私と憲法189号(2017年1月25日号)


憲法施行70周年に考えておくべきこと(運動論に引きつけながら)

(1)
今年の5月3日は日本国憲法が施行されて70周年(沖縄は「復帰」45年)である。先の15年戦争の敗戦の結果、日本はポツダム宣言を受け入れ、その結果として日本市民が手に入れた日本国憲法は、連合国間の矛盾をも反映して、象徴天皇制(第1章)に見られるような問題点を残しながらも、非武装平和主義、基本的人権の尊重、「国民主権」(民主主義)を憲法3原則とした、立憲主義を尊重する国際社会でも大変優れた先駆的憲法であった。

日本国憲法の制定経緯については、国会の憲法調査会の議論などで、「押しつけ憲法論」の破産など、大方、妥当な結論があり、本稿では論じない。
日本を軍事占領した米国は、第2次世界大戦後の世界でソ連と覇を競い、世界に君臨しようとしてそのアジア戦略の前進基地として日本を利用し、列島全土基地化のため、日本政府に日本国憲法の理念と全く対立する「サンフランシスコ講和条約」と「日米安保条約」を締結させた。日本国憲法は誕生間もなく、米国による改憲圧力を受け、そのため米国は国内の改憲勢力を積極的に育成した。

以来、日本の戦後史は第9条を持つ「日本国憲法体制」と「日米安保体制」という相対立する2つの法体系の相克の歴史となった。改憲勢力が牛耳る日本政府の弾圧に屈せず、平和を願う民衆はこの憲法を拠り所に改憲反対、再軍備反対、戦争反対を掲げてねばり強い、不屈のたたかいを展開した。

(2)
安倍首相は今通常国会の施政方針演説の締めくくりに、改憲への野望を鮮明にして、こう述べた。「憲法施行70年の節目に当たり、私たちの子や孫、未来を生きる世代のため、次なる70年に向かって、日本をどのような国にしていくのか。その案を国民に提示するため、憲法審査会で具体的な議論を深めようではありませんか」と。

施行70周年の現在、2015年の戦争法の強行とそれを発動した2016年の自衛隊の南スーダン派兵が実施されたことで自衛隊の海外での武力行使の可能性が現実化し、憲法第9条は重大な危機に直面している。

これをもって、一部の論者は「戦後護憲運動の敗北」と発言したり、憲法第9条の価値に関する疑問を発信したりする。しかし、こうした議論はニヒリズムによる敗北の哲学に他ならない。戦後日本社会に、戦争勢力に反対する民衆の反戦・反安保(護憲)闘争がなければ、1950年代の朝鮮戦争、あるいは60年代のベトナム戦争、あるいは冷戦直後のイラク戦争の時代に、日本は9条が改憲され「戦争ができる国」になっていたに違いない。これにあらがい、米日戦争勢力の企図を阻止してきた民衆のたたかいの意義は大きく、これこそ戦後の歴史の原動力であった。運動こそが、今日まで、改憲と戦争を阻止してきた。大分の日出生台で米軍演習場に反対してたたかう酪農家の後藤洋次さんは、最近、「いまの日本の平和は『戦争はだめだ』と言ってきた積み重ねでしょ。ムダな抵抗なんて何一つない」(東京新聞1月4日号)と語っているが、全くそのとおりである。

さらに、この際、憲法問題に関する運動圏内の一部の論者のいくつかの誤った議論について触れておきたい。
例えば「護憲」というスローガンは日本国憲法の問題点である天皇制まで擁護するものであり、あやまりだという。また「護憲」は「守り」のスローガンであり、本来、市民運動は憲法の理念をより「活かす」立場から「活憲」と言うべきである。さらに、いまの改憲攻撃は日本国憲法の理念そのものの破壊であるから、「壊憲」反対というべきだというのもある。

そしてこれらの論者は、自己の主張の絶対化と従来の運動に対する些末な非難をすることで、運動圏に一定の混乱をつくり出している。戦後長期にわたってたたかってきた民衆運動へのリスペクト(尊敬・信頼)に欠ける無責任な論難は、憲法の危機という歴史的な時代に積極的な役割を果たすとは思えない。議論は結構だが、今日の改憲攻撃のもとで、天皇制問題を行動のスローガンとしては留保することは当然のことだ。多くの人びとが語ってきた「護憲」のスローガンには実態として活憲の思想は含まれている。壊憲でも、改憲でも、用語はどちらでもいい、それは些末なことである。肝心なことは改憲攻撃に対抗する具体的で、強力な運動をつくり出すことである。

私たちの「許すな!憲法改悪・市民連絡会」結成時の会の命名にはこれらへの一定の配慮があったのは事実である。しかし、直接、耳にしことはないが、これでも「『反対』ではなく、より積極的に活かそうというべきだ」という意見もあり得るだろう。

いま必要なことは、一方的に自己のアイディアの正当性を主張することではなく、現場で苦闘する仲間へのリスペクトと、共通の課題に向かっての壮大な共同の形成である。

上記のように率直に述べてみたのは、方針や運動圏の使用する用語をとぎすまそうとする努力に水を差そうというのではない。用語に関する努力は真剣であるべきだと思う。

運動圏の一部にある「最近の若者たちは論争をしなくなった」という年配者のもっともらしい嘆きにも疑問を呈したい。たしかにそうだ、この現状は諸君の興味関心からいえば、嘆かわしいことにちがいない。では、うかがうが、かつてあった議論と論争の一部は運動をどこに導いたのだろうか。相互にリスペクトのない、自己の正当化のための議論と論争は、それを不毛の対立の隘路に導き、究極的には内ゲバまで突き進んだのではなかったか。すくなくとも、年配者はこの反省を前提にして、こうした意見を述べるべきだと思う。かつて中国の抗日戦争の時に「有理、有利、有節」(劉少奇)というスローガンがあった。道理の「理」、力関係の「利」、節度の「節」であったように記憶している。私たちの「議論」が有効であるためには、このようなことが必要ではないだろうか。

(3)
憲法施行70周年を考えるにあたり、安倍晋三らの「真珠湾戦争史観」の危うさと当面する戦争・改憲問題について若干、触れておきたい。 12月27日(日本時間28日)、安倍晋三首相はオバマ米国大統領と共に、ハワイの

真珠湾を訪れ、先の戦争に関する演説をおこなった。しかし、それはあまりにもずさんでご都合主義の歴史認識に基づくものであり、黙過できない。

第1に、真珠湾戦争はなぜ勃発したのか。それは1931年9月18日の柳条湖事件に始まった日本軍による中国東北部侵略戦争=満州侵略戦争が中国人民の抵抗闘争で泥沼化し、1937年7月7日には全面的な日中戦争(廬溝橋事件)として深入りせざるを得なくなった。この年、南京大虐殺が起こった。米国は日本軍の中国からの撤兵を強硬に要求した。中国民衆の反撃と米英などの圧力で日本の東アジアでの戦争は泥沼化した。追いつめられた日本軍部は、米国に対する無謀な戦火の拡大で活路を開こうと、米太平洋軍の基地である真珠湾を奇襲した。1941年12月8日の真珠湾攻撃の経過はそのようなものであり、これは疑いようのない歴史の真実である。

第2に、安倍のこの日の演説では、この過程が全く消去され、戦争は真珠湾に始まった日米戦争しか描かれていない。そして、オバマが訪問したヒロシマで終わったという認識だ。つまり、あの戦争で日本は米国に敗れたというのだ。歴史的経過を見れば明らかなように、日本軍を打ち破った主力軍は中国などアジアの民衆である。しかし、安倍は米国に負けたのは容認できても、アジアに負けた事実は許容できない、という偏狭なナショナリズムの持ち主だ。この思想は明治のはじめより、アジアに侵略し、それを足場に欧米列強と対抗してきた日本帝国主義に刻印された「アジアの盟主・日本」という思想に他ならない。

第3に、演説で安倍は真珠湾は「和解の象徴」であり、現在、日米関係が「希望の同盟」になったのは、「寛容の心」がもたらした「和解の力」だと、強調した。これが果たして「不戦の誓い」だといえるのか。戦争を引き起こした罪、侵略戦争に対する反省のない歴史認識は、不戦ではなく、米国の次期トランプ政権との軍事同盟の維持を願い、新たな戦争を引き起こしかねない「希望の同盟」だ。オバマはその危険を「オタガイノタメニ」などということで隠蔽した。

第4に、オバマが演説で述べた「国の品格」とは何か。「日本会議」など安倍の国内の基盤の右翼集団は、侵略戦争の「謝罪」はわが国の「誇り」を奪うもので、屈辱だと考えている。しかし、誤りは「改めるにはばかる事なかれ」だ。侵略戦争の歴史を謝罪することを屈辱と考える歴史観は、国際社会における「日本の品格」を辱めるものである。

今年は憲法施行70周年。戦争の反省と不戦を誓った日本国憲法は戦後70年間、世界の、とりわけ大国の侵略の危険にさらされ続けてきた小国と被抑圧民族の民衆の尊敬を集めて来た。「国の品格」というものがあるとすれば、それは戦後世界に覇を唱えてきた米国のような国にあるのでも、また9条を破壊し、ふたたび戦争ができる国になった安倍の日本にあるのでもない。平和的生存権を掲げ、9条を国の柱に据えた日本国憲法を持つような国にこそある。

第5に、21世紀の国際社会に於いて、日本がふたたび侵略と戦争を発動する国にならないように、私たちは正しい歴史認識を持ち、歴史修正主義に反対し、侵略戦争を正当化するナショナリズムに反対しなければならない。その発信元の安倍政権を打ち倒し、憲法第9条を破壊から守り、生かし、輝かせるたたかいに勝利することに貢献することこそ、私たちの歴史的任務である。
12月11日、朝日歌壇に次のような短歌があった。

人を殺さず殺されず来し信頼のわれらの兵士殺すかも知れぬ(天竜市 鴨田希六)

(4)
米国大資本の利益を全面的に擁護し、差別と排外主義を唱え、アメリカ・ファーストを掲げるトランプ大統領が米国に誕生し、同様に英国にはテリーザ・メイ首相が登場し、フランスをはじめ資本主義各国での右派・ファシストの蠢動が激しくなり、冷戦後の世界の構造が大きく変化する激動の時代が到来しつつあることを予兆させる事態が相次いでいる。日本の安倍政権もこの例外ではなく、ある意味でその嚆矢でもあった。資本主義世界は今や第4の動乱期に入った。産業革命から第1次世界大戦、そして第2次世界大戦、米ソを中心とした冷戦期、そして21世紀の現代である。

今日、米国にトランプ政権が誕生したのは現代資本主義の例外現象ではない。欧州各国でも資本主義世界に格差と貧困は蔓延し、社会は深刻な対立をはらんでいる。大国同士は国益をあらそい、覇を競い、中小諸国と被抑圧民族は大国の支配に反対して主権を求める。まさに「動乱の時代」である。それらの背景に排外主義とナショナリズムが色濃く刻印されている。
日本では、この状況の下で、戦後70数年、憲法の平和主義が最大の危機に立たされている。

昨年の8・15に際して、「第九条の会ヒロシマ」の仲間たちは、新聞意見広告で「変えたいほどに知っていますか?。変えたいほどに不自由ですか?。変えたいほどに使いましたか?」と問うた。そのとおりである。70年と言えば、長くて、何となく古くなったから、変えてもいいのでは、という改憲派の印象操作に反撃する必要がある。「平和の70年は短すぎますか。私たちはこの憲法の理想をどれだけ達成したか。アジアの人びととの共生をどれだけ実現しているか。憲法の理念と憲法制定経緯から外されてきた沖縄の現実の乖離はいまだに極めて深刻だ。この社会で憲法がうたう基本的人権はどれだけ実現されているのか。個人の尊厳は社会でどれだけ達成できているか」

明治憲法下での日本を考えるとき、近現代史の前進は承認しつつも、憲法70周年の今日、それが実現したものは道半ばとすらいえないほどに肌寒い。
憲法によって残された課題は大きい。だからこそ、私たちは安倍政権の改憲の野望を阻止しなくてはならない。そのためにも、沖縄課題や脱原発、貧困格差の解消などの諸問題で全国的な大衆運動を高揚させ、運動と世論の力で安倍政権を追いつめる仕事とあわせ、今年、確実におこなわれるであろう衆院選で、安倍政権に決定的な打撃を与えなくてはならない。改憲発議可能な議席3分の2を阻止し、自民党を過半数割れに追い込み、安倍政権の退陣を実現させなくてはならない。そのためにも、2016年参院選でつかんだ勝利の道、「立憲4野党+市民(連合)」の態勢を、いかなる困難があっても乗り越え、全国295の選挙区で候補者の1本化を実現することである。カギは2015年の経験が示したように、自立した市民による全国的な市民運動の高揚をつくり出すことである。

12月26日の朝日歌壇に以下のような短歌が載っていた。

整然たるデモに驚く 感情の起伏激しき民族なれば(大阪府 金忠亀)

お隣の韓国では昨年末、最大230万人にもおよぶ連続した大規模なデモが、とうとうパククネ政権を追いつめ、事実上の退陣に追い込んだ。わたしたちもこれにならい、非暴力の大規模な市民の行動を組織し、安倍政権を打ち倒さなくてはならない。
(事務局 高田健)

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2017年新春メッセージ(その2)

今年も北の地で沖縄県民と連帯して戦う

久保下正哲(北海道・帯広市)

今沖縄では県民の思い、声を無視し圧殺するように辺野古の新基地建設、高江ヘリパット建設が全国からの機動隊の動員=国家権力の暴力をもって強行されています。この国家権力の横暴に対し、沖縄県民はもとより全国各地で怒りをもって戦われていますが、ここ十勝・帯広に於いても沖縄県民と連帯し辺野古新基地、高江ヘリパット建設に反対する取り組みを続けています。戦争法に反対する街頭宣伝やデモ行進の中で辺野古新基地建設反対を訴え、高江の戦いのドキュメンタリーを緊急上映会やミニ集会を開いています。また、映画の自主上映会を行っている団体や平和を考える市民団体の有志で高江と連帯する帯広・十勝の会を結成し戦いへの支援を始めたり、国家権力の横暴に怒り個人で現地へ支援行動に行くなどしたり様々な動きも出ています。

12月8日には「とめよう改憲!十勝連絡会(労組・市民団体など17団体で構成)」の主催で「高江―森が泣いている2」の全国最初の上映会を開催し、映画を作成した藤本監督からの現地での戦いの報告が、また、十勝から不当逮捕者への激励・接見行動に行ってきた会の共同代表の弁護士からの報告がなされました。

藤本監督からは、現地では演習場内に入り身を挺して工事を阻止しようと戦っている状況や防衛施設局が2万5千本以上の木々を不当に伐採しブルドウザーで表土を?がしダンプカーの通る道路を造るなど世界遺産に指定できる貴重な自然豊かな「やんばるの森」を破壊している実態が明らかにされました。

また、弁護士からは、不当逮捕者が皆完全黙秘を貫き強い意志で頑張っていることや検察当局が現地の戦いに「辺野古基金」から資金が流れているかのように誘導したり、11月29日の不当逮捕の理由とされた今年1月のキャンプシュワブのゲート前でのブロック積みを「山城議長と共謀してやった」とでっち上げようとしたりしているなど接見で明らかにされた事実が詳しく報告されました。これらの報告から安倍政権が沖縄県民の思いを踏みにじるだけでなく、嘘、でっち上げをしてまで新基地建設阻止の戦いを潰そうとしているか明らかです。
まさに沖縄での戦いは、日本の平和闘争の最前線といっても過言ではありません。

十勝・帯広での反戦平和の戦いは戦後地区労を中心として取り組まれてきましたが、沖縄の課題は平和闘争の一課題としての位置付で、沖縄からの米軍撤去などのスローガンとして掲げられていました。しかし、沖縄の実態、沖縄の本当の苦しみを知らずに掲げられていたといえました。そのような中で沖縄の実態を知り、沖縄県民の怒りや苦しみを知る中から沖縄との連帯を追求し始めたのが5・15沖縄平和行進に地域として取り組み、参加するようになってからのことです。20年前に初めて地域の代表団を沖縄に送ってから、現地に行き、歩き、実態をつぶさに見、その歴史を学び知ることによって、沖縄県民と十勝での反戦平和の戦いを通じて連帯し、日本の平和を追求できるとの思いになってきたのです。以来、労働組合内でのカンパ活動を通じて旅費を捻出し、毎年青年を含めた代表団を送り続けてきました。

さらに沖縄の戦いと結びつきを強めたのは、十勝新得在住の映画監督藤本幸久氏を通じてのことです。藤本監督と地域との繋がりは、十勝での国労闘争に連帯する運動や監督が制作した韓国での反米闘争や米海兵隊のドキュメントの上映活動を共に行う中からでした。監督が沖縄現地で闘争のドキュメントを制作するようになってから、辺野古や高江で戦っている人たちと十勝との交流が始まったのです。ヘリ基地反対協の安次富共同代表や島袋文子おばぁ、現地で闘争の先頭に立つ佐々木弘文氏など何回も十勝に足を運んでいただき、様々な集会等で新基地建設反対闘争の報告を受け交流を深め、また、十勝からも辺野古のゲート前の座り込みや平和行進に参加し交流するなど連帯を強めてきました。

辺野古での一時休戦状況が続く中で、全国から動員された機動隊の暴力をもって高江ヘリパット建設が強行され、平和運動センターの山城議長や反対運動の中心的メンバーを不当に逮捕するなど、戦いは厳しい状況に置かれています。しかし、このことは新基地建設を強行している安倍政権が優位に立っていることを示すのではなく、抵抗闘争の前に焦りだし、なりふり構わず暴力を振るい始めた結果といえます。

今年は、安倍政権が御用化した司法の判決を盾に辺野古新基地建設を、更に暴力化して強行してくることは火を見るよりは明らかです。十勝に於いても街頭宣伝行動や上映会を細かく地域・職場で取り組むとともに、できる限り多くの有志を募り現地での戦いに参加し沖縄県民と共に戦う決意をしています。

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衆議院北海道7区(釧路・根室)の状況と市民運動

工藤和美(北海道・釧路市)

昨年4月の北海道5区(石狩・千歳・恵庭・北広島・江別・札幌市厚別区など)衆議院補欠選挙では初の野党共闘が多くの市民の努力で実現した。結果は惜敗であったが7月の参議院選挙の4野党+市民の協働による11選挙区での勝利に結びつくことに貢献することが出来た。参議院北海道選挙区(定数:1増の3)では、自民1民進2となり複数区で唯一与野党が逆転した。安倍官邸と新党大地が全面的に支援し当初優勢とされた自民新人候補は予想に反して落選した。その要因としては、TPPを不安視する道民が多かったことと新党大地の鈴木貴子衆議院議員(当時民主党比例)が5区補選における「共産党との共闘反対」を名目に自民党支援に回り旧民主党から除名されたことがある。新党大地の鈴木父娘はこれまで主張していたTPP反対から賛成・補償推進に鞍替えし安倍官邸との繋がりを誇示したが、あまりの変節に自民党支持層に「大地アレルギー」が拡がった。参議選後、北海道ではこれまでの取り組みの経験と成果を、これからの闘いに引き継ぎ活かしていくために、「戦争させない北海道をつくる市民の会」と「安保法制の廃止と立憲主義の回復をめざす市民の会・北海道」を統合して、昨年8月27日に市民団体「戦争させない市民の風・北海道」(共同代表 川原茂雄 上田文雄 結城洋一郎)が結成された。

10月には市民の風・北海道事務局から「来るべき衆議院選挙において改憲など安倍政権の暴走にストップをかけ、民主主義を守らせるためには野党共闘と統一候補を樹立し勝ことが必要であり、そのための活動をスピードアップすることになりました。共同代表で北海道の12の小選挙区と比例ブロックで勝利するために、その地域の政党責任者に面会し野党共闘と統一候補を樹立の要請行うとともに…市民の風共同代表が参加する集会、座談会…を行うことにしました」との呼びかけがあり、11月9日に釧路市で-衆院道第7区(釧根)でも野党統一候補の実現を!-目指して「憲法をいかそう!安保関連法廃止!を求める市民の集い」が開催された(約50名参加)。翌日には野党各支部への要請活動を戦争させない市民の風・北海道共同代表の結城洋一郎さん(小樽商科大学名誉教授)と「戦争させない・9条壊すな!釧路行動実行委員会」のメンバー4人で行った。民進党第7区総支部は「独自候補を検討中で統一候補を考える余裕がない」とし共産党釧根地区委員会は「候補を擁立するが、その後でも統一候補実現に向けて話し合いたい」とした。社民党釧根支部連合と新社会党釧路支部は、野党統一候補一本化に積極的に協力すると応じた。

北海道東部に位置する衆院道第7区(釧根)における先の参議選での投票結果をみると、自民2候補の合計得票数6.9万票(内訳:自民党+公明党+新党大地など)に対し野党側は民進2候補5.2万票、共産党候補は1.4万票で合計は6.6万票で及ばない。しかし釧根地域の人口はピークから10万人以上減少し31.7万人(2015年末)となり過疎化が続いている。更にJR北海道は11月に路線全体の約半分にあたる計10路線13区間について単独で維持することが困難だと発表した。1987年のJR発足当初から面積で九州の2倍、人口で4割ほどの北海道での民営化は困難と指摘されていたがその破綻が露わになった。地元でも釧網線(釧路~網走)と花咲線(釧路~根室)が対象となり地域の衰退に繋がるとして沿線自治体・住民の反発が強まっている。この地域の基幹産業である農業とりわけ酪農業ではTPPや日米二国間協議によって壊滅的打撃を受けることが懸念されている。釧路管内のある農協組合長は地元紙=釧路新聞(12/9付)で「BSの『ガイアの夜明け』というテレビ番組でバター不足は農協(ホクレン)の意図で行われている印象を受ける内容を放映されたことに対し、TPP反対を続けてきた農協系統の力を弱めようとする安倍政権の走狗のようなテレビ局の策略」と厳しく批判している。また参議選の釧根において、北海道新聞が出口調査で憲法改正について聞いた結果は反対が55.3%と過半数を占めていた。ハードルは相当高いが野党統一候補が実現出来れば、次期衆院選挙で自民党候補に競り勝つ可能性は十分あると思われる。今後とも毎月19日の戦争法廃止!安倍政権退陣!釧路駅前行動を続けながら北海道各地の市民運動と協力して野党共闘+市民による野党統一候補擁立を目指していきたい。

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安倍政権の棄民政策を許さない「さようなら原発署名」~1万筆超えました

角田京子(茨城県・日立市)

「この間、南相馬に行って来たんです。兄がね、米作りをしてね。来年4月には、帰還しなくては食べて行けないってね。86歳なんですよ。避難していたんですが、避難解除で、もう、賠償金もストップされるから、暮らしを立てるためにね。何かね……大変でね。お米は兄夫婦が食べるためで、売れないのです。息子夫婦も孫も戻らず、いわきの方で暮らしているから、これも大変。何も応援してやれない。こっちはこっちで生活があってね。行ったらね、柿がいっぱい実っててね、たくさんもらってきました。干し柿にしたから、できたらあげますからね」

2011年3月11日の福島第一原発事故以来、避難生活を続けていたという、私の友人のお兄さん一家が、「避難解除」で戻らざるを得なくなった。賠償金が打ち切られる。しかし、高齢故に働く場所もない。息子たちは若いからまだ働き口はある。南相馬は放射能問題、インフラ問題など、本当に大丈夫なのか、疑心暗鬼の中で、生きるために残された道が、政府の方針にそった「帰還」という選択といえましょう。家族離散の道でもあります。

こうした問題は、具体的には「帰還」することになった人の分だけある問題です。

東京電力――国策って何なのでしょうか。事故を起こしても隠し続けた問題、バレても責任を回避し、しかたなく賠償金をだし、そうして今度は賠償金ストップのために、「帰還」させていく、これって「棄民政策」ではないでしょうか。

原発推進も、南スーダン、年金、TPPも、オリンピックも、カジノも、みな関連のあるカネノミクス、経済のためなら何でもやるよという安倍政権の「地球儀を俯瞰する悪事」ではありませんか。

「真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」
田中正造の日記ですが、これを政策の骨子に掲げられる政権の来たらんことを!

2011年3月の福島第一原発事故以来、日本は悲鳴をあげているようです。
この年の5月、「さようなら原発1000万署名」の呼びかけがあり、これならできそうだと思い、この年の7月9日(土)から、日立駅頭での署名活動を開始しました。日立は「原発城下町」とやゆ?されている地で、日立製作所のおかげで立っている町でもあるようです。駅前のロータリーには、大きなタービンがモニュメントとして置かれている所です。そこで「原発さようなら」の署名活動ですから、まさに「アウェイ」です。

署名の呼びかけは地声だけでして、がんばって呼びかけを続けました。なかなか署名してくれる人はいませんでした。歌手とか、女優とかの有名人や、権力者にはすぐ応じていくのかも知れませんが、こちらは名もない市井の「マッチ売りのお婆」、なかなか困難ではありました。

しかし、毎週立ち続け、呼びかけ続けてわかったことは、署名する人がゼロの日はないということです。
「原発、困りますよね。福島の事故、どうなってんの?」
「こういうことしてくれてありがとう」
「私はできないですが、応援はしています」と言って、そっと差し出すお茶。飴を手に握らせてくれる人までいて。
「電車に間に合わないので、今度ね」とか。無視するように、避けるように通過する人、わざわざ後ろを通る人とかもいて。
「オレ、推進!」と耳元で、ザマミロとでもいうように声を発する「親父」諸氏。

署名する人、しない人、いろいろですが、事故、酷さ買うによって、人生を翻弄されている、この社会の中で、「自分で考え、署名する人」を一人でも増やしていくことが、民主主義社会の基盤ではないかと考え、あきらめず、投げ出さず、活動を続けています。

2011年7月以降、2年2ヶ月くらい、1人で署名活動しつづけました。この間で、なんと2200筆くらい集まったのです。
「署名活動、一緒にやります」という人が現れて、2013年8月31日(土)から2人で。また増えて、3人、4人……と、8人までも増えていったのでした。通行人ははじめにパスしても、どこかで署名していたり。その後の協力者と集めた署名数は約3年間(2016年8月25日)で、なんと7800筆となり、合計10000筆達成となったのでした。

原発は、電気とお金はつくるけれど、あとは全部悪いことだらけです。署名活動で書かない人たちだって、電気やお金は好きでも、放射能、被ばく、避難生活は困るにちがいありません。「さようなら原発」の署名、10000筆は超えましたが、「命を優先する社会のために」心新たに再出発を開始しています。
楽しい活動、希望の活動、いまや「ホーム」の活動です。

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野党共闘と市民で頑張れば達成できる

金森耕一(埼玉県)

埼玉の参議院選挙は3人の複数区7人の立候補者で闘われました。結果として4大候補の得票数、率は(1)関口まさかず自民党(現)898,827票15%、(2)大野もとひろ民進党(現)676,828票11%、(3)西田まこと公明党(現)642,597票10%、(4)伊藤岳共産党(新)486,778票8%、全得票数は3,078,815で投票率53.39%、半数近くが棄権となりました。各候補の前回と今回の比較のび率では関口まさかず37%、大野もとひろ21%、西田まこと8%、伊藤岳134%の結果となりました。与野党の得票率を見ると自公57%、民共43%でした。

市民運動の間では自民党は強いので公明党を落選させ共産党を当選させる方針で取り組みました。DE―CO@埼玉(民主主義と立憲主義)市民有志や市民連合埼玉のグループは民進党、共産党、社民党、生活の党と山本太郎となかまたち、無所属こうだ邦子、新社会党、緑の党埼玉へ「要望書 2016年の参議院選 埼玉県選挙区における野党・無所属勢力の結集と統一の擁立を要望します」として、民進党、共産党の2議席を獲得するため擁立していただく要望書の提出と複数回の懇談会、円卓開催をしてきましたが、生活の党と山本太郎となかまたちが2候補の推薦を発表したのみで、野党共闘は広がりませんでした。市民の選挙運動では、「今度ばかりは共産党」、「選挙に行こう」、「野党は共闘」などの街宣や個別の呼びかけを行いました。大宮駅、浦和駅前の共産党伊藤岳候補者の応援演説は生活の党と山本太郎とその仲間達の小沢一郎代表や安保関連法制に反対するママの会@埼玉、SEALDs奥田愛基さんたちは「今度ばかりは共産党」に投票しようと呼びかけました。

参議院選が終わり、これをきっかけに各市民グループで取り組んだ総括を「お疲れ様会」として初めて会合を持ち、ネットワークを作ることになりました。参加したグループは憲法カフェ、選挙カフェ、トークカフェ、スタンディング、育児と社会問題、議員カフェ、投票率向上委員会、不思議なクニの憲法上映会などをとりくんできた多種な女性の多い集会となりました。DE-CO@埼玉から選挙の分析が出され、共産党伊藤岳候補は票が伸びなかったが前回と較べ134%の伸び率を得た。公明党は自民党から11万票を貰い辛うじて当選を果たした。複数区での野党共闘は難しかったが、良い教訓となった。また、これから行われる衆議院選では前回の野党の得票は15区中7区が接戦しており、野党共闘と市民で頑張れば達成できるのではないかとの呼びかけがありました。

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「政治の役割」を取り戻すために

大滝敏市(千葉県)

臨時国会を延長した途端に出てきた「カジノ解禁法案」。形ばかりの修正で「成立」。衆議院委員会での審議は、なんと6時間未満。それも持ち時間が余ったからと般若心経を唱えた自民党議員の質疑時間も含めてだ。

年金カット法の審議中には、安倍首相が「こんな議論を何時間やっても同じですよ」と発言。民進党の批判に「不適切ではない」との答弁書をその後閣議決定するおまけにつき。

特定秘密保護法、戦争法、等々で繰り返された問答無用の「強行採決」ここに至れり。

「立法府」をも破壊しながら暴走し続ける安倍政権。

改めて菅原文太さんが残した言葉を思い起こす。『政治の役割はふたつあります。一つは、国民を飢えさせないこと、安全な食べ物を食べさせること。もう一つは、これが最も大事です。絶対に戦争をしないこと』。

年金カットや医療制度改悪で高齢者を飢えさせ、TPPで食の安全を揺るがせ、南スーダン「新任務付与」派兵で戦争への突破口を開こうとする…「政治の役割」を放棄する安倍政権。

なんとしても安倍政権を打ち倒し、まっとうな「政治の役割」を取り戻すために私も微力を尽くしていきたい。

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「いのちと暮らし」を守る自治体政策の創造を

富山洋子(日本消費者連盟)

2016年は、戦争への道をひた走る安部政権の暴走を加速させてしまった年だった。遂に自衛隊の海外派兵を実現させてしまったことは、残念だとしか言いようがない。加えて、安部政権が強行している、沖縄の人々への仕打ちには怒りが込み上げてくる。

米軍普天間飛行場の移設計画に伴う名護市辺古野古の埋め立てを巡る裁判で、最高裁は12月20日、沖縄県敗訴の判決を出した。この判決により、翁長雄志知事による「辺野古の埋め立て承認取り消し」は違法だとした福岡高裁那覇支部の判決が確定した。三権分立の一画を担うべき裁判所も国家権力に追随しているのだ。

翁長知事は、20日夜開いた記者会見で、「米軍統治時代、苛烈を極めた米軍との自治権獲得闘争に粘り強く闘った県民は、日米両政府が辺野古新基地を断念するまで戦い抜くと信じている。私も県民と共に公約実現に向けて全力で取り組む」と表明。県民運動として建設阻止に臨む考えを表明した。

まさに知事・県民が一体となって国家に対峙する構えである。この構えは、日本国憲法の第8章・92条で表出されている「地方自治の本旨」を全うするための闘いである。

私たち主権者は、豊かな自然と人々の暮らしを破壊している高江での暴挙も見過ごしてはならない。沖縄の闘いは「地方自治の本旨」とは何かを、私たちに提起している。

私たち主権者は、地域の暮らしを拠点として「地方自治の本旨」を問うていきたい。

それは、憲法破りを企む国の暴走を阻止する力にも連なっていくに違いない。2003年に施行された「武力攻撃事態等における我が国の平和と独立並びに国民及び国民の安全を確保する法律」による「国民保護」の名の下に「緊急事態時」、つまり「戦争事態」への協力の強制も危惧される。今こそ「地方自治の本旨」に基づく行動が求められる。

だが、この本旨については、憲法にも地方自治法にも具体的記述がない。だからこそ私たち主権者は、それぞれの地域の人々の暮らしを拠点にした闘いの中で、その本旨を具体的に示していこうではないか。地域における一つひとつの闘いこそ、国の企みを阻止していく大きな力を生み出していくのではないか。私たち一人ひとりの「いのちと暮らし」を守る自治体の政策を創造していくための確かな道筋を、共に踏み固めていきたい。

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表現の自由を奪う権力の横暴を拒否していきたい!

山下治子(ふぇみん婦人民主クラブ)

沖縄・高江で基地反対派を排除するために、2016年7月22日、警視庁、大阪府、神奈川、千葉、愛知、福岡県から機動隊500名が高江に投入されたのはあっという間の出来事だった。警視庁へ市民団体が抗議したのも「派遣」後だった。どうしてこのように早く“ことが進む”のか。答えは簡単だった。

機動隊出動については、沖縄県公安委員会から6都府県公安委員会へ派遣要請、決定後6都府県警察から500名が沖縄県警へ派遣され高江へ投入された形になっている。問題は本来県警を管理する立場の公安委員会が、全くその機能を果たさず、機動隊要請の「起案」は県警であったと沖縄の新聞は報じている(9/8琉球新報)。沖縄県公安委員会は一度も会議を開催していないのである。そればかりか県公安委員会が派遣要請を出す前に、警察庁が7月11日付けで6都府県へ「派遣体制に万全を期すよう」文書を出していることが分かっている(9/11琉球新報)。

県外「援助」機動隊に関する公文書を入手した北上田毅さん(土木専門家、辺野古抗議船船長)は、「政府がやりたいことを県公安委員会が形式的に追認している」と厳しく批判している。9月、都内での沖縄関連の集会で三宅俊司弁護士は「今回、県警が主導して各公安委員に了承を取った。委員の1人でも責任が持てないと辞任してほしいがそうなっていない」と、「形骸化」した公安委員会の実態に触れた。沖縄県が議会の同意を得て公安委員を任命しているので、翁長知事が「忸怩たる思い」と語ったことと符合している。

公安委員会は本来、警察を戦前の特高のようにしないために自治体の警察を監督下に置き、政治的中立性を保証する使命があったはずである。とうの昔にお飾り的存在になったとは承知していたが、今回の顛末には改めて愕然とさせられた。警察が公安委員会の名前を使い好きなようにやる現状をマスコミが見て見ぬふりをするのは許されないと思う。

報道によると12月4日、初めて県の公安委員3名が、高江H地区を視察したという。これまで5か月近くの間、警察・機動隊が住民、抗議の市民たちに暴力の限りを行い負傷者、逮捕者が続出したあとの「視察」に腹立たしい思いである。自衛隊、県警、派遣機動隊等の違法行為は処罰されず、一方で現地抗議行動の中心的存在の山城博治さんをはじめ、相次ぐ不当逮捕、勾留が続いている。この政治的警察の動きは不気味なほどだ。

私は自分の不勉強を恥ずかしく思うが、つい最近まで2015年の警察法改正について知らなかった。名桜大学(沖縄県)の大城渡さんによれば、「特定の内閣の重要政策に関し、事務を助けることが警察の任務として位置付けられた」という。「政権と警察活動の癒着、悪用」に警鐘を鳴らしている。「国策の手段、道具とならないよう糾弾し続けなければならない」(11/7琉球新報)というくだりに共感する。何故かというと本土のマスコミはかなり前から市民運動に接近してくる警察、公安による集会の妨害について、ほとんど報じなくなっているからである。

先日(11月25日)、「止めよう!辺野古埋め立て」国会包囲実行委員会他の呼びかけで警察庁前の抗議行動がおこなわれた。「沖縄への派遣警察機動隊の撤退と、沖縄における警察官に順法指示を求める」申し入れであった。夕方集まったのは170人ほどであったが、僅かな幅の通路を挟んだ前面に、警察が隙間なく配置され威圧的なものであった。この日、4主催団体から4人が警察庁へ申し入れに行こうとしたが、警察はどうしても一人しか認めないという強圧的な対応で最後まで譲らなかった。

防衛省前では、2004年から「辺野古への基地建設を許さない実行委員会」が毎月の定例申し入れ行動をおこなっている。安倍政権になってからの大きな変化は右翼の妨害、ヘイトスピーチの始まりだった。実行委の呼びかけで毎回100人前後の参加者に対し、公安の数は以前より増え20人はいると思われる。二手に分かれ市民の列に至近距離でメモをとる公安に「離れてください」と何度か申し入れてきた。無視する人間もいるが、注意することの大切さを感じる。撮影する公安に厳重に抗議することもあった。面倒でもその都度抗議をしていかないと彼らの増長を許すことになるであろう。マスコミは来ることはないが、市民サイドの撮影者が増えることで権力側を監視することになり心強く思う。
過剰警備や公安に(気分はよくないが・・)臆することなく今年も意志表示を続けていきたい。

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危機感を共有する運動 積み重ねる

Qsan(東京)

2006年の第1次内閣の時から『戦後レジームからの脱却』などと胡散臭い発言を繰り返していた安倍晋三首相には、なんとなく不安な気持ちを抱いていました。それが13年10月に『特定秘密保護法』を閣議決定したことで不安が現実のものとなりました。

大学で歴史学を学んだ者として『特定秘密保護法』が戦前の『治安維持法』と同質の法律であり、これが成立すれば『市民の権利』が制約され戦前に逆戻りしてしまうという危機感を持ちました。しかし大学時代の『学園闘争』以後政治的なことから距離を置いてきた者としては、政治の方向に不安を感じつつも『自分に何ができるのだろう?』という問いに答えを見つけることができませんでした。

『自分も何かしようとしている』というアリバイ作りのために『秘密保護法反対』などというワードで検索をかけていると、官邸前や議員会館前で行われているいくつもの反対集会がヒットしました。『ちょっと行ってみようかな』と軽い気持ちで出かけて行って、その場に集まっている人たちの『この国の将来を思い、安倍政治に怒りをぶつける』真剣な気持ちに、自分の甘さは打ちのめされ『ここに自分の居場所が有るのかもしれない』と覚醒した気がしました。

その後むさぼるようにデモや集会・学習会などの情報を集めては参加しているうちに、菱山さんの呼びかけによる街頭宣伝に定期的に参加するようになり、今では『解釈で憲法9条を壊すな!実行委員会 街宣チーム』の一員として活動させていただくようになりました。行動拡散用のブックカバーの提案や街頭宣伝で使用するパネル類の工作など少しはお役に立てているのかなと思っています。

学生時代に『学園闘争』に参加し、神田や水道橋・お茶の水さらに『新宿西口地下広場』で圧倒的な機動隊の暴力的排除を受け、敗北と挫折を引きずってきた私が60歳を過ぎて思いもしない二つの『新しい街宣文化』に出会いました。

一つは菱山さんを中心に『街中民主主義』をスローガンに繰り広げられている街頭宣伝です。それは『紙芝居』や『街中お芝居』、やさしい言葉で問題点をわかりやすく解説している『チラシやリーフレット、パネル』『歌や演奏』。見ていて楽しい、『訴える』というよりは『伝える』ことを重視した『新しい街宣』です。歩行者が足を止めて紙芝居やお芝居を見ていく、パネルに書かれている内容を読んで写真に撮って行く、チラシを受け取り家に帰って読み返す。この街宣の様子がツイッターやフェイスブックで拡散されたことで『新しい街宣文化』が各地に広まり始めている予感がしています。

もう一つは、2014年7月から始まったイスラエルによるガザ地区への無差別空爆をきっかけに始められた『ガザに平和を!火曜定例会(「GAZA plus,世界に平和を!火曜定例会」に改称)』の『サイレントスタンディング』です。

これは『サイレント』が示すように参加者が思い思いのプラカードを掲げて『並んで・黙って・立っている』というスタイルです。私は初め『黙って立っているだけで効果はあるのか?』という疑問を持っていましたが、やってみると『黙って・立っている』ことの訴求力の強さに驚いています。変な言い方ですが『黙って・立っている』ことの異様さがかえって人目を引くのでしょう。何人もがプラカを眺めて通り過ぎて行きます。中には写真を撮ったり話しかけてくる人います。『黙っている』ことの力強さに驚きと可能性を感じています。

安倍政権は『集団的自衛権』の容認、『安全保障法制(戦争法)』『刑訴法改悪』などの強行採決を繰り返し、ついに『TPP条約と関連法案』を十分な審議もしないまま採決を強行しました。
TPPは中曽根内閣の『民活路線』『国鉄分割』に始まる『新自由主義路線』の総仕上げであり、国民を『規制緩和、自由競争』の名のもとに『1%の勝ち組』と『99%の負け組』に分断するものです。国民全体の物であるはずの『富』をごく少数の『1%組』によって独占し、『99%組』を労働力の提供階級として位置づけ、やがては『経済的徴兵制』の担い手として組織しようという政治的意図の終着点です。今後『99%組』の生活を守るために『新自由主義との闘い』を本格化させて行かなければならないと思っています。

2017年、安倍政権は『戦後レジームからの脱却』をさらに進めるために『共謀罪法』を皮切りに次々と強権的政治を進めて行こうとするでしょう。私たちは安倍政権の野望を食い止めるために『街頭宣伝』や仲間の製作する『チラシ』や『リーフレット』の配布を通じて多くの人たちと『危機感を共有する』ための行動を地道に積み重ねていくことが重要だと思います。これからも仲間とともに街中に出て活動する。それが私の2017年の行動目標です。

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希望を見つけたい

千葉利江(東京)

安倍首相は私たちが生きてきた時間を否定した

日本国憲法の平和主義、国民主権、基本的人権は義務教育で教えられました。戦争放棄の教えは、小・中・高校を通じて教員たちの自然な姿としてありました。素直に「憲法は国の最高法規」であると学びました。小学6年生の時に社会科の教科書で憲法の学習をした光景が浮かびます。中学校では体育館で「二十四の瞳」「ビルマの竪琴」の上映会。高校では英語で憲法前文を習ったこと、ベトナム戦争反対運動の映写会が記憶に残っています。成人してからも社会の出来事について生活や労働の場で考え、世の中の差別、不公平に憤り人間らしく生きる道を求めました。若い時にテレビで「人間の条件」や「私は貝になりたい」などを観て、軍隊の恐ろしさと戦争の不条理が心にしみこんでいます。

子どもの時代から育まれたアイデンティティーを安倍首相が「現行憲法は恥ずかしい」と言って汚したことは何より許し難いことです。

安保法制反対の闘いで私は鍛えられました

2014年「解釈で憲法9条壊すな!4・8大集会」の一日共闘の取り組みがスタートした時は「集団的自衛権の行使」の意味はまだ分かりませんでした。「市民連絡会」、「解釈で憲法9条壊すな!実行委員会」の討論で情勢を学び、国会状況を見通して様々な行動が配置され、「総がかり行動」を築き共同の闘いに広げた運動に参加してきました。「安倍政権に解釈で憲法9条が破壊され、戦争する国づくりが進んでいる」という弱さを悔やみますが、みんなが頑張っていることに励まされて私も自分ができることを考えて行動してきました。

「自民党改憲草案」を現わす人たち

「安保関連法案」が2015年5月に国会提出されて、成立させる過程とその前後には驚く発言が次々に飛び出しました。安倍政権の閣僚たちとそのブレーンの言動を繋げると、大日本帝国憲法の時代の軍国主義と八紘一宇の思想を蘇らせ、権利侵害と弾圧をいとわない言動は「自民党改憲草案」に通じていることがよくわかりました。決して、なかったことにしないように会報に残してください。(新聞記事や機関誌などから私が抜粋し、役職名は発言当時のものです)

◆北岡伸一さん(安保法制懇有識者懇談会座長代理)は、「憲法は最高法規ではない。上に道徳律や自然法がある」と発言。「集団的自衛権についての解釈を変える方法は、簡単である。誰か、法制局官僚でない政治家か有識者を法制局長官に任命し、(中略)国際関係が大きく変わったので、見直すこととすると宣言すればよい」と言った。

◆中谷元防衛大臣は、「安保関連法」についての国会答弁はしどろもどろ、説明は二転三転し防衛大臣としての責任感に欠けていた。一括法という安保法制の矛盾と無理が露呈した。

◆百田尚樹さんは、自民党若手議員による勉強会で「沖縄の2つの新聞社は絶対つぶさなあかん」と発言して、言論弾圧そのものの発想だと抗議を受けた。
この作家は、憲法改正の啓発映画DVD「世界は変わった。日本の憲法は?」の作成総指揮を執った。「その趣旨は、広く一般の人に憲法の問題点について知ってもらうために楽しく笑えて興味深く見られ、しっかり学べて『この憲法は何とかしなければいけない』という気持ちになれるような内容にしたいと思い作成した」と話し、2015年11月10日の「今こそ憲法改正を!一万人大会」では予告編が上映された。前年から始まった「1000万賛同者拡大」は約445万名、「国会議員賛同署名」は422名、「地方議会決議」は31都府県議会、「美しい日本の憲法をつくる国民の会」は全47都道府県に設立されたと報告されている。

◆菅義偉官房長官は2015年7月4日、百田さんの沖縄侮辱発言について翁長知事に「ご迷惑をかけて申し訳ない」と陳謝した。しかし菅官房長官こそ「辺野古移設が唯一の解決策」と言い、辺野古新基地建設のための埋め立て工事を「政府としては粛々と進める」と繰り返し、翁長知事は「上から目線の発言は沖縄県民を傷つけている」と対談で直接抗議した。

◆三原じゅん子議員の考えは、7月16日参議院予算委員会の質問で示された。「今日紹介したいのが、日本が建国以来大切にしてきた価値観、八紘一宇だ。(略)根本原理の中に現在のグローバル資本主義の中で、日本がどう立ち振る舞うべきかが示されている」、「八紘一宇の理念の下に(略)、そんな経済及び税の仕組みを運用していくことを確認する崇高な政治的合意文書のようなものを、安倍首相がイニシアチブを取って世界中に提案していくべきだと思う」と発言。

◆磯崎陽輔首相補佐官は、7月26日、地元・大分市の講演で集団的自衛権の行使を認める憲法解釈の変更について「法的安定性は関係ない。わが国を守るために必要な措置かどうかを気にしないといけない」と発言した。

◆麻生太郎副総理兼財務大臣は、7月29日都内での講演会で「ヒトラーはワイマール憲法という当時、ヨーロッパで最も進んだ憲法で出てきた」と指摘し、「ワイマール憲法はいつの間にか変わっていた。誰も気が付かない間に変わった。あの手口を学んだらどうか」と発言した。

◆谷垣禎一自民党幹事長は、11月17日記者会見で伊勢志摩サミットを理由に「テロ対策の一環として、殺人などの重大犯罪の謀議に加わっただけで処罰対象となる共謀罪を新設して国際社会と連携する必要がある」との認識を示した。

◆高市早苗総務相は、2016年2月8日衆院予算委員会で放送局の電波停止に関し「放送事業者が極端なことをして、行政指導しても全く改善しない場合、何の対応もしないとは約束できない」と答えた。放送局に電波停止命令を出す可能性についても「将来にわたり全くないとは言えない」と述べた。

◆石破茂議員は、元自民党幹事長時代に「週刊BS-TBS報道部」の憲法改正を問うというテーマの番組のなかで、9条改憲後には「軍法会議」の設置を力説した。「軍事法廷とは何か。すべて軍の規律を維持するためのものです」、「『これは国家の独立を守るためだ。出動せよ』と言われたときに、いや行くと死ぬかもしれないし、行きたくないなと思う人がいないという保証はどこにもない。だから(国防軍になったときに)それに従えと。従わなければ、その国における最高刑に死刑がある国なら死刑。無期懲役なら無期懲役。懲役三百年なら三百年。そんな目に遭うぐらいなら、出動命令に従おうっていう。人を信じないのかと言われるけど、やっぱり人間性の本質から目をそむけちゃいけない」と発言した。

◆稲田朋美現防衛大臣は、旧日本軍「慰安婦」や南京大虐殺、東京裁判を否定し、靖国神社への参拝を繰り返してきた経歴と、「在特会」や日本版ネオナチ団体の関係者とのつき合いが報じられたり、夫婦別性に反対、古い家族観への固執は安倍首相につながる。

2016年国会審議の中で、雑誌の対談での過去の発言について考えをただされ撤回を求められるなど追及された。9月30日、「長期的には日本独自の核保有を単なる議論や精神論ではなく国家戦略として検討すべきではないか」の発言。10月5日、「自分の国を自分で守ることを選ぶのか子ども手当を選ぶのか」、「子ども手当分を防衛費に回せば、軍事費の国際水準に近づく」と防衛費の倍増を訴えていた。10月11日、「教育体験のような形で若者全員に一度は自衛隊に触れてもらうのはどうか」発言など。

安倍さん、権力を私物化しないで

◆安倍首相の本音は「いのちは確かに大切である。しかし、時にはそれをなげうっても守らなければならない価値があるということを考えたことがあるだろうか」と述べていることにある(2006年『美しい国』文春新書、後に『新しい国』と改題)(内田雅敏弁護士報告文より)
首相就任時には「憲法改正は私のおじいさんの悲願であった」と話した。安倍首相の執念は、15年戦争における日本の過ちを体現した祖父の背を追い、世界から非難された日本の歴史を改ざんしたくて仕方ないのである。

祖父の故岸信介氏は1936年から満州国の運営に携わり、1941年に東条英機内閣の商工相に就任し開戦詔勅に捺印している。戦時中の軍需産業や物資調達を取り仕切った。敗戦後はA級戦犯容疑者として3年間、巣鴨拘置所に収監されたが起訴を免れ、1953年に衆院議員に当選し1957年には首相に就任した。1960年安保闘争では、練馬と朝霞から装甲車30輌と自衛隊を出動させる準備をしたが「自衛隊ができて10年が経ち国民の信頼を得つつあるのに、カービン銃でデモ隊を鎮圧すれば大変なことになる」との声を受け入れて断念したそうだ。

私ら庶民のおじいさんは「空襲から逃げるな」と防空法や隣組の縛りで逃げ遅れて犠牲となった人が多い。市民殺傷を目的とした米軍の空襲は敗戦の年3月10日から始まり、日本全国67都市へと広がり多くの非戦闘員が犠牲となり、傷害を負い、孤児がうまれた。2月の御前会議で近衛首相が「戦争終結」を進言したが「もう一旗あげてから」と決断を先送りにしたという。「あの時に戦争を止めてさえいてくれたら…」とどれほどの人たちが泣いてきたことか。

1954年の自衛隊発足に貢献したという理由で、日本空襲の米軍司令官カーチス・イー・ルメイに旭日大綬章を贈ったのは安倍首相の叔父にあたる佐藤栄作総理大臣。戦争の惨禍も庶民の嘆きも眼中にない安倍一族の自慢話は聞きたくない。常任理事国入りを果たして、おじいさんを超えるというその栄誉は見たくない。

「安保法制」で日本はすでに平和ではない

2015年10月防衛装備庁を発足させてから「戦争する国」の構築は、膨大な武器購入計画や大学への軍事研究助成の予算増額を図り「武器輸出で経済成長を」と政府主導で進められています。

辺野古新基地建設と高江の森ヘリパット工事の現場で起きている状況は、政府に異論を唱えることは非国民扱いを受け弾圧された時代に重なります。沖縄でオスプレイの事故が現実となっても、日米地位協定の不平等さについて国として本気で改めようとしないのは、日本が他国での活動において日米地位協定と同じような地位を得て権益を確保する意図があるようです。

膨大な防衛予算の捻出は、国民の年金カット、社会福祉を抑制、若者が自立できない社会、子どもの貧困や虐待、いじめの痛ましさ、インフラ整備置き去りで事故が頻発、格差を広げるTPPなど私たちの暮しと未来がしぼむ状況と一体にあります。福島第一原発の廃炉と事故処理費用は税金と利用者の電力料金で賄い、原子力発電を存続させる仕組みも新たに示されました。何が起きても「国民が容認してきたんだから」と責任を転嫁する政治の言い訳は裏切りです。私の老後は、仕事と子育ての両立が困難な長女の家庭を支えることや働いていない次女への援助と田舎の義父母への仕送りなどの出費が増えて、安倍政治で切実に苦しくなりました。

新たな年への希望を見つける

昨年7月の参議院選挙を前にして、安倍首相は消費税に関して「これまでのお約束とは異なる新しい判断だ」と言いました。約束を次々変節させて「新しい判断」という言い訳は何にでも通用します。12月、年金カット法案の強行採決では「私が述べたことを理解していただかないと何時間やっても一緒だ」と言い放ちました。

戦後に生まれた私たちは、何で日本はあんな愚かな戦争をやったのかと批判して、平和憲法を受け継いできました。愚かなことを繰り返す人間にはなりたくありません。自衛隊が同盟国と共同訓練を行い、紛争地で任務にあたるニュースや映像を日常的に観ていれば日本が戦争することに慣らされて、やがて日本国憲法と現実の矛盾を理由に憲法改悪の動きが強まるでしょうか。世界からは安倍政権の外交も内政もおかしいと見られていることが分かってきました。2017年は「武力で平和はつくれない」と努力している世界の人々に目を向けて、希望を見つけていきたいと思います。

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昨年をふり返り2017年におもう

竹腰 英樹(中野協同プロジェクト)

「私と憲法」177号に「2016年のはじまりに考えること」と題した拙稿を掲載いただいたのは2016年1月25日付けであった。基本的にはその問題意識は変わらない。問題意識・決意表明を書くとその二番煎じとなりかねないので、2016年に何をやってきたか手帳を見ながらざっと列挙すると、

1月 沖縄県宜野湾市長選挙 シムラ候補応援(177号記載)結果は残念。

2月 大分県日出生台へ。米海兵隊演習反対。日程チェックが甘く、前日に演習は終了していた。ああ。湯布院・日出生台の仲間と再会できたので良しとする。

3月 中野パレード、5・3憲法集会現地下見等

4月 2日間のみ、北海道5区池田まき氏応援。山本太郎参議院議員の応援学習会に参加した後、チラシ折り・千歳決起集会参加。翌日は近くで私が参加できる選挙関係の動きがなく、2000万人署名の街頭宣伝とポスティング。「自衛隊の街」千歳での人々の奮闘を垣間見る。選挙結果は惜敗だったが、「いけまき」と皆さんの奮闘が全国を励まし、野党共闘が波及した。

5月 5・3憲法集会 イベント広場PTのリーダーとして走りまわる。5万人参加はすごかった。

6月 元海兵隊・米軍属による女性暴行殺害事件に抗議し、海兵隊の撤退を求める沖縄県民集会に呼応する集会に参加。沖縄にも、どこにも基地と軍隊はいらない!!

7月 参議院選挙 山梨・栃木に1回ずつ。群馬には2回行き、チラシ折りこみ、選挙フェス。東京都知事選挙。鳥越氏残念。課題はいろいろある。

8月 巻町(現:新潟県新潟市西蒲区)原発住民投票20周年の展示と古民家でのシンポに参加。福島原発事故のことを考えつつ、人々の取り組みや権力の横暴さを見る。

9月 さよなら原発集会、残念ながら朝から大雨。今回は物販テントに参加。大赤字であった。「協同のテント」らしさをしっかり準備しなきゃ!

10月 新潟県知事選挙応援。米山隆一氏、大逆転!駅頭宣伝をしていても「米山さんに期日前投票したよ。」と何人もの人から言われた。普通こんなことあまりないと思うが、この人々の「熱」の結果だったのですね。30日には、南スーダン派兵反対の青森集会に参加。当日朝からテント設営等を手伝う。若手がアイデアを出し合いながら参画しているとのこと。

11月 中野で俵義文氏講演会。日本会議と安倍政権への鋭い指摘。参加者数はもう少し伸ばしたかった。

12月 8日には中野で恒例の12・8集会、10日には日比谷野音で沖縄集会。オスプレイは飛行中止せよ!!

という1年でした。その他、19日行動や総がかり実行委員会、平和憲法と歩む中野の会運営委員会などは皆勤でした。

 177号の文章の中で、「政策としての軍縮-そしてその先の軍備撤廃-と自治体の平和外交・平和行政についても考えていきたい。」と書いたが、この課題と、2017年は国際協同組合年(2012年)からちょうど5年なので、何かできないか考えている。総選挙は当面なさそうなので、夏の東京都議選が大きな山場となりそう。このことも重要な課題である。

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闘いを通じてつながりあう

池上 仁(神奈川)

3年余りの裁判闘争

12月15日、横浜地裁で横浜新人学校事務職員不当解雇裁判の最終弁論が行われ、結審しました。2012年4月、学校事務職員として採用されたSさんは、6ヶ月の条件附採用期間を延長された挙句2013年3月に分限免職処分=解雇されました。免職をちらつかせ退職強要を行う市教委に不安を抱いたSさんは所属していた教職員組合に相談しましたが、「弁護士の斡旋くらいしかできない」と言われ、神奈川県労働組合共闘会議(県共闘)の電話労働相談に訴えました。私の所属する学校事務職員労働組合神奈川は県共闘に加盟しているので、Sさんの件がすぐに伝わりました。直ちに本人と面談、組合に加入してもらって対市教委・校長交渉を行いましたが、免職処分の数日前のこと、処分をやめさせることはできませんでした。

2013年9月に解雇撤回を求めて提訴、以降10数回の口頭弁論、月1回の市庁舎前街頭宣伝、処分撤回を求める団体署名、公正判決を求める署名等々を行ってきました。現場の学校事務職員を中心に組合所属の垣根を超えた「Sさんの職場復帰を支える会」も作られ、独自の宣伝活動や裁判費用支援を行いました。県共闘を中心に支援の輪が広がり、毎回の裁判、傍聴席は支援者で埋められ、8月の2回の証人尋問そして今回の最終弁論では裁判所側がカラーコーンを並べて傍聴者整理を行い、他の裁判関係者が「何か大きな事件のようだね」とささやいていました。
これはいじめ・パワハラだ!

新採用の公務員が分限免職=解雇されることは滅多にあるものではありません。Sさん解雇の理由は勤務成績不良、能力がないというものです。

学校事務職員はやや特異な労働環境に置かれています。よほど大きな学校を除き大半は単数配置、職場に仕事を教えてくれる同僚はいません。上司である校長・副校長も学校事務の仕事を理解していません。証人尋問でも当時の校長は仕事内容についての質問にトンチンカンな受け答えをして失笑を買っていました。そんな環境の職場に新採用者は事前の研修もなく放り込まれます。広範囲にわたる学校事務の仕事を文字通り五里霧中、何が分らないかが分からない状態で処理しなくてはなりません。ちなみにSさんが採用された年の4月は勤務日20日間、うち2日間は入学式などの学校行事、初任者研修が7日間、実質的に仕事ができる日が11日間と被告側が認めています。ベテランでも休暇もとりにくい繁忙期にこれでまともな仕事ができるわけありません。ミスや思い込みによる仕事の遅延が生じるのはやむを得ません。

8月23日、証人尋問後市教委に向けデモ

しかし、市教委はこれを捉えて支援と称して学校事務経験のある職員を学校に送り込み、現場実態に合わない「適切な事務処理」を杓子定規に押し付けて却って仕事を煩雑にし、果ては「お前を殴りたい」などの暴言を浴びせ、1月2日に「仕事出ているか?」と電話するなどのパワハラ行為を行い、退職に追い込もうとしました。県下でも最も多忙とされ不満が鬱積している横浜の学校事務職員に対する見せしめ効果を狙ったのではないかと思います。判決は3月23日です。勝利を確信していますが、今の司法事情では必ずしも楽観できません。

闘いを通じて相互支援

裁判傍聴、街頭宣伝には多くの自身争議中の方が駆け付けてくれました。10年間継続任用されていたのに突然雇い止めされた横浜青葉郵便局のゆうメイト清水さんは、一審勝訴、高裁で勝利的和解を勝ち取り職場復帰を果たしました。勝利報告集会では「職場では気を使ってもらっている、楽しく働いている」と晴れ晴れしていました。6年にわたり原職復帰に向けて闘っているJAL争議団の毎月の横浜駅西口宣伝には私を含め組合員が参加しています。エイボン化粧品の解雇撤回闘争も勝利し、2名の組合員が復職を果たしました。

12月1日に証人尋問を傍聴した「神奈川県臨時職員労働災害訴訟」は、もう4年越しの裁判なのですが、最近になって知りました。全国的に学校現場では臨時職員が多く、神奈川県では教員の約13%、事務職員の約18%を占めます。組合でも臨時職員の労働条件改善を重要課題にしてきました。専門性を買われて林業職の臨時職員に任用された女性が、現場作業中に重傷を負ったが、公務災害補償請求に不誠実な対応を行われ、挙句雇い止めになったケースです。10日の無給療養休暇(今は3日間だけ有給化)の存在を知らないという管理職の証言に唖然としました。泣き寝入りをしない闘いは氷山の一角、背後には無数の類似事例が隠れています。

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「怒り」をそして行動へ

大村 忠嗣(長野県)

ついに沖縄でMV22オスプレイが落ちた。沖縄の島ぐるみの反対、全国の多くの市民の反対を押し切って配備されたオスプレイである。強行配備されてからの沖縄における訓練については、その実態が沖縄現地から様々に報告されているが事故は「起こるべくして起きた。」のである。

私の関わる信州沖縄塾でも、かねてからオスプレイの危険性がはっきり見て取れる映像の上映や学習会を繰り返し、沖縄へのMV22オスプレイ配備に反対する声を上げてきた。そして、最近(11月25日)では、地域の仲間とともに、米軍横田基地へCV22配備され、そのオスプレイの訓練空域にわが居住地域長野県東北信が含まれることから、「飛ばすなオスプレイ」と訴える行動をしたばかりである。

今回の事故によって、沖縄の住民に被害が出ず、米兵も2人が怪我をしたものの5人の乗員が無事であったのは不幸中の幸いではあるが、一つ間違えばまさに大惨事だったことは間違いない。稲田朋美防衛相は事故を受けて「コントロールを失った状況ではなく自発的に着水したと聞いている。墜落ではない。」と発言しているが、報道された写真は明らかな「墜落」を証明している。また、在沖米軍のニコルソン四軍調整官は事故が空中給油訓練の最中に起きたことを説明したというが、抗議に訪れた沖縄県の安慶田副知事に対して「パイロットは県民に被害を与えなかった。感謝されるべきだ。」とし、「なぜ、抗議に来たのか。」と激高したという。日米当局とも言語道断である。

この事故に対して、日米両政府は「不時着」と主張し、翁長沖縄県知事は「墜落と認識している」とし12月22日に予定されている「北部訓練場の返還式典の中止」も要請したという。当然のことだ。

これまで多くの運動に関わってこられた方々には全部周知のことだが、オスプレイという新型輸送機の事故が投げかけている問題を改めて見据えておきたいと思う。事故が起きたこと自体が大きな問題で、やはりオスプレイが欠陥機であることははっきりしているが、この事故は私たちに重要な問題を教えている。まず、完全な墜落事故を日米政府は「不時着」として事態を矮小化しようとしていること、事故現場は基地外の場所であるにも関わらず、米軍が規制線を張り、日本の警察が市民の側を向いて市民はもちろん報道も海上保安官さえ近づけない状況となっているということである。これは、2004年8月に起きた沖縄国際大学へのヘリ墜落時も同じく、破片が落ちた場所も含めて、突然その場所は米軍の管理区域となり、日本の法治が及ばない場所になったのだ。これが、日米地位協定の当然の結果であることは言うまでもないが、決して許されてよいことではない。

事故のことは、おそらく時間の経過と共に覆い隠され、原因もあいまいにされ、国民の耳目から遠ざけられてしまうだろう。それは、辺野古新基地建設や高江のヘリパット建設強行のためである。さらに、やがて行われるであろうCV22オスプレイの米軍横田基地への配備と夜間低空飛行訓練、千葉の木更津整備場計画、自衛隊へのオスプレイ導入計画を既定路線として押し進めるためである。

それならば、戦争に反対する市民はその一つひとつに反対して闘わなければならない。それは、民意を官憲の力で押しつぶして進める、あべ強権政治に反対する正当な闘いである。そして、すでにこれまで起きているオスプレイの事故が証明しているように、オスプレイという輸送ヘリが危険極まりないものであることを広範な人々の前に明らかにしていく闘いだからである。次の大惨事を防ぐための闘いである。

もう一つ、日米地位協定の本質の問題がある。アメリカ本国ではオスプレイが飛ぶことができない場所があるのに、日本では昼夜好き放題に飛んでいる。日本政府の説明では基地外でやれないことになっているオスプレイの転換モード操作が沖縄で平然と行われている事実、事故機は米軍の財産とされ、どこにあってもその場所も含めて米軍の管理区域になってしまうこと、日本の法律に基づく原因調査も出来ない理不尽なことが起きている事実、そのすべてが日米地位協定と日本政府の従属的な姿勢の問題である。

沖縄の負担軽減とか装備の更新を理由にして進められるオスプレイの全国展開は時間の問題かもしれないが、それは今沖縄で起きていることがやがて日本全体の問題になることを意味している。今、自然に恵まれた信州でも、戦闘機の夜間飛行訓練、大型軍用機や大型ヘリが上空を横切っていく状況が多くなっているが、それにオスプレイの夜間飛行訓練が加わることに不安を語る市民も増えている。

この一年、私は「戦争法廃止」「改憲反対」「原発再稼働反対」「辺野古新基地建設反対」「高江ヘリパット建設反対」「PKO駆けつけ警護反対」などに関わる行動に、時間とお金と体力が許す限り関わって声をあげてきたが、信州では毎月3日のスタンディングも19日行動も「戦争法」に反対するママたちの行動も  しっかりと毎週の金曜行動も続いている。

そんな中での1年の締めくくりの時期にきて、起こってしまったオスプレイの事故は皮肉ながら、湧き上がる「怒り」と共に新しい年も積極的に行動しなければという決意への起爆剤となった。2017年は平和のために闘う市民の正念場の年になるかもしれないが、知恵と勇気を動員し、大きな団結を勝ち取って乗り越えていきたいと思う。

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「いせ九条の会」かくたたかえり

松井高純(三重県・いせ)

はじめに

「いせ九条の会」は2004年8月に結成され、12年目を迎えた。毎月「いせ九タイムズ」を発行し、現在132号になる。発行部数は約280通。結成から12年が経ち活動家もその分年を重ねたが、まだまだ元気で頑張っている。中心メンバーは60代から80代になった。日本を二度と戦争する国にしてはならないと、憲法九条に対する熱い思いは全く衰えていない

(1)戦争法廃止を求める2000万署名の活動

『総がかり行動実行委員会』の提案があって、素早く動き出した。11月には、いせ九条の会・小俣九条の会・四郷九条の会・新婦人いせ支部・緑と海の合唱団・日本共産党伊勢市委員会・年金者組合いせ支部などと共に「戦争法廃止2000万署名の会いせ」を結成し、団地回りを中心に署名集めに取り組んだ。その後5月までほぼ毎週団地回りや、伊勢市駅前での署名集めを行った。1回の参加者は十数名、2人ずつ組になって各家をまわった。事前に裏に署名用紙を印刷した説明書を配布しておいた。だから、留守でも郵便受けに署名用紙が入れてあったり、玄関ドアにテープで張り付けてあったりした。雪の降る寒い日には、自分の毛糸の帽子をかぶせてくれる人もいた。あったかい心の交流がエネルギーをくれた。5月の集計では約5000筆ほどになっていた。次の参議院選挙の勝利につながることを祈った。

(2)市民と野党の共闘で参議院選挙での勝利

とうとう参議院選挙になった。三重県は野党共闘がなかなか進まなかった。最後から二番目に遅い県になったが、それでも市民と野党の共闘が成立し、民進党の芝博一さんが統一候補者になった。政党同士が直接政策協定を結ぶのではなく、「市民連合みえ」とそれぞれの政党が政策協定を結ぶ形だ。ブリッジ共闘というらしい。民進党と共産党が同じ集会で演説したが、初めはそれぞれ居心地悪そうであったが、市民連合の巧みな配慮によって、しだいに、いい雰囲気になってきた。「いせ九条の会」も、芝博一さんの当選のためにがんばった。

伊勢市で街頭宣伝する時には、プラカードをもって街宣車の周りを取り囲んで、声を張り上げた。三重県は岡田民進党代表の地盤とあって自民党は特に力を入れてきた。安倍首相はじめ重要閣僚を何人も三重県に送り込んだ。しかし、結果は自民党候補は敗北、野党共闘候補の芝さんが当選した。しかもこれまで負けていた伊勢市の票数で自民党候補の票数を上回ることができた。私たち市民が2000万署名などに取り組んできたことの成果が表れたのだと勝手に納得している。

(3)「市民連合いせ」設立

さあ今度は衆議院選挙だ。いつ解散されてもいいように、各区ごとの「市民連合」の立ち上げを急いだ。伊勢市は第5区だ。昨年12月3日に「市民連合いせ」を立ち上げた。呼びかけ人は110人に達した。「市民連合みえ」の森原康仁先生と岡歩美さん、国会議員の芝博一さんが参加してくれた。約60名が設立集会に参加した。芝さんの「次の総選挙で勝利して何としても改憲勢力三分の二を減らそう」と力強いあいさつがあった。芝さんは変わった。市民と野党の挙党は想像以上に効果がある。相手が市民だから裏切れない。この日で芝さんファンがまた増えた。

「市民連合いせ」は個人の参加を基本にしているので、「いせ九条の会」として加入はしていない。しかし、九条の会員は「市民連合いせ」の中でも中心的な役割を果たしている。

おわりに

1月21日には、「市民連合いせ」の主催で、ママの会発起人の西郷南海子さんを招いて講演会をやることにしている。「安倍総理よ。いつでも解散しろ。早い方がいい」そんな気持ちだ。いせ九条の会は、その時々に、必要な会を立ち上げ、変幻自在に活動してきた。戦争法を廃止し、憲法九条を本当の意味で守り抜くために、いせ九条の会は今後も行動し続ける。

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地域・職場から運動のすそ野を広げる努力の年に

松岡幹雄(@とめよう改憲!おおさかネットワーク事務局)

昨年の安保法制反対運動の中から大阪総がかり実行委員会が誕生し数多くの取り組みを行ってきた。また、府内の多くの地域で地域版総がかり運動もひろがった。現在は、具体的な取り組みごとに総がかり実行委員会をつくり活動している。最近では、11月19日の「19行動」を取り組み、また、12月10日には基地はいらない!沖縄連帯集会を沖縄から伊波洋一議員も招き開催し、4000名を超す市民・労働者が扇町公園に結集し、大阪市内をパレードも行っている。総がかりの枠組みは、それぞれの団体で様々な苦労や困難を乗り越えて継続されている。今年も5月3日の憲法記念日に大集会を準備している。大阪総がかりの集会や街頭宣伝には、4野党の代表が参加し決意の表明が行われている。そして、最後は、各党の代表者が手をつないで連帯のアピールを行うのが通例となっている。この流れは、今後も大事にしていきたい。

今回の12月10日の集会では、10月18日大阪府警の若い機動隊員によって侮蔑的に発せられた「土人」「シナ人」という差別発言を許さないというアピールが相次いだ。当然である。このことが徹底して批判され、是正されなければ、沖縄差別はさらに広がっていくからだ。集会では、「大阪府警はすぐに戻れ」のポテッカーを3000枚配布し、参加者全員でコールとともに一斉に空高く掲げた。

昨年末から解散風が吹き始めている。安倍は、自分の総裁任期の延長を最優先に考えているのだろう。安倍としても解散総選挙は相当なリスクをもたらすのだから慎重に判断しているはずだ。前回の参議院選挙では複数区で統一候補が擁立できず、とりわけ大阪では改憲政党に4議席奪われている。今回小選挙区選挙であるから統一候補を立てられるかどうかが最大の課題となっている。しかし、現状では統一候補づくりは進んでいない。相手がもたついているときにこちらがどれだけ準備ができるか、まさに時間とのたたかいでもある。この間、市民が主体となって選挙に関わる様々な取り組みも行われている。また、最近大阪府内の各小選挙区ごとに「市民連合」をつくる動きも始まっている。目下のところ政党間の調整作業に期待できないのだから市民が統一候補擁立を押し上げていく意外に方法はない。

そして、その小選挙区のひとつの地域である豊中のことを紹介したい。

大阪は、日本会議が活発に活動している地域だが、豊中市では最近2つのことが問題になっている。1つは、日本会議所属の自民党議員による市民運動への攻撃問題、2つは、瑞穂の国記念小学院開校問題である。日本会議による市民運動への攻撃は周到かつしつこい。彼らは4月にステップ(男女共同参画センター)での市民団体活動紹介コーナーへの掲示物が「公共施設が政権批判に使われている」と市議会で批判した。9月には、同様に別の施設での掲示物をめぐって「公共施設を使って市民団体が自民党改憲草案を批判している」と市議会で問題にしている。これに対して、豊中市の対応は、自民党議員の批判を一定かわしつつ、市民団体にも「一定のルールにもとづいて、その枠内で」といった対応で現在、行政と市民団体との話し合いが継続している。字数に限りがあり詳細な報告はできないが、私たちは、政治的表現の自由は、憲法で明確であり、公共的施設で時の政権の政策を批判できないとすれば中立性に名を借りた憲法違反であり容認できない。掲示物や内容に何ら違法性はなく問題に挙げられる理由はない、との立場で行政との話し合いを継続している。

2つ目の瑞穂の国記念小学院開校問題は、「軍国主義教育」の復活問題である。教育内容に「教育勅語」盛り込んでいる塚本幼稚園を経営する法人が豊中市の野田町に小学校を建設し4月から開校するというのだ。理事長の籠池氏は、日本会議の大阪代表、名誉校長は安倍昭恵というのであるから問題は根深い。敷地の購入金額も一切非公開にされており通常ではありえない国の対応が続いている。

いま、大阪では日本維新の会による平和施設や男女共同参画センターつぶしも行われており、教育、メディア支配が進んでいる。日本会議の蠢動とあいまって地域社会の右傾化と対峙することは避けて通れない課題となっている。11月26日に開催したとめ憲主催の秋の憲法集会は、ジャーナリスト青木理さんを講師にまねいて「安倍改憲と日本会議に抗して」をテーマに開催した。会場は、210名の市民の参加で熱気につつまれた。課題は、運動の金太郎飴状態を脱して運動のすそ野をどうひろげていくか、その点につきるだろう。今年は、職場や地域から仲間をもっと誘い運動のすそ野を広げていく年にしていきたい。

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2017年、広島、呉、そして岩国

新田秀樹(ピースリンク広島・呉・岩国 世話人)

2016年もあとわずかで終わろうとしている。昨年9月19日、多くの反対を押し切って安倍政権は安全保障関連法(=戦争法)を成立させ、今年3月に施行された。そして12月、「駆け付け警護」という武力行使を伴う新任務を付与された南スーダンPKO派遣部隊が活動を始めた。派遣されたのは青森の第9師団、このままではいずれ広島の第13旅団も参加することになるわけだ。

2014年7月1日、「集団的自衛権行使」という戦後一貫して維持してきた「専守防衛」を変え、さらに昨年4月、日米ガイドラインを改定し、自衛隊がいわば世界中で米軍と共同行動することが法整備も進まないうちに合意したわけだ。日米安保条約に明記された「極東の平和と安全の維持」という大義すら逸脱した内容だ。集団的自衛権行使容認、ガイドライン合意から安全保障関連法成立へと進む過程は、結論ありきで国会無視も甚だしい。この安保政策の大転換の中で多くの人々が反対の声を上げた。「9・19を忘れない」と今も街頭行動を続けている。

このような中で、2017年を迎える。「国際平和都市」を自称するヒロシマ、しかしその実態はどうなのだろうか。ヒロシマから選出された外務大臣、核兵器廃絶の最先頭に立ち旗を振らなくてはならない人物だが、みなさんもご承知の通りだ。そもそも本当に「国際平和都市」と名乗れるのか、私たちピースリンク広島・呉・岩国結成時の疑問であり、運動課題として活動を続けてきた。しかし、残念ながら国全体が大きく変わってきたことに比例し、さらに軍事強化の一途をたどっている。

運動のベースでもある呉、旧海軍鎮守府から海上自衛隊呉地方総監部の街ではあるが今も昔も「軍隊」と共に生きる街としてより一層色濃くしている。私たちが活動を始めたこの30年余の間だけでも、横須賀に次ぐ自衛隊の拠点として強化の一途をたどっている。さらに「大和のふるさと」として官民一体となったキャンペーで街は「海軍さん」グッズであふれるようになった。

実際呉基地の役割も重くなっている。海外派兵が当たり前のように行われる今、湾岸戦争の後始末として派兵された呉から掃海部隊派兵に始まり、PKO活動や様々な陸自派遣には巨大揚陸型輸送艦が随時派兵される。そして、アフガン戦争で米艦船などに燃料供給した補給艦。今もソマリアには順次護衛艦を派遣している。今や呉基地は海外派兵にはなくてはならない総合基地と化している。

さらに2017年3月、自衛隊最大のヘリ搭載型護衛艦(ヘリ空母)「いずも」の2番艦「かが」が呉基地に配備される可能性がある。現在配備されている「いせ」よりも一回り大きい全長250mもあり、かつての旧海軍の航空母艦よりも大きい。呉基地全体でも配備の数こそ変わらないが、艦船の大型化は著しい。

もう一つのとりわけ大きな問題が、米軍岩国航空基地の存在だ。この原稿を書いている最中、沖縄辺野古に近く、陸地から80mの海岸にオスプレイが墜落した。事故原因はいまだはっきりはしていないが、一週間もたたないうちに飛行を再開した。到底許されない事だ。米軍は軍の論理で動き、ただの広報部と化している防衛省は機体に問題はないと追随するだけだ。ここでは詳しくは説明しないが、「空中給油機が起こす乱気流に巻き込まれ機体が不安定になり、給油ホースでプロペラを破損」等と説明しているが、これこそがオスプレイの欠陥の所以なのだ。このオスプレイは岩国基地を拠点に全国で訓練飛行を行う。遠い南の島の問題ではなく私たち自身の問題であることを自覚しなければならない。

2017年は岩国基地の歴史の中でも大きな転換点になる。原子力空母ロナルド・レーガンの艦載機の移駐は「2017年をめどに」とされ、そのため工事が急ピッチで行われている。海兵隊航空基地から海軍共用の基地となり、その意味は大きい。イラク、アフガン戦争でほぼ半数の空爆を行ったのが、当時横須賀を母校としていた空母キティホークの艦載機であり、戦争に最も近い、しかも米軍事戦略の中心となる部隊がやって来る。

くわえて、年明け早々には海兵隊の最新鋭ステルス戦闘機F35B戦闘機が配備される。岩国市政はいずれも容認の構えで、市民の不安はもとより、周辺自治体の声なども聞かず、国べったりのありさまだ。さすがに安倍ファミリーのふるさとだけのこともある。

ピースリンクでは2017年を重要な年ととらえ、取り組みを進めていきたい。とりわけ現在の安保法制の中、自衛隊員、家族の不安は根強い。昨年も行ってきた呉での街宣活動でも反応はまずまずだ。岩国の取り組みは周辺自治体や低空飛行訓練で不安を抱える自治体や住民との連携も必要になる。また、国の一方的な押し付けの中で怒る沖縄の人々との連携も欠かせないだろう。いくら安倍政権が強硬姿勢を見せてもまだ九条は生きている。私たちの力は限られているが、精いっぱいやるしかない。

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