私と憲法254号(2022年6月25日号)


中国・朝鮮包囲の米国追従の道を拒否し、平和と共生の東アジアへの道を切り拓く

参院選の公示と争点

22日、参院選が公示され、目下、政治的激戦のさ中だ。
この参議院議員選挙は今後の日本社会のゆくえを決定づける分岐点となった。選挙の争点は、長年にわたる自公連立(安倍・菅)政権を継承し、東アジアの軍事的緊張の増大とコロナ禍対策の失敗、経済政策の破綻によるインフレなどの悪政を人々に押し付け、人々の安全と生活を破壊する「翼賛国会」の道をすすむのか、それともこの悪政を転換する希望の政治への契機をつくるのかにある。

3年以上も続いてなお出口が見えないコロナ禍に加えて、インフレと物価高騰が人々の生活を直撃し、社会の貧困と格差が猛烈な勢いで拡大している。長年続いた「アベノミクス」のもとでの異次元金融緩和政策は破綻し、岸田首相がいう「新しい資本主義」とか「所得倍増」などは大企業と大金持ちを富ませるだけで、庶民の生活の苦境と困難は急速に進行している。

すでに4カ月になるロシアによるウクライナ侵攻に便乗し、改憲と軍備増強の合唱が繰り返されている。憲法9条の改憲や緊急事態条項の導入などの声の下で、軍事費の倍増、敵基地攻撃能力保有、核兵器の共有、「台湾有事は日本有事」などなど、従来の日本政府が「国是」としてきた「専守防衛」「平和主義」「非核3原則」などの原則を破壊する議論が言論界やマスメディアで流行している。

昨年の総選挙で自公与党が圧倒的な多数をしめた国会では、こうした議論に日本維新の会や国民民主党までが加わって、人々が望んでもいない「改憲」を緊急の課題として騒ぎ立て、国会の憲法審査会などの議論が強引に進められている。参院選が終ったら改憲発議だとの声が与党筋から聞こえてくる。

「翼賛国会」化が進んでいる。安保法制制成立以後は9条の明文改憲は必要ないといっていた公明党から、5月19日の憲法審査会で、北側副代表による新手の自衛隊書き込み論が飛び出した。いわく、「憲法上のどこに書き込むのがふさわしいか。自衛隊法7条(首相の指揮監督権)を憲法価値に高めていく意味は理解できる。首相や内閣の職務を規定する72条か、73条に書きこんで行くことも考えられる」と。ここまでくれば自衛隊の9条書き込みまであと一歩だ。

日本維新の会も5月18日、「(自衛隊の保持を明記する改憲)条文イメージ案」を発表したが、これは自民党の案とそっくりだ。
国民民主党も緊急事態条項改憲や原潜保有を唱えている。
まさに「憲法」はこの参議院選挙の争点になった。

バイデンの初の米韓、訪日とQUADバイデン米国大統領は5月20日から24日まで、韓国と日本を訪れ、両国で首脳会談を行い、その後、QUAD(日米豪印)首脳会談を開いた。バイデンはこの歴訪の中で中国等を排除した新たな経済組織IPEF(インド太平洋経済枠組み)を強引に発足させた。バイデンの歴訪では「北朝鮮(朝鮮半島ではない)の非核化」のための米日韓の協力と米韓合同軍事演習の規模拡大を確認した。日米首脳会談では岸田首相は防衛力の抜本的な強化のため「防衛費の相当な増額」を約束した(これを安倍晋三元首相は、「今年度当初予算が5・4兆円だったが、来年度は6兆円台後半から7兆円が見えるまでの増額」と語った)。

またバイデンはのちにホワイトハウスがあわてて「政策変更はない」と打ち消したものの、従来の「戦略的あいまい」路線を踏み越えて、「台湾有事に軍事介入する」姿勢をしめした。これは中国に対するあからさまな挑発であり、中国包囲網の強化であり、東アジアの軍事緊張を拡大するものだ。

バイデンの米国はこの間、急速に進んだ力の衰えをカバーしようと、アジアにおいても「同志国」とよぶ各国の力を借りて、焦って屋上屋を重ねるごとく中国包囲の同盟の形成で切り抜けようと必死だ。6月16日にはキャンベル・米インド太平洋調整官が、日豪英仏などと組んで南太平洋諸国を勢力圏に置くための新しい安保協力の枠組みを準備していると表明した。松野官房長官はこれに積極的に協力することを表明した。日本は米国に従属しながら帝国主義の道を歩んでいくというのか。

自民党の「安保提言」と、日本の安保防衛政策の大転換

4月21日に自民党政務調査会の安保調査会が公表した「新たな国家安全保障戦略等の実施に向けた提言~より深刻化する国際情勢下におけるわが国及び国際社会の平和と安全を確保するための防衛力の抜本的強化の実現に向けて~」は、ウクライナの事態が「インド太平洋地域、とりわけ東アジアにおいても例外ではない」ことを強調し、「将来、欧州で既に見られている『事態』が東アジアで発生しないとはいえない」と危機感をあおりたて、防衛費倍増など異常な軍拡に進んで行くことを正当化している。

岸田政権はこの「提言」を下敷きに、年内にも「国家安全保障戦略」「国家防衛戦略(旧防衛白書)」「防衛力整備計画(旧中期防)」のいわゆる「防衛3文書」を改訂する予定だ。これによって従来からの日本の安全保障戦略は大きく様変わりするのは必定だ。

1976年に三木武夫内閣が防衛費(軍事費)は「国民総生産(GNP)比1%を超えない」ことを閣議決定した。以来、1987年度に中曽根内閣が1%枠を撤廃したが、1990年度以降は、リーマン・ショックでGDPが落ち込み1%を超えた2010年度を除き、ともかくも事実上「1%未満」で推移してきた。

これは歴代内閣の「専守防衛」政策と不可分で、「専守防衛」は日本国憲法第9条との関連で合憲と解釈され、日本の防衛戦略の基本的姿勢とされてきた(筆者は異論はある)。専守防衛は「相手から武力攻撃を受けたとき初めて軍事力を行使し,その行使は自衛のための「必要最低限度」であり、保持する防衛力(軍事力)も自衛のための必要最低限度のものに限られる」とされてきた 。

いま、岸田内閣の下で、この「国是」ともいうべき「専守防衛」路線、「防衛費GNP比1%」以内という路線が、「海外で戦争のできる国」に向かって大きく転換されようとしている。
岸田首相は今年年頭の施政方針演説で、「いわゆる『敵基地攻撃能力』をふくめ、あらゆる選択肢を排除せず現実的に検討する」とのべた。

中国や朝鮮の動向を踏まえ、「提言」は「迎撃のみではわが国を防衛しきれない恐れがある」と強調する。相手国が車両や潜水艦などからの発射能力を持っていることなどミサイル発射方式の多様化も見据えて、「基地に限定する必要はない。向こうの中枢を攻撃することも含めるべきだ」などの安倍元首相らの意見を反映し、「(攻撃対象は)基地に限定されるものではなく、相手国の指揮統制機能等も含む」と明記した。

今回の提言の「反撃能力」は専守防衛の立場で「敵の第一撃」を甘受することは想定していない。「相手側の攻撃が、明確に意図があって、すでに着手している状況であれば、(敵基地攻撃の)判断を政府が行う」(小野寺会長)として「先制攻撃」を容認している。相手側の武力攻撃の内容でも、「弾道ミサイル攻撃を含むわが国への武力攻撃」とし、サイバー、電磁波などへの対処も織り込んでいる。

明文改憲へ。「黄金の3年」と「岸田総裁任期は2年余」

自民党は昨年の総選挙の公約で、日本の防衛費をNATOなみのGDP比2%以上にすることを主張した。

防衛費をGDP比2%以上に目標を変更することは、安倍政権からの9年でも年々増額してきたとはいえ、対GDP比1%以内に抑えてきたものを大幅に突破するものだ(ちなみに、NATOは防衛費の計算に恩給費やPKO関連費なども含めているので、21年度の防衛予算は1.24%になるとの岸防衛相の答弁がある)。提言は軍事費についてGDP比2%以上というが、今年度の当初予算は5・4兆円であり、5年以内に11兆円以上の規模とする大軍拡を企図していることになる。21年度防衛予算を2%で計算すると、日本は米国、中国につづく世界第3位の軍事費大国になる。

自民党の高市政調会長は12日、防衛費に関し「必要なものを積み上げれば、10兆円規模になる」との認識を表明した。財源については「短期的には国債発行になる」と語った。高市は「戦時国債」を否定して戦後が始まったことなど、全く無視している。

憲法9条がある国で、このようなことが許されていいはずはない。だからこそ、自民党は次回参院選以降、国政選挙がない3年間を「黄金の3年間」とよび、この期間に改憲発議と改憲国民投票をやってしまおうとしている。岸田首相は昨年の自民党総裁選で前任の安倍に倣って「自分の任期中の改憲」を公約した。これによればあと2年だ。岸田首相は18日のネットでの討論で「(改憲4項目は)すぐに行わなければいけない」と発言し、自民党の選挙公約では「衆参両院の憲法審査会で、憲法改正原案の国会提案・発議を行い、国民投票を実施し、憲法改正を早期に実現する」と書いた。

安倍晋三元首相などは「敵基地攻撃能力の保有」とともに、「核の共有」なども叫び始めた。「敵基地攻撃能力の保有」論は、相手国の弾道ミサイルの発射拠点を直接攻撃する能力のことで、従来はミサイルの早期迎撃に主眼を置いた議論だった。しかし、安倍元首相は最近「(目標を)基地に限定する必要はない。向こう(相手国)の中枢を攻撃することも含むべきだ」「(攻撃を)基地に限定する必要はない。向こうの中枢を攻撃するということも含むべきだ」(4月3日)などと発言し、議論をいっそうエスカレートさせている。

安保調査会で飛び交った「従来の必要最小限では抑止力にならず、国民を守れない」とする意見や「攻撃範囲を相手国のミサイル基地に限定せず、指揮統制機能まで攻撃する能力を持つ必要」などの意見も、専守防衛どころか、国際法違反の「先制攻撃能力保有」にまでつながるものだ。

相手国との全面戦争に進むのか

この巨大な軍拡が2015年に強行された集団的自衛権行使の一部容認に踏み込んだ安保法制の下で進められていることは見逃せない。
従来は相手国を攻撃する「矛」の役目は米軍が担い、防衛の「盾」の役目は自衛隊が担うという役割分担をしてきた。ゆえに自衛隊は航空母艦、弾道ミサイル、戦略爆撃機などの「戦略的兵器」は保有して来なかった。安保法制は従来の集団的自衛権行使に関する憲法解釈を変えて、集団的自衛権の行使を拡大し、武力攻撃事態、存立危機事態などという名目で、日本への武力攻撃がなくても、米国が例えば中国等との戦争を開始した場合、日本の自衛隊が米軍とともに相手国のミサイル基地などと合わせて、「指揮系統機能」=司令部を攻撃することになり、全面戦争にはいることになる。

こうして岸田内閣の下で、日本は急速に軍事力を強め、日米同盟を中心に欧米諸国やインド、豪州、ニュージーランドなど「同志国」との軍事協力を推進し、中国、朝鮮包囲網の形成にまい進している。このことがアジア・太平洋の軍事的緊張をいたずらに増大させ、不安定化することは間違いない。

東アジアの平和と共生の実現の道

このたびのロシアによるウクライナ侵略から学ぶべきことは、戦争につながる軍事力の強化で国の安全を保障しようとするのではなく、平時から友好と協力、共存の国際関係を形成し、たとえば「非核兵器地帯条約」締結など、全域の共同の安全保障体制を作り上げることの大切さだ。岸田政権はこの道を逆走している。
戦争を準備すれば、戦争がやってくる。これは歴史の教訓だ。

「戦争は他の手段をもってする政治の延長。戦争は政治の延長」(クラウゼビッツ)であるとすれば、戦争はそれにさきだつ外交の失敗に他ならない。私たちは米国に追従しながら帝国主義の道をすすむ日本を断乎、拒否しよう。戦争に至る前の平時において相互の交流と粘り強い交渉によって、地域に「仮想敵国」を作らない「共存の東北アジア」「共存の東アジア」などの全域集団安保の構築こそ必要だ。

たとえばピョンヤン宣言(2002年)と、「日中関係4文書はその先進例だった。(1) 日中共同声明(1972年)、(2) 日中平和友好条約(1978年)、(3) 平和と発展のための友好協力パートナーシップの構築に関する日中共同宣言(1998年)、(4) 「戦略的互恵関係」の包括的推進に関する日中共同声明(2008年)。これらによって作られた日本と中国の平和・友好の関係は挑発者の石原慎太郎元東京都知事らの挑発策動で壊されたが、日本と中国の関(次頁下段へ)(前頁から)係をこの4文書に戻す努力こそ必要だ。

「侵略されたらどうするのか」が肝心の問題ではない。「戦争」になる前にどのような準備をするのかこそ肝心の問題だ。平時において近隣諸国との間に、どのような平和と友好・共存の関係を作り上げるかだ。

東アジア非核武装地帯構想、東アジア安保共同体構想実現の夢を実現するうえで、日本の憲法第9条は現実的で、有効な道だ。
「希望とは地上の道のようなものである。もともと地上には道はない。歩く人が多くなればそれが道になるのだ」(魯迅・故郷/竹内好訳)
(事務局 高田 健)

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2022年参議院選挙における野党に対する市民連合の政策要望書

ロシアによるウクライナ侵略がもたらす世界秩序の激動の中で参議院選挙を戦うという未曾有の政治状況の中、戦後日本の針路が問われています。市民連合は、立憲主義の回復と安保法制の廃止を求め、立憲主義の理念を共有する野党各党と4回の国政選挙をたたかっています。今回も野党には、今こそ憲法が指し示す平和主義、立憲主義、民主主義を守り、育むために、以下の政策を共有し、1人区において最大限の協力を行うよう要望します。

1 平和国家路線の堅持と発展

日本国憲法が掲げる立憲主義、平和的生存権の理念に立脚し、戦争をさせないために専守防衛に基づく安全保障政策を着実に進め、非核三原則を堅持し、憲法9条の改悪、集団的自衛権の行使を許さない。辺野古新基地建設は中止する。さらに、ロシアによるウクライナ侵略に抗議する国際社会と連帯し、人間の安全保障の理念に基づき人道支援を進める。

2 暮らしと命を守るための政策の拡充

みんなの暮らしを守るために、スタグフレーションへの対策としてあらゆる財政支出を展開し、新型コロナウイルスの教訓を踏まえて医療政策の再建を行う。また、金融所得課税を始めとする税、社会保険料負担の適正化によって社会保障、社会福祉の拡充を進め、すべての生活者や労働者が性別、雇用形態、家庭環境にかかわらず、尊厳ある暮らしを送れるようにする。

3 気候変動対策の強化とエネルギー転換の推進

人びとの暮らしを脅かす異常気象の頻発にかんがみ、また将来世代や未来の人々、生きものに対する責任を果たすために、気候変動と環境保全の対策を加速し、国際社会による温暖化対策の強化に向けて働きかけを強める。また、経済や安全保障上のリスクを軽減する観点からも、原発にも化石燃料にも頼らないエネルギーへの転換を進め、脱炭素社会を早期に実現する。

4 平等と人権保障の徹底

政治の場、働く場、学ぶ場、生活の場において男女平等を実現し、伸びやかで活力のある社会や経済へと転換するために、選択的夫婦別姓制度などの法制度整備を急ぐ。また、女性に加えて、LGBTQ、外国人、障がい者などに対するあらゆる差別を廃絶し、すべての人の尊厳が守られ、すべての人が自らの意志によって学び、働き、生活を営めるように人権保障を徹底する。

2022年5月9日  安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合

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「復帰50年」の沖縄に行ってみて

菱山 南帆子(事務局)

三多摩平和運動センターの仲間から「一緒に沖縄に行かないか」と声をかけていただき、組合の皆さんの中に市民運動の私を混ぜてもらい、今年で「復帰」50年の沖縄に行ってきました。
5月15日に琉球新報が出した一面の記事を見てみてください・・・「今日本に問う」。

この見出しの「日本に」という言葉が心に重くのしかかります。この琉球新報はすぐに売り切れ。どこに行っても手に入らず、たまたまゲットしてくれた仲間から分けてもらいました。このように沖縄では新聞だけではなく、沖縄のテレビニュースでも式典や県民大会、平和行進、ハンストで座り込みをしている元山さんへのインタビューと大特集を組んで報じていました。本土の報道と全く違うのです。

このような本土との報道が違うということに対し、「偏向報道」だという人がいます。そういう人たちが、わざわざ5・15に向けて、フェリーに街宣車を乗せ、(多摩ナンバーなど本土のナンバープレートがありました)平和行進を妨害はもちろんのこと、沖縄タイムス社などの前で「沖縄は偏向報道するな」といった街頭宣伝を連日行っていました。一体この人たちは何を学んできたのだろうかと思いましたが、これが日本政府の態度そのものだと思いました。このような沖縄差別をする人たちに沖縄の地を踏む資格はありません。

    ***  ***  ***

県民大会の翌日は辺野古の坐り込みに行きました。
3年前の高良鉄美さんの選挙の時に市民連絡会のメンバーと応援に沖縄に行ったとき、電話かけの事務所でお世話になった瀬長和夫さんが辺野古の当番の日でした。坐り込み前夜、ごぼう抜きに備えて、組合の青年たちとスクラムを組む練習などして準備万端!しかし、当日、こちらの坐り込みの人数が500人を超え、警察側の予想をはるかに上回ったからなのか、すぐにそのような蛮行に踏み切ることはありませんでした。

1時間以上にわたり、降りしきる大雨の中、ゲート前に立ちはだかり、歌ったりシュプレヒコールを上げたりして警察とのにらみ合いが続きました。ゲート前に居座る私たちの左右には工事車両がずらっと大渋滞を起こしていました。瀬長さんはしきりに「今日、工事やめたって何の影響もないでしょう。もう帰りなさい。撤退しなさい。」と繰り返します。本来なら工事は中断するような事態なのですが、今回は国側が頑なに中断の判断を下さなかったことにより、離れたところにいた機動隊を総動員して辺野古ゲート前に結集させ、強制排除が行われることになりました。

もし、私がそこの責任者だったら、強制排除を受けて立つという意気込みで正面衝突していたかもしれません。しかし、瀬長さんと沖縄平和運動センターの岸本さんで話しあい、県外から来た参加者の身の安全を確保することを優先し、その日は強制排除を受けて立つのではなく、その場からテントに移動するという判断をしました。瀬長さんは「長い闘いです。1時間でも1分でも1秒でも工事を遅らせる、このような積み重ねが辺野古の工事を長引かせることに繋がります。基地を作らせないことに繋がります。1時間も遅らせたことは凄いことなのです。ありがとうございます。」と説明しました。

私たちはたまに沖縄から出てきて、観光気分・体験気分で坐り込みに参加してやった気になっているが、沖縄の人々は私たちが帰った次の日も辺野古で朝から闘っていることに申し訳ない気持ちになりました。「みんなが来てくれたから工事を遅らせることができた。ありがとう」と伝えてくれる沖縄の運動の懐の深さに感動し、見習わなくてはならないと思いました。長い闘いなのに、大勢で、機動隊とやり合い、けが人や逮捕者が出たら大変です。長く運動を続けるための押し引きの加減は、実践を積んできた沖縄の闘いから出てきたものだと思いました。

その後、組合の皆さんは東京に戻るので、別れて、私の地元の市議会議員の森ヨシヒコさんとレンタカーを借りて残り2日、戦跡と9条の碑巡りをすることにしました。

辺野古に行った後、チビチリガマに行きました。チビチリガマは遺骨収集されていないので、中に入ることはできません。遺骨を踏んでしまうことになってしまうからです。5年前にこのチビチリガマを少年らが荒らしたことでニュースになりました。事件発覚当初は、1985年に起きたチビチリガマの入り口にある平和の像を右翼団体が破壊した事件の再来ではと思いました。しかし、犯人は地元の少年たちであったこと、また動機が「肝試し」だったということが衝撃的でした。その後、少年たちは地元の住民たちからチビチリガマで起きたことなど話を聞き、謝罪の気持ちを込めて彫刻家の金城実さんと共に野仏を作りガマ入り口に設置しました。戦争のリアリティや悲惨さが年々と薄れていく、語り継がれなくなっていくことへの危機感をその時感じました。

その危機感は今回の沖縄訪問でもっと大きなものとなりました。それは翌日に行ったアブチラガマでのことでした。

アブチラガマはひめゆり学徒隊が動員され、負傷兵などが運ばれるような大きなガマです。このアブチラガマにひめゆり学徒隊が動員されたのが4月28日。それまで、ひめゆり学徒隊の女学生たちが過ごしていた暗くて狭い南風原のガマと違い、アブチラガマは電気が通っており、灯りがついていました。ひめゆり学徒隊の女の子たちは手を取り合って「街のようだね」と喜びあっていたそうです。

それからたったの3日後の5月1日。大量の負傷兵がアブチラガマに運び込まれ、電気は米軍に見つからないように消されて、薄暗闇の中で地獄のような日々が始まります。暗闇で麻酔なしでの手術、「学生さーん水をくれー」「ウジ虫を取ってくれー」「腕をさすってくれ(腕は切断されてないのに)」など、ひっきりなしに呼び出され、休みもなくケアに当たります。1日2回のテニスボールほどのおにぎりはだんだん小さくなり、最後には1日1回に減り、大きさもピンポン玉ほどのおにぎりしかもらえなくなりました。ガマ内の重傷患者や手術室などに行く途中の「けもの道」と学徒内で呼ばれていた少し狭まったところの壁に寄りかかって、当時の女の子たちは立ったまま休憩をしたそうです。暗闇で空気孔から見えるわずかな星空を眺めることが小さな癒しの時間だったそうです。

このアブチラガマには私は16年前の高校1年生の時に訪れたことがあります。その時印象的だったのが、アブチラガマの入り口に「慰安所」があったことでした。「こんな入口に慰安所があるなんて」と印象に残りました。当時、お金がなかったので、ガイドをつけずに行ったので、立て札がなければ「慰安所」とは気づかなかったはずです。

16年後の今回、ガマ内には「慰安所」と分かるものはありませんでした。しかし、ガイドさんは「ここに慰安所がありました。強制連行した朝鮮人の女性でした。撤退命令が出て、ひめゆりの皆さんと出て行った後も慰安所は移動して、今度は強制連行した朝鮮人の女性ではなく「沖縄の女性」を慰安所に「滞在させていた」と説明してくれました。この説明がなかったら立て札もなければ何もない。もしもガイドがなければ「なかったこと」にされてしまうのではないでしょうか。戦争体験を語り継ぐことの大事さ、歴史修正の恐ろしさを感じました。

また、民間の旅行会社のガイドさんは米軍基地の話をするとクレームが入り、何度も始末書を書かされ、ひどい時は出勤停止になったこともあったそうです。チビチリガマでの事件といい、戦争体験の風化と比例するように日本はまた過ちを繰り返そうとしています。

戦跡巡りと合わせて、9条の碑巡りも行いました。
これは伊藤千尋さんの書かれた「非戦の誓い『憲法9条の碑』を歩く」という本を読み、行ってみたくなったのです。付箋やマーカーを引っ張って、本を片手に9条の碑を見に行きました。なぜ憲法9条の碑が一番初めに建てられ沖縄に多くあるのか。

50年前の5月15日、沖縄では「平和憲法に帰る日」だと言われ、憲法手帳が発行され、「憲法手帳をかざして進もう」の合言葉と共に胸ポケットに憲法手帳を入れていたそうです。沖縄での悲惨な戦争体験から、本土の私たちよりずっと強い憲法9条への思いがあるのです。それが9条の碑の建設へとつながっていきました。

この思いを本土の私たちは裏切ってないでしょうか。加害と被害を生み出した、戦争の悲惨さを私たちは伝え続けていかなくてはなりません。戦争の追体験が減るたびに、戦争のリアリティはどんどん薄れていきます。過ちを繰り返さないために、歴史を学ぶ。そして、知るだけではなく、それを実践していく。反戦デモや、憲法9条改悪反対署名をするなど平和につながる活動を私たちがすることが、「生きたかった」「死にたくなかった」たくさんの命に対しての責任ではないでしょうか。

9条の碑、第1号が建てられた那覇市の与儀公園に行ってきました。またほかにも読谷村の村役場内にある9条の碑も見に行ってきました。読谷村は沖縄戦で村の95%が米軍基地となり、「復帰」時でさえも73%が基地でした。今現在も36%が弾薬庫などを含んだ米軍基地となっています。

読谷村には先述したチビチリガマやシムクガマがあります。チビチリガマは沖縄戦において「強制集団死」があり、140人中83人が亡くなりました。一方近くにあるシムクガマでも同様に住民が避難していましたが、ガマの中にいた、ハワイにいたことのある住民2人が「アメリカ兵が人を殺すことはない」と説得し、1000人前後の住民が生き残ったそうです。当時、アメリカ兵だってたくさんの日本人や沖縄の人を殺していました。しかし、戦前の国境を越えた人と人のつながりの経験が、命を救ったのです。私たちが常日頃、平和外交・市民外交、世界の人々とつながろうと言っているのはこういうことなのだと実感しました。人と人とのつながりや対話が信頼関係を生み、戦争など国同士の争いをなくしていく。これが一番現実的な平和への近道なのだと思いました。

その後は嘉手納基地へ。ひっきりなしに飛ぶ米軍機。
基地が見える道の駅(米軍基地側に拡張されたのでより見やすく)に行きました。騒音測定器も設置されています。

しなやかでしたたかな運動を、楽しく。
沖縄滞在中には沖縄社会大衆党那覇市議の上原カイザさんとも再会しました。辺野古での闘いの話をし、たまにきて現場に入って「やった気」になって帰っていくことが申し訳ない。私たちの運動の弱さと、本土の無関心によって、沖縄の皆さんに迷惑かけて申し訳ない。というような話をすると、カイザさんは私の肩をポンと叩いて「そんなに負い目を感じることはないし、もっと力抜いていいんだよ。」という言葉と共に「沖縄のことは沖縄で決めるから」とも言っていました。「沖縄の運動のいいところは、しなやかで、したたかで、楽しくやることだ」という話に、伊藤千尋さんの本に書かれていた読谷村の歴史の話を思い出しました。

かつて読谷村は米軍基地の中に村役場を作ろうと、住民が頑張り実現しました。しかし、その同じ場所に米軍がほかの建物を建てるということで、ブルドーザーと機動隊で排除しようとした時、村民200人は立ちはだかり、カチャーシーを踊り、歌い、楽しく抵抗したことにより、機動隊も米軍側もあっ気にとられたということがあったそうです。硬いものは力を加えられるとポッキリ折れてしまう。しかし、しなやかなものであれば、力が加わっても、曲がることはあっても折れない。これからの私たちの運動は決して明るいものではない状況ですが、悲壮感で人を動かすようなものではなく、楽しく明るく、しなやかでしたたかな運動を沖縄を見習って展開していきたいと思いました。

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第160回市民憲法講座 ロシアのウクライナ侵略と日本の進路―侵略者に国連と憲法9条は無力なのか?-

布施 祐仁さん(ジャーナリスト)   

(編集部註)5月28日の講座で布施祐仁さんが講演した内容を編集部の責任で要約したものです。要約の責任はすべて本誌編集部にあります。

ウクライナの危機をどうみるか

いま、みなさんも連日のようにウクライナの戦況、報道を目にしていらっしゃると思います。ここ数日は、特にロシア軍がウクライナ東部のいわゆるドンバス地方といわれているドネツク州、ルガンスク州での攻勢を強めている。ウクライナ側はかなり押されている状況という報道があります。ロシアの本当の意志というのはプーチンの頭の中にしかないので、われわれは本当のことを知ることはできないけれども、ロシア軍の行動を見ている限り、このウクライナ東部の支配を確立しようとしているのではないかと思われます。

このドンバス地方については、2014年以降内戦状態になっていまして、ウクライナ政府と、ロシアが支援している親ロシア派武装勢力といわれる勢力との間での内戦が続いていて、ドンバス地方の一部の地域を親ロシア派の武装勢力が実効支配していたというのが今回の侵攻前の状況です。そして侵攻直前にロシアが一方的にこのふたつの地域を「人民共和国」というかたちで独立国家として「承認」しました。それはあくまでもこの州の全域ではなくて一部の地域です。その後ロシア軍が侵攻して、この2州の全域を支配しようとしているのではないか。実際に停戦協議が行われた中で、ロシア側はウクライナに対してこの2州全域の分離独立を承認しろということを要求していたので、その支配を確立しようとしていることが推定されます。

今回のウクライナ危機において最激戦地となったのが、マリウポリという町です。かつての東京大空襲後とか広島・長崎の原爆投下後を想像させるくらい、普通に建っている建物がないという状態で、焼け野原という言葉がふさわしい状況になっている。ここが最も激戦地、つまりロシアがここを制圧するために力を入れた町でした。なぜロシアがマリウポリを制圧することに力を入れたのか。ロシア軍中央軍管区のミンネカエフ副司令官はこう言っています。「ロシア軍の目標の一つは(東部)ドンバス地方とウクライナ南部の完全支配を確立することだ」「クリミアとドンバスの間に『陸の回廊』を構築する」と明言しています。

2014年にウクライナにマイダン革命が起きた。「マイダン」というというのは「広場」という意味です。首都キーウの広場に市民が集まって、大規模なデモが起こって衝突等も起こった。親ロシア派の大統領が国を出てロシアに行ってしまい、政権が崩壊しました。その後ロシアが事実上軍事介入をしてクリミア半島を一方的に併合してしまった。ですから2014年以降クリミア半島はロシアが実効支配をしている状況です。この侵攻が始まる前はクリミア半島を併合したはいいけれども、そこに行くためにはウクライナを通らないといけない。これを陸続きにすればウクライナというものを安定的に確保できるという、そういう意図があるのではないかと思われます。

なぜそんなにクリミア半島にこだわるのか。クリミア半島というのはロシアにとって戦略的な要衝といえます。なぜならば黒海に面している。クリミア半島の先端にはロシア海軍の黒海艦隊の基地がある。ソ連が崩壊して以降、クリミア半島の先端の基地に関しては、共同使用というか、ウクライナから借りてロシア海軍の基地を置いていた。ここが黒海からさらにトルコの間の海峡を通って地中海、そして世界に出て行く玄関口になり、ロシアにとっては非常に重要な戦略的な要衝でした。そこを安定的に自分達が利用するためにも「陸の回廊」をつくってしまうことがひとつの目的としてあると思います。

今回ロシアがこの戦争・侵攻で、何を目標に軍事作戦を遂行しているのか。ひとつは親ロシア派が支配するドネツク、ルガンスク両州の分離独立、いわゆる「人民共和国」として承認せよということをウクライナに要求しています。もうひとつがいわゆる「中立化」といわれるもので、ウクライナがNATOに加盟しない公的な確約をしろという、このふたつを主に要求しているわけです。ロシアはこの2つを実現するために、武力行使をしているんですね。ロシア側にもこういうことを主張する理由があると思います。しかし自国の主張を通すために武力を使うということは、少なくとも第2次世界大戦後のいまの世界では許されていません。これは国連憲章に明確に書かれています。国連憲章第2条、「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない」とあります。

「法の支配」に基づく国際秩序の危機

国連憲章第1条には「国連の目的」が書いてあります。「平和の維持」ですね。それが国連の最大の目的なわけです。第2次世界大戦を経て、もう2度とこういう世界大戦を起こしてはならない、将来の世代を世界大戦から救わなければいけないということで国連は創設されたわけです。「平和」というのが一番の目的なんですね。

更にこう書いてあります。「平和に対する脅威の防止及び除去と侵略行為その他の平和の破壊の鎮圧のため有効な集団的措置をとる」ということなんですね。一番大事なのは「防止」「予防」です。しかし予防した上で、侵略が起こってしまった場合には「集団的措置」、みんなでそれを鎮圧するというのが国連の考えている平和の考え方です。これを「集団安全保障」と呼びます。

具体的には、まず「非軍事的措置」をとります。いきなり武力を使うのではなく、なるべく武力は使わない、軍事的ではない方法で平和を回復する。具体的には経済制裁や外交関係の断絶などが国連憲章には書かれています。例を挙げると1990年にイラクが隣国のクウェートに侵略しまし、一方的に併合を宣言しました。このときにも国連は非軍事的措置としてまず経済制裁を行いました。それでもイラクはクウェートから撤退しなかったので、次の段階、それが軍事的措置です。非軍事的措置では平和を回復できなかった場合には、軍事的な措置をとることが書かれています。これは具体的には「国連軍」などによる合同の国際的強制行動をとるということが国連憲章に書かれています。湾岸戦争では多国籍軍が編成されてイラクを攻撃して、クウェートからイラク軍を撤退させるかたちになりました。

ここで問題になるのは、誰がこれは侵略だ、国連憲章違反だということを認定するのか。そして平和を回復するためにどんな方法を取るのかを、誰が決めるのかということです。これは国連の安全保障理事会が決定することになっています。湾岸戦争のときには侵略者がイラクだったので、こういう措置がとれました。今回は侵略者が常任理事国という、一番国連憲章を守らなければいけない国がこれを破って侵略を起こしてしまった。こういうときには残念ながら安全保障理事会は機能しません。なぜならば拒否権を持っているからですね。それが今回起こっている問題です。

今回のロシアの侵攻直後に国連安保理緊急会合が開かれて、ロシア軍の即時撤退を求める決議案が日本やアメリカなどによって提案されたけれども、予想通りロシアが拒否権を行使して採択されませんでした。そのときには、国連に対する無力感を覚える方々が多かったのではないかと思います。私自身も感じました。しかし今回そのことで国際社会は沈黙しあきらめてしまったのかというと、決してそんなことはなかった。国連総会が開かれました。緊急特別会合が開かれて、これは常任理事国の拒否権行使で安保理が機能しなくなった場合に、国連総会を代わりに開いてそこで審議する仕組みがあり、それで行われました。そこで141ヶ国の賛成でロシアの侵攻を非難する決議が採択されました。

これは3日間開かれたんですよ。私もいくつかの討論を聞いていましたが、国連でこんなに熱気を帯びた討論が行われたのは、最近は記憶にないと感じました。私が記憶しているのはイラク戦争の直前に安保理で激論がありました。特に小さい国々ですね。名前も初めて聞くような国々の代表が非常に力強い発言をしているのが印象に残りました。

いくつか紹介させていただきます。マルタ共和国という国があります。これは地中海に浮かぶ島国で、人口40万人くらいの小さい国です。マルタ共和国の国連大使は討論の中でこういう発言をしました。「国連の基盤は、国家の主権と独立の原則にある。力が正しいのだと、我々はそんな状況は決して受け入れない」。またシンガポールの国連大使はこんな発言をしました。「力は正義だという国際秩序は小国を危険にさらす。すべての国が国連憲章を守るために団結しているという意志を明確に示さなければならない」。似たような発言が、本当に多くの小さい国々の代表から出されていました。それを聞いてあらためて「小国の視点」は非常に大事だなと思ったんですね。日本のように中途半端に経済力がある国だと、とにかく軍事力を増強しようみたいになっている。でも小さい国々は、もともと強い軍事力を持とうとか、そういう選択肢がないんですね。

ではどうやって自分たちの国の安全を守っていくのか。それは第2次世界大戦後にできた国連憲章に基づく「法の支配に基づく国際秩序」にゆだねているわけです。ですからこの秩序が壊れてしまうと、自分たちの国の安全を何によって守っていけばいいのか。本当に自分自身の国の安全の問題として、今回のロシアの侵攻を考えていることを痛感しました。いまウクライナが日々ロシア軍の攻撃を受けていて、多くの命が奪われている。そういう意味ではウクライナが一番の被害者で、この戦争を一刻も早く止めなければいけないということがありますけれども、同時にこの戦争は本当にウクライナだけの問題ではなくて、世界の多くの国々が自分自身の国の問題として捉えている。非常に危機感を持って受け止めているということをこの討論を聞いて感じました。

それが数字にもあらわれていて、過去に国連総会で侵略を非難する決議がたびたび上がっています。例えば1979年、ソ連がアフガニスタンに侵攻したときです。これも国連総会が開かれて非難決議に賛成したのが104ヶ国です。日本も賛成しました。1983年、今度はアメリカのグレナダ侵攻の際に非難決議に賛成したのは108ヶ国、日本は棄権しています。1986年アメリカのリビア爆撃、賛成は79ヶ国、1989年アメリカのパナマ侵略、賛成75ヶ国、そして2014年のクリミア併合、賛成100ヶ国。今回は、これまでと比べても非常に多い国々が非難しています。そこに危機感があらわれていると思います。日本の行動は非常にわかりやすい。アメリカ以外の国の侵略にはダメだというんですが、アメリカの侵略に対しては棄権したり反対したりするということで、ダブルスタンダードになっている。

個別的安全保障から集団的安全保障強化を決めた国連憲章

国連の安全保障の考え方は「集団安全保障」という考え方です。これが非常に重要だと思っています。「集団安全保障」というのは、侵略が起こったら世界のすべての国が協力し合って平和を回復する。まず非軍事的措置、それでもだめだったら軍事的手段で、というのが国連の考え方です。こういう考え方が生まれてきたのは第1次世界大戦後のことです。第1次世界大戦の反省から生まれて当時の国際連盟がつくられ、その規約に盛り込まれました。なぜ集団安全保障という考え方が生まれてきたのか。それまでは個別的安全保障です。これは、それぞれの国で安全保障をやる。それぞれの国が軍事力を持って、その力が弱かったら仲間――軍事同盟をつくって、それぞれ守る。そういう力の均衡、それぞれの国の軍事力だったり軍事同盟の均衡によって平和が維持されるという考え方で、これが主流でした。

しかし、現実的にはそれでは平和は守れなかった。第1次世界大戦が発生してしまって、破滅的な世界大戦の発生を抑止できなかった。その反省から生まれてきたものが集団安全保障の考えです。力の均衡というのは、こちら側が力を増したら相手側はさらに力を増す。いまのロシアとNATOの間もそうですけれど、軍拡競争につながったり緊張を高めてしまう部分があります。そうして実際に世界大戦が起きてしまったという反省から、集団安全保障の考え方が生まれました。すべての国が協力して平和を守り、侵略が実際に発生してしまったら、すべての国が協力して平和を回復するという考え方になった。

それでも第2次世界大戦は起こってしまった。でも、起こってしまったから集団安全保障は間違っていたということにはならなかった。やっぱり不十分だった。実際第1次世界大戦後の国際連盟の集団安全保障というのは、非常に不十分だったんですね。例えばいまの国連憲章にあるように、誰が侵略を認定するのかとか、どういう措置をとるのかという具体的なことはあまり書いていなかった。だから機能しなかった。結果的にはどうなったかというと、やっぱり軍事ブロックです。日独伊軍事同盟、枢軸国と連合国との世界大戦が起こってしまった。その反省から国連ができて、不十分だったものを更に強化して、集団安全保障を強化しようということになったのが国連憲章です。

それでここも忘れられてしまっているけれども、ほとんんど「『自衛権』って当たり前じゃん」という世の中じゃないですか。でも国連憲章には「自衛権」は当たり前とは書いていないんですね。国連憲章の中で自衛権について書いているのは第51条です。こう書いてあります。「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない」。ここで重要なのはあくまでもメインは個別的、集団的自衛権ではないんです。集団安全保障ですね。国連のすべての加盟国が協力し合ってその侵略を止める。でもすぐには動けないから「それまでの間」、各国ごと、あるいは他の国の力を借りて対応する。あくまでもメインはそれぞれの国が対応するのではなくて、世界のすべての国が協力して平和を回復しましょうというのが国連の考え方です。それは貫かれている。なぜならば第1次世界大戦も第2次世界大戦もこの「自衛権」が、個別的自衛権または集団的自衛権、軍事同盟、それによって世界大戦に進んでしまった原因にもなっているからですね。だから各国でやるんじゃなくて世界でやりましょう、というのが国連の太い柱としてあるわけです。

加盟国193分の1以上の責任を持つべき日本

いま2度の世界大戦を経てつくられた国連憲章というものが、非常に危機に、ピンチになっている。なぜならば、集団安全保障が機能しない。拒否権を持つ常任理事国であるロシアが、侵略してしまった。これをどうやって止めるんだということなんですね。でも重要なことは、世界はあきらめていないんです。拒否権で決議案は通らなくても、総会というかたちで141の国が「やっぱりこれは侵略だ」、ということで声を挙げたことは非常に重要だったのではないかと思っています。誰が言ったのか失念してしまいましたけれども、たぶんドイツの人が言っていました。「国連というのは私なんだ」と。これはどういうことか。国連というシステムは、何か世界政府みたいなものがあって勝手に侵略を抑え込んでくれるという、そういう仕組みはいま世界にないんですね。国連を支えているのはひとりひとりの市民なんだ。だから人ごとじゃなくて自分自身、ひとりひとりの市民の声によって国連というものが力を持つことができるんだという主旨だと私は受け止めました。

そういう意味で、やはりいま非常に大きな分岐点に立っているのではないかと思っています。この国連憲章に基づく法が支配する世界をこれから守っていくのか、それとも力が支配する世界、力が強いものが領土を拡張したり自国の望む政策を隣国に押しつけたり、そういうことが許されてしまう世界へと逆戻りしてしまうのか。そういうことがいま非常に問われている大きな分岐点に立っているのではないかと思います。これがどうなるかによって今後につながってくると思います。このロシアの侵攻が「成功」してしまってドンバス地方がロシアの領土になるとか傀儡国家になるとか、そういうかたちで終わるのか。それともロシアの侵略が失敗して、ロシア軍が撤退するかたちで終わるのかによってまったく違う。これからの世界に影響を与えるのではないかと思います。そういう意味でも国際社会が結束してロシアの侵略に立ち向かうことが、もちろん一刻も早くこの戦争を終わらせるということが大事ですけれども、同時に世界にとっても非常に重要な分岐点に立っているのではないかと思います。

 この国連憲章に基づく国際秩序を守るということは、先ほどひとりひとりの市民の声が大事だと話ましたけれども、同時にすべての加盟国の責任なわけですね。国連には193の加盟国がありますけれども、日本という国には、その193分の1の責任以上の責任があると考えています。なぜならば国連自体が、国連憲章自体が第2次世界大戦の反省から生まれた、その第2次世界大戦は誰が起こしたのか。日本には非常に重大な責任がドイツ、イタリアとともにあったわけです。今回のロシアのウクライナ侵攻を見るときに、かつての大日本帝国のアジア侵略に共通点が見いだせるのではないかなと思っています。例えば、日本はまず朝鮮半島を「併合」しました。このときに言っていたことは「ソ連が南下してくる」、そういう「脅威」があるということを言っていた。それに備えるために緩衝地帯として朝鮮半島を日本に「併合」して勢力下におさめる。さらにそこを足場にして中国東北部に「満州国」という傀儡国家をつくりました。そしてさらに中国や東南アジアに侵略していった。そのときに言っていたのは「これはあくまで防衛のためだ」。「絶対国防圏」を設定して、日本を守るためにはこの範囲を勢力下におさめる必要があるとか、「アジア解放」とか。いまもロシアが言っていますよね。「この戦争はドンバス地方の住民を解放するためだ」。それから当時の日本は「大東亜共栄圏」ということを口実に侵略していった。そういう歴史的なことから日本には193分の1以上の責任があるのではないかと思っています。

欧州で強まる「力には力」の流れ

では世界はどうなっているのかということです。法の支配、国連憲章に基づく国際秩序を守っていくというのとは逆の流れがいま起きています。ヨーロッパが非常に象徴的です。「力には力」の流れであります。ドイツは侵攻3日後ですけれども国防費をGDP比1.5%から2%まで増やす方針を発表しました。ドイツが2%に増やすとアメリカ、中国に次ぐ世界第3位の軍事大国になります。さらにポーランド。ウクライナの隣国ですけれども、大量の難民がいまポーランドに行っています。国防費をGDP比2%から3%に増やす。さらには12万人規模の国軍を25万人に倍増させるという非常に大きな軍拡を打ち出しています。さらに、長年中立政策を貫いてきた北欧のフィンランドそしてスウェーデンがNATOへの加盟申請を決定する。いずれもロシアの脅威に対して力で対抗する。まさに個別的自衛権と集団的自衛権によって対抗していくという流れが欧州では強まっています。

 日本も大きなインパクトを受けているんですね。朝日新聞の世論調査ですけれども、「日本周辺の安全保障環境に不安を感じるか?」という問いに「大いに感じる」と答えた人はは60%、2018年は48%でしたので大きく増えている。「あまり感じない」「まったく感じない」は2%しかいないですね。それから「反撃能力(敵基地攻撃能力)の保有」についても「賛成」が66%、「反対」は22%(毎日新聞、5月)。さらには防衛費をGDP比2%規模に引き上げることについても「賛成」が55%、「反対」は33%(日経、4月25日)。ちょっと驚くというか、防衛費を2%上げるということは本当に簡単なことではなくて、いま6兆円ですけれども、それを12兆円にするわけです。いまの日本の財政ってまったく余裕がない状態です。その中でこの6兆円増やす分をどこから持ってくるのかという財源がまったく示されていません。もう社会保障費とか教育費とか民生に関わる予算を削る。あるいは消費税を上げるとか、たぶん3%くらい増やさないとこの金額にできないと思います。われわれの生活に直結する大きな影響を与える政策ですけれども、いまのウクライナ危機の雰囲気の中で55%の人が賛成しているということは、本当にこのウクライナ侵攻が大きなインパクトを与えているなと思います。

日本が向かおうとしている道-専守防衛の放棄

 そういう世論にも押されるような感じでいまの日本政府はどんな方向に向かおうとしているのか。ロシアと同じようなことを中国もやるのではないかという中国脅威論を最大の理由にして、「力には力」の方向に向かおうとしている。具体的には「敵基地攻撃能力の保有」とか防衛費のGDP比2%以上の増額さらには憲法9条を改正して、一切の制約を取っ払ってフルスペックの集団的自衛権の行使をできるようにする。共通点はいずれも日米同盟の強化が狙いだと言えます。アメリカは2018年くらいから、明確に軍事戦略の最優先事項に中国への対抗ということを打ち出しています。中国を「最も重要な戦略的競争相手」、別の言い方をするとアメリカの覇権を脅かすのは中国だ。だから中国に優位性を奪われないように対抗していくという姿勢を明確にしています。そのアメリカについて、一体になって中国に対抗しようとしているのがいまの日本政府です。

当面重要になってくるのは「敵基地攻撃能力」ですね。岸田政権は年内にもこれを決定しようとしているので、この「敵基地攻撃能力」の中味が、去年くらい出たことと質がどんどん変わっている。これまでは、まさに日本に対してある国が侵略を開始した。そしてミサイル発射場を立ち上げてミサイルを日本に向けて撃ってくる。いま撃ってくるとわかった段階で、発射ボタンが押される前に攻撃するというのは、法理上はいわゆる憲法9条の専守防衛の範囲内だと、これまでの政府は言ってきました。

それが最近はまったく違うことを言い始めている。いままさに日本に向かってミサイルを撃ってくる。それを止めるのではなくて、先日の自民党の安全保障調査会提言(4月27日)では、「反撃能力の対象範囲は、相手国のミサイル基地に限定されるものではなく、指揮統制機能等も含む」ということです。「指揮統制」というのはミサイル部隊に対して発射命令を下す軍の司令部、あるいはその軍の司令部を統制する国防省とか政府です。そういう相手国の中枢も攻撃すると言っている。そんなことをしたら当然全面戦争になりますよね。

象徴的なのは安倍晋三元首相が、今年の元旦にこういう発言をしています。「相手に『最初の一撃を放ったら、自分たちも相当手痛い被害を受けるかもしれない』と思わせることが大切」(読売新聞、2022年1月1日)。もはや日本に向かって撃ってくるミサイルを止めるのが目的ではなくなっている。相手に、日本を攻撃したら痛い目に遭うと思わせるだけの力を持つ必要があると。軍事的な専門用語では、いわゆる抑止力にはふたつあります。「拒否的抑止力」と「懲罰的抑止力」です。これまで日本は「拒否的抑止力」だった。「拒否」ですから例えば日本に向かってミサイルを撃っても、日本が超スーパーな100%撃ち落とせる迎撃ミサイルを持つとする。そんなものは存在しないんですけれども、もしそういうものを持ったら相手国は絶対に日本に向かってミサイルを撃ってこないですよね。それが「拒否的抑止力」。あくまでも相手の攻撃を意味のないものにするだけの、専守防衛の力です。

安倍さんが言っているのは「拒否的抑止力」ではなくて、もうひとつの抑止力の「懲罰的抑止力」です。これは、日本を攻撃したら仕返しを受けて手痛い被害を受ける。これはまさにアメリカの考え方です。この究極は核です。核兵器で壊滅的な被害を与えられる。まさにいまロシアがやっていることですよ。「核を使うかもしれない」、「もしロシア国内を攻撃してきたら核兵器を使うぞ」と脅してNATOの介入を防ごうとしている。大国はこの考え方に立っています。そういうアメリカやロシアの考え方に日本を寄せていく、変えていくというというのが安倍さんの発言です。まさに専守防衛、日本がこれまで国是としてきた「自衛のための必要最小限度の実力行使」を完全に逸脱しようとしている。

安倍さんは専守防衛が嫌いでしょうがないんですね。安倍元首相の本音は2018年の国会で吐露しています。現職の首相が国会でこういう答弁をしています。「(専守防衛は)相手からの第一撃を事実上甘受し、国土が戦場になりかねないものだ。・・・純粋に防衛戦略として考えれば大変厳しいという現実がある」(2018年2月14日、衆議院予算委員会での答弁)。「専守防衛」というのは相手から攻撃を受けて初めて武力を使う、反撃をするということですので、こちらから手を出さないというのが専守防衛です。ですから攻撃されるということは、第一撃を日本は甘受しなければいけない。「それは厳しい」。ではどうするのかといったら、こちらから手を出すしかなくなります。「専守防衛では日本は守れない」と当時から主張していたのが安倍さんです。

さらには昨年、講演会でこう言っています。「米国の場合は、ミサイル防衛によって米国本土は守るけれども、一方で反撃能力によって相手を殲滅します。この後者こそが抑止力なのです」(2021年11月20日、日本協議会・日本青年協議会結成50周年記念大会記念講演)。「拒否的抑止力」はもう「アウト・オブ・眼中」なんですね。アメリカが持っているような「懲罰的抑止力」こそが抑止力だ。日本に手を出したら手痛い被害、壊滅させられる、そのくらいに思わせないといけないというのが安倍さんの考え方です。これは憲法9条と整合しません。専守防衛ではありませんから。だから憲法9条を変えたい。邪魔で仕方がないというのが安倍さんの考え方だと思います。

専守防衛も「必要最小限」も日本特有のものではない

最近それにつられてというか、やたらに専守防衛では守れないということを自衛隊のOB等がいろいろなところで言うんですね。ここで確認しておきたいのは、「専守防衛」は憲法9条を持つ日本だけが不当に縛られているみたいな言い方をしますが、決してそんなことはないんですよ。専守防衛は別に日本だけのルールじゃない。例えば国連憲章51条には「個別的自衛権、集団的自衛権を行使していい」と書かれているけれども、条件があるんですね。なんて書かれているかというと「国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には」と書いてある。ですから武力攻撃が発生しないと、先制的に「あの国が自分達の国を攻撃しようとしている」とか、いまロシアが言っているように「ウクライナがNATOに加盟したらミサイルが配備されてロシアを攻撃して来るかもしれない」という、「かもしれない」で攻撃してはいけないんですよ。それがこの国連憲章第51条に明確に書いてあります。これがある意味、攻撃を受けない限り武力を行使できないという専守防衛のひとつの要素で、別に日本に特有のものではないんです。

さらに「必要最小限」という縛りが9条のある日本には不当に課せられているということを、専守防衛を変えたい人たちがよく言います。けれどもそれも間違いです。1986年の国際司法裁判所(ICJ)の判決、これはアメリカによるニカラグアへの軍事介入は国際法違反だということでニカラグアが提訴しました。この判決は自衛権行使が合法と認められるにはふたつの要件が必要だというものでした。ふたつの要件とは何か。ひとつは「必要性」です。武力攻撃を受けたからといって無制限に反撃していいということではないんですね。あくまでも自国を守るために必要な範囲において、その範囲内の武力の行使なのかということです。もうひとつは「均衡性」です。相手がミサイル1発撃ってきたら100発撃ち返すとか、場合によっては核兵器を使う、これはだめなんです。違法な自衛権の行使になってしまう。いくら相手が攻撃してきたとしても、です。ですからこの「必要最小限の武力行使」という、専守防衛の中味というのは日本だけでなく、実は世界のルールなんです。日本はこれを国際法だけではなくて自国の国内法、最高法規である憲法によっても厳格に縛って、これを守りますよという宣言を世界に向かってしているんですね。

いま専守防衛なんかでは国を守れないから変えましょうなんていうことを平然と発言して、メディアも報じているのは、本当はおかしいんですよ。「国際法を守りませんよ」と言っているようなものです。なぜそういう発言が出てくるのかというと、アメリカの方しか見ていないからなんですよね。同盟を組むアメリカはどうですか、この国際ルールを守っていますか。守っていないわけですよ。イラク攻撃はそうですね。別にイラクがアメリカを攻撃したわけじゃない。でも大量破壊兵器を開発している「かもしれない」という、それ自体がねつ造された情報でしたけれども、そういう「かもしれない」という「予防」で先制攻撃をしている。アメリカ自身が攻撃を受けたのは日本の真珠湾攻撃くらいしかないわけです。「9.11」はテロです。ではそれは「必要性」、「均衡性」という要件を満たしているのかといったら、全然満たしていないわけです。ですから残念ながらロシアやソ連やアメリカという大国自身がこのルールを守ってこなかった。

日本はこれまで厳格に守ると言ってきたこの専守防衛を投げ捨てて、まさにアメリカみたいな国になる。アメリカと一体となって、アメリカみたいなかたちで武力を行使しようとしているのが現状ではないかと思っています。「専守防衛」脱却の3ステップ、ホップ・ステップ・ジャンプと私は考えています。まず第1段階は2015年の安保法制、集団的自衛権行使の限定容認をしてしまいました。日本が攻撃を受けていないのにアメリカと一緒に武力を行使するわけですから、専守防衛とは到底言えないと思います。更に第2ステップは今年、いま岸田政権が進めようとしている「敵基地攻撃能力の保有」です。最終のジャンプ、総仕上げが9条改憲、1項、2項を無効化してフルスペックの集団的自衛権行使へ進む。これが実現すれば日本が攻撃を受けていなくても、集団的自衛権というかたちでアメリカと一緒に他国の領域内を攻撃するという、まったく専守防衛ではないですよね。そういうかたちを進めようとしているというのが現状です。

アメリカの対中軍事戦略

いま何が進められようとしているか、その背景にどういうことがあるのかということをお話ししたいと思います。それを理解するにはアメリカがいまどういう戦略を考えているのかということを理解するといろいろなものが見えてきます。今日はごく一部を紹介します。アメリカは現在中国に覇権を奪われないように、今後もいかに中国より優位に立つのかということを最優先に考えています。それは自国だけでやるにはお金もかかるし大変なので、なるべく同盟国に分担させようとしている。最も期待されているのは日本です。アメリカが考える対中国の軍事戦略をひとつの絵で表しているのがこれです。万が一中国と戦争になった場合、かつ勝てる体制を準備しておこうというのが、いまのアメリカの考えていることです。そのひとつがこれです。

これは九州の南端から台湾に至るまでの南西諸島。奄美大島とか沖縄本島、宮古島、石垣島、与那国島の連なる島々に円がたくさん並んで重なり合っています。円の中心が島で、円はミサイルの射程です。この島に移動式の発射ミサイルの絵が描かれています。アメリカは中国との有事の際には、この南西諸島にミサイル部隊を配備しようと考えています。この島々にミサイルを配備するとミサイルの壁みたいになります。

島と島の間をふさぐことができる。中国軍の艦船や航空機が南西諸島の島の間を通り抜けて太平洋に出てこないように、東シナ海に封じ込めてしまうという作戦を考えています。
なぜかといえば、例えば台湾海峡有事が起こったときに、アメリカ本土やハワイやグアムから部隊や補給物資を輸送するわけです。その輸送のルートになっているのが西太平洋です。そこに中国軍の艦船が出てこられてしまうと、台湾にたどり着く前に攻撃されてしまうということで、何としても中国軍を南西諸島の内側に封じ込めたいという考え方です。それで南西諸島にこういったミサイルを配備しようとしています。

それと軌を一にするようにしてこの数年進められているのが、南西諸島への陸上自衛隊の配備です。これは与那国島に始まり奄美大島、宮古島そして来年には石垣島にも陸上自衛隊の新しい駐屯地をオープンしようとしています。その中心は、12式地対艦誘導弾を持つミサイル部隊です。アメリカも有事の際に南西諸島にミサイルを配備すると考えていますが、それに先駆けて自衛隊が平時の段階からミサイル部隊を南西諸島に配置しておくということです。つまりアメリカの戦略にあわせるようなかたちで南西諸島への陸上自衛隊配備を進めてきたというのが、ここ数年の出来事です。

そして去年の12月にはこんなことも明らかになりました。共同通信のスクープですけれども、台湾海峡有事が起きたときを想定して自衛隊と米軍の共同作戦計画の原案が、日米の制服組の間で策定されていたことがすっぱ抜かれました。報道によるとこうです。「台湾有事の緊迫度が高まった初動段階で、米海兵隊が南西諸島の島々に分散して臨時の軍事拠点を置き、そこに対艦ミサイル部隊を展開。海兵隊は島から洋上の中国軍艦艇などをミサイルで攻撃し、自衛隊は「重要影響事態法」に基づき、輸送や弾薬の提供、燃料補給などの後方支援を担う」。まさにアメリカの戦略に基づいた日米の共同作戦計画をつくりはじめてしまっている。日本が攻撃された場合ではなくて台湾海峡で有事が起こったときに日米が共同で戦う作戦計画がもう準備されているんですね。その中味はアメリカの戦略に基づいている。さらに重要なのは島と島の間を封鎖して壁にする。

日本中に中距離ミサイルを配備したい米国

中国軍を封じ込めるだけでは中国との戦争には勝てないとアメリカは考えています。やはり中国本土の爆撃機や戦闘機の発進基地となる航空基地とか、あるいは指揮統制機能のある軍の司令部とかそういうところも攻撃しなければ中国との戦争には勝てないと考えて、アメリカがこれから進めようとしているのは長い射程のミサイルの日本への配備です。これが現在アメリカの陸軍が開発中の「長距離極超音速兵器(LRHW)」といわれているもので、最近よく話題になります。滑空弾といって、弾道ミサイルは放物線を描いていくので迎撃しやすいけれども、これは低い航路を行ったり変則的に飛びます。ですから迎撃が難しいと言われているミサイルです。これをアメリカがいま開発していて2023年以降に配備しようとしている。

ではどこに配備するのかというと、まだ正式には発表していません。でもアメリカ本土に配備しても、これは射程が2500㎞くらいなので中国には届きません。ではグアムに配備したらどうか。ぎりぎり中国の沿岸部にしか届かない。内陸部に届かせようと思ったら配備先は限られています。日本とかフィリピンとかそれくらいしかないんですね。最有力と言われているのは日本です。すでにいろいろなコメントが報道で出てきています。朝日新聞(2021年7月8日付)では、匿名ですけれどもアメリカの国防省関係者がこう言っています。「軍事作戦上の観点から言えば、北海道から東北、九州、南西諸島まで日本全土のあらゆる地域に配備したいのが本音だ。中距離ミサイルを日本全土に分散配置できれば、中国は狙い撃ちしにくくなる」。さらにはコルビー元米国防副次官補が共同通信の取材にこう言っています。「(日本に)地上配備型ミサイルが必要だ。中国の攻撃により滑走路などは破壊され、機能しなくなる恐れがある。ミサイルを配備すれば、中国が標的にしなければならない対象が増え、中国の攻撃に対する耐久性が増す」(2021年6月24日)。

いずれも共通するのは、日本のなるべく多くの場所にミサイルを配備したいと考えていることです。なぜならば中国本土を狙うミサイルは、中国からすればまさに「敵基地攻撃」ですよ。日本が自国に向かってミサイルを撃ってくる前にそこを叩きつぶしてしまおうと考えるわけです。その中国が攻撃しなければいけない場所がなるべく多い方がいいというんです。それはアメリカからすればそうかもしれないけれども、われわれからしたらどうでしょうか。日本のあらゆる場所が狙われるということですね。日本が攻撃を受ける、日本が戦場になるということを前提にアメリカは作戦を考えています。

さらにこんな作戦も考えています。「インサイド・アウト防衛」といいます。「中国のミサイル攻撃を回避するため、在日米空軍・海軍の主力は一旦日本から脱出し後方に下がる」。アメリカは日本にすごく高額なステルス戦闘機をたくさん配備しています。横須賀には原子力空母も配備しているしイージス艦もある。つまり、日本に置いておくと全部中国のミサイルにやられてしまう可能性があるんですね。だから一旦日本から引き揚げましょう。日本にいたら危ないから、そして後ろ側の安全なところに陣取ってそこから作戦を行いましょう。でもさすがに日本から全部引き揚げるわけにはいかないので、アメリカ陸軍、海兵隊のミサイル部隊だけは日本に置いて、中国の攻撃を受けながら生き残って中国本土を攻撃する。そういう戦争を考えているんですね。

最前線の日本から中国本土に向かってミサイルを撃つ、そして日本も攻撃を受ける。まさに最前線の盾にされるわけです。そこで最も期待されているのは自衛隊です。自衛隊にその役割を担わせようとしています。しかし自衛隊だけに「お前たち、それをやってくれ」というのでは、さすがに何のために日米安保条約を結んでいるのかという話になってしまうので、アメリカは陸軍や海兵隊の一部の部隊を日本に置いておきます。では日本国民はどうするんだという話ですね。いまのウクライナ戦争を見ても、緊張が高まった段階で女性や子どもやお年寄りの方はポーランドとか隣国に避難していますね。それは陸路、陸続きだからできるんですよ。日本は四方を海に囲まれています。緊張が高まった段階で、ましてや有事、戦争が始まった段階で、新日本海フェリーとかANAとかJALとかスカイマークなどが動きますか。動かないですよね、止まってしまいます。避難できないんです。日本人が避難できずに日本にいる場所に中国のミサイルがたくさん飛んで来るということを、アメリカは当たり前のように考えている。そして自分達だけは日本から引き揚げる、安全なところに移るというのがアメリカの作戦の考え方ですね。

すでに始まっている敵基地能力の保有

本来日本を戦場にすることを前提にした安全保障なんていうのはありえないと思うんですけれども、日本政府は残念ながらアメリカと一体化して、アメリカについてその一部を担おうとしている。それが「敵基地攻撃能力の保有」なんですね。日本が独自に考えてやっているわけではなくて、大きなアメリカの戦略の中で出てきている。つまりアメリカも日本を拠点にした敵基地攻撃、中国本土を攻撃するミサイルを配備しようとしている。それに合わせるように日本も実はすでに敵基地攻撃能力の保有に踏み出しています。2020年12月に、現在南西諸島に配備している地対艦ミサイルの「能力向上型」を開発するということを閣議決定しています。これまではこの地対艦ミサイルは、島と島の間をふさぐことを目的にしていたので、そんなに長い射程はいらなかった。むしろ長い射程を持ってしまうと中国本土に届いてしまうので、逆に脅威を与えてしまうということで、長い射程のミサイルは持たないとしてきたんです。ですから12式地対艦誘導弾は150㎞とか200㎞くらいの射程です。それを約900㎞に延ばすということを現在もうやっています。さらに将来的には1500㎞に延ばすと言っている。

1500㎞ってどのくらいの距離かというと、沖縄本島に配備した場合でも朝鮮半島全域を射程におさめ、中国の沿岸部のほぼ全域を射程におさめます。さらにいま川崎重工による次世代型の地対艦ミサイルの開発も始まっています。これは射程2000㎞まで延ばすというんですね。もはや「地対艦」ではない。「地対艦」というのは地上から海の上の艦船を攻撃するミサイルですけれども、2000㎞ってどこの海を攻撃するんだという話ですよ。これは北京も入ってしまいます。まさに敵の指揮統制、中枢を攻撃できる能力を持とうとしているわけです。日米一体で進めようとしているわけです。こういうことをやるとどういうことになるかというと、すでに2019年11月下旬に北京で開かれた中国とロシアの「戦略安定協議」という場で、もしアメリカがアジアに中距離ミサイルを配備した場合には対抗措置を取るべきだという認識で一致した。これは読売新聞の報道ですけれども「配備先の国に照準を合わせたミサイルの配備を進めることが議論された」。

ですから日本にアメリカが中距離ミサイルを配備して自衛隊もそれを配備するとなったら、当然中国もロシアも日本に照準を合わせたミサイルをもっと配備する。そうするとアメリカ、日本、中国、ロシアそしてさらに北朝鮮も加わってのミサイル軍拡競争がさらに一層過熱化する。そうすると軍事的緊張が高まることが考えられるわけです。

キューバ危機の再来も?

 そこで思い浮かぶのが、1962年、もしかしたら人類が最も破滅に近づいた瞬間だったかもしれませんけれども「キューバ危機」というのがありました。これもきっかけとなったのは中距離ミサイルだったんですね。ソ連がアメリカの目と鼻の先にあるキューバに中距離核ミサイルを配備したことがきっかけになりました。実はアメリカはすでにソ連に近いトルコに中距離核ミサイルを配備していました。それに対抗するかたちでソ連もキューバに中距離核ミサイルを配備したんです。アメリカからするとキューバに中距離ミサイルが配備された場合、ワシントンも含めて射程に入ってしまうということで、使われたら壊滅的な打撃を蒙るわけです。それは絶対に容認できないといって実力を行使します。どのように実力を行使したかというと、キューバを海上封鎖しました。

キューバは島国ですから海上封鎖されると何もものが入ってこなくなって国家の存亡に関わる。兵糧攻めにしてソ連の中距離ミサイルを撤去を要求したわけです。でもキューバやソ連にいわせたら「お前たちだってヨーロッパに配備しているじゃないか」という話です。当然そんな要求は呑めないとなって、ソ連は潜水艦部隊でこの海上封鎖を突破するといってキューバに向けて発進させ、その潜水艦部隊に仮にアメリカから攻撃を受けたら「核魚雷で反撃しろ」という命令まで出ていたんです。本当に核戦争危機が高まっていた。そしてキューバ上空を飛行していたアメリカ軍の偵察機がソ連に撃墜された事件が起きたり、本当に戦争が起きかねない状況で、極度まで緊張が高まったんですね。最終的には水面下で交渉が行われていて、アメリカ側はキューバには絶対攻め込まないということと、トルコに配備していた中距離核ミサイルは撤去する。その代わりにソ連もキューバから中距離核ミサイルを撤去してくれないかということを持ちかけて、合意が成立して危機が回避されたんですね。

しかし後々いろいろわかってくるんです。アメリカが敷いた海上封鎖線にソ連の潜水艦部隊、艦隊が何隻も近づいて、それを突破するかどうかというときに、アメリカ海軍がソ連の潜水艦部隊に向けて警告のために爆雷を投下した。当時ソ連軍の潜水艦部隊に出されていた命令は「攻撃を受けたら核を使ってでも反撃していい」でした。ですから攻撃を受けた潜水艦の艦長は、命令通り核魚雷で反撃しようとしたんです。でもその潜水艦部隊を束ねていた艦長ではなくて全体の司令官が、ここで撃ってしまったら本当に米ソの核戦争になって人類が破滅してしまうかもしれないということで踏みとどまった。そこで踏みとどまったから核戦争にならなかったということが、のちに明らかになったんです。

ここだけではありません。実は当時沖縄にもメースBという中距離核ミサイルが配備されていて、読谷村にあった基地に核ミサイル発射命令が間違って出ていたんです。これも現場の部隊が「この命令はおかしい」と感じて確認し、その命令は間違いだとわかったのでボタンを押さずに済んだ。そういうふうに考えないで、押していたかもしれないですよね。本当に偶然で、現場の判断によって核戦争が回避されたということが後々わかったことなんですね。日本に中距離ミサイルが配備されて、日米対中国・ロシアの緊張が高まっていく中で、こういうことが今度は日本の周辺で起こり得るということを歴史の教訓としてあらためて振り返ってみました。

日本国憲法下の「防衛」とは

 よくウクライナ危機後「憲法9条では国を守れない」というじゃないですか。今日のテーマも「無力なのか?」ですね。そもそも憲法9条は日本を守るためにつくられたものではないんです。憲法9条は、日本の軍国主義をふたたび復活させない。そして日本が再び侵略戦争をしないように、日本の政府を縛るためにつくられたものです。日本政府自身が再び侵略を起こさないように縛っておかなくてはいけない。実際やったわけですから。ほかにもいろいろな当時の事情がありました。かつての日本は天皇制と軍国主義が結びついて最悪の結果になったわけですから、昭和天皇の戦争責任を免罪することとセットに、つまり天皇制を存続させるのであれば、徹底的に軍国主義の芽を摘むということがありました。「マッカーサー・ノート」というものがありますけれども、そこでも天皇制の存続と戦争放棄がセットで考えられていました。日本が武力を持たない、戦力を持たないという憲法をつくったわけです。

ではどうやって日本の安全を確保するのかということについてはこういう考え方でした。憲法前文に書かれています。「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」。よくここを引用して「日本国憲法というのは相手を信頼すれば侵略してくることはないと書かれているけれども、現に侵略してくる国があるじゃないか」ということを改憲派の人たち、特に安倍さんなどはよく言います。けれども、そんな単純なことが書かれているわけではないんですよね。それについて非常にわかりやすく説明しているのは憲法を制定した議会、当時の国会での吉田茂首相の答弁です。実際このように答弁しています。「武力なくして侵略国に向って如何に国家を防衛するのか、この質問はごもっともでありますが、しかしながら国際平和団体が樹立された後においては、国連の加盟国は国連憲章第43条によりますれば、兵力を提供する義務を持ち、国連自身が兵力を持って世界の平和を害する侵略国に対しては、世界を挙げてこの侵略国を圧伏する、抑圧するということになっております」(1946年7月4日国会答弁)。このように説明しているわけです。

つまり日本国憲法下の防衛、どうやって国を守ろうと考えていたかというと、国連の集団安全保障というものに依拠しましょう。日本自身は軍隊を持たない、戦力を持たないけれども、この国際社会において国連の集団安全保障に日本の安全をゆだねましょう、というのが当時考えられていた国を守る方法だったんですね。その原点を忘れてはならないのではないかと思います。ここでは吉田首相は軍事的措置だけを言っていますけれども、あくまでも国連の集団安全保障というのはまず非軍事があって、それでもだめな場合に軍事になるわけですけれども、そういう構想でした。あくまでも国連の集団安全保障を基本に据えて日本の安全を確保していこうということです。

ここで思い出して欲しいんですけれども、ウクライナ侵攻後に国連緊急特別総会が開かれて141ヶ国の賛成で非難決議が採択されました。そこで私が一番印象に残ったのは小国の発言だったと言いました。まさに現代において多くの小国が国連の集団安全保障、国連に基づいた国際秩序を守っていかなければ自国の安全は確保できないということを、当時の日本も同じようなことを考えていたんですね。完全にそれを忘れてしまっている。とにかくアメリカとの同盟、集団的自衛権に基づくアメリカとの同盟さえ強化すれば日本は安全になる。国連なんていうのは信用できないと、そちらの方に進もうとしているんですね。それはどういう結果をもたらすか。2度の世界大戦が起きてしまった。その反省から各国が軍事力を強めたり同盟を強めるというのは世界大戦につながってしまうという、その反省からこの考え方が生まれたので、やっぱりこれを投げ捨ててはいけないと思います。日本は、193分の1以上の責任があると思うので、これを守っていくために全力を尽くすべきなのではないかと思います。

日本が進むべき道は何か。「力には力」「ミサイルにはミサイル」「核には核」、いわゆる「抑止力論」です。こういった考え方は際限のない軍拡競争を招き、軍事的緊張を高め、戦争のリスクを増大させてしまう。「安全保障のジレンマ」です。人類は2度の大戦を引き起こしてしまった。次にそういうことになったら、実際に戦争になってしまったらどうなるのか。まさに日本が戦場になるんです。アメリカと中国の間でミサイルを撃ち合うのではなくて、アメリカは日本にミサイルを置いて、日本と中国の間でミサイルを撃ち合う。アメリカ本土は戦場にならないんですよ。アメリカは日本がどんなに戦場になってボロボロになっても最終的に勝てばいいわけですから、そのことだけを考えている。でも日本人にとってはそうはいかないですよね。この日本を戦場にしてはいけない。

そのためにはいまこそ法の支配に基づく国際秩序を守り、強化する外交を強めるべきではないか。戦争を起こさせないために対話と協力を促進し、信頼を醸成し、緊張を緩和する外交を進めていくべきだと思います。わたしはもうこれしかないと思うけれども、そういう主張をしてもロシアがウクライナに侵略して、それを止められない現状が進んでいる中で「外交なんていったって侵略に対しては無力だよ」ということを言うわけです。それに対していかに「そうじゃない」「外交には力があるんだ」ということを、説得力のあるかたちでどれだけ伝えていけるかが重要だと思うんですね。

ASEAN独自のインド太平洋構想

 それをまさにやっているのが、東南アジアのASEANなんですね。全世界というレベルでは国連安全保障理事会は拒否権を行使されてしまうと動けないけれども、地域の集団安全保障を実現していこうという努力が世界のあちこちの地域で行われてきました。最もその成果を上げてきているひとつが東南アジア、ASEANではないか。米中対立が深まる世界の最前線に、日本、フィリピン、東南アジアが置かれています。その中でASEANは明確に方向性を定めています。2019年にタイ・バンコクで開かれた首脳会議で「ASEAN独自のインド太平洋構想」を決めました。「インド太平洋構想」は安倍さんが「オレが提唱したんだ」「それにトランプも乗っかってきたんだ」と言って自慢しているけれども、これは「ASEAN独自の」ということがポイントです。安倍さんが言っているのは中国包囲網を敷こうという感じですけれども、真逆です。

「競争ではなく対話と協力のインド太平洋を目指す」構想を主導したインドネシアのルトノ外相の言葉は、「大国間の競争を克服することが目的だ」です。米中が対立しあって緊張が高まって、戦争になってしまうと戦場になるのは私たちのところだ。絶対にそれだけは止めるためにASEANは「誠実な仲介者」となって「仲介外交」を展開していくということを明確に定めています。こうしたことはある日突然、米中対立が深まったからではなく、長い長い歴史の積み重ねの上にあります。

1967年にASEANが創設された当初は、やはり冷戦時代でしたから反共同盟的な性格、つまりソ連など東側に対立していくために協力しあっていこうという側面を強く持っていた。大きく方向転換するきっかけになったのが1976年です。北ベトナムが勝利するかたちでベトナム戦争が終結します。そしてインドシナの3ヶ国(ベトナム、ラオス、カンボジア)がそろって社会主義体制になります。本来反共同盟的な性格であるならば、アメリカとの同盟関係、西側との同盟関係を強化して軍事的に対抗していこうとか、封じ込めようとか、そうなっていてもおかしくなかった。しかしASEANはそうではない道を選びました。1976年にASEANNは「東南アジア友好協力条約(TAC)」という条約をつくります。目指すものを一言であらわすと「平和共存」です。社会主義、資本主義と体制が違っていても、少なくとも戦争だけにはしない地域の秩序をつくっていこう、共存しあっていこう。そこではルールをつくる必要があるということで定めたのが「東南アジア友好協力条約」です。その柱は、紛争は平和的に解決しようということです。

条約をつくっただけでは「絵に描いた餅」になってしまうので、とにかくこの条約に魂を入れるためには対話が重要だということで対話のテーブルをつくります。1994年に「ASEAN地域フォーラム」を開始します。これは地域の紛争の芽となるものを話あっていくという、対話のテーブルです。しかもASEANはその対話の場に、域外のアメリカや中国やロシア、インドといった大国を招待してそこに巻き込んでいきます。なぜそんなことをしたか。それは冷戦時代の教訓からです。やはり大国の介入がこの地域の戦争を非常に複雑化させてしまった。ASEANを大国同士の代理戦争の草刈り場にさせないということです。そのために大国を巻き込んで対話をしていくかたちをとりました。

そういった対話の積み重ねの末に1995年から1999年にかけて、体制の違うベトナム、ラオス、カンボジアがついに加わります。このことによって文字通り集団安全保障、つまり敵をつくらない安全保障、地域のすべての国が体制の違いを超えて協力し合って、少なくとも戦争だけにはしない。そういう秩序をつくっていく体制が整った。さらに2005年からは「東アジア首脳会議」を開催した。ASEANの対話の枠組みはたくさんあって、年間1000くらいの対話のための会議がやられていると言われています。とにかく対話を積み重ねる。そのことによって戦争へのリスクを少しでも下げていこうということをやってきました。

2015年には「ASEAN共同体」を設立します。マレーシアでこの会議が開かれましたが、ホスト国のナジブ首相は閉会のスピーチでこう言いました。「東南アジアはアジアの“バルカン半島”として、分裂と紛争の発信源だったが、いまや地球規模の紛争を平和的に解決する発信源の一つに浮上した」。かつて東南アジアはベトナム戦争をはじめ大国が介入してあちこちで戦争をやって、いまの中東のような状況だった。そのASEANが、いまや紛争を平和的に解決するという秩序を世界に向けて広げていく発信源になった、ということを高らかに宣言しました。私はこれを聞いて感動するとともに、ちょっと複雑な気持ちがありました。本来なら憲法9条を持つ日本こそがこういうことを高らかに宣言し実践してほしいと思います。残念ながら日本はまったくそれを活かせず、アメリカとの同盟関係一辺倒になってしまって、ASEANに一歩も二歩も先を越されてしまっていることを感じました。こうした積み重ねの末に2019年、「ASEAN独自のインド太平洋構想」――米中対立を戦争にさせないために「誠実な仲介者」となって対話と協力を推進していくという明確な外交戦略を採用しました。

ASEANの平和努力

こういう積み重ねの中で、結果どうなっているか。1988年以降30年以上にわたってASEAN域内では少なくとも国家間の戦争は起きていません。これは当たり前じゃないですよね。世界を見渡してみても、ヨーロッパにもEUがあって確かに戦争の可能性を低めてきました。冷戦時代のOSCEという、NATOとワルシャワ条約機構が戦争にならないように対話の場所をつくりました。それでもやっぱり地域レベルの紛争は起こっています。ASEANでは1988年以降戦争は実際に起きていないわけで、まさに対話の積み重ねによって戦争を予防してきている。ASEANの中でいま一番紛争の火種になっているのは、中国との間にある南シナ海の領有権問題です。30年前に、南沙諸島で中国がベトナムを攻撃して南沙諸島の島を奪った。いまロシアがやっているように、武力によって他国の領土を奪うということを中国が当時やったわけです。ベトナム軍の兵士64人が死亡しました。そんなことが起こったら、いまの日本の感覚だったらとにかく軍事力を強化しなければとか、アメリカとの同盟関係を強化しなければといってもおかしくなかった。ASEANは決してその方向には進まなかったんですね。あくまでも対話によって、また法によって中国に対して行動を縛っていこうという方向を進みました。1996年にはASEAN拡大外相会合に中国を招待し、正式な「対話国」に認定します。そして中国と対話を積み重ねていきます。そして6年後、2002年には中国との間で合意に達し、結ばれたのが「南シナ海に関する関係国の行動宣言」というものです。

これはいくつかの原則を決めました。確かに領有権問題はお互いに主張は違うけれども、少なくとも戦争だけにはしない。あくまでも平和的に解決する。戦争にエスカレートさせてしまうような敵対的な行動は自制する。軍関係者の相互交流を進めるとか、協力できるところは協力していきましょうということで環境調査協力を進める。そういう合意を中国とつくることに成功します。そしてその対話の中で、これは非常に大きいんですけれども、ASEANが平和共存に方向転換した出発点である東南アジア友好協力条約に域外国として初めて中国が加入します。中国は、少なくとも東南アジアの域内においては武力によって紛争を解決しない、という約束をASEAN諸国と結びました。ASEANは法によって中国の行動を縛るということを、一歩前に進めたわけです。

でも中国が入る前に、日本が東南アジア友好協力条約に加わる可能性がありました。なぜなら日本はずっとASEANに対してODAというかたちで、いま中国がやっているように関わってきたので、日本も入らないかという話もありました。日本はなぜ入らなかったかというと、日米安保条約に制約が出てしまうかもしれないということで躊躇していました。中国に先に入られてしまったものだから「やばい」ということで入り、いまはアメリカも入っています。EUも入っています。東南アジア諸国が、そうやって「対話国」を巻き込んでいくかたちの外交を展開しています。そして実際どうなっているかというと、少なくとも、この「南シナ海に関する関係国の行動宣言」を結んで中国がTACに入って以降、中国が軍事力を使って東南アジア諸国の領土を奪取するということは行っていません。そういう意味では中国の行動を縛ることに成功していると言えると思います。

南シナ海の領有権問題

ただしフィリピンの実効支配していた島を中国は奪ったりしています。それは、すごくせこい手を使っています。軍隊は出さないけれども、簡単にいうと、フィリピンが目を離した隙に岩礁に上陸して建物を建てて旗を立てるというような、そういうやり方をして島を奪ったりしている。それは裏を返せば、あくまでも武力は使えない、戦争だけにはしないというルールを使って中国の行動を縛っているということは言えるのではないかと思います。このときにフィリピンがどうしたかというと、これも非常に参考になります。フィリピンはアメリカの同盟国で、日本と同じです。もし日本が尖閣諸島から目を離した隙に取られてしまったら(かなり厳重な警備をしているのでそういうことはないけれども)、日本の世論は沸騰して、とにかく軍事力増強だとなるでしょう。でもフィリピンは、あくまでも外交と法律によって対峙していこうと、オランダ・ハーグの国際仲裁裁判所に国連海洋法条約に基づいて提訴しました。

その裁判所の判決は、ここは私たちの領土だと主張する中国の主張には一切法的な根拠はないということで、フィリピンの全面勝利です。でもその判決が出たところで中国は返したかというと、「こんな判決が紙くずだ」とかいって返さない。でも中国はすごく気になっている。そのあと習近平主席がわざわざフィリピンを訪れて大統領と会談し、「これは棚上げしましょう」、「この島の問題を巡ってはお互い主張は対立しているけれども、ほかのところで協力できることはたくさんあるでしょう」といって共同声明を上げた。この判決を棚上げにしてくれたら、ここにある資源の取り分をフィリピン7割で中国は3割くれればいいよということを、習近平主席がフィリピンの大統領に提案したりもしている。やっぱりそれくらいばつが悪いんですよ。

そこは伝統的なフィリピンの漁民たちの漁場だったわけですけれども、それまでは中国の海上保安庁みたいな船が漁民たちを排除していた。結果的にはそういう話し合いの中で、フィリピンの漁民たちがそこで漁をできるようになりました。中国との対話の中で、まさにその判決を武器にして外交によって変化をつくっているというのがフィリピンのやり方です。一方、中国がフィリピンの岩を奪取したときに、フィリピンの同盟国であるアメリカは何をやったか。軍艦を派遣して、中国がわれわれの岩だ、その周辺の海もわれわれの海だと主張しているところをわざわざ通過して、軍事的に威嚇した。これに対してフィリピンの国防大臣は、「そんなことをやられたら同盟関係を見直さざるを得ない」と言ったんですね。なぜならば、いくらアメリカが威嚇したところで中国は絶対に返してくれない、軍事的緊張が高まるだけだ。もし戦争にまでなってしまったらどうなるか。戦場になるのはアメリカじゃなくてフィリピンです。フィリピン政府はアメリカの同盟国ですけれども、自国の国土を戦場にしないために、ということを一番大事にしているんですね。日本はどうでしょうか。自国の国土を戦場にしないというよりも、アメリカとの同盟関係を大事にしていないでしょうか。そういう意味ではフィリピンとまったく逆です。私はフィリピンの取っている姿勢こそが本来の独立国、主権国家であると思います。自国を戦場にしないということは、たとえアメリカの同盟国であろうとも当たり前のことだと思います。そういう点では日本はやっぱりおかしいと思います。

 こういうASEANやフィリピンが取っている外交を見ても、外交には戦争を予防する力があることを示していると思います。単なる一国の外交に止まらず、やはり集団安全保障ですね。国連レベルでは難しくても、地域で集団安全保障を実現するための努力をASEANは積み重ねてきた。そして実際この30年間戦争を予防してきて、さらに世界に向けて紛争の平和的解決の発信源になっていこうという立場になっているのがASEANです。もし仮にここに日本が加われば、日本はいまの日米同盟一辺倒ではなくてASEANと力を合わせて、日本が米中の対立を戦争にさせないための仲介外交――あくまでも外交と法によって戦争を起こさない、そういう立場に立てば本当に大きな力になると思います。

日米同盟は過渡的なもの・外交には力がある

いま、日米同盟が戦前の日本の「国体」のように、絶対的な、アンタッチャブルなものになっている。安保条約を見ても、日米同盟というのは絶対永遠不変なものではないんですね。日米安保条約第10条にこういうことが書かれています。「この条約は、日本区域における国際の平和及び安全の維持のため十分な定めをする国際連合の措置が効力を生じたと日本国政府及びアメリカ合衆国政府が認める時まで効力を有する」。つまり安保条約というのは暫定的なものだといっている。あくまでも目指すべきは国連の集団安全保障だと。その原点を完全に忘れてしまっています。日米同盟さえしっかりしていれば日本は安全だ。でもその考え方が間違いであることは、2度の大戦で証明されたからこそ集団安全保障の考え方が生まれてきたわけです。われわれは今一度この集団安全保障という、敵をつくって軍事同盟で対抗するのではなくて、世界中あるいは地域のすべての国々が体制の違いを超えて平和共存のために協力し合っていく、そういう枠組みをつくっていくために努力をする必要があるのではないかと思います。そのことは決して日本の世論との関係でも不可能ではないと私は思っています。

これは昨年の共同通信の配信記事ですけれども、日本の世論は決して対米追従、いまのような日米同盟さえよければいいとは思っていないということがあらわれています。これは米中対立についての世論調査ですけれども、まず米中対立については87%の人が不安を感じている。不安の最大の理由が「軍事的緊張が高まり日本も巻き込まれる恐れがある」、これが一番多い。その中で「米中対立の狭間で日本が米中どちらの関係を重視すべきか」という質問をしています。一番多いのはアメリカで54%、中国との関係を重視すべきだと答えている人は、どのくらいいると思いますか。1%です。アメリカ54%、中国1%。でも私が注目したのは「等距離外交を取るべきだ」と答えた人は44%います。過半数に近いかたちで、アメリカとも中国ともしっかり外交をやって、お互い平和的な関係を築いていく必要があるのではないかと考えている人が44%いるということは、ここに依拠していく必要があると思います。

さらに、ちょっと古いけれども2010年、これからの安全保障体制についてNHKが世論調査をやっています。これからの安全保障をどうするかで、「日米同盟を基軸に日本の安全を守る」は19%です。まさに日本政府がやっていることですね。一番多かったのは55%で「アジアの多くの国々との関係を軸に国際的な安全保障体制を築いていく」。「一切の防衛力を持たないで中立を保ち外交によって安全を築いていく」が12%という結果です。過半数は日米同盟だけでいいとは思っていなくて、多くの国々との関係を軸に国際的な安全保障体制を築いていく――これはまさに集団安全保障じゃないですか。いまのウクライナ侵攻のようなことがあるので、ある意味で冷静さを失っている部分もあると思うんですね。でも地下水脈として日本の中にはこうした世論がちゃんとあるということを私たちは見て、あきらめずに、さきほどの44%の世論を着実に増やしていけば、日米同盟一辺倒の方向性を変えていくことは十分可能ではないかと思っています。

 日本を再び戦場にしない、万が一にでも米中の戦争になってしまえば、真っ先に戦場になるかもしれないのは沖縄です。いま南西諸島にミサイルを配備して、アメリカもそこに有事の際に展開するという作戦計画がつくられているという話をしましたけれども、やっぱり沖縄を再び戦場にしてはならないと思います。その思いは今日ここにご参加のみなさんには共有していただけるんじゃないかなと思います。日本を再び戦場にしないためにも、今度の参議院選挙は本当に大きな分岐点だろうと思います。今回の選挙が終わると3年くらい選挙がないので、腰を据えていろいろな政策を進めていけるといわれています。そうなると改憲だったり、敵基地攻撃能力の保有だったり、軍事費の倍増だったり、中距離ミサイルの日本配備だったり、そうしたことが進められてしまう恐れがあるわけです。今回の選挙でどういう力関係になるかによって、これから先の日本だけではなくてアジアと世界の平和が大きく変わってくるのではないかと思います。

特に改憲派3分の2を阻止することが重要だと思います。そのためにも、いまウクライナの状況の影響で、力には力しかない、外交なんか信用できない、国連も信用できない、無力なんじゃないかというような声が広がっている。意図的に広げようという人たちもします。そういう考え方をいかに乗り越えていくのか。やはり戦争を防ぐのは外交の力なんだ。実際に外交にはそういう力があるということをASEANの事例なども紹介して自信を持って広げていくということは大事だと思っています。

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