私と憲法267号(2023年7月25日号)


力をつけ市民運動の底力を発揮しよう

安倍元首相が殺害されてから今月の7月8日で1年が経った。
選挙の応援演説中に銃撃を受け、倒れたという一報が入ったときには全国に衝撃が走った。長年、安倍政権と闘ってきた私たちにとって安倍氏の突然の死は想像もしなかった展開でこれからどうなるのかと、仲間たちと連絡を取り合って意思を確認しあった。そして今、思うのは、やはり私たちは遠慮することなく、ひるむことなく、安倍氏が亡くなったからと言ってアベ政治という悪政が許されるわけではないと主張したこと。そして、「国葬」にきっぱりと反対し「国葬反対運動」を全国津々浦々まで展開させたことは日本の社会運動史の中で評価される一つの流れを作ることができたと確信している。

安倍氏を銃撃した山上容疑者の供述により、安倍氏だけではなく、自民党がカルト団体統一協会とのズブズブな癒着関係にあったという事は白日の下に晒された。

今、一番自民党にとって突かれたくない部分は「統一協会との癒着」だろう。統一協会が日本でやってきたことや自民党と統一協会の関係は、ロシアにおけるプーチンとワグネルとの関係そのものではないだろうか。反共活動・人権抑圧活動・選挙支援を行い、その見返りとして保護と権威づけを手にするという関係は今なお生き続けている。

私たちはここに楔を打ち、カルト団体による犠牲者の上に成り立つ政治を打ち切っていこう。国会議員に留まらず自治体議員にまで統一協会との繋がりがないだろうか検証し、追及の手を緩めてはならない。

ファシズム・独裁につながる「維新的なもの」

そしてもう一つ私たちが闘わなければならないのは日本維新の会と「維新的なもの」だ。

政治に不満はあるが何か自分が動こうという気にはならない。でも誰かがやってくれるのであれば助かるし、応援するというような消極的な政治参画層が「維新的なもの」と素早く結びついてしまっている。なぜ、政治に不満があるのに「声を上げること」を人任せにしてしまうのか。

それは、失敗や寄り道、弱音を吐くことを許されず、個よりも全体を尊重しろというような同調圧力を受ける社会の中で、はみ出すことや人と違うことを極端に恐れさせるような環境を作ってきたからに他ならない。

かつては「みな貧しい」なか、暮らしていた社会から一変、表面上はものが溢れ、収入が少なくてもある程度のものは揃えられるような消費先の細分化により、表面的にも当の本人的にも貧困が見えにくい状態になっている。「自分たちは弱者ではない」と権利意識を奪われ、最賃で働かされながらも謎の経営者マインドで社会を見ている人たちにとって、「君たちは労働者だ」「君たちは困っているだろう」「立ちあがれ」と言われても「面倒だ」という感覚でしかなく、お任せでやってくれるような「俺様政治」の維新に魅力を感じてしまうのではないだろうか。その「お任せ」の先が自分の首を絞めることになろうとも。

このような流れの中で、権利の行使=迷惑行為だと長年刷り込まされ、「人に迷惑をかけてはならない」といった呪縛の中から、市民は「闘い」よりも「自己解決」を選ばされてきた。自己解決と自己責任論は一体のものだ。「金がないのは努力不足だから」「職場に不満があれば転職してスキルアップすればいい」と責任を堂々と個人に押し付けるような言説を流すことによって、本当の敵から目を背けさせようとしている。社会から大事にされない状態が長く続くと、人々は強いものにあこがれを抱き、強いものを頼り、強いものに忖度し、強いものにすべてを委ね思考停止してしまう。そのような中から独裁とファシズムが生まれてしまうのではないだろうか。

「維新的なもの」との闘いは市民から思考を取り戻し、ファシズム・独裁への道からの脱却だ。

現実を直視する未来ビジョンを訴える

この「維新的なもの」の幻想を上回る、魅力的な私たちの社会ビジョンを一人一人が具体的にイメージし、自分の周りの人から口説いていけるような言葉を持たなくてはならない。
決して上から目線での言葉であってはならない。

自民や維新から痛みを感じさせないモルヒネのような幻想を市民に持たせながら無痛の侮辱を受けさせられている状態からすると、私たちは現実を見させる「耳の痛いことばかり言う存在」だそうだ。しかし、耳の痛いことは言い続けなければならない。自民にも維新にもできない私たちが描く未来ビジョン。これからをイメージできるような訴えをしていこう。

カギをにぎるのは「市民」と「野党」の共闘

いま、来る総選挙に向けて市民と野党の共闘が揺らいでいる。野党共闘バッシングはいまに始まったことではないが、決定的になったのは、2021年の総選挙だった。メディアでも壮絶なバッシングが展開された。しかし、その野党共闘批判のラベリングに違和感を感じる。なぜならば、私たちが行っているのは「野党共闘」ではなく、「市民と野党の共闘」だからだ。しかしメディアや自民・維新は「野党共闘は野合だ」と言っている。共闘つぶしをしたい側による意図的な「市民」外しに他ならない。

万が一、このまま足並みが揃わぬまま総選挙に突入したら維新が勝つだろう。野党第一党になるかもしれない。そうなった場合のことを想像してみよう。自民党と一緒どころか、自民党の尻を叩いて急速に改憲へと進むだろう。そうなってしまっていいのか。立憲野党の踏ん張りが、今後の憲法の未来を決めるほど重要な位置にあるという危機感を無くしてはならない。

市民連絡会の共同代表の内田雅敏さんが言っていた言葉を思い出す。「人生はリレーのようなものだ。与えられた区間をどう走り切るかが問われている。次の世代に良い状態でバトンを渡すために私たちは頑張らなければならない。」

若い人の立ち上がりの弱さに嘆くことなかれ!若い人たちの未来のために私たち大人の責任として、この夏、運動をしっかりと立て直し、秋から市民運動の底力を発揮しよう。
(事務局長 菱山南帆子)

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2023年秋の闘いを前にして

高田 健(共同代表)

2014~15年の「15年安保」を経て2015年に誕生した「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」結成以来、1999年以来長期に続いてきた自公連立の独裁政治を揺さぶり、政治変革の希望の灯をかかげてきた「市民と野党の共闘」による政治の転換をめざす闘いは、いま右派マスコミを駆使した自公与党や維新・国民などの政治勢力による懸命な分断攻撃に直面している。きわめて古典的な「アカ攻撃」と合わせて、巷間、「電通」の作品と言われている「立憲共産党」というこの野党分断攻撃の象徴的なコピーは絶大な効果を発揮している。それはほとんど安倍晋三元首相の常套句「悪夢の民主党政権」なみの効果を発揮している。

与党勢力による「市民と野党の共闘」への暴風が吹き荒れた2021年の総選挙を経て、かろうじて野党第1党の座に踏みとどまっている立憲民主党も、支持母体のひとつである芳野友子「連合」の策動もあり、泉健太氏らによる執行部交替によって大きく右傾化し、党の亀裂が拡大し、人々にその主張が鮮明に伝わりにくくなった。立憲民主が死守した野党第1党の座は、全国の小選挙区で市民と野党の共闘が奮闘したからこそ獲得できたものであり、にもかかわらず現在の泉執行部の共闘ぎらいの政治姿勢は、それにうしろ足で砂をかけているようなものだ。

衆院選で歴史的な「閣外からの協力」を構想した日本共産党も、その「勇み足」(失礼!)を衝くような松竹問題に象徴される「市民と野党の共闘」をかかげる志位和夫執行部への激しい現代版反共攻撃にさらされている。この攻撃は、安保・自衛隊など共産党の路線転換を要求し、また共産党の「民主集中制」と呼ばれる党内民主主義の在り方などへの攻撃と合わせて、志位執行部の退陣を要求するなど、激しいものになっている。

一方、3年に及ぶコロナ渦のもとで「総がかり行動実行委員会」にみられる国会外の市民運動の反撃力とその行動も制約され、後退せざるをえなかった。大手の労働組合の中には行動の足がすくむ傾向も出た。それでも大衆行動の波は全国で粘り強くつづいてきたが、2015年安保のたたかいの情況と比べると、一歩後退したことは否めない。

この間の、とくに211国会の重要な政治的特徴は、国政選挙で改憲発議可能な要件を超えるほどの国会の圧倒的多数派を占めた自公連立政権と、にもかかわらず内閣支持率が急落しつつある与党への批判・不満の受け皿を演じることで右からの批判勢力を演じようとする自称「改憲突撃隊」の日本維新の会の役割りであり、連立政権と維新の会のまた裂きにありながらも右傾化を強めてきた国民民主党も含め、改憲と軍拡をめざす、戦後政治史の中でも類例をみないほどの翼賛体制が形成されたことだ。

ロシアのウクライナ侵略戦争とメディアによってふりまかれる「台湾有事」「朝鮮半島有事」の戦争への危機感をフルに活用した昨年末の岸田文雄内閣による「安保3文書」の閣議決定以降、「敵基地攻撃能力保有」と軍事費倍増に象徴される日米安保体制と自衛隊の質・量の両面からの異例の軍備拡張政策が進んでいる。これが東アジアの軍事的緊張を急速に拡大している。

211国会では、軍拡財源特措法(軍拡増税法)、マイナンバー法改定案、高齢者医療保険料増額法案、入管法改定案、軍需産業支援法案、GX原発推進など5法案、LGBTQ法案などなど安倍政権時代に既視感があるほど、諸悪法が次々に上程され、強行採決がはかられた。これらへの立憲野党の足並みの乱れも残念なことだ。立憲民主は軍需産業支援法を容認し、れいわ新選組は内閣不信任案に賛成しなかった。

この憲法違反の軍拡の合憲化のために両院の憲法審査会で、急ピッチで進む改憲策動はこのような政治状況を背景にして展開されている。

世界は多極化しつつあり、諸矛盾が激化するもとで、欧米諸国、第3世界諸国での平和と人権を求める民衆の力は強まっている。こうしたなかで、相対的に力を弱めている列強による「台湾有事」「朝鮮有事」が一路、迫っていると考えることはできない。しかし、中国、ロシアをターゲットにした日本の軍拡と日米同盟・準列強同盟、有志国同盟の強化が緊張の度合いを強め、「新しい戦前」と呼ばれる状況にあることを軽視することはできない。まちがいなく、反戦平和の課題は第一級の課題で絵あり、緊急の課題だ。世界の平和は極めて危ういところにきている。

本誌で幾度か指摘してきたが、戦後の「自民党保守本流」勢力と、安倍・菅・岸田政権の「新自由主義潮流」の立憲主義への向き合い方には重大な差異がある。この新自由主義という新しい右翼勢力によって、立憲主義の変質・軽視・転倒がすすんでいる。

岸田首相が211国会冒頭の施政方針演説でのべた新しい「77年」(明治維新以降、敗戦までの77年、敗戦から77年の今日)の意味するものは、「改憲」であり、安倍晋三が叫んだ「戦後レジーム」からの脱却であり、政策的には「安保3文書」であり、その目指すものは中国の仮想敵視と日米同盟のもとでの世界有数の軍事大国化だ。いま岸田改憲の動きは「新たな戦前」の分水嶺を超えつつあることを自認している。

しかし、市民の運動は分断とコロナ渦による困難をうち破って、全国で「15年安保」が生み出した「19日行動」を軸にあらたなたたかいの高揚を創り出した。安倍国葬反対の闘い、全国でたたかわれた2023・5・3憲法集会、211国会における入管法反対の闘いの高揚など、闘いの高地を生み出してきた。

これを夏の反戦平和のたたかいを経て、11・3憲法集会をはじめ、秋の行動につないでいこう。近く予想される解散・総選挙においても、反戦、軍拡増税反対、改憲反対、ジェンダー平等など切実な課題をかかげ、困難なことではあるが、立憲民主党内の闘う勢力や女性グループと連携し、共産党、社民党などを含めた野党共闘を再建していかなくてはならない。市民と立憲野党は共同して岸田内閣の政権維持のための解散・総選挙の企てをうち破り、最小限、改憲阻止が可能な3分の1以上の議席を確保し、戦争への道を阻止していくことは、いまこそ至上命題だ。

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海の日アクション2023 汚染水を海に流すな!~海といのちを守るパレード~

土井とみえ(事務局)    

海の日の7月17日、福島県いわき市の小名浜アクアマリンパークで「海の日アクション2023 汚染水を海に流すな!~海といのちを守るパレード~」が行われた。汚染水の海洋放出に反対してきた地元の「これ以上海を汚すな!市民会議(略称:これ海)」と「さようなら原発1000万人アクション実行委員会」の共催によるもので、福島県内外から300人余りが参加した。

小名浜港を前にして開かれた集会は、高校生ら「みや誠承太鼓」の和太鼓による力強い演奏で始まった。フォークソンググループの「いわき雑魚塾」は自作の曲によって汚染水放出反対や原発の被害の歌をうたった。主催者の2つの団体からの挨拶の後、漁業者と専門家、そして多くの市民のトークが次々と続いた。

小名浜機船底曳網漁業協同組合専務理事の柳内孝之さんは、原発事故後は操業自粛せざるを得なかった。しかし「わずかでも福島産の魚を流通させないと福島の漁業は終わってしまう」と試験操業を始めた。出荷制限が解除になり本格操業の移行期になったが、水揚げ量はいまだ事故前の2割にとどまっているという。「漁業者は復興被害の妨げをやめてと懇願している。国や東電は処分のやり方をもう一度検討して欲しい」と訴えた。

東大名誉教授(魚類免疫学・遺伝育種学)の鈴木譲さんは、「私は市民科学者だが、薄いトリチウムでも長期にわたり流し続けたら海の生き物がどうなるか誰も分からない。玄海原発の付近では白血病が増えているとか、他の地域でも1つの種が1年中増え続けているという、これまでにはなかった新たな現象の報告もある。長期にわたる低線量被曝について誰も調べていない。汚染水の放出で何が起こるか誰も分からない」と警告した。

市民のリレートークでは福島の各地に避難した人々が、暮らしの困難さと汚染水の放出に反対する思いを次々と発言した。さらに柏崎、浜岡など原発立地地域からの参加者の発言も続いた。集会の後、広い小名浜港周辺をパレードした。参加者は「約束守れ、汚染水流すな、漁業を守れ、海を汚すな、こどもを守れ、原発いらない、未来を守れ」というスローガンを上げつづけて、観光客や車のドライバーに訴えた。17日は、全国の各地でも海の日を記念して「汚染水を海に流すな!」という行動がとり組まれた。

大切にするべき韓国・中国・太平洋諸国からの危惧の声

汚染水放出を前に近隣諸国から反対の表明が相次いでいる。韓国では国会議員がハンストを決行し、世論の批判の声も強い。野党各党国会議員の日本への来日もあいついでいる。7月9日には韓国の、ともに民主党の福島核汚染水海洋投棄阻止・訪日議員団の20人が来日した。議員団は東電本社への抗議や官邸前座りこみやデモ、日本の野党議員との意見交換や共同声明の発表など精力的に行動している。市民との交流でも、各所で議員団の意見を表明するチラシを配布した。

市民との交流では7月6日に連合会館で「放射能汚染水を流すな!日韓交流集会」が行われた。集会で韓国の議員団は、これまで核汚染水についてさまざまな角度からの研究を行ってきたことについて報告した。また、交流のある太平洋諸島フォーラムに属する国々の声としてミクロネシア大統領の、諸外国に説明しないのはなぜなのか、という疑問を紹介した。訪問団の一員の韓国漁民は、「周辺諸国の人々の声を聞くべきだ。核汚染水は自国内で安全に保管して欲しい」という意見表明も行った。いくつもの発言のなかで、「スリーマイル事故やチェルノブイリの原発事故があったが、アメリカもソ連も廃棄物を国外には捨てなかった」「海は人間だけのものではい。すべての生命のみなもとだ」という指摘は大切にすべきだ。

汚染水放出の課題でもアジア外交軽視の岸田政権

韓国の野党と市民は汚染水の放出にたいして明確に批判し、危機感を強めている。日本の海産物輸出では最大量である中国は、まだ放出前なのに冷蔵魚の全量検査を始め、実質的に新鮮な魚は中国の消費者には届かないこととなった。香港も輸入規制を明らかにしている。

柏崎刈羽原発に反対してきた小木曽茂子さんは、いわきの海の日行動で指摘した。それは、「憲法前文には『・・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。・・・』とあります。いまこそ憲法を生かした外交をすすめるべきです」と。その通りであり、アメリカ主導の日韓関係ではなく、中国敵視ではなく、原発事故の対処についても岸田政権の近隣外交の力が問われている。

それまで私にとって、全く未知の著者だったオーバビー氏(1926~2017年,91才没)の著作に出会ったのは、花岡しげる氏の著書「自衛隊も米軍も、日本にはいらない」(花伝社)の161頁の記事であった。

アメリカ人で、軍役経験もある学者が、米国で1991年に「第9条の会」を設立し、日本国憲法第9条を世界の人々に伝える運動を展開されているのに、ひどく驚嘆した。

驚嘆したのは、私の頭に長い間、印象に残っていたある米国青年の対日観との大きな違いである。

それは、ひと昔前の出来事であるが、私が2001年の第33回ピースボート地球一周船旅に参加した時に始まる。この航海には、8月3日メキシコのアカプルコ港からサーロセツコ女史(後の2017年ノーベル平和賞)が参加されて、自らの被爆経験に基づく核兵器廃絶の講座を開いた。これを機に船内新聞で特集を組み私も編集員として、船内で取材した。幸い船内には通訳として十数人の外国人が乗船していたので、彼らにも「広島、長崎の被爆」について取材した。

アメリカ人の25才の青年は「教訓として受け止めている。しかし、日本はアメリカの核の傘で、安保条約を結び米軍が5万人も駐留している現状がある。これでは日本はハワイ州に次ぐ51番目の州で、独立国とは言えない」との趣旨の応答をした。当時は、このような対日観に落胆し、失望した。

 さて、オーバビー氏の本の内容・要約を、目次に従って述べる。
この本は、オーバビー氏が原著で、訳者は国弘正雄で、1997年に講談社インターナショナル(株)が発行した、218頁の本で、各ペイジは見開きの左側が訳文の日本語、右側が原文の英語で構成されている。

目次の冒頭に「日本国憲法第9条」が日英の両国語で掲載され、「この本を地球上の約54億人以上もの人々に捧げる」と述べている。続いて「地球上これ以上有意義な戦争放棄条項はありえず、貴重な宝物である」。「日本の皆さんが、憲法9条を胸に自国政府に働きかけ『良心的参戦拒否国家』(Conscientious Objector nation.略称CO国家)として歴史的な歩みを進め、世界平和の日本的な貢献を御奨めする」と。

第1章「はじまり」では、オーバビー氏自身が、第2次世界大戦の兵士だったにもかかわらず、本書を書いたか経緯が語られ、「無差別な殺人(killing)と破壊(destruction)に手を染めたことで、戦争という名の組織的な殺人と破壊にとって代わる紛争解決の方法はないものかと、思いを抱くようになった」と述べている。この主張は私が「軍隊は人殺し破壊隊で、軍事費は人殺し破壊費」と名付けたのと一致する。

そして、1981年にオーバビー氏が中部大学の客員教授に就いた時に、初めて日本の憲法9条の戦争放棄を知り、深い感銘を受けたと告白している。それから、1991年にオハイオ州の教会仲間と力を合わせて「第9条の会(Article 9 Society、略称A9S)」を発足させた。すべての国の憲法に、日本国憲法9条に盛られた諸原則を採択させる、という目標を掲げ、コスタリカやスイスの例も挙げた。

第2章は「9条はどのようにして生まれて、どのよう生かすか」を主に、62頁を使って論じている。
注目すべきは、マッカーサー元帥の証言録を引用して「9条の中心的な着想は、当時の幣原総理の提案による」「戦力の不保持は、幣原総理の自発的な要望」(72,122頁)と書かれて、元帥は賛意を表したとある。押しつけ論の否定である。そして「大切なのは、憲法9条と前文とは、戦争のもつ野蛮さや暴力性にピリオドを、という全人類の切実な叫びであり重要な表現である」としている。

第2次大戦後、海外で日本兵によって殺された人は皆無であることを日本人は誇りとすべきであるとして、日米安保条約の交渉(米軍の段階的削減)にあっても、憲法9条を活かす方向で、名誉ある主張をすべきだと訴えている。また、憲法9条の実現は日本一国だけでは困難な面もあるので、他の国々や国連が紛争解決で軍事中心主義を退ける文化的規範を創り上げる必要がある。そのために災害救援活動グループの新組織や警察平和維持機関、国連憲章第6章の「紛争の平和的解決」に掲げる交渉・調査・仲介・和解・斡旋・司法の分野で日本は指導的役割をリードし、良心的参戦拒否国家として軍事力に替わる代替的国際貢献をする方向を示し、財源は国連税を想定している。

第3章では、前章の代替的国際貢献の具体策を中心に、75頁にわたって論じている。具体策として11項目を列挙している。戦争の原因となる基本的な要素を分析し、それを取り除くための具体策である。

非軍事的な紛争解決路線の選択という名誉ある方向への推進力は、究極は主権者にある(132頁)。

以上が、本書の概要である。私が心から深く感銘を受けたのは、アメリカ人でありながら「すべての国の憲法に、日本国憲法9条に盛られた諸原則を採択させる」(56頁)というオーバビー氏の強い信念である。
日本の主権者、政治家には、この本と花岡氏の本を是非とも読んで頂きたい。(終)

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第173回市民憲法講座;岸田改憲の危険性と憲法審査会の現状

大江 京子さん(弁護士・改憲問題対策法律家6団体連絡会事務局長)

(編集部註)6月24日の講座で大江京子さんが講演した内容を編集部の責任で要約したものです。要約の責任はすべて本誌編集部にあります。

2022年の衆議院憲法審査会の異常

今日のテーマが「岸田改憲の危険性と憲法審査会の現状」ということで、主に憲法審査会、明文改憲、岸田さんが任期中にやると、この6月でもまだいっていましたけれども、明文改憲について中心にお話をさせていただきます。

まずみなさま、昨年のことを振り返っていただきたいと思いまして、2022年の衆議院の憲法審査会、これがいかに異常であったかということを振り返ってみたいと思います。2021年の衆議院選挙、野党共闘ということでがんばりました。結論としては、私は決して野党共闘が失敗だったと思っておりませんが、終わった途端に野党共闘で震え上がっていた与党、特に自民党が一斉に投開票日のテレビから野党共闘批判を展開しました。残念ながら立憲民主党もがんばりきれないというか、その批判に対して正当に反論していくという強さを見せないままに、野党共闘が事実上暗礁に乗り上げるような状況がつくられてしまった。市民の側からすると野党共闘で勝ったところがいくつもある。あるいは市民と野党が共闘したからこそ勝てた選挙区はいくつもあるわけですね。その中で、ずるずる後退することには非常に不満はありましたが、そのことが憲法審査会にも露骨に反映してしまったわけです。

維新は希望の党騒ぎの2017年の選挙のときに、その煽りを受けて大幅に議席を減らしました。希望の党がああいうかたちになって、今回はそのときの議席を戻した。結論としてはそれだけのことですけれども、マスコミも含めて「維新大躍進」「立憲民主党に替わる野党第1党へ」みたいな書き方をされた。そういう中で維新と国民民主党が、憲法審査会でも明確に与党側についたわけです。それまでは、立憲民主党の一見頼りなさそうな山花さんが野党筆頭幹事をずいぶん長くやって、頼りなさそうに見せながら非常にがんばったんですよね。3分の2はとられながら、3年近く安倍改憲を止めたわけです。その背景には野党共闘ということで、あのときはまだ国民民主党も維新もいちおう野党側の幹事会、野党側の打ち合わせ会に出ていたわけです。

ところが2021年の衆議院選挙を経て、もう明確に国民民主党、維新が、自民党、公明党等と打ち合わせをして、憲法審査会でいかに改憲を進めるかという立場に立った。特に立憲民主党への攻撃をある意味綿密に計画を立てながら憲法審査会に毎回臨むというようにかたちが一変してしまいました。慣例を破って予算審議中から審査会が始まりました。そのあとほぼ毎週開催。これもいままでなかったことです。そして自民、公明、維新、国民、有志の会の改憲推進5派が一致団結して、主に立憲を口汚くののしるやり方で「逃げるな」「改憲が必要だろう」「議論しよう」「毎週開催だ」、みなさん傍聴されているのでよくおわかりだと思いますが、本当に異常な雰囲気でしたね。そういう中で結局自民党が出している改憲4項目が一通り、自由討議ですけれども、議論が行われた。

そして秋の臨時国会では、改憲推進派が緊急事態における議員の任期延長改憲に狙いを絞り、本当に強固な意志で改憲条文案とりまとめ、これについての改憲発議というかたちで一糸乱れぬ攻撃を繰り返しました。結局、武力攻撃、戦争などの事態、内乱、大規模テロ、大規模災害、感染症など、この4つの類型で緊急事態を発動することを憲法に明記する。憲法に明記する緊急事態の効果として、選挙の任期と議員任期の延長を認める、この2点に関しては、改憲推進派は昨年の段階ですべて足並みをそろえて一致させていたわけです。最終日に与党筆頭幹事の進藤氏が私的な論点整理であると自ら認めながらも、それを衆議院法制局に整理させてまとめたものを、あたかも公的な、オーソライズされたもののように説明させた。そんな汚いやり方もして、とにかく議員任期延長については公明も維新も国民も一致団結、この点については改憲する以外にないというかたちで進めてきました。

論議の特徴と問題点

昨年の衆議院憲法審査会の特徴という点、これはもうきわめて特徴的な非常に問題のあるやり方でしたが5つくらいにまとめました。まずひとつは惨事便乗型改憲論ですね。新型コロナの感染拡大、国会が開催された2月は、まだコロナも収まっていない時期でした。その拡大に加えて、折しも2月にロシアのウクライナ侵攻という、世界を驚愕させる事態が起きた。3月には3.11の余震だそうですけれども、東北地方に大きな地震などがあった。このような感染拡大あるいは地震、そして戦争の危機や不安、それを煽る。異常に煽って明文改憲を強行しようとする、惨事便乗型の改憲論議を展開した。第1の特徴はそのように評価できます。

2つ目はその裏表ですが、改憲の必要性、改憲事実、立法事実といわれている議論はまったく行わない。そんなものは端から無視なんです。最初から改憲ありきです。なぜ、何のために、誰の人権のために、何の不都合のために、どの憲法の条文を変えなければいけないかという出発点の議論はまったくなかった。私どものような法律家にとっては驚愕の事態なんです。こんな乱暴な議論を国会でやるのかということで、日弁連も毎回傍聴しています。私ども6団体連絡会は毎回分担を決めて、私もかなり行っていますけれども、日弁連はひとり来るかどうかだから聞いていない人が多くて、あとで聞いて、見て、びっくりするんですよ。「大江さん、こんなひどいことが行われているんですか」って。そうなんですよ。だから弁護士も日弁連も、本当にこれを包囲して攻撃しなければいけませんよという話をしています。法律家にとってはありえないような乱暴な議論です。

昨年2月は高橋先生と只野先生を参考人でお呼びしています。当時はオンライン審議を議論していたので、日本の最高権威といってもいい憲法学者のお話を聞いています。あのときわたしは本当にびっくりしましたが、もう傲慢を通り越して無礼、学者に対する敬意とか最低限の礼節ということがまったくありません。無礼な態度を通り越して、本気で憲法学者よりも自分たちの方が憲法をわかっているという態度です。国民民主党の玉木先生のような方は自信が大変おありなのかもしれませんが謙虚ですね。しかし笑っちゃうくらい、まったく間違った議論を展開している。自民と維新は質問する際に、馬鹿にしたように、鼻で笑うようなかたちで一斉に高橋先生を攻撃する。この態度というのは本当に驚きました。こんなに狭くてレベルの低い人たちが勝手に憲法を変えてしまっては、学者の意見も聞かずに憲法を変えられたら本当にかなわないなと、このとき怖くなりました。

3番目としては危機を過剰に煽り、確率的にほとんどありえない事態を想定して改憲が必要だという議論がいかに異常かということです。この点はもともと昨年コロナを口実にして立憲民主党を誘い出したわけです。「誘い出した」というと、奥野さんに「いや、僕がオンライン審議をやろうと言ったんですよ、大江先生」と怒られちゃうんです。けれども私にしてみると、まさに「誘い出された」のではないかと思います。というのは、憲法上3分の1の議員の出席がなければ国会の審議ができないし、採決もできないという規定があるんです。コロナで国会議員の3分の2が倒れて国会に来られないような事態が起きたときに、「オンラインでやってもいいか」という議論をしないと日本は沈没するという触れ込みでこの議論は始まったんです。しかしコロナがどんなに感染拡大して医療崩壊していても、まったく手を付けなかったのは与党の人たちです。何もやらないで、それでいて3分の2の国会議員が来られなかったらどうするか、それを憲法審査会で議論するなんて本当に何かおかしな話だと思います。

国会議員の3分の2が倒れているということは、もう日本中の3分の2の人たちが倒れているということです。そうなったらもう日本は終わりですよね。そうならないために何をするかということを、国会議員は真剣にあのとき議論しなければいけなかったのに、野党が国会をやろうと求めても開かない。そういう状況の中で、オンラインで国会の審議をしていいかということを議論する。しかもとりまとめをされたわけです。オンライン審議については憲法を変えなくてもできるという意見が、衆議院では多数を占めたというとりまとめを行った。そんなことは始める前からわかっていることなんです。自民党や改憲推進派も、憲法を変えないと国会でオンラインを使った審議ができないと始めから思っていないんです。

とりまとめを数の力で進める強引な運営

ただしあのとりまとめというのは、近い将来改憲発議をする際にまず憲法審査会で条文案なり発議案をまとめないといけない。その予行演習ですね。強行に反対する政党は、共産党だけでした。まったく議論は足りていないし、憲法学者の意見にもまったく耳を貸さないで、多数決でそのようなとりまとめをすることは非常に問題だったわけです。ところがそれをやった。そのあと公明、維新、自民、みなさん自画自賛していましたね。「とりまとめをしたということは素晴らしい経験である」と。それはそうでしょう、改憲を進めていく上で今後必ずやるわけですからね。

 昨年2月、コロナとオンライン審議ということで始まったわけです。危機を過剰に煽るやり方は、そのまま緊急事態条項へ議論が突入していったわけですが、そのときもまったく同じ切り口です。重要なことは、いままで曲がりなりにも慣例として行ってきた与野党、全員一致というのは言い過ぎですが、少なくとも野党第1党と与党第1党が幹事会でしっかり合意をした上で進めるという中山方式がありました。憲法審査会の議論に政局を持ち込まない。この改憲をやってそれで選挙がどうこうということではなくて、将来国民投票で国民の賛同が得られるかたちの与野党の冷静な議論を行う。それが憲法審査会のルールだということで曲がりなりにもこれまで守られてきたものが、昨年の通常国会、臨時国会を見ると、もう明確に葬り去られて、数の力で強引に運営するやり方です。一種ファシズム的な手続き、運営方法をとるようになっている。これもすごく大きな変化です。危険な変化です。

内容的には昨年の臨時国会で緊急事態条項の中の国会議員の任期延長、これならいける、これなら一致できる、まずここでいこうということだったんでしょうか。これ一本で絞られる。そういう中味になっていた。非常にこの点も問題です。ひとつは自民党の安倍改憲――2017年に安倍さんが2020年までに絶対に新しい憲法にすると読売新聞とか改憲派の集会などでのろしを上げました。それを受けて自民党が2018年3月に4項目改憲案をまとめました。その中にも緊急事態条項というのがあって、国会議員や選挙の任期延長というものもありました。ただあのときの4項目は自然災害だけです。「自然災害など」として「など」でごまかしていたんです。今期は、これは軽視してはいけないと6団体では思っていますが、戦争、武力攻撃があったらということを堂々と憲法の条文に、緊急事態のひとつとして書き込もうとしています。武力攻撃、戦争、それも5会派で一致させています。このことの持つ意味は非常に大きいです。

するすると4類型なんていっていますけれども、ウクライナがあったからですよ。ごくごく自然に戦争が、と。立憲民主党の委員の方の中にも、不用意に大規模な戦争があった場合とおっしゃる方がいて、私は本当に傍聴席から紙つぶてを投げてやろうかと思うような局面がよくありました。与野党問わず戦争事態、ウクライナは日本というような非常に誤った認識を共通のものにして、それで憲法審査会の議論をしていたような雰囲気が昨年はありました。確かにロシアの侵攻というのは本当に驚愕で、世界中が批判したことです。けれども、日本にもあれが起きたときにどうしましょうかという議論をするのが当然だという雰囲気を、つくられてしまったということです。

緊急事態の任期延長というのは、自民党が狙っている本丸ではないんです。緊急事態条項の創設は、あくまで戦争するための、憲法9条を葬って本格的に戦争する、国民を動員して戦争をしていくために必要な改憲が、緊急事態条項の創設と9条の改憲です。セットなんですね。任期延長というのはそのとば口というか、そういう意味では抵抗の少ないところから、あるいは公明党もOKしているからという戦略的なにおいがぷんぷんします。自民党はこれ一本だけ改憲すればいい、任期延長だけ改憲できればそれでいいなんて思っているわけがない。そういう位置づけですが、コロナを口実をにしてどんどん話が大きく進んで行ってしまったのが昨年の憲法審査会です。これは断らない限り衆議院の実態で、参議院はまた違います。

2023年通常国会での憲法審査会の到達点

じゃあ今年はどうだったかということです。岸田さんは、本当に自分の任期中に改憲するという、どこかで聞いたセリフをいっています。仮に任期を来年9月の自民党総裁選だと考えると、普通に考えれば来年の通常国会早々、予算審議の前に発議をするというくらいのスケジュール感がないと間に合わない。もちろん、維新の小野先生でしたでしょうか、改憲手続き法では発議から2か月で国民投票ができるから、来年6月などの通常国会中に発議をして8月までに国民投票に付す。そうすると岸田さんの約束-9月までの改憲というのが、結果が国民投票で肯定されればできる。そういうスケジュール感で事を進めるべきだと、維新なんかは盛んに繰り返して煽っていました。少なくとも岸田さんのいっている任期中の改憲、その攻防ということが危惧されたし、2022年の衆議院憲法審査会の状況が非常に厳しいものだったので、本当に今年どうなのかということをみんな心配しました。6団体も日弁連も含めて、もちろん裏や表でありとあらゆるいろいろな動きをしました。

結果どうだったかを振り返ってみましょう。衆議院憲法審査会では予算審議中の開催を阻止しました。これはこれで、みなさん立憲民主党の中川さんはじめがんばった人たちをほめてあげましょう。大変だったんです。中川さんが記者会見した途端に、ネット上では中川さんや立憲民主党を叩きに叩いた。ネット上のそういう意見は別に気にしなくていいけれども、こんなことで世論に批判されたと立憲民主党が落ち込んだらどうしようと大変心配しました。大事な予算審議に集中するなというのは当たり前ですよ。当たり前のことをやってあれだけ批判される日本というのは、本当に危険な状況まできていると思います。しかしながら結局それだけで、3月2日が第1回で、5月の連休を除いて毎週開催で15回やられました。そこのところは立憲民主党も「論憲」ということをいっていますから、開催しないという事情にはなかなかならなかった。参議院も6回開催しました。参議院の6回というのは、昨年の通常国会と同じだったと思います。

衆議院は本当に毎週開催で行われていたわけですが、結果はどうだったかということです。まず改憲派から見た到達点ということでは、私は何も進まなかったし、むしろ中味では後退したと思っています。われわれ改憲に反対する市民や法律家の立場からいうと、よくぞ市民と立憲野党は奮闘した。私は大成果だったと思っていますし、そこのところはみなさん自信を持ってほしいと思います。それこそ岸田の任期中改憲に黄色信号を灯したと思います。進んでいたものを少なくともブレーキをかけたと思います。

衆議院の改憲派としては、任期延長改憲をなんとしてもとりまとめを行って、秋の臨時国会以降の条文案の提案、憲法審査会での上程へとつなげていきたかったはずです。ところがそれができなかった。最後のいわゆる論点整理だけですよ。あの論点整理というのは、昨年進藤先生がおやりになったこととほぼ一致しています。自分の私的見解を法制局を使って、それを表にして各党の見解をまとめてもらう。自分の私的見解であるといって昨年12月に進藤さんは出しました。今回行ったのは何が違うかというと、会長の指示により衆議院の法制局がまとめたということをいいました。それと幹事会でそれを説明させることを同意した。そこが去年と違います。

ただし中身を見ると議論が深まった分、改憲推進派がいっている任期延長改憲をしなければいけないという理由がますます薄弱になったという、そういう論点整理です。法律家から読んだらそうなんです。裏を返すと、野党ががんばって論点、必要ないということを中味で深めたんです。そこのところをきちんと法制局は書きました。だから論点を整理しましたというだけで、とりまとめでもなんでもない。改憲をすべきだ、この方向でこの5点で一致したからやるべきだ、なんていうとりまとめでももちろんない。論点整理といっても、昨年と比べてますます任期延長改憲の欺瞞性や必要のなさ、逆に問題点が浮き彫りになった論点整理になっています。だから改憲派にしてみると、何も進まなかったどころかむしろ後退した。われわれは本当にがんばった、そう思います。野党の人たちは市民がいなければあそこまでがんばれないです。本当に少数で包囲されているわけですから、よくがんばったと思います。

任期延長改憲のとりまとめは阻止

具体的にいうと、3月30日付けで国民と維新と有志の会が、任期延長改憲の条文案をすりあわせてまとめました。6団体、法律家もみなさんも、あの時点を非常に心配されたと思います。なぜなら国民民主党や維新は、司法チェックということを自分たちの独自性を際立たせるためにずっといっています。任期延長改憲をやるにしても、維新はとにかく憲法裁判所を改憲でつくれと、ずっといっています。憲法裁判所がタッチすべきだと。国民の玉木氏も最高裁判所がチェックする必要があるといっています。昨年からずっと、自分たちがいかにものごとを考えて国民のために改憲を考えているかということを証明するためでしょうか、司法チェックが不可欠とあれだけ話していました。でも今年3月にとりまとめた3党の案は、司法チェックは全部省かれました。「いらない」と。これも本当に場当たり的すぎませんか。不思議だなと。

でも不思議でもなんでもなくて、自民・公明案と一発で合致できるように、司法チェックは全部取り下げたんですね。私はあれを見て、明日この憲法審査会で5会派一致の条文案があと1ヶ月でできちゃうのではないかと思って、本当に心配しました。条文案までつくって、憲法審査会でそれを議論することを提案されたら、数の力では負けてしまいますから心配しました。ところがここが未だにわかりません。6団体でも、田中隆弁護士とかみんなで考えて、未だによくわからない。3月30日にせっかく3会派ががんばって条文をとりまとめたのに、そのあと自民党が3週続けて任期延長改憲を議論しないで、9条改憲、安全保障の議論をやりました。4月6日、13日、20日といずれも9条、安全保障の議論をしています。途中で維新の委員から、「なぜ自民党はもっと集中してくれないのか」みたいな「恨み節」が憲法審査会の発言であったくらいです。ここは自公も一致できていなかったところかなと。北側氏も不満げでしたからね。改憲派が昨年あれだけ足並みをそろえて進めていたところが、ここのところでちょっとすり合わせが、足並みが乱れたなということです。もちろん私は「しめしめ」「よしよし」と思いましたが、集中して一気呵成に来られる、そのときにどう持ちこたえるかという議論をしなければいけなかったところを、なにか分散したんです。

ただし、9条の改憲というのは自民党の本丸です。ですから任期延長改憲だけで本当に発議しようか、あるいは9条改憲、本丸の自衛隊明記の改憲を含めてセットで発議をしようか。あるいは2段に分けてやるかというところの方針が今年の2月、3月ではまだ決めかねていたのかな、そんなふうに思っています。とにかくここで9条の話が3週続けてあったがゆえに、時間が足りなくなったわけです。そんなこともあって、今回は結局何も進めることはできなかった。こちら側からいうとそれは自然に向こうの敵失で進められなかっただけではないんです。こちらが任期延長改憲のとりまとめを阻止した。それは市民と野党と法律家、一致団結して裏でも動いたし表でも動いた、それの大成果です。

任期延長改憲へ  岸田任期中改憲めぐる攻防につながる改憲改憲手続き法・附則4条

それから地味だけど忘れてはいけないのは、3項目の改憲手続き法改正案というのが昨年の通常国会で、これも強引に趣旨説明されたけれども、これについても一歩も審議させないで、もちろん法案成立もさせなかった。これもものすごく大きな成果です。自民党は改憲発議をして国民投票をやるためには、少なくともこの3項目改正案を通さないと国民投票に付せないと思っています。3項目改正案(*’1))、このどうでもいいと言ってはなんですけれども本質的な議論でもなんでもない改正案さえ通してしまえばいつでも国民投票できるというのが自民党の考えです。ただこれを通さないと国民投票はできないと思っています。だからここを阻止したのはとても大きいです。この点では立憲民主党の戦略は見事だったと思います。

いま私は立憲民主党のことをいっていて、社民党や共産党のみなさんもすごくがんばったけれども、野党第一党で大事な帰趨を握っているから立憲民主党に限ってお話をしています。その中で特に階さん、中川さんは重要でした。階さんは改憲手続き法の附則4条の問題(*②)をやるべきだと言いましたし、奥野さんやそのほかの方も立憲民主党は今回いいました。もちろん中味は議論しないととんでもないですよ。CM規制やネット規制を議論しないでこのまま国民投票になったら、簡単に世論操作されてしまうことは目に見えているわけです。金で買われる、力で買われる、権力側に有利な国民投票になるわけで中味は非常に重要です。けれども、この手続き法の問題をきっちり議論させないと発議はできないんだよ、憲法上国民主権に違反するような改憲手続き法で改憲発議はできないという、岸田改憲をストップさせる意味でも附則4条の問題というのはとても重要な意味を持つんです。

そのことをよく立憲民主党の方はおわかりだし、彼らが出した改正法案、吊しになっていますけれども、それがあるわけですからそれを議論しようといっていました。そのことを昨年よりももっと押し込んで言えたと思います。そのことが3項目なんてちっちゃな問題だけで改正法終わりです、なんてことは絶対許されないと繰り返し階さんは憲法審査会でいいました。あれがすごく牽制になっていて改憲手続き法の議論も全体で4回やりました。それはすごく大きかったと思います。それは戦略的にも立憲民主党は今回非常に優れていたと思います。

一番大きいのは任期延長改憲の必要説の理論的な根拠がない、あるいは非常に不合理で薄弱だということが今国会の審議でいよいよ明らかになったと思います。それはやはり参考人質疑、長谷部恭男さんがんばりました。大石眞先生も諸手を挙げて任期延長改憲すべきだなんてひとこともいっていないですね。憲法学者、日弁連も意見書を出したり院内集会をしたり、日弁連の偉い方々が国会議員、自民、公明をまわったりすごくがんばりました。6団体もがんばった、総がかりもがんばった。そういう意味で任期延長改憲の欺瞞性が明らかになって、言葉は悪いですけれども任期延長改憲の「息の根を止めた」。もう無理でしょうというくらい私は理論的に野党が上回ったと思います。そういう成果がありました。

*(1) 2021年4月15日、衆議院憲法審査会において、「日本国憲法の改正手続きに関する法律の一部を改正する法律案」(いわゆる公選法並びの7項目改正案)の審議が行われた。7項目改正案は、2016年に累次にわたり改正された公職選挙法(名簿の閲覧、在外名簿の登録、共通投票所、期日前投票、洋上投票、繰延投票、投票所への同伴)の7項目にそろえて改憲手続法を改正するという法案である。これではのちに附則4条で指摘されたような同法のじゅうだいな欠陥の解決にならない。

*(2) 2021年6月に立憲が「附則4条」を付けることで賛成し、採択された「日本国憲法の改正手続に関する法律の一部を改正する法律案に対する修正案」が成立したが、その要旨は以下だ。

第四条 国は、この法律の施行後3年を目途に、次に掲げる事項について検討を加え、必要な法制上の措置その他の措置を講ずるものとする。
一 投票人の投票に係る環境を整備するための次に掲げる事項その他必要な事項(略)
二 国民投票の公平及び公正を確保するための次に掲げる事項その他必要な事項
イ 国民投票運動等のための広告放送及びインターネット等を利用する方法による有料広告の制限
ロ 国民投票運動等の資金に係る規制
ハ 国民投票に関するインターネット等の適正な利用の確保を図るための方策

これらの事項は国民投票の公正公平を保障するために検討が欠かせない。しかし21年秋の臨時国会以来、改憲派はこの審議をさぼり、討議の必要がない公選法並びの改正項目の審議でお茶を濁そうとし、審議を拒否してきた。最近になってようやくこの議論に触れてきたが、すでに「施行後3年」のうち2年が過ぎた。これではまともな議論ができようはずもない。もしも票を金で買うようなことを排し、公正公平な国民投票を実施しようとするなら、この付則4条の解決にまず着手すべきことは明らかだ。

参議院緊急集会論議ほか参議院のがんばり

それから強調したいのは、参議院ががんばりました。みなさん参議院の方も傍聴していただいている方が多いと思いますが、本当に参議院の先生方は頭が下がります。私も今年はかなり参議院も直に見ていますし、もちろん議事録は見ています。参議院の議論は、参議院の緊急集会は使い物にならないから改憲して、国会議員の任期を延長するということを衆議院は盛んにいっている。それは参議院は怒りますよね。だけど怒る・怒らないという低いレベルの議論ではなくて、参議院は理論的な議論がものすごくよくできていました。驚いたのは公明党です。はっきりいって公明党参議院は任期延長改憲には消極的ですね。はっきり反対ということまでは、さすがに西田さんも言えないけれども消極です。反対しているのと同義です。衆議院の公明党の北側さんとはまったくスタンスが違う。そういう意味で参院の議論というのは、憲法ができたときの国会審議も振り返って、憲法の趣旨や原理を公明党の方々も含めてしっかり議論されている。まさに「良識の府」にふさわしい議論ですよ。

立憲民主党も参議院は、「サル発言」で小西さんが筆頭を杉尾さんに直前に替わったということもありました。けれども非常に参議院ではしっかり事前に打ち合わせもできているし、憲法論から反対ができている。杉尾さんも本当によくがんばられたと思います。衆議院と参議院で同じ会派でも同じ政党でも意見が違う。今回の任期延長改憲は、前提として参議院の緊急集会をどう見るか、どう位置づけるかというところが議論の右に行くか左に行くかの帰趨を左右するため、やっぱり参議院がよくがんばりました。そういう中で、簡単にはいかないぞというところで参議院のがんばりというのはみなさんぜひ応援していただきたい。まともな議論ができているなと思いました。

参議院のがんばりと成果という点でぜひこれだけは伝えたいんですが、衆議院の立憲民主党の階さんの最後の会派発言のまとめで、選挙困難事態であっても任期延長改憲は不要ということを明確にしました。それから主なテーマではないけれども、ということで階さんがいわれたのは、自民党が一番狙っている緊急政令や緊急財政処分という緊急事態条項の本丸の部分です、これの改憲は絶対に明確に反対ということまで階さんはいいました。6月15日、最終の会派発言です。衆議院の解散や任期満了に伴う総選挙が実施できないような状況が仮にあったとしても議員任期の復活や延長は必要なく、参議院の緊急集会が暫定的に国会の機能を果たすべきだというのがわれわれの考え方です。「われわれ」というのは立憲民主党のことです、と明確にいいました。そしてその跡の理由付けも長谷部さんの参考人質疑を、もちろん階さんは法律家ですので当たり前ですけれども、非常にコンパクトに本質をまとめておっしゃった。議員任期の延長は、国会議員の任期を固定化し内閣の独裁を生む恐れがあるということをはっきりおっしゃっています。ここがポイントなんですね。

長谷部さんの参考人質疑で、さすが長谷部さんだと思いましたけれども、そういう民主的な正当性を欠いた国会議員もどき、首相もどきがいつまでも政権に居座って独裁を進める、それを絶対に認めてはいけないというのが憲法の立場ですよということです。ですから階さんの、6月15日の会派の最終まとめ発言は、そこをしっかりとらえて参議院の緊急集会で対応すること、そうすればそのような独裁の恐れはないということをはっきりおっしゃっていました。この立場を立憲民主党も繰り返し発言しているんですが、最後に明確にまた重ねてそれを表明したということは今後のたたかいの中で野党第一党がそういうことをしっかりいってくれたことはとても大きいと思います。

今後の動向と憲法審査会のたたかい

今後の動向と憲法審査会のたたかいというところをお伝えしたいと思います。早ければ臨時国会冒頭の解散があるのではないかとマスコミなどがいっています。大方の見方としては、冒頭はともかくとして今年中に解散総選挙があるでしょうという見方、6団体でもそのように見ております。ここで首相の解散権があるのかという、その重要な憲法論議があります。本当にふざけないでください、あなたの権利じゃありません、と。日本中の、多くの憲法学者、法律家がそういっているわけです。安倍さんのときが特に顕著でしたが、とにかく首相の専権事項みたいな、またマスコミがそう書くんですね。そのこと自体大問題なんです。なんのための解散するんだ。自分の自民党総裁の2期目を確保するために解散しますといってみろ、という感じですよね。国民が選んだ国会議員のくびを切るわけですから、本当の正当な理由がなければいけない。では憲法はそれをどう書いているか、そこは大論点です。少なくとも首相の専権で自分や自民党の政権を維持するために解散権を振り回すという安倍さんのとき以来の悪弊、憲法違反の現状を本当に変えていかなければいけない。

それは置いておいて、たぶん解散すると思います。それで選挙がある。岸田さんのいっている任期中の明文改憲を阻止するためには何が一番効果的かといったら、選挙で野党が勝って岸田政権を倒すことですよ。勝つというのは、過半数を上回って3分の2を野党がとるというのは無理かもしれない。でも岸田政権の選挙は失敗だった。自民党が大幅に議席を減らし、岸田の責任を追及するような雰囲気になるまで野党が勝たなくちゃいけない。そのためには立憲民主党ひとりで勝てるんでしょうか。やはり市民と野党の共闘なくして勝てないのではないでしょうか。ですから、今回は本当に総選挙で負けるわけにはいかないんです。明文改憲を止めるためということももちろんあるけれども、それだけではない。実質的な改憲、安保3文書改定の閣議決定を勝手にやられて、勝手に憲法を事実上変えられている。9条を亡きものにされそうになっている。

違憲の法律、軍拡2法案が通ってしまった。戦争に向かって軍事マインド一辺倒で、軍拡一辺倒で進んで行く日本の政治を変えなければいけない。そのためには選挙で反対の意見を見えるようなかたちで出して、自民党に、公明党にこのままじゃまずい、と思わせる。維新には自民党にのっていても目がないと思わせなきゃいけない。それだけの勝利を掴まなくちゃいけない。そのためにどうしたらいいかという議論は別の機会にしなければいけないことだと思いますが、岸田改憲をどう止めるかの一番効果的な手はそういうことだと思います。同時に憲法審査会のたたかい方ということも、選挙一辺倒になって、また解散、解散でふわふわしているうちに、市民の知らないうちに、野党が忙しいうちに、憲法審査会でとんでもないことを進められたら大変なので、しっかり憲法審査会のチェックも続けなければいけません。

私たち市民や法律家が何をチェックしなければならないか、何がポイントか。やはり9条、自衛隊明記改憲反対の運動、そういう勉強会をもう一回再起動させなければいけない。これがとても重要だろうと思います。2017年、2018年に、憲法に自衛隊を明記する改憲を安倍さんがリードして打ち出したときは、みんなこれに警戒感を持って勉強会もしましたしパンフレットも出しました。日弁連も声明を出しました。ところが一段落してしまっています。もちろん裏表なんですよ。9条の改憲、自衛隊を憲法に堂々と位置づけるという問題と、一方で憲法をないがしろにして違憲のまま実態だけがどんどん軍拡で、9条2項に違反する戦力の保持が進んでいるという、実態は裏表です。だかからこそ自衛隊は絶対に9条2項も含めて改憲をやってきます。あきらめることはありえない。

それは自民党の政権を追い落とすしかない。それくらい野党側、市民側は勝利しない限り、岸田政権が倒れても誰が首相になっても、9条改憲はあきらめないです。憲法に9条があることが、いま進めている軍拡や、アメリカと一緒に中国と戦争するにしても、憲法に明確に違反するということはやはり足かせなんですよ。ナチスのやり方を学びなさいといった副首相がいましたけれども、ワイマール憲法があってもナチスが独裁政権であれだけのことをやったということもあるけれども、憲法9条は死んでいないんです。憲法9条は死んだ、ということを書いている元法制局長官もいらっしゃいます。もちろん善意というか自民党に反対したいがゆえに書いていらっしゃると思います。しかし阪田さんがいうようには、憲法9条は死んだという言い方は非常に誤解を招く話なので、絶対やってはいけないことだと思います。9条が邪魔なんです。だから明文改憲をあきらめることはない。閣議決定で実質的にやっておけばいいや、というようにはならない。もう一度、自衛隊明記の改憲の危険性をみんなでしっかり勉強して世論を広げていく必要があります。ここが秋以降はポイントになっていくと思います。

任期延長改憲は、先ほどいったように理論的にも改憲の必要性がゼロであることがここまで明らかになりました。またぞろ言い出さないようにこれについてしっかり反対して、もう言えないくらい圧倒しなければいけません。

手続き法の附則4条問題

手続き法の問題もあります。立憲民主党のみなさんは「論憲」ということをおっしゃっています。論憲であって憲法審査会はどうしても毎週開かなければいけないのであれば、じゃあ何を議論するかということをもっともっといっていただきたい。もちろん昨年から中川さんも奥野さんも階さんも立憲民主党のみなさんはいっていらっしゃるけれども、憲法審査会の役割、機能、権限、任務という点で国会法で書かれています。国会法106条でしたかね。そこには3つの役割が書いてある。ひとつは改憲発議です。改憲発議をとりまとめる。ひとつは改憲手続き法――国民投票についての手続き法を議論すること。もうひとつは現状の憲法違憲状態を調査する。広く調査して議論する。3つの役割を法律は与えています。改憲発議、それは確かに両院の国会議員に憲法上与えられている権能です。ただ国民の、改憲をしなければいけないという議論をそっちのけで、あるいは安倍さんのようにこの改憲をやるといってリードしていくのは、99条の憲法尊重擁護義務、国会議員はそれを担っているわけです。それに明確に違反します。

改憲が許される要件、どういう場合に許されるのか。それは憲法上理論的に、憲法の規定があるから国民の人権が侵害される、憲法の規定があるから3権分立がうまく機能しないという事態がもしあるときに、ではどこをどう議論するか。議論して国民の中で大きく改憲すべきだ、われわれの自由や人権を守るためにいまの憲法ではダメだ、改憲の議論をすべきだし発議をすべきだ、という世論が巻き起こって初めて国会議員は発議できる。あるいは議論ができる。そういう位置づけです。ところが、いま憲法があるから国民の自由や人権が守られないのではない。憲法は国民の自由も人権も保障しているけれども、憲法に沿ってきちんと憲法に従った政治ができていない。だから自由も人権も守られない。人権後進国。何度も国連から勧告を受けても何一つまともに応えない政府をいただいているわれわれ、人権後進国といわれるわれわれの問題というのは、まさに憲法のせいじゃないんです。憲法をないがしろにして、憲法があっても憲法がないものとして振る舞っている、半ば独裁的に振る舞っている政治勢力、行政府、政府、そこの問題なんですね。

国会も、ほとんどもう無力化されているに等しい状況です。3権分立というのも、私は法律家、弁護士だからいうけれども、最高裁判所は司法の独立は完全に損なわれているのではないか。人事で完全にやられちゃったな、という感じがしています。いろいろな問題が顕在化しています。だから司法にしても国会にしても、行政を監視し権力を抑制監視しあうなんていう、憲法が定めた権力分立が機能しなくなっている。それは憲法に3権分立が書かれていないからじゃないんですね。そういう意味で改憲の必要性の議論というのは、まず出発点はそこにしなければいけない。そして逆に違憲状態は山ほどあります。そういう問題を憲法審査会で議論しましょう。それは納得です。それだったらやってください。

先ほどいった解散権の濫用の問題や、少数野党が国会の召集を求めても国会を開かない運用の問題、LGBTQの人権の問題、外国人の人権問題、入管法の問題は本当にひどすぎる。数え切れないですよ。子どもの貧困の問題も医療崩壊の問題も、この期に及んでまだ保健所を統廃合してつぶしていく。医療の貧弱化です。先日の財源確保法なんて、医療機関の独立法人――昔の国立病院の予算から取り上げて兵器を買う方に回せという法律です。本当に私たちのために何一つ役に立たない、むしろ私たちの権利を不当に侵害していく悪法が成立した。保険証の問題だってひどすぎますよね。マイナンバーカード、デジタル化、誰のためにやろうとしているか、そういう本質の議論がまったくできていない。軍事予算がいきなり6兆5千億円でしたかね、あと5年間で43兆円ですか。誰のための国会か、もう閉会してしまった。

憲法審査会を開くなら、冷静に憲法が守られているのか、違憲状態がないのか、人権が守られているのか、そういうことをしっかりと議論してほしい。それであれば毎週開催していただきたいと私も思います。開くなら何を議論するのかということをもっともっと、立憲民主党もいっていますけれども私たち市民も、やるんだったらこれを議論しろということを突き上げていくことも必要なのかなと思います。

岸田改憲の危険性

 岸田さんの改憲の危険性という点ではどうなのか。岸田さんはハト派みたいなイメージで出てきました。安倍さんのときがあまりにもひどく、また安倍さんのやり方は、「安倍改憲反対」というタイトルにもなるような反対運動を吸引するだけの力がありました。それは彼のやることがあまりにもひどすぎたからです。しかし岸田さんはふわっと出てきて、その前に1年間、菅さんという方がいました。岸田氏に替わった後、とらえどころがないという感じや、マスコミが酌んだのかどうかわかりませんがハト派みたいな、「聞く耳を持つ」って結局何も持っていなかったですよね。そういう雰囲気の中で警戒感を薄れさせる顔とキャラクターで、安倍さんができないことを私はやっていると、いまや鼻高々ですよね。確かにそうです。安倍さんも9条2項には手を付けられなかった。けれども自衛隊を、軒並み戦う本当の普通の軍隊、装備、兵器も含めて変えたのは、やっぱり岸田氏です。そういう意味で岸田改憲というのは逆に怖いですね。

あまりにもコロナを通じて国民の生活が痛めつけられているわけで、貧困格差がますます拡大して、特に女性、女性と子どもが痛めつけられています。もちろん、もともと病弱な方や老人は厳しい状況に置かれています。「高齢者は金持ちなだ」みたいな言い方で若者との2極分化を図って、高齢者から全部金を巻き取れとか、年金にしても医療にしても高齢者は恵まれすぎているというような議論に与してはいけないです。分断の新自由主義のやり方が典型ですけれども二歩の高齢者、特に単身女性の貧困というのは世界の中でもトップクラスです。女性の貧困や高齢者の人間としてふさわしい生活、25条で保障されているものが、まったく保障されていないような現状が見えなくされている。そういう中で分断を図って福祉国家なんていうのは、口だけではいうかもしれないかもしれないけれど、予算が全部軍事に回されている。もともと削られていたのが軍事に回されているような現状です。私たちがあきらめてしまうと誰も反対しなくなってしまうということもあります。

諦めない いつか社会は変えられる

最後に「あきらめてはいけな。いいつか社会は変えられる」ということを書きました。私がほかの団体のニュースで巻頭言を書かなければいけないときに、毎年「憲法記念日に考える」というコラムをつくっています。今年の「世界」6月号で、三浦まりさんが「変わらないを変える」という小さなコラムを書かれていますが、「失われた30年の間に失ったものはよい方向に社会は変わっていくという感覚だと思っている。政治の力によって社会がよい方向に変えられるという感覚をもし失ってしまったのならもう一度身につけたい」と三浦まりさんは書かれています。私は「もう一度身につけたい。もし失ってしまったのなら」ということに本当に強く共感しました。私自身がもう何をやってもダメなんじゃないかと思うときがあります。だけどそこで黙ってしまうとやっぱり相手の思うつぼだなと思うんです。

安倍政権が破壊したものはたくさんあります。その中でも私はこれがとても問題だと思っているのは、「言葉への信頼と対話の破壊だ」ということを書かれている人がいて、本当にそうだと思います。安倍政権時代には数々の疑惑に対して話をすり替えたり、ウソを平気でついたり「指摘は当たらない」といった官房長官もいました。問題を相手方の間違いのように印象づける。門前払いをする。要するに質問にまともに答えない。特に女性議員の質問に対しては、薄ら笑いを浮かべて馬鹿にしたようにしてまともに答えない。そういうことが日常化されてしまった。政治家がウソをついてもしょうがない。政治家は嘘をつくものだし、ちゃんと答えなくてもいいんだ。ちゃんと答えないのは質問する野党が悪いんだ。もうしょうがないね、というそんな気持ちさせられているんじゃないか。誠実に政治に真実を求めようとする姿勢や、何が本当で、あの首相は嘘をついているのか、何が本当なのかということを求めようとする感覚が鈍化してしまった。もうどうでもいいいや、すべてやむを得ないね、そういう雰囲気がまん延しているのではないかということを指摘している方がいます。

本当にそうだな。ただ受け入れていくしかないのではないか。どんなに反対しても政治家は耳を貸さない、耳を貸さない以上もう発語しない。しゃべることをやめよう。沖縄なんかは、いまもそうならずに反対をがんばっているから、本当にすごい。けれども、もうすべてあきらめてしまう方向に、またそれに追い打ちをかけるように、マスコミが客観報道の名のもとに政府発表をそのまま繰り返しています。そうすると忙しい国民は、もうこれは決まったことなんだ、閣議決定というのはもう決まったことで国会で変えられないと思いますね。「決まりました」ということが繰り返されてしまう。

だけどそうじゃないんですよね。マスコミが伝えないところにこそ真実があるし、私たちがまだまだ知らないところに人々の息吹や憤りや苦しみや叫びがあります。だからそこに耳を傾けて、目を向けて、そこにアンテナを必ず持って、絶対にあきらめない。そういう中で、絶対いつかは社会は変えられるよ、悪い方向ばかりじゃないよ、変えられる。30年前はわれわれ、みんなそう思っていたわけです。もう一度その気持ちを取り戻そうよという三浦まりさんの言葉に、私自身がとっても励まされたので、そうだ、もう一度しゃべりつづけなくちゃ、話し続けなくちゃと思ったんですね。

ひとりの力は小さいかもしれないけれども、絶対その水脈はつながっています。ひとりがしゃべったことが、街中で誰かひとりが聞いてくれたことによってもうひとりにつながっていく。それがいつか化学反応を起こして、爆発するような大きな力になるということが恐らく真実なんだろうと思います。だからあきらめない。いつか社会は変えられるんだよ、ということを
中高年も忘れてはいけない、あきらめてはいけない。そして若い人たちにそのことを伝えていかなくてはいけないんですね。彼らZ世代、ミレニアム世代というのは生まれたときから日本は下向き、いい方向には行かない。ひどい目にばかりあってきた世代ですから、到底そう思えないですよね。投票にいったって変わらないって思いますよ。でもそうじゃないよということを、やっぱり伝えていくことが必要。「急がば回れ」なんですね。

本当に、いま平和憲法、日本の平和、アジアの平和というのは、冗談じゃなくとっても危険な状態、瀬戸際のところまで来ている。だけどここでがんばっていく必要が本当にあるんだと思います。義はわれわれにある。軍事力を強化しても平和はつくれない。そのことは明らかです。そのことを思ってみんなで議論していきたい。そして憲法審査会の今期はわれわれが勝利した。立憲野党はがんばったということに確信を持つ。それが、これだけ数で負けているにもかかわらず勝利できたんですね。ただまだ秋以降また続くわけだから、引き続きがんばる必要があります。負けてばかりじゃないんだよという、ものすごい大成果を上げているということは、みなさんとともにぜひ共有したいと思って、今日はその点を中心に話しました。緊急事態の問題点については理論的なことはまた別の機会をつくってお話をしたいと思います。

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