私と憲法198号(2017年10月25日号)


総選挙後に考える今後の可能性~安倍改憲を阻止する歴史的なたたかいへ

安倍晋三の勝利に見るもの

安倍晋三首相の究極の党利党略によって仕組まれた「国難突破解散・総選挙」は、結果として彼の思惑どおりになったようである。
安倍首相は朝鮮半島の危機を煽り立て、この対応のためには「安定した、強固な政権が必要だ」などと自党への支持を強要し、有権者を脅し続けた。世界各国の政府でさえも、朝鮮半島の危機を解決するためには対話が不可欠だと言っているにもかかわらず、隣国の安倍信三首相のみが「対話のための対話は意味がない。いま必要なことは圧力のみだ」などということで、緊張を激化させている。あたかもこのためにこそ、憲法9条が障害になっているといわんばかりである。

こうした安倍政権の下で、万が一、戦争が勃発したらどういうことになるのか。10月10日のTVで 福江広明元空将と池田徳宏元海将は北朝鮮に対する日本のミサイル防衛態勢について以下のように発言した。福江氏は「状況によって迎撃率は変動する。経験則で総じて言うなら7~8割、8~9割を誇っている」といい、池田氏は「100%とは言わないが、相当高い確率で迎撃できる」と述べ、「国民の皆さんはイージス艦が全部守っているということで安心していただければと思う」と語ったのである。冗談ではない。撃ち漏らした3割から2割の弾頭の下にいるのは市民である。安倍首相の圧力路線がこうした事態を招くことは絶対に許されない。

安倍首相はこのような危険な賭けを強行する権利を手に入れようと解散をしたのである。3年前、沖縄県知事選の応援演説で俳優の故菅原文太さんはこう言った。「政治の役割はふたつあります。一つは、国民を飢えさせないこと、安全な食べ物を食べさせること。もう一つは、これが最も大事です。絶対に戦争をしないこと!」、まさにアベノミクスで格差貧困を拡大し、「国難突破」などといって選挙を利用し、戦争の危機に民衆をさらけ出している安倍首相は政治の役割を放棄しているに他ならない。この手口はかつてのナチスが全権委任法によって戦争を推進した手口そっくりである。

立憲民主党、共産党、社民党、市民連合

10月22日に投開票された第48回総選挙は自公与党が313議席で改憲発議可能な3分の2(310議席)以上を確保した。立憲主義を擁護し、安倍9条改憲に反対した立憲民主党、共産党、社民党の立憲野党勢力は、69議席+野党派無所属約20議席程度で約90議席という結果だった。立憲民主党は55議席を確保し公示前議席16の3倍という大躍進だったが、共産党は公示前21から12議席と大きく後退した。社民党は2議席を死守した。改憲派の枠に括ってよい「希望の党」と「日本維新の会」は合わせて61議席であった。(原稿を書いている現時点で、各党の得票数などの詳細な分析は不可能で、次号に譲りたい)いずれにしても安倍政権の勝利である。

しかし、選挙期間中の各メディアによる世論調査は軒並み「安倍政権を支持しない」が「支持する」をかなり上回っていた。にもかかわらず、安倍政権が議席で勝利を手に入れることができたのは、森友・加計疑惑などで追い詰められていた安倍首相が、前述した朝鮮半島の危機になどを使い「国難突破」と称して野党の準備が整わないうちに抜き打ちで解散し総選挙に持ち込み、加えて小池百合子東京都知事による「希望の党」の立ち上げと野党第1党であった前原「民進党」の吸収という前例を見ないような策謀によって、野党側の体制がガタガタになったことに助けられたものだ。小選挙区制を生かして与党以外の勢力を分断した結果だった。

周知のように、もしもこの総選挙に2015年安保闘争以来形成された「立憲野党4党+市民連合の共闘」対安倍政権与党という対立構図が持ち込まれれば、前回の総選挙の各党獲得票数で換算すると、与党が少なくとも60議席、場合によっては100議席以上減らすことは必然だった(24日の朝日新聞は「立憲、希望、共産、社民、野党系無所属による野党共闘」が成功していたら、今回の得票で63選挙区で与野党逆転ができた、と書いている)。安倍首相は3分の2議席を失うことを覚悟して、この解散・総選挙で、のるかそるかの大博打を打ったのである。前号で指摘したように、この場合は安倍首相は改憲のために、選挙後の政治的大再編を構想していたにちがいない。

昨年末以来、全国各地で新しい市民の政治運動である「市民連合」が形成され、それが立憲野党4党の共同を推進し始めていた。市民連合は野党各党との政策協定を結び、統一候補を作り出すというかつてない市民運動だった。この運動の効果は昨年の参議院選挙の全国32か所の1人区の闘いで証明済のことだった。市民連合は立憲野党の候補者の1本化を実現するために、野党4党の幹事長・書記局長らとの間で7項目の政策合意を作り上げていた。各地の市民はこの市民連合を衆議院の小選挙区289か所に結成しようと奮闘中だった。しかし、この運動は9月28日の解散に際してはあまりにも時間が足りず、間に合わなかった。われわれの力の不足を痛感させられる出来事だった。

加えて、立憲野党の柱であるべき民進党の前原誠司代表が、小池百合子代表の希望の党に政党丸ごと身売りするという事件が起きた。前原氏は2年近くにわたる市民連合との共同の積み上げと約束を反故にして、小池氏が示した安保法制容認、改憲容認の踏み絵を踏み、希望の党による選別・排除を受け入れた。

この危機的な事態を前に、全国の市民は民進党代表選を前原氏と争って敗れた枝野幸男氏に「枝野、立て!」の声をツイッターやメールで送り続けた。SNSの威力がいかんなく発揮された。筆者もこうしたツイッターでの市民の叫びをいくつも見た。この力におされて枝野幸男民進党代表代行は「立憲民主党」を立ち上げた。枝野氏の胸中はいかばかりか、政治家としてこれほど名誉なことはないだろう。ある意味で、立憲民主党はSNS時代に市民が作った政党となった。

立憲民主党は結党後、改めて市民連合と7項目の政策合意を結び、野党3党と市民連合も同席のうえ、記者会見もひらいた。いったん、崩された立憲野党と市民の共闘が急速に立て直された。共産党は市民と野党の共闘という路線をブレずに堅持し、候補の1本化のために全国60数か所で独自候補を取り下げ、立憲民主党と社民党の候補に譲った。立候補を取り下げれば自党の比例区の選挙にマイナスになることを承知で決断した共産党のこの姿勢は多くの市民にリスペクトされ、共感を呼んだ。

市民連合は共産党、立憲民主党、社民党、良心的な無所属の候補など、統一候補を支援して、その勝利と、7項目の基本政策の実現をめざして、全国でこの選挙戦を自らのたたかいとして献身的に奮闘した。

安倍改憲と私たち

当初、マスコミの大々的な報道で「政権交代」などということまで叫んでいた希望の党は、小池氏の独裁的な党運営や、その政策のあまりにも第2与党的な路線が見透かされ、立憲派の反撃の下で急速に支持を失っていった。小池氏の党は幹事長もおらず、執行部もない、政党の体をなしていない小池氏の独裁政党だった。同党は最後に小池氏の開票日のフランス行きに対応してほとんど政治的実績のない樽床伸二氏を代表代行にあてただけであった。

選挙の結果、立憲民主党が野党第1党の位置を占めた意義は大きい。憲法審査会の自公改憲派の主流派・憲法族や公明党は従来から民主党を想定してその変質を狙い「改憲は少なくとも野党第1党を巻き込んで」といってきた。改憲を与党のみで強行したといわれるのを避けたいがためだった。露骨な改憲派がいなくなった立憲民主党が野党第1党になったのは改憲派のこの計画にとって痛手となるであろう。

安倍首相は10月23日、早速、記者会見で「公約に沿って条文について党内で議論を深め、党としての案を国会の憲法審査会に提案したい」などと語り、改憲を進める決意を示した。そして、野党第1党の立憲民主党が改憲案を厳しく批判していることを念頭に、「政治であるから、皆様全てにご理解をいただけるわけではない」と、合意できる党だけで発議をめざす姿勢を示した。

23日、立憲民主党の枝野代表は「野党との合意形成を進める努力がない」と述べ、安倍政権が進める憲法改正を牽制した。特に「憲法は最終的に国民投票があるので、もし強引に進めようという気配があれば国民運動を進めていきたい。最終的に国民投票で否決すれば改悪はできない」と強調した。

総選挙後、各党の思惑から多少の政局はあれ、国難対処を掲げた安倍首相の狙う「憲法9条改憲」と、これに反対し、朝鮮半島など東アジアの平和を求める「国民運動」(枝野代表)の闘いが激化せざるをえない。この対立の下では、小池氏の「希望の党」と「日本維新の会」は安倍与党と同じ側に立たざるを得ない。3極の対立ではなく、まさに2極の対立である。

いよいよ安倍改憲との真正面対決だ

2015年の戦争法に反対するたたかいも国会では圧倒的少数であった。しかし、野党と呼応した国会外の巨万の市民の闘いは安倍政権を窮地に追い詰めた。

安倍政権に不支持が多い世論のもとでの市民の巨大な闘いが、自民党を揺さぶり、公明党を揺さぶり、希望の党を揺さぶって、改憲の動きを止めるような展開を作ることは夢ではない。
この第48回総選挙のなかで、私たちの市民運動は全国で時間を惜しんで奮闘した。連日のように憲法問題や、投票率UPのためのチラシをポスティングした人たち、プラカードを掲げて街角に立った人々、9条改憲反対の署名運動を広げた人々、支持する候補者のためにマイクを握ったり、政策チラシを配った人たち、電話で候補者に支持を訴えたひとたち、市民連合の結成や運営に携わった人々、さまざまな市民運動の仲間たちが、政党任せにすることなく、選挙運動を主権者としての自分の責任としてとらえ、困難を推して取り組んだ。あたらしい形の市民運動が生まれている。

今回の総選挙の結果から私たちは政治への失望だけではなく、新たな可能性への確信も導き出すことができる。
いよいよ安倍改憲との真正面からの対決の時期が来た。全力をあげて、9条改憲阻止、戦争する国を許さないたたかいを闘い抜こう。
(事務局 高田健)

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第48回衆議院議員総選挙に関する見解

 10月22日に投票が行われた第48回衆議院議員総選挙において、自民党・公明党の与党が3分の2の議席を確保する結果となりました。市民連合は、安倍政権がこの多数基盤の上に、憲法の基本精神を破壊する方向でその改定を具体化することを深く強く危惧します。

選挙戦の中で行われたいくつかの世論調査では、内閣支持率が低下し、不支持率を下回るものもありました。その意味で、国民は安倍政権を決して信頼したり、評価したりしているわけではないことは明白です。投票率も戦後最低レベルに留まってしまいました。与党の巨大な議席は、勝者にボーナスを与える小選挙区制度がもたらした、民意からの乖離といわなければなりません。

野党側では、民進党が分裂したことが与党の大勝を招いたことも事実です。総選挙における立憲勢力の前進のために市民と野党と市民の協力体制の準備を進めていたことを無視し、前原誠司代表が希望の党への合流を強引に推し進め、民進党を分裂させ、野党協力の態勢を壊したことは、強く批判されるべきだと考えます。

しかし、立憲民主党が選挙直前に発足し、野党協力の態勢を再構築し、安倍政治を憂える市民にとっての選択肢となったことで野党第一党となり、立憲主義を守る一応の拠点ができたことには、一定の評価を与えたい成果と言えるでしょう思います。この結果については、自党の利益を超えて大局的視野から野党協力を進めた日本共産党の努力を心から称賛したい高く評価したいとも考えます。社会民主党も野党協力の要としての役割を果たしました。

そして何よりも、立憲野党の前進を実現するために奮闘してきた全国の市民の皆さんのエネルギーなくして、このような結果はあり得ませんでした。昨夏の参議院選挙につづいて、困難な状況のなかで立憲民主主義を守るための野党共闘の構築に粘り強く取り組んだ市民の皆さんに心からエールを送ります。

与党大勝という結果をもたらしたことは残念ではありますが、野党協力が成果を上げ、安倍政治に対抗すべき市民と野党の共闘のあるべき姿がこの選挙戦を通じて明確になったことには意味があると思われます。違憲の安保法制を前提とした憲法9条改悪への反対と立憲主義の回復などを共通の土台とした今回の市民と野党協力の共闘の成果を踏まえ、立憲野党が、無所属、その他の心ある政治家とともに、強力な野党対抗勢力を再構築することを心より期待し、市民連合もその作業を外側から支援できるかぎりの応援をしたいと考えます。

衆議院で与党が3分の2を確保したことにより、安倍政権・自民党は近い将来、憲法改正の発議を行うことが予想されます。もちろん、現在の国民投票法は、運動に関する規制があいまいで、資金の豊富な陣営がテレビコマーシャルなどを通して民意を動かすことができるなど大きな欠陥があり、市民連合は現行制度のままでの改憲発議には反対し続けたいと市民連合は考えます。しかし、万一、与党が数を頼んで改憲発議を行った場合、市民連合は、国民投票において、安倍政権の進める憲法改正に反対するための大きな運動を進めるために、立憲野党とともにさらに努力を進めていきたいと考えます。

2017年10月23日
安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合

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第117回市民憲法講座:明治150年にどうむきあうか~日中関係史の視点から考える

2017.9.16お話:笠原 十九司さん (都留文科大学名誉教授)

(編集部註)9月16日の講座で笠原十九司さんが講演した内容を編集部の責任で要約したものです、要約の責任はすべて本誌編集部にあります。

はじめに

今年は南京事件80周年になり、その記念シンポがありました。また、日中韓の歴史教材づくりをずっとやっていまして、最初は「未来を開く歴史」、2番目が「新しい東アジア近現代史」がおわって今度3番目の編集準備の会議があり、それから「東アジアの歴史認識と平和のフォーラム」があったものですから南京でなんと3つの国際会議に要領よく出てきました。私は宇都宮大学で20年間教師をしていまして、そのときに中国から来ていた留学生がいま上海で活躍しています。その留学生と会って、いろいろと昔の話などをしてきました。いま中国はどんどん変わっています。とくに上海は本当にスマートになりました。いま日本では嫌中感、私にいわせるとマスメディアが煽っているわけですが、中国嫌いが増えている。そういう日本人意識をはるかに超えて中国は発展しています。上海は道もきれいになって、文化も大事にしています。上海では小さい本屋がどんどん増えています。日本では本屋が潰れていますが、これは中国の政策だと思いますが、中国では街通りに本当に小さい本屋があって、本屋の中にお茶を飲む茶室があり、そこでお茶を飲みながら本を読める。街角にある小さいコーヒーショップに寄ってコーヒーを飲みながら本を読むという、そういう文化が増えています。

今回感心したのは、数年前まで中国の歩道は障がい者が歩けないような乱雑な歩道でした。いまはきれいになってタイルが敷かれて、上海とか南京とかのメイン通りが障がい者用の歩道になっています。そういう意味で中国もどんどん変わっている。そういう中国に対して、日本の場合は、中国がひどいとか、まだ独裁とかいっている人が相変わらずいます。また、めっきり日本人の旅行者が減りました。中国はもう見ないという、あるいは認識しないという日本人が増えていると思います。いまの日本人の感情は非常に事情に流されやすいという感じをうけました。どんどん変わっている中国を、日本人もちゃんと見ないといけないということを強く感じました。

将来の選択をするために歴史に学ぶ

早速ですが、来年は2018年、1868年の明治維新から150年になります。みなさんは明治100年の記憶はありますか。私はちょうど学生時代でした。1968年当時は、明治100年を大々的に祝いました。ちょうど日本が高度経済成長で、まだ中国は貧しい、経済格差が画然としていた時代です。さらに中国の場合は文化大革命の最中で中国そのものが大変混乱していたという、それが1968年の明治100年です。それから50年、半世紀になりますがガラッと変わったわけです。その変わった事例をさきほど紹介したわけで、1968年と違った現在ですね。

今度明治150年をどうやるかということです。ただ政府側もやるとは言っていますが何を目玉にやるかという点では、現状が違いますから1968年の単に「明治維新はすごかった」というそういう明治の記念にはならないと思うので、安倍政権側がどんなものを持ってくるかということを考えなければいけないと思います。今回早々とこちらの講座から依頼された、明治150年をどう考えるかということは大事だと思います。相手が出してきたものを批判するのではなくて、相手が出してきたものを叩く、それからさらにそれを超えることが必要だと思います。ちょっと私の専門外のことも話すことになりますが、敵側の先制攻撃も含めて、わたしたちの方で明治150年にどう向き合うかということを考えていきたいと思います。

私は歴史学者で歴史を研究しているわけですが、一番肝に銘じている言葉はE・H・カーの「歴史とは何か」という言葉です。カーは「歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります。」と指摘します。実は歴史とは常に現時点から過去を総括するという、それが歴史研究ですが、残念ながら日本の場合はそういう歴史になっていません。これは中国の影響もあると思いますが、歴史を正史と言いますか、権力側が作った歴史を学ぶ、おぼえる、これが歴史教育であるという伝統が強い。本来ならば歴史は弁証法で発展したわけです。その発展している歴史がどういう方向に行くかということは、さまざまな選択肢の中で一つを選ぶわけです。これは安倍政権の成立過程を見ればわかればわかると思いますが、民主党政権を選択したらとんでもないことになって、今度は逆の政権に行ったということも、これも歴史の選択です。選択をしたのは国民の総意なわけです。とくに国民の総意は、今は選挙で現れます。

これも微妙ですが、世論調査では日本国民は消極的ですよね。行動しないという典型です。アンケートを取ってそれで政権の趨勢が決まるということは、私は恥ずかしいと思いますね。国民が行動しない、怒らない。本来なら主権者ですから、当然国民が今の政府に対してちゃんと行動を示す。示していますが、政権・政府を動かすまでに行かない。日本の場合は市民が立ち上がって本当の政治の運動をやっていくという、そういう状況がまだまだないと思います。でも世論調査の結果もある面で影響していますから、そういうことも含めて国民の総意で動いているわけですね。

国民がどういう選択をするかというときに、現在がどうあるかということを見なければいけない。それはたぶん現在がどうあって、将来われわれがどういう選択をするかというときに、本当は歴史を学ぶんですよ。それを日本ではまったくやっていない。教えていない。そういう意味では私たちはまさに歴史に学ぶということは「歴史を不断に発展していく」、それから「因果関係を作りながら発展していく」という、歴史というものをわれわれがわれわれのものにして、教育でも子どもたちが歴史を学んでいく。歴史の場合は過去の過ちを批判的にみることが非常に大事なわけで、今の政府はこれをまったくさせていません。やはり誤った歴史から、どうして誤ったのかということを考えて、次の歴史をよい方に選択にしていくという歴史教育をしないわけですね。今日は本来の歴史、歴史は因果関係、それから国民の総意によって選択されていく、それが歴史学だということを確認したうえで見ていきたいと思います。

尖閣諸島、竹島問題を歴史の教訓から見ると

まずは現在がどうであるかということです。2018年が来年です。今の時点に立って、1968年の明治100年と違います。まさに明治150年の現在に立ってわれわれはどういう風に見るかということです。現在ですが、残念ながらいまの日中の政府関係それから日中の国民感情は、1972年の日中国交回復以降で最悪の状態です。内閣府の調査とかNGOが日中韓の国民の調査をしていますが、いま日本国民の対中国感情は80%が中国を嫌いです。同じように中国の80%近くの人が日本は嫌い。ですから相互の国民が反発しあっているわけです。これは「歴史を見れば」なのですが、日本国民の感情はずっと変わってきています。みなさんも体験していると思いますが日中が国交回復して、日本がまだ優位にあって中国にODAという援助をやっていた。そういう優位にあったときに日本人の対中国感情は良かった。これは優越感も背景にあったと思いますが、中国に親しみを感じるという人たちが世論調査で7割以上いました。今はまったく逆転しています。

逆転の経緯は、1995年の村山内閣時代に日中戦争をどういうふうに侵略戦争として反省して謝罪するのかという国会決議を巡ってせめぎ合いがあった。その結果いまの安倍政権につながる保守勢力が団結して、歴史観で日本の日中戦争とかアジア太平洋戦争を肯定するという相殺をやって、それが徐々に効果を持ってきた。その点で1990年代半ばに好感を持っている世論が逆転して、21世紀の安倍政権になったときから中国嫌いが圧倒的に増えてきました。

さらにいまの尖閣問題、これはアメリカが焚きつけた、仕掛けた紛争です。それに先手を打ったのが民進党の前原ですね。彼は外務大臣として尖閣で中国の漁船が日本の巡視船に衝突したことで、それまで回避していたのに中国の船長を拘束してしまった。拘束して、状況が悪くなって帰すわけです。拘束したことが中国の国民の感情を大変逆撫でしたわけです。これを見たアメリカは「尖閣は利用できる」と考えた。アメリカは非常に狡猾ですが、オフショアバランスといって日本と中国を対立させておいて、一番カモの日本に武器を売り、中国を仮想敵にして米軍基地を強化するということをやった。そのアメリカが仕掛けたとおりに、まず石原慎太郎都知事が言い出し、さらに民主党の野田政権がこれに乗って国有化宣言をする。これで決定的に日中が対立するということになりました。相手もちょっと問題ですが習近平体制も基盤が堅固ではありませんから、やはり政治家が一番使うのは敵を作るというやり方です。習近平体制の場合は、日本がアメリカと組んで日米軍事同盟――この仮想敵は中国です――その具体的なあらわれが尖閣諸島、中国では釣魚島といいますが、まさに無人の島を巡って領土争いということを焚きつけた。いまは両国とも尖閣諸島問題を利用して軍備拡張をやって膨大な軍事費、防衛費を費やしている。

こういう領土ナショナリズム、これもわれわれがきちんと見なければいけないんですが、権力者が使う常套手段です。「領土」というと見える気がするんですね。「国家」なんていうものもベネディクト・アンダーソンではないですけれども幻想の共同体です。国家というものも、あるように見えるけれども実際は国境を決めたのはごく近代ですからね、そういう意味では幻想の共同体である。国民という共同体があるように思いますが、そういう幻想である共同体が地図で国境を書くと見える気がしますね。それから竹島――、韓国では独島ですが、無人島に国境を書く。これが日本か中国か、日本か韓国かというと、国が見える感じがするんですね。これもトリックですが見事に領土ナショナリズムが功を奏して、残念ながら日本と中国の関係は日中国交回復以降最悪で危険な状態ですね。

尖閣諸島を巡ってアメリカも自衛隊との合同訓練で、あのオスプレイを使って島の上陸作戦をやっています。日米軍事演習は尖閣諸島をひとつの想定として、島にどうやって上陸するかという訓練をやって、日本の場合はアメリカからオスプレイを5機買った、とかいっています。領土問題、領土ナショナリズムというのは、ナショナリズムを扇動するのに非常に効果的なわけです。私たちはこれも歴史の教訓から学ばなければいけない。実は中国もずいぶん領土ナショナリズムを使って、まずインドと国境紛争を、ソ連と中ソ国境紛争をやって、日本と日中国境紛争をやっている。中国も順番に国境紛争をやりながら中国の国民の結集を図るということに利用している。為政者が常に国民をまとめる、特に政権の基盤が弱い権力者こそナショナリズムを喚起するということも歴史の教訓から学ばなければいけないと思います。

明治100年と明治150年――日本と中国 まったく変わったグローバルな位置

1968年と現在が違うのは、2018年は中国と日本の位置がまったく変わったわけですね。中国はGDP、国民総生産力がなんと日本を抜いています。さらに中国は膨大な国防費で軍事を先鋭化しています。中国に行ってテレビを見ますと国威の発揚に使っているわけですが、ちょっと北朝鮮に似ていますね。いかに中国が先鋭な戦闘機をつくったか、空母も最近つくって、これをテレビで常時放映しています。中国国民に中国も経済大国、軍事大国になったという自信を与えています。グローバル大国になった中国、これは現実なわけです。ですから日本の場合はグローバル大国になった中国とどうつきあうかということを考えなければいけない。そういう条件にありながら、安倍首相はもう最悪ですね。

安倍首相は非常に幼稚でわがままな人です。中国が嫌いなんですね。これはわかると思います。中国に行かないんですよ。その原因はおじいちゃんです。岸信介は戦犯だけれども、安倍首相は尊敬している。おじいちゃんは満州、中国でいいことをやった。そのおじいちゃんをなんと東京裁判で、A級戦犯容疑で巣鴨刑務所に入れた。安倍首相がまだ幼稚園の高学年のときに安保改定をする。そのときに岸信介はみんなにやられましたからそのトラウマがものすごく強くて、自分をかわいがってくれたおじいちゃん、それからいつも岸信介の自慢を聞いているわけですから、安倍首相は岸信介を尊敬している。その尊敬している岸信介を悪者扱いしたことに対して拒否感がありますね。また彼はずっと成蹊、幼稚園から小学校中学高校大学まで成蹊ですが、その成蹊は進歩的な学校です。そこで社会科の教員も全部日教組であって、安倍の中の日教組のトラウマというのは、結局成蹊の中学、高校で岸政権それから佐藤政権を批判する教師に教わったわけです。それに彼は拒否感があった。だから安倍首相は実は歴史を勉強していません。彼は歴史が嫌いで、歴史を勉強していないんですね。非常に恥ずかしいと思いますが、勉強嫌い、それから教養がないという、これは本当ですよ。世界から見てもわかるのに、それが首相になっていることが恥ずかしい。

安倍首相は幼稚園から始まって、安保闘争のトラウマがあって、彼は友達がいない。幼稚園の生徒まで安保ごっこで子どもたちがスクラムを組んで「アンポハンタイ、キシヲタオセ」という遊びをやっていた。安倍は結局仲間はずれになった、友達がいないという状況がトラウマになったひとつが日教組です。国会でも「日教組」というヤジを飛ばすのはトラウマですね。そういうトラウマを逆に彼は克服していない、自己意識がないんですね。大変幼稚な首相で、世界一勉強しない首相です。

彼が中国のことが嫌いなのは、中国に行くと批判されると思っているわけですね。それが怖くて、口では日中首脳会談なんていっていますけれども、本心は行きたくない。これは安倍首相が、トランプが政権につく前にすり寄っていった態度と、中国には一切いかないということを見るとわかりますね。非常に個人的なトラウマをそのまま負ったまま改善しようとしないという、これが安倍首相です。本当に外から見ますと恥ずかしい。それが日本国民の中にはなかなか浸透しないという感じがします

習近平が「中国の夢」ということを盛んにいまでもいっていますが、「中華民族の偉大な復興を実現する。これこそ中華民族近代以来のもっとも偉大な夢である」といっている。ここで「近代以来」ということに注目して欲しいのですが、中国では「近代化」という言い方はしないで、「4つの現代化」といいます。中国では近代化ということは暗いイメージ、否定的な意味です。中国の近代史はアヘン戦争以後の列強に植民地になった。最後は日本に台湾出兵以降ずっと侵略を受け続けてきた。中国にとっては、近代は思い出したくない暗黒の時代です。その辺が明治日本の近代化と大きな違いがあります。中国にとって近代は暗黒な屈辱的な時代であった。これがようやく中国が回復して世界の大国になったという、そこを習近平の場合は盛んに宣伝してひとつの中国のまとまりにするということです。その中国と尖閣問題を巡って、軍備拡大を図っているということになります。

ただ尖閣も戦後初めて日中の紛争になる可能性が十分にあります。日中戦争がそうだと思いますが、私は戦争前夜という言い方をします。戦争前史から戦争前夜になって、前夜になった場合は一触即発といいますが謀略でも偶発事故でも軍事衝突します。尖閣は十分その危険性があります。戦後史初めて、尖閣は日本と中国の戦争ではなくて地域紛争になりますね。でも地域の衝突によってさらにナショナリズムを煽る、対立を煽っていく。たぶん安倍政権の場合は軍事強化それから安保改悪に持っていくと思うので、安保改悪するためにナショナリズムを煽るという意味では、尖閣諸島で軍事衝突させる可能性もありますね。たぶん陰謀もあるわけで、権力はいつも紛争を起こしてナショナリズムを煽って戦争にもっていく。戦争の教訓でいいますと、日中の国民感情が最悪だということ、これも戦争前夜の大変危険な状況になります。お互いの感情が悪い、嫌いあっている、これは次に軍事衝突があると敵対意識に変わっていきます。これはまさに日本の歴史で何度も繰り返しているわけで、そういう危険性もあるわけですね。歴史を学ぶということは、いまの尖閣問題が偶然、あるいは安倍政権の秘密の謀略によって実際に軍事衝突が起こる可能性があるわけです。それに対して我々は冷静に対処する、そういうことも歴史の教訓として学ぶ必要があると思います。

明治150年記念事業を憲法改悪につなげる

自民党・安倍政権は、明治150年記念事業を間違いなくやるということで準備しています。すでに政府の各府庁連絡会議で「基本的な考え方」を示しています。これが日本の近代化、日本の明治維新の近代化という、これは西洋化ともなるわけです。基本的にこれで日本が富国強兵に成功して今の日本をつくり上げたという意味では、日本の場合は近代化を強調するわけです。「基本的な考え方」の2つ目に掲げているのは「明治の精神に学び、更に飛躍する国へ」という相変わらずの文句です。これでいまの若者にかつての「坂の上の雲」のような興奮が再び蘇るかという感じがします。それでも自民党政権はやはり「明治精神」ということをいっています。ここで「外国人から学んだ知識を活かす和魂洋才」という言葉、これに私はクレームをつけます。和魂洋才では漢字文化圏がない。日本の場合は間違いなく漢字文化圏に属しているわけです。そういう意味では中国文化の中の一員にいるわけですが、それを逆に自覚しようとしない。和魂洋才、これで日本が潰れていったわけですが、そういうことを繰り返そうとしています。

これは今日お話しする東アジアの中の日本、漢字文化圏の中の日本という日本の歴史的な位置を知らない、そういう意味では自己認識がないということだと思います。安倍政権に自己認識がないという、その典型だと思います。安倍政権がやっているのは、これを憲法改悪とつなげるということだと思います。日本会議がこの11月27日に「日本会議・日本会議国会議員懇談会設立20周年記念大会」を開きます。これはパンフレットのコピーですが、「心を合わせ、力を合わせ誇りある国造りへ 憲法改正の実現を」ということで大会を開きます。安倍政権のバックボーンは日本会議です。日本会議は47全都道府県にできたということですから、たぶん明治150年は日本会議を総動員して全国的な運動を展開することになります。この創立記念大会の呼びかけにこう書かれています。「昨年夏の参議院選挙の結果、戦後初めて衆参両院において憲法改正発議を可能とする3分の2議席が確保されました。本年5月3日、安倍総理は、平成32(2020)年の東京オリンピックの年に新憲法を施行したい旨提言され、いよいよ国会は来年以降の国会審議、国民投票に向けた動きを加速させております。今まさに、戦後体制の象徴ともいえる現行憲法の改正という絶好の機会に直面しているこの時期・・・・・・誇りある国づくりをめざした私共の国民運動は、いよいよ重大な時期を迎えたと確信するものでございます。」(日本会議会長・田久保忠衛 日本会議国会議員懇談会会長・平沼赳夫)。

この3分の2の議席がある現状に、最近の安倍政権の安保法制、共謀罪もそうですが、なりふり構わず強行採決をやっている。これに公明党も協力しています。安倍首相が「死ぬ覚悟でやる」、これもおじいちゃんを尊敬しているからです。レジメに書きましたが、「私の母方の祖父は、日米安保条約に命を賭けました。政治家には『ここ一番』という時があるのです。『ここ一番』にたじろぐ人は、結果としてその人の功績を全て消してしまうことになるのです」「祖父は、その時流に阿る(おもねる)ことを排して、超然としていました。そういう命を懸けた決断のできる人生はいいなあと思っていました。」(安倍晋三・岡崎久彦「この国を守る決意」扶桑社)。ともかくおじいちゃんが憲法改正に執念を燃やした、これを今度はオレが死ぬ覚悟でやるという、これは本音だと思います。そのためにはなりふり構わずということを考えている。自民党の憲法改正草案、これは大日本帝国憲法と根幹は同じですね。天皇を国家元首にするということを謳っています。天皇を国家元首にして、天皇制のもとに日本国憲法を改悪するという狙い、これは日本会議も全面的こういう思想でバックアップしているわけです。

明治維新の正当化「和魂洋才」VS「漢字文化圏」

自民党政権の明治150年の行事に対してわれわれどのように理論的に対抗していくのか。まず明治維新の再検討をする必要があります。明治維新政府、これは東アジアの場合はどうしても歴史について権力者が作った歴史を国民が学ぶ、あるいは臣民が学ぶというふうになっています。ですから歴史は権力者が書く。権力者は、当然ですが自己の政権がやったことを正当化するという歴史を書きます。それを国民に教えて浸透させます。明治政府は見事これに成功しました。

明治維新政府は自己の明治維新を正当化する。さらに権威づけるために、江戸時代を全面的に否定するわけです。和魂洋才がそうだと思いますが、江戸時代が持っていた漢字文化圏の中の日本という発想をまったく捨てて、和魂――大和魂だけにした。そして大和魂が西洋とつながって近代の日本、強国の日本を作り上げたという、歴史のある意味では偽造、歪曲をやりました。でもこれが見事成功して、いまでも江戸時代は封建的だった、遅れていたということがいわれます。しかし、今度は明治維新を相対化する。それから逆に明治維新で失ったもの、これが、これからわれわれが東アジアで中国、韓国、北朝鮮も含めて東アジアで共同に理解し合うというときに、もう一度古代以来の漢字文化圏を振り返って、その共有を持ってお互いが話し合うこと。これが将来の東アジアの、人たちの、ある面で共通認識のひとつになると思います。

日本の場合は明治維新で捨てたわけですが、中国も実は革命で捨てています。日本の侵略戦争と戦うときに一番の効力のあった戦い方が、一党のもとに――共産党のもとに国民が団結する。これは共産党はもとより八路軍、新四軍が規律をもって日本と戦う、こういう革命をやってきたわけです。これが成功して日本は負けたわけですが、平和時にもそういう発想でやりますと、今度は逆に国民の自由の抑圧になってしまいます。同時に中国では、とくに社会主義建設以降ですが儒教とか古い思想を封建思想として否定しました。中国の場合は文化大革命などで儒教思想とか、伝統的な中国を徹底的に破壊、否定しました。そういうように中国革命が逆に切り捨てたこともあります。

ただ中国も変わっています。冒頭に報告した南京の会議ですが、南京でもこれから東アジアの平和を発信しようということで平和都市宣言をしました。そこで中国の学者がいったことは老荘思想です。平和、戦わないという老子の思想で、もう一度いまの平和の思想ということを中国の学者もいうようになりました。古代の中国思想が持った、さまざまな思想があるわけですが、その中の平和をもういちど考えてみる。儒教の場合はヒューマニズムだと思います。そういうヒューマニズムの問題を再評価することが中国でも出てきています。そういった意味で私は明治維新政府、それからそれ以後も切り捨てた江戸時代、徳川時代がやったことことをもういちど、まさに「歴史の対話」で振り返り、明治維新が切り捨てたものは何であったのかということを知ることが、歴史が現在と未来の対話になると思います。

徳川幕府・江戸時代の日本社会の再評価を

これ以降は私も専門家ではないので思いつきですが、まず江戸時代の天皇制、これはもういちど考えていいと思います。江戸時代は徳川幕府が権力を握って、禁中並公家諸法度でもって天皇家、皇族それから公家を全部コントロール下に置くわけです。そして一番のことは、政治から離したということです。これはそれまでの天皇の歴史では年号、元号を決め、さらに摂政、関白の任命を興なった。これに武士階級、豊臣秀吉はそうですが、天皇にすり寄っていったわけです。これを徳川幕府は全て禁止して、本来の天皇家、これは日本国家の豊作、安定を願うという神事、神の行事をやることで、京都御所に住んでもらって皇居にする。近くに二条城がありますから、そこに所司代を置いて監視しました。天皇の存在は日本の伝統的なこと、それから神道との関係もあります。神道を国家神道にしたのは、明治政府です。神道のそのものは日本の自然観、自然信仰の中にあり、その代表として天皇家があった。田植え、秋の収穫の喜び、新嘗祭とか、まさに五穀豊穣を願う行事を行う存在として、もういちど京都に帰っていただいて、それを真剣にやってもらうことでいいと思います。それを江戸時代はやったわけです。

これをなんと明治政府が大日本帝国憲法の第1条で万世一系の天皇、それから3条で「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」、まさに国家神道、現人神に祭り上げたわけです。さらにその天皇のために臣民である国民は兵役の義務がある。やはり軍事力です。これは明治政府が、あからさまに天皇を利用して軍事国家にすることを憲法でだし、さらに国民の義務はまず税金を収めるより兵役を先行するわけです。まず臣民には兵隊になれという兵役の義務を課した。これはまさに明治国家の狙いですが、天皇を掲げ、天皇に神聖な現人神の権威を与えて天皇が全て軍事を統率する、陸海軍を統率するというこの名のもとに、実は軍部が独裁していく仕組みにしていきました。

こういう明治政府がやったことと、先に話した自由民主党の国家観はまったく似ています。自民党の改憲草案では、前文で日本国民の統合の象徴であると言います。統合の象徴であるというのもおかしな言い方ですよ。さらに第1条で日本国の元首であるという。天皇が元首なら日本は君主国家になりますよ。共和制ではないと思いますが、それを国民統合の象徴なんて言い方をするわけです。元首であるということは主権者が天皇であるということになりますが、そういう意味では大日本帝国憲法に戻すことをたくらんでいるわけです。これは日本会議の精神でもあるわけです。そういった意味ではもういちど明治国家が天皇制を担ぎ出して、近代国家といいながら実は宗教国家にしたという前近代的なことを使って、実際は軍部が天皇を利用して独裁権限を握って日本を誤らせたという教訓から学ぶとすれば、いまの自民党の憲法改悪草案には反対しないと本当に危険なことになります。

対外戦争はせず徳川家康の開明的な外交政策

2番目は、家康は戦争をしないということ、つまり国内の安定のために対外戦争をしないことです。家康の場合は朝鮮侵略、秀吉が2度にわたって朝鮮侵略をしたことの反省から来ています。家康はすぐに謝罪して強制連行した人を送還して日朝国交回復をしました。その証として、幕府の将軍の代替わり、それから李氏朝鮮の即位ごとに交代で、大規模な朝鮮通信使が来て対馬、隠岐、下関を経て瀬戸内海を通り大阪にいって、大阪から陸路でさまざまな地域と交流して江戸に行く。日光にまで行っています。これは半年ばかり滞在します。そこで文化交流、このときに漢文化の中心ですから通信使にいろいろな学者がいるわけで、日本の武士、学者がとんでいって漢文とか医学も含めて習ったわけです。これが、家康がやったことです。

それから鎖国といままでいってきたわけですが、鎖国というのは国を本当に閉鎖することです。そうではなくて江戸時代は解禁政策という海外との交流、貿易を幕府がコントロールをしたわけです。ですから幕府は長崎の出島に商館を設けて清朝との貿易をやった。非常に巧みなのは緩衝国として琉球王国を設定して、琉球王国を実は島津藩が武力で制圧させたわけですが、中国向けには琉球王国を独立王国として体面を保たせました。ですから琉球王国の場合は清朝に朝貢する、従属する、従属というより関係ですよね。中国から朝貢貿易として家来として大変な贈り物などをもらう、その礼として琉球産の砂糖など献納するという朝貢貿易をやった。一方で島津藩とは従属関係になりますが、この二面政策によって日本の徳川幕府そのものは中国の朝貢体制から外れる。これは朝鮮の王朝もベトナムの王朝も朝貢していますから、日本の場合は少し距離を置くという、徳川幕府の自立性を保ったということで、いまから見ますとかなり賢明な外交政策だったと思います。

3番目になります。徳川幕府が明治政府と決定的に違うところは、対外戦争をしなかったことです。徳川幕府は国内をまとめて、そのもとに江戸中期から大変な繁栄をした国になります。これは日本だけではありません。家康の場合は東アジアの情勢を見ていたと思いますが、清王朝も大変安泰でした。清の末期にはヨーロッパ列強の侵略を受けますが、1640年から1911年に亡びるまでは一応清朝の場合は積極的な東アジアに対する対外戦争はしませんでした。一方となりの朝鮮ですが、李王朝になると1392年から1910年まで続いたという600年近い王朝がありました。

これを消してしまったのが日本です。ですから韓国史、韓国の自国史、教科書を勉強していると1910年から李氏王朝がなくなってしまい、日本帝国主義の時代が1945年まで続くわけです。この悔しさってわかりますよね、自国の勉強をしていると、自国がこれだけ繁栄してきた。でも江華島事件以来ですが1910年には日帝に滅ばされてなくなってしまったという歴史を繰り返し繰り返し韓国の学生たちは学んでいる。この悔しさというものをわれわれは理解しなければいけないと思います。まとめますと、徳川幕府時代は東アジアで対外戦争がなかった。対外的には平和な関係で国内政治、国内経済の発展に集中したという時代だったわけですね。明治維新以降は連続で戦争をしていくわけですが、まったく違ったということの意味を知る必要があると思います。

漢字文化が生んだ東アジアの複合文化を見直す

4番目ですが漢字文化圏ですね。漢字文化圏に位置するということ。先ほど和魂洋才といいましたが、世界で文字を発明した文化を持つというのは偉大ですよ。これはアルファベットもそうですしアラビア文字もそうだと思います。そういう古代文字を発明するというのは、相当文明が発展しなければできなかったわけです。その漢字の発明によって周辺の、ベトナムも本来は漢字文化圏、それからモンゴルもチベットも朝鮮も、日本も漢字を使う。漢字を輸入してそれぞれ独自の文字をつくるわけですが、でも根幹は漢字文化圏ですね。これは私たちが自分の位置を、まさに故郷を知るという意味でも知らなければいけないと思いますね。その漢字文化圏を自覚して、徳川幕府は徹底的に漢字の文化を習った。この典型がお茶の水にある湯島天神です。そこに孔子廟がありますが昌平坂学問所、昌平黌ともいいましたが、儒学を官学として漢文を公用語として使いました。ですから江戸時代の武士階級はものすごく漢字、漢文、古典に通暁していた。

今日資料を持ってきました。これは幕末から明治初期の時期ですが、日本が近代化して欧米の文化を輸入しました。とくに欧米の社会とか政治とか科学を輸入しますが、輸入する場合は言語で輸入するわけですね。ですから翻訳をしなければいけない。その翻訳をしたのは幕末の武士、それから明治初期の元の武士階級になります。この資料で左の列は日本人がつくった翻訳、右の列は中国人がつくった翻訳です。日本人がつくった翻訳には全部出典が書いてあります。フリーダム、リバティでもいいですが、それを自由と翻訳しますが、もともと言葉がないわけです。例えばフリーダムあるいはリバティという言葉を、まず原語であたります。ですから外国語の能力もすごくあったわけですね。外国語の能力でリバティの概念を理解して、リバティが漢字でどういうふうに表現できるかというと、中国語の「ツーヨウ」という、自由である、己のままになるという「ツーヨウ」、「自由」という言葉を当てるわけです。これをひとつひとつやっていく。これに全部出典があるわけです。すごいですよね。江戸時代の武士階級は漢字それから中国の古典に通じていたということになるわけです。

もうひとつの資料は、おのれの立ち位置を知るという意味で「東アジア複合文化圏」という見出しの1983年の朝日新聞です。これを見てもおのれの位置がわかります。ですから結局日本というのは東アジアの大陸の一番端にあって、そういう意味では岡倉天心がいった東洋の文化が日本で凝縮される、全部集まるというわけです。今の日本の植物とか花とか野菜を見てもだいたい中国から来ています。日本はまさにエコロジー、自然は中国大陸との関係にある。それから味噌醤油文化圏などもそうですよ。これを見ますと、和魂なんていっているのが何だ、日本のことを知らない、和魂なんていっていないで東アジアの中に位置していることを自覚しなければいけない。これを私が強調するのは、将来は平和な東アジア共同体、これを建設するのがわれわれの本当の共通の生きる道だと思うので、もういちど東アジア文化圏とは何だったのかということを考えるために必要であるという点でこれを強調しているわけです。

新渡戸稲造の武士道、仏教、神道などの検証

さらに明治の軍人と江戸時代の武士階級になりますが、引用した新渡戸稲造という日本人ですが、彼はアメリカで生活していて日本文化を海外に発信した人で、クエーカー教徒です。アメリカ人と結婚しています。クエーカー教徒は絶対平和主義であって、その立場からもういちど誤解されている武士道を西洋に紹介しようと、武士道とは本来何かということを彼は英語で書きました。『武士道』という題名で奈良本辰也という方が翻訳しています。『武士道』では新渡戸稲造はこういっています。

ちょっと確認しますが、江戸時代の武士階級は文武両道でした。ですから特に文化、これは漢文が公用語ですから漢文で字を書き、漢文の詩を書くわけです。教養が大変あったということです。剣道もやりましたが、後半は戦いがないから、修練のためにやったわけです。そう意味では江戸時代の武士階級はインテリです。これと比べて明治以降の軍国教育の軍人の野蛮さは、恥ずかしいくらい野蛮です。

武士道を文化的に体得した武士階級がどういう武士道をやろうとしていたかということを知る、その一端として仏教と武士道の影響について書いています。「仏教は武士道に、運命に対する安らかな信頼の感覚、不可避なものへの静かな服従、危険や災難を目前としたときの禁欲的な平静さ、生への侮蔑、死への親近感などをもたらした」。ですから仏教と武士道は、仏教が武士道に影響を与えているということです。この仏教を東アジアでの共通のひとつの宗教として、中国でもいま仏教が復活しています。仏教も中国で大変な目にあった。革命の中で弾圧されましたが、もういちど仏教が復活してきて、中国のお坊さんはまじめに、真剣に仏教の教義を学んでいます。韓国も仏教とカソリックが半々です。日本は江戸時代の後遺症かな、檀家制度でお寺に住民の管理と年貢をとるという役所の下請けをしたのでまったく形骸化されてしまって日本のお坊さんが一番仏教の勉強をしなかった、いまは違うと思うんですが。東アジアの共通の宗教である仏教を、仏教の持った平和、生命を大事にすること、霊魂を大事にするという自然な感情を、もう一度復活させることでこれから仏教も共通の認識になっていく可能性があると思います。

つぎに神道ですが、神道の自然崇拝について新渡戸稲造は「神道の自然崇拝は国土というものを私たちにとって心の奥底からいとおしく思われるような存在にした。また神道の自然崇拝は、次から次へと系譜をたどることによって、ついには天皇家を民族全体の源としたのである。私たちにとって国土とは・・・神々、すなわち私たちの祖先の霊の神聖なすみかである」と指摘しています。私は天皇家より日本人がもともと持っていた自然信仰――自然の恵みを受けながら自然に感謝して生活していくというこれは日本の農業そのものなわけです。先ほどいった国家神道に祭り上げたのは明治政府です。国家神道の時代は非常に短いわけです。もういちど日本人が持っている自然信仰、田園信仰の中での神道ということで、それを代表して天皇家には五穀豊穣、豊作を祈ってもらえればいいということだと思うんですが、こういう国土を愛する自然感情の中にやはり武士道に対する影響があるということです。

さらに道徳的な教義については、孔子の教えが武士道のもっとも豊かな源泉になったということで新渡戸稲造は「冷静、穏和にして世才のある孔子の政治道徳の格言の数々は、支配階級であった武士にとって特にふさわしいものであった・・・孔子についで孟子が武士道に大きな影響を及ぼした。彼の力のこもった、ときにははだはだ人民主権的な理論は、思いやりのある性質を持った人びとにはことのほか好まれた」と書いています。私はやはり諸子百家の思想ってすごいと思います。孔子を中心に孟子、老子それから孫子もそうですがさまざまな思想が花開いた。そこからわれわれは現代にどのようにして活かすか、これは欧米人がギリシャ・ローマ文化を源泉とするのと同じだと思います。東アジアの人たちももう一回諸子百家の思想を源泉としてわれわれが理解した上で否定するということでもいいと思いますが、とにかく理解することが必要だと思います。新渡戸稲造の武士道は武士もちゃんとこういうものを備えていたということになります。

孔子、孟子は徳川幕府などで封建的な権力といわれていて、家族秩序、国家秩序をつくったといわれます。それもひとつですが私は孔子、論語のヒューマニズムという「己の欲せざる所は人に施す勿れ」、これはヒューマニズムの原点です。自分が嫌なことを人にするなということは人の立場に立てということです。それから「六十にして耳順い」、これは逆説だと思います。60歳になると頑固になって耳が従わない。だから従えようという教えだと思います。人生の生き方として論語をもういちど読み直すという点で、私は孔子の説いた人の道、仁ですね。思いやりの心、お互いが仲良くやっていくという、それをもういちど、孔子が教えたヒューマニズムを欧米のヒューマニズムとたぶん融合できるのではないか。そういう再評価をする必要があると思います。

東洋医学、中国の漢方医学、これも明治維新以降、日本の場合は西洋医学を徹底的に価値あるものとして取り上げて、東洋医学を切り捨てました。この弊害があります。整体とか気功、それからいま太極拳も非常にはやっていますが、東洋医学は生命力をつける、宇宙の気を体内に取り入れる。生命力を取り入れることが東洋医学の根幹になるわけです。薬も、西洋医学はケミカル、毒をやっているわけで、当然副作用がありますが、漢方薬の場合はまさに身体の中から直すということで、効果は徐々にですけれども薬害はありません。西洋医学と東洋医学がようやく融合されてきていますが、もっともっと両方の良さを取り入れ、融合するべきだと思います。これも将来の漢字文化圏、漢文化圏のいいものをわれわれが吸収して、さらに西洋のいいもの、人権とか民主とか、そういうものを融合してより高い知見にということを、日本だけでなく中国でも韓国でも朝鮮でも、もう少しわれわれの気持ちが通じる世の中が来るような気がしています。

庶民の芸能・文化が世界有数に隆盛した江戸時代

最後になりますが庶民文化についてです。江戸時代の庶民文化は大変な隆盛があって、まず幕府直轄の学校と各藩の藩校があった。それから郷校という学校、さらに庶民が寺子屋をつくります。これが全国に普及して、読み書きそろばんといいますが読みは漢文、古典です。中国の古典を寺子屋で習ったわけです。ですから江戸時代の庶民も大変な漢文と漢字、漢詩の素養があります。その一例を、私は俳句が好きなもので俳諧を中心に紹介します。まずは松尾芭蕉、これはもう現代にも通じる俳句の最高峰になるわけですが、でも彼が武士で生まれながら各地を転々として、各地で彼を先生と呼んで世話をする。松尾芭蕉は各地に呼ばれて連句の会とか俳句の評とかをやりながら生活をします。松尾芭蕉は「奥の細道」が有名ですが「笈の小文」とかのさまざまな本を出して、それが全国的に普及しています。それをまた全国の人たちが読んで感動して芭蕉を招いているわけです。それから有名な小林一茶。長野県の信州の信濃柏原で農家の長男に生まれながら江戸に出て、俳諧で大変苦労します。でも生涯俳句を作っていった。生涯で何万句つくったか。

私の一番好きな与謝蕪村ですが、彼は今の大阪市に生まれました。農家に生まれながら彼は南画という中国の文人画を習得して俳句もやります。与謝蕪村の中国古典に対する通暁はすごいですよ。ここに挙げたのは当時漢詩をもとに与謝蕪村がつくった俳句です。日本人のお祭りにも中国の絵が出てきます。“ねぶた”もそうです。それくらい日本の庶民の芸能文化の中に中国文化がごく自然に入っていました。それを切り捨てたのが明治維新です。

江戸時代の庶民の教養程度と比べると、明治以降の日本人はどうでしょうか。軍国教育はやったけれども庶民が俳句とか連句とかそういうものを楽しむという教養を持ったのか。問題は軍国主義ですよね。天皇崇拝で富国強兵、強い兵隊になるという、そちらの方に思想をコントロールされた。ある時期本来庶民が持っている文化的なもの、俳句も実は戦中に弾圧されました。とにかく天皇制を認めないようなちょっと変わった文化に対してはもう弾圧する。そうなると民衆の文化も窒息したような状況になってしまったわけです。その意味でもう一度江戸時代の豊かさを振り返ってみる必要があります。

この江戸時代の再評価が、明治維新の輝かしいものを祝うという事に対して、もう一度東アジアの人たちとの共通の文化思想、教養を共有しようと私は強調しています。そのためには日本がまず率先して中国も朝鮮も、漢字文化の伝統を現代的な立場から吸収することです。さらにヨーロッパの自由・平等・平和というその思想、特に人権を融合させながら、さらに高次の東アジア社会をつくっていくことを目指すべきだと思います。そういう意味で今の教養のない安倍政権に、彼にちょっと聞いてみたいけれども、四書五経って何だとか、論語のこういう言葉を知っているかとか、だれか言ってみませんか。

明治150年の70年間は中国侵略の時代

明治以降の日本になりますが、明治150年のうちの70年間、半分近くが中国を侵略した時代です。これはまさに明治国家が富国強兵政策によって周辺の国を侵略し、台湾から始まって朝鮮、それから満州、中国大陸、さらに東南アジアに行くわけです。植民地を持つ、領土を拡大すると強硬になる、集団的な一種の雰囲気にかかった時代を突っ走って来ました。レジメに台湾出兵から書きましたけれども、なんと戦争ばっかりやってきたわけです。特に日清戦争以降10年ごとです。これと同じことをやっているのがアメリカです。ですからアメリカはいままさに戦争国家で、アメリカも10年の平和はないのではないですか。まさにアメリカは、日本がかつてあったように戦争国家として、また軍産複合体で戦争中毒です。アメリカの経済は戦争をやって世界のあちこちに緊張をつくってまわって武器を売りまくる、武器を消費しまくることをやらないとアメリカの基幹経済が成り立たちません。そのいいカモが日本で、かつて日本もそうでした。

日本は隣の中国の国家建設をずっと妨害し続けたことも、われわれは肝に銘じなければいけない。中国は、1911年の辛亥革命によって2000年以上続いた専制王朝を倒した。以後、逆流もあって袁世凱が少し帝政なりますが、それはわずか数ヶ月で、それから専制王朝を復活させずにずっと共和制できました。

中国は専制王朝を倒した、日本の場合はまだ君主国家とも言えるわけです。となりの中華民国は辛亥革命によって成立した共和国です。中華民国の憲法に当たる「中華民国臨時約法」は、大日本帝国憲法とは大違いです。「第一条 中華民国は中華人民によって組織される」「第二条 中華民国の主権は国民全体に属す」。この国民全体は、個人より中華民族、中華国民という国民全体が主権者であるということです。これが中国のナショナリズムの原点になるわけです。ですから中国の国民は、まさに主権者として日本の侵略に対して立ち向かう、自分たちが主権者で中国を守る義務があるという、この強烈な意識を持って困難を何度も経験しながら日本と戦い続け、最後は日本に勝利します。そういうことをもう一度認識する必要があると思います。

日本は中華民国という称号は使わない。これは閣議決定です。ですから外交文書で「支那」という言い方をする。これがいまでも石原慎太郎がそうですが「支那」と平気でいうわけです。右翼の連中は、支那の語源はチャイナであって、欧米の原語であるから差別ではないといいます。しかしこれは実際日本が中華民国、中国といわずに「支那」といって、さらに日本人はこの支那という言葉に差別、侮蔑の意味を含めてずっと使ってきかした。ですから石原慎太郎のような差別主義者が支那といっている。また、中国が正式に支那という呼称を使わないでくれといっています。「東シナ海」も、中国の地図では「東海」になっています。東シナ海は地図の固有名詞になっていますが、中国人は支那という言い方は嫌います。ですから支那という言葉がどのように歴史的に差別語として使われてきたかということを知る必要があると思います。

漢字文化圏にいながら中国を蔑視するということは、これはわれわれが中国文化を蔑視するという単純な意識になっていると思います。中国人を蔑視する、軽蔑する、そうした気持ちになると中国の漢字文化へもあまり尊敬を払わない。ゲームでは、三国志とかに若い人たちは飛びついていますけれども、中国文化、漢文化を尊重するという意識ではないと思います明治維新以降の中国人蔑視、中国差別、この意識が、日本がその一端に存在していた漢字文化を否定するという、非常に短絡した発想にもなっていると思います。日本の場合は対華21ヶ条要求を突きつけて中国の領土を要求した。中国は1840年のアヘン戦争以降さまざまな列強から支配され、かつ不平等条約――中国が対等じゃない関税、欧米列強は輸入の関税フリーです。それから領土の租界とか、租借地で外国人に一部の地域を与えてそこは治外法権として自国の政治権力は及ばないという半植民地という状況を経験しました。これを何とか打倒しようと思って中国は革命をやった。

革命は、国民党の革命それから中国共産党の革命がありますが、国民党の革命は国民革命です。これは孫文がソ連にならって国民革命軍という軍隊を組織して、その司令官蒋介石のもとに北伐を行い北京にいって軍閥政権を倒すという国民革命です。これは当時の中国国民の統一の願い、それに蒋介石政権も不平等条約の改正を言っていますから、ようやく中国が大国に、という願いも含めて国民革命をやるわけです。なんとこれに敵対したのが日本です。例の田中義一内閣の1927年と28年の山東出兵――軍隊を派遣して国民革命軍の北上を阻止した。これは明らかに日本の政府は国民革命によってできた国民政府を認めないということを宣言した。その結果、満州事変が始まって日中全面戦争になるわけです。中国が何とか国民国家として建設の努力をはじめ、欧米の技術や欧米から教育を受けいれた。中国の大学は欧米的で、9月が新学期です。完全に日本制ではなくて欧米の教育制度を受け入れて中国は近代化を図ったわけです。近代化がどんどん進んでかなり発展したときに、日本は蘆溝橋事件で全面侵略をやって、これを潰していった。

日中国交回復と残されている歴史課題

さらに中華人民共和国。これは日本の侵略と戦って、中国の共産党組織が国民をかなり効率よくまとめて、それから八路軍という規律の良い軍隊を作りました。その周辺には民衆組織をつくり、ひとつの党のもとに全国民が一致する強力な思想・態度をつくって抗日戦争を闘い、最後は解放軍をどんどん広げて日本を敗北に追いやった。その結果、中国国内の国共内戦でも共産党が勝利して1949年に中華人民共和国ができ、社会主義国家になります。これにはアメリカが大変ショックを受けて、今度はアメリカが中華人民共和国の封じ込めと敵対政策を始めます。それに従属して加担したのは日本です。日本は1949年以降、1972年まで中華人民共和国を認めない。アメリカと同様に、台湾に逃げた蒋介石政権を唯一の中国政府として認めてきました。1960年に私は東京教育大学に入りましたが、その頃は日中国交回復はしていません。ですから周りにいる中国人といえば台湾人だけです。当時、私は中国語を漢文の先生に習って間違った発音を教えられて、その克服に苦労しましたね。漢文の先生が中国語を教えるのは無理ですよ。漢文の先生がカタカナで中国語を教えてくれたんですが、中国語は四声がありますから、カタカナの中国語ではダメで、それを克服するのに苦労しました。

1972年に国交回復して、ようやく中華人民共和国の建国を妨害するということから日本ははずれたわけです。ただ日中国交回復もいまから見ると大変な問題点を残しています。あまりにも短期間でしたから中国の国民不在でした。中国の場合は周恩来と毛沢東が指導者でした、そのときの中国はソ連が主敵でした。中国はソ連の核攻撃を恐れて大変深くつくられた地下鉄や、大学まで核シェルターを作っていました。この頃、中ソ対立は敵対関係になっていました。

こういう時代ですから毛沢東と周恩来はとにかく日中国交回復をやって、それから田中角栄首相も十分な準備をして、本当だったらいままでの中国敵視政策の撤回と日中戦争をどう総括するのかということをまじめに検討した上でやらなければいけなかったわけですが、拙速にわずか数時間の交渉で国交を回復しました。いまその拙速だったことの後遺症があって、その一番の問題は、日本の侵略戦争責任を国民が納得するようなかたちで解決しなかったことです。このことがいまの安倍政権のように戦争を肯定する首相や自民党を、日本国民が選挙で選ぶ状況にしていると思います。余談ですが、中国滞在中のテレビを見ていたら、いまの日本のJアラートで小学生が防空頭巾をかぶって先生に連れられて逃げる場面とか、田んぼの中で耳をふさいでいる場面が放映されています。滑稽ですよね。でもそういうことを日本はやっているわけですが、中国ではコケにされています。

わたしは、国交回復自体は大変良いと思います。往来もできるようになったわけですが、いまの時点から考えますと72年の国交回復のしかたが現在に尾を引いている。その問題が、戦争の解決の問題、歴史認識の問題ですね。侵略戦争がいかに間違っていたか、その間違った戦争を田中首相なりが政府の責任として日本国民にもきちんと教育するという、過去の戦争の和解という手順を踏まないで、拙速的に当時の政治的判断を優先してやったことが、いまの私たちの歴史の課題として残っている、これが現在の政権にもつながっていると思っています。

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