第197臨時国会が10月24日から12月10日まで、48日間の予定で開会された。政府が提出予定の13法案と安倍晋三首相の外交日程が立て込んでおり、早くも12月下旬までの会期延長が必要だとの見通しがでている。
与党自民党はこの臨時国会に自民党改憲案を提起する構えでいるが、野党は前国会で未解決の森友・加計問題をはじめ、第4次安倍内閣の閣僚の資質に関連する疑惑や不祥事も含め追及の構えでいる。安倍首相【資料】9月ピョンヤン共同宣言(韓国側発表文)としては改憲論議に目鼻を付けたいことと、野党の疑惑追及を避けたいから短期に済ませたいこととの板挟みで、進退に窮している。
臨時国会ではこの夏の災害対策の補正予算案の審議が最優先になるのは当然のことだ。加えて政府は入管法改定案などの提出も決めており、さらに憲法審査会の再起動をねらっている。野党は自衛隊の会合で改憲を明言するなど、安倍首相の99条違反が繰り返されているもとで、憲法審査会の再起動などあり得ないと厳しく批判している。
臨時国会に先立つ内閣改造(第4次安倍内閣の誕生)と、自民党執行部の再編は「改憲シフト」と呼ばれるほど、安倍首相の意を受けて国会での改憲論議促進のための体制となった。
自民党改憲案すらまだ確定せず、「たたき台」の域にとどまっている状況から、総務会の動向は重大で、この会長に竹下亘氏に替えて腹心の加藤勝信・前厚労相を据えた。自民党憲法改正推進本部の本部長には細田博之氏に替え、これも腹心の下村博文・前文科相を配置、衆院憲法審会筆頭幹事には首相側近の新藤義孝・元総務相を起用した。この改憲体制作りで目立ったのは、従来、自民党の国会での憲法論議を支えてきた「憲法族」外しだ。長年、自民党の憲法関係の役職についてきた船田元・元自民党改憲推進本部長や、中谷元・憲法審与党筆頭幹事が外された。安倍首相には従来の体制が野党との協調を重視して改憲論議を遅らせているという不満があり、「いつまでも議論だけを続けるわけにはいかない」などと批判していた。
船田元氏は22日、自分のブログに「憲法協調派外れる」と題した以下のような記事を掲載した。
10月24日からいよいよ臨時国会が始まる。……ところが自民党の筆頭幹事であった、中谷元氏と次席の私の名前は名簿から削除されてしまった。中谷氏は先の総裁選で石破候補に投票したこと、私は以前から安倍総理の憲法改正に関しての前のめりのご発言に懸念を示し、総裁選で白票を投じたことがその理由と言われている。
さらに2人はかつて野党との話し合いを重視しつつ憲法改正を進めると言う、中山太郎元憲法調査会長の路線を受け継ぎ、「中山学校」とも「協調派」とも呼ばれていた。今回はこれに代わって、いわゆる「強硬派」と呼ばれる安倍総理に近い方々が、野党との交渉の前面に立つこととなった。
振りかえれば確かに、協調派の審査会運営は野党の意見も尊重しながら、丁寧に運営して来たと自負している。外部から見ると時間がかかりすぎている、野党に譲歩し過ぎているとの批判も受けて来たが、お互いの信頼関係の上に、国民投票法の改正など成果を出して来たのも事実である。なぜそうして来たかといえば、両院の3分の2以上の賛成による国会発議のルールは、出来る限り幅広い合意がなければ前に進めないことを示している。さらに重要なことは、憲政史上初めてとなる国民投票で過半数の賛成を得るためには、少なくとも野党第1党との合意、あるいは了解が必要だからである。野党の反対を押し切って、3分の2で国会発議が出来たとしても、国民投票で過半数の賛成を得られるかは保証できない。むしろ得られなくなる可能性が高い。新たに野党との交渉に当たられる方々には、是非とも丁寧な審査会運営を心がけていただきたい。
しかし今回の人事は、それでは待てないとする強硬派によって審査会を運営すると言うメッセージを内外に示したのである。[ 2018.10.22 ]
安倍首相はこの安倍翼賛体制で改憲論議を推進しようとしているが、まず「公明党と事前に協議し、合意を得て国会に提出する」意向だった。これを公明党の山口那津男代表は拒否した。「与党はあくまで政府を支える枠組み。政府には改憲の発議権はなく、発議するのは国会だ。国会で野党のみなさんの幅広い合意を得ながら、議論を進めるべきだ」というのがその理由だ。実際のところ、山口氏の本音は、重要な選挙を控えて首相の強引な改憲論議に巻き込まれたくないというところにある。立憲民主など野党は、改憲論議を始めようとする安倍首相に厳しい批判をもっている。もし憲法審査会を開くなら、憲法審査会では前通常国会からの継続審議案件となっている「改憲手続法」の改定が優先的に議論になる。枝野氏らはその議論をするなら、自公与党などがいう公選法との関連での投票の利便性の問題にかかわる微修正だけでなく、同法のより大きな問題であるCM規制などの議論が必要だといっている。
自民党の改憲案の提出は自民党内部の石破氏らによる批判に加えて、与党公明党、野党各党から厳しい批判を浴びている。そこで、自民党の執行部としては、とりあえず臨時国会では憲法審査会を起動させて、その自由討議の場で自民党改憲案を提示だけはするというところに後退している。菅義偉官房長官は「自民党は自主憲法制定という思いの中でできた政党で、先の総選挙も(自衛隊明記など)4項目を公約として掲げて勝利させていただいた」などと述べて、憲法審査会に提出する意向を示した。これで改憲案の審議に入ったというアリバイを作りたいわけだ。世論もこの臨時国会への自民党改憲案の提出には懐疑的で、共同通信社の10月2~3日の世論調査でも自民党案の提出に「反対」が48.7%、「賛成」が36.4%、朝日新聞社の10月13~14日の調査でも、反対が42%、賛成が36%という状況だ。自民党改憲案の国会提出など許される状況ではない。
沖縄からの翁長雄志前知事の意思を受け継ぎ、辺野古新基地建設反対を掲げてたたかった「オール沖縄」の3つの首長選挙での連続した勝利の知らせは、全国の平和を願う市民を大きく励ました。
9月30日、沖縄県知事選挙で玉城デニー氏が当選した。10月14日、豊見城市長選挙では山川仁氏が当選した。21日の那覇市長選挙では現職の城間幹子氏が当選した。辺野古新基地建設に反対する沖縄の断固たる民意が示された。
知事選で、玉城氏は39万6632票を獲得し、佐喜真淳・前宜野湾市長(54)=自民、公明、維新、希望推薦の31万6458票を8万余の大差をつけてうち破った。玉城氏の得票は沖縄県知事選での過去最多得票を更新した。報道によれば玉城氏は無党派層の7割、自民公明支持層の3割を獲得したといわれる。
勝利が確定した後、玉城氏は1日、知事選について「翁長知事が志半ばで病に倒れ亡くなられたことに対する県民の喪失感と、翁長知事の気持ちや行動を無駄にしてほしくないという思いが票につながった」「県民は県が8月に辺野古の埋め立て承認を撤回したことを支持している。(法的対抗措置を取る政府の方針については)「(撤回は)法律に基づいた判断だ。すぐ司法にステージを移すのが賢明なのか。私は、はなから対立や分断という立場を取るものではない」と述べ、厳しく政府を批判した。
このたたかいは安倍政権が菅官房長官をはじめ、与野党の重鎮を相次いで沖縄の選挙に投入し、県民世論を押さえつけようとしたことに対する「オール沖縄」の確固たる意志の表明であり、安倍政権対沖縄の闘いで、沖縄の民意の勝利だった。
豊見城市長選挙はオール沖縄が支援した山川仁氏1万1274票、宜保安孝氏7645票、宜保晴毅氏6459票で、山川氏が当選した。
そして21日の那覇市長選挙は、玉城県知事らに支援されたオール沖縄の城間幹子現市長が7万9677票を得て、自民・公明などの推す翁長政俊・元県会議員の4万2446票をダブルスコアで圧倒した。城間氏は「翁長前知事の遺志を継いでいることなども評価された。市民1人1人に政策が届くような優しい市政運営をしていきたい」と述べた。
那覇市長選挙の結果を受けて菅官房長官は、「普天間基地の危険な状況を放置することはできず、固定化も避けなければならない。抑止力の問題もあり、辺野古への移設が唯一の解決策という考え方に変わりはなく、地元の皆さんにできるだけ丁寧に粘り強く説明しながら実現していきたい」などと述べ、先に県が埋め立て承認撤回の措置をとったことに対して、効力停止の暴挙に出る意思を表明した。
これらの沖縄の相次いだ勝利は辺野古新基地建設反対など、沖縄の未来を切り開くための一部保守層をも含めたオール沖縄の結束と、立憲野党各党の共闘の勝利であり、対米追従、基地建設、改憲の道を歩む安倍政権に重大な打撃を与えることになった。この勝利は来年の統一地方選挙や参院選の闘いのあり方を示したものとなった。辺野古の現地での粘り強い非暴力の抵抗闘争の展開と立憲野党の共同の結合だ。
改憲を旗印にして、日本会議議員懇談会や神道議員連盟などの超右派で組織された安倍内閣は、改憲に期待する右派勢力の支持を維持するために懸命に改憲策動を進めることでしか、その支持勢力に対する政治的吸引力を発揮できない。自民党規約を改定して総裁任期を延長することで第4次倍内閣を発足させた安倍首相には、残り任期はあと3年しかない。その間に改憲が実現できる道を開かないことには安倍内閣の支持基盤は失われ、支持層の離反が始まらざるをえない。まさに安倍政権の「終わりが始まった」。臨時国会で自民党改憲案を提示して、次の通常国会での改憲案の審議を促進し、なんとか通常国会中に改憲の発議とあわよくば国民投票を狙う(総裁選における麻生派の政策提言)安倍首相ら改憲派の前途は容易ではない。
これまで本誌は幾度も指摘してきたが、改憲を急ぐ民意はない。世論調査での優先政策に順えば改憲は最下位に属する。急いでいるのは自民党安倍一派だけだ。まさに、改憲は「安倍の、安倍による、安倍のための」それにすぎない。安倍首相らのこうした憲法の私物化の議論が通常国会の論議に耐えうるのか。立憲野党と市民運動は全力で闘いを展開する。
2019年の198通常国会は7月の参議院選挙を控えて、極めて日程がタイトだ。3月ころまでは予算審議がある。4月上中旬は統一地方選挙だ。4月末からは天皇代替わりの儀式がある。大型連休を間に入れて国会審議は最長で1カ月半だ。ここで改憲審議が可能なのか。もちろん、予算審議の最中にも憲法審査会は開催できる。多数与党は強行開催をしようとするだろう。そのためにこそタカ派の新藤義孝を憲法審査会の与党側筆頭幹事に据えたのだから。しかし、自民党が強行すれば、改憲国会は大きく荒れざるをえない。
麻生派のいう「参院選前の国民投票」などは改憲手続法による国民投票運動期間の設定(2~6カ月)からみて、ほとんど世迷いごとだが、参院選前の改憲発議強行はあり得ない話ではない。この場合、発議に続く国民投票で安倍改憲派が勝利できる展望が持てるかどうかだ。安倍首相は国民投票で敗れるに違いないのに、改憲発議に踏み切ることはできない。敗れれば内閣退陣だからだ。これが安倍政権の終わりにつながる可能性があるひとつの道だ。
参議院選挙まで、改憲発議を引きずったら、参議院選挙で3分の2議席を改憲派が獲得できるかどうかが可否になる。本誌は幾度も論じてきたので、本稿ではこの問題はパスするが、立憲野党+市民連合の布陣で3分の1以上とるために私たちは全力を挙げるだろう。その布陣を見て、参院で敗れる可能性があるなら、いっそのこと、安倍首相が衆参ダブル選挙に打って出る可能性はある。私たちはこれにも備えなくてはならない。
今年の11・3憲法集会は、従来にも増して全国各地で大きな大衆行動として取り組まれようとしている。安倍改憲NOの3000万署名運動は署名運動の峠をのりこえて、ひきつづきとりくまれ、世論を大きく変えつつある。これらのたたかいこそが安倍政権の改憲策動を社会の深部から揺り動かし、追い詰めている決定的な力だ。
森友・加計問題などの196国会で安倍政権をいま一つ追撃できなかった悔しさを、この臨時国会、次期通常国会期間の闘いではらそう。文字通り、このたたかいを安倍内閣の終わりの始まりにしよう。
沖縄と連帯した辺野古新基地建設阻止のたたかい、韓国の民衆と連帯した北東アジアの非核・平和実現のたたかいと呼応した、そうしたたたかいいが求められている。
(事務局 高田健)
憲法の改悪に反対し、憲法の3原則を生かす立場で活動しているすべての市民グループ・個人のみなさん。
いま安倍晋三政権は日本国憲法の9条をはじめとする平和主義を変え、戦争する国にするための改憲の動きを急速に強めています。
来る197臨時国会(2018年10月召集)と、198通常国会(2019年1月召集予定)で、いよいよ安倍晋三首相と与党は永年の念願だった明文改憲に着手しようとしています。2017年5月に公表した憲法で自衛隊の存在を規定するなどの安倍9条改憲案を土台に、国会の憲法審査会で審議し、改憲原案をつくり、あわよくば7月までにも改憲発議と改憲国民投票を実行したいという狙いです。
2016年と2017年の安倍政権の下での国政選挙で、改憲派は衆参両院で総議席の3分の2を確保し、憲法が定めている改憲の条件を確保しました。改憲派にとって、いまこそが絶好のチャンスです。残りの任期3年となった安倍首相にとっても最後の機会と考えているに違いありません。
2019年の改憲をめぐるたたかいは、今後、長期にわたって日本社会と北東アジアのありようを左右する歴史的なたたかいになるにちがいありません。
この情勢を前にして、私たちは来る2月、下記の次第で「憲法を考えるつどい in 広島 ~東北アジアの非核地帯に向けて~」(第21回許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会in広島)を開催します。
この全国交流集会は、この間の日本での憲法改悪に反対し、憲法を生かす各地の草の根で行動する市民運動の連携と強化に果たしてきた役割は少なくないと自負しております。今日、この運動は各地で「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」や「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」などの共同した運動の一翼を担っています。これに対する人々の期待は私たちの「身の丈」以上のもので、身震いする思いがあります。しかし、安倍改憲を前に私たちはひるむことなく、自らに課してきた歴史的な仕事を果たしぬかなくてはならないと思います。
ご多忙のところとは存じますが、かつ遠路の方々も多くあり、参加は容易ではないとは存じますが、ぜひともこの全国交流集会にご結集いただき、ともに今後の私たちの針路を作り上げ、共同の闘いを進めたいと思います。
第21回全国交流集会を以下の次第で実施したいと思いますので、参加可能な皆さんのご連絡を衷心よりお待ちします。詳細な実施要綱などは別途、準備いたします。
2018年10月 同実行委員会事務局
1)公開集会 13時半~16時 広島弁護士会館3F大ホール
タイトル:憲法を考えるつどい in 広島 ~東北アジアの非核地帯に向けて~
主催:許すな!憲法改悪・市民運動全国交流集会
広島県9条の会ネットワーク
連絡先:市民連絡会(高田)<kenpou@annie.ne.jp>
東京都千代田区三崎町2-21-6-301 03-3221-4668 F03-3221-2558
広島県9条ネット(藤井)
広島市南区宇品御幸1-9-26-413 070-5523-6580
お話:清水雅彦さん(日本体育大学教授・憲法学)
(編集部註)9月22日の講座で清水雅彦さんが講演した内容を編集部の責任で要約したものです、要約の責任はすべて本誌編集部にあります。
なお、この講座は https://www.youtube.com/watch?v=5ft2JIKllWo で検索できます。
自民党総裁選で安倍さんが3選しました。3月2日の財務省による森友文書書き換えの「朝日新聞」報道があり、それを受けてマスコミもかなり報道してきました。総がかり行動もあのとき連日国会前行動を入れて、わたしたちは、これで安倍政権を倒せるのではないかと考えたけれども、非常にしぶとくて倒せなかった。この間の安倍政権を見ていると、いろいろ批判されてもやるときは強引にやってしまう。秘密保護法あるいは共謀罪や戦争法はじめいろいろな問題で強行し、少し時間がたてば市民は忘れると考えているのか、逆に何を言っても無駄だという無力感をつくっているような感じもしています。
以前、NHKの番組に安倍と中川昭一が圧力をかけた問題がありました。あのときは朝日新聞社会部の本田雅和さんが記事を書きましたが、それに対して逆に反撃をしていって、結局あのときは朝日が本田さんを守らなかった。私が北海道にいたときに本田さんは北海道におりました。あれで味を占めたのか、マスコミが報道してもそれに反撃してマスコミ報道をつぶしてしまう。そういう経験で、この間マスコミ報道に対しても、あるいは市民が反対しても、かなり強引にやってくるスタイルができていると思います。
そういう中で残念ながら運動の方もちょっと疲れてきていて、国会前の集会を含めてこの間、参加者も以前ほど集まっていないと思います。何といっても2015年8月30日は国会周辺に12万人集まったわけで、それ以降の国会包囲行動は同じ数を集められていない。ここに集まるような方々は、各団体、各地域の中心でやられていると思いますが、この憲法の問題、特に条文解釈は難しい部分がありますけれども、少しでもまわりの人に伝えていただくために、今日の話を参考に、また運動を続けていただければと思います。
レジュメをつくりましたので、これに基づいて話をしていきます。まず、この間、市民連絡会関係で話をした報告等を書いておきました。市民連絡会も参加した2016年5月に札幌で開催された全国交流集会で、2012年改憲案と運動の課題について話をしました。昨年の7月には9条改憲、そして緊急事態条項についてわりと詳しい話をしました。そして昨年の11月は、2016年の参議院選挙と2017年の衆議院選挙の分析と各政党についての政党論、そして今後の運動論について話をしましたので、なるべく重複しないように今日の話を考えました。昨年以降の問題、すなわち今年の3月に自民党が、改憲4項目で条文案を一本化しましたのでその検討と、今回の「加憲」では終わらずに全面改憲を向こうは考えていると思いますので、そのときのたたき台になる12年の自民党の改憲案について話をしていきます。そして改憲に向けては、この間、憲法改正手続法、国民投票の問題が出てきておりますので、レジュメでは詳しいですが、ごく簡単にふれます。
3月の自民党の党大会で、ここでは正式に決定したわけではありませんが、党大会までに改憲4項目で「たたき台素案」というかたちで条文案を一本化していきます。この条文解釈というのが難しいので、ここで説明していきます。9条を含めて今回まとめた改憲案について、批判する人の中には今回の提案は安倍のレガシーのための改憲だとか、情念に基づく改憲だとか、非常にいい加減な提案をしてきているという批判の仕方をする方もおられます。けれども、条文案自体はわりと巧妙につくられていると思います。それは、自民党の憲法改正推進本部に関係省庁等出席者というかたちで衆議院、参議院の法制局や憲法審査会の事務局の役職者が出席しています。内閣法制局と違って衆参の法制局は、政治家が相談すれば対応する部署であって、議員立法などをする際に政党とか国会議員が議員法制局を使います。今回の改憲案をまとめるに当たっても、自民党は衆参の法制局あるいは審査会の事務方に相談して条文案をまとめています。ですから自民党のよくわかっていない国会議員だけで条文案をつくったわけではなく、専門家の目がちゃんと通っていますので、そういう意味では非常に巧妙な書き方になっているとは思います。
自衛隊について、一本化された条文案と、その問題点について話します。「9条の2」を加えて、「(1) 前条の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する。」とします。
1項の「実力組織」の前に、当初は「必要最小限度の」という文言を入れていました。しかし自民党の憲法改正推進本部の議論の中で「必要最小限度」という言葉はいらないという意見が出てきたので、一本化されたものではこの「必要最小限度」という文言を削りました。「必要最小限度」という文言がなくなったので、当然、今より歯止めがなくなっていきます。けれどもさらに巧妙なのは、従来「必要最小限度」という文言は、例えば1954年の自衛権行使の3要件や、2014年に閣議決定された3要件に登場して、ここでは「必要最小限度の実力行使に止まるんだ」というかたちで出てきます。その「必要最小限度」というものが「実力行使」を修飾しているわけです。
けれども今回の「必要最小限度」という言葉が修飾しているのは、「実力行使」ではなくて「実力組織」の方です。「必要最小限度」という言葉を削ったけれども、これはもしかしたら公明党対策で復活するかもしれませんが、復活しても「必要最小限度」という言葉が修飾するのは「実力組織」です。これは「実力行使」を修飾するよりは当然幅が広い、あいまいなかたちになってしまうので、従来の言葉の使い方とは違うことがひとつ問題になると思います。
2番目が、自衛隊については「国及び国民の安全を保つための組織」と位置づけます。「国民の安全」という表現は2005年、2012年の自民党改憲案に出てきますが、現行の自衛隊法3条では、自衛隊は「国の安全を保つため」の組織となっています。ですから今の自衛隊法を素直に解釈すれば、これはおのずと自衛隊の活動は国内に原則として限定されてくるわけです。しかし、「国民の安全を保つための組織」にしてしまうということは、12年改憲案の「25条の3」で「在外国民の保護規定」というものを入れましたから、外国にいる日本国民を守るために自衛隊の活動を行うというかたちで、自衛隊の海外派兵がしやすくなるという効果が出てくると思います。
そして自衛隊については、「必要な自衛の措置をとる」組織ですけれども、これは自民党の憲法改正推進本部の資料を見ると、「必要な自衛の措置」のあとにカッコで「自衛権」と書いています。ここでいう「必要な自衛の措置」というのは「自衛権」だと自民党は説明しています。これは2012年の改憲案では、9条2項を改正して「前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない」として単に自衛権としか書かれていませんが、これを説明する自民党のQ&Aでは、ここでいう自衛権は個別的自衛権と集団的自衛権のことだと説明しています。ですから、自民党が単に自衛権という場合には集団的自衛権も入っていると解釈しますから、この条文の「必要な自衛の措置」という表現の中に集団的自衛権も入っていると自民党は考えているわけです。
次に1項の書き方で、「前条の規定は~妨げず」となっています。これは衆議院の法制局の事務方がつくって、自民党憲法改正推進本部に出した資料を見ていきますと、「妨げず」という表現をとれば9条2項の例外規定という解釈が可能になるという説明をしています。ですから、この「妨げず」と表現することによって9条2項では戦力を否定していますけれども、この9条2項の例外として9条の2があるという解釈が成り立ってくることになります。
自衛隊については「内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する」としていますけれども、自衛隊法7条では「内閣総理大臣は、内閣を代表して自衛隊の最高の指揮監督権を有する。」としています。「内閣を代表して」という表現にしているのは、憲法や内閣法の規定にそった表現で、憲法や内閣法で「内閣を代表して」と表現しているので自衛隊法でも「内閣を代表して」としています。この「内閣を代表して」という表現は、要するに内閣総理大臣の意志決定の前に閣議決定が前提になっています。閣議決定を受けて内閣総理大臣が行動していくというのが、憲法や内閣法、そしてそれを受けた自衛隊法になります。
それが今回の改憲案の条文では「内閣を代表して」ではなくて、「内閣の首長たる内閣総理大臣」と表現を変えています。「内閣の首長たる内閣総理大臣」として、「代表して」という表現をとらないということは、閣議決定を前提としていないという解釈が可能になってきます。実際に12年改憲案では、国防軍については内閣総理大臣を最高指揮官にしています。その発想で、自衛隊についてはもう閣議決定抜きで内閣総理大臣が動かすという意図がこの言葉に込められているのではないかと思います。
そして9条の2の2項で「自衛隊の行動は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。」としていて、国会のコントロールの規定にはなっています。しかし、やはりこの文言だと国会の承認としか書いていませんから、事前承認ではなくて事後承認で可能になってきます。さらに「国会の承認その他の統制」ですから、この「その他の統制」で何を考えているのか今の段階ではよくわかりませんけれども、国会以外のコントロールもできるということです。当然国会の縛りよりは緩くなるという意味でシビリアンコントロール、国会の統制が今とは違ってくるということになってくると思います。
そういう意味で今回の9条の2というのは、条文の言葉の使い方が非常に巧妙な書き方、自衛隊が内閣総理大臣の指揮の下、集団的自衛権も行使できると読めるようなかたちになっているという点で大変問題があると思います。
緊急事態については、一本化された条文案を引用しておきました。
「64条の2 大地震その他の異常かつ大規模な災害により、衆議院議員の総選挙または参議院議員の通常選挙の適正な実施が困難であると認めるときは、国会は、法律で定めるところにより、各議院の出席議員の3分の2以上の多数で、その任期の特例を定めることができる。」、「73条の2 (1) 大地震その他の異常かつ大規模な災害により、国会による法律の制定を待ついとまがないと認める特別の事情があるときは、内閣は、法律で定めるところにより、国民の生命、身体及び財産を保護するため、政令を制定することができる。(2) 内閣は、前項の政令を制定したときは、法律で定めるところにより、速やかに国会の承認を求めなければならない。」
簡単にいうと災害の時に国会議員の任期を延長したり、あるいは内閣が政令を制定して対応するという内容になっています。問題点ですが、確かに国会議員がたくさん犠牲になってしまうような大規模な災害が起きたときに、任期延長するのはひとつの選択肢かもしれません。あるいは選挙ができないような状況の時に任期延長もひとつの選択肢です。ただ日本の場合は任期の異なる二院制をとっていまして、参議院については解散がありませんし、半数改選ですから、国会議員すべての任期が切れてしまうという状態は普通考えられません。衆議院の解散のあと、衆議院が存在しないときも日本国憲法の規定では参議院の緊急集会の規定があって、参議院だけで開いてそれを国会の決定と見なすことができるとしていますから、一応今の憲法の下でそういう緊急時の対応はできるはずです。でも自民党の資料などを読んでいっても、これに対する反論というか、なぜこういう規定が必要なのかという説明は十分されていないと思います。
あとは一方的に緊急事態宣言を出すことができます。本来国民の代表機関である国会が法律をつくって動かすということが基本ですけれども、この規定からすると内閣だけで出すことのできる政令で政治を進めてしまう可能性があるわけです。これはまさにナチスがやったことと同じような状況が生まれかねないという点で、大変問題があると思います。
緊急事態についての条文案について、マスコミなどが今回の自民党の案は有事の適用を見送って自然災害に限定された条文案になったとする報道がありますけれども、それもやはりちょっと違うと思います。12年の改憲案では緊急事態条項、98条以下ですけれど、「内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。」としています。
確かに今回の案では、12年の改憲案にある「外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱」という文言はなくなって、「大規模な災害」という言葉になっています。12年の改憲案にあった「自然災害」ではなくて「大規模な災害」となっていますから、自然災害以外も当然入ってくるわけです。有事法制のひとつの国民保護法の中に「武力攻撃災害」という概念があります。この「武力攻撃災害」というのは、外部から武力攻撃を受けた、そしていろいろな被害が生じた状況をいいます。国民保護法に「武力攻撃災害」という概念があるということは、今回の自民党の条文案からすると、この「大規模な災害」の中に「武力攻撃災害」を入れることも可能になってきます。マスコミなどは自然災害に限定された案だと報道したりしていますけれども、やはりそれは間違っていて、有事にも適用可能な巧妙な条文案になっていると思います。
合区解消、地方公共団体の問題です。今回の自民党総裁選で、石破さんは9条2項削除が持論ですけれども、いま9条改憲をする必要はないから9条改憲は急がない。優先的にすべきなのが、緊急事態条項と合区解消だと語っていました。この合区解消の条文案を挙げておきました。
「47条 (1)両議院の議員の選挙について、選挙区を設けるときは、人口を基本とし、行政区画、地域的な一体性、地勢等を総合的に勘案して、選挙区及び各選挙区において選挙すべき議員の数を定めるものとする。参議院議員の全部又は一部の選挙について、広域の地方公共団体のそれぞれの区域を選挙区とする場合には、改選ごとに各選挙区において少なくとも1人を選挙すべきものとすることができる。(2) 前項に定めるもののほか、選挙区、投票の方法その他両議院の議員の選挙に関する事項は、法律でこれを定める。」、「92条 地方公共団体は、基礎的な地方公共団体及びこれを包括する広域の地方公共団体とすることを基本とし、その種類並びに組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基づいて、法律でこれを定める。」
なぜ自民党がこんな提案をするかといえば、日本国憲法14条、44条で法の下の平等、選挙における平等が求められています。選挙区の一票の格差が開いていく中で、この間、各地で一票の格差は憲法違反だという裁判が行われて、裁判所の判断を受けて国会でも選挙区の区割りを変えたり、定数を変えるとかいろいろなことをやってきました。衆議院以上に参議院の方は、裁判所も格差が衆議院より開いていても容認する傾向がありましたが、最近になって最高裁も参議院の格差については違憲状態だという判決を出すようになりました。さらに最高裁は、選挙区から必ず国会議員を選ぶという制度に疑問を出しています。
今の参議院選挙というのは、各都道府県をひとつの選挙区と考える選挙区選挙と比例代表、この二本柱でやっています。これは人口はいろいろですから、一人区もあれば東京のような定数が6もあるところもあります。それでもかなり人口の少ない県から必ず一人出すのはもう厳しくなってきているので、格差が開いてきました。それで最高裁が違憲状態判決を出したので、前回の参議院選挙で人口の少ない県同士で選挙区をつくるという「合区」をやりました。島根と鳥取、徳島と高知で合区をやって、その結果各都道府県から一人選べなくなり、選挙区が広くなって選挙運動が大変になってしまう。あるいは、島根と鳥取の合区だったら鳥取から選ばれると島根からは選ばれないので、一方の県が不満に思ってしまう。そこで、特に参議院議員から合区に対して非常に評判が悪く、自民党としては参議院の各都道府県から必ず一人選べるという制度を残したい。それを合憲化するための提案として今回この条文案をつくって、この文言によって各都道府県から必ず一人選挙で選べるようにしようと考えているわけです。
この問題点は、議員定数訴訟を受けた改憲案ですけれども、合区を解消するやり方のひとつは、選挙区の定数を増やしてしまうこと。各都道府県は最低1人にしておくけれども、東京とか大阪、神奈川などは定数を増やすというかたちで格差を縮めることは可能です。ただ、昨今、行政改革の中で国会議員の定数を減らしてくる傾向があるので、これはなかなか難しい可能性があると一般的に言われています。もうひとつの案は、各都道府県から1人選ぶという選挙区を廃止して、参議院は比例代表一本にしてしまうやり方があります。比例代表制一本にしてしまえば、定数不均衡の問題はまったく生じません。合区をなくして各都道府県の選挙区から1人出すというやり方をやっても、当然人口が移動すればまた定数を変えていかなければいけない。これはずっとやらなければいけないわけですよね。でも選挙区を廃止して比例代表一本にしてしまえば、そういう面倒なことはもう不要になってしまいますから、ある意味簡単なのはこの比例代表に一本化するというやり方です。けれども自民党はそういうことはしたくないわけです。それで今回の提案を出した。
今回の提案で逆に問題になってくるのは、参議院などを地方代表という扱いにしています。そうすると、憲法43条では両議員を「全国民の代表」としていますからこれと矛盾してくる可能性があり、今回の合区解消の改憲案は非常に問題を抱えています。こういう改憲で解消するのではなく、私は選挙区を廃止して比例代表一本化で解消すべきではないかと思います。
ちなみにこの前の通常国会では、自民党は公職選挙法の改正を強行しました。定数を6増やし、比例代表制で特定枠をつくって、政党からの候補者を優先的に当選できる人を選べることにしました。これは13年の参議院選挙で当選した合区対象の4県4議員の救済策として、自民党がやりました。従来は衆議院も参議院も定数を減らしてきたのに、自民党は身内の議員を救済するために議員定数を増やしました。ですから野党からは党利党略だとか、お手盛りだという批判が出てくるわけです。別に選挙制度の変更は、憲法をいじらなくたって法律で十分対応可能なわけです。そういう意味では自民党の提案は非常にいい加減で問題があると思います。
「教育の充実」については、昨年5月3日の安倍首相のビデオメッセージ、そしてその後の自民党の憲法改正推進本部では「高等教育の無償化」をいっていました。高等教育というのは日本においては、大学、短大、大学院、高等専門学校を指し、大学等の無償化を当初は考えていました。これは、維新の会が以前から高等教育の無償化をいってきたので、9条加憲は公明党対策、高等教育の無償化は維新の会対策だと思います。自民党は当初、高等教育の無償化をいっていました。しかし私は、自民党が高等教育の無償化を本気でやるつもりはないのではないかと疑っていました。国際人権規約のA規約――国際人権規約というのはいわゆる人権条約で、A規約がいわゆる社会権、B規約がいわゆる自由権を世界の人々に保障しましょうという人権条約です。このA規約、社会権規約の13条2項の(b)、(c)のところに、中等・高等教育の漸進的無償化規定があります。中等教育というのは日本でいうと中学と高校になります。ですから中学、高校、大学などで少しずつ無償化をしていきましょうという規定がありますが、歴代の自民党政権はこの規定を留保していました。
条約については各国が批准するときに各国の判断で留保することができますが、自民党政権ではこれを留保していました。自民党政権としては中等・高等教育の無償化なんかしたくないから留保してきたわけで、この留保を撤回したのが民主党政権です。そして民主党政権のもとで高校授業料の無償化をしました。これに対して当時の自民党は「バラマキだ」と批判した。そういうことを言っていた自民党ですから、突然高等教育の無償化といっても到底信用できないと思いましたが、案の定、昨年11月段階で自民党の憲法改正推進本部は高等教育の無償化の明記を見送ります。「高等教育の無償化」という表現はやめて「教育の充実」という文言に変えました。教育の充実だと非常にあいまいですから、もう高等教育の無償化などはやる気はない。仮に自民党が憲法を改正して高等教育無償化の規定を憲法に入れたとしても、私は25条の生存権と同じ扱いをしたのではないかと思います。
歴代の自民党政権は、憲法25条で「健康で文化的な最低限度の生存を営む権利」、いわゆる生存権が規定されていますが、これは裁判で使えるような法的な権利ではなく、プログラム規定だと説明してきました。権利とは書いているけれども、結局、生存権を確実なものにするためには財政的な裏付けが必要ですから、財政状況で完全に保障できないこともある。従って権利とは書いてあるけれども、これは必ず保障しなければいけない権利ではなくて、財政状況によって不十分でもやむを得ないものに過ぎない。25条1項の権利規定を受けて2項で政府の責務が書いてあります。この政府の責務、生存権を保障するために社会保障をやらなければいけないと書いてあるけれど、それはプログラムですよと説明してきたわけです。プログラム=計画・予定ですから最終的に生存権が実現できなくてもしょうがないという解釈を政府などはしてきた。ですからもし26条で高等教育の無償化規定が入ったとしても、私は従来の25条の解釈と同じような対応をして、権利と仮に書いたとしても、それを実行する気は最初からないのではないかと疑っていました。
結局、高等教育の無償化を見送ったわけです。単に教育の充実になってしまったので、これはもう高等教育の無償化は、完全にやる気はない。ただ憲法論から考えると、憲法26条で高等教育の無償化をしてはいけないという文言はないわけですから、26条に則れば法律で高等教育の無償化自体は可能です。わざわざ憲法を変えなくたって法律で可能ですよね。いかにもこれは改憲のために使っているだけに過ぎない議論です。
高等教育の無償化は見送った。そして教育の充実になった。ただこの文言、26条の3項というものを新たに付け加えます。問題なのは「26条(3) 国は、教育が国民一人一人の人格の完成を目指し、その幸福の追求に欠くことのできないものであり、かつ、国の未来を切り拓く上で極めて重要な役割を担うものであることに鑑み、各個人の経済的理由にかかわらず教育を受ける機会を確保することを含め、教育環境の整備に努めなければならない。」と書いています。
「国の未来を切り拓く上で極めて重要な役割を担うものであること」と書いてあって、この文言は国家が教育に介入することを正当化する文言になっています。やはり憲法26条、教育を受ける権利というのは、戦前は臣民は教育を受ける「義務」があったわけで、戦前の皇民化教育、国家教育の反省から、日本国憲法の下では教育を受ける「権利」と変えて国民の側から権利概念を確立していきました。これは戦前のような国家介入を否定する意図があったわけですけれども、自民党はちゃっかり26条の3項に国家介入を正当化するような文言を入れています。こんな改憲を認めるわけにはいかないという意味で問題があると思います。
前回の衆議院選挙のあとに出てきた問題で、衆議院選挙で無所属から当選し、その後、立憲民主党に入った山尾志桜里さんの議論です。彼女は立憲主義の観点から対抗すべきだという「立憲的改憲論」を展開しています。彼女のスタンスは、これまで改憲対護憲という二元論があったけれども、もうこういう二元論はやめましょう。二元論をやめて改憲に反対する人たちも積極的に改憲の議論をすべきであって、その場合には立憲主義の観点から改憲論への対抗をすべきだ。これを「立憲的改憲論」と表現して議論してきています。ここでは神奈川新聞、日経ビジネスONLINEのインタビューの一部を引用しました。彼女の前提で間違っているのは、衆議院選挙で改憲勢力が3分の2を超えてしまったからもう改憲は避けられない、そして自衛隊を書くような改憲もおこなわれかねない。もう向こうが改憲をするのだから、こちらから対案を出して改憲の議論をすべきだ、という点です。
この前提が間違っていると私は思います。国会で改憲勢力が3分の2を超えたからといって自動的に、簡単に改憲の発議ができるわけではありません。当然、国民投票がありますから、国民の世論の動向から、国民投票をやってもダメなような状況にあれば、改憲発議なんてできません。彼女は無邪気というか、改憲勢力が3分の2を超えたから改憲は避けられないという認識ですけれども、それはそうではないし、市民の運動の力をきちんと評価していない点で問題があると思います。あるいはもう9条を変えて自衛隊を書き込まれるのは仕方ないという議論もしています。けれども、それも改憲の議論の中でどういう改憲案が出てくるかはわからないわけであって、やはりその前提は間違っていると思います。
山尾さんがいうのは、自衛隊を憲法に書くのだったら自衛隊に対するコントロールの規定を入れるべきだとか、自衛隊のできることは個別的自衛権に限定すべきだとか、あるいは防衛費についての上限を書き込むべきだ、とか言うわけです。自衛隊に対する国会のコントロールを入れればいいという議論をしても、先ほど見た自民党の9条の2の2項のようなかたちだったら国会のコントロールは不十分ですし、単に自衛隊が行使できるのは個別的自衛権だと書くだけだと、これはいまの政府解釈より広がってしまいます。今の政府解釈は個別的自衛権に限定しているといっても3要件というかたちで縛りをかけていますから、単なる個別的自衛権ではありません。ですから個別的自衛権を書くといってもかなり厳格に書いていかないと縛りになりません。
それから山尾さんは、憲法裁判所を設置すれば14年の閣議決定、ああいうものに対して違憲判断が出るといいます。けれどもこれはそう簡単ではないです。世間一般的に、ドイツのような憲法裁判所を設置する抽象的違憲審査制はよく違憲判決が出て、日本のような通常裁判所を設置する付随的違憲審査制はなかなか違憲判決が出ない、という議論をする人が市民の中にもいます。そういう人たちは日本でも憲法裁判所を設置すべきだ、日本の裁判所は機能していないから憲法裁判所を設置した方がいいという議論をします。これはまったく間違っていて、裁判所が機能するには政権交代が必要です。
日本国憲法であれば、最高裁の人事権は内閣が握っています。下級裁判所の人事権は最高裁が握っていますから、裁判所の構成を変えていくには政権交代をしていくしかないんですね。アメリカでも、大統領が連邦最高裁の候補者を指名して連邦議会が承認すれば選ばれる。アメリカは政権交代がありますから、民主党系と共和党系のバランスが取れてきています。今の連邦最高裁でそのバランスが崩れて共和党系の方が増える可能性があるといわれていますけれども、現状では半々です。その半々というのは、民主党系の大統領、共和党系の大統領と政権交代があったからです。ですから連邦最高裁にしろ最高裁判所にしろ、あるいは憲法裁判所にしろ、選び方は国によっていろいろですけれども、一般的には大統領ないし議会が関与して選びます。これはやはり政権交代があれば裁判所のバランスが取れてくるわけで、日本のように長期自民党政権が続けば当然保守的な裁判官が増えてしまうのはやむを得ないことです。日本で裁判所を機能させるには、もちろん変な判決を出せば批判をしなければいけませんけれども、政権交代していくことが大事です。
でも残念ながら有権者は選挙に行くときにどの政党、候補者を選ぶのかということには関心があるみたいですけれども、裁判所のことも関わってくるという認識はしていないようです。本来選挙というのは、裁判所の人事のことも考えながらやらなければいけないのですけれども、なかなかそこまで考えて投票に行っている人は少ない。それは別の観点から見ますと、多くの人びとは裁判には関心がないわけです。日本では憲法に一部直接民主主義的な規定を入れていて、例えば憲法改正に際しての国民投票、それに最高裁裁判官に対する国民審査規定があります。衆議院選挙の時に国民審査をやって、罷免したい裁判官に×を印して過半数に達すれば罷免されます。けれども戦後、この国民審査によって罷免された最高裁裁判官は1人もいません。×がつくのはせいぜい1割。私は常に全員×にしますが、多くの人は×にしないですね。
例えば15年12月に夫婦同姓を強制する民法の規定は違憲ではないかという裁判が行われて、最高裁はなんと合憲判決を出します。世論調査では国民の方はもう夫婦別姓を認めてもいいじゃないかという人が増えているのに、最高裁は世論とは別で、夫婦同姓を強制することは合憲だと判断した。そうであれば国民審査の際に、最高裁はとんでもないということで×にすればいいのですけれども、×にする人は1割程度です。これは普段から裁判に関心がないから、せっかくいい制度があっても機能していない。そういうことも含めていま憲法裁判所を設置すればどうなるか。
山尾さんは読売新聞社や維新の会が憲法裁判所を設置すべきだという改憲論をいっている意図がわかっていないんです。読売新聞などが設置しろといっているのは、憲法裁判所を設置すれば憲法裁判は憲法裁判所でやります。いまの日本の三審制の下では3回裁判をやって、たまに下級裁判所でまともな判決が出ます。例えば、イラク訴訟の名古屋高裁判決がそうです。でも憲法裁判所を設置すれば、憲法裁判所は一発で、短期間で、しかも今の状況から考えれば合憲判決を出す可能性があります。それを読売新聞や維新の会が狙っている。その意図がわからず、憲法裁判所を設置すればああいう閣議決定に違憲判決が出る、という山尾さんは非常に脳天気で、その辺はきちんとこれまでの議論を見て欲しいなと思っています。
この山尾さんの議論に影響を与えているのは、山尾議員の政策顧問である倉持麟太郎さんです。倉持さんはこういう9条改憲論をずっとやっていて、その影響を山尾さんが受けていますね。倉持さんは条文形式の提案も出しています(『FLASH』2018年1月2・9日号)。今年の5月3日、小林よしのりさん主催の集会に山尾さん、倉持さんがでてきてこの立憲的改憲の議論をしていますし、最近では山尾さん編で新書も出しているように、この考え方をいっこうに変えていません。私は『法と民主主義』という法律雑誌の4月号で、山尾さんたちの批判の原稿も書きました。私は、こういう「立憲的改憲論」は向こう側の土俵に乗ってしまう議論であって、こういう議論はすべきではないと思います。枝野立憲民主党代表が「9条改憲の対案は9条だ」といっていますけれども、私も対案は「立憲的改憲論」ではなくて9条だと思いますので、こういう議論は非常に有害だと思っています。
もしかしたら倉持さんを始め若手弁護士に影響を与えているのが石川健治さんの議論で、石川さんは、憲法には「構成」と「統制」の側面があるけれども、自衛隊明記論には「統制」論がないから問題だという指摘をしています。これを受けて、憲法に統制規定を入れればいいのではないかという議論をする弁護士が結構います。これは石川さんの考え方がわかっていない議論であって、石川さんは自衛隊違憲論者ですから、自衛隊合憲論者の長谷部恭男さんや木村草太さんと違いますし、統制規定を入れればいいという立場には立っていません。これはやはり誤解してはいけないと思います。
立憲民主党は昨年12月の「憲法に関する当面の考え方」で出している、この「立憲的憲法論議」というのがよくわからないというか困ったものです。ただ一応ここでは、9条を残して自衛隊を明記する規定を追加することには反対するといっています。ですから山尾さんはこういうスタンスに立って欲しいと思いますし、党内でも活発な議論はして欲しいです。昨年の衆議院選挙では私も立憲民主党の応援に入りましたけれども、市民の方も立憲民主党にいろいろな注文をしていくべきだと思います。
自民党の12年の改憲案は、16年に講演しているのでポイントだけ簡単に述べます。2005年の新憲法草案は復古色を出すと言っておきながら断念したのに対して、12年の改憲案は自民党が野党の時に出した改憲案で、民主党との差異化を図るために復古色を前面に出しています。ただ復古色だけではなくて、新自由主義的な提案をしているのが12年の改憲案です。
前文は、日本国憲法と比べて短くなっています。何といっても日本国憲法では先の戦争の反省と将来の不戦の誓い、あるいは平和的生存権の規定がありますが、これらはばっさり削っています。日本国憲法の前文の冒頭は「日本国民は」で始まるのに対し、自民党改憲案は「日本国は」から始まっていて、主語が違います。そのあと「国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって」と続いています。改憲案前文の3段落目には、「日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り」と書いてあって、要するに愛国心につながる文言が入っています。レジュメに「ストーカー国家」と書いたのは、ストーカー国家みたいだという意味で書きました。好きな人につきまとうストーカーという人がいますが、好かれたければ好かれたい人間になるべきであって、相手に「自分を好きになってくれ、愛してくれ」とつきまとうものではないですよね。国についても国が「国を愛せ、愛せ」と国民にいうものではないわけで、こんなものを前文に書くのはやはり間違っています。
次に「近代という価値観の否定」と書きました。「近代」というのはフランス革命など市民革命以後の社会のことで、近代はやはり画期的です。近代の前の封建制社会は、例えばヨーロッパを見るとキリスト教と国王が結びつくことによって、国家権力が私的領域に口出しをするのが封建制社会です。宗教についても思想についても国家権力が口出しをしてきた。でも、フランス革命など市民革命はそれを断ち切って、公と私というものを分けるわけです。そして私的領域については、国家権力は踏み込んではいけない。あるいは法と道徳というものを分けて、近代以降の社会は国家権力は国民に道徳を押しつけてはいけないと変わりました。公と私を分ける、法と道徳を分けることが近代の価値観です。残念ながら日本は市民革命を経験していないので、ここのところは弱いと思います。
昨今、公権力が私的領域に介入してくる動きがありまして、例えば健康増進法です。この法律は国民に対して健康増進に努める責務を課します。私のような憲法をやっているものからすると、わたしたち国民には「不健康に生きる権利」もあるんです。徹夜をするとか暴飲暴食をするとかは自由であって、お上から健康に生きろなんていわれる筋合いはないわけです。でも健康増進法の下で喫煙規制をやっていく。もっとあきれるのはメタボ規制で、当初いっていたのは、男はウエスト85を上回ったらメタボ、というレッテルを貼るわけです。わたしのような日体大の教員からすると、日体大の相撲部員やラグビー部員はみんなメタボで不健康なのかと聞きたいわけです。その人の筋肉のつき具合でウエストが85を上回ったって健康な人はいくらでもいますよね。でもこの健康増進法は健康に生きることを国民に要求するわけです。
あるいは食育基本法というものがあって、これは前任校で食育基本法を受けて学生に対して「朝食食べようキャンペーン」というのをやるんですね。キャンペーン中は学食で100円とか200円で出すから、学生のみなさん朝食を食べましょう、とやる。私は反対したけれども多数決で押し切られました。確かに3食べた方がいいかもしれませんが、当然人によって2食でいい人もいれば、4食の人もいるわけですし、朝食を食べないというやり方でもいいわけです。少子化対策基本法ができることによって、結婚して子どもを産むことが望ましいかのような運動が展開されるわけです。
「生-権力」とレジュメに書いたのは、フランスの哲学者、ミシェル・フーコーの考え方です。フーコーの議論は、かつての権力は死に対する権力だった。すなわち昔の国王とか天皇は、気に入らない人間がいるとつかまえて殺すことができる。そういう権力を握ることによって支配してきたが、現代国家の権力は生に対する権力であって、国家権力が国民をいかに生かすかということに力を入れているのだといいます。まさに日本の健康増進法、食育基本法などが「生-権力」であって、近代の価値観、公と私を分けるという価値観からすれば、国家権力がこういうことをやるのはおかしいという意識を持つ人がもっといなければいけないと思います。やはり市民革命を経験していない国なのか、これに疑問を持たない人が多いわけであって、自民党の改憲案は愛国心規定などがそうですけれども、近代という価値観を否定しているという点に問題があります。
12年自民党改憲案では、1条で天皇を国家元首にします。私自身は天皇制というのは封建制社会の残り滓、遺物と考えておりまして、日本国憲法は「封建制社会の遺物を残したブルジョア憲法」と私は規定します。私は将来的には天皇制はなくしていかなければいけないという立場に立っています。ですから私自身は、「護憲」ではなくて将来的には憲法を変えるべきだという立場ですが、いまこちらから改憲の議論をする政治状況ではありませんから、こちらから憲法を変えろという議論はしません。しかし、将来的には第1章は削除すべきだという立場に立っています。
そういう観点からすると、世界はどんどん君主制をやめて共和制に移行してきています。最近でもネパールがそうで、こういう流れに逆行するのが自民党の改憲案です。そして天皇制というのは、本来、民主主義と法の下の平等に反しますよね。次に誰が天皇になるかというのは国民が投票などで決めるわけでなく、あらかじめ誰が天皇になるのか決まっている。そして国民自身は絶対天皇になれないということで、法の下の平等に反します。本当は民主主義と法の下の平等に反するけれども、政治的に無理矢理天皇制を残したので、憲法の解釈としては、天皇制は民主主義と法の下の平等原則の例外という解釈をしていきます。ただ、なるべく例外が拡大しないような解釈をしていかなければいけないけれども、自民党はそれを乗り越えて天皇を国家元首にしてしまいます。
そして3条、4条では日の丸・君が代についても憲法に明記してしまいます。この間、日の丸も問題だと思いますけれども、特に君が代は天皇を称える歌詞内容があり、これを国歌にするのは反発があるし、これを歌わせることは問題があります。私は歌いたくない人は歌う必要がない、憲法19条の思想・良心の自由から当然それは保障されなければいけないと考えます。日の丸・君が代についても、戦前は太政官布告で商船旗、海軍旗、陸軍旗の3種類あって、どれもが法律上国旗ではなかったし、一方で侵略戦争のシンボルとして使われてきたという日の丸の歴史を学校現場で教えるべきだと思います。君が代についても、最初はイギリス人のフェントンが作曲したけれど、メロディーがよくないということで、海軍が宮内省に作り直しをお願いして作った君が代もあれば、文部省が作った君が代もあるし、陸軍がラッパで演奏する君が代もあって、君が代も3種類あって、どれも法律上国歌ではなかった。戦前戦後を通じて日の丸・君が代は法律上国旗国歌ではなかったんですよね。
それが1999年に日の丸・君が代が国旗国歌になってしまうわけです。これがある意味すごいのは、わずか20年くらい前に、戦前戦後を通じて初めて日の丸・君が代が法律上国旗国歌になり、しかも戦前は3種類ずつあったのが一本化されてしまうわけです。本来はそういうことをきちんと教えるべきだし、君が代についても歌詞の逐語訳をきちんと教えるべきです。君が代の「さざれ石」の意味もわからずに歌っている人も多いですよね。だから私は日の丸・君が代が大好きな日体大生にこういう話をして、君が代の逐語訳もして、それで歌いたい人は心を込めて「天皇陛下万歳」という気持ちで歌っていいけれど、歌いたくない人は歌う必要はないよという教育はしております。本来は小中高でそういう教育をするべきですけれども、できていない。これは非常に問題だと思います。
自民党改憲案では元号についても憲法に書いてしまいます。元号は中国の真似をして導入しました。私からすると、元号が大好きな人は645年の大化から平成まで、南北朝を合わせると247の元号があるわけで、世界に行っても元号で貫き通せといいたいわけですが、やはり元号は世界基準にはならない。警察でさえ今後は西暦表記にするといっていまして、元号をいつまでも使うというのはどうかと思います。しかし元号を憲法に書いてしまうのが自民党の改憲案です。
6条では、公的な行為を明確化する規定を入れます。公的行為とは何かというと、国内巡幸とか国会開会の際の「おことば」とか、こういうものを公的行為といいます。憲法では6条、7条に天皇がやる国事行為というものが書いてあって、天皇は憲法上この国事行為とそれから私的行為は当然できます。私的行為とはテニスをしたり、読書をしたり、田植えをしたり、そんなことは憲法に書かなくたって当然できます。
それに対して国事行為でも私的行為でもない「公的行為」というものを天皇はやっているわけですね。これは自民党政権がやらせているわけですけれども、憲法の学界では国事行為と私的行為しかやってはいけない、公的行為は憲法違反だという2分説があります。もうひとつは公的行為はやってもいいという3分説もあって、憲法の学界では3分説の方が多い。私は2分説の立場で、天皇の公的行為はやるべきではないという立場です。
一昨年8月のビデオメッセージは、要するに自分は歳を取ってきていろいろなことをやるのは大変だから退位したいということです。けれども、天皇が大変なのは公的行為をやっているからです。公的行為なんかはやめてしまって、国事行為も皇太子にやらせればいいだけの話です。でも明仁はある意味したたかで、彼は天皇制を未来永劫日本で続けたいから、あれだけ一生懸命やっているわけです。これに対して、残念ながら平和運動をやっている人でも明仁大好きな人が多いようで、「天皇って平和主義者だよね」とか、「安倍さんのこと嫌いなんでしょ」とか、「安倍さんに何かいって欲しいよね」と、期待する人が結構います。そういう感覚というのは水戸黄門が大好きな国民の感覚であって、権威にすがって何かいって欲しいと思っているようです。そうではなくて私たちの力でおかしいものはおかしいというべきで、天皇にすがるべきではないと思います。でも、明仁自身の努力によってああいうメッセージを出し、民進党を含めて皇室典範の特例法を作って、生前退位を認めることになってしまったわけです。やはりこれは問題であって、細かい問題は『週刊金曜日』のインタビューに答えて、来週(9月28日号)出ますから、それも読んでいただければと思います。
私はやはりビデオメッセージ自身が政治的発言であって、天皇はあんな発言をすべきではありません。あの発言の中で象徴としての行為とか象徴的行為をやっていると天皇自ら言いますが、象徴的行為を公的行為と同じ意味で使っていて、これはやってはいけないという議論があるのに、天皇は象徴的行為をやっていて大変だというわけです。これは憲法学の議論をわきまえない明仁の突出した意見であって、あのビデオメッセージは憲法違反の発言だと思います。でもマスコミも天皇大好きというかあまり批判したくないのか、この間、天皇を批判する論者にちょっと発言させて、全体ではもう歳を取ったし大変だから生前退位を認めようねという感じの報道をしてきました。やはり主権者国民が天皇の地位を決めるというのが今の憲法の構造ですから、本来はもっと議論しなければいけないし、引き続き私はもっとこの天皇制について議論をしていくべきではないかと思います。こういう自民党の改憲案を絶対認めてはいけません。
人権規定で問題点をいくつか取り上げます。例えば、なんと自民党の改憲案では選挙権は日本国籍保持者に限定してしまいます。これで在住外国人の選挙権を明確に認めないかたちにします。最高裁の判決では、法律によって地方選挙権を外国人に認めてもいいよということで、国会で法律さえつくれば地方における在住外国人の選挙権を認めることが日本でもできます。でも日本の国会はそれをさぼっている。世界の流れも、在住外国人に選挙権を認めるというのがヨーロッパを中心に当たり前です。ヨーロッパに住んでいる日本人でも地方議員をやっている人もいるように、もうそういう時代に入っているのだから、最低限、地方レベルの在住外国人の選挙権を認めるべきだと思います。さらに、もともと日本にいる在日コリアンについては、歴史的な事情から考えて国政選挙権も認めるべきではないかと考えています。でも自民党の案だと外国人にはこれを一切認めないという点で逆行しています。
次に「新しい権利もどき」と書きました。自民党のQ&Aでは「プライバシー権」「知る権利」「環境権」「犯罪被害者の権利」と説明している規定があります。これら「プライバシー権」「知る権利」「環境権」について、条文には権利とは書いていません。権利とは書かないで、国などの責務などを書いたに過ぎず、これは権利とは言えません。憲法にはっきり権利と書いても、自民党は25条をひどい扱いをするわけです。最低限条文に権利と書かないと、裁判で使えません。自民党がQ&Aでいう新しい権利は、条文には権利と書かない。これで新しい権利を盛り込んだとごまかすような提案をしています。
20条は、信教の自由と政教分離規定を置いている規定です。国とか自治体が社会的儀礼、習俗的行為については、できますよという文言を加えます。これは、首相の靖国公式参拝を憲法上正当化するような意図がある改憲だと思います。
21条がひどい規定です。21条はご存じのように表現の自由、集会・結社の自由が保障されています。自民党の案だと21条の2項で、「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」――「公益及び公の秩序に反する活動、結社」はダメですよとしています。これはいまでも共産党を含めて公安調査庁や警察の公安がいろいろな監視活動をやっています。これ自体、私は不当だと思いますけれども、この自民党の改憲案が通ってしまったら、下手をすると共産党などに結社禁止という判断がされかねません。「闘う民主主義」、ファシズムと共産主義に対抗するという観点から、西ドイツ当時に憲法裁判所が、ネオナチ政党だけではなくて共産党を禁止する判決を出しています。自民党のこの改憲案もそういうことになりかねないという点で、非常に問題があります。
次の22条、居住・移転・職業選択の自由です。これは非常に巧妙な規定で、憲法22条1項は条文では「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。」とあって、ここから「営業の自由」も保障されると考えています。ただし、日本国憲法では「公共の福祉に反しない限り」という文言が入っていて、営業の自由も公共の福祉に反してはいけないのです。公共の福祉というのは、人権と人権がぶつかった場合の調整原理で、人権を守るために他の人権の観点から人権を制限する場合があるということです。例えば、日本に独占禁止法があるのは、独占企業を野放しにしてしまったら中小企業や消費者が不利益を被るから、だから野放しの営業の自由を認めないで、公共の福祉の観点から独占禁止法は合憲になるわけです。けれども、自民党の改憲案では、この「公共の福祉に反しない限り」という文言を削ってしまいます。削ってしまうということは、営業の自由が野放しになってしまう。これは非常に新自由主義的な改憲案になっています。
家族規定では、自民党改憲案は24条に、「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。」と書きます。確かに「家族は互いに助け合[え]」というのは、道徳的にはわかりますけれども、先ほどいったように道徳を国家が押しつけてはいけません。一般論からすると、家族は互いに助け合いなさいというのはわかるけれど、例えばDV被害にあってまだ離婚が成立していない女性に、それでも夫を助けろというのは酷なことです。また、子どもの頃、虐待を受けていたような人が、親も歳を取ったんだから面倒を見ろというのも酷です。家族の関係もそれぞれの家族が私的自治の観点から、どういう家族関係をつくるかは考えて決めればいいわけであって、お上が勝手に家族はお互い助け合えというべきものではないのに、自民党は、家族はお互いに助け合えということを憲法に書くわけです。
これは非常に復古主義的であると同時に、もう一方で新自由主義的な側面があって、この間、公助を後退させて自助、共助を強調している。新自由主義改革の中で社会保障を減らして、その足りない部分を家族に負担させる。特に女性に重い負担がかかってくるわけで、家族は互いに助け合えということで、社会保障の足りない部分を家族負担にさせようという意図がここにはあります。そういう点では、この憲法24条の改憲案は復古主義的な側面と、新自由主義的な側面の両方が入っています。
それから、28条で公務員の労働基本権を制限する文言を入れてしまいます。欧米では広く公務員にも労働基本権を保障していますから、これは明らかに逆行しています。
統治規定については、内閣総理大臣の権限を強化し、国会の権限を縮減していくという傾向があります。
憲法改正手続法の問題です。まず、マスコミなどは「国民投票法」という表現をしますけれども、これは間違っています。法律の正式な名称は「日本国憲法の改正手続に関する法律」で、どこにも「国民投票法」なんていう表現は入っていません。確かに、この「日本国憲法の改正手続に関する法律」の大部分は国民投票に関する部分ですが、法律名に「国民投票法」なんて書いてありませんから、「国民投票法」という表現はすべきではありません。また、国民投票以外の憲法審査会の規定も入っていますので、私は「国民投票法」と表現するのではなくて、正式名称でいうか、縮めるのであれば「憲法改正手続法」あるいは「改憲手続法」と表現すべきだと思います。
これができた経緯では、当初は民主党なども憲法改正に関する手続法は必要だということで、与党と民主党は一緒に議論してきました。民主党もこういう法律は必要だという観点から積極的にやっていて、途中までは与党と民主党でいろいろな調整もやっていました。しかし、第1次安倍政権で安倍首相が憲法改正をしたいといってしまったので、それは話が違うということで民主党がこの議論から降りていくわけです。
ただ当初、民主党はこれに乗っていたので、民主党の流れにある立憲民主党や国民民主党は憲法改正手続法の改正に乗りやすいので、非常に要注意です。実際に通常国会で、自民党サイドから憲法改正手続法の改正をしようという提案が出てきて、それに当初は立憲民主党は乗ろうとしましたよね。これに対して、法律家6団体や「総がかり」などが働きかけて、法律家6団体も立憲民主党の山花さんなどともずっとコンタクトをとって、この憲法改正手続法の改正案に乗ってはダメだと説得をしました。他に、いろいろな団体からの説得もあったので、通常国会でこの改正案に立憲民主党は乗らなかった。ですから、憲法審査会でも議論しなかったので、とりあえず審査会が動かなかったのでよかったです。やはり旧民主党系はちょっと危うい側面があるので、市民が監視していかないといけないと思います。
特にこの間、議論されているのは、最低投票率の規定がないとか、メディア規制で、投票14日前からの勧誘広告放送はできない。しかし、それ以前は自由にできるわけです。さらに勧誘広告でなければ、広告自体は14日前でもできます。ということは、お金がある改憲勢力が有利なかたちになっています。改憲派はどんどんお金を使って改憲に向けた宣伝、テレビのCMなどをやってきますから、この欠陥を抱えた憲法改正手続法の下で国民投票をすべきではありません。確かにそういう意味では、憲法改正手続法自体は変えていく必要がります。これを変えないまま国民投票をすべきではありません。今井一さんを含めて国民投票で改憲に勝てばいいんだと議論をする人がいますけれども、それは非常に甘い議論です。憲法改正発議がされてしまって国民投票の運動期間になってしまうと、バンバンお金を使って宣伝されますから、やはり今のこの状態で国民投票に持って行かせてはいけない。大事なのは国民投票で勝つことではなくて、まずは憲法改正発議をさせないことだと思います。
最後に今後の課題です。今年経験したことから話をすれば、今年の5月の連休中に岡山、奈良、前橋、越谷で講演をしました。岡山と前橋は都道府県単位の憲法集会でしたが、両方とも分裂集会でした。私は平和フォーラム系で頼まれて行きましたが、共同センターとか共産党系はまた別にやっています。奈良は昨年別だったけれども、今年は統一集会が実現しています。この間見ていくと、中央で(あまり使いたくない言葉ですが)、15年5月3日に憲法の統一集会が実現してそのあとも続いています。けれども、残念ながら都道府県単位の各地の憲法集会を見た場合に、統一集会ができていないところがまだあるんですよね。関東だと千葉や神奈川も統一集会になっていないと思います。やはりこれは克服していかなければいけないと思いますので、ぜひ地域で活動されていれば、それぞれの地域で都道府県単位あるいは市町村単位でまだまだ総がかり行動的な行動が十分できていないところがありますので、地域で働きかけをして統一行動を実現するように取り組んでいただければと思います。
それとの関連で、来年の参議院選挙です。恐らく1人区はなんとか前回の参議院選挙のように候補者の一本化はできるのではないかと思います。ただ調整が本当に進んでいないわけですが、まだ進んでいなければそれぞれの地域で政党に働きかけて欲しいと思います。さらに、私は1人区だけではなくて、複数区でも調整すべきだと思うんですよね。前回の参議院選挙の複数区で、関西中心に結構野党が共倒れしています。神奈川なども、立憲民主党が2人立てる可能性もあるわけで、もしこれに国民民主党や共産党が立ててきたら本当に共倒れしかねないし、複数区は政党間で候補者調整の話など全然していない状況です。私は複数区でもある程度やっていかないと、とてもじゃないけれども勝てないと思います。
昨年の衆議院選挙でも、比例で自民党に入れたのは33%くらいですけれど、立憲民主党、希望の党、共産党、社民党の4党を合わせると46%にもなるのです。大きく自民党を上回っているわけです。ですから、野党がきちんと共闘すれば自民党に勝てるわけで、それができていない。まだまだ十分できていないわけであって、このまま参議院選挙あるいは衆議院選挙に突入すると、また改憲勢力にたくさん議席をとられてしまうと思います。ぜひ地域で活動されているみなさんは、そういう政党にも働きかけて欲しいと思います。自民党は本当に権力を握るために節操がないから強いわけです。だからあれだけ団結できるというか、権力のうまみを知っているというか、だから一緒になれる。本当に日本の左翼・リベラルというのは真面目なんでしょうけれども、どんどん分裂してお互い批判して小さくなって自己満足しているところが多い。いつまでたってもマイノリティというか、権力を握るということができませんから、もっと大同団結をして欲しいなと思います。ようやく国民民主党が9月13日の新宿街宣、19日の日比谷野音集会に参加して発言するようになって、いい状況にはなってきました。この動きを引き続き強化して、細かく共闘関係をつくらなければ自民党に勝てません。ぜひ地域に帰って、またそういう取り組みをしていただければと思います。
発行:梨の木舎
B5版・187頁 定価:1500円+税
表紙には望月衣塑子さん、伊藤詩織さん、三浦まりさん、平井美津子さん、猿田佐世さん。いま注目をあつめ、輝いて見える女性の名前が並んでいて、ついページを開けて見たくなるような本だ。東京新聞社会部記者の望月さんがそれぞれの方々と対談した記録集だが、表題のとおり気軽にやさしくおしゃべりをするように各テーマがすすんでいく。目次は、まるで会話の1フレーズがつぎつぎと並んでいるようで、興味が沸き大変読みやすい。
昨年は、世界における日本のジェンダーギャップ指数が、世界144か国中114位となり、前年よりもさらに後退した報道に気分が暗くなった。望月さんは「あとがき」で、「・・・政治参画をみると、国会議員でみると129位、閣僚で88位、経済参画は114位、勤労所得で100位、幹部・管理職で116位、高等教育の在学率は101位。・・・安部政権がどんなに『好景気』をうたっても、男女格差は改善していません」とさらに指摘している。そんな折に編集者から望月さんに提案があって実現したのが本書である。
ジャーナリストの伊藤詩織さんとの対談の表題は、「言葉にできない苦しみを、伝えていくということ」。
詩織さんはすでに自身のレイプ被害に関連する著書「ブラックボックス」を出し、事件を世に問うている。ここでも性暴力への対応を日本国内と外国との違いを比較し、日本の閉鎖性や女性への偏見が根強いことを自身の経験として語っている。そしてセクシャルハラスメントとは何か、合意とは何か、暴力をふるうことは犯罪であることなどを社会的に明確にしていくことだと言い切っている。南アフリカの友達から教わったこととして、「他者に触れられてはいけない自分の身体の部位を信号の色で歌って覚える・・。性器は赤、お尻も赤、ここは黄色、そこは青、でも自分が赤だと思ったら赤だと、交通安全みたいに教えています。」こうした話にも、社会的に個人の確立や尊重が重視されない日本の現状を変えることが大きな課題であることが分かる。
三浦まりさんは上智大学教授で専門はジェンダーと政治、現代日本政治論だが、対談の表題は「女性=アウトサイダーが入ると変革が生まれる」。三浦さんと望月さんは大学が同窓とのことで対談は軽快にすすむ。ここでは、土井たか子さんが社会党委員長になり「マドンナブーム」があったが、日本がジェンダー平等に手をつけなかったことが90年代からの停滞感になった、と指摘している。そして変革を起こすためには、女性を一気に3人登用すること、地方議員は3割が無風状態だからここに女性議員を、など3という数字がよく出てくる。私もこれは結構当たっているのではないかと思う。三浦さんたちの努力もあり、今年はようやく政治分野における男女共同参画法が成立したこともあり、来年の統一地方選挙や参議院選挙での女性の進出に期待したい。
平井美津子さんは公立中学校教諭をして慰安婦問題を教え続けている。表題は「『先生、政治活動って悪いことなん?』子どもたちは、自分で考えはじめている」。平井さんは大阪の公立中学校で社会科の教師をしている。在特会の攻撃が吹き荒れたあの大阪で、子どもたちに慰安婦問題を含めた日本の課外の問題を教えている。平井さんへの攻撃は勤務する学校だけにとどまらず、市議会でも取り上げられ、教育委員会も問題とされた。折から橋下大阪市長が選んだ教育委員によって育鵬社の教科書が採択された。安倍政権のもとで締め付けが強まる中、さまざまに工夫して歴史を教えるなかで子どもたちの自立的考えの芽生えに平井さんは希望を見いだしている。「日本に慰安婦像をつくってはどうか、ドイツには『躓きの石』があります」という平井さんの言葉は印象的だ。
猿田佐世さんは、シンクタンク「新外交イニシアティブ(ND)」を立ち上げ、代表であり弁護士だ。表題は「自発的対米従属を変えるために、オルタナティブな声をどう発信するか」。猿田さんは、アメリカでは日本のことがニュースになることはほとんどなく、ワシントンの対日政策に関わるコミュニティは非常に少数だと指摘する。ここに新しい情報と人間関係をつくることができれば、対日政策をかえることができ、軍事、経済、原発、対アジア関係をすべて変えることが可能だと指摘する。こうした考えから猿田さんは、日本の国会議員や沖縄県の関係者などとアメリカの関係者とのパイプをつないでいる。また、子育て中の望月さんと猿田さんは仕事と育児と短時間労働などでも話しが合うようだ。
それにしても、現在の憲法が制定されてから70年余、男女平等と女性参政権の獲得、不十分ながらとにかくできた男女雇用均等法、女性差別撤廃条約、共同参画基本法。戦後、日本の女性たちはさまざまな場面で女性の人権確立のために行動してきた。しかし日本の現状は一体何か!と思わざるをえない。
本書では対談者たちが、グローバル化の中で多様性と国際感覚と行動力を身につけていることが伝わってくる。こうした人々が活躍できる時代がすぐそこまで来ていることを予感させている。
(土井とみえ・会員)
チャン・ジュナン監督作品
129分 原題は「1987」
菱山南帆子(事務局)
今年の韓国映画は熱い。その中でも1980年5月の光州事件を描いた「タクシー運転手」と、この1987年「6月民主抗争」をテーマとした「1987.ある闘いの真実」は必見です。
集会やデモ、会議、飲み会など仲間と顔を合わせる度に「ちょっと!1987観た?え?まだなの?早く観なさいよ!」と挨拶がわりに言われ、急かされる様に慌てて観に行った。
しばらく前に、同じ1987年の「6月民主抗争」をテーマにした漫画作品「沸点」を読んでいたため既視感の様なものがあったけど、異なる視点で描かれ、映像の説得力を存分に駆使されていて圧倒された。1987年を経験した観客が映画を観た時に、当時を思い出して感動できるようにと、できる限りリアルに時代考証を守る努力をしたそうだ。当時の都市の姿はほとんど残っていないため、45,000坪の敷地に大規模なオープンセットを作り、熱気に包まれていた延世大学の正門や市庁広場などから拷問室までそっくりに再現されている。
この映画の製作は秘密裏に進められたと言います。政治状況によっては公開ができないかもしれないという中でも、「1987年の出来事が歴史において美しい価値がある」「普遍的なテーマを持っている」と考える監督をはじめとした関係者の情熱によって完成された。
この映画の一方の主役ともいうべき弾圧の大ボスは、その迫力にものすごい恐怖を感じさせた。それを演じた俳優さんの「朴政権退陣を求めるキャンドルデモに参加している1人の市民のような気持ちで出演した」というのコメントには感動しますね。
映画はいきなり拷問室でソウル大生が水責めで殺される場面から始まり、その真実をめぐりストーリーがダイナミックに展開し、民衆の武器を持たない蜂起へと観るものを一気にはこんでくれるようだった。検事や看守といった権力を構成している人間たちが悩み、迷いながら真実に従い、人間性を手放さない姿なども胸を打った。面従腹背の前川さんや、改ざんに抵抗した近畿財務局の職員など連想してしまった。そして闘いは、自衛隊員や官僚機構の中の人間の心の底に届き、その心を揺り動かすようでなくてはならない、とおもった。圧する側の人間も奥行きのある描き方が
されていて深い感動を覚えた。
そして一番感動し、教えられたのは「沸点」でも描かれている「1人の10歩より10人の1歩」という闘いの考え方の転換です。「小さな力も集まれば、希望に輝く明日を守ることができる」ことを事実を持って教えてくれている。民衆が街路に飛び出しハンカチを振り、クラクションを鳴らし、紙吹雪を散らして蜂起した6月10日は全国22の都市で一斉にデモが起きた。デモは合計で2145回、参加者はのべ500万人、放たれた催涙弾は35万発といわれている。昼休みや退社後にデモに合流する「ネクタイ部隊」、若い母親たちの「ベビーカー部隊」など実に多様な市民の立ち上がりが現実のものとして出現したのだ。
この映画を観て、私は改めて翁長さんの「イデオロギーよりもアイデンティティ」という言葉を噛み締めます。「同じ人間じゃないか。殴り合うより、協力し助け合おうじゃないか!」チャン.ジュナン監督は「希望や勇気を持ち帰っていただければ、それ以上望むことはありません」て言っています。
監督!希望と勇気をありがとう!
9月19日、韓国の文在寅大統領と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長の3度目の首脳会談が行われ「9月平壌共同宣言」が発表された。宣言では朝鮮半島の非核化への具体的措置が示され、軍事的緊張緩和と経済・民生の協力強化がうたわれた。宣言は朝鮮戦争の終結に向けてさらに一歩踏み出したものということができる。(編集部)
大韓民国の文在寅大統領と朝鮮民主主義人民共和国の金正恩国務委員長は2018年9月18日から20日まで平壌で南北首脳会談を行った。
両首脳は歴史的な板門店宣言以降、南北当局間の緊密な対話と意思疎通、多方面にわたる民間交流と協力が進み、軍事的緊張緩和のための画期的な措置が取られるなど、立派な成果があったと評価した。
両首脳は民族自主と民族自決の原則を再確認し、南北関係を民族的和解と協力、確固とした平和と共同繁栄に向け、一貫して持続的に発展させていくことにし、現在の南北関係発展を統一へとつなげることを願う全同胞の志向と念願を政策として実現するため、努力していくことにした。
両首脳は板門店宣言を徹底して履行し、南北関係を新たな高い段階に進展させていくための全般的問題と実践的対策を虚心坦懐(たんかい)に深く論議し、今回の平壌首脳会談が重要な歴史的転機となるという認識を共にし、次のように宣言した。
2018年9月19日
大韓民国大統領 文在寅
朝鮮民主主義人民共和国国務委員長 金正恩