私と憲法203号(2018年3月25日号)


安倍政権を倒して改憲発議を阻止するか、改憲発議を阻止して安倍政権を倒すか

暗雲晴れない自民党大会での改憲案

自民党の憲法改正推進本部(細田博之本部長)の全体会合は3月22日、党大会に向けての議論を行い、「一任!」「一任!」の声が飛ぶ中で、石破茂元幹事長ら批判派の意見を強引に封じ込め、安倍晋三首相が求める憲法9条改正案の方向で、今後の条文化作業を細田氏に「一任」することを決めた。事実上の「強行可決」だ。翌23日に開催した自民党総務会でも不満が噴出した。当初、大会で行うことを目指していた条文案の発表は見送り、大会後に条文案を作成することにした。

とりまとめられた条文案の「方向性」は石破氏らが要求した「戦力不保持」を定める9条2項の削除ではなく、1項、2項を維持して新たに「9条の2」を設け、その1項に「(9条の2項の規定は)我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織」としての「自衛隊を保持する」とする。この間の2項維持案では、自衛隊を「必要最小限度の実力組織」としていたが、この「方向性」からは削除することになった。

このように書き込めば自衛隊の目的・任務は「我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置」、すなわち「自衛権」の行使であり、国連憲章51条にいう「集団的自衛権」の行使ができることになる。そのうえ、「必要最小限度」の規定をわざわざ外したことで、従来の「武力行使の3要件」などは突破され、武力行使は無制限になることになる。これでは「維持された」という9条1項、2項は全く破壊されてしまう。

加えて、今回の自民党改憲案の「方向性」は9条2項削除にこだわる石破氏らの案との対比で、より「ソフト」に見える形で政治的欺瞞を演出するなかで打ち出され、9条改憲を躊躇する公明党などが乗りやすい形になっていることは見逃せない。

今回の自民党の9条の議論のとりまとめで、4項目の改憲案のすべてがでそろったかたちになった。しかし、他の3項目の改憲案はそれぞれ憲法マターではなく、法律の改正などで解決可能なものだ。自民党はこのように改憲案を4項目にすることで、憲法9条改憲問題が浮き彫りになることを回避し、9条改憲を実現しようとしている。

9条以外の他の3項目は、(1)参院選の「合区」解消など、(2)大規模災害時に政府に権限を集中したり、国会議員の任期特例を書き込んだりする緊急事態条項、(3)「教育無償化」だ。しかし、この間の改憲推進本部の議論の中で、(2)の緊急事態条項はとりわけ問題が大きい。当初は国会議員の任期についての特例を設ける問題に絞られていたが、途中からこれに緊急事態時に私権の制限を可能にするなど、政府に権限を集中することを可能にする条文が織り込まれた。これは、政府が緊急事態においては法律と同格の政令を作ることで、悪名高いナチスの授権法に通じる条項だ。どさくさ紛れにこうした危険な条項を含めた改憲案を作ったことは許されない。

長文で難解な改憲案文

なお、今回、自民党が取りまとめた改憲条文案は長文で、結構難解なものであり、国民投票を想定した改憲案としては極めて出来が悪いしろものだ。未発表の9条関連条文以外だけでも、緊急事態条項(憲法第73条、64条)で約300字、合区解消(47条、92条)で約360字、教育の充実(26条、89条)で約360字だ。国民投票に際して、この改憲案が有権者に理解された状態で、賛否の判断を求めるには容易なものではない。

改憲手続法では、発議後の国民投票運動期間は60日~180日と定められている。最短では60日もありうるわけで、この短い期間で、有権者が国民投票の準備をすることは不可能なことだ。

その結果、現安倍政権の下で国民投票が実施されるなら、それはまさにレファレンダム(憲法など政治に関する重要事項の可否を、議会の決定にゆだねるのではなく、直接国民の投票によって決めること)ではなく、プレビシット(いわゆる人民投票。政治家が権力の維持を図るために、人気投票的に国民の信を問うような投票のあり方)となり、民意が大きくゆがめられた投票になる可能性がある。

安倍政権に打撃を与える好機到来

このところ、森友事件の真相暴露の急展開の中で、内閣支持率が急降下し、与党・公明党のなかでも、自民党のなかでも動揺が走っている。ついこの前まで「安倍1強体制」と呼ばれていた安倍内閣は内部からの批判と不満の増大にさらされている。内閣支持率は各調査機関で軒並み30%台にまで落ち込んでおり、第2次安倍政権以降最低値だ。これは当面、回復する兆しはない。もし、20%台に落ち込んだら、政権存亡の危機だ。そして、その流れはほぼ確実になっている。

安倍首相周辺が描いていた改憲スケジュールは大きく立ち遅れつつある。自民党案の取りまとめが、当初、目標としていた昨年中どころか、今回の3月の自民党大会でも困難で、議論は後ずさりしている。自民党主流は大会後、改憲条文をまとめ、4月には憲法審査会で議論を始め、なんとしても年内には改憲発議を実現しようとしている。日本会議をはじめ右翼改憲勢力には、いま強い危機感がある。彼らはこの安倍政権のもとで改憲ができなかったら、しばらく改憲の機会は失われると考えている。

しかし、森友問題での政府危機のなかで、国会での改憲論議が容易にすすむ状態ではない。与党・公明党はこの嵐の中での改憲論議に消極的になっているし、友党・維新の会も1丁目1番地の「教育無償化」にかならずしも自民党が積極的でないことも併せて、9条改憲にも及び腰になっている。自民党員や支持者は安倍政権の支持率急降下におびえている。 森友事件の糾明の進展の中で今後の政局はどのように展開するのか、当事者の安倍政権にとっても見通しはつかないほどの危機に見舞われている。少し前までは、9月の自民党総裁選で安倍晋三総裁の3選は確実視されており、誰もがそれを疑わなかった。しかし、今は様相が大きく異なってきた。党内のいろいろな勢力が時を得て、うごめき始めている。安倍総裁の威信は急速に崩れている。

森友疑獄事件の公文書改ざんや、自民党文教族による前川前文部次官の「授業」にかかわる憲法違反の介入に見られるような、国家権力を私物化し、憲法を破ることを繰り返す安倍政権とその与党に改憲を語る資格はない。

安倍政権を追及し、総辞職に追い込むたたかいをいまこそ全国各地で全力で取り組まなくてはならない。そのための最も有効なツールは3000万人署名運動だ。この運動は全国各地の草の根で市民が一斉に取り組む数千万人規模の壮大な対話運動であり、改憲反対の世論を作り上げる運動だ。

私たち市民連絡会が参加する「憲法9条を壊すな!実行委員会」は、いち早く3月5日の森友疑惑追及の官邸前行動をはじめ、街頭宣伝活動に取り組んでいる。総がかり実行委員会と全国市民アクションもいま、連日、国会行動や街頭宣伝に取り組んでいる。国会前での行動も3月19日には5000人の市民が参加した。この後、当面する連日の国会行動に続いて、4月中旬の大規模な国会行動や、5・3憲法集会など、行動の大規模な展開が予定されている。

全国の市民たちも行動を積み重ねている。国会内では立憲野党各党が厳しい論戦を展開し、頑張っている。これらの市民の運動と国会内の立憲野党との連携で、今こそ安倍政権を追い詰めよう。

安倍退陣を実現する道はいくつかある。森友疑惑の徹底追及で安倍政権を退陣させるか。国会内外のたたかいで安倍政権を追い込んで大幅に改憲発議の時期を延長させ、改憲発議ができない状況を作って安倍政権を倒すか。世論を変え、安倍政権に改憲発議しても勝てないと自覚させるような情勢を作るか。参議院選挙まで発議を不可能にして、改憲派を追い込み立憲野党+市民の共闘で改憲派の3分の2議席確保を阻止し、安倍政権を倒すか、いずれかだ。目の前にある戦後史上最悪の安倍政権を倒すことができれば、歴史を大きく前に進めることができる。
(事務局 高田健)

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「朝鮮半島の平和と日本の平和憲法守護のための日韓市民平和シンポジウム」に参加して

土井とみえ(市民連絡会事務局)  

3月13日、韓国のソウル市の市庁多目的ホールで「日韓市民平和シンポジウム」が開催された。主催は韓国側が、2016年キャンドル革命をけん引した市民運動の後継組織である「主権者全国会議」と「ソウル大学校平和統一研究院」、日本側が「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」。主題は、1、朝鮮半島の戦争危機の阻止と日本の平和憲法を守護するための日韓市民社会の協力をどう実現するか、2、北東アジアの平和体制構築のための日韓の市民平和運動の役割と国際協力のあり方の2つをあげている。韓国では南北会談と米朝会談の開催が決まり、日本では安倍首相による森友問題への関与が暴露されて内閣支持率が急落するという、両国ともにめまぐるしい状況変化のなかで開かれたシンポジウムであった。会議は午前10時から午後6時まで、同時通訳を駆使してスピーディーで内容の濃い会議であった。

会議の内容

会議は司会のキムさん(主権者全国会議)の「3ヶ月が数日に当たるほど激しい時代の変化の中で迷子にならないように討議を重ねよう」という挨拶からはじまった。開会式の歓迎の言葉では、はじめにハン・ウェンサン前副首相(統一相・教育相)が行った。ハンさんは「歴史の流れが激しくすすんでいる。1919年の3.1革命運動は2017年のキャンドル革命として姿を現した。いま世界の地殻変動が起こっている。日本でも新しいろうそく運動がなぜ起こらないのか。ともにがんばろう」と語った。つづいて神父で主権者全国会議常任顧問のハム・セウンさんは「日本から来た方々を歓迎する。韓日と南北の平和、東洋の平和に力を尽くそう」と語った。日本側からは高田健(総がかり行動実行委共同代表)さんが挨拶にたち、「南北首脳会談と米朝首脳会談を実現した韓国市民の平和と人権の闘いに敬意を表します。日本でも安倍政権打倒と改憲阻止の運動が急速に発展している。国会議員と市民の共闘を進めていく。キャンドル革命に学びたい」と語った。

つづいてキム・ヨンホさん(元経済産業相)は「日本では安倍政権打倒の闘いがピークを迎えるにもか改憲派 かわらず韓国に来てくれた。韓国のキャンドルデモは直接民主主義として市民社会が動き、市民運動と政府が手をつないでいる。日韓の市民運動が交換しあう初めての経験を有意義なものにしたい」と話した。挨拶の最後にジョン・グンシクさん(ソウル大学平和統一研究院院長)が「日本の平和憲法は2000万人に及ぶアジアの犠牲者への献辞だ。安倍政権退陣と日朝国交正常化の扉を開くのは日韓の市民運動だ。21世紀を全世界の平和の世紀にしたい。今日はその小さな出発になる」と話した。

基調講演

基調講演では日本側は「九条の会の歩みと役割、そして展望」と題して小森陽一さん(九条の会事務局長、東京大学教授)が行った。小森さんは次のように講演した。2015年に戦争法反対闘争が「総がかり行動」に統一する動きの中で闘われ、あわせて市民が直接選挙に関わる運動体としての市民連合の取り組みを紹介した。九条の会は結成以来独自に活動をしてきたが、「安倍9条改憲阻止全国市民アクション」には九条の会の結成宣言と重なっているので参加した。日本の世論調査では戦後長い間、憲法擁護が多数であったが、次第に改憲支持が増え94年頃には6割になった。2004年に文化人9人の呼びかけで九条の会発足し、2010年には7258まで各地で九条の会がつくられた。いま目指しているのは安倍9条改憲NO!の有権者の3人に1人に当たる3000万人署名を集めきることだ。韓国のキャンドル行動に学びながら、改憲を阻止し9条をもつ日本政府こそが、朝鮮戦争の講和条約を結び東アジアに平和の体制をつくる責任を負っている。今日の会議がその前提になるよう願っている。

韓国側はイ・ブヨンさん(東アジアの平和会議代表)が「朝鮮半島の平和と東北アジア共同体」と題して基調講演を行った。イ・ブヨンさんはあらまし以下のように講演した。3月前までは先制攻撃を防ぐことが第1だった。今は期待以上に南北、米朝の会談が進展している。ピョンチャンオリンピックやキャンドル革命による文政権が対話合意に貢献した。朝鮮半島の平和体制構築には70年もの長い経過と努力が繰り返されてきたが、これまでの論理が使い回しできないパラダイムチェンジだ。キム・ジョンウンと米国タカ派の動向をみると平和体制と一口にいってもその概念は同じではない。今後、容易でない事もみておかなければいけない。東西ドイツ統一の例をみても西ドイツ国内に統一に反対する声は強かった。しかし市民の統一への運動があり、互いの国家体制を尊重し認めることが統一に向かったことは重要だ。核問題の解決は米朝だけでなく南北関係の改善も課題で、市民社会がこの先頭に立たなければならない。平和構築のためには日本や米国が北朝鮮を認めなければならない。北東アジアには安保も経済も平和も文化も共同体ができていない。ヨーロッパ安保協力会議は平和体制の構築に役立った。血を流さなくて平和と共存体制へと転換させた現代史では常に知識人、宗教者、女性、労働者など市民社会の活発な参加と運動が前提になっている。

さらに3つのテーマのセッションで発言があり、最後に議論が行われた。

第1セッション<韓日の市民運動の現況>

福山真劫さん(総がかり行動実行委共同代表)は「日本の市民運動の展開 - 安保法制反対を中心に」をテーマに報告した。福山さんは総がかり行動の形成の過程と戦争法反対闘争、市民連合の取り組みを報告した。今後の課題として、(1)市民連合の体制と全国ネットワークの強化、(2)当面の市民連合と野党共闘の政策協定の検討・合意、(3)2019年参院選までh政策実現のための共同行動の強化、(4)参院選は政策、選挙態勢、候補者の一本化などで本格的野党共闘にするための運動を強化する、などを話した。

アン・ジンゴルさん(参与連帯市民委員長)は「キャンドル市民革命の意義と課題」をテーマに報告した。アンさんは大阪の集会から戻ったばかりという。アンさんは、キャンドル市民革命が光州民衆抗争と1987年の抗争がなければありえなかったと指摘。文政権下でも民主的な政党と政治勢力の活性化、市民社会と草の根NGOの発展、労働組合・農民会・商人会・青年会・学生会の組織力、活動力が高まり、ネットワークを強める方向に進むべきであると報告した。

第2セッション<北東アジアの平和体制構築方案>

小田川興さん(元朝日新聞ソウル支局長)が司会をした。
主題発表の川崎哲さん(核廃絶国際キャンペーン<ICAN>国際運営委員)は「核兵器禁止条約の意義と東アジアの非核化の課題」をテーマに報告した。川崎さんは核兵器禁止条約の意義を話し、これまで日本や韓国のNGOによって長く提唱されてきた北東アジア非核兵器地帯という構想は、北東アジア諸国がこの条約に一斉に加入すればその主要な目的は達せられるとして、北朝鮮と韓国、日本の3ヶ国が一斉に加入することを提唱した。

韓国側はソ・ボヒョク(ソウル大学校)が主題発表した。テーマは「韓半島の非核化と北東アジアの平和体制」。ソさんは、過去の歴史に対する日本の誠実な態度が域内安保協力に必須である事を指摘し、さらにアメリカ・日本が北朝鮮と敵対関係を清算することが課題だと指摘した。その上で、非核化以前でも気候変動、テロ、保健、海上安保、難民などでの域内協力の制度化などの多国間協力は役立つ、と指摘した。

議論の部では、韓国側からキム・ジョンデさん(正義党国会議員)が核兵器禁止条約は新たに展開してみる。北東アジアでは核武装の危険性が高まっているからこそ親交と連帯の時期だといえる。南北と米朝会談は脆弱な土台であり正確に歩ませなければならない、などの発言をした。

パク・チョウンさん(参与連帯)は韓国では非核兵器という認識はなかなか浸透しないが、非核化政策を持つべきだ。国内、国際的に平和運動をやっていきたいと話した。

日本側からは清水雅彦さん(日本体育大学教授・憲法学)は、日本国憲法の平和的生存権を紹介し韓国における平和的生存権の判例、また2016年に国連総会で採択された平和への権利宣言などの動きを東アジアの平和に生かしていく可能性を指摘した。土井登美江(脱原発をめざす女たちの会)は、福島の原発事故による被害の状況を紹介し、核兵器だけでなく脱原発が核廃絶のために欠かせないことを訴えた。

第3セッション<日韓市民平和運動の課題と協力方案>

日本側から主題発表した小田川義和さん(総がかり行動実行委共同代表)は「日本平和運動の現状と韓日連帯」をテーマとして報告した。小田川さんは、戦後保守勢力によって憲法9条の解釈改憲が繰り返されてきた。安倍政権は北朝鮮の核・ミサイル開発を口実に「防衛力装備の強化」を図っていが、この問題は対話による解決しかない。戦争する国づくりに反対するために、安倍9条改憲阻止の3000万署名にとりくむ。沖縄の辺野古基地建設を断念させ、核兵器禁止条約の署名のとりくみを労働者の権利擁護の運動と結びつけてすすめていく。

韓国側の主題発表はパク・チョンウンさん(ひらかれた軍隊のための市民連帯常任活動家)が「韓半島の平和運動の現状と課題」を報告した。パクさんはサードの韓国への配備と韓米同盟の危険性を指摘。韓国基地平和ネットワークの活動と沖縄との連携について話した。また日本の民主団体との交流の状況にもふれ、朝鮮半島と東アジアの軍事安保情勢は急変しているが予断を許さない。韓国と日本の平和活動家たちは肩をくみあい平和への道のりをともに進もう、と結んだ。

議論の部では、韓国側からイ・チャンス(ソウル大平和統一研究院)、チョン・ウクシク(平和ネットワーク)、ギル・ユンヒョン(ハンギョレ21編集局長)、日本側からは内田雅敏(日本弁護士連合会憲法委員会幹事)、有光健(戦後補償ネットワーク世話人代表)、菱山南帆子(総がかり行動実行委員会)、高田健(総がかり行動実行委共同代表)がそれぞれ短いコメントをした。
最後に日韓/韓日市民の平和宣言を採択して終了した。

日韓/韓日市民の平和宣言

朝鮮半島を中心に、東北アジアの情勢が急激に変化している。
つい昨年末まで、朝鮮半島での戦争勃発の可能性は朝鮮戦争以来最高の水準にまで達し、 朝鮮半島における戦争は直ちに周辺国の日本・中国・ロシアをはじめ全世界の災いへと転じる可能性が高まっていた。

しかし、平昌冬季オリンピックを契機に、朝鮮民主主義人民共和国の金正恩労働党委員長の特使の韓国訪問からわずか一ヶ月の間に、南北首脳会談から米朝首脳会談の開催までが決定されるなど、朝鮮半島と東アジアの政治秩序に画期的な変化が起こっている。私たちは平和を支持する日韓の市民として、このことを大いに歓迎する。

このような世界史的な平和の流れの中で、日本の安倍政権は、集団的自衛権の行使で米国に従い「戦争のできる国」へ転換し、アジア太平洋戦争によって国内外に数多の犠牲を生んだ教訓をもとに戦争放棄と戦力不保持をうたった平和憲法9条を廃棄する「改憲」を策動している。

私たちは、朝鮮半島から始まった平和の流れを引き継いで、東アジアにおける平和体制の構築を目指し、両国の市民が連携して、日本の平和憲法を守り、東アジアの非核化と平和に向けた努力を共に傾けることを確認しあい、次のように宣言する。

1.朝鮮半島の平和を恒久化し、東アジアの平和を構築するために、米国と北朝鮮は対話を通じた解決に真摯な努力を傾ける。当事国である韓国はもちろん、関係国である日本・中国・ロシアはあらゆる協力を尽くす。対話の条件づくりをより促進するために、韓米軍事演習については、中止ないしは段階的縮小を進める。朝鮮半島の非核化のために、韓国と北朝鮮、日本、米国、中国、ロシアによる6カ国協議の再開など、有効な方策について真剣に議論する。

2.南北間の対話と和解・協力が具体的な成果を遂げられるよう、当事者である韓国と北朝鮮による努力を尊重する。南北朝鮮は休戦協定の調印国である米国・中国とともに休戦状態を真の平和協定体制へと発展させるために努力する。

3.戦争放棄と戦力不保持をうたう日本の平和憲法9条は、核攻撃の報復を招きかねない「武力による平和」に優る現実的な安全保障策である。原爆の惨禍を体験し平和憲法を持つに至った日本には、東アジアの非核平和を主導する義務と使命がある。日本の市民は平和憲法を守るために、国内外での広範囲な連帯行動を続けてゆく。

4.日本は、かつてのアジア侵略戦争がもたらした数多くの殺傷と被害に対する真の謝罪と解決こそが、日本と朝鮮半島の和解と東アジアの恒久的平和の実現へ進む道であることを認め、自ら問題解決に全力を尽くす。

5.本日の日韓市民平和会議の成果を踏まえ、2018年4月21日、歴史的な南北・米朝首脳会談に先立ち、朝鮮半島内の戦争危機の終息と恒久的平和体制の構築を促すための「朝鮮半島平和大会」を開催する。

2018年3月13日

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「8年目のフクシマ現地周辺の視察ツアー」と「2018原発のない福島を! 県民大集会」

中尾こずえ(事務局)

福島第一原子力発電所の事故から7年が経過した。
あの、3・11の翌年から毎年この時期になると、集会に参加するため福島を訪れる。
今年の県民大集会は3月17日双葉郡楢葉町の天神岬スポーツ公園で開催された。
東京からマイクロバスで参加した私たち(さようなら原発1000万人実行委員会)は集会前日に現地周辺のフィールドワークを行った。

3月16日
○いわき市の日本基督教団常盤教団常盤教会(地震で倒壊後再建して7年)を訪問
教会に設置されている食品放射能計量所「いのり」で、計測担当の佐藤文則さんに案内され、説明を受ける。「目に見えない放射能を恐れる『不安な気持ちに寄り添うため』にと、お母さんたちの要望に応え、主に、食品の検体からヨウ素、セシウム、カリウムを測定。教会の入口にもポストを作り、『食品』、『土』、『液体』など、市民がいつでも、だれでも計量依頼ができるシステムもつくっています。また、震災後、幼稚園がなくなったため子どもたちや若いママさんたちの拠り所であり、情報交換の機能を果たす役割のスペースにもなっていた。礼拝所のとなりの部屋では、お母さんたちが談笑しながら石?を作っていた。運営は教会や支援団体、個人からの寄付金によるものです。

○塩屋岬に立ち寄って、国道6号線を北上する。
「いのり」の共同運営委員をされている秋山胖さんが同乗して案内係をして下さる。
四ツ倉→広野町→楢葉町→大熊町→富岡町→双葉町→浪江町→南相馬市

車中で参加者たちが持ち寄った線量計で測定をする。四ツ倉から順に0.13(マイクロシーベルト略)、0.14。地元の子どもたちに原発の安全神話を教え込んだ楢葉の悪名高い「ピーアル館」前は0.25、 0.45、富岡町のフレコンバックが山積みされている所は0.53、0.57、0.74。

昨年はなかった常磐線富岡駅舎が新築されていた。人はいない。近くには薄黒い煙を噴き出している汚染廃棄物の焼却場がある。その白いかべには「鹿島建設 環境省 三菱重工」の大きな文字。窓はひとつもない。双葉の立ち入り禁止区域にはガードマンが等間隔で立って監視している。避難区域の私道や家の入口はゲートで仕切られて入れないようになっている。0.85、1.57、2.31と高線量が続く。行き場のないフレコンバックは五段積みになるとシートで覆われる。(バックの耐用年数は3年から5年なのだが置きっぱなしに)。除染の範囲を広げれば広げる程、汚染廃棄物の量は増えるばかりだ。現在、福島県内には2200万個を超えていると言われる放射性汚染物の入ったフレコンバック。昨年来た時に見た置き場所から移動されているのもあった。倒壊した家、建てたばかりの立派な家、帰ってくる主のいない家・・・。

視界が広がった。膨大な平らか土地にソーラーパネル発電所が作られていた。(震災前は田んぼで、塩害でやられた場所のようだ)火力発電、風力発電、再処理工場などが共存していた。時は夕刻。見事な雲の大群が、落ちていく夕陽に染められ実に美しい。空いっぱいダイナミックに流れていく、雲に映し出される赤いグラデーションの陰影に魅せられた。「原発はあってはならないのだ」。大自然の営みはそう教えていた。暗くなっても人家に灯りがともされずにたたずんでいる南相馬に入った。やっと、犬をつれたおじさんを発見。車は相馬市の海岸近くにある宿泊所の温泉宿「蒲庭館」へと向かう。

3月17日(晴天) 
集会のある楢葉町・天神岬スポーツ公園へ
○会場に向かって、視察しながら昨日来た道を南下。
知的障害者の施設、NPO法人「希望のあさがお」では手作り味噌やおにぎりなどを頂く。
太田川で亡くなった7人の方たちの碑に参拝して、中間貯蔵施設浜通り事務所や請戸川を抜け、立入禁止区域に入る。双葉町の浄化センター付近には手つかずの瓦礫が置きっぱなしになっている。津波で1階が空洞になった廃屋、請戸小学校も然り。請戸漁港には新しい漁船がたくさん寄港していたが何処で漁をしているのだろうか。港付近は盛り土工事で重機だらけ。新しく造られた防波堤は視界から海を閉じ込めてしまった。妙にサラッとして無機質風だ。風景が日々変わっていくと地元のひとは言う。

「浪江町東日本大震災慰霊碑」には182人の名前が並んでいた。墓石が倒壊したままになっている近くに新しいお墓が作られていた。60代位の夫妻が「ここに家があったのです。お彼岸なのでお墓参りに来たのです。」と花を手向けていた。

○再び車中で測定
大熊町 第一原発建屋の立入り禁止フェンス前2.33、富岡町フェンス前1.29。
富岡町、楢葉町には新築の住宅群が並んでいる。復興30年を見込んでの労働者用との事。

―晴天の下、 エメラルドグリーンの海を背に
「2018原発のない福島を!」集会が開会―
集会の後援は福島県内の12の市町村、4つの新聞社、14の民放テレビとラジオ、民進党、社民党、共産党等々による。
12時、「日音協」の歌と「ならば天神太鼓」の演奏でオープニングを飾った。
角田政志実行委員長(県平和フォーラム)が「8度目の春を迎えた。数々の問題があるなかで避難解除があり、様々な議論が投げかけられた。どれが良いというのではなくどの様に受けとめていくかの議論を進めてきた。人々には様々な生活のスタイルがあり、思い悩む人々がいる。これが原発事故なのです。皆さんにフクシマの事実を認めてもらいたい。この会場の近くにある第2原発の廃炉を強く求めています。」と開会挨拶。

続いて、さようなら原発1000万人アクション実行委員会の鎌田慧さんが「故郷を失う事の大変さのなかで事故が無かったかの様に再稼働が進められている。フクシマ、オキナワ、ヒロシマ、ナガサキの検証ができていない。歴代の首相が原発反対と言うのに安倍だけが再稼働、輸出をしようとしている。力を合わせて
安倍を倒そう。」と連帯挨拶を行う。

そして、呼びかけ人の武藤類子さんは、「2011年のあの日から、この地から、遠い地から見守っている皆さん!いま、2020年に向かってポジティブな言葉や、計画が満ちています。しかし、その陰で20ミリシーベルトの地に避難解除がされている。家や仕事を失ったホームレスや自死する人びとがいる。裁判に訴える人びとがいる。これは人権の問題です。汚染水タンクは900基を超えた。海へ汚染水を放出しようとしているのを魚業民が必死で止めようとしています。裁判では隠された事実が明らかにされてきました。90歳のある女性は帰還を希望しました。けれど、孫には「決して帰ってくるな」と言い聞かせたそうです。「今日のエメラルドグリーンの海を見て、これからも自分に誠実に生きていこうと心にしました」。と語った。

○県民からの訴え
浪江町 つしま原告団の三瓶春江さんから。「原発さえなければ平穏な暮らしが出来ていただろう。広い家で4世代が楽しく暮らしていた。今はカギを開けてもらい家に入るとネズミやイノシシの悪臭が放つ。原発が爆発しても避難指示は無かった。情報もくれなかった。子どもたちは無防備で遊び800マイクロシーベルトで被曝させられたのです。子どもたちは避難先でいじめられ悲鳴を上げている。リスクを一生背負っていかなければならない。こんな残酷な状況になったのに何故、再稼働なのか?国や東電に責任を取らせるまで脱原発の声を上げていく。」
2人の女子高校性(平和大使)からの訴えもあった。

最後に「集会アピール」が読み上げられ参加者、3300人で採択された。アピール文中に「被災地の厳しい実態を全国の人々に知ってもらいたいという願いを込め、今回の集会を2015年9月まで避難区域であった楢葉町で開催することとしました。事故を直視し、事故から学び、将来へとつなげていかなければなりません」と述べている。避難者への生活支援は縮小される一方だ。第2原発の廃炉については不透明だ。武藤類子さんの訴えにあった2020年に向かっていく不気味な動きや金の流れを変えるためにも安倍内閣の退陣を実現させなければならないと強く思った。

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第121回 市民憲法講座 国際NGOの現場で考える憲法第9条

お話:長谷部 貴俊さん(JVC 日本国際ボランティアセンター事務局長)

(編集部註)2月24日の講座で長谷部貴俊さんが講演した内容を編集部の責任で要約したものです、要約の責任はすべて本誌編集部にあります。

はじめに

今日はわたし自身がこれまで活動してきた現場から、日本国憲法第9条がどのように日本の国際協力のバックボーン、屋台骨であるか、といったところをお話ししたいと思います。これまでの報告会では、わたし自身が7年間直接担当していたアフガニスタン、イラク、南スーダンの話を中心にしていたのですが、今日は紛争中ではないけれどもカンボジアのことを冒頭に話し、そのあとアフガニスタンの現状と、われわれの取り組みを話できればと思います。

日本政府は紛争の現場において和解の取り組みをできるはずだという話を、これまで私たちはしてきました。加えて今日は、市民からもやれる可能性があるということにもふれます。日本の国際協力はこれまでいろいろ問題はあって、私たちは非軍事の国際協力、国際支援でやれることはいろいろあるという話をしてきました。今日は単に紛争地というだけではなくて、その前の日本政府が進める国際協力のありかたそのもの、ODAのありかたが非常に問題ですので、国際協力そのものがかなりまずいということにも触れます。ちょうど昨年3ヶ月ほどカンボジアに行き、事業運営をしてきました。その中で社会の変化、また一般の人からいろいろなことを聞きました。そこから日本の国際協力のあり方、また9条を活かした国際協力をどうやっていけばいいんだろうということをお話しできればと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

まず、われわれ日本国際ボランティアセンターは、お手元にパンフレットもお配りしましたけれども、東南アジアまた南アフリカの方で、地域の支援をきちんと活かしたかたちでの地域開発をしております。一方で、いまも紛争中というところでの国際協力活動をしております。われわれは単に国際協力の活動で、保健の分野といったところをやるだけではなくて、現場で起きていること、現地の人がなかなか声を出せない現状ってあるのですが、そこを発信、代弁していく役割が大きくあります。アフガニスタンにわたしが行っていたときには、日本政府だけではなくて米軍に対して直接現地で交渉もおこなって参りました。そういう、ところではわれわれの役割は単に協力だけではなくて、声が出しづらいところをきちんと代弁する。また、日本のメディアはいま本当に問題だと思いますが、なかなか多面的な見方ができていませんよね。報道の自由が日本は非常に低いという国際的なレポートが出たばかりですけれども、普通の人たちがどう思っているのかといったところを代弁する役割がわれわれにあるのかなと思っています。

カンボジア社会の変化

カンボジアなのですが、われわれはもともと1980年にポル・ポト政権が崩壊したあとにカンボジアからタイに逃れてきた方たちをサポートすることで立ち上がった団体です。80年代、まだそのころはカンボジアの政権がソ連寄りだということで、日本政府は支援していなかったんですね。アメリカ始めヨーロッパの国も政府機関は入っていませんでした。ただそのときにカンボジア国内に大変な状況におかれた人がたくさんいるではないか、ちゃんと地元の人たちにアクセスできるようであれば協力できる。どこかに行かないようであればきちんと支援をしていきましょうというところで、80年代から入ってやっています。

いまも農村の方で活動していますが、この写真はシェムリアップから2時間くらい行ったところの農村です。日本人はわたししかいなかったけれども、そこで3ヶ月くらい活動しておりました。まだ自然豊かだなと思われるかもしれないのですけれども、いまカンボジアの中では森林伐採が非常に激しいです。いまの政府と海外の企業が一緒になって、もともと住民の人たちが利用できるものを不当に収奪してしまうということがカンボジアで起きています。右側の写真ですが、ちょうど今年の1月、数日だけ仕事でプノンペンに行きました。そのときに撮ってきた様子ですが、廃墟のような場所です。もともと住んでいた人たちはいたのですけれど、新しくできたアパートにちゃんと移すという約束があったのですが、ほとんどの人が入れませんでした。プノンペン市や地元の企業がちゃんと補償しますと言ったんですが、その人たちに十分な場所を与えることができませんでした。一部の人はちゃんとした建物に入ったけれども、何もないような場所に移転させられた人がいたり、言い方は悪いですけれども、ゴミがたくさんある場所でこんなところに人が住んでいるのかなというところです。いまだに補償も十分に受けることもできずに住んでいる方たちがここにいます。

左側の写真ですが、いまカンボジアでは最大野党が解体させられてしまいました。言いがかりですが、政府転覆を考えているという罪を着せられて逮捕されています。フェイスブック上で政府のまずいことを批判した、それだけでまだ拘留されているという状況です。他にも市民活動家の方が拘留されていてずっと捕まっていたり、別の野党のアドバイザーをやっていた方が、2年前でしたか何者かに暗殺されてしまう。そういったことも起きています。日本政府はカンボジア支援に非常にきちんと関わってきて民主的になって発展したのかな。実際7%くらいの経済成長率はありますが、いまは社会のひずみが非常に多く出てきています。厳しい話ばかりしましたが、カンボジアの社会の貧困率は2007年に人口の半分くらいが貧困だったというところから、2014年ですと13%、平均寿命も1990年の54歳から2012年では71歳になりました。もちろんそういういいところもありますね。乳幼児死亡率もいま非常に低くなっているというプラスの面もありますが、ただ貧困人口が300万人くらいいるというデータが出ています。

医療制度も十分じゃないのですね。いちおう公立の病院にもアクセスできるのですけれども、何かあったらやっぱりきちんとした私立の病院に行かなければいけない。それは非常にお金がかかるわけです。また、いま気候変動のせいでしょうか、非常に作物の取れ方が不安定です。そういうところで何かあったら、貧困層に転落する方が450万人くらいいるということをいっています。わたしたちの活動地は、カンボジアでいえば平均的な田舎の水準、生活レベルですが、そこではどういう状況かということをお伝えします。村の4割が出稼ぎに行っているような状況です。単に大きい町にというだけではなくて、タイに行って、タイで工場労働者であったり建設現場、それからタイにあるプランテーションで働いている方がいます。いままでいろいろな農業の研修をしてきたのですけれども、一番忙しい時期に人がいなくなってしまう。そういう現状です。大きな都市に行きますと大学に行くことはわりと多くなっています。しかしわたしたちの活動地ですと、いろいろと聞き取りしたところ70年の歴史の中で大学に行けた人が1人、2人だという状況です。

カンボジア国内で強まるNGO、野党への監視、締めつけ

それから市民活動への締め付けが非常に強いですね。NGOのスタッフが長期に拘束されてしまったり、一般のカンボジアの方とかカンボジア人のNGOの人たちは声を出せない状況です。わたしはいろいろな話を聞きながら、これって本当に人ごとじゃないとおもいました。共謀罪がつくられ、発言できなくなっていますよね。日本と非常にかぶるなというところが見えました。カンボジアでは最大野党がなくなってしまいました。これはとんでもないですよね。多くの議員が不当逮捕され、逮捕するぞといわれて国外に逃げている人もたくさんいます。大きい野党だけではなくて、小さい他の野党、政府に自分たちの党の看板を勝手にとられてしまうという妨害をされています。いまのフン・センさんが率いる人民党が政権を取っていますが、前回の総選挙とか、去年あった、村がいくつか集まった集合村の選挙では野党も得票を伸ばしています。それがわかった途端にこういった締め付けをしています。

これはまずいよねということは、実は日本の国内でも、昨日、カンボジアでNGO活動をされていた国会議員が質問したり、日本のNGOがこれってどうなんでしょうという集会を開いたばかりでした。カンボジアでは、今年7月に国レベルの選挙があります。EUとかいろいろな国は、これはまずいよ、選挙支援しませんよとか、いろいろ声明を出していますが、日本政府は批判するどころか今週、このどさくさに紛れて700万ドルの選挙のための支援、選挙箱とかそういった支援をすると決めてしまいました。正直わたしもこんな状況の中で支援するのかなと、それが非常に驚きでしたね。日本のODAもいろいろ問題はありますけれども、いいことも書いたりしていますよ。例えば開発協力大綱の中でも、民主化の定着とか、法で支配されていることとか、人権がきちんと守られているか、そういったところを見ながら特定の国を支援していこうということを書いています。実際いま聞いてみて、みなさんはどう思われますか?野党がつぶされちゃって、そんなところで選挙したって政権与党が勝って、それにお墨付きを与えてそれで終わりという感じですよね。そういったところで「えっ?」、政府は支援しちゃったのかと正直わたし自身も驚きました。国際協力をどうやってきちんとやっていくのか、その原則を日本政府の中できちんと決めていますけれども、それが全然守られていないというような状況です。私はこれまで非軍事の協力で、やはり9条の精神をバックボーンとしてやっていくべきだということをいろいろな集会でもお話しさせていただいていますが、いま日本のODAそのものが本当にまずい状況だというところをまずお伝えしたいと思います。マイナスの状況です。それを今日みなさんにお伝えできればと思っています。

真の意味での積極的平和主義のありかた

いま実はJVCはほかのNGO、モザンビークの住民、農民の人たちとともに、JICA(ジャイカ)が進めようとしている大型開発に対して申し立てをしています。本来であれば住民たちに十分な説明をして、それから始めなければいけないのですけれども、外務省の人たちと正式な協議の場で話していても「人権状況がどうなっているか知りません」ということを平気で言います。大綱には、人権をちゃんと守りなさいと書いてありますよ。またJICAは別のガイドラインがあるのですけれども、そこにも非常にいいことが書かれています。人権状況に配慮しなさい、いろいろな市民社会とか関係する人たちと十分協議をしなさいね、そういうことをやっていかないと国際協力を前に進めちゃダメですよとか、結構いいことを書いています。でも全然守られていない。JICAだけじゃなくて監督官庁の外務省も、そういったところをわかっていなければいけないのに、「知りません」と平気でいってしまうようなものが、いまのODAです。数10年前は、日本のODAは日本の企業を儲けさせよう、そういったところを結びつけようというところがあって、それはやっぱりまずいということで改善していった時期もあったんです。ところが、いま非常に狭い「国益」というところを考えた政府が進める国際協力が横行しています。本当に悲しいですね。

わたし自身も昨年3ヶ月行っていた中で、たまにプノンペンのような大きい都市に行くとお上りさん状態でした。10年前くらいに、別の教育系NGOで2年間ほど活動して住んでいたのですけれど、そこでお世話になったカンボジアのご家族に会ってご飯を食べたんです。けれどもわたしが食べるようなお店じゃなくてすごいお店に連れて行ってくれて、レクサスとかに乗っているんですね。「おーっ」と思って「レクサスなんて初めて乗ったよ」といったら、そこのお嬢さんが「こんな古い型のレクサスなんてたいしたことないわよ」とか言うんですよ。「えー」と思ったのですけれども、もっともっとリッチな人がいるんですね。そして先ほど言いましたように、タイに不法就労に行くような人とか大学に行く人が本当に少ないような村が――われわれの活動地ですが――、そこが平均的な村なわけですよね。そうすると富の偏在とは何だろうと。だからそういうときにいろいろ声を出していきたいと思いますよね。そういった中で野党も解体された。NGOに対しても活動停止とか拘束されている方もいる。また一番大きい英字新聞が閉めさせられてしまいました。政府が税金未払いだから閉めると言ったのですけれども、実際はその会社はボランティアに近いかたちで、全然利益を出さないでやってきたんですね。それなのに閉められてしまった。払う理由もないし、必要もないのに、閉じられてしまった。そういったことがおこなわれているのに日本政府は、今年やる国政選挙を支援しますよということをこんな中で決めてしまっている。信じられない状況がいま出てきています。

安保法制を通すときに、安倍首相は「積極的平和主義」とよく言っていましたよね。彼が言う言葉って、それを提唱していたガルトゥングさん、平和学の大家ですけれども、その方の定義とまったく違いますね。ガルトゥングさんはどういうことを積極的平和というかといいますと、これはまとめを日本平和学会からとりましたが、直接的暴力――、戦争とか武器と武器との戦いだけじゃなくて、差別や貧困などの構造的暴力、そういった社会構造も暴力だというとらえ方をしています。さらにそれを正当化する文化的暴力を克服する過程として、積極的平和主義を定義しています。ある意味9条の精神は、平和と言うときに単に紛争がないというだけではなくて、社会の不正義であったり貧富の問題であったり差別であったり、それをなくしていこうということが本当の平和だと思います。いまお話ししているところ、わたしが憤っているだけじゃなくて、みなさんどう思いますか?安倍首相のいうのは本来の意味での積極的平和主義とは全然違いますよね。単に武力だけではなくて、非軍事でやることの中味もいまこれだけ問題化しているというところをお伝えしたいと思います。

われわれは、これはおかしいのではないかということを、声を出していかなければいけないと思います。日本のメディアもあまり取り上げてくれていないのですよ。東洋経済のネットとか朝日、毎日、NHKのBSでそこそこ取り上げられつつあるのですが、一番取り上げているのは産経です。ちょっと余談になりますが、ここで何でこんなにカンボジア政府が開き直ってやっているかといいますと、中国がバックにいるから安心しているということなんですね。産経も、いままで話をしたひどい人権状況に関しては、ちゃんと調べて書いています。安倍政権はちゃんとフン・セン政権にものを言え、と言うんですよ。そこだけは「へーっ」、いいことを言うなと思ったら、「中国に負けるな」、中国がバックにいるということの文脈です。そうじゃないだろう。そういった国際関係の中での力学ではなく、やはりきちんとした原則に基づいて、どうやっていくのかということが求められていると思います。国内のいろいろな問題がありますよね、そういったところでルールというか原則がまったく無視させられて、いまODAが進んでいることをまずお話しさせていただきました。

アフガニスタンのいまと、日本の対テロ戦争協力とは何なのか

次はアフガニスタンのお話しをしたいと思います。みなさんもいろいろニュースでご存じかもしれませんけれど、カブールではいままで起きた中で最大規模の自爆テロがありました。多くの一般の方が亡くなっています。われわれの事務所がある東部のジャララバードでも、セーブ・ザ・チルドレンという国際NGOの事務所が攻撃されてNGOスタッフも亡くなっています。先日来たわれわれのアフガン人のスタッフも、知り合いが亡くなったので本当につらいと言っていました。現状を見ても、わたしがアフガニスタンに関わったのは2005年からですが、いまが一番ひどい状況です。イラクも本当にいま厳しい状況が続いています。イラク・ボディ・カウントという、英語でイラク国内でどれだけの一般の人が亡くなったかということを数字で出している団体ですが、いまもだいたい18万から22万の方がこれまで亡くなっただろうといわれています。アフガニスタンでも、国連の発表でだいたい3500人前後の方が亡くなっている。負傷した方を含めると毎年1万人くらいいるという状況がいまだに続いています。

安保法制を廃案にしなければいけないと思いますし、9条の精神も変えてはいけないと思っていますけれども、先ずはいままで日本がアメリカに協力するというかたちで進めてきた対テロ戦争って何なのだろうということ、そこを問い続けなければいけないとわたし自身は思っています。いまお話ししたように本当に混乱を極めています。アフガニスタンの中でタリバンも力をつけ始めていますし、一部の方たちはタリバンでも物足りない、ISに入ってくるという人たちも出てきています。カブールでのテロとかいろいろな事件は、一部の専門家からのお話によると、悲しい話ですけれども、タリバンとISの力の見せ合いごっこなんだ。これだけの力がわれわれにあるということを、一般市民を巻き込みながらやっている、それが現状です。まずは本当に対テロ戦争の検証をどうすべきか、そこから始めなければいけないと強く思います。民主党政権の最後の頃にホームページの数ページでぺらっと、いろいろと問題はあったけれども妥当であろうというみたいな、いまもたぶん載っているはずなので探してみて下さい。本当にひどい結論です。そういったところから問い直さなければいけないかなと考えています。

アフガニスタンの概況ですが、人口はだいたい3000万人くらいで、いろいろな民族の方たちが住んでいます。日本人に似た方たちも住んでいます。ハザラの方たちというのはわたしの顔のようなのっぺりとした顔で、いまはひげを生やしていますけれども、アフガニスタンの民族服を着て座っていると「お前はハザラか」と何度もいわれたことがあります。ただ国連が発表しているUNDP(人間開発指標)では171位というところで、まだまだ厳しい状況があります。アフガニスタンの近代史はみなさまも詳しいと思うので、そんなにお話ししませんけれども、ソビエトの侵攻から撤退後も地域地域の有力者による殺し合いが本当にひどかったといいます。一般の人たちも殺していたし女性への性的暴力であったっり子どもも見境無く殺していたり、その時期に多くの方がイランだとか隣国のパキスタンに逃げていきました。タリバンの登場というところで、アメリカはタリバンを敵だと決めつけて攻撃してきました。

わたし自身は、初めてアフガニスタンに行くまでタリバンってすごい悪かなと思ったのですが、もちろんよくないこともたくさんしていますが、やっぱり一定の人たちは支持していたところもあったわけでです。アメリカの90年代の政策を見ますと、非常にタリバンを追い込んでいます。孤立化させて、悪だと決めつけ、政権は武力によって簡単に転覆できるだろうという発想は、そもそも間違っていると思いますね。いまもシリアやいろいろな国を見てもそうですね。もちろんわたし自身はイラクのサダム・フセインのことをいいとは思わないですが、ただあの人を武力で壊したら、すぐに民主的な国ができるだろう、安定するだろうという浅はかなアメリカの考え、それを繰り返してはいけないと本当にそう思います。それで被害を被っているのは一般の人たちです。先日お会いしたわれわれのスタッフも、生まれてきてからずっと戦争だ、いまもISも出てきている、そういった力の見せ合いごっこだ、もううんざりしてきた。これは自分だけじゃない、生まれたときからずっとこういったことだった。これを早くやめたいということをみなさんおっしゃっていました。

民間人の被害ということでは、3500人くらいの方たちが未だに毎年亡くなっています。多国籍軍はいま1万ちょっとくらいです。一番多いときで10万人を超えていました。ただわたしが頻繁にアフガニスタンに行っていたときは、米軍を中心として本当に誤爆、誤射が多くありました。アフガニスタンとかそういったところのたたかいで、どこが前線かということがわからないんですよね。言い方は変ですが、こっちがAグループ、こっちがBグループ、はい撃ち合いという、そういうこと自体よくないんですが、そうじゃないんですよ。どこに誰がどういうふうにいて、どういうような攻撃がどこで起きるかわからない、そういったところです。その当時、村に戻ると、夜にいろいろな事件とか爆破が起こるんだよ、とスタッフがいっていました、誰がやっているんだろう、そしてそのあと襲うんだと。たたかうこと自体がよくないということを前提にいっているんですが、地元の人たちですらわからないようなたたかいがあるときに、どうして米軍が、ちゃんとした情報を入れることができるのか。無理だと思いますね。そういった中で誤爆とか誤射がたくさんありました。

間違った情報や、米軍にわざとそうさせるようなうその情報を流して、以前はタリバンがいたけれども誰もいなくなったあとに一般の村が総攻撃にあってしまうわけです。われわれのその当時いたスタッフの親戚も米軍の誤爆で亡くなっています。普通に結婚式のときに歩いていた方たちです。米軍は、海外から来た反政府勢力がやったという声明を改めていません。こういうことが何度も何度も起きてきました。そういうときにどういう感情になるかということを、みなさん考えて欲しいなと思います。いまのアフガニスタンは、タリバンが地域の中に浸透して、政府もあります。ISも、力は弱いけれどもいるような状況です。一部の地域ではラジオ放送などで「ISに入りませんか」という勧誘がアフガニスタンの国内で流れていて、それで入ってくる人たちがいるということを聞きました。ただ、いまの政府も信頼が低いです。汚職も非常に厳しいです。そうしますと、いろいろな国の支援がどこに行ってしまったのかという、そういうところに対する不満がよくあります。

やるべきでない自衛隊の国際協力

自衛隊が進めていこうという国際協力についてお話しします。アフガニスタンでは2008年くらいから地方復興チームということで、軍と文民の人たちがチームを組んでの支援活動が行われていました。日本政府や学者の方たちの多くは、これはいいだろうという評価をいまだにしています。ただすごく問題があります。まずやる側のロジックをいいます。わたしがいっているのではなくて、やる人たちの考えです。「アフガニスタンは危ないよ、長谷部さん、JVCは武装はしないで普通の車で行っているの。いやいやそんなの危ないからやめましょうよ。やっぱり前と後ろに軍の人たちとか武器を持った人たちがついて、それで一緒になってやっていきましょう」、そういったような発想ですね。イラクで行われていたこともこれに近いと思います。ただ、実際はアメリカやヨーロッパの軍は戦闘行為をしているわけです。一般の人たちも殺している。そういった中で、この人たちは本当に支援してくれるのか、われわれの周りの人たちを殺してしまうような人殺しなのか、区別がつかないということを、その当時アフガニスタンの多くの方から聞きました。一般の方です。「そうだよね、戦闘していて間違っていろいろな人を殺していて、一方で支援なんていったって、そんなのないよね」、ということです。

そういったところをきちんと日本の政府、それから学者が分析しないで、いま本当に怖い話ですが「オールジャパン」でやりましょうと、これは怖い言葉だと思います。それは違っていますよね。軍というのは人を殺すためのものであって、そことどう一線を画すのか、それでわれわれNGOは身を守ってきています。「そうじゃないよ、われわれは中立だよ、武器を絶対持たないよ」、そういったことをいまも、これからもちゃんとやっていかなければいけない。これからの国際協力のあり方としてやっていかないとまずいなと思っています。

いま自衛隊は本来業務、重要な業務として国際協力が挙げられています。そういった中で本当に自衛隊がやるべきでないと思います。国際NGOの中では、本当にどうしようもないときにだけ軍のヘリコプターとかで孤立した人たちに支援をすべきだという考えがあります。最後の最後だということを現場の人たちはいっていますね。世界的に見ても、この数10年見ても片手にあるかないかというくらいのケースです。それなのに日本は実績作りのために、これまでも必要ない東チモールであったり、カンボジアだって必要だったかというと疑問ですよ。アフガニスタンだって軍じゃないいろいろなNGOが協力しているわけですから。そういった中でも実はこの地方復興チームに自衛隊を出そうとしました。本当に必要なのか、そこのところを考えていかなければいけないと思います。

左の写真ですが、これはいまうちのスタッフですが、以前はアジアプレスというフリージャーナリストのグループで従軍取材をされた白川徹さんという方が撮った写真です。この状況は、米軍の人とアフガンの文民支援する人たちが一緒に急に村に行って、勝手に家の中に入っていって家畜にワクチンをしますよといってワクチンをやっている一方で、ひげが生えるくらいの男性はみんな出てこいといって、特別なカメラで写真を撮っています。眼の色彩がわかるようにしている写真ですね。目が大きくアップされています。こういったものをデータ化して、ある意味諜報活動というか軍事作戦の一環として情報を集めていました。特にアメリカのやり方はひどかったですね。空からお金をまいたりとか、そういうひどいやり方をたくさんしていました。

医療、教育、女性への支援、政策提言などで支援活動

わたしたちはどういうことをやっていたのか。わたしが初めてアフガニスタンに行ったのは2005年でした。数10年にわたる内戦のために基礎サービスが崩壊していました。教育もなかったですし、公立の病院に行ってもお医者さんがいないという状況です。田舎の病院なんて行きたくないよということで、町に診療所をつくってそこで診療をする。予防注射とか、日本だとパックにして焼却する、一般の人たちの手の届かないようにしてやりますけれども、支援を始めたばかりのわれわれが活動していた公立の診療所ですと数百本の使い捨ての注射針が、がさっと、子どもが通るところに転がっているような状況でした。何これ、病院じゃないよという状況だったんですね。自称医者はいる、本当の医者はいないというような、そういうことがたくさんありました。

そういったところではじめは緊急支援をしていましたが、われわれはまず基礎医療のところをきちんとしようということと、まず病気にならないことが大切ですよね。みなさんなかなか教育を受けられなかったので、どういったことを予防すればいいのか、そういう知識がありませんでした。出産前後にどういうことに気をつけなければいけないか。マラリアも多い地域でしたので汚い水たまりをなくしていきましょうというようなことをやっていました。また教育支援として、タリバン時代は女性の教育が禁止されたんですけれども、われわれの時代は女性も高等教育にアクセスできるということで、学校の支援や、JICAがつくった教科書の指導要領はいい内容でしたが、その研修がわれわれが活動するような田舎ですとなかなか受けられないんですね。大きな都市の教育機関に眠っていて、こんなに資料があるのに使われていない。先生たちも先生としてトレーニングを受けていませんので、まず先生のトレーニングをやっていきました。

政策提言として軍民一体の協力がどれだけまずいかということを、JVCだけではなくていろいろなNGOと声を出していきました。その当時の国会議員や政策秘書の方といろいろお話ししてきたときも、アフガニスタンに入っていく研究者もいないので、大きなメディアが頼りです。民主党で小沢一郎さんが党首だったときに、民軍連携は一応国連決議のもとでやっているので、小沢さんは国連だったらいいという発想です。大きな新聞も従軍取材をして、朝日新聞もPRT―民軍一体でもいいのではないかという記事を載せてしまう記者もいました。でも、われわれNGOは被害を被っています。われわれのところに勝手に来て、強い抗生剤を子どもとか妊婦さんとか配ってはいけないのに配ったり、そこから銃を乱射したり、されたこともあります。そのあと急にドヤドヤドヤと来られたりして、いろいろな迷惑を被っていたので、いろいろなまずい事例を話しました。そうするとこれってまずいよね、と初めてわかったということで民主党のその当時の方たちの中で、ちゃんと考えが広まったことがあります。

われわれはそんなに大きなことはできませんけれども、一種のメディア的な役割があるのかなとそのとき感じました。どうしても大きな新聞社の方たちですと、カブールとか大きな都市で従軍取材してそれでアフガニスタンの現実だと言うんですけれども、田舎とか地方でどうなっているかということはなかなか遭遇しませんよね。タリバンは悪だ、悪いところはもちろんあるけれども、でもそれなりに支持を受けている理由があるわけなんですよね。何でそうなのか、タリバンはまずいけど90年代にそれなりのことをやっていたとか、前の大統領のカルザイさんもいい人みたいに言われていますけれども、彼自身よりも殺されてしまった彼の弟は、アフガニスタンで誰でも知っているような麻薬で大儲けをしている人だった。そういう人が政府の中にいる。政府の高官でも、ムジャヒディンとしてたくさん一般の人たちを殺した人がいる。何が正義なのだろうと、本当にわたしもわからなくなるような感じがありました。そういうことを丁寧に丁寧に伝えていくことが役割なのかなといまでも思っております。

いま西愛子さんという、元われわれのスタッフでカンボジア支援から入ってきた人です。看護師さんだったので彼女も何度もアフガニスタンに入って、女性グループの指導をわれわれのアフガニスタン主政策としてやっています。本当に字を読めない人たちが多いのでテキストで絵を描いたり、お茶を飲みながらとか、いろいろ工夫しながらいろいろな知識を伝えています。いまこのグループが自主的に自分達で教室を開けるようになりました。2008年、2009年くらいは「これはどこまで続くかねー」なんて話をしていたけれど、今は長老たちも自主的にどういうふうに村で病気にならない予防をやっていこうかとか、女性グループをどうサポートしていこうかということが着実にできてきています。

もっとある軍事以外の支援

活動を通じて感じたところですが、さすがにアフガニスタンのそれなりの知識層の方たちも、正直9条があること自体はそれほど知られていませんね。でもいろいろなお話を聞きますと、非軍事、日本ってすごく平和だよね、というイメージがあります。それをもっともっと前面に押し出していくことが必要だと思います。それなのに何で対テロ戦争で失敗し、現状をこれだけぐちゃぐちゃにしたアメリカとまた協力する必要があるのかということを強く思います。また戦争というか紛争地の現場って、どこで何が起きるかわからないんですよね。わたしがよくアフガニスタンに行っていた時期も、大きな金属音を爆発と間違った米兵がパニックになってしまって、銃を乱射してしまった。それで一般の人を殺してしまうということもありました。われわれは基本的には軍と一線を画しますが、ジャララバードから出るとき、入るときというのは、一般的には軍事基地を使わなくてはいけない。いまはアフガン軍ですが、当時は米軍が管理していました。米兵はもう半狂乱になってずっと怒鳴り続けていました。そこは確かに自爆テロが起きる場所だったし、本当に普通の精神状況じゃない方をたくさん見てきています。

日本に反戦運動に来られた元米兵の方とも直接お会いしたことがありました。イラク、アフガンの戦争でたたかっていた人たちです。はじめは自分たちの多くが精神的な病を抱えてしまって、もう仕事に復帰できない。家族、恋人にも暴力をふるうようになった。その補償問題を始めていた人ですけれど、途中から反戦運動をはじめました。その方たちがイラクだと上官も判断がおかしくなってしまい、普通に紙袋を抱えて歩いているイラクのおばあちゃん、その人しかいないのに「撃て」とか、それから武装勢力がいないとわかっているようなアパートを撃ってしまった。みんなわかるのに指示もおかしくなって、部下だからいうことを聞かなければいけないのでと撃ってしまう。これがいまでも心の傷になっているとおっしゃる方がいました。わたしは絶対武装しないでやってきていましたが、仮にですよ、わたしもそういう場所、乱射する場所ではないですがドカーンという音を聞く場所によくいたので、そういうところにいて精神的なパニックになって乱射してしまうことは十分ありうるだろうなと思います。

そうやって人を殺してしまうのではなく、やれることはもっとあるでしょう。アフガニスタンは本当に汚職の問題がひどいんですよ。そういった行政をどう立て直すかといった支援だってできるわけです。これはJVCがやるということではなくて、例えば霞ヶ関の官僚の人たちがアフガニスタンの政府を立て直すために行けばいいじゃないか。でも絶対彼らは行きませんよ。ある意味で、申し訳ないけれども、自衛隊の人たちを外交の道具にしているとしか思えないんですよ。そういったところにまず軍を出す。そこが前提で、ロジックがひっくり返っている。そうでない支援のあり方が必要だと思っています。

ODAも軍事化している現状にもふれます。先ほどいい面もあるといった国際協力大綱、閣議決定された日本のODAを決める大枠ですが、その中でも海外の軍隊の非軍事部門なら支援してもよいというような文言が書かれています。ただ、何を軍事にするのか、何を非軍事にするのかは非常にグレーです。民軍一体の協力でも、ワクチンなどいいことをやっているように見せかけながら情報をとることをしています。最近武器輸出反対ネットワークの代表の杉原さんに、日本は中古の武器を東南アジアに売ろうとしているということを聞きました。テレビ朝日で1回報道されたらしいですが、いま武器を輸出しようと躍起になっている。ただ売れていないらしいんですよ。じゃあ、その武器のメンテナンス費をどう政府のお金で捻出するのか、そういうよくわからないことばかりが起きています。そうでないようなことを目指さないといけないと考えます。

朝雲新聞は、防衛関係の機関誌ですね。そこでも2015年、直接的な批判はしないのですが、米軍だってイスラム国に拘束されたジャーナリストの救出作戦に失敗したことを書いています。アメリカの特殊部隊が失敗するのだから、日本の自衛隊がこれからやろうなんてちゃんちゃらおかしいではないかということが読み取れるのと思います。これは本当にできないだろうと思います。残念ながら法案は通ってしまいましたけれどもJVCだけではなくて、紛争の現場に関わっている人たちは対テロ戦争のむごさであったり、アメリカを始めの国々がどういうことをやってきたかを見てきています。そうでない非戦運動のあり方として、安保法制に反対する国際共同声明を発表しました。ここではクエーカー教のアメリカのAFSCという団体(1940年代後半から50年代初めにノーベル平和賞を取った団体)や、中東の多くのNGOも賛同してくれました。中東の方たちはこんなことが起きているのかと、みなさん驚かれましたよね。いままである協力をもっと、非軍事の、中立だと見られているから、それを推し進めればいいわけです。日本はアメリカにくっついちゃうの、本当ですか、みたいな、それが中東の人の見方です。アメリカとか、単に朝鮮半島、東アジアの脅威を煽るというだけではなく、世界から日本がどう見られているか、その価値をどう前面に出していくべきか、そこを見ていかなければいけないなと思います。

NGOの政治への関わり――安保法制に反対する国際共同声明の発表

「人道支援のジレンマ」、こんなことを普通の人にいったら怒られてしまうけれども、JVCは活動もしながら戦争反対とか対テロ戦争もおかしいといっています。いくつかのNGOは紛争の処理だけをする、またそこでは支援するけれども全体状況は何も言わないということが往々にしてあります。これは中立性、政治からも中立だということをいうあまり、そういった現状に目をつむってしまうということです。ですのでNGOがNGOではないのではないか。それはわたし自身によく問うていることですが、安保法制のときに実働型のNGOもそれなりに声を出していましたけれども、残念ながら紛争地に関わるNGOで声を出せないところが結構多かった。何でだろう、ということが正直わたし自身の実感です。ちょうどその時期の国会デモでもお話しをしたり、息子と一緒に普通にデモに参加していましたが、逆に普通の人たちが「これはおかしいよ」というふうに声を上げることがすごく大切だと思っています。メアリー・カルドーさんというヨーロッパでの核軍縮にも非常に貢献した学者が、「排他性を持たない政治勢力の拡大」といっています。これは、一般の人たち、市民勢力がどれだけきちんと存在しているかということが重要だということをいっています。これはカンボジアでも、声を出せないという状況であり、アフガニスタンも本当にそうです。政治家の人を見ていても誰が正しいのかという状況があります。

ただ、わたしは2007年くらいからアフガニスタンのNGOのネットワーク立ち上げの方たちといまもお付き合いさせていただいていますが、彼らはこの何十年間も武器を持たずに活動してきています。人道支援や開発支援の分野です。正直わたしもそんなに道徳的な人間ではないので、自分がアフガニスタンにいて、周りでたくさんの友人とか親戚とか近い人が殺されたらどうだっただろうかと思ってしまいます。もしかしたら、わたしも武器を持ってたたかっていたかもしれない。正直そう思います。そういう人がたくさんいます。ただアフガニスタンの中でも、武器を1回も取らずに非暴力での活動を何10年間も続けてきた方たちがいます。カルザイ政権の悪いことばかり言いましたけれど、本当に人材不足だったのでNGOのリーダーたちが治安の悪い地域の県知事になっていたりしていました。また実際にNGOの職員の方たちが政府の中に入って、きちんと仕事をされています。そしてまた戻ってきて、非暴力のかたちを模索したり、いまタリバンと和解の交渉役をやっているアフガン人の友人もいます。そういった人たちがいることは一般の人たちにとって希望ですよね。そういうことが必要なのかなと思います。

アフガニスタンの声としては、日本はアフガニスタン国内に軍、日本でいう自衛隊を出さずに中立的だね、そういった支援はすごくありがたいということを政府の高官がいっていました。多くの方はインド洋に自衛隊を出したことは知りません 。本当ですよ。本当に笑ってしまうくらいです。だってカルザイさんも数年間知らなかったらしいですよ。第1次安倍内閣が続けられるかどうかのひとつとして、インド洋の給油活動の継続がすごく重要だと安倍首相は言ったんです。それがパキスタンのメディアか何かに載ったて、それが英字新聞などでアフガニスタンに入ってきて、みんな「え-、そんなことしているの」と初めてみんなが知るようになっていきました。2007年くらいです。日本ではすごく重要な支援だといっていました。でもアフガニスタンの人にとっては、本当にカルザイさんも数年知らない、一般の人なんて何年も知らない、それだけのことでした。国内でも中立的支援というところがすごく強調していました。日本のメディアとか、国会で議論されていることとだいぶ違いますよね。そういうことが重要かなと思います。

安保法制のときにJVCのスタッフが、本当にアメリカにくっつくの?そういうことで自衛隊を出したらアフガニスタンはじめ中東諸国に間違ったメッセージを与えてしまうのではないの?と言いました。これが一般の人たちの見方だと思います。本当に9条の精神が重要だと思うんですね。単に守るだけではなくてそれを前面に押し出して、どういうふうに世界に対して関係をつくっていくか。どういうような協力ができるのか。そういう発想にしていきたいと思っています。例えばタリバンとのいろいろな交渉は、実は北欧諸国とか結構いろいろな国が実際にやっています。日本ではほとんど報道されなかったのですが、2012年、まだ民主党政権でしたが同志社大学でタリバンの高官とその当時のアフガニスタン政府の高官が来て話し合っています。そこで夕食会があってそこに出た方からお話を聞きましたが、「両方の人たち、楽しそうに話していたよ」といいます。そういう役割ってできるんだ。そういうところはアメリカではできません。ヨーロッパにもできません。近い国は利害関係がありすぎてできない。そういうことをやっていくことが重要だと思います。プラスして、平和をつくっていくことは市民からもできのではないかということをこのあとお話しできればと思います。

軍事と切り離した人道復興支援。これは紛争地の場合ですが、例えばヨーロッパの軍隊がアフガニスタンに総攻撃する。その壊したあとに何かをつくる。それで支援だということをやっています。何かおかしいですよね。どういうところが必要なのか。そういうニーズに基づいた支援はできると思います。ただ冒頭に話したカンボジアのいまは、それ以前の問題です。悲しい限りです。それから市民社会をサポートしていくことは重要だと思いますね。アフガンの話をしましたが、イラクでも同様の方たちとお会いしています。そういった人たちがいることに驚きました。そういった市民活動の拠点をもっと積み上げていこう、非暴力の価値を広めていこうという方たちがいます。日本だとわたしも含めて日本社会の端っこみたいな感じですが、アフガニスタンでもイラクでも、そういったNGOの方たちの意見とか存在感は、社会全体の中でかなり大きな位置を占めています。もっとそういう人たちが前面に出てきて非暴力の価値を広めていく、そういう人たちをわれわれが日本からサポートしていくということが重要かなと思っています。

暴力への見方が根本から変わったアフガニスタン人のスタッフ

最後に1人のスタッフのエピソードを含めてお話ししたいと思います。サビルラという、いま現場の統括をしているアフガニスタン人のスタッフですが、ちょうどわたしが入っていた2003年頃、ドライバーさん、庶務さんとして高校を出たあとに入ってきました。若い頃は武力が解決だと思っていたといいます。彼は本当に内戦のときに非常に厳しい状況の中で、戦火をずっと見てきました。まわりの大人たちも、どういうふうに攻撃したとか、そういう話ばっかりしていた。それが当たり前だ、それが小さいときからずっと普通だったと言っていました。また武装勢力と近い関係になっていた時期もあったそうです。彼は190㎝くらいあって110キロくらいあるんですが、4WDの車のサイドブレーキを外して動かせるくらいの力持ちです。そのころは、街頭で銃を持っている人に憧れていたと、後から聞いて驚きました。彼はわたしがいたときのマネジメントのスタッフで、治安回復でもし武装勢力が入ってきたら、どうやって逃げるのかとか話していました。サビルラがもしタリバンだったら、俺なんてあっという間にやっつけられちゃうといったら、まあそうだよねといっていました。

それだけ強い人間だったんですが、JVCに入ってから、診療所のある地域で米軍のヘリが飛行したり軍事攻撃が何度かありました。実際はこの地域はタリバンも全然いません。その当時もいなかった。武装勢力もいないから、米軍も警察もいないんです。逆に、争う人たちがまったくいないので平和だった場所です。川を一本渡ると、本当に危ない地域がありました。そういうところで一般の人が撃たれるとか、われわれが運営している公立の診療所の近くも撃ち込まれたときがありました。

診療が終わっていた時間帯だったからよかったけれども、毎日100人から150人が来るので、その時間じゃなくてよかったね、なんて話していました。これは私が撮った写真ですが、サビルラが交渉しています。実際に診療所のあたりに着弾した破片ですが、頼んで集めてきてもらいました。何で空から撃ってきたのか、おかしいでしょうと、ということを米軍に対して交渉しています。このとき米軍は知らんぷりをしていました。正直言ってタリバンはそんなに立派な武器を持っていないので、空から飛んで来るものなんてないでしょう、とわたしも言いましたが、それでもしらを切っていました。タリバンなんてその当時は、あっちかなこっちかなと撃つようなもので、だいたい外れますね。あとは自爆攻撃がありますけれども、そういう力しか持っていなかった。やったのは米軍しかないでしょうといってもしらを切っていました。でも治安を専門にしているNGOがあります。元退役軍人などがいて、そういうことがわかる人たちがこれを分析してくれました。そうしたら、これは米軍の武器だということが判明した。そのあとには、同じような空からの攻撃はなくなりました。そういったところで彼自身が、「言葉でいろいろ解決できるんだ」ということに気がつき始めたといっていました。同じようなことで別の事件などで何度も交渉して問題を解決しました。

いまのアフガニスタンの状況ですけれども、タリバンの支配地域が黄色で、たたかっている場所がオレンジです。われわれが活動している地域の近くもそういった状況です。カブールでのISとタリバンの攻撃と報復だけではなくて、われわれがいる地方でも戦闘が起きていたり政府とタリバン、ISの間でいろいろなことが起きています。いま、どういうふうに身近ところから暴力をなくしていくのか、といった取り組みを始めています。彼自身が生まれて育ってくる環境の中で暴力が身近すぎて、それが当たり前だと思っていた。9.11以降、一応民主的と思われているカルザイさんの弟は、麻薬で大儲けしています。政府が麻薬を撲滅して違う作物をやりましょうといっても、「なんだかな」と普通の人は思ってしまいます。そういった中で、いろいろな交渉事で物事が解決していくといったところをきちんと一般の人たちにも考えてもらいたい。そういうことに彼は思い至りました。ISが「入りませんか」という勧誘活動を、自分たちが勝手にラジオ局をつくって呼び込むということがアフガニスタンの国内であるそうです。パキスタンでも、隣国のアフガニスタンの人たちが非常にまず状況だということで煽ることも多い。日本のヘイトスピーチみたいなことが紛争地の中でも繰り返されます。そういうことに惑わされないようにしなきゃいけないねということをやっています。

いまブックレットを作成して、本当に簡単ですけれど「『争い』って何?」ということやコミュニケーションの大切さを言っています。いまだに武器を持っている人たちは非常に多いです。それは自衛のためであって、すぐに使うというわけではないけれども持っています。それから、もともとジルカという話し合いによって調停する仕組みがありました。そういったものも大切にしていきましょうということですね。いま村の中でそういったことの話し合いをしています。われわれの活動地域はわりと落ち着いているところですが、同じ県でも南の方は本当に危ないです。いろいろなたたかいが起きていますが、そういった方たちとも合わせて活動するかたちになっています。日本では普通と思われるようなことがアフガニスタンの方たちには新鮮に見える。最後はやっぱり武力だよね、と思っているということをよく聞きます。そうではなく、話し合いのところがどれだけ大切なのかということを、それを身近なところかやっていくことを活動としてやっています。

共同してつくる「排他的ではない市民の勢力」

いま平和構築を考えていくと武力によって解決しよう、でも結局イラク、アフガニスタンはどうなったのか。そういったところを見ていると本当にこれは解決策になっているんだろうかということをすごく感じています。それよりはまだ小さい取り組みかもしれませんけれども一般の人たちの中に根付いている暴力に対する見方。暴力が解決策だ、何十年もこれだけの中でしか生きていないとそれしかないと思ってしまうんですよね。そうじゃないんだよということをやっていくことがすごく重要だなと思っています。

いまアフガニスタンの市民社会のリーダー的なグループを、ほかのNGOと日本のわれわれがサポートしています。暴力しかない社会の中にあって、そうじゃない、さきほどのイギリスのメアリー・カルドーさんがいっているように「排他的ではない市民の勢力」をどうやってきちんとつくっていくべきか。そういったことがすごく求められていると思っています。アフガニスタンの一般の人たちもそういった人たちを信頼しています。彼らはメディアに発信したりしています。サビルラは、いまは副代表で現地の統括をしていますが、アフガニスタンの最大のNGOのネットワークの理事に当たるようなこともしています。現大統領の前でスピーチをしました。日本でもエアガンのようなものがありますがアフガニスタンでもはやっていて、すごく危ないものもあるそうです。それがもとで大きな家族同士の争いになって、大人が死んでしまった。はじめは子どもが空気銃のようなもので争いはじめて、なんとか家となんとか家が争いになってしまって、人まで死んでしまうようなことも起こったそうです。そういう武器はやめようと、彼らが働きかけて実際に禁止させたそうです。小さい取り組みかもしれませんけれども、こういったことを一般の人たちから根付かせていくことがすごく重要だと思います。一見9条から離れているかもしれませんが、こういったことを9条をバックボーンとして、単に守るのではなくて、その精神をもっと世界に広めていこう、そういったことが日本でできるんじゃないかと思います。

紛争が起きている国だけではありません。先ほどのカンボジアです。こんな状況で選挙支援をするなんて、ちょっと信じられないですよね。いまこういう話を事実ベースで話すとカンボジアってそんなになっているの、日本政府は支援しちゃったんだということで、昔からカンボジアを知る人たちみなさん一様に驚いています。そうではなくて、広い意味の、真の意味での積極的平和主義ですね。安倍さんがいっているのではなく、ガルトゥングがいっている本当の意味ですよ。そういうことをいろいろな地域で広げていくことが大切だと思います。ガルトゥングさんは、自分が言い始めた積極的平和主義を安倍さんが歪曲しているといって非常に怒っていたそうです。そうではない有り方をわれわれがやっていくことが重要だと思っています。

 最後に、いま自衛隊を送ること自体が目的化されていますよね。それで解決なんて全然できていないじゃないですか。わたしがイラク、アフガニスタンで会った精神状態が普通じゃなくなっているような米兵の人たちは、本当に被害者だと思います。そうしたことを日本はしていくのか。そうじゃない、世界に対して日本ができることはたくさんあるだろう、それをもっと議論していってそれをもっと広げていかなければいけないなと心から思っています。

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