私と憲法242号(2021年6月25日号)


立憲野党の救民政権樹立で「危機」の突破へ

コロナ問題~「戦後最大級の危機」に直面して

新型コロナの爆発的感染状況が止まらず、8月18日、菅政権は7月はじめに出した4度目の緊急事態宣言の2度目の延長拡大(8月20日から9月12日まで)を発表した。とりわけ今年になってからは、政府による無責任な「宣言」発令が繰り返されている。すでに1日あたりの新規感染者数は2万5千人をこえ、東京都だけでも5000人超えが頻繁になっている。東京都のモニタリング会議は「(コロナ感染は)制御不能の状態」と指摘した。まさに「戦後最大級の危機」(枝野幸男立憲民主党代表)だ。

しかし、この危機に際して、菅政権の対策は危機感に欠けた、的はずれなものばかりで、感染者を減少させる新しい具体的な対策がない。

その第1が「無観客ならいいだろう」とばかりに東京五輪の開催を強行し、いままたパラリンピックを開催しようとしていることだ。くわえて菅政権と小池都政は都教委の大多数が反対しているパラリンピックの「学校連携観戦」という児童・生徒のパラ観戦まで推進している。人びとに行動の自粛を迫りながら、自らは国際的大イベントであるオリ・パラを開催するというアクセルとブレーキを同時に踏み鋳込むような矛盾した政策だ。そして感染者が爆発的に増大していることをしりめに、「人流が減っている」「ワクチンの接種がすすんでいる」「抗コロナ薬ができる」「高齢者の感染の割合が少なくなっている」「酸素ステーションをつくる」などなど根拠のない楽観論と場当たりの方策で政府の政策の正当化を強調するばかりで、抜本的な対策に踏み込まない。これだけ大規模な感染症の蔓延状況に際して、政府には戦略的な視野から抜本的な対策が求められているのに、首相は「まずは目先のことに向かって全力でやることが私の責務です」などと語るのには驚愕する。

政府の無為無策の下で、保健所が感染者の追跡を放棄したり、病床がひっ迫し多くの救急患者が受け入れを拒否されたり、東京など主要都市の医療体制はすでに崩壊状態にある。急速に増大する感染者の対策では従来の中等症以上の入院治療と軽症・無症状者の宿泊療養の原則が放棄され、各方面から轟々たる批判が出ている菅首相の「自宅療養を基本とする」という政策がうちだされて、いまだ改められていない。まさに「自助」優先の棄民施策だ。冗談ではない!。

早急に取り組むべき臨時の大規模医療施設の建設は全く進まず、「酸素ステーション」などでお茶を濁している。この1年半以上、くりかえし強調されてきたPCR検査の抜本的拡充と感染者の発見・保護対策は全く無視され、その結果、毎日発表される新規感染者数の実態すら疑わしいとされている。政府の 政府の新型コロナ分科会の尾身会長自身が18日の内閣委員会で「実際に報告されているよりも私は実態の感染者はもう少し多いと思います」と証言する始末だ。菅首相が期待する抗ウィルス薬のレムデシベルや「中和抗体薬」にしても、安全性、量、投与体制などほとんど保証の限りではない。菅首相の頼みの綱のワクチンの接種体制も不備だらけで、各所で目詰まりし、容易に進まない。ターゲットを次々変えて繰り返される「営業自粛」要請に見合う補償の手当てもおぼつかなく、倒産と失業が急増している。

昨年春以来の政府の無策により感染爆発状態を招いてしまった原因についてのまともな検討もないままに、一部からは安易に「ロックダウン」(都市封鎖)などが叫ばれている。政治の責任を私権の制限に転嫁することはあってはならないことだ。

「8・6首相挨拶」の顛末

テレビで広島の平和記念式典の菅義偉首相の「あいさつ」を聞いた。

「今日も」というべきか、彼の原稿を読み上げるだけというスピーチは最初からうつろに聞こえた。菅首相特有のはっきりしないスピーチだが、NHKは字幕がついているからわかりやすい。初めに「あららら、大丈夫か」と思ったのは、「広島市」というべきところを「ひろまし」ともつれ、「原爆」を「げんぱつ」と言い間違えたからだ。あきれて聞いていたら、突然、テレビの字幕と首相の読み上げの声が一致しなくなり、間もなく字幕が消えた。

後で政府が公表したことによると、菅首相は用意していた原稿の一部を読み飛ばしてしまっていた。

菅首相は「わが国は、核兵器の非人道性をどの国よりもよく理解する唯一の戦争被爆国であり、『核兵器のない世界』の実現に向けた努力を着実に積み重ねていくことが重要です」というくだりを読み飛ばしたのだという。NHKは事前に原稿を受け取り字幕を準備していたから、首相の声と字幕が合わなくなった。

「核兵器の非人道性をどの国よりもよく理解する唯一の戦争被爆国」という規定を読み飛ばしたのは、偶然であるとしても首相の本心そのものに通じるものだろう。また、この日、冒頭に松井一実広島市長が読み上げた平和宣言で「一刻も早く核兵器禁止条約の締約国になる」ことを政府に求めた課題については、菅首相は全く触れなかった。これはもともと原稿になかったものだ。

 あとで政府はこの読み飛ばし事件の原因を「原稿がのりでくっついて剥がれなかった」ことが原因だったと弁明した。紙同士がくっつき、首相が開く際に剥がれなかったためにその箇所を読み上げられなかったというわけだ。であるならば、この読み飛ばしは単なるミスではなく、承知の上で読み飛ばしたという事だ。しかし、それならスピーチの趣旨さえ理解していれば、このハプニングは自分で対処することができたはずだ。もともと首相の「あいさつ」には心がこもっていなかったという事だ。

 8・6の首相挨拶といえば安倍政権の時代も広島と長崎の原稿がほぼ同じだったりしたことが問題になってきた。この後、長崎の式典には首相は遅刻したというし、長崎のNHKの8・9の放送では、首相の挨拶に字幕がつかなかったという笑えないオチまである。要するに彼らには被爆者への心からの追悼の気持ちも、非核の世界の実現の決意もなく、いやいやスピーチしているからこうなるのだが、今回のような長文の読み飛ばしは、すでに菅首相にその任を果たす能力がなくなっていることを示すものだ。

8月9日の「長崎原爆の日」に田上富久長崎市長が読み上げた「平和宣言」には「『戦争をしない』という日本国憲法の平和の理念を堅持するとともに、核兵器のない世界に向かう一つの道として、『核の傘』ではなく「非核の傘」となる北東アジア非核兵器地帯構想について検討を始めてください」とある。菅首相の薄っぺらな「挨拶」とは異なり、憲法の平和主義の堅持を明確に語り、核兵器廃絶への道を示したもので、その水準は段違いだ。

菅政権の改憲動向

7月16日、菅内閣のコロナ対策やオリ・パラへの対応などに関する国会質疑の緊急性から、立憲民主、共産、国民民主、社民の野党4党は憲法53条に基づき臨時国会の召集を求め要求書を提出した。

しかし、国会での本格的な審議を嫌う与党は「コロナ対応をまずしっかりやらないといけないし、来年の予算編成も始まる」(森山裕・自民党国会対策委員長)などと野党の要求を拒絶し、「閉会中審査」で対応するとした。すでに野党の要求から1か月半が過ぎた。

昨年、同じように野党から憲法53条に基づく臨時国会の開会要求があった時、自民党の稲田朋美幹事長代行(当時)は、要求から召集までの「合理的な期間」を判断するのは内閣だとして、「招集しないのは憲法違反ではない」と強弁した。自民党は野党時代の2012年にまとめた党の憲法改正草案で「いずれかの議院の総議員の4分の1以上の要求があったときは、要求があった日から20日以内に臨時国会が召集されなければならない」としている。これからみても「合理的な期間」どころではなく、臨時国会の召集を拒否する菅政権の態度は憲法の精神に反するものだ。

一方、自民党の中からは政府のコロナ対策の破綻を憲法の責任に転嫁して、自民党の改憲4項目案にある「緊急事態条項」に感染症パンディミックも入れるべきだ(下村博文・自民党政調会長)などと改憲の口実にする動きがある。まさに惨事便乗型(ショックドクトリン)改憲論の典型だ。

安倍晋三前首相のように改憲の主張を前面に掲げることが少ない菅首相の憲法問題に対する取り組みの姿勢に対しては、政権移譲直後から桜井よしこなど極右改憲派の一部から疑念と不満があった。櫻井は今年の5月3日の改憲派の「憲法フォーラム」の講演で、「私たち民間憲法臨調は、以前より、一日も早く憲法改正をしなければならない、そして今の国際情勢を見ると、もうぐずぐずしている暇は一瞬たりともないのだということを申し上げてきた。時間がたてばたつほど、国際情勢は難しくなる」と菅政権の改憲への取り組みに厳しく注文をつけたほどだ。

しかし、内閣支持率の続落という逆境のもとで総選挙を間近かに控えた菅首相にとっては、どうしてもこのコアな自民党の基盤勢力の極右派の支持を確保する必要がある。

そのため、極右派の花田紀凱(元文春編集部)が編集長の雑誌『月刊Hanada』9月号のインタビューで改憲の旗幟を鮮明にした。

 菅首相は花田編集長に「コロナ対策でも浮かび上がったように、憲法を改正して緊急事態条項を創設するのが急務だと思われる」と問われて、「自民党は結党以来、党是として自主憲法制定を掲げているので、憲法改正に向けて取り組んでいく。その方針は全く変わりない。いま自民党は改憲4項目(①自衛隊の明記②緊急事態条項③合区解消・地方公共団体④教育充実)を出している。新型コロナウィルスに打ち勝ったあとに、国民的な議論と理解が深まるよう環境を整備し、しっかり挑戦したい」と決意表明した。

 また花田編集長に「外交は苦手か」と挑発され、むきになって菅首相は「(4月の日米首脳会談で)私から事前に『これだけは言おう』と決めていたことがある」「それは日本の立ち位置、即ち日米同盟が基軸だ」と、台湾、尖閣諸島問題などで日米軍事同盟の忠実な担い手となることを誓約したと明らかにした。櫻井が「ぐずぐずしている」と心配するどころか、菅首相の方から「専守防衛」の枠すら突き抜けてしまった。

 9月に行われる自民党の総裁選で菅総裁が再選するかどうか、情勢は不透明だが、総選挙後を見据えた自民党の改憲暴走の政治姿勢を許すことはできない。

「救民政権」樹立「市民と野党の共闘」の前進を

人びとのいのちが危機にさらされている。
8月になってからの各種の世論調査では菅内閣の支持率は軒並み下落し、とくに菅首相が支持の高揚を期待した東京オリンピック後の10日のNHKや朝日新聞の調査では危険水域と言われる20%台にまで落ち込んだ。不支持率は軒並み50%を超え、支持率と比べればダブルスコアに近い。世論は政府のコロナ対策の無能に怒っている。

菅政権を退陣させなくてはならない。そのためには来る総選挙で市民と野党の共同を成立・強化し、勝利しなければならない。人びとのいのちを守るためにはこの菅政権を倒し、野党による新しい政権を打ち立てるしかない。これは目下の緊急の課題だ。

10月21日任期切れになる衆議院議員の総選挙が迫っている。9月30日で任期満了になる自民党総裁選も迫っている。この2つの選挙日程をめぐり自民党内外でさかんに駆け引きが行われている。自民党総裁選日程は9月26日の同党選管の会議で決められるが、9月上中旬告示、下旬投開票という。これとの関連もあるが、菅首相が解散に踏み切れば、総裁選は凍結され、総選挙の日程は最も早ければ9月16日解散、28日告示、10月10日投票もありうると言われている。これには菅総裁の再選をめぐって、また総選挙を菅首相の下で行うかどうか、いまのところ自民党内の諸勢力の力学の結果は予測がつかない。野党は体制づくりを急がなくてはならない。

内閣支持率の急速な下落に比べて、立憲民主党をはじめ野党の支持率はあまり伸びていない。その原因は、野党各党が共同して、自公政権に代わる新たな希望のある、魅力的な選択肢を示しえていない、あるいはそれが浸透していないところにある。

市民連合はこの課題を早急にやり遂げるべく、奮闘している。主要な政策で野党の合意をつくり出し、全国の小選挙区、とりわけ激戦区で野党の候補者の一本化を実現し、自公政権に対決する新たな選択肢を人々に示して闘わなくてはならない。

8月23日に投開票になった横浜市長選挙は有力候補が多数乱立する中での厳しい選挙戦になったが、立憲民主党推薦で、市民と野党の共同候補の山中竹春氏が、菅首相ら自公のほとんどが推した前国家公安委員長の小此木八郎氏を18万票以上の大差をつけて打ち破った。今年4月の3つの国政補選・再選挙の勝利と6月の東京都議会選挙の前進につづく野党と市民のたたかいの大きな勝利だ。詳細な評価は後日に譲るが、これらの中に次期総選挙での野党の前進と政治の転換実現のための教訓がある。
(事務局・高田 健)

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8月の戦争に関する記念日のいくつかを考える

日本では8月には8・6、8・9などさまざまな「戦争関連の記念日」があり、毎年、記念行事が行われたりする。これらの歴史認識に関連していつも気になっていることがあり、いくつか検討しておきたい。

1945年に日本の敗戦で終わったあの戦争は、戦時中にそう呼ばれただけでなく、現在でも「皇国史観」による人びとは「大東亜戦争」と呼び、あるいは一般には日米戦争に矮小化して「太平洋戦争」などと呼ばれてきた。また一般には1939年の英独戦争から、45年の独、日の降伏に至る全体を「第2次世界大戦」と呼ぶがこれについての論述は割愛する。

1941年12月8日に日本軍によるハワイの真珠湾攻撃が行われ、対米戦争が始まったことから「太平洋戦争」と呼ぶ人も多く、12月8日は「開戦記念日」として反戦運動の周辺でもこの日に特別に反戦行事が取り組まれることもある。

実際にはあの戦争は1931年の満州事変(9・18事件)から始まり、1937年の日中戦争(7・7盧溝橋事件)、1941年の太平洋戦争(真珠湾攻撃、同時にマレー作戦も行われた)を経て、1945年の敗戦までの足掛け15年間の戦争であり、名称としては「15年戦争」か「アジア・太平洋戦争」との呼称が妥当と思われる。この戦争を「太平洋戦争」と呼ぶのは妥当ではない。この15年にわたる戦争の最終段階に日米戦争があったことはたしかだが、15年戦争全体を通して日本軍の主たる戦場は中国や東南アジアなどアジア戦線であり、すでにのべたように45年12月8日の日米開戦もマレー侵攻作戦と同時に行われたものだ。12・8を反戦の日として記念行事をするなら、せめて9・18や7・7もぜひ取り組んでもらいたいものだ。

そして多くの史実が証明するように、一部で「日本の降伏を決定づけた」とされる米国による広島・長崎への原爆投下は、「戦争終結」のためにはかならずしも必要ではなかった。当時、日本軍の敗戦はすでにアジア太平洋各地の戦線で決定的になっていた。「15年戦争」全体を通して日本軍を敗北に追い込んだ主たる力は中国・東南アジアなどで戦ったアジア各国の民衆の抗日戦争だった。原爆投下は、ヤルタ、ポツダム会談を経て米国が戦後の国際社会で米ソの覇権争奪の指導権の確保のために行われたものだ。

日本の降伏を8月まで引き延ばした責任は裕仁天皇をはじめとする軍部にある。たとえば、1945年2月14日の近衛文麿元首相の「上奏文」が提言したように降伏を受け入れていれば、その後の3月10日の東京大空襲以降の全土空爆、3月末からの米軍による「鉄の暴風」と呼ばれる沖縄侵攻と占領、8月の広島・長崎の原爆投下はなかった可能性がある。近衛の上奏文は「勝利ノ見込ミナキ戦争ヲ之レ以上継続スルコトハ全ク共産党ノ手ニ乗ルモノト言ウベク、シタガッテ国体護持ノ立場ヨリスレバ、一日モ速ニ戦争終結ノ方途ヲ講ズベキモノナリト確信ス」と述べている噴飯ものだが、その際、裕仁天皇は「モフ一度、戦果ヲアゲテカラデナイトナカナカ話ハ難シイト思フ」とのべ、受け入れなかった。この時、近衛が恐れたのはアジア各国で民衆がゲリラ戦で日本軍を追い詰めていることで、これが共産主義革命が迫っていると思わせたのであり、天皇制の国体を守るためにも早く降伏しようということだ。この時、裕仁天皇は軍部の注進で台湾での決戦の可能性を考慮していたといわれる。

 欧州戦線でドイツが降伏し、アジア太平洋でも日本軍の敗色濃厚になった1945年7月26日、ドイツのポツダムでアメリカ・イギリス・中国(のちにソ連も参加)首脳が会談し「対日共同宣言」(ポツダム宣言)を発した。8月10日、日本政府は「国体護持」を条件に、4カ国が日本に無条件降伏を要求したポツダム宣言の受け入れを決め、中立国政府を通じて連合国側に伝えた。その後、「国体護持」の確証をえた日本政府は、8月14日、天皇の主導する「御前会議」でポツダム宣言受託を決めた。
こうした経過でも明らかなように、裕仁天皇の戦争責任は明白であるにもかかわらず、連合国の日本占領を主導した米国は、戦後の占領支配のための利益優先で天皇の戦争責任を問わなかった。

「8・15」、日本政府はこの日を「終戦記念日」とよぶ。しかし厳密にいえば、15日は国民向けに裕仁天皇による「大東亜戦争終結ノ詔書」が放送された日(「玉音」放送が行われた日)にすぎず、日本政府が降伏を決定した日でも、連合国がそれを受け入れた日でもない。

しかし天皇が全国に「ポツダム宣言の受け入れ」を表明したことの衝撃の大きさから、この日を「敗戦の日」とみる向きが多いが、妥当ではない。この認識によって「あの悲惨な戦争を終わらせたのは裕仁天皇の御聖断だ」などという「聖断神話」の欺瞞が横行し、この方面からも「天皇の戦争責任」があいまいにされる要因になっている。

8月16日には日本軍の陸軍、海軍による終戦命令が出された(しかし、その後も、一部の地域では日本軍による戦闘は継続された)。ここで日本軍としての戦争は終わった。

日本軍が正式に連合国側と降伏文書に調印したのは1945年9月2日、東京湾に浮かぶ米戦艦ミズーリ―号上のことだ。この協定により日本の降伏が確認され、ポツダム宣言の受諾は外交文書上固定された。これが厳密にいえば「敗戦の日」だ。

連合国側の多くはソ連も含めてこの9月2日を「対日戦勝記念日」としている。中国は日本の降伏文書調印の翌日を「抗日戦争勝利記念日」とし、ロシアものちに2020年、中国に合わせ第2次大戦終結記念日を9月3日に変更した。

朝鮮半島は1910年の韓国併合以来、日本(朝鮮総督府)の統治下におかれてきた。1945年8月15日の日本のポツダム宣言受諾の発表は朝鮮の日本による統治からの解放(「光復」)を意味するものだった。同日、遠藤柳作朝鮮総督府政務総監と朝鮮独立回復運動家の呂運亨との会談がもたれ、朝鮮の行政権は朝鮮総督府から、同日発足の朝鮮建国準備委員会に委譲された。この行政権委譲は翌日の8月16日、ラジオ放送と5千人の大衆集会で、呂運亨によって報告された。

韓国では「45年8月15日に朝鮮が日本の統治から脱し自主独立を取り戻した」とされているため、「奪われた主権を取り戻す」という意味を持つ「光復」を用い、8・15光復節とよばれる。朝鮮民主主義人民共和国では抗日戦争で解放したという立場から15日を「祖国解放記念日」としている。
(事務局 高田健)

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新型コロナウイルス対策の立て直しのための政治の責務に関する声明

保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合

東京オリンピックの開催は新型コロナウイルス感染を大きく広げるという専門家の警告を無視して、菅義偉内閣はオリンピックを強行開催した。開会式から2週間たとうとする今、東京都の新規感染者は5千人を超える深刻な事態となった。

8月2日、政府は「中等症以下の感染者は自宅療養」という方針を公表した。これは、国民の生命を守ることについて責任を放棄するという極めて無責任な政策である。しかも、世論や与野党の批判に答える中で、この方針転換には専門家の知見が反映されていないことを政府自身が明らかにした。もはや、菅内閣の失政が医療崩壊をもたらしたのであり、この政権は政府の体をなしていないというしかない惨状である。

国会では、閉会中審査によって現状の把握と政策の検証が行われているが、国会がこの危機に対して十分役割を果たしているとは言えない。国民の生命を守るためには、臨時国会を速やかに召集し、医療体制の整備、雇用と企業経営を持続するための財政支出のために法整備、予算見直しに取り組む必要がある。

自民党内でも、ポスト菅をめぐる動きが始まると伝えられているが、安倍、菅政治の根本的な転換なしに、政権のたらいまわしをするだけでは、コロナ危機を打開することはできない。誠実で責任感のある政権を新たに樹立することの必要性は一層高まっている。10月までに行われる衆議院総選挙において、立憲野党には、政党の組み合わせをめぐる内向きの議論を脱却し、政権構想を打ち出し、国民の不安を解消し、生命と生活を守る道筋を示すことを求めたい。
2021年8月6日

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日韓和解と平和プラットフォーム

8.15 光復・敗戦 76 周年日韓宗教・市民社会の共同声明

日韓和解と平和プラットフォームは、日韓の対立を解消し、平和な東アジアの共同体を作るために 2020 年 7 月 2 日に発足し、2020 年 8 月 12 日に「8.15 光復・敗戦 75 周年日韓共同宣言文」を発表しました。

1年が経った 2021 年現在、東アジアの状況は依然として平和に向かって進むことができないまま、対立と葛藤の中にあります。日韓の間で対立の溝はさらに深まり、拡大しており、日韓市民社会のあちこちから懸念の声が上がっています。

8.15 光復・敗戦後、米国主導で作られた日本と韓国の戦後秩序は根本的な問題を抱えています。米国は日本の植民地支配と侵略戦争の過去を覆い隠し、むしろ戦略的同盟者とし、韓国を分割占領した米軍政は抗日独立運動を率いてきた民族勢力を徹底的に弾圧しました。

結局、8.15 光復は、朝鮮半島が真っ二つになる悲劇的分断 76 年の出発点になりました。

安倍・菅政権は「米国とともに戦争のできる国づくり」をめざして日本国憲法9条をはじめとする憲法改悪の試みを進めています。このような日本の国家主義と地域覇権を追求する極右政治は、韓国、中国、朝鮮民主主義人民共和国(以下、朝鮮)など周辺国の安全を脅かすだけでなく、日本の民主主義への重大な挑戦です。平和憲法9条を守り、生かすことは、東北アジアにおける平和の基盤であり、日韓の市民社会の最も緊急な課題であると言えます。

私たちは平和憲法9条を守る日本の市民社会の闘いが東アジアに平和の声として広まっていくことを信じて共同の連帯と協力を続けていきます。

平和協定の締結による朝鮮戦争の終結はいまだに実現できず、2018 年の朝鮮半島の平和プロセスの成果である南北・朝米合意は、2019 年ハノイでの朝米会談の決裂以降、事実上止まっている状態です。幸いなことに、2021 年 5 月 21 日の米韓首脳会談の声明を通じて、バイデン政府がシンガポール宣言と板門店宣言を継承することとなり、朝鮮半島平和プロセスの再開の種火は確保しましたが、対朝鮮制裁と米韓合同軍事演習、そしてコロナ禍などがその行く手を遮っています。特に、朝鮮半島平和プロセスに対する日本の敵対的介入が、ボルトン回顧録と菅政府の日米首脳会談などで繰り返して明らかになっており、日本の宗教・市民社会の支持と連帯が、朝鮮半島平和プロセスの実現の貴重な資産であることを改めて確認します。一方、7 月 27 日南北直通連絡線が復元されました。朝鮮半島の平和に向けた南北の対話再開を歓迎し、復元された直通連絡線が南北間の交流協力と朝米間の対話につながるきっかけになることを期待しています。私たちは、韓国の宗教・市民社会が展開している終戦宣言と平和協定締結のためのキャンペーンが朝鮮半島の平和と非核化のための先決課題であることを共同で確認し、世界市民社会とともに積極的に参加していきます。

オバマ、トランプ、バイデン政府を経て、中国に対する米国の外交・軍事的圧迫は強まっており、米中対決は東アジアの平和秩序への重大な危険になっています。米国のインド太平洋戦略とクワッドによる対中国封じ込めに日本はすでに参加しており、韓国もクワッド・プラスへの参加を要請されています。日米韓の軍事同盟に対する米国の要求の強まりと在韓米軍の役割の再評価、拡大などは東アジアの平和を全面的に揺さぶっています。これに対して私たちは深い憂慮を表し、米国が東北アジア諸国間の対話を尊重することを期待します。

一方、日本政府は依然として、植民支配と侵略戦争から始まった過去清算の課題に対する責任を認めておらず、さらに歴史を歪曲して被害者を侮辱し続けています。平和の少女像に対する執拗な攻撃、持続する朝鮮学校への差別、五輪の旭日旗問題、「嫌韓」感情の拡散などは、日本政府の退行的な歴史認識にその根本的な原因があります。韓国と中国でも国家主義と愛国主義が次第に力を得て敵対感が高まっています。互いに対する誤解や小さな対立まで、ネット空間を中心に極端な対立に突き進むのが常です。このような国家主義的対立は、各国政府の政策だけでは解決できません。日韓両国の対立と葛藤、さらに東アジア各国の相互認識の改善と平和共同体づくりは、市民民主主義と平和勢力の拡大を通じてのみ、根本的な解答を見出すことができるでしょう。

私たちはラムザイヤー論文問題で現れた日米韓歴史修正主義者の行動、日米韓軍事同盟の強化のために日韓両国に被害者を排除し、歴史認識を棚上げにした政治的和解を迫る米国の動きに強い懸念を示し、平和と人権、民主主義のための市民勢力の連帯をさらに強化し、植民地主義の克服のための努力を続きます。私たちは、東アジア平和の実現に不可欠な正しい歴史認識の共有のため、韓日両国の青少年と市民に向けた歴史教育と平和教育を拡大し、青年文化交流と相互訪問などのように小さいながらも重要な実践を通じて、お互いに理解し合い、連帯するための努力を持続的に拡大していきます。私たちは現在の日本と韓国の葛藤を解決し、東アジアの平和をつくっていくために、平和を願っている両国の市民の声を集めて実践し、平和への連帯の歩みを共に歩んでいきます。

私たちの要求 :

「日韓和解と平和プラットフォーム」は、宗教・市民社会をつなぐ架け橋となり、平和の世界を実現する梃子として、そして、和解の呼び水として、日韓両国の懸案だけでなく、東アジアの平和とアジアの民主主義の貴重な種子であることを自覚し、平和を成し遂げるまで、
連帯し、協力し、共同の行動を強化していきます。

2021 年 8 月 12 日
日韓和解と平和プラットフォーム

【共同代表】
<日本>
小野 文珖(宗教者九条の和)
髙田 健 (戦争させない・9条壊すな!総がかり行動)
野平 晋作 (ピースボート)
光延 一郎 (日本カトリック正義と平和協議会)

<韓国>
金敬敏 事務総長 (韓国YMCA全国連盟)
鴻政 牧師 (総務、韓国基督教教会協議会)
鄭仁誠 敎務(理事長、南北ハナ財団)
韓忠穆 常任代表 (韓国進歩連帯)

【運営委員】
<日本>
渡辺 健樹 (日韓民衆連帯全国ネットワーク)/渡辺 美奈 (「女たちの戦争と平和資料館」(wam))/石川 勇吉 (愛知宗教者平和の会)/小田川 興 (在韓被爆者問題市民会議)/北村 恵子 (日本キリスト教協議会女性委員会)/金性済 (日本キリスト教協議会総幹事)/白石 孝 (日韓市民交流を進める希望連帯)/平良 愛香 (平和を実現するキリスト者ネット)/武田 隆雄 (平和をつくり出す宗教者ネット)/中井 淳 (日本カトリック正義と平和協議会)/比企 敦子 (日本キリスト教協議会教育部)/飛田 雄一 (神戸青年学生センター)
<韓国>
姜周錫 神父 (民族和解委員会の総務, カトリック主教会議)/辛承民 牧師(局長、韓国基督教教会協議会) /鄭常德 敎務(中央総部の霊山事務所長、円仏教)/金恩亨 副委員長 (全国民主労働組合総連盟)/孫美姫 共同代表 (ウリハッキョと子どもたちを守る市民の会)/安知重 執行委員長 (韓国進歩連帯)/嚴美京 統一委員長 (韓国進歩連帯) /申洙? 運営委員長 (韓国基地平和ネットワーク)/尹淳哲 事務総長 (経済正義実践市民連合)/尹貞淑 共同代表 (緑色連合)/李娜榮 理事長 (正義記憶連帯)/李信澈 常任共同運營委員長 (亞細亞平和と歴史教育連帯)/李泰鎬 運営委員長 (市民社会団体連帯会議)

【事務局員】
<日本> くじゅう のりこ (東アジアの和解と平和ネットワーク) /昼間 範子 (日本カトリック正義と平和協議会)/藤守 義光 (日本キリスト教協議会総務)/渡辺多嘉子 (平和を実現するキリスト者ネット)/佐藤 信行 (外国人住民基本法の制定を求める全国キリスト教連絡協議会)/潮江亜紀子 (外国人登録法の抜本的改正を求める神奈川キリスト者連絡会)
<韓国> /金英丸 対外協力室長 (民族問題研究所)/文星根 事務總長 (興士團)/梁多恩 (韓国YMCA全国連盟)/韓喜琇 (韓国YMCA全国連盟)

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全3回連続コラム 「女というだけで」第1回

私たちの思いを届ける共感と相互理解

事務局 菱山南帆子

ここ数年盛り上がり、確実に日本の風土を変え始めている日本でのフェミニズム運動。今回は3回にわたって「女というだけで」というテーマでコラムを書くことにしました。

第1回目は最近読んだ本から考える「女というだけで」。
今年の8月に出版されたばかりの笛美さんが書かれた「ぜんぶ運命だったのかい」。笛美さんは2020年に大ブームを巻き起こして社会現象になった「#検察庁法改正に抗議します」のハッシュタグを作った方です。コロナでなかなか外に出て大規模集会ができないという状況下の中でツイッターなどのSNSを通じて声を上げるツイッターデモという新しいやり方はSNSの匿名性を活かし、現場に行くのは勇気がいるけれども携帯やパソコンを通じてならばできるといった幅広い広がりにつながりました。このツイッターデモは検察庁法の問題を機にオンラインでの運動の形をしっかりと位置付けたのではないかと思います。この笛美さんが発信したハッシュタグは著名人まで広まり、とうとう検察庁法は廃案になりました。
笛美さんはこの年のツイッタートレンド大賞で「#検察庁法改正に抗議します」で2位を獲得しました。ちなみに1位は「コロナ」でした。

この「笛美」というハンドルネームは「フェミニズム」にかけて名付けたそうです。今や笛美さんはフェミニズム運動には欠かせない存在であり、毎月最終日曜日にオンラインで配信している「今夜もフェミテレビ」のレギュラーメンバーとして私ともよく交流をしています。

今回、笛美さんの初の著書を読み、共感も多くあったのですが、驚くことのほうが多くありました。とにかく前半は「女というだけで」というエピソードが満載。例えば「高学歴・高収入の男性」と「高学歴・高収入の女性」では女というだけで職場や社会での扱いがまったく違う事や、同じ条件でも男女の収入格差があること。または、男性社員が提案したことは通るのに女性社員が提案したことは通りにくいなど。あるある!あるある!わかる!わかるなぁ。と心の中で何度も叫びました。私は高学歴でも高収入でもないけれども同じような目に遭うことは多々ありました。

笛美さんは著書の中で、何度も女は30歳を過ぎたら「産業廃棄物」になるという表現をされています。それは笛美さんが本気でそう思っているのではなく、周りの環境が「女は30までに」というエイジズムの押し付けが笛美さんを追い込んでいるという話なのですが、私は衝撃的カルチャーショックを受けました。普段私は職場の中では最年少、市民運動を行っていても年齢のことでとやかく言ってくるようなエイジズム人間はほぼいない環境の中で生きてきたからか、世間はこんなにも女の年齢に対してゆがんだ価値観を持っているのかと驚きました。本を読んでからそのことについて考えてみると自分が気にしてなかっただけで確かに、30歳になってからツイッター内で旭日旗をアイコンにして愛国を叫ぶ人たちから「おばさんのくせに生意気な」「BBA(ババアという意味らしいです)」というツイッターでのコメントを見かけるようになりました。そういった価値観が私の中でなかったのでババアと言われても「なんだこのクソジジイ」くらいにしか思ってなかたのですが、一歩外に出ると世間は30過ぎた女にはこういう感覚なのだそうです。

しかし、ここで考えてほしいのですが、これが逆だったらどうだろうか。

ネトウヨさんたちは30歳の男性に「ジジイ」というだろうか。いや、奴らは絶対に言わない!そう思ったら、女は妊娠出産するために存在しているといわれているように感じ猛烈に腹が立ってきました。若くあれ、愛想よくしろ、子どもを産め、年を取ったら家族のサポート側に回れ・・・。いつも女は選ばれる側に立たされる。ひどい!女だって人生の主役だ!笛美さんの20代から30代、フェミニズムに出会うまでの話を読みそんなことを考えました。

本の後半は運動論の話。今まで「なんで自民党を支持するの?」「なんで怒らないの?」という立ち上がり下手な日本の体質についてずっと考えたり、自分なりにいろんな人に会って研究してきました。その長年の謎と、私たちの最大の課題である「どうすれば届くのか」問題にこの笛美さんの本の後半はたくさんのヒントが書かれています。私は後半部分を読みながら何度も、思い立って慌てて携帯を手に取り、笛美さんのヒントをもとにツイッターやフェイスブックの文章を書きなおしました。「どうやったら届くのか」問題はまず、私たちの共感と相互理解が必要だという事を改めて考えさせられました。

私たちの運動や感覚に足りなかったものが、笛美さんの本によって何か見つかるかもしれません。
次回は、先日起きた小田急線内での女性を狙った刺傷事件から考える「女というだけで」。お楽しみに!

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第153回市民憲法講座 「コロナパンデミックと公共サービス」

お話:大利 英昭さん (都庁職病院支部書記長)

(編集部註)7月24日の講座で大利英昭さんが講演した内容を編集部の責任で要約したものです。要約の責任はすべて本誌編集部にあります。

医療崩壊の可能性・やるべきでないオリンピック

みなさんこんにちは。病院支部の書記長ですけれども、この近くにある都立駒込病院で看護師として勤務しています。去年の3月30日から駒込病院のコロナの病棟で働いています。いまは駒込病院で最も重症なコロナの患者さんが入院してくるHCUという病棟で勤務しています。

 これは、昨日の反五輪の会などが主催したデモで、最後の千駄ヶ谷の駅前でやったスタンディングの写真です。五輪をやるとやっぱり人流が増えるというのは、本当かなと、僕ら医療者の感覚でいうと緊急事態宣言が出ているんだから、そんなにうろつく人はいないと思ったんです。昨日の夜9時の千駄ヶ谷の駅前は、デモ隊と花火を見に来た人たちで入り交じって非常に過密な状態になっていました。ですからこんなオリンピックなどはやるべきではない。

昨日ブルーインパルスが飛んで、その写真を撮ろうと多くの人が詰めかけたというニュースがありました。政府が積極的に人を集めるようなことをやるべきではないというのが昨日の率直な実感です。このプラカードは「OLYMPICS KILL THE POOR(オリンピックは貧しい人を殺す)」と書いてあります。感染症というのは平等に人を襲うわけではないんですよね。やはり経済的に困窮している人とか、病気とか、社会で一番弱い人を襲ってくるんです。まさに「KILL THE POOR」という状況がこれから展開されるかもしれません。

 尾身会長たち専門家が6月21日に緊急事態宣言を解除したときに有志として意見を出しました。これは「オリンピックは無観客でやるべきだ」と言われたので、オリンピックをやりたい人たちからも、オリンピックに反対している人たちからも、あまり評価されていない提言でした。その提言には資料集というのが付いていました。その資料集の「図6b」というグラフは、デルタ株の影響を考慮した重症者の数がどのように増えていくのかというグラフです。最悪のシナリオだと8月下旬か9月の頭くらいに、重症者が東京都内で500人を超えると試算しました。現在東京都の重症者は、昨日の発表では62名だったと思うけれども、このグラフだと60名くらいの試算になっていて、ぴったり合っているのではないか。

東京都の重症者数の定義と国の重症者数の定義は違いますよね。東京都の重症者数の定義は、人工呼吸器を付けている人か ECMO(エクモ)につながっている人しか重症者として認めていません。国の定義は集中治療室に入っている人を重症者と定義しています。この試算は国の定義に従っているので、東京都の定義よりも多く重症者が出ます。いまの東京都の重症者数は、国の定義に従えば軽く100を超えています。となると、この尾身会長たち有志が出した最悪のシナリオよりももっと悪い方向に、もっとスピードが速く感染が拡がっているのがいまの東京の状況です。

7月23日の新規陽性者は1359人でした。一昨日が1900を超していたので、ちょっと減ったと思われる方もいるかもしれないですが、これは錯覚で、一昨日は休日なので普段だったら検査数が少なく、減って当たり前ですね。結局34日連続で前週よりも増えています。

このことから言えることですが、ひとつ目は陽性率が12.2%になっています。陽性率というのは100人が検査を受けたら12人が陽性になっていることです。陽性率が10%を越しているというのは、検査の数が圧倒的に足りていないことを意味しています。入院患者が2558人で病床の占有率が42.9%です。重症者は東京の定義で68名で、重症者のベッドの占有率が17.3%になっています。これだとまだゆとりがあるように見えるかもしれないけれども、感染というのは指数関数的に増えていきますので、5割に近いくらいベッドが埋まっているということは、もうほとんど余裕がない状態になっているということです。もうひとつは東京都のベッド確保数は、声をかけただけで、実はコロナの患者さんがすぐに入院できないベッドの数も含まれています。ですからこの42.9%というのは、かなり危ない数字になっているということです。

オリンピックを無観客でやったとしても人流は増加しているわけです。これから言えることは、数日後、医療崩壊になる可能性があるということです。「医療崩壊」というと、みなさんどういうイメージを持たれますか。最初にコロナウィルスの報道が始まったときのニュースで流れた、中国の病院で廊下まで患者があふれて、泣き叫んでいる人がいて、という光景が思い浮かぶ方が多いんじゃないかなと思います。実際の「医療崩壊」というのは、熱が出ても病院で診てもらえない、コロナと幸いにも診断が付いたとしてもホテルにも行けないし入院もできないし、結局自宅で我慢しているしかないという感じになります。

コロナというのは特効薬がまだないんですね。コロナというのは、コロナウィルスが攻撃して肺が壊れて肺炎になるのではなくて、自分の免疫が暴走して、自分の肺を壊してしまいます。コロナウィルスの治療は、免疫を抑えるステロイドという薬を使います。そのステロイドで早く治療を始めてあげないと、肺が致命的に壊れてしまうことがあります。あとは血栓をつくる病気でもあります。そうすると入院してきた患者さんは、血液検査をしながら血液をさらさらにするような注射をするんです。自宅で熱が出て、「ちょっと息苦しいな」といっている間に免疫が暴走して肺が壊れてしまって血栓ができて、例えば肺に血栓が引っかかってしまうと急激に呼吸ができなくなって死に至るということが考えられます。重症になる可能性が高い方は一刻も早く治療を開始する必要があるんですけれども、それがなかなかできなくなってしまう可能性が非常に高いということです。

感染症の背景に資本主義経済による人流の増加

感染症というのは「自然にもとからあったものなんじゃないの」と思われるかもしれませんが、ここ10数年間くらいで新興の感染症はたくさん起きています。これは資本主義の経済活動が人流を増加させて、そして気候も変えて、それで感染症を生み出しているという背景があります。そもそもHIV、エイズだってアフリカで人間の活動が活発になって、いままで入っていなかったような密林の中に入り込んでいくとか、そういう人間の活動が原因になってエイズという病気が生まれたのではないかと言われています。ここ10年を考えただけでもSARS、新型インフルエンザ、これは豚インフルエンザですけれども、MERS、デング熱、ジカ熱、エボラ出血熱というように新興感染症、いままでなかった病気が出てきています。

人間の活動と言いましたけれども、エボラ出血熱はアフリカの都市化が原因になっていると言われています。デング熱とジカ熱は、ヒトスジシマカという蚊が媒介しますが、ヒトスジシマカは年間の平均気温が11度を切ると生息できないんです。年間平均気温が11度を超している地域が段々上がってきて、2016年には青森でヒトスジシマカが確認されています。デング熱は、確か4~5年前に代々木公園でダンスの練習をしていた高校生が感染して話題になりました。デング熱自体はだいたい100人くらいの感染者が出ています。ここ20年、30年くらいはこういうふうに定期的に新しい感染症が生まれてきています。それに対して政府や東京都はどういう準備をしていたのかということを考えていきたいと思います。

都立病院は都民の命のとりで

 コロナ発生前の東京都の感染症病棟の実際の数についてですが、全部で118床です。1400万都民のために準備されていた感染症病棟は、たったの118床しかなかった。そのうち都立と公社病院で80床、だいたい68%が都立・公社病院でした。都立と公社病院は都内の配置を図で示したものです。この枠で囲った病院は、現在コロナの専門病院になっています。小池都知事が去年の都知事選のあとに100床のコロナの専門病院をつくるといいました。その100床の専門病院は多摩総合医療センターの分院としてつくられています。「都立病院は都民のいのちの砦」というのは、都立病院の独法化に反対して運動をしている人たちがずっと使ってきた言葉です。ほぼ定期的に新しい感染症が起こっているときに、118床あった感染症病棟のうちの80床が都立と公社病院だということを考えれば、「都立病院は都民のいのちの砦だ」という言葉は大げさではないと思っています。

 では、都立と公社病院がコロナ禍でどういう働きをしてきたのか。いま、すべての都立・公社病院でコロナの患者さんを受け入れています。世田谷区にある有名な精神病院の松沢病院でも、精神の病気を持った方がコロナになったときに、積極的に患者さんを受け入れている。とりわけ認知症でコロナになってしまった患者さんを、松沢病院が積極的に受け入れています。都立広尾病院、公社荏原病院、公社豊島病院がコロナの専門病院になっています。多摩総合は文春がすっぱ抜いて、実際には100床で運用されたことは一度もないといっていました。あれ自身はその通りです。多摩総合医療センターに100床のコロナ専門病床を開設しているということです。東京都はコロナの感染症というのは一時的な事業だとして、増員はしないと言っています。ですから去年の3月以降都立・公社病院は、まったく定数が増えないままコロナ対応をずっとやってきたんですね。

その結果何が起こっているか。「医師の残業 最大月327時間」という毎日新聞の報道があります。この記事に出てくる「A・B・C・D」という先生は、私が一緒に働いている先生たちで、非常に過酷な労働環境になっています。あまりの過酷さに「C」という先生が、コロナ診療から外れてしまっています。それから「D」という先生は退職して別の病院に行ってしまった。現在はこれよりもっとひどい。2人体制でやっている。それではあまりにも大変だろうと、まだ勉強の途中だった研修医の先生が1人常勤に入って、これで3人になった。あと院内中で外科、内科を問わず2週間ずつ感染症科に応援に入る態勢をつくって、何とか持ちこたえている状況ですね。

病院支部ニュースというのを、毎週火曜日の執行委員会で出しています。「定数増で持続可能な感染症医療体制の構築が急務である」ということが私たち病院支部の立場です。過労死基準の4倍の勤務をしていて、職員をオリンピックに派遣するようなゆとりはない、というのが正直な現場の感じです。でもいま選手村に派遣されている都の職員がいます。看護師もいて、「そういうところで働いてみたい」と言う人も、組合員の中には実際いるんです。ですから一概にオリンピックに行くなという主張はしませんでした。中にはわれわれの活動を見て、オリンピックに派遣されるのは倫理的に許されないんじゃないかと思うと言って、派遣されるのを取り消したスタッフもいます。オリンピックに対して病院支部がどのように言ってきたのか。今年の1月に出した病院支部ニュースでは「オリンピックはやめろ」と言っています。恐らくこの段階では全労連や医労連もオリンピックはやめろとは言っていなかったので、日本で最初に止めろと言った労働組合はうちですけれども、全然話題にされなくて終わってしまったような感じになっていました。

都立・公社病院の地方独立行政法人化とはなにか

 都立公社病院がいま地方独立行政法人化されようとしているということを中心にお話していきます。都立・公社病院の地方独立行政法人化は石原都政のときから始まっていますから、20年以上にわたって攻防が続いています。そのわりにはほとんど知られていません。昨年6月の都知事選のときに宇都宮健児さんが立候補されて、都立・公社病院の独法化反対ということを3大スローガンのひとつに挙げてくれました。けれども、コロナ禍のせいで立候補者の討論会が不成立に終わってしまい、ほとんど議論にならなかった。今年の都議選も都立・公社病院の独法化反対を訴えたのは共産党と、一部の立憲民主党の方でそういう主張をされた候補者もいました。けれども、都立・公社病院の地方独立行政法人化を進める自民党や都民ファーストは公約に入れません。自民党も都民ファーストも、公約は「都民の医療を充実します」みたいなことしか書かない。ですから多くの都民は都立・公社病院が地方独立行政法人化されることを知らないのではないのか。今日は地方独立行政法人化されてしまうとどのような問題点があるのかという点を考えてみます。

 まず「地方独立行政法人」とはいったい何かという話です。「都立病院がなくなってしまうんですか」とよく聞かれますが、そうではないんです。地方独立行政法人というのは、公共サービスを民営化していくためのひとつのツールです。こういうツールが小泉内閣のときに整備されてきました。PFI法(民間事業等活用事業法)や指定管理者制度、地方独立行政法人法、市場化テスト法、改正PFI法というのがあって、これでコンセッションというのが設けられて水道の民営化を後押しするようなかたちになっています。地方独立行政法人法が制定されたのが2003年です。このとき出された総務省の研究報告書には「事務・事業の垂直的減量を推進する」地方行革に「機動的、戦略的に対応するためのツール」と書かれていました。ということは地方独立行政法人は、いままで自治体が責任を持って行っていた仕事を自治体から切り離して、独立採算でやれと突き放すような制度です。

地方独立行政法人法では、コロナ医療は東京都が直接実施する必要がないということになります。地方独立行政法人法を読んでみると、「地方公共団体が自ら主体となって直接実施する必要がないものを行う」のが地方独立行政法人だと決められています。ですから地方独立行政法人法に基づいて考えると、コロナ医療というのは東京都が直接実施する必要がないものだと東京都は判断している。小池都知事は判断していると言えるわけです。本当にそうなんですかという話です。都民のみなさんからしてみれば、コロナ医療は「公」が、東京都がしっかり責任を持ってやってくれなければ困る、というのが恐らく正直なところだと思うんです。東京都はまったく逆のこと、そんなことは直接的にやらなくてもいいんだと考えています。

では東京都は何をやるのか。東京都は、直接自分達がサービスを提供するような事業をできる限り切り離して、自分達は戦略とかそういったものをつくることだけに純化しようというのがいまの新自由主義的な自治体のあり方で、そういう方向に純化しようとしているわけです。

地方独立行政法人法には他にはどんなことが書いてあるか。「その職員の勤務成績が考慮されるものでなければならない」と57条に書いてあります。「職員の給与」という項目ですが、これは成果主義賃金じゃないとダメだということです。 第81条では、「常に企業の経済性を発揮するように務めなければならない」と書いてあります。これは仕事を効率的にやりなさいということをいっているのではなくて、「儲からないようなことはやるな」と書いてあるわけです。

ですから、純粋に地方独立行政法人法を解釈して、今後都立病院と公社病院を統合して地方独立行政法人にした場合、純粋に法律的に考えれば、感染症医療とか結核医療とか、そういう儲からない医療はやるな。これから独立採算制でやってもらうんだから、そんな儲からない医療をやってもらっては困るんだよということが法律に書いてある。ここのところがなかなか伝わっていないということなんですね。

都立病院の仕事と行政的医療

 いま都立病院はどんな仕事をしているか。都立病院は「行政的医療を安定的、継続的に提供する」、これは東京都の言葉です。では「行政的医療」とは何か。それは診療報酬制度、つまり病院に行って肺炎の疑いでレントゲンを撮れば、大学病院に行こうが駒込病院に来ようが払うお金は同じです。診療報酬で全部決められていますから。そういう診療報酬制度の下で不採算になる医療分野があります。レントゲン写真を1枚撮って、そのときの機械のお金とか計算して、例えば1万円になるとすると、みなさんは窓口で3割、3千円だけ払ってあとの7千円は健保組合と国が払うようになっている。しかし、診療報酬の関係で病院は1万円しかもらうことができないけれども、実際の費用は1万5千円かかるという医療は実際にあるんです。そういう医療をやっていると、病院は必然的に赤字になってしまいます。感染症医療というのはまさにそういう医療です。感染症の病棟は、いつ来るかわからない感染症のために病床を空けておかないといけない。民間の病院ではなかなかできない。そういった医療が「行政的医療」といわれているものです。

ただここで注意をしておかなければいけないのは、行政的医療というのは明確な定義がなく、これは東京都がつくった言葉です。当初は「行政医療」といっていたのを、東京都は「行政的医療」と言い換えた。この言い換えのときに、それまで行政医療に入っていた高齢者医療は東京都の定義から外されてしまった。そのときに、養育院が地方独立行政法人化されたんですね。養育院はそもそも「青天を衝け」の渋沢栄一が東京都に寄付した病院です。その養育院が東京都から切り離されて、地方独立行政法人にされたということが数年前にあった。そのときに行政医療といっていたものを行政的医療と言い換えて、高齢者医療を行政医療から外してしまった。

東京都は「もう東京都にはたくさん病院があって高齢者の人が医療を受けるのに困らなくなったから、行政的医療に高齢者医療を入れる必要がなくなった」という説明をしました。いま東京都の病院経営本部は、地方独立行政法人になってもしっかり行政的医療をやっていくといっていますけれども、行政的医療というのは東京都がつくった言葉で、定義も東京都がしていますから、この言葉だけで安心してはいけないということです。感染症医療が行政的医療から外される可能性があるわけです。

今回コロナが起こる前に東京都は、どうもがん医療を行政的医療の中から外そうとしていた可能性があった。がん医療はもはやどの病院でも受けられて一般的な医療になっているので、がん医療が行政的医療に当たらないとちらちら言っていた。でも池江璃花子さんで有名になった白血病のような移植の医療、ああいう移植の医療は非常に人手もかかって、専門的なスタッフもいて、常時そういったスタッフを準備しておくのは非常に大変なことなんですね。駒込病院自体は日本で1番2番を争うような移植の件数ですけれども、普通の病院ではそういったことはなかなかできない。ですから行政的医療というのは、ただ単に不採算ということだけではなくて、あまり一般的ではない病気になったときとか、そういったものも幅広く入っている概念なんですね。

整備した公社病院は安上がり医療の実験場

 では公社病院とは一体何ですかという話です。公社病院というのは、本当は都立病院を開設するはずだった病院です。都内でも病床が少なかった東部地域と多摩の南部地域に都立病院をつくって欲しいという運動が80年代からずっと続いていたそうです。ようやく運動が実って病院をつくろうとなったときの80年代の終わりから90年代にかけて、第3セクターブームがあった。公がやると不効率なので第3セクターでやろうという話です。でも、病院というのは株式会社が経営したりしてはいけないことになっています。医療というのは利潤を追求してはいけないことになっています。ですから株式会社の医療への参入は、いまの法律では非常に厳しく規制されています。第3セクターで医療をやろうと思ったら、株式会社はその対象にならない。それで東京都が苦し紛れに考えたのは、東京都医師会を入れて第3セクターをつくろうとした。東京都保健医療公社というのをつくって90年に東部地域病院、93年に多摩南部地域病院という2つの病院をつくった。これが公社病院の始まりです。本当は都立病院として整備されるものが、公社病院というかたちで第3セクターで整備されたのが本当のところです。

公社病院はそのあと石原都政時代に、都立病院のリストラの受け皿にされます。歌舞伎町にある都立大久保病院、それから都立荏原病院、これも感染症の専門の病院だった。あとは豊島病院が、それぞれ都立病院から切り離されて公社病院に移管されました。

公社病院は95%以上東京都が出資しているので、財務的にはほぼ都立病院ですけれども、東京都は都立病院と公社病院の違いについて、都立病院は高度先進医療を行う病院で、公社病院は地域医療を担う病院で、お互い役割が違うから分けたという説明をしていた。ですが結局、豊島病院と荏原病院は、コロナの専門病院に一時的なっています。ですから都立病院は高度先進医療、公社病院は地域医療というのは、とってつけた理由でしかない。そこにはっきりあったのは、都立病院を少しでもリストラしたいという、石原都政の邪悪な意志だけだったということになります。

都立病院のリストラの受け皿になった公社病院ですが、公社病院はその後、安上がりな医療をどうやったら提供できるのだろうかということの実験場みたいな感じで運用されています。なぜ安上がりな医療を提供せざるを得ないのかというと、いま都立病院は8病院に対してだいたい400億円の一般会計からの繰入金が入っています。ところが公社は、6病院と検診センターひとつがありますが、100億円の一般会計からの繰入金になっています。病院の規模が違うので単純に比較はできないですが、単純に平均すると公社病院は都立病院の3分の1しか繰り入れられていません。先ほど診療報酬の話をしましたけれども、使っている薬や使っている機械が同じだったら、手術を受けても病院がもらうお金は同じですね。患者さんが払うお金も同じです。健康保険で払いますから。例えば胃がんの手術をして合併症が起こらなかったら、公社病院で手術を受けても駒込病院で手術を受けてもお金は同じですよね。

独立行政法人化のねらいは人件費の削減

ところが、がん医療とかそういうものは一般病院でやるのは難しいということで、自治体病院ががん医療をやると、1床あたりいくら払いなさいということを厚生労働省が決めています。その法令に基づいて東京都はお金を繰り入れていますが、公社病院はその繰り入れられているお金が少ないんですね。そうすると、必然的に人件費を削ることになってしまいます。

何が起こっているかというと、公社病院では、医師は別ですけれどもどの職員も、28歳か29歳くらいで昇給しない賃金カーブになっています。とりわけ人数が多い看護師などは28歳、29歳まで働いてくれたら、あとは辞めてもらって結構だという賃金体系になっています。昇給がない仕事はいまたくさんありますけれども、4月昇給ではなく7月昇給になっています。これは前の年の人事評価で査定をして、賃金をいくら上げるか決めるのに3ヶ月かかるから3ヶ月昇給を待って欲しいということになっています。それから休日出勤の代休処理、とくに荏原病院で問題になったけれども、年末年始に出勤した職員に対して1.25倍の割増賃金を普通は払わなければいけない。それを払いたくないがために、例えば1月の10何日の平日に休んで下さいという代休処理をしました。看護師の人員配置の削減もやっています。1病院の規模は都立も公社もほとんど同じですが、都立病院の看護師の配置数は24名で、公社病院の配置数は22名です。

本当に公社病院でやっていることを見ていると、ほんの少しのことでも人件費を削るためにものすごい努力をしている。それは、診療報酬が基本的に安いという問題があります。同じ医療をやっているにもかかわらず、東京都からの繰入金が少ないからです。人件費率がどうなっているかというと、公社大久保病院は50.6%です。公社大久保病院は新宿の歌舞伎町にあり、すごく若い人に人気があって、ころころ若い看護師さんが入れ替わっています。ですから看護師の人件費が非常に安いです。東部地域病院は52.3%で、荏原病院は56.6%です。荏原病院は住宅街にあって交通の便があまり良くないので、看護師とかスタッフがしっかり固定していて人件費率を下げることができない。年末年始、お正月に出勤した看護師に対して、休日の割増賃金を払わないで代休処理するとか、荏原病院は1円でも人件費を下げるために血眼になっているんです。

ちなみに国立病院の人件費率は40%から50%です。国立病院もいま全部独法化され、国立病院の人件費率はだいたい40~50%になっていて、東京都も国立病院並みの人件費率を目指すと。つまり独法化の狙いはここになるんだと思います。東京都はいまの都立病院の人件費率が高すぎると思っています。いまの都立は平均で68.7%、全国は57.7%なので10%高いわけです。これが病院を経営する立場からすると非常に気にくわない。昨年、大阪が重症者を専門に受け入れる病棟を吉村知事の肝いりでつくりました。実は、建物も臨時で建てて人工呼吸器も準備したけれども、そこで働く看護師を確保できず、オープンできないことにった。それはなぜかということです。

大阪は独法化されて10年以上になります。独法化されたときに、医師、看護師は聖域としましたが、看護師については生産性が低いから増やさないといった。当時の橋下府知事は看護師の給料について「バカ高い」と品のない言葉でののしって、人件費の大幅カットをやった。夜勤を行いながら命を預かる、ミスが許されない仕事をしてもらう30万円くらいの給料が「バカ高い」と言われて、嫌気がさして辞める人がたくさん出てしまった。その結果スキルのある看護師を層として確保していくことに失敗してしまった。

都立病院を独法化したした方がいいという諮問を出した東京都の病院経営委員会の議事録が保存されていて、毎回それを必ずチェックしていました。このときの議題は、墨田にある都立墨東病院と、先行して独法化されたA病院と、どういう違いがあるのかを比べました。東京都の病院経営本部の官僚が「墨東病院は看護師の平均年齢が39.9歳、平均勤続年数15.4年に対してまして、A病院は平均年齢29.9歳、平均勤続年数6.1年と平均年齢で10歳ほど、平均勤続年数で9.3年ほどの差がついてございます」と説明した。これに対して、アドバイザーという資格の末永裕之という人が何と言ったかというと、「墨東病院の平均勤続期間がかなり長いというのはかなり居心地がいいんでしょうね」と言った。

墨東病院というのは三次救急をやっていて、都立病院の中で一番忙しいのは駒込と墨東だと言われています。駒込、墨東、多摩総合、この3つの病院が非常に忙しくて勤務が過酷だと言われている。その墨東病院に対して「居心地がいいんでしょうね」というのは「何をいているんだ、こいつ」という感じです。結局これだけ平均年齢が高いなら人件費も高いよね。それを「何かプラスの面に持っていけないかということを考えなければいけないなと実は感じております」と言っている。

独法化されたら、看護師の在職年数は確実に短くなります。いま東京都との間で、もし独法化されたときの勤務体系についていろいろ話はしています。彼らが「これは案ですけれど」と言って出してきた給与カーブを見ると、入職して8年か9年、大学を出て22歳で看護師になった人は、だいたい30歳か31歳くらいで昇給しなくなってしまい、辞めてもらって結構だという話になるんです。そうなるとベテランの看護師がいなくなってしまいます。そうすると医療安全に対するインパクトはどうなるのかということです。

ところがベテランの看護師をそろえたからといって診療報酬を上げるとにはならないので、病院経営の観点から言うとベテラン看護師はいなくてもいいわけです。ベテラン看護師の力は経済的にはまったく評価されず、経営的には無駄として認識されている。結局インシデント-医療事故につながりかねない事例のことですが、医療事故とかインシデントの記録は残るけれども、看護師の「気づき」で医療事故やインシデントを防いだことは記録にも何にも残らない。そうすると、末永みたいな人から見たら「ベテラン看護師は何をやっているの、いらないんじゃないの」という感じになってしまう。健康と同じで安全は、なくして初めてその価値に気づくわけです。

安定的な病院運営を支えるベテラン看護師

 独法化された大阪府立病院では、コロナの重症者病棟を立ち上げたけれど、人工呼吸器などを扱えるスキルのあるベテラン看護師が不足して、50万円で近隣から看護師を引き抜きました。その看護師は恐らく地域医療を支えるその現場では非常に貴重な人材だったけれど、それを金の力にあかせて引き抜いてきたわけです。都立病院では、看護師が学校を卒業して入って3年間教育を受けて働きながら研修を受けて一人前になって、4年目からようやく独り立ちしていくイメージです。ところが勤続年数が6年目ということは、基礎コースが終わったあと1年か2年働いて、次の病棟に移ったらもう辞めちゃうわけです。ということは、最初に配属されたところか、その次に配属された病棟で人工呼吸器に触ったことがなければ、看護師の資格を持っていても人工呼吸器は扱えないわけです。平均勤続年数が6年ということは、ほとんど人工呼吸器を扱えるようなスキルを持った看護師が病院の中にいないことを意味しています。

それで駒込病院で何が起こったか。駒込病院は都立病院ですから墨東病院と勤続年数的にはほとんど同じです。駒込病院でも院内感染が起きて、去年ひとつの病棟の看護師が看護師長も含めて全員濃厚接触者になってしまい、1病棟の看護師がまるまる出勤できない状況になったことがあった。そのときに駒込病院は、病院中の看護師をその病棟に派遣して何とかしのぎました。一番極端な例は、その日の夜勤に出てきたら、「あなたは今日そこの病棟で働いて」といわれて突然勤務先が変わってしまった。こんな急なことで病棟を運営できたのは、ベテランの看護師がそろっていたからです。何とか乗り切れたのは、やっぱり駒込病院の看護師の層が厚かったからです。

この例で明らかなように、「人件費の高い」ベテラン看護師がいたからこそ突発的な事態を乗り切ることができるわけです。病院はいつも24時間365日安定的に運営されてないといけないんですけれども、それをベテランの看護師が支えているわけです。

公社病院もまとめて地方独立行政法人化?

 都立病院の独法化のきっかけは、1999年4月に石原都知事が「何がぜいたくかといえば、まず福祉」といって、東京都の福祉施設のさまざまなリストラが始まってきました。他の先行した独法化の病院がどうなっているのかを見ると、基本的にどこでも患者さんの負担増と労働条件の切り下げがセットで行われています。大阪府立病院では、小さい体重で産まれてきた赤ちゃんを保護するための保育器を買うお金がなくてクラウドファンディングで買ったことをみなさんご存じですか。基本的な医療機械も更新できないようなことが起きた。大阪府立病院は維新の府政のもとで予算が削られたわけです。

去年6月の都知事選の前に病院支部TVをつくって、ジャーナリストの藤田和恵さんに出てもらいました。独法化された大阪府立病院で、藤田さんが取材されたのは奥さんでしたが、お連れ合いががんの手術を受けて、手術が終わったらすぐに転院の話がきた。お連れ合いの奥さんの方は、こんなに具合が悪くて転院ができるのかと思っていたら、転院予定の前に旦那さんのがん状態が悪くなって、亡くなってしまうというエピソードを話されました。その奥さんは取材中の藤田さんに「早く死んでくれて良かった」と言われたそうです。藤田さんが「なぜですか」と聞いたら、「こんなに具合が悪いときに転院させたらもっとつらい思いをすることになったと思う。だから独法化された府立病院から動く前に夫が亡くなって、良かったと思うんです」と話されたということです。

独法化されてしまうと、自分の家族が早く死んでくれて良かったと家族の人に思わせるような病院の運営になってしまうということです。

 お隣の神奈川県も県立病院を独法化しています。ここでも自治体からの繰入金を削ったがために、2017年で累積赤字が99億円になっています。東京都もそうですが、独法化したとしても今までと同じ医療をやると言います。ところが今までと同じ医療は自治体からの補助金が入っていたからできていたのに、自治体からの補助金がなくなってしまったら赤字になるのは当然です。これは公務員だから働かないとかそういう問題ではなくて、低すぎる診療報酬の問題です。その低すぎる診療報酬で地域の住民にきちんと医療を提供するために、自治体は繰入金を病院に入れているわけです。それを削れば病院が赤字になるのは目に見えています。

健康長寿医療センターという板橋の大山にある元の養育院がどうなったか。結局、建て直しをきっかけに地方独立行政法人化して、ベッドの数を減らしたり差額ベッドの割合を増やしたり、そういうことをやっています。保険診療外の診療は、病院が勝手に金額を決めていいわけです。セカンドオピニオンのお金とか。自治体からの繰入金が減った分を病院は何かで穴埋めしなければいけないので、結局保険外で取る。患者さんかのお金をたくさん取ろうとしまう。有料個室の料金が高くなったり、そういうことが独法化されると必ず起こるということです。

コロコロ変わる独法化の理由

 都立病院を独法化しなければいけない理由はころころころころ変わっています。最初は400億円繰り入れているのは赤字を垂れ流しているからだと、ずっといわれてきました。産経新聞とか右翼的なメディアが大好きな話題ですけれども、400億円赤字があるから独法化して経営を健全化しなくてはいけないと東京都は最初に言っていました。私たちが研究者と一緒に研究したら、実はこれは法令に基づいて繰り入れられていたということがわかりました。それに基づいて共産党の都議が都議会で質問したら、病院経営本部がついに「単なる赤字ではない」という言い方をしました。それで400億円赤字だから独法化するという、東京都がずっと言ってきた主張は切り崩されました。そもそもオリンピックをやるくらい裕福な東京都が、たかが400億円―東京の予算の0.5%です。それが重荷になって都立病院を独法化せざるを得ないというのは筋が通らないわけです。

その次に何を言い出したかというと、制度的な制約があるということです。それは予算単年度主義だということです。例えば今年医療機器が壊れてしまった。すると今年はもう7月なので来年度の予算で買うことになる。そういう予算を立てて来年度にその予算案が通ったら、再来年に機械を購入する、というかたちになります。ニーズが発生してから実際に実施できるまで3年かかってしまう。だから物事がスピーディーに進まないと、今度は言いだした。ところがこれは全くのウソで、補正予算を組めばいいわけです。例えば東京都で洪水が起こったり地震が起こったりしたときに、「あなたたちは都民全員に3年待ってもらうつもりなんですか」と逆に聞きたいです。

この間のコロナ対応で証明されたことがあります。去年の8月に駒込病院で起こりました。陰圧室といって病室の中の気圧を下げて患者さんがウィルスを出したとしても空気が外に漏れていかない部屋を整備しました。それは補正予算を立てて、対応したわけです。だから3年待たなければいけないなんていうのは独法化の「ためにする議論」ですね。

あとは「優秀な医療人材の確保」という理由です。例えばいま全国的に麻酔科の先生が足りないんです。優秀な麻酔科の先生がいると聞いて駒込病院に来ませんかと言っても、駒込病院の給料は東京都の条例で決められているので、お金の面で折り合いがつかなくて引き抜けなかった。そういうときに優秀な先生にもっとお金を積んで来てもらえるという理屈です。

一見もっともらしく聞こえますが、先ほど大阪府立病院が看護師を育てることに失敗して重症者病棟をフルオープンさせることができなかったお話をしました。そもそも「優秀な人材を育成」ではなく、「確保」しようと思っている。外から引き抜いてこようとしているわけです。それは、彼らにとって人件費はコストでしかないと思っているからです。人件費は確かにコストですけれども、次の世代を担っていく医療人材を育てる責任が病院にはあるはずですね。そういう責任を一切放棄して、目の前の経済性だけを追求していくのが独法化の病院です。こうした独法化の理由を全部論破されたので、いまでは「コロナ禍だから独法化します」といっています。単なる開き直りでしかなく、「何を言っているのか」という話です。

 400億円の内訳ですが、一番多いのは高度医療とか精神医療、それから救急医療、小児医療、といった必ず必要な医療に法令に基づいてお金が繰り入れられています。都立病院はまだ8病院あって病床の規模も大きいので、法令に基づいて繰り入れているだけで400億円になってしまうという話です。ですから赤字でもなんでもない。

来年の4月に東京都が独法化しようとしているので、職員に向かって「移行準備ニュース」を出しています。なぜ独法化が必要なのか職員を納得させるための資料です。そこには「病院を取り巻く医療環境」とあります。「医療技術の変化」とか「高齢化」とか書いてあり、医療環境が急激に変化しているのでひとつのニーズに3年かかるようでは、都民、患者さんの命を守れないので独法化が必要だといっています。しかし補正予算を立てればいいだけの話であって、3年かかるというのは独法化の「ためにする議論」です。ここのところの理論的なつながりは何もなくて、これを読んだ職員は「こんなことを言うのなら、金を削りたいから独法化したいとストレートに言ってもらった方がよっぽど気持ちがいい」と言っていました。本当にその通りだと思います。

医療分野での儲けを狙う新自由主義

ではそういった制度的な制約があるのは病院事業だけかという話です。例えば災害が起こったら、東京都は被災した人に対して3年間待ってくれと言うのか。そんな話はないだろうと言いました。逆に自治体がやるような仕事は何でも3年かかるというのだったら、それこそ東京都そのものを全部地方独立行政法人化しないとスピーディーな仕事にならないということになるわけです。全国で地方独立行政法人にされたところがいくつあるのかというと、公営企業の53が地方独立行政法人化されています。資料的には「平成20年」、いまから11年前の資料でちょっと古いんですけれども、その段階で53の公営企業が独法化されていたんですが、全部自治体病院です。ですからそもそも地方独立行政法人法というのは、自治体病院をリストラするために専門的につくった法律だろうと思います。神奈川も大阪もそうでした。

では実際に経営は良くなったのかということを見ると、これは右肩下がりになっています。地方独立行政法人の病院は当初は良かったんですが、いま右肩下がりに経営が悪くなっています。これは神奈川県みたいに自治体が繰入金を減らしたからです。地方独立行政法人になっても同じ医療を提供していけば、医療活動からは同じ収入しか入ってこないので、自治体からの繰入金が一方的にカットされてしまえば経営収支が悪化するのは仕方がないことですね。

地方独立行政法人は直営病院よりも経営改善効果が多いのかということで、独法化された病院も含めて全国の自治体病院経営のベスト10を出してみたけれども、実は地方独立行政法人化された病院はひとつしか入っていませんでした。先ほど地方独立行政法人化すると、職員の給料を削ったり患者さんの自己負担が増えるという話をしました。それなのになぜ経営が良くないのかというのは、地方独立行政法人にされると、地方独立行政法人の理事会が経営権を握ります。理事会というのは地域の住民の声が反映されないシステムになっています。例えば高齢化されて腰が痛い人や骨を折る人が増えたから、整形外科を充実させて欲しいという声が地域から上がってくれば、いまの自治体病院だったら地方議会を通じてその自治体病院の運営方針に反映されます。

ところが地方独立行政法人の理事会は、恐らく、2年に1回改定される診療報酬の「ここをこうやれば儲かる」ということしか関心がないんですね。独法化された病院の理事会は地域住民の顔は見ていないし、地域住民の声を聞く、そもそもそういう制度になっていないわけです。東京都は3年ないし5年に1回中期計画をつくって、そのとき議会が関与をするので、そんなことはないといっています。けれども、実際には3年か5年に1回しかつくらない中期計画で、ちょっと地方議会に関わるだけです。基本的に地域住民のニーズを聞く制度になっていないわけです。地域住民のニーズと関係なく病院運営をするから、結局ベスト10を出したら1病院しか入らないということが起こるのだろうなと思います。

 どの病院もうまくいっていないのになぜ独法化するのかと、みなさん疑問に思われたと思います。実は都立・公社病院の独法化は国の医療費削減政策と一体だからです。400億円の赤字というのはスウェーデンの国家予算と同じくらいで、東京都の予算からしてみれば0.5%です。その0.5%、400億円が少し上下しても、東京都は痛くも痒くも何ともないわけです。それなのになぜここまで執拗に独法化しようとしているのかというと、東京都が国の医療政策と一体となって自分達の政策を決めているからです。いま地域医療構想というものが進められていて、全国で病院を統廃合したり病床を削減しようとしています。消費税の195億円を財源にして、病床削減に協力したところには補助金を出すと、このコロナ禍に国が決めて、1万床を削減しようと国が考えています。

2020年度からスタートしたんですが、昨年大阪は国から補助金をもらって大阪府全体で123床減らしています。これだけコロナが大変なときにです。大阪はホテルに入れない人が出て、入院できない人がたくさん自宅で亡くなった。それは個別の医療法人の経営判断があったんでしょうけれども、123床減らしています。神戸は79床減らして、全国では2700床の病床が削られている。国の医療費抑制政策を先取りするようなかたちで都立・公社病院の独法化が行われようとしています。小池都知事というのは一見自民党の強力な批判者のようにマスコミを通じて演出されています。けれども核心のところでは自民党の方針を先取りしているのが小池都政だということは今日しっかり伝えたいと思っています。

新自由主義の人たちが公共サービスを民営化すると、規制緩和を利用して金持ち向けのプランを絶対つくってきます。どこでも同じです。都立・公社病院が独法化された場合は、医療ツーリズムといって、アジアの富裕層に日本に治療に来てもらうということをやります。そして都民や地域住民よりも医療ツーリズムの人たちを優先する。先行して独法化された大阪府立病院は、中国の富裕層を相手に医療ツーリズムをやろうとして上海に事務所を持っています。金儲けすることばっかり考えていたから、大阪はああいうていたらくになっているわけです。

その貧困な医療政策の責任は一般の人たちが取らされ、自分のいのちであがなうという。非常に理不尽なことになるわけです。民営化されると全部そうでしたね。1980年代に民営化されたJR、北海道などは高校生とかの通学定期がものすごく高い金額で設定されたりして悲鳴が上がっています。そういうことをする一方で、例えばJR九州は「ななつ星」という列車を運営していますよね。あれは2泊3日の旅行で125万円とかですよ。医療でもそうなんですよね。貧乏人には負担金を取って、金持ち向けの超豪華メニューを別に用意することが民営化の特徴です。病院の場合も例外ではなかったという話です。

「権利としての公共サービス」が欠落している

では「公共サービス」って何かということです。公共サービス基本法という法律があって、「公共サービスは国民生活の基盤になる」ということが第一条に書いてあります。国や地方公共団体、独法化された法人も含みますが、これらが行う事務・事業を「公共サービス」といいます。その基本理念が1から5まで書かれています。「一 安全かつ良質な公共サービスが、確実、効率的かつ適正に実施されること。二 社会経済情勢の変化に伴い多様化する国民の需要に的確に対応するものであること。三 公共サービスについて国民の自主的かつ合理的な選択の機会が確保されること。四 公共サービスに関する必要な情報及び学習の機会が国民に提供されるとともに、国民の意見が公共サービスの実施等に反映されること。五 公共サービスの実施により苦情又は紛争が生じた場合には、適切かつ迅速に処理され、又は解決されること。」。

これを読んで一番問題だと思うのは、権利としての公共サービスという観点が、公共サービス基本法には一言も書かれていません。公共サービスというのは基本的な人権を保障するためのサービスです。ですから、権利としての公共サービスという観点がなければ絶対だめだと思います。基本的なサービスであるにも関わらずお金のある人しか買えないということになってしまったら、それは公共サービスでも何でもない。サービスを受ける市民の権利も書かれていませんし、その公共サービスに従事している労働者の権利も書かれていない。

「公共サービスの実施に従事する者は、国民の立場に立ち、責任を自覚し、誇りを持って誠実に職務を遂行する責務を有する。」と公共サービス基本法第6条に書いてあります。この間の朝日新聞に「はむねっと」のことが非常に大きく取り上げられ、「会計年度任用職員『私も失望』」という見出しでした。実際にサービスを提供する人を、こんな劣悪な労働条件で雇用してはいけないと思います。「誇りを持って」と書いてありますけれども、現場では誇りではなくて失望がまん延している。誇りを持てない職場では専門性は育たないと思うので、こういう労働条件は早急に解決しなければダメなんです。

緊縮財政、規制緩和、民営化、これが新自由主義の3本柱だと思っていますが、権利としても公共サービスという観点がないと、採算が取れないので持続可能性がないとか民間企業のノウハウを生かしましょうとか、高齢化人口減少時代にサービスを維持できないとか、こういった言い方、お金の問題に絡め取られて負けちゃうわけです。ちなみに採算が取れないとか、民間企業のノウハウを生かすとか、高齢化人口減少時代のサービスを維持できないというのは、宮城県がコンセッション方式で水道の民営化を決めたときの理由です。権利としての公共サービスという視点がないと、こういう言い方に負けちゃうわけです。新自由主義の政策で民営化された、JRや郵政や国立大学、病院、どこもうまくいっていないのに、なぜ宮城県が水道まで民営化するのかということは、やっぱりここで負けているわけです。

「ケアする都政へ」「ケアする社会へ」手をつなごう

これに対抗するような理論と運動をわれわれがつくっていくしかないと思います。そのときに何が核心なのかといったら、ケアだと思うんですね。公共サービスの拡充のためには、ケアということが核心だろうと思っています。今年の1月につくった病院支部のビラですけれども「ケアする都政へ」です。共産党の都議選のスローガンが「ケアに厚い東京へ」というようなものだったので、このチラシを配っていると「共産党のパクリですか」みたいなことを言われますが、共産党より先に私が言っていたんです。去年の12月に原稿を書いて今年の1月につくったビラです。

「ケア産業は低炭素 しかも多くの雇用をうみ出す」ということです。気候がいま決定的に壊れていますよね。ですから新しい産業構造へ、低炭素の産業構造へシフトしていかなければいけない。そのとき核心になるのは、いままで新自由主義のもとで切り捨ててきたケアの価値を見直すときに来ているということです。とりわけ保育、教育、医療、介護、福祉それから第1次産業。女性が非常に多い職場ですよね。なぜこういう仕事の価値がすごく低く見られているのかというと、この社会があまりにもマッチョな社会だからです。「保育なんて誰でもできるだろう」ということで保育園が指定管理者になったり、区立保育園が次から次へとなくなって民間保育園なども参入してきて、非常にひどいことになっています。そういったところをもう一回、われわれの側から規制をかける必要があると思います。

 専門性というのは国家資格があることかと思われるかもしれませんけれども、私は専門性というのは熟練と労働者としての誇りだと思います。熟練と労働者の誇りといったら、そこら辺の掃除人だって専門職なのかと思われる方もいるかもしれないですが、専門職だと思います。病院の掃除なんて特にそうです。ですから、病院の掃除とか病院の給食の調理とか、そういった仕事を誰でもできる仕事だといって時給を下げてアルバイトに抑えるのではなくて、専門職の仕事だとして育てる責任が自治体にあると思います。保育、教育、医療、介護、福祉職のケアを受けないで一生過ごす人はいません。ケアワーカーのケアを受けて大きくなって、そして身体が弱っていって最終的にケアワーカーのケアを受けて天国に行くわけです。ケアワーカーを専門職として育てれば私たちの暮らしは豊かになるはずです。

 いま世界は変革が必要です。中国の洪水、ドイツの洪水、信じられないような気候の壊れ方です。これ以上炭素を出してはダメです。ブルーインパルスなんか飛ばしている場合じゃないんですよ。公的病院を民営化するような古い政治と決別しようということです。炭素を燃やし続けようとする人たちとか、公立病院を民営化しようとする人たちとか、ケア労働者、女性を低賃金でこき使っている人たち、そういった人たちはひとつにつながっているわけですから、われわれもひとつにつながる必要があると思います。

 もう待ったなしだと思っています。もはや穏健な解決策とか市場ベースの解決策では間に合わないときに来てしまっています。気候を守るためにこの20年間無駄にしてしまった。そのときにどういう社会を展望するのかということをもっと緻密に提案されるべきですけれども、とりあえずケアを重視するような社会に変えていこうじゃありませんか。ケアというのは人手がたくさんかかるわけです。ですからガソリンスタンドで働いている人たちとか、そういう人たちがケア労働に移行してきたらいいのではないか。ケアをないがしろにして生きてきた、自分の連れ合いに全部頼ってやってきてしまったことを反省した方がいいと思うんですね。

 ぜひ都立病院の独法化を止めようと思っています。先日の都議選は、都民ファースト、自民、公明という都立病院、公社病院をまとめて独法化しちゃえという人たちが過半数を取ってしまった。このままでは9月の都議会で都立病院、公社病院を一緒に独法化するという条例案が出されて、それが決まってしまうと本決まりになってしまいます。このコロナ禍に都立・公社病院の独法化というめちゃくちゃなことが強行されてしまうわけです。それを何とか止めたい。

9月の都議会に条例案を出させない運動をやろうと思っていて、検索サイトで「都庁職病院支部」と入れると私たちのホームページにつながって、そこで告知を出すようにしますから、ぜひみなさんご覧になって下さい。これからは、「ケアする都政へ」「ケアする社会へ」という方向に舵を切っていき、そういう社会に向かうんだという人たちが手をつないで、この病院の独法化を止めないといけないし、病床数の削減を止めないといけない。これ以上大気にCO2を出させることを止めないといけないと思っています。

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