私と憲法

韓国で考えた日本の有事法制…憲法調査会中間報告にもふれて…

水島朝穂(早稲田大学教授)

今週は韓国にいた。本日の話は韓国で考えた日本の有事法制というタイトル。いま獄中19年で有名なソ・スンさんという方とともに「北東アジアの安全保障と韓国の国防治安法制」というテーマで研究している。

韓国軍の大佐が言いった。「われわれの国防報告は2000年までは主要な敵は北朝鮮だったが01年からそれを削除した」という。私が「日本の有事法制は北朝鮮のゲリラ・コマンドで日本海側の原発が破壊されるから必要だという議論がある」と話をしたら、「それは何の根拠があるのか」と逆に質問された。「自分たちは北朝鮮の対南工作の能力は統計上落ちていると見ている」という。韓国軍ですらそう言う。

38度線は日本で考えているような緊張にあふれるものではなかった。しかし、それは平和というのでもない。ソウル大学の北朝鮮問題の専門家の先生は、「これまでは全面的対決だった。現在は制限的対決だ。制限的相互依存だ。それを全面的相互依存の段階にすることがカギだ」と言った。相互依存は貿易、文化交流、スポーツ交流などのことだ。韓国軍の大佐もそういう認識だった。われわれは北を軽視しない。しかし、38度線の47キロ南にソウルがある。戦争が始まったらわれわれが50数年かけてつくりあげた繁栄が一挙に失われる。だから戦争は絶対にしてはならないという。そして38度線の12キロ南に7300平方キロの巨大な工業団地を建設中である。もし戦争を想定していたらこういう工業団地は作らないだろう。ここには現実主義的な考え方がある。

日本の場合は「情」だ。「拉致問題の解決なくして国交なし」とか、一言、トップがメッセージを発すれば、相手がどう受け取るかを考えずに盛り上げる。

衆議院の憲法調査会の中間報告は新聞3紙の扱いが特徴的だ。読売は一面トップは改正大勢、中も大きな特集。朝日は事務報告のようにサラリと書いている。「論点整理にすぎない」と書いている。毎日は形は一面トップだが、改憲指向と書いている。社説は中山会長のまえがきに注目し、それが改憲指向だとしている。会長の挨拶はカネと時間と労力をかけた挙げ句にこの程度のものだ。大名旅行的比較憲法論をやっている。「世界の憲法見て歩き」をやってきた。どこの国でも憲法改正が行なわれている。その結果、憲法改正は国際的常識だ、と。これはカネをかけて見てこなくてもわかる。なぜ日本は一度も憲法改正が行なわれていないのかという問題意識から各国ごとの事情を調べるべきだが、そのまなざしはゼロ。憲法改正の作法がなっていない。一国の憲法を変えるという問題が提起される時には、それなりの準備と環境と段取りが必要だ。それがない。まず最初に憲法改正ありきの議論が進んでいる。憲法を変えるのであれば、なぜそれが必要か、その証明責任をはたしていない。

憲法9条と自衛隊がぶつかっている、現実と規範の違いがある。あたりまえだ。最初からわかりきっている。だからマツカーサーの参謀のコワルスキー大佐は「日本再軍備」という本で、「われわれはこれから一国の憲法をふみにじろうとしている。時代の大ウソがはじまろうとしている。軍隊ではないという形で軍隊を作ろうとしている」と言った。50年8月にすでに現実と規範はぶつかっている。問題はこれを正面から軍隊といえない、これをすっきりとさせたいということだ。これは一方通行の憲法論議だ。私は永遠の憲法改正反対論者ではない。端的に言えば「真の改正」論者だ。とくに第1章はそうだ。しかし、そのかぎりで言えば第1章の議論も現在はすべきではないと思う。憲法改正の環境と作法がないもとでそういう議論はできない。国民の中から本当に切実に憲法を変えろという議論が起こってきたら、私は耳を傾ける。憲法を変えるのは主権者だ。いま変えたいといっているのは権力者だ。憲法は権力者をしばるためにこそある。権力者が変えたいといっているときには信用するなというのが、アメリカ第3代大統領のジェファーソンの言葉だ。これはあたり前の立憲主義を言っているにすぎない。

重点は憲法9条といわれたが、まさにそのとおり。その他は「だし」だ。たとえば人権論、首相公選、憲法裁判所、これらの口実は刺身のツマ以下。報告書の中でも首相公選論は破綻した。ローマにいる作家は「96条を変え、過半数にすればいい」と言ったそうで、みな「勉強になった」と言って帰ってきた。イタリアまででかけて「96条を変えろ」と言われて帰ってきた。馬鹿馬鹿しいことだ。96条の改正条項は「憲法を改正するための改正条項を変えることはできるか」という大問題だ。この程度の理解では悲しくなる。憲法は「出だし」でおしつけだったなどということはわかっている。しかし、それがどういう思いと準備で作られたのか。日本国憲法は2回翻訳された。最初は日本国内にあった民間の憲法草案をGHQの民生局が英文に翻訳し、それをもとにつくった英文を日本語になおした。憲法の源流には植木枝盛以来の日本の民主主義と、戦後の日本の民主主義と知性の憲法への熱い思いが生きている。これを押しつけと言う没主体性を問いたい。ドイツのボン基本法がどうしてできたかを調べてきた。ドイツは3つの国に支配され、いちいち条文ごとにチェックされ、目に見える形で押しつけられた。日本でも押しつけられたが、その中身をつくり、中身に影響を与えてきたのは日本だ。

日本国憲法の弱点とされる部分はいまから見ると弱点ではない。韓国も同じだ。38度線で引き裂かれて、むこう側に独裁政権がある。フリードリッヒという学者が言ったように、テロと指導者と大衆的動員とそして秘密警察、経済統制という5つの特徴を持つ全体主義国家は同じことをやる。いまこの特徴をアメリカがそなえてきている。イデオロギー、正義は向こうかこっちかしかない、究極の一党支配のような共和党の突出、秘密機関、そしてテロを自らやっている。統制経済のような自由のない、市場経済という名の統制経済的、こういう全体主義の特徴をアメリカがもってきている。ブッシュとヒトラーはよく似ている。ヒトラーの弱いところを全部、ブッシュが持っている。彼自身、正当性が弱い。票の数え直しをすれば当選していなかった。いろんな弱さをもっている彼がムリをするからボロがでる。

憲法調査会の主体性のない議論、韓国では米兵は判決がでるまで身柄拘束できない。日米地位協定では起訴されないと身柄拘束できない。地位協定改定の要求がある。ドイツでは逮捕できるし、警察が基地内に立ち入ることができる。主権の回復したドイツ政府が米軍とNATO軍と交渉して刑事手続きを回復している。ドイツ、日本、韓国の順でそれぞれに違う。韓国の人がどうみているか、日本はドイツ並みになるようにきちんと交渉してほしいと思っている。しかし日本政府は交渉もせずに、好意的思いやりでお茶を濁した。沖縄県が地位協定を変えろといっても変えようとしない。憲法を変えようと、こんなにエネルギーをかけているのに地位協定は変えないのか。変えるべき現実は他にあるだろうと思う。韓国の人たちの日本の憲法改正論へのひややかさはそういうところにもある。

北朝鮮から攻められたらどうなるかということではなく、もし攻めてしまったらどうなるか、この有事法制は決して防衛型ではなく、有事挑発型だ。この過剰な対応は韓国の太陽政策を促進することにはならないことを韓国軍の大佐が言った。「かつての独裁政権が過剰に北の脅威を煽った」と。「冷静な脅威のまなざしが足りない」ともいった。「安全第一、自由がほろぶ」だ。絶対の安全はありえない。絶対の安全を要求するのは原発の中だ。テロの問題でも、国家間の問題でも、社会の問題でも、根絶するというのではなく、乾していく、テロをできなくすることが大切だ。太陽政策型だ。

全欧安保協力機構のような枠組みをどうやって北東アジアにつくっていくか。相手も入れてしまうというやり方がいちばん、安全だ。これに気づくべきだ。

1996年、あるシンポジウムで韓国の学生が言った。憲法改正がされそうだとか、危ないというが、ペットボトルのジュースが半分残っている時、「ああ半分もなくなった」と見るか、「まだ半分も残っている」と見るか、の問題だ。まだ日本は憲法が改悪されていないじゃないかと言った。憲法調査会の中間報告がでたことについて、これはやばいという危機感はもちろん必要だ。その結果、アナウンス効果としては改正に向かっている。しかし、まだ憲法は改正されていない。楽観せず、前に向かいたいと思う。(文責・編集部)

水島朝穂
1953年,東京都府中市生まれ。83年札幌学院大法学部助教授,89年広島大総合科学部助教授を経て, 96年より現職。法学博士。91年ベルリン自由大学,99年~2000年ボン大学で在外研究。全国憲法研究会と憲法理論研究会の運営委員,国際法律家協会理事。単著『現代軍事法制の研究』日本評論社, 『武力なき平和--日本国憲法の構想力』岩波書店, 『この国は「国連の戦争」に参加するのか』高文研, 『ベルリンヒロシマ通り』中国新聞社。編著『きみはサンダーバードを知っているか』日本評論社,ほか多数。「ザ・ニュースペーパー」の公演「憲法施行50年の『夜』」の脚本執筆・監修。NHKラジオ第1放送「新聞を読んで」レギュラー(12月1日午前5時30分放送)。
「平和憲法のメッセージ」http://www.asaho.com/

このページのトップに戻る
「私と憲法」のトップページに戻る