11月19日、菅政権発足以降、初めての衆院憲法審査会の実質審議が行われた。
総がかり行動実行委員会や法律家のみなさんなど総勢20名近くで傍聴した。コロナ禍の関連で入口で「体温測定」はあったが、傍聴者は立ち見が出るほどでも、「3密」などによる入場制限はなかった。
議場に到着すると、委員席はほぼ満席。かつて、憲法調査会が始まったころ(2000年)、あまりの空席の多さと委員の行儀の悪さに、私は「学級崩壊状態」と批判したことがあるが、今昔の感がある。これは国会議員たちの間での改憲問題の緊迫度の体感の差なのだろうか。
今回の審査会は野党や市民の中にある危惧と反対を押し切って、5か月ぶりに再開された。憲法審査会は改憲という出口をめざして拙速に審議を進めるのではなく、当面する諸々の憲法問題を慎重に審議し、この社会に住む市民に課題と問題を明らかにすることを通じて、民意に沿った議論をする責任がある。
この日は先ここ7国会にわたって継続審議になっている「憲法改正手続法(国民投票法)」をめぐる諸問題についての委員間の「自由討議」だった。
前通常国会では改憲を急ぐ自民党など与党側が、改憲手続法の「公選法(2016年法改正)並び」の7項目修正案((1)「選挙人名簿の閲覧制度」への一本化、(2)「出国時申請制度」の創設、(3)「共通投票所制度」の創設、(4)「期日前投票」の事由追加・弾力化、(5)「洋上投票」の対象拡大、(6)「繰延投票」の期日の告示期限見直し、⑦投票所へ入場可能な子供の範囲拡大)の審議促進と採決を主張した。与党にとっては、この微修正案の成立が、改憲論議を進めるうえで不可欠になっている。
野党は改憲手続法のもっている他の重大な欠陥を指摘し、国民投票の際の公正・公平性を担保するため、TVコマーシャルの在り方、インターネットへの対応なども含めた7項目以外の諸問題も合わせて議論すべきだという立場で同法の微修正にとどまる「改正案」の審議と採決に反対した。
憲法審査会の審議がほとんどデット・ロックに乗り上げた状態になってきたより大きな理由は、従来、安倍晋三首相が首相の立場にあるまじき改憲発言を繰り返し、憲法の99条や3権分立原則を無視して国会の憲法論議に介入するなどして、野党の不信を拡大し、憲法審査会の議論の環境が壊されてきたことによる。
今回は安倍晋三首相が政権を投げ出したという新しい条件の下で、与野党の国会対策委員長が協議し、改憲手続法に関する1時間の「自由討議」ということで、再開がきまった。
この日は与野党12名の委員が各5分の範囲で意見を表明した。
会議ではこの間の大阪(都構想)での住民投票(11月1日)の経験もあり、国民投票に際して議論すべき点がさらに新たに加わって、発言が行われた。
会議の冒頭に新藤義孝与党筆頭幹事(自民)が発言した
「この憲法審査会では憲法改正の中身の議論と国民投票法に関する議論が行われてきた。憲法改正に関しては昨年来の議論の中で、今回のコロナ禍における緊急事態条項をはじめ、様々なテーマが出されている。国民投票法に関しては、投票環境の整備を行う国民投票法改正案はCM規制など別の論点を議論するためにも、実質的な合意があるのだから、速やかに(審議の)手続きを進めるべきだ。私からも論点を提起しており、CM規制に関する議論は始まっている。憲法改正の議論を国会で深めてほしいという国民の声に応えるため、与野党を超え憲法論議を深めていくべきだ」と改憲に向けて、手続法の採決を促した。
北側一雄幹事(公明)は「商業施設などに共通投票所を設けるなど国民投票法改正案の7項目について各党に異論はない。速やかに成立を図るべきだ。改正しないと言っても、すでに国民投票法は有効に成立している。また国民投票法が成立したからといって、一気に憲法改正に進むわけではない」と述べ、改憲問題と手続法を切り離したうえで採決を要求した。
自民党憲法族の船田元委員は「CMを法的に規制することは表現、報道の自由に抵触する可能性もある。憲法改正の発議と同時に国会に置かれるはずの広報協議会に監視してもらい、公平性、公正性を担保することが現実的ではないか」と発言し、野党の要求に疑問を呈した。
自民党の鬼木誠委員は、共産党の赤嶺委員が「改憲のための憲法審は動かすべきでない」と発言したことに対して「憲法審を動かすべきでないとの発言も一部あったが、民主主義は議論することから始まる。議論すら否定するのは国民の代表、立法府として責任を果たしているとは思えない」と批判した。
自民党の石破茂委員は「憲法審を頻繁に開催し、北海道から沖縄まで全国各地で行うことが必要。可能な限り多くの党の賛成が得られるものは何かを考えるべきだ」と述べ、改憲賛成派の維新の会の足立康史委員は「国民投票で過半数の賛成を得ることは容易ではないことを大阪都構想の住民投票を通じて痛感した。大阪で何が起こったか明らかにすることは憲法改正の国民投票の公正な実施にも資する。国会で検証すべきだ」と述べた。
国民投票の公平・公正を保障するため、法の抜本的改正のために慎重審議を
これに対して野党の山花郁夫・筆頭幹事(立憲民主)は「米国の大統領選挙でも手続きの公正さが問題になっている。大阪(都構想)の住民投票でCMの量は公平だったと言えるか。法的規制は不要と考えるのは難しい。同一テーマの国民投票に一定のインターバルを定める議論があってもよい。勝つまでじゃんけんをするようなことではない。国民投票法についてはいくつかの見直すべき問題があり、検討が必要だ」と最近の出来事を例示しながらあらたないくつかの論点を指摘した。
大串博志委員(立民)は「社会の分断があおられがちな時代背景を踏まえれば、憲法審でも融和をより意識した運営が必要になってきている。国民投票法にはCM規制などの問題があると新藤氏も認めている中で、7項目だけ先に(改正する)というのは理屈に合わない」と述べた。
中川正春委員(立民)は「憲法の何を論じるか、改正が必要だとすればどの項目から論じるかという各党の合意を作っていかなければ次のステップには行けない。この間のように与野党の信頼関係が崩れている限り、議論は前には進まない」と指摘したが、維新や与党の席からは「被害妄想だ」などと言うヤジが飛んだ。
辻元清美委員(立民)は「国論を二分するような問題は国民投票になじまない。議会のコンセンサスが取れなかったから国民に決着させようというのは、国民を戦わせることになり、社会の分断を招く。今月1日に実施された大阪都構想の住民投票の経験を踏まえて、国民投票運動の期間中に放送されるテレビCMなどの規制も並行して議論すべきだ」「投票日当日の運動の制限や、国民投票で否決された改憲案を再び発議するまで一定期間空けることの是非も検討課題になる」という認識を示した。辻元委員は大阪の住民投票で、投票日当日の20時まで、投票所前での賛否両派の激しい宣伝合戦の在り方への疑問も含んでいるが、これは有権者の認識を深めるうえで有効であり、一概に規制すべきではないと思った。
共産党の赤嶺政賢委員は、「自民党が自衛隊明記など改憲4項目の条文化作業を進めている。憲法審査会は改憲原案を作る期間であり、多くの国民が改憲を求めていないのだから動かすべきではない。国民投票法は、与党が強行採決した結果、議論が深まっておらず、欠陥法だ。例えば最低投票率の規定がない、憲法改正広報協議会の構成など問題が多い。法案というなら野党の中から出ている意見も併せて、慎重に検討されるべきだ。いま求められているのは憲法を守り、生かす議論だ。日本学術会議問題は憲法で保障された基本的人権を蹂躙する政治だ」と批判した。赤嶺委員の「欠陥法」との指摘は重要で、憲法審の開催反対の立場をとりつつも、今後よりいっそう丁寧に展開されるべきだと思う。
野党統一会派を離脱した国民民主党の山尾志桜里委員の発言に注目した。山尾委員は「国民民主党は年内にも新憲法改正草案の要綱で論点や具体策を示し、議論の活性化に役立てたい。CMやネット広告の規制、外国人の寄付規制など必要な議論の場を確保し、必要な改正が行われるなら、7項目の先行採決に応じる」と述べた。
これに対し、細田会長に促されて答弁した新藤氏が「国民投票法の議論はしっかりと行うつもり。その前提として決まっている7項目は進めようと言ってきた。法をアップデートするのは当たり前の義務だ。昨年来、これを議論することを前提に議論しようと言ってきた。いまのご意見はしっかり受け止めると約束する」と応じた。しかし山尾発言は「なぜ一部の採決を急いで、一緒に議論しないのか」という前出の大串発言で明白なように、危険性が大きい。新藤氏は山尾意見を受け入れれば野党を分断できるとすぐ飛びついた形だ。
なぜ与党は微修正案の採決を急ぐのか。それは憲法審査会で一刻も早く改憲案の審議に入りたいからだ。そのためには改憲手続法の抜本的再検討などに向かわず、微修正案をいったんけりをつけなくてはならない。改憲論議を始めてしまえば、その過程で改憲手続法の修正の議論をすることなど、どうにでもなると考えているからだ。山尾発言は審議の停滞で窮地に陥っている与党改憲派に「塩を送る」ものとなる。
安倍首相の下で改憲が実現しなかったのは、改憲反対の広範な世論を背景に市民と野党が共同してたたかいぬいたからだ。
改憲をめざす与党にとって残された手段は野党の分断だ。党の「独自性」を出そうとして「提案型の野党」を作るなどと主張して、自民党などによる野党の分断策に乗せられることがあってはならない。
国民民主党のこの問題については筆者自身が関わったひとつのエピソードがある。
2018年11月6日、「市民連合」と国民民主の玉木代表、平野博文幹事長らとの間で行われた意見交換の場で、筆者は改憲手続法の7項目修正案はCM規制の在り方などの諸問題についての抜本的再検討と合わせて検討することを抜きに、採決に応じるべきではないと主張した。玉木代表はその場で「当然だ」と答えた。このあとの11月11日のNHKの番組では玉木代表は「テレビ広告規制の導入と他の必要な改正項目をセットで議論し導入することが大前提だ」と発言し、筆者は6日の対話の立場が堅持されていることを確認した。
今回の山尾発言は当時のこの原則的立場を逸脱したものではないだろうか。
11月26日にも衆院憲法審の開催が予定されているが、この臨時国会での法案の強行採決は日程的に見てほとんど不可能な情勢だ。自民党など改憲派は来年の通常国会を山場として、そこで改憲手続法の微修正を成立させ、憲法審査会に自民党などの改憲案を提出、改憲論議に入ろうとするだろう。自民党の4項目改憲案の危険性は本誌で繰り返し指摘してきた。
国民民主党が野党共同の立場に立ち返ることを強く望みたい。
(事務局・高田健)
松岡幹雄(市民連合・豊中事務局)
大阪市の廃止と4つの特別区の設置の是非を問う住民投票は、賛成67万5829票、反対69万2996票、1万7167票の僅差で否決された。投票日の当日、私たち北摂の市民連合は12時間のロングラン宣伝を行った。帰宅しNHKの速報を見るとどんどん賛成票が増えていく。最大で1万の票の差がついた。負けかと思われた瞬間、逆に「反対多数確定」のテロップが流れた。思わず「やった!」と大声をあげた。うれし涙をこらえず仲間に電話をかけたがその仲間も電話口で涙を流していた。
本稿ではこの間の経過や私たちの取り組みを紹介しながらその中で得たいくつかの教訓をご紹介したい。
橋下徹が大阪府知事時代の前回住民投票で「大阪市廃止」は否決された。大阪市の廃止・分割が息を吹き返したのは昨年春の府知事・大阪市長のダブル選、また市議会・府議会議員選挙で維新の会が圧勝した事にはじまる。その後、維新の会と公明党が裏取引を行い、公明党が「大阪市廃止」に賛成すれば次の衆議院選で維新の会から対立候補を擁立しない合意がなされた。橋下徹がある民放の番組でその事実をさも自分の功績であるかのように得意げに語っている。そして、府議会、市議会で大阪市廃止・分割の「協定書」が維新・公明の賛成多数で可決される。その後、コロナ感染が拡大する中、本来ならとても住民投票などしてはならないにもかかわらず住民投票が強行された。
コロナ感染が広がる中で、「9月には大阪発ワクチン開発可能」とか「イソジンでうがいすればコロナ感染は防げる」など記者会見を繰り返した吉村大阪府知事は、大阪では絶大な人気をほこっていた。公明党が賛成にまわり自民党内にも動揺が走った。圧倒的な劣勢、絶体絶命というピンチからたたかいが始まった。
大阪市は推進一色の広報や「説明パンフ」を全戸配布した。大阪市作成の動画も露骨な賛成誘導動画で、作成課長が松井市長から注意処分を受けるという珍事も起こった。一方で、前回39回行われた住民説明はわずか8回にとどまった。また、大阪市が発注する子育て情報誌「まみたん」の1頁すべてを維新の会の宣伝に使われた。維新の会が発行する全戸配布ビラには、疑問や質問は副首都推進局へと電話番号が載せられたりもした。維新の会は、豊富な資金力にものを言わせ、物量作戦を展開したことはいうまでもない。
自民党大阪市議団の奮闘で自民党大阪府連が反対の立場を最終的に決めた。そして、共産党も組織力を発揮した。立憲民主党や社民党、れいわ新選組も反対運動を展開した。また、市民運動は、「大阪市民・交流会」、どないする大阪未来ネットワークなどの無党派の市民団体も奮闘し反対運動を展開した。そして、無数の市民一人ひとりが立ち上がった。とくに、元大阪市長の平松邦夫氏らが共同代表をつとめる「大阪市民・交流会」が政党と市民運動をつなげる役割を果たし、市民運動のプラットホームとなった。こういった政党の踏ん張りと市民運動との共同、一人ひとりの市民の力が組み合わさった運動の力で次第に反対ポイントを押し上げていった。
私たち北摂エリア(高槻・島本、茨木、豊中)の市民連合は、協力して東淀川区に集中的に入った。毎週土曜日と日曜日のべ300人以上が駅頭、路地裏、スーパー前で宣伝を行った。その宣伝は、「大阪市廃止反対!」にしぼり事実を語り、対話を広げる方法をとった。
宣伝グッズは、大阪市民・交流会から提供していただいた。また、堺市の市民団体「市民1000人委員会」は、のべ500人を超える市民が西成区にはりついて路地裏宣伝を繰り広げた。こうした大阪府内の市民連合のとりくみは、大阪市内の運動団体を励まし勇気づけた。
政党が踏ん張り、市民運動が頑張ったことはいうまでもない。そして今回、それだけではなく無数の市民が立ち上がったことが勝利の大きな要因だと思う。市民が立ち上げれば勝てるんだということを実感した。また、10代、20代の若者が実は反対が多かったことも教訓のひとつだ。この世代は生活保守化せず政治意識をもって投票をおこなった。何が正しくて何が正しくないのか原則論で判断できる世代として登場してきていることに注目すべきだ。事実をしっかり伝える宣伝、対話を積み重ねる宣伝が勝利の展望を切り開く、この確信を持てたことは大きな教訓になった。
維新との闘いはノーサイドでできない。
この否決によって、松井一郎大阪市長は大阪維新の会代表を辞め、吉村府知事は「自分としては都構想にもう挑戦はない」と明言した。この大阪の出来事は大阪の未来にとどまらず、日本維新の会の全国的な増長に痛打をあびせ、菅政権への大打撃となった。
しかし、維新の会は、政策基軸を失い失速するべきところ、またぞろ大都市制度の「改革」を蠢動している。橋下徹は、3度目の住民投票もあるとツイートを始めている。大阪では「広域行政一元化条例制定」の制定の動きも始まっている。私たちは、維新の会との闘いを決して「ノーサイド」にすることはできない。今回の勝利を教訓に分断をのりこえる政治のうねりを広げていきたいと思う。
11月9日、韓国・ソウルで「李泳禧(イ・ヨンヒ)先生追慕シンポジウム-脱殖民・脱覇権・脱分断の朝鮮半島」が開催された。集会の報告記事が届いたので転載する。
なお、当会事務局長の高田健は2016年12月、ソウルで第3回李泳禧賞を受賞した。
‘バイデン時代'を迎え、李泳禧(イ・ヨンヒ)の‘民衆的現実主義'を考える
李泳禧(イ・ヨンヒ)先生10周忌追慕シンポジウム
脱植民・脱覇権・脱分断の朝鮮半島
“2018年になってから朝鮮半島平和プロセスがなぜ可能だったのか。文在寅(ムン・ジェイン)大統領が2017年12月19日、韓米連合軍事訓練を延期すると明らかにしたのが決定的だったと思われる。来年の夏~秋に東京オリンピックが開催される。これを媒介にして2022年の北京オリンピックまで念頭に置いた‘北東アジア臨時平和体制'を提案する。”(具甲祐/ク・ガブ北韓大学院大学教授)
12月4日、われわれの中に根付いている冷戦認識という‘時代の偶像'に立ち向かい、生涯闘争した‘知識人'李泳禧(イ・ヨンヒ)先生の10周忌を迎える。この10年間、朝鮮半島では市民が直接立ち上がって不義の政権を倒した‘キャンドル革命'、分断という最後の冷戦秩序を一挙に壊すと期待された板門店(パンムンジョム)宣言と・平壌(ピョンヤン)宣言、3回にわたった朝米首脳会談などが行われた。しかし、南北・朝米間の対話の窓は再び固く閉ざされ、予測できないリーダーシップによって朝米首脳会談という奇跡を可能にしたトランプ米大統領も歴史の裏に消えるようになった。
来年1月末に出帆するジョー・バイデン政府時代に合わせ、朝鮮半島平和プロセスを再稼動させるために振り返るべき‘李泳禧(イ・ヨンヒ)精神'には何があるだろうか。李泳禧(イ・ヨンヒ)財団は11月6日、ソウルの創作と批評・西橋(ソギョン)ビル50周年ホールで‘李泳禧(イ・ヨンヒ)先生追慕シンポジウム-脱殖民・脱覇権・脱分断の朝鮮半島'を開催し、この難題に対する市民社会の知恵を集めた。シンポジウムの社会を引き受けた権台仙(クォン・テソン)市民社会団体連帯会議共同代表は“現在の朝鮮半島情勢と関連し、李泳禧(イ・ヨンヒ)先生が生きておられたら、どのような話をされただろうかを聞く場だ”と行事の意義を説明した。
シンポジウムで発題した具甲祐(ク・ガブ)教授は“朝鮮半島問題がなぜ、どのように発生したのかを問い、その現実の歴史的社会的意味を付与しようとした李泳禧(イ・ヨンヒ)の批判は、非民主的で不平等な国際秩序を変革するために必要な実践”だったと述べ、その基礎は難解な国際政治理論ではなく、“常識に基づいた常識批判”だったと意味を付与した。冷戦的思考という偶像に挑戦する李泳禧(イ・ヨンヒ)の常識は“27万人が参加したチーム・スピリット訓練は‘防衛'目的であり、ソ連海軍と北朝鮮軍7000人が参加した訓練は‘攻撃'目的になる。われわれの認識能力に欠陥はないのか、気になる”(<自由人>192項)などの文章で光を発している。
討論参加者は、バイデン政府出帆に合わせ、韓国社会が急いで考えなければならない実践的問題として、△来年2~3月に実施される韓米連合訓練の中止 △晩年に先生が手をつくされた‘朝鮮半島非核地帯化'構想の具体化などを提示した。特に、過去2~3年間、朝鮮半島平和プロセスを妨害する役割をして来た日本を巻き込み、東京オリンピックを2018年平昌(ピョンチャン)冬季オリンピックに劣らない‘平和オリンピック'にする戦略的思考が重要だということに参加者の意見が一致した。この過程で登場した概念が‘民衆的現実主義'だ。
李泰鎬(イ・テホ)参与連帯平和軍縮センター所長は“東アジア平和の構築という大きな見地から日本を引き出す努力が必要だ。日本に対する時、‘民衆的現実主義'の態度を持たなければならない。”と主張した。チョン・ウクシク平和ネットワーク代表も“金大中(キム・デジュン)大統領が朝鮮半島平和プロセスを本格的に始動する前、なぜ小淵恵三首相と会って韓日関係を改善したのか考えなければならない”と提起し、南基正(ナム・ギジョン)ソウル大日本研究所教授は“日本でも民衆が暮らしている。日本の‘非核3原則'を共有する韓日市民社会が連帯すれば、朝鮮半島非核地帯化を越え、日本を含む東アジア非核地帯化も可能だ”という見解を明らかにした。
? 李泳禧(イ・ヨンヒ)は1929年12月2日に平安南道で出生し、京城公立工業学校と国立海洋大学を卒業。その後、高校の英語教師として在職したが、6?25戦争を迎えて連絡将校になり、7年間軍に服務(陸軍少佐で予備役編入)。1957年から1971年までの15年間、〈合同通信社〉と〈朝鮮日報社〉で働いた後、1972年から1995年まで漢陽大学の新聞放送学科教授として在職した。
1964年、彼がアジア-アフリカ(AA)外相会議で'南北朝鮮同時国連加入'という記事を〈朝鮮日報〉に書くと、朴正煕(パク・チョンヒ)政権は彼を反共法違反容疑で拘束した。その後、3選改憲及び10月維新など朴正煕の永久執権が進められる間、彼はベトナム戦争派兵と民主憲政破壊及び社会正義後退を辛辣に批判する文を発表する一方、知識人の集団宣言活動に参加。1971年の'衛戍令発動抗議時局宣言'、1974年の'民主回復国民宣言'などが、この時期に彼が参加した代表的な宣言活動だ。
言論人あるいは批評家として彼の影響力が大きくなるほど政権の弾圧が酷くなり、彼は何回も獄中生活を経験した。李泳禧(イ・ヨンヒ)と詩人・金芝河(キム・ジハ)の投獄は韓国の人権状況を象徴的に示す事件だった。彼は1977年、自著〈転換時代の論理〉、〈8億人との対話〉、〈偶像と理性〉が反共法に違反しているという理由で2年間禁固刑を受けたことを始め、1984年、'国定教科書の民族分裂-反統一を志向する部分を分析調査した'という容疑で拘束され、また1989年の〈ハンギョレ新聞〉訪朝取材企画に参加したことが国家保安法違反とされ、半年間投獄された。
李泳禧(イ・ヨンヒ)は、2000年4月の〈新聞の日〉を迎えて韓国記者協会が行った調査で、現存する最も尊敬する記者に選ばれた。李泳禧(イ・ヨンヒ)は言論、大学、そして著述など多様な活動によって、韓国の正義あるいは良心を代表する人物として多くの人の胸の中に刻まれている。1999年12月に〈洞窟の中の独白〉を発刊。その外に〈半世紀の神話〉(2000)、〈対話〉(2005)、〈李泳禧著作集〉(12冊、2006)などがある。
李泳禧(イ・ヨンヒ)は2000年11月に脳出血で倒れ、闘病生活をしていたが、持病の悪化によって2010年12月5日に逝去。光州5?18民主墓地に埋葬された。
渡辺 治さん(一橋大学名誉教授、九条の会事務局)
(編集部註)10月17日の講座で渡辺治さんが講演した内容を編集部の責任で要約したものです、要約の責任はすべて本誌編集部にあります。
今年の8月28日に安倍首相は突然記者会見において辞任を表明し、菅政権が登場しました。安倍首相を退陣に追い込んだ直接の原因は潰瘍性大腸炎の悪化ですが、潰瘍性大腸炎を悪化させるようなストレスが、結局のところ総裁任期を1年以上余して退陣させる事態を生んだと思います。
安倍首相が辞任に追い込まれた2つの理由があったと思います。ひとつは安倍首相が政治家になったとき以来、宿願としてきた明文改憲が、安倍改憲に反対する共闘と市民の運動の頑張りによってそのもくろみが破綻した。特に安倍首相は2017年5月3日の改憲提言の中で「2020年を新しい憲法が制定される年にしたい」と謳って、事実上2020年の改憲を公約したわけですが、その改憲を実行することができなくなった。こういった事態の中で安倍首相の気力が失われていく最大の要因は、この安倍改憲を私たちの運動が停滞させたということにあります。
もうひとつは自民党政権が4半世紀に渡って続け、安倍政権が再建強化した新自由主義の政治の結果、新型コロナの蔓延に対しての無力と日本社会の困難が露呈した。安倍がいくら力んでもそれに対処できない状況が、任期途中に退陣に追い込む直接的な理由だったと思います。
このふたつの理由、改憲・軍事大国化と新自由主義の政治は、決して安倍首相が発明したものでも安倍首相の思いつきでもありません。これは短く言っても90年代の初頭以来4半世紀にわたって自民党政権が追求してきた2つの課題であり、20数年にわたって努力してきたにもかかわらず、なお実現していないこの2つの課題を完成させることを目的にして登場した安倍内閣でした。ですから首相の首がすげ替わっても、「安倍なき安倍政治」「安倍なき安倍改憲」を続ける動きは、そのままでは止まらない。現に菅政権は「安倍政権の継承」を公然と掲げて登場しました。私たちが「安倍なき安倍改憲」を阻むには、今まで追い込んできた私たちの運動の力を土台にしながら、菅政権を倒すことによって安倍改憲を最終的に阻む。それには最終的に自公政権を転覆して政権交代を実現する。安倍改憲を挫折に追い込んだ改憲に反対する大きな市民の運動とそれを背景にした政権交代の中で、私たちの改憲阻止という課題を実現したいと思います。
安倍政権は実に7年9ヶ月にわたる長期の政権でした。今年8月に日本近代史上、桂太郎を抜いてトップになるというときに、多くのメディアはこれについて非常に批判的なコメントをしました。7年9ヶ月やったけれども、ほとんど「レガシー」と呼べるものはない。その言葉は使いませんでしたが「無能の政権」というレッテルを貼ったメディアが多かった。私は、これはまったく間違いだと思います。「レガシー」を国民のためになる大きな課題と考えれば、それは「レガシー」がなかったことは明らかですが、通例政権の「レガシー」といわれる場合には、例えば安倍のおじいさんの岸信介の「レガシー」は安保条約の改定です。それから佐藤栄作の沖縄の返還は、確かに国民にとって、特に沖縄県民にとって大きな念願でありましたが、同時に日米共同声明の強化という問題もありました。こうみると、安倍は今まで歴代の自民党政権ができなかったような改憲・軍事大国化については極めて大きな悪政をやり遂げた未曾有の政権であって、この政権がいったい何をやり、どこまで憲法を壊してきたのかということはきちんと見ておかなければなりません。
安倍政権は、最初の2年9ヶ月-2012年12月に第2次安倍政権が誕生して、2015年9月-安保法制を強行採決したときまでの期間と、その後、退陣する2020年9月までの5年間、このふたつの時期に区別することができます。安倍政権の7年9ヶ月は、ひとことで言うと改憲・軍事大国化について未曾有の策動をした時代であり、同時にその未曾有の策動に対して初めて市民と野党の共闘が対峙をして、その未曾有の策動に対して歯止めをかけた時代でもあった。未曾有の策動と同時に、それに対抗する力が初めて政治にあらわれた時代であった。このふたつの側面を持った政権だということを捉えていく必要があります。
安倍政権全体として3つの悪政をやった。
ひとつは冷戦終焉以降、自民党政権が追求をしながら、なお完成させられていない軍事大国化と改憲を実現させる。これを目指した政権だったということです。
2番目はグローバル企業の競争力を強化するための新自由主義の政治です。これは自民党政権が4半世紀にわたって続けてきたものです。2006年以降小泉政権末期になって、新自由主義政治の強行が日本社会に貧困と格差、社会の分裂という極めて大きな矛盾を露呈させた。それに対抗するかたちで民主党が伸張して民主党政権ができる中で、この新自由主義の政治が一時停滞を余儀なくされた。それをもう一回再起動して強化する。この課題を掲げて登場した政権だった。
3つ目に、軍事大国化を実現するためにも、新自由主義の政治を実現するためにも、市民の、あるいは労働者の運動を強権的に弾圧する。それから従来の自民党政治、官僚政治ですら考慮せざるを得なかったようなさまざまな問題を押し切って、官邸が新自由主義改革を遂行するための強権体制、反立憲主義と反民主主義の政治の実現を目指した政治でもあった。こういう3つの悪政をトータルに、「日本の大国化」という安倍首相の中にあった目標に基づいて自覚的に遂行した政権、これが安倍政権でした。
中央公論11月号で北岡伸一が菅政権の安保、外交政策の課題について論文を書いています。恐らく菅政権において安保を巡る、あるいは敵基地攻撃を巡る懇談会で枢要の位置を占めたいと思って菅や安倍を「よいしょ」しているような論文です。その中で彼は安倍政権の最大の「レガシー」は2015年の平和安全法制、われわれが言う安保法制-戦争法ですが、これであったと言っています。そのこと自身は「レガシー」と言うかどうかは別にして、正しいと思います。
冷戦終焉以降、アメリカの要請によって自衛隊の海外派兵を中心として何度か突破しようとする動きがありました。安倍が最初に手を付けたのは、そうした軍事大国へのいくつかの憲法上の原則を念頭に置いた歯止めを破壊することにありました。2012年12月に安倍政権が誕生して、最初に私たちが直面したのは2013年の特定秘密保護法制定の強行でした。
この秘密保護法の制定は、実は自民党政権が何度もチャレンジをして失敗してきた課題です。一番大きな秘密保護法制定の危機があったのは1985~6年に中曽根内閣が行った国家秘密法案ですが、これを市民運動でつぶしました。この特定秘密保護法の狙いは2つありました。中曽根政権までの国家秘密保護法の場合には、戦前の日本の国家秘密保護法のようなものを復活させて、戦争する国をつくりたい。日本の軍事大国化については軍事情報の保護ということは絶対必要なわけですから、そういうものをつくりたいということでした。安倍政権下の特定秘密保護法はそれ以上に強く、アメリカが日米共同作戦をやるときに提供するような軍事情報について日本側でもきちんと秘密保護法をつくれという要請によってつくられた側面があります。アメリカの提供する軍事情報を、アメリカと同じようなシステムで日本の秘密保護法を作って防衛するという狙いです。
もうひとつ狙いがあって、アメリカが求めている以外の政府の情報を広くマスコミや市民のアクセスから防衛する。特定秘密保護法の最後に「ここでいう特定秘密とは何か」という「別表」が1から4まであります。1は「防衛に関する事項」です。これは当然アメリカが求めてきたものです。2は「外交に関する事項」、これも一部は確かにアメリカが求めるものでしたが、この辺から話が違ってきます。例えば「外交に関する事項」になると、当時大きな問題になっていたTPPの条約改定に関わるさまざまな情報に対するアクセスを制約しようということが入っています。3番目に「特定有害活動の防止に関する事項」、このあたりになると「何それ」という感じですが、最後は「テロリズムの防止に関する事項」などというものも入ってくる。「特定有害活動の防止に関する事項」だと原発に関する情報、これは「テロリズムの防止に関する事項」にも口実になるかもしれません。そういう情報に市民やメディアがアクセスしてその問題を暴露すると、これは北朝鮮の有害な活動に関する日本の情報を提供して日本の脆弱性を暴露することになる。それを特定秘密の中で保護しようとする。単に防衛秘密だけではなくて、明らかに知ってもらいたくないようなさまざまな政府の情報を、政権が防衛する。
同時に現代の秘密保護法は、最も重要な政府の狙いの対象がマスメディアによる情報の開示ですね。特定秘密保護法第24条の「特定秘密を保有する者の管理を害する行為」を処罰する。これは政府の秘匿したい情報をメディアが暴露しようとすることは、まさに「特定秘密を保有する者の管理を害する行為」だとして処罰しようとする。明らかに2つの狙いを持ったものであって、これをまず強行採決しました。
それから、40年以上にわたって日本の防衛産業を縛ってきた武器輸出3原則を2014年に廃棄する。2013年には防衛計画の大綱を改定し、日本で初めて国家安全保障会議を作って国家安全保障戦略を出すことを決めます。さらに2013年末には靖国神社に参拝してアメリカからも非難を受けるという状況の中で、武器輸出3原則を廃棄する。武器輸出3原則は1967年につくられたもので、日本が憲法9条の下で軍事大国にならない証として政府が日本の重化学産業は武器を輸出しないということを決めた。当時すでに「三菱軍需省」などと言われて日本の軍事産業の復活が問題になっていましたが、この武器輸出が制限、禁止されます。これを通産省が厳しく統制する中で、三菱重工、NECなどさまざまな日本の重化学産業が不況に際して武器に手を出すことができなくなったわけです。経団連を初めとした財界は、1967年以来一貫して武器輸出3原則の廃止を必ず毎年政治に要求しながら、できないままに40数年たった。安倍は武器輸出禁止を2014年に解除した。今やさまざまな重化学産業が、航空産業を初めとして武器の生産に乗り出そうとしています。憲法9条のもとで武器輸出3原則があったので、まだまだこれは遅れていますけれども、明らかに潜水艦の輸出を初めさまざまな形で行われようとしている。
防衛費の増額でも安倍内閣は7年連続で上げていきました。防衛費はGNP比1%の枠内に収めるということが1976年の閣議決定で決められていました。ちなみにトランプはNATOに対してGDPの4%にしろと言っている。トランプが日本に対して同じことをいったら、当然とんでもない騒ぎになる。もしトランプの要求を日本が受け入れることになれば、今の防衛費の4倍で、防衛省が使い切れないくらい拡大しなければいけないことになります。これは他の原則と違って閣議決定で決められていますから閣議決定を変更すればできるわけです。
これを中曽根内閣のときに変更して、GNP比1%枠を突破した。それにもかかわらず市民の9条を守れ、軍事大国になるなという大きな声の中で、GNP比1%枠が突破されたあとも、日本の防衛費は1%の枠内で推移してきました。安倍内閣が登場して以降、2013年の予算から防衛費を実質的にも1%を突破するかたちにした。民主党政権のときは行革の要請もあって防衛費は事実上1%枠に収まっていました。それを突破して7年連続で防衛費を上げていきました。
その上で、いよいよ満を持して2014年にもっとも9条が意味を持って自衛隊の海外派兵を制約していた政府解釈を大きく変更します。政府解釈の2つの原則がありました。ひとつは集団的自衛権の行使を禁止するという解釈です。もともと集団的自衛権の行使はできないということは何度か政府は言ってきたんですが、正式に政府解釈の基準となるのは1970年代初頭だと私は思っています。
それには理由があって、自衛隊の安保条約の下での維持、発展があったわけですが、それに対する市民の大きな反対運動がありました。1960年代、ベトナム侵略戦争への自衛隊の加担を許さないという声が非常に強くなりました。それから1969年の沖縄返還の日米共同声明の中で、沖縄返還とともに、沖縄で行われていたベトナム侵略戦争の基地としての機能はそのままで日本に入ってくるのではないか。なんとしてもこれを許してはならない、ということで集団的自衛権の行使の問題が、当時の国会で大きな議論になっていた。その中で政府は仕方なく「日本の集団的自衛権の行使は憲法9条の下ではできない」という解釈を明言するわけです。これは、自衛隊が、憲法9条が禁止している軍隊ではなく、自衛のための必要最小限度の実力だ。だから敵が攻めてきたときに国民を守るために武力で押し返すことはしても、アメリカの戦争に日本が加担するような集団的自衛権の行使はしませんということを言わざるを得なかったし、これを繰り返し政府解釈として述べていた。これが自衛隊の海外での武力行使を大きく縛ったわけです。
もうひとつの大きな制約は、90年代に入ってアメリカのものすごい圧力のもとで、自衛隊がイラクなどのアメリカの海外の戦争に加担する上で、集団的自衛権行使はできないという憲法上の制約がある。武力行使ではなくて後方支援でもいいからとにかく自衛隊を海外に出せという圧力です。自衛隊を海外に出動させろという政府の要請に基づいて、内閣法制局がある一定の制限を加えなくてはいけないということで、あらためて光が当てられたのが「他国の武力行使との一体化はできません」という制約だった。
この「他国の武力行使と一体化できない」ということは、自衛隊は海外に出動するけれども、他国、具体的にはアメリカの武力行使、アメリカの戦争と一体化したような行動はできない。イラクの戦場で日本の自衛隊がアメリカ軍を助けるためにそこに行くとか、アメリカの武器弾薬を運ぶことは、事実上アメリカの武力行使と一体化した活動となる。それは日本国憲法9条1項が禁止している武力行使にあたる。武力行使をしない後方支援であっても、戦場でアメリカ軍と一体になって武器弾薬を調達したり輸送したりすることは憲法上許されないという解釈をとにかく設けた。これは市民の運動の中で、内閣法制局は少なくともこれくらいは限界をつくらなければいけないというかたちで90年代に開発された解釈です。このふたつの解釈が自衛隊の活動を大きく縛っていました。
その2つの制約を2014年に安倍政権は突破しようとした。これが2014年7月の政府解釈の変更というかたちで行われましたが、集団的自衛権行使はできるというあからさまな行使容認という解釈はできませんでした。集団的自衛権行使はできないけれども、日本が直接攻撃を受けていなくても日本の存立を脅かす、国民の生命と安全に重大な影響を与える事態、このときには攻められていなくても、日本はアメリカの戦争に加担できるという、限定的な集団的自衛権行使というかたちで突破した。
それから他国との武力行使との一体化はできないという原則も変えた。今まで他国の武力行使と一体化しないということで内閣法制局は、自衛隊は戦闘地域には行かない、周辺事態法の場合には自衛隊は後方地域以外は行かないという限定をしていたわけです。しかし、そんなことはいらない、実際に他国の武力行使と一体化した活動はしないけれども、その場合は現に戦闘が行われているところ以外はいける。戦闘地域ではないといって、イラク全体に行けないとかシリア全体に行けない、アフガニスタン全体に行けないということは言わないで、どこにでも行ける。ただし戦闘が始まったら日本は協力を止める。このように解釈を変えて一気にこの二つの解釈を突破して、アメリカの戦争に対する自衛隊の海外派兵を十二分に行えるような態勢をつくろうとしたわけです。それを踏まえた上で、翌年2015年4月に日米防衛ガイドラインを改定します。
日米防衛ガイドラインの改定は安倍内閣の前に2回出ています。1978年に福田政権のもとで、それから1997年、橋本内閣のもとで改定されています。このガイドラインは、アメリカの要求に基づいて自衛隊とアメリカ軍がどのようなかたちで共同軍事行動を取るかというマニュアルです。1978年に出たガイドラインは、アメリカが要求して、日本を防衛するために日米が軍事協力をするだけではなくて、アメリカが極東における軍事行動を取ったときに日本に協力して欲しいということでつくられた。ガイドラインというのは米軍の戦闘に自衛隊がどのように加担し共同作戦をとるかというガイドラインです。
冷戦終焉以降アメリカが自衛隊に対して戦争加担しろという要求をしてきて、ガイドラインの中で示したのが97年ガイドラインです。「日本周辺地域における事態で日本の平和と安全に重要な影響を与える場合」においてアメリカ軍の戦闘作戦行動には加担しますよと、初めていった。それが周辺事態法という法律になりました。初めてアメリカの戦闘作戦行動に自衛隊が加担することが決められましたが、「日本周辺地域における事態で日本の平和と安全に重要な影響を与える場合」という極めて限定された事項です。しかもこの「周辺」という言葉は「極東」よりも広くて「機動的なものだ」と97年ガイドラインでは書いていました。「機動的」というのはイラクであっても日本の経済活動と極めて密接に関係している、これは日本の「周辺」だ、という理解です。ですからそこには行けるということで周辺事態法を作りましたが、当時の民主党や共産党の国会での追及の中で、「地球の裏側を周辺というのか」となってくるわけです。
最初、橋本は外務省の言うとおり、機動的なものだ、イラクも周辺だと言っていましたが、とてもそれでは追いつかなくなった。その後の小渕内閣のときには「地球の裏側は周辺ではありません」、「アフガニスタンは周辺ではありません」、「イラクは周辺ではありません」と言いだしてアメリカはカンカンに怒ったわけです。実際にイラクに行くときにこの周辺事態法が使えなくなった。その結果、15年ガイドラインでは「周辺」という言葉の解釈の変更も踏まえて全面的に日米防衛協力の態勢をつくることが行われました。
10法案を修正し国際平和支援法を含めて11法案を固めたのが、いわゆる平和安全法制と言われている安保法制になります。ここでは3つのことを具体化しました。政府の解釈変更を遙かに上回って日米ガイドラインを実行するための体制づくりです。
ひとつは集団的自衛権の行使を容認したということで、2003年につくられた武力攻撃事態法を改正して、事態対処法という法律にした。これは武力攻撃がされていなくても「我が国の存立に関わる事態」の場合には、日本はアメリカ軍に加担して武力攻撃をしますという規定を入れました。これが集団的自衛権行使容認という点では重要な規定です。「事態対処法2条4」、「存立危機事態」の中で「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態をいう。」。これは米軍が北朝鮮を攻撃する。当然北朝鮮は反撃する。これが他国に対する武力攻撃が発生するということです。
アメリカに対する武力攻撃が発生する。アメリカがいきなりある日突然北朝鮮や中国から攻撃されることはありません。「やったらやり返される」ということで、朝鮮半島で攻撃をしたときアメリカが反撃の武力攻撃を受けたときに「これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態」になる。ややこしい、こんな長い文章を誰が入れたのかというと公明党との協議の中でこれが入った。
それから事実上の集団的自衛権ですが、アメリカ軍が日本の防衛のために戦闘作戦行動を取っているとき、そのアメリカ軍に対する攻撃が行われたら日本は「アセット防護」-アメリカ軍の装備に対する攻撃を自衛隊が防衛するという自衛隊法95条の2の規定でできることになった。 これは個別的自衛権の範囲だと政府は説明していますが、事実上アメリカの戦闘作戦行動と一体になって南シナ海でも東シナ海でも日本とアメリカ軍が共同で行動した場合に、アメリカ軍に対する攻撃が行われたら自衛隊はこの95条の2で対応できるということを決めました。要するに日米の共同軍事行動が事実上できることになった。
2番目に、アメリカの戦争に加担して世界のどこにでも行ける。いままでの周辺事態法は使いにくいので重要影響事態法に変えました。なぜかというと「我が国周辺において我が国の平和と安全に重要な影響を与える事態」の「我が国周辺」というのは極東プラスαという解釈なってしまったわけですから使い物にならない。イラクに行けない、アフガンに行けない、アフリカに行けない。今度は「そのまま放置すれば我が国に対する直接の武力攻撃に至るおそれのある事態等我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態」(重要影響事態対処法 第一条)の場合にはアメリカ軍を助けに行くということですから、世界のどこにでも行けるということになりました。
3番目はPKO協力法を改正して、駆けつけ警護や安全確保で武器使用もできる。これはまさに2014年の政府解釈をさらに広げて、事実上日米共同の軍事行動はすべてOKという法制度を作ったことになります。いままでの市民との攻防の中で、9条のもとで政府が制約されていた自衛隊の活動についての主な制約をほぼ突破したかたちになります。2015年9月19日、安保法制を強行採決した安倍はかなり満足したと思います。しかしそこから事態は大きく転換します。すでに安保法制の強行採決を巡って、前年12月に安保法制に反対する総がかり行動実行委員会が作られていました。未曾有の反対運動が起こる中で安保法制が強行されたわけですが、安倍政権の第2の時代が始まります。
2016年に安倍政権は早速この安保法制の実行に取りかかります。しかし安保法制に対する強い反対運動がすでに野党共闘の中で行われていました。まず安保法制の強行採決に対して60年安保条約反対闘争のときにはそれで共闘は終わってしまいましたが、今回の総がかり行動実行委員会の共闘は安保法制廃止の共闘に転換します。そういう中で市民連合が作られた。安保法制を廃止するには大衆運動だけでなく、政治を変えなければ廃止できないということで、戦後初めて選挙共同もできる。こういう状況で、事態は安倍の思惑通りになかなか進まないことになった。
ひとつは安保法制違憲訴訟が全国25の地域で安保法制反対の運動に伴って起こされる。これは安倍政権にとっては相当大きな危機感を持つ事態だった。というのは、安保法制反対の市民の運動が盛り上がる中で内閣法制局長官経験者や元最高裁判所の判事などが、安保法制は違憲ではないかという見解を出していました。そのもとで違憲訴訟が起こり、もし「変な裁判官」がいたら安保法制は違憲だという判決を出す可能性が出てくる。しかも最高裁の判事とか内閣法制局長官とか、いままでとはまったく違った人たちが、これはおかしい、いままでの9条についての政府解釈を大きく変更するものだ、憲法違反だということを言っていますから、下級審の裁判官だけではなくて場合によっては高裁、最高裁の中でも何人かが憲法違反だと言う危険性も出てくる。そういう中で安保法制の実行には大きな歯止めがかかった。
安倍政権は仕方がなく安保法制の本体である、アメリカの戦争にどこでも加担するとか限定的集団的自衛権行使ではなくて、一番反対の弱そうなPKO協力法の改悪、これに基づいて南スーダンPKOに行って、ウォーミングアップをする。治安維持法が「3.15事件」で日本共産党に発動される前に、京都学連事件とかいくつかのウォーミングアップがあった。それと同じで、まずPKO協力法の改悪に基づいて南スーダンPKOで突破しようとしたところ、野党共闘の反対によって事実上つぶされてしまう。新任務を帯びて行ったけれども、何もしないままに2017年5月に帰らざるを得なかった。あれだけ努力をして、ほぼ完璧に穴を開けたつもりが、憲法9条の力によって依然として歯止めがかかって、安保法制の全面実行はおろか最初の小手調べもできない状況になる。私が非常に印象的なのは、2017年5月に自衛隊が南スーダンから何もしないで撤退せざるを得なかった。その2017年5月3日に安倍が改憲提言を出したんです。
9条をこのままにしては安保法制の実現も日米共同軍事行動も軍事同盟の体制もできない、ということで安倍は9条改憲、明文改憲に乗り出した。切り札として自衛隊明記論を書いて、4項目の改憲イメージを出した。安倍は、9条1項、2項を残して自衛隊を明記するところまで譲歩しなければ、市民と野党の共闘の反対運動のもとで、これを突破して改憲を実行することはできないという、ある意味では最初から切り札を出して必勝の構えで臨んだと思うんですね。ところが、これに非常強い反対運動が起こります。そして安倍は、結局のところ集団的自衛権の限定行使も、世界のどこにでも自衛隊がアメリカの後方支援で出て行くこともできないままにいまに至った。その大きな局面の転換を図ったのが、市民と野党の共闘です。この市民と野党の共闘の形成、発展が安倍改憲を阻止する大きな力となりました。
総がかり行動実行委員会の結成、安保法制反対の野党共闘の頑張り、それから安保法制廃止の共闘、戦後初の政治を変える共闘。改憲提言に対して2017年夏に市民と野党の共闘が九条の会を巻き込んで「安倍九条改憲NO!全国市民アクション」を結成し3000万人署名を提起します。この力を受けて野党の共闘が国会の中で憲法審査会での改憲の審議を実質的に阻止するためにがんばります。改憲発議ができるようになった2016年の参議院選挙以降、4年にわたって衆参両院の憲法審査会での実質的な改憲審議をストップしたということになります。
2019年の参議院選挙で市民と野党の共闘の結果、32の一人区のうち10の選挙区で野党共闘候補が勝って、参議院における3分の2の確保ができなくなった。それでも安倍は「がんばった」んです。2020年、今年の通常国会の冒頭から、何とか改憲の実質審議を動かそうとしました。ところが「桜を見る会」の問題が起こって、その後新型コロナの問題が起きてとても改憲どころではないという中で、新型コロナにかこつけて緊急事態改憲論というようなものを出してきた。ということで「2020年は新しい憲法が施行される年に」という公約は破棄せざるを得なくなった。その中でイージス・アショアの配備断念を口実にして敵基地攻撃論を提起した。これは改憲についての重要な安倍の新たな策動だと思います。しかし、やはり安倍の気力は続かなかったということが今回の安倍政権の退陣の大きな要因だったと思います。
では菅政権の改憲、軍事大国化の問題にどういう方針が出るのかについて検討します。結論的にいうと菅政権は「安倍なき安倍政治」「安倍なき安倍改憲」を狙うことは、極めて鮮明にあらわれています。菅政権が、いったいどういう意味で安倍政権の継承をいっているか。私は「3つの悪政」――改憲・軍事大国化、新自由主義の政治、反立憲主義の強権体制の実行、この3つを継続することが安倍政権の継承の中味だと思います。改憲問題との関係でいうと安倍と菅はだいぶ違うんですね。安倍はこの3つの悪政を、恐らくアジアの中で中国やロシアと対峙できるような大国の復権という思想的な目標のもとに、自覚的に改憲・軍事大国化、新自由主義の政治による大企業の復権、強権体制の構築、官邸主導というものをつくっていったと思います。菅の場合には、そういった思想的な背景に基づいてやるというよりは、3つの柱はばらばらに遂行するというところがあります。安倍のような思想的確信犯とは少し違うという側面が、われわれが改憲反対運動を推し進めて改憲をつぶす上では、ある意味では有利な側面とある意味では危険な側面が両方あらわれていると思います。
そこで新自由主義の問題についてはどうか。安倍政権は、一時民主党政権のもとでストップした新自由主義を再開するために、新自由主義の痛みを十分知った国民を相手にして、新自由主義の観点からいうと禁じ手である巨額の財政出動を行った。私はカンフル注射と言っていますが、新自由主義によって痛めつけられた中小零細企業や農家に対するカンフル注射を打った上で、あらためて新自由主義の外科手術をやろうというのが安倍のスタイルだった。菅の場合は、あたかも小泉政権に戻ったかのような極めて露骨な新自由主義の政治、それだけ大企業の余力がなくなったという側面があると思うのですが、もっと粗暴な新自由主義です。アトキンソンとか竹中とか20年前に出てくるような新自由主義者を重用して、成長戦略会議に入れる。これは安倍の未来投資会議とか経済財政諮問会議の中での民間議員とはまったく違っています。
これにはいろいろな意味があります。財務省は竹中のことを蛇蝎の如く嫌っていて麻生も嫌っていた。安倍が何回も竹中を経済財政諮問会議に入れて欲しいといっても麻生は絶対にいうことを聞かなかった。安倍政権は経産省内閣ですけれども、竹中のような露骨な新自由主義は入らなかった。ところが今回はさっさと菅は未来投資会議を変えて、成長戦略会議の中にアトキンソンと竹中を入れた。これは、もう一回新自由主義については財界の意を受けて、もっと急進的な改革を行うことを意味しています。それが河野太郎を前面に押し立てた行革・規制改革担当相です。縦割り削減というかたちで、公務員のあらためてのリストラ、特に官僚機構の中での社会保障的な、福祉国家的な側面を切りまくっていくために河野太郎を登場させたというこがあります。
典型的なのは菅が総裁選挙のまっただ中に「自助・共助・公助」論を出した。これは本当にびっくりですね。1995年に社会保障制度審議会という日本の社会保障制度の前進に大きく寄与した審議会が、新自由主義の中で崩壊していくときに、最後に出したのがこの「自助・共助・公助」論です。これは「公助」、国の介入による労働者、市民、高齢者の保障は最後になる。最初にまず自己責任、「あなたたちが努力しなさい」。それでもだめだったら家族それから地域、この援助に頼りなさい。それでもだめだったら仕方がないから政府が出て行くという話です。恐らく菅はわかっていなかったのではないかと思いますが、そこで「自助・共助・公助」論が評判が悪いとなると「そして絆」と入れて、ほとんど意味不明なことをいっています。これを出してきたのは竹中あたりの入れ知恵だと思いますが、明らかに新自由主義復活宣言です。
最大の問題は、菅がはじめていったわけではないんですが、コロナ問題の最大の教訓は「デジタル敗戦」だと言っていることです。これはとんでもない話です。確かにデジタル化の遅れは関係がないわけではありませんけれども、新型コロナの対策を無力にした圧倒的な理由は、新自由主義の政治で保健所を切って切って切りまくって、1994年から半減するような状況がつくられていた。しかもその保健所に、公衆衛生、感染症対策だけではなくて障がい者福祉とか高齢者福祉など全部そこに持っていった。保健所は新型コロナが始まる前からパンク状態にある中で、新型コロナがやってくるわけです。保健所に人が足りないんです。それで保健所にやりなさいといってもPCR検査などできるわけがない。安倍が再三にわたってPCR検査をやるといっていくら安倍が騒いだってできやしない。本人たちが新自由主義の政治で保健所を壊してしまったんですから。それから地域医療構想のもとで医療体制を壊しているところに新型コロナが襲うわけですから、あっという間に医療崩壊の危機にさらされることは明らかです。保健所の職員、保健師や看護師、医療従事者たちが死力を尽くしてがんばっても追いつかないという状況は、安倍の新自由主義政治の結果です。
秋田の農村出身という、田中角栄のような伝説をつくっていますが、それとまったく逆行するような地方銀行の再編、中小企業のリストラをやっていこうとする。菅は明らかに何周遅れかの新自由主義者です。恐らく世界のどこでも新自由主義の弊害として出てきた新型コロナに対してものすごい財政出動で対処していく。これが来年か再来年になると、必ず新自由主義の巻き返しが起こるのですけれども、私は菅が最初の一手を打ってきたと思います。強権体制の継続という点では安倍政権を上回ると言われています。学術会議の会員任命拒否というかたちで、安倍さんと同じようにやっていくという宣言をしたことになります。
そういう中で本命である菅政権の軍事大国化、改憲問題はどうなるのかということを見ていきます。安倍政権末期で通常国会が終わった6月18日に安倍は談話を発表して、イージス・アショアの日本配備廃止の裏面として、敵基地攻撃能力保持を謳いました。それにもとづいて自民党の検討チームがつくられて8月4日に、提言を出しましたが、安倍は辞任してしまいます。9月11日、談話を発表してイージス・アショア配備断念にかわる新たなミサイル防衛計画と抑止力政策を出すべきだ、年内までにまとめて欲しいと訴えた。これは異例ですよね。辞めていく首相が次の首相にたがをはめたということになります。その証拠に9月16日に登場した菅内閣のもとでは、何と防衛大臣に岸信夫が誕生する。安倍の実弟ですね。岸家に養子に行った岸信夫が登場し、その岸は9月16日の深夜の記者会見で、敵基地攻撃能力も含めて年末までにあるべき方策を示して速やかに実行に移すという宣言をしました。明らかに菅政権の軍事大国化、改憲の当面の焦点にこの敵基地攻撃能力論が出てきたわけですが、どうしてこれが出てきたのかということが非常に大きな問題です。
具体的に敵基地攻撃能力論が文書のかたちになったのは、8月4日に自民党が検討チームの提言で発表したものです。この提言は、実は最初ではありません。自民党の国防族の検討チームで過去3回提言していて、今回が4回目です。過去の3回はいずれも防衛計画の大綱の改定-防衛計画の大綱というのは日本の軍事戦略を宣言する文書です-、その新しい防衛軍事戦略を出すための自民党の提言というかたちで出されています。いずれにも「敵基地攻撃能力を持つべきだ」ということが入っています。今回の提言は過去3回の提言と明らかに違う3つの特徴があります。これが今回の敵基地攻撃能力論の重要な新たな特徴、狙いを示しているのではないかと思います。ひとことで言うと日米軍事同盟の内部での力関係を変える、比重を変えていく。自衛隊が攻撃的な能力を含めてより大きく日米軍事同盟内で分担を果たしていく。その大きな方針として敵基地攻撃能力の保持が謳われています。
敵基地攻撃能力というと、いままでは北朝鮮のミサイルが撃ち込まれたとき反撃する、しかし全部のミサイルを撃ち落とすことはできないので、そもそもミサイル防衛は十分なものではないので、これを十分なものにするには敵が撃ってくるその瞬間に敵基地を攻撃する。これは普通の言葉で言えば先制攻撃です。これをやれば基本的に「臭い根元」を断てる。これが敵基地攻撃能力論です。集団的自衛権というとアメリカ軍の戦争に日本が加担するという話ですが、敵基地攻撃能力は自衛隊の軍事能力を高めるということに見えます。しかし実はそうではなくて、日米軍事同盟の協力の中で、アメリカ軍がいままで分担していた部分を日本が部分的に肩代わりし、更に日本の比重を高める。そのために敵基地攻撃能力を持つという、日米同盟再編の狙いの中から生まれているという点を見ておく必要があります。
そういう点を推測させるように自民党検討チームの今度の提言は3つの特徴を持っています。ひとつはいままではすべて自民党が最初に政府に提言を出して、政府がそれを受けて防衛計画の大綱の中でそれを具体化する。国防族が言いたいことをいって、「全部やれ」ということを、政府がそれを受けて国民の意識とか憲法上のさまざまな状況、力関係を考えて防衛計画の大綱をつくる。こういう順番だった。自民党の提言を政府が受け止めて、換骨奪胎して防衛計画の大綱にする。その証拠にこの3回の提言でいわれた敵基地攻撃能力は、防衛計画の大綱の中にはいずれも入っていない。やりたいのは山々だけれども、やっぱり安倍政権は軍事大国になるのかという話になるので、さすがの安倍政権も防衛計画の大綱の中に3回とも書けなかった。これを今回は入れていますが、3回と違うのは、今回の提言は国防族が言ったわけではないんです。安倍が国防族にやれと言って自民党の提言が出た。政府がイニシアティブをとって、自民党がそれを受けて検討チームの提言を出した。こういう順番で、いままでとは全く違う。
2番目は、情勢分析の中でいままで3回の提言では、すべて敵基地攻撃能力が必要なのは「北朝鮮のミサイルだ」、というんです。しかし今回は、北朝鮮だけではない。実は情勢分析の最大のポイントは中国の脅威が最初にあって「中国等の更なる国力の伸長等によるパワーバランスの変化が加速化・複雑化し、既存の秩序をめぐる不確実性が増している。こうした中、自らに有利な国際秩序・地域秩序の形成や影響力の拡大を目指した。政治・経済・軍事に わたる国家間の戦略的競争が顕在化している」、そしてこの次の項目で北朝鮮のミサイルが出てくる。つまり北朝鮮のミサイルを根元で断ち切るために敵基地攻撃が必要ではなくて、中国の脅威に対抗するためにも北朝鮮の弾道ミサイルに対抗するためにも敵基地攻撃が必要だ。これはある意味では中国の中距離弾道ミサイルに対する日米軍事同盟の一環として日本が敵基地攻撃能力を持つというニュアンスも含めてのかたちで情勢分析をしている。これが新しい特徴です。
3番目は「弾道ミサイル防衛」と安倍も繰り返しいっていますが、弾道ミサイル防衛とは別の章を設けて「抑止力向上の新たな取り組み」というかたちでこの敵基地攻撃能力に触れている。つまり弾道ミサイル防衛よりももっと広い文脈で日米軍事分担の変更というかたちで書かれています。「日米同盟と抑止力・対処力」というところに書かれていますが、「日米同盟の下では、『わが国は防御、米国は打撃』が基本的な役割分担とされてきた。しかしながら、北朝鮮の弾道ミサイル等の脅威の一層の増大を踏まえれば、我々が飛来するミサイルの迎撃だけを行っていては、防御しきれない恐れがある。日米の基本的な役割分担は維持しつつも、日米の対応オプションが重層的なものとなるよう、わが国がより主体的な取り組みを行うことにより、抑止力をさらに向上させる必要がある。」。何かわけのわからないことを言っていますが、簡単に言えば自衛隊が「盾」と「矛」の「矛」の一部を分担するということをいっています。その一環として敵基地攻撃能力を出してきているということが重要です。
したがって3つの狙いがあると思います。ひとつは安倍が進めてきた解釈改憲の集大成、あらたな解釈改憲の一歩を踏み出すことによって、明文改憲の突破口を開きたいという問題意識がある。この問題意識の背景には2015年の安保法制のときまでは、明らかにアメリカの戦争-イラクやアフガンの戦争に自衛隊が武力行使も含めて加担する-これがメインだった。アメリカの世界の戦争に自衛隊を動員することが日米軍事同盟の大きな課題だったわけです。それからオバマ政権後期そしてトランプ政権になって、米中の軍事的な対決が強化される中で、むしろアメリカの戦争についてはアメリカ軍を撤退させる。軍事力の主力を中国に対する軍事的な対決と緊張、覇権争いに持っていく状況の中で日米軍事同盟の侵略的な強化を図っていくためには、中国、北朝鮮、特に中国を念頭に置いた自衛隊の攻撃的軍事力の強化が必要だという判断に変わってきつつある。こうした中で、解釈改憲の焦点として敵基地攻撃能力論が出てきているという点を見ておく必要があります。
2番目の狙いは、トランプ政権の要請において軍事同盟内でより大きな負担と戦争加担を行っていくことが重要です。トランプ大統領が2019年6月に日米安保条約を場合によっては破棄すると言った。こんな不公平な合意はだめだと。恐らくこれがトランプの本音ではないかと言われたのですが、これは圧力として日米の軍事分担を変えていくということを強く考えている。特に中国との対決で日本にもっと協力しろ、もっと加担しろというかたちで登場した。2人の大使の発言があります。ジョセフ・ヤング駐日代理大使が今年1月の安保60年の記念の講演の中で、「『盾と矛』という自衛隊との関係は旧いモデルである。旧いモデルは日米が寄り密接に協力する新しいモデルにとって代わられなければならない」と言っています。またケネス・ワインスタイン新駐日大使はアメリカ上院での証言で、「(日本の軍事)能力をさらに強化し、同盟内で一層大きな役割を負うよう促す」と言っています。
これらはイージス・アショアの配備が廃棄される前に言っている。すでにイージス・アショアの配備問題を抜きにして、日米同盟の軍事的な分担関係を変えなければいけないという中で敵基地攻撃能力論が出ていることを私たちは見ておかなければいけない。その証拠になるのか、私はそういう陰謀論があったかどうかわからないのですが、先ほどの北岡論文では新内閣の第1の課題は日米の専守防衛の見直し、役割分担の見直しだといっている。その最後のところでイージス・アショア配備断念の理由は敵基地攻撃能力論の口実だと言っています。ですから本当の狙いは日米の役割分担の見直しだ、これを北岡はどういうつもりでいったのかわかりませんけれども、恐らくこれは本音ではないか。そういうかたちで日米の役割分担の変更を、イージス・アショア配備断念を口実にして打って出たことが重要です。菅政権の中の解釈改憲の焦点としてこの問題が出てくるだろうと思います。
3番目、これはトランプ政権が替わったら引っ込むかもしれませんが、トランプのもっと兵器を買って欲しいという圧力です。イージス・アショアの配備を断念したわけで、トランプはカンカンなはずです。しかし、それを買って海上の護衛艦に乗せる、加えて敵基地攻撃をやるから、ミサイル基地のリアルタイムの把握のための衛星監視システム、敵の防空レーダー、ミサイルの無力化、そして発射施設攻撃のための中距離巡航ミサイルとか、もっともっと兵器を買う。これは付随的な側面ですけれども、トランプ政権との関係ではこういうことも出てきていると思います。
では菅政権は明文改憲にどう対処しようとしているのかについて触れておきます。菅政権は一応明文改憲でも安倍政権の「遺言」を堅持するという姿勢を取っています。ところが菅政権になる前後から、右派の内部では「菅は本気でやる気があるのか」「やっぱり安倍首相に比べると思想的にも弱いし、やる気があるのか」と疑う声が現れている。読売新聞にも、いろいろなところにも書いてあります。『選択』という雑誌では、「菅はそれに反発したんだろう」と書いてありましたが、それはわかりません。
そういう声を受けて、菅政権は憲法改正推進本部のメンバーを一新して、推進本部長に衛藤征士郎を、これまで推進本部長だった細田博之を衆院憲法審査会長に据えました。もうひとつ安倍政権のときと違うのは、麻生を除く派閥のすべての領袖を改憲推進本部の顧問に就任させました。これは考えようによっては細田派に丸投げした。副会長には稲田とか入れていますから、そういう意味では細田派に丸投げということもありますが、大きくはこの体制でとにかく菅政権のもとでも改憲を実行していくということです。この体制のもとで、衛藤征士郎は年内に改憲の条文化を図るということを打ち出しました。ですからこれが非常に大きな焦点になって、臨時国会では改憲を動かすもくろみが行われると思います。
この新しい体制は、安倍のいわば親衛隊、非常に改憲を強行に進めるが、改憲には国民的な合意をとって実行するということについては必ずしもプラスにならないような下村とか稲田とかいう改憲親衛隊と、改憲派の中で合意形成を重視して改憲を実行して行くというグループの対立が、新たなかたちで菅改憲体制の中にもあらわれているように私には読めます。このことは、私たちが何もしなければ、何の意味もないんですね。お互い喧嘩していてもなれ合うようになって来ると思いますが、私たちの運動が強くなればなるほど、こうした矛盾は恐らく改憲派内でいろいろなギクシャクしたものを生むだろうと思います。今回の副本部長の中に中谷が入っています。それから強権派として送り込まれたんですが、この間の憲法審査会での動きを見ていると、やはり合意をつくっていかないと発議できないという新藤が事務総長です。
それに対して改正推進本部に衛藤が登場したわけです。この衛藤さんというのは、もともと一院制国会の一貫した主張者です。改憲派ですけれども少し変わった改憲派で、野党全体を巻き込んで大きく改憲の合意をつくっていくどころか、自民党の中で衆院派と参院派が対決して小泉政権のときに改憲が一度壊れたように、参院のものすごい反対を受けかねないような人です。今回は、一院制は封印すると本人は言っていますけれども、そういう人が改憲派の親分になって、年内に改憲を条文化する。これは4項目の改憲イメージを条文化するということですね。これでは例えば石破なんかが「じゃあ、どうするの」という話にもなってきます。もっと大きいのは改憲条文案をなぜいままでつくらなかったのか。2018年にできていったのに、なぜ「改憲イメージ」というわけのわからない言葉にしたのかというと、改憲条文案をつくってしまうと公明党は入らない。公明党など多くを巻き込んで、「さしあたり自民党はこう考えているけれども、みなさんとの議論の中でこういうふうに変えました」。こういうかたちで改憲発議に持っていかなければ絶対発議なんかできない。そう思っているからあえて「改憲イメージ」というかたちで条文案をつくらなかったのに、年内に条文をつくるといってしまったら、問題が必ず出てきます。確かに決意表明を示したということではあるけれども、同時に本当に改憲発議を実行して行くために、これでいいのかということが必ずこれから出てくると思います。
菅政権の改憲方針は確定しているわけではなくて、思想的確信犯である安倍に比べれば私たちの運動次第で、総選挙などを背景にして菅の中で順番が変わってくる可能性は十分あります。ただし菅の新方式の中で、安倍にはなかった新しい危険性も表れていると思います。今のところ菅は細田派に任せることになるかもしれませんが、いざ実際上動き出した場合に安倍と菅の一番の大きな違いは公明党、維新の会に対する非常に強い太いパイプがあるということです。それから新国民民主党が改正草案を年内につくる。山尾さんが調査会長になるとか、いろいろな動きがあって、菅が「安倍ではできないけれども、オレならできる」ということで、やろうとした場合です。むしろ安倍に対警戒心を解いて、菅が公明党や維新の会、国民民主党に触手を伸ばして取り込みながら、場合によっては9条改憲を後ろに引っ込めて、別の緊急事態改憲などを出してきていろいろなかたちで策動をする。そういう策動をさせないことが私たちにとって非常に大きな新たな課題として登場してくると思います。
まず強調したいのは、安倍改憲発議阻止の3000万署名と緊急署名で、改憲阻止まであと一歩のところまで追い込んだと思います。明らかに安倍首相を辞任に追い込んだし、もし安倍首相ががんばっていたら、大きな改憲反対の声でつぶしていくあと一歩まできたと思います。この力に確信を持って、菅政権になっても改憲発議阻止の緊急署名に全力で取り組むことによって「安倍なき安倍改憲」を絶対に許さないという、そういう運動が必要です。私が講演をしていると必ず出てくるのは、安倍さんが辞めてよかったということです。私ももちろんその通りですが、やっぱり運動で安倍政権を退陣させたかったという気持ちもあります。けれども、「安倍なき安倍改憲」は今のままでは必ず復活してくると思います。そういう意味では改憲阻止まであと一歩の力に確信を持って、もう一回あらためて改憲阻止の緊急署名に取り組んでいく。これはかなり難しいと思うんですね。新型コロナの中で運動をしていくとなると、どこでも困っていろいろな工夫をしながらやっています。学術会議の問題でもこれだけの騒ぎになってしまったわけで、恐らくこれは安倍の「遺言」のひとつだったと思いますけれども、「安倍の遺言は危険だ」という状況を、私たちの手でつくっていく。
それから、敵基地攻撃能力-日本を「矛」の一部にもさせるというようなとんでもない憲法破壊に対して絶対阻止する。今のところ菅はひとことも言っていない。しかし必ずこれは出てくると思います。岸信夫だって、年末までにと言ったわけですから必ず出てくると思います。この問題については、敵基地攻撃能力論がいかに危険なのか、9条を破壊するものなのかということをきちんと訴えていくことが必要です。こういう改憲阻止の声が盛り上がれば、菅の改憲強行を非常に難しい状況に追い込むことができるし、菅でできないものが次の政権できるかといえば、次の政権でも選挙を前にしたらやっぱりできない。安倍以外にはなかなかできないという状況を私たちがつくっていく。それでも最後に改憲の息の根を止めるには、やっぱり共闘を強化して政権を変えていく。菅政権を倒していくということが必要なのではないか。選挙で菅政権を倒して憲法が生きる日本をつくっていくということがもっとも確実に改憲の息の根を止める大きな手立てだと思います。
安倍政治に変わる選択肢の方向はすでに出ています。去年の5月29日に出された立憲野党に対する市民連合の政策要綱を受け止めた13項目の共通政策です。それから今年の15項目の立憲野党の政策に対する市民連合の要望書というかたちで、13項目の共通政策をバージョンアップさせた政策を出しています。私はこれとは少し違ったかたちですが、15項目の共通政策も13項目の共通政策も、大きくいうと3つの柱からなっています。第1は、軍事大国化と改憲に対して平和なアジアと日本をつくっていく、安倍政権の悪政に対抗する憲法の生きる日本、第2の新自由主義政策に対して国民の命と暮らしを守る福祉の日本、特に新型コロナを鎮圧するような、新型コロナで生まれたような日本社会の困難を根本的に解決していくような政治。そして3番目は、菅政権が受け継いでいる立憲主義の破壊、民主主義の破壊。この3つの柱に基づいて、安倍政治に変わる選択肢を打ち出していくことが必要なのではないか。
安倍政治はいくら悪くても、やめるとなると若干支持率が上がった。いくら「田舎のおじさん」に替わったかもしれないけれども、菅政権の支持率は、さすがに学術会議の問題が出てNHKでは7ポイント下がりましたけれども、安倍政権末期の支持率を遙かに上回る支持を獲得している。これは安倍さんや菅さんの政治を国民が求めているからか。そんなことはないんですね。安倍政権の政治のすべての課題について国民は反対の方が多い。ところが政権支持率を見るとあのように下げ止まっているという状況があります。
菅政権が安倍政権を継承を掲げるということで、各社が世論調査をやりました。「安倍さんがやっている憲法改正についてはどうですか」、反対の方が多い。「桜を見る会はもうこれで終わりといっていますがどうですか」、続けた方がいいという答えが多い。つまり安倍政権の継承をいいながら安倍政権の継承である具体的な課題については全て国民が反対している。それなのに菅政権の支持率が高いのはなぜかといえば、安倍政権、菅政権に替わる政治、それに替わる憲法の生きる政治、福祉の政治がどういうもので、それは誰がつくってくれるのかということが国民にまだ見えていないからです。やっぱり私たちが運動の中で、国民の前にできる限り明確に、安倍政治をこう変えるというイメージと共に打ち出していくことができるかどうか、ここが改憲の息の根を止める大きなカギになると思います。
渡辺秀樹(信濃毎日新聞編集委員)
著「芦部信喜・平和への憲法学」(2020年10月・岩波書店)
小川良則(事務局)
安倍内閣の突然の辞意表明から2か月、菅内閣の発足から1か月(通常国会の閉会から数えると実に4か月)を経て10月26日、第203臨時国会が召集された。恒例となった開会初日の議員会館前行動の際、共謀罪NO!実行委員会の海渡弁護士から芦部信喜さんの評伝が刊行されたという話を聞き、帰路すぐに神保町の書店に立ち寄り買い求めた。芦部さんは日本を代表する憲法学者として知られており、その著書は法学部の教科書や司法試験受験生の参考書として活用されているのは周知のとおりである。
その芦部さんの名前が国会で登場したのが2013年3月29日の参院予算委員会のことであった。成年後見制度と参政権についての議論の中で、民主党の小西洋之議員(当時・現立憲民主党)から憲法の人権体系の構造を問われた安倍総理(当時)が「クイズのような質問は非生産的だ」と返したのに対し、通説的な学説を紹介した上で著名な憲法学者の名前を数人あげたところ、いずれも「知らない」と答弁したというのが事の経緯である。このことは、改憲をライフワークのごとく語る人物が実は憲法のことを何もわかっていないということを満天下に知らしめることとなった。
もう一つ最近の政治状況との関係で芦部さんの名前が引き合いに出されるのは、1985年8月の中曽根総理の靖国公式参拝の前年に「閣僚の靖国神社参拝問題に関する懇談会(いわゆる靖国懇)」が設置された際、当時の中曽根総理や藤波官房長官たちが反対されるとわかっていながら芦部さんら憲法の専門家を起用したことである。集団的自衛権の解禁を目指した安保法制懇に憲法の専門家がほとんどいなかったことや、政府に意を唱える学者の学術会議への任命を拒否したことと比べれば、安倍・菅政権がいかに独裁的か見てとれようというものである。
本書は、芦部さんの出身地である長野県で発行されている「信濃毎日新聞」に連載された記事と同紙のスクープを基にしたものである。なお、「信濃毎日新聞」は一ツ橋に本社のある「毎日新聞」とは資本関係はなく、かつて桐生悠々が主筆を務めていたことでも知られている。著者の渡辺秀樹さんは同紙の編集委員で、芦部さんのことを記事にしたいと思ったきっかけが前述した予算委員会でのやりとりであったことが「まえがき」の部分で明かされている。
第1章の「源流 伊那谷から」は、生い立ちから研究生活に入るまでの前半生を綴ったもので、わずか20頁程度の記述ながら、学徒動員の経験がその後の「芦部憲法学」の形成に大きく影響していることが窺える(9~14頁)。そこを踏まえると、戦後、法実証主義から自然法論に転じたドイツの法哲学者・ラートブルフがナチス政権下で形式的には「合法的に」成立した「制定法」を「自然法」によって否定した論文「制定法の不法と制定法を超える法」に感銘を受けた(19~20頁)というのも頷ける。それは「憲法改正の限界」の議論にも通じるものがある。
第2章から第5章までは、個別のテーマ毎に著作や裁判所に提出した意見書から主張を追ったものであり、改憲問題と自衛隊、人権保障、政教分離、象徴天皇制を取り上げている。もともとが新聞の連載であるとはいえ、いずれも今日の時事的な問題に大きく関わるものばかりである。逆に言えば、憲法学界からの忠告や警告を無視して政権が暴走してきた結果が今日の嘆かわしい政治状況であるとも言える。
改憲問題と自衛隊を取り上げた第2章では、岸内閣時の憲法調査会や、それに対抗する形で誕生した学者グループによる「憲法問題研究会」についても触れられている(26~30頁)ほか、恵庭事件や長沼ナイキ訴訟(30~35頁)も取り上げている。
本書を読んで、改めて天袋の箱にしまったままになっていた40年以上も前のノートを読み返したが、九条の関係では1回分の講義をまるまる政府解釈の変遷の批判的検討に充てていた。また、九条の関係に限らず強調されていたのが恵庭事件の弁護団も展開した「立法事実」であった。
筆者が学生だった1970年代に憲法の講座を担当していた芦部さんと小林直樹さんについて「まえがき」では「動の小林・静の芦部」と紹介している。確かに、期末試験の問題も、小林さんは「議会との関係で天皇の国事行為として明文の規定があるのは召集と解散だけだが、開会式で挨拶することをどう考えるか」といったものであるのに対し、芦部さんの出題は「人権と公共の福祉」について違憲訴訟の場で展開する論理構成を問うものであった。しかし、芦部さんが単なる「書斎の人」ではないことを示しているのが裁判での意見書や証言を扱った第3章である。
郵便局員による選挙ポスターの貼り出しの禁止と精神的自由の関係が問われた猿払事件では、占領下における立法過程と一律禁止の合理性に疑問を投げかけ(43~44頁)、労組推薦の候補者名の載ったビラの配布が問題となった総理府統計局事件で証言台に立った際には「表現の自由は民主主義の生命線」とまで述べている(46頁)。今日では「ダブルスタンダード」と言うと「二枚舌」といったマイナスイメージで語られるが、違憲訴訟の世界では「精神的自由」と「経済的自由」の規制が同じであってはならないという文脈で用いられる。この法理は教科書裁判(50~54頁)等でも活用されている。
第4章は靖国問題を、第5章は象徴天皇制を取り上げているが、いずれも前項で触れた「精神的自由」と深く関わる問題である。現上皇が生前退位の意向を示した際、「高齢のため激務に耐えられなくなった」ということを理由としてあげたが、その多くが実は憲法第6条及び第7条に明記された国事行為以外の「公的行為」と呼ばれる「グレーゾーン」に属するものであった。これをどこまで認めるかについては、一切認めないという説も含めて今なお決着がついていない。
これについての芦部さんの見解を講義録からまとめたものが90頁で紹介されている。すなわち、明治憲法下の天皇も含めて本来、君主は象徴的存在だが「統治権の総覧者」という性格が前面に打ち出された戦前は象徴としての性格は背後に隠れていた。天皇を象徴と位置付けた第1条は、象徴以外の役割を持たないとしたところに意味がある。また、主権者の総意に基づく存在である以上、その主権者の意思によって廃止することも可能であるとまで講義で述べている(90頁)。
続く第6章は関係者へのインタビューで、青井未帆さんや樋口陽一さんら憲法学者のほか、元文部次官の前川喜平さん、元最高裁判事の那須弘平さんらも登場している。
そして最後に「番外編」として信濃毎日新聞の2つのスクープが載せられている。その一つは同紙が開示請求により入手した「靖国懇」の議事録であり、もう一つは長野県知事が県護国神社の崇敬者会の会長として寄付金集めに関わっていた問題である。
安倍・菅内閣による相次ぐ隠蔽・改ざんの話題に接するにつけ、情報の公開が民主社会にとっていかに重要かを思い知らされる。ちなみに、2012年の自民党の改憲草案には第21条の2として政府の説明責任が明記されていることを指摘しておく。また、日本会議系の改憲署名の作業に防衛省の会議室が使われていたことも忘れてはならない。
ところどころ脱線しながら概観してきたが、法治主義の原則を忘れた感のある現政権と対峙していく際の論理構成として芦部憲法学に学ぶべき点は多い。是非、一読されるようお勧めしたい。