本誌の前々号で筆者は岸田改憲の特徴を以下のように指摘した。
「少なくとも安倍(晋三)首相の前までは、日本の軍事国家復活のくわだては憲法9条の改憲が前提だったのではないか。それは9条改憲のあとの話であった。戦後歴代の首相にはそれくらいの立憲主義への敬意があった。だからこそ改憲派は憲法第9条に改憲のターゲットを絞ってきた。ところが今日では、違憲の政策を実現した後、それに憲法を合わせる改憲がくわだてられている」と。
「憲法違反の軍事大国化、戦争する国への変貌を改憲に先行させるという容認しがたい路線の強行だ」と。しかし、憲法第9条をはじめとする日本国憲法は岸田内閣の「戦争する国」への道に対するジャマな軛(くびき)になっている側面があることは否めない。
だからこそ改憲派は明文改憲を急ぎ、昨年来懸命に衆議院憲法審査会の開催に熱を入れ、改憲実現のスピードアップのために従来の慣例を無視して異口同音に「憲法審査会の定例日開催」を叫び、「改憲ありき」の様相で強行してきた。1月23日からの第211回国会でも激突が始まった。昨年の通常国会での衆議院憲法審査会は改憲派が従来の国会運営の慣例を破って、予算案の審議中にも開催されたが、今年は様子が変わって、衆議院の予算審議が終わった後の3月2日から始まった。立憲民主党などが押し戻したことで、改憲派の意に反して1か月以上にわたって、憲法審査会が開かれなかった。
2日の会議の冒頭で、この意味を立民の階猛幹事はこう述べた。「本題に入る前に、両筆頭(幹事)の協議の結果、予算案の衆院通過後に当審査会を開催する運びとなったことは妥当である。国家の1年の活動を決める重要な予算案の審査に集中すべきとの理由で、予算案の審議中は予算関連法案を審査する委員会以外は開催しないという衆議院の慣例がある。その趣旨は当審査会にも当てはまると考えている。昨年は、この点について各会派からの十分な理解が得られませんでしたが、今回を契機に、慣例にのっとった当審査会の運営がなされることを期待します」と。この階委員の発言は改憲を急ぐ改憲派への痛烈なパンチだった。
一方、本年2月26日に開催された自民党大会で岸田文雄総裁(首相)は、憲法について、「時代は早期改正を求めている。国会の場における議論をいっそう積極的に行っていく」と述べた。
しかし、岸田首相の「時代は(憲法の)早期改正を求めている」という発言は虚偽に他ならない。たとえば昨年の参院選の結果を受けた各社の世論調査(いずれも7月11、12日実施)では、自民党などが掲げる「憲法改正の早期実現」について、世論が必ずしも優先課題と捉えていないことが明らかになった。共同通信社の調査では、参院選で何を最も重視したかの質問で「物価高対策・経済政策」との回答が42・6%と最多。次いで「年金・医療・介護」が12・3%、「子育て・少子化対策」が10・4%と続き、「憲法改正」と答えたのは5・6%にとどまった。「憲法改正を急ぐべきか」との問いには、「急ぐべきだ」が37・5%だったのに対し、「急ぐ必要はない」が58・4%と上回った。「読売」の調査でも、今後、岸田内閣に優先して取り組んでほしい課題を10項目から複数選択の設問で、「景気や雇用」が91%、「物価高対策」は80%、「年金など社会保障」は73%と暮らしの問題に回答が集中し、「憲法改正」はわずか37%と全項目のうち最低だった。岸田首相の発言とは逆に、「世論は早期改憲を望んでいない」のは明白だ。
あらためて言うまでもないことだが、岸田首相が語るこの「早期改正」とは「自らの総裁任期中に国民投票まで実施して憲法改正を実現する」ことを意味するのは以下の発言で明白だ。
岸田首相は2021年9月の自民党総裁選に出馬を表明した際に新聞のインタビューで、「(総裁選に勝利し、首相に就任した場合には、緊急事態条項新設を含む党の改憲4項目を)「国会の議論を進め、国民投票に持ち込む。(改憲を)実現すべく最善の努力をしたい」と述べ、2022年10月6日の衆議院本会議では日本維新の会の馬場伸幸代表に答えて、「総裁選挙等を通じて任期中に憲法改正を実現したいと申し上げてきたが、こうした考えにいささかの変わりもない」と述べた。
最近、岸田首相は任期満了以前の解散総選挙実施も示唆しているが、任期は最長で2024年9月であり、残されているのはあと1年半しかない。まさか、まさか、今度の任期中に間に合わなければ岸田が再選すればいいなどという弁明はできないはずだ。だからまさに残りの期間はあと1年半なのだ。この期間に岸田改憲が可能かどうか、岸田首相は少し冷静に考えてみる必要がある。
これには既視感がある。
これはほとんど過去の安倍晋三元首相の発言と同一なのだ。例えば2020年6月20日のNHKでは、安倍首相(当時)はインターネット番組で橋下・元大阪市長と対談し、「自民党総裁としての任期は1年3か月あるので、なんとか任期中に国民投票まで行きたい」と述べ、国会の憲法審査会での対応をめぐって、「民主主義は、全員のコンセンサスが取れればいいが、それは無理だ。そのときには、多数決で決めていくということだと思う」と述べたと報道した。
ここで安倍元首相は憲法調査会以来の「与野党の合意を重視する」ことなどの憲法審査会の運営原則を無視しているばかりか、3権分立を無視して行政府の長が立法府の議論に介入し「多数決」などととんでもないことを口にした。しかし、安倍元首相は、この直後、任期切れまであと1年に迫った8月28日、記者会見を開き、辞意を表明した。当時、どうみても残り1年で改憲は不可能だった。彼は持病の潰瘍(かいよう)性大腸炎が再発したと説明し、「国民の負託に自信を持って応えられる状態でなくなった以上、総理大臣の地位にあり続けるべきではないと判断した」と述べた。実は任期中の改憲が不可能になって追い詰められたことこそ、安倍辞任の隠された真の理由なのではないか。実際のところ、安倍元首相は辞任表明した後は体調が悪いどころか、元気に駆け回っていた。
岸田首相に残されている期限はあと1年半しかない。当時の安倍元首相がおかれた条件とほとんど変わりないといってよい。
いま開催されている通常国会では衆議院の予算審議が終わり、3月2日から衆院憲法審査会が再開された。この会議で維新の会の小野泰輔委員は危機感をあらわに、自民党に詰め寄った。
「総理は、来年9月末の自民党総裁任期までの憲法改正実現を明言されています。国民投票の実施には(法律によって)国会発議後60日から180日間必要であることを踏まえれば、遅くとも来年7月末までに国会発議をしなければいけません。参議院の憲法審査会とも足並みをそろえて、改憲項目を絞った上で、国民投票をいつ実施するのか、明確なゴールをまず定め、国会発議に向けて意見集約をできるよう、ゴールから逆算してスケジュールを設定することを求めます。森会長、どうぞよろしくお願いいたします。特に自民党には、この点について責任ある行動をお願いしたいとおもいます。私ども維新の会も、全面的に協力する所存です」と。
日本維新の会は昨年、参院選を前に、憲法9条に自衛隊を明記する「憲法改定の条文イメージ」を発表し、公約に、大軍拡や「核共有」の議論の開始などを明記した。そして自民党の「改憲4項目」と呼応し、「戦争をする国」づくりを推進する役割を果たすことで、「改憲の突撃隊」となった。
小野氏は発議後、国民投票まで60日で計算するが、これはあくまで法律で定められた期間の「最短」のもので、現実に国民投票を実施するとしたら、日本で初めて行う改憲国民投票の周知期間が最短の2カ月などというのはありえない。有権者が投票のためにその仕組みなどを理解するには相当の時間が必要で、常識で考えて180日は最低限必要だ。とすれば来年3月末までに衆参両院の本会議で改憲案を採決、発議しなくてはならない。第211通常国会の残りはあと3か月、秋に臨時国会を2~3か月あるとしても、来年の通常国会は冒頭から予算審議がある。実質審議期間が今年中、あと半年で発議が可能と考えるのことができるだろうか。
これらの強行策に関連したことだが、日本維新の会の馬場伸幸代表が3月16日の記者会見で、衆院憲法審査会での「憲法改正」論議について自民党に対して発言した。
「仮に(立憲民主党が)ボイコットするようなことがあっても、憲法審査会を進めていただきたい。自民党に(開催を)求めたい」と述べ、立民が審査会の開催に反対した場合でも、審査会を開くべきだとの考えを示した。馬場氏は、審査会で進む緊急事態条項の議論について「立民は何か腰が引けているような形で、隙あらばまたサボってやろうということが見え隠れしている」などと指摘。現在、国民民主党、および無所属議員らの衆院会派「有志の会」と共同で検討中の緊急事態条項改憲条文案に関して「成案が得られれば、それがベースになっていく。自民にも党内の意思決定を行ってもらい、成案作りを促進したい」などと語った。これは先に引用した安倍元首相の「民主主義は、全員のコンセンサスが取れればいいが、それは無理だ。そのときには、多数決で決めていくということだと思う」との発言と軌を一にするものだ。
憲法審査会で野党第一党の意向を無視しても審議を進めようという維新の提起は明らかに暴論だ。この間、審査会は与党の筆頭幹事と野党の筆頭幹事の合意で運営を進めてきたのであり、今回の馬場発言はこの慣例を破って暴走しようというもので、ありえないことだ。
維新の会の小野氏が言うように超短期間で改憲を実現するためには、改憲最優先のファシズム的な国会運営をするしかない。改憲派が3分の2を維持している国会で強行するのは絶対不可能ということではないが、このような乱暴なやり方で強行する改憲発議と国民投票の結果は、有権者の厳しい批判にさらされるのは疑いなく、強行しても結果は改憲国民投票の敗北を招くだけだ。戦後70年以上にわたって、改憲を阻止してきた世論と市民運動は、「台湾有事」などの挑発を振りかざして戦争準備を急ぐ岸田改憲を絶対に許さないだろう。私たちの大軍拡反対、改憲阻止の運動には勝機がある。
(共同代表 高田 健)
「第25回許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会in おおさか」が3月5日、エル大阪で開催された。3年ぶりの対面の集会とあって、全国各地から110名が参加した。午前の部の公開集会では司会の二木洋子さん(ふぇみん大阪)が「今日は北海道から九州までの草の根の市民運動の方々が集まっています。貴重な交流が出来ることを期待します」という発言で始まった。主催者挨拶は高田健さんが行った。つづいて3団体の代表が連帯挨拶を行った。中北龍太郎さん(しないさせない戦争協力関西ネットワーク共同代表)は、「安保3文書で専守防衛が破壊され、日本は戦争をする国になった。岸田首相はバイデン政権の期待に応え日米軍事一体化がすすみミサイル攻撃体制の準備が進めている。戦争の準備ではなく平和の準備と外交をすすめよう」と話した。つづいて大阪憲法会議の藤木邦顕副幹事長は、「安保3文書に見る岸田軍拡は憲法論議を避け明文改憲を隠すものである。国家安全保障戦略では企業と学術界の結合をめざし、日本学術会議への干渉が続いている。維新の会は改憲の先兵になっている。保健所をつぶしカジノIRをつくり、自治体選挙でも拡大をねらっている。これを阻止いていこう」と挨拶した。最後に、戦争させない1000人委員会大阪の近藤美登志事務局次長は「全国の連続講演会に呼応し大阪では中之島公会堂に500人を結集して行った。3・1ビキニデーでは世論が軍拡に傾いている中、若い人たちも参加している。軍拡に反対の声を上げ、平和をつくりだそう」と挨拶した。
基調報告は菱山南帆子さんが行った。つづいて内田雅敏さん(弁護士)が「東アジアの平和を築くために」というテーマで記念講演を行った。
午後の部は各地の報告と意見交換が行われた。軍拡に反対する行動や市民に訴える考え方や方法などの工夫が報告された。また若い層との活動展開の経験報告も特徴的だった。自衛隊や米軍基地の近くでは、基地の拡張や新設、合同演習などが急速に増えている実情や、これへの反対行動などの報告も目立った。各地の会報などの交換も盛んに行われた。最後に集会決議の提案があり確認された。
宏池会という自民党の保守本流の派閥を継承したはずの岸田首相が、その政治的節操まで投げ捨てて、中曽根康弘の戦後政治の総決算、安倍晋三の戦後レジームからの脱却路線の最悪の部分を引き継いで、いま「異次元の軍拡・改憲」が進められつつある。
ウクライナ戦争に便乗して、年末に閣議決定された「安保3文書」は日本の「戦争準備」方針書だ。そこには平和外交の推進などの方針がかけらもない。
この5年を通じて、日本の軍事費をGDP比2%まで拡大し、南勢諸島のミサイル基地化などをはじめ全土基地化など、戦争する国を目指して、敵基地攻撃能力の保有をはじめ世界第3位の軍事大国をめざすものであり、事実上、従来の日本政府がとってきた「専守防衛」を放棄するものだ。
岸田は任期中の改憲を公言する。歴代の自民党政権による改憲が、9条を改憲して軍事大国化を目指したとすれば、岸田政権は安倍元首相が目指したように、軍事大国の実態を作り上げることを先行させ、憲法をそれに合わせて変えるという、まさに「異次元の改憲」だ。ここには立憲主義のかけらもない。
いま、この国は岸田内閣の手で軍拡・改憲、戦争の道に引きずり込まれようとしている。これを阻止する力は市民にこそある。全国的な市民運動の展開こそがその力だ。
いまから20数年前に、改憲に反対する東京、大阪、広島などの市民運動が連携して市民運動全国交流集会の小さな声をあげた。その声はさまざまな市民運動との連携を拡大し、平和フォーラムや共同センターなど、他の2つの平和運動の潮流と共同して、2015年安保の総がかり行動と、市民と野党の共闘の流れを生み出した。しかし、私たちの運動はこの3年のコロナ禍という災禍もあって、当面する軍拡と改憲の危機を打開するには十分ではない。全国で市民運動の仲間たちが新しい運動を創造し、発展させるため奮闘しているが、私たちは立憲野党とともに政治を変えるための力強い流れを作り出すには至っていない。何とも言いようのないモヤモヤ感がある。
岸田内閣の支持率が30%そこそこなのに、なぜ立憲野党の支持率は停滞しているのか。
市民と野党の共同はどうあるべきなのか。市民運動は野党の下部組織ではない。相互の間には信頼もあれば、批判もあるという、緊張関係が必要だ。そうしてこそ強固な市民と野党の共闘が作られる。私たちは確信を持って前に進まなければならない。
本日の午前の公開集会と、午後のセミクローズドの集会は、岸田政権による軍拡と改憲という「新しい戦前」の危機をまえに、全国の市民運動がさらに連携を強め、「新しい戦争」を回避し、この危機を打開していくために開かれる。ご協力をお願いします。
最後ですが、私たちの「許すな!憲法改悪・市民連絡会」は昨年のこの交流集会で事務局長を若い30代初めの菱山さんとの交代を決めました。以来、1年間、彼女は立派に責務を果たし、先頭に立って運動を発展させています。私たちの確信と希望の象徴的存在になっております。みなさんの一層のご協力をお願いします。
菱山南帆子(許すな!憲法改悪・市民連絡会事務局長)
3年ぶりのリアル開催ということで、どれだけの方が集まってくださるか不安だったのですが、満員でとても心強くこれからも絶対に頑張らなければならないと思いました。
高田さんからもお話ありましたが、ちょうど去年の今日、高田さん77歳、私32歳の、年の差45歳の世代交代をして、私が事務局長になりました。思い返せば、中学1年生の時、イラク戦争反対のデモに行ったときにはじめて高田さんにお会いしました。今年で20年ということになるのですが、皆さんの運動歴からしたら私なんてまだまだよちよち歩きの赤ちゃんだと思いますので、どうか弱々しい事務局長ですが、皆さんに支えていただいて、この憲法を生かしていく、憲法を変えさせない、そのための運動をしていきますので、どうぞよろしくお願いいたします!
私たち大嫌いだった安倍元首相がまさかあんな形でお亡くなりになるとは思いませんでした。しかしそんな中でも皆さんで一緒に声を合わせて、国葬反対の運動を行ったことは本当にやってよかったと心から思っています。あの運動がなかったら岸田政権のこの低支持率も導き出せなかったと私は思っています。
去年の7月22日に安倍元首相の国葬を勝手に閣議決定で決めた時、あの時世論はほとんどが、国葬賛成派だったのですね。安倍さん可哀想だよね、仕方ないよねというような状態でした。しかしたった2カ月で国葬当日の9月には、国葬反対派が70%にもなった。ほとんど反対になった。この間に何があったのかというと、私たちの草の根運動が広がって世論を動かしたんだと思うのです。
また9月1日には立憲民主党の泉代表は国葬参加を示唆していましたが、その2週間後には執行部は自分を含めて欠席すると決めたのです。これはまさに私たちの運動が突き動かしたのだと確信しています。
この国葬に反対するということで何も新しい団体ができたわけでもなく、シールズのような若い団体ができたわけでもない、従来ある、私たちの草の根運動が燃え広がって、いつもやっていることをさらにパワーアップさせて全国に広げたというのは、私たちが常日頃活動しているからできたのだと思います。この成功体験に自信をもってこれからの闘いに生かしていこうと思います。
さて、それでも参議院選挙で悔しい結果になりまして、向こうは黄金の3年間だと言ってしっちゃかめっちゃかの政治をしています。今、誰のための政治をやっているのかというような状況です。
国会を閉じた後に安保3文書を閣議決定する。ありえないことです。それもメディアが全く報道してくれない。こういう中でどんどん「日本が戦争できる国」から「戦争する国」に変貌しようとしています。
この前、予算委員会の審議中には憲法審査会を開かせないということで野党は憲法審査会を拒否していました。しかし、3月から憲法審査会が再開されました。憲法審査会では果たしてどんな話をしているのか。私はこれまで憲法審査会を傍聴してきましたが、憲法を知らないような人たちが議論をしているのですね。参議院で言うと、自民党の古川さんという医師免許も弁護士資格も両方持っている議員が「今日は弁護士として話しますが、私は司法試験以来使ったことがない。裁判は民法か刑法で何とかなる。こんな使いにくい憲法は変えた方が良い」といいます。使ったこともない、憲法も知らない人が憲法を変えようとしている。
先日の衆議院憲法審査会では、教科書に教育勅語を載せようと言っていた柴山議員が、「そんなに安保3文書が違憲だ違憲だというならば憲法を変えれば違憲ではない」と言ってきたのです。許しがたいです。
相変わらずメディアは大事なことにはダンマリなのにも関わらず、作られた台湾有事に関しては市民に不安を煽るような報道が目立ちます。攻めてくるかもしれないから軍事力を高めよう。そのために増税しようという流れは、「不安に付け込み金をむしり取る」という、まさにカルトの手口ではないかと思うのです。
また、敵基地攻撃能力ですが、発射台が移動しているので、どこ敵基地があるのかわかりません。むしろ日本にある多数の原発が狙われる方が危険です。それなのに原発を増やそうとするなんてありえないです。
戦争に向かうために言葉を変えて抵抗感をなくす工夫もされています。地下シェルターは防空壕だし、Jアラートは空襲警報です。そのようにして若い人たちに違和感を軽減させて浸透させていっています。
今の若者は戦争に行くと言っても実感がありません。そのような若者を自衛隊入隊させるための工夫も行われています。例えば、ここの駐屯地に行くと名物のミリ飯(ミリタリー飯)が食べられるといった宣伝です。最近では「孤独のグルメ」や「深夜食堂」など食事の動画が人気なのでそれに便乗した商法です。
タモリさんがテレビ番組の「徹子の部屋」で話した「新しい戦前」という言葉に心動かされた人は多くいました。戦争への危機感が広まっている証拠だと思います。しかしなかなか市民の怒りに火が付きません。賃金横ばいなのに物価が高い、それでも若い人は怒らない。どうしてでしょうか。声を上げたら傷つくということを長年植え付けられてきたから、「怒らない」市民が沢山います。今の若者たちは本当に大変で、やりたい事や買いたい物を我慢して、老後のために働いていて怒りを奪われているのです。
大変な世の中が待っているということを伝える力、運動のアップデートがいま、私たちの運動に求められています。共感と傾聴がキーポイントです。難しい言葉は言っている側は気持ちがいいかもしれませんが、若い人には響きません。若者は自分の気持ちを伝えることが怖いのです。みんなと違うことが怖い。人と同じ方が安心する。そんな社会の中でびくびくしながら生きているのです。そんな若い人の心を開き、取り込んでいくことがとても重要ではないでしょうか。
「右派を取り込んだらいいじゃないか」という人が昔からいますが、右派を取り込むより無党派層を取り込んだ方が運動的に大きく前進するのではないでしょうか。そういった運動が今後必要です。その証拠に、与党は選挙に無関心の方が良い、選挙に行ってほしくないと思っています。無党派層を取り込むためのポイントは2つ。自民党、公明党、維新、参政党が絶対できない政治をやっていくこと。1つはジェンダー平等、2つは命と暮らしを守る政治です。
いま、若年女性支援団体Colaboの攻撃が激しさを増しています。大きなバックラッシュです。100年前と同じような状況になっているのではないでしょうか。このColaboへの攻撃をしている人たちはどのような人たちなのか見てみると、自民、維新、N国が関わっているのです。女性バッシングに至るまでには様々な過程がありました。最初は公務員バッシング。公務員は定時で帰れて、ボーナスもらえて退職金をもらっていてズルい。その次は生活保護バッシングです。働かず国からお金をもらっていてズルい。その後に在日外国人は日本人ではないので、サービスを受けられててズルい。そして最後に男性だって苦労しているのに女性だけ優遇されていてズルいという流れになってきています。
本当ならば、一労働者として団結しなければならないのにも関わらず、バラバラに分断されています。私たちは団結することも一つの権利の行使だということで、ジェンダー平等を実現しなければなりません。運動内でも差別をなくしていかなければなりません。差別に向き合い、運動の中から実現していきましょう。
2つ目の、命と暮らしを守る政治についてです。大阪はコロナの死者数が人口比にして日本で一番多いのはどうしてでしょうか。保健所をつぶして公務員を減らしてきたからではないでしょうか。「身を切る改革」と言って、切られたのは私達でした。こんな人たちに命と暮らしを守る政治はできません。私は「女性相談会」や夜回りに携わってきたが、女性の相談会に来た女性は相談会に来ても、助けて、食べ物がほしいと言いません。どうしてか。菅元首相が自助、共助の自己責任を広めて、たくさんの「助けて」の声をつぶしてきたのです。
日本は提灯型の社会だと言われています。社会が真っ暗な暗闇の中で奨学金、給料、出産、育児、年金、介護、その他たくさんの不安が詰まった提灯を片手に足元を照らして歩いています。横にいる人の顔なんて見えません。私たちは、提灯型の社会から街灯型の社会に変えていかなければならないのではないでしょうか。どんなに社会が暗くても安心して生きていけるように、社会保障が自己責任ではなく、税金をきちんと使って政治が担う。街灯なら手放しで歩けるし、横にいる仲間の顔も見ることができます。未来を想像できるような訴えを私たちはしていこうではありませんか。
今日は全国の仲間が集まっています。皆さんと力を合わせて、むのたけじさんの言葉のように「憲法は眺めるだけの絹のハンカチではなく、使って使いまくる雑巾のようでなくてはならない」を実践していきたいと思います。戦争する国には絶対にしない、改憲を絶対に許さない闘いをともに行っていきましょう。
内田雅敏(弁護士)
いま、「君たち、中国に勝てるのか」という本が出ています。兼原信克という外務省国際局長をして安倍内閣の官房副長官補であった人ですが、本の中で、今度はアメリカと一緒に戦争をするから中国には負けないと思っているようです。その本では日中間の4つの基本文書に一言も触れていないのはどういうことかと思いました。
2022年は1972年の日中国交正常化から50年でした。今年は1978年の日中平和条約締結から45年です。日中間の4つの基本文書は先人たちが平和のために尽力したものです。1972年の「日中共同声明」は田中角栄首相と周恩来総理の手で行われ、日中の国交が正常化されました。1978年には「日中平和友好条約」を園田外相と鄧小平首相が締結し、1998年には「平和と発展のための友好協力パートナーシップの構築に関する日中共同宣言」が小渕首相と江沢民主席の間で交わされています。2008年には「『戦略的互恵関係』の包括的推進に関する日中共同声明」を福田康夫首相と胡錦涛主席が交わしています。とくに2008年の共同声明では、日中両国は互いにパートナーであり、互いに脅威とならないことを確認した。そして日本側は中国の改革開放が日本と世界に好機を与えることを積極的に評価する。中国側は戦後60年余りの日本の平和国家としての歩みが世界の平和に貢献していることを積極的に評価すると言っています。これらが日中間の4つの基本文書です。2008年はたった13年前のことです。それが今、どうしてこうなってしまったか、と言うことです。
1972年の9月25日に田中角栄首相が北京に行って最初に言ったことばが、「私は、長い民間交流のレールの上に乗って、今日ようやく、ここに来ることができました」と言った。周恩来総理はレセプションで、田中首相には「佐渡おけさ」、大平外相には「金比羅ふねふね」、二階堂官房長官には「小原節」で歓迎しました。長い民間交流と言えば1962年のLT貿易ですね。高崎達之助と○承志による民間貿易ですね。1964年の日中両国の記者の交換協定もあります。1959年には石橋湛山元首相が周恩来と会談して共同コミュニケを出しています。1950年代には戦時中に日本に連行された中国人の遺骨を送還する運動もありました。戦前には小林多喜二が虐殺されたときに中国の魯迅たちが遺族にカンパを送っています。上海の魯迅公園にはそのレプリカが展示されています。日中国交回復時には8割の人がこれを歓迎していたのに、今は8割の人が中国は怖いということになっています。どうしてなのか改めて考えてみたいと思います。
日中共同声明では4つのことを確認しています。(1)日中両国は、「一衣帯水」の間にある隣国であり、長い伝統的な友好の歴史を有する。(2)日本側は過去において、日本側が戦争を通じて、中国国民に重大な損害を与えてことについて責任を痛感し、深く反省する。③台湾は中華人民共和国領土の不可分の一部である。④日中両国は互いに覇権国家とならない。とあります。また、文章では確認されていませんが尖閣諸島の領有問題についても棚上げとする合意がありました。これらの点は4つの文章でも繰り返し繰り返し確認されています。
72年の日中国交回復のときの一番の問題は、日本側には戦争の賠償問題と日米安保条約の問題で、中国側には台湾問題がありました。共同声明では「・・・両国国民は、両国間にこれまで存在していた不正常な状態に終止符を打つことを切望している。・・・」としています。なぜこういう文言になったのだろうか。中国側は、日本と中国の間の戦争状態の終結と言いました。日本側は、日本と中国の戦争状態は1952年4月28日のサンフランシスコ条約と同時に締結された日華平和条約で解決済みなので、いまさら戦争状態の終結という必要が無いとなりました。戦争の賠償についても、日華平和条約で台湾の国民党政権が賠償を放棄しているから、そもそも戦争賠償は問題にならないと言いました。台湾問題は日中国交正常化のときにずっと問題の案件でした。日本側は、賠償問題は中国が放棄し、安保問題についても中国側はこだわらないという感触をうけて、中国側は賠償を放棄しました。しかし台湾問題については、中国側は絶対に譲らない。こういう背景をもって今日の台湾有事の問題を考えてみる必要があると思います。
賠償については中国の民衆の不満は大変大きいものがありました。毛沢東と周恩来は次のように民衆を説得しました。我々は日本の軍閥と戦争をしていたのであって、日本の民衆と戦争をしていたのではない。日本民衆も軍閥の犠牲者だ。日本の民衆に苦しみを与えたくない。新しい中国は賠償を受け取らなくてもやっていける。こういうことを言いました。これより前1945年8月14日、日本敗戦の1日前、暴をもって暴に報いずという蒋介石の有名な演説があります。この演説を知って私は軍事的だけでなく精神的にも中国に負けたと思いました。周恩来はこうした考えの下で日中国交回復とその意義を1万人の幹部に伝え、さらに放送によって全国に広げて賠償問題について説得し日中共同声明を準備しています。私たちは、こうした先人たちの覚悟と決断によって50年前の国交正常化がなされたことを大事にしなければなりません。4文書は日中間の平和資源であり、これを活用することが外交ではないでしょうか。
私は事あるごとに共同声明を暗唱します。そうするとそれぞれ発見があります。例えば共同声明の第5項に戦争賠償の放棄があります。これは請求権を放棄するのではなく、請求を放棄するとあります。「請求権はない」というのが日本側の態度でした。そこで中国側は「請求を放棄する」とした。これに日本側は文句を言いません。これくらいに日本政府は台湾との関係を気にしているわけです。こういう事実があったことを私たちは思わなければ行けません。それなのにA級戦犯が合祀され、日本の戦争をすべて正しいとする靖国神社に日本の首相たちが参拝すれば、周恩来を騙したのかと思うのは当然です。元外務次官の藪中三十次が回顧録の中で、靖国参拝に中国が抗議することについて「それは中国側の事情でしょう」と言っていますが、これは何事かと思いますよ。
田中首相にしても大平外相にしても戦争体験者で、中国に対して贖罪意識もあります。明治以来の日本の中国政策は間違いであったし、また周恩来も日本文明にリスペクトがあったと思います。いま、私たちの世代が、中国はけしからんと言っていいのだろうかと思います。中国研究者の毛利和子さんが「日中漂流」という本のなかで次のように書いています。
戦後70年たって時代環境も世代もリーダーも大きく変わった。戦争の記憶は70年間の巨大な歴史の中に埋もれてしまいそうだ。日本の侵略から日中を考える人よりも、尖閣諸島海域で現状を変えようと必死な中国(軍)の実力行使を見ながら、「中国は怖い、脅威だ」と感じ、親愛感を持てない人々が90%」を超えたという。端的に言ってこれまでの両国関係は、日本が歴史を詫びる、中国がそれを許す、という「道議の関係」だった。それが今後は、東アジアでどちらがパワーを振るうか、覇権を握るかの「力の関係」になっていくだろう。だがその前に日本としては戦争責任問題決着への道筋をつけておくことが必要なのではないか。(毛利和子著「日中漂流」・2017年岩波新書)
まさにその通りで、これが出発点でした。
1894年の日清戦争で日本の兵隊は戦死者より戦病死の方が多かったんですが、その戦争で日本は台湾、澎湖島、遼東半島と、賠償金を2億テールをとりました。遼東半島は後で返しますが、2億テールは当時のお金で3億6000万円です。日本の国家予算が8000万円でした。その金で八幡製鉄をつくり中国に対して侵略をしていきます。さらに1914年の第1次大戦に紛れて対華21箇条の要求を出し、1931年の満州事変、1937年からの日中戦争と中国を侵略します。日中共同声明の中で「日本側は、過去において、日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」という中味です。これをしっかり思い起こさなければなりません。そして、日中共同宣言の第7項の覇権条項です。「日中両国の国交正常化は、第3国に対するものではない。両国のいずれも、アジア・太平洋地域において覇権を求めるべきではなく、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国あるいは国の集団による試みにも反対する」。このように両国は覇権を求めないことが明記されています。力によって物事を決する国にはならないことが明記されています。
日中平和条約では、日本側はソ連との北方領土問題があって反覇権条項を入れたくないとい言いました。鄧少平は条約に入れるといいました。共同声明は政府間の約束、条約は国と国の約束だから「反覇権条項は、将来中国が覇権国にならないために必要なのだ」と言いました。1974年の国連総会でも、鄧少平は「中国は覇権国家にならない。もし中国が覇権国家になったならば、世界の人々は、中国の人民とともにこの覇権国家を打倒すべきである。」と啖呵を切っています。今の中国の膨張主義とか戦狼外交について、鄧少平が国連でこう言ったではないかと、突きつけていくことが外交です。ところが、日本政府は南西諸島にミサイル防衛網を設置してイケイケドンドンで、これでは外交でも何でもないと思います。これは中国の民衆も知らないかもしれません。中国の民衆とともに、日中間にはこういう平和資源があることを共有していかなくてはなしません。
では、尖閣諸島の問題について考えてみます。1978年10月に来日した鄧少平は尖閣諸島の領有について「私どもは、両国政府はこの問題をとり上げないのが比較的賢明だと考えています。このような問題は一時棚上げしても問題はないし、10年間ほうっておいてもかまいません。将来かならず双方ともに受け入れることのできる問題解決の方法を探し当てるでしょう」といっています。当時、日本の右派から攻撃されるかもしれないと、日本側が突然言い出したことへの回答です。
面白いことに、当時の読売新聞の「尖閣問題を紛争のタネにするな」という社説があります。「尖閣諸島の領有権問題は、1972年の国交正常化の時も、昨年夏の日中平和友好条約の調印の際にも問題になったが、いわゆる『触れないでおこう』方式で処理されてきた。つまり、日中双方とも領土主権を主張し、現実に論争が“存在”することを認めながら、この問題を保留し、将来の解決に待つことで日中政府間の了解がついた。それは共同声明や条約上の文章にはなっていないが、政府対政府のれっきとした“約束ごと”であることは間違いない。約束した以上は、これを遵守するのが道筋である」(1979年5月31日付)
このことを政府は言わずに、「日本の固有の領土」と煽るから、“中国はけしからん”となってしまうのです。
尖閣諸島の問題は、1879年に琉球藩を廃止して沖縄県に組み入れるときに中国は抗議しています。それで宮古島以西を中国領にするという条約を、グラント元アメリカ大統領を仲介にして日本と中国政府は仮調印するところまでいっていました。そういう経過があるのに政府は言わないから“中国はけしからん”となってしまうのです。
これを領有権問題とすれば戦争によるか決裂しかなくなります。しかし、資源の問題とすればウィンウィンの関係になる。日本にはかつて「入会地」というのがあって、季節によって資源となるマキや草をとり、炭などを作っていました。国際入会地という解決方法もあるのではないでしょうか。領土問題でナショナリズムを煽ってはいけない。
台湾問題について中国は一貫して主張しています。日中共同声明の第2項では「・・・ポツダム宣言第8項に基づく立場を堅持する。」として、中国側が絶対に譲りません。98年の共同宣言でも日本側は、「改めて中国は1つであるとの認識を表明しています」。同時に「引き続き、台湾と民間及び地域的な往来を維持する」としています。台湾との民間交流は維持しつつ、政治の問題は1つの中国論を堅持する約束だから、これは守らなければいけません。しかし、中国が武力侵攻するようであったなら、中国に対してはっきりと、覇権条項に違反すると言っていいわけです。
では、台湾有事がいつから言われるようになったのか。2021年3月に、デビッドソンというアメリカのインド太平洋軍司令官が、この6年以内に中国が台湾に侵攻すると言った。これは中国がそういう能力を持つ、と言ったということが真相のようです。それを記者の質問に、可能性があると答えた。実は、アメリカの軍人たちは、自分の新しい就職先を考えてそういうことを言うようです。そういう中で台湾有事が語られるようになりました。ロシアのウクライナ侵攻が背景にあって、喫緊の課題のように語られていますが、そうではありません。かつての冷戦は、東西にはっきり分かれていました。今の冷戦は、経済は互いに深い関係にあるので、日中や日米で戦争になったらどういうことになるのか。武力侵攻などはありえません。あるとすれば、台湾が独立宣言をすることです。
日本側のやることは、人的、物的関係を続けながら、台湾独立を言わないようにすることです。棚上げするしかないように説得することです。棚上げというのは、先送りではなく政治の智恵なわけです。現に台湾の国民党と中国共産党は会議をしています。台湾ではいま日本で言われているような台湾有事の危機感はそれほどないわけです。
私たちが4つの基本文書を読み直し、捉え直して日中関係を律していきましょう。幸いなことに習近平も4つの基本文章が基本だと言っています。そんなものは忘れたとは言っていません。問題なのは岸田首相であり日本の外務省です。
時代が激動しています。さらに大きな時代の変動が近づいている予兆があります。
「新しい戦前」とよばれるこの時代に、私たち市民=「小さな人間」(小田実)に何ができるでしょうか。何をなすべきでしょうか。
しかし、絶望も、ペシミズムも、冷笑主義も、時代の展望を切り開くことはできません。
「第25回全国市民運動交流集会in大阪」に結集した私たちは、お互いの活動の交流と討論を通じてあらためて「新しい戦前」を拒否し、戦争をとめる決意と確信をかためあいました。
ロシアのウクライナ侵略戦争は既に1年を超えました。これに乗じてアジアで覇権を求めて新たな紛争を起こそうとしているものたちがいます。「台湾有事」「朝鮮有事」を企てている好戦勢力の中心に米国とそれに追従する岸田政権の日本があります。岸田政権は、憲法違反の「安保3文書」を押し通し、日本の安保・防衛政策の「大転換」を進めています。敵基地攻撃能力保有と、南西諸島をはじめとする列島軍事基地化、軍拡・増税を企てる岸田政権に全力で立ち向かい、岸田内閣を打倒しなければなりません。これに対抗して中国も朝鮮も軍事的緊張を高めています。絶対に戦争を始めさせてはなりません。私たちはすべての戦争と戦争準備、覇権主義に反対します。
ボロボロの岸田政権が倒れません。コロナ渦の厳しさを割り引いても、理由はひとえに野党勢力の弱体化にあります。維新、国民、参政党などの与党補完勢力の策動にあります。
そして、私たち市民運動の非力にも責任があります。「がんばり」はその責任を免罪しません。2016~21年の「市民と野党の共闘」の熱はどこに行ったのでしょう。市民と野党の共闘は終わったのでしょうか。
そんなことはありません。政治を変えるには「市民と野党の共闘」以外にありません。困難を理由にして、利己的な党利党略のセクト主義に走るのは間違いです。今こそ、市民の声をより大きくしなければなりません。市民は共闘を望みます。連帯をもとめます。団結を求めます。政治の転換を希求します。
「安保3文書」の具体化に反対するたたかいはつづきます。統一地方選がまじかにせまっています。解散・総選挙もそう遠くはありません。
私たちは戦争に反対し、差別に反対し、改憲に反対し、人権と民主主義をもとめてたたかいつづけます。私たちはあきらめません。協力して市民の力をもっと強くしましょう。ここにこそ、未来への展望があります。
2023年3月5日
第25回 許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会in大阪参加者一同
竹信三恵子さん(ジャーナリスト・和光大学名誉教授)
(編集部註)2月18日の講座で竹信三恵子さんが講演した内容を編集部の責任で要約したものです。要約の責任はすべて本誌編集部にあります。
憲法と賃金の関係ということに注目してくださってありがとうございます。このふたつは密接に関係があることなのに切り離されていて、憲法はなくてもいいとか言い始めてしまう奇妙な事態が起きていると思います。
岸田首相は「雇用は増えている」「企業の利益は上がっている」と言っています。これはまったくウソですね。それは、雇用の数が増えても年収が増えないと人々は豊かになれないです。後藤道夫さんという研究者の調査による統計では、最低賃金が上がっているので非正規の時間給は上がっている。けれども時間数が細切れ化して、ひとり当たりの時間数は減っているから年収は下がっています。細切れ化しているから雇用数も増えています。岸田さんじゃ、実は人々の年収を下げているんです。それにプラス、人件費を下げているから企業の内部留保は増えています。言っていること自体はウソじゃないかもしれないけれど、私たちへの影響はまったく逆行することが、その結果として起きています。今日の演題に「若者」としたのは、若い人は働けば結構豊かじゃないかと思っている人が多いと思います。しかし実はそうではないということ、まずそこから始めていきたいと思います。
相対的貧困率というものがあります。貧困指標です。ひとり当たりの所得の中央値を出して、その半分以下の人が何%いるのかというのが相対的貧困率です。それで見ると、30歳未満の人が国民生活基礎調査で27%くらいです。ほかの年代と比べると30歳から49歳では相対的貧困率は11%、50歳から64歳は12.8%、65歳以上は当然高齢者ですから収入がなくなる人が増えていって20.3%です。これを比べると30歳未満の若い層の貧困率は非常に高く、この人たちが日本の貧困率を押し上げています。それにプラスして65歳以上で言えば、女性の貧困率は非常に高く、歳を取った女性たちの貧困率が日本の貧困率を押し上げています。若者と高齢者、とりわけ女性の貧困率が貧困率を押し上げている。これが日本社会の現状です。
特に「アンダークラス」と「旧中間層」と言われる層が、貧困の度合いが非常に強いと言われています。「アンダークラス」というのは、昔は労働者階級と資本家階級と言われていました。最近では労働者階級が2分化して、正社員に代表される普通の労働者階級と、さらに下の非正規を中心としている「アンダークラス」に分裂したと言われています。「旧中間層」というのは昔の自営業のような人たちです。昔は「社長さんだから豊かだ」と言われていましたが、この中に個人事業主とかフリーランサーとか、ひとりでやっていて経営者みたいなかたちにはされているけれども、事実上は労働者のような人たちがたくさん出てきています。昔「一人親方」といったような人たちで、いまはフリーランサーというかたちとか、ウーバーイーツみたいな請け負いの仕事です。いわゆる労働契約を必ずしも結んでいないから、どちらかというと自営業だという人たちが出ています。
かつての労働者階級と言われた中の非正規―非常に脆弱な働き手の人たちと、かつての自営業と言われた人たちの中の個人事業主を中心とした脆弱な人たち、このふたつの層がいま最も大変な人たちと言われています。コロナ禍は、このアンダークラスと旧中間階級に大きなダメージを与えた。全部が痛んだわけではなくて、コロナ禍で大変だと言っている中心がこのアンダークラスと旧中間層であったことがわかった、というのが橋本健二さんという研究者の調査です。
若者はアンダークラスのところにも、旧中間層にも結構たくさん入っています。非正規の若者、特にアルバイトの若者はアンダークラスが多いですし、旧中間層のフリーランスの中にはかなり若い層が多いということになります。こういう人たちも2人で働けば何とかなるはずですけれども、女性の非正規率が日本は異様に高いので、男女で働いてもそんなに豊かにはならないという困った構造があります。そうは言ってもコロナ禍で調べた調査では、正規の女性が妻の場合は、家計の4割を女性が稼ぎ出している。非正規の女性であっても23.8%を女性が稼ぎ出している。男性の収入がどんどん減っている事態が1990年以降続いていて、その中で2人で働いて女性が稼ぐと家計収入の4割を正規が稼ぎ出し、非正規は4分の1を稼ぎ出しているという事態になってきています。
本来は女性の非正規率が少ないとか、非正規の収入がもっと仕事に見合って高ければ家計はずっと潤うわけです。ところが女性の、妻の方の非正規が異様に多い。それは保育園とかの仕組みがちゃんとしていないので、女性が非正規以外では働けないような状況になっているからです。多くの女性は長時間労働をすると子どもを育てられない。最近は正社員は長時間労働をしなければだめだと言われるようになって、正社員になろうとすると子どもの面倒を見られないですね。それでパートを選ぶと、最低賃金くらいのレベルでしか収入はない。保育園とか子どもを育てる仕組みがちゃんとしていないがために長時間労働に耐えられず、非正規に移ってしまった女性たちによる貧困が足を引っ張っているということです。
昔のロスジェネ世代は若い人が正社員の口がなく、若者全般が非常に貧困化していた時代がありました。最近は正規採用の若者は実は結構多いです。でも大卒じゃないとなかなか正社員になれないので、ここに学歴格差が出てきます。高卒だと非正規とか、すごく安い正規というかたちになってしまいます。親がお金持ちだったようなお宅は何とかなるケースが多いけれども、そうでないと結局学歴ネジが効いて、なかなかお金が儲かる仕事に就けない。正社員にさえなりにくい。そういうことが相変わらずなわけです。でも最近人手不足になっているので、高卒でも何とか正社員で雇って囲い込もうとする。辞められたくない会社は無期雇用で囲い込むんです。安い無期雇用が異様に多く、高卒の多くがその安い無期雇用になっているのが最近の状況です。正社員になったら豊かになれると若い人はすり込まれているけれども、なってみたら「何これ」というような、全然違うことが最近起きている。企業も、昔みたいにバンバン非正規でとって使い捨てればいいと言えないくらいの状況にはなっている。だけど人件費は払えない・払いたくないので、安い正社員を増やして囲い込み、また非正規も増やす。これが最近の状況で、そこが貧困をすごく増やしています。
今度最低賃金が上がりましたね。東京でも1000円くらいになります。これでよくなった部分もあるけれど、その結果、大手企業を含めて最低賃金割れになってしまう会社が増えています。これまでが最低賃金レベルで使っていたので、最低賃金が時給1000円を超えてくると、もう最低賃金割れになってしまいます。法律違反になってしまいますから、いま一生懸命上げなければいけない。エン・ジャパンという会社が去年9月に調査をしたら、「最低賃金を下回るため最低賃金額まで賃金を引き上げます」というのが24%、「最低賃金を下回るため最低賃金を超えて賃金を引き上げます」というのが17%でした。両方を足すと、4割くらいが最低賃金すら下回る状況にあったことがわかった、というすごくショックなことが起こっています。ここには非正規も入っているので「まあしょうがないかな」と思う人もいるかもしれませんが、実は正規も結構入っていることがわかってきています。最低賃金アップを受けて計41%が賃金を上げざるを得ないくらい、もともとが安かったという状況であったことがわかります。従業員1000人以上の企業でも「最低賃金を下回っているために賃金を引き上げます」というところが64%もある。大手企業に行ったからいいというものじゃないよね、という状況くらいまでひどくなっています。
正社員でも最低賃金割れという事態も起きています。最も影響を受けているのは高卒の初任給で、東京都の最低賃金が1072円になったとして、単純に試算すると月17万1520円(1072円×160時間)になります。産労能率研究所というところの調査では、高卒初任給は17万3032円ですから、もうぎりぎりという感じです。企業別で見ると大企業で17万6269円、中堅企業で17万1470円、中小企業は17万2077円となっています。最低賃金ぎりぎりか、または最低賃金以下というのが正社員でも高卒初任給では出てきている。親がそんなにお金がなくて大学に行けなかったという人の場合にはみんなここに入ります。正社員になってよかったといっても最低賃金すれすれで、非正規とあまり変わらないかもしれない状況で働かされていることがわかります。無期雇用で安定はしているので、非正規よりもいいかなとは思いますが。
最近の問題は、辞められると人が入ってこなくなるので、「辞める」というと「賠償を取る」といって脅す会社が出ています。無期雇用の契約なので「辞めるなどというお前は契約を破っている」と言うわけです。正社員は当然ながら辞めていいんです。辞めるというのは労働者の権利ですから。辞めて、良いところに移っていくことによって待遇を上げていくというのが労働者の権利なので、辞めちゃいけないなんていうのは奴隷と同じです。ところが若い人たちはよく労働法を知らないものだから、そういわれるとびっくりして「そうか確かに無期雇用だよね、契約って破っちゃいけないんだ」と思う。慌てまくって、賠償金1000万円、2000万円とか5000万円とか、本当にいわれた例があります。辞めちゃいけないと思って労働局に相談に行ったら、労働局の人が「そんなことはないですよ。やめていいんですよ」と言われて安心するという事例がでてくるということです。もう無期雇用が権利じゃなくて義務になっている。
最低賃金というのは60年前に始まったころに、「中卒の初任給水準で行こうね」という業者同士の協定でした。労働組合は入っていなかった。業者同士で中卒の初任給を申し合わせていたのが出発点です。でもそれだとなかなか上がらない。安すぎるので、労働組合も入って公労使の3者といういまの審議会方式になったのが1968年です。そのあとしばらく最低賃金は上げてきたんですね。いまその水準が高卒初任給を下回るくらいになって、60年前の状況に逆戻りした。つまり憲法で保障された人間が生活していけるような労働水準、憲法概念が衰弱していく中で、労働も影響を受けているとしかいいようがない状況になっている。それで逆戻りを始めているという状況です。いま「最低賃金を上げなきゃ、上げなきゃ」と一生懸命に運動をやっているというのはそういう危機感があって、それ自体は間違っていないし、持ち直すかもしれません。しかし時給が上がっていくと、それにあわせて細切れの短時間の労働をどんどん増やしていくというかたちになり、年収に換算すると年収が下がっている人が増えている。それが日本のこの間の貧困状況を生んでいるということになるわけですね。
他の国はいろいろ異同があっても、右肩上がりで上がっています。ところが日本だけがじわじわ下がり続けている。1997年を起点にする実質賃金の調査結果があります。ちょっと前までは、「グローバル化で安い労働力が入ってきてみんな賃金が下がっている」と説明されていました。しかし、他の国だってグローバル化だとしたら下がっていいはずです。ところが日本だけ下がっていて、他の国は右肩上がりに上がっていることがばれたのがこのグラフです。日本は非正規を極端に増やした。ヨーロッパではパートはいますが「非正規」は基本的にはいません。外国人労働力は安く、差別にあっています。でもパートが安いということはないです。時給は、仕事が同じなら同じでなければいけないという均等待遇がEUの中でしっかり決まっています。パートが短くしか働かなければ短い労働時間分しかもらえないけれども、それを延ばしていけばまともな賃金になります。日本の場合は非正規だとかパートだというだけで、半分くらいの賃金になってしまう。最低賃金すれすれになってしまいます。つまり均等待遇がありません。仕事の内容を見て上げていくというものがないんです。
パート有期労働法がやっと最近できて、それでは同じ内容にしなければいけませんといちおう書いてある。仕事が同じだったら同じレベルの賃金にしろとが書いてあるけれども、例外がふたつ入っていて、転勤や異動がない、人材活用の方向が異なっていれば、ほぼ同じ仕事でも安くても構わないと書いてある。主婦パートというのは家族がいるからなかなか転勤が出来ない、だからパートをやっている人が多いんですよ。そういう人たちが「店長と私は、仕事はそんなに変わっていません」みたいなことを仮に言ったとします。実際そういう例もあって、副店長のようなことをやっているパートの人は結構います。ところが「ああ、でも君は転勤できないでしょ。店長は転勤できるからこの差はしょうがないよね」と言ってもいいかのようなことが書いてある。抜け穴ですね。
もうひとつは、「その他の事情も加味していい」と書いてあります。「その他の事情」というのも裁判所がしっかりしていればそう簡単に認められないと思いますが、例えばちょっと前に定年のトラック運転手差別訴訟がありました。年金がくるまでのつなぎの仕事だから従来の世帯主の仕事とは違うといわれて、賃金の差が合法化される判断がでました。仕事はまったく同じでした。これはすごくわかりやすい例で、絶対勝てると思っていました。ところが「その他の事情」です。年金までのつなぎなので、前の正社員の世帯主としての働き方とは違うから「悪いけどこの人との賃金差がでるのはしょうがないね」、ということで敗訴した。それを引き継いでパート有期労働法の中に入っているので、そこが抜け穴になって、裁判官に見識がないと負けるということになった。でも「均衡には配慮しろ」と書いてありますから、そこをちゃんと守ってくれるような裁判官だったら勝てるかもしれません。わかりやすく同じ仕事だったら同じ賃金というのとだいぶ違うことになっているのは間違いありません。特にパート女性には非常に不利になってきますから、パートの人を増やしていけば人件費を安くできるという構造になっています。実際春闘でパートの人たちに話を聞くと、人材活用の方法が違うからといわれてなかなか上げてくれない。こういうことを生協労連の人が言っていました。
1987年には16%しかいなかった非正社員が40%まで増えたというのがこの棒グラフです。その一方で折れ線グラフの内部留保が右肩上がりに上がっている。これは当たり前ですね。人件費をどんどん押し下げていけば内部留保が増えるのは普通です。そのターゲットが女性と若者です。若者は正社員であっても入って間がないので、会社の中で強い態度にでられないということがまずあります。だから分配をする過程で初任給を安くされたりする。女性は「家計補助だから」といわれて非正規に行くと最低賃金レベルにされる。企業の中で正社員であっても「転勤ができないなら一般職ね」といわれて、賃金が上がらないコースに入れられることもある。これは均等法のときからそうです。そういうかたちで集中的にしわ寄せが来ています。
4割までそういう人たちが増えてしまった結果、当然全体の賃金水準、人件費水準は下がり、正社員も交渉しにくくなる。「お前とほぼ同じ仕事を半分の賃金でやっている人がいる」といわれて、強力に労使交渉ができますか。「おとなしく言うことを聞けば正社員にしてあげる」といわれて非正規も強力に対抗できますか。ふたつの分裂が起きてしまったことによって、しかもその分裂の非正規の部分が4割というものすごい数になっているがために、賃上げ交渉がものすごくしにくくなっています。もう「非正規がかわいそう」とかいう話ではまったくなくて、「上がらないのは、あんたらやで」という状況になっていることに気がつかないで、「よかった正社員で」といっているというすごく変なことになっているのがいまの状況です。
昔若者が我慢していたのは、年功賃金で我慢していれば上がると思っていたからですね。女性が我慢していたのは、夫からお金をもらうしかないからしょうがないと思って我慢していた。だからあまりそれが大きな声にならなかったけれども、いまは若者は我慢していても年功賃金がなくなっているので上がらない。下手すれば正社員だけど最低賃金並みという状況が続く会社もあるんです。女性はずっと非正規が増えていく一方になっています。実はコロナ禍で最近は女性の正社員が結構増えています。でもそれは人手が足りないから正規化しているんです。コロナ禍で増えた正規正社員女性の3分の1は介護です。介護は条件が悪すぎるから、「正規」「正規」といって囲い込んでしまいます。もうひとつは生命保険のようなかたちで、もともと非常に条件が悪くてノルマが達成できないとお金がちゃんともらえないというくらいの人たちって、正規でも結構いますね。
このようにして非正規が増えていった結果、労働組合の組織率が17%を切る事態になっています。どうして労働者の数は増えているのに組織率は下がるのか。それが岸田さんが自慢した「数は増えています」という話に通底しています。増えた分はサービス産業の低賃金労働とか非正規労働で増えています。日本の産業構造がサービス産業化するのはいいと思うけれども、そこを食べられるような賃金水準にしたり、セーフティーネットを張ったりしてなければいけないわけです。それをほったらかしにしていて、ほとんど女性の非正規が埋めているみたいな状況になっています。しかし非正規ですから組織はすごくしにくいです。半年とかで契約が切れて、労働組合に入りたいと言ったら、「そう?じゃあ次の契約更新は無しね」と言われる恐れがあるからですね。非正規がすごく大変だというのは、労働組合に入って権利を行使しようとすると、次の契約更新がされなくなる。これが非正規の特徴です。非正規の人は怖いから、あまり権利主張をしないようにする。はっきり言って賃金って労使交渉しなければ上がらないです。
仮にみなさんが経営者としてみてください。それでみんながすごく安い賃金で気持ちよく働いていたら絶対上げませんよね。なぜ上げるかというと、従業員の方から「うちは水準が安すぎますよね」とか、「がんばったんだから少し上げてくださいよ」とか、「こんなに安いんだったら転職しちゃうぞ」とか、「竹信はけちだ」とか言われると「そんなことはないわい」と言って上げたりするじゃないですか。そういうのが経営者ですよ。だからそもそもが、賃上げ交渉しなければ上がらないんですよ。労働組合があってみんなで一緒に「辞めてやる」と言われたら、「しょうがないな」と思って上げるでしょうね。だから集団交渉って結構大事なんですよ。人間の本性ってそういうところはあるじゃないですか。それができるのが労働組合なんですよ。
実はそれがなくなったのがいまの状況です。がんばっている労働組合の人たちが、がんばっているから上がったんです。そういうメカニズムがまったく人々に知れ渡っていなくて、「転職すれば上がる」と、「雇用が流動化していないから上がらない」というのはウソですよ。日本のように同一労働同一賃金がちゃんとしていなかったり、資格を取ったからといって上がるわけではないというような労働市場の国にとっては、いくら資格を取って転職してもその先が上がるとは限らない。むしろひとつの会社の中にいて圧力を強めて「上げろ、上げろ」と言った方がはるかに上がります。それがいやだから「流動化しろ、そうすれば上がる」とウソを言って転職させようとするんです。転職しちゃえば目の前からうるさい人がいなくなる。これが転職の、雇用流動化の真の意味です。外国人労働者が都合のいいのもそれです。最近の技能実習生、あんまりひどいから上げろというと強制送還されたりしますね。「実習終わり」とか言われて。あれ本当に便利ですよ。文句を言う人は目の前にいないようにできるからです。そういう雇用政策をとっているので賃金が上がるわけはないんですよ。原因ははっきりしているし対策もはっきりしています。できる人は労働組合をつくるなりして圧力をかけることをすればもうちょっと上がるはずです。
どうしてこのような状況が起きたのか。非正規化によって労働組合の組織率が低下しました。もうひとつが産業別労働組合をつぶしてしまった。おかげで企業内の正社員しか守れないような組合しかほとんど残っていない。企業内でも組合があれば無いよりずっといいです。企業内労組がだめだという気は私はそんなにないですが、企業内労組がなかなか威力を発揮できない理由は確かにあります。企業内労組があるために産業別労組をつぶしていった。それから日本の労働組合は労働協約の適用率が低い。海外の労働組合、特に欧米の労働組合―欧州がそうですけれども、どこかの労働組合で労使協定を結び、それで賃上げとか条件をよくするとかを決めます。するとその業界や会社だけでなく、それに関係しているたくさんの労働者たちのところに適用されます。フランスなどは9%くらいしか労働組合員がいないという、異様な社会だと私は思ってしまいます。でも労働協約の適用率が7割、8割です。組合の人たちが結んだ労働協約が、7割、8割の労働者に適用されるから結構力が強いです。
日本の場合は労働協約適用率がものすごく低い。決めた当事者しかほとんど適用されません。最近そういう例が地域にできてニュースになりましたけれども、それくらい日本は労働協約適用率が低い社会です。組織率が低くて適用率も低かったら労働組合の影響力なんて行使できるわけはないし、そこで条件を上げたら「あいつらは自分たちだけよくてやっている」と言われ、「労組エゴ」と非難されて気の毒です。そこでいい条件を取ればみんなにいくと思えば、そんなふうに言われないですね。それが日本の、産業別労組をつぶすとかいろいろなことを、長いことかけてやってきた仕組みの転換が、ここに来て非常に有効に作用しているということですね。
非正規の真の問題点は「労働3権からの排除です」と、もう一度申し上げます。つまり労組に加入しにくいために、労組をつくる権利が阻害されています。その結果、労働組合を通じて行う団体交渉もしにくく、団体交渉権からも排除されています。.そしてストライキ等の団体行動権が使いにくくなっています。労働3権というのは、労働組合をつくる権利、団体交渉をする権利、ストライキとか団体行動をする権利、その3つを使って働く人たちが労働条件を向上させていくことが基本的な原則です。非正規、5人に2人の人たちが、これを全部非常に行使しにくくなっています。これは憲法28条で認められている権利を、5人に2人が非常に使いにくくなっているという恐るべき事態に私たちは立ち至っているのに、みんなそれが当たり前であるかのように思い込んでいます。これが日本の賃金が上がらない大きな原因です。
プラスαですごく怖いのは、新中間層といっていいんでしょうか、フリーランスとか個人事業主、そういう人たちと労働者がさらに置き換えられていっています。派遣も契約社員も若手の社員も含めて、いちおう労働契約を結んでいるから労働者です。しかし労働者じゃない人たちは、労働基準法も労働契約法も労働組合法も何も使えない。労働者ではなく、ただの事業主です。本当は社長でも何でもないのに、会社の社長さんのような扱いです。本当の社長なら立場は強いですよ。でも個人事業主は「一人親方」、一人ですから、それが個人で会社と契約を結んで「仕事させてくださいよ」と、下請けみたいな扱いで仕事をもらってくる仕組みになっています。有名なウーバーイーツもアマゾンも、配達の人の多くがこのような個人契約のかたちになっていて労働者じゃないと会社は見なしている。そのために労働権で守られない、労働3権から完璧に排除されています。
派遣や契約はまだいちおう労働者ですから、排除されているところまではいかなくて非常に使いにくい、事実上排除されていると言っていいと思います。このフリーランス、個人事業主は本当に排除されています。だから、「本当は実態としては労働者だよね」ということを証明しようとして裁判が相次いでいます。最近ではアマゾンの人たちが、労働組合をつくる方法を教えてくださいといってホットラインに聞いてきたりするそうです。アメリカでは組合がいっぱいできはじめて、いろいろ権利を取り始めています。それを知ってということだと思いますが、ウーバーイーツとかアマゾンとか個人事業主とされてきた人たちが日本でも聞いてきている。さすがにもう限界に来ているんですよね。これで賃金が上がるでしょうか。
そういうところに配置されている人たちの中に、若者と女性が多い。女性は正社員のような拘束力が非常に強い、長時間労働のところはやっぱりいやなんですよね。ウーバーなんかやっている人も、死ぬような長時間労働をさせられるなら、まだウーバーの方がましだという部分がある。だから正社員が悪すぎるんです。正社員から逃げ出した人たちが非正規に行ったら、今度は最低賃金で働くというひどい状況になっていて、「フライパンから火の中へ」という状況です。
もうひとつは産業別労組をどうやってつぶしたか。昔は日本にも企業横断型の労働組合、特に敗戦直後には結構つくられた時期があって、それをどんどんつぶしていった。そのような「もの言う労働組合」が第2組合をつくることによって、会社側が排除していった歴史もあります。日本航空をモデルにした「沈まぬ太陽」という山崎豊子の原作で映画にもなっています。会社側が第2組合をつくって「もの言う労組」をどんどん排除して、元の労組にいた人を左遷してつぶしていくという、これはよく知られている手法です。若い人たちはあまりご存じじゃないかもしれませんが、私の世代だと「ああ二組ね」とかいっていました。もっとすごいことが実はいまも起きていることを話ししたいと思います。
産業別労働組合の「関西生コン支部」という生コンクリートの運転手さんたちの組合があります。生コンの運送会社に勤めている運転手さんたちが、その会社を横断して組合を産業別につくった。この中に「日々雇用」という非常に脆弱な運転手さんもたくさん含まれています。よく「労働組合って正社員しか入れない、ひどいですよね」とか労働組合に批判的な人に言われますが、この組合は会社の枠を超えているので、生コン運送の運転手さんはみんな入れます。日々雇用の人もたくさんいますが、正社員はもちろんいます。それを全部一緒に組織して、賃上げ運動とか交渉などをしている労働組合です。ところがこの生コン運送会社はみんな零細企業なので、結局この人たちに直接賃上げ交渉しても会社が潰れるだけです。それでどうするか。これが日本の問題の、下請け構造です。日本の賃金が上がらないもうひとつの理由は下請けが多くて、いくら下請けの会社に言っても、会社の体力が弱く親会社の意向に左右されているので、そうそう賃金の原資が出せないという問題が結構あります。
ということで、輸送を依頼している生コン会社に対して交渉しようということを思いつきます。ただこの生コン会社も大手セメント会社と大手ゼネコンに牛耳られており、大手セメント会社はとにかく買えといい、ゼネコンは生コンを安く売れといって、その狭間でいつも買いたたかれているのは生コン会社です。こんな業界で彼らが考えたのは、生コン会社を協同組合にしようと。圧力をかけて説得をしたりしながら、協同組合にしていきます。いろいろな会社が入っている協同組合をつくる。これは経産省が会社の数が多すぎて潰れると経営上はよくないからといって、組合をつくって、中で生産調整をしてもいいということを認めています。それを活かして協同組合をつくらせることを運転手たちがやるわけです。この協同組合が、セメント会社とかゼネコンに対して、ちゃんと利益を出せるようにしろという交渉を、組合を通じてさせる。そうすると利益が生コン会社に落ちてきますね。この利益を生コン会社に交渉して、生コン運送会社に出させろと圧力をかける。そうするとセメント会社の利益を取り返したこの組合が、運送会社に対して運賃を上げるわけです。運賃が上がると運送会社に利益ができますから、そこから賃金を上げろという交渉にするという、非常に迂遠ですけれどもとても有効なことを考えつくんです。
それができるのも、会社別じゃないからです。こういう横断型の力を使って、例えばどこかが変なことをしたら、そこにはもう運転手を出さないと、そこは困ってしまうので圧力をかけやすいわけです。それを使って、運送会社と生コン会社に運転手が圧力かければ、セメント会社などに対していうことを聞かせることができ、そこから利益を落として、それを使って賃上げができる。私はこれを聞いたときは、本当にすごいなと思いました。こんな組合が日本にあったんだ。ヨーロッパみたいだなと思いました。そこを何とかつぶしたいと思うわけです。
ですから産業別労働組合というのは、実は企業労組のネットワークではないんです。「この業界にいる労働者は全部組織する、会社に関係ない」という、それが本当の産業別労働組合です。いってみたら職人さんのギルドみたいなものです。そういうようなものを組織したということです。加えてもうひとつ理由があって、あまりに零細なのですぐに偽装倒産とかをするんですよ。だから会社別労働組合なんかをつくったって偽装倒産されたら終わりなのですね。そういう現実的な意味もあって、こういう産業横断型の労働組合にしたのが関西生コン支部です。
セメント会社とかゼネコンなどは、これをつぶしたいわけです。そういうかたちで起きたのが弾圧事件です。どうやったかというと、レジメに書いた「産業別労働組合を生かした2つの規制」というのは、「日々雇用運転手などを企業を横断して組織し、企業ごとの賃下げ競争に規制をかける」。つまり「お前の組合のやつらが上げろ、上げろといったらうちの会社が潰れるぞ。ほかの会社との競争に負けるぞ」というと、社員は賃上げをためらうじゃないですか。「ほかの会社との競争に負けるぞ」といわれて、「それでもやってくれ」と言える会社はあまりないですよね。でもこれは産業別になっているので、産業全体を上げろと言っていますから競争を規制できるわけです。「うちが潰れる」って言えなくなるわけです。みんな一緒に上げるわけだから、底上げをするわけです。だから産業別労働組合は強いんですよ。賃上げ力がわりと強い。うまく生かせば、そういう機能を持っている。もともとヨーロッパなどでは、最初はみんな産別から始まっています。
例えば日本の女性の労働条件が低いといわれています。それから、子どもがいると長時間労働では働けないともいいました。これを関生支部は全部解消しました。女性運動なんか何も知らないようなおじさんたちといったら悪いですけれども、そういう人たちがなぜ解消できたか。それは、組合の人は全部面倒を見ることにしているので、男であれ女であれ条件を上げるということになっている。しかもこの仕組みだったら、労働時間短縮なんかしたらうちが潰れてほかの会社に負けるっていわれない。産業全体の労働時間を短くしちゃえばいいだけです。だから早く帰れるようになった。週休2日も取ったし、9時-5時で働けるような仕組みにして、急な残業は断っていいと圧力をかけていっている。保育園にお迎えに行かなければいけないシングルマザーも結構たくさんいるけれども、その人たちが5時に帰れるし、急に残業をいわれても「うちは急にいわれてもだめですよ」と断れる。びっくりしたのはセクハラにあったという女性運転手さんがいて、午前中にセクハラにあって組合本部に電話して「こんなひどい目に遭いました」といったら、組合の人たちが「それはひどいな。よし午後からストや!」と言ったという、信じられないことをしていた時期があるような、「戦闘的」といったらいいのか、「何それ」と私でさえ思うような組合だったわけです。女性の待遇も非常によくて、シングルマザーが年収500万円、600万円取れるということをちゃんとやっていた組合です。
それがつぶされるわけです。どうやってつぶしたかということです。2018年7月くらいから弾圧が急に始まっていきます。労働組合の人が一緒に大手のゼネコンにいって、「うちの生コンを買ってくれませんか」と営業をかけた。そうしたら、それは営業ではなくて「恐喝未遂だ」と名前をつけられて逮捕されます。ほかにも「威力業務妨害」とか「恐喝」とか、そのような労働関係の運動に、全部刑事事件の名前を貼り付けて逮捕していきます。本来は労働法があるので、労働3権の行使については刑事事件にしないと書かれているわけです。例えばストライキも、いってみたら「威力を持って業務を妨害」するわけですから、普通にやったら「威力業務妨害」なんです。でもその目的や「労働条件の向上のため」という社会的にプラスになることをしていることが証明できれば、暴力団ではなく労働組合がやっているということがちゃんとしていれば免責されるから、罪にならないということが原則です。だからみんなストライキができるし団体交渉もできるわけです。
ところがそういうことを全部無視したかたちで、ゼネラルストライキをやったら「それは威力業務妨害です」ということで、逮捕。それも現場で逮捕ではなく、調べ上げて後になってから大量に逮捕していくという非常に陰湿なかたちで逮捕されていきます。そういったかたちで、団体交渉をしたら「強要未遂」とか「強要」とか。一番ひどかったのは子どもを保育園に入れなきゃいけないお父さんがいて、就労証明書が必要だから出してくれといったら、会社は組合に入ったからとはっきりいわなかったけれども、毎年出しているのに出してくれなかった。組合に入ってから、おかしいじゃないかといって交渉したんです。そういう組合ですから「おかしいじゃないかー」とかがーっていうわけですね。これが「恐喝」だといわれて逮捕された。あとで「恐喝未遂」になりました。なぜ「未遂」かというと、ついに就労証明者をだしてくれなかったので「恐喝未遂」だというんですね。びっくりの罪状で、逮捕されて裁判までいっちゃうんです。ほとんどが有罪でしたが、この就労証明だけは無罪になりました。いくらなんでもひどすぎますから。1審は半分有罪みたいな人もいて2審で無罪です。就労証明書なんて当然普通の親御さんだったら出してくれと強くいうのに決まっていますね。保育園の人たちも気を遣ってくれて、なくても入れてくれたんですね。それを「なくても入れたじゃないか、だからあれは嫌がらせの恐喝未遂だ」と因縁をつけて起訴しちゃった。これ、ウソだろうと思って裁判を傍聴に行くと、ウソじゃないんですよ。
わかってきたことは、本来なら労働法によって守られている団体交渉を「強要」と言い換える。ストライキを「威力業務妨害」と言い換える。それからコンプライアンス活動といって会社がよくないことをしている。現場で汚水を流すとかそういうものの監視活動をやっていました。そのコンプライアンス活動で通報したことについて「恐喝」といって逮捕する。いろいろな環境整備費の解決金というのを取ることがあるんですが、金を取ったから「恐喝」だといって逮捕する。工場占拠闘争をやって、会社が偽装倒産に出て潰れるわけですが、そのときに労働債権を回収しないと賃金が払えないから、労働組合はその場所に乗り込んで債権差し押さえをします。それをやったら「恐喝」になる。とにかくそうやって全部刑事事件に言い換えて、逮捕・起訴したという事件です。その結果80人以上が逮捕され、ほとんどが起訴です。そういうすごい事件なのにマスメディアは1行も書かない。
こういう言い換えは安倍政権が得意で、それまでも企業は大量解雇を「リストラ」といったり、安倍政権のときにはカジノ法を「統合型リゾート実施法」といったり、オスプレイの墜落事故を「オスプレイの不時着水」といったり、集団的自衛権の行使を容認する安全保障法を「平和安全法制」と呼んだり、とにかくいろいろな言い換えが大得意の政権の下で起きた事件です。捕まえると、委員長と副委員長を長期拘留します。これは副委員長の例ですが、1件で捕まえると、それを逮捕して起訴して、細かいものを次々に起訴して、延長していきます。たくさん事件をつくって、どんどん新しく罪状が積み重なっていくかたちで勾留延長されていきます。そういう手法をとるんですね。ずっと連係プレイみたいに次は滋賀県警が出てくるし、滋賀が終わると今度は京都府警が出てくるというかたちで長期拘留していきます。その結果2年くらい拘留されちゃうんですね。その間に委員長も副委員長も拘留されて指示が出せなくて、労働組合が解体されそうになった。実際調べの中で「辞めろ」と散々いったり、脱退干渉しているのがちゃんとテープに残っていますね。明らかにつぶそうとしてやったということが推測される、そういう事件です。
これについて国会では、維新の足立康史という議員が「このようなところには破防法を適用すべきだ」と大声でいっているのが実際に残っています。杉田水脈という議員も「この暴力団みたいな団体によって大量逮捕がでました。これほど大量の逮捕がでるということは被害額も大きいと思います。なのでこの団体には甚大な被害額を全部返還するように要求すべきです」ということを国会でいっています。飛躍がすごいですね。こういうことを国会で要求する。足立さんは関西圏の選出です。裁判所は、最初のうち本当に暴力団だと信じ込んでいたらしいです。顔が見えるとあとでお礼参りが怖いからということで、証言のときに顔が見えないように法廷についたてを置くことがよくありますね。法廷にそのついたてが置いてあった。そのついたての影から裁判長が顔を出して何かいったりしているという漫画みたいな、そういう訴訟指揮をしていた時期がありました。だんだんわかってきたらしく、また弁護団が抗議したということもあってなくなりました。
その前段で、ヘイトグループを使って「あそこは暴力団だ」という大キャンペーンをしています。そのヘイトグループのトップの人が、自分のブログに「月70万円もらっていました」と自慢して書いている。お金をもらって「あそこは暴力団だ」という報道とか書き込みを大規模にやったために、「関生支部」で引くと、本当に暴力団だと思ったりします。つくった映像で逆さづりにして拷問しているみたいなものがあったということも聞いています。それくらい情報操作が先に効いていてそれが怖いですよね。
そこで、私が最近書いた「賃金破壊」という本があります。この労働組合弾圧事件についてルポルタージュ風に書いたものです。また、土屋トカチさんという労働映画の監督が、「ここから 『関西生コン事件』」と私たち」という映画をつくりました。女性の運転手さんを主人公にして、どうやって労働条件を改善していったかという、この組合のまともな運動を描き出すことによって誤解を取り除く映画をつくっています。是非見てやってください。
これも憲法に非常に関係がある面白い事件です。日本はもともと企業内組合だといわれています。いろいろ歴史を調べてみると、実はそうではないことがわかります。戦前の日本の労組運動では、企業の別を超えた横断組織が当然で、企業別や事業所別の組合は「黄色(イエロー)組織」と見られていたことが常識だった。これを東大名誉教授の岡田与好さんという方が「歴史における社会と国家-日本労働組合運動史の特異性-」の中の論文で書いています。労働組合は明治維新の後に海外から入ってきます。海外はギルド的、横断的な労働組合ですから、産別になってくるのは当然で、実は産別から始まっています。それがどういう理由で企業別に変わっていったかというと、治安維持法が結構効いているということです。第1次世界大戦のあとで各国は戦争に嫌気がさして、リベラルな社会にしたいという気運が非常に高まったこともあって、国際連盟の加入条件が労働組合を公認する国ということだった。日本は公認なんかしたくないんですよ。明治政府と大手企業、財閥とは非常に癒着が強かったですから、産別のようにちゃんと圧力を行使できる労働組合なんてつくられたら面倒臭いし嫌がる。だけどそれを否認すると国際連盟に入れず、「一等国」になれない。
ここで床次竹二郎さんという内務大臣が一計を案じました。彼は「横断的組合は階級闘争の原因になる」と非常に敵視していた。そこで治安警察法17条の解釈をちょっと変えて、「横断組合あるいは社会主義者等の外部者がストに関与する場合に治安警察法17条を適用して取り締まる」、しかし「工場内や事業社内の労働者だけによるストは17条を適用しない」とした。だから「うちらは労働組合を認めています。国際連盟に入れてね」という2枚舌を使った。つまり企業別組合は認めるが、企業を横断する労働組合は、治安に敵対するから治安警察法17条を適用して取り締まるとした。そこから日本は企業別の縦型の組合になっていく。これは自然発生的でも文化でも何でもなく、企業を守るために当時の政権がそのように法律の解釈を変えていたということです。
全面的に禁止していたらわかりやすいけれども、そうすると国際連盟に入れず文明国といわれないので、そういうことをしていた。それがその後の戦争で大政翼賛になり、戦後も引き継がれていく。そういう土壌になっていたとお考えいただくと、非常に日本の組合の現状がわかります。でも戦争に負けた直後は、民主化ということで憲法は企業横断型の労働組合を認めていますから、それを使ってやろうとしたら、2組をつくって弾圧していった。最後まで残った関生支部みたいな組合は「暴力団だから」と言いふらして、壊滅状態に追い込もうとしている。基本的人権不在の戦前の治安警察法労政の現代版です。
そのようにつくられた日本の労働組合は、社会的影響力が弱い。これは浅見和彦先生という労働法の先生がつくったグラフです。北欧は社会保障がしっかりしていることは日本では知られています。しかし、それと労働組合の関係性はほとんど語られていません。何が違うかというと、スウェーデンもフィンランドもデンマークもノルウェーもベルギーも、みんな労働協約の適用率が8割、9割は当たり前の社会になっていることがひとつです。これらの国は、前に比べるとずいぶん下がったけれども、組合組織率は6割前後です。労働協約の適用率も組合の組織率も非常に高い社会なので、こういう国は労働組合の影響力が強く、労働者の意見が社会的なルールとして通用しやすいということです。適用率が広いということは、社会のルールを組合がつくれることを意味しています。だから「社会保障をちゃんとやれ」とか、そういうときに非常に強力な交渉相手として彼らが交渉に当たることができて、働く人に有利な仕組みができていく。社会保障が充実することの背中を押す大きな要因になったということが、これを見るとわかります。
次のイタリア、オーストリア、ドイツ、オランダ、フランスは、組合の組織率は非常に低いです。特にフランスなどは10%くらいしかない。しかし適用率は非常に高いことがわかります。ですから組合がどこかで協約を結ぶと、幅広い労働者にそれが適用され、その結果ルール形成力があり、組合の影響力が高くなります。そしてイギリス、日本、アメリカ、韓国。これは新自由主義が強い国といわれています。これらの国はご組織率も協約適用率も非常に低いことがわかります。きれいに符合していますよ。ですから組合の影響力が弱いと新自由主義がはびこる。またははびこっているから弱いのか、どちらの関係かはわかりませんけれども、そういう状況です。
そうはいってもイギリス、アメリカ、韓国はそれなりにいろいろな手を打ってはいます。例えば韓国は参与連帯というかたちで政治家とか社会運動家とか横断型労働組合、民主労組などがネットワークをつくるかたちで、最低賃金引き上げなどのときに大きな影響力を行使しています。適用率が低いし組織率も低いかわりに、社会運動を使うという手法を実行したのが、韓国の参与連帯のアイデアですね。アメリカも非常に厳しい。過半数を取らないと労働組合をつくれないという、非常に高いハードルを越えないと組合がつくれない。企業寄りの仕組みになっていますが、それでも組合ではないけれども労働NPOをつくった。労働NPOで、社会的な圧力を行使していく方向をつくります。アメリカには労働NPOはいっぱいあります。財団などからお金を引いてきて普通のNPOと同じようにしながら、労働条件をよくするキャンペーンをする。そうして企業内の労使交渉だけでなく、企業外の圧力を強めていくことによって条件を上げています。
イギリスもサッチャーになってから本当にひどいことになった。しかし、大変なりにいろいろな映画を見る限りすごいなと思います。介護労働者と若者が緊縮財政反対の大集会を開くといったかたちで、働く人とかマイノリティの条件向上のためのネットワーキング化とか集会を開く。社会的圧力を強めるいろいろなアプローチをやっている社会でもあります。それはサッチャー以前の労働組合の記憶が社会の底にあります。私がBBCの記者に「小泉政権とサッチャー政権って似ていますね」と言ったら笑われて、「イギリスはなんのかんのいってもサッチャー前の長い長い労働党政権の時代の遺産があって、ひどくなったとはいえそれがやっぱり基層文化になっているんですよ」と言われました。私もイギリスに取材に行って、消防士さんがストをやっているという話が入ったら、私の友達の友達が差し入れにいくというんですね。消防士さんは賃金が安くてかわいそうだから差し入れにいくといって、結構みんな差し入れにいったりします。「確かに全然違うな、これは」と思いますよね。そういうのがまだ残っている。
日本は、それがまず意識もされていないことが一番大きいと思います。日本がこんなに特異な社会になっていることを、全然情報のパイプがないために教えられていないし、知らされていない。これが普通だと思っているので「何が変だかわからない」から、ずるずるじり貧になっていくのが日本の社会です。今日私がお話ししたような基本的な情報が広く入っていく、関心ある人だけでもいいから広げていく。グレーゾーンでどっちなのかなと思っているような人たちくらいまで浸透させれば、だいぶ模様は変わってくるはずです。やるべきことは非正規が多すぎることの背景にあるものです。男性の非正規がひどいということにはすごく反応するのに、女性の非正規といった途端に関心を失う。でも本当は低賃金政策にフルに使われていることに、そろそろ気付かなきゃいけないですね。それを放置しておくと全体の時代が悪くなるんですね。
派遣法だって、最初は女性の働き方にいいと導入された。派遣法の最初に許可された業務は全部女性が多い業務です。一旦派遣法を解禁したら「女の人だけ」なんてできるわけはないんです。いつも最初の段階では「これはね、夫のいる女の人向けだから多少不安定でも大丈夫だよ」といってボロボロにひどい法律、制度を入れたのが日本の戦後の歴史です。本当は止まったのに。まず非正規から始めて、それから組合が難しくても横断型のネットワークをつくって、社会的な運動を起こすことによって、まわりから包囲していくことで圧力をかける。そういうことをつくっていくことがいかに重要かということになります。
そういう中で若い子たちは自分たちの働き方は変だなと思うけれども、誰に言っていいのかわからないし、誰も味方になってくれないという状況に陥っています。本来働く人の味方であるはずの労働関係のネットワークがボロボロになっている。あっても年配者に何となく比重が高い感じで、男性に比重が高い感じになっている。とすると孤立無援の気分になっているのであきらめ、社会運動まで行かなくてだいたい泣き寝入りするわけです。一番困っている人がそういう状態に追い込まれている。
日本財団が若者に行った調査があります。これは17歳から19歳の1000人に聞いています。その中で、少子化対策として子どもを持ちますか、持ちませんかということを聞くと、「子どもを持ちたい」と思う人のうちの「自分は持つと思う」といった人が半分はいますが、いろいろな障壁があります。障壁の1つは「金銭的な負担」が69%。これはお話ししてきた賃金のあり方が若い人もわかっているということです。もっとひどいのは再分配が悪いことです。教育の無償化があれば賃金が多少安くても生きていけるけれども、それもないわけです。それから子育て世代の手当や補助金がほしいという声もある。育児休暇をもっと取らせてほしいとか、保育所の受け皿の整備がほしいという人も結構多い。そういうことを担ってくれるようなネットワークや組織が見あたらないと思っているので、あきらめて「子どもを持つのをやめよう」ということになります。
加えて、奨学金負担が非常に重くてとても返せないということが、実際に働き始めてわかったという事例があります。「都内に住む25歳の女性:教員になる夢をかなえたいと、地元を離れて教職課程がある都内の私立大学に通う。奨学金400万円を借りる。卒業後は高校の教員として働き始め、手取りおよそ20万円の給料から月に1万7千円ずつ返済。その後、体調を崩して退職。奨学金の返済が難しくなり、一時は知人に借りて対応。まさか自分が体調不良になって仕事を辞めると想像していなかったので、真っ先に奨学金どうしようと考え、思い悩んだこともあった」と打ち明けています。この人はその後転職して、「生活は安定しつつあるが、今後、返済は18年間続き、自分が生きていく以上の余裕はない。」、「子どもなんかたぶんつくれないと思います」という証言です。このように奨学金は全部返済で借金になる仕組みになっていますよね。貸与であって給付じゃないためですね。しかも大学に行かないと正社員にも教員にもなれないので、必死になって借りるわけです。その結果がこれです。じゃあ高卒でも何とかなるかというと、最低賃金レベルで正社員というのがぼろぼろいるわけです。
いま私たちに起きていることはなにもかも逆戻りしてしまっている現状です。最低賃金は3者で構成した審議会で決めて、一生懸命「上げましょうね」といっていたが、実は実態ほどには上げられていない。物価高にも対応できていないような状況で、水準から見ると出発点の60年前とあまり変わらないような実態になっていることを、荻野さんという研究員がいっていました。働き手に分配がまわる仕組みを回復しなければいけない。働けば労組に入れて、公的セーフティネットが支えてくれる仕組みが誰にも行き渡るようなかたちに回復しなくてはいけない。その一歩として非正規は入り口規制をする。つまり短期の仕事以外は短期契約を認めない。スーパーのレジなんて典型的です。どうして仕事がずっとあるのに契約は半年とか1年なんですか。ずっとある仕事を、雇う側が人為的にぶつ切りにして契約させているだけじゃないですか。こんなの本来は不正ですよ。
仕事がなくなったら、そこはクビにしてもしょうがないということが原則だったはずです。ところがいま日本の短期契約、非正規というのは、仕事はずっとあるのに勝手に半年とか1か月でぶつ切りにする。ぶつ切りで契約しろ、そうしなければ雇ってやらないといって誘い込んで、それで1年いうことを聞かなかったら雇い止め、組合つくったら雇い止め、こんなことをしているのは普通に考えたら詐欺ですよ。「つくられた非正規」なので、それを止めなければいけません。
それから働き手にお金がまわるような産業を、最低限つくってほしいですね。原発とか武器輸出みたいに雇用にならないような仕事を増やすな、ということも重要です。それどころか働き手が少なくて儲かることばかりやろうとするじゃないですか。そういう産業ではないのを、本当は政府がつくらなければいけないはずです。それから、基礎的な福祉と教育と住宅が公費で支える仕組み、これはすごく重要です。オランダに行った時に、すごく労働時間が短くて収入も結構少ないんですよ。中流の人だけれども「大丈夫なんですか」と聞いたら、「でも教科書は無償だし、家も困ったら公営住宅が安くてあるし、自分の収入で買わなきゃいけないものって衣料品と食費くらいなんだよね」っていっていました。中流で、そういう安全ネットがそれなりにあるというというのはそういう意味です。「だからそんなに高い賃金をもらおうと思って長時間必死になって働かなくても、わりと安心して働けるという感じだよね」と男性の人でしたけれどもいっていました。そういうのが本当は人間の幸せのパターンをつくる財政だと思います。
いま軍拡ですよ。5年間で43兆円。借金がすでにあってそんな金を出せないと、教育費とかをいうたびにそういうじゃありませんか。軍拡は必ず民生にかかる費用を圧迫しますからね。増税するといっていますから税金も増えて、可処分所得が減りますね。みんな貧困化して非正規が5人に20人もいる社会で、こんなに野放図な軍拡をやるってどういうことです。だから私たちは「軍拡より生活」というキャンペーンをしようと思ったのは、いままでの長い話の末なんです。単に軍拡をやると戦争が起こるから、これもすごく怖い。最重要といっていいのは間違いないです。それだけではなくて、私たちの生活がこれ以上貧困化するような変な予算を出すなということも言っていかなきゃいけない時期にきていて、これを私は「SF商法」と言っています。
知人に「こんなにすごい軍拡にお金を使ってたら大変なことになっちゃうよ」と言ったら、その人はまともで賢い人ですけれども「えっ」ってびっくりした。「だってウクライナでも戦争があるしね、これはやっぱり何とかしないとまずいんじゃないの」とわりとナイーブに言うので、あんまり考えてなかったみたいです。それで、「何でウクライナで戦争があるとうちらがトマホークを買うの?説明して」と言ったら、「考えなきゃアカンね」と、大阪人なのでそういうふうに言った。こういうことをつい最近体験しているので、あんなに賢い人がこうなるのかと思ったら、「これはSF商法だ」ということに気付いたんですね。
「SF商法」をネットで引くと、密室に閉じ込めて煽って、「買うといいですよ」「いま買わないと出遅れますよ」といって煽る。それでいらない高額商品を買ってしまうんですよ。あとで「げっ」と思うのが「SF商法」です。それの防ぎ方は5つと書いてあって、(1)信頼できる人間関係をつくっておく、(2)自分は騙されていると気付けるようにする、(3)冷静でなくなったときにどう行動するかあらかじめ考えておく、(4)「お得」は本当に得かを考える、(5)商品を買わなかったときの損ではなく、買った場合の損を考える。この(5)がいま私たちが当面すぐやらなければいけないことです。買わなかったら戦争が起こるかどうかの損ではなくて、買ったことによって、明日私たちの教育費や福祉がどうなるかを考えましょう。その上で判断しませんか、ということですね。それで判断してもなおかつトマホークをたくさん買いたければ、それはそれでひとつの考え方かもしれませんが、考えてもいないじゃないですか。
世論調査で「軍拡は賛成だけれども増税は嫌」って言っている。こんな矛盾したことってないです。「じゃあどうやってやるの?」って言ったら答えられないわけです。これは明らかに「SF商法」ですよ。まず信頼できる人間関係をつくっておく。さきほどの友達みたいな感じの信頼できる人間関係をつくって、まともな情報を流すことです。それから自分は騙されているなと気付けるようにする、それが「こういう情報を伝えましょうね」という話だし、冷静でなくなったときにどう行動するかあらかじめ考えておく。そして軍拡は得というのは本当に得かを考える。そのための歯止めとして、これまでは9条があったわけです。9条は戦費に歯止めをかけて生存権、男女平等、労働基本権を守るために、税金を民生の方に回すという仕組みを人々にいつもいつも思い出してもらうためにあった歯止めが9条なんですね。
だから9条だけで成り立っているわけではなくて、25条の生存権なら軍備にお金を使わないで生存権に使いなさいと言うためにあります。24条の家庭内の平等というのは、女の人に福祉の負担とかそういうものを一方的にかけるのではなくて、ちゃんと社会保障にお金をかける。女性ももっと外で楽しく活動できるようにしましょうということを担保しているわけです。27条はちゃんと労働権を行使して、非正規ではなくどの働き手も労働3権を行使して賃金を上げられるようにする。そのためにお金を使う。そのために9条によって軍備に歯止めをかけるという、非常によくできた構成になっています。そのことをちゃんと生かしてこられなかった私自身もそうですけれども、本当にそのことが残念。でもまだ、崖っぷちですけれども間に合います。
9条で平和を語るときには戦争の恐ろしさはもちろんですが、それプラスして、そのための準備をすることによって無駄金使いをすることによる恐ろしさということも、あわせて語っていくようにしていきませんか。そのためにいま私たちがやっている、菱山さんも一緒にやっていますけれども、「軍拡より生活キャンペーン」、Change.orgはまだ残っていますから、そこに「賛成」と入れてもらって、もっと賛成者を増やしてほしいです。そういう活動を見ながら最近やっと団体が動き始めましたので、一緒に協力関係をつくりながら憲法を守っていくということをしていくことが重要ではないかと思います。