私と憲法238号(2021年2月25日号)


4・25衆参3補選に勝利し、総選挙で政権交代を

(1)森差別発言を総括し、「東京五輪」は中止を

安倍前首相が福島原発事故を「アンダー・コントロール」して、菅首相が「人類がコロナに打ち勝った証として」開催するという東京五輪・パラリンピックの準備は極めて異常なものだ。
4万人に近い避難者がいまだに苦しんでおり、原発がだす放射能は終息していない。フクシマ事故はいまだ終わっていないし、ワクチンの投与が始まったとはいえ、7月開催予定の東京五輪・パラリンピックまでに新型コロナ感染症のパンでミックが終息している状況はあり得ない。

虚偽の宣伝文句で固めた土台の上に強行されようとしている東京五輪が如何に危ういものであるか。これは「呪われた五輪」と呼ぶしかない。菅政権は来る総選挙での自公連立政権の勝利のためという自らの野望にこれを利用しようとしている。

そのため菅首相は2月20日に開かれたG7首脳による自らが参加する初のテレビ会議で、なりふりかまわず東京五輪開催への各国の支持をもとめた。首脳会議宣言は「新型コロナにうち勝つ世界の結束の証として安全・安心な形で今夏に開催するとの日本の決意を支持する」と表明した。しかしこれは「日本(菅)の決意を支持する」ということにすぎない。米国のバイデン大統領は「安全に開催できるかどうか科学的に基づき判断すべきだ」と念を押している。菅政権の宣伝とは異なり、東京五輪はまだ世界各国の参加表明を得ていない。

この間、飛びだした森喜朗前組織委員会会長の女性差別発言によって、五輪の準備は重大な危機に直面している。一時期、流された川渕三郎選手村村長の後継話も頓挫し、ドタバタ劇の末に橋本聖子新会長が選出されたが、問題は解決していない。大勢の市民ボランティアが協力を辞退する意志を明らかにしただけではなく、島根県知事までもが「現状のままでは賛成できない」と表明し、成果リレーなども現状のままでは協力できないと表明した。

森前会長は2月3日の日本オリンピック委員会(JOC)臨時評議員会で、以下のように発言した。

「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかります」「女性っていうのは競争意識が強い。誰か1人が手をあげて言うと、自分も言わなきゃいけないと思うんでしょうね。それでみんな発言されるんです」「女性の理事を増やしていく場合は、発言時間をある程度、規制をしないとなかなか終わらないので困ると言っておられた。だれが言ったとは言わないが」「私どもの組織委員会にも女性は7人くらいおりますが、みんなわきまえておられて。我々は非常に役立っております」。

とんでもない女性差別発言だ。しかし、会議の場では、この差別発言が制止されるどころか、笑い声が上がったという。これは森喜朗氏の個人の問題ではない。JOCの体質の問題であり、日本社会に極めて根深い女性差別問題の氷山の一角が森発言に現れたに過ぎない。

オリンピック憲章は「性別や性的指向に基づく差別」を禁じるとある。東京五輪の組織委員会が掲げているヴィジョンにも「多様性と調和」「人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治、障がいの有無など、あらゆる面での違いを肯定し、自然に受け入れ、互いに認め合う社会」とある。

森発言はこれに背くものだ。森発言後、直ちに各界から批判と疑問の声が上がり、若者たちが始めた署名運動にはたちまち15万人の賛同が集まった。

にもかかわらず、この問題について、会長交代劇の過程で組織委員会が真剣に議論し、総括されてはいないし、今後、組織委員会がジェンダー問題や人権問題についてどのように取り組んで行くのかは全く明らかにされていない。問題が森氏個人の発言に切り縮められ、後継者選びにすり替えられた。これでは森発言の問題は解決されようがない。

JOCと、この組織委員会に東京五輪を開催する資格はない。今回の会長交代劇は菅官邸の指示のもとに進められている。菅政権の責任は重大だ。

 世論の大多数が東京五輪の中止か延期を求めている。開催賛成はわずか2割強程度だ。「復興五輪」などと銘打った、コロナ感染症を全国に拡大しかねない「聖火リレー」などをやめ、オリンピックの予算を直ちにコロナ対策に振り向け、選手村などの施設をコロナ感染症対策のために転用すべきだ。

(2)密かに進む違憲の敵基地攻撃能力保有

通常国会が始まるや、自民党の政治家などによる不祥事が続出し、ついには菅首相の長男らによる総務省高級官僚の接待事件まで露呈した。安倍前政権同様、菅内閣の下でも政官財の腐敗は後を絶たない。

一方、この通常国会で審議される21年度予算に関連して、安倍前政権の遺言のような「敵基地攻撃能力の保有」の問題が、ステルス作戦もどきに、大方の目から隠れて進んでいることも見逃せない。

安倍晋三前首相は辞職する直前の2020年9月11日、「ミサイル防衛に関する新たな安全保障政策の談話」を発表した。これは自民党政調審議会が先に河野防衛相(当時)が発表した陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」の配備断念を踏まえ、代替機能の確保と「相手領域内でも弾道ミサイル等を阻止する能力の保有を含めて、抑止力を向上させるための新たな取り組みが必要だ」と検討を求めていたことに対応したものだ。

安倍「談話」は直接「敵基地攻撃能力」という露骨な表現は用いなかったが、朝鮮の新型ミサイル開発などで、安保環境が厳しさを増していることを指摘し、「迎撃能力を向上させるだけで国民の命を守り抜くことができるのか」と従来の日本の「防衛政策」に疑問を呈し、「ミサイル攻撃の可能性を低下させることが必要」とのべ、「(2020年)年末までに、あるべき方策」を示す必要があると強調した。

これは8月28日に辞意を表明していた首相が、従来の安全保障政策を大きく転換させかねない方針の策定を、期限を切って次期政権に求めた、極めて異例のやり方だ。

この「談話」に対しては与党公明党を含め各界から批判と疑問が続出した。
あわてた菅義偉首相は11月4日の衆院予算委員会で立憲民主党の岡田克也議員の質問に対して「この(安倍)談話は閣議決定を得ていない。そういう意味で、原則として効力が後の内閣に及ぶものではない」と消極的表現で答弁、そのうえで政府の「国家安全保障戦略」への明記を見送った。

これらを受け、朝日新聞や日経新聞などは「(政府は)敵基地攻撃能力保有についての結論は来年に先送りする見通しだ」と報道し、「先送り」論が広まった。

しかし、菅内閣の下での12月18日の閣議決定「新たなミサイル防衛システムの整備等及びスタンド・オフ防衛能力の強化について」は「先送り」論ではない。

「自衛隊員の安全を確保しつつ、我が国への攻撃を効果的に阻止する必要があることから、島嶼部を含む我が国への侵攻を試みる艦艇等に対して、脅威圏の外からの対処を行うためのスタンド・オフ防衛力強化のため……多様なプラットフォームからの運用を前提とした12式地対艦誘導弾能力向上の開発を行う」と。

12月21日、岸信夫防衛相は記者会見で次のように発言した。

「(2021年度政府予算案に)わが国を取り巻く安全保障環境が厳しさを増す中で、防衛大綱・中期防の3年度目として着実に防衛力を強化すべく、過去最大となる5兆1,235億円を計上した。今回の予算案においては、特に宇宙・サイバー・電磁波といった、新たな領域における能力の獲得・強化、次期戦闘機の開発をはじめとした海空領域における能力、スタンド・オフ防衛能力、総合ミサイル防空能力、機動・展開能力の強化等に必要な経費を計上し、防衛力の強化を図るものとなっている」

こうして「敵基地攻撃能力」を「スタンド・オフ防衛能力」に置き換えて安倍談話の趣旨が受け継がれ、21年度予算にも盛り込まれた。これが米国のバイデン新大統領の日米同盟などの新たな世界戦略と密接関連させて進められようとしている。

菅政権は日本が「戦争できる国」をめざした安倍政権の危険な安保・防衛政策、「自由で開かれたインド太平洋」づくりを引き継いでいる。その最たるものが敵基地攻撃能力の保有だ。菅政権は早急な明文改憲が困難な情勢にある下で、こうした事実上の改憲状態をつくり出し、アジアの軍事的緊張を増大させようとしている。

(3)「何らかの結論」は採決同意にあらず

今次第204通常国会で最大の改憲問題は、自公維が出している「憲法改正の手続きを定める国民投票法改正案」の採決を許すかどうかだ。

問題の発端は先の203臨時国会の終盤の12月1日、自民党の二階俊博、立憲民主党の福山哲郎両幹事長が会談し、同法の臨時国会での採決を見送る代わりに、つづく通常国会で「何らかの結論を得る」ことで合意したことだ。

野党側が強く反対していた改憲手続法の7項目改正案(自公維案)の審議打ち切りと採決にかんして、二階幹事長は臨時国会での「採決見送り」の方針を示した上で「次の通常国会では、何らかの結論を得ることで合意したい」と提案した。福山幹事長は「採決見送り」を評価し、「通常国会で、静かな環境の中で粛々と議論し、何らかの結論を得ることは承知」と応じた。福山氏から見れば臨時国会で維新の会が、採決打ち切り動議を出し、国民民主党が同法の採決に同調したことなどを利用し、自民党側が野党を分断するという攻勢に出ていた局面を、交渉でいったん押し返した形だ。

しかしながら、この与野党交渉の「玉虫色」の「合意」が、いま始まったこの通常国会でどのように取り扱われるかが、いよいよ重大な局面に入った。

昨年末、二階幹事長は衛藤征士郎・自民党改憲推進本部長と会談し、改正案の採決・成立を前提に、さらに「憲法改正について、年明けの国会で正面に立って対応する」と発言している。

しかし立憲民主党側は「何らかの結論」を「改正案の採決とは捉えていない。対応の幅を持たせているにすぎない」と主張しており、「淡々と採決に応じることはない」として自民党などが採決を強行すれば抵抗する構えでいる。

昨年の臨時国会終盤の憲法審査会では、自民の新藤義孝与党筆頭幹事が「(改正案に)これ以上質疑する内容が見当たらない」と通常国会での早期採決を当然のことだと主張した。立憲の本多平直委員は「7項目改正案に異論がないみたいなことを勝手に決め付けている」と反論。改正案が期日前投票所の投票時間の短縮を可能にする規定になっていることを問題視し、審議を継続するよう求め、加えて「TV・CM規制などの問題も議論が尽きていない」と論戦の継続を主張した。

いうまでもなく、改憲手続法の問題点は多々あり、与党がいう7項目に限らない。与党は2016年の改定された公選法にそって7項目の法改定を提起するが、その後、19年の公選法改正内容は反映されていない。

もともと同法は2007年、参院で3項目の附則と18項目の付帯決議を付けて、民主党や共産党など野党が反対する中、強行採決されたものだ。さらに2014年の同法修正でも衆議院で7項目、参議院で20項目の付帯決議が付いた。採決に際して、このように多数の「付帯決議」が付くこと自体が審議不足の欠陥法であることを物語っている。

日弁連が改憲手続法についての意見書を出すなど、各界から同法への批判がある。日弁連などが指摘した主たる問題点は、TV、ラジオ、インターネットのCM規制や、運動の主体の問題(公務員等への不当な規制の反面、企業や外国政府の運動の制限がないこと)、最低投票率の規定もないことなどだ。07年の付帯決議にあった憲法以外の重要問題に関する国民投票(一般的国民投票)についても議論されていない。こうした欠陥法では、改憲国民投票の公平・公正が担保されていない。
すでに旧国民民主党が提出している対案も全く検討されていない。

前国会で「改正案について『何らかの結論を得る』と合意した」ことをめぐって、その理解で対立が残されたが、野党は多々ある法案の問題点の熟議なしに採決に応ずるべきではない。「このままでは法案の採決できない」「廃案にして出直せ」というのも、重要な一つの「結論」だ。

(4)菅自公政権の交代を望む声は民意だ

いずれにしても、今年は10月21日に衆議院議員の任期満了を迎える衆議院議員総選挙の年だ。解散は自民党の党利党略から東京五輪の後という事かも知れないが、この選挙で与野党は政権選択を賭けて激突することになる。

昨年9月に立憲野党各党に届けた市民連合の「4章15項目の政策要望」はこの総選挙での立憲野党の共通の政策たりうる。立憲野党は菅自公政権打倒を掲げ、当面する主要な政策課題で合意し、1人区(とりわけ与野党激戦区)で候補の統一を実現して、自公の候補と闘う。

全ての有権者に新しい政治が実現するものを明らかにしたたたかい、古くなった自公政権に対して、「いのちと人間の尊厳を守る新しい政治」の選択を提示してたたかわなければならない。

この情勢の下で、市民連合は2021年2月、立憲民主党、共産党、社民党、国民民主党、れいわ新選組に対して、以下の5項目の「立憲野党への市民連合からの申し入れ」をとどけ、昨年市民連合が提出した15項目の政策要望を踏まえ、政権選択の戦いの旗印となる重要政策について早急に共有を図ることを要望した。

  1. 新型コロナウイルス蔓延を食い止めるための医療政策の拡充
  2. 生命、生活、雇用を守るための政策の拡充
  3. 総選挙に向けた政治転換の意志の明確化
  4. 総選挙における選挙協力の明確化
  5. 総選挙における共通政策の共有

とりわけ当面、4月25日の北海道2区、長野選挙区、広島選挙区の3国政選挙を衆院選の前哨戦としてたたかい、勝利する共闘体制を作り上げる必要がある。

当面する「新しい政治」の目標を共有する野党で過半数を確保し、自公政権を打倒して政治を変える目標はすでに視野に入っている。すべての立憲野党はセクト主義を捨て、自公政権打倒、政権交代の大義の下に協調し、人々の自公政治の転換の切実な声にこたえなくてはならない。
今度こそ人びとの「希望のある政治」を実現しよう。
事務局・高田健)

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立憲野党への市民連合からの申し入れ

2021年2月

菅義偉政権による新型コロナウイルス対策が失敗を続け、あまつさえ与党政治家の不祥事や腐敗が次々と露見する中、立憲野党の議員の皆さんによる国会における追及と提案は、政治の暴走を防ぐために大きな効果を持っていることに、深く感謝いたします。
もはや菅政権がこの危機に際して統治能力を持っていないことは明らかであり、今年秋までに行われる衆議院総選挙は、国民にとって危機を打開するための政治的選択の機会として、さらに重要な意義を持つことになります。
その選択の時に、立憲野党は、まとまって次の日本を切り開くための選択肢を提示する責務を負っています。市民連合はそのような位置づけから、立憲野党に次の行動をとるよう求めます。

1 新型コロナウイルス蔓延を食い止めるための医療政策の拡充
コロナ感染の第2波、第3波の到来が予想されたにもかかわらず、安倍―菅政権の怠慢により日本の医療は危機的な状況に陥っています。医療現場に対する人的、物的支援を飛躍的に拡充することが急務です。

2 生命、生活、雇用を守るための政策の拡充
コロナ禍の中で生命、生活、雇用、経営の危機に直面している人や企業を救うために、資金を惜しんではなりません。また、支援の実務を担当する地方自治体と緊密に情報共有を図り、必要とする人の確実に届く支援の体制を構築することが急務です。

3 総選挙に向けた政治転換の意志の明確化
この間、立憲野党の皆さんが政権交代の意思を明確に表明したことを私たちは高く評価します。連立政権の樹立に向けて立憲野党、更には危機感を同じくする政治家による連立政権の構想を打ち出すことによって、国民の政治転換への期待は一層高まると考えます。

4 総選挙における選挙協力の明確化
小選挙区においてできる限り多くの野党統一候補を立てることはもはや立憲野党と市民にとって自明の前提となりました。4月の補欠選挙から総選挙の戦いは始まります。選挙協力の体制を整備し、それに関する情報について野党を支える市民と共有することが待望されています。

5 総選挙における共通政策
昨年市民連合が提出した15項目の政策要望を踏まえ、政権選択の戦いの旗印となる重要政策について早急に共有を図ることが求められています。

安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合

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感染症法・特措法の改正法案に反対する会長声明

本日、政府は、「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」(以下「感染症法」という。)及び「新型インフルエンザ等対策特別措置法」(以下「特措法」という。)の改正案を閣議決定した。新型コロナウイルスの感染が急拡大し、医療環境が逼迫する等の厳しい社会状況の中、収束のための有効な施策が必要であることは論を俟たない。しかし、今回の改正案は、感染拡大の予防のために都道府県知事に広範な権限を与えた上、本来保護の対象となるべき感染者や事業者に対し、罰則の威嚇をもってその権利を制約し、義務を課すにもかかわらず、その前提となる基本的人権の擁護や適正手続の保障に欠け、良質で適切な医療の提供及び十分な補償がなされるとは言えない。さらに、感染の拡大防止や収束という目的に対して十分な有効性が認められるかさえ疑問である。当連合会としては、以下の点について抜本的な見直しがなされない限り、強く反対する。

まず、感染症法の目的は第一に感染症の患者等の人権を尊重するものでなければならないところ、今回の改正案は、入院措置に応じない者等に懲役刑・罰金刑、積極的疫学調査に対して拒否・虚偽報告等をした者に対して罰金刑を導入するとしている。

しかし、刑罰は、その適用される行為類型(構成要件)が明確でなければならない。この点、新型コロナウイルス感染症は、その実態が十分解明されているとは言い難く、医学的知見・流行状況の変化によって入院措置や調査の範囲・内容は変化するし、各保健所や医療提供の体制には地域差も存在する。そのため、改正案の罰則の対象者の範囲は不明確かつ流動的であり、不公正・不公平な刑罰の適用のおそれも大きい。

他方で、新型コロナウイルスには発症前にも強い感染力があるという特徴が認められ、入院措置・調査の拒否者等に対して刑罰を科したからといって感染拡大が防止できる訳ではない。むしろ、最近では多くの軽症者に対して自宅待機・自宅療養が指示され、症状が悪化して入院が必要となった場合にも入院できず、中には死亡に至った例も報告され、患者に対する「良質かつ適切な医療を受けられるように」すべき国及び地方公共団体の責務(感染症法前文・3条1項)が全うされていない現実がある。しかも、単に入院や調査を拒否したり、隠したりするだけで「犯罪者」扱いされるおそれがあるとなれば、感染者は感染した事実や感染した疑いのあることを隠し、かえって感染拡大を招くおそれさえ懸念される。

新型コロナウイルス感染症は従来からのインフルエンザ感染症と比べて、無症状感染者からの感染力が強いと分析され、深刻な後遺症が残る例も報告されている。そのため国民全体に感染に対する不安が醸成され、感染したこと自体を非難するがごとき不当な差別や偏見が既に生じている。その解消を行わないまま、安易に感染者等に対して刑罰を導入するとなれば、感染者等に対する差別偏見が一層助長され、極めて深刻な人権侵害を招来するおそれがある。

 そもそも、感染症法は、「過去にハンセン病、後天性免疫不全症候群等の感染症の患者等に対するいわれのない差別や偏見が存在したという事実を重く受け止め、これを教訓として今後に生かすことが必要である」、「感染症の患者等の人権を尊重しつつ、これらの者に対する良質かつ適切な医療の提供を確保し、感染症に迅速かつ適確に対応する」などとした「前文」を設けて法の趣旨を宣言し、過去の反省等に基づき、伝染病予防法を廃止して制定された法律である。新型コロナウイルス感染症は、その感染力の強さゆえ、誰もが罹患する可能性がある疾病である。感染者は決して責められるべきではなく、その実情を無視して、安易に刑罰をもって義務を課そうとする今回の改正案は、かかる感染症法の目的・制定経緯を無視し、感染者の基本的人権を軽視するものに他ならない。

次に、特措法の改正案は、「まん延防止等重点措置」として都道府県知事が事業者に対して営業時間の変更等の措置を要請・命令することができ、命令に応じない場合は過料を科し、要請・命令したことを公表できるとしている。

しかし、改正案上、その発動要件や命令内容が不明確であり、都道府県知事に付与される権限は極めて広範である。そのため、恣意的な運用のおそれがあり、罰則等の適用に際し、営業時間の変更等の措置の命令に応じられない事業者の具体的事情が適切に考慮される保証はない。

さらに、感染拡大により経営環境が極めて悪化し、休業することさえできない状況に苦しむ事業者に対して要請・命令がなされた場合には、当該事業者を含む働く者の暮らしや命さえ奪いかねない深刻な結果に直結する。もとより、主な対象とされている飲食に関わる事業者は、それ自体危険な事業を営んでいるわけではない。いかに努力しようとも、飲食の場に感染リスクがあるというだけで、死活問題となる営業時間の変更等を求められるのは、あまりにも酷である。かかる要請・命令を出す場合には、憲法の求める「正当な補償」となる対象事業者への必要かつ十分な補償がなされなければならず、その内容も改正案成立と同時に明らかにされなければならない。

また、不用意な要請・命令及び公表は、感染症法改正案と同様、いたずらに風評被害や偏見差別を生み、事業者の名誉やプライバシー権や営業の自由などを侵害するおそれがある。

新型コロナウイルス感染症の感染拡大を防止するためには、政府・自治体と市民との間の理解と信頼に基づいて、感染者が安心して必要な入院治療や疫学調査を受けることができるような検査体制・医療提供体制を構築すること及び事業者への正当な補償こそが必要不可欠であって、安易な罰則の導入は必要ないと言うべきである。

以上の観点から、当連合会は、今回閣議決定された感染症法及び特措法の改正法案に対して、抜本的な見直しがなされない限り、強く反対する。
2021年(令和3年)1月22日
日本弁護士連合会
会長 荒   中

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新型インフルエンザ等対策特措法等の一部を改正する法律案に反対する法律家団体の声明

2021年1月20日

改憲問題対策法律家6団体連絡会            
社会文化法律センター   共同代表理事 宮里 邦雄
自由法曹団            団長 吉田 健一
青年法律家協会弁護士学者合同部会 議長 上野  格
日本国際法律家協会        会長 大熊 政一
日本反核法律家協会        会長 大久保賢一
日本民主法律家協会       理事長 新倉  修

政府は、「新型インフルエンザ等対策特別措置法」(以下「特措法」という。)及び「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」(以下「感染症法」という。)の改正案(以下「本改正案」という。)を、1月22日に閣議決定し、今通常国会に提出する予定である。改憲問題対策法律家6団体連絡会は、以下に述べるとおり、本改正案に強く反対する。

第1 本改正案の概要
特措法の改正については、緊急事態宣言前の措置として、①緊急事態措置を実施すべき区域となることを回避することが困難であるとして政令で定める事態が発生したと認めるときは、政府対策本部長が、「まん延防止等重点措置」を実施すべき期間、区域等を公示するとし、②「まん延防止等重点措置」の区域の都道府県知事は、一定の業態の事業者に対し、営業時間の変更等の措置を「要請」・「公表」することができ、正当な理由なく要請に応じない場合には、「命令」・「公表」ができ、また、命令の施行に必要な限度で「立入検査」・「報告徴収」ができるとし、③命令に違反した場合には30万円以下、立入検査・報告徴収を拒否した場合には20万円以下の「過料」を科すことを規定し、また、緊急事態宣言下において、④興行場等の施設管理者等が特措法45条2項の要請に応じない場合に「命令」ができることとし(同45条3項の指示を命令に改める)、命令に違反した場合は50万以下の「過料」を科すことを規定するとした。

 感染症法の改正については、①新たに都道府県知事による「宿泊療養」、「自宅療養」の協力要請を定め、その協力要請に応じない場合には「入院勧告」ができ、入院措置に応じない場合又は入院先から逃げた場合は「1年以下の懲役または100万円以下の罰金」を規定することとした。また、②入院措置の対象となる患者に対する疫学調査に際し、虚偽答弁や調査拒否をした者に対して「50万円以下の罰金」を規定するとしたほか、感染を疑う正当な理由がある者に対し、都道府県知事による健康状態の求めに応じる義務を規定するなどとしている。さらに③厚生労働大臣・都道府県知事等は、医療関係者等に協力要請・勧告ができ、勧告に従わない場合は公表できるとした。

第2 本改正案の問題点
1 差別を助長するなど感染症対策にとって逆効果となる恐れがあること
しかしながら、感染症対策のために刑罰や過料を振りかざして国民に服従を強いたり、患者を「犯罪者扱い」することは、国民の間に相互監視や密告のような行為を奨励し、「自粛警察」的行動を助長して国民の間に分断を持ち込み、感染状況をかえって潜在化させ、感染症対策に反する効果を生む可能性が高い。

2 入院拒否等に刑罰を科す立法事実が示されず、手段の必要性合理性もないこと
そもそも、入院や宿泊施設での療養を拒否した人がどのくらい存在し、その結果、新型コロナウイルス感染症の感染拡大が生じたとする立法事実が何も示されていない。刑罰という重大な人権制約を定めるにあたり、感染拡大を阻止するために刑罰が必要とするだけの立法事実が全く説明されていないのは大問題である。現実には入院したくても入院先が確保できないまま宿泊療養施設や自宅での療養中に死亡するに至ったケースも報じられており、政府が行うべきは、このような医療崩壊の状況をただちに改善し、入院や治療が必要な人すべてに医療を提供できる環境を作ることであり、入院勧告や強制入院措置に従わない者に対する厳罰規定を定めることではない。刑罰を科しても医療崩壊状況の改善には何ら効果がない。
また、医療機関や医療関係者に勧告し従わない場合には名前を公表するという制裁で脅せば、医療崩壊の状況が改善するというほど単純ではない。医療崩壊を防ぐためには、病院が新型コロナウイルス患者を積極的に受け入れることが可能となるように、経営危機を回避するための経済的な援助を行い、中等症・重症患者を専門に受け入れる専門病院や中核病院を早急に整備するなど、医療供給体制の充実を図る国の施策が不可欠であり、これらの施策なしに、医療関係者に公表という制裁を課せば済むという問題では全くない。

3 調査拒否等に刑罰を科す立法事実が示されず手段の必要性合理性もないこと
入院対象となる患者の疫学調査に際し、保健所等による行動履歴等の調査に応じない者に対する刑罰も、個人情報の保護や差別の禁止など安心して調査に応じられる環境が整えられなければ、感染自体を隠さざるを得ない人が増え、感染状況を潜在化させるだけである。安心して調査に応じられる環境を整備することがまず必要である。また、無症状感染者による市中感染が拡大し6割は感染経路が追えないという現実のなかで、憲法13条によって保障される個人のプライバシー権を大幅に制限することとなる疫学調査協力義務を刑罰をもって課す必要性や合理性があるのか、はなはだ疑問である。ここでも、疫学調査を拒否した人数とその影響など立法を根拠づけるエビデンスが十分に示されているとは言いがたい。

4 「まん延防止等重点措置」及び特措法45条3項違反の罰則化の問題性
「まん延防止等重点措置」は、緊急事態宣言の効果を一部前倒しで認めるに等しいにも関わらず、その実体的要件は「政令で定める」とされており、内閣総理大臣の判断に全面的に委ねられる仕組みとなっている。要件が不明確であり、人権侵害の危険は大きい。そもそも、本当に緊急事態措置を実施すべき区域となることを回避することが困難であれば、その地域に限り緊急事態宣言を行えばよいのであって、「まん延防止等重点措置」をあえて定める必要性はないし、また、現行法で規定されている緊急事態宣言前の措置(特措法第3章)では不十分であることを示す立法事実も明らかとなっていない。
都道府県知事には、休業命令や営業時間短縮命令など、憲法22条及び29条によって経済的自由として保障されている営業活動や財産権の行使に対する重大な制約を行う広範な裁量が認められており、しかも、過料を科すことが可能とされる。これは、憲法31条が保障する「何人も、法律の定める手続によらなければ……刑罰を科せられない」という適正手続の保障に反するものであり、また、憲法73条6号但し書が禁じる「政令による処罰」に等しいものである。命令違反に対する罰則が刑事罰でなく行政罰の過料であるとしても変わりはない。
新型コロナウイルス感染症の拡大により経営環境や雇用環境が極めて悪化している状況において、十分な補償もなしに、制限や義務のみを強化する「まん延防止等重点措置」改正案は、適正手続の観点から認めがたく、実際にも事業者を含む市民の暮らしを苦境に追いやり、破綻させかねないという重大な結果を招く危険がある。
さらに、特措法45条3項違反者に罰則(過料)を科す改正については、昨年の緊急事態宣言下においても45条3項に基づく指示が出されたケースはわずかで、多くの都道府県では緊急事態宣言発出後も24条9項に基づく協力要請が行われていたに過ぎないことからすれば、45条3項の(指示を改め)「命令」違反者に罰則定める必要性(立法事実)が果たしてあるのか、疑問である。

第3 特措法・感染症法に残されてきたより根本的な諸問題
さらに、特措法には、次のような、より根本的な問題が残されてきていることを指摘しなければならない。

1 宣言発出要件が曖昧で内閣総理大臣に丸投げされていること
第一に、緊急事態宣言発出が、「全国的かつ急速なまん延により国民生活及び国民経済に甚大な影響を及ぼし、又はそのおそれがある」などの非常に抽象的な要件に基づいているために、宣言発出の可否の判断が、政府対策本部長である内閣総理大臣に丸ごと委ねられてしまっていることである。今回の緊急事態宣言の再発出についても、その曖昧な要件に加えて、それに該当するとした判断に十分な科学的エビデンスはあるのか、なぜ対象地域が1都3県であったのか、その宣言発出からわずか5日後に7府県を対象区域に追加するという判断は、裏返せば、最初の判断に誤りがあったのではないか、区域の追加を求めているその他の県を追加しないことに合理的根拠はあるのか、なぜ対象期間が1か月なのか、宣言解除の要件はなにか、なぜ営業の時短要請が飲食店のみに限定されたのか、その対象から除外されたパチンコ店やライブハウスなど他の業種に対する法的根拠のない協力の「呼びかけ」とはなにかなど、多くの疑問に答えが与えられないまま残されている。

2 国会での調査・審議の仕組みが全く欠けていること
第二に、政府対策本部長の判断を支えあるいはチェックする仕組みがないことも問題である。緊急事態宣言がもたらす結果の重大性にかんがみれば、国会による事前の承認若しくはやむを得ない場合の事後の承認が必要とされ、政府対策本部長の判断の適否が国会において十分に調査・審議されるべきはずなのに、そのようなチェックの仕組みが用意されていない。そのため、政府対策本部長の独断や思い付き的なその場限りの対応が抑止できない。形式的になされる国会への報告も、緊急事態措置を統括する政府対策本部長である内閣総理大臣の出席を拒否したうえで、議院運営委員会に担当大臣が出席して説明することでお茶を濁している。その結果、政府対策本部長である内閣総理大臣が、緊急事態措置の追加対象区域を「読み間違える」という大失態を招き、緊張感のなさをさらけ出している始末である。

3 住民に対する私権の制限が「必要最小限」であるか疑問であること
第三に、緊急事態に際して都道府県知事が行う住民に対する外出自粛その他の協力要請は、憲法22条が保障する移動の自由を制限するものであるし、特定の施設管理者等に対する当該施設の使用の制限や停止、催し物の開催制限や停止の措置は当該施設管理者等の営業の自由や財産権を制限するのみならず、その施設の利用者である住民の集会の自由などの基本的人権を広く制限する効果をもつものである。さらに、検疫のための病院や宿泊施設等の強制使用、臨時医療施設開設のための土地の強制使用など強制力を伴う強い私権制限も定められているが、それらのさまざまな制限が、特措法5条が要求する「必要最小限」の範囲にとどまっているかどうか、大いに疑問である。

4 事業者への補償が極めて不十分であること
第四に、事業者に対する休業や時短の要請、命令がなされた場合に、十分な補償の定めもない。国及び地方公共団体に事業者に対する支援に必要な財政上その他の措置を効果的に講ずるものとされるが、営業の自由や財産権の行使が制限されるにもかかわらず、憲法が要求する「正当な補償」はなされず、「協力金」という名の交付金の支払いにとどまり、しかも、都道府県の財政事情に左右され、結果としてもたらされる地域的な不平等は憲法14条が保障する「法の下の平等」に反する疑いもある。それゆえ、特定の施設の使用の制限や停止、あるいは特定の業種に対する休業や時短の要請や命令は、「正当な補償」とセットでなければならないというべきである。

第4 結語
これらの多くの疑問を置き去りにしたまま、刑罰や過料(行政罰)によって国民を威嚇し、新型コロナウイルス感染症を抑え込もうとする本改正案は、上記のとおり、そもそも立法事実としてのエビデンスを欠き、目的と手段の合理的関連性も疑わしく、重大な人権侵害を招く危険があり、結局、新型コロナウイルス感染症について国民の理解を深め、国民の支持と協力の下に当面する危機を乗り越えようという民主主義・立憲主義の理念に反するというべきである。
政府のこれまでの新型コロナウイルス感染症対策の失政の責任もうやむやにし、また、昨年の緊急事態宣言の検証も反省もないまま、感染拡大の責任を国民に転嫁して、刑罰や過料を科すような政府発表の改正案については、断固として反対であることを、ここに表明する。
以上

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20年間の介護とコロナ渦の1年間を振り返って―― 命を守るということ

中尾こずえ(事務局)

経済効率を優先させるがあまり全国の保健所は約30年前のピーク時に比べ半減され、全国各地の病院は統廃合された。感染症対策の中核を担う国立感染症研究所も人や予算が削られている。コロナ渦の下で保健所、医療機関の労働者は荷重な負担が強いられている。

私は昨年末、仕事で緊急事態が発生し、保健所窓口へ電話を掛けるもなかなか繋がらず緊張したことを経験した。入院できずに自宅待機中に亡くなった方、そのご家族の無念は計り知れない。助ける事が出来なかった人命。医療、衛生体制を脆弱化させてきた国の責任は重い。

コロナ危機の根幹には格差社会の現実がある。この1年間で格差社会のなかの貧困が一層鮮明に浮かび出された。

今日、昼過ぎから小1時間、新宿西口駅前で街宣(憲法9条を壊すな・街宣チームの主催)を行った。署名をしてくれた30歳前後の男性。彼は「あそこに書かれていることは正に自分の事だ。」と言う。参加者の掲げているプラカードには「命 くらし 雇用を守れ!」の文言。彼は「仕事が雇い止めになり、会社の寮に住んでいたが追い出された。生活保護を申請するため、役所に行ったが『まだ若いのだからハローワークに行って仕事を探しなさい』と言われたが仕事は見つからない」と言う。「スマホは持っていない」と言う。私はスマホで検索してNPO法人の支援センターの住所と連絡先をメモして渡した。

やはり街宣中、同様のケースに2度も出会っている。出会いは偶然だが、街中には雇い止めで住まいを失った人は実に多いのだ。菅首相は「最後に生活保護がある」というが全く機能していない現実が見えていないのか、理解しようとしないのか。ただの言い訳か。ドイツのメルケル首相は昨年の3月、民衆に語りかけた。「開かれた民主主義に必要なことは、私たちが政治的な判断を透明にし、説明すること、私たちの行動の根拠を出来る限り示して、それを伝達することで、理解を得られるようにすることです」「どれだけ私たちが力を合わせ行動することで自分たち自身の身を守り、お互いに力つける事ができるかということでもあります」(林フーゼル美香子訳から) 

不作、無策の菅首相は何をした?

昨年の5月23日、コロナ渦のまっただ中で陸上自衛隊の射撃演習が行われていた。弾薬だけでも約3億6千万円、19トンを使用したと報じられた。――人殺しのために税金を使うな! 命を救え!――

人の命を見殺しにする新自由主義。

マイケル・ムーア監督 映画「シツコ sicko」(2007年公開)の作品はアメリカ合衆国の医療問題をテーマにしたドキュメンタリー調の映画だ。場面のひとコマに複雑骨折をしている女性が治療費を払えなかったため、病院が強制退院をさせるという場面が映し出された。女性は自動車で貧民街まで運ばれて、路上に捨てられた。

この映画上映と同じ年の瀬、仕事で通っていた救急指定の総合病院での出来事です。私がケアを担当する院長(要介護5)は病院の最上階が住まいで、家族に見守られ一緒に暮らしていた。私の出勤は毎日、午前2時間、午後2時間で計4時間にもなった。介護保険と自費を使っての滅多に例のない恵まれたケースだったと言える。要介護5レベルになるとベッド生活になるので介護の殆どがベッド上で行なう事になる。目や耳もだいぶ不自由になっていた。

バイタルチェック、洗顔、口腔ケア、食事介助は嚥下障害があるので時間がかかる。服薬介助、オムツ交換、全身清拭、背中のパッティング(褥瘡予防のために)、端座位姿勢を保たせ足浴、薬の塗布と包帯交換、(レントゲン技師でもあっため左指3本が損傷)体位変換、移動介助、話の聞き取り、コミュニケーションや伝達のための筆談、等々。人が生きるために必要なケアの全てを行った。

ケアに入ったある日のでき事、看護師(院長の娘)が「昨夜、救急患者を一旦受け入れたけれど、ホームレスだったので『満床です』と言って断り他へ回した」と母親である理事長へ報告していた。運び込まれてきた人はかなり重症だったらしい。映画の場面に酷似している。

小泉政権時代に創られた経済社会構造改革、いわゆる「骨太の方針」第4弾(2004年)で「社会保障制度の見直し」が始まった。厚労省の診療報酬の「改定」も度々行われた。小泉政権時代から長期にわたる自民党政治の中で介護・医療の現場は疲弊、逼迫が加速していった。

コロナ渦で介護事業の倒産が急増

2020年1月から9月の「老人福祉・介護事業」の倒産は94件(前年同期比10・5%増)で介護保険法が施行された2000年以降、1月から9月で最多だった2019年同期(85件)を上回って、最多を更新したとされている。特に「三密」になりやすいデイサービス施設などが30件(同25・0%増)と「訪問介護事業」46件(同6.9%増)と共に増加している。いずれも小・零細事業所が大半を占めている。コロナ渦の支援効果の息切れから、今後倒産の加速が見られる。(東京リサーチ 2020年10月8日)

コロナ渦の影響は小規模事業所から犠牲になっている。規模が小さいと、同じことを同じように提供していても、手元に残る利益は大規模事業所に比べて圧倒的に不利になる。地域に密着し、寄り添い、介護保険制度サービスだけを専門でやっている事業所にとってはとても大変な事態なのだ。3年ごとの法「改正」だけでも相当疲弊する。更に、今回のコロナ渦のような新型コロナウイルス下では職員不足もあり、先行きが見通せず廃業せざるを得ない所も多発しているようだ。

デイケアセンターが閉鎖になり、地域の高齢者の居場所がなくなると体調が崩れ、今までやれていたことが出来なくなるケースも見えてくる。福祉施設の老人ホームで暮らしているNさん(女性88歳)に週1回のペースで介護に入る。デイサービスが施設閉鎖になったため通所ができず、寝ながらテレビを観るか、寝ているかになってしまった。4畳の部屋いっぱいにモノ(ゴミ)が氾濫するようになった。昼と夜が逆転してしまった。人と会話をすることもできず、運動もできない。その上、テレビでは毎日コロナのニュース。15時になると「今日の感染者は○○人です」などばかりが耳や眼に入る日々では、精神的なバランスが崩れても当然だ。物理的な孤独と心理的な孤独をどのように克服していけば良いのか。いま、新しいケアセンターを探している。この施設も職員不足がマンネリ化している。ここの職員さんから「本当に助かります。」と感謝されるがお互い様だ。

「改正」=(改悪)される度に掃除、洗濯、調理、買い物等の生活援助は削減されてきた。生活援助の削減は暮らしを直撃する。憲法25条の「健康で文化的な最低限度の生活」は保障されない。身体支援と生活支援は一体のものだ。別物に評価するから介護保険制度は使いづらくなる。利用者も介護従事者も伴になのだ。私たち介護ヘルパーがサポートしてきたのは、本当に人間らしく、自分らしく生きる事であり、おそらく誰しも、人が人として自分らしく生きる喜びを願っているのだ。

ADL(日常生活動作)だけではなく、生活援助を通じてQOL(生活の質)を高めていく事が大事で、これらのサポートが一体とならなければ生活の質を維持していくことは不可能だ。男性の役人が机の上でする介護の見直しこそが求められている。ここでも、女性の視点が求められている。

コロナ渦の差別

介護・医療関係者が社会的に差別の対象となっている問題が表面化した。いくつかの事例を挙げてみよう。
●看護師の子どもが他の親に差別され、コロナ感染が心配だから登園させるなという。
●感染者を出した介護施設が、地域住民のみならず同業の介護関係者から村八分にされた。
●子どもが通う小学校で感染者が出た経営者は、自主的に2週間の自粛を行った。その間、自身が感染した場合の対応に頭が一杯だったそうだ。

そして、収入は大幅に減った。2020年3月以降、実際に多くの介護施設などでも、併設の在宅サービスやデイサービス、ショートステイの利用者が激減した。外部との面会謝絶を選択した施設では、家族とのトラブル等の対応に施設職員の心労は日に日に大変だ。事業者のリスクは自己責任にされる。

希望

今年、東京新聞に紹介され、1面トップで大きく報道された記事に感動した。JR駒込駅の駅員さんたちが「病院で働く皆様、命を助ける大変な仕事ご苦労様です。ありがとうございます」と、労いと感謝の言葉の寄せ書きを集めたボードを駅の構内に掲示したのだった。駒込駅付近には都立駒込病院をはじめコロナの拠点病院が3か所ある。この駅を利用する医療従事者は多いはずだ。数日後、今度は駒込病院に勤務する皆さんたちから駅員さんたちへ感謝のメッセージが届けられ、温かな交流の輪が広がった。市民レベルの助け合いは多岐にわたって広がりを創っている。命をつなぐ食料支援も各地で取り組まれている。

感染させない、感染しないために

昨年の暮れ、私が勤務している在宅介護の事業所と同系列の施設に、大規模なクラスターが発生した。以降、事業所にカメラ型の体温計が設置された。介護訪問の際には、従来通り携帯している手指用アルコール、介護用の使い捨ての手袋、それらに新しく加わったのが防護用簡易ガウンと非接触型の赤外線体温計。これらは訪問時、ぐったりとしているなどいつもとは様子が違い、異変が見受けられた場合に使用することになる。予備マスクも携帯する。居室の換気をして状態を伺いながら、措置を仰ぐための電話掛けを行う等々の作業がコロナ渦で大事なことになった。

昨年の年末近くのことだ。透析通院の人を迎えに病室に入ると、防護服の看護師さんたちがベッドを囲んで対応していた。38、8度の高熱を出していたのだ(介護保険制度から20年を振り返ってパート2に掲載)。コロナ渦の介護の現場は昨日と今日は同じではない。
命が大切にされる社会を築こう! 選挙に勝利しよう!

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映画「大コメ騒動」を観て

監督:本木克英 106分

土井とみえ(事務局)

新年早々に、映画「大コメ騒動」が公開された。周知の通り、今から100年前の1918年、富山県の魚津で引き起こされた米騒動、その映画だ。富山県出身の本木克英監督が長年温めてきた作品だ。主人公の井上真央が演じる松浦いとを中心に漁村の“おかか”たちによるコメ料金の値下げを訴える実力闘争が展開されていく。

物語の展開はスピーディだ。当事、この地域の漁師にとって夏場は不漁の時期で、男たちは北海道や樺太などに出稼ぎに出て秋に戻る。その間は“おかか”たちが働き、家族の食い扶持を支える。“おかか”たちの日々の仕事は女仲仕(なかせ)と呼ばれていて、60キロもあるコメ俵を、米蔵から浜辺まで背中に担いで運ぶ。浜辺で小さなハシケに積み込まれた米俵は、沖合いに停泊している蒸気船に移されて北海道など日本各地に運ばれていく。背中の皮がすりむけるほどの重労働を夏の炎天下で日々続けて、“おかか”たちは日銭を稼いでいく。

第1次大戦の好景気や、1917年のロシア革命に干渉するシベリア出兵のために米の需要が増え、米の値段が毎日毎日あがっていく。ついには1日のうちでも朝と昼で米屋の値札がもう上がっている。“おかか”たちは米屋に値下げを頼むが、相手にされない。それでも、“おかか”たちは寄り集まって米屋と交渉するが、米の値上がりは止まらない。ついに“おかか”たちは、頼りにするリーダー的存在の“おばば”を中心にして米の積み出しを阻止しようとするが、警察に蹴散らされる。ある夜“おかか”たちは、商売に成功して大商店となった米屋に押しかけて値下げを嘆願するが、米屋の女将に馬鹿にされて拒否される。状況を察知した警察は対策を準備していく。緊張がどんどん高まり“おかか”たちの値下げ要求の行動が繰り返される中で、“おばば”は警察に捕まってしまう。“おばば”は房内でハンガーストライキを行うが次第に弱っていく。とうとう“おかか”たちは、浜辺で米俵の積み出しを阻止する行動に出る。米どころの富山なのに、毎日運んでいるコメが北海道に運ばれなければコメの値段は上がらない。「コメを外に出すな!」の思いの行動がとうとう沖の蒸気船をカラで出帆させ、家族のメシと命を守ったのだった。

このコメ騒動が全国に伝わり、ついには時の寺内内閣の退陣にまでつながっていく。
時の内閣を打倒した富山の米騒動というイメージは強い。たしかに富山のコメ騒動を全国に伝え、米騒動が全国各地で起こっていったのには新聞の役割が大きかったと思う。しかし大阪から現地に派遣された新聞記者は、“おかか”たちの行動を、止むに止まれぬ切実な動きとして伝えようとする。センセーショナルな報道をして販売戦略を優先する、大阪本社の報道姿勢に対して悩む記者の姿なども登場する。

砂浜づたいに米俵をハシケまで運ぶ場面は十分に迫力がある。同じ場所の浜で、“おかか”たちが力強くたちあがって蒸気船を追い返して勝利していく行動などでは、漁師街の“おかか”たちの明るく力強い暮らしぶりが印象的に迫ってくる。当時の漁師の暮らしでは、1人で1升メシというように、食事と言えばまさにコメが主役になる。家族が1日食べるコメの量は今では想像できないほど多い。また、その日のコメをその日に買うという習慣だったとも聞いている。コメの値上がりは生活を直撃する。生活苦に真っ向から向き合う“おかか”たちの行動が、漁師町の人びとらしく迫ってくる。

井戸端会議の場面も面白い。松浦いとは学校の成績もよく、井戸端で新聞を読んでいる珍しい存在だった。しかしその姿は周りから浮いてはおらず、その場の主婦たちは新聞の内容に関心を持っている。コメの値上げも子どもや亭主のことも社会状況も一緒に話題にしている、井戸端会議なのだ。ここでは、米を借りにいった仲間に、口実を付けて断ったことなども暴露しあう関係だ。こうしたつながりが米騒動に動き出す下地になっていくことがわかる。

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力学と憲法9条

高橋 寛(山形大名誉教授、さよなら原発米澤)

I まえがき

科学が進化するにつれて、分野ごとに細分化が進みました。わき目もふらず自分の専門を深く掘り下げないと、進歩に追いつけなくなってきたのです。
このためいわゆる専門ばかが沢山出てきました。かくいう私もその一人です。

そのために全体を見通すことのできる人が本当に減ってきました。

ところが、“科学の原理と人間社会の原理が実は共通している” という考えが生まれて きました。風が吹くと桶屋が儲かるという話に似ていますが、力学を勉強すると憲法9条の大切さがわかってきます。それを紹介したいと思います。

II エネルギー

力学の世界では、物体に力をかけて物体が力の方向に動いた時、仕事をしたと言います。仕事をする能力があることを、エネルギーがあると言います。

まず初めに物体がある速度で移動している状態を運動エネルギーがあるといいます。何かにぶつけると力がかかってそれが動き、仕事をするわけです。 

次に物が高いところにある状態を位置のエネルギーがあると言います。高所から落とすと速度を持つので運動エネルギーに変わります。

水を落下させて水車を回して発電機につなげれば電気エネルギーに変わります。電気エネルギーはモーターを動かして運動エネルギーに変えることができます。さらにヒーターを加熱して熱エネルギーに変えられます。熱エネルギーは蒸気機関車で運動エネルギーに変えられます。

バネを引き延ばした状態をひずみエネルギーを持っていると言います。これを解放すると振動が起こり、振動エネルギーに変わります。

沢山の要素が引き合って固まっている状態を結合エネルギーを持っていると言います。植物は燃料としてあるいは食べ物として、結合を解放すると熱エネルギーに変わります。原子核も崩壊すると途方もない核エネルギーを生みます。

他にも光エネルギー、波動エネルギーなどなど沢山あります。そしてこれらは次々と形を変えます。自然現象というのはエネルギーの変化なのです。

アインシュタインによって質量もエネルギーと等価であると考えるようになりました。核分裂によって熱エネルギーが発生する分、質量が減っているのです。ブラックホールには、光を含むあらゆるものが吸い込まれ、巨大な質量を持つようになるそうです。そしてそれが爆発するとエネルギーに溢れる空間が出現するのだそうです。科学もここまでくると、神様が世界を作ったという話の方がまだ安心できる気がします。

Ⅲ 熱力学の法則

人間は永年、エネルギー供給なしに動く永久機関の夢を追いかけてきましたが、ことごとく挫折しました。エネルギー変換に関して、人間が長い年月の経験から証明なしで悟った二つの法則があります。この法則に反することは心霊現象ということになりますが、心霊現象を否定する証明もまたできないのです。

[熱力学第1法則] エネルギー保存則
エネルギーは様々に変化するが、その総量は増えも減りもしない。

[熱力学第2法則] エネルギー変化の方向
自然現象は外から干渉しなければ、秩序のあるエネルギーが無秩序なエネルギーに変わる方向に起こる。

エネルギーは次々に形を変えますが、最終的には全て熱エネルギーになります。熱エネルギーとは、個体・液体・気体を構成する分子の持つ運動エネルギーの総量を意味します。激しく運動(振動)していると温度が高いと言います。分子の運動が全て静止した時を絶対零度( -273℃)と言います。

物をこすると摩擦で温度が上がります。これは手の運動エネルギーが物の分子を揺り動かして熱エネルギーに変わったのです。手の運動エネルギーが細かに分散されて広がったことになります。手に持っていたものが部屋中に散らかってしまったことに似ています。つまり1箇所にまとまって秩序のあったものが無秩序に散らばってしまったのです。
高い温度の物と低い温度のものを接触させると、熱エネルギーが温度の高い方から低い方へ移動して、やがて同じ温度になります。初め狭い部屋に閉じ込められていた熱エネルギーが、より広い部屋に拡散し温度の低いより無秩序なエネルギーになったのです。

エネルギーが無秩序になることをエントロピーが増えると言います。

秩序のあるエネルギー同士の変換(運動?電気)、あるいは秩序のあるエネルギーから無秩序なエネルギーへの変換(電気→熱)は原則的に 100%変換可能です。熱エネルギー同士では、ほっとけば必ず高温から低温に移動します。

しかし無秩序なエネルギーを秩序のあるエネルギーに変換することは、不可能ではないが大変な苦労を伴います。散らばった部屋を綺麗にするのが大変なことと同じです。

火力発電(原子力発電)は(熱→電気)の変換ですが、効率はおおよそ30%です。風力は広く空間に散らばったエネルギーで、風の運動エネルギーから 電気エネルギーへの変換は通常40%程度です。太陽エネルギーも含め、自然エネルギーは全て使いにくいのです。だからこそ石油エネルギーがこれまで使われてきたのです。

冷蔵庫やクーラーは温度の低い方から高い方へ熱量を捨てていますが、これは電気の力を借りて無理無理行っているのです。

結局、1箇所にコンパクトにまとまった秩序のある(エントロピーの少ない)エネルギーは、使いやすく有用なのです。エネルギーを使うと、その量は同じなのですが、その有用さが失われるのです。

Ⅳ 生命

熱力学第2法則によれば、自然現象は途中道草はあったとしても、最後は必ず秩序のない方向に変化します。行き着く先は、地球も冷え、太陽も冷え、いたるところ静まり返った死の世界と言うことになります。大学時代これは頭では理解できても、心情的には納得できないものを感じていました。その後「生命を捉えなおす」清水博著(中公新書)を読んで救われました。

自然界は生命に溢れ、生命は秩序を作り出そうとして涙ぐましくも熱力学第2法則に必死に逆らっていると言うのです。体温を常に一定に保つというのは大変な秩序です。最初の細胞分裂で、頭側と足側に分かれた細胞は、途中で役割を変えることはないといいます。このようなことが何故可能なのでしょうか。

これまでの科学は、様々なものを分解し、個々の要素を研究し、その集大成として全体を理解しようとしてきました。物質を分解して分子を見つけ、それを分解して原子を見つけ、それを分解して素粒子を見つけ、それを分解すると紐になるのだそうですが、私の頭ではついて行けません。生物を分解して細胞を見つけ、細胞を分解して細胞核を見つけ、核を分解して遺伝子を見つけましたが、生命とは何かは見えてきません。

Ⅴ 複雑系の科学

個々の要素の重ね合わせ(平均値)で全体がわかるというのは、個々の要素間の相互作用が弱い場合です。お互いに強く干渉し合うと、全体として予想もつかないことが起こるということを教えてくれるのが複雑系の科学と言われているものです。

例えばやかんや鍋でお湯を沸かすことを想定してください。下から加熱すると、底に接している水の温度が上がり、軽くなります。水層の下が軽く上が重いという、不安な状態が出現します。たまたま底付近で小さな泡が発生したとします。泡の上昇に引きずられて周りの水も上昇します。周辺の水は沈下し、全体としてドーナツ状の対流が起こります。一旦対流が起こると、下から加熱が続く限り、安定な秩序のある流れが続きます。

このような動的な秩序をブリゴジン(ロシア、1977ノーベル化学賞)は散逸構造と名付け、これが出現するためには、次の4段階が必要と言っています。

(1)沢山の要素が集まり、要素間に何らかの相互作用や情報伝達がある。
通常は全体として落ち着いており、多少揺らぎがあってもすぐ収まる。

(2)エネルギーや情報がどんどん流入し、各要素が興奮状態となる。
全体として何があってもおかしくないような不安定な状態となる。

(3)不安定の頂点に達すると、ちょっとした揺らぎが引き金(トリガー)となって、全ての要素が同じ行動をとるようになる。

(4)エネルギー・情報の供給が続く限り、この動的秩序は安定的に続くことになる。

このような散逸構造は、他にレーザーなどが挙げられます。常温超伝導現象などもそうかもしれません。そして生命現象がこれなのだそうです。

植物は炭酸同化作用によって、炭酸ガスと水という単純な物質から太陽エネルギーの力を借りて複雑なブドウ糖を作っています。まさに秩序が生み出されたのです。

動物は食べ物として植物の有用性を消費して、自身の秩序を維持します。有用な植物を取り入れ、分解したものを排泄し、この流れの中に生命はあるのです。生きている時と死んでいる時で、構成している分子は全く同じです。沢山の細胞が集まり、お互いに相互作用しあって、生み出している秩序が生命なのです。まさに色即是空なのです。

Ⅵ 社会

複雑系の科学は自然現象だけでなく、人間社会を理解するときも役立ちます。
野球を考えてみましょう。強力な4番打者とエース級の投手を集めたチームが優勝するとすれば、それは予測可能な重ね合わせの出来事であり、面白みのない世界です。ところが甲子園で田舎の弱小チームが逆転劇を演じたりとすると、私達は感激します。チーム全体が興奮状態で、監督の一言で全員の気持ちが一つにまとまり、見事な連携プレーで奇跡が起こります。監督一人が躍起になって全員を煽り立てようとしてもそれは無理です。

次に、出火騒ぎでしばらく休業していたスーパーが、名誉挽回の大売り出しをしている場合を想定して下さい。買い物客で混雑し、人々が少し興奮気味であったとします。たまたま子供が遊びで階段を駆け下り、母親が慌てて大声をあげながら後を追います。周りにいた客がまた出火かと勘違いし、つられて階段を駆け下ります。「火事だ」との声が聞こえて、大勢が一斉に階段に殺到します。この動きが起こるともう誰も止められません。

関東大震災の時、東京中が大混乱となり、朝鮮人が井戸に毒を流したというデマが飛び、人々はヒステリー状態となり、自警団を組織して朝鮮人狩りが始まりました。

ドイツのナチによるユダヤ人迫害事件も同じかもしれません。日本のアメリカに対する宣戦布告も同じなのでしょう。集団が不安に取り憑かれた時、誰か勇ましいことを言う人を指導者にして、集団で暴走してしまう危険性は常にあります。一旦これが起こってしまうと、冷静な言葉はかき消され、抹殺されてしまいます。

世の中が安定している時は様々な意見を言う人がいても、人々がそれに踊らされることはありません。しかし生活苦や差別など様々な不満が高じてきて革命前夜のような状態になると、次の変動を決めるトリガーの役割は非常に重大です。明治維新の時は幸いにも吉田松陰・坂本龍馬・西郷隆盛・勝海舟らの私心のない立派な先達に恵まれました。しかし麻原彰晃のようなとんでもない指導者に出会うと、前途有為な若者達が巻き込まれサリン事件のような結果になります。

変革時に良い指導者に恵まれるには、平常時の揺らぎを大切にしなければなりません。様々な意見の中から、次の変革の正しい方向を選択するためです。生物の進化における突然変異の役割もこれなのです。多数決だけの民主主義であってはなりません。言論の自由を保証し、少数意見を大切にする民主主義でなければならないのです。

Ⅶ 歴史

人類の歴史を振り返ると、それまで無関係だった二つの集団が初めて遭遇した時、必ず生死をかけた争いが起こりました。部族間の争い、民族間の争い、異教徒との争い、植民地を求める侵略者との争い、イデオロギーの争い、いずれも未知の者に対する恐怖と警戒から争いが起きました。やがて征服や和解や同化などを経て、より大きな集団へと統合されてきました。人類はこのように集団の数を増やし、お互いに刺激し合うことによって、多様な文化を生み、生き延びる知恵を磨き、より大きな動的秩序を形成してきたのです。

情報化社会の現在、未知への恐怖はなくなり、それが戦争の原因になることはなくなったように思われます。これから生死をかけた戦争が起こるとすれば、人類が異星人と遭遇した時なのでしょう。

しかしこれでめでたしとはなりませんでした。いま世の中には様々な不安が渦巻き、様々な紛争が勃発して、世界的に集団的ヒステリーが発生する気配が高まってきているように思われます。

楽観的に考えれば、この不安が頂点に達した時、世界的に素晴らしいトリガーが現れて(例えばグレータ・トゥーンベリさん)、世界中を巻き込んだ新しい秩序(世界政府)が生まれるかも知れません。

悲観的に考えれば、阿鼻叫喚の混乱の末、人類が滅びるのかも知れません。地質年代としては、現在は氷河期が終わった1万年前から“完新世”です。クルッツェン(オランダ、オゾン層破壊研究1995年ノーベル化学賞 )は、1950年以降“人新世”が始まったと言っています。プラスチック・コンクリートの大量消費、エネルギー大量消費による地球温暖化、プルトニウムや核のゴミの氾濫、これらは人間が地球を破損しているのです。

いま世の中は寛容と謙虚の美徳が消え、次世代に途方もない負の遺産を押し付ける醜い現実主義者の狭量と傲慢がはびこっています。自国だけの利益を臆面もなく主張する指導者が現れ、二つの勢力の共食いで国民が難民として漂流し、困窮者は自己責任として切り捨てる、そのような世の中になっています。

核抑止力などと言っていますが、地球を破壊した後でも、人類が生き延びられると思っているのでしょうか。地球が駄目になったら宇宙に飛び出せばいいなどと言っていますが、宇宙で水や空気を作るよりも、地球上の砂漠で水を作る方がよっぽど楽なはずです。難民はお断りなどと言っていますが、一つの民族だけが生き延びたとして、どんな喜びがあるというのでしょう。
悲観的な未来が仮に現実的であったとしても、そんな未来を信じて一体何になると言うのでしょうか。たとえ非現実的であっても、楽観的な未来を夢見て、努力すべきです。様々な民族が仲良く共存してこそ、素晴らしい文化が生まれるはずです。

Ⅷ 生存権

私たちは楽観的な予測、すなわち世界政府の実現を目指したいと思います。この障害になっているのが、途方もない所得の格差です。今世界の8割の富を2割の人間が握っていると言われています。低所得者の不満がつのり、いつ自分が落ちこぼれるかも知れないと言う不安に怯えます。世の中が不安定になり、権力者は反乱を恐れ、不満をそらすために、外敵を作ろうとします。そこで国内においても、国外に対しても、安心感を生み出すことを考えたいのです。

中村桂子さん(生命誌研究館名誉館長)は、お金から心が失われてきたと言います。額に汗して稼いだお金には、想いがこもっています。それを使う時は本当に大事に使います。国の予算が税収だけで賄われていた時は、予算に心がこもっていました。予算が足りなくなると、どこかで節約していたのです。

ところが日本では、次世代の背負うべき借金ということにして、無制限に紙幣を印刷し始めました。いま国の予算の半分が借金で、今後も見境なく増えるでしょう。だぶついたお金は株の投機やカジノに流れています。それが証拠に、コロナでこれだけ不況なのに、株価だけどんどん上がっています。お金から心が抜けてしまい、異常な所得格差が生まれているのです。

アフリカや中東では、オイルマネーや麻薬売買で途方もない金が動き、このような金に縁のない庶民は貧困に喘ぎ、泥沼のような紛争を生んでいます。このような心のこもらない“冷たい金”で、人が精魂込めて作った産物を、見境なく買うことができるということに、我慢できません。こんな人にはどんなに高くても、苦労して育てた野菜を売りたくないと思うのです。

一方額に汗して働いても、僅かなお金しか稼げず、子供の養育も十分に出来ずにいるとそれは自己責任だとかたづけられてしまいます。本来は“冷たい金”では、心のこもった産品を買えないようにしたいのです。しかしお金に色がついている訳じゃなく、物物交換の時代に戻るのも大変です。

そこで提案したいのです。

憲法25条で「すべての国民は健康で文化的な最低限の生活を営む権利を有する。」とうたっています。このため生活保護、最低賃金、健康保険などが講じられてきました。これらの施策をすべて“お金を使わず、現物で行う”という案はどうでしょうか。

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(1)食料
これまで“年末の炊き出し”、“子供食堂”、“フードバンク”などが民間のボランテイア活動として行われてきました。これを国の政策として税金で行いたいのです。外国人も含め全ての人を対象に、おにぎりと汁程度の最低限の食事を、災害時だけでなく常時提供する場所とシステムを作るのです。

あくまでも現物支給でなければなりません。食事券などを発行すると、途端に売買されます。売れなくなった農産物や食べ物など全てここで引き取りたいものです。食品ロスをなくすことができます。

(2)住居
災害時の住宅を常時用意し、路上生活者をなくします。スラム街になると苦言を呈する人が出るかも知れません。しかしそんな街には下町の人情と絆が生まれるのです。生存に必要な最小限のことは保証されることになり、現在の生活保護の制度は不要となります。

(3)病院
保険対象の病気は全て無料ということにします。健康保険も不要になります。

(4)教育
義務教育は教材、給食、修学旅行など全て無料。
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このような安全地帯があれば、仕事を失ってもとりあえずパニックに陥ることはありません。今日のコロナの時代、全ての職種に休業を要請しても、それを金銭で補償する必要はありません。誰も飢えて困る人はいないのです。従業員は自由に会社を休むことができるし、会社も賃金を払う責務を免れるならば、倒産させる必要はないのです。

お金で生存権を奪われることはなく、お金の暴力から解放されます。落ちこぼれる恐怖から、落ちこぼれる気楽さに変わります。怠け者を作ると言う人がいるかも知れません。いいではないですか。呑気な怠け者が増えれば、戦争したいなどという馬鹿者はいなくなるでしょう。人々が仲良くなり、若者は自由に夢を語ることができるようになります。

北欧の福祉政策に比べればまだまだレベルが低いかも知れません。かかる費用など、ミサイル購入に比べたら微々たるものではないでしょうか。

Ⅸ 憲法9条

あらゆる国が自衛を口実に軍備をします。それが相手国を刺激し、疑心暗鬼となって軍拡競争が始まります。頂点に達して、一触即発の危機を迎えます。このような悪循環を断ち切るためには、相手に安心感を与えなければなりません。日本は世界に率先して、武装放棄をし、憲法9条を持ちました。

世界政府を実現するには、全ての国が武装放棄をしなければなりません。そしてそれぞれの軍隊を、国際的な警察組織や災害救助隊に改編しなければなりません。銃規制さえ出来ないアメリカが最大の障害と思われますが、良識あるアメリカ人が少しずつ増えていることを信じたいと思います。

日本が軍隊を持たない国であることによって、世界の人から平和の担い手としての日本人に信頼が寄せられてきました。

伊勢崎賢治さんは外務省からの要請で、アフガニスタン戦争後“武装解除”を指揮することになりました。対タリバン・アルカイダ戦で地上戦を担って来た各地の軍閥から武器を取り上げようというもので、各軍閥はそれを警戒し逆に武装強化に励んでいました。伊勢崎さんが交渉に行くと「日本人だから信用しよう」と話を聞いてくれました。2年後に軍閥6万人の武装解除に成功し国際社会から驚かれたとのことです。

緒方貞子さんは20世紀末の10年間国連難民高等弁務官を務めました。イラク・クルド紛争、ボスニア紛争、ルワンダ戦争など常に危険な最前線に足を運び、対立する指導者達と面談し、難民を尊厳ある人間として扱うという信念の下、大活躍しました。初めは全く無名でしたが、緒方さんが日本人で私心がないことが国際社会に認められ信頼をかち取りました。

アフガニスタンで医療活動、灌漑用水の設置などに心血を注ぎ、銃弾で倒れた中村哲さんが、国会のアフガニスタン攻撃での自衛隊の後方支援の是非を論議する委員会に参考人として呼ばれました。中村さんは「自衛隊派遣は現地の人々の日本に対する信頼を崩しかねず、有害無益です」と述べました。自民党議員が取り消しを要求したが、中村さんはやじを浴びながら淡々と説明を続け、この議員は中村さんの話を途中で打ち切りました。

中村哲さんが言っています。「世界中の人がとらわれている迷信があります。その一つは“お金さえあれば幸せになれる。経済さえ豊かであれば幸せになれる。”と言うものです。もう一つは“武力さえあれば、軍事力があれば、自分の身を守れる。”と言う迷信です。このような迷信から自由であることによって、人間が追い込まれ極限状態になった時に、これだけは必要だ、これは無くてもいい、ということを考えられるようになります。」

Ⅹ あとがき

命というものは、熱力学第2法則に必死に逆らっていますが、死によって結局はその呪いに打ち負かされてしまいます。しかし、連綿として命を繋ぐことによって、やっぱり熱力学第2法則に抵抗しているのです。この健気さはどこから来るのでしょうか。あらゆる生物が種の保存を第一の目標にしています。そこには何か意味があると信じたくなります。これこそが神の意思だと言う人がいるかも知れません。

これからも命を繋いでゆくために、二つの安心を実現したいと思います。国内の安心は“生存権の現物保証”であり、国外への安心は“憲法9条”なのだと思います。

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