安倍「1強政治」といわれた戦後最悪というべき政治体制の大破綻が始まった。
安倍政権と与党は、第193通常国会の最後を「中間報告」という「禁じ手」で共謀罪を強行採決し、一部に噂された会期延長もせずに、早々と閉じた。これは安倍首相らによる腐敗した政治と国家の私物化の極みの様相がいっそう白日の下にさらけ出されることを恐れての措置に他ならない。これに対して立憲野党4党はただちに、憲法53条に基づいて臨時国会の開催を要求し、また森友・加計疑惑の関係者や、PKO日報隠しの責任者稲田朋美などの喚問をめざして閉会中審査も要求した。政府・与党は臨時国会の招集をかたくなに拒み、おざなりの閉会中審査でいやいやながらの姿勢で対応したが、世論の安倍政権への疑惑は強まるばかりだ。
いまだに「道半ば」としか弁明できないアベノミクスの失政や、閣僚・自民党議員の相次ぐ不祥事、森友・加計の疑惑隠し、PKO「日報」隠し、共謀罪の異例の強行採決、都議会自民党の腐敗と都議選での歴史的敗北、仙台市長選の敗北などの結果、急速に安倍内閣の支持率が下がった。なかでも従来は「安倍首相に代わるものがない」とか、「比較的よくやっている」などの理由で支持の声が高かったのに、最近では「安倍首相が信頼できない」「安倍総裁の3選反対」等の割合が極めて大きくなったのが特徴だった。
これに対して、安倍晋三首相は第3次政権3度目の内閣改造で、比較的安倍首相と距離を置くとされてきた野田聖子や河野太郎の入閣で高まる世論の安倍不信への目くらましを謀ったが、日本会議系閣僚が20人中14人を占め、自民党執行部人事も安倍首相のお気に入りのメンバーを並べるなど、お友達内閣と揶揄されてきた安倍政権の基本に変化はなかった。苦し紛れに「仕事人内閣」などと銘打ってみたものの、就任早々に江崎国務相が「自分は素人だ、役所の原稿を棒読みする」などと発言、改造内閣に対する支持率のご祝儀相場も、大幅な内閣支持率の回復にはつながらなかった。安倍政権の政府危機はいっそう深まった。
急速な内閣支持率の低下で政治的打撃を受けた安倍首相の改憲戦略はおおきく動揺をみせた。8月3日、内閣改造後のNHK・TVで安倍首相は「(改憲について)日程ありきではない。どうしていくかは党と国会に任せたい」と述べ、先ごろの「秋の臨時国会で党改憲案を提出する」との公言を「軌道修正」した。安倍首相は「2020年の改正憲法施行を目指す」とした5月3日の自分自身の提案に関し、「党総裁として一石を投じた」と説明した。その上で「スケジュールありきではないが、これをきっかけとして議論が深まり、熟していくことを期待している。党に任せる」と説明した。
「スケジュールありきではない」などというが、5月3日の発言以降も、改憲日程をどんどん前倒しして改憲の空気を煽り立てていたのは安倍晋三首相自身ではなかったか。
安倍首相の改憲問題での動揺はいまに始まったことではないが、今回、世論の大多数の批判の前に彼がねらった改憲スケジュールを大きく後退させたことは間違いない。
5月3日の9条改憲発言以来、その「日程」の前倒しをかさねてきた首相の改憲日程が軌道修正せざるを得ないところに追い込まれた。安倍首相がすすめてきた改憲日程は、この間、自民党改憲推進本部が議論を重ねてきた9条、教育無償化、緊急事態時の国会議員の任期延長、参院合区解消など4項目の改憲案を整理して、今年8月までに自民党の改憲案を作成する。その後、公明・維新と調整し、秋の臨時国会中に憲法審査会に改憲原案を提出する。そして、18年通常国会で審議を継続し、採決、改憲発議をする。その後、2~6ヶ月以内に改憲国民投票を実施するというものだった。この安倍スケジュールでいくと、早ければ2018年5~6月に憲法改正案の発議、8~9月頃(あるいは年末頃)に国民投票(安倍首相は衆院解散、総選挙と同時投票も想定している)によって改憲を実現する、ということになる。こう考えると改憲施行は2020年ではなく、2019年になる。この期間に、2017年年末から2018年年頭には天皇の退位・代替わり祝賀キャンペーン、2018年は明治150年キャンペーン、そして2020年東京オリンピック・パラリンピックの準備のキャンペーンなど、「国家的行事」がすすめられ、ナショナリズムが煽られることも、改憲の構想と無縁ではない。
この安倍首相の立憲主義を無視した強引な官邸主導の企てに、自民党内にも困惑が広がっていた。何しろ5月3日の改憲発言自体が、安倍首相の「自民党総裁としての発言」という弁明にもかかわらず、読売新聞インタビューはあらかじめ首相官邸でおこなわれ、新聞の見出しには「首相インタビュー」と明記してあるなど、国会をのりこえて、党議を無視しておこなわれたものであり、明白に憲法弟99条に反するものだった。それが今回の内閣改造とその後の首相会見を機に一気に吹き出したかたちだ。
安倍首相の意向を忖度して改憲日程を前倒ししてきた自民党改憲推進本部顧問の高村正彦副総裁も「党の改憲原案が秋の臨時国会にだせればいいが、党内はもちろん、各党の考え、国民全体の雰囲気をしっかりみながらやる。目標は絶対ではない」「(安倍改憲発言は)憲法論議を内外で活性化させるのに大変良かったが、これからは党にお任せいただき、内閣は経済第一でやっていただきたい」などと発言。岸田文雄政調会長も「どこを議論し変えていくのかが大変重要で、9条もさまざまに議論がある。まずは党内で丁寧な議論が必要だ。憲法は国民のもので、議論を国民と丁寧に進めたい」と述べた。二階幹事長も「あまり「ゆっくりしていくわけにはいかないが、(改憲は)重大な問題だ。そう急いでゴールを見いだすというだけでなく、慎重の上にも慎重に国民の意見を承る姿勢だ」などと発言した。与党公明党の山口那津男代表は従来から「経済再生をすすめることが政権の目標で、ひたすら推進すべきだ。憲法改正は政権が取り組む課題ではない」というのが持論だ。
これらの安倍首相と与党幹部の動きから、安倍9条改憲が一気にトーンダウンした様相になった。
しかし、安倍首相は自らの最大の政治目標である改憲をあきらめたわけではない。それどころか、機をみて改憲を推進する意図は放棄していない。
某誌がこう書いた。
「1986年、当時首相だった中曽根康弘氏は7月の参院選にあわせて衆院を解散し衆参同日選を行うとの観測を否定し、野党側が油断したところで解散に打って出た。後に中曽根氏が「(86年の)正月からやろうと考えていた。死んだふりをしていた」と語ったことから「死んだふり解散」として戦後政治史にその名をとどめている。
この中曽根氏にあやかり、何年か先に「2017年夏も改憲は全くあきらめていなかった。死んだふりをしていた」と安倍氏が語るようなことになるのだろうか。と、すればこれは「死んだふり解散」ならぬ「死んだふり改憲」として長く語られていくことになるのだろう」と。
この論評はそれなりの根拠がある。
党内や他党との関係の調整役を任じている自民党の高村副総裁は8月15日、メディアのインタビューに応じ、安倍晋三首相(自民党総裁)が党内議論に委ねる姿勢を示している次期臨時国会への自民党憲法改正案の提出方針について、「できればそうしたい。最初からスケジュールを放棄するのはよくない」と述べ、方針は堅持すべきだとの考えを示した。「最初から(他党との調整が)不可能なものは(国会に)出さない」「これまでいろんな政策をやってきた公明党や改憲に積極的な日本維新の会とは話した方がいい」と述べ、党内論議と並行して両党と協議する意向を示した。野党第1党の民進党についても「(公明や維新より)先に話していけないことはない。話しやすい人がいれば話す」と述べた。
こうした動きの背景には日本会議を中心にした、この間の安倍政権の政治的基盤である右派勢力の動向がある。もともと右翼勢力からみれば「自民党改憲草案」を大きく後退させ、世論に妥協した「安倍9条改憲」は「軟弱なもの」で、これは改憲の終着ではなく、あくまでスタートだ。右派勢力は右派の「希望の星」である安倍晋三が提起したので、これに同調している。しかし、今年の8月15日に靖国参拝を実行した閣僚がゼロになったことを含め、右派勢力には安倍政権への不信と不安がある。安倍晋三政権は来年の総裁3選を実現するためにも、この右派が頼りであり、その信頼をつなぎ止めて置かなくてはならない。
こうして自民党改憲推進本部が、安倍首相のように焦った前倒し改憲ではなく、しかしスケジュール観を放棄しないで、改憲の準備を進めていることに警戒心が必要だ。自民党改憲推進本部は事務総長を新設し、安倍に近い根本匠・元復興相をあて、体制を強化したが、具体的な改憲案づくりに取りかかるため8月29日に予定していた全体会は、役員交代や派閥の研修会の日程の都合上、9月中に開催すると延期された。
9月1日には民進党の代表選挙があり、この結果如何では改憲をめぐる永田町の様相に変化がおきる可能性もある。
安倍晋三首相は5月3日、日本会議系の改憲派の集会にビデオメッセージを寄せ、「2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」と表明。改正項目として9条を挙げて「1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込むという考え方は国民的な議論に値する」とのべた。同日、同様のことが「読売新聞」にもインタビューで掲載された。改憲案の具体的な内容は、自衛隊の容認を第2項にする案もあり、現在のところは明文化されていない。
6月24日には産経新聞系列の神戸「正論」懇話会の場で次期臨時国会に自民党の改憲案を提出すると述べた。
7月23日、横浜市で開かれた日本青年会議所の会合で青木照護会頭と対談した。首相は憲法改正について、「自民党は政権与党として責任感を持って憲法議論を深めていく。この夏に汗を流しながら(改憲項目を)絞っていく」と述べ、今秋の臨時国会への自民党案提出に向け、党内の意見集約を加速させる意向を示した。
いずれも発言の場所は超右派の団体が主催する会場だ。安倍首相は右派の会合で、安倍政権の支持基盤である右翼改憲派におもねった発信を重ね、スケジュールを前倒ししてきた。
唐突に出された感のある安倍9条改憲論には、実は伏線がある。
安倍政権を支える極右団体・日本会議の伊藤哲夫政策委員・常任理事は、3項に「但し前項の規定は確立された国際法に基づく自衛ための実力の保持を否定するものではない」と書き込むことを昨年(2016年)の機関誌「明日への選択」9月号で提案している。そして伊藤は同論文でこれは「(改憲派に)昨年(2015年)のような大々的な統一戦線を容易には形成させないための積極戦略でもある」とのべている。伊藤によれば、まさに「総がかり行動実行委員会」に対する対抗戦略としての9条改憲なのだ。自民党改憲草案から、一気に「9条維持+3項(自衛隊)」論に飛躍した安倍晋三が、この伊藤論文に示唆を受けているのは疑いないだろう。
また日本会議国会議員懇談会(第3次第3回改造安倍政権の閣僚20人のうち14人を占め、衆参290人の国会議員が参加している)の2017年度運動方針(3月15日決定)では、「憲法上に明文の規定を持たない『自衛隊』の存在を、国際法に基づく自衛権を行使する組織について憲法に位置づける」とした。この9条3項附加は国連憲章51条による個別的・集団的自衛権を無制限に行使することを意味しており、憲法9条の破壊であり、否定だ。
改憲右派はこの安倍9条改憲をもって、平和憲法の破壊の一里塚よろしく、その第1歩を確実に踏み出そうとしている。
この春以来、安倍晋三首相らが改憲スケジュールを急いだ理由は明白だ。国会の両院で安倍首相ら改憲派が3分の2を持っているという戦後史上、希有なこの時期に改憲発議をしないと、次に発議ができる保障がないのだ。次回総選挙は遅くとも2018年12月であり、発議はこれ以前にする以外にない。安倍首相は国政選挙(総選挙)と一緒に改憲国民投票をやる(これは実施すれば政権与党にかなり有利になるが、公選法と改憲手続き法の大きな違いがあり、同時実施はかなり難しい)ことも検討するともいっている。
安倍首相は「追い込まれ解散」となる危険を承知のうえで、総選挙をギリギリまで遅らせながら改憲の発議を強行したい。もし可能なら「4野党+市民」の共同を破壊し、総選挙で勝つ(再度3分の2を確保する)体制を作りたい。出来るなら民進党を分裂させたい。野党4党+市民連合という昨年の参院選1人区で与党を震撼させた構図を壊したい。10月22日の3つの補選(愛媛3区、青森4区、新潟5区)で1つでも負けるようなことがあったら、安倍政権は崩壊の危機だ。それなら、解散して、この日に総選挙をやってしまえというバクチ的な議論もでてくる。これは差し迫った民進党の代表選挙の結果如何であるが、しかし、自民党の大半は次の国政選挙を占うといわれてきた東京都議会選挙での敗北の結果におののいており、容易に解散に踏み切れないでいる。
すでに明らかなように、安倍晋三首相は政治目標としての改憲をあきらめない。当面、内閣としては「経済優先」をとなえながら、条件を作り上げ機を見て改憲に着手する。高額な米国製武器を購入するなど、朝鮮半島情勢の危機を利用しながら、トランプにすり寄り、日米安保体制を強化しつつ、改憲の世論を醸成しようとするだろう。
9条改憲を阻止するには、運動でこの最悪の安倍政権を倒す以外にない。
自民党の新改憲案の本質を暴露しながら、森友、加計問題や生活破壊などの諸問題と合わせてたたかい、安倍政権退陣の世論を高揚させる。自民党新改憲案の憲法審査会提出に反対し、次期通常国会での改憲発議を阻止する。
このために、いま準備されつつある3000万人署名運動を軸とした「安倍9条改憲NO!全国市民アクション」の一大市民運動をつくり、9条改憲をめざす安倍政権を退陣に追い込む運動を形成する。この運動は巨大な歴史的な署名運動であり、全国の津々浦々での広範なとり組みなくして成功しない。これを呼びかけた「総がかり行動実行委員会」は「総がかりを超える総がかり運動」の形成と表現している。
いま、下記の内容の呼びかけが発せられている。
日本国憲法の平和主義や基本的人権の尊重を全く理解していない安倍首相が改憲を具体化させようとしています。「バカな大将、敵より怖い」と言われますが、憲法は安倍を含む権力者が守らなければならないのに、そのイロハも知らない首相が主張する改憲はまさに憲法を壊す壊憲だと言わなければなりません。
17歳で海軍に志願した作家の城山三郎さんは、「戦争はすべてを失わせる、戦争で得たものは憲法だけだ」と繰り返し語っていました。
城山さんと同い年の作家の吉村昭さんは、城山さんとの対談で「あの戦争は負けてよかった」と言い、勝っていたら、軍人をはじめとしたカッコつきの愛国者が威張る時代が続いていたと述懐しています。そうした息苦しい時代を再来させないために、安倍の進める改憲に「ノン!」と言い、それをストップさせましょう。多くの人びとの参加を呼びかけます。
2017年8月15日
有馬頼底(臨済宗相国寺派管長)/梅原猛(哲学者)/内田樹(神戸女学院大学名誉教授)/落合恵子(作家)/鎌田慧(ルポライター)/鎌田實(諏訪中央病院名誉院長)/香山リカ(精神科医)/佐高信(ジャーナリスト)/澤地久枝(作家)/杉原泰雄(一橋大学名誉教授)/瀬戸内寂聴(小説家)/田中優子(法政大学教授)/田原総一朗(ジャーナリスト)/暉峻淑子(埼玉大学名誉教授)/なかにし礼(作家・作詞家)/浜矩子(同志社大学教授)/樋口陽一(東北大学・東京大学名誉教授)/益川敏英(京都大学名誉教授)/森村誠一(作家)(19人)
残暑の候、貴団体の連日のご奮闘に敬意を表します。
さて、安倍政権は、教育基本法改定、秘密保護法制定、安保法制(戦争法)制定、共謀罪法制定など、人権も憲法も無視した悪法制定を強行する暴走をつづけてきました。加えて最近では、自らの野望である「戦後レジームからの脱却」を果たすため、衆参両院で改憲派が3分の2を占めているうちに憲法に自衛隊の規定を明記するという方針を打ち出しました。
今夏のうちに自民党改憲案をまとめ、秋の臨時国会に提出、来年の通常国会で〈改憲原案〉として発議して国民投票にかけ、2020年より前に〈アベ憲法〉を施行するという改憲日程まで公言しています。
森友疑惑や加計疑惑など〈近親者〉を優遇する行政の私物化を行い、重要な行政情報の廃棄や隠ぺいを重ねたこともあって内閣支持率は急落し、人びとの〈アベ離れ〉がはっきりしてきました。安倍首相は内閣を改造して目先を変え、改憲問題では「日程ありきではない」とトーンダウンを装っていますが、9条改憲の作業は「党と国会」で続けるとしていることは見過ごせません。
緊迫した状況と憲法問題の重要性から、安倍改憲の日程が本格化することを想定し、広範で多様な人びとの危機感と願いを結集できる「安倍9条改憲NO!全国市民アクション」(仮称)の立ち上げを呼びかけることとしました。
つきましては、別添の発起人の呼びかけもご覧いただき、貴団体にこの運動の賛同団体になっていただきたく、心よりお願い申し上げます。
なお、おおむね次のような行動を進めることを想定しています。
(1)「安倍9条改憲」に反対する全国署名の展開。
(2)全国各地の市民、諸団体による大小の集会や街キャンペーン。
(3)さまざまなツールを利用した宣伝やグッズなどの制作、配布。
(4)新聞への意見広告の掲載。
(5)これらのための募金、など。
「安倍9条改憲NO!全国市民アクション」(仮称)をスタートさせるキックオフ集会を9月8日(金)18:30より「なかのZERO大ホール(東京都中野区)」にて開催を予定しています。
その集会に提案する行動内容等について論議する第1回実行委員会を8月29日(火)18時30分より×××にて開催いたします。
運営委員会及び集会への参加も、ご検討いただきますよう要請いたします。
2017年8月18日
<とりあえずの連絡先> 戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会
安倍9条改憲を阻止するたたかいの成否は、この全国市民アクションが成功するかどうかにかかっている。多少の意見の違いなどをのりこえて、全力で、この組織化と運動の展開のために奮闘しよう。
かつて、世論が安倍内閣を支持していると居直ったこともある安倍政権が、今日なお世論調査では支持・不支持の世論が逆転したままだ。そして従来の世論調査と異なる点は、安倍晋三首相への不信の増大だ。ほとんどの世論調査が、来年の安倍総裁3選を望まない状態だ。
まさに政府の危機だ。私たちはいまこそ、政治を変えるチャンスが訪れつつあることに確信を持つ必要がある。
来る総選挙で改憲派の3分の2を阻止し、自民党を過半数割れに追い込み、安倍政権を倒すたたかいを全力でたたかいぬこう。
2016年参院選:参院選は「希望」のある「敗北」だった。画期的、歴史的な「立憲野党4党+市民連合」の選挙闘争が、1人区で11勝21敗の結果を勝ちとった。この共同がなかったら、野党は大敗北したにちがいない。その後、新潟県知事選で勝利し、最近では仙台市長選挙で勝利したのも、この共同の成果だ。安倍政権は次の総選挙で、この動きが登場することを恐れている。このまま総選挙を実施すれば、虎の子の3分の2を失うことは確実だからだ。野党共同の成果は野党票の足し算に止まらない効果がある。新潟知事選、仙台市長選のように無党派層や自民・公明の支持層まで引きつける力強い勢力を登場させることが出来れば、安倍1強政治は打ち破ることができる。当面、10月22日に投開票となる愛媛3区、青森4区、新潟5区の補欠選挙における野党共闘を実現し、与党候補を打ち破ることだ。
現在、民進党の代表選挙が枝野幸男氏と前原誠司氏の間で行われている。激戦で、いまのところどちらが新代表になるかはわからない。憲法や原発、経済政策、増税、野党共闘など重要問題のほとんどに於いて、枝野氏の方が私たちの市民運動の主張に近く、前原氏の主張に多くの疑問があるのは否定できない。しかし、もし前原氏が当選したとしても、この間の野党4党と市民の間で積み重ねて来た経過を無視することは出来ないだろう。
とりわけ、右派メディアなどが煽り立てる野党共同に関する意見の違いについて言えば、昨年、参院選時の4党と市民連合の政策合意があり、今年4月5日の立憲4党と市民連合の政策合意がある。6月8日には立憲4党の党首会談があり、そこでの合意がある。前原氏が前執行部が約束したこれらの合意を全く無視することはできない。現に先の総選挙を前にして、北海道5区の補欠選挙で前原氏自身が野党共同の一翼を担って闘った実績もある。
民進党の代表選挙の結果如何に関わらず、自民・公明の与党による政治を変えるためには、「選挙を変える」ことが不可欠だ。市民が市民連合などを結成して、主権者として自らの責任で、市民らしい選挙を作り上げ、野党各党と連携してアベ政治を打ち破る闘いを展開することだ。
そのためにも、全国に全国市民アクションを(「総がかり」、あるいは「市民連合」的な運動)をつくり出すことが不可欠だ。
安倍政権打倒の運動の高揚を通じて安倍政権への支持をさらにたたき落とし、安倍9条改憲を阻止するか、安倍9条改憲阻止の運動の飛躍的な高揚によって安倍政権を打ち倒すか、私たちの前にあるのはこの2つのいずれかだ。
(事務局 高田健)
枝野幸男様
前原誠司様
この度の民進党代表選挙に当たり、党の再建と日本の民主政治の回復のために立候補されたことについて、深い敬意を表します。安保法制の廃止と立憲主義の回復を実現し、個人の尊厳を擁護する政治を求める全国各地の市民とともに、参議院選挙、さらに次の衆議院総選挙に向けて戦ってきた私たち市民連合としても、この代表選挙が野党第一党、民進党のリーダーシップと政策を再構築するための有意義な機会となるよう念願しています。代表選挙の候補者のお二人に、市民連合として二点要望を申し上げたいと存じます。
1 市民連合と立憲4野党が確認した共有政策を発展させる
安倍政権に代わる国民本位の新政権を樹立するためには、野党第一党たる民進党が中心とならざるを得ません。5年になろうとする安倍政権の失敗と罪を厳しく総括し、安倍自民党との明確な対抗軸を構築することがこの代表選挙の課題です。
何より重要なのは、安倍政権による憲法破壊を止め、日本を立憲主義、民主主義の国に戻すことです。安保法制、特定秘密保護法、共謀罪法の廃止は、民進党の国民に対する責務だと考えます。また、国民生活不在のアベノミクスに終止符を打ち、生活者・働く者本位の経済・社会政策に転換することも急務です。
これらの課題について、今年4月に市民連合と立憲4野党が合意した政策の基本枠組みを踏まえて、さらに発展させることを要望します。
2 立憲4野党と市民の協力を前進させる
広範な市民と立憲4野党の結集と協力なくして、安倍政治を終わらせ、「国民とともに進む政治」に転換することはできません。安保法制反対運動以来、立憲4野党は国会の内外で協力を重ね、民主政治の危機を憂える市民の期待に応えてきました。蓮舫代表のもとで次の総選挙に向けて4野党が協力することも合意されています。公党間の合意は新執行部でも尊重されなければなりません。そうした手続き論の次元だけではなく、市民の期待に応えるためにも、民進党が野党協力の先頭に立つことが必要です。
次の総選挙が近づく中、今の民進党に何より必要なことは、日本の立憲主義と民主主義を取り戻すための基本的な理念と方向性の確認です。2年余りの経験と実績を持つ立憲4野党と市民の結集を強固にすることが、安倍自民党に対する対抗勢力の構築に不可欠です。
民進党が新体制の下で結束を強化し、政治刷新の先頭に立つよう強く願っています。また、私たち市民連合も、新代表とともに総選挙に向けて市民と立憲4野党の共闘を深化させていきたいと念願しています。
2017年8月25日
安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合
お話:清水雅彦さん(日本体育大学教授・憲法学)
(編集部註)7月15日の講座で清水雅彦さんが講演した内容を編集部の責任で要約したものです、要約の責任はすべて本誌編集部にあります。
今日は5月3日の安倍首相の2020年に憲法を改正して新しい憲法を施行したいという発言があって、その問題点について話をしてくれということで構成をしてきました。なるべく資料としても使えるようにレジメを構成しましたので、詳しくはあとで読んでいただければと思います。基本は5月3日の安倍の改憲案を中心に検討します。この間自民党が出した全面的な改憲案について今日は詳しく触れることはできません。けれども今回安倍が狙っているのはかなり限定的な改憲で、1回改憲したあとにまたいろいろなところを変えていく、そのときに当然この自民党の改憲案はたたき台になってきますから、みなさんそれぞれ分析していただければと思います。
まず、2017年5月3日の民間憲法臨調・美しい日本の憲法をつくる国民の会共催の第19回公開憲法フォーラムでの安倍のビデオメッセージの内容です。まずは、ここで彼が述べた憲法論として見逃してはいけないのは、「憲法は、国の未来、理想の姿を語るものです。」という発言です。さすが政治学科とはいえ法学部出身なのに勉強してこなかった安倍さんだなぁと思いました。しかも彼はあの歳で自分が無知であることを恥ずかしいと思っていませんからたちが悪いわけですが、憲法はそもそも理想を語るものではありません。確かに前文で理想についても語っていますけれども、憲法は主に18世紀を中心とする市民革命後に登場します。そのときの最大の目的は、封建制社会で国家権力がさんざん悪さをしてきたのでそれを打倒していくときに、国家をなくすわけにはいかないので国家を残します。悪さをしないように国家を縛るためにつくったのが憲法であって、憲法は一般的に「国家権力制限規範」という言い方をします。これが憲法の出発点ですし最大の目的であって、理想を語るのが憲法の基本的な目的ではありません。だから憲法の中に国家にはどういう機関があって何をするとか、あるいは書いていないことは当然してはいけないのです。そういう観点からすれば、日本国憲法は先の戦争の反省からつくられ、とりわけ9条で戦争を放棄し、戦力を持たないと書いたところの重みを、まずしっかり受け止めるべきです。彼は、憲法がそもそも何かということがわかっていないので、こういう発言が出てしまうわけです。
この5月3日の彼の理想論について、東大の石川健治さんの批判です。「立憲主義的な憲法の定義のなかに、理想はない。特定の理想を書き込まないのが、理想の憲法だ。」(朝日新聞2017年5月19日朝刊)。これは非常に端的に批判されています。この5月3日メッセージについては長谷部恭男さんも、これは9条加憲論に関わることですけれども、批判をされておりますので挙げておきました。「自衛隊の存在は国民に広く受け入れられている。今さら憲法に書く意味はない。首相が『憲法学者の中に自衛隊が違憲だと言う人間がいるので、あいつらを黙らせるために憲法を変えたい』ということなら、自分の腹の虫をおさめるために変えることになり、憲法の私物化だ」「(自衛隊の)存在が違憲という人(憲法学者)はいると思うが、自衛隊がない方がいいと本当に言い切れる人はいないと思う。私は合憲論だ」(東京新聞2017年5月13日朝刊「全国憲法研究会代表 長谷部恭男氏に聞く」)。そして彼のビデオメッセージで最後の締めの言葉が、「憲法改正に向けて、ともに頑張りましょう。」と言っています。一応、彼は総理ではなくて総裁の肩書きビデオメッセージを出していますけれども、自民党の歴代総裁は自民党の国会議員でありますし、現に安倍さんも国会議員であって、憲法99条は大臣だけではなくて国会議員にも憲法尊重擁護義務を課していますから、そういう人物が憲法改正について積極的に発言するのは、やはり憲法99条に明確に反する発言です。
加憲論についても引用しました。「例えば、憲法9条です。今日、災害救助を含め、命懸けで、24時間、365日、領土、領海、領空、日本人の命を守り抜く、その任務を果たしている自衛隊の姿に対して、国民の信頼は9割を超えています。しかし、多くの憲法学者や政党の中には、自衛隊を違憲とする議論が、今なお存在しています。『自衛隊は、違憲かもしれないけれども、何かあれば、命を張って守ってくれ』というのは、あまりにも無責任です。/私は、少なくとも、私たちの世代の内に、自衛隊の存在を憲法上にしっかりと位置づけ、『自衛隊が違憲かもしれない』などの議論が生まれる余地をなくすべきである、と考えます。/もちろん、9条の平和主義の理念については、未来に向けて、しっかりと、堅持していかなければなりません。そこで、『9条1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込む』という考え方、これは、国民的な議論に値するのだろう、と思います。」。
この間安倍がよく言っているように、多くの憲法学者が自衛隊違憲といっている。だから自衛隊の存在を憲法に明記して、そういう発言をもう言わせないようにしたいという意図があると思います。それから9条の1項、2項を残しつつ自衛隊を明文で書き込むという提案をしたわけです。まだ具体的にどういう条文になるのかはわかりません。だから9条3項で追加するのか、9条1項、2項を残しながら9条の2というかたちで追加するのか、これはまだわかりません。けれども1項、2項を残すという点では従来の主流の改憲論とは違います。
これについては、とりあえずはさきほどの長谷部さんの批判を挙げておきました。ただこれはちょっと検討しなければいけないのは、「自衛隊の存在は国民に広く受け入れられている。今さら憲法に書く意味はない。」という批判の仕方でいいのかということが私は引っかかる部分です。書くことに意味があるから改憲を出してきているという点で問題があります。あとは研究者としてこだわりたいのは、長谷部さんは「(自衛隊の)存在が違憲という人(憲法学者)はいると思うが、自衛隊がない方がいいと本当に言い切れる人はいないと思う。」とまで言い切っています。しかもこの発言はわりと大きく長谷部さんのインタビューが載っていて、ここには 「全国憲法研究会代表 長谷部恭男氏に聞く」というタイトルがついています。 全国憲法研究会というのは「研究会」とついていますけれども護憲を掲げる憲法の学会で、私が記憶する限りではこの全国憲法研究会の代表が代表の立場でメディアに登場するというのはあまり聞いたことがありません。いま憲法学会の多数派は、自衛隊違憲の立場に立っています。そういう中で全国憲法研究会の代表が「自分は合憲だ」という立場で批判する。もちろん自衛隊合憲論者も批判していることでは意味があるけれども、このインタビューを見ると何か憲法研究者の多くは、違憲は言っても本当に違憲とは思ってはいないというような誤解を受けかねません。見ていると長谷部さんというのは踏み込んだ発言が多すぎて、私などは困ったなと思っている部分がありますが、そういう意味ではこの内容での、こういう言い方での安倍批判は本当に妥当なのかどうかということは考えなければいけないと思います。
高等教育無償化論についても引用しておきました。「70年前、現行憲法の下で制度化された、小中学校9年間の義務教育制度、普通教育の無償化は、まさに、戦後の発展の大きな原動力となりました。/70年の時を経て、社会も経済も大きく変化した現在、子どもたちがそれぞれの夢を追いかけるためには、高等教育についても、全ての国民に真に開かれたものとしなければならないと思います。」ご存じのように初等教育は小学校、中等教育は中学・高校、高等教育は大学・短大・大学院・高等専門学校になります。この高等教育についても無償化していこうという提案を行っています。これについてはあとで検討したいと思います。
この安倍発言を受けて、自民党憲法改正推進本部というものが、メンバーを拡充して動き始めています。この本部長である保岡興治さん、彼は元裁判官でそのあとで弁護士になった方ですけれども、彼が6月6日に語っているのは、年内を目途の党の改憲案をまとめる。具体的な検討事項はこの9条への自衛隊存在明記、高等教育の無償化、それ以外には緊急事態条項と一票の格差・合区解消などの選挙制度、この4つで検討したいといっています。そして6月23日には、年内に改憲案をまとめて来年の通常国会が終わるまでには発議をしたいとまで言っています。安倍首相自身も6月24日に、今年の臨時国会で具体的な提案をしたいとまで言っています。7月に東京都議会議員選挙があり、そこで自民党は歴史的な大敗を喫するわけですが、それでも毎日新聞でのインタビューで安倍首相は改憲については予定通りやっていくと言っています。安倍がこの間のやってきたことを見れば本当にやりかねないという意味で、批判する側もしっかりと理論を身につけ反対運動を展開していかなければいけないと思います。
この安倍の改憲論については、伊藤哲夫らの議論が参考になっているのではないかと言われています。伊藤哲夫さんというのは日本会議の常任理事あるいは政策委員を務めている人で、日本政策研究センターの代表です。このセンターの月刊誌『明日への選択』2016年9月号の「『三分の二』獲得後の改憲戦略」を引用しました。
「ところで、もう一方で提案したいと考えるのが、改憲を更に具体化していくための思考の転換だ。一言でいえば、『改憲はまず加憲から』という考え方に他ならないが、ただこれは『三分の二』の重要な一角たる公明党の主張に単に適合させる、といった方向性だけに留まらないことをまず指摘したい。むしろ護憲派にこちら側から揺さぶりをかけ、彼らに昨年のような大々的な『統一戦線』を容易には形成させないための積極戦略でもある、ということなのだ。」「……筆者がまずこの『加憲』という文脈で考えるのは、例えば前文に『国家の存立を全力をもって確保し』といった言葉を補うこと、憲法第九条に三項を加え、『但し前項の規定は確立された国際法に基づく自衛のための実力の保持を否定するものではない』といった規定を入れること、更には独立章を新たに設け、緊急事態における政府の行動を根拠づけるいわゆる『緊急事態条項』を加えること、そして憲法十三条と二十四条を補完する『家族保護規定』を設けること、等々だといってよい。……」「最後にもう一点確認しておきたいのは、これはあくまでも現在の国民世論の現実を踏まえた苦肉の提案であるということだ。国民世論はまだまだ憲法を正面から論じられる段階には至っていない。とすれば、今はこのレベルから固い壁をこじ開けていくのが唯一残された道だ、と考えるのである。つまり、まずはかかる道で『普通の国家』になることをめざし、その上でいつの日か、真の『日本』にもなっていくということだ。」
要するに加憲論を提案しているわけです。ここで言っていることは、いま3分の2をとっているから、こういう中で単に公明党の主張に適合させるだけではなくて「むしろ護憲派にこちら側から揺さぶりをかけ、彼らに昨年のような大々的な『統一戦線』(これは2015年の戦争法反対運動ですけれども)を容易には形成させないための積極戦略でもある」とまで言っています。そして9条3項の加憲論、具体的な条文の提案もしています。その他、緊急事態条項と家族保護規定も設けることも提案しています。なぜこんな提案をするのかというと、「現在の国民世論の現実を踏まえた苦肉の提案」だ。9条改正については、国民の中でまだ変えたくないという人が圧倒的多数なので、そういう現状を踏まえた提案だといっています。ただ注意しなければいけないのは最後の部分で、「まずはかかる道で『普通の国家』になることをめざし、その上でいつの日か、真の『日本』にもなっていくということだ。」と言って、とりあえず最低限の9条改正などの改憲をやった上でさらに全面的な改憲をしたいと考えているようです。
今年の5月3日に、日本政策研究センターの3人が本を出しています。『これがわれらの憲法改正提案だ 護憲派よ、それでも憲法改正に反対か?』(伊藤哲夫・岡田邦弘・小坂実)というタイトルで、ここで具体的に憲法改正提案を出しています。緊急事態条項、自衛隊の存在明記、家族保護条項、この3つを憲法に入れるということです。最初の文章で、伊藤哲夫さんがなぜ3つの改正を提案するかという説明をしています。ここで昨年の雑誌論文よりもさらに具体的に述べているのは「公明党だけではなくて維新の会さらに民進党の一部も巻き込んでいけるような提案をしたい」とまで言っています。そして「これまでの改憲派にとっては納得しがたい議論かも知れないけれどもこの憲法は少なくとも全否定はしないという姿勢です。」と。だからはやり具体的な改憲をするには世論の状況を見て、従来の改憲派からすれば日和見過ぎだとか後退しすぎだという批判を当然覚悟しながら、でも憲法をとにかく変えるにはこれしかないと言うわけです。
岡田邦弘さんが自衛隊存在明記論の論文を担当しています。「自衛隊明記が『九条問題』の克服のカギ」「……現在の二項を削除し自衛隊を世界の国々が保持している『普通の軍隊』として位置づけることが最もストレートな解決方法と言えます。」「……とはいえ、自衛隊の存在に関して何らかの憲法改正はまったなしの状態にあります。そうだとすれば、二項はそのままにして、九条に新たに第三項を設け、第二項が保持しないと定める『戦力』は別のものであるとして、国際法に基づく自衛隊の存在を明記するという改正案も一考に値する選択肢だと思うのです。いわゆる『加憲』です。」「いずれにしても、自衛隊の存在を憲法に明記することが肝要であり、そのための現実的な改正プランが準備されねばならないと思います。」、本来ならば2項の削除が望ましいけれどもそれは難しいから、9条に新たに第3項を設けるということで、「いずれにしても、自衛隊の存在を憲法に明記することが肝要」だと言っています。
次に9条改憲論について検討します。まず従来の9条改憲論や政党の9条論について見ていきます。最初は従来の自民党の9条改正案で、ひとつ目が2005年の新憲法草案、ふたつ目が2012年の日本国憲法改正草案です。いずれも9条2項は変えてしまう。自衛軍なり国防軍を設置する。新憲法草案では2項は削除で9条の2を付け加えるということですけれども、とにかく2項をなくす提案をしています。そして自衛隊ではなくて軍にするという提案を行ってきました。
戦後いろいろな改憲案が出てきました。そういう中で9条1項からもう変えてしまうという改憲案も結構あります。これらはレジメには書いておりません。レジメは9条1項を残しつつ2項を変えるという改憲案と、9条1項、2項を残して3項などを加えるものです。これは渡辺治さんが2015年に出した『憲法改正問題資料』(旬報社)を調べてまとめたものになります。
まずは9条1項をそのまま、あるいは原則として残しながら2項を変えていく改憲案を拾いました。9条2項を変えて軍の存在を明記するというのが一般的です。ただ単に日本の防衛だけでなく、国連の集団安全保障とか国際的な平和活動にも新しい軍などを活用しようということも述べて、それで制度化していくという提案を出しています。これは非常に多種多様な提案があります。
それに対して、9条1項、2項を残しつつ3項追加案というのは非常に数が少ないですね。渡辺治さんの資料では2つしか見つけることができませんでした。ひとつは自主憲法期成議員同盟が駒澤大学教授の竹花光範さんにつくらせた「第一次憲法改正草案〈試案〉」(1981年10月21日)で、これは案の一と案の二があり、案の一が第3項追加案です。「◇案一(第3項追加案)第9条第3項「前二項は、日本国の独立と安全を防衛し、国民の基本的人権を守護することを目的とし、必要な実力(または武力)を保持し、これを行使することを妨げるものではない。」。
もうひとつは、同じく自主憲法期成議員同盟の自主憲法制定国民会議が発表した「日本国憲法改正草案」(1993年4月24日)の提案です。これが9条に第3項を付け加えるという提案です。「第9条第3項「前二項の規定は、国際法上許されない侵略戦争ならびに武力による威嚇または武力の行使を禁じたものであって、自衛のために必要な限度の軍事力を持ち、これを行使することまで禁じたものではない。」。こうしてみると、やはり従来の改憲派の圧倒的な主流は2項を削除して、2項を書き換えるという提案になっていて、2項を残して3項に追加案というのは非常に数が少ない。そういう意味では今回の日本政策研究センターや安倍首相の提案は従来の改憲派の主流ではないわけです。それがひとつの特徴になっています。
次は政党の9条論としていくつか挙げました。公明党は、2002年の党大会で9条加憲の決定をして、2004年6月に憲法調査会が論点整理を発表しています。「◇……集団的自衛権の行使は認めるべきではないとの意見が大勢である。……」「◇専守防衛、個別的自衛権の行使主体としての自衛隊の存在を認める記述を置くべきではないか、との意見がある。第一項の戦争放棄、第二項の戦力不保持は、上記の目的をも否定したものではないとの観点からである。ただ、すでに実態として合憲の自衛隊は定着しており、違憲とみる向きは少数派であるゆえ、あえて書き込む必要はないとの考えもある。」「◇国家の自己利益追求のための武力行使は認められないが、国連による国際公共の価値を追求するための集団安全保障は認められるべきではないか、との指摘がある。ただ、その場合でも武力の行使は認められず、あくまで後方からの人道復興支援に徹すべきだとの意見がある。それゆえ、憲法上あえて書き込む必要はなく、法律対応でいいとの主張である。」。これを見ると意見の紹介というか、明確には打ち出してはいません。基本はやはり1項、2項を維持したいということです。
次に民主党の2005年の「憲法提言」を挙げておきました。「(1) わが国の安全保障活動に関する四原則 (1)戦後日本が培ってきた平和主義の考えに徹する 略 (2)国連憲章上の『制約された自衛権』について明確にする ……国連憲章第五一条に記された『自衛権』は、国連の集団安全保障活動が作動するまでの間の、緊急避難的な活動に限定されているものである。これは、戦後我が国が培った『専守防衛』の考えに重なるものである。これにより、政府の恣意的解釈による自衛権の行使を抑制し、国際法及び憲法下の厳格な運用を確立していく。 (3)国連の集団安全保障活動を明確に位置づける ……国際連合における正統な意思決定に基づく安全保障活動とその他の活動を明確に区分し、後者に対しては日本国民の意志としてこれに参加しないことを明確にする。こうした姿勢に基づき、現状において国連集団安全保障活動の一環として展開されている国連多国籍軍の活動や国連平和維持活動(PKO)への参加を可能にする。それらは、その活動の範囲内においては集団安全保障活動としての武力の行使をも含むものであるが、その関与の程度については日本国が自主的に選択する。 (4)「民主的統制」(シビリアン・コントロール)の考えを明確にする 略 (2) わが国において安全保障に係る原則を生かすための二つの条件 (1)武力の行使については最大限抑制的であること 略 (2)憲法附属法として「安全保障基本法(仮称)」を定めること 略」。
いまの民進党がこのまま引き継いでいるかどうかというのはよくわかりませんが、私は2005年の民主党の憲法提言に大変問題があると思っています。例えば「(2)国連憲章上の『制約された自衛権』について明確にする」です。それは「国連憲章第五一条に記された『自衛権』」が「戦後我が国が培った『専守防衛』の考えに重なるものである」と書いてありますけれども、国連憲章の51条で規定されている自衛権は、条文ではっきりと個別的自衛権と集団的自衛権と書いています。やはり専守防衛というのは個別的自衛権に限定されますから、普通集団的自衛権は入ってきません。でも民主党からすると集団的自衛権も専守防衛で説明するということに、これを読むとなってしまうわけで、これは到底国連憲章を正確に理解していないし危険な考え方だと思います。
(3)「国連の集団安全保障活動を明確に位置づける」についても、国連の集団安全保障活動について日本も貢献すべきだという提案です。このあとを見ると「国連多国籍軍の活動や国連平和維持活動(PKO)への参加を可能にする。」と書いてあります。しかし、国連憲章の第7章は国連の集団安全保障活動を規定したところです。この国連憲章に規定されているところの国連の集団安全保障活動は、ひとつは41条で、どこかの国がどこかの国を攻撃した場合に国連安保理が国連の加盟国に対して経済制裁などの非軍事的措置をとらせて、そういう攻撃をやめさせるという対応をとります。もしこれが不十分な場合は、国連憲章の42条を発動して加盟国の軍隊からなる国連軍を結成し、この国連軍が対応するというのが、国連憲章に規定されている集団安全保障になります。これに対して国連多国籍軍の活動とかPKOについては国連憲章のどこにも書いてありません。だから国連憲章を素直に、あるいは厳密に解釈すれば、国連憲章から多国籍軍とかPKOを正当化するのはかなり難しいという議論もあります。
ただ実際には国連安保理の常任理事国に拒否権を認めた関係で、安保理が米ソ冷戦体制のもとで機能してこなかった。そこで北欧やカナダのような国々がPKO活動を始めて、これは一定の理解というか評価はされてきました。そういう意味ではPKOについて、冷戦下のPKOについては私は評価する余地があると思います。けれども冷戦が終わったあとに国連安保理が機能してくると、従来のような小国ではないアメリカのような大国も関わって、従来の中立とか停戦合意あるいは非武装という原則を変更し、ときにはアメリカの重武装の部隊も停戦合意や中立原則を無視して活動するPKOが誕生しますね。そういう意味で冷戦後のPKOについて私は否定的です。そういう細かい議論を民主党の憲法提言はやっていないので、これは大変危険だと思います。
実際には南スーダンに自衛隊を派遣することを決めたのは、民主党政権のときです。その後の民進党の国会議員と意見交換する機会があったので、そもそも南スーダンに自衛隊を出すことを決めたのは民主党政権だけれど、そのときの総括をしているのかと民進党の立憲フォーラムの国会議員に質問しましたが、やっぱり総括していないのですよ。南スーダンについては状況の変化から当然自衛隊は撤退しなければいけないわけで、本当はもっと早くに撤退すべきだったと思います。民進党がそれについてきちんと総括できていないというのも問題だと私は思っています。さらには湾岸戦争などの多国籍軍の活動を私はまったく評価はできません。この「憲法提言」にあるような国連の集団安全保障活動の中に米ソ冷戦後のPKOや多国籍軍の活動も入れて考えるというのは、私はこれは問題があると思います。あらためて民進党の中で、この「憲法提言」について今後どう考えるのかきちんと議論して欲しいなと思っています。
社民党ですけれども、社民党はいまの自衛隊は違憲状態だけれども村山政権のときに自衛隊合憲に変わっているので、抽象的に自衛隊は合憲である。ただ実際の自衛隊はもう違憲状態であって、将来的にはどんどん縮小していかなければいけないという観点からまとめたものが2005年に出ています。
共産党は2000年の第22回党大会で、憲法9条の完全実施を打ち出します。もともと共産党は、自衛隊は憲法違反だけれども国家は軍隊を持つことは当たり前だ、だから憲法の観点から自衛隊は違憲だが将来的には軍隊というものは持つべきだと考えていたわけです。その考え方を変えて、憲法9条は完全実施して軍隊の存在をなくしていくというかたちで方針を転換しています。具体的には、憲法と違憲の自衛隊、両者が併存してしまうという併存状態の中で、もし日本が攻撃された場合には、自衛隊は違憲だけれども自衛隊は存在するから、自衛隊は活用すべきだということを述べています。ただこれについては安倍首相はじめわかりにくいというか、この考え方については批判されているというのはみなさんも聞いたことがあると思います。
いろいろな9条についてのとらえ方があるわけです。私は私で当然9条についての考え方はありますが、みなさんもそれぞれ9条をどう考えるか、あるいは9条と自衛隊の関係をどう考えるのか。今後「総がかり行動」などで安倍の改憲案に対して反対運動を展開していくわけです。自衛隊を合憲と考える人たちもいるし違憲と考える人たちもいる中で、一致点で反対運動をしていかなければいけない。これは私たちにとってもかなり大変な議論になってくると思います。
まだまだ多くの人々に十分9条解釈が正確に伝わっていない部分があるようなのでふれます。まず9条1項をどう解釈するのか。とりあえず便宜的にA説、B説としておきました。1928年につくられた不戦条約には、「締約国ハ国際紛争解決ノ為戦争ニ訴フルコトヲ非トシ」という言葉があって、9条1項とほとんど同じ文言が入っています。「戦争ニ訴フルコトヲ非トシ」とした不戦条約によって戦争一般は違法化され、国際法的には戦争はやってはいけないこととなりました。不戦条約の「戦争」にはどういう戦争かということは特には書いてありませんが、国際社会では各国の自衛権の行使については認めているので、不戦条約によって禁止された「戦争」は、侵略戦争と考えます。自衛戦争については、不戦条約は禁止していないというのが国際社会での考え方です。だから憲法9条1項についても、ここで放棄した「戦争」も侵略戦争であって、いわゆる自衛戦争――厳密にいうと戦争一般は禁止されているけれども自衛権行使は国際法上できるから、そして実際に自衛権行使は事実上自衛戦争になりますから、だから自衛戦争までは放棄していないよ、と考えるのがA説になります。
これに対してB説の方は、実際に日本が自衛の名のもとに侵略戦争をやった、そういう意味では自衛戦争と侵略戦争の区別は大変難しい。それに日本国憲法は、やはり先の戦争の反省からできた憲法ですから9条で先の戦争を反省して、日本は自衛戦争をも放棄したと考えるべきだとするのがB説になります。このふたつの考え方があります。実際に憲法学会の多数説はA説になります。
次の9条2項です。これも便宜的に甲説・乙説としておきます。甲説は9条1項でA説の立場に立つ人が多いのですけれども「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」では、「前項の目的」とは何かというと侵略戦争の放棄ですから、侵略戦争放棄のための軍隊、戦力を持てない。ということは自衛のための戦力は持てますよと考えたわけです。これに対して乙説は、「前項の目的」は素直に考えて戦力一般、これを持てませんよと考えます。憲法学会では乙説の方が多数説になっています。
整理しますと、憲法学会での1項と2項の組み合わせは、学会の多数説は9条1項については自衛戦争までは放棄していないけれども、2項では自衛力も持てませんよと考える。ですからこれを9条2項全面放棄説という言い方をしますけれど自衛権自体は認めているので、これを「武力なき自衛権論」という言い方をします。だから、日本がどこかの国から攻められた場合は軍隊では対抗しない、対抗するのは警察やあるいは国民全体での戦いとか外交とか、武力によらないかたちで抵抗して外国からの攻撃を防ごうと考えるわけです。
これに対して学会の少数説として2種類ありまして9条1項がA説、2項が甲説、これはいわゆる憲法学会でも改憲派の学会として「憲法学会」という名前の学会があるんですけれども、ここに所属しているような改憲派の憲法研究者はこの立場に立っている人が多いです。もうひとつの少数説は9条1項でB説、2項で乙説、1項からもう自衛戦争をも放棄したと考える立場で、これは学会では少数説ですけれども私はこの立場に立っています。ですからみなさん自身も自分なりに9条1項、2項をそれぞれどう考えるかという作業はぜひやって欲しいと思います。
これに対して政府解釈は独特で、1項はA説の立場ですけれども2項については、「戦力」については、「自衛のための必要最小限度の実力を超えるもの」が「戦力」であって、超えていなければ「戦力」には当たらないから、そういうものは持ってもいいというものです。ここで政府解釈は「戦力」とは別に「実力」という概念を生み出してくるわけです。これはかなり屁理屈にも近いと思います。なぜ政府はこういう解釈を生み出すかというと、国民は9条を変えたいとは考えていない、でも一方では自衛隊がある。素直に解釈すると自衛隊と9条はぶつかってしまうので、そこで自衛隊と9条を両立するために政府が生み出した解釈になるわけです。だから自衛隊は「実力」であって「戦力」ではない。ですから7.1の閣議決定がありましたが、あの閣議決定があったけれどもそれでもいまの安倍政権のもとでも自衛隊を軍隊とは考えない。「実力」に過ぎない。いわば「警察以上、軍隊未満」の組織と考えるわけです。軍隊ではないから、当然諸外国の軍隊のように集団的自衛権の行使はできないし、海外で武力行使もできないということになります。
これが政府解釈ですが、やはり安倍政権に限らず改憲派としては、アメリカが戦争するときにイギリスのように一緒に戦いたいということまで考えれば、この9条のもとでの自衛隊では無理です。9条2項がどうしても邪魔になってきますから、9条2項を変えて憲法上正々堂々と軍隊を持てるようにしたいとずっと改憲派は考えてきました。やはりこの9条2項が改憲派にとっては邪魔でしょうがないわけで、これをどうするかが問われているわけです。
憲法学の観点から見ていきたいのは、20世紀は2度の世界戦争と第2次世界大戦後も朝鮮戦争、ベトナム戦争、いろいろな戦争をしてきたので「戦争の世紀」という言い方をします。一方で人類は愚かではありませんから、少しでも戦争を規制しようという努力をしてきました。それを戦争違法化といいますが、まず戦争のとらえ方の部分でこの違法化が進んできました。
初の世界戦争である第1次世界大戦は人類にとってやはりショックでした。科学技術が発達したので戦車や毒ガスなどが誕生し、世界戦争だったから従来であれば軍隊同士の戦いだったのに多くの市民も巻き添えになって死んでしまった。だからこういう悲惨な世界戦争はもうやめようということで1919年に国際連盟規約をつくります。これはそれ以前の正戦論や無差別戦争観――例えば正義のための戦争はあるとか、戦争を政治の延長と考えて植民地争奪戦の中でどんな戦争をやってもいいという考え方がかつてはありました。これを否定したのが国際連盟規約で、これが侵略戦争を制限する国際規範になります。でもこの国際連盟規約だけでは不十分だということで1928年に不戦条約をつくります。この不戦条約は1920年代にアメリカで展開された戦争非合法化運動の成果です。GHQのメンバーは戦争非合法化運動を当然知っていますから、9条についても大きな抵抗感はなかったのだろうと想定できます。この戦争非合法化運動を受けて不戦条約をつくり、不戦条約は侵略戦争を放棄する国際法になります。しかし日本のように自衛の名のもとに侵略戦争をする国が出てきたので、1945年に国連憲章をつくって、51条で加盟国に自衛権行使は認めるけれども簡単に行使できないような制限を課しています。だから括弧付きではありますが、国連憲章は自衛戦争を制限する国際法になるわけです。
戦争違法化の流れからすれば、次に出てくるのは自衛戦争の放棄であって、9条1項でB説の立場に立てば、9条1項はこのような戦争違法化の最先端に位置づけることができます。だから9条1項をどうとらえるかは人によってさまざまです。不戦条約と同じと考えるか、いや不戦条約よりさらに進んでいると考えるかはありますが、私はやはり9条1項についてはB説の立場に立ちたいと思います。
次に、戦争のやり方についても違法化は進められてきました。第2次世界大戦後ジュネーブ諸条約によって文民や捕虜を保護することをルール化しますし、戦争の際に必要最小限の攻撃というルールをつくって、むやみやたらに攻撃してはいけないというルールをつくっていきます。この間、生物兵器、化学兵器、地雷、クラスター爆弾の各禁止条約をつくってきました。なんといっても先日は国連で核兵器禁止条約までつくってしまいました。こういうかたちで国際社会では着々と兵器についても制限してきましたし、現に国連では通常兵器についても規制の議論をいましています。こういう流れからすれば、軍隊の規制論も当然今後出てきます。私はこういう観点からすれば、9条2項はこの点でも戦争違法化の最先端に位置づけられるのではないかと思います。憲法9条について、解釈はいろいろですが1項でB説、2項で乙説の立場に立てばこのような戦争違法化の最先端に位置づけることができます。
いま問われているのは、安倍政権が9条を変えて日本を「普通の国」にしようとしている。「普通の国」というのは、欧米のような軍隊を持ち戦争することを認めている国、これを安倍政権は目指している。私はそういう国になる必要はない、戦争違法化の最先端をいく。いわば「普通の国」と比べれば優等国なのだから、わざわざレベルダウンをして「普通の国」になる必要はありませんし、憲法の規範通りの国を目指していくべきです。いま世界では27の軍隊のない国家がありますから、私は規定通りの国、そして28ヶ国目の軍隊のない国家になるべきではないかと思います。そういうこともあわせてこの9条論の中で考えていかなければいけないと思います。
安倍の姿勢ですが、都議選であれだけ負けたのにまだあきらめていない。というのは国会衆参両院で改憲勢力が3分の2を超えている中でなんとか改憲をしたいと考えているのだと思います。安倍自身は歴史に名を残したいのか、第1次安倍政権以降、従来の自民党政権ではなかなかできなかったいろいろなことをやってきた。自民党としても憲法改正が党の基本的な立場で、これを実現することは大きなことです。来年の自民党の総裁選挙で、さらに安倍が任期延長で続けて、自分が首相を務めている間にオリンピックも憲法改正もしたいと考えているのかなと思います。その前には天皇の退位と新天皇の即位、あるいは元号も変わっていくという大きな行事もあり、それを安倍政権のもとでやっていきたいという個人的な野望というか、考え方があるのかも知れません。ただ、従来の改憲論からすれば9条加憲は、改憲としては後退と言えます。これは運動の成果でもあると言えると思います。
9条加憲の意味ですけれども、ひとつ大きなことは自衛隊違憲ということが憲法上は言えなくなる効果があります。2015年にある大手マスコミが憲法研究者を対象にアンケートを行っていて、286人が回答しています。このアンケートは戦争法について違憲と考えるか合憲と考えるかということがメインですが、自衛隊についてもどう考えるかという項目がありました。自衛隊についての回答結果は公表していませんが、憲法研究者は自衛隊について56.6%の人が違憲と考えていて、合憲と考えているのが25.5%という結果が出ています。
私はこの結果を聞いてちょっとほっとしています。安倍首相がよく憲法学者の7割8割が自衛隊違憲と言っているから変える、といっていますけれども、それは昔のことです。いまの憲法研究者もどんどん保守化していて、私はもしかしたら合憲論者の方が多いのではないかと思ったので、まだ過半数いたと、ほっとしたわけです。一方で「わからない・その他」は17.8%です。「わからない」というのがこれだけいるのが不思議というか、憲法をやっている大学教員が「わからない」って、「その他」はいろいろあるのでしょうけれど、「わからない」って何か。こちらもわからないけれど、ちょっと情けないと思います。でもまだ多数派は自衛隊違憲と答えています。これは安倍も気にしているように専門家が自衛隊違憲と言っているのは、やはり大きいわけです。
確かに国民の圧倒的多数は自衛隊合憲と考えています。それについては自衛隊自身の「努力」もあります。ただ多くの国民は3.11などの災害派遣の姿を見て自衛隊を評価したり、あるいはこの間の北朝鮮・中国の脅威論もあるので、やむを得ないかなという意識が強いのかも知れません。一方で実際の自衛隊は、もうアメリカと一緒に装備なども共通化して活動している自衛隊になっています。そういう実態部分をよく見たら、国民の自衛隊を見る目も変わってくるかと思いますので、マスコミもきちんと自衛隊の実態を伝えなければいけません。災害派遣について賛成であれば、自衛隊という名称を変えて基本的な災害派遣隊にする。法律でも本務を災害派遣にして、当面は、例えばどこかから攻められたら日本を守るために活動するというのは本務から外すということもひとつの手だと思います。
それはさておき、まだ憲法の専門家は違憲と考えている人が多数派であって、これは当然政府も気にします。自衛隊違憲論があることで、先ほど言ったような9条解釈も出てくるし、そういう制約のもとで自衛隊は専守防衛に止まり集団的自衛権行使はできない、あるいは海外派兵もできないという歯止めをかけてきたと思います。でも憲法9条で自衛隊の存在を明記してしまいますと、自衛隊違憲論が憲法上は言えなくなってしまい、従来の歯止めがなくなってしまう点で、単に現状を追認するだけではないと思います。
憲法学会ではまだ自衛隊違憲派が多数ですが、実際にマスコミなどの論壇に登場する人たちは自衛隊合憲論の憲法研究者です。長谷部恭男さんとか石川健治さんとか木村草太さんとかですね。しかも東大系が多くて、特に朝日新聞は東大をよく使うのかなと思いますし、立憲フォーラムも事務局は岩波・世界グループで東大系が多い。東大系の人たちは自衛隊合憲論者が多く、長谷部さん的な議論が前面に出てきて、これが憲法研究者の多数派だと思われるのは、私としては少し納得がいかない部分があります。もちろん自衛隊を合憲と考える専門家も、安倍の改憲論とか戦争法をおかしいと言っているという効果もありますが、一方で自衛隊を違憲と考える立場からの議論もマスコミはもっと紹介して欲しいものです。なにしろ憲法学会の多数派は自衛隊違憲論者ですから。
「9条2項の空文化・死文化」と書きましたが、これは法の一般原則として「後法優先の原則」というものがあります。新しくできた法律の方が前の法律などと矛盾するような場合には、新しい法、あとにできた法が優先します。あるいは「後法は前法を破る」という考え方があります。この法の一般原則からすれば、普通に考えれば9条2項と3項というのは矛盾してくるはずですが、後法優先の原則からすれば2項はあるけれども3項が優先するから、2項は条文としては存在するけれども実際はもう意味をなさないという解釈が可能になってくる。ですから9条3項加憲によっては2項が空文化・死文化することが考えられます。そう意味では3項は単に自衛隊の存在を追認するだけにはなりません。今回の改憲案については「加憲」という表現が本当に妥当なのかどうか。この後法優先の原則からすると加憲と言うよりは、やはり「改憲」とか「壊憲」という表現をした方がいいのではないかと思います。
安倍政権のもとで、閣議決定で解釈を変え戦争法も制定してしまったということは、いまの自衛隊は従来違憲と考えていた集団的自衛権も行使できるわけです。そういう自衛隊を認めてしまうことは、集団的自衛権も行使できる自衛隊の正当化につながります。日本施策研究センターの人たちが主張しているように、3項なのか9条の2なのかわかりませんが、追加して自衛隊の存在を明記すると、当然これだけで終わらずに本格的な軍隊に向けて軍法会議の設置だとかフルスペックの集団的自衛権行使など、さらなる改憲をやってくるでしょう。それこそ「普通の国」になっていく第一歩になるという意味で、私はこのような改憲案は絶対認めてはいけないと思います。
加えて憲法論として議論すべきことは、憲法96条に憲法改正の手続きが規定されています。衆参両院で3分の2以上の国会議員が賛成して改正を発議し、国民投票で過半数の賛成があれば憲法を改正できます。けれどもその手続きさえ踏めばどんな憲法でも改正できるのかというと、憲法学会では憲法改正には限界があると考えています。これは憲法改正は憲法制定とは違い、あくまでもいまの憲法の枠内で条文の削除とか追加とか修正をやるものであって、いまの憲法の基本原理を変えるような変更は、これは憲法改正ではなくて、憲法を破棄し新しい憲法を制定するという概念になります。
いまの日本国憲法、例えば前文の一段では国民主権や民主主義、平和主義について触れたあとで、これは「人類普遍の原理」だと謳っていますし、憲法11条、97条の基本的人権については「永久不可侵」だと謳っています。国民主権、平和主義、民主主義については人類普遍と考えているし、基本的人権は永久不可侵といっているわけです。こういう文言からすると、憲法自身は憲法改正に限界があると考えていると思われます。具体的に憲法改正の限界は何かというと、憲法学会でいわれているひとつは、改正手続きで憲法改正をすごく簡単にするような96条の改正は許されないと考えています。そして一番大事なのは、基本原理は変更できません。基本原理は一般的に3大基本原理の国民主権、人権の尊重、平和主義になります。確かに憲法の平和主義については解釈が分かれます。私は自衛戦争、自衛権も放棄したと考えますけれども、9条を素直に解釈すれば、政府でさえ従来戦力は持てないと解釈してきたわけです。そういう観点からすれば「戦力を持てる」と憲法を改正することは、憲法改正の限界を超えることになってしまう。そういう憲法改正はできないと考えることができます。今回の改憲案については、憲法改正の限界を超えるのではないかという議論も一方でしていかなければいけません。
この間出てきたその他の改憲案について見ていきます。緊急事態条項についてはあちこちで講演しているのでごく簡単に止めます。2012年、自民党の日本国憲法改正草案の第9章に緊急事態の章を入れる提案をしています。2005年の新憲法草案にはこの提案はありませんでした。なぜこの提案を2012年にしたかというと、2011年の東日本大震災を受けて中山太郎が「緊急事態に関する憲法改正試案」を発表しました。これは条文形式の提案と趣旨、内容を記した文書からなるもので、これを当時の衆参両院の全国会議員に配布しています。内容は緊急事態に際して、内閣総理大臣が宣言を行っていろいろできるという提案です。なぜ中山太郎がこういう提案をするかというと、東日本大震災後の復興の遅れは緊急事態の議論が十分に行われてこなかったことに一因がある、だから憲法に書いておけばああいう事態でもスムーズに対応できる、というのが中山太郎の考え方です。
これが問題なのは、東日本大震災の対応は確かにいろいろ不手際はあったかも知れませんが、それはこれまで経験してこなかったような大きな災害だったし、政権に不慣れな民主党政権のときだったからであって、憲法に緊急事態の規定がないからだと私は思いません。また憲法に緊急事態条項がないから問題だったということの立証が、中山太郎は十分できていないと思います。でもこの東日本大震災をきっかけに緊急事態条項を入れた方がいいという中山太郎の提案に影響力があったのか、緊急事態条項が2012年の日本国憲法改正草案には入ってきます。
具体的な提案内容は、内閣総理大臣が宣言を行います。なんといっても問題なのは、「緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができる」、そして「財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる」、国民は「何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない」という提案です。特に問題なのは「法律と同一の効力を有する政令を制定することができる」ということです。政令はご存じのように内閣がつくる法令です。法律は国会で過半数の賛成がないとつくれませんが、政令は内閣の判断ひとつで出せます。
この間の安倍政権を見ていますと閣議決定でいろいろなとんでもない決定を一方的に出すわけです。安倍政権のような存在を見ていると、政令で法律と同一の効力を有するものを出せるとしたら危険でしょうがない。国会をバイパスして内閣の判断ひとつで何でもできてしまうような、そういう提案を自民党はやっている。これはまさにナチスが政権を取ったあとにやったことと同じようなことが起きかねない提案です。
こういう緊急事態条項の議論に対して、自民党などは多くの国の憲法で緊急事態条項があるというわけです。それが本当なのかというと、例えばイギリスはそもそも憲法典が存在しませんから憲法に書いているわけがありません。アメリカは法律で対応しています。憲法で規定があるドイツやフランスはどうか。ワイマール憲法の規定をナチスが悪用したので、ボン基本法に緊急事態条項は入っていますけれども、入れたのは1968年になってからのことですし、ドイツでは防衛事態認定は連邦議会が行うとしており、憲法裁判所の統制も規定しています。フランスは58年憲法に規定されていますが、この大統領の非常事態措置権が発動されたのは1961年のアルジェリア危機のとき1回だけです。このときの発動期間が大変長かったのでその後一度も発動されておりませんし、2015年のテロのあとにオランド大統領が憲法を改正して緊急事態条項を強化しようとしましたが、議会が反対してこれは成立していません。フランスのテロの対応は、憲法の規定ではなくて緊急事態法という法律で対応しています。ドイツやフランスを見ていくと議会や司法などの統制を残しています。これに対して2012年の自民党の改憲案では、議会や司法の統制の規定が十分なく、諸外国の憲法に規定されている緊急事態条項と比べても大変危険な内容があると思います。
戦前の大日本帝国憲法にはありました。特に8条の緊急勅令「天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル為緊急ノ必要ニ由リ帝国議会閉会ノ場合ニ於テ法律ニ代ルヘキ勅令ヲ発ス」が問題で、これによって関東大震災や2.26事件のあとに行政戒厳が布かれました。また帝国議会で治安維持法の改正が成立しなかったあとに、この緊急勅令によって治安維持法の改正をやりました。こういう経験があるわけですから、やはりこれをしっかり見ておく必要があると思います。
大日本帝国憲法に緊急事態条項、いわゆる国家緊急権があったのに日本国憲法にないのは、戦前の反省からあえて「沈黙」したと考えるべきだと思います。実際に憲法学界でも憲法に明記していないから日本国憲法上は緊急事態条項、国家緊急権は認められないと考えています。
緊急事態に対応する憲法の規定としては54条2項に参議院の緊急集会の規定があります。実際に帝国議会で新憲法の議論をしているときに、野党議員から国家緊急権なるものを憲法に規定した方がいいのではないかと質問が出ました。担当大臣からは、戦前の経験からそういうものは入れない方がいいし、参議院の緊急集会の規定があるから不要だと答えて結局入ってこなかったという歴史があります。
そして法律では、自然災害やその他個別の緊急事態に対応する法律、災害対策基本法(105条以下)…災害緊急事態に配給・債務延期などで政令制定権、警察法(71条以下)…大規模な災害・騒乱その他緊急事態に内閣総理大臣が緊急事態布告、自衛隊法(76条以下)…自衛隊による防衛出動、治安出動、警護出動、警備行動等、有事法制…武力攻撃事態法・国民保護法等による武力攻撃事態等への国民統制、などがあります。もちろん私は憲法9条の観点から、有事法制などは憲法上問題があるという立場ですけれども、その議論を脇に置いて考えれば、すでに日本においては現行法にかなり細かい緊急事態に対応するする個別の法律法、規定があります。だから改憲派が憲法に緊急事態条項を入れるべきだというのであれば、既存の法律では不十分だということを立証しなければいけないと思います。中山太郎さんの文書や自民党の改憲案を説明するQ&Aではこういうことは立証されていません。すでにこういう法律があるのだからこれで十分だと私は思います。
被災地からも、憲法に緊急事態条項を入れることについては否定的な議論が結構あります。東京新聞の取材によりますと、国よりはむしろ地方に、被災地に権限を与えて欲しいという意見もあるわけです。そう意味では緊急事態条項は憲法に規定する必要はないし、もし自民党のようなかたちで緊急事態条項を入れてしまうと、よくわからない事態で内閣総理大臣が一方的に緊急事態宣言をして国民の権利・自由が制限されてしまう、非常に危険な提案だと思います。
その他の改憲論の検討として、ひとつは高等教育の無償化の議論です。これは明らかに維新がいっているから、維新を改憲論議に引きずり込むためではないかと思います。従来の自民党の主張からすると自民がこれを本気で考えているかどうかが問われます。それは国際人権規約のA規約、A規約は社会権について保障したもので、B規約が自由権を保障したものです。このA規約13条2項(b)(c)の規定の中に、中等・高等教育の漸進的な教育の経費の無償化規定を入れています。中等・高等教育ですから、日本でいうと中学・高校・大学・短大・大学院・高等専門学校の無償化を実現していく必要があるという規定を置いています。
歴代の自民党政権はこの規定については留保してきました。この留保を撤回したのが民主党政権です。民主党政権のもとでは、さかのぼって2010年度から高校の無償化政策をやるわけです。自民党はこの民主党の政策については「ばらまきだ」という批判をしていました。それをいま急に高等教育の無償化をいっていますけれど、従来の自民党からすると非常に矛盾します。
もちろん私自身は高等教育の無償化をやった方がいいと思います。ご存じのようにヨーロッパは第2次世界大戦後、国立大学は授業料を取っていない。いま各国で財政事情も悪くなってきましたから無償化を続けている国もあれば有償化に変わった国もあります。授業料がある国でも、それでも学生がアルバイトをすれば学費負担ができるような非常に安い授業料になっています。一方で日本の場合は、国立大学が年間の授業料が50万円を超えている。ヨーロッパの人からは「それは国立大学なんですか」と聞かれるのではないかと思うけれど、非常に高いわけです。国立大学がそんなに高いから、私立大学はもっと高い。なぜ私立大学がそんなに高いかというと、自民党政権のもとで私学助成をきちんとやってこなかったからです。国会では私立大学の収入の半分を私学助成にすべきだという決議を挙げているのに、歴代の自民党政権はこれをサボってきた。いまや私立大学の収入に占める私学助成の割合は、大学によってばらつきはありますけれども、だいたいの平均はたった1割です。だから5割私学助成をしていれば、私立大学の学費はもっと安くなるのにそれをずっとやってこなかった。ということは憲法で高等教育の無償化規定を入れたとしても、自民党政権はこれをやる気はないと思います。
普通であればこれは憲法に反するのではないかと思います。憲法25条は生存権を規定しています。「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という規定があります。従来政府は、この25条は確かに憲法に「権利」と書いてあるけれども、これは「宣言」だという解釈をしています。宣言にすぎないから財政的に厳しければ十分なことをやらなくてもいい。25条は確かに憲法上の権利かも知れないけれども、裁判上の権利ではないというのが政府の説明です。だから国民が、国が生活保護など生存権をきちんと保障しないような政策をとっているときに25条を使って違憲訴訟を起こしても、25条を根拠に裁判はできないという立場をずっと政府はとってきました。一般の人にはすごくわかりづらい説明かも知れません。25条の生存権について、これは宣言に過ぎない、プログラムに過ぎない、だから徹底的に25条の理念を実現しなくてもいいという態度をとってきたのが歴代の自民党政権です。
仮に憲法改正で高等教育の無償化を入れたとしても、同じようにプログラム規定だという説明をして、財政的に厳しければ無償化を実現できなくてもしょうがないという説明をたぶんしてくると思います。そういう意味でこれにはごまかされてはいけないと思います。いま憲法26条は義務教育の無償について規定していますが、別に高等教育を無償にしてはいけないという規定はありませんから、法律で高等教育の無償化はいくらでも可能です。憲法改正をしなくても、高等教育の無償化は簡単に法律上はできます。わざわざ憲法を改正する必要はありません。この改憲論にごまかされてはいけません。
一票の格差、合区解消などの選挙制度の議論については、この間、憲法14条などの観点から、弁護士中心に議員定数不均衡訴訟が行われてきました。衆議院以上に参議院は議員定数の不均衡が進んでいて、これは憲法14条の、法のもとの平等に反するという裁判が行われてきた関係です。参議院の選挙区選挙は都道府県単位で選挙をします。この議員定数格差問題をかわすために、昨年の参議院選挙では合区――複数の選挙区をくっつけて選挙をしました。これは自民党の国会議員を中心に大変評判が悪く、合区をなくして欲しいという声が出ました。でもなくしてしまうと議員定数の格差が拡大してしまうから、そこで憲法を改正して、憲法14条があるけれど、参議院の選挙区の定数格差が拡大しても、それは問題ないというような憲法上の規定を盛り込む。即ち参議院については、地域代表の側面から定数格差の問題が生じないようなかたちの憲法上の規定を盛り込むべきだという改正をしたがっています。
この選挙区での不均衡解消のやり方のひとつは、参議院議員の定数をもっと増やせばいいわけです。もうひとつは、選挙区をなくして比例代表制をとれば定数不均衡の問題は生じなくなる。憲法43条に、国会議員は全国民の代表だという規定があります。憲法学会では、ここでいう代表というのは社会学的代表だというとらえ方があります。この社会学的代表というのは、国民のいろいろな人々の利益を正確に比例するようなかたちで議員を選ばなければいけないという議論が出てきまして、この社会学的代表論からすると、憲法論からすれば小選挙区制は憲法違反で、望ましい選挙制度は比例代表制になります。即ち小選挙区制は国民の民意を忠実に反映しないから、社会学的代表論からすると小選挙区制は憲法違反、憲法上問題がありま
す。
ただアメリカやイギリスなど小選挙区制を導入している国もあります。基本的には小選挙区制は憲法違反だという裁判を起こしたとしても、選挙制度はそれぞれの国の事情がありますから、小選挙区制でやるのか比例代表制でやるのかは各国の事情で決められる問題で、裁判で争っても小選挙区制は憲法違反だという判決は出ないと思います。人権と比べると、人権はどこの国でも当然保障されなければいけないものですけれども、選挙制度については裁判の場で争うものではなくて政治の場で決めていくしかないものです。だからいま衆議院では小選挙区、参議院、特に一人区は小選挙区ですけれど、これは政治の場で解消していくべきであって、私は望ましい選挙制度は比例代表だと思います。比例代表をとれば、こういう格差の問題、合区の問題は解消されるべきであって、そちらで対応すべきだと思います。
最後に改憲論との向き合い方について述べます。これは原則ですけれども、まずは憲法理念の実現が先であって、そして望ましいのは国民の側から国家権力をもっと縛るような改憲をいう議論だと思います。憲法は国家権力制限規範ですから、憲法によって縛られている側がその縛りをゆるめるような改憲を唱えるときには要注意であって、いまの改憲というのはまさにそういう改憲です。やはり望ましい改憲は国民の側がもっと国家権力を縛るために憲法を変えようという議論であれば望ましいと思います。そういう改憲論ではないわけですから、縛られている側からの改憲論ですから、私はこういう改憲は眉唾物だし、中身を見てもこういう改憲は認められないと思います。
ただ、9条「加憲」論というのは曲せ球であって、公明党などは乗る可能性はありますし、自衛隊合憲論者とか、多くの自衛隊を容認している国民からも乗りやすい改憲論だと思います。そういう中で総がかり行動などが新しい改憲論に対抗していかなければいけないわけで、どういう観点からこれに対抗していくのかというのは、かなり時間をかけてつくっていかなければいけないと思います。これから来年にかけまさに改憲案が出てくるかも知れませんから、まずはみなさんがこの改憲案をどう考えるか、9条解釈をそれぞれがどう考えるかを踏まえた上で、これに対抗する議論をしながら検討していかなければいけないと思います。
2017年8月9日
この言葉は、未来に向けて、世界中の誰も、永久に、核兵器による惨禍を体験することがないように、という被爆者の心からの願いを表したものです。その願いが、この夏、世界の多くの国々を動かし、一つの条約を生み出しました。
核兵器を、使うことはもちろん、持つことも、配備することも禁止した「核兵器禁止条約」が、国連加盟国の6割を超える122カ国の賛成で採択されたのです。それは、被爆者が長年積み重ねてきた努力がようやく形になった瞬間でした。
私たちは「ヒバクシャ」の苦しみや努力にも言及したこの条約を「ヒロシマ・ナガサキ条約」と呼びたいと思います。そして、核兵器禁止条約を推進する国々や国連、NGOなどの、人道に反するものを世界からなくそうとする強い意志と勇気ある行動に深く感謝します。
しかし、これはゴールではありません。今も世界には、1万5000発近くの核兵器があります。核兵器を巡る国際情勢は緊張感を増しており、遠くない未来に核兵器が使われるのではないか、という強い不安が広がっています。しかも、核兵器を持つ国々は、この条約に反対しており、私たちが目指す「核兵器のない世界」にたどり着く道筋はまだ見えていません。ようやく生まれたこの条約をいかに活かし、歩みを進めることができるかが、今、人類に問われています。
核兵器を持つ国々と核の傘の下にいる国々に訴えます。
安全保障上、核兵器が必要だと言い続ける限り、核の脅威はなくなりません。核兵器によって国を守ろうとする政策を見直してください。核不拡散条約(NPT)は、すべての加盟国に核軍縮の義務を課しているはずです。その義務を果たしてください。世界が勇気ある決断を待っています。
日本政府に訴えます。
核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり、核兵器を持つ国々と持たない国々の橋渡し役を務めると明言しているにも関わらず、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません。唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への一日も早い参加を目指し、核の傘に依存する政策の見直しを進めてください。日本の参加を国際社会は待っています。
また、二度と戦争をしてはならないと固く決意した日本国憲法の平和の理念と非核三原則の厳守を世界に発信し、核兵器のない世界に向けて前進する具体的方策の一つとして、今こそ「北東アジア非核兵器地帯」構想の検討を求めます。
私たちは決して忘れません。1945年8月9日午前11時2分、今、私たちがいるこの丘の上空で原子爆弾がさく裂し、15万人もの人々が死傷した事実を。
あの日、原爆の凄まじい熱線と爆風によって、長崎の街は一面の焼野原となりました。
皮ふが垂れ下がりながらも、家族を探し、さ迷い歩く人々。黒焦げの子どもの傍らで、茫然と立ちすくむ母親。街のあちこちに地獄のような光景がありました。十分な治療も受けられずに、多くの人々が死んでいきました。
そして72年経った今でも、放射線の障害が被爆者の体をむしばみ続けています。原爆は、いつも側にいた大切な家族や友だちの命を無差別に奪い去っただけでなく、生き残った人たちのその後の人生をも無惨に狂わせたのです。
世界各国のリーダーの皆さん。被爆地を訪れてください。
遠い原子雲の上からの視点ではなく、原子雲の下で何が起きたのか、原爆が人間の尊厳をどれほど残酷に踏みにじったのか、あなたの目で見て、耳で聴いて、心で感じてください。もし自分の家族がそこにいたら、と考えてみてください。
人はあまりにもつらく苦しい体験をしたとき、その記憶を封印し、語ろうとはしません。語るためには思い出さなければならないからです。それでも被爆者が、心と体の痛みに耐えながら体験を語ってくれるのは、人類の一員として、私たちの未来を守るために、懸命に伝えようと決意しているからです。
世界中のすべての人に呼びかけます。最も怖いのは無関心なこと、そして忘れていくことです。戦争体験者や被爆者からの平和のバトンを途切れさせることなく未来へつないでいきましょう。
今、長崎では平和首長会議の総会が開かれています。世界の7400の都市が参加するこのネットワークには、戦争や内戦などつらい記憶を持つまちの代表も大勢参加しています。被爆者が私たちに示してくれたように、小さなまちの平和を願う思いも、力を合わせれば、そしてあきらめなければ、世界を動かす力になることを、ここ長崎から、平和首長会議の仲間たちとともに世界に発信します。そして、被爆者が声をからして訴え続けてきた「長崎を最後の被爆地に」という言葉が、人類共通の願いであり、意志であることを示します。
被爆者の平均年齢は81歳を超えました。「被爆者がいる時代」の終わりが近づいています。日本政府には、被爆者のさらなる援護の充実と、被爆体験者の救済を求めます。
福島の原発事故から6年が経ちました。長崎は放射能の脅威を経験したまちとして、福島の被災者に寄り添い、応援します。
原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は、核兵器のない世界を願う世界の人々と連携して、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します。
2017年8月9日
長崎市長 田上富久