私と憲法250号(2022年2月25日号)


20年来の最大の改憲の危機を迎えた国会

(1)第208国会で憲法審査会が動きはじめた

2月10日、17日、今年の国会初となる衆院憲法審査会が改憲派各政党の再三の圧力の下で「自由討議」の形で開かれた。

この両日、審査会を傍聴しながら、筆者が21年以上にわたって国会の憲法論議の傍聴を通じて監視し、その実態を市民運動にむけて発信してきた活動がかつてない危機に直面していることを痛感せざるをえなかった。

国会に憲法を議論するための常設機関である「憲法調査会」が設置されたのが2000年1月だ。以降、2005年に再編設置された「憲法調査特別委員会」を経て、2007年からの「憲法審査会」に至る約21年にわたる経過がある。憲法調査会は「日本国憲法について広範かつ総合的に調査を行う」事が目的とされたが、憲法審査会は発足に際してその目的を「日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制について広範かつ総合的に調査を行い、憲法改正原案、日本国憲法に係る改正の発議又は国民投票に関する法律案等を審査する機関」とした。「調査」から「改正の発議」へという目的の大きな変更だ。

この21年間は国会内外で改憲とそれに反対する闘いがし烈に展開され、世論の多数は憲法、とりわけ第9条の改悪に反対してきた。中でも安倍晋三政権のもとで進められた改憲運動は、安倍氏の異常な改憲への執念が逆効果となり、「安倍改憲反対運動」の高揚を生み出した。全国各地の草の根では署名運動やデモ、集会などがねばり強く展開された。そしてとうとう安倍改憲は「世論の壁」の前に挫折し、安倍氏は「断腸の思い」で政権を投げ出さざるをえなくなった。安倍元首相はその辞任表明で憲法改正について「残念ながら、世論が十分に盛り上がらなかったのは事実であり、それなしには進めることはできないことを改めて痛感している」と述べた。

しかし、2021年、安倍氏の協力で成立した岸田文雄政権の下でおこなわれた2021年の総選挙では、市民と野党の共闘が奮闘したが、多くのところで与党や維新の会に勝ちきれずに惜敗し、その結果、自公与党や日本維新の会などの改憲派が改憲発議に必要な要件である総議員の3分の2を大きくうわまわる議席を獲得した。
総選挙をへて、憲法審査会をめぐる与野党の力関係、勢力比は大きく変わった。

(2)憲法審の定例日開催の合唱

10日の会議開催にあたっては、圧倒的多数派になった与党など改憲派から立憲民主党などに「憲法審査会早期開催」に応じるよう圧力が強まった。野党側は「国会の最重要課題である予算委員会の開催中は開かないのが慣例だ」と拒否したが、維新の会や国民民主党などまで加えて「欠席でも開催を強行する」との圧力がかけられた。

改憲派各党の包囲網が狭まる中で、「審議拒否をしている」とレッテルを貼られることを恐れた立憲民主党の泉健太代表は8日に開催された立民の憲法調査会にわざわざ出席し、「国民投票法が前国会で成立したときの不公平性の是正など」国民投票法の議論を進めることを条件に審査会開催に応じることを決めた(いざ会議がひらかれるとこれはほとんど「条件」にもならなかった)。

通常国会で、憲法審査会が過去、最も早く審議を行ったのは2012年2月(民主党政権下)で、2014年以降は次年度予算案の衆議院通過後の開催が慣例化し、2月中に審査会が開かれたことは役員選出などの事務手続きのための会議も含めてなかった。

これが衆院憲法審査会の50人の委員中、立憲民主が社民もふくめ11名しか委員がおらず、反対派はこれに共産党の1名が加わった12名だけという圧倒的少数の委員構成のもとで、与党など改憲派の思うように進められている運営の実情だ。今後は改憲のテンポを早めようとする与党や維新、国民民主などから定例日(毎週木曜日)ごとの審査会開催の要求が一層強まるのは不可避だ。

(3)オンライン審議導入を緊急事態条項の呼び水にする

10日の会議では、新藤義孝・憲法審査会与党筆頭幹事が、冒頭に国民投票法における「CM規制」の取り扱いについて、今後憲法審を安定的に開催して具体的な議論を進めたいと問題提起したうえで、自民党の「改憲4項目」のたたき台などの条文イメージ案など憲法改正にかかる本体の論議に入るべきだという意見を述べた。

そして、「コロナ禍のもとで、有事のまっ只中にある。国会の責任は大きい。憲法56条は『両議院は各々その総議員の3分の1以上の出席がなければ、議事を開き議決することができない』と規定している。多数の感染者が発生し、定足数を満たす議員が議場に集まれない事態が発生する可能性がある」。「いかなる場合にも国会機能を維持し続けるためには、この『出席』という概念について、議場にいなければならないのか、あるいはオンラインシステムを構築して、リモート参加ができるのか、検討が必要だ」との発言があった。

「そしてここに国会議員の任期が関係してきた場合、選挙が実施できなくなる場合が想定される。国会議員の任期延長問題も出てくる」などとして、緊急事態条項導入の議論を急ぐよう主張した。

リモート参加は立憲民主党を含め、大方の政党が否定していない(共産党は慎重審議を要求)。新藤幹事はこれを使って、憲法審査会の開催を継続し、その中で自民党の4項目改憲案という本体論議をすすめ、改憲論議を進めようとしている。

立憲民主党の奥野総一郎幹事は冒頭に「我々は『論憲』の立場だ。しかし、改正ありきではない。安倍改憲4項目ありきの議論には応じられない。憲法論議自体は積極的におこなっていきたい」と述べた。

奥野委員は「衆議院規則148条では『表決の際議場にいない議員は、表決に加わる事が出来ない』と定めているが、例えば、ただし、感染症などのため議場にいることが出来ない議員であって、あらかじめ議院の許可を得たものは表決に加わる事ができるなどというような改正をすれば、オンライン審議はすぐにでも可能だ」と述べた。

同党の道下大樹委員は「予算委員会が開かれている最中に憲法審査会が頻繁に開催されることは、厳に慎むべきだと言ってきたが、今回、このように開催されてしまった。ましてやコロナ禍で、コロナ対策が重点的に含められている予算審議に集中すべきことは明白だ」と抗議したうえで、自民党などからの緊急事態条項の導入に反対した。「憲法には第13条や、22条のように自由権が規定されているが、全く制限できないのではなく、感染症に関する法律や原子力災害特別法などでは、必要な規制が可能になっている。かつてのワイマール憲法48条22項のような乱用の危険を例示しながら、各国のコロナ対応をみても、議会を無視して政府の緊急政令でやっている国はほぼない。改憲で対応するよりも感染症法などを改正してコロナ対応にあたる方がまっとうではないか」と発言した。

改憲派は緊急事態条項の議論への呼び水の狙いもあり、オンライン導入の制度設計を含めて、憲法審査会の場で議論を進めようとしている。しかし、17日の審査会で冒頭に橘幸信衆院法制局長から「具体的な制度設計は議院の議事手続きに関する事項だから、議院運営委員会の所掌になる」との説明があったとおり、慎重に研究を重ね議論を尽くさなくてはならない。

蛇足になるが、筆者が20年来の憲法審の傍聴活動の中で、最も長く出席していた自民党の船田元委員が、17日の会議で「さすが」と思うことを語ったので付記しておきたい。船田氏はこの間、維新の松井代表や馬場幹事長がでたらめな言辞で、国民投票を煽っていることに注文をつけた。日本維新の会の松井一郎代表(大阪市長)は11月2日、市役所で開かれた会見で、憲法改正について「来年の参院選までに改正案を固めて(参院選の投票とともに)国民投票を実施すべきだ」と述べた。「参院選の大きなテーマにもなる」とし、活発な改正論議に期待感を示した。これに対し船田氏は「国政選挙と同時に憲法改正の発議をすべきであるという議論があったが、政権を選ぶ(国政選挙と同時に)、憲法議論をするのはあまりなじまない。選挙運動と国民投票運動が重なると、混乱を起こす。国民投票に見せかけて選挙運動をやる事態も起こらないとも限らない。同時にやるのは立て付けとしてよくない。別々にやるべきであると思う」と述べた。これはまさに本誌でも筆者が再三指摘してきたことであり、松井や馬場の議論が愚かなことを、船田委員がたしなめた形だ。憲法調査会の時から在籍している船田委員は、維新の馬場委員のような駆け出しとはレベルが違う、ということだろうか。

(4)改憲派との草の根でのたたかいで、参院選で改憲派に3分の2阻止

一方、自民党の「憲法改正実現本部」(古屋圭司本部長)は5月の連休までにすべての都道府県で少なくとも1回は「憲法の対話集会」を開き、改憲世論を高めるという計画を進めている。

2月6日には古屋本部長の地元岐阜市で、自民党の県議など地方議員ら40人をあつめて「憲法対話集会」を開いた。自民党は今後、各地で集会の日程をいれ、安倍元首相や麻生太郎副総理、石破茂・元幹事長、中谷元・元防衛相などを講師として派遣し、盛り上げる予定だ。

 この場で古屋氏は「自民・公明両党が夏の参院選で勝利すれば、首相が衆院を解散しない限り、2025年まで大型国政選挙がない時期(黄金の3年)がある。改憲の実現はこの時期が一番可能性が高い」と今後の見通しを述べた。

たしかに、この3年が次期参院選に続く改憲の行方をきめる時期になる。

国会の改憲論議は重大な危機を迎えている。野党と市民が共同して、参院選で改憲勢力の3分の2獲得を阻止することと合わせて、その後の3年間に、改憲国民投票実施の可能性も見据えて、「憲法改悪を許さない全国署名」運動をはじめ、全力をあげて改憲反対の世論づくりを進めなくてはならない。

世論の多数は「改憲」を切実な課題とは考えていない。

総選挙後の共同通信世論調査では「選挙で重視した政策」経済政策33.5%、コロナ対策14.9%、改憲2.1%」で、有権者は改憲問題をほとんど重視していない。

読売の世論調査(21.5.3)では、改憲56%、改憲しない40%、9条守る56%、変える37%だ。

自民党が草の根で勝負にでて来ている。安倍元首相は2020年8月28日、その辞任の記者会見で憲法改正について、「残念ながら、世論が十分に盛り上がらなかったのは事実であり、それなしには進めることはできないことを改めて痛感している」「断腸の思いだ」とのべた。改憲派は安倍が実現できなかった改憲の多数派世論つくりに着手しようとしている。

しかし、安倍・菅の悪政の転換を期待する世論を背景に、奇襲攻撃やマスコミの利用で総選挙での勝利を手に入れ、高支持率を誇って岸田政権にも、そのコロナ対策の無為無策が露呈する中で陰りが見えてきた。

2月20日の毎日新聞は19日に行った同社と社会調査研究センターの世論調査で内閣支持率が逆転したと報じた。内閣支持率は1月22日の調査時の52%から、7ポイント下落し、45%になり、不支持率は前回の36%から10ポイント増加し、46%になった。主として岸田政権の新型コロナウィルス対策の評価だという。今後、参議院選に向か合う過程で岸田政権への批判は新型真コロナ感染症対策への不満にとどまらない。調査結果は各社によってマチマチだが、一様に支持率は下落傾向にあり、今後も岸田政権への不満と批判は拡大するに違いない。

市民は野党と市民の共同による自公政権との闘いをゆるぎなくすすめながら、全国の草の根で改憲派と闘うことで、「戦争する国」づくり反対、改憲反対の世論をつくり、改憲を打ち破らなくてはならない。

軍事大国の覇権争奪と日本がその覇権争いに加担する軍事的緊張と戦争の東アジアではなく、憲法9条を生かした、非核・平和・共存のアジアをつくことこそ、私たちの未来を拓くものとなる。
(事務局・高田健)

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極寒のなかで行われた「年末年始の女性相談会」

菱山南帆子 事務局

年末に女性相談会をやろうと話し合ったのはまだ暑さ厳しいころだった。3月、7月と女性の相談会を行ってきた私たちは回を重ねるたびに相談に訪れる女性が増えていくだけではなく、来られた方の多くが「こういう場所が欲しかった」「またやってほしい」とメモに書かれて帰られた。深刻な悩みではなくてもただお話したかったというだけでもいい。そんな気軽なスタンスのカフェや相談会の姿勢が居心地よく、長時間滞在したり、連日相談会に来られる理由なのかもしれない。女たちだけの安心した居場所が必要だった。

たわいもない話から、実は本人が気づいていないだけで深刻な問題を抱えている場合もある。女性たちの居場所は私たちボランティアスタッフの居場所でもあった。属する組合も職業も違えば、支持する政党も違う女性たちが違いを乗り越え集まり、行っている。そこで芽生えたつながりは相談会が終わってそれぞれの足場に戻ってからも連絡を取り合い、時には食事に行ったり、LINEで愚痴を言い合うなどと私たちも救われるシスターフッドとなっている。

さて、最初は年末だけの話だったのだが、年明けのほうが主婦などは落ち着いて相談会に来られるのではないかという話になり、大変なことは覚悟の上で年末年始、計4回の相談会を行うことになった。12月25、26日と1月8、9日の女性相談会に向けて女たちは走り出した。3月、7月と行っているため、手慣れたもので週1回ほどのオンライン会議で当日まで準備を進めた。

相談会当日までの間、毎晩のように夜の街を回り、相談会の存在を伝え、ポスティングやコンビニ、ネットカフェ、24時間保育園、カプセルホテル、ビジネスホテル、ラブホテルなどを回って置きチラシをして歩いた。またそれに並行してチラシのポスティングも行った。夜回りも小型マイクをもって歩き回る形から2~3人でペアを組んで歩き、気になる方に声をかけるやり方に変更した。マイクをもって歩くだけで女性に恐怖を与えてしまうことに気づいたからだ。そうするといろんな現場の姿が見えてきた。夜行バスの発着場である新宿バスタは新しい建物なのでトイレもきれいで、トイレのほかに着替える個室も完備している。広くて洗面台もきれいで、バスの待合所も広く明るく、座り心地の良い椅子がたくさんある。このような場所で夜のひと時、暖をとり、トイレや更衣室で休憩をして過ごしているような方もいらっしゃった。

夜の街はそれだけではない。性搾取の場でもあった。新宿や池袋にはたくさんのホストクラブが乱立している。このホストクラブにはお金に余裕があるマダムが通うようなイメージがあるが、実際はそれだけではない。20代、いや10代の女の子たちが実に多くホストクラブを利用し、そして心の居場所にしている。家出や、家や学校に居心地の悪さを感じて歌舞伎町などをウロウロしている10代の女の子を言葉巧みに誘い、ホストと仲良くさせ、心の弱みにつけ込んでホストクラブを「居場所」にさせる。初めは無料で利用させ、ホストと関係ができてからは、ホストクラブと提携しているような風俗店を紹介させ、若い女の子たちを働かせるという悪質な男社会による性搾取が横行している。また、コンセプトカフェ(コンカフェ)など経営側も摘発対策のために形を変え、風俗店まがいなところで働かせて小銭稼ぎをさせることもある。

年齢を重ねるとだんだんと「売れなく」なるので、リスクと引き換えに危険な風俗店などで働くようになり、「売れるため」にそれもまた風俗店と連携しているようなところで美容整形や豊胸手術を行う女性たちがいることも知った。男が儲けるために女の性搾取を行う。完全なる男社会だ。

また、このような風俗店が摘発にあうことはよくニュースになるが、今の売春防止法は「買う男」ではなく働かされている「女のほう」を摘発するためで、男にとっては何のダメージもない。

先日、池袋で痛ましい事件が起きた。20代前半の女性が、80代の男性とのパパ活(ジジ活)をせざるをえない状況の中、ホテルで男を刃物で殺してしまった。逃亡を手伝った男兄弟は女性の彼氏だったと報道されているが、実際は女性を使って金を取っていたことが明らかになった。女の子に成りすましてSNSでオジサンをおびき寄せ、女の子にホテルで相手をさせる。そこでもらった金はその男の手にわたるということを繰り返していたようだ。これは今回のケースだけではなく、いろんなところで行われているとても多い手口なのだ。そうやって、デートDVにあっているということにも気づかない女性を食い物に、今も男社会に守られながら性搾取が堂々と行われている。

新宿の某公園に夕方になると女の子が立ち始める。そこに買いに来た男たちがジロジロ品定めをしながら何度も行ったり来たりを繰り返している。どんな会話がされているのか、私も公園に立ってみた。すると3分もしないうちに30代くらいの男が声をかけてきた。無視をするとすかさず他の男が声をかけてきた。顔をあげると60歳に近いだろうか。ロマンスグレーでしっかりと整髪した普通のどこにでもいるような優しそうなオジサンだ。オジサンは私に「援交?遊び?」と聞いてきた。ここは調査のために答えることにした。

私 「いくら?」
オジサン 「1万円」
私 「安すぎない?」
オジサン 「じゃあ1万5000円」
私 「オジサン、ここ10代の子も来るの?」
オジサン 「うん。よくいるよ」
私 「それって犯罪じゃないの?」←ここでオジサンの顔が青ざめる
オジサン 「でも18歳だから大丈夫」
私 「18歳なら犯罪じゃないの?」
オジサン 「た、たぶんね」

と言って危険を察知したようで足早に去っていった。

10代の女の子にとって1万円は大金である。そのような若い女の子の金銭感覚につけ込んで風俗店よりも安上がりに女の子と遊ぼうという魂胆なのだろう。たくさんお金を払えばいいという問題ではない。女性を金で買うという行為自体が人権侵害ではないだろうか。そしてまた、そのオジサンがどこにでもいるような普通のオジサンだったことにも恐怖を覚えた。きっと家族には「飲み会で遅くなる」などと言って女の子を探しに来ているのだろう。若い女性だけではない。時間が遅くなればなるほど立っている女性の年齢は上がっていき、障がいを持った女の子までもが立ち始めるのだ。入試差別から始まり、就職差別、雇用格差、賃金格差、性分業の固定化。これらの構造的差別が性搾取を生み出していることを目の当たりにしてきた。

私たちは、毎晩、2万歩近く歩き回った。しかし、年末の女性相談会の2日後、相談会が行われた大久保公園と目と鼻の先にあるアパホテルで親子3人の無理心中があった。40代の母親が、非常階段から小学生の息子を突き落としてしまったのだ。息子は即死。以前にも子どもたちと自身も睡眠薬を飲み、真夏の車内で熱中症で無理心中を図ったとのこと。夫は何をしていたのだろうか。しかし、いつも責められるのは母親の方ばかり。もし、相談会に繋がっていたら……、と思わずにはいられない。

年始の相談会に母親と来ていた4歳の男の子が、キッズコーナーで私に「あのね、あのね、小学生のお兄ちゃんがビルからおっこって死んじゃったの。ママと仮面ライダーのカードあげて、なむなむしてきたよ」と私に話した。最初は何のことかわからなかったが、すぐにアパホテルでの事故のことだと分かった。母親はあの事件を見て何を思って相談会に来てくれたのだろうか。

元旦にも行われた男性と合同の相談会。ここに母親と来た女の子2人は極寒のなか、コートも着ておらず、靴下のゴム口はゆるゆる今にも脱げそうな状態で、来るなりお菓子の箱めがけて駆け寄りポッキーを袋に口をつけて一気に食べていた。温かいコーンポタージュスープを紙コップで渡すと、すぐに飲むわけではなく、隣にいる妹の手に当て、暖めてあげていた。

後から知ったのは、ガスも電気も数カ月止まっている状態だったそうだ。そのような状況の中、姉妹は工夫して寒さをしのぎ、元旦まで過ごしたのだろうか。生きるか死ぬかの命のはざま。そのような事態になっている今日、いったい政治は何をしているのだろうか。

先日、維新の会が国会質問で、アベノマスクの有効活用の提案で産着を作ってきた。これが提案型野党の姿である。アベノマスクの有効活用の提案なんてやっている場合ではない。現に大阪は東京の人口1400万人に比べて880万人であるにも関わらず、コロナによる死者が東京を上回った。「身を切る改革」と言って、切られたのは市民の命だった。「結果がすべて」と選挙中に言いまわっていたが、これが「維新政治」の結果ではないだろうか。命切り捨てを、何のためらいもなく開き直って行えるような維新の会とは絶対に一緒にはなれない。そして維新の会は「改革」の名のもとに公然と命を切り捨てるだけではなく、自公政権と共に改憲も進めようとしている。もはや野党でも何でもない。コロナ禍で命と暮らしと尊厳が求められている中、憲法を使いもせず変えようだなんて何をやっているんだと言わざるを得ない。

女性の相談会はまさに憲法の実践だ。以前、相談会の街頭宣伝を行っていた時に、酔っぱらった「自称護憲派」のオジサンに絡まれたことがあった。オジサンは「女つかって何やってんだ!憲法が変えられようとしてるときに、相談会なんてやってる場合じゃねーだろ!」と私たちを怒鳴りつけてきた。数分の口論ののち、私はオジサンにこういった。「オッサン、いいこと教えてやるよ。これはなあ、憲法25条の実践だ!」と言い放った。後日その場にいた若い女性から、「菱山さんの言葉を聞いて、憲法って実践するものなのだということが分かった」と言われた。

国会前での行動や署名街頭宣伝だけではなく、こうやって実際に憲法を使い倒していくことも改憲をさせない運動のひとつなのだと思った。

年末年始の相談会は極寒の中行われた。
初回の3月は、雷雨にテントごと吹きとばされそうなほどの強風で「一体私たちが何をしたっていうんだ」と言いながら、女性たちはテントの柱にしがみつき、人間重しとなった。7月の夏は猛暑とゲリラ豪雨で、夜回り中にコロナで臨時休業中の焼鳥屋の軒下に避難したこともあった。

今回はなんと雪。雨、雷、強風、猛暑、極寒、雪とくればもう何も怖くないねと口々に言い合った。

雪で凍結した会場の地面をハンマーやハサミなど各々、様々なアイテムを用いて、氷をたたいて割る女性スタッフたちの姿は、一昔前の学生運動で投石用の石を作るためコンクリートを割っている姿と重なり、私は何度も笑いをこらえた。「何かしたい」という男性たち(なんと第二東京弁護士会の会長と副会長が雪の中大量のチラシをポスティングしてくれた)に、ポスティングをしてもらうための大量のチラシを相談会のテントの中で折っていたのは、新日本婦人の会の女性たちとI女性会議の女性たち。チラシを一緒に折りながら話すたわいもない会話で大笑いしている姿を見て、女の連帯に胸が熱くなった。女性たちが集まると笑い声が絶えないのだ。

年末年始らしいことをしようと、各地からいたただいたカンパでレンタルすることができた防寒用のストーブで、餅や焼き芋、雑煮を温め、相談に来られた方にお渡しした。カフェスペースで、温かいお雑煮を食べているときの相談者の方の表情が和らいでいくのが分かった。ボランティアで参加していた上智大学教授の三浦まりさんが黙々と餅を焼いていた。

夜回りなどの宣伝期間を含め約3週間、連日女たちで顔を突き合わせ、年末年始、朝も昼も夜も寒さも食も共にする女だらけの「ほぼ共同生活」が一区切りついた最終日の夜、電車に乗ったとき「そうか、この社会には男性もいるんだ」と感じた。男性たちは長年そのような感覚だったのかもしれない。職場だけではなく、圧倒的に男性の利用者が多く、女性一人では入りにくい。飲み屋も立ち食い蕎麦も、牛丼屋もカプセルホテルも。女性相談会の重要性をより感じた帰り道だった。

夜回りと相談会を繰り返すと、つらいことも悲しいことも女性たちが集まれば楽しく未来に希望が持てるようになることを実感する。女たちの憲法を使い倒す活動はまだまだ続く。

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第158回市民憲法講座 <無責任な政治>の責任を考える

お話:高橋純子さん(新聞記者)

(編集部註)1月22日の講座で高橋純子さんが講演した内容を編集部の責任で要約したものです。要約の責任はすべて本誌編集部にあります。

森喜朗番をスタートに政治部記者20年余

私は1993年に朝日新聞に入社しまして、最初は鹿児島支局に配属されました。当時鹿児島支局は男尊女卑が、まだそういう気風が残っているところでした。私の3年上の先輩が鹿児島県警のおまわりさんを廻る初めての女性記者というくらいの、なかなか女性記者というものが居着かない土地柄の中に朝日新聞として3人目の女性記者として配属されました。おまわりさんにチークダンスを強要されたり上司のセクハラまがいの言動にあったりしながら、「明日辞めよう、明後日辞めよう、今日こそ辞めよう」と思いながら、気がついたらまもなく勤続30年という、本当に時の流れは早いものだなと思います。

2000年に東京本社の政治部に配属されました。私が担当したのは、「女のいる会議は長くなる」といって辞めさせられた森喜朗さんです。「サメの脳みそ」と言われて当時大変揶揄されましたね。4月1日の赴任で、小渕さんが当時総理大臣だったので当然「小渕番だ」と気合いを入れていました。政治部に配属された新人記者はまず総理番から始まるんです。最初は「冷めたピザ」とか言われた総理でしたけれども、着々と自分の地歩を固めていって「なかなか小渕やるじゃないか」といわれているようなときでしたので、小渕番になるのを楽しみにして配属の日を待っていたんですけれども、何と何と、前日に脳梗塞に倒れて緊急入院をされていたことがわかりました。

確か小渕さんが倒れたのが日曜日か何かで、政治部に着任してみたら担当する総理大臣がまだ決まっていなかった。現職の総理が順天堂大学病院に入院していて、首相官邸には主がいないわけですから、順天堂大学病院の前に政治部記者が24時間の張り番体制を敷きました。午前3時から午前6時までずっとハイヤーの中で待つような生活がまず何週間か続きました。私は福岡の出身で、福岡の4月は暖かく「もう春だね」という感じですけれども、順天堂大学病院の前の4月は寒くてコートは手放せないし、九州に比べたら日が暮れるのが1時間くらい東京は早いですね。もう寂しくて、「何でこんなところに来ちゃったんだろう」ってホームシックにかかるような状況でした。

何とか順天堂大学病院前の張り番を終わり、「密室談合」と言われた、当時の自民党の青木幹男官房長官や党の有力者「5人組」と言われる人たちが、「まあ次は森さんでいいじゃないか、森さんでいこうじゃないか」と言って、まったく自民党内の議論もない。一応総裁選はありますけれども、正式な手続きを取らないままに自民党の中の5人組で決めました。青木幹男さんが病室に行ったら「後は頼む」と小渕さんに言われた。私は小渕さんから後継も含めて頼まれているというようなことを言い訳にしていました。まったく民主主義の手続きとしてはおかしい。「密室談合」の中で次期総理が決まったというような批判にさらされました。憲法的にも問題があるんじゃないかということで、私も識者にインタビューをしたりしました。そういう中で誕生した森総理だったので、非常に不人気というか国民の不信感、不信な目で見られるような状況からの船出でした。

ですから当然番記者との関係もぎくしゃくするわけですね。向こうもぴりぴりしているし、そもそも民主的な正統性というところに若干疑問が残って誕生している総理なので、こちらも戦闘モードです。しかも「サメの脳みそ」とか言われていましたから、週刊誌なども書きたい放題です。今となっては信じられませんけれども、「森喜朗のサメの脳みそ 過去の問題はこれだ」とかいって特集が組まれるくらいで、本当に隔世の感ありなんです。当時は総理大臣といえども批判して当たり前、揶揄して当たり前、嘲笑して当たり前というメディアの空気があったと思います。

総理について回る番記者の仕事

それで総理番記者というのは一体何をやっているかというと、とにかく総理大臣の行くところ行くところについて回るというのが仕事ですね。朝日新聞でいうと朝刊4面、昔は政治面といって、そこに「首相動静」という欄がありますが、あれをきちんと報道するのが総理番の仕事です。当時はいまの首相公邸が首相官邸でしたので、首相官邸の執務室の前で待つことができた。総理執務室のドアの前です。階段があって、そこにみんなでたむろして座っていました。総理大臣が総理執務室から出てきて、次のどこかに行くところのドアまでは、記者ひとりだけ隣について話しかけていいというルールがあったんですよね。例えば総理執務室を出てトイレに行くとき、総理執務室を出て食堂に行ってご飯を食べるとき、その間、一社だけ隣について「総理、今日株価が上がっていますけれどもどうですか」とか、「総理、国会でこの件で揉めていますけれどもどうですか」というような質問ができる。それに対して総理が答えるという、取材の機会がいまに比べれば格段にありました。

今は、ニュース映像などで見ているからわかると思いますけれども、総理がエントランスを入ってきますね。そうすると「総理、おはようございます」とか言うと、手を挙げて通り過ぎる。安倍さんのときには「総理、何とかですけれども」と言うと、知らん顔して通り過ぎる。ああいう感じです。今は、総理執務室に誰が入っているかは遠隔でカメラで確認しています。エントランスを実際に出入りする人は誰が入ったかはわかりますけれども、総理執務室の前には記者は立ってはいられませんから、モニターで「誰が入っているな」とチェックする。当然それに映らないように執務室に行く手段はいくらでもありますから、旧官邸から新官邸に移った際に、物理的な問題として権力監視の機会がやはり減っている。チャンスが減っている。質問の機会が減っている。総理の息づかいが聞こえるような距離にいられないということ、そして出入りを確認するにも死角が増えたということで、権力監視の機会が物理的に減っているということは言えるだろうと思います。

昔の政治部と首相官邸というのは非常に不思議な関係で、先ほど総理大臣にドア・ツー・ドアまで話しかけていい。1社だけと決まっていましたけれども、普段は共同通信や時事通信が優先的に質問権を持っています。彼らは地方紙の加盟社を抱えていますから配信しなければいけないという意味もあって、優先的に質問できるのは共同通信と時事通信という約束事になっています。でも「次の質問にいかせてください」、「キャップからこれを聞いてといわれているので」とかいって名乗りを上げると、「どうぞ、どうぞ」ということで他者の記者も付ける。ただし録音してはいけない、メモも取ってはいけないというルールになっている。「総理、何とかですよね」と質問して、総理から何か答えが返ってきますね。それは記憶をしなければいけない。記憶をした上で、ひとりしか付けませんから、それを各社に伝えなければいけない。自分がクエスチョンでこう聞いた、アンサーがこうだったということを、口伝えで各社に伝えなければいけない。今となっては前近代的なルールですけれども、そう決まっていました。

番記者と総理との距離は

森さんは、何回も言うのは誹謗中傷になりますけれども、「サメの脳みそ」と言われていて答えが非常に短いわけです。「株価が上がっていますけれども」「うん、そうだね」みたいな。非常に短いので超楽勝だったけれども、先輩の記者に聞くと、宮沢喜一さんが総理大臣のときには「総理、株価は」というと、世界情勢から金融情勢から、全部立ち止まって解説し出すらしいんですね。これを記憶しろといわれてもなかなか難しい。下手をすると、ちょっと聞き間違ったり各社に伝え間違えたりすると「世界同時株安」とかの引き金を引きかねないような事態にもなりかねないので、宮沢喜一さんのときには非常に緊張感を持って番をやっていたという話を先輩に聞いたことがあります。私たちの場合は楽勝といったら怒られますが、あまりそういうことはなかったですね。

でも森さんというのは、確かに座談の名手とか当時も言われていました。でも距離が近くなればみんな好きになっちゃう。可愛さがあるみたいなことは言われてはいました。昔ながらの、いわゆる地元の寄り合いに行ったらひとりはいる、威張っているけれども憎めないおじさんみたいな感じだと思います。昔、朝日新聞に「記者席」という小さなコラム欄がありまして、自分が担当している政治家のことを書いたり、自分が見聞きした永田町の気になったことをちょっと書くコーナーで、そこに私も新人記者ながら森喜朗さんのことを書いたんですね。多少批判的なことも書きましたけれども、私も若かったのでほめたりもして気を遣ったつもりでした。けれどもどうやらお気に召さなかったらしくて、「次に私が質問させてください」と言って森喜朗さんの隣について「総理、あの」って言ったら、「君のことはよく知っている。君には答えたくない」なんて言われました。私はびっくりしまして「えっ、あの」と言って質問を続けたんですけれども答えずに去って行かれたんですね。私はまだ新人記者だったのでそれがどういう意味を持つかということもよくわからなかった。他社は、総理大臣が質問を拒否するということはメディアの選別である、けしからんこと、やってはならないことなんだということです。確か毎日新聞などは「総理 質問を拒否」という雑報記事にして、「あ、そんなにえらいことの当事者に私はなってしまったんだ」と非常にそのときは驚いた記憶があります。

そのあと、森喜朗さんと番記者の仲がぎくしゃくしているとき、どの組織でもそうだと思いますけれども、番記者の中でも森さんと仲良くしたいという人が出てくるんですよ。それは当然ですよね。一国の総理大臣、政治部記者である以上はその人に近づいて何らか特ダネを取りたい。自分しか知らない情報を取りたい。それは記者の本能として当たり前のことだと思います。ただし総理大臣に誕生日プレゼントを渡したいという番記者が出てきたんですね。民放のテレビ局の記者でした。その社の3人が「私たちは誕生日プレゼントを渡したいんです」と、一応番記者として渡すから私たち他の番記者にも言ってきたので、その3人以外はみんなで止めました。当然ですよね。それはやっぱりおかしい、百歩譲って総理大臣との関係が非常に良好な関係、お互い権力監視だけれども「お誕生日おめでとう」といっても不自然じゃないような、是々非々の関係が構築できているのだったら、読者から見てもそんなに不自然な行動ではないかもしれない。けれども、今こういう状況になっている中で、誕生日プレゼントを渡すということの意味はもう少し考えた方がいいんじゃないかということで止めたんです、でも、その民放の記者さんたちは「もうキャップから了解を得ていますから。私たちの意志ですから」と言われる。

これはいま考えてもそれが正解だったかどうか私はわからないけれども、私はついつい「わかった。あなたたちがあげたい気持ちは止められないけれども、あなたたちと同じだと見られたら非常に迷惑である。迷惑だと思っている記者がいることは胸にたたき込

んでおいてくださいね」と言ったんですよね。啖呵を切るくせがついていまして。そしたら当時新潮社から「フォーカス」という写真週刊誌が出ていまして、そこに「森喜朗に嫌われた女記者」とかいって一面写真が載っちゃったんですね。見開きですよ。見開きの片面全部が私の写真という。それは仕事中に官邸の中庭で盗み撮りをされているんです

。その写真が大きく掲載されて、私はそれまで胃が痛くなるという経験をしたことはなかったけれども、初めて胃が痛くなるという経験をしました。だって電車に乗ったら「森喜朗に嫌われた朝日の女記者」とか中吊り広告になっていて、非常に胃が痛いという経験をしました。

変わってくるメディアの権力監視という役割

いまでもやっぱり答えが出ていないというか、今はより権力者と仲良くなるということが「何がおかしいんだ」という論理になっていると思うんですね。「貧すれば鈍す」というのは本当にそうだと、この20年政治部の近くにいて思います。やっぱり権力監視だ、といっているときにはメディアが強かったときですね。読者が味方について、自分のバックには読者がいるんだ、読者を代表して質問をしているんだ。だからこんな若造でも絶対に総理大臣だろうが幹事長だろうが、官房長官でも一歩も引かない。なぜなら読者代表でここにいるんだという自負ですね。良くも悪くもそういう自負と矜持を持って権力監視の場に身を置いていたような気がします。でもどんどんどんどん視聴率が下がる、部数が下がる、そして「マスゴミ」とか言われて批判される。何か自分は良かれと思って「こうするのが当たり前でしょ」と思って書いていることに対してもすぐに炎上したりバッシングされたり、非常に強い言葉で批判されたり罵倒されたりする。そうやってどんどんどんどん自信を失っていっているような状態が長く続いたなと思います。

小泉政権以降そういうことが続いたなと思うんです。そうやって矜持を持てなくなってくると、突っ張って権力監視だといっているよりも、よりソフトにネタを引き出せる。究極の目標は政治家から特ダネを取る、取材記者は誰でもそうですけれども、政治家相手だけではないですね。裁判官だろうが検察官だろうが、彼らしか知り得ないことを聞き出してそれを読者のみなさん、視聴者のみなさんにお届けするのが記者の仕事でしょ。その目的を達するためだったら手段はもっと柔軟であってもいいんじゃないかというところに、論理としてなかなか抗しきれない。私は、権力監視は大事だし、メディアは権力監視だ、私たちはウォッチドッグなんだという自負をいまでも持っていますけれども、そういう論理だけでは部数がついてこない、視聴率がついてこないという中で、あなたたちは勝手にそう思い込んでいるだけで空回りしているだけじゃないかと言われる。非常に権力からも押される。そして読者からも押されるというか離れていかれるというか、そういう挟撃にあっているような状況の中で、実感として厳しいなとは思います。

これは私の心情の吐露ですけれども、もうひとつ権力監視というところで変わったなと思ったのは、私たちは一問一答とはいえ、小泉総理大臣の時代に新官邸になるまでは、そうやって権力者の顔を日々見て、話しかけ、声を聞くことができた。そうするといわゆる政局と言われるような状況のときに政治家がどういう顔をしているか。こういう質問をしたときに何と答えたか。そうやってパズルのピースを埋め合わせるようにして一枚の絵を描くわけです。そのときに権力者の近くに寄れる、息づかいが聞こえる位置にいるというのは非常に大事だった。小泉総理のときに新官邸になって、ドア・ツー・ドアの一問一答はやりません、先進国ではそんなことはしていませんよ。セキュリティ上も非常に問題であるというようなことで、やらないことになった。しかし小泉さんは自分に自信があるので、午前と午後1日2回、テレビカメラの前でぶら下がり取材には応じましょうということで、1日2回、午前と午後テレビカメラの前で質問に答える機会をつくってやっていました。ところがそれも慣例なんですよね。何か内閣記者会と首相官邸の間で契約事項として結ばれているわけではないんです。これはぜひみなさんにも知っていただきたいんですけれども、政治取材ってそういう不文律の慣例や慣習の積み重ねで成り立っているところが非常に多い。契約事項になっているわけではない。でも先輩たちが営々と積み重ねてきたこと、「これはやっちゃいけない」、「これはやっていい」ということを自分達で線引きをしながら不文律みたいなところでたくさん築き上げてきたものがあります。それを首相官邸の側も、「だって契約していないじゃないですか」「そんなのどこに書いてありますか」「法律になっているんですか」という子どもみたいなことは言わずに、ちゃんと向き合う関係として「じゃあ、ドア・ツー・ドアをやらない替わりにぶら下がりをやりましょう」という、そういう交渉が成り立つような状況でやっていました。

説明責任を果たさない安倍政権、記者会にも責任か

ただ東日本大震災のときに24時間、枝野官房長官はテレビに出続けている状態で、首相も当然のことながら危機管理対応に追われている。1日2回のぶら下がりは無理だという状況になり、やらないことになります。野田政権のときに、東日本大震災の緊急時対応は終わっているけれども、一旦取りやめにします。権力者にとっては1日2回テレビカメラの前に立つというのは相当な負荷がかかるわけですね。記者から厳しい質問をされる。テレビカメラで撮られているわけですから、ちょっと目が動いたとか顔色が変わったとかということを撮られることは恐怖なわけですね。それで皮肉にも民主党政権のときになくなってしまった。では1日2回のぶら下がり取材をしない替わりに、こちらが要望したときには必ず記者会見を開いてくださいねということを約束してもらって、それで内閣記者会は引き下がった。首相官邸の方も「わかりました。要望があったときにはできるだけ応えるようにしましょう」ということで、首相を取材する機会はじりじり後退戦ですけれども、一応確保した。こういう交換条件を出しながら確保してきました。けれども政権交代で第2次安倍政権が発足したときには、安倍さんはまったくそんなことはなかったかのように、当然ぶら下がり取材もやらない。記者会見も要望してもやらない、会見も開かない、国会も開かない、要は自分で説明責任を果たす機会をほとんどつくらなくなっていった。

でもこれは難しくて、憲法53条で野党が要求したときには臨時国会を開かなければいけないとなっていますけれども、「記者会見を開かなくてはいけない」なんて法律はどこにもないわけです。それはお互いのリスペクトしあう関係、尊重しあう関係があって、慣習の中で成り立っていたことです。それを歴代の総理大臣は大事にしてきたわけですが、安倍さんみたいな人というのは「どこに書いてあるんですか、法律になっているんですか。こうは言っていませんけれども、イメージです。安倍さんというのはそうやって慣例や慣習みたいなものをどんどん蹴破って、乗り越えて、それを屁とも思わないというタイプの政治家です。

そういうタイプの政治家が出てきたときに、非常に私たちは弱かった。相手との信頼で成り立って、上手く回してきたという自負もあり矜持もあってやってきた中で、安倍さんみたいなタイプを予想していなかった部分があって、「開け、開け」と言っても「開きませんよ」と言われたときに太刀打ちのしようがない。こういった慣例の中で、いきなり1日2回のぶら下がりを一切やりませんということは安倍さんだって言えなかったと思うんです。でも段階を経て2回が1回になり、1回が0回になり、その替わりに記者会見を開くという対応、内閣記者会としてもじりじりと「わかりました、わかりました」といって譲ってきた。その結果が安倍政権の説明責任を果たさない状況を物理的に担保してしまったんだろうと思います。

慣例や慣習というものは、たとえばいま日本維新の会みたいに、意味のない非合理的なものはどんどん改革する、みたいなことを言っていますけれども、私はやっぱり積み重ねてきたものを壊すときにはよくよく考えないことには危ういなと思います。首相への質問権、首相に対して質問をすることがこれだけ難しくなっている。岸田さんだったら、答えてくれだけで「おお、答えてくれた」みたいになっている状況、マスコミ自身がこういうものをつくり出してしまった。若い記者なんかは「総理大臣は答えなくて当たり前」みたいな状況の中で育っている。メディアの権力監視の構え、ポーズも変わってくる中で慣習、慣例、こういうものを特に政治取材の中で壊すことにはより慎重にあるべきだろうと、古い政治部記者歴20何年というような記者としてはいま振り返って思う次第です。

気持ちよーく誘導するのが上手いのが、権力

 権力監視がちゃんとできていないじゃないかとよくご批判をいただいていて、そのメディアに対する批判や不信感というものは重々腹に落としていかなければいけない。私も思いますよ、記者会見でなんであんな気弱な質問しかできないんだとか、更問いはダメだと言われても更問いしろよ、とかいろいろ思います。そうやって飼い慣らされる。飼い慣らされちゃいけないんです。飼い慣らされる方がひ弱すぎてよくない。記者だったら飼い慣らされるなよと思います。私は政治部に来るまでは権力というのは上からぶわーって圧力をかけ、抑圧をするというものが権力のイメージとして持っていました。実際に政治部に入って取材をしてみると、そういうものじゃないんですね。権力の怖いところは、知らず知らずの間に真綿で首を絞められるというか、飼い慣らされていること自体に気付かない、気持ちよーく誘導される。権力というのは本当にそこは上手ですよね。私は「人生はすけべ心との戦い」という人生訓を持っているけれども、「すけべ心」をくすぐってくるんです。

卑近な例ですけれども、昔は「公邸開き」というものがあったんですね。元日、1月1日に普段は誰も入れない首相のプライベート空間である公邸、中庭を開放するんです。そこに記者、政治家が来ていい。しかも家族を連れてきていいですよということです。そうすると、家族を連れてくる記者がいるんですよ。彼女を連れてきたり、妻を連れてきたり。森喜朗さんなんかは、ある番記者が両親を連れてきた。たぶん森喜朗さんはその記者のことをよく知らないと思うんですけれども、「おお、何とかさんのお父さんですか、彼はよく頑張っていますよ」とか言うわけですよ。もうお父さん、大喜び。こうやって家族とかから絡め取っていく。公邸開きに家族を連れて来る時点で、その記者は「すけべ心」の塊だと思いますけれども、みなさんの中にも、「親が喜んでくれたら嬉しいな」とか「故郷に錦を飾る」とか、いろいろあるじゃないですか、「すけべ心」が。権力というのはそういうものを上手く掴もうとしている。地方から出てきている政治家はそういうのは非常に巧みです。「すけべ心」につけ込んでくるのが非常に上手い。

あまり野党の悪口は言いませんけれども、野党の人たちはその辺すごくドライじゃないですか。人間のそういう「すけべ心」みたいなもの自体、存在していること自体をあまりわからない。論理的な思考で合理的な判断をしていくというかたちで、私はそれは悪いことだとはまったく思いません。ただやっぱり選挙となると、その人の心を動かして1票をつかみ取らなければならない。自民党の保守政治家の中に蓄積されている、人の「すけべ心」をくすぐる手腕みたいなものは、これはなかなか太刀打ちが難しいものがあるなということは、実感として思います。だから野党政治家にそうなれとは思いませんけれども、それに太刀打ちするにはよっぽどの何かがなければできません。だけど人間たるもの「すけべ心」を解凍しちゃいけない。くすぐってくるのはわかるけれども、そこに全乗っかりせずに生きていく方法はないものか、ということを有権者としては思います。

ましてやメディアに所属する一員であるならば自分の「すけべ心」というものは絶対に冷凍凍結して、「すけべ心」をくすぐられようとも絶対それは溶かしちゃいけない、ということが私が思うところです。社内でも「そんなに肩肘張る必要はないんじゃないですか」って嘲笑されたり、「そんなに権力、権力ってやってたってしょうがないじゃないですか」「うまくやんなきゃ、ポンポン」とか肩を叩かれたりすることもあります。けれども氷は溶ける。とにかく氷点下にしておくことが大事だ、「すけべ心」と戦うにはそれしかないんじゃないかと個人的には思っています。

権力監視の現在地――メディアが使われる関係に

 安倍さんが説明責任を果たさない、それは物理的な機会というものを自らなくしていったからだという話をしました。もうひとつ私が見ていて安倍さんってメディアの使い方が上手いな。あえて「上手い」といいますけれども、安倍さんというのは分断統治をやってくるわけです。内閣記者会、記者クラブは、「何やっているんだ」とよく批判されます。望月衣塑子さんの問題のときに、望月さんひとり守れないで内閣記者会は一体何やっているんだと言われることもありまして、私も情けないなとかひ弱だなと思うこともあります。ただ私は、かつては存在意義はあったと思うんです。権力というのは強大ですから、強大な権力と対峙するためには記者クラブという存在が一枚岩になって内閣記者会の総意として申し入れをしていく。ぶら下がり取材をなくすのだったら、記者会見を頻繁に、要望したときにはきちんと開くようにしてくれといっていく。これはやはり一枚岩になって要望していくことによって、一応、対権力という意味で一対一の関係を築き対峙することができるわけです。

安倍さんはそこでメディアを分断してきます。自分の意を汲んでくれるメディアみたいなものを露骨に可愛がるようなやり口をやってきます。私たちが20年前に政治部にいたときには、慣例として総理大臣は単独インタビューはやっちゃいけない。メディアもやっちゃいけないし、総理大臣も応じちゃいけないというルールになっていました。単独インタビューというのは、メディアにとっては「飴」になるわけですね。だからそれはメディアの側も自分達の手足を縛ってしまうから、そういうことはしない。グループインタビューというかたちで、みんながいるところでそれぞれ各社の記者が質問する。そういうかたちでのインタビューしかやらないということになっていました。海外メディアなどがお正月向けとかいってインタビューに来るときも、他の記者は外でモニターできるようになっていました。どういうやりとりがあったのかがわかる。そういうかたちでオープンにしていたんです。単独インタビューというエサを権力に使わせないということをお互いにやっていた。

安倍さんになって何が起きたかというと、「WiLL」「Hanada」の巻頭インタビューの登場頻度たるや、「また今月も単独インタビューかよ」みたいな感じで単独インタビューというものを解禁しました。それもでも慣例・慣習だから、それをやる社が出てきたときには止める術がないわけです。やっちゃいけないというルールはないです。単なる内規というか、みんなの知恵の寄せ集めでそうしていたに過ぎないわけです。それで読売新聞が5月3日付けの憲法記念日に9条加憲論、自衛隊の存在を9条に明記するなんていうことを、国会でも何にも言っていないのにインタビューで初めてそれを言う。読売新聞は、バーンと1面の頭に5月3日にうっています。国会では「総理、9条に自衛隊を明記するとおっしゃいましたね」と言って野党議員が質問したら、「それは読売新聞を読んでください」と一国の総理大臣が言う。こういった状況が築かれた。

そうなって来ると何が起こるか。一枚岩になって安倍さんに一問質問して、それに答える。それに対して答えていないわけだから、「総理、いまのはお答えになっていませんけれども」といって更問いをする機会がまったくシャットアウトとされてしまう。ひとり一問までという規定を勝手に作られている。これはおかしいじゃないかということで、更問いをちゃんと認めろ。もっとフリーランスを入れろ。「次の予定がありますので」とかいって1時間で打ち切るのをやめろ、質問がある限りは記者会見を続けろ、というような要望を内閣記者会として出したいけれども出せない。一枚岩になれない。朝日新聞を初めとする「内閣記者会有志」としてしか申し入れができないような状態です。

権力にとって一枚岩じゃないということは非常に楽勝なわけですよ。一枚岩になっているから、内閣記者会対権力という構図になります。「みなさん、一部の方でしょ、そうやっておっしゃっているのは」「今のままでいいよと言っている社もあるんですよ」と言われたら、権力というものと対峙のしようがなくなるわけですね。みなさんの中にも記者クラブ廃止論のようなものは根強くあって、そういう不信感を招いた私たちの責任は大いに感じなければいけないとは思います。けれども権力と対峙するときに、そういう組織がない中でどうやって対峙していったらいいんでしょうか、というところまでぜひ考えていただきたい。私も内閣記者会を絶対残せと思っているわけではないけれども、権力と対峙するときには内閣記者会が一枚岩になるということは非常に大きかったという過去のお話しとしてはしておきたいと思います。そういう意味で安倍さんというのは非常にメディアの使い方が上手い。ちょっと困ったとき、自分が言いたいことがあるときだけ、北朝鮮がミサイルを撃ちました、とかいうときだけぶら下がりに出てきて勇ましいことを言っていく。そういうかたちでメディアの方が使われるような関係になってしまったことは忸怩たる思いです。

でもそれは、安倍さんが上手かったということももちろんあるけれども、私たちメディアの側が慣例や慣習みたいなものを「まあ、いいじゃん、いいじゃん」といって少しずつ手放してきた結果、ああいう状況を生んでしまったんだろうなという反省を込めて思っています。今日のお題は「無責任な政治の責任を考える」ということですけれども、そういう無責任な政治を形作ったひとつは説明責任を果たす機会を自ら手放してしまったこと、もうひとつは一枚岩になって説明責任を果たさせることができなかったことです。そして安倍晋三という人の個人的なキャラクターによって分断統治をされてしまって、説明責任を果たさなくても何となくいられるような状況をつくってしまったということが言えると思います。

小選挙区制の「トリセツ」

 もうひとつ無責任な政治を生んだという観点から考えると、小選挙区制の問題も非常に大きい思っています。小選挙区制について、スクリーンに映してみたいと思います。これはクイズです。小選挙区制で全国9選挙区、そしてそれぞれの選挙区の有権者は9人という国があったとします。全有権者は81人ですね。では何人固めれば勝てるでしょうというクイズです。まず住民投票の場合は全有権者81人のうち何人固めれば勝てるでしょうか。それから選挙では、小選挙区制で投票率が100%あった場合は何人でしょうか。いま投票率は6割を切って5割台。この前の衆議院選挙でも残念ながらそういう結果でしたけれども、実態に近づけて投票率6割を切って各選挙区5人しか投票しない場合は、何人固めれば勝てるでしょうか。

住民投票の場合は非常に簡単で賛成か反対かということですから、過半数をとればいいわけですね。81人中41人を固めれば、為政者が望むとおりの結果を出して勝つことができる。では小選挙区ではどうでしょうか。各選挙区で9人有権者がいるから、その選挙区で5人有権者を獲得すれば勝てます。ですから5×9=45人と答えられる方がいます。けれども違うんですね。9選挙区だから、4選挙区は落としても5選挙区で勝てばいいわけです。だから、5つの選挙区で5人を固めれば勝てる。つまり81人中25人固めれば選挙に勝利できるという状況が生まれます。

しかしこれは投票率が100%の場合ですね。投票率が6割に満たない、各選挙区5人しか投票しない場合には、5選挙区で3人とれば選挙に勝てるということになります。つまり15人です。81人中たった15人を固めれば選挙に勝てる状況が生まれます。かなり単純化したモデルケースですけれども、小選挙区制というのは非常に死票が多いとよく言われます。民意を集約することに過度に傾いている選挙制度ですので、たかだか81人中15人をとっただけでも選挙に勝つことができるという選挙制度です。そうすると、よく反対派の意見に耳を傾けろとかいいますけれども、81人中たった15人を固めればいいのに、反対派の意見に耳なんか傾ける必要がありますか。自分が政治家だとしたら、自分を熱烈に支持してくれる15人を手放さないように、もっと自分のことを好きになってくれるようにやった方がよほど選挙には勝てますよね。反対派の意見なんかに耳を傾けているような時間があったら、熱烈なファンにしていくための方法をとっていった方が、選挙に勝つという意味では合理的な選択になります。

ですから安倍さんというのは小選挙区制に極めて適合した、悪い意味で極めて上手く適合した政治家だったと思っています。「WiLL」とか「Hanada」とか安倍さんを「万歳」といってくれるような雑誌に出て、自分のファンを喜ばせる。政策面でも一応「女性活躍」とか「一億総活躍」とかいいながら、一方で自分の頑丈な支持基盤や保守層を喜ばせるような歴史認識の問題であったり靖国参拝など、ああいう政策をやって必ず自分の岩盤支持層を手放さないようなことをやっていく。それによって選挙に強いということが長期政権のベースになっていく。そういう構造が生まれていたんじゃないかなと思います。この無責任な政治を打破するにはどうするかといったら投票率を上げていくというのがひとつの大きな方法です。勝つ・勝たないということは二の次とまでは申しませんけれども、まずは投票率を上げないことには岩盤支持層を持っている方が絶対的に強いわけです。私たちメディアも、前回の選挙結果を見ても、あれだけコロナで社会が傷んでいるのに投票率が過去2番目という非常に低い投票率だったことに対しては、結構私自身は衝撃を受けました。投票率は上がるはずだと思ったんですよね。政治と自分の暮らしがこんなに密接な関係があるということにみんなが気付いたはずなのに、それでも投票率が上がらなかった。そこをなんとしていかなければ、立憲民主だとか野党共闘だとか言う前の問題としてこの問題はあると思います。

理念を持った政治家は減り、世襲議員が盤石に

加えていうと、小選挙区制になって「自分のファンを」といいましたけれども、選挙に勝たなきゃただの人というのが政界の論理ですので、選挙に勝つことが最優先事項になったときに15人を固めることに視野が行くと、政治家にとって10年後20年後を見据える、そして国民に負担を強いるようなことをお願いしていく、そういう長期的な展望は持ちづらくなるということは事実だろうと思います。政治家って本来何か社会をこうしたいとか、貧しい人を救いたいとかいろいろあると思うんです。そういう理念みたいなものを持って政治家になるんだろうと、私なんか古いタイプの政治家を見ていると思うんです。主義主張や立っている思想的なスタンスは違うけれども、その人なりの論理は非常によくわかるんですね。でも最近の政治家は小選挙区制であるということ、もうひとつ言えるのは世襲議員の方が有利だということですよね。

地盤、看板、そしてお金もあるということで世襲議員というものが盤石になってきている。私が政治部に来た20年くらい前には世襲政治家批判というものはありました。「こんなに世襲政治家だらけでいいのか」という批判が社会の中にあったはずなのに、いまは「そういうもんでしょ」というような異常な状態だと思うんですよ。政治というものがひとつの家業のようなものになって2代目3代目みたいなのが跋扈しているというのは非常に歪な、異常な状態だと思います。ある種の階級社会というか、そういうものに馴らされてきている面があるし、それに対して怒る、「おかしい」と思わなくなるという状況も、ちょっと危ういと思います。世襲政治家を一概に否定するのも逆差別的なことになってしまうので難しい面はあるけれども、日本の政治はこのままでいいのかということは根本的に考えていかなければいけない。

これはメディアのよくない悪癖だと思うけれども、「根本的に考える」ということは苦手なんですよね。読者あってのメディアなのでやはり読者が、いまでいうとネットでよく読まれる記事を書きなさいという風潮が強まってきている。新聞をなかなか読んでもらえなくなってきている中で、こういう小選挙区制がもたらした弊害とか、世襲政治家のままでいいのかという大きな問題を提示しにくくなっている。政治家が理念や理想を持ちづらくなっているのと同じようにメディアも社会像のようなもの、それから政治家はこうあるべきなんじゃないかという大きな問題を提示しにくくなっている、語りにくくなっているのはあると思います。

「言葉」を壊してきた安倍・菅政権

 私はこの安倍・菅政権の特性として言ってもいいなと思うのは、「言葉」を壊してきたことがあるということです。政治は言葉を武器にした、アリーナで戦う闘技だというような言い方があります。そういう意味では悪い意味で言葉を武器にしてしまった。私たちが普通に使っている言葉の意味をひっくり返してみたり、言葉が言葉として通用しないような社会を作ってしまった面があります。代表的な例をいうと「安保法制」ですね。あれだけ戦争法案だという批判がある中で、政府は「平和安全法制」という名前を法律に付けた。「平和」という言葉をあえて付けてくるという感性ですよね。そこに対して私たちがおかしいということが、半歩くらい遅れたような気もします。ああいう法案に「平和安全法制」と名付けをしてくる、これが安倍政権の特徴であり特性だったと思います。

「積極的平和主義」を安倍さんが提唱しだしたときに、私は、これはやばいなという感じがしました。「平和主義」に「積極的」を付けて、本来日本の中でいわれている平和主義、これまで戦後70余年の中でいわれてきたものがあるはずなのに、そこに「積極的」をつけて、憲法前文にある「名誉ある地位を占める」ということを持ち出して、海外に出て行くといっている。そのときに反省を込めてですけれども、メディアの批判も弱かったと思います。なんか良さげなんですよ。積極的平和主義といわれると、「これまでと変えるぞ」ということ。抵抗勢力って小泉さんが郵政民営化のときに使った言葉と構造はよく似ていて、「抵抗勢力」と名指されたら二分法で反論のしようがないわけですね。積極的平和主義といわれたときに、これまでの平和主義を唱えている人が消極派のような認定におのずとできてしまう。非常に言葉の使い方が悪い意味で巧みなところがあって、そうやって議論をどんどん封じていく。自分達が「積極的平和主義」、そして「平和安全法制」と名付けることによって、本来根本的に議論しなければいけないところを上手に回避する。あまりそういうことに関心がない世の人々には、とにかく「前向き感」を与えている。

これまで日本は停滞して、世界的にもプレゼンスが下がっている。GDPも中国に抜かれて3番目になった。そういう停滞している社会の中に前向きな球を放っていく。そうすると何か安倍さんやってくれそうだなというような、根拠なき期待感が膨らんでいく。そう意味で言葉を使った人です。「積極的」であるとか「一億総活躍」であるとか、「女性が輝く社会」とかあらゆる前向きな言葉を使っていった政権だった。それは裏を返せば社会がそれだけ元気をなくしている。そういう中から生まれてきた政治家であり、政治家の言葉遣いだったと思います。

そういうことを考えているときに、私は原稿を書くのが非常に遅いものですから、夜中の3時4時まで固まって1行も書けないけれども、とりあえずパソコンの前に座っているときに、夜中だと寂しいのでテレビをつけるわけです。24時間やっている通販番組なんかをかけておくと、めちゃくちゃ元気なんですよ、売る人が。こんな夜中でも元気に働いている人がいると思うと、ちょっと元気になる感じがあるんです。あるとき、安倍さんの言葉遣いって通販番組の言葉に似ているなと、ふと思ったんですよね。例えば、通販番組を見ていると「すっきりボディを目指せます」とか「スタイルアップが期待できます」とかいうわけです。ガードルとか女性の補整下着とかを売る言葉です。よく考えたら「すっきりボディ」って何なんですか。「痩せる」ことなのか、「すらっと見える」ことなのか、「バランスよく見える」ことなのか。「すっきりボディ」ということの意味がわからない。しかも「目指せます」。それは目指せますよね。目指すのは人の勝手なわけですから。でもこの商品を着けたら「すっきりボディを目指せます」ということが売り文句です。それから「スタイルアップが期待できます」もそうです。「スタイルアップ」も何を指しているかわからないし、「期待」というのは商品を買おうが買うまいができるわけです。でも「期待できます」という言葉を使っていく。しかも画面の端っこの方に「個人の感想です」「効果は一時的なものです」ってある。

例えば育毛剤です。育毛剤なんだから、毛が太くなるか生えてくるかというのがその商品の効能じゃないですか。だけど「個人の感想です」といっている使用者の声というのが、「いやー本当に匂いがよくて、毎日がハッピー」とかいうわけです。「毎日がハッピー」というのはその商品には本来関係ないはずですけれども「人生これからはわくわくです」とか「元気が出てきました。わーハッピー」みたいなことをいって、実際の効能の話ではなくて「人生前向きになりました」というような精神的な話がひとつの売り文句になっている。非常に安倍政権の言葉に似ているんじゃないかなと思った次第です。通販番組を私が夜中につけて、この前も冷凍うどん10食分をつい買っちゃったんですけれども、つい買っちゃいそうになるのはなぜかというと、何か寂しかったり疲れていたりするときに、「安いですよ」とか「これを買ったら本当にこれからの人生が明るくなりますよ」といわれたら、ついポチってしまう人間の感情ってあると思うんです。

安倍さんの言葉遣いというのは本当に「一億総活躍」「積極的平和主義」「女性が輝く社会」みたいなことをがんがん言っていく。がんがん看板を掛けていく。その看板のもとで何が行われたかということはよくわからないことになっている。検証しないメディアが悪いけれども、みんな掛けられたときには「わっ、こんな看板」って言うけれども、それが実際どうなったかまでは関心を持たない。とにかく看板を掛けていくということですよね。通販の商品でも「さらに効能を増しました。青みかんエキス増量」とかいってどんどんどんどんリニューアルしたり、「パワーアップしました」とかいって「さらに、さらに」といってやっていく、あの方法と同じだなと思いました。

これは言ってしまえば詐術ですよね、催眠術であり詐術だと思います。政治のそういう言葉に私たちが引っかかっていくのはなぜなのかということを考えたときに、私たちが日頃もっともっと言葉というものに敏感になっていかなければいけないしアンテナを張っていかなければいけないんじゃないかなと思いました。

政治家の常套句「不徳の致すところ」って何ですか

今日資料として、哲学者の古田徹也さんに私がインタビューした記事をお配りしています。この方は「言葉の魂の哲学」という本を上梓されて、それが非常に読んでいて良かったものですからインタビューをしました。古田さんは当時は専修大学の准教授で、いまは東京大学で哲学を教えられています。ぜひ時間のあるときにご一読していただきたいのですけれども、非常に面白いなと思いました。

例えば閣僚の不祥事があったときに、「責任はすべて私にあります」「任命責任は私にあります」「以上」。責任があるならどうするんですかという話です。問題を起こした閣僚は、「私の不徳の致すところです」「遺憾に存じます」とか言いますけれども、それは「謝罪」なんですか、何ですかということをもっと聞かなければいけないというところが入り口としてあります。「不徳の致すところ」とか「遺憾に思います」という言葉が常套句としてはびこっている。何に対して謝罪をしているのか突き詰めないと、「私に責任があります」といっただけでは責任を取ったことには当然ならないわけです。そこまで突き詰めないで、さーっと流す。「不徳の致すところ」と言われたら、聞く側がそれは謝罪をしたんだと受け止めていく。そういうことがはびこっていったら責任概念みたいなものがどんどんどんどん希薄になっていくし、そういう常套句がはびこる世の中はよろしくない世の中ですよ、ということを古田さんはおっしゃっています。

作家で詩人のカール・クラウスという人は「もしも人類が常套句をもたなければ、人類に武器は無用になるだろうに」と言っているそうです。さきほどの「遺憾に思います」とかそういう常套句を人類が持たなかったら戦争にはならないだろう、ということをカール・クラウスは言っていると古田さんは紹介をしています。

「それってどういう意味ですか」と私が聞きましたら、「もちろん、常套句を使わなければ絶対に戦争は起きないというわけではない。ただ、戦争が起きたときには必ず常套句が氾濫しています。ナチスのプロパガンダがその典型です。日本では『鬼畜米英』。敵意や憎悪を煽り、感受性を麻痺させ、『ほかの可能性』への想像力を抑え込んで、人々をただ一つの道に誘う。」。日本では「鬼畜米英」、それから「国体」という言葉。これは鶴見俊輔さんが「言葉のお守り的使用法について」という論文を書かれていました。そうやって常套句によって「敵意や憎悪を煽り感受性を麻痺させ、ほかの可能性、ここではないどこか。別のところへの可能性への想像力を抑え込んで人々をただ一つの道に誘う」、常套句というものはそういうものなんだということを彼は言っています。

安倍さんは「積極的平和主義」とか、「アベノミクス」ということを言いました。私たちはその中味を検証する前に、もう「アベノミクス」というものがあるという前提で論じていく。「積極的平和主義」という言葉を鵜呑みにして、メディアの側も使っていくようなところがある。「一億総活躍」然りです。政治家の側がそういう言葉を使っていったときに、それを無批判に私たちが反復していくという行動の中に、危うさは潜んでいるんじゃないかなと思います。私は使うときにはカギカッコで必ずくくるとか「いわゆるアベノミクス」と「いわゆる」を必ずつけるとか、自分の中でいちいちブレーキを踏まないと、為政者がつくって流布させようとしている言葉をそのまま使っていくと、染みこんでくるんですね。自分の思考に染みこんでくる。ないものが、さもあるかのように催眠術にかけられていく効果はあるんだろうなと私自身思います。

催眠術にかからないために心に持っておくこと

これは卑近な例で、私たちが政治部記者になったときに一番先に輩方にたたき込まれたのは「絶対に政治家を「先生」と呼んではいけません」ということです。「先生」と呼んでいるときには上下関係ということになる。それはメディアとしては絶対にだめだと言われました。だから宮沢喜一さんは「宮沢さん」とか、「森さん」といって「さん」付けで呼びました。首相はさすがに「首相」とか大臣は「大臣」と役職として呼ぶことはありましたが、一介の議員に対しては「何々さん」と呼ぶようにしていました。それはやっぱり大変は大変なんですよ。すごい長老みたいな人に「何とかさんはですね」というのは勇気がいるというか、他社の記者が「先生、先生」といっている中で「何とかさん」というのは力がいる。ちょっとパワーがいる行動なんだけれどもでも、それをしていくことによって、「さん」付けで呼ぶという行為そのものが権力監視を担っている者の構えをつくっていくのでしょう。非常に些末なことだけれども、「先生、先生」といっている人はどこかで構えが崩れていくんだろうと思うんですね。

鶴見俊輔さんはこう言っています。「言葉のお守り的使用法について」の中で、鶴見さんも古田さんと同じように常套句というお守り的に使われる「国体」・「国体」と言っておけば、当時は大丈夫だった。国家が正当だと認めた言葉をお守り的に持っておけば、批判されずに安穏として生きていけたという意味で「お守り」と言っているわけです。鶴見俊輔さんが言っているのは、それを何も疑わずに身につけるようなことをせずに、もっと眉に唾をつけて常套句みたいなものを見つめるような習慣があれば、戦争に滑らかに滑り込んでいくことはなかったであろうという言い方をされています。正確な引用ではありませんが、私は「滑らかに滑り込んでいく」という表現がすごく染みるというか、戦争ってたぶんそういうものなんだろうなと思うんですよね。知らず知らずのあいだに常套句を使っている。言葉に対する感受性を失い、政策とかじゃなくて為政者が使っている言葉を疑うことをせずに、自分で反復していく。そういう状態が確立したときには、戦争に「滑らかに滑り込んでいく」という状態が生まれるんだろうと思います。

カール・クラウスという人も同じようなことを言っている。戦争が起きたときには必ず常套句というものが氾濫しているという警句は、本当に自分の中で身につけておかなければいけない。いつもいつも心に持っておかなきゃいけないと思います。だから言葉というものを粗雑に扱っていると痛いしっぺ返しが来るよねということで、古田さんにも「でも常套句を使わないというのは難しいですよね」と言いましたら、「それは使ってしまうこともありますよ、あるけれども『しっくりこない』という感覚を大事にしてください、手放さないでください」とおっしゃっています。「自分や他人が発した言葉に対する違和感を大事にして、しっくりくる言葉を探し続ける。最終的に常套句に逃げたとしても『逃げた』という感覚に蓋をしないでください」と言っています。

古田さんがもうひとつ、「メディアはユーモアや風刺の力をもっと意識すべきです」と大事なことを言っています。「言葉の『型破り』な使用は人を驚かせたり不快にさせたりするので当然リスクがありますが、知らずと固定化されている一面的な見方をずらし、見過ごされていた点に光を当てる効果があります」と言っています。

これは自身の反省も含めてですけれども、ユーモアとか風刺というものが本当に日本社会の中からなくなってきているという気がします。ちょっと揶揄したりすると「不謹慎だ」ということを、私もかなり攻撃されるというか、言われます。要するに論理には論理で対抗しないと許さないというような風潮がありまして、テレビを見ていても、昔は政治家をからかうとか物まねをするとかよくありましたよね。森総理のときなどにもよくあった。この20年の中で、政治家がアンタッチャブルな存在となって、からかいやユーモアの対象、風刺の対象でなくなってきていることが、いまの社会の中で何かが損なわれている証拠じゃないかなと思います。別に欧米がいいとか言うつもりはないですけれども、やはり彼の地では政治家の風刺なんて当たり前に行われているわけです。風刺画のようなものが世の中でたくさんあり、そういう文化の中で育つのと、国民から選ばれた政治家に対する以上はからかってはいけないとかバカにしちゃいけないみたいな風潮、文化みたいなところも本当はもっと耕していかなければいけない。政治をもっと良くしていこうと思ったときには単に候補者選びや「選挙制度が」と言うだけではなくて、私たちの日頃の暮らし、その暮らしが積み重なっていったところの文化というところにも目配りをしていかなきゃいけないのではないかと、私自身はとても思っています。

「岸田マジック」みたいなものとどう向き合うか

 ここまで私なりに、8年間向き合ってきた安倍政権についての考えを述べました。じゃあ岸田さんってどうかと考えたときに、本当に難しい。なぜなら、何にも言っていないに等しいからだと思います。この前、朝日新聞が書いていましたが、「検討します」という言葉が非常に多い。「検討します」と言われたら二の句が告げにくいんですよね。待つしかないじゃないですか。「検討します」と交わされると、それ以上突っ込みにくい。岸田さんも「新しい資本主義」とか意味のない、何をいっているのかよくわからないことは華々しく言っていますが、安倍さんみたいに大向こうを狙って看板を掛けるような人ではないので、非常に難しいと思います。どうしても点数が甘くなってしまうのは、安倍さんや菅さんと比べれば、正直まともに見えるといったら失礼かもしれませんが、聞かれたことには答えるとか、質問している人の目を見て「うん、うん」と言うんですね。

国会の代表質問のときも「へー」と思ったんですけれども、安倍さんはわざとのように麻生としゃべっていたり、下を向いて資料をめくったりつまらなそうな顔をしたりしていたのに、岸田さんは野党議員の方を見て聞いたりしているんですよ。「聞く力」ということをウソでも言っていますから。ポーズでも質問している人の方を見ているというのは歴代の総理にはなかったことなので、新鮮で「この人、いい人かも」とか思っちゃうんですよね。じゃあ何をやりたいのかといったときに、何も出てこない。彼自身が、自分はこれをやるために政治家になるんだというタイプの人では、恐らくないんだろうと思います。与えられた役割の中で一生懸命がんばる。広島選出だから核のことはがんばるといっているけれども、核禁条約に対する対応を見ていても本気でやるつもりがあるのかなというのはどうしても思ってしまう。だけれども「やらない」とも言っていない、だから非常にメディアとしてはどういうふうに構えたらいいのか難しいです。

安倍さんのときにはファイティングポーズをとるしかなかった。岸田さんの場合は、憲法は大事だと思っているみなさんのような方たちが「岸田さん、がんばれ」と言ったら、もしかしたらそっち方向でがんばってくれる可能性もゼロじゃないような気がする。妄想かもしれないけれども。それはもう少し見てみないとわからないなと思います。「鵺(ぬえ)」って先週の原稿に書いたんですけれども、本当にまず正体を見極めなければいけないと思います。一方で「鵺」は「鵺」なりに、もし世論の風に吹かれるような人であれば、安倍さんのように絶対憲法を変えるという怨念にも近いものがある人とは違うのであれば、上手く使っていく、活かしていくという方法もあるんじゃないかなとは思います。権力監視はしなきゃいけないけれども、じゃあ闇雲に殴ったらいいのかといったらそういうことではないとも思います。

もちろん政治に緊張感を持たせるという意味では、野党勢力にはもっともっとがんばってもらわなければ困るし応援していきたい。一方で、すり寄るという意味じゃないんですよ、だけどいま権力を握っている人がどういう人かを見極めて、もし彼がかつて言っていたように憲法9条を変える必要はないとか憲法をそれなりに大事に思っているという旧来型の宏池会的な思想を持っている。だけど最大派閥の安倍派が力を持っている中でそういうことが言いにくい状況がもしあるのであれば、それは挟撃にあわせるよりは「頑張れよ」と言ってあげるという方法もあるのかなと私自身は思っています。でもこれは批判もあるでしょうし、これから岸田さんがどう出るかわからない。元来、朝日新聞って宏池会的な人にちょっとやさしいというか、加藤紘一さんがいた頃は朝日新聞の記者は昵懇な関係を築いていました。自民党の宏池会とか、いわゆるリベラルという勢力はがんばって、という関係だったこともあるんでしょう。

ただ安倍さんのときと確実に変わってきている。憲法とかいった時に、岸田さんになって空気感がどんな風に変わったのかということは、逆にみなさんにお聞きしてみたいところです。政治が変わるというのはそういうことから変わるし、もしかしたら社会が変わるかもしれない。この前、家の近所の魚屋さんのお嬢さんとしゃべっていたら、「安倍さんのときはいつも怒ってきりきりしていたんだけれども、心が穏やかになった。それだけでも岸田さんで良かった」と言っていた。その「岸田マジック」みたいなものとどう向き合っていくか。「?」(ぬえ)に対してどう向き合っていくのかということをぜひみなさんとも考えていきたいなと思います。

憲法にある個としての根を太く生きる

 この前NHKで茨木のり子さんの「自分の感受性くらい」という詩のことをやっていました。先ほど言葉の問題も言いましたけれども、自分の感受性というものをしっかり自分で守っていくことが、政治と向き合うということだろうなと思います。メディアの苦しい状況も恥ずかしながら吐露させていただきました。「批判ばかりで対案を出さないじゃないか」ということがメディアも野党も一緒くたにして、批判の言葉として90年代以降非常に力を持ってきました。その「批判ばかりして」というところにビビって、批判の矛が鈍っている面も多分にあるんだろうと私は思っています。でも、対案を出さないと批判をしてはいけないというような社会自体を、変えていかなきゃいけない。批判している人たちに対して非常に冷ややかな視線が向けられ、社会の中の「変な人たちがいる」みたいなのを、この国の人たちは和を乱すこと、個として立っている人たちを排除する。和を乱すことに対する嫌悪感が非常にあると痛感します。

特にコロナになって、みんな、まわりの人のことを思って一致してというときの凝集力の高さ。確かに街を歩いていたらみんなマスクしているし、欧米みたいにワクチン強制反対とかワクチンパスポート反対といって街中にくり出してデモするみたいな状況じゃない。日本の中でどんどんどんどん、みんなが塊となっていくというのは危ういなと思います。いまの状況としてどうしてもマスで捉えられがちで、個として立つということがなかなかできにくいという状況です。だからこそ、いまは個として立つんだということを自分が意識していかないと、何か巻き込まれていく。マスの中に取り込まれて溶かされていくような感覚があります。

マスクをしなさい、感染予防ですと言われたときに、お上にいわれたからするというのではなくて、自分なりに考えてすることにしたんだということ。外に出るという結果は同じだけれども、自分の中でひとつひとつ納得していく。そういうプロセスを経るか経ないかというのは、非常に大きいことだと思います。まん延防止だ。外に出ちゃいけない。県境を超える移動は控えろ。自粛しろと言われたときに、最終的には従うという意味では同じでも、ひとつひとつ自分の中で吟味していく、自分の中に根を下ろしていくという作業がいま実は求められていると思います。自分の中で問いを立てていく行動、ひとつひとつが「一億総活躍」とか「平和安全法制」などの大きな言葉に飲み込まれないための、個としての根を太くしていくことにもつながると思います。いまコロナで個として立つということが危うい状況になっているからこそ、憲法に書かれている、個人として立つということをあらためて意識したいなと私自身は思っています。

私は何が楽しいかというと、こういうところでみなさんからの質問を聞くのが楽しくて、自分がしゃべるのはどうでもいいので、みなさんからのお話を聞きたいということを楽しみにしています。ぜひ質問なりご意見なりを聞かせていただければと思います。

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市民連合の「衆議院選挙の総括と今後の取り組み方針」

2022年1月17日

はじめに

市民連合は現在全県に展開しており、それぞれの地域での取り組みがあり、総括と今後の取り組み方針があると思われるが、ここでは市民連合「中央」(東京地域で活動する市民連合と区別するためあえて使用)を中心にした総括と方針を提起する。また市民連合は結成以来6年の取り組み経過が あるが、本文は今回の衆議院選挙を中心とした内容とする。
こうした主旨の方針案であるが、それぞれの市民連合の取り組みの参考にしていただきたい。

Ⅰ.経過

1)設立当初からの若干の経過

市民連合は、安保法制が安倍自公政権のもとで強行採決される中、名称を「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」(以下市民連合)として、2015年12月20日結成され、2016年4月1日「その他政治団体」として、政治団体設立届を行った。設立の「趣旨」に「政党間の協議を見守るだけでは、自民党による一強状態を打破することはできない。今何より必要なことは、非自民の中身を具体的に定義し、野党共闘の理念と政策の軸を打ち立てる作業である。」とある。

「要綱」で2000万署名を共通の基礎とし「①安全保障関連法の廃止。②立憲主義の回復(集団的自衛権容認の閣議決定の撤回を含む)。③個人の尊厳を擁護する政治の実現。に向けた野党共闘を要求し、これらの課題についての公約を基準に、参議院選挙における候補者の推薦と支援」、「1人区(32選挙区)すべてにおいて、野党が協議・調整によって、候補者を1人に絞り込むことを要請」。

また個人の尊厳を擁護する政治の実現を目指し、①格差・貧困の拡大や雇用の不安定化ではなく、公正な分配・再分配や労働条件にもとづく健全な持続可能な経済、②復古的な考えの押しつけを拒み、人権尊重にもとづいたジエンダー平等や教育の実現、③マスコミや教育現場などにおける言論の自由の擁護、④沖縄の民意を踏みにじる辺野古新基地建設の中止、⑤脱原発と再生可能エネルギーの振興、などのテーマにおいて政策志向を共有する候補者を重点的に支援。」としている。

そして、2016年参議院選挙、2017年衆議院選挙、2019年参議院選挙に、「市民と野党の共闘・野党共闘」を掲げて、当時の立憲野党と政策合意を基本に候補者調整を要請し、選挙協力・支援を取り組んできた。

現在47都道府県に「市民連合系組織」が形成され、選挙区を中心に見ると約200の組織が形成されている。この6年で市民連合も東京における「政党に対する政策要望と選挙戦における野党共闘をめざしての政党間の調整支援だけ」でなく、地域で選挙に参加する体制が確実に前進している。

2)衆議院解散前の政治の動き

政党の動きは、2019年参議院選挙の結果を受け、2019年8月立憲民主党枝野代表は、国民、社民党へ会派合流、党統一の提案を行った。連合の神津会長・相原事務局長体制は、連合内での分裂選挙の克服をめざして合流・統一を支持・支援した。

そして2020年9月15日、立憲民主党、旧国民民主党、社会保障を立て直す国民会議、無所属フォーラムで国会議員数140人の新・立憲民主党が結成された。国民民主党は分裂し、多数は立憲民主党に合流するが、連合の旧同盟系出身の議員と玉木代表などを中心に国民民主党は残ることとなり、社民党も分裂し、結果として国民、社民とも組織が残ることになった。市民連合はそうした事態を受け、立憲民主党、国民民主党、日本共産党、社会民主党、れいわ新選組の5党の野党共闘づくりをめざすことになった。

一方安倍首相は政権運営に行き詰まり、2020年8月、政権を投げ出し、菅義偉政権が誕生する。菅政権のもとで、3補欠選挙、東京都議選、横浜市長選が闘われ、野党共闘の結果、自公政権の側が敗北し、その後菅自公政権も2021年8月、支持率が急落する中で政権を投げ出し、岸田自公政権が誕生し、国会質疑も行わず解散総選挙に打って出た。表紙は変わっても、コロナ対策の迷走、憲法破壊、新自由主義路線、権力の私物化と犯罪の隠ぺい、原発推進、米国追従の外交無策などなど自公政権の本質は変わらない。

3)2021年衆議院選挙における取組み

こうした経過と現状を踏まえて、2021年の総選挙に、市民連合は「市民と野党の共闘・野党共闘」を基本に、立憲野党と市民連合、市民団体、労働団体、市民の総結集体制を作り上げることをめざして取り組んだ。

主要な取り組みは、2020年9月19日、「いのちと人間の尊厳を守る選択肢の提示を」とする、

4の柱15の政策課題を、立憲野党に要請(パンフレット作製配布)、2021年6月16日「衆議院選挙における立憲野党共通政策の提言」を要請した。衆議院選挙が迫る中、9月8日に、立憲野党の立憲、共産、社民、れいわの4党と「命を守るために政治の転換を」とする6の柱と20項目の政策合意を行った。れいわは参加したが、国民民主党とは協議を続けたが、最終的に不参加となった。

合意項目は、国民民主党の方針との関係では、合意できない項目はなく、選挙区の候補者調整とはいえ、共産党との共闘について、合意できないということが理由だと推定できる。共産党は、政党間での政策合意をめざしていたが、結果として、市民連合と政策合意をすることで、政党間合意は協議継続とした。

引き続き、9月30日、立憲民主党からのそれぞれの政党へ「自公政権を倒し、新しい政治の実現、首班指名選挙での協力要請」を内容とする呼びかけが行われ、共産、社民、れいわは合意するも、国民民主党は、「首班指名では協力できない」ということだった。また立憲民主党と日本共産党で、「政策は市民連合と合意した政策、政権の在り方は、「合意した政策を実現する範囲内で閣外からの協力」と、極めて連合、中間層・保守層に配慮した内容の合意を行った。

日本共産党の志位委員長は、この合意を「画期的」と評価をした。これ以降遅れていた候補者一本化の調整がようやく立憲民主党と日本共産党の間で最終的作業が加速されることになる。
立憲野党の候補者調整の結果、289の小選挙区中、213選挙区での統一候補がつくられた。内訳は立憲民主党・161、日本共産党・34、国民民主党・7 社民党・6 れいわ・1 無所属・4だった。一本化した候補が213になったことは、前回57(朝日新聞)しかなかったこと比較すれば、立憲野党の選挙協力体制として大きな前進であり、この基本方針・具体的取り組みは、不十分性はあったとしても国政選挙における初めての本格的な野党共闘体制による選挙戦となった。そして全国の市民連合は、「選挙区は統一候補者、比例区は立憲野党への投票」を基本に、それぞれの地域事情に合った取り組みが行った。

また中央では、支持署名運動の展開、応援弁士等の派遣、ホーページ等を通じての宣伝、パンフレット・選挙グッズの作成配布等の取り組みも行った。

4)連合の動き

労働団体・連合の動きについて、今後とも重要な課題になると推測されるので簡単に触れる。
連合は2020年10月15日、野党共闘に関して、「連合は共産党を含む野党共闘にはくみしない。同党との選挙区調整は、あくまで選挙戦術上の事柄として政党間で協議・決定されるものであり、連合が関知するものではない。連合としては立憲民主党・国民民主党による候補者の調整・擁立を求めていく。」と決定した。この方針が今後の野党共闘の形成にマイナスの影響を与えていくことになる。

6月17日、前段の北海道、長野、広島の補欠選挙で野党統一候補が勝利した結果を受け、連合は、この勝利を前向きに評価するのではなく、共産含む野党共闘の流れをけん制する整理を行った。また6月23日、朝日新聞が、神津連合会長は、「安全保障や日米同盟など国の在り方の根幹にかかわる考え方が違う。閣外であってもあり得ない」、「候補者の一本化は、そういう努力は政治の世界でしっかりやってほしい。」と講演で述べたと報道している。

7月15日、連合は、立憲民主党、国民民主党とそれぞれ同文の5項目の政策協定を個別に合意する。その中の一項目に「左右の全体主義を排し」という項目が入っている。連合は地方連合から推薦の要請のあった候補者を推薦決定しているが、連合東京から推薦要請のなかった立憲民主党東京都連代表の長妻昭、幹事長の手塚仁雄は推薦決定しなかった。

9月9日付で連合は、8日の市民連合と4党との政策合意について、「連合本部として、このことが立憲民主党・共産党との共闘につながってはならないこと、立憲民主党が共産党と政権を共にすることはありえないことについて発信する。」とする文書を地方連合会会長あてに出して、「共産党を含む野党共闘」をけん制している。

5)立憲民主党の動き

立憲民主党の基本戦略は、「立憲民主党の体制強化と過半数の候補者擁立」であり、選挙協力は、「連合との関係強化」と「市民連合」を介しての「共産党を含む野党共闘の強化」だった。6月17日の連合中央執行委員会での枝野代表は「共産党との連立政権はない。」、「政策を実現するにあたって、パーシャル的な連携」、「候補者調整は可能な限り行う」と方針を説明している。
8月17日、立憲民主党は、国民民主党と連合の方針を踏まえ、2党間で3項目の「選挙協力の覚書」合意した。現職候補は現職、非現職の選挙区調整も取り組みを進めるとの内容である。
また野党共闘の関係は、9・8政策合意、9・30党首会談、289選挙区中214の選挙区での候補者の一本化となる。

6)日本共産党の動き

多くの経過を経て形成されてきたと思われるが、10月19日告示日の志位委員長の第一声で、「政権交代のためには本気の野党共闘が必要。私たち日本共産党はそのためには三つが必要。「共通政策」の態勢が作られた。総選挙を戦うのは戦後の日本の政治史でも初めてのこと」としている。

7)社民党、れいわ新選組

社民党、れいわ新選組も野党共闘を踏まえながら、それぞれの党の独自性を発揮して取り組んだ。

Ⅱ.衆議院選挙の結果

10・31投開票の衆議院選挙の結果は、別添資料の通りである。投票率は55・93%で、前回の53・68%より、2・25%増加しましたが、戦後3番目の低さである。
自民党は解散前議席数から減らしたとはいえ、261議席で絶対安定多数の獲得、公明党も29議席で3増、維新は約4倍の41議席となり、単純計算で、自民、公明で293議席は、維新も含めて3党合わせて、334議席となり、改憲勢力が3分の2(310議席)以上を獲得した。

一方立憲野党は、立憲民主党は比例の大幅落ち込みもあり、96議席で、13議席の減、日本共産党も10議席で2議席の減、れいわ新選組は3議席で2議席増、社民党は1議席で横ばい、国民民主党は、11議席で3議席増である。また一本化した217の選挙区での当選者は、51議席から62議席へと伸ばし、1万票以下で競り負けた選挙区が32選挙区ある。もうひと踏ん張りあれば状況は確実に変わっていたと思われる。東京では、野党共闘候補が、小選挙区で4議席から8議席へ、全体で10議席から15議席へと増加させた。

その他特徴的なことでは、立憲民主党は比例区の得票数は増加させているが、2017年の総選挙の立憲、希望で獲得した比例票約2060万票からすれば両者で約1400万票であり、600万票減らしている。維新も議員数が増えたとはいえ、2012年の1226万票からすれば、805万票で、400万票減らしている。

こうした結果は、私たち野党共闘を掲げて総選挙を闘った勢力にとっていくつかの前進面と次への展望は確実にあるが、衆議院選挙に限って言えば「改憲勢力に3分の2の議席を取られたという意味では敗北」であるといえる。

立憲民主党では枝野代表は辞意を表明し、代表選挙が実施され、新しく泉代表を選出した。11月1日の日本共産党の声明、「『野党共闘で政権交代を始めよう』と力いっぱい訴えて闘いました。自民・公明政権の継続は許したのは残念ですが、このたたかいは、最初のチャレンジとして大きな歴史的意義があったと確信するものです。」としている。

Ⅲ. 一定の総括と課題

(1) 選挙結果の見方
1)基本的見方

野党共闘は、戦略的に正しく、成果があり、次への課題が見え、展望が開けた。小選挙区において、各地で豊かな取り組みが形成され、勝利、また多くの伯仲した戦いを実現した。しかし比例区を中心に立憲野党全体としての票が伸びず、全体として改憲勢力に3分の2の議席数を許したことは事実であり、野党共闘で「政権交代」という大きな流れをつくることができなかった。どこに課題があったのか総括し、「市民と野党の共闘・野党共闘」をさらに前進させることが重要である。

2)今後の具体的取り組み方向

①「政策合意」の前文に、「政策を実行する政権の実現をめざす」と書き込んだが、目指す政権交代のへの展望・具体的イメージについて説得的なメッセージを提起できなかった。立憲野党の側も、具体的イメージは提起しきれなかった。結果として、自公の側の攻撃の中で、政権交代への戦略、現状の到達水準を野党勢力として、十分説明、提起ができなかった。
一方都道府県レベルでは、幅広い層を巻き込み自公勢力を追い込んだ成果を上げた地域もある。政権交代を実現するためには、各地域で市民連合を大きくし、政党と支援・連携をさらに強化する必要がある。

②二極対立の構図を作り切れなかった。コロナ危機の切迫感が薄れ、社会民主主義的合意を形成できないまま、新自由主義バイアスが根強く存在し、また多くの若者が「自民」、「維新」を改革政党とみていることを踏まえた対応が十分できなかった。そこに維新が付け込み、第三極のイメージを確立した。東京都議会選挙のパターンを前提に、中選挙区の都議会選挙と異なり、衆議院の小選挙区においては、非自民の票は野党に集まると予想していたが、結果としてそうならなかった。また自公政権が続く中、彼らの政権担当能力に疑問が突き付けられ、多くの争点があったにも関わらず、野党の側が争点をつくり切れなかったことも事実である。

③市民連合は、全県にあり、200の地域組織もある。そして選挙戦に取り組み、それぞれのところで、新しい信頼と連帯の関係を確実に作り上げた。しかし大奮闘した地域もあるが、地域にごとに主体的力量がアンバランスであり、ネットワークも弱く、選挙運動が全体として不十分であった。組織と運動の、ネットワークの強化、主体的力量の強化が求められる。

また「政策合意」、「候補者一本化」、「選挙協力体制づくり」に、中央、地域と連携しながら、とりくんだが、「政策合意と公約」の関係、候補者決定の遅れ、協力体制づくりの不協和音などそれぞれの分野においてにおいて課題が残されている。

④野党共闘の形成には、5党、労働団体・連合、その他多くの団体、市民の結集、無党派層、保守層まで含めての「共闘の形成」が求められたが、そうした状況をつくることができなかった。国民民主党とは「可能な候補者調整」を実現できず、「政策合意」に参加させることもできなかった。

立憲民主党は統一候補勝利のため、共産党支持者票を集めると同時に連合の応援も得るという2正面作戦を展開したが、成功した選挙区もあったが、多くは不十分に終わった。

連合は勤労者を組織する最大の団体として、立憲民主党、国民民主党の候補者勝利において、役割を果たしたと思われるが、「共産党を含む野党共闘にはくみしない。同党との選挙区調整は政党間」とした方針が、共産党も含む野党共闘路線形成に大きな影響があったと思われる。

市民連合としても、連合、その他団体への働きかけが弱かったことは事実である。野党共闘を実現するにあたって、市民連合の媒介の役割は今回も大きかったが、限界もあり、現実には、市民連合が、とりわけ、立憲民主党と共産党との共闘の不十分性を追及しきれなかったことは否定できない。野党との連携、協議をさらに強くすることが必要である。

立憲野党はそれぞれ大奮闘したが、課題も見えており、市民連合としても、要請事項はいくつかある。立憲民主党に対しては、「主体的力量の強化」と「野党共闘についての整理と本格的推進」である。日本共産党は、その路線を大きく変化させてきたと推測されるが、もう一段連携を深めるためには、市民に党の戦略の丁寧な説明が必要である。

⑤前回衆院選よりも投票率は微増した。これは野党に有利に働くはずだったが、久しぶりに、あるいは初めて投票に行った人々を野党側につなぎとめることができなかった。棄権者は、44%あり、この層を選挙に参加させることもできなかった。

(2)今後の市民連合の役割、あり方について
1)市民と野党の共闘・野党共闘体制の強化

市民連合は自公政権の立憲主義・憲法破壊の流れに対抗して、立憲主義、民主主義、平和主義の擁護・再生を実現するためには、現行制度の下では、市民と野党の共闘、野党共闘を強化し、野党勢力が力をつけ、多数派を形成し、政策転換・政権交代を勝ち取る路線しかないことは明らかであり、引き続き今回の総括を踏まえて、この路線を強化し取り組む。そして、立憲野党、連合など労働団体、多くの課題を担う市民団体、市民等と連帯し、選挙戦、日常運動に取り組む。また多様な市民運動が高揚しており、そうした市民運動に学びながら、連携を強める。

2)めざす政策の確認

市民連合の実現をめざす政策は、「設立の趣意・要綱」、「4の柱と15政策」、「6の柱と20項目 の政策合意」を基本とする。こうした政策課題は、政策として、幅広く提起しているが、具体的な実現への展望を描けていない課題、合意形成・討議が不十分な課題もあり、今後引き続き市民連合の政策の在り方については協議する必要がある。当面する参議院選挙においては情勢の変化、これまでの経過を踏まえて、立憲野党と連携して「政策合意案」をつくることをめざす。 通常国会における政策要請内容も同様とする。

3)市民連合の主体性の強化

①市民連合組織の設立を支援し、拡大する。現状の中央の組織、47県の組織、200の地域組織の主体的力量・組織と運動の強化を目指すと同時にネットワーク体制の強化を図る。

②中央組織では、拡大運営委員会の強化をめざす。
11ブロック、複数の選出、またテーマごと、研究者、女性、青年等にも参加要請する。

③多様な宣伝物を作成と、ホームページ、ツイッター等の充実に取り組む。とりわけ各課題、情
勢に対応した情報発信、各地域での課題・取り組み報告など地域、運動団体、市民との連携を強
化する。

④その他

4)具体の野党共闘体制の強化

①立憲野党間、市民連合と立憲野党間の「政策合意、候補者一本化、具体の選挙協力」についての中央、地域での取り組み強化をする。それぞれの分野は、一連のものであり、また中央組織、地域組織、候補者の関係など絡み合っており、それぞれ連携しての取り組み強化を行う。

②市民連合は選挙にかかわる組織として、出発したが、市民の中に、信頼と連帯を拡大しようと思えば、選挙にかかわる取り組みだけでなく、日常的な政策課題の実現にも、取り組む必要がある。気候変動、コロナ対策、貧困・格差、ジエンダー、沖縄等その他課題などを取り組んでいる諸団体との連携などを含め「取り組み方」の検討を始める。

③政党を相手にした政治的調整だけではなく、市民社会と政党政治をつなぐ回路をさらに強化する。

④また選挙運動も各地域の市民連合を中心に自治体議員選挙にも取り組む。

5)その他
その他名称の変更も含めて、組織体制、運動のスタイルの刷新など、取り組むべき課題は多く、引き続き協議しながら、改革を進める。

Ⅳ.当面の整理と課題

1)名称、趣旨・要綱、規約については引き続き協議する。

2)当面の具体的課題

次の通り取り組む。
立憲野党への要請と協議
通常国会日程を見ながら、衆議院選挙の総括と課題、通常国会課題、参議院選挙の準備等について、各党と要請、協議を行う。
連合をはじめその他諸団体との意見交換 、支援者等との意見交換。
「6の柱と20項目」を基本に、方針形成・運動の具体化を図るため、講演、シンポジウム、意見交換会、オンライン会議を開催する。
憲法改悪反対、経済政策、気候変動、貧困格差、ジエンダー、沖縄その他課題が重要である。
総がかり行動への参加
その他

Ⅴ.参議院選挙

7月に行われる予定の参議院選挙について、市民と野党の共闘、野党共闘体制の形成を基本に準備を始める。
改選議席数:124議席、比例区:50、1人区:32、複数区:42

従来の候補者調整の基本対応は、「立憲野党と政策合意」、「1人区 候補者の一本化」、「複数区可能な範囲での調整」、「 比例区 立憲野党それぞれの政党」と対応してきた。
結果として、32の1人区は候補者を一本化し、2016年、11人、2019年、10人当選した。
今回もこの対応を基本にし、今回総括を踏まえた選挙協力体制をめざす。
その他注目すべき事項として、「連合、組織内比例区の候補者が立憲・国民から立候補予定の現状がどうなるのか」、「1人区で現職である山形・国民、大分・国民の候補者の対応がどうなるのか」等がある。
以上

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