(1)
第25回参議院選挙では立憲野党と市民の共同の力が自民党の議席を減らし、安倍晋三首相の最大の政治目標である憲法9条の改悪に不可欠の3分の2の議席(164)の確保を阻止した。改憲派は維新と無所属も含めても160にとどまった。これは安倍政権の米国追従と戦争する国づくりをすすめる政治に対する重大な打撃だった。
この選挙において、安倍首相は「安定か、混乱か」などと旧民主党政権時代への回帰に対する恐怖を煽り立て、安倍政権への支持を獲得しようとした。同時に安倍晋三首相はひとり異様なほどに「憲法を議論する政党か、議論しない政党か」と叫んで、憲法問題をとり上げた。
立憲野党各党と市民は13項目の政策合意をまとめ上げ、全国32の1人区において統一候補を作り上げ、安倍政権の悪政と対決して闘った。このたたかいは2016年の参院選の成果(11議席)に匹敵する10選挙区での勝利を実現し、改憲派の3分の2議席の確保を打ち破るうえでの大きな要因となった。とりわけ辺野古新基地建設に反対するたたかいの沖縄県において、また陸上イージスアショアの導入反対の秋田県において、さらに安倍忖度政治の腐敗を追及する新潟県において、野党の統一候補が自民党の候補を打ち破った。これらの選挙区では悪政に反対する広範な市民の運動が、世論を作り、野党の共同と結びついて勝利を勝ち取った。
(2)
安倍首相は選挙後の7月22日、記者会見で「改憲問題」について、要旨、以下のように発言した。
「街頭演説のたび、議論を前に進める政党を選ぶのか、それとも議論すら拒否する党を選ぶのか、今回の参院選はそれを問う選挙だと述べた。少なくとも議論は行うべきである、これが国民の審判だ。野党はこの民意を正面から受け止めるべきだ。今後は憲法審査会において、与野党の枠を超えて、真剣な議論が行われるべきだ。わが党はすでに自衛隊明記、教育無償化など4項目について憲法改正のたたき台を提示している。野党もぜひ、それぞれの案を持ち寄っていただきたい。憲法審査会の場で憲法のあるべき姿についてぜひ活発な議論を進めていただきたい。そうした議論を深める中で、与野党の枠を超えて3分の2の賛同が得られる改正案を練り上げていきたい。私たちのたたき台は最善と考えるものを提案している、この案だけにとらわれることなく、柔軟な議論を行っていく。令和の時代にふさわしい憲法改正案の策定に向かって強いリーダーシップを発揮していく決意だ」
安倍首相は「国民の審判だ」などというが、これは全くの嘘だ。7月中旬の共同通信の世論調査では安倍政権下での改憲に反対は51.4%で、賛成の40.8%を10ポイント以上うわ回った。主要政策課題の要求では改憲の課題は常に最下位の辺にある。なによりもこの参院選で改憲派が発議要件の3分の2を失ったことが安倍発言の虚偽性を明らかにしている。
憲法を守れない首相の下で、憲法を変える切実な必要性を感じない野党が「それぞれの案」などを提出して、改憲論議をするなどあり得ないことだ。
(3)
安倍首相はこの記者会見で、選挙の結果を受けて、自ら設定していた2020年改憲施行の目標を、21年9月までの自らの総裁任期中までに大幅に先延ばしした。その過程で国民民主党など野党の一部を取り込み、3分の2を改憲派を再編成する意図を露骨に表明した。しかし、与党の公明党は「選挙の結果を改憲議論促進と受け止めるのは少し強引だ」と批判し、自民党内からも「党内でちゃんとした議論がない」(石破茂氏)などという異論が噴出している。
安倍首相は苦し紛れに国民民主党の切り崩しに命運をかけるが、これは容易ではない。同党の玉木代表も安倍首相の9条改憲には反対の立場だし、立憲民主の枝野代表も「いま改憲論議を進める必要はない」という立場だ。これらの野党は今回の参院選で市民連合をはじめ多くの市民と共同してたたかった。おいそれと安倍首相の懐柔策に乗るような条件にはない。全国の市民運動が安倍9条改憲を始めとするさまざまな悪政との闘いを広範に繰り広げれば市民と立憲野党の結束はいっそう強化される。
(4)
参院選を通じて、この6年半の安倍政権下でのアベノミクスによって、民衆の生活が一層破壊され、社会に格差と貧困が拡大し、さらに消費税の引き上げや年金支給の削減などで、人々の苦しみがいっそう増大していることが明らかになった。
安倍政権の米国・トランプ政権追従のもとで対イラン「有志国連合」参加など戦争参加の企て、日韓・日朝の緊張を激化させる安倍政権の右翼ナショナリズムによる政治、沖縄・辺野古の基地建設に反対する闘い、新防衛大綱路線による日米軍事同盟の強化と軍事大国化に反対する闘いなどと結び付けて、安倍改憲を阻止する運動を強化しなければならない。
安倍政権は10月の天皇即位礼や2020年のオリンピック、および解散・総選挙などを最大限に利用して政権浮上をはかり、その機に乗じて改憲発議を強行してくるだろう。
しかし、安倍改憲こそ安倍政権のアキレス腱であり、安倍政権を退陣に追い込むカギだ。第198通常国会で憲法審査会の強行を許さず改憲発議を阻止したたたかい、第25回参院選で改憲発議可能な改憲派3分の2議席を阻止したたたかいの成果の上に、安倍改憲を葬り去るたたかいを一層強化し、戦後最悪の政権、安倍晋三政権をうち倒そう。
(事務局 高田健)
今回の参議院選挙では、投票率が24年ぶりに50%を割りました。これは日本の民主政治にとって、深刻な問題です。政治に対するあきらめや無力感を克服することは、党派を超えた課題です。この選挙では、多くの地域で市民と野党の共闘が実現しました。そして、32の1人区で10議席を獲得できました。また、改憲勢力の3分の2を打破することができました。自民党が現有議席を確保できず、参議院における単独過半数を失ったことにかんがみても、憲法改正を訴えた安倍晋三首相の路線が否定されたということができます。これは、日本の立憲主義と民主主義について危機感を燃やした市民と野党の頑張りの賜物です。この選挙に取り組んだすべての市民の努力に心から感謝したいと思います。
残念ながら、安倍政権はさらに継続することとなりました。憲法改正の動きは一応頓挫しましたが、安倍自民党はこれから様々な形で憲法改正にむけた揺さぶりをかけてくることが予想されます。私たちは、引き続き立憲主義と平和国家を守るために運動を続けなければなりません。
この参議院選挙で野党共闘が一定の成果を上げたことをふまえ、次の衆議院総選挙に向けたさらなる協力を作り出すことが求められます。政権構想の深化と選挙協力体制の構築のために、市民と野党の対話、協力を続けていきたいと考えます。
2019年7月22日
安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合
菱山南帆子
1日目。職場を定時より1時間早めに上がらせてもらい荷物を持って羽田空港へ。私たちの乗る飛行機に落雷の恐れありというショッキングな報告を受け、不安な気持ちも一緒に搭乗。今回の「タカラ鉄美必勝!」メンバーは土井登美江さんと中尾こずえさん、そして沖縄は初めてのFさんと私の4人。
離陸してしばらくは機体がかなり揺れ、肝を冷やしたが、那覇空港に無事到着。機内でしっかり弁当を食べたのだが、ホテルに着くなり、まずは一杯と、居酒屋さがし。Fさんがツイッターで知り合ったという沖縄料理屋さん(反安倍を堂々とお店の公式ツイッターで展開する「ちんまーやー」さん。来沖の際にはぜひお立ち寄りを!)を探し当て、オリオンビールと泡盛で乾杯。まずは明日の予定を確認。居酒屋は1時間程度にしてホテルに引き上げようという話だったことも忘れワイワイキャーキャー話が盛り上がってしまい、ホテルに戻ったのは24時過ぎ!部屋の電気を消してもなかなか話が止まらない。それもそのはず。観光シーズンという事もあり、なかなか部屋が取れず、私たちは「ツインルームの4人使用」。寝ても覚めても4人一緒という合宿状態。さていよいよ楽しい沖縄日程の始まりです。
2日目。毎月第1土曜に必ず行われている、辺野古の集会に参加すべく、あらかじめ予約していた、沖縄平和市民連絡会の貸し切りバスに乗って県庁前を8時出発。高里鈴代さんにも再会。バスの中では高良さんの選挙の話を、マイクを使って同乗の市民が話し合う。「新聞は一斉に高良さん優位と言っているが、気を抜いたらいかん!」「名護の選挙を忘れたらいけない」と。沖縄の人たちの選挙への本気度に朝から驚くばかり。
大雨暴風警報が発令されていたため、参加予定の高良さんは天候不良で辺野古にたどり着けないことが発覚。高良さんの参加が中止になった話が、なぜか集会自体中止になるのではという話になり、少し混乱状態に。そんな悪天候の中でも「ヒロジは座り込んでやっているらしい」という連絡も入り、一行は引き返さず、辺野古に行くことに。
辺野古到着。雨の降る中、まずはゲート前に行き短い時間座り込みに参加。その後、道路向かいにあるテントに移ることになった。
辺野古埋め立てのダンプカーなどが入る搬入口にされている向かいに、監視用のしっかりとしたつくりのテント風の小屋が堂々と建てられている。東京でやったら即日撤去であろう。さすが沖縄の闘い。さらに集会の時に発言者が、雨にぬれたりしないよう、歩道に向かって小屋から屋根が伸ばせるという工夫も凝らしてあった。ぜひ実際に見に行ってもらいたい。10時半、予定より30分早めに山城ヒロジさん司会で辺野古の第1土曜の集会が始まった。最初に「今こそ立ち上がろう」などの歌からスタート。ヒロジさんが私たちを発見し、声をかけてくださり、私たち4人もマイクを握ってスピーチ。それぞれの東京での活動、辺野古の闘いへの思いなどを話した。その後なんと、6年目の突入集会でコールをしてくれというので、恐れ多くも恐縮しながらコールをさせてもらった。
その後、11時に向けて続々と沖縄や県外からの参加者が到着。あっという間に座り込みテントは超満員。歩道にまであふれる市民が集まった。ヒロジさんは「ほら!一度やると決めたものはやるべきなんだ!」と言いながら、常に歌や踊りをはさみ、実に楽しく笑顔あふれる集会だった。1時間半もあっという間に過ぎてしまった。ツイッターや沖縄の二紙で知った、憧れの「ラインダンス」も参加することができた。国会議員の鹿児島選出の川内衆議院議員と東京の初鹿衆議院議員の2人が参加した。国会議員とは思えぬ、めちゃくちゃなカチャーシーを辺野古の座り込みメンバーと共にみんなの前で披露し衝撃を与えた。しかし、このお2人の辺野古の集会への参加姿勢にはとても親近感を持ち、参加者はさらなる一体感に包まれた。
厳しい闘いの現場から、どうしてこんなにも楽しい運動が生み出されるのか。私たちはしっかりと学んでいかなければならない。つい、闘いが厳しくなると顔が引きつり、険しくなる。悲壮感が漂い、自分にも相手にも厳しくなってしまいがちだ。しかし、沖縄の、とりわけ辺野古の闘いはどうだろうか。ヒロジさんは2019年7月7日の沖縄タイムスの記事に「厳しい状況は続いてきたが、笑顔で向き合ってきた。運動が長期になった際、明るくなくては心が折れてしまう」と答えていた。「明るい抵抗」を目の当たりに、これを本土の運動にも持ち帰り参考にしたいと思った。
また、集会の中で「高良さんをただ当選させるだけではなく、相手方よりどれだけ引き離せるかが重要なんだ。ダブルスコアよりもトリプルスコアで圧倒的な民意を示そう」という言葉が心に残った。沖縄の人たちの何度踏みにじられても民意を示し続ける運動に心を動かされた。本当にこういった闘い方も私たちは学ばなくてはならない。
最後にまたヒロジさんからコールを頼まれ、締めもさせていただいた。みんなで手をつないで沖縄式「ガンバロウ三唱」を行い、別れを惜しみつつバスに乗り、那覇へ。小雨降るなかバスの車内で「今こそ立ち上がろう」などを歌いながら帰ってきた。運動には常に歌があり、それは柔軟でしなやかで簡単にはくじけない連帯を作るものだなと感じた。
さて、土井さんと中尾さんは学習会へ。私とFさんは、ひめゆりの塔に行くことにした。高里さんから「ひめゆりの塔は那覇からバスで1本だったかしら、30分くらいで着くはずよ」と言われ、バスターミナルへ。私たちは、そこから高里さんはじめいくつものリアル「沖縄タイムス」に遭遇することになる。
まず、ひめゆりの塔までバス1本では行けず、1度バスを乗り換えなくてはならない。新しくピカピカに生まれ変わった那覇バスターミナルに驚きながら、糸満方面のバスに乗り込む。運転手さんに携帯で検索した行き方を見せた。そのバスに乗ること54分で(すでに言われていた30分は過ぎている)、目的の乗り継ぎのバス停に到着。本土の電車の乗継とは違い、畑やサトウキビ畑だらけのところでバスは停車した。一抹の不安をにじませたが運転手さんが「乗り継ぎ時間に間に合ったかな?」と言ってくれて「あ、気にしてくれてたんだ。ありがとう」という感謝の気持ちが湧いたや否や、先頭席に座っていた乗客のお兄さんが「ここで乗り換えられないよ。向こうの端まで歩いてコンビニを右に曲がったところのバス停に行かないと」と言い出した。私たちは慌てた。そんなこと携帯の乗り換え案内に書いていない。っていうか、なんでこのお兄さんは私たちの目的地知っているんだ?
たぶん同じことをFさんも思ったであろう。でも乗り換え時間は迫っている。運転手さんとそのお兄さんにお礼を言って、小走りで言われたバス停を探しに行った。バス停は見つかったが、この方面で良いのかわからない。道の両脇にあるはずのバス停が片側にしかなく、かなり年季が入っていて時刻がほぼ読めない。ちょうど軽トラの中で休んでいたおばあさんを起して(ごめんなさい)道を聞くが、「アーわかんないね」と言われ絶望した。「もう間に合わない」と半分あきらめ、元のバス停に戻りながら、(あのお兄さんまさか私たちを騙したんじゃ・・?)疑念が湧いてきたその瞬間、バスが右折してやってきた。表示に「ひめ」まで確認したところで私達2人は大声で「待ってーっ!ちょっと待ってー!」と手を振り叫びながら雨の中全力疾走した。
何という事だろうか、バスは停車場所ではないところで停まって私たちを乗せてくれた。「あのお兄さん嘘じゃなかったね」とFさんがポツリ。(彼女も同じことを思っていたんだ)ほっと安心しながらいざひめゆりへ。高く伸びるサトウキビ畑とサトウキビ畑の間をバスが走る。沖縄戦の時、こんなサトウキビ畑の中を機銃掃射から身を守るために走り回ったのかな?と想像し、「ザワワな感じだねぇ」と思わず意味不明な事をFさんに言ってしまった。
ひめゆりに到着。(結局1時間半かかった)小雨降るなか、ひめゆりの塔に手を合わせた。私が、15年前に行った時とは展示の仕方も変わっており、タッチパネルなどが設置され、戦前、戦争が始まるかも、戦時中と、教科書の比較ができたり、「戦争を煽る言葉(鬼畜米英や八紘一宇など)」が分かりやすくタッチパネルで若い人もクイズ感覚で見られるよう工夫をされていた。証言ビデオに、大きな文字でふりがなつきの証言集。ガマの再現などを見た後、最後に亡くなった女学生・教員の写真を一人一人「どんな思いだったんだろうか。どんなに怖かっただろうか」と考えながら回り、資料館の出口に出た。出口には「HIMEYURI」といった世界へと広める運動の紹介の展示コーナーがあった。
表に出ると、降っていた雨は止んで陽が射しこみ、中庭の花々は水滴を光らせて活き活きとしていた。その草花の上を黒い蝶々が数羽飛び交う姿に魅入った。戦争さえなければ、生きてさえいればこんな明るい気持ちで暗いガマから這い出てこの光景を女学生さんたち、4人に1人が亡くなった沖縄の人々は見られたのではないのか。いつも当たり前のように国会前で叫んでいる「戦争反対」のコールや、街宣のスピーチで話している「反戦・反基地・反差別」の言葉が実感として頭に浮かんだ。
ひめゆりの塔を後にして、入り口の献花売り場の女性と、道を挟んで向かいにあるお土産屋さんの女性にお世話になりながら再びバスに乗った。
さてまた恐怖のバス乗継ぎの時間がやってきた。でも今度は簡単。糸満バスセンターで降りればいいのだ。バスセンターというくらいだから色んな表示があるだろう、と思っていたら大間違い。ただの交差点でバスは停まった。運転手さんに聞いて少し歩いたところにあるバス停だよと教えてもらう。しかし、いくら目を凝らしてもバス停の標識がない。「お世話になりたくないけど交番があるから聞いてみる?」とFさんに同意を得て交番に足の向きを変えた途端、クラクションが鳴った。驚いて振り返ると私たちが乗ってきたバスの運転手さんが、運転席から「あっち!」と指をさしてくれるではないか。お礼を言って運転手さんを信じ、歩くと、タカラ鉄美の幟旗と共に(沖縄では当たり前のように公示後も写真入りの幟やポスターが街のあちらこちらに立っている。ポスターも堂々と電柱に貼っている)バス停が見えてきた。
あーよかった。何人の沖縄の皆さんにお世話になったのだろうかと感謝をしながら無事那覇に到着。土井さんと中尾さんと合流して高良さんの教え子さんが企画する「退官祝い」に少し遅れてだが参加することができた。
高良さんの教え子さんたちが歌や、フラメンコ、高良さんのモノマネなどの余興を交えながらお祝いが行われた。最後はみんなでカチャーシー。2月に広島で行われた市民運動全国交流集会の懇親会に参加した高良さんとみんなでカチャーシーを踊ったのを思い出した。5カ月後本場、沖縄でしかも高良さんの教え子さんたちと一緒に踊ることになるとは!このパーティーに教え子でもない私たちが参加するのは気が引けたが、この経験が翌日の選挙応援に大変役に立つことになる。
3日目。いざ、タカラ鉄美事務所へ。
「何でもします!」と意気込んで事務所に乗り込んだのだが、選対の方たちが代わる代わる挨拶に来てくれて、どっかりとソファーに腰を掛けて話し始めてしまう。かれこれ40分くらい経ったところでやっと本日の選挙応援の仕事、「電話かけ」の場所に移動することに。
電話かけは本土との言葉が違うと不快感を持たれ足を引っ張ることにならないか不安だったが、現地の人が「大丈夫だ」というので自信を持って行うことに。
電話かけの場所は「統一連」さんの事務所だった。そこで「さぁ!今度こそすぐに高良さんの応援を!」という気持ちだったが、ここでも40分ほど腰を落ち着けて事務所の方とお話をすることに。ボランティアに来た人にろくに話すことなく、仕事を振る、東京の選挙では考えられない光景だ。のち程わかったことなのだが、いろいろと沖縄の歴史を地図を示しながらとても分かりやすく説明してくださった統一連の事務局長さんは「瀬長亀次郎」さんのお孫さんの瀬長和夫さんだった。瀬長和夫さんは、私が2年前に辺野古の座り込みに行った際、ゲート前で指揮をしていてお世話になっていた。ゲート前のごぼう抜きの際、仲間が怪我をしないように、後々体が痛くならないようにと、ごぼう抜きアドバイスを細かくマイクを通して行ってくれたのだ。さらに驚くのはそのアドバイスは、ご自身も機動隊に両手足持たれてごぼう抜きされながら行っていたことだ。沖縄の闘いは凄い。
そんなこんなでやっと電話かけを行った。まずは沖縄の方の苗字は読み方が難しいので、一覧表の読み方を一通り教えてもらってからスタート。かつてこんなに電話対応してくれた選挙があっただろうか!というほど対話があり驚いた。東京では大体において「無言・ガチャ切り」か「今、揚げ物していて目が離せないのよ」である。もしくは10時に電話すれば「こんな朝っぱらに!」と怒られ、17時に電話すれば「こんな夜中に!何時だと思ってるんだ」と怒られることばかりだったので、まず会話をしてくれることに感動した。また、「知事のデニーさんも応援しています」と言えることの心強さ。勿論反応も良い。「もちろん高良さんよ!頑張ってね!」と言ってくれてとても嬉しかった。また、前の晩のパーティーの経験も生かし、「高良さんは大学で憲法を教えていて、生徒たちにとても慕われているんです。」と私たちは口々に言って電話をかけまくった。
お昼は近くの「すばやあ(そばや)」にてソーキソバを食べ、再び電話かけに戻る途中、とんでもない光景に遭遇した。電柱に「送迎バス辺野古に行こう!月~土 県民広場9時発」という板が括りつけられている。本土でこれをしたら一体何時間で撤去されるだろうか。政治風土が違うってこういう事なのだなと、沖縄の不屈の闘いに頭が下がる思いだった。
午後は電話かけを少しした後、デニー知事、糸数さん、赤嶺さん、伊波さんが勢ぞろいで高良さんと行う街頭宣伝にくっついていき、街宣車が音を出している時間に周囲の民家にポスティングする活動に参加した。いつも国会前で会っている糸数さんや赤嶺さん、伊波さんと沖縄で会うのは不思議な感じがする。
さて、沖縄の独特な地形と建築事情に慣れるまで少し苦労した。なんといってもポストがなぜか、門の外向きではなく内向きについている。手を伸ばして裏からチラシを入れなくてはならない。思うようにスピード感を持ってできない。ものすごい湿気と暑さで汗が噴き出る。移動時間があるので思うようにできなかったが、元の場所に引き上げる。土井さんと私は時間通り戻ってきたが、中尾さんとFさんが来ない。かなり待ったが来ない。どこかでケガをしたのでは?誰かに絡まれている?心配もピークになったところで、実は慣れない地形にすっかり迷子になってしまったと連絡があり一安心。事前に選対の人と電話で打ち合わせしたときに「慣れない土地でポスティングして迷子になるかもしれませんよ」と言われ「あー、大丈夫です。私達、慣れてるんで!」と言ってしまったことを思い出し、あの時の自分に後悔しながら次のポイントに。
最後のポイントは首里の方で、新しい家も多く、比較的慣れてきてポスティングできた。ケガをしたセミを救っている女の子とも話ができたし、通行人の女性とも「高良さんに決まっているわよ!頑張ってね」と励まされたりと充実していた。そろそろ街宣車に戻るか、と思っていた矢先、土井さんから迷子になったとの電話。迷子パート2である。沖縄のお家事情も分かったところで一日の選挙応援終了。那覇に戻る。途中、相手候補の事務所の前を通った。黒塗りの高級車が停まって、事務所の門番のようにSPが複数いる。ずっと車の運転から案内までしてくださった那覇市議の上原快佐さんが「あれは大臣クラスがテコ入れに入っているかもしれない」と言っていた。日本政府の全体重をかけて潰しにかかったあの名護市長選の教訓が思い出される。上原さんは「名護の時はLINEのアカウントを相手がものすごく広めたからこっちは負けた。沖縄はフェイスブックの普及も全国で一番多い。」など、SNS事情と新しい空中戦の事も教えてくれた。LINEがどう選挙に繋がるのか私もよく理解していないので勉強しなくてはならない。
その日の夜は沖縄に移住している仲間とご飯を食べに行った。バケツをひっくり返したような雨の中、お店を見つけて色々な話をした。基地引取り論の話、ウチナンチューから考える戦争責任の話。かなり考えさせられた時間だった。
4日目。タカラ事務所に行き、役割をふってもらう。なんと、タカラ選対事務総長の金城徹さんが出迎えてくださり話をした。金城徹さんはもともとは自民党の議員だったが、翁長さんと行動を共にし共産党などと一緒に動いていたということが理由で自民党を除名された方である。その方が高良さんの選対の事務総長を担っているとは!
挨拶をして、いざ昨日の続きで電話かけに出かけることに。2日目だったので、随分リラックスして行うことができた。反応はとてもいい。さすが、沖縄では与党なだけある。
お昼は加藤裕弁護士の所属する沖縄合同法律事務所に行き、加藤さんとも挨拶をした。沖縄で頑張る山吉さんと合流し、牧志公設市場仮設でお昼を食べながら選挙の話を聞いた。
瀬長さんも「オール沖縄ってみんな同じ思いでいる!と思われがちだけれども、みんな腹6分目でやってるんだ。それでも基地は要らないという同じ気持ちで一緒にやってきている」と言っていたように、沖縄の選挙が強い裏には色々な葛藤があることを知った。だからこそ、翁長さんの「イデオロギーよりもアイデンティティ」という言葉にシンパシーを感じ、団結したんだなと思った。
午後も電話かけを行ってから、タカラ事務所にお礼の挨拶をして空港に向かった。沖縄の運動、そして私たち本土の無関心という犠牲の押しつけにこれからもしっかりと向き合い、取り組んでいかなければならない。視野を広げ、沖縄、東北アジアの闘いを学び、本土の私たちはしっかりと応答して連帯し、広げていくことがこれからの運動の大きなキーポイントになるのではないだろうか。そんなことを強く思いながら羽田に到着した。本土でも、そして沖縄にも時間を作って足を運んで実際の運動にこれからも参加していこうと思う。
Fさん
2013年、特定秘密保護法に危機感を感じ、はじめて国会前の集会に参加をしたわたし。
そんなわたしと沖縄の出会いは、同じ2013年、三上智恵監督の「標的の村」でした。恥ずかしながら、その映画ではじめて沖縄の事に目が向くようになり、自分も東京でこのことを広げる活動を地域などではじめました。本当は辺野古に座り込んでわたしも工事を1秒でも止めたい・・・と思いながらも、その日暮らしのような自分にはとても沖縄に行く余力がなく、沖縄に行くことは諦めていました。けれど今回、高田さんはじめ市民連絡会の皆さんのご厚意で、ようやく沖縄へ行く夢が叶いました。
初日6日は雨の中バスに乗り、座り込みが6年目に突入した辺野古の集会へ。
歌ったり踊ったり、参加者も主体的に楽しめる集会で、これが長く運動に取り組み続けるための工夫なのだなぁと思いました。そこで少し発言をさせていただきましたが、話を聞いて下さっている皆さんの笑顔がまぶしかったです。現場でとても大変な闘いをされているのに、不思議なくらい印象的なあたたかみのある笑顔でした。
バスの中でも参加者がマイクを回して発言したり、みんなで歌ったり、注意事項などを初めて参加する人にもわかるように教えて下さったり。手作りパンの差し入れや、「ありがとう」の声を何人もの方が掛けて下さり、こちらこそありがとうの気持ちでいっぱいになりました。
そのあとはバスを乗り継ぎサトウキビ畑を抜けて、ひめゆり平和祈念資料館に。
暗い暗い壕の中で、学生たちが強いられた壮絶な体験。病院壕の中は血と膿と排泄物の悪臭が充満し、負傷兵のうめき声と怒鳴り声が絶えず、負傷兵の看護のほかに、水くみや食糧の運搬、伝令、死体埋葬なども生徒たちの仕事で、弾の飛び交う壕の外に出る危険な任務だったと。天皇の名の下に学生までが動員され、しかし勝ち目がないとなると司令官は自決し、残されたものは解散命令だけ与えられ、投降することも降伏することも許されず多数の人が死んでいった。こんな無責任なことってあるのだろうかと。でもその無責任さは今の日本の政治にも続いていて………。
ひめゆりの塔だけではなく、あちこちに塔があること、その下に幼くして奪われた命があること。沖縄の全学徒のうち、2000名余が戦場で亡くなったということ。
絶対に、絶対に戦争はしてはいけないと、強く心に刻まれる体験でした。
6日の夜は高良鉄美さんの退官祝いにも参加し、教え子さんたちによるアットホームな会で、本場のカチャーシーや指笛の力強さに生で触れることが出来ました。沖縄の人の指笛は力強く伸びやかでものすごく場が盛り上がりますね!
7日は高良さんの応援で、電話掛けやチラシ配りやポスティングをしましたが、選挙事務所で出会った沖縄の人たちもとても親切で、その方がなんと映画「カメジロー」の瀬長亀次郎さんのお孫さんとあとからうかがってびっくりしました。選挙事務所に差し入れにいらしたご高齢の方がわたしたちに、「沖縄に基地はいらないさ、そしていつか、公正・公平な世の中にしましょうね、そのためにみんなでがんばりましょうね」とおっしゃられ、その想いに涙がこぼれそうでした。こういう想いでタカラさんを応援しているんだ………。こういう生の声を聴けたことが本当に良かったです。
ツイッターで仲良くして頂いていた方が経営する沖縄料理のお店に行ったり、国際通りにも行き、かりゆしウエアを見つけたり、美味しい沖縄料理も食べて、元気に帰ってこられたのも、旅慣れない方向音痴(ポスティングの時は案の定迷子になったし…)のわたしをサポートしてくれた仲間がいてくれたからこそです。ホテルや飛行機、バスでの道案内をして頂き、本当にありがとうございました。
学んだことはとても大きいです。今後の自分に確実に生かして、辺野古新基地建設阻止のために更に力を尽くしていきます。
中尾こずえ
○7月5日(金)、 許すな!憲法改悪・市民連絡会の女性メンバー4人、羽田空港から夕方那覇空港に向かう。あいにくの天候が心配だ。落雷などで着陸出来ない場合は引き返す事になるかも?とのアナウンスがされたようだ。(ああ、何としても着陸してよ!と念じた。)無事、21時ごろ那覇空港に到着。沖縄は梅雨が明けて猛暑に入ったと聞いていたので暑さ対策していったが拍子抜けした。この夜は訪問メンバーのFさんお勧めのホテルの近くにある沖縄料理店に行った。落ち着いた雰囲気のお店で出された料理はホットするような美味しさだった。呑みながら話はつきず12時ころホテルに戻る。4人一部屋の合宿スタイルを2晩楽しんだ。
○7月6日(土)、 8時、県庁前から高里鈴代さん(オール沖縄共同代表)等の案内で沖縄平和市民連絡会のバスに乗って辺野古へ出発。バスストップのポイントが所々にあって数人が固まって同乗する仕組みになっていた。町の電柱などに「辺野古に行こう」のステッカーが至る所に貼られていた。ゲート前座り込みは雨のため早めに切り上げ、テントの集会に参加。雨のため「中止」という指令?が流れたようだが山城博治さん(沖縄平和運動センター議長)は断固決行するのだと開催準備をし、集会はすでに始まっていた。ちょうど、当日は新基地建設に反対する市民が米軍キャンプ・シュワブ前で抗議の座り込みを始めてから6年目に入る記念の集会でもある。前列の参加者は「海は宝 命どぅ宝 参議員もタカラ」の大きな横断幕を掲げて、そのとなりには笑顔のタカラさんの大きなパネル。タカラさんも参加を予定していたが不都合が生じたらしい。
博治さんは「この5年間、厳しい状況は続いたが運動は明るくやらないと長続きしない。歌って、踊って、笑って、繋がりあって楽しくやっていきましょう。」と繰り返し訴える。参加者は代わる代わるマイクを握って思いや決意を訴える。三線やギターの演奏、替え歌で反対を表明する人。ユーモラスで可笑しな踊りを披露する人。また、鹿児島方面から参加した国会議員のサプライズはとてもウエルカムな気分にさせられた。国会前でも披露してもらいたいなぁ。雨はときおり激しく降るが、テントの中は笑いに溢れていた。博治さんから「菱山さん、国会前での力強いコールを是非ここでやって下さい」と熱望され、菱山さんのリードでテントの中にコールが響き渡る。「辺野古の海を土砂で埋めるな!」「新基地建設今すぐやめろ!」
選挙期間中は座り込みを継続、維持しながら交代でタカラさんの応援に入る事を決めているそうだ。「“辺野古断念”を実現するためにタカラさんの当選は私たちにとって切実です。」との発言が胸に染みた。最後に「明日があるさ」を歌いながらラインダンスを踊った。半世紀ぶりの体験だ。あまりにも長く続くので右足がつってしまいチョット参った。長期にわたる尋常でない闘いのなかで様々な創意と工夫が生まれ、知恵を出しあっていく姿は仲間を思いやる優しさにあふれている。参加者が次から次へと地域ごとにまとまって集まって来る。雨の中、「勝つまで諦めない」の参加者は350人を越えた。
夜はタカラさんの退官記念パーティーに参加する事になった。私たちは4時間ばかりの空いた時間を戦跡巡り組と、公文書保存に関連する映画と地位協定の講演会の組に分かれ、それぞれ目的地に向かった。
退官記念パーティーは琉球大学の教え子さん達の主催で企画されていた。教え子さん達の寸劇などが盛り込まれていて、その手作り感満載の芝居は高良先生が学生さん達からとても信頼され愛されていたのですね、ということを感じた。(翌日、「一度も怒ったところを見たことは有りませんでした。」と元生徒さんだった女性から聞かされた。)パーティー帰り国際通りを散歩しながらもうちょっと、と、お手頃そうな店に寄ってから宿に帰る。
○7月7日(日)、 10時、タカラ鉄美選対本部の事務所(那覇市泉崎)にご挨拶に伺う。
「電話かけをお願いします。」との事にちょっと戸惑い、言葉の心配もあったが問題ないと選対の皆さんは仰っていましたが。さて?電話掛けの事務所へ移動する。瀬長和夫さん(安保破棄・くらしと民主主義を守る沖縄県統一行動連絡会議事務局長)が迎えて下さる。丁度4人分の電話機とマニュアルが用意されていた。説明を受けて電話掛けに入る。驚いた!東京で今まで何回もやった電話掛けとは全く様子が違う。応対がとても優しい。名簿は玉城デニーさんの選挙で使ったもの。あぁー紛れもなくオール沖縄は与党なのだと実感する。「タカラさんはリードしているから大丈夫よ」の声が何人もから上がると心配になった。まだ序盤戦。相手の陣営は何やるかわからない。金のばら撒きもやりかねない。私は「激戦になっているので最後まで支持を広げて下さい」とお願いした。また、逆に「知り合いは大体固めた。しまっていこう」と嬉しい激を飛ばされもした。電話掛けを途中で切り上げ、14時から街頭演説会に合流。周辺へのポスティング、行きかう人にご挨拶やチラシ配り。首里駅下では支援の輪が大きく膨らんだ。那覇高校でカカラさんと同期生だったという女性が、同期の女性を集めて応援に駆けつけるなど多彩。応援弁士は玉城デニーさん、糸数慶子さん、赤嶺政賢さん、伊波洋一さん等が勢揃いした。豪華なオール沖縄だ。
夕食を約束していたMさんがタカラさんのポスティングを終えてホテルまで迎えに来て下さった。スコールみたいな雨の中、国際通りに向かった。Mさんは沖縄の伝統織物を生業としながら戦跡ガイドもされていた。久しぶりの再会は楽しい時間でした。
○8日(月)沖縄訪問最終日、朝、タカラ鉄美事務所へ。迎えて下さった選対事務総長の金城徹さんは元那覇市議会議長、2014年に自民党を除名されたとの事です。選挙状況を説明して頂く。電話掛けの事務所に移動して昨日の続きを行う。月曜日のせいか留守が多い。それでも繋がったところは良い対応で話して下さる。中には「玉城デニーさんと一緒でしょ。大丈夫よ」と言う。それでも政策や人となりを伝えた。タカラ鉄美という名前の認識がない人もオール沖縄の候補者なら大丈夫だと信頼しているようだ。
ヤマト権力の沖縄差別と分断に抗って戦い続けた先人たち、うちなんちゅうの切なる願いは今も強い絆で繋がりあっている。昼休みに沖縄人権協議会・沖縄県憲法普及協議会の事務を仕切る山吉まゆみさんにお会いした。那覇第一法律事務所で貴重な憲法手帳を見せて頂いた。72年5月15日、沖縄「復帰」の日に発行。憲法の命は沖縄にこそよみかえらせばならないと、県の財政で全戸配布されたと伺う。いつでも持ち歩けるようにポケットサイズだ。お土産に頂いた「わたしの憲法手帳」ありがとうございました。大切にします。
寸時を惜しんで私たちは再び電話掛け。言葉の問題は問題なしでした。いつも車を出して下さった上原快佐さん(那覇市議会議員)ありがとうございました。お世話になったみなさん ありがとうございました。
私たちは国会前で、街に出て、日々の生活の中で声を上げ行動していきます。
土井登美江
酷暑の日射しを心配したが、猛烈スコ(前頁から)ールに遭遇した沖縄の選挙応援だった。6日は毎月第1土曜日の辺野古集会で、6周年に突入した記念すべき集会に参加できた。11時ころには沖縄各地から雨をついて参加者が次々到着する。集会はカチャーシーのような踊りや歌やスピーチやシュプレヒコールが勢いよく続く。市や町や村での行動の報告や思いを語り、またタカラ候補への特徴ある応援報告もあった。中でも私の心をうったのは、周りの人から促されて話した青いTシャツでビール樽体系のおじさんの話だった。その話は――私はこうした集会に参加したのは始めてです。きっかけはジュゴンBの死でした。このままなら、孫に沖縄の美しい環境を残すことができなくなる。思えば沖縄戦で多くの人が犠牲になった。戦後ずっと基地被害がつづいている。沖縄はいつまでこうなのか。私も何かしなければ、とここに来ました――。とても静かな話し方なのに、参加者は胸の中が熱くなり、おもわず涙もにじんで来てしまう。実はこの方は、辺野古近くの村で村長をしている方だった。辺野古の抗議行動は、こういう人がいろなも、この国がこんなふうになるとは思いませんでしたね。あのときから考えたらこの国は「お化け」です。とんでもない国、予想もつかない国になっています。
あのときに安保条約の国会論争は、安保条約6条の適用範囲である「極東」の地域がどこまでの範囲かという議論が相当にされました。いろいろな議論があって、「フィリピン以北」から日本を含む韓国・台湾だ、などということが国会の中で議論になっています。今はどうですか。「かが」の上でトランプと安倍が話したことは「西太平洋からインド洋、この一帯に関してこの日米両部隊が防衛をしていく」ということです。1960年の時は「フィリピン以北」の話だった。それがとんでもないということで、あの当時大激論になった。日本からフィリピンまで延びていくのかということで大論争になりました。
本当に私たちは「ゆでがえる」だなと思います。毎日少しずつ変わっていくことについて、いつの間にか鈍感で「まあしょうがないか」「まあこんなものか」とやってきた結果、もうモンスターみたいなところまきっかけで足を運ぶようになる取り組みなのだ。那覇市内でも、辺野古の集会に参加するための案内が、電柱に吊してあるのをいくつか見た。辺野古の是非を問う県民投票の実態がここにあるように思った。何回も何回も示されている民意に応えない安倍政権やいまの日本社会で、民主主義が問われるところにまで私たちは直面していると思う。そして憲法が保障している地方分権のあり方は・・。課題は山積だ。
選挙戦ではタカラさんの名刺を配ると同時に、SNSのQRコードがいくつも付いた名刺大のチラシもたくさん撒くように言われた。今や選挙もSNSでの情報拡散が鍵になっているという。これでタカラ候補の日常や選挙活動の紹介を、特に若い層に拡げるためだ。選対では、前回の名護市長選の敗因が、このSNS活用だったと総括している。その後の知事選でもこれを活用し、今回も力を入れている。
とにかく選挙後は安倍政権が改憲問題をひとつの争点としてくるだろう。沖縄の、平和の1議席の意味は大きい。選対の皆さま、大変お世話になりました。
でこの国は来てしまっている。あらためて、1960年6月15日を振り返りながら、確認をしたいと思います。あのときに樺美智子さんを始めいろいろな若い学生や民衆が頑張ったあのたたかいは、あらためて私は「正義のたたかい」だったと思います。あの人達が一生懸命頑張ってくれたから、そのあともいろいろと運動が続いて、この「お化け」になるテンポはずいぶん食い止められてきた。本当はもっと早くなっていたかもしれない。やっぱりあの60年安保のたたかいというのは、非常に重要なたたかいだったと思います。
高田 健さん(市民連事務局長、総がかり行動共同代表)
(編集部註)6月15日の講座で高田健さんが講演した内容を編集部の責任で要約したものです、要約の責任はすべて本誌編集部にあります。
今日は6月15日です、私の世代では「6.15」というと「60年安保」しか出てこないけれども、それから後に生まれた人も今日はいて、でも勉強されて「6.15」は何の日かわかっている人もいると思います。当時、私は高校1年生でした。福島県の田舎で大人たちの安保闘争について何とかちょこちょこ自転車を押しながらデモをやっていた。確かにいまはツイッターやSNSなどで情報がたくさん入ってきますけれども、あの当時、どういう情報で安保反対闘争をやったかというと、新聞とラジオです。この情報はいまのツイッターとやっぱり質が違います。ああいう田舎の高校生でも安保反対に動き出す。そういう人たちが結構いました。
あらためて思うのは、1960年の安保改定に反対した当時の私たちの問題意識と、60年近く経って日米安保体制がどうなっているかということを考えます。私は1960年の時に安保に反対しましたけれど憲法の範囲を超えた自衛隊と日米同盟の変質
5月28日、護衛艦「かが」の上で日米首脳が演説をした。500人くらいの日米両兵士の前でトランプと安倍が演説をした。それが本当にとんでもない話だった。これは産経新聞の記事です。
この「かが」というのは日本最大級の護衛艦で、護衛艦という名前は自衛隊になってから昔の軍隊の名前を使わないということですが、昔の駆逐艦、巡洋艦です。その「かが」は、いま実際上は航空母艦になっている。いまは変質している最中ですね。もうひとつの「いずも」の方が少し大きい。「かが」は19,500トンくらいです。この両方を私はごく最近見てきました。本当に大きい空母です。この空母の上で安倍さんが言ったことです。
「本日はトランプ大統領とともに自衛隊・米軍の諸君の雄姿に接する機会を得たことを心からうれしく思う。日米両国の首脳がそろって自衛隊、米軍を激励するのは史上初めてのことだ。日米同盟は私とトランプ大統領のもとでこれまでになく強固なものとなった。この『かが』の艦上にわれわれが並んで立っていることがその証しだ。トランプ大統領、あなたの友情に心から感謝する。そして日本の自衛隊と米軍が私たちと同様、深い友情で結ばれていることをともに喜び合いたいと思う。インド太平洋を自由で開かれたものにし、地域の平和と繁栄の礎としなければならない。その揺るぎない意志をここに立つ私たち全員が完全に共有します。この護衛艦『かが』は昨年、西太平洋からインド洋に及ぶ広大な海で米海軍と密接に連携しながら地域の海軍との協力を深めた。今後、本艦を改修し、STOVL(短距離離陸・垂直着陸)戦闘機を搭載することでわが国と地域の平和と安定に一層寄与していく。地域の公共財としての日米同盟のさらなる強化に向けて、日本はしっかりとその役割を果たしていく。これからも不断の努力を重ねていく考えだ。もとより、強固な日米同盟は日米の隊員一人一人の努力によって支えられている。自衛隊の諸君、昼夜を分かたず、自由で平和な海を守り続ける諸君を私は誇りに思う。祖国から遠く離れた地で、わが国と地域の平和と安全を守り、日米同盟の抑止力を高める在日米軍の皆さん、そしてその最高司令官であるトランプ大統領に敬意を表するとともに、改めて感謝を申し上げたいと思う。地域を取り巻く安全保障環境が厳しさを増す中にあって、平和と安定を守るとりでたる日米隊員諸君の今後ますますの活躍を大いに期待している。」。
トランプがそれに答え「日本は(F35の)最大の購入元になり、大型の艦船に艦載される。すばらしい新しい装備で地域の紛争にも対応することになる」と語った。トランプ氏はこれに先立つ28日朝、ツイッターに「安倍首相との会談は非常にうまくいき、日本の新しい天皇、皇后とともに時間を過ごせたことは大変光栄だった」と投稿した。
この「かが」にはF35が常時14~15機載せられます。F35垂直離着陸ステルス戦闘機です。これを日本は合計140機くらい買うわけですから膨大な買い物です。それをこの「かが」に載せる。
この国は1950年代以降、憲法のもとでも自衛隊を持てることになってきた。そして1960年の改定安保の中で、日米が一層協力して海外で戦うような状態をつくってきました。歴代の政府は自衛隊をつくる理由として、9条のもとでも日本を守る、「専守防衛」のための自衛隊であれば憲法違反ではない、と言ってきました。ですから自衛隊は専守防衛の武力装置だということになってきました。私はこれ自体が間違っていると思います。いまの憲法をどこから読んでもこれが「自衛隊を持てる」という結論を引き出すということはめちゃくちゃ無理です。
専守防衛の自衛隊ということでは大きな縛りがありました。自衛隊が装備で持ってはいけないものは、防衛省のサイトを見ても書いてあります。「大陸間弾道ミサイル(ICBM:Intercontinental Ballistic Missile)、長距離戦略爆撃機、攻撃型空母の保有は許されないと考えています」と、防衛省はこう言っている。ところがこの「かが」、「いずも」、まさに攻撃型空母です。この上に10機以上ものステルス戦闘機を積んで西太平洋からインド洋まで進出していくことができる。そこから飛行機を飛び立たせて相手の国を攻撃することができる。日本の直接の防衛などとまったく関係ない地域の戦闘に、この航空母艦が使えるわけです。こういうものをつくってはいけないと防衛省自身が言っていたのに、この1、2年に「かが」と「いずも」を改造して航空母艦にしていく。この国がどんどんこのようになってきたということが大変怖いと思います。
去年から問題になった防衛大綱、5年間で27兆円という予算をもってこの国の軍事力を強化しようとしています。私たちがずっと言ってきた、憲法改悪に反対する具体的な中味は、いまの時点で言えば、こういう日本の自衛隊の変質、日米同盟の変質と憲法改悪に反対する課題は密接です。いま憲法改悪になぜ反対するのかと言ったら、例えばこういうことだと思います。あの「かが」の上で日米両国の首脳がこういう演説をやる時代になってしまった。私は1960年から考えても本当に嫌なこと、想像できないことが起きていると思います。
話は飛びますが、いまの198国会についてです。国会は年2回くらい、通常国会と臨時国会がありますから数字は増えていきますが、いまの通常国会は第198国会です。198国会で私たちにとって非常に大きな出来事だったと思うのは、安倍さんが言う憲法「改正」発議を阻止したことです。これはすごいことだと私は思います。やってしまうと何となく経過も知っているから、「まあ、なるべくしてなった」という話になりますけれども、このこと自身は非常に大きな意味があるたたかいをやったと思います。
なぜかというと、安倍さんは2020年に、「憲法改正案を施行する。採決して国民投票があって施行する」と、2017年からずっと言い続けてきたわけです。2020年、オリンピックの年にやると安倍さんが言ってきた。それから考えると、この国会で改憲発議が阻止されたということは、安倍さんの計画がめちゃめちゃになってしまうということです。安倍さんが3年にわたって「やる、やる」と言ってきたものが出来なくなるたたかいが今度の国会でやられた。これは本当に大事なことです。
どうしてそういうたたかいができたのかということです。まず国会には憲法審査会というものが衆議院と参議院にあります。衆議院50人、参議院45人の委員です。この憲法審査会の仕事というのは、日本国憲法がいまどのように実施されているのか、そういうことについて点検をすることとあわせて、憲法改正原案をつくること。このふたつの仕事があるという法律になっています。私はこの法律自体にも反対ですが、これは安倍さんの前の時代に自民党が強行採決でつくった法律に基づいていて、憲法調査会から憲法調査特別委員会、憲法審査会と名称は3回変わってきています。憲法改正をしようとしたら、ここで改憲案を論議して、国会の本会議で採決し、発議をしなければいけない。そういう経過をたどるのが憲法審査会です。
2020年に安倍さんが改憲を施行する。それまでに憲法改正の発議をすると言ってきましたから、私たちはこの発議を止めることをこの何年間か最大の目標にしてきました。憲法改正発議を許さない。要するに3分の2があれば改憲案の採決が出来る。それを発議というわけです。ですから発議をさせないということでずっとやってきました。
しかし、改憲発議をさせないと言いますけれどもこれは本当に難しいことです。国会の圧倒的多数は自民党、公明党あるいは維新の会などの改憲派が持っているわけです。あの戦争法の2015年安保の時などを考えてみても、私たちが一生懸命反対して、国会周辺に10何万人も集まって反対をしても、最後は圧倒的多数を持っている自民党その他によって強行採決されてしまうわけです。ですから憲法改正の発議をさせない、改憲原案を採決させないと言っても、なかなかこの壁は大変です。逆にいえば安倍さんにとっては絶好の機会だった。前回の参議院選挙、前回の衆議院選挙、両方で3分の2を取った。これは戦後ずっと自民党が到達できなかった地点に両院で到達した。この機会をおいて改憲を実施するということは不可能なわけです。戦後何十年にわたって3分の2を取ることが出来なかったから、自民党は改憲のための政党だといいながら国会で改憲の議論が出来なかった。案を出しても採決で3分の2を取れないから通過しない。意味がないから、いままで改憲案は国会に出なかったわけですけれども、今度は非常に重要なチャンスが自民党にとっては巡ってきた。
私たちから言えば、改憲発議をさせないたたかいというのはどういうたたかいをするか。まず憲法審査会に自民党案を「提示させない」ことです。50人の委員がいる衆議院憲法審査会に、自民党はこういう意見を持っている、これについて討議をしてくれと自民党から提示すること、これを阻止することに私たちは全力を挙げました。出されてしまったら、向こうが数を持っているから負ける。その前に、とんでもない改憲案だから提示をさせない、という努力をやろうとしました。どうやったら提示させないことが出来るか。これは改憲案を発表する場をつくらせないというたたかいをやらなければいけないわけです。自民党の委員がいっぱいいるわけですから、審査会が開かれたら「はい」と手を挙げて、「自由民主党はこういう憲法改正案を持っています、これをこの憲法審査会で討議してください」と発言すること自身は簡単なことです。その簡単なことをやらせないたたかいを今回やってきました。
公選法並びの改正から自民党案の提出を狙ったが
どうするのか。自民党と公明党は、憲法審査会がいろいろな問題でしょっちゅう座礁してなかなか議論が進まない。そこで憲法改正手続き法(国民投票法)を変えようとします。公職選挙法がこの前改正されましたが、憲法改正手続き法は2007年につくられた法律で、公職選挙法の改正はそのあとにあった。公職選挙法の改正は、投票所を増やしましょう、投票者の利便性を図りましょうということです。いままでは学校とか限られた投票所でしたが、今度はデパートとか駅とかにも置けるようにして誰でも投票に行きやすい法律にしましょうという、一見便利でいいことです。そうすれば、もっと投票率は上がるかもしれないし、政治的関心は高まるかもしれない。そういうことで公職選挙法を変えました。この公職選挙法を変えたのと同じように憲法改正手続き法も変えようというのが自民党の提案で、「公選法並びの改憲手続法改正案」というものです。これを議論して終われば、次に憲法審査会の場で、自民党はこういう改憲案を持っていますと提案が出来る。それを狙ったわけです。そこで、まず憲法改正手続き法-国民投票法についての議論から今回は始まったんですね。
しかし、この法律はそういう問題だけではなく、たくさん問題点があります。この国民投票法の下で投票をしたら民意が十分公平・公正に反映できない法律だ。もし自民党が利便性を図るための改正をするというなら、この法律自身の問題点をもう一回洗いざらいやりましょうというのが野党や私たちの意見でした。
問題点については今日は、詳しくはふれません。ただ非常に有名になったのは例えばTVの有料コマーシャル、15秒のスポットCMですよね。これは自由にやっていいというのがいまの法律です。厳密にいうと投票日の14日前までとかいろいろ面倒臭いこともありますけれども、テレビの有料コマーシャルを自由にやっていいと法律に書いてある。それで本当にいいのかとわたしたちは言ったわけです。「自由にやれ」といったってお金のない人は自由に出来ない、お金のある人は自由に出来る。もうそこから不平等ではないか。実際、大阪維新が大阪都構想の府民投票をやったときの維新とそれ以外の人たちとのたたかいでも、維新はテレビのコマーシャルを反対派の4倍やったそうです。お金のある方がどんどん出来る。15秒のコマーシャルの間に、「自衛隊はかわいそうだ」「自衛隊の息子さんが学校でお父さんは憲法違反だっていわれて、家に帰って『お父さんは憲法違反なの?』と聞いた。こんなかわいそうなことを許せますか」と、これは安倍さんが言ったことです。あとから「それはどこから出たんだ」といったら、ほとんどフェイクなんですけれども。でもこれを若くて人気のあるタレントが、「自衛隊はかわいそうだ、なんとかしようじゃないか、お父さんが憲法違反だと子どもが泣いているよ。こんなことをやっていいんですか」と朝から晩までどんどんコマーシャルで流されたら、やっぱり中間的なこの国の多数派の人々は相当に影響される。
だから、これは危ない。ヨーロッパなどではテレビコマーシャルは一切禁止されているじゃないか、ということも言いました。このほかにも問題はいっぱいあります。国民投票運動期間ですが、国民投票についての議論はどのくらいの期間、出来るのか。これは最大で180日しかありません。それから、最低投票率がどのくらいだったら改正が成立するのか。いまは30%しか投票しなくても、そのうちの15.1%に支持されれば憲法改正が出来てしまう。最低限でも過半数とか、私はずっと3分の2以上の投票者がいないような憲法改正国民投票などはよくない、憲法なんだからそのくらいの縛りかけて当然だと言い続けてきました。いまの法律ではなんの縛りもありません。
あるいは、公職選挙法に基づいて各種の議員を選ぶ選挙ではありませんので、国民投票の場合は個人が行う買収は罰せられません(組織的多人数買収罪が適用される場合は有罪)。自由にやらせましょうという建て前です。多人数でなければ、例えば私がいろいろなところでごちそうを食べる会をやって、今度の国民投票で憲法改正案に賛成しましょうね、ということができます。公選法だと考えがつかないようなことまでやれる。いろいろな問題点がこの法律にはあります。自民党は、出来るだけ早く憲法審査会を動かすために「公選法並びの改正案」を討議するというなら、「では一緒にこういう問題をみんなでやりましょう」ということになるわけです。
先日、民間放送連盟-民放連というテレビ会社の連盟から参考人を呼んで憲法審査会で議論をしました。民放連の人たちは、この法律をつくったときと今では考え方が変わってきています。民放連から言うと、テレビのコマーシャルを自由にやった方がいい。儲かるからです。1,500億円とか、それくらい入ってくるわけですから自由にやった方がいい。当時は「自主規制します、危ないから。勝手にお金がある人がコマーシャルをどんどんやれるような問題については自主規制します」という話でこの法律ができました。しかし、この前国会に呼んだときは、自主規制はしません。それは報道の自由に関係しますという、大層なことをいいます。それに対して「話が違うじゃないか」と怒ったのが枝野幸男さんです。枝野さんはこの法律、国民投票法をつくったときには民主党で、賛成したんです。市民運動の私たちは反対しました。その当時反対したのは共産党と社民党です。
ところが枝野さんは今度の議論の中で「私たちが賛成した前提があった。それは民放連がちゃんとこの問題で自主規制をすると当時言っていたではないか。だからそれを前提に賛成した」、これが枝野さんなりの理由です。私は「自主規制しようが、しまいが反対だ」といったんです。そういう違いはありましたが、でも枝野さんの意見は枝野さんの意見で筋が通っています。「民放連がやらないといっているから、もう一回やり直しだ。その当時賛成した枝野幸男と自民党の船田元を国会の参考人に呼んで議論しなさい」ということがこの国会での立憲民主党の要求でした。そうすると自民党は嫌なんですね。
そういうことで揉めて、結局この国会では国民投票法案の決着がつかないものですから自民党の改憲案を出せなかった。これは一番私たちが狙った通りのことでした。自民党の改憲案を国会に出させない。出させると強行採決されていく。そういうことでこの国会で、この憲法改正手続き法で揉めて自民党の改憲案が提案できなかったということになりました。
もしこういうことになったら大変だということは、安倍さんも当然知っているわけです。2019年の夏頃までにこの問題で揉めているようだと安倍さんの改憲案が国会に出せないから、何としてもこの国会で発議させたいと、去年から必死で考えていた。一昨年から去年の夏にかけてもほとんどこの問題が進まなかったものですから、安倍さんはカンカンになった。自分が2017年5月3日に新しい憲法改正案をせっかく出したのに、国会はちっともこれを議論してくれない。野党は妨害する。自民党はこの妨害にうまくたたかえない。悪いのは自民党の執行部だということが、去年夏の安倍さんの結論だった。それで去年9月の内閣改造に合わせて、自民党の憲法改正問題の担当者を総入れ替えしました。いままでの自民党の執行部で「憲法族」といわれる人たちのクビを片っ端から切りました。それが例えば船田元、中谷元・元防衛大臣、それから保岡興治、昨年解任されたあとしばらくたってから病気で亡くなりました。これらが憲法族で、2000年からずっと自民党の憲法問題を運営してきた人たちです。これを総入れ替えした。
この人たちは憲法のプロです。2000年からずっと野党と一緒に憲法の議論をしてきた。そういう憲法のプロになってきた国会議員の人たちのクビを切って新しくすげ替えたのが、例えば総務会長に加藤勝信、それから自民党憲法改正推進本部長に下村博文元文科大臣、それから幹事長代行の荻生田光一です。憲法審査会筆頭幹事には新藤義孝。これら人びとの特徴は、安倍さんの言うことなら何でも聞くが憲法については詳しくないという人に執行部をすげ替えた。
これでうまくいくと安倍さんは思ったけれども、結果で言うとそれでもうまくいかなかった。この人達は安倍さんから信任されて任されたものですから、非常にはやって野党とがんがん喧嘩をやったんですね。「憲法審査会開会に反対する野党は職場放棄だ」などと攻撃した。野党は「そんなことをやられたら」と戦闘態勢をとっていきますから、攻撃すればするほど憲法審査会での議論は進まなくなった。そういうことが去年ありまして、結局安倍さんが何とかこの期間にやりたいと思った憲法改正の発議はできなかった。
市民はどういうことをやったか。私たちは野党の憲法審査会の委員の人たちを激励したりいろいろな行動を取ってきました。特に憲法改正に反対する3000万署名運動がたくさん集まっていることが野党の委員のみなさんを非常に激励した。自分の背後には何千万の人がいるということを思いながら自民党とたたかえた、これはすごく大きなことでした。もちろん国会周辺でみなさんに来ていただいたように何回も何回も集会をやって、そこに個々の野党の人たちに来てもらって発言してもらい、私たちの意見を聞いてもらいました。一緒に頑張ろうという確認をこの間繰り返しやってきました。それから、新藤や下村などのFAX番号を調べてメールやSNSでひろげ、抗議のFAX運動をやりました。これは東京まで来なくても全国でできますから。
それから、総がかりに入っている弁護士さんたちの「憲法問題対策法律家6団体」の人たち、この人達もやっぱり憲法審査会を丁寧に傍聴しています。そして次はこういう点で論争した方がいいのではないか、今日自民党とか公明党が言ってきたことは、こういうところが弱点ではないか。そういう法律家の立場から国会議員の論争を積極的に支援する。こうしたロビーイングをずっとこの間やってきました。
私たちも野党の国会議員のみなさんと会談などをやって、「こうたたかおう」というような話をずいぶんしてきました。特に重要だったことは、今度の市民連合と野党の政策合意をつくってくる過程で、市民連合と野党の各幹事長・国対委員長のみなさんが集まって会議をするような場を何度かつくってきました。結果として今度の国会で自民党が狙った憲法改正の発議はできなかった。
少し前に戻って考えたいことがいくつかあります。2014年の暮れに総がかり行動実行委員会ができて、2015年の暮れに市民連合ができました。総がかり行動ができたときに私はあらためて思ったのですが、さきほどの1960年の安保です。1960年の安保は安保改定阻止国民会議という文字通り超党派の、全学連の学生をも含めた大連合ができてそれが60年安保をたたかいました。すごいたたかいをやり、岸内閣を退陣させました。しかし安保改定自身は通ってしまった。そういう厳しいたたかいがあったけれども、実はあのときから今日まで日本の反戦平和運動というのはずっと分裂・分岐してきました。もちろん一日共闘などといって、何回かは課題によってはいろいろな人が一緒にやるということはその間にありました。しかし反戦平和、安保反対あるいは憲法擁護、こういった課題で平和運動が統一する状態は残念ながらなかったんですね。
それが2014年の暮れに共同した。これはすごいことです。いま考えると当たり前ですよね。いつも総がかり行動では19日行動を毎月1回やっているからみんな一緒にやるのは当たり前。あっちは1000人委員会、真ん中は市民、国会図書館前は共同センターなんて、位置を分担しながら、でもステージは一緒にやる。そういうことはもう当たり前になった。でもこれは、この何十年は当たり前ではなかった。これが2014年の暮れにできて、これが頑張ってたたかったけれど、も60年安保に匹敵するような戦いはやりきれずに、あのときは岸内閣を倒しましたけれども今回は安倍内閣を倒せなかった。
それでどうするかということで、私たちは選挙の問題にも積極的に関わっていこう。市民はそれぞれ支持する政党がなくても無党派であっても自分たちの選挙は自分たちの責任の問題だ、主権者として選挙に積極的に関わっていこうという議論をして、2015年暮れに市民連合をつくります。これは政治団体です。政党ではありません。この市民連合ができて2016年に参議院の32の選挙区で一本化ができた。
政党はみんな意見が違って綱領が違うわけですから、そう簡単に一緒にやれません。市民連合のような中間的な部分があると一緒にやりやすいわけです。それぞれの政党の中では、あの党とは絶対一緒にやりたくないという意見はいっぱいあるわけです。そういう中で、最初は自分たちは市民連合と一緒にやっているんだとか内部でいろいろと弁解しながら、だんだん他の党とも一緒にやる。市民連合を間に挟んで共闘ができるというような経過がどんどん進んで、いまはもっとしっかりしたものになっています。それが2015年暮れにできた市民連合が、2016年の参議院選挙を戦ったという結果があります。
あらためて強調しておきたいけれども、この一本化とか野党の共闘とか、あるいは潮流を乗り越えて総がかりで運動をやろうとか、考えてみれば極めて当たり前のことですが、ここに到達することが日本の運動の歴史の中で本当に大変で、ようやくできてきた。だから私たちはこの統一、この共同行動を大事にしたい。いま全国でそういうものができてきています。各県段階、市町村段階で総がかりとか市民連合がずいぶんできてきた。それがこの間の大きな特徴だったと思います。
そういうたたかいを経て2016年の参議院選挙で改選議席の3分の1は取った。しかし、その前の2013年の選挙で野党が大負けしているものですから、結局参議院で3分の2以上を自民党、公明党、維新に取られてしまった。一本化した初めての選挙でずいぶん頑張りましたけれども、3分の2以上を阻止できなかった。そこから安倍さんは、改憲に一気に持っていきたいと思って、2017年5月3日、新しい憲法改正案を提案した。どういう場で言ったか。これがすごく特徴的です。日本会議系の集会で言った。自民党の集会ではなく、自民党の党員たちも知らない人がいっぱいいる中で、初めて新しい改憲案を櫻井よしこさんのところで言うという、安倍さんの感覚というのはとんでもないですね。
「例えば、憲法9条です。今日、災害救助を含め、命懸けで、24時間、365日(―これ好きなんですよね、自衛隊の話をするとき、必ず言うんです。)領土、領海、領空、日本人の命を守り抜く、その任務を果たしている自衛隊の姿に対して、国民の信頼は9割を超えています。しかし、多くの憲法学者や政党の中には、自衛隊を違憲とする議論が、今なお存在しています。『自衛隊は、違憲かもしれないけれども、何かあれば、命を張って守ってくれ』というのは、あまりにも無責任です。私は、少なくとも、私たちの世代の内に、自衛隊の存在を憲法上にしっかりと位置づけ、『自衛隊が違憲かもしれない』などの議論が生まれる余地をなくすべきである、と考えます」。
これが2017年5月3日に突然、安倍晋三が言ったことです。自衛隊を憲法違反という意見があるから、それをなくすために憲法に自衛隊を書き込む、何と単純な論理でしょうね。憲法に自衛隊が書いてあったら、いくら憲法学者でも憲法違反と言えないだろうという。「だから書き込むんだ」と、そういう議論をやったわけです。そして、「2020年もまた、日本人共通の大きな目標となっています。新しく生まれ変わった日本が、しっかりと動き出す年、2020年を、新しい憲法が施行される年にしたい、と強く願っています。私は、こうした形で国の未来を切り拓(ひら)いていきたいと考えています」。
2017年の秋には、突然の総選挙がありましたよね。小池百合子さんの希望の党ができた前後で、総選挙があった。あのときに安倍さんは「国難」だと言ったんですよね。なぜ国会を解散するのか、それは国難がいま迫っているからだ。この国難に対処するためには強固な政権をつくらなければいけないということで、国会解散をしました。「国難」、北朝鮮のミサイルが飛んで来るという騒ぎですよ。もうこの国でそういうことを言う人は、今ほとんどいないですね。でもあの頃は安倍さんに煽られたこともあって、本当にまもなく戦争でも始まるのではないかと思うような情勢もつくられた。それで総選挙をやられた。当時あった民進党が全部「希望の党」に吸収されていくというようなとんでもない事態になって、安倍さんが圧倒的に勝利する。野党がボロボロになってしまうような状態が総選挙のときにつくられました。
今度の参議院選挙でも、その前の参議院選挙でも、私たちや市民連合は、民進党とも共産党とも社民党とも政策協定を同じようにつくっていました。そして次に総選挙があるなら、こういう方針で一緒にたたかおうという政治方針で合意していました。民進党のみなさんと合意書を取り交わして別れた日の夕方、民進党の幹部の人たちがさっさと小池さんのところに行った。「なんだ、これは」と私は思いましたよ。さっきまで、安倍政権はとんでもないからこれとたたかうために一緒にやろう、前回の参議院選挙のように今度の衆議院選挙をやろうと文書まで取り交わしたのに、コロっとやられてしまって愕然としました。市民と政党の約束なんてほとんど意味がないものか、こんなことを一生延命積み上げても永田町の政治家連中はこんなでたらめをやるものか、本当に腹を立てました。
でも、2015年安保以来のたたかいを積み上げてきた全国の市民たちは、このまま引っ込まなかった。この中のみなさんもやってくれた人がいると思いますが、ターゲットを枝野さんに絞った。全部向こうに取られてしまったわけで、枝野さんも行ったんですね。枝野さんにターゲットに絞って「枝野、立て」、「いま決断しろ」、「この流れをこのまま枝野が認めてしまったらこの国の民主主義はなくなる」と大勢の人々がFAXやメールで枝野幸男に集中した。枝野さんはそれらを見て一晩考えて悩んで、一人でやった。
安倍さんは2017年に憲法改正の提案を一人でやりましたけれども、枝野さんもひとりでやった。「よし、やる」と、立憲民主という党名を決めて、これでこの小池の流れと戦う、野党共闘を維持する、だからこれに一緒にやる人みんな集まれといってもう一回再結集した。
私はあのとき民主党から希望の党に行った人が戻ってくるとは思いませんでした。あんなにどどっと行ってしまったから半分も来ないかな、3分の1でも来たらいいかなと思うくらい絶望的でした。でも、そうやって立憲民主党が結果として総選挙でも、史上最小の野党第一党と言われましたけれども、かろうじて野党第一党になって何とか野党共闘を守れた。それが2017年の総選挙のたたかいでした。
あのときの安倍さんの「国難」のキャンペーンは絶対に忘れるわけにはいかないと思います。ああいうやり方をしてまで権力を取ろうとする。そうではない道がはっきりあることが、その後で、言うまでもなくわかったではないですか。北朝鮮問題を解決するのはどういう道なのか。南北の会談があって朝米の会談があった。文在寅とトランプが金正恩と話し合いをする中でこの朝鮮半島の危機を打開する、「大変だ、大変だ」と言って軍事防衛体制を強めることで対応しようとした安倍さんのやり方は、明確に間違いだったということがわかってきた事態が2017年でした。
国難突破解散というもので、安倍さんは衆議院の3分の2を取りましたから、引き続き2017年に考えた憲法改正に突き進もうとします。しかし2017年の秋から、モリ・カケとかそういう問題が大きな問題になってきて、国会は憲法改正どころではない騒ぎになった。安倍政権自身が一大汚職、一大疑獄をやっているのではないか、日本の官僚がとんでもないことをやっているのではないかと多くの人が疑問を持つ中で安倍政権は非常に揺れ動いた時期が2018年のはじめからありました。
ですからここでは改憲論議に入れなかった。そこがすごく大きな去年前半の勝利だと思います。それを安倍さんは自民党の執行部の責任にすり替えて先ほど言ったようなことをやろうとした。2018年は、2020年の改憲ということから考えると、日程が迫っているのにまともな改憲論議ができなかった。いまの時点でもうあと1年しかないということから考えると、安倍さんが狙う2020年憲法改正は、私はできないと思っています。安倍さんが再三言う2020年憲法改正はほとんど不可能になっています。
今度の自民党の参議院選挙の主な公約の中に確かに憲法改正が入っていますが一番最後、6番目の公約です。実は自民党の選挙公約では2020年という数字を示すことはできませんでした。来年のことですから、今年やる参議院選挙では来年やると絶対に言わなければいけないけれども、言えなかったのです。そこまで安倍さんは追い詰められていると思います。
しかし、安倍さんは選挙公約では言わなかったけれども、2020年にやると繰り返し言っている。今年の5月3日にも、2017年と同じような「みなさん、こんにちは。自由民主党総裁の安倍晋三です。」から始まって、「自民党は立党以来、憲法改正を党是としてまいりました。2年前の、この『憲法フォーラム』でのビデオメッセージにおいて、私は『2020年を新しい憲法が施行される年にしたい』と申し 上げましたが、今もその気持ちに変わりはありません」。こう安倍さんは断言しました。
私から見て、どう見ても無理なのになぜ安倍さんはこういうことを言うのか。言わざるを得ないんですよ。安倍さんはなぜこの間、長期政権を維持してきたかというと、これを支える核心的な勢力は日本会議などを始めとした極右派です。こういう内閣は戦後自民党の中にもなく、安倍晋三政権が初めてだと思います。極右勢力に支えられた政権維持をしてきた。小選挙区制とかいろいろな経過の中で安倍晋三の一強体制がつくられて、それを支えてきたのがこの極右勢力です。そして世論の形成では例えば拉致家族の会とか、そういういろいろなものを通じて彼の政権を支える。実は北方領土もそうでした。これもロシアと厳しい交渉をして平和条約を結んで奪い返すということです。日本の極右勢力は、全体が安倍晋三なら自分たちがこの間掲げてきた切実な課題、それを実現してくれるのではないか。改憲、北方領土、拉致、さまざまな課題で安倍晋三ならやってくれる。そう思って選挙を必死に支えた。だから全国のいろいろな地域での選挙活動で第一線の現場で奮闘する活動家の中にこういう人たちがたくさんいます。
もし2020年の改憲がだめですといってしまったら、いまの時点でこの人たちは絶望しますよ。安倍だったらやってくれると思ったのに「お前もか」という話になる。北方領土でああいうことになっても、拉致問題で帰ってこなくても、我慢しながら2020年改憲をやってくれると思って支えてきたのに、それもだめなのかということになりますから、それは口が裂けても安倍晋三は言えないんですね。ですからいつまで言うしょうね。できるだけ最後まで、とにかく2020年の改憲はやるんだ、私にしかできないんだということを安倍晋三はこれからずっと言い続けるんだろうと思います。
それにしても、自民党全体で参議院選挙の前につくった公約には2020年を書き込めない。他の自民党の役員たちが思ったんでしょうね、いくらなんでもここで2020年と書いて、選挙公約にしたら有権者から信用されないのではないかということです。今度の自民党の参議院選挙公約の憲法の部分、その結論は「憲法改正原案の国会提案・発議をし、国民投票を実施し早期の憲法改正を目指す。」です。「早期の憲法改正」としか自民党全体としては書けなかった。このあとどんどん日にちが2020年に近づくに従って、ここが変わって行かざるを得ない状態に安倍さんは追い詰められていくと思います。
先月の末、野党4党1会派と市民連合の政策合意をつくりました。昨日の新宿での街頭演説にも野党4党が来ました。立憲、国民民主、共産、社民の4党が来て私たち市民連合と一緒の演説会です。そういう演説会をやる前提として、野党と私たちとの間に政策の合意を作り上げました。13項目の野党との合意です。このために、私たち市民連合が全国の活動者の経験交流会をやりました。これは九州から北海道まで各地の市民連合が集まって、野党に対して私たちの要求する政策をどういうものにしようかという議論をする中で、みんなでいろいろ出しあって作り上げた政策合意案です。この政策合意案を事前に野党各党に回して各党で討議をしてもらいました。大きな意見の違いは出なかったけれども、「ここのところはこんなふうに直せないか」とかいろいろな意見をいただきながら、5月末に野党4党1会派の党首がこの政策協定に署名をして調印合意したわけです。
最後の項目の13番のあとに、「上記要望を受け止め、参議院選挙勝利に向けて、ともに全力で闘います。」となっていてサインが並びます。「立憲民主党代表 枝野幸男」とか「国民民主党代表 玉木雄一郎」とか「日本共産党委員長 志位和夫」とか、私たちが見ている前でそれぞれの人がサインをしてくれて、これでやっていきましょうとなりました。さらに、この日に32の1人区のうちの29の統一候補を決めて、いまでは32全部決まりました。この13項目をあらためてみなさんと一緒に見ていきいと思います。
この政策合意のタイトルは「だれもが自分らしく暮らせる明日へ」です。
1 安倍政権が進めようとしている憲法「改定」とりわけ第9条「改定」に反対し、改憲発議そのものをさせないために全力を尽くすこと。2 安保法制、共謀罪法など安倍政権が成立させた立憲主義に反する諸法律を廃止すること。3 膨張する防衛予算、防衛装備について憲法9条の理念に照らして精査し、国民生活の安全という観点から他の政策の財源に振り向けること。4 沖縄県名護市辺野古における新基地建設を直ちに中止し、環境の回復を行うこと。さらに、普天間基地の早期返還を実現し、撤去を進めること。日米地位協定を改定し、沖縄県民の人権を守ること。また、国の補助金を使った沖縄県下の自治体に対する操作、分断を止めること。5 東アジアにおける平和の創出と非核化の推進のために努力し、日朝平壌宣言に基づき北朝鮮との国交正常化、拉致問題解決、核・ミサイル開発阻止に向けた対話を再開すること。6 福島第一原発事故の検証や、実効性のある避難計画の策定、地元合意などのないままの原発再稼働を認めず、再生可能エネルギーを中心とした新しいエネルギー政策の確立と地域社会再生により、原発ゼロ実現を目指すこと。7 毎月勤労統計調査の虚偽など、行政における情報の操作、捏造の全体像を究明するとともに、高度プロフェッショナル制度など虚偽のデータに基づいて作られた法律を廃止すること。8 2019年10月に予定されている消費税率引き上げを中止し、所得、資産、法人の各分野における総合的な税制の公平化を図ること。9 この国のすべての子ども、若者が、健やかに育ち、学び、働くことを可能とするための保育、教育、雇用に関する予算を飛躍的に拡充すること。10 地域間の大きな格差を是正しつつ最低賃金「1500円」を目指し、8時間働けば暮らせる働くルールを実現し、生活を底上げする経済、社会保障政策を確立し、貧困・格差を解消すること。また、これから家族を形成しようとする若い人々が安心して生活できるように公営住宅を拡充すること。11 LGBTsに対する差別解消施策、女性に対する雇用差別や賃金格差を撤廃し、選択的夫婦別姓や議員間男女同数化(パリテ)を実現すること。12 森友学園・加計学園及び南スーダン日報隠蔽の疑惑を徹底究明し、透明性が高く公平な行政を確立すること。幹部公務員の人事に対する内閣の関与の仕方を点検し、内閣人事局の在り方を再検討すること。13 国民の知る権利を確保するという観点から、報道の自由を徹底するため、放送事業者の監督を総務省から切り離し、独立行政委員会で行う新たな放送法制を構築すること。2019年5月29日。
これらの13点をとりあえず4党と合意しました。政党は綱領というものを持っていて、この社会の国際問題、国内問題を含めた全般に関する各党の方針というものはあります。これは政党の綱領とは違います。ですから国際政策全般、日本社会の政策全般が網羅されるわけではありません。もともと市民連合は2015年安保の戦いからできて、憲法と安保改正の問題から出発したわけです。そういう中でさまざまな人たちの運動と総がかり行動の中で連携し、そういう共同の運動を積み重ねがら自分たちの要求を確認しあってつくってきました。そういう意味では例えばここに農業政策は入っていません。やっぱり農民の人たちとの共同行動は、この間総がかり行動はほとんどやっていません。これからやらなければいけないと思います。あるいは中小企業が入っていないという人もいました。中小企業政策などもまだ市民連合は踏み込んでいない。これからだと思います。でも最初の参議院選挙のときよりも、この前の衆議院選挙のときよりも、今度の参議院選挙での共通政策はどんどん踏み込んできています。難しいところは、私たちが願うことを全部そのまま言っていいというものではないのです。各野党と一致しなければ意味がないですから、私たちが言いたいことすべてを出しても、それは通らない。政党がいろいろあるだけにその政党に対して、私たちがかなり無理を言っても納得してもらえること、どう言っても納得してもらえないことについては留保しておく。
最初のころは原発のことも議論がなかったんです。沖縄なんかは民主党系の人たちとはなかなか一致できないんです。だって、いろいろと問題になったときの総理大臣は鳩山さんですからね。ですからあの党はずっとそれを引きずっていますから、やっぱり普天間即時撤去、辺野古新基地建設反対に最初からずばっとは踏み込めなかった経過があります。そういうところにも配慮しながら、一致できないものは留保して一致できるものでつくるというやり方で、ここまで今回できました。
昨日も新潟の市民連合の代表と会いましたが、新潟は23項目くらいに増やしていますね。宮崎の人と話すと、宮崎は絶対農業政策がなかったら選挙にならないということで、農業政策を加えて14項目にしている。みんな自由に各地で自分たちの特徴にあわせて野党各党としっかり連携できるような政策をつくりながら今度の選挙をやろうとしています。ただ、これだけ一致したらほとんど政権構想として問題ないよ、これで一致して新しい政権をつくって、それ以外のところは政権の中でいろいろな議論をして他の政策に踏み出せる根拠になるよ、ということまで踏み込んで発言をしている党もありました。政権構想まで言われるとちょっと引いてしまうところもないわけではないので、それは政党同士でうまくやってくださいと言うしかないですね。
それほど今回の政策合意というのは大きな意味があったと思います。今度の選挙はこの共通政策を掲げて全国で市民連合と各党の一本化した候補者のところで戦えます。32ヶ所1本化しました。それ以外のところは定数が2人区、3人区、4人区、6人区、いろいろ複雑なところがあります。1人区は一本化する、複数区はそれぞれに、というかたちで今回の選挙はやっていこうと思います。千葉などは3人区ですが、立憲民主と共産が候補を立てているのでその2人を市民連合が推薦するということで、2人のうちのどちらをやるのかはそれぞれが選ぶ。そういうかたちで2人に推薦を出しているような取り組みもいくつかの県で出てきています。
いずれにしてもようやくここまできて間に合いました。そして、「遅い」、なぜもっと早くやれないのかということをずいぶん言われてきました。でも前回の参議院選挙と時期的にいうとほとんど同じなんですよね。遅いことは遅いけれども、やっぱり各党の中もいろいろ面倒臭い話はいっぱいあって、それを各党の幹事長を中心に一生懸命努力してここまで持ってこられたということは、今回は非常に大きいのではないか。自民党は私たちの態勢がこうなってきているのを知っていますから、32の1人区のうち16ヶ所をとりわけ重点区にしてここでは絶対野党に負けないという選挙区を自民党はすでに指定して、閣僚とか自民党の幹部などがどんどん入っています。前回負けたところでも今度は奪い返す、自民党はものすごい勢いですよね。この16の選挙区で私たちが前回の当選と重複しているのは10個くらいあるかと思います。それ以外に競っているところがたくさんありますから、これらのところで勝たなければいけません。
私たちは今回の選挙で最低でも改選と非改選を合わせて3分の1以上を絶対取ります。非改選は2016年に当選した人がそのまま残っていて、改憲反対の人は41います。この41に、今回の改選する選挙でもう1回41を取ると、82になります。これは3分の1を超します。定数245ですから82あると3分の1を超えます。どんなに間違っても今回の選挙で3分の1以上改憲反対派が取る。この政策合意で一致する人たちで絶対それを取る。できれば過半数を取りたい。過半数を取ると2007年の参議院選挙では、第1次安倍内閣は辞めたんです。過半数を取ると安倍さんを退陣に追い込むことは十分可能だと私は思っています。衆議院選挙じゃないと総退陣とはいかないという話もあるけれども、2007年にすでにそういう経験を持っていますから、ほぼ倒せます。
実は3分の1でも倒せる可能性が十分あると思っています。それは、安倍さんは改憲を最大の目標とし、安倍さんの支持勢力はそのために支持をした。嫌なこともいっぱいあるのに安倍晋三しかいないか、ということでやってきた。この頼みの安倍晋三が改憲ができないということになったら、日本会議とかこの連中はどう動くかわかりません。替わる奴がどこかにいないかと必死に探し出す可能性もあります。ですから3分の1以上をとったら安倍内閣の退陣につながる可能性がかなりあると思っていますので、そこは何としてもやりたい。
繰り返し言いますが、一本化できたから勝つという前提ではないですよね。一本化できた北海道知事選は負けました。北海道知事選は本当に全会派、野党が統一してたたかった。政策もきちんと協定を結んで、いい政策をつくってたたかったんです。けれども自民党の候補者が逃げまくって、政策論争を一切やらない。若い、イケメンだ、そういう話がバンバン出た。それで選挙戦をやられてしまって、こちらがいくら政策論争をやろうと思ってもあとから出てやりきれなかったということがあって負けてしまったんです。
今回も全国32を一本化できたからといって、必ずしも頑張れるとは限りません。党によっては、自分の選挙区ではあちらの党の候補者が統一候補になったからまあ適当につきあっておくか、なんてそういうふうに考える人もいないとは思いますけれども、力が入らないということも出てくる。みんな自分たちの候補だと思うようにして、市民の方も自分たちの候補だと思うようにして戦い抜けるかどうかなんですね。私たちから見ても、ちょっとどうかなと思う候補者もいないではないです。いろいろな政党が4つもあるわけですから、この間の発言を見ていると「うわっ」と思うような候補もいる。でもとんでもない候補じゃなくて野党の候補で、この13項目で統一している候補ですから、多少嫌な候補でもその候補の当選のためにやっぱり頑張る。何しろ自民党と公明党より悪い候補なんて私たちの方にはいません。その候補を当選させるために頑張ろうということで今度の選挙をやらないといけないと思います。
最後に、いまからこういう話は極楽とんぼなんですが、もし勝ったら、3分の1以上をとったらこれで改憲は終わりかといったら、終わりではないんですよね。安倍さんは次のことを考えています。負けてしまったらもう改憲をあきらめるかというと、あの人はあきらめません。安倍さんのもとで、安倍さんとの距離を置きながらいろいろ考えてきた憲法族の連中が、最近いろいろ話をしています。安倍はもしかしたら負ける、3分の2を失うのではないかと、この憲法族、冷や飯を食っている人たちは思っています。ただ彼らも自民党で改憲派ですから、どうやって自民党を盛り上げるか、どうやって改憲を盛り上げるか、必死で考えている。その最大のターゲットが野党分断です。野党に3分の1以上を取られたらそこに手を突っ込んで分裂させて、改憲の側に持ってきて、3分の2にもう一回合わせるということを、もう今から考えている人たちが自民党の中にいます。
船田元、中谷元、この人たちがすでにそういうことを言っています。それから公明党、私の記憶では公明党は3分の2を取れない方がある意味では改憲にとって都合がいいという発言をしている幹部がいます。3分の2を持っていると自民党は野党を乱暴に扱って野党を切り離してしまう。ところが3分の2を持っていないと、野党と仲良くしてその一部を引き込むことを一生懸命やらないと勝てないから、自民党は3分の2を取れないとその仕事に入ってきます。公明党はその方針に賛成で、だから3分の2を取らない方がいいと公明党が言っている。いま自公政権の中にそういう人たちがいっぱい出てきて、たぶん私たちが選挙で3分の1を取ったとしても、その次にこの戦いをもう1回やらなくてはいけないんです。名前を挙げて悪いですけれども、山尾志桜里さんみたいな人です。具体的に名前を挙げているのは中谷元ですから、私が挙げているわけではありません。そういう人を含めて改憲に賛成しそうな人に手を出して新しい改憲大再編をやって、最後の勝負をやりたい。
ですから安倍さんはいま二段構えですね。参議院選挙までの発議は失敗した。これで第1ラウンドは終わり。今度は参議院選挙でたたかうこと、負けてもその次は野党を引っかき回す。そして絶対に改憲をやる。私たちは野党を引っかき回させないたたかいをやらなければいけない。例えば国民民主の中にも立憲民主の中にも、そういう問題で動揺しそうな人が何人かいるのは間違いありません。あれがいるからあの党は信用できないというたたかいを、わたしたちがやったら間違いです。それらも含めてもっとこの13項目でしっかり団結できるような運動をやっていく。やっぱり市民連合を無視したら、全国の市民の力を無視したら、自分たちは政治家として成り立っていかないということをはっきりわかってもらえるような運動をこれからの過程の中で作り上げる。自民党の分裂策動に乗らせない。もちろん分裂策動をやってきたら、そのときはまた戦い方を考えればいいと思います。そういう課題もこのあと出てきます。
いろいろ申し上げました。結論的に言いますと大変な安倍改憲という、日米同盟をこんなに拡大しようとしているという情勢の中で、私たちは今回の国会で本当にできないかなというような改憲発議を阻止してきました。圧倒的に弱い力だったわれわれがそれを阻止してきた。だから次のたたかいは、この参議院選挙で私たちが3分の1以上を取れるかどうかというところにかかっています。これをみんなで結束してやり抜こう。その上で、もし安倍さんたちが野党の分断に乗り出してきたらそれを許さない、それを封じるたたかいをやっていこう。そういうふうにいまたたかっていくべきだと思います。