1月28日から第198通常国会が始まる。
年頭の安倍晋三首相の発信に奇妙なことが起きている。
1月1日に公表された「年頭所感」では、安倍首相が本年最大の政治課題にしているはずの改憲問題が一言も触れられていない。
つづいて1月4日、伊勢神宮で行った「年頭記者会見」では、その主文にあたる「冒頭発言」部分では改憲について全く触れなかった。そして何人目かの記者との質疑応答でのみ、以下のように憲法問題を語った。
「憲法についてでありますが、憲法は、国の未来、そして国の理想を語るものでもあります。新しい時代の幕開けに当たり、私たちはどのような国づくりを進めていくのか。この国の未来像について議論を深めるべきときに来ていると思います。憲法改正について、最終的に決めるのは、主権者たる国民の皆様であります。だからこそ、まずは具体的な改正案を示して、国会で活発な議論を通じ、国民的な議論や理解を深める努力を重ねていくことによって、また、重ねていくことが選挙で負託を受けた私たち国会議員の責務であろうと考えています」と。
またも安倍のデタラメな持論である「憲法」論ではじまる。「憲法は、国の未来、そして国の理想を語るものでもあります」などといって、「もので『も』」ということで、憲法は権力制限規範だという指摘にも対応したつもりかもしれないが、安倍首相の憲法観のいい加減さが再び立ち現れている。
昨年は冒頭発言で改憲についてこう語っている。
「来年に向かって私たちがどのような国づくりを進めていくのか。この国の形、理想の姿を示すものは憲法であります。戌年の今年こそ、新しい時代への希望を生み出すような憲法のあるべき姿を国民にしっかりと提示し、憲法改正に向けた国民的な議論を一層深めていく。自由民主党総裁として、私はそのような1年にしたいと考えております」と。
昨年と今年の発言の変化が、安倍改憲にとって、何を意味するのか。昨年の臨時国会でも国会内外呼応したたたかいの結果、1年間にわたって改憲論議はすすまず、臨時国会の憲法審査会でも自民党改憲案の「提示」すらできなかったことが、安倍の気分に影響を与えているのかも知れない。
安倍晋三首相は1月5日、地元の山口県下関市で開いた後援会の会合では少し気合いを入れて「平成最後の年であり、新しい時代の幕開けとなる年だ。憲法改正を含め、新たな国造りに挑戦していく1年にしたい」と発言したが、安倍改憲の正念場である通常国会を前にした発言としては迫力に欠ける。
いま苦しいのは改憲を唱える安倍首相のほうだ。
2月10日に開催される予定の自民党大会の2019年運動方針の最終案は「時代の転換点に立つ今、改めて国民世論を呼び覚まし、新しい時代に即した憲法改正に向けて道筋を付ける覚悟だ」と改憲への決意を記述した。自民党執行部がこの案を安倍総裁に報告したあと、おそらく、安倍首相の意見で原案にはなかった「国民世論を呼び覚ます」との表現を新たに加えた。一方、原案にあった「(憲法審査会の論議などに関して)これまでの経過を尊重しつつ、改めるべきは改める」との表現は見送ったと言われる。
昨年の臨時国会での森英介・衆院憲法審査会会長の運営に関する「お詫び」は一体何だったのか。自民党はこの「お詫び」で下村博文・改憲推進本部長らの暴言で紛糾した憲法審査会の運営を正常化するつもりだった。しかし、こともあろうに運動方針案は安倍の指示で、この「お詫び」に関連する部分を削除してしまった。
通常国会が始まれば、与党改憲派は野党に対して、早急に憲法審査会を再開せよと迫るに違いない。そして伊勢神宮での首相の記者会見で述べたように「まずは具体的な改正案を示して、国会で活発な議論を通じ、国民的な議論や理解を深める努力を重ねていくことによって、また、重ねていくことが選挙で負託を受けた私たち国会議員の責務であろう」などと言いつのり、憲法審査会で改憲の議論をしないのは野党の怠慢だと責め立てるに違いない。この議論は一部メディアや政治評論家が乗りやすい議論で、野党への風当たりを強める作戦になる。
しかし、自民党運動方針最終案の作成過程で露呈した自民党の姿勢は、憲法審査会の再開の阻害物だ。
立憲民主党の枝野幸男代表は1月4日の記者会見で「まずは憲法調査会の憲法議論について、長年積み重ねられてきた良き慣習というものが、完全に昨年の秋に破壊されたと理解しています。まず破壊した側が、もう一度信頼関係に基づく建設的な議論ができる状況をどう取り戻すのか。そのことに汗をかいていただく。そのことが全ての前提だと思っています」と与党による憲法審査会の運営を厳しく批判した。
いうまでもなく、各種の調査で明らかなように世論は改憲を政治の優先課題とみていない。憲法審査会の再開を急いでいるのは安倍自民党だけだ。
この通常国会で安倍首相ら改憲派は懸命になって改憲発議の実現をめざしてくる。両院で改憲派が3分の2を占める現状は、安倍首相らにとって千載一遇の好機だ。極右改憲勢力にはこうした条件を持つ安倍政権の下で、もし改憲ができなかったら、半永久的に改憲はできないだろうなどという危機感がある。とんでもないことだ。日本国憲法の根幹に関わる9条改憲論議を198国会の1国会程度の議論で終わらせるわけにはいかない。それも国会審議の日程が極めてタイトに限られている中での改憲論議だ。熟議など全く不可能だ。
もしもこうした中での「発議」が行われれば憲政史上かつてない強行採決の暴挙となる。私たち国会外の市民運動にとっても正念場だ。
当面する私たちの課題は以下の4点だろう。
第1に、安倍9条改憲NO!の3000万署名運動や、5・3憲法集会の統一行動の全国的展開で、安倍改憲に反対する国会外の市民運動を全力で強化し、その力で国会内の立憲野党の結束した闘いを促し、通常国会における改憲発議を阻止すること。
第2に、来る参院選挙では最低限目標として立憲野党の議員が3分の1以上を確保する(非改選の41議席を含め82議席以上)ようたたかうこと。そのために改憲反対などできるだけ広い課題で野党と市民の統一政策を獲得し、必ず32の1人区での野党候補者を1本化し、勝利することを始め、可能な限りの野党の共同を実現してたたかうこと。この事によって、参議院の改憲派を大幅に減らし、安倍改憲発議の可能性を阻止すること。そのためにも4月の統一地方選挙で躍進し、衆院沖縄3区、大阪12区の補選を前哨戦として、立憲野党の共同で闘い抜こう。
第3に、1、2の進展によって、窮地に陥った安倍政権は野党共同の分断をねらって、衆参ダブル選挙に打って出る可能性が濃厚だ。その場合でも、野党共同の足並みが乱れず、戦い抜けるよう、市民はしっかりと野党各党とともにたたかうこと。
第4に、参議院選挙の結果、安倍政権の政治的責任を明らかにし、2007年の第1次安倍政権の崩壊にならって内閣総辞職・退陣に追い込むこと。安倍首相ら改憲派は窮余の策で、3分の2を確保するため野党の結束を分断し、一部の人びとを取り込もうとあがくにちがいない。これに備え、安倍改憲とたたかう野党の結束を促すこと。
可能な限り広範な人びとの共同をつくり出し、改憲発議を阻止し、参院選で勝利し、安倍政権を倒そう!
(事務局 高田健)
藤井純子(第九条の会ヒロシマ)
第21回許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会を広島で行います。昨年18年、秋の臨時国会で安倍政権は、出した法案をことごとく強行し成立させましたが、改憲発議どころか自民党案の提示も出来ませんでした。それでも安倍政権・自民党は、19年が明けた今、改憲の強い姿勢を打ち出し、参院選後に改憲発議を狙っています。
朝鮮半島には戦争の危機はなくなりつつあり、年頭、共和国は核兵器を持つことも使用することもしないとの発言もありました。「日本を取りまく状況」は安倍政権が煽るような危機的状況ではなく確実に平和に向かっています。
公開集会で「北東アジアの非核地帯にむけて」と題して講演して頂く高橋博子さんは、現在は名古屋大学大学院法学研究科研究員ですが、以前、広島平和研究所で研究されていました。著書・共著に「封印されたヒロシマ・ナガサキ」「核時代の神話と虚像」「核の戦後史」などがあり、核兵器禁止条約の署名も批准もしようとしない安倍政権を鋭く批判されています。また、ロウソク革命を成功させ、文政権を誕生させた韓国の市民運動に学ぶために朱帝俊さん、オール沖縄、北海道の野党共闘など学ぶものが大きいと思います。
日本は、憲法を変えて軍拡を進める時ではありません。今こそ憲法を生かしてアジアがアジアになるよう平和を作り出す時です。この重要な時期、改憲派の目論見を打ち砕くため、広島の全国交流集会に集まって頂いて、今年2019年、市民としてどう行動していくか、しっかり話し合いたいと思っています。
■2月9日(土)13:30~16:00
公開集会(どなたでもご参加いただけます)
講演「北東アジア 非核地帯に向けて」
講師:高橋博子さん
報告:韓国:チュ・ジェジュン(朱帝俊)さん(朴槿恵退陣非常国民行動・記録委員会)(通訳:加藤正姫さん)
沖縄:高良鉄美さん(許すな!憲法改悪市民連絡会共同代表・オール沖縄共同代表)
北海道:川原茂雄さん(戦争させない市民の風・共同代表)
この公開集会後、申し込みは必要ですが、交流会を行ない、時間のある限り討論を行いたいと思います。この「私と憲法」を読まれている皆さんの参加を心よりお待ちしています。
一昨年12月の第20回の全国交流会では2018年改憲発議を止めるために各地の取り組みを報告し、討論をし、持ち帰りました。広島でも「総がかり」で、或いは県内各地、それぞれの場で必死に取組みました。とりわけ3000万人統一署名には力を入れ、街頭に出たり、ポスティングをしたり… また、県内でも各地で「総がかり」と名づけた動きが出てきていますが、それぞれ悩みもあります。チラシ作り、資金、人数、本当の総がかりになっているか、3000万人署名も行き詰っている、野党共闘は必須だけど広島では大変難しい状況だなどなど… そのため時々意見交換会を持ち、報告や悩みを聞いたりしました。今、その中から出た意見を反映して、県内のみんなが配布できるチラシを作ろうとプロジェクトチームで相談中です。県内で同じチラシを配布し、改めて3000万人署名を集めようというものです。
第九条の会ヒロシマは、何が出来るかと考えた時、これまで毎年、新聞意見広告に取組んできましたので、昨年は意見広告に3000万人署名を掲載しました。2月(中国新聞)と8月(朝日新聞大阪本社版+東京セット版+西部版)の2回の意見広告で、約1200人の方々から、3500筆を越える署名が送られ、「憲法9条を生かそう」と願う新しい人々とのつながりが出来ました。昨年ほど一人ひとりの名前を出して意思表明をするこの意見広告を続けてきてよかったと思ったことはありません。これも皆さんのご協力があったからこそであり、賛同してくださった皆さんに心から感謝しつつ、今年も頑張ろうと思っているところです。
一方、どんどん戦争に近づいています。 日米合同軍事演習は日常化し、辺野古を埋め立てて巨大な米軍基地をつくり、先島諸島(宮古・八重山)への自衛隊配備が進んでいて、19年度防衛予算は過去最大です。新防衛大綱、中期防を見れば、ヘリ空母を戦闘機F35Bに対応する攻撃型空母に改修し、長距離巡航ミサイルは配備され、アジアからは、敵基地攻撃能力に見えるでしょう。呉には、「いずも」と同型艦の護衛艦と呼ばれるヘリ空母「かが」が配備されています。これまでの艦船と比べるとその大きさに圧倒されます。大型艦が着岸できるように桟橋も長くなり、呉市も「海軍さん」との共存共栄を観光にしているのですからたまりません。(今回、フィールドワークも準備しています) そして、これらは平和都市ヒロシマのすぐそばなのです。あの戦争を深く反省し二度と戦争をしないと誓ったはずの日本が、韓国大法院判決を非難するなど、政府は歴史を捻じ曲げ、アジアの火種にさえなりかねません。もう黙っているわけにはいきません。
広島で活動していくために全国の皆さんが頑張っていることは大きな励みになります。北東アジアの非核化を実現し、19年改憲発議を止め、戦争しない国であり続けるために、主権者として私たちに何ができるか、考え、ともに行動していきたいと思っています。
松岡幹雄@とめよう改憲!おおさかネットワーク
全国の仲間の皆さん!連日のご奮闘ほんとうにご苦労様です。とくに、東京首都圏の皆さんは連日の国会前での集会やさらには地元にかえっては駅頭での街頭宣伝など心より敬意を表します。私たちも、大阪の地で、また、生活し働く地元で運動を継続しています。昨年2018年という年は、なんといっても安倍政権の腐敗と権力主義、女性や様々なマイノリティーへの差別が露骨にふき出した年ではなかったでしょうか。公文書改ざん、虚偽答弁にはじまり、国会審議のカット、挙げ句の果ては、データの偽造とこれほどまでに国会をないがしろにしていいのかと思わざるを得ない出来事が相次ぎました。この国の主権者としてもっと怒りの声をあげねばなりません。
しかし、安倍政権は、通常国会と臨時国会と改憲発議をすることはでませんでした。3000万人全国統一署名運動のとりくみに自信と確信を持って2019年を安倍政権を退陣させる年にしていきましょう。大阪総がかり行動実行委員会は、この数年間、5月3日、11月3日の2つの憲法集会を軸にして毎月19署名と宣伝行動を続けています。“マンネリを打破”するための努力を続けています。たとえば、2018年の11月3日は、舞台を会場中心部に据えて音楽や舞踊を組み入れたお祭りイベント的な集会に切り替えました。また、19宣伝も12月19日は、若者であふれかえる梅田ヘップファイブ前で路上ライブを敢行、プロの女性サックス奏者の生演奏や沖縄ソングでアピールをし、注目度は抜群でした。また、1月18日は、路上で動画を再生し音と映像でアピールを行うなど、まだまだ実験的ですが宣伝活動の質を高める試みを続けています。
2019年安倍政権を一刻も早く退陣に追い込まねばなりません。あきらめず、めげず、“安倍政権のひどさ”を言い続けるしかありません。けっして、運動する側が“ひどさ慣れ”してはなりません。沖縄の人たちのたたかいと運動に学ぶべきだと思います。今年に入ってから安倍首相のウソは、さらに磨きがかかっています。年頭から、「あそこ(辺野古)の珊瑚はすべて移植していますから」というウソ発言。「国会議員は、憲法を変える義務がある」というウソ発言まで飛び出しています。安倍首相や菅官房長官らのウソ発言を徹底的に追及しようではありませんか。
オスプレイが、我が物顔で全国各地を飛び交う、アメリカ製の攻撃型兵器を爆買いする、自衛隊と米軍の軍事一体化がどんどん進む、シナイ半島で活動する多国籍軍への自衛隊の派遣も検討されている。そして、過去最大の軍事費の増大(5年間で27兆円)が進められようとしている。こういったことは、すべて、安保法制=戦争法によってもたらされた出来事であるということも訴えていきましょう。
昨年から安倍首相は、自衛隊を憲法に書き込むだけで、「何も変わらない」とウソの発言を繰り返しています。しかし、自民党の9条改憲文案では、そうはなっていない。従来の自衛隊の位置づけである「必要最小限の実力組織」の位置づけを変更し、「実力組織」すなわち戦力を持つ軍隊へと変えようとしていること。そして、「必要な自衛の措置」を挿入し、制約のない集団的自衛権の行使を可能にしようとしていること。また、「内閣を代表して」を削除して、総理大臣が最高指揮官として個人として自衛隊を指揮できる案文になっていることをもっともっと広く宣伝していきましょう。
今年は、選挙イヤーです。安倍政権を退陣に追い込む絶好のチャンスとして私たち市民も“選挙”をしっかり取り組むことが必要です。“選挙“や“政治”を直接語り動ける市民連合の役割はますます重要です。統一地方選は、参議院選の前哨戦として負けられません。大阪では、自民だけではなく、維新とのたたかいです。80を超す議席数の中で立憲野党の議席はわずか3議席。この異常な議席配分を終わらせるために必死の努力が続いています。続く7月の参議院選では、何としても改憲発議に必要な3分の2議席を与えない、そのための全力を尽したいと思います。まずは、全国31の一人区で統一候補を実現させたい、また、私たちは、大阪のような複数区でも野党統一候補を擁立することが検討されるべきだとかねがね主張してきましたが残念ながら立憲野党が乱立状態です。現状でいえば、嘆いていてだけでは事態は良くなりません。一人区のたたかいと複数区たたかいを連動、相乗効果を作り出すことが必要です。複数区でも市民と野党の協力関係を構築するために引き続き頑張っていきます。
朝鮮半島をめぐる非核化・平和の動きは、今年も紆余曲折はあろうとも継続、前進すると思います。その流れに逆行する安倍政権にさよならせねばなりません。憲法9条と平和的生存権を持つ日本こそが平和のプロセスに積極的に参加し、その役割を発揮する、そんな政治を前に進めることは日本の民衆の責任でもあると思います。ともに頑張りましょう。
富山洋子(NPO法人日本消費者連盟顧問)
私が敬愛する田中正造は、国家・資本が結託して地域社会に押し付けてきた「鉱害」に対峙して、渾身の力を振り絞った。国会議員を辞したのちは、谷中村住民として国家・資本による暴力に対決した。谷中村は、足尾銅山の鉱毒によって、いのちを育む豊かな環境を奪われ、立ち退きを強要された。だが残留した人々の意志は固かった。「我々は、世に如何なる法律ありとするも、官吏が人民の家屋を破り、田圃を奪うに至ってはもはや、生命を奪わるるほかなしとの決心に候」と記述された谷中救済会にあてた書簡には、彼等の決然とした固い意志が込められている。
日露戦争中、谷中村からは50人余の兵士が徴集されている。政府・資本によってかけがえのない風土を奪い取られた人々は、殺し殺される戦場に送り込まれた。両国の兵士たちは、お互いに何の怨みもないにも関わらず、互いに殺し合いを強要された。そして、谷中村から戦場に駆りだされ九死に一生を得て村に帰った人々の故郷は、政府・資本によって強奪されていた。
田中正造は、勿論戦争には反対だった。世界の国々は軍備を撤廃し、人々の交流、とりわけ若者同士の話し合い・交流に外務省の予算を使えばよいと主張している。
1902年の関東大洪水後、栃木県による谷中村の買収が進められてきたのだが、埼玉県でも谷中村に沿った渡良瀬川を隔てた隣村である川辺、利島村両村を買収する計画があった。谷中村とこの二つの村を貯水池にした時に、ようやく治水の目的に叶った広さになるという計画が進められていたのだ。
この二つの堤防もまた、1902年の洪水によって破れたが、谷中村と同様に決壊したまま放置されていた。両村は田中正造の指導のもと、1902年10月、民大会を開き県に対し次のような決議を突き付けた。
私は、両村の人々の、この見事な構えを知った時、国民学校4年生の修身の授業での記憶が蘇ってきた。国民の3つの義務は何かと教師に問われ、納税の義務、兵役の義務、教育を受ける義務であると答えて、教師に褒められた苦い記憶だ。戦争は嫌いであり、周囲の男性に突き付けられた招集令状を嫌悪していたのに…。当時、国民学校で教育を受けるのは「権利」ではなく義務あり、とりわけ修身の授業は、日本という国家が捏ね上げた「大義名分」を刷り込むものであったのだ。
田中正造の最期は、木下尚江が勝子夫人と共に看取った。木下の『臨終の田中正造』(近代思想体系10 木下尚江集 筑摩書房・1975年初版発行)では、田中正造の気骨に満ちた生涯が記述されている。木下は、田中正造天皇の直訴については、終始反対していたが、その点についてのやりとりを紹介したい。
木下の問いに応えて、田中正造は次のように述べたという。
もし天皇の御手元へ書面を直接差出すだけならば、好い機会がいくらでもある。議会の開催式の時に行えば、何の造作も無いことだ。然しながら、議員の身でそれを行ったでは、議員の職責を侮辱すると云うものだ。
私自身も、敬愛して止まない田中正造の天皇への直訴と大日本帝国憲法の評価については、釈然としないものを持っていたが、木下とのやりとりに加えて、小松裕さん(熊本大学文学部教授・故人)が東京新聞(2013年9月1日付け・朝刊))に寄せられた文章を読んで、そのわだかまりは氷解した。小松さんは、田中にとって「『真の文明』とは、人権が尊重されることとイコールであった。「そして憲法とは『人民の権利章典』にほかならなかった。だからこそ、あの大日本帝国憲法すらも鉱害被害民の人権を守るために徹底的に活用し」、「最終的に正造は、大日本定帝国憲法を廃止して、普遍的人権擁護を中心とした『広き憲法』の新造を構想するようにな」ったと述べている。
さて、文部省(当時)が1947年8月に中学1年生用に発行した『新しい憲法のはなし』の冒頭では、憲法は国の仕事のやり方をきめ、同時に国民の権利を定める最高法規であり、国民の一番大事な権利が「基本的人権」であると述べ、これからは戦争を決してしないという、大切なことがきめられていると記述されている。そして前文については、「民主主義」、「国際平和主義」、「主権在民主義」であると説明されている。
この「平和憲法」が、公布・施行された時の嬉しさを、私は、今も忘れてはいない。
共に安倍政権に対峙し、日本の平和憲法を活かし、守り抜いていこうではないか。
世界中の人々が「ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有すること」を確認し、戦争・核兵器・軍事基地・原子力発電を拒否していこうではないか。
沖縄の人々が高く掲げる「ぬちどう宝」を貫く軍事基地阻止の闘いを共有していきたい。
共に、あらん限りの力を注いでいこうではないか。
菱山南帆子(市民連絡会事務局次長)
2018年を振り返ると、労働法制、カジノ法、出入国管理法、水道法など悪法の数々が強引に通されてしまった。それらの悪法は経済界がどうしても成立させたいものばかりで、安倍政権は今年の政治決戦を見据えて大資本家に恩を売り「やはり安倍政権で行こう、そのためには金も惜しみなく出そう」という支持を取り付けるために他ならなかった。
大資本家を取り込む一方で、闘う勢力にはムチを振りおろし、屈服する者にはアメをバラ撒いている。その最大のものが、沖縄知事選からわずか2か月余りの12月14日の辺野古の海への土砂の投入だ。
しかし、私たちは一方的にやられっぱなしではなかった。「19日国会前行動」を中軸にして、安倍政権の強権的政治を休みなく包囲し、野党共闘を強固にし、3000万人署名の草の根的展開とも連動することで「アベ政治の本丸」=改憲策動のスケジュールに痛撃を加えてきた。さらに、沖縄では昨年8月に急逝された翁長さんの遺志を継ごうと玉城デニーさんを押し立てての9月30日の沖縄知事選挙を全力で闘った。その結果、過去最高の獲得票をもって玉城デニー沖縄県知事が誕生した。政権の全体重をかけた闘いの圧殺、オール沖縄の団結の解体を完全にはね返した見事な勝利だった、
前述したように、にもかかわらず土砂投入の暴挙に踏み込んだ安倍政権に対して、怒りは国内にとどまらず、ホワイトハウスへの署名活動など世界中に広がり始めている。安倍政権がどんなに「これでもか!」と闘う意思をへし折り、あきらめを引き出そうとしても、私たちは闘いの火を絶やさず、さらに世界へと広げようとしている。
このような攻防がいよいよ白熱し、重大な局面を間違えなく迎えるのが今年、2019年だ。すでにたくさんの政治スケジュール、選挙スケジュールが決まっており、闘争予定もぎっしりと詰まっている。これからは、これまで以上に一つ一つの闘い、活動を「確実に勝ちに行く、真剣勝負」として集中して取り組む必要がある。しかし、何事も煮詰まってくると内に内にへと向きがちになる。そのうちにイデオロギーのぶつけ合いが始まる。だから、眉間にしわを寄せて運動を行うのではなく、鼻歌を歌うくらいのしなやかさを持ち、「闘うってなんか楽しそうだなぁ」と思われるような多様性と柔軟性をどんな時も欠かしてはならない。
ところで。「なぜ安倍政権の支持率は大崩れしないのか?」という私たちにとっての悩みにしっかりと向き合わなくてはならない。理由も要素も沢山あげられるだろうけれど、少し前に新聞の世論調査で安倍政権支持率や辺野古政策の支持率に男女差が顕著だという結果が出ていた。男の方が安倍政権を支持し、辺野古への土砂投入を容認しているのだ。
「男、だめじゃん!」とカチンときたが、それと共に「なぜだろう?」と考えた。バブル景気の崩壊、リーマンショックなどで株の暴落、倒産、リストラの惨憺たる苦汁をなめ、それを繰り返したくないという思いは男女に差はないと思う。しかし、経済を会社の業績、株価の変動などを指標にして見がちな男性は、アベノミクスに期待を寄せてしまうのか。経済を生活実感、家計から見ようとする女性とではアベノミクスに対する温度差が違う。安保や沖縄についてはどうか?男は爆弾を落とす側の発想をしがちで、女は落とされる側から考える。だから差が出る。
なぜこのような差が作られてきたのだろうか。最近のジェンダー指数でも日本はほとんど最下位グループだ。1月3日、自民党の平沢勝栄議員が「LGBTの人ばっかりになったら国は潰れちゃう」と発言した。同じく自民党の杉田水脈議員の「生産性」発言と同種のものだ。性による役割の固定、性の多様性の否定、家族主義的国家観は「アベ政治」の土壌そのものであり、「アベ政治」の根絶のためにはこの土壌を変えることが不可欠な闘いだ。
ところで、「トイレで知る・考える、、、社会のこと」というカレンダーがあり、毎月社会的なメッセージが書かれているものなのだが、今年の1月のメッセージは「少し昔ばなし」というものでした。それは鍵をかける習慣など無かった村に「人と仲良くできない男」が現れて村人に「刃物(武器)、強い若者(軍隊)、砦(基地)が必要だ」と大声で言い続けた。その結果、どの家も鍵をかけるようになり、心配事や争い事が増えていった・・・というものでした。
私はこのメッセージから「人と仲良くできない男」とは真逆な生き方、人間像こそが求められていると触発されました。「攻め倒す」闘いと「足元を掘り崩す」闘いを両輪として実践しよう!
工藤和美(北海道・釧路市)
【地元での動き】 北海道・釧路においても「安倍9条改憲NO!釧路市民アクション」・釧路9条の会・各市民団体などで安倍9条改憲NO!憲法を生かす全国統一署名活動に取り組んできた。団地の戸別訪問や街頭での署名活動も一部で取り組まれているが、シャッター街が目立つ中心部は人通りが少なく郊外のショッピングモールやCOOPさっぽろ各店では駐車場・入口の署名活動が認められず厳しい状態であった。そこで昨年11月25日に「全国市民アクション発起人」でもある精神科医の香山リカさんを招いた講演会を開催した。これまでの改憲反対集会よりウィングを大きく広げる目的で講師とも相談して「あなたのいきづらさ解決しますー精神科医が見たいまの日本」という演題とした。参加者は予想を上回る500名を超え、うち約200枚はプレイガイドと当日券であり、配布した署名用紙(返送用封筒-料金後納)は60通余りが後日届き一定の宣伝効果があった。今後とも毎月19日の釧路駅前行動は、厳しい寒さの中継続して声を上げていく予定である。
【安倍政権の転換点】 昨年9月の沖縄知事選における玉城デニーさんの勝利は安倍政権が衰退に向かう「転換点」となったと考える。流れが下向きに変化した表れとして(1)昨年末の臨時国会最終盤で憲法審査会に自民党改憲案の「提示」を強行出来なかったことがある。(2)アベノミクスによる「異次元の金融緩和」は、副作用として「スルガ銀行の暴走」など不動産バブルや「地銀収益の悪化」が進行している。(3)昨年12月アベノミクスの「成長戦略」の柱である産業革新投資機構に対する経産省の「失態」問題が表面化した。「日産・ゴーン問題」の波及を恐れた経産省が、一旦は文書で確約した役員の高額報酬の撤回を図ったが、承服しない田中正明社長(元三菱UFJFG取締役副社長)は「日本は法治国家ではない」と言い放ち、自らを含む民間出身の取締役9人全員が辞任し同機構は機能不全に陥った。支持母体である財界の一部と「仲間割れ」が始まった。(4)安倍政権が「最大成果」として誇る「株高」は、年間で初めて下落に転じた。日銀は株式市場に2018年は上場投資信託(ETF)を通じて6兆円強の買い入れを続け総額は23兆円を超えた。また株の保有を5割に増やした年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)は2018年10~12月の資産運用で「過去最悪の14兆円超の損失か」と試算した報道もされた。⑤昨年10月、退任後沈黙していた白川前日銀総裁(2008-2013)は「日本経済が直面している問題の答えは金融政策にない」と公然とアベノミクス批判を行った。重大な政治問題となっている「勤労統計調査不正問題」は、昨年11月日銀が上振れするGDP統計に不信を募らせ、独自に算出しようと元データの提供を迫ったが内閣府が拒否していることに起因がある。この問題が発覚したのは総務省統計委員会の西村清彦委員長(元日銀副総裁2008-2013)が「法令違反」と指摘したからである。この背景には安倍=黒田ライン対日銀プロパーの亀裂の深まりがある。⑤今年はイギリスのEU離脱、米中貿易戦争、米欧中銀の緩和マネー縮小により世界的に景気後退局面に向かうとされる。好調だった海外要因に助けられてきた日本経済は、消費増税予定もあり景気拡大期がピークを打ち景気悪化は避けられない。
【政権浮揚の切り札?】こうした中で安倍政権は、日露交渉による「北方領土返還」の「実現」を選挙の「切り札」として、衆参両院での3分の2の改憲勢力の維持を狙っている。そのためこれまで「固有の領土=4島一括」を掲げてきた「変節」を誤魔化す「2島プラス・アルファ」を持ち出し、ロシア側が同意するかのような言説を振りまいている。しかし安倍首相と毎月会談し親密さを誇示する鈴木宗男新党大地代表は「安倍首相が…1島でも2島でも戻せば世界初のこと」(1・11朝日新聞道内版)と持ち上げているが、その内実はプラスどころか「2島マイナス・アルファ」であることを図らずも吐露している。そしてロシアは安倍首相の足元を見透かすように主権問題などでハードルを一段と上げている。SNSで揶揄されている「2島追うものは1島も得ず」は思いのほか、的を射ているようだ。邪な意図を持った安倍政権の「領土交渉」の進展は簡単ではないと思われるが警戒を払う必要はある。安倍一強の源でもある経済の流れは下向きに変化していることを見極め、全力を挙げて市民と野党の共闘を深化させよう。必ず安倍9条改憲の動きを再起不能に追い込もう。
川崎哲さん (ピースボート共同代表、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)国際運営委員)
(編集部註)12月15日の講座で川崎哲さんが講演した内容を編集部の責任で要約したものです、要約の責任はすべて本誌編集部にあります。
なお、この講座はhttps://www.youtube.com/watch?v=5ft2JIKllWoで検索できます。
ICANがノーベル平和賞を受賞したという発表があったのが去年の10月6日でした。それからいろいろなことが飛び込んできまして、もうだいぶ前から市民憲法講座で話す機会がとれないまま今日になってしまいました。いまから10年半前に「9条世界会議」を幕張メッセその他でやったときにもみなさんとご一緒していただいたわけです。実は私は週に一回恵泉女学園大学で軍縮とか核の講座を非常勤で教えていまして、そこの大学院で平和学を勉強しているある学生の方に平和学に関心を持ったきっかけを聞いたら、10年前に「9条世界会議」に行ってみて関心を持ちそこから勉強して、社会人になった後に大学院に入ったという人がいたので、非常に意味があることだなと感じていたりしていたところです。
今日は「北東アジアの非核兵器地帯構想と核兵器禁止条約」というタイトルをいただきまして、主に核兵器禁止条約はどういう条約であるかをお話して、それが東北アジアの非核平和地帯という長く提唱されてきている、この地域のひとつのオルタナティブな安全保障のあり方とどうつながるかということを私なりにお話したいと思います。憲法との関係でいいますと、武力によらずに平和をつくるという理念が憲法9条に込められているとするならば、それを現実的な国際関係の中でどう活かすかということが課題であるわけです。その中で北東アジアの地域を非核化していくことが、ある意味では憲法9条の考え方を現実に当てはめるひとつのやり方として、長く平和運動や平和NGOで提唱されてきています。核兵器禁止条約はグローバルな条約であり、どこか特定の国に関係するものではありませんけれども、私たちが今暮らしているアジアに活かすことができる、それはこの9条を中心とした平和的な安全保障政策と合致するものだと考えています。
お話の前提としてICANとピースボートのことですが、ICANというのは核兵器廃絶国際キャンペーンということでNGOの連合体で、特定のひとつの団体ということではありません。いまは100ヶ国以上、500団体以上が参加しています。2007年にできたNGOの連合体ですから、今11年目くらいです。オーストラリアのメルボルンからお医者さんたちが始め、その後どんどん広がって、2011年からはスイスのジュネーブに本拠地を置きました。ジュネーブというのは国連の欧州本部があり、そこに軍縮の代表部などを置いているものですから、その場所に国際事務所があることは重要です。事務局員が最初は3人くらいから始めて、いまは5人程度なんですね。5人程度で世界500団体をいろいろコーディネートしてひとつの運動を進めてきています。ピースボートはその500団体のうちのひとつですけれども、同時にICAN全体を運営している理事会のような国際運営グループという組織が10団体あります。その10団体のひとつが日本のピースボートで、私はピースボートを代表するかたちで国際運営員をやっているという関係にあります。
ノーベル平和賞のメダルと賞状はこんな感じのもので、賞状にICANと書いてあります。毎年決まったアーティストが写真と絵を組み合わせてデザインをつくるそうですが、昨年度はお母さんと赤ちゃんということでした。今年のものは見ていません。ついこの間ノーベル平和賞の受賞式典があって、ご存じのようにコンゴのムクウェゲ医師とイラクのナディアさんという女性で、戦時下の性暴力の問題に取り組んでいる2人の活動家が受賞しました。受賞に先立ってマスコミ報道を今思い返してみると、トランプ大統領や金正恩委員長がとるのではないかという下馬評がまことしやかに語られていましたけれども、それは全部外れたわけです。そして恐らくほとんどの人が知らなかった市民活動家が受賞しました。実はICANに平和賞をくださったノルウェーノーベル委員会の委員長がベリト・レイス=アンデルセンさんという女性で、この方は昨年委員長に就任されています。昨年はICAN、今年はこのお2人に、ということで2年連続して市民の運動家に賞をくださったということはひとつのメッセージだろうと思っています。余談になりますけれども、昨年の今頃ノルウェーの式典に行って1週間くらい滞在して、そのときに委員長も含めいろいろなノルウェーのノーベル委員会関係の方々とお会いしたり会食したりしました。そうした中で、私から話すわけではないのに、多くの方々から日本の憲法はどうなっているのかということをよく聞かれました。アジアから来ました、日本から来ましたというと、日中関係が大変だねとかいろいろな話が出ます。そうした中で「日本は憲法を本当に変えてしまうの?」ということをノーベル委員会の関係の方から何回も聞かれたということは言っておこうと思います。
この核兵器禁止条約は、昨年の7月7日に国連本会議で採択されました。122ヶ国が賛成をしました。賛成した国々に緑色が着いています。国連加盟国は193あります。アルファベットでアフガニスタンの「A」から始まって「Z」のジンバブエまで並んでいますが、国連加盟国の約3分の2は賛成したわけです。反対は1ヶ国オランダ、棄権は1ヶ国シンガポールでしたが、他の国はすべて参加を拒否したわけです。欠席なので反対でも棄権でもないんですね。票を投じていませんから。例えばアメリカやイギリス、ロシア、中国、日本。色がついていないのは欠席したからです。オランダがなぜ反対したかというと、オランダは実は市民運動が強く、ちゃんとこのプロセスに参加しろという市民運動がありました。署名を集めて議会に提出した。そうしたら、議会が政府はちゃんとこのプロセスに参加しなさいということを決議して、それに押されて、オランダもNATOの一員でアメリカのいわゆる同盟国ですが、このプロセスに入って反対票を投じたということです。いずれにしても重要なことは、私たちは「軍縮に民主主義が訪れた」といっていますが、国際社会の多数は核兵器をもう絶対いらないといっているわけです。少数の国々が反対をしている。反対というのは、要するに核兵器はまだ必要だといっている。日本は残念なことに核兵器はまだ必要だといっている側に立っているということです。
ICANがどういうかたちでこれをサポートしてきたかというと、この条約をつくろうということで中心的に動いてきた国がいくつかあります。オーストリアそれからメキシコ、この2ヶ国がツートップといっていいのではないでしょうか。それ以外に例えば南アフリカとかニュージーランドとか議長を務めたコスタリカなども大きな役割を果たしました。いずれもいわゆる超大国ではありませんけれども中堅の国家として力を持っている国々ですね。条約というのは国と国の約束事ですから国家間で交渉してつくられますが、
われわれNGOがそれをサポートした。サポーするというのは、例えばそうした条約をつくるための会議に多くの国々の政府が集まるように各国で「参加しろ」という圧力をかけたり、あるいはさまざまなメディアを使って世論を喚起したりということです。その中心を担ったのは国際運営グループに参加しているメンバーです。
この写真は10団体に参加している中心メンバーが、ちょうど1年前の平和賞受賞の時にオスロの市庁舎前で撮ったものです。見ていただくとわかると思いますけれども、まずひとつは日本人としては私1人です。日本に生まれ育ったものとして、私は東京生まれ東京育ちですけれども、広島・長崎の話は非常になじみがあるというか、子どもの頃から学校でも教わっているわけですね。そういうことで、恐らく日本の平和運動というのは本質的に核廃絶運動と近いわけですね。反戦といえば反核であるということで、それは一般社会でもあるいは運動の世界でも一体となってやってきたと思います、他の国々では必ずしもそうではありませんね。例えばICANの事務局長を務めている、ベアトリス・フィンはスウェーデンの女性ですが、彼女はなぜ核兵器に問題に関心を持ったのかと聞かれると、自分はスウェーデンで移民が多い街に暮らしてきた。その移民や難民の方々を見て国際関係に関心を持つようになって、そしてこうしたNGOに関心を持つようになった、そんなことをいっています。そしてあとから核兵器のことを考えるようになったということです。それ以外にも多くのヨーロッパの人たちやアフリカやラテンアメリカ、北アメリカなどいろいろな方々がいますが、それぞれのきっかけでこの運動に関わるようになってきています。それからこの写真を見てもわかるように、女性が非常に多いですよね。数えたら15人の女性と7人の男性ということで、普段ICANで会議をやっているともっと男性が少ない印象がありますね。10人の女性と3人の男性くらいで会議をやっていることが多いです。それから若いということもあると思います。日本でいわゆる核兵器廃絶とか平和のことをやっている運動家の主力から見るとだいぶ若い層がこのICANでは頑張っているのではないかと思います。
私が属するピースボートがこのICANの運動にどう関わってきたかといいますと、被爆者の方々を船に招いてそして世界をまわるという「おりづるプロジェクト」を2008年から開始しています。これまで合計170人以上の被爆者の方々に船に乗っていただきました。私自身のことでいいますと2008年5月に「9条世界会議」があって、そのときまで数年間は「9条世界会議」の準備と実行にものすごく時間をかけていました。それが終わって数ヶ月後からこの「おりづるプロジェクト」に取り組み、ちょうど10年になります。その中で被爆者の方々はもう平均年齢としては80歳を超え、最後の力を振り絞って自らの体験を伝える。それをいろいろな若い通訳ボランティアなどが通訳をしながら世界に広げていって、核兵器の非人道性を世界の共通認識にすることに貢献してきたと自負をしております。こうした取り組みの中では単に広島と長崎の話を世界に伝えるというだけではなくて、核兵器によって被害を受けた人たち、核実験による被害もあるわけです。世界でこれまで核実験は2050回以上行われてきています。その多くが太平洋の島々やオーストラリアや中央アジア、アフリカなどで被害者が出ています。そのほとんど放置された状態ですから、彼らの声をもまた核の非人道性を語る声として伝えていかなければいけません。これは南太平洋のタヒチの写真です。タヒチで1960年代のフランスの核実験の仕事に従事させられていた元核実験労働者の方々が、自ら組織して権利のためにたたかっています。そういった方々とも船を通じた交流の中で連携をしながら活動をしてきています。こうしたことが核兵器の非人道性という考え方を世界に広げる推進力になったと思います。
これまで地雷禁止条約とかクラスター爆弾の禁止条約もそうですが、まずそれらの兵器がいかに非人道的な被害を与えるかという共通認識をつくるというプロセスがあって、その後それを法的に禁止するという段階に入っていくという流れで兵器の禁止は進んできました。核兵器についても同じ流れを進めてきたということでして、やはり広島・長崎、そして福島も経験した日本の市民団体としては、核の非人道性あるいは放射線の被害の恐ろしさということについてきちんと生の声を伝えるということに重きを置いてやってきたわけです。
核の非人道性ということについての議論は、2013年から2014年くらいまで各国で続いていました。2010年に赤十字が核兵器の非人道性に関するステートメント、声明を出したことがひとつの大きなきっかけになりました。赤十字というのはもともと中立の人道組織であって政治的な事に介入してはいけないということが原則ですが、それにもかかわらず赤十字が核兵器は非人道的だときちんと声明を出してくれたことは非常に大きかったんです。そういったことによって、これまで冷戦時代以来核の問題というのは国際政治のアジェンダ、つまり東側対西側、アメリカの核とロシアの核、あるいは米中、米朝といった国際関係の取引の観点から議論する「核問題」というものを、どの国のものであろうとも、誰が使おうとも、使われたら非人道的な影響をもたらすという観点で、「人道問題」として取り上げるという流れが2010年から2014年くらいまで議論が続きました。その後2015年以降「ならばそれを法的に禁止しましょう」というプロセスになってきたのが2015、2016、2017年ということで、実際に条約そのものをつくる構想プロセスは2017年3月から7月という比較的短期間で進みました。
条約の内容に入ります。まず前文で一番重要なのは、「いかなる核の使用も国際人道法に違反し、人道の諸原則・公共の良心に反する」というこの部分です。これがなぜ重要なのかというと、それまで核兵器の使用に関する国際法の理解として1996年に国際司法裁判所が勧告的意見を出しました。それは「核兵器の使用は一般的に国際法違反であるけれども、極限状況とりわけ国の存亡に関わる極限状況においては違法か合法かはなんとも言えない」という但し書きをつけていました。それに対してこの核兵器禁止条約は「いかなる」といっていますから、例外なくどんな場合でも核兵器を使えば、これは人道法違反だと言い切っている。ここが画期的だったわけです。その議論の前提として、被爆者や核実験被害者が受けてきた「受け入れがたい苦痛」という表現を原文では使っていますが、そういったことに鑑みていかなる核の使用も国際人道法違反だ、ゆえに核兵器に依存した軍事政策はだめだ。こういっているのがこの前文の主な内容です。
これを踏まえて、今度は何を禁止しているのかということです。これまた「いかなる場合も」ということで例外なく禁止していて、aからgまであります。このaからgは何を意味するかというと、aに「核兵器の開発、実験、生産、製造、取得、保有、貯蔵」と書いてあります。a・b・cというところをまとめて平たくいうと「核兵器をつくることも持つことも認めない」ということですね。つくるのもだめ、持つのもだめ。そしてdは、「核兵器の使用、使用するとの威嚇」で、「核兵器を使ってはならない」ということです。飛んでgですけれども「自国内に配置、設置、配備」というのは、「外国のものを持ち込ませない」ということです。外国のものを持ち込まない。こうやって置き換える理由は日本の非核3原則と比較をしていただきたいからです。日本の非核3原則は「持たない、つくらない、持ち込ませない」です。そうしますと「持たない」と「つくらない」はこのa・b・cでカバーされる。「持ち込ませない」はgでカバーできます。そうすると「なんだ、日本は非核3原則を守っているのだったら、これに入れるのか」と思うかもしれないけれども、残されたd・e・fがあるんですね。
まずdの「核兵器の使用、使用するとの威嚇」です。持っていないものを使うことはできませんから、そういう意味では日本は持っていないから「使わない」ということはここで当てはまる。最後に残る問題はe・fです。「これらの禁止された行為をいかなる形でも援助、奨励、勧誘すること」は行ってはならない、といっている。これが、日本が難色を示している本質的な理由です。このように私は言っていますが、政府はそのように説明しておりません。しかし法的に議論を考えたならば、ここしか問題は考えられませんね。この核兵器禁止条約の話になりますと、報道機関はこんなふうに言います。「日本はアメリカの核の傘に守られている立場であるがゆえに難しい選択を迫られています」。「核の傘に守られている」ということはどういう意味なのか。核の傘で守られるというのは、そういってしまえば何か守ってくれるみたいなイメージですけれども、実際のところは「日本を守るために核兵器を使ってくれ」ということですよね。抑止力というのは使うことを前提にしていますから、「使うぞ」と脅すわけですよね。「使用の威嚇」をするわけです。「何なら使用するぞ」と威嚇することによって相手を思いとどまらせることが抑止ということの意味ですから。自分達は持っていないので自分達で使うとか自分達で脅すということはないですけれども、「使って下さい」、「脅して下さい」と要請するわけですよね。それら要請行為が「援助、奨励、勧誘」に含まれると考えるのが妥当です。
今まさに防衛計画の大綱の見直しをやっていますけれども、日本は防衛計画の大綱においても、あるいはいわゆる国家安全保障戦略においても、アメリカの核兵器の抑止力に依存するということは明言されておりますし、また核兵器の抑止力の信頼性を高めるために努力すると書いています。「抑止力の信頼性を高める」ということは、核兵器の使用能力を高めるということです。そのために協力するということですから、これは「援助、奨励、勧誘」に当たると考えるのが妥当であると思います。ですから安倍首相や河野外務大臣が国会で核兵器禁止条約になぜ入らないのかと聞かれて、彼らが素直に「わが国は核兵器の使用を援助するからであります」と答えてくれれば物事ははっきりするんです。彼らも政治家ですからそんなことを言ったら国民がびっくりして「何だ」ということになるのがわかっているので、「核保有国とも話し合って参りたいと思います」とか「橋渡しをして参ります」というような何を言いたいのかよくわからない説明をするのは、本質を言ってしまうと問題になるからですね。私たちはむしろ本質をきちんとぶつけて聞くべきである、つまり日本のいわゆる安全保障政策というのは核兵器の使用を援助したり奨励したりする政策なのではないですか、それが果たして妥当なんですかということもありますし、それが合憲なんですかということも聞く必要があると思います。
そこで「核兵器の使用・威嚇の援助、奨励、勧誘」ということを考えてみます。まず法的論点です。そもそも「核兵器の使用、使用するとの威嚇」というのは何を意味するかを考えるに当たっての「威嚇」という言葉です。日本国憲法9条では、いまいろいろ改憲の議論を自民党を中心にやっているわけですが、なぜか彼らに言わせると憲法9条1項まではみんな合意があり、問題は第2項をどうするのかであるということで議論しています。しかし、そもそも1項に立ち返って、1項では「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」といっています。この表現は国連憲章2条4項と非常に親和性があるけれども、国連憲章2条4項は、「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。」といっています。一般論として「慎まなければならない」としている。日本国憲法9条の場合は、それを「永久にこれを放棄する」とより強めているということで強弱はありますけれども考え方は似ているわけです。
そもそも核兵器による「抑止」というものが核兵器の使用の「脅し」であるとするならば、この「武力による威嚇」に当てはまるのではないかという問題は本来あるはずです。先ほどの1996年の国際司法裁判所の勧告的意見の議論の中で、「核抑止」というのは国連憲章が禁じているところの「武力による威嚇」に当たるのではないかという議論が出ています。出ていますが、ICJ(国際司法裁判所)はその違法性については結論を出していません。しかしそれは論点になるわけですね。それが論点になるのであれば、本来であれば憲法9条第1項との関係においても論点にならなければいけないはずですね。よく武力行使との一体化とか、後方支援なのか一体化なのかという議論が続けられてきましたけれども、これは主に自衛隊の海外での活動をどこまで許容するかという議論の中でされてきたわけです。けれども、そもそも核兵器の使用の威嚇という、明確な威嚇の政策に対して日本という国はそもそもどこまでそこに関わるのか。それはどこかの先で「核兵器の使用の威嚇と一体化するのではないか」という議論、つまり核兵器禁止条約第1条に日本が問題なく加入できるのかどうかという議論と符合する議論として憲法9条との関係はあるべきなんですね。ところがそれはいままったく無視されている。
無視されているというより日本政府の見解はもう何十年も前から、「必要最小限度の自衛の範囲の止まる限りにおいては核兵器であろうとも保有は認められている、かつ使用も認められている」と言っています。それが国会答弁や内閣法制局長官によって繰り返し繰り返し出されていて、「憲法上は必要最小限度の自衛であれば核兵器は認められるが、非核3原則という政策があるので政策上とっていない」、これが日本政府の見解です。これは別に安倍政権がやっているというよりも1970年代からずっとで、実はそれがそもそも法的に妥当なのかということは論点としてあるわけです。
1998年に、核兵器の使用が日本の憲法9条との関係で認められるのかという議論が提起されたときに、認められると答弁した当時の大森内閣法制局長官が退官された後、今年2月に岩波書店から回想録を出しています。その回想録を見ますと「あのとき核兵器の使用も認められるといった答弁は間違っていたのではなかろうかと自問自答している」と書いています。その理由として核兵器禁止条約の成立とICANのノーベル賞受賞に触れています。核兵器禁止条約というのは、いついかなる場合も、つまり国家自衛の場合といえども、国家の存亡がかかる極限状況の場合といえども核兵器の使用は国際人道法違反であるということを新しく明確にした法規です。自衛の場合においては核兵器使用の違法性は消えるというような議論とは、親和性はないわけです。そのような国際法が誕生し、それに対してノーベル平和賞が与えられるというような国際的認知ができたことは、そもそも自衛のための核兵器が存在しうるという考え方に重大な挑戦が投げかけられたのではないかと思う、と。それで大森さんとしては、あのときの答弁は間違っていたのかどうかということを公に言うべきかどうか悩んでいる。しかし公に文章に書いて出版していますから、もうそれで彼の仕事は十分やってくれたと思います。つまりこのことを問わない限り、国際法で絶対に違法と言われた行為も含まれるような最小限自衛なる概念を、今この状態において現憲法の下で認めているということは大変な問題であると言えると思います。
そのような法的論点だけではなくて政治的にも言えることとしては、仮に日米安保条約がこのまま続いたとしても、日米安保条約には核兵器の「か」の字も書いてありませんから、別に日米安保条約のもとでどのような兵器を使うか使わないかということは両国の中で決めればいいことです。例えば日本が1997年に対人地雷禁止条約に入ったときに、アメリカは入りませんでした。今でも入っていません。ちょうど周辺事態法の議論があって国会で審議されていたけれども、そのときに言われたことは、日本が地雷禁止条約に入ったので地雷の使用に関する援助や奨励はできないので、アメリカに頼まれても地雷の輸送はいたしませんということを明確に言いました。自衛隊にも民間業者にも地雷の輸送は絶対させませんと、当時の小渕首相が国会で答弁しています。そのことはアメリカにも通告したと言っている。そういう事例があるならば、日本も核兵器についてはわが国は被爆国でもあるし、それを使用したり使用に関わるようなことは絶対に許されないという判断のもと関与しませんと言えば、それはできるはずですね。日米同盟の下にであっても、です。
もちろんそういうことを言えば保守的な立場の人たちは、そんなことをすれば日米関係に悪影響がある、アメリカの手を縛るようなことはできないと言うでしょう。しかしここに「地域安全保障に与える影響」と書きました。そもそも世界で唯一の戦争時の被爆国として、その国が核兵器の使用の援助、奨励もいいんだなんて言っていたら、世界で核兵器を取り締まる力、その道義的な立場というものが本当に揺らいでしまうのではないでしょうか。「地域安全保障に与える影響」について言えば、日米安保条約の中から核兵器という要素がなくなるということは、むしろこの地域の安全保障にとって核の脅威を取り除くという側面も持つわけです。核兵器禁止条約ができたことによってこのことを総合的に考えることが、日本の国会議員や憲法学者やさまざまな研究者が取り組まなければいけない課題のはずです。今はまだほとんど議論されていないというのが現状です。
次に2条から4条のところで「廃棄」に関わる条項があります。1条のところは、核兵器を持たない国はずっと持ちませんよという話が書いてありますが、この2条から4条は、いま持っている国がどうやってなくすかという手順が書いてあります。簡単に言うと、いま持っている国は「持っていますよ」ということを申告して、国際機関のもとで廃棄プランを策定して廃棄を実施し、廃棄が終わったら、それを国際原子力機関のもとで保障措置をとっていく、という流れです。このドラフトをつくったのは南アフリカです。なぜ南アフリカなのかというと、この国はもともとは核兵器を持っていました。あの国はアパルトヘイトで国際的に孤立して制裁などを受けている中で原爆の開発に乗り出して、核兵器を6個持つまでに至るわけです。その後1990年代初頭にアパルトヘイトをやめて民主政権に替わって、国際社会に復帰します。そのときに核兵器を持っていたことを認め、廃棄したことを公表し、国際機関の査察を受け入れました。そのことである意味で国際的な信用を得て、その後は核軍縮のリーダーになってこの核兵器禁止条約制定交渉も中心的な役割を果たしました。彼らが言ったのは自分たちの核の廃棄という経験を他の国にも活かしてもらいたい。「南アフリカプラス」なんて言い方をしていましたけれども、南アフリカの事例をさらに発展させたような廃棄の制度をつくりましょうということで、この2条から4条を書いています。
では南アフリカに続くような国ってどこがあるかといえば、当然それは北朝鮮が最初に思いつくわけです。国際的に孤立していた国が国際社会に入っていこうというとき、孤立の中でつくりだしてきた核兵器をなくして廃棄していくプロセスに入るわけです。実はこの条約のこの部分は北朝鮮の非核化のために非常に役立つ条項です。今年6月にシンガポールで米朝首脳会談があって、朝鮮半島の完全な非核化ということが一応合意されました。その後プロセスが足踏みしています。よくアメリカ政府や日本政府が北朝鮮の「完全で検証可能で不可逆的な非核化」(CVID)をどうすればいいか頭を悩ませている、なんていう報道があります。私はそれを見ると滑稽に感じます。
ちょうど1年半くらい前ですか、この条約が交渉されていたとき、私たちはまさにこの条文について議論していました。NGOもいろいろなインプットをしました。この第4条はものすごく長いけれども、実際に核を持っている国がこの条約に入ってきたらどうするのかということについてはいろいろな団体が書いています。まずは核兵器を運用状態から外して、物理的に破壊を始めます。けれども単に弾頭を破壊するだけではなくて、核兵器の研究・開発している施設を不可逆的に転換するとか、そういったことも全部書き込んでいます。なぜ全部書き込んでいるのかというと、こういうこともああいうことも書き込まなければだめだとわれわれが言ったからです。
そこで話し合ってきたことは、まさに本来今年の6月以降、米朝が合意したらどういうステップで北朝鮮を非核化させるかという議論と符合するわけです。簡単にいえばこの条約に北朝鮮が入ればこのシナリオ通りにCVIDはできます。CVIDのやり方が悩ましいのではないんです。CVIDのやり方はここに書いてあります。ところが核兵器禁止条約に北朝鮮に入れといわないのは、そういうことを言ったら「じゃあ、あなたたちも入りなさい」といわれることがわかっているからですね。アメリカにしても日本にしても韓国にしても同じです。そこは大変身勝手です。ここで言いたいことは、廃棄の道筋というものはすでにさまざまな専門家が知恵を出し合って基本的にはできている。この条約が今後発効していけば、条約の締約国会議というものが開かれるようになっていきますので、締約国会議の中でもっと具体的にどういう検証制度が必要かなどということについては議定書というかたちで定めていくことになっています。そのプランは、まさに今北朝鮮について必要だとされているプランと極めて符合するわけです。
もうひとつ重要な点として核兵器禁止条約の被害者援助を第6条を中心に規定しています。核実験の被害者が世界でまだ放置されていると言いましたけれども、そうした被害者の権利を救済して彼らに対して援助を行う義務や、環境汚染を回復する義務などが書かれていて、これを国際社会の協力でやらなければいけないとなっています。これは、日本は本当に人ごとではありません。まさに広島や長崎の被爆者の援護のためにいろいろなことをやってきました。あるいは福島の環境汚染の回復のために除染活動もしてきました。これらの活動が十分だったとは言いませんけれども、少なくとも日本では、ほかにほとんどないような実例があるほぼ唯一の国ですね。その国がこの条約に入っていないので、せっかくこういう規定があるにもかかわらず、どういうふうにやっていけばいいかという提言もこのまま行けばできない状態になってしまいます。私などが政治家の方とお話しするようなときは、日米関係のことなどでただちにこの条約に入れないというのであれば、少なくともこの第6条の被害者援助の部分だけでも被爆国の国際的な責任として何か行動を立ち上げるとか、そういうことをしなければいけないのではないですかと与党にも野党にも申し上げていますけれども、なかなかみなさん腰が重いですね。
この条約そのものは50ヶ国の批准がそろった段階で発効しますが、いま69ヶ国が署名し19ヶ国が批准しているという段階です。69ヶ国が署名して順次国内の批准手続きに入っていくと思いますので、うまくいって欲しいけれども、来年の年末くらいまでには発効していくのではないかなと思っています。ICANではいま最大の優先事項として、多くの国々に署名・批准してくれるようずっと働きかけをしています。発効しますと、条約の締約国会議が開かれて、そして議定書もつくられていく。これは2年に1回開かれます。非締約国もこの会議にはオブザーバーとして参加できますので、日本はいま条約に入らないとしても少なくとも締約国会議にオブザーバーとして参加するくらいのことはさせなければいけないということで、これもまたいろいろな政治家の方々とも話をしています。一部報道で核禁止条約は苦戦している、発効が遅いという報道がありますけれども、それは正確ではありません。例えば既存の条約で、NPT(核不拡散条約)は発効にだいたい2年間くらいいかかっていますし、CTBT(包括的核実験禁止条約)はそもそも20年たっても発効していませんし、あるいは化学兵器禁止条約は4年くらいかかっています。こういったものに比べれば今のペースで行けばだいたい2年くらいで発効しそうですので標準的というか、遅いということはありません。
気をつけなければいけないのは核保有国が反発していて、核保有国が他の国々に署名・批准するなという圧力をかけていることは事実です。122ヶ国が条約そのものには賛成したけれどもまだ署名は69筆しかないということは、確かにその圧力の影響があるんですね。しかし69ヶ国が署名しましたので、それは順次批准していきますから発効はいずれにしてもするということになっています。ちなみに核保有国がなぜ他の国々に圧力をかけるのかということを考えると、核保有国は自分たちが加入しなければ法的には何の義務も負わないわけです。よくアメリカの大使とか核保有国の代表が「この条約には何の効力もないのだ」といっていますけれども、効力がなければ入らなければいいじゃないですか。実際効力が発生しないんですからね。ところが自分たちが入らないだけではなく他の国々に圧力をかけてくるというのはどういうことかというと、加入する国が増えれば事実上の規範性が強まる、それは自分たちの立場を弱くするから困るということを彼らもわかっているからですね。それで「効力はない」といっているけれども、彼らが「効力がない」と叫べば叫ぶほどこの条約には効力があるんだということがわかるということであります。
現実には14,450の核弾頭が今日世界にあるといわれていて、この条約ができたことがどうやってこの数の核兵器を本当になくすことにつながるのかということについては、疑問視をする方もいらっしゃると思います。例えばNPTなどこれまでの既存の条約との関係はどうかという声もあります。では1945年から今日まで、最初の一発の核兵器がつくられ使われたときから今日までの核兵器の数の推移を見てみます。青いところがアメリカの核兵器で赤いところが昔のソ連、今のロシアの核兵器です。それ以外の全ての国・7ヶ国ありますけれども、全部足したものはちょっと見えませんがこの色がついたところで、大部分、9割5分くらいがアメリカとロシアです。冷戦時代、まずアメリカから、そしてソ連が後追いして核軍拡競争があって、80年代半ばに64,000発くらいになりました。私が高校生くらいのときですね。いまから30年くらい前に冷戦が終わり、一気に核兵器は減ってきました。このペースで減らせることはできたわけです。けれども結局核保有国は自分たちが核を保有する理由を後から後から探し続けて、やれ対テロのためとかなんだかんだ。今ではサイバー攻撃に対して核兵器が必要だと真面目な顔をしていっています。核兵器の数自体は減ってはいますけれども、横ばいに近い微減ということになってしまっている。
この表があらわしていることは、核保有国がそもそも核軍縮の義務をきちんとは遂行してこなかったということです。だからこそこの新しい条約が必要になった。そして終末時計が「2分前」を示しているということは、核兵器の数そのものは減っても脅威のレベルは高まっていることを世界の科学者が言っています。それはさまざまな地域紛争、中東情勢しかりテロの問題しかり、あるいは北東アジア情勢もそうです。特に昨年は北朝鮮の核実験、ミサイル実験とそれに対するアメリカの軍事的な挑発という中で、本当に現実の戦争の脅威がこの地域を覆ったわけですね。そこに核兵器が存在するということは大変な脅威であると言えますし、それを世界中の科学者や専門家は憂慮しています。
そうした中で、非常に高まった緊張が今年2月の平昌オリンピック以降、4月には南北の会談、そして6月にはシンガポールでの合意となって基本的にふたつの事が合意されました。朝鮮半島の平和と非核化ということですね。平和というのはアメリカ流の言葉を使うと、北朝鮮に対する体制の保障とか安全の保障ということになり、朝鮮半島風にいうと朝鮮戦争の終結ということになります。いずれにしてもそれは朝鮮半島の平和ということです。朝鮮戦争を終わらせて平和な体制をつくる、そのこととのパッケージで完全な非核化をつくるということです。この合意というのはいろいろな問題はありますけれども、やはり大変歴史的な歓迎すべきものだと言うべきだと思います。
たとえばこのトランプ-金の間でもっと表層的なレベルの合意で終わる可能性もあったわけです。簡単に言えば北朝鮮はアメリカの本土に届くような長距離ミサイルの開発はやめます。しかし核兵器そのものはとりあえず目をつぶるというような合意になる可能性だって十分あったわけです。しかし完全な非核化ということを言ったということもありますし、その前提として朝鮮戦争を終わらせるということについてはトランプ大統領がその後の記者会見で軍事演習だってやめていく、「ウォーゲームはやめる。ウォーゲームは高くつくから」という本音を言った。朝鮮半島及び北東アジアの地域安全保障の土台を大きく変えるような力強い一歩が踏み出されたと言っていいと思います。そもそも1960年の日米安保条約体制というのも、1953年の朝鮮戦争の休戦をベースにつくられた体制ですから、その前提となる朝鮮戦争が終わるということになれば、この地域の安全保障はもう一回いちから考え直すという機会を得て当然な、それくらい意味のあることだと思います。
このように評価する一方、しかし大変脆弱な合意でもあります。なぜかというと、この2人のキャラクターにあらわれるように、とりわけトランプ大統領はこれまで数々の合意を破ることをひとつの彼独特の姿勢、外交術にしてきています。イラク核合意も破り、気候変動のパリ協定も離脱し、ロシアとのINF条約も破棄する。こういうことですから国際法とか国際合意というものを軽視する姿勢の大統領がつくったものがどれだけ信頼性があるのか。一方の北朝鮮の側もこれまで繰り返し繰り返し合意してきたことを守らない、そして相手側の不履行などを理由としてまた核開発などの位置に戻っていく。こういうことを行ってきているわけですから一般的には多くの人たちはこうやってサインしたことは良かったけれども、何も変わらないんじゃないかというあきらめの見方というのは深いと思うんですね。
ではどうすればいいのかということで、実はこの6月の米朝会談の時にICANとしてシンガポールに行きまして提言を出しました。それが今日配っていただいた中国新聞・6月12日付でICANとして米朝両国を含む関係国に出した提言の概要が書いてあります。「非核化へ 日韓も行動せよ」という内容です。ここで言っていることは、端的に言うと多国間条約という公正かつ透明な国際法の枠組みの中で非核化を行え。そうでないといわゆるグレート・ディール、取引だけで終わっていては安定性がない。法的拘束力が必要であるとまず言っています。その中で核兵器禁止条約を活用すべきであるということも言っています。核兵器禁止条約を活用するというのはどういうことかといいますと、核兵器禁止条約に北朝鮮と韓国、さらに日本が同時に加入するというプランを考えたということです。ひとつの問題提起ですね。
まず北朝鮮と韓国を考えた場合に、もし両国がこの条約に両方入ればどうなるか。北朝鮮の方は条約の第2条から4条で国際検証のもとで廃棄に当たると書いてありますから、それに従わなければいけなくなります。この条約が定めた国際機関の検証のもとで、不可逆的な核の廃棄を法的拘束力によって義務づけられます。そこには保障措置も入ります。これが北朝鮮の負う義務ですね。韓国が負う義務は、第1条の下で韓国はアメリカに対して核兵器を使用することを援助したり奨励したり、さらに韓国の国内に核兵器を配備するということを法的に禁止される。これまで韓国はこれを禁止されていなかったのかというと、実は禁止されていなかったんですね。1990年代の初めまで、韓国にはアメリカの核兵器が配備されていました。それはアメリカの政策によって撤去はされたのですが、しかし法的にはまた再配備可能な状態です。
いまあるNPT条約は実は不思議な条約でありまして、核を持たない非核兵器国に核を配備しても違法にならないという解釈をとっています。例えばヨーロッパではドイツ、オランダ、イタリア、ベルギー、トルコの5ヶ国にはアメリカの核が配備されています。つまりドイツの中には核兵器があるんですよ。でもこれはNPT違反と見なされない。「所有権がアメリカだから」という解釈です。これ自体がNPTの解釈としてどうなのかという議論はありますが、通説としてはNPT違反には当たらない。ドイツには核兵器はあるけれども核保有国ではないという理屈が成り立っているわけです。韓国も同じ立場にありますから、もしアメリカが再配備するということになった場合はこのNPTの下で韓国に核兵器をおくことは法的にできるわけです。しかし核兵器禁止条約に入ったならばそれができなくなります。そこがNPTと核兵器禁止条約の違いです。禁止条約の方がより非核国に対する義務が強い。配備もだめですよ、あるいは援助や奨励もだめですよということです。
ここで振り返って北朝鮮がこれまでどういうことをいってきたかということを見ていくと、北朝鮮は2年前くらいでしょうか、この非核化交渉が始まる前ですけれども、自分たちが交渉に応じる条件として、韓国の領内に核兵器が存在しないことをまさにCVID、検証可能で不可逆的な形で保障しろといっていた。当然といえば当然ですよね。彼らは韓国に核兵器があるかもしれないということ、あるいは自国が核兵器の脅威にさらされているということに対する不安を抱えているわけですから、それを取り除くようなことをここで法的拘束力を持ってやって欲しいというわけです。とすれば韓国が核兵器禁止条約に加入すれば、その北朝鮮側の懸念に答えることができるわけです。そういうことでフェアなディールになりますね。そこに日本が加われば、同じように日本は非核3原則はありますけれども、憲法理論上は核の保有が認められる解釈をいま日本政府はとっていますから、配備があるかもしれない。あるいは核兵器の使用の威嚇や援助も憲法9条、平和憲法があるにもかかわらず認められるという立場をとっているような政府ですから、核攻撃の援助をするかもしれないわけです。
しかし日本や韓国が核兵器禁止条約に加入すれば、そうした援助行為は法的に禁止されます。そうすると、日本や韓国が感じる北朝鮮からの脅威や、北朝鮮が感じる日本や韓国そして米国からの脅威というものが双方に「待った」をかけることになりますから、ひとつのかたちとして成り立ちうるのではないか。こういうようなことが日本や韓国や北朝鮮の3国が同時に加入すればいいのではないかという、ひとつの提案のベースになる考え方です。例えば日本が今すぐには核兵器禁止条約に入れないと保守的な観点の方々が言うのであれば、だったら北朝鮮との非核化交渉を進めて、北朝鮮の非核化の合意が検証可能なかたちになったときに、そのときに入ると表明すればいいのではないか。つまり北朝鮮が核兵器禁止条約に入るのなら日本も入ると表明して、それをひとつの外交のゴールとして交渉を進めればいいのではないかということを繰り返し提案申し上げています。けれども、なかなか政府や主たる政治家は耳を貸さないという現状が続いています。
ちなみにこの核兵器禁止条約が高いゴールとするならば、一歩手前に使える国際条約はまだあります。CTBT(包括的核実験禁止条約)です。これは、核実験を完全に禁止するというもので、アメリカはクリントン政権のときにこれをつくって署名したけれども、その後ブッシュ政権がこんなものは署名できないといって批准が棚上げになってしまって、アメリカが署名は一回したけれども未批准のまま続いているというものです。オバマさんのときにまた批准しようとしたけれども理解を得られず、トランプさんはもともと反対ということで未批准です。北朝鮮の非核化への道のりは厳しいと言いますけれども、核実験はもうやらないと明言して核実験場の爆破もしたくらいの国です。そこまで言うのだったら、最初の一歩としてCTBTに署名すればいいじゃないかということを、このICANの提案の中でしています。仮に北朝鮮がCTBTに署名したら、立場としてはアメリカと同じになります。CTBTに署名してまだ批准していないのですから。彼らは、自分たちはアメリカと対等であるということを求める国ですから、署名してアメリカと一緒に批准しようじゃないかと言えばいいと思います。そういったこともひとつの考え方としてあり得ます。
ちなみに中国はこれまたCTBTをまだ批准していません。アメリカが批准したら自分もすると言っています。ですから核兵器禁止条約に入る前にCTBTを使って多国間でやっていけばいいという考え方もあり得るわけです。ところがアメリカはどこまでいっても身勝手な国でして、今年の国連総会で日本政府が核兵器の廃絶に関する国連決議案を出して北朝鮮に対してCTBTへの署名を求めると書いてあったら、それを削除しろと要求してきたそうです。これは新聞報道されていました。つまり北朝鮮に核実験をするなということは言いたいけれども、核実験禁止条約に署名しろと言ってしまうと自分も署名・批准しろと言われると困るので、それは嫌だということです。このような態度でやっていったら、どのような非核化交渉も成立するわけはないんですね。ですから北朝鮮に対してきちんとした態度を取れ、そして国際法の枠組みの中に入れと言うということは、同時に核保有国であるアメリカや中国に対しても同じように「ちゃんとやれ」と言うこととセットにならなければいけないし、そういう枠組みの提案をすることが、本来持続的な軍縮のかたちをつくるという意味で、本質的に重要になるのです。
よく北東アジア非核兵器地帯条約という構想がありますね。これについて、私はいまこう思っています。この核兵器禁止条約に3ヶ国が入るというやり方は、事実上の北東アジア非核兵器地帯条約のようなものである。まず条約をつくるということは、大変年月もエネルギーも費やす過程です。ここまで米朝、南北の合意ができた、では北東アジア非核兵器地帯条約を交渉しようとなったら、ここからまた何年もかかるという可能性が高いわけです。けれども、いますでにあるCTBTや核兵器禁止条約というものを活用してそこに同時に入っていくという道筋をとれば、何ら新しい条約を交渉したりする時間的なあるいは政治的なエネルギーの手間をかけずに、ひとつの事実上の北東アジアの非核の枠組みというものを作れます。それをまず形作っておいた上で、また他のさまざまな要素、例えば国交正常化の問題であるとか歴史問題の対処であるとか、そういったことを組み合わせていけばいいのではないかと考えています。
これまでずっといわれてきた北東アジア非核兵器地帯条約をつくるというものは、どういう考え方でなのか。それは新たな条約を北朝鮮と韓国、日本の3ヶ国の間で結ぶ。そこでその3ヶ国の中には核兵器をおかないとか核兵器に依存しないとかそういったことを決めておく。それに対して周辺国たるアメリカや中国、ロシアといった核保有国が、そうした非核国の立場を保障するというというような議定書を附帯するというやり方のものが提案されています。私はこの提案を否定するものではありませんけれども、より現実的には今すでにできている条約を使う方が早いのではないかという感じがしています。しかも北朝鮮などに対して外交的にこれを説得するためにもこれが近道ではないかなと思います。
私たちNGOのレベルで北朝鮮の関係の団体との多少のお付き合いがあるわけです。私が得ている印象では、今こういう段階になってきた中で北朝鮮国内では、もし自分たちの国がある軍縮条約―CTBTであれ何であれ―に入ったならばどういうことになるのかということについての、どういう義務を負うのかということについての調査とか学習というか情報収集を、一生懸命いましている段階なのかなということがあります。つまりなんらかの枠組みを考えているということであろうと思います。そうしたときにひとつの形を提示することは、とてもタイムリーではないかなと思っています。
今日は市民憲法講座ということですので、憲法との関係でもう少し言葉を足しますと、私たちが北朝鮮に対して核を捨てなさいと言うということはどういうことなのか。北朝鮮が悪い国だから核を捨てろと言っているわけではないはずですよね。核兵器が悪い兵器だから核を捨てろと言っているわけです。そうなのかどうなのかということを、やはりちゃんと関係の政府に確かめなければいけないわけです。北朝鮮が悪い国だから核を捨てろ、他の国は善い国だから核を持っていてもいいということであれば、そういう主張であれば善し悪しもそうですけれども、成り立つわけがありません。そんな交渉は壊れます。だから核兵器というものが悪い兵器だと見なして、そういうルールを一定の範囲内で築くしかありません。否でも応でもそうしなければ成り立たない。
そうしたときに、「自衛の為の場合であろうとも核は許されない」という観点にもう一度立ち返っていただきたいんです。結局これまで核兵器を巡っては、自衛の為であれば、国家存亡の極限状況であれば核兵器は違法ではないかもしれないという議論に終止符を打つために、核兵器禁止条約はいかなる場合も核はだめと言ったわけです。自衛のためでもだめといっている。これを受けて日本の元内閣法制局長官までもが、かつては自衛のためなら核もいいと言いかけていた人が、あれは間違っていたかもしれないとなっているわけですね。いま私たちが北朝鮮に対して平和と非核化ということをいっているの意味は、北朝鮮という国家が国家として存続すること自体は国家の権利であるから、国家には生存権も自衛権もあるでしょうということになります。「しかし」、核兵器はだめですよ。つまり自衛の為といえども核兵器はだめですよ。なぜなら核兵器は非人道的な兵器であり、大量殺戮兵器であり、使われてしまえば世界全体が危機に陥るような兵器であるからだめですよ、というべきであり、これが非核化のロジックではないでしょうか。
北朝鮮に対して、自衛のためでも核はだめだというのであれば、こちらも自衛のための核はだめですよといわなければ成り立つわけはないですね。こちらの方はアメリカとともに核抑止力を強化すると言っておいて、あなたは自衛のためでも核はだめということは成り立たない。そこのところをきちんと私たちは受け止めて、この核兵器というひとつの戦闘手段を封印するという合意をつくれるかどうかということは、本来の地域の安全をつくるための大きな一歩になろうと思います。もちろん今日は核兵器の話をしていますが、ほかの兵器は何でもいいのかということを言うつもりはありません。しかし現在存在するさまざまな軍事体系、兵器体系の中で核兵器はもっとも特異に残虐であって、人類全体の危機をつくりだすほどの甚大な影響を及ぼしうる兵器ですから、まずこれをそれぞれの国家に許された戦闘手段から外していくことが求められると思っています。
そうした中で、私たちにいま何ができるだろうかを考えますと、いくつかのことがあります。運動としてはいろいろな団体とともに提案しています。ICANという名前ですから「「#YesICAN」というハッシュタグを付けてツイッターやインスタグラム、フェイスブックなどSNSを使って世界中に広げようということをずっとやってきています。ICANがこの10年間広がってきたのも、かなりSNSの対応を世界的にしています。核の問題についていい動画あれば、どんどん拡散しようじゃないかということをまずひとつはやっています。その次に「ヒバクシャ国際署名」です。これは日本の被爆者の方々が最初に呼びかけて、それに賛同した多くの団体が集まって核兵器禁止条約に全ての国が参加する、そのことによって速やかに核兵器を廃絶することを謳った署名です。全国のいろいろな集会に行きますと、一方では3000万署名、一方では被爆者国際署名ということで車の両輪のように進めていこうというところが多いと思いますが、これを広げようとやっています。オンライン署名もできるので、検索してぜひ見ていただきたいし、増やしていくことも多くの人たちができることだろうと思います。
自治体の役割ですけれども、平和首長会議という広島市長をトップとする世界の市町村のネットワークがあり、いま世界で8000近くの市町村が入っています。日本の自治体は約1700ちょっとあるけれども、そのうち9割5分以上はこのメンバーになっています。この平和首長会議の総会において「核兵器禁止条約の早期発効を目指し、条約への参加を全加盟都市から自国の政府に働きかけていく」と謳っています。本来から言えば、日本のすべての市町村が安倍首相に対して条約に入れと言わなければいけないけれども、まだなかなかそこまでにはいっていない。しかしさきほどの「ヒバクシャ国際署名」には1700いくつの市町村のうち1100以上の市町村長がすでに署名しています。こうしたものを増やしてくことも市民運動、住民運動としてできることです。さらに地方議会からの意見書を採択をしていく動きもできるわけで、最近の数字では約380の地方議会で、日本政府に対して核兵器禁止条約への署名・批准を求める意見書が出ています。特に来年は地方選挙も含めて選挙のある年なのでこうしたテーマを候補者たちにきちんと投げかけていくことが求められるのではないかと思います。
そうは言ってもやはり国会議員に働きかけをしなければいけないので、ベアトリアス・フィン事務局長が今年の1月に日本に来たとき、さすがにノーベル平和賞受賞の翌月でしたので全政党が来ました。自民党から共産党はもちろん沖縄の風などの会派、党首レベルの方も含めて来て議論を行いました。国会の状況でいうと、野党の中では共産党をはじめとして核兵器禁止条約の問題をかなり活発に訴えて日本政府に署名・批准を迫っている政党もありますけれども尻込みしているところもあります。現状を率直にいうと、立憲民主党はまだ方針が固まっていないような感じがします。立憲民主党の大会、立憲フェスというのがあったのでノーベル平和賞のメダルを持っていったらみなさん喜んで記念写真を撮ってくれましたけれども、核兵器禁止条約に署名しますというところまではまだいっていない感じがします。実はオーストラリア、ICANが生まれたところなので非常に運動は強いけれども、来年選挙があるんですね。いまは保守党が政権を取っているけれども、恐らく労働党が取り返すのではないかという情勢にあって、いまICANのメンバーは労働党に積極的に働きかけをしています。労働党が選挙に勝ったら核兵器禁止条約に署名してくれということで労働党の国会議員の7割5分くらいはそれでOKと言っている。ただ若干執行部などに抵抗もあるでしょうから、その働きかけを党大会に行ったりしてICANのメンバーが頑張っているという感じです。日本はもちろん政治情勢が違って簡単に政権交代という状況ではないけれども、やはり野党でも中間的なところ、悩んでいるところにしっかり働きかけていくことことがひとつ重要だなと思っています。
与党の中でも公明党は支持母体の創価学会が非常に核兵器の問題は熱心で、創価学会は宗教的立場として核兵器は絶対悪であるということを一貫してとっています。実は創価学会はSGIの名前でICANの主要メンバーの一角をなして熱心に活動しています。私もSGIのメンバーとそういう意味で本当に日々一緒に活動していますけれども、公明党に対していろいろプレッシャーもかけてくれています。この会合に代表が来られたのは山口代表と共産党の志位委員長、この2党で出席の連絡もいただきました。公明党の山口代表の立場は、核兵器禁止条約には一定の価値があることは認めるという言い方です。実際はヨーロッパの国々の中でもこういう動きがあります。先ほどオランダの例もありましたが、NATOの国というのは日本でいえば日米安保条約に加盟しているのと同じようにアメリカとの軍事同盟ですね、このNATOに入ったままではあるけれども核兵器についてはやらない、核兵器については援助も奨励もしないという方針ができないのかという議論が出始めていますね。オーストラリアの労働党の話もそうです。別にオーストラリアが豪米同盟をやめるという話ではないんです。豪米同盟に止まりながら核兵器をやめる可能性についてオーストラリア労働党はいっています。
NATOの中でいうと例えばノルウェー、そもそもノーベル賞をくれたのはノルウェー政府ですけれども、あの国もすごいものですよ。いまの政権は対米同盟重視の総理大臣なので、核兵器禁止条約に署名しないといっています。そのノルウェーの国会が選出したノルウェーノーベル委員会が、ICANにノーベル平和賞をくれちゃうわけですから大したものですよ。総理大臣は女性の方ですけれども苦々しい顔をして晩餐会の席に座っていたということです。それは同じテーブルだったサーロー節子さんが証言していました。そうやって国会内で議論しているんですね。国会の中で、どうすればNATOに止まりながら核兵器禁止条約に加入できるかということを政府に報告を求めたりしています。同じような動きがあるのがNATO国でいうとイタリア、アイスランド、スペイン、オランダです。NATOではありませんけれども比較的立場の近い国としてスウェーデンとかスイスでもそういう動きがあります。スイスは面白いですよ、スイスはつい先週、上下両院で核兵器禁止条約に署名しようという議会決議を出すんです。ところが政府はまだそれは時期尚早だといっている。今後どうなっていくかわかりませんけれども一定の緊張関係が政府と議会の間にあります。
公明党の話をしましたけれども、公明党の山口代表の話を聞いているとそういう議論をすること自体は面白いだろうというふうなニュアンスでいっておられますから、今すぐ署名しないとしても署名に向けてどういう条件が必要かという国会討議をやろうじゃないか、あるいは政府はそういう議論をしようじゃないか、ということくらいであれば恐らく公明党は乗ってくる可能性はあるんだと思います。先ほど300以上の地方議会で決議が通ったといいましたけれども、地域によっては公明党の議員のサポートを得られた場合と得られなかった場合があります。サポートを得る場合は、やはり地元の創価学会のメンバーが強いということもあるでしょうし、ひとつの工夫の中で、例えば今すぐ核兵器禁止条約に署名しろといえばなかなか賛同してくれる議員は限られても、「署名のためのアクションを取れ」というような言い方になれば、少し議論は広がっていくかもしれません。公明党の動きなどを見るとそういうところでは少し期待が持てるような気がします。
自民党は、これは大変です。自民党の中でももちろん政治家のパフォーマンスに過ぎないのかもしれませんが、例えば今月初めにサーロー節子さんが日本に久しぶりに来られて政府に面会を要請しました。ずっと前から要請していたけれども、安倍総理や河野外務大臣は会えないということでNO.3の人が代わりに会ってくださった。その一方で、元外務大臣の岸田さんなどはサーローさんが来てくれたのだったら会いましょうということで、そこには一定の温度差があるわけですね。そのことによって自民党の方針そのものがそう簡単に変わるとは思いませんけれども、いろいろな手を出すことによって彼ら自体を揺るがしていくことが必要なのかなと思っています。いずれにしても国会議員たちにこのことをきちんとわからせていくことはとても重要です。来年は選挙の年ですから、地方でも国政でもそういったことを私たちがきちんと話をしていくことが重要です。
これはもちろん憲法のことと対をなすことであろうと思います。要するに「自衛のため」という非常に大雑把なくくりで、この平和憲法が辛くも維持してきた戦争への歯止めを取っ払ってしまおうということがいまの自民党の改憲論の基本的な性格であるとするならば、核兵器禁止条約を巡るたたかいは、これは
軍事力全部に当てはまるものではありませんけれども、核兵器という人類史上最悪の大量破壊兵器については少なくともこれを使わせない、そういう国際ルールができたにもかかわらず被爆国であり平和国家を誓ったはずであり、そして平和憲法を持っているはずの日本がそれをやっていないのはおかしいじゃないかという、そういう実質を問うひとつの重要なフロントラインになるのではないかと考えています。
これは国会議員の方々などに呼ばれてお話をするときに使っているスライドですけれども、今すぐ日本ができることは、ノルウェーがやっているように核兵器禁止条約参加のための条件や影響を調査する委員会くらいはつくれるのではないか。それから、核兵器の非人道性を踏まえて核抑止力の批判的な再検討と、少なくとも抑止力の役割縮小を求めるということです。これは逆を行っているんですね。今度の防衛計画の大綱では核抑止力を維持強化するといっていますから、それは少なくとも縮小に向かえと言わなければいけない。検証措置や核被害者援助などそういった分野ではただちに行動を開始しろ、仮に条約に入らなかったとしてもやれということですね。また国連決議案でいまの日本の態度というのは核兵器禁止条約には一言も触れないという態度ですからちゃんと言及し意義を認めろという。こういったことはいずれも非常に小さなステップですけれども、まずはこの辺からやれということを繰り返し与野党に言ってきています。こうしたことにもいろいろな平和運動に取り組むみなさんにも理解を深めていただきたいと思います。