岸田政権の暴走が止まらない。
第2次安倍政権が発足してからの数々の悪政、悪法がパズルのピースのようにはまっていき「戦争する国」への1枚絵が見えてくるようだ。安倍政治がもたらした政治の腐敗は確実に今、岸田の暴走に拍車をかけている。
そんなか、1月28日に東京・新宿駅にて総がかり行動実行委員会によるウィメンズアクションが行われた。タイトルは「税金は軍事費ではなく暮らしに!女たちはすべての軍事行動に反対します」。街頭宣伝のテーマカラーであるミモザイエローをまとった女性や男性たちが集まり、暗黒政治に戻りそうな情勢を一瞬忘れてしまいそうになるほど、新宿駅前は明るく楽しげな雰囲気に包まれた。
しかし、その後、このウィメンズアクションに参加した立憲民主党衆議院議員の吉田はるみさんがツイッターで参加報告を投稿したものに対し、おびただしいほどの男性とみられるアカウントからのバッシングが付いた。「なんでも女性とつなげるな」「軍事費ではなく防衛費だ」というようなことが汚い口調で書き連ねられていた。
「女性差別反対」と「戦争反対」はつながらないとでも思っているのだろうか。最大の暴力とは戦争である。その最大の暴力である戦争に、かつて男たちが大勢駆り出されてきた。男ばかりの戦地で数々の性暴力が繰り返されてきた。暴力は暴力しか生まない。その暴力が日常化し、「命がけでこっちは闘っているのだから女にケアされて当然」という感覚が広まり、性暴力を暴力とも思わなくなる。目の前で人が死んでも心が動かされなくなる。敗戦後そのような環境にいた男たちが帰国し、戦地から今度は職場に散り始めた。天皇に対しての戦争責任をしっかりと問わず、日本は戦争への反省と総括が甘いまま現代まで来てしまった。敗戦後の教育現場では体罰が横行し、家庭内でも父親が子どもを殴り飛ばすようなことは暴力ではなく躾だとされてきた。
一方、女は花嫁修業だなんだと、選ばれる側として「女の子らしくしなさい」と男の後ろを歩かされ、無駄口を叩くなと口を押さえつけられてきた。男は戦地が会社に、女は銃後から家庭を支える女になっただけだった。戦争という暴力に対する根本的な反省をしなかった日本は、暴力に対して甘々でその結果、DVが多く、国会議員の大多数を男性が占めるという異常事態が続き、それはジェンダーギャップ指数116位という驚愕の数字になって表れている。女性差別に反対することは暴力に反対することであり、すなわち最大の暴力である戦争にも反対するという事にもつながるのだ。
今年も1月に女性の相談会が行われた。同時期に各地でも相談会が開かれた。1月の相談会では会場の問題があり1日しか開催できなかった。それでも準備した食料、物品はほとんどなくなった。相談会の会を重ねるごとに子連れの相談が多く、託児スペースは開始から終了までほぼ満員御礼状態だった。食事をしていない子どもがほとんどのため、カフェスペースにおいてあるおにぎりを取りに行った際、相談をしていた女性に「そのおにぎりまた補充されますか?」と不安そうに聞かれた。「補充されますよ」と伝えその場を離れ、数時間後、自分のお昼を買いにコンビニに行ったら陳列棚に食料が空になっていた。準備していたおにぎりやパンは午前中には無くなり、相談会スタッフが何度も周辺のコンビニやスーパーに走り、食料を買い占めたとのことだった。
私の地元の相談会では、ご飯を食べていないという就学前の子どもにおにぎりを勧めると、一個では足りなさそうな様子だった。好きなのを選んで食べていいよとおにぎりの入った箱を見せると、数個手にしたので「そんなに食べたらお腹痛くなっちゃうよ」と伝えると、その子は消え入りそうな声で「夜の分・・・」と私に言った。
就学前の子どもが夕飯の心配をしている。おにぎりを余分に家に持ち帰ったら、母親を喜ばせることができると思っているのだ。思わず「火垂るの墓」を思いだしてしまった。今は戦時中なのか?就学前の子どもたちが、夕飯の心配をする社会にしてしまった私たち大人の責任は重たい。
このような相談会といった、目の前の傷口をふさぐバンドエイドのような運動も大事なのだが、なぜ、傷ができてしまうのか、その根本的な治癒(=社会運動)も同時に必要になってくる。バンドエイドと根本治癒。この2つの運動を繰り返しながら「軍拡ではなく生活」運動を広めていこう。
2月8日に「平和を求め軍拡に反対する女の会」が記者会見を行った。上野千鶴子さん、田中優子さん、漫画家の東村アキコさんなど、名だたる女性たちが記者会見に出席した。この会は、軍拡の動きに危機感を持ち「何かしなければ」の気持ちを持った有志で集まったものだ。2月8日の記者会見までの期間、一人一人が必死になって賛同者を集め、署名を広めた。毎日膨大なグループLINEでのやり取りと打ち合わせ。
その結果、現在7万8000人以上のネット署名が集まっている。
いま、私たち市民運動に求められているのはこの「必死さ」ではないだろうか。今までも私たちは必死に運動をやってきたが、あまりの悪政の流れの速さについ足を止めたくなってしまうこともある。迫り来る危機に目を瞑り、新たな闘いを始めるよりも、いつもと同じ暮らしやいつもと同じ運動をして省エネモードになってしまうのもよく理解できる。マラソンのように長い距離を走っている中で、疲れていったん立ち止まるとまた走り出すのがきつくなり、その間にどんどん追い抜かされていくと、「もうどうでもいいや」とあきらめてしまう感覚に今の状況は酷似しているように思える。
「諦め」こそが彼らの最大の狙いだ。
もう一度、気持ちを奮い立たせて、一つ一つの行動を大事に丁寧に広め行っていこう。敵基地攻撃能力に反対する請願署名を総がかりとして取り組み事が決まった。この署名を手に思いっきり街に出て対話運動をしていこう。メディアへの規制がかかっている今、私たちが街中や、地域、家族、職場での広告塔となって対話を重ね、軍拡反対、戦争する国作り反対の世論を作り上げていこう。
(事務局長 菱山南帆子)
2023年2月○日
○○○○様
安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合
ご奮闘に敬意を表します。
1月23日、通常国会が開会しました。この間、岸田政権は重大な政策転換を国会での議論を何ら行うことなく、一方的に打ち出しています。敵基地攻撃能力の保有や、2023年度から5年間で約43兆円にものぼる防衛力整備計画、また、原発の運転期間の延長や次世代型原発への建て替え方針などのエネルギー政策の変更についても、なんら国会での議論が行われないまま、決定されています。
さらには、23年度予算案にはすでに「敵基地攻撃能力」の保有に向けた米国製巡航ミサイルの取得費も含まれており、その財源を確保するための防衛増税が打ち出されています。ここまで、国民に説明を行わず、民意を蔑ろにする政権を、私たちは許すことはできません。
一方では、安倍・自民党の統一教会の癒着の露見、オリンピック疑獄の拡大、貧困と格差の深刻化、物価高とコロナ対策の不十分性による市民の暮らしの深刻化が続いています。結果として、市民の岸田自公政権への批判が全国で高まり、世論調査では、岸田内閣の支持率は急落し、政治の潮目は確実に変わろうとしています。
今こそ立憲野党は、さらに強く、岸田内閣の政策転換、退陣を掲げて奮闘するときだと考えます。
市民連合は、2015年の結成以来、暮らしといのちを守る政治の実現を求めて、立憲野党との共闘に取り組んでいます。現在では、全国200を超える各地域の市民連合やさまざまな政策課題に取り組む市民運動との強い連携を築き、取り組みを進めています。また 国政選挙では、「市民と野党の共闘」、「野党共闘」を掲げて、立憲野党を支援して取り組んできました。
その立場から、市民連合は、今国会で、野党各党が共闘して闘うことを期待し、下記の課題の取り組みを要請します。
記
以上
小川良則(憲法9条を壊すな!実行委員会)
岸田総理は2021年の総裁選で「聞く力」を強調し、法相夫妻が選挙違反で失脚する原因となった「河井選挙」のケジメもつけると言っていた。しかし、結局のところ財界や党内超右派勢力の言い分にのみ耳を傾け、広島県連の責任者としても、宏池会のトップとしても、言うべきことを何も言わなかったことは記憶に新しい。ある意味、なりふり構わず問答無用で暴走を続けた安倍元総理よりも悪質と言えるのかもしれない。
さて、安倍内閣の悪業と言えば、国家安全保障会議設置法(2013年)、内閣法制局人事への介入(2013年)と集団的自衛権の解禁(2014年)、戦争法(2015年)、秘密法(2013年)、共謀罪(2017年)など枚挙に暇がない。官房長官として支えた菅内閣の下では、重要土地調査規制法やデジタル関連法(2021年)が強行された。岸田内閣もこうした戦争国家づくり路線を引き継ぎ、2022年の通常国会で経済安保法を強行するとともに、12月には「敵基地攻撃能力」の保有と軍事費の倍増等を柱とした「防衛3文書」を閣議決定した。
こうした中で、雑誌「世界」2月号に元内閣法制局長官の阪田雅裕弁護士が「憲法九条の死」という一文を寄稿した。衝撃的なタイトルではあるが、リードの部分(23頁)にもあるように、「これは『防衛政策の大転換』にとどまるものではな」く、「日本が守ってきた平和主義を廃棄するもの」と「防衛3文書」に対しては距離を置いている。
もともと、「戦力はこれを保持しない」と明記された憲法の下で「自衛隊」という世界有数の軍隊が存在するという矛盾を「解釈技術」を駆使して説明することが内閣法制局の任務の一つであったから、立論の出発点は「自衛隊合憲説」にある。とはいえ、それでもなお、いかに解釈技術を駆使しても法律の専門家として「庇い切れない」限界を超えたのが「安保法制」であり「防衛3文書」というのが同氏の立場であろう。このため、今後「防衛3文書」を根拠に出されてくる政策や予算を批判する、あるいは違憲訴訟の場で展開する論理として参考になる部分がある一方、疑問ないし違和感を感じる部分もあるというのが正直な感想である。
例えば、「安保法制が施行されて『専守防衛』の大黒柱が倒れてしまった」(24頁)にもかかわらず、新たな国家安全保障戦略においても専守防衛に徹するとした政府の説明に対して、「専守防衛」は、そう言いさえすれば合憲性が担保できる魔法の呪文ではないと批判(25頁)した上で、「普通の軍隊を有している」大半の国々も先制攻撃を禁じた国連憲章を遵守していれば「専守防衛の平和主義国家だということになる」と喝破している(26頁)。また、政府が「反撃能力」の根拠として持ち出す1956年の鳩山一郎内閣の答弁に対しても、法理上は可能であることと実際にそれを常備することとは次元の異なる問題という伊能防衛庁長官の答弁を引き合いに批判している(27~28頁)。
とはいえ、安保・自衛隊合憲を前提に論理を組み立てているため、「自衛隊の武力行使に対する憲法上の制約」という問題の立て方(24~25頁)をしたり、「日本は盾、米国は矛」という日米の「役割分担」を所与の前提としている(28頁)点は見過ごせない。
確かに、ロシアのウクライナ侵攻等に便乗して「危機感」が煽られた結果、軍拡路線の既成事実化が進んだことは同書25頁の指摘するとおりであり、「防衛力整備計画」の目指す自衛隊が「周辺国の脅威にならないとは言い切れない」(29頁)というのも異論はない。問題は、こうした現状をどう捉え、どう対峙していくかである。
1992年のPKO法の時や2001年のテロ特措法の時にも平和憲法は瀕死の重傷と言われてきたが、だからと言って憲法9条が「歴史的な使命を終え」た(23頁)とか「死文と化し」「規範性はほぼなくなる」(29頁)と言うのは早計に過ぎよう。何かある毎に憲法との「整合性」が問われるのも、自民党が党大会前日に改憲対話集会を開いたり「総裁任期中の改憲」という倒錯したスケジュールのもとに憲法審査会を何とか動かそうとするのも、彼らにとって今なお憲法が「乗り越えるべき壁」として立ちはだかっていることの証左ではないか。
われわれが「軍事力による安全保障」に反対なのは、単に条文が戦力を認めていないからではない。条文の文理解釈に終始する限り、「急迫不正の侵害を排除する必要最小限度の実力」とか「近代戦遂行能力」とか「戦力なき軍隊」といった「概念」を弄ぶ余地が生じてしまう。しかし、「必要最小限度」とか「近代戦」というのは技術の発展段階に応じて伸縮自在なものであり、定義になっていない。そこには何故9条ができたかを世界史の中から考えていかなければならない。総力戦と言われた第1次大戦の惨状を前に人類は「戦争の違法化」に一歩を踏み出した。これが1928年のケロッグ=ブリアン条約であるが、「自衛は例外」との留保が付された結果、第2次大戦を防ぐことはできなかった。その反省から戦力も交戦権も否定した9条2項が生まれたということを私たちは肝に銘じなければならないし、岸田内閣による軍拡路線や改憲攻撃に対峙していく際の足掛かりにしていく必要がある。
高田 健(市民連絡会 共同代表)
「歴史観」というほど中身があるわけではないけれども、岸田文雄首相の歴史観には怖いものがある。
歴史家・小説家の保坂正康氏が憤りを込めた発言に共感した。「戦後の保守リベラルを体現してきた宏池会出身ということで、岸田首相に一片の期待を抱いたことをいま強く後悔しています。率直に言って、ここまで無機質、無感動、無責任な首相が登場したことに?然(あぜん)としているのです。極端な言い方をすると、岸田首相は人間を人間として見ることができないのではないかという気さえしています」。(2月12日配信「現代ビジネス」)。
1月23日の第211回国会の「施政方針演説」で岸田首相は「近代日本にとって、大きな時代の転換点は2回ありました。明治維新と、その77年後の大戦の終戦です。そして、奇しくもそれから77年が経った今、我々は再び歴史の分岐点に立っています」などと述べた。
「10年ごと」と言われた戦争に明けくれた日本近代の77年は1945年の敗戦で終わり、以降の戦後77年はともかくも憲法9条のおかげで日本の軍隊が海外で「殺し殺される」事態に遭遇するような不幸に見舞われなかった時代がつづいた。その終焉というべき「分岐点」に立って岸田首相はこれからの日本をどのように描き、構想しているのか。この演説の裏に首相の危険な歴史観がひそんでいることに気づかされた。
これに先立って訪米した岸田首相は日米首脳会談で前任の安倍・菅元首相の敷いた日米首脳会談での路線を引き継ぐことをバイデン米国大統領に約束したうえ、1月13日、米国ワシントンのジョンズ・ホプキンス大学高等国際関係大学院での講演でこう述べた。
「国際社会は歴史的な転換点にある」「日本国家の危機に、私は総理大臣という立場にいる」「昨年末に行った新たな国家安全保障戦略等3文書の策定を始めとする安全保障政策の大転換も、同じ世界観に基づくものだ」「日米同盟の強化にとっても、吉田茂元総理による日米安保条約の締結、岸信介元総理による安保条約の改定、安倍晋三元総理による平和安全法制の策定に続き、歴史上最も重要な決定の一つであると確信している」と。
岸田首相は自らを戦後の安保防衛政策の大転換をやった吉田・岸・安倍の3人の元首相とならべ、「安保3文書」の閣議決定を評価した。
ここからでてくるものは「戦争の77年」、「戦争をしない77年」につづく「新たな戦争の時代」への大転換しかない。日本国憲法99条の「憲法尊重擁護義務」の支配のもとにあるはずの岸田首相が、年末の臨時国会のあと、国会の論議を避けて平然と閣議決定で「安保3文書」による大転換をやってのけるという「無責任な首相」が私たちの前にいる。
安保3文書の「国家安全保障戦略」には「国家としての力の発揮は国民の決意から始まる」ということばがある。「国民」に決意を押し付け、国家の戦争へ導く政治手法はファシズムのそれとたがわない。
岸田首相は安保3文書で立憲主義を逆立ちさせた。少なくとも安倍首相の前までは、日本の軍事国家復活のくわだては憲法9条の改憲が前提だったのではないか。それは9条改憲のあとの話であった。戦後歴代の首相にはそれくらいの立憲主義への敬意があった。憲法の解釈だけで軍事大国化することとに恥じらいもあったのではないか。だからこそ改憲派は憲法第9条に改憲のターゲットを絞ってきた。ところが今日では、違憲の政策を実現した後、それに憲法を合わせる改憲がくわだてられている。
このような状況をさして一部で「憲法九条の死」(雑誌「世界2月号」阪田雅裕・元内閣法制局長官)が語られている。内閣法制局で精緻な解釈論を作り上げた阪田氏が、岸田首相によって「専守防衛」が打ち壊されたことへの「衝撃」は理解できる。しかし、同氏がいう「9条の歴史的使命の終わり」という議論は当たらない。私たちがこの岸田首相の大軍拡と戦争する国に歯止めをかけ、対抗しようとするとき、憲法第9条は生きてくるし、憲法はそれとの闘いの道具となりうる。そうしてこそ首相の無責任ぶりが浮き彫りになる。
だからこそ改憲派は昨年来懸命に衆議院憲法審査会の開催に熱を入れ、従来の慣例を無視して異口同音に「憲法審査会の定例日開催」を叫び、「改憲ありき」の様相で明文改憲を目指してきた。今国会でも維新の会を突撃隊とした激突が始まった。この国会で立憲野党は「予算委員会開催中の憲法審査会強行」の改憲派の暴走に抵抗したが、力及ばず3月2日からは憲法審査会は再開されようとしている。
いま、必要なことは、あきらめることなく、岸田政権与党らの軍拡・改憲暴走に反対し、院内外のたたかいを展開し、世論で岸田政権を包囲することだ。
(週刊金曜日2月24号原稿に加筆)
中尾こずえ(事務局)
前回、「『慰安婦』問題の背後にあったものは」のなかで私は次のように記述した。――天皇制、家父長制と女性差別、国民国家と帝国主義、植民地差別と人種差別、女性間の分断支配。これらは今日も続く抑圧だ。私たちの闘いは過去のものではない――と。
TVのキャスターの安藤優子さんは「性的少数者の権利補償や女性の政治進出が進まず、生きづらい社会となっている背景に、戦後長く政権を担ってきた自民党の政治思考がある」と指摘。「社会の変化を容認せず、自分たちが理想とする家庭の形を引きずっている」(2月7日、東京新聞)
自民党は1970年以降、社会保障費を抑えるため男性が外で働き、女性が家庭を担うという家庭像を『家庭内安全保障』という名目で戦略的に掲げていた。何事もまず家庭で解決すべきという『自助・共助・公助』の考えだ。家庭に入れば無償で家事や育児、介護を担って当然とされた。自民党はこうした価値観を再生産してきた。
菅元首相は就任記者会見などで『自助、共助、公助そして絆』』を掲げた。『自助』』を美徳とし、「自助」の名の下に家庭にあらゆる責任をおし付けた結果起きたヤングケアラーの問題は深刻化している。昨年末、TⅤで貧困家庭の児童が病身の家族のケアのために学校に通う事が出来ない実態が映し出された。また、長年にわたっての父親の介護に当たってきた中年男性の日常が紹介された。福祉の手が届かない実態はコロナ渦で更に浮き彫りにされた。女性が家庭に入れば家事や育児、老親の介護など当然とされた時代へ逆戻りはさせてはならない。岸田政権は「戦争する国づくり」へと暴走する。一度戦争になれば犠牲は貧困・弱者・マイノリティー・女性に襲いかかってくる。
○「新しい歴史教科書をつくる会」の主張のひとつに、「国民的プライドの回復」、とか「誇りの持てる歴史を」というのがある。これらの主張は国家への思想動員であり、「国民の一人、ひとり」への強制だろう。この立場に立つ人たちは「市民」という表現を嫌がる。ナショナリズムは国家と個人の同一化だと思う。阻んでいく闘いの主体は一人ひとりの市民、ジェンダーが存在する。前回のコラムで私は国民以前に「無二の私」と記述した。「国家」に絡めとられていかない事というような意味でもある。
今年1月21日、東京の「中野ゼロ大ホール」でドキュメンタリー映画「金福童」(キム・ボクトン)が上映された。私は、仕事を終えて会場に足を運んだ。
コロナ渦に関わらず客席は既に満席状態。会場では90年代、運動を共にした女性の仲間たちと再開。
90年代、日本政府を提訴するため来日したハルモニの宿泊サポートをした日、宿を共にしたその夜。腹に残っていた銃剣の傷痕、腕に日本人将校の名前が彫られていた痕を私は一生忘れないと心に誓った。
ハルモニたちへの誓いから既に28年も経ってしまった。そして、2019年1月29日逝去された金福童さんは「力の限り最後まで闘い抜く」と言い残し、「希望はつかみ取っていくのです。私の後についておいで。希望をつかみ取っていきましょう」が最後の言葉となった。94歳だった。
○2015年12月28日、韓国と日本政府は日本軍「慰安婦」問題について「最終的で不可逆的な解決」を発表した。ソウルで開かれた記者会見で日韓政府の外相は、日本政府の曖昧な設定とお詫び、10億円の見舞金で日本軍「慰安婦」問題を最終的かつ不可逆的に終わらせ、再び国際社会で「慰安婦」問題を持ち出さないと発表した。被害者の水曜デモが1000回になった日に建てた平和の碑も、「解決」(事実上「撤去」を意味していた)できるよう努力すると発表した。(中略)日韓合意は「被害者中心のアプローチを」採択していなかった。2015日韓合意後、挺対協の活動は嵐の中に巻き込まれた。(2019・6・9希望のたね基金シンポジウム報告集より)
日韓合意に反対する運動は全国に広がり、青少年たちは教室ではなく路上に出てハルモニたちと日本大使館前にテントを張り座り込みに入った。この運動の中心は金福童ハルモニ。大使館前でマイクを持つ。在韓米国大使館、英国大使館、カナダ大使館を訪問。行動範囲を広げドイツで日韓合意反対を訴える。ジュネーブ国連人権弁護官に被害者は合意していないと訴える。数々のインタビューに答える。「朴槿恵大統領退陣せよデモ」でスピーチ。金福童ハルモニの言葉は明快でとてもわかりやすい。「歴史をお金で売ってはならない」と言い切り、国連に嘆願書を提出し、見舞金を拒否。「私が証拠だ。証拠はここにいる」、「私以外に行ける人がいないから、(水曜デモの事)私が前に出る」、「私は生きている人間。私までいなくなったら否定される。私ならできる」などの言葉が心に響く。
映画のワンシーンにハルモニたちがお互いを大切にしあっている会話、記憶をなくしている仲間へ思いやる振る舞い、可笑しそうに談笑している場面、夜眠れない時には仲間たちと共同で暮らす大きな家の設計を楽しんでいた金福童ハルモニの大きな夢。
末期がんで亡くなるまで、命のギリギリまで闘い続けた金福童ハルモニ。彼女の言葉通り「力の限り最後まで闘い抜く」生涯を尽くした。
――観終わって――
「希望をつかみ取って取って生きよう。私は希望をつかみ取って生きている。私の後ろについておいで」
なんて力強い言葉だろう。なんて包容力のあるメッセージだろう。「人権運動家・金福童逝去」という報が流れたようだ。「日本軍『慰安婦』被害者」ではなく。市民葬は5日間続いたそうだ。日本政治があまりにも酷い昨今の中で、私も勇気と希望を貰った事を忘れない。
内田聖子さん(岸本聡子事務所/アジア太平資料センター(PARC)共同代表)
(編集部註)1月28日の講座で内田聖子さんが講演した内容を編集部の責任で要約したものです。要約の責任はすべて本誌編集部にあります。
日欧でともにしてきた新自由主義経済批判の行動
私は20年くらいアジア太平洋資料センター(PARCパルク)というNPOで働いています。パルクは今年で50周年を迎えます。もともとパルクは平和運動です。ベトナム戦争があった当時、「ベトナムに平和を!市民連合」(ベ平連)が私たちの原点で、ベ平連の大きな市民運動の中から何人かがパルクをつくりました。小田実さんとかダグラス・ラミスさんとか武藤一羊さんとか、そういう方が特に海外との関係――当時は「南北問題」と言われていたことへの関心です。いまはあまり「南北問題」という言い方はしないですが構造は全然変わっていません。「グローバルサウス」とか「グローバルノース」とも言いますが、構造的な差別とか人権の問題、環境破壊等をずっと告発して改善を求めてきたのがパルクです。今日は岸本さんの選挙の話と、地域の政治をどう変えていくのかというお話を主にします。
岸本さんと私はもう20年くらいの間柄です。私はパルクの中で彼女と出会って、彼女は環境活動を学生のときからずっとやってきて、20年ちょっと前ですか、ヨーロッパに移住しました。区長になる直前まで勤めていたトランスナショナルインスティテュート(Transnational Institute(TNI)という団体で働いていました。そこはパルクと似た団体で、調査研究をして、この40年間ずっと世界で進んできた経済のグローバル化、これも軍事の問題とか貧困や格差やジェンダーの問題、気候の問題、あらゆることと結びついている。そういう新自由主義的な、市場原理主義的な経済システムが、つくられたすべての問題のほぼ元凶にあると私たちは思っています。それを彼女もずっとヨーロッパで批判し提言をしてきて、パルクはパルクでやってきた。だからかなり一緒にいろいろなことをやってきたり、個人的にも仲良かったりというつきあいが前段としてあります。
切り口としては憲法をずっと学習されて、かつそれを実践的に運動としてもそれぞれの地域であるいは国政に対して活動されているみなさんだと理解しているので、ちょっと地方自治と憲法の話にも触れたいと思います。
最初に選挙の話を少しまとめて話をします。杉並は人口57万人、東京では世田谷区が90万人強ですけれども、それに次ぐくらいの人口の多い区だと思います。とはいえ緑が多くてわりと個性的な街々があるのはご存じのとおりです。高円寺とか阿佐谷、荻窪、西荻窪とか、小さな商店がたくさんあって若い人も多いし、子育て世代もたくさんいるというところですね。この間の問題としては、杉並区内でも経済的なギャップ、格差はどんどん広がっている状況はあります。裕福な、豪邸みたいなのもいっぱいあって、平たくいうとお金持ちの人もたくさんいるわけです。企業経営者とかそういう人もたくさんいますが、一方で若くてシングルマザーとか非正規の方とか、いろいろな理由で仕事にいま就けない、お金がないというそういう方もいて、そこのギャップはどんどん広がってきている状況もあります。今回の選挙をやっているときから本当に、東京だけではなくて全国からいろいろな応援のメッセージなどをたくさんいただいて、当選したのは私たちもできると思っていなかったので、ある意味奇跡の、本当に奇跡の勝利なんです。
そのあともメディアも含めて注目いただいていまして、岸本さんが突然海外から舞い降りてきてみんなでわっとたたかって見事勝利した。これは確かにその通りですけれども、やっぱり強調したいのは前区政は田中良さんという方でした。もともとは民主党系というか、いわゆるリベラルの層から出てきたわけです。その前が、「あの」山田宏さんといっておきます。いまは国会議員になられていますけれども、歴史を修正主義的に歪めるような教科書、「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書を杉並区内の公立の学校で採択しようということをやったあの区長なんです。結局それぞれ3期ずつやっていたので、1999年以降こうした区政に対してより良く変えていこうという住民の運動はずっとやってきたんですね。ですから20年以上たたかってきて、毎回残念ながら敗北をしてきて、そして今回の6月の区長選です。どこの地域も共通だと思いますけれども、たまたま今回はいい候補者に巡り会えて住民の運動もいろいろな流れの中で盛り上がって当選しました。けれども、やっぱりこの20年以上にわたる粘り強い、メディアも書いてくれないし住民のみんなにも伝わっていないような「名もなき運動」というか、本当に一人ひとりがんばってやる住民運動がなければ今回の勝利は絶対なかったんですね。そもそも岸本さんを擁立しようという動きすらなかったと思います。
よく彼女も私もいうんですけれども、選挙はひとつの通過点ですよね。だから何回も負けるわけで、杉並もそうだった。もちろん勝つことを目指してたたかうけれども、選挙の結果ということに必要以上に落ち込むと、もう運動が終息してしまうというか縮小していくので、やっぱりいろいろな重要な課題をきちんと争点にしたということも意味があると思います。また選挙そのものがまた次の政治や選挙につながるひとつの運動でもあると思うので、それだけ長い歴史があっての勝利なんですよということは強調しています。
短く取ってもこの20年~30年、もう少し長く取れば国際的な経済のグローバリゼーションがいろいろな国、そしてそれぞれの地域の政治にも影響してきているという長い歴史の中で、私たちはよく新自由主義という言い方をしますけれども、そういった政策が国の中でもまん延していますし、それが地域にも下りてきているということをいろいろな面で実感します。例えば公共サービス、医療とか交通とか教育、そういったものを「公」から「民」に移す。それが効率的でいいんだ。日本で行政とか公というものに対する不信というかバッシングがすごいじゃないですか。確かにその批判は当たっている面もあるわけですね。効率的じゃないとか、企業経営的なセンスをどんどん持ち込んでコストをカットしてやっていく。これは世界中で「神話」とも言える考え方の中で公務員が首を切られていったり、いろいろな公共施設が廃止をされたり民間委託をされていったり、公共サービスも民営化されていくという流れがあります。
これはもちろん杉並区でもたくさん起こっています。特に職員の問題は大きいですね。いま杉並区の全職員は6千人いて、そのうちの約半数の3千人がいわゆる非正規職員です。いまは会計年度任用職員といいますけれども、半分が非正規です。でも同じ仕事をして、場合によっては正職員よりももっと大変な役割とか責任を負わされて、年収は本当に300万円とかで、しかも年度で切られている有期ですから3年後はどうなるかわからない。その非正規職員の8割強が女性です。これはどの自治体でも共通すると思います。これも先ほどいった山田さんの区政、田中さんの区政でどんどん進んできたわけです。公共サービスの民間委託というのも非常に進んできています。
国レベルにおいてはこの20年、30年の間に具体的には改憲の議論ですよね。それから戦争ができる国づくり、いままさに岸田政権が気が狂っているのかといわざるを得ない勢いですよね。軍事費を増強するとか、使えもしない武器を買ったりとか、「台湾有事」とかいろいろなことで煽って、そうしたことを強化しようとしています。それから歴史修正主義というのも、これは言論という空間を見ても非常にひどくなっていると思います。インターネットのSNSなどを見るともうすごいことになっていますよね。それはネット上だけではなくて、例えばヘイトスピーチが具体的にいろいろな地域の中で行われています。
それから多様性。いま杉並区政でも2月の議会でパートナーシップ制度、多様な性を持つ人たち、LGBTQの人たちの権利を当たり前のように保障する必要があるわけですが、そうした制度を議会に提案する予定です。けれども、そういったことを提案しようとすると、すぐに自公、公明党は人によってばらつきはあるけれども、自民党の保守系といわれる人たちが「とんでもない」みたいなことを言ってくる。「そんなことをすると家族が壊れる」とか国会でもよくいっているような話で、まったくそこが進まない。平等、人権の保障ということが進まない。地域のパートナーシップ制度の条例ですら、そういった議論になってしまうことがあります。
もうひとつは、地方自治の中で他でも多くの共通する課題だと思いますけれども都市開発ですね。とくに東京の場合は街づくりです。かつて高度成長期につくられた都市計画道路、杉並でも区内にいろいろな大きな道路を造って幹線道路をつなげているという、そういう計画が60年、70年前に立てられた。これがずっと残っているわけです、それを実現することが行政の責任ということになっています。ただ計画が立てられた当時といまでは社会状況全体がまったく変わっています。当時は右肩上がりの経済成長で車もバンバン走って人口も増えて、という想定でしたけれども、そこからまったく違ってきているわけですね。特にいまは気候危機ですよ。この問題は世界中のどの国の政府、自治体そして市民も取り組んでいかなければならない課題です。そんな時代に70年前につくった計画通りに大きな道路を造って車を走らせて、というのはまったく時代錯誤なんですね。ただ行政というのはやっぱり決まったことを粛々とやる。1ミリでも道路を延ばすという計画に縛られていますので、もちろん住民の反対もあったりして進まないものもありますが、これも杉並区長選の大きな争点のひとつでした。ということで結局地方法自治というのは、どの自治体も国の政策にかなりがんじがらめになってしまっているという現実があります。これは岸本さんが当選して行政の仕事に就いて、われわれ住民もそれをサポートしていっていますけれども本当にそう思いますね。「自由ないの?」みたいな感じがあります。
施設再編という問題もそうです。自治体の中には区民、市民が使える公共施設があったり、学校とか保育園とか大きなホール、あるいは高齢者の方がレクリエーションで使う施設、多様な施設が細かく細かく地域の中にあるわけです。それはそういうようなあり方として必要なんですが、この20、30年の間で老朽化の問題と、集中化して合理化しようという発想のもとでいろいろな単独の施設が地域の中に点在するものを、大きなひとつの施設に集めて使おうとする。だいたいの場合それは、駅の中心の大きな場所につくって使ってくださいというものになります。そしてそれがコストカットになるといいます。そうする、と多くの場合住民にとってはいままで歩いて5分で行けた保育所とか高齢者の施設が、「遠くて行けないよ」という話になったりするわけですね。そこがやっぱり住民の声やニーズをきちんと行政が聞いて説明したり対話をしたり、それで住民にとってより使いやすいものをつくるという、結局そこに尽きるわけです。
残念ながら行政というのは、そうやって施設をつくったり壊したり道路なども含めて計画すると、反対が来ることにものすごいアレルギーがありますね。「こういうものがほしい」とか、ただ要望しているだけの意見であっても、住民からの声というのはクレームとしか思えない、というような大変残念な関係ですよね。本来、住民と行政というのはそういう敵対関係であってはいけないわけですが、多くの自治体でそういう構図になっている。これもやはり自治体が国の政策に縛られて、特にお金がない自治体などは、国の方針を聞くしかないという状態になっている中にいれば、結局そうなります。これをやらなければいけないというときに、住民が「もっとこうした方がいい」「これは嫌だ、これがいい」。そういわれると、そういう声は雑音にしか聞こえない。どっちを向いて政治をやっているんだという残念な結果になっています。
杉並でも保育園とか特養とか、移転をさせて統廃合してという計画があったわけです。これはやっぱり住民の声が十分に反映されていない、声を聞いてもらえていないという中で、例えば児童館がなくなってしまう、あるいは高齢者の居場所がなくなるということに対して住民の中から反対が起こるとか、もっとこうしてほしいという要望があがっていました。ただ前区政ではほとんどそういうことは聞き入れられずに計画ありきで進んでいる。ですからこれも区政の課題としてあって、選挙での争点にもなりました。私は前区長の田中さんという人の悪口をあまりいいたくないとか言って、すごく言っているんですけれども、みなさんもご存じでしょうか。新聞報道にも書かれていて、元は民主党とか社民党とか生活者ネットワークとか、本当に私たちとも近しいような政党から推薦されて、山田さんがあまりにもひどかったのでそれに替われるような人ということで田中さんが出てきました。
彼がでてきた当初は、今回の岸本さんの選挙で一緒に応援した住民の多くは田中さんを応援して、投票もして、期待をすごくしていたんですね。ところがもう1期目の2年目くらいのときから「何かちょっとおかしいな」となってきた。だんだん住民の方ではなくて、例えば区内の業界団体、建設とか商工会とか医師会とか、そういう力を持った大きな業界団体の人とばかり話をする。さきほどの児童館をどうするとか、高齢者の居場所をどうするのか、道路の立ち退きをしたら商売を続けられないよという立場の区民の方はあまり向いてくれていないね、ということがだんだん見えてきてしまったわけですね。政策的には田中さんという方は、それほど際だって何か特別なことを考えている政治家ではないと思っています。先ほどいったように国の政策があって、それを粛々とやってきただけという人だと思うんですね。
ところが特に2期目、3期目になって多くの住民から彼に批判とか不満が出てきたのは、やっぱり政治姿勢の問題なんですね。つい最近のことです、コロナがまん延して緊急事態宣言が出たその日に、公用車に乗って軽井沢に業者の接待ゴルフに行っていたということが報道されています。しかも産経新聞に報道されてしまったりして、何なんだという感じです。それを議会で追及されると、悪びれることもなく「いやこれはどうのこうの」と謝罪もしないという態度を取っていました。この写真は議会での様子で、これは一般の方がネットの中継を切り取って貼っています。前からパワハラ体質的なところがあって職員に対してもそういう言動は報告されていますし、議会でも若い女性の議員が質問する、この場面はそうだったんですけれども、そうすると超上から目線でものを言う。議会と行政というのは二元代表制ですから、対等平等な立場でお互いをリスペクトとして議論しましょうという民主主義のルールがあるわけですが、もう全然そんなことにはなっていないということも、このようにさらされちゃうわけです。いまの時代はインターネット、SNSがありますから。ここに書いてあるこの方のコメントが面白いんです。「寝ているか、ドーカツしているかどちらか」。そういう問題があって、やっぱり非常に評判が悪くなってきていたわけですね。
3期もやれば初期の頃の緊張感もまったくなくなってしまって、しかもこういう態度があるということでかつて支持していた人たち、保守の人たちも含めてですけれども、「もう次はどうなのかな」という声が特に3期目にはありました。そういうことを受けて、ちょうど1年前のこの時期に住民たちが、やはりもう田中さんの区政では住民の生活とか幸福とかそういったものは実現できないということで「住民思いの杉並区長をつくる会」を立ち上げました。ここにも少し前段があって、さかのぼること3か月前、10月の終わりには衆院選がありましたね。そこで杉並では「最初の奇跡」が起こっていました。杉並は東京8区です。東京8区といえば、絶対何があっても倒せないと言われてきた石原伸晃さんの地元ですけれども、衆院選のときに野党共闘という枠組みがあって、そこに市民も応援をするかたちで立憲民主党の吉田はるみさんが通った。これもわれわれにとっては「よく当選したね」「本当に奇跡だ」ということでした。ですからその吉田はるみさんの衆院選の勝利、住民たちはすごく盛り上がってがんばってやったし結果が当選したということで自信もすごく付いたんですね。「次は区長選だ」ということで3か月後に切り替えて区長選の準備をし始めたわけです。
ただ候補者選びというのは本当に難しいですよね。みなさんの地域あるいは国政で選挙に関わっている方は多いと思いますけれども、この1月30日の、会の立ち上げのときには全然候補者なんかは決まっていなくてスタートしました。この会は多様な市民運動に関わる人とか区議さんとか個人の資格でどんどん入ってきています。いろいろな運動をしている人たちの日常的な緩やかなネットワークがありますが、それが、何か選挙があるたびにきゅっと集まってこういう会を作ってという、これはどの地域でもそういうことをやっていると思いますけれども、そういう会です。
だいたい300人くらいのメンバーが登録していて、その中で主要に動く人は40人~50人、さらに事務局みたいな人は10人とか、そういう一般的な構造になっています。とにかく自治体の首長選というのは投票率がめちゃめちゃ低くないですか。みなさんの地域ではどうですか。自分の地域の首長選挙で40%以上の投票率がコンスタントにあるという方いますか。ゼロですね。このあいだの新宿区区長選挙は20%台でしたよね。せいぜい30%くらいという感じで、杉並も同じです。国政選挙と一緒にやったりすれば40%台になりますけれども単独での区長選挙というのは30%台。最低のときは20%台まで落ちたことがあります。ということなのでほとんどが無関心層なわけですね。
ですから、1月から活動を始めたという理由も、とにかく今年区長選があるということをみんな知らないんですよね。それを周知することから始めたということです。先ほどいったようないろいろな課題があるということも含めて、「この街にはこういう課題がある」「ここにはこういう課題がある」ということを地図に落としたりしてやりました。1月から3月くらいまでの間、やっぱり何人かの方に「候補者になってください」「候補者やりませんか」というアプローチをしたんですけれども、残念ながらタイミングとか条件などが合わず3月の後半、月末くらいまで決まっていなかった。この背景には、日本の選挙は立候補がなかなかしづらいということがあります。仕事も辞めなきゃいけないしお金だって必要。杉並区長選挙の場合、供託金は100万円です。岸本さんの場合は返ってきましたけれども、そんなお金を個人が出せるなんてないし、選挙キャンペーン-選挙運動も、例えば子育て中の女性はまず無理ですね。朝の駅頭に立たなきゃとか、夜じゅう会議したりということが、よほど家族の協力を得なければ無理とか、いろいろなハードルがあって難しいわけです。そういうこと自体も変えていかなきゃいけないといいうことを私たちはこの選挙を通じて感じてきました。
とにかく3月中頃までになっても候補者が決まらない。私自身は杉並区に住んで20年以上経っていますけれども、パルクの仕事が忙しいもので前段の1月~3月くらいまでのみんなが毎週候補者は決まっていないけれどもビラまきをしたり、いろいろな周知活動をしていたり、候補者を選ぶためのアプローチというのはあまりコアでは関わっていなかったんです。3月半ばになっても誰も決まっていないということは聞いていました。
公共の再生を追及してきた岸本さんに「すぐに戻ってきてやるべきだ」と伝える一方、私と岸本さんは日常的にメールとかZ00Mとか、いろいろなかたちで普通に親しくしていたんですね。3月20日くらいに、たまたま違う話で2人でZOOM会議みたいなものをやっていたときに、いつもは政治とか大企業批判とかそういう話ばかりです。そういう中で選挙の話になって、彼女が実は7月の参議院選挙に出ないかというオファーがあって、結果的になくなったけれども、その相談もされました。日本のいまの政治をする中で杉並区が決まっていないということを頭の片隅で知っていたので、いろいろな流れで「じゃあ岸本さんが杉並区長選に出たらいいよ」という話をしました。決まっていないという焦りもありましたけれども、彼女がずっとこの間やってきたことは、ヨーロッパを中心とする社会の脱民営化、公共の再生という、人々の暮らしとか安全とか平和、こういったものに本当に寄与する地方の政治をしっかりやろう、その調査とか研究、ネットワークだった。「だから国政よりは絶対この首長選挙はいいよ」とか私も結構適当なことを言って、「これは出るべきだ」みたいに言ってみました。
彼女はそのときはベルギーにいて、ベルギーと日本で話している会話です。ただその当時からして来年・再来年くらいに、子育ても一段落したのでいつか日本に戻ってきてNGOなのか政治家なのかわかりませんけれども近い将来に戻ってくるという話も聞いたので、いうことを私も言いました。そうしたら「検討の余地がある」という感触だったので、そこからは地域の活動家の方々とか吉田はるみさんなどと、たまたま彼女が3月末に日本に帰ってくる予定があったので急遽何回も何回もミーティングを持ちました。ひとことで言えば全員で説得をしまくる、説得というか「もうでるしかない」と、みんなががーっと彼女に浴びせて「やろう、やろう」という提案をしました。最終的に1週間くらい、本当に人生の大きな変化ですから、家族を置いてヨーロッパから日本に戻ってくるというのは相当なことですよね。ですからその話を一旦よく考えて、ということで考えてもらって3月の終わり、ぎりぎりに彼女が決断してくれました。
4月に入ってから、もう本当に選挙まで2か月ちょっとしかありません。とにかく時間がないということで選挙の活動を始めました。彼女がヨーロッパから杉並区に住所を移した、引っ越してきたのが4月20日位です。その時点で2か月を切っているわけですが、お披露目の集会をやったり記者会見をやりました。その上で国政政党、地域政党のみなさんにもお願いをして、吉田はるみさんの選挙の流れが杉並はまだホットな感じで残っていましたので、あくまでこれは市民中心で、市民がつくる政治ということで擁立したけれども、市民だけではなかなか選挙戦をたたかえないですよね。街宣車を用意するとかチラシをいっぱいつくって配布するとか、そういうことではいろいろな活動をしている政党や市民の協力が必要だということで要請して、ありがたいことにここに挙げた7つの政党、共産党、社民党、立憲民主党、新社会党、れいわ新選組、緑の党、杉並・生活者ネットワークから推薦をいただきました。これは吉田はるみさんの選挙のときよりも、いわゆる野党共闘という陣形として増えていました。例えば生活者ネットワークとか緑の党とか、そういうところは地域政党ということで衆院選ではなかったけれども、今回は応援してくださるということになりました。
選挙中はとにかく時間がないので、あらゆることをやってきたという感じです。キャンペーンのひとつの大きな特徴は、例えばこの写真は、区内のプロのカメラマンの方とか映像作家の方が、別に頼んではいないんですけれども街頭でやったりSNSでやっているのを見て、「何か面白そうだから手伝います」といって入ってきてくれて、あまり選挙チックじゃないような写真とか映像をつくってくださったりとかがありました。それからやっぱり女性たちの活躍がすごかったんですね。岸本さん自身が40代の女性ということもありますし、雰囲気もとても候補者と思えない服装でした。よく怒られたんですよ。市民の広い支持層の方々からむしろ「心配の声」みたいな。「もうちょっとちゃんとスーツとか着た方がいいんじゃないですか」とか、「アクセサリーが大きすぎませんか」とか、これはみんな心配して言ってくるんですよ。本人はこういうていですから。この写真は人生初めての街宣ですけれども、よれよれのTシャツを着てきて、さすがにこれは私も注意したんです。ただそういうところもある意味何か型にはまってしまっているんですよね。これは無自覚な場合が多いんですけれども。
やっぱり彼女はヨーロッパに20年住んでいて、日本に戻ってきて初めて選挙をするというときのカルチャーショックがすごかったんです。というのは、ヨーロッパの選挙は朝の街宣なんてやらないわけです。それは私たちも一定の効果があると思っていますけれども、雨の日も雪の日も「いってらしゃいませ。岸本聡子です。よろしくお願いいたします」ということをやるわけですよね。杉並は人口が多いから朝夕駅に人がいっぱいいるわけです。それでぶつかったりされて、「あっち行け」とか「邪魔だ」とかすごく言われて心がめちゃくちゃ折れるんですね。そういうことで「何の効果があるんですか」ということを彼女はわりとストレートにぶつけてくるわけです。そうするとこれまで選挙をやっている経験のある方にとっては、「はっ」っていう感じになりますよね。「この人何言っているの?」「駅頭立つでしょ」みたいなね。
だけどヨーロッパの場合はそういうアピール合戦じゃなくて政策討論なんですね。ローカルテレビとかネット番組もありますから地方の選挙でも無名の新人候補者であっても現職であってもきちんと政策を提示して激論をする。そういう文化が日本の選挙では決定的に欠落しています。これは国政の選挙でもそうですし都知事選でもそうですし、ちょっと前はまだテレビ討論という場が国政とか都知事選ではありました。高田健さんとは東京都知事選のときに宇都宮さんの選挙でご一緒しましたけれども、テレビ討論はなくなっていくわけです。主要候補者が出ないと言ったら全部なしになるとか、そういうことで辛酸をなめてきています。政策をぶつけ合って議論する、それで選ぶという文化がどんどんどんどんなくなってきている。だから「有名人がいい」とか「身だしなみがきれいな方がいい」とか「女性候補者はニコニコ笑っていた方がいい」とか、そういうことになってしまう。国政などを見てもアイドルとか、テレビに出ているような人がどんどん通っちゃうことになるんですよね。
私たちはそういうことに大きな矛盾を感じていて、とにかく政策をちゃんとつくろうと、そこにかなり集中してきました。もちろん街宣というのもすごく大切だし小さな集団、タウンミーティングといって20人~30人のグループに集まってもらって福祉とか医療とか個別の課題でじっくり話し合いもやってきましたけれども、それをする前提として政策をきちんとつくっていきました。岸本さんは、日本の政治とか選挙文化の中でいうと規格外というか型にはめ込もうとしてもはめ込めないというところが彼女の最大の強みですけれども、これは宇都宮健児さんが都知事選でやってきたような街宣をちょっと参考にさせていただきました。一方的に候補者が大音量でしゃべって「じゃさよなら」みたいなものではなくて、ちゃんと区民の声を聞こうということで、どんどん区民の人にしゃべらせて、飛び入りとかも含めて、それに岸本さんが返事していくという「対話街宣」もすごくやりました。この写真は、区民がいろいろ自分の関心ある課題をしゃべっている、それを岸本さんは地べたに座って聞いているところで、「候補者はどこに行ったの?」と探されちゃうというような場面もありました。
そういうことをどんどんやっていく中で、いままでは選挙に関わったことは全然ない、政治とか別に関心なかった、あるいは子育てとか介護とかで年中まったく余裕がない、もうしょうがないやと思ってきた。そういう主に30代、40代の女性たちが少しずつ「手伝います」とかいって事務局の中心になってくれた。象徴的なのは、「一人街宣」といっていますが、サンドイッチマンみたいにして岸本さんの顔を掲げて、杉並区には駅が私鉄も合わせて19駅ありますが、そこに朝と夕必ず一人ずつ配置して立つという作戦をボランティアの女性が提案してくれてやりました。
というのも先ほど知名度、知名度というのはおかしいといいましたけれども、一方で岸本さんは杉並区はおろか日本にもいなかったので、確かに全然知られていないんですね。いろいろな人から「知名度がないからどうのこうの」って心配も含めて言われました。だったら私たちがやるよということで、岸本さんは一人だけでたくさん行けないから、だったら私たちが代わりに岸本さんの顔とか政策をアピールしますよといって始まったんですね。これがわりとうまくいって、最初は一人で立っているってちょっとドキドキするなとか、「変なこと言われたら嫌だ」とか思った人もいるんですが、もうそんな心配している場合じゃないという感じでした。これは女性たちが本当に中心になって、むしろ男性の方がもじもじしちゃうみたいな感じがあって、次々と駅に立った。これは実際に効果もあるんですね。
みなさんもポスター貼りもよくやられると思いますが、地域の中に入っていってお宅に「ピンポン」っていって「すいません、壁にポスター貼っていただけないでしょうか」ってやりますよね。でもほぼ断られますよね。100軒やって2軒位かなという、そんな感じですよね。重要だけどなかなかつらい仕事でしかも時間がないという中で、それもやっていたんですが、それじゃあ全然間に合わないということで自分たちが「壁」になろうという話でもあるんですよ。駅頭で立っていても別に違法でもなんでもありません。それから駅で人がたくさん通っているところに「ポスター貼っている状態」をつくれるわけです。これは効果があるということでやりました。最初は抵抗があった人もいましたが別に何かしゃべらなくてもいいんですよ。ただ立つというだけ。だから非常にハードルが低くて、やっていくとみんな楽しくなってきて音楽を流したり、本を読んで30分やって終わりという人もいたり、そこはみんな自由なんですね。そうやっているとよく通るおばちゃんから、差し入れ、お茶とかお菓子をもらったわとか、そういうこともあって、みんなすぐそれをラインとかツイッターで「いまここに行ってきた」とか共有してゲーム感覚でどんどん広まっていったということがあります。
とはいえ、政策をきっちりつくろうということで、「さとこビジョン」という政策をつくって掲げました。これはいまネットでもバージョンアップしたものを全部挙げています。重要な政策として、選挙戦全体のキャンペーンのコンセプトは「対話」としました。これはいろいろな意味があって、行政と住民の対話もそうだし、それから選挙のメンバーの中でも、スタッフや事務局や選対の人たちの間でもいろいろな人がいるので、いつも揉めごとが起こったり、どうなっているかわからないということが勃発するわけです。とにかく可能な限り対応していこうというようなことを据えてきました。
政策的には気候変動のことを大前提に考えようということから、もう少し区政に直接関係があることとしていえば「透明な区政」とか、それからさきほどの職員です。ばんばんとこの間削減されてきた、それは「コスト」だと思われているからコストカットの論理で削減されたけれども、「いや、そうじゃない」と。人はそもそも「コスト」じゃないですよね。それは企業であっても、です。だからそういうことをちゃんと据えよう。それからジェンダーの平等とか高齢者が一人で生きられる街とか、本当言うとこれは当たり前のことなんですよね。はっきり言って何かものすごく新しい政策ではないんですよ。だけどそれがきちんと実現されていないということであらためて掲げるということをしました。
その結果、本当に「奇跡の勝利」だと今でも思います。6月20日の開票日、開票される瞬間まで勝利を確信できなかったというのが本人も含めた私たちの実感ですけれども、なんと187票差です。いまでもこの数字を読み上げるたびに、私は胃がキューって痛むんです。こんなことって起こるんだなと思いました。というのもいろいろな要因とか背景があって、田中良さんは現職でしたけれども、もうひとりの候補者がやっぱり田中さんというんですよ。偶然ですけれども。だから最後開票所で、紛らわしい票は「うちの方だ」「いやうちの方だ」という案分がありますね。それが田中さんと田中さんの陣営ですごい揉めて。うちは岸本だから関係ないんですけれども、「これはこっちだ」というものすごい熾烈な戦いが行われた結果、それでも田中ゆうたろうさんという人も2万票近く取っていますから、仮に彼が出ていなかったら結果はまったくわからないということもありました。
それから、杉並区議会の中で自民党は全体48議席のうち15議席持っていて、最大会派です。これが区長選の直前に、田中さんのやり方が我慢ならないということで15人が6人と9人に割れたんですね。6人の方は田中さんべったりという方で、出て行って新しく会派をつくった9人というのは保守本流的な政治というか、「古き良き自民党」みたいなセンスを持っている方が多いんです。だから田中さん的なやり方は絶対許せないということで、「反田中」ではっきりと彼を批判したチラシをいっぱいつくったりしました。そういう状況があったからこそ、自民党の票が全部まとまって田中さん、とは行かなかったということがあります。いろいろな地域の特殊な政治事情とか、田中さんが2人出ていたとか、そういうことを背景にしながら、だけどやっぱり岸本さんの応援の輪が日に日に熱気を帯びて、熱量が高まって、いろいろな人が入ってきてやった。そういういろいろなことがすべて塊になった187票差ということです。
ですから決して要因はひとつだけではない。偶然のものもあるしこちらががんばったから手にできたものもある、ということでご理解下さい。投票率は、これも大きなポイントでしたけれども、前回32.02%だったのが、今回5.5ポイント上がって37.5%になった。これも投票率が上がらなければ岸本さんは勝っていないと思います。5.5ポイントも上がったのはすごくいいことですけれども、ちょっと引いてみれば4割切っているわけです。6割以上の人が区長選になんか関心がないという、この厳しい状況を変えることが次からの課題になってくるわけです。
5.5ポイント増えたことの分析、全体の票の分析ですけれども、厳密には出来ないけれども平均よりも多い40%を超えた投票所がいくつかあります。これを見ていくと、やっぱり道路の拡幅の問題とか駅前の再開発とか、児童館がなくなるとか高齢者の居場所がなくなるとか、そういう争点になるような課題があるところの投票所は投票率が高くなっている。しかもそこには運動があるということなんですね。だから地域の選挙って「空中戦」じゃなくて、最後は本当に地べたをはうような口コミ作戦とか電話作戦とかそういうことですよね。そうやってみんなががんばって地域の人に声をかけてやったという成果であろうと私たちは分析しています。実際にそういうところには、何回も集中的に街宣にいったりチラシを撒いたりしてきたんですね。しかもそういう高い投票率の投票所をさらに男女別で見てみると、やはり女性の票が軒並み男性の票を上回っている。こういうことからも女性たちががんばって投票率を上げた要因のひとつをつくった選挙だったと思います。
前半のまとめをしますけれども、私たちの勝利というのは言ってみれば「奇跡的な勝利」ではあるけれども、ほかの多くの自治体の選挙それから国政も含めた選挙に対して何か一石を投じる、「じゃあ次は自分たちの地域でもがんばろう」というような思いを持ってくださる方が、予想以上に多く自分たちでもちょっと驚いているところもあります。逆に、そう言ってくださることによってわれわれも励まされてエンパワーメントしあっている、そういういい感じの循環のようなものが生まれてきていることは実感しています。
さらに俯瞰してみると、いまこれだけ国の政治がおかしくなっている、おかしな方にどんどん劣化して悪化しているという中で、その問題意識は、私たちも岸本さんもみなさんも共有していると思います。じゃあどうするかというときに、一人の人が何でもかんでもできませんから、やっぱり国政じゃなくて地域の政治から変えていこう、われわれはそういう選択をしました。岸本さん自身も大きな選択をしたということですね。これは1970年代にありました。いわゆる革新自治体という潮流があって、これを受け継いで、さらに発展させていくという役割があると私たちは思っています。
もちろん同じようにやるという意味ではなくて、世界全体として状況はどんどん悪化してきています。利益優先とか軍事化を進めるとか、働く人や女性たちの人権を踏みにじっても一部の人が儲ければいいという全体のすさまじくひどい政治の中で、それに抵抗していくような自治体の政治、やっぱり反抗していかなくてはいけないんですね。ヨーロッパではそういう自治体が少しずつ生まれてきています。ヨーロッパだけじゃなくて、アメリカにだって「途上国」だって少しずつあるけれども、それを総称して「恐れぬ自治体」(フィアレス・シティ)といいます。
国とか大企業とか、そういう権力をもった人たちがずっと牛耳ってきた。「それはもうたくさんだ」ということ。きちんとした手続きを経た上で地域主権とか人々の暮らしをしっかり守る政治をやる自治体のイニシアティブ、これを日本でももっともっと広げていきたい。現実にいまやっていることとは相当ギャップがあるけれども、目指すべきところはそういったところです。
幸いにして、地図のオレンジ色のところはこの何年かで、世田谷区では保坂展人区長が3期、次の4期目に向けがんばっていらっしゃる。お隣の中野区では酒井直人区長が、こちらも市民運動と協力しながら政治をやっていく人です。武蔵野市は松下玲子さんという女性市長で、彼女も気候の問題とか外国籍の人の参政権の問題とかでがんばっている。右翼に押しかけられて大変なことにもなっていますけれども。そして杉並区で岸本区長が誕生したということでお隣同士つながりあって面になっているというようなシーンが実現できたということはすごくよかったなと思います。
物理的につながっていなくてもいいけれども、点がいろいろあって、それが協力していくというネットワークですね。先日の新宿区は残念でした。よだかれんさんのような方が、多様性とか人権ということをきちんと訴えて、区長選のアジェンダにしたという意味はすごく大きいと思います。選挙はまた次へと続くんですよね。だから必要以上に落ち込むことはないと新宿区の友達に言っています。品川区でも、23区では3人目になる女性の区長が誕生しました。たぶん彼女は政治思想的にはちょっと違うかな、都民ファースト出身の方ですね。だから本質的に目指す方向性が、岸本さんやわれわれとどこまで同じなのかは正直言ってよくわからないです。たぶん違うだろうなとは思います。ただ彼女は学校給食費の無償化を公約に書いて、早速それを来年度からやりますとしてバーンと出している。それはすごいなと思ったんです。岸本さんも政策集には学校給食費の無償化を目指すと入れています。どの自治体でも難しいのは、財源の問題が常に議会で言われてしまうわけです。本当は国がやらなければいけない。だって憲法で保障された無償義務教育の中に学校給食費は入らなければいけない。それから学用品とかいろいろな教材費とか学校にかかる費用は本来は無償化されるべきなんですよね。
国がやらないから、仕方なくと言いましょうか、この物価高やいろいろな生活困窮の家庭がいっぱいある状況を受けて、出来る自治体がぽつぽつとやりはじめて、この輪はすごく広がっていますね。でも、それだと自治体間格差が出来てしまい、お金に余裕がある自治体では給食無償化ができるけどそうじゃない自治体は出来ない。これは、憲法はすべての人に保障されるべきという、ことからはずれてしまいます。苦しいけれども、まず出来る自治体がそうやっていって、それで終わるのではなくて国をどんどん包囲してものを申していく。最終的には全国どの公立の小中学校であっても、学校給食は無償化しようという戦略を議論し始めています。たとえば世田谷の保坂さんとか何人かの自治体と人と。そういうことこそが「恐れぬ自治体」の真骨頂というか、国に対してどんどんプレッシャーをかけていく。「変な政策はやるな」「いい政策はもっとやれ」ということを自治体がやってく、そういう動きが今後できたらいいなと思っています。
憲法の話です。岸本さんは11月に「全国首長九条の会」からお誘いされてメンバーになって、ここで集会をやりました。地方自治、地方の政治・行政という中にどうやって憲法をきちんと実現していくか。単に「大事だね」というだけじゃなくて、それを地方自治の政治の中に、政策の中にどうやって具体化していくかという、そこにも取り組んでいます。もっとほかにも条項はあると思いますが、とりわけそうした活動の中で議論してきているのは3つです。ひとつは9条ですね。本当にいまひどい。軍事費の問題とか敵基地攻撃能力の問題とか、頭狂っているのかという議論が国会でなされている。これに対して自治体がものを言っていく。だから彼女も首長九条の会に入ってほかの首長さんと一緒に発信していこうということをしています。
それからもうひとつは25条です。「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という憲法の文言、生存権ですね。この具体的な制度をつくって保障していくのは、全部ではありませんけれども自治体の役割が大きいわけです。具体的に言えば生活保護の制度がそのひとつです。実は杉並区では彼女が選挙で当選する前に問題がありまして、生活保護を申請する方に扶養照会をしなさいということを厚労省から言われている。でもそれは必ずしも絶対にしなくてはいけないということはないということを厚労省としては通達を出したわけです。でも行政の現場って何か変なんです。厚労省はもう扶養照会しなくていいですよと、東京都もそういっているのに、一番の現場である区の福祉事務所では相変わらず扶養照会をし続けている。すごく変な、ねじれた状況があります。ある方が扶養照会が必要がないと思って申請に行ったのに、やっぱり水際対策的に生活保護を出したくないみたいな職員の意識もあって、揉めたりしたことがありました。そういったことは突き詰めて言えば、憲法で保障されている生存権を侵害しているということになるわけです。岸本さんの区政にとっては、自分が当選する前の話なんですけれども、言ってみればマイナスからのスタートのようなことで、何とか福祉課の担当職員とか現場で働いている人の意識を、理念的に言えば憲法にきちんと準ずるものにしないといけない。
この20年間でつくられてきた負の意識というのはすごくあるんですね。本当は、行政というのは一番困っている人のために何が出来るか、やっぱり突き詰めればそこだと思うんです。余計なサービスなんかは、私はもういらないと思うけれども、本当に困っている人に真っ先に目を振り向けていく。いまは逆になってしまっているわけです。住民の声はクレームにしか聞こえないとか、生活保護に来た人は出来るだけ申請しないでほしいとか要件を必要以上に厳しくするとか、人間の政治に全然なっていない。そこを変えていくということに彼女もいま一生懸命取り組んでいます。これは憲法25条の具現化でもあるということはぜひ知っていただきたいと思います。
一番重要なことのひとつは憲法92条の地方自治です。国からの政策が下りてきてがんじがらめになってしまうという構造がすごく強固につくられてしまっているので、これ自体も憲法の理念から逸脱しているように感じます。地域の住民が政治に参画して地域のことを自ら決定していく、これが住民自治ですね。これが不可欠ということが、地方自治の本旨というところにきちんと書かれているわけです。けれども、全然実現できていないことを具体的な課題の中で感じています。これもすごく時間がかかるけれども、行政は大きな組織ですけれども変わる必要がある。それから住民の運動、私たち自身の運動も、岸本さんのような人が区長になったことを受けて、やっぱりアップデートして、いい方向に自分たちも変化していくという必要性を痛感しています。
多くの場合、自分たち市民派の首長を当選させた、「やった」というケースはものすごくレアケースなので、最初は私たちも「えっ、次に何やったらいいんだろう」という戸惑いもありました。わからないことばかりで、いまそうです。巨大な行政、官僚機構の中で、新自由主義から脱却しようとか、憲法を重要視しようとか、職員はコストじゃないとか、私たちからすれば当たり前のような発想です。けれども行政の論理からいったら「何言っているの、この人」みたいな、そういう文化のギャップがすごくある。そういう中で、彼女をどうやって住民が外からサポートしていくかという大きな課題があります。これまでのような、行政を監視してチェックをして文句を言っていく、これ自体はすごく重要です。でもそれだけやっていても、岸本さんが目指す区政を前進させることはなかなか難しい。むしろもっともっとクリエイティブな前向きな提案を、どんどん私たち住民も出していく。行政は変なことがいっぱいあるけれども、そのことも批判しながら、でもやっぱり行政の凝り固まった姿勢を私たちが囲むことによって溶かしていく。本来敵対しなくてもいいようにする。それはなかなか力量がいりますよね。こういうことを痛感しています。
政策提言能力というか、いろいろなアイデアをどんどん出していく。政治に無関心だったり取り残されている人たちを、住民の私たちの側がもっともっと包摂していって、それを行政サービスにつなげていく。いろいろな「たて・よこ・ななめ」に、いままでやったことがないような発想とか動き方とか、そういうことが必要なんだなということを思っています。
というのも「住民思いの杉並区長をつくる会」ということで私たちは始めたわけです。その会はもう解散しています。第2ステージにすでに入っていて、私はよく「製造物責任」があるというんです。つくった私たちにも責任があって、それがいままでのような行政批判ばかりしている、それじゃやっぱりだめなんですよね。権力ですからね。「岸本さん素晴らしい」とか言っているだけじゃだめで、もちろんもっと厳しく見るんですが、一方で提案をどんどんしていくというように、私たち自身もアップデートしなければいけない。それが一番難しいかもしれませんね。自分が変わることって一番難しいじゃないですか。行政けしからん、もっとこうしろというのは、ある意味得意な方は市民運動の中でもいっぱいいると思います。じゃあいまのような状況になったときに、次にどういう活動を地域でやればいいのかということを冷静に考えると、いろいろな課題が見えてきます。
それから議会ですね。議会がまた大変でして、2月9日から今年1回目の議会が始まります。彼女が区長に就任して、半年のうちに2回の議会がありました。先ほど言ったような杉並独自の自民党が割れている状況もある中で、客観的にはいわゆる与党の数というのは掌握できていないので、安定的に提案を通していくためには結構な苦労がいるということを日々痛感しています。
自民党、公明党の勢力からしたら、岸本さんが通ったということは、われわれからすれば「奇跡」ですけれども彼らからしてみれば、その逆です。「地獄」というか「青天の霹靂」というか、いままで与党でぬくぬくしていたのがいきなり野党化してしまって、彼らは彼らで戦々恐々としているわけです。しかも田中さんとまだ近しいという方もいます。田中さん自身は次の選挙にまた立候補して、岸本さんを追い落として返り咲くということをはっきり明言しています。いま戦国時代みたいなことになっている。ですから「反岸本」という姿勢をはっきりと自民党6人の方たちはしていて、公明党の一部の方もそういう姿勢をとっています。私も単に有権者とか市民として、議会を傍聴に行ったことはあります。選挙の後、私は岸本さんのいわゆる政治活動、政務の責任者として岸本事務所で働いていますけれども、そういう立場で議会を見ると、本当に驚きますよね。びっくりするような質問をがんがんしてきます。全然区政と関係のない、「あんた外国にいて何がわかっているんだ」とか次々あります。
岸本さんが、去年9月に安倍元首相の国葬がありましたね。国葬反対デモが地域でもいっぱいあったんですよ、国会前でもありましたけれども。西荻窪でやった国葬反対デモに、個人として、公務ではなくて、日曜日に、単に自分の政治信条を伝えるというだけのデモとして参加したんですね。そうしたらそれがおおごとになっちゃって、写真が出回って「そんな特定の思想信条に区長が賛同していいのか」、それが区議会の中でもしつこくしつこく批判される。そんなの日曜日のお休みの日に政治家としていただけです、それで終わりじゃないですか。でもそういうことを何度も何度も言われる。はっきり言って批判のための質問であって、全然住民の暮らしのことなんて考えていないわけですよ。単に岸本さんを批判したいというだけの質問です。しかもそれが延々と行われるということなどがありました。
たぶんこれは岸本さんが当選して私たちが発見していっていることです。恐らく多くの自治体で傍聴に行っている人たちはそんなにいないんですよ。ですからなぜこんなに議会のレベルがどんどん低くなってしまったのかというのは、やっぱり有権者にも責任がある。ちゃんと日々傍聴する。選挙があって終わりじゃなくて、当選した議員がどういう質問をしているのか、この人は区民の方を向いてやっているのかということを、もっともっと住民がチェックしていく必要があると思います。ですから9月の最初の議会以降、私たちが結構力を入れているのはとにかく傍聴に行こうということです。もちろん支援者中心ですけれども、区民だったら誰でもいいわけです。区政のことはみんなの問題なんだから。ですからツイッターとかいろいろな呼びかけでとにかく傍聴に行く。行くだけでもいいけれども、感想を自分のSNSで発信したりみんなで議論したり、そういう空間を地域の中にどんどんつくっていく。
そうしないと、「居眠りとドーカツ」って田中区長のときにありましたけれども、本当に寝ている人がすごく多くて、岸本さんはそれに一番怒っています。「居眠りした議員は即刻辞める」という条例をつくりたいとか言っていますが、税金を払っている側からしたらむかつきますよね。本当に寝ている人がいっぱいいる。みなさんもぜひ自分の自治体の議会に行って、インターネットでもいいと思いますが、まず寝ている議員をチェックするということはすぐ出来ます。「この人寝ている」とかどんどんさらしていくということは有効だと私は思っています。
そういうかたちで住民の側も鍛えられていますし、「岸本さんよかったね」というだけでは終わらずに、いまどういう体制をつくっていけばいいのかということに手を着けています。具体的には副区長をどういう人にしたらいいかとか、いろいろな政策のブレーンを役所の外でつくっていかなければとか、次の選挙のためにどうしようとか、いろいろあります。自民党の方々は、何かあればネガティブな噂を地域の中にどんどんどんどん流したりしています。区長が地域の集まりに出てこないとか、忙しいから全部行けないんですよという話なんですけれども、悪意を持ってそういう噂を流したりします。そういうことを凌駕するような、「岸本区政になって本当に良かったね」という実態をつくらなければいけないということに住民としては取り組んでいます。
今日お配りしたカラーの資料には後援会のお知らせも入っています。9月につくったもので、7月から9月の2か月ですけれども、わずかな期間にできたことも多少あります。公用車をやめたんです。田中さんが私的に乗り回していたというのでみんな注目していたということもあったし、コストがすごくかかっていました。彼女はもともとヨーロッパの生活が長いので、自転車で普通に移動できるでしょう。2駅くらいで、そんな遠くまで行くわけではないから自転車通勤に変えた。ひとつひとつ見ればすごく小さなことのようですけれども、価値観というか、どういう政治が必要なのかという、そこの本質的なところに気がついていただきたいという思いもあります。
そうしたら面白いんですよ。公用車を彼女は使わない。自分で毎朝、西荻窪から阿佐ヶ谷まで自転車で15分くらいで来る。そうしたら職員専用の駐輪場が地下にあるけれども、そこはいつもいっぱいなんです。杉並区役所ってすごく狭いので、職員の駐輪場もぎちぎちで止められない。そうしたら、岸本さん専用の、「区長専用」って下にシールが貼られた駐輪スペースを役所の人がつくってくれました。彼女は恐縮していましたけれども、毎回どこに止めようと探さなくても、一応自転車一台分の小さなスペースに「区長専用」と書いてあるので、そこは職員は止めちゃいけない。自転車に変えると職員と対等平等にやっているけれども、「特権的」に一台だけそういうのがつくられるというのは面白いなと私は思っているわけです。
お配りした資料の後半は、参考までに彼女や私がNGOのスタッフとしてずっと20年間取り組んできた、新自由主義に対抗する思想とか実践が必要かという話です。こちらは彼女のメインの専門です。自治体の政治を変えて、公共を再生したり、市民がより政治に直接的に参加できるような回路をつくるとか、公共サービスをもっと充足させていくことです。彼女がどういう自治体の公共再生とか「恐れぬ自治体」ということを目指しているのかということが書いてあるので読んでいただければと思います。