私と憲法204号(2018年4月25日号)


「お前は国民の敵だ」、現職自衛官による民進・小西氏への暴言を許さない

「日本会議」など極右勢力を基盤として国家の私物化をすすめてきた安倍政権のもとで、国家・行政権力の前代未聞の腐敗・崩壊現象が露わになっている。

森友・加計学園疑惑にまつわる公文書の改ざん、隠ぺい、防衛省のシビリアン・コントロールの崩壊、財務官僚によるセクハラなどなど、政府と国会、市民との関係は極めて異常な事態を迎えている。23日の東京新聞は1面トップで「異常事態の安倍政権 疑惑・不祥事3カ月で『13』」と報じた。あらためて国家的犯罪「事件」の多さに驚かされる。
にもかかわらず、立憲野党の共同した追及に対して安倍政権は、真摯な議論を避け、責任の所在を明確にしないばかりか、真実を隠蔽し、居直り、逃げ回っている。右派系の読売新聞が20日~22日に実施した世論調査でさえ、安倍内閣の支持率は続落して39%となり、非支持率は53%で第2次安倍内閣発足以来、最高値を示した。加えて「麻生財務相は辞任すべき」が50%、「安倍首相の責任は大きい」が74%だ。安倍内閣はいま急速に下落する内閣支持率と高騰する内閣不支持率のまえに、政権の危機に直面している。

安倍晋三政権は日本会議など極右・改憲派のエースだ。改憲派にとって、この切り札の安倍政権のもとでの改憲策動に失敗することは絶対に許されない。もし倒れたら、この国でしばらくは改憲策動は不可能になる。改憲派はいま、倒れそうな安倍政権を支えるために必死の策動をしている。

4月20日、桜井よしこの大きな写真を配置した「国会よ、正気を取り戻せ」と題した「国家基本問題研究所」(理事長・桜井よしこ、副理事長・田久保忠衛)の意見広告が、産経、日経、読売の各紙に掲載された。これは安倍政権の危機に直面した桜井らのうろたえぶりを如実に示したものだ。

意見広告は「憲法論議、北朝鮮問題、戦略的思考を要する日中関係、経済摩擦も加わり複雑さを増す日米関係など、国家的課題が置き去りにされている」として、「一体いつまで続けるつもりなのか。多くの野党、メディアはモリカケや自衛隊日報の『疑惑』追及に明け暮れ、事の軽重を完全に見失っている」と断じ、野党は「論点がずれた(安倍首相の)『疑惑』を持ち出し続けている」と、安倍首相の責任が問われていることに怒りを表明している。そして、その野党の安倍首相批判の目的は「安倍首相の掲げる憲法改正阻止にあるのではないか」と断じている。そのうえ、「わが国がいま外交、安全保障で身動きが取れなくなっているのは、現実に対応できなくなった憲法を正そうとせず、常識から外れた論議に終始する政治の無責任さに原因がある」と結論づける。

安倍政権は「日米機軸」を高く持ち上げて、トランプ大統領と100%一致しているといいつのったにもかかわらず、朝鮮半島の危機の打開の動きでは全く孤立して蚊帳の外におかれ、米国からさんざん高価な武器をかわされたうえ、経済摩擦で米国の貿易赤字のつけをまわされてしまった。これは硬直した右派路線をとる安倍政権自らが招いた外交の失敗で、まさに国家的危機だ。野党や、国会や、憲法のせいにするのはお門違いも甚だしい。

自衛官の現職幹部による小西議員罵倒のもつ意味

4月17日の参議院外交防衛委員会で民進党の小西洋之参院議員が驚くべき事件を明らかにした。小西議員は16日午後9時ごろ、国会前の路上で、ジョギング中の現職自衛官と名乗る男性から「お前は国民の敵だ」と暴言を浴びせられた。男性は、近くにいた警察官らが駆け付けた後も同様の発言を執拗に繰り返し、30分にわたり、ののしり続け、暴言の重大性を指摘されると最終的には謝罪したという。

彼は「小西か、俺は自衛官なんだよ」「おまえ、ちゃんと仕事しろよ」「お前は国民の敵なんだよ」「お前、気持ち悪いんだよ」「国会議員に意見して何が悪い」などとからんできたという。小西議員は自衛隊法に反する可能性を指摘して発言の撤回を求めたが、撤回が拒否されたため、その場から豊田硬防衛事務次官に電話して事件を伝え、近くで警備中の警察官を呼び寄せた。加勢の警察官も駆け付け、所轄の麹町署の警備課長も到着すると、この自衛官はようやく、態度を変え、発言を撤回したという。

この自衛官の行動はわが国最大の実力組織の「自衛隊員の政治的行為を制限した」自衛隊法に違反するものであり、許されざる行為だ。防衛省はこの人物が統合幕僚監部に勤務する30代の幹部自衛官(3等空佐)と確認し、河野克俊統合幕僚長は小西議員に直接謝罪した。小野寺五典防衛相は同委員会で、この件についてすでに報告を受けているとし、「自衛隊の服務の問題になる。事実関係を確認した上で適正に対応する」と述べた。

しかし小野寺防衛相は同日、記者団にたいして「若い隊員がおり、様々な思いもあり彼も国民の一人でありますので当然思うことはあると思う」などと述べ、19日の参院外交防衛委員会では「擁護するというつもりはない」と答弁する一方、「自衛官にも憲法で保障された内心の自由は認められる」などと発言し、問題の重大性が全く認識されていないことを露呈した。

筆者は19日夜、国会議員会館前で開催された総がかり行動実行委員会などが主催した「安倍9条改憲NO! 森友・加計疑惑徹底追及! 安倍内閣退陣! 4・19国会議員会館前行動」でのあいさつでこの事件に触れ、「このところの自衛隊の暴走は目に余る。これは安倍首相の9条改憲、自衛隊の根拠規定明記の動きと軌を一にしたものだ」と指摘した。

おりしも、自衛隊のイラク戦争と南スーダン派遣の際の「日報」隠しが問題となり、情報の公開原則と、民主主義の根幹にかかわるシビリアン・コントロールからの逸脱が指摘されている時だ。

国会では「廃棄した」とされていた南スーダンPKOの日報が見つかり、隠ぺいはPKO参加5原則に抵触する「戦闘」との記述を隠すためだと指摘されていた。また防衛省は従来、「ない」としてきた陸上自衛隊イラク派兵部隊の日報を公表した。明らかにされた日報によれば、自衛隊のイラク派兵は「非戦闘地域」での活動が建前だったが、派遣された自衛隊員が「殺し、殺される」危険にさらされていた「戦闘地域」だったことが明らかにされている。しかし、サマワの陸自宿営地とその周辺への迫撃砲などによる攻撃が多発した04年4月~05年1月の日報は隠ぺいされ、わずか2日分しかない。ここにいたっても「サマワなどは戦闘地域だった」という決定的な証拠を隠そうとしているのだ。

こうした自衛隊、防衛省の暴走の背景は、安倍政権のもとで海外での戦争を許容する「戦争法」などの法体系が着々と、ととのえられ、また、その実力を強化するための防衛予算が年々増大されるなど、自衛隊の社会的地位の変化にある。

2017年5月3日に安倍首相が発表した9条改憲案にたいして、河野克俊自衛隊統合幕僚長が「一自衛官として申し上げるならば、自衛隊の根拠規定が憲法に明記されるということであれば、非常にありがたいと思う」とのべたことがある。河野統合幕僚長が「一自衛官としてした話」と前提を付けたとはいえ、この発言は自衛隊員の政治的行為を制限すると規定した自衛隊法61条に違反したとんでもない発言だ。先の小西議員に対する自衛官の暴言同様、こうした行為が容認される空気が自衛隊の中にある。

5・15事件で叫ばれたスローガンの復活

歴史を振り返えると、この自衛官の「国民の敵」呼ばわりには既視感がある。
1932年の5月15日、海軍青年将校らが首相官邸を襲撃し、犬養毅首相を暗殺した「5・15事件」のさいの檄文の文言には「日本国民よ!国民の敵たる既成政党と財閥を殺せ!祖国日本を守れ」とあった。

有名な話だが、その時、犬養は「話せば分かる」と制止したが、将校らは「問答無用」と銃撃した。犬養内閣の崩壊後、日本は軍部独裁の体制の下、中国大陸に対する侵略戦争に突入した。

この小西議員を罵倒した自衛官の脳裏には、この「国民の敵」のスローガンがあったに相違ない。いや、それどころか、自衛隊の若手幹部の中で、こうした過去の歴史を研究し、「5・15事件」の首謀者らにシンパシーを寄せる空気が醸成されているのではないか。そして、この小西議員らの発言を研究し、共通して指弾する空気があるのではないか。これはただ事ではない。5・15事件に先立つ1930年9月下旬、陸軍革新派ら若手の佐官、尉官を中心にしたクーデター準備組織・秘密結社「桜会」が作られ、繰り返しクーデターを企て、1931年9月18日の柳条湖事件をきっかけとした「満州事変」、15年戦争への突入に重要な歴史的役割を果たしたことがある。この自衛官の行動を見ると、すでに自衛隊の中で「桜会」が復活しているのではないかと疑わせる。この動きは「国民」を敵と味方に分断し、敵を「非国民」と指弾するものであり、特別職の国家公務員としての全体の奉仕者の立場とは全く対立するものだ。
4月22日の東京新聞「本音のコラム」で法政大学の山口二郎教授はこう指摘した。

「(自衛隊は戦前の反省から出発した)吉田茂は『自衛隊が国民から歓迎され、ちやほやされる事態とは、国家存亡の危機の時か、災害派遣の時とか、国民が困窮している時だけなのだ。言葉を変えれば、君たちが日陰者であるときの方が、国民や日本は幸せなのだ』と言い切った。自衛隊を日陰者にするつもりはないが、自衛隊の本質を言い当てている」と。

筆者の子どもの時分は、自衛隊員が休暇でも制服で安倍政権は退陣を!あたりまえの政治を市民の手で!4.14国会前大行動  主催:戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会/未来のための公共/Stando ForTruth。 4月14日、午後2時から国会正門前から一体に3万人の市民が集まりコールとスピーチ、音楽を繰り返して安倍政権退陣と迫田英典氏、安倍昭恵氏、谷査恵子氏らの証人喚問を要求した。午後6時からもキャンドルを掲げたスタンディングがあり、国会周辺には1日中抗議の声が渦巻いた。

外出することをためらう雰囲気があった。まさに日陰者扱いだ。いまはそうではない、世論調査でも自衛隊への理解と支持は圧倒的割合を占める。それが安倍政権のような憲法無視・敵視の政権のもとで、自衛隊の政治への関与が正当化され、批判勢力に対する敵視につながっているとしたら、極めて危険なことだ。

「クーデターの危険などあり得ない」と考える市民が多いと思うが、今回の小西議員へのこの自衛官の言動をみれば、それはあながち杞憂ではないことを知らされよう。

この危険な動きを芽の内に摘むことができるかどうか、それは今回の事件のようなことをけしてうやむやにしないで、問題を抉り出し、決着をつけることだ。

不戦・非武装の憲法第9条の下で、国会の多数をかさに着て恣意的に解釈に解釈を重ね、日米安保体制を正当化し、自衛隊を組織し、強化して、世界有数の暴力装置にまで育てあげた戦後の政治過程の矛盾は、いずれ憲法第9条に沿って変革されなければならない。まっとうに考えるなら自衛隊の存在が憲法違反であるのは論を待たない。この自衛隊のある限り、軍事力による政治への介入の危険はなくならない。

おりしも安倍首相によって、憲法第9条の破壊が企てられている時だ。私たちはもういちど憲法第9条の価値を再確認しなくてはならない。

この国に戦争への道を走らせないためにも、今回の事件をあいまいにすることはできない。腐敗した権力は倒さなければ倒れない。

小野寺防衛相と河野議長の引責辞任、および首相の任命責任を明らかにしなくてはならない。このように暴走する体質をもった自衛隊の根拠規定を日本国憲法第9条に付け加えるのは、平和憲法の破壊であり、許されない。
(事務局 高田健)

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キャンドル抗争国際シンポジウム

開催の趣旨

- 2016年10月29日から2017年4月まで行われた韓国市民の大きなキャンドル抗争は、反民主、反民生、反平和、反人権の朴槿恵前大統領を弾劾に追い込みました。

- キャンドル行動は毎週行われ、23回に渡ってキャンドルが灯され、全国的には232万人が結集、合計1700万人が参加した運動でした。人権と民主主義のために、全ての韓国市民は自由で創造的で、ダイナミックにキャンドルを掲げました。この過程で、ただの一人として逮捕者も負傷者もなかった新たな形の民主主義革命でした。

- また、韓国の民主主義に新たな活力を吹き込み数週間にわたって平和的集会の権利を行使した全ての市民により作られた巨大な祝祭でもありました。

- その直後の選挙で政権交代を成し遂げ、国民により当選した文在寅大統領は、自らを「キャンドル大統領」だと述べています。

- しかし、キャンドルの願いであった根本的な社会的大改革はまだ成し遂げられていません。広場のキャンドル、直接民主主義を願う巨大な市民キャンドル運動は、今後政治的、制度的収れん過程を経て、しっかり制度化されなければなりませんが、韓国社会においてはまだ今後の課題として残されたままになっています。

- ここに、各国別に「広場市民運動」と、これを政治的・制度的に収れんされる過程を見ることにより、各国の運動主体が成就した成果と限界、そして今後の展望を考えて行こうと思います。各国の経験を共有しつつ、「広場運動」を社会の変化に結びつける方策と関連した様々な実践と新たな問題を模索する国際シンポジウムを開催致します。

討論会の概要

名称: キャンドル抗争国際シンポジウム
テーマ: 広場民主主義と社会変化の展望
日時: 2018年 5月 24日(木)-25日(金)
場所: 韓国ソウル(ソウル・グローバルセンター・ NPOセンター)
主催: 退陣行動記録記念委員会、 民主化運動記念事業会
後援: ハンギョレ新聞社

5月24日 (木)
1部(9:30~10:00)
歓迎あいさつと基調発題
歓迎の辞: チョン・カンジャ、参与連帯共同代表
基調発題:キャンドル抗争の政治的意味と残された課題
ペク・ナクチョン(白楽晴)(15分)

2部(10:00~12:00)
各国の事例

(1) 西欧の事例
司会: パク・ソグン、退陣行動記録記念委員会、共同代表

スペイン: 15M 運動とポスデモス
スペイン・ポスデモス (30分)

アイスランド: フライパン革命と海賊党
ビルギタ・ヨンスドティール、
アイスランド海賊党共同創立者 (30分)

コメント : イム・チェウォン慶煕大教授
イ・ジュホ、民主労総政策室長

* フロア討論、発題者からのコメント
昼食 (12:00-13:30)

2部(12:00~16:15)
(2) アジア、アフリカの事例
司会: パク・レグン、退陣行動記録記念委員会、共同代表

チュニジア: ジャスミン革命とバスケット革命
メサウッド・ロムダニ、人権運動家 (30分)

日本:総がかり行動と安保法制反対運動、国会前12万人集会
高田健 (30分)

台湾:ひまわり運動と台湾青年党
ウ・ウィルォン、台湾歴史研究所研究委員 (30分)

コメント:
イ・ソンフン、韓国人権財団常任理事
ペク・テウン、ハワイ大ロースクール教授
パク・ミンヒ、ハンギョレ新聞記者

* フロア討論、発題者からのコメント
3部(16:30~18:00)
総合討論
司会:クォン・テソン、退陣行動記録記念委員会、共同代表

論点整理:キム・ドンチュン、聖公会大教授 (15分)

* 争点別総合討論 :各国事例発表者(5人)
ジュ・ジェジュン、前退陣行動政策企画チーム長

* フロア討論、発題者からのコメント時間
日程
9:00 - 12:00
現場訪問:光化門広場
12:00 - 2:00
昼食
2:00 - 5:00
特別講演 (未定) まとめ

*訳注:主催の「朴槿恵政権退陣非常国民行動・記録記念委員会」について
「朴槿恵政権退陣非常国民行動」は、全国2,000以上の団体が加盟し、キャンドル行動を率いた。聞くところによると運営チームは組織、企画、広報、財政、文化などに分かれ、緊密な連携プレー、専従100人が約1年間活動していたとのこと。
2016年10月29日の第1回集会(*民衆総決起集会)を皮切りに2017年4月までの土曜日開催のキャンドルデモで朴槿恵前大統領を弾劾、罷免させた。 (3月10日罷免、3月31日前大統領逮捕、5月9日大統領選。)
2017年5月24日、解散を宣言。その後、白書の発刊などのために、「朴槿恵政権退陣非常国民行動・記録記念委員会」 (共同代表:クォン・テソン環境運動連合代表、パク・レグン人権財団「人」所長、パク・ソグン韓国進歩連帯常任代表、 チョン・ガンジャ参与連帯代表、チョエ・ジョンジン民主労総委員長職務代行)を立ち上げ、「100項目キャンドル要求の進捗点検作業」などを行っている。

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第122回市民憲法講座 コスタリカから考える日本国憲法第9条

お話:伊藤 千尋さん(国際ジャーナリスト・九条の会世話人)

(編集部註)3月24日の講座で伊藤千尋さんが講演した内容を編集部の責任で要約したものです、要約の責任はすべて本誌編集部にあります。

違う2つの国が平和憲法で60年やっている

こんばんは、伊藤といいます。僕が最初にコスタリカに行ったのは1984年でした。当時の中南米は内戦だらけで、ほとんど戦争取材でした。中南米のグアテマラ、ニカラグア、エルサルバドル、といった内戦をやっている国の取材をして、その隣のコスタリカに来ると不思議な気がしました。子どもが学校に行っている。子どもが学校にいくって、日本では当たり前ですけれども中南米では当たり前ではありません。10歳の子どもが鉄砲を持って戦うのが中南米の当たり前だった。そういうところから一歩国境を越えてコスタリカに行くと、子どもが鞄を持って学校に行くんですね。すごく不思議でした。そして、平和っていいものだということをあのとき実感したんです。いま中南米はほとんど平和になってきましたけれども、その中南米を平和にした国が、コスタリカです。当時、中南米の3つの国が戦争をしていました。3つとも戦争は終わりました。終わったのではないんです。終わらせた国があった。どこかといえばコスタリカです。

この国がすごいのは、日本と同じく平和憲法を持っているというだけではなくて、平和憲法を使っているということです。日本は憲法を持っているだけじゃないですか。「守れ、守れ」というけれども僕は守っていたら勝てないと思います。守るのではなくて活かさなければいけない、と考えています。その憲法を活かすことを実際に国を挙げてやっている国、このコスタリカから見ると、日本をいったいどういう国にすればいいのかということが見えてきますね。ただ憲法を守れではなくて、憲法を活かしたらこういう国づくりができる。そういう見本みたいなものがどんな社会なのかということを、今日は画面を見ながらお話ししたいと思います。

これはコスタリカの国会がいまから3年前、2015年1月20日に全会一致で決めたアピール文です。それは平和憲法を長年にわたって持っている日本国民とコスタリカ国民の両方に、共同でノーベル平和賞を与えよというアピール文です。これをコスタリカの国会は満場一致で決議しました。僕は2年に1度コスタリカに行っていますが、このときたまたまコスタリカにいまして、「これを取材に来たのか」と言われて「何のことだ」と言ったのですけれども、ちょうど国会でこういう決議があった。コスタリカの国会はこういうことをするのかと、日本とだいぶ違うじゃないですか。

去年の4月にまたコスタリカに行きました。このときはたくさんの日本人と一緒に行きましたが、神奈川県で日本の平和憲法にノーベル平和賞を与えよという運動をしているグループがありまして、その人たちも一緒に行きました。画面の左側、ピンクのシャツを着ている人がグループの羽生田さんという人です。これはコスタリカの国会で、国会議事堂の中に貴賓室のようなものがあって、真ん中に立っているのはわたしで、羽生田さんが日本のNGOから持ってきたアピール文を読み上げているところです。コスタリカと日本の国民が一緒になって世界に平和を広げていきましょうというアピール文です。向こう側に座っている2人のうち、黒いスーツを着ている人が国会議長のラミレスさんです。アピール文が読み上げられたあとラミレスさんが立ち上がって言いました。「いま胸に響く言葉をいただきました。コスタリカと日本とはまったく違う国です。ひとつは温帯である、ひとつは熱帯である。ひとつは経済大国、ひとつは開発途上国。そういうまったく違う国が、しかし両方とも平和憲法を持って両方とも60年以上ちゃんとやっている。ということは、世界中どこの国でも平和憲法を持ってやっていけるということだ。このふたつの国民が一緒になって世界に平和を輸出しましょう」、こう国会議長さんはいいました。うちの国会議長とだいぶ違うよね。

コスタリカの何が素晴らしいのか

このコスタリカはどんな国なのでしょうか。北アメリカの地図があります。アメリカ、メキシコそして南米と挟まれた地域が中米です。白いところがコスタリカです。右側にカリブ海、こちらが太平洋、両方を海に挟まれて狭いところです。そこに火山がたくさんある。そのうちのひとつは富士山より高いです。昔はジャングルだったんですよ。コスタリカ(Costa Rica)はスペイン語で、コスタ(Costa)は英語のコースト、海岸です。リカ(Rica)はリッチ。「リッチな海岸」、「豊かな海岸」という意味です。コロンブスがやってきたときに、緑が豊かだという意味で「豊かな海岸」といった。それがそのまま国名になっています。町の雰囲気はこんな感じで、ここは首都のサンホセです。コスタリカの何がすごいかというと3つのことを実現した。ひとつは平和立国、ひとつが教育立国、そして環境立国。3つとも日本が達成していないじゃないですか。それを開発途上国、経済的には貧しい国が達成した。

この国のモットーは「誰も排除しない」というものです。コスタリカのいまの人口はおよそ500万人です。10年前まで400万人でした。何で10年間で100万人も増えたのか。それは難民を受け入れたからです。どういう難民か。中南米で多くの国が戦争をやっていた。特にコスタリカの隣のニカラグアという国は内戦をやっていました。その内戦からの立ち直りがうまくいかない。ニカラグアの人が経済的に生きていけないとなると、隣のコスタリカになだれ込んできます。つまり経済難民がニカラグア中心にこの10年間で100万人なだれ込んできた。この100万人を全員受け入れています。いまの世界の風潮はその逆じゃないですか。例えばアメリカのトランプはメキシコに壁を築け、不法移民を締め出せという政策です。ヨーロッパはヨーロッパで、シリアとかそういうところから人が来ると社会がめちゃくちゃになる、そんなものは入れるのをやめよう。日本なんか1家族いれるのにもギャーギャーいっている。そういう中でこの国は100万人を受け入れるわけです。400万人のところに100万人を受け入れるのはヤワじゃないです。それでも受け入れる。この国の憲法には「わが国を求めてくるものは拒まない」ということを明記しております。平和憲法だけじゃないんです、この国のすごいところは。

コスタリカって一口にいうと「人が幸せに生きられる国」とよくいわれます。イギリスのシンクタンクの調査で、世界で一番幸せな国――2014年からずっとコスタリカが1位です。3月中旬に国連の世界幸福度報告書というものが出ました。コスタリカは13位です。上の方は北欧ばっかりです。ノルウェーとかデンマーク、フィンランド、そういったところが上にいて、その下にいるのが突然開発途上国のコスタリカです。ドイツは15位です。アメリカはもっと下です。日本なんか54位ですよ。そういう中で13位です。貧しい国でどうしてそういうことがあり得るのか。

それはこういう国だからですよ。コスタリカの憲法は、1948年に制定されて1949年に施行されました。その第1条「コスタリカは自由かつ独立の民主共和国である」、日本国憲法第1条よりすごいじゃないですか。第12条「常設の組織としての軍隊は、これを禁止する」。この第12条があるから平和憲法になったんですね。ここからこの国は平和国家作りを始めました。まず軍隊をなくすということについて見てみます。ネット見ると、「軍隊をなくしたといっても本当は持っているんじゃないの」とか「自衛隊みたいな軍隊があるらしいよ」、今度は逆に「軍隊をなくすなんて、そんな丸腰で国を守れるのか、そんな国なんてうそじゃないか」という、まったく逆のことが流れています。どうしてこういう逆のものが出てくるのか。それはこういうことです。

世界の武装組織というのは、あらゆる国家で3段階あります。これは押さえておいた方がよい。まず警察があります。これは社会の治安維持のためです。その次の国境警備隊があります。国境を守るために。いわゆる専守防衛というのはこれです。そしてその次に軍隊があります。軍隊は他国と戦うための武装組織です。警察と国境警備隊と軍隊。だいたいどこの国もこの3段階で武装組織を持っています。

コスタリカはどうでしょうか。警察が6500人おります。そして国境警備隊が3300人おります。そして軍隊、0です。国境警備隊、コスタリカは地続きで北にニカラグア、南にパナマがあります。そういうところで自動小銃は持っています。でもそれくらいなものです。それから川があるのでそこにボートがあります。軍艦なんて一隻もないですよ。戦車一台ない。戦闘機もない、セスナ機ですよ。セスナ機では戦争できません。

翻って日本を見るとどうか。日本は警察、28万人います。そして国境警備隊、日本に国境警備隊なんてあったかと思われるでしょうが、日本の国境は海ですから海上保安庁がそれに当たります。その上に自衛隊がある。明らかな軍隊です。世界標準でいうと、世界のいろいろな軍事年鑑には日本の自衛隊は軍隊、ミリタリーという名前で載っています。そして海上保安庁、コスタリカの国境警備隊、これがパラ・ミリタリー、これが英語でいうときの世界的な標準です。明らかに自衛隊は世界的には軍隊という名前でとらえられている。

内戦の反省と軍事費削減のため軍隊をなくす

コスタリカはなぜ軍隊をなくしたのか。この国は1948年に内戦をやりました。同じ国民が意見の食い違いから武器を持って戦いあった。その結果4000人といわれる人が亡くなった。当時の人口200万人で4000人というのは結構大きな数ですね。そういう人たちが亡くなったということでこれを反省したんですね。何であんな戦争をやって、しかも同じ国民同士が殺し合ってしまったのだろう。2度とそういうことはやめようじゃないかという反省をいたしました。日本もアジア太平洋戦争のあと深く反省したと思うけれども、コスタリカは深く深くふかーく反省したんです。反省の度合いが違った。そして彼らはこう考えた。何で戦争をやったのか、それは武器があって軍隊があったから。武器があると、何か揉め事が起きたときに武器を持ちたがるやつが出てくる。誰かが持ち出したら相手方も持ち出す。結局両方が武器の合戦になって殺し合いになってしまう。武器があって軍隊がある。つまり揉め事は軍隊で解決しようという発想がそもそもいかんのだということに、彼らはここで気付くわけです。そして対話で解決しようじゃないか、こういう発想に転換していったんです。これがひとつです。本当にそんなことがあったのかと思われるかもしれませんが、僕は当時の人たちに聞いてまわりましたよ。本当にそうだった、みんなそれが偽らざる感情でありました、という話でした。

もうひとつ理由があります。それは現実的な話で、お金ですよ。当時、軍隊を持っていたときコスタリカでは年間の予算の30%が軍事費だった。ものすごい割合じゃないかと思われるでしょうが、何でそうなるか。武器って高いんですよ。例えばいま沖縄にいる「Fなんとか」とかという戦闘機は1機180億円ですよ。180億円って見当つく? つかないよね。10機で1800億円、原発1基分ですよ。軍隊の発想って、一旦軍隊を持ったらどんどん増やしていこうという発想ですよね。だって力が強い方が勝つわけですから、足りないんじゃないかとか、軍隊というのは増殖するんです。この結果このコスタリカという開発途上国、貧しい国では年間予算の30%が軍事費だった。これを反省した。うちの国は貧しい、お金がそもそもないのに、毎年30%を軍事費に使った。それが社会の発展にどれだけ役立ったろうかということを考え直してみたら、全然役に立っていない。役に立つどころか社会を壊すことの方に「役に立って」しまった。そんなものはやめようじゃないかという強い主張が起きました。

そのときに国会で話し合ったんですね。何にお金を出したら社会は発展するのか。その結論が教育です。教育こそ社会の発展の要だ。ひとりひとりの国民が自分の頭で考えて自分で行動できる、こういう国民を育もうじゃないか。その方が社会が発展する。軍隊をなくそうということだけではなくて、もうひとつ決めたのは、なくした費用をそっくりそのまま教育費に替えようということです。そのときにつくったスローガンが「兵士の数だけ教師をつくろう」、立派だと思いませんか。さらに「トラクターは戦車より役に立つ」、「武器をバイオリンに替えよう」、「兵舎を博物館にしよう」、こういうスローガンをつくって本当にやっちゃったんですね。

いま画面に映っているフィゲーレスという大統領がそのときの人です。平和憲法をつくったときに、それを提案して実行に持ち込んだ人。そのフィゲーレス大統領は象徴的なことをやりました。当時、首都にあった軍の司令部の要塞の壁をハンマーで壊した。こうやって、軍の時代は終わったということを象徴するようなことをやりました。右の人がそのフィゲーレス大統領の夫人です。フィゲーレス大統領はもう亡くなりましたけれども、カレン夫人はまだ生きていらっしゃる。わたしは彼女の家に行って2時間話を聞きました。本当にコスタリカの人々は軍隊をなくそうということを同意したのですかと聞いたら、「本当です」と。わたしはしつこく聞きましたが「それは本当です」ということを語っていらっしゃいました。壁を壊した要塞がこれです。首都のサンホセにある要塞だった建物です。壊した部分の裏側にはプレートがはめ込んであります。そのプレートには「武器は勝利をもたらすが、法律のみが自由をもたらす」と書いてあります。つまり法治国家でやっていこうといっているわけです。いまの日本と違うじゃないですか。

国連平和大学の創設、核兵器禁止条約の提案

コスタリカは具体的に何をやってきたのか。例えば国連平和大学をつくりました。コスタリカの大統領が国連に提案してできました。世界中が平和になるためにはどうしたらいいか。それを専門に研究する、そして世界の人が教授となって生徒となって集まる、そういう国連平和大学です。コスタリカが土地も建物も提供しています。いま日本人の女性が大学教授で1人行っています。日本人の学生も毎年20人くらい行っています。これを実際につくってしまった。

記憶に新しいところで去年の7月、国連で核兵器禁止条約が採択されました。このとき日本はどうしたか。参加しなかったんです。不思議だと思われた。コスタリカはこの条約を審議するための議長国になりました。画面の左下、黄色い服を着た人がホワイトさんで、この条約を審議するときの議長になった人です。コスタリカ人です。何でコスタリカ人がこの条約を国連で審議をするときの議長であったのか。それは条約を提案したのがコスタリカだったからです。何も去年初めて提案したのではなく、最初に提案したのは1997年です。2回目が2007年、3回目が2017年。つまり10年ごとに3回、この国は国連に核兵器の禁止条約をつくろうじゃないかということを提案して、20年かけていろいろな国を説得してきた。だからコスタリカが議長国になったんですよ。

ホワイトさんは、この審議をする前にまず日本にやってきました。長崎に行って被爆者に会って約束をしたんです。「わたしはこの条約の中に必ず『ヒバクシャ』という文言を入れます」と。本当にこの条約の前文に入っています。コスタリカの政治家は、日本人と違って約束を守ります。これが国連総会のJAPAN、日本政府の席です。誰もいませんでした。人間の代わりに置いてあったのは折り鶴です。ここに言葉が書いてあります。英語で「wish you were here 」、日本の高校の英文法の例題みたいです。「あなたにここにいて欲しい、でもいないね」ということです。「いて欲しいけれど、いない」、これが世界の総意ですよ。世界がいま日本をこう見ているということです。「あなた、本来被爆国でしょ。だったら被爆国の日本がこういう条約を提案するべきでしょ。なのに提案するどころかこの会議をボイコットしてしまった。あなたはいったい何だ」ということが、世界がいま日本を見ている目ですよ。

誰がこの折り鶴を置いたかはわかりません。折り鶴だから日本人だと思うかもしれませんが、折り鶴というのはいまや世界に広がっています。例えばあの2011年東日本大震災のときにアメリカの西海岸にOshKosh(オシュコシュ)という子供服のメーカーがあります。このメーカーがアメリカ人に呼びかけましたね。「みなさんわたしたちの店に折り鶴を折って持ってきて下さい」。別に服を買えとはいわないんです。「折り鶴を一羽折って持ってきて下さい。一羽持ってくる毎にわたしたちの会社は日本の東北の被災地の子どもに服を1着プレゼントします」。こういうキャンペンをやった。アメリカ人が折り鶴を折るのかと、わたしは不思議に思いましたよ。そのときにこの会社が用意した服が5万着です。5万の折り鶴が送られてくるかもしれないと思って、5万着の服をこの会社は用意しました。

そのときに折り鶴が何羽寄せられたと思いますか?200万ですよ。あの不器用なアメリカ人が200万羽も折り鶴を折って持ってきた。こうやってみると国境を越えた善意というのはあるんですよ。みんなひどい目にあった。日本だから放っておけということじゃありません。アメリカ人だって、日本人の困っている人に、特に子どもたちに手を差し伸べようという人はいたわけです。その象徴が折り鶴です。今時アメリカ人だって折り鶴をいっぱい折るわけで、その折り鶴がここに置かれていた。日本人として恥ずかしいですよ。何でこの会議に日本人が出て行かないのか。「政府は出ていかない、日本の政府は馬鹿ね」と言っている話じゃないんです。われわれの政府ですから。

話し合いの場を提供して中米の内戦終結へ

コスタリカで平和を輸出するということを絵に描いたようにやったのが、このオスカル・アリアスという元大統領です。彼が大統領になったのは1986年です。当時わたしはちょうど朝日新聞の中南米特派員をやっていまして、1986年のコスタリカ大統領選挙を現地に取材に行きました。そうしたら彼が当選した。対立候補はアメリカと仲良くして、アメリカともう一度いい関係をつくってもっと経済発展しようという候補だった。アリアスは、そんなアメリカと仲良くするのではなく、われわれは独自の路線を貫こう、平和路線をずっと堅持しようということを言って、彼が勝った。当選した彼が何をやったか。当時戦争をやっていた中南米の3つの国を回って3つとも戦争を終わらせました。ニカラグア、エルサルバドル、グアテマラという内戦をやっている国を彼は回りました。そして説得した。その結果、3つとも内戦が終わった。その功績で彼は翌年1987年のノーベル平和賞をもらいました。偉いじゃないですか。うちの国にもノーベル平和賞をもらった首相がおりました。佐藤栄作ですが、何でもらったのかよくわからない。でも3つの戦争を終わらせた、これはノーベル平和賞に値するじゃないですか。

僕は彼に会って聞きました。何でそんなことをやったんですか。彼はこういいました。「わが国は平和憲法を持っている。平和憲法を持っている国は自分のところだけが平和で満足しているのではない。世界に平和を広げる。それが平和憲法国家の役割だ」。うちの首相に聞かせてやりたいくらいです。さらに、どうやって戦争を終わらせたのか聞きました。これはこう言いました。「たいしたことをやったわけじゃない、説得しただけだ」。どう説得したかというと「あんたらね、暴力に対して暴力、武力に対して武力、こんなことをやっていたらいつまでも戦争が終わらないどころかどんどん死人が増えていって、ますます終わりにくくなってしまう。そんなことよりも話し合いをやりなさい」といって対話の場を設けた。コスタリカの中でこういう場を設けます。この区民センターのような場所を設けますからここに両方やってきて下さい。両方の安全はコスタリカが保障しますということを何回もやった。その結果、戦争をやっている当事者がきて、話し合っているうちにもうやめようねということになった。話し合いで終わるんですよ。隣の隣のグアテマラという国は36年間内戦をやっていたんです。それがあっという間に話し合いで終わってしまった。

僕はさらにアリアスに聞きました。話し合いで戦争を終わらせることをどうやって考えついたんですかと。彼はこういいました。「いや、俺が考えついたわけじゃない。うちの国コスタリカでは小学校の授業でそう教えている」と言います。国と国との戦争、いじめ、夫婦げんか、あらゆる揉め事は話し合いで解決できると、このコスタリカでは小学校の授業で教えている。彼も小学校のときにそう習った。「学校で習ったことを大統領になってそのままやっただけだ」とものすごく簡単に素っ気なく言うわけです。すごい国だと思いませんか。

自衛隊のカンボジア派兵とアリアスの案

僕は、このアリアスを日本に招いたことがあります。朝日新聞に40年間いますと、組織ってやっぱり変な奴が上に来ますね。そうすると、これはおかしいというと左遷されるわけです。わたしは3回左遷されました。そのうちの1回がシンポジウムを開くという職場に行かされました。パネリストのお弁当の手配、お車の手配、こんなことを4年間やらされました。わたしも転んでもただでは起きない方ですから、「世界が平和になるためにはどうしたらいいか」というシンポジウムを朝日新聞のお金でやりました。そのときに彼をコスタリカから招きました。

もう大統領を終えていましたので。空港に車で迎えに行き、都心に帰る車の中でわたしは彼にいろいろ聞きました。当時は、自衛隊が初めてカンボジアに派兵された、初めての海外派兵のあとでした。「あなたの国も平和憲法を持っている、うちの国も平和憲法を持っている。なのにあなたの国は本当に軍隊をなくしてしまった。うちの国は自衛隊という軍隊がつくられて、今回初めて海外に派兵されてしまった。あなたはこれをどう思いますか」。車の横で彼はこういいました。「日本政府は国際貢献という美名でもって、自衛隊をカンボジアに派兵してしまった。」。「しかしどんな美名を使っても軍服を着た人間を送ったら必ず現地の人から嫌われる」というんです。その通りじゃないですか。

さらに「そんなことをしなくたって日本は別の貢献の仕方があるじゃないですか」と言います。「どんな貢献の仕方があるのですか」と聞きました。彼はこういいました。「いままでカンボジアはずっと戦争をやってきた。そうすると病人、けが人がたくさんいるはずでしょ。それにひきかえお医者さんはいないでしょ。だったらお医者さんを送ればいいじゃないですか。白衣のお医者さんの方が軍服を着た軍人よりもはるかに歓迎されますよ」といいました。

その通りだなと思って「そうですよね」と言ったら、彼は「それは当座の話です。次に必要なのは産業の復興です。カンボジアの産業、それは農業じゃないですか。しかも日本と同じ水田耕作じゃないですか。日本の水田耕作の技術は反あたりの収穫が世界一」。ちゃんと知っている。「その技術を同じアジア人の水田の作り方、農業経営の仕方、それを教えるためにお役所さんを送ればいいじゃないですか。そうしたらカンボジアのすべての田んぼに稲がたわわに実って誰もが飯が食えるようになる。飯が食えるようになったら戦争なんかしませんよ」。

彼は「次に」といって、「次に必要なのはカンボジアの将来です。将来を決めるのは教育です。日本は世界に冠たる教育国家じゃないですか。かつて寺子屋というものもありましたよね。同じアジア人としての同じ資質の人たちに、アジア人としての教育のやり方、日本の教育システム、授業のやり方、こういったことを教えればいい。つまり先生を送ればいい。まずはお医者さん100人、そしてお百姓さん100人そして先生100人、何も現役じゃなくてもリタイアした人を合計300人、ボランティアで募って送れば、それはカンボジアの人は喜びますよ」。

喜びますよね。僕はそれを聞いてびっくりしました。あのとき日本の中でそういう案はまったく出なかった。当時自民党政府は、これは国際貢献だ、これに反対する奴は愛国心がない。あるいは日本の世界に対する名誉を傷つけるものだということを言われて、ああそうだねという発想にずるずるといってしまった。あのときに野党からあるいは市民の側から、こういうこともあるよ、むしろこっちの方がいいよね。そしてボランティアで志願する人が集まってきたら、そっちの方になっていたかもしれませんよね。そういうことを日本の野党はやってこなかった。当時日本の市民はまだそういう考えがなかった。これが問題だと思っています。

いま日本の市民運動はそういう段階に達してきていますけれども、当時の日本の市民運動、野党にそういう発想がなかった。自民党政府が出してきた案に対してイエスかノーか、ダメ、ダメということしか言わなかった。だから政権を担当できなかったと思います。こういう対案がある、こちらの方が実際にいいんだと言って、それを市民の世論にするような力があったら、政権は変わっていたでしょう。野党にそういう力がなかった。これがこの国の悲劇です。いまは日本の市民は変わってきましたよね。彼がそのシンポジウムにやってきて壇上でこういうことを言いました。「わたしたちの国の子どもたちは自動小銃を見たことがありません。戦車を見たことがありません。戦闘機を見たことがありません。わたしたちにとってもっとも良い防衛手段は防衛手段を持たないことです」という名言を吐きました。

自国に誇りを持つコスタリカの平和・憲法教育

コスタリカにはいままで10回くらい行っています。7、8回目くらいに町を歩いていたときに ふと疑問を持ったときがあって、一般の国民はどのくらい平和憲法について知識を持っているのかなと思いました。そのとき向こうの方から女の子が鞄を提げてやってきました。聞いてみたら女子高校生でした。この女子高校生に、「こんにちは、日本の新聞記者なのだけれどもちょっと聞いていい?」「何でも聞いて下さい」というので突然質問しました。「あなたの国に平和憲法があるの知っている?」「もちろん知っています」「そんなことを言ったって侵略されたらどうするの、あなたは殺されるかもしれないよ」と聞いたら、彼女はコスタリカの政府がこれまで世界の平和のために何をやってきたかということを、向こう30年前にさかのぼって言い出しましたね。

「今から30年前、ソ連が地下核実験やったときに、あなたの国日本の広島と長崎が国連で地下核実験反対声明を出そうとした。そのときにいち早く共同提案国になったのがコスタリカでありました」というところから始まって何年にこれ、何年にこれと、わーわーわーと、僕がメモをとる暇もないほど年代をあげて言うわけです。そして「この国を攻めるような国があれば世界が放っておかない」と言いました。すごいなと思ったら、彼女は僕が聞きもしないのにこう言った。「わたしはこのコスタリカの歴代の政府が世界の平和のためにやってきた努力を誇りに思っています。わたしは自分がコスタリカ人であることを誇りに思っています」。こう言うんですよ。すごい国だと思いませんか。いまここを一歩出て、文京区の女子高校生が日本の平和憲法について滔々と語れるか、語れないですよね。あるいは日本を誇れるか。そもそも政府が誇れることをやっていないですよね。しかし高校生が自分の国を誇れると自ら言う国って、いいと思いません?それが一般の高校生です。

僕はこのコスタリカの高校の憲法の授業を見に行ったことがあります。こういうふうになっている。先生の後ろについて入りました。そうしたら先生が、「はい、じゃあいつもの通りに机を横に除けて」といって、真ん中に空間ができ、そこにみんな副読本の憲法を持って集まりました。先生が、「みなさん、この高校を卒業して就職したとしましょう。その勤め先でクビになったとしましょう。みなさんを守るのは憲法です。その憲法をどう活用して自分の身を守るか、いまから憲法を読んで思いついた人から発表して下さい」と言います。みんなわーっとゲーム感覚で憲法を読みます。ゲーム感覚で読むから一生懸命です。思いついた人から、「労働権というのが書いてある。労働する権利、クビになったら労働できないからこれを使えばいいんじゃないか」とか、いろいろな意見が出て面白いですよ。そして一段落ついたところで先生が出てきて実例を出します。「いつ、どこの会社でこういう人がクビになって、彼は憲法のこういう条項を楯にとって主張して見事復職を勝ち取りました」。これがコスタリカの憲法教育ですよ。 第何条は何だからと覚えて試験に出す、こんなのじゃないんです。憲法はあなた方を守るためにある。しかも具体的どうやって守るか、この実例を示すのが憲法教育です。こういう教育だったらわれわれだってちゃんと聞いただろうなって思いません?みなさん憲法教育って受けました?おぼえている?おぼえてないよね。おぼえてないくらいのことしかわれわれは受けていないじゃないですか。

永世積極的非武装中立宣言で米国の圧力に対応

この人はアリアス大統領の前の大統領のモンヘという人です。この人のときにアメリカがコスタリカに介入しようとしました。彼はきっぱり拒絶した。コスタリカのすごいところはただ平和憲法を持っているだけじゃなくて、アメリカに対して自立しているところです。この辺がまた日本とだいぶ違うじゃないですか。当時はコスタリカ周辺の中米地域で3つの国が内戦をしていた。とくにニカラグアという国ではアメリカのレーガン大統領がCIAに金をやって、ここでゲリラを組織してゲリラを送り込んで内戦にもっていった。当時のニカラグアは左翼政権でした。その左翼政権をつぶそうと、レーガン大統領は金でニカラグア人の元独裁軍の兵士を雇って、ゲリラに仕立てて送り込んでいました。レーガンはゲリラの力が弱いものだから、もっと盛り上げようとしてコスタリカにちょっかいを出しました。コスタリカの大統領に対して「お前のところにアメリカが金を出して飛行場をひとつつくってやろう。ただでつくってやる。だからその飛行場をゲリラに貸せ」というわけです。つまりコスタリカに飛行場をつくって、それをゲリラの基地にしろということです。

こんなことを許したらコスタリカが内戦に介入すること、一方に加担することになるじゃないですか。当時の力関係ではアメリカとコスタリカは月とすっぽん、あまりにも力が違いすぎますね。アメリカがこう言ってきたら中南米の国は、当時は「ご無理ごもっとも、そうですね」といわざるを得ないような力関係だった。しかし「はい、じゃあやりましょう」と言ってしまったらコスタリカのこれまでの平和国家、その実績がなくなってしまいます。モンヘ大統領は考えました。そこで打ち出したのは、世界に対して「永世積極的非武装中立宣言」をするということです。アメリカに対してNOとはなかなか言いにくい。2国間の関係だと力が弱い。だったら世界中にアピールするかたちで永世積極的非武装中立を宣言する。わが国は永久に非武装の中立の国だと宣言した。これが1983年です。

これがどういう効果をもたらすか。世界中にアピールしたのでこれが世界の常識になる。そうすると中立国ですから、中立国によその国が飛行場をつくってゲリラにどうの、そんなことは許されない。いきなり世界常識をつくっちゃったんですね。これでアメリカは逆らえなくなった。こういう頭のいいことをやるわけですよ。そうやってアメリカから自立しました。国と国との関係でいくと小さい国は弱いですよ。弱いから何でも引き受けなければいけないかというと、そんなことはないですね。こういう知恵がコスタリカにはあります。

平和学の「積極的平和」と安倍首相の「積極的平和主義」の違い

いま画面にあるのは中学2年の市民教育の教科書、日本では公民に当たるものです。この教科書にはこう書いてあります。「平和とは戦争がない状態を指すのではない」。日本で平和ってなんだと聞かれて、よく「戦争がないことだ」といいますね。それは違うと言うんです。それはこの国が平和学に基づいて平和というものを考えているからです。このあとにこういう言葉が続いています。「国家を統治している多くの人々は、ある一つの似通った、嫌な考えを持っています。権力を失うことを恐れています。裏切り、不誠実なスピーチを聞く機会がたくさんあります。金持ちの国家、政府は、その富を貧しい人々と分かち合わなければなりません」。コスタリカの教科書はこんなこととを載せている。これが日本だったらすぐ削除される。コスタリカの教科書を読むと面白いですよ。こんなに自由にやれるんだと。

その平和学というのは第2次大戦以降、北欧で発達した学問です。ノルウェー出身のヨハン・ガルトゥングという人が言い出しました。彼は「平和というのはただあるものじゃない。つくるものだ」といいました。戦争がないという状態が平和というのは、日本だけじゃなくて当時は世界でも言っていました。しかし彼は、「ただ戦争がなくたって戦争につながる要素はこの社会に満ちている。例えば人種差別、男女差別、賃金の差別、領土問題、難民問題、こういうことをそのまま放っておいたら社会がぎすぎすして、この際戦争してしまえとなりがちだ。だったらたったいま戦争がなくても戦争につながる要素がある。これは平和とは呼べない。本当の平和は戦争につながる要素をひとつひとつなくしていって、この社会を公正で公平な誰もが安心して生きられる社会、これが本当の平和だ」と言うわけです。それを「積極的平和(positive peace)」という名前で呼びました。

「積極的平和」というと、うちの国では評判が悪いですよね。なぜ評判が悪いか。安倍さんが「積極的平和主義(proactive contribution to peace)」と言った。彼は最初にアメリカのシンクタンクで言いました。proactive(プロアクティブ)は積極的、contribution(コントリビューション)は貢献、peace(ピース)は平和ですから「平和に対する積極的な貢献」。これを日本の宣伝会社、そういうところが金をかけてつくる。積極的平和主義、聞こえがいいじゃないですか。でもこの「プロアクティブ」という言葉は軍事用語です。軍事のときに先制攻撃で使う言葉です。相手がミサイルを発射しようとするのならば発射してもいないのにこちらから発射する、やられる前にやれ、相手をぶっつぶせ。先制攻撃のときに使われる言葉がこの「プロアクティブ」です。平和の文脈で使われる言葉ではありません。それを彼は使った。ここで見られる発想は嫌な奴がいたら殺してしまえ、嫌な奴は一掃してしまって俺の言ういいことだけを聞くような人たちがいる社会にしよう。要するに皆殺しの思想です。これが安倍さんが言う積極的平和主義です。決して誰もが一緒に生きるという共生の発想ではありません。

ガルトゥングさんの平和学がいう本当の積極的平和というのは、この世の中にはいろいろな考え方の人がいる、いろいろな人種の人がいる、みんな習慣も違う、そうした人々の誰もが一緒に安心して暮らせる社会をつくろう、そういう方に持っていこうというのが本来の積極的平和です。彼は去年、日本にやってきました。わたしは会ったときに最初に叱られました。お前のところの首相は一体何だ、おれが50年かけて開発した考えをたった1日で別の概念にしてしまった、ひどいじゃないかと言うわけです。この平和学に基づいた概念をコスタリカでは中学校から教えています。本当の積極的平和主義はこういうものだと。

憲法を活かす社会――小学生も違憲訴訟

コスタリカの教育の現場に行くとめちゃくちゃ面白いです。6歳半で小学校に入学した子が最初に教わる言葉があります。それは「誰もが愛される権利を持っている」という言葉です。あなたもあなたもあなたも、この国に生まれた以上、コスタリカの政府や社会から愛される権利を持っている。これを最初に教わります。それだけではなく、もし自分が愛されていないと思ったら政府や社会があなたを愛すように政府や社会の方を変えることができることを習います。変える手段まで習います。その手段とは、憲法違反に訴える。これを小学校1年で習います。そうするとどういうことになるか。この国では小学生が憲法違反の訴訟を起こします。みなさん、この中で小学校のときに憲法違反の訴訟を起こした方は・・・、たぶんいないですね。日本では考えられない。でもこの国では当たり前ですよ。

「ほんまかいな」と思うじゃないですか。「ほんまかいな」と思ったら、行って聞くというのが僕のやり方です。この国に行っていろいろな例を聞きました。例えば小学校の横に空き地があって、そこに産業廃棄物業者がゴミを捨てた。そのゴミの臭いが風に乗って教室に流れてくる。臭くて勉強に集中できないと思った小学生が、この業者を相手取って憲法違反の訴訟を起こした。「ゴミを捨てたくらいで憲法違反になるんですか」と聞いたら、「いや、ゴミを捨てたことが悪いのではありません。それによって子どもの学ぶ権利が侵されたことがいけない」。なるほどと思いました。「ほかにありますか」、「いっぱいあります」。例えば校長先生が校庭に車を停めた、そのために遊ぶスペースが狭くなったので、憲法違反で訴えた。「車を停めたくらいで憲法違反になりますか?」「現になっています。車を停めたことによって子どもたちの遊ぶ権利が侵されたことがいけないのです」。そういわれると、「ああ、なるほど」と納得する。

面白くなっていろいろなケースを聞きました。例えばおじいさんが薬屋さんに薬を買いにいったら薬屋さんにその薬がなかったので、おじいさんは薬屋さんを憲法違反で訴えた。「薬がないくらいで憲法違反になりますか?」「現になって、もう判決が出ています」。判決には、このおじいさんにとってその薬がなかったら健康な生活が維持できない。したがって明白な憲法違反である、と書いてある。どこかで聞いたことあるでしょ。わが日本国憲法第25条「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」。これがわれわれには本来保障されているはずです。同じような条文がこのコスタリカの憲法にもあります。したがってこのおじいさんにとってその薬がなかったら健康な生活が維持できない、したがって明白な憲法違反である。「はあ」と思いました。その通りですもの。明白ですよね。

じゃあどうしたらいいのかという項目がその下にありました。「この薬屋さんはおじいさんがいつ行ってもその薬が置いてあるように24時間365日ちゃんと置いておきなさい」。ここまではわからないでもないです。僕はその2項目目を見たときに仰天しました。2項目にこう書いてある。「このおじいさんはコスタリカ中どこに旅行するかもしれない、従ってコスタリカの全ての薬局にこのおじいさんの薬が置いておかれるように国は薬事行政をきちんとやりなさい」。ここまで面倒を見るのかと思いました。おじいさんはここまで要求していませんよ。ここまで面倒を見るんです。

ここに流れている精神は一旦憲法に書いたら、それはこの社会に実現されていなければならないという発想です。憲法というのは理想である。理想というものを一旦書いた以上はこの実社会に実現させていなければいけない。そうなっていなかったら政府はそうなるように努力をしなければならない、という発想です。これすごいと思いません?考えてみれば当たり前のことなんです。世界の常識ですよ。実際の社会が違ったらどうするか。「しょうがないよね」とあきらめているのが日本です。コスタリカはあきらめない。憲法にこう書いてあるのに違う社会、実態がある。だったら実態を憲法にあわせなければいけないといって訴えます。これが憲法違反の訴訟ですね。

つまりここに流れる精神は一旦憲法で理想を書いた、それにそぐわないものがあればそぐわないものを見つけた市民が憲法違反というかたちでそれを指摘する。指摘された方は社会の憲法と違う事実を憲法に近づけるようにちゃんと政策としてやる、こうやっていまの実態・社会を憲法に近づけていこうという、こういう発想に立っているわけです。思えばこれが本来のあり方だと思いません?日本は違うじゃないですか。それはそもそも国民が憲法なんて絵に描いた餅だ、実現されなくて当たり前だって思っているでしょう。ここがいかんのですよ。コスタリカでは国民がしっかりして、憲法と違う実態があったら許さないのですよ。こういう違いがある。

憲法裁判所の存在 違憲訴訟が年に2万件

しかし僕は子どもが憲法違反というって、いろいろ疑問を持ちました。だって憲法違反の訴訟したら弁護士費用とか金がかかるじゃないですか。「お金はどうするんですか」と聞いたら、最高裁の人が「そんなのいりません」と言います。「だって違憲訴訟というのは自分の利益のために起こす訴訟ではありませんね。この社会がおかしいということを指摘する訴訟、つまりみんなのためにやる訴訟です。それを訴えた人がなぜ自分でお金を負担しなければいけないのですか」と言われました。言われればその通りだと思いませんか。憲法違反の訴訟を起こす人はみんなのために指摘してあげたわけですから、何でその人が負担をしなければいけないのか。こっちの方が道理だと思いませんか。だからお金はかかりません。ここで目から鱗でしたね。いままで日本のシステムが世界の当たり前だと思っていたら、違うんですよ。われわれはこれがもう、地球規模の当たり前だと思っていますが、日本の常識は世界の常識では全然ないんですよ。こうやってよその国と対比されると、日本社会のおかしさっていっぱい浮かび上がってきます。

僕はさらに聞きました。「子どもが訴えるといいますが訴状はどうするんですか?」。だって裁判を起こすときは、こういう問題は憲法第何条に違反だとかいろいろ書かなければいけないですね。子どもは書けないじゃないですか。どうするんですかと聞いたら、最高裁の人はこう言いました。「ああ、そんなのちょろちょろでいいんです」。「ちょろちょろ」ってどのくらいを言うのかさらに食い下がって聞きました。いままで一番「ちょろちょろ」だった例はビール瓶のラベルをはがして、その裏に書いて出した。「ビール瓶のラベルでいいんですか」、「別に紙であれば何でもいいんです。つい先日やってきた人は朝飯のフランスパンのバケットを包んでいた紙をびりびりと裂いてそこに書いて出した」と。「そんなものでいいんですか」。「全然構いません」。形式なんかまったくこだわらないんです。書式なんかいりません。名前と連絡先と何が不満か、これだけあればいい。「校長先生が車を停めた。だから遊ぶスペースは少なくなった。山田太郎 文京区~」これだけあればできます。これだったら小学生だってできますね。

去年いったときに聞いたら、いまやもう紙に書かずにメールで送ればいいと言いました。「携帯のメールで違憲訴訟ができるんですか?」、「できますよ」。返事はメールで返ってくる。訴訟の垣根がえらく低いんです。日本で違憲訴訟というと大それたことだと思いますし、絶対負けると思うからみんなやらない。こうやってわれわれは憲法から遠ざけられています。コスタリカでは憲法を国民に近づけるという、こういう社会を自らつくったんですね。この点が違います。憲法裁判所というシステムがあるから、そこに人々は訴えやすいんですよね。

この憲法裁判所がコスタリカにできたのは1989年だと、最高裁判所の職員がいっていました。コスタリカでもそれ以前は国民の憲法に対する関心はあまりありませんでした。でも憲法は身近にして使わなければいけない、活かさなければいけないという発想が湧いてきて、それで憲法裁判所をつくりました。そのときから国民の憲法に対する意識が変わってきました。いま1年間の憲法違反の訴訟は2万件です。この憲法裁判所というシステムはお隣の韓国でも使っています。韓国が導入したのはコスタリカより1年早い1988年です。2年前、韓国で民衆総決起があって朴槿恵政権が地に落ちた。あの民衆総決起、2016年10月にどんどん人が増えていって最後は232万人になりました。その直後に国会が朴槿恵大統領を弾劾した。あれは憲法裁判所の仕組みでそうなったんです。ここがミソですよね。だったら日本でも、憲法裁判所のシステムを取り入れると意識が違ってくるのではないか。これがヒントですよ。

この写真は憲法裁判所の窓口です。最高裁判所の建物を入りますと、入って右側で入り口のすぐそばが窓口です。ここが365日、24時間開いています。駆け込み寺みたいなものです。僕が行ったときも常時人が座って順番を待っていました。僕が話を聞いたロドリゲスさんは、アメリカの大学で教授までやった人ですが、この人がこの最高裁の憲法裁判所の仕組みをいろいろ教えてくれました。最高裁の建物はいかにもいかめしいですけれども、誰でもすんなり入れて、入ったらすぐそこに窓口がある、そういうものなんですね。

大学生が大統領を憲法違反で訴え勝利

コスタリカで、大学生が大統領を憲法違反で訴えて勝ったという事件がありました。2003年にアメリカのブッシュ政権がイラク戦争を起こしました。そのときにブッシュ大統領は世界のリーダーに呼びかけた。アメリカの戦争を支持してくれ。すぐ支持したのが日本の小泉首相でした。当時、コスタリカのパチェコ大統領も支持しました。アメリカの戦争を支持するというよりもテロに対する戦いに賛成だという意味で支持しました。そのためホワイトハウスのホームページに、コスタリカもアメリカの同盟国だという表示が載ってしまった。これに対して、当時コスタリカ大学法学部3年のロベルト・サモラ君が、たった1人で敢然と大統領を憲法違反で訴えました。その判決が下ったのは1年半後の2004年9月、彼の全面勝利でした。

僕はその判決を取り寄せて、すぐに彼にメールを打ったんですよ。5時間後に彼から返事が返ってきました。それ以来彼といろいろなやりとりをしています。彼はその後日本にやってきてピースボートのスタッフもしました。去年の1月に日本にやってきて、ピースボートの本部でわたしが対談しました。そのときにみんなの前で大統領を訴えたときのことを詳しく聞きました。彼はこう言いました。「僕は今も昔も体重は55キロ。ひょろひょろの僕が大統領を訴えるなんて大それたことだと自分でも思った」。まずは友達に相談したけれど、友達はみんな「やめとけ、やめとけ、そんな大それたこと」と言いました。大学の先生にも相談したけれど、「やめとけ、やめとけ絶対負けるから」といった。彼がそのとき思ったのは「憲法が危機に陥ったとき、国民には闘う責任がある」という言葉ですよ。いまの日本のわれわれにすごく響く言葉じゃないですか。彼は法学部なものですから、憲法違反の訴訟を起こすというのはほとんどプロのようなものですから、そういうことをやりました。でも「憲法が危機に陥ったとき、国民には闘う責任がある」と思って、1人で大統領相手に敢然とたって憲法違反で訴えた。これこそいまのわれわれがやるべきことですね。別に訴訟でなくてもいい、立ち上がる。「憲法が危機に陥ったいま、われわれには立ち上がる責任がある」ということを彼から学ぶべきだと思いますね。

幼稚園から大学まで教育費無料、政治意識を身につける教育

教育についてもう少し話します。この国は幼稚園から大学まで教育は無償です。なぜ無料になるか。軍事費をなくして、そのお金を教育費に持ってきたからです。憲法が施行された1949年から今日に至るまで、国の予算の30%が教育費です。かつて軍事費だった30%が、そのまま教育費になっている。30%を教育費に回したら、世界に冠たる教育国家ですよ。幼稚園から大学まで無料。いまの日本で大学生は大変じゃないですか。奨学金をもらって、あとで返せない。みんなひどい暮らしをせざるを得ない。このどこが経済大国でしょうか。コスタリカは貧しい途上国、農業国です。つくれる産物はバナナとコーヒーくらいのものです。そういう国が大学まで教育無料、給食も無料でやっていける。それはお金の分配を考えたからです。分配をうまくすると誰もが安心して楽しく暮らせる国づくりができる。

この国が世界と違うのは、大統領選のたびに子どもの模擬投票をすることです。これがその風景ですが左側にいる女性は、コスタリカにいる普通の女子高校生です。高校生が自分の学区にいる幼稚園以上の子どもたちに選挙登録をさせて、高校生が選挙管理委員会になって自分の学区の子どもたちの模擬投票をやります。このときの投票用紙は国の選管が本物を出します。そこに「子ども用」というスタンプが押してあるだけの違いで、あとは本物の投票用紙です。小さいときから大統領選挙の実際を、身を以って体験して政治に慣れていくわけです。ただ形式的な投票を学ぶのではないんです。大統領選挙のときに投票権があったら誰に入れるだろうかということを、子どもはそのたびに考えます。友達同士、あるいは親と子ども、子どもと先生が討論をします。選挙前になるとコスタリカはやかましいですよ。家庭の中で親と子がどんどんやり合います。日本では政治の話をやらないじゃないですか。政治の話をしたら友達をなくすとか。ここは友達ができるんですよ。政治は友達を作る材料です。みんなといろいろな意見をたたかわせて、いまの社会のことを勉強する。それによっていままで知らなかった人と友達になる。

そうやって政治の知識を身につけるとこんなことがあります。これは大統領選挙のときの子どもボランティアで、オレンジの陣営がひとつの政党です。向こうの緑のところは、また別の政党です。ひとつの政党のユニフォームみたいなものを子どもが着ていますが、これは何も親がこれを着なさいといったのではなくて、子どもが自発的にやっています。その陣営のボランティアをやっているんですね。わたしが投票所の近くをふらふら歩いていると緑のシャツを着た女の子がやってきて「あなたはもう投票先を決めましたか。決めていなかったらぜひわたしたちの党に入れて下さい」、と言ってきた。「僕は有権者じゃないけれど」と言いましたが、こうやって自分の主張を有権者に伝えようと、あんな小さな子どもたちがやっています。政治の意識の度合いが全然違います。日本はようやく18歳の選挙権についこの間なりました。コスタリカは1974年から18歳選挙権です。それはこういうことを昔からやっていて、子どもたちの政治意識がすごく高いんです。日本はそんなことは何にもやっていないで、いきなり18歳選挙権です。この国のやっていることはめちゃくちゃじゃないかという気がします。

コスタリカの公教育省、日本で言うと文科省に当たるところを訪ねて「コスタリカの教育の目的は何ですか」と聞きました。最初に言われたのは「生徒自身が幸せで満たされること、これが教育の目的です」。だいぶ違うじゃないですか、うちの国と。そして同級生とともに生きていく、信頼関係を築く、これが教育の目的だ。さらに自然との関係で持続可能な発展ができる。さらに誰かの言葉を鵜呑みにするのではなく批判的に考えて自分自身の考え方をいだくようになること。これは南アフリカのマンデラがよく言っていた言葉ですよね。これがコスタリカの教育です。そしてこの国の教育の3本柱は「民主義と人権と平和です」と言います。日本国憲法の3本柱と同じですよ。

環境立国としてエコツーリズムの草分け

さらにコスタリカは平和国家、教育国家もうひとつ環境国家です。環境の先進国です。エコツーリズムが世界で初めてできたのはコスタリカです。僕はこの国のエコツーリズムを見ようと思って、もう10年くらい前に行きました。山の奥に環境ホテルというものがあり、そこに泊まると従業員が森をずっと案内してくれます。この植物はこういう植物で、このカエルさんはこういうカエルさんで、ということを教えてくれて、最後は木を植えます。その木に行った人の名前がつく。うれしいじゃないですか。こういうエコツアーをやるホテルがあって泊まりに行きました。バスが着いたら熱帯のスコールでざんざん降りですよ。雨の中、両手に荷物を持って走っていたら、フロントに立っていた白髪のおじいちゃんが雨の中を走ってきて僕の荷物を持ってくれました。一緒に雨に濡れながら走った。フロントについて部屋割りをしたら、部屋が山小屋なのでそこから100メートルくらい離れています。どうしようかと両手で荷物を持っていたら、横にいた白髪のおばあちゃんが僕に傘をさしかけてくれて、100メートをおばあちゃんがついて来てくれました。「ありがとうございました」と言ってその山小屋で一晩寝て翌朝起きたら、雨も上がって清々しいんです。

わたしは散歩しました。ホテルのフロントの前でお兄ちゃんが竹箒で庭を掃いていました。このお兄ちゃんとの立ち話で初めてわかったのですが、前の晩に、雨の中わざわざ走ってきて僕の荷物を持てくれた白髪のおじいちゃんというのが、元大統領なんですよ。僕に傘をさしかけてくれたのは元大統領夫人です。見たら、朝っぱらから元大統領なる人、白髪のおじいちゃんがフロントに立っている。わたしはそこに行って「おはようございます、昨日はありがとうございました。ところであなたは元大統領なのですか」「はい、そうです」「何で元大統領がこんなことをやっているんですか」と素朴に聞きました。「日本では中曽根さんという人が威張っています。失礼ですが、何で大統領がこんなことをやっているんですか。朝っぱらから立って」。

その元大統領が、カラソという名前だと聞いてびっくりしました。この人が国連平和大学をつくった人です。コスタリカの歴史の中でも有能な人です。さきほどのモンヘの前の人で、彼が大統領だったときに国連に提案したんですね。世界が平和になるためにどうしたらいいかという、その一点だけを専門に考える国連平和大学というものをつくろうじゃないか。建物も用地もコスタリカが全部出すといって、現にコスタリカにできています。それをつくったカラソです。「あの有名なカラソさんがあなたですか。何でこんなことをやっているのですか」と言いました。彼は「わが国では当時法律があった。大統領は一期しかやってはいけない。それは権力者をつくらないためです。どんな偉い人でも、いい人でも長年何回もやったら悪い人になる」と言ったんですね。うちの国の首相はもともといい人じゃないのに何回もやろうとしている。ますます悪く、ますます独裁者になる。どんないい人でも悪くなる。だから大統領は一期しかやってはいけないという法律が当時はあった。さすがにいまはそれが改正されました。若いときに大統領になったら2度となれないというのも、それから2期やってもいいことになりました。しかし間に2期、いまは1期4年ですから8年置かなければいけないということに変わった。それにしても続けてはできません。こういう法律、仕組みを作って権力者をつくらない、独裁者をつくらないようにしているのがこの国です。ここが中国とか日本とは全然違うところです。

環境ホテルを建設したカラソ元大統領

カラソさんは、「そういう法律があったのでわたしは大統領を終えて、そのあとに国会議員になることもできました。でもそんなことをしたら若手が育たなくなるので、すっぱりと政治家そのものをやめた」と言います。これからは一市民として、この社会の発展のために尽くそうと思った。すでに教育国家の道筋はできた。もうひとつ平和国家の道筋もできた。足りないのは何かと考えたら、環境国家だ。だったらその環境の部門で自分は一市民として尽くそうと考えたと言うことです。環境というと、地球環境とかいろいろありますね。でも本当に大切なのは人間ひとりひとりが自分と自然との関係を考えることだと思って、エコツアーというものを始めた。そのとき貯めていたお金を全部使って一山買って、そこに環境ホテルを建てて、泊まった人たちが環境と自分の問題を考える、こういうシステムをつくった。偉いじゃないですか。日本の政治家と全然違いますよ。さっきの女子高校生といいこの大統領といい、人間のできが違います。

僕は彼にいろいろ質問しました。緑がいっぱいある。熱帯雨林です。熱帯雨林と言えば昔熱帯雨林の伐採問題があった。1990年頃です。僕は当時朝日新聞の「アエラ」の記者をやっていて、アエラから派遣されて東南アジア、マレーシア、ボルネオ、フィリピン、サラワク、ミンダナオ島とジャングルに入っていって熱帯雨林の伐採現場を取材してまわったことがあります。そこで伐っている人、そこから追い出された人たちにインタビューしてまわった。東南アジアの森はひどかったですよ。日本の商社が伐りまくっていましたから。そのあとコスタリカのことが頭に浮かんだ。コスタリカはは森が青々としていて、東南アジアの森と全然違います。

そこでカラソさんに聞きました。コスタリカでは森は伐らなかったんですか、と。そしたら彼はこう言った。もちろん伐りました。熱帯雨林の木材は1本伐って外国に輸出すると10万円で売れます。手っ取り早い外貨収入ですから、うちの木もぼんぼん切って売っていた。あるとき気付いてみたらコスタリカの森の7割近くが消えていた。そのときに初めてわれわれははたと考えました。このままやっていたら森が消えてしまう。コスタリカの政策を決めるときに30年後にどうなっているかということを考えています。いまの通りやっていたら、30年後に森が全然なくなってしまう。これはいかんと思って考え直した。それで国会で話し合い、もう木を切るのはやめよう。これからは植林に変えようといってその年から植林に変わったそうです。

という話をして、彼はにたっと笑って言いました。「その年までわが国はよその国に木材を輸出しておりました。次の年からはわが国はよその国に空気を輸出することになりました」。木を植えるからそれが風に乗って、よその国に酸素となって吸収されるわけです。この国は平和を輸出しているといいました。平和も空気もよその国に輸出してもびた一文お金になりません。でも喜ばれるじゃないですか。自分はお金が儲からないのに他に人喜ばれることをやる。こういう人はみんなから大切に思われますよね。人間でも国でも同じですよ。そういう、自分の利益にはならない、でも人の喜ばれることをやる。それがこの国の平和外交です。そういう国をつくれば誰もこの国を攻めようとは思わない。もしどこか攻めようとする国があれば、みんながよってたかってその国にやめろといってくれる。これもひとつの平和外交です。いってみれば、したたかな平和外交です。こういうことをこのカラソさんは言っていた。ちなみにこの木はわたしが植えた木です。たぶんいまはずいぶん育っているでしょうね。死んだらここに埋めて欲しいと思っています。

挨拶は「プーラ・ビータ(純粋な人生)」

これが最後になります。コスタリカの挨拶言葉に「プーラ・ビーダ」という言葉があります。スペイン語で、プーラは純粋という意味です。英語のピュア、ビータは人生。プーラ・ビータというのは「純粋な人生」――これが挨拶言葉です。すごい言葉だと思いません?日本では「こんばんは」と言うときに、向こうでは「純粋な人生」。いいじゃないですか。僕がこれはいいと思うのは、こういうことです。僕は3回特派員に出ました。3回目でアメリカの特派員になったのは、2001年9月1日付けです。つまり行って10日後にテロがあった。テロ直後のアメリカってひどい社会でした。いきなり愛国社会に変わった。どこを見ても星条旗だらけ。とにかくいまはブッシュの下に団結しよう、そうでない奴は非国民だ、そういう発想でした。あのとき本当に秘密保護法のようなものがどんどん通りまして、電話も盗聴される。うちの電話も盗聴されました。それが当たり前になった。その後3年間アメリカで取材して、2004年に日本に帰ってきたときにアメリカも変わってけれども日本も変わったということに気がついたんです。日本の中にいたらたぶん気がつかなかった。

何が変わったか。日本人が疲れていました。2001年は朝、職場に行くと「おはよう」で夕方帰るときに「お疲れさま」といっていました。2004年は朝っぱらから「お疲れさま」という。2000年の最初の3年間で日本はえらい疲れる社会に変わっていった。小泉の民営化の時代ですよ。あの競争の時代があって、いま若い人が行き場がなくなってどんどん自殺したりしています。ブラック企業の萌芽は、あの小泉民営化の時代にこの日本でできた。日本に帰ってきて、あるひとつの店がすごく増えているのに気がつきました。マッサージ、整体です。最近多いですよね。普通の人がマッサージ、整体に行くなんてなかった。いまは当たり前にあります。日本はすごく疲れる社会になっている。朝っぱらから「お疲れさま」って言われたら疲れてもいないのに疲れた気がします。そういうときにコスタリカでは「純粋な人生」。「純粋な人生」って言われたら、純粋じゃなくても純粋なような気がするし、純粋でなくてはならないように思うじゃないですか。

憲法を活かす生活大国のコスタリカ。誰もが自分は幸せだと言えるコスタリカと、憲法を無視して「お疲れさま」というような国になったこの日本とあまりにも違うと思います。両方とも平和憲法を持っている。しかも大した憲法ですよ、日本国憲法は。9条だけでなく、いろいろな面で素晴らしいものを持っている。この憲法の草案をつくるのに参加したベアテ・シロタ・ゴードンさんという人がいます。アメリカの女性です。僕は彼女に会って話を聞いたことがあります。「日本の憲法は押しつけだと言われていますけれども、あなたはどう思いますか」。彼女はこう言いました。「日本の憲法には男女平等が入っています。アメリカの憲法にはありません。アメリカの憲法にもないようなもの、つまりアメリカよりも日本の憲法の方が優れています。自分のところのものよりも優れたものを押しつけるということがありますか」。こういう言い方をしていました。

幣原喜重郎が言い出した軍事力放棄の憲法

日本の憲法は優れていますよ。何が優れているか、それは当時の世界のいいとこ取りをしたということです。いま押しつけと言いましたけれども、ちなみに押しつけじゃないですよ。あの憲法がどうやってできたのか、はっきりしているのは幣原喜重郎という当時の首相が言い出したことです。彼が亡くなる直前に秘書官に残したやりとりが昔から本になっています。彼は、「これまで日本がずっと戦争をやってきた。しかもこの戦争で原子爆弾が登場した。そういう時代になって兵器を持つということはもはやありえないことだ。それは一旦兵器を持ったら原爆を持つしかない。原爆でやり合ったらみんな死んでしまう。そんな時代になったときに国はどうやって生き残ればいいのか、ということを考えたとき、はっと思いついたのが軍備をなくすということだった」と証言しています。そして「そう思いついた途端、なんて馬鹿なことを考えるのか。自分は気が狂ったのではないか」。ピストルを持っている人間の前に丸裸になって出るということではないですか。「それはきちがいじゃないかと一瞬思った」「でも待てよ、それでいいのではないか。世界中で武器を持つ時代に誰か1人、狂った人がわたしは持ちませんという人が出てくる。そういうことがこの社会を変えることになる。そういう人が出てこない限り世界は破滅に向かっていくだけだ。誰かが最初の一歩を踏み出さなければいけない。そういうときにいまの日本はそれができる状態にある。武器をなくしてやっていけるということを示す、これが日本の世界史における任務だ」と彼は言いました。

幣原はそれを思いついた。しかしそれを自分が言い出したら、当時の日本でそんなことが受けつけられる状況ではなかった。そこでマッカーサーに進言したんですね。はじめからそういうことを言うということで行ったら、まわりからいろいろと邪魔されます。彼は1945年12月に風邪を引いて、そのときにGHQからペニシリンをもらって良くなったお礼という名目でGHQに行きます。そこでマッカーサーと4時間話しています。マッカーサーはびっくりしたと思います。そもそもマッカーサーは軍人ですから、武器を捨てるという発想はまったくないですよ。だからGHQが最初にそういうことを考えるはずがないんですよ。幣原喜重郎がそういうことを持ち出したらマッカーサーはびっくりした。マッカーサー日記に「そのとき幣原の話を聞いてわたしは腰を抜かさんばかりに驚いた。彼はその理由を淡々と述べた。世界の誰かが、どこかの国がそれを実現しなければいけない。捨て身になってやらなければいけない。それをやる機会にいま日本に恵まれた。日本がこれを示すいい機会だ」とあります。マッカーサーが最後は納得したというんですね。幣原喜重郎は、「わたしの口からこういうことを言ったら、たぶん日本では国賊、袋だたきにされる。アメリカから押しつけたというかたちにして下さい。そういうかたちでないと通りません」言ったといいます。これがその「押しつけ」という発端ですよ。

だから最初の提案は日本側からなされています。そしてアメリカが押しつけたというか、これを草案というかたちで出してきた。しかし結局最後に決めたのは日本の国会です。こういう流れを見ると平和にしたのは日本であり、日本人である。しかもそこに崇高な理想が含まれているということは、頭に止めておいていい。あの幣原喜重郎という人は、戦前の時代から日本の外交官として軍部に徹頭徹尾反対した人ですよ。最後まで大政翼賛会に入らなかったのは彼です。その彼が死の間際にそういう理想を日本に置いていった。それがわれわれの世界史的任務だ、その彼の遺言のところを見ると本当に感激しますよ。こういう経緯だったのか。ぜひ読み直して欲しいと思います。

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映画紹介「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」

2017年・アメリカ映画
監督スティブン・スピルバーグ

映画「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」のテレビコマーシャルが、一瞬だが画面に登場した。出かけた映画館は東京・日比谷で3月にオープンした超高層ビル内の上映館だった。1フロアに10箇所以上もの大小の上映スクリーンがあり、入場券の購入はタッチパネル式、プログラムや飲食販売などは1箇所にまとめられていて、労働集約型とはこういうことかと驚かされた。

映画はベトナム戦争が泥沼化していた1971年、戦況を分析したペンタゴンの機密文書がワシントン・ポスト紙に報道されるまでの1週間ほどを中心に扱っている。当事のメディアと政府の関係を重層的に描いていて、トランプ政権の登場とともにフェイクニュースとメディアとの対立が激化した昨年、スピルバーグ監督が意欲的に取り組んだこともうなずける。

ペンタゴン・ペーパーズは、トルーマン、アイゼンハワー、ケネディ、ジョンソンの4人の大統領がベトナム戦争に関して国民にウソをつき、マクナマラ国防長官が1965年にはベトナム戦争が勝てないという見通しを持っていたことを明らかにしている調査報告書だ。ニューヨーク・タイムズ紙はこの文書を独占報道するが、当時のニクソン大統領は、機密保護法に触れるとして記事の差止め命令を連邦裁判所に要求して差し止める。

タイムズ紙に抜かれた他の新聞社は文書を入手しようと奔走する。ワシントン・ポスト紙も、考えられるあらゆる手段を尽くして動き出し、ついに文書のコピーを入手する。文書を公表するか否かの決断がポスト紙の社主であるキャサリン・グラハム(メリル・ストリープ)に迫られる。

グラハムは父と夫が経営してきた新聞社を、夫の急逝によって46歳で主婦の身から引き継いだばかりで経営経験が少なく、当時は主要新聞で唯一の女性経営者だった。また、新聞社を家族経営から株式公開へと計画していた。経営的にも難しい局面で、法律顧問や役員など男性たちは文書公開の危険性をグラハムに口々に説くが、彼女は「報道の自由を守るのは報道しかない」という編集主幹の言葉に、記事掲載のGOを出す。輪転機は勢い良く動きだし、掲載紙は争って読まれる。全米各地の他の新聞社もポスト紙に続き機密文書を暴露していった。

司法省はポスト紙に対しても掲載禁止命令と差止めを要求したが、連邦裁判所は記事の掲載は報道の自由に基づく新聞社の責務である、として差し止め命令を無効とした。映画のラストでは、新聞社に怪しげな人物が進入し、ウオーターゲート事件の発生を暗示している。

この映画はいくつもの見所があった。まずジャーナリズムと政府との関係だ。新聞社の社主ともなると大統領夫人やその子どもたちなどとは普通のご近所付き合いのような関係なのか。機密文書の入手のためにグラハムは親交のあるマクナマラに直接会いに行き、相談などもする関係だし、新聞社の役員はケネディ大統領夫人とも懇意なことがわかる。安部首相が会食を重ねるメディア関係者はすぐ目に付くが、日本でも網の目のように政治家とジャーナリズム経営者たちの関係が形成されているのかと想像してしまう。

メリル・ストリープが演じたグラハムは、主婦から経営者になり、必ずしも自信満々ではない。株式を上場するときも演説を何回も練習して役員に見てもらっているように、男性役員の意見を気にしているが、一方で男性もグラハムを尊重してはいる。男性に囲まれた会議の場面などは70年代はじめの女性経営者の様子を実にうまく映像化されている。しかし、機密文書の掲載を決断する場面では常識的な男性役員の助言をふっきって決断する。父と夫が経営してきた新聞社の存在、そして悲惨なベトナム戦争への思いが決断を後押ししたのか。冒頭のベトナムのなまなましい戦場映像は、機密文書の判断要素とともにベトナム反戦運動、そしてアメリカ社会のどの階層にも暗く浸透していた戦争への不安を示している。

音響も立体的で、新聞社内でもグラハムの広大な家の中でも、電話の音は置かれている方向から聞こえるし、デスクを中心に社員の呼びかけや受け答えが、発信する方向から聞こえてくる。機密文書の探索でも、盗聴を心配して公衆電話を社外でかける。こういうの、ありましたね。掲載のGOが出てから、活字を組み、勢い良く回る輪転機には、アナログ真っ盛りの活き活きした情景を思い出す。グラハムをはじめ女性も男性も当事のファッションを再現している。スーツ姿やワンピースの柄も、そうそう、そうでした。これに違和感がない私は、相当な流行遅れの感覚なのか。

安部政権の5年超。いまや森友・加計疑惑、公文書の改ざん、日報問題、文民統制、セクシャル・ハラスメントと、社会の基盤が崩されるのを目の当たりにしている。映画と重ね合わせれば、市民一人ひとりが行動することで自らの社会のあり方にかかわることができ、この積み重ねで民主主義はつくられるということだ。憲法97条は、今日に生きる私たちにも問われている。ジャーナリズムはそのことを保証する基礎であることを忘れてはならない。
ちょっとした時間を見つけて映画館に足を運んでみませんか。(土井とみえ)

アメリカ合衆国修正第1条 連邦議会は、国教の樹立、あるいは宗教上の自由な活動を禁じる法律、言論、または報道の自由を制限する法律、ならびに人びとが平穏に集会する権利、および苦痛の救済のために政府に請願する権利を制限する法律を制定してはならない。

ヒューゴ・ブラック判事による判決抜粋 「合衆国建国の父は、憲法修正第1条をもって民主主義に必要不可欠である報道の自由を守った。報道機関は国民に仕えるものであり、政権や政治家に仕えるものではない。報道機関に対する政府の検閲は撤廃されており、それゆえ報道機関が政府を批判する権利は永久に存続するものである。報道の自由が守られているため、政府の保有する機密事項を国民に公開することは可能である。そして、報道の自由の義務を負うものは、政府の国民に対する欺きによって多くの若者が遠い外国へと派遣され、病気や戦闘で命を落とすという悲劇を避けるために責務を全うするべきである。私の考えでは、ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポスト、そしてその他の新聞社が行った報道は決して有罪判決に値するものではなく、むしろ建国の父が明確に掲げた目的に報いる行為として賞賛されるべきである。この国をベトナム戦争参戦へと導いた政府の行為を明るみにすることで、前述の新聞社は建国者がこの国に望んだことを立派に実行したのである」

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