで、めいっぱいお寿司を食べてもらうみたいなことをやったんです。
そのときに話したのは、かつて沖縄より19年早く本土復帰を果たした奄美の復帰運動ですね。1953年12月25日、この奄美の人たちのやり方は署名を集めること、もうひとつはハンガーストライキです。食糧難でしたから子どもたちも含めて食べないで過ごすことがままありました。だから断食はそれほど苦にならなかったって、当時の体験者はおっしゃっておられます。そんな話をしたんです。アメリカのダメージは、民衆がご飯を食べないでたたかうっていうことだったんだよと。それを覚えてくださっていたかどうかはわかりませんけれども、命がけで元山さんは自分の食を断ってたたかったわけですね。
元山さんが意識していたのはもうひとつです。これは沖縄の返還が行われた翌年に、国会議事堂の鉄柵に向かってナナハンのオートバイで体当たりをして死んだ上原安隆さんがかぶっていたヘルメットです。よく見るとヘルメットに白い線があって、これは国会議事堂の鉄柵に激突したときの傷です。見ているのは双子の弟の上原安房さんです。その横で帽子をかぶっているのが先ほどご紹介した森口豁さんですね。元山仁士郎さんは、たったひとりでたたかった上原安隆さんのことを思い出して、自分は、沖縄返還は、こんなはずじゃなかったということを訴えるためにハンガーストライキをやるとおっしゃっていました。切ない話です。本当に本土の人間として申し訳なく思います。
さて、このおじさん。「ウラジーミル。君と僕は、同じ未来を見ている。行きましょう。プーチン大統領」。どこに行くんですか。20数回外交交渉をしたといっていますけれども、私はでたらめだったと思っています。2014年にクリミア占領がありました。このときに日本政府はアメリカと一緒にプーチンの振る舞いを非難した。このときすでにプーチンは、日本と交渉することはないって決断したといわれています。このことは去年、北海道新聞がきちんと体系立てて本にしました。北方四島交渉のでたらめ。
NHKは北方四島交渉、安倍さんの末期のときにNHKスペシャルをつくった。外交交渉の舞台裏が音が消されたかたちで紹介されました。やらせですね。2014年以降、プーチンは北方四島を返す気持ちはなくなっていた。しかしNHKはせめて2島くらいは返ってくるかもしれないねっていうことを放送した。これは間違っていたと思います。当時の一番覚えめでたかった記者は岩田明子さんです。いまはNHKを離れて外交評論家とかいろいろなかたちで発言していますが、彼女は知っていたんじゃないかなと私は思いますけれども、罪作りな報道だったと思います。
安倍さんはこんなことも言っていた。「核共有の議論が必要だ」。安倍さんと橋下氏が一致したといっていて、これもひどい話だと思います。
去年7月8日、大和西大寺の東口ですね。現地に行きました。1週間後にずっと見て回ったけれども、花が手向けてあった。駅前再開発目前だったんですね。だから1年経ってみるとあの現場はもうないんです。非常に奇妙なガードレールで三角に取り囲まれたあの場所に安倍さんは立って、山上容疑者の銃撃を受けた。私は現場に行った。すぐ近くが唐招提寺で、薬師寺も近い。その薬師寺、唐招提寺に行く手前のところに鷺のコロニーがあったんです。鷺は白い羽で、いっぱい集まっていると一見きれいに見えます。でもその下を見てみると糞だらけです。だから見た目だけが一見きれいに見えるものは違うなとあらためて思いました。安倍さんが撃たれた現場です。写真を撮ったのは毎日新聞奈良支局の久保さんという記者です。
久保さんは奈良に行く前は神戸の支局におられたんですよ。ものすごく気の優しい記者さんです。泣きながらの記者会見、「号泣会見」という、兵庫県議で政務調査費をちょろまかしていて、泣きながらの記者会見がありました。あの号泣会見のときに久保記者はあまりにかわいそうで、一枚の写真も撮らずに帰ってきた。そんな人なかなかいないと思いませんか。もちろんデスクに怒られるわけです。今回も安倍さんが銃で撃たれて倒れている、シャッターを切るか切るまいかって悩んだそうです。でも勇気を持って写真を撮った。これが新聞協会賞になったんです。そんな人っていないんじゃないか、天然記念物みたいな記者さんだなって、私は思ったんです。この新聞協会賞を取ったときにコメントするのが私だった。私を選んでくるというのも、毎日新聞はすごいですよね。
私は思ったんです。ためらいながらシャッターを切る人が本物だって私は思ったし、残忍なテロに倒れた安倍さんを、しっかり撮ったということは立派だったとコメントしました。このガードレールも写っていて、いろいろな人が声をかけて、息が絶えていく。この現場をちゃんと歴史に残したということはとても大事なことだと私は思います。「無念を伝え尊厳を守った」。現場では「写真撮ってる場合かよ」と罵声が飛び交ったそうですけれども、そんなことはない。記者はちゃんとシャッターを切らなければいけなかったと私は思います。
南スーダンのアヨドということころで内戦の中で飢餓が広がって、ハゲワシが女の子をまさに襲いかかって食べんとしているような場面があるんです。それをケビン・カーターというカメラマンが現地に行ってシャッターを切って、それがその年のピューリッツァー賞をとりました。私は最後にケビン・カーのインタビューをとったディレクターと一緒に仕事をしたプロデューサーでした。「人を救わなくてはいけない」みたいな大合唱の中でケビン・カーターは最終的に自殺をするんですね。いろいろ悩み深い人だった。ピューリッツァー賞をとった後の攻撃によって死んだかどうかはわかりません。でも私は、ケビン・カーターが内戦の中で、飢餓に苦しむ人々の中で、少女がハゲワシに襲われようとしている写真を撮ったということはとても尊いことだと思うんです。ケビンが言ったのは、こうです。「写真を撮った。でもその写真が意味するところの残酷さというのは自分が一番よくわかっていた。だから写真を撮った後ハゲワシを追っ払った」と言うんですね。だからハゲワシに襲われそうになったところも撮り、ハゲワシを追っ払ってその子を助けたということ、それがどうして攻撃を受けなければいけないんだと私は思います。
これは「安倍国葬」ですね。私は国葬をすべきではなかったと思います。前川喜平さん、隣が鎌田慧さん、その隣が私です。新宿を歩きました。このときにびっくりしました。歩いてゴールに近づいた時に若者が寄ってきたんですよ。国葬というのが見えたと言うんですね。「誰か死んだんですか?」って若者が聞いてきました。「何の仕事をしているんですか?」と聞いたら、「新宿でホストをしています」。ホストってお客さん商売じゃないですか。世間話をする。でも彼は安倍さんが死んだことを知らなかったんですね。だから日本社会っていろいろあるんだなという感じもしました。このときに台の上に乗って演説もしたんです。
こんな川柳があります。「忖度はどこまで続く あの世まで」。それからこれは私のおじの永田暁風という人が治安維持法時代に作った俳句です。「マスクして ひとの流れを 逆向きに」。これは1940年代の俳句ですよ。そこから80年経って、いまも通用すると思いませんか。だから「ひとの流れを逆向きに」といったおじは偉いなと、ちょっと思います。「国葬反対」のいろいろな声を上げた人の中に、私が応援していた杉並区長の岸本聡子さんもいました。偉いなと思ったんです。市民として声を上げた。ネットではもちろん叩かれましたけれども、こういう区長をもっている杉並区民は誇らしいなと思います。石橋湛山はこういったんですね。山県有朋の死に際して「死もまた社会奉仕」。偉いですよ。こういうことが言えるジャーナリストって偉いなと思います。
メディアのいろいろな病弊についてもうちょっと語っておきます。今年の前半ですね。安倍さんの補佐官だった磯崎さんという人が、放送の世界にいろいろとちょっかいを出していたことが発覚しました。小西さんという立憲民主党の参議院議員が暴きました。小西さん自身総務省の官僚だったことがあります。2014年から2015年にかけての出来事です。
この当時何が起きていたのか。2014年の夏は安保法制です。23年続いた「クローズアップ現代」、キャスターは国谷裕子さん。スタジオに菅官房長官を呼んで質問をしました。安保法制がちょうど閣議決定されたときですね。「海外の戦争に日本も巻き込まれる危険性はありませんか?」と、3度聞いたんです。「はぐらかす」菅官房長官。時間切れになりました。生放送ですね。「恥を掻かせた」ということで菅官房長官の秘書官が文句を言ったんですね。
その後、共謀罪。これはキャスターたちが声を上げて反対したんです。一番向こうが青木理さん、一番手前の金髪が津田大介さん。真ん中が田原総一郎さん。この垂れ幕をつくったのは私ですね。練馬の人と一緒につくりました。「つくろうよ」と言ったのは金平茂紀さんですね。当時いろいろな人たちが攻撃を受けていました。「私たちは違法な報道を見逃しません」という意見広告が産経新聞と読売新聞に出されました。2016年3月、古舘伊知郎さん、岸井成格さん、国谷裕子さんが表舞台から去っていくことになりました。菅官房長官の時代かな。国会で高市早苗さんが1個でも放送法違反――放送法4条に「政治的公平」という文言がありますが――政治的公平が担保されていない番組を出した放送局は電波停止もあり得ると述べたんですね。
国谷さんがキャスターをしていた「クローズアップ現代」の後継番組は、「クローズアップ現代+(プラス)」です。これは磯崎さんの時代からもうちょっと後ですけれども、「オープンジャーナリズム」ということを標榜した「クローズアップ現代+」。番組にたれ込みのいろいろなメールが届いたんですね。何か。かんぽ生命の不正販売です。たくさんの被害者が出ていたんです。警察が動く前に「クローズアップ現代+」は被害の実態を暴いて伝えようとしたんです。「認知症の両親が10か月で10件の契約をさせられていた」「母親が3年連続で5件の契約を結ばされていた」「夫婦それぞれの両親が不必要な保険に加入していた」。つまり保険の「押し売り」ですね。被害は18万件。これを暴いた「クローズアップ現代+」、第2弾の放送を構えていたんです。
ところがです。NHKの放送を止めさせようとしたのが、かんぽ生命のある日本郵政の副社長です。副社長はどこに圧力をかけたのか。NHKの経営委員会です。経営委員会に圧力をかけ、NHKの会長に注意を与え、現場に放送をさせないとなったんです。ちょっとわかりにくいんですけれども、日本郵政グループの副社長がNHKの会長に圧力をかけて黙らせようとしたということですね。
この副社長は、前職は何だったのか。これは放送の監督官庁の総務省の事務次官だった。この元事務次官が圧力をかけて放送を止めようとした。鈴木康男さんというという人です。この人は歴代の総務省の事務次官で初めて生え抜きの電波行政一筋だった人です。NHKは自分がいえば何でもいうことを聞くって思っていた人です。NHKの取材陣は、かんぽ生命を取材して「まるでやくざだった」と国会で言うんです。でも、やくざはこの総務省の事務次官だった鈴木さんにそのままお返ししたいという感じですね。わたしは「クローズアップ現代」の編責を8年やりましたけれども、みんなまともな人たちですよ。やくざじゃない。被害者が続出していて警察が動いていなくてどうしてやめられますか。結局1年以上経って第2弾が放送されたんです。その間も被害は続いていた。これがおかしいと思うのは、警察が長い間動かなかったということも非常に怪しいですよね。ですからみんな出来レースだったんじゃないかなと私は思います。
さて原爆ですけれども、キノコ雲の下でいろいろな悲劇が起きました。私のゼミの学生たち、今年は秋田に行きますけれども、去年も一昨年も広島に行って勉強しました。私の母は永田公子といって、ちょうど爆心から800メートルのところで原爆に遭いました。生き延びたから私がいるんですね。これは東京新聞の記事で、「空襲なければ被爆もなかった」ということで、東京大空襲を生き延びて故郷広島に逃げて原爆にも遭うんです。ダブルで遭っている人ってそんなにはいないです。大名の庭だった縮景園というところを炎の中逃げて、京橋川のデルタにいって命を拾いました。昔「ベン・シャーンを追いかけて」という本を書いたときに、母がどういうふうに逃げたのかということを検証しました。核兵器廃絶に尽力した絵描きのベン・シャーンです。リトアニア出身ですね。
彼の最後の仕事が「マルテの手記」という絵本で、この中に出てくるジェットコースターみたいな建物があります。「マルテの手記」の絵本に出てくる絵は実はこの鉄骨がモデルになっていて、これは私の母のお隣の、小田政商店という呉服屋さんの鉄骨でした。爆風と熱風でぐにゃぐにゃになって、私の母はこの隣で原爆にあったんです。当時はこんな感じです。昔の古い醤油醸造の家ですけれども、最近わかったことがあります。原爆投下の後の広島でソースが開発されます。これが一銭洋食という本当に粗末な鉄板を使ったお好み焼き。これをおいしく食べるために醤油のノウハウをソースに生かした。このソースが「オタフクソース」といいまして、私の祖父がお手伝いしたものだということが最近わかりました。このオタフクソースの佐々木商店が創業101年なんですけれども、広島大学で醸造の勉強をした私の祖父が一冊のソース開発のノートを持っていて、このノートを手がかりにおたふくソースはできたということがわかりました。
この間学生たちと行ってきたんですね。そうしたらおたふくソースの社屋の一番前にこんな石碑が建っていました。「真の道を悟り 深くざんげし合い 世界平和を心から祈りましょう」というのが、祖父と一緒に仕事をした佐々木清一さんの言葉です。広島の会社で「深くさんげし合い」という言葉が記されている会社はほかに見たことはありません。「ざんげし合い」ということはつまり自分たちも悪いことをしたという意味です。先ほど栗原貞子さんの詩を紹介しましたけれども、軍都広島の責任が自分たちにもあるということですね。軍都広島のいろいろな物語の中に、NHK広島に届けられた被爆体験の絵がありました。いまの朝ドラは「らんまん」ですが、昔「鳩子の海」というのがありました。これは原爆にあった少女が出てくる物語で、斉藤こずえさんがヒロインでした。
この「鳩子の海」を見ていた小林岩吉さんという方が、私の被爆体験を絵にしてみたので見てくれませんかということで届けたのがこれ、「原爆の絵」です。受付に持ってきて「ああ同じ体験をした人たちはいっぱいいるし、NHKが呼びかければ原爆の絵っていっぱい集まるんじゃないか」と思いました。それで呼びかけてみたら、キノコ雲を書いた人もいれば、「助けてあげられなくてごめんなさい」って書いてきた人もいれば、「水をください」って言葉を添えた人もいました。とにかく3000度の熱で皮膚が焼かれるわけですから一瞬に水分は身体からとんでしまって、のどが渇くのは当たり前です。そんな中でこんな絵がありました。黒こげになりながら赤ちゃんを抱いて、走りながら死んでいるお母さんの絵。これはNHK広島放送局の前で目撃された風景です。この絵は、この人もこの人もこの人もこの人も、これは赤ちゃんが下にいますけれども、みんな、焼け焦げたお母さんの絵を書いている。同じ体験をみんな見ていたということですね。こういう絵は4000枚を超えるくらい集まるんですね。これが原爆の絵です。
原爆体験者はいま84歳を超えますが、早晩この地球上から一人もいなくなるということになっていくんです。これは大変なことだと気付いた人たちがいるんですね。誰が引き継ぐかということです。体験した人たちから話を聞かせてもらって高校生が引き継いで絵にしていきますということが、爆心からすぐの所の基町高校の高校生たち。13年続いていますかね。ひとりの脱落者もなく被爆者の声を絵にしていくことが続いています。
この夏も私は見てこようと思いますが、例えば窓を突き破ってガラスの破片が自分を襲ってきました。これは救護所にお父さんがいるよと言われて行ってみたら、黒こげの人が横たわっていた。高校生は「黒こげ」ってどんな色かわからないから、家で卵焼きを焼いたり肉を焼いたりして色を探すんですね。それで話をしてくれたおじいさんに「これでいいですか」と見せて、「そうだ、こんな色だ」ということでこの絵を完成させたんですね。真っ赤に燃えた人がいた。「真っ赤」というのは本当に真っ赤だったんですね。これも皮膚が溶けて歩いている人。これは爆心から2.3㎞の御幸橋というところで、中国新聞の松重美人さんという人が2枚だけシャッターを切った写真の1枚です。NHKが色をつけたのがこんな感じですけれども、高校生たちの聞き取りはもっとすさまじかったんですね。これです。こっち側が爆心で、向こう側が郊外に逃げる人たちで、全員が裸で赤い皮膚をしながら亡霊のように連なって歩いて行く。高校生たちの聞き取りがなければ、この絵は生まれなかった。高校生たちの底力って半端ないっていうことです。私は高校生たちがこんなふうにやってくれていることを本当に希望を持って受け止めていますし応援したいと思っています。
みなさんたちがいま心を痛めていらっしゃると思うのはこのことですよね。マイナンバーカード。いろいろな世論調査があって、今日の時事通信の世論調査では、岸田政権は支持率30%になりましたね。この間まで50%くらいあったんですよ。私がマイナンバーカードを考えるときに手がかりになる国があります。それはバルト3国の一番北側の、エストニアですね。先ほど91年にウクライナが独立したと言いましたけれども、バルト3国は1991年に独立しました。最後の独立手前のところで流血が起こるけれども、それはゴルバチョフの唯一の失敗とも言われていますね。バルト3国、人間の鎖というのが行われたんです。エストニアからずっとやってきて、南のリトアニアのヴィリニュスまでずっと人間が鎖のように連なったんですね。
彼らが新しい国をつくるに当たって最大の障壁はKGBです。KGBは市民ひとりひとりの情報を握って写真を残し、政権に不都合な情報を全部ストックしていた。このストックしていた情報はいつかその人たちが反逆したときに役に立つということで、市民を脅す道具として情報が使われていた。これは東ドイツで言えばシュタージですね。ハンガリーで言えばやっぱり秘密警察があって、それぞれの国の秘密警察が情報を使って脅していたということです。エストニアが電子立国優等生といわれて1993年くらいから始めるんですけれども、市民の情報をいかに市民の手でちゃんと管理するかということです。政府が勝手に情報を握って市民を脅し上げる。そんなことは断じてやっちゃいけないということを旨として、30年かかって電子立国を実現するんです。
電子内閣、電子データ、公共サービスのオンライン化、サイバーセキュリティ、電子薬剤処方箋確立、つまり薬の情報などもちゃんと使って電子データを活用するのはその通りなんですけれども、そのときに病歴が勝手にだだ漏れになるとか、それによって市民が不利益を蒙るということは断じてあっちゃいけないということを、長い時間をかけてエストニアはやってきました。それでもいっぱい失敗があるんです。エストニアは貧乏な国です。役場に行っていろいろ窓口で書類を紙でもらうということはもうできない。だから電子化することでコストを下げて、市民がほかのサービスを受けられるようにすることでいろいろなことをやっていく。引っ越しの情報を1個ちゃんと届ければすべて紐付けされて、あちこち行って引っ越し手続きをしなくていいというようなことになっています。それでもいっぱい失敗があったということです。ですから、いかに電子立国になるために時間がかかるかということでもあり、一番の根本は民主主義というものを大事にすることからことは始まっているんです。
日本のいまのマイナンバーカードの根本的な間違いは、市民の情報を国が管理して国がその情報をコントロールするということでスタートしていることですね。そこから始まってはろくなことにならないと思います。しかもいま起きていることはそのカードを普及させるために、すでに機能している保健証を無効にして、それを脅しの道具としてマイナンバーカードを普及させるということですよ。運転免許証も然りです。いま機能している運転免許証を無効にするぞという脅しを使って、マイナンバーカードを普及させる。これはやっちゃいけないことですよ。
すでにマイナンバーカードの普及率74%というのはでたらめで、死亡したり手続き漏れとかを差し引いたら、74%といっていたのが今日の段階で70%まで下がりました。でも私の周りを見てみても70%という数字も信用できないという感じがします。私は武蔵大学のメディア社会学科で、いろいろなデジタル化を推進するために知恵を出している同僚の教員もいるんです。その人たちが心を痛めているのは、例えば自動車文明を広げるためには自動車の弊害もあわせてちゃんと手当しなければいけない。自賠責保険とか事故にあったときのエアバッグとか道路の整備とか、もろもろ全部やって初めて自動車文明を享受する。それでもいっぱい事故があるということで、負の部分をきちんと手当しない限りいいところばかりいってはだめですよということをいっています。それをいっている先生だって、世の中からは「御用学者」といわれて批判されたりもするわけです。いかにマイナンバーカードの普及が拙速で、しかも民主主義の手続きを経ていないかということだと思います。
最後に、いろいろな人がつながるということでもありますけれども、原爆ドームのまわりではウクライナに心を寄せる人たちがいっぱい集まって人間の鎖をつくったりもしていました。私の地元の杉並でも、岸本聡子さんという新しい区長ですけれども、彼女はベルギーやオランダで市民社会をつくっていくために尽力をしてきた人ですね。水道の民営化に反対して、公というものを取り戻そうということをずっとやってきた人です。岸本さんが、例えば道路の拡幅を止めるとか公共施設の削減を止めるとか、給食の無償化をするということに取り組んでいますけれども、ひとつひとつ難しいです。でも市民は簡単に見限ってはいけないと私は思っていて、できることもあれば新区長ができないこともあるんですね。一生懸命だから短気を起こさずに応援したいと思っています。この人を応援しているのが、いま立憲民主党の吉田はるみさんです。一生懸命吉田さんももり立てて石原伸晃がゾンビのように復権しないように、参議院から出るといっていますけれども自民党からもはしごを外された感じがしますよね。
去年6月の選挙ですけれども、私が信用をおけるなと思ったのはこのことですね。投票日前日の土曜日の夜8時で選挙活動が終わります。1票でものどから手が出るほどほしい。西荻窪の駅前で岸本さんの応援演説がしたいといって手を挙げた人がいた。ホームレスのおじさんだったんですね。ずいぶん丁寧に演説をしてくださった。でも、誰も短くしてくださいとか、そんなことをいわなかったんですね。本物ってそういうことなんじゃないかなって思うんです。票になることだけをやっちゃダメなんです。弱い人のためにたたかうんだって言えば、本気でその人のことを大事にするということをみんな見ていたんだと思います。だから岸本さんを信用してみんなが票を入れたんだなって思いますね。
今日は表現の自由について話す時間はありませんでしたけれども、表現や言論というのは一本のマッチのようなもので、闇の深さを逆に際立たせたりもします。芸術・学問はどれもそんなに大きなものではありません。小さな、少数の声ですよね。メディアはむしろそういう少数の声を際立たせて、「ほら、ほら」ってもっと伝える役割をしているものです。だから時の政権になびくのではなくて弱い人の側に立って、伝える仕事をしていかなきゃいけないんじゃないかなと思います。豊かな言論空間、豊かな表現空間を作るのはメディアの責任ですね。最後に公共放送NHKがいま危ないです。私が今日持ってきた本「公共放送NHKはどうあるべきか」ですが、前川喜平さんについてはいろいろなご意見があるかもしれません。でも私は加計学園問題などで彼が官僚のトップとして声をあげたことはとても勇気があることだと思って、こんな人が公共放送のリーダーになってくれるといいなと思って一緒にたたかいました。結果はそうはならなかったけれども公共放送をどう建て直していくのか、本来の放送をどうつくっていくのか。ウクライナはNHKの良き部分を学んで、いまがんばろうとしていることは確かです。ぜひみなさんたちもNHKを叱咤して激励してより良いものにしていただければありがたいと思います。