私と憲法183号(2016年7月25日号)


参議院選挙の結果と「新たな戦前」、改憲

(1)2016年参議院選挙~私たちが獲得した成果と足がかり

7月10日投開票の第24回参議院議員選挙の結果は、議席数で「改憲勢力」が77(自民56、公明14、維新7)で、「立憲勢力」が44(民進32、共産6、社民1、生活1、無所属野党統一4)となり、非改選の議席と合わせて、自公与党を中心にした改憲勢力は3分の2に達した。

しかしながらこの参院選の歴史的な特徴となった「野党共闘+市民連合」で闘った32の1人区では11人が当選し、前回の参院選挙で野党が31選挙区中2人しか当選できなかったことと比較しても一定の成果をあげた。1人区も含めて3年前の参議院選挙(野党4党で28名)と比べて議席数でも一定の前進(野党4党で44名)を獲得した。また重要な政治的焦点である福島、沖縄の選挙区では安倍政権の現職閣僚を落選させたことや、前回に比べてわずかながら全国の投票率がアップし、1人区で無党派層の6~8割が野党統一候補に投票(朝日出口調査、11日)したことなど安倍政権に反対し、政治の変革をめざす市民運動の今後の展開への重要な足がかりが獲得され、今後のたたかいへの希望が見えた。多くの論者が指摘するように、野党が「惨敗」せずに、一定程度踏みとどまったのはひとえに「野党共闘+市民連合」の成果である。

(2)その意味するもの、最大の課題だった改憲の行方

新聞各紙は11日のトップ見出しで、「与党大勝 改選過半数、改憲派2/3超す」(読売)、「改憲勢力3分の2、与党で改選過半数」(日経)、「改憲3分の2発議可能に 自民1人区21勝11敗」(産経)などと書き、あたかもこの選挙で改憲が有権者に承認されたかのように印象づけた。
しかし、安倍政権と自公与党は選挙戦全体を通して姑息な「改憲隠し戦術」をとり、首相は街頭演説でただの1度も改憲について触れなかった。

自民党が参院選公約で「憲法改正」について触れているのは、26ページの冊子の末尾のわずかな部分のみだった。政策パンフレット「この道を。力強く、前へ。」という冊子の本文ではアベノミクスと安倍外交の「成果」を宣伝するだけで、改憲についての言及は全くない。要するに主要な政策で改憲は掲げられなかった。つづいて極小文字の「政策BANK」というのがあるが、全文27500文字のうち、憲法については末尾にわずか270字の「国民合意の上に憲法改正」という項目があるだけだった。中身は「わが党は結党以来、自主憲法の制定を党是に掲げています。憲法改正においては、現行憲法の国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の3つの基本原則を堅持します。(改憲には衆参の3分の2議席と国民投票が必要で)衆議院・参議院の憲法審査会における議論を進め、各党との連携を図り、あわせて国民の合意形成に努め、憲法改正を目指します」と空疎なものだけだ。さらに参院選そのものが有権者から隠された。毎日新聞によると、テレビの報道は前回比3割減であり、舛添問題など都知事選関連ニュースが前面に出された時期が異常に長かった。こうした選挙戦の経過なのに議席数が3分の2を確保したから「改憲3分の2発議可能に」(産経)はないだろう。

この選挙で改憲問題を徹底して争点化して闘ったのは野党側だ。岡田代表の民進党は大胆に「2/3 を取らせない」というポスターを掲げた。他の3党も改憲問題を第1に掲げた。こうしたスローガンを掲げた「野党4党の共同+市民連合」が現在、考えられる限り可能なベストな布陣で闘った結果、「改憲4派」対「立憲4派」の対立構図が鮮明になり、改憲問題を選挙戦の重要な争点に押し上げたのである。ストレートに議席数には現れなかったが、ほとんどのメディアの世論調査を見ても改憲反対は民意の多数派である。

今後、安倍政権は容易に改憲に踏み出せないはずだ。民意がそれを求めていないことははっきりしている。安倍首相は国会の憲法審査会の議論を通じて改憲項目を絞り込むなどと言っている。憲法審査会を隠れ蓑にして改憲にすすもうというのだ。しかし、与党の公明党は大きく動揺している。公明党の斉藤鉄夫幹事長代行は7月15日、「民進が『ダメ』というものはダメ」といい、改憲項目については「3、4年かけては憲法審査会の議論に間に合わないので、個人的には、半年から1年かけてまとめたい」と述べた。これは安倍政権の下ではほとんど可能性がないことを自白したようなものだ。

(3)私たちの到達点

この間、再三指摘してきたことだが、2015年安保の運動は、新しい「市民革命運動」の始まりと言ってよいものだ。

その特徴は4つある。①「総がかり」が切り開いた新しい共同の運動(分裂と対立の歴史に終止符をうったこと)、②自立した分厚い市民層の登場(動員型に止まらない、多様多彩な形態での自立した個人の自発的参加型)、③非暴力抵抗闘争(これによって参加者の多様性と運動の持続性が保障された)、④野党との共闘・野党の共同(「政治を変える、選挙を変える」のスローガンに見られるような市民運動の政治的成長)がそれだ。

民進党の岡田克也代表はこう言った。「市民を中心にして各党が集まったのは今までにないことで、これは新しい日本の民主主義が始まったと私は思っている」。彼の発言がこの間の到達点を表している。

2015年9月16日、民主党(当時)の枝野幹事長の呼びかけで、「戦争法」に反対して国会前行動など全国で行動した5つの市民団体と野党5党は国会内で最初の意見交換会を開き、次期参院選で与党を過半数割れにして、戦争法(安保法)を廃止に持ち込むため、野党共闘や各種団体との連携強化を目指し、定期的に協議していくことを確認した。意見交換会に参加した団体は、「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」、「安全保障関連法に反対する学者の会」、「安保関連法に反対するママの会」、「SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)」、「立憲デモクラシーの会」。

その後、この懇談会は数回開催されたが、市民団体側はこの方向をいっそう促進するため、12月20日、新しいプラットフォームとしての「安保法制の廃止と 立憲主義の回復を求める市民連合」(市民連合)を結成し、野党各党への活動を強めた。2月19日には野党4党首が参院選に向け選挙協力の推進、とりわけ4月の衆院補選や1人区での統一候補擁立にむけての努力などで合意し、さらに6月7日には市民連合と野党4党の政策合意が成立した。これらの野党共闘の成立は戦後政治史の中での画期的な事件であり、戦争法と改憲に反対し、立憲主義の擁護と安倍政権の暴走を阻止しようとする運動の大きな可能性をしめした。

この状況をつくり出したのは市民運動の力であり、後押しであった。共産党の志位委員長はこれについて以下のように述べた。「(共産党が)この方針(野党共闘)に踏み出したときに、ここまで野党共闘の体制ができるとは、想像もしていませんでした。これも市民の運動の後押しがあったからです」「『自公と補完勢力』対『4野党プラス市民』という選挙戦全体の対決構図がはっきり浮き彫りになりました」と強調した。

9月19日の戦争法強行採決に際して、政府や右派の論客などからは「デモでは政治は変わらない」というデモ無用論のキャンペーンが展開され、国会外での市民行動の意義を低め、瓦解させようとする動きが強まった。しかし、この間の市民連合+野党共闘の経過と参院選はこれにたいする明確な回答となった。古今東西、歴史は民衆のエネルギーと行動が政治を変えてきたことを示している。私たちの社会変革の運動は市民の大衆行動と、選挙などの議会での運動によって政治を変える闘いという「車の両輪」を進めることで展望が開けることを示した。

(4)改憲勢力のプラン

安倍政権与党は秋の臨時国会から改憲の動きを強める構えだ。選挙後、安倍首相は「いかにわが党の案をベースに3分の2を構築していくか、これがまさに政治の技術だ」「いよいよ憲法審査会に議論の場が移ってしっかりと議論し、どの条文をどのように変えていくかということに集約されていく」などと発言し、憲法審査会での議論に拍車をかけていく姿勢を露わにしている。先の通常国会で憲法審査会の議論を中断させたのは政府与党であり、とりわけ昨年6月4日、参考人として出席した3人の憲法学者が安保法制違憲論を展開したことがきっかけだったことを忘れたとは言わせない。にもかかわらず、安倍首相は憲法審査会を自らの党利党略で扱い、自らの都合で再開させ、この憲法審査会の場で改憲論議と改憲項目の絞り込みを行い、改憲世論を高め、任期中に改憲発議と国民投票を実現させようという魂胆だ。

すでに先の通常国会期間中でも安倍首相らが繰り返し発言したように、改憲はまず本命の第9条からではなく、多段階戦略で行い、まずは憲法に緊急事態条項(国家緊急権)などを附加する改憲から手をつけようとしている。改憲派は憲法審査会では、両院で一定の議論を経たのちに、「論議は尽くされた」と称して審査会の議論打ち切りを強行し、衆参合同憲法審査会などを開催して改憲原案をつくろうとするに違いない。

このばあい、9条改憲に必ずしも熱心ではない公明党や、大阪維新、民進党の右派などを巻き込むネオリベラル的改憲論が浮上してくる危険に警戒しておく必要がある。

(5)改憲国民投票について

審査会で作られた改憲原案は両院の総議員の3分の2以上の賛成で発議され、国民投票に付される。この際の国民投票は憲法第96条の規定で「特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票」としておこなわれるが、この場合、与党に有利な「国政選挙と同時の投票」としておこなわれる可能性が高い。これは憲法問題の民意を問う方法としては不適当なものだ。

これを実施する法律は2007年、第1次安倍政権によって作られた「改憲手続き法」であり、同法は問題点が非常に多い。そのいくつかを指摘しておきたい。

  1. メディアに対する広報や広告などのあり方が民主的に規制されていない。広報は世論を決定的に左右する。資金能力で宣伝量に差ができる有料広告を認めてはならないし、国民投票について議席数で広報の量の配分を決めるのは妥当でない。
  2. この法律には国民投票運動の自由に関する問題がある(公務員や教育関係者の政治活動、地位利用の制限などによって、自由な活動が制限されている)。
  3. 国民投票成立の要件をどうするか(有効投票の過半数なのか、投票総数の過半数なのかなど。また成立に必要な最低投票率規程がないため、低投票率でも成立となる、など)。

国民投票は直接民主主義の手段として、無条件に薦められるべきものではなく、民意を問う方法としては多くの危険性をはらんでいることに注意をしておかなければならない。

過去には欧州でのナチスやナポレオンによる国民投票の濫用(プレビシット)の経験がある。フランスではナポレオン1世・3世は国民投票で皇帝になったし、ナチス・ドイツでヒトラーは国際連盟脱退92%、総統就任90.5%,オーストリア併合99%など、国民投票を自己のファシズムの推進に活用した経験がある。

2016年の英国のEC離脱国民投票の結果も、有権者の正当な意志のありかを表明したものとは言い難いという経験をしたばかりである。

私たちは現行改憲手続き法のもとでの国民投票は容認できない。

(6)私たちのたたかいと展望

まずもって必要なことは、今回の参院選が獲得した成果を生かし、国会外での市民運動を継続・発展・拡大し、衆議院議員総選挙に備えて、野党共同+市民連合の体制をさらに発展させることだ。

大連合・共同こそが展望を開くという立場に立って、全国の各地域に無数の「総がかり」的な共同の機関を形成・発展させること。

自衛隊による海外での戦争の可能性が強まっている。違憲の戦争法を発動させない闘いを作ること。このたたかいは長期戦になる。この年末にも戦争法の発動が予想される。この具体化を阻止するたたかい、とりわけPKO5原則にすら違反している内戦下の南スーダンのPKO派遣部隊の撤収をはじめ、戦争法廃止の運動を継続すること。

ひきつづき安倍政権との対決をすすめる。沖縄の辺野古新基地建設阻止、海兵隊全面撤退、地位協定の抜本改定などの課題を全国的に発展させながら、原発や、アベノミクスが推進する新自由主義的政策の下での格差拡大に反対する課題に取り組んでいくことが必要だ。

当面、7月31日投開票の東京都知事選に勝利し、憲法を守り、活かす都政を実現し、秋のたたかいの出発点にすることができたらベストである(都知事選は5頁に市民連合の声明)。    (高田 健)

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参議院選挙の結果を踏まえての、闘いの決意

戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会   

(1)7月10日投票が行われた参議院選挙の結果は、当選者は、改憲勢力が77(自民56、公明14、維新7)で、立憲勢力が44(民進32、共産6、社民1、生活1、無所属野党統一4)となりました。野党共闘で闘った32の1人区では11人が当選し、野党共闘としての一定の成果をだし、また福島、沖縄で選挙区の皆さんの奮闘によって、現職大臣を落選させたことなど、次の展開への期待と希望が見えました。しかしながら一方で自公与党に改選議席の過半数をとらせ、非改選の議席と合わせて、改憲勢力に3分の2をとらせてしまったことは、極めて残念な結果であり、引き続き今回の選挙戦を総括しながら、安倍自公政権の暴走に対して闘いを強化する必要があります。

(2)安倍自公政権の路線は、「立憲主義をないがしろにする憲法改悪路線と格差・貧困を生み出すアベノミクス路線」であり、今回の選挙戦をつうじて民進・共産・社民・生活の野党は「改憲勢力に3分の2を与えない、アベノミクス路線ではなく、市民生活第1の経済政策を」と訴えてきました。

しかし野党の対抗政策が浸透せず、また様々な原因によって、安倍自公政権批判の受け皿に、十分なり切れませんでした。

(3)総がかり行動実行委員会は、憲法を破壊しながら進む安倍自公政権に対抗する基本戦術として、「戦争法廃止を求める2000万人統一署名」を軸に、全国的な大衆的運動と選挙戦における前進を2本柱として取り組んできました。参議院選挙に向けては、12月末、他の4団体とともに「市民連合」を結成し、「選挙を変える・政治を変える」をスローガンに、「野党共闘」を求めて、「32のすべての1人区」で4野党統一候補実現の一翼を担いました。野党候補の統一は、国政選挙では初めてで、画期的であり、このことによって選挙戦で自公政権に対抗できる体制ができました。

市民連合、総がかり行動実行委員会、結集している個々の団体は、こうした経過を踏まえ、野党統一候補・野党の勝利のため、全力で取り組みました。結果は、野党共闘で次の展望を確実に切り開きました。もちろん、初めての経験であり、野党4党、市民団体、労働団体、市民連合などの選挙の具体的取組は、選挙区ごと多様であり、多くの成果と克服すべき課題は残しています。改憲勢力に3分の2を与える結果となったことをしっかりとうけとめながら、次につなげるたたかいとしていくための総括議論が求められています。

(4)改憲勢力が、戦後初めて衆参で3分に2議席を獲得したことにより、今後、自公政権は「自民党の改憲草案」を基本としながら、憲法改悪へ踏み出すことは確実です。戦争法の具体化、沖縄名護市辺野古への基地建設、原発再稼働・推進政策などを加速させ、アベノミクス政策も強引に進めてきます。これらの政策は、世論・市民の支持を得ておらず、立憲主義・憲法を破壊するものです。私たちが直面しているのは戦後最大の平和と民主主義の危機にほかなりません。そのことから総がかり行動実行委員会は、引き続き、憲法改悪と戦争法の発動に反対し、暮らし、人権、平和を守るため、安倍政権の暴走に対抗する連帯の輪を拡大して、全力で闘いつづけることを宣言します。

2016年7月11日

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参議院選挙の結果に関する見解

2016年7月10日の参議院選挙において、自民党、公明党、おおさか維新、こころの改憲4党は合わせて77議席を獲得、改憲発議に必要な78議席には至らなかったものの、非改選の改憲派無所属議員4名を加えると、戦後初めて、改憲勢力が衆参両院において3分の2を超える議席を占める事態となってしまいました。

しかしながら、憲法改正が徹底的に争点から隠され、野党共闘と市民の結集そして参議院選挙そのものについてさえ報道が極端に少ない厳しい戦いのなか、私たち市民連合が全国各地の市民運動と連携しつつ実現しました、全国32の1人区における野党統一・市民連合推薦候補のうち11名が当選を果たし、なかでも福島と沖縄という重要な選挙区において安倍政権の現職大臣2名を落選させたことは、市民の後押しする野党共闘という新しい取り組みが一定の成果を上げたものと考えます。さらにこれまで保守基盤の強かった1人区においても、善戦をはたした選挙区が少なくありませんでした。このことは3年前の参議院選挙において、野党候補が当時31あった1人区でわずか2議席しか獲得することができなかったことと比較すると明らかです。また複数区や比例区においても、広汎な市民が自ら選挙に参加し、野党候補を押し上げ、1人区も含めて3年前の参議院選挙(野党4党で28名)と比較して一定の前進(野党4党で43名)を獲得しました。

残念ながら、私たちは今回の選挙で改憲勢力の膨張を阻止することができませんでしたが、市民と立憲野党(民進党、共産党、社民党、生活の党)が共闘する新しい政治の模索はまだ始まったばかりです。日本政治史上初めて、市民が主権者として連帯して野党の統一を促し、市民が政治を変える試みが実現したことの意義は大きいと思います。私たちは、この試みの成功と限界から教訓を学び、安倍政権の下におけるだまし討ちのような改憲の動きに毅然と反対し、個人の尊厳を擁護する政治の実現をめざして、ひきつづき安保法制の廃止と立憲主義の回復を求めてまいります。

2016年7月11日
安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合

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野党統一候補・鳥越俊太郎氏と市民がつくる都政の実現へ

来る東京都知事選において参議院選挙と同様、野党4党の統一候補を擁立するにいたりました。衆参両院において改憲勢力が3分の2以上の議席を獲得している現在、立憲主義と平和主義と民主主義を回復し、個人の尊厳を擁護する政治を首都・東京において実現することは、日本の将来において決定的に重要です。

私たち市民連合は、野党統一候補の鳥越俊太郎氏を支持し、政策協議を経たのちにできるだけ早く推薦協定を結ぶ方針であることを表明します。

都政は多くの課題において政治的解決を求めています。都知事が連続して金銭問題で辞職する事態は常軌を逸しています。ムダ遣いを洗い出す財政の刷新で、子育てや貧困児童の就学支援や高齢者介護の社会保障を充実させ、将来につながるムダのないオリンピックの開催準備、そして何よりも憲法を暮らしに生かし安心し安全に過ごせる生活の実現と、都民が主権者として参加し協力し合える都政の実現を推進しましょう。

なお、前都知事の突然の辞職を受けて、参議院選挙のさなかから野党統一候補の擁立を模索する関係者の努力がなされましたが、そのプロセスは決して平坦とは言えませんでした。今後、市民と野党の信頼関係にもとづく共闘をいっそう深化させ、候補者一本化に際して充分な透明性や政策論議を担保するため、市民連合としては、原則として公開の政策討論会や候補者と野党間の公開協議などを実施することを野党に要請していきたいと考えます。

2016年7月16日  安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合

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街頭宣伝は政治風土を変え、豊かにする耕運機だ

菱山南帆子(市民連絡会)

2年前の2014年から5人でスタートした街頭宣伝は2015年の戦争法強行「成立」後には300人にまで膨れあがった。この街頭宣伝文化は幅広く全国に飛び火し、一人でもプラカードを持ってスタンディングする市民が増えてきた。

私たちはこの戦争法の強行「成立」後も街中にあらゆる方法で立ち続けてきた。ちょうど、戦争法の廃止を求める2000万人署名が始まったので、街頭宣伝の中では必ず署名を取り組んだ。参加者の市民はそれぞれ、署名板に小さなのぼり旗を取り付けたり、ぬいぐるみを置いたり、署名達人の経験談を基に「署名Q&A」を作成し、それをネットで広めることで、初めて署名に取り組む市民も参加しやすいように工夫をして署名に取り組んだ。冬には忘年会シーズンということもあり、居酒屋の待ち時間に路上で署名を取った。酔っぱらいのおじさんたちが「おう!戦争反対だってよ!お前もしていけ。」と数人で署名をしてくれた。お正月には東京の御茶ノ水の神田明神という商売繁盛の神社があり、会社で熊手を買いに来るということで、労働者をターゲットにした「初詣街頭宣伝」を行った。

春にはお花見の季節もあり、恒例のお花見街頭宣伝を行った。このお花見街頭宣伝には70名を超える参加があった。前の晩から広いスペースを陣取っているため随分と冷たい視線に耐えながらの場所取りとなった。かなり広いスペースを確保したにも関わらず、時間が経つにつれ、そのスペースはあっという間にすし詰め状態になった。お花見街頭宣伝には憲法学者の清水雅彦さんや、国会議員の福島瑞穂さんまでもが参加し、初めて会う人が大方を占めているなど大変幅の広い交流となった。その中で自己紹介にとどまらず、普段私たちの街宣で行っている紙芝居「安保関連法って何?」や街中お芝居の「攻められたらどうする?」など「芝居シリーズ」2本立てでお花見の参加者を盛り上げ、ほかのお花見を楽しんでいる人々にまでも注目を集めた。

これは、普段の街宣では署名やチラシまき、のぼり持ちなどでなかなかゆっくりとお芝居や紙芝居を見ることができない参加者からの要望に応えるものでもあった。確保したお花見の場所にはアウトドア用の折り畳みのテーブルを市民が持参し、そこに署名用紙とペンを置き、署名スペースも作成した。ほろ酔いの市民が「なんだこれ」と言いながらも署名をしていってくれる若者の姿もあった。

楽しいこともたくさんある街宣活動だが、そういった街中に根差した運動を快く思わない人たちもいるわけで、何度も街宣中に妨害にあった。

3月29日戦争法の施行日の前夜、私たちは新宿の街頭に立ち、「明日が戦争法
の施行日です。戦前になってしまう。国会に集まろう!」と呼びかけを行ってきた。陽も落ちて暗くなってきた頃、一人の署名を行っていた女性の仲間が通りすがりの男性に足を引っ掛けられ路上に倒された。「ドン」という鈍い音を立てて頭を強打し、彼女は10センチもの血腫ができてしまうほどの大けがを負った。足を引っかけた犯人は雑踏の中に逃げ消えてしまった。

戦争法施行の前夜である。幸い彼女は検査を受けた結果、無事で一安心したものの、私たち街宣隊としても今後、仲間を守るべく、しっかりと自分たちの防衛の役割を振るとともに参加者にも「なるべく一人で行動しないように。」ということや写真をすぐに撮ったり、周りに怪しい動きをしている人はいないかなど目を配らせることによって事前の予防策となるのでご協力くださいとアナウンスを街宣前に行った。そして重要なのは、こういった妨害に絶対に屈することなく市民は市民同士でしっかりと守りあって、委縮することなく頑張ろう、と参加者に伝えた。妨害があっても私たちの街宣チームにはしっかりと防衛役がいるということで、安心して参加できる環境を徹底して作ることによって参加者が怖がって減ることはなかった。

6月からは参議院選挙が始まった。東京は6人区であったため、私たち街宣チームは公平に野党の候補者を応援するために「選挙に行こう」街頭宣伝を打ち出し、猛暑の中であったが行った。

公示前はまだ堂々と「投票呼びかけ」ができるため、投票呼びかけを行った。今回の争点は「憲法」だということと、野党共同の統一候補を全国の32の1人区にて立てることができたことなどを話した。芝居仕立てで「選挙に行って何が変わるの?」という街中お芝居も行った。ちょうどそのころ舛添都知事が辞任するなどのすったもんだがあった時だったため、舛添都知事が誕生したとき過去3番目に低い投票率だったこと、それなのに今になっては都民みんなが一斉に舛添批判を行っているということ。つまり投票に行かなければ自分たちの権利を権力者に一切ゆだねてしまうことになるんだということをお芝居の中に盛り込み、さらには安倍政権が推し進めようとしている改憲の手口がナチスの独裁政治が生み出されたこととピッタリ重なるということも入れた。

公示後には「投票呼びかけ」ができないため、もっぱら「選挙に行こう」と呼びかけた。しかしただ単に「選挙に行こう」と言っているわけではない。憲法の問題や自民党が出している改憲草案の危険性、アベノミクスのまやかしなども伝えるべくスピーチは自民党批判もした。

街宣でまくチラシは仲間が作ってくれた。「私と憲法」の先月号にも載せたチラシだ。実質賃金の推移が過去10年間で第2次安倍内閣が最低だということや、市民連合&野党4党と自民党の憲法や安保法、辺野古新基地建設など主な争点の姿勢を対比するデータなどをグラフにして大変わかりやすいチラシを使用した。それを基にした大きな自立式の看板を路上に置くと一気に立ち止まる人や通りすがりに写真を撮っていく男性労働者が増えた。そのほかにも、クイズ式街宣として「憲法9条を知っていますか?YES/NO」といった質問が書いてあるプラカードを持って、信号待ちをしていたり待ち合わせをしている市民に直接対話形式で話しかけ、今夏の選挙に行ってもらうよう話をするやり方の街頭宣伝も行った。

そのほかに私は地元の八王子で大きな「プラスター」と呼ばれる軽くて持ち運びが行える立て看板のようなものを作成し、「選挙に行こう」と書き、そのほかにも「憲法を守ろう」「戦争法は廃止」などと書かれた看板をもち、毎朝八王子駅に仲間たちと立った。私は朝、駅頭に立ち、選挙に行こう、憲法守ろうと訴えたりチラシをまいたりしてから職場に出勤した。疲れはするが仲間に「いってらっしゃい」と言われて出勤するのはとても嬉しく、健康的な「朝活(朝の活動)」だと思った。

開始3日目くらいは全然反応もなく「これ、やっている意味あるのかな」なんて思ったりもしたが、3日目くらいから徐々に市民権を得てきたのか、手を上げて合図を送ってくれる人、「毎日ご苦労さん」と声をかけてくれる人など顔なじみができ、「あと2分くらいしたらあのおじさんがここを通り過ぎるな」と推測するくらいまでになった。

毎日シルバー人材でたばこの吸い殻などを拾って掃除をしているおじさんにも、毎日街宣をやっていると話しかけてもらえるようになった。「私の孫が奨学金というものを使って大学に行っているみたいなのだけど大丈夫かな」と話しかけてくれた。

選挙戦が後半に差し掛かると朝の街宣に加えて夕方に、期日前投票所がある建物の入り口で「選挙に行こう」街宣を行った。並べてあるものは「選挙に行こう」だが、スピーチやまいているチラシは普段通り、戦争法や野党が勝たなければ今回の選挙で憲法が変えられたり、ナチス独裁の全権委任法と同じ緊急事態条項を盛り込まれてしまうという話をした。

最終日には期日前投票時間の夜8時ぎりぎりまで、市民が手分けをして期日前投票所の入り口でチラシをまきスピーチをした。飛び入りで小さな子どもを抱えたお母さんが、「こんなことくらいしかできなくてごめんなさい!」と言って一緒にチラシをまいてくれた。そのお母さんの目には涙が浮かんでいた。

こういった地域や様々な仲間と行った選挙に行こう街宣だったが、参議院選挙の結果は前回の参議院選の投票率を少しばかし上回ったにすぎなかった。しかし、東京の投票率は他県に比べて10ポイント高かったこと、期日前投票が過去最高だったことを考えると決して無駄ではなかった、と実感した。データだけではなく、日々の積み重ねが本当に大切だと思い、選挙が終わってもこういった街頭宣伝は丁寧に続けていくべきだと今後の目標にもなった。

また、10代の支持率が圧倒的に自民党だったことも考えなくてはならない問題だ。第1次安倍内閣になり一番初めに安倍晋三が行ったことは「教育改革」だ。教育基本法に手を付け改悪をした。その時2006年、今の18歳の子たちは当時小学1、2年生だった。徹底した心の教育、道徳教育を受けた子どもたちは安倍チルドレンとして第2次安倍内閣で選挙権を18歳まで引き下げ実験をしたのだと思う。

私の母がある小学校の入学式に、耳の聞こえない親御さんの手話通訳にいった時のこと。手話通訳をするためには向かい合う姿勢になる必要がある。そうやって手話通訳態勢をとっていた時、在校生の小学6年の子どもが母の肩を叩いてこう言った。

「あの、日の丸に背を向けないでもらえますか」

安倍の「教育改革」の成果はバッチリだ。私たちはこれからこの教育問題にしっかりと向き合い勉強し、子どもたちを守っていかなければならない。

街頭から何を伝えられるのか。その答えを見つけるにはやはり街中にしかないと思う。

国会前の運動や、選挙のウワァーっと盛り上がることも大切だ。しかし、潮が満ちて引くときのように引き潮の時のほうが力は強い。盛り上がって引いていくときにこそしっかりと地に根掛かりを作り、アンカーの役割となり次の波に備えることができるのが私たち市民運動の役割だと思っている。柔軟で楽しく、時には丁寧にコツコツと。私たちの街中の闘いは選挙が終わった後からが本番だ。絶対に素通りを共感へと変える思いで始めた街頭宣伝は、政治風土を豊かに変える耕運機としての役割を担い始めたと実感している。これからは街頭で日本会議とガチンコでぶつかることが増えると思う。私たちの街宣耕運機はよりパワーアップして前進します。

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第105回市民憲法講座 世界の戦争の歴史から考える今日の日本

お話:西谷 修さん(立教大学特任教授・哲学、立憲デモクラシーの会 呼びかけ人)

(編集部註)6月25日の講座で西谷修さんが講演した内容を編集部の責任で要約したものです、要約の責任はすべて本誌編集部にあります。

はじめに

導入で少し雑談させていただきますと、今日は10分くらい前に着いたところで、それから某新聞の電話で取材を受けたものの原稿のチェックをやって、たばこを一本吸ってここへ来ました。その前は羽田で、実は米子に行っていました。昨日まさにヨーロッパで激震が走って(注・イギリスの国民投票でEU離脱が多数をしめた)株価が急落して、そのあおりが日本の上空にもやってきました。鳥取・島根は今度合区というひとつの選挙区になり、1人区です。ですからここも市民連合が推薦する統一候補が立っています。その統一候補が最初の大きな集会をやるというので、各党の代表と市民連合も行って合同の集会をやりました。鳥取・島根の統一候補は、福島浩彦さんという元我孫子市長で、民主党政権で消費者庁長官をやった人です。地方自治に大変熱意のあるとても良い候補です。それで共産党から小池さん、社民党から又市さん、民進党から柿沢未途さん、それから新社会党、小沢さんのところは人数がいないから来なかったんですが、そういう割合盛り上がった集会でした。

米子は人口が19万人くらいです。私は地方の出身ですから地方都市がどうなるかを見ていますが、本当に寂しくなっていますね。その寂しくなっているところでどうやって地域を活性化するか、なかなか難しい状況ではあります。そうした中で市民連合とは言わないにしても地域の市民組織をつくって、女の人たちが主体になっていて元気でとにかく力のこもった運動を進めていて、ぜひこういうところは応援したいのですね。それが鳥取・島根ですけれど、佐賀なんかも良い候補が立っています。

全部がいい候補だといいのですけれど、いろいろ問題はあるんですよ。民進党がなかなか言うことを聞かないとか、連合が手伝わないとか、農協をどうやって突き崩すかとか、市民団体を軸にして本当に各党を巻き込みながら、労働組合の人たちが市民団体をサポートして運動を広げていこうとしています。今回はあと2週間くらいでどれくらい成果が出るかわかりませんが、いずれにしても安保法制下の日本、長期戦なんですよ。ここで一回うまくいかなくたって、それでどうという話じゃない。野党共闘の仕組みというのは、これを基盤にベースをつくっていて、次の選挙にも重ねていくために本当に大事だなと思っています。本当はアピール力のある中野晃一とか山口二郎とか、顔の大きい人が行った方がいいわけです。私もクマモンのぬいぐるみで行こうとか思ったけれど、「ごめんなさい、中野晃一のかわりです」とか言って、あちこに行っています。

昨日はヨーロッパのあおりを食いまして、私が乗った飛行機は米子に着いたけれど、次の飛行機が途中で羽田にひきかえしたようです。その飛行機が米子に着かないと、東京に行く最終便は飛行機がないから無いんです。それで帰れなくなった。急遽泊まるところを手配してもらって柿沢未途さんと2人で酒場を探して晩飯を食べて12時頃ホテルに入りました。でも柿沢さんは、取れるんですよね。私は昨日の便がなくなったせいで朝の便は満席です。ようやく2時半予定の便に乗ろうとしたけれど、それも遅れるわけです。それでとうとうぎりぎりになって、間に合って良かったと思っています。でもなんと昨日、某有名な憲法学者からメールが入って、実はこうこうで帰れなくて困っているといったら、ピンチヒッターをやりますというのでやってもらうつもりでした。だから私が羽田に着いたらメールが入っていて、無事に着きましたかとスタンバイしてくれていました。それがなんと石川健治ですからね、そっちの方が良かったかと。「着けなかった」と言うと彼がとんできたはずでした。

新しい世界秩序を決めたウェストファリア講和会議

石川さんが来ると憲法絡みの話になりますが、私は直接憲法に絡む話ではなくて、戦争について専門に考えるという役回りになってしまっています。今日も戦争の話です。戦争の話というのは、とにかくやりたい奴とかやらせたい奴に任せておいたらダメです。いかに戦争が起こってきたのか、どんなことをしても避けられなかった、じゃあ今はどうなのかということを、戦争をやりたくない者がしっかり考えないといけないんですよ。

ということで戦争のことは長くやってきましたので、今日は日本が安保法制、違憲ながらもそういう法律ができた。この違憲の法律を使えるかどうかというのは問題で、一応そういう法律ができて動かそうと思えば動かせるわけです。私は伊勢崎賢治さんと外大で同僚でしたが、私も離れ座敷みたいなところにおかれて勝手なことをやっていたから、伊勢崎さんと出会うと西谷さんだけが同志だとかいって仲がいいんです。その伊勢崎さんがよく言うのは、戦争ができる法制はつくっても、実際始めたとき、例えば自衛隊は軍隊じゃないから国際法的に軍隊として扱われないわけですよ。日本に軍法はないから、自衛隊がどこかで治安維持とかやる羽目になって鉄砲を撃って、向こうの兵隊が死んじゃったとなって、もしその自衛官が殺人罪で訴えられたら、保護できないんです。あるいは捕まった場合も、日本に軍法があればこれは戦闘員として扱われますから、国際法的に捕虜としてジュネーブ協定が適用される扱いを受けます。ところがそういうことが全然ないから、自衛隊がそういう状況になった場合に守られないんですよ。

実は戦争というのは、ひとつの法状態でもあります。これは国際法というものがどのようにできたかということとも絡みます。みなさんも名前はお聞きになったことがあると思いますが、グロティウスという人が「国際法の父」と言われています。その人は、ウェストファリア講和会議になんとか自分も参加したかった。そこで新しいヨーロッパの秩序づくりに貢献したかったのですが、その数ヶ月前に亡くなってしまいます。だから新しい世界づくりには参画できなかったけれども、彼が残した「戦争と平和の法」という本は、いまでも国際法の基本と言われています。それは17世紀の後半になりますが、新しい世界秩序は、戦争する権利というのを主権国家だけに限る、というものです。あちこちで無秩序に争いが起こり、それが連鎖して戦争が広まってしまい、どういうかたちでやっているのかよくわからないような争いがあちこち起こるのではなくて、収拾がつかなくなるというのではなくて、戦争する権利を主権国家だけに限る、というものです。

ヨーロッパ全土の戦争を終結し主権国家を確定

それ以前のヨーロッパでは、国王というのもいたし、地域の豪族みたいなのもいたし、それから教会も兵力を持っていた。あるいは王と地域の豪族が封建関係を結んで、日本で言うと「お前の領土は本領を安堵してやる。その代わりいざというときには自分の兵隊になって戦え」という関係で、ギブ・アンド・テイクの関係のようなしくみがあった。またそういうものとは離れて独自の勢力を持つ豪族がいたりして、それがみんな戦争ができるわけです。それでむちゃくちゃになるわけです。

それまではキリスト教世界はひとつの秩序でした。ローマ教皇が一番偉かったわけです。それが宗教改革以後ローマ教皇の権威が崩れ、ローマ教皇に従わない聖職者たちが登場してきます。ルターがその代表ですが、ルターの主張はそれまでだとカトリックから破門されます。破門されると地上に存在の権利を持てませんから、追放されてしまいます。ところがルターが言ったことは当時のカトリック教会の矛盾をついていたし、ルターの主張を保護・支持する世俗の王とか諸侯が特にドイツに大勢いて、それがルターを守るわけです。そうすると教皇に楯突いてもいいということになった。教皇に楯突いてもキリスト教徒であり得る、なおかつ自分達の信仰が正しいという主張が通る状況になった。これでヨーロッパはふたつに割れるわけです。これは新教と旧教、カトリックとプロテスタントの争いになります。

この新教と旧教の争いにかこつけて、いろいろな勢力が、本当は自分たちの地上的な利権を巡って戦争を繰り広げて、100年以上続きます。その最後の30年戦争と言われた戦争は、スペインからスウェーデンまで全体を巻き込んで収拾がつかなくなり、あるところで争いが下火になると今度は飛び火して大きな争いになったりして、もうどうしようもないわけです。たぶん現実的な問題は、死者が大勢出るとかいうことではなくて、「お金がかかりすぎる」とか、「おちおち寝られない」とかそういうことです。お金がかかりすぎるというのは、当時の戦争は傭兵が主体でしたからお金で雇わないといけない。せっかく雇った傭兵団が、向こうの方が高い金を払ってくれるからと向こうに行ったりしてしまう。でも仕方がないわけです。これをなんとかしようと30年ごたごたした果てに、この戦争に関与していたあらゆる権力・力の持ち主たち60いくつが集まって、会議をやって手打ち式をやります。これがウェストファリア会議というものです。

この手打ち式でいくつかのことを決めます。現実的には、スペインの植民地だったオランダの独立を認める、そこの領土は旧教の領土だ、とか言わないというものです。だいたいあそこの領土が欲しいとか戦争するのは、旧教だとか新教だとかいうけれど、それぞれ王家や豪族が権力者で、本当は信仰なんて関係ない地上的な利害とか姻戚関係とかいろんなことでやる争いだから、いちいち宗教を口実に持ち出さない。宗教を口実に持ち出すと、これは神の名のもとに、神のために戦うということになります。これを「聖なる戦い」というわけです。そうすると自分のやる戦争は、全部正当化されます。両方で神の名を持ちだして戦争すると、相手は天敵、神罰を下さないといけない。こっちは神がついているから何をやってもいいわけです。ですからものすごく凄惨な戦いになります。ヨーロッパ人はあまり言わないけれど、恐らく16世紀後半から17世紀にかけて起こった宗教戦争と言われる戦争は、世界の戦争史上でももっとも残酷な戦争です。神がやれといっているから自分達は何でもやっていいとなってくると、これはみんな心当たりがあると思いますが、テロとの戦争ってほとんどそうです。相手は神の敵で悪魔です。だからとことんやれということになります。

捕虜だって生かしておいてもらわないと、おれっち国の若者はみんな殺されちゃうじゃないか。あるいは戦争が終わったあと働かせるにも働かせられないというすごく現実的な問題と、本当に凄惨な問題があった。それで、とにかく神を持ち出して戦争をやってはいかん、やめよう。戦争をやりたければやってもいい、ただしそうすると損得があるよ、そのことを考えてやりなさいということで、戦争に神を持ち出さないということが決まります。

内と外に死に関する権限を持つ主権国家

戦争するのは集まった60の勢力全部ではなくて、主権国家――自分の領土を確定して、その領土の中を一元的に統治する力があるもの、それを主権者といいます。主権というのは抽象的なかたちであるのではなくて、主権者、要は王がモデルですが、それが一元的に統治する。そういう国、そういう主権者だけが、自分が一元的に統治するその地域をバックにして他の国に戦争をふっかけることができる。それを主権国家といいます。主権国家とは、画定的な領土があって、そこを一元支配していることです。できたら統一的な法体系――その領土内ならどこに住んでいても泥棒したら同じ刑罰とかいう統治の仕方ができていて、その法体系をこの地域に一元的に押しつける力・最高権力を主権といいます。その主権によって把握されている国家を主権国家というわけです。そうすると、その主権者は自分の国、主権者のもとにある国をバックに、他の国家に対して戦争を仕掛けることができる、つまり戦争する権利がある、ということです。

だから主権国家は顔がふたつです。主権国家には主権があり、その主権はまずひとつは国内を一元支配する、そして外に対しては国を代表して他国に戦争を仕掛けることができる。内向きの顔と外向きの顔があるわけです。これは中学校や高校の世界史では「中央集権的な絶対主義国家」と説明されています。中央集権のかたちというのはわかりますが、絶対主義というのはかなりいい加減な観念です。絶対的権力は神から与えられたといって主張する。そこの住民がその国を支える実質になって、今日いうところの国民主権みたいなかたちではなく、国王が絶対的な権力を持つ云々、それが絶対主義というということになっています。けれども法的、構造的な観点から見るとこれは主権国家のことです。主権国家で、初めは主権という抽象的な観念があるのではなくて、王がいたから王を主権者と考えます。これは絶対的な力です。それは国内に自分の法を一元的押しつけることができ、この法に従わないものは最終的には死をもって罰します。平たく言えば死刑を下す権限がある。これは主権者です。そして外に対しては、自分の国の民に対して殺せという権限がある。だから内と外に向いた死に関する権限を把握している、これが主権者です。そういう主権者が統治する国家を主権国家といったわけです。そうしてそういうかたちの国家でない限り、他は全部主権国家に組み込んでしまいます。もう少し格が低い豪族だったりすると、それが独自に軍隊を動かしたりしてはいかん、ということになります。もしやったら、それはある主権国家における内乱、反乱で、主権国家がそれをつぶせるわけです。

国家間秩序と国際法をもつ近代国家の形成

それだけではなく主権国家というのはお互い同士を認め合って初めて成立します。こういう構成要素があったら主権国家だということではなく、よそが無視してつぶしに来たらそれで終わりです。だから主権国家が主権国家として成立するためには他の主権国家が、「ああ、お前のところは主権国家だよね」と認めないとダメです。逆にいうと「お前のところは主権国家じゃん、おれっちも主権国家だよ。おまえを主権国家って認めてやるからおれも主権国家って認めろよな」という、こういう相互関係によって成立するのが主権国家です。そのようにして相互に承認された主権国家同士がこのヨーロッパの土地を全部分割支配するわけです。これを主権国家体制といいますが、他の言葉でいうと国家間秩序です。ヨーロッパ全体が国家によって分割され国家が併存する、それによって安定した構造を持つような秩序、国家間秩序です。これを英語で言うと「インターナショナル オーダー」と言います。そしてその決まりのことを「インターナショナル ロウ」と言います。

それ以前はそういう主権国家によってあの大地が全部分割統治されていて、それぞれまとまった法体系によって支配されているという体制はありませんでした。ウェストファリア体制で、大きな勢力は主権国家としての体制を整えて、主権国家だけがこの領域に正当な権利者として存立することになりました。それ以下の権力や勢力は全部主権国家の中に解消されます。結局何がなくなったかというと、主権国家は対等な枠組みとして成立して、それ以下の権力は全部主権国家の中に組み込まれます。そしてそれを超えたあり方は、まだ神聖ローマ帝国は存在しますけれども、その根拠が少し崩されます。神聖ローマ帝国は、神聖ローマ帝国自体が主権国家なのか、帝国は必ず皇帝を選挙で選びますから、選挙候がいます。その選挙候が主権者なのかというと、それはあいまいなままの領域、オーストリア=ハンガリー帝国がハプスブルグ帝国として残ります。そのときに20いくつの単位に分かれてヨーロッパ全土は区切られますから、新しく領土を獲得することが非常に難しくなります。要するに国境線を動かすためには戦争をやらなくてはいけなくなります。そして主権国家は戦争をする権利があります。権利がないと、それこそ主権が認められていないということになります。

では戦争をやりたい放題かというとそうではありません。みんな対等に権利がある。そうすると強いところは戦争ができますが、弱いところはやりたくないですよね、潰されてしまうし領土をとられてしまう。どうするかというと、隣に強いところがあって、そこと仲が悪かったりすると、その向こう側の強い国と手を結んで、こっちを攻めてきたら後ろから突くぞというようなかたちにして、なかなか戦争ができないようにします。これをバランス・オブ・パワーといいますね。連携関係をつくって、その力のバランスで戦争をしにくい状態をつくるわけです。これはある意味では戦争をやりたい放題やっていいんです。主権国家はその権利がある。であるからこそ、めったに戦争を起こせない状況になります。これをウェストファリア体制というわけです。

そこでは国家間秩序があるわけです。その国家は権利として戦争ができることが主要な構成要素になっています。けれども、そういう戦争ができる国というのは、相互承認関係のうちにあるがゆえに、お互い認め合わなくてはいけない。お互いが認め合うということは約束の関係です。だから平時には必ず従わなくてはいけない。関係を取り結ぶいろいろな取り決めがあるわけです。それが国際法の主要部分をなしますけれども、戦争になったらどうするか、これは対等の国同士で戦争をどちらもやる権利があると言うんだから、その先はどうするか。そういった対等な国同士だから、不意に襲ったりしたらいかん、これは闇討ちだ。そうではなくて、「さあ、やるぞ」と言って始めなければいけない、正々堂々とやれというわけです。ルールに基づいてやれというわけです。宣戦布告しなくちゃいけない。

また、戦争をやってもいいけれども、両方ともその戦争で一方が破滅するという話ではなく、そうなっては困るのだから、戦場でちゃんと雌雄を決すればいい。そうすると町で武装していない市民などをやたら殺してはいかん。殺していいのは戦闘員、そうではない人をやたら殺してはいけません。それから、戦場で敵がみんな降参して一網打尽に捕まえてみんな串刺しにしろとかやっていたら、その国はすごく野蛮だということになる。無駄に殺してはいけないというので、捕虜はあとで交換するとか、お互いが対等な国同士であるからこそ、お互いに承認されている関係であるからこそ、そこでルールができるわけです。国家間秩序のもとでは平和なときには通商や、それぞれの国の住民の権利の問題は、全部共通のお互いの取り決めによって処理されます。けれども戦争の時には、戦争によって暴力と無秩序が猖獗してそこで法がなくなってしまうのではなくて、まさに戦争もあるルールに基づいてやります。それで戦争には枠組みというか、国家の暴力には制約がかけられます。相手があるからちゃんとルールに従ってやれよという。これを戦時国際法というわけです。

国際法というのは、国家間秩序を律する法律です。それは条文として書かれているわけではなく、いろいろな条約だとか慣習的な取り決めだとか、そういうことの集成です。その国際法というのは、まさに国家が戦争をできる国というかたちで単位化されているがゆえに、その国家間秩序は、平時はこういう法状態、戦時はこういう法状態というアーティキュレーション、蝶つがいのような仕組みを持っています。そして宣戦布告がこの蝶つがいの役割を果たして、さあ今日から戦時国際法だとなります。戦争が終わるときはどうするかというと、戦争の目的は全部敵を殲滅することが目的ではないですから、クラウゼヴィッツ的に言えば「我が法を敵に押しつければいい」わけです。でもお互いなかなかやめられない。だからこの国家間秩序、国際関係の中で第3者が出てきて「もうそろそろそれくらいでいいんじゃないの、形勢もだいぶ決まってきたからこの辺で会合を開いて手を打ちなよ」というので講和会議を開きます。そこで講和条約を結んで、これで戦争が終わったということになります。この講和条約で戦争が終わったとなると、それまでは戦時国際法に従って処理されていた両国関係は、そのときから平時国際法に変わります。これが国際法秩序です。グロティウスは国際法のことを「戦争と平和の法」といいました。近代国家というのはそういうふうに構成されました。

徴兵制とフランス革命軍の形成

ところが、17世紀のヨーロッパから200年も300年も世界が変わらないわけではありません。特にウェストファリア体制が成立する頃、イギリスから北米へものすごく人が移動して植民地をつくって、もう少したつとアメリカ合衆国という国ができます。ヨーロッパ諸国についてもいくつか要素がありますが、簡単にふたつだけ言っておきます。ウェストファリア体制というのは主権国家体制ができてその主権国家が戦争をやる。その戦争をやっていいということ自体が、戦争を抑止するシステムだったということです。それがひとつ成熟するというのがナポレオン戦争の時です。ナポレオン戦争はフランス革命のすぐあとです。このとき、戦争の性格が大きく変わります。それまでは、フランスならフランスでブルボン朝の常備軍はあります。常備軍はあるけれどもこれは傭兵が多い。昔からの騎士階級の末裔みたいなものが専門的な戦士の階級だったりしますが、それが常備軍の中核になって軍人になるけれど、あとは傭兵だったりします。そしてそれまでは戦争というと、フランス国家が戦争するというより、ブルボン朝が戦争するわけで、フランス人が戦争するのではありません。ブルボン朝がハプスブルグとかスチュアート朝と戦争をする。

ところがフランス革命が起きました。最初から国王をギロチンにしたわけではないけれど、国王ルイ16世はかみさんがマリー・アントワネット。これはオーストリアのハプスブルグ家から来ています。有名な話があって、ベルサイユにパンをよこせって今の日本で言うとママの会みたいのが押し寄せます。そうするとマリー・アントワネットは付き人に「何をママたちは騒いでるの」と聞くと、「いや、パンがないと言ってパンを求めて押し寄せています」といったら、「あ、そう。パンがなかったらケーキを食べればいいでしょ」と言ったわけです。マリー・アントワネットが革命で牢屋に入れられたというと、オーストリアのハプスブルグ家は黙っていなくて、フランスの革命を潰すぞ、と軍隊を出してきます。そうするとオーストリアだけではなくて、イギリスもロシアも他の小さな国も革命が波及したら困るというのでつぶしに来るわけです。結局その手引きをしたというのでルイ16世は処刑されます。マリー・アントワネットも。

そのときにここで劇的なことが起きます。ルイ14世は誰かが国家の話をしていたら、「それはなんだ、国家って俺のことじゃん」と言った。だから戦争をやるのはルイ14世です。フランス国家が戦争するのではありません。ところがルイ16世は革命が起こって捕まった。それでオーストリアに援軍を頼んだことが、国民公会という革命を起こした人たちの代表が集まるところでどう判断されるかというと、国家反逆罪です。国王が国家反逆罪に問われる。これは驚天動地の出来事です。国王はその国の法の源でした。それが国家反逆罪でギロチンにかかる。これが革命です。

そこで何が起こるかというと、国王はフランス国家の所有者ではない、あるいは所有権者ではない。フランス国家にもし統治権というなら統治権があるわけではない。それまであったとしたら、その統治権を失ってしまった。では誰が統治するかといったら、それは革命を起こしたみんな、人民だというわけです。日本ではpeopleという言葉を人民と訳すことをどういうわけか嫌いますね。でも普通peopleというのは人民なんですよ。それで普通の人たちが国家の担い手になるわけです。国王をギロチンにしたら、私は育ちが悪いので「国家?それっておれっちのこっちゃ」とつい言ってしまうけれど、もう少し教科書的に言いますとルイ14世は「L'État, c'est moi」(朕は国家なり)と言いました。その「俺」がいなくなってしまったわけです。

そうすると国家というのは空っぽの器として浮かび上がり、残ります。主権者がいなくなってしまった。では誰がこの国の主権を担うんだ。「おれたちだ」ということで、ここで初めてみんなが主権を担うことが実質化されます。現実化されるんです。そのことは同時にまた他の問題も含んでいて、それまでの国王の絶対支配、貴族とかいろいろといる身分制社会です。産まれてからそれぞれの持ち分が全部決まっている、そういう秩序を全部ひっくり返してしまう。そこで人々が何を求めたかというと、そういう古い抑圧的な秩序からの解放を求めました。解放というのはリベレーションですから、これは自由になるわけです。解放の結果って自由です。自由を求めることを解放って言うわけですよね。自由と解放というのは、自由というのがひとつの状態だとすると解放するというのは動きです。この人たちは国王の古い体制-アンシャンレジームを全部壊して、それによって解放されてひとりひとりみんな自由な個人になったのかというと、そうではないことにすぐ気がつきます。

外敵が攻めてくる、フランスを守らなくちゃいけない。この国王のいないフランスは誰のものだ。俺たちのものだ、私たちのものだ。フランス革命の象徴はみんな女の人です。ドラクロワの有名な「民衆を率いる自由の女神」という絵があります。革命を率いたあの女性は、普通マリアンヌといわれます。そういった途端に、では私たちは何を守るのか、この国を守る、フランスを守るということになるわけです。自分達は主権者だ。何の主権者だ、フランスという国の主権者だということになります。だから国王を排除してフランスという国家が浮かび上がって、みんなが主権者だとなった途端に、その主権者は決してニュートラルに自由な個人ではなく、「国民」です。その国民としてフランス国家を守ります。それで全国から義勇兵が集まり、革命政府はその義勇兵で守られたわけです。

ほどなく徴兵制が敷かれます。でもこの徴兵制はジャスティファイされています。昔の租庸調みたいに税金をいろいろなかたちで取りました。1年の何10日間働けという苦役にもつけということで、それで兵隊をつくりました。そうではなく、革命で自由な体制になったこの国を誰が守るかといったら、まさに自分達主権者たちが守るということです。そうすると当然義勇軍は出てくるけれど、義勇軍でいちいちやると面倒くさいから、徴兵制にしてしまいます。そのときは、徴兵制が積極的に受け入れられます。ただし農村では、勝手に農繁期に男手をとられてはしようもないと、反抗が起こります。でもこの共和制の政府ができたときに徴兵制が敷かれて、その徴兵制は一気に国家制度になります。こうしてフランス革命軍ができます。

国民の国民による国民のための戦争

そのフランス革命軍を、旧体制で革命派に転じた職業軍人たちが指揮します。その中からナポレオンが出てきます。うまく指揮するとめっぽう強いんです。なぜかといったら、他の国は傭兵ばっかりです。傭兵は、生きて帰って、給料をもらってなんぼです。それでないと合わないですよ。自分が死んだら、その日の日当くらいは家族に渡されるかもしれないけれど、それで終わりです。だから死んだらまずい。けがをしても嫌です。だから適当につついて脅して、うまくいかなかったら引いちゃえ、という感じです。ところがナポレオン率いるフランス軍はそうはいきません。自分達は革命を起こし、せっかく自由を手に入れた。俺たちは主権者だ。自分達の自由を守るために戦うので、ちょっとやそっとのことでは引きません。なぜかというと、自分達がなぜ危険を冒して戦うか、ひょっとしたら命がけになるかもしれないということをみんな納得づくで兵隊に来ています。だから破竹の勢いでヨーロッパ中を制覇します。初期に2回くらいナポレオン軍に負けたプロイセンの若い将校がフランスに見学に来て、どうしたらこんなに強いのか、どうやったら勝てるのかと言うことを考えた。これがクラウゼヴィッツで、彼が書いた「戦争論」にそういうことが書いてあります。

これでもって、戦争がただ単に主権国家の戦争になったのではなくて、国民戦争になります。「国民の国民による国民のための戦争に」なります。フランスがこうしてすごく強かったために、ただちに他の国々は真似をします。国王なんかが自分のために兵隊を集めて戦っているのではなくて、「故郷の山河は」といって、「これは君たちのものだ、私は君たちの代表として戦う」、「みんなついてこい」と言って、自分は後ろに立って突っ込ませる。「あんなフランス人のケーキでふやけたような奴らに負けるか」みたいなことで、それでドイツとかいろいろな国に「祖国愛」とか「ナショナリズム」が生まれるわけです。そうすると国王なんかは、君たちの代表としてこの国を統治している、君たちの言うことも聞こうじゃないか、といって議会を開いたりします。その代わり国のために戦えというものをつくり、どこの国の軍隊も国民軍になります。

ナポレオンが最終的に1815年、セントヘレナ島に流されて収束する戦争、その戦争の後半は、歴史学では諸国民戦争と言います。ウォー・オブ・ネーションズというわけです。これが最初の国民戦争です。17世紀に、まずウェストファリア体制で主権国家がやる戦争、権利としてやる戦争という体制ができて、それが19世紀の初めに国民が担う戦争になります。そして19世には産業革命があって機械的大量生産ができます。それまでだと鉄砲といっても、ズッドーンとやったって、しばらく筒を磨いたりしている間に槍とかでやられてしまいます。でも連発銃ができ、それも大量にできるようになります。19世紀半ば過ぎには連発銃のすごいのができます。マシンガンができます。これはアメリカの南北戦争で最初に使われたと言われています。それが改良されて本当にベルトみたいな弾で、1分間で100発くらい撃てるようなものができます。そうするとバタバタ死ぬわけですね。それを防ぐにはどうするか、そろそろ自動車ができますから装甲車で、機関銃の包囲網を破る。そうすると今度は塹壕を掘るわけですね。装甲車がガッタンと落ちて抜けないとか、そうなります。大砲もどんどん発達する。それでどうするかというと、塹壕を掘って落とすだけじゃなくて、敵の戦車をやり過ごすためにまた塹壕を掘ったりします。そういうところに毒ガスなんかを撒くと一網打尽です。どんどんどんどん科学技術の進歩に従って殺人兵器は進歩していきます。

予測できなかった20世紀の世界戦争と無条件降伏

そういう条件が整ってきて20世紀になると、他の要因も出てきます。ただ単に国家間戦争ではなくて、ヨーロッパ諸国が世界の他のところを全部勢力分割してしまった。例えば、後発のドイツがドイツ統一国家になるのは、日本の明治維新と同じくらいです。そのときになってやっとイギリス、フランスに対して領土要求をするようになります。アフリカの分割なんかはベルリンで会議を開いて机の上で全部決めますが、後発の国は取れないわけです。イギリスが、エジプトからケープタウンまで縦にユニオンジャックでぶち抜く。フランスはダカールあたりから東岸の方を横にぶち抜く。真ん中あたりが南スーダンで、ファショダというところで小競り合いがあって、結局そこで現地人をうまく使ったイギリスが勝ったので、縦がぶち抜かれてフランスは東西に分かれたわけです。だからドイツなんかは他のところが残っていない。でもベルギー、ドイツはそういうところをとります。それのあおりを食って、その統治の傷跡がいつまでも癒えずに、化膿してとうとうどうしようもなくなったのがルワンダの虐殺です。

ヨーロッパ諸国列強の利害は、どこかで衝突するとワーっと連鎖的に広がるようになってしまって、世界戦争になります。最初は第1次大戦です。その世界戦争は、主権国家による、それも国民軍による、国家のそれぞれの産業的生産力や社会の力を全部投入してやる全面戦争になります。これが世界大に広がる。これが世界戦争です。20世紀に入ってから戦争はそうなった。最初はそれがわからなかった。初めは3週間くらいで終えるつもりでドイツは始めたんですよ。だけど「どこまで続くぬかるみぞ」で、ヴェルダンいう北フランスの戦場で、3ヶ月に60万人くらい両方で兵隊が死ぬ。でも終わらない。どこでも講和を開くことにならない。あらゆる国が戦争をしているから第3者っていないんです。ずるずると戦争が続いて、一方の国―ドイツがぐうの音も出なくなって、もう国家の体をなさなくなった。皇帝がいたけれども皇帝も失脚して、国家崩壊を起こした政府が、やっと無条件降伏をします。

無条件降伏というのは一番ひどい、ウェストファリア体制では想定されていないような負け方です。ウェストファリア体制では、適当なところでどこかが仲介に入って、講和条約を結んで戦争を終えるんです。これでウェストファリア体制は基本的に成り立たなくなってしまった。それで無条件降伏をした。このときドイツに付いていたのがトルコで、これを機にオスマントルコはイギリス、フランスによって解体されます。そしてオスマントルコ領はトルコが小さく残りますけれども、このときにサイクス・ピコ協約という密約があって、北のレバノン、シリアはフランスが取り、ヨルダンからイラクあたりはイギリスが取る。ただしそういう国はまだできていないんです。そこのあたりをフランスとイギリスが信託統治といって任されたかたちで支配する。そこをどうやって効率的にうまく現地人を使って統治するかというので、ヨルダンという国ができ、イラクという国がつくられ、クルド人にはつくらせないでいた方がここが不安定になって維持しやすいというかたちで、あそこに国家がつくられます。だからあそこは全部地図の上に線を引いたような国境でしょ。とりわけイラクはシーア派とスンニ派とクルド人が一緒くたに詰め込まれていて、利害があわないで統一できない。中でもめ事が起きるようなときに「お上」に申し立てをしてくるようにするとイギリスに調停をいってくるから、イギリスがリベートを取りながら調停する。うまくいかないものとして国をつくっているわけです。

とにかく第1次大戦がそういうかたちで起こりました。これは世界戦争で、このひとつ目の世界戦争はやってみてわかった世界戦争です。初めはそんなになるなんて誰も思っていなかった。だけど、本当にそれぞれの国の社会、それから産業的生産力あるいは科学技術、そういうものをあげて戦争に投入してしまった。いつまでも燃えるから、終わらない。人々の生活世界全体が戦争の中に飲み込まれて、誰もが戦争を生きるという状況になりました。そういうことは今まではありえなかった。そういうことになることがわからなかったんですね。でもナポレオン以来の国民戦争というのは、「国民の国民による国民のための戦争」で、この仕組みはもう止められません。傭兵じゃないし、ブルボン朝とかそういう王朝がやるわけではないから、予算も国家予算の枠一杯まで、あるいはどんどん国債を発行すればどれだけでも規模は増えます。兵力も、その国の成人男子は基本的に全部動員できる。圧倒的に規模が大きくなります。武器の破壊力も大きくなる。それで止まらなくなった。やってみてわかって、「あー、もう止められない」ということで、無条件降伏までいってしった。それが第一次世界大戦です。

核兵器と冷戦をうんだ総力戦の第2次世界大戦

その第一次世界大戦を見たから、今度戦争をやったらどうなるという見通しが全部立ったわけです。それで主要国は、全部次の戦争に備えます。だから2回目はそのつもりでやった世界戦争です。これが第2次世界大戦です。それで戦争を終わらせるにはどうするか。全部ぶっ壊して消してしまえばいいと、核兵器が発明されます。総力戦と言いますね、総動員とか総力戦です。これは人間社会のあらゆる潜在力を全部つぎ込んで、戦争に向けることです。ものだけではなく、人々の心もそこに動員します。それを極端までやったのが日本ですよ。だから全部「撃ちてし止まん」じゃないけれど、アッツ島玉砕とか、あらゆる人がこの戦争のために死ぬことを受け入れて死んでいった。そこまで戦うから、戦争を止めるためには人が生きる空間、世界を全部消せばいいわけで、それができるのが核兵器です。

ひとたび核兵器ができると、原理的にもうそれ以上の兵器はいらなくなります。戦争というのは勝ってなんぼのものです。敵を負かしたら、敵が全滅したらばダメなんですよ。敵はたくさん残っていて、こちらのために働いてくれるようになるとか、そうなってこそ戦争をやった甲斐があるんです。全部消えてあとは放射能といったら、これは戦争をやる意味がありません。核兵器とはそういう兵器です。戦争をやる意味まで消してしまう兵器です。だから1回使われたら2度と使われないし、そのことが分からない人はいつ使うかわからないけれども、核兵器以後にそれに勝る威力を持つ兵器は登場しないわけです。もちろん倒錯的な兵器というのは開発されますよ。中性子爆弾――これが一番優れている、核兵器は全部破壊して全部消してしまうけれど、これは生き物、有機体だけ全滅されて建物はちゃんと残る――とか、そういう兵器を考える人はいます。でも破壊に関しては核兵器によって絶対的兵器ができました。これで戦争は基本的にできなくなります。もちろんやることはできるけれど、大国同士の戦争はこれでできなくなります。技術はどこかが独占するということはできないですから、すぐにいろいろな国が持つようになります。核兵器を使って戦争といったら自己否定ですからね。だから戦争が基本的にできなくなります。

それで世界は冷戦という状況になりました。核兵器を持って対峙して、すくみあうわけです。その冷戦は何と何が対峙したかというと、ひとつには、どういう社会システムが経済効率が高いかという競争です。全部配置を固定して、分配も資源の集約も全部計算してぴしっとやれば無駄が出ないというシステムと、物理でいうとブラウン運動といいますけれども、分子の運動を勝手にさせておいてぶつかったりしている、それのどっちが熱効率が高いかという競争になります。配置を固定して分配と資源配分を計画的にやるという方は、もともと資源があまりなかったり産業基盤もあまりなかったりするところではすごく効果がありました。

だからソ連は最初の30年間くらいはすごく社会的に成果があったんです。だけど一定程度にものが行き渡ると、今度は固定して同じことをルーティンでやるようにしておくと、人間って集団的な生き物だけれども、全部杓子定規ではなかなか生きられないものですよね。人間は集団であるけれどもそれは個の集団です。その個の集団の個性というものがそれぞれ生きないようだと、うまくいきません。とにかく食べるものがないという状態だと、その個性はあまり主張されません。食糧がみんなに行き渡ることの方が重要だから。だけどある程度行き渡ってくると、それぞれの意志みたいなものがある程度生かされないと全体が動かなくなります。それで結局ソ連は全体が動かない状態が続いて、内部崩壊していくわけです。結局ブラウン運動が活発な、いわゆる自由主義システムの方が圧倒的に熱量を発揮した状態になって、ソ連は潰れてしまうわけです。そこで何をやっていたかというと、結局経済効率競争です。おもての軍事的な戦争ができない状態のもとで行われていたのは、経済戦争です。結局ソ連の体制が崩壊して何が一元化されたかというと、よくいうように市場による一元化です。世界が巨大な経済マーケットになったということです。

冷戦集結で表面化したテロとの戦争というレジーム

では戦争はどこに行ったのか。いままでは核で対峙していて凍結されていた。その凍結が解凍されたら、巨大な経済マーケットのどこに戦争は隠れたのかというと、あちこちでぼこぼこと出てきた。それがこの経済マーケットを動かしていく秩序にとって極めて危険であるというので、新しい戦争のレジームができます。その戦争のレジ―ムが2000年代に入ってから明確に打ち出されました。これが「テロとの戦争」というレジームです。

「テロとの戦争」ということを理解していただくために主権国家とか国民戦争のことをいろいろと話したわけです。テロとの戦争は、そういう戦争のレジームを全部壊します。まず国家間戦争の場合は、相手が国家だとはっきりしています。国家を相手に戦争するという関係がはっきりしているし、戦争をするといったら国家が他の国家に対して戦争を発動すること、武力行使することです。しかしテロとの戦争の場合は、敵がいません。あるいは敵は不定形だとか、確定できないといいます。今までの戦争はそういうことはありえませんでした。戦争といったら必ずどこかの国とやります。戦争をするのは国家であるという責任主体がはっきりしていました。相手もまた国家だから、自分のすることに制限を、制約を加えたわけです。お互いの約束事みたいにね。

ところがテロとの戦争の場合は、相手を認めないわけです。相手を対等の相手と認めない。するとどうなるかというと国家が一方的に相手を決めて、国家は自分のふるう暴力をすべて正当化できます。無制約にこの暴力を発揮できます。だからテロとの戦争の場合には交渉相手として認めない。テロリストとは交渉しないといいますね。そのテロリストはどこにいるかというと、国家じゃないからどこの国にいようと爆撃します。このテロとの戦争をやる国は、国家の国境を認めないことになります。今までの戦争の枠組みは全部壊されます。その上に、テロリストは外にいるだけではありません。国内にもいます。国境を越えているから。国外は爆撃しますが、国内は爆撃できません。どうするのか。非常事態宣言をします。非常事態宣言とは何か。それは権限を執行権力に集中します。裁判とか司法が排除されて、警察権力の執行がそのままエグゼキューションの役割を果たします。執行権力にすべての権限が集中される。そうすると間違っていても訂正のしようがないですね。執行権力は圧倒的に強くなります。これが緊急事態、非常事態です。

緊急事態というのはヨーロッパ起源の言葉ですから、そのまま訳すと緊急事態になります。日本では明治時代の刑法などでは非常事態という言葉を使っていました。非常事態といった方が、非常大権とかいろいろなこととのつながりがつきやすい。非常時というのは平時に対しているわけですから、非常事態といいます。そういう用語を使っていましたが、戦後はヨーロッパの言葉にあわせて緊急事態という用語を使うことが多く、最近はそれを使いますね。緊急事態の場合は、今は緊急事態だからといって行政権に権力を集中します。そのときは行政権がいろいろなことをやりますから、その行政権のやることを遂行する力、暴力、これは警察がやります。それを軍隊がやるようになると、これが戒厳令です。

「敵の打倒」より「安全保障=セキュリティー」体制

いずれにしてもテロとの戦争というのを公式なレジームしたときには、あそこにテロリストがいるといって、外には爆撃、どこの国でもいいから爆撃をしてしまいます。国内は爆撃するわけにはいかないから緊急事態です。テロが起こるからというとみんな受け入れてしまいます。9.11の時に、アメリカはパトリオット・アクト-愛国者法でやったわけです。この前フランスでいわゆるテロが起こったときには、緊急事態令です。細かくいうといろいろ決まりがありますが、最初3ヶ月延長しました。それから3ヶ月延長して、それからまたサッカーのヨーロッパ選手権があるからとかいって2ヶ月延長した。そうするとだんだん慣れていって、この緊急事態は恒常化していきます。これがテロとの戦争です。

かつてだったら戦争は国と国とが対等な関係の中で、国際法的にやるわけです。国際法的であるがゆえに国家の行為には全部責任が伴います。だから規制ができます。けれどもテロとの戦争は、テロとの戦争を発動する国家にすべての権限が与えられて、そして全世界が緊急事態状況に入るわけです。それが今、世界で起こっていることです。別の言葉で言うと、もはや国家間戦争の時代のように平和と戦時というのがはっきり分かれる構造ではなくなった。だってテロとの戦争の場合に宣戦布告なんてないですね。テロが起こったら、戦争がもう始まっていることですから。ではいつ終わるのか。敵を殲滅したときか。いつどこで殲滅したのかを誰が判断するのか。

実際アメリカが2001年の秋にこれを始めてからアフガニスタンで何年も続き、そのあとイラクで何年も続き、15年たった今でも、アフガニスタンは無理矢理つくった政府がぼろぼろでいつ崩れるかわからない。でもアメリカも兵隊を送りたくないから一生懸命ドローンを送っている。イラクも同じです。そして統治できない場所が一杯広がって、そこに彼らが言うところのテロリストが集まって、とうとう「国」までつくった。シリアもそうなっています。そうなるともう終わりはない。とうとう最近では、アメリカ・ニューヨークから始まったのが、だーっと太平洋を越えて南アジアをずーっと通って、トルコ、北アフリカまでバンバンそういう騒動が広がって、とうとうフランス、ベルギーとなっているわけです。ヨーロッパを巻き込みつつある。終わりも見えない。

これでフランスがイスラム国を全部爆撃して、あそこにいそうな人間は全部ムカデのようにたたきつぶす。何年かかるか。フランスにそれだけの力があるか。それをやればまた何百万人の難民が毎年押し寄せてくる。それをどうするか。そのことでいまEUが分裂しているとなると、いったい何が起こってきたのか。この事態をなんといっているかというと、オバマになってからテロとの戦争という言葉は使いたくないんですね。だからオバマは前から監視下に置いていたオサマ・ビン・ラディンを、なんとジェロニモ作戦というインディアン掃討作戦の名前の特殊作戦で、ホワイトハウスで撃たれるのを観戦しながらオサマ・ビン・ラディンの首を取ったとかいって、あれで終わったことにしたかった。ところがどっこい、全然終わらずにずっと続いています。フランスあるいはヨーロッパではテロとの戦争といっています。

だけどこの戦争は始まりも終わりもありません。何か恒常的な非常事態といいましたけれども、戦争という言葉をだんだんだんだん後ろに引っ込めていくと何が残るか。このことを安全保障というわけです。これを英語ではひとことでセキュリティといいます。いまや国際政治学では、あらゆる事態はもうセキュリティという言葉で語られます。安全を守るということですね。テロとの戦争というと人聞きか悪いから「安全保障」というわけです。この安全保障こそが、古典的な時代には軍事は国家の専権事項でした。軍事は、国民を動員して殺したり殺させたりするから、これは国家が責任を持ってやる。国ためにやりなさいといっていたのを、どうもそういうことを言っているとうるさい奴らが大勢いるということで、全部民営化するわけです。それを引き受けるのが警備保障、セキュリティ会社というわけです。日常生活のセキュリティから軍事的なセキュリティまで、だから地続きなんです。でも外国に出て行ったり何かするのは軍事的セキュリティ会社です。これを戦争の民営化というわけです。そういうふうにして民間にアウトソ-シングすると、国家はそれに関して責任を持たなくてよくなるし、それは戦争予算ではないですね。国家の事業を下請けに出すわけですから。戦争予算ではないところからそれができるという、いろいろなことになります。これが現在の状況です。

安倍政権の倒錯した戦争観で国際貢献

日本でいま、戦争をする国とか戦争できる国とか言っています。その安保法制をどうやって受け入れさせるかというときに、尖閣危機だとか南沙諸島だとか中国の進出がどうのこうのとか北朝鮮がどうのこうのとか、これは何ですか。全部国家間戦争の枠組みです。ではいま、中国と日本が本当に国家間戦争ができるのかという話ですよね。冷戦が終わってから4半世紀、この間に国家間戦争が起こったのか。起こっていないんです。本当に戦争ができるのはもう大国だけ、あるいは先進国だけ。先進国は何をするか。テロとの戦争です。国家相手ではありません。国家間戦争はもうできません。二重にできないのであって、二段階進んでいます。核兵器があり、なおかつグローバル経済の一元化があって、国家単位というのは後景に退いています。世界を動かすオーガニゼーション、組織原理の後景に退いています。

政治はポリティクスです。ポリティクスというのは、ポリスというある集団というか枠組みがあって、その内部と対外を扱うのがポリティクスです。だけど経済というのはあらゆる境界を越えていきます。だからグローバルになることで一番自己主張ができるのが経済です。その中では、当然ポリティクスというのは役割が軽くなる、あるいは力を失っていきます。そうなったときに、では誰がテロとの戦争をやるかという問題は当然あります。でも実際にいま起こっている、世界で課題になる現実的な戦争の様態は、テロとの戦争です。国家間戦争では全然ないんです。

ところが日本の場合には、戦争をするレジームをつくるために使われるのが、国家間戦争のイメージです。実際には自衛隊を海外に送ることで想定されるのは、何かというとやっぱり対テロ戦争、テロとの戦争の手伝いです。例えば尖閣で中国とドンパチをちょっとだけやってみた、アメリカが味方してくれるか、そんなバカな話はないわけです。アメリカはそんなこと眼中にないから。トランプが大統領になろうと誰が大統領になろうと同じです。そうすると今の日本の問題は何かというと、今の日本で戦争ができる国家体制をつくりたい、そして国家体制だけじゃなくてそれを経済にも広げて軍需産業で経済成長を目指す。そして軍国主義教育でみんなを統合して行くという、こういうことをやりたがる人たちの頭を一番規定しているのは、明治以降の日本の歴史を認めたくないという、この一点なんですよ。

日本は明治以来ずっと対外戦争をやってきた。でもその戦争って何だったか。これはすべて本土ではなくて、海外に大陸に半島に何十万、何百万という日本兵を送り出してむこうでやった。ここ日本にアジアの、中国の、あるいは朝鮮半島の兵隊が来て戦ったことがあるか、ということです。これは完璧な侵略戦争です。それをやったことを認めたくない。むしろそれを肯定したい。肯定することで自分達の地位を得たいという連中が、その姿勢を維持するための方策が国家間緊張をあおることです。国家間緊張をあおって軍事体制を持つ。でもその軍事体制を持っていても、現実的にはテロとの戦争の中にしか入らない。これがすごい倒錯なんです。今の日本の政府はそういうメンタリティに固まっています。よく歴史修正主義といわれますけれど、歴史を認めたがらない。認めない。だって認めると、自分達のおじいちゃんは悪い人だったということになってしまうから。

そういう人たちがいて、もう一方ではこのグローバル秩序の中で日本国家をどうやって維持していくかということに腐心する人たちがいる。これは外務省とか経産省もそうかもしれないけれども、日本の国家設計などに直接関わっている官僚たちです。戦後の日本をいろいろ設計して動かしてきた官僚と財界も、彼らは別にいまの政権と意図は同じではないかもしれません。けれども彼らはグローバル世界の中で、そして人口減の中で人々を底辺労働者として使い、日本も企業中心の軍事産業国家になった国を運営していくことをよしとする。そして国連常任理事国になるとか、そのために軍事大国にならなければダメだとか、そういうことを考える人たちはいるわけです。そういう人たちの利害が絡んで、いまの安保法制があります。私に直接関係のあるところだと日本学術会議が軍事研究を解禁するとか、そういう動きもあります。そこで想定されている国家像というのはこんなものに例えられるのではないか。これはアッシリアの時代から16世紀まで地中海とかチグリス・ユーフラテス川で使われていたガレー船ですが、ガレー船国家というのがひとつのイメージだろうということです。

一番重要なのは、戦争といったときに基本的な戦争の仕組みとか決まりがどういうものだったかということです。それが今どんなふうに変わっているのかということをしっかり踏まえると、いま起こっていることがとてもよく見えてくると思います。その話をしたかったのです。

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