改憲の動きが煮詰まってきた。国会の衆参憲法審査会が大きく揺れている。
2021年の衆院選、22年の参院選の結果、両院で自民党、公明党、日本維新の会、国民民主党などの改憲派が、憲法96条が規定する改憲発議要件の3分の2以上の議席を占めたことから勢いづき、憲法審査会を「毎定例日に開催せよ」などと強硬に主張するようになった。
この結果、衆議院憲法審査会は22年の通常国会では従来からの慣例を破って2月の予算案の審議中からほとんど毎週開会し、15回の実質審議がなされ、臨時国会では6回の実質審議が行われた。この開催回数は2000年の憲法調査会発足以来、最多だ。
これに対し参議院は通常国会で実質審議6回、臨時国会で2回であり、衆議院と比べて3分の1程度の開催回数で、議論も衆議院のように改憲を前提にした議論とは少し様相が異なっている。
この差は両院の憲法審査会の運営を協議する与野党の筆頭幹事の審議の在り方に対する姿勢の反映でもある。参議院の小西洋之・(前)野党筆頭幹事は「毎週開催」に強く抵抗してきた。衆議院の与党筆頭幹事の新藤義孝をはじめ、改憲派はこの参議院の憲法審査会の進め方にひどくイラついていた。
このような攻防の中で、国会に激震が走る事件が起こった。
3月3日、参院予算委員会で立憲民主党政調会長代理(当時)の小西洋之氏が、旧安倍政権下で作成された、放送法の「政治的公平」の解釈をめぐる総務省作成の行政文書(2014年)を暴露したことを巡って、国会論議は、「捏造文書だ」と叫ぶ高市早苗・経済安保担当相の辞職発言にまで発展し、岸田文雄内閣は大揺れに揺れた。
この小西氏が暴露した文書は、安倍政権当時に「放送法の政治的公平性」の解釈を変更した際の内部文書、官邸と総務省幹部の間のレクチャーの内容を記したもの。「政治的公平性」は、従来は放送事業者の番組全体を見て判断することにしてきたが、「国論を二分するような政治的課題について、ことさらに偏った見解のみを長時間繰り返す場合は政治的公平性を確保しているとは認められない」という趣旨の答弁を当時の高市苗総務大臣が行い、のちにこれが政府統一見解とされたことの背景に関する文書だ。つまり、放送局は政府に従順であるべきだという見解だ。NHKの籾井・前会長の「政府が『右』というものを『左』というわけにはいかない」という発言や、TBSの『サンデーモーニング』、テレビ朝日の『モ―ニングバード』『報道ステーション』などが名指しされ攻撃されたのはこの時期だ。一方、こういうマスメディア攻撃の裏で、安倍政権はこの時期、「桜を見る会」で118回、「森友学園問題」で139回の虚偽答弁を繰り返していた。
高市経済安保相は文書の自分に関係する部分は「捏造」だといいはり、「高市辞任」を賭けた発言となり、国会の議論は過熱した。昨年末の2か月で閣僚が4人も辞任するに至った岸田内閣にとっては政府危機そのものだ。野党各党は勢いづき、政府を厳しく追及したが、首相はのらりくらりと逃げの答弁を繰り返した。
しかし、いずれにしても、この高市・小西論戦の勝負は総務省が3月7日に自らの「行政文書」であると認めたことで「詰み」になったはずだ。
ところがその高市追及のさ中の3月29日、当の小西議員による報道各社の取材の場での「サル発言」を巡って風向きが変わった。
小西氏が「(衆院憲法審の)毎週開催はサルのやることだ」と発言し、「憲法学者でも毎週議論できない。蛮族の行為、野蛮だ」「衆院(憲法審)なんて誰かに書いてもらった原稿を読んでいるだけだ」などと語ったという問題だ。
これに対して自民など衆院憲法審の改憲各派は一斉に小西氏の日頃の言動に対する意趣返しにでた。維新の三木圭恵衆院議員は3月30日の衆院憲法審で「侮辱だ」と謝罪を要求した。これを受け、立民執行部は小西氏に謝罪を指示し、憲法審の野党筆頭幹事を更迭(委員としては残留)し、「幹事長注意」処分とした。小西氏は党の政策審議会長代理を辞任した。維新は小西氏の謝罪が不十分として、「幹事会での謝罪を要求」し、前回の国会から始まった立憲との院内協力を留保している。
しかし、小西発言は言葉遣いが荒っぽかったにしろ、現状の衆院憲法審査会の問題点を的確に指摘している。憲法審査会の委員は忙しすぎて、憲法を真剣に学び調査したり、招請した学者などの参考人の発言すら慎重に検討するいとまがないほどにひんぱんに会議を開き、改憲の結論ありきの会議に終始している。だからこそ、議論は上滑りになってしまう。小西氏との議論は、「謝罪する、しない」のレベルの非難合戦にとどまるのではなく、この間の衆院憲法審の運営と議論の在り方を巡って、堂々と論議すべきことだ。
またこのさ中、3月15日には衆議院憲法調査会(旧)の初代会長の中山太郎氏が亡くなり、あらためて国会の他の常任、特別委員会などとは運営の仕方が異なる「中山方式」とも呼ばれた同氏の「民主的な」議事運営の評価が話題となった。この中山会長の下で、最高法規の憲法について専門的に議論する特別の委員会であることから、例えば、会長代理が置かれ、野党第1党の幹事がこれに充てられること、その運営については、政局に巻き込まれることなく、合意を重視し、与党や野党第1党だけでなく、少数会派も含めて幹事会等で協議、決定するとともに、少数会派や委員にも平等に時間を配分して議論を尽くすなどの運営姿勢がとられてきた。
3月30日の衆院憲法審査会では中山調査会長時代に会長代理、野党筆頭理事を務めていた立憲民主党の枝野幸男氏が会議に出席し、中山氏への哀悼の発言をしつつ、「中山方式」を積極的に評価し、そのうえで憲法審査会の現状についての危機感を表明した。
この日の枝野氏の発言は今後の憲法審査会のありかたについて、示唆に富んでいるので少し長いが引用しておきたい。
「中山先生が中心を担われていた時代は、意見の違いはあっても、建設的な議論が進められました」
「残念ながら、2007年、国民投票法採決に至る経緯で(行政府の長たる安倍晋三首相による憲法審査会の議論に対する乱暴な発言がくりかえされ)、中山会長が10年近く積み重ねてこられた合意形成の努力が壊され、いわゆる強行採決となりました」
「残念ながら、今日に至るまで、むしろ強引かつ独善的な議論と運営が拡大し、合意形成の機運がますます乏しくなっていると言わざるを得ません。中山方式とは、現状のように、ただ形式的に、あるいは国会対策的に野党を巻き込もうとしたものではありません」。
「中山先生には憲法と立憲主義に対する謙虚で深い御認識がありました。憲法は与野党などの政治的立場を超えて権力を拘束するものであり、主要政党間の対立点にしてはならないということです。どの勢力が多数派となろうと、従うべき規範が憲法である以上、違いを強調するのではなく、一致点を探して、その一致点から議論を進めるという認識が共有されていました」。
「憲法制定権力である主権者国民に対する謙虚な姿勢でも一致していました。衆参両院で3分の2を構成できたとしても、そこに至る経緯で国民を巻き込んだ十分な合意形成がなされていなければ、国民投票で否決されるおそれがある。このことを中山先生は十分過ぎるくらい御理解されていました。そして、特に初めての国民投票で否決される事態とならば、憲法をめぐる議論が更に混乱し、我が国の民主主義に救い難い傷となることを恐れていました。昨今の憲法審査会の状況を見るに、中山先生の時代には遠く及ばないにしても、あの当時とは似ても似つかぬ状況で、私個人としては、建設的な合意形成について、悲観的を超えて、絶望しています」と。
岸田総裁の任期のあと1年半弱で国民投票まで持ち込むためにはこの中山方式のような議論は不可能だ。両院で3分の2を取った改憲派がファシズム的な強引な手法で、強行採決し、国民投票に持ち込む以外にない。
本誌前号で維新の会の小野泰輔委員の発言(3月2日)を紹介した。
「総理は、来年9月末の自民党総裁任期までの憲法改正実現を明言されています。国民投票の実施には(法律によって)国会発議後60日から180日間必要であることを踏まえれば、遅くとも来年7月末までに国会発議をしなければいけません。参議院の憲法審査会とも足並みをそろえて、改憲項目を絞った上で、国民投票をいつ実施するのか、明確なゴールをまず定め、国会発議に向けて意見集約をできるよう、ゴールから逆算してスケジュールを設定することを求めます。森会長、どうぞよろしくお願いいたします。特に自民党には、この点について責任ある行動をお願いしたいとおもいます。私ども維新の会も、全面的に協力する所存です」と。
小野氏は発議後、国民投票まで60日で計算するが、これはあくまで法律で定められた期間の「最短」のもので、現実に国民投票を実施するとしたら、日本で初めて行う改憲国民投票の周知期間が最短の2カ月などというのはありえない。有権者が投票のためにその仕組みなどを理解するには相当の時間が必要で、常識で考えて180日は最低限必要だ。とすれば来年3月末までに衆参両院の本会議で改憲案を採決、発議しなくてはならない。第211通常国会の残りはあと3か月、秋に臨時国会が2~3か月あるとしても、来年の通常国会は冒頭から予算審議がある。憲法審査会は容易に動かせない。
実質審議期間が、あと6か月程度の議論で改憲発議をすることができるだろうか。以下、4点指摘するが、改憲発議は容易ではない。
(1)いま、衆院憲法審査会では「緊急事態条項導入改憲」の議論がすすめられ、緊急事態における議員任期の延長については、共産党、立憲民主党をのぞく各会派の認識は大方、一致してきたようだ。しかし、緊急事態条項の問題はこれだけではない。いわゆる「緊急政令」の問題や、「緊急財政処分」の問題、「人権制限の限界」の問題など、極めて重要な問題の議論が積み残されている。
(2)それに、緊急事態条項導入改憲だけで改憲発議を強行するのかどうか、という問題もある。
この通常国会で衆院憲法審が「緊急事態における議員任期の延長」を議論していた途中から、自民党の新藤筆頭幹事がレジュメを配布して、突然「9条改憲問題」を持ち出し、自衛隊の合憲化の必要性について、持論を展開し、以後、自民党からはあいついで9条改憲・自衛隊の合憲化論が展開されている。これを見ると、自民党は一部で語られる単独の緊急事態条項改憲ではなく、自らの4項目改憲案か、少なくとも「緊急事態条項+自衛隊明文合憲化」で改憲発議したいという構えのようだ。しかし、これで公明党などとの合意をつくるには相当の議論と時間が必要になる。
(3)2021年6月に合意された改憲手続法の改定の問題もある。自公与党はこれを「公選法ならびの3項目修正」だけで区切りをつけ、立憲民主党などがいうTV・CM、ネットCM規制をはじめ、抜本的改定は国民投票実施の前提条件ではないという立場だが、それで押し切るのか。改憲手続き法附則4条を否定するこの与党の立場は立憲民主党などの改憲問題への姿勢の硬化を招くのは必至だ。
(4)また、改憲発議は与党だけではなく、最低限、野党第1党の賛成が必要というのが、中山元会長らの立場だった。3分の2の議席を確保したというだけで、立憲民衆党の賛成がないまま、発議を強行するのは極度のあらわざだ。この方面からも改憲派は立憲民主党を巻き込むための討議と時間が必要だ。
枝野氏は、与野党協調を重視し円満に審議を進める「中山方式」と比べ、「当時とは似ても似つかぬ状況となっている最近の憲法審査会」を批判して、「強引かつ独善的な議論と運営が拡大し、合意形成の機運がますます乏しくなっている」「私は建設的な合意形成に絶望している」。「(こんなやりかたで改憲を)強行発議すれば国民投票で否決される」と警告した。
3分の2という議席にのみに依拠して強行する「改憲国民投票」を有権者は許すだろうか。安倍晋三元首相の嫌う「戦後レジーム」のもとで生きてきた市民は、枝野氏の発言を借りるまでもなく、ファズムもどきの手口による改憲を絶対に許さない。
(共同代表 高田 健)
藤井純子(第九条の会ヒロシマ)
「9条を持つからこそ、軍事侵攻を許さないロシアの即時撤退という視点からの呼びかけや運動が重要だ」という清末愛沙さんのFBを高田健さんが紹介してくださった。全くの同意だ。第九条の会ヒロシマの「8.6新聞意見広告」も、毎年「憲法を活かし戦争させない、軍事によらない外交努力を」と「9条を持つからこそ」の視点で、賛同を呼びかけ、皆さんも賛同してくださっている。
しかしながら広島県1区選出の岸田首相は、9条があるのに安保3文書を閣議決定し、国会で次々と大軍拡が予算化されようとしている。更に、9条があるのに、集団的自衛権行使容認の上で、敵基地攻撃能力も可能とした。9条の規範力と市民の力で押しとどめたい。
もうすぐG7広島サミットが開催される。広島の街は、既に首脳会議場や平和公園のみならず警官だらけだ。サミット期間前後は交通規制が強まり、人の動きを出来るだけ少なくするために、学校は休校、老舗百貨店も時短や閉店を迫られる。自由や民主主義といった価値観を共有する主要7カ国というが、市民の自由を奪い、生活を犠牲にし、価値観の異なる人・国を排除することが民主主義か。マスコミは盛り上げようと躍起になっているが、市民の不満は高まるばかりだ。
核兵器保有国の米英仏、「核の傘」の下の筆頭である日本、そして独伊加が集まって被爆者に会えば、「核なき世界」の実現へ向けて動き出すとでもいうのだろうか。
「核兵器廃絶は究極的な目標」などと誤魔化されてはならない。むしろ広島での開催が、核抑止を名目に「核保有」や「核の傘」の下にあることを認めたとヒロシマが利用されることを危惧している。G7は、ロシアにウクライナからの撤退をさせることもできず、もはやサミット=世界の山頂ではない。私たちは、G7広島サミットを問い、広島を利用するな、これ以上続けるべきではないと声を上げ続ける。市民のつどいにどうぞご参加を!
(https//www.jca.apc.org/no-g7-hiroshima/)
2月末、日米共同演習が広島湾で行われ、「アイアン・フィスト(鉄の拳)23」では岩国米海兵隊基地が重要な役割を担った。大分県日出生台演習場での陸自と米海兵隊の離島奪還の共同演習の一部として岩国沖で、海自呉基地の大型揚陸艦「おおすみ」と米海軍佐世保基地のドック型揚陸艦「グリーン・ベイ」がそれぞれ搭載する「LCAC」(ホバークラフト型揚陸艇)を互いに入れ替えるという演習を行ったのだ。それに対し即、「ヒロシマ総がかり」、「ピースリンク」をはじめいくつかの市民団体が抗議をした。2月27日~3月12日の予定としていたが、実際には27日の1日だけとなった。平和都市ヒロシマ市民の反応を見ようとしたのではないか。近々、G7そろって共同軍事訓練が行われてはたまらない。私たちは、これからも一つ一つ、声を上げていこうと思う。
4月9日が投票日だった広島市議会選挙。私が住んでいる南区では、近頃リベラルな議員は、共産党の女性がやっと1人だけで、超保守的な土地柄だ。だが今回から定員が6人から7人となり、社民党はチャンスとばかり新人1人を送り込んだ。社民久々の候補者は、一昨年の衆議院選挙にも広島1区から立候補したが岸田の圧倒的な得票であえなく落選した。しかし今回、「県病院を南区に残そう」をメインの訴えとして市議選に打って出た。
元広島市長の秋葉さんも駆けつけて、「県病院を残し、命を守ろうと」応援してくれた。マイクを持てば往年の演説は力強い。広島湾での(上記の)自衛隊と米艦船の共同軍事演習もしっかり批判し、まさに「頑固に平和」だ。朝立ちや街角演説に参加したが、次第に集まる人も増えてくる。電話をかけまくると「南区は県も市も投票したい人がいないので、棄権する」と言っていた地元の旧い友人たちが、「やっぱり投票に行く」と応えてくれた。投票率は35%と低く不利だったにもかかわらず、6位で当選することができた。もともとの支持者を元気にし、「命を守る」訴えが有権者の心に届いたのではないか、と思う。結果、南区は、公明(現)を含み、共産(現)と、社民(新)の3人の女性が当選した。公明党は地方では、市議会で別姓意見書に協力してくれたりもした。保守王国の広島でもできることはありそうだ。
「憲法を活かそう!ストップ改憲」の一助となればと願い、今年も、8月6日に「新聞意見広告」の掲載に取り組む。岸田首相は、任期中に改憲、今年中に改憲案、来年6月に国民投票などと言っているようだ。これまで私たちは、なんとなく「国民投票なんて無理だろう」と思っていた。だけど「なんとなく」などではなかった。9条や人権条項など憲法の規範力と、多くの人の改憲に反対する努力が続いてきたからこそ、政府や改憲派が「国民投票にかけて否決されるようなら国民投票は二度と出来ない」と怖れてきたのではなかったか。ウクライナ戦争が終わらない今こそ、私たちは非軍事に徹する世論を高め、改憲を断念させたい。
31年目の8.6新聞意見広告に取り組むわけだが、実をいうと地方の小さな市民団体が、新聞意見広告を全国に掲載するのは大変だ。でも、そこまで改憲が来ている今、泣き言を並べている場合ではない。これまで続けてきて、諦めるわけにはいかない。皆さんのご協力を頂いて、ぜひとも!全国に8.6新聞意見広告を(出来ればカラー)で掲載し、もっと多くの人々に私たちの思いを届けたいと思う。
2023年4月21日
ジェンダーギャップ指数121位(2020年)
女性の衆議院議員9.7%(2021年)
日本の政治をアップデートするにはどうすればいいの?
川上芳明(長野県・松川村9条の会)
上智大学教授(現代政治論・ジェンダーと政治)で一般社団法人パリテ・アカデミー共同代表として活躍する三浦まりさんの最新刊である。
日本が依然としてジェンダー平等後進国であることが誰の目にも明らかになるなかで、この遅れを何とかしようという気運も高まっている。しかし、その実現を阻んでいるのが永田町にも地方にも蔓延る男性政治である。
男性政治とは、「男性だけで営まれ、男性だけが迎え入れられ、それを当然だと感じ、たまに女性の参入が認められても対等には扱われない政治」のことであるが、「男性政治を打破する」とは、著者も言うように決して「男性」対「女性」の政治を意味するものではなく、ジェンダー平等で多様性のある、女性も男性もマイノリティも、あらゆる人が生きやすい社会をつくることである。そうした社会実現のために、男性政治をどう打ち破っていくか、いくつものヒントを与え、私たちと政党に行動と決断を迫るのが本書である。
第1章では、男性ばかりの政治の現実をさまざまなデータを駆使して示し、日本における女性政治家の少なさは世界の動向から大きく引き離される一方で、国内での格差(衆参両院の差、地方議会における地域格差)も大きいことを明らかにする。
第2章でもデータは豊富で、世界銀行レポートやOECDのSIGI指数、国内外の研究から国際比較を提示して、なぜ20年もの長期間ジェンダー平等政策の停滞が続いてきたのかが明かされる。その根底に男性中心的な政治の存在があることが説得力をもって実証される。
そして第3章以下で、なぜかくも長く男性政治が続くのか、それが女性を排除する日本の政治風土と選挙文化にあるということを、具体的な事例を通して明らかにし、男性政治を変えることは地域政治を変えることと不可分だし、小選挙区ではなく比例代表の役割をもっと強める改革が不可欠と力説する。
第4章は、女性が政治家になるための障壁を、ジェンダー規範が女性の政治参画にどういう否定的影響を与えているかを、心理面から、さらに家族からの支援、政治活動に使える時間、人脈、資金という活用できる資源のジェンダー格差の両面から明らかにし、「女性政治家に待ち受ける困難は、男性政治(およびその根源にある家父長制)によって生み出されており、男性政治を変革することによって取り除くことができる」と強調する。
第5章は政治分野における女性への暴力について。日本語では「暴力」は身体的暴力以外はハラスメントやいじめなどと称されるが、正しくは精神的なものや構造的なものまで含む広い概念だとの指摘は重要だ。
また女性への暴力の動機として用いられるミソジニーというキーワードについても、これが単なる女性嫌悪ではなく、女性処罰感情とか女性制裁感情と呼んだ方がより正確に理解できるということ、「からかいも暴力」という指摘もなるほどと気づかされる。オンラインハラスメントや票ハラ、地方議会でのいじめについても深く分かりやすい解明がなされている。
新しい男性性に向けて「ジェンダー平等に適合的な男性性をいかに育むか」という節は私には目から鱗であった。
この章の最後で解明されているセクシズム(性差別的態度)の3類型の分析も興味深い。
第6章は「なぜクォータが必要か」をさまざまなクォータ反対論にも丁寧かつ妥協することなく反撃し、クォータの必要性が国会、地方議会、政党のやるべきは何かとともに詳細に語られる。
最終章は、女性の政治参画を進め、ジェンダー平等で多様性のある政治が実現すると、どのような未来が待っているのか、男性政治を打破する鍵はどこにあるのかを、「女性議員が増えると、どんなメリットがあるのか」という質問(というより愚問)や「女性であれば誰でもいいのか」論などをどう見るか、ジェンダーと階級の交差について考える必要性が高まる中で生み出されているジェンダー平等をめざす運動の中での複雑な対立構図についても、どう評価するか、難しい論点もうまく整理され分かりやすい。
著者はこうした議論の展開の最後に改めて女性が政治に参画する動機に着目し、「個人的なことは政治的である」という第二波フェミニズム運動のスローガンの有効性を強調し、特に「当事者」として政治主体性をもって声を上げ始めたMeToo時代の女性たちの政治参加に注目する。そして問われているのは燎原の火のように広がったこうした「自主的に誕生した応答的な公共空間をどのように政治に接続するのか」であると指摘し、では「受け皿」はどこか?と結論へ導く。それは「政党」であると。なぜ政党なのかを示し、男性政治を打破する鍵は「市民と政党の新しい関係性の中核にジェンダー平等と多様性を据えること」「民主主義の刷新とともに」と著者は結論づける。
巻末の「引用文献」には内外の書籍、研究論文など180点以上が掲載されている。それを一覧しただけでも三浦さんのこの本執筆への意気込みを感じるし、「謝辞」にあるように「パリテ・アカデミーの活動を通じて、若手女性が政治に参画する際の障壁や悩みを聞き、それを突破するアクションからも刺激と勇気をもらい」執筆されているだけに、新書という制約がありながらも、非常に実践的な豊かさがあり説得力ある論理の展開となっている。三浦さんの渾身の書ではないかと。ぜひ、たくさんの方に読んでいただきたい。
土井登美江(事務局)
これが驚天動地ということなのか。昨年のロシアによるウクライナへの軍事侵攻への怒りはいまも続いている。このロシアによる侵攻のひとつひとつは、かつて日本による満州国建国の過程や中国侵略の手口を見せつけられているようで、私に海外からかつての日本を見る視線を想像させるものだった。またジョージア、グルジア、モルドバなどでの紛争も、地図上の位置もよく分からないこともあり、どうせ旧ソ連内のいざこざ、といようにほとんど関心を持ってこなかったことを強く反省させられた。ニュースや情報は必ず一定の視点をもっていることを考えつつ見ていくと、普通に生活していても判断の基準に出来るような知識は得られるものだと今は思っている。
ウクライナはすでに1年以上も戦時下にあるが、さかのぼって2014年にはロシアがクリミア半島に軍事侵攻して自国領とし、ドンバス地域ではロシア軍につながって戦闘が多発していた。同年のマレーシア航空便撃墜事件もロシア軍が原因だ。再びロシアが戻ってこないことこそがウクライナの人々の願いであって、「停戦」はロシアの居座りを認めることだ。
先日の民放テレビでは生前の坂本龍一さんが「アメリカが悪い、ロシアが追い込んだ、という人たちがいるが、主権国家が武力で侵略するのはどこの国でも許されない」と語っていた映像を流していた。その通りだと思う。市民憲法講座で講演した志葉玲さんは、「ウクライナと日本の平和を両立させるには、岸田首相がロシア寄りにならないように中国に働きかけ、東アジアの緊張緩和にもっていくべきだと」話していた。こうした呼びかけを、工夫しながら強めていきたい。
お話:渡辺 治さん(一橋大学名誉教授、九条の会事務局)
(編集部註)3月25日の講座で渡辺治さんが講演した内容を編集部の責任で要約したものです。要約の責任はすべて本誌編集部にあります。
去年の年末に国家安全保障戦略を初めとした安保3文書改定が閣議決定されました。そこでは国家安全保障戦略の冒頭のところで、この方針は戦後の安全保障戦略を実践面から大転換する、安全保障政策の大転換だということを自ら謳っております。この安保3文書がいかに重大なものであったかということは、今年2023年1月11日に日米2+2が行われ、14日にバイデンと岸田の会談が行われました。その中でバイデンは「これほど日米関係が親密になったことはかつてなかった」、その後がすごいんですが、「どうすればもっと緊密にこの同盟が協力できるかというよりも、どう意見が違うかを考える方が難しい」と語り、岸田を「あなたは真のリーダーで真の友人である」というような感じで絶賛をしたわけです。それを受けて今通常国会は6兆8219億円の防衛費を中核とする大軍拡予算を出し、これが通過する見込みとなっています。そこで、この安保政策の大転換と言われている安保3文書がいかなる意味で大転換なのか、それを実行しようとしている岸田政権はいったいどんな内閣なのかということについて検討します。最後に、いま進められているような軍拡と軍事同盟、改憲、この方向で本当に日本とアジアの平和は実現するのか、そうでない道がどこにあるのかということを考えてみたいと思います。
安保3文書への歩みを見ますと、出発点は安倍政権です。2012年、第2次安倍政権が出発して以降、安倍政権は自衛隊の活動に対する9条のさまざまな活動の制約、アメリカとの戦争に日本が全面に加担することを阻んでいる、そういう制約の打破を目指しました。1954年に自衛隊はつくられましたが、「9条を守れ」という運動の力、60年安保闘争によって改憲が挫折しました。60年代から70年代の沖縄返還運動、それからベトナム反戦運動の中で、野党や市民、労働組合の運動の中で自衛隊の活動には大きな制約が設けられました。憲法を変えてしまえばいいんですがそれはむずかしい。自衛隊は憲法9条が禁止している戦力に当たらないということをいうために、野党の追及の中でさまざまな制約が設けられました。
一番大きな制約は、自衛隊は9条が禁止している軍隊ではないので武力攻撃を受けた場合にのみ武力行使をする。したがってアメリカの戦争に加担して、日本が攻められていないのに武力行使をする集団的自衛権の行使はできない。自衛隊が海外で武力行使をするために派兵することは禁止されている。武力行使をしない後方支援であっても、他国の武力行使と一体化するような、戦場で米軍と一体として活動するような後方支援は禁止される。あるいは武力行使を受けてそれに対する反撃としてしか自衛隊は動けませんが、たとえ個別的自衛権のケースであっても原則他国の領土には行かない。いまウクライナがロシアの侵略を受けて反撃をしているときに、原則としてウクライナ領内で反撃をしている。ロシア領内に反撃することはしていないということを憲法上原則として認めたのが日本の9条に基づく制約であったと思います。また、武力行使をされたときにそれに反撃する、最小限度の実力だということから、他国に脅威を与えるような兵器は持たない。弾道ミサイル、核兵器あるいは中距離ミサイル、こういうものは持たないというような制約の束をもってようやく自衛隊が憲法違反ではないということを憲法裁判の中でも主張し、国民の合意を取ろうとした。
90年代に入って冷戦が終焉しアメリカが「世界の憲兵」として戦争を行い、日本に対しても「ともに血を流せ」ということで自衛隊の派兵を求めてくる中で、9条が大きな攻撃を受けました。とくに後方支援であれば行ってもいいということで、ついに小泉政権は自衛隊をインド洋海域からイラクにまで派兵した。しかしその場合であっても集団的自衛権行使ができないということから、日本の自衛隊はイラクにおいて他の多国籍軍と異なる動きをせざるを得なかった。安倍政権が変えようとしたのはこうした自衛隊の活動の制約、とくに自衛隊が憲法9条の禁止する軍隊ではないことの中心的な制約として設けられてきた集団的自衛権行使の禁止、これを打破することを目指しました。2014年に政府解釈を改変し、2015年には安保法制を制定することによって限定的集団的自衛権といわれている集団的自衛権行使を容認し、また後方支援のためであれば戦場にも行けるというかたちで、自衛隊の後方支援上の制約も打破することになりました。
こうなってくると、政府自身が40年以上にわたって言ってきた「自衛隊は憲法9条が禁止している軍隊ではない」ということを証明することの集団的自衛権問題とか後方支援であっても、他国の武力行使と一体化しないとか、そういう原則を破棄してしまったわけですから、9条とのギャップが、自衛隊の実態とのギャップが非常に大きくなる。戦争する自衛隊を、あるいは集団的自衛権を行使できる自衛隊を合憲とするような明文改憲に安倍は踏み切ったということになります。資料の1は、2017年の改憲提言を踏まえて2018年に自民党が改憲4項目というかたちでまとめた改憲案です。しかし安倍政権の、9条に基づく制約を打破しようという攻勢はここまでであったと思います。すでに安保法制が登場したあたりから市民と野党の共闘が大きく盛り上がり、安保法制の強行採決を余儀なくされるかたちになりました。この9条改憲を中心とした改憲4項目の提案が出る中で、市民と野党の共闘は「安倍9条改憲NO!全国市民アクション」をつくってそれとたたかい、市民アクションの3000万署名、あるいは数々の署名運動の力を得て野党が憲法審査会においてがんばった。安倍は改憲ができないままに退陣を余儀なくされたと思います。
60年安保闘争のときに安保条約の改定を行ったけれども、ものすごい安保闘争の高揚によって岸内閣が退陣して、自民党政権は改憲を断念せざるを得ませんでした。小泉政権の後に自衛隊を海外に派兵したけれども、憲法9条のもとでは集団的自衛権の行使ができないということで明文改憲に踏み切った動きも、「九条の会」を初めとした市民の運動によって安倍政権が倒れると同時に改憲はストップをしました。今回も、市民と野党の共闘の運動によって第2次安倍政権が退陣を余儀なくされることによって改憲は一段落するはずだったんですね。いままでの攻撃と私たちの運動との関係でいくとそうなるはずだったんですが、今度はそうなりませんでした。菅政権は、あるいはそれに続く岸田政権は、安倍政権ができなかったことを受け継いでそれの完成に踏み切る。いよいよ憲法9条のさらなる破壊に乗り出すという動きに出ました。その背景にあるのは、実は日本の問題ではなくて、日本も巻き込まれているアメリカの世界戦略が2010年代後半に大きく転換をしたということがあったと思います。
冷戦後アメリカは一極覇権を確立し、拡大した自由市場の覇権的な秩序を守るために「世界の警察官」として戦争を繰り返してきました。冷戦終焉後の世界の覇権、自由な市場を脅かす勢力としてアメリカが念頭に置いたのは「ならず者国家」のイラクやイランやアフガニスタンであり、テロリストです。アメリカの世界戦略は自由市場を守るための対ならず者国家戦争、対テロリスト戦争ということになりました。それが十数年続く中で、この冷戦後の自由な市場の大拡大の中で急速に経済発展をして、その経済発展した力を軍事的政治的な力の行使に振り向けていった中国が台頭する。アメリカの覇権に肯んじないいくつかの国々--イランとかロシアとかそういう国々が、中国との同盟・連携関係をつくる中で、アメリカの覇権的な秩序に対抗する大きな覇権主義的なかたまりができようとしている。
うかうかとテロリストに対する戦争、ならず者国家に対する戦争をやっているうちに、肝心の自由な市場、多国籍企業が自由に活動できるようなアメリカの覇権的な秩序が大きく脅かされる中で、アメリカの世界戦略を転換することになりました。2017年あたりが大きな転換点ですが、それをやったのがトランプ政権でした。トランプ政権は、対テロリスト戦争から対中国覇権主義競争路線に大きく転換し、そのために対中国との軍事対決の姿勢も強めていった。これがトランプ自身の個人的な思いであったら、トランプが替わったら変わる予定だった。けれども、恐らくアメリカの支配階級全体の構想、支配層の要求に基づいていましたから、トランプがバイデンに替わったのちにもバイデン政権は一層強化してこの対中軍事対決路線を強化して遂行する。それだけでなくトランプの非常に弱点であった一国主義的な覇権主義というものを克服して、むしろ軍事同盟網によって中国との、覇権主義との対決に臨むかたちの路線を取りました。
2015年に集団的自衛権行使容認を強行したときの安倍政権の思惑とはずいぶんと違って、2017年以降、とくにバイデン政権になって以降のアメリカの世界戦略の転換の中で、日米軍事同盟は対中国覇権主義対決あるいは対中国の軍事対決を行っていく場合の要の位置を持つことになった。そういう中で集団的自衛権行使の危険性が一層現実化し、高まったということになります。
安倍政権は2014年に政府解釈を転換し、2015年に安保法制を通して、多くの市民の反対を押し切って集団的自衛権の行使を強行するところまでは行きました。けれども、反対運動の声のもとで実際に集団的自衛権行使を行えるような軍事力を強化していく、自衛隊を改造していくというところまでは踏み出すことはできませんでした。確かに安倍政権は8年連続で防衛費を増額しましたが、依然として中曽根政権が廃棄したはずの対GDP費1%枠というものが念頭にあって、安倍政権の軍事費の増額はそれも超えられなかった。そういう意味でいうと安倍政権がやったことは、集団的自衛権行使を理念上認めて憲法の解釈を大変換するというところまでが精一杯だったということになります。
バイデン政権はそれを実行する体制づくりを要求しました。2021年4月16日、菅政権はバイデン・菅会談というものをもって日米協同声明を発します。日米共同声明というのはいくつも重大な声明があるけれども、私はこの2021年の日米共同声明は極めて重大な声明であったと思います。それはアメリカが世界戦略を転換し、対中国軍事包囲網のいわば要と位置づけた日本を、どうしても共同作戦の一部に組み込みたいという狙いを持って行ったと思います。バイデンさんが菅さんと会うときにはコロナの真っ最中で、バイデンさんもお歳ですからオンラインで会談をやっていた。けれどもバイデン政権は、わざわざ対面で菅を呼んで会談を行い、共同声明を出した。その背景になるのは、日本を取り込まなければ実は対中軍事作戦はできないという判断があったと思います。
日米共同声明は3つの点で憲法破壊の約束をしたと私は思っています。もっとも大きい、アメリカがもっとも取りたかったのは、集団的自衛権行使をいちおう日本は容認すると踏み切っていたわけですが、台湾有事の際に、中国との軍事衝突の際に米軍が介入した場合は、この集団的自衛権行使をするという約束を取りたかった。要するに中国との対抗関係の中で、集団的自衛権行使をしますよという約束を取りたかった。それが共同声明の後ろの方で「日米両国は、台湾海峡の平和と安定の重要性を強調するとともに、両岸問題の平和的解決を促す。」とあります。「台湾海峡の平和と安定の重要性を強調する」という言葉、これ自身はごく当然のことでなんの変哲もないことかもしれませんが、この裏にあるのは台湾海峡の平和と安定を脅かすような事態に際して、アメリカが台湾海峡の平和と安定の重要性を認識して介入した場合には、日本もよそ事ではなく、この共同声明に基づいて米軍の軍事行動に対して集団的自衛権を行使しますという約束を意味していたと思います。
実は1969年の日米共同声明、佐藤・ニクソン共同声明にもほぼ同じ文章が入っています。「台湾海峡の平和と安定の重要性を日本は認識した」と。その場合の佐藤・ニクソン共同声明の裏にあった考え方は、米軍がベトナム戦争を戦っていたわけですが、その米軍が台湾有事の際に日本を直接の基地として台湾攻撃に乗り出すことができるというものです。日本から直接台湾や朝鮮半島に攻撃をするときにはいちおう事前協議の約束、合意というものがあったわけですね。この佐藤・ニクソン共同声明で、台湾海峡の平和と安定は日本の安全にとっても重要だという規定を入れたということは、台湾海峡の平和と安定は日本の安全にとっても重要なんだから、台湾海峡の平和と安定が脅かされるときには日本は事前協議でノーと言わない。アメリカ軍が日本を基地として、拠点として台湾を攻撃することを容認するという意味でした。今回の日米共同声明はそれに加えてさらに前進をして、アメリカ軍の介入の場合には日本が集団的自衛権を行使して米軍と共同軍事行動を取るという約束をしたということが第1番目の特徴です。
2番目の特徴は、そのためには自衛隊を変えていかなければいけない。安保法制で、確かに集団的自衛権行使は認められたけれども自衛隊はそのようなかたちにはなっていない。例えば依然として攻撃的兵器を持てないということでさまざまなすり抜けをやって、ヘリコプター護衛艦とかいっていろいろなかたちで攻撃的兵器の保有を認めようとしてきました。けれども、依然として中距離ミサイルを初めとした相手を攻撃するような兵器は持てていないわけです。これを持たないと集団的自衛権行使をするといったって絵に描いた餅になるということで、自衛隊の攻撃的な兵器の装備と自衛隊自身の改造というものが2番目の約束として入りました。共同声明で初めて「日本は同盟及び地域の安全保障を一層強化するために自らの防衛力を強化することを決意した。」とあります。これが、日米共同声明が変わるにしたがって「抜本的に強化する」、それから「相手国の領域内における」、つまり後で言う敵基地攻撃能力を含めた防衛力の抜本的な強化を認めるというようなかたちで徐々にこれが膨らんできます。この日米共同声明で初めて対中集団的自衛権行使ができるような、そういう軍隊への改造が約束された。その中心が敵基地攻撃能力の保有であると思います。またそれを実現するための大軍拡だと思います。
3番目の約束は、対中対決の中で戦略的な重要性を増した南西諸島、とくに辺野古と馬毛島の基地の建設、これをあらためて共同声明の中で約束しました。しかし菅政権はこれを実行することもなくコロナの対策に失敗して退陣を余儀なくされました。そこででてきたのが岸田政権です。ですから岸田政権が出てきた段階では、こういった対中集団的自衛権行使を実行するような軍隊づくり、つまり安倍政権がし残した課題を実現することを任務として登場した内閣であったということができます。
岸田政権になると、バイデン政権は1年経っていますから日米首脳会談と共同声明はさらに一層踏み込んでいます。具体的には中国脅威論というものが2021年の日米共同声明の中では相当詳しく書かれていましたが、2022年の共同声明になるとそれは当たり前だというということになって、その先が求められるようになりました。バイデン政権は1年経って国家安全保障戦略と国家防衛戦略、つまり日本の3文書改定に当たるような文書を出してきて圧力を強めました。そうした中で岸田政権にとって極めて「追い風」となったのはウクライナに対するロシアの侵略であったと思います。これがバイデン政権との約束の中で果たさなければいけない日本の軍拡、憲法破壊を加速化するまたとない事件となったと思います。
自民党は4月26日、防衛力改定の中心的な眼目である敵基地攻撃能力と対GDP費2%枠の大軍拡、このふたつを提言する「新たな国家安全保障戦略の策定に向けた提言」というのを出して、岸田政権に対して安保3文書改定の基本的な骨格を打ち出します。資料にだした自民党の提言がそれです。この防衛関係費と反撃能力――この自民党の提言で初めて自民党自身が敵基地攻撃能力ではなくて反撃能力という言葉でその保有を認めることを主張するかたちになりました。「ウクライナの問題は人ごとではない」とウクライナを追い風にしながら、岸田政権は安保3文書の改定に邁進します。参議院選挙に勝って一気に3文書改定と軍拡に乗り出す予定だった。それが国葬問題、それから統一協会問題で少し遅れましたけれども、ほぼ当初の予定通りに12月末に安保3文書をつくりました。
安倍政権のし残したことを確認するということで岸田は最初にスタートしたんだと思います。ところがこれをやるには集団的自衛権行使が、実際にもう米軍と共同で台湾有事の際に行使するということになると、いままで持ってきた自衛隊自身、それからいままで拡大に次ぐ拡大を続けてきた日米軍事同盟を決めている安保条約、それからいままで続けてきた外交関係、こういうものを根本的に変えないといけないことに岸田は気付いたのか気付かないままにやったのかよくわかりません。とにかくそういうかたちで安倍政権の単なる完成者、安倍政権の政治の完成者というのを超えたかたちで大きく転換に踏み出すことになりました。
安保3文書の最初、国家安全保障戦略の要旨を資料に入れました。これは31ページありますが、最初の「策定の趣旨」の中で、「本戦略に基づく戦略的な指針と施策は戦後の日本の安保政策を実践面から大きく転換するものである。」と規定したことに見られるように、ある種の大転換であったと思います。しかしその大転換はいままで9条の実現に向かっていた、あるいは9条を念頭において行っていた政治を、大きく9条を破壊する方向に転換するという、「左から右への転換」という意味ではないんですね。自民党政権は一貫して右への転換を望んできた。しかし市民と労働組合の運動によって何度も右への転換を阻まれてきた。その阻まれてきた右への転換を、一気に進めて憲法の制約を打破する。アメリカと共同で攻守同盟を結び、共同で攻撃をする軍隊への改造、そしてその態勢への改造、これを求めていることが、岸田政権の非常に大きな新しい役割だと思います。
3つあった狙いのひとつは(a)集団的自衛権を実際に行使できる軍隊への改造、これを実現するための大軍拡です。これは憲法破壊を一層進めることになりますが、この集団的自衛権行使ができる軍隊への改造とそれを実現する大軍拡。これが1番目の大きなポイントです。2番目に、そのことによって事実上改定が進んでいた安保条約を、(b)名実ともに「攻守同盟」に変える軍事同盟の事実上の大きな改正。そして3番目に同盟国と同志国の連携強化を謳った、外交の、既存の自民党が行ってきた外交の大きな転換。(c)ブロック外交への転換、軍事同盟外交への転換、こういうものを実現しようとしている。この3つのポイントがあると思います。この3つのポイントを順を追って説明、検討したいと思います。
まず、集団的自衛権行使ができる自衛隊への改造というのはどういう意味かということです。国家安全保障戦略の非常に大きな特徴でもっとも重要なのが、「Ⅵ 日本が優先する戦略的なアプローチ」です。ここで外交と防衛体制を出しています。防衛体制については「日本の防衛体制の強化」、これが国家安全保障戦略の中で一番重要なところです。ここは、実は反撃能力の保有と防衛費のGDP比2%枠への増大、このふたつしか言っていない。つまり国家安全保障戦略の中でもっとも重視しているのは外交でもなければ経済でもない。もちろん防衛です。しかし防衛体制の中でもっとも重視して、枚数を割いてこの国家安全保障文書に書いているのは、敵基地攻撃能力いわゆる反撃能力の保有とそれを実現するための対GDP比2%枠、ここにいわば特化しています。
なぜこれが集団的自衛権行使を実行できるような自衛隊の防衛体制の強化の要になるのかということが非常に大きな問題です。ここで最初に反撃能力、敵基地攻撃能力をどう考えているかということですが、「この反撃能力とは、我が国に対する武力攻撃が発生し、その手段として弾道ミサイル等による攻撃が行われた場合、武力の行使の3要件に基づき、そのような攻撃を防ぐのにやむを得ない必要最小限度の自衛の措置として、相手の領域において、我が国が有効な反撃を加えることを可能とする、スタンド・オフ防衛能力等を活用した自衛隊の能力をいう」。日本語が悪いですよね、どんどんいろいろなことを書くのでどんどん長くなる。この悪文が言いたいことは、反撃能力というのはひとことで言うと攻撃をされたときに、とくにミサイル攻撃をされたときにミサイル防衛で対処するというのがいままでの日本の考え方です。ミサイル防衛で対処するけれどもいまのウクライナを見ても明らかなように、飛んで来るミサイルを全部撃ち落とすことはできない。ミサイル防衛は限界がある。そこでミサイル攻撃を敵から受けた場合に、それに反撃して敵を攻撃できる。敵の基地、敵の司令部、敵国を攻撃できる。この能力、攻撃できる能力を反撃能力、敵基地攻撃能力と呼びますよ、ということなんですね。
これはどういう意味があるかということです。いままで自衛隊について憲法9条のもとで政府自身も繰り返しそれを認めてきた制約があります。一番大きいのは、武力攻撃がなければ日本の自衛隊は武力行使をしない。絶対に敵に対して先に攻撃をするということはしない。武力行使が行われた場合、日本が侵略をされた場合にその反撃として武力行使をする。これが第1の原則です。第2の原則は武力攻撃をされてもただちに反撃するというのではなくて、ほかに手段、外交的な手段とかさまざまな手段がない場合、仕方がないから武力行使をする。3番目に反撃をするといったって最小限度の反撃に止まる。例えば反撃して朝鮮半島に出張っていくとか日本の自衛隊が反撃して中国大陸に行くとか、そういうことはできません。この3つの原則、これを武力行使の3要件、防衛活動の3要件、防衛力行使の3要件といっていきました。
安倍さんが変えた集団的自衛権行使というのは、この第1要件を変えたんですね。第1要件で「武力攻撃をされたときにのみ日本は武力行使ができますよ」というのを変えてしまって、「いや、武力攻撃をしなくてもいけるよね」と変えたのが安倍さんの「新武力行使の3要件」です。この「武力行使3要件」という言葉がやたら出てくるのでこれを覚えておいてほしいんです。自衛隊が憲法上持っている制約で第1要件は「武力攻撃をされなければ日本は武力行使をしない」、侵略をされなければ反撃しない。2番目は「侵略をされてもほかの手段がない場合しか反撃しない」、3番目は「反撃しても敵国に乗り込むような、そういう反撃はしないで必要最小限度の実力行使にとどまる」、この3つの要件でした。
安倍さんは第1要件を変えて、攻撃されていなくても、アメリカが、例えば台湾有事に際して軍事力行使をする、あるいは朝鮮半島有事に際して朝鮮に攻撃をする。それに対して中国や朝鮮が反撃をする、そうするとアメリカが攻撃をされるわけですが、その場合には日本が攻撃をされていなくてアメリカの戦争に加担して中国や朝鮮に対して武力行使をしますよ、これを認めたのが第1要件です。
昔は「我が国に対する武力攻撃が発生したこと」としか書いていなかった。しかしそこに加えて「又は我が国と密接な関係にある他国(アメリカのことですね)に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること」、この場合は日本が攻撃されていなくても行きますよ、ということをやったわけです。これで武力行使の3要件の第1要件に大きな穴を開けた。日本が攻撃されていなくてもアメリカの戦争と一緒になって台湾有事に際して武力行使ができるということがまずできています。今回問題になった敵基地攻撃能力は、それに加えて第3要件、「必要最小限度の武力行使にとどまります」ということを変えた。とくに敵基地攻撃能力の場合にはミサイルのときにどんどん防衛しても全部防衛できないどころか、いつまで経ってもミサイルのおおもとを断たなければミサイル攻撃を防ぐことができない。だからミサイル攻撃の場合には「必要最小限度の実力行使」といっても敵基地を攻撃できますよ、この第3要件を変えたことになります。
結局、自衛隊が憲法9条に基づく3つの制約のうちの第1制約は安倍政権によって変えられ、第3制約も、第1制約を実現するために、集団的自衛権行使を実現するために変えられたことが大きな特徴です。ですからこの敵基地攻撃能力というのは、いままで9条に基づいて活動していた自衛隊の大原則を大きく改変するというものになりました。この武力行使の3要件、依然として修正された集団的自衛権行使が含まれた武力行使の3要件は認められているわけですが、「必要最小限度の実力行使」の中でもミサイル攻撃に反撃する場合には敵の基地や敵の司令部を攻撃できますよと変えてしまったわけです。これは非常に大きな9条による制約の破壊ということになります。
2番目にこの反撃能力の集団的自衛権行使ができる自衛隊の改造の特徴は、実は敵基地攻撃能力というのは新聞やメディアでは、長距離ミサイル、長射程ミサイル、つまり日本が迎撃ミサイルで飛んで来るミサイルを撃ち落とすのではなくて相手の基地を攻撃できる、相手の司令部を攻撃できるような、いままで日本の自衛隊が持っていなかったような長射程のミサイルを持つことが中心だといわれています。これを国防戦略などでは6種類のミサイルを持つと言っています。
そういうミサイルを持つんですが、実はそういう話じゃないということです。敵基地を攻撃できるような、集団的自衛権行使に基づいて中国に対してアメリカ軍と共同して全面的に戦う軍隊になるには、敵基地を攻撃できるようなミサイルを持つことは当然必要だし、そのミサイルを運営するスタンドオフ・ミサイル部隊、新しい部隊も必要です。それから、もそもそもアメリカと組んで敵基地を攻撃することになれば、いままでは全部アメリカに頼っていた敵基地の場所、「敵」の軍隊の移動、そういうものを判断するような人工衛星をアメリカに頼らずに日本も一緒になって人工衛星群――人工衛星コンステレーションといっていますが、そういうものを何発も打ち上げる。そういうことも必要だということです。この敵基地攻撃能力というのは、自衛隊をそういうかたちで9条を逸脱する攻撃的な軍事力に変えるような、総体としての改造を意味していることを理解してほしいと思います。
3番目の特徴は、というと1956年の政府の見解では北朝鮮のミサイルということが想定されていて、北朝鮮のミサイルが飛んでいたときに「座して自滅を待つことはできない」。撃ってきたら確実に日本の国民に大きな被害が出るときには、相手基地を叩くということも自衛の範囲内だということが、敵基地攻撃ができるということを言った最初です。そこで見られるような「個別的自衛権行使の例外」というのではなくて、この敵基地攻撃というのはもっぱらアメリカの戦争に加担して集団的自衛権行使の一環としてやるというところがもっとも重要な点なんですね。
つまり日本が単独で中国や朝鮮と戦争をやって、中国や朝鮮が単独で日本に対してある朝突然にミサイル攻撃をして、それを防ぐには相手基地を攻撃しなければならない。こういうことで中国や朝鮮の敵基地あるいは司令部を攻撃するなんていうことではないんですよ。そんなことは想定されていない。想定されているのは台湾有事に際して中国が武力侵攻の動きを見せたときに、アメリカ軍が台湾海峡に進出して中国の軍事的な行動を抑えようとする。そして戦闘行動に陥ったときに、日本が集団的自衛権を行使して全面的にアメリカと共同しながら中国と戦う。そういうときに不可欠な敵を攻撃する能力、これが「敵基地攻撃能力」なんですね。
この文書で書かれている「日本が武力攻撃を受けたとき」というのは、日本が個別的に中国や朝鮮からいきなり攻撃を受けたということはまったく想定されていません。集団的自衛権行使の一環として日本が武力攻撃に巻き込まれたときに発動する。徹頭徹尾米軍との共同作戦と米軍の指揮統制のもとで米軍と一体化した活動として行われるという点が重要な点だと思います。対中軍事対決網の、アメリカが中国と軍事対決に踏み切ったときの最大の弱点は何かというと、1988年の中距離弾道ミサイル禁止条約によってアメリカはソ連との関係で中距離弾道ミサイルを持ちませんということで、欧州における冷戦を緩和しようという条約を結びました。その結果アメリカは中距離弾道ミサイルを持っていない。ところが第一列島線上のアジア太平洋地域において、中国は在日米軍基地を念頭に置いた1900発のミサイルを持っているといわれています。これに対抗しなければいけないということで、アメリカは第一列島線上に、日本それから南西諸島、フィリピン、グアムに至る基地で急激に対中軍事危機を煽りながら、2000発以上のミサイルを配置しようとしていたわけです。
この日本の安保3文書・国家安全保障戦略が出て、日本は基本的に対中国との軍事対決、集団的自衛権行使のために長射程のミサイルを配備します。国家安全保障戦略の中で、だいたい1500発くらいと言われています。これを持つことを決定したことによって、アメリカはこれと一緒になって2000発以上のミサイル体制をつくって中国と軍事的に対峙するかたちをとることができた。日本の反撃能力、敵基地攻撃能力の発動は米軍と一体化したときの発動しか考えられないということになります。
面白いのは1月11日の日米2+2でこの協議が行われ、その中で敵基地攻撃能力は共同で運用することが確認された、それから2週間くらい経った1月23日の読売新聞にアメリカは中距離弾道ミサイルを在日米軍に配備することをやめたという記事が出ました。それは日本の自衛隊がやるからその分担に任せて、アメリカはさらなる攻撃的な兵器の開発に力を入れるというかたちで、中距離弾道ミサイルについては持ちません。もっと中国が軍拡してきたらアメリカも一緒になって持つけれども、さしあたりは日本におまかせというかたちを意味していると思います。
4番目に重要なことは、敵基地攻撃能力を始めとした自衛隊の大改造にはべらぼうなお金がかかるというわけです。ミサイル1発もそうですが、ミサイル部隊とかミサイルの弾薬庫130棟もの増設とか、対サイバー攻撃で1兆円とか、対宇宙作戦――これは人工衛星を飛ばしますから、人工衛星に中国なりロシアなりが攻撃をしてきたときにはそれに反撃しなければならないので1兆円、それから電磁波攻撃に対する1兆円とか。とにかく軍隊を、いままでの曲がりなりにも憲法上制約を受けた「自衛のための必要最小限度の実力」という枠を常に意識せざるを得なかった軍拡から、敵基地攻撃をできるような、集団的自衛権行使をともに行うような軍隊に変える。このことによって伴う、通例の軍拡とはちょっと違った規模の大軍拡を行うことを余儀なくされたということが非常に大きな特徴だと思います。
その結果、5番目に、敵基地攻撃能力を持つ、集団的自衛権行使のための自衛隊の改造というのは、既存の9条解釈と9条に基づく原則を全面的に改変せざるを得ない。安倍政権のときに集団的自衛権行使は容認に踏み切ったけれども、それでも反撃は自国の領土並びに領海、公海上に止まるとか、それから攻撃的兵器は持てなかった。したがって1970年の中曽根防衛庁長官時代の解釈から変わらずに中距離ミサイルも持てないとか、そういう9条に基づくさまざまな制約を根本的に変えていかないと、これができないことになります。とくに重要なのは、武力行使の3要件を1に続いて3も改編するということが不可避になります。
ですから、これだけ大きな自衛隊の改造をいまの岸田政権は行わざるを得ない。これが第1の柱です。
それにしたがって日米軍事同盟が、安保条約が、日米軍事一体化と攻守同盟化によって、事実上安保条約を改定することになったと思います。日米2+2の共同発表を資料に全文を引用しておきました。この全文を読みますと、もっとも強調されているのは「日米同盟の現代化」ということです。この「現代化」というのはどう意味かというと、集団的自衛権行使ができるような軍隊になるということで、日本とアメリカがアメリカの指揮の下に共同で作戦行動が行えるような、そういう同盟関係になるということです。いままでの議論からいうと日米の役割分担、日本は9条があるので「盾」の役割をする。アメリカはそれにかわって「矛」の役割を果たす。「盾」と「矛」の役割分担ということをいままでずっといってきた。「防衛白書」にもあるときまでは書いていました。トランプ政権のときにそれはまずいと。「盾と矛の関係」は古くさいから改変しろという意見があって、今回それを実態上改変して、中距離弾道ミサイルや敵基地攻撃能力というかたちで「矛」の一部も分担することになりました。その結果、日米安保条約の事実上の改定が行われたと私は思います。
冷戦期から1990年代に入って冷戦の終焉後、アメリカの世界戦略が大きく変わるにしたがって日米安保条約は、条約は改定されないけれども事実上改定されてきました。しかしいままでの改定は6条だった。「極東の平和及び安全の維持のために米軍が日本に駐留できる」――つまり極東の平和と安全の維持のために日本の米軍は活動できる。そうなると、ベトナムは「極東」に入るのかという問題がもう60年安保のときから起こったわけです。そのときに政府はいちおうこう言いました。「極東の平和と安全の維持のために行う活動であれば、それが極東以外であっても可能だ」。極東の平和と安全の維持のためにベトナムを攻撃するのであれば、ベトナムという極東の範囲外に行く場合でもそれは可能だという解釈を行う。あるいは実際はそうは言いながら、日本の横須賀の基地からベトナム侵略戦争に直接行くというのは安保条約上まずいし、事前協議の対象になってしまうので、形式的には、運行上当然ですけれども、横須賀から沖縄に行って、沖縄を媒介にしてベトナムに行くというかたちをとる。
それが沖縄返還の中で非常に大きな問題になって、沖縄の返還を口実にして日本がアメリカの戦争に加担させられるのではないかという批判の中で、先ほど言った集団的自衛権行使は絶対にしませんなどの制約が設けられていくわけです。このときの「極東の範囲」というのが非常に大きな問題であって、日米安保条約は冷戦終焉後「アジア太平洋地域を対象とした平和と安全を維持する」となった途端に、極東の概念がアジア太平洋地域に拡大する。さらに安倍政権のもとでインド太平洋地域にまで拡大した。インド太平洋地域における平和と安全のためにアメリカ軍は活動できる、これが安保条約6条の改正の流れでした。
今回重要なのは5条です。日本の領域下においていずれか一方に対する攻撃、日本の施政権のもとにあるいずれか一方に対する攻撃、これが行われた場合には、もう一方は自国に対する攻撃と見なして共同で反撃する、共同で防衛する。つまり、日本施政権下にあるアメリカ軍が攻撃されたり日本の施政権下にある日本の領域が攻撃された場合には、アメリカは自らが攻撃されていなくても行きます。集団的自衛権行使をして行きますよという規定が5条だった。この「日本国の施政権下にある領域」というのを事実上「インド太平洋地域における領域」と変えて、台湾有事の際にいずれか一方が攻撃された場合、つまり米軍が攻撃された場合でも日本は行きますよという規定に事実上変わっている。そういう意味で言うと、日米安保条約が全面的に5条も6条も変わっていく、それを容認したのが安保3文書の2番目の問題、大きなポイントだと思います。
それを「日米同盟の現代化」というかたちで主張し、それにもとづいて日米軍事一体化のためのさまざまな行動が決められています。米軍の指揮統制のもとでの共同統合司令部とか日米共同軍事行動、南西諸島を含めた基地の日米共同使用の強化、あるいは敵基地攻撃能力の共同運用、宇宙・サイバー・秘密保全分野での共同作戦というようなかたちで一体化が進んでくる。日米安保条約の攻撃的な改変です。1960年に日米安保条約が改定されるときに、日本の岸内閣は共同防衛の対象を「日本の施政権下である」ではなくて、「西太平洋における」と変えようとした。「西太平洋におけるいずれか一方に対する攻撃に共同で対処する」という規定をすることによって、攻守同盟、軍事同盟としての性格を出しましょうということを岸内閣は提案した。ところがアメリカが蹴ったんですよ。なぜ蹴ったのかというと「お前、そんなことできないだろう。憲法改正を行えないで自衛隊ががんじがらめになっているところで西太平洋における共同防衛なんていったってそんなものは絵に描いた餅だ。もしやるのならば改憲をしてからやれ」ということです。アメリカはそれは現実的に不可能だということで、「日本国の施政権下にある領域におけるいずれか一方」に限定するということになった。ですから岸さんが望んでいてできなかったことを、安保条約の改定ではないけれども、岸田さんが安保3文書によって、事実上それを実行するかたちになったと私は思っています。
安保3文書の大きな変更は、外交方針の転換です。「同盟国」というのはいままでもあったわけですが、「同盟国」という言葉と同時に、3文書が初めて聞き慣れない言葉で「同志国」という言葉をつくった。これはオーストラリアとかインドとか、日英関係とか日仏関係とかドイツとか、そういう明確な軍事同盟ではないれども事実上の準軍事同盟や連携国、こういうところを含めて「同志国」という言葉をつくった。これは「パートナー」ではなくて、「ライク・マインデッド・カントリーズ」という言葉でいっています。この「ライク・マインデッド・カントリーズ」と、「同盟国(アライアンス)」と一緒になって外交を展開する。大きくいうと「同盟国」・「同志国」対「敵対国」、こういうかたちで世界を2つに分けるということが、今回の国家安全保障戦略の外交観、外交に関する見方の根本的なところにあるんですね。
国家安全保障戦略の「日本の国益」というところに、これが最近の国家文書でほとんど常識となるように繰り返し出てくるんです。「自由、民主主義、基本的人権の尊重、法の支配といった普遍的価値や国際法に基づく国際秩序を維持・擁護する」、当たり前ですよね。これを日本の場合基本原則にするというのは2010年代、とくに安倍政権後期以降必ず日本政府が強調することです。先ほどの「台湾海峡の平和と安定の重要性を認識する」というのと同じで、ごく当たり前のことではないか。「自由と民主主義」と書いてありますから「西側陣営かな」ということはあるかもしれませんが、「自由、民主主義、基本的人権の尊重、法の支配といった普遍的価値」を大事にしましょうねということはごく当たり前のことです。しかしここで言われていることは、「自由、民主主義、基本的人権の尊重、法の支配といった普遍的価値」を「共有しない人たち」がいる。共有する人たちと共有しない人たちがいるんだということを国家安全保障戦略では明言した。
「普遍的な価値を共有しない一部の国家」、ここにロシアや中国や朝鮮が入る。それは読めばわかります。「普遍的な価値を共有しない一部の国家」が既存の国際秩序に挑戦する事態が動いている。それに対して自由と民主主義と普遍的な価値を共有する国際秩序を擁護しましょう。ということは、冷戦とは違うんですが世界を2つのブロックに分けて、一方のブロックの強化によって他方のブロックの挑戦を斥けるというかたちで国際秩序を維持するという考え方があるわけです。実は自民党政権の中の共同声明の国際文書、2013年の安倍政権が出した国家安全保障戦略もこういう見方を取っていないんです。確かに中国の脅威や朝鮮の脅威というものは指摘していますが、全体として国際秩序、統一的な国際秩序とそれを守るための国際協力という枠組みの上で中国や朝鮮半島の脅威を規定しています。つまり国際社会はひとつになるということを念頭に置いて書いています。今回の場合は、はっきりと2つに分けて事態を展開するということが、この国際情勢観のものすごく大きな転換です。
日本の外交というのは、自民党政権のもとでこれまで大きな「原則」がありました。対米追随外交という原則があったんですが、その下で70年代に入ってから、日本はもうひとつの柱としてアジアでの9条を意識した外交を展開することになります。単に対米追随ではなくて、台頭するアジアの一員として日本は行動していく。それは日本が大国として復活したいという意欲もありました。同時に対米追随ではなくてアジアの一員として外交的なヘゲモニーを取っていきたい。アジアに対しては日本の帝国主義の侵略戦争の記憶がありますから、当然、侵略戦争に対する何らかのかたちでの反省と謝罪が不可欠になります。そういう意味で言うと、アジア外交は当然9条を意識したものにならざるを得なかったと思います。
田中角栄は、1972年にアメリカの米中復交に追随したかたちではありますが、日中国交回復を行います。その際に、中国との関係では一定の謝罪を踏まえたかたちで中国の主権を認め、またあらゆる国際紛争を武力によって解決しない。武力によらずに解決するという原則を入れたことは、明らかに日本帝国主義の侵略戦争に対する日本側の反省に基づいてこういった文言が入れられました。それから1977年に「福田ドクトリン」というものを出します。これは当時の日本の、アジア外交のひとつの頂点を示したと私は思いますが、アメリカの不興を買います。当時のアメリカのカーター政権の非常に強い不興を買いながら「福田ドクトリン」を出すに至っています。
この「福田ドクトリン」が言っていることは、日本がアジアの一員として「日本は平和に徹し軍事大国にならないことを決意しており、ASEANひいては世界の平和と繁栄に貢献する」ということです。これに基づいて福田内閣のときにODA4原則で、軍事的な生産に携わるようなODAは行わないとかそういうことを行って、軍事大国にならない。2番目は「日本はASEANの国々との間に、政治、経済のみならず社会、文化など広範な分野において、真の友人として『心と心の触れあう』相互信頼関係を構築する」ということです。3番目は「日本とASEANは対等なパートナーであり、日本はASEANおよびその加盟国の連帯と強靭性強化に協力し、インドシナ諸国との間には相互理解に基づく関係の醸成をはかり、もって東南アジア全域にわたる平和と繁栄の構築に寄与する」。当時はベトナム侵略戦争が終わった後ですけれども「インドシナ諸国との間には相互理解に基づく関係の醸成をはかり」、これがアメリカが気にくわなかったところです。こういうドクトリンを出します。
こういうかたちで福田外交が展開されるわけですが、70年代末までの外交を、日本はわざわざ「全方位外交」と呼ぶんですね。つまり対米一辺倒ではなくて「全方位外交」を行う。社会主義圏もアジアの国も含めて全方位外交を行う、という感じで外交政策を展開します。実質的には国連の決議の90%以上をアメリカの決議に賛成するので、「日本っていったい何なの」と思われていた節もあります。にもかかわらず日本がそういうかたちでアジア外交を追求し、明らかにこの「福田ドクトリン」は憲法9条を念頭に置いた、あのタカ派の福田赳夫がそう言った。その延長上に出てくるのが安倍なんですよね。そういう意味で言うと福田ドクトリンというのは非常に大きな意味があった。
これを変えたのが実は宏池会の大平政権です。そして90年代に登場した宮沢政権は、冷戦終焉を踏まえて「慰安婦」問題で日本軍の関与を認め謝罪を行うということになりました。小泉政権が徹底した対米追随でアメリカのイラク戦争それからアフガン侵攻に協力するわけですが、その小泉もアメリカの不興を買いながら日朝平壌宣言を実現して日朝国交回復に乗り出す。あの安倍ですら中国については「戦略的互恵関係」ということを言って、なんとかこの関係をつくろうとする。安倍の場合にはとくに「大国としての」という意識があったかもしれませんが、少なくともロシアとか中国に対して大国として対等の戦略的な関係を結ぶように努力をしたい、それがコロナ対策で日本が遅れる非常に大きな問題になったとかいろいろありました。
しかしそういう方向と、今度の安保3文書で提示されたブロック外交というのは明らかに違います。これをやっぱり見ておく必要がある。岸田政権の対米追随、これはバイデン政権の戦略です。バイデン政権の戦略にしたがって軍事同盟、軍事ブロック外交に舵を切った。今回の日韓外交はその典型例であると私は思います。今回の日韓外交は、1965年の日韓基本条約のときにアメリカが対社会主義圏に対抗するために日米韓の軍事同盟をつくらなければいけないということで、日本の謝罪もあいまいなままに無理矢理日韓基本条約を当時の朴政権と結ばせたということとよく似た構図が、今回の日米韓の間にもあった。植民地支配の責任とか今回の徴用工問題とか、そういうものをあらためて「何度も謝ってきたじゃないか」ということで一切それを言わないままにこういうかたちをとる。これはある種の軍事ブロック外交の、ひとつの悪い典型であると思っています。
そういう中で岸田政権は明文改憲を必ず狙ってくる。ここまで9条と離れた軍隊と、9条と離れた外交と、9条と離れた日米軍事同盟の攻守同盟化というものの中で、その矛盾を解消しさらなる自衛隊の改組、この文書ですら繰り返し「専守防衛は維持する」と言っているわけです。その場合の「専守防衛」というのは、自衛隊に対する憲法上の制約だったんですよね。武力侵攻されなければ反撃しないよ、反撃するとしても敵国には行かないよ、攻撃的な兵器も持たないよ、集団的自衛権もやらないよ、海外派兵もしないよ。こういう専守防衛が、安倍政権のときに「いや、集団的自衛権はやるよ。だけど先制攻撃はしないよ」となった。今回は「集団的自衛権は認めるよ。先制攻撃はしないけどね」、それから「反撃と称して敵国にも行くよ。集団的自衛権行使のときには敵国を攻撃することもやるよ」、「でも専守防衛だよ」、といわざるを得ない。やっぱり岸田政権といえども、憲法上の規則というものを念頭に置いたさまざまな正当化、文書作り、それから政策的な限界を持たざるを得ない。
これを突破するには明文改憲しかないと私は思っています。「憲法は死んだ」というのは間違いです。私たちが憲法をてこにしてがんばるということになれば、この憲法が決していまの自衛隊や軍事政策の野放図な展開を正当化するようにはならないと思います。そういう中で果たして軍拡や改憲を阻止できるのか。ウクライナの問題はやはり日本にも関係あるよね、中国や北朝鮮が万一やってきたらどうするの、というようなことが非常に大きな問題になっています。そういう中で明らかに国民の憲法意識というのは変わっているけれども、にもかかわらず私は国民の意識というのは、なお依然として9条の、武力によらない平和という考え方を持っている。私たちのたたかいかた次第で、十分に憲法を擁護する、9条破壊を阻止する力になるのではないかと思っています。
世論調査を見ますと、ウクライナ侵攻以降ガラッと変わっています。去年の5月3日に行われた読売新聞でも朝日新聞でも、各社の世論調査で一斉に改憲賛成は増えています。朝日新聞もいままでの中で一番多かったと言われていますが、同時に注目しなければいけないのは、第1点はその朝日新聞調査で同じ人々を対象にして、「9条改憲についてはどうですか」と聞くと反対は59%。これは改憲派に言わせれば矛盾しているということになりますが、改憲問題つまりウクライナの問題で「やっぱり怖いよね」という気持ちはある、だけれどもいざ9条を名指しで「改憲してもいいですか」と聞くとそれは困る。軍事大国化、そういう政権になるのは困るという意識、軍事大国への道の警戒の意識が9条改憲と名指しをしてみると、反対が59%です。
読売新聞も反対59%ということではないんですが、9条改憲ということに限って、「9条を改憲して国防軍を持つということについてどうですか」というと、反対と賛成が伯仲する。そういう意味でいうと日本の国民は、朝日新聞によれば6割の国民は、まだ9条に基づく、武力という方式によらない平和というものに強いシンパシーを持っている。
そうかといって2番目に注目したいのは、「9条への自衛隊への明記についてはどうですか」と聞くと、朝日新聞でも読売新聞でも9条への自衛隊明記改憲には賛成は55%、反対が34%になる。いまの9条改憲の主要なポイントは9条への自衛隊明記ですから、9条改憲に59%が反対して、自衛隊明記に55%が賛成するというのはどう見てもおかしいですよね。国民はわかっていないのかというと、安倍さんがいっていることがある程度入っていると思うんです。つまり自衛隊を明記するだけだったら改憲ではない。自衛隊はがんばっている。その自衛隊が違憲だといわれるのはかわいそうだから、それを合憲だとする。いわば現状追認に過ぎないので、改憲をやって国防軍にして軍事大国化になるというのは嫌だけれども、がんばっている自衛隊を合憲にするくらいならいいよね。こういう考え方が55%というかたちであらわれている。これがなにを意味しているかというと、私たちの改憲反対運動がまだまだ入っていない。9条への自衛隊明記がいかに危険なものであるかということが、国民の中にはまだ入っていない。これが大きな問題だと思います。
ウクライナの問題をきっかけにして、防衛費の増額や反撃能力の保有については賛成がずーんと上がる傾向がありましたが、今年の防衛予算の拡大と増税の問題を転機にして反対が増えています。例えば朝日新聞では、防衛費増額は賛成が44%、反対が49%。増税に至っては賛成が24%。これは暮らしの問題と直結したからこういうことになっています。私たちはその暮らしを脅かすような大軍拡そのものがどんな問題を持っているのかということを訴えていくことによって、私は59%を力にすることができると考えています。また改憲勢力は全体として改憲について促進的な動きをしていますけれども、自衛隊を憲法に明記するという、いわば改憲の本命については自民党と維新の会しか今のところ賛成できていない。これをいろいろなかたちで、緊急事態における国会議員の任期延長問題をきっかけにして改憲原案をつくるとかいろいろな策動があります。これについて改憲の狙いを訴えて行くということは、困難だけれどもできるのではないかと思っています。
岸田の軍拡路線、自衛隊改造路線それから日米軍事同盟の攻守同盟化、ブロック外交あるいは改憲という方向で本当に日本の平和は実現できるかという問題について、最後に時間の許す限りお話をしたいと思います。
まずウクライナの教訓は、軍事力と軍事同盟では平和は実現できないということを証明した。自らの安全は自らの防衛力と軍事同盟によって守らなければならないということではなくて、軍事力と軍事同盟では平和は実現できないことを証明したと私は思っています。日本の国は戦後78年の間、憲法9条のもとでありながら安保条約がつくられて、全土に米軍基地が設けられる。そしてベトナム侵略戦争においては確かに自衛隊は行かなかった。けれども全面的に経済的に加担し、日本がベトナム侵略戦争の遂行の基地となってアメリカの侵略戦争に加担した。冷戦終焉後には、確かに武力行使はしなかったけれどもインド洋海域、さらにはイラクに派兵した。そういう点では憲法9条の理念が実現したどころか、それが蹂躙されたことは何度もあった。けれども少なくとも78年の間、明文の憲法の改悪を阻むことによって、かろうじて自ら侵略をしたり侵略をされたりしない国、戦争しない国を維持してきたと思っています。これは軍拡と軍事力の強化によって日本は平和が維持されたわけではないと思います。その明らかな証拠だと思います。
自民党は、憲法9条が78年の平和を実現したわけではないといっています。安保条約とそれに基づく米軍の駐留が睨みをきかせ、自衛隊ががんばることによって日本は78年の平和を維持したといっています。本当でしょうか。自衛隊のような軍隊を持ち、日米あるいは米軍との軍事同盟条約によって米軍が駐留する国というのは日本以外にもあります。フィリピンもそうですし韓国もそうです。若干の違いはありますがオーストラリアなどもそういうかたちを取っていますが、いずれの国も戦後78年の間に戦争を経験しています。
例えば、韓国の場合にはもちろん朝鮮戦争がありました。ベトナム侵略戦争のときに韓国は、アメリカの集団的自衛権行使の要請に基づいて5万人の部隊をベトナムに派兵し、ひとつの村を虐殺するということをやっています。フィリピンも集団的自衛権の要請に基づいてベトナムに兵を出しておりますし、オーストラリアも出しています。日本はジョンソン政権による非常に強い圧力を受けました。そして日本は米軍の基地を提供し、そこを拠点にして米軍はベトナム侵略戦争を戦いました。しかし5万人の兵の要請については、あの佐藤内閣、沖縄返還を目指してアメリカとべったりくっついた佐藤内閣ですら集団的自衛権行使はできないということで、ベトナムへの5万人の派兵を断らざるを得なかった。
冷戦が終焉したあと1990年の湾岸戦争のときには「ともに血を流せ」という強い圧力のもとでありながら、海部さんはがんばってとにかく自衛隊は出さなかった。ついに小泉政権のときにインド洋派兵、イラク戦争のときにイラク派兵となったけれども、集団的自衛権行使はできないということで、かろうじてイラクの住民に銃を向けることがなかった。そういう意味でこの78年というのは、強烈な強大な軍隊と軍事同盟があったからできたということは、私はそうは言えないと思います。軍事同盟があったにもかかわらず集団的自衛権行使を容認しないことによって、日本はかろうじてアメリカの侵略戦争に加担して戦争に踏み込むことはなかった。
もうひとつ、戦後78年のアジアの中で、ほとんどの軍事衝突、戦争の要因になったのは領土問題です。領土紛争が軍事的な戦争になる。中国は、領土紛争がほとんどの国で戦争になっています。旧ソ連の時代に、ソ連と中国国境で何度も軍事衝突を行い一部はかなりの中規模の戦争になりました。ベトナムとの間では領土紛争が起こり、1979年にはベトナムと中国の正規の戦争になりました。インドとの領土紛争においては、現在に至るまで軍事衝突が断続的に繰り返されています。フィリピンとの関係でも領土紛争が軍事衝突に至っています。中国が持っている領土紛争で、軍事衝突になっていないのは一部の韓国とそれから日本です。中国と日本との関係でいえば、日本が尖閣という領土紛争を持ちながら戦争にならなかったのは、中国の関係というよりは日本の問題です。日本が9条に基づいて、自衛隊が武力行使を受けなければ武力攻撃できない、先制攻撃ができないということで常に海上保安庁の後ろにいて、スクランブルはやるけれども、軍隊は出ない。これはフィリピンとも違うし、旧ソ連とも、インドとも違う。ベトナムとも違う。みんなが軍事衝突したときに、日本は軍事衝突できなかった。これが非常に大きな原因でした。
先ほど触れましたが、日本は70年代から80年代に至るまで、常にアジアの外交で9条を念頭に置いたような外交をせざるを得なかった。対米追従の外交に大きく舵を切ったあとでも、アジアの諸国との関係は維持したいという外交政策、これをかろうじて持ってきた。いずれにおいても9条を念頭に置いた、集団的自衛権行使ができない、先制攻撃をしないアジア外交を展開する78年だった。安保条約に基づいて米軍基地があった。また侵略にも加担したけれども、また自衛隊がどんどん大きくなったけれども、にもかかわらず戦争しない国を続けられた主要な原因ではないか。つまり軍事同盟と軍事力によって「78年」をつくってきたわけではない。このことを根本から転換しようとする安保3文書です。岸田政権の試みには反対せざるを得ないということを、いまあらためて明確に訴えることが必要なのではないかと私は思っています。
そんなこといったって、いまの中国の動きを見れば、あるいは朝鮮半島の動きを見れば万一日本が戦争に巻き込まれることはあるのではないかという声がやっぱり聞かれます。でも万一ある日突然に中国や朝鮮が日本を攻めてくるなんていうことは絶対にありません。私は予言者ではないので断言することはできませんけれども、それはない。もし中国との関係で将来軍事紛争、戦争が起こるとすれば、それはただひとつ台湾有事の際に集団的自衛権行使で日本が全面的に米軍の軍事侵攻、軍事行動に加担をする、これを置いて中国と日本が戦争に陥るということはない、と私はそう思います。尖閣の領土紛争が軍事衝突になることもあります。しかしこれはいままでずっと抑えてきた日中平和条約、日中共同声明以来の日本の確認、安倍ですらそれをやろうとした確認を続けること。いま両国がそれを覆そうとしていますけれども、それを確認することによって解決することができる。いわんや集団的自衛権行使を私たちが容認しなければ、中国が直接日本を攻撃するような利害もなければ要因もないと私は思います。そういう意味でいうと、「万一はない」。万一をむしろつくり出そうとしているのは、いまの岸田政権の軍拡政策、改憲政策だと私は思っています。
いま野党の中で、こういった事態の中で大事なのは平和外交だと言われています。私もその通りだと思いますが、いま岸田政権が平和外交、少なくとも70年代に自民党自身が、岸田の先輩自身がやったようなかたちでの、アジアと9条を念頭に置いた外交ですら公然と蹂躙して、ブロック外交を戦後初めて展開しようとしている。その岸田政権に平和外交をやる意志がないと思っています。いま私たちがウクライナへの侵略に反対すると同時に、アジアと日本における平和を実現するための平和外交の道、少なくとも78年間、私たちがかろうじて守ってきた道を継続するには岸田政権ではできない。岸田政権を替えることが必要なのではないかと私は思っています。そのためには市民と野党の共闘も再構築して、あらためて当面する目標に基づいて新たな共同を作り替えていかなければいけない。さまざまな困難があります。でもはっきりしていることはいまの岸田政権のもとではそういうことはできない。
岸田政権の外交政策、平和政策の転換を、もう一回再転換するには何が必要か。いま岸田さんがやろうとしている大軍拡と改憲、この問題に対して市民が立ち上がる、これしかないと思います。「うまい手はない」「妙手はない」、だけど私たちはそういう道を市民があらためて声を上げていくしかないのではないか。60年安保のときに声を上げて岸内閣を倒しました。そして改憲の大きな波を止めました。小泉内閣の後の明文改憲の動きについては、「九条の会」がつくられ市民の大きな声あげられました。それまでは社民党と共産党、民主党が一緒になったことが一度もなかった。しかも衆参両院では、民主党を改憲勢力と考えれば、3分の2以上の勢力が少なくとも「憲法改正」はいいという点で一致していた。にもかかわらず市民の運動が改憲を阻み、これ以上の9条破壊の進行をくい止めました。
安倍政権の明文改憲の動きについても今度は市民と野党の共闘ができて、それを阻んで安倍政権を挫折に追い込みました。私たちは衆参両院で3分の2以上の力を改憲勢力が持ったときでも、また野党の共闘がなかなかうまくいかなかったときでも、市民の運動が何とか、何度もの改憲の試みを阻むことによって現在の日本をかろうじて維持していると思っています。日本が戦争に巻き込まれない道をつくってきた私たちの力、これにやっぱり確信を持つことです。いま私たちは、この岸田が追求している道が本当に戦争と大軍拡と9条破壊の道であり、これではアジアと日本の平和は実現できないということを、あらためて市民の前で困難だけれども訴えていく。そういう行動が必要なのではないかということを強調して私の講演を終わります。
政府は、今国会において、マイナンバー(個人番号)の利用促進を図る法改正を行おうとしている。その内容は、(1)国家資格等に関する事務にもマイナンバーを利用できるようにするなど利用分野を拡大すること、(2)行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律(平成25年法律第27号)(以下「番号法」という。)別表第1に限定列挙されていた利用事務を、それらに「準ずる事務」であればマイナンバーを利用できるようにし、また、番号法別表第2に限定列挙されていた情報照会・提供が認められる機関と事務について、政省令で定められるようにすること、(3)公金受取口座について、名義人が不同意の回答をしない限り、国がマイナンバーとひも付けて登録する制度を創設することなどである。同時に、マイナンバーカードの券面に氏名のローマ字表記を追記できるようにすることなども目指されている。
しかし、マイナンバーは、悉皆性、唯一無二性を持つ、原則生涯不変の個人識別番号であることから、その利用分野・事務を拡大すれば、より広範な個人情報が番号にひも付けられた上、漏れなく・他人の情報と紛れることなく名寄せされデータマッチング(プロファイリング)されてしまう危険性が高まる(本年3月9日のマイナンバー制度に関する最高裁判所判決においても、具体的な法制度やシステムの内容次第では、このような危険が生じ得ることが指摘されている。)。それゆえに、番号法は、その利用分野を社会保障制度、税制及び災害対策の3分野に限定し(第3条第2項)、かつ、それらの分野内の利用事務についても国会の審議に基づいて法律で定めた事務についてのみ認め(第9条)、マイナンバー付き個人情報の提供を厳格に制限し(第19条)、それらの制限違反について通常の個人情報の場合よりも重い罰則を科す(第9章)など、厳格な規制を行ってきたのである。
それにもかかわらず、上記の法改正に対する事前のプライバシー影響評価(PIA)手続すら行わないまま、利便性や効率性のみを追求して法改正を急げば、2021年5月に成立したいわゆるデジタル改革関連法で「自己情報コントロール権」の保障が実現されていないことともあいまって、プライバシー保障上の危険性が極めて高まるものといわなければならない。マイナンバーの利用分野・事務を拡大すべきではなく、利用事務については、少なくとも国会での十分な審議を行って法定する手続が必要である。
また、公金受取口座とマイナンバーのひも付け登録には、名義人の積極的な同意を求めるべきであり、名義人が知らないうちにひも付けされてしまうような方法をとるべきではない。マイナンバーカードの券面の記載に関しても、記載事項を増やすことではなく、マイナンバーや性別の記載を削り、プライバシーや性同一性障害者の人権保障に資するよう見直すことこそ必要である。
法改正と併せて、政府は、マイナンバーカードの普及・利用促進のため、健康保険証の廃止によって事実上マイナンバーカードの取得を義務化するような施策を進めている。これを受けて、地方自治体においても、例えば岡山県備前市が給食費等の免除を継続するために児童生徒の世帯員全員のマイナンバーカード取得を要件とする条例を制定するなど、事実上マイナンバーカードの取得を強制する施策が相次いでいる。
しかし、当連合会が「個人番号カード(マイナンバーカード)普及策の抜本的な見直しを求める意見書」(2021年5月7日)等で指摘したとおり、このような施策はプライバシー保障上の問題があるばかりか、番号法が定める任意取得の原則にも反するものであって中止すべきである。
以上のとおり、マイナンバーの利用分野・事務の拡大や法規制の緩和などを行うべきではなく、上記の法改正は再検討されるべきである。また、政府等によるマイナンバーカードの普及・利用促進策も、任意取得の原則に反しないよう見直されるべきである。
2023年(令和5年)3月29日
日本弁護士連合会
会長 小林 元治