私と憲法227号(2020年3月25号)


この期に及んで、改憲にこだわる自民党

自民党大会の「令和2年運動方針」

これについては、2月号の「私と憲法」の巻頭で触れたが、3月8日に予定されて新型コロナウィルスの問題で延期され、17日に開催した大会に代替する自民党両院議員総会で「令和2年運動方針」が採択されたので、改めて補足しておきたい。

3月19日の「東京新聞」社説はこれについて以下のように指摘した。

「新型コロナウイルスの感染拡大で国民生活や企業活動への影響が深刻化しつつある中、改憲を運動方針の筆頭に挙げ続けることには違和感を禁じ得ない」と。

運動方針が総務会で了承されてから3週間あった。補足することは十分に可能だった。政権与党の大会での運動方針であり、このような指摘を受けて当然だろう。いかに、自民党執行部の頭が改憲で凝り固まっているかの証左だ。ばつが悪くなったのか、記者会見で二階俊博幹事長が「(この時期に)改憲議論を持ち出すのは適当ではない。もう少し落ち着いてから対応すべきだ」と述べたというが、幹事長としての指導力の欠如ではないか。

本誌前号では筆者は以下のように書いた。

運動方針原案は「みんなが輝く令和の国づくり」と題し、冒頭に「憲法改正」を取り上げ、「新たな時代にふさわしい憲法へ」と題した章立てをして、「改正原案の国会発議に向けた環境を整えるべく力を尽くす」と党の決意を鮮明にした。憲法問題を独立した章として前面に打ち出したのは、第2次安倍政権発足後、初めてのことだ。

そして「未来に向けた国づくりに責任を果たすため憲法改正を目指す」とのべ、昨夏の参院選で「『議論を前に進めよ』との国民の強い支持を得た」とそれを正当化している。そして衆参両院の憲法審査会で早期に「各党各会派の枠を超えた議論」をするよう求め、「各党各派からの意見・提案があれば真剣に検討するなど幅広い合意形成を図る」とした。

安倍首相はこのところ、くりかえし先の参院選で「改憲論議を前に進めよ」との支持を得たと言っている。これは嘘だ。参院選で首相が述べたのは「憲法について議論をする政党を選ぶのか、しない政党を選ぶのか。それを決める選挙だ」ということだったが、憲法論議に反対する野党はない。それどころか国会の予算委員会で憲法論議も含めて積極的にやるべきだといったのは野党の方で、与党は予算委員会の開催に応じなかったのが実情だ。

憲法審査会は議論の出口が改憲原案の作成にあるので、これを前提とした論議に賛成しないのは改憲反対派であれば当然のことだ。安倍首相は論点をすり替えている。このところ自民党は改憲反対勢力との草の根での対決を主張している。「運動方針」では「国民的議論を前進させるために党を挙げて活動展開する」とか、「遊説・組織委員会を作る」「全国で憲法改正健集会を開催する」とかポスターを作るとか「女性向けのパンフレットをつくる」など各地での運動展開強化の方針を強調している。

この間、全国の市民運動は改憲発議反対などの署名運動に取り組み、草の根での「対話」運動に力を注いできた。いよいよ改憲問題は「草の根」での対決という正念場にきた。

主権在民原則に真っ向から反する皇国史観

この前号の指摘は基本的に変更する必要はない。
そのうえで、まず指摘したいことは「みんなが輝く令和の国づくり」と題した運動方針の「前文」の冒頭部分が「令和の御代を迎え、新たな時代が幕を開けた」で始まることだ。自民党にとってはこの時代は「令和の御代」、すなわち徳仁天皇の時代なのだ。この「令和の御代」というフレーズは運動方針本文の冒頭の「改憲」の章にも出てくる。きわめてすんなりと書かれている。

いうまでもなく日本国憲法は主権在民を原則としている。この「御代」という思想は、自民党憲法改正草案第1条の「天皇は日本国の元首」の思想そのものであり、皇国史観によるものだ。こうした時代錯誤・違憲の皇国史観の思想性を持つ党に憲法を論じる資格がないのは明らかだ。

そのうえで「前文」では、アベノミクスを礼賛し、「日本経済は力強い成長を続けている」と全く事実に反する記述をし、夏のオリンピックと5年後の「大阪・関西万博」で日本が世界中から注目されていると書き、そのためにも「これからの国づくりの道しるべとなる憲法の改正」を進める、と述べている。

そのうえで、唐突に「靖国神社参拝を受け継ぎ、国の礎となられたご英霊の御霊に心から感謝と哀悼の誠を捧げ」るとしている。
いちいち批判しないが、あきれるほどの認識だ。
運動方針本文の冒頭で「新たな時代にふさわしい憲法へ」と題した章立てをして、「改正原案の国会発議に向けた環境を整えるべく力を尽くす」とした。そして改めて自民党の改憲4項目を明記して、この憲法改正原案の国会発議に向けた環境を整えるべく力を尽くすとした。

草の根での改憲派とのたたかい

この運動方針では自民党が改憲反対勢力との草の根での対決を主張しているのが重要な特徴だ。長文だが該当箇所を全文引用する。
運動方針はこういう。

憲法改正の主役は国民である。どの項目をどのように改正するのか、あるいはしないのか、すべては国民の手にゆだねられている。我が党は、憲法改正に向けた国民的議論を前進させるため、党を挙げて活動を展開して行く。憲法改正推進本部では「遊説・組織委員会」を設置するとともに、全国各地で「憲法改正研修会」を精力的に開催していく。組織運動本部においては、憲法改正について、女性の視点からのパンフレットや若い世代に向けた漫画入り冊子を作成するとともに、青年組織が17年継続して取り組んでいる「全国一斉街頭行動」を開催するなど、街頭活動を積極的に展開する。さらに友好団体に対しても、説明の機会を積極的に設けるなど世論喚起に励む。中央政治大学院は、年間を通じ憲法を歴史や経済、文化などの側面から学ぶ「まなびと夜間塾」を開催する。広報本部では「憲法改正の主役はあなたです。」と題するポスターの全国展開やインターネット動画の活用を通じ、国民的な機運の盛り上げに努める。

そして、運動方針の最後の部分、「政治を前に進める党活動」では以下のように言う。

「『120万党員獲得運動』に向けて、研修会、女性政治塾、女性対話集会を実施する。また、児童虐待防止活動「ハッピーオレンジ運動」や、女性活躍と女性の健康に関する活動を推進する」。

「(青年組織、友好団体対策の記述の後)労働組合との関係強化に向けては、友好的な労組との政策懇談を進め、潜在的な自民党支持者も多い現状にも鑑み、賃金引き上げ、働き方改革等、働く人々の共感と指示を得られるような政策を引き続き広くアピールしていく」と書き込み、

「中央政治大学院は『地方政治学校』との連携を強化し、また日本の近現代史を学ぶ『2020まなびとスコラ・オープン講座【学びと夜間塾】(全24回)を開催する」などとしている。

総選挙での勝利に向けて

労働組合対策や近現代史の学習までも含んだ、自民党の運動方針にしては珍しく具体的な記述だ。それだけに、自民党執行部の意気込みが感じられる。
いずれも近い将来、予測される衆議院総選挙の全国289小選挙区での与野党激突を想定したもので、草の根での自民党の支持基盤強化施策だ。
野党は安倍政権を倒すために、小異を留保し、共闘しなくてはならない。間違っても、狭いセクト主義的な党利党略で野党の共同を壊すようなことがあってはならない。これこそが、2015年以来の運動の教訓だ。

2020年、今年の闘いは歴史的なたたかいになる。自民党も市民運動が力を入れてきた労働組合運動、女性の運動、青年の運動などのまで手を突っ込みながら、草の根で勝負しようとしている。まさに全国の草の根での市民の改憲発議阻止の運動と、安倍改憲との対決だ。

世論の多数は安倍改憲を望んでいない。世論調査では安倍首相の下での改憲に反対が過半数を超えており、圧倒している。

新型コロナウィルスという危険が蔓延する中、私たちの市民運動はこの危険を侮ることなく慎重に対処しながら、安倍改憲に反対する運動を堅持しなくてはならない。おりから週刊誌が掲載した森友学園事件における財務省官僚の遺書の真相究明、黒川検事長の定年延長の暴挙を追及する課題、新型コロナウィルスの危機に乗じて安倍政権が非常事態宣言発令などによる人権侵害に走ることを許さないたたかいなどと合わせた安倍政権を打倒すたたかいを進めなくてはならない。

私たちの課題は「安倍改憲発議阻止」の全国緊急署名運動をはじめ、広範な市民の政治変革のための運動を全国の津々浦々で展開しながら、安倍政権を総辞職に追い込むことであり、総選挙で最小限目標としての改憲反対派の議席3分の1以上の確保を実現し、安倍政権を退陣に追い込むことだ。
(事務局・高田健)

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第22回許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会?東京

2月22・23日に開催された交流集会は、折からの新型コロナウィルス禍を懸念しつつ、それ以上に改憲発議に前のめりの安倍政権の危険性に危機感を持つ全国からの多くの参加者によって支えられた。

第22回全国交流集会は第1日目は公開集会、交流集会第1部、第2日目は交流集会第2部、フィールドワーク(新木場の第5福竜丸展示館)で開催され、17都道府県から95名の市民が参加した。

公開集会

会場の全水道会館ホールでは各地から駆け付けた懐かしい顔ぶれ同士の挨拶の声があちらこちらで交わされる中、菱山南帆子さん(許すな!憲法改悪・市民連絡会)の総合司会で開会。主催者を代表して藤井純子さん(第九条の会ヒロシマ)が挨拶・・・昨年は地元広島でこの集会を行った。コロナウィルス問題で不要不急の用事で出かけるな、と言われているが、改憲問題で今後の運動の方向を探る大事な機会と思い駆け付けた。思い起こせば第1回は1996年、湾岸戦争が始まりPKO法で自衛隊の海外派遣が始まった年だった。広島から3人で参加した。田中正造さんについて語られた方がいたことを印象深く覚えている。第2回は大阪で開催、沢山の分科会がもたれ、様々な課題に取り組む市民が憲法について考える場のネットワークという集会の性格が鮮明だった。以来ほぼ毎年この集会がもたれてきた。沖縄でも開催したが生憎骨折して参加できなかった。2015年の名古屋集会は総がかり行動のスタートとも言えるものになったし、2016年の札幌集会は野党共闘を追求するものになった。安倍は依然として任期中改憲を言っている。共に考え成果を各地に持ち帰る集会にしよう。

続いて「許すな!憲法改悪・市民連絡会」の共同代表でもある高良鉄美参議院議員が国会報告・・・地元でもまだやっていないのでこれが初の国会報告として、トレードマークである帽子が議会で禁止されているのは貴族院傍聴規則に拠っている事、ハワイでは聖地に天体望遠鏡を作る動きに対して住民が道路封鎖で闘っているが警察は見守るだけ、辺野古との大きな違い、首里城再建はゆっくりでも県民の手で、の機運が高まっていることなど今後の活躍を期待させる意欲満々の報告だった。

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「平和は抽象的概念か?-人の〈生〉と問われる想像力の欠如」

清末愛砂さん(室蘭工業大学准教授)

はじめに

今日は憲法上の理論的な話というよりはもう少し自分自身が関わってきた海外での平和的生存権を求める活動の内容に即しながら、その経験に基づいてお話をさせていただきたいと思います。

突然ですけれども、この写真の小さい子どものところに威張って立っている姿が私です。2月12日に日本に帰ってきましたが、タイとビルマの国境沿いにビルマ難民キャンプがあります。タイにいくつかあるんですけれども、その中のひとつに行って子どもと一緒に絵を描いている姿です。立ち上がっているのは上から覗くためではなくて座ることが最近つらくなっているからです。「出張アトリエ」と勝手に呼んでいますが、紛争地域の難民キャンプとか学校に行って子ども達をかき集めて、一番楽しむのは私です。だいたい私が描き始めると子どもがわーっと寄ってきて、「紙くれ」「紙くれ」というので「はいはい」と渡しているうちにまわりで描いている、それをやりに行っていました。

私の本業は室蘭工業大学という、鉄の街として知られている工業都市にある国立大学で憲法学と平和学の授業を担当しています。仕事的にはそうですけれども自分の趣味が絵を描くことなので、私のレジメを見ると研究室の秘書さんが、落書きとかいろいろな絵が描いてあるからすぐに「清末のレジメだ」とわかると言われます。いろいろなところに行くときには画材を持って絵を描いています。単に趣味でやるというというより、紛争地などで「出張アトリエ」をやることはもう少し自分にとっては意味があるので、あとでお話をしたいと思います。

私にとっての平和

海外の紛争地などで、いわゆる非暴力運動であるとか何らかの「支援活動」のようなものに関わるようになって比較的時間がたちます。その経験をもとにして、私なりにいわゆる「平和」というものがいったい何なのかということ、何を意味するのか、具体的にはいったい何なのかということを十数年間考えてきました。私は性格が悪いので、教授会になると学長とかがすごく嫌な顔をするんです。「はーい、教えてくださーい」とか優しい言葉を出したあとに、つい嫌なことを言ってしまいます。平和運動やいろいろな市民運動で「平和」というものを語るときに、よくポスターなどで鳩が出てきますね。白い鳩が飛んでいるとか。私はあまり好きじゃないですね。私のテイストじゃないということかもしれません。なぜ嫌いなのかというと、それで平和をイメージする人は、それはそれでいいと思います。けれどもなぜ自分の中に違和感があるのかというと、「私は飛んでいる鳩を見てもお腹いっぱいにならんな」とずっと思ってきたんですね。例えば紛争地に行く。イスラエルの占領下に置かれているパレスチナのもっとも厳しい状況下にあるヨルダン川西岸地区のヨルダン渓谷、あるいはイスラエルによって完全に封鎖されているガザに行った時に、鳩が飛んでいるのをイメージしても、そこの爆撃も止まらなければ日々の空腹を満たすこともできない。むしろ私などは、非暴力主義者ですけれども銃があったらぱーんと撃って「落ちてきたら焼いて食べたろか」と、飛ぶ鳩を見ると思ってしまうわけですね。私にとっては飛ぶ鳩はあまり「平和」のイメージがない。

私にとっての平和というのは、例えばこの写真です。ヨルダン川西岸地区の、占領が一番厳しいヨルダン渓谷で抵抗運動をしている男性が、昨年10月末に行ったときにパレスチナのおもてなし料理「マクルーバ」をつくって出してくれているところです。これは米料理です。大きな大きな米料理をパレスチナ人は出します。これは丸四角いかたちなので、これを崩してそれぞれが大きなお皿に好きなようにとって食べるか、個別にお皿に盛ってもらって食べるかなんです。いろいろな平和活動の中でいろいろなパレスチナ人と会う中で自分にとって一番しっくり来る平和のイメージは、温かい食事をみんなで囲んで、将来の希望に向かって進んでいく姿について話をする。あるいは特に難しい話をすることなくみんなでおいしくご飯を食べて、食べ終わったら「眠くなっちゃった」といって昼寝をする、というくらいのイメージでしょうか。何の恐怖を感じることなく、とても安心感をもって時間を過ごすことができる。ヨルダン渓谷で関わってきた活動の経験から、私の求めてきた平和の像というのは、みんなでおいしい食事を共有して、ほんわかして、ついでに昼寝なんかしちゃう、そういうイメージであって、決して飛ぶ鳩じゃないということをずっと思ってきました。

絵を描くとか楽器を奏でることが、自分にとっては確かに幸せなことではあるんです。総じてみんなで何かを共有するという発想です。自分にとっては非常にリアルな意味での、パレスチナ人が私にたくさんおもてなしの姿としてご飯を出してくれたり音楽を演奏してくれたりする中から学び取ってきたかなと思っています。つまり非常に単純に見える、自分の足元にいろいろな出来事があるけれども、単純に見える出来事の中にこそ実は非常に多くの人たちが求める平和という、非常にリアリティのある平和の姿があるのではないか。こういうことがわたし自身の2000年代前半からいまに至る経験の中で形成してきた感懐であるということです。

抵抗するってことは、占領者を打ち負かすことだ

その平和というのは、何となく座っていて得られるものではない。人類が非常に大きな血と涙を流してたたかうことによって獲得してきたものであって、ぼーっとしていては得られない。「ぼーっとしていたら権利も何もかも奪われちゃうよ、ぼーっとしてちゃだめだよ」とよく学生に言います。ぼーっとすることも重要ですけれども、公権力を監視しておかないとぽーんと取られちゃいますから、と話します。自ら勝ち取る、そして何が平和なのかということを主体的に考えて、その目標に向かって動いていくことです。その先がまさに鳩ではない、空腹を満たすことができるようなリアリティが出てくると思います。この写真は私の友人でヨルダン渓谷の中で、非暴力によるイスラエルに対する抵抗運動をやっている仲間のひとりのパレスチナ人男性です。永年知っている人で、昨年10月末に行って彼がご飯をつくってくれた後にヨルダン渓谷の状況を説明をしてくれたときに、こういうことを言ったんですね。

ヨルダン渓谷におけるイスラエルの占領に対する抵抗運動の一番大きなスローガンは「存在すること、これ即ち抵抗なり」-これがずっとヨルダン渓谷の活動のスローガンでした。昨年はちょっと違って「あれ」って思ったけれども、それを超えた「抵抗するってことは、占領者を打ち負かすことだ」です。そうしなかったら、恐らく自分たちの自由も、解放されて安心した生活も、彼は農民ですけれども農業をすることも、農業によって生活することもできない。だから自分の土地にしがみつくだけではなくて、存在し続けることで具体的に不正義をなくす。自分たちを抑圧しているものを打ち倒すことが抵抗なんだという方向に、確信を持って彼自身が動いていったことを、そういう言葉を初めて耳にしました。それを聞いたときに私は思ったんですね。「やっぱりそうだね」、「えっ」て思いながら「そうそう、日本に帰ったらなんとか晋三もいるし、まわりにもゲッペルスもいっぱいいるし、もうどうにもならない人たちがいっぱいいる」、でもあれを打ち倒さないとやっぱり私たちは解放されないよね。そう考えると抵抗することの意味というは、非常に単純ですけれどもクリアだなということをこのときに思ったんですね。そこでこの写真を見てもらいました。

普段の生活が表現される子どもの絵

これは東エルサレムのパレスチナ難民キャンプの中での出張アトリエです。勝手に国連のクリニックの中でやっています。国連のクリニックは何もないところで、真ん中に空間にぽつんと机がある。「あの机を使ってみたらどう」ってここの院長さんが協力的に言ってくました。「あなた、そこで子ども達が来るのを待ってみたら。そこで待っていればそのうち来るよ」と言われたので道具を広げて待っていました。院長さんが「あそこで絵を描いておいで」って診療に来る子ども達に言って、そうするとひとり二人三人と増えていって、私が喜んで一緒に書いているところです。喜んでいる姿を見せたいというよりは、子ども達の絵がひとりひとりの個人の経験をしっかりあらわすものが多いのです。それはガザで絵画セッションするときでも、こういう出張アトリエをするときでも出ます。例えばこの子はパレスチナの旗を絵の中に描いていきます。なぜかというと、彼のお父さんはずっと長年抵抗運動をしている方で、家族の中で影響を持っていて、非常に強いパレスチナ人としてのアイデンティティを培われる中で、絵の中にもパレスチナの旗を入れていきます。他の子がそれをするわけではありません。

逆にベドウィンの子で、この子は最初「木を描くよ」と私に言ったから、描いてごらんと言って放っておいたんですね。たまにチラ見をしていたけれども、途中から木と思えないものになっていきました。それはそれぞれが木と思えば木ですけれども、どうしたのかなと思いました。後からここの院長さんが、この子は遊牧民の子でずっと砂漠を移動して、夏季・冬季に別れて移動するわけで、木を描くといっても伸びやかに伸びている木の姿を知らない。だから「木」という言葉は知っているけれども実際に描くことはできなかったのではないかなと言っているのを聞いて、ああそういうものかなと思いました。また、ベドウィンの子は家の絵を描きたがります。テントに住むこともいいでが、テントに住みたくないという子どもが私も家を欲しいということで描いたりすることもあります。子どもの絵というのはその子が感じている普段の生活がしっかりと表現されるのだということが、自分自身が出張アトリエで学んできたことです。

これはガザの子ども達が絵を描いているところです。ガザで絵画プロジェクトをやると国連の学校をまわって行くので先生達も張り切るんですね。私は描きたい子はみんな描いてちょうだいって、私のまわりに一緒にわらわらいてくれたらいいといつも思います。けれども、ガザだとかちっとやりたがって、一番絵のうまい子、「精鋭部隊」を学校側も送ってきたりするので、私より上手いのではないかと思うこともありますが、すごくしっかり描いてきます。非常にリアルだったのは、子ども達が封鎖されているガザの中でどんなストレスを抱えているのか。一緒に遊んでいた友人が爆撃で死んでしまった絵とか、封鎖でイスラエル軍によって自由が踏みにじられている、イスラエル軍の足跡を描いていくなど、自分達が押しつぶされている様子を非常にリアルに描いていきます。われわれが欲しいのは、とにかく自由なんだということを子ども達が絵でしっかり表しています。東エルサレムには東エルサレムなりの占領の問題があります。けれどもガザという本当に封鎖されたところは、まさにイスラエル軍の封鎖によって生活が影響を受けていますから、その様子がしっかり絵の中に表れていることを、わたし自身が占領とは何かを考える上で、絵を通して学んでいるような状況があります。

「平和」についての私たちの想像力の乏しさ

わたし自身はそういう出張アトリエや、実際に抵抗運動としての壊された絵を立て直すといったいろいろな活動を10数年やるなかで、平和のイメージというものをつくってきたことを少しだけ紹介しておきます。安保違憲訴訟の札幌高等裁判所の控訴審での原告陳述の一部で、「『平和』とは、人が生きるという根本的な行為に対して、具体的な安心感を与えると同時に、人間としての尊厳を持って生きるということを肯定的にとらえる大きな安心材料を与えるものである。」とわたし自身の考えを述べました。さらに安保違憲訴訟の控訴審で裁判所に対してどうしてもいいたかったことは、平和という概念を大変抽象的にとらえていることです。抽象的にとらえるということ自体が、例えば紛争の現場においてさまざまな抑圧の中に生きている命-生を、ひとりひとりが平等に持っている命と価値を愚弄しているということです。そこでこういう言葉で表しました。「平和の概念を抽象的にとらえるという発想は、いま、この瞬間においても爆撃にさらされている人々、戦火から命からがら避難を強いられている人々、戦火により荒廃した社会を生き延びるための水や食糧を手にすることができずにいる人々の人間としての尊厳を愚弄するものであると私は経験上考える。この圧倒的な想像力の欠如が、人々の殺傷につながる防衛力の名の下で進められる軍備または安保関連法にみられるような海外での武力行使を可能にする法制度の整備を容認する土台を形成してきたと確信する。」。

私は別に紛争地に行きたいわけではなくて、何となく行き続けているんですね。「何となく」ではなくて意味があって行っていますが、紛争地の中で私自身は「平和」とか「生きる」とは何かということを非常に学んできた10数年だったと思います。まさにガザの中で、あるいはアフガニスタンの中で考えてきたことは、「生きる」ということは「希望」-アマル(???))とアラビア語で言います。それから「尊厳」、カラーメ(?????、)がともに備わっていること。それだけではなくて、人々が精神的にも「自由」フォティーヤ(????)があるという状況を手に入れることができる。確信を持って自分達がそういう中にいると思える状況です。その中で温かいご飯を食べて、ほんわかして、ついでに私はやってしまうけれども、勝手に人の家、遊牧民のテントで寝ちゃったりする。そういう状況にいられるようなことなんだろうと思います。

ガザの人びとの<おもてなし>の精神

ここでどうしてもここでみなさんに見て欲しい動画があります。ガザの人々がいかに分断されていても、人間としての尊厳を失っていないということ、尊厳だけはいかなることがあっても人から奪うことができないということをしっかりあらわす動画です。なぜこういうことをしているのかということです。パレスチナの文化は強く音楽と結びついているので、音楽というのはひとつのおもてなしの象徴でもあります。

この人達は別に私のために演奏するためにここにいたわけではありません。昨年11月の頭ころに、あるガザのホテルのロビーに座っていたら、この日は結婚に日取りがいい日で、天候も良くて、ガザでは結婚式がたくさん行われた日です。この楽団の人たちは、このホテルで開かれる結婚式に呼ばれてやってきた人たちです。私たち、北海道パレスチナ医療奉仕団という小さな団体のメンバーの姿を見て、「ああ外国人か」という感じなんですね。

封鎖されていますから、ガザには簡単に行けない。ガザに行くのはイスラエル軍から事前に許可を取得しなかったらどうしたって行けない。ジャーナリストで許可証を持っていない限り、基本的にはぱっと行くことができるところではありません。私たちは国連を通して許可を取って入るけれども、イスラエルの気まぐれとかこれから爆撃するぞという可能性があるときには、イスラエルは許可を出さない。実際に許可をもらって入っても爆撃が始まることは普通にあるわけです。ですから外国人が本当にいないんです。

この楽団の人達も、ほとんど見かけない、国連の関係者以外ほとんどいない外国人がホテルに座っているというのにびっくりして、「じゃあ、いっちょやってやるか」という感じで楽団員同士で顔を見合わせていきなり始めたんですね。この楽団の人にとっても、せっかく遠くから、この封鎖の中を何とかして入ってきた連中なので、少しおもてなしの精神を見せないとガザ人として恥ずかしいじゃないかと思ったんじゃないか。ガザ人の矜持として、ガザのパレスチナ人としておもてなしの精神を、自分が今できることを、ウェルカムだということを見せようということで、一生懸命演奏してくれたわけです。どんなに厳しい状況に置かれていても彼らはこういう状況にあることを、どうしても示したかったのです。

なぜ『アフガン女性・ファルザーナの物語』を出版したのか

 つい2日前に「《世界》がここを忘れても アフガン女性・ファルザーナの物語」というタイトルの絵本を出しました。絵は好きですけれどもさすがに40枚の絵を小説に加えて書くことはしんどかったので絵は他の人に頼んだけれども、アフガニスタンの首都カーブルなどに住んでいて弁護士になろうと思っている大学生の女の子の物語を書きました。想像で描いたというよりも、私の本職は憲法研究者でとりわけ憲法24条の家族の問題について研究をしています。加えてもうひとつのライフワークとしては、アフガニスタンのジェンダーに基づく暴力が自分の中でのパレチナ以上の研究テーマです。研究上、あるいはアフガニスタン女性革命協会というアフガニスタン初のフェミニスト団体のRAWAへの連帯活動を通してずっと聞き取ってきました。いろいろな人の人生のライフストーリーをつなげて、フィクションだけど極めてノンフィクションに近いフィクションとして、小学生後半から中学生くらい以上の人が読むような小説の部分を書きました。

なぜいま私がこういう小説を書いたのかというと、ひとつはアフガニスタンに対する視点がまったくなくなっていることです。中村哲さんが亡くなって中村さんのことに集中はするけれども、いまアフガニスタンがどういう状況にあるのか。私たちは「9.11」以降、対アフガニスタン攻撃の中で自衛隊は米軍に対する給油活動などに参加していますから、アフガニスタンを破壊したことに大きく関わってきた国であるわけです。そのアフガニスタンがいまあの攻撃を受けてどうなったのかということをきちんと描かないといけないと思ったんですね。

アフガニスタンというところは、苛烈な女性に対する暴力でも知られている国ですけれども、わたし自身は過酷な暴力によりアフガン女性が一方的に虐げられているというありがちなストーリーを決して書こうとは思わなかったんですね。アフガニスタンの女性団体との連帯活動を通して自分が学んできたことは、いかなる苦境におかれても必ずやたたかって自分の権利を獲得しようとする人々がいる。それはガザに関してもそうですし、アフガニスタンにしてもそうです。暴力は確かにアフガニスタンの場合深刻だけれども、それに屈せずに戦い続けてきたアフガン女性が確かに存在しているということと、その人達が今なお、まさに人権を求めるたたかいのさ中にあるということをきちんと示す、それを知っているものとしてきちんと示したいと思ったことです。

もうひとつは、想像を絶するほどの苦境を乗り越えながらも歩んできた人々の存在を自分自身が書き表すという行為が、アフガニスタンを攻撃した大国あるいはアフガニスタンの中にある内部のいろいろな勢力を裏から操ってきたいろいろな外国とそれに迎合してきた国際社会がいとも簡単にアフガン人のことを忘れ去ってしまう。それに対する自分なりの抵抗だと思いながら1年半掛けて小説を書きました。パレスチナの問題にかかわって、そしてアフガンのことをやっていると思うんですね。パレスチナの方がまだメディアが報道してくれる。アフガニスタンは、中村さんが亡くなった、殺害されたことをもって報道されたけれども、アフガニスタン内部で人々がどう生きているかということは本当にメディアは報じてくれない。中村さんだけに集中していくようなところを見ていて、私は非常に大きな矛盾があると思ってきました。

平和的生存権は「誰に」「何を」求めているか

私は憲法研究者ですが、なぜこういう活動をしているかということをお話をしたいと思います。日本国憲法の前文にある平和のうちに生存する権利-平和的生存権は「誰に」「何を」求めているのかということです。憲法前文は当然憲法の一部ですから、法的性質を有するわけです。その後に続いていく、天皇条項はいいですけれども、いろいろな条文の解釈基準をしっかり示している。前文はそういうものであると私は認識しています。

憲法前文の2段後半には有名な平和的生存権、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」ということが書かれているわけです。文脈上「われら」というのは明らかに日本国民を指すわけです。ではその平和的生存権を有している主体は何かというと、これは明らかにいうまでもなく全世界の人々、全世界の国民ということになるわけです。そういうことを憲法前文に謳い、国民として確認するということをいっている前文を持つ憲法の下にいる私たちに求められていることはいったい何なのか。平和的生存権というのはまさに「恐怖」と「欠乏」というふたつのキーワードから解放されることを意味すると思います。そういうことを謳いながらも、あるいは自分達が「確認する」と言っていながらも、実際にはアフガニスタンとかシリア、パレスチナの人々の生活はなかなか注目されない。とりわけアフガニスタンは注目されないということは私たちのまさに意識の問題、想像力の欠如の問題だろうと思ってきたわけです。

わたし自身は、平和的生存権の確認作業として、憲法で「確認する」といっているわけですから、それを教えている人間ですから、確認作業としての実践あるいは行動に自分自身が時間をつくって現地に行くことを繰り返しやってきました。実際の現地での活動のやり方は9条の精神としての非軍事、非武装そして非暴力が行動の規範になっていくだろうと、ずっと活動を通しても思ってきました。それだけではなくて実は非軍事、非武装、非暴力というものがわれわれ自身を守る、中村さんが殺害されて「やっぱり憲法9条は自分を守らなかったね」という人がいますけれども、それはあまりにも浅はかです。本当に守らなかったら、彼がアフガニスタンということころで30年間活動できないんですよ。巻き込まれることはあります。私も撃たれたこともあります。けれども少なくとも中村さんが30年間活動できたのは、やはり彼を守ったひとつのものは9条だということを皮膚感覚で彼自身も感じてきたと思うし、わたし自身もずっとそういうことを考えて紛争地の中にいました。また非暴力であるということは多数の人々を引きつける力がありますから、大きな効力を持つ、人の力を生むということにもなるだろうと思っているところです。

 私は、研究者として本当はアフガニスタンに行きたいんですね。でもここのところガザに行っているのは、封鎖と、それを世界が黙認しているからです。確かに国連は報告書の中で国際法違反をずっと指摘しているけれども、結局ガザがずっと「野外監獄」であることは、まさに国際社会が黙認していることです。国際法上、あんなに封鎖して監獄になっている状況なんて存在してはいけない、存在し得ないはずです。でも現実的にそれを可能にしているのは何かというと、やっぱり国際社会の黙認であり、それは日本社会も含むものだと思っています。ガザに入っていく。毎年許可が取れるかどうかわからないけれどもなんとかして入っていくのは、細い細い針で小さな小さな風穴を開けて、その積み重ねによって穴を少しずつ広げるという作業をしようと思っているからですね。

中村さんの死とナショナリズム、私たちの想像力欠如

最後になりますけれども、中村さんの死とナショナリズム、そして私たちの想像力の欠如という話をします。中村さんが殺害されたニュースを聞いて、非常に多くの方々がショックを受けたと認識しています。中村さんが亡くなったところは、私が共同代表を務めている「RAWAと連帯する会」というグループ、アフガニスタン女性革命協会を支援して連帯する活動をしている団体が支援している学校は、中村さんが殺された場所のすぐ近くです。今はどこのNGOもアフガニスタンに行くビザは取れません。中村さんは特別ですけれども、もし取れていたら「明日は我が身」だと正直思い、非常に怖いと思いました。そう思いながらいろいろな反応を見ていたときに、3つの違和感を私は感じたんです。

ひとつは中村さんが殺されたことに対して、彼の物語をある種のナショナルな、国民統合の物語にすり替えていく。ナショナリズムと厳格に結びついたかたちで、政府だけではなくて市民の側も過度に英雄視する。彼はすごい人です。誰も真似はできませんけれども、追悼が英雄視しすぎることによって、中村さんが一番嫌がっていた方向にも行っているのかなという気もするし、国民統合のナショナリズムの話になっていくことにすごい違和感をおぼえます。もうひとつは「憲法9条は命を守らなかったね」という一方的な言説が流されていくことに対して、「本当にそうだったとすれば中村さんが30年間あのアフガニスタンで活動できない」とアフガニスタンに研究者としても関わっている私としては非常に強く思うところです。

私たち憲法9条を変えさせないという活動をずっとしている人に対して右派の改憲勢力は、「空想的平和主義者」だとか「幻の平和主義者」だとか「あなたたちは夢想家だ」とかいろいろなことをいって揶揄します。私はそれを聞くたびに「違うよ、私は空想的な人じゃない。現実的平和主義者だよ」と思います。鳩のイメージをいいました。「ぱーんと撃って食べたろか」というのは非常に現実的に思うからであって、現場においてこういう平和のあり方というのはたぶんあり得ることです。私は決して9条を理想的に語っているわけではなくて、皮膚感覚として私たちが生き残るための、そして安全にいることができることの早道だと思っています。また海外に行くときに、紛争地に行くときでも自分を守る術のひとつ、それが唯一ではないけれども、そう思っています。

「中村さんの遺志を継いで」っていろいろな市民運動の方々がいいました。それを聞いて私は冷たく思いました。「誰も中村さんの真似なんてできない」って。あそこまでのことができますか。それでも中村さんの遺志を継いでがんばるというのだったら、アフガニスタンに関わる意志があるんですかって私は思います。ずっと忘れていたじゃないですか。想像力も何もない中でアフガニスタンがどんな状況になっているか。「9.11」以降の対アフガニスタン戦争が終わった後、いまアフガニスタンはタリバン政権のときよりもずっと悪いんですよ。タリバン政権のときはある程度治安が保たれていた。今はもう最低の最悪の状況になっている。それをあなたたちは知っていましたか。中村さんの遺志を継いでやるというのだったら、それくらいの覚悟でいればいいんじゃないのかなと私は思うんですね。

アフガニスタンへの関心へはなかなかつながっていかないということが、私たちの市民社会の矛盾があるのかなと思って、それであの絵本を書いたということもあります。中村さんが亡くなる前からずっとやってきたことだけれども、あの本を書いてきたのはアフガニスタンへの関心をなんとか引き戻すということがひとつはありました。こういう中村さんの死、それからナショナリズムの物語を見ていくと、これらの根底にまさに私たちの想像力の欠如があるのかなということで、いろいろと葛藤しながら悶々としながら、そしてわたし自身もいろいろな想像力の欠如した人間ですので自分を省みながら、また明日も明後日もいろいろなことをちょろちょろと活動していこうかなと思っています。

最後になりましたけれども、わたしはよく言われます。「本当に授業しているのか」って。沖縄の辺野古座り込みで人に会うと、「えっ、授業は」と言われるんですがやっていますよ。学生にこうやって教えています。そういうことをやりながらいろいろなことをやっていこうと思っています。

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「メディアの危機と憲法」

南 彰さん(新聞労連委員長)

私は、2018年9月まで一人の政治記者でした。いま憲法をもし議論するのであれば、公正な形できちんと議論しなければならない、曲解や虚偽がまかり通る状況下でおこなわれるのは、憲法という国の基本を議論する上で望ましくないと指摘してきました。メディアがこの状況下で果たす役割やメディアを巡って起きていること、市民のみなさんのご不審も含めクリアしていかなければならないことなどについて話をさせていただければと思います。

税金を使った公的行事が・・・

最初に、税金を使った公的行事である「桜を見る会」の話です。

毎年4月に「各界の功績者・功労者」を招待する首相主催の花見会としておこなわれてきました。

2010年の民主党政権・鳩山内閣では1万人だった参加者が、2019年、安倍内閣が7年あまり続く中で1万8千人、およそ2倍にふくれあがった。しかも、招待客の半分は、官邸や自民党関係者で、安倍首相や妻の昭恵さんのお知り合いだったり、選挙区の後援会員などを大量に招待しているということで、「これは税金を使った買収ではないか」との批判が上がっている案件です。

さらには、疑惑を逃れようとするあまり、安倍政権による資料廃棄や嘘の答弁が、昨年の秋以降ずうっと続いています。

今起きている状況をみて、「あの時に、政権としてしっかり反省していれば良かったんじゃないかなあ」と思うことがあります。それは、2017年、森友学園・加計学園の問題が起きていた時です。2017年8月8日の官房長官記者会見で、こんなやりとりがありました。質問した記者は、私なのですけれども。

・記者 「ある政治家は『政府があらゆる記録を克明に残すのは当然。その政策を怠ったことは国民への背信行為だ』と記している。そのことを本に記していた政治家は誰だか分かりますか?」
・菅官房長官 「知りません」
・記者 「官房長官の著作に書かれています」

2012年3月、当時は民主党政権が3・11以降のいろんな対応で苦しんでいて、混乱の中、政府の記録が残っていなかったことが明るみに出る中で、野党議員であった菅官房長官が、こうした立派な公文書に関する所見を述べていました。森友学園・加計学園の問題で、「怪文書のようなものだ」と切って捨てたり、いろいろな批判について本当に反省していれば、今回の「桜を見る会」をめぐる一連の対応のようなことが繰り返されなかったのではと、強く思うところです。

#募ってはいるが募集はしていない 
#合意はしたが、契約はしていない

いくつか典型的なことを挙げます。「募ってはいるが募集はしていない」。

昨年11月8日、共産党の田村智子さんから最初に質問を受けた時に、「招待者の取りまとめなどにはいっさい関与していない」と首相が言い切ってしまったが故に、そこからいろいろな取り繕いが始まります。

いろいろなことが明るみに出る中で、11月20日には、「事務所から相談を受ければ意見を言った」とは認めます。さらに今年の1月28日の衆議院予算委員会で、コピーを使って家族や知人も事務所に申し込めることが明記された安倍事務所作成の文書を突きつけられ、「幅広く募集しているじゃないですか。このことを総理はいつから知っていたのか」と野党議員から追求されると、「幅広く募っている認識だった。募集している認識ではなかった」と。「#募ってはいるが募集はしていない」とのハッシュタグが、かなり拡散する状況でした。

もひとつ、「合意はしたが、契約はしていない」。

「桜を見る会」前日に前夜祭をANAホテルとホテルニューオオタニでおこなっていましたが、会費は格安の1人5000円だったと。

政治家であれば大規模な会を開けば政治資金収支報告書に記載すべきところ記載もないと問題になっている中で、首相は「自身の事務所の職員が集金し、ホテル側に渡しており、主催の後援会には収支はないからいいのだ」として、「政治資金収支報告書に夕食会を記載する必要はない」との見解を繰り返します。今年に入って、「ホテル側と合意がなければ、参加者に5000円と伝えることができない」ということで、事務所がホテルと合意したとの認識を示す一方で、「あくまで契約主体は参加者個人」だと言い張っている状況が続いています。

政治部記者への不信感

こうしたメチャクチャな答弁が続いている状況があって、まさにそこをしっかりメディアとして、とりわけ近くにいて権力を監視すべき政治部の役割が今問われているところだと思います。残念ながら、私も政治部の記者を10年あまり続けてきて、その一員であり古巣でもあるのですが、そこに対する不信感を非常に強く感じるところです。

 まず、なにより、年々招待者が増えている「桜を見る会」や「前夜祭」を政治部の記者がその場で見ていて、すぐ近くで監視をするという使命を負っていたにもかかわらず、問題点を指摘することができていなかった。

しかも、昨年11月上旬にこのことが問題となって、各社が下関に行って文書をとったり取材をして報道を始めたその最中です。疑惑の渦中にいて説明をしなければならない安倍首相と官邸記者クラブに所属する新聞・通信社・TV局のキャップが会食することが11月中旬に起こりました。それが首相動静で出ると、「記者は飼いならされている」「腐った権力を支えてきたのはメディアなのではないか」など、様々な批判がわき起こりました。官邸キャップと総理が会食した中華料理店の会費は6000円で前夜祭より高く、ちゃんと割り勘です。

 いろんな疑惑を抱えた総理が、11月15日に開始10分前に「これから説明するから」と言って、一方的にまくし立てたぶら下がり記者会見をやりました。その後、説明の矛盾点がいっぱいあるから、きちんとした説明の場が必要だという世論が高まっていく中で、官邸クラブとして記者会見の要請を出してもいないにもかかわらず、非公式な懇談を優先してしまった。もちろん、「安倍総理や今井秘書官が、この疑惑の渦中でどんな顔をしているのか」など、懇談でいろいろ観察したいことがあるという気持ちはわかります。けれど、この状況下でしっかり公の場で説明する責任を果たさせ、その上で様々な取材をするという原則を踏み外す行動に対して大きな批判が巻き起こりました。

新聞労連に寄せられた現場の声

私のところにも、現場の政治部の記者を含めて、いろんな声が寄せられました。

「腐った権力を支えているのはメディアではないのか」、「キャップの命令で疑惑追求の取材を重ねているけれども、そういう形で裏切られてしまっては、国民・市民に信頼されなくなる」と、メールを寄せてくれる人もいれば、私の所に電話をかけてくる人もいました。悔し涙を流しながら窮状を訴える人もいました 。私も、市民に信頼される報道を目指して頑張っている現場の記者の心を折れさせてしまっているメディア上層部の意識とは一体何なのか、ここは本当に変えなくてはいけない、との表明をしました。

新聞労連としても、この事態を重く受け止めて12月2日に、オープンな記者会見をやるべきだとの声明を出しました。
新聞労連声明(昨年12月2日)

「オープンな首相記者会見を求める」

○公権力側が特定の取材者にだけ質問を認めたり、一方的に会見を打ち切ったりするなどの、恣意的な運用のない状態で、オープンな首相の記者会見を行うべきである。

○多岐にわたる疑惑を確認するには、十分な質疑時間の確保も必要だ。報道機関の対応にも厳しい視線が注がれており、報道各社は結束して、オープンで十分な時間を確保した首相記者会見の実現に全力を尽くすべきだ。

しかし、残念ながら、このことはまだ実現していません。エンジン役にならなければならないのは官邸クラブ・政治部で、今の官邸での総理会見では限界があるということで、もう少し思い切った対応をしていかなければならないと思います。依然として課題として積み残っているという状況があります。

テレビ局への攻勢

政権とメディアということにおいて象徴的に現れているのはテレビ局への攻勢だと思います。政権中枢のスタッフは、テレビの影響力を非常に気にしています。

今、新型コロナの話題がどんどん出ている中、総理が2月17日の衆議院予算委員会で「テレビCMでの注意喚起を今日から始めます」と言い始めました。

私は、これを額面通りには受け取れないと思いました。税金を使って政府広報をやるのであれば、大前提があるべきだと思います。見てきたように、情報公開、政府の説明責任というものに対して信頼を失っている。この人たちが言っていることは本当なのかと疑われている。そうした中で、政府がいくら広報しても税金の無駄遣いになってしまうだろうと。もうひとつ非常に引っかかったのは、「何でテレビCMという形なのか」ということです。今、新型コロナの検疫の対応について問題があると指摘されていますし、「桜を見る会」問題などがある中で、結局、テレビ局の幹部に対するCMという形での懐柔策だとすれば、税金の無駄使いであり、国民にとって害悪にしかならないと指摘をしました。

社外スタッフ突然の契約終了通告

テレビ局の問題で、深刻な状況が現れているのがテレビ朝日の日本有数の報道番組として、『ニュースステーション』の時代から視聴されている『報道ステーション』です。

昨年12月に、番組を支えてきた社外スタッフ10人~12人が、今年の3月いっぱいで一斉に契約終了という問題が起きました。経緯を振り返りますと、契約終了の通告は突然でした。自民党
・世耕参院幹事長の記者会見終了後の映像の取扱いをめぐって、世耕さんの方から「問題がある」とツイッターなどで発信があり、昨年12月11日にテレビ朝日が謝罪に追い込まれるということがありました。

12月16日から18日にかけて、テレビ朝日に派遣していた制作会社・各プロダクションに在籍スタッフの契約終了通告がはじまります。12月20日、本番後の反省会で、佐々木毅・報道番組センター長が「体制刷新」を説明し、チーフプロデューサーも社外スタッフの方も代わってもらうという表明がありました。

社外スタッフというと、皆さんは、どういうイメージを持たれるでしょうか。社外スタッフというのは、番組の中核をなすメンバーです。ニュース担当のディレクターとかデスクを務めている方で、例えば、中東情勢や沖縄の基地問題について追いかけていたり、あるいは、原発や災害の問題などのスペシャリストとして報道に精通した方が揃っていました。「桜を見る会」の報道では、それまでテレビ朝日が入手していなかった文章を入手して報道に繋げるとか、優秀なスタッフです。10年以上のキャリアを積んだ方がほとんどで、 社内でもしっかり物を言える、進言できるスタッフで、その方たちが、一斉に蹴られるという状況です。

2月13日に緊急院内集会を開きましたが、立憲民主党の国会議員になられたTBSで「ニュース23」にも関わられていた杉尾秀哉さんが、「番組を誰が支えてきたのか?手練れのディレクターです。番組の中核部隊であり、『番組のカラー』を決める人たちが切られようとしている」という指摘をしました。

宙に浮く昨年末の約束

この件については、新聞労連や民放労連が加盟している「日本マスコミ文化情報労組会議」(MIC)という 日本のメディア関係労組の集まりがありまして、そこでも、これは事実上の日本有数の報道番組の解体であり、何よりも、労働者の権利と尊厳を著しく傷つける重大な問題であるので撤回せよ、と契約者側と掛け合っているところです。
テレビ朝日の労働組合が、問題が起きた後に会社側との話し合いをし、会社側は3つの約束をしました。

【労組側への約束】

しかし、およそ2ヶ月経っているにもかかわらず、半数以上のスタッフがまだ行き先が決まっていないという状況が続いています。しかも、番組をリニューアルするといってスタッフを交代させたにもかかわらず、新スタッフの確保も不透明な状況が続いています。未だにネット上では「報道ステーションのディレクター募集」ということが出ています。人手不足といわれている中、安心して働ける環境ではないし、なかなか人が集まらない状況が続いています。

また、番組の「リニューアル」についても未だに説明がなく、内々聴いているところでは、「音楽とセットが変わるだけだろう」と言われています。では何で、番組に進言でき、権力とも対峙してきた人たちが切られなければならないのか、ということがあります。

当事者からは、次のような声があがっています。

(1)今日何を伝えるべきか、世の中に届けなければならないことは何なのか、時には闘いながら、毎日の放送を出してきた。今回の事態は、そうした現場スタッフの姿勢を否定するもの。ひいては視聴者の知る機会を奪い、報道機関としての役割を果たすことができなくなるのではないか。

(2)少しでも政治や社会や日本が良くなればとの思いで、番組のため10年以上を尽くしてきたのにまるで使い捨てされたようで残念です。

ちなみに、今回契約打ち切りになった社外スタッフの人たちは、世耕さんの件とは全く関わっていません。一部誤解があるのですが、世耕さんの件はあくまで社員が関わった件で、社外スタッフは全く関わっていない。政権との緊張関係もある『報道ステーション』という報道番組を支える社外スタッフは、ここは大丈夫、ここは危ないと、勝負しながらも敏感にわかる人たちなので、ああいう軽率なことはしません。それを安易に行ってしまったテレ朝の社員も番組から去るけれども、なぜかそれと一緒のタイミングで良心的に番組を支えてきた社外スタッフが交代させられるという理不尽なことが起きています。

番組関係者

テレ朝の中で番組支えてきた関係者や社員たちも、「こんなことをすれば番組を崩壊させるのといっしょだ」と、つぎのように言っています。

○「10人以上も、それもベテランで、それぞれの課題に精通しているディレクターやデスクで、それを一度に派遣切りするのは、番組を崩壊せるのと同しです。長く番組を担当しているのは、それだけの能力を備えているからです。番組は続いても、内容が劣化してしまう」

○「今後は『番組の方向性が間違っているのでは』と思ったとしても、発言は控えてしまうかもしれない。これがテレ朝の最大の目的だったのではないかとも思ってしまう」

雇用不安が、メディア、ジャーナリズムの萎縮につながってしまう、そうした深刻な状況にあって、今回の対象となった10人~12人の契約打ち切りを撤回させ、元通り『報道ステーション』で働ける環境を作ることが、もちろん第一の目標であると同時に、他にも悪影響が波及しかねないと思っています。何とかして皆さんと一緒にこの状況を変えていかなければならないと思っています。

権力側のメディア観

では、メディアを権力側はどのように見ているのかということについてです。私は2018年9月に新聞労連委員長になりましたが、その直前の自民党総裁選まで政治記者として取材をしていました。2018年5月下旬に自民党本部で、広報戦略について党幹部を交えて会議をしているその前をちょうど通りかかりまして、漏れ伝わってきた会話ですが、こんなことを言っています。

アベマTVというのは、テレビ朝日とインターネットメディアであるサイバーエージェントが共同出資して作ったインターネットテレビ番組です。このインターネット番組の21時の枠でどんな番組をやっていたのかということです。

2017年10月8日、森友学園・加計学園の問題が起きる中で安倍総理が衆議院解散・総選挙に打って出て10月10日公示の2日前です。普通のテレビ番組や新聞であれば、各党との公平性を配慮して気を使う時期だったのですが、この時期に安倍総理が1時間単独で出演するというアベマTVの番組がありました。この中でどんな会話がなされたのか。この番組のMCは、テレビ朝日番組審査委員会の委員長を務めている幻冬舎社長の見城徹さんがやっています。はじめ、見城徹さんの「今日はすばらしいゲストをお迎えしている。第97代内閣総理大臣安倍晋三さん。僕は安倍さんのファンで、ずっと日本の国は安倍さんでなければだめだと発信しています」というところから始まりまして、隣のアシスタントの女性が「ダンディーでかっこいい方ですね」。そして、さらにゲストが続きます。

この日は午後1時から3時過ぎまで日本記者クラブ主催の党首討論会が開かれていて、森友学園・加計学園について聞かれた後の番組だったので、総理も嬉しくなりました。「今日は、そうやって褒めていただいて、本当にうれしいです」。こうした話のあとに、見城さんが「メディアの話は後でするということで、せっかく来ていただいたので安倍総理の話を聞きましょう」と言って、総理が自説を1時間も開陳する、そういう番組がありました。

日韓関係をめぐる報道でも…

日本政府が昨年7月に韓国政府に対する輸出規制をおこない非常に政治対立が激しくなっていた時期です。政府も、やはり輸出規制をするということは自由貿易を謳っている国において非常にマイナスだという意識がありまして、「輸出規制」という言葉について神経を尖らせていました。朝日、毎日、日経、そして、NHKも「輸出規制」という言葉を使っていたのですが、当時経産大臣を務めていた世耕弘成さんが、そのNHKに対して、「韓国への対応についてコメントを求められたから、ちょうどいい機会なので、NHKは正確な言葉である『輸出管理』という言葉を使うべきであると指摘しておいた。これは報道で使われるだろうか」と素早くツイッターでつぶやき、瞬く間に広がった。その後、NHKは、「輸出管理」という言葉に落ち着くということがありました。日経もその後、「輸出管理」という言葉になっています。

メディア環境の変化

報道と取材先のかつての関係が大きく変化していると思います。かつては、記者クラブに所属している既存メディアである新聞・テレビを通して、はじめて市民に情報が伝達されるという関係があったと思うのですが、今は、政治家の方が、様々なSNSで市民にダイレクトに発信できますし、また、ネットメディアも多様です。既存メディアに頼らずとも、どんどん情報を発信できる状況になっています。情報の出口を独占するというメディアの力がなくなる中で、分断と選別が、様々に進んでいる状況だと思います

そうした中で、政権側の一方的な強弁とか虚偽がまかり通る状況になっています。この右側は、朝日新聞の取材班が出した森友学園・加計学園の本です。左側は安倍総理に近い文芸評論家である小川榮太郎さんが出した「朝日新聞による戦後最大の犯罪報道」という本です。2つ比べた時に、どっちが売れているかというと、残念ながら小川榮太郎さんの方が10倍売れている。そうしたものがどんどん広がっていく。

また、慰安婦の問題をめぐっても、吉田清治さんの証言が間違っていることは、朝日新聞も明確に認めているところですが、何故か、その後に1990年代初頭韓国で慰安婦の証言を初めて報じた朝日新聞の植村隆さんに対するに対するバッシング、これが、まことしやかに定着してしまった 。いろんなメディアの分断も含めてそれらと戦っていかなければならないと思います。
日本のメディアに対しては、2017年に国連特別報告者デービッド・ケイさんが、苦言を呈し、警告をしています。

●デービッド・ケイ氏(2017年)

変革は女性から

 今まで暗い話をしてきたのですが、最後にお話ししたいのは「変革は女性から」です。メディアの中の女性から、いろんな変革が生まれつつあることを紹介したいと思います

2018年4月に当時の福田淳一財務事務次官が、テレビ朝日の記者に対してセクハラ問題を起こしました。その後、メディアで働く女性ネットワークが全国の100人規模でできました。今、130人~140人になっていると思いますが、記者を中心にネットワークを作って、セクハラ問題に限らず、メディア内部で私たちが抱えてきたいろんな問題を、権力との関係も含めて発信をしています。そのメンバーは、新聞労連の女性役員としても加わってきていて、30人の役員のうち11名が女性になりました。37%なのですが、大きな牽引力となって、様々な発信をしているところです。

官邸記者クラブの空気に流されず、疑惑を追及した東京新聞の望月衣塑子記者に対する質問制限・妨害に、MICが日本のメディア労組では初めて昨年3月14日に首相官邸前で抗議活動をおこないました。この時、現役の記者が7人マイクを握るという異例のアクションでした。その時も女性記者が多くマイクを握ってくれました。このことについて、国連特別報告者デービッド・ケイさんも「市民社会とメディア労組が連帯を強める動きを歓迎する」と歓迎の意を表明しています。

記者会見の問題は続いていますが、官邸クラブ側の言い分に対して、新聞労連の女性役員の一人である毎日新聞の中川聡子さんが発信していて、内部から変えていこうという牽引力になっていると思います。

中川聡子さんの発信

「報道事変」とネットワークの必要性

まとめになります。 今起きていることは、私は「報道事変」という言葉を使っています。メディア環境が大きく変わる中で、権力との関係を含めて危機的な状況にあると思います。情報の出口を独占できなくなった中で、メディアの相対的な地位は低下しているし、新聞で言えば発行部数が落ち、ビジネスモデルが崩れている。どう支えてもらうか問われている状況です。

政治の方は、平成の30年間をかけて官邸の一極集中をどんどん進めてしまった。そこからどう情報を取るのかという改革をメディア側が怠ってきたと思います。一方で、権力から様々なフェイクニュースや曲解・虚偽に満ちた情報が発信されることがまかり通る状況の中で、信頼する情報を求めるニーズの高まりも市民の中から出てきています。新しいメディアと市民の関係性、ネットワークの構築を我々は考えていかなければならないし、ましてや憲法という国政上の大きな課題になっている中では、とても大切なことだと思います。その時のキーワードは、女性の皆さんの活躍・発信に象徴されるように「多様性」で、それをメディアの中で確保し、一つの対抗軸にしていくことではないかと思っています。

「救命ボート」の必要性も

志のある現場のメンバーを含めて心が折れないような仕掛けをいろんな形でやっていかなければならないと思っています。昨年12月からテレビの報道番組や映画、ドキュメンタリーを制作している有志が、例えば国会中継のおかしさとかを映像化してネットにあげるというプロジェクトが始まっています。「CHOOSE Life Project」というのですが、テレビ局で報じられなくなってしまっている、目詰まりを起こしていることを報道現場にいる良心的なメンバーが発露するプロジェクトです。

韓国で『ニュースタパ(打破)』が、市民の後押しで育ったわけですが、日本版『ニュースタパ』ともいえる動きです。現場で志を持ってなんとか変えたいと思っているメンバーのいろんな形での支え、そして、市民との関係性をしっかり築いていくことを全体としてやっていかなければならいと思っているところです。新聞労連は、ネクストジェネレーションを合い言葉に進めていますが、将来世代が安心して活躍できる、真実を報道し社会に考える材料を提供できる環境を作っていかなければならないと思います。

市民のみなさんとの関係性もしっかり築いていきたいと思いますので、引き続き、いろいろ議論をさせていただきながらご支援いただければと思います。

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東京高等検察庁黒川弘務検事長の定年延長に関する閣議決定の撤回と黒川検事長の辞職を求め、検察庁法改正案に反対する共同声明

2020年3月24日
東京高等検察庁黒川弘務検事長の定年延長に関する閣議決定の撤回と黒川検事長の辞職を求め、検察庁法改正案に反対する共同声明

改憲問題対策法律家6団体連絡会
戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会

1 黒川弘務検事長の定年延長を決めた閣議決定は違法
安倍政権は、2020年1月31日、同年2月7日に定年退官する予定であった東京高検検事長の黒川弘務氏を同年8月7日までその勤務を延長することを閣議決定しました。
定年延長の狙いは稲田伸夫検事総長の後任に充てる目的であるとも指摘されています。
この定年延長は、検事総長以外の検察官の定年を63歳と定める検察庁法22条に違反しており、安倍内閣が定年延長の根拠にあげる国家公務員法81条の3は検察官には適用されないとする立法当時からの一貫した政府解釈にも反しており、黒川検事長の定年延長は法的根拠を欠く違法な閣議決定に基づくもので、無効というほかありません。検察官人事に不当に介入する本件閣議決定は、独立公正であるべき検察庁の地位を侵し、ひいては刑事司法制度の独立に対する不当な介入に道をひらくものであって強く抗議します。

2 安倍政権による国政の私物化をこれ以上許してはならない
安倍政権はこれまでも、2013年に内閣法制局次長を昇格させるのが慣例であった内閣法制局長官に外務省出身の小松一郎氏を任命して、集団的自衛権について政府解釈を180度変更させ、その後の安保法制(戦争法)の制定に繋げるなど、慣例に違反する人事を行って、政治を私物化するに等しい権限の濫用を繰り返してきました。
本件定年延長は、単なる慣例違反を超えて、法律に明確に違反するものであり、安倍政権の国政の私物化は、近代国家の骨格ともいうべき法治国家を掘り崩す「暗愚な暴挙」です。
現在、自民党を離党した秋元司衆議院議員に対するカジノを含む統合型リゾート(IR)事業の汚職事件や自民党の河井克行前法務大臣、河井案里参議院議員に対する公職選挙法違反事件に加えて、安倍首相自身も「桜を見る会」に関連する政治資金規正法違反や公職選挙法違反などの疑惑が浮上しています。この点から見ても、権力の中枢が「腐りつつある」中で、検察の「法と秩序」を守る中立・公正な職務への国民の期待をゆるがせにはできません。
黒川検事長の定年延長は、自らに近い人物を検事総長に据えて、一連の事件の捜査が進むことを阻止し、政権の保身を図ることにあるのではないかと言われています。これは、「厳正公平、不偏不党」という検察庁の理念を根底から脅かす究極の権力の私物化にほかなりません。

3 検察庁法改正案に断固反対する
政府は、2020年3月13日、検察庁法改正案を国会に提出しました。改正案は検察官の定年を国家公務員等の定年に合わせて段階的に65歳とする規定のほか、1947年の検察庁法制定以降、認められてこなかった検察官の定年延長を、内閣ないし法務大臣の判断で認める規定が設けられています。また、次長検事、検事長、検事正、上席検事などの役職者は、原則として63歳で役職を退くが、内閣ないし法務大臣が必要と判断した場合は、63歳を超えて役職にとどまることができるという例外規定が設けられています。これらの定年延長に関する諸規定は、黒川氏の定年延長閣議決定後に、急遽、加えられたものと指摘されています。
かりにこのような検察庁法改正法案が成立しても、施行は2022年からであり、今回の違法な黒川弘務検事長の定年延長が遡って適法になるはずもありません。刑事事件の捜査・起訴等の権限を持ち、準司法的職務を担うことから、政治からの独立性と中立性の確保が特に強く要請される検察官の人事に違法不当に介入する「汚点」がぬぐえるわけではありません。しかし、この検察庁法改正案は、検察官全体の人事に、政権が恒常的に介入することを合法化し、刑事司法の独立と公正を蹂躙し続けるものであることから、その影響は計り知れません。
黒川弘務検事長定年延長問題に対して、これだけ多くの批判が出ている最中、真摯に反省し説明責任を果たすどころか、逆に、すべての検察官の定年人事に恣意的な政治介入を許す法案を国会に提案すること自体、厳しく糾弾されなければなりません。また万が一にも数の力でこれを強行しようとすることは、政府与党が法治国家の誇りも保障もかなぐり捨てる暴挙であって、これも厳しく糾弾されなければなりません。

4 まとめ
以上のとおり、私たちは、憲法秩序を破壊し、法の支配を蹂躙する安倍政権に強く抗議し、黒川弘務東京高検検事長の定年延長を認める閣議決定の速やかな撤回と、黒川弘務検事長の即時辞職を求めるとともに、今般国会に提出された検察庁法改正案の撤回を求めるものです。
以上

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