私と憲法257号(2022年9月25日号)


「新たな戦前」にするな

「台湾有事」扇動と岸田政権の危機

8月31日自民党の麻生太郎副総裁は麻生派の会合で、「台湾有事」を念頭に「日本でも戦争が起きる可能性は十分にある」とのべた。「少なくとも沖縄、与那国島、与論島にしても、台湾でドンパチ始まるということになったら、それらの地域も戦闘区域外とは言い切れないほど、間違いなく国内と同じ状況になる。戦争が起きる可能性は十分に考えられる」と発言した。

政治家が戦争を「ドンパチ」などというのはきわめて危険で、不見識な許しがたい発言だ。しかし、この「戦争の起きる危険」という認識は自民党の中では異端の考え方ではなく、岸田文雄政権の場合でも安保防衛政策の基本認識だ。

2021年12月1日、故安倍晋三元首相が台湾で開かれたシンポジウムにオンライン参加し、その基調講演で「日本と台湾がこれから直面する環境は緊張をはらんだものとなる」「尖閣諸島や与那国島は、台湾から離れていない。台湾への武力侵攻は日本に対する重大な危険を引き起こす。台湾有事は日本有事であり、日米同盟の有事でもある」と語ったことがある。これは東アジアの情勢が「日本有事」(戦争)に直面しているという認識だ。

ペロシの訪台を契機に米中間では緊張が高まっているが、米国の中国に対する軍事挑発は日本の南西諸島と自衛隊の軍事協力を前提としている。軍拡と敵基地攻撃能力保有を進める自衛隊が矢面に立たされるのは火をみるより明らかだ。

米中間の緊張の増大と、台湾海峡の危機の拡大という情勢の下で、いま日本の政治家は「好戦主義者」の尻馬に乗って緊張を煽り立てるのではなく、対話による緊張の緩和の橋渡しをすることだ。日中国交回復50周年、日朝平壌宣言20周年の今年、それこそが求められている。本来は東アジアの平和を実現するための絶好の機会であったはずだ。

しかし、自民党内の伝統ある宏池会という派閥の魂を売り渡して安倍派に支えられて成立した岸田内閣は、その安保防衛政策の核心に「台湾有事は日本有事」という考え方を置き、安倍晋三亡き安倍派の支持を得て、政権を維持しようとしている。このことが安倍国葬実施を異例の速さで決断した背景だ。

だが、事態は岸田首相が期待した方向とは真逆に展開している。

カルト集団の統一協会と自民党、とりわけ安倍派との癒着が暴露されるにしたがって、自民党への不信は拡大し、内閣不支持率と安倍国葬に対する反対は急増し、いまや政権支持率は危険水域と言われる20%台にまで落ち込み始めた。

岸田内閣の支持率はマスコミの調査でも8月から比べて、9月はおおきく下落している。
(毎日)36%→29%、(朝日)47%→41%、(産経)54.4%→42.3%、(共同)54.1%→40.2%、(日経)57%→42%、(読売)51%矢印→50%、という具合だ。自民党内第4派閥でしかない岸田内閣は大動揺だ。リーダーを失った清和会(安倍派)も後継体制すら定まっておらず、岸田政権を支えるにはおぼつかない。

これでは一時期囁かれた参院選勝利後の「黄金の3年」どころではない。統一協会疑惑に揺さぶられて、自民党はいまやガタガタになり、岸田のあと2年の任期中にも解散・総選挙すらありうる情勢になりつつある。

未曽有の大軍拡を企てる岸田政権

それでも自らの政治生命の維持を考えれば、岸田内閣にとっての選択肢は安倍路線の継承しかない。かつての安倍政権と同様に、中国と覇権を争う米国の対中国包囲作戦のお先棒を担ぐしかないのだ。

昨年3月、米インド太平洋軍のデービットソン司令官が「今後6年以内に中国が台湾進攻する可能性」について米議会で証言してから、やたらと多くなった中国による台湾軍事侵攻作戦の可能性論だが、安倍元首相などもこの議論に乗って、「台湾有事」を声高に叫ぶようになった。バイデン米国大統領がいうように「台湾有事に対する米軍の介入」を実行するとすれば、最前線の部隊は在日米軍しかない。とりわけ沖縄を含む南西諸島はその最前線だ。米中が衝突すれば安保法制にもとづいて自衛隊は物資の補給や米艦の防御に出動する。当然のことながら出撃拠点の米軍基地は相手から見れば攻撃対象だ。まず南西諸島が攻撃対象になることは不可避だ。岸田内閣が語る「敵基地攻撃能力の保有」はこうした文脈の中で語られている。先の沖縄県知事選で、辺野古新基地建設の是非が真っ向から争われ、玉城デニー知事が圧勝したのは、平和を希求する沖縄県民の強固な意思表示だ。

政府は年内に「国家安全保障戦略」「防衛計画の大綱」「中期防衛力整備計画」の防衛3文書の大幅な改定作業を進めようとしている。この中で「防衛力の5年以内の抜本的強化」が企てられている。

防衛省の2023年度予算の概算要求では、「敵」のミサイル発射基地などを破壊する「反撃能力」(従来は「敵基地攻撃能力」と呼称)を保有するために、22年度当初予算比3・6%増の5兆5947億円と、過去最大規模となった(防衛費に関しては、金額を明示しない「事項要求」が認められており、今回は年末に実施される「防衛3文書」の改定に伴って金額を確定できないという理由がつけられており、それが異例の100項目に上っている)。

事項要求の筆頭は敵の射程圏外から攻撃できる長射程能力を有する「スタンド・オフ・ミサイル」で、従来の数百キロ程度の射程能力を1千キロ以上に伸ばすため陸上自衛隊の「12式地対艦誘導弾」改良費に272億円を計上したうえで事項要求した。この改良型が南西諸島に配備されれば中国沿岸部や朝鮮半島全体を射程に収めることが可能になる。23年度からの量産費用も事項要求とされた。また音速の5倍以上で飛行する極超音速誘導弾の研究費用も事項要求とされた。

この結果、緊張するアジア情勢の中で5年後の日本は、軍事費がNATO並みの対GDP比2%以上の世界第3位の軍事費大国となり、米中の覇権争奪戦のなかで、米国に従属し、欧米諸国と同盟し、台湾有事から日本有事へと突き進んでいく政策を進めようとしている。
これは日本国憲法が描く国の姿とは似ても似つかない国家だ。

立憲主義を破壊する自民党政権

9月27日、世論の圧倒的な反対に耳を貸さず、安倍元首相の国葬が強行される。世論の圧倒的多数の反対と、野党第1党の立憲民主党を含め、共産、社民、れいわなどの野党が反対したままの強行だ。「閣議決定」によるだけで、国会での議論すら行わず、法的根拠もないままに、膨大な国費を投入して、事実上、人びとに服喪を強制する安倍国葬の企ては許されない。これによって、カルト集団「統一協会」と癒着して維持してきた安倍8年余の悪政を水に流し、それどころか礼賛し、安倍政治を継承する岸田政権の政治を正当化する党利党略の政治だ。

こうしてみると「岸田改憲」の特徴は、従来自民党が企てていた第9条などの憲法を破壊したうえで、戦争準備のための軍拡をすすめるというのではなく、安倍氏国葬などまで利用しながら世論を動員し、憲法違反の大軍拡など現実の安保防衛政策を既成事実として、急速に推進することを先行させてから、この現実を追認するために明文改憲を進めるというやり方であり、徹底的に立憲主義や法治主義に反したやり方だ。日頃、彼らが口にする「自由と民主主義、人権と法の支配」はどこへいったのか。

この「新たな戦前」に直面して、統一協会との醜悪な癒着によって政治権力を私物化してきた安倍元首相らの自民党政治を徹底して糾弾し、そ(次頁下段へ)れをあいまいにしたまま政権を継承していこうとする岸田政権の改憲と軍拡の政治を許さない。

私たちは統一協会と自民党の醜悪な癒着をさらに徹底して暴き出すためにたたかう必要がある。統一協会の支援を受けて当選してきた議員を許してはならない。この連中こそ、安倍改憲を進め、対米従属と軍備増強を進めてきた連中であり、人権と民主主義を破壊する政治を進めてきた連中だ。

立憲民主党の混迷は続いている。自公政権に反対する市民と野党の共闘を再確立するにはしばらく時間が必要だろう。肝心なことは市民運動を再構築し、その広汎な共同の力で世論を起こすことだ。それなしには野党の共同は再建されない。

そのうえで、ズタズタにされた院内の野党の共同を再建する必要がある。秋の臨時国会では自民党が企てて描いた憲法審査会での改憲発議の準備と、軍事大国化の策動を必ず阻止しなくてはならない。

まず、統一協会と自民党の癒着の問題を徹底して暴き、清算する必要がある。安倍晋三の8年余りの政治を支えてきた秘密がここにある。
秋の臨時国会では自民党が企てて描いた憲法審査会での改憲発議の準備と、軍事大国化の策動を必ず阻止しなくてはならない。
総がかり行動実行委員会は10月3日の臨時国会開会日行動につづいて、10月7日、改憲問題対策法律家6団体と共催で「自民党と統一協会の改憲論について」(問題提起は憲法学者の清水雅彦さんと飯島滋明さん)の院内集会を開催する。いま、できることは何でもやって、運動を前進させたいものだ。
(共同代表 高田 健)

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出自を乗り越えることは容易ではない

【内田雅敏さんの文章掲載にあたって】安倍元首相の国葬に反対する声が急速に拡がる中で、市民運動の一部に右翼党派との共同を積極的に進めるような無原則な提唱をする人びとが出てきている。

「一水会」のことだ。一水会は初代会長が鈴木邦男氏で、現在は木村三浩氏(元統一戦線義勇軍議長)が代表を勤めている民族派右翼だ。普段は毒舌でならす評論家や著名な著述家が木村三浩氏と恥ずかしげもなく並んで呼びかけ人になり、「安倍元首相国葬反対市民の会」を呼びかけるという醜悪な構図が登場した。これで運動の幅が広くなったとでもいうように。

わたしは一水会は天皇主義者であり、テロを肯定する右翼であって、共闘の対象ではないと考えている。天皇主義者は差別主義であり、反人権、反民主主義で、市民運動とは相いれないだからだ。安倍元首相の国葬に反対すると言っても、この人々は天皇の国葬には大賛成なはずだ。わたしは市民運動が重要な政治課題でできるだけ広範な共同行動を進めることを支持し、提唱してきたが、右翼党派と内ゲバ党派とは一線を画すべきだと考えている。これはセクト主義などではなく、運動を提唱するものの矜持だ。

一部の人びとには悪い癖があって、例えば改憲論の憲法学者を講演会などをチヤホヤして、重用する。珍しくも、似たような改憲反対論を展開するからと言って、改憲反対派が改憲論者の憲法論を学び広めるとはどういうことか。

右翼ではないが、最近は内ゲバをやっていないからと言って、その根本的な反省がないままに、当面の政治課題に対する主張が似ているからと内ゲバ党派を同列に引き入れてどうするのか。これは運動を広げることに害になる役割をはたすことになる。

一水会の代表だった鈴木邦夫氏の運動での取り扱い方について、当会の共同代表の内田雅敏さんが12年前に書いた文章(2010年・月刊TIMES)をもらった。この議論は具体的で、いまでも参考になるので、著者の許可をえて、掲載する。(高田 健)

出所「月間TIMES」2010年
出自を乗り越えることは容易ではない
―浅沼稲次郎狂刃に斃れて半世紀余、鈴木邦男著『右翼は言論の敵か』を読む―

2010年3月13日  内田雅敏

映画「靖国」の評価で一致

 浅沼稲次郎が右翼の狂刃に斃れて54年、鈴木邦男氏著『右翼は言論の敵か』(ちくま新書)を取り上げたい。著者の鈴木氏とは、ここ数年いろいろな会合でしばしば同席するようになった。鈴木氏については、新右翼「一水会」創始者を看板として他陣営(?)に入り込んで来、少しばかり気のきいたこと――私達が言えば極く当り前のことだが、それを新右翼「一水会」の鈴木邦男が言うということで評価される。家業に励んでいた長男よりも改心して戻った放蕩の次男の方が誉めそやされるのは昔からよくあることだ。――を言っている人物という印象が強かった。そんな印象が若干変わったのは、2008年夏、平和学専攻の前田朗東京造形大学教授が八王子で開催した会合に鈴木氏とともに招かれたことがきっかけであった。前田、鈴木両氏と私とでの鼎談というか、前田氏の質問に鈴木、内田が答えるという形式での対談であった。

この年の4月、中国人李監督の映画『靖国』上映中止騒ぎに及んだとき、鈴木氏が靖国劇場ともいうべき8月15日の靖国神社境内における狂騒――旧日本軍の服装をし、ラッパを吹きながら行進するオッサン達など――について靖国神社はどうしてあのような事態を放置しているのか、取り締まるべきだと述べたことから、<おや?>と思うに至った。

 その後、鈴木氏から『失敗の愛国心』、『愛国の昭和』の2冊が贈られて来た。両書の読後感として鈴木さんが「あとがき、玉砕を辞さず」で、「これまでの本は、書きたいことがあり、結論が初めから分っていて書いた。はじめに結論があり、その結論を主張するために書いた。……しかしこの本は違う。スタート地点があった。しかもどこに行くか分からない。書きながら考え、悩み葛藤した。自分でも新たな発見や驚きがあった。それ以上に大きな不安もあった。これはとんでもないところに向っているぞ……」と書いておられるように正直に自分と向き合う姿勢には好感が持てた。

しかし、それでも鈴木氏の「特攻」の呪縛からの解放はまだまだ不十分、ましてや天皇制については相変わらず無批判、とりわけ「日本人は天皇に不忠でなかったか」(5章)など天皇に対する心酔ぶりは全く変わりないという感は否めなかった。

右翼は言論の敵か

その鈴木邦男氏から今度は、『右翼は言論の敵か』というそのものずばりのタイトルの本が贈られてきた。

第7章「右翼運動のカネと暴力」など<さもありなん>と興味深く読んだ。が、戦後、自由党結党に際しての資金は、児玉誉士夫が戦時中、海軍航空本部の手先として児玉機関を設立し、中国で資源調達して得た金を提供したものだと書くならば、その“資源調達”の実態について、もう少し正確に書いて欲しかった。つまり後に55年体制を作り上げ、事実上一党支配し続けた日本の保守政党自由民主党は、中国民衆の財産の掠奪の上に成立したものであったという事実についてまで踏み込んで書いて欲しかった。

 鈴木氏が本書「あとがき」で「どうしたら右翼のテロを防げるか、どうしたら右翼を言論という舞台に上げられるか、どうしたら右翼と話し合いのルールを待てるか考えてみたかった」と述べているように、本書全体を通じて流れているのは<テロはいけない><言論戦をやるべきだ>ということであり、この点については、私としても全く異論はない。

 ところが、<言論戦>を主張する当の鈴木氏が、テロを否定しきれていない箇所が本書中に数箇所あった。例えば終章の「<言葉>を伝えるたたかい、野村秋介の思想戦争」など大甘だ。朝日新聞社長室で副社長等を前にして隠し持っていた二丁の拳銃で自殺したことがどうして言論戦なのか、冗談も程ほどにして欲しい。この拳銃の入手経路はブラックではないのか。
三島由紀夫の自殺についても同様だ。

彼と同世代の者の多くが戦争で若い命を散らされたのに対し、彼は徴兵検査不合格で命拾いをしたのだから、その分よけいに命を大事にすべきであったはずだ。藤沢周平が清河八郎について書いた『回天の門』に以下のような一節がある。

「――男たちは……とお蓮は思う。なぜ天下国家だの、時勢だのということに、まるでのぼせ上ったように夢中になれるのだろうか。いまにも刀を抜きかねない顔色で激論したり、詩を吟じて泣いたり出来るのだろうか。

あるとき酒を運んで行ったお蓮は奇妙な光景を見ている。山岡を先頭に一列につながって輪を作った男たちが、奴凧のように肩をいからし、唄にあわせて、一歩踏みしめるたびに突っぱった肩を前につき出して、土蔵の中を歩きまわっていたのである。八郎もその中にいて、ものに憑かれた顔で口を一杯に開き、肩をいからして床を踏みしめていた。お蓮を見ようともしなかった。
あとで八郎に聞くと、それは山岡が考え出した踊りというもので、伊牟田や樋渡らがあまりに血気にはやることを言うので、気を紛らわすために踊らせたということだった。

そう聞いて、お蓮は思わず口を覆って笑ったが、それで安心したわけではなかった。酔って、鬼のように顔を赤くした男たちが、唄声だけは外をはばかって低声に、床を踏み鳴らし、酒臭い息を吐いて部屋の中を踊り回っていた光景は、物に憑かれたとしか見えなかったのである。……男というものは、なんと奇妙なことに熱中できるものだろう」

山口二矢の批判はタブーか

第2章「17歳の愛国心、山口二矢という神話」との箇所には看過できないものがある。安保闘争終焉後の1960年10月12日、日比谷公会堂で行われた各党立会演説会で演説中の浅沼稲次郎社会党委員長が、山口二矢という17歳の少年の狂刃に斃れた。

事件を起こした山口二矢は、練馬鑑別所において歯磨粉を溶いて、壁に「七生報告」「天皇陛下万才」と書いて自殺してしまった。鈴木氏は、山口の同世代の者として、この事件に大きなショックを受けたという。そのことを記したのが「17歳の愛国心、山口二矢という神話」である。「神話」と書いているのだから、鈴木氏がこのテロに必ずしも賛同しているとは思えない節もないわけではない。しかし、 「日本の巨悪を斃して自決する。それによって日本と一体となり、日本とともに生きる。山口二矢は十七歳でそんな右翼の究極の夢を体現してしまう。まるで完全な芸術作品のような生に思える。残された右翼には賞賛だけが渦巻いた。しかし、それだけだったのか。山口の『死』は戦後の右翼をどう変え、何を残したのか。いまでも僕は考え続けている。

もう、あのような完璧なテロは起こりえない。起こす必要もない。ただ、あえて誤解を恐れずに言えば、一九六〇年代は幸せだったともいえる。『命を投げ出しても斃すに値する人物が』が政治家にまだいたからだ。『こいつを斃せば日本は変わる』と思い詰めるのは相手を評価することだ。尊敬かもしれない。愛情にも似ている。山口は神話となり、浅沼の名も山口によって伝説となった。

二〇〇八年(平成二〇年)に憲政記念館で浅沼の追悼集会が開かれたとき、早大雄弁会の後輩にあたる民主党の渡部恒三の挨拶が印象に残る。『日比谷公会堂の三党首立会演説会に国民の前で大演説をして、そこで斃れた。政治家としては本望ではないか』
一方の山口も右翼のなかで、北極星のように輝ける星となった。」(『右翼は言論の敵か』41頁~42頁)

というような記述に出会うと、<おい、おい、鈴木さん、あんたは何のために『右翼は言論の敵か』などという本を書いたのか>ということになる。危うく<×××死ななきゃ×××××>という差別用語が飛び出すところであった。

誤解を恐れずに言えば、私も政治的テロを絶対的に否定するものではない。独裁者、例えばヒトラーのような政治家が登場し他の手段がない場合には、最後の選択としてテロもあり得る。だから1938年、ミュンヘンのビアホールで1923年のミュンヘン一揆を記念して演説するヒトラーを爆殺しようと演説台に爆弾を仕掛けたが、この日に限りヒトラーがいつもより早く演説を切り上げたため、爆殺に失敗――ヴァチカンはヒトラーの無事を祝福した――し、処刑された家具職人ゲオルク・エルザーや、1944年ドイツ軍司令部に爆弾を仕掛けたが、司令部の建物が堅固でなく、爆発の威力が小さくなってしまったこと、爆発時の位置関係等からヒトラーを爆殺することに失敗し、処刑されたドイツ国防軍のシュタウヘンベルグ大佐――先頃映画「ワルキューレ」として話題を呼んだ――1909年、ハルピン駅頭で伊藤博文を暗殺した安重根氏らには敬意を惜しむものではない。

しかし、それは権力を持った独裁者に対してだ。浅沼稲次郎は権力を持った独裁者ではなかった。逆に権力に対して闘っていた政治家だ。それを斃すとはまさに権力の走狗に他ならない。
私と同様鈴木さんも、もう60半ばなのだから「一九六〇年代は幸せだった」「命を投げ出しても斃すに値する人物」が政治家にまだいたからだ。「こいつを斃せば日本は変わると思い詰めるのは、相手を評価することだ。尊敬かもしれない。愛情にも似ている。」などと世迷いごとを言っていてはいけない。

斃された側に対する目線はないのか。浅沼委員長がテロの凶刃に倒れたのは、日本の政治にとって大きな損失であり、浅沼氏自身も無念の思いであっただろう。そして「七生報告」「天皇陛下万才」など書きなぐって、17歳で、今後春秋に富んだであろう人生に幕を降ろしてしまった山口少年にもあわれさを感じ、彼をしてこのような行動に走らせた人物達に怒りを覚える。生きていれば山口少年も「マッチ擦る つかのま海に霧深し 身捨つるほどの祖国ありや」と詠った北国生れの反権力歌人に出会うようなことがあったかもしれない。手塩にかけて育てた、愛する子供を失った親の悲しみにも思いを馳せるべきではないか。

「戦後の長い間、マスコミ、論壇、教育界などにおいては左翼が強かった、しかし、今はその影もない。その反動として、日本のことを(現在も戦争中も戦前も含めて)『全て』を正義として認め、評価する傾向が出てきた。それはおかしいと思う。あの戦争は自衛の戦争だった。アジア解放のための正義の戦争だった。朝鮮・台湾を植民地にしたが、日本は『持ち出し』だけで、収奪は一切やっていない。むしろ、いいことをしたのだ。そういって、戦争の『全て』を是認する。夜郎自大的な『愛国者』たちだ。

南京大虐殺はなかった。強制連行も従軍慰安婦もなかった。創氏改名も神社を作ったのも住民の熱望でやっただけで日本の強制は全くない。満州も素晴らしい理想の国だった。そう主張する人たちも最近は多い。

あの戦争への突入経過に対して、『他に道がなかった』『やむをえなかった』といって弁護する保守派の人も多い。しかし、それでは同じような危機に直面したら、また、戦争をやるということだ。あの悲惨な戦争から何も学んでいないことになる。」(本書161頁~162頁)という歴史観を有し、「(テロを)起こす必要もない」と言い、どうしたら「右翼を言論という舞台に上げられるか」と考えているという鈴木氏は、どうして浅沼委員長を狂刃にて斃した山口二矢少年の死に正面から向き合い、それを批判し、怒り、そして同世代の若者の死として悲しまないのだろうか。

ここに鈴木邦男の「わが解体」の限界がある。おそらくそれを否定することは鈴木邦男の出自を否定することになるのであり、不可なのであろう。鈴木氏が『失敗の愛国心』や『愛国の昭和』で自己解体をしている限りでは、陣営からの批判はあっても、それは批判の域に止まるのであろう。しかし、右翼の中の輝ける「北極星」山口二矢を否定するとき、それは新右翼「一水会」創始者という出自を持つ氏にとっては越えてはならない一線――越えたら鈴木邦男は「ただの人」となる――を越えることになるのであろう。出自を乗り越えることは容易ではない。

 しかし、それを行わなければ、鈴木邦男の「わが解体」は完結することにはならず、氏の言う「言論戦」は、虚しいものになる。浅沼稲次郎に対するテロを批判しきれない以上、<右翼は言論の敵か>と問われれば、<そうだ>と言うしかない。鈴木氏の踏み出す勇気に期待したい。

<仲良きことは美しき哉>だけでよいのか

本書読了後、佐高信氏より贈られてきた同氏と鈴木邦男氏の対談『左翼・右翼がわかる!』(金曜日)を通読した。天皇制、西郷隆盛、三島由紀夫等々について論じ合っている。それはそれとして、結構なことであるが、しかし、以下のようなやりとりには一言物申さざるを得ない。

「佐高 2006年自民党の加藤紘一さんの実家が放火されるという事件がありました。こういうテロ行為をどう見ますか?

鈴木 あの事件を聞いたとき、僕自身も自宅を放火されたことがあるので、まず「怖いなあ」と思いましたね。
同じ右翼のテロでも、1960年の山口二矢の浅沼稲次郎暗殺とかと全然違うんですよ。あの頃は、圧倒的に世の中が左傾化しており、共産革命が迫っている。そういう危機感の中で「テロで政治家を倒して日本を救うんだ」という想い、いわば「追いつめられたテロ」だったんです。

いまはそういう意味での危機感はないですね。日本全体が右へ流れている中で、自分たちの存在確認みたいなものをしている。右派的な流れに反対する加藤紘一さんが「許せない」ということになったんでしょうね。
(中略)
2002年とその翌年にかけて、建国義勇軍事件というのがありましたよね? あのときも、加藤さんのところに銃弾が送りつけられ、外務省の田中均さん宅には爆弾が仕掛けられました。そのとき、石原慎太郎知事が「仕掛けられても当然だ」と言っていましたけど、ひどいなと思いました。普通は罷免になる発言ですよ。でもみんな「よく言った。都知事が言っているなら我々だっていいだろう」と。

こういう雰囲気が漂っているのは怖いです。

佐高 そもそも石原慎太郎という人は、作家でありながら、言葉をまったく粗雑に扱っているからね。言葉を信じていないというか、信じる能力がないというか、作家を失格したから政治家になったという見方もある(笑)。……」 (同書168~169頁)

笑っている場合ではないだろう。佐高氏はどうして山口二矢について現在の鈴木氏がどう考えているのか突っ込んで聞かないのだろうか。他の処で批判していると佐高氏は言うかもしれない。しかし、他のところではだめなんだ。今、目の前で山口二矢を肯定する論がなされているのだからそこで反論しなければだめなんだ。“闇夜の辻斬り”でなく面と向って批判する正眼の構えが必要なんだ。私と同時期学生時代を過ごした氏が「ここがロードス島だ。さあここで跳べ!」【注3】という引用句を知らないはずはない【注4】。

野村秋介についてのやりとりも同じだ。

「佐高 でも、加藤宅放火事件に戻ると、新右翼の野村秋介さんも火をつけたりしたけれど、最後は朝日新聞に乗り込んで、誰も傷つけずに自決したでしょう。

鈴木 それは三島由紀夫もそうですよ。野村さんも、三島さんもテロは肯定していたんです。『テロがあるから政治家も身を正すんだ。緊張感を持って政治をやるんだ』と。

僕がテロを否定したら、野村さんに叱られたことがありました。でも野村さんも最終的にテロはしなかった。朝日新聞社の社長を目の前にしながら傷つけようとしなかった。それをしたら、単なる殺人者だということで終わってしまうのが、わかっていたんだと思う。

佐高 野村さんは言葉を信じていたと思うね。あの人の書くものを読めばわかるけど、訴えようとする意志があるでしょう。だから自分が訴えて、受け入れられなかったら、自分の敗北ということになる。相手が理解しないのが悪いんだ、ということにはならないじゃないですか。少なくとも、慎太郎みたいに『自業自得だ』ということにはならないでしょう。……」(同書186~187頁)

 運動の世界では、<小異を残して大同につく>、いや時には<大異を残して小同につく>ことすらも必要な場合もある。しかし、対談は真剣勝負としての言論の世界なのだから、<仲良きことは美しき哉>だけであってはならないのではないか。

【注1】猪瀬直樹著『ピカレスク』は、兵隊検査不合格を通告された平岡公威(三島の本名)父子は、それが間違いであったと取り消されるのを恐れるかのように後ろを振り向くこともなく慌てて逃げ帰って来たと、いかにもこの作家らしく意地悪く描いている。

【注2】陸上自衛隊は三島由紀夫や[楯の会]のメンバーなどの体験入隊に破格の厚遇で応じ、体験入隊中の三島の執筆活動の便宜を図るため中隊長室を明渡すなどした。また、三島も自作・自演の映画『憂国』を持ち込み幹部自衛官らに観賞させている。

【注3】出典はイソップ童話「ホラ吹き男」。ヘーゲルやマルクスがその著作で引用した。

【注4】私にも忸怩たる思いがないわけではない。弁護士登録した間もない頃のことだ。先輩、同輩弁護士らと評論家の竹中労氏らと一緒に表現行為についてのシンポジウムをしたときのことだ。竹中氏が民族派として「右」の人達も連れて来た。その中に鈴木邦男氏もいた。いろいろな人達が各自5分程度で発言し私も発言した。その際、「右」の人達の一人(鈴木氏ではない)が浅沼暗殺について“さわやかな行為だ”と述べた。すでに発言を終えて壇下にいた私は、直ちに<バカなことを言うな>と大声で抗議したが、他には私の友人達を含め、誰も抗議の声を挙げなかった。私はあの時、単に抗議の声を挙げるだけでなく、発言者を壇上から引きずり降ろすことまではともかく“ど突く”くらいのことはすべきであったと今でも恥じている。

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《韓国訪問記》日韓平和と和解プラットホーム企画・青年交流ツアー東北アジアの市民の連帯が未来を変えられる

菱山南帆子(市民連絡会事務局長)

不平等が災害だ

8月の中旬から下旬にかけて10日ほど韓国に行っていました。

3年ぶりの韓国!直前まで、ビザの発行やコロナの陰性証明の発行などで本当に韓国に行けるのかどうか不安でしたが、周りの皆さんにサポートしてもらいながらなんとか韓国に行くことができました。訪韓のほんの少し前に、ソウルの豪雨により半地下に住んでいた住民が4人亡くなったという悲しい事件がありました。

私がソウルに到着した翌日も土砂降りの大雨が降りました。ちょうど西大門(ソデムン)刑務所を韓国の仲間に案内してもらっていた時でした。大きな雨粒が地面を激しくたたきつけ、跳ね返ってきた雨粒で傘を差しても全身ずぶ濡れになり、前が見えないほどの大雨でした。西大門刑務所を出て少し歩くとソウルの住宅街の坂という坂から水が川のように勢いよくながれ、道路に溢れていました。4人が亡くなった日の大雨はこの程度のものではなかったと言っていました。

この亡くなった4人のうちの1人は労働組合員の女性で、障がいを持った家族と一緒に暮らしていました。日本で言われているような、半地下で済む人たちはお金がなくてかわいそうな人たちというイメージとは違い、韓国ではかなりメジャーな住宅条件の一つだったそうで、仲間たちも他人事ではなかったと言っていました。夜の時間帯の豪雨だったので、睡眠中、布団が冷たいことで、目を覚まし、慌てて玄関のドアを開けに行ったのですが、水圧で開かなかったそうです。仲間に状況をメールで送ってからたったの15分で天井まで雨水が達し、溺死してしまったと聞きました。

労働組合員が亡くなったということもあり、組合が中心として追悼週間を設け、市庁駅前の広場に献花台が設けられ、集会やデモが行われていました。組合が主導していますが、主催者は「貧困民、障がい者、障がい者の家族」と記されていました。その集会やデモでは「不平等が災害だ」というスローガンが掲げられていました。ユン大統領は水没した半地下を見に行って、写真だけ撮ってさっさと自宅に引き上げてしまった事に批判が高まり、朴槿恵政権を打倒したときの支持率まで下がっているそうです。

大きい政治や社会が変わるという体験

西大門刑務所では、日本軍が編み出した陰湿極まりない拷問部屋や拷問器具がそのまま残されていました。また日本では「日韓併合」と学んできましたが、西大門刑務所では「強制併合」と記されており、歴史の説明書き一つとっても日本側から学んだことと、韓国側から見るものでは歴史がこれだけ違うものなのかと、とても勉強になりました。物事は一面だけ見てもわからないことはたくさんあり、こうやって実際に韓国を訪れて歴史を学ぶことの重要性を感じました。3・1独立運動の宣言文を考えている場面の絵が小さくありました。何も知らない私は「ここであの宣言文ができたんですね」と興奮気味に言うと、案内してくれた仲間から「全員男性でしょ?学者など偉い男性たちがこうやって宣言文を作ったけど、作っただけで、その休戦ラインから望む朝鮮半島北側の農村地帯や住宅あと運動を実際にしたのは民衆や女性でした。宣言文を作った学者の彼らはすぐ警察に行って『私が作りました』と自首しました」と聞いてびっくりしました。いつの時代にも、こういうことがあるのだなと自分の今の運動と重ねて考えさせられるものがありました。

韓国にいると、1987年を境にした話や掲示物を聞いたり見たりすることが多くなります。どこに行っても1987年の民主化運動の話が出てきます。明洞聖堂という有名な聖堂に行った時も、民主化運動の時に警察が踏み込めないので、明洞聖堂の中にたくさんの運動家や学生をかくまい、守ったということを教えてもらいました。

韓国ドラマや映画でよく格差社会のことが描かれるように、韓国社会では当たり前のように市民が階級意識をもっています。例えば、インスタントスープなどを「大資本の味」と日常会話の中で表現していて私は驚きました。日本の若者の中でそのような会話が出てきたことがあまりなかったので。そういった風土も、30数年前に民主化運動が起きて、そして、最近になってキャンドル革命が起きた。市民が立ちあがれば政治や社会は変わるんだということを身をもって体験したり、身近に体験した人がいるということが大きいと思いました。また、様々なところにそのような運動の記録や運動家たちの写真が飾られている事も、歴史を風化させないことの一つだなと思います。

どの国の軍事行動にも反対する

今回は日韓平和と和解プラットホームの皆さんの企画で、青年交流ツアーを組み、そこに参加をしてきました。私は久々に会いたい仲間もいたので、少し早めに行ってソウルで過ごし、その後、今回の青年交流会の仲間たちと合流しました。

初日の日韓青年交流はパジュ市という韓国の北側、38度線の近くの施設で寝泊りをしながら交流をしました。2日目にはパジュ市のDMZに行き、間近でもう一つの朝鮮を見てきました。望遠鏡からのぞくと、北側の朝鮮半島の農村地帯や住宅地が見え、農作業をしている市民を見ることができました。一番近い距離で、たったの450メートル。歩いていける距離です。しかしその境界線の間にはたくさんの地雷が埋まっていて、それらをすべて本気で撤去しようとなるとなんと200年もかかると聞き驚きました。

イムジン河付近を回り、川沿いを歩きました。イムジン河の歌にあるように、本当に穏やかでとうとうと流れる美しい風景。そして、行き交う鳥たち、緑豊かな山々、そこに息づく珍しい虫や生き物たち。戦争がなければ、人間が大資本に毒された商業主義で自然破壊をしなければ、こんなにも美しい自然が見られるのだということを実感しました。国境を越えた人類の連帯は自然との共存にも繋がるのだと思いました。

特に私たちがDMZに向かったその日、日韓米合同軍事演習が始まった日でした。日本では朝鮮のミサイルや中国がさも攻めてくるような報道は過剰にするくせに、日本も軍事行動を行っていることはほとんど触れません。その話をすると韓国の仲間たちも、自分たちの国も全く同じだと言っていました。DMZに行く日の朝、私たちは「どの国の軍事行動にも反対する」と確認し合い向かいました。

一度手にした権利は手放さない

パジュ市を後にしてからはソウルに戻り、水曜デモにも参加してきました。日本側の青年交流参加者は学生が日本大使館前の少女像を囲んで多く、デモそのものに初めて参加する人が多かったからか、はじめは「就活に響くのではないか」と言って帽子を目深にかぶり、サングラスをしていました。しかし、その後の交流を経て、そのような思いを反省したと言っていました。日韓の交流が日本の若者の、政治参加の姿勢を変えたのです。

韓国の水曜デモに参加したことがある方はご存じだと思いますが、日本大使館の向いに少女像が設置されていて、その横で水曜デモが行われていました。韓国ではデモや集会をする際には道路使用許可を取らなくてはならないのですが、水曜デモだけは例外で、歴史あるデモなので、許可をいちいち出さなくても実施できていたのです。けれども、コロナパンデミックが始まったころ、集会やデモが禁止されたことがありました。そこでずっと続けていた水曜デモを中断したことを機に、許可を取らなくてはならなくなってしまいました。そうなると途端に出てくるのが右派でした。水曜デモよりも早くに許可を取りに朝方から並び、先に横取りしてしまうのです。今まで水曜デモを行っていた場所には右派が居座り、その反対側で行われる水曜デモの妨害を行っています。

また、キャンドル革命の舞台となった光化門広場ですが、ここもコロナ禍のなか人が集まらないようにと、ずっと設置されていたセウォル号犠牲者の追悼テントが撤去されてしまいました。畳みかけるように再整備計画が持ち上がり、集会を行い人が集まっていた場所には噴水やオブジェが立ち並び、もう集会ができない場所になってしまいました。韓国の仲間たちからは、一度手にした権利を一回でも手放してしまうとまた取り戻すにはとても大変な時間がかかるということを学んだ。だから日本も憲法を絶対に手放してはならないと、私たちは言われました。

見習いたい若者が運動できる体制の整備

韓国の仲間と本当にたくさんの話をしました。日本では、キャンドル革命の時に使用していたキャンドルライトを送ってもらって、それをまだ大事に使っているという話、韓国のフェミニズム運動の話、労働組合が韓国は企業別から産業別へと変わろうとしているという話、キャンドル革命に参加した若者が労働組合に加入しているという話など、話しても、話しても尽きることはありませんでした。こうやって国境を越えて社会のこと運動のことについて語り合えるなんて、まるで映画のようだと何度も言われました。韓国の民衆の闘いの中で歌われてきた「朝露」や、キャンドル革命の時に歌われた「真実は沈まない」をお互いに同時に日本語と朝鮮語で歌い合ったのは感動的でした。

そして最終日には1日を費やし、共同宣言を作成しました。そこには「戦争や差別、環境問題などで互いの国で何かあったら一緒に実際に行動を起こす」という内容のものもありました。この文章を書いている今も、韓国の仲間から、韓国でも安倍氏の「国葬」を美化する動きに抗議するキャンドルデモを行うというお知らせが来ました。東北アジアの市民の連帯が未来を変えられる。そう確信をもった今回の訪韓でした。

今回、韓国での滞在費は韓国側がお金を集めてやりくりしてくれました。日本も次は韓国の仲間たちが来日できるよう、大人たちがそのような準備もしなくてはならないと思いました。若い人たちが運動できる体制を韓国はしっかりと整えていると感じました。日本も見習って若い人が活動できるような体制を金銭面でも継承面でも作っていくことが課題です。

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第163回市民憲法講座 「島がミサイル基地になるのか 若きハルサーたちの唄」 上映&トーク

湯本雅典さん(ビデオジャーナリスト)   

(編集部註)8月20日の講座で湯本雅典さんが講演した内容を編集部の責任で要約したものです。要約の責任はすべて本誌編集部にあります。

第163回市民憲法講座では「島がミサイル基地になるのか 若きハルサー(畑人)たちの唄」(DVD・60分)を上映後に、監督の湯本雅典さんが話した「補足のお話」を以下に紹介します。

はじめに

私はもともと東京都の小学校の教員でございまして、「先生」と呼ばれていない教員でした。2006年に自主退職をして、そのあと小さいころから映画がすごく好きだったので、生まれ変わったら映画監督になりたいなんて思ったんですけれども、生まれ変わる前になってしまいました。なぜ学校を辞めたかということですが、石原慎太郎が東京都知事だったときに学校現場が急速に弾圧というか強圧的な状況におかれました。「日の丸・君が代」を中心に職員会議で議決してはいけないとか、あるいは子どもたちに能力別の教育をしなさいとか、それから先生も能力別に給料を与えなさいとか、次々ありました。

私が直接影響を受けたのは英語教育でした。いまは小学校でも英語教育は週1時間は当たり前で、成績がつけられます。しかし私は小学校の全教科の免許を持っていましたけれども、英語教育の免許は持っていませんでした。中学校の英語科の先生しか英語教育の免許を持っていないのを、いきなり導入したのですごく現場が混乱して、そのことを新聞に投書したところ、朝日新聞に載った次の日に校長に呼ばれて、「あなたは本校の方針にそぐわないから来年度はどこかに行ってください」といわれました。

そのとき組合は分裂していたんですけれども、そんなのは関係ないといって取り組んでくれて強制異動は止めることはできました。けれども身体の方が参ってしまって2006年3月をもって、本意ではなかったんですけれども教員を辞めざるを得ない状況になったんです。その年の2006年3月の退任式を区でやるんですけれども、びっくりしたことに半分が中途退職者だったんです。当時からそういう状況だったのが、いまは年間でも5000人の精神疾患者が出ているという状況が続いているということがあって、そのときのことを映画にしました。タイトルはずばり「学校を辞めます」という16分の短い映像で、私にとってはデビュー作です。その映画をこちらで上映していただいたんです。そのときがあったから私もいまこうやってこういう運動ができているんだと思うんです。

今日のお話ですが、石垣島の3人の若者たち、とっても魅力を感じます。彼らの魅力を追いかけていったのですが、その話を中心として自治基本条例ってどういう問題なのか、それから裁判についての補足の説明をします。ペロシ米下院議長が台湾を訪問したことによっていま大変な事態が起きていて、私はとても心配になっています。これから間違いなく日本は軍備増強につなげていこうとしている。秋に来年度予算が決まりますけれども大幅な防衛費の予算増につなげると思っています。

南西諸島で進むミサイル基地建設

9月11日に沖縄県知事選挙がありますけれども、同じ日に石垣市市議会議員選挙、辺野古のある名護市の市議会議員選挙、普天間基地のある宜野湾市では市長選挙と市議会議員選挙ということで、沖縄では統一地方選挙は今年の9月なんです。その候補者に沖縄タイムスがアンケート調査したところ、候補者は全員で499人ですが、回答が474人で相当精度の高いアンケート調査ができています。辺野古について新基地建設は474人のうち、賛成は34.6%で、反対が47.3%でした。自民党・公明党を含めても反対が多いわけです。ちょっとびっくりしたのは、南西諸島への自衛隊配備強化については賛成が47%、反対が31.6%で、逆の結果が出ている。このアンケート調査の時期が8月13日現在です。つまり3日、4日とペロシ下院議長が訪台しました。おそらくそれ以降にアンケート調査に応じた候補者もいると思うので、それが影響してこういう奇妙な現象が起きたのかなと思います。この結果を見てびっくりして、ペロシ米下院議長の訪台による米中対立を利用して日本が軍備強化をしてくるんじゃないかと感じたので、あとの方でまた話をさせていただきたいと思います。

 最初に石垣のことですが、石垣島までは東京から1950キロ離れています。韓国に行くより遠くて、直行便で3時間半かかります。一番わかりやすいのはメディアの状況で、朝日新聞とか毎日新聞とか読売新聞を紙媒体で石垣島の人が読むことができません。やってこないから。当然ネットで見るしかないので、ネットがないときは本当に見たこともないという状況でした。沖縄本島からも400キロ離れています。東京・名古屋間です。尖閣諸島、魚釣島までも170キロ離れていて、これがミソでありまして、いわゆるミサイル基地の射程距離、当初設定されていた射程距離が200キロ前後です。ちょうど石垣島と宮古島の距離に当たります。ですから最初の計画では短距離ミサイルがミサイル基地に配備されるという計画だったのが、どうも最近変わってきています。そして八重山諸島、石垣島より西の方の島々のことですが、その一番西の端にある与那国島から台湾までは110キロしかありません。

基地の場所ですが、石垣島の於茂登山という高尾山よりも低い山ですが、これが沖縄県最高峰の山です。この山があるおかげで石垣島には川がいくつか流れていて、最初のころは大変だったと思うんですが水に恵まれている島です。その麓に平得大俣という場所があって、その場所にミサイル基地が現在建設されています。これは私が石垣島にはじめていった2018年6月ですけれども、ここに基地ができます。それが2019年2月に着工してこのようになりました。それが7月に行ってきたんですけれども、いまはこういう状態です。すごい数のクレーンが立っています。この周辺には畑がたくさんあります。ほとんどが耕作地で、その真ん中につくられています。この耕作地からの目線で基地の現場を見るとこういう感じです。サトウキビ畑で刈り取った直後ですけれども、クレーンの数を数えたら20本ありました。高さは目測ですが20~30メートルは軽くあるんじゃないかと思います。音もすごいです。あとで聞いていただきます。これがミサイル基地の建設現場です。

ほかの島もどんどん自衛隊の基地が「つくられた」という、過去形ですね。最初に手始めに行われたのが与那国島、2016年に完成しまして、巨大ミサイル基地群ができました。自衛隊員だけで駐屯地に160人入った。160人というのは160世帯です。与那国島の与那国町の人口は1500人でした。1500人のところに160世帯が入ってきたので、人口が一挙に200人増えています。ですからいまの人口は1700人以上です。

そのあとできたのが宮古島と鹿児島県の奄美大島で、両方ともものすごく大きなミサイル基地です。石垣島と同じ規模で700人から800人が宮古島、奄美大島が500人から600人で、奄美大島はミサイル基地がふたつもできました。いまつくられているのが石垣島で、来年3月に完成予定です。沖縄本島にもできます。南西諸島だけではなくて、この北には馬毛島もあります。馬毛島は市長さんが方針を転換したということで、工事着工の準備に着々と入っているという情報も流れてきています。

九州に行きますと佐世保が自衛隊版海兵隊と言われている水陸機動団の本拠地になります。それから佐賀空港には自衛隊のオスプレイが配備されようとしていますが、現地の反対運動で千葉県の木更津駐屯地にいま9機が暫定配備されています。木更津には17機入れると言っています。そのオスプレイが日米合同軍事演習にどんどん参加しているわけですね。

基地建設着工後も反対を崩さない石垣島住民

石垣島に来る自衛隊の部隊は移動式ミサイル部隊で、背中にミサイルを積んだトラックが何十台も配置されるということです。何か起きたら駐屯地からトラックがどんどん出て行って島の中をぐるぐる駆け回るわけですから、島全体が基地になってしまうわけですよね。大きさは東京ドーム9個分以上です。

 発端は2015年11月、若宮という防衛副大臣が急に石垣島にやってきまして、市長に面会して平得大俣に自衛隊基地をつくりたいということを提案した。誰も知らされていなくて、新聞報道もされていなかったものですから周辺の住民はとてもびっくりした。向こうでは地区町会のことを公民館というんですけれども、周辺の4つの公民館が一斉に反対決議を挙げました。来年の3月完成予定ですけれども、この4つの公民館は反対の姿勢をまだ崩していないんですよね。

すごいなと思います。宮古島もそうですし与那国もそうですけれども、特に宮古島などは最初のうちは近くの部落・集落は反対の決議を一斉に挙げたけれども、結局完成するときに反対しているのは基地の真ん前にいる一世帯のみという状況に追い込まれている。これが通常の苦しいたたかいだと思うんですね。でも石垣ではこのようにがんばっていらっしゃる。補足ですけれども、最初に訪れた防衛副大臣の若宮という人は、東京5区選出の衆議院議員です。東京5区というのは目黒区を中心としたところで、「市民連合 めぐろ・せたがや」があり、手塚仁雄さんががんばって前回の衆議院選挙では小選挙区で若宮に勝ったんですね。いつも大接戦を繰り返していた。そういうたたかいを東京でやっていることも確認したいと思います。

自治基本条例による住民投票署名運動

石垣の中山市長は、最初は明確に賛成とか反対を言わずにずっときていて、4年前の市長選挙のときもどっちつかずだった。しかも4地区の公民館の意見を聞きながらやっていくと言いながら、選挙で勝った途端に基地建設を「了解」、受け入れを表明しました。話が違う、市民が何とかしなければいけないということで、いくつかの運動が始まります。そのうちのひとつが、若い人たちが中心になった住民投票の運動です。

訴訟までの経過ですが、石垣島は人口が5万人で有権者が3万5千人ですが、1万4千くらいの署名――有権者4分の1以上の署名を集めたんです。このとき沖縄本島では辺野古県民投票を同時にやっていて、ふたつの住民投票運動が沖縄では展開していました。辺野古の県民投票については地方自治法という法律に基づいて50分の1の署名を集め、それを議会に提出して、議会で通らないと住民投票ができないというやり方です。石垣の場合は、運動の過程で自治基本条例があるということを市民が発見したというか気がついて、これで行こうということではじめました。
本当に4分の1なんか集まるのかという感じだったと思うんですけれども、それをたった1か月の署名運動で集めちゃった。しかし市議会の議長は、自治基本条例通りにやらずに議会に諮ってしまった。つまり地方自治法に基づいてやってしまった。ということで一旦議会に諮られてしまったので、やばかったんじゃないかと思うんです。議会の構成は、議員定数が22人、いわゆる市民派、野党と言われる人たちは8人だった。これは通らないだろうなと思っていたら、10対10まで持っていけた。自民党の一部も賛成して、公明党は退席しました。10対10なので議長裁決だった。議長裁決で否決されたんですが、この議長が公明党だった。非常に切羽詰まったところまで持って行けたということは一定の成果ではないかと思うんです。自治基本条例があるので、それを使ってほしいということを訴え続けるんですけれども、結局市は議会が否決しているということで、全然請け合わなかった。だから裁判に訴えたということです。

自治基本条例による住民投票実行を問う初の裁判

この裁判が初めてのケースだそうです。自治基本条例に書いてある住民投票が実行できなかったということで、那覇地裁に「石垣島住民投票義務づけ訴訟」(代表・金城龍太郎さん)を開始ました。市長なり首長に義務づけさせるという裁判は全国で初めてだということです。私も何回か裁判の取材をしていますけれども、これを映画にするということは非常に難しかったです。

少し解説しますと、まず自治基本条例、住民投票の法的根拠です。やっぱり憲法にありまして、94条「地方公共団体の権能」の中の、「地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる。」、これに基づいて住民投票ができるという、これが法的な根拠です。

この結果、全国の自治体にある自治基本条例の数は、今年の4月1日現在で403市町村、全国の自治体の23.1%が自治基本条例を持っている。2000年4月に地方分権一括法という、国と地方自治体は同格であるということを確認する法律ができました。その2000年から運動が活発化して、2010年には1年間で40自治体が自治基本条例を制定することがありました。いまも、少なくはなっていますがひとつかふたつの自治体が必ず自治基本条例をつくるということが続いています。

東京都の場合は、区部では杉並区・文京区・中野区・豊島区・練馬区・新宿区、市町村部は清瀬市・多摩市・三鷹市・国分寺市・小平市・調布市・東村山市・武蔵野市・小金井市が持っています。その中でも特筆すべきが新宿区、東村山市、小金井市です。新宿区と東村山市は、石垣市とまったく同じ中味の自治基本条例を持っています。新宿区は有権者の5分の1、東村山市は有権者の6分の1という規定数の違いはありますが。さらに小金井市は永住外国人にも住民投票権を認めています。先日武蔵野市で右派の方々の反対がかなりあってできませんでしたけれども、これはこういう流れだと思うんです。

そして石垣市の自治基本条例です。映画でもご紹介しましたが「4分の1以上の連署をもって、その代表者から市長に対して住民投票の実施を請求することができる」、「市長は・・・所定の手続きを経て住民投票を実施しなければならない」。これを読んだら4分の1を集めたんだからできるじゃないかと誰でもそう考えると思うんですけれども、これを裁判所は認めなかった。

このことについて深掘りしてみたいと思います。どこを裁判所はつついてきたかというと、石垣市の自治基本条例に「市長は・・・所定の手続きを経て住民投票を実施しなければならない」とあります。この「所定の手続き」とは何かというと非常に簡単なことで、住民投票の投票する資格とか権利などの規則――規則を踏まえて署名運動をしているわけですけれども――、それをつくらないと、署名運動をやっているときには住民投票の日程まで決めることはできないので、それは行政が決めなければいけないんです。通常の地方自治法などではそれを議会に諮らなければいけないのが、石垣市の自治基本条例でこう書かれているので、それは議会に諮らないで行政が責任を持ってやるべきだと、市民も私たちも考えると思うんです。でもこういう理解、解釈をしなかったんです。

しかも、もっとあってはいけないこととして、昨年6月28日に石垣市議会はこの条文を削除する決議をしました。石垣市の自治基本条例はつくるのに3年かかりました。市内にワーキングチームをつくったり、あるいは市民に対して新聞を使って公表して意見を求めたりして3年かかってつくったものです。この最重要部分と言える部分を削除してしまった。たった1日で。こういうことがやっぱり反動としてあったことをお伝えしたいと思います。これが当時の八重山毎日新聞です。「住民投票封じか」。

裁判の話になりますが、先ほどいった規則が制定されていないことを裁判所は一番つついてきまして、「規則すら制定されていない段階において、その実施が処分に当たるとしてこれを義務付けの訴えによって実現しようとするのは無理があるといわざるを得ず」、「住民投票に実施が、行政事件訴訟法上の義務付けの訴えの対象となる処分に当たると解することはできない」。義務付けの判断ができない。この裁判は行政事件訴訟法という法律に基づいてやっているけれども、この行政事件訴訟法の対象にならないということで、自治基本条例の中味の評価にはまったく入らないで一切裁判になりません、という結論が第一審でした。

二審の高裁ではさらに突っ込んで、石垣市の自治基本条例は「市長に対して、無条件に住民投票を実施することを義務付けるものではなく」「(新たな)条例に基づいて住民投票を実施することを義務付けると解釈すべき」ということで、「規則が定められていないからその規則を定める条例を議会で通さなければダメだ」というんですよ。2021年8月には最高裁の上告も棄却されました。

石垣市住民投票当事者訴訟を立ち上げる

これはそのあとに見つかった2016年10月9日の八重山毎日新聞です。この石垣市の自治基本条例について「条例なしで実施可能」ということがわかりました。こういうことが書いてあります。「石垣市自治基本条例第28条で定める住民投票は、条例制定しなくても実施できることが分かった。同基本条例は有権者の4分の1以上の連署で住民投票の実施が請求でき、市長は『所定の手続き』を経て実施しなければならないと規定。この所定の手続きについては条文で明確な規定はないが、市は8日までの八重山毎日新聞の取材に対し、議会の議決を必要とする条例の制定は含まれていないとの解釈を示し、『その数の署名が集まれば市議会に諮ることなく、必ず住民投票を実施するというもの』と説明した。」。新聞は取材して2016年に石垣市からこういう回答を得ているんです。そういうことを無視した裁判の結果なんですよ。恐ろしい話だなと。

それならばということで、市長に義務付けということが無理ならば、市民の権利もなくなってしまうんですかということが続いて始めた裁判です。これは「石垣市住民投票当事者訴訟」といって、いま始まっていまして5回の弁論が終わりました。この弁論の中でも恐ろしいことを市側はいってきております。準備書面ですが、「住民投票は、市に対する陳情や要請と変わることはなく、投票結果は世論調査と大差ないのである」、さらには「自衛隊配備の賛否を問う方法は住民投票でなければならないわけではなく、街頭署名活動や演説、マスメディアなどで自由な表現活動が可能である」。これは準備書面で市がいってきているんですよ。でもその自治基本条例をつくったのは市じゃないですか。自分でつくった自治基本条例の住民投票の部分について、自ら否定するということを市はのうのうとやってのけているということです。

さらに一番最近の弁論の中で、市はここまで言い切りました。「今回の議論では憲法解釈に拘泥しない」、つまり憲法解釈に関わるような議論はしなくていい、憲法解釈は無関係だ、手続きの問題なんだとまで言い切ったわけです。そういうことで弁護団や市民のみなさんも「いやこれは憲法の問題だ」、憲法に書かれてある「条例はつくることができる」という、ここに根っこがあるのだから、これを否定することになる。どう考えたってやらせないように、やらせないようにしているわけです。もしこれがいままかり通ったら、同じ内容を持っている新宿や東村山市にも絶対影響してくるわけで、全国的な問題だと考えています。

飲料水や農業用水、化学物質の心配も

 映画の最後の方でこういうシーンがあったのを覚えていらっしゃいますか。小さな川が流れているシーンです。あれは巨大な基地の建設現場の中の、一番高度が低いところです。だから水があふれ出てくると、そこを通過するんです。あそこで説明した方が、「雨が降るとここが大きな川になっちゃうんだよ、木を切っちゃったらえらいことになるよ」とおっしゃっていましたが、これがいまどうなっているか、5月に行ったときに、この現場が大変な状況になっているのを撮影してきました。5月21日でしたけれども、もう入れないようにしてあります。入れないというのならということで、隣接する農道から、ここは私有地なので市民の方々と一緒に入りました。わざわざ巨大なパイプを3つも重ねて水をどんどん流そうとしている。ちょうど梅雨時だったので前の日が大雨で、このように水がどんどん流れています。ここから先はもう基地の土地ではないです。占有地でここから先は私有地です。ここにどんどん水が流れ出るようにしている。こういう光景がいま起こっています。

映画の中でも触れましたけれどもミサイル基地があって、於茂登山がありますが、ここから水が流れ出たのが必ず川に合流します。そして宮良川という大きな川に入っていくわけで、この宮良川の中腹に地下から飲料水を汲み上げている施設が2か所あります。もう一か所農業用水をためておく堰がありまして、基地の問題では化学物質の問題が本島でも大問題になっています。そういうことを一切調査もせずにどんどんやっていることで、市民団体は抗議の声をどんどん挙げている状況です。

すごく危うい関係の米中

米中対立の話です。まず蔡英文総統はどういう立場なのかというと、「誰も中国が敷いた道を台湾に強要できない」「堅実な国防で国家の安全を維持」「戦いを恐れず、戦いを求めず」という主張の方です。そして習近平政権はどういう考え方かというと、「『1国2制度』を適用し、『1つの中国』を堅持する」。そしてここがすごく大事で、「武力行使を辞さない」ということがあちこちでいわれていますけれども、これは条件付きで「独立や外国勢力の介入があった場合には武力行使を辞さない」といっています。ここは確認した方がいいと思います。

そしてペロシさんの立場は、会見で言った言葉ですけれども、「台湾の民主主義を支援するアメリカの揺るぎない関与を示す」ということで今回訪台したとおっしゃっています。いま中国が台湾に何かを仕掛けてきたという局面では少なくともないと思います。そういうときにペロシさんが台湾に行ったことで、私の考えとしては今回の事件の原因は明らかにペロシさんの台湾訪問にあると思います。中国の軍事演習という方法は絶対に許されないことですけれども、その背景には日米の対中国敵視政策があることを見落としてはいけません。この問題はいかに中国との信頼関係を築きあげるかということを抜きには前に進めないのではないかと思います。

少し整理してときほぐさないといけないのではないかと思います。アメリカと中国の関係と、日本と中国の関係は濃度が違うと思うんですね。まずアメリカと中国はどういう関係なのかということを私なりに簡単に整理してみました。1979年にアメリカ合衆国は、中華人民共和国政府を唯一の合法的な中国政府と認めるということで国交の正常化がなされました。しかし米中の国交が正常化することによって米華相互防衛条約を破棄したために、台湾にあったアメリカの基地を撤去しなければいけない。それに慌てふためいたのか、同じ年に台湾関係法という国内法をつくってこれを両立させたんです。

台湾関係法はどういうものかというと、「防衛用の武器を供与する」「台湾の安全保障のために合衆国の能力を維持する」、そういうことを確認する法律を国内法でつくってしまった。当然これを中国は認めていませんけれども、このふたつが同居するのがいまのアメリカと中国との関係です。よくマスコミでもいわれますけれども、要するにアメリカの「台湾あいまい戦略」です。今年の5月23日、岸田首相とバイデン大統領の首脳会談の後でこういうことを記者から問われて言っています。記者は「台湾防衛のために軍事的に関与する用意があるか」、そのときに「ある」と答えているけれども、「われわれは『ひとつの中国政策』に同意しているが、力によって奪い取れるという考え方は全く適切ではない」。両方言っています。どっちかわからない、すごくいい加減なことを言っている。

米中間の紛争の可能性ですけれど、ペロシさんが帰ったあと中国が軍事演習にはいりました。そのときのカール国防次官の言葉ですが、これからどうするかということで「台湾海峡を含め飛行や航行、作戦行動を行う」ということを言っている。これを「航行の自由作戦」といっていてこの間もやってきたことらしいですが、これをやると決意表明をしています。これはとても危ないことだと思います。すごくいい加減な関係です。

もうひとつ米中関係がいかにどれだけいい加減かということの例ですが、「領海」とか「接続水域」とか「EEZ」というのを毎日のようにテレビでは流しますけれども、これは海上関係での約束事なんですね。日本と中国は国連海洋法条約に基づいてこの約束事を批准しています。「領海」というのは領土と同じで、「接続水域」というのは主権は及ばない、監視はできるけれども罰することはできない。「EEZ」というのは200海里とよく言われていますが、そこでは経済活動の権利を沿岸国が持っているという規定を定めた「ものさし」です。日本と中国だけではなく全世界のほとんどの国々が加盟している国連海洋法条約です。アメリカはこれを批准していない。批准していないでこういうことを言ったら、アメリカと中国というのはどういうことが起きるかということです。私に言わせればすごく危うい関係です。子ども同士みたいな関係で、ろくな約束をしていない。一方で武器を供与している。約束違反をしているわけですから。そういう関係が米中の関係です。

つづけざまに行われる日米軍事訓練

そういう関係の中で、すごい軍事演習が行われています。リムパック(環太平洋軍事演習)がなんとペロシさんが行く前からやっていて、ハワイ沖で26ヶ国が参加しているという、最大規模の演習だといわれています。ここで当時の岸防衛大臣が言った言葉がすごく危ないことなんです。「米ハワイ沖で実施されていた環太平洋合同演習で自衛隊が『存立危機事態を想定した実働訓練を初めて実施した』」と記者会見で述べています。ということは、すごく危うい関係の米中の間で、何か起きたときに日本が手伝いに行きますよということをやるかもしれない。しかし忘れてはいけないということで、私は日本と中国の関係はもう少し進んでいることを確認しなければいけないのではないか。「尖閣問題で中国は本当に日本に攻めてくるのか」という問題設定をもう一回しないといけないのではないか。

日本と中国の関係は、今年50周年ですけれども、基本は日中共同声明、1972年9月29日、ここで確認したことです。一部読み上げます。「・日本は中華人民共和国が中国の唯一の合法政府であると承認・台湾は中国の不可分の一部であるとの中華人民共和国の表明を日本は十分理解し、尊重・外交関係の樹立・日本は中国に戦争によって多大な損害を与えたことを痛切に反省・中国は、日本に賠償請求を放棄・すべての紛争を平和的手段により解決し、武力または武力による威嚇に訴えない」。これがそのまま6年後の1978年に日中平和友好条約として盛り込まれて確認されていきます。

私はこれがベストだとは全然思っていないですよ、特にここですよ。「中国は、日本に賠償請求を放棄」というのは大問題です。これがあることによって「軍隊慰安婦」の問題とか「強制連行」の問題が前に進まないわけです。ここは問題視しなければいけないけれども、少なくともこういうお互いが戦争状態にならないために努力するという確認を条約で結んでいるので、日中貿易が世界で1位になって、日中共同声明が出された1972年には10.4億ドルだった貿易額が、なんと昨年2021年には2,061億5,312万ドル、198倍まで伸びたんですね。こういう関係性ができているということは、こういう友好関係があるからだということは忘れてはいけないと思います。

「尖閣」をめぐる日中の関係

 そこで尖閣諸島の話です。これは海上保安庁のホームページで見ることができます。これは月ごとに中国の公船が入ってきたことを示すデータです。赤い棒グラフが領海内、青い折れ線グラフが接続水域に入ってきた中国の艦船の数です。先月分まで見ることができます。これを表にしています。尖閣諸島に向けての中国公船の侵入した日数にしています。すると2012年9月までは入ってきた船はいなかった。これが2012年から急に入り始めた。2012年に何かがあった。ここで私が最初に話した石原慎太郎が登場するわけです。東京都が尖閣諸島を買うといったのが2012年です。まずいと思った当時の民主党の野田政権が、尖閣諸島の国有化宣言したのが同じ2012年。これがあったことによって、この事態が始まっていった。

この数を見ていくと、平均月数で2012年で4.5回、2013年が5回、このあと見てください。だいたい月々2回から3回。ひと月の中で中国の公船が日本の主張する領海の中に入ってきた日数です。2014年から、2回から3回で落ち着いているという感じがしませんか。「いや、1日たりとも許さない」という立場の方もいらっしゃると思いますけれども、ただ考えてみたら中国もあそこは自分の領海だと言っているわけです。違う意見を持っているわけだから、そういう中での事態だということで事実を確認していただきたいなと思います。私が調べたところ今年の8月18日までで、8月は7回も入ってきている状態でさすがに増えています。2014年から、私に言わせれば落ち着いている。2回から3回の間で収まっているのはどうしてなんだろう。

ほとんど報道されていないけれども2014年11月7日に北京で、当時の谷内正太郎国家安全保障局長と楊潔?(ようけつち)国務委員が会談しています。楊潔?さんはいまでも交渉相手になっています。中国共産党の政治局員です。そこで「4項目合意」を結んだんです。その3番目がすごく大事で、こういうことを言っています。

「3、双方は尖閣諸島等東シナ海の海域において近年、緊張状態が生じていることについて異なる見解を有していると認識する」。この「異なる見解」とは一体何なのかというといろいろな考え方ができるわけです。日本と中国が尖閣諸島の周辺を自分の領海だと思っているという異なる意見と、もうひとつあって、中国は「領土問題が存在する」と言っています。日本は「領土問題は存在しない」と言っています。この「異なる見解」とも受け取れます。そういう意味で非常に玉虫色、どっちにも解釈できる。

通常、日本はこういう文書を確認しないんですよ。でも今回はこれを確認できたのは、そういう読み取り方ができるからです。なのでその次のすごく重要な文章につながることができています。「対話と協議を通じて情勢の悪化を防ぐとともに危機管理メカニズムを構築し不測の事態の発生を回避することで一致を見た」。こういう確認をすることができた。しかもその3日後に、なんとあの安倍首相と習近平国家主席の尖閣国有化後初の首脳会談でこの中味を確認しているんですよ。そういうことが2014年にあったので、こういう落ち着いた状態を生んだのではないか。誰が見てもそうだと思います。それがなければもっと数が増えていたと思うんです。

このことがすごく大事だと思うんですね。領海内に侵入したことについて、マスメディアが「今日も来たぞ」「今日も来たぞ」という感じで報道しています。しかしよく読んでみると、これは現地の新聞の八重山日報では、「領海外側にある接続水域に入った」と書いてあるんです。八重山毎日新聞も「接続水域に入った」と書いてある。ですから「接続水域に入った」というのを含めて「やってきたぞ」ということを報道している。「接続水域」と「領海」というのは全然違って、「接続水域」は入ってきていいんですよ。いてもいいんです。ただ監視はできるけれども罰することはできないということを確認しておきたいと思います。

最近の新聞で気付いたことがあるので紹介します。これは7月31日付の東京新聞にこういう文章がありました。「尖閣を巡っては、日本政府による2012年の国有化以降、中国海警局の船による領海侵入が常態化」と書いてあります。月に2~3回が「常態化」といえるか。東京新聞に問い合わせをしました。そうしたら返事があって、「これは共同通信の配信記事なので共同通信に聞いてください」といわれました。これだけは、私は納得できなかったんです。「常態化」とは言えないと思うんですね、月2~3回では。そういう見方からするとやはり新聞は「斜めに」読まないといけないなと思いました。

全国の軍事演習とつなげる南西諸島の日米合同演習

 この間ずっと合同軍事演習が行われていまして、昨年は石垣島では基地ができてもいないのに民間港を使用した日米合同訓練がありました。さらに11月には宮古島に陸上自衛隊のためのミサイルの弾薬が搬入された。それから、3月16日の沖縄タイムスですけれども「陸自のオスプレイが初参加 日米共同訓練」、これは「離島防衛を想定している」ということです。ここでは何か有事があったときを想定した演習を東富士演習場でやっています。東富士演習場で演習していて、そこに千葉県木更津駐屯地のオスプレイが参加している。ですから南西諸島だけではなくて、日本全国を巡って軍事演習がおこなわれていると見なければいけないと思います。琉球新報では、自衛隊だけではなくて海上保安庁も参加した合同軍事演習のことが報道されています。合同軍事演習の記事ってほとんど載らないですよね。私は沖縄タイムスと琉球新報から拾ってきているけれども、私が調べただけですから本当はもっともっとあるんじゃないかと思います。

これは防衛省のホームページにある「2010年10月以降実施した主要訓練」ですけれども、国境を越えているんですね。こんなことをやって怒られないかなと思うけれども、こういうこともホームページに堂々と出ている。このもとになったのが昨年12月に沖縄タイムスと琉球新報で大々的に報道された南西諸島を攻撃拠点とした日米合同作戦を、これからやっていくということをすっぱ抜いた記事です。これについては今年1月に2+2、防衛大臣と外務大臣が確認しています。これに基づいて合同軍事演習がどんどんやられていくということだと思います。

さらに自衛隊は本当に庶民を守ってくれるんですかということで、一番新しい防衛白書にはこのように書かれています。これまでも書いてあったことの焼き直しですけれども「自衛隊は、武力攻撃事態においては、主たる任務である武力攻撃の排除を全力で実施するとともに、国民保護措置については、これに支障のない範囲で住民の避難・救難の支援や武力攻撃災害への対処を可能な限り実施することとしている。」と防衛白書に書かれています。つまり平たく言い換えますと、「庶民を守るのは二の次ですよ」ということを白書で言っているということです。

米中両国に意見書を決議した沖縄県議会

最後のまとめになります。中国政府とアメリカ政府に対して――アメリカ政府に対してもです――、軍事衝突を回避するため冷静かつ平和的な交渉で解決を図ることを、日本政府に要請することが必要だと思っています。沖縄県議会が決議した意見書を資料に載せました。沖縄県議会はこのような決議をしています。

「今回の米下院議長の台湾訪問が、米中関係や日中関係に悪影響を及ぼし、国際社会の軍事的緊張の高まりを招き、沖縄県民に大きな不安を与えている。」と書かれています。中国だけではなくアメリカに対しても要求しなければいけない、抗議しなければいけないということを沖縄県議会は全会一致で意見書を採択しています。これが基本の大事なことじゃないかと思います。「記」の「2」に「中華人民共和国及びアメリカ合衆国は軍事衝突を回避するため冷静かつ平和的な交渉で解決を図ること要請する」、こういう文書が県議会で決議できているということは大事なことではないかと思います。

2番目に、今年は日中国交正常化50周年なので、日中首脳会談をやって日中平和友好条約の中味を再確認するべきだと思います。そして3番目、日本は軍備増強をやめて、危機を煽るだけの日米合同軍事演習をやめてほしい。そして南西諸島の自衛隊基地建設計画は再検討――もちろんやめてほしいんですけれども――してほしいということを日本政府に対して、特に野党は要求してほしいと思います。

最後に現地の新聞で八重山毎日新聞のコラム欄を紹介します。8月9日、ペロシさんが帰ったあとです。「『敵基地攻撃能力の保有』『米国の核戦力の共有』。いずれも国民がコロナ禍で苦しむなか、ロシアのウクライナ侵攻に乗じて声高に議論されてきたことだ。そのように主張される方々は、今回の『ミサイル着弾』を『自分事』として捉えることができるだろうか。はるか2千キロメートルも離れた東京からは『他人事』としか見えないのでは」。かなり痛烈なコラムです。これはやはり日本政府に対して言っていきたいと思います。石垣とか南西諸島の情報というのはなかなか入りにくいかもしれませんが、「石垣市住民投票を求める会」のホームページがあります。「I LOVE いしがき」というのは「石垣島に軍事基地をつくらせない石垣市民連絡会」のFacebookで毎日のように更新して基地の状況を撮影した動画なども入っています。参考にしていただきたいと思います。八重山毎日新聞もホームページがありますので、やりようによっては情報を手にすることができます。私は今日の情報はほとんどこれで入手しましたので、ぜひお願いしたいと思います。

コロナが始まってなかなか上映会ができなくなりました。だったらということで私は小さいころ紙芝居が大好きだったので「上映屋さん」をはじめようと、機材を持っていきます。謝礼はいりません。DVDを1本買っていただいて交通費だけお願いできれば、お話しをすることもできますということでやっています。まだまだこの運動をやっていかなければいけないので呼んでいただければありがたいと思います。

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