通常国会が始まって1か月あまりがたった。この間の国会の議論があきれ返るほどめちゃくちゃになっている。こんな低水準の議論の国会がかつてあっただろうか。あらかじめ言っておくが、与野党共に責任が、などという話ではない。責任は挙げて安倍首相を頭とする内閣と、与党にある。与党の中でも、石破茂元幹事長などはこのていたらくぶりを恥ずかしがっている。
予算委員会をはじめ国会の論戦での首相や閣僚の答弁がいい加減であることに加え、国会の論議を経ないで重要課題の「閣議決定」などが繰り返されている。これでは3権分立や議会制民主主義は崩壊してしまう。いや、既に崩壊していると言ってよい。
自衛隊の中東沖派兵は国会の議論もないまま、NSCの決定に続く閣議決定で強行された。かつては憲法第9条との整合性の問題もあり、時期と場所限定で、解釈をする特別措置法を作って強行した。今回は特措法もない。
あとで詳しく見るが、黒川検事長の定年延長は国家公務員法の解釈変更で実施された。目的は汚職と腐敗、脱法、違法を重ねてきた安倍政権の訴追逃れにあることは疑いない。
「桜を見る会」の首相答弁では「(参加者を)募ったが募集していない」などという、日本語にもならない珍答弁で居直った。「桜を見る会」の前夜祭のホテルの明細書は「例外なく主催者に発行する」という全日空インターコンチネンタル・ホテルの明確な回答を無視して、安倍事務所による桜を見る会の「個別案件は回答に含まれていない」などと強弁して逃げ回る始末だ。
新型コロナウイルス感染症が急増しているなかで開かれた政府の対策会議には、小泉進次郎環境相、森雅子法務相、萩生田光一文科相の3人が地元選挙区の会合に出席して欠席しただけでなく、安倍首相の出席時間も数分程度だったという始末だ。人びとが極度に苦しんでいるこの事態を真剣に解決しようと言うそぶりすら見えない。あまつさえ、なんと「ショックドクトリン改憲論」よろしく、コロナウイルスを利用して緊急事態条項を憲法に導入すべきだなどとご都合主義の改憲論を騒ぎ立てる。こうしたご都合主義の政治のもとでは死者も罹病者も浮かばれない。
今回の、東京高検の黒川検事長の定年延長問題はこの安倍政権の悪政を象徴している。
2月7日で定年退官する予定だった高検の黒川弘務氏の定年延長が1月31日の閣議で決まった。従来から65歳が定年の検事総長を除き、検察官の定年は63歳だ。2月8日に63歳となる黒川氏は、検事総長に昇格しない限り、誕生日に定年退官するはずだった。官邸はその直前に、「業務遂行上の必要性」を口実に過去に例のない定年延長に踏み切った。
現検事総長の稲田伸夫氏は今年7月末に、総長に就任して満2年を迎える。今回の措置は、この後任に官邸べったりで知られている黒川氏を検事総長に起用するための措置だと言われている。
こうすることで、政権中枢に及ぶ動きを見せている野党のモリカケ疑惑追及や桜を見る会追及をかわす布石を打ったに相違ない。さももっともらしく、「業務上の必要性」はニッサンのカルロス・ゴーン問題であるかのようににおわせるが、この程度の追及は誰が検事長でも可能なものだ。
安倍晋三首相は2月13日の衆院本会議で、黒川検事長の定年を半年延長した閣議決定は、法解釈を変更した結果だと答弁した。「検察官も国家公務員で、今般、検察庁法に定められた特例以外には国家公務員法が適用される関係にあり、検察官の勤務(定年)延長に国家公務員法の規定が適用されると解釈することとした」と述べた。本件での森法務相や人事院の松尾恵美子給与局長の答弁は2転3転し、政府答弁は完全に破綻している。
あまりのひどさに2月19日に法務省で開かれた法務・検察幹部が集まる検察長官会同の場で、出席した地方の検事正が検察庁法14条の指揮権発動の条文を読み上げたうえで、「検察は不偏不党でやってきた。政権との関係性に疑念の目が向けられている」「このままでは検察への信頼が疑われる。国民にもっと丁寧に説明をした方がいい」との異例な覚悟の提案が行われたという。
いまや安倍政権は自らの不正と腐敗への追及をかわし、延命を図るためには検察を私物化するまでになった。これを「独裁政権」という以外に何と呼べばいいのか。
こうした国会軽視がまかりとおるなかで、自らの任期中の改憲をめざす安倍晋三首相(自民党総裁)にとって、事実上、最後の1年となる自民党大会が、この3月に開催される予定だ(コロナウィルスとの関連で延期が決まった)。すでにその「2020年運動方針」がメディアで伝えられている。
運動方針原案は「みんなが輝く令和の国づくり」と題し、冒頭に「憲法改正」を取り上げ、「新たな時代にふさわしい憲法へ」と題した章立てをして、「改正原案の国会発議に向けた環境を整えるべく力を尽くす」と党の決意を鮮明にした。憲法問題を独立した章として前面に打ち出したのは、第2次安倍政権発足後、初めてのことだ。
そして「未来に向けた国づくりに責任を果たすため憲法改正を目指す」とのべ、昨夏の参院選で「『議論を前に進めよ』との国民の強い支持を得た」とそれを正当化している。そして衆参両院の憲法審査会で早期に「各党各会派の枠を超えた議論」をするよう求め、「各党各派からの意見・提案があれば真剣に検討するなど幅広い合意形成を図る」とした。
安倍首相はこのところ、くりかえし先の参院選で「改憲論議を前に進めよ」との支持を得たと言っている。これは嘘だ。参院選で首相が述べたのは「憲法について議論をする政党を選ぶのか、しない政党を選ぶのか。それを決める選挙だ」ということだったが、憲法論議に反対する野党はない。それどころか国会の予算委員会で憲法論議も含めて積極的にやるべきだといったのは野党の方で、与党は予算委員会の開催に応じなかったのが実情だ。
憲法審査会は議論の出口が改憲原案の作成にあるので、これを前提とした論議に賛成しないのは改憲反対派であれば当然のことだ。安倍首相は論点をすり替えている。
このところ自民党は改憲反対勢力との草の根での対決を主張している。「運動方針」では「国民的議論を前進させるために党を挙げて活動展開する」とか、「遊説・組織委員会を作る」「全国で憲法改正研修会を開催する」とかポスターを作るとか「女性向けのパンフレットをつくる」など各地での運動展開強化の方針を強調している。
この間、全国の市民運動は改憲発議反対などの署名運動に取り組み、草の根での「対話」運動に力を注いできた。いよいよ改憲問題は「草の根」での対決という正念場にきた。
「安倍9条改憲NO!全国市民アクション」は本年年頭から「安倍9条改憲NO!改憲発議に反対する全国緊急署名」を呼びかけている。この緊急署名の呼びかけは安倍首相が「任期中の改憲」にこだわり、いよいよ改憲をめぐる草の根での闘いが正念場に来たという情勢認識によるものだ。
安倍首相は1月6日の「年頭記者会見」では「憲法改正を私自身の手で成し遂げていくという考えには全く揺らぎはない。しかし、同時に、改憲のスケジュールについては、期限ありきではない。まずは通常国会の憲法審査会の場において、与野党の枠を越えて、活発な議論を通じて、国民投票法の改正はもとより、令和の時代にふさわしい憲法改正原案の策定を加速させたい」とのべた。
1月7日の「自民党仕事始め」では憲法改正については「私たちに課せられた大きな責任だ。大きな歩みを進めていこう。それが自民党の歴史的使命でもある」と改めて強調した。
安倍首相は55年体制成立以来の自民党の歴史に思いを馳せ、改憲は歴史的使命だと自らを鼓舞して「自らの『手で』改憲をする」と言明する。それは安倍総裁の任期である2021年9月までに改憲を実現するということだ。「改憲」という立憲主義の最大の問題が、この愚かな首相の「レガシーの問題」として扱われていいはずがない。
このことが、今後の政治情勢を考えると、スケジュール的にもいかに困難であるかは安倍首相自身が知るところだ。だからこそ、「(改憲スケジュールの)期限ありきではない」と言わざるを得ない。
安倍首相がねらう国会での改憲論議がうまく進まなければ、残された手段は衆議院解散、総選挙だ。2021年9月までは参院選はない。時期的に考えれば2020五輪の前後など諸説あるが、安倍改憲の成否は、そこで自民党、あるいは改憲派が大勝できるかどうかにかかっている。先の参院選で、96条が規定する3分の2を割った改憲派が、改憲可能な3分の2を両院で回復するには、いま安倍改憲反対を主張している国民民主党などを大きく分裂させ、改憲派に取り込む以外にない。そのためには衆議院で改憲派が3分の2を大きく上回る議席を確保できるかどうか。改憲派にとっては3分の2をぎりぎり上回る程度では参議院の改憲反対派を大きく分裂させることはできないし、発議は困難で、もし可能になったとしても国民投票の勝利は確約できない。
この結果は、とりわけ289の衆院小選挙区での野党の結束したたたかいいかんにかかっている。野党が人々にとって魅力ある共通政策を勝ち取り、統一候補を立てて、自公改憲勢力の候補を打ち破ることができるかどうかだ。
野党共同の動きと関連して「れいわ新選組」の候補者擁立と野党統一の足並の乱れが注目されている。この問題の解決は、安倍政権を打ち倒すという緊急の課題で、各野党が協力することであり、そのうえで政策上の共通を見つけ出すことであり、この点でお互いがリスペクトしあって、共闘することだ。間違っても、1党1派の議席増を優先させるセクト主義的な党利党略優先の路線は許されない。2016年以来の野党と市民の共同の経験と教訓はここにある。かつての道を歩んではならない。勝利する鍵はここにこそある。
安倍改憲派NO!という世論の壁が安倍改憲に立ちふさがっている。
時事通信の1月の世論調査で安倍政権下での憲法改正の是非を調査したが、「反対」が45.9%に上り、昨年8月の前回調査より4.6ポイント増加した。「賛成」は0.9ポイント減の31.2%だった。
共同通信社の2月の世論調査では、安倍政権下での改憲に「反対」が56.5%で前回より4.3%減、賛成は33.3%で2.6%減だった。
時事、共同の両調査で、安倍改憲に反対が賛成を大きく上回っているのは明らかだ。同時に行われたこの両調査では内閣支持率も不支持率を下回っている。
共同通信社の全国緊急電話世論調査によると、安倍晋三首相の下での憲法改正に反対は47.1%で、賛成38.8%を上回った。
先の改憲スケジュールとの関連で考えると、安倍改憲は2020年、この1年の世論の動向が決定的な影響を及ぼすことは明らかだ。長期政権の安倍内閣の下で、この弊害は政治の世界に蔓延している。安倍政権による政治の私物化、権力の私物化、腐敗はもはや目に余る。人々の政治への不信は日に日に増大し、「政府の危機」が進んでいる。
目下提起されている「改憲発議反対」の全国緊急署名のとりくみは、すでに全国各地で「スタート集会」などが企画され、運動が始まった。この運動を大きく成功させよう。草の根での対話運動を強め、改憲発議反対の世論を強め、安倍政権を追い詰め、打倒し、市民と野党の共同の力で必ず政治を変えようではないか。
(事務局・高田健)
中尾こずえ(事務局)
自宅の近くに、市民がつくる日本・コリア交流の歴史博物館、認定NPO法人の高麗博物館がある。ここでは年に3回程企画展が開催される。当館の目的は3点。「1、日本とコリアの間の長い豊かな交流の歴史を見える形で表し、相互の歴史・文化を学び、理解して友好を深めます。2、秀吉の二度による侵略と近代の植民地支配の罪責を反省し、歴史の真実に真向かい日本とコリアの和解をめざします。3、在日韓国・朝鮮人の生活と権利の確立を願いながら在日韓国・朝鮮人の固有の歴史と文化を伝え、民族差別のない共生社会の実現をめざします。」というものです。
常設展示コーナーでは近・現代に至るまでの日本とコリアの関係が時代を追って展示されている。新羅の王冠や百済の香炉など国家のレプリカ。そして、在日コリアンが生きた戦後史、詳しく綴られた年票。日本とコリアの関係の歴史には豊かな関係と不幸な関係が混在している様子が分かりやすい。歴史の真実を伝える工夫が凝らされている。また、コリア文化コーナーでは豪華な彫刻を施した箪笥、鏡台、棚などの家具や調度品。朝鮮王朝時代の官服、装着品類が美しい。チャンゴ、プク、チン、テグム、カヤグム、などの楽器もみられる。チマチョゴリの試着もできる。イベント(コンサート、芝居、講演会など)の開催。また、テーマ別に研究会や勉強会も行っている。決して広くはないスペースだが多彩な取り組みが企画、運営されています。
3・1独立運動から100周年の昨年、高麗博物館は5か月間にわたって3・1独立運動関連の展示とイベントが取り組まれた。会場に足を運んで来た人びとに「歴史に学び、同じ過ちを繰り返さないことを誓い合おう。」と無言のうちに呼びかけているようであった。「独立宣言」は東アジアの平和への思いが刻まれている。
おりしも、徴用工問題で政府は過去の植民地支配を認めず、謝罪も賠償もしないという態度を貫き通し、大手メディアのほとんどが「元号騒ぎ」や「オリンピック・パラリンピックのお祭り騒ぎ」のなかで問題にしようとしなかった。
3・1独立運動企画展に引き続きの企画は「江戸時代の朝鮮通信使」(260年続いた平和の交隣関係)(2020年5月3日迄開催)
挨拶文の一部を紹介します。
2017年10月、ユネスコ「世界の記憶」に朝鮮王朝から日本に派遣された外交使節団「朝鮮通信使」に関する資料が選ばれました。豊臣秀吉の朝鮮侵略で両国の国交回復は、江戸時代1607年に始まり、1822年まで12回、最大で500人を超える朝鮮の使節団が首都漢城と江戸を往復しました。「国書」の交換を行い、豊かな文化交流がおこなわれ、その足跡は日本の各地に残されています。隣国同士の平和で対等な関係が260年間続いたことは世界史のなかでも稀有な事であるというのがユネスコ登録の理由でした。(後略)
朝鮮通信使に随行した対馬藩の外交担当者で儒学者の雨森芳洲という人の存在を私はここで知ることができた。1702年、使節の一員として釜山に渡り、翌年から3年間を釜山で朝鮮語の教材の作成に関わる。外交文書の解読や作成、通信使の接待などを行う。芳洲が藩主に提出した外交の心得を説く「交隣提醒」で、「互いに欺かず、争わず、真実をもって交わる」ことが外交の要諦であると説いたという。相手の立場を尊重し対等な立場で接するという事だ。また、「はたれ草」では、当時の主流は中華思想で文明の中心は中国であるとしていたが、芳洲はこれを否定。それぞれの国には民族固有の音楽、固有の言語があり、それらは等しく価値を持ち、老人や子どもにまで広く用いられている事に意義を認めている。芳洲の業績を記録する場として、生まれ故郷の滋賀県の長浜市に「雨林芳洲庵」が開設されているとの事。機会があったら立ち寄ってみたい。
もうじき、3・1独立記念日101周年。朝鮮半島と東アジアの平和を考える運動の取り組みが様々準備されている。一方で通信使を誹謗中傷するヘイト本がでたりもしている。先人の教えは今、なお普遍的だ。史実を歪め、改憲に猛進する安倍政権退陣を実現するため奮闘しよう。もうちょっとだ!
高麗博物館
東京都新宿区大久保1-12―1 韓国広場ビル7階
開館時間12:00~17:00
休館日:月曜日・火曜日、年末年始
TEL03-5272-3510
菱山南帆子(事務局)
毎月11日に全国各地で性暴力をめぐる不当な無罪判決に抗議するフラワーデモが行われている。
2020年2月11日、18時。東京のはずれのはずれ、私の地元八王子でも初めてのフラワーデモが行われた。今年は暖冬といわれているが、八王子の夜はとても寒い。
フラワーデモをやろう、と決めたのはわずか2週間前。同じ八王子に住む20代の女性と2人で話し合って決めた。きっかけは私の職場(障害者就労支援センター)に通所する軽度知的障がい者の女性が受けた被害について相談していたことがきっかけだった。今回のケースで、私がいち支援者としてできることは限られていて、社会や政治が変わらなくては救えない命や人生があるのだという現実に直面していた。
そんな話を彼女とした後、「悩むだけではなく、なんか行動しないとだよね。八王子でもフラワーデモができたらいいね」と話してその時は別れたのだが、その次の日に彼女から「やはりフラワーデモやってみませんか?」というメールが来た。私はすぐに返事を出した。そうしてツイッターアカウント作成にバナーに呼び掛け文などラインでやり取りしながら大慌てで作り、こんな短期間でしかも八王子で一体どのくらい届いてくれるものなのか、手探り状態で呼びかけを行った。
そして当日。フラワーデモに参加するであろう人々が花を求めて八王子駅近くの花屋に何人も来ていた。花屋さんも同じ時間帯に少量の花を購入する客が相次ぎ、いったい何事だろうかと思ったはず。急な呼びかけにも関わらず、70名以上の市民が集まった。色とりどりの花が夜の街灯に照らされてとても綺麗だった。
いつも地元で脱原発のデモや平和のための市民運動に参加している仲間たちが、次々といつも話している事とは違うことを話す。「あぁ、この人はこんな思いを持っていたんだ」「そんなつらいことがあったんだ」話は尽きない。私たち、こんなにもツラかったんだ。苦しかったんだ。受けた痛みを共有して分け合える居場所がこんなにも自分を含め、みんなが求めていたのだ。電車の中で痴漢や暴力を受け、電車に乗ることに未だ恐怖を持っている人、力関係を利用されて性暴力を受けた人。普段、憲法や反戦の集会には参加しないような方々も集まれる居場所となった。東京駅まで行くには遠い。長時間電車に揺られるのも怖い。でも八王子ならば近いから行ける。そう言って来られる方もいることを知った。
寒い中、寄り添いながら過ごす2時間は不思議な優しい連帯感に包まれ、あっという間に終わりの時間になった。
フラワーデモを行った八王子駅北口のマルベリーブリッジに隣接されるカラオケ屋さんの大型スクリーンで流される自衛隊の募集CMの音が大きくて小さなマイク音量で行っている私たちのデモは時折、声がかき消されそうになっていた。それなのにもかかわらず、私たちのささやかなフラワーデモという居場所に対して「うるさい」と男性が警察に通報したらしく、警察官が見に来るということがあった。
しかし「黙らせよう」とする圧力には一切屈しないと私たちは怯むどころか、その場に座り込み、圧力を見事に跳ね返した。動じることなく座り込み、最後まで参加し続け意思を示し続けた皆さんに敬意を示したい。
そして3月は全国的に3月8日の国際女性デーにフラワーデモが開催される。八王子でもまた行うことにした。3月8日18時から20時。ぜひ花を手にそれぞれの場所に行ってみてほしい。
お話:永田 浩三さん (武蔵大学教授、元NHKプロデューサー)
(編集部註)1月18日の講座で永田浩三さんが講演した内容を編集部の責任で要約したものです、要約の責任はすべて本誌編集部にあります。
あらためて思うますが、年末、中村哲さんが亡くなったことのショックはとても大きいです。中村さんは憲法9条の精神のまさに体現者だったと思うんですね。いろいろな言葉を中村さんは話されましたが、例えば「抽象化した平和という美しいかたちでまつるのではなくて平和を具体化して行動に移す必要がある」とずっと言ってこられました。「それができるのはふやけた日本では沖縄くらいだ」という、結構激しい言葉です。年末にいろいろな番組が再放送されました。日本電波ニュースのスタッフが現地に通って作り続けてきた番組があります。中村さんは水路を造っただけではなくて、水が来ることによって逆に新たな紛争が起きたりもする。その水の関係者をどうやって喧嘩しないでつないでいくか。もうひとつは、メンテナンスをすることがいかに大事かということを、ずっと言われてきました。これは憲法だって同じだと思います。
私はいま沖縄にずっと通っていて、これは沖縄本島の一番南の南城市新原ビーチの写真です。ここはウルトラマンのシナリオを書いていた金城哲夫さんと森口豁さんがずっと通った美しい砂浜です。森口豁さん、1937年生まれですから今年82歳です。沖縄をずっと映像で描いてきた作家ですけれども、琉球新報のヤマトンチュとしての第一号の記者ですね。いろいろなことを森口さんは語っておられて、また来月沖縄でロケをして夏には完成させようと、いまやっています。
天皇代替わりがありましたが、例えばこんな言葉があります。1947年9月、マッカサーに宛てた書簡です。「沖縄・奄美に関して、25 年ないし50年、あるいはそれ以上、軍事占領の継続を望む」という有名な「天皇メッセージ」です。当時すでに新憲法ができていて、昭和天皇は「象徴」だったわけです。政治に関わってはいけなかったんです。外交に関わってはいけなかったんですけれども、これがどう影響したのかは簡単には言えませんが、のちの沖縄の苦しみを決定づけるメッセージであっただろうと私は思います。
私はNHKに32年おりました。NHKスペシャルやクローズアップ現代、ETV2001などをつくってきましたけれども、ドキュメンタリーの世界が長かったんですね。「ドキュメンタリー」をひとことで言うと、声を上げられない人のためにあります。ビキニの水爆実験のこととか、戦争に天皇がどう関わったのか、ソ連・東欧の変動、湾岸戦争、イラク戦争などを現地で取材しましたが、2つだけ思うことがあります。ひとつはどんなに隠しても、資料はどこかにちゃんと眠っているということです。もうひとつは、歴史というのは昨日・今日・明日と一見同じように見えていますが、必ず歯車が動くように民衆の力で動く瞬間があります。今日は広島ご出身の大牟田さん、毎日放送の大変なドキュメンタリーのディレクター、プロデューサーをされている方が来てくださっていますが、私の母は広島で原爆にあいました。これは原爆投下からエノラゲイが逃げていく途中、四国上空でカメラマンが後ろ向きに広島方向を撮った写真です。このキノコ雲の下にたくさんの命がありました。当時「もうひとつの原爆ドーム」といわれたものがこれです。八丁堀という、東京で言えば銀座四丁目のような繁華街で、小田政商店という立派な呉服屋さんがありました。この鉄骨の建物が爆風と熱風でぐにゃぐにゃになってしまったんですね。私の母はこの横の胡町というところで原爆にあいました。この横には胡子神社という、いま広島カープの必勝祈願なんかをやっています。そこの氏子の総代というか、お手伝いを祖父がやっていました。あの1945年11月にお祭りをやることになっていました。原爆からわずか3ヶ月です。あらゆるものがなくなりましたけれども、全部借り物でお祭りを絶やさなかったということが家のファミリーの小さな自慢です。
原爆と天皇のことについてですが、原爆投下から30年後、1975年に秋信さんという中国放送のディレクターが天皇の記者会見に参加しました。このときに「原爆投下についてどう思いますか」という質問がでてきました。昭和天皇はこう言いました。「投下はやむを得ない」――「戦争だから」という意味でしょうか。でも、日本国憲法は戦争放棄を謳っていて「戦争だから仕方がない」ということを本当は言ってはいけないんです。日本政府は相変わらず「受忍論」から脱却できていません。「戦争だから我慢しなさい」ということは、憲法の精神に反していると私は思います。ちなみに8月15日の終戦の詔勅、「玉音放送」の中でも、「原爆を理由に戦争を止めます」と昭和天皇は言ったんですね。原爆を使って言い訳をしてきたわけで、沖縄についてもそうです。安保についてもそうですけれども、昭和天皇は原爆などを「カード」に使ってきたのではないかなとずっと思っています。
もう少し私のことを申し上げますが、母が原爆にあっていることもあり、被爆者の平均年齢が80歳を超えた中で、早晩この地球上に原爆を体験している人がゼロになってしまう。若い人に原爆を伝えなければいけないと「ノーモアヒバクシャ記憶遺産」のお手伝いをしています。いま俳句を勉強しています。父が俳句をやっていたり、おじが川柳作家だったりしたものですから、俳句、わずか17文字という世界で一番短い詩のかたちですけれども、短歌以上に俳句で戦争を、原爆を語ることを本気で日本人はやってきたとあらためて、びっくりする世界だと思っています。これをどこかで聞いていただくことがあるかと思います。体験者も、それから俳人といわれたすごい人たちも、本気で原爆に向き合った「原爆俳句」があります。
それから、広島の被爆者の10人に1人が朝鮮半島から来た人たちです。そんなことも調べる中で、いまから96年前の関東大震災のときに朝鮮人虐殺が起き、最近また江戸東京博物館の展示の文言が違うと攻撃を受けていたりしますけれども、朝鮮人虐殺のことについても学生と調べたりしています。この写真は千葉県の八千代というところの現地ですが、学生と訪れました。後ろのこんもりしている山のところに当時殺された6体の朝鮮半島から来た人たちのご遺体が出てきました。近くのお寺で人知れず4代にわたって、慰霊碑もあれば鐘楼もあるという、きちんとしたお弔いが続いているということです。こういうことを学生たちと読み込んで、朗読劇で発表しています。
さて安倍政権です。最近でいえば、語るに落ちることが多すぎて何から言えばいいかなと表をつくってみました。麻生さん「2000年の長きにわたって、1つの民族、1つの王朝が続いている」といいましたけれども、びっくりするような話です。麻生さんはずっと失言を続けている人です。「ナチスの手口に学べ」だけではなくて財務次官のセクハラ問題しかり、「子どもを産む産まない」の発言しかりです。特に「一民族発言」は、政府自身もそういうことからもう脱却していたはずなのに、またぞろそんなことを言う。一昨日直木賞の発表がありました。川越宗一さんという非常に優れた作家が「熱源」という作品を書きました。これはサハリン、樺太のアイヌの人たちの話でちょうど明治維新後のことです。西郷従道という西郷隆盛の弟が現地にやってきてアイヌの人たちと実はフレンドリーな交流をすることが前半に出てきます。面白いのでぜひお読みいただければと思います。
ふたつ目はIRの一連の贈収賄疑惑です。これに維新の党の下地さんまで関わっていた。彼は沖縄の一連のことについて、選挙のときに中国の脅威をむしろ積極的に攻撃していた人です。そういう人が中国からお金をもらっているって、言行不一致ってこういうことを言うのかという感じです。もうひとり許し難いのは、岩屋さん。去年の沖縄県民党票がありましたね。あのときに元山仁士郎さんががんばって、脱落する自治体が出そうになったところを食い止めて県民党票を成功させた。このときに防衛大臣の岩屋さんは、「沖縄には沖縄の、国には国の民主主義がある」といったんですね。「国の民主主義」っていったい何なのか。民意を反映しないことを民主主義といわんばかりでしょうか。呆然となるような発言ですけれども、どんなに県民が民意を示したところで国は聞く耳を持たないよといったことと同じなのではないでしょうか。
いまの防衛大臣もすごいですよね。「バンジー風の挑戦」、ものすごく高いところから飛んだと思ったんです。それが11メートル。私は水泳をやっていまして、飛び込み台は10メートルです。別にひもなんかなくたって子どもでも、技をそれなりに身につけないと危険ですけれども、11メートルで「がんばります」なんて言って欲しくないと思いますね。河野太郎は、この前までは外務大臣でした。康京和(カンギョンファ)さんとの敵対関係が非常に激しかった。私は康さんをちょっと存じあげていて、彼女はKBSのアナウンサーをされていたし、国連の人権問題の専門家でした。文政権ができて三顧の礼で迎えて、こんな立派な人をディスってどうするのかと思っています。日本のメディアは康さんに厳しいけれども、それはちょっと違うだろうと思ってきました。去年の秋の週刊ポストで「韓国なんていらない」という特集をしました。反発が大きすぎて最近は少し変わりましたけれども、それでも大きなメディアのひとつである週刊ポストが、こんなことを特集にするのは度が過ぎているのではないかと思います。
昨今のことでいえば「桜を見る会」ですよね。「タムトモ」といわれている田村智子さんの一連の非常に準備に準備を重ねた国会での質問ですね。鮮やかだったと思います。田村さんの質問を受けて野党が連携し、メディアもそれに連動したことが今回です。これはしっかりした流れで、年末年始を挟んで、「もう忘れているよ」というのが安倍政権側の魂胆だったと思いますけれど、そうはなっていないですね。もともとの追及は2014年の予算が1700万円あまり、これが実態としてはすでに3000万円 からスタートしていて、2020年の桜を見る会は実態に合わせるために5700万円の予算を計上したところから騒ぎが大きくなっていきました。
この桜を見る会の前日に注目したことが結構大きかったですね。前夜祭です。これはNHKもがんばった。「5000円でやりました」「領収証もあります」と言うけれども、下関の調査がずいぶん進むようになって、領収証をもらっていない人たちがたくさんいたこともわかって来ました。来週からの国会でこのことはすぐ浮上してくると思います。もし供応ということが明らかであれば公職選挙法の第221条(買収及び利害誘導罪)、第222条(多数人買収及び多数人利害誘導罪)、第199条の2(現職議員の寄付禁止)の3つに違反するといわれています。8年にわたって安倍さんが日本を引っかき回してきたので私が勝手に思っていることですけれども、最後に安倍さんは、小さな罪で頓死してほしいな、と。こんなくだらないことで総理を辞めたんだね、情けない奴だよね、という終わり方を私は強く願っています。自腹でやれば公職選挙法違反だし公金でやればそれも問題です。
桜を見る会の首相枠1000人といっていますが、本当でしょうか。朝日の方は5000人から6000人といっています。昭恵さんの枠、わかっているところで143人ですけれども、これもこんなに少なくないんじゃないかなと思います。そして「反社会的勢力」です。いろいろな人たちが喜んでSNSでアップしていたのが仇となっている。いろいろな写真週刊誌も書いて、そして嘘も嘘を重ねている。ちょっと面白いのは「宣伝工作隊」のお疲れさん会だったのではないかということです。T2というのはネットの監視チーム、もうひとつテラスプレスというのは敵対者つぶしのグループ、このふたつも桜を見る会に招待されていた。「新聞記者」という映画が賞をたくさん取りました。あの中でもいろいろな工作が出てきますよね。
さらに加えてこのジャパンライフです。山口さんという会長を招待していて、これについて安倍さんは「個人情報だから」といって逃げようとしていますけれども、そうはならじという感じです。一番許されないのは、ジャパンライフが桜を見る会に呼ばれている、招待状をもらっていることを広告塔として使って被害が拡大していったという問題です。ジャパンライフの問題は首相枠-60番で入ってきたのではないかといわれている。ジャパンライフはレンタル料で利ざやが稼げますよという商売です。そもそも買うものがすごく高い。例えばこの磁気バンド、ゼロが6つあって600万円。それをジャパンライフが預かって、それをレンタルした料金が買った人に払われるということです。600万円分取り戻すのは大変なことですよ。このことについても安倍昭恵さんが深く関わっているということでしょうか。しかも消費者庁にいろいろなところから苦情が寄せられていて、あげられるときが何度もあったにもかかわらず立ち入り調査の取り止めがあるんです。いずれにしても「本件の特殊性」とか「政治的背景」という言葉が使われています。これは森友、加計のときも同じことがいわれました。つまり「本件の特殊性」というのは、すごく簡単に言えば「安倍さんマターですよ、だから気をつけましょうね。総理大臣に迷惑がかかってしまいますよ」ということだと思います。
このジャパンライフとのつながりというのはすごく深いんです。お父さんの安倍晋太郎さんは恥じらいもあって、そこそこいいところもあったように私は記憶しています。そういうこともないんですね、息子さんは。いろいろな被害の問題もあるし、この一連のおかしなことが発覚している中で防波堤になっているのは、菅官房長官。言えばきりがないけれども、シュレッダー問題ひとつ取っても、障がい者の人たちの雇用が関わっているからと。私は言ってはいけない弁解ではないかと思います。開示請求が5月9日の午前中にあって、その直後に廃棄しているのは開示請求があったから即廃棄しているとしか見えないですね。シュレッダーが予約でいっぱいだからこの日にずれましたなんていうのは嘘だと思うんです。しかも元データはちゃんとある。シンクライアント方式というのは簡単にいうと、目次は消しても中味の文書は残っているということです。復元は簡単だと思います。データ復活はシンクライアント方式だからできないと安倍さんは言うけれども、シンクライアント方式だから復元できるということが正しいのではないかと思います。
一連の文書隠し、文書改ざん、文書消去について菅さんはかつてはこういっていました。「政治家の覚悟」という本の中で、「政府があらゆる記録を克明に残すのは当然。議事録の作成を怠ったことは国民への背信行為」です。これは民主党政権への当てこすりですけれども「ブーメラン」というのはこういうことだな、という感じですね。最近のいろいろな消去、改ざんについて酒田元洋さんという内閣府の大臣官房の総務課長さん――総務課長さんですから放っておけば次官とかその手前のエリートコースの方ですね。こういう方が「改ざんという言葉の厳密な定義は私は承知しておりません」と言わなければいけない。あるいは6人の処分と出ました。そういうかわいそうなことをなぜやるのかという感じですよね。官僚になって、彼らは別に自分から率先して改ざんしたいなんて思ってもいない。誰のために改ざんするのかといえば、それは一目瞭然ですが安倍さんのためだろうとみんな思いますよね。でもそうは言えないということは本当につらいだろうなと思います。
私はNHKというところに32年いました。NHKって役所みたいな顔があるんです。麻生さんの謝り方の「誤解を招いたとすれば遺憾に思います」とか「訂正いたします」というあの言い方です。私はNHKの中で何回か書かされたことがあります。私は本当に謝りたかったけれども、誤解を招いたとすれば遺憾ですとか残念に思いますとか。もらった方は怒りますよね。そういうところが役所には非がない、無謬性といいますが、絶対に間違えないということです。そんなことはないわけで、間違ったから謝っているわけです。こういう嘘に固められた世界、「敵は嘘」という広告ですが、これは「ローマの休日」のライオンの口。グレゴリー・ペックがオードリー・ヘップバーンに「手を入れてごらん」という。あのシーンは本当にグレゴリー・ペックの名演で、いきなり本番だったようですね。飛び上がって手を袖に入れて本当にかみ切られてしまったようにグレゴリー・ペックが演じるけれども本当に面白い。今回の人たちはどうなるんでしょうか。
ではメディアはどうしているのか。ニューオータニの「あんなお金でできませんよ、前夜祭は」というのは、NHKはがんばったんです。もっとがんばり続けてほしいなと思うけれども、問題は安倍さんの取り巻きですね。今井さんという首相秘書官が記者に対して「NHK、最近調子に乗っているよね」というふうに脅しをかけて、それをわざわざ聞こえるようにしゃべるわけです。こういうことはひどいと思うし、NHKも怯んじゃだめですね。実は桜を見る会の前日というのは他にもあって、自民党の各県の代表者を集めて研修会という名のもとでの票集めをしていた。こういうことは明らかに安倍さんの、立場を有利にするための道具として桜を見る会が使われていたということはバレバレです。メディアが追及していくにあたって有効なのが、ご飯を食べる集まりですね。
NHKでいえば島田敏男、名古屋の放送局長ですけれども彼がご飯を食べたからNHKが怯むとは私は思えないけれども、それでも現場はやってられませんよね。このあいだはしゃぶしゃぶでしたかね。アメリカがいいばかりではありませんけれども、アメリカのメディアがこんなことをやったら、あっという間に総スカンですね。大スキャンダルになりかねない。でも日本では、またひどいなということで終わりということでしょうか。いま1月ですけれども「桜散る2020年へ」としたいものですよね。こんな俳句があるんです。「散る櫻 残るさくらも 散る櫻」。桜はずっと咲き続けてはいられないということです。もうそろそろ散っていいんじゃないでしょうか。
さて外交です。トランプさんに奉仕する安倍さん。イージス・アショアは山口と秋田に配置ですけれども秋田はがんばっています。実害が具体的だからです。飛行機の離発着のやり方が変わるということもあるし、住宅地がすぐ脇にある。秋田には伝統的な秋田魁新報という新聞があります。どちらかといえば保守的な新聞ですが、この秋田魁が社長自らきちんと論を立てて、一面でイージス・アショアに疑義ありとキャンペーンを張っています。大したものだと思います。秋田魁が琉球新報や沖縄タイムスになったのかという人がいるくらいがんばっています。この間本も出ました。住宅地からわずか700メートルに配置して、これでいいのかということです。山口でいえば阿武町が結構たたかっていますがどうなるでしょうか。安倍さんの広い意味でのお膝元ですけれども、抗い続けることが可能なのかどうか。イージス・アショアは安全補償問題ではない。これはアメリカの経済の手助けをする道具だと言われますが、私もそう思っています。
中東問題では、去年ハメネイさんに会いに行きました。もともとトランプがイランとの核合意をアメリカの側から破棄して緊張が高まっている中で、名代としていったわけです。核兵器を製造も保有も使用もしないと約束させたといいますけれども、結構でたらめな話だと思います。NHKの岩田明子さんが報告していましたが、「架け橋」となってがんばりました、というようなことは嘘だと思いますね。安倍さんはトランプさんの手紙をハメネイさんに渡したと言いますが、中東のテレビはちゃんとおしりのところに紙を隠していて、一蹴されたと伝えていたりします。
あのイランの訪問のときに、日本のケミカルタンカーが襲撃されました。トランプはもちろんイランの仕業だと最初吠えましたけれども、実は今日までわかっていない。私は謀略論には立ちませんが、ベトナム戦争ひとつ取ってみても、トンキン湾事件はアメリカが積極的にベトナム戦争に介入していくときのきっかけで、アメリカの駆逐艦がやられたのは結果的にはアメリカの自作自演だった。日本のケミカルタンカーがどういうかたちで攻撃をされたのかがわかるのは、5年やそこらはかかるのではないかと思います。結果的にはやりませんでしたが、米軍の攻撃があわや始まるというときに、安保法制の中でもし米軍の死亡者がたくさん出てしまった場合、存立危機事態と認定されれば自衛隊が参戦する可能性だってありました。いま中東-特にイランとアメリカの緊張の中で、自衛隊がどう振る舞うかを慎重にしなければいけないし、みんなちゃんと見ておかなければいけないと思います。
お正月からの一連の動きですけれども、イラン革命防衛隊のソレイマニ司令官がドローンで殺されました。このことをあまり短期的な物語として考えてはいけないだろうと思っています。ソレイマニ司令官を攻撃したのが1月3日。そのあとイランがイラクにある米軍基地を攻撃したり、ウクライナの航空機を誤射したり、いろいろあります。この前史というものは、見ておかなければいけないと思います。
イランについていえば、核合意を破棄したのはアメリカの側です。もっとロングスパンで考えると、パーレビという国王がいました。イランにアメリカがちょっかいを出すのは、本当にいろいろなかたちでずっと続いていて、モサデクという政権があったときにクーデターを仕掛けたのはアメリカです。そしてパーレビという名前になる王室の人を連れてきて傀儡政権をつくります。これで結局イランは不都合がずっと続いて、そのあとホメイニ氏が外国からイランに戻ってきていまの体制の基盤ができます。そのたびにイランとアメリカの敵対が続いています。ソレイマニ殺害の理由が最低4ヶ所に攻撃をしかねなかったから殺したと、トランプはいっています。けれども、国防長官自身はソレイマニ司令官がそういうふうに仕掛けていた事実は「あるかないかわからない」といっています。戦争やいろいろな衝突が起きるたびに真実がどこかわからなくなってしまうことの繰り返しです。
こういう中での日本の自衛隊派遣です。行かされた方はたまらないですよね。これは「まずは安倍総理から中東へ」という画像です。一時行かないといって結局批判が大きくてスンニ派の3カ国を廻りました。自衛隊250人規模で調査研究のための派遣ですが、自衛隊のミッションははっきりしているはずのものが、「調査研究」ってわけがわからない。しかも日本のタンカーなどが攻撃されたときに自衛隊で守れるようにするための準備と言っていますが、たぶんそんなことはできないだろうと思います。
最初の訪問はサウジアラビアです。サウジアラビアのムハンマド皇太子は、去年のあの、カショギさん(現地の言葉でいえばハハショギというのが正しいと思います)という非常にリベラルな記者が殺された事件がありました。サウジアラビアは中東の中でもっとも民主化が遅れた暗黒国家といわれています、こういう国と石油絡みはもちろんあるし大きい国だから喧嘩はできないけれども、こんな国と握手ばかりしているような安倍さんって怪しい奴と思われる方が当然で、私はすごく変なことだと思います。カショギさんの暗殺については明らかに皇太子が絡んでいて、実行犯だけを死刑にするということで進んでいます。自分で命令しながらこんなことをするのかと本当にひどいなと思います。トランプは証拠を握っていると最初は言っていましたよね。どうなっちゃったんでしょうか。外交カードで使うのかなという感じです。
私は中東のことについてはずっと現地に行ったりすることが長かったものですから、ちょっとだけ申し上げます。20世紀の始まりの頃からずっと中東にヨーロッパの主要国がちょっかいを出し続けてきました。今日の事態も本当にやっかいです。サイクス=ピコ条約、簡単にいえばオスマン・トルコが崩壊したあとで中東の領土、石油利権をイギリス、フランス、ドイツ、ロシアそしてのちにアメリカ、それぞれの国が勝手放題に山分けしたことのツケが今日に来ているということです。これを抜きには語れません。ゴーンさんが逃げたレバノンが何でフランス語を話しているかというと、フランス領に強引にさせられたからです。そういう中でイランというペルシャの大きな国は、いろいろな人工的線引きの外にあったけれども、自分達の隣国がこんなふうに好き勝手にされたことを苦々しく思っても当然のことでしょう。そんな中でのサダム・フセインであったり、湾岸戦争あるいはイラク戦争であったりした。サダム・フセインなんていうのはアメリカが育てた化け物ですよね。ラムズフェルドなんかがちょっかいを出して、イランに対抗するためにイラクを巨大な国にしていったのはアメリカです。アメリカの影響が非常に大きかったがゆえに、結果的にはイラクは中東の大国の中では民主化が進みました。そんな中でのISだったり、いまのシリアの混乱です。
この究極にねじれにねじれた中東の中の問題に、安倍さんがわけもわからずに入っていくのは止めて欲しいということです。現代史の中での国分け、つまり線引きですね。そんな複雑な中で日本はパーレビ体制のときのイランともずいぶんいい関係をつくって、そのあとホメイニが出てきて、三井物産などがずいぶん国有化された油田の問題で「やけど」を負うわけです。それでもイランとの関係を切らないで今日までずっとやってきているわけです。もうひとつ忘れてはいけないのはやっぱり核兵器の問題です。核兵器のことについていえば北朝鮮とイランとの関係もとても深いですし、大量破壊兵器をどう開発しているのか簡単には言えません。ただアメリカに追随するようななことを中東を舞台にしてやることは本当に危険なことだと思います。やってはいけないと思いますし、先人達が中東との関係をいろいろつくってきたことを忘れないでほしいと思います。日本の中東ウォッチャーは世界に冠たるもので、中東の人脈も研究者もそれなりに大したものです。そういう人たちの意見をちゃんと聞いて振る舞ってほしいと私は思いますね。
メディアの問題です。高市さんのカムバックです。総務大臣は2回目です。前に総務大臣だった2016年、政治的に公平でない番組を出したときにはその放送局は電波停止もありうるということを、国会でのやりとりの中でいうわけです。これに対して怒っていますということで、この写真の真ん中にいるのは亡くなった岸井成格さんですね。
萩生田さん。大学センター試験のことについては揺り戻しもあって、国語の記述も英語の民間試験もそうですけれども「身の丈発言」でミソを付けたわけです。文部科学大臣は教育の機会均等を一番大事にしなければいけない教育のリーダーのはずなのに、「身の丈」ということを振りかざすことはやってはいけなかったのではないでしょうか。こういう狂歌があります。「身の程を知らぬ男の身の始末 身のいたずらになりぬべきかな」。ネットにありましたのでいただいてきました。前川喜平さんが最近よく話していらっしゃいますけれども、萩生田さんはとても危険な人だ。萩生田さんの事務所には教育勅語がかかっている。ご存じのように教育勅語は天皇が臣下に与えた言葉です。日本国憲法下で主権在民を謳った精神にはまったく反していて、戦後国会で全会一致でこれはお蔵入りにするとなった。ところが「兄弟助け合って」のようなところは道徳的だから一部は使えると、ゾンビのように復活させようとしている人たちが跳梁跋扈しています。
萩生田さんは文部科学大臣になってちょろちょろ発言しています。これは3年前のバーベキュー写真で、萩生田さんが自分で発信した写真です。白いベストは加計孝太郎さん、赤いのは安倍さん、こんな偉い人と自分はバーベキューをやれていますよ、自分も偉いでしょということを世の中に伝えるために発信している。いまは加計学園問題のことで誤解を生んでいるみたいなことをいっているけれども、むしろ逆だと思います。自分はこんなに加計学園のことでがんばっていると言っていたわけです。このことについて毅然と告発しているのは前川喜平さんです。
前川さんについていえば、実は最初に前川さんのロングインタビューを撮ったのはNHKです。実は私はこの話を聞いて3日間、いろいろ中の人たちに聞いてまわって、本当にそういうことがあったとSNSで発信して、毎日新聞と日刊ゲンダイが書きました。前川さんのお宅の前で張っていて、「前川さん、本当のことを言ってください」というこということで「わかりました」と。当時は命がけでインタビューに答えてくださっているわけです。前川さんが言っていることが本当なのかどうかということを「裏取り」といいまして、前川さんの現役の部下たちにきちんと証言をとって前川さんの言っていることは確かだということでニュースを準備しますが、直前に社会部の30歳前後の記者ですけれども、報道局長や政治部の圧力でお蔵入り。今日までお蔵入りということです。ひどいことだと思います。
東京新聞・日曜日の前川さんの「本音のコラム」の最後のところだけ紹介します。萩生田さんのことを言っています。「『日本的特性を取り戻す感性教育』『国を愛し、公共に尽くす精神の育成』を主張する。個人の尊厳、両性の平等、学問の自由、軍国主義への反省といった日本国憲法の精神はどこにもない。萩生田大臣は、日本の教育をいよいよ日本会議の求める方向へと歪めていくだろう。」とまとめています。これは悪夢のような予見ですけれども、こんなことをさせないために早く萩生田さんには負けてもらいたいということでもあります。
最近はこんな話もありました。幸福の科学大学、2021年度設置認可に向けての諮問が再開しました。一旦書類の不備でお蔵入りになっていたはずです。これもゾンビのように復活して、この諮問をされてしまうと認可まで一直線です。本当にこんな大学で大丈夫なのか、行く先生は誰なの、という感じです。私も大学の教員の端っこにいますけれども心配になってしまいます。ましてや教わる学生たちはどうするのかとも思います。これは菱山さんたちがやっていらっしゃるのをちょっともらってきた絵です。「八王子のハジウダです。総理!ぼくの次のトライは?」となっていて「身の丈」「検閲」「加計そば」「教育勅語」なんて書いてあって、「恥」のマークがあって、それで「君はもうNO再度(ノーサイド)」ということで再度の登板はしないでね、といっているわけですけれどもどうでしょうか。安倍さんが倒れなければまだまだ出番が続くような気がします。
NHKのニュースずっと話題になるのは外交報道のひどさです。米朝関係について安倍さんはずっと蚊帳の外であることはみんな知っているけれども、NHKのニュースはそんなことはまったく伝えない。いつも安倍さんが架け橋になって、いい役回りをするのではないかと伝え続けていて、これは誤報というよりは虚報ですね。取材が甘くて間違えるということはあります。でも岩田明子記者の場合は誰よりも安倍さんに食い込んでいるわけで、実態がないのは百も承知なのにこういうことを盛んに喧伝するのは、私は罪だと思います。いろいろな刑事事件もそうです。知らなくてやった方は、罪は軽い。知っていてやったら罪が重いという世界です。岩田さんは、「記者は国益のために仕事をするんだ」と朝日の「Journalism[ジャーナリズム]」という雑誌で語っていました。これは違いますよね。「国益」なんていうことを記者がいうようになったらお終いです。そういうジャーナリストは信用してはいけない。このときの「国益」というのは「安倍さんのための利益」としか聞こえませんよね。本当にひどいことだと思います。
NHKは、今度春からネット上の同時再送信が始まります。7000億円の空前の予算規模、民放では日本テレビが一番大きくて3000億円を超えますが、軒並み200億円台、テレビ東京は1000億円台です。NHKのひとり勝ちのようなことが続いていますが、ネット展開でいえばすごく遅れています。これからのテレビのことを申し上げますと、「テレビ離れが進み、ネット優勢」という流れは押しとどめられないと思います。10代のデータを見ていただくと、2013年は、10代で1日にテレビを見ている時間は103分、ネットに使う時間は99分で、ほぼ拮抗していました。ところが2017年、わずか4年でテレビの時間は73分、ネットの時間129分です。国民の生活時間調査というのはNHKの看板です。これだけは操作などしていないものです。4年という短いスパンで国民生活が30分も変わってしまうなんていうことはあまりないことですね。これが10代で起きています。そういう中での同時配信です。10代がそうだということは、20代、30代、40代、50代、60代、70代、80代、90代も、いずれにしてもこの傾向になるということですね。NHKは放送会社としては先を行っているし経済的に安定しているけれども、だとしたらもっといい仕事をしなければいけないでしょうということです。
放送界に安倍さんがちょっかいを出してきている歴史について申し上げます。2014年12月、ちょうど選挙前ですけれども「ニュース23」、まだ存命だった岸井さんがキャスター。生のスタジオに安倍さんがやってきました。アベノミクスに実感がありますかと街頭で聞いて、「いやあ、そんな実感はないよ」という街の声、安倍さんはそれに腹を立てて、「これって選んでいますよね」と言うんです。この3日後に当時、副幹事長だった萩生田さん、報道局長だった福井さん、この2人がテレビの官邸キャップをひとりひとり呼んで、紙も付けて釘を刺したんです。「公平公正にやってくれ」という話です。これ以降、選挙報道は腰砕けになっていきます。2015年、報道ステーション。「I am not ABE、私は安倍なんかとは違うよ」、古賀茂明さんはテレビの表舞台から消えていきました。2016年1月、先ほどの高市総務大臣の「政治的に公平でない番組が出た場合は電波停止もあり得る」という脅しです。
同じ年の3月、国谷裕子さん。私は23年続いた「クローズアップ現代」の中で8年間編責をやっていたのでとても愛着のある番組ですけれども、国谷さんがキャスターを去っていくことになります。同じ3月に岸井成格さんがニュース23、古館伊知郎さんが報道ステーションのキャスターからいなくなります。古館さんがいなくなるときに、報道ステーションがここまでひどくなるなんて誰も思っていなかったと思います。古館さんもいろいろな顔を持っていたので「口ばかりだよね」というところはあって「ジャーナリストと違うよね」というところは確かにありましたが、ここまで報道ステーションがふぬけになるとは誰も予想しなかった。4年たって、報道ステーションは別に見なくていいやという感じになってきましたよね。
共謀罪のときのキャスター達のそろい踏みの写真です。いろいろな人たちが並んでいて、面白いのは一番端に金髪の津田大介さんがいらっしゃって、去年ずいぶんご一緒させていただきました。たたかいの先頭は岸井さんです。一昨年2018年の5月に亡くなられました。「メディアは権力の暴走を止める、チェックをする」ということをずっと言っておられたんです。こんな岸井さんに対して攻撃が続きます。これは産経新聞と読売新聞の一面を使った意見広告で、「私たちは違法な報道を見逃しません」ということでキャスターへの揺さぶりが続きます。よく見ていくと岸井さん攻撃でした。岸井さんとは何度かご一緒させていただくこともあってとてもやさしい面白い方でしたけれども、この攻撃はボディーブローのように効きました。このことがあって病気がひどくなったかどうかはわかりませんが、本当につらかったと聞いています。
攻撃の材料として使われたのが放送法4条です。「一 公安及び善良な風俗を害しないこと。 二 政治的に公平であること。三 報道は事実をまげないですること。」。高市総務大臣の攻撃材料とも同じですけれども、この一連の放送局への揺さぶりに対して国連の人権理事会が調査に来てくれました。デビッド・ケイさんという法律の専門家で、国連人権理事会の特別報告者です。一旦ドタキャンされて2回目、2016年4月に調査にやってきます。1週間日本でヒアリングをして帰りました。誰に話を聞いているのかを産経新聞が嗅ぎまわって、私も取材をされてちゃんとお話をしました。英語で説明するんですが、私が言うようなことは全部アメリカで勉強してこられていて、たいしたリサーチ力だったと思います。デビッド・ケイさんは、「日本には報道の自由を明言する憲法があり、人々はそれに誇りを持っている。にもかかわらず、報道の独立性は重大な危機に直面している」と言うんです。憲法には書いてある、でもそうなってないでしょ、心配だよねということです。
どういう心配か。放送法4条で揺さぶりをかけられているならなくしてしまったらどうですか、という提言や、歴史的課題に対する政治家の誤解や介入についてです。「慰安婦」問題とか南京大虐殺とか関東大震災における朝鮮人虐殺とか、こういうことがなかった、もっと規模が小さかったとか、こういうことをことさらに言うのはどうかというふうに、むしろ制限を加えるような動きでしょうか。沖縄・辺野古の基地の問題は本当に本土のメディアはちゃんと伝えていますかとか、特定秘密保護法が悪用されるのではないでしょうかとか、警察がやたら盗聴などをやり放題で通信の傍受や監視が目に余り、これを放っておくのは心配ですね、ということを提言します。菅さんに紙を出すけれども、もちろん無視ですね。日本政府はこの報告書に何も向き合わなかったので、去年の秋にもう一回出したけれどもそれでも無視ということです。
放送法4条については私はちょっと違う考えを持っていて、「政治的公平」というのは私がドキュメンタリーなどをやっていたときは、これがあるから、つまり政権が何かいってきても私たちはいろいろな公平を保つために、むしろアンチのことをやっていると言いやすかったんです。「政治的公平」はむしろ政権批判のための道具にもなり得ると私は思ってきました。「お守りの札」だと心あるNHKの先輩達はいっていました。なくしてしまったら逆に裏目に出るかなと、私はちょっと心配しています。これは丁寧に議論した方がいいと思います。
私も深く関わっていた番組改編事件のことも申し上げておきたいと思います。そもそも安倍さんが政治家になったのは1993年、自民党が下野したときのあの選挙です。この2年前、1991年に金学順(キムハクスン)さんという方が「私は日本軍の『慰安婦』でした」と実名で名乗り出たんですね。これを受けて宮沢内閣で河野官房長官談話が出ます。「慰安婦」問題についてはきちんと調査をして、同じことが起きないように研究もして教育を通じて末永く語り継いでいくということを国際公約として約束しました。だから教科書にも載るようになりました。
こういう流れに抗する政治家が現れて、当時野党だった安倍さんたちがこの流れを食い止めようとするのがことの始まりです。「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」というのが生まれます。「教科書議連」なんていわれたりしました。1996年、1997年あたりの出来事です。日本会議もこのときですね。「新しい歴史教科書をつくる会」もこの頃です。教科書会社はそれぞれ経営母体が小さいですから、自民党のこういう人たちの攻撃にひとたまりもなくて、せっかく記述がなされた途端に攻撃を受けて、今度はなくしていくという流れになります。
次に攻撃の対象になったのは番組です。2001年の番組改編事件、私がそのときの編集長でした。2001年1月30日、発覚したのはその4年後で、朝日新聞がスクープした。実は番組改編の舞台裏でこんなことがあったということです。私たちは現場の人間なので知らなかったけれども、放送直前に安倍晋三さん、それから亡くなった中川昭一さんがNHKの幹部と会っていろいろ意見を述べて番組が変わってしまったいきさつをスクープしました。大きな記事でした。大騒ぎになり、NHKは結果的にこれを否定します。安倍さんや中川さんはそんなことはあったよって最初は言っていたけれども、大騒ぎになったので否定します。NHKと安倍さん、中川さんが否定したので、結果的にはスクープした朝日が間違っていたと謝らなければいけないという、ひどいことが2005年に起きました。そのあと一連の済州島での「慰安婦狩り」についての記事等で、再び朝日が訂正記事を出すということがありましたが、その先駆けですね。これは朝日が間違っていなかったと私は思っています。
贈収賄事件ってありますね。いまIRなどもありますけれども、お金を渡しました、もらいました、その両方が否定したところで、証拠があれば当事者が認めてなくても成立します。このときのNHKがひどいのは、「NHKの広報はこういう見解です」というニュースを出すのだったらまだ良かったと思いますけれども、NHKニュースはそうじゃないです。「こういう事実はありませんでした」と伝えた。それは客観報道を旨とするNHKの堕落です。オウム真理教幹部に坂本弁護士のインタビューを前もって放送前に見せたということで結果的に殺人事件につながっていきますが、あのときに筑紫哲也キャスターが「今日TBSは死にました」という有名な言葉を述べましたけれども、あれと同じだと思います。私はこのニュースによる全否定は、「NHKニュースは今日死にました」という日だったと思います。
では安倍さんが放送前に何を言ったのか。相手はNHKのナンバー3の松尾武放送総局長です。ニュースと番組の総責任者です。新聞で言えば編集局長、すごく偉いんです。「公平公正に」と言っただけじゃなくて「お前、勘ぐれ」って言った。「勘ぐれ」ってどういうことなのか。「皆まで言わせるなよ」という意味です。「皆まで言ったら」どうなっていたか。憲法21条2項は「検閲は、これをしてはならない。」と書いてあります。放送前に「あれ変えろ、これ変えろ」と言って結果として変わってしまったら、当時安倍さんは内閣官房副長官ですから、NHKの番組が安倍さんが言ったことによって変わってしまったら、これは検閲です。これが全部発覚していれば、安倍さんは8年の記録どころか総理大臣になっていなかっただろうと思います。結果的にこのときになくなったのは被害にあった「慰安婦」だった女性達の証言、それから戦場でひどいことをしたという加害兵士の証言とか日本政府の対応などもなくなっていきました。番組は44分の枠でしたけれども40分になって、本当に改ざんです。「改ざんの定義はない」と官僚は言いますけれども、「改ざんの定義」なんてはっきりしているでしょうという感じです。この一連の私の恥ずかしい、つらい出来事については「NHKと政治権力」(岩波現代文庫)で私が出しています。本当はプロダクションの人たちを傷つけたり、私にもいっぱい非があるんです。そういうことも知っていただければと思います。
先ほど菅さんが防波堤になっていると話しました。先頭になってたたかっているのは東京新聞の望月衣塑子さんですね。年末の12月26日から一言も質問を受けてくれないと言っています。びっくりですよね。この質問に答えない、はぐらかすのが菅さんです。私が見ている感じで言えば2014年の集団的自衛権の強行採決の直前ですが「クローズアップ現代」のスタジオに菅さんがやってきました。例によってはぐらかす、答えないということが続いて国谷さんがこう聞いたんですね。「集団的自衛権の行使を認めたら日本が海外の戦争に巻き込まれてしまう危険性はないでしょうか」。当然の質問です。これについてのらりくらいという感じで、生放送ですから時間切れで終わってしまった。このあと菅さんの取り巻きが国谷さんやスタッフに「菅さんに恥をかかせた」とすごい攻撃をするんですね。このときに関わった秘書官はあの伊藤詩織さんの事件で逮捕状をもみ消した中村格さんじゃないかと思っています。これはあまり正確じゃないかもしれません。ただ菅さんの秘書官がちょっかいを出したことは事実です。「問題ない」「問題ない」という菅さんですけれども問題は大ありです。
NHKに関して言えば新聞労連のジャーナリズム大賞を取ったのが毎日のスクープです。これはかんぽ保険の不正販売について、NHKの「クローズアップ現代」が去年の春からずっと連打して放送に出すはずだったにもかかわらず1回放送した後、日本郵政グループからNHKに待ったがかかって放送できなくなった。結果的に被害者がより拡大していったという一連のスクープについてです。
この「クローズアップ現代」ですけれども「説明なしに保険に入っていた」とか「認知症の両親が契約を結ばされていた」とか、このことは記者クラブなどのルートではないんです。オープンジャーナリズムと言いまして「被害にあった人たち、どうぞNHKに意見を寄せてくださいと」いって集まってきたものを現地に行ってつぶしていって、これは本当だろうということで追いかけていく手法です。「たれ込み」というのは昔からありましたけれども、それをもっと体系だって活かしていった良い番組でした。報道局と制作局と両方で「クローズアップ現代」をつくっていますが、私がいた制作局のチームだったので余計愛着が深いけれども、よく頑張っていました。それに待ったがかかって、最終的に現場のガバナンスがなっていないとNHKの最高意志決定機関の経営委員会の経営委員長がNHK会長に厳重注意を与えるということになった。こんなことをされたら現場は萎縮しますよ。でも現場はそれでも負けなかったんです。
この間の朝日の報道では、去年の7月に日本橋で不正販売の被害者、元かんぽ生命の社員それから経済評論家が集まって座談会も収録した。放送は8月10日と決まっていた。けれども放送されないどころか、NHKの幹部が「ご迷惑をかけました」といってかんぽに謝りに行ってお蔵入りということです。そしてNHKの会長に放送しなかったということで謝意を述べている。「ありがとう」と言ったのは誰かというと、放送の世界の監督官庁は総務省ですけれども総務省の事務次官が日本郵政に天下って上級副社長をやっていたんですね。鈴木康雄さん。この鈴木康雄さんが、もう放送の監督の仕事から離れていたにもかかわらず「自分はNHKに言うことを聞かせられます」としゃしゃり出てきてNHKに圧力をかけた。
そういうことが毎日新聞の報道等で明らかになりましたから、国会に呼ばれます。国会で鈴木康雄さんはあろう事か「NHKはやくざまがいの取材」と言いました。「反社会性力」-私を見てほしいんですけれども、どこが「反社会的勢力」かという感じですよ。みんな真面目に仕事をして被害者に寄り添って被害がこれ以上広がらないように放送を通じて警告を発することの、どこが「やくざ」か。とても許せない思いです。ようやく今週2回されました。現場には負けないでがんばって欲しいと思います。
先ほど望月さんの話をしましたけれども、「新聞記者ドキュメント」、これはぜひ見てほしいですね。フィクションの方もすごいですけれども、森達也さんのドキュメンタリーもよくできていると思います。去年の3月、新聞記者やテレビの人たちが、首相官邸前でこの一連の菅さんの記者いじめに対して許せないということで集まりました。メディアの歴史の中で抗う歴史を刻めたことは良かったと思います。私もいましたが、プラカードは「守ろう 表現の自由」とみんな言ったんですね。憲法21条ですよ。この「表現の自由」はなぜ大事なのかと言えば、国民の知る権利に応えるための「表現の自由」です。記者が偉いのではないんです。記者は国民に奉仕して、国民が知りたいことに応えるために一生懸命官邸に質問を投げかけるということです。この回路を封じることは国民の知る権利に水を掛ける、あるいはそれに待ったを掛けるということだと思います。
昔の話をしますね。沖縄返還を花道にして佐藤総理が引退するときです。「新聞は嘘ばっかり言うから、最後の記者会見はもう新聞はいなくていいです。出て行ってください、私はテレビカメラの向こうの国民に呼びかけるから」と言いました。「わかりました、出て行きましょう」と新聞記者がいない記者会見場の写真です。なぜかこちら側にNHKのテレビカメラはいます。そして「新聞記者は出ていけ、偏向している新聞は嫌いだ、私は直接国民に語りかけたい」と言うのに対して「出て行きましょう」と啖呵を切った一人が岸井成格さんです。当時の記者達は気骨があったなと思います。去年5月の6万5000人の憲法集会、有明防災公園でした。私も少しお話しさせていただきましたが、がんばろうとしている記者達を市民がやっぱり応援しましょう、市民とメディアの心ある人間と連帯することで安倍さんの勝手を許さない社会をつくりましょうということを申し上げました。
アメリカのメディア、いろいろな問題はありますけれども、スピルバーグがつくった「ペンタゴン・ペーパーズ」という映画、これはニューヨークタイムズに続いてワシントンポストがベトナム戦争のインチキ、汚い戦争の内実を暴いていく物語です。トム・ハンクスとメリル・ストリープです。メリル・ストリープが社長、トム・ハンクスが編集主幹です。この映画のすごく面白いところ、いろいろありますが、マクナマラなどという人たちがベトナム戦争の嘘を、きちんと紙で残していたんです。だからスクープできた。安倍政権は全然違いますよね。残さないわけです。あるいは改ざんする。そうすると後の人たちが検証しようもない。こんなひどいことがあるものかという感じです。
お隣の韓国だって、いまは文在寅政権ですけれども、その前の朴槿恵、李明博政権のときは政権の都合のいい人間を放送局のトップに送り込むということが続いて、セウォル号の報道とかずいぶんひどかったりもしました。これは「共犯者たち」という映画ですが、主犯は政治家だけれども「共犯は誰ですか」「共犯はメディアでしょ」ということです。すごいのは放送局の中でのせめぎ合いを韓国のテレビジャーナリスト達はみんな記録していたんです。つまり私が絡んでいた番組改編事件で言えば、これを変えろ、あれを変えろと上が言ってきた、その場面をちゃんと撮っているということです。これはすごい覚悟だなと改めて思います。この映画をつくった崔承浩(チェ・スンホ)さんが言っていたのは「歴史を畏れなさい、記者が質問を止めれば国や社会が壊れる、メディアは市民とともに健全な民主主義をつくっていくんですよ」ということです。
日本のまわりのメディア状況ですけれども、オーストラリアがそんなにいいわけではありませんが、それでも、アフガニスタンでオーストラリア軍が市民に虐待をしていたことがスクープされます。この一連のことを一番ちゃんと伝えたのはオーストラリアの公共放送です。オーストラリア政府は公共放送にがさ入れをかけた。ひどいじゃないか、知る権利の侵害だし表現の自由の侵害でしょうということで、新聞各社が紙面を黒塗りにしてたたかったんですね。NHKがいじめられていたとき読売新聞も産経新聞も一緒にたたかってくれているという、そんな感じでしょうか。うらやましくも思います。
最後に「表現の不自由展・その後」の中止事件のことについて申し上げておきたいと思います。去年の8月1日から始まって10月14日までの75日間、「人の噂も七十五日」と言いますけれども、そういう期間です。一番のリーダーは津田大介さん。とても優れた側面を持っている、ネットの世界ではとても活躍しているジャーナリストです。責任者は大村県知事です。8月1日からの愛知トリエンナーレ「表現の不自由展・その後」ですけれども、3日間で中止に一旦なります。実は全部の愛知トリエンナーレの企画の中で一番お客さんが多かったんです。そもそもこの展覧会の始まりは、安世鴻(アンセホン)さんという韓国の写真家が、中国に残された元「慰安婦」の人たちを訪ねていって、素晴らしい写真を撮った。2012年にこの写真を新宿ニコンサロンで展示したいとニコンの方からいってきて、新宿で写真が始まる直前に在特会の攻撃を受けてあっけなく中止となります。結果的には仮処分申請が認められて写真展は続行されますけれども、とても管理のきつい不自然な展覧会になります。
これはひどいじゃないかということで、私が勤務している武蔵大学の前にあるギャラリー古藤というところで市民が委員会をつくって写真展をやったのがことの始まりです。それからいろいろな展開がありますが、安さんが中止に追い込まれたことをきっかけに調べていったら、他でも中止に追い込まれている展覧会がいっぱいあることに気付きます。同じ2012年の夏に東京都美術館で展示中止になったのが、「平和の少女像」のレプリカです。これが4日間で展示中止になり作家にも知らせられることがなかった。メディアもどこも伝えなかった。ひどいじゃないかということで連絡を取ったら、このレプリカの原型があります、持ってきましょうということで2015年にギャラリー古藤で「表現の不自由展」をやりました。津田大介さんはそこにお客さんで見に来てくださっていて、自分が愛知トリエンナーレの芸術監督になったのでぜひやりたいと。あの保守的な愛知県でできますかと私などはいったけれども、「できます。大村県知事は金は出すけれども口は出さない」と約束してくださって、それを信じて準備をします。
7月の末に「少女像」を愛知に持っていって、作家のキム・ソギョン、キム・ウンソンさんのご夫妻がソウルからやってきてくれます。私がお迎えして、5年の歳月の中ですすけていたりもしたのでお色直しをもう一度します。5年前の展示のときに、そのあといろいろな日本の美術館で展示してくれるよう勧めたんですけれども、「いや、こんなものを置いたら攻撃を受けるからだめです」ということで居場所がなくなって、実は長く私の家におりました。いまはいません。いまいるというと私の家に攻撃が来るので言っておきますが、いまはいません。私も絵筆を持って一緒にお化粧直しに参加させていただきました。とても光栄なことでした。たくさんの人が見てくれるねということでキム・ソギョンもキム・ウンソンさんもこれ以上ないくらいの笑みを浮かべている写真です。私もとても喜んでいます。
ところが2日目、このおじさんがやってくるんです。河村たかし名古屋市長です。私が説明するという話もあったけれども喧嘩になるといけないので学芸員の立派な方が解説してくださいました。私は横で睨んでいるわけです。彼は「平和の少女像」について「日本人の心を踏みにじるものだ」と言うんですね。私は横で見ていたんですが、人が何か踏みにじられたような体験をしたときに横にいる人間はそれを感じるものだと思います。でも河村市長の顔は全然何も変化がなく「こんなものか」という顔をしていましたよ。政治家というのは心にもないことをいうと私は思いましたね。この河村発言を受けて同じ日に菅官房長官は「補助金については精査しなければいけない」なんて8月2日にすでに言ってしまいます。電凸もありFAXでの攻撃もあり、結果的には3日間だけで4日目から中止になりました。封印されたわけです。
作家達は悲しむわけです。見ていただきたいのは「少女像」の足元です。反日のシンボルなんていう人がいますけれども、じつはこの「慰安婦」とされた女性達は韓国社会でも貶められて居場所がなかったんです。ですからこれは自分の居場所が宙ぶらりんではないよということを語っている、宙ぶらりんの足元です。年表も展示しました。このトップは何かと言えば2001年の番組改編事件です。ずっといろいろなことが安倍さん絡みで続いているということかもしれません。
みなさんご存じの「梅雨空に 『九条守れ』の 女性デモ」、これは埼玉県の大宮の三橋公民館の句会で一等賞になって、当然翌月の公民館便りに掲載されるはずでした。ところが市の忖度によって「政治的に公平ではないから」ということで載らなくなった。最高裁まで争って、原告、作者が勝ちました。俳句を載せるのに最高裁まで争わなければいけない日本社会とは何なのかということで、これも展示しました。
そして電凸ですけれども「クローズアップ現代」のチームが調べていきました。そしてわかったことがあります。それは例えば高須クリニックの高須克弥院長とか、何人かがオピニオンリーダーとしてあの「表現の不自由展・その後」を攻撃しようと火を付けていたということです。つまり市民がみんな怒ったということではなく、それを扇動というか、そういう人たちに釣られるかたちでたくさんの人が動いたことが真相でしょう。
ただ作家達もこの中止を巡って、連帯をしたんですね。それぞれの作家たちはそれぞれの社会でたたかっているアーティストでした。この映像では、向こう側に「表現の不自由展・その後」の展示場があって、たくさんの人達が見られなくなったことをきっかけにポストイットにメッセージを貼るようになりました。在日の人たちがメッセージを寄せたり、「父親がネトウヨになってしまいました」なんていうことが貼ってあったり、「毎日毎日自由が奪われています」とか、それぞれの人たちの表現の不自由を告白してくださった。これがひとつのアートでもありますよね。
みなさんたちのすごい努力と、われわれ実行委員会の仮処分申請が功を奏して6日間ではありましたけれども再開できました。作家達がお客さんと対話をすることが実現したんですね。管理がきつすぎて、本当にこれが良かったかどうかの賛否は分かれると思います。わたしは良かったことだけではないということは言っておきたいと思います。再開できたことは良かったけれども管理はきつすぎた。条件付き再開ですね。そんな中で文科省は、またこのおじさんですけれども、補助金を出さないと。本当は決めるのは文化庁長官ですが、それを飛び越えてのことでしょう。文化庁長官の宮田亮平さんはもともとは東京藝大の総長です。金属工芸家、親子三代、佐渡出身で東京駅の銀の鈴とか銀座三越のエンブレムというか金属細工などですごく有名な方です。菅さんとも近いといわれています。一説ですけれども文化庁はいま京都への移転を進めていますが、実は京都には行きたくないんですね。そういうことを聞いてくれるのは菅さんしかいないということで、菅さんには抗えないという話は、水面下ではあります。本当のことはわかりません。
文化庁の文化映画賞の授賞式が六本木でありました。ここで土井敏邦さんとか三上智恵さんとか、大矢英代さんなど受賞者の人たちの挨拶があり、この挨拶でびっくりするようなことがありました。ハリウッドの俳優達がトランプに抗うような受賞の演説をしますよね。これが日本でも実現したんです。文化庁長官の宮田さんを目の前にして大矢さんも三上さんも土井さんも、みなさんが文化庁の補助金不交付の判断は間違いだから見直してほしいと受賞の挨拶のときにそれも加えて話をされた。とても感動的だったと思います。藝大の総長でもありましたから、教授達、学生達、院生達も芸大に集まって声を上げたりして「文化庁は文化を殺すな」と今もたたかいは続いていますが、なかなか前には進まない。
去年の暮れには三重県伊勢での展覧会で「慰安婦」問題を扱った作品が展示できなくなったり、オーストリアのウィーンでの日本大使館も応援するはずだった芸術展が、作品に問題ありということで途中で公認取り消しになったりしています。ミキ・デザキ監督の「主戦場」が一時上映できなくなり、これは抗って上映しましたけれども、そんなこんながずっと続いているのがいまの日本社会ですね。河村市長は「陛下への侮辱を許すな」という感じで座り込みをしていましたけれども、「座り込み」って1時間くらいはすべきものではないでしょうか。7分半というのはちょっと情けなくあります。補助金の不交付の結論は覆っていない。そんな中でNHK会長が来週に替わります。みずほファイナンシャルグループのトップだった前田晃伸信さんという人が今度の会長になります。この人はどうなのかよくわからないけれども、この取り巻きに変な人がまた来てしまうのではないかということでとても心配です。
最後に、「憲法改正の主役はあなたです」というようなことを自民党はいっています。これは違っていて「憲法改正の主役は私です」という安倍さんを許してはいけないと思います。菱山さんが行ったこの間のシール投票の映像をもらってきました。よく見てみるとちょっと心配ですね。「憲法9条を知っていますか」というところで、「知っている」と「知らない」というのがほぼ拮抗している。これはすごいことだなと思っています。
言論や芸術というのは「炭坑の中のカナリア」のようなものですね。酸素がなくなっていることを真っ先に知らせてくれる存在。一本のマッチを擦ることで、逆にまわりの闇が深いことを教えてくれたりもするわけです。芸術はそんなに声高なものじゃないんです。小さな、少数の声ですけれどもメディアもそうであるべきだし、それを支えるべきだと思います。そんな中で豊かな社会、豊かな言論空間が生まれると思います。これはラトゥールという人の絵ですけれども、よく見ていただくとろうそくがあることで人が輝くわけです。ろうそくがあることで命というものがくっきりしてくる。ろうそくがあることで人の顔が見えるということでもあると思います。ぜひ、厳しい世の中ではありますが、一緒に手を携えてがんばりたいと思います。