本日9日の公開集会でのみなさんの報告(本誌4頁以降に掲載)で、私たちが目指す方向が、だいたい示されたと思う。
加えて先ほど、お2人から「連帯あいさつ」があった。これも、私たちの運動の特徴を表している。「1000人委員会」と「共同センター」の代表からご挨拶していただいたが、こうしたことは昔はありえなかったことだ。私たち市民運動は、この20年間、常に「統一賛成、分裂反対」を言ってきたし、目指してきた。しかし、実現は難しかった。しかし、みなさんの努力によって、今日では反戦平和の勢力、憲法改悪を許さない勢力の統一が実現できた。2014年12月の「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」の結成がそれだ。その成果が今日の集会全体にも表れていると思う。
憲法改悪反対の運動は、憲法という課題の特徴から、どうしても「日本国憲法」の問題として、一国主義的な運動になりがちで、私たちの目が、日本社会にしか目が向かないきらいがある。しかし、日本国憲法はもともと前文や9条に見られるように国際主義的な憲法であって、それを実現するには、私たちは日本社会だけに目を向けていてはダメだとの認識に達してきた。そういうことで、私たちは、このところ、とりわけ韓国の市民との連携にも努力してきた。それも、今日の集会に表れている。
198通常国会が始まった。政府の「毎月勤労統計」の偽装など、与野党のなかでたいへんな議論が起きている。私たちも、国会開会日に国会の外で集会をやり、2月19日には、日本政府が「普天間を5年で返す」と約束した2月18日の翌日にあたるが、沖縄の課題を中心に、オール沖縄などの人たちに来ていただき、国会正門前で「19日行動」をやる。国会の内外呼応して一連の疑惑の問題をなんとしても戦い抜きたい。
安倍内閣は、昨年、改憲案の「発議」どころか「提示」すら、できなかった。本当は、去年、発議をしたかったができなかった。なぜか。臨時国会で入管法の問題などで、私たちの反対の意思を無視して、安倍内閣は、強行採決をした。こうした闘いの1つ1つは敗北したが、強行採決まで至らしめた闘いは無駄ではなかった。その闘いを反映して、安倍内閣が最もやりたかった改憲の「発議」や「提示」を阻止してきた昨年、モリカケ疑惑でも、私たちは、安倍を絶対引きずりおろしたいと、4日に1回の国会デモをやり、必死に闘った。にもかかわらず、安倍政権は未だに居直っている。しかし、この闘いがあったからこそ、安倍首相らは改憲の発議すらできていないのだ。
運動というのは、このようなものだと思う。私たちの1つ1つの団結した闘い、安倍内閣を許さない闘いが、安倍内閣が最もやりたい憲法改悪に、重大な躓きを生じさせていることに確信を持つ必要がある。
安倍首相は2017年5月3日に「2020年に新しい憲法を施行する」と言った。
そして臨時国会が終わった時点で、「自分は2020年新憲法施行を忘れていない」と改めて言った。
今年、彼は、この通常国会の中で、あわよくば、改憲発議をしたいと思っていると思う。
どうしてかと言えば、衆議院、参議院で改憲勢力が3分の2を持っているのは、いま以外にない。55年体制以降ずっと、改憲勢力は、3分の2の議会勢力を持てなかった。今こそ、安倍政権をはじめとする日本の右派にとっては絶好の機会だ。この機を逃せば、再び、国会で改憲の「か」の字も議論にならなかった55年体制以降ずっと続いた状態と同じになりかねないからだ。しかし、安倍改憲は容易なことではない。
「安倍という人物は何をやるかわからないから恐い、心配だ」という話がある。確かに、そうかもしれないが、しかし「何をやるかわからないで」と言っていては対応のしようがないし、私たちの方針にはならない。私たちは真剣に安倍政権の動きを分析し、情報を分析して、「安倍政権は何をやってくるのか」「安倍のどこに弱点があるのか」を明確にして、私たちの力を集中していかなければならい。
安倍政権がやろうとしている6月末までといわれている通常国会期間中に改憲発議ができるか否か、だう。逆にいえば、私たちにとっては、通常国会期間中の改憲発議を阻止するかどうかだ。これが、安倍との闘いの第1のハードルだ。
第2に、阻止できたら、どうなるか。参議院選挙だ。私たちが、参議院選挙で、改憲派の3分の2を打ち崩すことができれば、改憲発議は問題にならなくなる。「2020年まで」の参議院選挙は、今回しかない。2019年の参議院選挙で3分の2を失ったら、安倍が言う「2020年までの改憲」は成り立たなくなる。これが第2のハードルだ。
だから、この2つの闘いで、私たちが勝利するか否かが、重要な課題となっている。
この国会を安倍政権「最後の国会」にするかどうかというのは、けして誇張ではない。そういう課題が私たちの前にあり、安倍政権が改憲できない状態に追い込んでいく必要がある。これまでの闘いで、昨年中に発議をさせなかったという所まで安倍政権を追い込んできて、その結果、安倍政権は危機に立っている。今通常国会は、もう2月だ。参議院選挙があるから、「戦争法」採決の時のようにいたずらに会期を延ばせない。2月から6月までの間に安倍さんの強行採決を阻止することが、私たちの当面の仕事になる。
安倍首相が改憲の発議をやるのは、改憲を実現したいからだ。戦争法と違い、改憲は強行採決をやったら終わりではない。戦争法は9月19日の夜中、私たちは「戦争法は憲法違反だ!」と国会を包囲して叫んだけれども、憲法違反だが、成立した。だから今、施行されている。
だが、憲法は、そうはいかない。憲法は強行採決をしても、その後、安倍首相が国民投票で勝たない限り成立しない。逆に言えば、国民投票で勝てると思えるときにしか、改憲の強行採決・発議はできないということだ。安倍首相は、国民投票で負けそうなとき強行採決はしないと思う。
だから、私は、「安倍は何をやるかわからない」などと人を脅すなと言っている。やたらと危機感を煽りたてて脅す必要はない。強行採決したら、その後60日から180日の間に国民投票をやらなければならないと、法律でなっている。この改憲手続法がいかに悪法であるかは、この間言い続けてきたので省きたい。安倍首相に国民投票で過半数を取れる確信を持たせるか、否かを私たちの闘いでどうするかが肝心だ。
戦争法を強行採決したあと、安倍内閣の支持率は、ずうっと下がっていった。世論は、「あんな大事な問題を強行採決するのか。もっと審議すべきだ」となっていた。それを人間櫓(やぐら)まで作って強行採決した。「これは、とんでもない」と内閣支持率は急速に下がっていった。自民党は、それに対して「どうせ、世論は、正月になって、餅を食ったら忘れる」と言っていた。私たちは、国会の前で「餅を食っても忘れないぞ!」と叫んだ。実際、半年以上、支持率は下がっていった。
安倍首相らは、発議すれば、国民投票をやらなくてはならなくなる。だから、おいそれと、メチャクチャな強行採決はできない。憲法の問題で、ろくに審議もしないで、強行採決をしたりすれば、国民投票で負ける可能性が大きい。
この通常国会期間中に私たちの運動が全国で盛り上がって、3000万署名がもっと広がって、安倍首相から見て、「これはたいへんだ」という状況を作れば作るほど、安倍首相は、強行採決をしにくくなる。
そして、もし、私たちが、6月までに強行採決を許さなかったら、参議院選挙での闘いになる。この選挙は、改憲派が勝ちすぎた2013年の議席の改選になる。2016年参議院選挙では、32の1人区での11を含め41を改憲反対派が取った。この41は非改選で残っており、今度の選挙区で2016年と同じ議席になれば、合計82になり、3分の1を超す。今回の参議院選挙では、最低限の目標として、こうした闘いができるかどうかにかかっている。そのために、野党は統一し、共同候補を出し、これを市民連合と市民が、全面的にバックアップして、「市民と野党の共闘」をする。これを全国で作ることによって、改憲派の3分の2を阻止する闘いをやる必要がある。このたたかいは「たいへんだなあ」「勝てそうもないなあ」という話ではなく、頑張ればできるし、勝つことができるたたかいだ。
2月14日には、市民連合と野党5党1会派の幹事長の会談をおこなう。私たちから、当面する国会に対する政策要望についての意見を出し、近く政策合意を作り、野党と市民が団結をして参議院選挙を闘うことも確認する予定になっている。
様々な手立てを打ちながら、通常国会中に発議を絶対させない、参議院選挙で改憲派に3分の2をとらせない闘いをやる必要がある。これを成功させる上で、きょうの全国交流集会は、本当に大事であると思っている。
今日、明日、みなさんで討論をし、各地に帰ってから、各地域で3000万署名運動などの大衆運動を起こし、あわせて、各地でどうやって野党を共闘させ、参議院選挙で改憲派を打ち破っていくか、その闘いをする共通認識を作ることができれば、今の課題に大きく貢献することができる。
先ほども言ったが、私たちは、ずうっと統一派だった、共闘派だった。同じ考えをもつ者が、「あれは何党系だ」「あれはあっちだ」という喧嘩を繰り返すのはつまらない、とにかく市民と一緒になって大きな統一行動をして自公政権を倒そう、と言い続けてきた。各地に帰って、もう一度、参議院選挙に向けて、一緒にやる必要があると思う。
それをやれば、厳しいけれども、勝つ可能性がある。この20年間、憲法調査会以降やってきた闘いで、改憲派をグーの音も出ないところに追い込む可能性が、今、私たちの前にある。年配の人もいるので、「せめて、この半年、頑張ってくれ」と言っている。もちろん、野党の分断策や、外交・内政での奇手を駆使しての政権浮上の策動など、予期せぬ逆流はありうる。さらに政治を変えても、韓国の民衆が苦労しているように、その政治をもっと良くする闘いは続くが、とりあえず、安倍内閣の改憲の野望を打ち破ろう。そうすれば、安倍内閣は倒れる。3分の1以上を私たちが取ることによって、安倍内閣が倒れる可能性は十分にある。それを、私たちは、2007年に第一次安倍内閣が倒れた経験をしている。今年、もう一回、それを再現させたい。
この半年、1年、お互いに頑張り抜くための全国交流集会にしよう。
(この文章は、2月9日に広島で行われた「第21回市民運動全国交流集会」のセミクローズドの交流会議の冒頭発言に若干手を加えたものです)
(事務局 高田健)
2月9、10日の両日、広島弁護士会館で「第21回 許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会in広島」が行われた。「東北アジア非核地帯に向けて」と題して全国18の都道府県から160人が集まり交流した。公開集会では高橋博子さん(名古屋大学研究員)が講演し、韓国から朱帝俊(チュ・ジェジュン)さんと、高良鉄美さん(琉球大学教授)と川原茂雄さん(北海道市民の風共同代表)が報告した。交流集会では冒頭に金子哲夫さん(ヒロシマ1000人委員会)と川后宏さん(広島憲法共同センター)のお2人が連帯の挨拶をした後、2日にわたって全国各地から日々奮闘している報告に聞き入り、意見交換した。
2日目の終わりに、各地からの意見を高田健さんは次の9点の課題にまとめた。(1)改憲阻止に向け3000万署名運動を活用する、(2)辺野古新基地建設断念のために沖縄県民投票を勝利させよう、(3)統一地方選、特に首長選挙は市民と野党の共闘をすすめ、北海道の知事選に連帯しよう、(4)(4)沖縄3区の衆院補欠選挙を勝利させよう、(5)「5・3憲法集会」を統一行動として最大限に取り組む、(6)憲法審査会が強行再開されたら改憲手続き法(国民投票法)の問題点をひろめる、(7)参議院選挙は「市民と野党の共闘」で勝利し、ダブル選挙も想定して3/2を許さない闘いをしよう、(6)日朝民衆連帯の運動にとりくむ、⑨各地の課題にとりくむ、などが提起され、今国会を安倍内閣最後の国会にしようと呼びかけた。
最後に石口俊一さん(広島県9条の会ネットワーク事務局長)が、各地で弁護士を活用して欲しいとの要望にふれた後、改憲発議阻止と参院選勝利をめざして力を合わせよう!と閉会挨拶した。
公開集会は司会の藤井純子さん(第9条の会ヒロシマ)のあいさつで始まった。藤井さんは「広島集会は、『許すな!憲法改悪・市民連絡会』と『広島県第9条の会ネットワーク』の共催で準備をしてきました。この交流集会は、毎年集まって、“今年1年どうしようか”と考える場だと、私は考えてきました。今日も、2019年の改憲発議を絶対させない、そして、安倍政権を終わらせて憲法を生かす政治に変えていこう、そんな集まりにしたいと思っています」とあいさつした。
開会あいさつは菱山南帆子さん(市民連絡会事務局次長)。菱山さんは、「沖縄では安倍政権の土砂投入とたたかっている。これへの怒りは、全国、全世界の各地で広がり始めている。本日は、韓国からも闘う仲間が駆けつけている。キャンドル革命で文在寅政権を誕生させた韓国市民の闘いは南北朝鮮の平和と統一への扉を開き、分断を乗り越えようとしている。私たちは、もう、沈黙や傍観、無関心という加担者であり続けることはできない。また、朝鮮半島への侵略と虐殺、強制連行などの過ちを反省し、2度と繰り返さない誓いを実践し、唯一の戦争被爆国として核兵器と原発に反対を貫かねばならない。今年は、改憲阻止の勝負の年。みなさん、勝利する準備はできているでしょうか。3000万署名を3000万対話とすることで市民運動の足腰は強化されています。市民運動は、草の根レベルの闘いこそ真骨頂。本日の集会で大いに討論し、勝利に向けた方針を共有していきたい」と述べた。
高橋博子さん(名古屋大学大学院法学研究科研究員)
「東北アジア非核地帯に向けて」という大きなテーマですが、日本が核抑止論大国である現状をどう打開していくかが大事です。2016年4月1日に安倍政権は、核保有は憲法に違反しない、と閣議決定をしました。日本国憲法第9条では、武力を持つことはもちろんのこと、威嚇することを禁じています。ところが、現政権の解釈によれば、このように謳われている憲法に核兵器が違反しないという、このとんでもない認識は、どこから来ているのでしょうか。
私の父は1958年当時、京都大学学生でした。
同学会(学生自治会)は、1951年に総合原爆展を開催しました。朝鮮戦争で再び核兵器が使用されるのではないかという恐れの中で、学生たちを中心に原爆展を春の学園祭で開催し好評を得たので、更に百貨店で開催し、一般の人も見ることができました。同学会が主催者となって占領下で実施していきました。その後、天皇が京都大学を訪問したときの混乱を理由に同学会は解散させられてしまいました。原爆展は実施できたが、アメリカ、日本の当局側は、同学会をつぶすことを狙っていたのだと思います。1958年に同学会を再建しようという運動が起こりましたが、大学側が学生を処分しました。この処分に対して学生たちはハンガーストライキをしました。大学1年生であった父は、「ハンストは、権利なんだ」と新聞に書いていました。
今、沖縄の県民投票のために元山さんが、ハンガーストライキをされていましたが、それに対して、自民党議員の秘書が、テロ行為だと、とんでもないツイートをした。ツイート自体がテロ行為だと思うのですが、非暴力で訴える手段に対してテロ行為だという。ハンストは、父が言うように正当な権利の行使だと思いますし、その訴えに対して、みんなが何とかしようと思うことが大事だと思いました
憲法は、アメリから押し付けられたという論者がいまだにいます。私は、憲法はプレゼントで、いい影響は受けていると思っているのですが、一方で、憲法以外のものも戦後の日本において押しつけられ続けている。それは、アメリカ合衆国憲法の修正第2条[武器保有権]の発想です。
修正第2条には、「規律ある民兵団は、自由な国家の安全にとって必要であるから、国民が武器を保有し携行する権利は、侵してはならない」と述べられています。この条項は、1791年に成立して、200年以上経とうが、これを論拠にアメリカ人は、ピストル・銃を手放さず、武器を保有し続けています。ですから、「武器を持って自分を守る」というアメリカ流の発想が、押しつけられているのだと思います。押しつけられているのは、憲法ではなくて、暴力的な発想と、それに基地だと思います。昨今渦巻いている、核抑止論・基地抑止論、暴力による脅しの行為、モノ扱い、排外主義を、これらをどのように覆していくのか、崩していくのか、そこが問われていると思います。
一方、アメリカ合衆国憲法の修正条項には、我々がぜひ共有すべき条項があります。それは、修正条項第1条[信教・言論・出版・集会の自由、請願権][1791年成立]です。連邦議会は、国教を定めまたは自由な宗教活動を禁止する法律、言論または出版の自由を制限する法律、ならびに国民が平穏に集会する権利および苦痛の救済を求めて政府に請願する権利を制限する法律は、これを制定してはならない。眺めていて、元気が出ると思います。日本国憲法の中でも、第19条「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」、第20条「信教の自由……」、そして、第21条「集会、結社及び言論、出版の自由……」と、謳われています。ですから、みなさんが、こうして集まって自由に発言すること、私も自由に発言することが、憲法で保障されています。
ところが、この広島で残念なことが昨年起こりました。
市の職員が、道路交通法を持ち出して、ビラ配りをしていた人たちに対して「警察に届け出たか」と言ってきた。また、市のホームページに「道路上でビラを配る場合は警察に聞くこと」とQ&Aの形で市の見解を出していた。弁護士をはじめ良識的なみなさんが、異議を申し立てて、ホームページの情報は撤去されました。というのは、道路交通法では、そういうことが、一切決まっていないのです。確かに第77条に「一般交通に著しい影響を及ぼすような通行の形態若しくは方法により道路を使用する行為又は道路に人が集まり一般交通に著しい影響を及ぼすような行為」は警察の許可が必要だ書かれています。しかし、ビラ配りは通行を妨害しているわけではない。当然、ビラ配りは該当しないのです。法律は翻訳もされていて、法務省のホームページには、「that would have a serious effeect on public traffic 」と書いてあります。「深刻な影響を及ぼす場合は」と書いている。ですからビラ配りは、法律違反でも何でもない。それなのに、市は、警察に届けるようにと言ってきたのです。
日本政府が、いかに核抑止論者であるかを話す前に、日本政府は何をしてきたのかを話したいと思います。
原爆投下直後に「新型爆弾へ防空総本部の注意」を住民に出し、「防空総本部の指示通りに行動すれば『新型爆弾をさほど惧れることはない』」、「物陰に隠れれば大丈夫」と言っていました。
「 新型爆弾へ防空総本部の注意」・・・新型爆弾に対して防空総本部では九日対策(その二)として次の如心得を発表した
一、新型爆弾に対して退避壕は極めて有効であるからこれを信用し出来るだけ頑丈に整備し、利用すること
二、軍服程度の衣類を着用していれば火傷の心配はない。防空頭巾および手袋を着用してをれば手や足を完全に火傷から保護することが出来る
三、前述の退避壕を咄嗟の場合に使用し得ない場合は地面に伏せるか堅牢建造物の陰を利用すること
四、絶対に屋内の防空壕を避けて屋外の防空壕に入ること
八日発表した心得のほか以上のことを実施すれば新型爆弾をさほど惧れることはない、なほ爆弾に対する対策は次々に発表する
ところが、日本政府は対外的には、まったく逆のことを言っています。
「米国政府は今次世界の戦乱勃発以来再三にわたり毒ガスないしその他の非人道的戦争方法の使用は文明社会の世論により不法とせられおれり」とし、原爆を不必要な苦しみを与え、生物化学兵器以上に非人道的な兵器、当時の国際法違反の兵器としてスイス政府を通じて米国に対して抗議を行っていました。ハーグ陸戦法規を引用しながらアメリカ政府に抗議を行っていたわけです。
国内向けには「新型爆弾は恐ることはない」といいながら、対外的には「毒ガス以上の残虐な兵器」と抗議をするという典型的な二枚舌です。
しかし、それ以降、日本政府は原爆に対して抗議をおこなっていない。それどころか、日米同盟なるものを最優先に考えています。
安倍政権は、「積極的平和主義」を押し通して、2015年には安全保障関連法を成立させました。昨年2018年1月30日に、衆議院予算委員会において、原口一博衆議院議員が、核の廃絶どころか、核の傘、核抑止論を守ろうとする日本政府に対して質疑をおこなっています。
原口議員「安倍政権は現在も『人類文化に対する罪悪』で『人道に対する罪』という認識をお持ちか」
安倍首相「・・・このような人類に多大な惨禍をもたらした核兵器が将来使われてはいけない」
原口議員「広島・長崎への原爆を非人道兵器とお考えか、その認識を伺っているのです。」
河野外務大臣「極めて広い範囲に被害が及ぶ人道上極めて遺憾な事態を生じさせたと考えてます」
原口議員「答えませんね。残念です」「広島・長崎への原爆を非人道兵器とお考えか、その認識を伺っているのです」
このように、原口議員は、私も先ほど紹介した日本政府の抗議文を引用しながら、安倍政権は現在も「人類文化に対する罪悪」で「人道に対する罪」という認識をお持ちかと、問いかけます。これに対して、安倍首相は、「‥このような人類に多大な惨禍をもたらした核兵器が将来使われてはいけない」というトンチンカンな答えをしている。
河野太郎外相も、「北朝鮮のように核兵器の使用をほのめかす相手に対しては、通常兵器だけで抑止を効かせることは困難であります。そのためには、核兵器による抑止が必要でございます。こうした厳しい安全保障環境を踏まえれば、我が国は非核三原則を堅持しておりますので、日米同盟のもとで、核兵器を有する米国の抑止力維持しなければなりません」と、堂々と核抑止論を展開している。
私は、河野太郎氏が自分で考えて言っているとは思いません。日本外務省は、ごく最近も、「日本は唯一の戦争被爆国であり、政府は、核兵器禁止条約が目指す核兵器廃絶という目標を共有しています。一方、北朝鮮の核・ミサイル開発は、日本及び国際社会の平和と安定に対するこれまでにない、重大かつ差し迫った脅威です。北朝鮮のように核兵器の使用をほのめかす相手に対しては通常兵器だけでは抑止を効かせることは困難であるため、日米同盟の下で核兵器を有する米国の抑止力を維持することが必要です」と述べています。アップデートしてある文書があるかもしれませんが、今のところ、外務省のサイトには、このような言葉が残っています。
被爆者の方々は、「おかしい」といっています。その典型が、1984年の原爆被害者の基本要求です。
原爆被害者の基本要求(1984年)
アメリカ政府に要求します。
日本政府は、対日平和条約(第19条a項)で、原爆被害を含むすべての対米請求権を放棄しましたが、アメリカの原爆投下の道義的・政治的責任が、これによって、解消されるものではありません。また、戦後、アメリカはABCC(米国原爆障害調査委員会)を設け、被爆者を実験動物扱いして資料を集めました。治療のためではなく、新たな核戦争準備を目的にしたこの調査研究は、今なお被爆者を苦しめ続けています。「広島・長崎への原爆投下が人道に反し、国際法に違反することを認め、被爆者に謝罪すること」、「何よりも『ふたたび被爆者をつくらない』との被爆者の願いにこたえることこそ、アメリカが人類史上において犯した罪をつぐなう唯一の道なのです」という、被爆者の方々の訴えを踏みにじる状態が今も続いているのです。何よりも被爆者の願いにこたえることこそ、アメリカが人類史上において犯した罪をつぐなう唯一の道なのです。そして、本来であれば被爆体験者の訴えを共有していくことが大事なのに、まったく逆のことを日本政府はやっているのです。
アメリカで、1950年代に民間防衛計画が実施され、核兵器が使用されたときにどう対処するかという民間防衛訓練がおこなわれていました。これを実施した民間防衛局を引き継ぐ形で、1978年にアメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁(Federal Emergency Management Agency: FIMA)が設置されました。その後、FIMAは、2001年9月11日に起こった、いわゆる「同時多発テロ」の後に2002年に設置されたアメリカ合衆国国土安全保障省(United States Department of Homeland Security)に2003年に吸収されました。アメリカでは、核対策を扱う機関が存在し続いているということです。
1950年代、どういうことをやっていたのか。『DUCK and COVER』という出版物を出して、「核爆発があったときは、潜って身を隠せ!」、キャラクターの亀と同じように甲羅に身を隠せ、と。
ビキニ核実験があり、放射性降下物に対処するために、核シェルターを買うことが推進されます。
1955年5月にアメリカの核実験場に市民を招待して核実験を行いました。典型的な家の中にマネキンが運び込まれ居間に置かれ、冷蔵庫の中には食料が入れられました。そして、爆心地には、いろんな服装をしたマネキンが設置されました。
核実験後、写真が発表され、「シーツに包んだマネキンは大丈夫だった」「瓶詰め、缶詰は、棚から落ちたが、食べられそう」と分析しています。当然、写真には、放射能が写っているわけではなく、あるいは、これから生産されるものに残留放射性物質が入ることはまったく無視されています。そして、実験の翌日に、民間人が倒壊した家屋からマネキンを救出に行く。しかも、食糧の配給を受けて。この人たちは被爆していると考えられます。
今、私たちが見ると「とんでもないこと」と思いますが、「とんでもないこと」を日本政府も最近やっています。
近くのできるだけ頑丈な建物や地下に避難する。
近くに適当な建物がない場合は、物陰に身を隠すか地面に伏せて頭部を守る。
できるだけ窓から離れるか、できれば窓のない部屋に移動する。
日本帝国政府が、新型爆弾対策として「防空総本部の指示通りに行動すれば『新型爆弾をさほど惧れることはない』」と、物陰に隠れるように言っていたのと同じです、また、1950年当時、アメリカが『DUCK and COVER』と称して実施していたことを戦争被爆国の日本が受け継いでいるわけです。
子どもたちにも受け継がされようとしています。この写真は、「弾道ミサイル落下時にとっていただきたい行動の例」として内閣官房が出している避難訓練の例です。まったく1950年代のアメリカと同じ行動が行われていて、子どもたちがうずくまっています。
その一方で、核兵器によって何が起きるのか,具体的な情報はいっさい教えられていません。
Jアラートだけではありません。これは私の3年生になる子どもの名古屋市の学校での道徳教科書です。教育出版の教科書に西郷隆盛の言葉を掲載しています。
「命も名よも高いくらいも、お金もいらないと考えるようなひとでなければ、国をつくってゆくという大きな仕事はなしとげられない。(西郷隆盛)」。
「名誉も、高い位」までだったらまだわからないこともないが、「命も」。小学校3年生の道徳教育の中で、大きな国を作っていくことや大きな仕事のために命を捨てろと、いわんばかりの道徳教育が入っているのです。
また、「美しいものにふれて―花さき山―」も入っています。
「つらいのをしんぼうして、じぶんのことよりひとのことを思って、なみだをいっぱいためてしんぼうすると、そのやさしさと、けなげさが、恋して花になってさきだすのだ。はなばかりではねえ。この山だって、この向こうのみねつづきの山だって、一人ずつの男がいのちをすてえちゃやさしいことをしたときに生まれたんだ。」
国語の教科書にあるのであれば、まだ文学としてならば許容できないこともないかもしれませんが、それが、道徳の教科書に載っています。「つらいのをしんぼうして~、恋して花になってさきだすのだ」までなら、みなさん、美談として受けとめられるかもしれませんが、問題は、次です。「はなばかりではねえ。この山だって、この向こうのみねつづきの山だって、一人ずつの男がいのちをすてえちゃやさしいことをしたときに生まれたんだ」。ここでも、命を捨てることを美化している。それが、道徳教育ですり込まれているのです。
子どもたちは、命よりも国を大事にする生き方を道徳教育の中で学ばなければいけないのでしょうか。
子どもたちは、涙をいっぱいためて辛抱しなければいけないのでしょうか。
「道徳教育」の言い分として「いじめをなくす」ためという大義名分で始まっているとのことですが、これでは、ますます「いじめ」が増えてしまうと思います。周りと異なって行動する子に「それじゃあいけない」というプレッシャーがかかり、しかも、基本的な衣食住を我慢し、自分の命を犠牲にしなければならないと、あたかも教えられている道徳教育が実際に今おこなわれているのです。現場では、防波堤になっている先生もおられるとおもいますが、少なくとも、名古屋市では、こうした教科書が使われています。このように日本の教育では、Jアラート訓練、命を捨てることを美徳とする道徳教育がおこなわれています。
2017年7月7日に核兵器禁止条約が成立し、2017年10月には同条約成立のために中心的役割を果たした国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN: International Campaign to Abolish Nuclear Weapons)が2017年のノーベル平和賞に決まりました。
それに対して、日本政府は、先ほどの政府答弁通り、核兵器禁止条約に署名しない立場を持ち続けています。外務省も、いまだに日米同盟と核の傘、核兵器によるアメリカの抑止力をいい続けています。
アメリカでは、1950年代に民間防衛計画の中で「アラート・アメリカ」という出版物を民間防衛局が作って配布していた。「アラート」は、「注意」という意味です。「Jアラート」は、この1950年代の出版物の名前から、そのまま、翻訳もしないでもってきていますが、本当に危ないのは日本人だと思います。
日本政府は、過去の戦争の記憶をなくそうとしています。そして、核戦争についても真実を伝えません。その一方で、植民支配を正当化するという無責任なことをおこなっています。「唯一の戦争被爆国」と称しながら核戦争の記憶を忘却したJアラート訓練を行う日本政府だけでなく、メディアも残念な状態です。朝日新聞は、2018年10月31日、韓国大法院判決として「元徴用工への賠償命令」について報じました。コメンテーターとして、神戸大学の木村幹教授と李韓国外大客員教授の2人がでています。2人とも、この判決に否定的なコメントをだしています。しかし、「元徴用工への賠償問題」がいかなる問題なのか、歴史を掘り下げての報道はほとんどされていません。あたかも、「賠償して終わった問題」であるようににしていますが、賠償したことはないのです。
ビキニ水爆被災の時にアメリカが日本政府に対して200万ドルのお金を渡していますが、それは「見舞金」です。賠償金でも、補償金でもありません。法的責任がないお金を出しているわけです。
1965年当時に日本政府が韓国に出しているのは、賠償金でも何でもなく、経済支援です。経済支援をもって全部終わったような日本のメディアによる異様な報道が続いいているのです。李教授は「英国の政治家チャーチルは『過去にこだわる者は未来を失う』と語った。その意味を、文大統領に改めて考えてもらいたい」と述べていますが、私はまったく逆のことを言いたいと思います。
米国立公文書館が掲げる言葉として、Preserving the past to protect the futureがあります。「過去を保存することは未来を守る」と謳われているのです。過去の終わった問題として隠ぺいすることが繰り返し現在進行形で行われていますが、過去の戦争資料も含め、きちんと保全し、未来につなげていくことこそが未来を守ることだと思います。過去に真摯に向き合うことこそが、東北アジアの平和のためにたいへんだ大事なことだろうと思います。
朱帝俊(チェ・ジェジュン)さん(朴槿恵退陣非常国民運動・記録委員会)
通訳:加藤正姫さん
私は、今日、広島の平和公園に行ってきました。戦争と人類は共存できない、核と人類は共存できないと、教えて下さった。そして、平和のため闘っているみなさん方に尊敬の念を表したいと思います。
私は、韓国の様々な市民社会団体が連帯して作っている「韓国進歩連帯」という団体の政策委員長で、朴槿恵(パク・クネネ)退陣非常国民行動の政策企画チーム長を受け持っていました。そこで、今までキャンドル革命でいろいろやってきました。
朴槿恵退陣のキャンドルは、みんながローソクを掲げたのですが、2016年10月から2017年の上半期までキャンドル行動が続きました。どのくらいの人数か。韓国に行かれた方は景福宮という王宮があるのをご存じだと思いますが、そこから光化門まで200万人以上の人が集まったことがあります。そこでローソクを持ってウエーブをやると最初から最後まで10分かかるという状況でした。
キャンドル行動が成功し、朴槿恵前大統領は逮捕され、拘束されました。憲法裁判所で弾劾が決議されて大統領職を失うことになりました。裁判は、控訴審まで進み、懲役25年の刑が言い渡されています。現在、最高裁判所で審理中です。
キャンドル行動の後に、すぐに大統領選挙がおこなわれました。私たちは、新しい大統領を選出することになりました。このように政権を引きずりおろして新しい政権を立てたのは、1960年に4.19学生革命によって政権交代して以来、57年ぶりに市民の手によって、大きな闘いで新たな政権を作ったことになります。
でも、この過程には、みなさんが想像もできないような辛く、苦しいものがありました。
2013年に朴槿恵が大統領職になりましたが、その当時から、かなりの問題がいわれていました。それは、昔のKCIA(現在は国家情報院)が、さまざまなグループを作って、選挙のオンライン上の書き込みを積極的にしたことが後からわかりました。国民の中で、「不正選挙をおこなったのではないか」という声があがりました。
2013年の8月に朴槿恵大統領は、金淇春(キム・ギチュン)という人物をつれてきました。この人物は、自分の父親である朴正熙(パク・チョンヒ)の時代に維新憲法を作り、また、数々の民主化運動の人たちを拷問し殺害した張本人です。その人を大統領秘書室長に任命して、自分の政治を続けることになりました。金淇春が大統領秘書室長になるやいなや、内乱陰謀事件が、でっち上げられました。また、市民運動の活動家などを弾圧し始めました。ついには、市民社会から生まれた統合進歩党という政党を解散させる暴挙に出ました。この解散は裁判所がやりました。司法の中も、本当に腐りきっていたことが最近になって明るみになっています。朴槿恵政権の手足となって、司法の独立も三権分立もまったくない状況でした。代表的なのは徴用工の判決の問題です。裁判所に原告が訴え出ましたが、裁判所は13年間ずっと放っておいたのです。この間に年老いた徴用工の人たちは次々と亡くなっていき、生存者は一人だけになってしまいました。
朴槿恵が次にやったのは、マスコミです。KBSとかMBCなど韓国の有名なマスコミの社長に自分の気に入る人間を据えて、マスコミの流す内容は朴槿恵の意のまま思いのままを流すようになってしまいました。結局、司法やマスコミがきちんと機能しなくなり、多くの活動家も沈黙せざる得なくなるような重苦しい雰囲気が漂いました。なにかあると公安事件をでっち上げて、マスコミがこれを大きく流すという悪循環が続きました。真実に対する叫びは、ほとんどかき消されてしまいました。毎週月曜日、私たちは、恐怖でした。月曜の朝だとマスコミに流れないということで、朝一番に活動家の自宅を襲撃し多くの人を逮捕しました。私のスマホに月曜の明け方になると、ここで事件があった、ここで誰が捕まったというメッセージが届くようになってしまいました。いつ、だれが捕まるのか、次はあの人ではないか、という恐怖の雰囲気が漂いました。この恐怖というのは、早く伝染し、自分たちが萎縮し、活動できないような雰囲気を作られてしまいました。
しかし、私たちは、やられているばかりにはいきませんでした。
2014年4月16日、セウォル号が沈没し、乗っていた修学旅行の子どもたちをはじめ304人の人たちが犠牲になりました。しかし、真相究明や責任者の処罰は行われませんでした。真相究明を求めてセウォル号の遺族が、大統領官邸や国会議事堂の前に座り込んでハンガーストライキをおこない始めました。すると、朴槿恵政権は、保守勢力にお金を渡して、ハンストの現場の前でピザとハンバーガー、チキンを持ってきて、ムシャムシャ食べながら遺族たちをからかったわけです。マスコミも、ハンストをしている両親・遺族よりも、チキンやピザを食べている若者たちの姿をおもしろおかしく取り上げていました。2015年になると、労働者、農民の生活も非常に苦しくなってきました。
2014年、アメリカ産の米が輸入解禁となり、大挙して韓国に押し寄せてきました。米の価格は暴落して、農家の生活はどん底におちいってきました。また、労働者に対しては、韓国独特の財閥中心の経済を推していく中で、もっと安い賃金、非正規の職場を強要する労働法の改悪がおこなわれました。朴槿恵は私利私欲のために財団を作ったのですが、ミル財団やKスポーツ財団などいろいろな財団でお金をグルグル回して、財団が朴槿恵に献金をあげる構造になっていました。
本当に、私たちは、歯ぎしりをしました。私たちは立ち上がらなくてはならないと思いました。
私たちは2015年11月14日、民衆総決起大会をおこないました。私たちは、ここに労働者・農民が10万人集まろうと決意しました。しかし、運動の内部でも否定的な意見でした。今、1万人、2万人集めるのもたいへんなのに、10万人もどうやって集められるのか、と。このような重苦しい雰囲気の中で、そんなに集まるのかという否定的な意見でした。
私たちは、各地を回りながら,組織をしていきました。そして、多くの人たちに呼びかけて、ついに11月14日に大きな集会を開催することができました。朴槿恵政権は、この13万人が集まった民衆大会に恐怖を覚えました。労働者・農民が各地から上京していく高速道路を封鎖したり、バスを通れなくしました。警察は高圧放水車を持ち出してきてデモ隊に水を浴びせかけました。この時、放水を胸で受けてしまった70代の農民のペク・ナムギさんはすぐに病院へ運び込まれましたが、10ヶ月間意識が戻ることなく、2016年9月に亡くなられてしまいました。そして、私たちが、ペク・ナムギさんの死因を追求するやいなや、朴槿恵政権は「病死だ、年をとっているから仕方がなかった」といって、更に私たちの怒りをかきたてました。
天にも達する怒りが、つもりに積もった時、10月に、朴槿恵ゲートの問題が出てきました。
人々は街頭に出てきて、ローソクを掲げはじめました。オンライン書き込み事件やセウォル号、民衆総決起、ペク・ナムギさんの死亡、・・これら全てが、関連性のないものとは考えられませんでした。
すべての小さな怒りが、つもりに積もって、ついに2016年下半期に「朴槿恵退陣!」という明確なスローガンを掲げて、1700万人の闘いに燃えあがりました。
最初、多くの人々は無関心でした。時には、恐怖を覚えたりしましたが、最終的には、多くの人たちが街頭に出てきて、朴槿恵政権を引きずりおろしました。朴槿恵が退陣し、キャンドル革命で新しい政権が誕生しました。みなさんがご存じのように朝鮮半島に平和の春が訪れようとしています。
2月27日から28日まで、ベトナムで米朝首脳会談がおこなわれようとしています。このような中で、多くの成果が生まれれば、朝鮮半島の平和が、もっと近づいてくると思います。私たちは、このような朝鮮半島の変化も、キャンドルが作り出した賜物だと思っています。しかし、これで終わったわけではありません。私たちの前には、もっともっと、韓国の民主主義や平等な生活、自主的な統一などの考えなければならない課題が残されています。
文在寅政権が、これまで公約してきたいくつかのことがあります。例えば、最低賃金を1万ウォン(日本円で1000円)にするという公約が破られてきたり、財閥中心の経済を変革すると言っていたにもかかわらず、なかなか進まない。こいった問題点が残っています。しかし、大きく変わったことがあります。それは、キャンドル以前の市民の考え方とキャンドル以降の市民の考え方が、大きく変わったということです。キャンドル以前は、「自分1人が何か言ったって、どうせ世の中は変わらないよ」と思っていた人たちが、「自分がキャンドルを掲げることによって、国が変わるんだ、社会が変わるんだ」ということを認識するようになったことです。現在、労働組合が、あちこちで生まれています。非正規の人たちの労働組合などが生まれてきて、労働組合への加入率が急速に高まっています。
民主労総が1994年に作られましたが、80万人の組合員で、なかなか加入率が高くならなかったのです。しかし、キャンドルのこの3年間で20万人が新しく組合に入ったといわれます。特に声を上げ始めたのは、女性です。韓国の#Me Too(ミートゥー)が、どれほど強いか、みなさん、ご存じでしょうか?もう、これは逆戻りさせることはできません。キャンドルを掲げた市民の一人一人が「歴史を変えるのは自分自身だ」「誰かに任せるのではなくて、自分自身が立ち上がって、自分が声をあげなければならない」と思い始めました。
2013年から今までの韓国の状況について、まとめると3つのことが言えると思います。
1、歌にもなりますが、「闇は光に勝てない」ことです。
暗闇は、光に勝てないということですが、但し書きがあります。確かに、自然では闇の後に明け方が来て、朝が来る。また、冬の後には春が来て、夏が来る。しかし、人間社会の現象は、自然に自ずと変化が生まれるものではありません。光が自分自ら闇に勝てるわけではありません。
2、組織された活動家、そして、組織された大衆こそが、世の中を変えられるということです
あるときは、真っ暗で一寸先も見えないという絶望に陥るようなときがあるかもしれない。しかし、そこでも歯を食いしばって、一歩一歩進む、そのような活動家がいて大衆を組織していくとき、世の中は変えることができるということです。そのような活動家の一人ひとりが集まってこそ、大きな運動が作れますし、そのようなときこそ、暗闇に光が打ち勝つことができると思います。
3、最後は、「切実さ」という問題です。
2015年、司法も、政界も、マスコミも、お金も、権力も、全て奴らが握っていました。1万人、2万人が集会に集まったところで、世の中は変わりません。では、どうやって変えなければならないか。たった一つです。それは、彼らが権力にしがみつこうとする切実さよりも、我々が、世の中を変えようという切実さがあったからこそ,私たちは、勝てることができたのだと思います。このような切実さがあったからこそ、世の中を変えることができたと思います。
このように全国から集まって、平和憲法を守ろう、戦争の道を防ごうとしている、みなさんに敬意を表したいと思います。私たちも、みなさんに負けないように、今後も頑張っていきたいと思います。ここで、韓国のスローガン「闇は光に勝てない!」をみなさんと一緒に唱和したいと思います。わたしが、韓国語で言いますから、みなさんは、日本語で「闇は光に勝てない」と返して下さい。
大きな声で!「闇は光に勝てない!」
ありがとうございました。
高良鉄美さん(市民連絡会共同代表・オール沖縄共同代表)
3つの話をします。「核と沖縄」「辺野古新基地建設問題」「県民投票」です。
私は、「辺野古埋め立て・新基地建設反対の民意を示す県民投票連絡会」の県民投票の共同代表をしています。この会には、保守の、特に実業界・産業界の方が入っています。沖縄の財界人の金秀グループの守将さんが入っているんです。守将さんがオール沖縄を抜けたということがあったんですが、デニーさんの時には一緒に私も応援演説をやっていましたので、オール沖縄から抜けたというのは、実は、オール沖縄という「会議」から抜けたのであって、オール沖縄という気持ちから抜けたのではないんです。ですから非常に広がりをもって、デニーさんは史上最多の得票で知事になったわけですね。ノーと言おうという辺野古の県民投票の共同代表は、守将さんと私と稲嶺進前名護市長、照屋義実さんという建設業の方でやっています。
先ほど高橋さんがお話しされた中で、京都大学のお父様のお話がありましたが、実は沖縄では琉大事件というのがありました。1952年、沖縄が分離されたのでまったく本土の情報が入ってこない状況の中で、53年に本土の海兵隊が沖縄に来ます。そしてどんどん沖縄の土地が基地に取られていきます。沖縄戦の時に米軍がとったものを一部返したりしてきましたが、また、新たに取る。これが土地接収です。「銃剣とブルドーザー」をこのときやっています。沖縄の人はほぼ一年間、キャンプというところに全員入れられた。元の村の人口はゼロなんです。キャンプ――まさしくテントを張った所に押し込められていて、捕虜、難民です。沖縄はそんな状況だった。1945年の8月以降、いや、その前からも。そして、1年以上経って「帰っていい」いう「帰村命令」が出ます。
そういう状況でしたから「なんで土地を取るんだ」ということで、島ぐるみで土地闘争をやったわけです。島ぐるみ闘争は第1次と第2次がありますが、その時、琉球大学事件がありました。
第1次琉大事件の時に琉大の学生が何をしたかというと、原爆展を開いたんですよ。まったく情報が隔離された中で、琉大の学生たちが国際通りとか何カ所でやっています。それに対して大学が退学処分を出しました。最初は謹慎処分でした。圧力をかけたのは、米軍ではないかと思うわけです。謹慎で終わっていたのだろうけれども、米軍が圧力をかけてくる形があった。なんで圧力が米軍からかかるかというと、やはりヒロシマ、ナガサキとオキナワがくっついたらすごい大衆問題となる、反核のすごいエネルギーとして吹き出していくということで、「沖縄でヒロシマ、ナガサキのことを話すな」ということだろうと思います。
沖縄の核についてお話します。沖縄に核兵器が最高時に1300発あったとNHKも報道していました。復帰前に600発の核兵器あり、と報道されました。「600発か!」と驚いたが、1年後に訂正され、「1200発だった」と。普通訂正があったら減るのかなと思ったら、そうじゃなくて、倍に増えた。今もわかりませんけれども、沖縄に当時、大陸間弾道ミサイルの核兵器、ICBM、SLBM(原子力潜水艦)、B-52戦略爆撃機の2点セットがあった。核兵器を使用できる3つが全部沖縄にありました。そういう状態で、沖縄は核の問題と非常に関わりが深い。それが、ヒロシマ、ナガサキとくっついて「おかしい」となると大変なエネルギーになる。
B-52が嘉手納基地に墜落しました(1968・11・19)。1300の発あった核の上に墜落したら、どうなるのか。いろんな反応はわかりませんけど、核の拡散があり、地球が割れているかもしれません。この衆議院決議はこれ有名ですが、1971年ですから、5ヶ月後には復帰する時です。
非核兵器ならびに沖縄米軍基地縮小に関する決議(衆議院)
昭和46年11月24日
一 政府は、核兵器を持たず、作らず、持ち込まさずの非核三原則を遵守するとともに、沖縄返還時に適切なる手段をもって、核が沖縄に存在しないこと、ならびに返還後も核を持ち込ませないことを明らかにする措置をとるべきである。
一 政府は、沖縄米軍基地についてすみやかな将来の縮小整理の措置をとるべきである。
右決議する。
これは、核が沖縄に存在しないということをはっきりさせようということです。その上で、返還後も持ち込まないと言っていたが、沖縄密約がありました。もう一つは、基地の「すみやかな将来の縮小整理」です。これが、47年間変わっていないということです。安倍首相も含めて、政府は「嘘をつく」どころか、言葉をわかっていない。「すみやか」というのは、いつなんだ。もう、刺身が腐りそうな時間ですよ、何年経っているんだ、ということです。
核密約は、4つありました。
4つのうち2つが核、2つが沖穐です。3番目は、核と沖縄が2つ混ざっている。沖縄とまったく関係ないのは2だけです。1、3、4は沖縄と核に関わっている。しかし、沖縄に関することは密約ではないという。何でかというと、政府は先ほどの国会が議決をしたからだという。決議とあわせると、密約と言ってしまうと、持ち込まされていないと言わないといけないという、この筋だと思います。こういうことから否定している。
米兵に「核、ある?」と聞いたら、「核って、何ですか」ともちろん言うのでしょうが、「あるか?」と言う前に「核ないよ」と言っていますね。「核」と聞いたら「ないよ」。そのように言うようにいわれているのでしょうね。
辺野古は、もともと核戦略基地、弾薬庫なんです。ここには、いくらでも核があった。弾薬庫は、嘉手納、知花、辺野古にある。辺野古に新基地を作るというのは、嘉手納並みのものが、もう1つできるということです。基地の広さは、飛行場と弾薬庫の一緒の広さになります。嘉手納基地は広いが、辺野古は辺野古弾薬庫と新基地をあわせると、非常に大きな規模になります。
昨年12月に土砂投入がありました。今度は、3月25日予定です。今は、ほんの一部です。汚い土砂を入れている。これ珊瑚どころの話じゃない。3月25日にもう少し広めの所に土砂を入れようとしている。これに対して、「入れさせない」と、オール沖縄は、3月24日に県民総決起大会を予定しています。
お聞きだと思いますが、おもりを置いたら、ズルズルといくマヨネーズのような軟弱地盤です。これが最大90m、平均したら30mの深さになっている。最近、これを政府が認めました。それでどうやってやるのかというと、どうしても辺野古に作りたいから杭を打つという。軟弱地盤90mですから、本当は100mの杭を打たなくてならないのでしょうけれども、90mの杭を6万本打つという。直径2mで6万本だと、くっつけただけで12kmにもなります。総工費がいくらかかるのか。杭打ち前の県の試算で2兆5500億円です。杭を打ったら、一体いくらかかるんですか。本当に「悔いか残る」。
私たちの税金の使い方を誰が決めているのですか。このお金があれば、大学の学生たちは授業料免除、年金を支えている若い方々の負担も減ります。こう考えると、税の問題はイギリスからアメリカが独立したぐらい大きな問題です。革命が起こるぐらい大きな税の問題です。いったいどうするつもりなんですか、と。なんで、こんな無駄なもの、できそうもないものをわざわざ作るのか。こうしたことから辺野古は大きな問題になっている。
県民投票は、沖縄で2度目です。1996年9月8日、基地の整理縮小と日米地位協定の改定ということでありました。盛り上がりがすごかったが、それでも投票率が6割弱(59.53%)でした。整理縮小について、賛成が総有権者の過半数を超えていました。
今回の県民投票の「三択」は、意味がわかりません。「どちらでもない」が多かったら、どうなりますか。その意味は、どちらにも解されます。ただ、これは、反対した、拒否をした自治体があるものですからです。5市で約40万人です。沖縄の有権者120万の中で、これが抜けると非常に痛い。5市市長の理由が同じです。なんで、こんなに揃っているのかと思いますが、これは自民系の国会議員が言ったことがはっきりしています。個人で言ったようになっているが、政府がやっているのでしょう。というのは、この5市の市長は貫禄もあって、若手の国会議員のいうことをきくような人たちではないんですよ。もっと大きな力が働いていると考えるべきだと思います。
全県で選挙ができなくなるというので、「どちらでもない」を入れて3択にするといったら、5市の市長が、いきなり「わかった。実施しよう」となった。なぜか。「どちらでもない」が入ったからではありません。これ以上やると市民から突き上げを食い、次の自分の選挙が危うくなるということで、市民の力が、そうさせたのです。だから、思わず「良かった!」と飛びついたわけです。市民の力で変えていく、首長の政治も動かしていくということになるんだと思います。
辺野古の問題は、世界的な問題に広がってきています。ハワイの青年ロバート・カジワラさんが呼びかけた署名。ローラさんなどが広めたこともあって、短期間に20万を超えました。
長い目で見ると、民主主義も、憲法も後戻りしません。人権は、憲法にあるように人類の多年の努力でできあがってきているのです。高橋さんの講演にもありましたが、「歴史を見ない者は、未来も見えない」。今回の沖縄県民投票は、沖縄の若い人たちに「こんなことがあったんだよ」とずっと広く伝え、「だから県民投票やるんだ」ということを知らせていくということがあります。勝手な法律を作りながら沖縄米軍基地をどんどん作るということに、沖縄はずっと意思を表そうとしてきたけれど、国会と内閣、司法も合わせて全部「NO」と沖縄の意思を拒んできました。
憲法95条 -の地方公共団体にのみ適用される法律は、その地方公共団体の住民投票による賛成がなければ効力を持たない
民意は示されている 辺野古を頭越しに決めるのは?
国として、そういうことはいかんだろう。
国家権力が市民の中に入って来るというのは非常に大きな問題です。市民運動は市民運動で行くことが憲法で保障されているということです。わたしたちは、それを駆使して沖縄、全国で連帯していこう。沖縄の問題というのも主権者の問題です。日本国を動かすのは日本の市民です。沖縄の人口は100分の1ですが、1人が100人に伝えれば、みんなに伝わるのではありませんか。96年の県民投票の時、私のゼミ生20名が署名を集めると言いました。署名に必要なのは18000名。どうして集めるかと言ったら、「私たち一人ひとりが900名集める」と言った。こんなにエネルギーがあるのかと感動しました。みなさんも、ぜひ、若い人を1人つかまえれば、900名増えると思って下さい。
市民と野党の共闘-先ず知事選の勝利で
川原茂雄さん(北海道市民の風共同代表)
北海道は、きのうマイナス12度、こちらに来たらプラス12度。雪が危ないので、昨日のうちに広島に入ってまいりました。
安保法制の国会前行動で、菱山さんをはじめて知りました。あのとき、シールズの若者が「野党は共闘」「野党は共闘」と叫んでいた。これが、私の耳の中にずっと鳴り響いていた。とんでもない安保法制をつぶすためには、野党は共闘しなければならない、ということで。
そこで起きたのが、北海道の衆議院5区補欠選挙をめぐる市民と野党の共闘の動きでした。
2015年11月、池田まきさんを統一候補にする動きが始まりました。この動きがきっかけで「市民の風」ができました。2016年1月16日、市民の風を立ち上げ、なんとしても池田まきさんを統一候補にして勝利しなければならないと、共産党、民進党(当時)を巻き込みながら、画期的な大きな共闘の動きを作りました。今では、当たり前になったが、各党代表を演説会で並べることは画期的でした。集会も、政党ではなくて市民の手作りでやりました。4月17日の厚別で、シールズの若者が企画して、アメリカの選挙をまねしてタウン集会をやりました。それまでの市民の政治参加の仕方は投票するだけだったが、私たち市民が選挙に参加し、一緒に闘うことができました。野党の共闘だけでなく、市民と野党の共闘の新しい動きが始まったのが、ここでなかったのかと思います。2016年夏の参議院選挙で32の1人区で共闘する動きの先駆けとして、北海道でこうした動きがありました。
残念ながら、補欠選挙では、いいところまで行ったが、負けてしまった。でも、当然負けると言われていた選挙で追いつめることができたのは、大きな成果でした。
その後も、私たちは、参議院選挙、衆議院選挙で市民と野党の共闘を作るために、さまざまな集会、政党との共同街宣などに取り組んでいきました。次の衆議院に向けて、札幌だけでなく、12選挙区ある広い北海道で、それぞれの選挙区で、市民と野党で共闘する会を11の区で立ち上げることができました。広い北海道でたいへんだが、日常的に何ヶ月おきに連絡協議もやっていきました。ところが、2017年の秋に突然、衆議院が解散になってしまった。希望の党ができ、激震が走りました。このままいったら、民進党はどうなってしまうんだろうと。
このとき、北海道が流れを変えたと言ってもいいんではないかと思います。立憲民主党から立った8人を統一候補として立てることをすぐに決め、共産、立憲、市民の風、社民の4者が共同して衆議院選挙を闘うことができました。そのことによって、なんと立憲の8人の方が当選しました。共産党が1つ議席を失ったのは、返す返すも残念だったが、立憲の51人当選のうち8人が北海道の統一候補という、そのような大きな力を発揮してきたことになります。北海道の取り組みは、全国からも注目され、私も、呼ばれてあちこちで話をさせていただいています。
今年、いよいよ政治決戦。統一地方選挙と参議院選挙があります。
1月20日、「市民の風」結成3周年を記念してのフェスティバルをしました。今年は、知事選、参議院選挙でとにかく共闘で勝たなくてはならない。とくに参議院選挙で改憲に向けて3分の2を削るために1人でも多くの野党統一候補を勝たせるために、こうしたフェスティバルを企画しました。実は、1月20日のフェスティバルにスペシャルシークレットゲストで、知事候補を呼ぶ予定でした。20日には、決まっているだろうと思っていましたが、決まらなかった。「統一知事候補で頑張るぞ」としたかったが、誤算でした。しかしながら、参議院選挙に出る3人の野党候補に来ていただいて、スペシャルトークをしていただきました。
なかなか知事候補が決まらなかったが、ようやく1月末に石川知裕さんにまとまりました。知事候補は、これまでだいたい旧民主党系だけでバタバタと決めてしまいます。しかし私たちは、旧民主党系の4者だけで決めるな、もっと広い範囲で市民や共産・社民を入れた7者で決めるようにと言ってきました。勝手に発表してから「おまえら、ついてこい」という形だけは止めてくれと、ずっと言い続けてきました。そういう中で、私たちや共産、社民にも声をかけていただきながら、誰にするか、政策をどう合致させるかを出馬表明する前にきちんと進めてからやる形ができました。
この1週間は、北海道は激動でした。一時は、保守系候補に連合が乗るか、みたいな話がありました。相乗りになると市民と共産が切られるわけで、私たちは、「そんなこと許さない。そんなことしたら、おまえら、次の選挙でどうなるか」、とは言いませんけれど、ちらちら脅かしながら、絶対に向こうに行かせないという動きを作り上げていきました。やはり、これは、これまでの積み上げがあります。5区補選から衆院選までの闘いで、市民と野党の共闘の動きを無視できないことを皆がよくわかっていて、勝手に決めることができなくなっています。それが、石川さんでまとまる、大きな力になったと思います。
きのう、新聞やテレビで報道されましたが、保守系に先んじてこちらの統一候補が決まって、7者で確認した上で、出馬表明会見をしました。
〈出馬表明〉
石川知裕は、2月6日に立憲民主党北海道、国民民主党北海道、連合北海道、農民政治力会議の4者で構成されている『民主連絡調整会議』から北海道知事選挙への立候補要請をいただきました。また本日かねて全野党共闘に向けて活動してきた市民団体『戦争させない市民の風・北海道』、共産党、社民党の皆さまにもご理解いただいたことにより、野党統一候補として無所属で出馬することを決意いたしました。
昨年は沖縄で、デニーさんで盛り上がりました。今年は、北海道から「市民と野党の共闘」で大きなうねりを作って、4月の石川さんの知事選挙でぜひとも勝って、大きく日本を変えていきたい。ぜひ、応援をしたいただきたい。
(川原さんはパワーポイントの映像を使い臨場感ある報告をした。)
お話:太田昌克さん(共同通信 編集委員)
報告:星野正樹
1月26日、第131回市民憲法講座が「日米核同盟と沖縄、そして朝鮮半島」というタイトルで行われた。講師は共同通信で編集委員、論説委員を兼務する太田昌克さん。太田さんは核兵器の問題に関する取材で「ボーン・上田記念国際記者賞」や 「平和・協同ジャーナリスト基金賞」を受賞するなど緻密な取材で隠された真実に光を当ててきたジャーナリストだ。
「日米は『核の同盟』である」ということはどういうことか。第2次世界大戦後の冷戦の中で、ソ連に対峙するためのヨーロッパとアメリカの軍事的な核の同盟として存在したNATOに対して広島、長崎、第五福竜丸の被曝など多大な核の被害にあった日本で、なぜ福島の事故が起きるまで54基もの原発があったのか。核は軍事用・民事用と分けられていたとしてもそれは表裏一体であり「民事用」であろうとウラン濃縮や再処理の技術があれば容易に軍事に転用できる。日本はその技術や設備をアメリからもらい受け、さらに使用済み燃料を核物質に変換する場合には原子力協定によってアメリカの許可がいるなどアメリカ政府の後ろ盾のもと原子力政策を進めてきた歴史がある。これが「日米の核(=原子力)同盟」のひとつの姿である。さらにアメリカの核の力に依存する「核の傘」に守られる政策は1950年代から始まり、1975年の三木=フォード会談で明確にされて以来みじんの変化もない。それどころか昨年の防衛計画の大綱ではよりアメリカに積極的に協力する姿勢までとろうとしている。「原子力」と「核の傘」による日米の強固な「核同盟」が戦後の日本の政策をつくってきたということだ。
そしてそのアメリカの「核の傘」への依存は、日本は核兵器禁止条約への交渉にも影響があった。2017年3月に核兵器禁止条約の交渉が始まったとき、日本政府は開会式だけ参加して、軍縮大使が「今回の交渉には参加しない」と述べて帰ったという。なぜこのようなことになったのか、太田さん外務省への取材でわかったことは、その1ヶ月前に安倍首相はトランプ大統領と会談し、アメリカに「核の傘」を約束してもらう日米共同声明を発表している。もしそのあとに国連で核兵器禁止条約の交渉に参加したらアメリカに信用されなくなってしまうだろう。だから条約交渉に参加しないんだということだった。どこまで行ってもアメリカ第一でアメリカの顔色をうかがっている日本政府の態度に本当にあきれてしまう。これも「核同盟」の内実だろう。核兵器禁止条約成立に貢献したICANがノーベル平和賞を受賞した際、サーロー節子さんが演説で語ったという「モラル インペラティブ」(道徳上の要請)という言葉が印象に残った。「虫けらのように瞬時に多くの人を殺戮してしまう核兵器は絶対悪である」という「道理」こそが「モラル インペラティブ」である、と。この言葉を日本政府はかみしめて欲しい。
太田さんの話で驚いたのは、2018年2月に発表されたトランプ政権の「核体制見直し」(NPR:Nuclear Posture Review)の内容(「柔軟な核戦力オプションの重要性」、「敵のサイバー攻撃も核報復の対象に」、「小型核配備で即応性を高め抑止力の信頼性を向上」など)が、2009年、麻生内閣の時にオバマ政権の核戦略に関わる賢人会議に対して日本政府が提出した「秘密メモ」と非常に似ているということだ。そこには「さまざまな敵の脅威に対応できる柔軟な能力、サイバー攻撃も対象に」、「敵の先制攻撃に耐えられる信頼性のある能力」、「非戦闘員への副次的被害をおさえる選別能力」などをアメリカは持つべきであり、「配備戦略核の一方的削減は日本の安全保障に逆効果の恐れがある」ということが書かれていたということだった。トランプの核戦略を先取りするようなことを10年も前に日本がアメリカ政府に進言していたということは全く知らなかった。さらに去年2月、河野外相が「今回のNPRを高く評価する」という談話を発表したという一連の流れを考えると、日本が核兵器禁止条約への参加や核兵器の廃絶を全く考えていないということよくわかる。
またトランプが国連で北朝鮮を名指しで非難するという事態になった近年の危機的状況の中で、南北会談、米朝会談に至るまでの韓国、アメリカ、北朝鮮の間で行われた水面下の駆け引きや裏話などを、各国のキーパーソンの名を挙げながら臨場感あふれる語り口で、具体的に解説していただいた内容は非常に興味深いものだった。
太田さんの取材によれば、現在北朝鮮は35発程度の核兵器をつくれる核物質を持っており、1年で6発増える可能性があるということだ。2回目の米朝首脳会談の最大のテーマは、いまも動いている疑念のある北朝鮮の核施設を査察することであり、そして北朝鮮が求める制裁緩和・解除なども検討すること、お互いの連絡事務所を設立するなど、外交交渉で信頼関係をどう構築していくかが大事だということを強調された。そうした環境が整えば、北朝鮮は今後大胆な戦略的な決断(軍事用の核の廃棄など)をする可能性もある。しかしもし今回の会談がうまくいかなければ、またお互いが強硬になる危険性がある。そういう意味でこの1~2ヶ月が非常に重要であり歴史的な分水嶺になるだろうということだった。
朝鮮半島については「神のマントが翻るとき、飛びついてつかまえなくてはいけない」という、東西ドイツを統一した元西ドイツ首相ヘルムート・コールの言葉を引用して、いま朝鮮半島にも「神のマントが翻っている」のではないか。それをつかまえて大きな転換にしなければいけないのに、日本が核をもっと強化しなければいけない、核兵器禁止条約なんてとんでもない、という逆風を吹かせるような態度を取ることは、この歴史的好機を逸してしまうことになる。そうではなく金正恩を広島に呼ぶくらいのことをして、核や拉致問題の解決に向けて日本は交渉をしなければいけないのではないか、というお話は説得力があった。
最後に沖縄のことに触れ、現在沖縄には核兵器はなくなったが(かつては最大1300発の核兵器があった)、実際に核が沖縄に来た場合、核を運搬するためフォークリフトやトラックなどがパンクしたときに報告されるシステムがアメリカにはあり、そしてそういう事故が多発しているという。有事の際に沖縄に核が持ち込まれた場合の核を運用支援するシステムを、アメリカは現在でも温存しているということが文書開示請求で判明したということだ。このことはあまり知られていないのではないだろうか。再び核を沖縄に持ち込む選択肢をアメリカは捨てていないという現状がある。1961年に、当時の小坂外務大臣は「沖縄に核があるということを事前に発表すると世論の批判があるので、後から発表して欲しい」とラスク米国務長官に要請したという。核の問題を追跡することによっても、日本政府が沖縄の人々をだまし続け、差別し続けているということが明らかになっていく。核への依存を深めて、それを「よし」とするような世界でいいのか。「核の傘」に対してどのように向き合い、そこから脱却する世論をどのようにつくっていくのか、私たちが考えなければいけない大きな課題を与えられたお話だった。
(編集部から)今回の講座は講演者の太田さんとの約束で、非公開で、記録全文を掲載することはできません。代わりに担当者の感想を掲載いたします。期待された方にはお詫びを申し上げます。御了承ください。
三一書房 四六版 269頁 1800円+税
池上 仁(会員)
本書は2015~2018年に様々な紙誌に掲載された論考を集めたもの。「Ⅰはじめに いくつかの映画と本と」では内田さん自身のベトナム反戦運動→70年安保闘争体験を回顧し、「私たちはこの『過ち多き時代』を抱きしめながら、『一途』であったそんな時代をいとおしく思いながら生きて来た」と述懐している。弁護士になる顛末など、さながら内田さんの青春放浪記の趣がある。
秀吉の2度にわたる朝鮮侵略で、「朝鮮義兵と共に闘った降倭隊」について熱く語る。あまり知られていない史実だが、私は長谷川伸「日本捕虜志」で知った。日中戦争での日本軍の捕虜虐待に心を痛めた長谷川が、これが決して日本の伝統ではないことを語り伝えるために書き、自費出版したものである。
ヒットラー政権下の子どもたちを扱った本の書評で「フランス人捕虜に優しさを以って接する農家の主婦」について触れている。同様のエピソードが小関智弘「東京大森海岸 ぼくの戦争」にも、スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチの作品にも描かれている。内田さんは「日本国憲法に云う『個人の尊重』を実践した無名の人々」に思いを馳せている。
代替わりを間近に控えた天皇制について、「戦後最悪の安倍政権による『壊憲』策動に対峙するには『王党』派も含めた広範な陣形が必要だとは思う」としつつ、裕仁の「沖縄メッセージ」を弾劾し、1989年自粛により中止された高校ラグビー決勝戦を「痛恨のノーサイド」と振り返らずにはいられない。
Ⅱ 憲法・・・2000年のアーミテージリポートは集団的自衛権行使、そのための改憲を日本に迫った。その後もアメリカからの圧力が強まる。これに応えて安倍政権は2014年、特定秘密保護法の制定、武器禁輸原則の緩和、集団的自衛権行使容認の閣議決定、2015年安保法制の強行採決、防衛装備庁の設置、2017年共謀罪強行採決をなりふり構わず推し進めてきた。この経過をつぶさに検証し、安倍改憲を阻止することは「現在を生きる私たちの責務である」と訴える。敗戦を迎え解放感に満ちた「戦後が若かった頃」に思いを馳せよう、と。但し、「戦争を悲惨さのみで捉え、アジアの民衆に対する加害責任が欠落、もしくは希薄であった」「『平和憲法』が沖縄の切り捨ての上にあったことについての認識の欠如」「戦没者遺族に寄り添ってこなかったことが、遺族会・靖国神社による戦傷病者・戦没者遺族等の取り込みをもたらした」点を留保しつつ。
ここでは憲法13条を自衛権(自衛隊)の根拠にする論(木村草太氏等)に対する批判に裨益された。
Ⅲ 日本・韓国・中国・・・内田さんが鹿島建設(花岡事件)等の中国人強制連行・強制労働問題で奔走されてきたことは知られている。2000年の花岡事件東京高裁での和解成立(司法への信頼を呼び戻すものと評価している)をきっかけに次々に和解に至った。戦争被害の和解には(1)加害者側の謝罪、(2)その証としての和解金、(3)反省を表す歴史教育、受難碑の建立、追悼事業などが不可欠と内田さんは言う。これらを実現したことにより受難者・遺族は「いずれ『受難の碑』は『友好の碑』となるであろう」と語ったという。内田さんの奮闘が見事に結実した。
今問題になっている韓国大法院徴用工判決、さらには従軍慰安婦問題「日韓合意」について、日本側には加害者としての慎みと節度が欠けている。河野官房長官談話、1998年日韓共同宣言時の小渕・金大中による声明の精神の上に発展させるべきだ。同様に日中間の関係は1972年日中共同声明、1978年日中平和友好条約、1995年村山首相談話という積み重ねの上に発展させなければならない。付け加えれば日本・北朝鮮関係は2002年日朝ピョンヤン宣言の土台の上に、ということになるだろう。
Ⅳ 靖国・・・靖国神社の「聖戦」史観に立った安倍の戦後70年談話をドイツ政府の姿勢と比較しながら厳しく批判し、沖縄の平和の礎のようなひたすら追悼だけを目的としすべての戦没者を対象とした無宗教の国立施設を造るべき、と主張している。