秋の臨時国会の招集日が9月28日に確定したばかりの9月17日、早朝、「安倍首相、年内解散を検討 臨時国会冒頭解散か」というニュースが飛び交った。解散は最速で9月28日となり、10月10日公示、10月22日投開票(または17日公示、29日投開票)という日程がほぼ確実だ。野党が憲法53条に基づいて臨時国会の召集を要求してから3ヶ月も放置したあげくの国会開会だというのに、首相の所信表明演説も代表質問も、予算委員会での審議も全て排除しての抜き打ち解散だ。国政に関する重要課題が山積する中、説明責任を放棄して、党利党略で解散するなど許されていいわけがない。
今年の5月3日、改憲派の集会へのメッセージや読売新聞のインタビューで安倍首相は自らの首相という立場を無視して、憲法第9条の文言はそのまま残して、あらたに自衛隊の存在を書き加えるという改憲案を提起した。これは安倍政権のよって立つ右派「日本会議」などの示唆を受けての提起であり、ほとんどの改憲派が一斉に従来の主張を転換して安倍首相の新しい提案を支持するに至った。これまで掲げていた自民党改憲草案との整合性がないことを指摘するものは自民党の石破茂らごく一部にすぎなかった。
少し前までは、解散・総選挙は、安倍政権は憲法改悪の国会発議に必要な改憲派議席3分の2を獲得したという稀有な条件を生かして、秋の臨時国会のうちに自民党が改憲案を作成し、来年の通常国会で改憲案の審議・採決を行い、改憲の発議をしたあと実行するということが大方の分析だった。安倍首相は相当に無理なことであるにもかかわらず改憲のための国民投票と総選挙の同時投票実施の可能性すら示唆していた。改憲手続き法によれば国民投票は改憲の発議後、2ヶ月から6ヶ月の間に実施しなければならないことになっている。だから、たとえ通常国会を多少延期しても、来年12月の衆議院議員の任期切れ直前の8月頃から12月頃には解散があり得るという見通しだった。
にもかかわらず、なぜ、この時期に安倍首相らは急きょ、このような乱暴極まりない解散を決意したのか。
解散・総選挙は憲法改悪をねらう安倍晋三首相にとっては大きなリスクをともなうものだ。もしも立憲野党4党などの奮闘で、衆議院の改憲勢力が3分の2を割るようなことになれば改憲発議の条件を失うことになる。また自民党が議席の過半数を失うようなことになれば、安倍総裁の政治責任問題となり、安倍政権退陣の可能性が濃厚になる。もし、この時期の改憲に失敗すれば、しばらく改憲発議は不可能になるといわれた。にもかかわらず、安倍首相と与党が解散総選挙に踏み込む決断をした背景にはいくつかの要因がある。
第1に、東京都議選での自民党の大敗や、仙台市長選での野党共同候補の勝利は、前通常国会での森友・加計疑惑、稲田防衛相などに現れた日報隠しなど南スーダンPKOへの自衛隊派遣問題や都議選での自衛隊の政治利用、禁じ手の「中間報告」による共謀罪審議の打ち切り、閣僚や自民党議員の政治腐敗やスキャンダルなどなど、「安倍1強政権」と言われた強権政治と政府与党の奢りへの批判の結果であった。しかし、このところ、急落していた内閣支持率が、内閣改造効果や朝鮮半島の緊張の激化などから、回復傾向に転じたこと。
第2に民進党の新執行部体制の混迷と一部議員の脱党、前原体制のもとで民進党の支持回復が見込めず、また野党共闘があまり進まないうちの解散を狙ったこと。
第3に朝鮮半島情勢の緊張の激化が安倍政権与党の支持拡大にとって有利にはたらくと思われること。一般に戦争など国家的な危機においては、政権与党への支持が増大する傾向がある。安倍首相は20日の国連総会の演説で以下のような危機感を煽り立て、憲法の平和主義にもとづく外交と対話による解決の道を全く否定する最悪のスピーチをおこなった。「対話による問題解決の試みは一再ならず、無に帰した。なんの成算があって我々は三度、同じ過ちを繰り返そうというのか。必要なのは対話ではなく圧力だ」と。これが憲法第9条をもつ国の首相の国連演説だろうか。
第4に東京都議選で自民党敗北の一つの要因となった都民ファーストなど、保守新党結成の準備が必ずしも整わないこと、などの理由が考えられる。
これらのことから、安倍晋三首相はいまこそが来年末になってからの任期切れ解散まで追い込まれないうちに、主導的に解散に踏み切ることができる絶好のチャンスと考えたに違いない。
にもかかわらず、この場合、党利党略の解散への人々の批判の増大や野党の共闘が進んだ場合などで、改憲発議に不可欠の改憲勢力3分の2の議席を失う危険がある。
安倍首相は当然にもこれも想定しているだろう。その危険を押して解散に踏み切った彼の念頭にあるのは、従来の改憲戦略(3分の2議席のあるうちの解散)の変更であり、それは改憲勢力の政治再編ではないだろうか。安倍首相は自公与党のみにとどまらず、維新や小池・若狭・細野らによる新党、さらには民進党まで含めた改憲大再編を考えている可能性がある。これへの警戒を怠ることは出来ない。
安倍9条改憲が選挙の最大の争点に浮上しているなか、民進党前原執行部体制の野党共闘や憲法問題に対する態度は従来の岡田・蓮舫執行部の方針とは変化があり、注意を払う必要がある。
市民連合は昨年来、野党4党と政策合意をつくり、参院選では立憲野党と市民連合の共闘で全国32の1人区で候補者の1本化を実現し、善戦した。「立憲野党4党+市民連合」は自公与党を打ち破る希望の選択肢として浮上してきた。
この立憲主義擁護の最後の機会になりかねない今回の総選挙において、前原執行部のとっている路線には従来の岡田・蓮舫執行部の野党共闘路線とは微妙な違いが生じている。この条件のもとで、早期解散となった現在では全国289小選挙区の全てで野党候補の一本化を実現することは容易ではない。私たちは野党間での一定の必要不可欠な政策での合意を基礎に、民進党も含めて安倍政治に反対する4野党が可能な限り候補者調整をおこない、候補者を一本化して与野党対決の構図を作り、有権者が立憲主義と民主主義を選択できるような野党の協力を実現できるよう奮闘するつもりだ。
報道では民進党は、従来の執行部が「安倍政権の下では改憲論議に応じることはできない」と言ってきたことと異なり、憲法問題の議論を避けないなどとして、衆院選の公約に「首相の解散権の制約」「知る権利」「国と地方のあり方」を柱とする憲法改正案をいれるといわれている。いうまでもなく今回の安倍の解散が不当であることはあきらかで、憲法第7条による解散権はいまほど野放図に行使して良いものではないことは明白だ。しかし、この制限には明文改憲は必須の条件ではない。国会決議など、改憲なしに解散権の制約が実現できる方途はある。他の「知る権利」などの改憲についても、この間、私たちが主張してきたとおり、新しい人権の保障や地方自治改革に明文改憲は不可欠ではない。民進党のこの方針は、憲法に基づいた政治の実行をないがしろにし、立憲主義を破壊し、9条など憲法改悪をねらう安倍政権の壊憲に口実を与えるものであり、妥当ではない。安倍政権の下での改憲論議に応じられないのは、「立憲主義」の立場に立たない政府と共に憲法を議論する共通の土俵はないということなのだ。まして、いま必要なことは、憲法の精神を生かした政治の実現であり、あれこれの憲法の条文いじりではない。
今回の総選挙に於いて、安倍政権の悪政を終わらせるために、立憲4野党が安倍政権を打ち倒すために、安倍政権が企てる改憲、とりわけ憲法9条の改憲に反対し、戦争法、秘密保護法、共謀罪などの廃止、原発再稼働反対など原発ゼロの実現、森友・加計疑惑の徹底追求、子ども、若者、労働者など全ての市民の生活と権利の擁護、向上など、市民連合結成以来私たちが要望してきた共通政策を受け止め、「4野党+市民」の選挙を可能な限り全国で実現し、ともに闘うよう働きかけをつづける。
全国各地で、市民連合を誕生させ、強化して、市民が主権者として主体となり「政治を変える、選挙を変える」を文字通り実現しなくてはならない。
このたたかいで「安倍9条改憲NO!全国市民アクション」が提起している「安倍9条改憲NO!3000万署名」運動は私たちのこの闘いの柱だ。いうまでもなく、この署名運動は総選挙の公示期間中も含めて、公選法の禁ずる「政治活動」ではないのであって、運動は継続できる。私たちは全国の草の根の街頭で、地域で、この3000万署名運動をいっそう積極的に展開しよう。全国の至る所で、安倍改憲NO!、戦争反対、民主主義と権利の実現のための行動を起こし、世論を変えるために奮闘しよう。選挙戦の勝利のための努力は、こうした市民の行動と両輪の闘いだ。
私たちはあきらめない。市民連合は野党各党や世論への働きかけを可能な限り努力し、継続している。私たちのこの立憲4野党の共同の実現の働きかけが成功する可能性は十分にある。この実現こそが、全国のこころある市民・有権者の願いだ。
このことを通じて、来る総選挙で安倍政権の与党を一人でも多く落選させ、安倍改憲派に3分の2はもとより、安倍自民党を過半数割れに追い込み、安倍政権の退陣を実現する闘いをすすめよう。
いよいよ歴史的な闘いが始まった。
(事務局・高田健)
この度の安倍政権・与党による臨時国会冒頭解散の企ては、究極の党利党略であり、究極の国家の私物化です。
先の通常国会の共謀罪法案の審議を委員会討議・採決を飛び越え、「中間報告」という禁じ手をつかって、早々に閉会した理由は、誰がみても森友・加計疑惑隠し、稲田防衛相らの責任追及のがれなどにあったことは明らかでした。これにたいして野党が政府に説明責任の実行を求めて、憲法53条にもとづいてただちに臨時国会の召集を要求したのは当然です。にもかかわらず、安倍政権は憲法の精神を踏みにじって3ヶ月にもわたって臨時国会招集要求にこたえず、あまつさえようやく開かれるこの臨時国会で、一切の審議を拒否したまま、冒頭解散をするなど、前代未聞の暴挙です。今回の組閣の後でも、世論の批判の前に、繰り返し「丁寧に説明する」と言い続けたのは安倍首相ではありませんか。にもかかわらず、朝鮮半島の危機を利用し、このときとばかりに国会を解散し、総選挙に持ち込むというのです。
今回の総選挙で安倍首相と与党は改憲を争点にするといわれております。今年の5月3日、安倍首相は立憲主義に反して自ら改憲を主張し、憲法第9条に自衛隊の存在を書き込むと述べました。これは従来の自民党憲法改正草案の主張からも大きくかけ離れた「まず9条改憲ありき」の策動です。私たちはこの安倍首相の9条改憲は、集団的自衛権行使を容認した「戦争法」(安保法制)の下で、自衛隊が海外で戦争することを合憲化するものだと考えます。この安倍首相らの改憲は断じて容認できません。
今回の強引な解散の企ては多くに市民の不信と批判にさらされています。安倍政権と与党が、世論を無視して解散・総選挙に踏み込むならば、私たちはこれを安倍政権を打ち倒す好機としてとらえ、平和と民主主義、人権に反する数々の悪政の転換を求めて闘います。
そのためには、昨年の参議院選挙の1人区で重要な成果を勝ちとった経験に則して、総選挙の各選挙区で立憲野党4党+市民連合の共闘を早急に作り上げ、候補者を1本化して与党に対決する選択肢を有権者に示さなくてはならないと考えます。これは全国のこころある市民の願いです。この市民の願いに応えて、野党各党のみなさんが奮闘されることを心から期待します。
私たちは全国の草の根の市民のみなさんが「野党と市民の共同候補」の勝利のために奮闘するよう訴え、「安倍9条改憲NO!」の3000万人署名運動を軸に、安倍政権を退陣に追い込むための活動に全力をあげることを訴えます。
2017年9月22日
戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会
9月10日、「第4回市民連合全国意見交換会」が都内で開かれた。安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合が主催し、全国各地から190名が集まり熱心な意見交換が行われた。当日は高田健さん(総がかり行動共同代表)が開会あいさつをし、広渡清吾さん(東大名誉教授)が市民連合を紹介するコメントをした。また、山口二郎さん(法政大学教授)が「政治状況の整理」と題して講演した。講演では、日本は安倍政権による国家の私物化や法の支配から人の支配にかわるような、大きな政治危機に直面している。政権交代の展望としては「究極の理想より、5年先の日本を立て直す政策の共有を」するべきだとした。野合批判に対しては、外交安保については安保法制以前に戻すラインでの結集とすべきで、政治的なテーマとしては脱原発や多様性の課題をあげた。また野党と市民の結集を進め、民進党も生き残りのために野党協力に一層踏み込む必要性を強調した。
各地からの報告では、新里宏二さん(オールみやぎの会・弁護士)が勝利した仙台市長選挙の取り組みを報告した。小出重義さん(オール埼玉総行動実行委員会・弁護士)が2015年の安保法制反対の行動と、以後の埼玉県の全小選挙区で野党共闘を広げた運動を紹介した。さらに青森4区補選にむけての取り組みを神田健策さん(青森9条の会)が報告した。午後は小グループに分かれてディスカッションが行われた。最後に参加者全員の集合写真を撮って市民と野党の共闘の強化を固め合った。
以下に広渡清吾さんの話を紹介する。
市民連合の紹介 広渡清吾さん
今日は全国からお集まりいただいてありがとうございます。私の役割は市民連合の紹介ということですが、市民連合がやってきたことに確信を持ちながら今後どうするかということについて私から発言をさせていただきます。
ご承知の通り市民連合は「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」という名前で2015年12月に出発しました。まさに発足の時期とその名前が示すように2015年の安保法制に反対してたたかった5つの団体、戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会、安保関連法に反対する学者の会、安保関連法に反対するママの会、学生組織であるSEALDs、そして政治学者、憲法学者の会である立憲デモクラシーの会の5つの団体が活動しました。
なぜ5つの団体であるのかといいますと、忘れもしない2015年9月に安保法案が成立しました。その後安保法-私たちは戦争法と呼んできましたが、戦争法を廃止するために何をしたらよいかが当然議論になりました。民主党の呼びかけで戦争法をたたかった野党と市民団体の意見交換会が始まりました。その中で市民団体は、戦争法と2014年7月の閣議決定を廃止するためには政権を問題にしなければできないのではないか。個別の課題やイッシューをたたかうのではなくして政権を交代する運動を市民団体と野党はやっていかなくてはいけないのではないかということを提起しました。その提起はすぐには野党に受け入れてもらえなかったのですが、2016年2月に野党の党首会談で、安倍政権を打倒するまで闘おう、7月の参議院選挙まで野党共闘で闘おう個人の尊厳を大切にする政治の実現という市民連合の要求まで含めて一緒に闘おうではないかという体制がつくられました。
野党の協議の中で私たちも気をもんでいたのですが、忘れもしない2016年2月19日の国会前の総がかり行動のとき私も参加していたのですが、民主党の枝野幸男幹事長がスピーチをしまして、第一声で「みなさんお待たせしました」と言いました。つまり総がかりの行動に参加していた人々が願っていた、野党が選挙も含めて安倍政権打倒をたたかうという党首会談の合意をそこで枝野さんが報告したわけです。私はその場にいて本当に嬉しく思いました。もちろん党首会談でそういう合意があったとしても、参議院選挙でなかなか地方の実情もあり全国的にそれを達成していくには大きな紆余曲折があり、今日お集まりの皆さんのそれぞれの地域のご尽力によって、参議院選挙32の1人区すべてで野党の一本化がなって闘いました。32の選挙区で11区で勝ちました。これは3年前の結果に比べて非常に大きな前進で、私はこれを深く確信しました。さらにこの選挙が示した大きな点は、比例区で野党が得た得票を上積みして最高170%まで出たということなんです。この選挙結果から私たちが確認したのは、野党と市民が共同して選挙を闘えば野党の票を上積みする、つまり無党派の票がここに集まってくるということを私たちは確認することができました。自民党に代わる政権の受け皿論が今かまびすしく議論されているところですが、まさに参議院選挙はその受け皿がどこにあるかを示したと思います。
市民連合はそういう経緯をたどってまた衆議院選挙をたたかおうと今日ここに集っているわけですが、すこし自己分析をしたい思といます。私の知人のドイツの政治学者が市民連合というネーミングを聞きまして、べ平連みたいなものかと聞いてきました。私と世代が近い方はよくご存じだとおもいますが、1966年に作家の小田誠さんや鶴見俊輔さんが中心になって「ベトナムに平和を市民連合」が結成されました。アメリカのベトナム侵略に反対する。それに加担する日本政府に抗議する。さらには脱走する米兵を逃がす手助けをするという非常に危ない仕事もこの人たちはやってきました。次に、1983年に「革新自由連合」という政治組織が名乗りをあげました。青島幸男、中山千夏さんなどの著名な革新的な人々が政党をつくり参議院選挙をたたかいました。
この2つと私たち市民連合を比較すると非常に特徴が見えてきます。第1に私たち市民連合は単独のイシュー、テーマを掲げる組織ではなくて、安倍政治NO――反立憲主義、反民主主義そして反平和主義に対して、それを新しい政治に変える、政権を取り返すというトータルな要求を掲げています。第2に安倍政権にかわるオルタナティブを目指すについて、市民運動が既成政党に代わる政党や政治グループをつくるというシナリオではなくて、安倍政治に反対する野党を後押しして、市民の力を接着剤にして野党の共闘、野党の野党連合政権を目指していこうといものです。市民連合がもし新しい政党を作っても安倍政治を倒す展望は出てこないと思います。市民運動が社会の中にある安倍政治に反対するすべての力を結集して野党の共闘に結び付ける、これが最も現実的で合理的な選択だと思います。
この選択が同じように野党の側からみても最も合理的な選択だと私は思います。政党は理念や政策を自らかかげる政治団体です。しかしそれは自らの言い分であって、そうですねと市民の側から素直にうなずけるような状態ではありません。民主主義における政党の役割は、国民の政治意思の形成を助けることにある。いまの政治状況を変えるには、先ず政党ありきではない。まず主権者国民ありきです。いま国民が抱えている矛盾と問題を、どのような政策をここで対比していくべきが、政党に考えてもらうことです。通常なら政党にメニューを出してもらって国民に選んでもらう。それが選挙だとおもいます。しかし安倍政権がすすめている現在の政治は、戦後の日本社会を転換する大きな危機をもたらしています。この危機を突破するためには、市民の側からあなた方ならそういうメニューを作れるはずだ、私たちも一緒にやりますといっているわけです。今の野党の力を考えれば、市民のこの要請に応えて一緒に政権を作ることが野党にとって最も合理的な選択だと思います。
安倍政治に代わる新しい政治を作り出すには、市民と野党の新しい関係が必要です。今日の意見交換会で現下の政治状況の中で、市民と野党のどういう新しい関係を作りですことができるか、それを一緒に考えていくことができればと思います。
安倍晋三首相が9月末の臨時国会冒頭に衆議院を解散することが確定的となりました。森友・加計疑惑を隠蔽するために、所信表明演説も野党による代表質問もなしに解散を行う可能性さえ指摘されており、自己保身だけを目的とした大義なき解散・総選挙は、国会論戦を一貫して軽視してきた安倍政権による一連の憲法破壊の仕上げとも言うべき暴挙です。
北朝鮮の「脅威」に多くの国民が恐怖を抱いている状況を奇貨として、解散総選挙を行い、憲法改正に必要な議席を確保するという安倍首相の策略は、ある意味でナチスの手口を想起させるものであり、日本の立憲民主政治は最大の危機に直面しています。
日本の憲法と民主主義が守れるかどうかの瀬戸際において、立憲主義の価値を共有し、共通政策の確認を行ってきた野党は、小異にこだわり分断されてはなりません。立憲4野党が協力し、国民に対して民主主義を守るための選択肢を提示できなければ、悔いを千載に残すことになります。安倍政権下での改憲発議によるこれ以上の憲法破壊を許さないために、立憲4野党は大同につく決断をすべきだと訴えます。野党が協力するならば、私たち市民も全力を挙げて共に闘います。
2017年9月21日
安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合
梓澤和幸著
発行:同時代社 四六版 262頁
定価:1800円+税
評者 斎藤邦泰(『月刊伯楽』編集長)
加計学園問題追及法律家ネットワーク」は、獣医学部の新設は「裁量権を逸脱・濫用する違憲かつ違法の決定」である疑いがあるとして、8月7日、国家戦略特区諮問会議で認定に至った経緯を確認するための質問状を安倍首相らに送った。
質問状は、獣医学部の新設には、2015年6月の閣議決定で設けられた、既存の大学・学部では対応困難な場合や、近年の獣医師需要動向を考慮するなどの「石破4条件」を満たすことが不可欠だったにもかかわらず、議事録を確認したかぎりでは、加計学園については「具体的な検討・検証を経て共通認識に至った形跡が窺えず、石破4条件を充足するとされた確たる根拠は不明」と指摘。
特区認定が、憲法65条や内閣法4条の趣旨に反する、としている。
また、国家戦略特区基本方針では、〈諮問会議に付議される調査審議事項について直接の利害関係を有する議員は審議や議決に参加させないことができる〉(特区法)とあるのに、加計孝太郎理事長と親しく「利害関係を有する立場」の安倍首相が認定したのは「違法なものというほかない」としている。
これまで指摘されてこなかったが、そもそも国家戦略特区自体が「憲法違反」の疑いがある。
ところが、国家戦略特区は住民の意思など全く関係なく、特定の地域に恩恵をもたらす仕組みとなっているので、憲法の趣旨に反している。
本書では、「国家戦略特区と憲法」の問題には触れていないが、著者の梓澤和幸弁護士は、中川重徳弁護士とともに「加計学園問題追及法律家ネットワーク」の共同代表をつとめている。
梓澤さんは、この加計問題への取組みにも示されているように、どのような問題や課題についても、憲法の光をあて、人がなかなか気づかない角度や視点から問題をとらえなおす。そこに梓澤さんの真骨頂がある。
「汚職まみれ」「仲間うち優遇」「国際問題への軍事的解決志向」「グローバル大企業のセールスマン」安倍晋三内閣は、国民からのこれだけの不信のなかでも居坐りつづけている。「悲願」憲法壊しをなんとしても実現するためである。
その憲法壊しを、安倍政権は、――「九条への自衛隊明記」よりも――災害支援などで国民に受入れやすい緊急事態条項を突破口として実現しようとしている、というのが、著者の強い主張である。
表紙に「ありふれた日常と共存する独裁と戦争」とのキャッチコピーがあるように、本書は、日本の現状を独裁と戦争に近づきつつある状態ととらえている。
緊急事態条項を突破口とするにちがいないという判断も、そうした現状認識から生まれている。
評者は、梓澤さんとは、1960年代後半の学生運動以来の長い交友である。
彼は、弁護士として、「ありふれた日常」――新幹線の騒音などの問題、在日外国人問題、文学作品によるモデルとみなされる人への権利侵害の問題、マスメディアの報道による被害の問題...などに弱者に寄りそいながら取組みつづけてきた。
憲法の光をあてるとは、弱者によりそうことである。 マスメディアのあり方が、憲法問題、安保戦争法制問題でも大きな焦点となっている。
評者が『ジャーナリズムの原則』(ビル・コヴァッチ、トム・ローゼンスティール著、日本経済評論社、2002年)を翻訳して調査報道のたいせつさを訴えたのに対し、梓澤さんはマスメディア企業の記事審議会のメンバーになったり、監査役になったりして「ジャーナリズムの吟味役」を果たしてきた。実現はしなかったが、ベトナム戦争報道ですぐれた仕事をしたアメリカのジャーナリストを招いて改めて「ジャーナリズムとは何か」を問おうとしたこともある。
梓澤さんの学生時代の恩師でもある杉原泰雄・一橋大学名誉教授が、最近、憲法会議の講演会で、
「日本の法学教育や司法試験のしくみによって、弁護士だけではなく、裁判官や検事など司法関係者が憲法を勉強していないため、日本は司法にかかわる人が憲法を尊重しないめずらしい法治国家となった」
と嘆いておられた。
梓澤弁護士は、しっかり憲法を学び、憲法を基本においた弁護士活動をしてきた。
梓澤さんの特長は、本書でも随所に示されているが、意見や思想の違いがある人との共同行動をすぐにつくりあげるところにある。
例えば、著書『前夜』の共著者たちとは、憲法問題以外では、ずいぶんと立場を異にしている。それを、梓澤さんは、「良点凝視」といったらよいのか、「人間が違うのだから、意見が違うのは当然」として、一致できるテーマではどんな人からも学び、協力しあう。
もうひとつは、いま現在だけを見るのではなく、将来を見すえながら発想し行動するところ。
本書にも、座談会「中学生・高校生と語る憲法」が収められている。
10年先20年先を見すえている。
梓澤さんとなにかをしようとすると、必ず、「若い人をどう参加させるか」「若い人にどう参加してもらうか」の議論になる。
彼自身も(わたし自身も)、高校生のころから憲法の問題、平和の問題、差別の問題に取組んできて(本書には、梓澤さんがどのように憲法を身につけてきたかの歩みも述べられている)、若い力が運動の牽引役になること、若い力がないと運動が持続的に発展することができないことを身にしみて知っているからである。
民主的学生運動で鍛えただけに、梓澤さんは、迫力ある、人を動かすスピーチをする名人である。憲法問題の市民運動にかかわっている人たちは、本書をテキストとした勉強会や集会を、梓澤さんを講師として開催されるようお奨めしておきたい。
(2017年8月27日)