私と憲法234号(2020年10月25日号)


いのちと人間の尊厳を守る「新しい政治」の選択を

安倍晋三前首相が突然の「辞職」会見をやってから約2か月、自民党総裁選のドタバタ劇を経て菅義偉新内閣が成立して約40日が過ぎた。

この間、国政は難問山積なのに、菅首相は「安倍政権の継承」といっただけで新政権の施政方針を明らかにしないまま、1か月以上を過ごし、ようやくこの26日に第203臨時国会が召集される。深刻な新型コロナ感染症への明確な方針が示されていない。日本学術会議の人事への政治介入の問題が起きた。一方ではマスコミを介して「はんこ行政」の廃止とか「デジタル庁の設置」とか「携帯電話料金の値下げ」とかの細々した「改革」が語られ、首相初めての外遊が実施されるなど、あたかも新内閣が積極的に仕事をし始めているかのような空気がつくられている。

安倍改憲の破綻と退陣

本誌前号で指摘したが、安倍辞任の決定的な要因は彼の健康問題ではなく、「任期中の明文改憲」が破綻したことにある。
安倍前首相は政治家になって以来、一貫して「改憲」を自らの究極の政治目標とし、第2次安倍政権以降は「自らの首相任期中の改憲実現」を目標にしてきたが、これが不可能になったことが退陣の原因だ。くわえて、無能ともいえるほどの新型コロナ感染症対策の相次ぐ失敗、長期政権のもとで続発した政治の私物化と腐敗、そして看板政策としてきた「アベノミクス」の失敗・破綻などのなかで、安倍前首相は追い詰められた。政権末期には彼の立ち居振る舞いは弱弱しく、ほとんど政治的エネルギーを失ったかのような体を示していた。

8月28日の安倍前首相の辞任表明で、彼は「(改憲の)国民的世論が十分に盛り上がらなかったのは事実。それなしに(改憲を)進めることはできないと痛感している」「志半ばで職を去ることは断腸の思い」だと語った。

7年8カ月にわたって、安倍前首相は世論に改憲を働きかけてきたが、世論は安倍改憲を支持しなかった。

実際、「読売憲法世論調査」でみても、改憲一般に「賛成」は第2次政権発足時の2013年で51%だったが、2020年には増えるどころか逆に49%に下がった。改憲に「賛成しない」は2013年には31%で、2020には48%に増加した。憲法第9条に限っては。改憲賛成は2013年には36%、2020年には33%に減少、「9条守る」は2013年には54%、2020には63%となった。世論は安倍首相の期待とは真逆の結果となっていた。安倍前首相が言うように「世論が十分に盛り上がらないと改憲は無理」なのだから、この現実を考えると改憲は不可能だ。

安倍前首相らの懸命の改憲宣伝に抗して、全国の市民運動と国会内の立憲野党は地を這うような努力を積み重ねて改憲反対を世論に働きかけた。集会、デモ、学習会、署名などなど市民の改憲反対の行動が全国各地の草の根で無数に繰り広げられた。国会内では野党が憲法審査会などで安倍改憲反対の行動を繰り返した。この国会内外の改憲反対のたたかいは、2019年の参院選では憲法96条が規定する改憲要件の3分の2の議席を改憲派が確保することを阻んだ。野党と市民の共同が進み、1年以内に迫った次期衆院選においても改憲派が3分の2議席を超えるのは容易ではない情勢だ。とうとうたまりかねて安倍前首相は政権を投げ出した。

菅政権とは何か

自民党の菅義偉新総裁は、本人の政治的野心を別にすれば、党内の消去法による選択で誕生したもので、なにか特徴あるビジョンを掲げて出てきたものではない。安倍晋三のあとを一貫して安倍政治にクレームをつけ続けた石破茂に引き継がれるのは死ぬほどいやな各派閥の領袖が、岸田文雄では危なっかしく、安倍政権で長く官房長官を務めた菅義偉なら無難に「継承」できるだろうという程度の政治的都合が、菅の登板になった。

では安倍政権の「継承発展」(9月8日、自民党総裁選での菅発言)を掲げた菅新政権とは何か。
それは第1に安倍政権の極右体質の「継承」だ。安倍政権の特徴だった「日本会議」政権は菅内閣においても同様で、日本会議議員懇談会所属の閣僚は全閣僚21名中15名おり、神道議員連盟懇談会所属の閣僚は18名だ。このいずれかに属しているものは総計19名となる。その他2名のうち、小泉進次郎環境相は「靖国参拝する議員の会」で、この夏も率先して靖国神社参拝をするほどの人物で、もう一人の赤羽一喜国交相は公明党所属だ。要するに閣僚のほとんどが極右組織の同調者だ。これは菅政権の今後の政策の選択肢に決定庭な影響を与えるに違いない。

改憲問題では、菅首相は早速、党と国会の態勢で改憲布陣を固めることで、今後に臨もうとしている。安倍前政権の下で、必ずしも足並みがそろわず、温度差が表面化したことから、「本気度」を示すために、自民党憲法改正推進本部(衛藤征士郎本部長)を挙党体制にした。新陣容はオール派閥領袖(麻生派のみは麻生が財務相のために森英介元憲法審査会会長)が顧問として参加した。推進本部事務総長には新藤義孝・衆院憲法審与党筆頭幹事をあて、副本部長には野田聖子幹事長代行、稲田朋美元政調会長、小渕優子元経産相、山谷えり子元拉致問題担当相、片山さつき元地方創生担当相、有村治子元消費者担当相の6名の女性をあてた。

そのうえで、従来の自民党の改憲4項目「たたき台」の条文化を進め、国会の憲法審査会への提起・議論開始をするとしている。そのため、推進本部内に「憲法改正原案起草委員会」(衛藤征士郎委員長)を設置し、中谷元推進本部副本部長を事務総長に、委員を森英介、中川雅治、新藤義孝の計5名で構成した。しかし、この自民党の改憲条文づくりは与党公明党からの不満と、国会対策関係の党幹部から「拙速に過ぎる」(佐藤勉総務会長、世耕弘茂参院幹事長、新藤義孝憲法審与党筆頭幹事ら)異論が続出している。これらを改憲強硬派の衛藤らがまとめることができるかどうか、菅自民党の改憲推進は前途多難だ。

戦後、自民党の長期政権を維持してきた政治手法は政権交代における「振り子の論理」の利用だったことは知られている。

安倍政権のもとで相次いだモリ・カケ・サクラ・クロカワ・カワイ・アキモト・スガワラなど腐敗・権力私物化への不信が拡大し、政界貴族の世襲政治への不満が高まった。菅義偉はこれに対して、マスコミを利用して、東北の寒村出身の「たたき上げ」の「苦労人」で「パンケーキ好み」「令和おじさん」などの受け狙いの物語を作り上げた。

安倍前首相の派手なキャッチフレーズ政治、「美しい国」「戦後レジームからの脱却」「地球儀を俯瞰する外交」「一億総活躍」「女性活躍」「地方創生」「働き方改革」「人づくり革命」などなどに対しては、この安倍政権に飽いた世論に向けて「縦割り、既得権益、悪しき前例主義の打破」を看板にして「地道な改革保守」路線を掲げ、「行政改革」は脱はんこ行政、GOToキャンペーン推進、不妊治療、携帯料金値下げなどを対置した。そのうえカビの生えるような究極の新自由主義のスローガン「自助・共助・公助」を持ち出して、自己責任を要求した。このネオ・リベラリズムによる菅政権の下では、民主主義と自由、人権が破壊される強権政治が進められ、社会の貧困と格差の拡大は避けがたい。

安倍前首相が進めてきた実質的な改憲

明文改憲が停滞一方、安倍政権下では実質的な改憲がさまざまに進められてきたことは見逃すことはできない。

教育基本法の改悪、盗聴法の制定、共謀罪法の制定、戦争法などなど憲法違反の悪法を相次いで成立させ、第1次、第2次安倍政権を通じて、この国は「戦争のできる国」へ、「戦争する国」へと突き進んできた。それは辞任表明後の異例の「談話」でさらに日米軍事同盟の質的強化・飛躍と「敵基地攻撃能力」の保有に進められようとしている。安倍前首相は辞任に際して菅新政権への置き土産としてこれをバトンタッチした。

菅義偉新首相の今回のベトナム、インドネシア訪問でも、外務省の官僚の書いた原稿に沿って「自由で開かれたインド太平洋」のフレーズを繰り返すだけで、現在の世界的規模での米中の覇権争奪など激動の国際情勢に耐えられるようなビジョンの持ち合わせはない。彼が進めている道は安倍政権が歩んだ道を踏襲し、中国問題をはじめ東北アジアの緊張激化に対処するだけだ。「安倍談話」(敵基地攻撃)の継承とは専守防衛の放棄、先制攻撃論、日米同盟の攻守同盟化の憲法違反の施策であり、これを懸命に推進しようとする。

岸信夫防衛相は敵基地攻撃能力の考え方について「年末までに一定の考えを示す」「政府で問題意識と検討状況を整理し、与党としっかり協議したい」などと表明しており、これは従来からの日本政府の安保防衛政策の重大な転換につながる容認しがたい動きだ。

改憲と新自由主義、戦争する国 VS、いのちと人間の尊厳を守る新しい政治。

菅政権は従来の改憲と戦争、貧困格差拡大の安倍政治の継承をしながら、新自由主義改革を一層進めようとしている。菅義偉は小泉政権時代の竹中平蔵総務相のもとで副大臣を務め、竹中のネオリベラリズム改革を推進してきた経歴を持っている。

菅首相は安倍政権の官房長官時代に築き上げたマスコミや霞が関の官僚統制の手法を生かして政権の運営にあたろうとしている。「政策に反対するものは異動」(自民党総裁選で9月13日のフジテレビ番組)などと内閣人事局による統制を振りかざし、早くも露呈した学術会議人事への介入という憲法や学術会議法に違反した措置に各界からの批判が強まると、それを逆手にとって学術会議の機構改革への着手を宣言するなど、権力主義的な政治手法が露呈している。メディアにたいしては、記者会見を極力避け、統制しやすい数社による「インタビュー」方式や、オフレコのパンケーキ懇談会の開催など、露骨に表れている。

市民連合をはじめ全国の市民と立憲野党は、こうした菅新政権の「改憲と新自由主義、戦争する国」の道に反対して、「いのちと人間の尊厳を守る新しい政治」の実現を呼びかけている。市民連合は先に「立憲野党の政策に対する市民連合の要望書-いのちと人間の尊厳を守る『選択肢』の提示を-」という15項目の政策要望書(本誌前号掲載)を発表し、立憲民主、共産、社民、国民民主、れいわの5党と、碧水会、沖縄の風の2会派に手交した。

解散・総選挙は遅くてもあと1年以内だ。早ければ、この年末か年頭にも総選挙がありうる情勢だ。私たちはこの選挙で自公連立政権の悪政をうち倒さなくてはならない。そのためには野党と市民の側が、自公政権に対抗する明確な対抗軸を有権者に示し、選択を呼びかける必要がある。いま市民連合は全国各地で政策の合意形成と小選挙区での野党統一候補の擁立を実現するよう野党各党に対する働きかけを強め、奮闘している。

過去の選挙の実績から見ても、与野党の逆転は全く不可能という事ではない。

2017年の衆院選(投票率53.68%)では比例区で自公の得票数が2552万票であったのに対して、立民+希望+共産+社民の野党は2609万票であり、与野党の得票数はほぼ互角だった。小選挙区では野党が候補者を統一できなかった選挙区も相当あったが、野党の当選は48人、各野党合算が自公を上回ったが複数立候補で当選できなかった選挙区が59か所、与党と野党の合計との票差が1万票未満の選挙区が25か所で、あとの2種類の選挙区の合計は84選挙区だった。

もしも、市民連合の「15項目の政策要望書」を基礎に、菅自公政権との対立軸を鮮明にして、すべての立憲野党が菅自公政権打倒で共同し、1人区(とりわけ与野党激戦区)で候補を統一して闘えば、自公政権を打倒する可能性はある。立憲野党が過半数の議席を獲得する闘いは容易ではないが、マラソンに例えればすでに相手方の背中は見えている状態ではないか。

私たちは「2015年安保」のたたかいを通じて自覚した市民の果敢な行動が、従来の運動圏の垣根を超えた壮大な総がかりの行動をつくり出し、9月19日の戦争法強行採決のあと、その総括の上に、主権者としての主体的な政治参加のための「市民連合」結成への流れを生み出した。これは画期的な市民と野党の共闘という運動を創出した点で現代政治史の大きな転換点だった。

「市民連合」結成時の私たち市民の「希望」を現実のものとする闘いがいま求められている。全国の草の根の市民の運動で、立憲野党を後押しし、野党の共同と、野党と市民の共闘を作り上げ、政治にあきらめている広範な層を揺さぶって投票率をあげ、政治を変える闘いをすすめよう。
(事務局・高田健)

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「いのちをまもれ! 学術会議の任命拒否撤回! 敵基地攻撃能力保有反対!改憲反対! 10・19国会議員会館前行動」

主催者挨拶 菱山南帆子(憲法9条を壊すな!実行委員会)   

私は菅政権を弾劾する前にまず、2人の杉田さんたちに怒りを叩きつけたいと思います!
1人目、杉田和博氏。長年、首相官邸を根城に人事と金を飴と鞭のように利用して立憲主義と民主主義を傷つけ続けてきた罪は重い! 「陰に潜んでいないで国会に出てこい」と言いたいです!

2人目、杉田水脈氏。名前を口にするだけで怒りに体が震えてきます。杉田さん自身が嘘をついておいて「女はいくらでも嘘をつきます」とはどの口が言うんだと言いたいです!

嘘をつき、書類を改ざん破棄し、すぐ記憶をなくす政治家と官僚を棚上げして、嘘を女の属性であるかのような男ウケを狙ったデマを言うとは許しがたい!このような差別者を重用し、多数の抗議の署名の受け取りを拒否するなど、杉田を擁護する自民党は差別者の党でしかないということがはっきりしました。

さて、菅内閣が発足して1か月がたちました。今なお国会も開かず、施政方針演説も行わない中で菅首相は、学問の自由という基本的人権を否定するような大暴挙を行ってきました。日本学術会議会員の任命を拒否された6人の方々は勿論、そしてあらゆる団体と人々が直ちに声を上げました、そしてその声は全国津々浦々に広がろうとしています。

私たちにはこの任命拒否を容認したり、撤回をあきらめるといった選択肢は全くないということを申し上げたいと思います。そして、必ず、何としても撤回を勝ち取るんだという固い固い決意を今日ここで新たに打ち固めあいたいと思います。

安倍前首相の突然の辞任を受けてバタバタと成立した菅内閣は当初、安倍晋三というエンジンを失った「ショートリリーフ」「居抜き内閣」などと、非力で短命であるかのような評価でした。しかし、実は7年8か月もの長期にわたった第2次安倍政権というのは、菅官房長官と杉田和博副官房長官のラインがエンジンであり、安倍晋三は車体や外装だったのではないでしょうか。私たちのあきらめない、草の根からの総がかりの闘いによって安倍晋三という外装が吹き飛んでしまい、むき出しになったエンジンが「菅内閣」として私たちに向かって牙をむいてきているのではないかと思います。

国会前で行われた今年の5・3憲法集会で、ジャーナリストの堀潤さんは「民主主義の反対語は沈黙ではないか」と話されました。菅―杉田ラインこそ、とりわけ人事を利用して沈黙と忖度、自主的隷属を国家頂点から押し広げてきた張本人であり、民主主義の破壊の本丸に他なりません。

任命を拒否された立命館大学の松宮孝明さんは「この問題の被害者は日本の学術によって恩恵を受ける人々全体だ」と話されています。この言葉を聞いてすぐに浮かんだのは、日本がアメリカとの勝ち目のない無謀の戦争へと国民を巻き込んで行くとき、国力の差が大人と子どもくらいの差があるという統計や真実が国家機密とされ、戦争政策を批判するものが徹底して弾圧され、国民は「神の国の正しさや決して負けない」という神話・デマを信じ込み戦争へと総動員されていったという歴史です。ここで大切なことは、学問・研究の国会権力からの独立性が確保されないとき、私たち市民は被害者にもなるんだということではないでしょうか。

安倍政権、そして菅政権に共通するのは、人類が長い歴史の中で血と汗でつかみ取ってきた民主主義や立憲主義という知恵に対して驚くほどに理解も敬意もないということです。そして、嫌悪と侮蔑をもって破壊し続けています。それが2013年の「特定秘密保護法」から現在の学術会議任命拒否の流れではないでしょうか。

思い出してみてください。
2014年4月に菅官房長官と会談した前沖縄県知事の翁長さんが「上から目線の粛々という言葉を繰り返すほど『沖縄の自治は神話だ』といったキャラウェイに重なって見える」と痛烈に菅さんを批判しました。そして翁長さんの県民葬に参列した菅官房長官に沖縄の人々が「帰れ!」「恥知らず!」と怒りの言葉を浴びせたことを忘れることはできません。菅首相はいったいどこの国の首相でしょうか。国民主権、地方自治、学問の独立をあたかも神話であるかのように否定する振る舞いは、かつて沖縄を支配したキャラウェイそのものではないでしょうか。

私たちは諦めない、草の根のからの、総がかりの闘い方を更に磨き上げ、学術会議任命拒否撤回を必ず勝ち取りましょう。黒人差別の抗議にたちあがったテニスプレイヤーの大坂なおみさんは「私はアスリートである前に1人の黒人の女性です」「成長するためにシャイじゃいけない。言いたいことを隠してはいけない」と訴えています。ここに闘いの素晴らしい原型を感じます。
安倍政権が倒れても休む暇もないですが、それでも私たちは立ち上がり続けましょう。

自助・共助・公助、さらに絆? まるで文化祭のようなスローガンではないですか。私たちの暮らしや政治は文化祭ではありません。命がかかわっています。今こそ暮らしと命が最優先にされる政治を市民と野党の共闘で取り戻し、作っていきましょう。お任せ政治から、私たち一人一人が政治を動かすという意識を持った、担う政治へと市民の手で大転換を勝ち取りましょう。

菅義偉首相による日本学術会議会員の任命拒否について、たくさんの学会はもとより学者、文化人、学生、映画監督、自然保護団体、一般市民など実に多くの人々から抗議の声が上がっている。次にその一部を紹介する。

安全保障関連法に反対する学者の会は、菅首相の日本学術会議人事への政治介入に抗議し、以下の声明を発表しました。(2020年10月14日)

抗議声明

菅義偉首相が日本学術会議会員への被推薦者6名の任命を見送ったことは、日本学術会議の独立性と学問の自由を侵害する許しがたい行為です。私たちは学問の自由と学者の良識を尊重し擁護する者として強く抗議し、日本学術会議の「要望書」に示された①6名が任命見送りになった経過と理由を十分に明らかにすること、および②上記6名の任命見送りを撤回して速やかに任命することを求めます。
「日本学術会議法」は第3条に「独立して」と政府からの独立性をうたい、第7条で会員は日本学術会議の「推薦に基づいて」と内閣総理大臣の任命権を制約しています。この独立性と任命権の制約は、戦前戦中の国家による学問思想統制に対する反省に立った条文です。さらに同法第17条では、会員は「優れた研究又は業績がある科学者」から選考されることが明示されています。そうした法規定に基づいて日本学術会議が選考・推薦した者を首相が任命しないことは、明らかな違法行為です。このような行為は、ひいては研究者の学問の自由を侵害し、思想表現の自由の抑圧につながりかねません。学問的な研究と業績の評価によるアカデミーの会員の選考に政治が介入することはどの国においてもあってはならず、学問に対する冒涜行為と言わざるをえません。
私たち「安全保障関連法に反対する学者の会」は、民主主義と立憲主義を破壊する今回の菅首相の違法行為に強く抗議し、その経緯の十分な説明と、上記2項目の速やかな実施を求めます。

2020年10月14日
安全保障関連法に反対する学者の会・呼びかけ人
青井未帆(学習院大学教授 法学)/浅倉むつ子(早稲田大学名誉教授 法学)/淡路剛久(立教大学名誉教授・弁護士 民法・環境法)池内了(名古屋大学名誉教授 宇宙物理学)/石田英敬(東京大学名誉教授 記号学・メディア論)/市野川容孝(東京大学教授 社会学)/伊藤誠(東京大学名誉教授 経済学)上田誠也(東京大学名誉教授 地球物理学/日本学士院会員)/上野健爾(京都大学名誉教授 数学)/上野千鶴子(東京大学名誉教授 社会学)/鵜飼哲(一橋大学名誉教授 フランス文学・フランス思想)/内田樹(神戸女学院大学名誉教授 哲学)/内海愛子(恵泉女学園大学名誉教授 日本-アジア関係論)/大沢真理(東京大学名誉教授 社会政策)/岡野八代(同志社大学教授 西洋政治思想史・フェミニズム理論)/小熊英二(慶應義塾大学教授 歴史社会学)/戒能通厚(早稲田大学名誉教授 法学)/加藤節(成蹊大学名誉教授 政治哲学)/金子勝(立教大学特任教授 財政学)/川本 隆史 (国際基督教大学特任教授 社会倫理学)/君島東彦(立命館大学教授 憲法学・平和学)/久保亨(信州大学特任教授 歴史学)/栗原彬(立教大学名誉教授 政治社会学)/小林節(慶應義塾大学名誉教授 憲法学)/小森陽一(東京大学名誉教授 日本近代文学)/齊藤純一(早稲田大学教授 政治学)/酒井啓子(千葉大学教授 イラク政治研究)/佐藤学(学習院大学特任教授 教育学)/島薗  進(上智大学特任教授 宗教学)/杉田敦(法政大学教授 政治学)/高橋哲哉(東京大学教授 哲学)/高山佳奈子(京都大学教授 法学)/千葉眞(国際基督教大学名誉教授 政治思想)/中塚明(奈良女子大学名誉教授 日本近代史)/永田和宏(京都大学名誉教授・京都産業大学名誉教授 細胞生物学)/中野晃一(上智大学教授 政治学)/西崎文子(東京大学名誉教授 歴史学)/西谷修(東京外国語大学名誉教授 哲学・思想史)/野田正彰(精神病理学者 精神病理学)/浜矩子(同志社大学教授 国際経済)/樋口陽一(憲法学者 法学/日本学士院会員)/広田照幸(日本大学教授 教育学)/廣渡 清吾(東京大学名誉教授 法学/日本学術会議元会長)/堀尾輝久(東京大学名誉教授 教育学)/益川敏英(京都大学名誉教授 物理学/ノーベル賞受賞者)/間宮陽介(京都大学名誉教授 経済学)/三島憲一(大阪大学名誉教授 哲学・思想史)/水島朝穂(早稲田大学教授 憲法学)/水野和夫(法政大学教授 経済学)/宮本憲一(大阪市立大学名誉教授 滋賀大学名誉教授 経済学)/宮本久雄(東京大学名誉教授・純心大学教授 哲学)/山口二郎(法政大学教授 政治学)/山室信一(京都大学名誉教授 政治学)/横湯園子(中央大学元教授、北海道大学元教授 臨床心理学)/吉田裕(一橋大学名誉教授 日本史)/鷲谷いづみ (東京大学名誉教授 保全生態学)/渡辺治(一橋大学名誉教授 政治学・憲法学)/和田春樹(東京大学名誉教授 歴史学)

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日本学術会議会員候補者6名の速やかな任命を求める日弁連会長声明

菅義偉内閣総理大臣は、2020年10月1日から任期が始まる日本学術会議(以下「会議」という。)の会員について、会議からの105名の推薦に対し、6名を任命から除外した。この任命拒否について、具体的な理由は示されていない。
会議は、「わが国の科学者の内外に対する代表機関」(日本学術会議法第2条)である。同法前文においては、「科学が文化国家の基礎であるという確信に立って、科学者の総意の下に、わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と提携して学術の進歩に寄与することを使命」とするとされ、同法第3条には職務の独立性が明定されている。
さらに、その会員選出方法について、設立当初、全国の科学者による公選制によるものとされた。すなわち、職務遂行のみならず、会員選出の場面においても、名実ともに政府の関与は認められていなかった。会議が、一方では内閣総理大臣が所轄する政府の諮問機関とされながら、政府からの高度の独立が認められていたことは、学問の神髄である真理の探究には自律性と批判的精神が不可欠だからであり、学問の自由(憲法第23条)と密接に結び付くものである。会議の設置が、科学を軍事目的の非人道的な研究に向かわせた戦前の学術体制への反省に基づくと言われる所以でもあろう。
かかる会議の会員選出について、1983年の法改正により、公選制が廃止され、推薦された候補者を内閣総理大臣が任命するという方法に変更された。その際、同年5月10日の参議院文教委員会において、政府は、「そこから210名出てくれば、これはそのまま総理大臣が任命するということでございまして、(中略)私どもは全くの形式的任命というふうに考えており、法令上もしたがってこれは形式的ですよというような規定、(中略)書く必要がないと判断して現在の法案になっているわけでございます。」と答弁した。さらに、同月12日の同委員会においては、当時の中曽根康弘内閣総理大臣も、「政府が行うのは形式的任命にすぎません。したがって、実態は各学会なり学術集団が推薦権を握っているようなもので、政府の行為は形式的行為であるとお考えくだされば、学問の自由独立というものはあくまで保障されるものと考えております。」と答弁した。かかる前提で国会が当該改正法案の審議を行い、当該任命制の導入を是とした法改正がなされた。
しかるに、政府は、今回の任命拒否について、会議の推薦に内閣総理大臣が従わないことは可能とした上で、任命制になったときからこの考え方が前提であって、解釈変更を行ったものではないとしている。この説明が、前述した法改正の審議経過に反していることは明らかである。
内閣が解釈の範囲を逸脱して恣意的な法適用を行うとすれば、それは内閣による新たな法律の制定にほかならず、国権の最高機関たる国会の地位や権能を形骸化するものである。今回、政府は、人事の問題であるとして、任命拒否についての具体的説明を避けている。しかし、問われているのは人事にとどまる問題ではなく、憲法の根本原則である三権分立に関わる問題である。この構図は、当連合会が本年4月6日に公表した「検事長の勤務延長に関する閣議決定の撤回を求め、国家公務員法等の一部を改正する法律案に反対する会長声明」で指摘した解釈変更と同様である。
今回任命を拒否された候補者の中には、安保法制や共謀罪創設などに反対を表明してきた者も含まれており、政府の政策を批判したことを理由に任命を拒否されたのではないかとの懸念が示されている。このような懸念が示される状況自体が、まさしく政府に批判的な研究活動に対する萎縮をもたらすものである。そして、任命を拒否された科学者のみならず、多くの科学者や科学者団体が今回の任命拒否に抗議の意を表明している。当の科学者らが自ら萎縮効果に強い懸念を示していることからすると、そのおそれは現実的と言えるのであって、今回の任命拒否及びこれに関する政府の一連の姿勢は、学問の自由に対する脅威とさえなりかねない。
以上により、当連合会は、内閣総理大臣に対し、速やかに6名の会議会員候補者を任命することを求めるものである。
2020年(令和2年)10月22日
日本弁護士連合会 会長 荒 中

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【市民連合アピール】大阪市廃止NO! 広がる対話と共同で勝利必ず

大阪維新は5年前に否決された大阪市廃止=大阪都構想を再び持ち出しました。現在24区からなる政令都市・大阪市を廃止し、一般市レベルの権限しか有しない4特別区(北区、淀川区、中央区、天王寺区)に、2025年1月1日より設置することを問う住民投票(投票日11月1日)をたたかっています。

維新は安倍・菅政権と恐ろしいまでに癒着し、政府が制定させた道州制推進基本法の具体化に行き詰っていることから、迂回作戦で道州制を本格化しようとする戦略の位置づけが「大阪都構想」です。改憲の動きと並行してすすむ「自治体戦略2040構想」など「地方制度改革」に歯止めをかけ、住民主役の自治体づくりをめざすたたかいでもあり、全国各地からのご支援をお願いいたします。

(1)府下の市民連合が多彩な対話宣伝と電話作戦、知恵と組織力を発揮

交差点や路地での対話。30歳位のモヒカン女性が、友達連れで飛び入り参加。車いすの障がい者の方、口を大きく開きながら「私も反対」と力いっぱいの表明。迷っている若い人も自転車を止めて話しを聞き、ビラを受け取りました。「替え歌♪」も登場、「おおさかし、なくしたら♪にどとは、もどせない♪のこそう、おおさかし~♪大好き、おおさかし♪」(森のくまさん?)と。

大阪市以外の市民連合も、「大阪都構想」では衛星都市の議会承認だけで、「市を廃止し特別区になれる」とされていることもあり、狙われている堺市や豊中市の市民連合は大活躍しています。市内4区の市民連合にかかわるグループは、平日ふくめ連日の商店街・スーパー前などで宣伝対話をしながら、「都構想」反対票読みを4293票、電話かけでは一日400件余りに訴え、累計6020件に達しています。市内2区市民連合はこのたたかいを前に結成され、18日の天王寺街頭演説・宣伝には野党各党からスピーチを受け、府下の市民連合支援もうけ300人で盛り上がりました。結成間もない市内5区市民連合も参加者300人規模の全野党街頭演説会を数度にわたり成功させ奮闘しています。

堺アピール・堺1000人委員会の行動出発前の集会(西成区天下茶屋駅前)では野党からのスピーチを受け、堺市長選に立候補された野村友昭さん(元自民党市会議員)も激励されていました。土日を中心にした行動には、毎回50人前後の支援者を組織して奮闘しています。ハンドマイクが足らない事から緊急にSNS発信したら10数台の提供があり、1隊5人ほどによる効果的な路地裏宣伝などを行っています。豊中市民連合は阪急沿線の市民連合高槻・島本や茨木市民連合の仲間にも声を掛け、40名前後の参加を得て、阪急淡路駅など淀川区で奮闘しています。ここでも野党議員のスピーチがあり、また「親子Q&A掛け合いスピーチ」で分かりやすい訴え、対話も進みます。対話感想では、(1)すでに投票に行った人は賛成が多い印象、(2)まだ迷ってる人がたくさんいる、(3)大阪市は無駄が多かった。でも大阪市なくさんでもムダをはぶける、(4)反対やったらビラとるよって言う人など、がいると報告がありました。

(2)130年の歴史もつ大阪市廃止に立ち上がる市民、市民パワー!

賛成が1票でも多く可決されると、政令都市大阪市は廃止され、二度と大阪市には戻れません。そのこともあって、自発的住民の立ち上がりが話題になっています。〇淀川区では、宣伝していたら、チラシを受け取った人が戻って来て、名前も告げず10万円のカンパをしてくれた。〇西淀川区では住民による「都構想説明会」が開催され、西成区では町会長が区選出議員に「特別区の財政不足分をどうするのか、財源はどうするのか」と質問状を提出。〇城東区の連合町会長が自費で1000枚の「反対」ポスターを作製し張り出した。〇天王寺では青年が一人で自作ビラを配布。〇浪速区では高層マンション住人が「反対」チラシを撒きたいから500枚を受け取り、後日完了された報告もありました。

その一方で、〇迷っている人からは「自民党嫌いやから」との声や、〇「大阪都になってカッコいい」「西成区が中央区になって、いいわ」と声もあり、正確な情報を早く届ける路地裏での対話活動の大事さが増しています。

(3)そもそも「住民投票」実施はファッショ!

コロナ死者数が東京より多く感染拡大中なのに、投票経費10億円以上(120万人のPCR検査が可能な金額)を費やす住民投票です。5年前の「大阪都構想」計画をなぜ再び行うのかという問題があります。このやり方では「勝つまでジャンケン」です。維新の知事と市長は大阪市を解体し、大阪市の財政3分の1(2000億円)を大阪府に巻き上げることを狙っています。大阪の「成長戦略」に位置づけられているのが、夢洲(大阪湾に浮かぶ洲=ゴミで埋め立て中)でのカジノIR開業(破綻状態でも諦めていない)と2025年大阪万博(コロナ渦や大企業のパビリオン撤回で開催不安視)です。これに要する大規模インフラ・開発(地下鉄延長・高速道路建設・会場建設)に1兆円余りの巨費に、大阪市税を投入したいが故の「大阪都構想=大阪市廃止=指揮官は一人でいい」です。松井市長は公明党衆議院議員4人に対抗馬をたてると、公明党を脅して住民投票に持ち込みましたが、公明党支持者の6割が「都構想」に「反対」している世論調査があります。18日の山口代表を迎えた引き締め街頭演説会(天王寺駅前)には、「反対」のプラカードをかかげる公明支持者の姿さえありました。

(4)松井市長がトランプと変わらないフェイク、嘘を連発しながら終盤へ

終盤にむけては、「住民サービス切り捨て」が最大の焦点になっています。「住民サービス」の維持と拡充には財政のシッカリした裏打ちがなければなりませんが、トランプ流の明らかな嘘が拡大し、維新の大阪市議会議員自身も住民からの相次ぐ質問に困り果てている状況があります。松井市長、吉村知事は「今回の都構想では『現在の住民サービスのレベルを一歩も後退させない』ということを明確に約束」などと言いますが、「特別区設置協定書」にあるのは「維持するよう努める」だけで、「向上」どころか、「維持」も保証するものではありません。

コストの抑制では、特別区の庁舎はつくらないため、新たにできる「淀川区」や「天王寺区」の職員は、いまの大阪市役所の「中之島庁舎」に間借りします。災害対策本部は、4特別区に設置されるだけです。全国一高い介護保険料の軽減は切実な願いですが、一部事務組合での事務になるため、特別区だけで値下げすることはできなくなります。大阪市廃止は、“百害あって一利なし”の姿が鮮明となって来ています。

全国のみなさんへ

20日の日経新聞世論調査では、「反対」が41%、「賛成」が40%と初めて逆転しました。反対者は「住民サービスが良くならないから」「大阪市が再編・廃止されるから」、賛成者は「二重行政解消によるコスト削減、意思決定の迅速化」が多くなっています。

松井市長自身さえ「二重行政は無くなった」と言わざるを得ない程度の「二重行政」が、テレビなどマスメディアで繰り返し取り上げられる関係で、市民の意識化に誘導されています。最終版、NHKや民放各社がテレビ討論会を連日夕刻に放映します。自民党と共産党が維新と公明を相手に、嘘で固められた「大阪都構想」に切り込みますが、これが「大阪市廃止」反対の大きな世論づくりになることが期待されます。

どうか全国の皆さん!大阪市内に在住のお知り合いに是非、お声を掛けてください。また声を掛ける方を増やしてください。前回は反対70万5585票、賛成69万4844票の僅差で否決されました。一票でも「反対」が多いと、大阪市を存続させながら、文化と歴史を生活に取り入れて来た庶民のまち、住民自治を守ることが出来ます。全力でたたかい抜き、「野党連合政権」づくりにつながる情勢を切り開く決意です。

2020年9月21日
安保法制に反対し立憲主義の回復を求める市民連合

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第146回市民憲法講座 元「徴用工」―日韓和解への道

内田 雅敏さん(弁護士・市民連絡会共同代表)

(編集部註)9月26日の講座で内田雅敏さんが講演した内容を編集部の責任で要約したものです、要約の責任はすべて本誌編集部にあります。

はじめに

徴用工の問題については一昨年の10月28日に韓国大法院の判決があって、それ以降いろいろな集会や勉強会あるいは論考を読んだりされておられると思いますので、みなさんはもうだいたいご存じだと思います。今日はなぜこの問題がなかなか日本社会で浸透していかないのか、こういったことを考えてみたいと思います。

私は日本の敗戦の年、1945年に生まれて「戦後何年」というとすなわち自分の歳です。1964年、東京オリンピックの年に大学に入学しました。そして1965年が大学2年、その年が今問題になっている日韓基本条約、請求権協定を締結した年です。大学に入って最初に見た「立て看」が「日韓会談反対」というものでした。日韓会談とは何なのか、なぜ反対なのかということも十分わからなかったのですが、最初に参加したデモも日韓会談反対のデモでした。そのあとすぐに原子力潜水艦が佐世保に来るということで原潜反対の運動に転化したわけですが、翌年の1965年2月に当時の椎名外務大臣が韓国に行って日韓基本条約の調印があって、1965年は夏から秋にかけてずっと日韓条約反対運動に参加していました。

韓国では朴正煕の独裁政権、これは韓国でも反対運動が強くて全野党の議員が辞任する中で強行採決する。日本は辞任しませんでしたけれども、衆議院も参議院も秋に強行採決をした。今日の資料に1965年11月26日付けのアサヒグラフの写真があります。「怒りと抗議の人津波」というタイトルで両脇を固めているのは機動隊です。この日のことは、わたしはよく覚えています。強行採決がなされてその日の午後、日比谷公園で集会をしてデモをした。たまたま映っているのが早稲田グループの写真なので、友人たちが映っていて、もう亡くなっている人もいます。ただ当時の運動は、日韓条約、請求権協定に反対だということははっきりしていましたが、その反対の理由は、アメリカの後押しによる、対北に対する米日韓の軍事同盟である、そして南の朴正煕の軍事独裁政権を助け、南北分断を固定化することになる。これは許されないということであって、植民地支配の問題についての清算がないという認識はほとんど無かった。韓国の反対運動は、植民地支配の問題についての清算がないという反対運動はあって、なぜか日本側の運動はその影響を受けていないわけです。

歴史の「復元ポイント」をめぐって

レジュメの最初に加藤陽子さんのコラムの一節を挙げています。この4月から彼女は毎日新聞の第3土曜日に「近代史の扉」というコラムを書いていて、なかなかいいんです。加藤陽子さんはアメリカの黒人差別の問題についての再認識で運動が起きている。そこでは歴史の「修正」ではなくて「修復」を図る必要がある。そうするとアメリカの場合は南北戦争を復元のポイントとしている。それが今の流れである。日本の近代における復元のポイントとは何かというと台湾、南樺太、韓国、満州国の植民地、傀儡国家と日本の関係を注視する必要があるということを書いています。日本の憲法は「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、」と一応、あの戦争についての「反省」はありました。しかし戦争責任の問題、植民地支配の清算の問題を放置し、また米軍基地の重圧に呻吟する沖縄県民に向き合ってこなかった。いまこのことが両方噴き吹き出してきているわけですね。

植民地支配の清算の問題、沖縄の米軍基地の問題、こういう歴史の問題は解決しなくてはいけない。隣国との友好がまさに安全保障の問題だ、となれば武力による安全保障ではなくて友好による安全保障、歴史認識の問題ということになれば、植民地支配の清算の問題と沖縄の辺野古の問題は通底している、このように言うことができると思います。従ってこのふたつの問題に取り組むことによって日本国憲法に欠けていたものを補完する。「未完の日本国憲法」ということをよく奥平康弘さんが言っておられましたが、未完の日本国憲法を補完する、それが植民地支配の問題と向き合うことであり辺野古米軍基地の新設に反対する運動だと思うわけです。

植民地支配の清算という問題は本当に苦しみながらしなければいけない。フランスでは1960年代、アルジェリアの独立を巡って内戦の危機すらあった。アルジェリアを含む海外の軍人が反乱を起こしてパリに空挺部隊が攻撃してくるかもしれないということで、ド・ゴールが市民に対して呼びかけた、「サイレンが鳴ったらみんな空港に集まれ」と。武器を配るということをしたかどうかはわかりませんけれども、それくらいアルジェリアの独立運動を巡るフランスの歴史に苦しみがあったわけです。内戦の危機すらあった。ところが日本の場合は1945年8月15日の敗戦によって植民地支配の問題が一挙に「解決」してしまった。ですからその問題については向き合ってこなくてもよかった。それが現在問題になっている「慰安婦」問題であり徴用工問題であるわけです。

企業の自発的解決を妨害する安倍政権

一昨年10月28日の大法院の判決以来、日本社会は「韓国は約束を守らない国である」、「国際法違反だ」、「ちゃぶ台返しだ」というような意見が非常に強くなった。特に日本政府の態度が非常に大きい。実はこの問題の解決の基本は、この辺りにあるのではないか。

類似の中国人強制連行の問題で、2000年の花岡和解、2009年の西松建設和解、2016年の三菱マテリアル和解、これは、企業はそれぞれいろいろないきさつがあったけれども、企業独自の企業哲学に基づいて和解をしたわけです。そのときに日本政府は一切口を挟まなかった。それどころか三菱マテリアル和解には経産省、外務省が事実上フォローしたんです。2016年の三菱マテリアル和解は6月1日に北京で行われましたが、そこには元外務省OBの岡本行夫、彼は三菱マテリアルの社外取締役でしたが、彼が「見届け人」というかたちで、会社を代表してではありませんが参加していた。このように政府は中国人の和解については一切口を挟まなかった。

メディアはどうであったか。花岡和解のときには読売、産経も含めてすべて賛成、もちろん地方紙もそうです。そして各紙が一様に言っていたことは、強制連行、強制労働の問題は国際的なものである。企業が和解して国家がこれを放置していいのか。当然国家もこの問題に取り組まなければいけない。これが主要な意見でした。読売新聞は、これまでの裁判は個々の原告が訴えを起こしていた。従って個々の原告の解決になる。しかし花岡の解決は全体解決だ、これは被害者の公平な解決だ、これで解決の枠組みができた、「これで行こう」と。これが読売新聞の見解だった。産経新聞も淡々と事実を報道する。反対だということは一言も書いていない。

2009年の西松建設和解のときには読売も含めて、朝日、毎日、日経、東京それから地方紙、みんな支持している。ただ産経新聞だけは、「こういう解決をするということは国家間の解決の枠組みを壊すことになるのではないか」と、藤岡信勝のコメントを引用して疑問を呈しています。しかしその産経も「被害者に対する救済は必要だと思うけれども」とも言っている。2016年の三菱マテリアル和解では、読売新聞は「これはかたちを変えた中国政府の揺さぶりだ」、産経新聞は「こんなことを認めていたら国家間の枠組みが壊れてしまう、政府はこれを放置して良いのか、『歴史戦』に負けるな」、こういうふうに変わってきています。まさに2018年10月28日の韓国大法院の判決については、政府はこれを放置して良いのかという、「歴史戦に負けるな」という産経路線になってしまっています。

65年の日韓基本条約・請求権協定

1965年の請求権協定、日韓基本条約、これがどういう内容であったかについては十分に理解されていません。まず、これは英文が正文です。当時私は反対運動をしていたけれども、正文が英文であったということを知っていたかどうか覚えていない。たぶん知らなかったと思います。ただ朴正煕の独裁政権を支えることになってけしからん、その一点だけでしたね。この日韓会談は1950年の朝鮮戦争の頃からもう始まっています。しかも第1回はGHQの司令部で行われている。当時のGHQの幹部が立ち会いをしているんですね。朝鮮戦争の休戦が1953年、ずっと1965年までまとまらなかったのは、ひとえに植民地支配の問題をどうするか、この問題が尾を引いていた。当時の日本政府は、植民地支配は当時の国際法では合法であったということに終始した。韓国側は冗談じゃない、これは当時から無効だった。こういうことでずっと来たんですね。

それがジョンソン政権の1965年に締結されたのは、アメリカの強い後押しです。ですからこれはある意味では日韓基本条約ではなく、「日米韓」基本条約の3ヶ国条約であった。当時の朴正煕独裁政権は、韓国の近代化には日本からの資金が不可欠だということで、植民地支配の問題を棚上げにして締結をした。ですから韓国ではこれに対する学生も含めた市民の反対運動が起き、そして野党の議員は全員辞任する、そういう中で批准がなされた。日本は強行採決という中で行われた。先日、読売新聞の渡辺恒雄のインタビューがありました。日韓基本条約は池田政権のときに彼が仲介をして大野伴睦と金鐘秘がまとめた。しかし池田政権はそれに乗らずに佐藤政権で成立したと語っておりました。そういういきさつがあったわけです。

先ほど中国の強制連行、強制労働の問題と韓国の違いを言いました。1972年の日中共同声明は前文において、「日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する。」と、中国侵略について日本側の見解を示して日中間で歴史認識の共有が一応あった。しかし1965年の日韓基本条約では、日本側は「すでに無効である」、「もはや無効である」とした。いつから無効なのか、当初から無効ということではなくて1945年8月15日、日本の敗戦によって無効になったのか、それとも1948年7月12日に大韓民国が成立して、それで廃止になったのか、あるいは1965年で無効になったのか、そういうことをあいまいにして「もはや無効である」とした。韓国側は「当時から無効である」、このように正文の英文を訳したんですね。

当初からもっとも基本的な問題である植民地支配の問題について日韓の歴史認識の共有がなかった。しかしそれを当時のアメリカ、そして朴正煕・佐藤政権が冷戦の名の下に抑え込んだ。それが現在に影響しています。日本側が盛んに当時の国際法では合法であった。では国際法は韓国国民がつくったのか。冗談じゃない、これは当たり前のことですよね。奴隷制は当時の国際法の下では合法であった。今日このような言い方が通用するわけがない。同じように植民地支配は合法であるということが通用するわけはない。そのように歴史はどんどん進化して、捉え返さなければいけないことなってきているわけです。

大法院の判決の論理についてはもうみなさん十分にご承知だと思います。1965年の日韓基本条約では植民地支配の問題は語られていなかった。放棄されたのは個人の請求権ではなくて外交保護権の放棄であった。それは日本政府の見解でもある。そして無償3億ドル、有償2億ドル、民間の借款8億ドル、これは現実にお金が払われたわけではなくてモノで渡された。日本政府がモノを買って渡す。日本の企業からプラントを買って渡す。日本の企業が再び韓国に進出するきっかけになった。しかもこれは一括払いではなくて10年の分割です。3億ドルを計算すれば当時のレートで1080億円、それを毎年108億円ずつ、企業が日本政府から金をもらって、それを出す。資料の中の「“日韓”を強行させた者たち」は、梶山季之の『日本の内幕』という本から取ったものです。これを見るとプラント輸出に商社が関わっている。三井物産がダントツです。1965年当時は非常に不況で、私たちの世代が卒業するときは不況で就職口がなかなか無いという時代だった。この不況の中で、韓国の賠償を日本企業の再生のきっかけにするという、いきさつがあったわけです。

隣国の朝鮮半島とどう接するか

1904年に日露戦争が開始されて、韓国は中立を宣言した。ところが日本は韓国を軍事占領して、顧問政治を始める。日露戦争に「勝利」すると1905年に第2次日韓協約―韓国の内政、外交権を奪い、そして統監を置いて伊藤博文が初代統監に就任する。この流れに抗して1907年に韓国の高宗がハーグの万国平和会議に3名の密使を送った。一切の政治が日本人の独断専行によって行われている。日本は陸海軍の力で朝鮮を圧迫している。朝鮮の一切の法律、風俗を破壊していると訴えたハーグ密使事件がありました。この訴えを列強は無視した。そして失敗に終わって高宗は退位させられた。

すでに日露戦争の終盤近い1905年に桂太郎首相とアメリカの陸軍長官・のちの大統領タフトが、アメリカはフィリピンを植民地にする、日本はそれに対して野心を持たない。そしてアメリカは、朝鮮半島における日本の指導的役割を認めるという桂・タフト協定が結ばれていた。ですからこのハーグ密使事件は取り上げなかった。1907年には第3次日韓協約―韓国の高宗を退位させて韓国軍を解散させる。そして1910年に「併合」する。この流れを見れば「併合」に至るまでの3次にわたる日韓協約は韓国の意向を無視して武断的になされたものであることを物語っています。

このような日本の対韓政策に対して1907年に朝鮮民衆による義兵闘争が始まり、この義兵闘争は日本の敗戦まで続きます。1895年には乙未事変、韓国国王高宗の王妃、閔妃殺害―これはロシアと通じているということで日本の公使が指揮して殺害して、しかも燃やしてしまうということが行われている。こういうことを日本社会がもっともっと知れば、植民地支配の問題について認識が当然変わってくるわけです。

1910年10月、陸軍大臣兼任のままに初代朝鮮総督に就任した寺内正毅は、酒宴で「小早川 小西、加藤が世にあらば 今宵の月を いかにみるらむ」と詠んだというんです。東洋拓殖会社による土地の収奪では「堅実なる内地農民を適当に分布し、其土地の所有権を取得せしめ、永住土着して付近鮮農に農事改良の模範を示し、彼らを指導誘掖して地方産業の発達に貢献せしめんとする」、一体誰の土地を取得したのか。こういうことが行われていた。そして1919年に3.1独立運動が起こると「一視同仁」、「内鮮一体」そして朝鮮神社を造り天照大神を祀って、この朝鮮神宮に参拝を強制する。そして「皇国臣民の誓詞」――「私共ハ大日本帝国臣民デアリマス。私共ハ心ヲ合セテ天皇陛下ニ忠義ヲ尽クシマス」――こういうことを小学校で朗読させた。

こういう歴史を見れば韓国の人々が「植民地支配が当初は国際法上有効だった」などと言えるはずがない。当初から無効だったというのは当たり前ではないか、と思うわけです。残念ながら1965年のデモの隊列、「怒りの人津波」の中に私もいるわけですが、そういう事実を十分に認識していなかった。ただ朴正煕の独裁政権はけしからん、南北の分断を固定化することになる、その一念だけだったわけですね。

最近になってようやく梶山季之の「朝鮮小説集」にある「族譜」-これは韓国ではそれぞれの家に祖先からの経歴が書いてあるものです-どこから来たとか、誰が科挙の試験に受かったとか、あるいは秀吉の朝鮮侵略のときに日本軍の中で朝鮮軍の捕虜になったものがいる。その捕虜になった日本軍の兵士が朝鮮軍の一隊になって秀吉の軍と戦う――「降倭隊」という隊が自分の祖先である、という自分の祖先が日本人だというところも書いてある。そういう情報がある中で創氏改名、日本名を名乗らせる、こういうことを書いているのがこの「族譜」という小説です。彼は1950年代にこういうものを書いている。「李朝残影」という作品は3.1独立運動について書いてある。こういう本が残念ながらいま絶版になっています。この「朝鮮小説集」はインパクションが分厚いものを出しています。こういう本を75歳になってから読むということは一体何なのかと自分で思うわけです。

松本清張は「統監」という小説を書いています。これは伊藤博文が韓国に統監として赴任する際に愛人として芸者を連れて行くのですが、その芸者の目から統監の行動を見ています。非常に短いものですが、植民地支配の歴史をしっかりと押さえている。驚くべきことにこの「統監」が発表されたのは1966年の別冊文藝春秋3月号に掲載されている。ということはこれが書かれたのは1965年の秋ですよ。日韓基本条約が日本で批准が強行された頃に松本清張はこういう小説を書いているわけです。ですから彼はそういう植民地支配の問題についての認識があったわけです。

それから加藤周一の「羊の歌」という本があります。これは何回も読んでいるんですけれども、戦時中に一高で横光利一を呼んで講演会をやった。当時加藤周一はもう一高から東大に入っていますが、OBとして参加していた。横光利一が「今度の戦争は西洋の物質文明に対する東洋の精神文明の戦いだ。アジア解放の戦いだ」という講演を行った。終わったあとの懇親会で一高生たちが「西洋の物質文明に対する東洋の精神文明と言うけれども西洋にも精神文明もあるんじゃないですか。アジアの解放といいますけれども朝鮮はどうなんですか」という論争を横光利一に仕掛けるんですね。そのとき横光利一は言葉に詰まって「黙れ」といった。それで加藤周一が怒って「黙れとは何だ」といった。ちょうどその頃に国会で議員の質問に対して当時の佐藤賢了という陸軍の軍務局長が「黙れ」と発言したことが問題になっていたんですね。「黙れ」というのは権限を持っている者だ、それは何だというやりとりを加藤周一が書いています。そのように植民地支配の問題について認識していたわけです。矢内原忠雄が植民地支配の問題について発言して東大を追われたということもありました。

この問題が日本の社会で語られるようになったのは1968年の金嬉老の事件です。静岡県の寸又峡で金嬉老が殺人事件を起こしてライフル銃を持って立てこもる。そして自分は警察で差別的な対応をされた、警察に謝罪を求めるという事件がありました。ここで植民地支配の問題が日本社会でも語られるようになった。この金嬉老の事件については当時日本の学者たちも支援の輪を広げたわけです。1970年の華青闘の突き上げ、これは日比谷公園の集会で当時の華青闘の青年が「日本帝国主義者の子孫の諸君」という演説をやった。そのときはそれに対するヤジが飛びますがそれでも怯まずに彼が発言するうちに、みんなそれぞれ悩んでしまってこの日のデモは空気が入らなかったということを書いている人がいます。

旗田巍教授による日韓会談の再認識

今年の5月に、私は旗田巍東京都立大教授が「世界」1964年12月号に書いた「日韓会談の再認識」を読みました。日韓会談の頃に書いた論文です。ここにすべてのことが書かれています。

「日本政府はこれを久保田個人の発言(注:1953年-久保田貫一郎という外交官が「植民地支配でいいこともした」といって日韓会談が3年間も中断した)とし、日本政府の考えではないといい、それを取り消したが、政府の腹のなかは変わっていないと思う。日本の朝鮮支配についての反省の言葉を日本政府は一度も言っていない。会議を推進してきた日本の保守政府、これを支える保守政党、また保守的な言論人や財界有力者の考えも久保田発言とちがいはない。こういう人々は日韓の同文同種とか友好をとなえているが、日本の朝鮮支配の責任については何も言わない。それだけではなく、政府が久保田発言を取り消したことを苦々しく思い、久保田発言の正当性を支持している。日韓会談がこういう人々の手で推進されているところに会談の悲劇がある。日本人も韓国に住む朝鮮人もこのことを銘記すべきである。

それ以上に残念なのは、日韓会談に反対する革新政党及び革新的立場に立つ人々の中に上記のような日本政府・保守派の態度を批判するものが著しく乏しいことである。久保田発言の誤りを指摘し、日本が負うべき責任を明らかにしたものはなかった。この派の人々は久保田発言によって日韓会談が中絶したのを喜ぶだけでそれが持つ重大な誤りを指摘しようとはしなかった。その後においても同様であった。政府が韓国と妥協し、祝い金という形で金を支払う方針を決めたときに、単に、それは国民の税金の不当な支出であり、無駄な金を使わずに炭鉱離職者を救えというような論法で反対した。

祝い金という形の金の提供が正しいとは思われない。しかし、単に金を出すなという論法は正しいとはいえない。こういう主張からは日本の朝鮮支配の責任に対する反省はうかがえない。(中略) 日韓会談に反対するのはよいが、それだけでは済まぬものがあることを忘れてはならない。韓国側で交渉を進めているのが軍事政権であるからといってそれと民衆とは区別して考えねばならぬ筈である。(以下略)」。

これが1964年に載っているんですね。私が大学時代で、この頃はもう「世界」を読んでいたと思いますが、この論文についての認識はまったくない。この5月に読んでびっくりしたわけです。「世界」の主要な論文を集めた「『世界』主要論文選」というのがあってそれを見ました。そうすると、この旗田さんの論文が載っていないのはもちろんのこと、日韓条約反対に関する論文は一本も載っていない。60年安保とかベトナム反戦に関する論文は載っていますが、日韓基本条約反対に関する論文は載っていないという事実に、今驚いているわけです。

最近、韓国で元国会議長が徴用工の問題などについていろいろ意見を述べている中で、この「易地思之」という言葉を使っています。「相手の立場に立って考える」という意味ですが、こういうことを旗田さんは1964年の時点で書いています。しかもこれが主要な流れではなかった。反対運動の側にも「韓国の朴正煕になめられるな」という意見もあったくらいです。ネットをみていたら「韓国人ほどこういう立場に立たないのはいない」という書き込みもありましたけれども、まさにこの「易地思之」という考え方をもって植民地支配の歴史を見れば、韓国大法院の判決についても違った風景が見えてくるのではないかと思います。

資料に安彦良和の「乾と巽」という漫画を入れました。これは「満州事変」のことを書いた作品です。この人は私より二つくらい若い、ほぼ同世代の、いわゆる全共闘世代ですが「ガンダム」の作者です。「虹色のトロツキー」など歴史問題の漫画を書いていて、非常にいい本で私は手に入るものは全部見たんですが、最近の作品にこの「乾と巽」がある。この中に出てくる老人は山県有朋、そして軍人は田中義一です。山県有朋が「ええもんじゃのう」といって地図を見ています。日露戦争が終わって「韓国併合」も終わった。そして沿海州とか北樺太を取っていけば日本海が内海になる。そして中国ににらみをきかす、満蒙も大事だということで、まさにこれは維新の元勲といわれているイデオローグ、吉田松陰のアジア侵略の実現であるわけです。

あの不平等条約によって取られたところは、朝鮮、満州、フィリピン、といったところで取ればいいということを吉田松陰は書いていた。まさに「吉田松陰先生のご遺志を達成したことになる」、と長州の連中は言っている。田中義一は「かようなものはあまり人に見せん方がいいでしょう」といっている。山県有朋が「いかんか」と言うと、「諸外国の連中にとやかく言われますから」と言う。田中義一には「田中上奏文」があり、いまでは中国でつくられた「偽書」だということが有力説ですが、田中義一が天皇に上奏文を書いた。その内容は、日本がアジアを侵略した、その内容がすべてここに書かれている。この田中上奏文は、中国が日本はこういうことをやろうとしていということをアメリカ政府に訴えた。ルーズベルトもこの「田中上奏文」は正確なものだと言ったという、いわくのある文書です。情報戦ですね。ですからこの漫画で田中上奏文が出てくるというのは非常に面白いのではないかと思っているわけです。

日韓基本条約、請求権協定を修正・補完した日韓共同宣言

では徴用工問題を解決するにはどうすればいいか。1998年10月8日、小渕総理大臣と金大中大統領が日韓共同宣言、「21世紀に向けての日韓パートナーシップ」を宣言しました。私はここが核心だと思って暗唱しています。

「両首脳は、日韓両国が21世紀の確固たる善隣友好協力関係を構築していくためには、両国が過去を直視し相互理解と信頼に基づいた関係を発展させていくことが重要であることにつき意見の一致をみた。小渕総理大臣は、今世紀の日韓両国関係を回顧し、我が国が過去の一時期韓国国民に対し植民地支配により多大の損害と苦痛を与えたという歴史的事実を謙虚に受けとめ、これに対し、痛切な反省と心からのお詫びを述べた。金大中大統領は、かかる小渕総理大臣の歴史認識の表明を真摯に受けとめ、これを評価すると同時に、両国が過去の不幸な歴史を乗り越えて和解と善隣友好協力に基づいた未来志向的な関係を発展させるためにお互いに努力することが時代の要請である旨表明した。また、両首脳は、両国国民、特に若い世代が歴史への認識を深めることが重要であることについて見解を共有し、そのために多くの関心と努力が払われる必要がある旨強調した。」

1965年の日韓基本条約の不十分性は、1998年の「21世紀に向けての日韓パートナーシップ」、日韓共同宣言によって修正・補完されている。これをなぜメディアは書かないのか。一昨日の毎日新聞の社説でも菅総理と文大統領の電話会談談について書いていますが、そこに1998年のことはいっさい出てこない。1965年は1998年によって克服されたんだ。このことが徴用工問題の解決の基本です。ご承知のように、1998年の日韓共同宣言は1995年の村山首相談話を踏まえています。村山談話の「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。」を踏まえ、歴代政権はすべてこれを踏まえています。踏まえていないのは安倍だけで、きっと菅も踏まえないでしょう。安倍政権を継承すると言っているから。

2002年の平壌宣言、お調子者の小泉純一郎ですが、そこでも「日本側は、過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の苦痛と損害与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明した。」と言っている。北朝鮮と国交正常化をする場合には賠償問題が出てきます。そのときに「平壌宣言」が当然基本となる。そうすると植民地支配の問題についていっているわけだから、これに基づいて行うことになります。だとすれば植民地支配の問題について言及がなかった1965年については絶対に修正せざるを得ません。

自民党、社会党、朝鮮労働党による三党合意

さらに村山首相談話から先立つこと5年、1990年9月28日平壌で、自民党の金丸信、社会党の田辺誠、朝鮮労働党で3党合意がなされています。この3党合意は第1項で「三党は、過去に日本が36年間に朝鮮人民に大きな不幸と災難を及ぼした事実と戦後45年間に朝鮮人民にこうむらせた損失について朝鮮民主主義人民共和国に対し、公式的に謝罪し、十分に償うべきであると認める。」。こう言っているわけです。村山首相談話は突然出てきたわけではありません。社会党首班の内閣だから突然出てきたと思う人がいますけれども、そうではない。1990年にもうこう言っています。

1972年にも、「日本側は過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する。」と言っている。あるいは1985年に中曽根首相が国連総会において「戦争終結後、我々日本人は、超国家主義と軍国主義の跳梁を許し、世界の諸国民にもまた自国民にも多大の惨害をもたらしたこの戦争を厳しく反省しました。」こう言っています。一貫して日本政府は外に向かって言ってきた。それは「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、」という流れから来ているわけです。村山首相談話はそれを具体的に言ったに過ぎません。

そして菅直人首相談話も朝鮮植民地支配の問題について、「本年は、日韓関係にとって大きな節目の年です。ちょうど百年前の八月、日韓併合条約が締結され、以後36年に及ぶ植民地支配が始まりました。3・1独立運動などの激しい抵抗にも示されたとおり、政治的・軍事的背景の下、当時の韓国の人々は、その意に反して行われた植民地支配によって、国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷付けられました。 私は、歴史に対して誠実に向き合いたいと思います。歴史の事実を直視する勇気とそれを受け止める謙虚さを持ち、自らの過ちを省みることに率直でありたいと思います。痛みを与えた側は忘れやすく、与えられた側はそれを容易に忘れることは出来ないものです。この植民地支配がもたらした多大の損害と苦痛に対し、ここに改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明いたします。」と言っている。

資料に1990年9月30日付けの毎日新聞の政治漫画があります。これは金丸信が「つぐない」を歌います」という漫画で、当時テレサ・テンの「つぐない」という歌がはやっていたんですね。この3党宣言は、ぎりぎりまで金丸信、田辺誠がまとまらなかった。戦後45年間、朝鮮人民にたいして「こうむらせた損失」についてまとまらなかった。36年間の植民地支配については一発でまとまったということです。3党合意は当時の日本のすべての政党-自民党、社会党、公明党、共産党、民社党がすべて評価をした。そして1998年の日韓共同宣言のとき、金大中大統領は日本の国会で演説をして大きな拍手を得たわけです。こういった流れがちゃんとメディアで発信され、みんなが知ることができれば、韓国の言っていることがちゃぶ台返しだとか国際法違反だとか、そういう問題ではないとわかるわけです。

負の説明を回避する安倍政権

長崎の世界産業遺産である「軍艦島」を巡る問題があります。これは世界産業遺産に登録される際に世界遺産の委員会で「意思に反し連れて来られ、厳しい環境の下で、働かされた多くの朝鮮半島出身者」がいたことを認め、「当時の徴用政策について理解できるような措置を講じる」と外務省が約束している。ところが約束を守っていない。「軍艦島」ではこのとについて何の説明もせず、東京の新宿にこの説明の施設をつくりました。そこでは、「強制連行、強制労働はなかった」という島民の証言を書いています。日本の裁判所は、判決では請求は棄却しましたけれども、強制連行、強制労働の実態は認めています。仮に島民が「なかった」という声を載せるならば、「あった」という意見もいっぱいあるから、それを載せなければ何ら語ったことにならない。こういう事態になって外務省の役人は困っているようです。約束したことを守らない、といって。本当に安倍政権というのは約束を守らない。国際法を守らない、そう思います。

靖国神社の遊就館の1階に行くと泰緬鉄道の機関車が展示されています。説明には、「非常に困難な泰緬鉄道を1年3ヶ月という驚異的な早さで日本軍は作った。イギリス軍はあきらめたのに日本の技術力はすごい。」と書いてある 。1万3千人の連合国軍の捕虜が亡くなっている。さらに現地の人が亡くなっている。そしてBC級裁判で戦犯に問われて「戦場にかける橋」という映画もあるわけです。そういうことが一切書かれていないのが靖国神社です。靖国神社に行った場合には何が書かれていて、何が書かれていないのかということを見なければいけない。

安倍はここでもまたダブルスタンダードをやっている。第1次安倍政権が倒れたあとの野党の時代に、山谷えり子と産経が出している「正論」の中で対談していて「『村山談話』(正式には村山首相談話です。)を否定しようとしたけれども否定できなかった」と言っています。その理由として、実は大変な落とし穴があった。1998年11月に日中共同宣言があった。これは江沢民と小渕恵三が行った。その中で日本側は1972年の日中共同声明、そして1995年8月15日の日本国内閣総理大臣の談話、「これを遵守し」と言っている。従って「村山首相談話は否定すると、これは日中共同宣言に違反することになってしまう。日中共同宣言は国際条約である。国際条約に違反することはできなかった。」、「だから私は村山首相談話を否定することはできなかった」、こう言っています。ではその1ヶ月前の小渕総理大臣が金大中大統領となした日韓共同宣言は国際条約ではないのか。このように安倍首相というのは、むちゃくちゃなこと、自分に都合のいいことだけを言っている。

捕虜について賠償を認めたサ条約第16条

賠償の問題について言えば、資料に「捕虜に対する酷使について賠償を認めたサ条約第16条」があります。今回の徴用工問題について当時の河野太郎外務大臣はこれを認めるとサ条約体制を崩してしまう、という言い方をしました。サンフランシスコ体制は冷戦の背景に従って連合国は日本に対する戦争賠償を免除する、日本側も連合国に対する請求を放棄する、個人の請求権をお互いに放棄するという内容でした。これは14条です。

ところがサ条約16条ではこう言っています。サンフランシスコ講和条約第16条[捕虜に対する賠償と非連合国にある日本資産]「日本国の捕虜であった間に不当な苦難を被った連合国軍隊の構成員に償いをする願望の表現として、日本国は、戦争中中立であった国にある又は連合国のいずれかと戦争していた国にある日本国およびその国民の資産又は、日本国が選択するときは、これらの資産と等価のものを赤十字国際委員会に引き渡すものとし、同委員会はこれらの資産を清算し、且つ、その結果生ずる資金を、同委員会が衡平であると決定する基礎において捕虜であった者及びその家族のために適当な国内機関に対して分配しなければならない。」

要するに連合国にあった日本の資産は、連合国は放棄しているわけです。それから非連合国であった日本の資産、これも日本政府は放棄する。それを国際赤十字が現金に換えて、そしてそれぞれの国の捕虜を扱う団体に配って捕虜にはお金を配る。わずかですけれども連合国軍の捕虜には金を配っています。これは連合国軍の捕虜が自分達に対する賠償がないのは許されない、そんなサンフランシスコ平和条約は認められないということがあったから16条を入れたわけです。16条があって現実にこれを行っている。日本は何も賠償をしていないわけではない。金額はわずかなものですが、16条があるのならば植民地支配の問題についてもやるべきではないか、こういう話になるでしょ。私はこの16条の問題について知ったのはつい最近です。内海愛子さんに聞いて初めて知りました。知らないことだらけです。

日本国憲法と韓国憲法は敗戦・解放を介在として表裏一体の関係

ことほどさように植民地支配の問題、サ条約の問題、戦後の問題について考えてこなかった。それはわれわれが平和憲法を持つことによって、平和憲法を後生大事に守っていけばいいという気持ちがどこかにあったんでしょうね。そうすると憲法11条と97条の関係を思うわけで、11条と97条はかぶっているわけです。私は97条であえてかぶったことを言ったのは基本的人権の保障は重要であるから、96条の改定規定の前にあえて入れたと理解していました。

佐藤達夫の「日本国憲法誕生記」という中公新書-古本で3000円くらいする-その価値のある本ですけれども、それを読んだらそうではなかった。占領軍の憲法草案としては11条と97条は一本のものとして提案された。しかし国会で審議するために「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」とした。これは一体どこの国の話だ、日本は「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」としてこの憲法を取得するのかということに対して、ちょっと恥ずかしい、まだそういう時期ではないのではないかということで、97条の歴史的経過を省いて作った。そうしたらホイットニーが「なぜこれを削ったのか、入れろ」ということで97条に入れた。これが真相らしいんですね。

つまり私たちは未完の日本国憲法を補完すること。植民地支配の問題、戦争責任の問題、沖縄の米軍基地の問題、こういった問題に取り組むことによって、補完することによって、そしてこの97条に到達する。「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」ということを本当に実感することになるのではないか、このように思うわけです。そういうことによって韓国の憲法の知恵に到達する。

韓国の憲法は3.1独立運動、4.19民主理念を踏まえてこう言っています。「悠久の歴史と伝統に輝く我が大韓国民は3.1運動により建立された大韓民国臨時政府の法統と不義に抗拒した4.19民主理念を継承し、祖国の民主改革と平和的統一の使命に立脚し, 正義人道と同胞愛により民族の団結を強固にし全ての社会的弊習と不義を打破し自立と調和を基礎とする自由民主的基本秩序を更に確固とし政治、経済、社会、文化の全ての領域において各人の機会を均等にして能力を最高度に発揮させ自由と権利にともなう責任と義務を完遂させ内には国民生活の均等な向上を期して外には恒久的な国際平和と人類共栄に貢献することにより我らと我らの子孫の安全と自由と幸福を永遠に確保することを誓い1948年7月12日に制定され8次にわたって改正された憲法をここに国会の議決を経て国民投票により改正する。」。

1919年、3.1独立運動、日本の植民地支配に対する抵抗です。3.1独立運動が韓国の憲法に書き込まれたのは1948年で27年の歳月を要している。4.19民主理念、1960年の学生革命。これが李承晩政権を追放したが朴正煕の独裁政権に取って代わられる。これが韓国の憲法に書き込まれるのは1987年の民主化革命。その流れがろうそく革命になるわけですね。これも27年。こういう韓国の歴史、民主政治を守るための、日本の植民地支配に対する抵抗、そして独裁政権に対する抵抗、これが韓国の民主主義の成り立ちです。

日本は敗戦の結果、憲法を得た。その憲法を補完して実践することによって憲法を私たちのものにすることができる。そして韓国の憲法の知恵に近づくことができる。まさに私たちの戦いは3つの共闘、死者たちとの共闘、アジアで2千万人以上、日本で310万人の非業無念の死を強いられた人たち、そして戦後護憲平和運動、反戦運動を担って亡くなった人たちの声に耳を傾ける。ふたつめは未来との共闘、子どもや孫、まだ生まれてきていない未来との共闘、3つ目はアジアの民衆との共闘。3つの共闘を私たちは実行して行かなければいけないのではないかと思います。

《質疑応答から》

問:時の官房長官として「平成」を出した小渕総理大臣と「令和」を出した菅総理大臣、この間の断絶がどのように起こったのか
答:小渕総理大臣は「日の丸・君が代」を法制化しました。のそのそとして凡人のような顔をして悪いことをやったと思うわけですが、しかし日韓関係に関しては「21世紀に向けてのパートナーシップ」をまとめた。これは世代的な問題もあると思います。田中角栄はこう言っています。「戦争体験者がいるうちは大丈夫だ、しかし怖いのは戦争体験者がいなくなってからだ」と。小渕は戦争体験者ではないですよね。しかし、私も体験者ではないけれども、戦争体験者のにおいをかいでいます。やっぱり韓国に対する植民地支配の問題、中国に関する関係、アジアに対する関係については、これはまずいな、反省しなければいけないな、謙虚にならなくてはいけないなという気持ちはあったと思います。でも安倍の世代にはないですね。そういうところにあるのではないか。
それから、金丸信の「『つぐない』を歌います」ということですが、1965年の基本条約、請求権協定の賠償という問題はある意味で利権に絡むんです。金丸信には利権問題があったと思います。田中角栄だって日中共同声明で日中国交正常化をしました。あれも本当のところをいうと、非常にいいことを、反対を押し切ってやったけれども、彼が首相になったのは1972年7月です。日中国交正常化は9月です。彼は自民党の総裁選で福田赳夫と三木武夫、中曽根康弘と四者で争ったわけです。しかし決選投票は田中と福田になるだろう。そのときに田中角栄は、三木を味方に付ければ中曽根もついてくるだろう。多数派工作です。そのためには日中国交正常化を掲げたわけです。福田は台湾派です。田中は総裁選で勝つために日中国交正常化を掲げたわけです。
そして総裁選に勝つと、ちょっと気が薄れるわけです。「やっぱり無理だよ」という話をする。ところが公明党の竹入が中国に行って周恩来と話をしてきて、賠償請求を放棄すると。当時の中国は中ソ対立の中で、とにかくアメリカと日本と国交を正常化しなければいけないという背景があった。そこに田中角栄が乗ったわけです。もちろんそれに田中角栄が乗って押し切ったことは評価しなければいけない。田中角栄は周恩来に会ったときに「私は長い民間交流のレールの上に乗って、今日ようやくここに来ることができました」といった。長い民間の交流、LT貿易や遺骨送還運動とか戦前からの運動もある、そういう運動の上に乗って自分はここに来たということをいうわけです。それはそれで偉いと私は思います。
小泉だって、あの靖国参拝は総裁選で遺族会の票を橋本から取るために「私は8月15日に靖国神社に参拝します」といった。それまで1回も行ったことがなかった。それがそう言って勝った。しかしいくら何でも8月15日には行けないから8月13日に行く。そして中国、韓国から批判されると「小泉、負けるな」ということで中国、韓国に対して強い態度で出られる宰相ということになって「意外といける」と考えて、彼はずっと靖国を「売り物」にするわけです。彼は首相を辞めたあと一度も行っていないでしょ。三木は田中角栄が倒れたあとに椎名裁定で首相になる。あのときも三木は8月15日に靖国神社に参拝しますということで自民党の支持を取り付けた。つまり政権というのは、そういうかたちで政争の具として利用する。それはそれとしてあるわけです。
しかしそれをちゃんとしたものにするのはわれわれの運動の力です。花岡和解だってすっきりいったわけではない。鹿島は抵抗していたんです。他の企業に先駆けて自分のところだけやるというのは、どうしてもやれない。しかしそのときに土井さんが動いて、後藤田が動いて、そして石川六郎が動いて「君たち、何をやっているんだ」と現場の社長に対して言って、ようやく成立した。西松建設の和解も小沢一郎の献金問題で西松で社長交代が行われた。ワンマン社長が交代した、新しい西松建設として生まれ変わるにあたって毎年毎年株主総会で問題になっているこの問題を解決しようということで解決した。そのときに西松建設は他の企業からいろいろ文句を言われたけれども、最高裁の2017年の判決、日中共同声明によって裁判上の請求権はなくなりました。しかし被害の重大性を考えると、当事者間の自発的解決が望ましいという付言を付けた。この付言に基づいて解決したんです。「付言があったから」ということで、他の企業からの批判を免れることができた。このようにいろいろなことがあります。
三菱マテリアルの和解は何か。三菱マテリアルは国策に基づくものであるから、日本政府が和解するならこちらも和解しますよといっていた。ところがある事件を契機にして、日本政府が反対しないなら和解しますと変わった。日本政府は反対しなかった。変わる契機は中国で康健弁護士という人が中国の裁判所に提訴をしたことです。中国政府は強制連行、「慰安婦」、毒ガスの放置の問題、これについて適正な解決がなされるべきだという見解を述べていました。しかし国内で裁判を起こすことは一切許さない。弾圧していた。花岡も弾圧された。私も田中宏も新美隆も中国に渡航を拒否されたこともある。渡航を拒否されたんですよ、それまで「友好、友好」といってきたのに。「中国政府というのはこういう政府なのか」と思ったことがある。天皇訪中の頃です。
その中国政府が中国における裁判を受理したのはなぜか。2012年の石原慎太郎が尖閣の国有化問題で日中関係をがたがたにした。2013年の安倍の靖国参拝、これで中国政府が怒って、そして中国で提訴を受理したわけです。三菱マテリアルは大変だということで、政府が反対しなければ和解しますとなった。これが本当の話です。そんなきれいなものじゃない。
しかし和解の中味が進行していく中で、いまや西松建設は和解をして良かったといっている。和解は和解によって終わるのではなく、和解の事業を遂行する中で和解の中味をどんどん深めていく。そして本当に日中友好、日韓友好というものがつくられていく。和解によって終了するのではない。安倍政権は「慰安婦合意」で10億円出す、「もうお終いだろう」。そうじゃない。被害者たちの、あるいは被害者の遺族たちの気持ちにいかに寄り添っていくか、これが歴史問題の解決です。そして解決のチャンスはいろいろある。そのチャンスを捉えて解決できるかどうかは運動が継続しているかどうかです。チャンスがあったとしても運動が継続していなかったら解決できない。わずかなチャンスも捉まえて、解決する。そして変わっていく。西松建設の社長は高校の後輩です、あとでわかったけれどもね。彼は解決してよかったと言っている。
問:日本政府は「個人の請求権は消滅しないが、これに応ずる法律上の義務が消滅した」としているが、日本政府が請求を受け付けない根拠は何か。また3党合意で揉めたところが戦後45年の責任ということだが、どういうことなのか。
答:韓国の大法院の判決は全員一致ではなかったんですね。2人の裁判官は反対しました。大法院の判決は8人が植民地支配の問題については含まれていなかった、従って日韓基本条約には入っていなかった問題だという言い方をした。そして3人が植民地支配の問題は入っていた、しかし個人の請求権は放棄されていないという理由で請求を認めた。これが法廷意見になったわけです。残りの2人の反対意見は個人の請求権が放棄されていないという考え方はおかしい。その考え方は実は日本政府が自分の責任を免れるために言いだしたものだという理由を書いています。
日本政府はどういう段階で個人の請求権と国家の請求権を分けるようにしたかというと、最初に日本で戦争賠償の問題が起きたのはカナダの在外資産を持っていた日本人がサ条約で放棄されてしまった。これは自分の財産を日本政府が放棄することによって日本政府は賠償請求を免れた。これは個人の財産が公のために使われたのだから、日本国憲法29条3項によって賠償の義務があるという訴えを起こしました。そのときに日本政府は、戦争の被害は重大であって国民が等しく負わなければいけない、「みんな我慢しようよ」と言った。ここでは個人の請求権を認めていないわけです。そのあとに原爆訴訟-原爆の被害者が、原爆の投下は国際法違反だ。アメリカは賠償責任がある。しかしサ条約によって日本政府は放棄してしまっているとして日本政府に賠償請求を起こした。日本政府は、ここで初めて国家の請求権と個人の請求権を分けました。そして、これは個人の請求権を放棄したものではなく、外交保護権を放棄したものであって、みなさんはアメリカにいって裁判することはできるんですよという言い方をした。つまりここで日本政府は自分の責任を免れるために、個人の請求権と国家の請求権を分けたと私は見ています。
そして1965年の日韓基本条約、請求権協定でも、同じように日本人の資産も韓国で放棄してきています。しかも植民地支配の中で形成されてきたものですから、そのときにも同じような問題は起こり得るということで、個人の賠償請求権は放棄していないとうことを外務省は一貫して言ってきた。しかし個人の請求権を放棄していないんだけれども、日本国内においては「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定第二条の実施に伴う大韓民国等の財産権に対する措置に関する法律」(法144条)というものをつくって、日本国内では裁判はできないようにしてしまった。この関係についてよくわからないという質問ですけれども、これはわたしもよくわからない。日本政府がそういう法律を作ったことについて、当時十分に日本社会で認識されていて、その問題について議論があったかどうかわたしは良くわからない。「法144条」が韓国における裁判について拘束するものではないことは当然です。日本の法律ですから。日本政府は国際法違反と言っているけれども、国際法のどこに違反しているのか。1965年請求権協定に違反しているとしか言っていないわけですから、国際法で問題があった場合に日本政府の見解がいいかどうかは非常に危ういという意見が非常に強くあります。首をかしげていらっしゃいますけれども、日本政府の言っていることは首をかしげることなんです。
それから3党合意について、戦後45年間日本政府が北朝鮮に対して向き合って国交正常化に努力しないで敵対行動をしてきたということについての賠償という意味なんですね。当時は拉致問題などは明らかになっていなかったですからね。

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