私と憲法21号(2002年12月4日発行)

「はじめに改憲ありき」の衆院憲法調査会中間報告書

高田健

各界からの抗議の声をよそに、衆議院憲法調査会(中山太郎会長)は11月1日、「中間報告書」を綿貫民輔衆議院議長に提出した(28日には中山会長が衆議院本会議で中間報告について報告の発言をした。報告は議長に出すもので、本会議の報告は必要もないのにである)。これに先立って1日午後から衆議院憲法調査会が開催され、各党の委員が「中間報告」提出の是非をめぐって意見を述べた。

「中間報告」は中山会長主導のもとに調査会事務局がまとめた、A4で全文706頁に及ぶ膨大なもの。内容は4編構成になっているが、特に憲法調査会での委員や参考人の発言から憲法の条章ごとにその論点を採取・分類した第3編第3章が中核部分だ。ここではとりわけ第九条問題に特別のスペースが割かれ、「参考人や委員の意見には9条改憲論が多かった」という「事実」を主張するような編集になっている。

憲法調査会の構成や運営では、おおよそ政党の議席数にしたがって委員が割り当てられ、参考人もそうした力学から招かれるのであり、結果として与党などの改憲派の立場からの発言が多くなる。それを「公平」に採録すれば「改憲」の立場からの意見が多くなるのは必然だ。「中間報告」は客観性を装いながら、実はこのようにして「はじめに改憲ありき」の立場から作られている。 この「中間報告」の提出に賛成したのは与党各党と民主党、自由党で、反対したのは共産党と社民党だった。賛成意見は概ね「報告は客観的な提起で、国民の間における今後の憲法論議の活発化に貢献できる」(保岡興治・自民)というようなもの。

反対意見は「本来、憲法調査の最初に行なわれるべき『憲法の持つ理念、原則が現実の政治の中でどのように活かされ、実践されているのか。現実の政治との解離はないのか、あるとしたらその原因は何か』について、いまだに調査されていない。日程の折り返し点にきたから中間報告を作るというのは妥当ではない。運営もほとんどが参考人質疑のみで、テーマに則して委員が意見を述べる機会はほとんどない。中間報告書のまとめ方は恣意的なキーワードの設定にしたがって各委員や参考人の意見を細切れにし、貼りつけたものにすぎない。そのことで意見が曲解されている部分すらある」(金子哲夫・社民、春名直章・共産)などだ。金子委員らのこの指摘はまったく正当な批判だ。

会議では各党の代表が短時間、意見を述べたあと、起立採決が行なわれた。憲法調査会が「議論を通じた合意形成」の努力を放棄し、安易に採決にたよることは「日本国憲法について広範かつ総合的に調査する」とう設置目的からみて外れてはいないか。またこの採決で、直前の党大会で「加憲」論なる改憲論を採択した公明党はともかく、民主党が憲法の理念を擁護する発言をしてきた委員たちも含めて「中間報告」に賛成したことには注目しておく必要がある。いうまでもなく、改憲派は「民主党護憲派」のこうした「常識的対応」の通用する相手ではない。この「善意」も改憲キャンペーンに利用されるだけだ。

改憲派の委員たちの中からは「今後は集約をめざすべきだ」(井上喜一・保守)とか、「タブーのない論議で国民による憲法の作成を」(保岡興治・自民)などという声があがった。今回の「中間報告」は憲法改定にむけた改憲派の橋頭堡にされるだろう。

中山会長はこの「中間報告」の提出に先立ってひんぱんにマスコミに登場し、調査会設置期間の残り2年余を目処に審議をすすめ、最後はかつての内閣憲法調査会のような「護憲・改憲の両論併記」などではなく、採決して最終報告書を提出する、そのうえで憲法調査会を議案提出権のある「憲法改正常任委員会」に改組するという構想を語っている。

これらの明文改憲の動きと並行して進んでいる有事関連3法案などの問題と合わせ、「平和憲法」をめぐる争いはいよいよ天王山にさしかかった。

日本を再び「戦争のできる法体系を持つ国」にしてはなるまい。(本稿は「週刊金曜日」11月15日号に掲載したものに加筆したものです)

なお、「中間報告書」は有料で頒布する予定だそうです、問合せ先は「衆栄会」03-3581-5111(代表)です。

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