第200回臨時国会も最終盤にさしかかった。
国会は安倍首相の「桜を見る会」問題で大騒ぎになっている。立憲民主党など野党4党は、追及チームを「本部」に格上げして招待者の基準などについて徹底的に調査するとともに、安倍首相に対して引き続き、予算委員会で説明責任を果たすよう求める方針だ。
この臨時国会では安倍政権の重要2閣僚が公選法違反の嫌疑を受け辞任しただけでなく、首相側近の萩生田光一文科相も「身の丈発言」や英語民間試験問題などで責任を問われている。加えて、安倍首相にまで「桜を見る会」での公選法違反、政治資金規正法違反の疑いが浮上した。
安倍首相はこの11月20日で桂太郎首相を超えて、首相在位日数歴代1位になった。これは各種の世論調査がいうように「他に適当な人がいない」ことで達成されたほめることのできない記録だ。国政選挙に小選挙区制という悪法が導入された機を駆使して獲得した、「安倍1強」体制だ。だが、このところの政局を見ると「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対的に腐敗する」(19世紀末の英国の歴史学者ジョン・アクトン)の格言を地で行っている感がある。
憲法改正手続法(いわゆる国民投票法)の改定をめぐって衆議院憲法審査会が緊迫している。与党などは昨年の通常国会に投票の利便性をはかるという理由で、同法の公選法並びの改正案(公選法がすでに取り入れた、商業施設などでの「共通投票所」の設置や、洋上投票の対象者の拡大など、投票に利便性をはかる改正)を提出し、継続審議になり、都合、4国会で継続審議となった。同法はTV・CM規制に関する問題など多くの問題を含んだ法律であり、このまま実施されれば民意が公平に反映しない恐れがあることは、従来から法曹界や学界をはじめ、さまざまに指摘されてきたところだ。野党は「改正」を議論するなら、これらの問題の再検討は避けて通れないと指摘してきた。この改正案の早期成立を、自民党改憲案の「提示」へとすすめ改憲論議に入りたい自民党は、野党の要求を拒んできた。
この間の安倍首相の憲法99条(公務員の憲法尊重・擁護義務)に反する発言が繰り返される中で、衆参両院の憲法審査会は1年3カ月あまりにわたって実質審議が止まってきた。今回、ようやく、「憲法審査会の欧州視察団(超党派)の報告」を行うという理由で、11月7日と14日に視察報告とそれをめぐる自由討議に限定して会議が開かれた。しかし、このあと21日に予定された憲法審査会は、21日を修正法案の採決のタイムリミットとして強硬に採決を主張する与党に野党が反発して流会になった。与党は引き続き採決を目指す姿勢は示しているが、参議院での採決も含めて考えると、会期末まで定例日があと2回しかない状況では、「改憲手続法」の成立は不可能というのが大方の見方だ。国会の多数を握る与党が、憲法審査会で野党の反対を無視して強行採決にでれば、その後の審査会の運営が円滑に進まないのは明らかだ。立憲野党各党は「安倍政権下での改憲を阻止する」ことで足並みをそろえている。審議がズルズルしていけば、安倍首相がいう「任期中(2021年9月)に改憲の道筋をつけたい」という企ては水泡に帰する恐れがある。今回、自民党執行部が21日の強行開催を断念した理由はここにある。
会期末の憲法審査会をどのように運営するか、まだ未定だが、自民党は「欧州視察報告」の3回目をやって場をつなぐという異例の提案もしている。いずれにしても、改憲をめぐる憲法審査会での本格的攻防戦は来年の第201回通常国会以降になった。2021年改憲の成立のためには、2020年の通常国会、臨時国会で改憲論議を終え、遅くとも2021年の通常国会の初めには改憲案の採決(両院の3分の2の賛成による発議)をしなければならない。それまでに参院選は実施されないから、参議院はどうしても政界再編によって3分の2を確保する必要がある。19年参院選で改憲派が3分の2を失ったことは決定的な弱点になっている。
この政界再編のためには、安倍首相は「必要であれば、そのときは衆院を解散する」と断言しており、総選挙で改憲の是非を有権者に問う構えを見せている。次の総選挙で圧倒的に勝利することが安倍改憲の成否を左右する。この力で改憲を軸にした政界再編を行い、改憲に踏み切るというわけだ。
安倍首相は「拉致問題、北方領土問題、デフレ脱却……と任期中にやるべき課題はたくさんあるが、国内で完結するのは憲法改正だ」(11月18日、産経新聞)などと言っている。そして「国民の命を守るため、日々汗を流している自衛隊がより誇りをもって任務が遂行できるように、違憲論争に終止符を打つ」(10月18日、和歌山での自民党の改憲集会へのメッセージ)という。
2020年が安倍首相にとって改憲の最後のチャンスになる。「歴代最長となる長期政権を保ち、高い内閣支持率を維持し、かつ憲法改正に強い意欲を持った安倍首相の下でできなかったら、もう改憲の時期は訪れはしないだろう。そのことも首相は自覚している」(同18日、産経・阿比留記者)
従来から自民党の幹部たちは野党に対して「各党の改憲案条文案を提出し、おおいに議論しよう」(14日、自民党・衛藤征士郎委員)などと迫ってきた。これに対して、14日に開かれた衆院憲法審査会では立憲法審査会中止を受け急きょ行われた議員面会所集会で発言する赤嶺、本村両衆議院議員(10月31日)
憲民主党の山花郁夫・野党筆頭幹事が「党の案という形で改憲案を出すべきではないというのがこれまでの(立憲民主党の議論の)積み上げだ」として対案としての改憲案の提出を明確に拒否した。同じく立憲民主党の近藤昭一委員は「国民に憲法を変えていこうという機運があるとは思えない」と厳しく指摘した。
改憲を急いでいるのは安倍首相らだけだ。党利党略どころか、自民党のなかからさえ、石破茂・元幹事長らが公然と安倍首相の改憲案に反対している。時事通信の8月の世論調査で、「安倍政権下での憲法改正」については「反対」が41.3%で、「賛成」の32.1%を上回った。「どちらとも言えない・分からない」は26.7%だった。世論の多数は安倍改憲を望んでいない。各種の世論調査でもほぼ同様の結果だ。
臨時国会において、総がかり実行委員会や九条の会は「声明」を発表し、全国の市民にFAXやSNSを通じて国会内の野党を激励し、これと連携して闘う事を呼びかけた。11・3全国統一行動をはじめ、署名運動など様々な闘いが草の根で取り組まれた。これらの力が、憲法審査会での与党の強行突破を許さなかった。
2020年は文字通り「憲法決戦」だ。この臨時国会が勝ち取った改憲手続法案成立阻止のたたかいを基礎に、2020年、署名、集会、街頭宣伝、デモ、総選挙準備などなど、あらゆるちからを尽くして安倍改憲を阻止しよう。安倍政権を打倒して政治を変えよう。
(事務局・高田健)
日韓市民の連帯運動の前進のために ~ 安倍政権と日本の市民運動
高田健(戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会共同代表)
報告に入る前に、私の属している「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」について若干、説明する。
この実行委員会は2014年12月に結成された。結成当時の構成団体は、戦争をさせない1000人委員会、戦争する国づくりストップ!憲法を守り・いかす共同センター、憲法9条を壊すな!実行委員会の3団体によってつくられた。この3団体はそれぞれ平和運動、改憲反対運動の全国組織であり、全国のさまざまな草の根の平和運動の大多数はこれらのいずれかとの連携をもっているといってよい。
これらの日本の平和運動は様々な理由で50年以上にわたり分岐・対立してきた歴史を持つ(日本では、韓国の4・19当時の「60年安保闘争」が戦後の労働運動、民衆運動の最大の統一行動として、今日でも語られる)。
この3団体が、対立に終止符を打ち、共同して、すでに5年あまり活動を継続していることは画期的なことだ。労働組合運動の分裂はまだ継続しているが、各ナショナルセンター下の諸組織がこの総がかり行動実行委員会に参加し、共同して、重要な役割を果たしている。この共同が生み出された直接の要因は、安倍政権の下で急速に進む憲法9条をはじめとする改憲の動きと、日本の歴代政府が日本国憲法第9条との関係で不可能としてきた集団的自衛権行使の合憲化などによる「戦争する国」への変化への危機感の共有だ。その意味で「安倍内閣が総がかり実行委員会を生み出した」ともいえる。
この総がかり実行委員会は、その後、2015年9月の戦争法反対闘争の敗北を経て、国政選挙を闘う市民の共同組織、「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」(略称・市民連合)の結成の土台のひとつとなり、国政選挙などで市民と立憲野党の共同を促進し、安倍自公連立政権と闘ってきた。
総がかり実行委員会は現在、4つの課題を運動の柱に置いている。それは(1)憲法改悪阻止、戦争法反対、(2)沖縄辺野古の新基地建設反対、(3)東北アジアの非核・平和の実現、(4)貧困・格差反対、だ。
今日では、当面する自衛隊の中東派兵反対などの課題を含め、反改憲、反戦・平和関連の市民運動の全国的なセンターの役割を果たしつつある。
総がかり行動実行委員会の運動の規模を類推するために、以下の行動を紹介する。この2年間で「安倍9条改憲に反対する全国統一署名」は約1000万筆集めた。2015年8月には国会正門前12万人、全国数十万人の戦争法に反対するデモを組織したことがあり、今年は5月3日の憲法集会は東京で6万5千人の規模で開催、現在では毎月、数千~万余の国会周辺での行動を組織している。
しかし、発足以来5年を経て、運動の広がりの幅が固定化していること、最重要課題の安倍政権打倒が実現し得ていないことなどから、運動の飛躍が求められている。「総がかり行動を超える総がかり行動」の構築が必要になっている。そのためにも、従来のたたかいの課題だけに止まらず、日本社会の深刻な格差・貧困を打開していくような課題での運動が求められているが、まだ成功していない。
今回のシンポジウムに関連していえば、この総がかり行動実行委員会という「東北アジアの非核平和に関する諸課題」、朝鮮半島と日本の非核・平和の実現を自らの重要課題として取り組む共同行動組織ができたことは、日本におけるこの課題の運動を大きく発展させつつある重要な条件だといえる。
安倍晋三政権の<2006~2007年(第1次)、2012年(第2次)~現在に至る>最大の政治目標は日本の「戦後レジーム」(第9条をはじめとする日本国憲法体制)からの脱却であり、日米安保体制の下での「戦争のできる国」づくり→「戦争する国」づくりにある。(日本の「戦後レジーム」の法体系は(1)日本国憲法体系と、(2)サンフランシスコ講和条約以降の日米安保条約体系の2つで把握できるが、安倍晋三首相の「戦後レジーム」批判は(2)は全くスルーして、(1)の打破のみ唱えられるという奇妙なものだ)。
このために安倍政権は明文改憲の作業を進めながら、並行して実質的な改憲状況づくり(日米同盟の適用版図の拡大、軍事力の強化、社会の軍事化)をすすめている。1960年に改定された日米安保条約は「極東」をその適用範囲とした。それはフィリピン以北、台湾、韓国、日本列島周辺だった。今日では、安倍政権は日米軍事同盟を前提にして、沖縄・南西諸島から、南シナ海、西太平洋からインド洋にいたる広大な地域で、中国・朝鮮を仮想敵視しながら、その包囲戦略を推進している。安倍政権からみれば、中国・朝鮮の動きに加担するように映る韓国の文政権とも対立・矛盾を激化させている。韓国との関係は、いま1965年以来、最悪の関係に陥っているといわれている。
朝鮮の核・ミサイル実験に対しては、その都度、一大キャンペーンを行い、Jアラート(全国瞬時警報システム)を発動して防災演習を実行するなど、戦争の危機を煽り、それらを口実にしてイージスアショア(陸上弾道ミサイル防衛システム)の配備など、軍備の強化を進めてきた。安倍首相らの自民党は2017年の総選挙ではこれらを「国難」と呼んで、キャンペーンを張り、支持を得ようとした。
東アジアの危機を煽ることで、すでに安倍政権は戦後歴代政権がとってきた「専守防衛」戦略を事実上放棄して、STOVL戦闘機(短距離離陸&垂直着陸機)を搭載する護衛艦「いずも」「かが」などの航空母艦化を成し遂げようとしており、世界各地で戦える戦略的軍備を保有しようとしている。昨年末、策定された「防衛大綱」によって、日本自衛隊の攻撃軍化、外征軍化が進められようとしている。韓国、朝鮮、中国に対する民族排外主義的キャンペーンがこれに利用され、安倍政権支持の世論作りに利用されている。
安倍政権が進めようとしている「憲法改正」はこれらの「戦争する国」の合憲化だ。安倍政権は明文改憲のために、国会で改憲発議を可能にする両院の総議員の3分の2以上を確保することと、国民投票で過半数を得るための改憲世論の醸成に力を注いでいる。1955年の立党以来、改憲を目指してきた政権政党の自民党は、長期にわたってその条件がえられず、ようやくこの数年、他の改憲同調政党を含め、両院の3分の2の議席を得た。
にもかかわらず、今年、7月の参院選で再び総議員数の3分の2を割ってしまった。
安倍政権がめざしてきた明文改憲の動きは運動と世論の壁により、必ずしも上手く進んでいない。
2012年に自民党は天皇の元首化、自衛隊の国防軍化、緊急事態条項の導入などの極めて復古主義的な「憲法改正草案」を発表したが、当時も世論の支持がなく、行き詰って、2017年には9条擁護の声に妥協して、現行9条をそのままにして「自衛隊の存在の根拠規定」だけを付け加える改憲案(安倍9条改憲案)を出した。のちに、これに「教育の充実」「緊急事態条項」「参院選の合区解消」などを付け加えて、4項目の自民党改憲案にまとめて、現在に至っている。任期中(安倍首相の自民党総裁の任期は2021年9月まで)の改憲を目指す安倍政権は、参院で3分の2を割ったため、最低でも野党の一部を取り込んで、改憲発議可能な議席を確保しようとして野党第1党(立憲民主党)、野党第2党(国民民主党)への働きかけを強める構えだ。国会の憲法審査会は与野党の闘いの場となり、市民運動はここでの野党の闘いを後押ししている。同時に、安倍政権は次期衆院選で圧勝することで、世論において、改憲の空気を拡大し、改憲を実現しようとしている。天皇の代替わりキャンペーンや2020東京五輪がそれに利用されている。
野党の側がこの安倍の策略に対抗できるかどうか、安倍改憲の行方を左右する。そのためにも日常的な市民と野党の連携の強化と、次期衆議院選挙に向けた野党と市民の共同の促進が必要だ。衆議院総選挙は、総定数465のうち、1人しか当選しない小選挙区が289議席あり、後はブロックごとの比例代表区だ。この1人区で与野党の一騎打ち構図を作り、選択を迫ることができるかどうかがカギになる。ちなみに、野党がすべて1本化できなかった2017年総選挙では与党+その衛星政党が2900万票、立憲野党が2610万票。2019年参院選では、与党の自公が2424万票、立憲野党が1919万票で、大きな差はない。野党が候補の1本化に成功すれば、かなりの程度、互角に闘える可能性があり、野党は政権交代を視野に入れている。今年に入って、岩手と埼玉の県知事選挙で野党連合が勝利し、現在、高知県で知事選がたたかわれている。
しかし、勝利するには野党が候補を1本化するだけでは不十分だ。衆院選に向けては、多くの有権者が必要とする野党の政策の策定が必要で、衆議院選挙は政権選択選挙であり、新しい希望に満ちた政治を実現するための政権構想も必要になる。「政治を変える、政治が変わる」という希望のある闘いができるかどうかだ。
今回、参院選の投票率(選挙区選)48.80%は衆院選を含め、全国規模の国政選挙として24年ぶりに50%を割り、過去2番目の低投票率となった。この主たる原因は安倍長期政権に飽いた空気と、これに対抗する野党の側に有権者を揺さぶり起こす魅力がないことだ。実際、民主党が単独過半数(241議席)を大幅に上回る308議席を獲得し、政権交代を確実にした2009年8月の小選挙区の投票率は69%程度だった。当時は多くの人々が政権交代に期待したことによって、投票率も上昇した。
安倍政権にとって朝鮮半島の非核平和プロセスが進むことは本音では歓迎できないことだ。安倍首相がめざす改憲体制と世界戦略からは、朝鮮半島の軍事的・政治的緊張状態が必要だ。しかし、米国トランプ政権が進める政策に反対はできず、後ろからついていくが、積極的に進める立場にはない。一時はあれほど騒ぎ立てた朝鮮のミサイル実験に対応するJアラートも、最近ではミサイルの実験があっても、全く発動されなくなった。
朝鮮との関係では安倍首相は2002年の日朝平壌宣言を誠実に進めるのではなく、日朝国交の障害となる「拉致問題3原則」((1)拉致問題は日本の最重要課題、(2)拉致問題の解決なくして国交正常化なし、(3)拉致被害者は全員生きており全員を生還させることが拉致問題の解決だ)を主張し、朝鮮敵視の偏向したナショナリズムを煽り、それを政権への支持拡大に利用することで、事実上、日朝国交正常化の道を閉ざしてきた。それが行きづまって、いま安倍首相が「対北無条件対話」を言っても、この間の徴用工問題、GSOMIAなどを口実にした経済制裁や朝鮮高校生・幼稚園児への差別をはじめ在日朝鮮人への不当な差別などが維持されたままでの対話が進展するはずもない。
韓国と日本の政府関係は安倍政権の下で、60年代以降でも最悪の関係になっている。
「日本経済新聞社」の8月30日~9月1日の世論調査によると、日本政府の韓国への対応を支持する人が7割にのぼった。韓国向けの半導体材料の輸出管理を強化したことは「支持」が67%で「支持しない」が19%だった。韓国との関係について「日本が譲歩するぐらいなら改善を急ぐ必要はない」と答えた人も67%に上った。
9月14、15日に「朝日新聞社」が実施した全国世論調査で、韓国への好悪を聞くと、韓国を「好き」は13%、「嫌い」が29%、「どちらでもない」が56%だった。18~29歳は「好き」が23%で、「嫌い」より多い。「嫌い」は、高い年齢層に多い傾向がみられ、70歳以上では41%が「嫌い」と答えた。
安倍政権とマスコミの嫌韓煽りのなかでも、比較的若年層は韓国に好感を持っている。東京のコリアンタウンとよばれる新大久保界隈は毎日、韓国の音楽や化粧品、食べ物を買い求める若者でごった返している。
7月22日、日本の各界の77人が「韓国は『敵』なのか」という声明を出し、オンラインで8月15日までに賛同者が8404名に達した市民の声明運動があった。この77人の中には筆者も参加している。(のちに触れるが、この呼びかけに呼応して、10月10日、韓国の各界の人々105名が「安倍政権の対朝鮮半島政策を批判し、転換を求める声明」を発表した。)
日本側の声明は以下のように指摘した。
「いま、ここで(日韓関係の)悪循環を止め、深く息を吸って頭を冷やし、冷静な心を取り戻さなければなりません。本来、対立や紛争には、双方に問題があることが多いものです。今回も、日韓政府の双方に問題があると、私たちは思います。しかし、私たちは、日本の市民ですから、まずは、私たちに責任のある日本政府の問題を指摘したいと思います。韓国政府の問題は、韓国の市民たちが批判することでしょう。双方の自己批判の間に、対話の空間が生まれます。その対話の中にこそ、この地域の平和と繁栄を生み出す可能性があります」と提言している。
「私たちは、7月初め、日本政府が表明した、韓国に対する輸出規制に反対し、即時撤回を求めるものです。半導体製造が韓国経済にとってもつ重要な意義を思えば、この措置が韓国経済に致命的な打撃をあたえかねない、敵対的な行為であることは明らかです。
日本政府の措置が出された当初は、昨年の『徴用工』判決とその後の韓国政府の対応に対する報復であると受けとめられましたが、自由貿易の原則に反するとの批判が高まると、日本政府は安全保障上の信頼性が失われたためにとられた措置であると説明しはじめました。」
「思い出されるのは、安倍晋三総理が、本年初めの国会での施政方針演説で、中国、ロシアとの関係改善について述べ、北朝鮮についてさえ「相互不信の殻を破り」、「私自身が金正恩委員長と直接向き合い」、「あらゆるチャンスを逃すことなく」、交渉をしたいと述べた一方で、日韓関係については一言もふれなかったことです。まるで韓国を「相手にせず」という姿勢を誇示したようにみえました。そして、6月末の大阪でのG20の会議のさいには、出席した各国首脳と個別にも会談したのに、韓国の文在寅大統領だけは完全に無視し、立ち話さえもしなかったのです。その上でのこのたびの措置なのです。
これでは、まるで韓国を「敵」のように扱う措置になっていますが、とんでもない誤りです。韓国は、自由と民主主義を基調とし、東アジアの平和と繁栄をともに築いていく大切な隣人です」とのべている。
この声明の細部にわたる検討はさておき、広範な各界の人びとの賛同をえて、広がったことは、安倍政権が作り出した今日の日韓関係をめぐる情勢の中で、大変重要なことだ。多くの良識ある市民が、安倍政権の対韓国政策に危機感を持っているという事だ。
しかし、政府やマスコミが嫌朝、嫌韓を煽る中で、日本社会の中での日朝・日韓市民の連帯を目指す運動の力は、この情勢に影響を与えるほどには大きくない。国会の野党の議論の中ではより、きびしいものがある。私たちが「立憲野党」と呼んでいる党派の中でも、安倍政権の対韓政策に毅然として対抗する政党は多くない。先の世論調査はそうしたことの一端を示している。
しかし、総がかりなどのこの数年来の運動が果たしている役割は今後のこの分野の運動の前進を作るうえで、重要だと思う。「市民連合」は先の参院選の13項目の政策合意の中で、「東アジアにおける平和の創出と非核化の推進のために努力し、日朝平壌宣言に基づき北朝鮮との国交正常化、拉致問題解決、核・ミサイル開発阻止に向けた対話を再開すること」を挙げた。国会の野党各党はせめてこの政策合意程度の立場と認識を前提にしなくてはならない(この時点ではまだ、政府の対韓政策を問う課題は焦眉の課題ではなかった)。こうした努力は安倍政権の朝鮮・韓国敵視政策の下で、重要だと考えている。
「総がかり行動実行委員会」などの運動の中で、毎年大集会として行われる「5・3憲法集会」や、「11・3憲法集会」、その他さまざまな行動にしばしば韓国の市民運動の代表がまねかれるようになったり、集会や行動の中で、韓国のキャンドル革命のキャンドルが掲げられたり、韓国の運動の中で歌われる歌曲が歌われる場面も多くなっているなど、日常的な日韓の市民運動の連帯が形成されるようになってきた。総がかり行動に関連した直近の行動では11月3日に全国統一行動として、「安倍改憲発議阻止!辺野古新基地建設やめろ!東北アジアに平和と友好!11・3憲法集会in国会正門前」行動を1万人の結集(大阪は1万2千人)で成功させ、この場で2人の韓国市民運動の代表から連帯挨拶を受けた。
朝鮮半島と日本に非核・平和を実現、東北アジアの平和と共生を実現する方向での日韓関係を転換するためには、安倍政権の下では不可能と言わざるをえない。安倍政権に要求を突きつけながら、運動を通じて、安倍政権を打倒し、日本の政権を交代する以外にない。
それは第一義的に日本の市民の責任であり、それにかかっているが、この日本の市民の運動は朝鮮半島の市民を始めとした東アジアの市民との連帯の中ですすめられなければならない。そのため日本の市民運動は、日本が明治初年以来、先の敗戦に至るまで、東アジアの諸民族、国々を侵略し、植民地化してきた歴史を厳しく見つめ、その歴史認識を前提にした立場に立って連帯運動を進めることが重要だ。
私たちは韓国の市民が8・15の光化門前の行動のスローガンで「NO!ABE」を掲げたことに賛同し、感謝する。安倍政権の誤った対韓政策に反対し、日韓両国の市民は共通の敵、安倍政権と闘わなくてはならない。とりわけ、当面は日韓の両国政府がさまざまに対立を深めているもとでは、日韓の市民の連帯、民衆連帯が新しい歴史を作る原動力になることを確認したい。そのために、日韓の市民は様々な機会を作り、できるだけひんぱんに相互の意見を交流し、連帯し、支持しあうことが重要だ。
日韓市民の連帯は、歴史認識を前提にして、安倍政権の「戦争する国」づくりに利用する朝鮮半島政策に反対し、連帯して行動しよう。
これはいわずもがなの意見かもしれないが、前項で10月10日、韓国の各界の人々105名が「安倍政権の対朝鮮半島政策を批判し、転換を求める声明」を紹介したので、あえて触れておきたい。
この韓国の各界のみなさんの「声明」の基調には大いに賛成し、感謝する。そのうえで「声明」に関して、1点、触れておきたい。
明仁天皇と徳仁天皇への評価の問題だ。
声明は先の明仁天皇の「安倍首相が改憲と戦争への道を歩んでいるもとでの、平和体制を守らんとした努力」を高く評価し、徳仁天皇にも、その継承を期待している。
しかし、日本国憲法では天皇は「内閣の助言と承認に従って、憲法に規定された国事行為を行う」というだけの存在で、政治的行為は禁じられている。国会開会の際の「おことば」をはじめ、天皇メッセージなどの少なくない政治的行為は憲法に反する。
この声明だけでなく、しばしば様々なところで明仁・前天皇の「平和主義」が評価される(日本の市民運動圏にも少なからず見受けられる)が、これには疑問がある。明仁天皇の即位以来の活動と発言には、根本的には裕仁天皇時代の日本帝国主義の戦争責任が不問にされ、それが「象徴」天皇制のもとでも今日まで継承されていることは無視できない。そして、「平和」を語る明仁天皇のもとで、憲法が拡大解釈され、「天皇の公的行為(象徴的行為)」が拡大され、「象徴天皇制」が強化されていることも見逃せない。
10月22日、徳仁天皇の即位儀式が東京を厳戒状態において行われた。安倍首相は儀式において、天皇の座所より一段低い位置から「万歳三唱」し、同時に自衛隊の礼砲がとどろいた。これは「臣下の誓い」と「天皇の自衛隊」を想起させる。巷ではこの即位に合わせて「虹が出た」とか、「雨が上がった」とか「富士山に美しい雲がたなびいた」などという21世紀のこの世では信じられないようなおどろおどろしい話がかけめぐった。安倍首相はこの天皇制を最大限に政治利用し、「戦争する国」など自らの政治戦略を進めている。これこそが現下の重大問題だ。現行天皇制は東北アジアの平和実現に役立たないばかりか、その障害となりかねない。
ちなみに、明仁天皇はそのいくつかの「お言葉」の中で、「日本国憲法を順守し」という用語を使ってきた。これ自体、そのまま肯定できないが、徳仁天皇は「日本国憲法にのっとり」と語った。「遵守」は憲法99条に該当する言葉だが、「のっとり」はそうではない。徳仁天皇において、より憲法に対する責務が「軽く」なっていることは見逃せない。
一方では、一見別の形だが、韓国のムンヒサン国会議長が軍隊慰安婦の問題などで「天皇の謝罪」を要求し、日本政府の抗議を受けて、のちに「撤回、謝罪」したことも、すでに述べた日本の天皇制の評価において、コインの表裏の関係にないだろうか。天皇制に軍隊慰安婦の問題でも責任があるのは明白だが、日本の憲法では天皇の謝罪があるとすればまず政府の意思が明確でなくてはならない。日本政府がいまだにその責任の認識があいまいであるもとで、日本国憲法の下では、天皇が自らの意思で謝罪することはありえない。天皇の謝罪を要求しても、それは解決にならない。くわえて、ムン議長は日本政府の反発にあって、撤回し、謝罪することになった。ムン議長には申し訳ないことだが、彼は二重の意味で間違ったのではないか。
私の意見は現在の日本では少数派に属するかもしれないが、私たちは封建制の遺物であり、それが時の政権に政治利用されている天皇の権威にすがって現下の政治の何かの変革を実現する道はとらない。日本国憲法の3原則と天皇制は、日本国憲法の基本矛盾のひとつだ。私たちは、安倍首相らの憲法改悪に反対し、日本市民自らの責務として平和・民主主義・基本的人権の憲法3原則を日本社会に徹底して実現する過程で、この矛盾も解決していかなくてはならないと考えている。
従来、日本における憲法改悪反対の運動(いわゆる護憲運動)は、その「憲法」という特性から「1国主義的な運動」に偏向しがちだったことは否めない。「護憲運動」のなかで韓国をはじめ、アジアと世界の民衆との連帯の重要性に関する問題意識は希薄であった。これではわが憲法のめざす国際平和を真に実現することはできない。この20~212世紀の世界に、日本だけの平和というものはあり得ない。アジアの平和なくして、日本の平和はない。
しかし、15年戦争(アジア太平洋戦争)の反省の上に作られた日本国憲法の精神は優れて国際主義的であり、この精神の理解が不足していたと考えている。
たとえば憲法の前文には以下のような記述がある。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。
この国際主義の精神を受け止め、韓国をはじめ東アジアの市民と連帯して、「戦争する国」への道を歩む安倍政権と対決し、その企てを阻止し、東北アジアの非核平和・共生を実現するために奮闘したい。
このほど、11月11日から13日にわたり、高田健は韓国YMCA連合会などの呼びかけで、韓国で開かれた「韓半島平和フォーラム」に出席し、「日本の市民運動の立ち場から考える日韓市民連帯運動」について報告した。フォーラムは最終日、以下の「集会決議」と、「香港の市民運動弾圧に抗議する決議」を採択した。
2019年の平和フォーラム参加者全員で、アジアで人権が冒されている今回の報告を共有した。香港市民が警察によるひどい暴力行為により脅かされていることを確認した。私たちも連帯の意識をもって香港市民の人権と民主主義の保護のために、活動を支援するためにこの声明文を残したい。
2019年3月に発表された中国本土に逃亡犯条例の改正案をうけて、香港市民は、人権が冒されることを、非常に懸念している。6月9日、100万人の人が6月16日は全人口の4/1の200万人が、撤回を求めて平和的にデモを展開した。しかしながら、香港政府の林鄭行政長官は、6月17日に、香港立法会で改めての主張を繰り返した。これが大衆の反発をさらに増長し、逃亡犯条例反対の活動がこうして5カ月継続している。この逃亡犯条例の改定は、香港の法制度と自治制度を脅かすものであり、香港の政治的な主体的な声が、抑えられてしまうことが予想される。
この抗議活動をうけて、香港警察の武力行使が始まり、小火器の使用もある。香港市民は、顔を隠して行動している警察に対してまた、正当な理由もなく逮捕される現状に怒りを感じている。
香港政府よ、今すぐにこの無差別的な暴力行為をやめてほしい。そして言論の自由を認めてほしい。そして逮捕者に対する医療行為も中止しないでほしい。香港は現在人道危機に直面している。崩壊している警察の調査を独自に行えるようにしたい。
無条件に香港社会において市民との対話の実行を保証してほしい。香港政府の現在の暴力行為を中止しないなら、世界に香港の暴力への抗議を訴えたい。
中国と締結した一国二制度、高度な自治権の維持を厳守してほしい。特に、直接選挙制度は、不当に無効にされた。従ってこれは市民の抗議が起きた原因の一つでもある。香港の自治は、人権と民主主義の原理原則をさらに高めなければならない。
現在、香港における民主主義と人権は深刻に侵されている状況である。市民の連帯を通してアジアの平和と正義を求め、私たちは、冷酷な大国による人権と民主主義の侵害に対して侵されている現在の香港市民を、誠意をもって支援をしたい。
2019.11.13
お話:川上詩朗さん(弁護士)
(編集部註)10月26日の講座で川上詩朗さんが講演した内容を編集部の責任で要約したものです、要約の責任はすべて本誌編集部にあります。
私は1996年から中国人の戦争被害者の裁判をやっていました。中国人戦争被害者というと、強制連行、「慰安婦」のほかにも南京虐殺とか731事件とか毒ガス事件とか、いくつかの事件があります。主に私がやっていたのは平頂山事件、1932年に撫順で住民虐殺を行った事件と「慰安婦」の裁判、強制連行などをやっていました。私が韓国の徴用工問題に関わったのは2010年からです。2010年という年はいわゆる「韓国併合」、ここから韓国は植民地になるわけですけれども、その1910年から100年の年です。この年に韓国に大韓弁護士協会という、日本の日本弁護士連合会と同じような弁護士の団体がありまして、そちらから日弁連に戦前のさまざまな人権課題でまだ戦後解決していない問題について一緒に調査研究をしませんかという申し入れがありました。日弁連としてはそれを受け入れて、2010年からそういう問題についての取り組みを今日まで継続してやってきています。その中のテーマのひとつが実はこの徴用工問題です。
日韓関係でさまざまな未解決の諸課題があるんです。「慰安婦」も徴用工も、それ以外にも遺骨の問題とか文化財の問題とか、あるいは徴用工にも関わりますけれども未払い賃金の問題とか貯金が供託されているという問題もあります。しかも韓国との関係の問題は、単に日本と韓国だけではなくて朝鮮半島との関係ですから、当然朝鮮民主主義人民共和国、北朝鮮との関係も将来的には関わってきます。今日は韓国の徴用工の問題ですけれども、この問題は北朝鮮との関係でもあるということは頭の中に入れておいていただければと思います。
そのときから私は日弁連側のメンバーとして大韓弁護士協会と一緒にこのテーマについてやっています。今日お配りした資料の中に日本弁護士連合会と大韓弁護士協会との共同宣言があります。2010年12月11日付になっていまして、2010年にソウルと東京でやったシンポジウムで出した共同宣言です。第1項には植民地支配の問題について過去の歴史事実の認識の共有が残念ながらまだ十分にできていないのではないか、したがってこれに向けての努力をさらにやる必要があるというテーマが書かれています。2番目が「慰安婦」問題、3番には日韓条約の関係文書の公開の問題、4番目、これが今日お話しする徴用工の問題が書かれています。
なかなかわかりにくい問題ですが、ポイントは徹底的に被害者の立場になって下さいということです。その視点からいまの状態を読み解くことがまず重要です。いまはどうしても国対国の争いという側面が強いですね。もちろんそういう側面はあります。しかし一番の出発点は被害者、この被害者が蒙った人権侵害が本当に救済されているんですか、という問題ですね。被害者の視点から見ていくならば、当然国との関係、国と個人との関係、こういう関係になってきます。その視点で見るということがこの問題をとらえ直すひとつの大きな視点かなと思っております。
徴用工の判決が出たのがちょうど1年前、2018年10月30日です。最初に判決が出たのが新日鐵住金を相手にする事件です。原告は4名です。新日鐵住金は今年4月に日本製鉄に名前が変わっています。そのあとの11月に2件続けて出されたのが名古屋の女子勤労挺身隊の事件、それから広島の三菱重工業の事件。いま韓国大法院-日本でいう最高裁判所ですが-、ここで確定している判決はこの3件です。被告は日本製鉄とあとのふたつ三菱重工です。いま確定している被告は2社です。この判決以外にも地裁とか高裁レベルで裁判が行われています。だいたい原告になっているのは、追加提訴があったので1100人から1200人です。ただ原告たちはみなさん高齢で、中には遺族の方もいらっしゃるということです。
昨年10月に判決が確定しました。当然被告企業は、裁判の過程ではそれぞれの主張、立証をして、そのプロセスを経て判決が確定したわけです。ならば、裁判に従ってまずは賠償金を払うことは当たり前の話だろうと思います。しかも相手は日本製鉄とか三菱重工業、まさに世界的なグローバル企業です。ここではコンプライアンスが重視される。いま企業の人権という問題が非常に重視されて、国連でもビジネスと人権の基本原則とか国連グローバル・コンパクトとか、大企業は大企業としてしっかりと人権を守っていかなければいけないということが国際的に非常に重視されています。そこの中心的なメンバーなんですね。ところが判決に従わないまま1年過ぎています。その間にここで勝訴判決を得た原告自体が亡くなっているということもあります。判決を勝ち取ったのにそれが実現されないまま亡くなっていることも、私たちは被害者の視点から見た場合にしっかりおさえておく必要があると思います。
いま良くいわれているのが、「韓国政府は国際法違反の状態を野放しにしていないで直ちに是正措置をしなさい」。これは例の河野外務大臣が韓国の南官杓駐日大使を呼んだときに、報道によると通訳を止めて気色ばんで強い口調で抗議したと報じられています。判決が出て以降、大法院判決は国際法違反だ、あるいは韓国は約束を守らない国だ、これが蔓延していますね。しかもこれが当たり前のような前提になって話が進んでいる。しかし本当にそうなのか、というところをまず疑ってみる必要があると思います。韓国の大法院判決は何を認めた判決なのかというと、個人の賠償請求権を認めた判決です。そうすると、これから問題になるのは日韓請求権協定というものです。その日韓請求権協定は、確かに請求権の問題は「完全かつ最終的に解決した」と書かれています。したがって政府はそれを繰り返し繰り返しその条文を言うことによって「解決したのに何を蒸し返しているんだ」というわけです。
では日韓請求権協定で個人の賠償請求権の問題が解決されたのか、ということをまず問わなければいけません。日本政府も個人の賠償請求権は消滅していないという立場を取っています。つまり日韓請求権協定では個人の賠償請求権を消滅させるという約束は成立していないんですよ。あるいはそういう合意は成立していない。もしそういう合意が成立していたにもかかわらず判決で認めたのであるならば、確かに条約に反しますとか約束に反しますという言葉が出てくるかもしれません。しかしそういう約束もしていない、合意も成立していないならば、それを認めた判決が出たからといって国際法に違反しているなんていうことは、本当は言えるはずがありません。ところが条文に「請求権は完全かつ最終的に解決」と書いてあるものですから、すべてが解決したかのような雰囲気を出している。そのところを私たちはもう少し読み解いていく必要があるということです。
是正措置をとるということで、ボールを韓国に丸投げしています。われわれ日本はやる必要がない、あとは韓国だけだ。その前提として韓国は約束したんだからお前がやりなさいという理屈だろうと思います。しかし、そういう約束自体はないわけです。もともと本来の人権侵害をおこなった加害者は、日本政府であり日本企業です。それによって生じた人権侵害が救済されないまま、いまに来ている。つまり加害者の責任は果たし切れていない。ですから日本政府自身がまずその事実をしっかり認めて謝罪をしなければ被害者にとってみれば納得できないわけです。そこがスタートラインになるはずです。ところが、もっぱら韓国にボールを投げている。これが問題の非常に間違った処理の仕方になっているのではないかと思います。
この被害者たちとはどういう人なのかということを知っていただくために、裁判の経過についてご紹介します。新日鐵住金の裁判の原告4名のうち2人は大阪製鉄所、ひとりは釜石、ひとりは八幡、それぞれ製鉄所に連行されて働かされた人たちです。このうち大阪に連行された方は、韓国で裁判をやる前に日本で裁判をやっています。2件の三菱重工業の裁判の人たちも日本で最初に裁判をやっています。新日鐵住金の方は1997年に大阪地裁に提訴しています。日本の裁判は最高裁までいって2003年に全部負けます。地裁、高裁、すべて負けます。そのあとソウルの地方裁判所に提訴したけれども、ここでは負けます。
原告は高裁に提訴し、ここでも負けます。そして大法院(最高裁)に上告する。ここで2012年に画期的な判決が出ています。つまり、「負け、負け」できましたけれど、大法院は高裁での負けた判決を破棄して、高裁にこの裁判を戻して(「破棄差し戻し」といいます)、もう一度審理をし直しなさいということを命じる判決が出たのが2012年です。昨年の判決の元になった判決は2012年にもう出ていました。これでソウル高裁に戻されます。高裁で審議をして、ここで原告は勝ちましたから、今度は相手側である企業が上告する。2013年に上告されたあと5年近く裁判が止まっていました。そのあとに昨年の判決になった。ここで認められて確定したという流れです。
この原告たちは、人権侵害をおこなった加害者である日本政府あるいは日本企業から何も救済を受けなかった。韓国政府からも救済を受けなかった。そうすると被害者の立場からいったら自分の権利を救済するのは自分自身がたたかうしかないんです。個人が自分の権利を主張できる場というのは、いまの仕組みでは司法しかありません。国会とか立法は基本的には多数決の原理です、そこで漏れた少数者の人権を守るのが司法の本来の役割です。最高裁判所は、「人権保障の最後の砦」だと言われていて、日本の最高裁はその役割を全然果たしていないけれども、本来はそういう役割を期待されているのが司法です。韓国の大法院はまさにその役割を果たしたと言えるのではないかということです。この被害者は日本で提訴してから判決をもらうまで、自分の権利救済のために実に21年間たたかってきている。そういう人たちだということをぜひご理解いただければと思います。
徴用工とはそもそも何かという話です。「徴用工」は「徴用」という言葉と「工」という言葉が出てきます。「工」というのは例えば「板金工」とか、いわば工場などで働く労働者です。今回の原告たちは工場が多いけれども、朝鮮人の人たちが主に連行されたところは日本人が嫌がる炭坑とか港湾とかダムとかいう建設現場が多かったのですが、いずれにせよ労働者、これが「工」です。では「徴用」とは何なのかということです。「徴用」という言葉はどこに出てくるかというと、戦前の国家総動員法という法律の4条に「政府ハ戦時ニ際シ国家総動員上必要アルトキハ勅令ノ定ムル所ニ依リ帝国臣民ヲ徴用シテ総動員業務ニ従事セシムルコトヲ得但シ兵役法ノ適用ヲ妨ゲズ」と定められています。ここに「徴用」という言葉が出てきます。勅令という言葉が出てきますが、これが国民徴用令です。つまり国家総動員法に基づく国民徴用令に基づいておこなわれたのが狭い意味での、本来の意味での「徴用」と呼ばれているものです。
この「徴用」は36条に書いてありまして、この「左ノ各号ノ一ニ該当スル者ハ一年以下ノ懲役又ハ千円以下ノ罰金ニ処ス 一 第四条ノ規定ニ依ル徴用ニ応ゼズ又ハ同条ノ規定ニ依ル業務ニ従事セザル者」、つまり刑罰が処せられる状況でした。国家が国民に対して徴用令書ということで、これは日本人に対しても行われましたが、「あなたは明日からどこどこ工場に行って働きなさい」と命じられるわけです。そうするとそれを拒むことはできません。われわれは職業選択の自由を持っていますけれども、これがない。これがまさに戦時体制、国家総動員体制です。工場に行ったら、辞めるとか退社の自由もありません。それは法で強制されています。やったら刑罰を処せられます。これは日本人にも朝鮮人にも適用されました。日本人の場合は自分の住んでいる地域で工場に行って、終わったらまたそこに戻ってくることはできたけれども、朝鮮人の場合にはまさに連行から始まって宿舎に入れられて、という実態があった。
この国民徴用令には第2条で「徴用ハ特別ノ事由アル場合ノ外国民職業指導所ノ職業紹介其ノ他募集ノ方法ニ依リ所要ノ人員ヲ得ラレザル場合ニ限リ之ヲ行フモノトス」ということです。「徴用」をやる前にまず募集という方法で人を集めなさい。それができない場合には徴用という刑罰が科せられるような強い方法で集めなさいという仕組みになっていました。したがって、「徴用」が行われる前に「募集」とか「官斡旋」とか、そういうかたちで人が集められる仕組みでした。われわれが「徴用工」と言っているのは、この「募集」、「官斡旋」、「徴用」というものを広く含めて言っています。しかし厳密にいうと「徴用」はここで言ったようなことになります。
被害者の被害実態を考える場合に、いま言ったことは「連行」に関わることです。「連行」と同時に連れてこられた企業の中で、どういう生活や労働環境だったのかというところもあわせて被害実態をとらえていかなければいけない。安倍さんは、今回の判決の人たちは「募集であって徴用ではない」とか、あるいはもっぱらこの連行の場面を言って「徴用工という言葉は不適切であって、朝鮮出身労働者と呼ばなければいけない」とか、できるだけ実態を見えないようにしようといろいろと策動しています。けれどもわれわれは、この区別は区別として理解をしておいた上で、この3つはどのかたちであったとしても、その実態はどうなのかということをしっかり見ていく必要がある。それは連行だけではなくて、個々の生活環境とか労働環境も含めて全体として被害者の被害実態を見ていかなければいけないということもおさえておくべき点だと思います。
あと一点、狭い意味での「徴用」ですけれども、これには国民徴用令に基づく徴用の他に、軍需会社法に基づく徴用があります。何が違うのかというと、例えば私が今日あなたに対して「明日からどこどこの工場に行ってください」、これが国民徴用令に基づく徴用です。軍需会社法に基づく徴用というのは、「もう私はある工場で働いています。明日からこの工場を指定軍需工場というかたちで指定します」、このように工場を指定する、あるいいはその工場を経営している会社を指定軍需会社というかたちで指定すると、そこで働いている人たちはみんな自動的に「徴用工」になります。つまり、法律でそこを自由に辞めることができなくなってしまいます。これが軍需会社法に基づく徴用です。どういう連行のやり方であったとしても、働いているところが指定軍需会社あるいは指定軍需工場に指定されると、もうそのときから自由がきかなくなる。そういう状態にありました。終戦近くになってくると、軍需工場はみんなそういうかたちで指定されているわけです。
この募集とか官斡旋は、どのようにおこなわれたのか。これは日本全国にいろいろな職場がありますが、そこから「うちには何名人がほしい」というものをそれぞれに出してもらって全国のものを集めます。日本の事業者が、職業紹介を通じて地方長官に対して申請書類を提出する。それが厚生省に上がって、今度は朝鮮総督府に回されます。そうすると朝鮮総督府で地域割りをする。朝鮮の場合は、地方自治体の村単位の細かいところまで駐在所、警察官がいて、これが一番村の状態をよく知っている人たちです。「あそこにはちょうどこのくらいの歳の青年がいる」ということを一番よく知っている人たち。したがって地域割りされたときに企業の担当者と警察官あるいは「道」(日本でいう都道府県)の役人が一緒になって家庭を訪ねていって、「日本に来れば技術を習得できるから一緒に行かないか。2年くらいたったらまた戻ってこられるから」とかいいます。あるいは女子挺身隊の場合には13歳から14歳の女の子ですよ、「日本に行けば学校に通えるよ」というようなことをいって、これは全部嘘ですけれども、それを信じて行くわけですね。よく「強制」という言葉が出てきます。われわれは「自分の自由な意志に反してやられた場合」を広く「強制」といっています。したがって「だまされた人」も「強制」に入ります。だまされるわけですから、自由に自分が選択できる状態ではありません。暴力的に連れて行ったことだけを強制といっているわけではないということもおさえてください。そういうかたちで日本に送られる。
そうすると日本では協和会という朝鮮人を管理する団体ができています。そこに登録される。あるいは配置された地元の警察署や職業紹介所、そこが四六時中監視している。朝鮮半島は1910年から植民地になって同じ日本人だといわれていましたけれども、この強制連行されるまでは、同じ日本人なんだから自由に日本本土に来ることができたかというと、そうではなかった。それでも来ていましたけれども、自由に行き来できるような状況ではなかった。なぜか。日本の本土の中に、やっぱり朝鮮人は危険だという発想がありました。したがってできるだけ治安維持の観点から、朝鮮人は日本の本土に連れてこないようにする。抑制的な政策が取られていた。ましてやこういうかたちで連れてこられた人たちは、本土の中でそういう視点がありますから、基本的には管理していくわけです。この仕組みは、実はいまの技能実習生の仕組みに似ていますね。送り出す機関があって受入機関があって、送られたものを受入機関が管理している。こういうかたちで集められて、日本の鉱山や軍需工場で働かせるために強制的に動員され、労働を強いられた労働者たちのことを広い意味で「徴用工」ということなのです。
その広い意味での徴用、「募集」「官斡旋」「徴用」、これはいつ頃から始まったのかを見ていきます。1910年「韓国併合」、1919年、3.1独立運動が起きます。「朝鮮独立万歳」ということで200万人近くが行進するわけですが弾圧される。この3.1独立運動でおさえておいていただきたいのは、韓国の憲法です。憲法の中に「3・1運動で成立した大韓民国臨時政府の法統と、不義に抗拒した4・19民主理念を継承し、」と謳われています。このとき上海に、韓国の臨時政府が樹立されます。韓国の臨時政府は中国軍と一緒になって抗日抗争をたたかうんですね。その流れをいまの韓国は汲んでいるということが憲法の中に謳われていて、憲法の価値原理になっています。憲法はそれぞれの国の最高法規です。日本でいえば、平和主義、基本的人権の尊重、国民主権が基本原理といわれています。これに反する法律や行動は許されないわけです。ひとつの価値をつくっているわけですけれども、韓国ではこの朝鮮の植民地支配に反対して立ち上がってつくられた臨時政府の流れをいま汲んでいる。つまり朝鮮の植民地支配はそういう面では違法、不法であったという流れを汲んでいることを、韓国憲法の価値原理として位置づけています。したがっていろいろな法律の解釈をするときには、この価値原理がそこには反映してくることになるわけです。これが隣国である韓国の憲法だということもおさえておいていただけるといいと思います。
1931年に柳条湖事件が起きて、ここからいわゆる15年戦争が始まります。満州事変ですね。アジア、中国に対して多くの日本の青年が行くと日本にある工場、鉱山で働く労働者が不足します。そこを補うために国家総動員法がつくられ、1939年から労務動員計画というものを毎年企画院がつくるようになります。この労務動員計画は、その後国民動員計画と名前が変わり、1945年まで毎年つくられます。これは、日本本土の工場とか炭坑とか、そこでどれだけの労働者が必要かという数をまずはじき出します。一方それをどこからどれだけ連れてくるかという計画で、これを毎年つくります。これに従って人集めが行われる。募集方式が1939年に始まり、1942年に官斡旋、1944年に徴用となっていきます。したがっていつ頃から徴用が始まったかといわれると、この1939年頃からと一応いうことができるのではないかと思います。
1945年にポツダム宣言を受諾します。ポツダム宣言の受諾が朝鮮半島にどういう影響を与えたかというと、受諾することによって朝鮮半島は分離独立し、植民地ではなくなります。このことがあとで日韓会談に関わってきます。1948年に韓国と朝鮮民主主義人民共和国ができて、1950年に朝鮮戦争が始まります。朝鮮戦争が起きている1951年に、日本はサンフランシスコ講和条約を締結して、ここで独立します。1945年から1951年まで、連合国、アメリカに占領されている時代です。このサンフランシスコ講和条約は、連合国と日本との間の条約です。韓国は植民地でしたから連合国ではないわけです。そうするとこの平和条約の当事者ではないんですね。当事者ではないけれども韓国との関係ではいろいろな問題があった。何の問題があったかというと、ポツダム宣言受諾によって朝鮮半島が分離独立します。そうすると、朝鮮半島に住んでいた多くの日本人が日本本土に引き揚げてきます。逆に言えば、日本本土にいた韓国人・朝鮮人が朝鮮に戻る。そのときにそれぞれに財産をそのままのかたちで置いてくるんですね。
実は9月に丹東という北朝鮮との国境のところに行きましたが、河を隔てて向かい側は北朝鮮です。そこに煙突が立っています。ガイドさんにあの工場はなんだと思いますかと言われたんですが、王子製紙の工場ですと言うんです。確かにそうです。朝鮮半島が植民地だったときに多くの日本企業は半島に進出して工場を建てています。そこは大きな河ですから上から木を切ってきてパルプにして紙をつくっている。工場もそのままのかたちで戻ってくるわけです。つまり朝鮮半島に残っている在韓の日本財産というものがあり、逆に日本に残っている在日の韓国財産というものがあります。日本人個人の財産もあれば政府の財産、それぞれがあります。これを戻してもらいたい。こういうそれぞれの財産関係を清算することが、日韓会談のひとつの大きなテーマになって来ます。この日韓会談は、サンフランシスコ講和条約を結んだ1951年から予備会談を含めてスタートします。1965年まで、結構長い間7回くらいにわたってやっていくことになります。
徴用工と言われている人たちの被害実態はどのようなものなのか。新日鐵住金の被害実態、判決で認定された事実があります。原告は4名、うち2名が大阪製鉄所で、「2年間訓練を受ければ技術習得し朝鮮に戻り製鐵所で技術者として働けるという募集に惹かれて応募し就職しました」。17歳から19歳の青年です。実際上これはまったく嘘でした。「寮は木造2階建て。1階窓には鉄格子,1階出入口は舎監が常時監視。夜間出入口施錠し舎監が出入口の内側で就寝して監視。寮の門も見張りがいて夜間施錠。」、つまり宿舎に入れられますけれども、自由に外出できるような環境ではなかった。監視されている状況だったんですね。
勤務体制とか仕事の中味は「1勤務8時間3交代制。休日は月1~2回。石炭を炉に投入し,投入後の石炭を鉄棒で裂いて掻き混ぜる作業。内径約1.5メートル、長さ約100メートルの鉄パイプの中に入り1日がかりでパイプ内の石炭滓(かす)と煤(すす)を取り除く作業。起重機を操作して銑鉄・古鉄等を平炉に投入する作業。」という過酷な労働を強いられる。食事は「貧弱」。賃金ですけれども「金は月2,3円の小遣い程度の現金を渡す。」と、一応形式上は賃金は払うかたちになっていました。労働者ですから、賃金は払うかたちになっていますが、その賃金は強制的に郵便貯金に貯金をさせられます。貯金通帳と印鑑は舎監が全部保管している。お金を使いたいのでお金を下さいと言ってもくれるわけではないんです。どうしてもといった場合につき2、3円ほどの小遣いを渡す程度です。そういうかたちで毎月毎月の賃金が貯められていきます。それで終戦を迎えたときに、これから朝鮮に帰らなければいけない、その通帳を返してくださいというけれどもいろいろ言って返さない。「戻ったら返す」というようなことを言って、でも戻っても返してくれない。形式上は賃金を払うかたちを取っているけれども実質は受け取っていない。つまり「ただ働き」の実態があったということです。
この人たちがやった日本の裁判所はこの事実に対してどう判断しているのか。実は日本の裁判所もさすがにこの実態はひどいと考えたらしくて、結構厳しい判断をしています。被害実態を見るときには「連行」という連れてくる対応と、「労働」という働かされている対応と両方を見なければいけない。新日鐵住金について大阪地方裁判所は2001年にどういう認定をしているか。まず連行については「強制連行」とまでは言えないと言いましたけれども、「労働の実態」については「強制労働に該当し、違法と言わざるを得ない」「日本製鐵が原告らに対し賃金を一部支払わなかったこと及び違法な強制労働に従事したことが認められるから、日本製鐵には,賃金未払、強制労働、それぞれに関して債務不履行及び不法行為に基づく損害賠償責任が認められることになる。」といいました。これは日本の判決です。日本の判決はこの被害実態については-強制連行を認めなかったことはどうかなと思いますけれども-少なくとも強制労働を認め、かつ違法で賠償責任の発生まで認めています。ところが判決では負けている。なぜか。これはいろいろな法律論です。
ひとつの法律論は、確かにこのときに賠償責任が発生しました、しかしそのときに責任を負っていたのは戦前の新日鐵です。戦後、会社がいろいろ分割されてプラスの財産は新会社に移ってマイナスの財産は旧会社に残すという処理をされます。その結果ここで発生した賠償責任は会社に取ってみればマイナスな財産ですから、これは旧会社に残されて、その旧会社は解散でお終いなんです。継承していないという理屈です。常にそういう理屈で負けているわけではなくて、ある裁判では日本でも実質的に同一だから、いまの会社も責任を負うという判決を出しているところもあります。いずれにせよ法律論によって日本の裁判で負けているということです。結論はそうですけれども、注目すべきは日本の裁判所もこの被害実態、ひどさ、賠償責任、違法だというところまで言及しているということです。つまり人権侵害だということを認めているんですね。ここに日本と韓国で違いはない。ここをわれわれはちゃんと着目する必要があるのではないかと思います。
名古屋女子挺身隊の場合は13歳から14歳の女の子です。日本に行けば学校に通えるよというようなことでだまされて来るわけです。小学生、中学生くらいですから、背も小さいですね。工場に行って、踏み台に乗って、非常に危険な板金だとかいろいろな仕事をさせられます。軍需工場ですから、終戦に近づいてくると空襲の目標になり、非常に危険なところです。このくらいの年齢の子ども達は 日本の場合には疎開するような感じですが、工場で最後まで働かされる。これも日本の裁判所はどう判断したか。名古屋高裁です。これは強制連行は違法だと、強制連行であったことを認めました。それから強制労働であったということも認めました。強制連行、強制労働については「被控訴人国については民法の適用があるならば、被控訴人会社については旧会社との法人格の同一性あるいは旧会社からの債務の承継が認められるならば、被控訴人らは、民法709条,715条,719条によりその損害賠償等の責任を負担すべきことになる。」と、ここでも企業の賠償責任を認めています。でも、いくつかの法律論で結論としては負けている。
被害者の人権は侵害されたというところについては、食い違いはないわけです。侵害されている以上それは救済されなければいけませんね。それが救済されたのかが、次に問題になります。そこで問題となってくるのが日韓会談です。
日韓会談の中で、この被害者が蒙った損害が補償されるような解決がされたのかというところが次に問題となります。1951年、サンフランシスコ講和条約を締結しました。韓国はこの当事者ではないと言いました。サンフランシスコ講和条約の4条に「在韓・在日の各財産や請求権(債権含む)は2国間の特別取極による」ということが謳われています。これをうけて日韓会談がおこなわれます。ここでひとつ問題となるのが、朝鮮半島に残してきた日本人の財産を返してくださいということを日本は請求しようと思っていて、実際請求していました。しかしこの請求自体がもともと成り立たない請求でした。
なぜかというと、ここに軍政令33号というものがあります。これは、日本はポツダム宣言を受諾し、その結果アメリカは日本を占領します。アメリカは日本を占領しただけではなくて朝鮮半島にも入っていき、朝鮮半島も占領します。そこで米軍政庁というところで米軍が仕切るわけです。米軍は何をしたかというと、この軍政令33号で、南朝鮮に残された在韓日本財産については米軍政庁に帰属する、つまり残してきた日本の財産はまず米軍が自分のものにしてしまうんですよ。そのあとに韓米協定で、軍政令33号によって米軍政庁に帰属した日本財産を韓国政府に委譲する。一旦米軍に行ってそのあと韓国に戻る。アメリカが占領したときにこういうかたちで処理をされていた。サンフランシスコ講和条約を締結する前です。
こういう処理がされていたものですからサンフランシスコ講和条約4条(b)というところで、「日本国は、第二条及び第三条に掲げる地域のいずれかにある合衆国軍政府により、又はその指令に従つて行われた日本国及びその国民の財産の処理の効力を承認する。」となっています。つまりこの処理の効力を、日本はサンフランシスコ講和条約で承認して受け入れたんですね。受け入れた以上、日本は朝鮮半島においてある在韓日本財産の請求権そのものが、もうないことになってしまいます。にもかかわらず、それを立てて請求しました。
韓国側は韓国側で請求しました。韓国側は財産の清算関係を請求したんですが、さらにプラスして請求したものがあります。それが何かというと「植民地支配の違法性、不法性のもとで生じた賠償問題」、これを解決してほしいということを請求した。しかし日本政府はそもそも植民地支配は合法だったという立場です。つまり植民地支配は違法か合法かというところで、日本と韓国の見解が真っ向から対立した。韓国は、植民地支配は違法であるということを言っていました。したがってそこで生じたさまざまな賠償問題を請求したい。ところが日本はそもそも植民地支配は合法だという立場ですから、賠償問題なんていうのは発生しないという立場です。ということで話が始まって、7次まで会談がおこなわれるわけです。
第3次会談が行われたときに久保田発言というのが出てきます。そこで「植民地支配もいいことがあった」というような発言を久保田貫一郎さんという人がしたものですから、会談自体が一回中断することになります。再開されたのが第4次会談、そのときに賠償請求権を放棄したものを認めるんですね。そのあと個別に韓国側が要求するものに対してひとつひとつ検討するという交渉の仕方をします。韓国側は対日8項目に要求事項をまとめて日本側に請求しました。それについて個別協議をやっていたわけです。そういうやり方をしている途中、1961年に韓国で軍事クーデターが起こります。朴正熙政権ができます。これによってガラッと日韓会談のやり方が変わりました。いままでは個別の問題について検討していたものを、一括で処理しましょうというかたちになります。その中で出てきたのが無償3億ドルを供与する、有償2億ドルの貸し付けをする合意が外務大臣同士でできあがって、それが日韓請求権協定というかたちでまとめられています。
対日8項目の請求の中で、未払い賃金の問題というのがありました。徴用工は働かされていたけれども賃金をもらっていなかった、したがってその賃金を支払ってもらいたいということを韓国側は請求した。この未払い賃金の問題は日本政府にとってみると、日本政府は植民地支配に関わる損害賠償の問題はそもそも関係ない、話題にもならい。植民地支配は合法だということが日本の立場でしたから、合法のもとで働かせていたことは確かで、働かせていた以上未払い賃金は払わなければいけないというのが日本政府の立場でした。このことは日韓会談文書が公開された結果明らかになりました。ですからここでは未払い賃金の問題は協議されていて、日本も一度払う前提で協議していたということは記録の中には出ています。
しかし、いまこの裁判で問題になっているのは未払い賃金の問題ではないんですよ。ここで問題になっているのは慰謝料の請求権の問題です。不法行為に基づく損害賠償請求権の問題です。それについては、賠償の問題なんていうのはそもそも関係ない、というのが基本的な日本の立場です。どうも今回の裁判の問題は未払い賃金の問題だと誤解している方がいらっしゃるかもしれないですが、未払い賃金の問題ではなく、慰謝料請求権の問題なんですね。
日韓会談では、すべてが解決されたわけではなく、解決された問題と解決されていない問題があります。解決されていない問題のひとつは植民地支配の違法性の問題です。日本は合法である、韓国は違法であるという立場です。この立場は最後まで埋まらなかった。合意に至らなかった。しかし日韓基本条約でこういう条文が締結されます。「第2条 1910年8月22日以前に大日本帝国と大韓帝国との間で締結されたすべての条約および協定は、もはや無効であることが確認される。」。1910年は日韓併合条約です。つまり植民地支配のもとになっている条約ですね。朝鮮を植民地にした法的根拠となっているものです。これが「もはや無効であることが確認される。」、それによって法的根拠を失うというかたちになるわけです。
最初の条文では「もはや」という文字はなく、「協定は無効である」というものでした。「もはや」という言葉がなくて「協定は無効である」と書かれているとどういう解釈が可能かというと、1910年の日韓併合条約は「そもそも違法である」、違法であって無効である。つまり1910年の時代から実はずっと無効だった。そのことが「確認された」と読めるわけです。最初韓国はそういう条文を提案したけれども、日本は到底受け入れられない。そこであれこれやって、あいまいなかたちで終わらせたものがこれです。「もはや」と一言入れることによって「前はどうだったかわからないけれども、今となっては『もはや』無効だ」という解釈ができそうな文章にした。非常にあいまいですね。こういうかたちで植民地支配の違法性は結局合意に至らないまま終わっている。これは未解決な課題です。まだ課題として残っているということをおさえておく必要があります。
次に、今回問題になっている慰謝料請求、賠償請求の問題です。この問題は日韓会談の中で解決されたのか、解決されていないのかということです。解決されたと言っている人は、2つの点でこう言っているのではないかということがあります。ひとつは日韓請求権協定の1条が「無償3億ドルを供与する」、それから「有償2億ドルを貸し付ける」という約束をします。よく「無償3億、有償2億」といわれているものです。この中に徴用工の賠償のお金が含まれている。これは渡したのだから解決済みではないかと言う人がいます。しかしこれは大きな間違いです。
ひとつは、そういう人たちは何か現金を渡したかのような錯覚をしていますけれども、これは条文を見てもわかりますように「日本国の生産物及び日本人の役務」を供与すると言っています。このお金の主旨は何なのかというと、「大韓民国の経済の発展に役立つもの」です。つまりこのお金の主たる目的は韓国の経済発展、「建国」していくために、これからもっともっと韓国国内のインフラ整備をしなければいけなかった。その発展に役立たせるために無償3億、有償2億が使われることが、このお金の主旨です。しかも現金で渡すのではなくて「日本国の生産物及び日本人の役務」です。例えばインフラ整備をする工事、これを韓国の企業と日本の企業が共同で請け負うわけです。それで韓国のインフラ整備、高速道路を造るとか工場を造るとか、そういうことをやる。そのお金を日本が払う。これが「日本国の生産物及び日本人の役務」で払うという意味合いです。
これは何も勝手に私たちが言っているのではなくて、日本政府自らがそういう説明をしています。1965年参議院本会議で自由民主党の草場隆圓参議院議員が「無償3億ドル及び有償2億ドルに相当する生産物及び役務を提供することになっているが、これは賠償の性質を有するものか。また、請求権処理の問題と全く無関係であると言い切るかどうか。」、こういう質問をしています。
「請求権処理の問題と全く無関係であると言い切るかどうか」というのはどういう意味かというと、ここで無償3億、有償2億ということが出てきます。第2条の条文で「請求権に関する問題が、1951年9月8日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第4条(a)に規定されたものを含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。」、つまりここで3億とか2億を提供した替わりに、これを放棄させた、請求権の問題を解決した。「1条と2条というのはリンクしている問題なんですか」ということを国会で質問したわけです。あるいは「この3億、2億というのはそもそも賠償金が入っているんですか」ということを質問したわけです。
それに対して当時の椎名外務大臣は「請求権の問題と経済協力、これは、日本の対朝鮮請求権は、軍令及び平和条約等のいきさつを経て、もはや日本としては主張し得ないことになっておりますが、反対に、韓国側の対日請求権、この問題について、この日韓会談の当初において、いろいろ両国の間に意見の開陳が行われたのでありますけれども、何せ非常に時間がたっておるし、その間に朝鮮動乱というものがある。で、法的根拠についての議論がなかなか一致しない。それから、これを立証する事実関係というものがほとんど追及できないという状況になりまして、これを一切もうあきらめる。そうして、それと並行して無償3億、有償2億、この経済協力という問題が出てまいりました。何か、請求権が経済協力という形に変わったというような考え方を持ち、したがって、経済協力というのは純然たる経済協力でなくて、これは賠償の意味をもっておるものだというように解釈する人があるのでありますが、法律上は、何らこの間に関係はございません。あくまで、有償・無償5億ドルのこの経済協力は、経済協力でありまして、これに対して日本も、韓国の経済が繁栄するように、そういう気持ちを持って、また、新しい国の出発を祝うという点において、この経済協力を認めたのでございます。合意したのでございます。その間に何ら関係はございません。」と回答しています。
これは日本の立場ですよ。先ほど個別に協議したと言いましたが、いろいろやってきたけれどももう折り合いがつかないから一旦ここであきらめる。それと並行して無償3億、有償2億、この経済協力という問題が出てきた、つまりあの3億、2億には賠償は含まれていない、賠償という意味合いはない。2条の請求権の問題とも関連性はないということを日本政府自らが言っているわけです。したがって少なくとも3億、2億で賠償問題は解決済みということは言えないということは明らかと言えるのではないでしょうか。
次に問題となるのは、この日韓請求権協定2条、ここで「請求権に関する問題が~完全かつ最終的に解決された」と書いてあるわけです。したがってこれで個人の賠償請求権に関する問題も、もう完全に解決されて終わったんだ、これがいま政府が言っている基本的な見解になります。しかし本当にそうなのかということです。確認しておきたいのは、ここで問題になっている「請求権」とは何なのかということです。徴用工はいくつかの請求権を持っています。未払い賃金の請求権とか郵便貯金が供託されていたりしますから、供託されているものを還付してもらいたいという還付請求権も法的にはあります。しかしそうではなく、ここで問題にしているのは、あの植民地支配の時代におこなわれた不法行為で、これは日本の裁判所も認定しました。問題はその不法行為によって生じた損害賠償請求、慰謝料請求です。
大法院判決は何と言っているかというと、「日本政府の韓半島に対する不法な植民地支配および侵略戦争の遂行と直結した日本企業の反人道的な不法行為を前提とする強制動員被害者の日本企業に対する慰謝料請求権」です。ちょっと長くてわかりにくいですが、まずこれは反人道的不法行為による慰謝料請求権だ。この反人道的不法行為というのは不法な植民地支配及び侵略戦争の遂行と直結したものだ。この強制連行というものが労務動員計画という、これは日本政府が企画したものであり、強制連行には日本政府が関与しているんですよ。それに基づいて日本企業と一緒になって連行してきて労働させたわけです。それは日本の裁判所も強制労働、強制連行であって違法で賠償責任があると言っているほどひどい人権侵害です。そういう慰謝料請求権です。
この問題を考える場合に整理しなければいけないのは、国家が持っている外交的保護権と、個人が持っている賠償請求権を区別して考えるという考え方です。では外交的保護権というのは何なのか。「外交的保護権」は自国民が外国で、例えば韓国人が外国-日本で不当な取り扱いを受けた場合、その国籍国、つまり韓国が外交手段などを通じて外国政府である日本に対して、自国民=韓国民の適切な保護や救済を求めることができる国際法上の権利であす。これは国家自身の権利であって、行使するかどうかは国家の裁量であるということです。これは国家自身が持っている国際法上の権利です。何のための権利かというと、自分の国の国民が日本の国の中で何か違法な行為がおこなわれたというときに、自国民を保護するために韓国政府が日本政府といろいろと交渉する、これが「外交的保護」という権利です。これは慣習国際法によってどこの国にも認められていると言われています。これはあくまでも国家の権利であって個人の権利ではありません。
これとは別に、個人は個人として被害を蒙っているわけですから、その被害を蒙ったことに対して、ここで言えば不法行為に基づく損害賠償請求権という権利を持っています。近代国家というのは国家と個人は明確に分離をしてそれぞれ別人格ですね。近代国家においては個人の領域には国家はむやみに入ってはいけない、これが「自由」というものです。われわれの自由はそういうかたちで保護されています。例えば、今日何か法律を突然つくってみなさんが銀行に預けている預金を国家が没収するということを勝手に決めることはできないわけです。もし本当にそういう必要性があってやるならば、きちんと補償しなければいけない。そういうかたちで保護されているわけで、そうやって処理をしていくのが近代国家の基本的な考え方です。
問題となるのは、ちょっと細かい話になりますけれども、ひとつはこの請求権と言われているものの中に、いま問題となっている慰謝料請求権がそもそも含まれるのかということです。もうひとつは仮に含まれるとした場合に、「完全かつ最終的に解決した」というのはいったいどういう意味なのか、何がどう解決されたのかということが問題となります。具体的に言うならば、この「完全かつ最終的解決」ということでは、外交的保護権と個人の賠償請求権がどう処理処理されたのかということが問題になってきます。この外交的保護権と個人の賠償請求権を別けて考えるという考え方は、何も特別な考え方ではなくて日本政府自らが取っている考え方です。
この話を「韓国」という言葉を「日本」に置き換えて、「日本」を「アメリカ」に置き換えるとわかりやすです。「個人」を「原爆被爆者」と置き換えますと、アメリカが日本に原爆を落とした結果、原爆被爆者は被害を蒙りました。原爆被爆者は1955年に日本政府を相手にして裁判をやります。本来であればアメリカが原爆を落とした以上、被害者は加害者のアメリカを相手にしての裁判が当然考えられます。なぜこの人達は日本政府を相手にしたのかというと、サンフランシスコ講和条約の中で、連合国と日本の間の請求権を放棄することが謳われています。したがってこの原爆被爆者の方は、自分のアメリカに対する賠償請求権は放棄されてなくなったと考えました。しかもそれをなくしたのはアメリカと日本の条約によるわけですから、日本が一方的に自分の権利を奪ったかたちになるわけです。もしそういうことをするならば、きちんと補償されなければならないわけです。したがって個人、被害者は日本政府を相手にして補償あるいは賠償を求めました。
それに対して日本政府は、外交的保護権と個人の賠償請求権を区別して、サンフランシスコ講和条約で請求権を放棄したことの意味は、あくまでも国家の持っている外交的保護権を放棄したのであって個人賠償請求権は残っていますと言った。被害者は個人賠償請求権が奪われたからそれを補償してくれと言ったわけですが、日本政府は、権利は奪われていませんよという話にしたわけです。理由は、国家と個人は別法人格でしょう。国家といえども個人の権利を処分することは基本的にはできないということを理由にしました。そういうかたちで責任を免れるような答弁をしています。外交的保護権と個人賠償請求権を区別して、かつ国際条約によっていったい何が失われて何が残っているのかということを区別して論じるというやり方は、日本政府自らがやっていたんです。
話を戻しますと、この請求権の中にそもそも慰謝料請求権が含まれているのか。仮に含まれているとしても、そこで最終的に解決されたのはあくまでも外交的保護権だけであって、個人賠償請求権については解決されていないのではないか。こういうことが問題になるわけです。
このふたつの問題について大法院判決の裁判官の意見が分かれています。多数意見は最初の論点である、請求権の中に賠償請求権が含まれているかという問題については「含まれていない」という判断をしました。つまりこの賠償請求権の問題は日韓請求権協定の対象の範囲外だ、そこでは問題になっていないという判断を下しました。多数意見によると、対象の範囲外ですから今回の判決を出したからといって、日韓請求権協定とは関係のない話になります。したがって国際法違反とかそういう抵触の問題は生じないことになります。
それに対して個別意見は「それは含まれている」、けれども、ここで言う完全かつ最終的な解決というのはあくまでも外交的保護権を消滅させただけであって、個人賠償請求権を消滅させたわけではない、という意見です。同じように含まれているといって、かつ個人賠償請求権も残っていると言いつつも、その残っている請求権は裁判によっては救済されない権利だと言ったのが反対意見です。裁判をやっている中での意見ですから、この反対意見は裁判によっては救済されないと言って、個人の請求権を認めないという結論になります。個別意見は、個人賠償請求権は残っているという立場ですから、これは認めるという結論になります。多数意見はそもそも対象外ですから、これによって規制されないことになりますから、認めるという結論です。多数意見と個別意見は、結論は一致します。反対意見は結論が違う。この反対意見というのは実は日本の最高裁とほぼ似ている考え方です。こういう分布になります。
協定の条文上は「請求権」と書いているだけなので、そこに何が含まれているのかは条文だけではわかりません。日本と韓国の間で日韓請求権協定についての合意議事録というものをつくっています。ここでは、「完全かつ最終的に解決されたこととなる両国及びその国民の財産、権利及び利益並びに両国及びその国民の間の請求権に関する問題には、日韓会談において韓国側から提出された『韓国の対日請求要綱』(いわゆる八項目)の範囲に属するすべての請求が含まれており、したがつて、同対日請求要綱に関しては、いかなる主張もなしえないこととなることが確認された。」、こう書いています。
先ほど日韓会談の経緯を見たときに韓国側から8項目請求したと言いました。この協定を結んだときに、ここで言う「請求権」はこの8項目がすべてで、その範囲に含まれているものはいかなる主張もできないということがまず確認されています。ただ「いかなる主張もなしえない」というところが、「誰が主張できないのか」ということがはっきりしない。先ほど国家の外交的保護権と個人の賠償請求権は区別するといいました。したがって「国家が主張できない」と読めるわけです。しかし「個人は主張できる」とも読めるわけです。「いかなる」というのは「誰が」ということがはっきりしていないので解釈の余地があるんです。
この対日8項目とは何なのか。「(1)朝鮮銀行を通じて搬出された地金及び地銀の返還請求(2)1945年8月9日現在の日本政府の対朝鮮総督府債権の返還請求(3)1945年8月9日以後韓国から振替又は送金された金品の返還請求(4)1945年8月9日現在韓国に本社本店又は主たる事務所がある法人の在日財産の返還(5)韓国法人又は韓国自然人の日本国又は日本国民に対する日本国債、公債、日本銀行券、被徴用韓国人の未収金、補償金及びその他請求権の返還請求(6)韓国人(自然人、法人)の日本政府又は日本人に対する個別的権利行使に関する項目(7)前記諸財産又は請求権より発生した諸果実の返還請求⑧前記の返還及び決済の開始及び終了時期に関する項目」、この(5)、にかかってくる問題が出てきます。この範囲に属するものについての請求権だといっています。
ここに「被徴用韓国人の未収金、補償金及びその他請求権の返還請求」が入ってくるではないか。そうするとここの中に慰謝料請求権が含まれるのかどうなのかが問題となります。多数意見はどう解釈したかというと、この(1)から(8)を見てみるとわかるように、5項目目を除くと違法行為の問題は出てきません。どれも国債とか財産の単純な返還です。ではこの「被徴用工の未収金」とは何なのかというと、未払い賃金などがこれに入ります。したがって未払い賃金の問題はこの対日8項目の中に含まれていると解釈することができます。
「補償金」とは何かということですけれども、法律上「補償」と「賠償」という概念は区別して考えられます。「補償」というのは、正当な行為によって蒙った損失を穴埋めするものです。「賠償」というのは、違法な行為によって生じた損害を埋め合わせするものです。したがって「不法行為に基づく損害賠償」というのは、不法行為は違法な行為ですから「賠償」という言葉を使います。一方「損失補償」などといって、例えば道路を拡張するために立ち退きを求められている、しかし立ち退かないので強制的に立ち退かせる、その場合はその人に対して「補償」するわけです。これは違法な行為ではなく適法なかたちで立ち退かせるわけですけれども、損失は蒙りますからその穴埋めをします。これを「補償」といいます。そのように厳格に考えた場合に、ここにあえて「賠償金」という言葉ではなくて「補償金」という言葉を使っている以上、これは適法な行為であり違法な行為を想定していないだろうと読めるわけです。
では「その他の請求権」に含まれるのではないかということが問題になるわけです。このように例示した上で「及びその他の」とした場合には、その前にある例示に類するものと読めるのではないかとするわけです。つまりこの中には違法なものは含まれない。そもそも今回の徴用工の問題というのは植民地支配に直結したかたちになっていて、植民地支配の違法性というものをある面では前提したかのようなかたちになっていますので、日本政府はそれについての賠償金は最後まで否定してきたわけです。したがってそれを認めるということはおよそ考えられないだろうということも理由になります。そういうような理由で、そもそもこの対日8項目の中には賠償金は含まれない。したがってそもそも範囲外の問題だということが多数意見になるわけです。
個別意見は、「そうは言っても」ということです。日韓会談のプロセスの中で韓国側が慰謝料の問題などを出してきていることは確かですが、最終的に合意したのかどうかが問題になるわけです。そこはあいまいなかたちになっているけれどもプロセスの中で出てきたことを考慮して含まれると解釈しています。ここは場合によっては解釈が分かれるところかもしれません。多数意見もまったく変な意見ではなくて、そういうかたちできちんと説明がつく意見です。仮に含まれた場合に個人賠償請求権は消滅したのかということが問題になるわけですが、よく出てくる柳井答弁というものがあります。「いわゆる日韓請求権協定におきまして両国間の請求権の問題は最終かつ完全に解決したわけでございます。その意味するところでございますが、日韓両国間において存在しておりましたそれぞれの国民の請求権を含めて解決したということでございますけれども、これは日韓両国が国家として持っております外交保護権を相互に放棄したということでございます。したがいまして、いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではございません。日韓両国間で政府としてこれを外交保護権の行使として取り上げることはできない、こういう意味でございます。」。外交的保護権は消滅したけれども個人賠償請求権は国内法的には残っているという見解、これは基本的にはいまも日本政府の見解です。ただ少し中味を変えてきているところはあります。いまの日本政府の見解は「残っているけれども、裁判所で司法的救済がされない権利」、裁判所で司法的救済ができない権利という説明、ちょっと雑ぱくに言うとそういう説明をしています。ほかのところでも同じような説明をしているわけです。
韓国政府はどういう解釈をしているのか。韓国政府は「上記第4条の対日請求権は戦勝国の賠償請求権と区別される。韓国はサンフランシスコ条約の調印当事国でないために、第14条の規定による戦勝国が共有する『損害および苦痛』に対する賠償請求権を認められなかった。このような韓日間の請求権問題には賠償請求を含ませることはできない。」ということを1965年の段階では言っていました。けれども2004年に日韓会談の会談文書が韓国で全面公開されます。これは韓国でそういう文書の全面公開を求める裁判をやって、それが認められて公開され、あらためて日韓会談が検証され直されました。その結果、民官共同委員会というものがつくられて、民と官とで公開された文書について検証した結果がまとめられました。これが2005年の段階です。
そこで何と言っているかというと、「韓日請求権協定は基本的に日本の植民地支配賠償を請求するためのものではなく、サンフランシスコ条約第4条に基づく韓日両国間の財政的・民事的債権債務関係を解決するためのものであった。」。要するに植民地支配の違法性については一致しなかったわけですね。ここの「財政的・民事的債権債務関係」というのは、朝鮮半島が分離独立したことによって朝鮮半島に残してきた日本の財産、日本本土に残してきた韓国財産、この清算関係のことを言っています。「日本軍慰安婦問題等、日本政府・軍等の国家権力が関与した反人道的不法行為については、請求権協定により解決されたものとみることはできず、日本政府の法的責任が残っている。」、「サハリン同胞、原爆被害者問題も韓日請求権協定の対象に含まれていない。」。ここに「慰安婦問題」「サハリン」「原爆」の3つが例示されているけれども、これは日韓請求権協定では解決されていない、「含まれていない」とはっきりと書いています。
ここに徴用工問題が入っていないではないかということになります。ただ「等反人道的不法行為」とあります。これ以降今回の判決が出るまでの間、ここに徴用工問題が入るのか入らないのかということがいろいろ議論されていました。結論的に言うと、多数意見は「入らない」でした。したがって多数意見は「慰安婦」問題と同じように対象外ととらえているけれども、個別意見は「入る」というかたちです。気になるのは「韓日交渉当時、韓国政府は日本政府が強制動員の法的賠償・補償を認めなかったため、『苦痛を受けた歴史的被害事実』に基づいて政治的次元で補償を要求したのであり、このような要求が両国間無償資金算定に反映されたとみなければならない。」と書いています。つまり日韓交渉の中で強制動員の法的な問題などは、プロセスの中では出てきたけれども最終的には認めなかったということで、政治的次元で補償を求めて3億ドル、この中に反映されていると韓国は返しています。日本政府の見解と違いますよね。日本政府は賠償金は含まれないという考え方でした。
ただ言い回しが「反映されている」とかもやもやとしたものです。「請求権協定を通じて日本から受け取った無償3億ドルは個人財産権(保険・預金等)、 朝鮮総督府の対日債権等韓国政府が国家として有する請求権、強制動員被害補償問題解決の性格の資金等が包括的に勘案さているとみるべきである。」。こういう言い方ですね。「請求権協定は請求権の各項目別に金額を決定したのではなく、政治交渉を通じて総額決定方式で妥結したため、各項目別の受領金額を推定するのは困難であるが、政府は受領した無償資金中相当金額を強制動員被害者の救済に使用すべき道義的責任があると判断される。」といっています。ここでは無償資金、その中から相当金額を強制動員被害者の救済に使用すべき道義的責任があると謳っている。このあと韓国国内では補償法というものがつくられ、強制動員被害者の一部に対しては補償が実施されていきます。ただその適用されている範囲が、日本に連れて行かれた強制動員被害者の中で死亡した人か、戻ったけれども障がいを負っている人に限ってです。その人たちに限って、補償します。ではどうやって補償したのか。先ほど現金を渡したわけではないと言いました。実際は例えばインフラなどをつくったりするとき、官から民に払い下げをしたりします。それを売った売却代金で補償していくとか、そういうかたちでの補償をしています。でもこれだと韓国政府が責任を負っているかのように読めますね。
ここでわかりにくいのは「道義的責任」というような言い方です。これはどういうことかというと、まず、この請求権の中に慰謝料請求権が含まれているのか、含まれていないのかということがひとつありました。多数意見は「含まれていない」という考え方、個別意見は「含まれている」という考え方でした。次の論点である「完全かつ最終的に解決した」というのは外交的保護権のみを放棄したのであって個人賠償請求権を消滅させたわけではないという考え方でした。もし個人賠償請求権を放棄させたとした場合、完全に消滅したとした場合、個人が日本に対して持っている請求権を仮に完全に消滅させたとしますと、その法的責任を日本は負わなくなります。では誰が責任を負うかというと、韓国政府が補償すべき責任が発生します。これは「法的責任」になってくるわけです。しかし「道義的責任」といっている。なぜかというと個人賠償請求権が消滅していないから、韓国政府としては被害者に対しては法的責任までは負わないんです。あくまでも法的責任を負っているのは日本です。しかしながらいろいろな経過の中で韓国政府も徴用工被害者に対して一定の補償的な措置をとる、その責任を負った。これが「道義的責任」です。
この責任は日本との間の約束の下に負ったものなのか、それとも韓国政府がさまざまな国内的な事情を考慮したものなのか、ここのところが実ははっきりしないわけです。少なくとも言えることは、個人賠償請求権を法的に消滅させるという合意は成立していないという立場は韓国政府は維持しています。あくまでも法的責任を負っているのは日本である、韓国政府は道義的責任を負うだけだ、こういうかたちになっている。これはさきほどの判決では個別意見ですね。個別意見とほぼ同じような見解なのではないかと読みうるわけですけれども、しかし非常にわかりにくいですね。
これはそれぞれの国の事情がたぶんあると思います。韓国はやっぱり日本に対して賠償を追及してきたんだ、それで一定のものを勝ち取ったということを国民の側に政治的にアピールしたいところも場合によってはあるかもしれないとも言われています。この文書自体がわかりにくいのですけれども、これはあとからつくられた文書ですから、ここをどう評価するかということは、いまいったようなかたちで理解することもできるのではないかといわれています。
日本の裁判所はこの点をどう考えているか。中国の有名な西松事件、これは「請求権の放棄」について「ここでいう請求権の『放棄』とは、請求権を実体的に消滅させることまでを意味するものではなく、当該請求権に基づいて裁判上訴求する権能を失わせるにとどまるものと解するのが相当である。したがって、サンフランシスコ平和条約の枠組みによって、 戦争の遂行中に生じたすべての請求権の放棄が行われても、個別具体的な請求権について、その内容等にかんがみ、債務者側において任意の自発的な対応をすることは妨げられないものというべきであり…」ということを言った上で、珍しく付言を付けて「個別具体的な請求権について債務者側において任意の自発的な対応をすることは妨げられないところ、本件被害者らの被った精神的・肉体的苦痛が極めて大きかった一方、上告人は前述したような勤務条件で中国人労働者らを強制 労働に従事させて相応の利益を受け、更に前記の補償金を取得しているなどの諸般の事情にかんがみると、上告人を含む関係者において、本件被害者らの被害の 救済に向けた努力をすることが期待されるところである。」。
ここでは請求権は消滅していない、しかし「裁判上訴求する権能を失う」、ということは裁判所に訴えても救済されないということです。わかりにくい。なぜこういう制限を付けるのか。これは批判されているところです。そう言っておきながら、しかし救済する必要があるといっている。「自分は救済できないけれども、お前達が救済しなさい」といっているのがこの判決です。これをうけて、しかしながら西松建設は解決するわけです。被害者と西松建設は和解します。被害者が解決で求めているのことはほぼ3つです。ひとつはきちんと事実を認めて謝罪するということ、ふたつ目がその謝罪の証として賠償してもらいたい、補償してもらいたい。三つ目がこういうことを二度と繰り返さない、再発防止のために次の世代にきちんとこのことの教訓を伝えていく。被害者たちが求めているのはこの3つです。
西松建設は和解するにあたって自分の会社がやってきた事実を認めました。認めて謝罪している。その謝罪の証としてお金を拠出して基金をつくります。その基金の事業として、被害者に対する補償金を個別に払ったわけです。それと同時に強制連行された現場というのは日本各地にありますが、西松建設が関わった現場に慰霊碑を建てます。そこで毎年中国から被害者たちを呼んで日本の企業、西松建設の関係者も呼んで、そこで慰霊祭をやり、あらためてこの事実に毎年向き合っていく。そして被害者の被害実態をあらためて想起していく。こういう作業を毎年繰り返す中で徐々に徐々に被害者の気持ちが和らいでいくんですね。これが和解のプロセスです。真の解決というのは何か、一回「ごめんなさい」と謝って終わるものではなくて、被害者の心の中にたまっているものはそういうプロセスを通じて徐々に徐々に受け入れられていくものなんですね。それあらわしているのが西松の例です。
ドイツではナチスドイツの強制連行の問題で、「記憶・責任・未来」基金というものをつくりました。同じようなかたちで処理をしていけるかですが、それを参考にしています。ナチスドイツが最初に弾圧したのは誰かというと障がい者です。障がい者が最初にガス室の被害を受けた。そして解決した最後が障がい者だった。未解決の問題はあるかもしれません。最初は強制連行から始まって、障がい者に対する補償は徐々に徐々にあとの方からおこなわれていく。解決のプロセスというのは一回で何かが終わるわけではないんですね。ひとつひとつ積み重ねていくということが重要で、そのプロセスの中でお互いの信頼関係というものが育まれていく。お互いの相互理解とか相互信頼、それも市民レベルで育まれていく。それを実践しているのが西松建設であり三菱マテリアルも同じことをやりました、それから花岡もそうです。そういう解決が可能なんですね。今回の韓国だってそういう解決をやろうと思えば、新日鐵と三菱重工と被害者が和解することはできるわけです。
中国の場合には民民同士ですから国は関与していないですよ。国は関与していないけれども当然知っています。知っていますし、これを受け入れ、容認しています。中国政府も日本政府も。でもいまの韓国の問題は逆ですね。なぜ前のめりでこの問題に対しての解決を妨げるような、企業が動きにくい環境をつくるのか。非常にわかりにくい。しかし解決ができないわけではなくて解決は十分可能だし、決断すればできることです。これをやれば、お互いの相互理解が深まって、これが未来に続いていくということです。新たな日韓関係を作り上げていくベースになっていく。この過去の問題に対してここまで引き延ばしていますけれども、もうそろそろ正面からきちんと解決していかなければいけない。そういう時代に入ってきている。まさにそれが問われているのは、この徴用工問題です。これは決して過去の問題だけではなくて、未来の日韓関係をどう作り上げていくのか。その中心になるのは民-民です。国家がどうなるか、いろいろな時代で、時には対立関係が生まれるかもしれません。しかしそういうときでも民-民のしっかりとした信頼関係を築き上げていくことが平和などを構築していく上での一番確実な、重要な基盤になっていくのではないか、こういうことをわれわれはこの判決の中から学ぶ必要があるのではないかと思っています。