私と憲法185号(2016年9月25日号)


臨時国会と憲法動向~安倍晋三らの改憲戦略を見すえて

改憲原案についての改憲派内での動揺

自民党内で「憲法改正草案」(2012年4月発表)についての棚上げ論が出始めた。

朝日新聞によると、森英介・自民党憲法改正推進本部長は9月15日、下村博文幹事長代行から、衆院憲法審査会長就任打診とともに、「草案(自民党憲法改正草案)は封印してほしい」と要請されたという。森氏の後任になる保岡興治元法相も下村氏との会談で「草案を前面に出さずに野党と協議し、改憲項目の絞り込みを目指していく」との方向性を確認した。保岡氏は記者団に「草案は非常に保守色が強い。前面に出せば、野党との調整でネックになる」と語った。安倍晋三首相も15日、東京都内の講演で「憲法審査会は与野党の枠を超えて議論したい。私が色々言うと進まなくなるので黙っている」と述べた。これを見ると、下村幹事長代行の意見は安倍首相の同意を得ていることがわかる。しかし、これは明らかに安倍晋三首相の改憲戦略の動揺に他ならない。

自民党はこのほど自民党憲法改正本部長と衆院憲法審査会会長の人事を入れ替えた。これは2015年6月4日の憲法審査会で与党側推薦の参考人を含めて3人の憲法研究者が「安保法制は憲法違反」との意見をのべたことが戦争法の国会審議に重大な影響を与え、憲法審査会の審議が止まったことから、当時、この参考人の人選に当たった船田元自民党憲法改正推進本部長が更迭され、森英介氏に変更になっていた。今回の人事は同じく、「野党に配慮した審査会運営を重視しすぎて、議論が停滞するおそれがある」傾向がある保岡興冶氏の更迭のために異動を検討した結果だ。ただし、森氏が憲法問題のエキスパートではないことから、これからの国会での憲法論議に耐えられるかどうかの不安もあり、谷垣禎一氏との交替で森氏自身の異動も検討されたが、谷垣氏の交通事故が重症であり、結局、憲法審査会会長との差し替えという小手先の人事に落ち着いたという経過がある。

船田氏にはもともと自民党の改憲強硬派からは、彼の憲法審査会の運営が野党に妥協的すぎるとの批判が強かった。従来から船田氏は自民党改憲草案に対しても「国防軍という名前は行き過ぎな感じがする。私は自衛隊のままでもいいと思っている」「このまま憲法改正の原案になることは全くない。妥協をせざるを得ず、草案はほとんどズタズタになると思って結構だ」(2015年3月)などと発言している。皮肉なことに、このところの自民党内の改憲戦略の変更はこの船田氏の意見とおり2つになっている。

公明党の山口那津男代表も自民党の憲法改正草案について「そのまま案として国民投票に付されることは全く考えていない」とのべ、9月17日の党大会で山口氏は憲法改正論議に言及し、「9条1項、2項は堅持する。何を加憲の対象にすべきかの議論を深めたい」と表明した。一方、民進党代表選の最中の9月4日、前原誠司氏は「(9条の)1、2項は変えず、3項に自衛隊の位置付けを加えることを提案したい」と発言している。

自公与党の議論と合わせて考えると、民進党代表戦で敗れたとはいえ、この前原案は改憲派との共通項になりうる可能性がある。

戦争法の発動の具体化

安倍首相らは昨年9月の戦争法制強行で集団的自衛権の解釈を限定的にではあれ変更し、行使できるようにした。これは立憲主義の原理に根本からそむくもので、憲法違反の立法であった。そして本年3月の同法の施行を経て、目下、11月の南スーダンPKO派遣部隊の重武装化をすすめ、「駆けつけ警護」や「宿営地共同防衛」などの新任務を付与することで、「戦えるPKO」「戦争する自衛隊」として同法を発動しようとしている。それだけではない。

8月24日の記者会見で稲田防衛相は、戦争法発動のための訓練を開始すると述べ、「(南スーダンだけでなく)いかなる場合にも対応できるよう、しっかり準備するのは当然だ」と述べた。そして「集団的自衛権の行使などを想定した日米共同訓練も10月に実施する方向で調整する。安保法により、日本の存立を脅かす明白な危険のある『存立危機事態』では、他国への攻撃であっても集団的自衛権を行使できる。日米両政府は10~11月、陸海空の各部隊による共同統合演習『キーンソード』を実施。11月には共同指揮所演習(ヤマサクラ)を行う。これまでは主に日本に対する武力攻撃を想定した訓練を行ってきたが、今回は、武力攻撃には至らない『存立危機事態』『重要影響事態』などの事態も想定し、集団的自衛権行使を含む自衛隊と米軍との連携を確認する方針だ」と表明した。(/08/24東京新聞)

稲田発言は南スーダンPKOへの対処だけではなく、東アジアをはじめ世界的な規模で戦争法の全面的な具体化を進めるとの政府の決意の表明だ。

朝日新聞の報道によると、9月13日、米太平洋軍と航空自衛隊はグアムから韓国へ派遣した米空軍の核爆弾搭載可能なB1B(ボーンB)戦略爆撃機2機が九州付近を通過する際、航空自衛隊のF2戦闘機2機と共同訓練を実施し、その後、韓国空軍のF15とも共同訓練をした。米太平洋軍のハリス司令官は「今回の一連の飛行は、北朝鮮の挑発的な行動に対し、韓国、米国、日本が結束して防衛に当たることを示すものだ」とのべ、朝鮮有事に際しての米日韓共同作戦訓練がすすんでいることを公表した。

これらは戦争法制の発動の具体化が急速に進んでいることの例である。

9条改憲は安倍晋三の戦略的政治課題

従来から私たちは改憲派の本丸は憲法第9条だと言い続けてきたが、安倍首相ら改憲派の長期戦略は戦争法の発動に止まらず、第9条の改憲であることは疑いない。

一方、公明党の山口那津男代表は8月15日、街頭演説で「近年の日本を取り巻く安全保障環境は、確実に厳しさを増している。憲法9条のもとでこの状況に対応するために、平和安全法制を作り、切れ目のない体制を作っていける法的基盤を整えた」「日本が自衛権を使うにしても、もっぱら他国を防衛するための集団的自衛権の行使は認めないというのが今の憲法の考え方であるということを明らかにしたうえで、その安全法制を整えた」「私たちは、こうした重ねた議論のもとで、自らを否定するような議論はするつもりはありません」と述べ、「憲法9条を改正する必要はない」と述べた。これは昨年、憲法違反の戦争法を進めるに際しての公明党の自己弁護の立場でもある。しかし、この山口発言は額面通りにとることはできない。山口代表ら公明党は加憲論を積極的に進めようとしている。「自衛隊容認」のための「9条3項」の加憲は十分に公明党の想定内のことである。3項加憲であれ、いったん9条改憲に道を開けば、現行憲法の9条1項、2項の防波堤は決壊に向かうだろう。

安倍首相は参院選開票後の7月11日の記者会見で「いかにわが党の案(自民党改憲草案)をベースにしながら3分の2を構築していくか。これがまさに政治の技術」だと発言していた。安倍首相は動揺する公明党を「政治の技術」で籠絡し、彼らの改憲草案がめざす憲法破壊、9条改憲を進めようとしている。

戦争法は法制化され、施行され、前出の稲田発言のように、いまその具体化が進んでいる。しかし、この戦争法は自衛隊が米軍と共に海外で自由に戦争ができるような集団的自衛権行使の全面容認ではなく、限定行使である。この「限定」の突破のためには、憲法9条を変え、自衛隊を合憲化し、海外で戦争ができるようにするしかない。いま、安倍首相が自民党総裁の任期を3年延長してでも、「任期中の改憲」にこだわる理由はここにある。戦争法制を成立させてもなお、見苦しいほどに首相の座に固執する安倍晋三のホンネこそ、この9条改憲に他ならない。

安倍晋三らの改憲戦略について

いま運動圏の一部で自民党の「憲法改正草案」批判の重要性が注目を集め、その学習運動がさかんになっている。これは結構なことだ。この草案がいかに危険なシロモノであるかは強調してしすぎることはない。しかし、これから直面するであろう改憲派による改憲原案が、この自民党憲法改正草案のようなものだと固定的にとらえると、肩すかしをくう可能性がある。私たちが改憲を阻止する運動を作り上げるうえで重要なことは、改憲派の改憲戦略を冷静に見極め、対処していくことだ。これでは本稿冒頭に書いた下村幹事長代行の「改憲草案封印」論は理解できない。この点で、私たちの主張がいたずらに危機あじり的なアジテーションであってはいけない。

第1次安倍政権当時、9条改憲に失敗した安倍晋三は、第2次政権以降はさまざまに明文改憲の迂回戦略を模索してきた。憲法第9条にたいする世論の根強い支持が安倍晋三首相にこうした迂回作戦を強いてきたのである。

破綻した96条改憲もそれだし、新しい人権条項附加論もそれで、このところでは大震災に便乗した緊急事態条項附加の改憲論なども登場した。安倍の改憲戦略はめまぐるしく変転した。

私は従来から安倍晋三首相が改憲原案の複数段階提起をとるのではないかと言ってきた。複数段階提起説は、第1次安倍政権による9条改憲の企ての失敗から、1回目は「お試し改憲」(印象が軽すぎて用語として適当ではないが)としてのネオリベラル的な改憲(新しい人権、統治機構、地方分権、財政規律、参院選挙区の「合区」の解消、緊急事態条項導入などのいずれか)で人びとにまず「改憲馴れ」させておいて、反発が強い9条改憲に着手するのは、その次か次と言ってきた。これは今日なおありうる改憲戦略である。しかし、任期の延長などにこだわる安倍晋三の動きを見ると、そうした「決め打ち」的な判断だけでは危ういと思われる。いずれにしろ、そのときの情勢と安倍晋三の腹の中のことであり、安倍にしてもいま戦術が確定しているものでもない。

国会法第68条の3では「憲法改正原案の発議に当たっては、内容において関連する事項ごとに区分して行うものとする」とあり、これは「個別発議の原則」といわれる。これによると、一度の改正発議で複数の項目・条文を対象にすることが可能である。しかし、国会の憲法審査会の審議の過程で、一度に国民投票にかける項目数も事実上限定されている(国民投票法案の審議で、せいぜい3~5項目とされている)のである。

以上述べてきたことから、安倍晋三が狙う改憲を総合的に考えると、改憲原案は(1)ネオリベラル的な改憲と、(2)9条第3項加憲(前原的な9条改憲論で、自民党憲法草案的な国防軍的なものではない)などの複数項目の抱き合わせで提起される可能性は否定できない。この場合、世論の多くが9条改憲に消極的でも、ネオリベ改憲に同調的という傾向に引きずられ、9条改憲に有利になる可能性があると安倍晋三らの改憲派は考えないだろうか。

さらに、安倍ら改憲派は憲法96条の規定(この憲法の改正は、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする)を使って、国政選挙と同時に憲法改正国民投票をおこないたいと考えるだろう。同時にすれば、議会多数派の見解に同調する意見が多くなると考えられるからである。

この場合、2018年末までの任期の以前におこなわれる衆院解散総選挙か、2019年夏の参院選という国政選挙と国民投票の同日投票が想定される。しかし、これも容易ではない。公選法と国民投票法では戸別訪問の可否などをはじめ運動規制のしかたがかなり違い、同時に実施するには相当の技術的困難が伴うことになる。この問題も狡猾な改憲派はなにか対応を考えるだろうか。

当面する私たちの課題

私たちは当面する南スーダンへのPKO派兵に反対し、自衛隊の南スーダンからの撤退を要求しなくてはならない。私たちは10月30日には総がかり行動実行委員会とともに青森の第9師団第5普通科連隊の駐屯現地で抗議行動を展開する。あわせて、憲法第9条の精神に真っ向から反する沖縄辺野古・高江の基地建設強行に反対し、沖縄民衆の闘いに呼応する運動を強めたい。とりわけ、「沖縄県民の民意尊重と、基地の押し付け撤回を求める全国統一請願署名」を全国の仲間と共に拡大したい。そして、秋の衆院東京10区などの補欠選挙を野党共闘でたたかい、来る衆院選における野党統一候補の実現と前進のためにたたかいたい。

憲法改悪を阻止し、憲法の生きる社会をめざして、改憲派のさまざまな攻撃に対処できる柔軟さを持って、運動を強め、世論を喚起して行かなくてはならない。            (事務局 高田健)

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日弁連会長 談話安保法制採決から1年を迎え、改めて安保法制の適用・運用に反対し、廃止を求める

本日、平和安全法制整備法及び国際平和支援法(以下併せて「安保法制」という。)が採決されてから1年を迎えた。

安保法制が容認した集団的自衛権の行使や後方支援の拡大等は、海外での武力の行使を容認し、又は、武力の行使に至る危険性が高いものであり、日本国憲法前文及び第9条に定める恒久平和主義に反する。また、憲法改正手続を経ずに、閣議決定及び法律の制定によって実質的に憲法を改変するものであり、立憲主義に反する。

安保法制をめぐっては、採決後のこの一年の間も、全国で違憲訴訟が提起されるなど、安保法制が憲法違反であることを訴える市民の活動は続けられている。これに対し、政府は、市民に対する説明を十分に尽くさないまま、安保法制の適用・運用に向けた準備を進めており、南スーダンに国連平和維持活動(PKO)の部隊として派遣される自衛隊の交替部隊について、「駆け付け警護」や「宿営地の共同防護」の訓練を始めることを表明している。

南スーダンでは、政府と反政府勢力との間で戦闘が再燃し、JICA職員も避難したと報じられており、PKO参加5原則の一つである「紛争当事者間の停戦合意の成立」が崩れているとの懸念もある中で、「駆け付け警護」等の任務と権限を与えられた自衛隊が派遣されることにより、自衛隊員が殺傷し、あるいは殺傷される危険が現実のものになろうとしている。9月から始まる臨時国会では、政府は南スーダンの情勢やそこでの自衛隊員等へのリスクを丁寧に説明し、その危険性について十分に審議すべきである。

当連合会は、憲法違反の安保法制に基づく運用が積み重ねられていることは、立憲主義や恒久平和主義に対するより深刻な危機となることから、これに反対するとともに、安保法制の廃止を求めて、引き続き市民とともに取り組む決意を改めて表明する。

2016年(平成28年)9月19日
日本弁護士連合会  会長 中本 和洋

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スタートした安保法制違憲訴訟

小川良則(解釈で憲法9条を壊すな実行委員会)  

私たちは諦めていない

安倍内閣による安保法制(戦争法)の強行から、かれこれ1年が経った。強行当時、「連休を過ぎれば」とか「餅を食ったら忘れる」とかいった政権側の思惑に反して、その廃止を求める運動は衰えなど見せてはいない。

3月29日の法施行日には3万7千人が国会を包囲し、5月3日の有明での憲法集会には5万人が集まった。署名も6月末時点で1,300万筆を突破したほか、毎月の19日行動等も引き続き継続して取り組まれている。

また、2月19日の5野党(当時)合意以降、参院選の野党候補の一本化も進み、32の1人区すべてで市民連合と4野党の共闘が実現した。もちろん、政権側による争点隠し等もあったにせよ、改憲勢力が両院で3分の2を超えたという事態は重く受け止める必要があるし、これを踏まえて今後の対応も組み立てていかなければならないが、32選挙区のうち11選挙区で勝利し、現職閣僚を2名も落選に追い込んだ成果は、きちんと評価されなければならない。本稿が届く頃には最大野党の党首選の結果も出ているであろうが、法治国家としての原則すらかなぐり捨てて暴走する巨大与党と対峙していくには、市民と野党による総がかりの陣形を築いていく以外にありえない。

違憲訴訟がスタート

こうした中で、4月26日、東京地裁に「集団的自衛権に基づく防衛出動命令等の差止訴訟(原告52名)」と「安保法制の成立により受けた精神的苦痛の回復を求める国家賠償請求訴訟(原告457名)」から成る「安保法制違憲訴訟」の第1次訴訟が提訴された。同日、原発被災地である福島でも提訴があり、5月6日の高知、6月8日の大阪と長崎、6月17日の岡山、6月20日の浦和、7月26日の長野と提訴が続き、8月15日には女性たちからも提訴があった。委員会採決直前の公聴会からちょうど1年にあたる9月16日には、その開催地であった横浜でも提訴が予定されているし、今後、札幌、仙台、前橋、名古屋、京都、山口、松山、福岡、熊本、宮崎、鹿児島等でも提訴の予定である。

これら一連の訴訟の先鞭を切る形で、去る9月2日、東京の国家賠償請求訴訟の第1回口頭弁論が開かれた。会場は最も収容規模の大きい(とはいえ原告席と傍聴席を合わせて100名ちょっとだが)103号法廷。もちろん、この日は開廷前から傍聴券の抽選を求めて多くの市民が詰めかけ、すぐに満席となったが、市民がいかにこの問題に怒り、法廷闘争の行方に注目しているかを示すためにも、国会前や各地での集会と並んで、傍聴席がいつも溢れるくらいの結集を示していくことが重要である。

これに関して、閉廷後の報告集会で原告代理人の寺井一弘弁護士は、ヒトラーの「わが闘争」の「大衆の理解力は小さいが忘却力は大きい」という一節を紹介しながら、民衆の側の「忘れない」努力の重要性を強調している。

原告と国の主張の概略

訴状の現物は違憲訴訟の会のサイトからPDF化したものが入手可能であり、詳しくはそちらをご参照願うとして、国賠訴訟で69頁、差止訴訟で88頁にも及ぶ私たちの主張の総論部分を要約すると、以下のとおりである。

  1. 「新安保法制」は、集団的自衛権を容認し、武力を行使する他国への支援要件を大幅に緩和することを内容としており、憲法の平和主義原則に反し、無効である。
  2. 憲法に反する法律を憲法の改正手続きを経ることなく制定するのは、憲法尊重義務に反し、立憲主義や国民主権原理に背くものであり、違憲である。
  3. 公聴会の報告もなく「議場騒然」としか記録されない制定過程には瑕疵がある。
  4. 「新安保法制」の実施により、日本が敵対国と看做され、テロの標的とされる危険が高まるほか、職種によっては強制徴用される蓋然性も高い。
  5. 以上のとおり、平和的生存権や人格権に加えて、国民自らの意思に基づいて憲法の条項と内容を決定する根源的な権利までもが侵害された。

これに対する国側の「答弁書」は「原告の主張は抽象的で漠然とした不安感の域を出るものではなく、権利侵害には当たらない」として請求棄却を求めるものであり、原告が突き付けた「新安保法制」の法的問題点についても「争点ではない」ことを理由に認否を避けた。実質審理に入って次々と問題が暴き出されては困るから、さっさと門前払いをという意図が見え見えのお粗末かつ不誠実な主張は、この手の違憲訴訟における常套手段とも言える。しかし、いささかの皮肉を込めて言うならば、私たちの主張が本当に「漠然とした不安」に過ぎないのであれば、閣議決定の際に総理自らが熱弁を奮って危機感を煽り立てたあの「紙芝居」は一体何だったのだろうか?

いずれにせよ、12月2日の次回口頭弁論で、この国側の答弁にもならない「答弁書」に対して反論していくことになるが、世論の盛り上がりを背景に、国を議論の場に引きずり出し、その主張を具体的に一つひとつ潰していくとともに、裁判所を統治行為論に逃げ込ませないためにも、なお一層の運動の盛り上げが求められている。

意見陳述の要旨

第1回口頭弁論は2時に開廷されたが、原告側の訴状・国側の答弁書ともに「陳述」とは言いながら書面の提出のみ(報道陣には配布された)で朗読は省略され、原告代理人弁護士及び原告各5人による意見陳述に入った。

冒頭、国側から原告本人による意見陳述について、その法的な位置づけが明確ではないこと等を理由に異議が申し立てられた。しかし、そもそも裁判とは当事者が相互に弁論を展開することによって成り立つものであることを考えれば、国側の主張は理解に苦しむし、当日、原告席に同席されていた憲法学者で日体大の清水雅彦教授もご自身のブログで「呆れた」と述べておられる。報告集会での弁護団の話によれば、国を被告とする裁判では往々にしてあるとのことだったが、嫌がらせとしか思えない。ちなみに、いくつかの市民グループによる違憲訴訟に関わってこられた清水教授によれば、これまでの裁判に比べて国側の出席者の多さに驚いたとのことであった。それだけ、国側もこの裁判を重視しているということなのであろう。

原告側代理人のうち寺井一弘弁護士は、自らの引き揚げ体験も交えながら、平和国家としての国柄の崩壊は戦後民主主義と国民主権の最大の危機であることを力説し、憲法秩序の回復を訴えた。角田由紀子弁護士は「新安保法制」の強行は戦争体験者のトラウマを再来させるものであと述べるとともに、テロの標的にされる危険など私たちに降りかかる具体的な被害を指摘した。厚木爆音訴訟の弁護団も務めた福田護弁護士は、9条という防波堤の決壊で日本が交戦当事国になる危険性を指摘した上で、内閣法制局の人事への介入や法案提出前の米議会での演説も含む制定過程を法の下剋上として糾弾し、違憲審査権の行使の必要性を訴えた。また、1985年の在宅投票制度訴訟判決や20055年の在外邦人選挙権制限違憲訴訟判決等を比較検討しながら、国会の立法行為が国家賠償で言う違法な公権力の行使に該当するかを論じた伊藤真弁護士は、政治部門による憲法秩序の破壊が進む中での司法の存在意義について問いかけた。さらに、長崎での国賠訴訟の弁護団でもある中鋪美香弁護士は、戦後49年目にしてようやく制定された被爆者援護法の前文を読み上げ、恒久平和実現を訴えた。

続いて、原告本人の意見陳述に移り、東京大空襲訴訟原告の河合節子さん、総がかり行動での司会やコーラーでお馴染みの菱山南帆子さん、安保関連法に反対するママの会の辻仁美さんたちが、自ら経験した、あるいは祖母から聞いた空襲体験や、イラク戦争や原発事故等から感じたこと等を織り交ぜながら、安倍内閣の下で進む平和憲法の破壊により「テロ」の標的とされる危険が高まり、平和的生存権が脅かされていること等を訴えた。また、教育学者の堀尾輝久東京大学名誉教授は、人格形成を軸とする人間教育にとって平和は条件であり目的であると指摘した上で、安倍内閣による教育基本法の全面改悪と安保法制の強行は教育研究者に対する人格権の破壊であり、これに対して提訴するのは未来世代に対する責任であると訴えた。最後に、非核市民宣言運動ヨコスカの新倉裕史さんは、2001年9月11日に起きたいわゆる「同時多発テロ」の際に在日米軍基地と米軍艦船や自衛隊の採った対応を紹介し、基地周辺住民という立場から、軍事同盟の強化がもたらす危険性を訴えた。

閉廷は午後3時10分で、1時間を超える口頭弁論となった。原告席と傍聴席を埋めた人の多さと並んで、この熱気を次回以降も継続させていきたいものである。

司法消極主義の壁を突破しよう

さて、今回の訴訟の目的は、言うまでもなく、司法度の政治性を有する案件は司法審査になじまないとの場を通じた違憲の法制度の廃止であるが、それと同時に、司法そのものの役割も問いかけている。

安倍内閣の暴走ぶりは衆目の一致するところではあるが、制度設計という見地から言えば、そもそも、下院第一党の党首が首班指名を受け、下院多数派によって構成される内閣が議会に議案を出すという構図の下では、もともと数を頼みにした政権与党の暴走という危険が内包されていると言うこともできる。しかし、人権保障とそのための統治機構の民主的統制という憲法の本質に照らせば、これに対する何らかの歯止めが必要であり、その組織や権限等に違いこそあるものの、多くの国で憲法の中に違憲審査の制度が組み込まれている。中には、フランスの憲法院のように、一定の条件の下で、公布・施行に先立って審査をするというものもある。

日本の場合、憲法81条で司法の違憲審査権を明記する一方、59条の立法手続に関する規定では両院の議決のみを要件としていることから、裁判所に違憲審査権を行使させるには、誰かが事後的に裁判を起こす必要がある。ところが、野党には原告適格があるとして当時の左派社会党が1951年4月1日に提訴した警察予備隊違憲訴訟に対し、1952年10月8日の大法廷判決は、具体的な争いに付随してでなければ違憲審査権は行使できないとして、この訴えを斥けた。実は、今回、原告1人あたり10万円の賠償を求めているのも、そうしないと訴状が受理されないからに他ならない。

では、具体的な争いに伴って憲法判断が問われた場合はどうか。刑事事件の根拠となる法令の合憲性が問われた1959年12月16日の砂川事件大法廷判決や、議員の地位に関連して解散権の所在が問われた1960年6月8日の苫米地事件大法廷判決では、高いう統治行為論が採られた。また、社会保障の水準が生存権条項に照らして合憲かが問われた1967年5月24日の朝日訴訟大法廷判決は、本文で原告の死亡とともに訴訟は終了していると言っておきながら、「なお念のために」として行政による裁量を広く認めるなど、違憲審査を通じた裁判による救済の門戸を固く閉ざし、歴代政権の政策を追認しているのが今日の司法の現状である。

なお、刑事被告人を無罪とした1967年3月29日の恵庭事件札幌地裁判決は、電話線の切断程度では「防衛の用に供する器物の損害」には該当しないというのが理由であり、自衛隊についての憲法判断は回避したことから「肩すかし判決」と呼ばれている。そして、見過ごせないのは、こうした司法のいわば「職務放棄」の責任を問わないまま、違憲審査専門の憲法裁判所を置くべきだという議論が憲法審査会や前身の憲法調査会で出てきているという点である。例えば、2000年5月25日の衆院憲法調査会では、参考人として招致した最高裁の事務局が「抽象的違憲審査制の導入は改憲が必要」と陳述しているが、問われるべきは憲法判断から逃げ続けてきた司法当局の姿勢であろう。しかし、憲法99条の憲法尊重義務は裁判官も負っているし、憲法76条は裁判官が従うべきは良心と憲法であること(政府の意向の忖度ではない)を定めている。何より、司法には政治部門によって壊された憲法秩序を回復し、立憲主義を取り戻す職責がある。

私たちはこの訴訟に全力でぶつかり、突破口を開いていかなければならないし、戦争法廃止のため、法廷闘争を含むあらゆる場面で世論を喚起していく必要がある。

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原告陳述書

菱山南帆子さん

私が、この裁判の原告になろうと思った理由を話します。

私は、1989年生まれです。

両親が共働きだったため、一人っ子の私は日中祖母の家に預けられることが多かったです。

祖母は、戦争のことを私によく話してくれました。戦争で祖母の兄弟や家族が亡くなり、祖母自身も戦火に逃げ回ったそうです。祖母は1945年8月2日の八王子大空襲を経験しています。八王子の街の約80%が焼かれて何もなくなったということです。「戦火に追われ必死に逃げ回っているのは今の私ではなく、あなたくらいの子どもだったのよ」と言われ、私は自分が戦火に実際に追われ、逃げる様子を想像し足り親を亡くすことを想像したりするようになりました。心から怖いと思いました。

祖母は、戦争の話をした後、いつも「今は二度と戦争をしないという憲法ができたのよ」と話してくれました。私はそれを聞いて、戦火に逃げ回らなくても、親が戦争で亡くなって独りぼっちになってしまうこともないと思い、子ども心に安堵しました。私は、「憲法があって良かった!」と心から思ったのです。

私はこんな風に祖母から思いを託された者として平和憲法を踏みにじる安保法制を認めることはできません。

小学校6年生の秋にアメリカの9,11がありました。私は、なんでこんなテロを起こしたのか疑問を持ちました。私は、アフガンの人たちがアメリカを憎む原因を考え、また、9,11で犠牲になられた人たちの苦しみを想像しました。アメリカが始めたいわゆる、「正義の戦争」は、アフガンの人たちから見たら「正義」ではなく「悪」ではないだろうか。そして、なぜテロを起こしたのかと考える中で、「貧困」や「差別」がもとにあり、「戦争」は憎しみの連鎖にしかならないことは、12歳の私にもわかりました。

中学1生だった、2002年12月、イラク戦争が始まる直前に、初めて母と一緒に、戦争反対の集会に日比谷野外音楽堂に行きました。同じ思いの人が集まり、思いを共有することに感動しました。それから私は一人で集会などに参加するようになりました。

戦争で人の命や生活が失われるということに焦りを感じで、何かしなければならない、という思いに突き動かされていました。

当時は、ツイッターやフェイスブックもスマートフォンもなかったため、情報源は「ビラ」でした。私は学校内で友達に伝えようと「ビラ」を作り学校内で撒きました。

イラク戦争が始まった3月20日以後は、寝袋をもってアメリカ大使館前で泊まり込んで訴えたりしました。

私はそれまで、おまわりさんは優しい人たちと思っていましたが、大使館前に座り込んでいる私たちを時には暴力を持って排除しようとしたのを見たりされたりしました。

私は、こんな風に運動に関わる中で、大人の人たちの話から戦後の運動の歴史や、憲法というものの中身、憲法9条だけではなく、13条や24条など私たちにとってとても大切なことを書いた条文がたくさんあることを知りました。

中学3生から高校2年までの長期休みの時は沖縄の辺那古の海に行きました。そこで、体を張って基地を建設させない運動を続けている人たちを知り、私も仲間に入れてもらいました。ここでも国の人が住民を海に突き落とすという姿を見ました。

私は、祖母が安堵した平和を守る憲法を、このままの姿で守りたいのです。戦争の加害者になって心の傷を負う人を作りたくない。

安倍政権の憲法破壊をやめさせ、のびのびと安心して生きられる社会を残したい。

安全保障法制によるアメリカとの一体化する政策は、自衛隊をこれまでの中立者から明確な敵兵と豹変させることであり、日本を一気に危険な状態へと陥れます。

本裁判提起後である、7月2日、バングラデシュの首都ダッカで、テロ事件が起こり7名の日本人が犠牲となりました。私たち日本人は、安全保障法制を制定したことによって、ISのようなアメリカやその同盟国を標的とするテロリストにとっての、標的となりました。私たちの身には現実のテロの危険が迫っています。

また、私たちの国家の基本法である憲法をかくも違法な手続きで破壊した安全保障法制は、私たちに憲法97条が定める「この憲法がさだめる基本的人権は侵すことのできない永久の権利として信託されたものある」ことを、改めて私の心に呼び起こしました。私が祖母から教えられた戦争を行わないかけがえのない憲法9条が、安全保障法制によって破壊されてしまったことは私の心に大きな傷跡を残しました。

安倍政権が強引に成立させた安全保障法制によって、私が、平和の為には最善のものと考えている憲法9条が歪められています。私の中には、主権者としての意識、政府が憲法に従うべき立憲主義という考え方が、15年以上前に私の中に育まれ、これまで蓄積されてきました。しかし、安全保障法制によって私の考えがドンドン破壊され続け、絶望的な気持ちになっています。

自分が平和の中で安心して暮らしてきたことを、そのまま次世代に渡すために、安全保障法制を違憲とする原告となります。

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戦争法、秘密保護法と一体
話しあうことが罪になる共謀罪新設法に反対しよう

角田富夫(盗聴法に反対する市民連絡会)  

オリンピックを利用した卑劣な名称変更 

安倍政権は、3度廃案に追い込まれた共謀罪新設法案を「テロ等組織犯罪準備罪」と名前を変え、9月26日開会の臨時国会に提出しようとしましたが、世論の反発をおそれ、提出を断念しました。しかし、来年の通常国会ではなんとしても成立を目指すとしています。

今回の法案について、「テロ等組織犯罪準備罪」と名称だけでなく、対象を「団体」から「組織的犯罪集団」に、適用の要件を「犯罪の合意」だけではなく「犯罪の合意」のほかに犯罪実行のためにお金を集めるなどの「準備罪」を加え、内容を変えたとしています。
しかし、これは大嘘です。

共謀罪新設法は2003年国会に提出されましたが、言論・思想取締法、日本の刑法体系をくつがえす法という世論の強い批判の前に廃案においこまれました。

政府がなんとしても成立をはかろうと全力をあげた2006年には与党が野党を巻き込もうと修正案、民主党修正案丸呑み案(丸呑み!です)、再修正案、修正試案と次々に修正案を示しましたが、再修正案、修正試案の段階で対象を「組織的犯罪集団」にし、要件に「準備罪」を加えるということは示されていました。前に示した修正の内容をあたかも新たな提案かのように説明し、世論を騙そうとする政府・法務省の姿勢は、厳しく批判されなくてはなりません。

安倍政権のもと、共謀罪新設法案が「テロ等組織犯罪準備罪」と名称を変えただけで国会に提出されようとしています。2020年の東京オリンピック・パラリンピック成功のためのテロ対策といえば、「テロ等組織犯罪準備罪」=共謀罪新設法を制定できると考えたのです。これほど、野党、法律家、市民を愚弄した話はありません。

刑法体系を根本からくつがえす―思想・言論の処罰

政府・法務省が共謀罪新設の根拠にしているのは「国連越境組織犯罪防止条約」批准のために国内法整備として共謀罪の新設が必要ということです。しかし、この条約は経済的利害を追求する団体、マフィアなどの国境を越える組織犯罪集団の犯罪を防止するために出されたものです。テロ対策として提案されたものではありません。政府の主張に根拠はありません。

日本の刑法は、思想を処罰しない、個人のおこなった犯罪行為を処罰することを原則としています。人は何を考えようが、どういう思想をもとうが、何を訴えようが、自由です。人は、その考え、思想のゆえに処罰されません。これは憲法で保障されています。

刑法は実際に人を殺す、強盗するなどの行為を行った場合、その行為を行った者を殺人罪、強盗罪で処罰します。刑法は犯罪の実現である既遂犯の処罰を原則とし、例外として犯罪に着手しながら目的を実現できなかった未遂犯を処罰しています。例えば人を殺そうとナイフで切りつけたが遂げられなかったようなことです。この未遂犯の規定は例外とされていますが、刑法のなかにはかなり広範に処罰の規定があります。この既遂、未遂のほかに刑法はごく例外的に予備、陰謀を処罰しています。予備罪は既遂、未遂以前の段階の犯罪の実行の着手にいたらない、例えば殺人のために包丁を買う、下見をするという準備行為のことです。陰謀罪は、観念的に予備より更に前の段階である「犯罪の合意」のことです。犯罪の実行の着手以前の段階の行為を処罰する予備、陰謀は対象を重大な犯罪に限られています。刑法でみてみると、刑法で規定されている罪は約160あり、そのうち約60の罪に未遂の規定が、予備が8つ、陰謀が3つあります。予備罪の8つとは内乱、外患、私戦の罪の予備のほかに強盗、殺人、放火、身代金目的略取などです。刑法以外の罪を含めると、合計で予備罪が40、準備罪が9つあります。

このように、日本の刑法は既遂犯の処罰を原則としながら、そのうち重要な犯罪について未遂を処罰し、更に社会的に危険度の強い犯罪についてのみ予備、「国家の存立」などにかかわるような重大な犯罪について例外的に陰謀で処罰するという構造になっています。共謀罪新設法は、この刑法体系を根本から覆そうするものにほかなりません。

なぜ廃案に追い込まれたのか-重大な犯罪から一般犯罪への拡大

共謀罪は3度廃案になりましたが、なぜ世論は強く反対したのでしょうか。

それは、「国家の存立」や「国家の秩序維持」などにかかわる例外的に重大な犯罪に限定されてきた陰謀罪・共謀罪を、長期4年以上の刑罰を科しているすべての一般的な犯罪にまで拡大しようとしたからです。これは日本の刑法体系を根本から覆すものでした。

刑法では陰謀罪は内乱罪(78条)、外患罪(88条)、私戦の罪(93条)に限定されています。内乱の陰謀罪とはいえ、それは「犯罪の合意」ですからあくまで「話し合い一致」することであり、憲法で保障された思想・言論・表現行為です。その思想・言論・表現の自由を規制するわけですから、陰謀罪・共謀罪は重大な例外的な犯罪に限定されてきたのです。

私は、「国家の存立」や「国家の秩序維持」などにかかわる重大な犯罪であろうと「話し合おうこと」を処罰する陰謀罪、共謀罪をもうけることには反対です。思想・言論・表現の自由は市民にとって最も重要な人権の一つだからです。

刑法以外の特別法では陰謀罪、共謀罪は破壊活動防止法、爆発物取締罰則、自衛隊法、地方公務員法、国家公務員法、日米相互防衛援助協定等に伴う秘密保護法関係などに設けられています。自衛隊法というと意外とおもわれるかもしれませんが、これは上官への反抗などにかかわる共謀です。最近の法律では「秘密保護法」にも共謀罪の規定が設けられました。合計すると現在、共謀罪の規定は15、陰謀罪は8つの罪名に設けられています。

対象犯罪は600以上

日本の法律のなかで陰謀罪・共謀罪のある犯罪は政府・法務省がいう重大な犯罪に限定されてきました。共謀罪新設法案は、それを一挙に市民生活にかかわる一般犯罪にまで拡大しようとしたものでした。そこに法律家、メディア、市民は激しい危機感を覚えたのです。

長期4年以上の刑を科している罪名は、2006年に法務省が示した資料によれば619ありました。笑い話のようですが、当初法務省がだした対象犯罪は約560でした、調べれば調べるほど対象犯罪が増え、2006年段階で619とされました。つまり、法務省でさえ、正確に対象犯罪数を掌握していなかったのです。それほど長期4年以上の刑は数があるということです。現在は619よりもっと多くあるはずです。

長期4年以上の刑を科している法律・罪名をあげれば、殺人罪から窃盗罪、はては道交法、政治資金規正法、政党助成法、相続税法、消費税法、下水道法等々までにいたります。果たして、上記のような犯罪が重大な犯罪なのでしょうか。否!です。

組織的犯罪処罰法に包摂―現代版治安維持法の復活

重要なことは、この共謀罪新設法が「組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律」(以下組織的犯罪処罰法と略)第6条の改正としてだされていることです。組織的犯罪処罰法は1999年に盗聴法案などと一緒に制定されました。同法の特徴は、団体を人、金の側面からとらえ、そこから団体を規制しようとした法律であり、その点に際立った特徴があります。

団体を構成するメンバーの規制として「団体の活動」として犯罪が組織的に行われた場合、その犯罪にかかわった者の刑を既遂、未遂、予備を含め通常より重く処罰するとしています。これは組織犯罪に組織的殺人罪などというように組織的○○罪をもうけ、重刑を科すことで団体を規制しようというものです。ただ、現在はまだその犯罪数はそれほど多くはありません。同法はもう一方で、資金対策として「犯罪収益等」の規定を設けていますが、これは組織的な犯罪としておこなわれる必要がなく、個人が対象となっています。この犯罪収益の対象は薬物はもとより証券取引法から弁護士法と実に広範です。

共謀罪がつくられると、組織的犯罪処罰法第6条の2が新設されます。6条の1は組織的殺人、営利目的誘拐罪の組織的予備罪が設けられています。新たに第6条の2が新設され、600以上の犯罪の共謀罪が加わります。組織的予備は2つの罪名ですが、共謀罪は罪名が600以上あります。これは実に重大な問題をはらみます。同法は15の組織的○○罪(第3条)、5の組織的○○未遂罪(第4条)、2つの組織的○○予備罪(第6条の1)に対して共謀罪(第6条の2)は600をこえるという実にアンバランスな法律になります。つまり、このアンバランスの是正のためにいずれ同法の大改悪が行われることはうたがいありません。

思想の処罰が加わる

組織的犯罪処罰法に共謀罪が包摂されると同法はどうなるのでしょうか。同法が会社、市民団体、組合、政党団体などを、人、金の側面からだけではなく、思想・言論の側面からも団体を取り締まる、現代版治安維持法としての性格をもつものとして登場することを意味します。これこそ、検察・法務、警察庁が追及してきたことです。

団体規制法としての破壊活動防止法は戦後の憲法と反対運動の影響で捜査機関にとって実に使いにくい法律になっていました。政府・法務省は、地下鉄サリン事件をおこしたオウム真理教の団体解散を行おうとしましたが、それは審査機関である公安審査委員会によって否決されました。あのオウム真理教に適用できないなら、どこに破防法を適用できるのか、どの団体にも適用できないではないか、その現実を政府・法務省、警察庁はつきつけられたのです。そこからでてきた結論が使いやすい団体規制法ということでした。その対策の一つが既につくられていた暴力団対策

法の強化であり、もう一つが組織的犯罪処罰法です。暴力団対策法は、対象団体の特定性が明白で、暴力団以外への適用は困難です。しかし、組織的犯罪処罰法は、団体の特定性が不明確であり、会社、政党、市民団体、組合団体、サークルとすべての団体があてはまります。法務省は一貫して団体について上記の解釈をしています。政府・法務省は、共謀罪については「団体」ではなく「組織的犯罪集団」を対象とするという詭弁を弄していますが、組織的犯罪処罰法自体が団体を対象とした法律で、共謀罪がそこに包摂されるものである以上、これは、実質的に「組織的犯罪集団」なるものが「団体」に等しいということです。

共謀罪は監視社会への道

共謀とは法律に違反する行為を「話し合う」ことです。実際に行動をおこすことではありません。共謀をどう立証するのでしょうか。それは、盗聴や団体の中にスパイを送り込むか、協力者をつくる以外ありません。つまり、共謀罪は市民の監視と一体です。

オリンピック成功のためのテロ対策として共謀罪新設がうちだされてきたことはきわめて重要です。この間、インターネットによる通信を日常的に監視する「コンピュータ監視法」、共謀罪を内包する「秘密保護法」、1人ひとりに番号をつけて市民を束ねる「共通番号法」、盗監視カメラの大量設置、GPS などをつかって市民監視が強化されてきました。市民監視のさらなる強化を許すことはできません。

自由に発言、発信し、自由に意見交換できることこそ、民主主義の基盤です。オリンピックをテコに監視社会化を強め、戦争法発動と憲法改悪を推し進めようとする共謀罪新設法案に反対しましょう。私たちこそ政府の動向を監視して、平和と民主主義を実現しなくてはなりません。

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10区補選を全都で応援!野党統一候補で勝利を!

10月23日、東京10区と福岡6区の補欠選挙が行われる。東京10区では、「TeN16」という市民運動が結成され、野党と市民の共同候補擁立に向け奮闘している。以下はその資料です。(編集部)

民進党、共産党、社民党、生活の党 殿
衆議院東京10区補選で野党共闘を!

私たち「10区補選を全都で応援!野党統一候補で勝利を!」9.13集会に集まった市民は、衆議院東京10区補欠選挙を野党と市民の共闘の力で勝利することを強く望んでいます。憲法改悪への流れを止め、立憲主義を回復するためには、野党が共闘して議席数を増やしていく努力が必要であることは自明です。

参院選後、初めておこなわれる衆議院東京10区の補欠選挙に野党統一候補を立て、野党と市民が力をあわせて選挙をたたかい、勝利することは、極めて重要な意味を持っていると考えています。

既に10区で野党統一候補の実現をめざす市民団体「TeNネットワーク2016」からは、政策協定案が民進党、共産党の両予定候補者に提案されており、案文の摺り合わせが進んでいます。速やかに政策協定を締結頂き、候補者調整をしていただけますよう要望致します。

ぜひ市民と野党の協力で、10区補選に勝利し、政治の流れをかえましょう!

「10区補選を全都で応援!野党統一候補で勝利を!」9.13集会 参加者一同

衆議院東京10区補選政策協定案

2016年9月8日

  1. アベノミクスで広がる非正規雇用と貧困層の増大や格差の拡大を是正する経済政策、社会保障政策を推進する。
  2. 教育の無償化をめざし、返済不要の給付型奨学金を創設する。
  3. 大企業や富裕層への優遇税制を見直し、税金の所得再分配機能を回復させるべく税制を改革する。
  4. 安倍政権による憲法9条の改正、緊急事態条項の追加に反対し、すべての人の人権を大切にする社会を目指す。TPPや沖縄問題など地域住民に大きな影響がある問題は、自治体・国民の声を十分に聞く政治を行う。
  5. 安保関連法を廃止し、集団的自衛権行使容認の閣議決定を撤回させ、立憲主義を回復させる。
  6. 集団的自衛権の行使を許さず、当面する南スーダンでの駆けつけ警護に反対する。非軍事による真の国際貢献を目指す。
  7. 若い人も将来に希望が持てる年金制度に改革する。当面、年金積立金運用方法を抜本的に見直す。
  8. 妊娠から出産、子育てまで切れ目ない支援をおこない、介護保険制度を充実させ、希望ある社会をつくる。
  9. 中小零細企業を支援・育成する。
  10. 原発に依存しない社会の実現を目指し、再生可能エネルギーの推進を図る。

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本の紹介 内田 樹編「転換期を生きるきみたちへ」

池上 仁(市民連絡会)

内田樹は多産な物書きだ。書評を書くことになって初めに候補に考えた姜尚中との対談「世界『最終』戦争論」、白井聡との対談「属国民主主義論」は6月と7月に刊行されている。他に6月には共著「やっぱりあきらめられない民主主義」、「内田樹の生存戦略」、7月には「困難な結婚」そして今回取り上げることにした本書。どれも喚起的だ。

書物だけでなく、昨年の戦争法反対運動の中では学者の会として上野千鶴子とチームを組んで議員要請行動を行い、国会前集会でスピーチ、地元関西でもシールズの集会に参加している。各種マスコミに寄稿、「赤旗」にもインタビュー記事が何度か載った。合気道と学塾の凱風館を主宰。

本書は内田が信頼する知り合いの書き手に依頼して編んだもの。その寄稿依頼の文章はこうだ。

「刻下のわが国の政治・経済・メディア・学術・教育……どの領域を見ても『破綻寸前』と言うのが皆さんの現場の実感ではないかと思います。私たちは、自分が生きているうちに『そんなこと』に遭遇するとは想像していなかったような歴史的転換期に足を踏み入れています。そのような局面に際会した時、私たちが果たさなくてはならない最優先の仕事は『今何が起きているのか、なぜそのようなことが起きたのか、これからどう事態は推移するのか』を責任をもって語ることだと思います。とりわけ若い人たちに向けて、しっかり伝えることだと思います」従って読者を「中高生」に特定して書いてほしい、つまり出来合いの符牒は通用せず「根源的」に語るしかない仕方で。「転換期には、ものごとを根源的に考えることが要請されます」と。
身体に訊く―言葉を伝えるとはどういうことか
(内田樹)

「誤解している人が多いと思いますけれど、『わかった』と言うのはあまりコミュニケーションの場において望ましい展開ではないんです。だって、そうでしょう。親とか先生から、『お前が言いたいことはよくわかった』ときっぱり言われると、ちょっと傷つくでしょ。だって、それは『だからもう黙れ』という意味だから」…こんなところがいわば内田ブシの魅力。他ならぬ私自身の「誤解」思い込みが簡単に覆されて、振り返ってみれば「そうだよな」と得心がいく。

内田は「言葉を伝えるとはどういうことか」をテーマにしている。全然聴く気のない高校生相手の講演会の体験に触れながら、結論は「『自分の身体に訊く』ように仕向ければ、人は外界からの情報入力に対して開放的になり、貪欲になり、『もっとデータを』という前のめりの構えになるということです。これが『学ぶ』ということです」(傍点原文)本人も言うようにわかったようなわからないような、という気がする。ただ私の経験でも様々な場所で接する多様なスピーチで特に感銘を受けるのは「自分の言葉」で語っている場合、というか自分の中で反芻し、出てきた言葉であるように思う。シールズのスピーチに多くそれを感じた。

僕の夢―中高生のための「戦後入門」(加藤典洋)

昨年刊行した「戦後入門」は、無条件降伏と原爆投下との関係、ロシア革命ともつながる敗戦後つかの間の啓示的「イスクラ」、フィリピンに学ぶ「左折的改憲」によるアメリカへの従属からの解放等、実に刺激的な内容だった。ここでは九条問題に絞ってより分りやすく展開している。個々の論点でいえば異論もある。加藤は独自の九条改訂案を提起している。自衛隊を国土防衛隊と国連待機軍とに分離し、外国の軍事基地は一切置かない、と。なぜ改憲が必要か?それは「われわれ国民が、憲法の力で、この当初の憲法制定権力としてのアメリカを排除しないことには、日本は政治的な自由を回復できない。つまり本当の意味で独立国になれない」からだという。過渡的にはいくつもの段階があるだろうが、九条の徹底化、日米安保条約廃棄に向けた運動の展開に対置する改憲の不可欠性があるのか?と思う。しかし、「戦後入門」からは知らなかった歴史を含め多くを教えてもらった。一人の知識人が歴史の総括とそれに基づく壮大な展望を提示する作業に取り組んでいることに勇気づけられる思いがする。
表と裏と裏―政治のことばについて考えてみる
(高橋源一郎)

5月27日のオバマ大統領広島演説を文学者の目で分析している。高橋は「なんか、変だな」と思った。そしてそれが「その主語の大半が『私たち』であること、そして、『私』を極力、使わぬように」しているためだと考えあたる。「『私』は『私たち』というほんとうは誰のことを指しているのか分らない、抽象的な甘い囁きの中で、自分を見失っていく。それこそが政治のことばが目指す唯一の目標なのである」オバマ演説についてはアーサー・ビナードが包括的な鋭い批判を行っていた(「世界」8月号)。高橋の批評も鋭い。
人口減少社会について根源的に考えてみる
(平川克美)

時代のキーワードであるかのように喧伝されている少子高齢化社会について、様々な「俗論」を排して、大切なのは「およそ日本の総人口が数えられるようになって以来、これまでの歴史の中で2009年に至るまでは、ただの一度も長期的な人口減少をしたことがない」ということ、原因は産む期間の高齢化と結婚年齢の上昇であり、これは文明史的な自然過程なのだ、という。「今それが問題のように見えるのは、この急激な家族の変化や、老齢化に対して、社会制度の方は人口増大局面、つまり発展途上国段階のままだということであり、社会制度が実態の即したものになるまでの文明移行的な混乱期だから」だ。「定常化社会」の具体的イメージを共有することが大事だ、と説く。
13歳のハードワーク(小田嶋隆)

今「『夢』は、子供たちが『将来就きたい職業』そのものを意味する極めて卑近な用語に着地している。なんという、夢のない話であることだろうか」その一つのきっかけになったのがロングセラーになった村上龍編「13歳のハローワーク」だ。盛られた詳細な職種の中に「会社員」はない、サラリーマン蔑視もあるがそれ以上に問題なのは「職業こそが人間に生きがいと存在証明と自由を与える最重要な要素だ」という思想であり、それは筋違いだ。職業信仰は「どこかに青い鳥」の空虚な不遇感の温床になる、「仕事は、いずれ向こうからやってくる」ものなのだ。
空気ではなく言葉を読み、書き残すことについて
(岡田憲治)

イジメや福島原発事故、憲法をテーマとする集いに公共施設を貸さない・・・遡ればあの15年戦争の無惨を招いた「壮大な無責任体制」、それをもたらしたのは「空気を読む」「忖度する」心の習慣だ。「この点については、君らと僕らは同じ問題を抱えている友人だ。つまり僕たちは弱い」「後から生まれた者たちの特権とは、前に生まれたアホたちの失敗の記録を読むことができるということだ」絶対に失ってはいけないもの、それは「言葉だ。空気じゃない」と熱いエールを送る。
科学者の考え方―生命科学からの私見(仲野徹)

科学界でのパラダイムシフトの歴史をたどり、科学的な思考とは、とりあえず疑う、考えやすくして考える、シンプルに考える、数値的に考える、合理的に考えることにある。そしてもう一ついっしょに考えてもらう(同じことを、違った側面から考える視点をあたえてもらうためにディスカッションする)こと。これは科学に限らず私たちが考えることの基本、まさに根源的な姿勢だろう。
消費社会とは何か―「お買い物」の論理を超えて
(白井聡)

ボードリヤールの消費社会論を紹介し、「ものを消費する目的が物そのものから満足を得ることから、それに付随する『意味を消費する』ことへと変わったとき、どれほど消費してもちっとも満足できないという不幸な構造が完成する」それが消費社会だとする。それは戦後下がり続けている国政選挙の投票率にも示される。そこに見られる「どうせ行っても何も変わらないから行かない」という行動様式は、消費社会のそれとしては正しい。買いたい商品がないから買い物に行かない、のと同じ一種合理的な行動だ。問題にしなければならないのはこの「消費社会的合理性」。しかしこの上に発展を遂げてきた世界経済の全般的な停滞は、この手法が限界に来ていることを示している。文明の仕組みの再構築という困難な仕事が若者に託されている。
「国を愛する」ってなんだろう?(山崎雅弘)

そもそも「国」って何だ?「領土」「国家体制」「国民の命と生活環境」、どの意味で使われているかを吟味しなければならない。「国民の命」を重視すればあの戦争は甚大な被害をもたらす前に終結できた、しかし実際は「国体」維持を名目に惨憺たる敗北まで引き伸ばされた。当時の愛国者は亡国の徒になった。当時の軍人の死は無駄死にだったのか?それは「現在と将来を生きる世代のとる行動によって決まる」。民主主義の価値観に合うような新しい「愛国心」が必要なのではないか。旧態依然とした「愛国心」を跋扈させないために。
「中年の危機」にある国で生き延びるために
(想田和弘)

アベノミクスはいわば「筋肉増強剤」の注射のようなもの、「中年」に至った日本社会の現実を無視した年寄りの冷や水だ。この焦りが「みんなで決める」デモクラシーへの苛立ちを生む。「日本人の多くはいま、デモクラシーではなく、独裁を求めているようにみえます。無意識に」。必要なのは「国の老化」とうまく付き合い成熟すること。「競争」よりも「協働」、「収奪」よりも「支え合い」、「量」よりも「質」、「大きいこと」よりも「小さいこと」に価値を見出していくこと。
社会に力がついたと言えるとき(鷲田清一)

福島原発事故では日本人は「難民」となる可能性に直面した。安楽を求めてかつては地域共同体として協同で処理してきた機能を社会システムに委託してきた。「顧客」として依存し、また翻弄れるほかないシステムが今や制御不能のものになっている。「制御可能な、ということは自らの判断で修正や停止が可能な、そういうスケールの『経世済民』の事業を軸に、社会を再設計してゆかねばならない」相模原の事件を予見するように紹介されている浦河「べてるの家」に関する文章が感動的だ。

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米軍基地強化―気になっていた沖縄・高江へ

土井とみえ(市民連絡会)

市民憲法講座で沖縄について講演いただいた毛利孝雄さんに同行し筑紫建彦さんとともに高江に行った。8月27日の午後に羽田を発ち3時半ごろ那覇空港に着く。すぐに手配していたレンタカーで高速道路をひた走り名護市へむかう。早目の夕食をすませた後、本島の西海岸から東海岸へ。県道70号線をいよいよ高江方面に向かう。急に道の周りには人家がなくなり、暗くカーブの多い山道だ。これ以後大きなコンビニはないということで、明日の食料を買い込む。東村に入っても人通りもなく、点在する家からわずかな明かりがみえる中、ようやく8時近くに目的の「でいご家」を探し当てる。沖縄本島の奥地、高江は遠い。車を降りると、初めてみるような輝きの星々がピカピカと空にまたたいていた。

「でいご家」は、全国各地から来る人たちのために宿泊だけを提供していて、2段ベッドが並ぶ。先客は9月半ばまで滞在の予定という20代の若者が1人だ。夜はヤモリの小さな声がキキっと絶え間ない。

N1テント

28日は朝6時に出発しN1テントに向かう。途中、9年前に訪ねたN4はすでにヘリパットが建設され、住民に耐えがたい騒音被害を与えている。ヘリポートを覗き見ることができた道は閉鎖されていた。近くにはメインゲートができて厳重に警備されていた。

カーブとアップダウンの多い道をかなりのスピードで走り、6時半ごろにN1テントに到着。県道わきのわずかな場所に設置したテント周辺には、横断幕やのぼり、プラカードなどに抗議行動時の諸注意や警察・機動隊への言葉のかけ方などまで、実にさまざまなメッセージがある。道路わきの林の斜面には椅子やテーブルが置いてある。道路の反対側のN1ゲートは機動隊の装甲車が封鎖している。

N1テントは「住民の会・高江連絡会」が運営していて、毎日交代で責任者を2名おいている。ここで「今日は日曜日なので工事作業も反対行動もない。今後の行動に役立つから周辺を廻って状況をつかんでおくとよい」と勧められた。7月21日に強制撤去されたテントのあった道路は今は厳しく封鎖されている。このテントに台湾から来た若い女性がいた。沖縄が距離的にも人脈的にも台湾との近さを感じさせられた。

N1裏テント

次にN1裏のテントへ移動する。県道から入るくねくね曲がる農道をしばらく進むと、長く伸びたブルーシートの屋根が目に入る。N1裏のテントだ。「平和運動センター」と「統一連」を中心に運営されている。ここは相当に大規模で、農道から山道に沿って登って行くように作られている。支援の車も多い。金属の柵で仕切られた入り口を入ると、キッチン、会議もできるスペース、100人を超す支援者用のベンチがある。板を渡しただけの簡単なベンチだが劇場のようだ。入り口の横には簡易トイレも数台ある。テントの山道の先にゲートがある。鉄骨製のバリケードが3重になって、最もテント側に近いバリケードには高さ5~6メートルもある厚い板を横に並べて壁をつくっている。バリケード内は防衛施設局やアルソックの警備員が3重くらいに並んで監視している。もちろん抗議行動の側も交代で見張っている。目下の闘争課題は、防衛施設局が工事用道路確保のためにいつテントを撤去に出るか、これに対してテントを守りきれるかである。

国場組の採石場

ヘリパッド建設工事に使われる大量の土砂。沖縄で国場組が請け負っている土砂の採石場が、反対行動をしている住民の追跡によって判明している。そこで西海岸にある国場組の採石場にいこうということになって、実に広大な採石場を探し当てた。途中で22tの大型で最新の砂利トラックと出合った。しかし日曜日のためか採石場には機動隊や警備員もいない。小高い場所に上がったが全景が見られないほど大きい採石場だ。採石した大岩、用途に応じて粉砕された砂利の山などをゆっくりと見学させてもらった。

工事時間を2時間程度遅らせる

翌29日は初めての行動日。6時頃に出発し、N4とN1の間の下り坂地点で阻止行動が始まっていた。着いた頃は数台の車だったが次第に増えていく。那覇市を早朝に発った車も続々到着し、車が約30台、人数は約60人。行動の指示は住民の会だ。すでに北側からきた作業員の車がN1ゲートから入ったことが報告されたが、作業指示者が入っていないのでたいした作業は始まっていないという。6時45分に作業員の車2台を阻止する。車には作業指示者が乗っていることが確認された。にらみ合いがが続くなか相手側の車は5台に増えた。30分ほどで5台はメインゲートに引き上げた。

住民の会が指示して参加者の車で道路を封鎖する。ハの字、Lの字など、車どうしをとにかくギリギリに組み合わせて2車線の道路を封鎖していく。9時頃に警視庁の機動隊120人が到着する。パトカーが交通の妨害をするなと警告したあと、いよいよ機動隊が車と人の排除にかかる。簡易ジャッキで車を持ち上げ、10人ほどの機動隊が車を道路の片側に移動していく。私たちは車の周りや下に入り込んで移動を阻止するが、これも参加者1人に機動隊が5人がかりで県道のわきに排除する。こうした抗議行動だが、10時頃には機動隊による排除が終わってしまった。

機動隊に前後を守られて、大型の砂利トラックが10台、そして朝引き換えさせた作業指示者を乗せた車5台も通過した。抵抗行動の側から次々抗議の声があがる。ここでN1ゲートから大型トレーラーが4台入ったという情報がはいった。機動隊はN1方向の橋を封鎖してしまい、私たちはN1に行かれなくなった。この日の行動はこれで終わった。

住民の会の代表が県道わきの広場での総括集会を呼びかけた。この広場はすでに米軍北部演習場の一部で、米兵も一休みに利用しているところだという。実に驚きだ。県道からは柵もなくすぐに入れるところ、そこが米軍基地なのだ。広場では弾丸も散らばり、ゲリラ訓練地らしく沢もあり急な崖をのぼるロープも張られていた。住民の会の代表が「車の周りの座り込みは(7月22日以降)初めて。2時間以上作業を遅らせることができた。こうした抵抗を続けていく」と話した。また、N1裏のテントに捜索が入るかもしれないので、可能な人はこれからN1裏に行ってほしいという要請もあり、車でN1裏のテントに移動する。テントでは三線のコンサートやスピーチが行われて参加者も多かった。

本土から派遣されている機動隊の宿舎で、沖縄で最高級クラスのカヌチャベイ・ホテル。大浦湾を一望できるというのでそこで昼食をとり、那覇市に戻った。

今も続けるオスプレイ配備反対行動

30日は早朝5時半に宿舎を出発し、6時から始まる普天間飛行場の大山ゲート前で行われている行動に参加する。出勤する米兵へオスプレイ反対のアピール行動がいまも続いている。大山ゲートは長く急な坂の上にあり、米兵への訴えは効果的だ。基地に働く日本の人や業者には笑顔で挨拶する。この行動は週のうち月、火、水、木、に行い、土曜日は高江に行っている。早朝の行動なので、高齢者が続けているようだがその日の参加者は18名だった。

また、普天間飛行場の野嵩(のだけ)ゲートでは毎日7時から8時まで取り組まれている。私たちはほとんど終わりごろに到着したのでご挨拶だけに終わった。ここは高校の通学路になっていて若者への訴えにもなると思った。基地の周囲を回りこんだ場所で、普天間飛行場の格納庫から出され早朝の調整をしているオスプレイも間近で見ることができた。回転翼がヘリに比べて大きく、20機ほどが並んでいた。

東京に戻ってから、高江の工事現場へ自衛隊による工事用重機が空輸され、これまでにない自衛隊の使い方の例をつくった。安倍政権は、来年2月のヤンバルクイナの繁殖期のために工事ができなくなる前にヘリパッドを完成させようと、強硬で強引な策を続けている。いっぽう高江や沖縄の人々は、基地強化に反対し生活と自然環境を守りぬこうと日夜奮闘している。本土の私たちは、沖縄への連帯ではなく、自身の平和や暮らしのあり方としての行動が問われているという思いを新たにした高江訪問だった。

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