私と憲法259号(2022年11月25日号)


東アジアで絶対に戦争を起こさせるな

戦争を起こさせないこと

11月18日、朝鮮が大陸間弾道ミサイル(ICBM)級の弾道ミサイルを発射し、日本海に着弾したとメディアでは大騒ぎになっている。あたかも日本に朝鮮のミサイルが飛んでくるかのごとく、危機感が煽られている。実は、この東北アジアの緊張は朝鮮だけのせいではない。このところ、米韓の合同軍事演習と朝鮮のミサイル発射演習が朝鮮半島近辺で頻繁に繰り返されている。朝鮮側も日韓米間側も互いに相手の「挑発」を非難しあっている。この宣伝合戦はほとんど、「鶏が先か、卵が先か」の論争のたぐいだ。来年は朝鮮半島の停戦協定70年だ。これが「停戦」にとどまらず、終戦協定、平和協定になったらどんなに素晴らしいことか。ミサイル演習も、大規模軍事演習もいらなくなる。北東アジアでのいかなる軍事演習も不必要な時代こそ迎えたいものだ。

しかし、それにしても、このところの日本のメディアの報道の過熱ぶりは度を越している。TVや雑誌では元防衛省の高官や現役の研究員たちが「朝鮮からミサイルが飛んできたら、どこでどうやって撃ち落とすのか」というような「解説」を得々としてやっている。ロシアのウクライナ侵略戦争を引き合いに出しながら戦争の危機が煽られている。その多くが「もし戦争になったら」ということを前提にした話だ。「専守防衛」などのうたい文句はどこへやら、この国はいつからこうなってしまったのか。

明らかなことは安倍晋三政権によって2014年に閣議決定され、2015年に強行された憲法違反の安保法制(戦争法)の成立がその境目だということだ。そのころからこの国の「安保・防衛論議」は「いかにして戦争を防ぐか」ではなく、「戦争になったら」ということが前提になってしまった。

冗談ではない。政府の最大の仕事は「戦争をおこさせないこと」だ。戦争にならないうちに外交で問題を解決することだ。自らの政治的地位の確保に汲々として、安倍晋三元首相の戦争政策の継承にまい進する岸田文雄政権を許してはならない。

臨戦的軍事演習「キーン・ソード」

11月10日から19日まで10日間にわたって、自衛隊と米軍が太平洋や東シナ海を含む日本各地で最大規模の共同統合演習「キーン・ソード(鋭い剣)23」が行われた。これは「海洋進出を強める中国を牽制する」として、「台湾有事」などを想定し、艦艇約30隻、航空機約270機が参加し、自衛隊2万6000人、米軍1万人の規模で実施された大軍事演習だ。今回は豪州とカナダ、英国が艦艇や航空機をそれぞれ派遣し、一部の共同訓練に初参加し、ロシアのウクライナ侵略後、連携を一層密にしているNATO(北大西洋条約機構)の武官もオブザーバーとしてまねかれた。

これにさきだって、米国と韓国によって10月31日から1週間以上にわたって、軍用機約240機を投入する合同航空訓練「ビジラント・ストーム」(油断しない襲撃)が韓国周辺で行われ、約1600回の戦闘機の出撃訓練が行われた。日米の「キーン・ソード」はこれと連携して行われているもので、朝鮮半島周辺での事実上の米日韓合同演習の様相を示している。このビジラント・ストームに先立って、8月22日から10日間、米韓合同演習が行われ、9月26日からは4日間、日本海で米韓両海軍の合同演習が行われていることも見逃がせない。

日米統合演習では弾道ミサイルへの対処や島嶼(とうしょ)防衛などを想定し、宇宙・サイバー・電磁波作戦のほか、F35ステルス戦闘機や、高機動ロケット砲システム(HIMARS=ハイマース)など最新装備の共同運用も実施した。キーン・ソード演習はほぼ2年に1回お行われてきており、今回は16回目だが、今回の「キーン・ソード23」は「台湾有事」を想定した最大規模の統合演習であり、従来にない切迫した合同訓練だった。18日には2016年に自衛隊の駐屯地が設置された、台湾から110キロの近距離にある与那国島(沖縄県与那国町)で初の日米共同訓練が実施された。まさに「台湾有事」訓練だ。自衛隊の山崎幸二統合幕僚長は今回の演習の狙いについて「日米同盟のもと、あらゆる事態に即応するための抑止力、対処力をさらに強化し、わが国の防衛および地域の平和と安定の確保に寄与していきたい」と述べた。また、南西諸島を中心に演習が行われていることに関しては「隙のない防衛態勢を確立するため、今回の演習を南西地域で行うことは大変、意義がある」などと説明した。

「台湾有事」煽りに反対する

8月31日自民党の麻生太郎副総裁は麻生派の会合で、「台湾有事」「日本でも戦争が起きる可能性は十分にある」とのべた。「少なくとも沖縄、与那国島、与論島にしても、台湾でドンパチ始まるということになったら、それらの地域も戦闘区域外とは言い切れないほど、間違いなく国内と同じ状況になる。戦争が起きる可能性は十分に考えられる」と発言した。

2021年12月1日、故安倍晋三元首相が台湾で開かれたシンポジウムにオンライン参加し、その基調講演で「日本と台湾がこれから直面する環境は緊張をはらんだものとなる」「尖閣諸島や与那国島は、台湾から離れていない。台湾への武力侵攻は日本に対する重大な危険を引き起こす。台湾有事は日本有事であり、日米同盟の有事でもある」と語ったことがある。これは東アジアの情勢が「日本有事」(戦争)に直面しているという認識によるものだ。弱小派閥を基盤にした岸田首相は政権維持の党内力学から、自分こそがこの安倍路線の継承者であるとのデモンストレーションもあり、「敵基地攻撃能力の保有」をはじめとする安倍軍拡路線の推進者となっている。

「台湾有事」を煽っているのは誰か。米国のペロシ下院議長の訪台を契機に米中間で緊張が高まっていることを見れば明らかなように、米国バイデン政権の中国封じ込め政策が台湾海峡の緊張を生み出していることは明らかだ。台湾独立の動きが現実化していないいま中国側から台湾海峡の緊張を作りだす必要性はない。しかし米国の中国に対する軍事挑発は日本の南西諸島と自衛隊の軍事協力を前提としている。岸田政権の敵基地攻撃能力の保有をはじめとする大軍拡は米国の必要性でもある。その結果、万が一、米中衝突になれば自衛隊が矢面に立たされるのは明らかだ。

「防衛3文書」閣議決定反対

こうした米国の対中政策に沿って、政府は年内に「国家安全保障戦略(NSS)」「防衛計画の大綱」「中期防衛力整備計画」の防衛3文書の大幅な改定作業を進めようとしている。いずれも国家安全保障会議(NSC)・閣議決定文書だ。国会でのまともな議論も経ずに、こうした防衛3文書が決定されることは許されない。

今年5月の日米首脳会談で、首相はバイデン米大統領に防衛費の「相当な増額」を約束した。防衛省の2023年度予算の概算要求では、「敵」のミサイル発射基地などを破壊する「反撃能力」(従来は「敵基地攻撃能力」と呼称)を保有するために、22年度当初予算比3・6%増の5兆5947億円と、過去最大規模となった(防衛費に関しては、金額を明示しない「事項要求」が認められており、今回は年末に実施される「防衛3文書」の改定に伴って金額を確定できないという理由がつけられており、それが異例の100項目に上っている)。

政府が11月26日、閣議決定した2021年度補正予算案では防衛費は過去最大の7738億円で、当初予算の歳出額と合わせて初めて日本の軍事費が6兆円を突破した。

「事項要求」の筆頭は敵の射程圏外から攻撃できる長射程能力を有する「スタンド・オフ・ミサイル」で、従来の数百キロ程度の射程能力を1千キロ以上に伸ばすため陸上自衛隊の「12式地対艦誘導弾」改良費に272億円を計上したうえで事項要求した。この改良型が南西諸島に配備されれば中国沿岸部や朝鮮半島全体を射程に収めることが可能になる。23年度からの量産費用も事項要求とされた。また音速の5倍以上で飛行する極超音速誘導弾の研究費用も事項要求とされた。しかし、量産・配備は2026年になるので、その期間を穴埋めするために米国の長距離巡航ミサイル・トマホークの導入を進めている。最大射程距離2500キロ(朝鮮半島や中国主要都市が射程に。これは従来の政府による日米安保体制や憲法解釈から語られてきた専守防衛どころではない、まさに「キーン・ソード」体制そのもの)だ。

この結果、緊張するアジア情勢の中で5年後の日本は、軍事費がNATO並みの対GDP比2%以上を達成すれば、米中に次ぐ世界第3位の軍事費大国となる。2023年度からの5年間を対象とした中期防衛力整備計画では、防衛費(軍事費)が48兆円前後と見積もられている。これまでの5年間の軍事費が約27兆円だから実に1.7倍以上で、これにNATOの計算方法のように海上保安庁予算や研究開発費を含めると、文字通り国内総生産(GDP)比で2%になる。これは日本国憲法が描く国の姿とは正反対の異質な国家だ。

内閣支持率は激減している しかし野党の支持率は上がらない。

岸田政権はとりわけ自民党と統一協会の癒着の暴露がすすむにつれて、急速に政権の支持率を落としている。閣僚の更迭も相次ぎ、岸田政権はいつ倒れてもおかしくないほど、よれよれ状態だ。

NHKでは7月の「不支持」が21.2%から、10月は43%(支持は37.6%)になった。時事通信では20%から43%へ、朝日新聞は25%から59%へ、読売新聞は34%から、46%へ、共同通信は22.4%から44.8%へ、毎日新聞は33%から65%、日経は32%から49%だ。毎日と時事は政権支持率がとうとう20%台になった。

いまや政権維持の危険水域そのものだ。

だが、このような岸田政権の危機を支えているのは野党の支持率の低迷だ。自民党の支持率は多くが40%台なのに比べて、野党第1党の立憲民主党はNHKで5.6%、時事で3.6%、朝日で6%、共同で9.5%、毎日で12%、日経で7%にすぎない。共産党は多くが2~3%台だ。これに対して「支持なし」層は時事の58.9%をはじめ、朝日で40%、毎日で32%だ。これでは政権は倒れない。

私たちが主張してきたように、活路は1対1の選挙で、市民と野党が共闘して与党との対決構図を作り上げることがカギであることは間違いない。しかし、野党共闘は必要条件であるが、それだけで勝てるわけではない。十分条件ではないのだ。野党は岸田政権ともっとたたかい、行動して、足下を強めなくてはならない。

再びアジアで戦わない

私たちがいま改憲と憲法無視、対米追従と軍事大国化の道、その結果民生を破壊する岸田政権を倒さなければ、この国は戦争と破滅の道に進んでいくのは明らかだ。東アジアに再び戦争を招いてはならない。15年戦争の教訓は日本の軍国主義がアジアに戦争を仕掛け、2300万の人命を奪うという暴虐を働き、結果、中国をはじめとするアジアの人々に敗北したことだ。日本は再びアジアで戦争をしてはならない。アジアの人々に対するその最低限の保証(安心供与)こそ、憲法第9条であり、従来の日本政府が国是としてきた「専守防衛」だ。
(高田健)

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全国でとりくまれた11・3憲法集会
国会議事堂を囲み「11・3大行動」
武力で平和はつくれない つなごう憲法をいかす未来へ

76回目の憲法公布記念日を迎えた11月3日、全国各地でこれを記念する取り組みが行われた。東京でも「11・3憲法大行動」が国会正門前、衆議院第2議員会館前、国会図書館前の3カ所の歩道にステージを設け国会議事堂を囲む形で行動が行われた。主催は総がかり行動実行委員会と9条改憲NO!全国市民アクションで、スローガンは「武力で平和はつくれない つなごう憲法をいかす未来へ」。

集会は好天に恵まれ、司会の吉田瑠都さん(平和を実現するキリスト者ネット)の開会で始まった。主催者挨拶にたった藤本康成さん(戦争させない1000人委員会)は、「憲法公布の11月3日、憲法13条にあるように、この国に住む誰もが人間らしく生きて行ける社会を目指していこう。今日は早朝からJアラートが発令された。政府は朝鮮、中国の軍事的脅威を口実にして軍事費の倍増、敵基地攻撃能力の保有などを狙っている。しかし私たちの安全は武力では守れない。国のためと言って命を失う若者を2度とつくってはならないことを確認しよう」と語りかけた。

国会議員は到着順に挨拶した。社民党党首・福島みずほさんは、「基本的人権を生か戦争をしない国を一緒につくっていこう。①自民党の改憲原案を認めることはできない。憲法9条改憲、緊急事態条項、家族の互いに助け合わねばならないという家族条項などは統一教会の案と瓜二つだ。②沖縄はじめ全国各地で自衛隊と米軍の共同軍事訓練が常態化している。戦争の準備を止めよう。③防衛3文書と防衛費の増額を決めようとしている。何でも閣議決定で決めるな!と言っていこう」と訴えた。

立憲民主党・参議院議員会長の水岡俊一さんは、「立憲民主党は、平和と暮らしと人権を守る市民のみなさんと友にたたかいます。ウクライナへのロシアの侵略は、すべての人々の命と暮らしを奪い続けるのが戦争であることが明らかにしている。政府は武力増大の一方だが、危険の回避は武力に頼る限り不可能だ。憲法の人権保障を1丁目1番地として行動する。国会では憲法審査会が開かれている。与党の思い通りにさせないために力を合わせていこう。市民の声を国政に生かしていく」と決意を語った。

共産党副委員長の田村智子さんは、「11.3集会の行動に連帯する。北朝鮮のミサイル発射に抗議すし、軍事対軍事の悪循環を終わらせることだ。いまこそ外交、直ちに外交を政府に求めたい。ASEANとともにつくっている東アジアサミットを直ちに動かし、同じテーブルについて話し合いの場をつくることを求めていこう。2015年の安保法制が強行されたことで、日本が攻撃されていなくてもアメリカの軍事行動によって自衛隊が武力行使できる法的枠組みができてしまった。暮らしを押しつぶす軍拡と安保法制をつぶしていこう」と訴えた。

れいわ新撰組の櫛渕万里さんは、「憲法は自由と人権を保障しているが、人々の不断の努力も言っている。憲法の専守防衛は世界への外交的メッセージであり、それを保障するのは日本の信用力だった。政権は抑止力一辺倒ですすめられている。これは相手から見れば威嚇と脅威になる。年末に出るという防衛3文書の改定は、専守防衛をかえるかたちの改憲だ。外交で東アジアの多国間の枠組みをつくることが急務だ」と、かつて事務局長をしていたピースボート時代の経験を交えて訴えた。

参議院「沖縄の風」の伊波洋一議員から寄せられたメッセージが司会から読み上げられた。

メインスピーチの発言者として、はじめに弁護士の杉浦ひとみさんが登壇し安保法制違憲訴訟に関連して報告した。杉浦さんは「ウクライナでの戦争の実態を見て、日本の戦争体験者の多くが亡くなり敗戦で共有したはずの日本の戦争被害がぼやけてしまっていることを思い知らされた。私はコスタリカに学ぶ市民の会をつくり活動してきた。いまもコスタリカでは市民も政治家も軍隊を持ちたいという人は皆無で外交に確信をもっている。日本政府はここぞとばかり軍拡を言い出し、私たちの多くも軍備増強のことで頭がいっぱいになっている。しかし外交でやっていけことは確かなことだ。安保法制によって日本は危険な状態に置かれている。安保違憲訴訟でこの危険性を司法に認めさせていく」と訴えた。

つづいて東海大学教授(憲法学)の永山茂樹さんが発言した。永山さんは3点に課題をまとめて以下のように話した。(1)近く改定する防衛3文書は大軍拡予算を正当化するもので、まるで戦争をしている国のようだ。世界第3位の軍事費仁することは戦争をしない国なのに憲法違反だ。(2)敵基地攻撃を認めることは、これまで自民党政府が専守防衛としてきたのに反し、憲憲法9条1項違反であり認められない。(3)③南西諸島に軍事基地をつくりミサイルを配備し、米海兵隊とともに中国攻撃作戦を前提と訓練がすすんでいる再び島民の命を犠牲にするのか。人権保障を最も大切にする憲法に反する。防衛3文書に反対することが実質改憲を許さないことだ。

最後に落語家で芸人9条の会の古今亭菊千代さんは、9条の紋付き姿で登壇した。古今亭さんは、「戦時下は軍部から、戦後はGHQの下で言論統制があった。忘れてはいけないことは笑いの中で平和をみなさんと考えていくことだと思っている。憲法には9条の他にも大好きな条文がいっぱいある。誕生日と7月24日と憲法の条文を考えてみた。7条は天皇の国事行為が並んでいる。7と2を足すと9条になる。7+2+4は11条で、7+4は13条と国民の権利がいっぱい書いてある。その間の12条には国民の不断の努力が書いてある。明るく楽しく多くの人に平和と文化を語っていきたい。」

最後のパートでは青年のリレートークを行った。
清水弥生さんは、暮らしていく中で憲法に守られている実感を語ってくれた。「障害者施設で働いていて2人の子どもがいる。子どもの入学式の時に名簿が五十音順になっていた。憲法14条があるからこそ法の下に平等なのだと憲法が現実に近づいて来たことを感じた。もっともっと近づいて家事や育児という労働が誰でもがする普通の世の中になって欲しいと思う。介護の仕事は毎日が同じようで少しずつ変化していて、その変化を楽しんでいる。憲法では、25条の健康で文化的な生活を保障されていることがいいと思う。今日この場に立ったのは、表現の自由があることを子どもたちに見せたかったからだ。これを変えようとする人がいて、それに待ったをかける大人がいることも見せたかった。家の近くに朝鮮学校がありヘイトスピーチも許せないと思う。足下から憲法の理念を実践出来たらいいと思っている。」

PIECE BOATの畠山澄子さんは、その名のとおり平和の船旅をして顔の見える国際交流を行ってきた、と話し始めた。そして、「世界を回り世界の人々と触れ合い仲良くなっていくことが平和の文化を築いていく。ロシアがウクライナを攻めたことで、私たちの国も軍事力を増やさないと他の国に対抗できないとあおられている。私たちの40年間の船旅は日本国憲法の平和主義の実践だ。市民として互いに切にしたいこと、どうしたいのかを確認してきた。軍事力で表面的な安全保障は保てても、もろくて弱い人の犠牲の上になりたつ平和でしかない。世界の人たちとつながり平和のために声をあげることこそがグローバリズムであり、未来をつくることができる。」

最後に発言した総がかりユースアクションのメンバーで大学生の池田慶吾さんは、「大学で戦前、戦中の中国・朝鮮への植民地支配の歴史を学んできた。いま政府はその反省もない歴史修正主義の立場に立つ政治家に反省を求める。この間国葬に反対する運動に取り組んできた。今後、軍事費に税金を使うときではない。食費も値上がりはひどく暮らしは厳しい。憲法改悪できない世論を若者にも広げていく。」

最後に総がかり行動共同代表の高田健さんが、閣議決定で何でも決めるなという声をあげていこうとして、11・19行動と11月30日の日比谷野外音楽堂の集会を行動提起した。シュプレヒコールを響かせた後、第Ⅱ部として国会周辺の3カ所にステージを設けそれぞれの集会後に憲法大行動は終了した。
(土井登美江・事務局)

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☆★☆「平和のバナーで原爆ドームを囲もう2022」☆★☆

藤井純子(第九条の会ヒロシマ)

平和憲法公布から76年の11月3日、2017年から5回目の、☆★☆「平和のバナーで原爆ドームを囲もう2022」☆★☆を行いました。リレートークは30分、

平和大使・一万人署名活動をしている6人の高校生の、核兵器をなくそう、微力だが無力ではないというひたむきさに感動しました。恩地いづみさんは「夫婦別姓同勢選択制を実現し、女性の人権を高らかに謳う憲法を誇りに思い、決して壊されないように行動していきたい」と話しました。元広島女子大学教授の若尾典子さんは「憲法9条、前文や表現の自由や知る権利…の意味」、そして日米両政府の憲法改悪の動きに対し立ち上がったのは、2度と繰り返してはならないというヒロシマ・ナガサキの被爆者たち、受け継ぐ市民です。私たちはウクライナ戦争をやめさせ、核兵器禁止条約批准のために何ができるのか考えていきたい…」と訴えられ、共に頑張りたいなと思いました。

このあと、思い思いの様々なテーマの平和のバナーを拡げ、原爆ドームを囲みました。参加者は250人を超え、通りがかりに一緒に持ってくださった方もあり、主催者としては大きな喜びでした。

リレートークの感動やバナーで原爆ドームを囲む行動の楽しさで、私たちは大きな勇気と元気をもらえたように思います。参加してくださったみなさん、本当にありがとうございました。

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再び、戦争の最前線になる「呉」

新田秀樹(ピースリンク広島・呉・岩国 世話人) 

11月10日から19日間の日程で日米統合演習「キーン・ソード23」が九州、沖縄で行われた。防衛省は「強固な日米同盟の下、日米双方が主要装備品を使用した演習を行う中で、日米の即応態勢を確認し、相互運用性を向上させるものです。自衛隊と米軍は力による一方的な現状変更の試みは断じて許さないという強い意志のもと、あらゆる事態に対応するための抑止力・対処力を強化し、我が国の防衛及び地域の平和と安全の確保に寄与していく」としている。キーン・ソードは鋭い刃物と訳されるが「日本刀」を連想させるような名称だ。この訓練に日米で36000人、加えて豪、加、英などからも参加し、艦艇約35隻、航空機約270機が参加する大規模なものだった。

この訓練では陸自沿岸監視部隊が2016年から配備された日本最西端の与那国島でも行われ、米軍も参加する指揮所が置かれ、最新の陸自戦闘車両も空輸して公道走行までしており、島が戦場にされると反発の声も出ている。国境に接しているこの地域で行う実働演習は威嚇以外の何もでもなく、脅威を煽っているのは日本側でもあるのだ。

今、琉球弧の島々に次々と軍事施設がつくられている。奄美、宮古島にはすでにミサイル部隊が置かれ、昨年11月宮古島には海上自衛隊呉基地の大型揚陸艦(輸送艦)「しもきた」がミサイル輸送の任務にあたった。また、石垣のミサイル基地も急ピッチで工事が行われ、米軍の訓練施設として計画が始まった馬毛島は自衛隊の南西諸島防衛の拠点と化し、その工事も始まろうとしており、一方で軍事による威嚇をしながら、「安全保障環境は厳しさを増している」と防衛費拡大と自衛隊の拡大強化の口実にしている。

今年は前身の海上保安庁海上警備隊発足から70年を迎えた。正式に海上自衛隊として発足するのは1954年になるが、敗戦と同時に日本海軍は解散して非軍事の海上保安庁へと併合されていたが、軍事組織の警備隊へと逆戻りしたわけだ。このころを知る同じ廿日市内で九条の会・はつかいちの共同代表もした元第六管区海上保安本部の故多羅俊夫さんは、人殺し集団の海軍と人命救助を主たる任務にする異色の集まりの職場になって「溝は当然あった」と生前語っていたが、それもわずか数年で再軍備へと舵を切った。

鎮守府の置かれていた呉市は1945年3月から度重なる空襲を受けてほぼすべての戦艦が沈没し、その無残な姿を呉市民は目のあたりにした。また、7月1日を中心に市街地も焼夷弾により空襲を受け、市民の多くも犠牲になっている。戦後は軍事工場(呉海軍工廠)に従事する市民を中止に住民も減少し、40万人以上もいた市民は半減した。戦後復興の中で平和な呉市を目指して、旧軍港4市とともに、憲法95条(特別法の住民投票)に基づく住民投票で圧倒的市民の賛同を得て、1950年6月旧軍港市転換法を勝ち取り、平和港湾都市として再スタートした。

しかし、同時にこの6月は朝鮮戦争勃発の時でもあり、時計が逆戻りする状況になる。10月には海上保安庁特別掃海隊として国連軍の要請を受けて、仁川上陸作戦の支援のため機雷掃海に参加している。当然憲法9条に違反する行為で、秘密裏に行われ、1名が犠牲になっている。

「平和港湾都市」として再スタートした呉市だが、今再び戦争の最前線の街へとなってきている。米軍からの貸与・譲渡から始まった海上自衛隊の装備は、国産化され急速に拡大し80年ごろには現在の40隻前後の体制になっており、79年には本格的な補給艦「さがみ」まで配備され、78年日米ガイドライン策定、80年からは環太平洋合同演習に参加している。

さらに、私たちが活動を始めた80年代半ばごろから現在に至るまではすさまじい勢いで軍拡が進んでいる。90年、湾岸戦争を機に自衛隊としての海外派兵が始まった。呉の掃海母艦「はやせ」を旗艦とした掃海部隊と横須賀に配備されたばかりの大型補給艦「ときわ」が軍艦マーチに見送られ、再び海外派兵時代へと逆戻りした。92年からはPKO派兵で呉の補給艦「とわだ」と横須賀から輸送艦、2001年からはテロ特措法でペルシャ湾に何度も派兵され、米軍などの支援を行っている。

今、呉基地と隣接するJMU(ジャパン・マリン・ユナイテッド)のドッグでは、ヘリ空母(護衛艦)「かが」がF35Bステルス戦闘機運用のための空母化第1期工事を行っている。戦争準備のための動きが着々と進み、衰退する鉄鋼などの呉の基幹作業を反映してか、市民の中にも歓迎ムードも広がる戦前回帰ともいえる状況も出ている。

それでも当事者の自衛隊員にとっては違うと思う。大小合わせて少なくとも100件近い合同演習に通常訓練、そして今も海賊対策などでの (次頁下段へ)(前頁から)海外派兵は続く。その任務は過酷な状態が続き、この間、艦船の大型化も進み要員不足も指摘されている。毎月1回、呉駅前で街宣とビラ配りを行っているが好意的な声も聞かれ、関心もあると思う。自衛隊員に家族や親せき、知人を持つ市民も多く、安保法で自衛隊参戦も指摘される中で心配の気持ちもあるのだろう。

憲法9条があるのにその空洞化が解釈改憲で進んでいる。岸田総理は今年NATOの会合にも出席し、米軍のみならず、多国間での軍事協力に進んでいる。それでも憲法9条は最後の盾であり守り続けなければならない。

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第165回市民憲法講座 なぜ選択的夫婦別姓は実現しないのか

坂本洋子さん(NPO法人「mネット・民法改正情報ネットワーク」理事長)

(編集部註)10月22日の講座で坂本洋子さんが講演した内容を編集部の責任で要約したものです。要約の責任はすべて本誌編集部にあります。

みんなつながっている夫婦別姓反対の人たち

私はもう四半世紀この夫婦別姓運動をやっています。その中で、反対をしている人たちがどういう人たちなのかということが、今回の安倍さんの銃撃事件を通してわかりやすくなったかなと思っています。

「苗字」「氏」というのは本当に日本の伝統なのかどうか、そこを簡単に説明します。なぜ私が夫婦別姓以外の問題にも関わるのかというと、反対している人たちがみんなつながっているからです。ジェンダーフリーや性教育もそうで、夫婦別姓、嫡出推定、そして憲法24条、すべてがつながっていて、反対している人が同じだということです。「新しい歴史教科書をつくる会」もそうです。現場で20数年間運動をやっていますが、今回全部つながったと思いますし、そのことが広く知るところとなったと思います。夫婦別姓の話をする会だとほぼ9割は女性ですが、今日は男性が多く素晴らしいことだと思います。実現しない理由にメディアの存在、役割が非常に大きい。それと男性の理解がなかなか進まない。運動で9条というのはつながるけれども、24条といったときに小さな問題にされてしまってきたということもあるので、ぜひその辺もしっかりお話しできればと思います。

明治から始まった苗字の義務化と家制度

そもそも「家制度」が始まったのは明治になってからです。1898年、ここで家制度が始まります。その前は、「苗字」というのは一般の人・「平民」にはないわけです。「徳川」とか「足利」とか「源」とか、そういう特権階級の人たちには「苗字」があったけれども、一般の人たちにはなかった。いつ始まったかというと、1870年に使用が許可されます。そこで使う人たちがいましたが、1875年になると義務化さ

家の跡取りはできないけれども、「庶子」の男子は嫡出の女子のよりも家督相続は上です。「本妻」といわれる人たちは、ちゃんと法律婚をして産まれた女子がいても、外で「産ませた」男子の方が家督を相続する。財産はまた別ですけれども。家制度というのは徳川家と同じ構図ですね。その「庶子」は、嫡母子関係がありますから妻を扶養していく。つまり正妻が出されることはないけれども、実際問題になれば男子ができたから別れてくれということにもなります。子どもを産めない人は石女(うまづめ)と呼ばれていました。恐ろしい時代ですよね。あの当時は家を守るためにそういう制度がありました。

では、妻がほかの男性と関係を持って子どもを産んだ場合はどうなるか。これは罪になるわけです。男子は「でかした」となるけれども。「姦通罪」というのを聞いたことはありますか。姦通罪というのは男性にはありません。家制度を守るために正妻ではなく、法律婚をしていない女性が産むことを可としている。でも女性は姦通罪がある。男性が罪を問われるのは、例えば、夫がいる女性と関係を持った場合は、夫に対しての罪です。これが非常に差別的です。そして子どもができなければ離婚の理由にされる。こういう差別的な家制度の中で女性たちが苦しんでいて、戦後ようやく「男女平等」「法の下の平等」そして憲法24条ができて、建て前上は平等になった。これが家制度の廃止です。

新憲法で家制度廃止、だが別姓は憲法24条違反

家制度が廃止され、それまでさまざまな差別規定があったけれども、憲法が施行されたらそれに反する法律があるといけないわけで、大急ぎで民法改正が行われます。本来であれば、名前をそれぞれ名乗ることが平等だと思いますが、ここではできなかった。しかし民法750条では「夫か妻のどちらかの氏を名乗る」という建て前で平等になって、これはぎりぎり憲法に違反しないということでこの規定は残ります。憲法ができた直後は、今よりも憲法に対するリスペクトがあって、国会議員の中にも男女平等をもっと言うべきだということがありました。衆議院司法委員会で附帯決議がつきます。「本法は可及的速やかに将来においてさらに検討する必要があることを認める」。要するにこの規定は残るけれども、男女平等の観点から速やかに見直していかなければいけないのではないかというのが国会議員たちの考えだったと思います。

その後ずっと法制審議会は、議論をしていきます。しかし反対派、保守派がいるわけですね。憲法9条についてはもちろん変えようという動きがありましたが、実は憲法24条が制定されたときの方が抵抗は大きかった。24条をつくってしまえば「国体が護持できないんじゃないか」。「国体」はもうないんですけれども、「国体護持派」の頭の中にはまだ家制度のようなものがあるわけです。24条の草案を書いたのはGHQの民政委員として来られたベアテ・シロタ・ゴードンさんという方です。ベアテさんがあまりにも細かく書きすぎて、民政局の中で修正がされます。けれども、さらにそれを日本の国会議員に「これでは国体護持できない」という抵抗が9条よりもあった。このことは重要なことなんですね。9条改正論議のときに24条改正論議が出てくるのはなぜかということがわかります。

24条というのは、「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し」と書かれています。なぜ「両性の合意のみ」と書いたかというと、要件は民法に規定されているからです。例えば婚姻最低年齢とか、重婚ではないとか近親婚ではないとか、そういう要件は民法に書いてある。家制度で何が一番足りなかったか。それは「両性の合意」だった。ですからここに「両性の合意のみに基いて」と書いた。この改正論議をする人たちが「合意だけで結婚するというのはけしからん」と言うけれども、「いや、要件は民法にあるんです」ということになります。ですから民法の要件にさらに何か条件を付けるということは憲法違反になるのです。この夫婦別姓の議論は婚姻の要件には入っていません。別姓は「婚姻の効果」と言われています。婚姻届を出すとひとつの名前になる。夫か妻のどちらかの氏を名乗る、となるので、750条というのは「婚姻の効果」とされています。提出されたあとにひとつになるということで、「効果」なんです。

けれども、「要件は」、例えば今年4月から成年年齢は18歳になりました。婚姻は、女性は16歳から男性と同じ18歳ですね。そして4親等、いとこまでは結婚できるけれども、おじ、おば、甥、姪は近親婚になるので結婚できない。重婚もだめです。家制度は重婚的な関係になりますが、妻のほかに別の女性との婚姻関係は結べない。こういったことが婚姻の「要件」になっている。しかし別姓では婚姻届は受理されません。ですからこれは、本来は厳しい要件になっている。「効果」ではなく「要件」になっている。

そうするとこれは、憲法24条違反です。「両性の合意のみに基づいて」とあって、それ以外の要件については民法で定めていますが、民法で定めていないことを要件にすることは憲法違反です。わかりやすいのにこれを認めない。かろうじて「夫か妻のどちらかの氏を名乗る」という建て前の平等を取っているために、明らかに憲法24条違反ですと言えない人たちが今までは多かったんですが、「結果の平等」が取られていません。

いまも家制度的なものが残っている戸籍

去年の人口動態が今年の9月に発表になりました。95%は妻が名前を変えています。男性が変えているのはわずか5%です。全員が喜んでそうしているならば、別にそれが不平等とは言えないけれども、多くの女性がどちらかというと折れている。男性は結婚するときに、当然に自分の名前を名乗るだろうと思っていると思います。話し合いをしたということでもないと思います。形式的に平等と言っても、結婚したら女性は名前が変わるものと思っている人たちが圧倒的に多い。そして当然に「自分の家に来てくれる」という、まだ家制度的な考えの人はいっぱいいると思います。もう家制度はないですから、どちらにするかは話し合って決める。どういう結婚生活をするかということも平等でなければいけないのに、頭の中にずっと家制度的なものがあります。

家制度の名残がまだあって、それが戸籍です。家父長的な家制度の頂点には戸主がいる。新憲法下での戸籍には親子2代しかは入れません。昔はおじいさんが戸主だったらそこの子どもたちがいて、その人たちが結婚するとその妻と子どもまで入りました。家制度が廃止されると親子しか入れない。そして子どもが結婚すると新戸籍作成になります。ですから「入籍しました」というのは実は家制度の名残ですね。「入籍」じゃなく、「新戸籍作成」です。別に女性が「入籍しました」なんていう必要はないわけです。でもまだ家制度の名残がいっぱいある。その象徴が戸籍です。

戸籍の筆頭者というのは昔でいうと戸主ですが、いまでいうと名前を名乗る人、「夫婦の氏」として名乗る人が筆頭者になります。平等なので男女どちらが筆頭者になってもいいけれども、結局95%は男性が筆頭者になる。ヒエラルキーの家族のかたちの頂点に男性がなっているという考え方です。ですから、戸籍というのは建て前では男女平等といいながら、ほとんど平等になっていないと思います。筆頭者は男の人がなるものだと思っている人がいますね。私は大学を卒業したあと役所に勤めていて、最後の1年間が戸籍の窓口でした。戸籍の窓口って人生の節目に立ち会うことになりますね。出生から始まって婚姻、離婚する人もいるし、そして亡くなるという、節目のときに戸籍を見るわけです。ときどきパスポートをつくるために戸籍抄本、戸籍謄本を取る人たちもいますけれども、昔は筆頭者が右側にいて筆頭者の情報があって、そして妻になりました。今は電子でやっていますからそういうかたちじゃないですね。しかしこの戸籍というのは今も戸籍簿、原本はそうなっています。これを変えるのはなかなか難しいです。これが日本の家制度、そして、家制度がなくなったけれども戸籍というかたちで家制度的なものが残っているということです。

国際的男女平等の潮流に取り残される日本

 法律で同姓を義務付けている国は日本以外にありません。これは政府の正式な見解です。ですから「別姓で家族の絆が壊れる」と言われるけれども、日本だけが法律婚で同姓にしないと絆が壊れるということは、説得力がないわけです。他の国は、名前が違っていても絆がある。だいたい離婚する人たちは名前の問題で離婚はしないですね。DVとか性格の不一致とか不貞行為とかいろいろです。「絆」と言って反対している人たちは、私から言えば「絆」という名の「支配」です。絆と言えば正当性があるという感じですが、そんなことはなく、それぞれがお互いを認め合うことの方が絆は強まるわけです。沖縄問題とも似ていると思いますね。「日本全体の安全保障のためには誰か、一部が犠牲になる。それが沖縄」、「家族のためといって誰かが犠牲になる。多くが女性」のような、全体のために一部が犠牲になることを可としている国なんですね。これは9条と24条の問題なのです。しかし、これも日本が国際的な男女平等、ジェンダー平等の潮流の仲間入りをしたので、通用しなくなっています。

1975年は国際女性年と言われています。そこから国際的な男女平等の潮流がありました。ちなみに先ほど「庶子」「私生児」とか言いましたけれども、私たちは「婚外子」と言います。その「嫡出」、「嫡」というのは「正統な」という意味ですから、「嫡出子」とか「嫡男」とか「嫡子」というのは「正統な子」、そうではない「嫡出ではない子」「非嫡出子」というのは「正統ではありません」ということで、差別用語です。これがまだ民法に残っている。

キリスト教の国で「婚外子」というのは、「親の罪を背負って産まれてきた子ども」といわれて激しい差別がありました。フランスなどでも「婚外子差別」が非常にありました。それがなくなった。フランスは、もう半分以上がたぶん法律婚をしないという「婚外子」だと思います。ヨーロッパは欧州人権条約がありますから、そこで同じような人権レベルを保つんですね。あとから入ってくるときに人権条約に抵触するようなことは改めなければいけない。例えばトルコとかインドは別姓を認めていませんでしたが、変わってきた。それは世界の潮流の仲間入りをすれば、当然やらなければいけない。自国の差別的な法律を改正することは当然のことなので、トルコなども同姓を法律で義務付けていません。

日本はいまだにそうではないんです。1975年の国際女性年、そして1985年の女性差別撤廃条約に日本が加盟します。条約に入れば、条約締約国は責務として国内法を整備しなければいけない。ですから、定期的に審査を受けます。1985年に加盟して、もう第7回、第8回まで審査をやっています。本当は自国の差別を撤廃するために入っていったはずなのに、日本は条約機関からの勧告を守らないんですね。「法的拘束力はありません」などと言うけれども、勘弁してほしいです。法的拘束力がないのは当たり前です。あったら大変なことになってしまいます、拘束されてしまうので。でも、法的拘束力がなくても変えなさいという勧告があれば、それを守っていく。それが憲法98条2項の条約遵守義務で明記されています。「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする」と。自由権規約とか社会権規約、人種差別撤廃条約、子どもの権利条約、いろいろな条約に入って、いろいろな勧告を受けているけれども日本は守らないですね。国連中心主義とか常任理事国入りとか一生懸命やっているけれども、こういう人権機関からの勧告をことごとく守らず平気でいるという恥ずかしい国です。

1985年に女性差別撤廃条約に入りました。入るときに日本は差別規定がいっぱいあって、当時は入るための条件が3つありました。男性血統だけに国籍と認めている国籍法はあらためること、家庭科の男女共修、そして均等法をつくること、これをクリアして日本は条約に入りました。国籍法はいくつか課題があるけれども、日本人女性が外国人男性と結婚しても子どもには国籍がなかったんです。恐ろしいですよね。男性血統重視の考え方、家制度の考え方に近く、外国人の男性と結婚する日本人女性の子どもに国籍を与えないという考え方だった。それをあらためて1985年に条約に入りました。

男女雇用機会均等法はみなさんご存じのことです。これも問題はありましたけれども、一応男性と女性を差別しないというものです。それから家庭科の男女共修は、男性が技術で女性が家庭科ということだったけれども、これも改めなくてはいけない。しかし、これを改めたら、必修でなくなりました。結局、女性がやっていることを男性がやることに対して非常に抵抗があると、これはみんなでやりましょうとはならなくて、選択にしましょうという話になった。これがいいことかどうかわからないけれども、とりあえず女性だけが家庭科をすることはなくなったわけです。

民法改正の法制審議会答申に右派から激しい反対

1991年に法制審議会が民法改正の審議を始め、1996年に答申が出ます。当初は夫婦の氏とか再婚禁止期間とか婚姻年齢の議論だったけれども、1993年に「婚外子」の問題が国際的に非常に批判されます。それで1993年に相続分規定も入れて、5年議論して答申した。ここから、反対派-保守派が非常に抵抗をします。日本会議がなぜできたかということですけれども、「伝統的な家族」ということを非常に重んじるところですね。1996年に法制審議会が民法改正案要綱を答申した直後に反対運動が起きます。「夫婦別姓に反対し家族の絆を守る国民委員会」、こういう人たちが日本会議をつくります。こういう反対があったので自民党の法務部会は断念します。

1992年もひとつの節目の年です。1992年は「性教育元年」と言われていて、統一協会の「純潔教育」を推進する人たちが「純潔教育」をさせるために性教育に反対を始めます。ところが、性教育を進めている人たちは反対運動とたたかってはいるけれども、教育分野だったのでそれほど知られることはなかった。1996年法制審答申直後に反対する保守派の動きは、ここが一緒なんです。「純潔教育」をして、家族についても「男らしさ・女らしさ」「性別役割分業」の中で家族をつくっていくという考え方です。法制審というのは、審議会の中でも最も権威があるといわれているのですが、ここが答申して立法されないということはほとんどないんです。法律をつくりたいから法制審で議論していただきましょうという通過儀礼のようなものなのです。法務大臣の諮問機関ですから、普通はその年のだいたい2月くらいに答申します。通常国会は1月から150日間と決まっていますから、3月中旬くらいから予算が終わって法案が審議されますが、この法案は出されなかった。

翌年から議員立法が出されます。私は1997年ころ、民法改正をしてほしいということで国会をずっとまわっていました。社民党議員のところをまわったときに「あなた秘書にならない?」といわれて1997年から国会議員の秘書として仕事と活動が一緒になりました。1997年の国会ロビーをした日に、民主党が出した法案の審議が行われていました。それを傍聴していたところ、高市早苗さんが質問者になりました。議員立法は野党が出しますが、普通は事務総長に出したら議院運営委員会から所管の委員会に送付されます。そこから議論の採否を与野党で話し合いますが、珍しいことに民主党の案が法務委員会に付託されて、その法案の審議が行われました。

法務委員会の答弁者の席に民主党議員が座っていて、枝野幸男さんがいました。質問者に高市早苗さんがいて私もずっと見ていました。そこではじめて「通称使用で事足りる」と言うわけです。統一協会が夫婦別姓に反対していました。「通称使用の拡大」というのは不思議なんです。韓国は別姓ですから、「慰安婦問題」もそうですが統一教会が矛盾を抱えているのはほかにもいっぱいあるわけです。とりあえず反対派の人たちは「通称使用で十分だ」と言い始めたわけです。これは揺るがないんですね。

反対運動は、推進派側が動こうとすると動き始める。1996年の法制審答申は一番大きな動きです。「新しい歴史教科書をつくる会」というのはみなさん聞いたことがありますよね。だいたいやっている人たちは一緒です。高橋史朗さんとか八木秀次さんとか悪名高い人たちがいます。高橋史朗さんは、「生長の家」から統一協会、勝共連合そして「新しい歴史教科書をつくる会」、そのあと安倍さんの強い引きでいろいろな政府の会議に入っていきます。八木秀次さんもそうです。「新しい歴史教科書をつくる会」は「自虐的な」教科書を変えていこうと。「従軍慰安婦」のことが大きいけれども、当時の国会でもそういった議論がされてきます。「新しい歴史教科書をつくる会」といいながら、古い考え方の人たちがやっていて、1997年につくる会ができます。

1997年5月29日に「日本会議国会議員懇談会」が結成されます。これは日本会議が結成される1日前です。そこに安倍晋三さんとか麻生太郎さんが参加している。これは本当に夫婦別姓に反対するための運動です。要するに「家制度=国体」で、「国体護持」なんですよ。この人たちが日本会議をつくります。

2001年、法案は出るかと思ったら出なかった

家族に関する法制の世論調査は1975年から内閣府がずっとやっています。1996年の法制審答申のころから前回まで、同じような設問だった。今年すごく話題になりました。勝手に保守派が変えたと思われるかもしれないです。私は1975年からの世論調査を一覧にしていますが、ここで「夫婦の氏」について聞いています。1996年ころになると賛否が拮抗して、2001年に逆転して賛成派が反対派を上回ります。すると自民党の中で賛成派の議員たちが動き出した。自民党の賛成派で今でもがんばっているのは野田聖子さんですが、当時は笹川堯さんもいました。ちょっと右翼的な方だと言われていますが、実は議連の会長です。事務局長に野田聖子さんがいらした。「税調のドン」と言われていた鹿児島の山中貞則さんは、そもそも反対派だったけれども賛成派に変わり、議連の最高顧問でした。顧問に古賀誠さんとか野中広務さんとか自民党の重鎮たちがに名前を連ねます。

それで「行くぞ」という感じでしたけれども、ここでまた抵抗したのが高市早苗さんです。高市さんは、いまは無派閥だと言われていますが、当時は安倍さんたちと同じ派閥の清和会で、もう涙ながらに署名をとって反対運動をするわけです。2001年に、もしかしたら行くんじゃないか。そして森山真弓さんが官房長官になったときに「やります」とおっしゃったので、行くのかなと思ったら、まあ反対運動がすごいんですね。それで2001年頃はつぶされてしまった。法務部会には市民運動は入れてくれなかったけれども、「ようやくみなさんに法務部会を見せることができるようになりました」と。「昔は灰皿が飛んでいた」それくらい激しく保守派が抵抗していたわけですね。

私がちょうど出席したときに、山口県の保守派で弁護士出身の高村さんが、法務大臣を経験されて賛成派になったんですね。「高村家では別々の名前はだめだけれども、他の方たちが別々に名乗ることは賛成します」とおっしゃって、「これで行く」という感じだった。当時の保守派には、西川京子さんとかいましたが、山谷えり子さんはそのとき民主党でした。山谷さんは2001年に「世界日報」に「通称使用で十分」という論考が掲載されていました。山谷さんといえば性教育をバッシングしまくって、性教育副読本を回収にまで追い込んだ人で有名ですけれども、2001年のころは森喜朗総理に法案を早く提出してほしいという女性議員たちと一緒に要望書に名前を連ね、議員立法案の賛成者として名前を連ねています。

その後、民主党の中に自民党から出てきた人たちがどんどん入ってくると、なんとなくウィングが広くなって、反対する人たちも出てきます。その中に上田清司さんという埼玉県知事をやった人とか、吉田公一さんとかいう人たちが慎重派の会を民主党の中に立ち上げ、慎重派の声が大きくなって民主党が動きにくくなっていきます。最初、法案の賛成者には全議員を並べていても、だんだん少なくなっていきます。そして鳩山さんが代表だったときに「議員が増えたしいろいろな議員がいるのだから議論してくれ」とか、「党議拘束を外してくれ」などの申し入れがあり、「全党的な議論が必要だ」と言っています。それまで法案を出してきたのに、です。無責任だなと思いますね。

民主党の中にも、反対派が非常に動いてきました。山谷さんは民主党から保守新党へ変わり、落選もされた。落選されているときもバッシング派の意向、裏でいろいろ動いて自民党に入られる。自民党というのは保守本流、ウィングが広くてもハト派の人たちが中心だったはずなのに、もともと自民党じゃない人たちが激しくバッシングすることでアピールしてポストを獲得していく。山谷さんも、高市さんも、有村治子さんもそうです。こいうことで反対派の動きが非常に多く、法案は出るのかなと思ったら、出なかった。

そして2009年9月の政権交代ですね。政権交代して男女共同参画担当に福島みずほさん、法務大臣に千葉景子さんが就任しました。政権交代時の政権公約にはマニフェストではなくインデックスという、ちょっと格落ちしました。公約には掲げたけれどもいろいろな意見があった。法務大臣と男女共同参画大臣がやろうと言えば、やれると思ったところが、若干浅はかだったのかもしれません。実は「根回し」というのが重要なんですね。先に「やります」と言ってしまったので、これで反対派に火を付けてしまった。亀井静香さんという方が、国民新党で連立を組んでいる。そこは小さい党ですから主義主張を明確にしないといけないということで、反対を明確に打ち出した。法務大臣の千葉さんが「来年の通常国会で民法改正を行います」と言ってしまった。民主党の中にもいろいろな人がいて、反対派の人たちも非常に抵抗をしました。

男女共同参画、ジェンダーフリーに強いバッシング

もうひとつバッシングを受けるのが男女共同参画、ジェンダーフリーです。「男女共同参画社会基本法」が1999年にできて、各自治体で男女共同参画推進条例がつくられていきます。この過程でバッシングが始まります。2000年代です。性教育そして夫婦別姓、男女共同参画、ジェンダーフリー、これらを叩いている人たちは同じです。本来は性別役割分業を廃して個人を尊重するということですから「男」とか「女」ではなく尊重されなくてはいけないのですが、山口県宇部市の条例に、「男らしさ・女らしさ」を尊重するような規定が盛り込まれてしまった。これはたぶん統一教会系の人たちがものすごく力を入れたんですね。

宇部市の条例を参考に「全国でがんばろう」と言ったのが高橋史朗さんたちです。さいたま市で2002年に条例をつくるときに、長谷川三千子さんという方ですが、この人たちが激しく男女共同参画に反対をします。埼玉って東京に近いけれども非常に保守的なところです。そういう方たちが、さいたま市でも宇部市のような条例をつくろうと運動を盛り上げました。それに危機感を持った女性たちがものすごい抵抗運動をして阻止しました。

上田清司さんは民主党から出た方ですが、とても古い考え方というか、何度も何度も選挙に出て落ちて、保守的な人たちに支えられていた。そのとき自民党の土屋さんが知事でした。土屋さんは、議長も環境庁長官もいろいろやって、埼玉の男女別学についても自分は「分けない」、そして「重度の障がいを持っていても普通学級に」という考え方で、「文部科学省と喧嘩をしていた」という人でしたが、汚職などと言われて引きずり降ろされます。それに替わって知事に出たのが上田さんです。男女共同参画局の初代局長だった坂東眞理子さんが出馬したけれども、民主党から出た上田さんが当選しましたが、通ってからが大変でした。

上田さんは、2004年に高橋史朗氏を教育委員にしてしまいます。翌年の教科書採択で、「つくる会」の教科書を採択させようという運動が全国で広がっていました。この前に教育基本法の改悪について抵抗する運動が、共産党系と社民党系の教組が初めて力を合わせて反対運動をやっていました。この人たちの多くが社民党も共産党も一緒になって「高橋史朗阻止運動」をやりました。そして「教育と自治・埼玉ネットワーク」をつくり、私も社民党系からの共同代表として、共産党系と一緒になってあらゆる抵抗をしました。埼玉でされれば全国に広がっていく、「つくる会」の教科書採択が進んでいくという危惧がありました。

「新しい歴史教科書をつくる会」の副会長であった高橋史朗さんを教育委員にしたことは大変なことです。「つくる会」の会長だった八木秀次さんと上田さんが会った日に教育委員の起案をしている。高橋さんは公民教科書の監修者でした。教科書採択というのは大きな公共事業ですから、そこに教科書の監修者であった高橋さんが入るということは大変なことです。ただ検定中だったので、検定中の情報は公開しないというのが原則です。高橋さんは関わっていないと言いながら、実はその日に教科書の監修者の削除申請までやっていた。公開されないことを利用して検定中の教科書から削除申請をしたんです。

藤岡信勝さんは、「反対運動はけしからん。事実ではないことでやっている」と言っていました。これについては衆議院議員の川内博史さんが委員会の場で明らかにしてくれました。川内さんが文科省に質して、検定中のことでしたけれども異例の公開になりました。「削除申請がなされております。申請したのが八木秀次さん。『新しい歴史教科書をつくる会』の公民教科書の監修者から高橋史朗さんを削除するという申請が出ております」ということを明らかにしてくれました。私たちはそれで採択協議会に絶対出させないということをやって、引きずり降ろして、「つくる会」の教科書の不採択運動をやりました。ですからその年は、多くのところで「つくる会」の教科書は採択されていません。「つくる会」はなお抵抗してあちこちでやりました。そのあと中高一貫校とかいろいろなところで採択を狙っていきます。上田さんは何がだめかというと「従軍慰安婦はいなかった」と言っています。従軍看護婦というのとは違うと言いながら、「『慰安婦』はいなかった」と言いたいわけです。

杉田水脈ら女性右派議員の激しいバッシングは

杉田水脈さんもそうですね。なぜ彼女が自民党でこんなに活躍できるのか。彼女はもともと維新でした。昨日、伊藤詩織さんへのヘイトに「いいね」をしたということで罰金の判決が出ましたね。彼女が維新の先輩から「『慰安婦』問題は女性がやった方がいいよ」とささやかれて、それで「私の居場所はここだ」と思うわけです。そこで「慰安婦」問題の追及を始めて、「何回も何回も謝っても、いろいろ言ってくるんだからもういなかったことにしよう」とか言うのです。公式の場で言われるから本当に困ります。彼女は内閣委員会とか法務委員会に所属していて、ウェブサイトにいろいろなことを書いていたので、私は証拠として取っています。政務官になったりすると消しちゃったりするからです。

杉田さんが公式の場でやってきたヘイト。例えば最高裁が「婚外子」差別を違憲だと判断したときに、「なぜ国民から選ばれた私たちが最高裁に従わなければいけないのか」と法務委員会で言っていた。最終判断をするのが最高裁になっていますから、国会はそれを守らなくてはいけないわけです。そうしたら、さすがに谷垣さんが「いやそれは憲法にそう書いてあるんです」と言われていました。それから、杉田さんは「女性センターは左翼の巣窟になっている。『週刊金曜日』とか左翼系の雑誌が置いてある。なぜ『WiLL』とか置かないのか」などと委員会で言っていました。女性差別撤廃条約は「撤廃しろ」と言っていましたが、「撤廃」する権利はないんですよ。「脱退」くらいにしておけばよかったのに。でも日本が脱退するということは、日本が世界で孤立する道ですね。

杉田さんは落選しているときに、中山恭子さんら保守の人たちと活動します。激しく「慰安婦」問題をバッシングしていたのは、次のポストのためです。私も女性だから本当に残念だと思いますが、政治の世界で、女性が男社会の中でポストを得るというのは大変なことなんです。有名人でもなくバックに団体がいないから、激しくバッシングしてアピールしないとなかなかポストに就けない。新規参入が難しい世界です。民主党政権のときに、森雅子さんとか丸川珠代さんたちが民主党をバッシングして、「あっけらかん」とか「愚か者」とか激しい言葉を使ってアピールする。そうすると政権交代のときにだいたいポストに就いている。山谷えり子さんはこれが功を奏して拉致問題担当大臣になりました。その前に男女共同参画基本計画策定の時に、内閣府の補佐官をやっていたのでそこで性教育バッシングをしたり、基本計画を後退させようとする動きもやっています。ですから「行政を歪めたことはない」と岸田さんはおっしゃっていたけれども、よく言うなと思います。男女共同参画行政を歪め、教育行政を歪めました。教科書の検定に明らかに介入した。憲法違反です。教育基本法にも違反している、それが安倍さんたちなのです。

民主党政権のときにも法案成立せず

民主党政権のときに参議院と衆議院の法案提出勢力が過半数だったのは、2010年の通常国会だけです。2010年夏の参議院選挙では選択的夫婦別姓について反対派がすごく巻き返して、民主党の候補者でさえも反対にかわった人がいます。桜井充さんという方は宮城県から出たときに、「夫婦別姓賛成」と模範解答のようなアンケートの回答が来ました。ところが自民党も勢いづいていたし、民主党の保守派の動きもあって、堂々と反対を言われるわけですよ。同じとき、千葉さんは大臣でありながら落選された。推進派の人が落ちて、反対派が息巻いてくる。民主党の中で反対を堂々と言えるような状況になったということです。

自民党内で、高市さんは「通称使用で十分だ」とか「オーソライズする」とか言ったけれども、全然オーソライズしないですよ。選択的夫婦別姓が実現しようとすると、その反対のツールとして持ってくるのが通称使用論です。2009年の民主党政権のときに、高市さんは法制局に法案をつくらせます。森雅子さんが法務部会長でしたが、民主党政権でやるかもしれないということで通称使用の法案化の準備をしたのです。私は、たまたま自民党の議員から「この法案を見てくれ」と言われて見ました。そうしたら通称使用すべてに戸籍名を付記するという、いまより酷いものでした。でも、法務部会では「どうも民主党もまとまりそうにないから我が方も時期尚早で、やる必要はないんじゃないか」ということで終わったのです。

ですから通称使用の拡大でがんばっているなんていうのはいい加減であって、反対のためのツールとして使ってきたのが自民党の通称使用派です。昨年動きがあったときも、通称使用で十分だと言っています。ここまでが民主党に政権交代して、それからまた自民党にかわる直前のまでの話です。

国会内で一緒に叩かれる男女共同参画や性教育

男女共同参画の審議会の議員は真っ当なのでそれなりに基本計画は書かれていきます。第2次なると激しいバッシングに遭います。2005年、郵政民営化の選挙があって自民党が圧勝します。そのときに自民党で郵政民営化に反対を唱えた人は公認されず「刺客」を立てられました。野田聖子さんは郵政民営化に反対したので「刺客」を立てられた。佐藤ゆかりさんという人で、夫婦別姓に反対の人、野田さんは賛成です。野田さんは選挙に強いので勝ちましたが、公認されないと比例復活がないので、小選挙区で勝たないといけない。ですから、みんな総裁の言うことを聞くわけです。そうすると2005年の小泉さんの郵政選挙、それから安倍さんが力を持つわけです。そして自民党の中で選挙の公認権とか、お金もそうですが、ポストを得るためにその人の考え方に近いことをどんどん言ってアピールするという議員が出てきます。

2005年5月に「過激な性教育・ジェンダーフリー教育の実態調査プロジェクトチーム」というのが自民党の中にできます。男女共同参画と性教育が一緒に叩かれました。性教育副読本とか七生養護学校で使われた教材を持ってきて陳列して、自民党本部の大ホールでシンポジウムが行われました。私は実は潜入して全部ビデオを撮っています。安倍さんがプロジェクトチームの座長、そして事務局長が山谷えり子さん、司会が萩生田光一さん。これを進めていたのが統一協会の方々です。安倍さんはそこで、「ジェンダーフリーを進めている人たちというのは家族の絆を断ち切っていく」、「家族同士を密告させる」、そういうことをさせて家族の絆を断ち切る。「そういった点においてカンボジアのポル・ポトを思い起こす」と言われた。「ポル・ポト発言」をやっています。総理になったときに朝日新聞が社説で「ポル・ポトになぞらえてジェンダーフリーを進めている人たちを貶めた」と書いた。要するにヘイトが堂々と国会の中で論じられるようになってくるわけです。これが安倍さんです。

2005年のジェンダーフリーはどうなったかというと、「家族の多様化」ということが問題視された。性教育は文科省がストップしてきました。それだけではなくて男女共同参画社会基本法の推進条例も、基本計画にも影響してきます。それから、教科書検定に介入するというのは明らかに憲法違反で、教育基本法違反です。そこに政治が介入していった。七生養護学校もそうだけれども、山谷さんたちは政治介入と断罪されて反省していただかなくてはいけないんです。これが性教育の問題です。そのあと安倍さんは「美しい国へ」という本にそのことを書いています。

直前に消えた女性差別撤廃条約・選択議定書の批准

2000年ころから、2005、6、7、8、9年と、民主党政権になる前も国会の中で本当にさまざまな法案が歪められました。例えば、国籍法3条があります。女性差別撤廃条約に日本が入るために男性血統を父母両系にしたということを話ましたが、もうひとつは女性が日本人ではない場合です。当時は、フィリピンの女性と日本人の男性が法律婚をしないで産まれた子どもは国籍がなかったんですね。「胎児認知」をすれば国籍を認めました。お腹にいる間に認知をしておけば国籍があるけれども、出産したあとに認知しても国籍は認められなかった。これもおかしな話です。国籍が認められるには、帰化をするか法律婚をするなどしなければ国籍は与えられなかったのです。

これが2008年に憲法違反と断罪されます。最高裁判断に従うのは当然のことで、2008年11月に政府が国籍法改正を閣議決定しました。そのあと排外主義が跋扈します。国会のまわりでものすごい反対運動が起こりますが、閣議決定はしている。

2009年に、今度は女性差別撤廃条約の選択議定書が女性差別撤廃条約の対日審査が行われる直前、自民党の中でものすごく反対する動きがありました。選択議定書というのは個人通報制度で、何か新しい法律をつくったりすることはありません。それが自民党の中で議論されたときに激しく抵抗したのが山谷さん、西川京子さん、稲田朋美さんでした。

女性団体は、国連の女性差別撤廃条約の審査が直前になっているけれど、なんとか条約調印できないかと森山さんに相談した。森山さんが「我が党は、現在の女性局長は山谷えり子さんだから難しいだろう。しかし女性に関する特別委員会というのがあって、そこに南野知恵子さんという方がいらっしゃるので、南野さんだったらこの議論はできるかもしれない」といわれたので南野事務所に行きました。そうしたら南野さんが「やりましょう」とおっしゃった。「これは問題ないですね。ただ『慰安婦』問題を絡めると難しいことになるよ」といわれたので、これを絡めないで個人通報制度の議論が自民党の中で始まったんです。何度も議論を重ねて、外務省も法務省も司法の独立の問題は終わりましたというような話でした。これで「さあ行くぞ」という話だったけれども、議論の積み重ねに来ない議員が、最後の決めるときに来てひっくり返すということはよくあることです。

女性に関する特別委員会で決まって、選択議定書は条約ですから外交部会に上げるわけです。そのときに反対派がどっと来る。自民党本部の前に右翼の街宣車まで来たんですよ。2009年の通常国会です。反対派は「2008年の国籍法の二の舞になるな」です。要するに外国人の「偽装認知」が増えてけしからん、というようなことを言って潰した。もうあと一歩というときだったんです。自民党や公明党も賛成していたし、民主党や共産党などすべての党が賛成したのに、自民党の一部の人たちがこれをつぶしにかかった。

反対派は、FAXで攻勢をかけるわけです。ここが統一教会系の人たちです。例えば、「この運動をやっているのは夫婦別姓をやっている人たちだ」とか、「性教育を進めている人たち」「共産党」「朝鮮総連の女性同盟」ということも書かれました。そういう自分たちとは違う考えの人たちのことを入れて、FAXでいろんな国会議員に送るわけです。南野さんが「こんなに来ているわよ」と言って、見せてもらったらやっぱりキーワードがあります。キーワードは「夫婦別姓」とか、「日教組」とかですね。安倍さんが予算委員会で「日教組、日教組」と言ったじゃないですか。同じ手法で、おどろおどろしく書くのです。

安倍政権下で超右派を男女共同参画の委員へ

自分の考えと違う人たちを、嫌いなキーワードを付けて貶める手法は、安倍さんがやったことです。「日教組」「反日」「極左」とか。国会でもそういう言葉を使って杉田さんとか山谷さんとか稲田さんがどんどん加担していく。反対派がそろって政権の中枢に入っていくわけです。政権交代で政権を奪還して安倍さんが総理になる。安倍さんを待望する人たち、安倍さんが総理になったら自分たちもいろいろなポストに就きたい人たちがいるわけです。高橋史朗さんとか八木秀次さんとか。2002年から全国の自治体に男女共同参画審議会があって、高橋さんはそこに入っていく。仙台とか東京の荒川にも入りました。そこで条例をつくっていくわけですね。そして次には教育に介入する。岸信介さんというのは労働組合つぶしと教育に手を突っ込んだ人。これを安倍さんが、おじいさんの思いを継ぐ。勝共連合、統一教会も岸信介さんからです。統一協会の下村さんたちもそうで、同じような人たちがやっているわけです。

2013年に高橋さんを男女共同参画会議の議員にします。安倍さんの肝いりです。男女共同参画会議というのは、経済財政諮問会議とか防災会議と並ぶ政府の重要会議です。男女共同参画を進める人たちも、大学の教員たちが審議会に入って議論していきますが、その手法を反対派も使い始めます。なぜ安倍さんが高橋さんを入れたかというと、「伝統的家族観を崩す方向への動きを是正するため」でした。多様化して個人主義になったなどといって、そうではない家族をちゃんとつくりたいという思いがあって高橋さんを入れた。南野さんは自民党の同じ派閥ですけれども、リプロダクティブ・ヘルス財団をつくった方ですから、山谷さんは宿敵です。高橋さんもそうです。高橋さんが性教育副読本を「焚書」するシーンがあります。勝共連合系企業がつくったビデオの「過激派の狙い」などといって本当に焚書するんですよ。私も見ましたが、性教育を憎むというか、もう常軌を逸しています。このようにバッシングしてきた人を男女共同参画会議の議員にするというのは、衝撃の何ものでもないわけです。安倍さんは「美しい国へ」という本で書いたことを、ひとつずつ実現させていきます。

信念などどうでも良かった安倍首相

当然反対運動が起きますし、私たちももちろん要望書を出す。南野さんに言ったら飛んできて、「けしからん。高橋さんは性教育を否定している、何とかしましょう」と。南野さんは、同じ派閥の先輩議員になるわけですから、安倍事務所もそうですが、私たちみたいな「左翼」の運動家が行ってもいつもは会わないんですけれども、みなさん会ってくれるわけです。

実は細田さんのところにもいきました。このときは幹事長代理、その前は幹事長でした。細田さんは、「あの人たちはね、『神様系』だからね」と言われました。そのときは統一協会って気付かなかったんですね。そうしたら「神様系」というのは統一協会だったということが後からわかったんです。細田さんは統一教会問題で同じように批判されているけれども、安倍さんとか山谷さんとは違うんですよ。つきあいで行くとか、「集票マシーン」になっているから、そこに敬意を表するというところです。萩生田さんもそうです。萩生田さんなど「冷や飯を食っている人たち」は、次にまた落ちることは絶対にあってならないわけで、自分を応援してくれる人を必死になって応援します。

安倍さんというのは、「ノンポリ」かなと思うくらいどうでもいいと思っていたと思います。憲法改正だって、在任期間最長だといっているのにできなかった。拉致問題だってそうです。でも自分のために一生懸命になってくれる人を厚遇するのが安倍さんです。山谷さんもそうです。安倍さんは「みんな違って、みんないい」とか本会議でいうわけです。OECDなどの国際会議に行くと、「女性活躍」を高らかに主張して、日本に帰ってくると声高に反対する。

ですから、あれだけ国際的に評価されるというのは、真っ当なことを言ったりするからです。でも日本で違うことを言うから自己矛盾を感じないのかなと思ったら、「ああやっぱりノンポリだったんだ」と思います。統一協会がいっていることはちゃんとやらなくちゃと思っているわけですね。最高権力についていて最長期間いたわけですが、憲法改正なんて本当はどうでもよかったんだろうなと思います。拉致問題なんて最重要課題とか言いながら、どうでもいいんだろうなと思います。人権の問題ではなくて、いわゆる北朝鮮を叩きたいというツールとして使っているだけだなと。百歩譲って拉致被害者を人権というのなら、拉致以外の人権にはまったく関心がないと言えます。「女性」とか「障がい者」とか「子ども」とか散々差別しているし、それを放置している。

安倍さんが亡くなって、ちょっと変わったなと感じたことがあります。今年の2月14日に「嫡出推定」などで法制審議会が答申しました。「無戸籍問題」――離婚後300日以内に産まれた子どもは前夫の子どもになるという規定でした。これが社会問題になったのは2007年です。これに強硬に反対したのが稲田さんとか山谷さんという人たちです。あのときは中川昭一さんという人もいました。要するに「不貞行為」とか「性が乱れる」とかわけのわからないことを言っていました。「夫婦の不貞行為」って長勢甚遠法務大臣も言っていましたね。そうやって反対してつぶしてきた。ところが今国会は2月14日、バレンタインデーに法制審の答申が出て、今回は自民党の了承がめちゃくちゃ早かった。いま行われている臨時国会で法改正がされます。これが、安倍さんが亡くなって、反対派の後ろ盾がなくなってきたのかなと思います。

高市ら、反対議連立ち上げて地方へも働きかけ

私は2005年からこの嫡出推定、無戸籍のことは相談を受けていたので法務省に交渉したりしていましたが、「変える必要はないです。合理的です」とか言って、まったく聞いてもらえなかった。ところが毎日新聞が大キャンペーンを無戸籍問題でやったおかげで2007年5月に通達が出て、ある程度運用の見直しがされて、実態調査もされて法制審で議論されて答申が出ました。しかし2007年というのはすでにジェンダーバッシング、性教育バッシングそして夫婦別姓のバッシングが激しく、2008年の国籍法の違憲判決が出たあとに排外主義が出てきたので、法改正なんてできません。民法は基本法ですから、通常国会でやるだろうと思っていましたが、臨時国会で自民党がこれを了承したと聞いて本当に驚きました。「嫡出」の「嫡」は「正統な」という意味です。その用語について、かつての民事局長は次の改正の見直しのときの検討課題になると言っていたのに、反対する家族法学者がいてこれをつぶしてしまいました。他にも課題はありますが、法改正されることになりました。

安倍さんは情勢が厳しくなると、体調が悪くなることが何回もありました。それで菅さんが総理になった。菅さんは2006年に、夫婦別姓の賛成派でいろいろ発言されています。2001年の世論調査で賛成が多いときに、自民党が動き出して議連ができたときにも名前を連ねていました。これを使わない手はないと思っていたら、ちょうど読売新聞の大きな記事に菅さんの言葉があって、「困っている人がいる以上、解決するのが政治の責任だ」って格好いいことをおっしゃっている。私はこれをコピーして国会議員に配ったら、小池晃さんが「これはいいね」と言って予算委員会で追及されました。上川さんがそのときの法務大臣で、男女共同参画大臣を経験した推進派なんですよ。

上川さんも市川房枝記念館の機関誌に「私は夫婦別姓をやるために国会議員になった」と書いていて、ウェブサイトにまで載せていた。「こんなのもありますよ」といったら、小池さんが一昨年の最後の予算委員会の質問で「総理そして法務大臣、所管の大臣2人がそろって賛成。これはやりましょうよ」と言った。そうしたら菅さんが「私は賛成と言ってきた責任があると思っている」と言われたので、予算委員会室がすごく沸いたんです。それが潮目になって、自民党の中に浜田靖一さんが会長になって議連が立ち上がったんです。それで「これで行くぞ」という話になって、野田さんも「お待たせしました」と言われたんです。

総理の発言というのは重たいんですよ。森友学園の籠池さんの事件がありました。当時の安倍総理が「私や妻が関わっていたら総理だけじゃなくて議員も辞める」とおっしゃってどうなったかということです。菅総理の予算委員会での発言で潮目が変わったと言われた。それで夫婦別姓に向けてものすごく動き出した。ところがまた高市さんは、反対派の議員の会を立ち上げた。そして丸川さんたちと一緒に、各地方議会で意見書が上がっている動きに歯止めをかけたいと思って、自民党が議長をしている地方議会の議長に、反対の自民党議員の連名で夫婦別姓に賛成しないでくれ、そういう意見書の決議をしないでほしいというようなことを書いて出した。国会で追及されましたけれども、これは地方議会に対する冒涜ですよ。反対派の安倍さんがまだ生きていたときです。

岸田さんはもともと賛成派ですけれども、だんまりになってしまった。今年1月に、日弁連の弁護士に対して、「これは重要な問題だと思っている」と本音を言っています。反対派とは違いますが、「安倍さん待望論」というのもあったわけです。岸田さんがこういう状況で、人の話を聞き過ぎて振り回されている。国葬も、唆されたと思うんですよね、でもそうは言えない。安倍さんが亡くなったので反対派がどう動くかというのは注視しているところです。

慰安婦問題では国際社会からもあがる日本批判

後ろ盾がない議員というのは厳しい状況になってくると思います。特に杉田水脈さんは昨日(10月21日)の判決もそうです。比例単独の当選で、「杉田水脈」と書いてもらった選挙をやっていない。選ばれていないんです。けれども、統一協会に選ばれたんですね。ですから、統一教会の主張をすれば、票も金もまわってくる。力のない人たちが、統一協会から応援され議員になっていく。反対の主張をすれば、公認してもらえないこともある。そうなれば、みんな命がけになりますからね。こういう政治状況が政策を歪めてしまいました。この象徴が夫婦別姓だと思います。
杉田さんはいま大臣政務官です。就任会見では杉田さんに資質を問う質問が集中しました。浪人中は「慰安婦」問題を監視し、アピールするために国連にも来ています。2016年2月に女性差別撤回委員会で第7回、第8回の対日審査が行われました。この直前の12月に日韓合意があったので、「慰安婦」問題は解決したと主張しに行ったのが政府代表の杉山外務審議官です。審査の前に中曽根さんや稲田さんが、「慰安婦」問題で日本が主張すべきことは主張すべきとして文書を官邸に持ってきます。そこには「朝日新聞」「性奴隷」「20万人」とかキーワードがあって、そういう言葉を使って、「慰安婦」問題は事実ではないと日、国連の場で審議官が言うわけです。

そうすると、中国とかイスラエルとかいろいろな委員から猛反発される。特に中国から反対される。普通は国連の委員に対しては、いろいろ厳しい意見があったとしてもそこは敬意を表しますね。ところが杉山審議官は中国の委員を罵倒する。そういう態度に対しても厳しく指摘された。それを傍聴していたのが杉田さんで、それで「がんばった」とか言うわけです。その3か月後に杉山さんは外務事務次官になります。

国連の審査のときに、杉田水脈さんは私たち運動側を「中国共産党のまわし者」とか言うんですね。アパホテルのアパ日本再興財団が懸賞論文集を出していて、第1回は田母神さんが最優秀賞を取りました。ここに杉田さんは何度も何度も出てきて、要するにお小遣いをもらうわけです。このとき出したのが「国際機関における反日プロパガンダの正体」というものです。「共産党のまわし者」くらいは違うというのがわかるけれども、NGOを「小汚い」などと。彼女は節度というものがないんですね。マイノリティのことも在日コリアンの人たちがチマチョゴリを着ていると「コスプレ」とかいうわけです。こういう人が国会議員でいることが恥ずかしい。事実じゃないことも事実であるかのように「ウソを100回言えば」というのを国会の場で言ってきた。「慰安婦」問題をやっていた「松井やより」という名前を出すことも、彼らにとっては「左翼」の「反日」とか「日教組」「極左」と同じで、「松井やより」もキーワードです。

性暴力問題をやっている弁護士の伊藤和子さんのこともめちゃくちゃに、事実でないことをいうわけです。女性差別撤廃委員の林陽子弁護士を「松井やよりの後継者で福島みずほ氏らと『慰安婦』問題を世界に広げた第1人者」と書いていますが、「世界に広げた」のは、反動の動きです。ヨーロッパで日本に対する決議が出されたのは「慰安婦」問題です。日本は友好的で同じような民主主義の国ということで敬意を表されていたはずですけれども、この「慰安婦」問題では厳しい意見書が出ています。

反対派はアメリカの「ワシントンポスト」に、「THE FACTS」と題して「慰安婦」問題を書いています。それが批判されますが、こういうことが「慰安婦」問題を世界に広げてくれたのです。これが反対運動の人たちがやってきたことです。

ウソを国会質問で吹聴する杉田水脈ら右派議員

ただ国会で質問するときに、事実じゃないところからスタートすることは生産的ではないですから、そこはきちんとやっていただかなければいけません。例えば内閣委員会で杉田さんは「wamというところは」、(wam女たちの戦争と平和資料館)「2000年からソウルと手を組んでやっている」と、内閣委員会で発言する。ところが2000年はまだ立ち上がっていません。事実ではないから議事録から削除してくれとwamから言われても、委員長は議事録の修正は議員本人から申し出があってやることだと言い、杉田氏も応じずに削除されません。普通は自分が間違っていれば訂正します。けれども、ここは頑として変えません。そして委員会の議事録はずっと公開されない実態になります。本人が全然修正する気がないので、大河原雅子さんがそれをひとつひとつ委員会で批判して訂正し、議事録に残すことで解決したみたいです。国会を冒涜していると言わざるを得ないですよね。

片山さんは生活保護者をバッシングするなど弱い者を叩いたことで有名ですけれども、彼女も外交防衛委員会で「この林さんという委員長はどうも偏った考え方のようですね」というわけです。当時の国連女性差別撤回委員会の委員長は林陽子さんという弁護士の方でした。杉田さんが言ったことを鵜吞みにして片山さんが委員会で言うわけです。それで「慰安婦問題の真実」というわけのわからない団体の署名を預かってウェブサイトに載せている。この人たちはアピールしてナンボで、「慰安婦」問題だと勝共連合とか。国会でそういうアピール合戦をしてポストに就こうとする人たちです。私は「山谷えり子研究」というのをやっていました。ここに年表もあって、山谷さんは「世界日報」に「通称使用で十分」と書いています。みなさんいま必死になって過去を暴かれないように消そうとしていると思うんですけれども、こういうところに書いていると変えられないわけですね。

尊厳を保障すべき単位は「家族」ではなく「個人」

夫婦別姓の問題に戻ると、第3次訴訟が来年提起される予定です。第1次訴訟は2015年に最高裁が判決を言い渡しましたが、そのときの裁判長は元民事局長です。法制審の議論が行われたときにも関わっていたので当然よくわかっている人なのに、「現行の夫婦同姓規定は合理性がある」としました。また、「選択的夫婦別姓にすることは憲法違反ではない」と。これは当然ですよ。しかし「議論は国会で」と国会に委ねました。立法政策の問題だからといって国会に遠慮する。国会がやらないから司法に訴えたのに、またボールを国会に投げたのです。

最高裁は、国会で議論することが望ましいとか言っているけれども、1996年から四半世紀も経っているのに、法改正されていないのです。今年も小法廷の合憲判断が出ました。司法は「人権保障の砦」ですから、合理性があるかないかの判断をするところではないです。行政は合理性があるかないかで判断しますが、司法は、憲法で保障された権利が守られているかどうかを審査するのが役割なのに、合理性があるかを判断してしまう。

 今日は男性の方が多かったので夫婦別姓の問題は名前の問題だけじゃないということで、運動をぜひ一緒にやっていただきたい。「国家」というのは「国」と「家」と書きますね。国の問題と家の問題はつながっている。憲法は個人の尊厳を謳っているので、本当は「個人」にならないといけないけれど、「家族」が最小単位にされてしまっている。9条と24条は密接に関係しているということでもあります。

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