私と憲法236号(2021年1月1日号)


命と人間の尊厳を守る「新しい政治」の潮流で<総選挙>に勝利しよう

菱山 南帆子(事務局)

2021年は新型コロナウィルスの第3波と言われる厳しい感染拡大のなかで幕を開ける。感染や死亡などの規模の大きさから、かつてのペストやスペイン風邪と対比されるこの新型コロナウイルス感染症は今後どのような経過を辿るのだろうか。心配は尽きないが、この一年間のコロナ禍をめぐる動向を世界的に振り返ってみて何よりも思うのは<政治の在り方が人間の命を左右する>ということだ。

アメリカのトランプ政権の下での爆発的な感染拡大とおびただしい死者数、そして安倍・菅政権のブレーキとアクセルを同時に踏むような醜態は、軍事大国化と経済的生産性を人命よりも優先する政治がもたらした現実に他ならない。アメリカではこのような政治を終わらせようと市民が立ち上がり大激戦の末、トランプ政権からバイデン政権へと転換を果たした。今年は、時期がいつになるかわからないが、1年以内に必ず総選挙がある。私たちも安倍晋三を退陣に追い込んだこれまでの長期にわたる闘いに自信を持ち、「アベ政治」を継承しようとする菅政権を必ず打倒するために、総選挙の闘いに全力で立ち上がろう。そして「命と尊厳を軽んじる政治」に終止符を打ち、いのちと人間の尊厳を守る「新しい政治」の時代を切り拓こう。

「アベ政治」との闘いの到達点

2018年に98歳で亡くなった俳人の金子兜太さんは、2015年安保闘争のただ中で「アベ政治を許さない」を揮毫されました。気迫が筆の勢いに滲みだされていた「アベ政治を許さない」のプラカードは闘いの中にいつもあり、私たちを鼓舞し続けてくれた。「アベ」と片仮名表記にされたのは「安心や安寧が倍になる」と読める「安倍」を書きたくなかったからだそうだ。いかにも「反戦・反出世・反権力」の「反の人」と言われた金子さんらしい。金子さんの「許さない」という怒りと気迫は、「いつまで謝り続けなくてはならないのか」といったあの戦争に対する根本的な反省を否定し軽んじる安倍氏の政治姿勢に対して、ということに他ならない。大激戦地のトラック諸島に派兵されて「嫌というほど無残な死を見てきた」体験から、「過ちを繰り返しませぬ」という誓いを体現した憲法9条を破壊しようとする「アベ政治」は絶対に許せなかったのだと思う。

安倍政権とは幾数千万の犠牲を踏みにじり、そして新たな犠牲を生み出す道を「この道しかない」と暴走する絶対に許してはならない政権であった。安倍政権は倒れたが「アベ政治」は菅政権によって引き継がれようとしている。私たちは今度こそ、「アベ政治」の息の根を止めよう。さてここで安倍政権の暴走と私たちの闘いを振り返ってみよう。

第2次安倍政権は「秘密保護法」(2013年)、「集団的自衛権の閣議決定」(2014年)、「戦争法(安保法制)」(2015年)、「共謀罪」(2017年)、「働き方改革」「カジノ法」(2018年)などの悪法(実質改悪)の数々を「数の力」で強行成立させてきた。更に権力の私物化そのものであった森友・加計学園問題に対しては嘘をつき通して、調査権を持つ立法府としての国会を軽んじてきた。

一方、私たちは現場共闘の積み重ねの上でついに、それまでの分断していた運動潮流が垣根を乗り超えて大合流し、壮大な総がかり行動を作り出した。闘いは一気に大衆化し2015年8月30日には国会前を中心に12万人の市民が埋め尽くした。9月19日の戦争法案が強行「成立」されても闘いは消沈するどころか、毎月の<19日行動>として継続され「あきらめない闘い」の炎を燃やし続けてきた。そして、「数の力」で暴走する安倍政権に対抗するために、「市民と野党の共闘」を国会に反映すべく「市民連合」の結成という画期的地平を切り拓いた。また、工夫をこらした街頭宣伝や、地を這うような戸別訪問による署名(対話)活動がいたるところで繰り広げられた。こうした闘いによって、運動は分裂する・闘いは醒めやすく継続しない・気楽に闘いに参加できないなどの否定的政治風土を確実に変えてきた。

2019年の参議院選挙では、「市民連合」が推進力となって野党統一候補で闘い、念願の改憲勢力の3分の2割れを実現し、改憲策動に決定的な打撃を与えた。
今年に入って、新型コロナウィルスの感染拡大の中であらゆる社会的活動の自粛が求められることに乗じて画策した検察庁法改正はSNS上で、燎原の火のように燃え広がった怒りによって阻止された。また、「アベノマスク」に象徴されるようなコロナ対策の迷走、そして「桜を見る会疑惑」が再浮上し、ついに安倍晋三は政権を投げ出した。「病気」を理由に何とかダメージを小さく見せようとも、私たちの粘り強い闘いによって倒されたことは隠しようもない。私たちは「任期中の明文改憲」という策動を完全に打ち砕いた、これが私たちの到達地点である。

菅政権と新たな闘い

長い第一ラウンドを粘り勝った私たちは、「菅義偉」という新たな敵との闘いを開始している。政権発足早々に、日本学術会議会員候補6名の任命拒否という暴挙を強行してきた。人事権を駆使して支配を強化するという官房長官の頃からの一貫した手法であり、そこには菅義偉という政治家の本質が凝縮されている。ジャーナリストの伊藤千尋さんは、菅首相は「日本のアイヒマン」だと街頭行動の演説で話した。アイヒマンはナチス親衛隊の幹部としてユダヤ人のホロコースト(大虐殺)を冷徹無比に実行した人物だ。思想的イデオロギー的には空っぽだが「命令」ということに異様な執着を持ち続けたといわれている。伊藤さんは菅首相のアイヒマン的傾向と、官僚組織のアイヒマン化の危険を指摘されているのだ。

また、沖縄前知事の翁長さんは、菅官房長官(当時)に対して「キャラウェイを思い出させる」と不快感をぶつけた(キャラウェイとは「沖縄住民の自治は神話でしかない」言って独裁的支配を行った60年代の高等弁務官である)。つまり、それは辺野古基地建設反対の明白な民意など顧みる価値など一切ないかのように「粛々と進める」と言い切る菅氏の冷酷さに対する怒りであった。

更に、初めての国会答弁の冒頭で「全集中の呼吸」などと発言し、今大人気の「鬼滅の刃」のフレーズで「ウケ」を狙ったり、ネット番組で「こんにちは、ガースーです」と言って「笑い」をとろうとしたりしている。こんな見え透いた行動だけれども、プロパガンダ目的でしょっちゅう子どもと一緒に写真を撮っていたヒトラーが重なる。アイヒマン、キャラウェイ、そしてヒトラーの要素を併せ持った極めて危険な政治家、それが菅義偉氏ではないだろうか。

このような菅首相が行った第一弾の攻撃が学術会議任命拒否であった。むのたけじさんは「初めに終わりがある。抵抗するなら最初に抵抗せよ」と言っている。その言葉はドイツ人マルティン・ニーメラー牧師の「ナチスが共産主義者を攻撃し始めた時、私は声をあげなかった。私は共産主義者ではなかったから。次に社会民主主義者が投獄されたとき、私はやはり抗議しなかった。社会民主主義者ではなかったから。労働組合員が攻撃されたときも私は沈黙していた。そして彼らが私を攻撃したとき、私のために声を上げる人は一人もいなかった。」という言葉と共鳴する。戦前の滝川事件や天皇機関説事件が起こった時、多くの人々は「所詮学者の問題だ」と思ったが、気が付いた時には異論が言えない社会になっていた。私たちは学術会議任命拒否本題に対して、その撤回まで闘い、菅政権の核心に切り込もう。

菅首相は目指す社会として「自助・共助そして公助・絆」を挙げた。「まずは自分でやってみる。それでもダメなら共助で。さらにダメなら公助でお助けします。」という解説付きで。つまり徹底した自己責任社会が目指されているのであり、これに対して「公助が一番先に来なければケアを負担と感じる社会が続き、今以上にSOSが出しづらい社会になる」との批判の声が上がっている。

11月16日午前3時、渋谷区のバス停のベンチで座りながら眠っていた(横になれないように仕切りがついていた)女性が近所の男性に撲殺された。女性は2月まではスーパーで働いていたが、死亡したときの所持金はわずか8円だった。日本では「人に迷惑をかけてはいけない」と徹底して刷り込まれて育てられる。ちなみにインドでは「人は迷惑をかけるものだから許しなさい」と教えられるといわれる。自己責任の強調は共助を求めることも躊躇わせ、まして公助など一層求められなくしてしまう。矛盾が一番しわ寄せされ、一番公助が必要な人々が一番声を上げられない。これがコロナ禍で路上生活者が増え、特に女性の自死者が増えている原因であり構造なのだ。私たちは今まで以上に、当事者に寄り添い、つながり、当事者と共に声があげられるような闘いが求められている。

次に「敵基地攻撃能力保有」に関連して、朝日新聞(12月18日)の「安保関連法初めて賛否が逆転」という 世論調査を開設する記事に注目したい。要約すると、戦争法案が2015年7月の衆議院通過時、賛成29%反対57%であったが、約5年に経たる2020年11月には賛成46%反対33%へと逆転したという。理由として「中国の海洋進出や北朝鮮の核開発など日本周辺の安全保障環境への不安」が挙げられている。18年の調査では安保環境に不安を「感じる」人は「大いに」48%、「ある程度」44%を合わせて9割以上に達した。戦争法の強行成立以降の朝鮮民主主義人民共和国によるミサイルの連続発射、Jアラートによる緊急避難訓練などが直接的に影響したのだろうが、一時的ではなく持続していることが重要だ。

「安保環境の不安→抑止力論の受容」という構造を私たちの側から積極的に介入して変えていく必要が高まっている。何故緊張が生じるのか、緊張をどうすれば解消できるのかを分かりやすく、具体的に提案する運動がこれからの基軸になっていかなければならないのではないか。

ハンセン病の元患者さんが、コロナ禍で医療従事者とその子どもまでが中傷されていることに「ハンセン病の患者の周りですら起きなかった。人間弱くなったのかな」と話されている。渋谷で女性を殺害した男は「どいてくれと言ったがどいてくれなかった」「痛い目にあわせればいなくなると思った」「ペットボトルだと打撃が弱いから石を入れた」と話している。短絡的な動機と手段のエスカレートなど「敵基地攻撃能力保有」の言い分と全く同じではないか。「人間を弱らせている」のは経済的、時間的な余裕の無さだけではなく、競争が本来備わっているはずの共感力を削り落としてきたためではないだろうか。相手の立場に立って相手を理解する(しあう)。こんなことを日常の場面から経験することも私たちの運動は提案しなければならない。日常の中から、国際連帯や平和が作り出されてこそ武力による抑止論はただの詭弁として打ち捨てられるのではないか。

来るべき総選挙に全力を挙げよう

安倍・菅自民公明政権は国会での議論を形だけのものにして結局「数の力」で押し切るという手法にどっぷりとつかって久しい。もうこれ以上「数の力」を与えてはいけない。少数派に叩き落し、立憲主義と民主主義を今こそ回復しなければならない。「小選挙区制」を前提とせざるを得ない以上、私たちはなおさら一層統一候補を押し立てるための努力をしなくてはならない。そして、ひとたび統一候補が決まれば全力で支援しよう。コロナ禍の推移や東京五輪の動向など流動的要素は多いが、私たちはぶれることなく、命と人間の尊厳を守る「新しい政治」を選択することを全力で訴えていこう。勝機は十分にある。「市民と野党の共闘による政府」を実現し、2021年を平和で豊かな社会への架け橋にしよう。

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危険で不毛で無責任な「敵基地攻撃能力保有」論

筑紫建彦(憲法を生かす会/2020.12.18記) 

はじめに

この間、「敵地攻撃能力保有」論が急浮上し、先制攻撃も「専守防衛」、「合憲」とする危険な主張になっている。9条改憲が悲願の安倍前首相は、今回もその推進役を演じている。

最近では、自民党が18年5月に「敵基地攻撃能力保有の検討促進」を提言(最初は09年)。翌年、米国防総省はロシアや中国を念頭に、「抑止に失敗した場合に敵ミサイルを発射前に撃破する攻撃」を含む『ミサイル防衛見直し』(MDR)を発表した。

これを受け安倍首相は20年6月、地上イージス撤回の“代替策”かのように、「この夏、新しい方向を出す」と表明、茂木外相は「単純に日本が『盾』、米国が『矛』と性格づけられる安保環境ではない」と語り、河野防衛相は「敵基地攻撃の諸要件」まで展開した。

さらに自民党は8月、中国、ロシア、北朝鮮の名を挙げ、3回目の提言を行った。その直後、安倍首相は「持病」で退陣を表明したにもかかわらず、「北朝鮮による攻撃可能性を低下させることが必要。年末までに方策を示す」との談話を出し、「安倍政治の継承」を掲げた菅首相は、岸防衛相に「新たな安保政策の方針を年末までに策定」するよう指示した。

 しかし、この動きには最近、多少の揺らぎが出ている。新型コロナの感染拡大が続き、21年秋までに行われる衆院選挙で矢面に立つ菅首相は、「安倍談話は閣議決定を得ていない。効力がのちの内閣に及ぶものではない」と予防策を講じた。このため安倍氏も、「結論を出すのは選挙との関係があるので、少し先になるかも」と予定変更。菅内閣は12月18日、「長射程巡航ミサイルの開発方針」を閣議決定しながら、「敵基地攻撃能力保有」問題では公明党の「抵抗」もあり、「抑止力の強化については引き続き検討」と先送りをした。
警戒を緩めてはならない。この“先延ばし”は、21年総選挙の争点隠しだからである。

「敵基地攻撃能力保有」論は自衛隊発足直後から

「敵基地攻撃能力」保有の是非が初めて問題になったのは、自衛隊発足の翌1955年だった。杉原防衛庁長官が初めて「専守防衛」の言葉を用い、「決して外国に対し攻撃的・侵略的空軍を持つわけではない」と答弁。鳩山一郎首相も「飛行機で飛び出して行って攻撃の敵地を粉砕することまでは今の(憲法)条文ではできない」と答弁した。

 ところが翌年、船田中防衛庁長官が「敵の基地を叩かなければ自衛できない場合」は攻撃も可能と答弁。前年の答弁との矛盾から統一見解を求められ、鳩山首相は「急迫不正の侵害が行われ、誘導弾等による攻撃が行われた場合・・・には、他に手段がないと認められる限り、例えば誘導弾等の基地を叩くことは、法理的には自衛の範囲に含まれ、可能と思う」と答弁した。敵基地攻撃も「解釈上は憲法の許容範囲」という、憲法解釈の重大な変更だった。

 この解釈変更への内外の不安や警戒に、野呂田防衛庁長官は59年、「日米安保条約もないような、他に全く援助の手段がない場合の憲法上の解釈の説例だから、このような事態は今日においては現実の問題として起こりがたいので、…平生から他国を攻撃するような…兵器を持つことは憲法の趣旨ではない」と答弁した。しかし、この答弁にも巧妙な仕掛けがある。「今日では現実の問題として起こりがたいので」という説明は、「危険が現実の問題になれば、攻撃的兵器の保有も違憲ではない」という論理にも転じるからである。

 その後、この議論は休眠期に入る。中曽根康弘防衛庁長官は70年、「専守防衛」、「国土防衛に徹し、攻撃的兵器を持たない」と答弁。防衛白書は「他国に侵略的な脅威を与えるような、たとえば長距離爆撃機、攻撃型空母、ICBM等は保持できない」と記した。高辻内閣法制局長官は、「(自衛権発動は)武力攻撃が発生したときだから、武力攻撃の恐れがあると推量される時期ではない。そういう場合に攻撃することを通常は先制攻撃と言う」と答弁した。

 田中角栄首相も72年に、「専守防衛は、防衛上の必要からも相手基地を攻撃することなく、もっぱら国土と周辺で防衛を行う。この基本方針を変えることはない」と断言。このため、F-4戦闘機は導入時に爆撃装置がはずされ、空中給油装置も地上用に改修された。

政府による81年の「専守防衛」の定義も、「防衛力を行使できるのは攻撃を受けた時」で、行使も保持する防衛力も「必要最小限に限られる」という記述にとどまった。

 しかし88年の防衛白書は、「保有できない兵器」の定義を、「性能上専ら相手国の国土の壊滅的破壊のためにのみ用いられる攻撃的兵器」に変更した。すなわち、「他の用途にも使えるなら、壊滅的破壊能力のある兵器も保有できる」とも読める狡猾な表現である。

 北朝鮮は98年にテポドン中距離ミサイル発射実験を行い、2003年に核拡散防止条約から離脱した(初の核実験は06年)。それでも小泉首相は、「相手国の攻撃意図が分かった時に相手を叩く攻撃兵器を持つべきだという議論は承知しているが、政府にそのような考えはない。専守防衛に徹し、足らざるは安保条約、米国の抑止力によって日本の安全を確保すべきだ」と答弁。これに対し安倍官房副長官は、「武器、戦術、戦略が進歩する中で、専守防衛の範囲をどこまでと考えるか議論は当然」とTVで異論を唱えた。

しかし、すでに防衛省内部では、「敵の軍事力を撃破する『攻勢防御』」の方法や問題点が検討されていた。そして09年、北朝鮮の長距離ミサイル発射実験と核実験を機に、自民党は初めて、「日米協力下の策源地攻撃能力の保有検討」を提言した。

第2次安倍内閣の登場で、ステージは大きく転回する。安倍首相は、「敵基地攻撃は米国に頼り続けていいのか」と答弁し、13年の防衛大綱と中期防は、「弾道ミサイル発射手段への対応能力のあり方を検討し、必要な措置を講じる」と記述し、公式にスタートラインについた(安倍政権は13年に秘密保護法を、15年に戦争法を強行成立させた)。

「北朝鮮の脅威」を看板に、米国の覇権への一体化めざす

自民党などの推進派は、「北朝鮮の弾道ミサイルの脅威への対抗」を唱えるが、これは実際は、9条を無力化し、軍備増強と先制攻撃をも正当化する口実にすぎない。

第1に、北朝鮮が「ある日突然」、日本に弾道ミサイルを撃ち込むなど、非現実的な想定である。米軍による壊滅的攻撃を自ら招くことになり、北朝鮮にも有害無益だからである。

第2に、「朝鮮有事」が起きて在日米軍や自衛隊が北朝鮮と戦闘を行うような場合には、北朝鮮がミサイルで反撃する可能性はある。自衛隊がその反撃を事前に阻止する態勢を構築するということは、「朝鮮有事」への参戦を準備するにも等しい。

第3に、防衛省や自民党は、北朝鮮よりはるかに強力で多数のミサイルや核を持つロシアや中国こそ「最大の脅威」という認識だから、「北朝鮮の脅威」というのは方便である。米国と覇権を争う両国には、米軍に多数の基地を提供・支援する日本が自国への攻撃能力を持つことは新たな軍事的脅威となり、軍備増強で対抗するだろう。その目標は「日米の攻撃能力を上回る」ことになろう。そこからは果てしない不信・不安と軍拡競争しか生まれない。

第4に、自衛隊の敵基地攻撃能力の保有は、あくまで米国の戦略と戦力の枠内での兵力増強である。推進派は「米国が常に日本を守るとは限らないから、独自の能力を」と言うが、米国は日本の「軍事的自立」を認めたくないし、政府・自衛隊も日米軍事一体化が基本方針である。だから、自衛隊の敵地攻撃能力も、主にアジアや世界での「米国の覇権」のために用いられ、最も可能性が高い筋書きは、「米軍と共同・分担しての敵基地攻撃」となろう。

「敵基地攻撃」の態様と問題点は?

このように、敵基地攻撃能力保有論は、憲法前文と9条を踏みにじり、公然と「敵を壊滅する能力」を唱える。しかし、実際には「言うは易く、行うは難し」の問題も多い。

地下発射基地や移動式発射機は? 北朝鮮は長短約200基の弾道ミサイルを持つとされる(核弾頭は約20発)。ミサイル防衛では、撃破失敗を許容する計画は立てられない(核ミサイルなら被害は甚大)。しかも、開発・配備中の最新型ミサイルや弾頭は、音速の8~9倍や20倍の極超音速で、レーダー回避機能を持つなど追尾が非常に難しい。そこで、敵基地攻撃のシナリオでは「すべてのミサイルを発射前に撃破」というベクトルが働く。

他方、ミサイル基地は地下や山間に置かれ、発射機は移動式になり、発見も爆撃も困難になっているため、平時から人工衛星などで発射基地などの場所を把握し、移動式発射機は多数の偵察衛星(米軍の構想では1200基の小型衛星網)でリアルタイムに追跡するなど、高度で膨大なシステムが必要になる。相手の衛星攻撃にも対処となると、際限がなくなる。

相手の防空システムは? 相手側は、防空システムで待ち構えているだろう。迎撃ミサイルや戦闘機、偵察衛星、電子戦機などだが、新しい迎撃兵器も開発されよう。その防空網を突破してミサイル発射基地や移動式発射機を正確に爆撃し、兵士が無傷で帰還するには、攻撃機や巡航ミサイルのステルス化、極超音速化、各種多数の無人機の利用、電子戦機や早期警戒管制機の併用などが必要になる。また、相手のレーダーや防空ミサイル、迎撃戦闘機などの基地や司令部の破壊も優先されよう。他の軍事施設、通信施設や電力や燃料などの施設も攻撃対象にされうる。このようなシナリオは、攻撃側に高度で膨大な兵器を要求するだけでなく、相手側の基地・施設の周辺住民には甚大で悲惨な被害が生じうる。

“先制攻撃が最も確実な防御策”! こうなると、相手がミサイル攻撃する「かもしれない」という段階から敵基地攻撃が始動し、相手側は、攻撃の意思決定も着手もしていない段階でも自国攻撃の動きが始まるとなると、双方の判断と情勢はさらに不安定になる。ここから生まれるのは、「先制攻撃が最も確実な防衛策だ」という発想と心理である。実際に安倍前首相は18年2月、「先に攻撃した方が圧倒的に有利になる」と答弁している。

先制攻撃は「(予防的)自衛権の行使」とされ、従来の「自衛権」や「専守防衛」の定義は蒸発してしまう。さらに、「先制攻撃しても撃ちもらしたら反撃されるので、徹底的に相手を壊滅させるには、核兵器を併用して叩くのが必要」という主張さえ出てきている。

相手国の対応はどうなる? 前述のように、日本が「敵基地」攻撃能力を持ち、より強力な米軍と共同作戦を行うとなれば、中国、ロシア、北朝鮮などは当然、それに備え、防御と反撃の態勢を強化することになろう。そのため自衛隊関係者などにも、実際は非常な難問だとの意識があるようだが、自民党議員などは、「相手の反撃」をほとんど語ろうとしない。

読売新聞は8月30日、「政府が攻撃対象を敵国領域内のミサイル関連の固定施設に絞る方向で検討。敵基地攻撃の兵器類は独自に保有せず、主要な打撃力は米国に依存する役割も維持」と報じた。しかし相手は、「固定施設の爆撃だから許す」はずはない。日本政府は「相手の意図は変わりうるので、相手の軍備の実態を見て防衛計画を立てる」と言うが、相手国もそう考え、軍事能力の増強に動くことになろう。それに直面した日本は、もっと攻撃・防御能力を増強しなければならなくなり、双方とも「安全保障のジレンマ」に陥る。

進む高性能兵器の開発と配備

重大なのは、自衛隊が「敵基地攻撃」に用いうる高性能兵器を次々に開発・調達・配備しつつあることだ。特に、「宇宙、サイバー、電磁波領域の能力強化」が強調され、それらの技術が逐次、各種兵器システムに組み込まれていくので、費用がどこまで膨らむか分らない。

空自は、F-15戦闘機を19年時点で201機保有、うち約100機が統合電子戦システムを搭載している。F-15の航続距離は4600km超、空中給油装置も装着。改修すれば射程約1000kmの空対地ステルス巡航ミサイルを搭載でき、それは電子妨害されても誘導可能で、目標近くで自動認識の機能も持つ。米企業が開発中のモデルは、射程1900kmになる。

 F-15とF-2戦闘機に搭載検討中の空対艦巡航ミサイルは、ステルスで超音速、自律誘導機能や迎撃回避機能を持ち射程900km(F-2の次期戦闘機の開発は1兆2000億円超)。

F-35Aステルス戦闘機(22年から105機)は航続距離2200km。射程500kmの空対地ステルス巡航ミサイルを2基搭載し、配備。F-35B(同42機)は、「空母」になる「いずも」と「かが」を離発着し、洋上から攻撃(両機は維持費も含め総額6兆2000億円以上とも)。

「島しょ防衛用」とされる開発中の地対地の高速滑空弾は、迎撃困難な飛び方をし、「大型化すれば長射程となり、護衛艦から発射すれば他国領土の攻撃も可能に」(半田滋氏)。

また、陸自の地対艦誘導弾の射程を900㎞に大幅に延長、約5年で地上・艦艇・戦闘機から発射可能な初の国産長距離巡航ミサイルとして開発方針を決定(21年度予算に335億円計上)、岸防衛相は12月11日、「自衛隊員の安全と防衛能力強化のためで『敵基地攻撃』が目的ではない」と述べたが、「目的」はいつでも変更でき、口先だけの弁解にすぎない。

長距離攻撃に不可欠な空中給油機は、現在の6機から21年度に6機追加。電子戦機は4機を調達予定。無人機は、海自が23年には偵察型を20機、空自が戦闘攻撃型を23年から20機以上導入の予定。導入検討中の高高度滞空型グローバル・ホークは、航続距離2万2700km以上で滞空時間は20時間以上。21年には自衛隊に「無人機部隊」が新設。

 人工衛星は、18防衛大綱で「宇宙を常時監視」、「相手の指揮統制・情報通信を妨げる能力」の各種衛星や探知・解析・通信システムを研究開発中。自衛隊は、移動式ミサイル発射機の探知のための米軍の衛星コンステレーション構想(1兆円以上)にも参加し、費用を分担する方向である。このほか、研(次頁下段へ)(前頁から)究開発中の極超音速ミサイルのコストは不明。電子戦機や各種無人機、各種巡航ミサイルなども加えると費用は際限なく膨らむ。

これらに加え、トランプ政権は19年にロシアとの中距離核戦力全廃条約(INF)を破棄し、早速、新型中距離ミサイルを開発、「アジア太平洋地域の米軍基地に早期に配備する」(エスパー国防長官)という。その配備は「2年以内に沖縄に」とも報じられている。

おわりに

このように、米軍と共同作戦を行う自衛隊の現場では、着々と「敵基地攻撃」が可能な兵器やシステムの研究開発、調達、運用態勢の構築が進められている。そして周辺諸国は、日本政府の「言葉」以上に自衛隊の実体的増強に対処する準備を進めているはずである。

この危険な動きを止め、東アジアに緊張緩和と信頼醸成、相互軍縮を実現する「平和と協力、共生の多国間システム」こそ私たちの対案であり、憲法前文と9条の精神である。各国政府は相互に「金縛り」状態にあり、方向転換させる力は市民レベルの国際世論しかない。

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203臨時国会における改憲動向

高田 健(事務局)       

12月2日の日本会議系の「美しい日本の憲法をつくる国民の会」(櫻井よしこ共同代表)の集会で、自民党の衛藤征士郎・党憲法改正推進本部長は改憲案の国会発議について「たとえ一部にちゅうちょする政党があったとしても、信念をもって憲法改正を提案し、意思を問うことは成熟した民主主義国家のあり方として当然だ」と述べ、自民党の4項目改憲案の考え方を説明した。

出席した国民民主党の山尾志桜里憲法調査会長も「現在の情勢に合う形で9条の規範力を回復する改正を検討すべきだ」と持論の「新9条論」を語った。

この集会にはほかに自民党の新藤義孝衆院憲法審査会筆頭幹事、杉田水脈衆議院議員、公明党の浜地雅一統憲法調査会事務局長など約40人の国会議員も参加した。

先の衛藤発言は自民党の改憲本部の本部長としての発言であり、あらかじめ国会の憲法論議において、「ちゅうちょする政党があっても」改憲発議を強行すると述べたもので黙過できない。これは2000年に発足した憲法調査会以来20年間にわたって尊重されてきた(例外はあったが)国会の憲法論議の在り方についての申し合わせを踏みにじるものだ。
衛藤氏のこの発言は3日の衆院憲法審査会で奥野総一郎委員(立憲民主)が厳しく批判した。

「これは、過去の衛藤先生の発言に重ね合わせると、は、着々と「敵基地攻撃」が可能な兵器やシステムの研究開発、調達、運用態勢の構築が進められている。そして周辺諸国は、日本政府の「言葉」以上に自衛隊の実体的増強に対処する準備を進めているはずである。

 この危険な動きを止め、東アジアに緊張緩和と信頼醸成、相互軍縮を実現する「平和と協力、共生の多国間システム」こそ私たちの対案であり、憲法前文と9条の精神である。各国政府は相互に「金縛り」状態にあり、方向転換させる力は市民レベルの国際世論しかない。

おいては、政局にとらわれることなく、憲法論議は国民代表である国会議員が主体性を持って行うべきとの共通認識に基づき、熟議による合意形成がなされてきた」と。

先の極右改憲派の集会での衛藤発言はいかにこの間の国会での運営に関する議論の積み上げを無視し、壊すものであるか、明らかだ。奥野委員が「こんなことでは落ち着いた議論はできない」と指摘したうえで、「こうした発言(衛藤氏の)を場外でされては、とても(国民投票法の)採決どころではない。次にも進めない」と発言したのは、まさにこの20年にわたる憲法論議の歴史を踏まえた発言だ。

改憲手続法の審議をめぐって膠着状態が続く中、臨時国会の最終盤の12月1日、自民党の二階俊博幹事長と立憲民主党の福山哲郎幹事長の会談が行われた。両者はこの国会で同法の自公などによる公選法並びの微修正案の採決を見送るかわりに、次期通常国会で「何らかの結論を得る」ことで合意した。幹事長会談で福山氏は「通常国会で、静かな環境の中で粛々と議論し、何らかの結論を得ることは承知した」と述べた。

この「何らかの結論」とは何を意味するのかが、その後の記者会見や3日の衆院憲法審査会で問題になった。会談後、二階氏は「採決を得るという事だ」とのべ、福山氏は「(結論を得る方法には)いろんな考え方がある」と述べた。

幹事長合意は「採決の合意」でないことは明らかだ。自公の微修正案と野党側が主張する抜本的な修正案の対立をどうするかもまだ議論も十分されていないし、自公案の先行採決か、野党案との並行審議かも結論がでていない。12月1日の立憲国対への総がかりと法律家6団体の「要請書」(本誌別掲)が指摘しているように、またこの間、野党が繰り返し指摘してきたように、自公の公選法並びの修正案は、その後の公選法の改正すら考慮に入っていないというお粗末なものであり、まして改憲手続法がもつ多くの問題点が検討されなくてはならない。たとえ、採決後の審議継続に関する何らかの担保を取ったとしても、現在の自公の微修正案単独の採決などはあり得ない。

また新型コロナ禍の深刻さは憲法審査会が「静かな環境で粛々」と改憲を議論するにはふさわしくない。国会は何を先議すべきだというのか。

情勢と国会審議の状況、世論の動向によっては「何らかの結論」には「野党意見の大幅取り入れ」や「このままでは採決できない」という結論もありうることだし、そうしなくてはならない。
この点で、国民民主党の果たしている役割には憂慮すべきものがある。同党の山尾・憲法調査会長は、11月19日の憲法審査会でのあと、記者団に対し、「公の場で、国民に見える形で、党が求めてきた追加の議論の約束を(与党の筆頭幹事の新藤氏に)してもらったと受け止めたので、(国民投票法の与党案の)採決に応じられる環境が整った。改正案の中身も異論はない」と述べ、改正案の採決に応じ、賛成する考えを示した。与党からすれば、野党の分断と懐柔の絶好の材料提供になる。この国民民主の動きが立憲民主の動揺を誘っている側面があることは否めない。

ちなみに国民民主党は12月7日、「憲法改正に向けた論点整理」を発表した。その主な項目は、憲法に「デジタル時代に即した人権保障規定」の追加や、同性婚を保障するための条文改定のほか、憲法9条改正の一案として、「制約された限度での自衛権の行使や自衛隊の保持」の明文化、いわゆる新9条論で語られてきた改定案を提示した。

特に憲法9条に関しては、「自衛権行使の範囲や自衛隊の保持・統制のルールを規定する必要性」に触れたうえで、「(1)9条2項を改定し、制約された自衛権行使の範囲内での実力行使、自衛隊の保持を明記する」「(2)9条1、2項を維持した上で、制約された戦力、交戦権の行使を認める例外規定の設置」の2つの条文案を併記した。

この案が目下の自民党の改憲案とのたたかいにおいて、どのような役割を果たすか、本誌の読者はご存知の通りだ。

一方、自民党は菅新体制の下で成立した衛藤征士郎本部長の改憲推進本部が、自民党改憲草案の年内条文化をめざしたが、憲法審査会での野党の動きを考慮して断念に追い込まれた。しかし衛藤本部長は「(騎亜県草案を来年の)通常国会がスタートしたら党独自の草案を用意する。総務会の了承も必要だ」などと、改憲への意欲をあらたに表明した。

このような自民党の野党共闘を分断する動きを封じながら、憲法審査会での自公らの「改憲手続法修正案」強行採決を阻止する闘いが求められている。

次期通常国会期における自公などの改憲手続法(国民投票法)の微修正案の強行採決を許さず、自公などが企てる憲法審査会での改憲論議を通じて改憲を実現する道を許さないたたかいを推進しなくてはならない。

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【編集部より】第203臨時国会最終盤に、立憲と自民の両国対が、憲法審査会の今後の運営の在り方について協議中であることから、12月1日、総がかり実行委員会と法律家6団体代表は立憲民主党国会対策委員会に対して、以下の要請書を手交した。

「日本国憲法の改正手続に関する法律の一部を改正する法律案」の採決に反対し、改憲手続法の抜本的見直しの議論を求める立憲民主党国対への要請書

2020年11月30日
戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会 
改憲問題対策法律家6団体連絡会 

本年11月26日に開催された衆議院憲法審査会において、第196回国会で与党らが提出した「日本国憲法の改正手続きに関する法律の一部を改正する法律案」(いわゆる公選法並びの7項目)(以下「与党ら提出の改憲手続法改正案」あるいは単に「改正案」という。)の審議が行われ、自由民主党、公明党及び一部の野党の議員から、早期採決を要求する発言が相次いだことから、以下の通り緊急に要請する。

要請の趣旨
1.与党ら提出の改憲手続法改正案の採決には応じないこと
2.改憲手続法には重大な欠陥が多々あることから、改憲手続法の抜本的見直しを図る議論を与野党一致して静かな環境の下、十分に行うこと

要請の理由
第1 公選法改正並びの7項目改正法案は、究極の不要不急法案であること。公選法「並び」
というだけで成立させることは、憲法 96 条の憲法改正国民投票の性質上許されないこと

1 与党ら提出の改憲手続法改正案は、2016年に累次にわたり改正された公職選挙法(名簿の閲覧、在外名簿の登録、共通投票所、期日前投票、洋上投票、繰り延べ投票、投票所への同伴)の7項目にそろえて改憲手続法を改正するという内容である。
与党ら議員からは、国民「投票環境を向上させる」ものであり、野党も内容には反対がないはずであり、提出からすでに 7 国会を経ている以上、急ぎ成立させるべきとする意見が出されている。

2 しかし、以下に述べるとおり、公選法並びの7項目のみについて法案の採決を急ぐべき理由は全く存在しないだけでなく、公選法「並び」というだけで成立させることは許されない。
(1)国民は今、憲法改正を必要とは考えていない。新型コロナ感染防止対策と経済対策に全力を注入しなければならない今、7 項目改正案は、究極の不急法案である。
(2)今回の与党提出案が「並び」としているのは、2016年の公職選挙法の改正7項目だけであり、2019年の公職選挙法改正は反映しておらず、さらに、郵便投票の対象拡大についても、公選法が未改正だからという理由で、与党提出の改憲手続法では先送りとなっている。「公選法並び」で改正すべきというなら、2016年以降の7項目以外の公選法の改正や現在議論されている郵便投票の対象拡大などの公職選挙法改正にあわせて改正が必要となるのであり、成立させても使い物にならない法案である。今、7項目のみを急ぎ成立させなければならない理由は全くない。究極の不要不急法案である。
(3)これらの公職選挙法の改正案は、選挙を専門とする委員会で審議され、「憲法改正 国民投票の投票環境はどうあるべきか」との観点での議論は全くなされていない。「選挙があるから」という理由で、公選法の技術事項の改正は成立が急がれるのが常であり、たとえば2016年4月の改正は与野党が共同提案し、委員会審査を省略して全会一致で直ちに成立しており、国民投票との関係も含めて審査を経たとはまったくいえない。
(4)審査会での実質的な審議は始まったばかりであり、7項目の内容に限っても、審議が著しく不十分である。
例えば、法案提出者は、投票環境を改善するものと説明するが、7項目の中には投票環境の後退を招くものも含まれている(期日前投票時間は2時間の短縮が認めらており、繰り延べ投票期日の告示期限が5日前から2日前までに短縮されている)。憲法改正国民投票について、かかる投票環境の後退を是認することが許されるかについての議論が全くなされていない。
(5)そもそも、「公選法並び」としていること自体が根本的に誤りである。憲法改正国民投票と選挙では、投票の対象も、運動の期間も、運動期間の運動の自由も「水と油」ほど違う。選挙の投票とそろえて期日前投票の時間を短縮するようなことがあっては、国民から国民投票参加の機会を奪うことになり許されない。
また、選挙と憲法改正国民投票を同時に行うことは回避するという確認があるならば、投票環境を揃える必要性がそもそも存在しない。
根本的な問題は、憲法96条の憲法改正国民投票と憲法15条の選挙の投票の関係を同列に論じること、あるいは、前者を後者に従属させて論じることの誤りである。憲法改正権力の行使である国民投票は、憲法に保障されている参政権の行使である選挙に優越することはあっても劣後・従属してはならない。
ことは憲法の本質、憲法改正にかかわる問題であり、「公選法並び」などという本質を見誤った些末な議論で法案採決を急ぐことは、国民から付託された憲法審査会の任務を懈怠するものであり、その権威を自ら汚すものというべきである。

3 以上のとおり、与党提出の7項目改正案は、2016年の公選法の改正に揃える(並べる)というだけで、①不急の法案であるのみならず、②憲法改正国民投票の投票はどうあるべきかという観点での法案審査を欠いており、③国民投票環境後退を招くものも含まれていることから、このまま成立させるべきではない。

第2 改憲手続法の本質的問題点が全く議論されていない欠陥改正案であること
1 改憲手続法については、2007年5月の成立時において参議院で18項目にわたる附帯決議がなされ、2014年6月の一部改正の際にも衆議院憲法審査会で7項目、参議院憲法審査会で20項目もの附帯決議がなされる等、多くの問題点が指摘されている。にもかかわらず、これらの本質的な問題の解決が、憲法審査会において6年以上あるいは13年間、放置され続けている。与党提出の改正案が7国会にわたり実質審議されていないというなら、13年間も放置している付帯決議項目を議論することが先決である。
2 日本弁護士連合会も、2009年11月18日付け「憲法改正手続法の見直しを求める意見書」において、①投票方式及び発議方式、②公務員・教育者に対する運動規制、③組織的多数人買収・利害誘導罪の設置、④国民に対する情報提供(広報協議会・公費によるテレビ、ラジオ、新聞の利用・有料意見広告放送のあり方)、⑤発議後国民投票までの期間、⑥最低投票率と「過半数」、⑦国民投票無効訴訟、⑧国会法の改正部分という8項目の見直しを求めている。
3 改憲問題対策法律家6団体連絡会は、とりわけ、(ⅰ)ラジオ・テレビと並びインタ―ネットの有料広告問題がきわめて今日的な問題で議論を避けては通れない問題であると考える。また、(ⅱ)運動の主体の問題もきわめて重要である。現在は、公務員・教育者に対する規制を除き(それ自体見直しの議論が必要)運動主体に制限はない。しかし、企業(外国企業を含む)や外国政府などが、費用の規制もなく完全に自由に国民投票運動ができるとする法制に問題がないか、金で改憲を買う問題がないかについての議論が必要である。また、(ⅲ)最低投票率の問題は、立憲主義・民主主義の根本に関わる問題であり、慎重かつ抜本的な議論と見直しが不可欠と考える。(ⅳ)さらに、憲法審査会では、欧州調査を行い、イギリスのEU離脱に関する国民投票の問題その他の経験を調査しており、また、この間2回にわたり実施された大阪都構想に関する住民投票の経験もある。これの問題点についても十分に調査検討のうえで、改憲手続法改正に生かす議論が必要である。(ⅴ)加えて、新型コロナ感染拡大という経験をした以上、投票環境の改善をいうならば、郵便投票の拡大の議論は不可欠といえる。
4 与党提出の改憲手続法改正案は、以上述べたテレビ、ラジオ、SNS等による国民投票運動の有料広告の問題、運動主体の問題 -「国民投票をカネで買う」危険について、全く考慮されていない欠陥改正法案である。そのほかにも極めて多数の問題が残されており、これらの問題点の抜本的な議論と見直しのないまま、与党提出の欠陥法案を成立させることは許されない。

第3 憲法審査会における審査の在り方
1 11月26日の審査会において、日本維新の会の委員から、「質疑打ち切り、討論省略、直ちに採択」との動議が提出された。重大な問題をはらむ改正案をまともな審議なしに採決させようとするもので根本的な誤りであるばかりか、審査会のあり方にも重大な破壊と変容をもたらすものである。
審査会はこの間、与野党の一致による開会と運営を確立した原則として定着させてきている。この原則は与野党共同で準備されてきた改憲手続法の立法趣旨であり、国民の意思を尊重し、慎重なうえにも慎重な検討を要する憲法改正手続が求める当然の要請である。
動議によってこの原則を破壊することは、審査会と憲法改正手続を「数の力」による強行採決の世界に追いやることを意味している。
2007年5月、強行採決によって改憲手続法を成立させた安倍晋三政権(第一次)は、国民的な批判を受けて同年8月の参議院選挙で惨敗し、安倍首相(当時)の「投げ出し」によって政権は崩壊した。これが2009年に実現した政権交代への序曲であり、改憲手続法が欠陥法として長い凍結を余儀なくされたのも、強行採決の結果である。
審査会と憲法改正手続を再び「数の力」による強行採決の世界に追いやる改憲派と与党の暴挙は、断じて許されてはならない。
2 そもそも、与党ら提出の改憲手続法改正案は、特定の改憲を強行するための「道具」として生み出されたものである。2017年5月に、安倍首相(当時)が「2020年までに改憲を成し遂げる」と宣言し、2018年3月に自民党4項目の改憲案(素案 以下、「安倍改憲」という。)を取りまとめ、同年6月に提出されたのが改正案である。この改正案が、「安倍改憲」のために急ぎ間に合わせで作られたものであることは経過から明らかであり、メディアが「呼び水」と報道しているのもそのためである。
それから2年半、安倍前首相自らが「国民の世論は十分に盛り上がらなかった」(8月26日退陣記者会見)と認めているにもかかわらず、「安倍改憲」4項目は撤回されず、自民党は憲法改正原案の策定を急ごうとしている。
「手続法は具体的な改正案と切り離して超党派で検討する」というのが改憲手続の理念であり、「安倍改憲」の「匕首」を突きつけたまま手続法改正を行おうとすること自体この理念を踏みにじるものである。
安倍政権は、これまで数の力を恃んで憲法違反が指摘される多くの問題法案の強行採決を繰り返してきた。野党が、改正案の議論に応じても、与党が抜本的な手続法改正の議論に真摯に応じる保障はなく、欠陥改正法案を多少の手直しで成立させて、自民党改憲案の実質議論に突き進む危険性は、安倍首相が辞任し、これを継承した菅政権下においても依然として払拭されていない。欠陥改正改憲手続法を成立させることは、自民党改憲案が憲法審査会に提示される道を開く環境を整えるだけというべきである。そのこと自体、何度も強調するが、国民の意思ではない。
以上

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第148回市民憲法講座 権力とメディアの関係を問い直す

お話:南 彰さん (新聞記者・前新聞労連委員長)

(編集部註)11月28日の講座で南彰さんが講演した内容を編集部の責任で要約したものです、要約の責任はすべて本誌編集部にあります。

今日は「権力とメディアの関係を問い直す」ということでお題をいただきました。現状の安倍政権、菅政権と続く中で果たしてメディアがきちんと権力を監視できているのかどうかということに対して、みなさん方の関心も非常に強いところだと思います。最初に私の方から菅政権で、現状どんなことが起きているのかということをお話しさせていただきながら、メディアの問題のところについてはみなさんから率直にご質問いただくような流れで、全体2時間をいろいろな問題を共有して、どうしていったらいいのかということをお話できればと思っております。

官僚の無理な働き方を生んでいる嘘を強いる国会

最初に今週の永田町は本当に季節外れの「桜満開」という感じではありましたが、そこにつながる話として河野太郎行革担当大臣のブログが話題になったことをお話ししておこうと思います。これは先週彼が書いた「危機に直面している霞ケ関」 というタイトルのブログでした。どういうことが書いてあるかというと「中央省庁に勤める総合職の国家公務員で、「自己都合」で退職する20代が、昨年2019年度で87人」いた。「2013年度と比べて、安倍政権下の6年間で4倍以上に増加している」という数字でした。若手で希望を持ってこれからの行政をしっかり支えていこうというメンバーがどんどん辞めていっているというデータです。ここで河野氏がブログの中でさらっと触れていたのは「働き方改革」で、実施されていないけれども期待が高いのは、「国会関係業務の効率化です」ということを先頭に書いてありました。「ブラック霞ヶ関」というタイトルを付けて今週書店に並び始めた、千正康裕氏という厚生労働省の官僚を去年まで18年半勤められていた方が最近霞ヶ関の働き方の実態について書いた本も、「朝7時に仕事を開始し役所を離れるのは27時20分だ」と、かなり限界状況の職場になっている。その中で負担が大きいのは国会対応なんだということを書いています。

そういう思いを持っている人は、役人の中では少なからずあると思うんです。ではなぜ国会で、それだけ官僚が心が折れるまでの無理な働き方をさせられているのか。その背景のひとつにあるのは、やっぱり「嘘で塗り固めた長期政権下で嘘を散々強いられた国会の姿」、これがあったのではないかと思います。

今週の火曜日でした。衆議院の財務金融委員会で、立憲民主党の川内博史さんが衆議院の調査局に調べてもらったデータを明らかにしましたが、2017年から2018年にかけて安倍政権の森友問題に関して事実に反した答弁が全部で139回ありました。その中心人物は当時の理財局長、その後栄転して国税庁長官になった佐川宣寿さんです。2017年2月17日に安倍総理が初めて森友問題について聞かれたとき、「私や妻は一切関わっていないし、もし関わっていたら総理大臣も国会議員も辞める」という大見得を切った。その翌週2月24日から佐川さんが「記録は全部廃棄しました。ありません」「事前に価格交渉したこともありません」などさまざまな嘘をついた。それを1年間、しかもそのもととなる大切な公文書を改ざんし、そこに関わった近畿財務局の職員の方が、本当に残念ながらそれを苦にして自死されるという、そうしたひどい状況が続いてしまいました。

結局2018年3月2日、朝日新聞が改ざんの疑惑があることを報じるまでの間、1年間にわたって国会を愚弄する答弁が139回。その139回の答弁の一覧表を見ましたけれども、安倍総理などは入っていませんでした。衆議院の調査局としても、財務省の報告書と会計検査院が出してきた再調査の結果とを照らしあわせて、一番手堅いところだけをピックアップした数字が139回ですから、実際はもっと多くの国会での嘘の答弁があった。その中で官僚が無理な答弁を強いられ、それを支えるもとになっていた文書の改ざんで犠牲者まで出る状況があったわけです。

さらに今週明らかになったのは「桜を見る会」です。「桜を見る会」も同じ24日に衆議院の調査局が集約したデータでは33回の虚偽答弁の疑いがあるということが示されました。もともと2019年11月に「赤旗」がスクープして、それに基づいて共産党の田村智子さんが質疑をしてから1年たったわけです。当時は「桜を見る会」の前夜祭について安倍さんは、参加者ひとりひとりがホテルと契約を結んで安倍事務所は一切関わっていないということで、領収書とか契約書の類もない。そして、ひとりあたり5000円という会費が安いのではないかといわれても、その差額の補填は一切ない、「事務所に確認したけれども」ということを何度も何度も繰り返しながら「ない、ない、ない」といってきた。そうした答弁が、いま東京地検特捜部が告発を受けて捜査をする過程の中で「それは違う」ことがばれ始めて、安倍事務所サイドの人間もその事実を認め始めている状況になっています。

こうした虚偽答弁の数々、11月24日に33回の虚偽答弁の疑いがあるということを衆議院の調査局からも指摘をされる中、翌日衆議院と参議院で菅総理出席の集中審議が行われました。しかし、菅さんも結局安倍さんに追随するかたちで「安倍さんに確認したけれども参加者ひとりひとりが契約したので領収書などもないし、補填もない」ということを一緒になって、嘘の答弁をかばってきたわけです。その責任をどうするのか、安倍さんを官房長官として支えてきた、そういう間柄なんだから、1年間国会を愚弄し続けてきたその状況に対してしっかり確認しなさいということを野党議員に迫られた。にもかかわらず、菅首相は「答弁を控える」「お答えする立場にありません」という言葉をわずか6時間の審議にもかかわらず25回も繰り返すという状況がありました。

10年前のある自民党議員の警鐘

 こういう刑事事件になった問題はかつてもありました。そうしたときに10年前の自民党議員はどんなことを言っていたかということを、「10年前の自民党議員の警鐘」として振り返ってみます。当時、2010年は民主党の鳩山内閣のときでした。2010年2月5日の衆議院予算委員会で、ある自民党議員は当時こんなことを言っていました。ひとつは小沢一郎さんの事務所が、政治資金規正法違反の疑いで元秘書だった方を含めて逮捕、起訴された直後のやりとりです。その自民党議員は「非常に残念だが、民主党の皆さんから異論や批判の声がほとんど出ていない。民主党に自浄作用・能力がないのではないか。小沢幹事長も全くと言っていいほど説明責任を果たしていない、総理の対応も適切でない、というこれが国民世論だ」と迫っていました。さらには鳩山さんも刑事事件になっているからお答えは差し控えますという、今回の菅さんのようなことを言っておられました。しかし自民党議員は、「総理、それは全くおかしいと思いますよ。これだけ重要な事案を民主党の代表として確認していないということはおかしいじゃないですか」「検察が厳正に公平な捜査をできる環境をつくるのも、総理大臣の役割だ」ということも迫っていました。

この自民党議員は2010年からさかのぼること10年前、2000年の夕刊フジのコラムを引用して見解を求めました。この議員曰く「鳩山総理は非常に洞察力のある政治家だと私は思いました。総理は、自自連立政権ができるその直前にこう書いているんです。《小沢氏の発想は、明文化された法律でも内閣次第でどのようにでも運用可能というもの。独裁者の思考なのです。「自自連立」政権が続いて小沢首相が誕生することになれば、「オレは法律だ」「オレに従え」と振る舞われるつもりなのか?とても、法治国家の政治家の発言とは思えません。戦時中の統制国家が復活する危機感を感じますよ》。これは総理が署名入りで書いています。いかがですか」と見解を求めました。

でもこの自民党議員は菅さんなんですよ。野党時代の菅さんは立派だったのかもしれません。しかし10年たって同じように「刑事事件だからお答えを控える」というようになってしまったわけです。菅さんが野党時代に言っていたことは「すべからく」といっては失礼かもしれませんが、いろいろなことを忘れてしまっているんですね。

これは2017年8月8日の記者会見でのやりとりでしたが、「歴代の保守政治家は歴史の検証に耐えられるように、公文書の管理に力を入れてきた。ある政治家は『政府があらゆる記録を克明に残すのは当然で、議事録はもっとも基本的な資料。その作成を怠ったことは国民への背信行為』と記している。そのことを本に記していた政治家は誰かわかりますか」。「『ある政治家が』と書いていますけれども、その政治家は誰だかわかりますか」と、これは私が首相官邸に行ったときに聞いたんですが、菅さんは「知りません」と即答されるわけです。「これはあなたが書いているんですよ」、官房長官の著書に書かれています。2012年、当時は民主党政権ですけれども、そのときに記した見解と照らして、2017年は森友学園・加計学園の問題で「文書がない、破棄した」と散々いっていたときです。いま起きていることと照らし合わせて忸怩たる思いはないんですかと私は尋ねたんです。この映像は菅さんが書いた「政治家の覚悟」という本です。右側が2012年に発売したオリジナル版で、左側がこの10月発売の改訂版ですが、残念ながら、その公文書の件はみなさんご案内の通りばっさり削除している。過去の記録は封印してしまったわけです。本当にそういう意味で野党時代に言っていたことをすっかり忘れて非常に強引な政権運営をしている、説明も非常に荒っぽいことが続いている状況です。

官僚人事や学術会議任命拒否に見る強引な国会運営

自民党なども「物言えば唇寒し秋の風」という状況になっています。9月の自民党総裁選、安倍政権という長期政権が終わって、ようやく7年8ヶ月振りにきちんと総理を選ぶのかと思いきや、自民党員の正規の投票もやらないで、雪崩を打つように派閥がこぞって菅さん支持ということになっていった。石破さん、岸田さんは包囲網を布かれるかたちで菅さんの圧勝になりました。そして菅さんは総裁選の過程で、役所の官僚の人事に対しても、「反対するんだったら異動してもらいます」ということを公言しました。これはずっと彼は言っている。さらには政権を取った途端、10月1日には、日本学術会議が推薦した6人の候補者、加藤陽子さんを含めて非常に実績のある信頼されている学者さんたち、過去は学術会議が推薦した候補者はそのまま任命するという慣例で続いてきたものに対して6人を恣意的に任命拒否するということまで起こしました。この説明も非常に荒っぽい状況が続いています。

2つほど見ていきたいんですが、10月9日に官邸の中でグループインタビューが行われたときに、推薦段階のリストは105人いて、そこから6人を除いた99人が任命されたわけですが、もともとの推薦名簿は「見ていません」と菅さんが明言しました。10月9日は「見ていない」と言い、11月2日の衆議院予算委員会で江田憲司議員の質問までは「見ていないのが事実です」と言っていた。にもかかわらず11月4日に行われた立憲民主党の辻元清美議員の質問に対して、「実際は決裁前に杉田官房副長官から報告を受けて6名を除外するということを認識していました」「私は知っていました」と答えました。しかも「見ていません」と言ったけれども、99人を任命した決裁文書にはもともとの105人、加藤陽子さんを含めて、推薦されたみなさんのお名前が載ったリストも添付されていたということを認めるわけです。「見ていません」と聞くと、一見、菅さんは任命除外に関わっていないのかと思いながら、よくよく聞いてみると、杉田官房副長官が原案をつくり、それを自分も了承し、除外に十分関わっていたということが、答弁がどんどん変わっていった流れでわかってきた。

もうひとつは、これも相当強引な説明だと思いますが、「必ずしも学術会議の推薦通りに任命しなければならないわけではない点は政府の一貫した考えだ」ということを、10月28日から始まった代表質問に対する答えでもずっと言い続けています。一貫した考えだということによって、解釈変更はしていませんということを主張し続けています。1983年には形式的任命だと言っていた。その意味を問われると「40年も前のことだからその主旨をいまから把握することは難しい」ということを加藤官房長官が言い、一貫性があるのであればその証拠を示して下さいと野党から追及を受けても「いや、そういうのは」と言って、裏付ける記録も出してこない状況が続いています。

1983年に形だけの任命制で学会から推薦されたものは拒否しないと言っていたものを、2018年に国会に報告しないで、しかも学術会議の当時の山極寿一会長にもきちんと報告をしない中で、こっそりと「推薦の通りに任命すべき義務があるとは言えない」という見解をまとめて、それでも一貫していると言っています。これは法政大学の上西充子教授がチャーハンに例えて説明されていますけれども、もともとエビチャーハンを頼んだらタマゴチャーハンが出てきた。これは明らかに違うではないかと言っているにもかかわらず、「同じコックがつくっているから一貫しているんです」「戦後一貫してある、公務員の任命に関する規定、選挙で選ばれた人に権限がある」ということを正当化する憲法15条をもとに、それがずっとあるから一貫しているんだという。そういうめちゃくちゃな主張をして解釈変更はないという強引な国会運営を続けています。

政治力を上げるため人事に執着

 そんな菅首相の歩みを振り返ってみます。「たたき上げ」と言われていますけれども秋田の農家の長男で、実際には裕福なイチゴ農家として成功を収めている親の元に生まれまして、「集団就職」などと一時期言われていましたけれども実際は農家を継いでいくことが嫌だということで東京に来られました。その後いくつかの民間に勤める中で横浜出身の小此木彦三郎さんの秘書を通って38歳で横浜市議になる。横浜市議時代から人事に対して執着するというか、そこに関わっていることによって政治力を持てるということを早くから感じていたようです。ひとつのエピソードとしては、横浜市議時代に市の幹部の人事案をどこからか入手して、その昇格する職員に「決まったな。頑張れよ」と電話をするわけです。そうすると別に菅さんが決めたわけではないけれども、電話を受けた人からすると「菅さんの力で役職を得た」と思わせてしまう。そんなことになって当時の横浜市の幹部も「ちょっと困ったな」と頭を抱えていたというエピソードがあります。 そのくらい市議時代から人事に関してのこだわりを持っていた。市議のあと47歳で衆議院議員になるわけです。最初の選挙で公明党・創価学会系の、当時は新進党の候補と「血で血を洗う選挙」といわれるほどの激しい選挙戦を勝ち抜いて、第1次安倍政権で総務大臣、そして第2次安倍政権で官房長官、昨年の改元のときには「令和おじさん」といわれて今日に至るわけです。

政権危機を摘むだけに長けている「危機管理の菅」

よく「危機管理の菅」といわるわけですが、いかほどのものか。これはメディアも含めて「危機管理の菅」ということをかなり持ち上げてきたわけですが、これも検証する必要があります。今回の臨時国会で10月29日の参議院の代表質問で、安倍内閣のときに官房副長官を務めていた世耕弘成さん、現在の自民党の参議院幹事長ですが、「菅長官はスーツをきて寝ているんじゃないかと官邸内でささやかれるほど危機対応はいつも迅速だった」という「よいしょ質問」をしていました。そうした「危機管理の菅」といわれていることに対して、どういうものが実績としてあるのかということを、11月5日の参議院予算委員会で立憲民主党の森ゆうこ議員が聞いています。

菅さんはこういうことをつらつらとしゃべっていました。「まず、最初にあったのが、2013年のアルジェリアの人質事件でありました。それから、北朝鮮のミサイル、あるいは熊本地震、昨年の台風19号、台風による大雨だとか、いろんな危機管理に対応してきたわけでありますけれども、私自身、内閣官房長官というのは危機管理の責任者でありまして、夜も時間を問わずに、地震とかの発生もあるわけでありますので、まあ緊張しながら、この7年8カ月はすぐ行くことができたというふうに思っています」と答えています。すぐに官邸に駆けつけることが菅さんならではの危機管理として誇っていたようですが、この実相を見てみたいと思います。

菅さんが誇ったものはいくつかあるけれども、やっぱり抜け落ちた危機管理、重要案件がいくつかあります。ひとつは2014年から2015年にかけて「イスラム国」の邦人人質事件が起きたときです。後藤健二さんと湯川遥菜さんが人質になったという情報が2015年11月頃に寄せられていたにも関わらず、当時の政府はその情報を知りながら、これは身代金目的だということで家族に解放交渉をゆだねっ放しでした。そして2015年1月になって安倍総理が中東を訪問したときに、「ISIL(「イスラム国」の別名です)と闘う周辺各国に総額で2億ドルの支援をする」という威勢のいい演説をした。その後、殺害予告が出て残念ながら2人が殺害されてしまうという痛ましいことがありました。これも最初から家族に寄り添ってしっかり解放交渉を含めてやっていたかというとそうではなく、しかもそういう中で総理が拘束している側を刺激するようなスピーチまでして2人が殺害されるという事態になってしまったわけです。

もうひとつは2016年、バングラディシュのダッカで人質立てこもり事件が起きたときです。このときは7月でちょうど参議院選挙の最中でしたが、菅さんは朝に「人質事件が起きています」ということで緊急の記者会見をしました。すぐさま総理に任せたからということではあるんですが、新潟に選挙の応援に行ってしまい、政府の昼間の会議も欠席して、戻ってきたら7人死亡ということが起きてしまった。

2018年7月に西日本豪雨が起きたとき、安倍総理やいまコロナ対応の担当大臣をやっている西村康稔さんが官房副長官、これも危機管理の重要なポジションですが、そうしたメンバーが集って赤坂の衆議院宿舎で自民党議員たちとどんちゃん騒ぎをして、その宴会の様子や総理と撮った写真などをツイッターにアップをした「赤坂自民亭」事件が起きました。この「赤坂自民亭」をやる前から、気象庁は記録的な豪雨で大変になると警報を発表していました。この時はそうしたどんちゃん騒ぎをして、最終的に政府の「非常災害対策本部」を設置したのは最初の警報から39時間後です。しかもその時点で政府が把握しているだけでも48人の方が残念ながら亡くなられている。そんな状況からの対応になってしまいました。

今年2020年に入ってからも「ダイヤモンド・プリンセス号」での大規模な船内感染、マスクの件もそうですし、いろいろな右往左往がありましたが、その新型コロナの危機管理対応でも、これだけ官邸に危機に対する権限が集中していたにもかかわらず対応できないということが残念ながら続いてしまった。最終的にはコロナ対応に関しては、マスクだとか星野源さんとのコラボ動画などで杜撰な危機管理対応の責任は安倍さんに批判が集中しました。出発点である「ダイヤモンド・プリンセス号」の対応などは菅さんが中心になった。このことで首相官邸内で不協和音が生じて、肝心要のときに官邸が官房長官と総理で分断されるという、杜撰な危機管理、これがある種の「危機管理の菅」の実相です。

では「危機管理の菅」とは一体何なのかというと、「政権を脅かす」という危機を摘む能力だけは非常に長けていたと思います。ひとつは野党を分断し続けたということで大阪の維新の会、橋下徹さんとか松井一郎現大阪市長のラインと強固な関係を結んで常に野党分断をし続けてきました。選挙の際にもそうしたことを利用したし、国会運営でも「強行採決」に維新の会が賛成することで、「強行ではないんだ」ということを主張するひとつの材料に使ってきていました。

自己の政権基盤を脅かす芽を摘む「危機管理の菅」

 最近でも総裁選の過程で石破包囲網を布いて、大惨敗を喫した石破さんは派閥の会長を辞任し、来年の総裁選に出られるかどうかもわからない状況に追い込んだ。石破さんだけではなくて、2位につけた岸田さんに対しても、いま自民党内では包囲網が布かれています。象徴的だったのは先週、公明党が広島3区に候補者を立てたことです。広島3区では、河井克行元法務大臣が買収問題で責任を問われて逮捕・起訴されて、裁判になっています。そこの後継の候補者を、広島の宏池会・岸田さんのお膝元で候補を何とか擁立したいとしていたところに公明党が立てる。菅さんも容認して岸田さんの面子がつぶれ、しかも岸田さんがそこであくまで自民党の候補を立てるのだったら、全国の他の選挙区も岸田派の応援をやめるぞというかたちのプレッシャーがかけられて、岸田さんの政治力がどんどん奪われる状況があります。

さらに、これは今週の永田町でささやかれたことです。安倍前首相ともあまりしっくりいっていない中で、今回の「桜を見る会」の捜査であり、その後のいろいろな情報が流れることは、菅さんにとっても一連の答弁を含めた説明で連帯責任を負うところもあります。この間、党内最大派閥の実質的なオーナーのような安倍前首相が、病気でお辞めになったはずなのに、なぜか最近元気が出てしまっている。来年の総裁選に向けてどう動くかわからない中で、「菅対安倍」の「暗闘」が繰り広げられているのではないかということがいわれています。その流れで「桜を見る会」の今回の安倍さんに対する調査の進展などについての解説が永田町ではささやかれています。「危機管理の菅」というのは、自分の政治基盤、政権基盤を脅かす芽を摘むというところにあったわけですし、これとセットで官僚の人事に関する支配を極めて強引にやってきています。

強引な官僚人事の支配

第1次安倍政権で総務大臣をやったときからNHK受信料義務化と同時に受信料2割値下げを掲げての攻防があったときに当時総務省に論説委員などを呼んだ記者懇談会をやっていました。その懇談会でNHK担当の課長が、「大臣は2割値下げのようなことを言っていますけれども自民党内にはいろいろな考えの人がいるから、そう簡単ではないし、どうなるかわかりませんよ」ということをいったところ、こともあろうに論説懇に出席しているテレビ局の論説委員が菅さんにご注進をした。それを受けて菅さんは早速懇談の議事録を総務省の役人から取り寄せまして、そこにはっきりとその課長の発言が記載されていた。「NHK改革が簡単か難しいかどうか、聞かれてもいないのに自分から述べた発言がわかった」からということで、課長を更迭しました。そういう意味では菅さんも都合よく公文書を使っているわけです。

第1次安倍政権のときからこうした人事による支配ということで、ゲッぺルスのようではないかといわれてきました。 その後も官僚を選別するようなことが続いています。総務大臣のときに肝いりでつくった「ふるさと納税」の制度を巡っては、第2次安倍政権になってそれを拡充しようとしたときに反対した、当時の自治税務局長だった平嶋彰英さん――次官候補のひとりではないかと言われていた人です――が、菅さんのようなやり方をすると高所得者層が優遇されるだけになってしまって税の公平性が保てないという制度の問題点を指摘しましたが、自治大学校の校長へ異動を命じられた。とばされてしまったわけです。平島さんは「役人の責任として間違った制度について『間違っている』と説明しただけ」なのに、それでも更迭されてしまう。一方で、コネクティングルームで有名になった和泉洋人首相補佐官は、第2次安倍政権になってからずっと菅さんの側近として重宝してきたわけです。さまざまな問題があるにもかかわらずいまも重用し続けて、いまや内政だけではなくて外交関係も和泉さんのところに情報を通すようなかたちで、どんどん安倍内閣のときの今井尚哉秘書官のようになっています。

日本学術会議問題にみるフェイクとの闘いとメディアの分断

 菅内閣になってからより深刻になっていると思うのは、フェイクとの闘いです。学術会議の問題のときにさまざまな言説が流れて、深刻なことが起きました。これはメディアと政権との関係という今日の問題とも密接に絡み合った話です。10月1日に日本学術会議の任命拒否問題――6人の方が除外されたことが発覚した直後の10月5日に、フジテレビの情報番組で平井文夫上席解説員の発言がありました。平井さんは、「この(学術会議の)人たち、6年ここで働いたら、そのあと(日本)学士院ってところに行って、年間250万円年金もらえるんですよ、死ぬまで。皆さんの税金から、だいたい。そういうルールになってる。」というコメントです。まったくそんなことにはなっていないにもかかわらず、こういうフェイクを公共の電波を使って流して、翌日番組としてこっそり訂正しましたが、本人はきちんとした謝罪はしていない。その後も問題となるようなブログを書いている状況が続いています。これはメディア関係者だけではなくて菅政権を支える政治家、自民党の幹部もそうしたデマ、フェイクの情報を流しています。

典型だったのは自民党の甘利明・税制調査会長です。10月1日の任命拒否問題にさかのぼる8月6日付けのブログで、「日本学術会議は中国の千人計画に積極的に協力しています。」と、こんなことを書いていました。2017年には、軍事研究に否定的な声明を日本学術会議が出しています。これを理由に、学術会議の方針は「一国二制度だ」などの批判を展開していたんです。こうした甘利さんのブログ、自民党の税調会長の肩書きを持つ、何か政府内部の外交ルートの情報を含めて持っているのではないかと思われるような人が書いたものが、ソーシャルメディア、まとめサイトなどを通じてどんどん拡がっていって、学術会議に対する誹謗中傷につながっていきました。「『防衛研究は認めないが、中国の軍事研究には参加する』という反日組織」「中国に情報を流している」といった投稿がネット上に拡がり、結局学術会議への中傷にもつながっていったという次第です。

 平井さんとか甘利さんなど政権に近い人間が、学術会議に対するさまざまな攻撃を拡散させたわけです。いくつか見てみると「答申や提言をほとんど出していない」ということを自民党の議員が国会の中でも言っていました。実際は最近の1年間だけでも80件を超える提言や報告をしています。答申を出していないというのは、政府が学術会議を活用するために諮問をしないと、答申は出せないわけです。政府はきちんと使いこなせていないけれども、学術会議としては80件超の提言や報告をまとめて出しています。

「年間予算10億円で税金が投入されているのは日本だけだ、欧米では投入されていない」ということを橋下さんなども言っていました。でも実際には全米科学アカデミーでは約210億円 のうち8割が公費ですし、イギリスの王立協会も約97億円の予算の7割弱が公費というかたちで、まったく違う。また「会員に高額の報酬が支払われている」ということも、これも違います。平井さんが、「死ぬまで年間250万円支払われる」と事実に基づいていないことによる誹謗中傷に近いものがあります。実際は、会員が受け取るのはひとり年間30万円の手当と旅費だけで、しかも平井さんが「みんな年間250万円の年金をもらうんですよ」と言った学士院会員になっている人は、学術会議会員204人いるうちで1人しかいなかった。まったく違うことを言っているわけです。

さらに学術会議の組織形態を見直すべきだと言った。けれども、安倍政権下の2015年3月に、有識者会議が「現行制度が学術会議に期待される機能に照らしてふさわしい」という報告をまとめています。一体何に基づいて批判しているのかというような、そんな情報がどんどん出ているわけです。こうしたフェイクやデマの情報は、学術会議に対して声を上げた人を傷つけただけに止まらず、世論に対しても大きな影響を与えてしまった。いわゆるリベラル系のメディアは、学術会議の問題は大変深刻だということで連日のように書いたわけです。一方で学術会議の方が悪いと言わんばかりの記事を展開したり、こうしたことを追及するのは意味がないとか、こんなことを国会で取り上げるべきではないということを有識者に語らせるかたちで紙面展開している新聞社もあって、メディアも分断されていってしまうということがあります。

この学術会議の問題は、日本の民主主義社会を多様な軸をもって学問の自由をしっかり守って、政府にさまざまな意見を反映させる、そうした仕組みを維持していく上で極めて大事なテーマです。にもかかわらずメディアも含めて分断され、フェイクも含めてさまざまな問題がない交ぜにさせられてしまって問題点が十分に伝わり切っていません。その結果支持率もあまり下がっていないから、「まあ、いいや」というような空気感が政権内部に拡がっていると思います。実はこの講演の前に産経新聞の政治部長と一緒になる講演会がありました。その人は、菅さん周辺は学術会議の件で15ポイント支持率が下がると思っていたけれども、全然下がらないので自信を付けたというようなことを言っていました。やっぱりメディアも含めて分断させられて、情報戦を仕掛けられてしまったというところがあるのではないかと思っています。

菅政権のメディアに対する圧力と癒着

安倍政権のときからですけれども、菅政権になってから、記者会見のあり方や、またNHK、テレビ朝日、TBSの看板報道番組のキャスターが相次いで2016年にバタバタとかわった問題を含めて、政権のメディアに対する介入疑惑、またメディア幹部との会食など、メディアに対する圧力と癒着はずっと指摘をされてきました。菅さんは「総理動静」の中には出てきませんけれども、実際にはテレビ局の番組プロデューサーなどとかなり頻繁に接触してメディア対策をしてきた人です。

政権を取ってからも、そうした対応を続けています。ひとつは共同通信の論説副委員長だった柿崎明二さんを、いきなり首相補佐官に起用するということが起きました。柿崎さんはテレビ番組に出ているときは、一見リベラルな論客に見えて、立憲民主党の枝野さんともかなり親しい間柄です。しかし実際には菅さんの側近的な感じで、同じ秋田の同郷ということもあって、何のクッションも挟まずに政権の中枢に入り込んでしまった。共同通信としては、自分達がいままで書いてきた論説の記事や、これから政権との間合いも含めて当然疑われるということで、加盟社に「遺憾だ」とかいろいろ説明をしています。共同通信の経営陣としてはとんでもないことだという認識はあります。一方で、加盟社が集まった最初の会議では、「とんでもない」という声を上げた社もあれば、「でも柿崎さんが官邸中枢に入ってくれれば衆議院の解散の情報も早く取れるから、それはいい。これで大丈夫ですね」というような打算的な声も上がったということです。やっぱりじわじわとこういう影響は出てくる恐れがあるのではないかと思います。

もうひとつは柿崎さんも早速にいた懇談ですが、10月3日にパンケーキを囲む会、「パンケーキ懇談」と呼ばれている総理番の記者と菅総理との懇談が設定されました。いま官邸では新型コロナの感染拡大が深刻だということで、記者会見は人数制限をしています。いままでは人数制限もなく各社何人でも入れた。だから東京新聞の望月衣塑子記者が、政治部ではなく社会部ですけれども、乗り込んでいって菅さんに質問できたわけです。今年の4月に緊急事態宣言が発令されたことを逆手にとって、というかいってしまえば悪用して、感染拡大が深刻だからという理由で「1社1人」というルールをつくってしまいました。

最初にルールをつくったときは「緊急事態宣言中は」といっていました。5月になって宣言が解除されて以降も、解除されずにいまに至っています。記者クラブの中でも解除すべきだということを幹事社を通じて指摘をしています。記者クラブの主要19社、全国紙、通信社、テレビ局が中心ですが、意見が全部まとまっていないということで、解除の話はずっと店ざらしにされている状況です。記者会見という公の場がきちんと設定されず、不公正な形で勝手に人数制限をかけているにもかかわらず、パンケーキ懇談については「番記者だったら全員来ていいですよ」という対応です。全部入れると58人くらいが対象ですけれども、「みんな来て下さい」ということです。記者会見と懇談のどちらが「三密」なのか、しかも飲食を伴う懇談ですから、どちらが危険なのか。新型コロナの関係だけでも突っ込みどころ満載ですが、それをいきなりやろうとした。

悩ましい取材のあり方

確かに歴代総理も、総理番との間で官邸の中でコーヒーを一緒に飲んで懇談とかカレーを食べたりしたことはありました。けれども、店に行って、人数制限もなく「みんな来ていいよ」と。しかも自分のPRに使ってきたパンケーキの場に懇談で集める。この写真が、現場になった原宿のパンケーキのお店の写真です。ここにも柿崎さんが写っています。そんな懇談が行われました。まさに権力とメディアの癒着の甘えた関係の象徴がパンケーキになってしまった。このときは朝日新聞と東京新聞、京都新聞の3社が欠席しました。10月1日に学術会議の問題が起きて、総理に任命拒否の理由を尋ねているにもかかわらず、まったく回答もしないし、記者の問いかけを無視していた。にもかかわらず、非公式なオフレコな懇談だけするということは、明らかにおかしいだろうということで欠席しました。この手法は官邸側からするとまったく傷つくことがない、損することはないわけです。一方的に日程を決め、しかも学術会議問題でメディアと権力との関係が極めて問われているところを狙ったかのようにそうした懇談をセットする。メディア側は「行く・行かない」ということで、行けば批判されるし、行かなければ官邸側から「お前たちは来ないメディアなんだな」ということで、今後の嫌がらせも含めて「今後も呼びません」というかたちで「踏み絵」を踏ませる。そうした手法を使ってきています。

そうした中で10日後に官邸でキャップ懇という、キャップを対象にした懇談が行われました。朝日新聞は苦渋の決断で、こちらの方はグループインタビューで一定の説明があったことを理由に出席しました。特に、政権の権力監視ということが期待されているリベラル系のメディアにとっては、「一体あなたたちは権力とどういう間合いで取材しているのか」ということを毎回迫られるような、そんな状況が続いています。メディアによってはまったく悩まずに「そんなの行くものでしょ」ということで、社会的にもあまり叩かれないメディアも残念ながらあります。

 

私も社に戻ってから痛感しました。官邸から提案があるたびに、日常的な取材のあり方とこの総理の懇談、朝日新聞社内でこれはどうしたらいいのか。取材は確かに尽くさないといけない、権力が何をしているのか、いまどういう状況にあるのかという取材をしなければいけない。その取材のあり方をどうしていくのかということを、毎回議論せざるを得ない状況になっています。本来であれば、立場の違いを超えてきちんとメディア同士が連帯して、総理から勝手に「パンケーキの懇談をやるから来い」といわれるようなかたちではなくて、記者会見を設定して、きちんと説明しろということをやるのが筋です。そうした自律性をいかに取り戻して、市民のみなさん方が聞いて欲しい疑問にきちんと答えられるか、そしてそうした場を作っていくのか、ということが非常に問われているということを感じます。

問われる安倍政権の負の遺産への向き合い方

 そんな菅政権ですが、いろいろと問題は山積していて、これはある種の安倍政権の負の遺産を抱えている状況だと思います。ひとつは「桜を見る会」です。安倍さんと菅さんの暗闘という要素があるとすれば、安倍さんがぐらぐらすることは菅さんにとっては権力基盤を固めるという意味で、もしかしたら有利かもしれません。しかし「桜を見る会」 を巡ってさまざまに国民をだましてきた。その説明責任は菅さんにも問われているわけですから、この「桜を見る会」「森友学園・加計学園」の問題など安倍政権の疑惑にどう向き合うのかということは問われています。

直近でいえば杉田水脈衆議院議員の発言は、本当に深刻な問題だと思っています。9月末の自民党の部会において「女性はいくらでもうそをつけますから」という、性被害を受けた被害者が本当に傷つきながら苦しみながら訴え、なかなか声が届かないという社会の現実にもかかわらず、必死に声を上げる。その声を「うそをつけますから」という、性暴力被害にあってきた人たちを傷つけて救済を妨げてきた言説を、杉田議員がこともあろうに自民党の部会という場で発言した。これに対して多くの抗議の声が上がって発言の撤回と謝罪、そして辞職を求めるネット署名の大きな動きが拡がりました。全部で13万を超える署名が集まったのですが、自民党は受け取りを拒否し続けています。フラワーデモのみなさんたちが菅政権になって、二階幹事長の代行になった野田聖子さんに面会を申し込んだけれども、辞職を求めるものだから受け取れないということで断られ、党側に持っていっても同じ理由で拒まれた。最後に署名簿を宅急便で送っても、それも受け取り拒否で突き返してくるという状態が続いています。

この間11月11日に東京駅前でフラワーデモが開かれて、そこに野田聖子さんも含めて自民党議員にも、性被害にあった被害者たちがどういう思いでいるのかということにきちんと耳を傾けて欲しいということを訴え、お願いしていたのですが、そこにも誰も来ない。その直前に野田聖子さんがラジオ番組に出て、受け取らないこと、そして「不公正でおかしい」というような発言をして、さらにみんなを傷つけるということがありました。この杉田水脈さんというのは、安倍さん周辺がずっと重宝して衆議院の中国ブロックの、事実上の1位に優遇して当選させた、安倍さんの「負の遺産」の象徴的な人物です。この人の扱いを巡って菅さんはどう対応するのかを非常に悩んではいると思います。簡単に切ると安倍さん周辺が怒るということで、ある種がんじがらめになっているかもしれませんが、本当にどう対応するか問われている。

「値下げの菅」に惑わず公正な民主主義社会つくろう

 菅さんに関しては「自助・共助・公助」といっていて「自助」ということが強調されているわけです。彼は「値下げの菅」と永田町ではいわれています。金目の話になりますが、象徴的なのは携帯電話ですね。いま対応が極めて問われている「Go Toキャンペーン」も値下げの一環ですよね。それから不妊治療の負担軽減、NHK受信料値下げなどもいっていました。「値下げ、値下げ」で、こういうところをどんどんアピールしてくると思います。最近はクリーンエネルギーを打ち出したり、また菅さんのブレーンとしてデービッド・アトキンソンさんがよく取りざたされています。この方は連合の神津会長と対談もされていますが、「日本を救う鍵は最低賃金を引き上げることだ」ということを主張されている方です。そうした政策を打ち出している人を取り込んでいます。菅さんはいろいろ問題はあるんですが、「自助」一辺倒かというと、いろいろな戦術をやってきています。これは大阪で維新の会がやってきたことと通じるところで、有権者を惑わせるひとつかなという感じがしています。

学術会議の件で今回任命拒否をされてしまった歴史学者の加藤陽子さんが、「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」という本の中でこんなことを言っています。これはいまの菅政権をどう考えるかというところで、示唆的なものだと思います。「社会民主主義的な改革要求が行き詰まった戦前、『疑似的な改革推進者』としての軍部への人気が高まる」「陸軍の改革案の中には、『自作農創設』『工場法制定』『農村金融機関の改善』」など、こうしたことを軍部が掲げることによって、政党が社会民主主義的な改革をやってくれない中で、そういうことを言ってくれているんだったら軍部に期待しようと言うことが拡がっていった。「国民の正当な要求を実現しうるシステムが機能不全に陥ると、国民に、本来見てはならない夢を疑似的に見せることで国民の支持を獲得しようとする政治勢力が現れないとも限らないとの危惧であり教訓」であるということを加藤陽子さんは綴られていました。これはいまの一見「値下げ、値下げ」という耳障りのいいことを掲げながら、学術会議の任命拒否問題やさまざまな問題に突き進んで、人事も強行し、メディアに対してもさまざまな踏み絵を踏ませ分断を図っていく。そうした菅政権に気をつけなければいけないという歴史的な「予言」のようにも聞こえるものがあると思います。

メディア自身もいろいろ問題を抱えています。今日お配りをした資料は「『ジャーナリズム信頼回復の提言』について」というものです。今年5月に賭け麻雀を、当時定年延長問題で疑惑の渦中にあった黒川弘務東京高検検事長と、朝日新聞社員と産経新聞の記者2名が一緒になってしていたということで、メディアと権力の関係は極めて深刻な批判を浴びました。それを受けて現場の記者、各社の記者が実名を出し、研究者も一緒になって出した提言です。こうした体質、いままでのメディアの取材のあり方を抜本的に見直していかないと、本当に信頼を勝ち得ることはできません。何よりいまメディア自体、新聞も含めて基盤が揺らいでいる中で、いかに民主主義を支えるきちんとした情報、フェイクな情報が氾濫している中で、そうではない情報を伝えて有権者がきちんと判断できるる状況を作っていけるのか。そうした基盤自体が崩れかねないという危機感を持っているところです。

メディア自体にいろいろな問題がある、メディアがふがいないから応援したくないという気持ちもよくわかりますし、みなさん方の中にわだかまりもあると思います。しかし、いま置かれている状況を共有しながら、どんどん権力が一強化して、かつてと違う官邸権力が生まれてきている中で、どうしたら公正な民主主義社会がつくれるのかということをみなさん方とご一緒にさらに議論を深めて共有することができればいいなと思っています。

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