3月17日、安倍晋三首相は防衛大学校の卒業式で「訓示」し、あらためて彼の持論である「憲法9条への自衛隊の根拠規定書き込み」の改憲案実現への意欲を表明した。訓示では直接「改憲」の用語は使わなかったとはいえ、首相が防衛大学校の学生の前で「改憲」を示唆する発言をすること自体が、憲法第99条の尊重・擁護義務違反であり、許されるものではない。
安倍首相はこのように述べた。
「今や自衛隊は国民の9割から信頼を勝ち得ている。先人たちが、たゆまぬ努力によって築き上げてきたこの成果を受け継ぐ卒業生諸君は、静かな誇りを持ちながら、さらなる高みを目指してそれぞれの自衛官人生を歩んでほしい。政治もその責任をしっかりと果たさなければならない。次は私たちが自衛官の諸君が強い誇りを持って職務を全うできる環境を整えるため、全力を尽くす決意だ」と。
安倍首相が述べた「(次は)環境を整える」こととはまさに9条への自衛隊の明記を意味する。もしも安倍首相のいうように「自衛隊は国民の9割から信頼を勝ち得ている」としたら、これは「(自衛官が)誇りをもって職務を全うできる環境」としては十分ではないか。以下に示すような、憲法9条に自衛隊を書き込むことによって自衛官と一般市民に生じる危険性を冒してまで改憲を強行する必要性はどこにあるというのか。
安倍首相は訓示でこう言う。
「平成は世界を舞台に、その平和と安定のために自衛隊が大きな役割を果たした時代だった。湾岸戦争、米国における同時多発テロ、冷戦終結によって、平和な時代の到来を予想した世界は、地域紛争、テロの拡散といった新たな事態に直面することになった。もはや一国のみで、どの国も自国の安全を守ることができない時代になってきた」「他方、冷戦終結後の世界では日米同盟について『漂流している』とさえ言われたときがあった。しかし助け合う同盟は、その絆を強くする。平和安全法制の成立によって日米同盟はこれまでになく強固なものとなり、地域の平和と安定に一層寄与するものとなった」。
安倍首相のこの訓示で見逃すことができないことは、日米安保体制を日米(軍事)同盟=「助け合う同盟」と評価して、安保法制=戦争法制によって集団的自衛権の行使の合憲解釈を強行したことを「これまでになく強固」になったと礼賛していることだ。この憲法違反の戦争法制のもとで、防大を卒業して任務に就く自衛官は、米国とともに海外で戦争をすることが任務になる。海外の戦争で自衛官が外国の人びとを殺し、あるいは海外での戦闘で殺される任務につくことになる。自衛隊のイラク派兵の当時、これに反対する横須賀の市民運動は、自衛艦のまえにボートを出して「憲法9条が自衛官の命を守っている」という横断幕を掲げて抗議したことがある。戦争法制はこの真逆であり、安倍首相は自衛官に命を投げ出せと訓示している。
それは安倍首相が訓示の冒頭に述べた任務とは全く異質の戦争遂行する任務だ。
首相は冒頭でこう言った。『平成は自衛隊への国民の信頼が揺るぎないものとなった時代だ。地下鉄サリン事件、2度の大地震をはじめとした相次ぐ自然災害。その過酷な現場での救助活動に自衛隊の諸君は躊躇することなく、真っ先に飛び込んでくれた。未曽有の危機に直面した人々にとって、その姿はまさに大きな希望の光であった』と。安倍首相がいうところの「国民の9割から信頼を勝ち得」たのは、まさにこれらの災害救助活動によってだ。しかしながら、これらは自衛隊法によると自衛隊の「主たる任務」ではなく、「従たる任務」だ。ひとびとがこれらの自衛隊の災害救助活動に信頼を寄せたことは事実だろう。
だがこの災害救助活動は一挙に10万の実行部隊を投入できる自衛隊によってだけではなく、消防庁や自治体職員、医療従事者などなど、数々の人びとによって行われていることを忘れてはならない。その一環としての自衛隊の活動を評価して人々が「信頼」することは不思議ではない。
しかし、それは「自衛隊の主たる任務」とは異質の「従たる任務」の活動への「信頼」にすぎない。迷彩が施された戦闘服を着用した自衛官の矛盾をはらんだ災害救助活動だ。
そこで安倍首相は自衛隊の「本来任務」につながる活動について、防大の卒業生に次のように説く。
「今この瞬間も、これまでとは桁違いのスピードでわが国の安全保障環境は厳しさと不確実性を増している。サイバー空間や宇宙空間における活動に各国がしのぎをけずる時代となった。軍事技術は格段のイノベーションを遂げ、陸海空における対応を重視してきた国家の安全保障のあり方を根本から変えようとしている。もはや今までの延長線では対応できない、陸海空、従来の枠組みにとらわれた発想のままではこの国を守り抜くことはできない。激変する安全保障環境の中にあって、必要なことはわが国自身が国民の命と平和な暮らし、領土、領海、領空、主権と独立を主体的、自主的な努力で守る態勢を抜本的に強化する。そして、自らの果たしうる役割の拡大を図っていく。新しい防衛大綱の下、宇宙、サイバー、電磁波といった領域で、わが国が優位性を保つことができるよう次なる時代の防衛力の構築に向け、今までとは抜本的に異なる速度で変革を推し進めていく」と。こうして安倍首相は防大生に大軍拡によって海外で戦争する軍隊化への道をすすめる新防衛大綱のもとでの任務を遂行する覚悟を要求する。
いま、防衛大学校を卒業する若者たちに「もはや今までの延長線では対応できない、陸海空、従来の枠組みにとらわれた発想のままではこの国を守り抜くことはできない」との発言は、あたかも海外で戦闘に行くのを見送る総司令官の訓示そのものだ。このためにこそ、自衛隊の根拠規定を憲法に書き込むという安倍9条改憲がある。
2015年9月に、戦争法の採択は猶予ならないとして強行採決した安倍政権は、その後、アリバイ作りのようにして南スーダンに部隊を派遣して、自衛隊員を無用の危険にさらすなど失敗し、日報隠しなどまで露呈して引き上げざるを得なくなった。そこで今度は、エジプトのシナイ半島でイスラエル、エジプト両軍の停戦を監視する多国籍軍・監視団(MFO)の司令部要員として自衛官2人を4月中旬から11月末まで半年間派遣する。戦争法制で可能になった「国際連携平和安全活動」の初の事例だ。国連主導の国連平和維持活動(PKO)ではないMFOへの自衛官派遣だ。実質的に「中立性」が保障されていない、国連が統括しない多国籍軍への自衛隊の派遣だ。今回は拳銃と小銃を携行した司令部要員の2名の派兵だが、将来的にはトランプ米政権がねらう同盟国の軍事負担増のための米軍主導の多国籍軍への際限のない参加への突破口となるにちがいない。
いま自衛隊の入隊希望者が減少し、定員割れ状態が続いて深刻な問題が生じている。
今回の2018年度の防大卒業生は478人(外国人留学生を除く)で、任官辞退者は1割を超えて49人あり(戦争法の成立時の15年は47人)、過去10年のうち最多となったという。
防衛省は昨年末から自衛官の採用年齢の上限を、現行の26歳から32歳に引き上げた。少子化などで採用環境が厳しくなっており、これらへの対応措置だ。採用対象は自衛官候補生(任期付き)と、「一般曹候補生」だ。従来は採用対象年齢を18~26歳としてきたが、採用数は2014年度から4年連続で計画を割り込んだ。今回の採用年齢の引き上げはこれへの対応措置だ。
同時に「予備自衛官」の年齢上限も、36歳から54歳に大幅に引き上げた。自衛隊を辞めた後などに予備役として登録する「予備自衛官」と、第一線部隊と同じ任務に就く、同じく予備役の「即応予備自衛官」だ。現在、これも大きく定員割れしている。
安倍首相の2月10日の自民党大会での問題発言は、この自衛隊の定員割れ、応募者減という深刻な問題と関連するこの場で安倍首相は「(自衛隊募集に関して)都道府県の6割以上が協力を拒否している。憲法に自衛隊を明記し、違憲論争に終止符を打とう」と改憲の必要性を強調した。
安倍首相は1月30日の衆院代表質問の場でも「今なお自衛隊に対するいわれなき批判や反対運動、自治体による非協力な対応がある」「命を賭して任務を遂行する隊員の正当性を明文化することは、国防の根幹にかかわる」と発言した。
しかし、これは安倍首相のデマだったことが明らかになった。首相本人が2日後の衆院予算委員会での答弁で「正しくは都道府県と市町村だ。自治体だ」と一部を修正した。しかしそれでも事実と異なる。
岩谷防衛相は記者会見で「約9割の自治体から住民基本台帳の閲覧など情報提供を受けている」と発言し、事実上、安倍発言を修正した。
自衛隊法施行令では防衛相は自衛官募集に必要な「資料の提出を自治体に求めることができる」と規定されている。この主旨は「できる」であって、自治体側に名簿提供の「義務」はない。
防衛省は自衛官募集の目的で、市区町村に対して、自衛官募集適齢の住民の個人情報の「提供を依頼」している。報道によれば、2017年度は全1741市区町村のうち、36%の自治体が紙か電子媒体での名簿を提供し、53%の自治体は住民基本台帳の閲覧を認めている。防衛省は残り10%の自治体の名簿は取得していない。うち協力拒否は5自治体だけで、全市区町村のわずか0.3%に満たない。安倍首相はこれを6割と誇張することで、危機感をあおった。
住民基本台帳法は閲覧を認めているが、名簿提供まで受ける規定はない。義務でもないのに、自治体が国の1省庁である防衛省に名簿自体を提供することは問題がある。防衛省だけが住民基本台帳を自らの業務のために使用することを認めるならば、こうしたことがいずれ徴兵制につながるのではないかとの市民の心配には根拠がある。
日米同盟と、そのもとでの新防衛大綱など、軍事大国化への道をひた走る安倍政権の企てを阻止しなくてはならない。沖縄県知事選や県民投票で示された沖縄の民意を「沖縄には沖縄の民主主義、国には国の民主主義」などと、無視して、日米同盟強化のための辺野古新基地建設をすすめ、韓国や朝鮮などをことさらに攻撃して排外主義的なナショナリズムを煽り立て、自らの政権基盤の強化を図る安倍政権を、このまま許すことはできない。目前に迫った北海道、大阪など統一地方選挙と衆議院補欠選挙を通じて、7月の参院選で、改憲派に改憲可能な議席の獲得を許さない闘いに全力をあげ、必ず安倍政権を退陣に追い込もう。
5・3改憲反対の全国統一行動と、6月の朝鮮半島と日本に非核・平和をめざす市民連帯行動を必ず成功させよう。いまこそ、その絶好の機会だ。
(事務局 高田健)
お話:前田哲男さん(軍事ジャーナリスト)
(編集部註)2月16日の講座で前田哲男さんが講演した内容を編集部の責任で要約したものです、要約の責任はすべて本誌編集部にあります。
なお、この講座はhttps://www.youtube.com/watch?v=5ft2JIKllWoで検索できます。
今日お手元にお渡ししたレジメは地位協定のいきさつ、経緯それから現状、さらにどう打開できるか、解決の方策があるとすればどういう方法があるのかという、3つからなっています。
2週間ほど前にレジメをお送りしたんですが、そのときの心づもりでは国会は始まりますし、予算審議の中で必ず辺野古問題あるいは防衛計画の大綱、中期防衛力整備計画というような年末から大きな動きがありましたので、国会審議の中でいくつかとっかかりができてくるに違いないと思っていました。あに図らんや統計不正の問題ばかりで全く国会の論戦の中からは、憲法と安保、地位協定をつなぐようなきっかけがありませんでした。
経緯、占領時代から60年安保の地位協定、そして安倍内閣における安保政策、それだけで1時間半はかかるくらいですから、主に今日は「Ⅱ 隷従、地位協定がつくりだした主な問題点」というタイトルにした、現状に関して中心にお話ししていきます。それでもその地位協定とは何なのか、どういう経緯で今日に至ったのかについてお話ししなければなりませんので、まずいささか大げさですが「私と地位協定」というようなところから口火を切っていこうかと思っています。
私は1961年に長崎放送という長崎県の民放に入社して1963年から1971年まで8年間、佐世保で取材記者をしました。その間、1964年には原子力潜水艦「ソードフィッシュ」が入ってくる。1968年には原子力空母「エンタープライズ」が佐世保に入港するというような大きな出来事があった。それがその後の生き方を決めたのですが、佐世保に行ってまず初めて「ああ、これが地位協定なんだな」、「安保条約とはこれだな」という景色――私にとっては原点のような光景があります。それは基地のそばに置かれた立て看板ですね。「米海軍施設 無断立ち入りは日本国の法令により処罰される( U.S. naval facilities Unauthorized entry punishable by Japanese law)」そう書かれているんですね。いまもそう書かれているはずです。「これは一体何だ」というのが率直な疑問でした。もちろん安保条約があることは知っていましたけれども、安保条約第6条「基地の供与の実施に基づく地位協定」という協定があって、その協定のもとでさまざまな特例法、安保特例法と呼ばれる法律があって、そのひとつの刑事特別法があって施設等侵入罪という罪がある。それがその立て看板の意味なんですよね。「無断侵入は日本国の法律により処罰される」ということがあって、それが地位協定についての最初の出会い、そこから私の地位協定の勉強が始まったということになると思います。
以降、それに関して何10本の原稿を書いてきたかおぼえていませんが、ずいぶん書きました。その中で知ったことは、そもそも外国の軍隊がよその国に常駐するということ自体が異常であり、異様である。またそういうことはなかったということなんですね。国家は領土主権という固有の権利を持っているわけです。それによって成り立っているといっても過言ではない。一方軍隊は。
その属する国の暴力装置という性格を持ちますから、その国に対する忠誠またその国にとっては不可侵、侵すべからざる部分であると認識される。ということはその軍隊が外国に駐留する、駐屯するということ自体が考えてみれば矛盾、撞着、ジレンマそのものであるわけです。かつてはそういうことはあまりなかった。
ひとつあるのは戦時国際法に規定された戦時占領、これは沖縄の場合が典型的に当たります。1945年4月1日、ニミッツ司令官が指揮官となった米軍部隊が沖縄に上陸して4月3日か4日に「ニミッツ布告」という日本の法律を一切停止する、日本国の立法、司法、行政権は停止されたという宣告をします。これは戦時国際法による権利として軍隊に認められていると理解されますね。こういう戦時における占領というものがあって、沖縄はそうなった。もうひとつは植民地の場合ですね。例えば日本がかつて満州に満州国という「国家」をつくってそのときに日満議定書という、いまでいう地位協定のようなものを交わして関東軍をそこに置くことを許可させました。イギリスがインド駐屯軍を経営していたのも同じようなことですね。つまり植民地における駐屯軍。もうひとつはわれわれが経験したことでありますけれども、降伏の条件としてポツダム宣言を受諾した、そのポツダム宣言には日本帝国軍隊の解体、戦争犯罪人の処罰、日本を民主的に育成していくというようなこと、「吾等ノ条件ハ左ノ如シ」と書かれた条項があります。その条項がちゃんと守られるかどうかを監視するための「保障占領」という名称で呼ばれますが、保障占領というかたち。軍隊がよその国に駐留するというのは戦時占領か植民地の駐屯軍か保障占領か、ということしかない。どれも異常な事態で、一時的なものです。
ところが第2次世界大戦が終わって冷戦なんていう、戦時ではないが平時でもないというへんてこりんな状態が出てきました。あまり歴史の中でもないですね。戦争でもない平和でもないという事態。その中でアメリカとソ連は各々の陣営を集団自衛権、集団防衛条約の中に取り込んで、かつ軍隊を駐屯させる。特にアメリカの場合は全世界的に駐屯させるというシステムを作り上げました。ソ連は東ヨーロッパが中心ですが、アメリカは極東からアジア、中央アジア、ヨーロッパまで作り上げて、それぞれ条約をつくるわけです。一番典型的なものがNATO、北大西洋条約と呼ばれる条約です。それにもとづいてアメリカ軍が常時駐屯する。そういうことをやるようになった。先ほど申し上げた戦時占領、保障占領、植民地における駐屯軍と違うかたちの軍隊の常駐ということが、戦争ではない中で通常の状態になった。これが冷戦期における軍隊の配置の特徴です。
そこでふたつの国家主権――領土主権と軍隊の不可侵性が根源的にぶつかるようになる。それを何とか調整する目的で地位協定、軍隊の地位に関する協定というものができた。日米地域協定もNATO協定も米韓地位協定も同じようなものですね。そもそも相容れないものを何とかうまく調整する、そこには当然ながら力関係が反映されます。アメリカ、派遣国の力が強ければ受け入れ国は押されて弱くなる。受け入れ国が強ければそれを跳ね返すということになります。冷戦が終わった後ドイツ、イタリアが地位協定の補足協定で国内法優位の原則をつくって、地位協定を改定して国内法優先原則をつくるというやり方で自分達の領土主権を拡大する、そういうこともできるわけです。
しかしこれから見ていくように日米の地位協定は占領期、日本がポツダム宣言を受諾して降伏し保障占領として入ってきたアメリカ軍主体の連合国、それを引き継いで、その遺産というか既得権益を引き継ぐかたちで安保条約ができた。安保条約が改定されて地位協定となり占領特権が肩車されるように日米行政協定、日米地位協定、そしていまのガイドラインという日米防衛協力の指針の中で基地の特権を拡大していっている。そういうダイナミズムというか歴史の動きを理解しなければならないだろうと思います。基地を本土に引き取ろうというような人たちがいると思いますが、その方々は基地ができて、行政協定、地位協定そしてガイドラインの中でどういうダイナミズムを持っているのか、また地位協定の本質、あとで述べるような全土基地方式、どこにでも基地をつくることができるという、およそ条約ではないような条文を持った地位協定の中で、それを変えずに基地を引き取るなんていうことを言い出したらどうなるのか、見当もつかないということをわきまえなければならないだろうと思います。そのためにも、地位協定を知ることが大切だと考えます。
日本がポツダム宣言を受け入れて連合国に降伏して、その保障占領によって日本各地、私が当時住んでいた北九州市、当時は小倉市とか若松市とか八幡市でしたけれども、そこにアメリカの陸軍第24師団という部隊が小倉城を司令部にして駐屯していました。沖縄も戦時占領の延長線上で「銃剣とブルドーザー」という言葉であらわされるように布令・布告、戦時占領そのままに軍権力をむき出しにして基地を拡張していた、というのが1945年から1950年です。現象でいいますと、朝鮮戦争によってアメリカがアジアの戦争に関与していくという時代であったわけですね。日本は講和条約、日本国との平和条約、対日平和条約によって独立を果たします。1951年9月8日そして1952年4月28日が発効の日になります。
そうすると、沖縄はさておいて、日本本土でいえば、保障占領というのはポツダム宣言という降伏条件を履行させるために、それを監視するということが目的でしたから、当然ながらサンフランシスコ講和条約によって日本が主権を回復する、独立を回復するということになると、連合軍・占領軍は引き上げなければならない。サンフランシスコ平和条約第6条(a)「連合国のすべての占領軍は、この条約の効力発生の後なるべくすみやかに、且つ、いかなる場合にもその後九十日以内に、日本国から撤退しなければならない。」、そう書いてあります。ですからアメリカ軍主体の連合国軍隊は1952年4月から90日以内、その夏までに基地もろとも撤退しなければならない、はずであった。しかしそうならなかった。なぜか。
吉田茂首相は日米安保条約という日本の安全保障の方法を選択して、サンフランシスコで平和条約に調印したその日、条約調印はオペラハウスという立派なところで行われるんですが、同じサンフランシスコにあったアメリカの陸軍の下士官集会所というあまりたいしたことのないようなところで、日米安保条約に彼1人で調印するんですね。サンフランシスコ平和条約の全権団は超党派、社会党は入っていませんが与党は改進党も入っていましたけれども、安保条約は吉田茂首相1人が署名して、そのサンフランシスコで結ばれた日米安保条約によって占領軍がほとんどそのまま駐留軍になって居座ることになった。これが第一の変質です。そのために結ばれた協定が日米行政協定といいます。行政協定ですから国会には承認の必要がない。政府間の行政取り決めという体裁です。ですから審議も行われませんでしたし承認もありませんでした。講和条約が発効し、その講和条約によって占領軍は撤退の義務を負った。その同じ日付けに安保条約を結んで、占領軍に駐留軍としての資格を与えて踏みとどまることを容認した。
岡崎=ラスク交換公文というものがあります。岡崎勝男外務大臣、ディーン・ラスク、のちに国務長官になります。その内容は占領軍を駐留軍という名前に読み替えて、基地をそれまでの占領軍「基地」を駐留軍の「施設及び区域」という名前に言い換えて、存続を許すというものです。岡崎=ラスク交換公文のさわりの部分、ややこしい文章ですが、読んでみますと「しかしながら、安全保障条約第一条に掲げる目的を遂行するため必要な施設及び区域の決定及び準備に当つては、避けがたい遅延が生ずることがあるかもしれません。よつて、日本国が、前記の協定及び取極が成立するまでの間、施設及び区域でそれに関する協定及び取極が日本国との平和条約の効力発生の日の後九十日以内に成立しないものの使用の継続を許されれば、幸であります。」。「前記の協定」とは日米安保条約のこと、「取極」とは日米行政協定です。一度読んだだけではすとんと落ちないと思いますが、要するにサンフランシスコ平和条約第6条の「いかなる場合にも90日以内に撤退しなければならない」というのを完全に骨抜きにして、まず一括してどうぞいま使っているところはそのまま使っていいとした。もし90日以内に撤退ができない、あるいは使用するかしないか決められない場合でも当面使用してもいいという物言いを日本国政府がアメリカに対して申し出て、当然ながらアメリカはいま使っているところをそのまま使い続けるということになります。
返ってきたところももちろんあります。ありますがしかし主な基地、この近くでいえば立川、横田、横須賀がそうですし、厚木、いまの赤坂プレスセンターがある麻布ヘリポートと呼ばれるようなところもあるわけです。そういうところは全部選んだわけです。ここは引き続き必要であると。つまり占領特権、占領軍特権をそのまま保障するような、延長して利用できるような条件を岡崎=ラスク交換公文によってアメリカに認める。アメリカはそれによって取捨選択をして、彼らに必要と思われるところは全て占領軍基地としての役割を安保条約に基づく駐留軍基地として利用し続けたということになります。
沖縄は、その頃、依然としてまだ米軍の軍政下にあります。沖縄は1951年9月の対日平和条約第3条によって日本国から切り離されて、アメリカの司法、立法、行政その一部または全部を行使することを認めるということになりました。ですから沖縄には安保条約は適用されませんし、占領も終わらないという時代が続くわけです。沖縄の占領が終わるのは1972年5月15日の沖縄返還――施政権返還ですが、時代を先取りしていえば沖縄返還協定第1条「施政権の返還」、アメリカから日本国へ施政権が返還されます。
そういうふうに見出しがちゃんとそれぞれの条文についています。つまり安保条約のもとへの復帰であって、沖縄県民が望んだ憲法と地方自治への復帰にはならなかった。ですから復帰式典に当時の屋良朝苗知事は参加しなかった。苦い苦い復帰であったわけですね。それはさておき、そのように占領軍が駐留軍に名を変えて、占領軍権益として保障占領の代償として収容した基地、接収した基地を、今度は安保条約に基づく行政協定によって駐留軍基地として維持した。それをまず知っておかなければならないことだと思います。
今度は60年安保改定ということになります。もっともっと話さなければならないことはありますが60年安保に飛びます。60年安保で行政協定は地位協定という、今日私たちが使う名前、Status of Forces Agreement、頭文字をとるとSOFA、「ソファ」となります。韓国の人たちは普通、韓米地位協定のことを「ソファ」と呼びます。合衆国軍隊の地位に関する協定ということです。
安保条約が改定されると同時に、かつての行政協定が地位協定と名を改めて、今度は政府間協定――行政協定ではなくてちゃんとした条約国際法として、従って国会の承認を要する案件として1960年の安保国会に提出されました。ではどんな議論が行われたのかということになりますが、地位協定に関する議論はゼロといっていい。何行分くらいかはありますが、実質的にパーセンテージにすれば0.00・・・というようなことでしょう。37日間くらい論戦が続きました。大変熱気にあふれた論戦、安保特別委員会という場での、いま読み返しても質の高い議論が議事録に残っています。しかし、それは安保条約の1条から10条まで、特に5条、6条という一番根幹の部分に集中して議論されたのであって、それも最終的には自民党政府が強行採決、警官隊を国会本会議場に導入して強行採決というかたちで成立させましたので、地位協定に関して――地位協定は28条ありますが詳細な議論はなされていません。各条ごとに、逐条審議などということは一度も行われませんでした。そもそも地位協定についての議論がなされなかった。それほど安保条約を巡る当時の与野党、自民党と社会党が中心でした。民社党と共産党、当時は公明党はまだありません、との論戦。主に社会党の論客たちが、政府、岸信介首相、藤山愛一郎外相、赤城宗徳防衛庁長官と議論するわけですが、地位協定のところには行かないんですね。行くまでもない間に自民党は強行採決をして成立させてしまいました。これは条約ですから参議院で承認されなくても自然成立、自然承認されてしまいます。ですから参議院でも地位協定に関しては真面目な議論は行われていない。
1951年行政協定と1960年の地位協定を見比べてみますとほとんど変わっていない。言葉遣いも含めてほとんど変わっていないといっていいと思います。本質的な部分は何も変わっていません。そのように占領軍特権が日米行政協定に継承され、日米行政協定が日米地位協定に受け継がれ、それがいまある。いまも有効な条約として、日米ガイドラインとか防衛計画の大綱、さらに中期防衛力整備計画などの自衛隊の装備にも反映されているようなものになっている。そういう経緯をまず知っておくべきであろうと思います。
レジメに「以上の経緯により、占領期~52年安保~60年安保~現在にまたがる不平等性が累積」という書き方をしています。敗戦ののちに占領軍が、本土の場合は主に旧陸海軍の施設でした、一部民間もありましたけれども占領開始直後は帝国ホテルや第一生命ビル、日比谷の東宝劇場など、彼らが指定したところがすべて占領軍施設になるわけですね。それが1951年の講和条約でそういう部分は返ってきます。しかし横須賀基地、立川基地というような旧軍施設は返ってこない。返ってこないのと同時に、同じ時期に始まった日本の再軍備――自衛隊創設によって、返すときには地元に返すのではなくて自衛隊施設として返還するというかたちをとります。自衛隊の施設、いまいる基地はほとんどが最初は陸海軍の基地としてつくられ、次いで占領軍基地として接収され、その後占領軍が自衛隊の基地とすることを条件に、返還するという成り立ちをしたところが圧倒的に多い。そこで例外的なところがないわけでもないです。例えば旧軍港都市返還法という法律がいまもありますが、横須賀、呉、佐世保、舞鶴この4軍港に関しては、民間企業が望む場合にはその民間企業に優先権がある。その自治体、地方公共団体が公共目的に使うという場合には無償で払い下げなければならないという1950年にできた法律で、まさに新憲法の息吹をそのまま伝える法律です。そういう法律によって自治体の発言権が少し留保されたところもありますが、しかしおおむね圧倒的には占領軍から駐留軍へ、また占領軍用地、駐留軍用地から自衛隊用地へという転換をして受け渡され今日に至るという流れができてくると思います。
そこでレジメの「Ⅱ〈隷従・地位協定〉がつくりだした主要な問題点」という、一番今日的な状況とも重ね合わせながら考えていくところに入ります。まず何といっても地位協定の特色としてあげなければならないのは、協定第2条に書かれた「全土基地方式」、つまり日米が合意すればどこに基地をつくることも許される。これを全土基地方式という言葉のくくりにするわけです。こういう条約はドイツにもないし、イギリスとの条約にもないしイタリアとの条約にもない。まさにどこにつくろうとも日本政府が承認しさえすればいい。地位協定25条に日米合同委員会という組織があって、その合同委員会の合意あるいは日米の、最近お聞きになる言葉として日米安保協議委員会、2+2(ツー・プラス・ツー)で合意すればどこにおいてもいいということになります。一番典型的な例は辺野古ですね。あそこに基地ができるなんて住民はそう指名されるまで夢にも思っていなかったでしょう。そういうかたちで基地がいきなりつくられる。
全土基地方式はもちろん日米行政協定の時代からありましたので、例えば本土の基地闘争の走り、内灘闘争、石川県の内灘に大砲の試射場をつくるということが突然発表されて、地域ぐるみのものすごい反対闘争が起こった。伊豆の新島にも同じようにあった。初期の基地闘争というのは全部ある日突然「ここに基地をつくる」という通告を受けて、「冗談じゃない」ということで始まったものですね。そのような類例のない特権というか、占領軍が持っていたような権限を地位協定にある合同委員会に与えて、了解・合意さえあればどこにでも基地ができるということが明記されています。
第2条の追加提供というかたち、これはそのあと「Ⅲ」のところにガイドラインを紹介していますけれども、2015年のガイドライン――日米防衛協力の指針という安保条約に基づく日米の軍軍連携、Military to Militaryの連携、別名ウォーマニュアルとも呼ばれる自衛隊と米軍の行動マニュアル、これを「ガイドライン」といいます。
そのガイドラインの一番新しいバージョンである2015年ガイドラインには、基地の追加提供、一時使用という約束がされています。3箇所に「施設の使用」という言葉が出てきます。「施設」とは基地のことですが、安保条約と地位協定には「基地」という言葉が1回も出てこないんですね。基地という言葉の替わりに「施設・区域」、「施設及び区域」、「施設または区域」というように「施設」、「区域」という言葉で基地をあらわしています。非常におかしなことですが、これは全部「基地」と読み替えなければなりません。
2015年ガイドラインには「日本政府は、必要に応じ、日米安全保障条約及びその関連取極に従い、施設の追加提供を行う。」と書いてあります。「日米両政府は、施設・区域の共同使用における協力を強化する。」と書いてあります。「日本政府は、必要に応じて、民間の空港及び港湾を含む施設を一時的な使用に供する。」という記述もあります。ガイドラインには3箇所「施設、区域」という項目がありますが、それはいずれも日米地位協定第2条の全土基地方式を受けたものと見なさなければならない。こういうふうに日本政府も積極的に追加提供を合意している。こういうところに「引き取り論」が加われば安倍さんは大喜びするだろうと思います。要するに白紙の委任状をもらったという使い方を間違いなくするだろうと思います。ガイドラインには「日米両政府は、施設・区域の共同使用における協力を強化する」と書いてありますし、「民間の空港及び港湾を含む施設を一時的な使用に供する」という約束もなされています。具体的な例はもう少し後にいくつか見ることにします。地位協定第2条にいう全土基地方式と呼ばれる、特異な、世界でもまれな、一括して「どうぞお好きに」というような利権を与えていることになるんですね。そこから、ひとつは追加提供の余地があるということはいま申し上げました。
もうひとつは拡大解釈ということがあります。これは2条もそうですし、第5条が対象になります。われわれがよく知っているのは低空飛行訓練ですね。これは第5条の移動の自由、米軍に基地を貸したわけですから、それを承認したわけですから、当然米軍がそこに入ってきます。入ってくると道路を使わなければならない。空軍基地の場合は空からのルートが約束されなければならない。アクセスの権利が付随します。それはわかります。基地を認めた以上、道路なり空路なりにアクセスする権利がある。第5条は移動の自由を認めています。これを拡大解釈するとどうなるかというと、厚木から米軍の戦闘機が沖縄に移動する。沖縄に移動する途中に奈良県の十津川渓谷で低空飛行訓練を行って峡谷をすれすれに飛んで、それからまた上空に上がって沖縄まで行く。これはブルールートです。いま日本国全土にブラウンルート、ピンクルート、レッドルート、ブル―ルート、オレンジルートというものがあって、自由に空域を、移動の自由ということで飛び回っているわけですね。それはやがて、日本政府は認めましたので、オスプレイが同じように低空飛行訓練をすることも考えられます。いま各地でオスプレイに対する監視の目が非常に厳しいので、どこに現れたということがすぐに通報されますのでおとなしくしているようですが、しかしそれはどうなるかわかりません。少なくとも低空飛行訓練というような、地位協定第5条の移動の自由を拡大解釈したかたちというのはずっと行われてきた。それによって墜落事故が起こったり、ということもあります。
さらに港湾法で認められた全てのオープンにされた港に軍艦が寄港する権利です。これも地位協定第5条を外務省は承認していますから、アメリカは外務省の解釈に従って、必要であれば小樽に空母を入れる、新潟にイージス艦を入れるということをやります。これは地位協定第5条の移動の自由、基地を提供したらそれに伴うアクセスは最低限必要であることは確かにわかりますが、しかしそれを拡大していいという理屈にはならないわけですけれども、低空飛行訓練もそうですし、民間空港、港湾への着陸・寄港もそうです。
さらに今度は「思いやり予算」という、これは地位協定第24条、防衛費、米軍基地、駐留軍基地の運営に関して費用、経費の負担を定めた条項です。地位協定第24条は施設及び区域、つまり基地の土地、固有の建築物、横須賀でいえばドックとかクレーン、土地そのものは日本政府が無償で提供する。そこが民有地である場合には地主、土地所有者に日本政府がお金を払い、無償で米軍に提供する。しかしそれを維持し運用する経費は日本政府の負担にかけないと日米地位協定第24条は明記しています。つまりただで提供します、その代わり使うのに必要なコストはあなた方がお支払いください、当たり前のことですがそういうことになっている。1970年代までは。
従って基地労働者の賃金は全部アメリカ持ちでした。それから基地の中の住宅が老朽化して立て替えなければならない、これはアメリカの議会が予算を支出して立て替える。滑走路が痛んできた、これもアメリカの予算で行う、それが地位協定の建て前です。
いまはそうなっていない。いまは思いやり予算なるへんてこりんな言葉がつくり出されて、アメリカ軍経費、在日米軍経費の74.8%が日本政府の地位協定に基づく支出によって維持されている。兵士の給料以外、だいたい日本人持ち、日本国持ちといっていいかもしれません。4分の3まではそういう経費です。それが思いやり予算という品目、何となくいかがわしい、へんてこりんだなあという印象を受けますが、地位協定第24条はちゃんと割り勘だと書いてある。割り勘だと書いてあるのに、そういう経費の分担の約束を「思いやり」でやっているんですね。
わたしはもうずいぶん昔、2000年に「在日米軍基地の収支決算」(ちくま新書)という地位協定のみを扱った本を出しました。最近では地位協定について書く人が、とくに沖縄の人でいますが、この頃は誰もいなくて、ずいぶん学者の方にも引用していただきました。この本は、思いやり予算というのはどういう発端で出てきたのかということを国会議事録で調べました。いまは国会議事録をインターネットでダウンロードできますが、18年前はとてもそうはいかなかったので苦労しました。金丸信という自民党のアバウトな政治家がいて、この人が思いやり予算という言葉をつくったんですけれども、それがいつの間にか肥大化して、本来は割り勘であるべき基地負担が4分の3まで日本の負担になっているという現実があります。
24条を正式に引用しますと「第24条 必要経費の負担 日本国に合衆国軍隊を維持することに伴う全ての経費は施設及び区域並びに路線権を日本国が負担するべきほか、この協定の存続期間中、施設整備費、労務費、光熱費など維持管理費は日本国の負担にかけないで合衆国が負担する」、これが24条における経費負担の約束です。本来そうですし、いまもこの24条自体はこの通りで何も変わっていない。
ただ思いやり予算、いまは特別協定予算と防衛省、外務省は言っていて、思いやり予算という言葉はあまり使いません。しかし特別協定予算という言葉で正当化しようが地位協定24条は依然として変わっていないわけですから、あとの特別協定なるものがいかがわしいことにいささかの変化、違いはないことになります。そういう例がいっぱいなんですね。
特に米軍特権の最たるものとして、第2条の全土基地方式から敷衍して日米が合意した岸信介とクリスチャン・ハーター米国務長官の合意、岸=ハーター合意といいますが、第2条に基づいて合衆国がとることのできる措置というものが6項目あります。すさまじいものです。「1施設及び区域を構築(浚渫及び埋立てを含む。)し、運営し、維持し、利用し、占有し、警備し、及び管理すること。2建物又はその他の工作物を移動し、それらに対し変更を加え、定着物を附加し、又は附加物を建てること及び補助施設とともに附加的な建物又はその他の工作物を構築すること。3港湾、水路、港門及び投錨地を改善し、及び深くすること並びにこれらの施設及び区域に出入するために必要な道路及び橋を構築し、又は維持すること。4施設及び区域の能率的な運営及び安全のため軍事上必要とされる限度で、その施設及び区域を含む又はその近傍の水上、空間又は地上において船舶及び舟艇、航空機並びにその他の車両の投錨、係留、着陸、離陸及び操作を管理すること(禁止する措置を含む。)。5合衆国が使用する路線に軍事上の目的で必要とされる有線及び無線の通信施設を構築すること。前記には、海底電線及び地中電線、導管並びに鉄道からの引込線を含む。6施設又は区域において、いずれの型態のものであるかを問わず、必要とされる又は適当な地上若しくは地下、空中又は水上若しくは水中の設備、兵器、物資、装置、船舶又は車両を構築し、設備し、維持し、及び使用すること。前記には、気象観測の体系、空中及び水上航行用の燈火、無線電話及び電波探知の装置並びに無線装置を含む。」。
このように、地位協定第2条で決められたことをさらに岸=ハーター合意で細かく深くしていくということになって、米軍の特権はさらに強められていきます。それらを保障しているのが安保特例法、安保条約に基づく特例法です。先ほど安保に基づく刑事特別法という法律を挙げました。それもそのひとつですが、安保特例法は、数え方にもよりますが、法律だけではなくて訓令・規則というものを含めると、私の持っている表で42あります。よく知られているのは、沖縄で問題になりました地位協定の実施に伴う土地等の使用等に関する特別措置法という駐留軍特措法とか、土地特措法といわれる法律ですね。
そのほか低空飛行訓練のたびごとに問題にされる航空法の特例があります。これは航空法を米軍に関してはあらかた、根幹部分は適用しない、自衛隊には適用している条文も米軍には適用しないという航空法米軍特例法という法律があります。検疫法米軍特例法、水先法米軍特例法、港湾法米軍特例法、所得税法米軍特例法、地方税法米軍特例法、このように数え上げると42個あります。その後また増えているのかもしれません。こうした安保条約の特権を地位協定が細密化し、その地位協定によって約束した事項に関して、この法律を免除するとかこの法律は米軍には適用しないとか、ひとくくりにまとめてしまう米軍特例法とか、安保特例法と呼ばれる法律群ができてくるわけです。
そのひとつに私が1963年に佐世保で初めて、「おや、これは何だ」と感じた刑事特別法、施設等侵入罪という、フェンスがあるところに入ったら1年以下の懲役又は1万円以下の罰金に処すという刑事特別法です。同じ刑事特別法には秘密法、合衆国の利益を害する目的で、または不当な方法で秘密を収集したものは10年以下の懲役に処すという条文があります。「利益に反する目的」とか「不当な方法」いうのは向こうが認定するわけですから、あるいは日本の司法当局が認定するわけですから、本人がそうではない、取材の自由だといってもだめです。
現実にこの条項に関してはジャーナリストが何人か検挙されました。有名な青木日出雄さんという航空ジャーナルという雑誌を主宰していた人が、横田基地から米軍の秘密を盗んだという理由で検挙された。彼の場合は事情聴取で済みましたけれども、そしてそれは別に秘密でも何でもない公開の情報であるということがわかったので、訴追されませんでしたけれどもそういうことがあった。
有名な事件では、横須賀でクリーニング屋さんが秘密条項に引っかかって検挙された。これは送検されて、たぶん罰金で済んだのだと思いますけれども処分されました。クリーニング屋さんは空母がいつ入ってくるか、何時に入ってくるかという情報が知りたいわけです。それを知れば岸壁のそばで待っていて注文を取ることができるということで、当時横須賀のクラブなどに行けば米兵に関してホステスからの情報が取れるということがあるわけですね。私も佐世保にいたときはこういう外国人のバー情報というのは非常に重宝しましたけれども、彼女たちやバーのマネージャーというのは全部知っているわけですよね。それを知らないとビールの仕入れにだって影響しますし、必ず業務上必要な情報なんですけれども、しかしこれは「合衆国の安全を害する目的」と見られれば摘発される。横須賀のクリーニング屋はそういうかたちで立件されたケースです。それもひとつ刑事特別法という安保特例法の運用によってもたらされる権利侵害ということになります。
それからいうまでもなく、地位協定が持つ不平等性の最たるものとして私たちが知っているのは17条の裁判権です。17条は刑事裁判権を定め、18条で民事の裁判権、両方とも請求権という言葉でくくられます。刑事請求権が17条に入ります。特に沖縄で一番問題になっているのは、この17条の裁判権なんですね。沖縄は、何度もいいましたように、最初は戦時国際法によって軍政に置かれて、それがやがて琉球政府というアメリカ人の政府に移管された状態でした。さらに1972年の施政権返還によって施政権は戻されたものの、第2条安保条約の適用、第3条基地の使用という条件で、ほぼまるごと基地を受け入れたまま本土復帰ということになった。これは沖縄の人たちが願った、そうあるべきだと思っていた返還とは全く違っていたんですね。今年、直木賞を受けた真藤順丈さんの「宝島」という本を読みましたけれども、これは大変面白い。沖縄戦後史を描いている。ほとんど大きなところはそのまま現代史、そこに架空の人々が動くという筋立てですが、沖縄の置かれた戦後の混乱、過酷さがあらためてよくわかったんです。沖縄の人たちは、17条が一番の人権無視、権利を蹂躙する条項として理解している。
それが1995年の少女暴行事件という、自然発生的に大県民集会が起こって当時の大田昌秀知事が抗議するという動きになりました。つまりこういうことです。海兵隊員が少女をレイプした。琉球警察、沖縄県警察は容疑者を割り出して逮捕しようとした。すると米軍当局は身柄を引き渡さない。その根拠に地位協定17条を持ち出して、日本側が起訴すれば身柄を引き渡す。起訴するまでの間は米側が身柄を留置すると書いてある。確かにその通りです。ですから引き渡さない。調べに来たければ基地に刑事が来て調べろ、こちらはアメリカの軍法に従って法務士官、弁護士を立ち会わせる。9時5時だ。土日はだめだ。その通り地位協定に書いてある。
私が1960年代に佐世保でサツまわりを始めたとき、サツまわりは基地まわりでもあるわけです。当時はちょうどベトナム戦争のさなかでしたので、大麻が米兵の間に流通していた時期でした。それが外国人バー、A級社交場組合のホステスとかマネージャーとかバンドマンを通じて市内に入ってくる。それを佐世保警察が検挙するわけですが、現行犯であったら地位協定17条抜きに逮捕できるんです。留置もできるけれども、捜査の結果割り出した者を逮捕しようとしたら、17条を楯に相手は身柄を引き渡さないんですね。調べに来るのは結構ですよ、9時5時ですよ。土日はだめですよ。法務士官を立ち会わせますよというような、非常に窮屈な、それが容疑者、被疑者の人権に配慮しているので当然だという見方もできないこともないけれども、そういうかたちでやっている。それを私は経験しましたので沖縄の人たちの怒りがさらによくわかるんですが、日本外務省も、日本人の側に立とうとしない。アメリカ人の側に、アメリカの権益の側に立つ。それがさらに沖縄の人たちの怒りを買ったという経緯があります。
裁判権は日本が行使しない。これは公務中の米軍構成員、米軍軍属に関しては一切裁判権は放棄するということです。低空飛行訓練は当たり前ですが公務ですから、これで事故を起こしても日本の警察、検察は指一本挙げられないということになります。日本人が死んでも、です。公務ですから。これは非常に納得しがたいけれども、そうなっている。2004年、沖縄国際大学にヘリコプターが墜落した。あのときは死傷者は出なかったのですが、基地の外であるにもかかわらず、彼ら米軍は現場を固めて日本の警察、沖縄県警にも捜査させなかった。これは公務中だったから、彼らは捜査権と裁判権を持つということが端的に表れているわけです。そういう裁判権の問題ですね。
先ほども申し上げました施設等侵入罪、「合衆国軍隊が使用する施設または区域に入り、退去しない者」は1年以下の懲役に処す。合衆国軍隊の機密を侵す罪については、「安全を害すべき目的、または不当な方法で」というような根拠の場合には、10年という大きな刑が科されるわけです。
地位協定は全文28条からなりますが、そのひとつひとつに問題があります。非常に不平等性があるし、遊休基地は返還しなければならないと書いてあるにもかかわらず、全くいかされていないということがあります。日本の国内法を守るべきであると16条に書いてありますが、しかし2条には先ほど読み上げたような権利まで差し上げているという矛盾があります。なぜそういう矛盾のある条約、協定が通用しているのかというと、審議されなかったから、国会で議論されなかったからということが非常に大きな理由です。きちんと議論して、われわれが新聞を読みラジオを聞いたりしていれば、それはおかしいと反応したはずですね。しかし安保条約に関してはすごい議論がありましたが地位協定にはなんの議論もないわけです。矛盾に満ち、相前後しているような条文がずっとそのまま維持され、しかも第2条、第5条に関しては拡大解釈され、第24条に関しては思いやり予算なんてへんてこりんなものができ、ということになってきている。それを安倍政権はさらに拡張しようとしています。
先ほど2015年ガイドラインの基地の追加提供については申し上げました。このようにガイドラインには基地の追加提供と一時使用について、日本政府がアメリカ軍と合意したということを明文化しています。さらに昨年に出されたアーミテージ報告があります。アーミテージという、安保マフィアというべきでしょうか、元国務副長官をした人で共和党系ですが、反トランプなので政権に入っていないんです。もう1人ジョセフ・ナイという人がいて、この人は民主党系です。リチャード・アーミテージとジョセフ・ナイの2人が中心になって出される報告なので、アーミテージ=ナイリポートとかアーミテージ報告といわれます。2000年、2007年、2012年そして2018年の4回出ていますが、これがものすごく大きなインパクト、日本政府に対するプレッシャーとして作用しているんですね。集団的自衛権行使、安倍さんが戦争法でつくった安保の運用のあり方は、アーミテージ報告が2000年以来、第1次から第3次にかけてずっと主張していた「集団的自衛権は当然持つべきだ」といっていたことを安倍内閣の時代にいかされたということになるわけです。
その最新版が昨年、2018年にでました。そこには驚くべきことが書いてある。10月3日、第4次アーミテージ報告はいろいろあるのですが、私が注目したのは「Japanese- flagged bases」、「日本の国旗を掲げた基地から米軍は出撃すべきである」、つまり自衛隊基地を我がものとして、米軍のものとして使いたいということです。そのあたりを原文に即してもう少し細かく見ていきますと、統合基地からの作戦、「Operate from Combined Bases」というようなことで始まっています。「日米は、米軍と自衛隊が別々に使用している基地の統合と共同使用に向けて動くべきだ。最終的には在日米軍は日本の国旗をかかげた基地から部隊運用すべきだ」。ここは正確にいいますと「all U.S. forces in Japan should operate from Japanese-flagged bases」となっています。「及び共同統合任務部隊(Combined Joint Task Force )と常設司令部(standing staff and responsibility )の樹立を目指すべきだ」。これはもう完全に日米両軍が合体するということを提唱しているわけです。現にいま起こっている、われわれが目撃しつつある自衛隊と米軍の動きは間違いなくこの方向です。特に第4次アーミテージリポートを基地の問題から見ようとするときに 「Japanese- flagged bases」、これを米軍が使うようにすべきだと提唱している。
そのあらわれとしてもういくつか出ています。自衛隊が米軍基地を使うということが「地位協定2条4項a」です。キャンプハンセン、キャンプシュワブのような沖縄の基地には、現にときどき自衛隊が入って訓練しているんですね。これは「地位協定2条4項a」によって自衛隊が米軍基地を一時使用する。逆に自衛隊が管理している基地を米軍が一時使用するのが「地位協定2条4項b」になるんですが、航空自衛隊の築城基地、新田原基地――福岡県と宮崎県ですが、これはいうまでもなく自衛隊基地としてわれわれは認識しています。けれども、全土基地方式ですからいいんですよ。合意すれば「はい、では時期を限って築城基地を『地位協定2条4項b』によって共同使用する」。
これはいま審議中の今年度予算案では駐機場、米軍のための弾薬庫など235億円です。この予算案が通れば入札が行われ、業者の選定が行われ、工事が始まり、やがて何年かあとには築城基地、新田原基地は日米共同使用基地になる。これも全土基地方式がもたらす当然の帰結なんですよ。こういうかたちです。
それから佐賀のオスプレイ基地も、もともと沖縄の米軍のオスプレイを佐賀で訓練させるということが事の発端でした。ものすごく地域住民が反対して、政府はたちまち撤回しました。その代わり自衛隊に佐賀空港を使わせて欲しいという「お色直し」をして再提出して、まだ佐賀県側は態度を表明していません。従って用地買収も測量も行われずという状態が数年続いています。ここも自衛隊がオスプレイ基地というかたちで使用し始めれば、沖縄の普天間のオスプレイは間違いなく来る。いま横田にいる空軍のオスプレイも利用する。まさにアーミテージが言っている「Japanese- flagged bases」になることは間違いない。それ以上にいま秋田市と萩市でイージス・アショアが問題になっています。まだ両県とも態度を表明していませんし、何より地元では反対運動が非常に強いものがありますからそう簡単にはいきません。これは陸上自衛隊の基地という触れ込みでもってきていますが、中味は全部アメリカ製の兵器ですし、アメリカ製のノウハウです。アメリカが何より望んでいることなのですから、もしできあがってしまえば、そこにアメリカはドッキングしてくる。それはほぼ間違いないことと見通しておかなければならないだろうと思います。
地位協定の条文に添って、それもごく一部の条文にしか過ぎませんが、それをあらかた見るだけでこの協定がいかに不平等性、隷従の下に日本及び日本人を置いているか明かです。さらにそれが占領軍の特権、権益に発し受け継がれながら、行政協定、地位協定、そしてさらに最近ではガイドライン、アーミテージリポートのようなかたちで、現実に日本をさらに基地のくびきにつなぎ止めているという実態が浮かび上がってくるだろうと思います。どのようにそこから抜け出すのかということに関しては、今日は全くお話をする機会がありませんでした。逆に日本がそういう立場に置かれながら、しかし海外派兵のようなことをやっていくと、自衛隊が外国に出て行くようになっていくと、今度は地位協定を日本がひっくり返したようなかたちで相手国に対して要求していくような例が出てきます。
例えばジブチに日本は恒久基地をつくっていますが、ジブチ共和国政府と日本国が結んだ地位協定を見ると、日本が痛めつけられた分をそっくりお返ししようというような、そんなふうに見えるような条約のつくりです。被害者が今度は加害者になっている。それも考えなければいけないことです。
いずれにしても大変大きな問題があります。地位協定を知ったことから、私たちが次になすべきことは、どういうふうに変えていくかということです。それは例えばドイツとイタリアが、冷戦が終わったあとにこんな不正常な、それまでなかったような軍隊駐屯のあり方を、ドイツの国家主権と国内法をベースにした国内法優位の原則によって地位協定をあらためていく。イタリアも同じです。イタリアでは米軍基地の司令官はイタリア人の将官になっている。ですから滅多なことはできないわけですよね。そういうかたちで折り合いを付けていく。
最終的な折り合いはつかないと思います。軍隊の不可侵性、軍隊というのは、アメリカ軍隊はアメリカの星条旗と統一軍法の下に規律されるというところはどうしても譲らないと思います。日本は領土主権を譲ってはならないわけですから両者がwin-winの関係になることはないですね。基地を撤去させる以外にはないです。でも基地を維持しながら、ドイツのようにイタリアのようにするか、あるいはフィリピンのように「では出ていってください」と全部の基地を撤収して民活しているような国もあります。いろいろなケースを調べながらその中から「日本型」をつくっていくということを私たちはしっかり論じなければならない。そうした現実を知りながら、また経緯に関してきちんと踏まえて、その上でどうするのかということを論じないと、基地の「受け入れ」、「引き取り」という議論は危ないだろうと思います。
土井敏邦 監督作品
2018年 170分
東電福島第1原発事故からまる8年が過ぎた。映画は原発事故で故郷から離れなければならなくなった10数万の被災者たちの声を、土井監督が4年の歳月をかけて集めた証言ドキュメンタリーだ。100人ほどの証言者のなかから14人の映像と証言が2時間50分にまとめられている。8つの章に分けているが、印象的な証言をみてみたい。
第2章の「仮設住宅」では、4畳半一間の仮設住宅のくらしを克明にカメラが映し出す。実に狭く、これが仮設の暮らしか、と驚かされる。その空間の狭さは、人間らしさを保てるかどうかギリギリだ、という印象をうける。災害後のニュース映像などで見ると、もともと自然に恵まれ、3世帯、なかには4世帯の暮らしも珍しくなかったこの地域では、大きな家と田畑があり、各世代がそれぞれに暮らし合っていたことが伺われる。これが人間らしい暮らしなのではないか、などと感心していた私であった。これまでの暮らしと仮設住宅、その落差に心が痛む。
そんな仮設住宅の暮らしを、藤島昌治さんは、「明るい時はいいんですが、暗くなって本当にひとりぼっちになってしまった時に、ひじょうに落ち込んでいる・・・そういうことが、男の人が朝からお酒を飲んだりするものにつながる」と言っています。そして仮設住宅の暮らしを詩につくっています。
特別に何かが/欲しい訳でもありません/特別に何かをして/欲しいとも言っていません/「ベッド」を置くスペースが欲しいだけです
震災前/ボクは木彫りが好きでした/仮設住宅の四畳半のくらしは/鑿も木槌も/握らせてはくれません/それどころか/ときどき腰痛に/意地悪をされて/「ベッド」で寝めたらと/脂汗と溜息を洩らします
想像できますか/仮に四畳半に入れたら/生活(くらし)は成り立ちません
返してくれませんか/震災からこれまでの失われた時間を・・・/あなた(東京電力)に押しつけられた/賠償金は/そのままあなたにお返しします/どうか今までの時間を/返してください/・・・・
第5章の「学校」では津波に襲われた学校の教員であった小野田陽子さんが証言している。今も現職教師の小野田さんには生徒からの生々しい声が届く。白河市に転向している教え子が、喧嘩をすると「放射能が移るから来るな!」「お前の持ち物は、全部もらい物だろ?」と言われる。運動会で走って勝つと、「あいつ、金もらってるんだぞ」と言われる。こどもは「知らんぷりするしかない」というが、自分の故郷がどこか言えない、出身地がどこか言えない、という実際を語っている。
福島の中通りで夫とともに有機農業を続けている大河原多津子は、畑と土への愛着を語る。「畑や土は私たちだけのものではないんです。夫は6代目なんです。私の前の方々が大事に大事にその畑を作ってきたはずです。そういう場所なんです。畑は。私たちの生活を支える土地ではあるけれど、それと同時に、私の前に、そこを慈しみ、大切に大切につくってきた方々がいらして、・・・その時その時の生きていた人間のいろんな思いを吸い込んでいるというか、知っている。そういう場所なんですよ、畑は」。
大河原さんの有機農産物の出荷は汚染の影響で事故前よりも減少したけれど、作物にベクレルを表示してインターネットでつながる消費者の選択にゆだねて有機農業をつづけている。ちょうど私が映画を見たときに土井監督の短いステージあいさつがあった。そのなかで大河原さんは農業の合間に指人形の芝居を演じているという紹介があった。事故から数年後に福島市で女性たちの集会があり、そこで被災した椎茸農家の苦労話しの指人形劇を見た。それが大河原さんだったのではないかと思い出した。
飯館村長泥地区で代々の農家と石材加工業をしていた杉下初男さんの告白は監督とのやりとりを含めて圧巻だ。家を新築したが、長泥地区は帰還困難地域が続いている。避難の中で跡継ぎの息子を亡くした。こうした重い現実のなかで、何とか前を向いて進もうとしている。長いインタビューのなかで土井監督と言葉を交わしつつ今の思いを語り続ける。
れたものの大きさが迫ってくる。
映画はそれぞれの語り部が登場するごとに、語り部が住んでいる福島の美しい自然をとらえる。最後には李政美さんの住みきった声で「ああ福島」(作詞:武藤類子、作曲:李政美)が流れ、福島の山や川や木々や稲穂や薄い霧が現れて、ほとんど泣きそうだ。失わ
東京電力の侵した犯罪の大きさ、そして決して間違ったと言わない国というものを、変えていかなければ人間らしい暮らしは得られないと強く感じさせられた。
(土井とみえ)
3月16日(土)、午後1時30分から「2019原発のない福島を!県民大集会」が福島市の福島県教育会館で1700人をあつめ開かれた。会場は満杯で会館前の駐車場にスピーカーを準備し、第2会場まであわせた参加人数であった。
集会では、はじめに角田政志実行委員長が挨拶した。角田さんは「事故から9度目の春で、8回目の集会となる。この集会は『私たちは訴えます』という3つの目標を掲げてきた。そのなかで福島第2原発の廃炉を掲げてきた。昨年、東電は第2原発を廃炉にする方向を示した。これは大きな成果だ。また、署名も44万筆集まり、東電と経産省に提出した。一方で東電は事故炉の廃炉の行程も明示せず、冷却水の海洋投棄はじめ課題は山積している。震災関連死も増え、国の復興支援の打ちきり時期がせまっている。福島の現実と課題にとりくみ原発のない福島をめざそう。」とはなした。
特別ゲストの香山リカさん(精神科医師)は、「福島第1原発の事故は収束したとはとてもいえない状況だ。このような事故がもう一度会ったら日本は破綻してしまう。一緒に原発のない日本をつくる活動をしていこう。」とあいさつした。
つづいて壇上の呼びかけ人11人が紹介された。また、双葉町や大熊町はじめ12自治体、新聞社・テレビ局などのメディアおよび政党から後援を受けていることが報告された。
県民の訴えとして、被災者からは、「8年の被災生活で5回も引っ越し、避難が解除されてもストレスは拡大するばかりだ。被災棄民ではないか。被災者に国の保護はなかった。20ミリ・シーベルトの地域に帰れと言われても帰れない。住めない家に固定資産税がかかっている。被災者に寄り添うと言うがまやかしだ。」などと訴えた。被災地域の教育関係者からは、「被災地域の学校の休校や閉校を一気に早めたのが東電事故だ。波江中学校に勤務しているが、被災前400人いた生徒は今4人だ。今年は卒業生を出し、残る1人が転校して閉校となった。6397人いた双葉郡内の小中学生が、今は531人となった。スクールバスで通うので放課後の部活動ができない。視察が多すぎるのも悩みになっている。」などと発言した。
若者からは女子高校生が発言し、「小学校3年生の時に経験した。外で遊んでいるときに放射能が飛んでくるからと避難させられた。今、町は整備されているのに誰もいない。おかしなことだ。原発事故は将来も管理がつづく。これからは絶対に原発を増やさないように、私たちの経験を子どもたちに伝えていく」と話した。
消費者団体からは、JA・農業と漁協・漁業、森林組合・林業、それに生活協同組合が連携して活動するという福島スタイルを進めていることがパワーポイントを使って報告された。
集会はプラカードアピールの後、東電福島第2原発の廃炉をもとめるなどの決議を採択して閉会した。
(報告・土井とみえ)