私と憲法224号(2020年1月1日号)


2020年、今年こそ全力を挙げて安倍改憲を阻止し、安倍政権を打倒へ

(1)安倍首相「改憲は私の手で」「任期中に実現」と

2020年は安倍改憲をめぐって激突の年になる。

2019年秋の臨時国会は、相次ぐ閣僚辞任や、安倍首相自身の「桜を見る会」の公選法違反、政治資金規正法違反の疑惑などが重なり、憲法審査会などの運営は繰り返し混乱した。
第200回臨時国会が終わった12月9日、安倍首相は記者会見で憲法に関して以下のように述べた。

「今後とも第1党である自民党が先頭に立って、国民的な議論をさらに高める中で、憲法改正に向けた歩みを一歩一歩着実に進めていきたい」。

「現在自民党では幹部が先頭に立って、全国で憲法改正をテーマにした集会等を開催している。自民党各議員がしっかりと、自分たちの地元において、後援会において、こうした議論を進めていくことによって、国民的な議論がさらに深まり、高まっていくと確信をしている。その上で、来たる通常国会の憲法審査会の場において、与野党の枠を超えた活発な議論を通じて、令和の時代にふさわしい憲法改正議案の策定を加速させていきたい」。

そして「憲法改正は自民党立党以来の党是であり、また選挙で約束したことを実行していくことが私たちの責任だ。憲法改正は決してたやすい道ではないが、必ずや私の手で成し遂げていきたい」と21年9月までの自らの自民党総裁任期中の改憲実現の決意を表明した。

また衆院解散・総選挙に関しては「国民の信を問うべき時が来たと考えれば、断行することに躊躇はない」と語った。

首相の座にあるものがかくも露わに「自らの任期中に、自らの手で改憲を実現する」意思を表明することは憲法99条からして容認できることではない。「安倍改憲NO!」の世論の高まりの理由のかなりの部分が、首相のこうした憲法に対する姿勢に危険なにおいを感じているからに他ならない。

とまれ国会の開催回数において、今後、21年9月まで最大3国会程度で憲法改正を扱う「国民的議論」が「深まり」「高まって」行くことは不可能だ。2015年の戦争法の強行採決にしても、9条解釈の変更について4国会で議論したにもかかわらず、議論足らずのまま、最後は与党が強行採決の暴挙に出た。ましてや最高法規の憲法の、そのもとでの初めての改憲発議だ。どれだけ時間がかかっても十分すぎることはない。このように自らの任期と絡めて、あらかじめ議論の終わりを定めることが、如何に乱暴極まりないことか、安倍首相は理解できない。

(2)改憲手続法は抜本的改正が必要だ

2019年の臨時国会において、自民党は衆議院憲法審査会欧州調査団の報告を口実にして不正常な状態にあった憲法審査会を開催にこぎつけ、3国会にわたって継続審議になっている「改憲手続法」自民党修正案の採決を企てた。そのうえで、憲法審査会の「自由討議」の場を通じて自民党の4項目改憲案を憲法審査会に「提示」し、改憲論議を始めることが狙いだった。

欧州調査団は超党派で派遣されたものであり、この報告会を開催すること自体には与野党ともあまり異論はない。しかし、それをきっかけに改憲手続法の自民党案の審議と採決にもっていくかどうかでは決定的な違いがある。与党は改憲手続法の修正を「(先に改正された)公選法並びの改正案」の採決にとどめる考えだし、野党はこの法律自体がCM規制などの問題で重大な欠陥法であり、抜本的な再検討が必要だという立場だ(本誌はこれまで改憲手続法は欠陥立法であり、CM規制問題のみならず、最低投票率規定がないこと、国民投票運動期間が最悪2か月にされてしまう危険性があり、全体として短すぎること、公務員や教育者の国民投票運動に不当な規制がかけられていること、などなどの問題点を指摘し、抜本的な改正を主張してきた。この論点は日本弁護士連合会などの意見とも大方共通している)。

先の臨時国会では憲法審査会の審議をどのように進めるかについての与野党の立場に大きな違いがあり、改憲手続法の議論には踏み込めなかった。法案審議を何とか進めたい自民党は、野党のいうCM規制などの審議の約束を担保にして、ひとまず公選法並びの改正案の採決をはかったが、野党側に拒否されて暗礁にのりあげた。

9日の記者会見で安倍首相は「国民的な意識の高まりを受けて、今国会においては衆議院の憲法審査会で自由討議が2年ぶりに行われた」と評価した。しかし、これは我田引水の論法だ。行われたのは自民党の改憲案の提起につながる一般的な「自由討議」ではなく、幹事会で合意した「欧州調査団の報告に関する(に限っての)自由討議」にすぎなかった。事実、3回行われた「調査報告のあとの自由討議」では、幹事会の合意に縛られて自民党は自らの改憲案を提示することはできなかった。自民党改憲案の提示のための「自由討議」に野党が容易に同意することはありえない。

(3)性急な憲法審査会の運営はやめよ

安倍首相が改憲スケジュールを区切っているもとで、年明け20日にも召集される通常国会において、自民党は早急に継続審議になっている改憲手続法の微修正案を採決し、自民党改憲案の提示と論議を求めることは間違いない。

改憲問題の国会審議を首相の都合や、1党1派の都合で進めることは許されない。性急な憲法審査会の始動は認められない。

第1に、安倍首相は繰り返し行っている憲法99条違反の改憲に関する言動を反省し、立憲主義に反する政治姿勢を改めるべきこと。これはまじめな憲法論議をする上での前提条件だ。

第2に、まず必要な憲法問題を議論すべき場所は予算委員会であること。ここで改憲を口にする安倍首相自身を招請し、全面的、かつ闊達に議論すべきだ。そして、歴代政権が唱えてきた憲法9条の専守防衛枠をはるかに超えて、日米軍事同盟が強化され、自衛隊が海外で戦争のできる軍隊化している現状を点検し、規制することなど、憲法違反の現状を厳しくチェックしなくてはならない。

憲法審査会は国会法で「日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制について広範かつ総合的に調査を行い、日本国憲法の改正案の原案、日本国憲法に係る改正の発議又は国民投票に関する法律案等を審査するものとする」と規定されている通り、改憲原案を作ることも任務としており、改憲に賛成していない党派も存在する以上、憲法審査会は憲法問題の議論に適当な場ではない。一部野党の反対を押し切ってまで、開催すべきではない。

 第3に、継続審議になっている改憲手続法の議論は、自民党の修正案のみを先行して採決すべきではなく、野党各党の意見を勘案し、同法の抜本的修正の議論を行わなくてはならない。

この3つが憲法審査会の再始動のための前提であり、これなしに憲法審査会の議論は正常化すべきでない。

(4)憲法改正は1党1派の都合で論じてはならない

 自らの自民党総裁任期が2021年9月、あと1年半に迫ってきているもとで、安倍首相らはしゃにむに改憲の論議を押しまくろうとしている。
しかし、憲法審査会は、憲法調査会の発足以来、与野党の協議を重視し、少数会派の意見も多数会派の意見と同様に対等に扱うことなどを運営の原則としてきた。それは最高法規としての憲法問題を取り扱う委員会として、必要不可欠の姿勢だ。もとより憲法調査会以来の約20年が文字通りこのような美しい運営であったわけではなく、時折、強行採決などもあった。特に安倍首相が焦って、2007年、改憲手続法の採決について憲法調査会の審議の促進を求めたときは、当時の中山太郎会長は不承不承、野党が反対するままに採決を強行したことがある。

しかし、憲法調査会では後にこれらは会長の謝罪などで修復されてきた。昨年の国会で、安倍首相らが自らの思うようにいかない場合にしばしば見せた野党を無視した強行路線のように、この運営原則すら無視して突破しようとすることは許されない。

もともと憲法第96条の「3分の2」の規定は、もし憲法改正が必要であれば、政権与党の必要性だけでなく、主な野党も含めた国会の大多数の、その背後にある世論の大多数の合意の下に行われるべきことを示した規定だ。その意味で、野党議員の1本釣りなどによるつじつま合わせなどが許されようがないのは当然のことだ。

(5)安倍改憲阻止、安倍政権打倒の新年へ

12月14~15に実施された共同通信社の世論調査では、「桜を見る会」などの疑惑を反映し、安倍内閣の支持率が逆転し、支持率は42.7%となり、不支持率が43.0%となった。「安倍首相の下での改憲」については、反対が54.2%だった。賛成は31.7%だった。過半数が安倍改憲に反対していることは重大なことだ。与党の公明党や自民党の中からさえ、安倍首相がリードする現在の改憲の動きには反対の声がある。

見逃してならないことは「桜を見る会」などに関する重大な追及を安倍首相が過去に類例をみない「居直り」で「逃げ切った」ことが、安倍首相自身の最大の政治目標である改憲策動にブレーキをかけたことだ。この臨時国会では安倍首相の改憲策動は、野党と市民の共同したたたかいの前に失敗した。

通常国会での予算案の審議も含めた国会の諸日程はタイトであり、さらに「桜を見る会」などの権力の私物化、証拠隠滅、腐敗の追及は続いている。安倍首相が野党や市民の声に誠実に応えず、自分に都合のよい改憲問題のみを先行させるなど許されない。

通常国会での闘いは新年早々から激しいものとならざるをえない。

加えて、2020年は安倍首相らによる国会解散・総選挙が予想される。私たちはこの総選挙で野党と市民の共同による闘いを全力挙げて展開し、希望ある共通政策を掲げ、全国の1人区で候補者を1本化させ、改憲派の3分の2を阻止することができれば安倍改憲を葬り去ることが可能になる。

全国各地の草の根で安倍改憲に反対する行動を起こし、署名などをもって市民の中に入り、対話を広げ、世論を喚起しなければならない。

安倍9条改憲NO!全国アクション運営委員会は12月17日、要旨、以下のような新しい署名運動、「安倍9条改憲NO!『改憲発議に反対する全国緊急署名』へのご協力のお願い」をだした。

先の参議院選挙をへて、体制を立て直し、自らの総裁任期の2021年までの改憲をめざす安倍首相は、改憲のアクセルを一段と踏み込みました。暴走はさらに加速しています。

安倍首相のもとでの改憲には反対、が国民多数の声です。先の参議院選挙での市民と野党の一致点です。この一致点をさらに強く、大きくし、世論を広げ、改憲発議ができない状況を作りだすために、もう一度知恵と力を寄せ合おうではありませんか。「改憲発議に反対する全国緊急署名」を軸に、対話を強めようではありませんか。

この署名運動の呼びかけ人は以下の人びとだ。
有馬 頼底 うじき つよし 落合 恵子 岡野 八代 鎌田 慧 鎌田 實 香山 リカ 佐高 信 澤地 久枝 杉原 泰雄 田中 優子 ちば てつや 田原総一朗 暉峻 淑子 なかにし 礼 浜 矩子 樋口 陽一 前川 喜平 益川 敏英 山口 二郎 北原 みのり(2019年12月13日現在)
新年はこの21氏の呼びかけに応え、安倍改憲発議阻止、安倍政権打倒のために、全国の津々浦々で全力を尽くして闘いぬこう。そして必ず勝利しよう。
(事務局・高田健)

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中村 哲さんの死を悼む

斎藤竜太 2019年12月18日(憲法九条やまとの代表・医師)

中村哲さんが何者かによって銃撃され亡くなったとの訃報が入った。心配していたことが現実となって愕然とし、喪失を感じ、悲しい。
中村さんは九州大学医学部の出であり、私は彼よりずっと年上の同級である。1968年学園闘争『収束』後、大学に残った者もあったが、少なからず『野に下った』。中村さんは市中の病院勤務になった様であった。私は関東に下った。

 12月11日の中村家とペシャワール会合同葬に私は出席した。葬儀委員長でペシャワール会会長の村上優さんに続いて、バシール・モハバット駐日アフガニスタン大使が、鎮痛な面持ちで彼の功績と守れなかった悔しさ申し訳なさを涙ながらに述べられた。

葬儀の最後に、中村家を代表して、ご長男の健氏がお父さんとともに亡くなった5人の方々のご冥福とご家族へのお悔やみを述べられ、会葬者へのお礼と父君のことを話された。「言葉だけでなく行動で示せ」「年中留守ばかりして母子家庭だね」と言い「お母さんをよろしく」と。

アフガニスタン国旗に覆われた柩が会場中央を上り、会場を後にする霊柩車を見送った。
葬儀の冒頭に、上皇ご夫妻からの弔意があった旨が流された。日本政府の弔辞はなかった。

中村さんが、2001年のテロ対策特別委員会の席上、「9・11」をめぐり米国に追随する政府のアフガニスタンへの自衛隊派遣論に対し「有害無益」と喝破したのは誰しも知っている。由来、憲法9条改悪に反対し、憲法は金字塔であり、実行せよとくり返し述べてこられた。

そうこうして、神奈川県大和市の「憲法九条やまとの会」は3度に亘って講演をお願いすることとなった。2017年6月1日の3度目の講演が終わり、滝本太郎弁護士の車で羽田まで送った。ホテルに一泊し、翌日朝飯の間一時談笑した後、食堂から空港へ出る姿が最後となった。

アシュラフ・ガニー大統領をはじめとするアフガニスタン政府は、国葬に匹敵する送葬を執った。日本の良心を世界に示した中村さんに、安倍政権は何ほどの事をしたというのか。いや、真逆の立場にあった。

中村さんが完成を目指した「緑の大地計画」は、ひと言で、きびしい自然環境の中でも、人びとが安心して食べ暮らせる条件を創りだすことにあったのだと思う。それは、現地の人びとが自らの力で創り上げるものであり、その思いと知恵と技術を現に働いている人びとと、それを受けつぐ技術者の養成と子どもの教育によって、世世代代引き継ぐことを目指すものであった。巨大な成果を上げていたが、さらに途方もない困難を伴う事業を、彼は、人びと共にこの困難さを断乎として克服しつつあった。ペシャワール会は中村さんと現地の人びとの壮大な事業を断乎として受けつぐことを決意している。

中村さんのアフガニスタン民衆への限りない愛情と献身が人びとの心を鼓舞し、その人々が自国の社会経済を自力で建て直し、国の独立を支える基礎を据える力として澎湃と登場しているのではないだろうか。その途上であった。それを思うと、中村さんの死の損失は計り知れない。この事態にあたって、ペシャワール会は、中村さんと現地の人びとの「緑の大地計画」という壮大な事業を断乎として受けつぐことを決意している。成功を願うものです。

ただ、心配が無いではない。この偉大な事業をめぐって周囲の諸勢力がいかなる関係を持とうとしているか。世界的にも、現地周囲にも一儲けも二儲けも狙う輩が徘徊していないとは言えないからである。杞憂であってほしい。

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韓国訪問記

菱山南帆子

2019年12月5~8日にかけて韓国に行ってきた。韓国に行くのは2度目。
今回は2日間のシンポジウムに加え、DMZツアーと約2年前に初めて韓国に行った時に仲良くなった同世代の友達と久々に会う約束もした。

1日目。
昼過ぎに金浦空港に到着。日本の仲間たちも続々と集まってくる。前日にソウル入りしていた糸数慶子さんは防寒対策バッチリだ。相当寒いらしい。「寒いぞ」と聞いてはいたが、東京の豪雪地帯・八王子に住んでいる私は寒さをなめきっていて、防寒が甘く、随分寒い思いをした。

日本のメンバーが一堂にバスに乗り込み、なんと3時間ぶっ通し休憩なしで走り続け、ピースフォーラムが行われる春川(チュンチョン)市へ。春川に近づくほど寒さでバスの窓ガラスがどんどん曇っていく。私はその日の朝、4時起きだったのでバスの中ではひたすら眠りこけていたのだが、隣で高田さんが曇った窓ガラスをハンカチで何度も拭い、拭った跡から微かに見える景色を時折目覚めてはボンヤリ眺め「そっか韓国に来ているのか」と実感の湧かないまま春川へ。

春川に到着。なるほど、「これがマイナスの世界か!」と納得するほど寒い。というか痛い。薄手のタイツ、乾燥した冷たい空気によって一気に「韓国に来た」という実感になった。

その日はすぐに夜の懇親会となった。まず、ホテルの部屋に荷物を降ろし、同室の方と初顔合わせ。26歳の若い女性と同じ部屋になった。上前さんという方だ。上前さんと私は出身校が姉妹校であったり、子どもの頃の時代背景とそのことへの考えや行動などの話で共通点が沢山あることが発覚。初めて会ってからわずか15分で即座に意気投合。私たちは声を揃えて「同じ部屋で本当によかった!」という結論を出した。さあ、楽しい韓国訪問の始まりです。

とにかく韓国の皆さんの行う事のスケールは大きい。プロのピアニストとバイオリニストを招いて歓迎の演奏会からスタート。食事はバイキング形式。上前さんによると食事の内容は韓国の結婚式の食事とほぼ同じだと言っていた。韓国の結婚式ではビュッフェ方式の食事スタイルなのだとか。カニの醤油漬けが大好きなのだが、初めてエビの醤油漬けを食べた。カニの醤油漬けは「ケジャン」エビの醤油漬けは「セウジャン」というらしい。
1日目の宴会は終了。次の日は朝早くからいよいよピースフォーラムなので長旅の疲れも癒したく、早めに部屋に引き上げた。

のんびり湯船にでも浸かって・・・なんていう甘い考えは打ち砕かれた。なんとほぼ貸切状態で日本人が同じホテルに泊まったものだから、私のように疲れを癒すために一斉にバスタブに湯を入れ始めたのだろう。水が出なくなってしまい、シャワーから熱湯か、冷水という極端な温度でしか水が出ない。しかもチョロチョロ。外はマイナス12度の世界。めちゃくちゃ寒い。それなのに熱湯も地獄、冷水も地獄。私はヒーヒー言いながら、熱湯のチョロチョロシャワーを腕の最大の範囲まで伸ばしに伸ばし、振りかけるようにして何とか髪や体を洗った。

 風呂から出るとともに上前さん「地獄だ!この風呂は地獄!」と叫んだ。上前さんは「えー?ホテルなのに?」と言って風呂場に消えていった。数分後、勢いよく風呂場から出てきて「信じられない!苦情言う!」と言いフロントに電話をし始めた。「寒くて死ぬかと思った」と朝鮮語で彼女はフロントに電話をかけていた。ホテル側は「日本人が多く泊まっているから風呂でも溜めたからだろう」と言っていたらしい。御意・・・。ちなみにその時に「寒い」は「チュウォヨ」という事も教えてもらった。

「寒い」「いただきます」「ご馳走様でした」「おやすみなさい」など朝鮮語を教えてもらいながらその日は眠りにつく。

2日目。
朝からハンリム大学に向かい、ピースフォーラムの開会式に参加した。そこでも歓迎の演奏としてプロのオペラ歌手を招き、素敵な歌声を聴いた。その後、日韓で巨大書道を書きあい、それを交換しハグをするという「平和共存ハグパフォーマンス」を行った。

このピースフォーラムの主催はなんと、江原道(カンウォンド)と春川市が主催するという日本では考えられないもの凄い企画なのだ。江原道は日本でいえば「北海道」。そして江原道は唯一、南北に分断された都市だ。そこの韓国側の県庁所在地が春川市なのだ。春川市は日本で大ヒットした「冬のソナタ」のロケ地として有名な場所で、川が流れとてもロマンチックな場所だという。しかし、車で1時間もしないところに軍事境界線があり、南北数十万の若者たちが銃口を向けあっている、ロマンと緊張の2つの顔を持つ都市だ。

そんな大きな枠組みで行われたピースフォーラムは司会者がテレビ局のアナウンサーという豪華なキャスティング。韓国からは延世大学名誉教授キム・ヒョンソクさん、日本からは広島前市長の秋葉さんが基調講演をした。

その後、8つの分科会に分かれて討論を行った。私は「DMZ(軍事境界線)のユネスコ文化遺産登録・護憲のための協力について」というテーマで討論した。

軍事境界線の場所はほとんど人が立ち入らないため、必然的に自然が守られ、珍しい植物や動物がいるとのことだった。

私は、総がかり行動の歴史、最近日本の運動の中で歌い始めている韓国の闘いの歌、市民運動の活動報告、そして加害の歴史を直視して、戦争と侵略の反省と戒めも含め、憲法を持っているだけではなくしっかりと生かしていく。東北アジアの仲間たちと市民の力で友好と未来を築きたい。そのためには最大の阻害物である安倍政権を倒さなくてはならないとスピーチをした。

この分科会で印象的だったのはキム・ホジュンさんという元軍人の方だ。「将軍」と呼ばれていることには驚いた。徴兵制のない日本では考えられないが、徴兵制がある国は呼び名も肩書も日常だ。その方が、軍隊にいた時、大統領が変わるたびに軍の考え方も国の考え方もコロコロ変わらなくてはならなかった。だからこそ、政治家に任せるのではなく市民が頑張って安定した政治を行わなくてはならない。そのためには東北アジアで市民が主体としたつながりが重要。と述べられた話にとても共感をした。私がいつも思っていることだったが、軍隊で長年働いていた方がいう言葉には重みと実感がずっしりと詰まっていた。

分科会の後、再び会議室に集まり、総括議論を行った。韓国の方の全てがそうではないと思うが、何度も韓国に行っている仲間たちは口をそろえて「韓国は走りながら物事を決めるからな」と言っていた。なるほど、確かに土壇場で色んなことが決まったり、予定時刻をかなり過ぎることも何度もあった。近くの国なのにこんなにも色んなことが違って面白いなぁと思った。

学び多きフォーラムも終えて、最後の晩餐会へ。司会は市民運動出身の民主党の議員さんだった。この日もプロの歌手を呼び、演奏会。その後チマチョゴリを着た女性たちが「アリラン」を披露。とても素敵だった。そして、韓国の大学教授がトランペットやハーモニカを披露。大盛り上がりの楽しい楽しい夕食会。日本も何かしなくてはという事で「真実は沈まない」をみんなで合唱した。私はそのあと、日本の国会前で行っているようなシュプレヒコールをしてくれと言われ、恥ずかしいが断れないしな、、、と意を決して実演した。

次の日の朝、バスガイドさんから「真実は沈まないの日本語歌詞がほしい、覚えたい」と言ってくれて嬉しかった。
あとから上前さんに聞いて知ったのだが、この時期、日本と仲良くするのは右派なので、民主党の議員が日本人のイベントにかかわるのはとても勇気が要ることだと教えてくれた。

この日の夜は上前さんと過ごす最後の夜。次の日も早くに出発なので早く寝なきゃならないのに話は止まらず、部屋に帰ってからも色んな話をした。彼女は台湾の大学に進学したのだが、ちょうどその時に「ひまわり革命」が起き、大学に泊り込んで闘ったそうだ。そのリアルな話や、ひまわり革命のミュージックビデオなども見せてもらい、これからの日本の運動に大変参考になった。また、ひまわり革命の時大学内に心理カウンセラーが配備されたと聞きとても驚いた。バリケード封鎖をして学内で闘いを繰り広げていると精神的に疲れてしまう若者もいるのでそういった対策をとったと。凄い。運動家は運動の悩みを簡単には打ち明けることはなかなかできない。私も若いときそういった運動の悩みや消耗感に振り回され、つらい思いをしていたので、その時に専門のカウンセラーがいたらどんない心強いことか!と思った。やはり、日本にとどまらず、一歩外に出たところでの交流はとても大事なんだ!と思い知らされた。

3日目。
ホテルの外にある小さな滝が凍っているという噂を聞き、上前さんと朝食前に見に行った。本当にがちがちに凍っていて、粉雪が舞い始めた。朝食後、上前さんと泣く泣く別れ、バスに乗り、本日のビックイベント、DMZツアーへ。

バスに揺られること1時間。検問所に到着した。検問所では軍人さんが沢山いて思わず隣にいた仲間とカメラを向けると「写真はダメだ」とアナウンスが入った。バスの中に軍人さんが乗り込んでチェック。バス内はシーンと静まり返り緊張が走った。これが軍事境界線。これが銃口を向けあう緊張感かと身を持って感じた。

その後、東統一展望台へ。登ってみて驚いた。目と鼻の先に北朝鮮がある。こんなに近いのに・・・。東統一展望台だったので、海がありその上をカモメが行ったり来たりしている。まさにイムジン河の世界だ。私はその光景を目の当たりにしてとても感慨深く思った。近く昼食場所に移動して浜辺を歩いた。浜辺には沢山の貝殻があった。新潟から来たのかもしれないし、北朝鮮から来たのかもしれない貝殻を大切に拾ってきた。

昼食後、再びバスに乗り込み、ソウルへと帰った。順調にソウルに帰れるかと思ったらとんでもない。ソウルにつく手前から大大大渋滞。「土曜日のソウルは混むわよ~」上前さんの予言が思い起こされた。

何とかソウルに到着し、地下鉄に乗って市庁前駅へ。しかし、初めて韓国で地下鉄に乗るので何も知らなかったのだが、韓国はキャッシュレス大国。切符売り場なんて見当たらない。「Tカード」というICカードがないと地下鉄に乗れないのだ。飛行機の中で勉強していた朝鮮語会話集の中に「Tカードはどこに売っていますか?」というページがあったことを思い出した。私は「ツタヤのカードなんて関係ないっしょ」と思ってろくすっぽ見ていなかったことを後悔した。白石孝さんがなんとカードを何枚も所有していて、そのうちの1枚をお借りして地下鉄に飛び乗った。

なんでこんなに急いでいたのか。それは韓国の友達と夜食事に行く約束をしていたからだ。久々に会うのに沢山待たしてしまった。大急ぎで地下鉄を降りて売店のおじさんに片言の朝鮮語でホテルに近い出口を教えてもらい、地上に出てからも焼き栗売りのおじさんにホテルの場所を教えてもらい、みんなに助けられながら到着。到着するや否やホテルのカフェで快く待ってくれた友達に再会!

私たちは極寒のソウルを歩きながら食事場所へと向かった。この友達は「ソヨンさん」と言って私より2つ年上の素敵な活動家。ソヨンさんはとは2年前の総がかりで韓国に行った際、懇親会で通訳をしてくれていたのがきっかけで仲良くなった。懇親会の後に一緒だった清水雅彦さんが折角だから外でチヂミとマッコリが飲みたいというので、彼女に案内してもらったのだ。その時飲んだマッコリがあまり美味しくなかったという事を気にしていて、今回はとても美味しいと評判のお店を予約してくれていた。

お店に向かう途中にプラカードやゴミなどが落ちていた。ついさっきまで光化門で集会があったとのこと。毎週土曜に行う光化門での集会は左派だけではなく右派も行う。右派はバスに人を沢山乗せて動員するらしく、それもソウルの大渋滞の原因でもあったのかと納得した。

道に落ちていたプラカードがあったので「これはなんて書いてあるの?」と聞くと「あぁ、これは右派のプラカードですね。パククネを解放しろと書いてあります」と言いながらソヨンさんはそのプラカードを足で踏みつけていた。

お店に到着し、ポッサムという豚肉を野菜や薬味などと巻いて食べるものをつまみながら、そのお店で作っているという自家製マッコリを飲んだ。グラスからして日本で飲むマッコリとは大違い。シャンパンみたいで美味しくて美味しくて驚いた。ソヨンさんは目を丸くして何度も「美味しい」を連発しながら飲む私に「そうでしょう~」とほほ笑んでいた。
「今日は日本の友達と会うのよ」と会社の仲間に話したら「こんな時期に?」と言われたわ。言ったので「なんで?」と聞くと、今の時期は「こんな時期にアサヒ?」「こんな時期にユニクロ?」と言ってからかうのが流行っているそうだ。春川での晩餐会で民主党の議員が司会していたことの重みをさらに感じた。

最近韓国のアイドルなど若い人が相次いで自殺をしている。特にリベンジポルノなどで心を痛め亡くなったKARAのハラさんの話になり、日本でも「ミヤネ屋」という似非ニュース番組の司会を務める「宮根」という男が、ハラさんのリベンジポルノの動画を生放送で見られないのをわかっていながらわざと見ようとするしぐさを繰り返し大問題になっている、という話をしたら彼女は目に涙を浮かべながら「許せない!」と怒った。まったくだ。その通りだ。「日本人はもっと怒らなければならない、様々な事に!」と彼女のまっすぐな怒りの言葉を聞きながら強く思った。

韓国では結婚しても苗字は変わらないとか、子どもが生まれた時は苗字はどうなるのか、韓国ではジェンダー問題はどうなっているのか。#MeToo運動による韓国社会の変革なども聞けた。とにかく色んな話をした。しまいに私は「朝露」を日本語で歌い、ソヨンさんから「日本で歌ってくれていることを誇りに思います」と嬉しい言葉を聞き、運動の中で生まれた歌の話、運動史の中で亡くなっていった人物の話になった。中村哲さんや樺美智子さん、浅沼稲次郎さん殺害事件を話した。彼女が「若かった山口二矢も社会的犠牲者だ」ときっぱり言い、韓国の地でここまで深い話ができるなんて・・・!と驚いたところで気づいたら閉店時間、すでに私たちはマッコリを3本も空けていた。

さらに冷え込んでいるはずのソウルの街も2人でゲラゲラ笑いながら歩いていたら寒さも吹き飛び、何度も握手をし、また次も会うことを約束してわかれた。

4日目。
この日は、以前平和フォーラムに留学していた「ウンジュさん」と待ち合わせ。昨夜ホテルを案内してくれた屋台の焼き栗売りのおじさんにお礼を言って、韓国のマリーモンド(今年は反日ビジネスと言われ問題になった)と植民地歴史博物館に案内してもらった。ここで驚いたのは韓国では女性同士で歩くとき腕を組むことだ。日本ではあまり見られないし、私もしたことがなかったのでぎこちなくウンジュと腕を組んで行動しているとき慣れず緊張していたのか、次の日腕が筋肉痛になってしまった。でも、女同士腕を組んで歩くのもなかなか良いもんだと思った。女性がまだ韓国では1人で食事することは少ないという事も教えてもらった。一緒に食べる人がいないと我慢することもあるそうだ。1人ラーメン・1人焼肉・カウンターだらけの牛丼屋・立ち食いソバなど、お1人様大国日本では驚きの事実だ。

こんなに近い国でこんなにも知らないことがあるなんて!と驚きながらマリーモンドに到着。韓国でしか買えないグッズを買い、マリーモンド内に設置されたカフェで話をした。若い人が集会やデモに来るが、継続的ではなく「見物的」であることが悩みだと言っていた。私は「そんなの贅沢な悩みだ、日本なんて見にも来やしない!」といったら苦笑いをしていた。

最近行った国会前でのパフォーマンスを教えてもらった。国会議事堂に模した椅子をたくさん並べて、その上に市民が乗って発煙筒レベルの火花を噴く花火を掲げている。これは「国会の上に私たちがいる」というアピールだそうだ。とても分かりやすいし、なんか楽しそう。日本の運動も柔軟に工夫をしていかなくてはと思った。

その後、地下鉄を乗り継いで植民地歴史博物館へ。ここは初日に前記した糸数慶子さんが行ったそうでとてもおススメだと言われて、急きょウンジュにお願いして連れてきてもらうことになった。

女子大や若い子向けのファッションやコスメのお店が並ぶ中にその植民地博物館はあった。中には「親日派」と言われる人たちの記録や、植民地中に発した言葉や植民地から解放された後に意見をコロリと変え、言い訳した言葉が一覧表となり、比較できるようになっていた。2階に上がると、日本がどのように朝鮮半島と中国を侵略し、植民地にしていったのか、また、子どもたちにどういった洗脳教育をしていたのか、反日・独立を叫ぶ人はどんなつらい目にあったのか。時系列で日本の歴史と朝鮮半島の歴史の資料が壁に平行に展示されていて同時に知ることができる工夫が施されていた。日本で当時流行らせた双六には驚いた。「征清海陸進軍双六」といって広島・長崎から出発し朝鮮半島を通り、ゴールは北京となっている。こんなゲーム感覚で遊んでいたら、その下にいる人々の事なんか考えなくなってしまうし、侵略という痛みも麻痺してくることが狙いだったのかと思うと空恐ろしい。

また、朴クネの父親、朴チョンヒは日本軍にどうしても入隊したくて血書まで書いて入ったことも知った。A級戦犯の安倍首相の祖父、岸との関係も考えると歴史を学ぶには日本だけではなくこうやって比較して学ぶことの大事さを思った。そして、被害の歴史だけではなく、朴チョンヒのように日本と一緒になって苦しめてきた同じ国の人間の行ったことも忘れないというスタンスの歴史博物館だった。

飛行機の時間が来てしまったので、本当に短い時間でしか回れなかったのが残念だ。最後の展示ブースには現代の日韓運動の紹介があった。日本で毎年行われているヤスクニキャンドル行動のチラシも展示されてあった。日本で行った活動のゼッケンなども大事に展示されていた。これから私たちの集会のチラシなどももっと展示してもらえるように日本で頑張らないと!と思った。

ウンジュとGSOMIAの事について韓国市民はどのように思っているのか、香港の運動の話などをしながら金浦空港まで送ってもらった。

お土産も満足に買えず大慌てで飛行機に乗ってしまったが、たくさんのお土産話と学びを持ち帰ることができた。

飛行機が着陸して携帯の電源を入れた途端、中村哲さんのご遺体が成田空港に到着したとの速報が入った。降りる空港は違えども同じ時間帯に同じ日本上空を飛んでいたのかと思うと中村哲さんへの喪失感で胸が痛くなった。戦争加害国としての反省と戒めを込めた憲法九条、戦地で活動する中村哲さんが「自分を守ってくれている」と言っていた憲法九条。私たちは責任を持ってこれからやってくるであろう改憲を阻止しなくてはならない。肩にずっしりと使命感と未来への希望が入り混じった思いを抱えながら帰国した。

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第140回市民憲法講座 巨大化する気象災害から身を守る

お話:下山紀夫さん(気象予報士、「9条の会・熊谷」代表)

気象についてのクイズ

こんばんは、下山紀夫です。今日はお招きいただきましてありがとうございます。

これだけ暑くなったり寒くなったりということで、大変な状況になっています。今日は温暖化のメカニズムというようなことは別にして、いまどんな現象が起こっているのか、それから私たちはどのようにして身を守ったらいいのか、この辺のところを中心にしてお話ししていきたいと思っています。

 以前、私は気象庁に勤務しておりまして、富士山では3年半、山頂勤務をしていました。いまは富士山のレーダードームはなくなりましたけれども、私は全国、北は盛岡から南は鹿児島まで勤務してその真ん中の富士山での勤務でした。その中で最初に私が申し上げたいのは、富士山で勤務して自然というものの美しさとか素晴らしさ、こういうものをあらためて知りました。同時に自然のエネルギーの怖さ、本当に風の一吹きで人間なんてひょいと飛んでしまう、殺されてしまう、そういう自然の厳しさ、このことを習ったのも富士山でした。ちなみにこの写真は私の姿です。山頂に行かれた方はおわかりですけれども、観測塔になっています。ここに氷がつきますので、この氷を落として生活用水にするということで、この氷は大切なんですね。この、上で氷を落としているのが私です。これで水をいただいています。こういうかたちで気象庁の生活をやって、現在に至っています。

 ひとつ、みなさんにおうかがいいたします。私はいつもこういう講座をするときにみなさんの気象学的な知識、これを確かめさせていただいています。なぜかというとあまりレベルの高い方ばかりいると下手な話をするとみなさん帰られてしまいますので、一応の確認だけさせていただければと思いますのでよろしくお願いします。お孫さんがいらっしゃる年代の方も多いようなので、当然知っていると思いますが確認です。

「雨粒」のかたちは、A、丸いのか、それともB、涙のようなかたちなのか、C、まんじゅう型、ちょっとひしゃげているようなかたちなのか、どのかたちでしょうか、という問題です。これは小学生でも知っていることですので、みなさんは当然知っていると思いますので確認いたします。Aという方、いない。Bの方、結構いらっしゃいます。Cという方、これが大多数ですね。正解は、雨粒が小さいときは球形、だんだん大きくなるとまんじゅう型、それ以上になるとまた分裂します。ということはBに手を挙げた方は間違いです。なぜ涙型に手を挙げられたかというと、漫画とかそれから時期はずれになりますが蓮の葉っぱから水がポトンと落ちるときに瞬間的にこういうかたちになるんです。そういうイメージがありますが、それは本当の瞬間だけですぐに表面張力で丸くなります。表面張力で丸くなるけれども、落ちてくるときに空気の圧力があるのでまんじゅう型になる。ですから小さいのは丸いけれども、少し大きくなるとまんじゅう型になる。これは常識ですけれども、常識が外れている方もいらっしゃるということで、私も安心して話すことができます。

もっと常識の話です。明日の天気は雨のち曇り、そのあとから曇りときどき晴れという予報ですね。天気予報の「晴れ」「曇り」、みなさん毎日天気を見ていますけれども、その「晴れ」とか「曇り」で、多少雲があっても「晴れ」ですよね。それでは「晴れ」というのはA-天候全体から見て3割くらい雲があっても「晴れ」なのか、B-雲がない状態から半分くらい雲がある、このくらいは「晴れ」、いやC-雲がない状態から8割くらい雲があっても「晴れ」なのか。みなさんにおうかがいします。

これはCなんです。雲がない状態が8割あっても「晴れ」なんです。私は妻からよく「あなたの予報は当たらない」といわれるんですよ。私は予報士としては日本一だと思っているんですけれどもね。なぜかというと「あなたは明日晴れると言ったけれども、ずっと曇っていたじゃないの」といわれます。でも雲がない状態から8割までは晴れというのですから、そういうときはだいたいにおいて「晴れていた」と言うんです。けれどもなかなか認めてもらえません。でもこういうことなんです。人間の感覚としてお日さまが照ると、日差しがあると何となく晴れている、空を見なくてもそういう感覚なんだそうです。だいたい空の8割くらいまで雲があってもそういう「晴れているな」という感覚になるんだそうです。そういうことで、世界共通で8割まで雲があっても「晴れ」にするということで決まっています。常識がなかなか通用しないですね。

次は本当に難しい話です。台風にはひとつひとつ名前がついています。これは船とかパイロットが「台風21号」とか数字にしてしまうと間違うおそれがあるということでイニシャルで呼ぶことになっています。そのかわりに名前がついています。その名前は台風に関連する国、世界15ヶ国が名前を出し合っています。日本も出しています。このA、B、Cの中でひとつだけ日本が出していない名前があります。Aクジラ、Bコップ、Cタロウ、この中で台風の名前として出していない名前はどれでしょうかという質問です。Aだと思う方、いらっしゃらない。B、結構いらっしゃる、C、多い。これはC、タロウなんです。なぜタロウなのか、気象庁で名前を出したわけですけれども、アメリカなどは女性の名前を付けたりますけれども、日本で「タロウ台風」が暴れたりすると「タロウ」さんがかなり非難されたりするわけですよ。そのため人間の名前はやめようということで、やめました。

どうしたらいいかということで、結局星座の名前にしました。しかもメインの星座ではなくて、好きな人だけが知っているような星座の名前を付けました。どんなふうに付けたかというと、天秤、山羊、ウサギ、カジキ、冠、鯨、コップ、コンパス、トカゲ、ハト、これを出したんですね。「タロウ」さんはいません。でもクジラ、コップは星座にあるんです。ちなみに今年の台風14号はカジキだった。でも台風14号はベトナムの方に行って、一日だけしか命がなかった台風でした。あまりなじみのない名前だったわけです。ということで、私は安心して今日はお話しすることができます。意外と常識的に知っているようで知らないことはありますね。特に天気の「晴れ」とか「曇り」というのは毎日見ているけれども、案外そこまで気にしないということだと思います。

1.巨大化する気象災害-台風が強い勢力のまま上陸

今日は「1.巨大化する気象災害について」、「2.地球規模の温暖化について」、「3.気候変化や異常気象に備えて私たちの暮らしや命を守る」、この3つに分けてお話をさせていただきます。

最初は「巨大化する気象災害」、1番目は台風が「強い勢力のまま上陸」ということです。今年の台風は関東、東北をもろに直撃したものでした。台風15号、千葉県がひどかったですね。コンパクト台風というようなことをいわれましたけれども、千葉市付近に上陸して960ヘクトパスカルという強い勢力のままで上陸ということでした。ゴルフ練習場の鉄柱が倒れましたけれども。ここで注目することは、9月8日21時に「非常に強い台風」になったんです。そしてすぐに翌日朝に三浦半島付近を通過して、9日3時には「強い台風」というかたちで東京湾を北北東に進んだ。そして5時前に千葉市に上陸。東京湾を進んで千葉市に上陸した台風です。ここで言えることは「強い台風」のまま上陸したということなんですね。これが今回のひとつのキーワードです。

ちなみに「強い台風」というのは最大風速が33メートル以上、44メートル未満の台風のことです。ただし風速17.4メートル以上になると台風ですから、「強い」とか「非常に強い」とか「猛烈な」という言葉がつかない場合は風速33メートル未満のときです。カテゴリーとしては「強い」「非常に強い」「猛烈な」というかたちになっています。もうひとつは大きさで分けて「大きい(大型の)台風」「超大型の台風」というかたちがありますが、「大型」は風速が15メートル以上の半径が500キロメートル~800キロメートル、「超大型」は800キロメートル以上をいいます。大型になりますとだいたい関東・中部・東北を含んでいる。超大型になると日本列島がほとんど含まれる、そういう台風ということになります。ですから今回はこの「強い台風」が上陸した。その上陸直前は「非常に強い台風」だったということが特徴です。「強い台風」、15メートル以上の強い風が吹いてくると風に向かって歩けない、転倒する人も出る。風速33メートルの「強い台風」になったときには、ものが飛んだり倒れたりするということが当たり前に起きるということになります。こういうカテゴリーの台風が上陸したということがひとつありました。

そして1ヶ月後、今度は台風19号が来ました。台風情報で台風19号の危険な理由は3日、4日前からもう報道されました。「非常に強い勢力で上陸か?」「昨年の台風21号に匹敵」、昨年の台風21号は関西の方に上陸して関西空港を高潮で水浸しにしたり、大阪府内を風で被害を起こした。それと同じような勢力で接近して上陸するおそれがある。しかも今回は暴風域が非常に大きい。台風の雨雲、この映像の白いのは雲ですけれども、この雨雲が非常に大きいのが今回の台風の特徴だということを3日も4日も前から発表したのがこの19号台風です。結果は、これは二子玉川ですが、決壊しました。タワーマンションがずいぶん問題になりました。これは長野、千曲川です。これも決壊しました。私も長野にいた経験がありましたので、この惨状には非常にショックを受けたと同時に、やっぱり山側だったのかということが気になりました。どういうことかというと、堤防というのはどちらかというと人の住んでいる方は切れないで、比較的に人が少ない方が切れやすいということがいわれております。この地区もそうだったんですね。やはりそういうことがあるのかな、ということを感じたんです。

いずれにしても、この地域は本当に大変な被害を蒙っています。いろいろと警戒を呼びかけたけれども、今月11日時点で13都県で死者が90人、今朝のNHKの報道では93人になっていました。行方不明5人、これが今朝の報道では2人になっていた。住宅の問題では全半壊が1万棟を超えました。床上浸水は3万棟を超えました。何といっても今回の特徴は堤防の決壊です。71河川140ヶ所が決壊した。同時に土砂災害は884ヶ所起こった。停電も起こった、断水も起こったけれども、この堤防の決壊が特徴です。雨が広い範囲で、本当に大量に降った。これが今回の特徴なんですね。箱根は、まだ被害が残っていますけれども、1000ミリで、もちろん観測史上初めてです。私たちの経験からいいますと200ミリ降るとかなりの被害が出るんです。400ミリ降ったら相当大きな被害が出るといわれています。それを遥かに超える1000ミリですから、箱根にあれほどの被害が出るのは仕方がない。それくらいの雨が降ったということです。

新潟県、関東地方、東北地方、静岡県も含めて観測史上1位の雨の強さ、量が計測された。こういう中で「特別警報」が発表されました。13都県、東京都それから12の県で出されました。岩手県まであります。都内では板橋、練馬、豊島、北、世田谷、墨田で特別警報が発表されました。

この特別警報とは何なのかということですが、特別警報が出たときに「住民の方にとっていただきたい行動」ということで「特別警報が発表されたらただちに命を守る行動をとる」。なぜそういうことをするのか。「経験したことのないような異常な現象が起きそうな状況なのでただちに命を守る行動を取る」。「経験したことのない異常な現象」と、もうひとつ「この数十年間災害の経験がない地域でも災害の可能性が高まっているので油断しない」、というものが「特別警報」です。

具体的にどうなっているかというと、今回は雨に関する特別警報だったけれども48時間降水量及び土壌雨量指数、これが50年に一度の値となった場合、しかもある程度広い範囲にまとまって出現したとき、50年に一度これが起きる、あるいは起きる可能性がある、こういうときに特別警報を発表することになっています。この「50年に一度」とは何なのか。実は私たちが生まれてから死ぬまで、いまは人生80年90年となりましたけれども、実際に成人して働き始めて退職する、その期間がだいたい50年といわれています。ですから、私たちが本当にがんばっている期間に一度あるかないかの現象である。これが大雨の特別警報の中味です。それが今回は13都県に発表されました。

私は熊谷市に住んでいて、今回発表になったところです。私の家のすぐそばには荒川が流れていますので、水位とか全部インターネットで仕入れて、目の前の荒川の土手に上がって、川がどうなっているかをチェックしたんですけれども、家の方の土手は切れないなと確信していました。けれども、東京とか横浜、大宮に住んでいる3人の子どもから「お父さん、早く避難しろ」というメールがたくさん来て、最後は熊谷駅で一部屋だけ空いているホテルがある、そこを取るからそこに逃げてくれと、そこまでいわれてしまいました。私は気象予報士として自信を持っていたんですけれども、たまには子どもに従うかと思って、ホテルには行かなかったけれども、親戚の家に行きました。とにかくそういうことで特別警報が出るということは、身構えていくということが必要です。本当はその前からやらなくてはいけないんですけれども。それが関東一円に出された状況だったのがこの台風だったということです。

2018年台風12号と21号-高潮と高波

台風について、去年のことを見るともうひとつあります。去年の台風12号、これも強い勢力のままだったんですね。これは紀伊半島に上陸したけれども、有名なのは熱海のホテル、高波と高潮でやられたことがニュースで話題になりました。この映像が国道1号線付近で、風で飛ばされてしまった。この台風は日本付近で台風になって、しかも熱海を直撃して、それから異常なコース、逆送コースを取った台風です。それから先ほどいった去年の21号です。このときに有名なのは関西空港に対して貨物船がぶつかって空港のアクセスの橋がやられました。関西空港が水浸しになった。この原因は潮位、実際の潮位より3メートル以上高かったということで、これが高潮警戒水域を大幅に超えて、室戸台風の過去の記録まで超えて押し寄せた。それがこういう結果をもたらしました。

実は今回の台風19号も、このことをものすごく心配したんです。今度の19号が来るときに、ちょうど満潮の東京湾に入ってくる時間で、しかも強さが関西空港がやられたものとよく似た状況だでした。東京湾は102年前、やはり台風が来たときに千葉県の浦安で4メートル近い高潮が来て、それで東京の湾岸一帯が水浸しになった過去の経験があった。そのために今度の台風がそういうおそれがあるということでものすごく警戒していました。私が持ってきた江戸川区の水害ハザードパップがあるんですが、これもこのときの状況を加味してつくってあります。このときには「大正6年9月30日夜、静岡県に上陸し、東京湾西側を通過した。現在の江東区や中央区を中心に旧東京市全体で損壊家屋約1万8千棟、浸水約7万1千棟、全国の死者・行方不明者数は1300人に上った。上陸時の東京で観測された最低気圧952.7ヘクトパスカルは歴代1位、最大風速27・7メートルは歴代2位となっている」。このとき、船橋町、葛飾村、行徳町、南行徳村、浦安町、葛西、このあたり一帯が高潮で水没した。このときはまだ塩をつくっていたんです。ところがこの台風によって塩作りのところが全滅して東京から塩作りがなくなったという台風です。こういう台風があったゆえに今度は危ないぞ、ということになったわけです。ところが本当に幸いなことに、ちょっと時間がずれて干潮のときに台風が来たんですね。ですから高潮については、実際より1.5メートル上がったくらいのところで止まったので大きな被害にならなかった。ある意味では本当に運がよかった。そういう台風です。

ここでみなさんにお伝えしますけれども、では何で台風が日本付近で強くなったり、あるいは強いまま上陸するようになっているかというと、海水温なんですよね。台風は海で生まれるってご存じですよね。海面から水蒸気が蒸発して、その水蒸気がエネルギーになって台風になります。台風になるためには海水温がだいたい26度から27度以上の海域で、台風が発生・発達する、あるいは維持するといわれています。この図は今年9月の平均の海水温で、27度とあります。ということは台風が日本のそばに来て、衰えることを知らずにそのままずかずかと踏み込んでくる、そういう可能性を持っている海水温の分布図です。日本周辺の海水温ですけれども、太平洋の真ん中と比べて上がり方が大きくて、だいたい100年間で1度以上あがっているということですね。とくに夏場は暑くなりますので、こういう台風が発生・発達するところが日本列島の近くになっているということです。ここにいる私と同年代の方は、台風というのは南の方で発生するよ、これが常識だった。ところがいまは沖縄で発生したりします。そういうことが起きるということは海水温です。ですから「強い勢力のまま」というのは実はそういうことなんです。

 台風についてのキーワードを見てみます。怖い台風は「目がパッチリで色白、きりっとしまっている」、何か格好いいんですよね。この「台風の目」がぱっちり、しっかりしていて、気象衛星で見ると全体が真っ白に輝く。そしてぎゅっとまとまっている台風。これが怖い台風です。ちょっとおぼえておいてくださいね。それからもうひとつ、台風がだんだん弱まります。台風が弱まってくると、熱帯低気圧になったり温帯低気圧になったりします。でも私たちは予報士用語としてこう言います。「台風は腐ってもタイ(フウ)」。何かというと、台風は熱帯低気圧になっても、あるいは温帯低気圧になっても台風本来の恐ろしさ、あるいは温帯低気圧よりもっと怖いという現象を起こすのが台風のなれの果てだよ、ということです。台風ではなくなっても台風に匹敵する被害を起こすおそれがある、だから注意しろということで私たちはよく「腐ってもタイ(フウ)だよ、明日は気をつけようね」という言い方をします。これが台風の最近の状況です。

線状降水帯-千葉・福島豪雨、真備町、鬼怒川決壊

 最近は、線状降水帯という言葉が出てきます。前線や低気圧による豪雨があります。これにあたったのは先月10月24日から26日の低気圧と台風によって、また千葉県内がやられました。千葉県内といっても単にものすごい量の雨が降ったというよりは、短時間-3時間くらいで降ったということが今回の特徴になります。ここで「亜熱帯低気圧と台風21号」と書きました。ここが注目すべき点なのです。

 今回は低気圧があって台風21号があって、このふたつの作用があって、それで大雨が降ったと説明されています。もちろんそれはそうなんです。ところがこの台風は、温帯低気圧になっていますけれども、この低気圧は前線についていない。普通は温帯低気圧というのは前線がついてきて初めて温帯低気圧というんです。普通「低気圧」といっているのは温帯低気圧のことです。でもこれにはない。これは何かというと、いわゆる「亜熱帯低気圧」と専門用語でいっています。気象庁では言わないですけれどもね。これは、台風-要するに熱帯低気圧と普通の温帯低気圧の両方の性格を持っている低気圧で、大雨をものすごく降らせやすい。これがちょうど九州の方から来たんですね。これだけでも大雨を降らせるぞというものに、台風21号がくっついてきた。それで3度も千葉県がやられるということになりました。

そのときに雨の現象の特徴というのはいわゆる「線状降水帯」という、降水量の多いところが縦に並ぶ。もちろん横に並ぶ場合もありますが、今回の場合は南北、縦に並びました。レーダーで見るとこんなふうになっています。いつまでもこういうふうに線状の強い雨のラインが消えない。これが線状降水帯で、これがしばしば起こっているということが特徴です。台風15号、19号そしてこの雨ということになりますから、今回の千葉は本当に大変なことだった。このひとつが来ただけでも相当に被害があった状態です。

同じく線状降水帯で有名なのは去年の真備町で、町全体が潰れてしまった。これはよくテレビに出てきましたけれども、息子さんとお父さんの会話ですね。息子さんが「早く逃げろ」といっているのにお父さんは「まだ大丈夫だ」とがんばっていて、逃げようと思ったときには水がもう胸の方まできていたということです。私はそれを見ていたものだから、息子から早く逃げろと言われたときに「しょうがない、逃げるか」ということで逃げたんですね。これも実は梅雨前線上だけれども、実際は線状降水帯による大雨ということになっていたわけです。強い降水域に入って長続きするということだったわけです。今年の千葉、去年の真備町、去年は九州でもありました。

では、関東ではどうだったか。これは平成27年9月の「関東・東北豪雨」で、鬼怒川の堤防が決壊したときの写真です。これも線状降水帯です。これは9月だから秋雨前線です。前線がなくてもなるし、梅雨前線のときにはもっとなりやすいし、9月の秋雨前線でもなります。季節に関係なく起こるということです。鬼怒川が決壊したとき、レーダーエコーで見ると、たてにずっと雨が降っていて赤いところが強い場所です。ひとつ間違うと、東京だって可能性はあったんですよね。ですからまさに「危なかった首都圏」なんですよ。私は地元の熊谷でも言うんですけれども、当時は埼玉県もかなり危なかった。ほんのちょっと県境から東に動いたために茨城県がやられてしまいました。運・不運とはまさにこのことを言います。この大雨というのは他人事ではありません。そういう状況に来ているということです。

そういう線状降水帯のキーワードは暖湿流-「暖かく湿った空気」が入っているときに言います。暖湿流というのはどのくらいの層のところでできるのかということですけれども、だいたい地上から1000メートルくらいの高さの層が湿っているということです。全体の層が湿っているのではありません。海上から、低いところから湿った空気が入ってきて、それが何かのトリガーでぶつかって、それが発達するという、それが線状降水帯です。ですから暖かい湿った空気というと、全体が暖かくなるような気がしますけれどもそうではありません。下層の現象です。よくやかんが沸騰して白い湯気が出ますよね、あれは「湯気」であって水蒸気ではない。「水蒸気が出ている」という人がいます。しかし水蒸気は気体ですから目に見えない。目に見えたときにはそれはもう水滴です。ですから先ほど言ったように水蒸気が流れ込むと言っても目に見えるわけではありません。「線状降水帯があるときには暖かく湿った空気」ということがキーワードです。

雷・意味がある「雷様からおへそを守る」

次は雷様の話です。「雷様からおへそを守る」。これは意味があるんです。何でおへそを守るということになるかというと、私が知っている範囲では二ついわれがあります。昔は雷が来ると蚊帳をつったりしてとにかく家の中に逃げてくる。子どもはうるさいから寝かしたりする。そうすると雷が鳴って、子どもが昼寝なんかをして雷が通り過ぎると涼しくなったりするんですよね。そのときにおへその上に何かを掛けておけば子どもは寝冷えしない、風邪を引かないということで、雷様からおへそを守るために上から掛けなさいね、ということがひとつです。もっともらしいでしょ。そういういわれがある。もうひとつ、雷が鳴ったときにおへそをさえるというということは、頭を低くする、下げるということですね。落雷を防ぐということは、低くするということがひとつの大きな手段です。雷が鳴ったときに他に逃げるところがなかったら、かがんで頭を下にしなさいという、おへそを守るかたちにすれば頭が低くなる。だから「雷様からおへそを守る」ということには意味があります。

「地震、雷、火事、親父」という言葉があります。「親父」は別で、いまは怖くない。「地震、雷、火事」これはやっぱり怖いです。雷は怖いんですよ。大切なのはいまでも落雷による死亡事故があるということです。今年の5月4日に丹沢で1名の方が亡くなりました。この方は二人で行動されていて、雨が降ってきたということで雨合羽を着ようとして準備した。ひとりはその場で準備した、もうひとりは木の下にいって準備した。そうしたら木に落ちて、木の下で準備した方が亡くなったという事例です。落雷による事故はいまでもあるんです。もうひとつ大切なことがあります。この写真では雨が降っているのはこの部分、雨の降っていないところで落雷している。よく私たちが言います。雷の音が聞こえたらもうそれは落雷の範囲に入っているんだよ、だからもうそのときには即逃げなかったら危ないんだよ。この距離というのは雷雲から10キロくらいまでは落雷があると言われています。ということは大抵、ごろごろと聞こえるようだったらそのくらいの距離だということになります。この写真は典型的な写真です。雨の降っているところだけではない。雨が降っていなくても落雷があるぞということです。

なぜこんなことを言うかというと、いまの子どもたちは雷を怖がらないんです。私の子どももそうでしたが、私が名古屋にいた頃に雷が鳴っている最中に子どもが帰ってきました。こんなときに帰ってくるので何事かと思ったら、公務員宿舎だったけれども、その下を子どもたちが歩いているんですよ。いまの子どもというのは雷を怖がらない。なぜかというと落雷を知らないから。でも落雷はあるんです。雷は怖いということをいまの子どもたちにもう一度教える必要があるのではないかと考えています。

もうひとつ、雷が鳴ると積乱雲が発達しますので竜巻も起きる。これが竜巻だけではなくてダウンバーストもあるんですが、突風の分布図です。1991年から2015年までの気象庁が発表したものです。私が羽田に勤務していたときにダウンバーストによってコンテナがバンバン飛ばされたときに出くわしました。竜巻というというのもかなり起こります。竜巻が起こってもあまりピンとこないのは、竜巻というのは竜巻が通ったところの人だけが被害を受けて、それ以外の人が被害を受けないからです。3軒の家が並んでいても、1軒だけ壊れてあとは何ともない、これが竜巻の被害です。ですから自分に関係がなかったら「はい、行っちゃった」で済んでしまう。でも竜巻というのはやっかいなものです。私は熊谷で竜巻があったときに、そのあとの実地調査に行ったことがあります。竜巻というのはわーっときたと思ったら、突然消えてしまいます。そのうちにその先でまたうわーっと被害が出る、その先にまた被害が出る。竜巻は一番強いところが飛んで歩くんです。ですから、一帯がずっとやられるのではなくて所々がやられる。これが竜巻の特徴です。もちろん本当に大きな竜巻はそのまま行きますよ。そういう竜巻が起きやすい地域がこの関東地方であるということになります。身近に起こっているんです。

温暖化で大気が対流不安定に-雹・大雪

次は雹です。これは平成24年に三鷹の方で降った大量の雹です。6月なのに雪のように積もった雹です。雷というのは落雷、竜巻、雹、これが一緒になって来る。だから怖い。ちなみにひとつ参考資料です。雹の大きさで記録が残っている中で最大のもの。1917年、大正6年6月29日に埼玉県熊谷市に降った雹はカボチャ大、直径7寸8分(29.6㎝)、重さ九百匁(3.4㎏)だった。こんなものが落ちた記録があるんだそうです。このときに気象台の記録に雹のすごいものが降ったということで、降ったあとすぐに現地調査に行ったそうです。それで残っていたのがこのカボチャ大の雹だったそうです。実際に降ったときにはもっと大きかったんだって。でも実際に寸法を測ったらこの大きさでこれが最大になったということです。

いま温暖化という中で、大気が対流不安定になっている可能性がかなり高いと言われています。上空に寒気が来やすくなってきているのではないかと言われています。同時に積乱雲がものすごく高いところまで発達する可能性があると言われています。どういうことかというと、地球温暖化と一概に言いますけれども、それは私たちの住んでいる対流圏の下層の部分の話なんですね。すでに対流圏の上の成層圏は冷えている、冷たくなっていると言われています。私が尊敬する増田善信先生は成層圏だけではない、対流圏上部もすでに冷たくなってきているといっています。これはいろいろと資料も見せていただきました。下が暖まって上が冷たくなるということは、それだけ対流現象が起きやすくなってきている。そういうチャンスが多くなってきているということです。

なぜ下が暖まると上が冷たくなるのかというと、地球全体のエネルギー収支というのは変わらないんです。バランスを取っている。下が暖かくなったら上が冷たくならないとバランスが取れない。そうなっているので当然の方向として成層圏が冷たくなってきて、同時に対流圏上層も冷たくなってしまうという現象が起こってくる。ということは「対流不安定、上空に寒気」、こういうことが起きやすい。それが現在であるということです。私たちが住んでいる対流圏下部が温暖化、対流圏上部が寒冷化、それこそカボチャ大の雹が降ったということは当然、またそういうことがないわけではないということになります。台風とか雷現象などがより激しく起こる可能性があるということがいまの状態です。

大雪もあります。平成26年、熊谷でも63㎝積もりました。一週間以上動けなかった。大手町でも27㎝、甲府では114㎝です。このときに南岸低気圧の通過ということが大雪をもたらした。南岸低気圧とは何か。日本の南を発達しながら通過する冬場の低気圧。このときに降る雪ということです。昔は八丈島より南を低気圧が通れば雨、北側に入れば雪という言い伝えがありましたが、いまはコンピュータで計算します。こんな状況でこういう低気圧がいま発達しやすくなってきている。私はあまり使いませんが、よく「爆弾低気圧」なんていいます。爆弾といういわゆる戦争用語を気象学に使うのは反対ですので使いませんが、とにかく急激に発達する低気圧が増えています。それはやはり寒気と暖気のぶつかり合いによって低気圧ができますので発達しやすい、そういう性質を持っている。冬場、それから春先に大雪の可能性はまだまだあり、ということになります。

命に関わる暑さ-猛暑日と極端化する気象の特徴

現象についての最後は、「命に関わる暑さ-猛暑日」です。東京の年間猛暑日日数、1930年から2010年で、観測地点が移転していますが、猛暑日の回数が増えています。同時に熱帯夜の経年変化も増えている。よくいうんですが、「昔は蚊帳をつってうちわでぱたぱた扇ぎながら寝ましょうね、といって寝た。いまはそんなことをしたら死ぬよ」。うちわで扇ぎなさいなんていったら、あなたは早死にしなさいということと同じです。それくらいひどい状況です。「命に関わる暑さ」だというわけです。ちなみに我が熊谷のことをちょっと説明します。この図のだいだい色の線、これが最高気温35度以上の日にちで、赤い線は38度以上の日にちです。私が生まれた1945年、このときには35度以上の日は年間3日から4日で、いまは35度以上になるのは30日くらいです。10倍に増えています。昔は38度にならなかった。いまは3日から4日あります。こんなに変わっているんですね。これは都市化の影響は大きいと思いますが、桁違いに変わったということです。

極端化する気象の特徴は、「激しい現象は、これまでの常識を覆す巨大な破壊力を持っている」、「激しい現象は雨に限らず、風、波、潮でも起きている」、「最近の天候、気象現象は地域差、季節差がなく、極端な現象が多くなっている」、「陸上だから、海上だからといえなくなっている」、「天災は忘れないうちに次々に来ている」ということです。最近のことで一番言いたいのは、気象現象は地域差、北海道だから九州だから関東だから、この差がなくなった。季節差、春だから夏だから秋だから冬だから、こういうことも言えなくなった。とにかくいつでも起こるということです。そして自然災害はもう毎年のように来るよ、ということになります。

2 地球規模の温暖化-気候変化

お話ししてきたような現象がいま起こっています。それは何なのか。それが地球規模の温暖化、気候変化、こういうものに基づいているのではないかということです。これは1920年から2018年までの東京、名古屋、大阪、それから国内であまり変化のない15地点の表です。100年あたり全国的には1度上がっている。東京は3度、名古屋は2.6度上がっている。世界全体、地球全体では100年で0.7度上昇している。これがいまの実態です。同時に、それだけ上がっていますので、例えばひとつの例で桜の開花日を見ると、だんだん早くなってきています。東京では平均より3日から4日早くなってきている。ですからよくいわれますよね。私たちの子どもの頃というのは入学式が桜の季節でした。いまは卒業式が桜の季節になっている。そういうふうに変わってしまっている。

それをもたらしたものというのは、「IPCC(気候変動に関する政府間パネル)による報告書」(2013年第5次報告書)によれば、「温暖化については『疑う余地がない』」、95%間違いないだろうということです。「人間活動が20世紀半ば以降に観測された温暖化の支配的な要因であった可能性が極めて高い」、「人間活動がもたらした可能性が高い」、これが問題である。だからCO2、温室効果ガス、こういうものを減らしましょうということは、こういうところから来ているわけです。ただ、この温暖化についても「温暖化ではない」という人もいます。それはしょうがない。なぜかというと「疑う余地がない」となっているけれども、100年後を見ないとこのことが正しいかどうかわからない。でも私たちは100年を待っていたらもう取り返しがつかないおそれがあるわけですから、いまのうちにあやしいのだったら危ない方向に行かないようにしようよ、ということが私たちのとっている行動です。そういった意味では「違うぞ」という人がいても仕方がない。でも全体的には危ないんだ。それに対して、もしかして間違うことがあるかもしれないけれども、でもCO2を減らすことはいいことだからやっていこうよ、ということが私たちの立場です。

地球規模の気候変化の予測、「21世紀末の平均気温は20世紀末に比べ、温室効果ガスの大幅な削減を行った場合は約0.3~1.7℃、非常に高い温室効果ガス排出量が続いた場合は約2.6~4.8℃上昇する。気温の上昇の程度は地域によって異なり、陸上や北半球の高緯度で大きくなる。」こういう結果が研究で出ています。

日本の気候変化については、気象庁から次のようなことがいわれています。「○気温は現在よりも3℃程度高くなる。予測される気温の上昇は高緯度ほど大きい。・全国平均の年降水量(雨または雪の量)は増加する。これは、地球温暖化によって、大気に含まれる水蒸気量が増えることなどによると考えられる。○日本のほとんどの地域で積雪の量が減る。これは、気温の上昇によって雪ではなく雨が降る場合が増えるためと考えられる。○北海道の内陸部などでは雪の量は現在と同程度か増える。これは、温暖化が進んでも依然として気温が低いためと考えられる」。これが気象庁から出た日本の気候の予測というかたちで出ています。ちなみ東京管区気象台の例でいくと100年後4度上昇する。どのように上がるかというと、東京の年平均気温は現在の種子島と同程度になるだろうという話です。これは全般的な話です。

ではそういう気候になったときにどのような現象が起こるのかということです。異常気象や温暖化が進んでくると、寒い日や寒い夜は少なくなります。暑い夏や暑い夜が増加します。継続的な熱波の日が増加します。暑い日が続いたりします。大雨の頻度が増加します。反対のところで大雨が降るかと思ったら、違うところでは干ばつが進んでしまいます。強い熱帯低気圧、台風が増加します。高潮の発生が増加するでしょう。こういうことを繰り返しながら、全体として気温が上昇していく。これがclimate change-気候の変動ということです。

3 気候変化や異常気象に備え暮らしや生命を守る

今年5月22日に東京大学と気象庁などと共同で発表がありました。去年は6月中に梅雨明けして、7月、8月は暑かった。去年7月の記録的な猛暑に地球温暖化が与えた影響と猛暑発生の将来見通し、というものがありまして、「地球温暖化を考慮しなければ、去年のような猛暑は起こりえなかったことが明らかになりました」と書いてあります。去年は6月中に梅雨が明けて7月がものすごく暑くて、熊谷が41.1度になった。このような猛暑は地球温暖化を考えなければ科学的に考えられないという発表がされています。ですから、すでにこういう地球温暖化の影響は目に見える形で出てきている可能性があるということになります。そのような地球温暖化が進んできた、大雨などが巨大化している現象がある。そういう中で私たちがどうしたらいいか、どうやって身を守っていくのかという話をしたいと思います。

 これは朝日新聞に掲載された川柳です。「生存者に入ると信じ読む想定 首都圏直下型地震」。首都圏直下型地震が話題になっていた頃に詠まれた川柳です。どういうことかというと、いろいろと被害がでる、何万人が死ぬというような計算が出る、そのときに「なるほど、なるほど」と考えるけれども、でもそのときに自分が死んでいるということは絶対考えない。自分は生きていて、他人が死んだと考えるわけです。これは災害に対する人間の気持ちがよく出ています。これを「正常化の偏見」と呼びます。これはいくつかあります。

災害に対する人間の基本的な心理、これが「正常化の偏見」です。1、事態を楽観視し、災害を軽視する、根拠のない推測で「たいしたことではない」と勝手に思い込む。2、自分に都合よく考える。災害が起こっても自分だけは絶対死なない。とにかく自分のところには来ないぞと考える。3、客観的な予想ではなく、願望を含めた予想に執着する。正しい情報を無視して自分がそうなってほしいという気持ちにこだわる。これを災害に対する人間の基本的な心理、「正常化の偏見」といいます。お笑いになった方は、身に覚えがあるのではないかなと思います。私みたいに気象予報士として専門的にやっていても、やっぱり自分に都合よく考えるということはありますよね。ハイキングに行くときに9割方雨だからやめた方がいいんだけれども、もしかしたら1割外れるんじゃないかなと思ったりしています。この心理があるということをしっかり自覚して対応していただきたい。これが本来の意味での人間心理ですから、これを全部認めるのではなくて、こういうことがあるんだということを知った上で自分の行動を考えていくということ、そのことが大事だろうと思っています。

ハザードマップの活用と課題

そういう中で、今回特に大雨の中でいろいろと問題になったのが「ハザードマップ」です。江戸川区のハザードマップを手に入れましたが、これはとても良くできています。みなさんの住んでいるところにもあると思うんですけれども、ぜひこのハザードマップをしっかり見ていただきたいと思います。江戸川区の場合は水害、洪水、高潮という観点からかなり詳しくつくっています。でも深さが10メートルとかになっているので、「えっ」と思ってしまう。なかなか実感として湧かないところもあります。ただ、私はこれを見ることは大切ですけれども、単にこれだけをみていればよいのか。例えばこの江戸川区の中に広域避難勧告というものが出ています。何かというと江戸川、葛飾、足立、墨田、江東、これが全部浸かってしまうのでその外に逃げなさいと書いてあるんですね。誰が、いつ、どうやって逃げるのか。このエリアの人は非常にたくさんいるわけですから、非常に課題を残しています。わざと残しているのかなと思いますけれども。

同時に広域避難が可能かということもありますし、障がい者とか要介護者が全然避難しなかった。それは車いすを使っている人間が避難所に行っても、足手まといになるだけではないか。あるいは寝たきりの人たちが行った時に誰が介護するのか。だったら私はベッドの上で死んでもいいんだ。こういう方も非常に多かった。そういうことを考えると障がい者とか要介護者の避難はこういう中で可能なのか。そういうことをこういったハザードマップを見ながら、もう一度みなさんにしっかり考えていただきたいなと思います。特に私たちの場合はだんだん足腰が立たなくなってきますので、単に「車で逃げましょう」というわけにはいかないんですね。ということでハザードマップはぜひ見ていただきたいと同時に、やっぱり見にくいから自治体の方、気象予報士の方あるいは防災士の方からきちんと説明を受けて、知っておくということが大切だろうと思います。

 今年5月から「警戒レベル」という防災情報が導入されました。「警戒レベル4」で全員避難になります。メールとかJアラート、こういうものを使って、この地域は警戒レベルが3になりました、4になりましたということが流れます。テレビでもやっています。その場合に警戒レベル3になったときには高齢者、こういう方はただちに避難する。警戒レベル4になったら全員が避難、このように決められました。今回、実際に警戒レベル3とか4が各地域に出されています。東京でも出されました。洪水があったところについては警戒レベル5にもなりました。こういう連絡が来たらただちに避難するということはしっかり頭に入れておいていただきたいと思います。警戒レベルが1から5まであります。4で全員が避難です。5はもうすでに災害が発生しています。ですから逃げるとかそういうことではなくて、身の回りを見て、どうしたら命が助かるかということだけを考えるということです。

市町村が発表する「避難指示」とどういうところが絡むかというと、警戒レベル3になると避難準備、高齢者等避難開始ということが発令されます。警戒レベル4になると避難勧告、もう少しきつくなると避難指示(緊急)、このような文言が発令されます。そしてレベル5では災害発生情報が発令されます。このように警戒レベルとか避難勧告とかそういうものが対応してきます。なお、気象庁が発表するものでも特別警報が警戒レベル5に対応しています。また気象庁が発表する洪水警報、大雨警報などはレベル3、土砂災害警戒警報、高潮特別警報などはレベル4に対応しています。こういう避難レベルがあるということはぜひおぼえてください。

各種防災情報の利用

 同時に私が言いたいのは気象庁の防災情報をしっかり利用してくださいということです。特にインターネットを使える方は、大雨警報が出たときには土砂災害危険度分布というものが気象庁のホームページにあります。ここで紫色のところは「危険」ですが、これは拡大できます。どこの地域に該当しているかがわかります。ぜひ利用していただきたい。同じようにどこが浸水しやすいかということもあります。この図は台風19号が来たときの東京の状況です。「非常に危険」というところもあります。多摩川のところですね。もうひとつ洪水警報の危険度分布というものもあります。これを拡大すると、やたら川があるんです。自分の近くの川がどれに対応するのかわからないくらいあります。でもこれを拡大することによって、自分の地域にある川がどういう状況にあるかがわかります。予測もできます。ですからこういうものを利用していくことが大事です。

でもいまの危険度分布というのは普段は使いませんね。ですからそのときになってぱっと使おうとしてもなかなか使えません。私がみなさんにお願いしたいのは、気象庁のホームページにある「高解像度降水ナウキャスト」、これはスマホを持っている方はぜひ入れてください。できれば今すぐ気象庁のページを開いて、「高解像度降水ナウキャスト」を入れていただきたい。これは普段使います。雨がこれから降るか降らないか、あるいは強くなるかならないか、現状と予測がわかります。普段からこういうものを見慣れていれば、さきほどの危険度分布なども見られると思います。普段使っていないと、いざというときに使えないんです。この「高解像度降水ナウキャスト」、これだけは最低限入れておいていただきたいと思います。

「命を守る行動をとる」範囲はどこまでか

「命を守る行動をとる」という中で、いまから50年前の伊勢湾台風の調査特別報告書があります。あの中で高潮が襲って多くの人が亡くなったんです。6000人くらいです。そのときに、平均風速約20メートル前後の暴風雨時に、浸水地域内で危険を冒して逃げ切った人々から、当時の浸水の高さを調査した結果です。どのくらいの水の深さまで逃げることができたか。男の人は60㎝くらいでも2人くらい残って、だいたい20㎝くらいだったら42人です。女性の場合は60㎝では助かった人はいなくて、40㎝くらいでやっと7人です。こういう調査をしたんですね。それをまとめたものです。人が行動できなくなる水の深さは、大人の男性は70㎝、女性は50㎝、子どもは20㎝です。ただ、ここにいる方は大人の男でも70㎝は無理ですからね。50㎝も無理ですよ。子どもの20㎝くらいを考えないと。女性もそうです。なぜこんなに低いかというと、転ぶと水の中で手を踏ん張るでしょ。顔が出ないとそれでパニックに陥ったんだそうです。ですから本当に低い水でも、顔が出ないがゆえに死んでしまうということだそうです。それは子どもだけではないですよね、われわれもそうです。この20㎝というのは非常に大切な数字です。逆にいうとこうなったらもう動かない方がいいということです。

 もうひとつ、車です。これがいろいろといまテレビなどでもやっていますけれど、やっぱり一番嫌のは水位30㎝です。30㎝というのはいわゆるマフラーで、普通の車でマフラーがつくのが25㎝から30㎝です。マフラーというのはエンジンに直結していますので、エンジンに一滴でも水が入ったら動かなくなる。ということで、この30㎝を超えるようなことになるとそのおそれがあるということです。電気系統はいましっかりしているので、一番問題なのはマフラーです。ですから30センチ以上あるところを車に乗ってはいけないということになるわけです。

でも実際は乗っているし、それほど問題になっていない。それはそうです。マフラーからエンジンに水が入るということは滅多にない。でもそういう車があるから止まってしまう車がある。とにかく30センチあればエンジンが止まってしまう車があるということは自覚してほしいと思います。特にアンダーパスなどの場合には深さがわからない。そこに突っ込んでいくなんていうのは自分の車を捨てるようなものだと考えています。この30センチの目安としてひとつあるのは、歩道と車道を分けるブロック、あのブロックはだいたい25センチくらいが多いそうです。ですからあのブロックをかぶるようになったら要注意です。ただアンダーパスはどこまで行ったら、それがわかるのかがわからないのだから、そういうことはやってはだめだということになります。
こういう当たり前というか常識的な部分をしっかり知った上で、巨大化していく自然災害に対応していく。日常的にはそういう自然が暴れないように、温室効果ガスの排出量を抑える生活をおこなう。こういうことが大切ではないかと私は考えています。

怖さを知って自然の恵みをありがたく受け取ろう。

最後です。地球は豊かな自然と恵みともたらしてくれる星です。その自然の中から私たちすべての生活の糧が得られますので、豊かに暮らせるのはまさに地球があるから、自然があるからです。でも自然が牙をむくと怖い。そんなときは素直に怖がろう。恐れがあって初めて恵みのありがたさもわかります。雷、あれは誰が聞いたって怖い。怖かったら逃げましょう。やせ我慢を絶対してはいけないと思います。そういう怖さというものを知って、その中で自然の恵みというものをありがたく受け取ろう。これが、私が言いたいことです。
「いつまでも平和な地球を」ということで、この写真は私の孫です。こういう子どもがいくつになっても戦争にも行かない、大災害にも遭わない、そういう生活を送っていただきたいな、と思っております。ご清聴ありがとうございました。

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「第22回許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会in東京」への参加と賛同カンパの呼びかけ

憲法の改悪に反対し、憲法の3原則を生かす立場で活動しているすべての市民グループ・個人のみなさん。

安倍首相は第200臨時国会閉会にあたっての記者会見で憲法改正について「必ずや私の手で成し遂げていきたい」と述べ、何としても自民党総裁の任期である2021年9月までに改憲を実現することに強いこだわりをみせています。憲法を変えて、この国を米軍とともに海外で戦争する国に変え、アジアと世界の覇権大国にするのが狙いです。また昨年の通常国会以来継続審議中の憲法改正手続き法は、この国会でも立憲野党と市民の力でまたも採択は行われず、安倍政権にとって先頃まで目標にしていた2020年中の「改憲」は困難性さを増しています。

来年は戦争への道を阻止し平和を実現するために安倍改憲を阻止する課題の正念場の年です。20年以上にわたって、改憲反対の連携を続けてきた全国のみなさんとともに、第22回の全国交流集会で私たちの進むべき道を話し合います。
参加ご希望の方は下記までご連絡ください。あらためて「参加申し込み用紙」をお送りします。

なお、この集会の成功のために、多大な経費がかかります。勝手ながら郵便振替用紙を同封いたしました。賛同カンパのご協力をよろしくお願いします。
2019年12月
「第22回許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会in東京」実行委員会事務局

1) 公開集会 2020年2月22日(土)13時半~16時
全水道会館(東京都文京区本郷1-4-1/JR水道橋駅東口5分)
タイトル:安倍改憲発議、今こそ止めるとき

国会報告  高良鉄美参議院議員・沖縄の風(市民連絡会共同代表)

講演(1)「平和は抽象的概念か?――人の〈生〉と問われる想像力の欠如」
清末愛沙さん(室蘭工業大学准教授)

講演(2)「メディアの危機と憲法」(仮題)
南 彰さん(日本新聞労働組合委員長)

憲法改悪に反対する活動報告 各地から
主催:許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会
連絡先:市民連絡会(高田)<kenpo@galaxy.ocn.ne.jp>
東京都千代田区神田三崎町3-3-3 太陽ビル402 市民ネット内
TEL03-3221-4668 FAX03-3221-2558

2)交流集会(セミクローズド・非公開・事前申し込み制)
第1部 2020年2月22日(土) 18時~20時 *懇親会:20時30分~
第2部 2020年2月23日(日) 9時~12時
3)フィールドワーク① 22日終了後 検討中
4)参加費 公開集会:1、000円 交流集会:1,000円
5)申し込み 第1次締め切り 2020年1月10日(なるべく早めにご連絡ください)
申し込み用紙は事務局にご請求下さい

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