私と憲法242号(2021年6月25日号)


第402通常国会の閉幕

6月16日、第402回通常国会が閉会した。
この通常国会は政府による2回目の「緊急事態宣言」が発令されているさ中の1月18日に開会され、野党がこぞってコロナ対策のための会期延長を要求したにもかかわらず、菅義偉政権によって拒否され、3回目の「緊急事態宣言」発令中に150日間の国会が閉じられた。

この国会期間において、菅政権のもとで新型コロナの感染拡大は止まらず、「緊急事態宣言」などの延長や拡大が繰り返され、人々の暮らしや営業は危機に陥れられ、命綱の医療体制はひっ迫した。世論の大多数はこうした危機の下でのオリンピック、パラリンピック開催に同意しなかったにもかかわらず、いま菅政権は自らの政権延命という党利党略のために、政府自らが組織した専門家会議の提言すら無視して、強引に「東京2020」の開催に突き進んでいる。その有様はしばしば「15年戦争期の日本軍部」に例えられるほど無謀な試みだ。

このコロナ危機の中での国会が、危機の陰に隠れるようにして極めて危険な反動法案をいくつも成立させたり、政権与党にまつわる「政治とカネ」の疑惑隠しに走ったことも見逃せない。国会の最終盤に徹夜国会になった「重要土地規制法案」はその最たるものだが、デジタル監視法や改憲手続法の成立なども許しがたいものだ。総務省を中心とする接待疑惑は菅首相自身に絡むもので、河合議員夫妻らの公選法違反事件と自民党からの巨額の資金の流入問題などもうやむやにされようとしている。

一方、3月6日に東京で開催された日米安全保障協議会(2+2)の「日米共同発表」に続いて、4月16日に行われた菅首相とジョー・バイデン米大統領との日米首脳会談の後発表された「『日米首脳会談共同声明』は、52年ぶりと言われる「台湾海峡」問題への言及をはじめ、日本が米国のインド太平洋における中国封じ込め戦略に積極的に加担していく国際戦略をとることを確認した。敵基地攻撃能力の保有など、日本の南西諸島における軍事力の急速な強化や、オーストラリアや米欧各国までが共同し自衛官14万人を動員して11月に行われようとしている西太平洋での大規模軍事演習などと合わせて、アジア太平洋地域の軍事的緊張を拡大する方向に突き進んでいる。この日本政府のとった中国封じ込めの方向性は最近開かれたG7の中でも特異なものとなっている。

この国会を通して、政権を投げ出した安倍晋三前首相を引き継いだ菅政権のもとで、日本の政治は重大な危機にさらされており、政治への不満と怒りの声は急速に広がっている。

これら402国会中に菅政権が推し進めた罪状は、菅政権の打倒と政権交代によって解決するしかないものだ。2015年、立憲主義の確立と安保法制(戦争法)の廃棄をはじめ、憲法に反する秘密保護法や共謀罪の廃止、あるいは辺野古の新基地建設反対などをめざして「市民連合」は立ち上げられた。市民連合はあらたな立憲野党による政権を樹立して、これらの悪法を廃止したいと決意した。

いまこの市民連合のめざす課題に、改憲手続法や重要土地規制法が追加された。これらの悪法の廃止を求めて、私たちは、9月の自民党総裁選挙を前後した時点で行われるであろう総選挙で勝利し、かならずこの決着をつけなくてはならない。

私たちの市民と立憲野党の共闘はこの国会で菅政権が企てた入管法改悪を阻止し、また4月25日に行われた衆院北海道2区、参院長野選挙区の補欠選挙と参院広島選挙区の再選挙に勝利するという大きな成果を上げた。

コロナ危機を改憲のチャンスとする政府与党

パンデミック状態のコロナ禍のなかで、6月11日に参議院本会議が採決した改正改憲手続法をめぐって、政府与党の幹部からとんでもない発言が相次いだ。

加藤勝信官房長官は6月11日の記者会見で「新型コロナによる未曽有の事態を全国民が経験し、緊急事態の備えに対する関心が高まっている」「この現状において、(改憲の)議論を提起し、進めることは絶好の契機だ」と語った。官房長官が「改憲の絶好な契機」などと語ることは政府の「憲法尊重擁護義務」や3権分立原則に反する重大な発言だ。「慎重居士」とも言われてきた加藤が改憲に積極的な発言をし始めたことは注目されていい。

同様なことを自民党の下村博文政調会長が5月3日の改憲派の集会で「いま国難だが、ピンチをチャンスに変えるように政治が動かねばならない」「感染症を(改憲の)緊急事態(条項)に入れるべきだ」と発言している。

これらの人びとにとっては、この1年余で1万5千人近くの人命を失い、78万5千人の罹患者をだしているコロナ禍も、政治的な念願の憲法「改正」のチャンスにしか見えていない。もとより、現在の深刻なコロナ禍の責任は安倍・菅政府にあり、その深刻な被災は政府による「人災」そのものだ。この新型感染症対策では国内での発生以来、政府の施策は後手後手を重ね、医療対策の拡充の面でも、PCR検査など感染実態の把握の面でも、そしてワクチンの確保と接種体制づくりでも、政府はまともな対応ができなかった。

そして政府与党はその責任を人々に転嫁し、つぎつぎと社会的なターゲットを作り上げ攻撃しては「自粛要請」を繰り返し、必要なくらしと営業の補償は極めてずさんで壊滅的な結果をもたらすようなものだった。コロナ禍の下で社会的弱者はより一層窮地に追い込まれ、貧困と格差が拡大し、全国の津々浦浦に怨嗟の声が渦巻いている。
これを「好機」という感覚はファシズムの独裁者そのものといわれても仕方がないものだ。

憲法審査会の審議の停滞のわけ

6月11日の参議院本会議での改正改憲手続法の採決は、衆議院本会議での採決からわずか1か月足らずの期間で強行されたもので、「良識の府」とよばれる参議院の任務を放棄する行為だ。

この法案は2018年、衆議院憲法審査会に提出されて以来、まる3年が費やされている。参院憲法審査会は日弁連や市民運動などから「欠陥法」と指摘されてきた数々の重大問題を含む同法の審議を、わずか2回だけ開いたのち、6月2日、「参考人質疑」を開催した。

この「参考人質疑」では与党推薦の上田健介参考人(近畿大教授)が改正案をめぐる国会での議論について「熟議にはなっていない」との見解を示したのをはじめ、当日の与野党が推薦した4人の参考人全員が、改正案の「熟議」不足を指摘した。これらの意見を参考にするなら、憲法審査会の議論をさらに重ねなくてはならなかった。にもかかわらず、参院憲法審査会は翌週9日に同法を採決してしまった。同法成立のために、残り少ない国会の日程を測って採決を急いだわけだ。

この改正改憲手続法問題の淵源は2017年5月3日の安倍晋三首相の改憲発言にある。自民党は従来、「国防軍保有」「天皇元首」「緊急事態における人権制限」などウルトラ右翼張りの「憲法改正草案」を党議決定していたが、あまりの不評で改憲機運が盛り上がらないことにあせった安倍氏が、突然「9条の文言はそのまま維持したうえで自衛隊の根拠規定を付け加える」という改憲案を示した。

この新しい9条改憲案は、自民党内の議論を経て18年、「4項目改憲案(たたき台)」にまとめられた。しかし、現役の首相が改憲案を示すなど、あまりにも露骨な憲法違反を繰り返す安倍首相の行動は世論や野党の反発をあびることになった。野党は「憲法違反を繰り返す安倍首相の下では憲法論議に応じられない」と批判を強め、国会外では市民運動による「安倍改憲NO!」の3000万人署名運動がよびかけられた。これらを反映して国会の憲法審査会の審議は必然的に渋滞した。

安倍氏らはこの自民党の4項目改憲案を憲法審査会の討議に付すために、停滞していた憲法審査会を動かそうとして、その「呼び水」として、2018年6月、「改憲手続法の公選法並びの7項目改正」案を提起した。すでに2016年に成立・施行されている公選法に沿って投票の利便性をはかるための微修正案だから、野党の賛成を得られやすく、この法案の審議ということで憲法審査会始動の契機に使えると考えたのだ。

改憲手続法問題は終わらない

しかし、これを機に、従来の改憲手続法が2007年の同法の採決時に参議院では18項目の付帯決議がついたほどの欠陥法であることの指摘が再燃した。

有料テレビCMなどの規制がない、最低投票率規定がない、公務員・教育者の国民投票運動に不当な差別があるなどなど、本誌でも幾度も指摘してきた欠陥により、この法律改正案では国民投票の公平・公正が保障されない欠陥法だ。

この法案は与党による改憲論議の呼び水の企てに抗して、野党・改憲反対勢力が圧倒的に少数の現国会で、実に3年、8国会にわたって採決を阻止してきた。これは国会内外が力を合わせて闘いとった奇跡的な「成果」だった。

昨年末、停滞した憲法審査会の審議を打開しようと自民党が持ちかけた幹事長会談で、次期通常国会での「何らかの結論を得る」と約束した立憲民主党は、TVCM問題の3年以内の解決を附則とする案を提起した、これは立憲民主党執行部の重大な誤りとして批判されなければならない。自民党に対抗した。自民党内にはこの附則を認めると、野党はまた以後3年にわたって、野党が憲法審での改憲論議に先行させて「TVCM問題」の議論を要求し、改憲論議を停滞させる恐れがあることを危惧する意見もあったが、改憲手続法の成立を急ぐ執行部は立憲民主党の対案(附則)を丸呑みした。

しかし、この立憲の提案でも、最低投票率規定がないことや、公務員・教育者の国民投票運動に不当な差別があることなど同法の他の欠陥は解決されていないばかりか、参院憲法審の最終盤ではこの附則の「解釈」に自民と立憲などの提案者の間に重大な溝があることが明らかにされた。それは先に書いたように、附則が指摘する問題が解決されないままで改憲案の審議に入ることはできないという立憲の立場と、すぐにでもTVCM問題などと同時並行で改憲案の審議に入ることが可能という自民党などの立場の違いだ。

この法案の最終盤で維新の会が修正案の提案者(自民・立憲)の間で法案の解釈が異なっていることは問題だとして、附則の削除の動議(否決)を出したことに見られるように、改正改憲手続法改正は成立したが、附則の解釈にかかわる問題は先送りされている。今後の憲法審査会で立憲や共産が反対する自民党の改憲4項目の議論に入ることは容易ではない。
憲法審査会での議論と合わせ国会内外で、今後とも議論が続くことになる。

自民党の改憲4項目案に反対する新たな段階

終盤で法案をめぐり立憲野党内の意見の違いが表面化したが、自民党改憲4項目に反対する点では野党は一致しており、自民党がねらう野党分断は成功していない。

自民党にとって改憲発議に必要な、衆参両院での改憲賛成派の3分の2の議席を得るためには、まずこの秋の次期総選挙で改憲派が3分の2以上を確保することが必要だ。これは野党と市民の共同が進みつつある情勢の下では容易ではない。万が一、それが可能になったとしても、それでも参議院は3分の2に達していないので、2022年夏の参院選でも3分の2以上を獲得しなければならない。

いま菅政権への批判が高まる中で、市民連合をはじめ、市民と野党の共同づくりが進んでいる。この2つの大きな国政選挙で改憲を願う自民党が所期の目標を達成することはほとんど不可能だ。

今回の改定改憲手続法の成立で、憲法改悪を許さないたたかいは、2017年の安倍改憲案の提起というスタートラインに立ち戻った。ここから自民党改憲4項目に反対するたたかいはリスタートする。

自民党は4項目改憲案の宣伝を時に合わせて変貌させる。

2018年の朝鮮によるミサイル発射の危険を騒ぎ立てたJアラート騒動(今ではほとんど笑い話の類だが)の時には自衛隊に感謝し、合憲にするという「9条改憲」を前面に立て、今回は新型コロナ危機に合わせて「緊急事態条項」改憲を前面に立てる。今後、何らかの情勢によっては「教育の充実」の問題が4項目改憲の前面に出るかもしれないし、あるいは「合区解消」問題や緊急事態問題と合わせて国会議員の選出や活動に関する新たな問題として改憲問題を浮上させてくるかも知れない。

自民党にとって、改憲4項目の提起は改憲の糸口になればよいのであって、どこから手を付けてもよい代物だ。自民党の改憲の到達点としては、平和・人権・民主の憲法3原則を骨格とする現行憲法体制を破壊し、憲法のしばりなく「戦争のできる国」にすることだ。2017年の安倍改憲案から、2018年の自民党4項目改憲案(たたき台)となったが、改憲派の目標は「普通の国と同様に戦争ができる国」だ。これを許すか、どうかが問われている。

一部に私たち市民や野党による改憲手続法反対や自民党の改憲に反対するたたかいが「守るたたかい」であり、「保守」的だという評論がある。この「上から目線」の評論は運動に無知な人の議論であるか、あるいは意図的な中傷だ。

運動には「憲法を守る」だけのたたかいなどと言う単純なことはあり得ない。「守る」闘い(改憲反対)の中に、「作る」(変革の)闘いが含まれている。憲法改悪を許さないたたかいは、憲法を生かす闘いを生み出しながらたたかわれる。生かす闘いは新たな創造のたたかいだ。これは運動の法則だ。
改憲手続法の強行裁決、本格的な改憲反対の闘いの新たな段階はここから始まった。
(事務局 高田 健)

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広島から

藤井純子(第九条の会ヒロシマ)

ヒロシマ総がかり 改憲手続法「改正」を考える

 広島も、やっとコロナの緊急事態宣言が解除された。ヒロシマ総がかり行動も、活動を自粛することが多く、5月3日の「憲法集会」もオンラインのみの秋葉忠利前広島市長の講演となった。
7月3日の「3の日」行動は3カ月ぶりの街宣となる。今国会で数々の悪法が制定され、街頭で訴えたいことは山ほどあるが5つのテーマに絞ることにした。(1)稀代の悪法・重要土地等調査・規制法、(2)政治とお金(河井大買収)、(3)コロナと五輪、(4)コロナと医療、(5)改憲手続法「改正」案の強行採決について。

 改憲手続法「改正」については、「ヒロシマ総がかり」で2回の学習会を行った。1回目の学習会後、反対の声明を出し問題点を指摘した。(1) 最低投票率制になっていない。(2) 憲法の改正項目ごとに賛否を求めることになっていない。(3)「投票の過半数」の母数は賛成票+反対票だけであり、白票や無効票を無視している。(4)テレビやラジオ等を使用した有料広告放送の規制が十分でないので資金力がによる不公正のおそれがある。

2回目の学習会では、重要な提起があった。それは「欠陥法である改憲手続法は、抜本的に改正せよと強く要求しなければならない」ということだ。私たちはこの間、自公維新の「改正案」では重要な問題点を残したままで、改憲を急ぐための「改正」をするなと強行に反対をしてきた。案の定、いくら「必要なものは、3年以内に法改正する」としても、自民は「必要かどうかも含めて検討する」と、まともに法改正する気はない。自衛隊明記や緊急事態条項など改憲項目の具体的な議論を進めたいばかりだ。

しかし、改憲ができるのは、「国民」だけだが、法律を変えることができるのは国会だ。改憲手続法はこのままにしてはおけない。残念ながら今の政権与党は本当の「改正」をするとは思えない。そのジレンマをどうすれば克服できるのか? これまで、安倍・菅政権下での改憲は絶対反対、その前に憲法を活かすことを求めていくことが先だということで一致してきた。全国の思いを同じくする皆さんの知恵を借りて、改憲手続法「改正」のもやもやを振り払っていきたい。

市民運動に休みはない

市民運動は元気だ。コロナ事態でも、会議はオンラインで続けられるし、抗議の電話やFAX、基地監視は一人でもできる。街頭でチラシを配布しなくても、大きなバナーやそれぞれ自作のプラカードを持ってスタンディングはできる。選挙中でも、コロナ事態でもできることを、少人数でもできる人が集まってやる。それが市民運動だ。

 「慰安婦」ネットは講演会や映画上映会も取りやめないでZoomで行う。時には100人もの申し込みがされるようになって、嬉しいやら、うまくいくだろうかと心配やら。今後、コロナが収まったとしても、遠方でも参加できる対面とZoom併用という会議、集会が定着していくのかもしれない。「河井問題をただす会」では、街宣を重ねている。買収した側だけではなく、もらった側=被買収者も問題だと追及し、東京地検に「早く起訴せよ」と働きかけている。あちらはなかなか動かないようだが、街頭での市民の反応は大きく、世論を見くびるなと言いたい。「広島と沖縄をむすぶドゥシグヮー」は、コロナ緊急事態宣言が解除されて早々、6.23「沖縄慰霊の日」を迎え、原爆ドームの対岸で三線の演奏や歌を入れてヒロシマ集会を行う。中国電力の株主総会があるので、本社前行動も行う予定だ。ヘイトスピーチもオリンピックも何のその、7~8月の行動の準備が着々と進んでいる。

広島でも野党一本化を模索中

4月の広島参院再選挙は野党結集で、宮口はるこさんが当選した。「野党共闘」とはならず、2年前の「結集ヒロシマ」の枠にとどまったが、共産党は結果的には「支援」という立場で、事実上「野党一本化」ができたことは今後につなげたい。また女性が候補者だったことで女性たちの動きも全く違った。米国外交問題評議会で「女性議員が5%増加すれば国際的な危機に武力対応する可能性が5倍低くなる。国内では、国家による人権侵害を少なくすることができる」という指摘があるそうで興味深い。軍事力拡大を進めている日本のジェンダーランキングは166位とたいへん低いが、関係があるのかも。議会や司法、マスコミをはじめ企業にはびこる男性優位を一掃したらいいのではないかという意見は、なるほどと思う。

広島県2・3・5区の市民連合は、その参議院議員となった宮口はるこさんを呼んで、7月末に、総選挙に向けて「市民と野党の力で政治を変えよう、キックオフ集会」を行う。彼女は福祉や教育に力を入れると訴えてきたし、ジェンダー、子ども、労働者など様々な人権の獲得を課題としている人たちにとって、とても心強い。また、3つの市民連合は、継続的に候補者と一緒に駅頭に立つなど活発だ。参院再選挙以上の様々な困難が予想されるが、政権交代へ向かうために、市民と野党が話し合いを重ね、壁を乗り越えていきたい。

重要土地調査規制法の廃案を求め続ける

政府の政策に物申す市民活動を監視し、つぶそうとする「土地規制法」をこれもまた強硬に採決可決した。JVC代表の時、第九条の会ヒロシマでも講演をして頂いた谷山博史(NCFOJ)さんからこの悪法を止めるための行動提起が連日送られてきて、国会に遠い私たちもFAXで抗議、要請をすることができた。またヒロシマ総がかりは、問題点を4つにまとめ、法案に反対する声明を出した。

(1)「重要施設」には、防衛関係施設のほか「国民生活に関連を有する施設」も含まれ、いかなる施設がその対象となるのか極めて曖昧なこと。

(2)「重要施設」の「機能を阻害する行為の用に供する」等だと認められると勧告及び命令がなされ、違反時には刑罰の対象となるが、一体どのような行為が「機能を害する」のかについて規定がないこと。即ち、犯罪の対象となる行為が、すべて政令に白紙委任されていること。
[註:広島県内には、呉海上自衛隊基地、海田陸上駐屯地、川上弾薬庫など対象施設は34カ所(米軍基地をも含む)あるが、その周辺1km以内には住居・工場・事務所などがあり、多くの市民が日常の生活を営んでいる。
特に、呉基地は、戦前、要塞地帯法や軍機保護法等により、基地内の写真撮影や、近づくことも禁止される等、行動を制約された歴史があり、本法案がその再来となる恐れがある]

(3)内閣総理大臣が、地方公共団体の長などに対し、「注視区域内にある土地等の利用者その他の関係者に関する情報のうちその者の氏名又は名称、住所その他政令で定めるものの提供を求めることができる」こと。
即ち、利用者らの職業、日頃の活動や活動歴、犯罪歴、交友関係、さらに思想信条など広範な情報が、本人の知らないうちに取得されるので、思想良心の自由(憲法19条)、プライバシーの権利や個人の尊厳(憲法13条)を侵害すること。
[註:自衛隊の情報保全隊が、イラク派兵に反対する市民の反対運動を「反自衛隊活動」として、参加者の氏名や職業の調査や顔写真の撮影等をしたことが違法と判断された(仙台高裁判決)]
[註:基地騒音問題についての訴訟当事者や支援者、軍用機の離発着の監視活動等を行っている市民、原子力発電所に関する訴訟当事者や支援者、反対の声を上げている市民らの権利が侵害されるおそれがある]

(4)憲法29条が保障する財産権の侵害の恐れがあること。
「特別注視区域」に指定された区域内の一定面積以上の土地売買等には,刑罰による威嚇の下に事前に取引当事者や利用目的等の届出義務を負わせて、売買等の取引を過度に制限している。

参院内閣委員会で参考人として出席した半田滋さんは、陳述の最後に政権政党の思惑を指摘されている。・・・終盤国会に入り、国民投票法改正案といい、この土地規制法案といい、左右対決の法案が矢継ぎ早に審議されています。これは、自民党支持層3割、野党支持層2割、無党派層5割といわれる支持層をいっそう固定化することになります。この左右対決の2法案を持ち出したところに、迫り来る総選挙対策を感じないわけにはいきません。有権者の目をコロナ禍による上下対決から背けさせ、左右対決に持ち込むことで政権党にとって有利に働くのではないでしょうか。・・・このことは、元朝日記者の鮫島浩さんなども「コロナの失敗をまぎらわすために左右イデオロギー対決に持ち込まれ、与党の術中にはまらないように」と指摘している。

米軍基地や自衛隊基地、原発など安全保障にからむ施設が身近にある人は多い。そして細かな点は、あとから「政令が定める」という行政のさじ加減だとしたら危険極まりない。基地や原発に異を唱える人々だけの問題ではないし、こんな悪法制定を党の延命のために利用することは許されない。一人でも多くの人に伝えて廃案まで叫び続けよう。

無数の市民の意思表示8・6新聞意見広告にご参加ください!

もうすぐ8月6日がやってくる。今、ストップ改憲!憲法を活かそう!8・6新聞意見広告2021に取り組んでいる最中だ。今年もこの「私と憲法」を読まれている皆さんからもご協力を頂いて、朝日新聞の全国版と中国新聞に全15段を掲載するという約束を果たしたい。

加藤周一さんは、憲法の改悪を止め、憲法を活かすために、「九条の会」が全国に広がり、横につながっていくことを呼びかけられたと聞く。私たちの小さな新聞意見広告も意思表示をする無数の人々と紙面でつながることを願っている。

第204国会は、続々と悪法が審議もそこそこに採択された。国が軍事力を高めようとする時、市民を監視し、画一化し、力をそぎ取って沈黙させようとする。憲法の改悪は、命の尊厳・差別、教育、原発、基地・自衛隊・・・様々な問題を今以上に引き起こすにちがいない。しかし私たちの周りには、それぞれ課題に取り組み、たたかう人たちがいる。8.6新聞意見広告には、賛同してくださる方々・団体の名前とメッセージを載せ、皆さんの平和への思いを紙面いっぱいにあふれさせたい。黙らないを合言葉に!

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声明

内閣総理大臣
菅 義偉 様

改正国民投票法成立に抗議し、また重要土地規制法案に反対します

「公正を水のように、正義を大河のように尽きることなく流れさせよ。」(アモス書 5 章 24 節)
わたしたちは、聖書の言葉に導かれ、日本国憲法の保障する立憲民主主義の正義と公正、そして人権が守られることを心から祈り願いつつ、以下のことに抗議、反対するものであります。

国会において、憲法改正手続きとしての国民投票法案が去る 6 月 11 日に参議院で可決され成立しました。しかし、この法案は、テレビ・ラジオ使用有料広告規制や、全国民の意思の十分な反映と評価できる最低投票率の規定について最後まで熟議に至らず、公平性と正当性に重大な疑義を残したまま成立してしまったことに、わたしたちは強く抗議します。本来、国会法に定められた憲法審査会とは、国会をはじめ、政治が憲法に従って公正に行われているかを審査するためのものであります。その本来の主旨を逸脱し、憲法改正を大前提とした憲法改正手続きの審議に衆参両院の憲法審査会がこの間終始したことは誠に遺憾であります。現行憲法において、憲法制定権(力)の存する主権者たる国民が国家権力を託された政府やその政治の違憲的暴走を止めるために憲法が存在するのであり、それが守られてこそ立憲民主主義が成立します。現在、日本政府/与党が推進する改憲の企てが、後代の人々によって立憲民主主義を崩壊に導く恥ずべき時代として記録されることがないように、わたしたちは強く願うものであります。

また、この度の第 204 回通常国会期に、「重要施設周辺及び国境離島等における土地等利用状況の調査及び利用の規則等に関する法律案」(以下、重要土地規制法案)が去る 3 月 26 日に閣議決定を経て国会に提出され、衆議院本会議で可決されたのち、現在、参議院で審議が進められています。

昨年 12 月、自民党によってこの法案が提言された時期と併行して行われた有識者会議では、外国資本による広大な土地取得が、地域住民に不安を与えている、と議論されながら、この度の法案では、それが事実であれば法制化によって対処すべき立法事実については、何ら調査も実証もされないまま審議が進められてきました。そのように根拠の曖昧なまま、重要施設の周囲およそ 1 キロメートルを、「注視区域」、また「特別注視区域」と指定し、土地や施設の所有者、借地者、および出入り者を調査対象とし、応じなければ、罰せられることになります。これはまるで、軍事施設周辺で写真撮影やスケッチをしただけで特高警察に連行され取り調べを受ける根拠となった戦前の要塞地帯法を彷彿させます。

この度の重要土地規制法案には、憲法に抵触する重大な問題があります:

第一に、何が調査対象となる「重要施設」の「機能を阻害する行為」なのか、「生活関連施設」とはどこまでを含めるのか、また重要施設の「基盤としての機能」とは何を指すのか、そして何が「特定重要施設」として「特に重要」なのか、その定義は法案に明記されておらず、すべて判断は政府に委ねられて、応じなければ刑事罰が科される;

第二に、調査対象となる人物のどんな情報が調べられるのか、また「その他関係者」がどこまで広げられるかは、すべて内閣総理大臣に判断が委ねられていて、応じなければ刑事罰が科される;

第三に、「重要施設」周辺の土地/建物の所有者/利用者に、密告に相当する情報提供が義務付けられ、応じなければ刑事罰が科される;

第四に、政府の勧告や命令に従うことにより、その土地利用に著しい支障が生じる場合、総理大臣が事実上、「重要施設」周辺の土地を強制収用することができるこのような深刻な問題点を抱えた法案が制定されるならば、これまで基地や原子力発電所など、市民生活に重大な影響を与える施設の周辺において、いのちと市民社会の安全と平和を求めて、主権者たる市民がそれらの施設を警戒し、抗議活動する、憲法に保障された市民の正当な営みが、権限の集中された総理大臣の行使する国家権力により統制されることによって、むしろ監視や密告、そして弾圧の対象とされてしまう危険を予測せずにおれません。

従って以上の諸問題とは、思想/良心の自由を保障する憲法 19 条、個人の尊厳の尊重を保障する憲法13 条、集会・結社の自由を保障する憲法 21 条、さらに財産権の保障を謳う憲法 29 条に抵触することになります。

そのようなこの度の重要土地規制法案が制定されてしまうならば、もはや日本社会は、市民が憲法に保障された健全な社会生活を送ることは不可能となり、国家権力の在り方に異議を唱えることに対する恐れと沈黙が全体主義国家のように支配し、市民の相互監視・密告による相互不信が蔓延することとなります。

これは、もはや立憲民主主義の崩壊と言うほかなく、決してわたしたちは容認することはできません。
そのような理由から、わたしたちは、この度の「重要土地規制法案」に断固反対いたします。

2021 年 6 月 13 日
日本キリスト教協議会総幹事 金性済
東アジアの和解と平和委員会 委員長 飯塚拓也
平和・核問題委員会 委員長 内藤新吾
都市農村宣教委員会 委員長 原田光雄

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6・19国議員会館前行動でのスピーチ

いのちとくらしと人権をまもれ!
オリンピックよりコロナ対策を!
自民党改憲4項目反対!

ふやふや(チェンジ国政!板橋の会)

19日行動にご参加の皆さま、お疲れ様です。
今日は板橋から仲間も駆け付けてくれています。緊張しますが、大変心強い思いでこの場に立たせて頂いております。

私たち「チェンジ国政!板橋の会」は、安保法制廃止、立憲主義・民主主義の回復及び市民生活の向上を目的とし、東京11区における野党統一候補の擁立・勝利に向けた運動に取り組んでいます。

今まで19日行動では2回、男性2名が発言をさせていただいておりますが、今回はジェンダーバランスも重視し、わたくしが発言させていただくことになりました。
チェンジ国政!板橋の会は、チームをつくり活動しております。
渉外チームでは、立憲野党との意見交換会などを交渉、企画し、直接政党の方々と意見を交わす場を何回も設けております。

政策チームでは、憲法や平和、沖縄や人権の問題に加え、羽田低空飛行問題や、大山地区の開発問題など地域の課題も織り込んだ政策づくりに取り組んでいます。

宣伝広報チームでは、活動内容をまとめたニュースレターの発行、チラシ、プラカードやパネル、チェンジの紹介リーフレットなどを製作。更に公式サイト、フェイスブック、ツイッターも開設し、個人や若い世代へも運動を広げようとしております。

チェンジ全体の活動としては、昨年9月に市民連合の山口二郎さんを迎えた集会、今年3月には各政党関係者を招いた賛同人集会、先月5月には公職選挙法についての学習会を行いました。

コロナ禍で活動が難しい中、オンライン会議や動画配信など工夫して活動を継続しております。

そして板橋区全域のすみずみまでいきわたる活動展開のため、板橋区を6つのブロックに分け、ニュースレターをポスティング配布、月2回から3回、市民と野党の共同街頭宣伝、総がかり行動の高田健さんをお招きしてお話を聞いたり、新自由主義や核廃絶、選択的夫婦別姓やコロナ禍の芸能・文化を考える、など様々なテーマのミニ学習会を行ってきています。

市民と野党の共闘をもっと地域の人たちに印象づけようと行っている街頭宣伝ですが、シール投票やバイオリン演奏など工夫を凝らした各ブロックの街頭宣伝に、候補者のみならず、立憲民主党、日本共産党、社民党、新社会党などの都議会議員、区議会議員の方々や政党の方も参加して下さっています。

政党へ私たちの意見が組み入れられるようになるには、やはり私たち自身の影響力をもっとつけなければいけないと、現在500名の賛同人を更に増やすべく、地域の教会や市民団体を訪ねるなどしています。

SNSの告知を見て街宣に参加する個人の方、街頭宣伝で私たちの話を聞き、賛同人になって下さる地域の方が、若い世代も含めじわじわと増えています。

この東京11区は、立憲民主党のあくつ幸彦衆議院議員、日本共産党の西之原修斗さんが現在8期目の自民党下村博文政調会長に代わる新たな衆院議員をめざして活動している選挙区です。

前回の衆議院選挙では下村氏は10万票、立憲民主・希望・共産の票を足すと12万票。

統一候補を出せれば充分に勝てる可能性がある選挙区です。

下村氏は金にまつわる疑惑がありながら「選挙が終わってから説明します」と逃げ4年が経ちました。憲法記念日に「コロナのピンチをチャンスに変え、緊急事態条項を憲法に」と、自分たちのコロナ対策の失敗を棚に上げ、憲法に責任をなすりつける下村博文氏に、9期目なんてやらせたくない!今度こそ引導を渡したい!

このチェンジ国政!板橋の会に集う人たちは、様々な立場や考え方の違いはありますが、総がかり行動やオール沖縄行動に学びながらウイングを広げ、選挙に向けて多数派を形成する為に力を尽くす所存です。

いよいよチェンジ国政!を文字通り実現するチャンスのときです。
必ず政権交代を私たちの力で成し遂げましょう!今頑張れば年末は笑って年を越せる!
共に明るい未来のため頑張りましょう。

ありがとうございました。

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軍事政権に反対し民主化を求めるミヤンマー(ビルマ)市民に力強い支援を

2011年のアウンサンスーチーさんの解放以来、民主化への道を歩んできたミャンマーで、2021年2月1日、軍部がクーデターを起こし、アウンサンスーチー国家顧問など民主勢力を拘禁し、国家非常委事態宣言を発令しました。

軍事政権の独裁に反対する市民は、「非暴力による不服従運動(Civil Disobedience Movement)」で抵抗していますが、軍事政権側は市民に銃口を向け、5月中旬までに少なくとも800人を超える命が奪われています。混乱する社会の中で、ミャンマー人の生活はきわめて困難な状況に陥っています。

支援対象の人びと

  1. 軍事政権に反対して職を奪われ、収入の途を閉ざされた市民
  2. 軍事政権の空爆などの攻撃によって住む場所を奪われ、森林地帯に逃げ込んだ人々
  3. 国境を越えてインドやタイ国内に逃れた人々
  4. 日本国内や諸外国で軍事政権に反対の声を上げて、帰国できなくなった人々
  5. 混乱する国内情勢から、経済支援が閉ざされた留学生など

私たちは、平和と民主主義を守るために、安倍政権、菅政権と対峙し、戦争法、特定秘密保護法、共謀罪法、デジタル監視法、重要土地調査規制法などに反対して、闘いを続けてきました。今のミャンマーの状況は、私たちにとって決して対岸の火事ではありません。日本に在住するミャンマー人の方々からも、支援を求める声が届いています。どうか、ミャンマーの人々への力強い支援をお願いいたします

呼びかけ団体  戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会
戦争をさせない1000人委員会
戦争する国づくりストップ!憲法を守り・いかす共同センター
憲法9条壊すな! 実行委員会

1口1000円(何口でも)
送金先:郵便振替・00120-7-634378
総がかり行動実行委員会

他銀行から
店番 〇一九(ゼロイチキュウ)店(019)
預金種目:当座 口座番号:0634378
「ミャンマー口座名:総がかり行動実行委員会支援」とお書き下さい

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第151回市民憲法講座 市民運動で考えた憲法のこと

菱山南帆子さん(市民連絡会事務局次長)

(編集部註)5月15日の講座で菱山南帆子さんが講演した内容を編集部の責任で要約したものです。要約の責任はすべて本誌編集部にあります。

はじめに

このコロナの中で1年以上たって、緊急事態宣言がまさか3度目が出るとは私自身もあまり思っていませんでした。けれども、3月の末くらいに、第2回目の緊急事態宣言が解除されてわずか1ヶ月で3回目の緊急事態宣言が出される。これはもう緊急事態宣言が出れば何とかなるというわけではなくて、宣言中に何をするかが問題なのだということは、この1年間で私たちもよく学んで来たことです。しかしなぜか政府はやらないということで、これはいつまでたっても繰り返すのじゃないかなと思っているんですね。

 一方で私たちに「あれをするな、これをするな」と自粛を求めながらも政府の民主主義破壊はまったく「自粛」せず、ということで、オリンピックもやるといっていますよね。こういう とんちんかんなひどいコロナ対策を行っている中で、わたしたちのこれからの運動の展開がいままで通りのようなスタイルではできなくなっているので、どうやってこれから運動を継続させ、工夫していくかということも今日はお話ししていきたいと思います。

いま私たちをとりまく情勢について

連休明けすぐに改憲手続き法が衆議院の憲法審査会で、立憲民主党の提案を丸呑みするかたちで強行採決に踏み切ったわけです。私は改憲手続き法に反対ですから、これはおかしいと言い続けますけれども、だからといって野党共闘ができないというわけにはいかないと思います。まさにこれは自民党が考える分断工作だと思うんですね。そういったことに私たちは簡単に乗ってはいけないなと思うのです。何年間も一緒にみなさんと闘ってきてつらいこともあったし、だけれども原則としての野党共闘というのは絶対に踏み外してはいけないなと思っています。

 日米共同声明が出されました。これも緊急事態宣言が出される直前に菅首相はアメリカにいって何をしてきたかといったら、公然と日本はアメリカ側につきますよということを言ってきたんですね。対中国路線をしっかりと打ち出してきた。台湾有事という言葉も出してきた。この「台湾有事」という言葉は佐藤栄作政権以来はじめて出てきたことで、私はすごく危険だと思っています。こういった対中国路線になると、どこが被害を蒙るのかといったらやっぱり沖縄ですよね。沖縄、南西諸島が足場になるということで、また沖縄を踏みにじるのか。今日は5月15日で、沖縄がアメリカからまた日本に渡った日ですけれども、沖縄の犠牲ですとか、そこに住む人たちのことを考えると、この時期にこういう日米共同声明を出してくるというのは許し難いなと思いました。

いま沖縄は、遺骨が混じっている土砂で辺野古の新しい基地を作ろうとしている。沖縄戦で身投げをするしかなかった人たちが海に飛び込んだ。地上戦でも多くの方が亡くなった。その遺骨が混じっている土砂で戦争のための基地を作るという。何度殺せば気が済むのかという許し難いことも行われています。私たちは日米共同声明で、また対中国敵視路線になっていくことに危機感をおぼえるのと同時に、沖縄の人たちと連帯してたたかっていくことが求められていると思っています。

私も障がい者施設で働いているので、このコロナのPCR検査を受けられないことが本当に怖いんです。どうしてPCR検査が受けられないんだろうと思ったり、ワクチンもまったく進まないわけですよね。こういった福祉施設の従事者はいつ受けられるんだろうかという話が毎日のように職場で出てきています。ワクチン接種も日本は37ヶ国中37位、最下位です。ジェンダーギャップ指数も121位だったけれども、ひとつ上がって120位。何も嬉しくないなという感じですが、すべてにおいて後れを取っている国に日本はなってしまった。でも、それでも職場で話していると、何かまだ「日本スゴイ」的な話をしていて、そういう選民意識的なところが抜けない。こういう大変にときになれればなるほど愚かな精神主義に走ってしまうというのは、日本は心の成長ができていないなと、つくづく思います。

自死率急増から見るコロナ禍で浮き彫りになる問題

政府がこの1年間コロナ対策を、本当に私たちのいのちと暮らしに寄り添った対策をしてこなかったがゆえに、自死率が急増しているわけです。とりわけ女性の自死率と子どもの自死率、本当に悲しいというか、どうしてこういうことが起きてしまうのかということに真剣に向き合っていかなければならないと思います。

女性の自死率とか失業率が増えている背景には、やはり女性は社会のサブ的な存在だという価値観が長きにわたって横たわってきたところに起因すると思っています。私は保育士ですが、保育士さんとか幼稚園の先生たちとか介護の福祉施設の人ですとか、障がい者施設で働く人ですとか、そういうテレワークできない仕事に多くの女性が就いている。さらにその女性たちがどういう雇用形態なのかといったら、非正規雇用など不安定雇用で働いている。なぜ不安定雇用で働いている人が多いのかといったら、やっぱり男性が働いて、女性は家事、育児、介護をする。だから正規ではなかなか働けないで、パートタイマーとかそういう短い時間で働かざるを得ない。

今回コロナになってとても打撃を受けた職業が、飲食店ですとかサービス業ですとか接客業、ここにも多くの女性たちが就いていますよね。デパートの売り子さんですとか。その女性たちは、経営者ではなくて、やっぱりパートタイマーなどです。一番打撃を受ける職業に女性が就いていて、簡単にクビをきられてしまう。「だってあなたは夫がいるでしょ、夫に養ってもらいなさいよ」、そういうマインドから、こういった大変な時代になったときに女性たちの首切りが平気で行われるという状況が生まれてきた。

これはもう女性差別政治をずっと行ってきた政治も悪いですけれども、やはり私たち自身も心の底に女性差別が、女性の性別役割の固定化があった。しっかりと向き合ってこなかったということもあったのではないかと思います。私もフェミニズムに出会ったり、女性差別問題にしっかり取り組むようになってすごく感じるのは、例えば「黒人」差別の問題ですとか被差別部落の問題ですとか、障がい者差別とか、いろいろな差別の問題にピンときて、おかしいと声を挙げる人はいます。けれども女性差別のことになると、突然「まあまあ、あの人はいい人だから、セクハラといっても今までいいことをやってきたから」という感じになるわけですよ。同じ差別の問題ですよね。それがなぜかそういうようになる。または「男性差別もあるよね」みたいな。「えー」って感じなんですが、すぐにそうなってしまう。「女性差別反対」と言ったら「男性差別」になるのかと言ったら、それはまた違う話になるわけです。長きにわたって女性は虐げられてきて、そのことに対して「おかしいぞ」と声を上げたことを「男性差別だろう」というのはすごくおかしいけれども、なぜかそういうふうになってしまう風潮が私たちの運動の中にもあることが、悲しいけれどもこれは向き合わなければならない。自分たちから変わっていくことが、やはり社会を変えていく一歩だと思います。今回のコロナ禍において女性たちがとても苦しんでいる。これは政治だけでなくて、私たち一人ひとりの意識も改革していかなければいけないということをすごく痛感しました。

これはよくいわれることですけれども、女性の野宿者ですとか女性の生活困窮者の相談を聞く中で、もともと困っていたけれどもコロナがとどめを刺しました、という人が多いんですね。いままでずっと大変だったわけですよ。最終的にコロナがとどめを刺してしまって、いのちを投げ出したり、路上に身を投げ出されるということが続いているのかと思います。瀬戸大作さんのお話でもありましたけれども、いままでは「死にたくないけれどもこのままでは死んでしまう」、でも今は「死にたいけれども死ねませんでした」という声が多くなっているというんですね。

私が地元の八王子でコロナの相談会に行ったときに、夜回りとかポスティングとかでチラシを配りまくったんですね。ちょっとボロボロのアパートのポストに入れてみたり、ネットカフェに行ってみたり、近所の人たちに困った人がいたらこれを渡してとか頼みました。チラシを受け取った大家が、アパートに住んでいる人が家賃を払えなくて困っているからこのチラシをあげたと言うんです。その人が連絡してきて、「僕はもう29日間お水だけで行きているんです」ということで、すぐに食糧を持って届けに行きました。その人も「実は、首つりをしてみたけども、失敗しちゃって。死のうとしたけれども死ねなかった。僕はどうしたらいいんだ。天井ばかり見ているんだ」という。そういった状況の中で、チラシ1枚で命をつないだという経験をして、私はこれは氷山の一角だなと思ったんですね。声も上げられない、電話は止められている、そういった人たちを何とかしなければならない。日本は恥の文化があるので誰かに助けを求めちゃいけない、誰かに迷惑をかけちゃいけない。そういう中で生きてきたものだから、本当に本当に苦しくなったときに、助けを求められない風土になってしまっているんですよね。これをどう変えていくかということも両方面でやっていかなければいけないと思うんです。

「女性のための相談会」に参加して見えてきたもの

2008年のリーマンショックのときに年越し派遣村が日比谷公園で行われて、505名の相談者が来られたんですね。そのうち女性の相談者は5名でした。今回のコロナ禍で、年末年始にコロナ被害相談村を新宿でやりましたが、そのときは279人が男性で女性が62名もこられたんですね。単純計算で12倍もの女性が来ている。これは女性のための女性による相談会も必要なんじゃないかということで、3月に女性だけで「女性の相談会」を2日間行いました。これは超悪天候の中でやって、2日間で125件。相談件数でカウントしていますので、実際には300人近くが相談に来られました。

5月3日と5日には、大人食堂がイグナチオ教会で行われました。そこに雨宮処凛さんが参加されてその報告を受けましたけれども、1日目の大人食堂に女性の方がすごく来られたんですが、相談になかなかつなげられなかったと言うんですね。それは、やっぱり女性はDVを受けていたり、本当に本当に勇気を持って食糧提供のところに来ているのに、それをメディアの人たちがカメラを持って追いかけ回したりするんですよ。そうするとぱーっと逃げていってしまうので相談につなげられなかった。だから2日目のときは体制を整え直して、女性が安心してこられるような徹底的なプライバシーの保護などをしたら、やっぱり女性の相談が増えました。

「女性による女性のための相談会」では、プライバシーの保護とかマスコミ対策をしたんですね。「もっと貧乏な人を紹介してください」と言うマスコミの方がいらっしゃるので、そういう人をバシッ!とやったり、または「公平性を期すために」DVをやっている相手の話を聞きにいって身元がわかってしまったとか、そういったことがあるので、すごくきっちりとマスコミ対策をやりました。こういう対策をすることがとても重要だといわれたんです。

この「女性ための相談会」をおこなっているときに同時並行で「もやい」さんたちが新宿西口の都庁前で食糧提供を行っていました。そこでチラシを配りにおいでよと「もやい」さんからいわれて、雨宮処凛さんと私で行きました。そのときに女性の方は並んでいないと思ったら、大西さんから「ぎりぎりに来るから」と言われました。確か1時くらいからの食糧提供ですけれども、1時になった瞬間に、女性の人たちがどこからかぱーっと走ってきて列に並ぶんですね。やっぱり男性と一緒に並びたくない、恥ずかしいという思いがあって、ぎりぎりまでどこかで待機していて、ぱっと走って並ぶ。チラシをその並んでいる列に配っていきました。男性の方が手を出さないのはもちろんですけれども、男性かなと思っていた方がぱっと手を出したりするんですね。それは女性が路上生活をするというのはとても危険なことなので、髪の毛を短く刈り込んだり、ニット帽に髪の毛を全部入れたりして男か女かわからない。そういった格好をして並んでいる方もいらっしゃった。本当に深刻だなと思いました。

こういったコロナ禍の中でもうひとつすごく深刻だなと思ったのは、やはりお子さんがいらっしゃる場合もあるわけです。妊娠は一人じゃできないのに、男性はいないわけです。女性一人で子どもを抱えながらネットカフェで泊まっているとか、その日暮らしで子どもを連れながらどこかにいるとか、そうやって暮らしている方がたくさんいらっしゃるということも目の当たりにしました。 「女性の相談会」にキッズスペースを設けたのですが、始まる前からお子さんを連れたお母さんが並んでいました。キッズスペースに誘導して「朝ご飯は食べました?」って聞いたら「ああ、まあ」という話だったので、じゃあお菓子かなと思ってキットカットとポッキーをお渡しました。そうしたらキットカットを割らずに食べて、ポッキーも束にして食べているんですね。これはすごくお腹がすいているんじゃないかと思って、慌てておにぎりを買いにいっておにぎりをお渡ししたら、たった3歳の女の子が、テントの中で背中をまるめておにぎりを口いっぱい頬張っているんですよね。たった3年しか生きていないこの子が一体何をしたんだと、私は本当に強く思いました。

こういう子どもを飢えさせるような社会に一体誰がしたんだ。こういう中でも「自助」「共助」と言うのか。私たちも口先だけの「暮らしといのちを守る政治にしよう」じゃなくて、運動の根本を変えていかなきゃいけない。本当に生活に密着した、寄り添うような、共感できるような、そういう運動に私たち自身も変えていく必要があると、コロナ禍の中でつくづく思いました。女性の実質失業者が103万人、男性が43万人です。約倍以上の女性が失業していることについて、私たちは女性差別の問題と一緒にあわせてしっかり取り組んでいく問題だと思っています。

新自由主義からの脱却

私は障がい者施設で働いていて、先日本当に痛ましいことがありました。女性は出産も育児も家事も、そして共働きもして介護もして、男のセクハラも笑顔で受け流せみたいなことですよね。私はよく「やること多すぎるじゃん」と言っていますが、まさに一人の肩に乗って苦しんでいました。うちの施設に通っている子のお母さんですが、シングルで、認知が入ったご両親と障がいを持ったお子さんを一人で見ていて、本当にやっていけなくなったんでしょうね。最近お亡くなりになってしまったんです。そういうときに、ぱっと福祉が支援の手を差し伸べられるシステムがないことに、私は十何年間か福祉で働いているけれども、目の当たりにしました。あまりに福祉サービスをカットしてきた結果、こういうときにそういう人たちを受け入れる体制がないんですよね。誰かがやってくれるだろうという感覚でやってきたものだから。愕然としました。本当に人のために税金を使おうとか、人のために政治をしようとか、そういう気がないということです。こういうことも、直面しないと私たちはわからないわけですね。だから想像力を働かせて、奪われた想像力を取り戻しながら、運動はこういうところに必要性ですとか受け皿があるなと思いました。

 このシステムというのも、みなさんと一緒にたたかっている新自由主義というものです。とにかく新自由主義というのは人間不在、人間なんていませんよという、そういう社会です。これがびっくりすることに、職場などで話していると、若い人たちは新自由主義って「超いいこと」だと思っているんですね。「新」がついて「自由」がつくから、「めっちゃいいじゃん」みたいな感じなんですよ。確かにね、それだけ見たら私もいいなと思いますけれども、実はそうじゃない。本当に人間なんかいらない、こういう冷たくて冷酷な生き方だよ、という話をしなければいけない。これも私たち自身が生き方として見本を見せていかないと、「新自由主義社会、いいじゃん」みたいな風になってしまうと思うので、私たちの生き方の中でどう伝えて行くかということがすごく重要だと思いました。

コロナ禍の女性の貧困を見ても、新自由主義ってこういうことだよ、ということを対話を通してやっていかないと、ネット社会の中でずっと生きていると新自由主義になってしまうんですよね。人と人の対話ですとか、つながりというものが、そこから抜け出せるひとつのツールなのではないかと思います。

市民運動とは生活の一部、終わりなき運動

 私は市民運動を13歳の時からやっているので、18、9年くらいやっていますが、もっともっとやられているすごい人たちがいらっしゃいます。とにかく市民運動というのは時代によって姿かたちを変えながら、ときには改憲反対だと国会前に行ったり、ときには困窮者の人たちを共に助け合う、ときには街中に出て「こうではない」と訴える。いろいろな柔軟性を持った形が市民運動だと思いますね。選挙と違って、誰かを選ぶというような明確なゴールがあるわけではないところが市民運動のいいところでもあり、大変なところなんですよね。「やったー、勝ったぞ」ということが少ないけれども、でもその中での団結とか連帯をつなぎあう。完全な負けということは私たちの運動にはないけれども、負けたとしてもまた次に行こうとか、市民運動は終わりなき運動です。

本当に生活の一部と言いますか、私はよく「生きることは戦うことだ」と言っていますが、こういう市民運動は明確なリーダーもいないですし、明確なゴールもない。一人ひとりが立ち上がって自立して運動に参加していくという、これが市民運動のすごく強い草の根運動だと思うんですね。一人ひとりが続けていくためにはいろいろな大変な目に遭うけれども、私はこういう市民運動こそ楽しくやらないといけないと思っていまして、いろいろ工夫をしているんですね。

私も一時期は、にこにこ楽しく運動をやることはよくないんじゃないかとか、本当に闘志をみなぎらせてたたかわなければ、みたいなときもあったんです。けれどもそれはすごく燃え尽きてしまったり疲れてしまうので、持続可能な社会運動、持続可能な市民運動をしていくためにも、仲間同士のつながりを大切にしています。いまはコロナでなかなか飲み会に行けないけれども、それでも楽しく運動を工夫してやっていくことが持続的な運動につながっていくと思います。これから憲法を巡るたたかいがいろいろ大変になってくると思いますが、コロナの中でも工夫しながらやっていかなければならないと思います。

市民運動を始めたきっかけは?

私は結構早いうちから闘ってきていて、小学校5年生の、11歳のときに決起したんですね。11歳のときに担任の先生が障がい者差別発言をしたことに対して糾弾をして、差別撤回闘争を始めました。先生が差別発言を撤回するまで私たちは教室に戻りませんといって、約3ヶ月間、クラスの女子半数を組織して廊下に出てボイコットをしたんです。そういったことから担任が替わって、「声を挙げれば変えられるんだ」という成功体験をもとに私の運動生活が始まりました。また出会った先生もいい先生が多くて、その差別発言をした先生を反面教師として、かばってくれる先生もいらっしゃった。

私が差別発言を糾弾した年が2000年で、前年1999年は国旗国歌法ができた年です。日本の国旗は「日の丸」、日本の国歌は「君が代」ですって決まったんです。そこから先生たちへの締め付けが激しくなっていきました。いままで君が代は録音で流していたのが生演奏しろと言われた。私の音楽の先生が、あまりやりたくないけれども、歌には意味があるから、まず歌詞の意味を知らないとね、といって「君が代」の歌詞の意味を教えてもらったんですね。それで私は直感的に「なんて気持ち悪い歌なんだろう」と思って、母に言ったら「こういったたたかいがあって歌わない人もいるんだよ」と教えてもらいました。

そういったところから「私は歌わない」と選択して、生徒一人と私の新しく変わった担任の先生が「日の丸・君が代」不起立をしました。このときに感じた目線とか雰囲気、私は学級崩壊を経験していて、男子たちが全然席に着かなくて、途中で学校を抜け出して家でゲームするみたいなことがあるくらいのクラスでいしたけれども、そういったことと違う雰囲気なんですよね。男の子たちが先生の言うことを聞かないで「バーカ」と言ういたずらと違って、大人を困らせるというレベルじゃない。異次元のものだった。私が「日の丸・君が代」を拒否したことは、まったく異質のものなんだなということを感じ取って、「あれ?」と思って、何となくもやもやとしたんですね。

そして小学校6年生になって「9.11」が起きたんです。「9.11」の同時多発テロが起きたときに、あの映像を見て「アメリカの映画みたいだな」と思いました。そのあとに父が「これから戦争になるかもしれん」と言って、「何でこうさせてしまったのかを考えなければいけないよ」と父から言われました。そこで私はアフガニスタンという国を初めて知ったし、いままでどういう歴史をたどってきた国なのかということも知りました

ブッシュ大統領が「これは正義の戦争だ」、「テロに対する正義の戦争を始める」と言ったわけですけれども、私は子ども心にも「戦争でテロは絶対なくならないな」と思ったんですね。まさに憎しみの連鎖で、またテロが起きるのではないかと思ったことを作文に書いたんです。テロを起こす人たちだけが悪いのではなくて、そうしてしまったことを考えなければいけないみたいなことです。その作文に対して、また出会った先生が、こんな事書いちゃいけない、テロリストは悪いんだと言うのではなくて、「ベリーグッド」と言ってくれ、「その通り、こういう考えをする人は少ないんだ」とほめてくれたんですね。ここで私に「君、君、その間考え方は違うよ」と言われていたら、私の人生は変わっていたのかもしれない。「ベリーグッド」と言われたので「あ、正しいんだ」という感じをもちました。でも学校の中では少数派ですよね。その年にハンセン病の訴訟もあって自由研究でハンセン病のことをやって、多摩全生園に夏休みに中に通って人権のことを学んだりしました。そういう感じでちょっと学校の中では異質な存在だったかもしれないけれども、すごくいろいろ考える小学校時代でした。

中学1年、イラク戦争反対のデモに参加

中学校1年生になったときにイラク戦争が始まります。イラク戦争が始まるかもしれないというときに、私は頭の中だけでおかしいと思っていていいのだろうか。頭の中だけで完結していたら私は加担者になってしまわないだろうかと思いました。そう思ったら、いてもたってもいられなくなったんです。私が2歳くらいの時が湾岸戦争だったので、あのとき生き延びた子どもたちが、今回のイラク戦争で死んでしまうかもしれないと思ったら、いてもたってもいられなくなってデモというものに初めていったんです。びっくりしましたね。小学校、中学校では私は少数派なわけですよ。むしろ一人みたいな感じだったのに、デモに行ったら、当たり前ですけれども同じ思いの人たちがめっちゃいるわけです。こんなに一杯いるんだと思って、すごく嬉しくて、そこからデモ通いをしました。

イラク戦争が始まる3月20日にアメリカ大使館前に、学校が終わったあと行ったんですね。そうしたら機動隊がJTビル――アメリカ大使館前から日本たばこの会社のビルまで100メートルくらいあるんですけれども、そこまでアメリカ大使館の要請で機動隊を派遣して市民を近づけさせなかったんですよ。ジュラルミンの盾を何層にもして、機動隊が市民を押すんですよね。私はこの光景を見て、お巡りさんはいい人だと思っていたので「なに~」みたいな、「どっちを向いて仕事をしているんだ、この人たちは」と思ってびっくりして、「国家権力許すまじ」みたいな感じになったんです。こういうことで、私は次の日からアメリカ大使館前に3ヶ月間、毎日座り込みをしたんですね。中学校1年生で、学校で授業をして、授業が終わったらアメリカ大使館前に行って、アメリカ大使館前で大人たちに宿題を見てもらって、それでまた家に帰って、学校に行って、アメリカ大使館前に行って宿題をして帰ってくるという生活をしていました。

当時はツイッターやフェイスブックもなかったので、情報源はビラですよね。私も手作りのビラを学校の昇降口で撒いたり、これは中学校高校で6年間やりました。こういう感じで運動をずっとやってきました。ここまで話をすると「やばい奴だな」と思われるかもしれないんですけれども、実は「人の目なんか気にしない」という生き方だけじゃなくて、まわりの子みたいに遊びたいとか、でも集会に行かなきゃいけないという、どういう10代なの、という感じなんです。そういう中で消耗して「足踏み時代」が数年あったんですね。こういう「足踏み時代」を経て市民運動ってすごく大事だなと思ったんですね。「ああでこうでこうでしょう」という運動ではなくて、もっと政治に参加するハードルを下げる運動、入門みたいな、そういうところに市民運動は位置づけられていると思うんです。こういう運動がとても大事だな、息長く市民運動があるからこそ、私みたいにちょっと足踏みをしてもまた戻ってこられる。運動というのは波がありますから、すごく満ち潮でいい感じなったり、これは労働組合にも市民運動にも言えることですけれども、労働組合、市民運動も明確なゴールというのはないから長いことやっていかなければいけない。

時代の流れで、とても満ち潮になって「あら、あの人も来たわ、この人も来たわ、わぁ嬉しい」という時代もあります。でもつらいのは引き潮のときなんですよね。引き潮のときに「あんな人もこんな人も来たのに、いまはなかなか来なくなっちゃったよね、少ないよね」というときもあります。こういう引き潮のときにこそ、根をさしたアンカーに私たちはなっていかないといけないんですよね。しっかりし根ざしたアンカーに市民運動や労働組合がなることによって、次の波が来たときの目印になる。そういう運動を私たちはやっているんだということを、自分が足踏みをして運動に再合流をした中でとても感じました。ここですごく思ったのはやっぱりライフワークとしての政治風土の変革ということがとても重要だと感じました。

私がすごく重要に取り組んでいるもののひとつとして、街頭宣伝があるんですね。私一人の力だけではとてもできないような大きな紙芝居ですとか、歌を歌ったり、音響設備とか、本当に仲間に助けてもらいながら街頭宣伝をしています。私は「街中民主主義」と言っていますが、こういう地道な大変な運動も、ひとつひとついろいろな工夫をしながらやっています。それでもほぼほぼ無視、素通りなんですよね。こういう街頭宣伝をやっていく中でわかったのは、「ああそうか、これは『素通り文化』なんだ」、素通りしていくわけです、何千人も。でも私たちはあきらめず「千人の素通りを千人の共感に変える」というあきらめない精神で運動をやっています。本当にいろいろな工夫をして街頭宣伝をしています。お花見街頭宣言ですとかロングラン街頭宣伝――地元の八王子で8時間街頭宣伝をやろうということで、真夏のめっちゃ暑い8月に8時間やりました。朝出勤した人が、帰ってきたらまだやっているという、ただその顔を見たいがためにやったんですけれども。裏では「老人虐待」と言われているんですが。それから戸別訪問を一件一件訪ねていって署名を集めたりとかして、水かけられたり犬にかまれそうになったりするんです。こういう地道な活動をしながらもやっぱり「素通り文化」を変えていく、「千人の素通りを千人の共感に変えていくんだ」という闘志の中でやっています。

自己責任世代に生まれて~若者論~

署名なども私たちにとってハードルは低いんですが、一般の人たちからすれば署名はめちゃくちゃ勇気がいるんですよね、名前や住所を書くとか。でもデジタルでは普通に情報が取られていて、「そこはいいの?」と思うんです。そういう署名や、「許さん」とか「デモに行こう」とか、そういう声を挙げることに対して「恥ずかしい」という、そういう文化が日本にはすごくあるんですね。アメリカの文化人類学のルース・ベネディクトさんが、欧米などの「罪の文化」に対して日本は「恥の文化」だといっているんですね。「罪の文化」では規範意識が宗教とかに依拠しているのに対して、日本の「恥の文化」は、規範意識が「世間」などのまわりの見方に依存している。「罪の文化」は十字軍とか一方的な価値観の押しつけにつながると思いますが、「恥の文化」は相互監視の全体主義につながるのじゃないかと私は思っていて、そういうものを生み出しやすいのかなと思います。私はそのどちらも望まないので、目指す風土として憲法の理念が生き生き息づくような、そういう社会を、街頭宣伝などを通じて風土の改革をしていきたいと思っています。

 「恥ずかしい」とか声を挙げることに「えー」みたいな、これが根強く出てきているのは私たち世代とか、それより下の若い子たちなんですよね。わたしたちは「自己責任世代」で、「さとり世代」とも言われていますが、ゆとりを通り越してもう悟ってしまっているんですね。「運動やっても無駄でしょ」「何でそんなに怒ってるんですか」みたいな感じですよ。「仏か」というくらいに悟っている。私は1989年生まれです。1989年は天安門事件とかソ連崩壊、ベルリンの壁崩壊、そして消費税ができた年ですね。消費税がない時代を知らないんですね。バブル崩壊で先の見えない不景気になっていく。

そういう中でいい時代を知らないわけですよ。だから何で怒っているのかわからない。もっと言えば安倍政権しか知らない若者たちが、「何でそんなに安倍政権に怒っているの」みたいな感じになるのと同じで、いい時代を知らないから怒る理由がないんですよね。大人たちに「何で怒らないんだよ」といわれても、「えっ何で怒るんですか」みたいになっちゃうわけです。とにかく自分お時間が大事、たたかって何かいいことあるんですかという感じで、デモなんか見ても私の友達は「なんかめっちゃ怒っている人たちがいる、怖い」

19日行動で司会をする菱山さん・6月19日議員会館前

という感じなんですね。そう思われているんですよ、私たちは。悲しいんですけれども。

そういう中で安倍政権しか知らない若者たち。さらに情報源といったらSNSです。いまの若者たちは新聞を読まないって怒りますけれども、取れないんですよ。月に4000円もしますからね。若い子たちは1紙でも取るのも大変です。夕刊抜きにしたって3000円台は払わなければいけない。そういう中で新聞に対する価値観が二の次、三の次になってきてしまっています。そういう人たちが「だって携帯でみられるもん」というわけですよ。でも携帯には序列がないじゃないですか。同じ枠、同じスペースでニュースが出てくるから、何が重要なのかわからない。新聞には一面に「これ」というものが出てくるから、「これがいま重要なんだな」ということがわかります。ネットのニュースだと「芸能人の不倫」がトップニュースになるわけです。だから、そういうことが一番大事なことなのかなと思ってしまう。

ビッグデータでみなさんがネット上でお買い物をすると、「あなたにお勧めなのはこれです」とか「余計なお世話だ」と思うけれども、そういうものが出てくる。旅行なんかすると「そろそろ旅行しませんか」とかが出てきたり、その人が好きそうな情報が出てくる。私たちみたいなリベラル左派にはリベラル左派が喜びそうな情報が出てきますし、フェイクニュースが好きな人たちにはフェイクニュースばっかり出てくるわけです。芸能人のゴシップが好きな人には芸能人のゴシップしか上がってこない。そういう中で果たして情報が正しく行き届いているかといったら、まったくそうじゃないということが起きている。 こういうことは、やはり私たちはベースとして考えていかなければならないと思います。

「社会を変えよう」から「自分を変えよう」へ

それからこの89年でもうひとつ大きなことは総評の解体ですね。89年に総評が解体して組合が3派に分かれていきますね。そういう中で国鉄がJRになったりして組合がどんどんつぶされていく。職場に組合があるのが当たり前だったのが、組合がない職場が当たり前になっていった。そういった中で何が起こるかというと、権利意識が薄れていくわけですね。守られた経験がないから、権利意識がないわけですよ。もっといえば労働者意識もないわけです。われわれはどんなにきれいな格好をしても、一皮むけば血と汗にまみれた労働者だという意識がなくて、「え、労働者なの、オレ?」みたいな感じなわけですよね。労働者って遠いところにあるようなもので、権利意識もない、労働者意識も薄れさせられてきた。これはその人が悪いのではなくて、奪われてきたわけですよね。奪われた意識が、いまこういったことになっていく。

そうした中で、理念選択が例えば資本主義、新自由主義なのか、はたまた共産主義なのか社会主義なのかという理念選択から変わっていくわけです。「何か生きづらいなあ、これは社会が悪いんだ、社会を変えよう」という流れがいままであった。ところが熱き若者の闘いが「何か生きづらいなあ、そうか、自分を変えよう」になっていくわけですよ。「社会を変えよう」じゃなくて「自分を変えよう」という、社会改革から自己改革の社会になっていく。そうした中で自己責任ということが出てくるわけですね。オウム真理教とか新宗教が、ばばーんって出てきたのもこの89年なんですね。理念選択が変わってきた。「自分が変わらなきゃ」という中で、この人を信じたら自分が変わるんじゃないか、この人についていけば自分は変わるんじゃないか。そういうところが、真面目な若者ほど「たたかおう」ということではなくて、自分を変えなければならないということで、オウム真理教などに走ってしまうことも時代のひとつの流れだなと思います。

SNSが当たり前の若者感覚、裏にある孤独と孤立

さらに89年から2000年になってデジタル化がすごく進む。このデジタル化が進む中で昔は大衆演劇とか大衆映画、大衆音楽など「大衆」がすごくありました。テレビが1家に1台ではなくて町に1台とかでみんなで見に行って「力道山!」みたいな感じの時代から、段々と一家に一台になった。それが1部屋に1台になって、それがさらに進んで携帯が出てくるわけですね。もうこれで「大衆」が「小衆」化していって、大きくつながっていたものがどんどん砂粒化していく。さらさらの砂みたいになっていく。団結できなくなって、横のつながりがどんどん分断化していくという時代になっていく。そしてネット出現でどんどん個人化していくわけですね。こういったリアルでのつながりで話をして、「なんだと」とか「オレは違う」とか「こういう考えだ」とか揉めることを避けて、ネットで気の合う仲間で話をしたり1人の人を叩いたり、そういうふうに社会では変わっていく。

私は「ネット接続洗脳社会」といっているんですけれども、頭の上にUSBをつなげるものがついていて、そのままパソコンにぱっとくっついている感じで、どんどんどんどん若者たちがネットの情報を鵜呑みにしていく。ツイッターとか本当に私たち側じゃない人たちの反動勢力がものすごく強く握っているので、そういったものをどんどん吸収されていってしまう。権力は私たちの想像力をすごく奪ってきたと思います。私もラジオとかわからないんですよね。例えばラジオで相撲とか野球とか駅伝をやられても、全然わからない。でも父の世代なんかは「ラジオだけでわかる」と言うんですよ。すごいなと思うんです。テレビを見ないとわからないので、私も想像力を奪われていると思います。いまの若い子たちは音楽も、動画を見ないと音楽じゃないというか、ひとつの パフォーマンスとして踊りとかPV(プロモーションビデオ)でひとつの音楽となっています。どんどんわかりやすくて、あまり想像しなくても入ってくることを、選ぶ時代になってきています。そのことに対して「あかん!」という感じになってもしょうがないわけで、もう戻れないわけですから。私たちはそこを理解しながら、しっかりと話をしていくことが必要だと思うんですね。

このネット社会とかデジタル化の裏側にあるのは孤独・孤立なわけですね。こうしたものを救えるのは私たちの運動なのかなと思っています。例えば、いまの私たちより若い世代はスマホが当たり前ですけれども、私もまだガラケーの世代でした。でももっと前の電話交換手のいる時代とか公衆電話の時代からすると、携帯めっちゃ便利みたいですね。携帯がなかったら、いままでの人たちはどうやって待ち合わせをしていたんでしょうかという感じです。携帯がない時代に生きてきた人たちにとってはスマホは便利なツールでしかないけれども、スマホがある時代に産まれた子たちにとっては「いのち」なんですよね。このスマホですべてが決められていく。明日何を着ていくか、今晩何を食べるか、すべてが携帯、この四角い物体によって決められているわけです。

本当にいのちまでも握られていて、例えば不安なことや悩みも、あの四角い物体に吐き出している状態です。こういったことが座間の9人殺害の事件にもつながっているのかなと思っていて、どうして顔の見えない、会ったこともない人にこんな悩みを打ち明けられるのか。隣に話すとか、お友達に話すとかじゃなくて、どうして顔の見えない誰だかわからない人にいのちまでも預けてしまうのだろうか。こういう「私を何とかしてよ」という人たち。社会でこういったが起きているけれども、選挙なんかいけないよ、とても。「そんなことより私をどうにかしてよ」という人たちに、本当ならば私たちが受け皿にならなければいけない。市民運動や労働組合がならなければならないけれども、やっぱりそこができていない。どんどん孤立化していって、生きづらい世の中になってきているのかなと思います。だから私たちがSNSをやったり街に出たりすることは、もしかして命を救うかもしれない。最初に話したチラシ1枚でいのちをつないだように、孤独で誰にも助けを求められない人がたくさんいるわけですよね。政治のことなんて関心を持っている場合じゃないというような、そういう人たちをどう救うかというのは私たちの運動にかかっているんじゃないかなと思うんですね。

やまゆり園事件などを見ていても、はっきりいって社会的にいえばいい暮らしをしているわけではない。そういった人たちが、なぜ小池百合子とか橋下徹とか吉村洋文といったところにいっちゃうのか。つらいからこそ強権政治を求めてしまうのか。時給1000円くらいしかもらえていない。そういった働き方をしているのに、なぜか経営者マインドだったり経営者目線で話してくるわけですよね。「でも経済がさー」みたいなことを言ってきて「え?」という感じです。何でそうなってしまうのかというのは、やっぱりネットでの情報はすごく大きいんじゃないかなと思います。私たちはライフスタイルの提案者ということで、新しいライフスタイルとして「たたかいのある暮らし」ということを運動の中とか会話の中、つながりの中で広めていく必要があるんじゃないかと思っています。

コロナ禍で考える暮らしと闘い

コロナ禍で対話の大事さを最近つくづく感じるんですね。私もいままで職場の人と政治の話をあまりしてこなかったんですね。職場の人は私が「デモの人」だと知っているので、定時にぱーっと走って帰っていくと「ああ今日デモなんだ」ということです。コロナになって、みんなが不安で何を信じたらいいかわからないので、「ああそう言えば菱山さんは政治に詳しい」ということで、いろいろ話をしてくれるようになりました。「デモの人」が役に立った初めての瞬間でしたけれども、同僚が連絡をくれる中で、この1年でなんと毎日1時間政治の話をしたんです。まず昼食中に30分、利用者さんが帰ってから30分、必ず職員と政治の話をしています。こういう中でさきほどの「新自由主義、かっこいい」ということが発見されました。ものすごく驚いたのは、すごくしっかりしたことを言っていてもぽろっと「いやでも韓国はさー」「中国ってさー」という、日本がアジアに対してやってきたこととがまったくわかっていない。それからアジアの中では日本は優れた民族だということを、ものすごく根深く持っていることを感じたりしています。

汚染水の話もしました。職場の人が超怒っていたんですよ。「信じられん、日本人の誇りをかけても許せん」というようなことを言っていました。私も「そうだよ、麻生は汚染水飲め」とか言いましたが、次の日になって、一転して「いやいや菱山さん、昨日あんなことを言ったけれども調べてみたら中国も韓国も汚染水を出していたんだね」と言います。「いやいや、何を言っているんだ」と思って、私も「日本はなんていったって事故を起こした汚染水だからね、わけが違うんですよ」といったら、「そうか、危ない、だまされるところだった」ということがありました。こういうことを一つ一つやっていかなければいけないと思ったわけですよ。ここで話をしなかったら、みんな取り込まれていってしまうわけです。「だって中国も韓国も同じことをしているのに、警告なんてなめたことをしやがって」という感じになっちゃうわけです。本当に対話ってすごく大事だなと思いましたね。

こうして1時間話をしていく中で少しずつたぐり寄せているわけです、こちら側に。ちょっとずつちょっとずつ本を貸したりして。最初は何ともない小説とかを貸して、段々と雨宮処凛さんの本とかにしてたぐり寄せているんですけれど、こういうことを少しずつやっていくことが結構大事だなと思います。まずは家族、そして職場、学校とか、自分の足回りをしっかりと固めていくことってすごく大事で、日常会話からそういうことを始めていくことがこれから社会を変えていく一歩一歩になると思います。

私たちがどういう運動の見せ方をするかということも大事ですね。これはよく話すことですけれども、玉城デニーさんの選挙のときに、翁長さんが亡くなったあとの選挙ですよね。弔い合戦なわけです。私はさぞかしデニーさんは大泣きしながらやるんだろうなと思ったんです。「翁長さんの後を継いで」みたいな。そうしたら全然泣かないで「イエーイ」みたいな感じでやっているのを見て、びっくりして「大丈夫かな」という感じでした。結果はやっぱり私のめがねが曇っていたわけですね。20代、30代の若い子たちはデニーさんに未来を見たんですね。「あ、こういう未来がいいな」と思ったわけですよ。だから私たちも「こういう未来を選択したいな」と思えるような生き方をしなければいけないと思っています。

よく安倍前首相が「安倍の未来志向」みたいなことを言っていましたよね。そういうものに、ふっと乗ってしまうというか。私たちが反対ばかりしている人たちに思われますけれども、反対することしかしていないんだから仕方ないじゃんと思うんですが、でもこういう未来にしようよ、という明確な提示がすごく重要だと思います。私たちの運動も楽しくやらなければいけないというのは、そこにつながるわけです。こういう社会にしたい、この人たちについていったら面白そう、そういうふうにしていかなければいけない。

これは別次元の話かもしれないけれども、ここにいらっしゃる半分くらいの人は一緒に体験したと思うんですが、新宿で街頭宣伝をしていたときにめっちゃやばい右翼が来たことがありました。でも私たちが先にやっていたので「譲れないよね」という感じでやっていたんですね。そうしたら後ろで同じような特攻服を着た男がワーって並んで「菊青同青年部」とか言っていて、50くらいのおじさんが「青年部」って言っていて「青年部?」って人手不足はどちらも同じだなと思ったんです。そのときにめっちゃ署名が取れたんですよ。私たちが「みなさん、ああいう未来はいやですよね」とかいって街宣をやった。明確な未来提示ですね。「あんな未来は嫌だ」と思って私たちの署名がすごく集まった。そこまでは言わないけれども、明確な「こういう未来がありますよ」、ということを併せて言っていくことが必要だなと思いました。

新自由主義経済から分かち合いの政治へ

 ことしは選挙があるので政権交代ということを私たちはしっかり念頭に置かないとけないと思います。このコロナ対策は後手後手の対策で、対策なんてする気がないなという感じですよね。「国民のために働く」というあのポスターははがした方がいいですよ。薄ら笑いを浮かべて、気持ちが悪い。国民のために働いていないわけですから。GoToキャンペーンとか、「あなたはコロナのために働いてきたんじゃないの」という感じです。こういう菅政権を変えないと私たちの命さえも危ういので政権交代をいまこそ起こさなければならないと思います。いままでずっと長きにわたって自民党政権が続いてきたのは、何かが起きても自民党内で政権をたらい回しにしてきたからなんです。極右的な政権が続いたら、ちょっとハト派の政権にして、みたいな。自民党の中で政権をたらい回しすることによって、民衆の怒りを鎮めたり買ったりしてきた。何となくそれでごまかされて自民党政権が続いてきたけれども、安倍一強政治で局面が変わった。もう、こういうことじゃダメなんだ、だから明確な選択肢を私たちが提示をしなければいけないと思います。

菅政権の支持率が下がっても、野党の支持率はあんまり上がっていないわけですよ。どこにいっているかといったら、「どこも支持しません」です。その「支持しません」が、また小池百合子さんとか大阪の維新とか、そういうところにいってしまうのが恐ろしい。今回ばかりはこういう自民党のダミー、自民党の補完勢力のようなところに、私たちの怒りのかすめ取りを絶対に許してはいけない。このように私は強く思っています。自民党岩盤支持層がある程度あるわけですね。どんなにひどい政治をしても、25%、30%はあるわけです。この25%から30%だけでも小選挙区制度では勝てますから、もっと切り崩さなければいけないわけですね。そうなると、どういう人たちが岩盤支持層になっているかということを分析していかなければいけない。

私はこの岩盤支持層、自民党がどんなことがあっても支持しますという人たちが2パターンいると思っていて、ひとつは利益誘導で恩恵を受けていて期待している人たち、ふたつ目は北朝鮮にミサイルを撃たれたらどうするんだ、中国が攻めてきたらどうするんだという危機感を煽られて取り込まれている、不安とか恐怖を持っている人たち。このふたつが自民党の岩盤になっているんじゃないかなと思っています。こういうところを切り崩すためにはどうしたらいいのか。ひとつ目の利益の恩恵を受けている人たちの切り崩しというのはすごく大変だなと思います。

この安倍政権、菅政権の源流は小泉政権にあり、大競争時代と言われる2000年以降、大企業の活動がグローバル展開した。そして低賃金と不安定雇用の拡大を最初にして、生産コストの抑制で利益を拡大してきたわけですね。このときに小泉政権は自民党をぶっつぶすといいました。実際につぶしたのは、自民党の中でも戦争体験を色濃くもった、憲法枠を強く意識してきたそれまで保守政治というものをぶっ壊したわけです。経済政策の司令塔に、筋金入りの新自由主義者の竹中平蔵を据えて、郵政民営化を柱とした規制緩和を一気に進めた。こうして企業の利潤はガット上がるけれども、一方で格差・貧困は同時に拡大し進行していくという、現代に至る実感なき景気拡大が生み出されたんですね。

2008年のリーマンショックと、3年間の民主党政権に対する究極の反動として登場してきた安倍政権が、アベノミクスという極端な新自由主義の経済政策を展開し、そのために規制緩和論に近い黒田さんを日銀総裁にして異次元の金融緩和に打って出た。私たちの生活が景気の動向や株価に完全に紐付けされてしまったということで、社会の中で投資ができる人と投資のできるお金も余裕もない人という層が生まれて、絶望的に格差がどんどん拡がってしまった。株ができる人たちにとっては安倍、菅政権がどんなに悪事を働いても、そこに評価基軸を置かないでただ株価を維持してくれるかどうかということだけで動いている人間が岩盤支持層なのかなと思うんですね。今年に2月頃に日経平均株価が3万円を超えたときに、菅首相が目標中の目標が達成できて感慨深いと言ったんです。この時点で、長引くコロナ禍でたくさんの女性たちが身を投げたり路上に放り出されたり、こうしたことが後を絶たない現実の中で菅首相はそう言った。本当に天国と地獄は一気に現代に現れているといっても過言じゃないと思います。

こういった人たちに「そういう考えはおかしいよ」というのは、なかなかわかってもらえなくて大変なことです。けれども新自由主義で潤っている人たちの生活というのは1日にして何もなくなって、すべてを失ってしまうリスクの上に生きているということと、自分達の利益が、実は国内外の貧困や自然破壊などに代償となってつながっていることを知ってもらう必要があります。
なかなか難しいですが、ただ希望があるのはこの新自由主義経済が格差・貧困にもたらす影の中で、いま私たちがやっているような助け合いのうねり、そういうたたかいのうねりが確実に一つとなって合流して高まろうとしている。コロナ禍での相談会や大人食堂、子ども食堂、フードバンクの活動は目の前のいのちを守るとともに、新自由主義経済をやめて分かち合いの経済に変わっていこうという、そういうエネルギーをいま貯め込んでいるのではないか思います。

とにかく一番じゃないといけないんだ。とかとにかく儲からなければいけないんだ。儲かるためには非正規とか外国人とかそういう労働者をいくらでも使って切り倒していってもいいんですよという社会ではなくて、本当に私たちが健康で豊かに生きていく、そういう社会こそが大事なんだという大転換が必要だということを、私たちはこういう切り口で訴えていかなければいけないんじゃないか思うんですよね。いまコロナになって、お金があってもコロナにかかってしまうかもしれないわけです。そうした中で私たちが豊かに生きるということはこういうことだということが、この利益優先、経済主義優先から脱却するひとつの大きなムーブメントだと思います。私たちがつながりあって、手を取り合っていく運動が海を越えていけばもっともっといいと思うんですが、ここがまずひとつの岩盤だと思います。

本気の政権交代

 もうひとつは中国脅威論とか北朝鮮脅威論とか、これは毎回自民党のみなさんは選挙のたびに言ってきますよね。2017年の衆議院選挙でもそうでしたよね。「モリカケ」疑惑でマジでやばいことになっているときに「国難突破解散だ」みたいな、私は「モリカケ疑惑突破解散」と呼んでいます。こうした「国難突破解散」と打って出て、Jアラートを鳴らしまくって、「北朝鮮がミサイルを飛ばしてきた」と言って勝ったわけです。あのとき麻生さんって本当に正直な方だから、北朝鮮のおかげで勝ったと言っちゃった。とくに日本海側でそれを強く感じたまで言ってしまったわけで、何かとこういった脅威を煽ってくる。中国脅威論は本当に恐ろしいなと思っていて、また、こういったことをやってくるのではないかと思います。

コロナが何度緊急事態宣言をやっても収まらないし、変異株もでてきてどんどん波が高くなってきている。そういった不安の中で、強権政治みたいなものを望んでしまうような動きで「ショックドクトリン」的に改憲に対する動きが加速するのではないかという不安があります。「ショックドクトリン」的な手法で自民党が乗っかってくる可能性は十分にあり得るし、絶対そう来るだろうなと思います。自民党たちがいままでやってきた、私たちの恐怖感を人質にして仮想敵をつくった脅威論を煽る。問題は、中国や北朝鮮の脅威ですとか非常事態だということにわれわれ市民が動揺するのでなく、安易に戦争や強権支配を許し合う日本社会の政治風土を、根本的に変えていかなければならないとすごく思いますね。

憲法は敗戦後の2~3年の間でできたものですけれども、戦争が終わって日本が平和憲法をもって、でも逆コースで朝鮮戦争が始まった。日本はアメリカ側について従順にずっとやってきて、アジアの中では国交を全然結ばないで、遙か遠いアメリカに対しては従順に、言いなりになってきた歴史があります。日本民族は優れているというようなベースの上でアジアに対する敵視をしてきた日本は、アジアの中でも異質な国だと思います。こういうことも根本的に変えていかなければいけない。私たちは歴史をしっかりと学んでいかなければいけない、伝えていかなければいけない。いまの安倍・菅政権が歴史修正主義者のように言われていますけれども、歴史修正主義者を超えて歴史忘却主義者のようになっています。なかったかのように話を進めているわけです。そういうこともネットなどですごくやられているので、私たちはいまこそ歴史をしっかりと学んで、伝えてなければいけない。

もうひとつ言えるのは、国同士のレベルで外交を任せていても上手く行かないので、やはり市民同士の外交こそがすごく大事だと思っています。いまコロナでなかなか会いに行ったりできないけれどもでも、市民レベルの市民外交こそが海を隔てて連帯していくと思います。だってその国に友達がいればそんなに簡単に憎いと思わないじゃないですか。だから私たちは、やっぱり政権交代をしなければいけないわけですね。私たちの市民外交を実現するためにも、いまの政治家たちだけではそういった政治ができないわけです。本当の平和のための外交はできないわけで、そういったことも考えると平和外交のためにも政権交代して、私たちの市民外交を一刻も早く実現しないといけないなと思っています。世界の権力者たちが仲良くしてもらっては困るわけですよ。私たちは嫌がることをやらなければいけないので、こういった市民同士のつながりというのがすごく大事だと思います。

そこに来て今コロナなので「何よりも命が大事だよね」となっているわけですよ。これはチャンスだと思っています。ピンチでもあるけれどもチャンスでもあるわけです。私たちがこのチャンスをしっかりものにできるか、このチャンスを逃したらもう次にチャンスがないくらいに思っていて、今回の総選挙でしっかりと私たちが連携を取って政権交代を実現していく。これまで奪われていたものをとりあえず取り戻し、元の場所に戻して、そこからしっかりと日本の運動をやっていくことがめちゃくちゃ大事だと思います。

私はこれこそが本当に現実的だと思うんですよね。ツイッターで私は「お花畑」とかよく言われますが、武器を向けあってぎすぎすしたようなものよりも、お花畑の方がいいじゃないかくらいに思います。「そんなの理想だ」とか「平和ボケ」とか言われるけれども、理想を掲げなければ社会なんかつくれませんからね。そういうことを言う人は、「これが現実的なんだ」といって一番非現実的な核武装平和論なんかを言ってくる。私たちが言っている、核兵器はいらない、銃を向けあう世界をやめよう、しっかり手を取り合おう、拳を開いて手を握りあおうよ。この方がずっとお金もかからない、コストもかからない現実的なことです。いままさに、いのちと暮らしの危険がある中で、これを訴えて身近に感じてもらうチャンスだと思っているので、いまこそコロナに気をつけながらどんどんどんどん街に出ていって欲しいと思います。

振り返ろう!私たちの共闘史

私たちは前を向いているから、なにか運動がうまくいかないなくらいに思っているかもしれませんが、しっかり振り返ると、私たちの運動ってめちゃくちゃ前進しているんですよね。2013年、8年前ですけれども、そのときは「総がかり行動」はなかった。共同のたたかいがあまり築かれていなくて、集会のチラシの下を見て「どこどこ系かな」という感じで、行くのを決めていました。それが秘密保護法ですとか、2014年の集団的自衛権行使の閣議決定があって、7月1日に首相官邸前で全教と日教組、自治労と自治労連の旗が並んだわけですよ。私は1989年生まれで総評が解体したあとに生まれているので、この事にあまりありがたみがよくわかっていなかったけれども、後からいろいろ聞いてすごいことなんだと。職場に2つの組合があって、「あっちはいい組合、こっちは悪い組合だ」とかいって喧嘩していたのが、一緒に幟を立てて、一緒にコールする姿というのはすごかった。でも2014年には、まだ私たちは同じテーブルについて会議はしなかったんですね。現場でちょこちょこと打ち合わせてしてやるという感じですよ。

それがこの現場共闘を機に同じテーブルについてやろうということになって、2014年の年末に「総がかり行動実行委員会」が結成されたんですね。このときは連合会館でやりましたが、全労連系の方たちは連合会館に行くときにすごく微妙な気持ちだったと言っています。それがだんだん当たり前になって「今日は全労連会館、連合会館どっちでやる?」という関係に変わってきて、今や当たり前になっているんですけれども、当たり前ではなかったんですね。

さらに言えば、2015年に憲法集会を合同でやったんですね。いまや憲法集会を一緒にやるのは当たり前、ばらばらにやろうなっていったらナンセンスという感じです。でもそれまでばらばらにやっていたわけです。平和フォーラムという連合左派系の人たちの教育会館で行う憲法集会と、共産党、社民党、市民でやっている日比谷公会堂での憲法集会。この2つが行われていましたが、せっかく総がかりで一緒になったのだからということで、初めて横浜の臨港パークで憲法集会を行いました。このときは一緒にやるということが初めてで、画期的だった。でも野党レベルの、国政レベルでは一緒にできていなかったんですね。

当時小沢一郎さんとか志位さんとか吉田忠智さんが憲法集会に来て、長妻さんも来ていました。当時は野党の人たちが壇上で並んで手をつなぐということがありえなかった。私たちの社民党、共産党の集会の中では志位さんと福島みずほさんが手をつないで、ワーっていうパフォーマンスをやっていた。けれどもそれをやったことがなかったので、3万人の前で「野党が手をつなげない事件」というのが発生したんですね。みんながワーって言って社民党と共産党と自由党が手をつないだときに、長妻さんの隣が志位さんで神妙な顔で「どうしよう」みたいな、志位さんは手を差し伸べたけれども、長妻さんは手を前に組んで「うーっ」という顔をしていた。ここで手をつながなかったら3万人の市民から「なにやってるんだー」と怒られるし、でもここで志位さんと手をつないだら帰って党に「お前、志位さんと手をつないだな」って怒られるし、どうしようみたいな。

それが2015年だったんですが、戦争法を巡るのたたかいで野党の人たちが毎日毎日市民の前で顔を合わせる。そして2015年8月30日、12万人が国会前に集まったときに、なんとこんな狭い台で――国会前でめちゃでかい台を作ったら、「建築物」を作ったと言われて警察から怒られたんですね――それでちょっと狭い台を作ったんです。だから4人なんか上れないレベルで、組み体操みたいにひしめき合った中でみんなが手をつないだんですね。これは画期的でした。いままでできなかったことが、あのとき市民を前にして「裏切っちゃいけない人たちは、この人たちだ」ということがわかったわけですね。そこで出てきたのが「野党がんばれ」という言葉です。いままで市民運動をやっている私たちは中立派だったりして、選挙のときはなかなか関われないでいました。ここで初めて選挙にも関わって、野党と市民は共闘して、国会内外で共にたたかっていくという気運が高まって「野党がんばれ」という言葉が出てきた。そうして2015年の年末に市民連合が結成され、2016年の参議院選挙で初めての野党統一候補を一人区で立てて、選挙に打って出たという歴史があるんですよね。

当たり前でなかった野党共闘が当たり前に

こういった中でも私たちはさまざまなことをしてきました。戦争法が強行成立されて、あれだけ高まった運動でもダメだったんだ、「しーん」ってなるかなと思ったけれども、次の日から署名をやるぞーっとなって2000万署名が始まりました。めげずに一軒一軒、「ピンポン、ピンポン」とお宅を訪ねて運動をやっていく。そういった運動が、更なるあきらめないぞという強固なかたちで盛り上がっていったのは、やはり市民運動とか、根強い草の根運動があったからだと思います。国会前の運動で完結しなかった。地域、職場にどんどん持ち込まれていったことによって新たなコミュニティができて、だからなかなか簡単にはやめられず、運動が生活の一部というふうになったんですね。だからいまでも根強く19日行動とかが続いている。そういう共同のプラットフォームが確立できたと思います。本当に私たちは署名を何種類もやりましたね。2000万署名から始まって、沖縄の共同署名から、いろいろな署名をやって署名板が一つじゃ足らないわけですよ。1つの画板に2つくらい署名を付けてやっていた。こういう署名一体運動をやりながら、地域にどんどん出て行ったりしました。

2017年の共謀罪の成立とか「希望の党」が誕生して、民進党が実質的に解体して、これは「終了だな」くらいに思ったんですが、やっぱり私たちの力は強かった。いままでの絆は強かった、「枝野さん立て」と言って、枝野さんが立ち上がって立憲民主党ができて、かかろうじて野党共闘がつながって、いまに至るわけです。その間に、働き方改革、カジノ、あいちトリエンナーレ、そして参議院選挙で念願の改憲に必要な3分の2議席を私たちの側が割った。2020年にはコロナがあって、検察庁法撤回、安倍政権退陣、うちひしがれた悲劇の首相みたいになっていますけれども、あの腹痛は私たちが引き起こしたものだと思うんですね。安倍さんはもう退任せざるを得なくなったわけです。何をやっても八方ふさがり。何かをやろうとしても市民が立ちふさがる。何かをやろうとしても野党共闘。「何なんだよ、ついてくるな」みたいな。

安倍さんは毎回「今年こそ憲法を」とかいって、私たちも毎年「今年こそ安倍政権を倒す」といって、毎年「今年こそ」「今年こそ」と7年間くらい過ごしてきたわけです。こうしたねばり強い運動が欧米みたいに派手じゃないけれども、日本の運動の特性というか地味で地道な運動が「嫌がらせ」のように安倍政権の行く手を阻んでいったということは、私は自信を持っていいんだなと思っています。

こういうことをやっていく中で一つの地平を切り拓いたと思います。野党共闘ができたときに20歳だった子たちは、いま26~27歳になっています。この前話をしてびっくりしたのは、「野党共闘が当たり前だ」と思っているわけですよ。「野党が一緒になるのは当たり前でしょ」みたいな。自分たちが選挙権をもってから27歳になるまで野党は共闘する。一人区はどこかしら共闘で統一候補を立ててたたかうやり方が当たり前だと思っている。ですから私たちは一時代を築いたというか、こういった共闘というたたかい方、こういう地平を、時代を築き上げてきたということは本当に財産だと思っていいと思いますし、自信を持っていいと思っていいます。

憲法の実戦を日常で

最後になりますが本当にとても重要だなと思うのは、何事も実践するということだと思います。いのちを、暮らしを守ることを、口だけじゃなくて私たち自身が実践していくことはすごく大事で、それは労働組合とか市民運動でもそうですよね。すべては全部憲法の実践、権利の行使だと思います。私は権利は行使してこそ生かされると思っているので、行使をしていく。そして憲法は掲げるだけの理念じゃなくて、実践していくことで憲法も活かされていくと思います。だから自民党のみなさんたちが憲法を変えたいといっていますけれども、使ってもいないくせに何で変えようとするのかと思うんです。使ってもいないのによく変えられるなと思うんですが、「憲法を日常で実践する」ということはそういったことです。

去年お亡くなりになったえん罪事件の免田栄さんが、死刑制度廃止運動の中で「日本の人権は遠くから見たら虹のように美しい、でも近づくとなにもない」、と言われています。私は本当に重い言葉だと思います。だから、虹のようなきれいな人権ではなく、実際に手にするものでなくてはいけない。「近づいてみたらなかったです」ではダメなんですね。憲法も本当にそうだと思っていて、むのたけじさんが「憲法は眺めるだけの絹のハンカチじゃなくて、使って使いまくるぞうきんのようでなければならない」というのもまさにそうで、憲法や権利は実体がないものではなくて、実体があるものに私たち自身がしていかなければいけないと思っています。

「憲法の許可取っています!」とレジュメに書きました。どういうことかというと、街頭宣伝をやっていると、「道路使用許可を取ってるんですか」とか言われるんですよ。そういうときは「憲法の許可を取っています」と言い返します。逆に私たちに反対する勢力が言ってくるときに、「あれ、道路許可取っているんですか」というと、私たちも取ってはいないんですけれども、さーっと逃げていくんですよ。「しめしめ」みたいな感じですけれど。こうして「憲法の許可」を取っているんだ、私たちが憲法を実践するということはこういうことだろうなと思っています。

ざっと挙げますと、例えば憲法9条は反戦平和、反基地闘争、こういったことで9条の実践をしています。24条などは女性の人権、フラワーデモとか「#MeTo」とかそういった運動で実践しています。25条は女性の相談会であったりコロナの相談会だったり大人食堂だったり、こういうことに参加することで25条の実践をしています。個人的な話ですが戦争法強行成立のあと、国家賠償請求の裁判があったんですね。これは17条の実践なんです。また19条、21条の集会・結社の自由、思想の自由、これが街頭宣言や集会やデモでの実践です。そして23条は最近の学問の自由、学術会議の問題に関することや、赤木ファイルが公開された森友学園の問題の追及、こういった憲法の実践がものすごく大事だと思っていて、私自身も実践を通して広めていきたいと思っています。

憲法を使いこなすと、か憲法の理念を実践するたたかいというのは、憲法を守るたたかいだと言われます。私はそれだけでは決してないと思っていて、やはり先人がたたかって勝ち取ってきたもの、切り拓いてきた地平をしっかりと私たちは引き継いでいく。そして今の時代にふさわしいかたちや内容で前に進めていこうというスタンスで、ときには押されて一歩後退することはあってもすぐに押し返して二歩進むような地道ですけれども、ちょっとずつちょっとずつ進んでいく。私はこれが本当に一番の近道、「急がば回れ」だと思っています。こういった地道な運動にこそ私たちがこうした社会にしたいと思える未来の実現があるのではなでしょうか。これからも市民運動をやりながら、とにかくコロナにはなるべくかからないように、なった何としても必ず生還するようにして、命がけで運動をしていって、政権交代を目の当たりにするまでがんばって力を合わせていきたいと思います。

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