私と憲法187号(2016年11月25日号)


ホントに民主的?! 国民投票法の落とし穴

これは11月6日、東京・杉並区の市民グループ「自由と平和のために行動する議員と市民の会」の主催する「国民投票法」についての学習会に招かれ、弁護士の三浦佑哉さんの質問に答えてお話しした内容を、高田の責任で大幅に要約したものです。(高田健)

2007年に国会で強行採決され、2014年6月に修正可決されたこの法律を、マスメディアは「国民投票法」といいますが、実はこの法律の名称は「国民投票法」ではなく、正式には「日本国憲法改正手続きに関する法律(改憲手続き法)」というのです。「国民投票」のためだけの法律ということではなくて、改憲の手続き全般について定めた法律です。

この法律は極めて危ない法律で、その危険性については、私たちの市民運動は2001年12月に全国の176団体253人の連名でアピールを出したり、その後、何度も声明を出したりしながら、運動をつくってきました(許すな!憲法改悪・市民連絡会のサイトの「声明」というカテゴリーを検索して下さい)。最近では2010年12月に173団体ほどで反対のアピールをしてきました。しかし、この「国民投票」というものに含まれる危険性については必ずしも運動圏でまだ十分には広まっていないように思っております。その意味で、今日、「ホントに民主的?! 国民投票法の落とし穴」という学習会が開かれることは大変ありがたいことです。

2000年から国会に憲法調査会が置かれましたが、それ以来、私たちはずっとそれを傍聴・監視してきました。

憲法96条の話が前置きですが、まず、第96条には「この憲法の改正は、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする」とありますね。憲法にはこの改憲の発議や、国民投票の具体的な実行の仕方など細部にわたっては書いてありません。

自民党は96条がある以上、最初から「国民投票法」があるべきで、それがつくられていないのは法的な瑕疵だとして、法の制定を急ぎましたが、私たちは「そうではない、世論が改憲を求めていないのだから改憲手続き法などいらない」と主張しました。2007年に採決されたときは自公案に附則や、18項目にわたる付帯決議を付けて採決されましたが、これには多くの問題がありました。

経過をたどりますと、1999年に憲法調査推進議員連盟(市民運動は「改憲議連」と呼称)というものがつくられ、2000年に憲法調査会ができ、2001年秋には改憲議連が国民投票法案というものをつくり、2005年には自公案ができました。これに対して、当時の民主党も対案をつくり、憲法調査特別委員会の中で、自民党と民主党の間でかなりの歩み寄りがおこなわれ、成立しそうになりました。これが壊れたのは安倍晋三首相(第1次安倍政権)のおかげです。彼が行政府の長であるにもかかわらず、改憲手続き法制定を急ぐべきだとか、自分の任期中に憲法9条を改憲する、だとか言ったために、当時の民主党の筆頭理事だった枝野幸男さんが「安倍首相は憲法がわかっていない。彼が首相にいる間は憲法で自民党と協議しない」と怒り、対立しました。やむなく自公は強行採決をしましたが、当時の民主党などが主張していた意見に配慮して、参議院で付帯決議を付けました。たとえば、附則には18歳投票権の検討とか、付帯決議では憲法以外の重要課題での国民投票の検討とか、最低投票率の検討とかです。民主党はこれでも賛成しませんでしたが、これだけの付帯決議を付けたこと自体がこの法律が如何に欠陥立法であったかを示すものです。

市民運動の側は、もともと改憲が民意でないのだから改憲手続き法はいらないという原則的立場を前提に以下のような多くの問題を指摘しました。この法律が(1)最低投票率が定められておらず、低投票率でも改憲が成立するおそれがあること(国民投票が成立するためには、100歩ゆずっても、過半数、ねがわくば3分の2が必要です)、(2)国会で改憲が発議されてから、国民投票までの期間が60日から180日と極めて短期間であり、有権者が熟議する期間が短すぎること(私たちは1年でも2年でも当然と主張)、(3)有権者を20歳に定めるのは憲法という未来に責任をもつ最高法規の成否に若者を加えないのは間違いであること(私たち市民運動は18歳どころか、義務教育終了年限が過ぎた人びとに付与して当然だと主張しました。後に18歳投票権で自民党や民主党が合意しました)、(4)在日韓国・朝鮮人など、定住外国人に投票権を付与しないのは誤りで、外国にはそうした例があること、(5)TVのCMなど、マスコミなどを使った国民投票の有料コマーシャルを原則、投票日の2週間前まで容認するのも間違いだ(当初案はこの制限すらなかった。年がら年中、有名タレントが私たちの明日のためにも改憲に賛成しましょうとか、あるいはこの2週間の制限期間でも、私は改憲に賛成ですと語りかける事は可能です。)、これでは資金力によって宣伝力が決まってしまい、圧倒的な宣伝力の前に、ゆがんだ国民投票が実施されかねない、テレビ・ラジオ・新聞などの有料コマーシャルは一切禁止すべきだ、⑥公務員や教育者の国民投票運動について、不当な制限が多すぎること、議員を選ぶ公選法と異なり、憲法の将来にわたる選択に際しては、地位利用などの禁止はやむをえないとして、もっと大幅に自由にするべきだ、⑥憲法が定める「この過半数」とは何か、分母は有権者総数なのか、あるいは投票総数なのか、自公案は有権者の意見を最も反映しない「有効投票の過半数」にされ、棄権、白紙、他事記載などは意見の表明と認めないことは正しくないこと、などなど、さまざまに主張しました。

これら指摘した点が変えられないままに、もし「国民投票」がおこなわれたら、その結果は民意を正しく反映するものとならずに、国民投票の発議者、議会の多数派、政府に極めて有利な結果を招くおそれがあります。

運動圏のなかには「9条国民投票」論や「原発国民投票」論などもあり、国民投票こそが民意をあらわすものだという国民投票の美化論があります。果たしてそうでしょうか。将来、憲法についての国民投票がおこなわれる場合、その発議は国会の多数派、政府与党によっておこなわれるでしょう。さらに与党の工作で一部野党がこれに加わる場合もあるでしょう。

しかし、国民投票の発議の内容や発議の時期などは、この与党が最も有利と判断するところでおこなわれます。国会法第68条の3では「憲法改正原案の発議に当たっては、内容において関連する事項ごとに区分して行うものとする」とされ、事項ごとに投票することになっています。そして憲法調査会の議論では、この「事項」は多くても数項目(3~5項目程度)までとされています。「関連する条項ごと」とは曖昧で、なにをもって「関連する」とするのか、わかりませんし、「戦争放棄」の9条が自民党改憲草案のように「安全保障」と一括りにされるかも知れません。またこれら発議する数項目が環境権と知る権利と合区解消と安全保障などとして、複数項目が一挙に個別に投票を求められるかもしれません。要するにこれらの制度設計は国会の多数派によってなされるのです。改憲派はこれらの「制度設計」を主導的にできるわけです。憲法国民投票というと「憲法9条を変えることに賛成か、反対か」という投票になると思う人が多いかも知れません。それなら9条改憲反対派が勝てそうだと思うかも知れません。しかし、そのような国民投票の制度設計で来ることはまずないでしょう。実際、憲法調査会の欧州視察団がEC加盟の国民投票を調査に行って、目の前で政府側が敗北した事実をみて、「国民投票というのは恐いものだ」という感想を述べたことがあります。日本でやる場合には改憲派はこれらの教訓をしっかり踏まえて、改憲派が勝てるやり方で国民投票の設計をしてくるでしょう。

まして、先に指摘したように、さまざまに民意を反映しにくい改憲手続き法であるわけです。改憲派は負けるとわかっている改憲発議は絶対にやりません。もし、国民投票で敗れれば、内閣の1つや2つは吹っ飛びます(むかし、宮澤義一自民党総裁が言った言葉)し、なによりも再度改憲国民投票を提起することが極めて困難になります。改憲派が勝てるために、もっとも有利な制度設計をして、時期を選んで改憲国民投票をしてくるわけです。

本日、資料としてお渡しした「通販生活」2016年秋号の「ちょっと待って、憲法改正国民投票」という記事は大事な特集だと思います。この記事では「9年前の07年4月に成立した憲法改正国民投票法には重大な欠陥があります。ゆえにこの欠陥が直されないかぎり、通販生活は憲法改正国民投票に反対します。その欠陥とは憲法改正国民投票法であいまいなままに放置されてしまった『民間団体によるテレビ意見広告』問題(です)」と指摘し、この問題に詳しい某国会議員の秘書の南部義典さんに「今の憲法改正国民投票法では、改正賛成ないし反対のテレビCMはお金があれば好きなだけ流せます。これって、とても不公平です」と指摘させています。これは本稿でもすでに指摘したとおり、大事な問題です。通販生活はテレビCMのプロであるだけに、優れた指摘です。この通販生活の記事は支持されていいと思います。ただし、この通販生活の記事では、「通販生活は以前から憲法9条国民投票はやるべきだと主張してきました」と言っているのは問題があります。すでに指摘したように現行改憲手続き法はテレビCMの問題に限らず、重要な問題点がたくさんある欠陥立法で、このままでは民意が正しく反映されにくい法律です。そして、国民投票の制度設計は誰が主導するかの問題を含めて、いま9条改定国民投票をすれば、9条の破壊を企てる改憲派を利するものになることは明らかです。

ですから、市民運動のほうから9条国民投票をしようと運動するのは間違いです。私たちのなすべきことは、いまの憲法を生かすための運動をすべきで、改憲派の改憲のねらいがどこにあるのかを暴露し、改憲手続き法がどんなに民意を反映しないまやかしのものであるかを暴露してたたかう必要があるわけです。

このたたかいを通じて、市民のなかで憲法問題の認識を深め、立憲主義についての認識を深め、民主主義的な自覚を高めておくことです。このことこそが、憲法問題の基本です。もとより、改憲派がいまの法律の下で、改憲国民投票をしかけてきたら、私たちはそれを迎え撃って、精一杯、改憲阻止のためにたたかうでしょう。悪法の「小選挙区制」のもとでも、私たちは選挙戦に参加して、そのもとで、全力をあげてたたかうわけですから。

ご質問があった、改憲のスケジュール観の話ですが、今度の臨時国会で10日と17日に衆院憲法審査会(結局TPPがらみで、17日と24日になりました)、参議院は16日ということになっています。次の通常国会からより本格的に憲法審査会が始まり、次第に改憲項目の絞り込みがはかられていくでしょう。安倍首相は各党が改憲原案の対案を出すべきだなどといっていますが、とんでもないことです。今後、自民党を中心に憲法審査会で改憲原案をつくっていくわけですが、2018年中くらいにはどこをどう変えるのか、どことどこを変えるのかについて原案をつくりたいようです。そうすると、最速で2019年前半くらいに国民投票という想定でしょう。安倍首相は2021年まで総裁任期を延長するわけですから、そしてオリンピックの前くらいに最初の改憲をやりたいということでしょう。そして、何回か、改憲国民投票を重ねて、最終的には憲法の全面改定、いまの自民党の憲法改正草案を実現したいということでしょう。

ですから、質問者の方の友人がおっしゃったように、最終的には有権者が国民投票で憲法についてきめられるということだから、すでに総がかり実行委員会の戦争法反対の署名は1580万筆あつめた、桜井よしこたちのは750万だから、かなりいけるという人もいるのですが、そう単純ではないということがおわかり頂けたでしょうか。

いま、安倍政権の壊憲の企てに反対している人びとに最も求められている闘いは、与党と改憲派が獲得した国会で改憲発議可能な議席数を打ち破ることです。安倍政権と与党が改憲に意気込んでいるのは、先の参院選で3分の2の議席をとったからですね。3分の2を割ったら改憲の発議はできません。ですから私たちの運動は、全国の地域や職場で市民運動を大きく盛り上げながら、間近に迫っているかも知れない総選挙で、改憲派に3分の2を獲得させない闘いを全力で進めることです。

先の参院選挙が示した「4野党と市民」の共同した闘いの威力を、次の総選挙でも再現し、強化することだと思います。単純に参院選や先の総選挙での野党4党の得票数を衆院の小選挙区に当てはめれば、与野党逆転できる選挙区が50も、60もありそうなことは多くのデータが示しています。次の衆院選での立憲野党陣営の1本化は、民進党が新執行部に変わったことなどの要因で、容易ではありませんが、市民連合をはじめ、全国の市民が奮闘すれば可能性は大きくあります。これこそ、いま安倍政権が企てる憲法改悪を阻止するための、もっとも現実的な道ではないかと思います。

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秋の憲法集会 駆けつけ警護閣議決定と憲法審査会再開の中で迎えた憲法公布70周年

小川良則(解釈で9条壊すな!実行委員会)

戦後民主主義の危機の中で迎えた70周年

昨年2015年から来年2017年にかけて、戦後70年・憲法公布70年・施行70年と3年にわたって「70周年イアー」が続くことになる。

20年前の「50周年イアー」を改めて振り返ってみると、過去の侵略と植民地支配に対する「謝罪と反省」という当然過ぎることが政治上の争点となり、これを曲がりなりにも盛り込んだ「戦後50年決議」に、当時はまだ新人議員だった安倍総理が抗議の欠席をしたことなどが思い出される。戦後補償を求める声が高まる一方で、それとせめぎ合うような形でポスト冷戦時代の日米安保「再定義」という二国間軍事同盟のグローバル化と、これを具体的に担保する「新ガイドライン」や米軍用地特措法の強行など日米軍事同盟の深化と強化が進んだ。憲法調査会(現在の憲法審査会の前身的存在)の設置を求める改憲議連が発足したのも憲法施行50周年の1997年のことであった。

それから20年。武器輸出や集団的自衛権の解禁など事態はより危機的状況にあることは繰り返し述べるまでもあるまい。こうした中で、私たちの側も全国の市民運動のネットワークを展望しつつ、これに対抗する動きを創り出してきた。その積み上げの上に生まれたのが「総がかり行動」であることはご存知のとおりである。

今年11月3日の憲法集会は「憲法公布70年」のタイトルを冠して「総がかり行動」の構成3団体の一つ「解釈で憲法9条を壊すな!実行委員会」の主催により開催された。水道橋の在日本韓国YMCAホールには参加者が続々と集まり、開場から程なくして満席となった。主催者挨拶の中で高田健さんは、今年の11月3日は各紙こぞって社説で憲法に言及していることを紹介し、その背景には日本会議等による「明治の日」制定(旧「明治節」の復活)の動きや憲法審査会の再開をはじめ、安倍内閣の下で進む憲法破壊の企みがあることを指摘し、安倍政権を打倒する運動を作り、「駆け付け警護」等の新たな任務の付与ではなく、自衛隊を南スーダンから引き揚げさせようと呼びかけた。

いま南スーダンでは

最初の講演は、その南スーダン情勢に詳しい千葉大学教授の栗田禎子さん。以下、その概略を要約する。

1)南北スーダンの分離も含む内戦の根底には植民地時代からの富の分配を巡る経済構造の歪みがあり、石油利権を巡る争いが問題をますますこじらせてしまった。周辺諸国も含む国際社会の仲介により成立した2015年8月の和平協定では、主流派が過半数は獲るが3分の2には届かない形で各勢力に閣僚ポストを配分するものであったが、現在起きているのは、これに反発した大統領派の挑発による権力闘争である。したがって、停戦合意と受入国政府の同意という「PKO5原則」は完全に崩壊しているし、主戦場は首都周辺とならざるを得ない。

2)南スーダンPKOは当初、南北スーダン分離後の停戦監視が主目的だったが、今や紛争当事者も紛争の性格も大きく変質してしまった。それなのに、政府は崩れ去った当初の構図のままでの説明しかしていないが、本来なら、現地が内戦状態に陥った時点で撤収すべきだった。もし現実に「駆けつけ警護」という事態が生じれば、少年兵をはじめ現地の人々に銃口を向けることになる。

3)そもそも日本のPKOは海外派兵の突破口という動機から始まった。国連や国際社会を持ち出すことで批判をかわそうというものだ。海外派兵を既成事実化し、武器使用の実績をつくることで憲法を破壊させてはならないし、本会議場の演壇から犠牲者への拍手を求め、社会と経済を軍事化させてはならない。

問われる立憲主義

次の講演は、憲法学者で東京大学教授の石川健治さんで、テーマは「立憲主義の破壊と『戦後』の終わり」。石川さんが学生時代のゼミの主任教官で昨年亡くなられた篠原一さんが1956年12月に雑誌『世界』に寄稿した「現代史の深さと重さ」を引用しつつ、その時代の枠組みの下に置かれている民衆にどう語りかけていくかという問題提起が印象的であった。その概略は以下のとおり。

1)ドイツの著名な法哲学者・ラートブルフ(1878-1949)によれば、法の理念とは法的安定性、合目的性、正義の3者から成り立っており、このうち、法秩序の連続性それ自体に固有の意味を見出そうというのが法的安定性である。これによって為政者が縛られることで、自衛官も含む末端の公務員や民衆が守られる一方、為政者の側には法の縛りから逃れようという動機が働く。

2)安倍内閣が発足直後の2013年に打ち出した96条先行改憲(改憲要件の緩和)のスローガンは「憲法を国民に取り戻す」だったが、憲法改正権者は議員ではなく主権者たる国民であるから、政治家が主権者に憲法の破壊をそそのかすという珍妙な論理構造になっている。これに失敗するや実質的な改憲を閣議決定で済ませたのは法的にはクーデターであり、安倍内閣の憲法に対する姿勢を示している。

3)クーデターによって成立した法も、いずれは法的安定性の対象となる。参院選の結果はそこに近づくものであったし、違憲訴訟で合憲判決が確定すればクーデターは完成したということになる。そうなれば「戦後の終わり」になるが、それを少しでも遠くへ追いやる努力を続けることが必要だ。

4)法の女神が天秤と剣を持った姿で描かれるのは、根底に「権利のための闘争」という精神があるためだ。その意味では立憲主義と平和主義は一定の緊張関係にあるが、両者は対立するものではなく補完し合っている面もある。権力の暴走にブレーキをかけるという立憲主義の精神は、ある意味でネガティブな発想だが、これが支持されるのは歴史的文脈の中で別の視点が持ち込まれ、それが原動力になることでポジティブなものに変化するためだ。戦後日本でその役割を果たしたのが平和主義だ。

5)自民党の改憲草案では「個人の尊重」が「人の尊重」に変えられている。これは国家と国民の関係を「全体と部分」からのみ捉えるものであり、自己完結的な「個」という視点が欠落している。最近話題の「一億総活躍」というのはまさにその発想であって、論理的に「個の圧殺」を排除するものではない。しかし、自己完結的な「個」の尊重がなければ「部分の利益」は「全体の利益」の前に軽く扱われてしまう。それが戦前の日本であり、戦後70年にわたり憲法を支えてきたのは個人の尊厳と平和主義だ。

6)敗戦による武装解除という現実を戦後日本は平和主義の理想として受け止めた。確かに国際政治の現実との間には距離があるが、現実主義者の側も極めて単純で観念的な前提に立っている。遠くを見据えた強靭なリアリズムを与えているのが憲法であり、現実主義からの批判にへこたれず平和主義を維持することが「戦後の終わり」を少しでも遠くするための重要なポイントになる。

映像とパフォーマンス

当日の集会は上記2つの講演のほか、9月に完成した「高江-森が泣いている」の一部が上映された。全国から集められた機動隊による市民の暴力的排除の記録である。このような強圧的な態度をとる権力側から「土人」なる差別的な暴言が飛び出したのは決して偶然でも突発的な事態でもない。

このほか、プレ企画として、解釈で憲法9条を壊すな実行委員会の街宣チームの皆さんによる街中芝居「どうなるの?日本国憲法」が披露された。素朴な問答形式の寸劇で私たちの立場を簡潔かつ明瞭に伝えている。

余話

この集会から間もない11月15日、政府は「駆け付け警護」等の新任務の追加を閣議決定した。曲がりなりにも「主要先進国」とか「経済大国」と呼ばれている日本が貧困の最大の当事者である少年兵に銃口を向けることになるかもしれない暴挙である。平日の早朝にもかかわらず官邸前に集まった350人の市民は満身の怒りを込めて抗議した。

これに先立つ10月30日には、今回の派兵の対象である第5普通科連隊(雪の八甲田で遭難した歩兵第5連隊を想起させる名称)のある青森で現地の皆さんと一緒に抗議集会を開いた。1250人が集まったこの集会では、自衛官のご家族の方もマイクを握ったが、既に紙数も尽きてきたので別稿に譲りたい。

その10月30日早朝、かつて軍国少女として日章旗の小旗を振って出征兵士を送った体験への反省から「無知であったことの罪」を負う者として平和を訴え続けてこられたキリスト者平和ネットの糸井玲子姉が天に召された。よくお話の中で述べられていた旧約聖書イザヤ書第2章の「剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする」の一節は、戦車や戦闘機を溶かした溶鉱炉の下から電車やトラックが出てくる「あたらしい憲法のはなし」の口絵にも通じるものがある。改めて謹んでお悔やみ申し上げるとともに、決して私たちの代で「戦後」を終わらせないという誓いを新たにしたい。

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自衛隊を南スーダンに送るな! いのちを守れ!青森集会」に参加して

中尾こずえ(市民連絡会会員)

10月30日、集会は青森駅前公園で開催された。青森駅に降り立つとあまりの寒さに驚いた(後で聞くと今年一番冷えた日との事)。集会前には、ブースの出店(寒いので豚汁は直ぐに売り切れた様子)や青森空襲紙芝居、歌、太鼓演奏などのイベントが開催された。共催団体は「戦争法廃止を求める青森県民ネットワーク」、「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」。力強い太鼓の演奏はどんよりとした空模様の下だが力がみなぎった。

13時30分、司会の菱山南帆子さんの元気な開会宣言で集会がスタート。初めに青森県九条の会共同代表の神田健策さんから「安倍政権は沖縄県辺野古・高江への基地建設を強行し、TPPに関しては国会批准へと動いている。安倍政権は長期政権を画策しているが、我々は参院選で東北6県のうち5県で勝利した経験がある。市民と野党の共闘で南スーダンの駆けつけ警護を許さず、いのちを守れ!の闘いを勝利させよう。」と主催者挨拶。

続いて、高田健さん(戦争させない・9条を壊すな!総がかり行動実行委員会共同代表)から南スーダン情勢の報告が行われた。「この集会に参加して、いよいよ、こういう時代になったのかなあという思いです。若い時代には想像することも無かった。戦後初めて、殺し殺されることが現実のものとなってきた。戦後のこの国の在り方を変質させた。南スーダンはもともと南北に別れ2010年には和平になったが、今、内戦が行われている。ジュバでは7月に戦死者270人にも及んだ戦闘があった。稲田防衛大臣は僅かな滞在時間のなかで『安定した状態』と言うが、同じその日に、政府軍によって殺された人がいるのにPKO5原則を破って出兵させるわけだ。戦車まで出ているのに『衝突』と言い、『武器の使用をしているだけ』だと言う。常任理事国になるために350人の命を差し出そうとしている。自衛隊は少年兵と戦うことになる。自衛隊は殺されてはならない。殺してはならない。いま、この声を全国で上げていこう。安倍内閣は諸悪の根源だ。野党4党と市民が結束して闘えば勝てるというこの間のたたかいの教訓がある。この結束の力で今度の衆院選で安倍内閣を倒そう。この道しかないのです」

次は各界からのスピーチです。

○升田世喜男さん(民進党衆議院議員)「憲法9条は守らなければならない。命がかかるとそこは戦場だ。安倍政治は命をないがしろにして前のめりに進めている。今日の寒さではなく暖かい明日を築くため共に闘おう。」

○高橋千鶴子さん(日本共産党衆議院議員)「寒いけれど心は燃えています。300人の死人が出ているのに『安定している』と言う。安定しているなら自衛官を返せばよい」

○三上武志さん(社民党青森県連代表)「国連によって近隣諸国の4000人の兵士の増派が強行された。日本政府の行っている派遣は日本の『プライド』のため戦地に行けと言っているようなものだ。これから青森市長選挙があり衆院選がある。野党共闘でたたかい勝利しよう。」

○ママの会@青森 「南スーダンでは生きる糧として銃をにぎっていると聞く。日本がやるべきことは南スーダンに行くことではない。命を奪ってはならない。いま、何よりの自信は自民党大国だった青森に新しい国会議員を誕生させたことだ」

○平和子さん(自衛隊員の家族)「日本の自衛隊は大災害が起これば一番先に駆けつけ救助にあたってくれる、日本の宝物のような存在。その宝物をわざわざ海外の紛争地域に送るなどという事はアメリカに操られた安倍政権の戦争利権に他ならないと思う。『母さん、心配しないでいいよ。僕クビになっちゃうから余計な事はしないで』と息子に言われたがようやくの思いで手紙を書いた。息子の命を全力で守ると決めた日々だが涙がこぼれる。息子一人が無事ならそれでいいとは思いません。このおかしな流れを早く終わらせ、笑顔でまたみんなに再会できるよう、これからも声を上げ続けます」

他に三沢市からもメッセージが紹介された。また、福岡の自衛官の息子さんをもつお父さんから「でたらめな認識で青森から南スーダンに送り出してはならない。世界で唯一の戦争被曝国なのに『核廃絶条約反対』とは何事だ、とんでもない。力を合わせよう」と怒りの声も届いた。野党共闘で勝利した田名部匡代参議院議員もかけつけて厳しく派遣反対を訴えた。

集会の最後に参加者全員で“ねぶたコール”を上げた。「戦争したがる政府はいらない!」「戦わないのが日本の誇り!」「駆けつけ警護は絶対反対!」「誰のこどもも殺させない」「ホントの平和は会話で実現!」「みんなの力で憲法守ろう」等々。

14時30分から約1時間、コールを上げながら市街地をデモ行進した。商店街では仕事の手を休めて店先に出て来てくれる市民もたくさんいました。リンゴ専門店が何件もある。しかも何と多彩なこと。さすが質、量ともに日本一を誇るリンゴ県なのだ!と感動。時おり雨に見舞われたりもしたが参加できて良かった。現実は厳しいけれど温かな雰囲気に包まれた良い集会でした。(参加者は1250人)

おまけ
一泊することが出来たので当夜はねぶたの店で呑み食べし、翌日は小さなひとり旅。市場や市街地を散策したあと青森県立郷土館に行ってみた。当館は1973年に「ふるさとの過去を語り現在を考え未来を展望する」施設として設置されたとある。テーマごとに8つの展示室が設けられていた。民族展示室では衣・食・住を中心に、北国の厳しい風土に生きてきた庶民の暮らしが紹介されていた。北国で生き抜くためか魔除けの人形や置物が目立った。茅で紡いだ刺し子の衣装は暖かく丈夫に作られていて紋様が実に美しい。歴史展示室では「北方世界のなかの青森」を、古代から現代までの地形や歴史の移り変わりを紹介していた。日本社会は単一民族ではない事を再確認する。自然展示室は青森県の大地の成り立ちや四季折々の美しい自然のなかで繰り広げられる動植物の姿を紹介している。考古展示も興味深かった。亀ヶ岡式土器の女性をかたどった土偶はとてもふくよかで美しい。そして、何ともユーモラス。

青森県立高校の男性教師は「自衛官志望は青森県が一番多い。バス代がないため13キロの通学路を自転車で通っている生徒もいる。経済的徴兵制ではないかと思います」と発言している。戦争に想定外はあり得ない。自衛隊にリスクを負わせてはならない。

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南スーダンPKOへの新たな任務付与に対する日弁連会長声明

南スーダンPKOへの新たな任務付与に対する日弁連会長声明

政府は、本年11月15日、国連南スーダン共和国ミッション(UNMISS)にPKOとして派遣されている自衛隊に対して、いわゆる駆け付け警護の任務を付与する閣議決定を行った。

政府の見解によれば、国連等及び我が国がPKOを実施することについて派遣先及びその紛争の相手方が同意し、しかも、その同意がPKOの実施期間を通じて安定的に維持されると認められる場合になされていれば、仮に駆け付け警護に伴い武器が使用されたとしても、国家又は国家に準ずる組織が相手方とならず、憲法第9条が禁止する「武力の行使」と評することはできないとされている。また、派遣継続を認められるためには、憲法第9条に合致した活動であることを担保するPKO参加5原則を満たしていることが必要とされる。

しかし、自衛隊が駐留しているジュバ市内において、政府軍と反政府勢力との間で大規模な戦闘が発生し、その際にNGO関係者を襲撃したのは政府軍であると報じられている状況の下、駆け付け警護の任務が付与され、その過程で武器が使用される事態が発生すれば、国家又は国家に準ずる組織が相手方となることも考えられるところであり、政府見解によっても、「武力の行使」に該当する可能性が出てくる。

また、反政府勢力の指導者である前副大統領は「7月に起きた戦闘で、和平合意と統一政権は崩壊した。」との考え方を表明している。そして、国連特別報告書が「停戦合意は崩壊している」と断じていることからすればPKO参加5原則が保たれているのか自体に疑問が呈されている状況にある。

当連合会は、上記の情勢にもかかわらず、現時点で自衛隊の南スーダンPKO派遣継続を前提として駆け付け警護の任務を付与する閣議決定がなされたことに懸念を表明する。あわせて、現地での駆け付け警護の実施に際しては、現地の情勢を見極めた上で、「武力の行使」にあたる危険を冒すことのないよう、慎重な対応を求める。

2016年(平成28年)11月17日
日本弁護士連合会  会長 中本 和洋

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第108回市民憲法講座 話し合うことが罪になる共謀罪新設法に反対しよう

角田富夫さん(盗聴法に反対する市民連絡会)

(編集部註)10月22日の講座で角田富夫さんが講演した内容を編集部の責任で要約したものです、要約の責任はすべて本誌編集部にあります。

思想・言論取締り法としての共謀罪

共謀罪はどういう法律なのか。これは、思想を処罰し言論を取り締まる法だというところに共謀罪の核心的な内容があると思います。2006年に共謀罪をめぐる攻防が最高のピークに達しましたが、そのときには共謀罪を制定できませんでした。

それから10年たって、あらためて浮上してきたわけです。その中でいわれていることは、共謀罪という名前を変えようということです。オリンピックを控えてテロ対策が必要だということで、政府・法務省は名前を変えて「テロ等組織犯罪準備罪」という名称で通そうということです。もうひとつは、共謀罪の適用の要件をいままでと変えようと、要件をふたつ出してきました。ひとつは対象を「団体」ではなく「組織的犯罪集団」に限定します。だから普通の市民団体とか労働組合とか政党などに適用される可能性はない、濫用する危険性はなくなりましたということです。つまり団体という定義ではなくて、織的犯罪集団に適用するといってきました。もうひとつは適用の要件です。いままで原案は、法律に違反する行為を話し合って合意する、犯罪の合意をもって処罰するといっていたわけです。それだけだと濫用されかねないという批判が強かった中で、犯罪の合意プラスそれを促進するような準備行為があった場合は適用するという要件に変えました。それは法案というかたちでは出ていませんけれども、政府が臨時国会に提出しようとした内容の核心だと考えています。テロ等組織準備罪――テロ対策といえば共謀罪にいままで批判的だった世論も沈静化するのではないかと考えたことは間違いありません。

今度は「テロ」「オリンピック」を口実に

共謀罪に対する反対運動の経過を見ますと、そもそも共謀とか陰謀と言われると、相当何か悪いことをやっているようなイメージなわけです。陰謀なんていうとどこか薄暗い部屋で数人が額を寄せ合って悪いことを計画しているようなイメージです。2003年に共謀罪が出てきたとき、これはちょっとやばいなと思ったのは「共謀罪」という名称でした。共謀は悪いことだというイメージがつきまとっていて、これはやばいな、どういうふうに運動をしていったらいいだろうかと考えました。そういう中で、共謀罪をどういうふうに表現しようかと意見を募集したことがありました。非常に貧乏な団体でしたが賞金付きで募集しました。評論家の佐高信さんたち何人かに見てもらって、どういうネーミングがいいか議論したんです。そのときは、法律に違反する行為を話し合う、そのことが罪に問われるということが共謀罪の核心だということで、市民運動的には「話し合うことが罪になる共謀罪に反対しよう」として、それ以降展開してきました。「話し合うことが罪になる」というのはそれなりにアピール力があったみたいで反対運動の中でも浸透してきた経過があります。いろいろな試みがされて共謀罪反対運動は展開され、結果として相当広範な反対運動の中で3度の廃案に追い込むことに成功しました。

そうした経験を踏まえて、政府はテロ等組織犯罪準備罪と共謀罪の名称を変えて通そうとしています。「テロ等」とつければなんでも通ってしまう、制定できると考えているとしたら大間違いではないかと思います。ひとことでいえば「テロの大安売り」じゃないか。共謀罪反対運動の中でも、これは日刊ゲンダイなどにも出ましたが、「冗談も言えない共謀罪」です。酒場で何人かで飲んでいて、あの上司は気にくわないからぶん殴ってやろうかという冗談でさえ共謀罪の対象になりかねない。それほど危険な中味だということで、浸透する過程がありました。そうしてみたときに共謀罪の危険性の本質を考えた場合、テロ等組織犯罪準備罪と名前を変えたとしても「冗談も言えないテロ等組織犯罪準備罪」となりかねない本質的問題性、弱点を持っています。

確かに2020年のオリンピック・パラリンピックを控えて、近づけば近づくほど多くの人々がオリンピックを成功させたい、オリンピックに反対するなんてとんでもないという雰囲気が出てくる可能性がすごくあります。今度のリオでのオリンピックでも夜遅くまで見ていた人が一定程度いました。やっぱり日本で、東京でオリンピックをやる。そのオリンピックを守るためにテロ対策は絶対必要なんだということで訴えた場合は、それなりの浸透力があるのは間違いないと思います。しかしオリンピックはスポーツの祭典、平和の祭典といわれています。あちらさんがオリンピックを利用してテロ対策のためにテロ等組織犯罪準備罪、共謀罪が必要だということに対して、これはオリンピックを利用・活用していろいろな治安法や共謀罪などをつくろうとする、とんでもない攻撃だということを真っ向からこちらが訴えていけば、切り結ぶことはできる、勝てる可能性はすごくあるたたかいだと考えています。この共謀罪反対運動がもっとも白熱したときは、小泉政権における自民党の圧倒的多数のもとでの攻防でした。そこでも我々は頑張って3度の廃案に追い込んだわけです。今度の安倍政権下における運動でも、本当に恐れず真っ向から切り結んでいけば勝てる可能性のあるたたかいではないかと思います。

今日は次の3点から共謀罪についてお話します。ひとつは共謀罪とは何かということです。第2に、今度政府が臨時国会に提出しようとした法案について、対象は組織的犯罪集団だ、まともな組合や市民運動団体、政党には適用されないから心配ありませんよといっているわけですが、はたして本当にそうなのだろうか。その点を条文の規定と戦後の団体規制の歴史からみていきたいと思います。この部分は結論的にいいますと「盗聴法に反対する市民連絡会」もそれから今日この講座を開いている「許すな!憲法改悪・市民連絡会」も、条文からは組織的犯罪集団というふうに読めるということです。原理的にはそういうふうに言える条文になっている。戦後の団体規制の歴史を見ると、そういう方向に向かって団体規制の法律を作り上げてきています。第3に、共謀罪は戦争法と一体の国内における市民監視・管理体制をつくりあげようとするものであることをおさえていきたいと思います。

3度の廃案に追い込んだ共謀罪反対運動

資料の中に「共謀罪反対運動の経過」があります。2003年3月に共謀罪等新設法案が出されました。正式には『犯罪の国際化及び組織下に対処するための刑法等の一部を改正する法律案』として提出されましたが、第157国会で廃案になりました。

2004年に出たサイバー犯罪条約に関連する国内法(コンピュータ監視法)、それもこの共謀罪等新設法案に組み込まれて出されてきます。名称は「犯罪の国際化及び組織化並びに情報処理の高度化に対処するための刑法等の一部を改正する法律案」ということで、情報処理の高度化ということが入ってきます。両方とも共謀罪は国連の越境組織的犯罪条約を日本も承認して、それに関連する法律をつくろうということで出されてきました。またコンピュータ監視法も、サイバー犯罪条約について国会が承認する流れの中でつくられてきました。そういうものですが、2005年の郵政民営化関連法案を巡る衆議院の解散で二度目の廃案になります。

2006年の第164国会では共謀罪が文字通り本格的な争点になって争われます。2回か3回くらい法務委員会で強行突破しようとしましたがその都度激しいやり合いになって、そうした中で原案では通過、成立できないということで4月21日に第一次修正案が出てきます。それでもダメだということで5月12日に自民党、公明党が第2次修正案を出してきます。それでも揉めに揉めて、自民党が「よし、強行採決だ」ということで踏み込もうとした。その段階での攻防は非常に激しい段階に入っていました。そうした中で小泉首相の依頼ではないかといわれていますけれども、河野議長が「共謀罪は国民の一大関心事になっている。強行採決は望ましくない」と、強行採決が見送られます。これで与党は強行採決が無理だということになって、次に何をやったか。5月初めくらいに民主党が改正案を出していました。その民主党案を与党が丸呑みしてしまいます。しかし、丸呑みした上であとでひっくり返せばいいということを言ったことがわかってしまってそれもはねられました。そういうことがあって、6月16日に第3次修正とも言われている与党修正試案が出てくるという経過をたどりました。それ以降、共謀罪等新設法案はまったく審議入りすることができなくなります。

さらに追い打ちをかけるように2006年の秋に政府与党は国連越境組織的犯罪条約を批准するためには、国会では承認したけれどもまだ批准していないし、国内関連法ができていないから批准できない。批准するために共謀罪新設法が必要だという話になった。ところが共謀罪を新設しなくても条約を批准できることが明らかになり、さらに政府与党は追い込まれていくという過程です。それ以降、2007年、2008年と審議がなく、2009年の衆議院解散で3度目の廃案になります。それ以降は法案として提出されていません。

2011年に共謀罪新設法からいわゆるコンピュータ監視法も一緒に出されていましたが、これだとコンピュータ監視法もできなくなってしまうということで、切り離してコンピュータ監視法だけ出して法律を制定させるという経過をたどります。それ以降も共謀罪関連の提案というのはまったくなく、今年の8月26日に朝日新聞で、政府が共謀罪の名前を変えて臨時国会に提出する方向だということが報道されました。ついに来たか、必ず来ると思っていたわけですよ。日弁連がただちに反対の声明を出す。僕ら市民団体も反対の院内集会とかいろいろな運動を開始するという中で、臨時国会での提出はやめることになりました。そして2016年9月26日に安倍首相が共謀罪は絶対必要だということで、来年の通常国会に提出する意向を示した。これが共謀罪の反対運動の経過になります。

共謀罪とは何か――現代版治安維持法を目指す

共謀罪とはなにか。一言でいえば、団体が何らかの反対運動などを実行する行為以前の、思想・表現行為の段階から取り締まるものだといっていいのではないかと思います。私は、やはり現代版治安維持法を目指すものといって間違いないだろうと思っています。共謀罪がつくられると「組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制に関する法律」(組織的犯罪処罰法)第6条の2に包摂されます。この組織的犯罪処罰法は、いままでは団体を人と資金から規制しよう、というものでした。団体のメンバーが何らかの犯罪を犯したら罪を重くすることとか、資金を徹底的に規制するところから団体を規制しようと考えられた法律です。この組織的犯罪処罰法に共謀罪を包摂することで、団体を人・資金からだけではなくて、思想・表現行為を取り締まることを内包します。そうした意味では、この共謀罪が組織的犯罪処罰法に加えられるということは、すごく重大な問題で、組織的犯罪対策法が変貌することです。

共謀罪ですが、共謀罪は思想・言論取締り法であり、日本の刑法体系を根本から覆すものです。人は何を考えようが、思うが自由であり、憲法で保障された権利でもあります。人は思想、信仰、信念などのゆえに処罰されないということが憲法で規定されています。戦前・戦中、人は思想のゆえに処罰されました。治安維持法は国体を変革すること、私有財産性を否認する目的をもって結社を組織し、団体をつくり、それに加入したものは処罰するということで、徹底的に弾圧され抑制されたわけです。その反省の上に立ち戦後の憲法は、憲法19条「思想及び良心の自由」、第20条「信教の自由、国の宗教活動の禁止」、憲法21条「集会・結社・表現の自由、検閲の禁止、通信の秘密」などで思想・言論・結社・表現の自由を保障しています。そして、僕はすごく重要だなと思っているのは、この思想・言論・結社・表現の自由についての条項にはあの悪名高き「公共の福祉に反しない限り」という文言はありません。入っていないわけです。これは戦後の憲法が、思想・表現の自由が非常に重要な位置を占めている証だと思います。

そうした点で自民党は、憲法改正草案で憲法21条2項に「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社すること」を認めないとする条項を設けています。これは結社の自由という、市民が団体をつくってアピールしていくことが憲法の体系の中ではすごく重要な位置を占めていて、それに対して自民党などが規制を加えることに踏み出した、ここを何とかしたいということだと思います。団体ということを聞いただけでもう嫌だと思う人、組合と聞くと自分とは合わないと思う人も結構世の中には多いわけです。しかし団体をつくること結社を組織すること、そして団体として表現し訴えること、多くの人に働きかけていくことが、戦後の憲法の中で重要な位置地を占めていると言うことです。そういう意味では共謀罪新設法は自民党憲法改正草案の先取りともいえるような中味を持っているのではないかと思います。

日本の刑法体系を根本から覆す

戦後の憲法体系を見ると日本の刑法は、思想・言論・表現行為を処罰はしないわけです。法律に違反する行為を行えば処罰することを原則としています。刑法は実際に人を殺す、強盗するなどの行為を行った場合、その行為を行った者を殺人罪、強盗罪で処罰します。それから刑法は犯罪の実現である既遂犯の処罰を原則とし、例外として犯罪に着手しながら目的を実現できなかった未遂犯を処罰しています。例えば人を殺そうとナイフで切りつけたが遂げられなかったようなことです。既遂犯、未遂犯の処罰ということがあって、未遂犯というのは少ないわけです。この未遂犯の規定は例外とされていますが、刑法のなかにはかなり広範に処罰の規定があります。

この既遂、未遂のほかに、刑法はごく例外的に予備、陰謀を処罰しています。予備罪は既遂、未遂以前の段階の、犯罪の実行の着手にいたらない、例えば殺人のために包丁を買う、下見をするという具体的な準備行為にあたります。陰謀罪は、観念的に予備より更に前の段階である法律に違反する行為を「話し合い合意」することです。因みに法務省は、共謀と陰謀の違いは、刑罰の重いものが陰謀でそうでないものを共謀と説明しています。既遂は罪の結果の発生、未遂は犯罪の実行の着手、予備は具体的な準備、共謀は犯罪の合意 ということになります。それゆえに、犯罪の実行の着手以前の段階の行為を処罰する予備、陰謀は対象を重大な犯罪に限定しています。

刑法でみると、刑法で規定されている罪は約160種類あり、そのうち約60の罪に未遂の規定が、予備、具体的な準備の規定は8つ、さらに陰謀になると少なくなって3つです。刑法の体系を見ると、実際に犯罪を行った既遂犯の処罰を原則としながら、例外的に未遂犯を処罰し、更に例外的に具体的な準備行為について、社会的に危険度の強い犯罪についてのみ予備、さらに例外的に「国家の存立」、「国家の基本的秩序の維持」などにかかわるような重大な犯罪について例外的に「陰謀」で処罰するという構造になっています。ところが、共謀罪新設法は、長期4年以上の処罰がある犯罪に適用され、その対象は法務省によれば2006年段階で619ありました。つまり共謀罪の犯罪対象が大きく増えるという異常な状態になります。この共謀罪を日本の法律の体系に設けることは、日本の法律体系を根本から壊すような内容を持っているということを見ておかなければいけないのではないかと思います。

共謀罪、陰謀罪などの適用の罪名

それでは共謀罪、陰謀罪などの適用の罪名を見てみます。私の方でとりあえず「国家の存立」とか「国の基本的秩序の維持」、「社会の秩序維持」と分けてみました。「国家の存立」などにかかわる罪名では、内乱罪、外患罪、私戦の罪などがはいります。国が存立するかどうか、外患の罪というのは外国の政府と連絡を取って政府を転覆しようとするものです。「国の基本的秩序の維持」などにかかわる罪名では破壊活動防止法、自衛隊法、国家公務員法、地方公務員法、秘密保護法などがあります。自衛隊法や国家公務員法、地方公務員法が入ってきますが、自衛隊法は上官の命令に反して部隊を指揮するとか自衛隊の中でストライキを起こすような行為、つまり軍隊の組織の中の秩序を乱すような行為について共謀したものが陰謀罪、共謀罪が適用されます。

「社会の秩序維持」などにかかわる罪名では、爆発物取締り罰則、モーターボート基本法、競馬法、軽犯罪法などがはいってきます。爆発物取締り罰則はわかりますけれども、なぜモーターボート基本法、競馬法、軽犯罪法などが入っているのか。要するに競馬などで、競馬に関わっている人間が共謀して「お前が負けろよ」というようなことを相談して確認して、後でばれたら暴動が起こりかねない。モーターボートとか競輪をしている人の心理を考えたら、儲けたいということですよね。その中で不正が行われていたとなったらとんでもない事態が起こりかねないということで、モーターボートとか競馬などにも共謀罪の罪名が入っているわけです。つまり共謀罪は、国の存立や基本的な秩序、社会秩序の維持という点で当局が重大だと思った犯罪にのみ限定されて適用されてきたわけです。

ここで国家公務員法とか地方公務員法が入っていますが、これは要するにストライキはダメですよ、争議行為を共謀したらダメですよ、煽ったら、扇動したらダメですよということに関わることです。国家の体系の中に組み込まれている公務員が共謀してストライキをするのは、そもそもストライキはできないことになっているんですが、そういうことを共謀することなんかとんでもない。ましてや自衛隊員が上官に反乱を起こして部隊を指揮するなんてとんでもないということで、国家の存立、内乱とか外患、それから社会秩序の維持に関わるようなことに限定されてきました。これは僕にいわせれば、くだらない政府は打倒しようと訴えたっていいじゃないか、計画したっていいじゃないか、実効行為に移さなければ。独裁国家を打倒するとか、政府の施策に大衆運動を起こして反対していこうとか、それは言論の領域であるならば、本来なら憲法との関係で自由なわけですよね。思想や言論の自由は保障されているわけですから。本来自由なはずなのに、重大であるがゆえに言論、思想を規制するということで重大犯罪のみに限定されてきた経過があると思っています。

長期4年以上の刑は600以上存在

陰謀罪、共謀罪は極めて重大な犯罪のみに適用されてきました。ところが今度の共謀罪新設法は、長期4年以上の刑が規定されている犯罪、法律名については「重大な犯罪」への適用からはずし、一律に、すべて適用するという中味です。そうすると、2006年の段階で野党が長期4年以上の刑が規定されている法律名、罪名を出せと法務省に言ったところ、5百数十の罪名を出しました。本当にこれだけなのかと言って調べさせたところ619でした。つまり法務省自身が、長期4年以上の刑が日本の中にどれだけあるのかということを掌握していなかったという、笑い話のようなことがあります。それが2006年だから10年前の話ですよ。10年たてばいろいろな法律ができます。長期4以上の刑はもっと増えている。このあいだ行った日弁連の集会では、いまは700くらいになっているのではないかといわれていました。

資料の表を見ていただければわかりますけれども、長期4年以上の刑に共謀罪を適用するということで法務省がこういう法律が適用するというものを出してきたものですが、これをみると知らない法律がいっぱいあります。別に政治目的を持った罪名だけじゃなくて、殺人罪から窃盗罪、逮捕監禁罪、はては道交法、政治資金規正法、政党助成法、相続税法、消費税法、下水道法とか、とにかくいろいろな罪名が出てきます。労働者派遣法とかあまり僕らが知らないような罪名が含まれている。

つまり長期4年以上の刑に一律共謀罪を適用するということは、いままで重大な犯罪のみに限定していたものを一般的な犯罪にまで、市民社会を規制するような法律にまで共謀罪の適用が拡大されていくことになるわけです。これはすごく重大な問題ではないですか。話し合うことは言論表現行為、思想表現行為です。話し合って法律に違反する行為を合意した。それは合意の段階である限りは思想、言論、表現の自由の領域です。いままでは国家の存立とか国家の基本的秩序、社会の秩序の維持に関わる重大な犯罪にだけに限定されてきた。それを解き放って一律に長期4年以上の刑に適用するということになった途端、要するに共謀をどうやって立証するのかということになります。

ある人たちが集まって話し合って合意するわけです。でも実行するわけではないから外には出ないわけです。殺人とか強盗を行えば外に表れます。ところが共謀の場合は話し合って確認するだけ、合意するだけです。そうすると共謀したという実証はどういうかたちでするのかという話になります。それは例えば、盗聴でその場で行われている会議の中味を確認する、もしくはその団体の中に協力者をつくってどういう話し合いが行われたかを確認する、ということになります。そうすると、僕らが住んでいる社会を捜査機関が隅々まで監視してとらえていくこと無しに共謀罪の実証なんてできるわけがないんですよ。共謀罪の対象犯罪を長期4年以上の刑に拡大するということは、どういう結果をもたらすのか。共謀の立証のためには、みんなが話し合って合意があったということを立証するためには、社会全体に捜査機関が目を向けて監視してとらえていくということでしかありません。共謀罪というのは、空恐ろしいというかすさまじい内容を持った、戦後の憲法や刑法の体系を覆すような内容を持った大攻撃だと考えていかなくてはならないと思います。

「合意」が犯罪行為、特徴は「中止」がない

共謀罪の特徴は何か。共謀罪は法律に違反する行為を話し合って合意する、確認する、そのことが罪になります。殺人罪の場合は殺人を犯したことが罪になる。共謀罪の場合は話し合って確認したことが罪になる。実行行為がまったく関係ない段階、共謀罪の犯罪行為というのは合意です。合意で始まり合意で終わるということです。共謀であるということは合意である。それが既遂犯です。共謀の犯罪というのは、合意です。何ら実行行為に移さなくてもいいんです。共謀罪の特徴はなにかというと、「中止」がありません。共謀罪には中止犯という規定がありません。殺人を犯そうと思ってナイフで襲いかかったけれどもやめたという場合、刑法には中止犯の規定があります。犯罪の実行に着手しても、自分たちの意思で中止したときには、その刑を減免または免除するというものです。ところが共謀罪には適用されません。共謀罪の場合は共謀したことが罪なんです。

例えばある団体で話し合って、「こういうことをやろう」、「あなたはこういうことをやって」と確認した。数日たって「やっぱりやめよう」ということになったら共謀は成立しないかといったら、成立するんですね。「合意した」ことが罪なんです。だから共謀には中止はありません。衆議院の法務委員会の質問で、ある会議でこういうことをやろうと確認した、その同じ会議の中で「やっぱり、この合意はやめよう」という話になった、この場合に共謀罪は成立するのかということです。法務省は「何とも言えない」、「ケースによっては成立する」と言っています。

こんなふうに共謀罪には未遂も中止もないんです。合意したらその合意は生き延びる。時効が成立するまでは共謀罪は生き残ります。いつでもその共謀で逮捕できるわけです。そうした意味で共謀罪はとんでもない内容だし、これほど人間を冒涜した法律はないと思います。そもそも、個人の中でもあいつをぶん殴ってやろうとか思うことは誰にもあることだと思います。でもやっぱりこれはまずいなとか色々考えるわけですね。人とか団体というのは、思ってやろうとしたことよりも中止したほうが多いかもしれません。共謀罪に中止がないということは人間を冒涜することです。人が実際に行動に移すかどうかわからない領域に法を持ち込み、処罰しようとする。とんでもないことだと見ていかなければいけないと思います。

官庁には適用されない

この共謀罪は市民団体や政党や労働組合やサークルなどに適用されるとして、官庁には適用されるのか。いま名古屋市長の河村たかしさんが国会議員だったとき、名古屋の拘置所か刑務所で受刑者が暴行を受けて、たぶん殺害されたと思います。そういう事件があったときに、これは明白に看守がこいつに焼きを入れてやろうということでやったわけです。そのことを河村議員が聞いたわけです。これは明らかに刑務所の中で、刑務所という組織の中のひとつの課の人間が合意してやった、この場合の共謀が成り立つのか。そうしたら「官庁は正当な活動をしています、だから官庁には共謀罪は適用されません」と。別の議員が、警察は組織的に裏金をつくっている、警察のトップに裏金が渡るわけです。これも共謀罪がつくられたら適用されるのかと聞いたところ、「警察はまっとうで正当な活動をしていますから適用されることはありません」ということです。これが政府、法務省の見解です。

破壊活動防止法という団体規制法、戦後治安維持法の再来と言われました。この破防法の場合は「政府の政策に反対する目的を持って~規制する」となっていますから、政府の政策は正当なものでそれに反対することは許さないということだから、破防法は官庁に適用されないということはわかります。しかし共謀罪の場合は組織的犯罪処罰法に適用されるわけですから、政府の政策に反対するということは何もありません。そうであるなら官庁にも適用されるのではないかと思いますが、「官庁は正当な活動をしていますから適用されない」という内容になっている。そういう意味では共謀罪というのは、本当に政府、法務省が勝手に解釈して自分の都合のいいように適用できるとんでもない法案だと思います。

準備行為というペテン

今回の法案について政府・法務省は、「テロ等組織犯罪準備罪」と名称をつけて、対象を「団体」から「組織的犯罪集団」にして、適用の要件を「犯罪の合意」だけではなく「犯罪実行のためにお金を集める」などの「準備行為」を加え、内容を変えたから、いろいろな団体に適用されるという世論の危惧はあたらないと言っているわけです。

この「準備行為」というのは、法律に違反する行為を話し合う、確認する「犯罪の合意」だけではなくて、犯罪の実行のためにお金を集めるなどの実行の準備も加えると言っています。この「準備行為」というのは予備行為よりもさら前の段階です。殺人であれば未遂があって、その具体的な準備である予備罪があるわけです。準備行為といわれているものはそれよりも更に前の段階です。ですから共謀しました、なんらかの確認、合意をしました、そのことのほかになんらかの行為、捜査機関がこれは犯罪の合意の実行に向けた準備をしているとわかるものがあれば、それでいいんだということです。

これは法務委員会でも議論になりました。ある人を殺そうとしてホテルに呼び出した。そのためにお金をおろした。そのお金をおろした行為は準備行為にあたるかということです。でもお金をおろすといっても、何に使うかはわからない。本当にその目的のために使うのか、それとも飲食のために使うのか。それを捜査機関が勝手に判断できるわけです。この準備行為というのは概念があいまいで、捜査機関がなんらかの行為があった場合、それは準備行為だと言いかねない、そう取られておかしくないような非常に「便利」なものですよね。山口組がふたつに分かれて、いま色々やっています。殺人準備罪というものがあって、どうやって殺人の意図があると確認したのかわかりませんけれども、敵対する組のメンバーの写真を撮っていた。それが殺人予備罪で、写真を撮っていたその組員が逮捕されました。予備という行為自身がとらえようによってはどうともとられかねないあいまいさがあります。共謀罪で言われている準備行為はそれ以前の段階なわけです。捜査機関がすごく勝手に判断できるものがこの準備行為だと思っていただければいいと思います。その上で今回は共謀罪の適用要件を「犯罪の合意」プラス「準備行為」としているから変なふうに適用されない、捜査機関が濫用できないから安心して下さいと言っている。

ところが共謀というのは法律に違反する行為を合意、確認することだ。それでは準備行為がない場合はどうするのかということですが、準備行為というのは処罰するための要件だと言っているわけです。合意があってプラス準備行為があれば、起訴して処罰できる、処罰する要件だということです。それは共謀があっての話です。共謀自身は犯罪の合意だから、共謀だけで逮捕令状を取って逮捕することは原理的に可能だと言っています。共謀で逮捕は可能だ。でも逮捕しても準備行為がないと処罰できないから起訴はできない。これは衆議院の法務委員会の議論の中でいわれています。

資料の中にありますが、「平成18年5月19日」の衆議院法務委員会で民主党の細川律夫委員の「共謀と必要な準備その他の行為、これで、逮捕の関連でお聞きをいたします。この間私が質問したときには、この共謀罪については、共謀だけで犯罪を構成するので、理論的には共謀だけで逮捕ができるけれども、処罰できないと。処罰できないから、つまり起訴できないんだから、現実的には逮捕することがないだろう、こういう答弁がございました。これでよろしゅうございますか。」という質問に対して、漆原良夫委員、公明党の国対委員長などもやった大物議員ですが、準備行為というのは「いわゆる処罰条件として設けたものでありまして、犯罪として処罰されるのは共謀自体であるというふうに考えております。したがって、共謀が行われたという嫌疑があるのであれば、犯罪が行われた嫌疑があるということになりますので、仮に、共謀行為はなされたものの犯罪の実行に必要な準備その他の行為は行われていない段階でありましても、法的には逮捕をすることは可能と考えられ、」と答えています。

共謀罪の核心は犯罪の合意であり確認だ。だから共謀があれば逮捕は可能ですよ。プラスの準備行為は処罰のための要件だからある意味では蛇足のようなものだ。しかしそれがないと起訴して共謀罪で刑罰を科すことはできませんといっているわけです。つまり共謀罪の本質的な中味は、準備行為がつけられたとしても基本的には変わらないと思います。共謀罪に準備行為が加えられたとしても何も本質的なものが変わるものではないということです。

現代版治安維持法としての組織的犯罪処罰法

私はこの組織犯罪処罰法に共謀罪新設法が加わるということによって、現代版治安維持法に変貌するだろうと常に考えているので、その問題について触れたいと思います。戦前は結社の自由がありませんでした。治安維持法で天皇制を変革したり、私有財産制を否認することは認められなかった。団体をつくれば、それに誘ったりしたら重罰を科されて徹底的に規制されてきました。その治安維持法は戦後廃止され、結社の自由は認められ、団体をつくることは自由になりました。政府は結社の自由を認めて、その団体が団体の活動として違法な行為を行えば規制するという方式をとってきたわけです。破壊活動防止法というのは、明白にそういう法律でした。これは条文を見ればわかります。破防法の特徴は、団体が「団体の活動として、暴力主義的破壊活動をおこない、更に反復して行動をおこす恐れがある場合は、団体の活動を制限したり、団体を解散させることができる」というものでした。破防法の制定をめぐっては、「治安維持法の再来」といわれて当時相当広範な反対運動がおこりました。その結果として手続き的にも相当縛りをかけられた。ですから破防法は「使いにくい」。何件か適用事件はありましたが、団体そのものに活動制限とか解散はなかったんです。個人に対する適用事件は何件かりましたが、団体そのものについてはなかったわけです。

ところが1995年のオウム真理教による地下鉄サリン事件が起こりました。あのときオウム真理教に対する団体解散に関する請求が行われました。何人もの人が死んで何人もの人がけがをして、身体に打撃をいまも負っている人がいる。そのオウム真理教に対する団体解散請求があったけれども、どこではねられたのか。団体活動の制限ということですから重大だということで、公安審査委員会という審査機関が設けられています。オウム真理教は団体解散するべきだ、こんな危険な団体はないということで、その公安審査委員会に公安調査庁が請求しました。しかし公安審査委員会は、そこで団体解散請求を斥けたわけです。どこで斥けたかというと、「反復性」です。捜査機関の取締りの結果追いつめられて、将来さらに繰り返して行う可能性は、もはやない、ということで斥けました。

破防法は「政治的な目的を持つ」というところもありますが、それについては宗教団体だとか色々あって、反復性がない、将来さらに繰り返し行う可能性がないということで斥けられる。これは政府、法務省にとって大打撃だった。地下鉄サリン事件を起こした団体でも破防法は適用できないのか。団体活動の規制、解散ということについては戦前の治安維持法による弾圧ということがあって、治安維持法によって戦争体制がどんどん進められてアジアへの侵略に入り込んだわけですよね。そうした意味では結社に対する、団体に対する規制については、憲法も戦後の世論も非常に厳格だったわけで、それが破防法にあらわれるわけです。

新たな団体規制の強まり

破防法は実際に適用が難しいという中で成立したのが1991年の暴力団対策法です。暴力団対策法はどういうところにポイントにおいてつくられたかというと、もちろん私も暴力団は好きじゃないですけれども、結社の自由との関係では相当問題のある法律だと思います。暴力団対策法が議論された核心は、破防法のような団体規制法はダメだ、破防法は使いにくい、もっと簡単に団体を規制できるようなものをつくる、ということで議論をされてつくられたものが暴力団対策法です。核心は使いやすい団体規制法に尽きるといっても過言ではないと思います。だいたいこういう法律をつくるときは有識者会議のようなものがつくられます。このとき検討会議に出ていた学者が、普段は検討会議で案を練ってつくるものだけれど、これは警察庁から案が出てきた、と言っています。つまり捜査機関が使いやすい団体規制法ということでつくったのが暴力団対策法でした。

その暴力団対策法は改正に次ぐ改正で、よくここまで改正するなというくらい改正していて、団体規制法としては行き着くところまで行き着いたかなというところまできています。団体は戦後憲法の結社の自由との関係で解散できない。暴力団なんか解散させてしまえばいいという意見もあったらしいですが、それは結社の自由との関係で大議論になるからできない。それならばどういう方向で締め付けていくのかというところからつくられているのが暴力団対策法です。

その面で、現在共謀罪がつくられると包摂されようとしているのが「組織的犯罪処罰法」です。特徴は、団体を人、金の側面からとらえ、そこを規制しようとした法律で、その点に際立った特徴があります。人の側面から言うと、団体を構成するメンバーが「団体の活動」として犯罪を組織的に行った場合、その犯罪にかかわった者の刑罰を通常より重く処罰するとしています。殺人の場合は組織的殺人罪など組織的○○罪、組織的○○未遂罪、組織的○○予備罪を設け、より罪を重くし、団体を規制しようというものです。この法律のもうひとつの特徴は資金対策として「犯罪収益等」の規定を設けていて、組織的規制よりもお金の没収にポイントに置いています。ここに共謀罪が包摂されるということになります。

団体とは、組織的犯罪集団とは

共謀罪がつくられるとこの組織犯罪処罰法の第6条2として加えられることになります。組織犯罪処罰法の第6条に「組織的な殺人の予備」というのがあります。この第6条の2項として共謀罪、例えば組織的殺人罪、組織的殺人未遂罪、組織的殺人予備罪とかが付け加えられることになります。共謀罪の犯罪の対象領域は600くらいになります。その前のところはそんなに多くないわけです。組織犯罪処罰法の犯罪収益のところにものすごい重点を置いてつくられています。組織的な規制のところはまだそれほどでもない。そこに共謀罪を持ってきて付け加えることによってこの法律ももっと変貌していくと思っています。

そこで問題はこの「組織的犯罪集団」についてですが、誰が組織的犯罪集団と認定するのかということです。条文を見ていただくと、今回の法案で第6条の2に入るのですが、「次の各号に掲げる罪に当たる行為で、組織的犯罪集団(その結合関係の起訴としての共同の目的が死刑若しくは無期若しくは長期四年以上の懲役若しくは禁固の刑が定められている罪又は別表第一(第一号を除く。)に掲げる罪を実行することにある団体。)」。こういう団体を「組織的犯罪集団」と言いますということです。これだけの規制しかない。

誰が組織的犯罪集団と認定するんですか。破壊活動防止法の場合には公安審査委員会という審査機関です。暴力団対策法の場合には指定暴力団と認定しますが、その認定をするのは公安委員会です。この共謀罪にいう組織的犯罪集団を誰が認定するのかというと、これしか書かれていないんです。「罪を実行する団体」と書いてありますけれども、自分達が罪を実行するなんていうはずがないじゃないですか。暴力団だって罪を実行するなんて言わない。オウム真理教だってそんなことは言っていません。自ら「何年以上の刑を実行することに目的を置いています」なんて謳う団体なんて、あるはずがないわけです。では誰が認定するのか、捜査機関しかないわけです。

反復性の規定がない

それと同時に重要なことは反復性の規定がありません。なぜ重要かというとこの「組織的犯罪対策法」の全体を貫くものは、第2条の団体定義では、「この法律において「団体」とは、共同の目的を有する多数人の継続的結合体であって、その目的又は意思を実現する行為の全部又は一部が組織(指揮命令に基づき、あらかじめ定められた任務の分担に従って構成員が一体として行動する人の結合体をいう。以下同じ。)により反復して行われるものをいう。」と書いてあります。つまり団体が反復して行うと規定しています。1回じゃなくて2回とか3回やる団体のことだということが反復性ということです。ところが2016年の規定では反復という言葉がありません。掲げる罪を実行することにある団体をいう、となっています。これはすごく重要なことです。ということは、ある犯罪を一度行った団体が、それで組織的犯罪集団になり得るということです。

事実、衆議院法務委員会の討論の中で、「適法な団体、正当な活動をやっている団体が組織的犯罪集団に変化することがあります。そういう前提です」といっています。第164国会衆議院法務委員会での議論ですが、稲田議員-現在の防衛大臣が「これに関連いたしまして、共同の目的が重大な犯罪等を実行することにあるという要件に加えて、過去に現に重大な犯罪等を実行したという活動実態を有することも要件とすべきであるという意見もあります。しかし、その点は修正案では要件にされていませんが、その理由についてお伺いいたします。」という質問に対して、同じ与党議員の早川議員が答えています。「国際組織犯罪防止条約は、共謀罪の対象となる犯罪について「組織的な犯罪集団が関与するもの」という要件をつけることを認めておりますけれども、この「組織的な犯罪集団」の定義というのは、「一又は二以上の重大な犯罪」「を行うことを目的として一体として行動するものをいう。」と規定されているところであります。過去に現に重大な犯罪等を実行したという活動実態を有することまでは要件とされておりません。」といっています。反復しなくてもいいんですよ、組織的犯罪集団というのは。一度やって又繰り返す、それが組織的犯罪集団だという規定になっていない。一度行っただけで組織的犯罪集団と認定できるということです。

そうすると誰が組織的犯罪集団と認定するかというと、捜査機関しかないわけです。規定に中に「反復する」という要件がない。ということは捜査機関がこの団体は一回何かをやったということで組織的犯罪集団として認定して、その上で共謀に関わることがあれば共謀容疑で摘発などができるということです。この組織的犯罪集団という規定は条文からいうと、僕らの「盗聴法に反対する市民連絡会」も、「許すな!憲法改悪・市民連絡会」の方々も、条文的には、原理的には組織的犯罪集団に認定されうる規定になっているととらえるべきだろう、とらえなくてはいけないと思います。現在の状況ではそうはならないでしょう、しかし状況が変化した場合はこの法律はそういう規定も含んでいるといってもおかしくない。そういう内容になっています。

共謀罪で組織的犯罪処罰法はどう変わるか

この共謀罪が組織的犯罪処罰法に包摂されるとどうなるか。組織的犯罪処罰法は長期4年以上の刑と規定しています。長期5年以上になると少なくなるんですが4年以上だと600を超えます。これが組織的犯罪処罰法6条の2というところにバーンと入るわけです。その前の組織的予備罪は具体的な準備行為で2つか3つしか罪名がない。組織的な○○未遂罪というのはちょっと増えましたけれども5つくらいしかない。組織的な殺人罪は10いくつくらいしかない。既遂が10いくつあって、未遂が5くらいで予備が2つくらいしかない。その次に共謀になると600とか700くらいの罪名になります。法律自体がすさまじいアンバランスになる。

その結果どうなるかというと、いずれこの組織的犯罪処罰法は大きく変えられる以外ない。組織的な共謀罪に見合うような、組織的○○罪がどんどん付け加えられるような方向に恐らく行くのではないか。またそのほかいろいろなところからもどんどん持ってきて、張り合わされるようなことになっていくと思います。この組織犯罪処罰法は共謀罪を自らの中に包摂することによって団体、人を、組織的○○罪、犯罪収益それから思想・言論、そういう段階から団体を取り締まっていく方向に向かってすさまじいばかりの変貌を遂げていくと思います。そうした意味で絶対にこの共謀罪をつくらせてはいけないし、組織的犯罪処罰法を現代版治安維持法に変貌・変化させるようなことには絶対に反対していかなければいけないと思います。

戦争法発動と監視・管理社会化の流れ

最後に、戦争法発動という中で日本は戦争のできる国内体制の確立にむけて大きく動き出しています。軍隊をアジアや世界に出すときには国内世論が統一されていないような軍隊はもちません。戦争するためには戦争できる国内体制づくりが絶対的なカギだと思います。ある元自衛官に聞きましたが、軍隊は国民が反対運動に立ち上がったときに銃を向けるということは、非常にきついものがある。それは国民を守るということで軍隊はつくられているから。しかし警察は違う。警察は秩序維持であり、秩序を守るためには秩序を乱すものは取り締まれる。軍隊は国民の大きな反対大運動の前に分裂する可能性を必ず持っている。しかし警察は違う。あれは秩序維持だから。警察が割れたことはあまりないといっていました。その通りだと思うんですね。

軍隊問題というのは国内における「挙国一致」的な世論形成が絶対不可欠です。そうした意味では戦争法発動ということの中で、国内における治安体制、市民監視・管理体制を強めていこうという動きが一挙に強まっています。その決定的な考えは、やはり共謀罪である。共謀罪は人が、団体が、実際に行動を起こす以前の言論、表現行為の段階から取り締まるわけです。実行以前の段階で取り締まって、予防的に抑えてしまうという法律的な行動になっている。全体として治安法は言論、表現行為の段階、実行行為以前の段階で取り締まれということでやってきています。

暴力団対策法もそうです。暴力的要求行為を取り締まることです。我々でいえば「運動のためにカンパ出してよ」と個人にいいます。暴力団が援助金を出してよという、それが要求行為なわけです。その暴力的要求行為を取り締まる。暴力的要求行為に対して中止命令を出して、従わなかったら逮捕するという行動になる。実際に犯罪を起こす、いまの刑法で規定されている実際の犯罪以前の要求行為の段階から取り締まって、徹底的におさえてしまう。これは功を奏していて、暴力団は追い詰められています。これだけ追い詰められてよく持っているなと思ってみているんですが。全体として団体、人の活動を予防的に規制する、実行行為以前の段階から徹底的に取り締まってしまえということでやってきているわけです。そういう流れの中で共謀罪が出てきているということはすごく重要だと思っています。

監視社会化の急速な進展

そのためにはとにかく市民の動きをあらゆる面からとらえようという動きになってきています。いままでの捜査機関の活動というと尾行、張り込み、照会ということで、その人をとらえるということで考えがちですが、いまは変わってきています。いろいろな技術、ネット関係などの発展の中で変わってきている。監視ということが発達して、それがいままでの捜査資料と一体となって効力を発揮させようとしているところに来ています。この間の監視社会化の急速な進展のなかで、これはちょっとやり過ぎではないかというのは、監視カメラの問題です。ひとつ特徴的なものは、これまでテロリストとか犯罪の容疑者のデータを取っておいて、監視カメラに写る人間と合致したら機能を発揮することを開発してきました。いまはそうではなく、大阪の駅ビルでやられようとして反対によって潰れましたが、監視カメラの前を通る一般市民がそのビルの中をどう移動するのかを自動追跡するシステムをつくろうとした。犯罪容疑者とかテロリストとかは関係ないんです。そのビルの中を一般市民が監視カメラにキャッチされると、移動する経路を自動追跡する訓練をしようとしたわけです。監視カメラということを考えてただけでもそういう段階に来ている。例えば、国会デモに参加した参加者がどこの駅を利用し、どういう経路で霞ヶ関まできたのか、また帰るのか。そのシステムで自動追跡することが可能になるということです。

オリンピックのテロ対策を大義名分にこのシステムの開発に向けて政府、捜査機関、企業が動きはじめていることは疑いありません。そのためには、さまざまな技術の開発や、監視カメラの一元的な管理などが必要になります。すでに東芝は1000万人の顔写真を1秒以下で照合できるソフトウエア技術を開発したと発表しています。顔認証と自動追跡が合致して使えるかどうかを別にして、技術的にはバンバン発達している。さらに高速道路における車の動きをチェックするNシステム。主要道路における監視カメラを考えれば、人の動きを街頭、電車、車の面からチェックするシステムは急ピッチで進んでいるといえます。しかも、重要なことは、その市民監視が捜査機関の思うがままにおこなわれ、第3者によるチェックができないことです。

携帯GPS、車へのGPS取り付けによる市民の位置確認の動きの急速な進展もあります。捜査機関は携帯GPSによる容疑者の位置確認には、裁判所による検証令状が必要はですが、いままで必要とされていた本人への「通知」は必要とされなくなりました。また、GPS装置の車への取り付けは、裁判所の令状も必要なく、捜査機関の思いのままです。これについては名古屋高裁で違法の判決が出たりしています。今度、最高裁はことが重大だと思ったのか、大法廷で審議します。それから個人を識別し、個人を丸見えにする共通番号制度もできて、みなさんも不安だと思います。共通番号のもとでデータマッチングができる構図をつくろうとしています。そうすると監視カメラ、共通番号、形態GPS、盗聴等々で、ある市民の個人情報、その人間がどういうかたちでここを通って移動するかとか何をしているか、どういう傾向を持っているかということを掌握することはまったく可能な時代に来ていると思います。

盗聴法改悪と共謀罪の連動性

今年、盗聴法の大改悪がおこなわれました。対象犯罪が大幅に拡大されるとともに、いままで通信事業者の施設でおこなわれてきた盗聴が、捜査機関の施設で可能になります。ついに捜査機関の施設での大規模盗聴がはじまろうとしています。そして、政府・法務省は、これを突破口に室内・車内盗聴、裁判所の令状を必要としない行政盗聴へと盗聴権限の拡大をはかろうとしています。産経新聞で盗聴の対象に共謀罪を加えよという主張がおこなわれましたが、共謀罪が新設されればこれは現実味をおびてきます。問題は、いままでいろいろな流れでつくられてきたものを、統合して掌握していく、総合的に掌握していくことになるのは間違いありません。その場合、東京オリンピック・パラリンピックは、向こうにとって利用する絶好のチャンスです。何百万という人が日本に来るんですよ、そのときに何かあったらどうしますか、と。徹底的に監視体制を強めた方がいいと一挙に促進しかねないような内容を孕みつつある事態だということをおさえていかなければいけないと思います。戦争法発動下で挙国一致の体制をつくるための条件づくり、そういう方向に向かって一気に加速する状況にきています。戦争法発動反対、監視・管理社会化反対を掲げてたたかっていかなければいけないのではないかと思っています。

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図書紹介 「暮らしのなかのボイコット 消費者市民としての50年」

発行:現代書館 定価:2000円+税
著者:富山洋子さん

長い間、日本消費者連盟の代表をつとめ反原発運動でも草分け的な存在である富山洋子さんにが、いまも行動している中で著した一冊だ。本書は、著者自身が「おわりに」で語っているように、「原発立地が、その地域に生きる人びとが営々と培ってきた『風土』を蝕み脅かしてきた過程や、そこで生業を営み暮らしてきた人々が、果敢に展開してきた原発を阻止するための取り組みを紹介し、エネルギーの大消費地・都市で暮らしている都市生活者はもとより、人々が取り込まれてしまっている『浪費構造』を検証」している。さらに「資源はもとより経済のあり方をも含め、豊かな循環を培っていく社会の展望を語って」いる。

第1章の「いのちの叫び―核とは共生できない」では、“原発とは共生できないから旧料金で電気代を払う”という富山さんの運動のスターとが語られていて1960年代の社会状況や地域での運動展開がわかり興味深い。

第2章は「風土に生きる」だ。富山さんは講演などでも「風土」という言葉を強調するが、原発立地地域での原発建設反対運動の根底に自然とともに生き、未来にもつながる「風土」の論理を探っていく。

富山さんが交流し、かかわった浜岡原発、学童疎開を体験して特別の思いを寄せる東北の地・福島原発、若狭の海と「もんじゅ」、柏崎・刈羽原発などの人々の暮らしぶりと原発が相容れないことが語られる。また、原発を拒否した地域の運動も紹介している。紹介されている和歌山の市井の学者・宇治田一也さんの「宇治田理論」や、今もつづく山口県上関の人々のたたかいも紹介している。

ここで富山さんは「風土とは単なる自然ではなく、人間が他の生き物との『間』をとりながら切り拓いてきた生存圏であり、暮らしていくための智恵や汗を注いだ生活圏であり、そこには人々の意志が打ち込まれ培われた文化・制度を含めた文化圏であもあるのだ。」「私は、風土でよりよく生き、豊饒な風土を次の世代に伝えていくことの大切さを、先人たちの生き様から及ばずながら学んできた。私たちは、長いものに巻かれることをよしとせず、風土でよりよく生き抜きたい。」として、「風土」として自然と地域と人間の生き方を語っている。

第3章「『電化社会』の利便とは」では、南アルプスを貫通するリニア、オール電化住宅、送電ロスなどについて、現地の実情と課題を指摘している。リニアの課題では、経済性への疑問に加えて南アルプスを貫通する路線建設と水や水系について言及している。この章でおもしろいのは、「わたしの非電化暮らし」の紹介だ。実にさまざまな工夫と経験、それに新たな研究がある。またかつては当たり前であった昔の智恵が形を変えて今に生きることも感じられる。

最終の第4章は「住民自治でエネルギーを生かそう」だ。ここでも各地の経験が紹介されている。風力発電による住民の苦しみや、地域の風土を生かして成功している岩手県・葛巻町の風力発電などの経験がある。長野県・飯田市の太陽光発電は地域の総合的なつながりに成功している例としてあげられている。また、住民投票についても新潟県・巻町や柏崎・刈羽で住民の意志にどのように働きかけ展開されたかが紹介されている。そして福島原発事故後に原発依存を止めたドイツの経験として、ドイツ・シェーナウ市民の電気について住民の自治こそが原発を止めたとして、住民自治を強調しているのも「風土」につながっている。

本書の帯には「納得できないものは払わない!すべての<変革>の出発点 ラーメンから原発まで」と書かれている。いつもの富山さんの声が聞こえてくるような気がする。本書を読めば、60年代から消費者運動にかかわり、東京で行政と渡り合うだけでなく、現地に、現場に軸足をおいて行動し、考える富山さんの経験を分けてもらえること間違いない。(土井とみえ)

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