私と憲法232号(2020年8月25日号)


安倍改憲阻止と安倍政権打倒・政治の変革のために

かたくなに「加害責任」の言及拒否

昨今の安倍政権の危機は、安倍晋三首相個人の健康問題が主たる側面ではない。安倍政権の危機は、この間の新型コロナ感染症対策の失敗や、森・カケ・黒川などの疑惑、与党と霞ヶ関の腐敗、そして安倍自身が最大の政治課題にしてきた改憲の困難などの安倍政治の失敗が招いた危機だ。

コロナ禍が猛威を振るう中で行われた今年8月15日の「戦没者追悼式」での安倍晋三首相の「式辞」は異例だった。「改憲」とか、「敵基地攻撃能力の保有」とかの言葉が飛び交う昨今の安倍政治の下で、第2次安倍政権以来、必ず言及してきたアジア諸国への加害責任の問題、「歴史と向き合う」という用語を「式辞」から削除した。そして「積極的平和主義の旗の下、国際社会と手を携えながら、世界が直面しているさまざまな課題の解決に、これまで以上に役割を果たす決意」を表明し、これまでの式辞では使わなかった「積極的平和主義」という用語を導入した。そして、第1次安倍政権の2007年の式辞にはあって、その後は消えてしまった「とりわけアジア諸国の人びとに対して多大な損害と苦痛を与え」「深い反省」という表現は今年も盛り込まれなかった。

戦後75年にあたる今回の「式辞」で日本の「戦争の歴史」とアジア諸国に対する「加害責任」に言及しなかった安倍首相の罪は重大だ。日本帝国主義が引き起こした「15年戦争」はアジア太平洋諸国の2100万人におよぶ人びとと国内310万人の犠牲者を生み出した。この歴史の教訓は幾度振り返っても十分すぎることはない。しかし、安倍首相は2015年の「戦後70年談話」で「子どもたちに謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」などと述べて、加害の歴史の確認に終止符を打とうとした。この安倍談話は日本と東アジアの子どもたちの将来にわたる共生と友好を破壊するものだ。

加えて、その前年、2014年1月の施政方針演説で安倍首相は「積極的平和主義」という言葉をはじめて使用した。これは翌年に強行した「戦争法」に向けて、憲法第9条に関する従来の歴代政権の解釈を変えて、集団的自衛権行使の合憲解釈に踏み切るために使われた言葉だ。以来、安倍首相は彼の安保・防衛政策の強化、「戦争のできる国づくり」の修飾語にこの「積極的平和主義」を乱用してきた。

2015年8月、来日した平和学の第一人者で、「積極的平和」の提唱者であるノルウェーのヨハン・ガルトゥング博士はこの安倍政権のスローガンである「積極的平和主義」について「言葉の乱用だ」と指摘した。ガルトゥング氏は単に戦争のない状態を「消極的平和」、貧困や差別といった構造的な暴力がない状態を「積極的平和」と規和とは一切関係ありません」と批判した。安倍首相の「積極的平和主義」は朝鮮や中国を仮想敵とした日米軍事同盟の強化と「戦争のできる国づくり」を意味している。これを今回の「式辞」に敢えてはじめて盛り込んだことの危険性は黙過できない。

「敵基地攻撃能力」保有の暴論・暴挙

自民党は8月4日、「国民を守るための抑止力向上に関する提言」を政府に提出した。このところ、自民党などの中で急速に浮上してきた「敵基地攻撃能力の保有」について、政府が早急に結論を出すことを求めたものだ。

この「提言」では世論の批判を考慮して、直裁的に「敵基地攻撃(反撃)能力」という言葉の使用は避けたが、その「保有」への踏み切りを強力に促した。

安倍政権はこれを近く「国家安全保障会議」(NSC)などの議論に反映させ、9月中にも一定の方向性を出し、従来安倍内閣が策定した外交・安保の長期方針「国家安全保障戦略」の改定や防衛大綱の改定、2021年度予算の概算要求作成に反映させようとしている。

この日本政府の動きは東アジアの軍事的緊張をいっそう激化させる、極めて危険なものであり、日本国憲法の平和主義に真っ向から反するものだ。これは必然的に中国、朝鮮、韓国などの東アジア諸国からの反発を招き、これらの諸国の軍事力強化をすすめ、東アジアの軍事的緊張を激化させるのは不可避だ。

 この敵基地攻撃能力の保有論は、米国トランプ政権に押し付けられた「イージス・アショア」の配備計画が、秋田や山口などの当該県民を始めとした反対運動と、計画そのもののずさんさの露呈で破綻し、断念に追い込まれたことに代わって、自民党内で急速に浮上してきた。従来の専守防衛論にもとづく「飛来するミサイルの迎撃」にとどまらず、「相手領域内でも弾道ミサイルを阻止する」ということは、国連すら禁じている「先制攻撃」そのものだ。国連憲章51条は「武力攻撃にたいする自衛反撃」以外の「武力の行使」を禁止することで「先制攻撃」を禁じている。

しかし「提言」はこの保有の必要性は「迎撃だけでは防御しきれない恐れがある」と指摘する。この考え方は日本に向けて発射されたミサイルを撃ち落とすという自衛隊の従来の戦略とは異なり、直接に「敵基地」あるいは「相手領域」を攻撃するという戦略だ。実際のところ、ミサイルが発射されて空白になった敵基地を攻撃することには、なんらの軍事的意味はない。だから「先制攻撃」によりミサイルが敵基地にあるうちに攻撃しなくては「阻止」にならないということになる。

これまで日本政府は憲法解釈上、自衛隊の役割を「専守防衛」に限定し、日米安保条約における分担は、自衛隊が防衛のための「盾」となり、在日米軍は攻撃の「矛」の役割を担うとしてきた。今回の提言の考え方はこの専守防衛と日米安保体制の重大な転換で、日米両軍が肩を並べて戦う「攻守同盟化」だ。

これを可能にするためには、米国の「統合防空ミサイル防衛」計画などと連携しながら、従来は「専守防衛を逸脱する」ので、保有できないとしていた戦略爆撃機、航空母艦、弾道ミサイルなどの敵基地攻撃を可能にする兵器・武器の導入が必要になる。すでに莫大な防衛予算を投入して、長射程巡航ミサイル「トマホーク」の導入が検討され、いずも型「護衛艦」の空母化とF35B戦闘機の搭載が進められるなど、米国からの兵器の爆買いが検討され、米国と連携した「衛星群」の活用や自衛隊での宇宙軍の創設などが進められつつある。

安倍改憲の行き詰まり

第1次安倍内閣(2006年)、第2次安倍内閣(2012年)で、安倍首相は「戦後レジームからの脱却」(日本国憲法体制の否定)、「戦争のできる国」を目指して「任期中の改憲」(総裁任期の延長・3選も実施した)に向けた努力を強めてきた。この過程では2012年の自民党改憲草案の棚上げから、2017年の9条加憲案(のちに自民党4項目改憲案たたき台となる)への転換も進めた。

しかし、今日、この安倍改憲は2つの面で行き詰まった。

第1は、任期中の改憲、2021年9月の安倍任期中の改憲の達成は、日程的にほぼ不可能になったことだ。この改憲日程の大幅な遅れは、国会外の世論と国会内の立憲野党の抵抗の結果だ。

通常国会閉会日の翌日、6月18日、記者会見で安倍首相が語った改憲工程表(21年9月までに国民投票)の実現ははたして可能だろうか。

国民投票は「改憲手続法」の規定で発議から60~180日の間に実施しなければならない。この憲法の下での初めての、しかも「9条」などこの憲法の根幹にかかわる問題の改憲を最短の2か月でやることはほとんど考えられないが、仮にそうだとしても、秋の臨時国会で2年半ももめてきた改憲手続法の問題に決着をつけ、6月の通常国会会期末には改憲の発議が必要になる。これは「強行採決」に次ぐ「強行採決」でなくては不可能なものだ。このような国会運営の「荒業」がやれるものかどうか、考えてみたらいい。そして、その社会的動乱を招くこと必定の「荒業」の後には改憲案に対する是非を問う国民投票が控えているのだ。

一方、残された国会は秋の臨時国会と2021年の通常国会しかない。史上空前のコロナ禍のなか、日本経済は大恐慌状態になる一方、この期間に解散・総選挙が必ず行われること、くわえて安倍首相が公約するとおりであるとすれば東京五輪が行われる。この日程のなかで国会で憲法改正の議論をすすめ、実現するのはほとんど不可能だ。

第2は、憲法96条が規定する改憲発議のための議席数、「各議院の総議員の3分の2以上の支持」を確保できるかどうかの問題だ。2019年の参院選の結果、改憲賛成派は3分の2を割った。今回の玉木新党が参院でどれだけ議員を確保するかの問題と、玉木新党が安倍改憲に賛成するかどうか、維新と前原らの改憲賛成派が成立するか、などの問題が新たに生じており、不確定要素がある。

遅くとも2021年には行われる衆院選で、立憲野党が3分の1以上を獲得するなら、改憲は不可能になる。

このところ(8月)、安倍内閣の支持率は一般的に右派系とみられるメディアの世論調査でも軒並み低落傾向を示している。時事通信は支持率32.7%(前月比-2.0%)、不支持率48.6%(+2.0)、読売新聞は支持率37%(-2%)、不支持率54%(+2%)、NHKは支持率43%(-2%)、不支持率47(+2%)だった。この中で改憲派が総議員数の3分の2を確保するのは容易ではない。

安倍晋三政権の危機を安倍内閣の打倒へ

安倍改憲を実現するためには、第1に、安倍首相の下で次期総選挙での自民党が圧勝し、それによって野党の共同の分断を謀り、改憲派を参議院でも衆議院でも3分の2を超える勢力にする政治再編ができるかどうか。

第2には、安倍政権の岩盤支持層である「日本会議」などの安倍不信や離反の恐れを回避することだ。この極右派はこの間、安倍政権に期待を賭けてきたが、現実には第2次政権以降の安倍政権の内外政策はことごとく失敗し、右派のなかでは安倍不信・不満が増大している。

8月15日、靖国神社で集会を開いた櫻井よしこや日本会議などは「国会での憲法論議の活性化」などを求める声明を決議し、「コロナ対策では憲法上の制約のため、(休業などの)要請だけで強制ができないなど様々な齟齬(そご)が生じている。緊急事態条項を憲法の中に明記することを切望したい」などと強調した。

明文改憲が失敗しても、この勢力の支持をつなぎとめるためには、専守防衛戦略からの脱却と日米安保の変質と日米攻守同盟体制の構築、敵基地攻撃能力保有など、実質的な改憲を極限まで進める必要がある。先に述べた現在の敵基地攻撃能力の保有論の台頭はこのためだ。

この安倍政権の最後のあがきを阻止するためには、安倍改憲反対、安倍退陣へ、市民運動による広範な世論の形成と、総選挙での勝利を実現しなくてはならない。 
(事務局・高田健)

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第145回市民憲法講座 安倍首相が企てる国家安保戦略の改定と自衛隊

報告:星野正樹(事務局)        

(編集部註)7月18日の講座で半田滋さん(防衛ジャーナリスト・ 元東京新聞論説兼編集委員)に講演いただきました。今回は講師の要望で講演内容の全体を紹介しないこととなりましたので、以下に概要を報告いたします。

地元から波状的な配備反対行動

今回の講師は半田滋さん。東京新聞で健筆をふるわれてきた記者としておなじみだが、現在は「防衛ジャーナリスト」として取材活動を継続している。

半田さんは「『土台のない家』の補強論」を切り口にコロナ禍の裏で安倍政権が進めている重大な問題について豊富な取材に基づいた事実によって歯切れ良く解説してくれた。

日本のミサイル防衛システムは敵ミサイルに対して海上のイージス護衛艦で迎撃を試みて、そこでもし撃ち洩らしたらPAC3で撃ち落とすというもので、イージス・アショアはこのイージス艦と同じ役割をするものとして地上に配備するものであり、2台あれば日本全体をカバーできる。海上に置くよりも攻撃される危険もなく、また発射推進装置(ブースター)は「遠隔装置などで安全に演習場内に落下させる」ことで自衛隊員や住民は安全だと言い続けてきた。

しかし6月15日に河野防衛大臣はイージス・アショア配備について突如「ブースターを演習場内に落下させるにはソフトウェアの改修だけでなくミサイル本体の改修が必要、コストと時期を考え配備のプロセスを停止する」と事実上配備の断念を発表した。

配備の候補地になっていた萩市むつみ演習場の正面にある阿武町の半径3キロ以内には民家や小学校、診療所、道の駅(阿武町は道の駅を最初に設置した町おこしに積極的な自治体だということ)などの生活圏があり、さらには宇宙空間まで飛んでいったミサイルを探知できるような強力な電磁波を長時間浴び続けることによって、近隣の人々にがんや白血病、うつ病などを発症するとの研究データもあるということで、そもそも配備場所についても大変な問題があったということがあらためてわかった。町長、町議会、住民がそろって反対する中、防衛省が説明会を開いた際に「ブースターは絶対落ちないのか」という住民の質問に対して、「なるべく落とさないようにする」と言ったという話にはあきれてしまった。

もうひとつの候補地の秋田では、昨年の参院選で「配備反対」を訴えた新人の野党統一候補が現職を破って当選したことなどで県民世論が盛り上がり、配備の再検討の流れがつくられたということだ。逆に山口では政治家の態度がまったく違っていて、知事が防衛省の仲介でハワイにあるイージス・アショアの施設を視察した際、「周辺住民への被害は確認されていないので安心した」と発言したという。しかしこの施設周辺はアメリカ軍が買い上げていて、民家などはないという環境だった。周辺に生活圏がある萩市とはまったく異なる環境を視察することに何の意味があるのか。結局知事や市長といった地元政治家らが、防衛省に足元をみられていたことが大きな理由ではないかということだった。秋田のように野党統一候補の勝利がイージス・アショア配備中止につながったということは、市民運動の大切な財産ではないだろうか。

またハワイやルーマニア、ポーランドにあるイージス・アショア、韓国にあるTHAADの施設はアメリカ軍が買って置いているということで、本格的なミサイル防衛システムをアメリカから買って置いているのは世界で日本だけだということも、日米のいびつな関係をあらわしていると思った。

安倍・トランプ会談で電撃的に導入決定

2017年にイージス・アショア導入が閣議決定されたときには、すでに日本はイージス艦を4隻から8隻にする体制が完成しようとする時期だった。なぜこの時期にイージス・アショアの導入だったのか。イージス・アショアは米国に支払う初期投資だけで4,664億円。迎撃ミサイルの購入費を含めると8000億円以上になるということで、アメリカにとってはまさに「金のなる木」であり、毎年収益が上がる仕組みとなっている。また導入の経緯は2017年2月に、安倍首相がトランプ大統領に会いアメリカの武器を大量に買うことを表明して以降、自民党と防衛官僚の二人三脚で、電光石火で決定された。

ここからわかるのはどこにも防衛省の意志は入っていないということだ。陸海空の自衛隊はどこもイージス・アショアが必要とは言っていないにもかかわらず、安倍首相がぶち上げて自民党と防衛官僚が示し合わせて買うことを決め、まわりまわって結局陸上自衛隊が担当することになったということでしかないという。「導入ありき」の総理の発言のつじつま合わせのために現場の人間が右往左往するという安倍政治の特徴、「森友問題」と似たようなことがここでも起こっていたということだったのではないか。

その他、安倍政権が「爆買い」したF35戦闘機、オスプレイ、グローバルホークなど米政府への「兵器ローン」は、2020年度時点で残高総額5兆4210億円にも上る。イージス・アショアについては2018年度防衛費で基本設計などに7億円を投入し、2019年度防衛費ではイージス・アショア2基の取得費などに1757億円。さらに2019年には米政府に1399億円の支払い契約をしていて、すでに196億円を支払い済みだということだ。今回の「停止」でこの196億円は返ってくるのかというと、半田さんの取材では「この196億円で、今までアメリカがイージス・アショアで使っていたレーダーを日本のために新しくする」ことを理由に返ってこない。残りの約1500億円も常識的には戻らないだろうということだった。

なぜ辺野古は強行するのか

今回のイージス・アショア断念は「コストと期間が見合わない」ことが理由だった。では沖縄はどうか。これまで4回の国政選挙、住民投票により、沖縄県民は辺野古新基地建設に明確にNOといっているのに、政府は「唯一の選択肢」との立場を変えていない。

しかし軟弱地盤に砂の杭を7万1000本打ち込む工事の追加などにより、工費は当初の3500億円から9300億円へと約3倍に膨張する一方、工期も延長されて12年もかかることになった。イージス・アショア(追加で2200億円の改修費と12年の期間が必要)よりも損害が大きいのになぜ辺野古は強行するのか。沖縄に対する差別、アメリカの要求を断れない日本の政治・外交の弱さがここでもあらわになっている。

「敵基地攻撃能力」などは不可能だ

「北朝鮮の核に対応するため」として導入が決められたイージス・アショアの断念に変わって、急浮上してきた「敵基地攻撃能力」。これがいかに不可能なのか。北朝鮮が保有する日本を射程に捉えているミサイルは少なくとも200基あるが、もし「敵基地攻撃」により破壊するなら200基すべてを破壊しなければならない(1基でも撃ち洩らしてそこから核ミサイル攻撃をされたら大きな被害を受けてしまう)。さらに北朝鮮は、2014年以降発射する場所を転々と変えているため、目標を定めることが難しく、東倉里など中国国境に近い基地を攻撃することで中国との緊張も生まれる可能性もある。イラク戦争時のアメリカ・イギリス軍はイラク軍が保有していた約80台のミサイル発射機46台を空爆で破壊したが、制空権を持っていなかったにもかかわらずイラク軍は米英軍に対して18発の弾道ミサイルと4発の巡航ミサイルを発射している。米軍をもってしてもイラクのすべての発射機を破壊できなかったことを考えると、より多くの発射機を持ち、制空権も握っている北朝鮮に、敵基地攻撃などできるはずがないと考えるのが自然である。また敵基地攻撃に欠かせない情報に関しては、日本は情報収集衛星による画像情報はあるが、静止画しか撮影できないので、ミサイル発射機の現在位置を掌握することは困難である。また国交がない北朝鮮からは、敵基地攻撃に必要な情報は得られないこともほぼ確定しているといっていいとのことで、運用面からは敵基地攻撃などは不可能だというのが半田さんのお話だった。

法理面、財政面ともに非現実的な敵基地攻撃

現在、日本は攻撃的兵器体系になっていないということになっていたが、実はそうではなく、戦闘機の航続距離を伸ばすための空中給油機などをすでに持っている。それはあくまでも「日本防衛」の建て前であったが、それで「敵基地攻撃」ができないかといえば、当然「できる」。これまでは「他に手段がないと認められる限り」、敵基地攻撃は法理的には自衛の範囲に含まれるという政府見解があった。しかし安保条約5条により、アメリカは日本の防衛義務を負っている。つまり「米軍の攻撃」という「他の手段」があることで、日本が敵基地攻撃はできないことになる。

そこで仮に、「他に手段がないと認められる限り」を削除してしまったらどうなるか。「自衛」のための攻撃ではなくなり単なる先制攻撃になってしまい、憲法や国連憲章、安保条約上の問題になる。従って法理的にも敵基地攻撃は不可能だ。また「攻撃の着手があれば攻撃して構わない」としているが、何をもって「攻撃の着手」というのか、攻撃の意図があったかどうかの判断も極めて難しい。アメリカからさらにミサイルなどを買うとなれば、財政的な負担も耐えられなくなるだろう。以上の運用面、法理面、財政面すべてにおいて、敵基地攻撃は非現実的であるということが結論ではあった。しかし半田さんは「今後一定程度の敵基地攻撃能力を持つという話になるのではないか」との危惧があるという。すでに持っている兵器や攻撃能力を、これからは「自衛反撃能力」という名称のもとで前面に出し、これまでのミサイル防衛の「拒否的抑止」とは別に、「懲罰的抑止」という概念を持ってきて「抑止の使い分け」をしてくるかもしれない。

配備断念を逆手にとって本格的に戦える自衛隊へ

アメリカとの関係で言えば、今後はイランに対する攻撃の可能性がある。もし日本が敵基地攻撃能力を持てば、第2のイギリス軍になってしまうのではないか。すでに日本はアメリカと共に戦争のできる体制はつくられている。もし再選を果たしたトランプがイランに対する攻撃を決意したときに、自衛隊が本格的な攻撃参加する危険性が出てくるだろう。敵基地攻撃能力保有は、イージス・アショアの見返りを装っているけれども、実は攻撃能力を持つ、戦える自衛隊に変えていく野望の一歩として捕らえる視点が必要だろう。イージス・アショア配備断念を逆手にとって「戦争のできる国に」本格的につくり変えていくことを目指しているのではないか。安倍政権の力が落ちて現実的に憲法改正が難しくなってきたいま、憲法改正をしなくても安保法制をもとに敵基地攻撃能力を持つことによって、自衛隊が変容していくという現実にどう対峙していくのか、ここが大変重要だということだった。

先日、自民党が政府に提出した提言では、「相手領域内でも弾道ミサイル等を阻止する能力」という表現で、事実上の「敵基地攻撃能力」の保有を求めた。それに対して安倍首相は「速やかに実行する」と述べたという。「専守防衛」の理念すら飛び越え日本の安全保障政策の大転換になるようなことを断じて許すわけにはいかない。これからはこの問題に対する大きな運動が必要になってくるだろうと認識できる講座だった。

年末改定の防衛大綱にも注目

国家安全保障戦略とは2013年に安倍政権が閣議決定したもので、アメリカと同じものを猿真似でつくった。「積極的平和主義の立場から、~国際社会の平和と安定及び繁栄の確保に、これまで以上に積極的に寄与していく」ことを核心としている。この国家安全保障戦略の中の「我が国がとるべき国家安全保障上の戦略的アプローチ」「日米同盟の強化」に、現在のイージス・アショア配備につながる弾道ミサイル防衛に触れている部分がすでにある。2013年時点では、1957年に岸内閣が定めた「国防の基本方針」で、長らく国連中心主義、国情に応じた自衛隊の増強、米国との安全保障体制を基調としていた。国家安全保障戦略はこれを大きくかえるものだったが、安保戦略の大事なところは5年に1回改定する防衛計画の大綱が大事で、今年は改定する年なのでここにも注視しなければならない。

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中村哲くんのこと

2020/04/30  斎藤竜太(憲法九条やまとの会事務局長・医師) 

「中村哲くんのこと」を断片的であるとはいえ、書き記しておこうという気になった。それは、かつて、学園闘争で共に行動したことがあったこと、理想的とみえる対外支援の壮大な仕事に心血を注いで闘い続けたことに尊敬の念をもったこと、さらに、この国の焦眉の課題(改憲反対)で共通の意思を持ったからである。そして、「万が一」を案じていたとはいえ、突然の暗殺に衝撃を受けた。

本稿は、2019年12月23日の神奈川県大和市で行った追悼集会でのわたしの挨拶を受けたもの(『労働者住民医療』345号の稿)に、さらに加筆訂正したものである。


葬式に駆け付けたときにはすでに最後列で、前方の中村君の遺影が見え隠れするだけであった。代表の方々の追悼の辞とご家族の挨拶を、かすかに聞こえてくる音楽を耳にしながらメモを取った。ほぼ献花が終わり、私も献花を済ませた。ご家族と葬儀委員長にご挨拶をして会場を出ようとした、と後方から呼び止める声があり、会場にとどまった。代表の方々を拝見すると、その中に、M君、K君、呼び止めてくれたT君、そして、会場の外で会ったJ君も「68年学園闘争」(「紛争」ではない)時の「闘う仲間」ではないか。「君」「君」などと「先輩顔」と聞こえるかもしれない、が、皆わたしより年下であるというより、50年前の同じ闘いの仲間であることがそうするのである。

「闘い」なら、哲夫人もある。年中留守をする中村君がご子息に向かって、まるで、「母子家庭だね」と言い「お母さんをよろしく」と頼んだという。万が一を覚悟でアフガンで闘っている中村君に応えて、夫人は国内で闘っていた。同志なのだ。夫人の闘いを忘れることはできない。

代表の一人に、牧師さんがおられた。中村君が西南中学時代に同氏の教会に通ってきた時のことだという。「将来物書きになりたい」と話していたが、しばらくして「医者になっても物は書ける」と軌道修正した。正解と言うべきか。伯父火野葦平の影響を受けたのであろうか。中村君の父君は当時、全協(日本労働組合全国協議会)の活動家だったばかりでなく、同地方の文学集団の同人でもあったというから、それらの影響が彼の中に同居してもいたのであろう。文章は分かりやすく、自然で、ゆったりと感じさせ、ユーモアもある。

牧師さんは葬送に讃美歌を歌った。初めて聞く歌であった。「234番」なのだ、と後で聞いた。聞こえてくる背景の幽かなメロディーが気になっていた。ご家族の要望で流されたとのことであった。アフガニスタンの現地にオーディオを持ち込んだというほどだから中村君が特に好んで聞いた曲なのであろう。お忙しいのを承知の上で敢えてペシャワール会事務局に問い合わせたところ

ご親切に曲目のリストを送ってくださった。モーツアルトがありバッハがある。新しいものでは、辻井伸行の「神様のカルテ」、Libera のFar AwayとSanctus が載っている。現代の讃美歌とでも言いうるのだろうか。ライプツィッヒのトーマス教会少年合唱団(Thomanerchor)を聴いた時代を引き寄せる。中村君の「傾向的好み」がみえる。


医学部時代のことをちょっと振り返る。医学部4年間はほとんど運動の連続であった。中村君は2年間の教養部を終えて医学部の1年となったのが1968年である。わたしは外から68年に編入してきた。年の差は大きい。中村君が暗殺されたのが73歳、生きている小生は80歳。わたしは彼を「中村」とか「中村君」と呼び、中村君はわたしを「さいとうさん」と呼んだ「事情」は触れた。1学年100人ほどのうち女性は6人。3、4人は集会や読書会などに参加していたように思う。

1968年学園闘争(68~72)は、世界的な動きの一環であった。この国では、大学、学部で運動の起こり方、進め(み)方、結果は多様であった。医学部・医科大学に進む学生は、医師になる道はあらかじめほぼ決まっている。そのことは、何と言っても、この国の中で生活が保障されることによる保守性を背負うことにもなった。それにもかかわらず、そして、闘争は医学部から始まることが多いようだ。それは、医学部-附属病院では、教授を頂点とした医局講座制のピラミッドのもとで、人権の軽視・無視、差別と腐敗があまりにも深刻だからだ。

68年1月には、早速エンプラ闘争があった。米国の原子力空母エンタープライズが2隻のミサイル巡洋艦を伴った長崎県佐世保入港を阻止する闘争である。中村君は教養部自治会役員として積極的にこの闘いに参加した。これが米軍と対峙した初めであった、と回想している。東京や他の地方からの学生集団が教養部を「出撃基地」にしようとしていたらしい。中村君の教養部時代の同級の友人によると、当時、「ベトナム戦争に関する本」(書名不詳)、朴慶植の『朝鮮人強制連行の記録』、フランクルの『夜と霧』の3冊の学習会をやろうと、話をしていたという。若者のまじめで真っ当な反応である。彼は、炭鉱に強制連行され非道で過酷な労働を強いられた朝鮮人たちのことを身近に知りうる環境にあった。

続いて、同じ年の6月2日には、米軍ジェット戦闘機ファントムが建設中の九大電算センターに激突炎上した。すでに長年、ベトナム侵略に米軍板付基地(現福岡空港)から飛び立ちまた帰投する米軍機は、大学上空を低空で飛来し、爆音によって授業や研究を妨害し落下物の危険を放置してきた。

医学部学生自治会は、板付基地撤去・ベトナム侵略戦争反対などの政治的スローガンとともに、医学部内部の問題として、生体解剖事件・軍人総長など、かつての恥ずべき歴史を振り返える一方、内科学教授の捏造論文、病理学教授名著作の外国テキストからの剽窃、三池炭鉱労災を「組合原性疾患」と暴言する衛生学教授、博多市民が被る爆音の人身影響調査を福岡防衛施設局へ密に報告していた医局などを、青医連(青年医師連合)、若手・中堅医師の協力をも得て暴露批判した。青医連の「医局講座制解体」を支持し相互に協力した。政治問題と自浄意志のない教授会主流の欺瞞と腐敗を含む学内問題の二つが学生自治会とストライキ実行委員会の対象となった。

運動は、上記のような政治的動きと、産学共同の進行する中で、自己の研究の否定的影響の有無を問わない「研究信仰」研究者、ひたすら「授業盲信」学生、学生~同窓会右翼・「卒業心配」親との論戦・説得であり、行動(教授会との団交を含むストライキ)でもあった。医者になるはずの自分自身に問う内的設問でもあった。「いかなる医者になるべきか」「何のための研究か、誰のための医療か」が自問されるクラス討論、学生大会の議論ともなった。この闘いには、教官・研究者の一部も独自の立場から参加した。これは、「50年前の話」などではなく今の問題でもあり続ける。年月は腐蝕作用をも持つ。社会的保守性がものをいう。

医学部自治会は、クラス討論ばかりでなく、学生大会での執行部提案に反対する(派の)意見を妨害することはなく発言を完全に保証した。自治会規約のとおり議事を取った。8か月に及ぶ(無期限)ストライキの解除はスト権維持を条件に執行部案が学生大会決定となった。様々ありえたであろうが、当時の状況の中での、運動のひとつの行き方ではあった。中村君は、ここでも学生自治会の一員として闘った。その中でも、彼は静かであまり目立つ言動を示すタイプではなかった。どの写真を見たのか、宮沢賢治がやや俯きかげんに歩く姿に似た風にキャンパスを歩いていたのが思い出される。ただ、闘いが長引く中で姿を見なくなった。「山に行ったのじゃないか」との憶測もあった。このあたりのことは、『天、共にあり』の一節が答えているのであろうか。ただここでは立ち入らない。闘いの中でも、生きる中でも、あれこれの「エピソ-ド」はあるであろう。


10数年前になる。九州でのある集会のあと、リラックスした雰囲気の中であった。中村君は、医学部闘争について「あれは若気の至りだったね」と言った。末尾の「ね」は「ですね」だったか、無かったか、不確かである。反射的に「いや、そうとは言えないだろう」とわたしは答えた。話はそれで終わったが、それより前、運動が収束してしばらくして『九大医報』誌上で、大学・医学部闘争のもった積極的意義と弱点と思うことについて私は自分の考えを述べていた。付け加えると、同時多発テロの直後、平成13年10月10日付で『医者井戸を掘る』に添えた書状で「斎藤先生・・・まるで日本中が狂ってしまったようですが、正気を代表して頑張りましょう」とある。ゆっくり意見の交換ができたら、とは、今となっては空しい。

 同じ時期の別の場だったと思う、二人だけになった時だ。彼のご子息が九大脳外科に入院していたことがあった。その時の主治医(?)が、ごく初歩的だが重大なミスを犯して、命にかかわる事態となった。中村君はわたしに、その医者を「ぶん殴った」と言った。その語気と表情はむしろ明るさに属するもので、反省の含みをあまり感じさせるものではなかった。「やっちまった」のだ。私は「もっともだ」と思い「そりゃよくやったなー!」と言ってその行為に完全に同意した。このエピソードを後になって2020年2月1日、東京・練馬区議会議員の池尻成二さんたちが催した「中村哲先生をしのぶ会」でスピーチされたS女史に、会のあとのホワイエで「中村君も激しいところがあるんですよ」とその話をした。S女史は、一瞬黙して「…あたし、それ、いやだわ」と「反応」された。当惑したように見えた。現地での「非暴力が当方の絶対的方針である」ことを示した例の一つ=PMS診療所への襲撃に対する報復応戦を引き止めた間一髪の危機的例を知っているはずの女史にとって想像もできなかったのであろうか。彼(主治医?)に対するこのエピソードは、医局(彼を含む医局)に対する痛烈な批判でもあって、さらに、中村君の人間が、そうしたのだと、わたしは思っている。


1968年学園闘争が「収束」した後、いささか大袈裟に、少なからず「野に下った」と先に述べた。中村君は良い「野」に下ったとおもう。先ず、吉野ケ里遺跡の近くにある国立肥前療養所では現場の精神医学を学んだであろう。ヤスパースはここで読んだのであろうか。続いて、大牟田労災病院勤務である。ここは、1963年11月の、敗戦後最悪の労災事件となった三井三池炭鉱の炭塵爆発事故で、夥しい数の死者(458人)とCO中毒後遺症患者(839人)を出した地域である。中村君はCO中毒後遺症患者に接したに違いないし、塵肺患者を診たかもしれない。さらに、「水俣病」「CO中毒」の原田正純先生に会っていたかもしれない。大牟田は炭鉱の町であった。八女脳神経外科病院では「メスさばき」を学んだであろう。中村君は、「医者であることが自分を現地に結び付けた」と回想している。そして、さらに「百の診療所より一本の用水路を!」へと。
壮大なその後の仕事の詳細は、彼の著作・報告・動画のなかに示されている。


今から20数年前(1995‐1996年頃)になる。それは、12月23日の追悼の拙文の中に述べたとうりである。所要で成田空港に在って奇遇となったときの彼の印象を付け足すとこうだ。顔は日に焼け、鼻の下に髭を蓄え、厚いくちびるの間から、低くゆっくりとつとつと発音した。学生時代とさほど変わらない「訥弁」は、危険を伴う長く厳しい実践に裏付けられたに違いないが故の「雄弁」となってわたしを説得した。小柄ではあるが農民でもあり肉体労働者でもある風が診えた。顔の皮膚がやや厚く変わり、そのため皺がこころもち太く深い。わたしは、子どものころ岩手の寒村・農村地帯で育ち、横浜に出て港湾労働者の健診と医療に関わってきたので、それが分かるのである。中村君の過酷な仕事がそうさせたのであろう。空港でのことを一つ加えると、せっかくだから何か軽く食べようかと誘うと、いやコーヒーで十分だと言う。彼は、じつに美味そうに一杯をすすった。コーヒー党だなと診たが、かれの奢ることを避ける生活スタイルなのでもあろう。


中村君は、今度は、国内権力側と国会で対峙することとなった。彼は自分を「政治音痴」だと紹介して相手の気を抜きながら、かれらの「世界音痴」と蒙昧に一撃を加えた。経過を見る。9.11の同時多発テロが実行された。米大統領ブッシュは報復宣言を発した。緊張が走った。直後の9月26日、タイムリーにも衆議院議員会館で中村報告会が行われた。当時の社民党衆院議員阿部知子さんの企画だった。10月7日にはブッシュ政権を頭に「有志連合」のアフガン爆撃が始まった。10月13日には、衆院テロ対策特別委員会が開かれた。此処に中村君が参考人として出席した。彼は、ブッシュ追随派の面前で、「現地の実情も知らずに、密室の中で観念的な議論」ばかりしているのではないかと、「偽らざる感想」を述べ、自衛隊派遣などは「有害無益でございます」と、じつに丁寧に一喝した。

さらに、そのわずか一か月後の11月17日に、労働者住民医療機関連絡会議(労住医連)と東京労動安全衛生センターの共催の求めに応え、東京永田町の社会文化会館での講演会となった。わずか一か月の準備にもかかわらず、会場に入りきれず壇上まで「占拠」する1200名で埋まった。中村君の講演を都内で一般向けに行ったのは、われわれ(労住医連)が初めてであったという。

由来、中村君は、憲法9条改悪に反対し、憲法は日本の金字塔だと話し、憲法は実行しなければならないと主張し続けてきた。


中村君の好んだ音楽のことは、ちょっとばかり触れた。もう一つ、彼の読書、傾倒した思想家について『天、共に在り』では、内村鑑三、宮沢賢治、西田幾多郎、カール・バルト、ビクトール・フランクルそしてヤスパースを挙げている。旧約聖書の伝道者の言葉と般若心経を比べている。論語にも触れている。わたしはといえば、内村鑑三は「後世への遺物」を読んだだけだ。宮沢賢治は国粋主義者田中智学や満州事変の首謀者石原莞爾との繋がりがあり、その文学も「気になる」ところである。バルトは読んだことはない。ニーメラーとともに「告白教会」を結成してナチスに抵抗したことをドイツ史で知っている程度である。フランクルは『夜と霧』一冊だけだ。ヤスパースは『精神病理学原論』を「読んだ」くらいである。「読書百篇…」ではない。般若心経といえば「ガキ」時代に「ガキ」友と一緒に「ショーネンショージョソクネハン」(少年少女即涅槃)と叫んで走り回ったのを思い出す。あとは声の良い和尚さんが念ずる修証義の「歌」に聞きほれていた。西田幾多郎には触れない。いずれの書物と思想家も、信仰に関わっているようである。

前後するが、2017年6月1日、大和市での最後となった講演ののち車で羽田に向かう途中、あらかじめ暗記していた山上の垂訓の一節、「平和をつくり出す人たちは、さいわいである・・・」は君のことではないか、と敢えて問うた。口での答えはなく表情も変わらなかった。

空港ホテルに泊まった次の日、朝食をともにし、いっとき様々話してくれた。仕事を進めるうえでの「国際的」な複雑さと危険についてなどである。特に「米軍は油断できない」は印象深い。時間がきて、出発ロビーへ出る間際に、ちょっとと言って、鞄から一冊の本を出し「これ、写真と図が多く分かりやすいと思う」と手渡してくれた。それは、「2017年6月20日初版第一冊発行」の『アフガン・緑の大地計画』である。「発行日」より前に貰ったことになる。これが中村君からの最後の土産となった。ホテルからロビーへ出る後ろ姿ののち、彼を見ることはない。


中村君の観念の主柱はキリスト教なのであろう。それは、彼の現実にとって、イスラム教や仏教や儒教と敵対するものではなく、アフガン現地の民衆の歴史と文化・習慣を尊重して、彼らの必要とするものを彼ら自身の力で達成するのを全力を傾けて支援するところに表現・発揮されることだと、考えていたのではないか。彼は、そのようなキリスト者なのであろう。キリスト教2000年の歴史のなかで、数々の堕落や植民地主義などと結びついた歴史的経験のなかにありながら、なお、その教理と信じたものを堅持し命を賭して布教に尽くした人間が居た(であろうと私が信じる)のは、様々な大小の誤謬をくぐる中で命を賭して革命に尽くした人間が居たのと似たところがある。現地の人びとの物質的生活の革命的再生、中村君はそのために測り知れない力を尽くした。精神を支える前提の物質的生活の優先性に先ずは力を入れた。「食えること」「何が何でもまず生きること」。キリスト者・中村君の実践の中にわたしは唯物論を診るのである。

弔辞にも触れましたが、少し踏み込んで「気になる」ことを述べておきます。
暗殺者は未だに「行方知れず」です。この重大事件の捜査に関わる情報をめぐって、日本政府もマスコミもほとんど黙して語らず、です。「『国際的』な複雑さと危険」のためだろうか。一方彼の仕事と彼の偉大さが一層広く知れ渡っているのを見て、日本国憲法の改悪に一貫して反対してきた中村君がほかならぬ「日本人」である、ことを妄用して、実は真逆の自分を、平和者であるかの如く化粧する勢力が有る。「政治音痴」は、中村君特有の謙遜表現でしたが、その伝で行けば、「日本人」安倍・安倍政権は「社会音痴」に加えるに不遜と欺瞞まみれの厚化粧派である。
(2020/08/13 補足)

斎藤竜太さんには本誌2020年新年号に「中村 哲さんの死を悼む」と題した文章を寄稿していただいています。(編集部)

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8・15 光復/敗戦75 周年 日韓市民社会の共同声明

1945 年より 75 年の歳月を経た今年7月2日、日韓の和解と平和を求める市民社会と宗教者は、世界を襲うコロナ禍の困難をこえて、「日韓和解と平和プラットフォーム」(以下、日韓プラットフォーム)を設立しました。

その設立の背景とは、75年前の8月15日敗戦にもかかわらず、日本は「大日本帝国」による朝鮮植民地支配の歴史責任が、清算されることなく今日まで来てしまったこと、その結果として、昨年、日韓関係が戦後最悪とも言える膠着状態に陥ってしまったことであります。この事態に心を痛め、このまま座視してはならないという危機意識から、今こそ歴史を直視し、その責任の内実を問い直しつつ、日韓の和解と平和を求める連帯の架け橋を構築しようとする決意が、日韓の市民社会と宗教者の間で共有されました。

この75年間、日本と朝鮮半島を束縛してきた不条理とは、何だったのでしょうか。
1875年 日本軍艦による江華島での軍事挑発以来、大韓帝国は圧倒的な軍事力を持つ大日本帝国の圧迫のもとで、日露戦争下での第一次日韓協約、そして日露戦争直後の第二次協約によって大日本帝国の「保護国」へと追い込まれました。そして 1910 年8月、強制併合され、朝鮮半島の民衆は、36 年に及ぶ過酷な植民地支配による政治的弾圧と経済的収奪、そして国家神道に基づく皇民化政策による朝鮮社会・文化の破壊の苦難を被ることとなりました。さらに朝鮮半島は、「大東亜共栄圏」を謳う大日本帝国による中国侵略の兵站基地とされ、多くの人びとが強制連行され、過酷な労働と性的搾取を強いられました。

1945 年、日本による 15 年侵略戦争と植民地支配が終結しましたが、東北アジアはまたたく間に米ソ冷戦体制の桎梏のもとに置かれることになりました。冷戦の不条理は、植民地支配を受けた朝鮮半島には南北分断と朝鮮戦争の悲劇としてあらわれ、一方日本においては、植民地支配の責任の究明が不問に付されたまま、1952 年のサンフランシスコ講和条約(日米安保体制)によって
米国の極東軍事戦略を補完する従属国家体制の道を歩む結果となりました。

日本は、朝鮮戦争「特需」によって敗戦の廃墟から経済的に復興する契機を得ました。そして日本は、南北に分断したまま、1953 年の休戦後、焦土の中から立ち上がろうとしていた朝鮮半島の南側の韓国とのみ会談を重ね、経済的優位の立場から日韓条約を 1965 年に締結することとなりました。日本は、その条約に伴う請求権協定において、韓国併合が不当な軍事・政治的圧力のもとに強いられた占領であることの歴史とその謝罪と責任について一切言及することなく、経済協力の美名のもとに韓国政府をして請求権放棄に同意させ、自らの歴史責任を不問に付したのです。

(1)日韓の歴史問題に対して
私たちは、日本による朝鮮植民地支配の起点となった 1905 年韓国保護条約(第二次日韓協約)が「表題」も韓国側(皇帝)の批准もなく、武力を背景としたものであるゆえに、無効であったという学術的な立証と、国家(大韓帝国)を代表する個人(皇帝)に加えられた強制又は脅迫による条約締結は国際慣例法上無効である事例としてこの条約を挙げる 1963 年国連報告書の意義を踏まえなければなりません。その歴史的事実の認識に立脚しながら、軍事力の威圧をもって植民地政策を推し進めた日本が朝鮮半島、またアジアの人びとに対する歴史的責任をいまだに果たしていないことを確認し、以下のことを求めます。

  1. 日本は 1939 年から 1945 年にわたり、植民地支配下の朝鮮半島から多くの朝鮮人を強制連行しました。「募集」「官斡旋」「徴用」の形態がありましたが、いずれの段階においても本人の意志に反して連行され、非人間的な環境で労働を強いられました。韓国大法院の徴用工判決(2018 年 10 月)は、強制連行・強制労働を行なった日本企業に対する正当な判決です。私たちは、関連する日本企業が、歴史的事実を直視し、いまだなされていない被強制連行者に対して賠償をすること、そして日本政府がそのような企業責任の履行を妨げないことを求めます。
  2. 日本政府は 2015 年、「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録に際して、軍艦島をはじめ日本各地の「世界遺産」で朝鮮人らが「意に反して連行され」「ひどい状態で労働を強いられた」と、強制労働があったことを認める発言をしています。ユネスコは「歴史全体」の説明がなされることを日本に求め、「関係者との対話の継続」を促しています。それにもかかわらず今年3月、東京に開設した「産業遺産情報センター」の展示では、端島(軍艦島)炭鉱を事例として戦時の強制労働を否定する内容となっています。私たちは、日本政府が強制労働の事実を認め、現場の被害者の証言・記録等を収集して「全体の歴史」を展示することを求めます。
  3. 日本軍「慰安婦」問題で、今問われているのは、日本軍が立案・管理した性奴隷制のもとで、女性たちが受けた性暴力被害の実態を、日本政府がありのままに認めることです。そのうえで、被害者に受け入れられ、かつ尊厳を回復するような方法で謝罪し、賠償し、二度と同じような人権侵害が起こらないように、さらなる真相究明と歴史教育をしなければなりません。また、日本軍「慰安婦」制度の事実を否定する言動は、被害者の名誉を再び傷つける人権侵害であることを認識し、その効果的防止策を講じるとともに、記憶の継承に取り組むことが日本政府に課せられています。2015 年の日韓政府による「合意」(12 月 28 日)で「慰安婦」問題は解決されたという認識を日本政府は改めなくてはなりません。
  4. 1923 年関東大震災時の朝鮮人・中国人虐殺という大惨事について、これまで研究者や市民団体によって、旧日本海軍「海軍無線電信船橋送信所」から発信された「朝鮮人暴動」のデマや、軍隊・警察・自警団による集団殺害関与の事実が究明されています。朝鮮半島における日本の侵略と植民地支配に対して立ち上がった独立運動・義兵闘争を弾圧していったその流れの中で、この大虐殺も起こされているのです。毎年9月1日、東京・両国の横網町公園において、遺族・市民団体による関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典が行なわれてきましたが、虐殺の事実を認めようとしない小池百合子・東京都知事は、歴代の都知事が代読させてきた追悼文そのものを取りやめました。さらに、極右団体の式典妨害を放置し続けています。私たちは日本政府に対して、歴史資料に基づいて虐殺の国家責任を認め、遺族に謝罪すること、また東京都が 97 年前のこの歴史事実に誠実に向き合い追悼することを求めます。
    ⑤ 私たちは、日本の政府と国会が、1923 年関東大震災時の朝鮮人・中国人虐殺をはじめ、旧日本軍「慰安婦」・徴用工・軍人・軍属などアジア太平洋戦争下の強制連行・強制労働・性的搾取の事実について真摯に向き合い、真相究明委員会を設けることを求めます。

(2)朝鮮半島の平和プロセス推進と日本の平和憲法

  1. 私たち日本の市民社会と宗教者は、朝鮮半島の南北分断が今なお人びとを引き裂いている現実について、そもそも日本の植民地統治がなかったならば、民族分断はありえなかったことを強く認識しつつ、民族分断を克服しようとする韓国の市民社会と宗教者の闘いを支持します。
  2. 「米国とともに戦争できる国づくり」をめざして、日本国憲法第9条をはじめとする憲法改悪の作業を推し進めている安倍晋三首相は、「2021 年9月までの自らの任期中に改憲を果たす」との発言を繰り返しています。しかし、世論の多数は9条改憲に反対し、また内閣支持率は過半数を割っています。また、去る8月4日、河野太郎防衛相が記者会見にて、日本の新たなミサイル防衛、すなわち「敵基地攻撃能力」問題について、韓国を含む周辺国の理解を得ることを不要と発言したことは、東北アジアの軍事的緊張を増幅させるものとして、私たちは強く抗議します。私たち日韓プラットフォームは国内外の声を結集して、署名運動、国際キャンペーンなどの活動を通して9条改憲反対の闘いをさらに推し進め、9条の擁護を日韓の平和の中心的課題として位置づけます。
  3. 韓国の市民社会と宗教者は、朝鮮半島における平和プロセスの具体的な進展が日本の軍事大国化を阻止し平和憲法を守ろうとする日本の市民社会と宗教者の闘いを激励し、さらに推進することを確認します。それに呼応しながら、私たちは、現在展開しつつある「朝鮮半島終戦平和キャンペーン」に、世界の市民社会と共に力強く参与していきます。
  4. 私たちは、日本の安倍政権がさまざまな口実で朝鮮民主主義人民共和国との国交回復交渉を恣意的に中断し、東北アジアの緊張を激化させていることに抗議します。私たちは、朝鮮半島の平和プロセスにおいて日本と朝鮮民主主義人民共和国との国交問題が、連動した課題としてあることを確認すると共に、日本政府に対して中断している日朝交渉をただちに再開するよう求めます。そこでは、日本の歴史責任を明記せず経済協力方式をとった 1965 年日韓条約の過ちを繰り返してはなりません。

(3)東アジアの非核地帯化と軍縮、
アジア太平洋地域の平和に関わる共同のビジョン

  1. 1945 年8月、ヒロシマとナガサキの原爆被爆者全体の 1 割をも占めるといわれる朝鮮人被爆の実態解明と賠償問題は依然解決されていません。約 2200 名が生存する在韓被爆者の援護は被爆者と日韓市民らの裁判闘争で実現しましたが、介護手当の支給もなく日韓で内外格差が残っています。
    約 200 名とみられる在朝被爆者には「国交の壁」に阻まれて日本の援護が届いていません。私たちは、日本政府が高齢化した韓国・朝鮮人被爆者に対して早急に徹底して援護措置をとるよう求めます。
  2. 日本列島の南端にある沖縄は、辺野古新基地建設や、宮古島を含む離島における軍事基地化により、基地被害に苦しむだけでなく、戦争を生み出す島となっています。沖縄の米軍基地は、現地において新たな性暴力・搾取の温床となり、さらにアジアの人びとの命を脅かしています。沖縄米軍基地問題は日本自身の問題であることを自覚しつつ、最大の暴力である戦争に抗うために、非暴力によって新たな基地建設を阻止している沖縄の平和の行動を、私たちは支持し連帯していきます。
  3. 東アジアの非核地帯化と軍縮のためには、「朝鮮戦争の終結」と「朝鮮半島の統一」が大きな優先課題です。東アジアの非核化のために、日韓が米国の核の傘から解放され、南北朝鮮と日本が核兵器禁止条約(TPNW)に加入することを強く促していかなければなりません。

(4)日韓次世代の平和教育・人権教育の推進

  1. 現在、芸能文化面では最も近い国としての日韓交流がありますが、歴史認識には大きな隔たりがあります。日本の学校教育・社会教育において植民地支配に関する歴史教育が不十分なためです。そのギャップを埋めるためにも、学生・青年・市民が現地研修や文化交流を通して出会い、学びあい、未来を共に担っていく連帯意識を育む事業を日韓両政府に求めると共に、私たちはこれまでの日韓交流事業をさらに深め推進していきます。このことを成し遂げるために必要なことは、国際政治という周辺国の政治的、外交的な術策や力ではなく、「和解と平和を願う民衆の声」です。民衆の声を高めることを目標にすればこそ、私たちは日韓双方が直面している課題、特に貧困、差別、そして迫害の問題を共に担い解決するために連帯していかねばなりません。
  2. 私たちは、日韓の歴史問題に対する正しい認識を探求し共有するために、研究者と連携して「日韓歴史市民フォーラム」を日韓相互に開催し、日韓市民社会それぞれの歴史認識に対する建設的対話を続けていきます。
  3. 私たちは日本政府と韓国政府に対して、従前の「国民教育」を改めて、東アジアの和解と平和をめざし、多民族・多文化社会にふさわしい「平和教育・人権教育・多文化教育」へと転換することを求めます。
  4. 今日本政府は、朝鮮民主主義人民共和国との外交問題と結びつけて、「高校無償化制度」(2010 年4月)、「幼児教育・保育無償化制度」(2019 年 10 月)、「学生支援緊急給付金制度」(2020 年5月)から、朝鮮学校(幼稚園・高校・大学)を排除しています。これらの差別的政策は、日本の歴史責任、子どもの教育に関する普遍的権利をまったく無視するものです。私たちは日本政府に対して、これらの措置をただちに撤回することと、在日韓国・朝鮮人をはじめ民族的少数者の人権保障のための法的、制度的施策を求めます。
    私たちは、敵愾心と差別、あらゆる暴力と戦争に反対して、暴虐の歴史の中で不条理な苦難を強いられた人びとと共に歩みながら、日韓の真実の和解と平和を目指します。東北アジアの共同体を目指す私たちは、市民社会として、また宗教者として、戦後 75 年目の8月 15 日に、以上の認識を共有し、共同の課題に取り組んでいくことを、ここに表明します。

2020 年8月 15 日日韓和解と平和プラットフォーム

【共同代表】韓国側:? 鴻 政(イ・ホンジョン/韓国基督教教会協議会総務)
鄭 仁 誠(チョン・インソン/円仏教平壌教区長・南北ハナ財団理事長)
韓 忠 穆(ハン・チュンモク/韓国進歩連帯常任代表)
權 台 仙(クォン・テソン/環境運動連合 市民社会団体連帯会議共同代表)
日本側:小野 文珖(群馬諸宗教者の集い)
髙田 健(戦争させない・9条壊すな!総がかり行動)
野平 晋作(ピースボート)
光延 一郎(日本カトリック正義と平和協議会)

【運営委員】韓国側:姜 周 錫(カン・ジュソク/韓国カトリック主教会議民族和解委員会総務)
鄭 常 德(チョン・サンドク/円仏教中央総部霊山事務所長)
辛 承 民(シン・スンミン/韓国基督教教会協議会局長) 【書記】
金 炳 奎(キム・ビョンギュ/韓国進歩連帯統一委員長)
嚴 美 京(オム・ミギョン/全国民主労働組合総連盟副委員長・統一委員長)
孫 美 ?(ソン・ミヒ/ウリハッキョと子どもたちを守る市民の会共同代表)
安 知 重(アン・ジジュン/6・15 共同宣言実践南側委員会共同執行委員長)
尹 貞 淑(ユン・ジョンスク/緑色連合/市民社会団体連帯会議共同代表)
金 敬 敏(キム・ギョンミン/韓国YMCA全国連盟事務総長)
李 娜 榮(イ・ナヨン/正義記憶連帯理事長)
李 信 澈(イ・シンチョル/アジア平和と?史敎育連帯常任共同運營委員長)
具 仲 書(グ・ジュンソ/基地平和ネットワーク執行委員長)
李 泰 鎬(イ・テホ/市民社会団体連帯会議運営委員長)
日本側:飯塚 拓也(日本キリスト教協議会東アジアの和解と平和委員会)
石川 勇吉(愛知宗教者平和の会)
小田川 興(在韓被爆者問題市民会議)
北村 恵子(日本キリスト教協議会女性委員会)
金 性 済(キム・ソンジェ/日本キリスト教協議会総幹事) 【書記】
白石 孝(日韓市民交流を進める希望連帯)
平良 愛香(平和を実現するキリスト者ネット)
武田 隆雄(平和をつくり出す宗教者ネット)
中井 淳(日本カトリック正義と平和協議会)
比企 敦子(日本キリスト教協議会教育部)
飛田 雄一(神戸青年学生センター)
渡辺 健樹(日韓民衆連帯全国ネットワーク)
渡辺 美奈(WAM<女たちの戦争と平和資料館>

【事務局】韓国側:? 寶 賢(ファン・ボヒョン/韓国基督教教会協議会部長)
尹 惠 蘭(ユン・ヘラン/韓国YMCA全国連盟局長)
文 星 根(ムン・ソングン/興士團事務総長)
金 英 丸(キム・ヨンファン/民族問題研究所対外協力室長)
日本側:くじゅうのりこ(東アジアの和解と平和ネットワーク)
佐藤 信行(外国人住民基本法の制定を求める全国キリスト教連絡協議会)
潮江亜紀子(朝鮮学校と連帯しこども達の教育を考える会)
昼間 範子(日本カトリック正義と平和協議会)
藤守 義光(日本キリスト教協議会総務)
渡辺多嘉子(平和を実現するキリスト者ネット)

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