「翁長さんが亡くなった」。訃報を聞いたのは8月8日、私たちが市民連絡会の会議をしているときだった。
この日からわずか10日あまり前の7月27日、翁長さんは「辺野古埋め立て承認撤回」を表明したばかりであった。闘病の厳しさをうかがわせながらも、工事をごり押しする安倍政権に体を張ってでも対決する決意を表し、私たちは大いに鼓舞された。聞くところによると、立ち上がるのも、歩くのも困難で、声を絞り出すような状況であったという。本当に命を削り、最後の血の一滴まで沖縄とウチナンチューの為に闘い抜かれたことに深く深く敬意を表したい。
8月11日の県民集会が台風が接近するなか、7万人の人々の結集で開催された。この県民集会に連帯して、北海道、東京、名古屋、大阪をはじめ各地で集会が開かれた。東京では猛暑のなか、2800人が池袋に集まり、デモをした。県民集会では翁長さんの息子さんが「辺野古の基地建設、止められたよ。と報告できるように頑張りたい」と発言された。私たちの思いはこの息子さんの発言に凝縮されている。この“報告”を実現するために全力を尽くそう。
4年前、仲井真前知事が安倍政権に屈して、辺野古新基地建設承認という裏切りに走ることに対抗して翁長さんは「イデオロギーよりもアイデンティティ」を掲げて立ち上がった。この翁長さんの闘いに共感し、「オナガ雄志うまんちゅ1万人大集会」でゲストスピーチした俳優の菅原文太さんの発言を思い出す。「政治の役割は2つあります。1つは、国民を飢えさせないこと。安全な食べものを食べさせること。もう1つは絶対に戦争しないこと。」「海も山も風も、国家のものではない。そこに住んでいる人のものだ。」このように発言した菅原さんと翁長さんは壇上でがっちりと握手をした。この素晴らしいシーンは私たちの心に刻み込み、何度も振り返るに値する。
9月30日の、沖縄県知事選挙。私たちは絶対に負けるわけにはいかない。
安倍政権が国家権力の全てを駆使して沖縄の、ウチナンチューのアイデンティティを押し潰すことを絶対に許してはならない。安倍政権は、ウチナンチューの、そして闘う全ての人々の「心が折れる」ことを期待している。私たちの「心を折る」ためにアメとムチをフル稼働してきている。そんな、安倍政権の目論見を最も核心で打ち砕くのは「心を折られない、しなやかで強靭な不屈さ」だ。闘うウチナンチューは「勝つための方法、それは勝つまで諦めないこと」という不屈の思想を血肉化してきている。
1ヶ月も大幅延長された通常国会では「働き方改革」「カジノ法」、自民党による自民党のための公選法の改悪などの数々の悪法を「数の優位」を振りかざして強行成立させた。森友、加計問題追及に対するゴーマン、不誠実極まりない対応に対する圧倒的多数の批判、個々の法案に対する「成立を望まない」多数の声がありながらも安倍政権の支持率は急落することなく維持されている。この岩盤的支持を崩落させることが私たちの大きなテーマである。
オウム真理教死刑囚13名に対する死刑執行ということに対して世論は沈黙というより、喝采を含んだ支持だったのではないか。7月5日、西日本の大豪雨で「命を守るための行動」が連呼されているさなかに「赤坂自民亭」といった宴会が安倍首相も参加して行われた。この宴会の「女将役」が上川陽子法務相であった。上川法務相はこの宴の最後を「万歳三唱」で締めくくったという。上川法務相は、この日すでに松本智津夫ら7名の死刑執行の判を押していたのだ。人命が災害で奪われようとしている状況で、平気で酒を呑み交わし、また、人の命を奪うことを平気で命じられるという、安倍政権の人命と人権の軽視ぶりが露わになった。にもかかわらず、「平成の問題は平成のうちに決着する」「東京オリンピックの前でよかった」など、とんでもない正当化が行われ「豪胆だ」と評価があがったという現実があった。命の重さや、命の尊さを「オウム事件」から教訓とすべきなのに、人命の軽視という真逆の方向への集約を許していることに強い危機感を持たなければならない。命の濫費に他ならない戦争をくい止めるためにも、私たちは今一度、権力が人の命を握ることの深刻な問題を考えていかなければならない。
死刑執行の当日中に日本弁護士連合会(日弁連)は「死刑執行に強く抗議し、直ちに死刑執行を停止し、2020年までに死刑制度の廃止を目指すことを求める」という会長声明を発表した。
東京医大による入試での女性排除という二重基準の横行や、自民党杉田水脈議員の「LGBTカップルは子どもを作らない、つまり『生産性がないのです』そこに税金を投入するのはどうなのか」という発言。 性の多様性を求め、女性の解放を求める人々からは「下駄を脱がせろ!」など怒りの声が続々とあげられてきている。しかし、ここでも下駄を脱ぎたくない人々が自民党、安倍政権をさらに下支えしている。「リクツよりも利害」とばかりに、どんなに無茶苦茶な政権運営をしても株価を上げてくれれば支持するという人々も広範に存在するだろう。
私たちは、本当に心の底に届く言葉を磨かなくてはならない。3000万署名(対話)運動はそのような闘いであり、固い岩盤に無数の穴を空けるような蟻のように地を這う作業である。必ず崩落を引き起こすことを確信しつつ進んでいこう。
通常国会では森友・加計問題からの逃げ道を完全に断ち切って退陣させるに至らなかった。「働き方改革」「カジノ法」も葬り去ることはできなかった。しかし期間中、4日に1回のペースで、とりわけ国会周辺で数千から数万人の規模の行動が展開され続けたことは特筆すべきことだ。どの集会でも野党議員が駆けつけて発言するということが積み重ねられてきた。市民運動が野党をつなぎ、野党共闘プラス市民という陣形を一層強化してきた。この奮闘によって通常国会内での改憲への動きを完全に止めたことは大きな成果だと言えるだろう。
また、日韓の市民運動が交流から連帯・共同行動へと着実に前進している。
反核運動が分裂を乗り越え、核兵器禁止条約批准を共に目指しながら大きなうねりを作り出そうとしている。
「ジャパネットたかた」の創業者、高田明さんの「核保有国のトップがみんな女性になったら、きっと核兵器は廃絶されると思います」という発言に示される核兵器廃絶(平和)の実現と女性の解放の合流という、運動の質的な前進も切り拓かれている。足腰を強化し、しなやかに豊かに成長してきた私達市民運動はいよいよ<燃える秋>へと歩を進めなければならない。
安倍首相は9月の自民党総裁選で3選を実現し、秋の臨時国会、あるいは来年の通常国会で自民党改憲案を提出する意向を明らかにした。また、辺野古新基地建設を一気に進めるため沖縄県知事選に勝つためになりふりかまわず向かってくるだろう。一方で韓国の文在寅大統領は8月15日の「光復節」式典での演説で、9月に平壌で行われる3度目の首脳会談で「朝鮮半島の完全な非核化と共に、終戦宣言や平和協定に至るために大胆な一歩を踏み出す」ことを宣言した。
戦争へと向かう安倍首相と平和へと向かう文在寅大統領。私たちはこの大きな構図を意識しつつ、沖縄知事選を焦点とした9月の闘いへと立ち上がろう。
(事務局 菱山南帆子)
高良鉄美(琉球大学)
復帰前の沖縄では、圧倒的な米軍基地の存在から派生する様々な問題が起こり、社会は大きく揺れていた。この世のありったけの地獄を集めたといわれた悲惨な沖縄戦が終わりようやく平和に生きることができると思っていた人々に、米軍基地から次々と発生した人権蹂躙の嵐が吹き荒れていた。頻繁に発生する殺人事件、強姦事件、暴力事件、住民を巻き込んだ米軍の爆弾処理船による大規模な爆発事故や墜落事故、落下物事故など、戦争でもないのに続く戦争状態は、沖縄住民を再び恐怖に陥れた。
これでは、平和な生活ができない。住民が集まり、抗議の声を上げていくのは自明のことではないのか。銃剣とブルドーザーで土地を取られたり、家を焼き払われたりした伊江島の住民たちは、那覇などの都市の人々に訴えるため、「乞食(こじき)行進」をした。沖縄の各地で、米軍による土地の強制接収が行われ、人間が住むという生活基盤を壊された住民は、米軍との対決姿勢を強めていった。同じ思いを共有した住民たちは、沖縄の大地が揺れるほどの「島ぐるみ」の闘いを展開した。
そう。当然のことである。あなた方(米国)の憲法の修正5条は、「何人も法の適正な手続きによらずして、生命、自由および財産を奪われることはない」と言っているではないか。沖縄住民は「人間」ではないのか?あなた方の憲法を構成する「独立宣言」では、すべての人間が生まれながらに平等であり、生命、自由および幸福追求の権利を与えられていると述べているではないか。そして、権力の濫用と人権侵害が構造的に長く続き、さらにそれを継続しようしている状態がある場合には、その事実を公正に判断する全世界の人々に発信するということも、述べているではないか。沖縄の現状は、まさに、あなた方が自ら、当時の英国王に対して、不正義と不平等を訴えようしたものと同じなのである。
土地は有無を言わさず勝手に略奪されない。ひとしく恐怖と欠乏から免れ平和のうちに生存する権利がある。法の下に平等であって、差別されない。日本の平和憲法が人権を保障している。沖縄の平和憲法の下への復帰というのは、それだけ大きな意味があったのであり、幾分弱く静かな「希望」という言葉で扱われるべきものではない。沖縄住民にとっては、先に述べた米国の独立宣言に匹敵するような重さを持っていたのであり、だからこそ日本国憲法の下の日本国民として扱われるべく、「沖縄復帰に関する建議書」が作成されたのである。
さて、独立宣言に話を戻そう。独立宣言の中には、英国王が独立前の米国に行った所為に対して、強く非難した一文がある。「米植民地議会の同意を得ることなく、平時でも英国軍をこの地に駐留させていること」である。あの重厚な独立宣言をした建国の父祖の想いを受け継いだ米国市民の皆様、自己矛盾ではありませんか。独立宣言は、他国の軍を駐留させることがそれほど嫌なことなのだということを強調している内容であり、沖縄にとって「屈辱」以外の何物でもないことを本来、米国市民はよく知っている人々のはずである。実際、どこの軍隊も米国には駐留させていないわけですから。英国王に対する非難は続く。その駐留軍が米植民地住民に対して殺人を犯すようなことがあっても、見せかけだけの裁判によって処罰から免れさせる法律を作ってきた。賢明な読者は、沖縄に押し込めた米軍に対する地位協定上の扱いと酷似していることに既に気がついていることであろう。
この当時の英国王の役割を今だれが演じているのだろうか。平時に沖縄に他国の軍隊を駐留させ、それを屈辱と感じない同じような人々で構成されている政府、そしてそこの首相と呼ばれている人であることは、自明だが、それを支える構造的政治体制が、沖縄の求めてきた平和憲法の髄まで、壊そうとしている。しかし、これでチルダイ(がっかり)している沖縄ではない。
「イデオロギーよりもアイデンティティを」。先日亡くなった翁長知事の明言の一つである。以前は、上記の英国王の役の者を支える人々の側にいたが、沖縄が耐え忍んできた苦難に思いを寄せた。辺野古新基地建設を強行しようとする政府の圧力に、復帰前の米軍の強圧的姿勢を重ねて見た翁長知事は、抗議の声を上げた。彼の声は、意識したわけではなかったかもしれないが、実は憲法の理念に沿ったものであった。自民党選出の5人の県出身国会議員らが、自らの選挙公約であった「県内移設反対」を政権与党本部から強制的に撤回させられ、うなだれた姿は、地方自治を潰していく、強力な中央集権をにおわすものであった。翁長氏はそこにアイデンティティと自己決定権の意義を見出したのであろう。憲法構造からいえば、中央の強権で地方の民意を押しつぶすことは強く禁じられていると考えるべきである。金太郎飴でないそれぞれのアイデンティティを各地方が共有し、活かすことができるか、これが憲法理念を考えるキーワードの一つなのかもしれない。いま、沖縄では翁長氏の遺志を継いで声を上げることを各人が自己の責務として自覚しつつある。このエネルギーこそが彼が命を削ってまで訴えたかったことなのかもしれない。これが沖縄と憲法のいまなのである。
(市民連絡会共同代表)
高田 健さん(市民連絡会事務局長、総がかり行動実行委員会共同代表)
(編集部註)7月21日の講座で高田健さんが講演した内容を編集部の責任で要約したものです、要約の責任はすべて本誌編集部にあります。
なお、この講座はhttps://www.youtube.com/watch?v=5ft2JIKllWoで検索できます。
みなさんこんばんは。昨日で実質的に国会は終わったけれども、この国会が終わってみて、どうもすっきりしないな、どうすればいいんだろうということをみなさん考えていると思うんですね。一生懸命やってきた人の中の一部ではちょっと疲れたな、ここまで頑張ったのにこのあとどうやったらいいんだろう、という感覚があることも何人かからは聞いています。そうした気持ちを考えながら、ではわたしたちはこれから本当にどうしたらいいのかということを今日は運動の側から考えたいと思います。今日は自民党の改憲案の問題についてはお話ししません。この1000人委員会がつくった薄いパンフレットですが、自民党の改憲案の4項目がどれくらいでたらめかということを良くまとめていますのでこちらをお配りしております。
昨日立憲民主党の枝野さんが内閣総辞職の要求をして、約3時間に渡って大演説をぶった。そのときの彼の結論は、安倍政権は憲政史上最悪、今回は憲政史上最悪の国会だと言いました。枝野さんの結論はそうでした。たしかに、私なりに若いときから見てきた政府とは本当に違った。私の想像以上に第2次、第3次安倍内閣というのは憲政史上特異な内閣ですね。普通だったらとっくに辞めています。相当激烈な闘争があっても最後はそれなりに、自民党なりに筋を通してきました。辞めるときは辞める。あのとんでもない岸信介にしたって、辞めさせられたわけですけれども辞めたわけです。それ以外の人たちでもいろいろな問題が起きたら、これほどの問題が起きたら、最後は辞職をしてきた。だからこれまでの例で言えば、安倍さんはダメなのじゃないかとみんながこの間思ってきたのは、当たり前です。常識的に見て安倍さんはとっくに、この6ヶ月の間に辞職をする、そういうところに追い込まれてきたわけです。だから安倍さんの先輩の福田さんなんかはもうかんかんですよ。彼は彼なりに美学があって潔く辞職をした。彼らの先輩たちの感覚からしてもこんな内閣総理大臣はいない。そういう人を相手にしてわたしたちはこの6ヶ月あまり戦ってきたんですよね。ですからみんなの中に、ここまでやっても辞めないのかという徒労感があるのも、あながち当たっていないわけではありません。
これはいろいろな世論調査などを見てもそうですよね。支持率が30%くらいまでは落ちてくるけれども、それ以上落ちない。これに安倍さんは助けられて、今回ずっと居直り通した。そして一部のメディアではまた支持と不支持が逆転したという評価もあって、何で逆転するのかとみんなが思ってしまう状態です。ただ、安倍さんが支持されている最大の理由というのは「他に適当な人がいない」、これが群を抜いて多い。安倍内閣を支持する理由の最大のものが「他に適当な人がいない」、代わる人が見つからないということです。それが、安倍さんを30%、40%の人が支持するとメディアに答える理由だといいます。これは、大きな問題なんですね。みんなが「安倍、倒せ」というのはわからないわけではないけれども、「じゃあ、どうするんだ」ということがあるわけです。これに野党なり市民運動なりが十分には答えられていない。わたしたちは答えてきたつもりですけれども、しかし多くのみなさんの中に、わたしたちが安倍に替わってこうしようということが浸透していない。安倍内閣が倒れそうで、ここまでぼろぼろになったのに、倒れないという最大の理由だと思います。
もうひとつ理由があります。普通はこうなってくると自民党の中で、もうこの首相ではダメだから代えようということになる。自民党はずっとそうだった。ある意味ではそのために派閥があるようなものです。歴代の自民党の派閥というのは、そうやってダメになってきた総裁を取り替えて、こちらではどうかと国民に示すことによって政権を維持してきたわけです。ところが、この第2次、第3次安倍内閣においてはこれがほとんどない。石破さんがどうこう言っているといっても、なかなか聞こえない。野田さんはどうなのか。昨日あたりまた新聞に書かれていて、ほとんど頼りにならない。岸田さん、この人はどこに本心があるのかさっぱりわからない。そういう意味では自民党の中で安倍さんはダメだからもう辞めろ、俺が代わりにやるという人は出てこないんですね。小泉進次郞が結構人気があるようですけれども、あの人は最後にはちゃっかり主流派と同じ投票をやっているわけですから。カジノでも、今回の公選法の改正でも、あれだけ国政の改革とかいろいろな格好いいことをいうけれども、最後は支持票を投ずるわけですよ。自民党の中で「安倍辞めろ」という声が出てこない。これもふたつ目の非常に大きな問題です。言っているのは四国の村上さんくらいでしょ。これまでを見れば、ああいう人がいっぱい出てくる。なぜ出てこないのか。
これは大変大きな問題ですけれど、結論からいうと、この安倍さんというのは自民党の改憲派にとって最後の切り札だ、安倍以外に改憲を実現できる人物・総裁がいないと、自民党の改憲派のほとんどが考えているということです。とくにこのバックにいる日本会議。この日本会議が安倍内閣をしっかり支えている。ですから最近でも櫻井よしこさんは2回くらい新聞に意見広告を出した。いわば死ぬ気でやれという激励ですよ。国会の外から日本会議の部分が安倍を激励しながら絶対に支えるという、ここが腹を決めているわけです。安倍の代わりはいない。この部分がこういう姿勢を示して自民党の中で影響力を持つものですから、これに反対する派閥は動きようがない。とくに岸田さんの「お公家様」のような派閥になると、日本会議の巨悪に対抗できる勢力ではないと思いますね。そういう意味で、日本の政治全体の中で安倍にかわる人がいないと思われていることと、自民党の中でこの安倍を除いたら改憲ができなくなる、だから安倍で勝負だという自民党内の状況。このふたつが非常に大きい要素です。
それから3番目に安倍個人の問題です。彼が登場してからしばらくは、官房副長官をやって官房長官もやって、そのあと首相になりました。私はそういうのを見ていて、安倍さんという人は意外にもろい人だと見てきたんですね。安倍さんが総裁で首相になったときに、どこかでぽきっていくのではないか、いままでの経過からいうとそうだと見てきました。実際にそうでした。2006年から2007年の第1次安倍内閣では、ぽっきりいってしまうわけですよね。あれもひどい話だったでしょ。施政方針演説――これから私はこういう政策をやるという演説を国会でやった直後に、政権を放り出した。だから、そこまでは一応やろうかな、どうしようかなと思いながら施政方針演説をやった。けれども、党内からもいろいろ文句を言われ、もうやってられないということで、病気になったといって入院して辞めちゃうわけですよ。安倍さんは、少なくとも第1次安倍内閣のときまでは非常に弱い、もろい性格を持っていたと思います。
しかしそれ以降の、民主党政権時代まで含めた、その時間に安倍晋三自身が掴んだ覚悟というか、彼自身が持った覚悟というのは非常に大きかったと私は思います。もう一回復活しようとするわけですね。今度復活したら2007年のように自分から投げ出すことはしない、本当に決意して2012年12月に総裁になったんだと思います。これはもう恥も外聞も、あの人にはないんだと思います。「私か、私の妻が関わっていたら、いつでも国会議員を辞める、首相も辞める」と言って、これほど関わっていることが明確になっても「関わっていない」と言い張る心臓というのは普通では考えられないですよ。関わっている証拠がこれだけ出てきたのに、そして自分がそんな啖呵を切ったのに、それでも居直る。彼が唯一頼りにするのは国会で3分の2の議席を持っている、これさえ持っていれば、とにかく恥をかいても何をしても居直ればこの政権は維持できる。
私たちはこれらと戦っていたんですね。そういう意味では、わたし自身の感覚も甘かったのかもしれません。ここまで追い込んでいったらいくら何でも安倍政権は倒れるに違いないと思い、本当にあと一歩じゃないかとずっと思いながら来て、この通常国会でとうとう取り逃がしてしまった。この通常国会で本当は絶対に引きずり降ろしたかった。それができなかった悔しさがあります。一緒に運動をしてきた全国の仲間もそう思ってやってきましたので、やっぱりもやもやとして、これ以上はダメなのかな、わたしたちの目の前にある安倍という壁はすごく厚いのかなとみんな思うんですね。いまそういう気分でいる仲間たちが結構いると思います。
ときどき各地で、先日韓国から来た仲間との話をします。韓国の仲間が、自分たちも朴 槿恵との戦いの中で、本当にこの政権を倒せるんだろうかと思う局面が何度もあった、と話します。韓国もだーっと進んでいって、バタッと朴 槿恵が倒れたわけではありません。韓国の戦いも、押したり引いたりすごく大変で、この権力を打倒するという市民の運動の相手の壁の厚さは本当に大変だと思うことは何度もあった。もう無理かなと何度も思った。だから日本のみなさんがときどきそうお思うのは当たり前だよと激励してくれました。それでも最後まで頑張って自分達は倒せたんだから、きっと日本のみなさんも大丈夫だよと激励してくれましたけれども、やっぱり壁は厚いという感じはありますよね。そういう安倍政権を相手にしてこの196通常国会は終わったわけです。もう一回、どうやって安倍政権を倒すのかということを考える上でもう少し冷静にいろいろ考えてみたいと思います。
安倍さんの売り物は、アベノミクスと外交の安倍のふたつですよね。地球儀を俯瞰する外交といって地球儀をいつも見ながらなんでしょうか、世界各国を飛び回っている「外交の安倍」。そしてもうひとつはアベノミクスですね。最近アベノミクスという話を聞いたことが何回ありますか。わたしたちが批判で言うことはあっても、マスコミとか新聞でアベノミクスというのはほとんど出てこない。安倍さんの口からも出てこない。もう完全に破綻していて、彼は自慢できない状態にある。財界からももうこれではダメだとみんな思っている。経済同友会の軽井沢の合宿の話を出しておきました。アベノミクスの結果、日本の国家財政がめちゃくちゃになってしまって、これをどうするのかと経済界はすごく心配しています。アベノミクスで第一の矢、第二の矢、第三の矢、撃ったはずの矢がどこに飛んでいったかわからない、どこで折れているかもわからない、次の矢は出てこない。そいうアベノミクスの状態ですから、もうどうしようもない。
もうひとつは外交の安倍です。これまで何十ヶ国歩いて、どれだけお金をあげると約束したかのデータもありましたよね。膨大なお金を外国につぎ込んだけれども、肝心要の日本周辺の東アジア外交で安倍外交がどんなにまずかったかということが最近露呈してしまったわけです。運動仲間の冗談で、ときどき安倍さんがいろいろな失敗をすると北朝鮮がミサイルを撃ってきたりして、「なんか北朝鮮に助けられているんじゃないか」なんて言う人もいないわけではなかったほど、安倍さんは北朝鮮のミサイルと核実験を理由にして、国内政策も防衛力強化も、いろいろなことで北朝鮮を敵視して、これと戦えるのは安倍晋三内閣しかいない、安倍晋三内閣をみんなが支えてくれないとこの日本は危ないんだ、「国難だ」とずっと言ってきたわけです。
あの蓮池透さんが言うように、安倍さんは政治家になったときから拉致問題を使うことによって自分の政治的なステータスをあげてきた。彼は総裁になって権力を維持するために拉致問題を利用してきたと蓮池透さんは非常に厳しく言います。そうなんですよ。だって彼が総理大臣になってから拉致問題は一歩でも動いたでしょうか。動いていなませんよ。拉致家族のみなさんがなんとしても助けたいと思って、安倍さんに頼るしかないので安倍さんを一生懸命支持している。見ていてかわいそうなくらい、むちゃくちゃですよね。安倍さんの外交に頼ることでなんとか拉致問題を解決したい。安倍さんはそれを言うことで、北朝鮮を敵視することで自分の政権を維持する。こういうことを繰り返しやってきたけれども、本当に馬鹿馬鹿しい話ですよね。北朝鮮の拉致問題を解決するのにアメリカに頼むしかないという外交は、最悪です。自分で直接話せばいいじゃないですか。少なくとも小泉純一郎のときはそうやったわけです。そういうことをやった歴代の首相はいたわけです。本当にこの拉致問題を解決しようとしたら、どうやって北朝鮮と話ができる関係にするのかということが政治の仕事だったわけです。それをやらないで北朝鮮敵視をずっとやってきた。これも外交の大きな失敗ですよね。
1971年から72年の頃、日本と中国がまだ国交がなかった時代。日本と台湾とが国交があって、中国大陸とは国交がなかった時代に、当時の日本の首相は安倍さんのおじさんの佐藤栄作でした。彼がその当時のアメリカと一緒になって、中国敵視政策といわれる中国と喧嘩をする政策をずっとやってきた。それを日本外交の基本方針にしてきました。ところが、ある日突然キッシンジャーというアメリカの国務長官が周恩来と会談し、あれよあれよと思う間にニクソンの米国と中国の交流が始まった。今回もそれにそっくりだと思うんですね。あの当時、日本と中国の国交が回復されればいいなと、若いなりに思っていたことがあって非常に印象に深いのですけれど、まさに頭越しですね。アメリカは日本に対してずっと中国を敵視する政策を進めろといってきて、佐藤さんがそれに従ってきたのに、あるとき自分の都合でぽーんとそれを変えてしまう。日本は置いてきけぼりにされる。今回はまったくそれと同じパターンだなと思いました。蚊帳の外といわれた。あのときの佐藤栄作さんがそうだったように、安倍さんはまったくそうだった。安倍さんがずっと言ってきた「外交の安倍」というのがここに来て大きく失敗してきていることは、安倍政権が実際上もう終わりだという話です。安倍さんが看板にした日露外交だって何もうまくいっていません。彼は北方領土を必ず返すとか、いろいろなことをやってきましたけれども、この5年あまりの中で日本とロシアの関係がどれだけ進んだでしょうか。ほとんど進んでいません。
ですから重要な外交政策で安倍政権は次々と失敗して来たけれども、これをメディアから見ると安倍さんは頑張ってやっている感がある。経済でもアベノミクスがここまで失敗したのに、何となく安倍さんだからいまくらいの経済で抑えられているのではないか、外交でもあの難しいプーチンと渡り合って17回、18回か、もっと多いかもしれない。新記録ですよね。それほど首脳会談をやっている。安倍さんなりに頑張っているという感覚があって、それをメディアが報道することによってこの安倍政権を支えている。
先ほど3つに加えてもうひとつ安倍政権が続いている理由を言うとすれば、メディアだと思うんです。私はメディア一般を批判することは、あまり好きではありません。新聞がでたらめだというのは簡単ですよ。しかし各新聞社の中にはわたしたち市民のことを理解してくれるいい記者もいっぱいいるんだから、マスコミはダメだと言い続けるのではなくて、その中でいい記者がいればほめる、良い記事があったらほめる。そして悪い記事だったら叩く、そういうふうにしてメディア自身をわれわれの方へ少しでも引きつけるようにしようということをこの間ずっと言ってきて、比較的わたしはそういうことを強調する方でした。しかしメディアが悪いです。本当に悪いですよ。
だって、天下のA新聞とか、天下のM新聞の編集長クラスの人たちが安倍さんとしょっちゅう会食をするわけでしょ。これはジャーナリズムの堕落ですよ。ジャーナリズムがこれをやってはいけない。ジャーナリズムは時の権力と緊張関係を保って、初めて権力を批判できる。新聞の存在価値ってそういうことじゃないですか。ところが定期的に安倍さんの方から誘われるんですよね。それで官邸の場合もあればどこかに行く場合もある。それをやりませんかと言われてほいほいと行くという今日のメディアの堕落というのは許し難いですよ。こうだから一生懸命現場の記者ががんばったってなかなかそうならない。この前の7月19日に8500人が集まった国会前集会、これには野党の4党と2会派の代表者がみんな来たんですよ。2会派は無所属の会と沖縄の風です。これが来て市民のところ出て手をつないだことだけでも、本当にこの時期大きなことですよ。そしてTPPとか労働法制、森友・加計問題とか、こういう大きな課題での全国的な市民のネットワークが22も集まって、総がかりと一緒に集会をやって8500人、あの猛暑の夜に集まったんですよ。韓国からいただいたキャンドルでみんなで行動した。本当にきれいだったですよ。新聞はこの運動について書かない。これはひどいですよ。
いまから2年前くらいはもうちょっと書きました。60年安保までさかのぼればもっともっと書いた。今回は毎日新聞と東京新聞が、それもカラー写真入りで書いてくれましたけれども、申し訳ないけれども小さいですよ。そうじゃなくて、この国会の最終盤であれだけ集まったら大事件なんですよ。野党がしっかり手をつないで市民と一緒にやる。新聞はすぐ野党は喧嘩していると書くじゃないですか。国民民主党と立憲民主党は喧嘩ばかりしているとか野党はばらばらだとか。じゃあ野党がまとまって市民と一緒にやったときも、そのくらいの見出しで書きなさいって私は思うんです。申し訳ないですけれども朝日新聞は一行も書かないんです。確かに今回モリ・カケのことで安倍さんにつぶされそうになったときに必死で喧嘩をやって、これはこれでえらいと思います。しかし安倍が倒れない4つ目の理由は、それはやっぱり言っておかないといけないかなと思います。
安倍さんはこの間朝鮮半島の緊張を利用して自分の政権を維持し、それが背後にいる日本会議にとってもっとも大事だった。しかし今回朝鮮半島には大きな変化が起こりました。とりわけ南北朝鮮の首脳会談、その結果出された板門店宣言と6月12日に行われた米朝首脳会談での共同声明、このふたつは本当に大きな意味を持っていて、私は何度でもこれを読み換えしてみる必要があるほどの文書だと思います。とりわけ板門店宣言の場合はどうしてこれが実現したのか。言うまでもありませんね、文在寅政権の主導によってこの板門店宣言が出されたのは間違いありません。去年の12月頃はどうでしたか。わたしたちが一生懸命心配していたのは朝鮮半島で戦争が起きるのではないかということでした。それは単なる杞憂ではなく、そういう状態にあり、非常に緊張した状態でした。それが平昌オリンピックとかいろいろな努力を通じて、冬から春になるにつれて、どんどん南北の関係が急速に雪解けをしていく中で、南北の首脳が会談をやって板門店宣言を出した。そのあとアメリカが朝鮮と首脳会談をやって米朝首脳宣言を出した。この宣言も細かく書いておきましたけれども、板門店宣言を前提にしてこれを支持している。板門店宣言を基礎にした米朝共同声明だったわけです。ですからこの板門店の地で行われた南北首脳会談というのは本当に歴史的な意義があったと思います。
「・朝鮮半島の完全な非核化を南北の共同目標とし、積極的に努力をすること・休戦状態の朝鮮戦争の終戦を2018年内に目指して停戦協定を平和協定に転換し、恒久的な平和構築に向けた南・北・米3者、または南・北・米・中4者会談の開催を積極的に推進すること・過去の南北宣言とあらゆる合意の徹底的な履行・高位級会談、赤十字会談など当局間協議の再開・南北共同連絡事務所を北朝鮮の開城に設置・南北交流、往来の活性化、鉄道、道路の南北連結事業の推進・相手方に対する一切の敵対行為を全面的に中止し、まずは5月1日から軍事境界線一帯で実施する・黄海の北方限界線一帯を平和水域にする接触が活性化することにより起こる軍事的問題を協議解決するため、軍事当局者会談を頻繁に開催。2018年5月に将官級軍事会談を行う・不可侵合意の再確認および遵守・軍事的緊張を解消し、軍事的信頼を構築し段階的軍縮を行う・首脳会談、ホットラインを定例化。2018年秋に文在寅大統領が平壌を訪問する」、ご存じのように朝鮮半島の場合は朝鮮戦争が休戦になって1953年に休戦協定が両方の間で結ばれただけで平和協定は結ばれていません。それからずっと70年近く、朝鮮半島は南北でお互いに銃口を向け合いながらそれを直接は大がかりには撃たない。ときどきバンバンということは何度かあったけれども、しかし大がかりな戦闘にはならないという状態だった。
わたしたちはともすると、南北朝鮮の間では戦争は終わったかのように、少なくともいま平和になっているかのように思いがちですけれど、この70年戦争は終わっていなかったわけです。お互いに銃口を向け合ってとりあえず双方の司令官が現場に対して「撃ち方止め」という命令を出した、その状態です。だから銃口は向けているけれども弾は撃たない、引き金は引かないという状態でずっと来た。本来これは平和協定になって、両方の間で平和条約が結ばれない限り安定した関係にならないけれども、南北の間ではそうではなかった。今回の板門店宣言では今年中になんとかいまの休戦協定を平和協定に転換しようという約束をしたという意味では本当に画期的な約束になったわけです。そして朝鮮半島の完全な非核化を南北の共同の目標とする、こういう確認も双方でなされました。これもメディアの報道には非常に問題があると思っています。
日本の新聞はほとんど「朝鮮半島の非核化」と言いません。「北朝鮮の非核化」と言いますね。ほとんど用語はそうでしょ。南北で話し合ったりアメリカと朝鮮が話し合っているのは北朝鮮の非核化、だからこれから北朝鮮の非核化をどうやるかということが問題だということを、日本の新聞、テレビも含めてキャンペーンをしている。でも南北で話し合ったのは「朝鮮半島の非核化」です。北朝鮮だけではありません。南も含めて、そして黄海一帯も含めて非核化をするというのが南北首脳会談で話し合われていて、米朝首脳宣言はこれを引き継いだのですからアメリカもこう言っているわけです。朝鮮半島の非核化です。どうして日本はそう書くんでしょうね。私は本当におかしいと思います。北朝鮮の非核化と朝鮮半島の非核化と言うのはどれだけ大きな違いがあるかというのはみなさんおわかりだと思います。
今回の共同声明はこういうことでした。米朝共同声明の要点の引用をしておきました。「1 米国と北朝鮮は、両国民が平和と繁栄を切望していることに応じ、新たな米朝関係を確立すると約束する 2 米国と北朝鮮は、朝鮮半島において持続的で安定した平和体制を築くため共に努力する 3 2018年4月27日の「板門店宣言」を再確認し、北朝鮮は朝鮮半島における完全非核化に向けて努力すると約束する 4 米国と北朝鮮は(朝鮮戦争の米国人)捕虜や行方不明兵士の遺体の収容を約束する。これには身元特定済みの遺体の即時帰国も含まれる」だからいま、この南北の朝鮮とアメリカの間で目指されている、この両方で合意をして努力が始まっていることは朝鮮半島の非核化と朝鮮半島の平和協定、停戦協定ではなくて平和協定、それに向かって進んでいく。たぶんその先にはアメリカと北朝鮮の国交正常化という問題も出てくると思います。そういう問題で歴史が動き始めたわけです。たったこの半年ですよね。わたしたちも国会前で集会をやるときに「朝鮮半島で戦争を起こすな」というスローガンを何度も叫びました。そして挑発をするな、話し合いで解決しろという要求を去年は一生懸命やった。それをいまは言わなくて済むところになった。大変大きな変化だと思いますね。
ところが安倍さんの政権はこれを本当には喜んでいないんですね。一度6月12日の米朝首脳宣言が中止になりそうだとなったときに、世界の中でもっとも早くその中止を支持した。ドイツなんかももっと話し合いをやれ、中止すべきじゃない、そういったんですね。北朝鮮なんて信用できないからそう簡単に乗るべきじゃないというのが安倍さんだった。ところがそのあとトランプさんがやっぱり話し合いをするとなったら、またそれを「支持します」と言う。安倍さんのこの間の朝鮮半島に対する政策の一貫性なんてまったくない。めちゃくちゃでつじつまが合わないことをこの間繰り返してきた。その本音にはやっぱり北朝鮮に対する敵視であり、本当に朝鮮と和解して東アジアに平和な状態をつくろうと安倍さんが考えているのかどうかという問題があると思っています。
昨日のNHKでは防衛白書の素案を報道しています。この素案を見ると、それなりに今回の米朝首脳会談の意義は大きいと書いています。大きいと書きながら、北朝鮮をめぐっては、日本を射程に収める弾道ミサイルの実戦配備の現状などを踏まえれば、「これまでにない重大かつ差し迫った脅威であることに変化はない」として、弾道ミサイル攻撃への総合的な対処能力を強化していくとしています。さらにこの素案で北朝鮮をめぐっては、先月の米朝首脳会談で「キム・ジョンウン(金正恩)朝鮮労働党委員長が、朝鮮半島の完全な非核化に向けた意思を文書の形で明確に約束した意義は大きい」としています。一方で、日本を射程に収める弾道ミサイルを数百発、実戦配備し、核・ミサイル開発を進展させてきた現状を踏まえれば、「日本にとって、これまでにない重大かつ差し迫った脅威であることに変化はない」と指摘しています。そして、新型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」の導入などを通じて、「弾道ミサイル攻撃への総合的な対処能力を強化していく」としています。また、中国については「国防費の高い水準での増加を背景に、核・ミサイル能力や海上・航空能力を中心とした軍事力を広範かつ急速に強化しており、今世紀中頃までに世界一流の軍隊にする目標を持っている」と指摘し、「地域や国際社会の安全保障上の強い懸念」だとしています。
だから、南北が話し合っても米朝が話し合っても、やっぱり日本にとっては変わりがないと言いたいわけです。イージス・アショアってなんのためにやるんでしたっけね。1基1,000億円、秋田と山口に配備するので2,000億円です。日本を通り越してアメリカまで北朝鮮のミサイルが飛んでいくときに、それをとにかく撃ち落とすためにこれだけのお金をかけてやるわけです。アメリカに買わされて、契約してから実際に日本に来るのは5年後という、ずいぶん先ですけれども。何か今にも戦争が始まるような話をして、イージス・アショアを入れようとしている。これはいらなくなったわけです。あるいはこれがいらない方向で話が進んでいるわけです。心配だったら防衛白書に「これは完全にそうは言えないかもしれないけれども」、と書くならまだわかりますよ、しかし、もうこういうものはいらない時代になりましたということを防衛白書は書けないのですよね。これは安倍政権の本音をあらわしているところなんです。
朝鮮半島の問題というのはなかなかわたしたちにとって難しい問題があります。これはいろいろな説がりますけれども、あの38度線で朝鮮民主主義人民共和国と大韓民国が分かれていますよね。どうしてああいう状態になったのか。1945年に日本が敗戦を迎える。普通に考えれば、そこで日本の帝国主義・軍国主義が敗北して植民地を放棄したわけですから、そこから朝鮮は独立する。これが当たり前と言えば当たり前なわけですね。しかし歴史はそうは行かなかった。ほんの一時期日本の敗戦と植民地支配の撤退という直後に、朝鮮で南北統一政府の動きが起きました。それはほんの一時期ですけれども、有名な李承晩が首相だったか大統領だった。そしてあとで殺されてしまう呂運亨が副首相だった。さらに、当時中国かソ連から帰ってきた金日成がその政権の幹部ですね。事実上の連合政権のようなものが短期の間に生まれたことがあります。これで進んでいけば、朝鮮半島の分断は避けられたのかもしれません。しかし、ソ連もアメリカもこの政権は認めませんでした。いろいろな理由があります。
その理由のひとつとして、本当にそうかどうかということは若干問題がありますが、日本の軍隊で満州を占領していた関東軍があります。この関東軍の担当地域は朝鮮半島の38度線以北、満州、中国東北部だった。そして38度線以下は、日本の朝鮮軍――朝鮮支配のための軍隊があった。だからあの当時の帝国日本陸軍は、朝鮮半島を事実上ふたつに分けて支配していた。それで38度線だと言われます。関東軍はソ連軍に敗北して逃げるわけで、ソ連は関東軍が支配していたところ、38度線まで支配しようとする。アメリカはそうはさせるものかということで、日本の朝鮮軍が支配していたその地域を支配する。ですから、一時新しい政権ができそうになった直後に、アメリカとソ連の大国の利害によって朝鮮半島が分断されるというところから始まって、そのあと朝鮮戦争に入り1953年の停戦にいたる。そういう経過に見ることができる状況があります。いずれにしても、朝鮮半島が分断されたことについては、直接日本の植民地支配に責任があります。帝国日本軍は朝鮮半島をもともと分断して支配していた。そういうやり方をとっていたことが、その後の朝鮮の今日まで続く遠因になるのではないか。単に植民地支配していたというだけではなくて、分断そのものに対する大きな責任が日本にはあると私は思っています。
朝鮮戦争を経て、休戦協定ということになってからずっと朝鮮半島は分断されてきましたが、日本政府は1960年代に韓国と国交を結びます。あの当時の朴正煕政権、あの朴槿恵の父親です。朴正煕軍事独裁政権との間で日本は国交回復、国交正常化をします。あの当時いろいろな人が日本国内で日韓協定反対という運動をずいぶんやりました。私も学生でしたが日韓協定反対のデモに参加したのをおぼえています。しかしそういう中で日本は韓国とだけ協定を結びます。そのときは、これも架空の話ですけれども、日本政府は韓国を朝鮮半島全体の政治支配者として扱って、日本と韓国の国交回復をやりました。実際には北朝鮮との国交回復はされないままずっと今日まで続いています。日本と韓国が国交回復をしたときには経済的な問題とか植民地支配の責任とか、いろいろな問題について日本と韓国が協定を結びます。本当に植民地支配に対する経済的な責任を果たしたのかとか、そういう問題がありました。
また日本のメディアの話になります。いま安倍政権は、北朝鮮と国交正常化をするにしても、その経済的な補償の責任――日本政府の言う経済援助(日韓協定の時にそういう言葉を使った)は、拉致問題が解決してからだ、この拉致問題が解決しない間は経済援助をしないんだというふうに、安倍政権も言い、日本のいくつかのメディアも言います。それは違うんですよ。国交回復を進めていくときには、日本が北朝鮮を含めて植民地支配していたことに対してどう補償するかという問題と、その後の過程で起きてきた拉致問題を前提にしての国交回復ではないでしょう。私は同時並行、一体化して進める以外に方法はないと思います。安倍内閣は実際にはあまり進めたくないものですから、拉致問題が解決しない間は経済的な支援はしないということを最近でも繰りかえし言っています。日本のメディアの報道を聞いているとそれが当たり前な感じで言われるので、ここも大きな問題があるところだなと私は思っているところです。
拉致問題を解決するに当たって、日本と北朝鮮が話し合わなければ解決しようがないというのは子どもから見ても明らかですよね。アメリカを通してなんて伝言ごっこじゃないんですから。こういうことを繰り返しているのでは日本と北朝鮮の関係の正常化なんてできるわけがありません。国交正常化のためにどうやって日本と北朝鮮の直接の対話のルートをつくっていくかということが非常に大事なことです。それは新しいことではなくて、小泉内閣の時にすでにその方向は決めて、日本と北朝鮮両国が確認しているわけです。その方針が平壌宣言としてあります。この平壌宣言に基づいて安倍内閣は日本と北朝鮮の国交正常化の問題などを解決していけばいいわけです。しかし先ほどから言ってきているような意図があってなかなかそこに踏み込まないというのが現状です。日本と北朝鮮の関係が非常に悪くなって緊迫したときに、北朝鮮の方も平壌宣言なんて過去のものだと言ったことは何度もあります。しかし北朝鮮は結構そういうことを言いますね。それは北朝鮮も本当に平壌宣言を過去のものだと考えているわけではなくて、いま日本と北朝鮮がなんとかコンタクトして関係を正常化に持っていくとしたら、小泉内閣の時につくられた平壌宣言に基づいてやるしか方法がないのではありませんか。
私たち市民連絡会は憲法の問題を直接テーマに20年あまりやってきていますが、憲法の問題を考えるときにいくつか心しておかなければいけないなと思っていることがあります。憲法の運動というのは憲法を変えられないようにする、憲法を日本の社会の中に活かしていこうという運動ですので、どうしても視野が一国的になりがちです。東アジアとか国際的な視野というのは憲法運動の中では育ちにくい傾向があります。私はそれは間違いだと思っているんです。日本国憲法というのは非常に国際的な憲法です。日本国憲法の前文では、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。」これは見事な国際主義ですよね。平和的生存権と呼ばれることで非常に有名な規定です。これが平和的生存権の規定でもあるわけですけれども、非常に国際的な視野を持った憲法です。
そして憲法9条もそうです。「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」国際主義の問題が日本国憲法の中ではこういうかたちで非常に重要な強調になります。しかしなかなか憲法をやっていると国際主義のことを考えられないことが往々にしてあります。この間わたしたちは韓国から大先輩の金泳鎬先生という、金大中政権のときの経済通産大臣をやっていた方をお招きして、どうやって東アジアの平和をつくっていくかという話し合いをやってきました。その積み重ねの上で、例えば今年は総がかり行動では3月と5月に韓国に行きました。安倍改憲に反対する運動が、どうして韓国とか東アジアなどの問題を考えなければいけないのかというのは、まさに9条の考え方そのものが国際的な平和と共生ということを考えることなしには成り立たないからです。
憲法ということでどうしても一国主義的になりがちな傾向をわたしたちは何とかして克服して、運動を国際的にも広げることで9条を実現する、あるいは9条を変えさせないという運動をやらなければいけないなと思っています。ただ日本国憲法をみるとこれは翻訳の問題もあってずっと議論になっていることですが、「日本国民は」と言う言葉がずっと出てきます。国民の憲法として出てくる。この問題は今日の主要なテーマではないけれども、考えなければいけない問題があります。英文の「people」が「国民」と訳されて以降、それからわたしたちの運動がもっているひとつの問題点のようなものがあるかなと考えていて、この憲法を変えさせないという運動は、決して日本国民だけの運動ではないことを私はいま非常に痛感しています。
例えば、この日本社会で在日韓国・朝鮮人の人たちが数10万人います。それだけではなくて、国際社会となってこの日本社会に外国の人、日本国民じゃない人がたくさん入ってきています。こういう中でわたしたちの憲法運動が、もし日本国民だけをターゲットととするような運動、あるいは在日の人やたくさん入ってきている外国の市民の心に響かないような運動をするとしたら、それは正しくないと思います。わたしたちは往々にして、ほかに言いようがないものですから「国民」という言葉をしょっちゅう使います。私はなるべく「国民」という言葉を使わないようにしています。「市民」という言葉であらわすことができればできるだけ「市民」、あるいは主権者とかいろいろな表現で、できるだけ国民という言葉を使いたくない。だって在日の友達のことを考えたら、わたしたちが一生懸命「国民、国民」と言っているとき、悲しいと思いますよ。あの人たちの中には、わたしたちのことは頭にないのかなと思うかもしれない。私たちは在日の人たちも一緒に運動をやっているし仲間だと思っているのに、表現するときには「国民」と言ってしまう。これは日本国憲法の運動から来るわたしたちのマイナスなんです。
先ほど言った金泳鎬先生などとアジアの平和と共生をどうやってつくるかという議論を、この憲法の市民運動はやってきました。本当に北東アジアは唯一残った冷戦地帯でした。東西ヨーロッパの冷戦が終わって冷戦の残りが朝鮮半島にある。まだ台湾海峡の問題もある。日本の市民運動が、どうやって平和と共生の東アジアをつくっていくのかという大きな展望と構想を持ちながら、目前の安倍内閣打倒の運動も頑張っていく必要があると思います。その中で非常に大きいのは、北東アジアの非核兵器地帯構想の問題です。北東アジア、朝鮮半島の南北と、せめて日本海、黄海のあたりですね、この地域を非核地帯、非核兵器地帯にしようではないか、そういう展望を持ったいまの平和運動、憲法運動がどれだけ大事なことか。そしてこの北東アジアの非核地帯というのは、最先頭を行くのではなくて、むしろ世界の中では一番遅れている。ほかはかなりできてしまっています。
どこに非核兵器条約があるかということを資料に並べておきましたから、それこそ地球儀を俯瞰しながら見て下さい。そうするとイスラエルの周辺、欧州、それから日本と朝鮮半島の周辺、この辺ができていませんね。もちろん米・ロとかそういう大国のところは別ですけれども、ほとんどのところで非核兵器地帯ができて、それらの国々に、大国はそれを保障しますということで認めさせられています。ある地域で10ヶ国なりが集まって、非核兵器地帯にするからアメリカとロシアと中国はこれを認めなさい、イギリスとフランスはわれわれのそうした権利を認めなさいと要求してそれに調印するというような運動にこの間ずっとなってきています。ですからアメリカとロシアが莫大な核兵器を持って核戦争何分前という話もありますけれども、しかし地球の上ではそういう非核地域がたくさんできつつある。その最後の大きな穴の空いているところがこの北東アジアです。
今回の南北朝鮮の会談と米朝首脳会談によって、北東アジアで非核兵器地帯をつくる可能性が非常に大きく出てきたと思います。繰りかえし言いますが、約束したのは朝鮮半島の非核地帯です。朝鮮半島全体、だから話が進んだら、韓国にアメリカが持っているかもしれないという核兵器、これも撤退しなければいけない。そして日本はどうですか。恥ずかしながら日本は非核三原則という国是があります。「核兵器をもたず、つくらず、もちこませず」、という国是の3原則です。日本の中では核兵器はないはずです。この日本と朝鮮半島が非核を宣言したら、当然日本と朝鮮半島の間にある、いま航空母艦とかが泳ぎ回っている日本海、この一帯も非核兵器地帯になります。そして朝鮮半島の西側にある黄海の一部、中国までは行きませんけれども、そこも非核地帯になる。これが現実のものになる可能性が非常に出てきたと思います。日本は国会でも何回か非核3原則を決議し、そしてこの非核兵器地帯の重要性まで国会で決議しているんですよ。
こういうことを考えながら今度の南北首脳会談とか米朝首脳会談を考えていけば、すごく夢が出てくると私は思います。ロシア、中国、アメリカに、即、非核地帯というのは難しいです。いずれ、将来はそうしたいですよね。人類はどこかでやってもらわなければいけない。しかしとりあえずこの北東アジア非核兵器地帯というのを、もし日本と朝鮮の国交とかそういうことが進んでいったら、この大国に「ここには持ち込まない」、「ここにいる人たちの非核兵器を尊重する」、「自分達もこの地域では使わない」、そういう約束をすることは可能です。世界のいろいろなところでやってきているわけですから。私はこの東アジアの非核兵器地帯という展望を持ちながら、どうやって日本で憲法9条を実現していくのか、そうした運動をつくっていかなければいけないかなと思います。
東南アジア友好協力条約というものがあります。これは核の問題だけではなくてもっと広範な問題で、東南アジア各国が友好協力条約を結んでいます。昔はASEANといってアメリカのための軍事条約で、中国やソ連に対抗するための軍事条約の国々だったけれども、その後の国際情勢の変化の中で東南アジア友好協力条約に変わっていきます。この東南アジア友好協力条約のようなものを、さきほどの非核地帯構想の上に北東アジアでつくることができるとすれば、この東北アジア、東南アジアそして東アジアはもっと平和な状態になっていくと思います。これは決してわたしだけがいっているのではなくて、例えば日本共産党も北東アジア平和協力構想を打ち出していますし、そのほかの政党でもそういう主張をしているところがあると思います。いずれにしても、現実に東南アジア友好協力条約というものがあるわけですから、これをモデルにしながら北東アジアの平和と共生をどうやって作り上げていくかということが非常に重要な課題ではないか。金泳鎬先生とはこの東アジアの新しい市民社会というものを構想してつくっていくような、とりわけ日韓の民衆の大きな運動をつくりたいねとこの間ずっと話をしてきたところです。安倍政権退陣のためのたたかい
では、安倍政権を倒す闘いをどうやってやるのかについて話していきたいと思います。自民党は今年3月の党大会で9条への自衛隊明記など改憲4項目の条文素案を発表しましたが、発議権を有する国会は参議院が2月に憲法審査会を開いたきりで、衆議院では実質審議は開かれていません。この196通常国会で、自民党は改憲案を提出できませんでした。自民党は、改憲手続き法――いわゆる国民投票法ですが、その一部修正を呼び水にして憲法審査会を動かそうとしましたが、失敗しました。安倍さんは昨年の5月3日に9条改憲を言って以来、今年の通常国会で、この改憲案を議論することをずっと狙ってきました。ところが、なかなか自民党に自身の案がまとまらない。いろいろな抵抗があって、結局3月に開いた自民党大会でも条文がまとまらず、この国会では憲法改正案を出して議論することはできませんでした。国会が終わりましたから、このあと9月の下旬くらいから総裁選が終わって、安倍さんがもし3選したらそのあと臨時国会を開いて、そこから憲法の議論を始めたいというのが、安倍さんがいま、遅れに遅れた中で考えている計画だと思います。
臨時国会というのは9月末にやるとして、10、11月と3ヶ月弱しかない。その3ヶ月で憲法改正案を採決するというのは絶対無理ですね。「絶対に」と言ってはいけないので99%無理です。安倍さんのことだから、いままでの常識で考えられないことをやるから、絶対にとは言えないけれども、憲法改正を3ヶ月で決めるというのは、それは無茶ですよ。戦争法だって2年かかった。2014年7月に閣議決定をして、2015年9月19日まで。閣議決定する前からずっと議論しているわけです。戦争法だって丸2年かかったのに、憲法9条を変えるということを3ヶ月でやるのは無理です。もちろんやれないことはありません。3分の2を持っているんですから。カジノ法だって、公選法改悪だって強引にやってしまいましたから。でも私はほぼ無理だと思います。
というのは、憲法はカジノ法と違って決めたあと国民投票をやらなければいけません。国民投票で改憲派が勝たないと、採決する意味が何もない。カジノ法は今回これで終わりです。労働法制の働き方改革というむちゃくちゃな労働者を苦しめる法律も、強行採決してしまえば終わりです。そのまま法律になります。しかし憲法はそうはいかない。そうすると、この憲法という問題を3ヶ月もかからないで強行採決したということになったら、これは先ほどから散々悪口をいっている日本のメディアも「いくらなんでも、それはいくらなんでも」という話になると思います。
だって強行採決をやった直後に国民投票をやって、勝とうというのはほとんど無理ですよね。これが絶対大嫌いなのは公明党ですよ。今度の国会でも自民党の案を審議に入ることを陰に陽に抵抗して、ずるずるとした。この秋の臨時国会でもし強行採決をするとしたら、来年春には統一地方選挙があります。統一地方選挙というのは、公明党はものすごく大事にするんです。その地方選挙の前に強行採決をやって、国論を二分する憲法問題で大騒ぎした。それも公明党は自民党の側だ。こういう印象で統一地方選挙には絶対入りたくない。さぼるんです。今回のカジノ法をこんな短期間でなぜ強行採決したか。公明党が頼んだんです。来年までこれをもっていって、カジノ法をやった直後に統一地方選挙になったらダメだ。創価学会は博打をやってはいけないことに決まっているんですから、創価学会は動きませんよ。だからほとぼりが冷めるように、この時期になんとしてもやりたかった。自民党と公明党の駆け引きもいっぱい出てきます。
私の判断では、「安倍だから」ということで99%といいますが、ほぼ秋の臨時国会で強行採決は不可能です。ただし、「安倍晋三は9月の自民党総裁選で圧勝し、臨時国会でも自民党改憲派の審議を促進して、遅くとも来年通常国会早めに発議に持ち込みたいという野望を捨てていない。今後警戒心を高めこれへの反撃が必要だ」と思います。この臨時国会では無理だろうけれども、臨時国会で何10時間議論したということで、来年初めに憲法を変える3分の2で国会の議決をすることはありえないことではありません。しかしこれもほとんど離れ業ですよ。公明党が抵抗する。自民党内のいろいろな勢力も抵抗する。「そんな無茶をやってはいけないよ」という話になりますから。
そうすると3月の統一地方選挙前には発議できないか、すごくできにくくなるという、そういう想定が出てきます。3月にやらなかったらどうなるかというと、5月1日は天皇代替わりです。天皇代替わり、進めたい人にとっては国を挙げてのお祭りにしたいわけです。前の天皇の時は亡くなったときの代替わりだったから、かなり暗い雰囲気だったですよね。歌舞音曲の禁止までやられた。今度は底抜けの大騒ぎですよ。日の丸が国中にあふれるようなことになると思います。このときに国論を2分する憲法の議論をやれますかね。これは日本会議に言わせればなんていうのでしょう。不敬、不忠者とか。それは天皇に失礼だという話になりますよね。ということは、5月の天皇代替わりに前後するところまでは、安倍さんにとっては改憲の発議をすることはものすごくきつい。この前提にはもちろん国会の中で抵抗し、わたしたちも国会の外で抵抗することがあります。これがなかったらすっと持って行ける可能性はありますが、私たちは必死で全力を挙げて闘いますから、そうすれば5月までは非常に難しい。
そうこうするうちに7月の参議院選挙になる。2016年の参議院選挙のときには32の1人区でみんな統一候補を立てて、野党が一本化して自公と戦いました。十分な勝利を得ることはできませんでしたけれども、わたしたちが来年7月の参議院選挙でそうした戦いをやって、自公両派で3分の2を持っている状態を打ち破る事ができるとすれば、今回の改憲はこれで終わりです。改憲の前提は衆議院と参議院で3分の2を持っていることです。
もし参議院選挙まで発議が延ばされるようなことがあれば、参議院選挙でわたしたちがどういう戦いをやるかということです。この参議院選挙で勝つということは決して容易なことではありません。参議院で野党が多数派を取ると言っている人がいますが、私はそこまで残念ながら言い切れない。多数派は無理でも、3分の1以上はとりたい。絶対に改憲を阻止するだけの数を取りたい。2016年の、野党が1人区で一本化した選挙でもそれはできなかった。では、どういう戦いをやったら、2019年は3分の1以上を取れるのかという話になると思います。あまり良くない話が結構ありますね。すでに民進党は壊れて、立憲民主党と国民民主党の厳しい戦いがあります。人によっては、国民民主党は野党なのかという話もある。だから野党がいま必ずしもまとまっていない。32の選挙区で一本化できるかどうかというのはなかなか難しい。
そして市民連合。市民連合はあのときは新鮮で、魅力があった。野党は共闘しろという、市民が独自にわっと出てきてそういう運動になった。ところがあれから2年半たったいまは、当たり前になっている。マスコミから見ても世間から見ても、市民連合はそんなに珍しくない。「ああ、あれね。当たり前ね」という感じです。市民連合が野党共闘しろというのも何となく当たり前という感じで、あのときとは迫力が違いますよね。新しく出てきて、あそこも一本化した、ここも一本化したと次々ネットで報告されて、みんながわーっと盛り上がりながら参議院選挙をやった。ああいう盛り上がりをもう一回ここで作り上げることができるかどうかということが、いまから来年の夏までの戦いの課題のひとつだと思います。
ただ、この前の7月19日の国会前、先ほどもいいましたようにいろいろ難しい問題はありますけれども、4党とふたつの会派が市民と野党は共闘しようと叫んでいったんですよ。誰か国民民主をやじった人もいましたけれども、「しっかりしろ」と。やじりたくなる気持ちもわかりますよ。けれども、ともかくもそこでみんな一緒にやろうということを約束して帰った。だから全然展望がないということではありません。市民連合ともう一回強固な共闘をつくって、前回は1人区だけだったが、今度は2人区、3人区でも野党の側が統一候補を立てるように。前回の場合は、2人区は野党から2人出てしった。そうすると負けてしまったりするんですね。だから野党の方が統一候補を出せるような状態にまで、複数区でももっていくことができるかどうか。そういうことを含めて結構難しい課題はあります。さらに政権構想をどうするのかとか、詰めなければいけない課題はいっぱいあります。
ただし全国でこの前の衆議院選挙、あんな急ごしらえの戦いの中でもあそこまで戦った。その人たちが全国でいま3000万署名の先頭を切っていますから、私はこの運動がいま継続していることに非常に希望を持っています。もう一回巻き直して、せめて3分の1は打ち破る。そうなると安倍政権は倒れると思います。あっちが3分の2近くとっても倒れると思います。安倍政権にとって敗北です。安倍さんは、この間国政選挙は補欠選挙も含めて5連勝している。自民党の中では選挙に強い安倍ということになっています。自民党の議員たちが選挙に強い首相を担いで戦うというのは、自分が当選できるかどうかのすごく深刻な問題です。わたしたちが、選挙に強い首相ではないということをつくることができれば、打ち破ることができれば、安倍政権は倒れると思います。すでに自民党の中心的な幹部でも、「安倍さんは選挙に強いけれども、一回でも負けたらそれで終わりだよ」、こういうことを平気で言う幹部がいます。実際そうなんです。一回でも安倍さんが3分の2を割ったら敗北です。これをやったら改憲のホープじゃなくなります。こういう状況をわたしたちが作り上げられるかどうかということが当面の大きな課題ではないかなと思います。
改憲反対の全国3000万署名をやっていて、公式に発表したのは1350万、4月末に集めて国会に提出したと発表しています。団体によっては1500万とか、いろいろ発信していますが、市民アクションとしてそれを確認はしてはいません。署名の集約というのは本当に難しいのです。全部どーんと届けられると、置く場所もないから困ってしまいまして、労働組合さんとかは各県などの単位でかなり抱えています。いまここまで来たという報告は来ますし、ときどき私たちの方からも聞きます。それでだいたいどうなっているかと見当はつくけれども、いずれにしてもわたしたちは、これを2000万、3000万と改憲発議を阻止するまで、目標を達成するまで続けようということで全国に呼びかけている最中です。こういう運動と、例えば19日にやったような国会の行動、同じような行動を北海道とか大阪とかいろいろなところでやっていて、こういう国会外での市民の抵抗闘争をしっかりやりながら、さきほど言ったような選挙の準備をしていく。車の両輪と言っていますけれども、この両方のどちらかだけではダメだと思っています。このふたつをこの秋に前進させながら、何とかして安倍政権による改憲の国会発議を止めたい。国会発議を遅らせに遅らせて失敗させるのか、あるいは選挙で打ち破って安倍政権を倒すのか。どちらになるのかはこの先やってみなければわからないことですけれども、そういうかたちで運動を進めていきたいと思っています。
最後に改憲を阻止するというのは、最後は国民投票がある。ならば国民投票のところで頑張ればいいじゃないかという話があります。よく言われる話しです。これは、今日は説明しきれませんけれども、国民投票はそんなに簡単に勝てるものではありません。確かに世論では9条を変えるなという人は依然として6割近くいますから、それがそのまま反映すれば国民投票ではわたしたちは多数派になります。けれども、この法律をつくったのは自民党です。そして国民投票の時期を選んで仕掛けるのも自民党、公明党です。この法律にはいっぱい落とし穴があって罠があります。彼らがつくった法律がわたしたちにとっていい法律であるわけがありません。それはそういう仕組みで作ってきた。それを暴露する戦いをずっとやってきましたけれども、とんでもない法律です。そしていつ国民投票をやるかという時期の判断をするのも、自民党、公明党です。勝てそうなときしかやりません。いま投票されたら危ないと思うときは、自民党は絶対国民投票をやりませんよ。当たり前ですよね。国民投票で負けたら大変なことになるわけです。だから彼らが国民投票に踏み切ったときは、自民党は勝てそうだと踏んでいる。100%ではないにしても頑張れば勝てると踏んでいるときです。
逆に言えばわたしたちにとって大事なのは、いま国民投票に踏み切れないという状態、改憲の発議なんてやれないという状態をどうつくるかなのです。「最後は国民投票が勝負だよ」ではなくて、改憲発議、国民投票に持ち込ませない状況をどうやってつくるか。それをやりたいのに、自民党から見ていまは無理だと思わせる状況をつくる。それがいまのわたしたちにとって非常に大きな課題ではないかと思います。この夏の間、全国的に反戦平和運動の夏になります。広島・長崎を始め全国でこの時期に反戦平和の問題に大きな関心が集まります。この時期にわたしたちは、暑いですけれども、署名などを含めてこの反戦平和の流れで一緒に頑張る。そして秋の臨時国会で今日申し上げてきたような態勢をつくる。国会の外でも大きな運動を、国会の中では野党を結束させる。そうしたかすがいのような役割に市民運動がなって、安倍さんを本当にここでぎゃふんと言わせる。この通常国会でどうしても倒せなかった安倍さんをもう一回倒すために、気を引き締め直して秋に頑張りたいと思っています。
土井とみえ
東電福島原発事故の強制起訴裁判が東京地裁で行われている。昨年6月30日に初公判が開かれ、今年1月の第2回公判以降7月27日で第23回公判となった。4月からは月に4~5回のペースですすんでいる。この裁判はいうまでもなく東京電力の福島原発事故責任を問うもので、東電が福島第1原発で最大15.7メートルの津波が想定されると試算した2008年(平成20年)当時に経営の最高責任者だった勝俣恒久元会長と、原子力立地本部の本部長だった武黒一郎元副社長、そして副本部長として原発の安全対策をしていた武藤栄副社長の3人が被告である。
裁判は、(1)巨大津波を予測できたか(具体的予見可能性)と、(2)有効な対策は可能だったか(結果回避可能性)で争われ、業務上過失致死傷罪を求めている。公判では地震の専門家や東電職員がつぎつぎ証言している。元原子力規制委員会委員の島崎邦彦東大名誉教授や、予測評価にかかわってきた気象庁の職員や歴史地震の研究家は、長期評価に科学的根拠があったとしているが、別の研究者は長期評価の根拠は乏しいと述べた。回避可能性についても、島崎邦彦氏は長期評価をふまえた対策をとれば、事故は起きなかったと述べたが、東電職員は長期評価で予想した津波とは波形が違うので事故は防げなかったと述べている。
この裁判は福島原発告訴団が2012年6月に東電の経営陣を起訴したが、東京地検は不起訴処分にした。告訴団は検察審査会に申し立て、検察審査会が2回にわたり起訴をすべきであると議決した強制起訴裁判だ。この間、告訴団は地検や審査への大衆行動をふくむ様々な働きかけをつづけ、ようやく2016年2月、裁判所から指定された弁護士による強制起訴裁判となった。しかし1年を過ぎても公判は開かれず裁判所への開始要請行動も続けられた。そして4月以降のスピードで公判が開かれている。
一方、この裁判の傍聴はなかなか異例ずくめだ。先日傍聴したときは、次のような体験をさせられた。傍聴希望の受付けは8時20分から開始され9時締め切りだ。従って地裁前集会は8時ごろから。首都圏の通勤ラッシュにもまれて到着するのは、体力的にもきついしストレスも受ける。しかし傍聴希望者は、これまではいつも定員より多く抽選になり、関心の高さを示している。抽選に当たっても10時開廷まで1時間、傍聴者には関門がつづく。
傍聴券を手にして裁判所の建物に入るには、先ず、いまは当たり前になっている、通常の持ち物検査と磁気検査を通過する。次に法廷の近くの廊下まで行くと、荷物のすべてを裁判所の係官に預ける場所が臨時に設けられている。50センチ四方くらいある透明の持ち手が着いたビニール袋にすべての荷物を入れさせられ、傍聴券と引き替えに番号札が渡される。次は、番号順で男女別に廊下に並ぶよう指示される。この後は一人一人が空港でやられるように、手を肩まで広げさせられて前と後から磁気検査をされる。その前に女性だけは、ハンカチなど身の回り品を小さなバッグに入れて入廷するという理由で、特別に持ち物すべてをトレーに広げるよう指示され、女性の係官から検査を受ける。私はハンカチと番号札だけだったが、ハンカチを広げるように言われた。一時はロングスカートの女性には裾を上げるよう指示されたときもあったが、これは抗議によって今はない。
こうしてOKとなったら、法廷につづく3~4メートル幅の廊下に並ぶように指示される。廊下にはテープで縦に線が貼られていて、一列目の人は壁に備え付けの長椅子に座れるが、2、3、4列目は先頭にテープで数字が貼ってあり、「2行目にお並び下さい」「3行目にお並び下さい」と並ばされる。ようやく傍聴席に入っても、法廷を仕切る柵の前には身体の大きめの廷吏が我々を睥睨し、目をあちこちに走らせ監視している。3人の被告が入廷、退廷するときには、柵の前に廷吏が3人並び監視を強める。これでは被告の様子が見えない。
法廷内にマイクロカメラや録音機などの電子機器の持ち込みを防ぐという理由のようだが、裁判の公開の原則に反しないか疑問がわく。被告の安全にも気配りするという理由だろうが、過剰警備が過ぎる。
秋からは被告への質問も始まる。引き続き裁判への市民の目を強く意識させるようにしていきたい。
2017年8月9日11時18分
この言葉は、未来に向けて、世界中の誰も、永久に、核兵器による惨禍を体験することがないように、という被爆者の心からの願いを表したものです。その願いが、この夏、世界の多くの国々を動かし、一つの条約を生み出しました。
核兵器を、使うことはもちろん、持つことも、配備することも禁止した「核兵器禁止条約」が、国連加盟国の6割を超える122か国の賛成で採択されたのです。それは、被爆者が長年積み重ねてきた努力がようやく形になった瞬間でした。
私たちは「ヒバクシャ」の苦しみや努力にも言及したこの条約を「ヒロシマ・ナガサキ条約」と呼びたいと思います。そして、核兵器禁止条約を推進する国々や国連、NGOなどの、人道に反するものを世界からなくそうとする強い意志と勇気ある行動に深く感謝します。
しかし、これはゴールではありません。今も世界には、1万5千発近くの核兵器があります。核兵器を巡る国際情勢は緊張感を増しており、遠くない未来に核兵器が使われるのではないか、という強い不安が広がっています。しかも、核兵器を持つ国々は、この条約に反対しており、私たちが目指す「核兵器のない世界」にたどり着く道筋はまだ見えていません。ようやく生まれたこの条約をいかに活(い)かし、歩みを進めることができるかが、今、人類に問われています。
核兵器を持つ国々と核の傘の下にいる国々に訴えます。
安全保障上、核兵器が必要だと言い続ける限り、核の脅威はなくなりません。核兵器によって国を守ろうとする政策を見直してください。核不拡散条約(NPT)は、すべての加盟国に核軍縮の義務を課しているはずです。その義務を果たしてください。世界が勇気ある決断を待っています。
日本政府に訴えます。
核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり、核兵器を持つ国々と持たない国々の橋渡し役を務めると明言しているにも関わらず、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません。唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への一日も早い参加を目指し、核の傘に依存する政策の見直しを進めてください。日本の参加を国際社会は待っています。
また、二度と戦争をしてはならないと固く決意した日本国憲法の平和の理念と非核三原則の厳守を世界に発信し、核兵器のない世界に向けて前進する具体的方策の一つとして、今こそ「北東アジア非核兵器地帯」構想の検討を求めます。
私たちは決して忘れません。1945年8月9日午前11時2分、今、私たちがいるこの丘の上空で原子爆弾がさく裂し、15万人もの人々が死傷した事実を。
あの日、原爆の凄(すさ)まじい熱線と爆風によって、長崎の街は一面の焼野原(やけのはら)となりました。皮ふが垂れ下がりながらも、家族を探し、さ迷い歩く人々。黒焦げの子どもの傍らで、茫然(ぼうぜん)と立ちすくむ母親。街のあちこちに地獄のような光景がありました。十分な治療も受けられずに、多くの人々が死んでいきました。そして72年経った今でも、放射線の障害が被爆者の体をむしばみ続けています。原爆は、いつも側(そば)にいた大切な家族や友だちの命を無差別に奪い去っただけでなく、生き残った人たちのその後の人生をも無惨に狂わせたのです。
世界各国のリーダーの皆さん。被爆地を訪れてください。
遠い原子雲の上からの視点ではなく、原子雲の下で何が起きたのか、原爆が人間の尊厳をどれほど残酷に踏みにじったのか、あなたの目で見て、耳で聴いて、心で感じてください。もし自分の家族がそこにいたら、と考えてみてください。
人はあまりにもつらく苦しい体験をしたとき、その記憶を封印し、語ろうとはしません。語るためには思い出さなければならないからです。それでも被爆者が、心と体の痛みに耐えながら体験を語ってくれるのは、人類の一員として、私たちの未来を守るために、懸命に伝えようと決意しているからです。
世界中のすべての人に呼びかけます。最も怖いのは無関心なこと、そして忘れていくことです。戦争体験者や被爆者からの平和のバトンを途切れさせることなく未来へつないでいきましょう。
今、長崎では平和首長会議の総会が開かれています。世界の7400の都市が参加するこのネットワークには、戦争や内戦などつらい記憶を持つまちの代表も大勢参加しています。被爆者が私たちに示してくれたように、小さなまちの平和を願う思いも、力を合わせれば、そしてあきらめなければ、世界を動かす力になることを、ここ長崎から、平和首長会議の仲間たちとともに世界に発信します。そして、被爆者が声をからして訴え続けてきた「長崎を最後の被爆地に」という言葉が、人類共通の願いであり、意志であることを示します。
被爆者の平均年齢は81歳を超えました。「被爆者がいる時代」の終わりが近づいています。日本政府には、被爆者のさらなる援護の充実と、被爆体験者の救済を求めます。
福島の原発事故から6年が経ちました。長崎は放射能の脅威を経験したまちとして、福島の被災者に寄り添い、応援します。
原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は、核兵器のない世界を願う世界の人々と連携して、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します。
2017年(平成29年)8月9日
長崎市長 田上富久
本宮 恵(会員)
2018年8月9日、長崎で被爆73周年長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式に初めて参加してきました。私は爆心地公園の原爆中心碑前で午前11時02分、黙祷しました。
この日、爆心地公園には全国から集まった高校生平和大使、高校生一万人署名活動実行委員会の皆さん、原水爆禁止世界大会長崎に全国各地から参加された方々で埋め尽くされました。
私は長崎にきて改めて、平和ってなんだろう、日本だけでなく世界中で注目され問題になっている原発や核兵器のこと、戦争や日本国憲法について考える機会が多くあり、また、被爆された方々のお話も聞くことができ、とても勉強になりました。原発も核も戦争もいらない!!世界中の人々が願い、平和で安心して暮らせる社会の実現を、どれだけ多くの人々が祈っているのだろう。必ず実現させていきましょう!!
長崎には「被爆者」だけでなく「被爆体験者」という、原爆投下時に「長崎市」でなかったために、いまだに被爆者援護法に基づく被爆者と認められない人たちがいること、被爆者・被爆体験者の高齢化も深刻で、原爆被爆から73年を経過して、なお、健康被害に苦しむ多くの「ヒバクシャ」が存在し、その救済が放置されているのが現実だというお話しを被爆者の方々から聞き、言葉が出ませんでした。被爆者の方々がおっしゃっていた「後世の人々が二度と生き地獄を体験しないように、生きている間に何としても核兵器のない世界を実現したいと切望しています」という言葉や想いがとても印象に残っています。核兵器の廃絶を願い、平和を願い、署名活動など、私でもできることを継続してやっていきたいと思います。
私は原水爆禁止世界大会にも参加し、そこで、前田哲男さん(ジャーナリスト/軍事評論家)の講演を聴いてきました。「核も戦争もない世界を!~憲法・沖縄・安保政策から考える~」をテーマに、憲法の平和主義、安全保障のありかた、安倍政権による憲法改悪、民意を無視し、国会での数の力で安保関連法の制定、沖縄・辺野古・高江への新基地建設や現状について学ぶことができました。
73年守られてきた日本国憲法が安倍政権によって憲法破壊されようとしている。「改憲」ではなく、憲法を生かすための政策を考え「憲法を取り戻す」。これこそ広島・長崎の日」の決意であるべきではないのか?という前田さんの言葉が印象に残っています。
世界の非核地帯はまだまだ少なく、飢餓・貧困・男女差別・自由のないメディア、「戦争がないから平和」ともいえないなかで、私たちにできることはなんだろう。一人でも多くの人が核兵器のこと、原発のこと、戦争のことを考え、いつ自分の身に起きてもおかしくはい問題だということを忘れず、平和を願い力を合わせれば、日本だけでなく世界も変えられる!一人の力は微力だけど無力じゃない!改めてそう思う、とても貴重な時間を過ごすことができました。