私と憲法206号(2018年6月25日号)


国会会期延長-「働き方改革」「カジノ」法案の強行成立を全力で止めよう!

5月31日、衆議院本会議において「働き方改革」法案が自民、公明、そして日本維新の会などによって強行採決された。傍聴席から、過労死遺族の方たちが遺影を持ちながら怒りのまなざしをもって見つめる中、安倍首相はへらへらした笑いを交わしながら「過労死促進」法案を採決した。「同じ犠牲者を出さないで」という訴えは平然と踏みにじられた。仕事によって奪われた命が政治によって2度殺されたようなものではないか。安倍首相は過労死遺族のみなさんの再三にわたる面会要求を無視し続けた上に、へらへら笑いを浮かべながら強行採決をもって答えたのである。

それから10日後の6月10日、国会正門前。この日「9条改憲NO!政治の腐敗と人権侵害を許さない」「安倍政権の退陣を要求する」6・10国会前大行動が行われた。雨が強く降りしきる中、カッパを着て、傘を差しながら2万7000人もの多くの市民が国会正門前を埋め尽くした。怒りを帯びた市民の熱気が湯気立つような中で、過労死遺族を代表した佐戸恵美子さんの発言は、その一言ひとことに悔しさと怒りが溢れ、聞く者の心を揺さぶり、国会正門前は2万7000人の静寂で雨の音と佐戸さんの声だけが響いた。いつもに増して口うるさかった警察もその時間だけは静まり返っていた。

娘の未知さんはNHKの記者として、都議選や参議院選の取材業務に携わり、亡くなる直前、1か月の残業は200時間を超えていた。実態を知った両親は労災申請をし、娘さんの死は労災によるものと認められた。しかし、安倍政権が強行する「働き方改革」なるものが、労働者の命と健康を守るための労働時間規制を取っ払って働かせ放題にするものであるということを知り、「娘の死が無駄になってしまう」と闘う決意を固めたそうだ。

大資本の利害を優先させた安倍政権にとって、まず、労働時間規制を取り払うことがありきで、その理由や根拠はでたらめデータで粉飾しておけばよい、多少の反対があっても数で押し切れるといった実に許しがたい進め方をしている。「私たちのことを私たち抜きで決めないで」という主張は障害者権利条約のスローガンであり、障がい者の問題を障がい者抜きで決めることに対する障がい者からの糾弾として言ってきたものである。今、働き方について何事かを決めるなら、その当事者は、過労死してしまった人たちであり、その遺族ではないか。その当事者である遺族を無視した強行採決は絶対に無効であり、許すことはできない。

8時間労働制など労働時間の規制は、憲法第97条で謳われている「人類多年にわたる自由獲得の成果」「過去幾多の試練に堪え、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたもの」そのものではないだろうか。奴隷労働、強制労働などから働く者の命と健康を守る為に勝ち取ってきたものを破壊しようとする企ては憲法そのものの破壊行為に他ならない。資本のあくなき増殖欲を規制する、憲法をはじめとした制度や通念を「自由と活力を阻害する岩盤」だと決めつけ、自らそれを突き破るドリルのようにたとえて、悦に入っている安倍首相こそ「資本のあくなき増殖欲」の体現者であり、エージェントなのではないか。

高度プロフェッショナル制度を核とした「働き方改革」法案は「毒入りまんじゅう」と言われている。

この毒は足尾銅山、水俣で流され自然を破壊し、健康を破壊し、命を奪い、人間の尊厳を踏みにじった毒と同じだと思う。明治期、そして戦後、時代は違っても、資本主義の成立と成長のために人命が著しく軽んじられたことと、今、「経済活性化のため」として強行されようとしている「過労死促進」法は共通している。さらに、いわゆる「カジノ」法案が、統一地方選での悪影響を回避したいという公明党の意向を反映して実質的な審議を軽視して成立が急がれている。ギャンブル依存症を増大させることが火を見るより明らかであるにも関わらず、「観光立国の起爆剤」になるからと、ここでも人命、人権よりも「儲け」が優先されているのだ。「高プロ制」「カジノ」が国策として導入されることで生み出されるのは、過労死やギャンブル依存症を「自己管理できないことによる敗北」視する自己責任論がまかり通る社会ではないか。「戦争ができる国づくり」と「金儲け第一主義の社会づくり」とは、弱肉強食というマインドでひとつのものであり、メダルの表裏のようなものに他ならない。

安倍政権の番頭が菅官房長官なら、萩生田光一自民党幹事長代行はまさに番犬だ。そしてこの萩生田氏が「赤ちゃんはママが良いに決まっている」「ゼロ歳児保育はいかがなものか」という発言をしていることを見逃してはならない。福田前財務次官のセクハラ発言は広範な女性の怒りを引き起こしている。それは「#Me Too」「#With You」運動の世界的高揚と連動している。この運動が、安倍政権の「戦争ができる国づくり」の根幹である家族的国家観と真っ向から対立するものであることに敏感に反応したものとして萩生田氏の発言がある。

「セクハラ罪という罪はない」ということを、わざわざ閣議決定までするとはきわめて驚きだが、それは福田前事務次官を擁護することで、麻生財務相、そして安倍首相を守ろうとする意図が丸見えだ。そして何よりも、セクハラ糾弾の運動が燃え広がる前に、なりふり構わず抑え込もうとする安倍政権の女性差別政権としての姿を表しているのではないか。自民党加藤寛治議員(長崎)の「結婚式では“子どもは3人以上産みなさい”と言っています」という発言など、どんなに撤回・謝罪しても次から次へと繰り返されている。

「膿を出し切る」という安倍首相に「膿の根源はあなただ!」と切り返すのと同じで、差別発言という膿を止めるには、その根源である女性差別政権を倒すしかない! 「よく働き、沢山子どもを産み育て、控えめでシャシャリ出ず、介護を担い、男のセクハラにも文句を言わず、上手に受け流せる」、結局これが安倍政権の「あるべき女性像」ではないか。男女平等ランキングという指標があるが、日本はほとんど最下位レベルで、安倍政権になってから下降が続いている。特徴的なことは女性の「議員に占める割合」など政治の領域では極端に少ないということだ。政治とは「○○の声を反映する」というシステムだとすれば、日本においては政治に女性の声が反映されていないということではないか。

子育て、年寄りの下院病、介護、家事、家計のやりくりなど無償でやることが当然視され、男と平等に働いても歴然と安い賃金で昇進の道がない。このような生活の場から湧き上がる呻吟(しんぎん)が女性の声だ。自給の10円、20円、ひと月の数千円の重さを実感する感覚や、命を見送る喜びや、苦しみや、哀しみを実感する感覚などが政治に反映されるなら、福祉を切り捨て、軍事大国化を急ぐ今の安倍政権の暴走に必ずブレーキをかけられるはずだ。安倍政権の存続は女性の声を抑え込むことなくしてはあり得ない。今ほど女性の立ち上がりが求められる時はない。また、女の問題は男の問題でもある。闘う女の立ち上がり、闘う男の立ち上がりで男尊女卑の精神風土・排外主義、権威主義の政治風土を変えよう!

さて私たちはいま、世界が平和の扉を押し開くか、戦争という奈落へと転がり落ちるのか。かつてない歴史的岐路に立っている。あのトランプと金正恩が握手をし、抱擁し合ったのだ。半年前のいつ戦争が始まるかわからない、あの緊迫した状況からは誰も想像しえなかった。一筋縄ではいかない者同士の握手に100%の希望を抱くことはできないが、そこに間違いなく平和への光明が見いだせる。この光明を全開にするか、潰させるかは、すべて私たちにかかっている。

「北からのミサイル」が存続要件である安倍政権の菅官房長官でさえ、「ミサイルは飛んでこなくなった」と会見で苦しそうに呟いた。「対話で平和を」「平和なら軍備は不要」「軍備を捨てて、友好で平和を」など、「お花畑理論」などと冷笑されてきた私たちの方向性にこそ、もっとも根本的で現実的な進むべき道であることが今や明らかになったではないか。そのことに自己満足するのではなく、この方向性をもっともっと目に見える力に変えなくてはならない。私たちは傍観者にも評論家にもなってはならない。アジアを侵略し、ヒロシマ・ナガサキに原爆を投下された当事者として、アジアの人々とも共に歴史の舞台に主人公として登場しなければならない。

先日韓国の市民が集めてくれたキャンドル8000本が日本に到着した。アジアの人々の思いも背負って必ず北東アジアの平和の阻害物でしかない安倍政権を打倒しよう! 6月12日の新潟知事選挙は、非常に悔しいが敗れた。安倍政権に対する審判、その結果次第が政局につながると言われた闘いは、マイナスからスタートしたが、これまでになく早々と野党共闘を形成し、追い付き追い越せるところまで行けたが、いわゆる「ステレス作戦」を全開する政権側候補を追い越しきれなかった。

8月から辺野古の海に土砂が投入される。秋にはいよいよ沖縄県知事選挙を迎える。私たちは、敗北をいつまでも引きずるわけにはいかない。涙をぬぐい、悔しさを力に変えていこう!
(事務局 菱山南帆子)

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米朝首脳会談の画期的意義~安倍9条改憲、断念させる時がきた

高田 健(事務局)

2018年6月12日、米国のドナルド・トランプ大統領と北朝鮮の金正恩国務委員長による史上初の首脳会談がシンガポールで開かれ、共同声明が発表された。

共同声明では、「新たな米朝関係の確立と、朝鮮半島における持続的で強固な平和体制の構築に関連する諸問題について、包括的で詳細、かつ誠実な意見交換をした。トランプ大統領は北朝鮮に安全の保証を与えることを約束し、金委員長は朝鮮半島の完全非核化への確固で揺るぎのない約束を再確認した」ことが明らかにされた。そして、両者は「新たな米朝関係の確立が、朝鮮半島と世界の平和と繁栄に寄与すると確信し、相互の信頼醸成によって朝鮮半島の非核化を促進できることを認識し」、(1)新たな米朝関係を確立すると約束する、(2)朝鮮半島において持続的で安定した平和体制を築くため共に努力する、(3)2018年4月27日の「板門店宣言」を再確認し、北朝鮮は朝鮮半島における完全非核化に向けて努力する、(4)(朝鮮戦争の米国人)捕虜や行方不明兵士の遺体の収容を約束する、などの4項目を確認した。加えて、「米朝首脳会談の成果を履行するため、米国と北朝鮮は国務長官レベルで、できるだけ早い日程でさらなる交渉を行う」ことが確認された。

共同声明は朝鮮戦争以来、和平協定のないまま70年近くにわたって武力で対峙してきた両者が、「持続的で強固な平和体制構築」と「朝鮮半島の完全非核化」(「北朝鮮の非核化」ではない!)に向かって進むことを明らかにした点で画期的な意義がある。今回の米朝首脳会談は「朝鮮半島と世界の平和と繁栄」に向かっての歴史的な一歩であり、今後、様々に派生するであろう困難を克服して「朝鮮半島における持続的な平和体制を築く」ための両者の約束だ。すでに会談に先立って北朝鮮はミサイル実験施設と核実験施設の破壊に着手した。トランプ大統領は会談後、「交渉継続中の米韓合同軍事演習の中止」を表明した。朝鮮中央通信が報道したように、朝鮮半島の非核化と平和体制の構築は「段階別、同時行動原則を順守することが必要との認識で両首脳が一致した」ことは現実的で、可能なプロセスだ。

この共同声明は昨年末当時の朝鮮半島での熱核戦争の可能性を含む一触即発の危機の情勢を考えると、いかに重要な成果であるかがわかる。

この歴史的変化を主導したのが政権発足から1年の韓国文在寅政権であることは論を待たない。自らを「キャンドル大統領」とよぶ韓国のキャンドル革命が生み出した文大統領は「朝鮮半島に平和を築くためなら、どんなことでもする」と宣言して、懸命の努力を積み重ね、今年4月27日、画期的な南北「板門店宣言」(註(1))の合意を実現した。この「板門店宣言」は今回の米朝共同宣言でも再確認されるなど、先駆的な役割を果たした。

この北東アジア情勢の歴史的転換に際し、日本の安倍政権はまったく「蚊帳の外」にあった。安倍政権は拉致問題を口実にして硬直した「対話拒否、圧力一辺倒」路線をとりつづけた挙句、トランプ大統領のツイッターに振り回され見苦しく右往左往し、事態の打開に何らの積極的な役割を果たすことができなかった。安倍政権は、始まった北東アジアの歴史的プロセスに困惑し、「拉致問題は最重要課題」などとつぶやきながら、おずおずと米国に追従することしかできない。

この期に及んでも日本政府はこの間の北朝鮮敵視政策を改めようとしていない。6月20日、政府は北朝鮮の弾道ミサイル発射を想定したJアラートによる避難訓練の中止を発表したが、憲法第9条に自衛隊を書き込むという改憲路線にこだわり、朝鮮半島を射程に入れた地上配備型ミサイルシステム(イージス・アショア)の導入を推進し、オスプレイの配備やヘリコプター搭載空母の建造、沖縄の辺野古の新基地建設を推し進めている。そしてあろうことか、米朝会談の最中の6月12日には種子島宇宙開発センターから朝鮮半島を対象にした軍事偵察衛星を打ち上げるという挑発行動までおこなった。

いま始まった朝鮮半島の平和構築と完全非核化の歴史的プロセスに際して、日本政府が何らかの積極的な役割を果たそうとするなら、この間の硬直した朝鮮敵視政策を転換し、2002年9月の日朝平壌(ピョンヤン)宣言(註(2))に基づいた過去の歴史的清算と国交正常化交渉を再開することであり、「拉致問題」の解決もこの過程でこそ解決されなければならない。

安倍首相らは北朝鮮に対する「経済支援は拉致問題の解決が前提条件」などと繰り返し発言しているが、これは問題のすり替えだ。北朝鮮に対する戦後補償は日朝国交正常化の条件であり、日本の植民地支配の賠償の問題だ。日本の戦後責任の問題であり、日本政府が「善意」で北朝鮮に与えるという筋の問題ではない。

朝鮮半島の非核化が現実的な課題になっている現在、昨年7月、国連で日本は核兵器禁止条約に反対したことを撤回しなければならない。唯一の戦争被爆国にもかかわらず、日本が核兵器禁止条約に反対した理由は、「北朝鮮の核・ミサイル開発の脅威が高まる中、禁止条約は米国の核抑止力維持に影響が及び、日本の安全保障環境に直結しかねない」との判断だと説明された。この口実とした前提が根本から崩れたのだ。

条約は122カ国、国連加盟国の3分の2近くの賛成を獲得した。中心的には東南アジアや中東、中南米、アフリカ地域が多く、いずれも非核兵器地帯(註(3))が設立されているか、設立に向けての構想が進んでいる諸国だ。今回の米朝共同声明は朝鮮半島の非核化と「非核3原則」を「国是」としてきた日本による北東アジア非核兵器地帯構想を現実の課題としている。日本は核兵器禁止条約に加盟し、米国の核の傘から離脱し、北東アジア非核兵器地帯宣言を実現しなくてはならない。そして周辺の米・中・露の核保有大国はこの北東アジア非核兵器地帯を尊重し、保障しなければならない。「6か国協議」はそのためにも必要だ。このことこそが、「不可逆的」に北東アジアの非核化を保障する道だ。

昨年の総選挙で安倍政権与党は北朝鮮の核とミサイルの危機を最大限に強調し、戦争の危機をあおり、「国難突破」と改憲を主張した。2015年来、安倍首相が憲法第9条に自衛隊の根拠規定を付加する改憲の主張をしてきたことも、もはやこの新しい情勢の逆流にほかならず、時代に合わなくなっている。安倍首相らは緊張を煽り立てる時代錯誤の9条改憲を断念しなくてはならない。

(註(1))「板門店宣言」要旨。  2018年4月27日に韓国の文在寅大統領と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長は板門店で第3回南北首脳会談を行った。その際に宣言された合意内容には以下のような事項が盛り込まれた。(ウェキペディアより)
朝鮮半島の完全な非核化を南北の共同目標とし、積極的に努力をすること
休戦状態の朝鮮戦争の終戦を2018年内に目指して停戦協定を平和協定に転換し、恒久的な平和構築に向けた南・北・米3者、または南・北・米・中4者会談の開催を積極的に推進すること
過去の南北宣言とあらゆる合意の徹底的な履行
高位級会談、赤十字会談など当局間協議の再開
南北共同連絡事務所を北朝鮮の開城に設置
南北交流、往来の活性化
鉄道、道路の南北連結事業の推進
相手方に対する一切の敵対行為を全面的に中止し、まずは5月1日から軍事境界線一帯で実施する
黄海の北方限界線一帯を平和水域にする
接触が活性化することにより起こる軍事的問題を協議解決するため、軍事当局者会談を頻繁に開催。2018年5月に将官級軍事会談を行う
不可侵合意の再確認および遵守
軍事的緊張を解消し、軍事的信頼を構築し段階的軍縮を行う
首脳会談、ホットラインを定例化。2018年秋に文在寅大統領が平壌を訪問する

註(2) 日朝平壌宣言(首相官邸サイトより)
小泉純一郎日本国総理大臣と金正日朝鮮民主主義人民共和国国防委員長は、2002年9月17日、平壌で出会い会談を行った。
両首脳は、日朝間の不幸な過去を清算し、懸案事項を解決し、実りある政治、経済、文化的関係を樹立することが、双方の基本利益に合致するとともに、地域の平和と安定に大きく寄与するものとなるとの共通の認識を確認した。

1.双方は、この宣言に示された精神及び基本原則に従い、国交正常化を早期に実現させるため、あらゆる努力を傾注することとし、そのために2002年10月中に日朝国交正常化交渉を再開することとした。
双方は、相互の信頼関係に基づき、国交正常化の実現に至る過程においても、日朝間に存在する諸問題に誠意をもって取り組む強い決意を表明した。

2.日本側は、過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明した。
双方は、日本側が朝鮮民主主義人民共和国側に対して、国交正常化の後、双方が適切と考える期間にわたり、無償資金協力、低金利の長期借款供与及び国際機関を通じた人道主義的支援等の経済協力を実施し、また、民間経済活動を支援する見地から国際協力銀行等による融資、信用供与等が実施されることが、この宣言の精神に合致するとの基本認識の下、国交正常化交渉において、経済協力の具体的な規模と内容を誠実に協議することとした。
双方は、国交正常化を実現するにあたっては、1945年8月15日以前に生じた事由に基づく両国及びその国民のすべての財産及び請求権を相互に放棄するとの基本原則に従い、国交正常化交渉においてこれを具体的に協議することとした。
双方は、在日朝鮮人の地位に関する問題及び文化財の問題については、国交正常化交渉において誠実に協議することとした。

3.双方は、国際法を遵守し、互いの安全を脅かす行動をとらないことを確認した。また、日本国民の生命と安全にかかわる懸案問題については、朝鮮民主主義人民共和国側は、日朝が不正常な関係にある中で生じたこのような遺憾な問題が今後再び生じることがないよう適切な措置をとることを確認した。

4.双方は、北東アジア地域の平和と安定を維持、強化するため、互いに協力していくことを確認した。
双方は、この地域の関係各国の間に、相互の信頼に基づく協力関係が構築されることの重要性を確認するとともに、この地域の関係国間の関係が正常化されるにつれ、地域の信頼醸成を図るための枠組みを整備していくことが重要であるとの認識を一にした。
双方は、朝鮮半島の核問題の包括的な解決のため、関連するすべての国際的合意を遵守することを確認した。また、双方は、核問題及びミサイル問題を含む安全保障上の諸問題に関し、関係諸国間の対話を促進し、問題解決を図ることの必要性を確認した。
朝鮮民主主義人民共和国側は、この宣言の精神に従い、ミサイル発射のモラトリアムを2003年以降も更に延長していく意向を表明した。
双方は、安全保障にかかわる問題について協議を行っていくこととした。

日本国総理大臣 小泉 純一郎
朝鮮民主主義人民共和国国防委員会 委員長 金 正日
2002年9月17日  平 壌

註(3) 2009年現在までに非核兵器化を進めている地域には、海底・宇宙の他に以下がある。(ウェキペディアより)
☆南極条約
1959年12月1日調印
1961年6月23日発効。

加盟国は当初12ヶ国。2004年9月時点で45か国が署名・批准。 5大国も署名・批准。

南極の軍事利用の禁止の他、南緯60度以南の地域におけるすべての核爆発及び放射性廃棄物の処分を禁止を定める。

中南米
☆ラテンアメリカ及びカリブ核兵器禁止条約(トラテロルコ条約)
1967年2月14日調印
1968年4月22日発効。
域内の加盟国は、批准の遅れていたキューバが2002年10月に批准し、中南米33ヶ国全ての国が署名・批准した。 5大国も署名・批准。

南太平洋
☆南太平洋非核地帯条約(ラロトンガ条約)
1985年8月6日調印
1986年12月に発効。ムルロア環礁で行われていたフランスの核実験を強く意識。
域内の加盟国は、太平洋諸島フォーラム加盟の16の国と地域(自治領)のうち13が批准。域内の未加盟国はミクロネシア、マーシャル諸島、パラオ。
5大国も署名。
2009年3月時点ではフランス、中国、イギリス、ロシアが批准。アメリカは批准していない。

東南アジア
☆東南アジア非核兵器地帯条約(バンコク条約)
1995年12月15日調印、1997年3月発効。
域内の加盟国は、フィリピンが2001年8月に批准し、東南アジア諸国連合(ASEAN)全10ヶ国が署名・批准した。2009年3月時点では、5大国は未署名。

アフリカ
☆アフリカ非核兵器地帯条約(ペリンダバ条約)
1996年4月11日調印、2009年7月15日発効。
南アフリカの核兵器廃棄作業が完了し、条約作業が進んだ。
域内の加盟国は、条約の対象国は54カ国、条約発効条件は28か国であり、2009年7月15日に最後の加盟国であるブルンジが批准したことにより条約は即日発効した。
5大国も署名。2009年3月時点ではフランス、中国、イギリスが批准。ロシア、アメリカは批准していない。

中央アジア
☆中央アジア非核兵器地帯条約(セメイ条約)
2006年9月8日調印、2009年3月に発効。
域内の加盟国は、カザフスタン、ウズベキスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタンの5ヶ国。5か国による核兵器の研究、開発、製造などを禁止。
2014年5月6日、5大国が議定書に署名、5大国は核兵器の使用や威嚇をしない事を義務づけ。

モンゴル
☆モンゴル非核兵器地位宣言
1992年、国連総会にてモンゴルのオチルバト大統領が一国非核兵器の地位を宣言。1998年9月に国連総会は宣言を歓迎する「非核地位に関する決議」を採択をした。モンゴル単独による。
5大国は2000年の国連総会で共同声明「モンゴルに協力する誓約の再確認」を発行。
日本政府は「構想の段階」としている。

旧東ドイツ
☆ドイツ最終規定条約
1990年9月12日署名。
ドイツ再統一後の旧東ドイツが非核兵器地帯となった。
日本等は非核地帯と認めていない。

ウクライナ
☆ウクライナ主権宣言
1990年7月16日、核兵器を使用せず、生産せず、保有しないという非核三原則を堅持する国家となることを最高会議で採択。
1996年6月1日、レオニード・クチマ大統領が旧ソ連時代配備の核弾頭完全撤去(ロシアへ移送)を発表。ウクライナが非核兵器地帯となった。
日本等は非核地帯と認めていない。

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第125回市民憲法講座 日本国憲法と女性の生き方・働き方

浅倉むつ子さん(早稲田大学教授、労働法・ジェンダー法専攻・九条の会世話人)

(編集部註)5月26日の講座で朝倉むつ子さんが講演した内容を編集部の責任で要約したものです、要約の責任はすべて本誌編集部にあります。

はじめに

私は早稲田大学のロウスクールで労働法とジェンダー法を教えております。ジェンダー法というのはあまりみなさん聞き慣れない学問だと思いますが、2003年にジェンダー法学会という新しい学会を立ち上げました。ジェンダーの視点からあらゆる法律を見直していこうというのがジェンダー法です。

どうしてこういうことを始めたかといいますと、日本では法律家はほとんど男性が占めています。そうすると女性の問題にはほとんど理解がない。裁判例を見ても、男性の視点からだけしか問題を見ない判決がたくさん出ています。いまの働き方という問題もワークライフバランスという問題でも、よくワークライフバランスというと、これは女の問題だと思われるんですね。女性は育児とか家事を担うから、女性にとってワークライフバランスは非常に大事だということをみなさん思います。そして育児休業法とかさまざまな法律で充実させれば、女性も働けるようになるだろうという発想で通常思います。でも私は、これはすごく偏った見方だと考えています。

なぜかというと、女性が育児休暇をとったり出産休暇をとったりすれば、非常に差別が甚だしくなって、なかなか活躍できないんですよね。それは、やっぱり日本が長時間労働社会だからですね。みんなが短時間働くような社会であれば、わざわざ育児休業とか何か特別な休暇をとらずに女性も活躍することができるはずですけれども、多くの男性は育児とか介護をまったく分担しないものですから、長時間働いて男性が作り上げている働き方社会、日本の働き方、その中に女性が参入しようとすれば、非常な差別があったり排除されたりしてしまう。

ワークライフバランスにとって一番大切なのは、男性が本当に短時間働いて私生活を充実させることですね。だから男の働き方を変えることが、本当の意味でのワークライフバランスだと思うのですが、なかなかこの考え方が浸透しない。そういうことが一例です。そうではなくて、男性も女性もジェンダーの視点を獲得してこの世の中を見るということが、本当に世の中を変えていくと考えております。

そこで2004年にロウスクールがスタートする直前にジェンダー法学会を立ち上げて、翌年から全国で法科大学院という法律家を養成する大学院が立ち上がりましたので、できる限り全国のロウスクールでジェンダー法を学んで欲しいと思っています。なかなかこの専門家が少ないものですから、たくさんのロウスクールでジェンダー法を教える人がいるわけではありませんが、私が勤めている早稲田ではだいたい30人から40人のクラスで、それから10人から20人のクラスが前期ですので、あわせれば50人くらいの学生さんがジェンダー法を学んで卒業していきます。みなさんが検事になったり裁判官になったり弁護士になっていますので、少しずつ少しずつ世の中の裁判例、弁護士活動なども変わっています。このところ労働弁護団などで働き方改革問題に関与して下さっている法律家の中には、私の教え子も関与してもらっていることが増えておりますので、世の中悪いことばかりではありません。少しずつ変わっていっているんだと思います。今日はそういう視点から、日本国憲法と女性の生き方・働き方の問題をお話しさせていただきます。

戦後、女たちが切り拓いてきたもの

1)日本国憲法と民法改正、労働基準法4条

レジュメをお手元に配っております。女性の生き方・働き方の話ですので、戦後女性たちが切り拓いてきたもの、いま何があるかということを戦後の歴史を復習してみたいと思います。まず何といっても日本国憲法ですね。憲法は1946年に公布されましたけれども、大事なものは14条それから24条です。9条の問題をお話するときに、私は改憲論者が絶対に9条と24条を変えたがっているという話をいたします。24条は非常に重要ですので、9条と24条の話を今日は中心にしたいと思います。14条はご存じのように、法の下の平等の原則です。24条は婚姻ですよね。「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し」――これは家制度からの解放ということで、非常に大きな意味を持っておりました。憲法24条ができて、1947年に民法改正が行われ、家制度は廃止されました。個人を基礎に置いた家族法というものができました。これが非常に重要です。

同じ年に労働基準法ができました。賃金に関する性差別を禁止するという規定は、労働基準法4条にできました。そのうちに労働の分野でも初めて、これは男女差別だと判断する裁判例が登場いたしました。これが「住友セメント事件」です。東京地裁で1966年12月20日に出た裁判例です。

戦後、憲法ができても労働基準法ができても、ずっと女性は雇用の分野で差別されてきましたが、初めてこの判決で結婚退職制はいけないという判断がなされました。当時まで結婚退職制は当たり前のようにとられておりまして、女性だけ結婚したら退職しなければいけないということで、大企業に就職しても念書をとられて採用されていた時代が続いていました。住友セメントという会社で鈴木節子さんという方が、初めて裁判を起こしました。これは、結婚退職はしたくないと言ったら解雇されたというケースでした。

初めて裁判所は、これは女性の結婚の自由を制限すると申しました。憲法24条で「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立する」といっているわけです。しかし結婚退職制というのは、会社を退職しなければいけないわけです。なので、これは結婚の自由を制限するもので、憲法24条にも違反するし、それから女性だけが結婚したら退職しなければいけないというのは14条にも違反するというわけで、こういう判決が出たわけです。私などはちょうどこの頃に高校3年生で法学部に入ろうと思って受験勉強をしておりましたので、この12月20日の判決は新聞の一面にでかでかと載りまして、大変励まされた思いをいまでも忘れておりません。そんなことで日本国憲法に基づいてこういう裁判が提訴されたわけです。

(2)女性差別撤廃条約

2番目は女性差別撤廃条約という文書が非常に重要になりました。1985年に日本が条約を批准しました。国連でつくられた条約です。1979年にできた条約ですけれども、現在189ヶ国がこの条約を批准しております。日本は1985年に批准しましたけれども、これを批准するときに大変な女性の運動がありました。何とかこの条約を批准したいということで、労働組合から一般のNGOの女性たちも手を組んでこの条約批准の運動に取り組みました。そしてようやく1985年に批准されたわけです。

この条約が批准されると非常に重要なのは何かと言いますと、いま女性差別撤廃委員会(CEDAW)という組織があります。これは全世界から23人のこの分野の専門家が選出されてこの委員になっています。批准した国はこの委員会に、自分の国でこの条約がどうやって運用されているのかということを報告しなければいけないことになっています。これは4年に一度ずつ報告し、この委員会で審査を受けるわけです。審査の中ではさまざまなことを勧告されます。日本は条約に基づいて批准しているけれども、ここの分野が不足しているとか、いろいろな意見を述べられて勧告されます。

一番最近の日本の審査は2年前、2016年2月16日に行われまして、このあとに委員会から総括所見という文書が出ます。そこではなんと57項目も指摘されまして、日本は遅れているわけです。ジェンダーの分野では特に世界でも114位という非常に遅れた状況なので、もっとしっかり国内法を改正せよという勧告が出ました。その中には民法の改正も含まれていまして、その代表例はやっぱり選択的な夫婦別姓ですね。日本だけが、結婚したら一方が以前の名前を捨てなければいけない、片方だけが婚姻前の名前を捨てるように強制されるということが日本の現行法です。世界でもこういう国はほとんどありません。だから日本は早めに民法改正をせよと繰り返し提言されておりますけれども、なかなか政府はこの部分については取り組まないという状況です。

1985年に女性差別撤廃条約を批准したときに、男女雇用機会均等法ができました。それから1991年には育児休業法という法律ができました。この育児休業法は育児介護休業法になりました。育児休業法は何が重要だったかといいますと、これで初めて男性が育児休業をとることができるようになったんですね。それまでは女性しか育児休業をとることができなかった。それを男性もとりなさい、とれますよとしたのがこの91年法です。

その頃に、今日でも話題になっていますけれども、日本で初めてのセクハラ判決といわれる「福岡事件」が裁判になり、判決が出ました。事実はね、セクシャルハラスメントというのは本当に女工哀史の時代からずっとありました。けれども法的に争われることがここまでありませんでした。被害者が原告になって裁判を起こして争ったことが、この福岡事件の最大の特色です。

小さな出版社で、上司の編集者が部下の女性に対して2年間にわたってありとあらゆる性的な風評を流した。言葉のいじめです。「性生活が派手、男を食わえこんでいる、遊んでいてお盛んらしい」とか、そういうことを繰り返し繰り返し言ったわけです。なぜかというと、この女性が上司から、編集長よりも非常に評価されているので面白くないわけです。それで「あいつをつぶしてやろう」と、こういう噂をばらまいていた。それに対して裁判所は、これは不法行為であるといいました。さらに、この2人の上司である専務が、2人がケンカをしてはいけないということで喧嘩両成敗という判断をして、女性に対しては退職を迫り、男性に対しては一時的に少しだけ減給処分にした。そういう偏った判断について、これもまた使用者に責任があるということで、会社と加害者に対して損害賠償150万円を命じた判決が出ました。これが初めてですね。1992年のことでした。こういう判決がきっかけになって1997年に、男女雇用機会均等法に初めて事業主のセクシャルハラスメント防止配慮規定が盛り込まれた。これがいきさつです。

そうこうしているうちに1996年には法制審議会が民法改正案要綱答申をだしました。ここで法制審議会は選択的な夫婦別姓を設けなさいといったわけですけれども、これは国会に出されずに終わりました。私のレジメは白い星と黒い星が付いていますが、白い星はちょっとよい動きで、黒い星は悪い動きです。ここで日本会議ができたんですね。1997年のことです。つまり法制審議会が民法改正をしなさいと提案してすごくよい風が吹いた途端に、日本会議が、こういう自由な風をつぶそうということでできた動きがあります。

(3)男女共同参画社会基本法

その次の段階では男女共同参画社会基本法という法律ができます。これは1999年にできた法律です。できるときに色々議論はあって、本当は男女「平等」参画といっていたけれども、「平等」という言葉は使わせないということです。それで「共同」参画だったらいいと、共同参画社会基本法になりました。国会議員は平等が嫌いなんですね。

この法律がなぜよかったかといいますと、それより前は、ここにも黒い星をつけて「司法におけるジェンダー・バイアス例」と書いてていますが、こんな判決が当時出ていました。これは「青い鳥判決」と私達はいっています。ドメスティックバイオレンス防止の法律ができる前の話です。この頃まだ日本にはDVというものはないと、本気になって法律家は言っていたんですね。DVというのは外国の暴力男性がやることであって、日本ではせいぜいちょっとがつんと一回くらいは頭を殴るかもしれないけれども、それは夫婦げんかのうちだという程度で、深刻な暴力はないとみんな思っていました。それでこういう「青い鳥判決」なんていうものが出たわけですね。

妻が婚姻以来30年近くひどい暴力を受けて離婚を求めましたところ、裁判官はこういっています。「・・・ひとかどの身代を真面目に作り上げた被告が(これは夫のことですね)、法廷の片隅で一人孤独に寂しそうにことの成り行きを見守って傍聴している姿は哀れでならない。・・・現在原告と被告との婚姻関係(これは夫と妻ですね)はこれを継続することが困難な事情にあるが、なお被告(夫ですね)は本件離婚に反対しており、・・・原告と被告、殊に被告に対して最後の機会を与え、二人して何処を探してもみつからなかった青い鳥を身近に探すべく、じっくり腰を据えて真剣に気長に話し合うよう、一切の事情を考慮して婚姻の継続を相当と認め、本件離婚の請求を棄却する次第である。」。もう一度やり直しなさい、「二人して青い鳥を探しなさい」という判決を出していました。

こういうのは本当にDVを理解していない裁判官が出していたんですが、男女共同参画社会基本法ができ、基本計画ができてようやく2001年にはDV防止法ができました。ようやくこれで、家庭というのは必ずしも安住の地ではないということをみんな認識し始めたわけです。そして保護命令をこの法律に基づいて出すことができる。暴力をふるった夫に対して、一時的には接近禁止命令を出すという保護命令が出るようになりました。

ところが、よい動きもあったけれども第1次安倍政権が登場して、なんと2006年には教育基本法が改正され、親学推進協会というものもできるようになりました。これは高橋史朗さんが会長です。それから自民党は6年後に、今日でも議論になっている日本国憲法改正草案を出していきます。2012年に自民党政権が復活して第2次安倍政権が発足したという状況が生まれたわけです。

最高裁はその直後にとても良い判決を出しまして、ようやく婚外子の相続分差別違憲判決が出るようになりました。日本ではそれまで婚内子と婚外子、つまり正式な法律婚をしている夫婦から生まれたのが婚内子、それから法律婚以外の婚姻から産まれた子どもは婚外子でありまして、婚外子は婚内子より相続分は2分の1しかない。そうやって産まれてきた子どもを差別しておりました。ところが最高裁はようやく2013年に、これは産まれてきた子どもに責任はないのだから、個人の尊厳がより明確になされてきたわけなので、嫡出でない婚外子の相続分を、嫡出子=婚内子の2分の1として区別している規定は差別である、憲法14条違反であるという判決を出しました。ようやくここで民法改正がひとつ行われたといういきさつです。こうやってみると女性を巡る法律というのは、働くという労働もありますけれども、やはり家族の問題が非常に大きく、さらに教育を巡る問題もあります。いろいろな分野にわたっていることがおわかりだと思います。

憲法をめぐる攻防――改憲勢力のねらいは9条と24条

では憲法を巡る攻防を、9条と24条を中心にして見直してみましょう。私は常々言っておりますが、改憲勢力の狙いは9条を変えるということもあるけれども、24条を変えるというのもあると思います。なぜならば、このふたつの条文が日本を代表する非暴力社会を作り上げているからです。憲法9条はもちろん軍事力の放棄なのでこれは平和を構築する、国家レベルでの平和、非暴力を保障している条文です。24条は私生活、家庭内における両性の平等を規定していますので、これは私生活における平和を保障する条文だと思います。このふたつがあって初めて人は幸せに生きられると思いますが、これは戦後70年の間、日本の国民に本当に受け入れられてきた条文です。ところが現実にはこれに逆行する力が常に働いて参りまして、一方では9条を改憲しようと軍事力の強化が狙われ、もうひとつは憲法24条を改憲しようということで家庭内の不平等、これが狙い定められてきました。このふたつは、日本を暴力社会に回帰させる狙いがあると思います。ですから守るべきものは9条だけではなくて24条もだと、言っているわけです。

先に9条の話を申し上げます。思い起こせば安保関連法制、これが成立する段階でいろいろなことが起きました。解釈改憲がまず先行して行われました。2014年7月1日の閣議決定です。この閣議決定は、めちゃくちゃな閣議決定でした。なぜかというとこの閣議決定は、日本が以前から他国に対する武力攻撃ができると言っていたんだ、ということを根拠にしているからです。閣議決定のそのままを引用しています。「我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、・・・必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許されると考えるべき」と言ったわけです。

「従来の政府見解」だと閣議決定が言ったものですから、では本当に従来から政府は憲法9条をこのように解釈していたのだろうか、その論拠は何かということが国会で散々議論になりました。そのときに国会ではふたつのことを論拠として自民党政府は示していました。ひとつは1972年10月14日の文書です。これは従来の政府見解と言われた文書ですけれども、そんなことは書いていなかった。この文書は集団的自衛権の行使は許容されるなんていうふうには全然書いておらず、むしろ集団的自衛権の行使は憲法上許されないことは明確と書いていた文書だったので、これはおかしいじゃないかということになりました。

その次にどうしたかといいますと、安倍政権は最高裁の砂川判決を持ち出したわけですね。こんなのは私も学生時代に読まされましたけれども、この砂川判決も、固有の自衛権は放棄されないと言ってはおりますけれども、どこを読んでも集団的自衛権を許容するなんていうことはひとことも言っていないわけです。要するに論拠はなかった。うそだった。それにもかかわらず安保関連法案を強行採決したというのが、あの出来事でした。

成立した安保法制に対しては違憲訴訟が全国で続々と起きています。全国21の裁判所に24の違憲訴訟が出ていて、今のところ原告は7,254人、代理人の弁護士は1,607名、すごく大規模な全国的な訴訟が起きています。ここに女性による違憲訴訟もひとつ提起されています。2016年8月15日に東京地裁に提訴しました。原告は122人、女性だけ122人集まって訴訟をしています。私も原告の一人です。

ここで私たちが何を訴えているのかといいますと、安保関連法制の国会審議のときに、1人も国会で女性が証言をしたことはありませんでした。常に持ち出されたのは「女・子ども」というイメージだけでしたね。パネルを持ち出され、お母さんと子どもが軍艦で保護されなければいけないのに、自衛隊が護送しなくてもいいのかという、そういうパネルの中に常に「女・子どもイメージ」がすり込まれていました。あれは本当に家父長制の意志と戦争のときの正当性を納得させるためだけに持ち出されたのであって、決して女性たちの本心とか訴えを聞いてもらったわけでもなんでもないわけです。むしろ女性にとっては日本軍の性奴隷制とか沖縄の米軍による性被害の現実を経験していたものですから、「戦争反対」ということを、声を大にしていっていた女性たちが多かったのに、それを無視された。そしてこの先戦争被害が拡大していけば、当然のように日常生活における暴力や差別も強化されるのだから、これは私たちの生活をそのまま危険にさらすことになる。「だから」、というので不法行為による損害賠償を1人10万円請求しているのが、この女性訴訟です。現在進行中でありまして6月には第6回目の公判が行われることになっています。

2012年・自民党改憲草案に見る13条と24条

もうひとつ、24条についてはどういう状況かということをお話しします。自民党の2012年4月27日の日本国憲法改正草案というものの中で、すごく特徴的なことがいわれています。現在の9条改憲に比較して24条改憲というのは表だっては浮上しておりませんが、2012年には明確に出ていました。そこで、ひとつは13条の改憲が出ておりました。13条というのは個人の尊厳です。自民党、それから日本会議の人たちは「個人」という言葉は大嫌いです。現憲法の13条は「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」といっています。これを変えて、「個人」ではなく「人」として尊重されるという言葉を使いたいと思っています。それから「公共の福祉」ではなくて「公益及び公の秩序」という言葉を使っています。

あまり変わらないようにも見えますけれども、大いに変わるのは、やはり「個人として尊重される」が「人として尊重される」となっていることです。「人」というのは抽象的ですので、むしろ集団を個人の上に置こうということが、非常に意図的によくわかります。個人を消し去って集団即ち国家を個人の上に置く、そういう意図が隠されています。それで「人」という言葉を使おうとしていると思います。また「公共の福祉」ではなくて「公益及び公の秩序」といいたかったのは、公共の福祉というのは権利と権利が衝突したときに調整をする概念で、公共の福祉で調整しましょうということです。ところが公益とか公の秩序といいますと、これは何といっても権利と権利の衝突ではなくて、公の国家利益が優先されるという考え方を持ち込みたくて、公共の福祉ではなく公益とか公の秩序という言葉を使っている。これはとっても重要なことだと思います。狙いははっきりしているけれどもまだ議論は不足しています。

もうひとつ狙われたのが24条ですね。現行の24条は「結婚は両性の合意のみによって成立する」といっています。改正草案の方は1項を新しく起こしています。いままでにはなかったものとして起こしています。何を言っているかというと、「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。」。これを設けているというわけです。そして2項は結構いまの条文そのままですけれども、「婚姻は、両性の合意に基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」といっていて、「合意のみ」の「のみ」という言葉を外しています。一体これはなんだ、というわけですね。第1項を設けたというのはまさに狙い通りで、「家族は、互いに助け合わなければならない」です。家族扶養義務みたいなものをあらためて持ち出して国の責任を軽減し、生活保護など如実にあらわれていると思いますけれども、家族の助け合いという概念をまずは持ってきているというわけです。

2項の方で「のみ」という言葉を削ったのは、これもはっきりしています。「両性の合意」以外の、誰かの合意を禁止しないというイメージかなと思います。ここからははっきりと日本会議の家族の考え方が想定されまして、家長というものに対するノスタルジーなのでしょうか。背景にあるのは、家庭責任は女性役割だという発想で、家族のみだと家族が破局しやすいとか、そういう考え方が隠されています。あとは連想ゲームですよね。女性が働いて家族を捨てると離婚率が高くなるとか、家族が崩壊するとか、母親がわがままだから崩壊する、母親の愛情を受けない子どもが増える、青少年の非行率が高まるという、ずっと関連性があって家庭教育支援法という法律まで登場しかねないという状況になったわけです。

家庭教育支援法案

この家庭教育支援法案というのはちょっと沈静化していますけれども、一時は法案まで出されようとした時期がありました。これはとっても危険な法案だと思います。また24条改憲案が登場すれば、当然またこういうものが登場するだろうと思います。2016年に、1回はこの家庭教育支援法案という未定稿の、仮称の法案が自民党の中でつくられた時代がありました。要するに家庭教育をどうするかということを、国が干渉していく法案です。その前に教育基本法改正があったので狙いがはっきりしました。

2006年に教育基本法が改正されたときに前文がかなり変わりました。目指すべき人間像が、それまでは「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求し」と書いてあったのが、「公共の精神を貴び」、「伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育」となり、大きく教育基本法の理念も変わりました。安倍首相はこのときにとてもわかりやすい談話を出しており、「このたびの教育基本法改正法では、・・・・道徳心、自律心、公共の精神など、まさに今求められている教育の理念などについて規定しています・・・・志ある国民が育ち、品格ある美しい国・日本をつくることができるよう、教育再生を推し進めます」といっています。そして親学推進協会もでき、高橋史朗さんが会長になり、2012年には親学推進議員連盟ができて会長が安倍首相になって、そういうまさに一連の狙いがはっきりしています。

こういうふうに見てくる、と現政権の関心事というのはすごくはっきりします。戦争のできる国にするためには国民が戦争してくれないと、そして国家の成員として望ましい資質を身につけてくれないと困るわけです。だから教育はすごく大事、それから家庭も大事ですね。家庭でいかにそういう望ましい資質を備える子どもをつくりあげるかという、そういう規範を作っていこう。それが完成して初めて日本は集団的自衛権を行使できる国になるんだという、完成体はきっとそういうところにあると思います。ということで憲法の狙いもはっきりしています。

安倍政権の「働き方改革」と失敗続きの女性政策

では安倍政権の働き方改革についての話です。安倍政権は経済政策優先ですので経済施策で成果を上げたいわけですが、経済政策はたぶん失敗していると思います。トリクルダウンとか一生懸命いっているけれども決して国民の暮らしやすさは実現していないので、だからどこかで成果を上げたい、それはひとつ確実にあると思います。それで「働き方改革」で、いままで見逃されていたことを少しは良くしたいという本音もあるでしょう。同時に安倍政権は女性政策に力を入れたいと思ってきたけれども、実は女性政策もことごとく失敗しています。ものすごく失敗続きです。だからここでなんとか「女性活躍」とか「女性が輝く社会」とかいっているけれども、働き方改革は、まさに女性に働いて欲しいという本音を実現したいと思って出している政策だと思います。

でもこれがどんな内実なのか。最初に申し上げたいのは日本のジェンダー格差ですね。これは甚だしくて、ジェンダー格差指数でいいますと、日本が144ヶ国中114位、どんどん低下しています。ちっとも良くなっていない。働く人たちの中では賃金格差は100対70、男性が100で女性が70です。第1子出産後の女性は、約5割の人が退職してしまっている。これを何とかしない限り男女平等社会にはなりません。

それから、女性の56%は非正規です。男性の非正規もすごく増えていますけれども、女性は半数以上が非正規になっています。圧倒的に女性に家庭責任というものが集中していて、男性が家事・育児責任を果たしている時間は67分といわれているんですね。1日わずか67分、1時間7分です。少しだけ延びたらしいけれども、他の国はだいたい3時間から4時間男性が家事育児に費やしている時間があるのに、日本の男性は67分程度なんですよね。すごくジェンダー格差が甚だしくて、別に男性が悪いというわけではなくて男性はそれくらいしか自宅で過ごせないということだと思います。

日本はこうやってジェンダー格差が甚だしい社会なので、女性政策を何とかしようとしてずっと失敗しています。安倍さんは、2013年には「3年間抱っこし放題」といいました。育児休暇を3年間女性にとらせようとした。でもいま女性が1年間でさえ育児休暇をとると、もう本当に賞与が払われないとか昇格できないとか、さまざまな不利益を被っているので、女性の目から見たら3年間なんかとんでもないといったんですね。それで失敗しました。これはいつの間にか立ち消えになりました。

その次は、内閣府の少子化危機突破タスクフォースというところで「生命と女性の手帳」というものをつくろうとした。これは何かというと、歳を取った女性は妊娠しにくいということ、をもっと女性が知らなければいけないというので、こういう手帳をつくって配ろうとしました。結局、少子化を女性の知識のなさのせいにしたんですね。女に知識がないから結婚を先延ばしにして少子化がもたらされたということを言おうとしたので、これもまたすごく非難が集中して立ち消えになりました。

2015年には女性活躍推進法をつくりました。これは、私はそんなに非難するつもりはないけれど、女性活躍推進法を作ったので、企業は少しずつ企業内部の女性管理職の数とか労働時間数とかを情報公開しなければならないことになっています。300人以上の企業だけですけれども、それによって私たちは企業の実態を少しずつ知ることができるようになった。これはいいけれども、これだけでは上澄みなんですよね。女性にとってみれば本当の意味で働きにくいのは何かというと、マタニティハラスメントであったり、セクシャルハラスメントであったり、そういうことをもっと改善してくれればいいんです。実は女性活躍推進法というのは活躍しろ活躍しろと言うだけで、格差の解消につながっていないということが女性たちの見方なので、これも成功していないとは言わないけれども、それほど望まれるものではありませんでした。

2016年10月には、「結婚の希望を叶える環境整備に向けた企業・団体等の取組に関する検討会」という長い名前の検討会が設けられました。これは企業の中に「婚活メンター」という人をつくろうとしたんですね。これもびっくりしまして、企業が企業の中で婚活を支えようとした。これはまさにセクハラです。女性をとらえて結婚しろ結婚しろと促進したので、そんなことをしたらセクハラになるということで、これも結局企業の中につくるという案は削除されました。やっぱり少子化社会を何とかしたいので女性にこれだけの政策をしようとしているけれども、ことごとく失敗したんですね。それで働き方改革、もうこれしかないという状況にもなっています。

「働き方改革」―実は「同一労働格差賃金」では?

働き方改革の中で焦点を合わせているのはやっぱり女性だなということがわかります。ひとつは非正規の働き方をなんとか改善しようというので、同一労働同一賃金という政策を持ち出しました。ふたつめには、長時間労働を何とかしなければいけない。長時間労働では女性が働けないので、時間短縮をしなければいけないと、そのふたつを持ち出しています。ひとつ目の同一労働同一賃金の中味について一体どうなっているかということですが、同一労働同一賃金ではなく、私の言葉では「同一労働格差賃金」、中味はそうだと思います。なぜかといいますと、いまの法律を変えて下のような法案要綱をつくろうとしています。

いまの法律でも実は均衡待遇規定と均等待遇規定のふたつの条文があります。わかりにくいですよね。均衡というのは均等という、平等とは違って異なっているけれどもこれをバランスよくということが「均衡」という言葉なんですね。なぜ均衡になるかというと、非正規と正規の人の働き方はそれぞれ異なっているけれども、異なっているなりにバランス良く処遇しなければいけないというのが均衡待遇の規定です。

いまの条文ではどうなっているかというと、非正規の中には短時間労働者と有期労働者が入りますが、それぞれ非正規と正規の処遇が異なっている場合には3つの比較要素、考慮要素を持ち出して、ひとつは職務内容はどうなっているのか。ふたつめは職務の内容と配置の変更の範囲、ちょっとわかりにくいですけれども、昇進できるのか、職務内容が変更されると昇進していきますよね、それから位置が変更されるとまた昇進していきますね。人材活用として、その人が将来自分の企業の中で長く働く人材として活用されるのかどうかというのが、職務と配置の変更の範囲というところです。正社員には長期に働いてもらいたい、非正規には配置の変更をしないで固定して早く辞めて欲しいということで、現在はまったく正規と非正規の取り扱いが違うけれども、もしこの職務と配置の変更の範囲が、正規と非正規がほぼ同じようであったらという、そういう考慮要素を持ち出しております。3番目がその他の事情、この3つを考慮して正規と非正規の待遇が異なっている場合には、その異なり具合が不合理と認められるものであってはいけない。わかりにくいですよね。

何が不合理なのだろうというのがわかりにくいけれども、要するに少しは違っても、その違いがそれほど激しくないように、というのがこの「均衡」という考え方です。現在、パート法8条という条文と、労働契約法20条という条文がそういう定め方をしています。結構裁判も起きておりまして労働契約法20条がとりわけ活用されていて、片方だけに福利厚生を付与するとか片方だけに手当を付与するとか、そういう0か100かという取り扱いは条文違反だと裁判が起こされており、判決も登場しております。

もうひとつ均等待遇規定というものもあって、こちらの方はまったく同じ場合にはまったく同じに取り扱わなければいけないという考え方です。「均衡」の方は少し違っていたら違うなりに取り扱いなさい、「均等」の方はまったく同じ場合には同じに取り扱いなさいということで、パート法9条はそういうことを定めています。これはなかなか難しくて、正規と非正規がまったく同じ取り扱いを受けているなんていうことは通常ありえないですね。だからあまりこちらは利用されませんで、均衡待遇の方は裁判で根拠規定になっているというのが現状です。

では新しい法案要綱は何をしているかというと、この労働契約法20条の条文をパート法の中に持ってきて、新しくパート法を短時間労働、有期労働者法にして、そこに均等待遇、均衡待遇規定を設けようとしているだけです。条文の中味を変えているわけではありません。単に労働契約法からパート法へ20条を移すだけで、有期労働者もそこに組み込もうということだけです。労働者派遣法という非正規の3番目の派遣という働き方の人にもそれを及ぼそうということを少し考えていますが、派遣は派遣でまた例外を設けているという程度です。

これは、劇的な、本当に安倍さんがいっているようにいままでにない同一労働同一賃金という原則を持ち込む条文なのかというと、どうもそうでもないですよね。均等均衡待遇というのは、まさに職務と配置の変更の範囲が同じ場合には、あるいは似ている場合にはという、ことが入っていますので、これは考慮要素に入っているんですね。職務と配置の変更の範囲というのが考慮要素に入っていると、同じように非正規の人も配置転換されたり人事異動を期待されたりするかということです。非正規の人にはやはり人事異動はほとんどありません。昇進も期待されないので、同じような人材として使用者側が期待していることはほとんどありません。これがネックになって均衡な処遇もあまり実現されません。

ただこの法律ができる前に同一労働同一賃金のガイドラインを研究会が作ろうとしておりまして、そちらのガイドラインは手当等に関しては非正規の人にも正規の人と同じような仕組みで支給しなければいけない、それが同一労働同一賃金だといっています。その辺は少し活きてくるかなと思います。では手当以外の基本給はどうなのかというと、基本給が同一労働同一賃金になるということはガイドラインの中でもいわれておりません。ですから、安倍さんがいうように同一労働同一賃金原則がこの法改正によって実現するとは思えないので、私は法案要綱というのは「同一労働格差賃金」といった方が正確な言葉なのではないか。同一労働同一賃金とは言わないようにしようといっています。

「長時間労働の是正」ではなく「過労死促進法」では?

さてもうひとつ、長時間労働の方はどうなのか。これは画期的だと喧伝されております。日本は長時間労働の国だ、これはみんな認めるところですね。だから過労死も起きております。しかしこれも長時間労働の是正ではなくて、過労死促進法と言った方がいいくらいの法律内容になっています。ただしこの中には規制緩和部分と規制強化部分が含まれています。

では規制強化部分といわれているのは本当に強化なのかということです。現行法は、労働基準法の中で労働時間についてどう定めているかというと、労働基準法32条が原則として労働時間は1週40時間である、1日は8時間であるという原則を定めています。この限りでは日本はいい条文を置いているわけですが、大きな大きな例外を置いています。それが36条。例外として、労使協定を結んで、その労使協定を労働基準監督署に届出をすれば、時間外労働を命じることができるという条文です。労使協定を結ぶのは、過半数労働組合がある場合はその過半数労働組合が結ぶ、もしその職場に過半数労働組合がなければ、その職場の過半数代表者を選んでその代表者と使用者が労使協定を結ぶということになっています。

しかし協定の上限時間は自由に設定できるということになっていたので、それではいかんだろうというので、あるときに「告示」というのを設けるようになります。この告示は、まさにガイドラインです。厚生労働省の告示は現在どのように定められているかというと、1週間の時間外労働は15時間以内にしましょう、1ヶ月の場合は45時間以内に、1年は360時間以内にしましょうということです。これでも大変な長時間だと思います。1週間15時間の残業をずっと1年間やったら大変な残業時間になりますので、そこまでは許さずに1ヶ月の規制、1年間の規制を一応告示で指導をしているという状況です。ただ告示というのは単なるガイドラインで、法律の条文でこれが上限だと決めているわけではないので、ある意味、これに違反しても罰則は科されない状況です。

そこで新しい働き方改革法案要綱はどうしようとしているかというと、時間外労働の上限規制を新しく導入して、これが従来にない規制強化であるといっています。原則としては延長時間というのは告示通りで、月は45時間で年間は360時間である。ここまでなら、まだまだそれを法律上の条文で定めるというのは、プラスに評価できると思います。ところがそのあとが問題で、特例の場合があるんですね。現在も特例の場合を認めていますが、新しい法案は、特例の場合はそちらの方にも上限をつけようというのですけれども、年間だと720時間です。1ヶ月は100時間未満、複数月は平均して月80時間にしましょう。これだけでもすごくわかりにくいけれども、とりあえずこのまま行けば、半年間は月45時間を上限にしておき、残りの半年を含めると年間は720時間まで許すようにし、ひと月は100時間まで許すようにして、複数月平均では月80時間にならしましょうと、それが限度時間です。

一体これはなんだろう、と考えると、この特例の上限規制は労働災害の過労死認定基準から出てきています。労働災害――過労自死あるいは過労死した方が、長時間労働の労災であったと認定されるためには、一定の時間以上働いたということを示すと、自動的にこれは過労死であると認定されます。それほどの厳しい労働条件がひと月100時間以上働いたということであり、複数月平均で月80時間以上働いていたということなので、それを長時間労働の規制の上限にしようと持ち出したわけです。これはまさにまったく無意味といいますか、過労死認定基準をここに持ち込むということは一体どういう機能を果たすのだろうということを、深刻に考えざるを得ないです。

実は労使協定で短時間の労使協定を結ぶことができれば、それが一番良いんです。けれども日本の労使協定の現状は、いまは告示レベルです。告示が出されているので、せいぜいその告示の上限に合わせましょうといって労使協定が締結されていることがほとんどです。そして告示では厳しすぎるので、特例の場合には青天井で定めておくというのが現状です。労使協定の実態から見ると、今度は告示のレベルで半年間は定めておき、残りの半年はこの過労死基準で定めておこうということに当然なりますよね。そうすると、過労死を考える家族の会のみなさんもそうおっしゃっていますが、結局は過労死基準に合わせた労使協定が締結されるに違いない。現状を分析すれば当然そうなるのではないだろうか。だとしたら使用者は、過労死基準までは罰則なしで働かせても許されると受け止めるだろう。これは当たり前の話ですよね。だからこそ、こういう上限を定めてもなんの意味もないし、かえって悪化させるのではないか。

労働弁護団も同じように2017年2月28日に「月100時間」や「平均80時間」までの時間外労働を認めることは「裁判所によって公序良俗に違反し無効とされるおそれが強い」という声明を出されています。月100時間とか平均80時間まで時間外労働を認めるというのは、これはいままでの過労死を巡る裁判で散々いわれてきたことですけれども、ここまでいかなくても、むしろ長時間労働は公序良俗違反である。だからこれは許されないといっている裁判例もいくつもあります。それなのにこれを法律の条文で認めるということはかえって逆行するのではないかということを労働弁護団もいっています。じつはこれは代表的な規制強化部分として紹介されていますが、規制強化ではなくほとんど機能しない条文であるから、こんなことは必要ないといったほうがいいのではないかといわれています。

高度プロフェッショナル制度の創設は、規制緩和

 さらに高度プロフェッショナルというものが登場しました。最後の最後まで働き方改革の法案の中に入っていませんでした。これまでホワイトカラーエグゼンプションといわれて何度か国会レベルに出されたけれども、否定をされていました。ところが、ここでするりと今回法案の中に入って参りました。

高度プロフェッショナルという制度は、要するに特定の専門職の人たち、いまここに4つだけ職業としていわれているものがあります。金融商品開発とかアナリストとかコンサルタントとか研究開発とか、これは省令の中で定められることになっています。しかも年収が高い人という条件です。年収は1,075万円以上の人です。だから職業は特定されているし年収は高給取りだからということで、こういう人たちを全部労働時間規制から除外してしまおうという考え方です。

いままでも除外されている人はいました。それは管理監督者です。管理監督者はなぜ労働時間規制から除外されているかといいますと、これは特殊な人たちで、管理監督者は労働基準法の中では定義がありまして、使用者とほぼ同じ権限を持っている人に限られています。自分で仕事の分量を決めることができ、出退勤は自分の自由であるという状況にある人だけが労働基準法上の管理監督者概念です。そういう人は確かに労働基準法の労働時間規制からは除外しても自分で働き方は決定できる、というふうにして管理監督者はこれまで除外されておりました。

ところが、もしここで高度プロフェッショナルという人を労働時間規制から除外してしまうと、これは初めて管理監督者以外の、自分で労働の分量を決められない人を労働基準法から排除して、労働時間規制から除外してしまうということが起きるわけです。これはとんでもないことで、まったく考えられないことです。労働の分量を自分で決められない労働者を規制から除外してしまうというのは、いくら健康時間とか年間104日まで休日を与えなければいけないとか、いろいろな条件をつけていますけれども、そんなこととは無関係に、やっぱり過労死を促進するしかない発想だと思います。なので規制緩和ですよね。規制緩和を抱き合わせにして出している。

にもかかわらずこれを昨日、衆議院の厚生労働委員会で採決しました。一体何を考えているんだろうというのが正直なところです。やっぱり安倍さんは2013年に施政方針演説で言ったように、「世界で一番企業が活躍しやすい国」を実現したくなってこういう法案を出している。これは働く人々のことを考えてと何度も繰り返しておりますけれども、ここには働く人というのは入っていないと思います。むしろ企業が活躍しやすい、そういう国を目指してこの働き方改革を出しているのかと言わざるを得ません。

私たちは何ができるのか――「返せ☆生活時間プロジェクト」

私たちは何ができるのかということを最後にお話ししたいと思います。実は2015年から私たちは「返せ☆生活時間プロジェクト」というものに取り組んで参りました。一体何でこういうことをやっているのかというと、労働時間短縮問題は実はずっと昔から大事だ、大事だと言われていながら本当に広まらず、長時間労働はずっと昔から変わっていません。日本は年間労働時間が短縮されたと、ときどき統計で言われることがありますが、それは大きなうそです。なぜかというと、パートを含む年間労働時間になってしまっているからですね。パートタイム労働者はどんどん増えていますから、短時間労働者が増えれば増えるほど年間総実労働時間は減るわけです。昔は2000時間を超えていたのが、いまは1700時間台であるというのは、これはパートを含んでいるからです。パートを除外して一般労働者だけの年間総労働時間を見ると、実は2000時間を超えて2010時間くらいです。ずっと変わっていないんですね。やっぱり日本は長時間社会です。

こんなに過労死の人が増えているのに、どうして時間短縮運動が広まらないんだろう。どうも時短というのは、本気になってみんなが取り組むような課題になっているのだろうかということを疑問に思いまして、もう少し別の観点を入れてわたしたちの意識改革をしなくてはいけないのではないかと思ったんですね。「生活時間」という言葉でこれを表したらどうだろうか、と発想転換いたしました。言いたかったのは、実は労働時間問題というのは、労働組合だけの問題ではない、家族の問題でもあり、地域の問題でもあり、国民全体の問題だということですね。それを言いたくて生活時間と言ったらどうかと思いました。

なぜかというと、長時間労働で奪われているのはわたしたちの生活時間だからです。1日は24時間しかありませんから長時間労働で時間を奪われれば、短縮されてしまうのは、奪われてしまうのは、生活時間ですね。生活の中でわたしたちは一体何をしているのか。すごく大事な活動をしているわけです。地域活動もし、みなさんのように今日ここに来て学びもし、それから政治活動もしています。家事や育児のようなケア活動もしていますよね。食事の支度もし、そういうことをみんなしているのに、それを短縮されてしまうのは持続可能な社会にとっては大変大きな痛手のはずです。だからそれに気付いて本当は長時間労働を変えなければいけないのに、あたかもいま長時間労働問題は労働組合だけが取り組むような課題だと思って、労働者の問題だと思っている。それはやっぱり間違いだと言いたいんですね。

本当は国民の意識改革をして、国民全体の問題しなければいけないはずです。それなのに長時間労働問題に労働組合は本当に取り組んできたのかと、労働組合に突きつけたいんです。労働組合の人たちって、はっきり言って「おじさん」が多いですね。私は「ケアレスマンモデル」といっていますが、「ケアをする必要のないマンのモデル」、それが労働組合です。36協定を締結するときに、過半数組合は短時間の36協定、あるいは36協定なんか締結しないと突き放すくらいの運動をすればいいのにしません。なぜかというと、実は時間外労働手当が欲しいという人が中にいる。手当が欲しいから36協定を結んでしまう。弱い人はそれにしたがって働かされてしまうという、そういう構図を、どこかでなくさなければいけないのではないかということです。そのためには「ケアレスマンモデル」の職場をなくして、女性が本当に働けるような企業社会にしない限り、日本は変わらないと考えています。私は女性中心アプローチというのを労働法の中で提唱していますけれども、本当に女性の働き方と大いに関係しているわけです。

「生活時間」の公共的性格、残業は2時間まで

では労働時間を分析するときに、生活時間アプローチをとる基本コンセプトは何かということになります。いくつか紹介しますが、ひとつは生活時間の公共的性格といっています。生活時間というのは決してプライベートな、私個人の時間だけではないですね。仕事に従事する時間以外のことを生活時間というので、そこでわたしたちが何をしているかというと、自己啓発や余暇、ケアのための時間をとっています。それから地域活動や社会活動をしているので、これはとても重要な時間なので、公共的な性格があるくらいに言わないといけないのではないか。それを奪うなということを言いたいと思います。公共的な性格のある生活時間を奪う長時間労働というのは、職場だけの問題ではなくて、家族や地域住民を巻き込んだ国民全体の重要課題だと言わないといけないんじゃないかと思います。

そうなると2番目に言いたいのは、1日の労働時間を規制しないといけないということです。生活というのは日々の生活ですから、どこかでまとめて休暇を取ればいいという問題ではなく、この生活を大事にするためには1日の労働時間の規制をどこかでしないといけない。私は、時間外労働は2時間までだと思います。昔これは一般女性保護規定として、労働基準法64条の中で定められていたものです。女性だけ2時間という時間外労働の規制があるのは平等とは相反するということで、男女雇用機会均等法ができたときに撤廃されたいきさつがあるんです。本当はそのときに、この2時間というのを男性にも及ぼして、男性だって2時間が限度でしょ、と男女共通規制をつくろうという運動をしました。でも、それは当時の男性には到底受け入れられずに終わってしまい、女性に対する保護規定だけが撤廃されました。いまこそ生活時間の発想で、せいぜい1日の時間外労働は2時間までというくらいの規制をかけないと、この問題は本当にいつまでもずるずるになるんじゃないかと思います。

3番目もちょっとショッキングなことですけれども時間外労働は、いまは手当さえ払えばいいという問題になっています。でもそうではなくて、時間で清算してくれという「時間清算原則」で行くべきではないかと思います。もちろんお金も欲しいですよ。けれどもそれだけではなくて、どこかで時間で返せる程度の時間外労働命令でないと違法だと言わなければいけない。これはドイツの「時間金庫」という考え方ですね。ドイツは、時間外労働手当はありません。時間外労働をすると、金庫にお金を貯めるように時間をためていくんです。そして貯まった時間は、一定の期間以内に返してもらわなければいけない。8時間たまったら1日休暇をもらう。16時間たまったら2日の休日をもらう。そういう返せる程度の時間外労働でないと、使用者は命じてはいけないとなっています。

もちろん1週間の労働時間が48時間というのは、確実な上限なんですね。日本は40時間になっているから日本の方がいいかというとそうではなくて、日本は40時間だけれども、時間外労働はいくらでも積み重ねていいわけです。ドイツの48時間というのは上限で、それ以上は働いてはいけない時間になっています。しかも時間金庫の発想があるので、一定の労働時間がたまったら休日で返すという発想です。日本もこれくらい言わないと時間短縮にならないのではないかと思います。

4番目には労働時間のモニタリングができないだろうかと思います。いま、労働基準監督署がしっかりと違法な残業については罰則付きで監督してくれています。これはとても重要だけれど、それだけではなくて地域ごとに労働時間のモニタリング委員会のようなものを設けて、地域の企業がどの程度時間外労働をさせているのか、あるいは労使協定はどの程度のものを締結しているのか、実際それがどうやって運用されているのか、そういう委員会をつくる。そして企業はその委員会に報告義務のようなものがある、こういうふうにしてはどうだろうか。

この委員会に誰が参加するのかと言えば、地域ごとにPTAも大事だし地域の住民も関与し、もちろん労働組合、それから経営者団体も重要ですよね。それから女性団体も入って、いろいろな地域活動をしている人たちが集団で、こういうモニタリング委員会のようなものをつくり、そこに地域の事業所の労働時間の実態を把握するようなことを義務づけてはどうか。そういう試みができれば、企業の中で閉じいるいまの労働時間問題を地域にオープンにする。そういうきっかけになって、地域ぐるみで労働時間問題に関心を持つことができるようになるのではないかということで、いろいろなことをやっております。

働き方改革の中では、立憲民主党が労働基準法の中にはないけれども雇用対策法の中に生活時間という発想を持ち込んでいますので、私たちとまったく無関係ではないと思っているところです。今日の参考文献の中には、少し「返せ☆生活時間プロジェクト」について言っているものもありますので、ぜひ生活時間という言葉をまずははやらせて、みんなで時間短縮がなぜ必要なのか、なぜ重要なのかということを言っていきたいと思います。そうなれば働き方改革でどんな法案が通っても、過労死する前に、とにかく生活時間を返せ運動を広げていくことによってもう少し日本の長時間労働を是正していくことが可能なるかとおもいます。こちらはもっと積極的な運動をしていったらどうかなという提言でございます。

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映画・「タクシー運転手~約束は海を超えて」と、劇画・「沸点~ソウル・オン・ザ・ストリート」

中尾こずえ(事務局)

映画が撮影されたのは朴槿恵政権下の2016年6月から10月。その直後、「崔順実スキャンダル」が起き、朴槿恵大統領は罷免された。5月の大統領選挙で当選した文在寅大統領は在任直後の光州事件37周年式典に出席して「5・18民主化運動は全ての国民が記憶して学ぶべき誇らしき歴史」と演説した。
そして、8月、韓国で「タクシー運転手」が封切られた。

1980年5月。光州事件の真実を追い求めた1人のドイツ人記者ユルゲン・ヒンツペーター(ピーター)とソウルから彼を乗せて広州まで一緒に行ったタクシー運転手キム・マンソプという実在の人物をモチーフにした物語。マンソプは11歳になる娘を男手一つで育てている。決して裕福とはいえない暮らしだ。隣の家主のおばさんに家賃滞納の支払いを催促されるが出来ずにいる。「靴は踵を入れて履きなさい」とマンソプは娘に注意するが「靴が小さくなって履けないの」と成長期の娘から切り替えされる。そんな平凡な日常のひとコマから始まる。ある日、外国人客を乗せて光州に入り、通行禁止前にソウルに戻れば滞納家賃と同額の10万ウォンを貰えるというタクシー運転手の話を耳にし、自分がその客を乗せようと決める。ちゃっかりと先回りし、ドイツ人記者のピーターを乗せる事に成功する。(ピーターは韓国内で尋常じゃない事が起きていることを知り、記者という身分を隠し入国した東京に支社を置くある公営放送特派員)。以前サウジアラビアの建設現場で覚えたという貧弱な英語力でピーターと何とか会話を交わしながら一路、光州を目指す。戒厳令が布かれた検問は厳しい。何としてもタクシー代を受け取りたいマンソプ。機転を利かせて検問を突破し、時間ギリギリで広州に到着した。マンソプは、厳しい状況下におかれている光州を目の当たりにして「危険だからソウルに戻ろう」と主張するが、ピーターは耳を貸さず撮影を開始。記者としての使命感から取材を続ける。デモ隊に参加していた大学生のク・ジェシクは英会話ができることからタクシーに同乗し、ピーターの取材を手助けすることになる。光州のタクシー運転手ファン・テスルがサポートに加わる。状況は徐々に悪化。テスルは光州生まれの光州育ち。地道に生きている純粋で情に厚く温もりのある姿がとても良く描かれている。負傷した学生や市民をタクシーに乗せて病院に運んでいる途中、マンソプとピーターに出会う。マンソプの車が故障した事を知ると2人を自宅に招き夕食を振る舞う。ジェシクも一緒だ。ジェシクも光州で生まれ育った平凡な大学生。「大学歌謡祭に出たくて大学に入ったんだ」と即興で歌を披露する。テスルの妻は「キムチしかないよ」と言いながらも精いっぱいもてなしてくれる。テスルはすべてのマスコミが光州の実情を伝えないことに怒りを募らせている。

そして翌日
マンソプは取材を続けるピーターを現場に送りとどけ、娘の待っているソウルへと急ぐ。帰宅の途中、娘の靴を買う。奮発してピンク色のオシャレな靴を。そして、腹一杯朝ご飯を食べる。ここで、いま光州で起こっている事態に気持ちが揺れ動き、光州に思いを馳せる。「お父さんはもう少し仕事で遅くなる」と娘に電話を入れて、猛スピードで光州に引き返す。明るいグリーン色の丸みを帯びたタクシーはマンソプに良く似合う。

何としてもピーターを空港まで無事に送らなければならない。光州で起こっている真実を報道してもらうために。マンソプとテスルと学生たちはピーターを援護しながら逃げる。が、ピーターが誤ってフイルムを落としてしまった。フイルムを取り戻すため闘った一人の学生が、軍部の特殊部隊に殺された。綿南路のビルの屋上からカメラを回し、戒厳軍がたくさんの死傷者をだして市民を弾圧している貴重なフイルムだ。ピーターは仲間を死なせてしまった事に無念の気持ちで、帰ろうとする足が進まない。留まろうとするが、テスルは言う。「あんたは悪くない。謝るべき連中は別にいる」。ピーターは「約束する。必ず真実を伝える」と言い、タクシーに乗り込む。マンソプは必死で空港に急ぐ。光州タクシーのデモ隊が圧巻だ。クラクションを鳴らしながら抗議する車両デモは、銃弾を撃ち放つトラック部隊からタクシーを防衛しようと体当たりでぶつかっていくのだ。テスルは大声で言う。「気をつけるんだぞ。ここは俺たちに任せておけ」と(私は涙腺が緩みっぱなしだった)。軍・警察は「ピーターを国外に出すな」の指令下、細部にわたって検問がしかれたが、最後の検問を無事突破する。車のトランクに入れた土産物の下に潜ませたフイルムを見逃してくれた監視役の若い将校が印象に残った。

「この話は平凡なタクシー運転手と外国人記者、それから光州で出会う二人を通じて描かれる〝あの日”に対する物語だ。そして平凡なある個人と時代が生んだ、危険な状況に負けず、最後まで自分の仕事を成し遂げたという話でもある。」(監督 チャン・フン)
後日、ピーターが取材した映像は世界中に報道された。約束は海を越えた。

〝あの日“から7年後の韓国

1987年6月の民主化運動が高揚するなか、6月抗争の導火線となる事件が起きた。同年1月、南営洞の治安本部取調べ室で、ソウル大学の朴鐘哲(パク・ジョンチョル)が拷問を受け死亡したのである。治安当局は当初、「机をドンと叩いたらウッと言って死んだ」と、とんでもないことを発表して、事件を隠蔽しようとしたが検死の結果、電気と水の拷問である事が明らかになった。ジョンチョルの死は民主化運動とは無縁だった母親たちの怒りを呼び起こした。「沸点」の主人公、クォン・ヨンホは学生運動を憎む反共少年として育ったが、入学した大学で光州事件の真相を知って衝撃を受ける。民主化運動に飛び込んでいき逮捕される。ヨンホの母親、チャン・オクブンは自分の母親が朝鮮戦争期、「アカ狩り」に射殺された暗い過去を持つ。動揺するオクブンはヨンホの面会に行き「アイゴーォォォ!お巡りさんヨンホを助けて下さい」と哀願する。このお母さんが凄い。実に見事に立ち上がっていく。若い女性リーダーの説得や、母親の理不尽な死の生々しい記憶があるからだ。一方、独房に入れられているヨンホは隣の房の大先輩との窓越しの会話がいい。ヨンホ「もう分からなくなりました。本当に勝てるのか・・・ 終わりがあるのか…」。隣の人「ヨンホ、水は100℃になれば沸騰する。あとどのくらい火にかければ沸騰するのか、温度計で測れば分かることだ。しかし世の中の温度は測ることができない。今が何度なのか、あとどれだけ火をくべる必要があるのか。世の中も100℃になれば必ず沸騰する」。ヨンホ「先生はどうやって何十年も辛抱できたのですか?」。隣の人「オレだって分からなくなる時があるよ。だけどそのたびにこう思うのさ。今が99℃だ。そう信じなきゃあ、99℃であきらめてしまったらもったいないじゃあないか。ハハハ・・・」

解説 クォン・ヨンスク(一橋大学大学院准教授)

光州抗争は後の6月民主化抗争の起点となる重要な意味をもっていた。一つは学生デモから民衆全体の「抗争」へ発展した事である。討論を通じた直接民主主義を実践した。分断国家である韓国の民主化運動は市民的権利だけでなく南北融和と平和な東北アジアの実現、「冷戦の超克」を志向していた。ここに韓国民主化運動の普遍的意義があった。
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87年の街頭に現れた民主化運動は21世紀のキャンドル革命へと引き継がれ、2016年4月の選挙で新しい民衆の大統領を誕生させた。
ここで使われたキャンドルは海を渡って総がかり行動実行委員会に届いた。今日、国会前19日行動で参加者は手に灯す予定だ。変革する時まで諦めないことを誓って。

「タクシー運転手――約束は海を越えて」

2017年・韓国 チャン・フン監督作品
「沸点――ソウル・オン・ザ・ストリート」
作:チェ・ギュソク 訳:加藤直樹
定価1700円+税 発行:ころから

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