私と憲法184号(2016年8月25日号)


安倍改憲と憲法審査会、改憲国民投票について

安倍首相は2016年夏の参院選の100回に及ぶ街頭演説で「改憲問題」に一言も触れずに、結果として改憲派の議席において両院の3分の2をかすめ取った。にもかかわらず首相は、選挙直後の記者会見で「いかにわが党の案(自民党改憲草案)をベースにしながら3分の2を構築していくか。これがまさに政治の技術」(7月11日)だと言い放ったのである。このような文脈で「政治の技術」という用語を使う安倍晋三のイデオロギーは、民主主義とはほど遠い、まさに独裁者の思想ではないのか。

つづいて内閣改造後の8月3日の首相記者会見では憲法問題について、次のように発言した。

「改憲は立党以来のわが党の党是と言っても良い。私は総裁だから実現のために全力を尽くすのは当然で、歴代の自民党がそうだったように、この課題 に挑戦をしていく責務を負っている。自分の任期中に果たしていきたい、こう考えるのは当然のことで、歴代の自民党の総裁もそうであったと思う。そう簡単なことではないのは事実で、政治の現実において一歩一歩進んでいくことが求められている。改憲は普通の法律と異なり、3分の2の賛成で発議する。国会は発議することが役割であり、国民投票によって過半数の賛成を得て決まるので、与党が賛成すればできるものではない。その数を選挙で得たからと言って、改憲が成し遂げられるものではなくて、大切なのは国民投票でその過半を得ることができるかということではないか。まずは具体的にどの条文をどのように変えるかは、国民的な議論の末に収斂(れん)していくと思う。まずは憲法審査会の中で、静かな環境において(議論し)、所属政党 にかかわらず、政局のことは考えるべきではないと思う。日本の未来を見据えて議論を深めていって、国民的な議論につながっていくことを期待したい」と。

安倍はまず憲法審査会で「どの条文をどのように変えるか」を議論したいと言った。これは重大な問題が含まれているので後に検討したい。

安倍晋三首相は2016年年頭からしきりに自分の「任期中の改憲」について触れていた。自民党の総裁は党則で、任期が3年で連続2期までと定められ、現在2期目の安倍総裁の任期は、2018年9月までとなっている。しかし、このところ改憲反対が多数を占める世論の動向からみて、両院で改憲発議に可能な3分の2の議席を保有しているからと言って、明文改憲の条件は極めて厳しくなっており、安倍のいう「政治の技術」を駆使しても、憲法審査会での議論→憲法審での改憲原案のまとめ→両院での改憲原案の採決→改憲発議と国民投票の周知期間→改憲国民投票、などなど最速の日程を考えても「任期中の改憲」(あと2年の内)は容易なことではない。

そこに降って湧いた自民党の谷垣前幹事長の交通事故だ。安倍晋三はこれを奇貨として、自民党執行部の中心の幹事長に従来から「安倍首相任期延長論」を唱えていた二階俊博を据え、党則の変更と総裁任期の延長による中期政権の実現によって明文改憲のための時間稼ぎを可能にする党執行部体制づくりを断行した。もし連続3期まで可能ということになると、2021年9月までとなり、明文改憲の発議のための時間がかせげるということになる。ついでにいえば、安倍晋三の祖父・岸信介が誘致をしておきながら東京五輪の開会式にでる夢が破れた「悲願」も達成できるとの与太話も存在する。

二階俊博はこう語った。
「(党内に任期の延長問題を議論する組織を設置したい、そして)「党内の意見をよく聞いて結論を得たいが、政治スケジュールのテンポとしては、ずっと引っ張ってやる問題ではない」と述べ、年内をメドに結論を得たいという考えを述べたのである。これによって、安倍の任期中の改憲の可能性が現実味を帯びてきた。最高権力者の安倍首相の意志で、明文改憲に着手し、すでに手に入れている両院の総議席の3分の2によって改憲を発議し、国民投票にかけるとすれば、これぞ「立憲主義」の禁じ手、プレビシット(いわゆる人民投票=為政者が自らの政策を正当化するために利用する国民投票)そのものに他ならないのではないか。

憲法審査会について

安倍首相は憲法審査会で議論する、決めてもらうというが、現実の憲法審査会はどうなっているだろうか。

憲法審査会は、「日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制について広範かつ総合的に調査を行い、憲法改正原案、日本国憲法に係る改正の発議又は国民投票に関する法律案等を審査する機関」とされている。これは要するに2つの任務を持つと考えられる。

安倍首相はまず「憲法審査会が改憲原案を審議する」というが、これでははじめに改憲ありきの議論になってしまう。いずれの報道機関の世論調査をみても、改憲の必要を主張する人びとは少数派である。にもかかわらず、改憲ありきの議論をするならば、前述したように、「最高権力者の安倍首相の意志で、明文改憲に着手する」ことになってしまう。

憲法審査会はまず、その任務の第1、「日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制について広範かつ総合的に調査を行」わなくてはならないのであり、例えば日本国憲法に密接に関連する「安保法制(戦争法)」と、それを正当化した2014年7月1日の閣議決定に関する検証を徹底的におこなう任務があるのは明白だ。

しかし、憲法審査会は前通常国会では1度開催されたきりで、与党の意志で開店休業になっている。

2015年6月4日、衆院憲法審査会に出席した3人の参考人、自民、公明、次世代の各党が推薦した長谷部恭男早稲田大教授、民主推薦の小林節慶応大名誉教授、維新推薦の笹田栄司早稲田大教授の3人が、いずれも「安保法制は憲法違反」と指摘したことで、ふるえあがった与党は、勝手に憲法審査会を止めてしまった。この責任が安倍晋三自民党総裁にないとは言わせない。憲法審査会の当然の任務、安保法制について「広範かつ総合的に調査をおこなう」ことを回避しておいて、突然改憲原案の審議にはいることなど認められるものではない。

さらに重大な問題がある。憲法審査会の構成は衆院憲法審査会50名(会長・保岡興治・自民)、幹事9名(うち自民6、民進2、公明1)、委員40名(うち自民24名、民進8名、公明3名、共産2名、維新2名、社民1名、)、参院憲法審査会45名(会長・柳本卓治・自民)、幹事9名(うち自民4名、民進2名、公明・共産・維新各1名)、委員35名(うち自民19名、民進7名、公明2名、共産2名、維新2名、希望1名、無所属クラブ1名、日本1名)である。両院の会長を自民党が握った上、自民党単独で過半数を大きく上回っている。多少、他党に妥協する案を作るかどうかを含めて、改憲原案は自民党の意志で決まるのだ。一定時間、論議をすれば、国会ではほとんどの対決法案が採決で決められてきたように、安倍首相のいう「どの条文をどのように変えるか」は自民党の意志で決まる。これでは立憲主義など、まるで無視された状態だ。

改憲国民投票について。

まず、市民運動の一部にある国民投票への幻想を克服する必要がある。

「参院選で改憲発議可能な議席3分の2がとられたが、まだ国民投票があるから」という、最後の砦として国民投票に期待する意見がある。

改憲派は3分の2をとっても、すぐに改憲原案を発議できない。改憲派の中で、憲法の「何から、どう改憲するか」の意見がまとまっていない。ただちに9条からというやり方は改憲派もあきらめたようだが、では緊急事態条項附加の改憲からかというと、その可能性は大きいが、これも必ずしも改憲派の一致がない。改憲論の中にはまず改憲ありきで、「そのていどのことでわざわざ改憲する必要があるのか?」と言われかねない各種のネオリベ改憲論(大阪維新がしきりに主張する「財政規律」「地方分権」の導入のための改憲論など)まである。

自民党の一部や安倍首相は「総裁任期の延長」して

でも改憲発議をと考えているようだが、そうであれば改憲発議前に、総選挙も参院選も考えられる。ここで、今回の参院選の経験をいかした「野党4党+市民」の共同によって3分の2を阻止する闘いを展開することは可能だ。

そして何より、国会外の市民運動を高揚させ、全国的に改憲反対の世論を作り上げ、改憲発議と国民投票を阻止する闘いを作り上げることは可能だ。

なぜ私はただちに改憲国民投票に賛成しないのか。それは現在ある改憲手続き法(国民投票法)が民意をただしく反映できない重大な欠陥立法だからだ。国民投票の有料宣伝は資金・組織力の多寡によって大きな差が生じるし、公務員の憲法に関する国民投票運動に不当な差別・制限があること、国民投票運動期間が極めて短かく、有権者の熟議が保障されていないこと、国民投票の成立の条件としての最低投票率が定められていないことなどなど、多くの点で国民投票を提起する議会多数派(一般的には政府与党)に有利な制度設計なのだ。

これはプレビシット(為政者のための人民投票)の危険がある。ナポレオンやナチスはこうやって国民投票を利用した。最近では英国のEU離脱の国民投票や、タイの軍事政権がつくった憲法草案を承認する国民投票の経験がある。これを見ないで、単純に国民投票が民意を正しく反映するなどと思ったら、大間違いだ。

戦争法などに反対し、憲法審査会を監視し、民意を正しく反映しない「国民投票」やプレビシットに反対する運動を通じて、民主主義をいっそう根付かせ、憲法を守り、活かす民意を強化することこそ、焦眉の課題だ。(事務局 高田健)

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2016年参議院議員選挙を受けての声明

2016年7月15日 立憲デモクラシーの会

このたびの参議院議員選挙を受けて、立憲主義の回復・強化を目指す立場から、所感を示したい。

1 憲法改正について

安倍政権は、2012年と2014年の衆議院議員総選挙、ならびに2013年の参議院議員選挙において、集団的自衛権の行使容認を争点として明示しなかったにもかかわらず、2014年には従来の定着した閣議決定を覆し、2015年には一連の安保法制を立法化して、憲法の枠内で政治を行うという立憲主義の基本原則を根底からゆるがした。

今回の参議院議員選挙の選挙運動においても、安倍首相と与党は、憲法改正にほとんど言及せず、憲法改正が有権者の信を問うような争点ではないとの主張に終始した。これに対し、野党側は、従来からの政権の政治姿勢に照らして、選挙では憲法を争点として明確化することを回避した上で、参議院でも憲法改正発議に十分な議席数を得れば、一転して憲法改正を推進するのではないかとの危惧から、もし憲法改正を志すのであれば、正面から論争を提起し、選挙戦で議論すべきだと訴えた。

しかるに安倍首相は、そうした当然の要求をはねつけておきながら、選挙後には、憲法改正についても民意による承認が得られたかのごとき発言を行っている。さらに、憲法改正を行うこと自体はもはや既定方針であり、改正項目の選択の問題であるとか、改正内容を決めるのは国会の権限であり、国民ができるのは国民投票で賛否を示すことだけであるとの一方的な決めつけをしている。

また、世論に多大な影響力を有するマス・メディアは、政権の意志を忖度してか、選挙前には政治報道を縮小し、今回の選挙結果が憲法改正に及ぼしうる効果についても事前に伝えなかったにもかかわらず、選挙後には一転して、参議院でも「三分の二」が確保されたと喧伝し、憲法改正が既定方針であるかの世論形成を助長している。

立憲主義擁護の観点から、こうした一連の経緯について、以下の諸点を指摘する。

第一に、憲法改正のような国政上の最重要事項について、それを選挙に際して最重要の争点として明示しなかった以上、選挙に勝利したからといって、民意による承認が得られたとすることは許されない。そのような「争点隠し」を憲法について行うことは、主権者である国民を欺瞞し、愚弄するものである。(次頁へつづく)

第二に、何らかの意味で改憲に積極的な議員数が衆参両院で「三分の二」を超えたという事実は、憲法改正手続に照らして無意味であり、これを喧伝して憲法改正の方針が固まったかのように主張することは虚偽である。現時点では、各政党間で、改正項目についての合意が得られておらず、特定の項目について、両院で三分の二の議員が賛成する見込みは全く立っていない。国会による憲法改正の発議は、「関連する事項ごとに区分して」行われることになっているため(国会法68条の3)、雑多な提案を抱き合わせにして、一括して国民投票にかけることもできない。安倍首相らは、自民党の改憲案が議論のベースになるとも主張しているが、この改憲案は立憲主義の基本原則をふまえず、憲法そのものの否定につながりうるものであり、与党内においてさえ、これをベースとする合意が得られるとは思われない。

以上から、現状では、憲法改正の条件は全く整っていないことを確認したい。

2 安保法制について

当会が繰り返し主張してきた通り、一連の安保法制は、実質的に憲法9条の改正に等しい規範内容の変更をもたらすものとして、違憲であり、廃止されるべきである。同法制をめぐる閣議決定と、強行採決を含む立法手続きは立憲主義をふみにじるものであり、容認できない。

安保法制により、武力の行使には当たらない「国際社会の平和と安定への一層の貢献」として、他国軍の後方支援やPKO活動の任務が拡大された。しかし国会審議にあたっては、それら自衛隊の海外での活動に関する議論は不十分にとどまり、国民共通の理解が深まっているとは言いがたい。

そうした中、自衛隊が派遣されている南スーダンの治安情勢が急速に悪化している。法制上は想定されていない事態が発生した結果として、隊員や在留邦人そして現地住民の命が無用な危機にさらされ、あるいは奪われるおそれが高まることが懸念される。この事態に際し、自衛隊の撤退を含む措置が緊急に必要である。

それに加えて、この機会に、いわゆる集団的自衛権の行使容認がもたらす効果について、国会で再検討がなされ、安保法制の廃止と立憲主義の回復が実現されることを強く求めたい。

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東京都知事選の結果についての見解

2016年7月31日の東京都知事選挙において、小池百合子候補が当選し、市民連合が推薦をした鳥越俊太郎候補は増田寛也候補に次ぐ3位に終わりました。鳥越候補が、都知事選における野党候補としては久しぶりに100万票を超える130万票あまりを獲得したとは言え、不本意な結果となったことを重く受け止めています。

前都知事の突然の辞職を受けて、参議院選挙のさなかから野党統一候補の擁立を模索する関係者の努力がなされましたが、そのプロセスは決して平坦とは言えませんでした。市民連合では、7月13日に宇都宮健児氏が出馬を取りやめられたことを受けて15日に懇談を請い、お話を伺いました。その上で、翌16日に政策協議を経て鳥越候補を推薦する方針であることを表明し、19日に鳥越候補との政策懇談会を持ち、正式に推薦を致しました。

しかし、7月10日の参議院選挙が終わるまで、市民連合としては都知事選に一切関与する余裕がなかったこともあり、メディアの煽る劇場型選挙に抗することができず、また、野党統一候補への支援体制の構築が大幅に出遅れたことが、残念な結果につながってしまいました。

都知事選は国政選挙と多分に異なる事情があり、今回、力不足であったことをもって野党共闘そのものを失敗と決めつけるのは的外れであり、それこそ改憲勢力の思う壺と言わざるを得ません。

しかし今後、市民と野党の信頼関係にもとづく共闘をいっそう深化させるためには、候補者一本化にあたって、充分な透明性や政策論議を担保することが喫緊の課題であることを痛感しています。市民連合としては、10月の衆議院補選そして来るべき衆議院選挙に際して野党共闘をさらに強力なものにするため、原則として公開の政策討論会や候補者と野党間の公開協議などを実施することを、野党に積極的に要請していきたいと考えます。
2016年8月2日  安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合

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第106回市民憲法講座 参議院選挙の結果と「新たな戦前」について

お話:高田 健さん(許すな!憲法改悪・市民連絡会)

(編集部註)7月23日の講座で高田健さんが講演した内容を編集部の責任で要約したものです、要約の責任はすべて本誌編集部にあります。

はじめに

こんばんは。実は横須賀でお話をして、その後にスタンディングアピールをみなさんとやってからバタバタとこちらにきました。参議院選挙が終わってまだ2週間です。この間にみなさんもさまざまなデータを通じて考えられていると思います。参議院選挙についての一定の分析について問題提起をしながら、特にこれから憲法改悪を阻止するためにどうやっていくのかについて私が考えていることをお話ししてみたいと思います。とはいうものの参議院選挙が終わったらそのまま都知事選挙に入っている最中で、走りながらあれこれ考えてきたことについてお話をしてみたいと思います。

昨日も鳥越候補は有楽町と新橋で夕方大規模な演説会をやって、私たちもそこで応援をしていましたけれども、本当にこの帰趨は予断を許さない状況です。大変厳しい状態もあって何とかして勝ち抜きたいと思っていますが、参議院選挙の結果をさらに東京都知事選挙につなげていく、あるいはその先に、間違いなくあるのが10月の衆議院の補欠選挙です。小池百合子さんがさっさと辞めましたから、豊島区、練馬区の一部などの東京10区で10月末には補欠選挙があります。それから鳩山邦夫さんが亡くなりましたから、これは福岡5区でしたでしょうか、そこで10月には衆議院の補欠選挙があるのは間違いありません。さらに衆議院選挙が年内にあるのかどうか。つい先ほどまでは年内説がかなりあったけれど、それをどう見るかということもわたしなりの考えを申し上げておきたいと思います。

2016年参議院選挙の結果とその特徴

参議院選挙の結果をどう見るか、これはみなさんひとりひとりの感想を聞いてみたいと思うところです。みなさん一定の判断をもって、あの10日夜の投開票を見ておられたと思うんですね。いくつか考える上で、いろいろな情報があるけれども安倍晋三首相は今どこに行ったのですかね。別荘に行って遊んでいるんですよね。これは結構複雑な心境だと思います。週刊誌の一部では、安倍さんは今度の選挙は勝ったと思っていないと書かれています。安倍さんは自民党の総裁で首相ですから、非常に厳しい選挙区には集中的に応援に入っています。選挙の時に首相が応援に入れば、とくに安倍さんがやった選挙の中ではかなり影響が大きくて、そこは勝つのが実際には相場になっている。そういうことも狙って安倍さんは入った。意識的に入っていって、いろいろなところで岡田さんとぶつかったりしました。ところが安倍さんが入ったところは、わたしはいまデータをもっていませんけれども、たぶん13くらいの選挙区のうち11くらいで負けています。安倍さんがここで絶対勝たなきゃいかんと思って必死に入ったところが必ずしも勝てていない。気分は晴れ晴れとしていないんですね。東京都知事選挙という日本の将来を大きく左右する、この選挙の真っ最中に自由民主党の総裁がいないという非常に奇妙なことになっています。あの人の性分から見てまた投げちゃうんじゃないか。これは冗談ですけれども、来週になったら休み明けで出てくると思います。これは非常に不思議な現象です。安倍さんの今の心境をあらわしているように思います。

私の印象はどうだったかと今日も聞かれましたが、前回と比べれば明らかに大きな前進が今回の結果ではあったと思います。私たちは3分の2を改憲派に取らせないということで、これは民進党などもそういう目標を立てました。市民運動も全体で3分の2を取らせないという目標でやってきましたから、その点でいうと勝てなかったというのは間違いありません。改憲派に3分の2を取らせてしまったから。しかし、改憲派に3分の2を取らせて改憲が一気に近づいた状況かというと、必ずしもそうではないと思います。本当に近づいたのかというところも分析をしてみると、考えるべきことがいろいろとあります。ですから、重要な前進があって大きく負けなかった、十分目標は達成できなかったけれども、という何となく複雑な感想がわたし自身にはあります。

レジメを見ていただくと改憲4党を合わせて77議席を獲得し、この4党だけでは改憲発議に必要な78議席には至りませんでした。けれども非改選の無所属の議員で、憲法改正には賛成だという議員が4名ほどいます。ただどういう改憲をするのかというのはこの4人でも微妙に違って、一概に安倍さんの考えている改憲と同じという意味ではありません。この辺も検討しておく必要がありますが、いずれにしても戦後初めて憲法を変えよう、明文改憲をやろうという勢力が両院で3分の2を超える議席を占めたということに関しては間違いない事実です。

重要なことは、その中で野党が今回は32の1人区全体で野党統一候補を立てることができました。こういうかたちで野党統一候補が成立して政権党に対峙してたたかったというのは、これは戦後と言いますか、日本の議会史上でも初めてのことなんですね。89年に連合というのができた経過が一度ありまして、これは連合参議院を支援するのは共産党をのぞいた当時の野党のいくつか、そういうかたちの各政党以外のこういう動きは、かたちで言うと2回目です。けれども正面から市民団体が中心になって野党と一緒になって共同候補を立ててたたかったというのは、私たちにとって、日本の政治史にとって初めての経験だったと思います。それを7月12日の朝日新聞の社説は「市民の声と行動が実現させた野党共闘」と表現していました。その通りだと思います。

32の1人区を立てました。1人区というのはご存じのとおり地方の県が多いです。私は福島の出ですから言ってもいいと思いますけれども、1人区のところはやっぱり全体に保守的雰囲気が強いところです。選挙区全体の雰囲気としてはやっぱり与党が強いというか保守的雰囲気が強い選挙区、その1人区が32ありました。この32の選挙区の行方が選挙戦全体を大きく左右するというのは、参議院選挙に関してはずっと言われてきたことです。このうちの11の選挙区で野党が勝った。かなりぎりぎりで勝ったところもありますけれども、野党4党の連合と、野党4党と市民連合が推薦などをやりました。そうした運動が11の選挙区で勝ったというのは、やっぱり大変大きな特徴だと思います。とくに東北地方一帯、もともとここは自民党の地盤になっていたところです。ここが大きく崩れた。これは非常に大きい変化だったと思います。

この間の政治的な焦点としては、沖縄と福島はやっぱり最大の焦点に位置づけていいところです。沖縄は辺野古も含めた基地の問題をどうするのかということですし、福島は福1の原発をどう見るのか。そしてここはどちらも安倍政権の現役の閣僚がいた。この重要な課題を掲げた選挙区で、どちらも与党候補、閣僚が落選したことは安倍政権にとっては大打撃だと思います。ここは2人区だったのが1人になったんですね。だからなかなか厳しい選挙区でした。福島は本当に保守的な雰囲気が強いところですから、そこで民進党の増子さんが勝ったということは大変な出来事だと私は思っています。この1人区は、前回は31の1人区のうち2議席しか野党は勝てなかった。宮城県も2人でした。1人区はそのあと合区の問題もあって計算が前後しますが、31の1人区で2議席しか取れなかった。

そういう中で今回の議席の変化があった。11日に発表されている朝日新聞の出口調査によると、1人区においては無党派層の6~8割が野党統一候補に投票した。これの根拠はわかりません。朝日新聞が調べたというものですから。無関心層ではないんですね。無党派層の6割から8割が野党統一候補に投票した。これも私は大変な変化だと思います。野党に入れるのがこんなに多いというのは、本当に大変なことです。4月にあった北海道5区の衆議院補欠選挙のたたかいに傾向としては似ています。やはり野党候補に対する無党派層の支持が結構高かった。それと同じような傾向が、今回の選挙結果を見るとあらわれていたと思います。

最大の課題だった改憲の行方

選挙結果をあれこれ数字を見てみてあらためて思うのですが、今回の選挙の本当の争点が何だったかという話ですね。この選挙は何で争われたのか。先ほど沖縄と福島の話はしましたけれども選挙戦全体での争点は何で、結果としてこうなったのか。今回は非常に奇妙な選挙でしたね。安倍さんは、今年の初めや去年の暮れに自分の任期中に憲法改正―憲法改悪をすると言い続けていたわけです。自分の任期中に憲法を変える。そのためには夏にある参議院選挙が非常に大事だ。これは1月2月3月と、国会の答弁も含めて言ってきました。ところが選挙の直前から、安倍さんはぴたっとこの問題で口を閉ざした。非常に不思議なことです。

自分の任期中に憲法を変えるということはどういうことか。今また任期を延ばすみたいな話があって、土俵をさらに広げようということを自民党の中でも言っている人がいるみたいです。野田聖子さんは反対だと言っているようです。安倍は2018年9月までが自民党総裁の任期です。これで2期やることになるので、自民党の規約ではこの2018年9月で安倍さんは終わりです。彼が任期中に憲法を変えると言ったということは、2018年9月までに憲法を変える。もちろん全部を変えるということではないでしょう。憲法のいくつかを、解釈を変えるだけではなくて明文改憲をすると言い続けてきました。その考え方に沿って2018年9月までに憲法を変えるためには、衆議院は3分の2を持っていますから、参議院の3分の2も取らなければいけなかった。それで今度の参議院選挙が安倍さんにとっては非常に死活問題になっていたはずです。

ですから今度の参議院選挙では、憲法改正―改悪の問題を正面から訴えると言ってきたのに、選挙が近くなったらぴたっと口を閉ざした。いろいろな調査でまったく間違いがないと思いますけれども、安倍晋三はこの選挙の約100回の街頭演説で「改憲」という問題について一度も触れなかったと言われています。今は動画がありますからどこかで言っていればわかるのですけれど、私が聞いている限りでは安倍晋三は街頭では「改憲」という問題を全然訴えなかった。そして彼らが今度の参議院選挙に出した政策、その中でどう書いてあるか。政策は26ページくらいあって自民党のホームページから取れます。最初に主な政策がわかりやすく書いてあり、国民に自民党は何を訴えるか。その何ページかの主な政策の中には憲法の「け」の字もまったくないんです。そのあとに政策BANKというのがあります。これはものすごく小さい字で、私などは読むのに非常に苦労する。その政策BANKの一番最後のページに、2段くらいだけ憲法について書いてあります。その中身はレジメに引用してあります。ですから安倍さんは、今年の年頭から憲法改正を参議院選挙で問うと言いながら、このパンフレットを含めて、今回は正面から参議院選挙で憲法改正、改憲の問題を問わなかった。

憲法問題を一生懸命言ったのは野党です。これは安倍さんが隠しているということで、民進党も共産党もその他の野党もこれを追及した。今度の参議院選挙の最大の争点は憲法だ、この問題を巡ってどうするのかが最大の問題だということで、野党が改憲問題を争点に押し上げてたたかったわけです。民進党のスローガンを見て私は本当に驚きました。「3分の2」ですよね。民進党がここまで言うかと、私は去年、一昨年の経過を知っていますから本当に驚きました。私もここまで彼らが言うとは本当に思いませんでしたね。でも民進党は今度の選挙は本当に3分の2を取らせないということで、岡田代表以下全力を挙げてたたかった。

自民党政策パンフレットの「政策BANK」末尾

国民合意の上に憲法改正  わが党は結党以来、自主憲法の制定を党是に掲げています。憲法改正においては、現行憲法の国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の3つの基本原則を堅持します。現在、憲法改正国民投票法が整備され、憲法改正のための国民投票は実施できる状況にありますが、憲法改正には衆参両院の3分の2以上の賛成及び国民投票による過半数の賛成が必要です。そこで衆議院・参議院の憲法審査会における議論を進め、各党との連携を図り、あわせて国民の合意形成に努め、憲法改正を目指します。

ですから野党4党全体は憲法問題を正面に掲げてたたかいました。憲法問題を与党が取り上げない、野党が取り上げるというかたちでの奇妙な選挙戦がやられたわけです。

争点隠し 3割減ったメディアの選挙報道

これでいくつか不思議なことがあります。とくに毎日新聞が調べたものです。今回の参議院選挙は相当低調になる可能性があった。投票率がどの程度いくだろうかということを含めて非常に低調だった。テレビの報道が前回に比べて3割減っているということです。だから、いろいろな人が関心を持てないような仕組みになっているんですね。非常に不思議なことです。むかし森喜朗が「有権者は寝ていてくれた方がいい」と言った。たぶんそれですよ。寝ていてくれた方がいいんですね。あまり関心を持たれない方が与党にとっては都合がいいという、奇妙な参議院選挙になった。私たちや野党は投票率をどれだけ上げるか、これがすごく大事だということで、選挙戦の最中も選挙に行こうという街頭宣伝を一生懸命やりました。そういう中で投票率についてメディアの報道はこういう報道だった。

途中から、言いたくないですけれども、舛添問題でしょ。舛添問題がメディアをばーっと占拠して、いつの間にか参議院選挙がどういうかたちで争われているのかということが伝えられなくなっている。私はこの点で石田純一さんは本当に偉い、助かったと思っています。彼が飛び出して、自分は野党4党が支持するならば東京都知事選挙に出てもいい、といってくれたときは本当にうれしかった。彼が、野党4党が一緒になって参議院選挙を戦っているということを有権者に思い出させてくれたんですよ。彼がああ言わなかったら、本当に野党4党の共闘なんていうことも関心事からいうと低くなりかねなかった。そういういろいろなやりとりはありましたけれども、今回の選挙で憲法改正、あるいは野党4党の共闘などということを含めて、争点が正面から争われるような選挙にはならなかった。たぶん安倍さんの政党と与党は、そういうことを望んでいたと思います。改憲問題に関していうと、繰り返しいいますが野党の方が、市民の方がそれを争点に押し上げた。

ところが開票があった翌日の新聞ですよ。ほとんど大きな新聞の見出しが「改憲勢力 3分の2」、大きな見出しがそれですよ。改憲勢力、改憲派という問題が争点にされていなかったのに、結果が出たところだけ改憲派3分の2と書いている。争点はアベノミクスだなどといっている某読売新聞とか某産経新聞はそう書いた。それも勝ち誇ったように書いたんですよ。改憲が承認されたと、そう書いた。

幻想がもてない憲法審査会の議論

安倍さんは改憲が承認されたということで即座に言い出したことは、憲法改正をどこから進めるのかということについては国会の憲法審査会で慎重に検討していただくということです。たぶん、8月の始めに一度臨時国会がありますが、9月にもう一回長い時間の臨時国会が開かれます。その9月の臨時国会から憲法審査会が再開されることになると思います。この憲法審査会の中でどういう改憲をやるのかを決めて、そのあと憲法審査会で改憲原案を決め発議をして、国民投票にかけるというということが安倍さんのこのあとの計画です。

ところが憲法審査会というのはかなり危ないものものです。市民連絡会は憲法審査会の前身の憲法調査会の時代から、毎回10人あるいは20人くらいでほとんど全部の憲法審査会を傍聴してきました。たぶん私たちの団体が憲法審査会については一番傍聴していると思います。国会議員は途中で交代しますから、国会議員よりも多いくらい、この間憲法審査会をずっと見てきました。

そういう中で非常に感じることは、憲法審査会は憲法の問題だから民主的に運営するといっても、これはやっぱりたかがしれているんです。憲法審査会がまともな審議をしてまともな結論を出す、なんてことは本当に思えないんですね。衆議院の憲法審査会は委員が50人です。参議院の憲法審査会は45人です。衆議院の憲法審査会50人のうち日本共産党が2人です。社民党はゼロです。あとは自民党、公明党、民進党、ムニャムニャって感じです。毎回2時間程度の議論をやります。2週間に1回くらい、衆議院と参議院が交代でやるから毎週あったりします。ここで2時間国会議員が議論する。そうすると、勢力の大きい自民党とかそういうところから、憲法についての意見をどんどん発言していきます。そして最後のころに共産党が発言します。ずっと発言してくると、それで時間は終わりです。元気のいい共産党の議員はもう1回途中で手を挙げて再度発言することはありますけれども、1回の憲法審査会でいくら何でも1人の議員が4回も5回も発言するなんていうことはありませんよ。それはそうですよね。時間が決まった中で、一定の人数が決まった中では。ですから傍聴していて非常につらいのは、延々と2時間以上黙っていないといけない。ヤジを飛ばすとつまみ出されますから。私たちは黙って見ていながら、憲法改正をしようという与党系の意見を繰り返し繰り返し聞かされるわけです。最近は野党の中でも憲法改正をしようというおおさか維新とか出てきていますから、政党の数は非常に多くなりましたけれども、発言としては改憲をしようという発言がずっとあります。

今まで憲法調査会から憲法調査特別委員会、そして憲法審査会というように、その都度採決をして組織も変わってくるんですが、どうなるかというと「一定の時間みなさんで議論をしました。もう意見は出尽くしたと思います。これ以上やっても同じ意見しか出てこないと思います。」と会長がいうわけです。そろそろここらで採決をしたいと思います。それに共産党は反対といいます。反対といったところで多勢に無勢です。それで決まります。だから9月から始まる憲法審査会というのもどれほどのものか。確かに憲法審査会で議論すれば一定の議論の深まりはあります。議論のやりとりもあり、まったく無駄とは私もいいません。しかしもう出口がはっきりしている議論ですよ。だから今の衆議院でいえば、共産党の議員がどれだけうまく暴露するか、あるいは民進党の何人かが民進党も改憲に反対だということをどれだけ頑張るか、その程度でしかありません。そういったら審査会に出ている議員の人は怒るかもしれませんが、憲法審査会というのはたかだかそれくらいのものです。ですから安倍さんは、もったいぶって憲法審査会にかけて審議してもらって改憲の原案をつくる。非常に民主的にやると偉そうにいっていますけれども、もう安倍さんは結論がはっきりしているんですよ。ここでやれば自分達が勝つと思っている。だからここに私たちはそんなに幻想を持てません。

国民投票の危険性と課題満載の手続き法

さらに大きな問題があるのは、このあとの国民投票です。憲法審査会が改憲原案をつくったら国民投票にかけるというんです。国民投票というと、有権者のひとりひとりがこの改憲についての意思を表明できるという意味で、非常に民主主義的な直接民主制による大事な制度のように思うと思うんです。これは、私は非常に危ないと思っています。いろいろなところでお話ししていますけれど、高田は要するに国民投票に持って行かせないということをいいたいのかといわれて、その通りだと私はいいました。憲法審査会で議論してそのあと国民投票に持っていきますと安倍さんはいっていますけれども、まず私たちがやらなければいけないことは、国民投票に持って行かせない運動を相当にやらなければいけない。もちろん持っていったら、そこはそこでたたかいます。どうしてかというと、国民投票をやるための「改憲手続き法」という第1次安倍政権によってつくられた法律がとんでもない法律なのです。本当に民意を正確に反映できるような国民投票法ではありません。そういうもとで国民投票をやったらどういうことになるかという問題があるわけです。

最近はEUについてのイギリスの国民投票があって、多くの人が国民投票といってもいろいろな問題があるとあらためて気付かされました。私は良かったと思っていますけれども、国民投票についての幻想や期待というものが非常にあります。日本の運動の中にも非常にあります。もしかしたらここに意見の違う方がいらっしゃるかもしれませんが、私は原発国民投票にも反対しました。原発都民投票にも反対でした。それは本当に民意をあらわすことになるのかどうか。危なくはないのかということをずっと言い続けました。みんなが1票投票すれば何でもみんなの意志があらわれると思うのは、本当に危ないと思っています。

安倍さんが国民投票をやるために依拠する法律の問題点、いろいろな問題点があるけれどもとりあえず3つあげておきました。カタログハウスの「通販生活」という雑誌が前の号で国民投票についての問題を指摘していて、なかなかいい指摘だと思って私は賛成だといっていました。カタログハウスの斉藤駿さんたちは、この問題が解決しない限り自分達は国民投票に反対だというキャンペーンを雑誌でやっていました。何かというと広告の問題です。カタログハウスは広告会社ですからこの分野の専門家です。この国民党投票運動で広告がどうなっているか。いまある国民投票法――改憲続き法で見ると議席の多寡あるいは有料広告が認められるとか、これは資金の問題です。そういういろいろな点で非常にメディアの広告について不公平なところがあります。私たちは国会で審議しているあいだもこの問題をずっと指摘していましたが、必ずしも聞いてもらえなくて強引に通過させられました。

2番目には公務員や教育関係者の政治活動、とくに国民投票運動について非常に不当なたくさんの制限がついています。先生方については敵視をするような、この連中は危ないことをやるに違いないというようなことが前提になった、国民投票運動の自由に関する問題があります。

もうひとつ大きな問題は、投票の成立要件です。どうなったらその国民投票は成立したといわれるのか。これも一時期関心が持たれた憲法96条との関係があります。これとの関係で、ひとつは憲法改正国民投票がそれ自体独自に、それ一本で投票をする場合と、国政選挙と一緒に投票をやる場合、どちらでもいいということに96条はなっています。安倍さんが確実にやるであろうと思うのは、国政選挙と一緒に憲法改正国民投票をやる。たぶん間違いないです。そうしたらどうなりますか。国政選挙の多数派にとって有利な結論になる可能性が非常に大きいわけです。

そういうもとで国民投票がやられていくわけですが、成立要件がはっきり書いていないという問題は「過半数という支持があったら」ということです。細かい問題でいうと、過半数の中に有効投票とか無効投票が含まれるのかという問題があります。また、もしこの投票率全体が50%を割っているような投票だったらどうするのか。これは大き問題ですよね。投票率が50%に行かない中での国民投票で、25%以上によって憲法改正国民投票は成立してしまう。50%いったらいい方かもしれません。もっと低い可能性だってある。これは国によっては、もちろん過半数ではなくて3分の2とか5分の4とかさまざまな規定があって、できるだけ憲法改正の国民投票については慎重に扱うことが実際には非常に配慮されています。けれども日本の国民投票の場合にはそういう配慮がありません。

過去の例からみても危険性がある国民投票

私は、いま市民運動の中でも必ずしも国民投票についての十分な意思統一、意志一致がないといいました。この国民投票の危険性についての私たちが訴えが、まだまだ不十分だとわたし自身も思っています。国民投票というのは、本当の意味で民衆の意思を表すような国民投票としてやられる場合と、そうではなくて為政者、その国の支配者にとって都合のいい国民投票としてやられる場合、プレビシットといわれる2つの種類があります。過去にそういう例が、ヨーロッパを見てもたくさんやられてきました。ヒトラーやナポレオンや、そういう人たちの意志を国民投票というかたちで貫徹しようとするプレビシット、そういう危険性が国民投票に関しては非常にあります。いま日本での改憲問題も、安倍さんがいっているわけでしょ。安倍さんが改憲をやりたいといっている。これはアウトなんですよ。安倍さんが改憲をやりたいから憲法審査会で与党に審議をしてもらって、そのあと国民投票に行く。これはまさに為政者の意志を通したい。国民投票というかたちを借りて、安倍さんの意志を通したいということの表現そのものじゃないですか。それを何度も指摘されますから安倍さんはときどき露骨にいったり引っ込んだりして、多少は気にすると思いますが、基本は安倍さんが言い出し、安倍さんが望んでいる改憲という問題に関してこの国民投票を利用していく。その点で私はこの国民投票について幻想を持つようなことは非常にまずいと思っています。

さっきちょっと悪口をいってしまいましたから多少説明しておきますが、原発国民投票です。ここにも一生懸命やられた方はいると思いますが、ごめんなさい。議論として聞いていただきたいんですが、福島の原発について、確かに東京都は最大の消費地ですから重大な関係があります。しかし東京都民の意志で決めていいのかどうかという問題があります。そしてこれを推進した人たちは、もし原発がOKになったら従うといっています。それを条件に原発都民投票をやるというんです。これはアウトです。原発に関していったら、例えば、残念ながら都民の多数がOKといってもそれはダメですよ。ダメなものはダメなんですよ。だから原発都民投票の枠組みをどうやってつくっていくのかということについては、いろいろな慎重な議論が必要です。ところがみんなで決めよう、大事な問題はみんなで決めるということだけで突っ走る危険性が、私から見るとありました。だから当時から、原発都民投票はやめた方がいいと私はいってきました。単に私が福島県民だったからということだけではないけれど、非常な違和感を感じます。だから民主主義というものは必ずしもそういうことばかりではないのではないかという大きな問題があるように思います。

総がかりで切り開いた新しい共同

今回の選挙の最大の特徴は、野党4党プラス市民連合というかたちで市民団体が直接選挙に積極的に介入してたたかった。これが大きな特徴だったといいました。それは朝日新聞の見出しなども含めて紹介しました。これは2015年安保闘争がどういうものだったかという評価とその成果の受け継ぎ方に関係してくる問題です。2015年安保、実際には2013年の秘密保護法に反対するたたかいからずっとたたかわれてきた一連の2015年の戦争法、平和安全保障法制に反対するたたかいは1年以上にわたってずっと続いてきました。この運動は、戦後の市民運動の歴史から見てもかつてない非常に大事な特徴を持っていたと思います。私は、簡単にまとめて4つの特徴が2015年安保闘争にはあったと思っています。

第1の特徴は「総がかり」でやった。そういうたたかいだった。総がかり行動実行委員会という固有名詞がありますけれどもその意味ではなくて、この2015年安保は総がかりでやった。本当に反戦平和を願う人、戦争法を許さないという人が本当に総がかりで取り組んだ戦いになったんですね。多くのみなさんが経験されていると思いますけれども、日本の反戦平和運動は残念ながら60年安保からこっち、その前からあったでしょうか、やっぱり運動の中で絶えず分岐があり分裂があり対立がありました。同じようなスローガンを掲げ、同じような目標を持っているけれども、いくつかの運動がそれぞれ別々にやられてきましたね。憲法の運動だってそうです。5月3日の憲法記念日の集会をやろうという運動だって、都内でいくつかがやられました。憲法記念日の集会くらい一本化してやったらいいだろうということが私たち市民連絡会をつくった当初からの意見で、その統一のために私たち必死でやってきましたけれども、日本の運動はそうですね。今日は横須賀で話をしてきましたけれども、横須賀でもそういうことをいってきました。横須賀の運動でもずっとそういうことがある。労働組合の力が強ければ強いほど、なかなか統一に熱心じゃない、共同に熱心じゃないという話をしている人がいました。残念ながら日本の反戦平和運動は、その中に政党の対立、労働組合の対立、さまざまなグループの対立の中で必ずしも一本化していなかったという歴史があります。

これはどっちが悪いのどうのこうのと今更言うつもりはありません。それなりの歴史があって分裂せざるを得なかった経過もあったし、それぞれに言い分があってなかなか簡単ではありません。片方からだけ聞くと「そうか」と思うけれども、こっちから聞いてみると、また「うんうん、そうか」と思うような経過が一杯あります。労働組合はそうですよね。先生の組合で日教組と全教という大きな組織があります。新しい先生が入ってきたときに自分たちの組合に入れとすすめるときは、必ずあっちはダメでこっちはいいという説明をしないと、やっぱり入れないんですよ。あっちもいいけれどもこっちもいいからこっちに来な、という話にはならないですね。説明するときは必ず悪口を言って、うちらがどんなに正しいかという話をしていると思います。それが反戦平和だからといってなかなか一緒になれないですよね。この間、総がかり行動実行委員会ができて各地に行きますが、この前まで口をきかなかった人たちと今一緒にやっている。一緒にやってみたらなんてことはなくて、いつも終わったら仲良く酒を飲んでいるし、とかみんな言います。確かにそういうことですけれども、やっぱり歴史の中では違っていた。違っていることがどんな大事な問題かということで、心を砕くようなことがいっぱいありました。

今回の2015年安保の特徴は、これが統一したということです。私はどこかの雑誌に「安倍さんのおかげだ」と書いたけれど、本当にそうです。今までずっとできなかったことが何でできたのかと聞かれます。感謝する必要はないですけれども。あの人が戦争法を通し、憲法解釈のでたらめをやる。ああいう解釈改憲をやる。そういう中で多くの人たちが、これではダメだ、これとたたかうという大義の前に、私たちの間にある意見の違いはやっぱり小異ではないか。小さな意見の違いではないか。この大きな安倍政権の戦争政策に反対するというところで、この小異は留保できるんじゃないか。なくす必要はありません。違いは残っているんですから、それはあったらいい。しかし大きな課題のために共同行動しようじゃないかという空気は、2014年暮れころからとりわけ出てきました。秘密法に反対する運動の中で。今では全国のかなりの地域で総がかり行動実行委員会ができるようになりました。

簡単に言っていますけれども、運動をやってきた歴史を考えると非常に深刻な問題はいっぱいあります。例えば関西のどこかの県の学校では、先生方の組合の両者が血で血を洗うというと大げさですが、それに近いようなケンカをやっている。そういう歴史だってあります。その地域だけではなく問題が全国に波及して、その問題ひとつでも深刻な労働組合とか民主団体の対立というようなことがいっぱいあります。それらがありながらなおかつ今回統一しようとなったわけですから、私は大変なことができたと思っています。
大事なことは、今まで対立していたいくつかの潮流が共同してやると踏み切った効果が大きくあるということです。例えば日本弁護士連合会さんというのはニュートラルな組織で、一定の政治色を持っているような組織ではありません。でも日本弁護士連合会さんは、今回の戦争法制は憲法違反だということで、弁護士会の総力を挙げてたたかうと決めたわけです。たたかうときにもし私たちの側が分裂していたら、弁護士連合会さんはどこと一緒にやるのか。市民運動とも一緒にやらなければ力にならないと思っているわけですが、どこかとだけやったら日弁連はあれ系かとか、これ系かとか言われかねない。そういうことをいうのを待っている人も日弁連の中にもいるわけです。ですから、この総がかりとして3つの大きな潮流だったグループが共同行動を始めたというのは、さまざまな統一行動をやっていく上で非常に有利な状況になりました。

それだけではなく、いろいろな人が運動に参加しやすくなりました。自分は3つの潮流のどれにも属していないけれど安保法制には反対だという人が、自分が行く場所ができたわけです。この場所に行って大丈夫だろうかといろいろ心配しないで、あそこに行けばこの首都圏の戦争法に反対している人たちが集まっていると、余計な心配をしないで来られるようになりました。ですから総がかり行動実行委員会ができた中で運動の幅は本当に一気に広がったように思います。これが大きな特徴ですね。

自立した分厚い市民層の参加

2番目の特徴は、市民運動の中でかなり本格的に個人の参加者が大量に登場したというのがこの2015年安保の大きな特徴だったと思います。今まではこういう集会とかデモに参加しようとすると、どうやって知りますかね。例えば7月5日に国会前で集会、デモがあることをどうやって知るかというと、やっぱり組合さんとか民主団体さんとか、あるいはそういうことに関係している友達から情報が来て、その日は国会前に行けばいいということになりますね。今回は違いました。大きくいってふたつくらいあると思いますが、ひとつはSNSです。要するに組織に頼らなくても個人が必要な情報を自分で探せるようになった。これはすごく大きいですね。私がやってきた何10年間の運動を考えたらありえないことです。国会でデモをやっていないかな、どこかで安保法制に反対する集会をやっていないかな、検索すれば出てくるわけです。それからもうひとつは、総がかり行動実行委員会は繰り返し新聞の意見広告を、お金がないのにものすごくやりました。なんやかんやで1億円かかったといっていますが、とにかく全部カンパで意見広告を出した。これはSNSから離れている年配者にとっては非常に有力な情報になりました。みなさん見られたと思うんですよ。それも全国紙でやりましたから東京のデモに全国から来るんですね。

本当に遠くから来られます。北海道や九州やいろいろなところから。市民連絡会の事務所には新聞広告が出ると、1週間くらい朝から晩まで電話が鳴りぱなっしです。問い合わせの多くは、国会の正門はどこにあるのかというものです。これはいままでデモや国会の行動などに来たことのない人です。そういう人たちがたくさん問い合わせてくる。これが今回の大きな特徴でした。上野千鶴子さんは政治運動の文化が変わったといっていましたけれど、確かにそう言ってもいいような変化がこの一連の運動の中には非常にありました。サッカーの中田英寿君が、日本のサッカーが強くなるためには自立した個が大事だって言ったことがあって、私はなるほどこれだと思ったことがありますが、ひとりひとりの市民が自立して自分で判断して行動に出て行く、この行動の強さですよね。それが今回の2015年安保には非常に特徴でした。

こういうと、60年安保にだって市民運動はあったよ、70年安保だってあったよ、ずっと市民運動はあったよといわれます。それはその通りです。「声なき声の会」というのもありましたし、70年安保は小田実さんたちを中心としたベ平連もありましたし、それ以降も日本の市民運動はずっと続いてきた。しかし外国の先進的な国々から見ると日本の市民運動は弱いなといわれ続けてきました。どうして弱いのかといわれても、私たちやっている本人もなかなかわからない。でも今回は明らかに違ったと思います。大量のそういう市民たちが参加してきました。そういう市民運動の中で、みなさん覚えていらっしゃると思いますが「保育園 落ちたの私だ」と書いて、その悔しさで自分でプラカードを持って国会前で立つわけです。たぶんこの人は特別の団体の役員をやっていたわけでも何でもないと思います。それに私もだ、私もだ、といって同じようなプラカードを持って駆けつけて、あの国会前の保育園の運動になった。今回の都知事候補は保育所のことをみんないっています。これはものすごい影響ですよ。

それからみなさんもそうだったと思いますが、私がいろいろな運動をやるときにせめて50人集まるか100人集まるかなとか、500人くらい集まるだろうかということを実はいつも気にしますよね。こんな短期間でそんなに集まるだろうか、集まらなければ影響もないし格好つかないなとか、こんなちっぽけなことやっているのかって叱られないだろうかということを思うんですよ。今はみんな思わないんですね。全国で一人でスタンディングをやる。ひとりで街角で自分が思ったことを表現して立っていますね。いろいろなかたちで立つ。この間のすごい特徴だったと思います。そういうふうにしていろいろやってきたことに、この間の大きな特徴があったかなと思います。

非暴力抵抗闘争

3つめの特徴は、この一連の運動が非暴力抵抗闘争――それを基調にした闘争だったことも非常に大きいことだと思います。運動をやっている中で私はずいぶん叱られました。しかし例えば電話で問いあわせて来る中で、お母さんが国会前に行きたいといっている。80歳だけれども行っても大丈夫だろうかと娘さんなどが聞いてくるわけです。それはやっぱり心配ですよ。デモとか集会といったら一定のイメージがありますから。80歳のお母さんが行って大丈夫だろうか。そのときに私が「いやー、いろいろと大変だから気を付けた方がいいんじゃないか」なんて答えられないですよ。「大丈夫ですから、当然の権利ですから来て一緒に行動しましょう」と答えるしかありません。そういう人が自分も参加して良かったなと思えるような運動を保障できる、そういう運動にするかどうかは、私は非常に大きいと思っています。国会前に小さなステージをつくって、そこでコールをやったりアピールをしたりいろいろなことをやっているけれど、ご丁寧に私の前に来て、私を指さして「お前は何で国会に突っ込ませない」とでっかい声で抗議した人も一人や二人ではないですね。あそこが国会正門なんだから突っ込ませたらいいじゃないか。それは聞く気がありません。そんなやり方をやってこの安保法制に反対する運動が大きく前進するとは思えないんですね。いろいろな階層の人たち、体調のいい人も悪い人も障がいを持った人も持っていない人も含めて、いろいろな人たちが一緒に共通の場で自分たちの政治的表現ができる場をどうやってつくるか。元気のいい一人が百歩突っ走って機動隊にぶつかるよりは100人の、1000人の参加者がみんなで一歩じわっと前に進んでいくのがどれだけ大きな力になるか。このことだと私は思うんですね。

いま辺野古の人たちや高江の人たちが徹底した非暴力抵抗闘争をやっています。本当に警察は乱暴で、めちゃくちゃやっています。この瞬間でも。あれに対して沖縄の人たちあるいは周囲に駆けつけた人たちは徹底した非暴力で抵抗し抜くという、本当にみんなの運動の見本のような運動をやってくれていると思います。わたしたちも国会前を含めて全国でそういう本当に非暴力の、そしてできるだけ多くの人たちが参加できるような、多様性を保障したような運動を作り上げられるかどうかというのが非常に大きな課題だったと思います。これがないと続かないんですよ。私はここが大事だと思っています。

9月19日に強行採決をされました。もし私たちが本当に頭に来て国会にご老体の私が突っ込んでギャーギャー騒いだとして、そのあとに運動は続きませんよ。ところが今回の運動はそのあとも全国で続いています。これも大きな特徴です。これは60年安保70年安保と比べても今回の運動の大きな特徴だったと私は思っています。そういうと、60年安保でも70年安保でも、そのあと頑張ったという人は一杯いるんです。それはそうなんです。それを否定するつもりはないけれど、やっぱりあの9月19日以降も、ずっと全国で戦争法制に反対する運動が続いているというのは、今いったようなことが運動の中で保障されてきたからだと思います。一部のグループだけが突っ走ってやったところで、本当の力にはならないと私は思います。どうやって大きな力をつくっていくのかということがこの間みなさんの努力の中でやられてきた。

いろいろなエピソードがあります。国会の前の道路が決壊したことがありましたね。機動隊ががちがちに参加している市民を鉄柵の中に閉じ込めるわけですから危なくてしょうがない。そのままやったらけが人も出る。そういう中で10車線ある道路にみんな出てきましたよね。写真も一杯出た。ああいう事件があったわけですけれども、本当だったらすごく危ない局面です。機動隊がばーっといるところに、参加者の市民がどんどんどんどん出ていくんですから。ただ私はいろいろな人に後から聞きましたけれど、本当に周りの人たちに対する配慮を市民が自分でやっていた。押し合っちゃいけないぞ、ゆっくり行くんだぞ、一生懸命そういって、コールをやりながら国会の正門の方に大量に進んでいく。遠くから見ていましたけれども本当に壮観なんですね、あの図は。もしあそこで大乱闘なんていうことになっていたらたぶん運動は非常に厳しい局面があったと思います、けれども参加していた人たちが、お互いにどうやってこの運動を発展させるかということを考えていた。そういういろいろなあらわれが私はあったように思っています。

野党との共同――政治を変える、選挙を変える

最後ですが2015年安保の特徴は、運動の当初から国会内の野党との連携をどう保障するかということをずっと追求しました。これも非常に重要な特徴だったと思います。国会外ではいろいろな政党を支持したりあるいは無党派だったり、そういう人たちが一緒に、総がかりでやっているわけです。ところが国会の中になると、なかなか野党の間でも駆け引きがあったりしてうまくいかない。そういう状態を続けていいのかということをずっと一貫して提起をしてきた。そして野党各党の代表に繰り返し私たちの集会に来てもらってアピールもしてもらった。これも怒られたんですよ。なんで市民の集会に国会議員をわざわざ入れ替わり立ち替わり呼んで、あんな奴らに一杯時間をやるのか。国会議員だから5分くらいしゃべりますからね。これは市民集会なんだとずいぶん怒られました。でも私たちはそれをやろうとしました。野党が結束をしてもらわないと困るからです。そしてこの国会内の野党が国会外の私たちとしっかり連携してたたかわない限り限り勝てないと思ったんですね。それでなくても議席数では圧倒的に違うわけです。

それをずっとこの間追求してきて、9月19日以降は「野党は共闘」というスローガンを出して、次の参議院選挙が7月にあるのははっきりしていましたから、それに向かって野党が本当に共闘できるかどうかという、市民運動の側からこの問題を何度も野党各党に投げかけて参議院選挙に立ち向かってきました。これは難しいんですよね。各党の代表と市民団体、民進党の枝野さんに当時は5団体が呼ばれて、会議に行きます。今度の参議院選挙では、どうしても戦争法を打ち破るために野党の一本化、統一候補をしてくれというと、そこに出てくる人はだいたい反対する人はいないですよ。けれども、1時間か1時間半くらい懇談すると、ではまた次にということで終わります。それを3回くらい繰り返して、私たちは焦れましたね。こんなことを繰り返していてもだめだ。ならば市民団体だけで独自のプラットフォームをつくろう、そういう中でうまれたのが市民連合です。

「総がかり」とかシールズとかママの会、学者の会、立憲デモクラシーの会、こういう人たちが集まって市民連合という新しい団体をつくりました。市民連合は12月20日につくりましたが、最初の行動は、今年の1月5日の新宿駅西口での大街頭宣伝でした。もうどうしてくれようかと。この市民の半ば怒り状態を表現しなければ行けないということで5000人もの人が集まったんですね。あの中で私も中野晃一先生も言いましたが、野党にこっぴどく文句をいいました。こんなことを繰り返している暇があるのか、まもなく参議院選挙ではないですか。1人区の候補者の統一もまだ進んでいない。あなた方は何をやっているんですか、市民の意見と違いますよということを、かなり失礼でしたが露骨に言いました。ほとんどちゃぶ台返しをしたいと思っていましたね。もう絶望感で、この人たちにまともにつきあっても本当にやってくれないんじゃないかと思うようなこともありました。

しかし結果としては32の選挙区で全部統一候補ができたわけです。民進党の岡田代表の言葉を書いておきました。「市民を中心にして各党が集まったのは今までにないこと。これは新しい日本の民主主義が始まったと私は思っている」。すごいことをいうなと思いますね。これはすっと読めば「うんうん」と思いますけれど、一党の代表が新しい日本の民主主義が始まったというんですね。これは岡田さんにとってはそれほどの衝撃だったのだろうと思います。次に共産党の志位さんの言葉も引用しておきました。「この野党共闘の方針に踏み出したときに、ここまで野党共闘の体制ができるとは、想像もしていませんでした。」よくいうなと思いますよね。野党共闘を進めましょうと呼びかけている人が実はここまで進むとは思っていなかったという。志位さんというのは正直な人だと思いますけれど、実際そうだったんでしょう。「これも市民の運動の後押しがあったからです」「『自公と補完勢力』対『4野党プラス市民』という選挙戦全体の対決構図がはっきり浮き彫りになりました」、こういうのが市民連合を含めてできたんですね。だから私たちは参議院選挙のときに野党共闘とだけいいませんでした。野党共闘プラス市民連合あるいは野党共闘プラス市民、こういうことで自公に立ち向かっていくんだと私たちは言い続けてきました。こういう選挙戦が今回はできたと思います。

あの雨の9月19日、採決されたのは朝方ですね。あの直後から運動の中にも少しはありましたかね、私たちは戦争法を阻止しようとしてきた。けれども負けちゃったね。デモはやっぱり無駄なのかな、あまり役に立たないのかな。若い初めて運動を経験する人の中でも、そういう疑問点も出てきたと思います。年配者でも本当に阻止しようと思って一緒にやってきた人の中には、がっくり来る雰囲気はあったんですね。敗北感はないと強がりをいってみましたけれども、まったくないわけではありません。そして自民党の幹事長は、デモなんかはなんの効果もないじゃないか。あんな日当をもらってきている運動はろくなもんじゃないと言う。本当に悔しかった。

しかしそうじゃなかったんですよね。やっぱり2013年の暮れから2015年を通して多くのみなさんがあの国会前に結集することを初めとして全国で行動したのは、大きな政治的な力になったということは、私は本当に見ていて感じます。ひとりひとりの市民が集まって行動して、そのことが野党を後押しして、文字通り志位さんがいうように、できそうもない極めて難しいこの野党共闘を実現させた、私はこれは大きな力だと思うんですね。自信を持っていいと思います。デモだって政治を変えられるし、政治に大きな変化をつくりだすことができる。ひとりひとりの市民は小さくても、これがみんなで集まって行動したら政治に大きな影響を与えることができる。そういう確信が持てるような状況になったと思います。古今東西の歴史を見る中で、歴史の重要な時点では民衆が行動を起こし政治に影響を与え、そして民衆の要求を実現してくる。そうした歴史があったと思います。今回の一連の運動もそうした行動の大きなひとつだったのではないか。それが今なお続いているということではないかと思います。

私たちのプランーー南スーダン自衛隊撤収・沖縄基地・脱原発・・を総がかりで

ですからこれからの回答は、ある意味では出ていると思います。2015年安保が獲得したこの4つの特徴をどれだけ堅持して発展させられるか、みんなと一緒にこうした特徴を守り発展させることができるかどうかが非常に大きな課題だと思います。全国でいま総がかり行動なりができ、そして野党共闘と市民連合というような運動ができている。これは参議院瀬挙のあとでも続いている。これを本当に発展させることができるかどうかが大きな課題だと思います。これから一層自民党、与党の方はこの野党共闘プラス市民というのは野合だ、という批判を強めてくると思うんですね。それは効果を上げているからで、これからも一層そういうことが書かれます。なんとか新聞とかなんとか新聞とかは繰り返しこういうことを書いていますから。これに対して私たちの回答は、地域に無数の総がかり行動を、地域に大きな大連合と共同の機関を更に更につくりだそうということだと思います。

戦争法廃止を目指してたたかってきた私たちの運動にとって、目前に大きな問題があります。それは南スーダンの状況に象徴的にあらわれているように、日本の自衛隊が海外で武力行使をやるかどうかという問題です。今日は横須賀でアピールしてきました。目の前を自衛隊の若い人たちがたくさん通ります。あそこのアピールは大事だと思いましたね。みんな真っ白い服を着て若い子たちが一杯通ります。なかにはちらっと手を振ってくれる人もいますけれども、私はそこで本当に訴えました。安倍さんの政権は安倍さんがつくった法律にすら違反して、南スーダンに自衛隊を派遣している。いま南スーダンは事実上の内乱状態、内戦状態になっていることはもう明白です。だからこそ中谷さんはあそこに輸送機を飛ばして運んだわけでしょ。JICAの人たちはケニアの方向に民間機で移動した。そして大使館関係者をジブチの方向に運んだ。いま南スーダンはそういう大変な状況になっています。この前も宿営地に砲弾が着弾したという話が出ていました。大使館関係者は自衛隊の宿営地に逃げ込んだという話もありました。まさに内戦状態ですよね。

この内戦状態のところにPKOが派遣されていること自身が、法律から見てもまったく違反です。ただちに南スーダンから自衛隊は撤収すべきです。いますぐ撤収するといろいろまずい。現地の状況から見て必ずしも撤収しないほうがいい。簡単に撤収しろなんて言うな、なんていう意見も一部にあることはあります。けれどどんなに見ても法律違反であることは間違いないから、まず南スーダンの自衛隊は撤収させる必要があります。そしてこの部隊に戦争をやらせるようなことを絶対阻止しなければいけない。憲法違反の法律に基づいて11月に派遣されるという東北方面隊が、すでに4月段階でモンゴルなどで国連と一緒に武力行使の訓練をしているわけです。その部隊が11月に派遣されます。自衛隊といえども、派遣されてすぐに武力行使ができるということではありません。あの“人殺しの予算”という発言がありましたけれども、確かにそういう戦争の訓練をしているけれども、すぐにやれるわけではない。11月に行く部隊は準備を整えて派遣されると言っています。11月以降、日本の自衛隊が海外で初めて戦争をする場所が南スーダンになる可能性は非常に大きい。これを本当に阻止するような運動を私たちができるかどうかというのが大きな課題だと思います。

そして、沖縄の辺野古とさらに高江、そして先日の女性に対する暴行殺害事件などを含めてこの沖縄の課題はまさに日本の民衆運動全体の課題で、いわゆる「沖縄問題」ではないわけです。この問題を自分の問題として戦い抜けるかどうか、市民運動に今問われていると思います。海兵隊を全面撤退させるとか、非常に不当な地位協定を抜本的に改定させるとか、沖縄問題は第一級の問題にますますなってきています。政府があらためてまた裁判に持ち込みましたから、これから非常に問題は激化していきますね。政府も簡単には引かない決意でやっているでしょうから、私たちも全力を挙げてこのたたかいをやらなければいけない。そのほか原発とかアベノミクスの問題、格差の問題とか含めていろいろな問題があります。これらの問題を、2015年安保闘争をたたかった全体の総がかりの市民運動、民衆運動が、自分の問題として引き受けてたたかっていくような課題が今からすごく大事です。ひとりひとりの市民がこの時期に、これを自分の問題としてできる限りの行動を、何ができるだろうかと考えていただいて行動していくようなことが非常に重要になってきているんじゃないかと思います。

市民運動が切り開いた時代を発展させよう

いま東京都知事選の真っ最中です。これもいろいろな経過がありまして、途中で石田純一さんのようなこともあって、ようやく野党の候補は一本化することができました。ぶっちゃけ言いますけれども、私は前回の東京都知事選挙では宇都宮選対で副本部長を務めていました。今日は宇都宮さんはこの建物の別の会場で学習会をやっておられます。前回の都知事選挙は残念ながら宇都宮さんの陣営と細川さんの陣営と、反原発を掲げる部分が統一できませんでした。非情に苦しい戦いでした。でも宇都宮さんは筋を通して政策を正面から訴えて精一杯たたかっていただいたと思っています。ところが今回こういう事態になって、参議院選挙の経験から野党4党の統一というめったにない条件をつくりだしてきたなかで、野党4党と市民運動が統一して押せる候補がつくれるかどうかというなかで、鳥越さんに出ていただきました。鳥越さんは憲法を活かし守る都政というような課題を含めて「3つのよし」とかいろいろなことをおっしゃっています。とにかく今までの石原以降3代の、あのとんでもない都政を打ち破って新しい都政をつくるということで頑張っています。

頑張るとすごい攻撃が来るもんだなとつくづく私は思いました。すごいですよね。官邸が、鳥越さんが出るという話になったときに鳥越を徹底して洗え、鳥越を攻撃する材料を見つけ出せと指令をしたというのは有名な話です。たぶんそういう結果だと思います。週刊新潮がネタにできないとあきらめたその材料を、なぜか文春は取り上げてほとんど根拠のない話を大々的に書く。とにかく週刊誌というのは書いたらトクですから。私たちは断固抗議をして告訴していますけれど、この結論が出るまでには選挙は終わってしまいます。そういうやり方で、なんとしても鳥越さんを東京都知事にさせないという勢力の手が動いています。それだけこの東京都知事選挙は重大な選挙になっているということです。美濃部さん以来、何10年にわたって東京ではそういう市民、民衆の意見を聞く都政ではなかった。首都東京でありながらそういう都政をずっと続けてきた。それが変わるかもしれないという、本当に歴史的なところに来ているわけです。そういうときですから攻撃も必死なんだと思います。

わたしたちがこれを持ちこたえて反撃して、本当に鳥越都政を実現することができるかどうか、これからの運動にとって非常に大きな問題だと思います。もちろん鳥越さんの戦いが絶対勝つとかそういうことは言えません。負けたら負けたでたたかいぬきます。しかしやっぱり勝つことがすごく大事で、そのためには今できるだけのことを全力を挙げてやる必要があります。あと1週間しかありません。あっという間です。ですからお互いに、この日本の政治全体を変える重要なきっかけ、2015年安保に続いて非常に重要なチャンスだということで、思いを同じくする人にはぜひ一緒に頑張ってもらえたらいいなと思っています。

いろいろな難しい問題はありますけれども、いずれにしろ言いたいことは、時代を市民運動がここまで切り開いてきた。これを大きく発展させれば、もしかしたら私たちは日本の政治を変える大きなところにいるかもしれない。ある党の新聞は「市民革命の始まり」だといった。すごいことを言うだと私は見ていて思いました。かもしれません。新しい民主主義が、民主主義のたたかいが根付いて、そして政治を変えていく。ひとりひとりが変えるエネルギーになってたたかっていける時代が来ているかもしれない。それを一緒になって切り開くことができればいいかなと思っています。とりあえず私からの報告は以上にしたいと思います。ご静聴ありがとうございました。

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南スーダン

安保法制の施行によりPKO法も改定され、政府は陸上自衛隊部隊に駆け付け警護と宿営地の共同警護の任務を付与する方針を決め、ちかく訓練を開始する。こうした任務がこの秋にも南スーダンに派遣される自衛隊から実施されることが見込まれる。筑紫建彦さん(憲法を生かす会)がいまや戦闘地域といわれている南スーダンについてまとめた資料を紹介する

南スーダン (2016年8月23日現在)

2011年独立。人口1130万人(2013年)、首都ジュバ(25~30万人)、公用語は英語(部族語多数)、宗教:キリスト教、伝統宗教、識字率27%、GDP138億ドル(2013年世銀)、国家収入:98%が石油。

●南スーダン共和国の概史

1821年 エジプト王朝がスーダン北部を占領(アラブ系、イスラームが多数)。
1877年 英国がスーダン南部を占領(アフリカ系、キリスト教が多数に)。
1882年 エジプトの反英運動を武力鎮圧、エジプトは英国の保護国に。
1898年 英・エジプトの共同統治となる。
1947年 南北が統合される。
1952年 自由将校団がクーデタ、エジプトは共和国に。
1955年 南部の自治・独立を求めて英軍指揮下の軍と警察の一部が武装蜂起(第一次スーダン内戦)。
1956年 スーダン共和国独立。
1958年 クーデタで軍事政権。
1969年 クーデタでニメイリ軍事政権、スーダン民主共和国に改称。
1972年 南部に制限付き自治権を付与、将来の分離独立を問う住民投票も承認され、内戦終結。
1983年 ニメイリ政権が南部の自治権を否定し住民投票を中止、イスラームのシャリーアを導入、石油独占を図り、南部3州を分割。キリスト教徒など非アラブ系が多い南部で反乱(第二次スーダン内戦)。250万人が殺され、数百万人が難民・避難民に(2005年に「南北包括和平合意」成立)。
2011年 南部の住民投票で分離独立、南スーダン共和国成立。スーダン人民解放軍(SPLA/SPLM)が新政府を形成。しかし国境地域での紛争は続き、北のスーダンの青ナイル州でスーダン政府軍がSPLA・N(=北)を攻撃。7月、安保理はUNMISS(国
連南スーダン派遣団)の設置を決議。ジョングレイ州でヌエル族とムルレ族が牧畜の牛をめぐり衝突、死者3000人以上。
2012年 南スーダン軍が北のヘグリグ油田を占拠、スーダン軍は南の都市を空爆。
2013年 解任されたマシャール副大統領派(SPLM-DC=民主改革)によるクーデタ未遂(生活格差やインフレ、汚職に不満)。ディンカ族とヌエル族との対立もあり、その後も内戦が続き、避難民190万人(2014年12月現在)。隣国ウガンダは、「南スーダンで働く自国民の保護」を名目に反大統領派に空爆。これで反政府派によるウガンダ人への攻撃が相次ぎ、ウガンダ人は国連施設に逃げ込み、国連機で脱出も。
2014年 周辺国の仲介で停戦合意、和平協議が始まるが戦闘再開。
2016年 4月、移行政権が発足。マシャール副大統領はジュバに戻るが、キール大統領派と副大統領派との対立と衝突はやまず(解任。別の元反政府勢力幹部を第一副大統領に任命)、7月上旬の大規模な戦闘で270人以上の死者が出た。
国際通貨基金の調査チームは、原油生産量の大幅減少と油価低迷で政府収入が減り、今年の財政赤字が国内総生産の25%に当たる11億ドル(約1100億円)を超える可能性ありと指摘。
8月、元反政府勢力トップのマシャール前第一副大統領が南スーダンから隣国に避難。和平協定は暗礁に乗り上げる見通しが強まる(8.19東京)。

●UNMISSの概要と状況

2011年7月、治安維持、施設整備などの部隊約7000人、警官約900人で構成されるとして設置されたPKO。「市民保護」のための武力行使が容認されている。現状は兵士1万1350人、連絡将校179人、警官994人、国際民間人769人、現地民間人1204人、国連ボランティア409人(2015年6月)。

派遣国は、豪、バングラデシュ、ベニン、ブータン、ボリビア、ブラジル、カンボジア、カナダ、中国、デンマーク、エジプト、エルサルバドル、エチオピア、フィジー、ドイツ、ガーナ、グアテマラ、ギニア、インド、インドネシア、日本、ケニア、キルギスタン、モンゴル、ナミビア、ネパール、オランダ、ニュージーランド、ナイジェリア、ノルウェー、パラグアイ、ペルー、ポーランド、韓国、ルーマニア、ロシア、ルワンダ、セネガル、スリランカ、スウェーデン、スイス、東チモール、トーゴ、ウガンダ、ウクライナ、英、タンザニア、米、ベトナム、イエメン、ザンビア、ジンバブエ(52か国)。

自衛隊がいる首都ジュバには、バングラデシュの工兵中隊、エチオピアの歩兵部隊、ガーナの歩兵部隊、カンボジアの医療部隊とMP、ルワンダの歩兵・航空部隊、ネパールの歩兵部隊が駐屯している。

中国の工兵中隊と医療部隊は、スーダン北西部の都市ワウ(人口約14万人)に駐屯している。ワウは自衛隊の施設部隊が駐屯する首都ジュバから約600km離れており、東京から岡山の距離に近い。

<終わらない武力衝突>

2013年 4月、首都ジュバの北部ジョングレイ州の州都ボル(ジュバから約150km)でUNMISSのPKO施設が襲撃され、インド兵5人、施設内に避難していた南スーダンの住民7人が死亡、兵士5人、住民4人が負傷、数人が行方不明に(死者48人以上とも)。

2013年 12月、首都ジュバでクーデタ未遂。インド部隊がヌエル族に襲撃され、3人死亡。また、民間人の武装解除(「平和回復作戦」)にあたる治安軍(SPLAと警察補助部隊)が拷問、銃撃、強姦など人権侵害(アムネスティ・インタナショナル報告)。ジュバ空港に着陸直前の米空軍のCV22オスプレイ3機が反政府勢力に地上から攻撃され、銃弾119発を被弾、特殊部隊員が負傷。

2015年 11月、ジュバ空港から離陸したロシア製輸送機が墜落、36人が死亡。
2016年  7月7日、首都ジュバで銃撃戦、5人死亡。ジュバの道路舗装や避難民キャンプの整備に従事する陸自第7師団(北海道)中心の十次隊は8日は活動休止。8日、ジュバでの戦闘で少なくとも115人が死亡。11日の停戦命令までに市民33人を含む死者272人(現地からの報道=7月11日NHK)。戦闘は止まったが兵士による略奪行為が報告されるなど治安は安定していない(7月21日東京)。
陸自隊は9日、宿営地の国連施設内での作業を再開。紀谷昌彦大使はジュバ市内のEU施設で一夜を過ごし、9日になって大使公邸に退避。

ジュバで10日に起きた戦闘で、陸自部隊の宿営地があるPKO施設周辺でも、少なくとも兵士1人が死亡(地元ラジオ、軍関係者の話として)。10日から11日にかけては、ジュバの2カ所のPKO施設周辺で戦闘があり、国連は陸自宿営地とは別の施設の周辺で8人が死亡と発表(中国のPKO要員2人死亡、5人重軽傷、ルワンダ兵士も死亡)。南スーダンPKOのロイ代表は13日、陸自宿営地があるPKO施設について、「10日と11日は(近くで)激しい戦闘が続き、とても深刻だった」と述べた。PKO本部によると、戦闘が続く間、陸自隊員は防弾チョッキを着用して宿営地内の防弾壕に入って安全を確保した。南スーダン政府は、5年目の独立記念日の祝典を中止(7月10日東京)。

外務省によると南スーダンには大使館員やJICA関係者、国連職員など約70人がいる。うち44人がジュバに滞在するJICAや企業関係者など(JICA職員が8人、JICAが支援するプロジェクトの専門家など12人、ODA事業の企業関係者など24人)。現在、ジュバの空港の民間航空便は欠航のため、JICAはチャーター便の手配など国外退避の手段を検討。これら日本人は10日に出国しようとしたが、空港までの安全が確保できず見送り、ホテルにとどまっている(11日NHK)。

7月11日、安倍首相、岸田外相、中谷防衛相らがNSCを開き、対策を協議。自衛隊による陸上輸送や、C130輸送機のジブチ派遣を決定。一方で菅官房長官は、「派遣されている自衛隊施設団に連絡を取り、異常がないことを確認している。自衛隊の活動地域において、PKO法における武力紛争が発生したとは考えておらず、参加5原則が崩れたとは考えていない」。

7月13日、ジュバからJICA関係者ら47人と日本企業の下請け作業のエジプト人、フィリピン人ら46人、計93人がチャーター機でケニアのナイロビに退避。同日夜、空自のC130輸送機3機がジブチ着。1機をジュバに派遣し、大使館員4人は14日、C130でジブチに退避した。紀谷昌彦大使と大使館員一人が安全確保のため14日から夜間は陸自の宿営地に避難し宿泊している(7月20日共同)。陸自隊は戦闘が再燃してからは国連施設の外に出られず、19日時点で活動を再開できていない。
中谷防衛相は「武力紛争に該当する事態ではない」と強調(7月21日東京)。岡部俊哉陸幕長は21日、陸自の宿営地で流れ弾とみられる弾頭が複数見つかったことを明らかにした。「流れ弾の弾頭が落下した可能性が高い」と。
南スーダンPKOに参加している英国やドイツが隊員計9人を安全確保のため退避させたことが21日、分かった。ドイツ隊員5人は13日、負傷した中国やエチオピアの隊員や外交官とともにジュバから退避、英国の警察官2人も同日、一時的に退避。南部の別の都市に派遣されていたドイツ隊員2人も退避したという。
中谷防衛相は22日、在留邦人の退避支援のため派遣したC130輸送機3機を待機場所のジブチから撤収させる命令を出した。3機は23日に出発、26日に小牧基地に到着する。菅官房長官は7月27日にも、「武力紛争が発生したとは考えておらず、PKO参加5原則が崩れたとは思っていない」と述べ、陸自派遣を継続する方針を示した。「現時点でジュバ市内は比較的落ち着いているという報告を受けている」と語る(時事)。

8月12日、国連安保理は南スーダンの治安回復に向け、周辺国から約4000人の増派部隊を現地のPKOに投入する決議を採択した。PKOは最大1万7000人規模となる。決議は、増派部隊の任務について、首都ジュバ市内や周辺の治安維持、空港などの主要施設の警備をするため、「すべての必要な手段をとる」と明記。市民のほか、PKOの隊員や人道支援活動に従事する人員への攻撃に対処するとしている。南スーダン政府が増派部隊受け入れを妨げていることが確認された際には武器禁輸も検討する。UNMISSの任期を12月15日まで延長。南スーダンのマルワル国連大使は「南スーダンの考えが考慮されておらず(主たる当事者の同意を必要とする)PKOの理念に反している」と反対を表明した。11か国が賛成、ロシア、中国、エジプト、ベネズエラの4か国は棄権(8月14日東京新聞)。
稲田防衛相は、4000人増派で「陸自部隊の任務や規模に変更はない」と語る(15日東京)。

●自衛隊の派遣

2008年 10月、UNMIS(国連スーダン派遣団/2005年の安保理決議で設置)に司令部要員2人(情報、兵站幕僚)派遣。
2011年 12月、UNMISS(国連南スーダン共和国派遣団)司令部に1人(施設幕僚)派遣。
2012年 1月、同司令部に1人(航空運用幕僚)派遣、3月から施設部隊を順次派遣。
2013年 12月、内戦激化で国連施設内の避難民保護区域造成、外柵補強、医療支援、道路補修など。
2015年 9月、施設部隊は約350人に。「施設活動等」(国連施設の排水溝整備、市内道路整備)。
2015年 9月、防衛省は省内の検討委員会を開き、武器使用の基準となる「交戦規程」(ROE、自衛隊では「部隊行動基準」と呼び、あいまい化)の改定作業を開始。
2016年 3月、改定PKO法施行(戦争法制の公布日9・30から6か月以内に施行)。
2016年 7月、内戦激化で、日本人らの国外退避のため空自のC130輸送機3機をジブチに派遣。
2016年 8月、新任務実施に向けた訓練を開始。「政府は6日、陸自部隊に駆け付け警護と宿営地の共同警護の任務を付与する方針を決めた。政府は参院選での争点化を避けるため、新任務実施上必要な訓練をこれまで行わず、武器使用の範囲などを定める部隊行動基準といった内部規則の作成やその周知徹底などにとどめてきた」(7日読売ほか)。
「今月下旬には、稲田防衛相が駆け付け警護と宿営地共同警備に必要な訓練の開始を発表、陸自部隊の訓練に着手する」(7日時事)。――「宿営地の共同防護」は、「改正PKO法の施行と同時に実施できる」(内閣府国際平和協力本部)。「突発的な事態の発生に際しては、実際に発生する個別具体的な状況を踏まえ、その時点で実施可能な任務を適切に果たしていく所存だ」(防衛省見解、7.24東京)。→現地部隊の裁量に任せる。
2016年 10月?、南スーダンPKO第11次派遣部隊の「実施計画」を閣議決定、あわせて「実施要領」を決定。これにどのような「任務」が盛り込まれるか要注意。
2016年 11月、「駆け付け警護」「宿営地の共同防護」「治安維持・住民保護」など「任務遂行のための武器使用(=武力行使)」の訓練を受けた部隊の派遣(?)。陸自第5普通科連隊を予定(駐屯地は青森駅南=青森市大字浪館)。

<参考>PKO参加原則の変更・緩和

  1. 武力紛争の停止及びこれを維持するとの紛争当事者間で停戦の合意があり、
  2. 活動が行われる地域の属する国及び紛争当事者の当該活動についての合意があり、
  3. 「特定の立場」に偏ることなく実施されること(中立的立場←「いずれの立場にも偏ることなく」)
  4. これらの同意が活動・業務の期間を通じて安定的に維持されると認められるときに限り、実施計画を閣議決定(第6条1項)。
  5. 上記のいずれかの合意が存在しなくなった場合には、首相は実施計画の変更の閣議決定を求めなければならない(第6条13項、退避、撤収など)。
  6. 国際平和協力業務の実施は武力による威嚇又は武力の行使に当たるものであってはならない(第2条2項)。~「PKO・国際連携平和安全活動・人道的国際救援活動の従事者・支援者への侵害・危機がある場合に緊急要請に対応する生命・身体の保護」(駆け付け警護の新設)。
  7. PKOの目的に「紛争による混乱に伴う切迫した暴力の脅威からの住民の保護」を追加(住民保護、治安維持)

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