内田雅敏(許すな!憲法改悪・市民連絡会事務局長)
本日の集会は11団体の呼びかけで多くの賛同を得て開かれている。
衆議院憲法調査会は中間報告をだした。憲法調査会はそもそもが「まずはじめに改憲ありき」の議論をしていることは知られている。調査会を傍聴していて感じることは、まともな議論がされていないことだ。人の意見をまったく聞かない、自分の意見だけを言って帰ってしまう。議論によって結論が変わる可能性が保障されていない。そして地方公聴会で中央の公聴会にたいして意見がでると「地方は情報が十分に伝わっていない」と切り捨ててしまう。
「ヒマラヤ杉に降る雪」という日系人の強制収容所を背景とした映画があり、その原作が「殺人未遂」。その最後に裁判長がこう言う。
「各陪審員は他の陪審員の意見と議論に率直な気持ちで耳を傾けなくてはならない。陪審員が審理されている事件に対して自分の意見を評決に反映させようと固く決心して、陪審員室に入ることは法律で認められていません。また陪審員が自分と同じように正直で知的だと思われている他の陪審員の討論と議論に耳を貸さないということも認められていません。あなたがたは互いの意見に耳を傾けなければいけません。客観的で合理的でなければいけません。有罪であれ、無罪であれ、全員一致でなければなりません。いそぐ必要はありません。審議している間にわれわれを待たせていると感じる必要もまったくありません」。
まさに議論とはこうあるべきだ。お互いが議論する、相手の意見に聞くべきものがあれば自分はいつでも意見を変える用意がある。少数派が多数派に転じる可能性がある。これがまさに民主主義だ。しかし、憲法調査会は相手の意見に耳を傾けず、はなはだしいのは自分の意見だけを言って帰ってしまう。こういう調査会がだした結論が最初に改憲ありきということだ。
これと連動して有事関連三法案や米国のイラク攻撃などの問題がある。自衛隊がますます突出している。戦後の日本の法体系は戦争ができない、戦争をしない憲法体系と、米軍と一緒になって戦争をするという相容れない法体系の奇妙な同居だった。そしてそれは日米安保体系による憲法体系の空洞化の歴史であった。しかし、それでもどうしても越えられない壁があった。集団的自衛権の行使は認めないという問題だ。まがり角は1999年の周辺事態法にあった。後方地域支援という名のもとにいとも簡単に集団的自衛権の壁を越え、昨年のテロ対策特別措置法、そして有事三法案とつながってきた。対テロ戦争に賛成か、反対か、敵か味方かという言論状況だ。危機に瀕しているのは憲法9条だけではなく、立憲主義が、民主主義が危機に瀕している。
このような中でさまざまな闘いが組織されている。12月1日には代々木公園で大きな有事法制反対の集会が準備されている。来年の5月3日にはさらに広範な憲法集会も準備されつつある。私たちは決して少数派ではない、形のうえでは少数かもしれないが、多数派に変わる可能性を秘めている。そして全国、全世界的にみれば憲法9条を擁護する見解は決して少数派ではない。自信をもって運動をすすめよう。(文責・編集部)