私と憲法237号(2021年1月25日号)


激動が予測される2021年の年頭にあたり、市民連絡会の共同代表のみなさんと各地の市民運動のみなさんから「年頭の辞」を寄稿していただきました。みなさんの熱い思いを共有して、この1年、全力でがんばり、前進したいと思います。(編集部)

2021年の課題 ――自助と公助(公助は目に見えにくいが、命と暮らしの最重要基盤)

暉峻淑子(市民連共同代表 埼玉大学名誉教授)

去年1年をふり返って、国会での野党の数の足りなさに無念な思いをかみしめた人々は多かったと思う。国会は多数決の世界だ。せめて5割に近い数があれば、もっとモリカケサクラ黒川、118回の首相虚偽答弁はもとより、福祉政策の基本方針や、原発その後の将来像を明らかにすることできたのではないか。野党の人気が今一つ上がらない責任を問う意見も多々あるが、それはそれとして、3割であっても野党がもしいなかったら、日本の将来はどうなっていたかと、ぞっとする思いだ。野党が国会の場に問題を持ち込み、問題の原因と経緯を明らかにすることによって、新聞記事にもなり、私たちも、問題の真の意味を知ることができた。

派手な話題ではないが、菅首相が自民党の総裁選で自助、共助、公助というスローガンを掲げて、「まずは自助だ」と言ったとき、瀬戸内寂聴さんはそれに対して{自分の人生はすさまじい自助の連続であって、他者の助けを当てにしたことはない}と朝日新聞で述べていた。(2020年10月8日)。確かに彼女は小説家の才能と凄まじい努力で100歳近くを生き抜いてきた、あっぱれな女性である。小説だけでなく、平和への思いを発言し続けている人でもある。しかしそれから間もなく、寂聴さんは廊下で転んで顔面と頭を打撲して、入院した(同11月12日)。

人は毎日、自分のおカネで必要なものを買い、計画し、行動しているので、目に見えない公助に支えられて生きていることを意識しにくい。しかし寂聴さんが、もし救急車で病院に運ばれたとしたら、それは公助に助けられたのであり、病院での治療も国民健康保険と言う公助に支えられたのである。寂聴さんが、自助と言ったのはおそらく、仕事にかんする事と生活費の事だと察したが、人間まず生きていなければ仕事もできない。その生の生活基盤を支えているのが公助なのだ。自助と公助は優先順位の順番の問題ではなく裏表の関係にある。どちらがなくても人間社会はなり立たない。公助あっての自助である。

公助と言えばお上から助けてもらうこと、という勘違いをしている人がいるが、公助の財源は、まぎれもなく私たちが支払った税金や保険料である。私たちが必要とするものの中には、命を左右するほど重要なものであるにもかかわらず一人では調達できないものがある。それは、教育、医療、介護、年金、公衆衛生、上下水道、道路、交通、消防などの、共通社会資本である。一人ではできなくても、みんなが拠出して、みんなで利用し支え合う、いわば命と暮らしのための共有財産が公助なのである。

その共有財産の使途が、敵のミサイル基地先制攻撃のためのF35戦闘機の購入費になったり、辺野古基地、建設予定地の超軟弱地盤改良工事費だったり(当初予算額2400億円が10倍にも膨らむ2兆5500億円)するのでは、コロナにあえぐ納税者の納得は得られない。ミサイル基地を日本から先制攻撃されて、黙っている国があるだろうか?必ず反撃に出て、戦争が始まる。真珠湾のアメリカ空母攻撃の2の舞である。

コロナによる医療崩壊が起きて、重症者も入院できず自宅待機のまま死んでいく人もいる。旧伝染病指定病床は、1998年には9060床あったのが2019年には1869床に削減された。保健所の数は1994年に地域保健法が成立し、847か所あった、保健所が469か所と半減した。その間にはSARZやMERS、新型インフルエンザの感染があり、国際間の人間の移動で、天然痘や、エボラ熱やマラリアなどの感染も発見されていた。にもかかわらず、削減政策は続けられ、コロナによって、ついに人工呼吸器不足や病床不足、医師、看護師の不足で、治癒できる人まで死ぬというパニック状態に陥っている。

菅首相は学術会議のために10億円を支出していると言うがそれならなぜ国有地を8億円も値引きして森友学園に売ったのか、矛盾だらけである。

戦前の社会を知るひとは、戦争する国に生まれたか、平和な国で、医療の整った福祉国家に生まれたか、によって、人生が180度、転換することを知っている。もし、コロナが収まったとしても、高齢化社会で、施設の高齢者の虐待が頻発しているのは、介護職に対する給与が余りにも低いからである。人命を助けるための医療に対して医師、看護師に相応の給与が必要であるとすれば、介護もまた命にかかわる仕事である。それが余りにも大きな格差ある低賃金に置かれているのでは、高齢者の人権も保障されない。国家の最重要な役目は国民の命と暮らしを守ることにある。私たちは当たり前の、もう一つの政治を必要としている。野党の議員数を今よりも増やさなければ、現状は一歩も改善されない。いや、悪化するだけだ。

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韓国憲法と日本国憲法に想う

内田雅敏(市民連共同代表・弁護士)

凄まじいまでの前文持つ韓国憲法

日本国憲法は1946年11月3日制定された。韓国憲法の制定は1948年7月12日だ。共に自力で勝ちとったものではない。前者は「敗戦」を契機とし、後者は「解放」を契機としている。その意味では出発点は同じだった。

だが、韓国は、その後三つの革命を成し遂げた。李承晩の独裁政権を倒した1960年の学生革命、全斗煥軍事政権を倒した1987の民主革命、そして朴槿恵政権を倒し、文在寅政権を生みだした2017年のローソク革命だ。1980年、光州市民・学生が朴正煕暗殺事件後の新軍部に抵抗した光州事件も、87年の民主革命後に民主化運動として再定義され、1995年に「5・18民主化運動等に関する特別法」として結実した。

この三つの革命に先立って1919年の3・1独立運動があった。

韓国憲法前文は、3・1独立運動によって建立された大韓民国臨時政府(上海臨時政府)4・19民主理念(60年学生革命)を大韓民国建国の礎として憲法の前文に記録している。文在寅政権は、2017年の大統領選挙に際して「5・18」を憲法の前文に書き込むことを公約の一つにした。

1919年3・1独立運動が、1948年7月12日成立した大韓民国憲法の前文に書き込まれるまでに27年の歳月を要した。1960年の学生革命が憲法前文に書き込まれたの問題27年後の87年民主革命まで待たねばならなかった。

韓国のこのような凄まじいまでの歴史的経過に思いを馳せながら韓国憲法の前文を読みながら、改めて、わが日本国憲法の前文を読むとどのような光景が眼
前に浮かんでくるであろうか。

日本国憲法の前文
「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」、これが、日本国憲法の前文に書かれた歴史的経過だ。「戦争の惨禍」に云う、「戦争」とはどの戦争のことか、太平洋戦争だけなのか、日中戦争はどうなのか、植民地支配の問題はどうなのか。「惨禍」についても「戦争の悲惨さ」を語るだけでいいのか。「戦争の惨禍」は加害と被害の関係を抜きにして語ることはできないのではないか。また過去の「惨禍」を語るだけでよいのか。米軍基地に重圧に呻吟する沖縄県民の被害は。「政府の行為によって」についても同様だ。戦争は政府の行為によってだけ起こるか。政府に煽られた民衆が、政府を突き上げ、政府自身がそれを制御できなくなってしまったのが「暴支膺懲」ではなかったのか。等々の思いである。
改めて、日本国憲法の背景にアジアで2000万人以上、日本で310万人の非業・無念の死を強いられた人々の存在を想う。そして戦後の護憲平和運動を担い、今は彼岸にいる人たちのことを想う。私たちもいつか彼岸に行く。「順不同」だ。それまでは、これ等死者たちの声に耳を傾け、平和に向けての彼らの思い受け留め、それを次の世代に伝えなくてはならない。
「国民はすべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は侵すことの永久の権利として現在および将来の国民に与えられる」(憲法11条)。将来の国民、すなわち未来の人々が基本的人権を享有するためには「現在」に生きる私たちが、この基本的人権を擁護し、発展させる闘を為すことなくしてはあり得ない。11条は保障規定であると同時に義務規定でもある。11条に続く12条、そして97条はそのことを規定している。重要なことは、憲法に規定があるから、その権利と権利のために闘う義務が発生するのではなく、先人から権利を受け継ぎ、それを擁護、発展させ次世代に引き継ぐ、それが人たるの道だからである。私たちが「この道」を歩き続けることによって、凄まじいまでの前文を持つ韓国憲法の地平に到達することになる。

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国政を憲政の在り方から診る―沖縄憲政塾を開催して―

高良鉄美(市民連共同代表 参議院議員・琉球大学名誉教授)

現在、国会内外における政府与党を中心とした改憲勢力のやみくもな議論状況を見れば、あまりに「法の支配」や「基本的人権の尊重」、「国民主権」をはじめとする憲法原理に対する理解を欠いたままの言動がまかり通っている実態が浮かび上がってくる。沖縄憲政塾は、このような憲法審査会の議論実態を懸念し、国民が逆に国家権力に対して、憲法理念の意義と重要性を訴え、突き付ける「主権者力」を磨いていくために、構想、企画したものである。とくに、平和憲法の理念さえ届かなかった米国統治(実質米軍統治)下の沖縄において、人権蹂躙、自治権否定、軍事最優先を、身をもって経験してきた「沖縄」から憲法に基づく政治「憲政」の在り方を唱えようと考えたからである。

このような理念から企画された沖縄憲政塾は、新型コロナ感染問題が深刻な状態に入る前に年6回隔月開催のスケジュールを組み、第1回は2020年2月29日に予定されていた。コロナ禍にあって、開催は4月、6月、8月も延期となったが、10月31日に記念すべき第1回を開催することができた。偶然にも、その日は長い琉球の歴史と深く関わる首里城が炎に包まれ、崩落した日から1年の「忌」念日であり、また沖縄で米軍統治下から続く最も古い政党、沖縄社会大衆党の結党70周年の日でもあった。

ちなみに、昨年9月、私は第13代委員長に選出された。入党1年ほどで政治家としてのキャリアも短い者に、節目の新委員長の大役を託すという党員、役員の決断を大変重く受け止めている。約2か月かけた委員長選任の議論においては、「日本国憲法の精神を堅持し、平和で民主的な文化日本国の発展と真の地方自治の確立により、ゆたかな沖縄県建設を図ることを信条とする」という党理念の実現を強く訴え、あらためて憲法理念を礎に置いた政治(憲政)の在り方を提示し続けたことが、新鮮に響いたのではないかと感じた。

第1回の憲政塾では、憲法の意義や性質、日本の憲法史、「法の支配」などの憲法原理、そして沖縄の戦後史を概観するものを講義形式で行った。質疑も活発で時間が大幅にオーバーしてしまったほどで、出席者の方々の「主権者力」追求の強度をひしひしと感じさせるものであった。現在の国政の中で、主権者は「憲政」にどう向き合うべきか、しっかり国家権力を「監視」することが肝要である。権力が国民を「監視」する状態では主客転倒に陥って、日本国憲法が最も重要な構造変革と位置付けた「主権在民」から「主権在国」へと後退することに他ならない。もちろん国際社会でいう固有、独立性を中心とした国家主権とは異なって、国家意思の最終的決定権を指す国民「主権」であるから、この意味の主権が国家権力に在るようでは、権力の制限を目的とする立憲主義の意義が損なわれることになる。

黒川問題は、監視されるべき国家権力が、監視を見逃す道具として検事総長人事を利用しようとしたもので、主権者国民の監視力が検察審査会を動かしただけでなく、安倍政権の目論見をも打ち崩し、結果的には退陣にまで追い込んだ。まさに、国民が主権者として監視(Oversight、オーバーサイト)の力を発揮したのである。ちなみに、このOversightには「気付くべきことを見過ごしてしまう」というもう一つの意味もある。安倍政権はむしろこの意味のOversightを企図していたのかもしれない。学術会議任命拒否問題も、菅総理は国民に成り代わって学術会議会員の任名拒否を行ったと弁明したが、主権者からすれば、国家権力が国民に成り代わるという憲政構造上あり得ない主客転倒の原理構造を平気で総理大臣が答弁しているのであり、決して見過ごしてはいけない大問題である。安倍・菅政権は立憲主義の憲法構造をまったく理解していないことが露わになったというほかない。

学術会議法は学術会議の推薦に基づき総理大臣が任命と定めており、その「任命」は、総理大臣が自由に決めるわけではないことは、法律の趣旨からも当然である。なぜなら「学術会議の推薦」の意義を消滅させるからである。
学術会議の名称を見れば、自ずから「学問の自由」の侵害という問題が生じることは想像に難くない。憲法23条の「学問の自由はこれを保障する」はわずか13文字だが、含意は非常に広く、研究活動の自由と研究発表の自由、教授(教育)の自由から成り、とくにこれらの総合的な担い手である「大学の自治」までが保障されている。今回、政府の行為等に対して学問研究によってその問題点を指摘した研究者らが狙い撃ちされ、任命拒否の的となった。これによって、研究活動、研究発表の自由はもとより、研究結果を教えることに対しても大きな委縮効果を与えることになって、「学問の自由」のすべての要素を侵害するのである。また、ひいては大学の自治にまで影響を及ぼす結果を生む。
憲法19条の思想良心の自由、21条の検閲の禁止なども関連する広範な問題で、根本的には「法の支配」ではなく、モリカケ問題、サクラ問題にも通ずる「人の支配」に陥ったアベ・スガ政権の共通問題なのである。主権者である「私」と、法の支配の法を指す「憲法」今年もさらに監視の眼を光らせましょう。

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「あけましておめでとう」と心からいえない新年。

山口たか(市民自治を創る会 市民の風共同代表)

特に、北海道は早くに新型コロナウィルスに見舞われ、国の緊急事態宣言以前から休校措置があり、外出自粛要請があり、公共施設の閉鎖があった。コロナ禍での北海道の運動の一旦を報告させていただく。

コロナ以降市民の動きは、集会やデモを自粛し、会議もリモートが増えてきている。しかし声を挙げることを自粛したら「あったことがなかったことに」される。昨年1月には、前年の木村真・豊中市議、相澤冬樹元NHK記者の講演会に続き、籠池夫妻の講演会を行った。森友加計桜を見る会など、一連の安倍政権の、虚偽、改ざん、隠ぺい、忖度の政権運営を「私たちは忘れていない」ことの可視化だ

8月には突然、寿都町長(すっつちょう)が、高レベル放射性廃棄物の処分場の受け入れのための文献調査を認めると発言があり、核のゴミ捨て場反対の緊急アクションを行った。全員マスクで、南1条三越前から、札幌駅前まで、300人のソーシャルディスタンスデモだ。「放射性廃棄物の持ち込みは受け入れがたい」とした、「特定放射性廃棄物に関する北海道条例」を寿都町に遵守させるよう、鈴木直道知事にエールを送るための、北海道庁前スタンディングも、距離を確保しながら行った。

11月29日には、髙田健さんの講演会を実施した。選挙への対応や菅政権とどう闘うか、なんとしても講演会は開催したかったが、参加者が密になることを危惧し、チラシ配布もやめた。そのため、参加が少なく髙田さんには申し訳なく残念だった。一部の市民運動の中に、病気での安倍首相の退陣は市民運動の結果でなくて残念だ、という声があるが、安倍氏は辞任会見で「改憲の国民的世論が十分に盛り上がらなかった」「それなしには改憲を進めることはできない」「志なかばで職を去ることは断腸の思い」と語った。政治家としての最大関心事である改憲が実現できなかったことが大きな要因だ。髙田さんは、「全国の市民や、労働運動、立憲野党の地を這うような改憲反対運動の結果である」と強調され、多くの勇気と示唆をいただいた。

その直後、来るべき総選挙にむけて、立憲野党の統一候補を擁立することをめざす活動を始めたが、突然吉川貴盛・元農水大臣が収賄疑惑で突然議員辞職をした。補欠選挙がある!1月15日には、在宅起訴され、同日自民党と公明党は、補欠選挙に候補擁立を見送る決定をした!昭和時代の贈収賄の見本のような事件だ。政権与党が不戦敗とは前代未聞ではないだろうか。吉川元大臣の衆議院北海道2区は札幌市の北区東区が対象である。現在、2区では立憲民主党が松木謙公元衆議、共産党が平岡だいすけ前札幌市議をそれぞれ擁立予定だ。17年総選挙の際は、北海道内で唯一、共産党の金倉昌俊候補が「野党統一候補」として闘った地区である。その時、松木氏は、希望の党から立候補。反自民が2名立候補し、結果吉川隆盛氏の当選を許した。今度こそは、統一して闘い自公政治の一角をくずす突破口にすることが最も重要だ。松木氏は、過去、自民党、民主党、新党大地、維新の党、希望の党、選挙のたびに違う政党から立候補、と批判されてきた。今回は立憲民主党に入って候補になった経過がある。市民の風や地元2区の市民が、立憲民主党、共産党に、話し合いの促進と、候補の一本化を要請しているが先はまだまだ見えない。

感染拡大のただなか、安倍政治の継承を公言し誕生した菅政権だが、コロナ対策に関心は薄く、学術会議の任命拒否にみられるように、思想統制、批判勢力の壊滅をねらい、モノの言えない社会をつくろうとしている。批判のない社会は健全な民主主義がない社会だ。1月12日、北海道新聞の記事によると、菅首相は、先の臨時国会で「お答えを差し控える」と述べたのはなんと100回。19年の安倍首相ですら、63回だ。国会軽視は国民軽視。この先にあるのは、国民の生存そのものが蔑ろにされ、言論の自由や思想良心の自由、すなわち民主主義の根幹が崩壊した社会だ。

自公が擁立を見送っても、手を変えシナを変え、安倍・菅的政治勢力の立候補が予想される。1月16日には、立憲、共産、社民、市民の合同街頭宣伝が実現した。核ゴミも争点に共同行動を積み上げ、4月25日、衆議院2区補欠選挙を、総選挙の前哨戦として、何としても勝利したい。そのために全力をつくしたい。
(北海道)

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初日の出を見ながら本気で思ったこと

大村忠嗣(ピースアクションうえだ)

新年を迎えても、素直な気持ちで「おめでとうございます」と言えない状況で2021年が明けた。それでも、我が家からみた「初日の出」は山の上に少しだけかかった雲に映えて赤々と東の空を燃やしつつ、何本もの光の筋を走らせて気持ちを明るくしてくれる美しいものだった。

それをしばしの間眺めながら、今年こそはまずあの気持ちの悪い菅政権を倒すこと、そして「改憲STOPの決定打を」と本気で思った。安倍晋三が政権を投げ出した直後に「安倍政治を継承する」と言って登場し、「どうしてこんなに支持率が高いのか?」と思わせた菅政権だが、その醜態、その危険性が具体的に見えて来るにつれて支持率の低下が目に見えている。

 そんな菅政権だが権力はまだ維持されている。日々流される新型コロナウイルス感染症に関する報道は圧倒的に多く、実際に目を向けなければならない山積みしている大きな問題がなかなか衆目に触れなくなっている。コロナ対策も多くの方が指摘され、すでに明らかになっている様に、菅政権の対応は「後手、後手」である。徹底した検査態勢と補償のもとで、十分な感染対策をした上での「自律的な日常生活」をするしか無い感染症なのに、一方で経済活動を煽りながら、「権力強化」による統制で人々の行動を制限する方向に舵が切られている。

 そうした中で、医療体制の崩壊が叫ばれる割に医療従事者に対する行政支援は薄く、社会の目も冷たく、「家族が医療従事者」というだけで、一般診療を断る医療機関さえあるという。「人が動いて接触すれば感染が拡大する」これが新型コロナウイルス感染症の本質ゆえに「統制の仕方」を誤れば、「人権の抑圧」「差別意識の蔓延」が残り、あげくそこから抜け出して自由になりたい人々の行動が新たな感染拡大に繋がっていくという悪循環が繰り返されていると思えて仕方が無い。

 「国民の命を守る」と宣言しつつ出される菅政権の政策には、本気で国民の命を守る心を感じない。「目玉商品(携帯電話料金値下げとかデジタル化推進など)の安売り」「隠蔽と責任逃れ」が見え見えの上に、「ファシズム」が見え隠れしている。そんな菅政権に立ち向かい市民運動の力でそれを倒すしかない。それが今年の目標だ。

 昨年は、コロナ禍で自粛を迫られ集会もデモも学習会も思い通りにできず、酒席での交歓もできず欲求不満が充満したまま一年が過ぎた。それでも、仲間とともに知恵をしぼり、規模を縮小しつつも映像を使って「南西諸島に展開する自衛隊基地の現状」について学習会をしたり、「憲法かるた」を使って「憲法を学び合うかるた会」(憲法を活かす意義が良く見えて、かつ結構楽しい。)を企画して取り組んだ。

 さらには、「自粛はするけど萎縮はしない」との掛け声のもとで、毎月3日と19日のスタンディングアピール、毎週金曜日の駅前街宣行動を取り組むことはできた。ピースサイクル運動も何とか取り組んだ。脱原発集会もスタンディングアピール形式を取り入れて取り組んだ。そうした行動が「安倍政権の終わり」に直接貢献したかどうかはわからないが、女性陣の頑張りと共に一定の手応えは感じている。

 今年直近の重要な課題は長野県においての市民と野党共闘の具体的な実現である。残念ながらコロナ感染で急逝された羽田雄一郎参議院議員に代わる長野県区の参議院補選に勝利することだ。さらには私のいる選挙区の野党統一候補が決まっていない状況を早く解決するという課題がある。かつて、市民と野党共闘によって当選した議員が自民党に入党するという裏切りに対抗しなければならない。

年初からこうした課題にも関わりつつ、「STOP改憲発議」「脱原発」「辺野古新基地建設反対」「軍拡反対」の流れを強めるために行動したいと思っている。そして、なんとしても菅政権を終わらせる。(長野県)

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防衛費拡大、辺野古新基地建設やめさせ憲法がくらしと政治に生かすため社会を

山本みはぎ(不戦へのネットワーク)

7年8か月にもわたり政権に居座り続けた安倍政権に代わり、安倍の政策を引き継ぐ菅政権に代わりました。しかし、「自助・共助・公助」をあげる菅政権は、経済優先のGoToキャンペーンなどでまともにコロナ対策などを取り組まず、感染を拡大させて医療現場の崩壊や失業者や自殺者の増加など、命も生活も破壊されている状況をつくっています。私達の運動も、活動の変更や縮小など困難な状況が続いていますが、菅政権の憲法破壊の政治をストップさせ、まっとうな政治への転換を目指して今年も取り組みたいと思います。

1.実質改憲・明文改憲を阻止しよう

 安倍政権下では、悲願の憲法の明文改憲は3000万人署名などの粘り強い草の根運動で阻止できましたが、2021年度の防衛予算に端的に表れているように、実質的に「敵基地能力」をもつスタンド・オフ・ミサイルの開発など実質的な「改憲」が進んでいます。
防衛関係費は5兆3422億円となり、前年度比289億円増、7年連続で過去最大を更新しました。しかも厳しい財政状況の中においても最高の伸び率となっています。航空自衛隊F2戦闘機の後継で35年の配備をめざす次期戦闘機の開発費が576億円計上され、12式地対艦誘導弾(SSM)は、長射程化する開発に335億円とし、敵の攻撃の圏外から対処できるスタンド・オフ・ミサイルとする予定です。また、陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」の代替策として、イージス・システム搭載艦建造に向けた調査費17億円が盛り込まれました。事実上の敵基地攻撃能力を保有するなど、「専守防衛」の枠を越える防衛力整備となっています。明文改憲に反対することももちろんですが、憲法違反の軍備拡大にも反対をしていく必要があります。

2.辺野古の新基地建設をやめさせ、南西諸島への自衛隊配備に反対しよう

辺野古の新基地建設について、大浦湾の軟弱地盤の問題などで沖縄県に対し、設計変更の申請を行いました。これに対して全国から18000通以上の反対の意見書が寄せられました。水深90mの軟弱地盤の工事は不可能とされ、専門家の指摘では震度1で護岸が崩壊するという指摘がある中、違法な工事が連日進められています。なかなか沖縄現地へ行くことは困難な状況ですが、辺野古新基地建設反対に向け、引き続き取り組んでいきます。また、宮古島、石垣など南西諸島へ自衛隊のミサイル基地建設が進んでいます。本土ではあまり大きな問題にはなっていませんが、安倍政権下で進められていた対中包囲網の「開かれたインド太平洋」の一環としての南西諸島への自衛隊配備問題は大事な取り組みになると思います。
安倍政権下での、森友・加計、桜を観る会の問題など、政治の私物化や腐敗の問題もそのまま菅政権下に引き継がれています。民主主義・立憲主義の破壊が繰り返された政治をまっとうなものにしないといけません。

愛知では、安保法制を契機に結成をした「安倍内閣の暴走をとめよう共同行動実行委員会」と、安倍9条改憲に反対する「安倍9条改憲NO!あいち市民アクション」の両団体がそれぞれの課題で取り組んできましたが、安倍政権の退陣を機に、両団体が協議を重ね、「現行憲法の明文改憲及び実質改憲に反対し、憲法をくらしと政治にいかす」ことを目的に、幅広い個人・団体で構成をする「憲法を政治とくらしにいかす 改憲NO!あいち総がかり行動」を、昨年11月に結成しました。毎週の街頭行動や19日行動を中心に、集会やデモなど活動を始めています。

 そして、今年は衆議院選挙の年です。愛知では「市民と野党をつなぐ会@あいち」が、県下15区で野党共闘に向けて動き出しています。また、昨年9月には市民連合@愛知と共に16項目の政策を作成しました。なかなか困難なこともたくさんありますが、県下で野党共闘を実現させ、衆議選を取り組みたいと思います。

最後に、4月には名古屋市長選もあります。南京大虐殺はなかったと発言し、一昨年のあいちトリエンナーレでは、開催を妨害し、昨年は高須克弥氏などと署名の8割が不正なものであったという前代未聞の「大村知事リコール」運動を推進した河村たかし氏を市長の座から引き釣り降ろさないといけないと思っています。
課題は山積みですが、憲法がくらしと政治に生きる社会の実現をめざして引き続き頑張りたいと思います。(愛知県)

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2021年をスガ・維新の 強権政治を終わらせる年に!

松岡幹雄@市民連合・豊中

スガ政権に殺されないために

新型コロナの感染が爆発し連日最多が更新される中、1月7日、ようやくスガ政権は緊急事態宣言を再発出した。この間、スガ政権は感染が拡大するもとでも「Go To」事業を強行し、日本の医師会や医療現場からの声を無視し事態を深刻にしてきた。倒産、廃業、雇い止め・解雇が広がり、女性の貧困や自殺が急増し多くの人びとから悲鳴があがっている。政治の無為無策と自助のおしつけはまさに「人災」そのものだ。私たちは今、「政権に殺される」危機に晒されている。コロナ対策の無為無策にくわえ、「モリ・カケ・サクラ」疑惑の隠蔽、カワイ・タマゴなど政治腐敗の蔓延、日本学術会議任命拒否問題での冷徹な強権支配や説明拒否の数々。スガ政権は、まちがいなく打倒対象になった。

7年と8ヶ月に及んだ安倍政治によって政治による国家(行政)の私物化が急速に進んだ。アベ政治を継承するというスガ政治もまた同様に国政の私物化を続けている。そして、今この一部の政治家や官僚による<おともだち政治>がコロナ危機の中でその統治能力のなさを曝け出している。官邸のおともだち主導政治から憲法に基づく民主政治を取りもどさねばならない。

各世論調査において、スガ政権への支持と不支持が逆転した。一方で自民党への支持率はさほど減ることなく立憲野党への支持が伸びていない。市民連合年頭所感では、「有権者は『静かな絶望』に慣れてしまったかのようにも見えます」と記され、「いのちと人間の尊厳を守る選択肢」をともにつくることを呼びかけている。新たな政権へ選択肢を語る一年にしていきたい。

私たち市民が希望するあらたな政治選択とは何か。もっと、市民の声が反映される政治であり、共産党を含めたオール野党による政治であり、多党間の合議と合意による多様性ある政治であり、一部の人間たちによる非科学的な政治ではなく、科学に裏打ちされる公開の政治だ。<強権・忖度・密室>ではなく<多様性・合意・公開>の政治プロセスも大事な選択肢ではないだろうか。

維新政治に殺されないために

大阪市廃止の是非を問う住民投票から5日後、「政治家をやめると言っていた」松井市長は突然「広域行政一元化」=事実上の政令都市の廃止を言い出した。翌6日には、「僕は二度と大阪都構想に挑戦することはない」といっていた吉村知事が、「賛否は1ポイント差、約半数の声を尊重する事も大事」と言い出した。1ポイント差でかりに賛成が多数になったとしたら維新は大阪市を残しただろうか。絶対にありえない。維新は、「究極の屁理屈」をこねて、「都構想」を復活させようとしているのだ。「住民投票の結果に従わないんやったら、なんでコロナの時に、5億円も使って住民投票したんや!」維新の会には心底怒りを感じる。

12月28日開催した「副首都推進本部会議」で2月議会に「広域行政一元化条例」を出すことを決めた。「広域行政」とは何か。主に都市計画などの「成長戦略」のことだ。大阪市が実施してきた「広域行政」の権限・財源を大阪府に移管し、「広域行政」に係わる大阪市の税収の約3分の1(2000億円)を大阪府に毎年渡す、という内容だ。吸い上げたお金は、IR=カジノ、万博、巨大開発につぎ込み浪費されることになる。いわば、大阪市立ち枯れ条例が強行されようとしているのだ。政令都市の権限は、地方自治法でしっかり明記されている。法律に反した条例を作ることは憲法94条で禁じられている。条例で政令都市の権限を都道府県が召し上げることは、憲法上、法律上できない。こんな、憲法に反する行為を私たちは絶対に許すことはできない。

大阪市の人口は、大阪府の人口の3割、しかし感染者は5割以上に及ぶ。大阪市がコロナ対策をとらねば大阪府の感染激増をとめることはできない。しかし、松井・吉村維新コンビは、大阪市廃止の住民投票を強行し、5月22日から「バーチャル都構想」などと言って大阪市のコロナ対策会議を事実上「休会」にし、大阪市としてのコロナ対策はなされなくなった。

その結果、何が起きたのか。12月は11月の3倍の感染者数。東京と比べると感染者数は人口比の2倍。重傷者は過去最大171人、すぐに使える病床の使用率は82%。死者数は東京の2倍、全国一となってしまった。医療現場や保健所からこれ以上の感染拡大をとめてほしいと切実な声があがっているが、PCR検査も9月に「一日2万件」を確保すると吉村は豪語したが現在は一日わずか1800件程度。「都構想」に10億円かけてもPCR検査体制強化にはわずか5750万ぽっち。(神戸市は10億円かけている)高齢者施設や学校、医療、保育、幼稚園などで早急にPCR検査を実施する必要があるが、維新の会は未だにやろうとはしない。吉村知事は、本来なら緊急事態宣言をだすべきところ「大阪の感染者は下降している」「要請するつもりはない」と言い放った。(その後一転して、1月8日国に要請すると言いだした。)維新政治をこのまま続ければ大阪府民は殺されてしまう。無用な制度いじりをこれ以上続けさせるわけにはいかない。私たちの「いのちを守る」ためにスガ・維新政治を終わりにしよう。(大阪府)

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憲法九条無視の軍事化にストップを

新田秀樹(ピースリンク広島・呉・岩国)

コロナ禍という、先の見えない状況下で2021年を迎えました。広島県は年末からの爆発的拡大で市内中心部の飲食店において、自粛要請を行っている。忘年会と新年会でにぎわうはずの広島市内は閑散とし、愚策「GOTO」の適用除外で地元廿日市市の観光地宮島も観光客や初詣客もまばらで経済的ダメージが大きいが、いずれの補償も限定的である。

ヒロシマ総がかり行動実行委員会は5月と11月の憲法集会を軸に、3の日行動や国会開催日に街宣を行ってきた。共同行動は定着してきたが、コロナ禍でチラシの配布は自粛、自粛要請中でもあり1月3日の街宣は中止し、18日の国会開会日も見送ることにした。世の中が自粛ムードの中でも、自民党による改憲の動きは止まらない。数の力でごり押しする姿勢は変わらない。世論を無視して、改憲手続法の改定を急ぐ憲法審査会の動きを注視するため、来月6日には国会情勢を共有する高田健さん講師にオンライン学習会を予定している。

また、総選挙は必ず今年あります。とりわけ全国を騒がせている「河合安里問題」の地元でもあり、近々失職確実な情勢で参院補選も行われる可能性が高い。前回総選挙で広島3区(広島市北部、県西北)市民連合が発足し、現職自民党(当時)河合克之を追い込むところまで行った。この3区には公明比例の斉藤鉄夫が立候補の意欲を示し、注目の選挙区だ。現在、2区(広島市西部、県西部)、5区(呉市中心)でも市民連合が発足し、連携し運動を模索している。

同時に気になるのが軍事問題だ。ピースリンク広島・呉・岩国も例外ではなく、コロナ禍で思うように運動ができない状況が続いている。しかし、政府による軍拡路線は進むばかりで、史上最大の5兆3422億円の来年度防衛予算が計上されている。2015年の戦争法強行採決以降、着実に自衛隊の在り方も変わっている。

戦争法を前提にした2015新日米ガイドラインでは「日本の平和及び安全を確保するため、また、アジア太平洋地域及びこれを越えた地域が安定し、平和で繁栄したものとなるよう、日米両国間の安全保障及び防衛協力」とし、世界中で日米共同行動ができうる体制になったといえる。解釈改憲で集団的自衛権を合法とし、米軍防護のための戦闘をも可能にしている。戦争法施行以降、公式発表はほとんどないが米軍防護は進んでいるのではないかと思われる。

併せて日米共同訓練をはじめ多国間共同訓練も盛んにおこなわれるようになった。とりわけ昨年10月末から行われた日米共同演習「キーンソード(鋭利な刀)21」は陸海空自衛隊37000人参加の過去最大の演習で部分的にしか公開されていないが、自衛隊だけでも航空機170機、艦船20隻が参加する大規模なものだ。海上自衛隊呉基地からもヘリ空母「かが」や揚陸艦などの大型艦船がほとんどいなくなった。確実に戦争法は私たちの知らないところで動き出している。

ピースリンクとして呉駅前の街宣を毎月続けてきた。表立って私たちに賛同する市民が多いわけではないが、自衛隊員とその家族や関係者が多い市内では反応はいいように思う。海上自衛隊の任務はより多角化しハードになり、慢性的な人手不足だという。「こんなはずではなかった」と思う隊員もいると思う。私たちの粘り強い活動も大事だと思う。

防衛装備では「イージスアショア」は中止になったが、大型イージス艦計画や敵地攻撃装備などへと動き出そうとしている。現状では海上自衛隊に昨年、新型イージス艦「まや」が配備され、今年「まや」型2番艦「はぐろ」が配備される。イージス艦8隻体制になったが、新型イージス艦は米海軍のイージス艦との情報共有ができる能力を持ち、ここでも日米一体化が進む。ヘリ空母「かが」は「いずも」に続き、米海兵隊戦闘機F35Bを想定した戦闘的空母化に向けた改修予算も計上されている。

同時に米軍岩国基地も原子力空母ロナルドレーガンの艦載機基地として、海兵隊最新鋭戦闘機F35Bの前線基地としてアジア最大級の基地となった。平和都市ヒロシマの足元は私たちの訴えとは裏腹に動いている。今年も課題山済みだが、黙っているわけにはいかない。(広島県)

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今日の日記・2021年頭所感に代えて2021年1月2日(土)小雨のち曇り

池田年宏(大分)

 今日は(福岡県)航空自衛隊築城基地前の座り込みに行ってきた。自転車で行こうと思っていたのだが、あいにくの小雨でそれは断念した。毎月2の日に行っており、通算380回目となる。50人の参加。参加者が思い思いにマイクを握る。いろいろな方面からの報告があり、いつもながら勉強になる。発言のいくつかを記す。

 大阪の関西生コン労組事件闘争で、元日から400人が警察所前に集い、インターナショナルの大合唱があった。報道ではほとんど報じられることがない。

コロナ禍での生活保障の問題が語られた。正規雇用であれば、公務員(学校)の給料保障はあるが、非常勤講師にはそれがない。1~3万円の月給である。生活の保障がなくては教育活動も何もあったものではない。制度の抜本的な改正が必要だ。同じようなことが様々な業種で起きていることだろう。

防衛大学校のいじめ事件裁判で勝訴が確定した原告Nさんのお母さんも参加しており、経緯や今後の課題を語ってもらった。いじめという言葉では、とても言い表せない。これは人権侵害である。つまりは人間の尊厳を貶める行為だ。自衛隊というのは、戦争遂行装置であり、人権を慮っていては成り立たない構造を持つ組織だ。謝罪だけでなく、組織の在り方を問い続けなければならない。先の非常勤講師の方は、進路指導でこのことに触れたところ、生徒の間でも広まっている話(訴訟)で、そんなところにはいきたくない、と言っているそうだ。観念的でなく、具体的な事実を示すことで生徒の皆さんも判断できるということだろう。

長年運動を共にしてきた先輩の訃報もあった。91歳だった。話し始めると終わらない人だった。そこは参加者にも共通の思い出があるらしく、悲しみのうちにも笑顔が垣間見えた。逝去を淡々と受けとめるあたり、皆さんの貫禄を感じる。「イラヨイ月夜浜」を歌った。赤旗を歌う人もいた。

辺野古や高江、宮古・石垣島の基地問題もとても気になる。築城基地前の座り込みも志を同じくして連帯していきたい。ちなみに今年の横断幕は昨年と同じ、「築城の米軍基地化を許さない」だ。当然のことながら、安倍のウソのことも話題にのぼる。立て看板を作り、行き交う車にアピールをするMさんも作成の思いを語った。

在日のPさんも近況報告。コロナ禍であっても講演に呼んでくれた学校がいくつもあった。感謝に堪えない、と。希望を捨てていない。南北の平和的統一と東アジアの平和を願って今年も頑張る、とのこと。新たな「やる気」をもらい、座り込みを後にした。

さて話題を私ごとに戻そう。昨年末、職場で徴用工問題をテーマに平和学習を行った。韓国の植民地歴史館が作成途中のビデオを使っての授業だった。職場の仲間と構想を練る中で植民地主義のことを語り合えたことは大きな収穫だ。今年は早々にハンセン病問題に取り組む。

「憲法・教育基本法改悪に反対する市民連絡会おおいた」では、3月の総会・記念講演でハンセン病の国賠訴訟をはじめ多くの人権裁判にかかわっている徳田弁護士をお招きし、「知って、何をするか」との表題でお話をしていただく。私たちはハンセン病差別問題から、実は何も学んでいないのではないか。コロナ禍の中でなぜ同じような差別が起きているのか。憲法に謳われている基本的人権とは、幸福追求権とは一体何なのか。昨今の憲法をないがしろにする政権・官僚、そしてそれを見逃している市民の側の責任はどうなのか。学び、これからの運動につなげていきたい。

来る選挙において自公政権をのさばらせるわけにはいかない。自民党憲法改正推進本部長の衛藤征士郎氏は大分2区だ。

「平和をめざすオールおおいた」が昨年11月末に野党共闘を視野に入れ、日本学術会議問題で大分駅前集会を開いた。また、「安保法制違憲訴訟の会・大分」は、昨年1月に提訴している。原告一人ひとりがその思いを意見陳述書に表わしている。互いがつながりを強め、世論喚起をしていく。
憲法改悪を許してはならない。(大分県)

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私たちは、自民党4項目改憲を目的にした憲法審査会の開催と公選法並びの改憲手続法改正案の採決に反対します

2021年1月18日

戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会
改憲問題対策法律家6団体連絡会

私たちは、自民党4項目改憲を目的にした憲法審査会の開催と公選法並びの改憲手続法改正案の採決に反対します

憲法9条などの改憲を目指し、戦争法など数々の違憲立法を強行採決により成立させてきた安倍前首相は、辞任表明後もなお「改憲手続法を今国会で成立させる」と表明し、後継の菅政権も、「

安倍政治の継承」を謳い、憲法改正に取り組むことを表明しました。これを受けて、衛藤征士郎自民党憲法改正推進本部長は、9条への自衛隊明記や緊急事態条項創設など自民党4項目改憲案をもとに改憲原案に仕上げるとして、憲法改正原案起草委員会を立ち上げて活動を開始しました。そのような中で、昨年11月26日に開催された衆議院憲法審査会では、与党ら提出のいわゆる公選法並びの7項目の改憲手続法改正案(以下「7項目改正法案」あるいは単に「改正法案」といいます。)の審議が開始され、採否は持ち越されました。

しかし、新型コロナ感染症の急激な感染拡大の中で、今、国会が全力を集中すべきは、医療崩壊を食い止め、市民の命を守り、生活の糧を得ることが困難となった多くの市民に対する補償や救済策を講じ、PCR検査の拡大など新型コロナ感染症の感染拡大を止める有効な対策を実行することであり、世論の大多数が望んでいない改憲の手続きについての議論ではありません。

総がかり行動実行委員会と改憲問題対策法律家6団体連絡会は、以上の理由から、通常国会において、自民党4項目改憲を目的にした憲法審査会を開催すること自体に反対であり、仮に、開催するとしても7項目改正案の抜本的な見直しと改憲手続法の本質的な欠陥の是正を抜きに採決することには、以下に述べる理由により、強く反対します。

第1 憲法改正の投票を通常の選挙と同列に論じること自体誤りであること

1 7項目改正法案は、2016年に改正された公職選挙法(名簿の閲覧、在外名簿の登録、 共通投票所、期日前投票、洋上投票、繰り延べ投票、投票所への同伴)の7項目にそろえて(並べて)改正する法案です。与党議員らは、「投票環境を向上させる」ものであり野党にも異論はないはず、提出からすでに7国会を経ている以上、直ちに成立させるべきとしています。

2 しかし、7項目改正法案の審議は、昨年11月26日の憲法審査会で始まったばかりであり、中身の検討は全くなされていません。法案提出者は、投票環境を改善するもので異論はないはずだとしていますが、たとえば期日前投票時間の2時間の短縮が可能となっていたり、繰り延べ投票期日の告示期限が5日前から2日前までに短縮されているなど、投票環境を後退させるものも含まれています。通常の選挙では仮に許されるとしても、憲法96条の憲法改正国民投票において、国民の投票環境を後退させることは許されません。国の基本である憲法を改正するか否かの国民投票の在り方がどうあるべきかは、それ自体、憲法審査会で慎重かつ十分な議論が必要です。

第2 7項目改正法案は、改憲手続法の根本的な問題が未解決の欠陥法案であること

改憲手続法については、2007年5月の成立時において参議院で18項目にわたる附帯決議がなされ、2014年6月の一部改正の際にも衆議院憲法審査会で7項目、参議院憲法審査会で20項目もの附帯決議がなされており、日本弁護士連合会その他学者などからも欠陥の見直しを強く求められています。にも関わらず、これらの本質的な問題の解決が、13年以上も放置され続けています。とりわけ、(ⅰ)ラジオ・テレビ、インターネットの有料広告規制の問題や、ビッグデータの利用の規制の問題は、改憲手続法改正の議論において、避けては通れない重大な問題です。また、(ⅱ)運動の主体の問題もきわめて重要です。現在は、公務員・教育者に対する規制を除き(それ自体見直しの議論が必要です。)運動主体に制限はありません。しかし、企業(外国企業を含む)や外国政府などが、費用の規制もなく完全に自由に国民投票運動ができるとする法制は、抜本的な見直しが不可欠です。

7項目改正法案は、以上述べたような-「憲法改正をカネで買う」危険についてなどの問題が、全く考慮されていない欠陥改正法案です。これらの本質的な議論と制度の見直しを抜きに、欠陥改正法案を急ぎ成立させる必要は全くありません。

第3 7項目改正法案は、自民党の掲げる4項目改憲への道を開く道具であること

もっとも、与党や維新らの改憲派が7項目改正法案の成立を急ぐ理由はあります。それは、自民党が現在準備中の4項目改憲案を憲法審査会に提示するために、7項目改正法案を成立させる必要があるからです。7項目の改正案が成立すれば、次は憲法改正原案の提示に進む目論見であることは明らかです。

そもそも、7項目改正法案は、安倍前首相の掲げた改憲を強行するための「道具」として生み出されたものです。2017年5月に、安倍首相(当時)が「2020年までに改憲を成し遂げる」と宣言し、2018年3月に自民党4項目改憲案の素案を取りまとめ、同年6月に、急遽間に合わせるように提出されたのが、この改憲手続法の7項目改正案です。自民党の4項目改憲案の狙いは憲法9条の改憲にあります。戦力の不保持、交戦権の否認を定めた9条2項を空文化し、「必要な自衛の措置」の名目で、無制限の集団的自衛権の行使を憲法上可能にし、自衛隊を通常の「軍隊」・「国防軍」にしようとするものに他ならず、「戦争をしない国」という我が国のあり方を根底から変える危険な改憲案であって、絶対に許してはなりません。欠陥改正法案法を成立させることは、この自民党改憲案が憲法審査会に提示され改憲発議への道を開くことに直結します。

第4 市民は、憲法改正議論など望んでいないこと

市民が、憲法改正を必要とは考えていないことは、一昨年からのいずれの各種世論調査からも明らかです。新型コロナ感染症の拡大で苦しむ多くの人々の命も健康も生活も蔑ろにして、国会も開かずに自助を迫るだけの無能無策の限りを尽くす政府に対して、市民は心底怒りを覚えています。

憲法改正の議論は、市民のなかから憲法を改正すべしという世論が大きく高まり、コンセンサスが形成される中で初めて可能となるのであり、市民の意思を無視して憲法尊重擁護義務(憲法99条)を負う国会議員や首相が主導することは許されません。そして、今、憲法改正論議を進めることなど市民が全く望んでいないことは明らかです。政府と国会が、何をおいても全力で取り組むべ きことは、新型コロナ対策であり、市民の命と生活を守る施策であり、安倍前首相の桜を見る会関連の犯罪嫌疑などでに堕ちた政治への信頼を取り戻し、立憲主義と民主主義の本道に立ち返るための努力です。
以上

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菅内閣の「デジタル化」でプライバシーは丸裸

小川 良則(9条壊すな実行委員会)

コロナで明けコロナで暮れた2020年の「今年の漢字」には「密」が選ばれ、流行語大賞もトップ10のうち5つがコロナ関連のもので占められた。政府の対応も経済を回すことや五輪の中止を避けることを最優先に極めてチグハグで場当たり的なものになった。その無策ぶりの際たるものが感染爆発・医療崩壊の瀬戸際にあってもなお「GoTo キャンペーン」を止めようとしなかった頑なな姿勢であることには誰しも異論はなかろう。

しかし、転んでもタダでは起きないのが今の政権の狡猾なところであり、給付金の支給の遅れを「マイ・ナンバー」が普及しないせいにして憚らない。政府は「マイ・ナンバー」カードに保険証や運転免許証の機能まで持たせることで何とか普及させようとしており、官公庁では半ば事実上の強制にあたる動きもあるが、そうした利便性と引き換えにプライバシーが丸裸にされる「監視社会」への懸念は何一つ解消されていない。

菅内閣が発足の際に専属の閣僚まで置いて打ち出したのが「デジタル庁」の創設であった。確かに「縦割り」の打破とか脱「ハンコ」と言えば聞こえはいいかもしれない。しかし、それぞれの目的に沿って集積した情報を他に転用しないという意味では、従来の仕組みがプライバシーの侵害への一定の歯止めになっていたことも事実である。

もっとも、これはかなり以前から計画されてきたもので、森内閣時の2000年のIT基本法まで遡ることができる。安倍内閣下の2016年には官民データ共用推進法が、2019年5月には行政手続を電子申請に統一するデジタルファースト法が制定され、2019年12月にはデジタル・ガバメント実行計画が閣議決定された。そこでは、あらゆる手続の「オンライン化」と「ワンストップ・サービス」が標榜されている。しかも、その対象範囲は戸籍のように行政で自己完結する分野にとどまらない。税や社会保険や年金の分野では実際に給与からの天引きを行なっているのは民間企業の労務部門であるが、その場面をも包含されているのであり、そのツールが「マイ・ナンバー」なのである。

「マイ・ナンバー」カードの普及率は2020年10月にようやく2割に達したばかりでしかない。しかし、これが国民皆保険制度の下で誰もが持っている保険証に取って代わるとしたら、その意味するところは深刻である。目的や制度設計の異なるシステムに蓄積されたデータが「マイ・ナンバー」で検索できるということは、取引の履歴、病歴、預貯金やローンの残高はもとより、それを通じて健康状態や思想傾向も含めた人格の全てが丸裸にされるということを意味する。また、首相直轄の「デジタル庁」が内閣府に置かれるということは、内閣官房に置かれた情報調査室、ひいては全国の公安警察に情報が筒抜けになると見なければならない。その行きつく先はオーウェルの「1984年」の描いた監視社会である。

そして、その狙いの一部は既に「特区」という形で、2020年の通常国会で成立したスーパーシティ法の中に盛り込まれている。また、既に「デジタル関係」の予算は各所管省庁毎ではなく内閣府のIT室で一元管理されている。これは、個人情報がデジタル庁を頂点とする中央集権的管理支配体制の下に置かれることを意味している。

さらに、現在、それぞれの自治体ごとに地域の事情や特性に応じて設けている独自のシステムを国のシステムに統一することも企図されている。しかも、国への一元化はシステムだけではない。内閣官房に置かれた「個人情報保護制度の見直しに関するタスクフォース」が2020年12月に取りまとめた最終報告書では、国の個人情報保護制度の至らない部分を各自治体の創意工夫で補ってきた個人情報保護条例の水準を全国一律で国の水準に引き下げようとしているが、これが地方自治の破壊でなくて何であろうか。

そもそも、官公庁の保有する個人情報は本人の同意なしに職権で強制的に収集したものが大半であり、民間企業の保有する個人情報に比べてより厳格な保護が求められる。しかし、政府の「デジタル改革関連法案ワーキンググループ」で慶応大学の宮田裕章教授は官公庁や民間企業による「データ共同利用権」を説いているが、これは本人の同意がなくても「相当の公益性」があればデータ利用を認めようというものであり、絶対に認める訳にはいかない。

ちなみに、EUでは2018年5月に施行されたデータ保護規則(GDPR)により、自身のデータの削除をデータ管理者に求める権利や個人データが侵害された際のデータ管理者の規制当局への通知義務が定められている。政府の進めようとしている「デジタル化計画」は、GDPRのような本人同意を核とする自己情報コントロール権の考え方と真っ向から対立するものである。しかも、欧米のようなプライバシー侵害を監視・規制する独立機関の設置は想定されていない。

このような問題だらけの制度を見かけの「利便性」を釣餌としてコロナの混乱に便乗して通すのを許す訳にはいかない。立憲野党の合同ヒアリングや国会審議等の場を通じて広く問題点を明らかにするとともに、これを押し返す運動の輪を急ぎ築いていく必要がある。

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第149回市民憲法講座 菅新政権と私たちの課題―安倍政治継承の菅内閣退陣へ

高田 健さん(市民連絡会事務局長、総がかり行動共同代表)

(編集部註)12月26日の講座で高田健さんが講演した内容を編集部の責任で要約したものです、要約の責任はすべて本誌編集部にあります。

はじめに

今から1年前にどういうことを考えていたかということをあらためて振り返るのに、私たちの会報「私と憲法」の1月1日号を見てみました。1月1日号の見出しは「今年こそ全力を挙げて安倍改憲を阻止し安倍政権を打倒へ」です。

この2020年に何としても安倍改憲を阻止して、そのことを通じて安倍政権を打倒しようということが今年1月1日の呼びかけでした。幸いなことに、ここで呼びかけた方向で今年1年の事態は大きくは進んできたように思いました。

レジメの「はじめに」のところに簡単に今日お話しすることの概略を書きました。菅内閣の3ヶ月でコロナの対策に関しては安倍政権同様まったく進んでいない。今日は東京では949人という、このままでいくと東京の感染者が1000人を超えるのは時間の問題、明日かもしれない、明後日かもしれないという状況になってきていて、これに対する菅内閣の3ヶ月間は、まったく無策だったと思うんです。

それから学術会議の問題についても菅さんは「だいたい国民の理解を得てきた」ということを先日言ったんですけれども、これは「国民の理解」どころか、菅さんの説明は全然理解を得ていない。

前の安倍政権が「遺言」のように自分の政権が終わるときに、「談話」のかたちで提言を残していった。次の政権に対して「こういうことをやれ」ということを辞める政権が言った。敵基地攻撃能力を持つようにという指示だった。これがどうなっているのかという問題があります。

それから日米同盟の強化の問題です。これも菅さんは早速バイデンさんが当確になると電話会談をしたという話になっています。そしていま、アーミテージ=ナイレポートというこの間の日米関係あるいは日本の対外戦略を何度も指図してきたようなレポートのNO.5が最近発表になった。アーミテージというのは共和党系ですからバイデンさんの系統とは所属している政党は違いますけれども、これは結構影響力のある人で、バイデン政権もこのアーミテージレポートに左右されていく、日米関係が一層強化されていくような事態が進んでいます。

憲法審査会ですけれども最近3回ほど立て続けてやられた。改憲手続法(いわゆる「国民投票法」)の議論の中で出てきたことは、これを来年中には何とか採決したいということで自民党がいま動いています。これをやればそのあと明文改憲のための発議という議論になっていくということです。

発足当初、菅政権は驚くほどの高支持率だった。けれども最近はこの支持率も急速に落ちてきている。しかし一方で野党の支持率が上がっているかというとそうではない。菅内閣の支持率は急速に10ポイントくらいづつ落ちている。それにともなって野党の支持率もどんどん上がっていけばいいんですが、残念ながら上がっていない。どういう問題があるのか。

自民党はいま菅さんを掲げて来年には確実にある総選挙を戦えるのかどうか。実際自民党の中でもすでに疑問が起こっている。「菅では戦えない」。菅さんの大きな顔が入っている、あの「国民のために働く」という看板ですね。あれを背景にして自民党の各候補者が総選挙を戦えるのか、そんな疑問も出てきて、自民党の中に亀裂も出てきています。これらを含めて今後どうなっていくのかも一緒に考えてみたいと思います。とりわけコロナ対策の問題とオリンピックがどうなるのかというような問題も関連がありますので、今日は一緒に考えることができたらなと思っています。

安倍政権が倒れた理由

第1番目の問題です。安倍政権がなぜ倒れたかという問題です。これは過ぎ去った問題ですがきちんと考えておかないと、これからの私たちの方向も出てこないので、あらためて考えたいと思います。

理由を2つ書いておきました。ひとつはいままで縷々述べてきたさまざまな内政・外交の問題に対して安倍政権が成功しなかった。窮地に追い詰められた。特にコロナ対策で、例の「アベノマスク」なんていま考えると本当にお笑いですけれども、ああいうことまで真面目にやられていたんですよね。安倍政権のコロナ対策は全くの失敗で、行き詰まりました。途中では緊急事態宣言というものも出て、緊急事態だからということで市民の権利の制限とかそういう問題との関連もよく考えられていないままに出されてくる。

例えば市民運動圏でも、もう国会のまわりでデモなんてやらせないのではないか、やりにくくなるのではないか、こういういろいろな議論がありました。私たちは4月7日に首相官邸前で緊急事態宣言のもとで初めてデモをやりました。「緊急事態宣言に異議あり」というデモでした。緊急事態宣言に正面から反対するということではありません。しかしこれは今のままやっていったら非常に大きな問題がある。憲法との関係その他、まともに議論がないままでどうなるのかということで、「デモなんかいまやれるの?」「やるべきじゃない」という空気の中で初めてやって、官邸前に160人が集まりました。やってみると、警察の警備も強硬ではありませんでした。

緊急事態宣言下でも、「こういうことができるんだ」ということが運動圏に伝わっていったと思うんです。こういうことがあの時期の緊急事態宣言とコロナ対策あるいはそれに対する戦い方などで非常に厳しい問題がありました。いずれにしても、安倍政権のコロナ対策の行き詰まり、それが第1番目の理由です。

それからもうひとつ、安倍政権が退陣した大きな理由は、任期中の明文改憲に失敗したことです。去年の1月1日の「私と憲法」の文章の冒頭はそういう問題意識です。安倍さんは来年9月までの自分の任期中に憲法改正をやる、国民投票をやり終えるということを言っている。これを阻止することが私たちの課題だと1年前に考えていたわけですけれども、この安倍改憲が完全に失敗した。安倍さんが辞める大きな理由にはこの問題があったと思います。

安倍さんは自分が内閣総理大臣になって以来、あるいは政治家になって以来、この日本国憲法を必ず変える、自分の代で変えるんだということが政治目標だったわけです。おじいさんの岸信介がそれを目標にしたように、おじいさんが達成できなかった憲法改正(改悪)を自分の代で必ずやると言って、そして政権末期には自分の任期中にやるということを、期限を切ってずっと言ってきた。

ただ今年、安倍さんが辞意を表明したころから計算をすると、どんなにがんばっても彼のあと1年の任期中にはできないんです。どうしたら憲法改正ができるかといったら、次の総選挙で3分の2以上の議席を取って、参議院も政治再編をやって、改憲派を3分の2にする。そのあと国民投票という大変な仕事をやって国民投票で過半数を取る。これには時間も手間暇もかかるわけです。今年、彼が辞める頃、夏以降になるとほぼ絶望的、もう無理だということは安倍さんですら認めざるを得なかった。

私たちはもう無理だとずっと言い続けてきたけれども、それを安倍晋三首相自身も認めざるを得なくなった。何のために政治家になったのか、何のために総理大臣になったのか、安倍さんの目標自身がここで大きく揺らいでしまった。「もうやっていられない」ということだと思うんですよね。
ですからこれらの2つの大きな理由で安倍さんはこの政権を投げ出したということだと思います。

コロナ対策と改憲失敗で疲れ果てた

安倍さんの政権投げ出しについていろいろな議論が当時あったと思います。特に運動圏の中で議論になった問題は「安倍政権はなぜ倒れたのか」ということについての考え方です。「本当は自分達の手で倒したかった」「自分達の手で倒したいのに倒せなかった」「これが悔しくてしようがない。残念だ」「安倍政権が倒れたのは結構だけれども、われわれが倒せなかったということで喜べない」、これは一部の学者や評論家のみなさんの中でも言っている人がいました。

私たちは「そうではない」と言ってきました。安倍政権を倒した力というのは、基本的にこの改憲の問題に表れているように民衆の力、世論の力によって安倍政権が倒れたことが主要な側面であって、そこをきちんと捉える必要がある。デモであるいは闘争で直接安倍政権を打倒したのではありませんけれども、安倍政権自身が倒れる理由、その背景はデモや署名の積み重ねを含めて、民衆の闘争の中で作られた世論の力です。

実際に、安倍さんが一番目標としてきた憲法改正の世論がどうなってきたかという数字ですが、憲法改正世論調査があります。2012年の暮れに第2次安倍政権ができましたが、2013年5月3日、安倍政権ができたばかりのときの憲法記念日の数字と、今年の憲法記念日の憲法に関する世論の数字を比較しました。読売新聞の世論調査ですから、朝日新聞でも毎日新聞でも東京新聞でもなくて、一番改憲を主張し改憲をキャンペーンしてきた読売新聞の世論調査を見ておくことがこういう改憲問題を論じるときに便利かなと思って数字を出しました。この期間、2013年から2020年の7年間というのは、安倍さんは懸命に改憲の宣伝をしてきた、そういう7年間です。安倍さん、そして官房長官の菅さんがその手先になってマスメディアを利用して「憲法改正」がどんなに必要か、そういうキャンペーンをしてきた7年間だったのです。ですから安倍さんからすれば2013年から改憲支持率がどんどん上がっていくことが望みだったし、そうなって欲しいと思ってきたと思います。

しかし安倍さんの努力に反して、この7年間では憲法改正を要求する世論が逆に少なくなった。2013年では「改正しない」が31%、「改正する」が51%。今年を見ると49%対48%、これは憲法一般です。9条ということではなくて、どこか一ヶ所でも、婚姻でも天皇でもどこでもいいんですけれども、憲法のどこかを変えた方がいいという人は「改正した方がいい」に丸をつけるという調査です。

9条に関してはどうかというと、2013年では36%が「改正した方がいい」で、「9条を守る」は54%だったのが2020年では63%になりました。「9条改憲」は2013年でも36%しかなかったんですね。それが2020年では3ポイントくらい減っている。

いずれにしてもこの7年間で安倍さんは、憲法について一般でも9条という問題でも、世論を変えることができなかった。逆に安倍さんが望まない方向に世論が動いてきた。なぜこうなったか。安倍さんの方はマスメディアなどを使い、自民党という大きな政党のマシンを使って宣伝ができる。しかし、これに反対する側の一番の力は草の根での市民運動の力、署名とか街頭宣伝とか集会とか、そういうやり方をもってこの世論をつくってきたということがこの間の読売新聞の世論調査に反映した大きな要素だったと思います。

野党共闘の時代

とりわけ安倍さんにとって不利な問題は2015年安保、憲法9条のもとでも集団的自衛権が行使できるという解釈をやろうとした戦争法、それに反対する市民の闘いが大きく盛り上がりました。そういう中で共産党や当時の民主党、現在の立憲民主党系の政党ですけれども、そういう政党が野党共闘をするようになってきて市民連合が誕生して、大きな共闘の前進がこの間つくられた。そういう中で参議院選挙があって、憲法96条は国会の総議員の3分の2以上の賛成で初めて改憲の発議ができると規定していますけれども、その改憲の発議ができる規定、そのものを失ったということがあります。

民衆が時の政権を倒していく闘いというのはいろいろな闘い方があって、その国によって運動の形態もさまざまに違う。ついこの間の韓国のキャンドルデモのような熱い闘い方がありますけれども、日本の闘いは静かな闘いではありましたけれども、全国の人々の多くの努力によってこうした世論を形成し安倍政権自体を追い詰めてきたということがあると思います。この点で私たちは安倍政権が単なる病気で倒れたかのような、あるいは自然に倒れたかのような捉え方はあまりにも一面的すぎると思っています。

 それから「野党共闘の時代」と書きました。いま野党が共闘するということは誰もが言うようになって、当たり前のこととして語られるようになりました。しかし、この「野党共闘」というのは実はついこの前まで当たり前でなかったということを思い出す必要があると思います。2014年以前にはこの野党がなかなか共同しなかったという時代が長期に続きます。

労働組合は分裂し、さまざまな民衆運動、組織も分裂し、野党も当然国会の中で共同できない時代が非常に長く続きました。個別の運動体の名前を挙げて申し訳ないですが、例えば原水爆禁止運動がありますけれども、この原水爆禁止などというのは野党が誰でもみんな同じなんだから一致してやればいいようなものです。けれども、この原水爆禁止運動を進める組織がずっと分裂して対立してきたんですね。いまでも組織は別々です。原水協と原水禁といわれるところと2つある。いまはずいぶん仲良くなりましたけれども、ついこの前まではこの2つの運動体は対立していました。「相手の運動のここが間違っている。われわれはこの点で正しい。だからあの人たちとは一緒にやれないんだ」と。「どうして分裂しているの?」という説明を聞くと必ず両方からそういう説明があるほど、そういう時代がずっと続きました。

野党もそうですよね。国会の中で自民党・公明党に反対するときに、例えば「共産党を除く」となる。共産党以外の野党は共闘するけれども、そのときには共産党は入れてもらえないというか入れないというか。よく「蚊帳の外」なんていう悪口も共産党に対して言われた。そういう蚊帳の外の共産党と共産党を除いた野党の共闘、こういうことが国会の中でずっとやられてきた。勝てるわけはないですよね、足元を見透かされているわけですから。

私は大雑把に60年安保とそのあとの東京都知事選挙、その辺まではこれらの勢力が共同していましたけれども、それ以降はずっと分裂の時代だと思っています。そういう中で私も生きて活動してきた思いもありますから、この分裂の時代に対しては非常に悔しい思いもし、地団駄を踏むような思いもあります。市民はそんなに力が大きくありませんでしたから、脇の方から「やっぱり統一してやるべきだ」ということをちょこちょこと言っても大きな組織にはなかなか聞いてもらえない。そういう時代が長く続いていたのが、実は2014年から大きく転換したわけです。
それで「総がかり行動実行委員会」ができましたし、2015年の暮れには「市民連合」ができた。いまは野党の共闘の時代、野党共闘というのは当たり前になった、そういう時代に入ったと思います。しかし、この2014年の野党の共闘あるいは運動の統一、「総がかり」運動というものは、ある日突然にできたわけではありません。

今日は名前を挙げないでおきますけれども、本まで書いていろいろ議論をされている学者さんもいて、日本の市民運動は「3.11」から始まったと説明する学者さんもいるんですね。あの東日本大震災、原発の問題です。確かにあの原発の問題を契機に大きな市民運動が起きた。反原連とか「さようなら原発」とかいろいろな運動ができたんです。

その人たちの議論を聞いていると、その前までは日本では大きな運動はなかったかのような描き方です。本まで書いておられてなぜ触れないんだろうと、同じ時代を生きてきた私としては感じることがたくさんあって、「まあ、この学者さんも若いからな」とは思います。実は2011年の「3.11」に先立つさまざまな野党の統一、運動の統一そして反戦平和を求める運動が脈々とありました。

共闘を願う「地下水脈」

ここでは「地下水脈」と書きましたけれども、そういう「水脈」がずっとあります。名前を聞いたことはあるかもしれませんが「陸海空港湾20労組」。交通運輸に関係する労働組合がナショナルセンターの違いを超えて大きく共同した時代があります。それは1990年代、日米ガイドラインなどの問題があって自衛隊が海外に派兵されて、中東で戦火に巻き込まれるかもしれない危機のときに、この交通運輸の労働者たちが立ち上がった。この労働組合の中には当時の連合系・同盟系と言われた組合から共産党系と言われたような組合までいろいろ入って共闘した。

それは日本の労働者が実際に海外での戦争を手伝わされる、それを黙認していいかという危機感の中で立ち上がった。例えば海員組合という船員さんたちの組合がある。これは旧同盟系と言われる組合で有名な方です。「右」「左」でいったら当時は「右」の労働組合に分類されていた。こういう海員組合と例えば日本航空労働組合、中立系ですけれどもかなり「左」の組合、あるいは全港湾とか、さまざまな交通関係の労働者たちが1990年代に共闘して海外派兵に反対する闘いをします。私たち、市民運動も呼びかけられ、宗教者のみなさんも呼びかけられて労働組合と実行委員会をつくりました。大きな共同行動がこの時期にできた。上部組織のナショナルセンターのところは統一していませんでしたけれども交通労働者の方は共闘したという時期がありました。

何万という労働者が有事法制に反対して立ち上がりました。そのあとイラク戦争が起きて世界的な反戦平和の運動が起きました。全世界で当時2000万の市民が立ち上がったと言われたイラク戦争反対の闘いです。日本でもこれに反対するワールド・ピース・ナウという若者たちを中心にした反戦の闘いが起きました。シールズのみなさんが若い、若いと言われて15年安保のときにはかなり話題になりましたけれども、この時期のワールド・ピース・ナウの中心というかほとんどの部分は若者でした。非常にたくさんの若者がイラク反戦のハートマークに「PEACE NOW」と書いた看板やバッジを持って立ち上がって、一緒に5万人くらいの集会やデモをやりました。70年安保の闘い以降、若者の反戦平和運動はなくなったと言われていたのが、このワールド・ピース・ナウが登場した。イラクで3人の方が人質になったときなどもワールド・ピース・ナウは日比谷公園や渋谷、首相官邸前などで大きなデモをやりました。首相官邸前の反原連などの運動はその前にこのワールド・ピース・ナウがやっていて、首相官邸前の交差点は埋め尽くされたこともあります。あるいは議員面会所などがぎっしりになるような行動をしたような時期があります。

私などからすると反原連の運動も、決してあれは初めてではなくて、同じようなことをやったなと思うことがいっぱいあります。 その前後から「5.3憲法集会」が統一してやられた。初めて2000年の5.3憲法集会は、共産党と社民党の党首が日比谷公会堂の同じ集会で挨拶をするということがありました。これもNHKがびっくりして報道しました。共産党と社民党の党首が同じ集会で挨拶したということが大ニュースになったんですね。分裂の時代から統一の時代が始まった。そのあとも、例えば教育基本法改悪に反対する運動とか、「九条の会」が全国で6000、7000と組織されたこととか、秘密法や共謀罪に反対する闘いとか、さまざまな闘いがあって2011年3.11以降の反原発、「さようなら原発」や反原連の運動などに運動としてはつながっていきます。

それでも、いま言った5.3憲法集会も大きく統一しながら、例えば連合傘下の平和フォーラムは別の形でやらざるを得なかった時代が長く続いていました。そういう意味では運動は分裂していたんですね。それが2015年安保の中で初めて、連合左派系の平和フォーラムも含めて、広く市民運動が共闘するようになった。それが野党共闘の時代をつくったと思うんです。

その頃、そういう市民運動が大きく統一していく流れを背景にして共産党と当時の民主党の政党の方針が大きく転換します。これが今回の市民連合などにつながっていきましたし、各選挙で野党が一緒に統一候補を出すような動きにつながっていったと思います。

野党共闘の時代、結論的に言えば2014年から始まった総がかりの運動というのは野党共闘を生み出す役割を果たしましたけれども、それはある日突然できたものではなくて、それ以前の10年、20年にわたるいろいろな人々の統一、共同への努力とその積み重ねがあって、そういう積み重ねの中でこの安倍政権がやろうとした戦争法という危険な事態に対して一緒に闘おうという空気が生まれたということを言っておきたいと思いました。

菅政権の特質

今日の本題の菅政権とは何かという問題に入っていきたいと思います。菅さん自身が言っているわけですけれども一つの特徴は「安倍継承政権」です。

実際にこの菅政権が登場する経過は非常に奇妙なものだった。安倍さんが突然政権を投げ出したら自民党の主流派は非常に慌てました。彼らが予測したよりちょっと早すぎたのでしょう。安倍政権を党内野党のように批判していた石破茂、この石破茂と対立して自民党の主流派は安倍政権を支えてきたわけですから、石破茂には絶対政権を渡せない。石破茂には死んでも渡したくない。まずそれが先に来る。自民党の党員全体の人気からいうと石破茂は抜群だったわけですよね。このまま行くと党員投票で石破茂に負けるかもしれないという中で、どうやったら石破茂を落とせるかということに必死になります。

そこで二階俊博とかああいう人たち、知恵者が出てきて党員投票をやらせないで、そして派閥の連合で、何としても新しい安定した政権を作る必要があるいうことで担ぎ出されてきたのが菅義偉なわけです。自民党の主流派から見ると、菅義偉がどれだけの政治能力を持っているかとかそういうことは関係ない。安倍政権を継承して、石破茂のような安倍路線から外れる道を許さない。そうしたピンチヒッターを急いで作る必要がある。派閥を持っていない、自民党の領袖の中では一番弱いのが菅義偉だったと思います。その菅義偉を、みんな石破茂に取らせないということで担いだ。

3人で総裁選挙をやりましたけれども、もし石破茂が次点になれば今回石破をつぶしても次にまた総理大臣になる芽が出てくる。だからどうしても3位にする必要があるというのが主流派の至上命令だった。本来菅に入るべき国会議員の票を岸田に一定回して、岸田候補に第2位の得票をさせる。こうやって石破茂を3位に落とした。もうお前には芽がないぞという宣告をしようとしました。ふがいないことに、石破さんはこのあと石破派の領袖すら降りてしまった。たいしたことないなとあらためて思うんです。別に石破さんの政策内容に賛成するわけではないですから勝手にやってくれと言えばそれまでのことですが、そういうことをやってまで担ぎ出した菅政権はピンチヒッターの内閣で、あくまで暫定的な性格を持った政権だったと思います。

この政権を担いで何とか安倍政治を継承させようというのが当時の最大の目標だった。さまざまに菅義偉に関する宣伝をやりました。「菅義偉物語」を作った。特にこの当時いわれたのは、「苦労人で貧しい人たちの気持ちがわかる、たたき上げの政治家、そういう政権としての菅義偉」という宣伝がかなりやられた。安倍晋三と対照的ですね。

そうやって作られた菅政権ですけれども、官邸独裁を継承したというところも安倍政権を受け継いだ特徴だったと思います。安倍政権は、閣僚20人中の16、17人が「日本会議議員懇談会」の会員だったことはすでによく知られています。今回のピンチヒッターの菅内閣も安倍政権を居抜きで受け継いだように、この構成部分は日本会議や神道議員連盟に属する人たちがほとんどの閣僚を占めたというのが特徴です。

あわせて、内閣官房を官邸ポリスといわれる警察官僚によって支配される政治になっているということです。杉田和博という官房副長官が内閣官房を支配していろいろ差配するという体制。これは安倍政権のときよりももっと露骨にその体質が表れてきたと思います。

もうひとつは、菅さんが安倍政権時代からやってきた仕事としてのメディア統制を、菅さんの政権になってから一層、強化されてきたという特徴があります。

この総裁選の途中ですでに言っていたけれども、自分は「政策に反対するもの(官僚)は異動させる」という形で、外国人記者クラブかどこかの記者会見のときにそういう発言をして、霞ヶ関の官僚に対して、政策に反対したらクビだぞという宣言をしながら総裁選に出てくる。そういうことを含めて菅政権の特徴は、安倍政権を引き継いで官邸独裁という性格を継承し、更に強化しているということがあると思います。

「新自由主義」の問題も書いておきました。この新自由主義は安倍政権もそうだったけれども、90年代からここ数十年にわたって自民党は新自由主義の路線を進めてきたわけです。この新自由主義の旗頭の中で非常に有名なのは竹中平蔵で、小泉内閣のときの総務大臣、あのときは民間から閣僚になったということで大変騒がれたわけですが、菅義偉はそのとき副大臣になっていた。竹中平蔵に指導される立場で小泉政権でもそういう政治をやってきたということがあって、いまでもそのときの親分・子分の関係は同じではないかと思うんです。こういう竹中平蔵が担う新自由主義で鍛えられた菅義偉が言ったことは「自助・共助・公助」です。「そして絆」なんてくっつけましたけれども、およそ政治家が叫ぶスローガンとは真逆なことを言い出した。これをコロナ対策の中でも同じようなことをやろうとしましたがうまくいかない。

環境問題では、特に2050年までのカーボンニュートラルというのを大きく売り出しています。そして「人類が新型コロナウィルスに打ち勝った証としてオリンピックをやるんだ」ということをいま一生懸命強調している。このカーボンニュートラルにしても、漠然としたことしか言われていなくて何も中味がないという批判がありますし、原発問題も重視されている。東京オリンピックが本当にこのままでできるんですか、という問題があります。

話が逸れるかもしれませんがGo Toキャンペーンは多くの批判を浴びるようになった。オリンピックはもっと世界的な規模で人間が移動する。「できるんですか」という問題はいまだに続いていて、来年3月くらいにならないと最終的な判断ができない。「やる、やる」と言っていますけれども本当にやれるのかどうか、Go Toキャンペーンが失敗したことから見ても、こうしたコロナ対策とか環境対策でうまくいきそうもないということがはっきりしていると思います。

そして財界の意向を受けて原発容認、北海道の寿都町に最終処分場を作るとか原発の再稼働とか、こういうことをカーボンニュートラルとあわせてやっているところが菅内閣の非常に危険なところです。

敵基地攻撃能力の保有が進められている

安保外交について、これは冒頭に言った敵基地攻撃能力の保有という安倍が談話で「遺言」のように残した路線の問題です。敵基地攻撃能力の保有というのは大変重大な安保政策の転換で、いわゆる専守防衛といってきた日本の防衛政策の放棄だし、あるいは国連憲章が禁じている先制攻撃論につながることです。敵基地攻撃論は、日本とアメリカの軍事同盟を守るも攻めるもお互いに協力してやろうという攻守同盟化につながるもので、この敵基地攻撃能力の保有という安倍首相が談話で出してきた方針は非常に危険なものです。公明党は「平和の党」を看板にしていますから、いくらなんでもここまですぐに認めてしまったら公明党の存在価値がなくなる。公明党の支持母体からみてもこれは支持されないということで、敵基地攻撃能力の保有は公明党は抵抗しました。

世論からもいろいろな指摘があり、運動体もこれについての批判を強める中で、敵基地攻撃能力の保有という安倍首相が言ったことをそのまま菅内閣が言うことはできなくなってきています。そこでとりあえず「先送り」をするという話を言い出しています。安倍首相からしてみたらとんでもないことなんですね。自分の政権を渡すときに「これだけはやれよな」といった敵基地攻撃能力の保有を先延ばしにする、こういうことを菅義偉が言い始めたんですね。

敵基地攻撃能力の保有を先延ばしにすると言いながら、では菅内閣はこの安倍首相がやろうとした政策を止めるつもりかといったらまったくそういうことはなく、いろいろ文句を言われるからこっそりやるという方針に変わっただけのことです。来年1月からの国会に出される予算案、補正予算と通常の予算の中で、この敵基地攻撃能力を実際に保有していく方向の具体的な予算措置がとられていますから、そういう意味では安倍の路線を継承しています。

安保防衛の中でこういう問題がたくさんあるけれども、アメリカはバイデンになったわけで、安倍首相は自分が辞めてホッとしていると思いますよね。あれだけトランプに入れ込んだ安倍首相がもしバイデンになったときまで首相をやっていたらどうしたんだろうという話になります。トランプが嫌っているバイデンとまた仲良くするのか、トランプから見たら裏切り者になってしまう可能性がある。菅政権は早速このバイデン政権との連携を作ろうといま必死になっています。ただバイデンの方もいろいろ忙しくて、電話で一度会談をしたくらいですね。バイデン大統領が就任するときを狙って、1月か2月の時期に、日米首脳会談をやりたいというのが菅政権の今の狙いだと思います。

先日第5次アーミテージレポートが出てきたことを注目する必要があります。アーミテージとナイという共和党系の論客が、日本の安保防衛政策に関して4回にわたってさまざまに日米同盟はこうあるべきだという指図をしてきている。たいてい日本の歴代政権はそのアーミテージレポートの線で安保防衛問題を進めてきて、今回第5次アーミテージレポートが出てきました。バイデンの民主党もこの政策を基本的には継承することは間違いないと思います。このアーミテージレポートの中では安倍政権をものすごくほめています。特に2015年の戦争法をやった安倍政権に対して非常に大きな仕事をしたということでほめあげて、この線でこれからの日米同盟を進めようという「指南書」がこのアーミテージレポートです。そういう中で全体として中国と朝鮮に対する包囲網を形成するということが安倍政権から菅政権に継承されてきている大きな戦略だと思います。中国と朝鮮を包囲する、そのために日本やオーストラリア、ニュージーランド、カナダ、アメリカ、これらの国々がみんな連携して「自由で開かれたインド太平洋」を作ることによって包囲する。中国に好き勝手なことをさせない、そういう軍事戦略をとっていこうという戦略です。

新政権へのご祝儀相場の下落

5番目ですが、どうして菅内閣がこんなに支持率が高いんだろうという、ずっと言われてきた問題です。本当に高かったですよね。この中で、内閣を支持する理由ということを書いておきました。

これは時事通信が行った世論調査の理由ですが、「他に適当な人がいない」「首相を信頼する」「印象がよい」、こういうことが菅内閣を高い支持率にした理由だったようです。これはマスコミを通じて菅政権、あるいは自民党主流の対メディア戦略が大きく成功したと思います。安倍政権との対比で菅義偉の政権に希望を持たせるようなキャンペーンが当時一斉にやられました。「苦労人で、たたき上げで」という話とか、そういう物語をつくりながら政権末期に30%台から20%台まで落ち込んだ安倍政権と違って、菅さんの政権はよりよい政権になるという印象がつくられた。

「モリカケ・サクラ・クロカワ・カワイ・アキモト・スガワラ」などに見られる世襲政治、そういう世襲政治の中で安倍政権などが、あるいは安倍政権の閣僚がつくられてきたわけで、これが権力を私物化している、これに対する批判が非常に強まっていた。そこで、そういう世襲政治ではなくて、「東北の秋田の寒村出身の、たたき上げで苦労人」で「令和おじさん」、「パンケーキが好き」で「あまりお酒を飲まない」とか、いろいろなマスコミによってつくられた物語があったと思います。当時は私は「集団就職で上京したなんてのは嘘だ」ということをあちこちで言っていました。集団就職というのは実は私の世代なんです。私の中学の同級生などは、そのまま東京とか埼玉に出てきて中小・零細の職場に勤めます。それが家計を助ける上でも非常に大事で、「金の卵」と呼ばれた集団就職は、東北などから汽車に乗って東京に来て当時の高度成長を支える労働者になっていった。菅さんは「これだった」と最初は言っていた。「苦労人」とはそういうことですよ。中卒で、高校や大学に行かせてもらえない。15歳で働きに出て田舎に仕送りをする苦労人の集団就職の一員としての菅義偉というキャンペーンがやられ、安倍さんとはものすごく違うわけです。これが非常に売り出しになったけれども、これはまったく嘘だった。高卒の集団就職なんてない。マスコミがつくった嘘なのにそれに菅さんが正面から反対して改めろと言ったことは聞いたことはないんですね。

そういう物語の中で安倍さんとの対比ができる、政治のやり方でも「派手なキャッチフレーズ政治」と書きましたけれども、安倍さんは派手なんですよ。「美しい国」「戦後レジームからの脱却」「地球儀を俯瞰する外交」「一億総活躍」「女性活躍」「地方創生」「働き方改革」「人づくり革命」などというスローガンです。

それに対して菅さんのスローガンは本当に小さいです。「アーリー スモール サクセス」といわれますけれども「はんこの廃止」「携帯電話料金の値下げ」「デジタル庁」「縦割り110番」、せいぜい言ってこのくらいです。携帯電話料金は下がればいいと思う人はいるかもしれませんけれども、でも詳しい人がちゃんと分析すると、それほどいいことばかりではないという話もたくさんあります。とにかく安倍さんと比べるとすごく違う。確実に何かやりそうだ。そういういわば生活に直結する面で値下げが進むかもしれないと思わせながら、安倍との対比の中でこの菅政権に対する支持がつくられていった。これはもともとメッキがされているわけですから、時間がたてば剥げていくのが必然だったわけです。

それが最近の世論調査で、毎日、朝日、共同、ANN,NHKなどの結果になっています。毎日新聞が一番厳しい結果で「支持しない」が「支持する」を大きく上回っていて、それ以外のところでも拮抗しています。最初の時期の菅内閣に対する支持率から見ると大きく変化してきて流れが変わっている。ANNの結果でも「支持しない」と答えた人は39.6%、「支持する」は38.4%で逆転しています。それ以外はまだ逆転するというところまではいきませんけれども、ほぼ30%台の上の方まで支持率が落ちてきた。これが今日冒頭に言った菅内閣のこの間のさまざまな政策の失敗という中で出てきた世論の反応だったと思います。

菅政権の改憲問題

もうひとつの大きな問題は、憲法に関係する問題です。安倍首相がやろうとした改憲路線は菅内閣も引き継ぐといっていますけれども、いろいろな政策がある中で改憲の問題はどのくらい大事にすればいいかという世論調査があります。「世論が望んでいない改憲」ということで数字を出しました。いろいろな政策項目の中でひとつだけ選んで下さいという中では、改憲を急いでやるべきだという選択は1%から2%しかありません。ANNとかJNNが調査した数字です。それから、大事な課題だということを2つまで選ぶ調査が共同通信であって、それだと改憲は3.1%あります。わずか3.1%です。いくつでもいいという選択肢でやった日経やテレビ東京の調査でいうと、憲法をあげたのは6%から8%ありました。この結果を見てわかることは、少なくとも9割以上の有権者は憲法問題を最優先課題と捉えていないということです。

安倍内閣や菅内閣が「憲法、憲法」といって一生懸命やろうとしていますが、これを優先課題だと思っている世論は極めて少ないということです。いろいろな政策課題の中で10位とか15位というランクに属するのが今の憲法に関する世論の動きです。ところが自民党は憲法審査会などをやると、「世論が望んでいる改憲に応えるために改憲の議論を進めるんだ」、これが必ず枕詞なんですね。「世論が改憲を望んでいるのに野党がその世論に応えていないのはおかしい」「世論に応えるべきだ」という。データをちゃんと見れば、自民党が憲法審査会などでいっていることは間違いだということははっきりするんですけれども、それでも自民党はこの203臨時国会の中でそういってきた。そして来年始まる通常国会の中でこの憲法改正の流れを一層進めようとしています。

世論が急いでいないのにどうやって改憲をやるかといえば、野党の力を分断することだと思います。野党と世論が一体になっている状態を分断する。具体的には維新の会、それに新しい国民民主党を何とか野党から切り離すことで、国会内の多くの政党が改憲を望んでいる状態をつくろうとしている。実際に参議院では3分の2を持っていないわけですから、国会の中で改憲の発議のしようがないわけです。ですから次の総選挙で何としてもがんばって、自民党と公明党、改憲派で3分の2を取り、さらに参議院の再編をしないと、いくら衛藤征士郎さんが改憲だ、改憲だといってもできないわけです。そのために自民党、公明党以外に改憲する政党を何とかして今度の総選挙で巻き込んで、衆議院と参議院の3分の2を確保して、参議院も再編して改憲をしたいというのが今の自民党の戦略です。

こんな政治はもう嫌だの声を

 総選挙と関係として、新しい2つの選択肢の話をして今日の話を締めくくっていきたいと思います。実は「私と憲法」という月刊の会報の中で菱山南帆子さんが書いている文章があります。「もうこんな政治はいやだ」という文章ですが、「11月16日午前3時、渋谷区のバス停のベンチで座りながら眠っていた(横になれないように仕切りがついていた)女性が近所の男性に撲殺された。女性は2月まではスーパーで働いていたが、死亡したときの所持金はわずか8円だった。自己責任の強調は共助を求めることも躊躇わせ、まして公助など一層求められなくしてしまう。」と書いていますけれども。この間ずっと見てきた安倍継承菅政権がこのまま続くならばこういう事態はなくならない。「もうこんなのは嫌じゃないか」。

経済的にこういう状態で、それ以外の外交の問題、政治的な問題さまざまなに見てきましたけれども「もうこんな政治はいやだ」というのが少なくとも私たちと私たちのまわり、あるいは世論のかなりの部分の中にはあると思います。そして総選挙になるわけですけれども、実は来年の通常国会の召集は1月18日に決まっています。1月18日に招集すると、このあと補正予算と予算案の確定があって1月総選挙はありえなくなる。どんなに早くても解散総選挙は4月以降だといわれています。6月には東京都議会議員選挙があり、そのあとオリンピックがある。このままでいくとあとは秋の任期ぎりぎりまで解散総選挙は延ばされるかもしれない、そういう流れになってきました。しかし、どんなことがあっても来年中には総選挙はあるわけですから、不意打ちでやってくることもないわけではないので、これから選挙に向かって私たちが野党や市民運動全体と結束してどういう闘いをやっていかなければいけないかという課題があるわけですけれども、この「もうこんな政治はいやだ」というときにその「こんな政治」というのは何かという中味です。

改憲と新自由主義、戦争する国、そういう方向の安倍、菅政権に反対していのちと人間の尊厳を守る新しい政治をつくる、そういう新しい政権交代を実現するという、今度の総選挙はそういう闘いになっていくと思います。与党と野党の闘いというのは、この新自由主義や戦争する国をつくっていく流れに反対していのちと人間の尊厳を守る新しい政治をつくるという闘いにしていかなければいけないと思います。

2017年の衆議院選挙の比例区の票でいいますと、2017年時点で自民党と公明党を合わせると2552万票でした。立憲民主、希望、社民、共産を合わせると2609万票でした。ほぼ拮抗している。しかし議席にすると大きく差がつくわけです。2017年の衆議院選挙でその程度ですから、これからの私たちの頑張りによってこの与党と野党の得票数を大きく逆転していくことは可能ではないかと思います。当時の野党の中に希望の党を入れるかどうかというのはありますが、希望の党も含めると野党の得票の方がちょっと多くなっています。今度の総選挙では、野党共闘対自民・公明+αのような闘いの構図にすることができれば逆転して勝利する可能性がある。

市民連合は15項目の政策合意案を野党各党に示しています。この15項目で野党の人たちが共同して今度の選挙を一緒に闘おうということを呼びかけています。古くなった自公政権に対して、いのちと人間の尊厳を守る新しい政治を選択しましょうという呼びかけを野党にしています。この野党の結束はなかなか難しい問題があって決して容易ではありませんけれども、野党で過半数を確保して自公政権を打倒する闘いの可能性としては、すでに視野に入っていると思います。いま大事なことは、すべての立憲野党が自公政権打倒、政権交代という大きな目標のもとに協調して、違いを留保して、市民運動と連携して闘うことが非常に大事なんだと思います。

まだ野党の中で、必ずしも共闘して候補者を一本化するというところまでたどり着いていません。この間、市民連合などもいろいろ努力して野党共闘を実現しようとしているわけです。話し合っている最中です。

れいわ新撰組のみなさんは、消費税5%あるいは0%を約束することが大事であって、それを約束して公約の最重点にしてくれるなら野党共闘に参加してもよい、そこが認められなければ「仁義なき戦い」でバトルをやりますという。国民民主党の場合はもう少しそういう議論までいっていません。国民民主党は独自の政策を立てて、立憲民主党とも違う、他の野党とも違う提案型の新しい政党だというところに力を入れているものですから、なかなか野党共闘にエネルギーを裂けない。

そういう難しい問題がいくつかありますけれども市民連合としては、何としてもこの問題を克服して野党の統一によって今度の総選挙に立ち向かいたいと思っています。

行き場を失くした人がさらに排除され命さえ奪われてしまうようなことがないように、立憲野党各党が小異を保留して大同につくことを、私たちは強く求めます。消費税負担の軽減は重要な政策課題ですが、それだけでバス停で起きた悲しい事件が防げたとは考えません。公平な税制に基づいた社会保障制度の再分配機能の強化が、格差と差別のない社会の実現には不可欠だと思います。消費税の負担軽減は当然として、さらに税制問題で突っ込んでやろうではないかということが今の市民連合の立場です。

政治を変えよう

野党が共闘して政治が変わりそうだという、この空気をつくっていく。菅内閣の支持率は減ったけれども野党の支持率も上がらないという状態は、この野党が本当に政治を変えるのだろうか、変える気があるのだろうか、あるいは変えることができるんだろうかというところで多くのみなさんの信頼をまだ得ていない。

野党が政権を、菅政権を倒して、新しい政治を実現していくんだということを多くの有権者、市民にわかるような政策を打ち出し、運動をつくっていくことによって、政治にあきらめている層をゆさぶっていく。投票率が50%を割るような状態はぜったいになくして、60%、70%近い投票率をつくっていくにはどうするかということは、私たちの大きな課題だと思います。投票率が上がれば上がるほど政権を交代しろ、政治を変えようという世論が大きくなるのはこれまでの経験から見て明らかですから、私たちとしては投票率を何としても上げていかなければいけない。

実際に2009年の総選挙で民主党が政権を取ったときの投票率は69%くらいあったんです。今50%を割っているというのは考えられないような状態だったわけです。あのときは多くの人が今度の選挙で政治が変わるかもしれないと思いました。思える状態をつくってきたわけです。野党がそういう闘いをやったわけです。だから野党が本当にそういう闘いをやることができれば、投票率は上がってくる。みんな選挙に行かないからだめだという話ではなくて、野党自身がその責任を負って、いま投票にいかない人、あきらめている人に、今度の選挙で政治を変えようではないかということを、総選挙までの間に訴えていけるかどうかが大きな課題だと思っています。

私は、菅内閣はこのままでいけば短命政権だと思います。実際に安倍派にしても麻生派にしても、菅内閣との矛盾は今さまざまに起きてバトルがあります。二階さんの派だけが一生懸命菅内閣を支持しているという状態です。世論の高まり、運動が強まっていく中でこうした亀裂というのはさらに大きくなっていく。自民党が次の総選挙で「国民のために働く」というあのポスターで闘うと、全国の候補者が思うかどうかです。それは結構大変な事態です。

もしかしてあり得るのは、総選挙の前に自民党は首班を変えるということをやってくる可能性があります。誰がいるのか。このところの自民党は歴史的にもまれなほど人材が不足しています。永田町の雀が言うことには「次は河野太郎だろう」とか「野田聖子だ」とか、そういう話が出てくる。河野さんしかいないんですか。あの人は原発の問題であんなことを言っていて、いざ目の前に大臣の椅子がぶら下がるところっと変えたり、まともなことは何も言えない。でも若さだけでは菅さんよりはいいかもしれないという、内部での新しい総裁の取り替えなどということも含めてこれから総選挙まで何があるかわかりません。

いろいろな事態が想像されます。そういうときに野党の方がきちんと野党共闘をつくりあげて、市民がそれを積極的にバックアップしていく、そういう闘いを来年はやらなければいけない。この1年は改憲を阻止して安倍政権を倒そうということを市民連絡会は目標にしてきました。来年はやっぱり菅政権を倒して、自公政権を倒して政権交代だということが大きな目標になり、それを通じて、市民連絡会自身も改憲反対を重要な課題に考えているわけですけれども、改憲反対を実現していくことになると思います。

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